「小学校で宿題やらなかったでしょう!」上場企業役員の被疑者に女性検事が浴びせた言葉

東京五輪談合(独禁法違反)事件での「人質司法」に耐え抜き、昨年8月に196日ぶりに保釈された株式会社セレスポ専務取締役鎌田義次氏の公判で、昨日(4月22日)、被告人質問が行われ、多くの重要な事実が明らかになった。

一つは、検察が談合の対象と主張した業務の範囲に関して、重要な資料の存在が明らかになったことだ。

検察は、東京オリパラ大会のテストイベント計画立案業務の総合評価方式一般競争入札での「事業者間の合意」が独禁法違反(不当な取引制限)に当たるとし、しかも、その合意は、テストイベント計画立案業務(発注総額5.8億円)だけではなく、その業務を受注した事業者が、その後のテストイベント実施業務、本大会運営業務を随意契約で受注することを前提にしていて、それらの業務全体についても「不当な取引制限」が成立するとして、対象となる取引の総額は470億円だと主張している。

問題は、テストイベント計画立案業務の入札の際に、テストイベント実施業務、本大会運営業務の発注について、組織委員会内部でどのように議論され、どのように決定されていたかだ。

この点について、検察官冒頭陳述では

(2018年)3月15日に開催された経営会議において、テストイベント計画立案等業務の委託先事業者に対し、当該競技・会場におけるテストイベント実施等業務及び本大会運営等業務を特命随意契約により委託するとの方針が了承された。

と主張しているが、犯罪の成立自体は争っていない事業者も含め、すべての事業者が、公判で、「テストイベント計画立案業務の入札の段階では、テストイベント実施業務、本大会運営業務の発注は未定であり、随意契約で発注される認識はなかった」として、この点を争っている。

昨日の被告人質問で、この点に関して、その日の組織委員会の経営会議の資料の「決定稿」の存在が明らかになった。

検察は、2017年12月にテストイベント担当部局が作成した資料に、「計画業務」「実施業務」「本大会一部業務」などの記載に、「随意契約」「随意契約?」などと付記されていることから、その方向が組織委員会内部で議論されていたとして上記のような主張をしていた。

ところが、この「決定稿」の資料では、同じ形式で「計画業務」「実施業務」と書かれているが、12月の資料にあった「随意契約」の記載はすべて削除されている。しかも、本大会に関する業務委託については「本大会に関する事業委託についてはテストイベントの状況を考慮し、別途検討を行う」と書いてある。

テストイベント担当部局は、計画立案業務の受注業者にテストイベント実施業務と本大会運営業務を随意契約で発注したいと考えていたが、経営会議で了承が得られる見込みがなかったので、2018年3月15日の経営会議では、テストイベント実施業務、本大会運営業務の発注方法については全く議題にされなかったことの「決定的証拠」である。

しかも、このような「決定稿」は、その経営会議に出席した組織委員会の関係者の調書には一切添付されていない。つまり、検察は、テストイベント計画立案業務の入札の段階では、テストイベント実施業務、本大会運営業務の発注が未定であったことを示す「都合の悪い証拠」を隠していたということなのである。

その「決定稿」は、組織委員会に出向中だったある広告代理店の社員の調書に添付されていた。その出向社員が、重要な機密情報を出向元の会社に持ち込んで情報を漏洩していたことを追及するために、機密情報の一つとして取調べで示され添付されたものだった。

鎌田氏は保釈後も、保釈条件として会社関係者との接触が全面禁止されている。「検察官立証も終わっているので接触禁止を解除してほしい」と何回も条件変更を申請したが、検察官の強い反対のために認められず、会社業務に一切関わることができない状況が続いている。そのため、保釈後は毎日我々弁護人の事務所で、検察官請求証拠などを読み込むことに時間を使ってきた。今回、その鎌田氏が、出向社員の調書に添付されている経営会議の「決定稿」を発見した。

重要証拠の姑息な隠蔽が行われていたのが発覚したのは、検察の「自業自得」とも言えるのである。

もう一つの重要事実は、鎌田氏の取り調べでの検察官の不当な対応である。

2017年12月26日のセレスポの取締役会の議事録にある「1月中におおまかな競技の振り分けが内定する予定」との鎌田氏の発言の記載について、検察は、「テストイベント関連業務の入札においては、電通と組織委員会がどの競技・会場をどの事業者が担当するかの割り振りを決めていることを前提に、一覧表を配布して、それに基づいて平成30年1月中に大まかな割り振りが決まると説明した」という意味だとしていた。

しかし、鎌田氏の発言での「振り分け」とは、発注する会場と競技の組み合わせ、つまり発注のパッケージのことであり、その時の配布資料をすべて示してもらえればすぐに説明できるはずだった。

ところが、鎌田氏の取調べ担当の増田統子検事は、実際にその取締役会での発言の際に鎌田氏が持っていた資料を鎌田氏に示さず、一つの資料だけを示し、それが取締役会での発言の際に示していた資料だと決めつけて追及した。鎌田氏に、検察にとって都合のいい「自白」をさせるために、騙そうとしたのである。

5年も前の発言である。鎌田氏は、全く説明ができず困惑し、長時間沈黙せざるを得なかった。発言の際に示したとされている資料が実際のものとは違うのだから、説明できないのも当然である。それに対して、増田検事は、「こんな当然のことをなぜ認めないのか」と追及する。その状況が取調べの録音録画に残されている。

そして、翌日の取り調べでは、増田検事が鎌田氏に対して、40分にもわたって延々と説教を行っている。その中で、

「人間は、中学生にもなったら、悪いことをやったら反省するようになるのが普通。あなたにはそれがない」

「自分は悪くない、全部他人のせいだと言っている」

「あなたは、小学校で宿題をやらなかったでしょう」

などと理由のない人格非難まで始める。

このような取調べの状況が、昨日の被告人質問で明らかになったのである。

取調べで被疑者の主張に沿う証拠を隠して虚偽の自白をさせようとする、そういう不当な取調べを行っていることを棚に上げて、年上の上場企業の専務取締役に説教をし、人格非難まで行う。それが、現在の特捜捜査での取調べの実態なのである。

小泉龍司法務大臣は、4月18日の参議院法務委員会で

《検察は公平公正に、権力の行使については、謙虚に内省をして謙虚にやるべきだという「検察の理念」に従ってやってもらいたいということは繰り返し督励をしている》

と述べている。しかし、実際の特捜部の捜査がそういう「検察の理念」に沿って行われているとは到底思えないのである。

 

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小池氏は政治生命の危機!元側近「爆弾告白」で学歴詐称疑惑は最終局面に

7月の東京都知事選挙まで3か月余りに迫った本日(4月10日)発売の月刊文藝春秋に、小池百合子東京都知事の元側近の小島敏郎氏による【「私は学歴詐称工作に加担してしまった」小池百合子都知事元側近の爆弾告発】と題する記事が掲載され、衝撃が広がっている。

前回都知事選挙の告示が迫っていた2020年6月、小池氏の「カイロ大学卒業」の学歴詐称疑惑を告発する元同居人の女性の証言を含むジャーナリスト石井妙子氏の著書【女帝 小池百合子】が発売されて話題となり、2期目の都知事選出馬表明に向けて大きな障害となりつつあった時期、駐日エジプト大使館のフェイスブックに小池氏の卒業を認める内容の「カイロ大学声明」が出され、疑惑追及は急速に沈静化した。小島氏は、自身が、そのような声明を出させることを小池氏に提案したこと、その声明文が、実は小池氏に頼まれたジャーナリストが書いたものであること、結果的に自分が学歴詐称疑惑の“隠蔽工作”に手を貸してしまったことを告白し、小池氏の学歴詐称の事実があったとの認識も示している。

小池氏は、都知事選に3期目出馬すれば圧勝は確実と言われ、「裏金問題」等で支持率が低迷している岸田政権が危機的状況にあり、国政復帰、日本初の女性首相の有力候補とまで言われている。そうした状況における元側近の爆弾告発が形勢を激変させる可能性がある。

同記事の中で、「日本外国特派員協会で行われた、黒木亮さんと元検事の郷原信郎さんによる、小池さんの学歴詐称疑惑を追及する記者会見」のことが出てくる。(写真は2020.6.9 FCCJでの記者会見(オンラインで黒木亮氏、通訳セス・リームス氏、郷原信郎、司会神保哲生氏))

2016年の都知事選挙で自民党候補を破って都知事に初当選した小池氏の「劇場型都政」を厳しく批判してきた私は、【女帝 小池百合子】発売直後から、Yahoo!ニュース記事【都知事選、小池百合子氏は「学歴詐称疑惑」を“強行突破”できるか】で、小池氏が、同書の公刊で学歴詐称疑惑が一層深まったにもかかわらず、2期目出馬を強行した場合に公選法の「虚偽事項公表罪」に該当する可能性があることを指摘した。そして、かねてから小池氏の学歴詐称疑惑追及を続けていたロンドン在住のジャーナリスト黒木亮氏に連絡をとり、協力して小池氏の「卒業証明書」偽造と学歴詐称についての疑惑究明に取り組んでいた。海外メディアの記者を集めて行われる「外国特派員協会での会見」は、小池氏の3期目出馬に向けて大打撃を与えることになるはずだった。まさに、その会見の直前にエジプト大使館のフェイスブックで公表されたのが、「カイロ大学声明」だった。

「カイロ大学学長声明」によって小池氏学歴詐称疑惑は一気に沈静化

小島氏の記事は、「相談したいことがあるの」と小池氏に呼び出され、都民ファーストの事務所に足を運び、憔悴し、途方に暮れた表情をしていた小池氏を見て非常に驚いた場面から始まる。

その場で、小池氏から、「カイロ大学学長からの、同大学を卒業した小池氏へのイベントへの招待状」を見せられ、学歴詐称疑惑を払拭する方法について相談された小島氏は、「カイロ大学から、声明文を出してもらえばいいのではないですか」と提案した。

6月9日の午後4時から外国特派員協会で、私と、オンライン参加の黒木氏との記者会見を予定していたが、そのわずか2時間前の午後2時過ぎ、カイロ大学学長の署名入りの「声明:カイロ大学」と題する文書が、突然、駐日エジプト大使館のフェイスブックに掲載された。

小島氏も、

9日の午後4時から日本外国特派員協会(FCCJ)で行われた、黒木亮さんと元検事の郷原信郎さんによる、小池さんの学歴詐称疑惑を追及する記者会見も勢いを失いました。

と述べているが、実際、記者会見での外国記者の反応は冷ややかなものだった。記者の質問の多くは、小池氏を擁護し、卒業証明書が偽造だとする黒木氏の見解に疑問を呈するものだった。会見の内容を報じた外国メディアはなかった。

直前に出されたカイロ大学声明の効果は甚大だった。

私は、小池氏の前記の二つのYahoo!記事に、【追記】として、以下の記述を追加し、私が記事で追及した小池氏の学歴詐称疑惑についてカイロ大学の声明が出たことを紹介した上、以下のように述べた。

このようなカイロ大学側のコメントは、石井氏の著書や黒木氏の記事で紹介されていたものとほぼ同趣旨である。「卒業した」と述べているだけで、それを具体的に裏付ける事実は全く含まれていない。
むしろ、今回の声明で、注目すべきは、カイロ大学の声明が、エジプト大使館のフェイスブックに掲載されたことである。この声明にエジプト大使館が公式に関わっているとすれば、なぜ、小池氏の個人的な問題に、エジプト大使館が関わるのかという疑問、しかも、本来、大学卒業の有無は、卒業生に交付された卒業証書や卒業証明書によって証明されるべきものであるのに、なぜ、カイロ大学が、小池氏を特別扱いするのかという疑問が生じる。
不可解なのは、小池氏の学歴詐称問題が再び注目を集めたのは、石井妙子氏の著書【女帝 小池百合子】が5月31日に発売されたのが契機であり、まだ一週間余りしか経っていないことだ。しかも、日本の一般メディアでは、その問題は殆ど報じられてもいない。それなのに、なぜ、エジプト大使館やカイロ大学が、「学歴詐称」や卒業証書の信憑性が問題になっていると知ったのか。小池氏側から何らかの働きかけがあったのではないか。日本は、エジプトに多額のODAを供与している。そういうエジプトとの関係を背景に、小池氏が個人的な問題に関して、エジプト大使館を通じてカイロ大学への働きかけをしたとすると、日本とエジプトとの外交関係に影響する問題にもなりかねない。

しかし、カイロ大学声明が出された後、メディアは、小池氏の学歴詐称疑惑を取り上げることは全くなく、小池氏は、2期目への出馬を表明、7月の都知事選挙では、366万票を獲得、次点と281万票もの大差で圧勝し、再選を果たした。

小島氏も、以下のように述べている。

この声明文の効果は絶大でした。新聞やテレビなど大手メディアが、一斉に「カイロ大学が声明を発表した」などと報じたからです。燃え広がっていた学歴詐称疑惑は、一気に沈静化しました。
私はこの時「大手メディアは、大使館のフェイスブックに載っただけで信じるんだ。大学ホームページを調べたり、アラビア語の原文はどう書いてあるかとか、学長への取材などもしないのだろうか。それで済むんだ」と正直、不思議に思いました。

提案から僅か2日でカイロ大学声明が出た経緯

小島氏は、当時は、小池さんの「卒業はしている」という言葉を信じていた。しかし、小池氏にカイロ大学に声明を出してもらうことを提案したのが6日の夕方、それなのに、わずか2日で学長のサインのついた「声明文」が大使館のフェイスブックに掲載されたことに疑問を持ち、その後、「本当は大学を卒業していないのではないか。だとしたら、私は疑惑の“隠蔽工作”に手を貸してしまったのではないか。」と不安に苛まれるようになる。

そして、元ジャーナリストで小池氏のブレーンの一人のA氏から、「カイロ大学声明は、文案を小池さんに頼まれ、私が書いたんです」という話を聞かされ、自分が提案してから、声明が出されるまでの、以下のような経緯を知ることになる。

2020年6月7日、午後2時4分、当時小池氏の側近で現千代田区長の樋口高顕氏からA氏へ、メールで、カイロ大やエジプトから声明を出させるため、急ぎ文案を作りたいので指導協力を求めてきた。
これに対してA氏は、カイロ大学の声明文だけでは追及は止まらないと考え、直ちに、小池氏本人にメールで
〈まず、カイロ大なりから声明を出させる。明日にでも。「法的対応も辞さず」くらいの強いのがいい。卒業証明書もカイロ大から出してもらう。そして、間髪入れず二階氏からカイロ大声明を理由に都連、都議会自民の動きを潰してもらう〉
と伝えた。
 すると2分後、樋口氏からA氏のスマホにショートメールが来た。
〈大学ないし国からの、望ましい声明文面案、作っていただけないでしょうか。すいません 本人から声明文案、作っていただけないかと依頼ありました。かなりつかれてました〉
この依頼を受けて7日午後2時51分、A氏はカイロ大学声明案を書き、メールで小池さんと樋口さんに送り、A氏が、
〈カイロ大学が大使館に託した声明文を、まず、大使館がホームページに掲載する。大使館は、小池氏に対しても、同文書を掲載したこと、日本外務省に通知したことと合わせ、通知する〉
という案を送ってメールを送信し、電話をして、口頭でも説明したところ、翌8日の午後8時34分、小池氏からA氏に、翌日、大使館のフェイスブックに掲載される英文のカイロ大学声明文の画像が送られてきた。
そして午後9時20分、再び小池氏からA氏に、
〈明日の4時から 郷原と黒木亮が外国記者クラブで記者会見とのこと。その前に全部済ませます〉

というものだった。

小池氏の「天敵」としての「郷原と黒木亮」

小島氏は、「全部済ませます」という言葉から、声明文作成と発出の真の主役が小池氏であり、それですべてを封じるという強い意志の表れだと述べている。

それに加え、この小池氏のメールの文面は、この私や黒木氏との関係で、極めて重要な内容を含んでいる。

私が、小池氏が2期目出馬を強行した場合に、公選法の経歴詐称が「虚偽事項公表罪」に該当する可能性があることを指摘した前記記事に続き、偽造の卒業証明書をテレビ番組で提示した「偽造私文書行使罪」の成立の可能性もあることを指摘した【小池百合子氏「卒業証明書」提示、偽造私文書行使罪の可能性】をアップしたのが6月6日の午前11時11分、憔悴し、途方に暮れた表情をしていた小池氏が小島氏に学歴詐称疑惑を払拭する方法について相談し、小池氏にカイロ大学から声明文を出してもらうことを提案されたのは、この日の夕刻、私の記事のアップの半日後のことだった。

都知事就任後の小池氏が「豊洲市場移転延期」等で人気の絶頂にあった2016年11月に出した【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】から、2017年7月の【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」】まで7本の記事を出し、2017年6月には、元総務大臣の片山善博氏との対談本【偽りの都民ファースト】で、小池都政を徹底批判していた。

さらに、2017年の衆院選に際して、小池氏が「希望の党」を設立して国政に進出しようとした動きについて、【希望の党は反安倍の受け皿としての「壮大な空箱」】などと、それがいかに「空虚」なものかを指摘し、衆院選挙後の2017年10月の【平成「緑のタヌキ」の変 ~衆院選で起きた“民意と選挙結果とのかい離”】【“幻”に終わった「党規約による小池氏独裁」の企み】などで、小池氏の政治家としての姿勢を厳しく徹底批判していた。エジプトでの取材の経験もある黒木氏は、小池氏の卒業証明書の偽造の疑惑を、緻密な分析で指摘していた。

それだけに、A氏宛てのメールで「郷原と黒木亮」と呼び捨てで表現した「郷原」と黒木氏は、小池氏にとってまさに「天敵」とも言うべき存在であり、その私が学歴詐称追及第2弾として出した【小池百合子氏「卒業証明書」提示、偽造私文書行使罪の可能性】は、すぐに読んだはずだ。

小池氏は、当時、反小池で批判を強めていた都議会自民党も、自民党の実力者の二階俊博幹事長から都連の有力者を通じて働きかけてもらえば、その批判を抑え込むことは可能だと思っていたはずだ。また、マスコミも、日ごろから手懐けており、実際に、少なくとも都政クラブ加盟の新聞やテレビは、それまでも「小池批判」はほとんど行っておらず、正面切って批判しないようにする自信は十分にあったはずだ。

しかし、私が指摘していた「司法リスク」は、それらとは性格が異なるものだった。

私は、学歴詐称疑惑について説明をすることなく、2期目出馬を強行した場合、公選法の「虚偽事項公表罪」だけでなく、エジプトで偽造された疑いのある卒業証明書を日本のテレビ局で提示したことについての「偽造私文書行使」という新たな犯罪の嫌疑を指摘していた。その有力な根拠を提示していたのが黒木氏だった。

