今こそ、「大連立内閣」樹立を~「東京五輪来年夏開催」決定は“安倍政権の末期症状”

 国際オリンピック委員会(IOC)が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、今年7月開催予定だった東京五輪の日程変更を検討することを発表した直後の3月24日、東京五輪を、パリ五輪開催予定の2024年に順延するのが、現在の状況を考えると、最も現実的なのではないかとの意見を述べた(【東京五輪「2024年への順延」が最も現実的な選択肢ではないか ~「国際社会の要請」の観点で考える】)。

 しかし、同じ3月 24日、安倍晋三首相は、IOCのバッハ会長と電話会談し、東京五輪を「おおむね1年程度延期することを検討してもらいたい」と提案、「100%同意する」との返答を得たとして、東京五輪の延期の方針を公表した。

世界的感染拡大の状況で、東京五輪来年夏開催決定

 感染が全世界に拡大し、世界の感染者が累計80万人に達し、死者は約3万9000人に上る。米国ニューヨークも医療が限界に達し、イタリア、スペインでは医療崩壊状態、ロックダウンは、スペイン、フランス、イギリス、アメリカをはじめ、欧米各国に拡大している状況である。

 日本でも、特に東京の感染経路不明の感染者が急増し、首都東京封鎖の可能性もあるという状況で、日本経済が受けるダメージも、計り知れないものになっている。

 ところが、3月30日、五輪組織委の森喜朗会長とバッハ会長らの電話会談で、東京五輪の新たな日程について、来年7月23日に開会式、8月8日に閉会式を行うことで、合意に達した、との信じ難いニュースが報じられた。

 世界的な感染拡大が止まらず、感染収束の見通しも全く立っていない現状で、安倍首相は、来年夏に東京五輪が開催できると、本気で思っているのだろうか。開催に向けて、競技施設の確保、実施体制の整備、ボランティア募集、各競技団体での代表選考、スポンサー企業との調整など、どれだけの労力がかかり、そのために、どれだけの人と人との「接触」が必要となるのだろうか。まさに、国難とも言える状況を、国民全体が結束して乗り越えていかなればならないのに、来年夏の東京五輪の開催に向けての準備をやっている余裕などあるのだろうか。

 28日の夕方に総理官邸で開いた記者会見で、安倍首相は、感染収束の時期も不明なのに、来年、東京五輪が開催できるのかとの質問に対して、「治療薬の開発」を強調していた。ワクチンの開発には1年以上かかると言われているので、来年夏五輪開催に間に合わない。だから、既に他の効能で承認されている医薬品をコロナ治療薬として使うことに期待しているということであろう。しかし、感染拡大は抑えることができず、症状を何とか治療薬で抑えているような状況では、世界各国から選手や観客を集めて五輪開催などできるとは思えない。

「2024年東京五輪への順延」が最も合理的な選択肢

 経済損失は、開催を中止した場合が7.8兆円、1年延期の場合が6400億円との試算もある(3.24日経)。

 最悪なのは、来年7月開催に向けて、さらに巨額の費用をかけて準備をした末、結局、感染が収束せず、開催を断念して中止になるケースである。延期の費用に中止の損失が加わることになる。

 感染拡大が深刻な状況となり、経済的にも壊滅的な打撃を受けているフランスでも、五輪開催に向けての準備はすべてストップしているはずだ。東京五輪とパリ五輪をそれぞれ4年順延にするしかない。五輪開催の準備をいつ再開できるのか、見通しがつかない状況のフランスにとっても、2024年から2028年への延期は、まさに「渡りに船」ではなかろうか。

 日本の社会や経済にとって、「来年7月開催」という決定が合理的とは到底思えない。すぐにも、東京大会とパリ大会を4年順延する方向でフランス政府と協議し、両国の意向に基づいてIOCに申入れをすれば、2024年への4年順延は決して困難ではないはずだ。

 しかも、「順延」は、東京での五輪開催自体を「中止」することではないのであるから、開催のためにかけた費用のうち建設費などが無駄にならなくて済む。そういう意味では中止にするよりは経済的損失も小さくてすむはずだ。

 記者会見で、安倍首相は、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、国民の皆様と共に来年のオリンピック・パラリンピックを必ずや成功させていきたい。」と述べたが、2021年7月では、「打ち勝った証」となるという保証は全くない。「2024年東京五輪」であれば、治療薬やワクチンが開発されてコロナウイルスが克服された後に、国際間の協調によって経済を立て直していくことにも十分な期間がある。

 「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」にすることができる可能性も、「2021年夏」より遥かに高いことは明らかであろう。そうすれば、東京五輪を、ウイルス克服・経済危機打開に向けての「国際協調の象徴」として、改めて位置づけこともできるはずだ。

「2021年夏開催決定」は“非常識の極み”

 しかし、そのようなことは全く議論の対象にされないまま、「来年夏までの開催延期」から僅か6日間で「2021年夏開催」が決定された。それに対して、新型コロナウイルス感染爆発が起きている米国からは、「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜ日程を発表する必要があるのか」として「無神経の極み」との批判の声が上がったり(【「無神経の極み」と批判 五輪日程発表で米紙】)、海外メディアから、そもそもの東京五輪招致の経緯に関する疑惑が報道されるなど(【東京五輪招致で組織委理事に約9億円、汚職疑惑の人物にロビー活動も】)開催に好意的とは言えない反応が起きている。

 ところが、そのような海外からの反応とは異なり、日本国内からは、「2021年夏開催」に対して、目立った反対意見は出されていない。

 2020年開催の五輪出場をめざして厳しい練習を重ねてきた選手達のこと、特に、年齢的に4年後では出場の見込みが低い選手のことへの配慮が早い時期への延期の方向に働くことも致し方ない面もあり、日本国内では、まだ、多くの国民にとって、感染が身の回りで目立った形になっていないため、一種の「正常性バイアス」(自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと)が働いていることもある。

 しかし、オリンピックの歴史の中では、開催が戦争で中止されたことは複数あったし、モスクワ大会などのように、国際情勢のために参加中止になった例もある。まさに、人類が、コロナウイルスという共通の敵と戦わなければならない現状で、「2020年大会」の開催が中止になるのはやむを得ない。むしろ、それによる影響を最小限にとどめる方法を考え、選択する方向にリーダーシップを発揮するのが、首相の、そして、政権の役割ではなかろうか。

「レガシー」への安倍首相の個人的こだわり

 それなのに「2021年夏開催」が急遽決定されたことの背景には、年齢的にも体調的にも、会長のまま五輪に臨むのは来年夏が限度のように思える森組織委員会会長への配慮に加えて、安倍首相自身の「個人的な動機」が影響しているとしか思えない。

 安倍首相の自民党総裁としての首相の任期は2021年9月。来年夏開催であれば、東京五輪を花道、レガシー(政治的遺産)にして任期満了を迎えることができる。それが現時点での「来年夏開催」という、どう考えても日本社会にとって最悪の決定をした理由としか考えられない。

 東京五輪開催の問題以外にも、最近の安倍政権の対応には、「習近平主席の国賓としての来日を考慮したと思える中国からの入国禁止措置のおくれ」「消費税減税・国民への一律現金給付などへの消極的姿勢」など、多くの国民に疑問を持たれる対応が相次いでおり、もともとの安倍首相支持者からも痛烈な批判を浴びている。

 本来、首相として、国民に訴えかけることが最も重要な状況であるのに、総理官邸での記者会見でも、真っすぐ国民に視線を向けるのではなく、左右のプロンプターに視線を遣り、そこに映し出された官僚作成の原稿ばかり読んでいる安倍首相の姿には、「とにかく、この時期に失策をしたくない」という消極的心理が働いているように見える。

