5月8日に、反対する野党が欠席する中、自民党、公明党の与党と「疑似与党」の日本維新の会だけで、「検察庁法改正案」が強引に審議入りしたことに対して、ネットで「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグで、昨夜の段階で470万件ものツイートが行われるなど、国民が一斉に反発している。多くの芸能人や文化人が抗議の声を上げている。
今回の法案は、国家公務員法の改正と併せて、検察庁法を改正して、検事総長を除く検察官の定年を63歳から65歳に引き上げ、63歳になったら検事長・次長検事・検事正などの幹部には就けない役職定年制を導入するのに加えて、定年を迎えても、内閣や法相が必要と認めれば、最長で3年間、そのポストにとどまれるとするものだ。それによって、検察官についても、内閣が「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由がある」と認めるときは、定年前の職を占めたまま勤務させることができることになる。
これは、安倍内閣が、検察庁法に違反して、黒川検事長の定年延長を強行したことと同じことを、検察庁法上「合法に」行われるようにしようというものだ。これによって、違法な閣議決定が、その後の法改正によって事実上、正当化されることになる。
このような法案を、法務大臣も、法務省も関わらず、「内閣委員会」で審議をして、成立させようとしているのである。
このようなやり方は、検察庁法の立法趣旨に著しく反するものである。
検察庁法が定める検察官の職務と、検察庁の組織の性格は、一般の官庁とは異なる。一般の官公庁では、大臣の権限を各部局が分掌するという形で、権限が行使されるが、検察庁において、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にある一方で、検事総長・検事長・検事正には、各検察官に対する指揮監督権があり、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)がある。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分・公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。
検察官の処分等について、主任検察官がその権限において行うとされる一方、上司の決裁による権限行使に対するチェックが行われており、事件の重大性によっては、主任検察官の権限行使が、主任検察官が所属する検察庁の上司だけでなく、管轄する高等検察庁や最高検察庁の了承の下に行われるようになっている。
少なくとも、検察官の職務については、常に上司が自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできるという意味で「属人的」なものではない。特定の職務が、特定の検察官個人の能力・識見に依存するということは、もともと予定されていないのである。
黒川弘務東京高検検事長の「閣議決定による定年延長」は、定年後の「勤務延長」を規定する現行の国家公務員法81条の3の「職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」という規定に基づいて行われたものだが、検察庁という組織の性格上には、そのようなことが生じることは、もともと想定されていない。それを検察庁法の改正によって法律の明文で認めようとするのであれば、検察庁法が規定する検察官や検察庁の在り方自体について議論を行うのが当然であり、国会でそれを行うのであれば、「内閣委員会」ではなく、法務大臣が出席し、法務省の事務方が関わる「法務委員会」で審議すべきである。
これに対して、いわゆるネトウヨと呼ばれる安倍首相支持者の人達が、ネット上で必死の抵抗を試みている。高橋洋一氏は、以下のようなツイートで、この法案は、国家公務員一般の定年延長に関する国家公務員法の改正案であり、それに伴って、検察官の定年延長を制度化するのは当然であるかのように言って、法案を正当化しようとしている。
しかし、高橋氏が言う、「検察官だけが定年延長できないのは不当な差別」というのは、検察官の職務の実態を全く知らない的はずれの意見だ。