そのまま2期目の出馬を強行し、私が指摘するような「犯罪リスク」が顕在化すれば、小池氏の政治生命の終焉を意味するだけでなく、それまでの政治家としての名声は完全に失われることになる。小池氏は、出馬を強行するか、何らかの理由をつけて回避するか、ギリギリの決断を迫られていた。

そのような「天敵」の私と黒木氏が、FCCJで外国人記者を集めて記者会見を行えば、小池氏に対して無批判の日本のメディアとは異なり、海外メディアで大きく取り上げられる可能性がある。小池氏は、絶体絶命の状況に追い込まれていた。

小島氏から「カイロ大学に声明を出してもらう」という案を聞き、それが危機の打開の唯一の方法だと考えた小池氏は、早速、当時ブレーンだったA氏に協力を求めた。そして、僅か2日で、カイロ大学の学長名の声明をエジプト大使館のフェイスブックに掲載してもらえる目途がついた。その時点で、メールに書いたのが、郷原・黒木のFCCJでの会見の前に「全部済ませる」という強い意志を表現した言葉だった。

「大学を卒業していない小池氏」と結論づけた小島氏

小島氏は、A氏が書いた声明文の原案と実際の「カイロ大学声明」と比較し、文章の構造で、日本語の訳文では「精査」「看過」「適切な対応」など、同じ文言も多いことから、A氏の文案を土台に使ったのは明白だが、変更された部分として、

①A氏案の〈カイロ大学の卒業名簿にその記載がある〉〈卒業の判定は大学としての公正な審理と手続きを経てなされたものである〉が削除され、〈卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された〉と変更されていること
②A氏案の〈日本、エジプト双方の法令に基づき適切な対応を検討している〉が〈エジプトの法令に則り、適切な対応策を講じることを検討している〉と変更されていること

があり、これらのことから、本来この疑惑は、卒業名簿に名前があるのならば、カイロ大学がそれを出せば済むことに、これを削除したことから、卒業名簿に名前がないことを推測している。

また、〈公正な審理と手続きを経てなされた〉も削除されたのは、実際には審理も手続きもしていないから、カイロ大学を刺激することを懸念したものと推測している。

さらに、「日本の法令」で裁くという部分が削除されたのは、仮に日本で裁く場合、裁判所から小池氏が証言を求められたりする可能性があり、それは避けたかったと推測している。

これらを踏まえ、小島氏は、

いずれにせよ声明文は、図らずも、私が発案して、A氏が文案を作成した。それに小池さん自身が修正を加えた。そして、ここからは推測になりますが、彼女側から大使館へ依頼して掲載された。これがカイロ大学声明発出の内実だ、というのが私とA氏の結論です。
私とA氏が果たした役割を鑑みれば、カイロ大学が自発的に小池さんの疑惑を懸念して声明文を作成した、ましてやエジプト政府が関わったなどということは、ほぼあり得ません。大学を卒業していない小池さんは、声明文を自ら作成し、疑惑を隠蔽しようとしたのです。

 と結論づけている。

都知事選の3期目の出馬が注目される中で、小池氏の学歴詐称疑惑は、【女帝 小池百合子】に匿名で登場していた小池氏とエジプトで同居していた北原百代さんが、同書の文庫本発売時の昨年11月に実名を明らかにしたこと、カイロ大学声明による学歴詐称疑惑の隠蔽工作に関わった小島氏が、その経緯を告白したこと、という二つの有力事実が出てきたことで、もはや否定しようのない「学歴詐称」になったと言うべきであろう。

エジプト大使館を巻き込む隠蔽工作まで行って学歴詐称疑惑をはねのけて2期目の出馬を強行したが、元側近の告白で発覚して絶体絶命の状況にある小池氏は、今度はどのような奇策を弄するのだろうか。

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「この愚か者めが!」丸川珠代議員への「政治家個人宛寄附」告発の“重大な意味”

令和6年3月28日、上脇博之神戸学院大学教授と私が告発人となり、参議院議員丸川珠代氏及び清和政策研究会代表者・会計責任者松本淳一郎氏の政治資金規正法(公職の候補者の政治活動に関する寄附の禁止」)違反等についての告発状を、東京地方検察庁に提出した。

翌29日、上脇教授と私は、司法記者クラブ加盟記者、平河町クラブ加盟記者に案内状を送り、上記告発に関するオンライン記者会見を行った。

会見の模様は、YouTube《郷原信郎の「日本の権力を斬る!」》で公開している。【丸川珠代参議院議員等の 政治資金規正法違反の告発について オンライン会見】

YouTubeには、1日で4万を超える多数の視聴があり、コメントは、告発への共感・賛辞であふれている。丸川議員への「愚か者めが!」とのコメントも目立っている(民主党政権期の子ども手当法案の採決時に「愚か者めが!、このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん!」と大声でヤジったことが、その後、国会でも問題にされ、岸田首相も「議論を行う際の態度発言等において節度を超えていた」と陳謝している)。

清和政策研究会(安倍派)の政治資金パーティー裏金問題については、既に、派閥のほうは、所属議員の資金管理団体・政党支部への寄附だったが、政治資金収支報告書に記載されていなかったとして訂正を行っている。

今回の「政治資金パーティーの売上のノルマ超過分の「還流」ないし、「中抜き」(売上のノルマ超過分を議員側が派閥に入金せず留保することによって取得する方法)は、「収支報告書に記載しない」との前提で議員側にわたったものなのであるから、議員個人に帰属するものであり、それは、政治家個人への違法寄附(政治資金規正法21条の2第1項違反)又は個人所得であると、昨年末から再三にわたって指摘してきた(【政治資金パーティー裏金は「個人所得」、脱税処理で決着を!~検察は何を反省すべきか。】)。

議員個人の違法寄附が立件され起訴されていれば、違法寄附は全額没収され(政治資金規正法28条の2)、議員の手元に「裏金」が残ることはなかったはずだ。

ところが、検察は、所属議員の資金管理団体・政党支部の収支報告書の虚偽記入だけを立件し、松本氏を起訴し、安倍派がそれと平仄を合わせた収支報告書の訂正を行って、「捜査の終結」とされてしまったために、ほとんどの議員は処罰を免れ、しかも、納税すらせず、「単なる不記載」などと開き直る態度に終始しているのである。

当然のことだが、国民からは激しい怒りが沸き上がり、折しも、昨年秋のインボイス制度導入で、耐え難い負担をさせられ、しかも、確定申告にも苦しめられている時期であったこともあって、「自民党裏金議員」に対する怒りは炎上・爆発した。それらの「国民の怒り」を受けて、野党が国会で、裏金議員に対する「政治家個人に対する違法寄附」での処罰や所得税の課税について質問しても、岸田文雄首相は、「検察捜査の結果を踏まえて適切に判断するものと承知している」との答弁を繰り返してきた。

岸田首相自らが、安倍派幹部の聴取を行うという「異常な事態」となり、この混乱が収まる気配はない。根本的な問題は、検察が、個人あての寄附として捜査処分しなかったことが、「強力なディフェンス」となって、「裏金議員」の処罰・納税を免れさせてきたからなのである(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】)。

丸川議員も、「中抜き」の方法でパーティー券売上のノルマ超過分を得た「裏金議員」の一人だ。

しかし、他の議員とは異なり、その裏金が「政治家個人宛の寄附」であったことについての、弁解しようのない「決定的な根拠」がある。

一つは、「派閥からノルマ超過分は持ってこなくていいと言われた。資金は(自分の)口座で管理していた」と記者に説明していることだ。(「丸川珠代元五輪相、不記載822万円 『超過分は口座で管理』」毎日新聞2024/2/1 )この説明は、資金が個人に帰属するものと認識していたことを認めているに等しい。

そして、もう一つは、丸川氏に供与した資金について、清和政策研究会側が、今年1月31日に、同丸川が代表である「都参議院選挙区第4支部」への寄附であった旨の訂正記載を行っているのに、一方の丸川議員の側は、上記寄附を受けた旨の同支部の政治資金収支報告書の訂正を行っていないことである。

「清和政策研究会」の2020年分~2022年分の各収支報告書は、今年1月31日付で一斉に訂正され、そこでは被告発人丸川珠代が支部長である「都参議院選挙区第4支部」にそれぞれ寄附していた(2020年:100万円、2021年;195万円、2022年:217万円)と訂正されている。

ところが、「都参議院選挙区第4支部」の側では、2020年分~2022年分の各収支報告書で、「清和政策研究会」からの寄附を受領したとの訂正を行なっていない。

それは、その資金供与が、「都参議院選挙区第4支部」に対して行われたものではなく、丸川氏個人宛の寄附であり、同支部宛の寄附として記載することは虚偽記入に当たることを、丸川氏自身が認識しているからとしか考えられない。

ノルマ超過分を所属議員に供与するに際して、清和政策研究会側から「政策活動費なので収支報告書に記載しないでよい」と説明されていたことを、宮澤博行衆議院議員が防衛副大臣辞任の際の記者会見で明らかにしている。そのほか、自民党の調査に対する回答の中にもその旨の説明がある。

このような説明は、所属議員へのノルマ超過分の供与は、収入について収支報告書への記載が義務づけられている資金管理団体・政党支部・国会議員関係団体等に対する寄附ではなく、収支報告書への記載義務がない議員本人に対する寄附であることの根拠だと言える。

上脇教授は、今回の「裏金問題」の発端となる自民党派閥政治資金パーティーをめぐる政治資金規正法違反の告発を行った人であり、その後も、マスコミ報道で明らかになった事実等について告発を行ってきた。安倍派からの所属議員への「裏金」が、政治家個人宛の違法寄附であることについて、上脇教授と私は同様の問題意識を持ち、検察の捜査・処分に疑問をもってきた。そこで、上脇教授と私とで、政治家個人宛の違法寄附としての告発の対象とすべき議員について検討を重ねた末、前記の2つの「決定的根拠」がある丸川氏について、起訴されることへの「確信」をもって、違法寄附を受けた事実で丸川氏を、その違法寄附を行った事実で清和政策研究会側の松本氏を告発したのである。

上脇教授と私とは、2022年5月にも、同年2月に行われた長崎県知事選挙における選挙コンサルタントに対する約400万円の買収の事実について、大石陣営の出納責任者を長崎地検に告発した。

通常、現職知事の当選無効につながる公選法違反事件の告発があれば、「百日裁判」を求める公選法の趣旨からしても、早期に捜査・処分が行われるのが通例だが、長崎地検は、2年近く経過した今も処分を行っていない。政治的影響を懸念して起訴はしづらいが、不起訴にしても検察審査会の申立が行われたら覆る可能性が高いので、不起訴にもできないということで、処分が先送りされているとしか考えられない。

しかし、今回の丸川氏と松本氏の政治資金規正法違反の告発については、早急に捜査して処分をせざるを得ないであろう。2021年分の195万円の違法寄附の実行の日が、安倍派の政治資金パーティーが行われた同年5月以降と考えられ、3年で公訴時効が完成してしまうからである(寄附の日は公表されていないが、検察の捜査で当然特定されているはずだ)。長崎地検の公選法違反事件のように、処分を先延ばしすることはできない。

もし、この違法寄附について、検察が不起訴にしたとすれば、当然、検察審査会に審査申立を行うことになるし、既に述べたように「政治家個人宛の寄附」であることは否定しようのない事実なので、起訴相当議決が出る可能性が高い。

この事件は、これまで「裏金事件」で、「政治家個人宛の違法寄附」に目を背けて裏金議員の処罰と納税を免れさせてきた検察の捜査処分全体を揺るがす「蟻の一穴」になり、それによって、今回の「裏金事件」をめぐる構図が激変する可能性がある。

そもそも、安倍派で所属議員に渡った政治資金パーティーの「裏金」について、裏金議員が処罰されず、課税すらも免れていることが、国民の怒りが炎上し、政治、そして、国会が、ここまで混乱することにつながった。

今回の告発が、このように極めて重要な意味を持つことは、【上記オンライン会見】での私と上脇教授の説明からも、容易に理解できるはずだ。会見に参加した社の中で、実際に会見の記事を出したのは、共同通信と時事通信の配信だけだが、今後も、検察の告発受理、検察の処分、検察審査会への申立など、事態が進展すれば、今回の告発が裏金事件の核心に関わるものと認識されることになるはずだ。

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「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因! 

予算審議の舞台が衆議院から参議院に移った国会では、「派閥政治資金パーティー裏金問題」での追及が続いている。

問題は、二つに絞られてきている。第一に、2022年に安倍元首相によりいったん還流が中止されることになったのに、安倍氏の死後に還流を実行することになったのは、誰がどのように決めたのか、第二に、政治資金パーティー売上の還流の裏金を受領した議員に対する所得税課税の問題だ。

第一の問題については、衆議院の政治倫理審査会で3人の元安倍派幹部が出席して弁明を行ったが、22年8月上旬の幹部の話合いの際、還流の継続が決まったか否かについて、西村康稔氏と塩谷立氏との間で話が食い違うなど、ますます疑惑が深まった。

参議院の政倫審では、その話合いに加わっていた世耕氏が「知らぬ存ぜぬ」の弁明に終始したことに対して、その後、政倫審に出席した西田昌司氏からも、世耕氏に対して厳しい批判が行われるなど、安倍派幹部に対する「風当り」は一層厳しいものになっている。

昨日(3月18日)、下村博文氏が政倫審に出席した。安倍氏の死亡後、安倍派内部で中心から遠ざけられていた下村氏が、それまでの幹部とは異なる発言を行うのではないかが注目されたが、結局、新たな話はなかった。

本来の事実解明の場とは言い難い国会の政倫審で、疑惑への弁明と質疑による事実解明に期待が集中していること自体が、極めて異例であり、まさに混乱を象徴している。

「異例の事態」に至った理由

このような異常な事態になっているのはなぜか。

昨年12月から年初にかけて、地方から50人もの検事を動員し、膨大な国費をかけて行われた検察捜査が、政治資金パーティーによる裏金に対する国民の怒りに火をつけ、検察リークとしか思えない報道で裏金問題が炎上拡大したのに、捜査の結果明らかになった事実は、「各年の不記載の金額」以外全く表に出ないまま、既に起訴から2か月が経過していることに根本的な原因がある。

裏金還流の経緯を直接知っているはずの派閥会計責任者については、1月下旬に起訴されて以降、公判に向けての動きもなく、その供述内容について何の情報もない。そうした中で、「知らぬ存ぜぬ」を繰り返す安倍派幹部に質問を繰り返しても意味がない。

裏金議員への課税を阻んでいるのも「検察の捜査処分」

第二の点については、キックバックを「政治資金収支報告書に記載しない」前提で受領し、そのまま議員個人が保管していた事例もあることが、自民党のアンケート調査で明らかになっており、明らかに個人所得だと思えるのに、議員側には納税に向けての動きはなく、国税当局の税務調査も行われている気配はない。

昨年秋、インボイス制度が導入され、国民の多くがそれによる負担の増加に苦しんでいる。しかも、国会での追及が、確定申告の時期と重なったこともあって、「裏金議員が所得税を免れていること」に対する国民の不満が一層強烈なものとなった。

裏金議員の所得税納税の問題について、岸田首相は、国会で「裏金議員は所得税を納税すべきではないか」と追及される度に、「検察捜査の結果を踏まえて、適切に判断されるべき」との答弁を繰り返している。

裏金議員も、「政治家個人に対する寄附禁止規定が適用されるべきではないか」との指摘に対しても、「検察当局が厳正な捜査をした結果、そのような罰則適用は行われていない」として、同規定違反を否定する答弁を繰り返している。

検察捜査の方向性に重大な問題があった

岸田首相が、野党の追及をかわす最大の拠り所としているのが「検察の捜査処分」だが、そこには、重大な疑問がある。

最大の問題は、検察の捜査処分が、「政治資金規正法の『大穴』」の問題を無視したものであったことだ。

私は、この問題について、Yahoo!ニュースの当欄への投稿や、著書【歪んだ法に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」】(KADOKAWA:2023年)等で、政治家個人にわたった「裏金」について、政治資金規正法での処罰が困難であること、この「大穴」を塞ぐ法改正が必要であることを訴えてきた。

今回の裏金受領議員についても、その「大穴」によって処罰が困難であることを、私自身の発信や様々なメディアへの出演で指摘してきた(【日本の法律は「政治家の裏金」を黙認している…「令和のリクルート事件」でも自民党議員が逮捕されない理由】など)。 

政治資金収支報告書というのは、個別の政党、政党支部、政治団体ごとに会計責任者が提出するものである。国会議員の場合、政治団体である「資金管理団体」のほかに、自身が代表を務める「政党支部」があり、そのほかにも複数の国会議員関係団体があるのが一般的だ。つまり、一人の国会議員に「財布」が複数ある。

政治資金規正法で、政治資金の収支の公開の問題として罰則の適用の対象になるのは、どこか特定の政治団体や政党支部に収入があったのにそれを記載しなかったとか、それに関連して虚偽の記入をしたことである。

議員個人が「裏金」として政治資金を受け取った場合、それは、その議員に関係する政治団体・政党支部のどこの収支報告書にも記載しない、という前提で領収書も渡さずやり取りする。ノルマを超えたパーティー券収入の還流は銀行口座ではなく現金でやり取りされ、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたとされており、議員の側は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかった、ということである。

その場合、その還流金をどの収支報告書に記載すべきだったのかが特定できないので、政治団体等の収支報告書の不記載・虚偽記入罪は成立しないのである。 

検察捜査は、この「政治資金規正法の『大穴』」の問題があることを踏まえて行われるべきだった。

政治資金規正法21条の2第1項は、「政治家個人宛の政治資金の寄附」を禁止している。

会計責任者、議員本人に、「収支報告書に記載しない前提の金である以上、資金管理団体、政党支部などに宛てた政治資金ではない」として、収支報告書を提出不要の「政治家個人宛の寄附」として受け取ったことを認めさせる方向で捜査を行うべきだった。それによって「政治家個人宛の寄附」であることの立証が可能になり、同時に、それを議員の個人所得としての課税することにもつながったはずだ。

しかし、実際の検察の捜査は、それとは真逆の方向で、還流金が資金管理団体などの政治団体に帰属していることを認めさせ、それをその政治団体の政治資金収支報告書に記載しなかった問題としてとらえようとした。

