“野村證券情報伝達”で問われる「法令遵守」を超えたコンプライアンス

東京証券取引所(以下「東証」)が設置した「市場構造の在り方等に関する懇談会」(以下「懇談会」)の委員を務める野村総合研究所(以下、「野村総研」)の研究員が、野村證券のリサーチ部門に所属するストラテジストに、東証で議論されている市場区分の見直しについての内容を伝達し、ストラテジストが、従来から市場区分の見直しの議論に関心を示していた野村證券の営業社員等に、「現時点の東証の意向は、上位市場の指定基準及び退出基準を500億円ではなく250億円としたい模様」と伝え、営業社員が、その情報を顧客3社に提供した問題について、野村證券は、5月24日、外部弁護士からなる「特別調査チーム」の報告書を公表した。

「特別チーム」調査報告書における「コード・オブ・コンダクト」に関する指摘

 この報告書の中に出てくる「コード・オブ・コンダクト」という言葉が、この行為とコンプライアンスとの関係を理解するキーワードだ。

 報告書は、

研究員は、東証と明文の守秘義務契約を締結していないとしても、懇談会の委員委嘱契約 の内容として一定の守秘義務を負っているものと考えられる

ストラテジストによる 2 回にわたるメール発信は、日本証券業協会のルールに基づき厳格な審査が必要なアナリスト・レポートには該当せず、社内の広告審査の対象からも外れており、両者に係る管理態勢の枠外に置かれていた。

とし、当該行為が、具体的な法令に違反する行為ではないことを前提にした上で、

ストラテジストによる2 回のメール発信は、NRI 研究員の東証に対する守秘義務を全く考慮しない行為である。また、ストラテジストは、懇談会委員であるNRI 研究員がもたらす制度改正に関 する未公表情報を含む情報を伝達したものであり、マーケット・プレイヤーとしての基本的なコード・オブ・コンダクト(以下「コンダクト」)が欠如している

としている。

 つまり、研究員からストラテジストへの情報伝達が、明文の守秘義務契約違反ではなくても、「実質的な守秘義務」に反しており、ストラテジストが野村證券社員らに伝達し、顧客に情報を提供した行為は、法令には違反していなくても、「コンダクト」に反するということだ。

「LIBOR不正操作事件」とコンダクト・リスク

 この「コンダクト」という言葉は、2012年の「LIBOR不正操作事件」で、注目されるようになった。LIBORは、銀行同士でお金を融通する際の金利で、世界の様々な金利の指標となるもので、英国銀行協会が主要銀行から申告させた数字を基に算出することになっている。一部の有力金融機関が意識的に虚偽の金利を申告したため、その“LIBOR”金利が、恣意的に操作されていたという問題だ。

 この問題は、具体的な法令に違反するものではないが、「顧客の正当かつ合理的な期待に応えることを金融機関がまず第一に自らの責務として捉え、顧客対応、金融機関間のやり取り、市場における活動をもって、責務を示すこと」(英国Financial Conduct Authority(FCA))という、金融機関に期待される『コンダクト』に反する行為の典型だと言える。

 この事件以降、このような行為によって社会的批判を受けるリスクを、「コンダクト・リスク」として、特に金融系の企業にとってのコンプライアンスの重要な問題として意識されるようになった。

 今回の野村證券の問題も、法令や規則に違反するものではなく、明示的な契約違反でもない。つまり「法令遵守」の問題ではない。しかし、「東証の市場区分の見直しについての上位市場の指定基準及び退出基準」というのは、その見直しの対象となり得る上場企業の株価に重大な影響を与える事実である。それを議論する東証の懇談会に委員として参加している野村證券の子会社の野村総研の研究員が、委員であるがゆえに知り得た指定基準及び退出基準に関する情報を、親会社である野村證券の営業に利用することは、「投資家間の情報の公平」に反し、証券市場の公正を損なうものであることは明らかだ。それは、金融商品取引法等で、具体的に禁止されていなくても、証券関係者が行ってはならない行為である。

 このような行為が、具体的な法令に違反していなくても、「コンダクト」に反するとされることの背景には、証券市場や金融商品の取引の「公正」を確保することに対する「社会的要請」がある。それは、投資判断に重要な影響を与える情報を不正に活用したという点で「インサイダー取引の禁止」の背後にある「社会的要請」と共通するものだ。

 このように、具体的な法令規則に違反しない行為のコンプライアンス上の問題を理解するためには、それがどのような「社会的要請」に反するのか、という観点から考えてみる必要がある。

日本におけるインサイダー取引禁止規定導入の特殊性

 金融商品取引法は、「重要事実を知って公表前に株式を売買する行為」を、インサイダー取引として禁止している。それは、一部の投資家のみが内部情報に基づいて金融商品の取引を行うことが、「投資家間の情報の公平」を損ない、「金融市場の公正」を損なうからだ。

 昔から証券市場を通じての企業資金の調達(直接金融)が中心だった米国では、インサイダー取引の禁止が、証券市場において徹底されてきた。米国では、広く国民全体が証券市場に参加するためには、投資家間の情報の公平性を維持することが不可欠だという考え方が、社会的に重視されてきたからである。

 一方、戦後長らく金融機関を通じた間接金融が中心だった日本では、証券市場は、不確実な情報と思惑が入り乱れる中で投機的な売買が横行する「博打の場」のようなものだった。儲けるために人よりも早く内部情報を得て売買するのは当然のことで、「早耳筋」などという証券用語にも象徴されるように、インサイダー取引はごく当たり前の行為だった。

 法律上、インサイダー取引が明確に禁止されたのは、バブル経済の最中の1986年。実際に処罰・制裁の対象にされるようになったのは、90年代半ば頃からである。金融ビッグバン以降、日本における企業金融が、間接金融から直接金融に大きくシフトしたことがその背景にある。

 このように、その国の経済の中での証券市場の位置づけや、投資家間の情報の平等というルールの重要性などによって、インサイダー取引の禁止の必要性は異なってくるが、日本の証券市場は、上記のように、米国の証券市場とは異なる歴史をたどってきた。

