小沢氏にまつわる第5検察審査会の議決の取扱いの異常さ

【第104回定例記者レク概要より抜粋】

もう1つが検察審査会の話です。
この検察審査会に関しては先週からいろいろ動きがありました。先週は学習院大学の桜井教授をお招きして、ここで今回の東京第5検審の議決についての行政法上の問題とか、行政訴訟として問題にし得るのはどういう点なのかということなどを、行政法の専門の桜井先生から話して頂きました。

小沢氏側が提起していた行政訴訟が今週の月曜日に東京地裁で却下されました。却下決定があっという間に出た。その却下決定ですが、私もどういう理由なのかということは、いちおう私なりに情報を収集して、だいたいわかりました。

要するに一言で言えば、こういう問題、もし議決に重大な瑕疵があるとか、そういう問題があれば、強制起訴してもらったら刑事事件になるんだから、その刑事の公判手続の中で主張して、それで公訴棄却なりしてもらえばいいことであって、それを行政訴訟で事前に議決に瑕疵があるとか、取り消させるべきだということで争うような問題ではないということのようです。

まったくわかってないと思いますね。裁判所がこんな決定をしたというのは、小沢氏側の主張が本当に十分だったのかどうかということも含めて、私は非常に残念です。

まず原則として、そういう手続でいくべきであるというのは、もちろんそうです。検察の起訴に相当するものが検察審査会の起訴議決であって、その議決をそのまま選任された指定弁護士が議決の通りに起訴の手続を行なう、そして、公判を行なう。そういう流れが原則になっていることは確かです。ですから、その原則通りに行っている限りにおいては、被疑者側で不服があっても、問題があると思っても、刑事公判の中で無罪を主張する。その前提として起訴が無効だ、議決が無効だというのであれば、公訴棄却を求める、刑事公判で争うのが原則である、というのは間違いありません。

しかし、そもそもそこに乗せていくこと自体が、そういう手続に乗せていくこと自体が問題だと思えるような重大な瑕疵がある場合まで、そういう原則通りのやり方ですべきだと。刑事公判になったから、公訴棄却なりをしてもらったらいいということでは、私は到底済まないと思います。

なぜかというと、まず1つは、検察官が起訴するのであれば、検察官は起訴するまでの間、捜査にも、例えば捜査の中身にも、そして起訴して、有罪にできるかということの見通しについても責任を持っているわけです。検察官の責任においてやっているわけですから、その判断が適切じゃないと思えば、起訴を断念したり、勾留を取り消したりして、検察官は引き返さないといけないわけです。とても無理だからやめておこうと思ったら起訴を断念するということだって当然あるわけです。

ところが、この指定弁護士にはその裁量権はないんです。議決にもとづいて弁護士として指定されたら、そのまま起訴して、有罪に向って突っ走って立証するということしかないんです。だから、鉄砲玉と同じなんです。真っ直ぐ飛んでいくだけなんです。

検察官は公益の代表者として、その都度その都度その適正さを判断しているのですが、それとはまったく違います。指定弁護士にはその一方向の鉄砲玉としてベストを尽くさないといけないという義務が与えられているわけです。本当に極端な話をすれば、証拠が不十分であれば、起訴の手続をとるために詰めの捜査をするという権限だって与えられているわけです。
ですから、先週号の『アエラ』で書いていたように「小沢逮捕もできる」ということなんです。捜索だって、自宅の捜索だってできるのです。そのぐらいの権限を与える行為なんだから、そういう重大な弁護士の指定ということなんだから、それはその前提として、議決が有効でなければいけないのは当然だということを言っているわけです。

もし間違った、重大な瑕疵がある議決を、素人集団ですから、してしまったというときに、そのもともとの議決に重大な瑕疵があって、その議決の通りに補充捜査をした上で、起訴手続をとろうとしている、そういう検察官役の指定弁護士の捜査活動を止められますか?
止められません。裁判所が議決書に基づいて選任している以上、議決書の趣旨にしたがって犯罪事実を立証するために最大の努力をするのは当然のことです。

公判手続きで争えば良いと言いますが、仮に起訴議決が無効であったということで公訴棄却された場合、それまでに生じた損害は誰が責任をとるのか。誰が賠償の責任を負うのか。これ、国家賠償と言ったって、一時的には誰か個人の責任です。重大な過失があったら、個人が責任を負わなくてはいけないはずです。

では、誰が責任を負うのか。弁護士には責任はありません。指定弁護士はそういう役割が与えられているわけですから。それでは、補助弁護士、議決の際に補助をした補助審査員の弁護士に責任があるのか? これもありません、補助ですから。

では、そういう重大な瑕疵のある議決してしまった審査員に責任があるのか?