その結果、検察捜査は、裏金議員の殆どが刑事立件すらできず、僅かに正式起訴した池田佳隆及び大野泰正の2名の国会議員についても、果たして有罪立証ができるのかすら疑わしい(【「裏金」事件の捜査・処分からすれば、連座制導入は「民主主義への脅威」になりかねない】)という惨憺たる結末に終わった。

裏金議員が所得税申告をしたら「検察に喧嘩を売る」ことになる

この問題に関して、3月14日のBSフジ「プライムニュース」に出演した元検事の高井康行弁護士が、興味深い発言を行った。

これまでにも特捜捜査が社会の耳目を集める度に、検察実務に詳しい識者としてテレビ等に出演し、検察・特捜部の代弁者のような「解説」を行っている高井氏だが、今回も、まさに「検察の論理」から、「裏金議員への所得税課税」を全面的に否定した。

高井氏は、

今回の事件は、派閥から政治団体にキックバックされている案件。派閥から議員個人にキックバックされているわけではない。当然検察も、派閥から政治団体にキックバックされた、だからキックバックされた金は政治団体に帰属するもの、だから収支報告書に書かなければいけない、という論理で起訴している。

政治活動費として受け取った金から政治活動として現に使ったものを差し引いた残りがあれば、雑所得として課税されるが、東京地検特捜部の捜査で政治団体に帰属すると認定されているのだから、これはその、所得税法の問題は生じない。

などと説明した上、

仮に、キックバックされた、政治団体にキックバックされたものを私はこれ個人的に全部雑所得として申告しますなんていうことをやったら、検察に喧嘩を売るのかと。検察は、政治団体に帰属していると言っているにもかかわらず、これは個人所得だということだから検察の認定を争うことになる。おまけに、仮にそうだとすると、政党以外からは議員個人は寄附を受けてはいけないことになっているから、不記載罪、虚偽記載罪にはならないかもしれないけれども、個人で寄附を受けてはいけない、政党以外からは受けてはいけないという規定に引っかかって懲役(ママ、正しくは「禁錮」)1年以下あるいは罰金50万円以下になるんです。ですから、仮に今回受け取ったもの、政治団体にキックバックされたものを全部私の所得でございます、と申告したら、とんでもないことが起きる。

と発言した。

裏金議員への課税問題について、検察が説明をするとすれば、高井氏の発言のとおりだろう。しかし、さすがに、そのような説明では検察の処分に対して世の中の理解は全く得られない。しばしば記事上に出現する「匿名の検察幹部」ですら、そのような解説はしてこなかった。

高井氏の発言は、今回の事件で、裏金受領議員が所得税の納税を免れている根本的な原因が検察の捜査処分にあること、検察の捜査の方向が根本的に誤っており、その「やり損ない」によって、裏金議員が処罰も納税も免れる現在の状況に至っていることを端的に示すものである。

検察の捜査・処分は正しかったのか

高井氏の発言は、法的、実務的な観点からの一般論としては間違ってはいない。しかし、「裏金議員には納税義務はない」との結論は、すべて「検察の処分が正しい」ということを前提にしており、検察の捜査処分の問題はすべて度外視している。そもそも、いかなる根拠で、「裏金の帰属」が政治団体だと認定したのか、その点についての重大な疑問を完全に無視している。

「検察の論理」からすれば、裏金議員が所得税の納税を行うことは、検察の認定と矛盾することになるので、「検察に喧嘩を売る」ということになるというのは、確かにその通りだ。つまり、国民の多くが当然だと思い、税の専門家も当然視している「裏金議員への課税」を免れさせているのは、今回の「裏金事件」に対する検察の捜査処分そのものなのである。

高井氏は、「今回の事件は、派閥から政治団体にキックバックされている案件、だからキックバックされた金は政治団体に帰属するもの」と断言している。しかし、なぜ「政治団体に帰属する」と言えるのだろうか。政治団体の銀行口座にでも入っていればそうかもしれないが、事務所に現金のまま保管していた議員も複数いる。だとすると、そもそも「政治団体」に帰属するものなのかははっきりしないし、帰属するとしても、その「帰属する政治団体」が、資金管理団体なのか、政党支部なのか、それとも国会議員関係団体なのかわからない。少なくとも「収支報告書に記載しない前提」で渡された金なのだから、授受の段階では、どこの団体に帰属するということは、決まっていなかったはずだ。

検察はどうするべきだったのか

政治資金規正法上、政治団体、政党支部への政治資金の寄附であれば、その団体の収支報告書に収入として記載しなければならない。一方、政治家「個人」への政治資金の寄附であれば収支報告書の提出義務自体がない。常識的に考えれば、今回の事件で安倍派から所属議員にわたった裏金は、議員個人宛ということになるはずだ。

議員個人宛だということになると、高井氏が指摘するように、政治資金規正法21条の2第1項違反となり、禁錮1年以下・罰金の罰則の対象となる。

この場合、個人の雑所得となるが、議員個人の政治活動に使った分は所得から控除される。

一方、政治資金の寄附ではなく、「個人所得」(パーティー券の販売の報酬として「自由に使ってよい金」として渡った場合)であれば、全額が所得税の課税の対象となる。

裏金議員が、そのように個人宛であったことを認めて、所得税の納税を行うことが、「検察に喧嘩を売る」ことになることは確かだ。しかし、それは、捜査の方向性を誤った検察にとって「とんでもないこと」であっても、裏金の実態に即した問題解決という面では当然なのである。

高井氏が言うように、「個人所得だということだとすると、政党以外からは議員個人は寄附を受けてはいけないことになっているから、個人で寄附を受けてはいけない、政党以外からは受けてはいけないという規定に引っかかる」のであるから、検察はその罰則適用を真剣に検討すべきだったのではないか。禁錮刑が比較的軽いとは言え、同規定は議員個人にかかるものであり、処罰されれば、公民権停止で議員失職となる。「政治家個人宛の寄附の禁止規定違反」で立件可能であれば、捜査がその方向に向けられるのが当然だ。

しかし、検察が、この「政治家個人宛の寄附の禁止規定違反」の立件を想定して捜査を行ったという話は全くない。裏金議員の所得税の課税の問題で世の中の不満が高まっている大きな原因が、本件裏金事件についての検察の捜査の方向性の誤りにある。 

野党は国会ではどう追及するべきなのか

こう考えると、国民の疑問や不満の前に、「検察の捜査処分」が立ちはだかり、真相を覆い隠し、裏金議員に納税を免れさせる構図が、この問題をめぐる混乱につながっているといえる。野党の国会での追及も、そのような構図を踏まえ、裏金議員の「検察捜査に依拠した言い訳」を取り払うことに向けられるべきであろう。

私は、昨年12月から今年1月にかけて、立憲民主党の国対ヒアリングに3回出席し、「政治資金規正法の『大穴』」の問題について解説し、法務大臣に「指揮権」を根拠に法務・検察当局へ説明させるよう求めていくこと(【指揮権に対応できない小泉法相は速やかに辞任し、後任は民間閣僚任命を】)についても自説を述べた。

しかし、残念ながら、それが、その後の国会質問に十分に活用されているとは思えない。

まずは、今回の裏金事件の根本にある「政治資金規正法の『大穴』」の問題に関して、法務省に、「収支報告書に記載しない前提で政治家側に渡された『裏金』」の帰属先をどう判断するのかを問い質すべきであろう。検察が「裏金は政治団体に帰属した」と判断したことの根拠がないこと、それが議員個人に帰属していることが自ずと明らかになるはずであり、裏金議員に当然の所得税納税義務を果たさせることにもつながるはずだ。  

そして、自己に不利な真実を語るはずもない安倍派幹部を政倫審の場に引き出して問い質すことより、検察に被告人の権利を害することなく、公判への影響が生じない範囲で捜査結果を公表させることを、法務省に求めるべきだ。検察が応じないのであれば、検事総長に対する指揮権(検察庁法14条)に基づいて、捜査結果についての説明を求めることも可能だ。今回のように、日本の政治そのものに重大な影響を与える事件で、検察に可能な限り国民への説明を尽くさせるようにすることも、法務大臣の重要な職責と言うべきだ。

このような「法務大臣に対する追及」によって、「検察の捜査処分」は言い訳にはならず、裏金を受領した議員に所得税の納税義務があることは自ずと明らかになるはずだ。

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岸田首相「政策活動費」答弁に表れた、政治資金規正法の規定と「収支報告書の記載」の乖離

「自民党派閥政治資金パーティ問題」に関連して国会で、過去に自民党が幹事長に渡した巨額の政策活動費について野党から再三にわたって追及されている。2月5日の衆議院予算委員会で、岸田首相は、

「政策活動費というのは党のために党勢拡大、政策立案、調査研究のために支出するもの」
「党のために使ってくださいと言って渡すのは支出、あなたのために使ってくださいというのは寄附」

と述べて、幹事長に渡った政策活動費は「支出」であって「寄附」ではないと説明した。

 しかし、この岸田首相答弁には重大な疑問がある。

 政治資金規正法第4条の定義規定では、「支出」は

「金銭物品その他の財産上の利益の供与または交付」(同法8条の3が規定する「運用」の場合を除く)

とされ、「寄附」についても同様に

「金銭物品その他の財産上の利益の供与または交付で、党費又は会費その他債務の履行としてされるもの以外のものをいう。」

とされている。

「支出」も「寄附」も、基本的に「財産上の利益の供与または交付」である点では同じであり、(「運用」を除く)「支出」から「債務の履行としてされるもの」を除外したものが「寄附」なのである。

 政治資金規正法の定義では、「寄附」ではない「支出」は、「債務の履行に当たるもの」だけであり、岸田首相が答弁するように「党のために使ってくださいと言って渡す支出」も、「債務の履行としてなされるもの」に当たらない限り、「寄附」に当たるのである。

 「債務の履行としてされるもの」というのは、「党費又は会費」と例示されているように、金額や使途が事前に具体的に定まっている場合である。

【逐条解説政治資金規正法(二次改訂版:2002年)】においても、

「債務の履行」とは、党費又は会費のように団体への加入行為とともにあらかじめ定まっているものの支払い、売買契約に基づく物品の購入等、債務者が債務の本旨に従って債務内容を実現する行為をいう。なお、贈与契約に基づく金銭、物品等の授受は債務の履行ではあるが、贈与契約は一般に無償契約であるため、これを寄附ではないとすると、本法の趣旨を没却してしまうことになりかねない。

とされており、「債務の履行」というのは、契約等によりその「債務」が具体化されていることが必要であることは明らかだ。

 「党勢拡大のための支出」であるからと言って、「債務の履行のためになされるもの」に当たるものではない。党勢拡大というのは、選挙で勝利し、党員を増やすなどして、所属議員や党員などの政党の勢力を拡大することであり、政党としての恒常的な活動そのものだ。「党勢拡大のための支出」というのは、使途が限定されることにすらならない。

幹事長に渡す政策活動費が、「党勢拡大のための債務の履行のためになされるもの」だから「寄附に当たらない」という理屈が成り立つ余地はない。 

 上記の首相答弁直前の2月2日、令和国民会議(「令和臨調」)が「政治資金委員会構想」とともに「信頼される政治のインフラとしての政治資金制度の構築」と題する解説を公表した。その中で、

岸田首相は政策活動費を党勢拡大、政策立案、調査研究のためと国会で答弁しており、そのように用途が定まっていれば政治資金規正法上、「財産上の利益の供与」(第4条第3号)と定義される寄附にあたると考えるのは困難である(受けた幹事長が財産上の利益を受けているとは考え難い)

と述べている。「幹事長に渡った政策活動費は寄附に当たらない」とする点で、岸田首相答弁と共通している。

 同解説は「受けた幹事長が財産上の利益を受けているとは考え難い」という理由で「寄附」ではないとしているが、その点も、「党のために使ってくださいと言って渡すのは支出、あなたのために使ってくださいというのは寄附」との岸田首相答弁と同趣旨のように思える。

 同解説では、「政治資金規正法上、『財産上の利益の供与』と定義される寄附」としているが、「寄附」の定義規定の「金銭、物品その他の財産上の利益の供与または交付」から「または交付」を意図的に除外した上で、「受けた幹事長が財産上の利益を受けているとは考え難い」という理由で政策活動費が「寄附」であることを否定している。

 しかし、定義からすると、「財産上の利益の供与または交付」であれば、「債務の履行のためになされるもの」以外は「寄附」に当たるのであり、幹事長自身のために使うために渡したものでなく、幹事長からさらに誰かに渡す予定であった場合(交付した場合)でも、「寄附」であることは否定できない。「受けた幹事長が財産上の利益を受けていないこと」は、幹事長に渡した政策活動費が「寄附」であることを否定する理由にはならない。

 自民党が政策活動費として幹事長に渡した金銭も、「寄附」に当たることは明らかだ。

 ところが、令和臨調解説は、「寄附」を「財産上の利益の供与」と狭くとらえ、「受けた幹事長が財産上の利益を受けているとは考え難い」との理由で、幹事長に渡った政策活動費が、「寄附」に当たることを否定しているのである。

 さらに、上記記述に続いて、

寄附だとすると受けた後は個人の金になり、その先で幹事長等が個々の議員に金銭を渡すことは個人の寄附規制に違反しているということになる。政策活動費は幹事長等に渡った後も党の資金と考えるのが合理的であり、実態にも適っている

と述べているが、幹事長に渡された政策活動費は、「その先で幹事長等が個々の議員に金銭を渡す場合」であっても、少なくとも「交付」として「寄附」に当たる。そうである以上、幹事長から個々の議員にわたった金銭も「寄附」に当たり、同解説がいみじくも述べているように、「個人の寄附規制に違反している」ということは否定できないのである。

 野党側の国会での追及に対して、岸田首相が「幹事長に渡った政策活動費は寄附ではない」との答弁を続けているのも、政策活動費が幹事長から個々の議員に渡されていることが「政治資金規正法に違反しない」と説明するためであろう。幹事長に「支出」され、幹事長の裁量で、党の資金として個々の議員に渡った「寄附」だとすれば、単に幹事長を経由しているだけで、「政党から政治家個人への寄附」(21条の2第2項)となり合法だという説明が可能になる。

 しかし、前述したように「政策活動費は寄附ではない」との岸田首相答弁は、「党勢拡大のための支出」が「債務の履行にあたるもの」に該当しない以上、定義規定からすると明らかに間違っており、「『財産上の利益の供与』(第4条第3号)と定義される寄附にあたらない」とする令和臨調解説も誤っている。

 政策活動費は「党から幹事長に対する寄附」であり、幹事長から個々の議員に渡ったとすれば、「幹事長という政治家個人」から「所属議員という政治家個人」への違法寄附になることは否定できない。

 しかし、ここで疑問になるのは、なぜ、政治資金規正法の「寄附」「支出」などの定義からすると明らかに誤った答弁が堂々と行われ、それが今も罷り通っているのか、である。

 そこには、政治資金規正法の改正の経緯と、同法の基本概念と実際の政治資金収支報告の実務とのズレなどの構造的な問題があり、総務省も、岸田首相の説明を事実上容認しているからであろう。それが端的に表れているのが、総務省の見解をもとに各自治体が公表している「政治資金収支報告書作成要領」だ。

 それによると、政治資金の支出項目には、人件費、事務所費、光熱水費等の「経常経費」と「政治活動費」があり、「政治活動費」には、機関紙の発行等の事業費、調査研究費の他に、組織活動費、選挙関係費、寄附・交付金が記載されている。

 前記のとおり、「支出」と「寄附」の定義の違いは「債務の履行としてされるもの」しかない。しかし、「寄附・交付金」以外の項目にも、「寄附」に当たると思えるものが含まれている。

 「組織活動費」の中に「組織対策費」が含まれ(「政策活動費」は、その一つである)、選挙対策費の中に「陣中見舞い」が含まれているが、これらは、どう考えても「債務の履行としてされるもの」に当たるものではなく、政治資金規正法の定義上は「寄附」に当たるものと考えざるを得ない。しかし、このようなものも、政治資金収支報告書の記載要領では、「寄附・交付金」とは別の項目で記載することが認められている。

 つまり、本来の「寄附」の定義とは異なっていても、政治資金収支報告書上は、かなり緩やかに「寄附」ではない「支出」であるかのように記載することが認められているのが実情なのである。

 政治資金規正法の定義上は、「幹事長にわたった政策活動費」が寄附であることは明らかであり、岸田首相の「寄附ではない」という答弁は誤っている。しかし、政治資金収支報告書の記載の実務上は、そのような考え方が否定されているようには思えない。議員立法で法改正が繰り返される中で、もともとの法律上の定義と実務運用との乖離が生じているということであろう。

 2022年10月、岸田首相は、宗教法人法の解散命令についての答弁を一日でひっくり返し「法令違反には民法の不法行為も入りうる」と答弁した。それがブレイクスルーとなって、その後、文化庁による旧統一教会に対する報告徴収・質問権の行使が行われ、その結果に基づいて、最終的には、2023年10月13日に旧統一教会に対する解散命令請求が出されることになった。

 岸田首相の「幹事長に渡った政策活動費は『寄附』ではない」という答弁は、法律の規定上は誤っている。岸田首相は、政策活動費が実際には「寄附」であるのに、そうではないように扱われてきたことを率直に認めた上、問題を整理し、そのような法律と実務の乖離も含め、政治資金規正法の抜本的改正の議論に臨むべきだ。

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「裏金」事件の捜査・処分からすれば、連座制導入は「民主主義への脅威」になりかねない

東京地検特捜部が、昨年12月から、全国からの応援検事数十名を動員し、かつてない大規模捜査態勢で行ってきた自民党各派閥の「政治資金パーティー裏金事件」、1月19日に、「裏金受領国会議員」3名、派閥と議員の政治団体の会計責任者ら5名の8名が起訴(略式起訴を含む)され、さらに、1人だけ逮捕・勾留されていた池田佳隆衆議院議員が、1月26日に起訴され、捜査は事実上終結した。

これを受け、安倍派(「清和政策研究会」)は、各議員へのパーティー券のノルマ超の売上の還流分の寄附が不記載だったとして、政治資金収支報告書の訂正を行った。

1月26日に召集された通常国会では、29日の衆参両院の予算委員会での集中審議、30日の岸田文雄首相の施政方針演説、31日、2月1日の代表質問の中で、政治資金規正法の改正が今国会の重要な論点として取り上げられ、その中で、罰則強化・連座制導入を求める声が相次いだ。

今回の捜査が、政治団体の会計責任者と政治家との共謀を立証できず、政治家の責任が曖昧なまま終わったということからすれば、裏金事件に関わった政治家に刑事責任を負わせるための罰則強化・連座制導入が議論の対象になるのも自然な流れだと言える。

