首相が秘書官に「口裏合せ」を懸念されることの“異常”

自らの「『口裏合わせ』のおそれ」に言及した安倍首相

加計学園の獣医学部新設をめぐる問題について、5月10日の衆参両院予算委員会で柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑が行われ、5月14日の衆参両院の予算委員会の集中審議では、柳瀬氏の参考人質疑の結果に関連して、安倍首相に対する質疑も行われた。

それらの質疑で、柳瀬氏と安倍首相の答弁が一致しているのが、「柳瀬氏は、加計学園関係者と3回も首相官邸で面談したのに、首相に報告しなかった」という点だが、それは、首相と首相秘書官との一般的な関係からは「あり得ないこと」だというのが常識的な見方であり、最新のNHK世論調査で、柳瀬氏の説明に「納得できない」とする回答が、全体で8割近くに上り、与党支持者でも7割を超えている。

柳瀬氏は、参考人質疑で、「2015年4月に官邸で加計学園関係者と面会していた記憶はあったが、愛媛県、今治市側とは会った記憶はなかった、そのことを、昨年7月の衆参両院での閉会中審査の前に今井尚哉首相秘書官にも伝えていた」と答弁し、一方、安倍首相は、「柳瀬氏と加計学園関係者とが首相官邸で面談していたことは、柳瀬氏から聞いた今井秘書官から、ゴールデンウイーク中に『柳瀬元秘書官が国会に呼ばれれば学園関係者と面会したことを認める』との報道が流れた際に、報告を受けて知った」とした。

そして、今井氏が、昨年7月に柳瀬氏と加計学園関係者との面談の事実を知りながら、それを安倍首相に知らせなかった理由について質問され、

柳瀬元秘書官から、「加計学園関係の獣医学の専門家から話を聞いた記憶はあるが今治市の方と会った記憶はない」との話を聞いたとのことでした。ただ当時は今治市との面会の有無が争点となるなかで、このやり取りを含め私に報告がこなかったということですが、と同時に、いわば私が柳瀬元秘書官と、こういうことについて口裏を合わせているということはあってはならないことでございますので、その際柳瀬元秘書官は参考人として呼ばれていましたので、このやり取りについては、私に伝えない方がいいだろうということであった、とのことでございます。その後、今井秘書官も柳瀬秘書官とは、こうしたことについては連絡を取っていないということでございます。

などと述べた。

「加計学園問題の真相」に関わる重要事実の隠蔽

この安倍首相の答弁は、加計学園問題の真相解明に関して、極めて重要な内容を含んでいる。

安倍首相の答弁のとおりだとすると、今井氏は、安倍首相と柳瀬元秘書官とが「加計学園関係者と官邸で面談したこと」について口裏を合わせをしてはいけないと考え、安倍首相に伝えなかった、ということになる。今井氏は、安倍首相に知らせれば「口裏合わせ」をする恐れがある、つまり、それを伝えると、安倍首相が、参考人質疑の前に、柳瀬氏に連絡をとったりする可能性があると考えていたということになる。

この閉会中審査で、安倍首相は

友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。常に、国民目線で丁寧な上にも丁寧に説明を続けたい。

と述べていた。その閉会中審査では、和泉洋人首相補佐官、前川喜平・前文部科学事務次官に加え、藤原豊・前内閣府審議官、八田達夫国家戦略特区民間議員・ワーキンググループ座長などが参考人招致されていたのであり、そこで求められていた「丁寧な説明」というのは、当然のことながら、単に、それまでの言い方を反省し、言い方を丁寧にして、「獣医学部新設について指示したことはない」という従前どおりの内容の「説明」を繰り返すことではなかった。加計学園の獣医学部新設が認められた経緯と、そこに、首相のみならず、首相官邸や、秘書官、補佐官等の首相の側近がどのように関わったかについて真相を明らかにした上、安倍首相が、その真相を「説明」することが、閉会中審査の目的だったはずだ。

安倍首相も、招致されている参考人に事前に連絡をとったりして、自分に有利な答弁をするように求めたりしてはならないことは当然わかっていたはずであり、今井氏としても、把握している事実は、できるだけ詳しく安倍首相に報告するのが当然だ。ところが、今井氏は、安倍首相が「口裏合わせ」をすることを懸念して、柳瀬氏と加計学園関係者との官邸での面談のことを伝えなかったというのである。

それが事実だとすると、最も近い立場で首相を支えている政務秘書官の今井氏が、安倍首相が、そのような軽率な行為を行うおそれがあると思っていたということであり、それは、安倍首相に対して、あまりに「失礼な対応」だと言わざるを得ない。

柳瀬秘書官が首相官邸で加計学園関係者と面談したということであれば、それが如何なる理由によるものであれ、加計学園の獣医学部新設に至る経緯の中で極めて重要な事実だ。それを、首相に知らせていなかったとすると、安倍首相は、「森友、加計問題隠し解散」などとも言われた解散後の総選挙中での加計学園問題についての「説明」も、上記のような重要な事実の認識を欠いたまま行っていたことになる。それは、加計学園問題に対する安倍首相の国会や国民への「説明」全体に重大な疑念を生じさせる問題だ。

もっとも、昨年7月の閉会中審査の前に、柳瀬氏から、加計学園関係者との官邸での面談の事実について知らされた時点で、今井氏が、柳瀬氏に、その直後の参考人質疑で、加計学園関係者と官邸で会ったことをありのままに答弁するよう指示或いは助言し、柳瀬氏がそのような答弁が行うまでは、万が一にも、安倍首相が柳瀬氏と「口裏合わせ」をすることがないように、それを安倍首相には伝えなかったというのであれば、安倍首相に対して「失礼な話」ではあるが、それなりの合理性があるといえなくもない。

しかし、実際には、柳瀬氏は、「加計学園関係者との官邸での面談の事実」について自分から明らかにしようとせず、愛媛県文書の公開まで、「記憶している限り会った事実はない」と面談の事実自体を否定し続けた。しかも、柳瀬氏は、今年5月に再度参考人招致され、加計学園関係者との面談は認めたものの、愛媛県、今治市職員との面談については「記憶がない」としている。極めて信ぴょう性が高い愛媛県文書の記載(【柳瀬氏、「参考人招致」ではなく「証人喚問」が不可欠な理由】)によれば、柳瀬氏が、愛媛県職員らに「自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」などと、国家戦略特区による獣医学部新設に向けて懇切丁寧に指導をしていることは明らかで、柳瀬氏の答弁が真実を語っているとは到底考えられない。

これらの対応が、加計学園問題の真相解明を著しく妨げていることは明らかだ。昨年7月の時点での柳瀬氏の対応は、今井氏の指示か、少なくとも了承を受けて行っているものと考えられる。

文芸春秋6月号の今井氏に関する記事とインタビュー

文芸春秋6月号の、森功氏の【「総理の分身」豪腕秘書官の疑惑】という記事では、今井氏が森友・加計学園問題の「すべての黒幕」であった疑いが指摘されている。この記事に関連して、同誌から今井氏宛てに、4月下旬に質問状をファックス送付したところ、その日の夕刻に、今井氏から担当編集者に「これはしっかり説明にうかがいたい」と電話があり、急遽、インタビューする運びとなったとのことだ。

4月10日に、愛媛県が首相官邸での面談記録を公開したことで、柳瀬氏の参考人招致が不可避となり、柳瀬氏が官邸で愛媛県職員らとともに加計学園関係者と会っていた事実を否定することが困難になった。そうなると、昨年7月の閉会中審査で、2015年4月2日での官邸での面談について質問されたのに、加計学園関係者との面談の事実を秘匿していたことが明らかになる。

文芸春秋のインタビュー記事にも書かれているように、それまで5年4か月、メディアのインタビューには一切応じていなかった今井氏が、今回、自発的に、しかも急遽、インタビューに応じたのは、柳瀬氏の再度の参考人招致が行われ、そこで加計学園関係者との官邸での面談の事実を明らかにせざるを得ないとことを受けての対応だった可能性が高い。

「柳瀬氏は愛媛県などの職員との面会を否定しているが加計学園関係者との官邸での面会は国会で認める方向で調整に入った。」と一斉に報じられたのが5月2日、今井氏のインタビューは4月下旬であり、その直前である。

そのインタビュー記事では、愛媛県が公開した文書で、官邸での柳瀬氏との面談の事実と発言内容が記載されていることについての質問に対して、今井氏は次のように答えている。

今井)僕は柳瀬が嘘をついているとは思いません。実際には会っていたとしても、本当に覚えていない可能性はあると思います。例えば、面会の場に大勢の人がいたら、忘れることだってあります。面会記録も、一年経てば捨ててしまうものです。

-首相秘書官が面会した内容を総理に報告しないのですか。

今井)秘書官は自分の業務としてやっているだけですから、いちいち報告しません。総理に直接関係する案件だけは必要に応じて上げる、そういうものです。

この文芸春秋の発売日が5月10日、まさに柳瀬氏の参考人質疑が行われた日だった。そこで柳瀬氏は、2015年4月2日に首相官邸で加計学園関係者と面談したことを認めたが、面会者が「10人近くの大勢だったため、愛媛県や今治市の方が同席していたか分からない」と述べた。今井氏が「例えば、面会の場に大勢の人がいたら、忘れることだってあります。」と述べているのは、柳瀬氏の再度の参考人質疑が行われること及びそこでどのような答弁をするかを想定した上での発言だと思われる。

再度の参考人質疑で、柳瀬氏が今井秘書官の関与に言及

5月10日行われた参考人質疑で、柳瀬氏は、国民民主党の川合孝典参議院議員の質問に対して、

去年の集中審議の前に今井秘書官から一度事実を訊かれまして、私は今治市の職員の方とお会いした記憶はないのです、と。ただ、加計学園の事務局の方、それからその専門家の方からお話を伺った記憶はあります、と。こういうふうに、集中審議の前に、もう去年の7月の集中審議の前には今井総理書記官にも訊かれてお答えしています。私はずっと一貫して同じ記憶でございますし、7月の集中審議では今治市の職員と会いましたかということを何度も訊かれましたので、記憶にございません、という答弁をさせて頂きました。

と述べた上、「全体像が見えなくなって、国民の方にわかりづらくなり、国会審議にも大変御迷惑をおかけして。大変申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。

柳瀬氏が、ここで、「今井秘書官」という名前を出したのは、昨年7月の閉会中審査で、2015年4月2日の官邸での面談について、その日に「加計学園関係者と会った」とは言わず、「今治市職員と会った記憶はない」とだけ答弁をすることは、柳瀬氏が独断で決めたのではなく、今井秘書官に報告した上、了解を得た上での対応だったという趣旨であろう。

加計学園の獣医学部新設に、首相や首相官邸がどのように関わったのかが問題になっているのであり、「2015年4月2日に官邸で加計学園関係者と会った」という重要な事実を秘匿するのは、国会に対しても、国民に対しても、著しく背信的で、「官僚の常識」からも到底行い得ない行為だ。柳瀬氏も、国会で何回も頭を下げることになった。柳瀬氏が閉会中審査で「不誠実な答弁」を行ったことについては、今井氏が了解しており、今井氏も「同罪」であるからこそ、柳瀬氏は、敢えて「今井氏への事前説明」に言及したと考えるのが自然であろう。

今井氏が、昨年7月の閉会中審査での、官邸での加計学園関係者との面談を秘匿するという柳瀬氏の「不誠実な答弁」を指示或いは容認し、一方で、その重要な事実を安倍首相に知らせなかったのは、なぜだろうか。

少なくとも、加計学園問題についての重要な事実が、できるだけ表に出ないようにしていること、そして、その「隠ぺい」について安倍首相は全く関わっていなかった話にしようとしていることは間違いない。その結果、「首相が秘書官に『口裏合わせ』を懸念され、重要事実を長期間知らされなかった」などという“異常”な話になってしまっているのである。

安倍首相は、ゴールデンウイーク中に今井氏から柳瀬氏が官邸で加計学園関係者と会っていたことを知らされ、その際、「口裏合わせがあってはならないと考えて、これまでそのことは知らせなかった」と言われて、今井氏にどう言ったのであろうか。「そう思うのは無理もない。知らされていたら口裏合わせをしたかもしれない。やっぱり今井ちゃんは頭がいい。」と納得したのだろうか。真っ当な感覚を持っていれば、それはあり得ない。今井氏に対して、「そんな重要なことをどうして私に知らせなかったのか。私が口裏合わせなどするわけがないじゃないか!」と激怒するのが当然だろう。そうでなかったとすれば、「加計学園問題について重要な事実を可能な限り隠蔽し、その隠蔽に安倍首相が関わっていないことにする」という方針について、今井氏と安倍首相とが「完全に一致していた」ということになる。

