小沢氏不起訴と秘書3人の起訴についてのコメント(その2)

【第83回定例記者レク概要より抜粋】

それから、小沢氏の不起訴についてです。これは、私がかねてから言っているように、当然の結果であって、検察の最低限の良識が働いた。それによって暴発が回避されたということではないかと思います。石川議員についてすら、起訴をされることは、正直言って、今の今までまだ信じられなかったくらいですが、その石川議員の起訴と比べて、さらにさらに、ハードルが高く問題が非常に大きい。ほとんど、この事件での小沢氏の起訴は考えられない、というのが私の今までの考え方だったし、今もそう思っています。

なぜかというと、ここでも、2004年の収支報告書に小沢一郎氏からの4億円の借入金の記載があるということが非常に重要な事実です。結局、もし、この記載がなくて、銀行からの借り入れなんていうものもなくて、小沢氏から4億円の現金が入ってきたという事実だけがあったのに、それがまったく記載されていないという単純な話であれば、もし、石川氏が、収支報告書はこういう形で提出しますと言って1回見せたという程度でも、それを見れば、書いてあるか書いていないかははっきりしますから、書いてないな、俺は金を出したのに、書かないまま出すんだなということを了承したということで、比較的簡単に共謀も立証できるわけです。

しかし、小沢一郎氏からの4億円の借入金が書いてあるのに、それでも、これは現金という意味ではない。現金の4億円のことは不記載なんだ、ということであれば、これはそれなりの説明が必要です。石川議員から、これはこういうことで違う意味の記載なのです、先生からの現金のことは書いてありません、ということを詳しく説明を受けないと、小沢氏にそのことの認識があるとは言えないし、ましてや、共謀があるとは到底言えないと思います。そういう意味で、この事件で小沢氏の共謀が立証される可能性は極めて低いと思っていました。

それ以外にもいろいろな問題がありますけれども、それだけでもほとんど共謀による起訴は、可能性は限りなくゼロに近いと思っていました。ですから、もし、小沢氏起訴というような処分を検察庁が行うとすると、これは暴発以外の何ものでもないと考えていましたが、昨日の『夕刊フジ』にも私のインタビューが出ていましたが、そこでも「小沢起訴なら検察の暴発」ということをはっきり言っています。その暴発はなかったということで、検察の最低限の良識が働いたと私は見ています。

そこで、昨年の3月の西松建設事件から、ずっと小沢氏側に対する検察捜査が続いていたということですが、今回の検察捜査の問題全体を私がどう見るかということですが、私は、いろいろ検察捜査に対する批判の中で言われているような、検察が組織として当初から民主党や小沢氏に狙いを定めて、何とかして小沢氏を政治的につぶそうと思って組織的に行動したという見方もありますが、私はそういう捜査だとは思っていません。当初からそういう狙いでやったのではなく、もともと、西松建設事件に着手した段階では、いろいろな可能性を考えて着手したけれども、結局うまくいかなかった。まさに出口を求めて迷走した末、ほかに選択肢がなく、やむを得ず、小沢氏秘書の大久保秘書への強制捜査、逮捕という強制捜査に踏み切ったということではないかと思います。

ただ、そういう強制捜査を行うことを最終的にそれを決断したことの背景には、個人的なレベルで反民主党的な考え方とか、反小沢感情みたいなものもあったかもしれません。その後、西松事件はもっともっと背後に大きな事件があるのではないかと言われながらも、全然そんなものはなくて、結局、最初の逮捕事実とほとんど変わらないような事件で起訴されたわけです。その起訴によって、小沢氏は民主党の代表辞任に追い込まれたわけですが、その公判で検察はまず西松側の公判で大きくつまずいてしまった。政治資金の金額があまりにも少ないので、天の声という言葉によって事件の悪質性を強調しようとしたところ、結局、西松建設側が全面降伏の西松建設公判においても、裁判所は国沢氏に対する判決の中で、公共工事の受注と西松建設側からの政治献金との対価関係を明確に否定しました。まさに検察が強調した「天の声」という余計な部分は全部そぎ落とされてしまったという結果になったわけです。