 安倍首相には、戦後最長となった首相在任期間の最後の形へのこだわり、花道、レガシーで飾りたいという意識、間違っても、政権の最後を、第一次安倍政権のような惨めなものにしなくないというトラウマが強く働いているのではないか。その結果、どう考えても日本の社会や国民のためにならないと思える判断が繰り返された。それに対して、政権内部や官僚の世界からの批判が顕在化しないのは、まさに、これまで続いてきた「権力一極集中」という政治状況による「負の遺産」なのである。

 今、我々が真剣に考えなければならないのは、このような安倍首相、安倍政権の下で、まさに、首相自身も言っている新型コロナウイルス感染拡大という「国難」を乗り越えることができるのか、ということだ。

 これまでの経緯からすると、東京五輪についての判断が適切に行えるとも思えないし、森友問題への対応で、それまで以上に関係が緊密になったと思える財務省の意向に反した対応がとれるとも思えない。それが、危機的状況を克服するための大胆な経済政策を阻害することになるのではないか。

「大連立内閣」による国難克服しかない

 今年2月14日、新型コロナウイルスの問題が、まだ、中国国内での感染拡大と横浜港に停泊中のクルーズ船ダイアモンドプリンセスでの感染の問題にとどまっていた時期に、【国民の命を守るため、安倍内閣総辞職を〜新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を】と題して、安倍内閣総辞職、与野党を超えた「大連立内閣」樹立の必要性に関して、

日本政府の適切な対応の障害になり得るのが、まず、今後の感染の拡大如何では、今年の夏開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックへの影響が生じかねないことだ。もちろん、「国民の生命」と「東京五輪の開催」と、どちらを優先すべきかは言うまでもない。しかし東京五輪開催中止が日本経済に与える影響が、安倍内閣の判断に様々な影響を及ぼす可能性があることは否定できない。

と述べた。

 それから1カ月半、東京五輪をめぐる問題が、日本政府の適切な対応を様々な面で阻害してきたことは否定できない。

 今こそ、与野党の対立を一時棚上げし、全国会議員が、感染拡大の危機に対応し、国民の命を守ることで心を一つにすることができるはずだ。現野党幹部には、東日本大震災・福島原発事故という「国難」で政権側での経験と「失敗の教訓」を持つ議員も少なからずいる(この時は、民主党政権側からの大連立内閣の提案を自民党は拒否した)。

 今回の「国難」への対応のためには、自民党内で、「東京五輪2024年への順延」「消費税減税」「国民への一律現金給付」などの政策を掲げる新たなリーダーを選定して、「大連立内閣」を樹立することを野党側に提案すべきだ。

 それ以外に国民の生命を守り、日本社会を救う手立てはない。

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国際社会の要請から考えれば、東京五輪2024年への順延が現実的な選択肢

 国際オリンピック委員会(IOC)は、22日、新型コロナウイルスの感染拡大で高まる延期要請の声を受け、今年7月24日開幕の東京五輪の日程変更を検討することを発表した。大会中止については強く否定したが、延期の時期については未定、4週間のうちに結論を出すと報じられている。

 これを受け、安倍首相も、23日、東京五輪の延期を含めて検討を始めると発表し、同日、大会組織委員会の森喜朗会長も、「延期の件は議論しないわけにはいかない」と述べた。

 2020年夏開催の東京五輪の延期は、既に決定的になっていると言えよう。

 問題は、延期した五輪をいつ開催するかということだ。「1カ月延ばすのか、3カ月延ばすのか、5カ月延ばすのか、シミュレーションをする必要がある」などとトボけたことを言っている森会長は、現在の感染状況からは論外であり、2021年、22年への1年あるいは2年の延期というのが、議論の中心となっている。

 しかし、ヨーロッパを中心に感染拡大の勢いが止まらず、交通の途絶、外出禁止による影響から、リーマンショックを超え、世界不況への突入さえ懸念されている状況で、果たして、1、2年延期して開催するということが妥当と言えるのか。

 「社会的要請への適応」というコンプライアンスの視点から考えた場合には、東京五輪を2024年、パリ五輪を2028年に、それぞれ順延するというのが、国際社会の要請に応える、最も現実的な選択肢と言えるのではないだろうか。

 1年後にせよ、2年後にせよ、オリンピック・パラリンピック開催日程に向けて、会場の確保、必要な人員確保など関連業を行っていくためには、凄まじい労力とコストがかかる。今年の世界経済がどのような深刻な状況になるのか先が全く見えない状況下で、日本の社会に、そのようなことにエネルギーを注いでいる余裕があるとは思えない。

 また、今年夏の開催に向けて、予選突破、本番に向けてのコンディションの整備を続けてきた選手の立場に立って考えた場合にも、1年後に先送りするということは、今から、新たな設定に向けて準備をしていかなければならない。延期の原因となった新型コロナウイルス感染が拡大している状況で、1年後に向けての準備を始めることも、相当な精神的な負担になることは間違いない。

 もう一つ考えなければならないのは、2024年にパリ五輪を開催する予定のフランスの状況である。2024年の開催に向けての準備は、2、3年前から開始され、施設の整備や体制整備などは、おそらく今佳境に入っているはずである。しかし、イタリア、スペインに次いでフランスでも新型コロナウイルスの感染が急拡大しており、外出禁止令まで出され、経済も壊滅的打撃を受けている。おそらく、五輪開催に向けての準備はすべてストップしているはずであり、経済が深刻な打撃を受けているフランスが、五輪開催の準備をいつ再開できるのか、見通しがつかない状況であろう。

 このように考えると、日本の社会にとっても、フランスの社会にとっても、そして、新型コロナウイルスによるパンデミックを乗り越えていかなければならない世界全体にとって、東京五輪を4年順延し、治療薬やワクチンが開発されて感染が克服され、国際経済の打撃から立ち直った時点から、新たな国際協調の枠組みを構築し、東京五輪を、その象徴として位置づけていくのが、最も社会の要請に応えることなのではないだろうか。

 それによって、重大な影響を受ける人は多いだろう。2020年開催の五輪出場をめざして練習を重ねてきた選手達には本当に辛いことであろう。しかし、2024年への「順延」であれば、2020年五輪は「中止」ということにはなるが、東京での五輪開催自体は「中止」ではない。確実な開催に望みをつなぐということを優先すべきではないだろうか。

 我々日本社会は、2011年の東日本大震災、福島原発事故で「環境の激変」を経験した。あまりの激変に、その現実を直視できず、激変前の認識にとらわれて起こす過ちも多発した。原発に関しては、「安全神話」に支配されていた原発事故前の状況と同様の考え方で対応したために、原発事故後の社会の要請に反する不祥事が、企業でも、官公庁でも多く発生した。 2021年、2022年への延期ということが議論の中心になっているのは、パンデミック前の「環境」での認識から脱却できていないからではないか。

 「新型コロナウイルスによるパンデミック」というのは、半年前までは、多くの人が全く想定していなかった突然の出来事である。しかし、それによって、国際社会の環境が激変したというのが、残念ながら「現実」である。現在の国際社会の状況は、我々日本社会が経験した東日本大震災・福島原発事故による「環境の激変」と類似している。

 今、考えなければならないことは、パンデミック後の国際社会にとって、何が重要で、何が求められているのか、という観点から行動することであろう。パンデミックがどれだけ拡大し、それによる死者がどれだけの数に及ぶのか、感染拡大による経済封鎖が国際経済にどれだけ深刻な影響を及ぼし、それによる失業、貧困、飢えなどがどれだけ深刻な状況になるかも不明な状況で、2021年、2022年の五輪開催に向けて力を注いでいる余裕が国際社会全体にあるとは思えない。オリンピックに政治的利害を有する一部の政治家、利権に関わるIOC関係者、関連企業等にとっては、五輪の一つの大会の中止は、考えたくもないことかもしれない。しかし、「国際社会の要請に応える」という観点から、冷静に、客観的に考えた場合には、東京五輪を2024年、パリ五輪を2028年に、それぞれ順延するしか、選択肢はないのではなかろうか。