今井政務秘書官の更迭を検討すべき

森友・加計学園問題の「すべての黒幕」であったかどうかはともかく、少なくとも、それらの問題についての政府側の対応を中心となって取り仕切っていたのが今井氏であり、それが、少なくとも加計学園問題について、真相解明を著しく妨げていたことは、今回の柳瀬氏と安倍首相の答弁からすると、ほぼ間違いないと言える。安倍首相が、本当に「十分な説明をすること」「膿を出し切ること」をしようとしているのであれば、今井氏が加計学園問題について何をやってきたのかを、すべて明らかにした上、今井政務秘書官の更迭を検討すべきであろう。

 

 

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地銀統合に関する金融庁有識者会議報告書の“根本的な問題”

2016年2月26日、長崎県の地方銀行の十八銀行と、同県の地銀親和銀行を子会社とするふくおかフィナンシャルグループ(以下、「ふくおかFG」)が、経営統合について基本合意を締結したことを公表した。しかし、統合によって長崎県内での貸出しシェアが70%を超えることとなるため、公取委の企業結合審査が長期化、2017年7月25日に、両行は、経営統合の無期延期を公表した。そして、2017年12月に、公取委は、新潟県の第四銀行と北越銀行の経営統合についての審査結果を公表、統合を承認する判断だったが、そこで示された考え方を当てはめると、長崎での両行の統合の承認は困難との見方が強まった。

それを受け、今年4月11日、金融庁は、同庁が設置していた有識者会議「金融仲介の改善に向けた検討会議」で、この問題を検討課題として取り上げ、【「地域金融の課題と競争のあり方」と題する報告書】(以下、「報告書」)を公表した。

報告書は、「都道府県内のシェア等により画一的にその是非を判断するのではなく、競争当局と金融庁が連携し、地域金融の産業構造や特性を踏まえた審査や弊害への対応を実施することが必要」との提言を行っている。

菅義偉官房長官は、その翌日の4月12日の記者会見で、報告書について言及し、「人口減少下において地域経済のインフラサービスを確保することが重要であり、政府全体で議論する必要がある」と述べた。

5月7日には、ふくおかFGと十八銀行が共同で、「長崎県経済の活性化に貢献する経営統合の実現に向けて」と題するコメントを公表し、「将来にわたり長崎県経済の発展に貢献するという経営統合の目的を実現するとともに、独占・寡占による弊害が生じないように運営していく方針」を強調した。

長崎における地銀統合問題をめぐって、独禁法に基づき慎重な姿勢をとる競争当局・公取委と、統合を進めようとする金融庁との対立は一層鮮明となり、政府全体を巻き込んだ争いに発展しようとしており、今後の地銀統合全般にも影響を与えかねない重大な局面を迎えている。

しかし、地銀統合と独禁法に関する問題について、金融庁が公表した報告書の内容には大きな疑問がある。問題の根本について、私なりに分析・検討した結果を述べてみたいと思う。

 

地方銀行をめぐる問題に関する基本的視点

まず、地方銀行をめぐる問題を考えるに当たって、地方銀行というのがどのような組織であり、法的にどのような規律を受けるのかという点を確認しておかなければならない。

第1に、地方銀行は株式会社であり、会社法という組織法上の規律を受ける。株主総会、取締役会などの機関による決定に従って事業が運営されなければならず、コーポレート・ガバナンスが機能しなければならないことは言うまでもない。

第2に、地方銀行も事業者であり、民間事業者として利潤を追求する存在である以上、競争を制限する行為を行う抽象的危険は常に存在しているのであり、その事業活動に関して、独占禁止法による制約を受けることになる。

第3に、地方銀行も、銀行である以上、「銀行法による規律」を受ける。銀行法1条の目的規定で定められているように、「業務の公共性」「信用を維持」「預金者等の保護」の観点から、「業務の健全かつ適切な運営」が求められ、それに関して、金融当局の指導監督の対象とされる。この「金融行政的視点」からは、地方銀行に関して、バブル崩壊以降、経営破綻した銀行、或いは、経営破綻の懸念から公的資金注入の対象となった地方銀行があり、今後も、経営の健全性の維持が重要な要請とされる。

一方で、バブル崩壊後の経済の混乱の中で、銀行経営の健全性が強く求められ、金融当局による「金融検査マニュアル」に基づく資産査定が過大に意識されたこともあり、中小企業に対する「貸し渋り、貸し剝がし」と言われる対応が横行して深刻な社会問題になった。従来、銀行融資においては、担保・保証への依存度合いが高く、企業の事業性評価が不十分であったことの反省から、長期的な取引関係により得られた情報を基に、質の高い対面交渉等を通じて、早い時点で経営改善に取り組み、中小企業金融における貸出機能を強化するという「地域密着型金融」(リレーションシップバンキング)をめざす方向での「金融仲介機能」が重視されている。

他方、上記のような法的規律とは別に、地方銀行には、「地域と密着し、地域の発展に寄与することを使命とする金融機関」という特性がある。そこに、全国的、或いは国際的規模で事業を展開するメガバンクとの違いがある。

 

地銀をめぐる現在の環境と将来予測と経営統合の必要性

現在、地銀の経営統合が重要な問題となっていることの背景には、報告書の冒頭でも述べられている、「人口減少による資金需要の継続的な減少など、地域金融機関を取り巻く経営環境が構造的に厳しさを増している」との認識がある。銀行経営の健全性の維持ないし金融仲介機能を果たすことが将来的に困難になるとの危機感が、「地銀の経営統合によって経営基盤を強化するとともに過度の競争を抑制する必要がある」との金融当局の認識につながっている。

その上で、報告書は、前記第3の「銀行法の規律」に関連する「金融行政的な観点」から、企業数が全国的に減少を続け、生産年齢人口も今後急速に減少し、将来の貸出残高の大幅な減少が予想されること、地銀の資金利益は継続的に減少しており、2016 年度は地域銀行の過半数の 54 行が本業赤字となっているなど地銀の経営環境の厳しさを指摘し、今後、人口減少が急速な地域においては、店舗削減が追い付かず、収益の減少が進んで金融機関の体力を奪い、地域における金融仲介機能の発揮に悪影響が及ぶとの予測を行っている。

そして、報告書は、上記のような現状認識と将来予測を前提に、第2の「競争法上の規律」に関連して、「競争法的視点」から、地銀の経営統合を行った場合の競争制限効果、弊害について述べている。

 

地銀をめぐる競争についての報告書の記述

報告書は、金融庁が設置した有識者会議によるものであり、基本的には金融庁の認識に沿うものと考えられる。その検討や指摘が適切なものであれば、地域金融機関をめぐる「競争法上の規律」に金融庁が参画し、企業結合の審査に、競争当局の公取委と金融庁が連携することが適切ということも言い得るであろう。

しかし、以下に述べるとおり、報告書では、「競争法的視点」に関して、十分な根拠に基づき適切な指摘が行われているとは到底言えない。

報告書は、「地域金融における競争状況の評価」に関して

都道府県など行政区画内における貸出額シェアのみに基づいて、貸出市場における金融機関の市場支配力の有無を判断することは困難と考えられる。

とし、その理由として、地域金融機関は、県外の金融機関や政府系金融機関との競争に直面していること、県境を越えた貸出競争が激化する中においては、都道府県内のシェアが高くても貸出金利を高く設定することは困難であることなどを挙げている。

その具体的根拠とされているのは、①近年、地域銀行は県境を越えた貸出を積極的に増加させている結果、県外の金融機関との競争に直面していること、②金融庁が全国の 中小企業等に実施したアンケートの結果、政府系金融機関との取引を選択した理由については、「政府系金融機関の方が借入条件が良かったから」と回答した企業が約6割となっていること、③IT 技術の進化によりパソコンやスマートフォンによる銀行取引の範囲が急速に拡大しており、金融機関の店舗への訪問の必要性が低下し、貸出を含む金融サービスの県境を越えた提供が更に加速することが予想されること、④地域銀行の本店所在都道府県における貸出額シェアと貸出金利低下幅(10年間)の間に、 相関は認められないことである。

しかし、①に関しては、「地域銀行は県境を越えた貸出を積極的に増加させている」としている根拠とされているグラフ(図表8)で見ても、顕著に差があるとは言えない。

②に関しては、政府系金融機関は、法令等に基づき、民業補完の観点から、基本的に民間金融業者から借り入れることが困難な事業者を貸出対象としているのである。アンケートの回答で「政府系金融機関の方が借入条件が良い」というのは、このような事業者に対しては、民間金融業者が融資に消極的で有利な金利水準を提示しないという傾向を示しているに過ぎないと考えられる。

③は、パソコンやスマホによる取引は、個人向けが多く、事業内容や経営状況を把握することが必要となる事業者に対する貸出に関しては、あまり影響がないのが現状だと考えられる。

そして、④については、少なくとも複数の金融機関を選択する余地がある場合には、他の金融機関との比較から、金利が低く設定される可能性がある。また、金融機関の融資取引に関しては、金利のほかに、経営指導や情報提供等も金融機関を選択する要素となり得る。

いずれにしても、需要者側にとっては取引する金融機関を選択する余地があるか否かが重要なのであり、「金利を高く設定することが可能かどうか」を地域金融機関の寡占化の弊害に関して過大視すべきではない。

 

過当競争と金融システムの安定性阻害

次に、報告書は、前記第3の「金融行政的な観点」と第2の「競争法的視点」の関係に関連して、需要が減少する中で過当競争が行われると金融機関の経営悪化を招く一方で、経営統合により生み出される余力が地域企業の育成、地域経済の発展のために使われれば、地域にとって恩恵がもたらされるとした上、人口減少等を通じて収益環境が厳しくなる中で、経営統合は、金融機関の健全性維持のための一つの選択肢となるとしている。

そして、過当競争による経営悪化の継続によって金融システムの安定性が損われるとする根拠について

銀行間の競争についての国際的な議論としては、競争が強まるほど、借入先に係る選択肢の増加を通じ、債務者の返済能力が高まり、銀行にとっての信用コストも低下するため、銀行経営の安定性が高まるとする見方(competition stability view)と、競争が強まるほど、利鞘が縮小し、過度なリスクテイク等が行われやすくなることなどから、銀行経営の安定性が損なわれるとする見方(competition fragility view)が存在するが、以下の分析から、近年は competition fragility view が当てはまっているようにみられる。

とした上、その根拠として、

我が国の地域銀行の、中長期の予想デフォルト確率は、2000 年代末から上昇基調であり、地域銀行の競争激化と長期的に連動している

と指摘している。

ここで述べていることは、「競争が激化すると利益が減少し、経営上のリスクが大きくなる」という、言わば「当然のこと」に過ぎない。それを、そこから、「金融システムの安定性確保と両立する競争のあり方を検討する必要がある」などという結論を導いているのである。

「金融システムの安定性の確保」のために「金融機関の経営の安定性」を維持する必要があり、そのためには「競争の在り方」を検討し「一定の取引分野における競争を実質的に制限する合併を認めることまで許容すべき」というのは、「競争法上の規律」からは、凡そ許容し難い考え方である(かつては、一定の要件と手続の下で「不況カルテル」が合法とされていたが、その時代においても到底許容されない考え方である。)

 

「金融仲介機能」の向上と地域金融機関の間の競争

報告書は、上記のように、十分な論拠もなく「競争の在り方」を論じ、「経営統合は、金融機関の健全性維持のための一つの選択肢である」と述べた上、「同一地域内の経営統合」に関して、

現在の地域銀行の一般的な貸出姿勢を調査すると、担保・保証への依存度合いが高く、企業の事業性評価が出来ていないところが多い。従って、こうした企業においては、経営統合以前の時点で、借入先の選択可能性が限定されている。すなわち、この点については寡占・独占の弊害と言うより、むしろ担保・保証の有無にかかわらず事業性を見た融資が普及していないことに問題の本質がある。

とした上、

金融庁がこれまで行っている、「事業性評価」に基づく融資や本業支援の促進、「企業ヒアリング・アンケート調査」の実施、「金融仲介機能のベンチマーク」(2016 年9月策定・公表)等の客観的な指標を活用した自己評価や開示の促進などの取組みを、更に促進すべきである。

