冤罪と戦いつつ美濃加茂市政奪還を目指す藤井浩人氏と、再選出馬表明伊藤市長の「刑事再審」への誤解

来年1月23日の美濃加茂市長選挙に向けて、2017年12月に執行猶予付き有罪判決が確定し、その執行猶予期間が2020年12月に満了した藤井浩人前市長が、12月13日に立候補の意向を表明した。藤井氏は、収賄冤罪事件について、既に名古屋高裁に再審請求を行っている。

一方、現職伊藤誠一市長は、昨日(12月17日)市長選挙への出馬会見を行った(会見内容については、岐阜新聞12月18日朝刊による)。

伊藤氏は、藤井浩人氏が収賄冤罪事件で逮捕・起訴された時、市長室内で市長を直接支える総合戦略室長として、藤井氏の逮捕直後から弁護活動を続けてきた私とも頻繁に連絡をとり、不当な警察捜査・検察の起訴に惑わされることなく藤井市政を継続できるよう、粉骨砕身してくれた人だ。藤井氏有罪が確定し、市長失職となった際に副市長であった伊藤氏は、藤井市長の要請で、敢えて市長職を引き受けてくれたことにも、「藤井市政への継続」への熱い思いを感じた。伊藤氏が、昨日の会見で、その時の「美濃加茂市に帰ってきて頂きたいというのが、その時の正直な思いだった」と率直に述べたのは、伊藤氏の誠実な人柄によるものだろう。

その伊藤氏が、ようやく藤井氏が公民権停止期間も終わり、市長への復帰をめざせることになった時点で、藤井氏の対立候補として再選をめざして市長選に出馬すると聞き、複雑な思いだ。伊藤氏の4年間の市長職で図らずも生じてしまった「市政にまとわりつく利権勢力とのシガラミ」によるものなのだろうか。

伊藤市長は会見で、

「再審請求と市政運営を同時に進めるとなると、庁舎を離れた行動も出る。(裁判に専念する時間もあり)、市政運営に緊張感を生むのでは」

と発言した。藤井浩人氏が冤罪であることを、美濃加茂市の中で誰よりも確信しているからこそ、今すぐにでも、「再審裁判」の手続が始まると考えての発言だと思うが、そこには、「刑事再審」という手続についての大きな誤解がある。

先月末、再審請求書を名古屋高裁に提出し、受理されたが、まずは、来年3月までに提出される検察官の意見書を待つことになる。その後、裁判所で、再審を開始すべきかどうか、再審の請求の理由についての審理が行われるわけだが、いつ、どのような事実取調べ始まるのかは、全くわからない。事実取調べが始まったとしても、対応するのは検察官と弁護人で、請求人本人は、手続には全く関わらない。名古屋高裁で、「再審を開始すべきだ」という判断である「再審開始決定」がいつ出るのかも、全くわからない。

藤井氏本人が再審の手続に直接関わることがあるとすれば、それは、「再審開始決定」が出て、それが確定し、実際に「再審裁判」が開始された時である。我々は、一日も早く実現したいと考えているが、日本の刑事再審の現状からすると、実際に再審裁判が始まるとしても、まだまだ先の話だ。

ということなので、伊藤氏が言う「再審と市政運営との緊張関係」というのは全くの杞憂だ。

伊藤市長ですら、このような誤解をすることの背景には、刑事事件で執行猶予付きの有罪判決が確定し、その執行猶予期間が満了したことの法的な意味と、社会的事実として「冤罪」を訴えることとの関係が、十分に理解されていないことがあるように思う。

その関係について、少し整理して解説しておきたい。

刑法27条で

「刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過したときは、刑の言渡しは効力を失う。」

とされている。執行猶予期間が満了すると、法的には、執行猶予判決を受けたことの効力はなくなる。履歴書の賞罰欄に前科を書く必要もなく、各種資格取得の際の提出書類などで前科を申告する必要も法的にはない。政治家として、公職の候補者として活動する上でも法的には全く問題はない。

藤井浩人氏は、法的には、美濃加茂市長に初当選した際と同じ状態であり、市政に取り組んでいくことについて何ら障害はない。

ただ、執行猶予期間が満了して、法的には言渡しの効力がなくなっても、美濃加茂市長になる前の市議時代の収賄事件で有罪判決の言渡しを受けたという事実自体は消えない。

その「有罪判決の事実認定が誤っている」ことを、藤井氏はずっと訴えてきた。一審判決は、証人尋問、被告人質問など詳細な事実審理の結果に基づいて正しい事実認定をし、無罪の判決だった。その一審の判断を覆した控訴審の有罪判決が誤っていることは疑いの余地のないものだが、刑事事件で一旦「誤判」の裁判が確定してしまうと、過去の事実としての「誤判」を裁判手続で明らかにする方法は「再審」しかない。

今回、その「誤判」である有罪判決を覆す新規・明白な証拠が得られたので、再審請求に至ったものだ。

藤井浩人氏が無実で潔白であることは、これまで、彼の冤罪を晴らすことを支え続けた多くの有力弁護士が確信している。今回の再審請求は、弁護人として、逮捕直後から主任弁護人として弁護を担当した私のほか、元東京高裁部総括原田國男弁護士、刑事弁護で著名な喜田村洋一弁護士も加わってくれている。

しかも、想定外の控訴審逆転有罪判決以降は、上告審、民事訴訟、再審請求と、多くの弁護士が、経済的に苦境にある藤井氏の冤罪を何とか晴らしたいという思いから、ほとんど報酬も受けず、冤罪を晴らすための活動に当たっている。「この事件は冤罪だ」という強い確信がなければ、このようなことはあり得ない。

一旦確定した有罪判決を「再審」という刑訴法の手続で覆し冤罪を晴らすことは容易なことではないが、真実を明らかにするための藤井氏の闘いは、しっかり支えていきたいと思う。

そのような「真実を明らかにしていくための闘いを続けること」と、藤井氏自身の「市長職に復帰して美濃加茂市民のために市政を担っていくこと」とは全く別の問題だ。

我々弁護団が再審開始に向けて闘う一方で、藤井氏が、一日も早く美濃加茂市長の職に復帰し、市民のための市政を実現することを望んでいる。

それにしても、若き市長を支え、不当な警察・検察の捜査・起訴にもめげす藤井市政の継続に尽くし、失職に追い込まれた市長に代って市長を引き受けてくれた伊藤氏が、「藤井市政」ではなく「伊藤市政」の継続をめざして選挙に臨まざるを得ないことに、今なお残る「地方自治の闇」のようなものを感じるのは私だけだろうか。

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山中竹春横浜市長、請願審査委員会での追及に「虚言」連発。市長の存在自体が「横浜市民にとっての”災難”」

 12月15日、私が横浜市会に行った「横浜市大への不当圧力問題」の事実解明等の請願が付託された政策・総務・財務委員会で、花上喜代治、今野典人議員の出席、市大の小山内いずみ美理事長、相原道子学長の参考人としての出席、そして、山中竹春市長の「説明員」としての出席の下、請願審査が行われた。

 市長が「説明員」として市会常任委員会に出席するのは、中田宏市長時代の2003年以来18年ぶりであり、しかも、市長選挙の直前に、市会議員とともに、横浜市大に「大学の自治」を侵害する不当な圧力をかけた重大な疑惑の当事者としての出席だったことで、その答弁の内容が注目された。しかし、2時間半にもわたる質疑に対する答弁は、自分の言いたいことを一方的に述べただけで、客観的に明白な事実についても「記憶にない」と答えたり、定例会見での自らの発言とも齟齬する「言い逃れ」を重ねるなど、誠実に答弁する姿勢は全くなかった。

 私が、市長選挙前に、山中竹春氏の「市長としての適格性」に疑問を持ったのは、直接、間接に山中氏を知る人達から、彼の専門性、パワハラ体質、経歴詐称の疑いなどの様々な問題についての情報提供があり、「絶対に横浜市長にしてはならない人物」であるとの真剣な訴えがあったこと、医療情報学、データサイエンスの専門家、医師など様々な立場の人達からも、山中氏に関する公表資料から、能力・資質等に対する根本的な疑問があるとの声が寄せられていたことからだった。市長就任以降も、山中氏に関する問題を繰り返し指摘してきた(【「市長選問題」から「横浜市政の重大問題」となった“山中竹春氏のウソと恫喝”】など)。

 今回の答弁で、山中竹春という人物が横浜市長であることが横浜市民にとって「災難」であることが明白になったと言えよう。 

 請願審査の対象になっているのは、次のような問題だ。

 山中氏は、2021年6月30日に、横浜市大教授、学長補佐大学院研究科長を退職し、同年8月の横浜市長選挙への立候補の意志を表明した後の7月19日から24日の間に、今野市議及び花上市議とともに、市大側に対して、同年6月16日に理事長、学長名義で全教職員にメール送付された学内文書の「山中先生とは連絡がつかない状態が続いている」との記載があったことに抗議し、7月26日に、理事長・学長名で、訂正・謝罪させる学内文書を全職員にメール送付させた。

 7月24日の土曜日の朝に、小山内理事長らを市役所市議会棟に呼び出した際には、「連絡がつかない状態」は事実無根であり、「上司である林市長に忖度し、対立候補の活動を妨害するものだ」などと述べて非難し、理事長・学長名での上記6月16日付け文書の訂正・謝罪を含む学内文書の発出を要求し、「市民にSNSやインターネット上で不誠実を知ってもらった方がよいとも考える」「コンプライアンス違反で訴え厳正に対処することも考えている」などと、理事長らを威迫するような発言をしたことが、請願審査において提出された市大側作成の「面談記録」から明らかになっていた。

 昨日の委員会では、山中氏が出席する前の、花上、今野市議に対する質疑で、今野市議は、小山内理事長らへの発言は、ほとんどが山中竹春氏であったと述べた。そして、山中氏と同時に参考人として出席した小山内理事長は、7月24日の山中氏らとのやり取りは、それらの発言を記載した面談記録のとおりであったと明言した。

 つまり、7月24日面談での上記のような山中氏の小山内理事長らに対する発言は、客観的に明白になっていたのである。

 ところが、山中氏は、「上司である林市長に忖度し、対立候補の活動を妨害するものだ」「SNSやインターネットで理事長・学長の不誠実を市民に知らせる」「コンプラ違反で訴える」などと述べたことについて、その趣旨について質問を受けたのに対して、「記憶にない」と述べ、「面談記録は一字一句正確とは限らない」との発言を繰り返した。

 そもそも、山中教授の市長選出馬意向が一斉に報じられた6月16日の学内文書発出の時点では、自民党市議団が市長選挙で現職の林市長を支援しない方針を明らかにしており、林市長出馬の可能性は低いと見られていた。「林市長への忖度」などというのは全くの言いがかりだ。そのような因縁をつけて、市会議員とともに、学内文書の訂正・謝罪を求めたことが不当圧力として問題にされている。その問題の核心である「市長に忖度した」との発言について問われても、山中氏は「記憶にない」と言って「かわす」のだ(私が、市長選挙の際に公開した、山中氏の市大取引業者の【恫喝音声】の最初は、「結局ねーかわすじゃないか君は」との言葉から始まる)。

 一方で、直前まで、市大教授、学長補佐の立場にあったのだから、自分で理事長に連絡をして学内文書の訂正を求めれば済むことなのに、なぜ、市会議員を通じて、市大理事長との面談を求めたのか、と問われると、自分の行動の正当性を強調したいのか、「市大を退職して一私人になった人間にとって、市大の経営トップの理事長に会うことがいかに難しいことかを御理解頂きたい」などと述べ、「一私人の立場では困難だったから市会議員という政治家を使って面談を求めた」こと、面談のためには政治的圧力が必要だったことを事実上認めるのである。しかも、それを何回も繰り返し述べるのである。このような発言を行う思考回路は異常というほかない。

 そして、何より、驚愕したのは、山中氏は、9月に、同じ常任委員会でこの問題の請願審査が始まった前後の市長定例記者会見で自らが発言したことと全く異なる答弁をしたことだ。

 9月17日の会見では、フリーのジャーナリストの畠山理仁氏の質問で、以下のようなやり取りをしている(横浜市HP「市長定例会見」)。

記者:

横浜市大のメール問題について伺います。事実確認をさせていただきますが、6月29日の出馬表明会見で、現在は元教授という立場で良いかという質問に対して、2週間前、つまり6月15日に辞職の意思をお伝えし、先週退職届を出したところです。辞表も受理されているとおっしゃっています。それで、昨日の本会議で、6月16日に横浜市大が出した、連絡が取れない状況が続いているというメールの内容について、連絡が取れないということはなかったと明言をされました。その上で伺いますが、辞職の意思を伝えたのは、どなたにお伝えになられたのか。また、6月16日の文書に連絡が取れない状況が続いていると書かれていたということは、つまり学長または理事長のいずれかが嘘をついていたと主張されるということでよろしいんでしょうか。

市長:

出馬表明は6月29日だったと思いますが、その時は2週間ぐらい前と言っていた、日にちは明示しなかったと思いますが、私が辞意を表明したのは、6月18日の金曜日の夕方から夜にかけてです。理事長にご連絡を差し上げました。6月16日にこのようなメールを一斉に出され、その時はまだ調整中という段階でしたが、このようなメールもあり、立候補前でしたが、6月18日に辞意を伝えざるを得なくなったというのが実態です。

 ここでは、「6月18日の金曜日の夕方から夜にかけて、理事長に連絡して辞意を伝えた」ということを明確に述べている。

 しかし、そうなると、学内文書が発出された16日の翌日の17日に東京新聞(【横浜市長選、IR反対派の横浜市大・山中教授が出馬意向】)、18日には神奈川新聞の取材に応じて「立憲民主党などの野党勢力の推薦や支持を得られれば出馬する意向」を明らかにしていることとの関係が問題になる。

 理事長・学長が、連絡がとろうとしても電話がつながらずに焦っていたのと殆ど同じタイミングで、山中氏は、東京新聞の取材に答えて出馬の意志があるとコメントしていたのである。  

 9月30日の会見では、読売新聞の記者から、6月16日に市長選への出馬の意向が報じられた後のマスコミへの対応等について質問され、以下のように答えている。

記者:

16日に、不誠実と思われるということで訂正を求めたということですが、おそらく17日か18日に山中市長の方から横浜市大に連絡をしたかと思いますが、その前の16日にマスコミの取材に応じて、17日の紙面になっているわけですが、横浜市大への連絡よりも先にマスコミ対応を優先したのは何か理由があるのでしょうか。

市長:

16日にマスコミの対応をしたとは、どちらの。

記者:

東京新聞さん

市長:

東京新聞さん。そちらは私の電話宛てにコンタクトがあり、出てお話をさせていただいた次第です。

記者:

それより前に横浜市大に連絡するということはお考えにならなかったのでしょうか。

市長:

その時新聞さんにも申し上げたとおり、まだ私自身は候補者として選定されるかどうかが未確定の状態でした。実際に様々な過程を経て、最終的に29日に立候補させていただいたわけですが、記者さんに申し上げましたが、そのような事実、そのような予定はあるのかと言われまして、もし皆様のご了承が得られれば、関係各位の立候補を考えていますということを回答したと思います。

 この会見では、理事長・学長が、山中氏に連絡がとろうとしても電話がつながらずに焦った末、学内文書を発出したのと殆ど同じタイミングで、山中氏が、東京新聞の取材に答えて出馬の意志があるとコメントをしたことを認めているのである。

 山中氏は、理事長・学長に自ら連絡をとろうともせず、一方で、マスコミの取材に対して出馬の意向を認めていた。その時点で「連絡がつかない状況が続いている」と記載した学内文書が事実無根だとして訂正・謝罪を求めることを正当化する余地は全くない。

 ところが、昨日の委員会では、山中氏は、なぜ自ら理事長・学長に連絡をとらなかったのかと質問され、

多くの電話がかかってきていたが、応対できる余裕がないほどの人生の岐路に立たされていたので、すべての電話に反応する余裕がなかった。16日に出馬意思が報じられたことを受け、翌17日に、理事長に辞意を伝えた。

と述べたのである。

 会見では「6月18日の金曜日の夕方から夜に」理事長に連絡して辞意を伝えたと言っていたのに、委員会では「17日」に伝えたと答弁した。

 6月18日の夕方から夜ということだと、東京新聞、神奈川新聞の取材に、野党側の推薦があれば出馬すると伝え、それが報じられた後に、理事長に辞意を伝えたということになり、大学への対応よりマスコミ対応を優先していたことは否定できない。

 ところが、委員会での答弁では、「人生の岐路に立たされ思い悩んでいた最中に、マスコミが出馬を報じ、理事長・学長名の学内文書がメール送付されたので、その翌日に学長に連絡して辞意を伝えた」と述べた。人生の岐路に立たされていたことから「致し方ない対応」だったと説明したのである。

 これが、市議会常任委員会に、18年ぶりに「説明員」として出席を求められて「横浜市長」の答弁である。市議会で質問されても、自分に都合の悪いことは、はぐらかし、その場凌ぎのウソを答える、という不誠実極まりない態度が露わになった。このような市長の姿勢を放置して、二元代表制の下での健全な市長と市議会との真剣な議論など到底維持できない。

 本日(12月16日)、開かれる委員会で、請願に対する採決が行われることになっている。山中氏の答弁はウソだらけで、市大側の説明とも大きく乖離しており、不当圧力問題の事実解明が十分に行えたとは到底言えない。

 しかし、説明員として常任委員会に出席した山中氏の態度を見る限り、再度常任委員会に出席を求めても、真摯な答弁を行うことは期待できない。そういう意味では、このまま請願審査を継続することに意味があるとも思えない。しかし、今回の請願について、地方自治法 100条による法的権限を伴う正式な調査をすることは容易ではない。

 今回の請願は、当初、市会議員2名による市大への不当圧力を問題にし、その後、山中氏が市会の本会議で自ら関与を認めたことから、請願の対象を市長の不当圧力に拡大したものだが、市会議員の問題としても市長の問題としても、地方自治法100条の法的権限に基づく調査になじまない面があることは否定できない。

 市会議員が主体であれば、「当該普通地方公共団体の事務に関する調査」として行うことに問題はないが、昨日の委員会審査で、2名の市会議員は、山中氏に依頼されて、市の当局を通じて市大側に面談を求めたというだけで、主体的な関与ではないことが明らかになった。市会議員としての行為について100条の法的権限による調査を行う程の案件ではない。

 他方、市長自身を主体と見ると、「市大教授を退職し、市長に就任する前、一私人であった時の問題」であり、「横浜市の事務」に関する問題とは言い難いことが、100条の調査を行うことの支障となる。

 しかし、横浜市会として放置できない問題となったのが、18年ぶりに「説明員」として出席した市長が、客観的に明白な事実についてもまともに答えず、定例会見答弁と齟齬する答弁まで行って、質問をはぐらかしたことである。その答弁の姿勢は、まさに市長と市議会との関係という「横浜市の事務」に関する重大問題である。この点について、今後、本会議等で追及するのは当然だし、その答弁如何では、委員会での答弁自体の問題について100条委員会の設置も十分に考えられるところである。

 山中氏の行為については、むしろ、請願書でも指摘した、「市民にSNSやインターネット上で不誠実を知ってもらった方がよいとも考える」「コンプライアンス違反で訴え厳正に対処することも考えている」などと「名誉に対する害悪」を加えることを告知して、市大理事長らに「義務のないこと」を行わせようとした刑法の強要罪の成立の方が問題である。この犯罪の嫌疑ついては、請願審査によって、上記の発言があったこと、それが山中氏のものであることが明らかになり、しかも、6月16日の学内文書が事実無根だとして訂正・謝罪することが「義務なきこと」であったことも明白になった。請願審査の結果を受けて、刑事事件としての捜査によって真相解明を図り、山中氏の刑事責任の有無を明らかにしていくべき案件だと言える。

 今回の不当圧力問題について山中氏を刑事告発することについての相談が、多数の市民や市大関係者から、私の元に寄せられている。

 今回の請願自体は不採択となるのも致し方ないと言えるが、請願審査を通じて、様々な事実が明らかになり、「山中市長」の本性が露わになったことも事実だ。今後の横浜市会側の対応を見守りつつ、刑事告発についての検討を進めていきたいと思う。

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立憲民主党代表選、候補者への「公開質問」~盛り上がりを欠く選挙に“喝!”

11月30日の立憲民主党代表選挙に向けて、候補者討論会などが行われているが、【(朝日)違いがないこと確認し合う会?立憲代表選の討論会、論戦低調の理由は】【(時事)4候補、主張に違い見えず 盛り上がり欠け、党内に失望も―立民代表選】などの記事でも指摘されているように、今一つ「緊迫感」がなく、盛り上がりに欠けているように思える。

衆院選で議席を減らしても絶対安定多数維持という結果を出した自民党ですら、「党改革実行本部」を立ち上げるなどして、党改革に本腰を入れる動きを見せているのに、自民党政権への批判が高まる中、有利な情勢と言われ、共産党との候補者調整も行われたのに、大幅に議席を減らし、「結党以来の危機」に直面している立憲民主党で、代表選で論戦の対象として、党の在り方の改革に向けての議論が盛り上がっているようには見えない。

私自身も、故仙谷由人氏をはじめ民主党所属の政治家の方々とは親交を重ね、2009年に発足した民主党政権では、総務省顧問・コンプライアンス室長、年金業務監視委員会委員長を務めたほか、その後の自民党安倍政権が長期化する中で、甘利明氏の斡旋収賄事件、森友・加計学園問題、桜を見る会問題での追及等で、安倍政権を徹底批判し、国会での公述人、参考人陳述や、野党ヒアリングなどで、野党に協力してきた。それもあって、今回の代表選挙には重大な関心を持ち、ブログ記事【「責任野党」は“見果てぬ夢”か ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計】等で、「責任野党」としての在り方も論じてきた。

そのような経緯もあり、今週月曜日(22日)、代表選挙立候補者4名の事務所に、私のYouTube番組【郷原信郎の「日本の権力を斬る!」】に、対面またはオンラインで、上記記事等での私の意見も踏まえ、今後の野党としての在り方等について個別にご見解をお伺いしたいとして(各20分程度)、出演依頼を行った。

上記YouTube番組は、権力批判、政権批判の立場から独自の視点で行っているもので、視聴者には野党支持者も多く、各候補が短時間でも私との対談に応じてもらえれば、独自の視点からの論点を提起し、代表選を盛り上げることにもつながると考えて出演依頼を行ったものだが、小川淳也、西村智奈美、泉健太各候補の事務所からは、「日程がタイトなこともあり個別のご依頼は対応困難」、「代表選期間中は日程が殆ど隙間なく組まれている状態で対応できない」などの回答があった。逢坂誠二氏の事務所からは、11月24日午前中の期限までに返答はなかった。

残念ながら、代表選候補者とのYouTubeでの対談は実現しなかったので、4候補者への公開質問に切り替えることにする。

ちょうど、明日(11月25日)の午後、立憲民主党代表選のイベントとして、横浜市で街頭演説・討論会・会見が行われることが公表されている。

今年8月の横浜市長選での野党共闘候補の「圧勝」は首相退陣につながったが、それを受けての衆院選では、同様に野党共闘で候補者一本化が行われたにもかかわらず、「横浜市内のほとんどの小選挙区で敗北」という結果に終わった。

今回の枝野代表の辞任の原因となった衆院選敗北は、横浜市での一連の選挙に凝縮されている。

今回の衆院選で党創設者の枝野幸男氏が、日本共産党との共闘に大きく舵を切り、その結果敗北し引責辞任した。その「連携」「共闘」そのものが否定されるべきなのか、そのやり方・プロセスに問題があったのか、或いは、それを主導した党執行部のガバナンスに問題があったのか。それを考える上で貴重な題材となるのが、横浜市での一連の選挙の経過と結果だ。

立憲民主党の代表選挙で横浜市での討論・会見を行うのであれば、横浜市長選から衆院選に至る今年の一連の選挙のことは避けては通れない。

下記の公開質問のうち、(1)の「横浜市長選関連事項」は、横浜市での討論会、会見の場で、口頭でお答えいただきたい。(党本部にも、4候補への質問として取り上げることを要請する。)

そして、より根本的なのは、野党第一党として、「責任野党」としての組織の実体が伴っているのかという問題だ。 (2)の一般的事項は、【前記記事】でも述べた、15年前、民主党時代の「永田メール問題」で危機に直面した民主党に提言した「責任野党構想」の観点から、立憲民主党の在り方についての見解を問うものである。この事項については、11月26日までに、当事務所宛てに、書面でご回答頂きたい。

結党以来の危機に直面している立憲民主党、「今まで我々がやってきたことのどこがどう間違っていたのか」、正面からの議論、真剣勝負を期待するのは私だけではないだろう。この「公開質問」が、4候補に「喝!」を入れることになってほしい。

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《公開質問》

(1)横浜市長選挙関連

 今年8月22日に投票が行われた横浜市長選挙において、立憲民主党は、県連内部や市民団体などからの反対を押し切って、野党統一候補として、山中竹春氏を市長候補に擁立した。それに対して、コロナ医療についての専門性、経歴詐称、パワハラ疑惑など市長としての適格性に関して様々な問題が指摘されたが、説明責任を全く果たさないまま選挙に臨み、当時の菅義偉首相が全面支援した候補に圧勝した。代表代行の江田憲司氏は、同市長選を、「野党共闘によって政権交代をめざす選挙戦略のスタンダードとすべき成功事例」と述べていた。

 しかし、山中氏は、市長就任後、市長選の時から指摘されていた疑惑について、市議会、定例会見等で追及を受け、説明困難な状況に陥り、市議会も混乱した。それによって市長選で勝利した立憲民主党や日本共産党への信頼が失われたことが、衆議院選挙での敗北につながったとの見方がある。