 現在では、日本の経済社会においても、国民の経済生活においても、インサイダー取引の禁止の背後にある「情報の平等」の要請は、一層重要なものとなっているが、上記のような歴史的経緯もあって、インサイダー取引の禁止の理由や、その背後にある「取引の公正」の考え方が十分に理解されているかと言えば、そうではない。単なる「法令遵守」の問題ととらえられやすい。

日本の「インサイダー取引禁止の規定」の特徴

 日本のインサイダー取引禁止規定は、構成要件の明確性という観点から、主観的要件によらず形式的に構成要件が定められ、罰則導入当初は、法定刑も交通違反程度に設定された。その結果、本来は処罰の必要がないような行為にまで広く禁止の網がかぶせられていた。

 もともとの趣旨からは、内部情報を知ったために株式売買をすることにした場合が対象とされるべきだが、日本の規定では、情報を知ったことと株式売買との因果関係が要件とされていないため、以前から予定していた株式売買であっても、たまたま売買する前に内部情報を知ってしまうとインサイダー取引に該当してしまう。業務上必要な場合も含め、極めて広い範囲の売買が禁止の対象とされていた。

 この点については、その後、2015年9月の内閣府令の改正で、未公表の重要事実を知る前に締結・決定された契約・計画が存在し、株式等の売買の具体的な内容(期日および期日における売買の総額または数)があらかじめ特定されている、または定められた計算式等で機械的に決定され、その契約・計画に従って売買等が執行される場合には、契約・計画の締結・策定後に未公表の重要事実を知った場合には、インサイダー取引規制は適用されないとする適用除外規定が設けられた。

 しかし、形式犯的性格が強かったという経緯から、日本では、インサイダー取引の禁止規定に関して、「市場の公正」「取引の公正」を害するという実質的な観点より、形式的な「法令遵守」に反するかどうかという形式的な観点が重視される傾向がある。

職業倫理に反する「情報不正活用行為」に対する考え方

 企業から未公表の情報の提供を受け、その業務に活用する職業の従事者が、提供された情報を私的に流用して取引を行うことは、その組織や職業自体への信頼を失わせ、職業の存立基盤にも重大な影響を与えかねない行為だが、そのような「職業倫理に反する情報不正使用行為」が、常に金商法のインサイダー取引の規定に違反するかと言えば、必ずしもそうではない。

 たとえば、報道関係者が、特定の会社の批判キャンペーン報道をする前にその会社の株を空売りしたとしても、会社関係者から重要事実に当たる情報を「受領」したものでなければインサイダー取引には該当しない。また、証券市場のシステムが大混乱し市場全体が暴落することを事前に知った証券取引所の内部者が持ち株を売ったとしても、個別の会社に関する情報に基づく売買ではないので、インサイダー取引には該当しない。日銀の金融政策に関わる幹部が、非公表の金融政策に関する決定の内容を知って、投資信託等の売買を行ったとしても、同様にインサイダー取引には該当しない。

 これらの行為は、重大な職業倫理違反ではあるが、金融商品取引法などの法令に違反する行為ではない。

 2007年頃、NHKや新日本監査法人など「未公表の情報の提供を受け、それを活用して社会に価値をもたらす組織」において、その情報を私的に利用して個人的利益を上げようとする行為が相次いで表面化したことがあった。

 かかる問題に対して組織として行うべきことは「法令遵守の徹底」や「何が法令に違反するのかを教え込む教育」ではなく、「未公開の情報を提供されて行う業務について、情報の取扱いについての社会的要請をどのように受け止め、どのように要請に応えていくのか」に関して、方針や組織の在り方を全面的に見直すことだ。

証券会社における「情報活用行為」とコンダクトとの関係

 今回の野村證券の情報伝達問題は、証券会社という金融商品の取引を業とする組織が、インサイダー取引の禁止の背景にある「投資家間の情報の公平」という社会的要請にどのように応えていくべきかという問題である。

 監査法人、報道機関等の組織は、その業務の性格からして、そもそも「業務上入手した情報を活用して投資を行うこと」自体が許されないのであり、職業倫理としての禁止の徹底も容易だが、証券会社と情報活用との関係は、それとは若干異なる。かつては、営業活動自体が、基本的に「顧客に有利な情報を提供すること」つまり、「情報の差別化」を付加価値としているように思われてきた証券会社では、「法令遵守の範囲内であれば、情報の優位性を営業でアピールすることは許される」という認識を有する営業マンが多かった。そういう意識が根強く残っている組織において、「情報の公平性」に反する行為が「取引の公正」を損なう行為だという認識を定着させ、組織内で徹底していくことは決して容易ではない。

 今回の情報伝達問題は、「情報の公平性」に関する「コンダクト」の問題で、証券会社に対して当局の厳しい対応が行われた初めての事例だ。金融業界のコンプライアンスが、「法令遵守」を超えたレベルへの進化を求められていることを表すものと言えよう。

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「ラグビーWC観戦券付きツアー」をめぐるコンプライアンス上の問題

大手旅行会社JTBが、ラグビーワールドカップ2019日本大会の観戦チケット付きツアーの販売を行っている。ネット広告には

JTBは、「ラグビーワールドカップ2019™日本大会」国内唯一の公式旅行会社です。

と記載されている。

この観戦券付きツアーには、いくつかのタイプがある。

(1)地方で行われる外国チーム同士の対戦の観戦券、宿泊、移動、観光のセット

(2)地方で行われる日本戦の観戦券と宿泊(会場からホテルまでのバス移動を含む)のセット

(3)地方で行われる日本戦の観戦券と遠隔地からのバス送迎のセット

(4)首都圏で行われる日本戦の観戦券と遠隔地からのバス送迎のセット

(5)首都圏で行われる日本戦の観戦券と首都圏からのバス送迎のセット

(6)首都圏で行われる日本戦の観戦券と宿泊のセット

試合の観戦券自体は、大会全体で販売する180万枚のうち、3月の段階で130万枚を超える購入があり、特に日本戦は入手困難な“プレミアチケット”となっている(産経新聞3月20日)。