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関電金品受領問題は「戦後最大の経済犯罪」~捜査による「闇」の解明が不可欠

 先週土曜日(3月14日)、日本企業の重大なガバナンス問題である「関西電力役職員らの金品受領問題」の第三者委員会(但木敬一委員長)の調査報告書が公表された。

 この問題について、発覚当初から、【関電幹部、原発地元有力者から金員受領の“衝撃”~「死文化」した“会社役員収賄罪”も問題に】などで関電経営陣の対応を厳しく批判し、【関電経営トップ「居座り」と「関西検察OB」との深い関係】【「関西電力第三者委員会」をどう見るか】では、そのような対応の背景にある問題にも言及してきた。

 ネットで生中継された第三者委員会による記者会見は、但木委員長は、慎重に言葉を選びながら、すべての記者の質問に丁寧に答え、会見は4時間半に及んだ。

第三者委員会委員長を務めた但木敬一氏

 但木氏は、私が、2006年3月に東京高検検事(法科大学院派遣)で退官した時の東京高検検事長であり、その後、同年6月から2008年まで検事総長を務めた大先輩だ。10年近く前、村木厚子氏の冤罪事件と証拠改ざん問題での信頼失墜を受けて法務省が設置した「検察の在り方検討会議」では、検察OBの委員が但木氏と私の二人で、事務局が、今、検事長定年延長問題の渦中にあり私と検事任官同期の黒川弘務氏だった。

 但木氏には、いつの間にか相手の警戒心を解き味方に取り込む独特の包容力がある。その但木氏と、法務官僚には稀な社交術と調整能力を備えた黒川氏とのコンビで、検討会議の議論は、限定的な取調べ可視化の導入などにとどまり、私が唱えていた検察の抜本的な改革は回避された。今回も、丁寧な対応で記者会見を乗り切り、一応の決着にこぎつけたのは、まさに、但木氏の本領発揮と言えよう。

 公表された調査報告書では、高浜町の元助役の森山栄治氏が関係する企業に対して、関西電力の役員や社員が、工事を発注する前に工事の内容や発注予定額を伝えたうえで、約束に沿って競争によらない特定発注を行うなど特別な配慮をして便宜を図っていたこと、森山氏が金品を提供したのは、その見返りとして、要求したとおりに自分の関係する企業に関西電力から工事を発注させて経済的利益を得るという構造・仕組みを維持することが主たる目的だったことが明らかにされた。4カ月にわたる調査で概ね期待どおり事実解明が行われたと言える。

第三者委の調査結果は、当初の想定を超えていた?

 最大の問題は、刑事告発の可否、犯罪の成否の点であった。これらの点について質問され、但木氏は、微妙な言い回しで「犯罪ととらえることの困難性」を説明し、告発に至らなかったこともやむを得ないという雰囲気を醸し出していた。

 但木氏にとっては、今回の第三者委員会の調査結果を、昨年10月に第三者委員会委員長を受任した時点では想定していなかったのではなかろうか。

 元大阪地検検事正の小林敬氏を委員長とする社内調査委員会報告書(2018年9月)では、関電の森山関連企業の工事発注手続には問題はなく、関電役職員は、恫喝や威迫を繰り返す森山氏から受領する意思なく受領した金品を、同氏に返還することが困難であったという被害者的な位置づけとされ、「不適切だが違法ではない」と評価されていた。しかも、但木氏の数代前の検事総長の土肥孝治氏が16年間にわたって社外監査役を務めていた関西電力の問題なのである。基本的には、社内調査報告書と同様な性格の事案として無難な調査結果が取りまとめられるとの見通しで第三者委員会委員長を受任したのではなかろうか。

 しかし、日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠した委員会である以上、十分な調査を行うのは当然である。昔であれば、調査の範囲や対象者を限定することで、調査結果をある程度無難な方向にまとめることもできたであろうが、最近では、デジタルフォレンジックによって膨大な社内メールから関連するメールを探索する方法を活用するのが一般的だ。その結果、森山氏の要請に応じて工事発注が不正な手続で行われてきたこと、金品の提供が工事発注の見返りとして行われていたことを示す事実が多数把握された。

 昨年12月に第三者委員会が中間報告の記者会見を開いた時点では、マスコミは、「関電役員らの金品の受領が工事発注の『見返り』だったとすれば収賄や背任といった違法行為にあてはまる可能性もあり、市民団体による刑事告発もなされている。第三者委がどう認定するかが最終報告に向けた最大の焦点だ」(朝日)などとしており、刑事事件に発展するかどうかが最大の注目点だった。刑事事件としての見通しは、調査報告書には記載されなかったが、記者会見では、その点も質問を受けることになる。第三者委員会の中では唯一の刑事事件の専門の立場で委員長の但木氏が質問に答えることになった。

犯罪成否に関する2つのポイントに関する但木氏の説明

 具体的には、(1)金品受領についての会社法の収賄罪の成否、(2)森山関連企業への発注についての会社法の特別背任罪・刑法の背任罪の成否の2点だ。

 (1)の収賄罪については、森山氏側から関電側に「不正の請託」があったかどうかが問題となるが、この点について、但木氏は、

森山さんは長期間に亘って趣旨なくお金を渡しておいて、それである時「あの工  事くれ」とか「発注を増やしてくれ」とか言うわけです。だからやった時の趣旨は実は全く不明なのです。そういう事件をやれるかというと、今捜査しているのだから、できるとかできないとか言うべきでないですが、主観面を立証するのはすごく難しいように私は思います。

と述べた。

 (2)の背任罪については、関電側として森山氏関連企業への発注が会社に損失を生じさせたと言えるか否か、「自己又は第三者の利益を図り」という要件(図利加害目的)を充たしているかどうかが問題になる。この点について、但木氏は、

図利加害の目的が立証できるかという問題なのですが、第三者の利益を図ると いう部分があるのですから、特定の企業に利益を帰属させるために特定の発注をしました、利益を向こうに渡しました、ということにならないかという問題なのです。その類型でいくつか問題があります。ひとつは、実はわりあい簡単な事例で言えば、例えば、100万円の工事を300万円と発注します。そうすると200万円の利益の供与です。これは楽なんです。ただ、本件では価格操作ではなく、受注できればそれで利潤がある程度保証されているものですから、そんなに価格をごまかしたりする必要がもともとないのです。だから損害の発生というのがないという、不思議な事件になってしまうものがかなり見られるのと、ぎりぎり言いますと、何が問題かと言うと、発注をしないと会社が原発を止められてしまう、という変な関係に立っていて、利益を供与するのではなく、むしろ会社の原発を止めさせないためにそうした、という意図は図利と言えるのかという問題があって

などと述べた。

 このような但木氏の、老獪とも言える、巧みな説明に、マスコミは一応納得したようで、翌日の紙面では、「確実な証拠がないなどとして、刑事告発は『難しい』と言及」(産経)、「関電幹部らの刑事責任を追及するのは困難との見解も示した。」(日経)など、但木氏の説明を「刑事責任追及は困難」と受け止め、そのまま報じていた。

 しかし、これらの但木氏の説明は、刑事事件としての立件が困難だとする理由の説明にはなっていない。

会社法の収賄罪の成否

 (1)の会社法の収賄罪は、会社役員が「職務に関し、不正の請託を受けて、財産上の利益を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき」に成立する。

 但木氏は、金品の授受の段階で、「特定の工事」についての便宜供与を依頼する趣旨でないと「請託」と認められないかのように言うが、少なくともこれまでの検察の実務・刑事事件の裁判例の解釈は、そうではない。これまでの実務では、贈収賄における「請託」は、かなり抽象的なものでも十分に認められてきた。

