”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか ~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その1)~

前回のブログ記事【村山浩昭裁判長は、なぜ「自分の目と耳」を信じようとしないのか】でも書いた「名古屋高裁刑事2部が、マスコミには配布されている判決要旨を、当事者の被告人・弁護人に渡すことを拒絶していた問題」のその後の動きとして、昨日(12月1日)午後、高裁から「判決謄本ができたので、今日の午後6時以降に交付できる」という連絡があり、先程、判決謄本(正式な判決書全文の謄本)を受け取ることができた。

11月30日には、藤井市長自身と森弓子市議会議長が美濃加茂市から名古屋高裁にまで出向いて判決要旨の提供を求めたのに、書記官に拒絶されたことをマスコミが報道したので、批判が高まるのを恐れて、判決書を大急ぎで完成させたということだろう。

しかし、今回のように、自治体の首長のような公職者が「有罪判決」を受けた際に、マスコミに渡されている詳細な判決要旨が、裁判長の「お心次第」で、被告人に提供することを拒絶することができるのであれば、判決内容について、正確な説明ができない被告人が政治的に追い込まれ、辞任に追い込まれるということにもなりかねないのであり、このようなことは、絶対に起こり得ないように、裁判所の取扱いを是正すべきだと思う。

とにもかくにも、今回の控訴審判決の正確な内容がようやく把握できたので、これから、「逆転有罪」という結論だけではなく、その理由がいかに不当なものかを順次解説することにしたい。

今回は、控訴審判決に根本的な「論理矛盾」があることを指摘する。

まず、一審での検察官の主張、一審判決の認定・判断、検察官の控訴趣意の大枠は、以下のとおりである。

①一審での検察官の主張

中林の贈賄証言は、関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然であることから、信用性が認められる。

②一審判決の認定・判断

ア 中林の贈賄証言が本件各現金授受の事実を基礎づける唯一の証拠である。

イ 中林の公判供述は、全体として具体的かつ詳細なものであり、不合理な内容も見受けられない。

(しかしながら)

ウ 捜査段階における中林の供述経過、記憶喚起の経過に関する中林の説明内容に疑義があること、重要な事実に関して変遷し、不自然であり、客観的な事実を示されて、それに符合するような供述を行った可能性がある。

エ 中林のような会社経営の経験があり、金融機関を相手として数億円の融資詐欺を行うことができる程度の能力を有する者がその気になれば、内容が真実であるか否かにかかわらず、法廷において具体的で詳細な体裁を備えた供述をすることはさほど困難なことではない。

オ 中林は、本件証人尋問に臨むに当たり、検察官との間で相当入念な打合せをしてきたものと考えられることから、公判廷において、客観的資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然かつ不合理な点がない供述となることは自然の成り行きと言える。

カ 中林が、融資詐欺に関して、なるべく軽い処分、できれば執行猶予付き判決を受けたいとの願いから、捜査機関、特に検察官に迎合し、少なくともその意向に沿う行動に出ようとすることは十分にあり得る。

③検察官の控訴趣意

ア 中林証言を離れて、間接証拠によって認定できる間接事実から現金の授受の存在が推認される

イ 中林証言と整合する間接事実の内容や、中林の供述及び裏付けの経過、本件贈賄が捜査機関に発覚する前の時期に中林が捜査機関とは無関係な第三者に被告人に対する現金供与を自認する発言をしていたこと等の事実から、論理則・経験則等に従って検討すれば、中林の虚偽供述の可能性は全て否定される。

そこで、控訴審判決の認定・判断であるが、重要なことは、検察官が控訴趣意の柱として、趣意書の冒頭で詳述した③アについては、「中林の原審公判証言を離れ、本件に関する間接事実だけから各現金授受の存在が推認できるとは言えない」と判示して否定しただけでなく、控訴趣意の③イについても、「論理則、経験則から中林の虚偽供述の可能性が全て否定される」という検察官の論理は採用していないということである。

控訴審判決は、むしろ、一審での検察官主張に近い①のような認定手法によって、「関係証拠と符合し、供述内容が具体的で自然である」として中林証言の信用性を認め、一審判決が指摘した②ウの供述の変遷や不自然さについて、一つひとつ取り上げて否定したのである。