 今後の立憲民主党の選挙対応を考える上で、横浜市長選での候補者選定の経過、候補者に関する問題の指摘への党としての対応等を検証する必要があるのではないか。

 そこで、上記のような問題の指摘を踏まえ、横浜市長選への立憲民主党の対応について検証を行うべきかどうか、イエスかノーでお答えいただきたい。

 (なお、上記質問は、代表辞任、代表選に至った立憲民主党の直近の選挙対応について問うものであり、国会議員として、横浜市政や市長の是非についての見解を求めるものではない。)

(2)一般的事項

 ア 政権追及の在り方について

「野党合同ヒアリング」を中心とする、従来の政権追及の手法の是非

問題があるとすればどのような点か、どのように改めるべきか

 イ 党の政策立案のプロセスについて

従来の手法に問題はなかったか

問題があるとすればどのような点か、どのように改めるべきか

 ウ 責任野党のあり方

「政権の受け皿」たり得る野党(責任野党)として、何が欠けていたのか

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「責任野党」は“見果てぬ夢”か ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計

10月31日に投開票が行われた衆議院議員総選挙は、コロナ対策や東京五輪開催強行等で批判を受けた自民党に不利な状況であったにもかかわらず、野党第一党の立憲民主党は、選挙前の議席を大幅に減らす惨敗に終わった。敗北の責任をとって、枝野幸男代表は辞任を表明し、年内に代表選挙が行われることになった。

 8月22日の横浜市長選挙の投票日のブログ記事《【横浜市長選挙】山中竹春候補「圧勝」が立憲民主にもたらす“最悪の結果”》で、市長選での立憲民主党推薦候補山中竹春氏が「圧勝」しても、その後、早々に「市長不適格」が明らかになれば、コロナ禍に立ち向かうべき横浜市政の混乱を招き、立憲民主党への国民の期待が急速に失われ、それによって、野党第一党の同党が、自公政権に替わる「政権の受け皿」にはなり得ないことが露呈するという「最悪の結果」に終わると予想した。

 実際に、菅政権のコロナ失政への批判を追い風に「圧勝」したが、新市長に就任した山中氏は、疑惑に対して「説明不能」の状況に陥り、選挙で掲げた公約や今後の施策をめぐって、市長答弁の混乱が続くという惨憺たる状況を招いている。横浜市での立憲民主党の惨敗は、市長選挙での山中氏当選が横浜市にもたらした結果を受けた横浜市民の当然の判断だった。

 枝野代表の辞任を受けて行われる代表選挙で、新体制が決まることになるが、党創設者で、今回の選挙で共産党との共闘を進め、その結果敗北し引責辞任した枝野代表の辞任後、いったいどのような政党をめざしていくのか、方向性すら定まっていない。立憲民主党は、結党以来の危機に直面している。 

「永田メール問題」で結党以来の危機に遭遇した民主党

 15年余り前、2006年の「永田メール問題」の際も、野党第一党の民主党が「結党以来の危機」に遭遇するという状況となった。

 所属議員がライブドア事件に関連して、当時の自民党幹事長を国会で追及したメールが、「偽メール」であったことが判明し、民主党は厳しい批判を浴び、前原誠司代表以下執行部は総退陣に追い込まれた。

 この時、私は、桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター長として、様々な組織をめぐる問題への対応について「『法令遵守』ではなく『社会の要請に応えること』」としてのコンプライアンスの観点からの助言・指導を行う立場にあった。当時、民主党政調会長だった故仙谷由人氏から、永田メール問題への危機対応について相談を受け、赤松幸夫弁護士に、関係者のヒアリング等の調査を依頼し、その調査結果に基づいて、2006年4月に、「民主党責任野党構想」と題するレポートを仙谷氏に提出した。「責任野党」に対する社会の要請という観点から、民主党への提言をまとめたものだった。

 その冒頭で、私は、

今、民主党が、メール問題に関して国民から受けている批判と責任追及の大きさは、ある意味では、責任野党としての民主党への期待の大きさを示すものである。民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている。

と述べている。当時、危機に直面した民主党が、それを糧に、新たな党に生まれ変わって二大政党制を担う「責任野党」になること、その後に政権を担う党となることを期待し、レポートを仙谷氏に提出した。

 その15年の間、民主党は、「消えた年金問題」で国民から猛烈な批判を受けた自民党に代わって政権の座についたが、政権与党として国民の期待に応えることができず、再び野党に転落した。その後、第二次安倍政権の長期化、権力集中の中で、少数野党の地位に甘んじてきた。

 「責任野党」が政権を獲得して「責任与党」となり、「責任野党」と対峙する。それが繰り返されることによって緊張感を持った政治が行われるのが、衆議院の小選挙区制度がめざす「二大政党制」だったはずだ。

 民主党とその流れを汲むその後の野党第一党には、「責任野党」として何が欠けていたのか。15年を振り返って考えてみたい。

「民主党責任野党構想」での指摘・提言

 上記の「民主党責任野党構想」で、私は、以下のような指摘と提案を行った。

(1)「責任野党」に求められるのは、政府・与党の政策に対抗し得る具体的な政策を構築し、それを具体的かつ現実的な法案とその運用方針という形でまとめることができる「政策立案」と、現政権の政策に関する問題、政権を担当する政治家や官僚の腐敗に関する問題等を指摘し、具体的事実を明らかにする「国会の場での追及」の二つである。

(2)政策立案と追及を支えるのが事実調査である。優れた政策の立案は、的確な実情調査によって可能になり、政権側の腐敗等の問題についての追及も、事実関係についての的確な調査があって初めて可能となる。

(3)責任野党と「無責任野党」の違いのポイントは、三つのミッションのバランスがとれているか否かである。「永田メール問題」についても、このバランスに問題があった。現政権の政策ないし法制度の根本的な問題に根ざすものなのであれば、その一つ一つの問題を掘り下げて政策論争を行う中で、政策の歪みに派生する問題を取り上げることで、追及の目的も果たせたはずだが、追及だけが自己目的化し突出してしまった。

(4)「責任野党」には、 独自の政策立案と、それを裏付ける適切な調査を行い得ること、適切な調査による裏づけに基づく現政権の追及の両方を実現できる組織の構築が必要である。

(5)個々のテーマ・案件ごとに、「主任議員」とサポートする「応援議員」の双方からなるチームを組織し、チーム・プレーによって政策立案、追及及び調査を行う「主任議員制」(「主任議員」の選定は、経験年数、キャリア・能力、過去の「応援議員」としての活躍の程度などに応じて行う)を導入し、責任の所在を明確にすることを検討すべきである。

(6)重要な政策・立法マターに関しては、その分野における実務経験が豊富な関係者の「手弁当政策スタッフ」を募集して政策立案に参画させ、各分野の実情に即した政策の素案を作成することを検討すべきである。

(7) 政権追及のための調査に関しても、関係者からの情報提供を受け、それを情報提供者の秘匿、不利益防止を図りつつ活用するスキームを具体化し、公益通報的な情報提供を広く呼びかけることが考えられる。

(8)国会の場で責任野党に相応しい質問・追及を行っていくために、いかなる根拠に基づいてどの程度の追及が可能なのか、どのような発言であれば適切かつ効果的と言えるのか、チーム内で十分な議論と検証を行いつつノウハウを蓄積し、質問のレベルを向上させていく必要がある。

 仙谷氏は、この「責任野党構想」を受け止め、提言を民主党の改革に活用すべく、シンクタンクの設立などを行っていた。

 2006年4月というのは、それまで、検察に籍を置き、桐蔭横浜大学法科大学院に派遣されて、教授・コンプライアンス研究センター長を務めていた私が、検察庁を退職して、弁護士登録をして民間人になった時期だった。仙谷氏は、配下の中堅議員を集めて、私の弁護士登録を歓迎する小宴を設けてくれた。その際、紹介された議員の多くが、その後、民主党政権で閣僚となった。

小沢一郎氏の代表就任が与えた影響

 しかし、その後の民主党は、仙谷氏が考える方向で改革ができる状況にはならなかった。最大の原因は、メール問題で引責辞任した前原氏の後任を選ぶ代表選挙で小沢一郎氏が当選し、代表に就任したことだった。

 仙谷氏は、

「小沢体制になったために、党改革のために予算や人員が思うように回してもらえなくなった」

とぼやいていた。せっかく始まっていたシンクタンクによる政策研究の動きも止められてしまったとのことだった。

 弁護士登録をした私は、翌2007年1月に【「法令遵守」が日本を滅ぼす】と題する著書を公刊し、コンプライアンスのジャンルの本としては異例のベストセラーとなったこともあり、全国の企業・団体等の依頼で講演活動を行っていた。仙谷氏からは、様々な分野の問題について相談を受け、助言をしていた。まさに「仙谷氏のブレーン」のような存在だった。

 私は、仙谷氏への協力の度合いを深めていったが、一方で、政党組織としての民主党の党運営に関しては、小沢氏と対立関係にある仙谷氏の党内での発言権は低下し、小沢体制の下で、選挙戦略・政局戦略中心に事が進められていった。

 その頃、一方の与党自民党も、2007年2月に「消えた年金」問題が表面化して以降、国民の支持を急速に失っていった。同年7月の参院選で惨敗して、参議院での第一党の座を民主党に奪われ、政権の安定は大きく損なわれていった。

自民党の失策によって、民主党に転がり込んだ政権

 結局、その後の自民党は、2009年8月の総選挙で惨敗して政権の座から転落し、民主党が政権を担うことになった。

しかし、2006年からの3年間、野党第一党の民主党は、自民党への逆風で、流れに乗ったということに過ぎず、「永田メール問題」で露呈した党組織の問題は是正されていなかった。民主党は「責任野党」になることなく、政権の座につくことになった。

 その民主党政権が発足する少し前、同党代表の小沢一郎氏の秘書が「陸山会事件」で東京地検特捜部に逮捕された事件のために、仙谷氏とは急に疎遠となり、連絡を受けることもなくなった。民主党政権発足後は一度も話をすることはなかった。

 仙谷氏にとって小沢氏は、党内で対立する政治家というだけではなく、「仇敵」のような存在だったようだ。その小沢氏の「敵」である検察の陸山会捜査を痛烈に批判した。仙谷氏にとって、「敵の敵の敵」は「敵」ということだったのかもしれない。

 2010年に、検察が、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件等の不祥事で信頼を失墜した際、法務大臣の下に設置された「検察の在り方検討会議」に委員として加わったが、それも、当時の柳田稔法務大臣とその周辺の議員から、「検察に厳しい検察OBの識者」として就任を打診されたもので、仙谷氏等の民主党執行部とは全く関係はなかった。

 民主党政権の間、私は、総務大臣に就任した原口一博氏とその後3人の総務大臣の下で総務省顧問・コンプライアンス室長を務め、14年3月まで、年金業務監視委員会委員長を務めた。それらの職務においては、その本来の職責である、政権側、関係省庁に対して、問題を指摘し、追及する姿勢で臨んだ。総務省コンプライアンス室長としては、民主党政権発足直後に二次補正予算で拙速に行われたICT関連補助金の不適正支出の問題を外部弁護士らによる調査チームを組織して解明し、大幅な減額措置をとらせた。年金業務監視委員会でも民主党政権下の厚労省や日本年金機構に関する様々な問題を取り上げ、厳しく追及した。

 その間、仙谷氏を含め民主党執行部の側とは、ほとんど話をすることもなかった。

 むしろ、【尖閣不法上陸への弱腰対応も、「検察崩壊」の病弊】などでは、検察の在り方とも関連づけて、民主党政権の尖閣問題への弱腰対応を厳しく批判したこともあった。

再び野党に転落した民主党、「責任野党」とはかけ離れた実態

 民主党政権は、東日本大震災、原発事故対応などでも厳しい批判を受け、2012年11月の衆院選で惨敗、民主党は再び野党に転落した。

 そして、第2次安倍政権が長期化する中、民主党は民進党となり、「希望の党騒ぎ」を経て、立憲民主党が野党第一党となり、今回の衆議院議員選挙に至った。その間、一貫して野党の支持率は低迷、自公両党が圧倒的多数の議席を占める状況が続いた。

 その間、国会で、野党は、甘利明氏の「政治とカネ」問題、森友・加計学園問題、そして、桜を見る会問題などで、安倍政権を追及してきたが、それらが、野党側への支持拡大につながったとは言い難い。

 15年前の私の指摘・提言に照らして、その後の野党を見ると、凡そ「責任野党」としての政権追及とは評価できない。むしろ、それが、「安倍一強」と言われる政治状況の長期化につながったとも言える。

 野党側の政権の追及では、必ずと言っていいほど「調査チーム」「追及チーム」などが立ち上げられ、マスコミフルオープンで公開ヒアリングが繰り返されてきた。しかし、それらは、単に何人かの議員が集まって、公開の場で関係省庁の官僚や関係機関の幹部を呼び出して詰問しているに過ぎず、私が「責任野党構想」で提案した「政権追及のための調査の組織の構築」とは全く異なるものだ。