まさに『日刊ゲンダイ』に書かれていた審査員に対する国賠請求の問題ですが、私はそれはとんでもない話だと思います。そいうことになる可能性があるんだったら、そもそも検察審査会という制度なんか維持できない。恐ろしくて審査員なんかやってられない、ということになります。

ということは、そういうことにならないような歯止めというのが当然必要なはずなんです。議決が無効で、重大な瑕疵があるんだったら、一見して明白な瑕疵があるんだったら、それは途中で止めないといけない。それは裁判所が指定弁護士を選任する段階でちゃんと気がついて、これはちょっとまずいということで、指定弁護士の指定を止めるということが十分可能なはずです。

だから、そういったことをきちんと、国の側がこんなものは行政訴訟の対象じゃない、公判手続でやればいいと主張したとしても、それに対してきちんとした反論が行なわれ、「こんなことを、今言ったようなことを認めるとしたら、重大な憲法違反だ。憲法31条の適正手続違反だ」ということがしっかり主張されていれば、私は裁判所がこんなにあっさり却下することはないと思ったわけです。小沢氏側で、本当にそこのところをちゃんと主張したのか、若干疑問に思ったわけです。

行政訴訟で問題にされた点以外にも、今回の検察審査会の議決に関してはいろいろなことが問題にされてます。

とくに唖然とするのが、この間から問題になってる審査員の平均年齢の問題です。

当初、平均年齢が30.9歳だと公表されて、それを前提にみんなが、真面目に考えて、これは若すぎるんじゃないか、おかしいんじゃないかとさんざん議論をしたわけです。中には数学者まで連れてきて、確率論の計算までやってもらった人もいるわけです。そういうことをみんながやってる最中に、検審の事務局はこの誤りに気づかないで、1週間もたってから、「実はこれはまちがってました」ということを発表しました。

そのこと自体が考えられないことです。そもそもそんな役所があるのか。誰が責任をもって、この公表事項についてチェックをしているのか。まったく考えられない事態です。

しかも、その30.9歳を33.91歳に訂正した段階で、37歳の人が一人抜けていたと、足し間違いしていたということを説明していたわけですが、37歳の人が一人抜けているだけだったら、この33.91歳にならない。この差が説明できない。

計算の合わない訂正なんていうことを行うのは、これまでどんな日本の役所で、どんなずさんだ、どんないい加減だと言ったって、まずあり得なかった話です。あり得ないことが立て続けに起ったわけです。そして、また、その後に、再度訂正しました。そのときには、年齢を選任の時点にするのか、議決の時点にするのかを間違えたということを理由にしたんですが、もしそういう間違いだとすると、これもブログ等で指摘されているように、1カ月ちょっとの間に、審査員11人中7人の人が誕生日を迎えたということになるわけです。この確率もきわめて低いと考えざるを得ない。

もうここまでいくと、まともなお役所のやる仕事とは何次元もかけ離れたもので、こんないい加減な事務局がやったことを前提に、審査会の議決があったとか、私が今言ったような重大な結果が生じる審査指定弁護士の指定を行なうなんていうこと自体が凡そあってはならない話です。

検察審査会の事務局長、責任者をどこかに呼んで問いたださないといけない。公開の場でちゃんと説明してもらわないといけない。当たり前のことだと思います。

そういう意味では、もともと審査の経過がどうだったのか、検察官がどういう説明をしたのか、審査補助員の弁護士がどんな説明をしたのかという審査の経過が公開されないといけないと思うんですが、検察審査会の会議録というのは、単に何月何日に会議を開いたとか、誰が集まったとか、議決を行ったかどうか、とかいうようなことだけが書かれていて、いわゆる議事録的なものは作ってないようです。