上記ツアーのうち、(1)は、旅行会社が主催する一般的な「ツアー」と大きな差はないが、それ以外のツアーは、(2)(3)(4)(5)(6)と数字が大きくなるにつれ、「ツアー」というよりは「観戦チケットの販売」の要素が大きくなるように思える。特に、首都圏の試合についての(5)や(6)は、チケットに組み合わせられるバス移動、宿泊のサービスが、購入者にとって、本来は不要な場合も多いのではないか。

このように、入手困難な観戦チケットと、割高なバス送迎やホテル宿泊のサービスをセットで販売することに、独禁法違反上の問題など、コンプライアンス上、問題があるように思える。

「観戦券付きツアー」の具体例

ツアーの内容と料金は次のようなものだ。

例えば、9月20日に調布市の東京スタジアムで行われる開幕戦の観戦券付きツアーである【開幕戦(日本 V ロシア)1試合観戦宿泊コース(シングル1名1室利用)】は、カテゴリーBのチケット(定価3万5000円)と東京都内(新宿・渋谷・立川)のホテル宿泊がセットで11万8000円となっている

ホテルは、比較的格安のホテルで、通常であればシングル1泊1万円程度だ。試合終了時間が夜10時前頃であることから、首都圏の人であれば、わざわざ宿泊する必要があるとは思えない(「ホテルの指定はできない」とされており、希望するホテルを利用できるわけではない。)。

【開幕戦(日本 V ロシア)1試合観戦日帰り 往復送迎バスコース】が、大宮・津田沼・柏それぞれの発着で設定されているが、カテゴリーBのチケットとセットで、いずれも代金は11万円だ。これらの発着地には、試合が終了する午後10時ころにスタジアムを出て、公共交通機関を使っても、各発着地には、その日のうちに余裕で到着できる。

10月13日に、横浜国際総合競技場で行われる「日本対スコットランド戦」の場合、【宿泊プラン】は、観戦チケット(カテゴリーB:定価3万円)とシングル1名1室利用の横浜市内のホテル宿泊がセットで92,000円。【日帰りコース】は、カテゴリーBの観戦チケットと、大宮・津田沼・柏から会場エリアまでの往復送迎付で96000円だ。

横浜市内のホテルというのも、通常であればシングル1泊7000円程度の比較的安価なホテル、また、競技場は新横浜駅からそれほど遠くなく、試合終了時間は午後10時前なので、首都圏であれば公共交通機関で帰宅することも可能だ。

「抱き合わせ販売」に該当する可能性

観戦チケットの代金を定価で算定すると、組み合わせられているバス送迎・ホテル宿泊の価格設定は、通常の価格と比べるとかなり割高であり、購入者の中には、そのサービス自体が不要な人も多いと考えられる。

日本戦のチケットは、先着順による通常の売出しによる入手は極めて困難である上、来週6月14日に施行される「特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律」(「チケット不正転売禁止法」)により、国内で行われる映画・音楽・舞踊などの芸術・芸能やスポーツイベントなどのチケットのうち、興行主の同意のない有償譲渡を禁止する旨が明示された座席指定等がされたチケットの不正転売等が禁止されるために、これまでネットの転売サイトで行われていた人気チケットの高額での転売が、法律施行後はできなくなる。

つまり、一般の人にとって、プレミアムチケットを入手する方法は、観戦券付きツアー以外にほとんどないという状況になっている。そのために日本戦のプレミアムチケットを何とかして購入しようと思えば、本来であれば不要なバス送迎やホテル宿泊のサービスを一緒に購入せざるを得ない。このような販売方法は、独禁法19条が禁止する「不公正な取引方法」の一つの「抱き合わせ販売」に該当する可能性がある。

「不公正な取引方法」の行為類型を定める公取委告示(8号)では、「抱き合わせ販売」は、「相手方に対し、不当に、商品又は役務の供給に併せて他の商品又は役務を自己又は自己の指定する事業者から購入させ、その他自己又は自己の指定する事業者と取引するように強制すること」とされている。

何とかして日本戦チケットを入手したいと思っている人達に対して、通常であれば購入しないバス送迎やホテル宿泊のサービスを割高な価格でセット販売するのは、「不当に、チケットという『商品』に併せて、バス送迎やホテル宿泊という『役務』を自己から購入させ」るものであり、「抱き合わせ販売」に該当することになる。

過去の「抱き合わせ販売」の事例との比較

過去の「抱き合わせ販売」の典型例として、ゲームソフト卸売会社の藤田屋が,人気ゲームソフト「ドラゴンクエストIV」の卸売りに際し,「従来の取引実績に基づいて割り当てる本数以上の購入を望む小売業者には,在庫中の他のゲームソフト3本を購入するごとに1本を販売する」と取引先小売業者に通知した「ドラクエ事件」がある。

この事件について、公取委が調査を開始、1992年に、抱き合わせ販売を行わないことを命じる審決(排除措置命令)を下した。

また、90年代から、マイクロソフトのOSである Microsoft Windows に含まれるInternet ExplorerやWindows Media Playerなどについて、「違法な抱き合わせ販売」として問題にされていたが、1998年に、マイクロソフトがパソコンメーカー各社に対し、Microsoft Office のバンドル・プリインストールの際に Microsoft Word と Microsoft Excel をセットで販売する方針を取っていたことについて、公取委から勧告審決を受けた。

「抱き合わせ販売」が「不公正な取引方法」として独占禁止法で禁止されるのは、競争力のある商品・役務の販売に際して、競争力のない商品・役務(被抱き合わせ商品・役務)が抱き合わせられることによって、被抱き合わせ商品・役務をめぐる競争が歪められるからだ。

上記のドラクエ事件では、人気ゲームソフトと在庫ゲームソフトが抱き合わせられることで、競争力のない商品に対する需要が不当に作り出されることになり、本来、その商品・役務の品質・価値と価格の相関関係によって行われるべき競争の機能が阻害された。

