「環境変化への不適応」としての識名トンネル補助金不正請求事件

沖縄では、昨年11月、識名トンネルというトンネル工事をめぐる補助金の不正請求の問題が表面化し、国からの5億8000万円の補助金返還をめぐって、県執行部と議会とが対立、補助金返還の補正予算を議会が承認せず、今月に入って、国の出先機関の沖縄総合事務局が、沖縄県側を補助金適正化法違反、虚偽公文書作成で「被疑者不詳」のまま告発するという、前代未聞の事態に発展している。
この問題の本質は、「談合システム」の解消に伴う公共工事発注をめぐる環境の激変に、沖縄県の行政システムが適応できなかったことにあり、また、中央から巨額の予算が投じられているにもかかわらず、沖縄における補助金等の予算執行の適正さを確保するための体制が極めて脆弱であることも背景になっているように思える。
沖縄県が設置した弁護士等による第三者委員会報告書(2012年2月)に基づき、この問題を、公共調達をめぐるコンプライアンスの観点から分析し、今後の沖縄県の対応について考えてみることとしたい。

事実経過と現状
2006年、沖縄県は、識名トンネル新設工事の一般競争入札を行い、大手ゼネコンと地元建設業者のJVが約23億円で落札した。その工事の施工中に、発注当初予定していなかった地盤沈下対策等の工事が必要となった。県側は、最終的に契約変更によって対応するとの前提で追加工事を行うよう指示し、追加工事を含む工事が続行され、工事は2008年10月に概ね完了したが、工事費の増額分は10億円余りに上った。
2009年1月に、その分増加した工事費用の支払のために、既に完了している工事から、別件工事として切り離しが可能な工事を抽出し、JVに対して、随意契約の手続きで2年度にまたがり合計10億円の工事を発注することにし、工期を偽って、既に工事は終了している工事についての約5億円の工事請負契約が締結された。
この工事は、国からの補助金で工事費の95%が賄われる補助事業であった。沖縄県は、随意契約で発注した追加工事分についても補助金を請求し、国から交付を受けたが、2011年に行われた会計検査院の検査で、虚偽の契約による不正請求が発覚、沖縄県は、国の出先機関の沖縄総合事務局から、金利分も含めて5億8000万円の返還命令を受けた。
沖縄県は弁護士等による第三者委員会を設置し、その調査結果や原因、再発防止策等を取りまとめた報告書が2012年2月に県に提出された。
そして、県当局は、国への補助金の返還金を含む補正予算を県議会に提出したが、議会は、返還金を削除した修正案を2回にわたって可決。県当局は「拒否権」を発動して返還金全額を国に支払った上、返還金命令の一部について国に不服を申し立てたが、同年5月 に申し立ては棄却された。
さらに、6月4日には、沖縄総合事務局は、補助金適正化法違反及び虚偽公文書作成の罪で「被疑者不詳」のまま、沖縄県警に告発を行った。この告発について、沖縄総合事務局は、「今回の告発を契機として、不適正な手段により補助金の交付を受けた同事案の経緯や責任の所在がより明らかになり、違反行為の是正に資することを期待しております。」とコメントしている。
5億8000万円の補助金返還について、県議会の承認も得られず、支出の根拠が得られないまま、沖縄県民の負担となる一般会計に巨額の損失が生じるという重大な結果が生じている。外形上犯罪の成立は明白であり、国の機関の告発である以上、警察としても、相当重く受け止めざるを得ず、虚偽の契約書を締結したり、補助金の不正請求をしたりした当事者や、それを了承した上司を特定した上、相応の処罰が行われることになるはずだ。
しかも、組織的な犯行の可能性が高いので、捜査状況如何では、県庁への捜索や被疑者の逮捕という事態も考えられないわけではない。
それに加え、週刊文春6月21日号の記事では、この問題を仲井真知事の個人的スキャンダルととらえ、知事が、自らの個人的な関係に基づき、工事を受注・施工したゼネコンに有利な取り計らいを指示した疑いを指摘している。
まさに、沖縄県の行政の信頼を根底から損ないかねない深刻な事態と言うべきであろう。