今回の陸山会をめぐる政治資金問題についての捜査が、そういうような西松建設事件が、はっきり言って失敗捜査に終わったことのリベンジとしての、まさに執念の小沢側捜査であったことは否定できないと思います。結局、ほとんど1年近くにもわたって特定の政治家の事件を徹底的に追い続けたわけです。その間、特捜検察のリソースの大半が小沢戦線に投入された。これは、当初から意図していたものではないとしても、結果的には極めて政治的色彩の強い捜査になってしまったことは否定できないと思います。やはり、検察がこういう形で自主的に政治的意図を持って長期間捜査を続けていく、結果的に、まさに政治集団化してしまう、これは検察として絶対に避けねばならないことだと思います。まさに、そのことの是非を、この1年にわたる検察の捜査にあまりに政治色が強いという問題がなかったのかということをきちんと検証しなければいけないと思います。

検察の本来の役割は、社会内のさまざまな事象の中で発生する違法行為に対して、刑事罰を適正に、適切に適用することです。その刑事罰の適用の対象の中でも、伝統的な犯罪、殺人、強盗、窃盗に対しては検察の価値判断は不要です。こういう犯罪が反道徳的、反道義的な行為であるという評価は、刑法典の中できちんと定まっています。あとは、検察は、そういう行為について犯人が明らかになるだけの証拠があるのか、その事実を立証できるだけの証拠があるのかを判断して、証拠があれば起訴すればいいし、その検察の判断に誤りがあれば、裁判所が無罪判決を出すということであって、検察の価値判断はほとんどそこに介在する余地はありません。

しかし、今まさに社会が非常に複雑化、多様化して、いろいろな社会経済事象に対していろいろな法律が適用され、そこにはいろいろな罰則が付されているわけです。そういう罰則をどうやって法の趣旨に従って、違反の重大性、悪質性を判断して、適切に適用していくのか。ここが検察の非常に重要な役割になっているわけです。今回の政治の問題もそうです。ライブドア事件、村上ファンド事件のような経済事犯の問題もそうです。検察には非常に大きな役割が課されているわけです。中には、刑事罰を使わないで課徴金で済ませる案件もあっても、それは、刑事罰との整合性を考えて、その違反行為に対して科される不利益が本当に重大性、悪質性に見合ったものであるかどうかについて、最終的な責任を持つのが検察だと思います。

そういう意味で、伝統的な犯罪形態の1つである贈収賄という刀と、近代的な、現代的な犯罪現象、違法行為現象の1つである政治資金規正法とでは、その適用のあり方に極端な違いがあります。その違いをわきまえないで安易に政治資金規正法の刀を政治家に対して振るおうとするところに、最近の検察の捜査のあり方に重大な問題があった。それが、昨年以来の西松事件、今回の陸山会の不動産取得をめぐる政治資金問題に現れたと見ています。

わかりやすい例えで言えば、贈収賄は銃剣です。正面からぶすっと突き刺すか、あるいは狙いを定めて発射すればいいわけです。そういう武器です。狙いを1つに定められる、そういう武器です。それに対して、政治資金規正法は武器に例えると自動小銃です。自動小銃の撃ち方というのは、1つのところに狙いを定めて、それをめがけて撃つのではなく、そこら中にいる人間に幅広くだだーっと銃撃を浴びせる武器です。だからこそ、自動小銃で武装した反乱軍は大変な殺傷能力を持っているわけです。

そういう性格を持った武器である。政治資金規正法はそういう武器だということを明確に認識しないまま、単に政治資金規正法が民主主義にとって重要な法律だということだけで、検察の恣意的な判断で摘発、罰則の適用の対象を選択していったら、これは、民主主義にとって非常に重大な脅威になりかねないということをあらためて認識しなければいけないと思います。

そのことに関して、私は以前から、一罰百戒とは一罰を勝手に選べばいいものではないということを言い続けてきました。一罰は、できる限りその捜査機関、その刑事司法機関が努力をして、できる限り重大悪質なものに適用していく。そこに一罰を科し、それよりも重大性、悪質性のレベルの低い行為に対しては、あえて罰は加えない。これが正しい一罰百戒の考え方です。それを恣意的に、一番つまみ食いのしやすいところだけ一罰を加えるというやり方をするとどうなるかというと、一罰の対象にされた側は納得しません。徹底的に抵抗します。そして、一罰の対象にならなかった周りの99の人間も、やられたやつが運が悪かったと思うだけで、決して悔い改めません。一罰が適切に選択されることによって、それほどの悪性を持たないその他の違反行為を行っていた人間は、それを見てきちんと悔い改める。それが本当の一罰百戒だと思います。