と結論づけている。

これは、前記のとおり、第3の「金融行政的視点」から地域金融機関の融資における「金融仲介機能」の問題を指摘するものである。それについて、金融庁が従来から行ってきた対応をさらに推進すべきというのは、「金融行政的視点」からの指摘としては正しいとしても、そのような「問題の本質」が、なぜ「寡占・独占の弊害」と関係がないと言えるのか根拠は全く示されていない。

需要者の中小企業の側からすれば、地域銀行の寡占・独占により、選択の余地がなくなってしまえば、担保・保証に依存する姿勢から脱却できない金融機関であっても、それを選択するしかない。地域銀行において事業性を見た融資の普及には、「金融行政」による指導監督も必要であろうが、金融機関相互の競争、需要者側の選択も、それを実現する有効な手段だ。寡占・独占が、地域銀行の貸出姿勢の問題を助長する可能性も当然あるわけだが、報告書では、そのような観点は全く無視されている。

 

「経営統合によって生み出される余力」の活用

報告書は、地域金融機関の経営統合が、「金融機関の経営の安定性と、 最低限の金融インフラの確保に寄与する」とした上、

経営統合により生み出される余力が地域企業の育成に適切に使われれば、地域企業・経済の発展にも貢献する。他方、経営統合が同一地域内で行われる場合には、不当な金利の引上げやサービスの質の悪化 といった寡占・独占の弊害が生じないようにしなければならない。

とした上、

競争上の問題が生じる可能性がある同一地域内の経営統合については、都道府県内のシェア等により画一的にその是非を判断するのではなく、当該経営統合により地域にもたらされうる恩恵、寡占・独占 の弊害の可能性、地域の中小企業の真の不安の所在を把握し、的確な対応を行うことが重要である。

金融機関は、他の事業者と異なり、常時金融庁による検査・監督の下にあり、合併等についても金融庁が銀行法に基づく審査を実施することとなっているので、この枠組みを活用し、(金融庁が)、全体として、将来にわたり地域における金融インフラが確保され、地域企業・経済の成長・発展に貢献するか否かをもって経営統合の是非を判断すべきである。

事後的にも、金融庁が、「金利等の融資条件」や「金融サービスの質」の不当な悪化が生じていないかを、統合した金融機関の検査・監督や、債務者向けの相談窓口等を通じて把握し、問題があれば是正を行うこと、金融機関がコミットした経営統合の目的の進捗・達成状況についてモニタリングを行い、 地域に統合の果実が還元されることを確保していくことが必要である。

としている。

つまり、経営統合の是非については、公取委による「都道府県内のシェア等による画一的判断」による企業結合審査ではなく、金融庁の「銀行法に基づく審査」「事後的なモニタリング」を行うことを通して、経営統合の弊害を防止し、統合の目的である「統合の果実の地域経済への還元」を確保できるよう判断する必要があるとしているのである。

そして、このようなスキームを前提に、「新たな競争政策の枠組み」について、

競争当局と金融庁が連携し、地域金融の産業構造や特性を踏まえた審査や弊害へ の対応を実施すること

を提言しているのである。

ここで述べているのは、地域銀行の統合問題への対応を、公取委による企業結合審査という前記第2の「競争法的視点」ではなく、前記第3の「金融行政的視点」を活用して行うべきだということであり、その前提とされているのは、経営統合の目的について当該金融機関がコミットし(「明言し、約束・制約する」という意味であろう)、それを「事前事後に金融庁が指導監督するというスキームである。

しかし、そこには、地方銀行が私企業たる株式会社であることによる前記第1の「会社法による規律」という視点が完全に欠落している。

「経営統合により生み出される余力」を、経営統合を果たした地方銀行がどのように活用するかは、銀行が株式会社である以上、株主総会、取締役会等を通したガバナンスに基づく組織的決定に従わざるを得ないというのが、「会社法の規律」からの当然の帰結である。経営統合による余力の活用について、当該金融機関が何らかの「コミット」を行ったとしても、それは、「その時点の執行部の方針」に過ぎない。経営統合後に、当該金融機関をめぐる状況が変化し、ガバナンスに基づく意思決定が統合前とは別個のものになることも、私企業たる株式会社である以上、制約することはできない。株式会社である以上、その時々の経営環境の下で「株主の意向」にしたがい、会社の利益を最大化する方向で経営を行うのは当然であり、経営統合による競争制限で生じた果実の活用に関して、統合前の方針を維持することを監督官庁の金融庁が強制することは、私企業の経営への不当な介入となりかねない。

地方銀行の経営統合について、公取委の企業結合審査と、金融庁の銀行法に基づく審査(当事者の銀行のコミットについて事前事後の指導監督)との連携を行うという報告書の提言には、根本的な問題がある。

もちろん、提言されている「企業統合審査についての競争当局と金融庁との連携」を立法によって実現することは不可能ではない。しかし、今回の報告書で露呈した金融当局の「競争法の規律」「競争法的視点」への無理解からすると、競争当局と適切に連携することができるようには思えない。

 

長崎県における地域銀行の経営統合問題について

報告書は、ふくおかFG(福岡県、福岡銀行・熊本銀行・親和銀行を傘下に持つ)と十八銀行(長崎県の地方銀行)の経営統合について、

(ア)長崎県においても、事業所数や生産年齢人口は、全国の減少率を上回る急速なペースで減少している。

(イ)十八銀行と親和銀行(ふくおかGF)が経営統合を公表した後、県外銀行による貸出の伸びが目立っている。

(ウ)両行は、本件経営統合により生じた余力を地元企業の付加価値向上や事業再生の支援に活用することを公表している。

などと指摘し、「本件経営統合の是非を県内の貸出額シェアなどに基づいて事前に画一的に判断することは適切でない。このまま競争を続け、経営体力を消耗させ、金融機関数が減少し、自然に独占状態が発生する状態になるより、経営余力のあるうちに統合を認め、その経営余力を用いて地域企業の本業支援等を行うことを通じて、生産性向上や付加価値向上を図ることの方が、地域企業・経済の観点から望ましい。」と結論づけている。

しかし、(ア)は客観的事実であるとしても、(イ)については、報告書の図表15によると、県内金融機関の貸出の増加に比べて顕著に増加しているとは言えない。また、(ウ)の「本件統合により生じた余力の活用」については、冒頭で述べたように、今年5月7日にも、両行がコメントを公表しており、経営統合を認めるべき理由として強調したいようだが、上記の通り、地方銀行が株式会社である以上、ガバナンスに基づく組織的決定に従わざるを得ないのであり、経営統合の是非の判断において現在の各銀行の執行部の方針を過大に評価することはできないし、金融当局のモニタリングにも限界がある。

報告書は、公取委の企業結合審査について、「県内の貸出額シェアなどに基づく画一的判断だ」としているが、少なくとも、公取委は、県内に所在する需要者の企業へのアンケート調査なども実施し、経営統合によって生じ得る影響を実質的に考慮しつつ判断している。公取委も、貸し出しシェア5割を超える新潟県の第四銀行と北越銀行については、経営統合を承認しているのであり、貸出シェアが70%を超えるだけでなく、需要者側の選択の余地を奪うことが懸念される長崎での地銀の経営統合の計画に難色を示すのは、競争当局としては当然であり、公取委の対応が柔軟性を欠くと批判されるべきものではない。

現在のところ、十八銀行の業績は順調であり、経営上の問題は特にない。今後も、長崎地域において、ふくおかFG傘下の親和銀行との公正な競争を通して、地域の金融機関としての社会的使命を果たしていくことも十分に期待できる。

ふくおかFGと十八銀行は7日、長崎県内の全取引先に対し、他の金融機関への貸出債権譲渡について意向調査をするとのことだが、銀行側の都合で、融資取引の関係を変更させられる中小企業にとって迷惑極まりない話であろう。それこそ、リレーションシップバンキングという方向性にも反するのではないか。

そのようなことまでして、独禁法に抵触する疑いが強い地銀間の経営統合を進めようとするのは如何なる理由からなのであろうか。報告書の見解に沿って地銀統合を進めようとする金融庁の方針がその原動力になっているのであろうか、報告書には「根本的な問題」があることを改めて指摘しておきたい。

 

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朝日「リニア談合解説記事」での一方的「ゼネコン批判」による“印象操作”

4月23日付けの朝日新聞朝刊の「MONDAY 解説」というコーナーに、全頁に近い大きさで、市田隆編集委員の「リニア工事 ゼネコンを捜査 発注者との蜜月 新たな談合」と題する記事が掲載された(以下、「市田「解説記事」」)。

「解説」のコーナーに掲載されているのであるから、大型の「解説記事」という位置づけなのであろう。そうであれば、取り上げた問題について、明らかになっている事実関係を客観的に記述し、それがどのような法律に違反するのかを説明し、事実関係、法律適用について、当事者からの反論や主張の有無や内容も踏まえて争点を明らかにした上で、筆者の意見を述べる内容になるのが通常であろう。

昨年12月26日に出した当ブログ記事【リニア談合、独禁法での起訴には重大な問題 ~全論点徹底解説~】でも詳細に述べたように、この事件については、独禁法を適用すること、独禁法違反の犯罪ととらえることに関して、多くの問題や疑問点がある。

この事件については、「解説」すべき問題点が数多くあり、十分な紙幅を割いて「解説コーナー」で取り上げるに相応しい案件だと言える。

しかし、市田記事は、「解説記事」と言いながら、一方的な、検察捜査の当然視・評価と、大手ゼネコンの「談合」に対する「批判」に埋め尽くされており、事件の問題点や争点を含めて客観的に「解説」する記事とは到底言えない内容となっている。当然触れるべき法律上の問題や争点、当事者企業の言い分を無視し、関連する事実を、一方的かつ一面的な見方で論じている。このような記事を、客観的な「解説記事」であるかのように紙面に掲載することは、「印象操作」との批判を免れないであろう。

「印象操作」というのは、森友・加計学園問題に関して、安倍首相が国会答弁で多用した言葉だ。野党の国会での追及は、問題の本質に目を向けることなく、「安倍首相の指示・意向」の疑いに単純化され、安倍首相を批判する側と支持する側との議論が全くかみ合わず、「二極化」する状況を作る原因にもなった(【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】)。そこにも、朝日新聞の報道に対する「印象操作」の批判がある。

リニア談合事件ついての編集委員の「解説記事」における露骨な「印象操作」が、朝日新聞の編集方針によるものだとすると、森友・加計学園問題に関する朝日新聞の報道姿勢に対する「印象操作」の批判とも無関係とはいえないように思える。

 

「解説記事」として不可欠な内容

リニア談合事件の「解説」として何より重要なことは、この事件で会社幹部に逮捕者を出し、その個人と会社が起訴された大成建設・鹿島のゼネコン2社が、当初から犯罪の成立を強く争っており、起訴された後の現在もその姿勢を継続していることだ。しかも、大成建設は、特捜部の捜査手法に対して「抗議文」まで提出して、徹底して抵抗している(【“逆らう者は逮捕する”「権力ヤクザ」の特捜部】)。

建設業法によって国の監督下にあり、しかも、国から多くの工事を受注する立場の両者が、国家機関である検察の捜査・処分に、ここまで抵抗するのは異常な事態である。そこに、今回のリニア談合事件の特異性があり、「解説記事」であれば、何をさておいても取り上げなければならない点であろう。

そのようにゼネコン2社側が強く抵抗する理由は、本件が、「談合事件」として極めて特異なものだからだ。

従来の談合事件が、刑法の談合罪の処罰対象となる「公共工事」をめぐる談合だったのに対して、このリニア工事をめぐる問題は、JR東海という民間企業が発注者なので、刑法の談合罪の対象ではなく、しかも、上場企業の発注工事に関するものであるところに、従来の「談合事件」との大きな違いがある。

そこで、検察は、「独占禁止法」という法律を持ち出して、同法違反(不当な取引制限)の刑事事件ととらえたのであるが、同法違反は、刑法の談合罪とは異なり、「談合行為」自体を違反とし、処罰の対象とするものではない。「一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」が違反・犯罪とされるのであり、「談合」はそのための手段に過ぎない。刑法の談合罪と独禁法違反とでは、違反・犯罪の構造が異なるのである。