しかし、現行の政治資金規正法の枠組みにおいては、政治資金収支報告書の提出を受ける総務省や都道府県選挙管理委員会は、収支報告書の内容については形式的審査権しかなく、不記載・虚偽記入や違法寄附の認定は、刑事司法の判断に委ねられている。しかも、実際の刑事事件としての立件や起訴の判断においては、検察の裁量に委ねられる余地が極めて大きい。

検察が、国会議員等の政治家の政治資金規正法の事件で、違法性の判断権をほとんど独占することで、その捜査・処分が政治的、社会的に極めて大きな影響を生じさせているのであるが、その検察という組織には、行政機関であるにもかかわらず、近年、日本の企業・官庁等の組織にほぼ例外なく求められている「ガバナンス」「情報開示義務」「説明責任」を全く求められて来なかったという組織の特殊性がある。

ガバナンスに関しては、検察は、誰の意思に基づいて、誰にその権限が与えられて活動しているのかは、ほとんど考えられることもない。多くの国民は無条件に「検察は正義」だと信じており、まさに、「正義」という言葉でガバナンスが切断されている。

情報開示義務に関しては、検察の権限行使に関する情報・資料は、「刑訴法47条による訴訟書類の非公開」などの理由で、ほとんど開示されない。

説明責任という観点からは、検察は裁判所に対して立証責任を負っているだけで、それ以外には説明責任は負わないとされる。強制捜査や起訴・不起訴についても、基本的に、「理由は説明しない」ということで済ませてしまう。

今回の「裏金事件」で、安倍派幹部の不起訴処分の見通しに対して世論の強烈な反発が生じたことを受け、処分が行われた1月19日に東京地検次席検事が「記者会見」を行ったが、撮影禁止、発言内容自体も非公表という、凡そ「会見」とは言えないものだった。しかも、安倍派幹部の「嫌疑なし」での不起訴処分を含め、そもそもいかなる被疑事実が不起訴の対象とされたのかすら不明だ。

このように、ほとんど説明責任を果たさない検察に、違法性の判断の殆どが委ねられることには根本的な問題があると言わざるを得ない。

「政治資金パーティー裏金問題」で検察が果たした役割

今回の「裏金事件」について、東京地検特捜部を中心に行われた検察の捜査・処分とマスコミとの関係には、恣意性が働く余地が多分にあった。その判断には「政治性」すら感じられる。

昨年11月下旬頃から、マスコミで「自民党派閥政治資金パーティー問題」での検察捜査の動きが報じられるようになり、12月に入ると、検察が地方から数十名の応援検事を含め「異例の大規模態勢」で捜査に臨んでいると報じられ、「令和のリクルート事件」などとも言われて大きな社会的関心事となっていった。

「検察リーク」と思える記事で、閣僚クラスを含む政治家への「裏金」の金額が報じられ、派閥事務所への捜索も正確に「前打ち報道」され、世の中の関心は、「裏金問題」に集中していった。

しかし、年明けの通常国会前に事実上終結した検察捜査で実際に起訴されたのは、後述するように、政治資金規正法の適切な解釈に基づけば「無理筋」と思える「裏金受領議員」3人の起訴・略式起訴のほかは、会計責任者の起訴・略式起訴だけにとどまった。

安倍派幹部は、検察の捜査が事実上終結したことを受けて次々と記者会見を行い、「政治資金パーティー券のノルマ超の売上」について、安倍派は、所属議員に「裏金」を供与したということではなく、通常の収支報告書に記載する「表の政治資金」と同様の性格の寄附を行ったが記載しなかっただけであるかのように説明し、また、「裏金受領議員」も記者会見で裏金金額を公表するなどしているが、その使途については「政治活動に使った」「使わずに保管していた」などと説明するのみで、かかる説明に対して、世論の厳しい批判、国会での追及が行われている。

それを受けて自民党幹部による裏金受領議員への「聞き取り」が行われているが、身内同士で厳しく問い詰めるはずもなく、そのようなもので、「裏金」の本当の費消先が明らかになることが期待できるはずもない。

検察は、地方からの応援検事数十名も含め、裏金受領議員に一人ずつ検事を張り付けるとまで言われていたのであるから、任意捜査の範囲でも、各議員から徹底した資料提出を求め、事務所関係者を取調べるなどして裏金の使途の解明を行うことは可能だったはずだ。

「裏金の使途」が解明されていないことは、後述する検察捜査の方向性の問題に関連している。検察捜査が、「政治家個人への寄附」「個人所得」としての追及に向けられていたら、異なった状況になっていたはずだ。

今回の問題の中心である安倍派の政治資金パーティーのノルマ超の売上の「裏金」による還流は、20年前から慣行的に続いていたと言われており、それ自体は、自民党関係者にも相当広く知られていた話だ。本来であれば、自民党関係者等からの取材に基づいてマスコミの取材・報道が行われ、追及を受けて、派閥側が自主的に事実を明らかにすることでも、相当程度事実が解明されたはずである。

検察は、本来、刑訴法上の権限に基づいて、証拠を収集し、事実を解明し、法の適切な適用を求めるのがその役割である。しかし、今回の事件で実際に、検察が、事実解明と法適用において果たした役割は、極めて限られたものでしかなかった。

むしろ、検察が捜査によって把握した事実や捜査の動きについての報道によって「裏金」に対する世論の怒りが炎上し、自民党の最大派閥を解散に追い込むほどの重大な政治的影響を生じさせていく中で、検察が「裏金報道」に燃料を供給し続ける形になった。そこに今回の問題の特異性がある。

検察の捜査・処分の「政治性」

今回の事件では、最終的には、安倍派と二階派が強制捜査の対象とされ、それに加えて岸田派も刑事処分の対象とされたが、捜査の途中では、安倍派の問題が集中的に取り上げられた。そして、安倍派幹部は閣僚・党役員辞任、最終的に安倍派は派閥解散に追い込まれた。それに関して、2020年、安倍内閣が、黒川弘務検事長を定年延長によって強引に検事総長にしようとして検察人事に介入したことへの「意趣返し」だとの話も、検察幹部の話として語られていた。

実際に、過去に、検察捜査が政治的動機に基づいて行われたと思われる事例がある。

2009年3月、東京地検特捜部が、民主党代表だった小沢一郎氏の秘書を政治資金規正法違反(2800万円の「他人名義の寄附」)で逮捕したことから始まった陸山会事件は、自民党から民主党への政権交代が現実のものとなりつつあった時期の日本政治に大きな影響を及ぼした。政権交代後、同党の幹事長となった小沢氏に対しても、特捜部は世田谷の土地をめぐる政治資金規正法違反事件の捜査を続け、秘書3人を逮捕・起訴した。小沢氏は検察の処分では不起訴となったものの、その後、検察審査会で起訴議決が出されて起訴され、幹事長辞任に追い込まれた。その検察審査会の議決に関して、特捜部が作成した虚偽の捜査報告書によって検察が検察審査会を騙して起訴議決に誘導していたことが発覚し、小沢氏の一審無罪判決において裁判所から厳しく断罪された。

それは、東京地検特捜部という検察の内部組織が、「検察組織としての決定」に反して虚偽の捜査報告書を作成提出するという犯罪行為によって、検察審査会を、(通常は検察が何とかして阻止しようとする)「起訴議決」に誘導するという「禁じ手」まで使って、「小沢潰し」という「政治的目的」を実現した、という極端な事例であった。

検察の捜査・処分の方向性の誤り

上記のとおり、検察の捜査・処分には、恣意性という要素が否定できず、時に、政治性を帯びることがある。

では、今回の検察捜査が、政治資金規正法という法律を適切に適用して行われたものと評価できるのだろうか。その点には、大きな疑問があると言わざるを得ない。

私は、かねてから、Yahoo!ニュースへの投稿や、著書【歪んだ法に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」】(KADOKAWA:2023年)等で、政治家個人にわたった「裏金」について、政治資金規正法での処罰が困難であること、この「大穴」を塞ぐ法改正が必要であることを訴えてきた。今回の裏金受領議員についても、その「大穴」によって処罰が困難であることを、私自身の発信や様々なメディアへの出演で指摘してきた(【日本の法律は「政治家の裏金」を黙認している…「令和のリクルート事件」でも自民党議員が逮捕されない理由】など)。

政治資金収支報告書というのは、個別の政党、政党支部、政治団体ごとに会計責任者が提出するものである。国会議員の場合、政治団体である「資金管理団体」のほかに、自身が代表を務める「政党支部」があり、そのほかにも複数の国会議員関係団体があるのが一般的だ。つまり、一人の国会議員に「財布」が複数ある。

政治資金規正法で、政治資金の収支の公開の問題として罰則の適用の対象になるのは、どこか特定の政治団体や政党支部に収入があったのにそれを記載しなかったとか、それに関連して虚偽の記入をしたことであり、「どの団体の収入なのか」が特定されていないと、政治資金収支報告の不記載・虚偽記入の犯罪事実が特定できず、起訴状が書けない。

ところが、議員個人が「裏金」として政治資金を受け取った場合、それは、その議員に関係する政治団体・政党支部のどこの収支報告書にも記載しない、という前提で領収書も渡さずやり取りする。ノルマを超えたパーティー券収入の還流は銀行口座ではなく現金でやり取りされ、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたとされており、議員の側は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかった、ということである。そうだとすると、どの収支報告書に記載すべきだったのかが特定できない以上、政治団体等の収支報告書の不記載・虚偽記入罪は成立しないのである。 

検察の捜査・処分と「政治資金規正法の大穴」の問題

政治資金パーティーの売上の還流金は、安倍派から所属議員側に、収支報告書に記載しないように指示して渡されたとされている。一般的に考えれば、これは、議員側で表に出さないように自由に使える「裏金」である。それを刑事立件しようとすれば、「政治資金規正法の大穴」の問題が立ちはだかることになる。

ところが、検察は、この「政治資金規正法の大穴」の問題に真剣に向き合おうとせず、問題を殆ど無視して、今回の捜査・処分を行い、裏金受領議員のうち、池田議員と大野泰正参議院議員、谷川弥一衆議院議員を起訴した。

それらの起訴において、検察は、上記の「政治資金の大穴」の問題について、どのように考えたのであろうか。

政治家側に入った政治資金については、「資金管理団体に入金して収支報告書に収入として記載すべき義務がある」と解釈することができるのであれば、「裏金」を資金管理団体の収入に記載しなかったことについて、収支報告書の不記載・虚偽記入罪が成立することになる。そのような解釈は、政治資金規正法の改正の経緯からも行い得ないことは、【「政治資金規正法の大穴」を無視した池田議員逮捕、「危険な賭け」か、「民主主義の破壊」か】などでも詳述した。

実態としても、国会議員の政治資金処理で、政治資金の収入が資金管理団体に一元化されているわけではない。

今回、安倍派が政治資金収支報告書を訂正したが、議員によって訂正したのが資金管理団体であったり政党支部であったりと様々であり、資金管理団体に「一元化」されているとは到底言えない。

結局、「収支報告書不記載を前提にして渡される金」である以上、資金管理団体への記載義務を客観的に認めることは困難であり、所属議員側の「自白」によって、政治資金パーティーの還流金を記載すべき政治団体を特定する、という方法に頼るしかなかった。

会計責任者が、

派閥から「収支報告書に記載しなくてよい」と指示された還流金についても、資金管理団体の収支報告書に記載しなければならないことはわかっておりました。しかし、派閥からの指示どおりに、資金管理団体の収支報告書に記載しませんでした。

というような自白をすれば、証拠上は、資金管理団体の収支報告書の不記載・虚偽記入の犯罪事実で起訴することは可能であろう。

今回、唯一、資金管理団体の収支報告書虚偽記入罪で略式起訴された谷川氏も、本人と会計責任者が上記のような「自白」をしたからこそ、略式起訴を受け入れ、政治資金規正法違反での罰金刑が確定した、ということだと考えられる。

池田氏、大野氏は、公判での主張如何で無罪の可能性も

では、今回の事件で正式起訴され、政治資金規正法違反の事実を争う方針を示している池田議員、大野議員については、検察は、「大穴」の問題をどうクリアしようとしているのだろうか。

唯一逮捕された池田議員が他の議員と異なるのは、検察が政治資金パーティー裏金問題での捜査に乗り出していると報じられた2023年12月8日に資金管理団体「池田黎明会」の収支報告書を訂正し、安倍派からの寄附約3200万円を収入として記載していることである。これによって、池田議員側が、自ら還流金を記載すべき収支報告書を特定したことになり、まさに「自爆」したと見ることができる。

検察は、池田議員逮捕の理由について「パソコン破壊の罪証隠滅行為が行われたため」と説明しているようだが、実際には、この収支報告書の訂正によって、記載すべき収支報告書が特定されていたことが大きかったと思われる。

しかし、池田議員の場合でも、今回「政治資金パーティー裏金問題」が表面化した後に収支報告書を訂正したからと言って、今後の公判で、記載すべき収支報告書の特定の問題が争点とならない保証はない。

重要なことは、この収支報告書の訂正の時点で、池田議員自身が、

政策活動費だと認識して受け取り、政治資金収支報告書には記載していなかった。

と説明していたことだ。「政策活動費」は政党から政治家へ渡される収支報告書への記載義務のない政治資金であり、池田議員は資金管理団体への収支報告書に記載すべきだったことの認識を否定した上で、収支報告書の訂正を行ったことになる。つまり、「資金管理団体の収支報告書の訂正」を行ったことは、受け取った時点で、その収支報告書に記載すべき義務があるとわかっていたことを「自白」するものではないということだ。

しかも、池田議員の場合、その訂正以前に受けていた清和政策研究会からの寄附は、「資金管理団体」ではなく「政党支部」に入金され、政党支部の政治資金収支報告書に記載されていた。そのような実態からすれば、池田議員に関連する政治資金について、すべて資金管理団体に入金して収支報告書に記載すべき義務があったとも言い難い。

池田議員が公判で、

資金管理団体の収支報告書に記載すべき義務があるとは思っていなかった。収支報告書を訂正したのは、政治資金パーティー裏金問題が報道され、取調べを受け、還流分も収支報告書に記載すべきだったと言われたので、深く考えることなく資金管理団体の収支報告書を訂正しただけです。

と弁解した場合、検察にとって、池田議員が「毎年の収支報告書の提出の時点で、資金管理団体の収支報告書に記載すべき金と認識していたこと」の立証は、かなり困難になる。

少なくとも起訴されるまで収支報告書の訂正を行っていない大野議員については、この点について、検察の立証は一層困難だ。大野議員は、現時点では、

「派閥からの還流金の処理はすべて秘書に任せていた」

との説明しか行っていないが、公判では、「どの収支報告書に記載すべきかなどということも、全く考えていなかった」と弁解する可能性もある。検察にとってその点の立証は容易ではない。

今後の「裏金受領議員側」の刑事処分はどうなるのか

裏金受領議員については、上記の3名のほかは、今のところ刑事処分は行われていない。マスコミによると、検察は、今後、各議員が収支報告書の訂正を行ったことを受けて、上記3議員以外の還流金額3000万円以下の議員については、会計責任者を収支報告書の虚偽記入罪で立件して起訴猶予にし、議員本人については、告発があった場合には、「嫌疑不十分」「嫌疑なし」で不起訴にする方針だと言われている。

会計責任者については、検察は、起訴しようとすればできるが「不記載・虚偽記入」の金額によって、一定以上の金額の事案に限定する方針であるかのように言われているが、実際には、ここでも「政治資金規正法の大穴」の問題が立ちはだかる。少なくとも、会計責任者が「自白」してくれない限り、還流金受領時にどの収支報告書に記載すべきであったかを特定することはできない。

裏金受領議員側が、池田議員と同様に「政策活動費だと認識して受け取り、政治資金収支報告書には記載していなかった」と説明して、特定の収支報告書への記載義務の認識を否定した場合、起訴することは困難であり、不起訴とするのであれば、厳密に言えば、犯罪を立証する証拠が不十分だという「嫌疑不十分」であり、起訴できるがあえてしない「起訴猶予」とすることもできないことになる。

結局のところ、検察が、政治資金収支報告書の虚偽記入罪での刑事立件にこだわったために、「無理筋の起訴」「取引的決着」に終わらざるを得なくなったのである。

「政治家個人に対する寄附」違反を中心とする捜査を行うべきだった

では、現行の政治資金規正法の適用として、検察は、どのような方向で捜査を行うべきだったのか。

政治資金規正法21条の2第1項は、「政治家個人宛の政治資金の寄附」を禁止している。政党からの寄附が例外として許されているが、安倍派から所属議員に「収支報告書に記載不要」と言われて渡された「裏金」は、政党からの寄附ではなく派閥からの寄附である。それを、違法な「政治家個人宛の寄附」とみる余地は十分にある(元総務官僚で過去の政治資金規正法改正を担当した経験もある立憲民主党の小西洋之議員は、当初から、「政治家個人への違法寄附で処罰すべき、虚偽記入は違法寄附の隠蔽工作に過ぎない。」と主張し続けてきた。小西議員とのYouTube対談⇒【「裏金受領議員」への検察捜査は間違っている!元総務省政治資金課・小西洋之議員と徹底討論】)。

当初から、会計責任者、議員本人に、「収支報告書に記載しない前提の金である以上、資金管理団体、政党支部などに宛てた政治資金ではない」として、収支報告書を提出不要の「政治家個人宛の寄附」として受け取ったことを認めさせる方向で捜査を行い、事務所の資料等で、議員個人の認識を裏付けることができれば、「政治家個人宛の寄附」であることの立証も可能だったはずだ。

この場合は、「政治家個人宛の寄附」は、政治団体ではなく政治家個人に帰属するので、個人の「雑所得」となる。そこからの支出があったとしても、「(政治団体、政党ではなく)個人の政治活動のための支出」でない限り、雑所得から控除できる経費とはならない。基本的にすべての「裏金」について政治家個人に課税される可能性が高く、追徴税・重加算税等の税務上の措置も受けることになる。これらを含めた制裁の程度は、収支報告書の不記載・虚偽記入罪による「無理筋の起訴」「取引的決着」に終わった検察の捜査・処分より、遥かに「裏金受領議員」にとって厳しいものになったはずだ。 

現行法の枠組みのままでの「連座制」導入は危険

今回の「政治資金パーティー裏金事件」では、本来の政治資金規正法の解釈を前提とすれば、政治資金の寄附の帰属先が特定できないために、裏金受領議員の処罰は極めて困難であるのに、一部の議員については強引に「無理筋の起訴」を行い、一方では、会計責任者等の「自白」で帰属先を特定するという「取引的決着」で、「大穴」の問題自体を覆い隠そうとしている。