 特捜部等が摘発した贈収賄事件の中には、例えば、ゼネコン汚職事件での仙台市長の受託収賄事件のように、「仙台市発注の公共工事におけるゼネコン各社の受注に便宜を図る」という程度の抽象的なもので「請託」が認められた例もある。今回の事件でも、金品の供与と具体的な工事との関連性が明確でなくても、金品の提供が「森山氏に関連する企業(以下、「森山関連企業」)に関電工事発注で便宜を図ることの依頼」によるものであることの認識があれば、「請託」を認めることは十分に可能であろう。

 報告書によれば、森山関連企業への工事発注の依頼というのは、合理的な理由もないのに、特定の企業に対する特命契約などの不正な方法で発注してほしいというものなのであるから、「請託」さえ認められれば、それが「不正」であることを否定する余地はない。

 少なくとも、森山氏に、関電が森山関連企業への工事発注で便宜を図ってもらっている(正確には、「便宜を図らせている」)という認識があったことは明らかであり、関電幹部の側、特に、原子力事業本部幹部の側は、金品供与が、工事発注に関する便宜供与の対価であることの認識は十分にあったはずである。その中で、5年の公訴時効が完成していないものが刑事事件としての捜査の対象となるのは当然だ。

「特別背任罪」の成否

 (2)の会社法の特別背任罪は、会社の役員が「自己若しくは第三者の利益を図り又は組織に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該組織に財産上の損害を加えたとき」に成立する。但木氏は、「損失を加えた」と「自己又は第三者の利益を図る目的」の要件に関して問題があり、刑事事件化が困難であるかのような言い方をしている。

 前者については、調査報告書によれば、確かに、関電から森山関連企業への発注は、発注金額は価格査定基準に基づいて算定されており、実体のない水増しなどによって金額を恣意的に増額した事実はない。

 しかし、本来、競争入札によって発注すべきところを、理由もなく特命契約で発注している以上、それ自体が価格の上昇を招くものであることは明らかだ。特に警備業務などの人件費主体の業務の場合、公共調達の場合でも、競争によって予定価格を大幅に下回る価格となることが多い。特命契約で森山関連企業に発注したのであれば、競争が行われた場合の価格を推計し、それと比較することで関西電力に損害が生じていることは立証可能だと考えられる。しかも、少なくとも原子力事業本部の幹部は、関電側に多額の金品が恒常的に還流していることを認識していたはずであり、関電からの発注によって森山氏の関連企業に相当な超過利潤が発生しており、その分公正な手続で競争をさせた場合より関電にとって不利な価格であったことは十分に認識できたはずなので、そのような発注によって「損害を加える」ことの立証も可能だ。

 また、但木氏が言う「発注をしないと会社が原発を止められてしまうという変な関係」というのも、調査報告書では

合理的に考えれば、森山氏が長く高浜町助役を務め、地方自治体を含む地元に対し多少の影響力を持っていたとしても、立地地域として原子力発電所の稼働を前提とした経済活動が行われている高浜町において、高浜町を退職した一民間人に過ぎない森山氏が、原子力発電所の運営を妨害し、ましてや、その稼働をストップさせるほどの影響力を有しているはずはないところである。また、森山氏は、原子力発電所の立地及び運営に協力してきた者であり、上記のとおり、高浜町の退職後は原子力発電所の運営に関わる関西電力の取引先において一定の地位を有しており、原子力発電所が稼働することは森山氏の利益にもかなうことであったから、冷静に見ると、森山氏が関西電力にとって知られてはならない情報を有していたとしても、現実に原子力発電所の運営の妨害行動に出るかは甚だ疑問である。

としているのであり(75頁)、客観的に見ても、森山氏との関係を維持することによって実際に原発を止められる現実的な可能性がなかったことは第三者委員会が認定しているところである。

 調査報告書が、

森山氏と関西電力の関係は、時間が経てば経つほど、いま明るみに出せば今まで隠してきたことの説明がつかない、金品を受領してきた年月及び発注要求に応じてきた年月が長くなるにつれ、いわば共犯関係とみられかねない期間や関係者が増大することとなり、また、今更組織として対応したり世間に公表しても手遅れであるという考えを呼び、なおのこと森山氏との関係は包み隠されることとなり

と述べているように(162頁)、関電幹部にとっては「多数の役職員が森山氏から多額の金品を受領していたことの隠蔽」が目的だったのであり、それは、「会社の利益を図る目的」というより、「関電役職員らの個人的利益」を図っていたものにほかならない。

 以上のとおり、犯罪の成否、刑事事件化の見通しに関する但木氏のコメントは、いずれも疑問があり、本件については、会社法の収賄罪、特別背任罪の事件として、立件できる可能性はかなり高いと考えられる。

森山関連企業の工事や業務の「品質」の問題

 第三者委の調査の対象とはされていないようだが、本件に関しては、工事や業務の「品質」の問題という、原発に関連する発注に関しては無視できない極めて重大な問題がある。

 本来、公共的な工事・業務の発注に関しては、発注者側が適切な品質チェックを行うことが必要だ。受注業者側は、受注価格が合理的なもので、特に超過利潤を生じさせるようなものだとすると、工事等の「手抜き」によってコストを削減して利潤を増加させようとする動機がある。それによって工事・業務の品質が低下しないようにすることが発注者側の責務である。

 問題は、不正な金品を提供されても拒絶できない、恫喝されるため返却すらできないという、関電幹部と森山氏との関係の下で、そのような工事・業務の品質チェックが十分に機能していたのかどうかである。

 但木氏は、「100万円の工事を300万円」というように発注価格が水増しされていないことを、関電に損失が生じていないことの理由としており、調査報告書も、「発注金額の合理性について」との項目で、「本件取引先に対する発注金額を水増ししていたなどの事実は認められず、本件取引先に対する発注金額が不合理であると認めるまでには至らなかった」としている(145頁)。

 一方で、森山関連企業に、多額の金品が還流してくるほどの超過利潤が生じているのであるから、工事や業務に品質上の問題がないとは言い切れない。しかし、仮に、関電側が森山関連企業の工事・業務の品質を厳しくチェックして問題を指摘したりすれば、森山氏の逆鱗に触れる可能性がある。この点に関しても「触らぬ神に祟りなし」という態度がとられていた可能性はないのか。それによって、原発関連工事や業務に、品質上の問題が生じていた可能性はないのか。この点は、原発の安全・安心に関わる極めて重大な問題である。

多額の現金提供の理由・使途の解明

 もう一つ、見過ごすことができないのは、森山氏から供与された多額の現金がどのように保管されていたのか、原発に関連する何らかの目的で使われていた可能性はないのか、という点である。

 現金の供与額が突出して多いのが、原子力事業本部の豊松秀巳氏と副事業本部長の鈴木聡氏、事業本部長代理の森中郁夫氏だ。豊松氏と鈴木氏には一回で1000万円という多額の現金供与もあり、大塚茂樹氏を含む4名には、米ドルの現金も供与されている。このような現金供与は、他の関電幹部への供与が、小判・金貨・仕立券付きスーツなど、儀礼の範囲を超えているとは言え、1000万円と比較すれば低額の金品が幅広く供与されているのとは、性格が異なるように思える。

 特に、但木氏も会見で森山氏と非常に親しい関係にあったと認めている豊松氏については、同氏の意向に反して森山氏が一方的に現金を供与していたとは考えられない。原子力事業本部で、例えば、国・原発立地自治体などの政治家・官僚・有力者などに供与するための現金が必要だったというような事情があって、それが森山氏との間で共有されていたからこそ、多額の現金が供与されていたということはないのか。