しかも、【前記ブログ記事】でも述べたように、リニア中央新幹線工事は、ほとんど全区間にわたってトンネルであり、南アルプスの地下、最深部では1400メートルにも及ぶ深さで、火山や地震の影響を耐えられる構造が必要とされるなど、極めて高度な技術が要求される工事である。高度なトンネル技術を持つ大成建設・鹿島の2社が、90年代から、自然条件や地中の状況についての調査や、それらを克服できる工法の開発を分担して行ってきたもので、そもそも「競争」の余地はない。発注方式も、受注者選定の方式も、そのような工事の特性に応じたものとなっている。大手ゼネコンの技術を結集し、役割分担を行って技術開発を行わなければ実現が困難なものであり、今回のリニア工事をめぐる問題は、独禁法違反の犯罪で処罰しようとすることに多大な疑問がある。日経Bizgate「郷原弁護士のコンプライアンス指南塾」【「リニア談合」の本質と独禁法コンプライアンス】では、独禁法コンプライアンスの基本的視点から考えても、そもそも独禁法で問題にすべき案件ではないことを指摘してきた。

私の問題点の指摘は、90年代初頭の公取委出向時の「埼玉土曜会談合事件」を初めとして、多くの談合事件の摘発に関わり(【告発の正義】ちくま新書:2015年)、2000年代初頭の、自民党長崎県連事件では、ゼネコンの談合構造を背景とする、自民党の地方組織の集金構造を解明するなど(【検察の正義】ちくま新書:2009年)、検事時代に「ゼネコン談合」と闘ってきた経験と専門知識に基づくものであり、業界関係者、工事発者側など、わが国の社会資本整備に関わる者の常識的な見方を法律論、コンプライアンス論として構成したものだ。

ところが、市田「解説記事」は、事件を摘発した検察に対する疑問や批判を一切無視して、ゼネコン談合を一方的に批判しているのである。

 

独禁法適用に関する公共工事と民間工事の「決定的な違い」

市田「解説記事」の最大の問題は、冒頭で、(東京地検特捜部は)「独占禁止法違反(不当な取引制限)で起訴した。談合があったとされたのは、」などと述べて「不当な取引制限」という独禁法違反を、単純な「談合事件」に置き換え、公共工事と民間工事との間の、談合についての法律的評価の違いを完全に無視していることだ。

「公共工事」においては、会計法、地方自治法等の法令で、発注方式が定められており、発注者側の契約当事者も、発注方式を勝手に決めることはできない。入札が義務付けられていれば、入札によって受注者を決めなければならないし、その入札に当たって、特定の業者が受注するよう意向を示したり、有利な取扱いをしたりすることは、「官製談合防止法違反」となる。

しかし、「民間工事」の場合、どのような方式でどのような企業に発注しようと、基本的には発注企業の自由だ。発注者が、技術的な要素や品質を考慮して、特定の企業を契約先に選定して発注したとしても、基本的には何ら問題はない。その発注者が、入札による業者間の競争で受注者を選定しようとしているのに、その意向に反して、受注業者で話合いをして競争を回避した場合に、取引の規模や市場全体への影響如何では、独禁法違反が成立する「余地がある」、というだけである。

市田氏は、

工事に関与したJR東海元幹部は、品川、名古屋両駅工事が高度な技術力を要するため、大手4社にしかできないと考え、「事前に技術協力してもらいパートナーのようだった」と語る。さらには「工事実績から日名川駅を大林組、清水建設、名古屋駅を大成建設が受注する流れが当然と受け止めていた」と証言し、発注者が、大手同士のすみ分けを許容していた疑いすら浮かぶ。

としているが、リニア工事の発注者であるJR東海が、その施工に高度な技術開発が必要であったことから、発注前の段階から大手ゼネコンに協力を求め、大手ゼネコン同士の「すみ分け」を許容していたのであれば、発注者が許容する「すみ分け」の通りに受注することは独禁法に何ら違反するものではない。

発注者が、「大手ゼネコン同士のすみ分けを許容し」、それに応じて、ゼネコン側が調整を行っていた場合、「公共工事」であれば「官製談合」として、官民ともに処罰の対象となる。しかし、民間工事であれば、発注者の意向どおりに受注者が決定されたということに過ぎず、独禁法違反は成立せず、何ら違法ではないということになる。

もちろん、JR東海に対しては、高度な技術を要するリニア工事の特性から、大手ゼネコン同士のすみ分けを許容せざるを得ないのであれば、それを透明化して大手ゼネコンとの個別の交渉による随意契約をとるべきだったのに、「入札」という「実態に合わない発注方法」を採用していたことについて批判する余地はある。しかし、市田氏のように、発注者側の「すみ分けの許容」自体を、「談合に至る土壌作り」とし、JR東海側に「談合」についての責任があるかのように批判するのは的外れだ。

 

「談合決別宣言後」の「新型談合」?

そして、市田氏は、リニア談合に対して明らかに誤った「解説」を行うだけでなく、「新型談合」という言葉を持ち出し、それを、最近の大手ゼネコン各社をめぐる状況に結び付け、一般化しようとする。

市田氏は、

大手4社が、談合決別宣言を行ったのは制裁を強化する改正独禁法の施行前の2005年12月のことだ。だが、実際には談合との決別は困難だった。

と述べて、大手ゼネコンが「談合決別宣言」後も、談合と訣別できなかったと述べた上、その背景について、次のように「解説」する。

準大手各社の幹部は、1千億円超の大型工事を請け負うだけの技術力、資金力を持つゼネコンとなると、大手4社が中心とならざるを得ない、と指摘する。

官民ともに発注者側には「大手に工事を任せれば安心」との意識が強い。大規模な震災復興工事を請け負う大手ゼネコン幹部は「役所に頼まれてやっている」と述べた。この環境下で、ゼネコン業界ぐるみの以前の談合組織とは違い、発注者との親密な関係をもとに大手4社だけで受注調整する新たな談合が生まれることになった。

そして、「建設業界の談合をめぐる動き」と題する表で、決別宣言直後から談合が繰り返されているかのように談合事件を列挙し、ゼネコン談合が解消されなかったかのような「印象」を与えている。

しかし、大手ゼネコン間で行われた2005年末の「談合決別宣言」は、それまで、談合事件の摘発の都度繰り返されてきた表面的な「談合排除宣言」とは全く異なり、業者間の調整を担ってきた「業務屋」と言われる社員を営業の現場から排除して、談合を行わないことを前提とする営業活動、積算・見積、入札を徹底しようというもので、2006年に入ってから、そのような措置によって営業・受注の現場で価格競争が徹底されていった。実際に、その後、大手ゼネコン間の談合が問題になった事例はなく、今回のリニア談合事件が、談合決別宣言後では初めての事例だ。

上記の「建設業界の談合をめぐる動き」表中の「枚方市の清掃工場の建設工事をめぐる談合事件」は、摘発は2007年だが、入札は2005年で、「談合決別宣言」前だ。「名古屋市地下鉄談合」も、入札は、「談合決別宣言」の直後の2006年2月、談合排除の取組みに着手した直後であり、既に受注調整によって各工区の受注予定者が決まり、工事の準備が開始されていた段階だったため、それをすべてご破算にして、名古屋市の入札に「競争」で臨むことは大幅な工事の遅延を招き、困難だったという事情がある。「決別宣言後の談合」と見ることは適切ではない。

もちろん、最近でも、地方の中小建設業者間の談合や、表にも書かれている道路舗装工事のような若干特殊な分野の工事について専門業者間の談合が公取委に摘発された事例はある。しかし、少なくともゼネコン業界においては、談合決別宣言によって、それまで日本の公共工事のほとんど全てに蔓延していた受注調整が、ほぼ根絶されたというのが、業界関係者や発注官庁側の認識だ。

 

競争環境の激変とゼネコン各社の受注姿勢の変化

市田氏は、「発注者との親密な関係をもとに大手4社だけで受注調整する新たな談合が生まれることになった。」と述べ、11年の東日本大震災の復旧・復興工事、安倍政権下での公共事業費の増加、20年の東京五輪に向けての首都圏の再開発やインフラ整備の活発化などで、各社が過去最高利益を更新するなど、大手ゼネコンの業績が好調な現在の状況も、大手ゼネコン各社の「新型談合」によるものであるかのように決めつけている。

しかし、民主党政権下での公共投資の抑制やリーマンショック等による建設不況の下で、ゼネコン業界全体が、熾烈な工事の奪い合いをしている状況から、東日本大震災の復旧・復興工事に加えて、自民党が政権に復帰したことによる公共投資の増額、さらには、東京五輪の誘致決定、都市部の再開発の活発化による大型建設工事ラッシュという状態で、建設需要が拡大し、ゼネコン業界全体が需要に対応しきれないような状況へと、建設工事をめぐる競争環境が大きく変化したことに伴い、ゼネコン各社の受注姿勢が変化するのは当然だ。

公共工事が削減され、建設業界が不況にあえいでいる状況では、工事を選り好みしている余裕はなく、受注可能な工事に各社が殺到する。一方、建設需要が増大し、業界全体の施工能力を上回る状況になれば、各社が自社の得意な工事を選別して受注しようとするのは、自然な成り行きだ。超大型工事=大手ゼネコン、一般工事=準大手ゼネコンという「棲み分け」になるのは、発注者側、受注者側の合理的な判断の結果と言える。ところが、市田氏は、それを「新たな談合によるもの」と決めつけるのだ。

「技術的能力という面から、大型工事の受注可能な業者は大手4社である」という認識が発注官庁側と業者側とで共有されることが、なぜ「新たな談合」ということになるのか。「談合」といして批判されるのは、個別の工事受注に関して事業者間に意思連絡や合意があった場合だ。しかし、市田記事は、ゼネコン業界で、業者間の話合いが行われていることの根拠を何ら示すことなく、「新たな談合」という言葉を使っている。

 

リニア談合は「新たな談合」の「氷山の一角」なのか

市田氏は、「技術提案を加味する選定方法」が導入されたことで、ゼネコン間の談合の立証が困難になっていたが、検察は課徴金減免制度を利用して困難を克服し、「新型談合」の起訴にこぎつけた、として検察捜査を評価する。

そして、リニア事件が「新たな談合」の「氷山の一角」である疑いがあるとし、それを大手ゼネコン各社の一般的な問題に拡張する根拠として持ち出しているのが、「東京外郭環状道路(外環道)」の工事をめぐる「談合疑惑」だ。

同工事は、わが国ではじめて大深度地下領域を全面的に活用し、本線トンネルは全長約16キロ、片側3車線の大断面・長大トンネルであるであることなど、従来の技術では対応できない極めて高度な技術を要する工事であったため、国交省が、学識経験者、関係機関による検討委員会を設置し、スーパーゼネコン等も協力して工法の検討が行われたものだ。「競争」より「官民の共同」によって初めて実現することが可能な工事の典型だ。高度な技術開発が官民挙げての「共同体制」で行われた経過から、4社が受注を分け合うことになった結果を「当然の結果」とみるか、共産党の機関紙赤旗による批判キャンペーンが指摘するように「談合」と見るかは、見方の違いである。

重要なことは、発注者側は「談合などの疑いを払拭できない」として大手4社との契約手続きを中止したが、「4社間の談合」の事実が明らかになったわけではないということだ。

市田氏が評価するように、「技術提案を加味する選定方法」が導入されたことで、談合の立証が困難になっていたのを、特捜部が課徴金減免制度を利用して克服したというのであれば、市田氏がもう一つの「氷山の一角」として指摘する「東京外郭環状道路」の工事をめぐる談合について、大林・清水側は同様に課徴金減免申請をすることになるのではなかろうか。

検察捜査と大林、清水の減免申請によって、リニア工事以外の「ゼネコン談合」が解明されることがなかったのは、市田氏が指摘する「新たな談合」の疑いを否定する事情と言うべきではなかろうか。

 

「解説記事」による「印象操作」を行うことの問題

市田氏が、ゼネコン談合を批判し、特捜部の捜査を評価・支持することも、それを表現することも自由だ。しかし、それをするのであれば、新聞紙面においては、「オピニオン」として扱うべきだ。

同氏の「解説記事」は、事件の客観的な解説として不可欠な点を殊更に除外し、「新たな談合」などという言葉を用いて、根拠も示さずに、大手ゼネコン各社が談合決別宣言後も談合を繰り返してきたように一方的に批判しているものであり、そこには、客観的な「解説」という外形を装って、「印象操作」を行おうとする姿勢が顕著だ。

このような記事を、「編集委員の解説記事」として、「解説」コーナーに掲載する朝日新聞の編集方針にも疑問を持たざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

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柳瀬氏、「参考人招致」ではなく「証人喚問」が不可欠な理由

4月10日に、中村時広愛媛県知事が、今治市への加計学園獣医学部設置に関する愛媛県、今治市職員、加計学園関係者と、柳瀬唯夫総理秘書官(当時)との総理官邸での面談記録の存在を認めたことに加え、4月13日に、面談記録が、政府内部(農水省)でも発見されたことで、2015年4月2日の首相官邸で面談が行われたことは、否定し難い事実となりつつある。しかし、一方の柳瀬氏は、「自分の記憶の限りでは、愛媛県や今治市の方にお会いしたことはありません。」と面談の事実を否定するコメントを維持している。