このような検察のやり方を問題にすることも、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐこともなく、会計責任者の処罰で国会議員等の政治家が公民権停止となる連座制を導入した場合、どういうことが起きるだろうか。

国会議員と秘書との間でパワハラ等のトラブルが起きる例は枚挙にいとまがない。このような秘書が会計責任者を務めている場合に、収支報告書への記載や領収書の交付が行われていない収入について、その秘書が、検察に対して、政治資金の帰属と不記載の事実を供述し処罰されれば、国会議員が公民権停止で失職することになる。

もちろん、その国会議員が、「裏金」に主体的に関わり、そのことについて責任を免れないのであれば、失職することになっても自業自得である。しかし、国会議員が与り知らないことであった場合であっても、秘書たる会計責任者の供述だけで、国会議員の地位を簡単に奪えるのが、「連座制」なのである。

検察の捜査・処分が恣意的に行われかねない現状のままで、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐことなく、会計責任者が処罰された場合に代表を務める国会議員が公民権停止となる連座制を導入した場合、国会議員は与野党を問わず、検察のご機嫌を窺いながら、議員活動を行わざるを得ないことになる。それは、民主主義に対する脅威にすらなりかねない。

政治資金規正法の改正を行うのであれば、まず、会計処理のデジタルデータ化、リアルタイム公表等によって政治資金処理の透明性を高めること、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐために、国会議員について、個別の団体・政党支部ごとの会計帳簿とは別に、当該国会議員に関連する政治資金の収支すべてを記載する「総括政治資金収支報告書」の作成・提出を義務付けることなどの実体規定が先決である。

会計責任者ではなく政治家個人に重い責任を負わせる方向での法改正を行うのであれば、1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金であり、収支報告書虚偽記入罪の5年より軽い、「政治家個人への寄附の禁止」の罰則を大幅に引き上げること、1994年改正で、それまでの「保有金制度」の下で義務付けられていた、政治家個人の収支報告書の作成・提出義務を復活させること(この場合、虚偽記入について政治家個人が処罰されることになる)なども検討すべきだろう。

令和国民会議(令和臨調)が2月2日に公表した「政治資金制度改革等に関する緊急提言」の論点メモでは、「収支報告書誤記載・虚偽記載に対する罰則強化」として、「公職選挙法における連座制と同様に、政治家の責任を問う仕組みが必要ではないか。」との意見も示されているが、「かりに連座制にまで踏み込む場合には、後述する新たな第三者機関の設置構想と併せて検討を行うことが適当と考える」とされている。

同提言の公表とあわせ、政治資金・政党助成金等を監督する独立性の高い第三者委員会として「政治資金委員会」(仮称)の構想が公表されており、そこでは、「政治資金の分野にも必要最小限の行政監督を導入すること」について、収支報告書の修正命令や、一定期間の寄附の授受や政治資金パーティーの開催の禁止、寄附金やパーティー収益の返還命令など、必要な行政監督や行政処分の内容を具体的に規定し、十分な事務局機能を備えた、準立法的、準司法的権限を有する独立性の高い政治資金委員会を内閣府に置くことが提案されている。

政治資金規正法の運用が、刑事処罰のための検察の捜査・処分の判断に事実上委ねられていることで大きな歪みを生じている状況を是正するための、注目すべき提案である。

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政治資金パーティー裏金事件、「検察審査会の議決による国会議員起訴」は可能性なし

自民党派閥の政治資金パーティー収入を巡る事件で、東京地検特捜部が安倍派幹部らを不起訴としたこと、不記載額が4000万円以上の3人の議員のみを起訴(略式起訴)し、他の議員は処罰の対象とされなかったことについて、国民の間には不満が高まっていることに関して、マスコミは、告発人が検察審査会に審査を申し立て、不起訴処分等が覆る可能性もあるかのように報じている。

 また、検察捜査が行われている最中に、安倍派幹部の起訴の可能性について積極的な見通しを述べていた元検事のコメンテーターも、

「検察審査会で起訴すべきとの議決が出され起訴されて裁判になる可能性がある」

などと発言している。

 しかし、現行法の検察審査会の議決の制度からして、今回の「政治資金パーティー裏金問題」について、検察の不起訴処分が覆されて国会議員が起訴される可能性は、ほとんど皆無に近いことは、過去の検察審査会の審査事例からして明らかである。

 私自身も、後で詳しく述べるように、菅原一秀氏(当時衆院議員)の公選法違反事件、河井元法相夫妻(当時衆院議員・参院議員)の公選法違反事件などで、検察審査会の議決による検察の不当な不起訴処分の是正に関わった経験がある。これらの事件では、実際に起訴相当議決が出され、政治家が起訴されるに至った。

 しかし、それらの事件の経過や検察が起訴に至った理由等との比較からも、今回の「政治資金パーティー裏金事件」で、検察審査会での議決による国会議員の起訴の可能性は、ほとんどないと言わざるを得ない。

 なぜ本件について検察審査会の議決によって国会議員が起訴される可能性が殆どないのかを解説することとしたい。

検察審査会の議決とは

 検察審査会の議決には「起訴相当」「不起訴不当」「不起訴相当」の3つがある。

 有権者からくじで選ばれた11人が、検察の不起訴処分が妥当かを審査し、8人以上が起訴すべきだと判断すると「起訴相当」の議決が出され、検察は再捜査しなければならない。再捜査でも不起訴とされた場合、2回目の審査が行われ、再び8人以上が起訴すべきと結論付ければ、強制力のある「起訴議決」となり、裁判所が指定した弁護士が検察官に代わって起訴する。いわゆる「強制起訴」である。

 「不起訴不当」は、過半数の賛成で議決することができる。この場合は、議決を受けて検察は再捜査をし、その結果、起訴されることもあるが、再度、不起訴処分が行われれば、それで事件は終結する。

 「不起訴相当」の議決の場合に、検察の不起訴処分が妥当と判断されたということなので、そのまま事件が終結することになる。

 検察官の不起訴処分が、検察審査会の議決によって強制力をもって覆されるのは「起訴相当」⇒「起訴議決」の場合だけであり、1回目に「不起訴不当」にとどまった場合は、検察が再捜査し、何らかの処分をすればそれで終わるのである。

検察庁における刑事処分のプロセス

 検察庁における刑事事件の処分に至るプロセスは、事件の性格・軽重に応じて、検察庁としての組織的な関与の程度が異なる。

 例えば、比較的軽微な過失運転致死傷、暴行・傷害、窃盗等の事件の多くは、主任検察官が判断し、直属の上司の一次決裁を受ければ、それがそのまま検察の処分となる。そのような事件で、告訴告発人・被害者が検察審査会に審査を申し立て、「不起訴不当」などの議決となった場合、不起訴処分を行った検察官とは別の検察官が再捜査し、当初の捜査が不十分であり不起訴の判断に問題があったと判断されることもあり得る。このような場合には、検察が不起訴処分を覆して起訴することがある。

 しかし、社会の耳目を集めるような事件、とりわけ国会議員の刑事事件等のように政治的にも大きな影響を生じる事件の場合、検察庁における捜査方針や起訴・不起訴の判断は、地方検察庁のみならず、高検や最高検も関わって慎重に検討され、最終的には、検察組織としての起訴・不起訴の判断が行われる。

 このような事件で、検察が組織として決定した「不起訴」は、余程のことがない限り、検察の側が自ら覆すことはない。「不起訴不当」議決であれば、法的拘束力がないので、検察が再捜査をして自ら起訴することは考えにくい。不起訴処分が覆されるとすれば、検察審査会の議決によって法的強制力が働く場合しかあり得ないということになる。

 具体的には、社会の耳目を集めた政治家などの重大事件において、起訴が行われるのは、「起訴相当」議決が出た後、検察が再度不起訴とし、検察審査会が「起訴議決」を行った場合、或いは、一回目の「起訴相当」議決が出た段階で、検察が自ら不起訴処分を覆して起訴する場合のいずれかであり、いずれにしても、「不起訴不当」ではなく「起訴相当」議決が出ることが必要である。

「起訴相当」議決が出される二つのパターン

 検察の不起訴処分の主な理由には、起訴するに十分な犯罪の嫌疑(証拠)が認められない「嫌疑不十分」、という場合と、犯罪の嫌疑(証拠)は十分あるが、検察官が、刑訴法248条に基づき、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としない」と判断して不起訴とする「起訴猶予」の二通りがある(これ以外にも「嫌疑なし」「罪とならず」「公訴時効完成」「告訴の取消」などの不起訴理由もある)。

 検察審査会の議決の効果は、検察の不起訴の理由が「嫌疑不十分」と「起訴猶予」とで、大きく異なってくる。

 重大事件として社会の耳目を集めた政治家の事件で「起訴相当」議決が出された例には、二つのパターンがある。

 一つは、検察が政治家等に対して行った「起訴猶予」による不起訴が、検察審査会の審査員が代表する国民の判断基準と乖離している場合である。この場合、検察が犯罪成立を認めているのであるから、検察審査会の判断で「起訴すべし」とされて「起訴相当」議決が出されれば、検察もそれにしたがって起訴せざるを得ないという判断になる場合がある。

 もう一つは、JR福知山線脱線事故、明石歩道橋事故など重大事故の業務上過失致死傷事件での「死傷の結果と因果関係を有する過失」を認めるだけの嫌疑(証拠)が認められないとする検察の不起訴処分に対して、遺族側が検察審査会に審査申し立てをしたケースである。このパターンでは、本当に過失が認められないのかどうか、公判審理の上で、法的評価を含めた裁判所の判断を仰ぐことに意味があるのであり、「起訴相当」議決に至ることも珍しくない。

 二つのパターンは、いずれも、前提となる事実については殆ど争いがなく、検察の「起訴は不要」「過失が認められない」という判断に対して、「納得できない」「裁判所の判断を求めるべき」、というのが審査申し立ての理由である。

 一方、特に、特捜部による政治家の事件のように、検察が組織として不起訴を決定している場合、「起訴猶予」であれば、検察審査会の議決による起訴の可能性もあるが、理由が「嫌疑不十分」で犯罪の嫌疑や証拠の問題である場合は、議決によって検察の判断が覆される可能性は極めて低い。

菅原一秀氏の公選法違反

 検察の「起訴猶予」による不起訴が検察審査会で覆された事例の一つが、前記の菅原氏の公選法違反事件である。

 文春砲を受けて東京地検特捜部が捜査に乗り出し、菅原氏が秘書に指示して香典や枕花等を有権者に寄附していた事実は明らかになっていたが、検察は、その金額が少額だという理由などで「起訴猶予」にした。私は、菅原氏が「秘書に嵌められた」などと支持者に説明していたために犯人扱いされていた秘書の代理人として菅原氏を追及する立場にあったが、特捜部は、不起訴処分の直前になって7か月以上も前に受領していた告発状を告発人に送り返し、「告発事件」ではなく、検察が独自に認知立件した事件のように装って、事件が検察審査会に持ち込まれないようにする「検察審査会外し」を画策していたことがわかった。

 検察審査会への申し立てができるのは、告訴人・告発人・犯罪被害者・遺族に限られているためである。

 私は、告発(したが告発状を返戻された)人から委任を受け、審査申し立て代理人として、

有効な告発状を提出している以上、検察が不当に受理せず返戻していても『告発した者』として検察審査会への申し立ては可能

との法解釈に基づいて、検察審査会への申し立てを行った。そして、菅原氏の秘書にも協力を求め、上申書と資料を検察審査会に提出して、菅原氏が行っていた香典や枕花の有権者への提供は、検察が起訴猶予による不起訴処分で認定した金額よりはるかに多いことを明らかにした(【菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か】)。

 ところが、検察は、

「告発状は返戻しており『告発事件の不起訴処分が存在しない』」

として事件記録の提出を拒んだ。そのため、検察審査会は、申し立て審査に対しては「却下」の議決を行った上、職権による審査で検察に事件記録の提出を求め、最終的に「起訴相当」とする議決を出したのである。(検察審査会は、過半数による議決があるときは、自ら知り得た資料に基づいて職権で審査を行うことができる。)

 これを受け、検察は、菅原氏の事件を再捜査し、略式起訴する方針を固め、同氏は議員辞職した【菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!】

 この菅原氏の事案は、検察は「起訴猶予」で不起訴にしており、公選法違反の犯罪の成立自体は認めていた。しかし、それでも検察は、何とか不起訴処分が検察審査会で覆されないように様々な手段を弄して抵抗したので、「起訴相当」議決に至るまでの道のりは容易ではなかったのである。

河井夫妻からの被買収者の公選法違反事件

 河井克行・案里夫妻の公選法違反事件では、起訴された買収事実の多くが、広島県議・市議等の地元政治家への現金供与の事実だったが、東京地検特捜部は、両氏を起訴する一方で、多額の現金を受領した地元政治家の被買収については、刑事立件すらしなかったので、そのことを徹底批判してきた(【河井夫妻事件、“現金受領者「不処分」”は絶対にあり得ない】)。

 河井夫妻の起訴状の内容が明らかになり、地元政治家が現金を受領した時期や金額がすべて特定されたので、広島の市民団体が広島地検に告発状を提出していたが、検察は、告発状を預かったまま受理もしていなかった。

 案里氏の有罪判決が確定し、克行氏の公判での被買収者の証人尋問も終了した時期に、市民団体側から告発状が受理されているのかわからないと相談を受けた私は、広島地検に問い質すよう助言したところ、告発状は東京地検に回付され、受理されていたことがわかった。

 そして、克行氏に対する有罪判決が出た後に、検察は被買収者側をすべて「起訴猶予」処分にしたが、検察審査会が「起訴相当」議決を出し、検察はそれにしたがって略式起訴を行うこととなったのである(【河井元法相事件被買収者、当然の「起訴相当議決」、混乱を長期化させた検察に重大な責任】)。

 この事件では、河井夫妻側を買収で起訴していたのであるから、そのお金を受け取った被買収者の方の犯罪成立を否定することはできない。過去の実務からは、被買収者だけ不起訴はあり得ないのであるが、もし、それを不起訴にするとすれば、「起訴猶予」にせざるを得ない。そうすると、検察審査会で覆されることは必至ということになるため、克行氏の公判での被買収者の証人尋問が続いている間は、告発状を受理しないという不当な対応を続けたのではないかと考えられる。

 2023年7月になり、東京地検特捜部の検事が、克行氏から現金を受け取った地元議員に対して、取り調べの際に、不起訴にすることを示唆したうえで現金が買収目的だったと認めるよう促していたことが明らかになり、大きな問題となった。

 このように、検察が、犯罪事実を認め、「起訴しようと思えば起訴できる」と判断した上で行う「起訴猶予」の不起訴処分の場合は、検察審査会の「起訴相当」議決は一応可能である。しかし、それについても、「検察の正義」の象徴と言える特捜部の事件では、「起訴猶予」による不起訴が相当だとの検察組織の判断が覆される「起訴相当」議決が出ることに対して、検察は手段を選ばす抵抗してきたのである。

「嫌疑が十分ではない」とする不起訴と検察審査会の議決

 一方、重大事件として社会の耳目を集めた政治家の事件で、検察が犯罪の嫌疑(証拠)が十分ではないと判断し「嫌疑不十分」「嫌疑なし」として不起訴にした場合は、検察組織として判断を行っていることから、検察審査会でその判断を覆すことは、殆どの場合不可能である。

 このような事件の場合、「嫌疑が十分ではない」という判断に沿う証拠関係になっており、「起訴して犯罪事実を立証するに足る証拠」が収集されていないからである。

 特捜部の事件というのは、検察自らが事件を立件し、一から証拠を収集し、必要に応じて関係場所の捜索、被疑者の逮捕等の強制捜査を行って証拠を収集し、起訴した場合には、有罪立証に向けて全力を尽くす。

 一方、告訴・告発を受けて捜査を行う場合、起訴は困難と判断すれば、最終的な証拠関係を「嫌疑が十分ではない」との判断に沿うものとなるようにするため、犯罪事実が認められる方向での証拠収集は行わないのが通常のやり方だ。犯罪事実を否定する被疑者の供述は、詳細に説得力をもつ内容として調書に録取するし、起訴する場合に行うような「詰め」の捜査は行わない。

 つまり、検察が「嫌疑不十分」で不起訴にした場合、世の中的には起訴も十分にあり得るのではないかと思われるような事案であっても、検察の事件記録上は、犯罪事実を立証するには証拠が全く足りない、ということになっているのである。

 そのような事案で検察審査会への審査申し立てが行われても、検察から送付される事件記録を見れば、犯罪事実を認める証拠が十分ではないことがわかり、審査の結果、検察の判断が覆ることはほとんどないのである。

極めて特異な経過をたどった陸山会事件での小沢一郎氏の起訴議決

 唯一の例外であり、極めて特異な経過をたどったのが、東京地検特捜部による陸山会事件である。検察は、小沢一郎氏を「嫌疑不十分」で不起訴にしたが、検察審査会で「起訴相当」議決が出て、検察が再度不起訴にし、検察審査会が再度起訴すべきとする「起訴議決」が出されて、裁判所が指定した弁護士によって起訴が行われた。

 この事件では、自公政権から民主党等へ政権交代した直後から、東京地検特捜部が民主党幹事長の小沢一郎氏に対する捜査を続け、秘書3人を逮捕した上、異常な執念で小沢氏の起訴をめざしたが、検察の組織としての判断は「小沢氏の共謀を立証する証拠が十分ではない」という理由で「嫌疑不十分」で不起訴になった。

 ちょうどその直前の2009年5月施行の検察審査会法改正で「起訴議決制度」が導入され、それまでは、検察に不起訴処分の再検討を要請するだけで法的拘束力がなかった検察審査会の議決に、一定の場合に法的拘束力が与えられるようになった。

 実際に、小沢氏の不起訴処分については検察審査会に審査申し立てが行われ、「起訴相当」「起訴議決」で、裁判所の指定する代理人によって小沢氏は起訴された。しかし、結局、一審で無罪、控訴も棄却されて無罪が確定した。

検察審査会を騙して起訴議決に誘導した特捜部

 その小沢氏の刑事事件の裁判の過程で、衝撃の事実が明らかになった。

 2011年12月に東京地裁で開かれた公判において、東京地検特捜部に所属していた田代政弘検事の証人尋問が行われ、前年5月、陸山会元事務担当者の石川知裕衆院議員を保釈後に再聴取した際の状況について、石川氏が全く言っていない内容の供述を「創作」し、石川氏の供述を捏造した疑いが濃厚になった。

「ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになる」と考えて小沢氏への虚偽記載の報告を認めた

という捜査報告書の記述が、石川氏の供述に基づかないことが、石川氏が取調べ室に持ち込んだ録音機の記録から判明したのである。

 その報告書は、小沢被告に対する「起訴相当」「起訴議決」を出した東京第5検察審査会にも提出され、審査の資料とされ、議決書にも一部が引用されていた。

 この陸山会事件で、小沢氏は「嫌疑不十分」で不起訴となっており、検察の組織としては、犯罪事実の認定について消極の判断をしている。検察審査会の「起訴相当」議決を受けて行われる再捜査において、わざわざ、検察の不起訴処分を覆す方向で捜査を行い、虚偽の捜査報告書を作成してまで、小沢氏の犯罪事実を認めさせようとする行動は、特捜部が、検察組織全体の方針に反して、検察審査会を「起訴議決」に向けようとしたものとしか考えられなかった。

 検察審査会の審査員が小沢氏との共謀を認める石川氏の供述調書を信用し、小沢氏に対する起訴議決を行うようにするため、田代検事に虚偽の捜査報告書を作成させる、という行為が、東京地検特捜部内での組織的な背景を持って行われた疑いが濃厚であった。

 つまり、この小沢氏に対する議決は、検察捜査を行った東京地検特捜部が画策し、「起訴しようと思えば起訴できるような証拠関係」を整えており、しかも、その中には、供述を捏造した虚偽捜査報告書も含まれていた、という特異事例だったのであり、通常、「犯罪の嫌疑が十分ではない」という検察組織の判断に沿う方向に証拠が整えられているのとは真逆だったのである。

田代検事の虚偽有印公文書作成罪の事件での「不起訴不当」議決

 この虚偽捜査報告書の作成を実行した田代検事は懲戒処分を受けて辞職した後、市民団体から虚偽有印公文書作成と小沢氏の公判での偽証の疑いで告発された。2012年11月に検察は田代氏を「嫌疑不十分」で不起訴としたが、検察審査会に審査申し立てが行われた。

 これに対して、検察審査会は、2013年4月19日に、田代氏について、「不起訴不当」とする議決を行った。

 この件について、私は、事件当時の法務大臣で、検察の不起訴処分を再検討するよう指揮権を行使しようとした小川敏夫氏、石川知裕氏等との対談を収録した【検察崩壊 失われた正義】(毎日新聞社:2012年)を公刊するなどして、この不起訴処分の不当性を訴えた。

 前記のとおり、一般的には「嫌疑不十分」による不起訴処分は、証拠上の問題から、検察審査会で起訴相当議決が出される可能性は皆無に近いと言えるが、同書の中でも述べているように、この田代検事の事件は、石川氏の録音記録と、田代検事が作成した捜査報告書との比較だけで、虚偽有印公文書作成罪の犯罪成立が証拠上明白で、「起訴相当」議決も十分に考えられる特殊な事例だった。

 しかし、実際には、検察審査会の議決は、「不起訴不当」にとどまり、検察の再度の不起訴で、事件は終結した。

 議決書では「不起訴不当」の理由について、

 虚偽有印公文書を作成するにつき故意がなかったとする不起訴裁定書の理由には十分納得がいかず、むしろ捜査が不十分であるか、殊更不起訴にするがために故意がないとしているとさえ見られる。
 記憶の混同があったとする田代の供述が信用し難いことは、前記虚偽有印公文書作成・同行使のとおりであって、俄に証言が記憶に反したものとは言えないとする検察官の不起訴裁定には賛同できないので、偽証についての同処分は不当であると判断した

と述べている。

 検察審査会には、上記著書で述べていることはほぼ理解されており、田代検事作成の報告書が虚偽公文書であり、それについて「記憶の混同」とした田代検事の証言が虚偽だと認めた上で、「犯意」についての証拠が十分ではないので、さらに捜査を尽くすべき、というのが、検察審査会の結論なのである。

検察審査会の起訴議決制度の限界

 田代氏の事件ですら「不起訴不当」にとどまったことが、現行の検察審査会法における起訴議決制度の限界を示していると言うべきであろう。

 政治家の事件で、「嫌疑が十分ではない」という理由で不起訴になった事例で、検察審査会が「起訴相当」議決を出したケースは、東京地検特捜部が検察審査会を騙して起訴議決に誘導しようとした陸山会事件における小沢一郎氏の事例以外にない。

 検察審査会の議決で覆すことができるのは「検察の判断」であり、「検察の捜査の不作為」について、検察審査会が代わって捜査をすることはできない。「犯罪事実は認められるが、敢えて起訴しない」とする「起訴猶予」の判断を覆して、「起訴相当」議決を行うことはできるが、「嫌疑不十分」「嫌疑なし」などの検察の不起訴について、「捜査が尽くされていない」「もっと捜査すべき」と判断しても、検察審査会は自ら捜査を行うことはできないので、「不起訴不当」の議決を出して、検察の再捜査に期待することしかできない。しかし、現行法では、仮に審査員全員一致で「不起訴不当」の議決が出されたとしても、検察に対する法的拘束力はなく、再度の不起訴で事件は終結してしまうのである。

検察審査会議決での国会議員の起訴の可能性は殆どない

 今回の「政治資金パーティー裏金事件」での検察の不起訴処分に対して、検察審査会への申し立てが行われても、議決によって国会議員が起訴される可能性が殆どないことは明らかだ。

 安倍派は、政治資金パーティーの主催側として、キックバック等で裏金を供与した会計責任者が政治資金収支報告書虚偽記入の罪に問われたが、安倍派幹部の国会議員については、不起訴処分の裁定主文は「嫌疑不十分」ですらなく、「嫌疑なし」である。検察捜査の結果としての事件記録上は、幹部の会計責任者との共謀を認める証拠は「皆無」だということであり、安倍派幹部について検察審査会の議決で起訴される可能性は皆無である。

 では、裏金を受領した側の国会議員についてはどうか。

 これについては、起訴ないし略式起訴された3議員の事件以外は、現時点では告発は行われておらず、刑事立件も行われていない。今後、各議員の収支報告書の訂正等を受けて具体的な不記載額が判明すれば(各年毎の不記載額も含めて)、告発が行われる可能性がある。

 告発は、会計責任者だけではなく、国会議員本人も告発の対象とされる可能性が高いが、検察は、会計責任者については上記3議員と比較して不記載金額が少ないという理由で「起訴猶予」、国会議員については共謀の証拠がないとして「嫌疑なし」又は「嫌疑不十分」で不起訴とするのであろう。

 この場合、会計責任者の「起訴猶予」に対して、「起訴相当」議決が行われる可能性はある。しかし、国会議員については、「起訴相当」議決はおろか「不起訴不当」議決が出される可能性すらほとんどない。

検察捜査の方向性への基本的疑問と今後の議論

 「陸山会事件での検察審査会の小沢一郎氏の強制起訴」が世の中に強烈に印象づけられているため、検察が政治家を不起訴にした事件で検察審査会の「起訴相当」「起訴議決」の可能性があるかのように認識される傾向があるが、小沢一郎氏の事件は、特捜部が虚偽公文書作成という犯罪行為まで行って検察組織の不起訴の決定を覆そうとした特異な事例であり、他の政界捜査の事件に当てはまるものではない。

 検察は還流金を政治団体宛の政治資金に結び付けて「政治資金収支報告書の虚偽記入罪」で処罰することにこだわり、「政治家個人宛の寄附禁止」違反としての処罰、還流分を「個人所得」だとする課税の面からの捜査を行ってこなかった。

 そのことに対する疑問は、1月29日の衆参両院の予算委員会の集中審議で、立憲民主党小西洋之議員、日本維新の会音喜多駿議員等の質問でも指摘されている。検察の捜査・処分への国民の不満を、その捜査の延長上で検察審査会での議決に過大な期待をかけることで解消しようとするのではなく、検察捜査の方向性が根本的に誤っていたのではないかという観点からの議論に向けるべきである。

 今回の事件での検察審査会の議決による国会議員の起訴の可能性は殆どないという現実を直視した上で、政治資金をめぐる制度論や政治家個人への課税についての議論に向けていくべきである。

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安倍派幹部の「単なる不記載・裏金否定」説明は、杜撰な政治資金会計制度が根本原因

1月21日の記事【「政治資金パーティー問題」は単なる「不記載」なのか?安倍派幹部の「虚言」か、マスコミの「歪曲報道」か】で、これまで、マスコミでは「政治資金パーティー『裏金』事件」と報じられてきたことと、安倍派幹部が、収支報告書への「単なる不記載」であり、「裏金」ではないかのように説明していることとの間に、大きな落差があることを述べた。安倍派幹部のいう「裏金」というのは、政治資金として帳簿に載せられないような使い方をするお金(全額が「個人所得」とされても仕方がない金)のことを指すようだ。

政治資金処理の問題に関して、会社であれば、決算報告書や会計帳簿に「収入を故意に記載しない」という行為は、通常、「裏金作り」そのものである。それなのに、なぜ、政治資金収支報告書に関しては、「単なる不記載であって裏金ではない」という説明があり得るのか。

それは、企業会計が複式簿記であるのに対して、政治資金処理が、「単式簿記」であり、資産・負債の残高が収支報告書の記載の対象外になっていることによるところが大きい。

「単式簿記」と「複式簿記」

収入と支出だけが記載されていて、資産負債の残高の報告が求められない「単式簿記」の場合は、収支と預金や借金の残高の増減との整合性が確認されない。家計簿が典型例であるが、家計への収入と支出だけを記録しているものなので、消費者金融から借金を受けたり、その返済をしていても、逆に、収入の一部を「へそくり」としてタンスに隠していても、家計簿上はわからない。

政治資金収支報告書も、収入と支出の差が、翌年度への繰越額として記載されるだけで、当該政治団体の「客観的な財政状態」はわからない。そこに、収入と支出が収支報告書(P/L)に記録され、必ず、資産負債報告書(B/S)に反映される企業会計とは大きな違いがある。

今回の政治資金パーティーの還流の問題を、企業間の取引に例えれば、親会社Aの大規模イベントでノルマを超えてA社の商品を販売してくれた子会社Bの社長Xが、その分を「販売手数料」として受け取ったようなものだ。

通常、「販売手数料」は、B社の収入としてB社の決算報告書に記載され、その分、B社の資産が増える。それを、もし、A社側から、Xに「B社の収入として決算報告にも記載しないでほしい」と言って渡され、実際に収入から除外して処理するとすれば、「裏手数料」として、B社には入金せず、Xが自由に使うことができる「裏金」となる。

複式簿記であれば、会計処理において収入・支出と資産・負債とは連動し、毎年の決算報告書には、その年の収入・支出だけではなく、提出時の資産負債残高が記載される。「A社からの販売手数料」が収入としてB社に入金処理されれば、その年度の決算報告で収入として計上される。計上されないようにしようと思えば、入金処理をしないで、簿外資金にするしかない。入金処理しないまま、その金を他の収入と同じように会社の金として扱おうとすれば、別の名目の収入として虚偽の入金処理をするしかない。

つまり、複式簿記では、「収入として記載しない」ということは、資産・負債関係に影響があるので、それとの辻褄も合わせる必要が生じる。単に、収入には計上しないというだけの「(裏金ではない)単なる不記載」のような説明は困難なのである。

政治資金収支報告は「家計簿並みの単式簿記」

政治資金収支報告書も単式簿記であり、家計簿と同じように、収支報告書には資産残高を記載しないので、その前年からの資産の増減はわからない。毎年の収支を総括して、収入が多ければ、「翌年度への繰越金」とされるが、それは実際の政治団体の口座の残高とは一致しないこともありうる。寄附等の収入を一部除外していても、資産・負債残高の増減との整合性がチェックされないので、簡単にごまかすことができる。

もちろん、政治資金規正法は、政治団体に会計帳簿の備え付けを義務付けており、入出金が逐次記帳されていればごまかしもできないのだが、実際には、会計帳簿に政治資金収支をリアルタイムで逐次記帳している例など聞いたことがない。

派閥からの還流が政治団体に入金されて他の政治資金と混同して政治資金に使われているのに、収支報告書の提出時に、収入欄にはその還流分を記載しないことにすると、その分、収支がマイナスになることになるが、単式簿記の政治資金収支報告書では、毎年の資産の残高が記載されず、前年からの増減も問題にならないので、翌年度への繰越額が少なくなるだけで、収支報告書上はわからない。還流分を記載していなかったことが後日露見したとしても、その金額を訂正記載し、その分、翌年度への繰越額を増やせばよい、ということになる。

今回の事件は、派閥の政治資金パーティー券を、ノルマを超えて販売してくれた所属議員側に還流し、それを派閥側から所属議員の収支報告書に記載しないように指示したということであるが、仮に、還流分の収入を、その政治団体の通常の政治資金の収支に組み入れて区別しないで使っていたとしても、収支報告書には派閥からの寄附の収入を記載せず、その分、翌年度への繰越額を過少に記載するということがあり得ないわけではない。

このようなことから、安倍派幹部は記者会見で、「裏金」ではなく、収支報告書の「単なる不記載」だなどと説明しているのである。

もちろん、還流分の「単なる不記載」に過ぎなかったとしても、政治資金規正法上は、派閥からの収入の不記載ないし、収入欄の虚偽記入という明白な違反である。しかし、「不記載」であること以外は、政治資金としての収支の実態は、通常の政治資金と何ら変わらず、単に、収入欄に記載しなかっただけという、まさに「形式犯」だとすれば、多くの国民が「裏金問題」と認識している今回の「政治資金パーティー問題」とは全く異なるものであろう。

安倍派側から所属議員が、収支報告書に記載しない「自由に使えるお金」として受け取り、実際に、所属議員の思うままに、表に出せない使い方をしてきたものと多くの国民が認識していたはずであり、私も、安倍派幹部の記者会見での説明を聞くまでは、「裏金」であることを前提に、この事件を論じてきた。

「裏金」の実態についてのポイント

そこで重要なことは、安倍派から所属議員への還流に、「単なる不記載」ではない(通常の政治資金ではない、自由に使えるお金としての)「裏金」だとの実態がどの程度あったのかである。

この点についての事実解明・捜査のポイントは、(1)還流金を「収支報告書に記載しない」というのが、どのような趣旨であったのか(通常の政治資金とは異なる「政治活動以外の使い方でもよい、自由に使っていい金」という趣旨であったのか否か)、(2)所属議員事務所側でどのように管理されたのか、通常の政治資金と区別されてプールされ、使用されていたのか否か、(3)還流された金が何に使われたのか、政治活動にのみ使われていたのか、の3つだ。

この3つは、相互に関連する。

(1)の還流・収支報告書不記載の趣旨・目的が、まさに今回の政治資金パーティー問題の本質であるが、長年にわたって慣例的に行われてきたと言われているので、どのような目的で始まったのかを明らかにすることは容易ではない。また、通常の政治資金とは異なる「政治活動といえないようなことにも自由に使っていい金」であったことは、仮にそうであったとしても、安倍派側、議員側が、その事実を認めようとはしないであろう。そうなると、(2)の資金の管理形態と(3)の使途から、(1)の還流・不記載の趣旨・目的を推認することになる。

少なくとも、(1)について、「政治資金に限らず自由に使える金」というものであったことが否定され、(2)について、収支報告書で公開する予定の「表の政治資金」と区別されずに管理されていた実態があったとすれば、(3)の還流金の使途も、通常の政治資金と同様ということになり、「単なる不記載」であり、「(安倍派幹部のいう)裏金ではない」との弁解が否定できないことになる。

昨年12月に入り、岸田内閣の閣僚を含めた「裏金」の金額等が次々と報道された。その時点での検察の捜査結果として、少なくとも上記(1)(2)について、「裏金」を裏付ける事実が明らかになっているものと思っていた。

ところが、捜査の事実上の終結後、安倍派幹部は、会見で「単なる不記載」だとして「裏金」を否定する説明を平然と行った。

還流を受けた議員の説明内容

それ以降、安倍派所属議員が、記者会見を開き、還流を受けていた金額を明らかにし、上記(1)~(3)についても、記者会見等で説明しつつある。

説明内容は議員によって異なるが、上記(1)~(3)との関係で言えば、(1)については、秘書(会計責任者)が、「還流分について派閥側から不記載の指示を受けた」と説明するだけであり、それが、通常の政治資金の寄附と異なり「自由に使える金であった」とする議員はいない。

一方、(2)については、ほとんどの議員が、現金のまま、或いは別口座に入金するなどして、通常の政治資金とは区別して保管していたことを認めている。

(3)の使途については、「政治活動に使った」との説明で一致しており、政治資金収支報告書の支出を訂正して、その使途を具体的に明らかにする方針を示している議員もいる。

結局のところ、(2)の資金の管理の点以外は、「裏金」の実態は否定する説明であり、今回の安倍派政治資金パーティーについての還流が、「単なる不記載」なのか、「裏金」なのかは、所属議員の説明からは判然としない(最近5年間の還流金を殆どそのまま保管していたと会見で説明した谷川氏については、「裏金」ということになるのであろう)。

今後、還流を受けていた安倍派所属議員が、資金管理団体などの政治資金収支報告書の訂正を行った場合、収入欄には、還流分を「安倍派からの寄附」として記載する一方で、支出欄にどのように記載するかに注目すべきである。

(ア)政治資金としての支出を具体的に記載し、領収書等の支出の裏付け資料も添付、(イ)具体的に記載するが、領収書等の根拠資料の添付はなし、(ウ)翌年度への繰越金、の3とおりの記載があり得る。

支出の訂正記載すべてが(ア)であれば、「単なる不記載」であったことが客観的に裏付けられ、個人所得の脱税の疑いも解消されることになる。一方、(ウ)であれば、実質的に「自由に使える裏金」だったということになる。この場合の「翌年度への繰越金」が政治活動の支出のためだと説明するのであれば、それは実際のところ、「次の選挙のための政治活動の資金」なのではないか。そのようなものを、収入があった時点で収支報告書にも記載せず、後になって「政治活動費」だと主張することなど、世の中の理解は得られないし、税務当局も認めないのではなかろうか。そうなると、還流金全額が「個人所得」とされ脱税とされる可能性もある。

問題は、(イ)である。国会議員関係団体であれば、本来、1円以上の支出すべてに領収書を添付しなければならない。「これを徴し難い事情があるときは、この限りでない。」とされているのであるが(19条の9が引用する11条1項但し書)、通常の政治資金とは異なり、もともと「収支報告書に記載しない前提」でやり取りされた還流金について、領収書を「徴し難い事情」など、認めてもよい場合は殆どないと解するべきであろう。