 「調査」であれば、資料を入手し、それに基づいて、事実を把握し、その調査結果を必要な範囲で公表するという方法が、本来のやり方だ。そして、その調査の結果は、何らかの形で文書化して公表することが当然必要となるはずだ。しかし、野党側の「調査チーム」「追及チーム」で、調査結果が文書化されて公表されたという話は聞かない。公開の場のヒアリングをそのままネットで垂れ流すだけだ。

 追及のネタは、殆どがマスコミ報道によるものであり、独自のネタでの追及というのは、ほとんどない。独自に入手したメールによる国会での追及が「偽メール」によるものだったことがわかって重大な不祥事になった「永田メール問題」があったことで、独自に入手した情報での国会追及を避けるようになったのかも知れない。しかし、マスコミで報じられたネタを基に公開ヒアリングで官僚を問い詰めているだけでは、「追及の姿勢」を国民にアピールするパフォーマンスでしかない。

 しかも、野党の国会での追及の多くは、安倍首相など政権の主要人物の批判につながる直接的な事実を「主題」として、その疑いについて、執拗に追及を続けるというものだった。

 森友学園問題であれば、「安倍首相又は夫人の関与」が主題とされ、それがあったのか、なかったのか、という点が追及の焦点となる。加計学園問題では、加計学園の優遇について、安倍首相の指示や関与があったのか否かに追及のポイントが絞られ、国会質問でも、その点ばかりが取り上げられる。

 しかし、本来、国会の場で政権を追及するというのは、そういう単純な話ではないはずだ。

 例えば、加計学園問題については、【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】でも述べたように、単に、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という個別の問題だけではなく、その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始してしまった。

 政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向であった。

 そのような安倍首相個人をターゲットにした「政局的」な追及も、首相側の対応の拙さもあって、長期政権のイメージと信頼を低下させることには相応の効果があり、内閣支持率が大きく低下する場面もあった。しかし、その時、決まって生じるのが、「内閣支持率の低下とともに、野党側の支持率も低下する」という現象であった。

 それは、政権への不信が増大し、国民が政権交代の可能性を現実に意識すると、野党側の追及姿勢に対する不信から、逆に、野党に政権を委ねることへの抵抗感が高まり、それが野党の政党支持率の低下につながったと見ることができるであろう。

「権力の一極集中」を解消するための野党への協力

 そうした状況の中でも、私は、野党側の政権追及には最大限の協力はしてきた。

 小選挙区制は、本来、2大政党による政権交代が行える政治状況によって、その本来の機能が期待できるものであり、一つの政権が長期化し、権力が集中してしまえば、官僚機構の劣化を招くだけでなく、与党内での民主主義的な議論形成にも重大な悪影響を生じる。そういう意味では、安倍政権の長期化・権力の一極集中は、何とかして解消しなければならないと考えてきた。

 野党が安倍政権追及の材料にしてきた、「政治とカネ」疑惑、森友・加計学園、「桜を見る会」問題など、殆どの問題について、私は、問題の本質に根差した政権批判を行ってきたし、野党の「調査・追及チーム」のヒアリングにも協力してきた。

 しかし、野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった。それが端的に表れたのが、甘利明氏の「あっせん利得疑惑」での政権追及だった。

「無責任野党」が行き着いた先としての今回の衆院選

 野党側の「政権追及」の姿勢が行き着いた先が、今回の衆院選の1か月前、岸田首相が甘利氏を幹事長に任命したことを受け、野党が急遽立ち上げた「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」だった。

 連日のように、国会内で、関係省庁・URの担当者等を呼んでヒアリングを行っていたが、甘利氏の説明責任がいかなる根拠で生じているのか、「説明責任を果たす」というのがどういうことなのかも理解しないまま、的外れな質問が繰り返されていた。

 当時、甘利氏は経済再生担当大臣だったのに、行革担当大臣と取り違えたり、「参院選での自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の資金提供」の問題を「幹事長として判断すべき事項」に関連づけようとして、「買収の共謀」と「買収目的交付罪」との区別もつかないまま、「決裁権者が買収の共犯に該当する可能性」について法務省担当者に執拗に質問したり、凡そ見るに堪えないものだった。このような「追及ヒアリング」をネットで流すことが有権者の支持につながらないことは明らかだ。

 それまでの疑惑追及の際のように、私に協力を求めてくれば、もう少し、まともな「追及」になったと考えられるが、私には全く連絡はなかった。それは、疑惑追及チームの中心になっている立憲民主党が、8月に行われた横浜市長選挙で当選した山中竹春氏について「説明責任を全く果たしていない」として、私から批判されていたからであろう(【横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか】)。

 また、立憲民主党の政策が、十分な議論と検討を経て策定されたものであることに疑問が生じた出来事があった。今回の衆院選の投票日の3日前に、立憲民主党の代表代行(経済政策担当)として同党の経済政策を取りまとめた江田憲司氏が、BSフジ「プライムニュース」に出演し、「NISA(少額取引非課税制度)、積立NISAにも金融所得課税を課税する」と発言し、その後、訂正・謝罪に追い込まれた。

 番組でのやり取りを見ると、江田氏は、そもそもNISAという制度自体を理解していないようにも見える。欧米と比較して個人の株式保有比率が低く、個人投資家の証券取引が少ない日本で、個人の証券取引を増やすことは重要な政策課題であり、NISA、積立NISAも、個人の証券取引の裾野を広げるために導入されたものだ。高額所得者の金融所得の課税の問題と、中間層への課税、少額投資家への課税、それぞれの在り方をきめ細かに議論していれば、江田氏のような失言はあり得なかったはずだ。

 「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」も、「NISAへの課税」の発言も、立憲民主党の疑惑追及や政策立案について、国民の不信感を高め、選挙における支持の低下につながった可能性は否定できない。

「責任野党」に向けて時計が止まった15年間

 「永田メール問題」の危機に直面した時の民主党と、現在の立憲民主党を比較してみると、「責任野党」への道筋という面では、15年間、時計が止まっているように思える。

 「永田メール問題」を受けて民主党の抜本改革をめざしていた仙谷氏だったが、小沢体制になったことで、それが進めることができなくなった。1990年代に、「剛腕」で小選挙区制導入を実現した小沢一郎氏の存在は、野党第一党の民主党が、「二大政党」の一翼を担う「責任野党」になることを阻んだようにも思える。その小沢氏は、今回の選挙で小選挙区落選。「民主党」にとって一つの時代が終わったとも言える。

 そもそも、日本という国における政治風土・国民の考え方の下では、小選挙区制より、かつての中選挙区制の方が適しているとの意見も根強い。しかし、現在の小選挙区制で絶対多数を占める自民党が政権の座にある状況において、選挙制度の変更は現実的には考えにくい。

 今の状況では、“見果てぬ夢”のようにも思えるが、二大政党制を担いうる「責任野党」に出現してもらいたい。それを目指し、党改革の方向性を競い合う代表選挙になることを望みたい。

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企業にとって重要課題となった「SDGsと独禁法コンプライアンス」

SDGsとコンプライアンス

SDGsという言葉をよく目にするようになった。「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称、2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標だ。

貧困や飢餓、健康や教育、安全な水など、開発途上国の支援の問題から、エネルギー、気候変動への対策、海洋資源の保全などの地球環境の問題、働きがい、街づくり、ジェンダー平等など社会の在り方に関わる問題など多岐にわたる。まさに、世界全体、人類がめざしていく上でのコンセンサスとなるべきことを幅広く目標として掲げたものだ。

そのような目標を実現していくために、経済社会を構成する企業が重要な役割を担うことは言うまでもない。社会と共存し、持続性を担保しうる企業活動は、企業経営の重要な課題とされ、それは、コンプライアンスの重要な要素と位置付けられるに至っている。

日本経済団体連合会(経団連)も、2017年に、「革新技術を最大限活用し、人々の暮らしや社会全体を最適化した未来社会の実現」をめざす取組みの一つとして、SDGsの達成を柱とする企業行動憲章の改定を行っている。

コンプライアンスとは、「法令遵守」ではなく「社会の要請に応えること」、第一次的には、「需要に反映された社会の要請」に応えることである。企業は、需要に応えることで利潤を獲得し、生き残り、成長が可能となるが、それとともに、「需要に反映されない社会の要請」にも応えることも求められる。企業にとって、両者の社会的要請にバランスよく応えていくことが、真のコンプライアンスである。

SDGsと独占禁止法

SDGsは、重要な「需要に反映されない社会の要請」を包括的に示したものと言えるが、企業のSDGsへの取組みが、「需要に応えること」から必然的に生じる「同業他社との競争」とぶつかり合う場面が生じる。それは、各国の競争法(日本では独占禁止法)が促進しようとする「競争」とSDGsへの取組みとの対立の構図にもなり得る。

10.22日経新聞の「SDGs、カルテルの適用外か」と題する記事(瀬川奈都子編集委員)では、

「環境対策などで社会全体の利益のために企業が足並みをそろえると、カルテルとみなされかねない」

「硬直的な独禁法の運用が公益を損なわないよう、欧州を中心に議論が始まった」

として、オランダで21年1月に公表された、環境保護などを目的とした企業間の合意や連携に関する指針案を紹介している。同指針案では、

「その商品・サービスの消費者だけでなく、社会全体に利益があれば、カルテル規制の適用を免れる」

と明示しているが、その背景として、競争当局が、「飼育環境に配慮した鶏肉のみを扱う合意」と「1980年代に建設された5つの石炭発電所を閉鎖する発電事業者の合意」の二つの事案で、消費者の購入価格を不当に引き上げたり、選択肢を狭めたりすると判断したことに対して、環境保護団体などから、独禁法がSDGsの壁になっているとの批判があったとのことだ。

SDGsへの取組みという国際的な潮流の中で、このような欧州における議論は、日本の独禁法の運用にも、独禁法に関連する企業コンプライアンスにも大きな影響を与える可能性がある。

そこで、このSDGsとカルテルの問題を、日本の独禁法との関係で考えてみたい。

日本の独禁法におけるカルテル禁止規定

独禁法の目的は、商品・サービスの価格と品質の比較によって合理的に取引を選択するという「競争」を促進することである。競合する事業者間で、相互の意思連絡なく、市場への参入の妨害・排除もなく、自由な事業活動が行われることが、経済の発展と消費者利益を実現することにつながる、それは、個々の経済主体が、誰からも介入されずに経済活動を行い、その結果で経済が動いていくという「経済民主主義」にもつながるという考え方である。

そのような独禁法の目的を阻害する重大な違反行為・犯罪がカルテル・談合である。

同法2条6項で、

「事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」

が「不当な取引制限」と定義され、罰則や課徴金の対象とされている。

要するに、事業者間で互いに意思を通じ合い、合意を行うなどし(共同行為)、その合意を実行する意思を持って事業活動を行い(事業活動の相互拘束・遂行)、それによって一定の範囲の市場競争を制限すること(一定の取引分野における競争の実質的制限)が、不当な取引制限とされるのである。

カルテル・談合というと、一般的には、「対価の決定」や「取引の相手方の制限」が想定されるが、上記の規定上は、「技術、製品、設備」を対象とする合意も含まれている。「競争」には、価格面の競争と、品質・技術などの非価格面の競争とがある。非価格面についての合意であっても、それによって市場の競争が実質的に制限されれば、不当な取引制限が成立する可能性があるのである。

一方、この2条6項の条文には、「公共の利益に反して」という文言が含まれている。素直に読むと、事業者間の合意があり、競争の実質的制限が認められる場合でも、「公共の利益に反して」いなければ、不当な取引制限は成立しない、ということのように思える。つまり、競争というのは価格面に限らず、品質、技術、設備等様々な経済活動に及び、そういう市場での競争を制限する行為が独禁法違反としての不当な取引制限として原則として禁止されるが、「公共の利益に反していない場合」は合法というのが、2条6項の素直な解釈なのである。

「経済憲法」としての独禁法と戦後の法運用の歴史

独禁法は、経済社会における「競争」の在り方全般を規律する「経済憲法」と称され、その独禁法を運用する公正取引委員会は、「独立行政委員会」として、内閣から独立した地位が与えられ、経済取引全般について、「市場競争が制限されているか」「それが、『公共の利益』に反していないか」について判断する広範な権限を持つというのが、そもそもの独禁法の趣旨だった。

独禁法は、このような考え方に基づき、戦後の占領下の1947年に、GHQ主導で、「経済民主主義」を標榜する極めて高い位置づけの法律として制定された。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発し、米ソ冷戦という国際情勢の下で、アメリカの対日政策は、中ソの共産主義勢力に対抗するための日本の経済的基盤の強化を優先する方向に転換され、経済官庁主導の、効率重視の協調的事業活動が中心とされた。各分野でのカルテル適用除外の法制化などで、独禁法上のカルテル禁止規定自体が様々な制約を受け、公取委の予算・人員も大幅に削減された。1970年代までの、戦後復興、高度経済成長の中では、公取委は、霞が関の一角で、「三流官庁」として何とか命脈を保っている状況だった。