今回の「観戦券付きツアー」では、日本戦観戦券が「人気ゲームソフト」、バス送迎・ホテル宿泊のサービスが「在庫ソフト」に相当することになる。

JTBの「観戦券付きツアー」については、チケットの需要者が、それに付随して必要となる自宅から競技場までの輸送サービスの選択に関して、本来であれば、JRや私鉄などの鉄道など他の手段を選択することもできたのに、往復で6万円以上という(チケットの定価を前提にすると)法外な価格でのバス送迎のサービスの購入を強制されることになる。また、本来であれば、ホテル宿泊の必要がない場合でも、割高な価格で、東京都内や横浜市内でのホテル宿泊のサービスの購入を強制されることになる。

それによって、競技場と各都市間の旅客輸送サービスをめぐる競争や、東京都内や横浜市内のホテル宿泊サービスをめぐる競争に影響が生じる。特に、ホテル宿泊については、本来であればホテル宿泊の需要者ではないチケット購入者に対しても、当日の東京都内や横浜市内のホテル宿泊が供給されるために、ホテル宿泊の市場にとっては料金の上昇要因になる。それによって「公正な競争を阻害するおそれ」があり、独禁法上の違法性が根拠づけられる。

「社会的要請」との関係

このように不要な、或いは非常に割高な価格でのバス送迎、ホテル宿泊がセットとなった「観戦券付きツアー」だが、昨日(6月6日)のネットでの発売直後から申込みが殺到したようだ。JTBのサイトには、以下のような「お詫び」が掲載されている。

2019年6月6日12時30分頃からラグビーワールドカップ第4弾観戦券付ツアー販売開始によるアクセス集中により、サイトが非常に繋がりにくい状態となりました。そのため受付を停止させていただき、現在復旧作業を行わせていただいております。皆様に大変ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

JTBの「観戦券付きツアー」には、上記のような独禁法の「法令遵守」の問題とは別に、私がかねてから強調してきた「社会的要請に応える」という意味でのコンプライアンスの観点からも問題がある。

まず、ホテルの宿泊サービスを無駄にすることによる「社会的損失」を生じる可能性である。地方から上京してラグビー観戦をする人にとっては、試合後ホテルに宿泊することのメリットもあるだろうが、日本チームの試合のチケットをどうしても入手したいという首都圏の人が(6)のツアーを購入した場合に、チケットと抱き合わせられるホテル宿泊は不要で、実際には宿泊しない人も多いと思われる。それによって、首都圏のホテル宿泊のサービスが一定数無駄になるという「社会的損失」が生じることになる。

また、4年に一回のラグビーワールドカップ、「日本では一生に一度」(RWCのCM)のワールドカップである。多くのラグビーファンが、予算の範囲内で、少しでも多く試合を観戦したいと思うはずだ。そういうラグビーファンにとって、日本チームの試合のチケット取得のために、不要な宿泊やバス移動を含む高額のツアー代金を支払わされることで、その分、日本戦以外の観戦チケット購入に充てる予算が限られることになる。それは、全試合のチケット完売をめざす主催者側の販売方針に反することにもなりかねない。

そもそもJTBは、「ラグビーワールドカップの国内唯一の公式旅行会社」であることをアピールしているが、観戦チケットを、どのようなルートで、どのような価格で入手しているのだろうか。

JTBは、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(会長:森 喜朗氏)と「東京2020スポンサーシッププログラム」において「東京2020大会オフィシャル旅行サービスパートナー」として契約を締結している。ラグビーワールドカップと同様のツアー販売が、2020東京オリンピック・パラリンピックでも行われる可能性がある。

一生に一度のスポーツの祭典である。観戦の機会が、少しでも多くの国民に公平に与えられるべきであろう。ワールドカップの主催者の組織委員会側と特定の企業とが癒着し、企業の利益が優先されているかのような疑惑を招くことはあってはならない。

JTBが謝罪すべきは、「アクセスが集中したことによる販売停止でご迷惑をかけたこと」ではない。「プレミアムチケット」とバス送迎、宿泊とのセットで販売するために、大量のプレミアムチケットを確保したこと自体にコンプライアンス上問題があるように思える。未販売のツアーについては、確保しているチケットを主催者側に返還し、チケットだけの購入の機会が希望者に公平に与えられるようにすべきではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

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日産西川社長に対する「不当不起訴」は検察審査会で是正を

本日(2019年6月4日)、日産自動車株式会社(以下、「日産」)代表取締役社長西川廣人氏に対する不起訴処分について、告発人の東京都内在住の男性からの委任を受け、申立代理人として、検察審査会への審査申立を行った。

告発人のA氏は、東京都内在住の一市民であり、日産の元代表取締役会長カルロス・ゴーン氏及び同元代表取締役グレッグ・ケリー氏が逮捕・起訴された金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)について、同社代表取締役社長西川廣人氏の刑事処分が行われていないことに疑問を抱き、1月23日に、東京地検に、西川氏を刑事告発していた。

4月26日、東京地検は、同事件について西川氏を不起訴処分とし、告発人A氏にその旨通知した。書面で不起訴理由の開示を求めたA氏に対して、5月17日付けで、不起訴理由が「嫌疑不十分」である旨の通知があった。

不起訴処分及びその理由に納得できないと考えたA氏は、検察審査会への審査申立を行うことを決意し、知人を通じて、私に、代理人として申立手続を行うことを依頼してきた。

私は、西川氏が代表取締役社長として有価証券報告書を提出した直近2年度の有価証券報告書の虚偽記載について、ゴーン氏・ケリー氏及び法人としての日産が起訴されたにもかかわらず、西川氏が逮捕も起訴もされていないのは検察としてあり得ないことを、かねてから、個人ブログやヤフーニュース等で訴え続けてきた(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】【朝日が報じた「西川社長、刑事責任問わず」の“珍妙な理屈”】など)。