野党側は国会での柳瀬氏の証人喚問を求め、与党側は参考人招致に応じる方針のようだが、ここで重要なことは、現時点で「唯一の証拠」である愛媛県職員作成の面談記録について、判明している周辺の事情も含めて、客観的に証拠評価を行い、面談記録からどのような事実が認定できるかを検討することである。

それによって、面会の事実を否定する柳瀬氏の虚偽の答弁の疑いの程度が明らかになり、柳瀬氏を証人喚問すべきか、参考人招致でとどめても良いかが自ずと明らかなる。

 

面談記録自体の信ぴょう性、正確性をどう判断するか

まず、問題となるのは、この面談記録に、虚偽或いは誇張された内容が含まれている可能性がどの程度があるかである。

前回ブログ記事【“安倍王将”は「詰み」まで指し続けるのか】でも述べたように、愛媛県職員が、面談記録に、実際のやり取りとは異なったことを意図的に書く動機は考えられない。

一般的には、行政機関の内部において、他の機関との非公式の会合でのやり取りについて、実際とは異なる内容、歪曲或いは誇張した内容の報告が行われたり、報告文書が作成されたりする可能性はないわけではないが、それは、それなりの「動機」がある場合である。

例えば、当該職員が担当している事項について、何らかの問題を起こし、責任を問われかねない状況で、他者との会談の内容の中で、自らの責任に言及する部分を削除したり、ぼかしたりすること、逆に、担当者自身が自らの実績をアピールするために、相手方の言葉を誇張して表現することなどが考えられる。問題は、面談記録を作成した愛媛県職員の側に事実を歪曲したり誇張したりする動機があるかどうかだ。

また、面談記録の作成過程で、発言者の意図が正確に伝わっていなかったり、或いは、作成者の思い込みで、発言者の意図とは異なることが記載されたりすることはあり得る。今回の面談記録のように、要点を要約した文書の場合、話の順番が、記録のとおりだったとは限らないし、実際の発言と記録の記載が、言葉の表現まで厳密に同じであったかどうかはわからない。面談記録の正確性の程度は、文言の具体性、特異性、前後の文脈との関係等から、個別に判断するしかない。

 

「本件は、首相案件となっており」

面談記録の中の柳瀬氏の発言の冒頭は、

本件は、首相案件となっており、内閣府藤原次長の公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい。

と記載されている。加計学園問題を追及してきた朝日新聞などのメディアや野党が、この「本件は、首相案件」という言葉が、首相の「指示」ないし「意向」による案件であることを意味しているとして「加計ありき」の根拠とするのに対して、安倍首相支持派・擁護派からは、「安倍首相が主導して導入し、しかも、諮問会議の議長を務める『国家戦略特区』という規制改革の枠組みのことを意味するもので、それ自体、首相の関与を示すものではない」との反論が行われている(【「首相案件」の何が“違法”なのか?野党は140字で説明してね】など)。

「本件は、首相案件となっており」という抽象的な言葉だけからは、いずれの解釈が正しいかを即断はできない。それに続く「内閣府藤原次長の公式のヒアリングを受ける」は、国家戦略特区諮問会議の事務局を務めていた藤原豊内閣府地方創生推進室次長の「公式のヒアリングを受ける」という意味に解されるので、「国家戦略特区で進めていくこと」を意味しているようにも思える。

しかし、面談の時点では、まだ今治市での獣医学部新設について国家戦略特区の申請は行われておらず、「首相案件となっており」というのが「国家戦略特区案件になっており」ということは客観的にありえないことからすると、「首相案件=国家戦略特区」という解釈には無理がある。

問題は、それに続く

 国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかはテクニカルな問題であり、要望が実現するのであればどちらでもいいと思う。現在、国家戦略特区の方が勢いがある。

という記載だ。

柳瀬氏は、「国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかは」「どちらでもいい」と言っているということであり、これからすると、「首相案件」が「国家戦略特区」の意味ではないことは明白だ。

そこでの「本件」は、まさしく、「加計学園が今治市で獣医学部を新設しようとしている案件」のことであり、その要望を実現することが「首相案件」になっているからこそ、「総理秘書官の自分が、こうして対応している」という意味だと考えるのが自然だ。

 

「やらされモード」「死ぬほど」

面談記録の中で最も注目すべき点は、柳瀬氏の発言内容として、

いずれにしても、自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件。

と記載されていることである。

「やらされモード」という言葉は、柳瀬氏が、自治体側の消極的姿勢への懸念を示した印象的なフレーズだ。その「自治体」の愛媛県側にとっては、若干耳の痛い言葉であり、言われてもいないのに、そのような言葉を面談記録に記載することは考えにくい。総理大臣秘書官から、愛媛県側の消極的姿勢について、「やらされモード」という言葉で懸念を示されたことを県の上層部に報告するため、発言を正確に記載した可能性が高い。

「死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」の「死ぬほど」という言葉も、非常に強い言葉であり、印象的な表現だ。発言者がそのような言葉を使っていないのに、愛媛県側が勝手に面談記録に書くとは考えにくい。

要するに、柳瀬氏は、「やらされモード」「死ぬほど」というやや強いイメージの言葉を使って、「愛媛県が積極的に動くことが必要だ」と言っていたと思われる。少なくとも、「加計学園が獣医学部を新設する」という「本件」に対して、愛媛県よりむしろ、柳瀬秘書官の姿勢の方が積極的だったことになる。それらからすると、「首相案件」ということの意味は、「首相官邸が積極的に関わるべき案件」あるいは、「首相が関わっている特別な案件」という意味だと考えるのが自然だ。

 

獣医学部新設に対する愛媛県の姿勢

今治市での獣医学部新設に対する愛媛県の姿勢が、必ずしも積極的ではなく、柳瀬秘書官が「やらされモード」を懸念するようなものであったことは、その後の、国家戦略特区への提案や申請に対する愛媛県の動きとも合致する。

面談記録の中には、内閣府の藤原次長から、

今年度から構造改革特区と国家戦略特区を一体的に取り扱うこととし、年2回の募集を予定しており、遅くとも5月の連休明けには1回目の募集を開始。

ついては、ポイントを絞ってインパクトのある形で、2、3枚程度の提案書案を作成いただき、早い段階で相談されたい。

提案内容は、獣医大学だけでいくか、関連分野も含めるかは、県・市の判断によるが、幅広い方が熱意を感じる。

獣医師会等と真っ向勝負にならないよう、既存の獣医学部と異なる特徴、例えば、公務員獣医師や産業獣医師の養成などのカリキュラムの工夫や、養殖魚病対応に加え、ペット獣医師を増やさないような卒後の見通しなどもしっかり書きこんでほしい。

などの助言を受けたことと、それを受けて、柳瀬氏も同様の助言をしたことが記載されている。

愛媛県と今治市は、忠実にその助言に対応し、獣医学部の新設を、それまでの「構造改革特区」から「国家戦略特区」に切り替え、2015年6月に入って特区申請を行い、6月5日に、国家戦略特区ワーキンググループの提案者ヒアリングに臨んでいる(【提案書】【配布資料】【議事録】)。面談記録に記載された藤原次長の助言と比較すると、ほぼ忠実に助言どおりに対応していることがわかる【(東京)「加計」愛媛県文書 獣医学部15年4月「出発点」 柳瀬氏らの助言通り次々】。

しかし、愛媛県と今治市の「共同提案」とされているが、愛媛県からの提案は何もない。獣医学部新設以外の「関連分野」として、今治市の側で「水産物・食品の輸出ワンストップ支援センターの設置」という今治市の提案を付け加えているだけだ。

その半年後の同年12月10日、再度、提案者ヒアリングが行われ、追加提案が付け加えられて、《「しまなみ海道」と「今治新都市」を中核とした「国際観光・スポーツ拠点」の形成》にという地域を拡大したテーマに変更され、獣医学部新設は、その中の一つの提案に位置づけた。

6月5日の提案者ヒアリングは、愛媛県が中心となっており、提案内容の説明も愛媛県の局長が行っているが、12月10日のヒアリングでは、愛媛県の局長は、冒頭の概要説明だけで、具体的な説明は今治市の課長が行っている。

そして、その5日後の12月15日の国家戦略特区諮問会議では、提案者が、「広島県・今治市」となり、その時点で、愛媛県は、国家戦略特区の提案者の立場から完全に外れているのである。

この流れからして、獣医学部新設に熱意を持って取り組んでいたのは今治市であり、愛媛県は、その今治市に「付き合わされて」協力している立場だったことが推測できる。

その背景に、愛媛県と今治市、加計学園との間の獣医学部新設に対する姿勢の違いがあったものと考えられる。加戸守一前知事が、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業が「今治新都市事業」だったが、そこで予定していた学園都市構想は実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だった。加戸前知事は、今治市の商工会議所特別顧問という立場で、同市への獣医学部新設に強い熱意を持って取り組んでおり、県の政策の一貫性という面からは、中村知事になってからの愛媛県としても、加戸前知事時代に始めた獣医学部誘致を表向きは推進せざるを得なかった。しかし、県も負担を約束していた30億円を超える補助金の支出が、獣医学部新設が愛媛県全体にもたらす経済効果に見合うものであるか否かを疑問視する声もあり、愛媛県としては、加計学園関係者や今治市側と比較すると、獣医学部新設にさほど積極的ではなかったというのが実情だったはずだ。

柳瀬氏も、そのような愛媛県のやや後ろ向きの姿勢を感じたからこそ、「やらされ感」「死ぬほど」などという言葉を使って、愛媛県側に気合を入れようとした可能性がある。そういう意味で、柳瀬氏の発言としてこれらの言葉は、獣医学部新設に向けての愛媛県の微妙な姿勢とも合致しているのである。

 

面談記録の信ぴょう性、正確性と加計問題の事実解明

中村知事が、備忘録として県で保管していたものと認めていること、同様の文書が農水省で発見されたことに加え、面談記録中の「やらされ感」「死ぬほど実現したい」などの柳瀬氏発言や、それが、当時の愛媛県の立場やその後の対応とも合致していることなどからすると、面談記録は、十分に信用できるものと考えられる。

これについて、【高橋洋一氏】は、

こうした「応接録」の場合、記載されている相手方の確認や了解がない場合、往々にして書き手の都合の良いように書かれることがしばしばである。そのため、その内容を鵜呑みにするのは危険なのだ。

などと言っているが、全く論外だ。獣医学部新設をめざす当事者的立場の今治市職員や加計学園関係者であればともかく、愛媛県職員にとって、獣医学部面談の内容を誇張したり、歪曲したりする必要は全くない。霞が関の官僚の間では、そのような「誇張」や「歪曲」がしばしば行われるというのが高橋氏の「経験則」なのかもしれないが、少なくとも、今回の面談記録を作成した愛媛県職員には当てはまらない話だ。

総理官邸での愛媛県、今治市、加計学園関係者と柳瀬総理秘書官との面談の際、面談記録に記載されたやり取りがあり、そこで、柳瀬氏が、愛媛県側に対して積極的な対応を求めるなどしたことはほぼ間違いないものと思われる。

そこで、問題は、そのような総理官邸での面談がいかなる経緯で実現したのかである。地方自治体職員と一私立大学の関係者が、総理官邸で総理秘書官と面談し、それまで50年間、認められていなかった獣医学部新設について助言を受けるということは、通常はあり得ないことだ。それが実現した経過に、安倍首相自身の指示があったのか、柳瀬氏と同じ経産省出身の筆頭秘書官の今井尚也氏からの指示があったのかが、まさに加計学園問題の核心である。

 

柳瀬氏の「証人喚問」が不可欠である

その点について真相を語ることができるのが柳瀬氏なのであるが、これまでは、「記憶している限りでは、お会いしたことはない」と言い続けている。

しかし、面談記録中の「やらされモード」「死ぬほど」などという言葉は実際の柳瀬氏の発言である可能性が極めて高く、そのような言葉まで使っていることからすると、柳瀬氏にとっても、「本件」は相当重要な案件だったはずだ。その「面会の記憶」が全くないということはあり得ないであろう。しかも、日米首脳会談のため訪米する安倍首相に同行する仕事ができるのであるから、病的な「記憶障害」の可能性もないはずだ。「会った記憶がない」との柳瀬氏のコメントは到底信用できない。