「公共の利益に反して」の解釈と位置づけ

こうした中で、公取委によるカルテルの摘発は極めて低調で、しかも、価格や取引の相手方の制限の合意がほとんどで、「技術、製品、設備」を対象とする合意はなかった。

一方で、独禁法の学説も公取委も、「公共の利益」については、「自由競争経済秩序」それ自体ととらえ、「事業活動を拘束し、又は遂行」することによって競争が実質的に制限されれば、「自由競争経済秩序」が侵害され、それによって公共の利益にも反することになり、不当な取引制限が成立するという解釈をとってきた。「公共の利益に反して」が不当な取引制限の要件となっていることは、ほとんど無視されてきた。

その背景には、不当な取引制限の他の要件を充たす行為でも、「公共の利益」に反していると言えなければ違反と認定できないことになると、公取委によるカルテル摘発は一層困難になるので、「公共の利益に反して」を実質的な要件と解することは、公取委の法運用を一層弱めることになりかねない、という配慮があった。そのため、明文で規定されている「公共の利益に反して」を敢えて無視するという、「法文上は無理筋の解釈」がとられてきたのである。

このような公取委に対して、唯一の応援団となっていたのが、消費者・消費者団体という存在だった。高度経済成長の中で、経済社会には様々な歪みが生じ、それが、消費者に不当な不利益を与えているという認識から、消費者の利益を確保することに関して、独禁法の目的である「一般消費者の利益の確保」が注目された。独禁法の運用によって企業を叩く役割が期待されたのが公取委だった。

公取委は、1960年の「ニセ牛缶事件」で、消費者を欺瞞する不当表示を摘発するなどして消費者側からの期待に応えてきた。本来の公取委の役割は、競争を促進すること、競争制限を排除することを通して、消費者利益を実現することであるが、当時は、「競争の促進」はあまり注目されず、「消費者利益の保護」を旗印とする組織であるかのように認識されていた。

石油カルテル事件判決が示した「公共の利益」解釈

そうした中で、公取委がにわかに注目を集めたのが、1970年代に入ってからの石油ショックに伴う「狂乱インフレ」であった。

石油ショックに伴う狂乱物価と言われる異常な物価高騰に苦しめられる消費者を守るという「錦の御旗」の下、公取委は、値上げカルテルに対して厳しい姿勢で臨み、「伝家の宝刀」とも言われた「刑事告発」の権限まで使って、カルテル企業を叩こうとした。公取委は、消費者団体から強い支持を受けることとなった。

石油元売各社が、石油製品の値上げの合意をしたことが、刑事告発され、起訴された「石油カルテル事件」が、カルテルに対する不当な取引制限の罰則の初の適用事例となった。

この刑事事件の裁判で、被告会社側は、産油国による原油価格引き上げが相次いで行われる中で、経済の混乱を回避するため、価格引き上げカルテルを行うことはやむを得なかったとし、2条6項の「公共の利益に反して」の要件に該当しないと主張した。この文言を、「生産者・消費者の双方を含めた国民経済全般の利益に反して」と解すべきとの主張を前提にしていた。

それに対して、最高裁は、

「『公共の利益に反して』とは、原則としては同法の直接の保護法益である自由競争経済秩序に反することを指すが、現に行われた行為が形式的に右に該当する場合であっても、右法益と当該行為によって守られる利益とを比較衡量して、『一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進する』という同法の究極の目的に実質的に反しないと認められる例外的な場合を『不当な取引制限』行為から除外する趣旨と解すべき」

と判示した。

この判決は、「公共の利益に反して」について「例外的な場合」には、不当な取引制限の他の要件に該当する場合でも、違反が成立しない場合があり得るという、条文の文言解釈からは当然のことを判示したものだった。

1970年代初頭の石油ショックという異常な経済情勢下におけるカルテル摘発の活発化は、「徒花」に終わり、その後、経済が落ち着きを取り戻した後は、公取委の独禁法運用は再び低調な状況に戻った。不当な取引制限のうち、「価格にかかるもの」について低率の課徴金が導入されたが、刑事罰が適用されることはなく、カルテル・談合に対する抑止力は極めて限られたものでしかなかった。

こうした中で、「石油カルテル事件」に対して、上記の最高裁判例が出た。

しかし、その後も、公取委の実務で、「公共の利益に反して」についての実質的な判断が示されることはなかった。公取委の実務上は、「自由競争経済秩序=公共の利益」に近い考え方がとられてきたと言える。

日米構造協議以降の独禁法運用強化

1990年代に入り、日米構造協議でのアメリカからの要求を契機に日本の独禁法をめぐる状況は激変した。アメリカは、「排他的取引慣行」の問題に関連して独禁法違反行為に対する抑止力強化を求め、これに応じて、課徴金の引き上げ、罰則の強化を行った。カルテル・談合等の不当な取引制限に対する摘発が活発化し、それ以降、公取委の人員も、違反事件の調査を担当する審査部門を中心に徐々に増員され、事務局は事務総局に格上げされた。

課徴金は、順次引き上げられ、2005年には、いわゆるリニエンシー(課徴金減免)制度も導入され、刑事罰適用のための反則調査権も導入されるなど、違反行為の摘発のための制度的な枠組みは整った。

そして、バブル経済崩壊以降、日本社会における「競争」に対する価値観は、大きく変化した。今では、自由競争の徹底が、経済の発展と消費者利益の確保につながるとの認識は、概ね社会のコンセンサスになっていると言える。それは、独禁法の運用においても大きな環境変化となった。

このように、独禁法の運用をめぐる状況は、戦後復興期、高度経済成長期とは大きく異なってきている。しかし、不当な取引制限に関して、独禁法のカルテル規制は、ほとんどが「価格面の合意」「取引先の制限」などに限られ、「技術、製品、設備」を対象とする合意が対象とされることはほとんどないという状況は、基本的に変わっていない。また、個別の事例で、石油カルテル事件判決が示したような「自由競争経済秩序に反することと当該行為によって守られる利益との比較衡量」について公取委が実質的な判断を示した事例はない。

そういう意味では、公取委の独禁法運用は、自由競争経済秩序の枠内での、「競争」に関する判断に限られ、「競争」とそれ以外の社会的価値の関係についての判断には立ち入らないという姿勢を貫いてきたと言えよう。

しかし、欧州の潮流は、日本社会にとっても、当然ながら他人事ではない。日本においても、今後、「競争」とそれ以外のSDGsなどの「社会が尊重すべき価値」との関係に関する議論が本格化する可能性がある。

「SDGsとカルテル」は「公共の利益」の問題

そこで、冒頭の「SDGsとカルテル」のことに話を戻そう。

それは、日本の独禁法のカルテル規制との関係で言えば、「公共の利益に反して」の要件の解釈の問題と考えるのが、独禁法の本来の趣旨と文言に忠実な解釈と言えるだろう。

前記日経記事で紹介されている「その商品・サービスの消費者だけでなく、社会全体に利益があれば、カルテル規制の適用を免れる」という指針案の文言も、前記の石油カルテル事件最高裁判決の「公共の利益に反して」の解釈とほとんど同意義のように思われる。

オランダの事例の「飼育環境に配慮した鶏肉のみを扱う合意」というのも、日本の法律の枠組みで考えるならば、「技術、製品、設備」のうちの「製品」についての競争制限の合意ととらえ、それが「公共の利益に反する」と言えるかを判断すべきということになるだろう。

SDGsへの取り組みは日本の国際的な信用を高めるための現在進行形の最重要課題だ。そしてSDGsへの取り組みは、政府やNPOだけの問題ではなく、企業や市民にも課せられている社会的要請である。

企業のコンプライアンスにおいて、独禁法のカルテル規制との関係で違法と評価される可能性の有無は、無視できない要素となる。しかし、不当な取引制限の「公共の利益」という要件と正面から向き合ってこなかった日本は、独禁法運用の場において、社会的価値と競争的価値との関係についての議論が詰められていない。それが、上記日経新聞の記事中の弁護士コメントからも見て取れるように、企業側の困惑を招くことになる。

しかし、見方を変えれば、独禁法の経済憲法としての意味と意義を正面から見直し、本当の意味で、この国が競争という価値とどう向き合っていくかの基本思想をはっきりさせる絶好のチャンスとも言える。

それは、独禁法が守ろうとしてきた競争原理だけでは対応できない、さまざまな社会的要請への取り組みの基本となる「新しい経済憲法」としての独禁法の位置づけを確立することにもつながる。それは、新自由主義として批判されてきた自己責任論を基本とした「伝統的な資本主義」を「新たな資本主義」に進化を遂げさせようとする最近の潮流ともオーバーラップするものだ。

企業コンプライアンスとSDGs

日本企業にとって、コンプライアンスへの取組みは、今世紀に入ってからの独禁法の運用強化への対応を契機に始まったものであり、独禁法対応は、企業コンプライアンスの核心に位置するものである。一方、SDGsへの取組みは、冒頭にも述べたように、既に4年前に経団連の企業行動憲章にも取り入れられている。

独禁法対応とSDGsへの取組みとの間で緊張関係が生じ得ることは、これまで、あまり意識されることはなかったが、今後は、企業のコンプライアンス対応に関する重要な問題となっていくものと考えられる。

例えば、エネルギー、気候変動への対策、海洋資源の保全などの地球環境の問題に関してSDGsに真剣に取り組もうとする際に、競争関係にある企業間での連携協力があって初めて十分な効果が期待できる場合もあるだろう。それは、一面では、「事業者が、共同して、相互に事業活動を拘束・遂行する」ことになり、それが市場での競争を制限する方向に働くこともあり得るだろう。そのような場合、企業にとって、独禁法コンプライアンスとSDGsの関係をどう考えていくのかは、避けては通れない経営上の重要課題になるのである。

今後、各企業においても、コンプライアンスプログラムを、独禁法対応とSDGsへの取組みの関係を含むものに改定していくことも必要となるだろう。

独禁法専門官庁としての公取委とSDGsの関係

独禁法が日本社会において、制定時の本来の趣旨どおりに運用されて来なかったこれまでの経緯を大きく転換し、独禁法の運用を通して、「競争」とSDGsの関係という問題の検討に取り組んでいくことは、「経済憲法」の運用機関として内閣から独立した位置づけを与えられている独禁法専門機関としての公取委の本来の職責に見合うものと言える。

政治権力の一極集中、内閣人事局による幹部人事の一元化などで、中央省庁全体が、政権に隷属し、弱体化したために、有能な若手人材の確保が困難になっている現状において、内閣から独立した地位を与えられている公取委という存在がSDGsの関係で改めて見直されることは、魅力ある国家公務員としての活躍の場を提供することにもつながるのではなかろうか。

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SMBC日興証券事件、相場操縦として刑事立件できるのか?

SMBC日興証券社員らが相場操縦の疑いを受け、証券取引等監視委員会の強制調査を受けていたことが報じられている。

日興が大株主から立会時間外で売買の仲介を依頼された銘柄について、株主と売却先である投資家に対する提示額を売却先がまとまった日の終値を基準に設定していたが、提示額が株主による取引の持ち掛け時点の株価に比べて低ければ売買が成立しなくなる可能性があったので、社員が売却時点での株価を維持するため、市場で買い支える注文を繰り返して株価を買い支えた疑いが持たれているとのことだ。

金融商品取引法違反(相場操縦)容疑の関係先として今年6月に同社本社を強制調査し、東京地検への告発も視野に調べているとのことだ。

事実関係、証拠関係の詳細が不明なので確かなことは言えないが、報じられている範囲では、金商法違反の刑事事件としての立件はかなり微妙な事案のように思える。

相場操縦に関しては、様々な禁止規定があるが、一般的な「相場操縦行為」とは、

「取引を誘引する目的をもつて、有価証券売買等が繁盛であると誤解させ、相場を変動させるべき一連の有価証券売買等又はその申込み、委託等若しくは受託等をすること」

である。

重要なことは、相場を変動させるべき売買等を行っても、「取引を誘引する目的」がなければ相場操縦の犯罪は成立しないということである。

この「取引を誘引する目的」については、

「人為的な操作を加えて相場を変動させるにもかかわらず、投資者にその相場が自然の需給関係により形成されるものであると誤認させて有価証券市場における有価証券の売買取引に誘い込む目的」

と解するのが最高裁判例だ。

注文の出し方や株価の動きで、株価が上昇するように見せかけて、他の投資家を引きずり込み、株価を上昇させて、自分は売り抜けて儲けようというのが、相場操縦の犯罪の典型例だ。

SMBC日興証券の社員が、株価を下落させないようにするために自社の資金で買い支えたというだけでは、相場操縦の犯罪が成立するとは考えられない。証券会社の社員が、会社の業務として、外形的に相場操縦の手口と見られるような売買や注文を出すとも思えない。