「裏金」の実態と検察の公判立証での注目点

検察は、「裏金」の実態を解明するために、地方からの数十名の応援検事も含め、年末年始休暇返上で大規模捜査体制を組織し、徹底した証拠収集と取調べを行ったはずだが、国会議員の起訴は、大野泰正参議院議員を公判請求、谷川弥一衆議院議員(既に議員辞職)の略式請求、逮捕・勾留中の池田佳隆氏も含めても3名にとどまる見通しだ。

安倍派の会計責任者も含め、今後の公判でどのような立証が行われるのか、検察が安倍派幹部のような説明を覆す立証を行えるのかが注目される。

その主戦場は、約5000万円の「安倍派からの寄附」を除外した収入総額を記載した政治資金収支報告書の虚偽記入で起訴された大野氏、そして、逮捕・勾留され、間もなく起訴されると予想される池田氏の公判だ。

大野氏も、起訴された1月19日に記者会見を開き、起訴された刑事事件に関するためとして詳細な説明は避けたものの、還流分はすべて政治活動に使い、収支報告書の不記載については、大野氏自身は全く知らなかった、政治資金の処理は「すべて会計責任者の秘書に任せていた」と説明した。

安倍派幹部と同趣旨であるように思える大野氏の主張を、検察が、どのように覆し、「裏金」の実態を立証できるのかが注目される。

一方、池田氏は、12月8日、資金管理団体の収支報告書の収入欄に、「安倍派からの寄附」として3200万円を記載し、一方で、支出欄は全額「翌年度への繰越金」として記載した。上記のとおり、このような記載しかできなかったのは、還流金が、政治資金ではなく個人所得であったと見るべきではなかろうか。そうなると、池田氏の上記「政治資金収支報告書の訂正」自体が虚偽記入であった疑いが生じる。

検察が、池田氏をどのような犯罪事実で起訴し、公判でどのような立証を行うのかにも注目すべきだ。

いずれにせよ、政党助成金制度の下で、政治資金として多額の国費による助成が行われているにもかかわらず、国会議員も含めた政治資金の処理が、すべて家計簿並みの単式簿記で行われていること自体が、明らかな制度の不備だ。

複式簿記が導入されていれば、安倍派幹部のように「単なる不記載」などと説明することは難しくなる。

企業社会では、会計処理のデジタル化が進んでおり、入金処理は、複式簿記による会計ソフトで自動的に処理されるのが当然になっている。

政治資金収支報告書の複式簿記化が一部で提案されたこともあったが、政治資金規正法の改正に関して真剣に議論されたことはない。今回の自民党派閥政治資金パーティーをめぐる問題を受けて、少なくとも、政治資金監査が義務づけられている国会議員関連団体だけでも複式簿記化し、企業会計のレベルに近づけることが検討されるべきである。

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「政治資金パーティー問題」は単なる「不記載」なのか?安倍派幹部の「虚言」か、マスコミの「歪曲報道」か

 東京地検特捜部が、昨年12月から、全国からの応援検事数十名を動員し、かつてない大規模捜査態勢で行ってきた、自民党各派閥の「政治資金パーティー裏金事件」、先週金曜日(1月19日)に、「裏金受領国会議員」3名、派閥と議員の政治団体の会計責任者ら5名の8名が起訴(略式起訴を含む)され、捜査は概ね終結したと報じられた。

 これを受け、不起訴処分となった安倍派(清和政策研究会)の幹部が、次々と記者会見を行い、「会計責任者が起訴された刑事事件に関することについての言及は控える」と言いつつも、今回の事件に対する説明を行った。

 塩谷立座長は、

「(安倍派事務局長側の)誤った説明など長年にわたる事務的なミスリードにより、所属議員事務所の誤った処理をさせた」

と説明し、また、前事務総長の西村康稔氏は、X(旧ツイッター)で、

「清和会の収支報告書の作成と提出は、会計責任者である事務局長において行ってきており、収支報告書に記載しないことについても、長く慣行的に行われてきたようでありましたが、私たち幹部も、今回の問題が表面化するまで知りませんでした」
「事務局から関係政治団体の収支報告書への記載は不要だとする旨の説明が過去からなされていたと聞いていますが、このため、いわゆる裏金作りなどの意図はなかったであろうに、特に所属の若い議員に大きな傷を与えてしまった」

などと述べて、「裏金作り」の意図を否定している。

 これら安倍派幹部の説明は、「政治資金の寄附」として、安倍派と所属議員の政治団体の政治資金収支報告書に記載すべきであった、(記載しておけば何の問題もなかった)のに、(何らかの事情で)記載しなかったという「収支報告書の記載上の事務的な問題」であった、との点で一致している。

 その説明のとおりであるとすると、そもそも今回の問題は、「政治資金パーティー券のノルマ超の売上」について、安倍派から所属議員に「裏金」が供与されたということではなく、通常の収支報告書に記載する「表の政治資金」と同様の性格の寄附が行われ、それが、通常の政治資金と同様に使われただけだったことになる。

 そもそも、収支報告書で公開しない前提で資金をやり取りし、実際に、その事実を収支報告書で公開しないということ自体が政治資金規正法上、全く許されないものであることは明らかだ。

 しかし、それが、常に、実質的に「裏金」と評価されるとは限らない。一般的には、「裏金」というのは、単なる「収支報告書への不記載」にとどまるものではない。「表に出さない金」「領収書不要の金」であり、少なくとも「政治活動費」として使途を公開することに支障があるからこそ「表の政治資金」とは区別して扱うものである。

 私の検事時代での経験で言えば、20年前、長崎地検次席検事時代に捜査を指揮した自民党長崎県連事件では、県連幹事長が、収支報告書で公開する「表の寄附」と公開しない「裏の寄附」とを区別してゼネコンから献金を受領し、「裏金」は、表に出せない飲食代等に費消していたこと、年に1回開催する県連政治資金パーティーの収入の一部を収支報告書に記載しないで「裏金」化し、党本部から招いた党幹部への数百万円に及ぶ高額のお土産品の購入代に充てるなどしていたことが明らかになった。

 そういうものが典型的な「裏金」であり、それは資金を受け取る時点で、表の金とは明確に区別して管理され、使用するのが通常だ。

 キックバックを行う当事者双方が、そのような「裏金」と認識して授受したのであれば、その趣旨と、それを所属議員事務所でどのように取り扱うかについて、所属議員が認識していないことはあり得ない。

 安倍派幹部の説明は、「ノルマ超のパーティー収入のキックバック」が、上記のような「裏金」であることを全面的に否定するもので、それが真実だとはにわかに信じ難いのであるが、仮に、そうであったとすれば、昨年12月から約1か月半にわたって、日本の政界に大激震を生じさせ、令和のリクルート事件」とまで言われたこの「事件」とはいったい何だったのか、ということになる。

 当初、神戸学院大学上脇博之教授が、自民党各派閥の政治資金パーティーにおいて、パーティー券を購入した政治団体側の収支報告書記載では20万円超となっているのに、派閥の収支報告書には記載されていないものが、5派閥で合計約4000万円あるという「形式的な違反」について告発が行われたことを受けての東京地検特捜部の捜査が、「キックバック裏金事件」に発展していった段階で、各派閥、特に安倍派の会計責任者は、どのように供述していたのか、それを受けて「キックバック」を受領していた議員の事務所の会計担当者の聴取が行われた際には、どのような供述が行われていたのか。

 安倍派から所属議員へのキックバックを「収支報告書に記載しない」ということの意味が、「通常の政治資金と同様に扱うが、単に収支報告書に記載しない」という趣旨なのか、「裏金」として、通常の資金とは異なる領収書不要の金として扱ってよい、つまり「自由に使ってよい金」という趣旨なのか、安倍派事務局長と所属議員の会計担当者は、どのように供述していたのか。

 その頃から、安倍派から所属議員に「裏金」がわたっていた、との報道が行われるようになり、松野博一官房長官についても「1000万円裏金受領」が報じられ、国会での野党側の追及に「答弁差し控え」を繰り返した松野氏は官房長官辞任に追い込まれた。そして、その後、岸田文雄首相は、安倍派の大臣・副大臣8人全員を事実上更迭する事態に至った。

 この際の報道のキーワードとなったのが「裏金」であり、その政治資金パーティーのノルマ超売上のキックバック問題が、単なる収支報告書の不記載ではなく、「裏金」の実体があるからこそ、そのような言葉が使われているだろうと誰しも思ったはずだ。

 このような情報が安倍派側からは出ようがなく、検察側からのリークである可能性が高いが、リークしたかどうかはともかく、検察側が、もし「裏金」ではなく単なる「不記載」だと認識していたのであれば、非公式で行われる東京地検次席検事の定例会見等において、その点を是正するのが当然であろう。

 改めて考えてみると、今回の事件では、安倍派幹部や所属議員にキックバックされた「裏金の金額」が連日のように報じられてニュースや新聞紙面をにぎわし、世の中は、その「裏金」に対して怒りを爆発させたが、その割には、キックバックされた「裏金」の使途の話が全く報じられない。また、逮捕された池田佳隆衆議院議員の被疑事実でも、在宅起訴された大野泰正参議院議員の起訴事実でも、「虚偽記入」とされているのは、収入欄に、キックバックされた「安倍派からの寄附」を記載しなかったことだけだ。支出欄の虚偽記入は全く問題にされていない。結局、それらには、「裏金」の実体は全く含まれておらず、寄附についての不記載だけの問題であるようにも思える。

 しかし、一方で、もし、単なる「収支報告書不記載」に過ぎなかったのであれば、もともとは形式的な違反に過ぎなかった上脇氏の告発事件の検察捜査で派閥の会計担当者の聴取が行われるようになった際に、自民党側が動揺し、騒ぎが大きくなっていたのはなぜなのか、特に、自民党側の認識や状況を正確に把握しているはずの政治ジャーナリストの田崎史郎氏などは、当初から、

「この事件は大事件になる。『令和のリクルート事件』になる」

と述べていた(12月3日、BS朝日「激論クロスファイア」)。

 しかも、全国から、年末年始休暇返上で数十人もの応援検事を集めた大規模捜査態勢で捜査が行われたことからしても、「裏金」の実体があったことについて当事者の供述がなく、単なる「不記載事件」としての証拠しかなかったとは思えない。

 安倍派幹部が、口を揃えて説明しているように、単なる「不記載」であり、裏金の実体はないのか、それとも、これまで報道されてきたように、通常の政治資金とは異なる「表に出せない金」としての「裏金」なのか、それは、事実上終結した検察捜査の中で、安倍派の事務局長の供述、所属議員の会計責任者等の供述によって明らかになっているはずである。

 前者であれば、この事件について、昨年12月以来報道されてきた「裏金報道」は、虚偽とまでは言えないが、実体とは大きく異なり事実を歪曲する報道だったことになる。逆に、後者であれば、安倍派幹部は、この期に及んでも、今回の事件の核心部分について重大な「虚偽説明」をしていることになる。

 この点は、国民にとって、日本の政治・社会に大きな影響を生じさせる重大な事項であり、検察当局は、起訴された国会議員、会計責任者等の公判を待つまでもなく、現時点で明らかにできる事項だけでも説明をすべきである。

 それをしないのであれば、法務大臣が一般的指揮権(検察庁法14条本文)に基づいて、本件に対する適切な対応を行うよう検察当局に指示すべきであろう。

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政治資金パーティー裏金は「個人所得」、脱税処理で決着を!~検察は何を反省すべきか。

先週土曜日(1月13日)、NHK、毎日などで「安倍派幹部刑事立件見送り」と報じられたことで、国民の怒りが爆発している。

X(旧ツイッター)などのSNS上では、「安倍派幹部の立件断念」「地検特捜部」などがトレンド入りし、検察への批判、不満、失望、絶望などの夥しい数の投稿が並び、「#検察は巨悪を眠らせるな」、などのハッシュタグの投稿も膨大な数に上っている。

昨年12月には、検察リークと思える報道で安倍派幹部の閣僚級国会議員の名前が次々と報じられ、年末には、安倍派、二階派の事務所に対して捜索が行われたことで、検察捜査に対する期待は最高潮に達し、「安倍派幹部は全員逮捕」などの声まで上がっていた。そのような検察捜査への期待が、突然の「安倍派幹部の刑事立件見送り」の報道で一気に冷や水を浴びせられたことで、ネット上の批判が凄まじいものとなった。

そして、本日(1月16日)、処分の見通しについては沈黙していた読売新聞も、「安倍派幹部7人不起訴へ、会計責任者との共謀認定できず」と報じ、派閥幹部の不処罰が確実なものとなったことで、世の中の反応は一層激しくなっている。

このような「政治資金パーティー裏金問題」をめぐる状況に関して、国民は何に怒り、不満を爆発させているのだろうか。

直接的には、「当然処罰されると思っていた安倍派幹部が処罰されない見通しと報じられたこと」であり、検察の捜査と処分の見通しに対する不満である。今回の東京地検特捜部の捜査は、当初から、政治資金規正法の「政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪」の容疑で行われ、その罰則を適用して刑事処分を行うことをめざしてきた。そのような政治資金規正法違反による捜査処分が、国民の期待を裏切る結果になりそうだということが、国民の激しい反発の直接的な理由だ。

しかし、SNSの投稿の中身をみてみると、実は、国民が今回の事件で憤っていることの大きな要素に、「課税に対する不公平感」がある。今回の問題は、安倍派の幹部を含む多くの政治家が、政治資金パーティーの収入から多額の「裏金」を得ていたという問題である。政治資金規正法という法律上は、政治資金収支報告書による「政治資金の収支の公開」の問題であり、その記載義務に違反したことに対する罰則適用の問題だが、国民が怒っているのは、「収支報告書の記載」の問題ではない。

国会議員が、政治資金パーティーの売上の中から、自由に使っていい「裏金」を受け取り、それについて税金の支払を免れているということに対して、激しく怒っているのである。

国民は、事業者も、サラリーマンも、汗水流して働いたお金を報酬・給与として得る。それについては、法人の事業を行って得たお金であれば「法人税」等を、個人の収入として得たお金であれば「所得税」等を支払わなければいけない。その上で、残ったお金を自由に使うことができる。

ちょうど、今、個人事業主などは、確定申告に向けて気の滅入るような作業を強いられ、それによって税金を払わざるを得ないことになる。しかも、昨年10月にインボイス制度が導入され、「会計処理の透明化」の動きが中小企業や個人事業主にも及び、多くの国民がその負担に喘いでいる。それなのに、政治家の世界では自由に使えて税金もかからない「裏金」という、「領収書不要の金のやり取り」が行われている。

自民党安倍派は、大規模な政治資金パーティーで巨額の収入を得て、その一部を裏金で所属議員に分配し、彼らは税金も支払わず、自由に使っている。そのことに対して国民は怒りを爆発させている。Xの投稿で、「納税の義務」「納税拒否」がトレンドになっているのも、そういう理由からなのである。

これまで、「自民党政治資金パーティー裏金問題」については、「東京地検特捜部による捜査」に関心が集中し、次々と報じられる検察捜査の展開についての報道を、国民は固唾をのんで見守ってきた。果たして、今回の「裏金問題」は何をどう問題にして、どうすべきだったのか。

これまでは、検察捜査に関心が集中し、政治資金規正法の視点ばかりが取り上げられてきた。しかし、もともと、政治資金規正法による処罰には限界があった。

むしろ、「課税の問題」「脱税の問題」がこの問題の本質ではないのか。政治資金規正法違反の刑事事件の結末に対して、国民が憤っていることの背景に、課税の不公平に対する強烈な不満・反発があるのである。ここで、改めて、今回の問題について「課税」という観点から取り上げてみるべきなのではないか。

 この点について、「今回の政治資金パーティー裏金問題は脱税の問題ととらえるべき」と指摘してきたのが経済評論家の野口悠紀雄氏(一橋大学名誉教授・元大蔵官僚)だ。現代ビジネスの記事【パーティー券問題はなぜ脱税問題でないのか? 国民の税負担意識が弱いから、おかしな制度がまかり通るのだ】などで

「パーティー券収入そのものが非課税であっても、使途を限定していないキックバックは課税所得であるはずだから、それを申告していなければ脱税になるはずだ。」
「派閥からは、キックバックは政治資金収支報告書に記載しなくてもよいとの指示があったと報道されている。ということは、政治資金として使う必要はなく、どんな目的に使ってもよいという意味だろう。だから、この資金が課税所得であることは、疑いの余地がなく明らかだ。」

との指摘を行ってきた。

 今回の問題が「政治資金規正法違反」としてとらえられてきた背景には、政党・政治団体・政治家の金銭のやり取りは、基本的に「政治活動」に関するものであり、「政治資金」である以上、すべてが課税の対象外だという認識があった。それは、政治資金収支報告書に記載されても、記載されない「裏金」でも同様であり、そこで所得税等の税金の問題が発生するのは、「政治資金を私的用途に流用した場合」、その事実が具体的に明らかになった場合だけだというのが、これまでの一般的な認識だった。

私自身も、今回の「裏金問題」について、安倍派(清和政策研究会)という「政治団体」とその所属国会議員という政治家の関係での金銭のやり取りだから、「政治資金」であり、課税の対象外と考えてきた。

これまで書いてきた記事でも、「裏金を、個人的用途に費消したり、個人的蓄財に充てられたりしていれば、個人の所得ということになり、税務申告していなければ脱税となる。但し、国税と検察で「逋脱犯の告発基準」を取り決めており、逋脱所得がその基準を上回らなければ脱税の刑事事件にはならない。」という趣旨のことを繰り返し述べてきた。

しかし、野口氏の見解は、それとは大きく異なる。

「使途を限定していないで受け取るお金」は基本的に「個人所得」であり、「政治資金」がその例外になるとすれば、そのための手続が正しく行われている必要がある。今回の問題のように、「政治資金収支報告書に記載しない」という前提で渡された「裏金」というのは、「政治資金」の正規の手続をとらない前提で渡しているのだから個人所得、という考え方だ。

野口氏の見解を前提にすれば、本来、今回の「裏金問題」は、検察ではなく、国税当局が動き、脱税での摘発を検討すべきであり、「裏金受領議員」も、申告していなかった所得税の修正申告を行って納税するのが当然だということになる。

「安倍派」は、キックバック分について、同派と派閥所属議員の政治資金収支報告書を一斉に訂正する方向で検討していると報じられているが、野口氏の見解によれば、キックバック分は、「個人所得」として税務申告すべきであり、「政治資金」として収支報告書を訂正するなどもってのほかということになる。

