大震災への政府の対応とコンプライアンスの考え方、法令遵守との関係

【第118回定例記者レク概要より抜粋 その1】

今日は、まず第一のテーマとして、今回の大震災への政府の対応とコンプライアンスの考え方、法令遵守との関係ということについてお話をしたいと思います。

私は、コンプライアンスを、法令遵守ではなく、「社会的要請に適応すること」ととらえるべきだと、ずっと言ってきました。そういうコンプライアンスのとらえ方が、まさにいまのこの大震災という想定を超えた事態への対応の中でもっとも重要になっているのではないかという気がします。いつも言っていることなのですが、安定的な世の中、あまり変化が激しくない世の中においては、法令遵守的な対応というのもそんなに大きな問題を生じさせるわけではない。もっともそういう法令遵守的な対応が弊害を生じさせるのは激しい変化の状況です。

法令というのはある一時点でその時の状況を前提にして定められたものなので、変化が激しくなるとどうしてもその前提条件が変わり、社会の要請と法令との間のギャップがいっそう激しくなるわけです。この東日本大震災によって日本の社会にまさに急激な不連続的な変化が生じている状況においては、法令遵守という発想はもっとも大きな弊害を生じさせる状況と言うべきではないかと思います。

いろんな分野で、いろんな問題に関して、この法令遵守の弊害ということは生じていると思います。例えば、1つの典型例を言いますと、昨年の5月に貸金業法が改正されて、個人に対しては年収の3割を超えて貸付ができないことになりました。いま震災で被災をして、まさに家も財産もすべて流されて、まったく資産・財産もなくなった状態の人もいるわけです。これまでの震災直後の1カ月ぐらいの状況というのは、当面食べるものとか、生活に必要なものを緊急支援物資として提供する。それをできるだけ多くの人に行き渡らせるということが必要な状況だったわけですが、これからは被災者一人ひとりの個別のニーズに対応して、どれだけ必要なものが購入できるのか。そのための国、あるいは自治体の配慮なども当然必要になってくるわけです。そのための当面の資金がないという人もたくさんいるはずです。

ところが、年収の3割ということが条件になっていて、例えば昨年の年収についての証明書がないと貸付ができないとか、あるいはクレジットカードの利用限度額についても、そういう貸金業法の規制が働きます。昨年の貸金業法の改正法にもとづいて規制をかけていくと、震災によって経済的に非常に大変な状況にある人たちは、義援金もまだ提供されず、小口の借入れすらできないという、大変な状況になるわけです。聞くところによると、そういう貸金業法の運用について、事業者側から金融庁に問い合わせると、「震災時と言えども法令遵守が原則である」というような回答をしているそうです。そういうことを言われた業者もいると聞いています。これはまさに形式的な法令遵守の最悪のケースと言えるのではないか。

この年収の3割という個人に対する貸出の限度が普遍的なもので、どういう状況においても最低限守らないといけないものというのであれば話は別なのですが、尐なくとも昨年の今ごろはそういう規制はなかったわけです。何十年もずっとなかったわけです。それを多重債務者を発生させないようにしていこうという、1つの国としての政策によってこのような制限が加えられたわけです。それがいまの大震災という状況において妥当するかと言ったら、尐なくとも被災者に対してはけっして妥当しないと思います。そういう状況の変化に応じた対応というのを考えていかないといけないわけで、それは国の側、政府の側で今定められている法令を形式的に適用するのでなくて、この大震災後の状況の急激な変化に適応させるという考え方をとることが不可欠だろうと思います。こういったことはおそらくさまざまな分野において発生しているのではないかと思います。とにかく法令遵守という考え方から脱却して、いまの震災後の急激に変化した状況の下で、国としてどう対応していくべきかということをしっかり考えてもらいたいと思います。

震災前の状況を前提にしてつくられた法令、規則をそのまま当てはめることで適切な解決ができるかと言ったら、私は絶対そうではないと思います。いまは震災後の急激な状況変化に対応できるようなやり方をとらないといけない。ただ、そこにもルールは必要なのです。ルールがまったくないと、逆にいまの混乱している状況がますます混乱することもあり得る。だから、いま必要なことはこの震災後の状況に適応できる新たなルールの創造なのです。それをまず至急やっていかないといけない。それは法改正だとか、規則の改正だとか、そんなまだるっこしい手続でやるということでなくて、そこに関わる者みんなのコンセンサスを得ながら、みんながちゃんと力を出し合えるようなルール作りをしていかないといけないのです。そのルールが妥当性を持てば、決まりきった、堅苦しい法律や規則というのは事実上適用できない状況になるのではないか。社会的にもそれは許容できるのではないか。それを新たなルールの創造をしないでおいて、みんなが勝手に動き始めると、やはりこれも混乱してよくないので、「それだったら元のルール守れよ」という話になってしまうかもしれない。

いま必要なことはこの本にも書いた、「ルールの創造へ」なのです。このルールの創造の部分がないと、この環境の激変の中での適切な対応はできないです。

公共工事の発注についても同様です。この数年間、談合排除、談合退治さえすればよかった法令遵守の世界でずっとやってきた。これから東日本の復興に関しても莫大な公共工事の発注が必要になります。そういう工事の発注をするときに、公共調達のあり方、入札契約制度、これが震災前の、それももともと問題があった、あの会計法予決令でまだ生き残っている予定価格の上限価格の上限拘束と、基本的には残っている最低価格自動落札という法、それで適切に行えるとは到底言えない。それでは震災後の状況に適合した復興のための工事の発注のあり方、業者がどのように選定されるべきなのかという、こういうルールはこれから作っていかないといけない。

何もできてないですよ、まだ。震災前のルールなんか適用されたって、動けないでしょう、建設業者の人たち、いまの状況で。まさにそういったことがあらゆる分野で求められているのです、いま。ところが、そういう方向で動き出している人があまりに尐ない。よく考えてみたらあたりまえのことなのだけども、こんな政府全体が昼寝しているような状態を続けていったら、この国の復興だとか、再生だとか、到底望めないと思います。

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弁護士
カテゴリー: コンプライアンス問題, 記者レク, 原発事故 パーマリンク

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