報じられているような事案であれば、むしろ、有価証券の「相場をくぎ付けし、固定し、又は安定させる目的をもって」する安定操作取引(159条3項)に近い事案ではないかと思われる。

安定操作取引は、有価証券の募集や売り出しを円滑に行うため、相場の安定を目的として行う市場での売買取引である。特に、それが必要であり、かつ、合理性が認められるのは、有価証券の募集・売り出しを円滑に行うために、株価の急激な変動を回避し、一定の範囲に収まるようにすることを目的とする場合であり、届出・報告等の所定の手続によって行われる場合には適法とされる。そのような手続を経ることなく、株価が、上限価格と下限価格の間の「一定の範囲」から逸脱しないようにするための安定操作取引が行われた場合には違法となる。

安定操作取引は、有価証券の募集・売り出しの場合であれば、事前に届出を行うことで適法に行うことができる。しかし、単に、大株主から立会時間外で売買の仲介を依頼されたというだけであれば、適法に安定操作を行うことはできない。

本件の場合、買い注文を繰り返して株価を買い支えたということであれば、何らかの「下限の設定」をしていた可能性はある。問題は、「上限の設定」を行っていたと認められるかどうかだ。

過去に同様の事件で、ある上場企業の相場操縦事件があった。創業者のH氏が、同社の株価が割安に放置されていたことから、僅かな資金を元に、信用取引で上場会社の15%もの株式を保有しようとする株式取得を計画した。証券取引等監視委員会は、その過程で、株価が数倍に跳ね上がるまでの間の売買を「相場操縦」、その後、株価が下落を始めた後、追証が発生しないよう防戦買いを行っていた時期の売買を「安定操作取引」ととらえて、H氏を告発した。

H氏は、株価が順調に上昇していた時期には、信用取引の益出しのために「対当売買」(他人名義を使い、売り買いとも自己の資金で行う取引)を行って資金を回転させていたが、その後、株価が下落し、追証が発生しないように必死に買い支えていた時期には、利益が出ていないので「対当売買」は行っていなかった。

監視委員会は、「対当売買」を、他人の取引を誘引する手段ととらえていたので、それを行っていない時期の取引には「誘引目的」がないとして、相場操縦での立件は困難と考え、安定操作取引で立件して告発したものだった。

しかし、「安定操作取引」が成立するのは、「上限価格」と「下限価格」を定めて、株価がその間に収まるようにした場合であり、単に、一定の価格を下回らないように買い支えていたというだけでは、犯罪は成立しない。H氏が行った一連の売買は、株価を上昇させる目的で行ったものであり、売り圧力が高まったために、結果的に株価を上昇させることができなかっただけだ。「下限価格」だけではなく「上限価格」を決めて株価が「一定の範囲」に収まるようにする意図は全くなかったので、「安定操作取引」には該当しない。

ところが、監視委員会の側には、「安定操作取引」が成立するためには、「下限価格」だけではなく、「上限価格」を設定して、それを上回らないようにすることが必要だという問題認識がなかったようで、これを安定操作取引ととらえた。

H氏は、相場操縦と安定操作取引の両方で起訴され、公判では、検察官は、当該期間、結果的に、株価が一定の範囲内に収まっていることで、「上限価格」の設定があったと主張した。弁護側は違法な安定操作取引には該当しないと主張して上告審まで争ったが、最終的には、その点も含めて有罪が確定した。

今回のSMBC日興証券の事件でも、相場操縦には該当しないということで、安定操作取引での立件も検討されるかもしれない。しかし、その場合、最大のネックになるのは「上限価格の設定」の有無だ。同証券社員としては、株価が下落するのを防止させたかっただけで、株価の上昇を抑える必要はないので、「上限価格の設定」を認定することは難しいであろう。

いずれにしても、今回の案件を、金商法違反の刑事事件として立件することは、容易ではないと思われる。今後の監視委員会の調査の展開を慎重に見極める必要があるだろう。

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甘利・江田氏落選運動の「戦果」に、民主主義の“微かな光”が見える

昨日(10月31日)投票が行われた衆議院議員選挙、神奈川13区の甘利明氏と同8区の江田憲司氏と落選運動を行った(【甘利氏・江田氏の落選運動を振り返る ~政党内の「権力者」にNO!を突き付ける機会は選挙しかない】

その結果は、甘利氏は、自民党幹事長としては初となる小選挙区落選、比例復活したものの、幹事長辞任の意向を表明した。江田氏は、当初圧勝の予想だったが、結果は、同じ自民党の対立候補との票差が前回は4万5000票だったのが、今回は約1万3000票という僅差、得票率は前回の54%を下回る52%、候補者擁立を見送った共産党票(絶対自民には入れない)の前回選挙での得票率が10%であったことを考えると、実質的には大幅な得票減。こちらでも、落選運動の効果が相当あったと言えるだろう。

甘利氏を小選挙区落選で幹事長辞任に追い込んだのは、神奈川13区(大和市、海老名市、座間市、綾瀬市)の有権者の勝利だ。日本の公職選挙の歴史に残る「市民の良識の勝利」だと思う。

今回の落選運動では、選挙期間の最終日に街頭演説も行った(ダイジェスト版をYouTubeでアップ➡https://youtu.be/bip5RZFuqjA)。

海老名駅でコンコースに集まってくれた市民の人達に最後にこのように訴えた。

「このまま甘利氏を小選挙区で当選させてしまうことは、単に国会議員として議席を占めるだけではなく、神奈川13区の皆さんが甘利幹事長を信任したことになります。全国の国民が、神奈川13区の皆さんがどんな判断をされるのか注目しています。」

私の訴えが届いて、有権者の判断に、なにがしかの影響を与えることができたとすれば、こんなにうれしいことはない。

一方の、江田氏の方は、残念ながら、「落選」という結果を生じさせることはできなかった。しかし、落選運動は、冒頭に書いたような江田氏の得票の実質的な大幅減少に、少なからず寄与できたのではないかと思う。

神奈川8区だけではなく、横浜市内の選挙区では、立憲民主の候補者の多くが小選挙区で落選した。山中市長が圧勝した8月の市長選挙での「野党共闘」とは様変わりの結果になった。

市長選挙で江田氏が擁立を強行し、圧勝して新市長に就任した山中氏は、多くの疑惑に対して「説明不能」の状況に陥り、市議会では、選挙で掲げた公約や今後の施策をめぐって答弁の混乱が続くという悲惨な状況になっている。それについて、「山中氏を強引に擁立した江田氏に製造物責任がある」というのが落選運動で神奈川8区の有権者に訴えたことの中心だった。今回の選挙結果は、立憲民主党にとって、「市長選での山中氏圧勝」という「追い風」が、完全に「逆風」に変わっていることを示している。

日本の公職選挙は、基本的には、政党中心の選択が行われるが、特定の候補者に注目して投票の判断をすることが重要な場合もある、政党の中で、大きな権限を持ち、国政全体に大きな影響力を与えるようなポストに就いている政治家であれば、その候補者の当落や得票は、そのような政治家が権限を行使する立場にいることの是非を有権者に問うという意味もある。

今回、私が行った落選運動は、まさに、そのような観点からの与野党の内部で大きな権力を持つ政治家に関して、有権者に事実を伝え、それを踏まえて選挙での選択してもらうことを目的とするものだった。

立憲民主党内で候補者選定に大きな権限を持つ江田氏は、横浜市政を「惨憺たる事態」に陥らせている「横浜市長選での圧勝」を、野党共闘によって「政権交代」をめざす選挙戦略のスタンダードとすべき成功事例であるように喧伝していたが、それは、今回の選挙結果で否定されたと言ってよいだろう。

公職の候補者の選定、政治資金の配分などについての政党内部での決定が不透明極まりなく、民主的なプロセスを経ていない現在の日本の政治状況の下では、落選運動は、極めて重要な意味を持つ。

今回の私の落選運動が、有権者の判断に少なからず影響を与えることができたとすれば、そこに、日本の民主主義の微かな光を見ることができるように思う。

 

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甘利氏・江田氏の落選運動を振り返る ~政党内の「権力者」にNO!を突き付ける機会は選挙しかない

 

 横浜市長選挙での山中竹春氏と小此木八郎の落選運動に続いて、今回の衆議院議員選挙では、神奈川8区の江田憲司氏と13区の甘利明氏の落選運動を行った(【神奈川13区(自民)「甘利幹事長」と同8区(立憲)「江田代表代行」の落選運動で、“健全な民主主義”をめざす!】)。

 いずれも、与党系、野党系各1人を対象としたが、いずれも、それぞれ、私なりに「当選させてはならない」と考える理由があったわけであり、単なる数合わせではない。ただ、特に、今回のような国政選挙における落選運動では、特定の党派への支持のためではなく、政治家個人に着目した落選運動であることを明確にする上でも、与野党両方の候補者を対象にしたことには意味があったのかもしれない。

 公職選挙法は、当選を得若しくは得しめる目的で行われる「選挙運動」と並んで、「当選を得しめない目的」で行われる「落選運動」を想定しているが(221条)、「落選運動」については、ウェブサイトやメールによる場合の落選運動者のメールアドレスの表示義務が定められている外に、時期・方法についての制限は規定されていない。

 今回も、落選運動の主たる手段にしたのは、横浜市長選挙の時と同様の「夕刊紙風チラシ」だった。ブログやYouTubeでの発信も、最大限に行ったが、どうしても、それを見てくれる人の範囲は限られる。選挙区の有権者への訴求力という面では限られる。そういう意味では、多くの人に関心を持ってもらい、それを、直接有権者に届ける方法としてのチラシの活用は効果的だ。

 以下が、そのチラシの画像だ。

 

 このチラシを、私のホームページにアップして、誰でも自由にダウンロードして印刷してもらえるようにした。

 ダウンロードはこちらから➡ https://www.gohara-compliance.com/information

 内容は、ほとんどが、私が個人ブログ等で指摘していることだが、紙面の編集はプロの編集者に依頼しており、色使いも見出しのフレーズも、かなり派出な仕上がりになっている。

 このようなチラシに対して、少し下品ではないか、「怪文書」のように見られるのではないか、という見方もあった。しかし、日頃からブログ、YouTubeなどで発信していることを、落選運動では、当該選挙区のできるだけ多くの有権者に見てもらう必要がある。そのためには、目を引くような外観にすることが必要だ。そういう意味では、見出しや色使いをある程度ドギツイものにした方が効果的だというのが編集者の判断だった。もちろん、公選法上も義務付けられている発行人である私の氏名は明示しているし、メールアドレスも記載している。内容も、私が、相応の根拠に基づいてブログ等に記載していることを述べているものであり、決して「誹謗中傷」などではない。

 そういう意味で、このような「夕刊紙風チラシ」を落選運動に用いていくことが適切だと判断した。

 問題は、それを、どうようにして各選挙区の有権者に拡散していくかだった。

 落選運動の趣旨に賛同し、個人的の意思で選挙区内にチラシのポスティングをしたいと申し出てくれた人には、私の事務所で印刷してお渡しした。また、チラシの拡散のための新聞折込、ポスティング、インターネット広告などの費用について寄付を募集したところ、多くの方から寄付をして頂いたので、それを効果的拡散に活用すべくいろいろ手を尽くしたが、こちらの方はかなり難航した。新聞折込は、広告代理店の多くから拒絶され、1社だけ受けてくれそうだったが、新聞販売店が拒絶した。落選運動が社会的に認知されていないことを痛感した。

 そこで、「便利屋」に依頼してポスティングを行おうとしたが、1万枚程度の大量の印刷を、印刷業者に発注しようとしたところ、選挙の関係で印刷業務が立て込んでいるらしく、納期が、いずれも投票日後になるということで、やむなく、事務所のコピー機でまるまる3日間、深夜までプリントアウトを続け、便利屋によるポスティングの必要部数を印刷した。

 私の事務所で印刷した部数だけでも、各選挙区で1万部以上に上る。個人で印刷してくれてポスティングされた部数を加えれば、相当な部数の選挙区内での配布ができた。

 かなり派手な「夕刊紙風チラシ」がポスティングされたことに対して、一部からは反発の声もあるかとも思ったが、実際には、「一昨日ポストを見ると下品なチラシが投函され大変な憤りを感じております。そもそもこのチラシは電話番号も書いていないので違法ですよ。」という苦情のメールが1件届いただけだった。

 それに対しては、すぐに、以下の返信をした・

今回の落選運動は、私が個人で行っているもので、チラシは、ホームページで公開し、内容に賛同して頂ける方に自由に使用して頂いています。

体裁を夕刊紙風にしているのは、少しでも多くの方々の目に留まるように、私なりにコストをかけて作成を依頼したものですが、下品と言われれば、致し方ありません。落選運動に賛同して頂いた多くの方々から、このチラシを少しでも多くの有権者の方々に拡散してほしいとの趣旨でご寄付を頂いたので、チラシのポスティングに活用させて頂いています。