 豊松氏らが供与を受けていた金品は、同氏が、森山氏に複数回接触し、受領額と同額の返却が行われたが、果たして、この現金は、受領していた現金をそのまま保管していたものなのであろうか。何か別の用途に使っていたとすれば、森山氏への返却に充てた資金は、個人で調達せざるを得なかったことになる。受領した現金の用途が原発の事業に関連するものだったとすると、その後、森山氏から受領していた金品について個人の所得として追徴課税までされた豊松氏らは、会社のために相当な財産上の負担をしたことになる。そのような事情が、豊松氏が2019年6月21日に取締役を退任した後に、エグゼクティブ・フェローを委嘱され、追徴課税分の上乗せも含め月額490万円もの報酬が支払われていたことの背景にあった可能性も否定できない。

 いずれにしても、多数回にわたって金品を受領し、その総額が1人1億円以上に上っていた豊松氏らについては、受領した多額の現金を本当にそのまま保管していたのか、一部が費消されていたか、或いは、何らかの目的で使われていたのではないかなどを解明することが不可欠であり、それは、刑事事件としての捜査でしか行い得ない。

「戦後最大の経済犯罪」の解明を

 今回の関電の問題は、原発事業に関連して不正な手続によって行われた発注の金額においても、その見返りに関電幹部に還流していた不正な金品の金額においても、また、それによって失われた電力会社への信頼失墜の程度においても、そして、それが社会に与えた影響においても、「戦後最大の経済犯罪」というべきである。

 ちょうど、関電第三者委員会の記者会見が行われたのは、昨年末のレバノン出国直前まで行っていたゴーン氏のインタビューを含む著書【「深層」カルロス・ゴーンとの対話 起訴されたら99%超が有罪となる国で】(4月15日公刊予定:小学館)の最終段階に入り、その執筆に忙殺されているさ中であった。特捜検察は、膨大なコストを費やして、日産自動車とカルロス・ゴーン氏をめぐる問題の捜査を行ったが、安倍首相が財界人との会食で思わず漏らしたように、この問題は、本来、社内調査とガバナンスにより、「日産自動車の社内で解決すべき問題」であった。それとは真逆に、今回の関電の問題は、原発事業をめぐる「闇」そのものに関連する問題であり、社内調査はもちろん第三者委員会の調査でも、その真相に迫ることはできない。まさに、捜査による事実解明が不可欠な事案である。

 検察が、今後も、捜査機関としての存在意義を維持しようとするのであれば、関電の事件に対して本格的な捜査を行い、原発事業をめぐる「闇」の真相を解明することが、絶対に不可欠である。

 深い「闇」をかかえながら原発事業を行ってきた関電には、刑事事件としての実体解明を前提とする「解体的出直し」が必要なのであり、刑事事件化を想定しない第三者委員会が示す「コンプライアンス憲章を設けること」「経営陣に社外の人材を登用すること」などの再発防止策では全く不十分である。

 調査報告書公表と同時に、岩根社長は辞任し、新社長に森本孝副社長が就任したとのことだが、森山氏からの金品受領の総額を社内調査報告書で把握しながら、その隠蔽に加担した社内取締役のメンバーの一人が社長に就任するということ自体があり得ない。また、お飾り的に、財界の有力者を会長に迎えればガバナンスが改善するというものでも全くない。

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「黒川氏定年延長」と同じ“理屈”の「籠池夫妻判決」~もはや日本は法治国家ではない

 先週水曜日(2月19日)に、大阪地裁で一審有罪判決を受けた籠池夫妻が、昨日夕方、判決書を携え、私の事務所に来られた。判決について意見を聞きたいということだった。籠池夫妻とは初対面だった。

 私にとって最大の関心事は、この事件で、補助金適正化法違反ではなく詐欺罪を適用した検察の起訴に対して、裁判所がどのような判断を示したのかという点だった。

 籠池夫妻が逮捕された際に、私は【検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか】と題するブログ記事を著して、

詐欺罪と補助金適正化法29条1項の「偽りその他不正の手段により補助金等の交付を受ける罪」(以下、「不正受交付罪」)は「一般法と特別法」の関係にあり、補助金適正化法が適用される事案について詐欺罪は適用されない

と指摘し、多くのメディアの取材に対しても、この点について断言した。

 補助金適正化法が適用されても、「無罪」となるかどうかは別である。しかし、その場合、被害額は、不正受給による「差額」となり、受け取った金額「全額」が被害額となる詐欺罪とは大きく異なる。法定刑もかなり異なるので、籠池氏の量刑にも大きな影響があったはずだ。特に、妻の諄子氏は、府・市からの補助金詐欺は無罪、サスティナブル補助金の詐欺だけで懲役3年執行猶予5年を言い渡されており、もし、補助金適正化法違反であれば、有罪であっても、せいぜい罰金刑だったであろう。

 さっそく籠池氏に判決書を見せてもらい、該当部分を読んだ。

 唖然とした。こんなものが「判決」と言えるのだろうか。全く理由にもならない理由で詐欺罪の適用を認めている。しかも、さらに、驚いたことに、その点についての判決の「理屈」は、最近、黒川東京高検検事長の違法な定年延長を容認した政府答弁と大変良く似ているのである。

 前記ブログ記事を出した後、起訴の直前に出した【検察は籠池氏を詐欺罪で起訴してはならない】と題するブログで、補助金適正化法の「不正受交付罪」に関する立法時の国会議事録も調べ、その際の政府答弁も引用するなどして、詐欺罪の適用はあり得ないことを詳細に論じた。

 補助金適正化法は、昭和30年に制定されたものだが、詐欺罪と同法29条1項違反の罪との関係についての質問に対して、政府委員の村上孝太郎大蔵省主計局法規課長は、

偽わりの手段によって相手を欺罔するということになると、刑法に規定してございます詐欺の要件と同じ要件を具備する場合があるかと存じます。しかしながら、この補助金に関して偽わりの手段によって相手を欺罔したという場合には、この29条が特別法になりまして、これが適用される結果になります。

と答弁している。村上氏が著した解説書でも、「同法違反の予定する犯罪定型は、補助金等に関して刑法詐欺罪の予定する定型を完全に包摂しており」と述べており、立法経緯からは、適正化法違反が詐欺罪の特別規定で、同法違反が成立する場合には、詐欺罪は適用されないという趣旨であることは明らかだ。

 学説も、ほとんどが不正受交付罪は詐欺罪の特別規定だとする「特別規定説」を支持しているが、「国の補助金の不正受給についても、補助金適正化法の不正受交付罪ではなく詐欺罪を適用できる」とする佐伯仁志氏などの少数説が一部にあり、その根拠として重視しているのが昭和41年2月3日の最高裁決定で、そこでは両罪の関係について、

犯人側の為した行為自体は同一であり、相手方のこれに対応する態度の如何を構成要件の中に包含する罪とこれを構成要件としない罪とがある場合、検察官は立証の有無難易等の点を考慮し或は訴因を前者とし或はこれを後者の罪として起訴することあるべく

と判示しているが、同最高裁決定は、補助金適正化法が施行される直前の昭和30年に被告人ら3名が国庫補助金を不正に受給しようと「共謀」し、同31年に施行された後にそれを実行して不正受給を行った事実を、検察官が補助金適正化法違反で起訴したことが「刑罰の不遡及を定める憲法39条に違反するのではないか」が争われた事案であり 国の補助金の不正受給に対して詐欺罪を適用した事案に対して判断を示したものではないことなどから、国の補助金の不正受給についても詐欺罪を適用できることの判例上の根拠となるものではないことを指摘した。

 検察の実務では、一貫して、国の補助金の不正受給については、詐欺罪ではなく補助金適正化法違反を適用してきたのであり、両罪の関係について、不正受交付罪が成立する場合には詐欺罪は適用できないことを大前提にしてきたと考えられる。また、最高裁も含め、裁判所も、同様の見解をとってきたことは、最近の裁判例からも明らかであり、「判例上、国の補助金の不正受給についても詐欺罪が適用できるとされている」とする上記少数説は、全くの筋違いだと指摘した。