ここで疑問が生じるのは、検察官は、それ相当の理由に基づき、①の、一審での検察官の主張・立証では不十分と考えて、控訴趣意において、新たな立証の枠組みとして③のア、イを主張したと考えられるが、それをいずれも採用しないで、①だけで中林証言の信用性を認めることができるのか、という点である。

そこで、改めて控訴審の審理の経過を振り返ってみる必要がある。

【控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”】でも述べたように、控訴審では、まず、検察官の控訴趣意に関する事実審理が行われたが、それが終了した昨年12月11日の打合せ期日で、裁判長が、職権で中林の証人尋問を行うことを検討中であることを示唆し、2ヶ月余りの検討を経て、2月23日の打合せ期日に、裁判長が、職権証人尋問を実施することを決定した旨明らかにした。しかも、検察官には証人テスト(打合せ)を控えるようにという異例の要請があった。

検察官の控訴趣意に基づく事実審理が終了した段階で、その時点の証拠関係に基づき、中林証言の信用性が認められるかどうかについて、2ヶ月余りをかけて検討した末、それまでの立証では不十分だと判断したからこそ、異例とも言える控訴審での職権証人尋問が決定されたと見るべきであろう。

この職権証人尋問は、「記憶の減退」を理由に強く反対する検察官の意見を押し切って決定されたものであり、控訴審裁判所も相当な覚悟を持って決断したものだった(【検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審】)。

このような審理経過からも、検察官の控訴趣意に関する事実審理が終了した段階では、裁判所が、中林の証言の信用性が最大の問題になっている本件に関して、一審とそれまでの控訴審での審理の結果からは、公訴事実が合理的な疑いを容れない程度に立証されたとは言えないと判断していたことは疑う余地はない。

そこで、一切事前には情報を与えず、まさに中林の「生の記憶」を確認することで、中林の供述の信用性について、決定的な判断材料を得ようとして行われたのが、中林の職権証人尋問だったのである。

ところが、証人尋問の前に、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林の下に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問事項に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られて差し入れられるという想定外の事態が起こった。そのため、中林は、その判決書に記載されている自分の捜査段階での供述や一審での証言内容をすべて把握して証人尋問に臨むことができることになったため、実質的には検察官と打合せを行ったのと同様に、中林の「生の記憶」を確認することができなくなってしまった。

証人尋問では、中林は、一審の証言とほとんど同じような証言を行い、「資料は差し入れてもらい、ざっと目を通したが、その直後、面会に訪れた弁護士から、『資料は読まないで、自分の記憶で証言してほしい』と言われたので、その後は読んでいない」と証言した。しかし、弁護人は、尋問項目ごとの中林証言と送付された判決書の内容との比較等から、中林が、入手した判決を熟読し、尋問項目に沿って証言内容を周到に準備していたことを論証し、証人尋問が行われることを聞いて資料入手を画策した中林の行動や、判決を熟読して証人尋問に臨んでいるのに、読んでいないと虚偽の証言をしていることからも、中林の意図的な虚偽供述は明白になったと主張した。

これに対して、検察官は、上記のような中林の証言を受けて、「当審中林証言は、骨格部分は一審中林証言と同様である一方、細部について記憶が減退している箇所等が存するというものであり、これを経験則に照らして素直に評価すれば、中林が記憶どおり証言しているからこそ、骨格部分は一審中林証言と整合し、他方で、時間の経過や供述経過という記憶に残りづらい事項に関する証言であることなどから、細部について記憶が減退していると評価すべきものである。」と主張した。

既に述べたように、この中林証人尋問が行われる前の段階において、控訴審裁判所が、公訴事実についての検察官の証明が不十分だと判断していたことは明らかなのであるから、この証人尋問での中林証言について、弁護人・検察官のいずれの主張を認めるのかで、控訴審の帰趨は決するものと考えられた。