落選運動に関する公選法の規定に従い、ご異議や反論がある方にはメールで連絡頂けるようアドレスを表示しております。電話番号を表示することは法律上は必要ありませんが、私の法律事務所(郷原総合コンプライアンス法律事務所)の電話番号は公開しておりますので(代表03-5775-0654)、いつでも、ご連絡ください。

チラシの記載内容等に疑問点や問題点などありましたら、遠慮なく、メールででも電話ででも、ご連絡ください。

 それ以降、チラシの件については、このメールの方からも、他の方からも、一件も連絡はない。

 もう一つ、寄付を落選運動用チラシの拡散に使ったのがインターネット広告だ。 フェイスブックで、神奈川8区、13区の地域限定で、チラシを拡散する広告を行った。 

 今回の落選運動では、このようなチラシの拡散に加えて、私自身が、各選挙区で、落選運動街頭演説を行った。この街頭演説は、横浜市長選挙でも行うことを考えたが、そこでネックになるのが、「選挙期間中の団体としての政治活動の禁止」との関係だった。公職選挙法では、選挙期間中は、政党の政治活動と、無所属候補者等を支持する「確認団体の政治活動」以外は、団体としての政治活動が禁止されている。落選運動は、政治活動の一つであり、個人として行うことについての制約は、上記のメールアドレス表示義務以外にないが、選挙期間中は「団体としての落選運動」を行うことはできない。あくまで、落選運動の主体である個人が、単独で行うことに限られる。

 そのため、通常、候補者の選挙活動で行うような、選挙カーの壇上から演説したり、街頭で、多数の支援者が横断幕やノボリを掲げたりビラ配りをするというような「団体による活動」ができない。

 横浜市長選挙の際は、一旦、立候補意志を表明していたこともあり、支援者、ボランティアの人達も相当数いたが、そのような人達を動員して行う街頭での活動ができないので、街頭演説は断念し、夕刊紙風チラシの活動にしぼった。

 今回は、新聞折込ができなかったこと、ネット広告も審査に時間がかかり、立ち上がりが遅れたことなどもあって、何とかリアルでの活動も行うことができないと考え、選挙期間の最終日の10月30日の土曜日に、神奈川8区では、たまプラーザ駅前と青葉台駅、神奈川13区では大和駅と海老名駅で、街頭演説を行った。

 あくまで、個人として行うものという制約があるので、「江田氏(甘利氏) 落選運動」と書いたタスキをかけ、自立式のノボリ立てを準備し、「江田氏(甘利氏)を当選させてはならい」と書いたノボリを立てて、脚立の上に乗って。街頭演説を行った。

たまプラーザ駅・青葉台駅で江田氏の落選運動の演説
大和駅・海老名駅で甘利氏の落選運動の街頭演説

 街頭演説の現場では多くの人から声を掛けてもらった。甘利氏が、直近の街頭演説で、「落選運動」について、どのようなことを言っているのかについて情報を提供してくれた人もいた。海老名駅の街頭には、私とは無関係に甘利氏の落選運動を行っている高齢者の方がいて、私の演説の後にマイクを渡し、演説をしてもらった。

 初めて、選挙区の現場での活動を体験したのは、いい経験だった。各街頭で、それぞれ有権者の反応があった。いずれの場所も駅周辺の人通りの多いところだったが、その中に、私の話を聞いて足を停め、聞き入ってくれる人がいる。その人達が、私の話に反応してくれる。それによって、「有権者に訴える」という気持ちが高まっていく。街頭演説というのは、こういうものなのかなと思った。

 では、このような落選運動が、2人の選挙にどういう効果を生じたのか。

 今日の投票結果を見なければ、確かなことはわからないが、私は、かなりの影響を与えることはできたのではないかと思う。

 神奈川13区の甘利氏については、自民党幹事長として全国の公認候補の応援に回っていたのに、落選危機が報じられて、急遽地元に張り付いていると報じられた。私が夕刊紙チラシで、あっせん利得疑惑についての説明責任を全く果たしていない甘利氏が自民党幹事長のポストに就くことについて、具体的に問題を指摘し、選挙区の有権者に訴えたことは、そのような甘利氏の「落選危機」に少なからずつながったのではないかと思う。

 幹事長が本来選挙で果たす役割を投げ出して、地元に張り付かざるを得なくなった甘利氏は、私の街頭演説の場に来てくれた人が提供してくれた動画を見ると、街頭演説の中で「誹謗中傷は犯罪」などと言った後に、「落選運動」という言葉を出し、「選挙妨害」などと言っている。私の「落選運動チラシ」が、誹謗中傷、選挙妨害だと言いたいのかもしれない。そうであれば、具体的に、何がどう誹謗中傷、選挙妨害なのかを明らかにしてもらいたい。

 江田氏は、10月28日のBSフジの番組で、「金融所得課税をNISAにもかける」などと誤った発言をして訂正・謝罪に追い込まれた。その背景にも、選挙区で展開されている落選運動に対する江田氏の焦りがあるのかもしれない。

 昨日の街頭演説の冒頭で、落選運動の意味について話をした。

 日本の公職選挙は、基本的には、政党中心であり、有権者も「どの政党に投票するか」「どの政党の公認・推薦の候補に投票するか」ということで投票を考える人が大部分だ。国政選挙の場合、基本的には、各政党の当選者数という「数の比較」の問題なので、基本的には、それで十分なのだろう。しかし、それでは済まない問題がある。それは、その候補者の当落が、単なる当選者の数の問題ではない意味を持つ場合である。政党の中で、大きな権限を持ち、国政全体に大きな影響力を与えるようなポストに就いている候補者の場合、その候補者の当落や得票は、そのような権限を行使することの是非の判断にもつながる。

 政党の公認、推薦が、公正、適正に行われ、政党への政治資金の配分も客観的に行われているのであれば、特に問題はない。しかし、実際には、政党内部で、政治家の世界で行われていることは、極めて不透明な、「猿山のボス争い」のようなものであることが珍しくない。政党内部で公職の候補者の選定や政治資金の配分等に大きな権力を持つ政治家が、信頼に値する人物でないということは、しばしば起き得ることだ。そういう特定の政治家に対してNO!を突き付ける唯一の機会は、その政治家が立候補した選挙なのだ。

 今回、私が行った落選運動は、まさに、そのような観点からの与野党の内部で大きな権力を持つ政治家に関して、有権者に事実を伝え、それを踏まえて選挙での選択してもらうことを目的とするものだった。

 公職の候補者の選任、政治資金の配分などについての政党内部での決定が不透明極まりなく、民主的なプロセスを経ていない現在の日本の政治状況の下では、落選運動は、極めて重要な意味を持つ。今回の衆院選で、自分なりに懸命に落選運動を行った私が、多くの人に伝えたいことである。 

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江田憲司氏「選挙公報写真ルール無視」に表れた有権者「愚民視」の姿勢

10月31日に投開票される衆院選挙で神奈川8区に立候補している立憲民主党代表代行の江田憲司氏の落選運動を行っている。その趣旨については、【神奈川13区(自民)「甘利幹事長」と同8区(立憲)「江田代表代行」の落選運動で、“健全な民主主義”をめざす!】で述べたように、江田氏の、横浜市長選挙での山中竹春氏擁立に表れた、「民主的手続」や議論を無視した強権的手法、事実を隠蔽するためのマスコミ工作、正確な説明・理解を避け、「言葉のイメージ」で訴求する選挙活動、そして、その根底にある、徹底した有権者「愚民」視の姿勢など、江田氏の政治家としての本質を、神奈川8区の有権者に知ってもらうことだ。そのために、既に、落選運動チラシもホームページ(➡https://www.gohara-compliance.com/information)にアップしている。

 その江田氏について、公職選挙に対する姿勢そのものが問われる問題が明らかになった。
江田氏の選挙公報に掲載されている写真が、過去の何回かの選挙の際に掲載された写真と全く同一であり、12年前の選挙の際と同じ写真を掲載しているのではないか、という問題である。

 神奈川県の「選挙公報に関する条例」7条の委任に基づいて神奈川県選挙管理委員会が定めた公職選挙法令執行規程(選管告示)43条2項によれば、


「衆議院(小選挙区選出)議員又は参議院(神奈川県選出)議員の候補者が選挙公報に掲載するために県委員会に提出する写真は、選挙の期日前6箇月以内に撮影した候補者自身の無帽、正面向上半身像のものでなければならない」


とされている。
立候補者予定者に配布される「選挙公報掲載のしおり」にも、


「選挙期日前六箇月以内に撮影したものに限られる」


とされており、選挙公報掲載申請にあたってのチェックリストにも、


「撮影年月日は、令和3年5月1日以降になっています(選挙期日前6箇月以内)」


という項目があり、ここに〇を付けなければ選管への立候補の届出ができない。

 ところが、今回衆院選の選挙公報に掲載されている写真は、2017年の前回の衆院選挙での選挙公報に掲載されたものと、表情、ネクタイ等が完全に一致しており、同一の写真であるように見える。それどころか、遡って調べてみたところ、2014年、2012年、2009年、いずれもの選挙公報も今回と全く同一の写真のようだ。

 上記の選管の規程に基づく選挙公報のルールは、候補者の経歴、身分、人となり、政策等について、正確な情報を公開するという選挙公報の目的から、候補者のイメージに大きく影響する写真を、できるだけ実像に近いものにし、有権者に正確な情報を与えるようとするものだ。それを10年以上前から同じ写真を掲載しているというのは、実際とは異なるイメージを与えて、有権者を欺くものと言わざるを得ない。


 しかも、上記のとおり、候補者写真の撮影時期の制限は、選管の規程に反するだけでなく、選挙公報の提出書類のチェックリストにも含まれている。立候補者側が、ルールに違反していないか自ら確認しなければいけない事項だ。


 当初、この江田氏の選挙公報の写真について情報を提供してきた人から、「6箇月以内に撮影した写真であるように装って、古い写真を選挙公報に掲載させることは、公選法の虚偽事項公表罪に当たるのではないか」との質問を受けた。
 

 この点については、虚偽事項公表罪を規定する公選法235条1項で、対象となる事項が「候補者の身分、職業、経歴、政党等の所属・推薦・支持」に限定されていることからすると、候補者写真に関する問題は、虚偽事項公表罪には該当しないと考えられる(選挙ポスターに著しく古い写真を掲載することと同罪の関係についての衆参両院での質問主意書についての政府答弁もある。)


 しかし、公職選挙で候補者の古い写真を使用することが問題視されたことを受け、選挙公報の候補者写真について「選挙期日前6箇月以内に撮影したものに限られる」というルールが各都道府県選管で明文化された経緯に照らせば、写真撮影時期に関するルールは、各候補者が公平な条件で選挙運動を行う上で重要なルールであり、それをあからさまに無視する江田氏の行為は、野党第一党の代表代行という要職にある候補者が行うべきことではない。


 このような選挙公報のルール違反の疑いについて、江田氏の事務所や、ツイッター、フェイスブックのアカウントに、公開質問状を送付したが、期限にした昨日(10月28日)までに回答はなかった。


 江田氏は、今回の選挙で有権者の審判を仰ぐのであれば、選挙公報のルール違反について、そのようなことを行った理由・経緯を、速やかに説明すべきである。

 このように、12年も前の写真を選挙公報に掲載させて、若々しい自分のイメージで有権者を欺くといやり方は、江田氏の政治家としての本質にも関わるものだ。


 江田氏の選挙に対する姿勢は、一言で言えば、「良いイメージを作って、耳障りの良いことを言っておけば、有権者は投票する。中身は関係ない」という、徹底した「有権者の愚民視」である。


 江田氏の言葉で、同じように思ったことがある。


 今年の6月10日、当時、横浜市のコンプライアンス顧問を務めていた関係で、市長選の動向にも関心を持っていた私は、江田氏と、市長選のことについて電話で話した。候補者の選定について、江田氏は、「素晴らしい候補者が複数手を挙げていて調整に困っている状況だ」と言っていた。その時の江田氏が言っていたことで残っているのは、「自民党側は、三原じゅん子を出してくる可能性が高い。それに勝てる候補を立てないといけない」という話だった。


 確かに、当時、厚労副大臣だった三原じゅん子氏は、2016年の参議院神奈川選挙区では100万票を超える得票をして圧勝した実績があり、横浜市長選の自民党候補者として名前が上がっていた。しかし、マスコミの情報によれば、自民党の情勢調査の結果、市長選に出馬しても支持は意外に低いことがわかり、事実上、候補から外れたとも言われていた。


「三原さんのような経歴のタレントは、横浜市民も、国会議員はともかく、さすがに市長にしようとは思わないのでは?」


と私が言うと、江田氏は


「そんなことはない。三原じゅん子が街頭に出ただけで、誰もが、三原、三原になる。選挙はそんなもんだ」


というようなことを言っていた。


 この時、江田氏の言葉を聞いて、要するに、江田氏は「有権者はバカだ。何も考えないでイメージだけで投票する」という考えなのだと思った。その後の言動にも、それは如実に表れている。