問題発生の原因
では、このような問題が発生し、ここまで深刻な事態に至った原因をどのようにとらえるべきであろうか。
識名トンネルの工事発注をめぐる問題のそもそもの発端は、06年の当初の本体工事の発注の際、47%という極端な低価格で落札されたことにある。
地中を掘削するトンネル工事の場合、施工の段階で新たな条件が判明し、工事内容を追加・変更する必要が生じる場合が多い。しかも、周辺地域の安全上の問題もあり、一度掘削を開始すれば、途中でやめるわけにはいかない。トンネル工事等のように自然条件に左右される土木工事では施工段階での工事の追加・変更は必然的とも言える。
識名トンネルの工事では、契約を後回しにして、現場指示で追加工事を施工させた後に、沖縄県と受注業者側で協議が行われたが、47%の低落札率が追加工事の代金にまで適用されることで工事代金が著しく低いものとなるため、業者側が納得しない。そこで、結局、業者側の要求どおりに追加工事代金を支払うために、実際には終了している工事を新たに発注したような虚偽の契約書を締結し、それによって補助金交付申請を行った。
追加で行った地盤強化工事自体は、行わなければ危険が生じる恐れがあり、工事施工上必要であった。しかも、当初工事の落札率が47%と極端に低かったために、追加工事を随意契約で発注しても総工事費は十分に当初の予算の範囲内に収まる。ということであれば、トンネルの新設という補助金事業の目的に沿うもので、実質的な問題は大きくないと沖縄 県側は考えたのであろう。

しかし、法令で定められた補助金申請・交付の手続のルール上は、そのようなやり方は許されない。国が交付する補助金については、補助事業の計画を作成して、その費用の見積りをして補助金申請を行い、補助金交付決定が出た後に補助事業を執行するというプロセスを踏まなければならない。補助事業者の方で既に事業が完了している工事の費用を補助金の方に「つけ回し」することはできない。
沖縄県側が、法令にしたがった対応を行うとすれば、当初の発注の段階で予定していなかった地盤強化工事を施工させる必要が生じた段階で協議を行い、その契約内容や工事代金について明確に取り決めておくことが必要であった。しかし、実際には、47%の落札率を工事価格に反映させるということになると、受注業者側の要求額との隔たりは大きく、協議が整う見込みはなかった。そうなると、建設工事紛争審査会のあっせん又は調停により解決を図るというのが正規の方法であった。
しかし、このような手続を行おうとすれば、そのために膨大な時間がかかり、その間、地盤改良工事を行わず、工事がストップすると、施工現場の近隣に危険を生じさせることにもなりかねない。既存の法令のルールの範囲内では解決が困難な問題であり、まさに「法令遵守」の限界を示す事例とも言えよう。
「談合システム」解消による急激な環境変化
このような困難な事態が発生したことの背景に、かつて日本の公共工事の世界に蔓延していた「談合システム」が、大手ゼネコン間の「過去からのしきたりとの訣別宣言」に伴って解消されたことによる公共工事発注をめぐる環境変化があると考えられる。
本来、工事の発注というのは、契約の段階で目的物が存在しておらず、契約後に工事施工という役務の提供が行われるという点で、同じ公共調達であっても物の売買とは大きな違いがある。工事の品質の確保という観点が不可欠であり、そのためには、契約の段階で施工業者の技術力、信頼性について評価する必要があるのに加えて、工事施工の段階でも、適切な工事施工が行われるよう発注者の側で継続的な管理を行うことも必要となる。
ところが、日本では、公共工事の発注についても、明治時代に制定された会計法により、「予定価格」を定めて入札を行い、予定価格以下で最も低い価格で入札した者と契約するという「最低価格自動落札方式」、つまり、業者の技術力や信頼性など価格以外の要素が基本的に考慮されない入札契約制度によって発注が行われてきた。
そのような法令上の制度の欠陥を補充する機能を果たしてきたのが「談合システム」であった。業者間で話合いによって受注予定者を決め、入札参加業者間でその業者が落札するよう協力するという談合が恒常化し、公共調達全体に蔓延していた。そして、それを発注官庁側も暗黙のうちに容認していた。
談合は違法な行為ではあったが、技術力や信用等の面から業者を業者間の話合いによっ て受注予定者に選定することは、公共工事の実態に適合できない入札契約制度の欠陥を補充する一つの「非公式システム」として、広く、公共工事の発注の世界に定着していた。
このような「談合システム」によって、受注業者間では「工事をめぐる長期的な貸し借り」が成立し、また、その中で安定的に利益を得ていくためには、業界内の秩序に従うことが求められた。発注官庁側の意向は、業者間の話合いによる受注者予定決定にも有形無形の影響を及ぼすことが多く、受注業者側が工事の施工に関して発注官庁側とトラブルを起こすことは、業界の秩序を乱す行為として、「談合システム」の下での不利益な取り扱いを受けることにつながりかねない。それが、発注官庁との関係で、受注業者の立場を相対的に弱いものにしていた。しかし、そういう立場に甘んじて発注者の意向に反しないように工事を受注し施工していくことは、業者に長期的には利益をもたらすものであった。
このような「談合システム」の下では、入札は形骸化していたので、その段階で工事の内容を厳密に確定しなくても、施工の段階で業者側の実情に応じて適宜変更していくことも可能だった。
それは、工事施工後に、新たに自然条件が判明し、工事の内容や工法を変更する必要が生じることが珍しくない土木工事に関しては、発注官庁側にとって多大なメリットがあった。地中のことは掘削してみないと正確にはわからないトンネル工事などはその典型であった。
「談合システム」が続いていれば、識名トンネルの工事について、そもそも落札率47%という低落札率での受注はあり得ず、工事施工後に判明した状況に応じて工事の追加・変更を行うことも容易だったはずだ。
しかし、2006年初めに、大手ゼネコン間で、「過去からのしきたり」との決別と称して談合排除の宣言が出されたことで、ゼネコン間の談合システムは一気に解消に向かった。それに伴って、公共工事の入札での価格競争が激化し、ダム、トンネル等の大型工事では、予定価格の50%以下の低価格受注も相次ぎ、ダンピング受注が建設業界の深刻な問題となった。
識名トンネルの工事での当初の工事発注は、「談合システム」が解消されたことによる混乱の最中で行われたものだった。公共工事の発注をめぐる環境は激変し、業者間はそれまでの協調関係から厳しい競争関係に、発注者と受注業者との間、相互信頼に基づく依存関係から、独立した契約当事者としての利害相反関係に、それぞれ大きく変化した。
当初の本体工事は、落札率47%という極端な低価格で落札・受注され、施工後の追加工事にもその落札率が適用されるということになると、受注業者側の損失は一層拡大することになる。そして、重要なことは、そこでの損失の見返りを「長期的な貸し借り」で解消しようにも、それを可能にする業者間の「談合システム」が存在しないし、発注官庁側との関係も、独立した契約当事者の関係で、将来的に、その損失を埋め合わせてもらうこと は全く期待できない。こういう状況において、沖縄県側と受注業者側との協議が難航するのは当然であろう。