議事録など作っていないというようなことが、10月16日の読売新聞に書いてあったんですが、もしそんな施行令が最高裁によって作られていたとしても、今回のように政治的に重大な影響を生じる事件の審査は、それで許されるような話ではないと思います。
現にこの前の衆議院、参議院の予算委員会での答弁で、最高裁の刑事局長も、法務省の刑事局長も、両方とも会議録には議事の中身は書いてありません、なんていう答弁はしてないはずです。

ちゃんと議事録を作っていることを前提にして、それで、事柄の性格上、あるいは個人の発言の秘密とかいうことで出せませんということを言っているわけです。会議録の問題も非常に不可解な経過をたどっていますし、きちんと明らかにしないといけないと思います。いったいどういうような事項が会議録として記録されているのか。その公開はどこまで可能なのかということが今後大きな問題になるのではないかと思います。

もう1つ、この前からブログやツイッターで問題にされているのが、検察審査会法40条との関係です。

この40条で「検察審査会は審査の結果、議決をしたときは、理由を付した議決書を作成し、その謄本を当該検察官を指揮監督する検事正及び検察官適格審査会に送付し、その議決後7日間当該検察審査会事務局の掲示上に議決の要旨を掲示し」と書いてあります。

ここで、問題は「議決後7日間」の意味なんですが、この議決後7日間というのが、議決をした時点から7日間という意味であれば、今回の議決は議決から20日たって初めて要旨は掲示されたので、この40条に違反しているのではないかという疑いがあるわけです。それに対してどうも法務省側とか、おそらく最高裁もそう言うんだと思いますが、議決後7日間というのは、「直ちに」とは書いてないから、議決後であれば、すぐじゃなくてもいい、しばらくたってから、掲示を初めてもいいんだというようなことを言っているようです。

私は「議決後」というのはどういう意味かということを考える上では、今まで、掲示すべきとされている「議決の要旨」というのがどう扱われてきたかということが重要なのではないかと思います。

過去に強制起訴になった事件の議決の要旨を見ると、議決の要旨には「議決年月日」しか書いてないんです。議決年月日というのが書いてあって、議決の要旨という文書の作成日付は最後に書いてある、というのが一般的なパターンなんです。例えば明石の歩道橋事故とか、JRの尼崎の脱線事故などは即日議決の要旨が出ており、議決の年月日と議決の要旨の年月日は同じ日です。

これは、40条の規定を刑事裁判の判決の取扱いと同じように考えているということだと思います。40条はそういう趣旨に理解すべきものではないかと思います。

刑事裁判の判決というのは、判決が言い渡されて、即日効力を持つわけです。でも、判決書きができるのは1カ月ぐらい先です。でも、判決が言い渡されることによって効果を持ってるんです。被告人は有罪判決を受けたら、ただちに執行される立場になる。それと同じように、議決というのも、議決されたということによって、検察審査会の議決として効力を持つ。だから刑事裁判でも言い渡しの際に判決要旨が出さるのと同じように、議決の要旨は遅くとも7日以内。とにかく早く公表しなさい、掲示しなさい。ただ、正式な議決書というのはそれからしばらく後でもいい。そういう考え方じゃないかと思うんです。だから、みんなその考え方でやってきているわけです。

ところが、この第5検審の議決の要旨だけが書き方がちがうんです。
議決年月日の下に議決書作成年月日というのが書いてあって、文書の末尾には日付の記載はない。

ということは、これは議決の要旨の作成日と議決書の作成日とが同じだということを前提にしているのだと思います。その考え方であれば、さっき言った40条の解釈も、議決書を作って検事正や検察官適格審査会に送付しなさい。そして、その時点で議決の要旨をまとめて7日間掲示しなさい、というような意味になるわけです。しかし、少なくとも過去の強制起訴の事例ではそういう取扱いはしてない。しかも、刑事判決の取扱いからすると、やはりこの40条の解釈はそう解するべきではない。

このように、従来の強制起訴の事例での取扱いと比較しても、今回の小沢氏についての第5検察審査会の議決の取扱いは特殊です。やはり今回の議決の手続はおかしいのではないかと思います。

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