 そのような江田氏の姿勢は、その後、横浜市長選挙に、周囲の反対にも耳を貸さず山中竹春氏の擁立を強行した後の、選挙期間中の発言にも表れている。山中氏の選挙運動を付きっ切りでサポートしていた江田氏は、街頭で山中氏と並び、


「コロナの専門家の山中さんに市長になってもらって、外出して飲んで食べて遊べる普通の生活を取り戻しましょう!」
「山中さんは、コロナの専門家だけでなく、医学部教授だから医療や介護の専門家!」


などと横浜市民に訴えていた。


 山中氏は、「生物統計」が専門で、医師でも医学の専門家でもない。ましてや、コロナの専門家ではなく、介護など、全く無関係である。このようなことを街頭演説で平然と言ってのける江田氏の姿勢は、イメージや見せかけを作り上げれば票になると考えているという点で、12年前の写真を選挙公報に掲載するのと共通するものだ。


 江田氏は、立憲民主党の代表代行(経済政策担当)として、この選挙で、同党の経済政策をアピールしているが、その政策も、「有権者向けの見せかけ」に過ぎない。10月28日のBSフジ「プライムニュース」に出演した江田氏が、「NISA(少額取引非課税制度)、積立NISAにも金融所得課税を課税」と発言したことがSNS上で話題になっている。

 この際のやり取りを見ると、江田氏は、そもそもNISAという制度自体を理解していないように見える。欧米と比較して個人の株式保有比率が低く、個人投資家の証券取引が少ない日本で、個人の証券取引を増やすことは、重要な政策課題であり、NISA、積立NISAも、個人の証券取引の裾野を広げるために導入されたものだ。そのような証券税制の基本すら理解しないで、野党の経済政策として金融所得課税を論じているとすれば、凡そ論外と言わざるを得ない。

 政治家・江田憲司氏の正体は、今回の選挙で一層露わになったと言えよう。
 今回の選挙では、神奈川8区の有権者の皆さんに、「江田憲司氏の騙し」に引っかからないよう訴えるため、選挙期間最終日の明日、横浜市青葉区で、単独で、街頭での落選運動に立とうと考えている。

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神奈川13区(自民)「甘利幹事長」と同8区(立憲)「江田代表代行」の落選運動で、“健全な民主主義”をめざす!

明日(10月19日)に公示される衆議院議員総選挙で、自民党甘利明幹事長と立憲民主党江田憲司代表代行の落選運動を行うことにした。

甘利氏の落選運動を行う理由

甘利氏については、既に、Yahooニュース記事【甘利氏の「説明責任」は不起訴処分で否定されるものではない ~注目される衆院選神奈川13区】などで、2016年に経済再生担当大臣の辞任の原因となった「あっせん利得疑惑」について、説明責任を果たさないまま自民党幹事長に就任したことを批判してきた。「説明責任」は、どのような立場の人物について、どのような問題について生じるものなのか、「説明責任を果たす」とは、どういうことなのか、検察の起訴不起訴の処分との関係についても述べてきた。その延長上にあるのが、今回の落選運動である。

選挙というプロセスを経ることなく、総裁からの指名だけで、党の政治資金の配分、公認権限など強大な権限を握る自民党幹事長に就任した甘利氏が、「政治とカネ」に関わる重大な問題への説明責任を果たすことなく、その地位にとどまることによって、自民党の自浄能力には全く期待できなくなる。唯一、選挙の洗礼を受ける場は、目前に迫った衆議院神奈川13区の小選挙区選挙だけであること、このまま何事もなく衆議院選挙を乗りきってしまえば、甘利氏の対応が、選挙を通して国民の了解を得たことになり、第二次安倍政権から長年にわたって続く、「説明責任を軽視し、虚言で批判を交わす政治」が、岸田政権下においても継続することを意味する。

「説明責任」を果たさない甘利氏に「NO!」を突き付けることができるのは、衆院神奈川13区の有権者しかいない。大和市、海老名市、座間氏、綾瀬市の有権者の方々に、甘利氏の当選を阻止することの重要性を、全力で訴えていきたいと思う。

江田氏落選運動を行う理由

一方、立憲民主党代表代行の江田憲司氏の落選運動は、「健全な野党」を実現するために行うものだ。

立憲民主党推薦の野党統一候補山中竹春氏が、菅首相(当時)が全面支援する小此木八郎氏ら自民党系候補者に、大差で勝利し、菅首相を総裁選出馬断念に追い込んだ横浜市長選挙(8月7日告示、22日投開票)は、今回の衆院選の前哨戦として、極めて重要な選挙だった。その選挙で、山中氏擁立を主導し、市長選圧勝の原動力となったのが、江田氏だった。

それは、独断で山中氏の候補者選定に対する県連内部や市民団体などからの反対を押し切り、同氏の市長としての適格性に関する様々な問題に対しても全く説明責任を果たさず、江田氏の独断で、強引に山中氏を擁立したことによるものであった。そして、山中氏が新市長に就任し、立憲民主党などが「与党」となった現在、山中氏は、疑惑に対して「説明不能」の状況に陥り、しかも、市議会では、選挙で掲げた公約や今後の施策をめぐって、山中市長の答弁の混乱が続き、自民・公明両党からの追及に対して、ほとんど「議論が成り立たない」異常な状況にある。

このように、横浜市政を「惨憺たる事態」に陥らせている「横浜市長選での圧勝」を、江田氏は、野党共闘によって「政権交代」をめざす選挙戦略のスタンダードとすべき成功事例であるように喧伝している(毎日「政治プレミア」【菅首相退陣を招いた横浜市長選の勝因と教訓】)。

その江田氏が、野党第一党の立憲民主党の代表代行として、党運営や選挙対応に大きな実権を持ち続けることは、野党第一党としての立憲民主党の信頼を損なうものだ。

山中市長就任後の横浜市の「惨状」

江田氏が、山中氏の選挙運動の中心に位置づけたのは「コロナ専門家」というフレーズだった。その山中氏が市長になってから行ったのは、ワクチン接種時間を拡大する接種会場を設けること(福岡市では、既に実施されている)を表明したことぐらいで、特に目新しいものはない。

一方で、山中氏は、7月まで大幅な遅延が問題となっていた横浜市のワクチン接種が、「全国平均より10%も高い」などと、にわかに信じ難い発表をし(10月13日定例会見)、その直後に誤りだったと判明するなど、「データサイエンスの専門家」であることが改めて疑問視される失態も起きている。

市長選挙の争点とされた横浜市へのIRの誘致については、「即時撤回」の公約どおり、最初の市議会本会議で「撤回宣言」を行った。しかし、選挙では、「ギャンブル依存症の増加や治安悪化はデータから明らか」としていたが、市議会一般質問で、IR撤回の理由を問われ、「ギャンブル依存症や治安悪化の懸念について市民の理解が得られていない」としか答えられず、「将来にわたって誘致することはないのか」との再質問には「IRのコンセプトには反対なので、誘致しない」との答弁を繰り返した。

山中氏が市長選で、「3つのゼロ」として、①敬老パス自己負担ゼロ 、②子どもの医療費ゼロ 、③出産費用ゼロ を政策として掲げ、そのための財源を、「新たな劇場建設(六百十五億円)の中止で財源確保」としていた。しかし、新たな劇場は事業化されておらず、その「予算」というのは、そもそも存在していない。山中氏は、市長就任早々、劇場計画を中止することで615億円の財源が生み出されるような誤解を生む公約が不適切だったことを認めざるを得なかった。結局、「3つのゼロ」の財源については、「全事業を見直す」と述べるだけで、基本政策が全くのデタラメであったことを露呈している。

そして、山中氏が、選挙中から指摘されながら一切無視していた経歴詐称疑惑・パワハラ・強要疑惑についても、新たな事実が判明し、「説明不能」の事態に陥っている。

2002年から2004年までの米国での経歴に関して、「NIH(米国衛生研究所)リサーチフェロー」という、博士号取得後3年以上経過が必須とされる正規ポストに就いていたように記載していたが、実は、留学時に博士号を取得していなかった山中氏は、「ビジティングフェロー」という留学生の扱いであったことが明らかになっている。これについて、市議会や定例会見で質問されても、「リサーチフェローは、『研究員』の意味で使った」と答え、「NIHでの役職」を問われても、まともに答えない。

「リサーチフェロー」は、大学のHPの経歴や、市大と横浜市の共同事業で提出した履歴書に記載されているだけでなく、公的研究費の申請書にも記載されており、今後この問題は、重大な問題に発展する可能性がある。

私が、山中氏の落選運動の中で、「恫喝音声」を公開していた横浜市大の取引先業者に対する「強要未遂事件」は、横浜地検特別刑事部に提出された告発状が受理され、同部が捜査中である。

また、山中氏が、立憲民主党市会議員らとともに、理事長らに、山中氏の市長選出馬が報じられた直後に出された学内文書の訂正・謝罪等を要求し、市長選挙で自己に有利になる内容の新たな学内文書を発出させた「横浜市大不当圧力問題」は、市議会での事実解明を求める請願が政策・総務・財務委員会で審査が行われ、「理事長・学長の不誠実さをインターネット上で批判させる」などと山中氏が脅迫発言を行った事実も確認され、閉会後も継続審査されることが決まっている。

要するに、山中氏は、市議会では、自民・公明両党の質問には、まともに答えられず、選挙中から指摘されていた疑惑は一層深まり、また、それについて市議会や会見で質問されても、質問をはぐらかすという、凡そ市長にあるまじき姿勢を続けているのである。

このような事態に対して、山中氏を推薦した立憲民主党も支援した共産党も、単に市長を擁護する姿勢をとり続けるだけで、疑惑に説明責任を果たすこと、市議会でまともな答弁を行うことに対しては、何ら努力を行う気配も見えない。逆に、市長特別秘書として立憲民主党職員を送り込んで自民・公明両党の反発を受けている有り様だ。

「野党共闘による選挙での勝利」によってもたらされたのが、このような“横浜市の惨状”であることを知れば、多くの国民にとって、「政権交代」への希望は急速にしぼんでしまうことになるであろう。

市長選「圧勝」が招いた「最悪の結果」

江田氏も【前記記事】で述べているが、コロナ感染爆発下での、菅政権へのコロナ失政への怨嗟の声を追い風に、

「山中さんは候補者のうち唯一のコロナの専門家。感染爆発を抑え込み、医療崩壊をくい止められるのは山中さんだけ」

というような詐言(多くの人が「感染症医学の専門家」という意味で理解したが、山中氏は、「横浜市大医学部教授」ではあったが、医師でも医学者でもない、医療「統計」の専門家に過ぎない)が功を奏し、投票日直前には、山中氏の「市長選圧勝」が確実な状況となった。

私は、投票日の8月22日午後に出したブログ記事《【横浜市長選挙】山中竹春候補「圧勝」が立憲民主にもたらす“最悪の結果”》で、

横浜市長選での野党共闘候補山中竹春氏が「圧勝」しても、早々に「市長不適格」が明らかになれば、コロナ禍に立ち向かうべき横浜市政の混乱を招き、立憲民主党への国民の期待を急速に失わせる。それによって、野党第一党の同党が、自公政権に替わる「政権の受け皿」にはなり得ないことが露呈するという「最悪の結果」に終わることになりかねない。

と述べた。

今まさに、その「予言」が現実のものとなろうとしている。

江田氏の落選運動に関しては、市長選挙での山中氏擁立に表れた、「民主的手続」や議論を無視した強権的手法、事実を隠蔽するためのマスコミ工作、正確な説明・理解を避け、「言葉のイメージ」で訴求する選挙活動、そして、その根底にある、徹底した有権者「愚民」視の発想などについて、2000年に自民党公認候補として菅義偉氏の全面支援を受けて初出馬して以降、数々の政党を作っては壊してきた遍歴も含めて、述べていきたいと考えている。

江田氏の小選挙区である神奈川8区(横浜市青葉区、緑区、都筑区の一部)の有権者の方々には、今回の選挙で江田氏に投票することで、「健全な民主主義」が損われかねないことを認識した上で、投票に臨んでもらいたい。

落選運動の具体的方法と「個人としての協力」

今回の甘利氏、江田氏の落選運動でも、ブログ、YouTubeによる発信、夕刊紙風チラシのホームページへのアップによる拡散、インターネット広告など、横浜市長選挙で用いた方法を使用していきたいと考えている。

公職選挙法は、当選を得若しくは得しめる目的で行われる「選挙運動」と並んで、「当選を得しめない目的」で行われる「落選運動」を想定しているが(221条)、「落選運動」については、ウェブサイトやメールによる場合の落選運動者のメールアドレスの表示義務が定められている外に、時期・方法についての制限は規定されていない(投票日当日も可能)。

ただし、落選運動が、他候補の「当選を得させる目的」で行われた場合は選挙運動としての規制を受けることになるし、「団体としての活動」は、選挙期間中は行えない。

しかし、私の落選運動は、あくまで、私個人が行うものであり、それに個人として協力することに対しては、特に制限はない。私個人の落選運動が、多くの個人の「落選運動」に波及し、大きな力になることを期待したい。

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