そもそも、検察官には、法曹資格が必要とされており、退職しても、能力があれば、弁護士として仕事をすることが可能だ。そして、それに加えて、法務省では、従来から、退官後の処遇を行ってきた。
検察庁法上、現在の検察官の定年は、検事総長が65歳、それ以外は63歳だが、実際には、検事正以下の一般の検察官の場合は、60歳前後で、いわゆる「肩叩き」が行われ、それに従って退官すると、「公証人」のポストが与えられる。公証人の収入は、勤務する公証人役場の所在地によるが、概ね2000万円程度の年収になる。そして、認証官である最高検の次長検事、高検の検事長の職を務めた場合には、63歳の定年近くまで勤務して退官し、この場合は公証人のポストが与えられることはないが、証券取引等監視委員会委員長など、過去に検事長経験者が就任することが慣例化しているポストもあるし、検事長経験者は、弁護士となった場合、大企業の社外役員等に就任する場合が多い。
検察官の退職後の処遇については、上記のような相当な処遇が行われているのであり、一般の公務員のように、定年後、年金受給までの生活に困ることは、まずない。
だからこそ、今回、国家公務員法改正での定年延長制度の導入に併せて、検察官の定年延長を根本的に変えてしまうのであれば、従来行われてきた検察官の退職後の処遇の在り方も根本的に見直すことになる。それを、違法な定年延長を行って批判を受けたからといって拙速に行い、しかも、その審議に、法務大臣も法務省の事務方も関わらないなどということは、全くあり得ないやり方だ。
検察官の退職後の処遇の現状からしても、検察官に定年延長を導入する必要性は全くない。それを、強引に導入しようとしているのは、安倍政権が、違法な黒川検事長定年延長を閣議決定して検事総長人事に介入しようとしたことを正当化するため、事後的に国会の意思に反していないことを示そうとしているとしか思えない。
それは、どんな不当・違法なことも、国会の多数の力さえあれば、あらゆるものが正当化できるという、安倍政権の傲慢さそのものである。
このような法改正は、絶対に認めてはならない。
主題『日本国民に訴ふ』
副題 日本の真言でコロナと安倍政権を倒す
維新革命政府が日本文化を廃棄
維新革命政府は 江戸までに存した過去の文化を捨て 西洋文化を土台にして 新しい日本文化を構築しようとして来た その失はれた日本文化を 最も端的に表現してゐるのが 以下の江戸の短歌である
いつまでも
たしなみおけよ
色ハ歌
詠む度毎に
身の徳となる
「色ハ歌」といふ歌で つまり「言技」で 人格が育まれることを如実に語る日本文化である
この様な「言技」とか「歌」による人徳形成の可能性を捨てた明治政府は 「言技」による人格形成ではなく 「教育勅語」による徳目暗誦での人徳形成を考案した そこに 経済の平平等を唱へる社会主義思想の侵入 教育勅語の人徳形成不十分のため 人の徳目の一つである「独立自尊心」を育むことが出来なかった結果 陸軍暴走 満州国建国 日本社会主義改造へのクーデター二二六事件 その後は 「東亜の解放」「鬼畜米英」を唱へて 米英との戦争を煽った「企画院」にゐた右翼の仮面を被った共産主義者諸氏のたくらみ それは 日本を英米と闘はせ 敗戦させた後に共産革命を企んだものだった そのためのスローガンが「東亜の解放」であり 「大東亜共栄圏」であった この表面的な社会正義に 多くの日本人が酔った そして敗戦
今度は 「戦争は二度とやってはいけない」「核兵器反対」など 自分たちの政治的スローガンを 子どもたちに擦り込む一方的な反戦 反日教育が展開され 人徳は如何にして形成されるか それは ほぼスポーツなどの部活動で形成されると 考へられる様になった
他方 戦後に世界平和がやって来たと思ひこんでゐた若者たちが 世界各地での共産化の悲劇を知る様になると 多くの若者たちは 朝日系の反日教育 反戦教育に疑問を持ち彼らを朝日系を全て左翼と見て憎み敵対した 大量のネット右翼の誕生である この若者たちが 自ら喜んで「安倍官邸」を守って来た ところが 反共親米まっしぐらな「安倍政権」 左翼諸氏を叩いて行くうちに 守るべき日本文化が 維新革命後の「日の丸」と「靖国神社」と「教育勅語」程度のものであったから 難しい「真言」や「仏教」や「和歌」を追求する必要がなかった