この問題については、そもそも、「政治資金」は、すべて課税の対象外とされているのか、課税の対象外とされるのはなぜなのか、それは、どのような法律上の根拠に基づくのかを、根本から考え直してみる必要がある。その上で、「政治資金」が課税の対象外となることと、政治資金規正法上の手続がとられることとの関係、政治資金パーティーの収入はなぜ「政治資金」として扱われるのか、それはすべて課税の対象外となるのか、という点も考えてみる必要がある。

政治資金規正法の特殊な性格と裏金問題での処罰の限界

今回の「政治資金パーティー裏金問題」と課税の問題を考える前提として、検察の捜査処分について「安倍派幹部刑事立件見送り」と報じられていることをどうみるか。それがやむを得ないものか、多くのSNS上の反応のように、検察の処分方針は不当で、「腰抜け」「政治権力への忖度」と批判されるべきなのか、私自身の見解を整理しておきたい。

政治資金規正法という法律には、特殊な性格があり、「裏金問題」について政治家本人の処罰が容易ではないことは、再三にわたって指摘してきた。なぜ、「裏金問題」についての政治資金規正法違反による処罰が困難なのか、同法に関する基本的な理解が必要だ。

政治資金規正法には、「収支の公開」と「寄附の制限」という二つの性格がある。政治資金パーティー券をめぐる裏金問題は、基本的に「収支の公開」の問題である。

「政治資金の収支の公開」というのは、政党・政党支部・政治団体について、会計責任者を選任して届出を行わせ、それらの団体の収入金額と支出金額を正確に記載した「政治資金収支報告書」を毎年提出させ、公開するという制度である。ここでの「収入」というのは、その団体に「寄附」などとして実際に入ってきた金額である。政治資金の収支を収支報告書に正確に記載する義務を負うのは、基本的には会計責任者であり、記載すべき事項を記載しなかったり、虚偽の記入をしたりする行為に対して、政治資金規正法の罰則が設けられている。

一方、「寄附の制限」というのは、国の補助金や出資を受けている会社による寄附の禁止(22条の3第1項)、3事業年度以上にわたり継続して欠損を生じている会社による寄附の禁止(22条の4)など、寄附自体を禁止するもので、禁止された寄附を行うこと自体が違法行為ないし犯罪となる。

「政治資金の収支の公開」は、基本的には「情報公開」の問題であり、その違反は、会計責任者が行う収支報告書の作成・提出という形式的な手続上の問題である。だからこそ、基本的に、罰則適用の対象が会計責任者とされているのである。

これに対して「寄附の制限」というのは、実質的な問題であり、それに違反する行為については、寄附を受けた者自身が罰則適用の対象となる。

今回の「自民党派閥政治資金パーティー」をめぐって問題になっているのは、政治団体である自民党派閥から国会議員にわたった「裏金」である。政治資金規正法上は、そのような資金のやり取りをしながら政治資金収支報告書に記載しなかったという「収支の公開」の問題であり、裏金の授受自体が違法行為ないし犯罪なのではない。しかし、この点について、世の中には、「裏金」を受領したこと自体が犯罪であるかのように認識されている。そこに、大きな誤解がある。

「政治資金の収支」自体に関する義務は会計責任者に集中し、それに関する違反で刑事責任を問われるのも基本的には会計責任者である。政治団体の代表者については、会計責任者の「選任及び監督」に過失があった場合に罰金刑に処せられると定められているに過ぎない。実際に、会計責任者ではない国会議員が刑事責任を負うのは、収支報告書の記載の特定の事項について、実質的な意思決定を国会議員自身が行い、会計責任者にそれを実行させた場合、例えば、多額の政治資金を政治団体の代表者の国会議員が受け取ったのに、会計責任者に知らせず、或いは、それを収支報告書から除外するように指示した、というような「実質的に意思決定の主体であった場合」に限られる。

一般の企業・団体、或いは暴力団などをめぐる「組織犯罪」の場合と、政治資金規正法による「犯罪」とは相違があるのである。

ということで、「政治資金の収支の公開」の問題として考えた場合、基本的に会計責任者の問題である収支報告書の記載の問題について、国会議員の責任を問うことは、もともと容易ではない。しかも、安倍派の政治資金パーティーでのノルマ超の売上の還流は、20年以上前から慣行的に行われてきたと言われている。そうであれば、派閥の最高意思決定者の会長の意向に基づき、会計責任者が毎年、同様の処理を行っていたとみるのが自然だ。

最終的には、2022年5月に開催された安倍派の政治資金パーティーについて、前年11月に派閥の会長に就任した安倍晋三氏が、ノルマを超えた売上の還流中止を提案し、いったんは中止が決まったものの、継続を求める議員から反発があり、安倍氏の死去後に当時の事務総長だった西村康稔氏や、下村博文氏、世耕弘成氏ら派閥幹部と会計責任者が対応を複数回協議し、8月に還流継続が決まったとされ、その際の派閥幹部の協議を「共謀」ととらえることの可否が検討されたようだ。

しかし、仮に、還流を継続する場合、やり方としては、(ア)従来通り裏金として還流し、安倍派側も議員側も収支報告書に記載しない方法と、(イ)他の派閥で行われていたように、還流分を安倍派側も議員側も収支報告書に記載する方法の二つがある。

(ア)の方法をとること、つまり収支報告書に記載しないことについて、派閥幹部と会計責任者について虚偽記入罪の共謀が成立するためには、ノルマを超えた売上を還流することだけではなく、その分を収支報告書に記載しないことについての「共謀」が認められなければならない。それは単に幹部が「認識していた」「会計責任者から報告を受けた」という程度ではなく、派閥幹部の側が実質的に意思決定を行ったことが必要となる。

 その点について、複数の幹部と会計責任者との間に、具体的な話合いの場があって、そこで実質的な意思決定が行われたことが、何か客観的な証拠で裏付けられなければ、基本的に会計責任者の責任である収支報告書の問題について、派閥幹部の共謀による責任を問うことは困難だ。

 一方で、裏金を受領した側の派閥所属議員の収支報告書の不記載・虚偽記入罪については、ノルマを超えたパーティー券収入の還流は銀行口座ではなく現金でやり取りされ、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたのであるから、その議員は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかった、ということである。そのような裏金受領議員の処罰については、どの政治団体或いは政党支部の収支報告書に記載すべきだったのかが特定できない以上、(特定の政治団体等の収支報告書の記載についての)虚偽記入罪は成立せず、不可罰になることを指摘してきた(【「ザル法の真ん中に空いた大穴」で処罰を免れた“裏金受領議員”は議員辞職!民間主導で政治資金改革を!】など)。

 裏金受領議員の政治資金規正法違反での処罰は、もともと「無理筋」であり、今回の事件で、検察が、資金管理団体への記載義務があること、それを認識した上で収入として記載せず、それを除外した収入金額を記載した「収支報告書虚偽記入罪」で立件しようとするのであれば、行い得ることは、裏金受領議員側と話をつけて、略式請求・罰金による決着を図ることぐらいだと考えられた。

検察が1月7日に池田議員と資金管理団体の会計責任者の政策秘書を政治資金規正法違反で逮捕したのは、身柄拘束によるプレッシャーで、「裏金」の資金管理団体への帰属を認める自白に追い込む目的もあるように思われる。しかし、そのような強引なやり方をとるのは、具体的な罪証隠滅行為が行われたなどの事情がなければ無理であり、このようなやり方を多数の「裏金受領議員」に拡大していけるとは思えない。

今回の事件への対応について検察が反省すべき点

 上記のとおり、今回の「自民党派閥政治資金パーティー裏金事件」で、国会議員の処罰が極めて限定的なものになるという「結末」自体は、政治資金規正法という法律の性格や「建付け」等からして、致し方ないものと考えられる。

 しかし、検察のこれまでの対応に「反省すべき点」があることも事実である。

 第一に、昨年12月から、東京地検特捜部に全国から数十人の応援検事が集められ、大規模捜査体制で行う捜査の状況が逐一報じられ、マスコミ報道は、検察が、国会議員の処罰に向けて着々と「進軍」しているかのような夥しい数の報道に埋め尽くされた。安倍派幹部も含めた国会議員が受領した裏金の金額が次々と報じられ、それによって、安倍派国会議員の大臣・副大臣は、岸田内閣から全員「排除」された。国民は、「大本営発表」にように日々報じられる「日本最強の捜査機関」の“大戦果”に、拍手喝采を送り、安倍派・二階派事務所、池田・大野議員の事務所への捜索、年明けの池田議員逮捕で、安倍派国会議員を壊滅させる本格捜査への期待は最高潮に達した。これらの報道が、検察側からのリークによるものではないと言っても、誰も信じる者はいないであろう。

 実際には、検察捜査の内実は、世の中が思っていたようなものではなく、全国から数十人の応援検事を集めた大規模捜査体制による捜査も、さながら、太平洋戦争末期の「インパール作戦」のような惨状であったと推測される。そもそも、政治資金規正法という法律の性格、「建付け」を冷静に考え、刑事事件として冷静に捜査を展望すれば、そのような過大な期待になるわけがないのであるが、検察側から「弱気な情報」が出ないせいか、マスコミの報道も、検察出身弁護士のコメントなども、「勇ましい話」で埋め尽くされた。

 今回の事件での国民の検察捜査への過大な期待が、「安倍派幹部刑事立件見送り報道」で一気に水を差され、国民の激しい怒り、反発を招いていることは、検察側のこれまでの対応によるところが大きいと言わざるを得ない。

 第二に、既に述べたように、「安倍派幹部刑事立件見送り」自体は、致し方ないとしても、それは、閣僚級の大物国会議員が複数からむ事件であるからこそ、刑事立件・起訴について、冷静で客観的な判断が行われたのではないか。ここ数年、東京地検特捜部が手掛けてきた捜査で、果たして、そのような慎重な判断が行われてきたと言えるのか、という疑問である。

 とりわけ、今回の検察捜査を実質的に指揮してきたと言われる森本宏最高検刑事部長が東京地検特捜部長に就任後手掛けてきた事件の多くに、それぞれ大きな問題があった。ディオバン臨床研究不正事件(最高裁で無罪が確定)、リニア談合事件、カルロス・ゴーン事件(拙著【「深層」カルロス・ゴーンとの対話:起訴されれば99%超が有罪となる国で】小学館:2020)、文科省汚職事件などで、特捜部は「暴走に次ぐ暴走」を繰り返してきた。そして、その極めつけが、東京五輪汚職事件、東京五輪談合事件の検察捜査であった(【東京五輪談合事件、組織委元次長「談合関与」で独禁法の犯罪成立に重大な疑問、”どうする検察”】【東京五輪談合、セレスポ鎌田氏”196日の死闘”で明らかになった「人質司法」の構造問題】など)。

そのようなこれまでの特捜検察の「あまりに積極果敢な姿勢」と比較すれば、今回の事件で、閣僚級国会議員について、突然、冷静かつ慎重な「刑事事件においてあるべき判断」が行われたことが、国民の目には「政治権力者への忖度そのもの」とみられることも仕方がないと言えるだろう。

 今回の事件への検察の対応には反省すべき点が多々あると言わざるを得ないし、近年の特捜捜査の在り方自体の問題についても、この機会に徹底した検証を行うべきであろう。

政治資金の「課税の問題」

 冒頭に述べたように、国民の多くが怒っているのは、「裏金」というのが、国会議員が、自由に使ってよい金で、しかも税金の支払いを免れていることである。まさに、今回の政治資金パーティー問題の中心にあるのは「課税の問題」であり、その問題に正面から向き合う必要がある。

まず、「政治資金はすべて非課税」なのか、それはどのような根拠に基づくものなのかという点を考えてみる。

所得税法上は、選挙運動に関して受けた寄附で、公職選挙法第189条の規定に基づく収支報告がされている場合には課税されないことが定められている。ところが、それ以外で、政治家個人が受ける政治献金の非課税については、いかなる規定も設けられていない。政治家個人が受ける一般の政治献金について非課税とする規定は現行税法のどこにも存在しない。

そのため、政治家個人が政治資金の寄附を受けた場合は、基本的には「雑所得」として課税の対象となる。政治家個人が受けるさまざまな政治献金収入は、雑所得になり、当該政治家が政治活動のために支出した金額を、当該雑所得の必要経費として控除できることになる。 (しかし、おそらく政治資金を雑所得として計上している政治家はほとんどいない。)

しかも、もし指摘されたとしても、「政治活動」には定義がなく、本来政治活動とは思えないような支出であっても、政治家本人が「政治活動の支出」と強弁すれば、覆すことが難しい。

政治活動の寄附については、課税することが困難だとの認識から、国税当局が政治家の政治資金の収支に関して税の申告漏れを指摘したり、脱税で摘発することは、これまで殆どなかった。結局、「選挙運動に関する寄附の非課税措置」が政治資金一般に拡大解釈され、政治活動全般が非課税であるかのような運用をしてきたのである。

「政治資金パーティー収入」と課税

しかし、今回の「政治資金パーティー裏金問題」は、そのような「政治資金の寄附」一般に対する課税の問題とは異なった面がある。野口氏の見解のように、「キックバック分は全額個人所得」と解する余地も十分にあるのではないか。

各選挙管理委員会が作成公表している「政治団体の手引」では、政治資金と課税の関係について、概ね以下のように解説されている。

・法人税法では、人格なき社団については収益事業から生じた所得以外の所得については法人税を課さないこととされているため(法人税法第7条)、政治団体が受けた寄附収入について法人税は課税されないことになるが、収益事業による所得には法人税が課税されることとされている。


・政治団体は、その収入のほとんどを寄附収入と事業収入に依存しており、政治団体が政治活動を行うことを目的として設立され、その得た収入を政治活動に使用することを前提としているため、その収入は原則非課税となっている。 したがって、これに反し、その得た収入を政治活動以外のために使用するような場合については、当然に課税の対象となる。また、政治団体が得た収入をその構成員で分配するなどした場合については、その受取者において課税されることになる。

政治資金パーティー収入は、「事業収入」であり、「寄附」の収入ではない(もし、「政治資金の寄附」であれば、外国人による寄附の制限、赤字会社、補助金需給会社の寄附の制限が適用されるはずである。)。

政治団体等が行う収益事業の所得は法人税の対象となるが、収益事業とは、「収益事業 販売業、製造業その他の政令で定める事業で、継続して事業場を設けて行われるものをいう。」(法人税法2条1項13号)とされていることから、通常行われているパーティー事業は収益事業に該当しないとされている。

上記の「政治団体の手引き」の中で「政治団体が得た収入を構成員に分配した場合には、受益者において課税されることになります」とされている。今回、安倍派が長年にわたって行っていたことがわかった「ノルマ超のパーティ券売上のキックバック」というのは、明らかに、事業収入の一部の構成員への分配であって、課税されるべきものである。

もっとも、その「分配」が、「政治資金の寄附」として行われ、受領した側の議員が収入として資金管理団体や政党支部の収支報告書に記載した場合には、それによって、その「分配金」は、派閥から議員側の団体の財布に移るので、個人所得にはならない。しかし、安倍派では、政治資金収支報告書に記載しない前提で、領収書の授受も行うことなく、所属議員側に、パーティー券の売上のノルマ超過分のキックバックとして金銭を渡しているのであり、分配された金は、授受の時点では所属議員個人に帰属することになる。

今回の安倍派政治資金パーティーの裏金キックバックは、「収支報告書に記載しない前提」で所属議員側に渡ったものである以上、個人所得となることを否定する余地はない。

「裏金問題」の解決には、税務上の是正措置が不可欠

今回、検察捜査によって明らかになった安倍派の政治資金パーティーの裏金キックバックについて、全額個人所得であることを前提に、是正措置をとるべきである。

安倍派が行おうとしているとされる「裏金受領議員の政治資金収支報告書の一斉訂正」は、逆に、個人所得を政治資金であるかのように「仮想隠蔽」する行為にほかならない。そのような対応で「政治資金パーティー裏金問題」の収束を図ろうとすれば、検察の捜査処分の結末が、国民の期待に大きく反したことと相まって、強烈な国民の反発を受けることになるだろう。

受領した議員個人の所得とされるべきであるのに、それについて、全く税務申告をしていないのであるから、その是正を行うのが当然である。

国税が税務調査ないし査察調査に入り、キックバック分の所得金額を確定して、追徴税を含めて徴税を行うか、議員側が、自主的に修正申告するか、二つの方向があるが、検察としては、今回の捜査結果を基に、国税当局に課税通報を行い、国税との連携によって、裏金受領議員全員について税務上の是正措置を行わせるのが、今回の一連の政治資金パーティー裏金事件の決着として望ましいのではないだろうか。

最も悪質な事例は、脱税での処罰も検討すべきであり、その最有力候補が、1月7日に政治資金規正法違反で逮捕された池田佳隆氏衆院議員だ。昨年12月8日に資金管理団体「池田黎明会」の収支報告書を訂正し、3200万円収入を増額する一方、それに見合う支出はなく、結局、全額翌年度への繰越金にしている。キックバックを受けた裏金について、政治資金として支出した実態は何もないのである。

要するに、キックバック分は個人所得であるのに、「政治資金の収入」であるかのように政治資金収支報告書に「虚偽記入」し、なおかつ、個人所得を隠蔽したということなのである。

このような、今回の裏金問題の「税務上の是正」に対しては、従来の政治家的な感覚からの不満・反発もあるだろう。「全額政治活動に使っている。未使用分は繰越金として将来の政治活動に使うつもりであった。」というような弁解・主張をする議員もいるかもしれない。しかし、それは、「政治資金として収支報告書に記載して、議員個人から切り離す前提でキックバックを受領した場合」に初めて言えることである。

冒頭でも述べたように、先週土曜日(1月13日)、NHK、毎日などで「安倍派幹部刑事立件見送り」と報じられたことで、国民の怒りが爆発している。それは、「収支報告書の記載」の問題ではなく、国会議員が、政治資金パーティーの収入の中から、自由に使っていい「裏金」を受け取り、それをについて税金の支払を免れていることに対して、激しく怒っているのである。

それに対して、「“政治資金”と呪文を唱えればすべて非課税」というような“昭和の遺物”とも言える考え方を振り回せば、国民の怒りをさらに炎上・拡大させることになることは必至だ。

しかも「収支報告書には記載しない政治資金」だとあくまで主張するのであれば、前記のとおり、それが議員本人に帰属しているのであるから、「政治家本人への寄附」ということになる。それは、政治資金規正法21条の2第1項(公職の候補者の政治活動に関する寄附の禁止)に違反する違法寄附であり、それを主張するなら、公民権停止を含む処罰を覚悟しなければならない。

「裏金受領議員」は、そのことをよく考えて発言すべきであろう。

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