 確かに、補助金適正化法制定当時の「立法事実」は、現在の状況には適合しなくなっている面もある。しかし、国の補助金の不正受給事案に対して詐欺罪と同程度に重く処罰するのであれば、補助金適正化法違反の罰則の法定刑を引き上げるか、詐欺罪の適用を明文で認める立法が必要である。検察が、従来の罰則の運用の前提となっている解釈を勝手に変えて、厳しく処罰することなど許されない。突然、籠池夫妻の事件に限って詐欺罪を適用して処罰するというのは、法治国家においてはあり得ないのである。

 籠池夫妻の裁判でも、この点について、弁護人は、私の指摘とほぼ同様の理由を挙げて、仮に何らかの犯罪該当性が問題となるとしても、それは刑法上の詐欺罪ではなく、補助金等不正受交付罪のみであると主張した。ところが、一審判決は、以下のように判示して、詐欺罪の適用を認めたのだ。(段落記号は筆者)

[A]詐欺罪と補助金等不正受交付罪とでは、構成要件や法定刑等において、一方が他方を包摂する関係にはない点を指摘することができる。すなわち、補助金等不正受交付罪は、不正受交付の客体について、国が交付する補助金等又はそれを直接もしくは間接に財源とする間接補助金等に限っており、そのような限定のない詐欺罪と比べて処罰範囲が狭い。他方、補助金等不正受交付罪は、偽りその他不正の手段により、補助金等又は間接補助金の交付を受ける行為を処罰するものであり、詐欺罪のように、被欺罔者を誤信させ、その錯誤に基づき処分行為を行わせる点を構成要件として含んでいない点では、詐欺罪よりも処罰範囲が広い。補助金等不正受交付罪は法人に対する両罰規定があるという点で、詐欺罪よりも処罰範囲が広いという面がある。

[B]また、法定刑についても、補助金等不正受交付罪は、5年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はそれを併科するとしているのに対し、詐欺罪は、10年以下の懲役のみを法定刑としているのであって、補助金等不正受交付罪は、懲役刑の刑期及び罰金刑が選択できる点では詐欺罪より軽いが、選択刑として懲役刑と罰金刑の任意的併科があり得るという点では詐欺罪より重い面がある。このように、両罪は、構成要件と法定刑等のいずれの面においても、一方が他方を包摂する関係にはない。

[C]両罪の保護法益についてみると、補助金適正化法は、補助金等の交付の申請、決定等に関する事項を規定することにより、補助金等の交付の不正な申請及び補助金等の不正な使用の防止等を図ることを立法目的に掲げており(同法1条)、同法の罰則が保護しようとする法益は、詐欺罪と異なり、必ずしも財産的利益に止まるものではないと解される。

[D]実際上も、補助金適正化法29条1項が刑法246条1項の特別規定であると解した場合、補助金適正化法の対象となる補助金等を詐取した場合と、同法の対象とならない地方公共団体の補助金等を詐取した場合とでは、実質的な違いはないのに、前者に補助金等不正受交付罪が適用され、後者に詐欺罪が適用される結果、処罰の内容に大きな不均衡が生じることになるが、それを合理的に説明することは困難である。

[E]これに対し、被告人両名の弁護人は、補助金適正化法の立法過程における国務大臣の答弁に照らすと、同法29条1項が刑法246条1項の特別規定であるという前提で成立したものであり、大蔵省の担当官による補助金適正化法の解説においてもそのような説明がなされていることなどを指摘する。しかし、立法経緯等は法解釈にあたっての参考とはなり得ても、絶対的な基準ではない。現時点において上記の通り補助金適正化法29条1項が刑法246条1項の特別規定であるという立場に合理性が乏しいと考えられる以上、仮に立法経緯等が弁護人が主張するとおりであるとしても、必ずしもこれに沿った解釈をしなければならないわけではない。したがって、弁護人の主張はいずれも採用できない。

 この判示のうち、[A]も[C]も、立法時にこれらのことが当然の前提とされたうえで「両罪が特別法・一般法の関係」と説明されていたものである。[B]の「罰金の併科があるから重い」というのは、併科されるケースがそれほど多くないことに加え、罰金の最高額が高額であれば別として、100万円の罰金を併科できることを「重い」と評価するのは無理がある。[D]の自治体の補助金との比較は、私が上記ブログでも指摘しているところで、それを理由に処罰が不公平だというのであれば、法改正で解決すべきだ。要するに、これらの判示は、「特別法・一般法」の関係を否定する理由には全くなっていないのである。

 そして、何より驚いたのは、「立法経緯等は法解釈にあたっての参考とはなり得ても、絶対的な基準ではない。」「立法経緯等が弁護人が主張するとおりであるとしても、必ずしもこれに沿った解釈をしなければならないわけではない。」と述べている点だ。

 最近、これと同じような理屈を、閣議決定で黒川東京高検検事長の定年延長を決定したことの森雅子法務大臣等の政府答弁で聞いたばかりだ。

 国家公務員法の定年延長に関する規定について、立法時に、国会で「検察官には適用されない」との政府答弁が行われていたのに、その解釈を「閣議決定で変更した」ことに対して厳しい批判が続いている。

 【黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い】【「検事長定年延長」森法相答弁は説明になっていない】でも書いたように、検察庁法の趣旨から考えても、検察官に対しては国公法の定年延長の規定の適用はないというのが当然の解釈であり、しかも、それを前提に、これまで、戦後長きにわたって検察の組織内で、検事総長・検事長等の幹部人事が行われてきた。それを、突然、従来とは異なった法解釈を行うのは、新たな立法を行うのに等しく、閣議決定という「行政の判断」で行えることではない。

 それと同様のことが、今回の籠池夫妻への一審判決に対しても言える。裁判所の役割は、国会が制定した法律を適用することであり、立法する権限は与えられていない。補助金適正化法の制定の際、国の補助金の不正受給については、補助金適正化法の不正受交付罪が成立する場合には同法が適用され、刑法の詐欺罪は適用されないとの解釈が示され、それを前提に国会が法案を審議して制定し、それ以降、検察の実務も裁判も、不正受交付罪が成立する場合には詐欺罪は適用できないとの前提で行われてきたのである。

 それを、突然、解釈を変更し、詐欺罪を適用するというのは、裁判所が立法を行うに等しく、到底許されることではない。しかも、不正受交付罪の法定刑は5年以下の懲役又は罰金であるのに対して、詐欺罪は10年以下の懲役と、遥かに重いのである。

 しかも、この籠池氏に対する検察の捜査をめぐっては、誠に不可解な点が多々ある。

 【籠池氏「告発」をめぐる“二つの重大な謎”】で指摘したように、2017年3月29日に、NHKを始めとするマスコミが「大阪地検が、籠池氏に対する補助金適正化法違反での告発を受理した」と大々的に報じた。その経過からすると、明らかに検察サイドの情報を基にしていて、その情報は何らかの政治的な意図があって東京の法務・検察の側が流したもので、それによって「籠池氏の告発受理」が大々的に報道されることになったとしか考えられない。

 しかも、その頃、まさに「自民党・政府が一体となった籠池氏の犯罪者扱い」が始まっていたのである。3月23日の衆参両院予算委員会の証人喚問での「安倍首相から100万円の寄附を受けた」との証言が社会的注目を集め、「時の人」となった籠池氏に関して、同月27日に自民党本部で緊急の記者会見が行われ、衆参両院で証人喚問を受けた籠池氏の複数の発言について、議院証言法に基づく偽証罪での告発のための調査を行うことが明らかにされた。