保守すべき物が無くなった「安倍官邸」は 今度は 自らの権力を守る暴挙に出た 結果 権力の「鬼」 権力の「権化」となってしまった
ネット右翼の若者たちは 是に気づいてゐない 「検察の暴走」に気づいてゐないし 検察と政権の癒着 いや 癒着を越えて 安倍政権が今 検察を支配しようとしてゐることすら気づいてゐない だから 検察庁法の改正案に ネット右翼の若者は反対しない
確かに 産経は世界で起きた各国の共産化の悲劇を伝へて来た その意義は大きいし その点では 他紙を大きくリードして来た しかし 産経も 守るべき日本文化を忘れた「唯の反共親米新聞」 反共路線で同じ方向に向く「安倍官邸」を 戦後最強の保守と持ち上げ はしゃいで「安倍官邸」の御用新聞を買って出て 自民党の広報紙へと堕落した 今の産経は 何が何でも安倍官邸を守る 二度と政権を野党に渡してはいけない そんな使命感も持ってゐる様に見える この実情を私は 以下の様に嘆いた
左を向けば「赤」だらけ
右を向いても「垢」だらけ
こんな世の中誰がした
答はカンタン
守るべき日本文化を失ったからだ
復活すべき日本文化とは何か
いつまでも
たしなみおけよ
色ハ歌
詠む度毎に
身の徳となる
こんな「色ハ歌」を失ったから
こんな「言技」を失ったから
西洋の 社会主義だの 資本主義だの 自由主義だの 保守主義だの 反共親米だの 法治国家だの そんな西洋流の思考しか出て来ない この国は 徳で国を治める徳治国家であり 事業は「言技」で興すものだから 「事業」を「ことわざ」と読んだ
すなはち 「言技」廃れて「四方の事業」廃れ 「言技」栄えて「四方の事業」栄ゆる国なのだ
さて 人徳を育み 四方の事業をも興す「言技」すなはち「色ハ歌」とは何なのか それを語るに どう語るか 今回は 以下の三点の視点から綴ることにした
一 空海の「眞言」密教は 本来 日本の「真言仏教」
二 空海の秘密の「大日如来」は 本来 日本の「大二小ノラ居」
三 空海の「以呂波」歌は 本来 日本の「色葉歌」
日本の「真言仏教」
私が「真言」に拘ったのは 真言の効能を北畠親房が『真言内証義』に 以下の様に書き記してゐたからだ
一 罪障災害一切 消滅(息災)
二 一切の事物を繁栄(増益)
三 人々の和合(敬愛)
四 怨敵降伏(調伏)
コロナといふ災害に苦悩する人類 かつてこの国に栄えた「真言」の出番ではないだらうか 権力の「権化」と化した安倍官邸 「真言」で「調伏」すべきではないか 自粛自粛で意気消沈する日本国民 日本の「真言」で 日本を「増益」に導くべきではないか また いつも「和合」出来ずにゐる野党 「真言」の「和合」といふ効能で 一つにまとまることが出来るのではないか
日本の真言
(文字の解析の画像ないので わかりにくいですが 頑張れば分解できます 画像付きの縦書き本文は末尾に 案内してありますのでそちらでどうぞ)
真=ノしニトーコ二
=「ノし二」ト「ノコ二」
=ノしノしノコノコ
言=トロ二言
=トワ二言
=永遠に言ふ
真言=「ノしノしノこノこ」
永遠に言ふ
大二小ノラ居(大日如来)
大二小
大=へノ鍋蓋(右下時計回)
=へノ二
=へノヘノ
二小=もへし
=もへじ(清濁同字)
大二小=ヘノヘノもへじ(笑師)
ノラ居=ノしニ+ノコロ
=「ノし二」+「ノコロ」
=「ノし二」+「ノコ和」
=「ノしノし」「ノコノコ」
故に 「へのへのもへじ」は「大日」といふ異名を頂き 「ノしノしノコノコ」といふ読みが 「如来」と表現されたことがわかる
日本の大日如来
大日=大二小
=へノヘノもへじ
如来=ノラ居
=ノしノしノコノコ
「へのへのもへじ」の解読
の=目
し=眉右左書
の=目
し=眉右左書
ノこ=も=ノこ(鼻)
ノ=へ(口左右書)
こ=二之和字
大し=「し」が大きい
「大し」とは何か
大し=大師(仏の異称)
=仏
=ほとけ
=「ほ」解け
=「こしメ」(画像がないと苦しいかもしれません)
=「こ蛇目」
=こだま…一
=「ホ」解け
=「こ蛇マ」(画像がないと苦しいかもしれません)
=こだま…二
また 仏=物…三
一二三より
「のしのしノこノこ」大しとは…
人が
「のしのしノこノこ」と一聲言ふと
萬物が「ノしノしノコノコ」と
「こだま」する
「のしのし」の意味 (是非 へのへのもへじ 見ながら)
のしのし=「開く目」がし滅
=「あくマ」が死滅(目=古くは「マ」)
=「悪魔」が死滅