私は、「退任後の報酬」についての有価証券報告書虚偽記載罪の成否には重大な疑問を持っており、西川氏についても犯罪の成立を肯定するものではない。しかし、少なくとも、直近2年度分については、ゴーン氏・ケリー氏と法人としての日産を起訴する一方で、西川氏を代表取締役社長として自らの名義で有価証券報告書を提出した西川氏を「嫌疑不十分」の理由で不起訴とすることは、検察官の処分としてあり得ないものであり、西川氏も同様に起訴して、裁判所に有罪無罪の判断を委ねるのが当然だ。

私は、昨年11月19日のゴーン氏の突然の逮捕以降、検察の捜査・処分の不当性をあらゆる面から指摘してきた。それは、営利業務としてではなく、日本の刑事司法の構造的な問題を是正するための公益的活動の一つとして行ってきたものだった。そういう私にとって、A氏の一市民としての素朴な疑問に基づく検察審査会への申立に協力することも、弁護士としての公益的な使命を果たすことだと考え、審査申立の手続をボランティア(無報酬)で引き受けることにした。

西川氏不起訴についての審査申立書を検察審査会に提出し、記者会見を行うことを、昨日、A氏に連絡したところ、A氏は、次のようなメッセージを私に託した。

私は、最近の検察の捜査や処分が、権力者に迎合しており、検察がその使命を果たしていないことに強い義憤を感じています。カルロス・ゴーン氏が逮捕され起訴された事件で、日産西川社長が逮捕も起訴もされないのはあり得ないと、郷原弁護士が指摘されているのに、西川氏に対する捜査が全く行われないのはおかしい、国策捜査だからではないか、市民の一人として許すことができないと考えて、西川氏の告発を行いました。検察の組織が権力に迎合していても、担当する検察官は、良心にしたがって正しい処分をしてくれるものと信じていましたが、「嫌疑不十分」で不起訴と通知され、深く失望しました。そこで、検察審査会に審査申立をして不起訴処分の是正を求めることにしました。これまでこの事件での検察の対応を厳しく批判してきた郷原弁護士が代理人を引き受けて審査申立書を作成してくれました。市民の代表である審査員の人達が、申立書を読んで、市民の常識に基づいて判断してもらえれば、西川氏を起訴すべきとする議決が必ず出されるものと信じています。

審査申立書に記載した「不起訴処分を不当とする理由」を以下に引用する。

(1)不起訴処分の理由が明らかに不当であること

不起訴処分理由告知書によれば、不起訴理由は「嫌疑不十分」とのことであり、被疑者について犯罪を立証するための十分な証拠がない、という理由による不起訴とのことである。しかし、かかる不起訴処分及び理由は、以下に述べるとおり、検察官の処分として、凡そあり得ないものである。

ア ゴーン氏・ケリー氏および法人としての日産が起訴された事実

平成30年11月19日、当時、同社代表取締役会長であったゴーン氏及び同社代表取締役であったグレッグ・ケリー氏(以下、「ケリー氏」)が、平成23年3月期から平成27年3月期までの連結会計年度の有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反で、東京地検特捜部に逮捕され、同年12月10日に、同各事実で起訴されるとともに、平成28年3月期から平成30年3月期までの連結会計年度の有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反の事実で再逮捕され、同事実で、平成31年1月11日に起訴された。

上記の平成23年3月期から平成27年3月期まで及び同28年3月期から同30年3月期までの連結会計年度の有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反の各事実については、ゴーン氏及びケリー氏の起訴と同時に、法人としての日産自動車も起訴されている。

イ 有価証券報告書虚偽記載罪の犯罪主体は「報告書の提出者」である

有価証券報告書虚偽記載罪を規定する金融商品取引法197条1項1号は、「有価証券報告書若しくはその訂正報告書であつて、重要な事項につき虚偽の記載のあるものを提出した者」を罰するとしており、「虚偽記載罪」の犯罪行為は「虚偽の記載をすること」ではなく、「虚偽の記載のある報告書を提出すること」であり、犯罪の主体は、「報告書を提出する義務を負う者」である。

ウ 両罰規定は「代表者等の犯罪行為」を前提に法人を処罰するものである

本件で、法人としての日産が起訴されたのは、同法207条第1項第1号の両罰規定の「法人の代表者・従業者等が、犯罪行為をした場合、行為者を罰するほか、法人に対しても罰金刑を科する」との規定に基づくものであり、「行為者」についての犯罪成立を前提に、法人たる日産に罰金刑を科するものである。上記のとおり、有価証券報告書虚偽記載罪は、虚偽の報告書を提出する行為であり、代表取締役社長が提出者なのであるから、法人の処罰は、代表取締役社長の犯罪行為を前提とするものである。 

エ 過去の有価証券報告書虚偽記載事件での刑事処罰見送りの理由

過去に、粉飾決算等で有価証券報告書の虚偽記載で、会社が巨額の課徴金納付命令を受けたにもかかわらず、法人に対しても代表者・従業員個人に対しても刑事処罰が行われなかった事例は多数ある(2006年の日興コーディアルグループ、2008年のIHI、2015年の東芝など)。それらは、代表取締役として有価証券報告書を作成提出した個人について、「粉飾決算の認識、虚偽記載の犯意が認められない」ことから犯罪成立が立証できないとの理由で、証券取引等監視委員会の告発も見送られ、刑事処罰が行われなかったものだった。

一方、2006年のライブドア事件、2012年のオリンパスの事件等では、有価証券報告書の作成・提出者の代表取締役を含む役職員が犯罪行為者とされ、併せて法人が告発されて、刑事処罰が行われた。

このように同じ有価証券報告書虚偽記載の事件でも、課徴金納付命令のみにとどまり刑事処罰が行われない事例と、刑事処罰が行われる事例があるが、その違いは、有価証券報告書の作成・提出者の代表取締役が、重要な事項について虚偽の記載があると認識していたかどうか、という犯意の有無によるものである。