環境の激変に適応できなかった沖縄県
今回の問題の最大の原因は、沖縄県の公共工事の発注のシステム、組織体制が公共調達をめぐる急激な環境変化に適応できなかったところにあったと考えられる。
当初の本来工事の入札の段階で、その後の、追加工事の発注方法、価格等についてルールが明確化されないまま、トンネル工事施工に必要な追加工事が、現場指示によって行われたために、工事が完了した後に、支払額や支払い方法をどうするかという深刻な問題に直面し、その際、受注業者側の要求どおりに工事代金を支払うために使われたのが、既に完了している工事についての請負契約書を作成して補助金を請求するという方法だった。
「談合システム」の下では、発注官庁と受注業者との間に継続的互恵関係があり、個々の工事の採算や利益へのこだわりも少なかった。しかし、それが解消され、競争と契約中心に世界になれば、追加・変更工事をめぐっても、契約当事者間の利害が衝突する。受注業者にとって、本来、契約外の工事をする義務はないのであるから、追加工事はやらないと言われればおしまいだ。しかし、それでは、安全に工事を完了することができない。このような状況になっても、迅速に適正に追加・変更工事の発注をするためのシステムと、それを運営するルールを構築する必要があった。
日本の公共調達に長年定着していた「談合システム」は、違法なものではあったが、それなりの経済的・社会的機能を果たすものでもあった。価格競争が制限されることで受注価格が高値に維持されること、発注官庁側と受注官庁側の癒着・腐敗を招くことなどの弊害をもたらす一方で、業者の技術力や信頼性の評価が可能であること、発注官庁側と受注者との信頼関係に基づく連携・協力が可能になることなどのメリットもあった。特に、工事施工後に新たな施工条件が判明することが多い土木工事については、その後の状況に応じて契約内容の追加・変更に柔軟に行う上でメリットがあったとみることができる。
このように、違法ではあるが社会的・経済的に一定の機能を果たしてきたシステムを解消して、競争と契約を中心とする新たなシステムに転換するのであれば、従来のシステムが果たしてきた機能を代替するシステムが必要となる。違法なシステムであっても「談合は違法だからやめれば良い。法令遵守を徹底すれば良い」という単純な発想では、問題は解決しないのである。
公共工事の入札における「総合評価方式」の導入は、「談合システム」が果たしていた業者の技術力や信頼性の評価を公式の制度として取り入れたものだったと言える。談合システム」が果たしていたもう一つの重要な機能が、発注官庁側と受注業者側の「契約外の協力関係」の維持だった。特に、工事発注後、施工段階で、自然条件の関係で工事の追加・変更の必要が生じることは避けられない土木工事などにおいては、工事を円滑に行う上で 多大のメリットをもたらすものであった。
「談合システム」の解消に伴い、独立した契約当事者としての発注官庁と受注業者との間で、土木工事の特性に応じて迅速かつ適正に追加・変更工事の契約を行い、それを適正に執行するシステムとそれを支える人的体制の整備が必要であった。それが整わないままで、トンネル工事が施工され、業者とのトラブルを処理しようとしたことが、補助金をめぐる重大な不正につながったのである。
なお、そのトラブル処理について「県知事が個人的なつながりによって受注業者の利益を図った疑い」を指摘したのが前出の週刊文春の記事であるが、疑いの根拠は示されていない。地盤強化工事等の追加工事を行わせ業者側に多大な負担をかける現場指示を行ったことに責任を感じた担当部局の現場レベルの判断で、業者側への支払いを行おうとしたとみる余地も十分にあるように思われる。