この点について、控訴審判決は、以下のように判示している。

なお、中林については、当審においても事実取調べとして証人尋問を行った。これは、弁護人が主張し、かつ、原判決も指摘するように、原審における証人尋問に際して、検察官が入念な打合せを行ったため、中林の原審公判証言が、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がない供述となるのは自然の成り行きと評価されたことを考慮して、職権で採用し、検察官側の事前の打合せを控えてもらって、時間が経ったとはいえ、証人自身のそのときの具体的な記憶に基づいて供述してもらおうと試みたものである。しかし、受刑中の中林が、当審証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、当裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見を達成できなかった面があることは認めざるを得ない。したがって、当審における中林の証言内容がおおむね原審公判証言と符合するものであるといった理由で、その信用性を肯定するようなことは当然差し控えるべきである。

このように判示して、控訴審での証言が骨格部分で一審証言と整合するから証言が信用できるとする検察官の主張を排斥しただけでなく、控訴審の中林証言は、事実認定にも信用性の判断にも全く使わなかった。つまり、裁判所にとって「予測し難い事態」が生じたことから、控訴審での中林証人尋問は「なかったこと」にしたのである。

そうであれば、状況は、中林証人尋問が行われる前の時点に戻るのであり、中林の証言の信用性についての検察官の立証が不十分であるということになるはずである。つまり、有罪判決を書ける状況にはない、ということである。

しかも、上記判示では、原審における中林証言について、検察官との間で「入念な打合せ」が行われた原審の中林証言は、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がないものであっても、それだけでは信用性を認めることはできないという、一審判決の指摘②オを受け入れたからこそ、検察官との打ち合わせを排除した証人尋問を行おうとしたのである。

それにもかかわらず、控訴審判決は、原審の証言が、客観的な資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で、不自然、不合理な点がないということを理由に信用性を認めて、藤井市長に、逆転有罪判決を言い渡した。

このように、上記判示との関係から、控訴審判決の判断・結論は、根本的な論理矛盾を犯している。

少なくとも、事実審理が終了し、検察官・弁護人の弁論が行われて結審した段階では、中林証言の信用性を認めて有罪とするだけの材料はそろっていなかったことは間違いないと考えられる。それを、敢えて村山裁判長が上記のような明白な論理矛盾を犯してまで「逆転有罪判決」に至ったのがいかなる理由なのか、謎である。

 

 

 

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”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか ~美濃加茂市長事件控訴審不当判決(村山浩昭裁判長)の検討(その1)~ への4件のフィードバック

  1. M より:

    闇株新聞というブログに、この件に関しての原因と思われる記事がありました
    http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1882.html

  2. 浮田 史郎 より:

    中林氏は自分に都合の良い嘘をついているうちに、それが真実だと信じてしまう「演技性人格障害」の病気の可能性が高いですね。詐欺師に多い病気で、これにより約4億円もの融資詐欺を実行できてきたのでしょう。
    銀行員や県警が騙されてしまったのも仕方ないことかもしれません。本人の中では既に真実となってしまっている訳ですから。
    今回の事件の立ち合い人数の証言修正や融資等でも真実との食い違いを修正してきた事実があでしょうから、病気が診断されれば中林証言を根拠にできないと思います。

  3. 匿名 より:

    素人の感想:
    ①村山裁判長は、自己顕示欲の強い人だという可能性。
     →正義や判決の妥当性よりも、世間を驚かせ注目を浴びたい心理。
      大方の予想を裏切る快感。
    ②この事件は、司法取引の問題点をあぶり出す格好の素材であるから、
    敢えて物議を醸させるよう仕向けた深謀遠慮の可能性。
    →藤井市長や美濃加茂市民にはお気の毒であるが、話題にならなければ司法改革が進まない。

    このどちらかでは、と感じるが、それにしても有罪にするなら、もう少し技術があってもよかったとは思う。
    要約したら、「信用できない。だから、信用できる。」ではまずいだろう。
    これでは、本来議論せねばならない問題点を考える前に、この裁判官頭悪い?で終わってしまう。

  4. おばあちゃん より:

    何とも言えないやりきれない事件ですね。「正義」は、一体何処に行ったのかと思います。東芝事件と絡んでいて村山裁判長が、有罪判決を下したのであれば悪魔に魂を差し出した人間かと思われます。詐欺を働くような人間の供述を信用して若く志のある市長を潰そうとしている事に「恥を知りなさい」と声を大にして言いたい。

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