これを本件についてみると、日産の場合、有価証券報告書は、代表取締役社長(CEO)の名義で作成提出されている。

日産が法人として起訴された有価証券報告書のうち、平成23年3月期から平成28年3月期の作成提出者は代表取締役CEOのゴーン氏、平成29年3月期及び平成30年3月期については、代表取締役社長(CEO)の職にあったのは被疑者であり、これら2年分の有価証券報告書の作成・提出を行ったのは被疑者である。

したがって、かかる2年度分の有価証券報告書については、被疑者が「(重要な事項について虚偽の記載があることを認識して)報告書を提出した」という事実がなければ、法人としての日産が刑事責任を問われることはない。

検察官は、平成29年3月期及び平成30年3月期について報告書を提出する義務を負う代表取締役の被疑者の犯罪行為を立証する証拠が十分と判断したからこそ、法人としての日産を起訴したのであり、そのことを前提とすれば、被疑者について「犯罪を証明する証拠が不十分」ということは、論理的にあり得ない。

オ CEOの被疑者の関与なしにゴーン氏の報酬「確定」はあり得ない

ゴーン氏に係る金融商品取引法違反について、検察官は、各連結会計年度のゴーン氏の役員報酬の一部が退任後に支払われることとされ、その支払が確定していたのだから、各年度の役員報酬に含めて算定し、有価証券報告書のゴーン氏の役員報酬額の欄に記載すべきだったとして、同氏を起訴したと報じられている。

被疑者が代表取締役社長(CEO)の地位にあった平成29年3月期及び30年3月期については、経営最高責任者の被疑者が関与することなく、日産のゴーン氏への支払を確定させることはできないはずである。検察官が主張するように、退任後のゴーン氏への支払が「確定していた」のであれば、被疑者が、その「確定」に関与していたことになる。

実際に、マスコミ報道(朝日、日経、NHK等)では、被疑者は、「退任後の報酬の合意文書」、すなわち、ゴーン氏の退任後にコンサル契約や同業他社の役員への就任などを禁止する契約の対価として支払う報酬額を記載した「雇用合意書」というタイトルの文書に署名していると報じられている。

平成29年3月期及び30年3月期については、経営最高責任者である代表取締役CEOの被疑者が合意書に署名しているからこそ、検察官は、退任後の支払が確定しており、その金額を含まないゴーン氏の役員報酬についての記載が虚偽だと主張しているのである。そのようにして、ゴーン氏の退任後の報酬の支払を確定させることに関わったのであれば、被疑者に、退任後の支払についての「認識」があり、「故意」があることは明らかである。

だからこそ、各年度の有価証券報告書を、「代表取締役社長西川廣人」の名義で提出した被疑者の行為が、「虚偽の有価証券報告書を提出した金融商品取引法違反の犯罪行為」に該当するとされ、法人としての日産が起訴されているのである。

(2)告発人が告発に至った経緯

上記のとおり、平成29年3月期及び平成30年3月期の連結会計年度の日産の有価証券報告書の虚偽記載で、法人としての日産が起訴されているのであるから、検察官は、代表取締役社長として各報告書を作成提出した被疑者が同虚偽記載罪の犯罪行為を行ったことを前提に、両罰規定を適用して法人を起訴したことは否定し得ない事実である。

ところが、平成31年1月10日に、検察官が、ゴーン氏、ケリー氏とともに、法人として被疑者が起訴されたことが報じられたにもかかわらず、上記連結会計年度の有価証券報告書の虚偽記載についての代表取締役社長の被疑者が刑事処分されたことについての報道が全くなかったことから、告発人は、同月23日に、被疑者の刑事処分を求めて告発に及んだものである。それに対して、告発人に平成31年4月26日付けで不起訴処分を行った旨通知があり、理由の開示を求めたところ、令和元年5月17日付けで「嫌疑不十分」の理由による不起訴処分を行った旨の通知があった。

しかし、上記のとおり、本件においては、検察官が、法人としての日産を起訴していることに照らせば、被疑者の犯罪成立を認めているということであり、「嫌疑不十分」を理由とする不起訴処分はあり得ない。

そこで、告発人は、明らかに不当な不起訴処分を是正すべく、検察審査会に対して審査を申し立てることとしたものである。

(3) ヤミ司法取引の疑い

なお、上記のとおり、検察官にとって、日産の代表取締役社長の被疑者を「嫌疑不十分」で不起訴とすることはあり得ないにもかかわらず、そのような裁定主文による不起訴処分の通知が行われたことに関して「ヤミ司法取引」の疑いがあることも、本件審査に当たって考慮されるべきである。

日産が、社内調査の結果を検察官に持ち込み、同社の会長であったゴーン氏に対する捜査及び処罰を求めた際に、検察官と被疑者との間に、被疑者について刑事立件を行わず、告発等があっても不起訴処分とすることを条件に、日産の社内調査結果を検察に情報提供し、捜査に全面協力する合意があった疑いである。

本来、かかる合意に基づいて、検察官が被疑者を不起訴にしたとすれば、「検察官は、犯人の性格,年齢および境遇,犯罪の軽重および情状ならびに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる」と規定して検察官に訴追裁量権を認めている刑訴法248条に基づき、犯罪事実が認められることを前提に不起訴とする「起訴猶予」を裁定主文とする不起訴処分が行われるはずである。

しかし、昨年6月施行の刑訴法改正により「日本版司法取引」が導入されて以降は、他人の刑事事件の捜査公判に協力することの見返りに、協力者の刑事処罰を軽減ないし免除することが可能とする制度が導入されているのであるから、検察官は、被疑者との間で上記のような合意を行い、それに基づいて不起訴処分としたのであれば、同制度に基づく正式の「合意」が検察官と被疑者との間で行われなればならないはずであるが、そのような合意が行われたことは、一切明らかにされていない。すなわち、被疑者は、検察官との間の「ヤミ司法取引」によって不起訴になったということなのである。

そのような事実が明らかになれば、検察官及び今も日産の代表取締役社長である被疑者が、厳しい批判を受けることになので、検察官は、「ヤミ司法取引」による不起訴が明らかにならないよう、処分理由を「嫌疑不十分」として不起訴理由通知を行った疑いが濃厚である。