真言「のしのし」の功徳
一に「罪障災害一切消滅」とあったが それは「のしのし」の音であり それが「悪魔死滅音」であったことは 「大日」が身を以て教へてくれた 四つめの功徳に「怨敵降伏」があったが これも「のしのし」の音と見ていいだらう
「ノこノこ」の意味
「開く目」に 「ノ」が三つ有る
滅びた「開く目」は「ノこ」に成る
その「ノこ」を見ると
同じく「ノ」が三つ有る
ここから察すると
悪魔死滅後に良体新生が想像される
真言「ノこノこ」の功徳
功徳の一つに 一切の事物を繁栄させる増益があったが それは「ノこノこ」の功徳だらう また 和合もあったが これも「ノこノこ」の音色の功徳とみていいだらう
真言でコロナ撃退
のしのし=悪魔消滅
ノこノこ=無毒新生
この音は 物に「こだま」するので 地球上の物が「こだま」すると仮定する そして 笑師の音色を「言弾」 萬物のこだまを「子弾」とすると 人が一発「言弾」を撃つと 地球上の萬物が「子弾」を撃つことになる ならば 私一人で十分「コロナ」を撃退出来る 私が この「真言」に辿り着き 言弾を撃ち始めたのは 本年の五月七日 もし 私説の「言弾論」が「真」だと仮定すると 五月七日から 世界中のコロナが 滅び初めて無毒再生されて行くことになる 唯 何もせず 無力で暮らすより この「言弾」でコロナを撃つ そんな考への方が余程 夢がある 私説の「真言仏教」を ひょっとしたらと お思ひの方は 是非 悪魔消滅音の「のしのし」と それを無毒再生せしむる音の「ノこノこ」を 気軽に口遊んでみて下さい
色葉歌
日本語に「色葉」は「ハは」の二つのみ よつて 密教の「以呂波」は外国産 国産の「イロハ」は 「色葉」で 「ハは」を歌ふ
色ハ歌
ハ=ノしハ
=ノし和
=ノしノし
色は歌
は=「鍋蓋」+の+「こ」の横転体
=のこ二
=のこのこ
故に
日本の色葉歌=ノしノしのこのこ
江戸の色ハ歌
いつまでも
たしなみおけよ
色ハ歌
読む旅毎に
身の徳となる
色ハ歌
ハ=ノしハ=ノし和=ノしノし
たしなみ=足「な三」
=足す「な三」
な三=十のこ
=二のこ
=のこのこ
江戸の色ハ歌の解説
いつまでも
「ノしノし」に
足す「のこのこ」置けよ
詠む度毎に
身の徳となる
いつまでも
「ノしノしノこノこ」を歌へよ
さすれば 詠む度 毎に
正直だの 思ひやりだの
親切心といふ人の徳が 育って行きますよ
どうだらう ものスゴイ文化を私たちは 忘れてゐたのではないか さう思へてならない
あとがき
「へのへのもへじ」は 「笑師」とも「ものの夫」とも言はれた 「ものの夫」は「物の夫」であるから「萬物の租」 えっ! これが萬物の租? お笑ひである 故に「笑師」といふ 最新の科学用語を使用すれば 古代夷の考へた「笑師」は ビッグバンといふ大きな「日の本」の「サムシンググレート」に相当する かつて西洋には 全能の神「ヤーベ」が居た 古代日本人は すぐさま「それは ヤベー」と対抗した 日本の「物の夫」は「笑師」であったからだ
しかし 時過ぎ行き 日本の笑師が 世界に弘まり行く中 是を丸ごと改悪した眞言密教が生まれた 結果 日本の「真言」は 平安時代に空海の「眞言」に改悪され 語密 意密 身密の「三密」となった その「三密」が今 自粛の「三密」となって再登場した ならば ここらで 日本の「真言」が コロナ撃つ「言弾」として再登場してもいいのではないか
維新革命以降 日本人は 「かなカナ」が 古代から存したといふ 『釈日本紀』の説を捨てたが故に 「萬物の租」が 身を以て教ふる「悪魔消滅音」や「萬物生成音」に気づかず ひたすら 西洋の思想を追ひかけ続けて来た
もう そろそろ 日本人は 古代夷の「笑師」に帰ってもいいのではないか 今回 私は 必死でコロナを撃つ「言弾」を探した コロナ騒動が発生してゐなければ ここまで本気になって探求出来なかったと思ふ
私説が「真」であれば まもなくコロナ騒動は収束に向かひ 権力の「鬼」と化した安倍政権も倒れるだらう この二つの事象を この目でじっくりと 見てみたい コロナが戦後最悪の「天災」なら 安倍政権は 戦後最悪の「悪党集団」であった この「天災」と「人災」が あったからこそ 「眞言」ではない日本の「真言」や 「以呂波」ではない日本の「色葉」 「大日如来」の真の姿の「大二小ニラ居」に 出会すことが出来たのだと思ふ