 その「補助金適正化法違反の告発」に関しては、私自身、3月中旬に、マスコミ関係者を通じて事前に相談を受け、告発状案にも目を通していた。「請負契約書が虚偽だったとしても、国の側で審査した結果、適正な補助金を交付した」と報じられており、偽りその他不正は行われたものの、それによって補助金が不正に交付されたのではないと考えられること、森友学園は既に補助金を全額返還していたことから、過去の事例を見ても、よほど多額の補助金不正受給でなければ、全額返還済みの事案で起訴された例はないため、「籠池氏の補助金適正化法違反による起訴の可能性はゼロに等しい」と明言していた。要するに、補助金適正化法違反であれば、告発が受理されないか、受理されても不起訴になるのが当然の事案だったのである。

 ところが、従来の検察実務からはあり得ない「詐欺罪の適用」が行われて籠池氏が逮捕されたことは、その後、同年10月に、森友・加計学園問題での逆風に逆らって解散・総選挙を強行した安倍首相を著しく利する結果になった。森友学園問題についての説明責任を全く果たさないことをテレビの党首討論で追及されるや、「籠池さんは詐欺を働く人間」などと言ってのけたのである(【「籠池氏は詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」は、“首相失格の暴言”】)。籠池氏の罪名が「補助金適正化法違反」であれば、このような発言はできなかったはずだ。

 このように、終始、安倍首相にとって絶好のアシストを続けてきた検察に大きな影響力を持つ事務次官のポストにいたのが、検事長定年延長問題の渦中にいる黒川弘務氏なのである。

 補助金適正化法の制定趣旨も、それまでの検察実務も裁判例も無視し、籠池夫妻に無理やり詐欺罪を適用して逮捕した「国策捜査」を、そのまま容認したのが、今回の大阪地裁判決だ。まさに「国策判決」というべき不当極まりない判決である。行政が国会の立法の趣旨を勝手に変える解釈変更を行い、裁判所も、立法趣旨を無視した判決を出す。このようなことがまかり通る国が「法治国家」とは到底言えないことは、誰の目にも明らかであろう。

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国民の命を守るため、安倍内閣総辞職を~新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を

 新型コロナウイルスで、日本国内で、感染経路のわからない感染者が多数確認され、また、初の死亡者も出たことで、昨日から事態の深刻さは一気に高まった。ザルのような「水際対策」に頼り、「37.5度以上の発熱」、「呼吸器症状」に加えて「湖北省への渡航・居住歴」を検査の条件としていたことで、多くの感染者が「水際対策」をすり抜け、日本国内で急速に感染が拡大していたことは明らかであり、日本政府の対応の拙劣さは、全く弁解の余地がない。

 横浜港で停泊中のクルーズ船ダイヤモンドプリンセスでは、3000名を超える乗客乗員が船内に閉じ込められ、感染者が急増しており、下船した乗客の多数が重症となっている。乗員乗客を長期間船内に閉じ込める対応が不合理極まりないものであることが指摘され、国際的な批判が相次いでいる(【クルーズ船の日本政府対応 海外で非難の声も】)。常識的に見て、政府の対応は、「船内監禁感染拡大事件」と言ってよい大失態だ。

 このような政府の対応に対しては、早くから、上昌弘氏(医療ガバナンス研究所理事長)が、1月24日の時点で既に【「新型肺炎」日本の備えに不安しか募らない理由】で問題を指摘していた。また、船内検疫の専門家の指摘も相次いでいた。

 あまりに拙劣な日本政府の対応によって、国民を新型ウイルス感染の重大な危険と恐怖に晒すことになったのはなぜなのか。その「根本的な原因」はどこにあるのか。

 7年以上も続いた安倍政権下において、官僚の世界が強大な政治権力に支配され、自己保身のための忖度ばかりして都合の悪いことは隠蔽することがまかり通ってきた。そういった緊張感の無さが常態化してしまったことによる「官僚組織の無能化」が根本的な原因としか考えられない。それは、「桜を見る会」問題に見る、政権の意向を唯々諾々と受け入れるしかない官僚組織の対応とも共通する。

 安倍政権の危機管理能力の欠如は、森友・加計学園問題の際にも指摘してきた(【籠池氏問題に見る”あまりに拙劣な危機対応”】【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】)。

 ただ、これらの問題は、その拙劣さが、政権内部の問題にとどまっていたため、国民に被害・損失を被らせることにはならなかった。

 しかし、今回の新型コロナウイルスの問題は全く異なる。今後、日本政府の適切な対応が行われなければ、多くの日本国民が生命の危険に晒されることになる。

 では、今の安倍内閣に、国民の生命に危険が生じている状況への適切な対応が期待できるだろうか。それは「絶望的」と言わざるを得ない。これまで多くの問題に対して安倍内閣が行ってきたことに照らせば明らかであろう。

 最大の問題は、これまでの安倍内閣は、政権の維持・責任の回避を最優先し、問題の根本に目を向けようとして来なかったということだ。今回は、何より国民の生命が最優先されるべきだが、果たして安倍内閣にそれが行えるのか。全く期待できない。

 日本政府の適切な対応の障害になり得るのが、まず、今後の感染の拡大如何では、今年の夏開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックへの影響が生じかねないことだ。もちろん、「国民の生命」と「東京五輪の開催」と、どちらを優先すべきかは言うまでもない。しかし東京五輪開催中止が日本経済に与える影響が、安倍内閣の判断に様々な影響を及ぼす可能性があることは否定できない。

 また、最大の懸念は、これまでの日本政府の拙劣な対応の責任を回避することを優先する対応が行われ、当初の中国で問題になったような、責任回避のための隠蔽的な行為が行われるおそれもあることだ。「桜を見る会」問題での対応を見れば、もはやこの点について、安倍内閣を信頼しろと言っても無理だ。

 このような日本政府の大失態に対して、今後、野党が国会で追及姿勢を強めていくのは当然だが、それが政府の対応をますます「自閉的」にすることになり、政府の対応を一層混乱させる可能性もある。

 このような状況において、国民の生命を守る方法は、「安倍内閣総辞職」しかあり得ない。そして、この危機的な状況を突破するための超党派の「大連立内閣」を作ることだ。危機的な状況を脱したら、再び内閣総辞職し、総選挙によって、新たな国会の下で政権を組織すればよい。

 「内閣総辞職」によって、国会でのこれまでの安倍内閣の失態や失政に対する論戦には一気に終止符が打たれ、国会での論戦を、危機対応のための重要な議論の方に向けることができる。そして、もともと有能であるはずの日本の官僚組織も、安倍政権による「責任回避」の呪縛から逃れ、国民の生命を守るために、自ら考え、主体的かつ積極的な行動を起こすことも期待できる。

 新型コロナウイルスから国民の生命を守るために、「安倍内閣総辞職」を求める声を上げていくことができるのは、我々国民しかない。

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「検事長定年延長」で、検察は政権の支配下に~森法相の答弁は説明になっていない

 2月1日の【黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い】と題する記事で、検察庁法が、刑訴法上強大な権限を与えられている検察官について、様々な「欠格事由」を定めていることからしても、検察庁法は、検察官の職務の特殊性も考慮して、検事総長以外の検察官が63歳を超えて勤務することを禁じる趣旨と解するべきであり、検察官の定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によって行われると解釈すべきだとして、違法の疑いを指摘したところ、大きな反響を呼び、この問題は、昨日(2月3日)の衆議院予算委員会でも取り上げられた。

 渡辺周議員の質問に、森雅子法務大臣は、

「検察庁法は国家公務員法の特別法に当たります。そして特別法に書いていないことは一般法である国家公務員法が適用されることになります。検察庁法の22条をお示しになりましたが、そちらには定年の年齢は書いてございますが勤務延長の規定について特別な規定は記載されておりません。そして、この検察庁法と国家公務員法との関係が検察庁法32の2に書いてございまして、そこには22条が特別だというふうに書いてございまして、そうしますと勤務延長については国家公務員法が適用されることになります」