もし、検察官が、本当に、被疑者を「嫌疑不十分」で不起訴にしたのであれば、検察官として凡そあり得ない、明らかに不当な不起訴処分であり、検察審査会の議決によって是正されるべきである。一方、実際には、「起訴猶予」で不起訴にしているのに、処分理由を「嫌疑不十分」と通知したことが判明した場合には、本件の不起訴処分理由通知書が、虚偽有印公文書に該当することになり、かかる文書を作成送付した検察官の行為は、虚偽有印公文書作成・同行使罪に該当することとなるので、検察審査会において、同罪による告発等の適切な措置がとられるべきである。

市民から無作為に選ばれた審査員の皆さんには、上記の「不起訴処分を不当とする理由」を読んで頂ければ、検察官による「嫌疑不十分」による不起訴処分が明らかに不当であり、起訴して裁判所の判断に委ねるべきであることが十分に理解されるものと確信している。

 

 

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“上原の悔し涙”にみる「個人と組織の関係」

 昨日(5月21日)、巨人の上原浩治投手が記者会見を開き、現役引退を表明した。

 広島カープファンの私にとって、「巨人の上原投手」というのは、まさに「憎たらしい投手」そのものだった。現在、セリーグ3連覇中の「強いカープ」になるまで、25年間も優勝から遠ざかり、「万年Bクラス」と言われていた頃のカープが、上原投手にどれだけ悔しい思いをさせられてきたか。

 そのような「巨人の上原投手」が「悔し涙」を流したことに、深い共感を覚えたことがあった。

 その時に思ったことを書いたような記憶があったので、パソコンの保存ファイルを検索してみると、「上原の悔し涙」と題する短文がみつかった。当時は、検察組織に所属してた時代で、ブログやツイッター等もなく、そのまま、私のパソコンの中に埋もれていた。

 巨人軍上原投手、新人では19年ぶりの20勝投手、1999年10月6日のスポーツ紙面は、前夜のヤクルト戦で完投勝利を飾った若き巨人軍エースの賞賛で埋め尽くされるはずであった。しかし、意外にも、多くのスポーツ紙の一面の見出しは「上原、悔し涙」という大きな文字だった。

 巨人軍には、もう一つの個人記録がかかっていた。ホームラン王を狙う松井が41本と、トップを走るヤクルトのペタジーニに1本差に迫っていた。既に中日の優勝が決まったセリーグの「消化試合」、球場に足を運んだファンは、松井対ペタジーニの白熱した「ホームラン王争い」に期待していた。しかし、6回ヤクルトの投手が、松井を敬遠したことの「仕返し」に、巨人のベンチは、7回1死無走者のペタジーニの打席の場面で上原に敬遠を指示、これに従って四球を出した上原は屈辱に顔をゆがめ、ベンチに帰ってからも涙は止まらなかったという。

 野球は、チームプレーの競技である。しかし、それは、あくまでチームの勝利のためのもののはずだ。一人の個人記録のために、記録を達成しようとしている別の個人に対して、勝負を回避する指示をするということが許されるのだろうか。

 スポーツ紙には、「むこうが勝負してこないのだから勝負しないのは仕方がない」という趣旨の巨人軍の投手コーチのコメントが載っていた。それは、「むこうのチームが投手にビーンボールを投げてきたのだから、こっちもやり返すのが当たり前だ」という理屈に似ている。そこには、「消化試合」であっても、球場に足を運んでくれた多くのファンに応えようという意識は全くない。

 松井の敬遠も、ヤクルトベンチの指示だったかもしれないが、敬遠した投手は、結局のところ、松井にホームランを打たせない自信がなかったのであろう。しかし、それまでペタジーニにヒットすら一本も打たれていなかった上原には、少なくともホームランだけは絶対に打たれないという自信があったはずだ。99年のペナントレース、幾度も連敗を重ねながら、その都度「連敗ストッパー」として立ちはだかった上原のおかげで、最後まで中日と優勝争いを演じることができた巨人軍。上原には、そのベンチから、20勝投手の桧舞台でペタジーニを敬遠するように指示をされることなど、思いもよらぬことであったろう。ペタジーニを完全に押さえ込んで松井の援護射撃をしたいと意気込んでいた彼が、無念の涙を流すのは無理もない。

 しかし、その上原個人にとっても、ベンチの指示にしたがって敬遠をすることが当然と言っていいのであろうか。指示に逆らって、腕も折れるぐらいの気迫で速球をペタジーニに投げ込むことがなぜできなかったのか。もし、ここで、上原がベンチに対して「反逆」を行い、万が一それがホームランという結果につながったとしても、責める者は誰もいないであろう。上原には、その結果について自分自身で責任を負うに十分なだけの実力と実績がある。

 観客の前で白熱した「勝負」を演ずることがプロ野球の神髄だとすれば、チームの勝敗のためではなく個人記録のために勝負を回避させたベンチの指示は、決して正当なものとは言えない。「不当な指示」であっても、それに従うことが、プロ選手として当然なのであろうか。マウンドで投球を行っていたのは投手上原であり、「巨人軍」ではない。入場料を払って観戦に来てくれる客に対して、真剣な「勝負」で応える責任を負っているのは、組織としてのチームだけではない。プロとしての選手個人にも責任があるはずだ。

 組織の指示に対し、「正当性」について自ら判断せず、従順にしたがっている限り責任を問われないというのが、従来の日本の企業社会での「個人」の行動だ。しかし、その日本の企業社会も大きく変わろうとしている。組織は、時として大きな誤りを犯す。組織の指示の正当性についても、自分自身で判断し、自己の責任で行動することが必要となることもある。

 上原が流した涙は、巨人軍ベンチが最後の最後で自分を信頼してくれなかったことへの悔しさによるものであろうか、そのベンチの指示にしたがって惨めな敬遠四球を投じた自分自身の「ふがいなさ」を悔やむものであろうか。

カープファンの私が、このようなことを思うほど、上原投手は、この上なく強い、偉大な投手であった。その活躍に心から拍手を送りたい。

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「日産公判分離せず」は、法人処罰の問題ではなく、司法取引の問題