問題表面化後の沖縄県の対応に関する問題
このように、今回の問題の本質を、公共工事の発注のシステム、組織体制が公共調達をめぐる急激な環境変化への不適応ととらえた場合、沖縄県が、今回の問題で組織としての信頼を失墜することになった最大の原因は、補助金不正という問題そのものより、むしろ、問題表面化後の対応にあったとみることができる。
経済社会の環境変化は更に激しくなる中、組織がその変化に適応することは一層困難になっている。環境変化への不適応のために社会の要請に反し、社会からの批判・非難を受けることは、ある程度は避けられないものといえる。問題は、そのような事態に直面した場合、組織としてどう対応するかである。
環境変化に不適応に関しては組織の側に必ず何らかの問題がある。多くの場合、それは組織の構造に関わる問題である。そういう組織が不祥事を起こした際、構造的な問題を抱えた組織内の論理に凝り固まってしまったのでは適切な対応は期待できない。
そこで重要なのが、情報開示、説明責任である。今回の不祥事に関して適切に情報を開示し、説明責任を果たしていくことで、組織外からの適切な問題の指摘が行われ、それらを真摯に受け止め、組織の構造を改めることも可能となる。それが、組織が環境に適応し、信頼を回復していくことにつながるのである。
しかし、沖縄県が、今回の問題表面化後、そのような情報開示、説明責任を十分に行ってきたとは到底言えない。典型的に表れているのが、第三者委員会の報告書の取り扱いだ。せっかく委員会を設置し、報告書の提出を受けているのに、それをマスコミに配布しただけで、ホームページへの掲載や一般への配布を行っていない。第三者委員会は、ステークホルダーへの説明責任を果たすことを重要な目的としているものなのに、調査・検討の成果としての報告書に一般人がアクセスできないのでは意味はない。
このようなことを繰り返しているために、今回の問題に関する事実関係、原因、問題の 本質などが県民には全く理解されないまま、会計検査院の指摘、県議会での追及、沖縄総合事務局による告発等の事象が次々と報道されることによって沖縄県の組織に対する信頼が一層失墜していく、という最悪の展開になっているのである。
沖縄総合事務局による告発も、週刊文春の知事スキャンダルとしての報道も、まさに、そのような沖縄県当局の対応の拙劣さのために生じた副産物と言うべきであろう。
今からでも遅くない。第三者委員会報告書等に基づき、この問題の本質と真の原因をしっかり説明し、公共工事の発注をめぐる環境の変化に適応できる沖縄県としてのシステムとルールの構築を行っていく方針を明確化することが、信頼回復にとって不可欠と言うべきであろう。

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「環境変化への不適応」としての識名トンネル補助金不正請求事件 への1件のフィードバック

  1. 松山哲 より:

    ごうはらと入力して変換したら、最初に業腹がでてきてびっくり。
    郷原先生。いつも、面白く読ませていただいております。
    さて、「憲法上の4権分立」が必要ではないでしょうか?
    会計検査院だけではなく、行政監察関係や、行政規制的な組織を、一本にまとめて、
    裁判所並に充実させて、独立性と身分保障とを与えてはいかがでしょうか?
    特に、地方自治体の会計監査は、でたらめでしょう。
    裁判所のように、全国組織として、
    国と地方の行政、会計をチェックする第4権が必要ではないでしょうか?
    64歳年金生活者より

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