と答弁した。

 森法相は、検察庁法と国家公務員法が特別法・一般法の関係にあると説明したが、何とかして、黒川検事長の定年延長を理屈付けようとした政府側の苦しい「言い逃れ」に過ぎない。

 問題は、検察庁法22条の「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。」という規定が、「退官年齢」だけを規定したもので、「定年延長」については規定がないと言えるのかどうかである。検察庁法の性格と趣旨に照らせば、「退官年齢」と「定年延長は認めない」ことの両方を規定していると解するのが当然の解釈だろう。

 裁判官の定年退官について、憲法80条では「その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。」と定められ、裁判所法50条で「最高裁判所の裁判官は、年齢70年、高等裁判所、地方裁判所又は家庭裁判所の裁判官は、年齢65年、簡易裁判所の裁判官は、年齢70年に達した時に退官する。」とされている。憲法の規定に基づく裁判所法の「年齢が~年に達した時に退官する」と同様に、検察庁法で規定する「定年」は、その年齢を超えて職務を行うことを認めない趣旨だと解するべきである。

 森法相は、「裁判官も国家公務員だから、裁判所法の定年退官の規定は、年齢だけを定めたもので、定年延長については規定していないので、一般法の国家公務員法の定年延長の規定が適用される」とでも言うのであろうか。

 そもそも、検察庁という組織において、国家公務員法82条の3の「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」というような事態が生じることがあり得るのか。検察庁法が規定する検察官の職務と検察庁の組織に関する「検察官一体の原則」からすると、そのようなことは想定できない。

 検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」という規定から、個々の検察官は独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。それは、官庁のトップの有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは異なる。つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長がすべての検察庁の職員を指揮監督する(7条)、検事長、検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされていることから、検事総長、検事長、検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。

 検察官の処分等について、主任検察官がその権限において行うとされる一方、上司の決裁による権限行使に対するチェックが行われており、事件の重大性によっては、主任検察官の権限行使が、主任検察官が所属する検察庁の上司だけでなく、管轄する高等検察庁や最高検察庁の了承の下に行われるようになっている。

 このように、検察の組織では、検察官個人が独立して権限を行使するという「独立性のドグマ」と、検察官同一体の原則による「同一性のドグマ」との調和が図られているのであるが、少なくとも、検察官の職務については、常に上司が自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできるという意味で「属人的」なものではない。特定の職務が、特定の検察官個人の能力・識見に依存するということは、もともと予定されていないのである。

 検察庁という組織には、定年後の「勤務延長」を規定する国家公務員法81条の3の「職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」というのは、もともと想定されていないというべきである。

 森法相は、黒川検事長の「勤務延長」の理由について、

「東京高検検察庁の管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため、黒川検事長の検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であると判断したため、当分の間引き続き東京高検検察庁検事長の職務を遂行させる必要があるため、引き続き勤務させることとした」

と答弁した。

 しかし、少なくとも、黒川検事長の「検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠」とは考えられない。ここでの「部下職員」は、主として東京高検の検察官や、東京地検幹部のことを指すのであろうが、黒川検事長の勤務の大半は「法務行政」であり、検察の現場での勤務は、合計しても数年に過ぎない。また、検事正の勤務経験も、松山地検検事正着任直後に、大阪地検不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の事務局に異動したため、僅か2か月程度に過ぎない。他の、東京高検検察官、東京地検幹部の方が、遥かに「検察官としての経験」は豊富である。

 黒川検事長の定年延長についての森法相の答弁は、法律解釈としても疑問だし、実質的な理由も全く理解できない。それが、次期検事総長人事を意図して行われたとすれば、「検事総長自身による後任指名」の慣例によって「独立性」を守り、それを「検察の正義」の旗頭としてきた検察にとって「歴史的な敗北」とも言える事態である。

 かねてから、内部で全ての意思決定が行われ、外部に対して情報開示も説明責任も負わない閉鎖的で自己完結的組織が「検察組織の独善」を招くことを指摘してきた私は、「検察の独立性」を守ることにこだわるつもりは毛頭ない。しかし、内閣固有の検事総長の指名権を正面から行使するのではなく、違法の疑いがある定年延長という方法まで用いて検察トップの人事に介入しようとするやり方には、重大な問題がある。責任を回避しつつ、意向を実現しようとする「不透明性」なやり方で、安倍政権は、検察組織をもあからさまに支配下におさめようとしているといえよう。

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黒川検事長 国家公務員法の定年後「勤務延長」に違法の疑い

 1月31日、政府は、2月7日で定年退官する予定だった東京高検検事長の黒川弘務氏について、半年後の8月7日まで勤務を延長させることを閣議決定したと報じられている。

 国家公務員法では、職務の特殊性や特別の事情から、退職により公務に支障がある場合、1年未満なら引き続き勤務させることができると定めているので、この規定を適用して、東京高検検事長の勤務を延長することにしたとのことだ。

 しかし、検察官の「定年延長」が、国家公務員法の規定によって認められるのか、重大な疑問がある。

 検察庁法22条は、「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。」と定めている。

 国家公務員法第81条の3で、「任命権者は、定年に達した職員が前条第1項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる。」とされており、この規定を根拠に定年後の「勤務延長」を閣議決定したものと思われる。

 しかし、この「前条第1項」というのは、同法81条の2第1項の「職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の3月31日又は第55条第1項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。」という規定であり、この規定で「法律に別段の定めのある場合を除き」とされている「別段の定め」が検察官の場合の検察庁法22条である。検察官の場合、定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によるものであり、81条の2の「第1項」の規定によるものではない。

 したがって、国家公務員法81条の3による「勤務延長」の対象外であり、今回、検察官の定年退官後の「勤務延長」を閣議決定したのは検察庁法に違反する疑いがある。

 検察庁法22条は、検察官の定年の年齢を定めただけで、検察官も国家公務員である以上、定年による退職は、国家公務員法に基づくものだという解釈をとったのかもしれないが、検察庁法が、刑訴法上強大な権限を与えられている検察官について、様々な「欠格事由」を定めていることからしても、検察庁法は、検察官の職務の特殊性も考慮して、検事総長以外の検察官が63歳を超えて勤務することを禁じる趣旨と解するべきであり、検察官の定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によって行われると解釈すべきだろう。

 黒川氏の定年後の「勤務延長」の表向きの理由は、「政府関係者によると、業務遂行上の必要性とは、保釈中に逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の事件の捜査を指す」(朝日)とのことだが、高検検事長が、レバノンに逃亡したゴーン氏の事件で一体何をやると言うのか。捜査の実務は東京地検が行い、外国との交渉は法務省で行えばよいのであり、高検が関与する必要はないはずだ。

 それにしても、安倍内閣は、なぜ、違法の疑いのある定年後の勤務延長の閣議決定を敢えて行ってまで、黒川氏を検察にとどめたいのか。余程の理由があるからであろう。そこには、次期検事総長人事をにらんだものとの臆測もある。

 法律上は、検事総長を任命するのは内閣である。しかし、これまでは、前任の検事総長が後任を決めるのが慣例とされ、政治的判断を排除することが、検察の職権行使の独立性の象徴ともされてきた。今回の東京高検検事長の定年後の勤務延長という違法の疑いのある閣議決定によって内閣が検事総長を指名することになるとすれば、政権側が名実ともに検察のトップを指名できることになり、政権側の意向と検察の権限行使の関係にも多大な影響を生じさせる。

 それによって、これまでの検察が至上命題としてきた「検察の独立性」のドグマが、「検事総長人事」という組織の中核から、事実上崩壊することになる。

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