柳瀬氏について、「参考人招致」という話も出ているようだが、既に、昨年7月の国会の閉会中審査で参考人招致は行っており、しかも、今回の面談記録の内容が公表された後も、柳瀬氏は閉会中審査での答弁と同様の内容のコメントを出して、面会の事実を否定している。このような場合に、重ねて参考人として話を聞く意味は全くない。また、違法行為や犯罪を行ったわけではないことが、柳瀬氏の証人喚問を否定する理由にならないことは言うまでもない。証人喚問は、国政上重要な事項についての国会の国政調査権の重要な手段であり、それは、違法行為や犯罪の責任を追及する手続では決してない(【国会での証人喚問は「犯罪捜査のため」という暴論】)。

違法行為や犯罪については、現行法上「刑事免責」の制度がない以上(【「刑事免責」導入で文書改ざん問題の真相解明を】)、佐川氏の証人喚問がそうであったように、肝心な点は、「刑事訴追を受けるおそれがある」として証言拒否され、ほとんど意味がない。むしろ、証言を求める事項が犯罪に該当するわけではないが、国政に関する重要な事項について参考人としての供述が他の証拠と相反していて、その信用性に重大な疑念が生じている今回の柳瀬氏のような場合にこそ、偽証や証言拒否に対して罰則の制裁がある証人喚問で真実の証言を求めることが不可欠だと言えるのである。

柳瀬氏は、「参考人招致」ではなく「証人喚問」することが不可欠だ。

佐川氏の場合と違い、柳瀬氏は、「刑事訴追を受けるおそれ」で証言を拒絶することはできない。証言拒否や偽証に対して刑罰の制裁がある証人喚問になった時に、柳瀬氏は、「面談の記憶がない」との証言を維持できるであろうか。偽証の制裁を覚悟してまで、面談に至った経緯についての真実を秘匿する姿勢を取り続けるのであろうか。

 

 

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“安倍王将”は「詰み」まで指し続けるのか

愛媛県の中村時広知事は、4月10日に記者会見を開き、加計学園の獣医学部新設に関して、2015年4月2日に県と今治市の担当者、学園幹部が首相官邸を訪れ、加計学園関係者とともに、面談した柳瀬唯夫首相秘書官(当時)、藤原豊内閣府地方創生推進事務局審議官(当時)とのやり取りを記録したメモが存在することを認めた。この面談記録には、柳瀬秘書官が「本件は、首相案件」と発言したとの記載があることに加え、次のように発言したとの記載がある。

① 加計学園から、先日安倍総理と同学園理事長が会食した際に、下村文科大臣が加計学園は課題への回答もなくけしからんといっているとの発言があったとのことであり、その対応策について意見を求めたところ、今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するのがよいとの助言があった。

この面談記録のとおりであれば、「(2015年4月以前に)安倍総理と学園理事長(加計孝太郎氏)とが会食をした際、加計学園の獣医学部新設のことが話題になった」ということが、面談の際に話に出たことになる。

安倍首相は、昨年7月の衆議院予算委員会での閉会中審査で、加計学園の国家戦略特区への申請を知った時期について質問され、「1月20日に申請が正式決定した時点」と明言した。その発言の背景について、私は、2017年7月25日のブログ記事【“危険な賭け”に出たことで「詰将棋」に陥った安倍首相】で、安倍首相が2015年8月以前に加計学園の特区申請を知っていたとすると、「安倍首相による加計学園への便宜供与」の疑いが生じるため、敢えて「2017年1月20日に初めて知った」と強弁する「危険な賭け」に出たのではないかと指摘した。それは、国家戦略特区諮問会議での安倍首相の発言、その後のワーキンググループ(WG)での以下のような議論から言えることだ。

 

2016年9月9日の諮問会議で、民間議員を代表して八田達夫氏が

獣医学部の新設は、人畜共通の病気が問題になっていることから見て極めて重要ですが、岩盤が立ちはだかっています。

と発言したことを受けて、安倍首相は、会議の最後に

本日提案いただいた「残された岩盤規制」や、特区での成果の「全国展開」についても、実現に向けた検討を、これまで以上に加速的・集中的にお願いしたい。

と発言し、9月16日のWGの冒頭で、藤原豊次長(内閣府地方創生推進事務局審議官)が、

先週金曜日に国家戦略特区の諮問会議が行われまして、まさに八田議員から民間議員ペーパーを御説明いただきましたが、その中で重点的に議論していく項目の1つとしてこの課題が挙がり、総理からもそういった提案課題について検討を深めようというお話もいただいております。

と発言しており、実質的にこの日のWGから始まっている獣医学部新設に関する議論は、「9月9日の諮問会議での安倍首相の指示」によるものであることを、藤原氏が明言している。つまり、この時点で、安倍首相が、加計学園が国家戦略特区での獣医学部新設をめざしていることを認識していたとすれば、その指示によって加計学園に便宜を図ったことが強く疑われることになる。だからこそ、安倍首相としては、その時点では加計学園の特区申請を知らなかったと強弁せざるを得なかったのであろう。(その後の国会答弁では、それまでの答弁との矛盾を突かれ、事実上過去の答弁の修正を認めざるを得ないという苦しい状況に追い込まれた。)

面談記録の上記①に記載されているように、2015年4月以前に、安倍総理と学園理事長(加計孝太郎氏)とが会食をした際、加計学園の獣医学部新設のことが話題になった事実があったとすると、安倍首相が、2016年9月9日以前に、加計学園が国家戦略特区で獣医学部新設を進めようとしていることを認識していた疑いが生じる。

 

愛媛県職員の面談記録の記載の中でもう一つ重要なのは、首相官邸での面談には内閣府の藤原豊氏も同席していて、同氏が、

② 要請の内容は総理官邸から聞いており、県・今治市がこれまで構造改革特区申請をされてきたことも承知。獣医師会等と真っ向勝負にならないよう、既存の獣医学部と異なる特徴、例えば、公務員獣医師や産業獣医師の養成などのカリキュラムの工夫や、養殖魚病対応に加え、ペット獣医師を増やさないような卒後の見通しなどもしっかり書きこんでほしい。

③ かなりチャンスがあると思っていただいてよい。

などと発言していたとの記載である。

それが事実だとすると、加計学園の獣医学部の新設を認めるべきとする理由付けについても、内閣府側が「指南」していたことになるのであり、前記のように特区諮問会議、WGでの議論を主導してきた内閣府の担当官と、特区申請を行う今治市や加計学園との間の「八百長」のようなものだったことになる。

面談記録中の「本件は、首相案件」という文言に注目が集まっているが、それ以上に重要なのは、安倍首相が、加計学園が国家戦略特区での獣医学部新設をめざしていることを認識していたことを示す上記①の記載と、内閣府の国家戦略特区の担当幹部が愛媛県、今治市側に「指南」していたことを示す②、③のやり取りがあったか否かである。

 

上記閉会中審査に参考人として招致され、「記憶している限りでは、面会した事実はない」と答弁していた柳瀬氏(現経済産業省審議官)は、愛媛県職員の面談記録が表面化したことを受け、4月10日に、「自分の記憶の限りでは、愛媛県や今治市の方にお会いしたことはありません。」と、それまでの国会答弁と同趣旨のコメントを出した。

4月11日の衆議院予算委員会での集中審議で、相反する愛媛県面談記録と柳瀬氏の答弁について質問された安倍首相は

愛媛県で作成した文書については、コメントを差し控えたい。

私は元上司として(柳瀬氏を)信頼している。

と答弁した。

 

中村知事が、県職員が東京に出張して総理官邸で柳瀬秘書官と面談した際の報告用の文書として作成したものであることを認めている面談記録と、柳瀬氏のコメントとを比較すれば、前者の信用性が圧倒的に高いことは明らかだ。

愛媛県職員は、県のヒアリングで、「柳瀬氏・藤原氏と面談し、その際のやり取りを記録した」と供述しているはずだ。このような県職員が、実際のやり取りとは異なったことを意図的に文書に書く動機も、ヒアリングで虚偽の供述を行う動機も考えられない。しかも、県職員にとって、首相官邸で総理秘書官や内閣府幹部に会うなどということは「一生に一度あるかないかの出来事」であり、その時のことは強く印象に残り、そこでのやり取りも忘れることはないはずだ。また、面談記録の中には、「新潟市の国家戦略特区の獣医学部の現状は、トーンが少し下がってきており、具体性に欠けていると感じている」などと、愛媛県・今治市側は知り得ない事情も含まれており、柳瀬氏か、藤原氏から聞いたことを書いたとしか考えられない。

一方、面談の事実を否定している柳瀬氏は、「自分の記憶の限りでは」との限定を付けており、要するに「記憶がない」と言っているに過ぎない。

愛媛県庁の職員は、本当に真面目です。しっかりと仕事をしてくれています。正直にいろんな報告もしてくれていますから、私はそれを信じています。

職員の上げてきた書類は、私は全面的に信頼しています。

という中村知事の発言に対抗しているつもりなのか、安倍首相は、「柳瀬氏を信頼している」と言っているが、その柳瀬氏は、「記憶がない」と言っているだけなのであるから、そもそも「信頼する」というような話ではない。

 

愛媛県職員の面談記録に記載された2015年4月2日の首相官邸での首相補佐官、内閣府幹部と愛媛県職員、加計学園事務局長らとの面談の事実は、安倍首相が、国家戦略特区諮問会議議長という立場で、親友の加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園の獣医学部新設に便宜を図ったとの深刻な疑いを生じさせるものであり、国会の国政調査によって、事実解明のために最大限の努力を行うべき問題であることは間違いない。

では、今後、国会での真相解明をどのように進めていったらよいのか。

ここで不可欠と考えられるのが、面談記録を作成した愛媛県職員と柳瀬氏・藤原氏とを同時に参考人招致又は証人喚問することである。

作成者の愛媛県職員に、面談が行われた経緯、面談の部屋、室内の状況等を質問することで、面談の有無について、より確かな判断をすることができる。面談記録には曖昧な記載もいくつかあり、上記①、②、③の記載の趣旨について確認する必要もある。柳瀬氏、藤原氏らの発言内容について、現時点で記憶していることを、ありのままに証言させれば、面談の有無、その際のやり取りの内容について、詳細な事実を明らかにすることができる。

一方、目の前で、自らの発言内容について愛媛県職員が、面談の経緯や状況について詳細に証言した場合でも、柳瀬氏、藤原氏は、「記憶がない」と言い続けるのかどうか。柳瀬氏、藤原氏が、「面会の事実を思い出した」と述べた上で、「愛媛県職員の面談記録に記載されているような発言なかった」と述べる可能性もないではない。しかし、少なくとも、柳瀬氏は、これまで「面談について記憶がない」と一貫して述べてきたのであり、今になって「思い出した」と言っても、その供述自体に信用性がないことは明らかだ。

 

柳瀬氏や藤原氏については、すでに参考人招致は行われているので、証人喚問することに問題はないが、本来、国会で答弁を求められる立場ではない愛媛県職員を、いきなり証人喚問するのが適切なのかという問題もある。柳瀬氏、藤原氏とともに、まずは参考人招致という形で証言を求め、両者の供述状況によっては、証人喚問に切り替え、宣誓の上での証言を求めるという方法も考えられる。

いずれにせよ、柳瀬氏、藤原氏、愛媛県職員を参考人招致、証人喚問すれば、2015年4月2日の首相官邸での面談に関して、真相が相当程度明らかになる可能性が高い。国会での参考人、証人という立場で厳しい尋問にさらされる柳瀬氏、藤原氏は、さらに苦しい立場に追い込まれることになる。

 

昨年2月以降、森友学園問題については「私や妻が関係していたということになれば、これはもうまさに、私は、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める。」、加計学園問題については「特定の人物や特定の学校の名前を出している以上、確証が無ければ極めて失礼ですよ。」という安倍首相の国会での発言が発端となり、「モリ・カケ問題」は一年以上にわたって国政に重大な影響を与える案件となってきた。その間、「安倍総理を侮辱した」との理由による籠池氏証人喚問、官房長官の「怪文書発言」、さらには、「モリ・カケ疑惑隠し」とまで言われた解散総選挙など、政権側の「奇手」「悪手」を重ねてきた。「モリ・カケ問題をめぐる“王将戦”」も既に最終盤に入っている。

“安倍王将”は、このまま「詰み」となるまで指し続けるのだろうか。この辺りで「投了」を真剣に考えるのが、一国の首相としてとるべき姿勢ではなかろうか。

 

 

 

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「刑事免責」は「司法取引」とどう違うか ~“国会証人喚問への「刑事免責」導入”で期待できること