そういう検察の捜査の問題の一方で、今回の問題に関して、小沢氏側に対しても言いたいことは山ほどあります。

まず、現在まで小沢氏が記者会見などで説明してきたことの内容は、まったく不十分です。そもそも、資金管理団体は、政治資金規正法の趣旨から考えて、政治資金の財布です。財布の中には不動産は入りません。性格上も明らかです。だから、財布の中に無理やり不動産を詰め込むから、その人が死んだあとの財布の中をどうするのかということが問題になるわけです。そこのところは、小沢氏はもっときちんと国民に対して政治団体、資金管理団体で不動産を購入しようとした目的、意図などを説明すべきだし、そして、これが政治家の政治活動が行われなくなった、もし小沢氏が死亡したときに、その後どうなるのかについて、もっと明確な措置を取るべきです。一番望ましいのは、資金管理団体の所有にしておくのではなく、やはり、小沢氏が民主党が大事だと思うなら民主党の所有にすればいいわけです。民主党が今後も長く二大政党制の一翼を担う政党としてやっていくために、小沢氏は陸山会の財産を拠出すればいいわけです。そのくらいのことをやる必要があると私は思います。

それから、今回の現金4億円という金額が庶民感覚とかなりかけ離れているというところが、何で小沢氏の自宅にはそんなたくさんの現金があるんだという国民の側からの違和感を生み、それが疑惑として取りざたされ、その疑惑が、検察捜査の追い風になって、その追い風を受けた検察の捜査がここまでおかしな方向に向かってしまった、私に言わせると暴発の寸前のところまでいってしまったわけです。そう考えた場合、こういう検察の暴走を招いたことについて、小沢氏側の責任も非常に重大だと思います。もっと、一国の政権を担う大政党の大幹事長なんですから、クライシスマネジメントがもつとしっかりしていないといけない。この程度の危機管理能力で与党の大幹事長が務まるのか、ということに私は非常に疑問を感じます。

いろいろ小沢氏の側の事情もあると思いますが、私はこの問題で、こういう検察の暴発のような状況に追い込まれて、国民に大変な迷惑をかけたことについて、小沢氏はもっとしっかり反省してもらう必要があると思います。

そして、今後の小沢氏側の対応として絶対に慎むべきは、検察に対して報復的な対応を取らないことです。

検察の捜査に非常に重大な問題があったことは間違いありません。しかし、これは何も今回、にわかに発生した問題ではなく、私が昨年の9月に出した『検察の正義』(ちくま新書)の中でも書いたように、いろいろな背景、いろいろな経過があって検察はすでに危機的な状況に陥りつつあった。それが今回の問題で顕在化したと見るべきだと思います。

検察は、組織として特殊です。90年代以降、いろいろな民間企業が、そして官庁が、ガバナンス改革を求められ、ガバナンス改革を実行してきた、いろいろな情報開示を求められてきた。その中で、検察だけが説明責任からも、情報開示からも、基本的に免れてきた。だから、検察の組織は組織内で完結しまっている正義の世界なんです。それを支えてきた条件の中で、今後の検察にとって絶対に残さないといけないものと、そうでなくて、今後検察がもっともっと、これからの新しい時代に適応していくためには変えていかなければいけないこと、これをもっと問題を整理していかなければいけないのではないか。そういう議論をまず、政治の場でもしっかりやっていかないといけないと思います。

ですから、今回の問題について小沢氏がやるべきことは、そういう検察が本当に自浄能力を発揮して、国民の信頼に耐え得る刑事司法機関、捜査機関になり得るように、条件、環境を整備することであって、間違っても小沢氏とか、小沢氏の側が、側近も含めて、検察のやったことはけしからん、だから自分たちが好きなように検察の人事を動かしてやるとか、検察の組織の内部に手を突っ込むなどということではありません。そういうことをもし始めるとすれば、韓国と同じことになってしまいます。

今回の問題は、検察が勝利すれば、戦前の日本のようになってしまい、小沢氏の勝利が変な方向に行くと韓国のようなことになってしまう。日本の国にとって非常に重大なターニングポイントになりかねない事態であったと思いますし、まだ、その危険は過ぎ去っていません。とにかく、これから小沢氏がやるべきことは、まだまだ説明が不十分な点について、国会の場などで十分な説明をしていくこと。そして、陸山会の保有不動産について、国民の不信を払拭できるだけの抜本的な措置を取ることではないかと思います。

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