私論の読者が百人ゐたら 二 三人の賛同は得られるのではないか そんな思ひで書き上げた どうぞ 日本の真言仏教 日本の色葉歌 日本の大日如来に ご納得いただけましたら 私論をコピーされて 他で投稿されたり この頁をご紹介されたり 応援のコメントを下さい 戦後最悪の「天災コロナ」と 戦後最悪の「人災安倍政権」 この二大災害で苦しむ日本
私は 二つとも倒す 必ず倒す さう決めて 悪魔を撃ち落とす「言弾」を 探求してまゐりました 拙い研究ですが 皆様の お役に立つことあらば幸ひです また 私に「打倒安倍政権」の火を付けていただいた諸先生方には 心より感謝致します 特に 元特捜の郷原信郎弁護士の著作やブログ 動画に出会してゐなかったら ここまで辿り着くことが できませんでした 郷原先生 本当にありがたうござゐました
令和二年五月一〇日(日) 夕方 私塾鶴羽實にて 岩田修良
本文は 縦書段組新聞で書かれてゐます
文字の解析を 画像提示してあるので
そちらをお読み下さい http://jippon.work/index.html
石破氏へ 今こそ党を割って出るべき
こんな緊急記者会見はどうだらうか
只今 自民党を抜け出て来ました 誰にも根回しをせず 私一人の判断で 出て来ました 誰かに相談する余裕がなかったのも事実ですが もう自民党の誰かが 「今の自民党はをかしい 権力の鬼 権力の権化と化して居る」 そんな聲を高らかにあげると時だと決断したからであります
その決断は 今なほ続く検察庁法改正法案反対の 多くの皆さんの真剣な聲でした この五百万を越える真剣な聲を 平気で無視する議員は もう 国会議員ではない 直ちに辞職すべきだと考へます 私は 皆さんの聲に後押しされて 只今 自民党を割って 出て来ました
おそらく 自民党の若手議員並びに 私の賛同者も 数こそ少なけれ 自民党を一人二人と 割って出て来ると思ひます
そこで私は 野党諸氏と手を取り 権力の座を 思ひのままにもてあそぶ 今の自民党を倒すべく 闘ひ 必ずや 今の自民党を倒して見せます こんなことを申し上げては 申し訳ないが 共産党も頑張ってゐる 昔の党是を引きずりながらも 何とか野党共闘で 政権を取らうと頑張ってゐる 今は 細かい議論を避け 全力で 安倍政権を倒す時です 日本の「自由」と「民主主義」 そして「法の正義」を守る時だと思ひます 野党の皆さん 兎に角 心を一つ 心を「打倒安倍政権」一つにして 共に闘ひませう 本気で政権を勝ち取り 司法と行政のお互ひの独立を守り 国民の聲を 野党の聲を 真面目に聞いて 真面目に答へる こんな当たり前のことが出来る政権を作るべく 私は野党諸氏と手を取り 今の自民党政権を倒すべく離離党致しました
どうぞ 国民の皆さん 私たちと共に 権力の権化と化した「安倍政権」を倒しませう
いつも興味深くブログを拝見しています。
ファクトを力強く発信されていて非常に参考にしています。
1月下旬からの森法務大臣と野党のやり取りを見ていますので、今回の法案の審議入りが言語道断なのは理解しているのですが、こうは考えられないでしょうか?(素人考えですみません)
郷原さんはずっと検察の問題点について指摘されてきていますが、安倍政権のこの自分勝手な法改正が、検察の独立性が弱めていき、あるべき三権分立に「偶然」近づいていくということは無いのでしょうか?
検察の活動に内閣の影響が色濃く出るわけで、仮に検察が不穏な動きをすれば内閣によって操作でき、内閣が間違った判断をすれば選挙で民意を問える、という仕組みになるような気がしています。(重ねて素人考えですみません)
そこは、非常に重要な点ですね。私は、以前から「検察の独立」を強調し過ぎることによる「独善」の問題を指摘しています。そういう意味では、政権と検察の関係は微妙です。しかし、今回の法案は、「不透明」なまま、検察を支配してしまう可能性があるので、余計に質が悪いと思います。その点については、また、改めてブログで書きたいと考えています。
いやはや。Twitter なのか 世論なのか、分かりませんが。コロナウィルスかそれ以上に、ヤバイと感じる人がいるのでしょう。永田町も、火事場泥棒まで身をやつさなくても、と思いますが。
http://blog.livedoor.jp/compride/archives/24764549.html