財務省の決裁文書改ざん問題に関して行われた佐川宣寿氏の国会証人喚問について、先週末、BS局やネットテレビの番組に出演して、国会証人喚問への「刑事免責」の導入の必要性について発言し、月曜日には、【「刑事免責」導入で文書改ざん問題の真相解明を】と題するブログ記事で詳細に述べた。

ブログ記事は、BLOGOS、アゴラ、Huffington Postなどに転載されて、大きな反響を呼んでいる。野党の有力議員から、公の場での言及が行われており(【希望の党玉木代表定例会見】、【無所属の会原口一博元総務大臣の4月3日衆議院総務委員会での発言】)、与野党議員の間では、「刑事免責」の導入の必要性について、検討・議論を行う動きが始まっているようだ。

上記ブログ記事でも書いたように、刑事裁判での「刑事免責」制度が、2年前に成立し、今年6月に施行される刑事訴訟法改正法で導入されることから、国会証人喚問への「刑事免責」の導入も制度論として十分に可能であり、それが、決裁文書改ざん問題の真相解明のための唯一の実効的な方法だ。

「刑事免責」は、英米各国では、刑事裁判のみならず、議会での調査にも古くから活用されてきた歴史がある。ところが、日本では、ロッキード事件での嘱託証人尋問の際以外には、ほとんど注目されてこなかった。ネットで「刑事免責」を検索しても、海外の制度に関する日本語の紹介は殆どないし、改正刑訴法に導入される刑事免責についての解説も極めて少ない。同じ改正法で導入される「日本版司法取引」に対して社会的関心が高いのと異なり、「刑事免責」はこれまではほとんど注目されてこなかった。

私も、刑訴法改正の国会審議の際に、衆議院法務委員会に参考人として出席して意見陳述を行ったが、その際の議論は、もっぱら「司法取引の導入の是非」であり、その後、弁護士会や司法関係者によるシンポジウムの中でも、「刑事免責」はほとんど議題になっていなかったように思う。

それだけに、そのような「刑事免責」を国会証人喚問に導入することについて正確な理解を得ることは必ずしも容易ではない。

そこで、今回の刑訴法改正で日本の刑事裁判に導入される「刑事免責」とは、どのようなものなのか、海外の制度とどう異なるのか、それを国会の証人喚問に導入した場合、佐川氏の証人喚問について、どのようなことが可能で、どのようなことが期待できるのかなどについて、誤解されやすい点を中心に解説を行っておきたい。

 

まず第1に、「刑事免責」を「司法取引」と混同してはならないということだ。

日本で導入される「司法取引」は、捜査機関等に協力して「他人の犯罪事実」について供述を行う者に対して、自己の犯罪事実について不起訴にしたり、量刑を軽減したりするという「恩典」を与えるものだが、「刑事免責」は、当該証人尋問で証言を求められる事項について、その証言がどのように使われるか、それによって刑事訴追される可能性があるかどうかという問題である。

「刑事免責」は、その証言を行ったことで、証人が犯した犯罪について刑事訴追を免れさせてやる「恩恵」を与えることで証言をさせようとするものではない。「刑事免責」を認めることで、証人は、証言を拒否できなくなり、「証言拒絶」や「偽証」をすると刑事制裁が科される。それによって真実を証言させることが目的だ。

「司法取引」による供述については、その「恩典」を得ることを目的に、無実の「他人」を巻き込んでしまう可能性があることが問題にされているが、「刑事免責」による証言の方は、真実を証言している限り、刑事訴追という不利益を受けることはないというだけで、それ以上に「恩典」が与えられるわけではない。恩典を受けようとして「他人を巻き込むおそれ」があるわけではない。このような「刑事免責」と「司法取引」との違いを正しく理解する必要がある。

第2に、前回ブログ記事でも述べたように、刑事裁判に導入される「刑事免責」は、英米各国で導入されている事件免責(case immunity)、すなわち、「当該証人尋問で証言を求められる事項について証人が刑事訴追を受けるおそれがある場合に、その犯罪についての訴追自体を行えないようにする制度」ではない。日本で導入されるのは、使用免責(use immunity)であり、「当該証人尋問で証人が行った証言が、刑事訴訟手続の中で証人に不利益な証拠として使用されることがない」という制度だ。

いずれも、「当該証人尋問で、証人が供述拒否権を行使できないようにすること」を目的とするものだが、英米の制度が、当該証人尋問で、証言を求められる事項について「刑事責任自体を免責する制度」であるのに対して、日本で導入される「刑事免責」は、あくまで「当該証人尋問での証言を刑事訴追に使用することの制限」であり、当該証言やそれに基づいて得られた証拠「以外の」証拠によって起訴される可能性を失わせるものではない。

国会での証人喚問に刑事免責を導入するとしても、刑事裁判と同様に「使用免責」にとどまる。

もちろん、「使用免責」であっても、国会証人喚問と刑事手続との関係如何では、事実上、「事件免責」と同様の効果をもたらすことも考えられる。例えば、刑事事件にもなり得る問題が、発覚直後、捜査が開始される前に、国会証人喚問が行われ、証人が犯罪事実を全面的に認めた場合、国会での証言を刑事訴追に使えないだけではなく、それ以外の証拠も、国会での証言内容公表後に収集された証拠となって、「国会証言に基づいて得られた証拠」であることが否定できないとすると、その後、証人が、捜査当局の取調べに対して黙秘ないし否認した場合には、事実上、刑事訴追は困難になる。

このような場合以外は基本的には、国会での証言を刑事手続で不利な証拠として使用することについての制限に過ぎず、刑事訴追そのものが否定されるわけではない。

 

佐川氏の証人喚問に当てはめて考えると、今後、佐川氏の証人喚問で「刑事免責」が認められれば、刑事訴追の可能性があることを理由に証言を拒否することができなくなり、すべての質問に答えなくてはいけなくなる(証言拒否はできないので、拒否すれば、「証言拒否罪」で告発される可能性がある)。一方で、国会で、決裁文書改ざんに関与したことを認めたとしても、刑事処罰の手続きにおいて、その証言を証拠として使うことはできないし、捜査当局の取調べで黙秘ないし否認した場合に、捜査当局が、国会の証人喚問で改ざんに関与していることを認めていることを指摘して自白を迫ったりすることもできない。

しかし、再度の証人喚問が行われる前に、佐川氏が捜査当局の聴取を受けて供述した内容は、国会再喚問での証言とは無関係の証拠ということになるので、その供述に基づいて刑事訴追を受ける可能性は否定されないし、国会証人喚問とは無関係に、他の関係者の供述や他の証拠が得られていて、関与が認定されるのであれば、それによって刑事訴追される可能性はある、ということになる。

 

前回ブログ記事】でも述べたように、刑事訴訟法の改正で、刑事裁判の証人尋問に「刑事免責」の制度が導入されたことによって、国会証人喚問についても、「刑事免責」を導入して証言拒否権を失わせることに、立法技術上の困難性はほとんどなくなっている。「国権の最高機関」である国会(憲法41条)が、国政調査権に基づく証人喚問に関して、刑事裁判と同様の「刑事免責」を導入する立法を行うことを否定する理由はない。

実際に立法するに当たって問題になり得る点があるとすれば、「刑事免責を行って証人喚問を実施することの相当性の判断の手続き」についてどのように規定するかであろう。

導入するとしても、刑事訴訟法と同様の制度であれば、あくまで証言を「使用」することについての「免責」であり、刑事訴追の可能性が否定されるものではないが、上記のように、国会証人喚問のタイミングが捜査の進行より早い場合には、それが事実上の「事件免責」になる可能性もある。

「殺人」など、凶悪事件等の重大な個人犯罪について、国会が証人喚問での刑事免責によって捜査機関による捜査や起訴を妨害・介入することが許されないことは言うまでもなく、刑事免責を付与して証人喚問を行うべきか否かについては、「当該事項について国会で証言させることの重要性」と、「関係する犯罪の軽重及び性格」を比較考慮し、事件の性格が、国会の国政調査権による事実解明を優先するのが相当と考えられる場合に限定すべきだ。

国会の証人喚問に「刑事免責」を導入する場合、「刑事免責」を付与するかどうかは議院又は委員会の議決によって決することになるだろうが、それに加えて、例えば、「裁判所の承認」を免責決定の要件とするなど、判断の適正を担保する仕組みを設けることも考えられる。いずれにしても、議院証言法の改正によって「刑事免責」を導入することに、理論上も、制度の整合性という面でも全く問題がないことは明らかである。立法の経験の豊富な検察OB、現職検事等からも意見を聞いたが、同様の意見だった。

議院証言法改正により、国会証人喚問に刑事免責を導入することに向け、与野党の議員間の議論を深め、国会での議論に結び付けていくべきである。

 

 

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「刑事免責」導入で文書改ざん問題の真相解明を 

日本の官僚組織の中枢で起きた決裁文書改ざんという前代未聞の不祥事で、行政に対する信頼は大きく揺らいでいる。それが、なぜ、いかなる動機で行われたかを解明すべく、中心人物と目される佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われたが、「刑事訴追を受けるおそれ」で証言を拒否したために、財務省の決裁文書改ざん問題の真相解明は全く進まなかった。事件の真相が解明されないということになると、行政のみならず、政治に対しても国民の不信がますます深まることになる。

この件に関して、先週末、土曜日のBSジャパン「日経プラス10サタデー」、AbemaPrimeの「みのもんたのよるバズ!」、日曜日のBS朝日「日曜スクープ」等で、今後の方策として、国会証人喚問における刑事免責を導入することを提案した。

英米では、議会の調査において「刑事訴追を受けるおそれ」で供述を拒否した証人に「刑事免責」を付与することで、証言させる方法が、一般的に用いられてきた。日本でも、今年6月に施行される刑事訴訟法改正で、「日本版司法取引」と併せて、「刑事裁判における証人の刑事免責制度」が導入されることとなっており、刑事免責の導入に関する立法上の問題の大部分はクリアされている。

決裁文書改ざん問題の真相解明に向かって手段が見えなくなっている現状を打開するためには、今回の問題の被害者と言える国会で、「刑事免責制度」を導入する立法を行い、供述拒否権を行使できないようにした上で佐川氏の再度の証人喚問を行うこと、そして、国会において調査委員会を設置し、刑事免責を最大限に活用して関係者の聴取を行うこと以外に方法はない。

この提案の内容について、詳しく述べておくこととしたい。

国会の証人喚問でなぜ証言拒否が認められるのか

国政調査権は、国権の最高機関である国会(憲法41条)が、立法、行政監視その他国政上の重要な事項について調査を行う権限である。その重要な手段として認められているのが、「議院証言法」に基づく「証人喚問」であり、宣誓の上で虚偽の陳述をした場合には[三月以上十年以下の懲役]、宣誓・陳述を拒んだ場合には「一年以下の禁錮又は十万円以下の罰金」に処せられることから、真実を証言することが刑事制裁によって強制されることになっている。

しかし、自分の犯罪事実に関わる事項についても罰則によって証言が強制され、その証言内容が、刑事事件の証拠として使われることになると、事実上、自白を強制されることになり、憲法38条による「黙秘権の保障」に反することになる。そこで、「証人又はその親族等が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときには証言等を拒むことができる」(議院証言法4条)として、証人に「証言拒否権」が与えられている。

諸外国での議会の調査での刑事免責の活用

今回の証人喚問で、佐川氏が決裁文書改ざんに関連する質問に対して証言を拒否したのも、この「証言拒否権」に基づくものだ。

それは、「自己の犯罪事実についての供述を強要されない」という憲法の「黙秘権の保障」に基づくものであるから、黙秘権を侵害しない方法をとることで、「証言拒否権」を認めず、刑事制裁で証言を強制することも可能だ。

イギリスやアメリカでは、刑事裁判において、刑事訴追を受けるおそれがあることによる供述拒否権を行使して証言を回避しようとする証人に対して、議会の議決で「刑事免責」(immunity from prosecution)を付与して証言を強制するという手段が講じられてきた。そして、その手法は、議会での調査における証人喚問においても、重要な手段とされてきた。

アメリカでは、昨年、トランプ大統領の補佐官(国家安全保障担当)だったマイケル・フリン氏が、大統領選でロシアの干渉があったとされる疑惑について、「訴追免責」を条件に議会で証言する意向を示したが、議会側が拒否したと報じられた。

このように、英米では、議会での調査に関して、「刑事訴追を受けるおそれ」を理由とする「証言拒否」に対する有力な手段として、議会証言による刑事訴追が行われるおそれをなくすことで証言拒否の理由を失わせるという「刑事免責」が用いられてきた。

日本の国会証人喚問について刑事免責が議論されなかった理由

日本でも、国会の証人喚問で、「刑事訴追を受けるおそれがある」として「証言拒否」が行われることは過去に数多く繰り返されてきたが、「刑事免責」によって証言拒否権を失わせることが議論されたことは、全くと言っていいほどない。

その最大の理由は、英米と日本との刑事司法制度の違いである。日本では、刑事裁判においても、「証人に対する刑事免責」が認められてこなかったので、国会の証人喚問での刑事免責を議論する余地もなかった。

刑事事件において、「司法取引」による決着が一般的な英米では、刑事処分に関して、「特定の犯罪について、疑いがあっても不問に付す」という方法自体にもともと抵抗が少ない。そのため、国政に関わる重要事項について、議会の調査権の実効性確保という目的達成のため、「特定の犯罪について証人に対する訴追の可能性をなくす」という方法を用いることにも、違和感がない。

しかし、「実体的真実主義」がとられてきた日本の刑事司法においては、他の目的のために、「特定の犯罪について、疑いがあっても不問に付す」ということ自体が認められておらず、一部の犯罪を認めたり捜査公判への協力をしたりする見返りに、一部の犯罪を不問に付したり刑を軽くしたりする制度もなかった。

しかし、このような日本の刑事司法制度は、今大きく変わろうとしている。2016年の刑事訴訟法改正(2018年6月施行)で「日本版司法取引」に加えて、あまり知られていないが、「刑事裁判での証人尋問での刑事免責制度」も導入されることになった。日本の刑事司法制度も大きく変わろうとしているのであり、国政調査権に基づく証人喚問で刑事免責を導入することに関して、これまでのような制度上の問題はほとんどなくなっていると言える。

「政治ショー」に過ぎなかったこれまでの国会証人喚問 

「刑事訴追を受けるおそれ」を理由とする「証言拒否」に対する「刑事免責」という、有効な手段が全く議論されなかったもう一つの理由は、これまでの国会での証人喚問が「政治ショー」的な色彩が強く、国会議員の側で、真相解明のために証人喚問の実効性を高めてそれを活用しようとする発想が希薄だったことだ。

過去に行われた国会での証人喚問の多くは、国会議員や閣僚の政治資金問題やスキャンダル等の個人的問題で、犯罪捜査が同時並行で行われていたり、その後の刑事責任追及が必至な事例だった。「刑事訴追のおそれ」で「証言拒否」が予想される場合でも、敢えて喚問が実施される目的は、もっぱら政治的アピールであり、証人喚問によって事実解明が行われることはほとんどなかった。

今回の佐川氏証人喚問でも、与党側の質問では、丸川珠代議員の、事前に想定問答がセット済みであるような質問で、

「安倍総理からの指示はありませんでしたね。」

など誘導的な質問をしたり、

「少なくとも今回の書き換え、そして森友学園の国有地の貸し付けならび売り払いの取り引きについて、総理、総理夫人、官邸の関与がなかったということは証言を得られました。」

などと強調したりするなど、自民党にとって証人喚問の目的が「真相解明」ではなく、「安倍首相・首相夫人の関与の否定」だったことを印象づけた。

一方、野党側は、多数の質問者が「顔見世興行」的に次々と登場したため、質問が細切れとなった上、「証言拒否」が想定される事項の質問を繰り返すだけで、与党議員の質問に対する証言内容を問いただすこともせず、有効な追及はほとんどなかった。

今回の財務省の決裁文書改ざん問題は、「国有地の売却という行政上の意思決定に関する決裁文書が、事後的に改ざんされた上で提出されて国会が騙された」という、議会制民主主義を根底から揺るがす問題であり、国民とともに「被害者」の立場にある国会および与野党の国会議員は、国会での国政調査の機能を最大限に高めることに真剣に取り組むのが当然である。

しかも、刑事訴訟法改正で、刑事裁判の証人尋問に「刑事免責」の制度が導入されたことで、「刑事訴追を受けるおそれ」を理由とする証言拒否に対して、最も効果的な対抗策である「刑事免責」を導入することに、立法技術上の困難性はほとんどなくなっているのである。「国権の最高機関」である国会が行う証人喚問について、刑事裁判と同様の「刑事免責」を導入する立法を行うことを否定する理由はない。

議院証言法への刑事免責の導入

では、具体的にどのようにして、国会の証人喚問に刑事免責の制度を導入することができるのか。

まず、刑事事件の証人尋問に導入される刑事免責に関する改正刑事訴訟法の規定を見てみよう

157条の2

1 検察官は、証人が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのある事項についての尋問を予定している場合であつて、当該事項についての証言の重要性、関係する犯罪の軽重及び情状その他の事情を考慮し、必要と認めるときは、あらかじめ、裁判所に対し、当該証人尋問を次に掲げる条件により行うことを請求することができる。

一 尋問に応じてした供述及びこれに基づいて得られた証拠は、証人が当該証人尋問においてした行為が第百六十一条又は刑法第百六十九条の罪に当たる場合に当該行為に係るこれらの罪に係る事件において用いるときを除き、証人の刑事事件において、これらを証人に不利益な証拠とすることができないこと。

二 第百四十六条の規定(注:証人尋問における証言拒絶権の規定)にかかわらず、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのある証言を拒むことができないこと。

2 裁判所は、前項の請求を受けたときは、その証人に尋問すべき事項に証人が刑事訴追を受け又は有罪判決を受けるおそれのある事項が含まれないと明らかに認められる場合を除き、当該証人尋問を同項各号に掲げる条件により行う旨の決定をするものとする。

上記の規定から明らかなように、今回の刑訴法改正で導入される「刑事免責」は、証人に対して、証人自身が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのある事項についての尋問を予定している場合に、裁判所に対して、当該証人尋問を、

①尋問による供述、及びこれに基づいて得られた証拠を、証人の刑事事件において、証人に不利益な証拠とすることができない

②証人は、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれがあっても、証言を拒むことができない

という条件で実施することを請求することができるというものだ。

この制度は、英米各国では使われている、証人が当該犯罪について刑事訴追自体を行えないようにするという事件免責(case immunity)ではなく、その証言が証人に不利益な証拠として使用されないようにするという使用免責(use immunity)によって、証人が供述拒否権を行使できないようにしようとする制度だ。刑事免責が行われた場合でも、当該証言やそれに基づいて得られた証拠「以外の」証拠によって起訴される可能性を完全に失わせるものではない。それによって、日本の刑事司法制度との整合性を図ったものだ。

これと同様の制度を、国会での証人喚問に導入するとすれば、議院証言法を改正し、「各議院は、証人が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのある事項についての尋問を予定している場合であつて、当該事項についての証言の重要性、関係する犯罪の軽重(及び性格)その他の事情を考慮し、必要と認めるとき」に、「当該証人喚問を、刑事訴訟法が規定する上記①、②の条件で実施することができる」という規定を設けるのである。

このような「刑事免責」を行って証人喚問を実施することが相当かどうかについては、主として、当該事項についての証言の重要性と、関係する犯罪の軽重及び性格を考慮して判断することになる。もちろん、刑事処罰を優先させるべき「凶悪事件等の重大な個人犯罪」について、捜査機関が捜査を行っているのに、国会がそれに介入するような刑事免責を行って起訴を妨害するというようなことは許されない。刑事免責を付与して証人喚問を行うべき事件は、事件の性格が、国会の国政調査権による事実解明を優先するのが相当と考えられるものに限定すべきだろう。

今回の財務省の決裁文書改ざん問題は、まさに、財務省が組織的に行ったものであり、「刑事処罰」より「国会での事実解明」を優先すべきであることは明らかだ。

「刑事免責」を認めることと併せ、国会がこの問題についての特別調査委員会を設置し、そこで行う関係者の聴取についても、刑事訴追のおそれがあることを理由とする供述拒否が行われた場合に、委員会が議院に請求して、証人喚問の場合と同様の「刑事免責」を行うことができるようにする法律の制定も行うべきであろう。

刑事免責を導入した上での再度の佐川氏証人喚問

このような緊急立法によって、国会証人喚問において刑事免責を行えるようにした上で佐川氏を再度証人喚問すれば、決裁文書を見たか否か、その時期も含め、改ざんへの関与の有無に関する質問についても、「刑事訴追を受けるおそれ」を理由に拒否することができなくなる。安倍首相及び首相夫人の関与又は影響についても、「一連の書類等に基づいて勉強した範囲では、関与・影響があったとは考えていない」などという間接的な証言は許されず、関与・影響の有無、決裁文書改ざんとの関係についても、正面から答えざるを得なくなる。それによって、今回の問題の真相解明に向けて、大きく前進できることは言うまでもない。

先週土曜日の、BSジャパン「日経プラス10サタデー」に出演した際も、この刑事免責の導入について発言したが、そこで、共演していた元検事で元衆議院議員の若狭勝弁護士は、「この問題は政治的問題なので、刑事免責を導入しても、真相は明らかにならない」と発言した。

もちろん、そのような立場に立たされた時の佐川氏がどのような証言を行うのかはわからない。しかし、まずは、佐川氏が証言を拒否できない状況を作るべきである。そして、国会証人喚問で、偽証の制裁に加えて、刑事免責によって供述拒否権も失わせるという大きな武器が与えられたならば、そこで真実を語らせることに向けて最大限の努力を行うのが、質問に立つ国会議員の使命だといえる。

刑事免責を導入した上での佐川氏再喚問ということになれば、そこで質問に立つ与野党の議員が、前回証人喚問と同様の政治的パフォーマンスにとどまっているか、真実を解明するための真剣勝負に臨んでいるか、厳しい国民の評価にさらされることは言うまでもない。

政治の混迷の長期化と検察がキャスティング・ボートを握る危険

北朝鮮をめぐる情勢が、中朝首脳会談、米朝首脳会談等で急展開を見せるなど、国際情勢は緊迫の度合いを深めており、本来、国会や内閣は、外交上の問題への対応に全力を傾注すべきであることは言うまでもない。しかし、一方で、財務省の決裁文書が改ざんされた問題の方も、日本の民主主義の根幹に関わる、絶対に看過できない問題である。

今後も、その真相解明を求める国民の声は収まるとは思えないし、それを受けて野党側の政府への追及が続くという国会と政治の混迷は長引かざるを得ない。

刑事免責の導入を行わない限り、国会での真相解明は、前回の佐川喚問で手詰まりとなり、当事者の財務省の調査にも期待できず、結局、検察の捜査による真相解明に国民の期待が集中することになる。

しかし、この決裁文書改ざん問題を刑事事件化することが常識的には容易ではないことは、問題表面化直後から指摘してきたところだ(【森友文書書き換え問題、国会が調査委員会を設置すべき】)。それにもかかわらず、佐川氏が国会証人喚問で「刑事訴追の恐れがある」と繰り返したことで、刑事処罰を求める世論が高まり、検察は相当なプレッシャーを受けることになる。特捜部の現場からは、それを「追い風」に、告発されている公文書犯罪や背任罪の容疑で財務省本省への捜索などの無理筋の強制捜査に着手しようとする動きが出てくる可能性もないとは言えない。その場合、森友学園への国有地売却についての財務省の背任事件についても、本来は、「自己又は他人の利益を図る目的」という主観的要件の関係で立件は困難だと考えられるが、「森友学園」という「他人の利益を図る目的」というストーリーを無理矢理設定して刑事事件化ということも、全く考えられないことではない。その場合、「安倍昭恵名誉校長」が、「森友学園の利益を図る動機」とされることになり、そのような被疑事実による強制捜査が行われること自体が、財務省のみならず安倍政権に大打撃を与えることは必至だ。

そういう意味で、この決裁文書改竄に関する公文書犯罪と、国有地売却に関する背任という「二つの無理筋の事件」で強制捜査に着手することは、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で信頼を失墜し、それ以降、鳴かず飛ばすだった検察にとって、失地回復の大チャンスにもなる。それどころか、検察が、政治のキャスティング・ボートを握るという、民主主義社会として極めて不健全な状況を招来することになりかねない。

中央官庁のトップに位置する財務省が、国会に提出する決裁文書を組織的に改ざんしたという前代未聞の行政不祥事に対して、「証人喚問への刑事免責制度の導入」という新たな武器を導入して、国会自らが事実解明を行うことができるかどうか、それとも、当事者の財務省の調査と司法判断に全てを丸投げするという無責任な対応で終わるのか、日本の議会制民主主義は、大きな岐路に立たされている。

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