カルロス・ゴーン氏、グレッグ・ケリー氏と、法人としての日産自動車が併合起訴された金融商品取引法違反の事件について、平成最後の平日の4月26日夕刻から東京地裁で行われた裁判官・検察官・弁護人の「三者打合せ」の場で、裁判所は、公訴事実を全面的に認める日産の公判と全面否認するゴーン氏らの公判と分離せず、日産についてもゴーン氏らと共通の証拠で事実認定する方針を示した。このことによって、検察は「ゴーン氏無罪判決阻止の最後の拠り所」だった「日産の法人事件の早期有罪決着」という「策略」が打ち砕かれることになり、日産も、公訴事実を全面的に認めているのに、ゴーン氏・ケリー氏と検察との全面対立が繰り広げられる公判に巻き込まれることになった。それが、検察にとっても日産にとっても「衝撃」であること、そして、日本の刑事司法の“激変”をも予感させる出来事であることを、平成の最後の日の記事【「日産公判分離せず」が検察と日産に与えた“衝撃”~令和の時代に向けて日本の刑事司法“激変”の予兆】で述べた。

 10連休も終わり、令和時代の日本が本格的に動き出したが、今のところ、日産・ゴーン氏事件が話題に上ることはほとんどなく、改元とともに、平成最後の重大問題だったはずのこの事件が世の中の関心から遠ざかっているように思える。

 しかし、ゴーン氏逮捕の背景に、日産とルノーの経営統合の問題があり、そこに経産省など日本政府も関わっていたこと、日本を代表する自動車会社の一つである日産が社会的にも極めて重要であるからこそ、今回のゴーン氏の事件が発生したことは、もはや否定し難い事実となっている。その日産が、今回の裁判所の方針決定により、ゴーン氏らとともに、法人として刑事裁判の被告席に立たされ続けることが、同社の経営や経営体制に重大な影響を生じることは避けられない。6月末に開かれる日産の定時株主総会に向けて、ルノーなどの動きにもつながる可能性もある。

 それに加え、この事件の今後の展開によって、今回の事件での検察の動きの原動力ともなった「日本版司法取引」の今後に、そして、日本における法人処罰の運用にも大きな影響を与えかねない。今回の裁判所の方針決定が、どのような趣旨で、どのような理由によって行われたのか、「司法取引」と「法人処罰」の関係から解説することとしたい。

裁判所の方針決定は「法人処罰」特有のものなのか

 「日産公判分離せず」の方針が決まったことを伝える記事のうち、産経は

関係者によると、裁判官は「日産の法的責任は代表取締役だったゴーン、ケリー両被告の行動によるので、別々に判断するのは適切ではない。」として分離しないと決めた。

と報じ(【ゴーン被告公判、分離せず 9月撤回、年明けも】)、朝日は、

下津裁判長は、「司法取引が本格的に争点になる、初めての事件。証人の証言の信用性は慎重に判断したい」と発言。「日産の法的責任は2人の被告について判断しないうちは決められない。」と述べた

と報じている(【ゴーン前会長の公判、日産と分離せず審理へ 時期は未定】)。

 これらの記事によると、裁判所の方針決定の理由は、

(1)法人としての日産の刑事責任は、ゴーン氏ら行為者についての事実認定と切り離して判断できない

(2)司法取引に関する問題が裁判の争点になるので、証人の証言の信用性について慎重な判断が必要

ということになる。

「日産公判分離せず」の判断は「法人処罰の問題」によるものではない

 仮に、日産の公判が分離されなかった主たる理由が(1)で、それが「法人処罰は行為者個人の処罰に従属するもので、行為者と切り離して独立して処罰の判断をすべきではない」という趣旨だとすれば、今回の方針決定は、「法人処罰特有の問題」と見ることができるということになる。その場合は、影響は法人処罰の事例だけに限られるし、弁護側が指摘した「フェアトライアルの問題」との関係もあまり大きくないということになる。検察としては、今回の裁判所の方針決定に関して、このような理由を強調したいところであろう。

 しかし、それは、確立された判例に基づく法人処罰の「理論」に反する。しかも、最近の実務の傾向は、法人を独立して処罰の対象とする傾向を強めており、それを主導してきたのは法務・検察である。「法人処罰は行為者個人の処罰に付随するので独立して処罰の対象とはならない」などと今更言えるわけがない。

 日本の法人処罰は、特別法の罰則の中に設けられている「両罰規定」の、「行為者を罰するほか、法人に対しても本条の罰金刑を科する」という規定に基づいて行われる。「行為者について犯罪が成立し、その犯罪について、法人側に選任監督上の過失がある場合に法人が処罰される」というのが確立された判例であり、訴訟手続上も、「被告会社」として、公判に出廷する義務があり(通常は法人の代表者が公判に出廷する)、被告人である行為者とは独立した立場で訴訟活動を行う。被告法人の公訴事実の認否は、行為者たる被告人の認否とは別に行われ、行為者の「犯罪の成否」についても、「選任監督上の過失の存否」についても、争うことができる。

 したがって、行為者たる被告人が公訴事実を全面的に否認し、被告会社の方は全面的に公訴事実を認めている場合に、被告会社の公判を行為者の公判とは切り離して、被告会社に有罪判決を出すことは十分に可能なのだ。

「法人処罰」に関する最近の状況変化

 もっとも、法人処罰が行為者処罰とは独立したものであるという考え方は、あくまで、「法人処罰に関する刑法上の理論」であり、古くから日本で行われてきた法人処罰の実際の運用は、必ずしもそうではなかった。日本での法人処罰は、法人の役職員個人が行為者として処罰される場合に「付随的」に行われるものに過ぎず、法人に対する罰金の上限も、昔は個人の上限と同じ500万円程度だった。90年代から、独禁法等でようやく「行為者個人と法人との罰金額の上限の切り離し」が行われ、数億円への引き上げが進められていったが、それでも、外為法の10億円が最高であり、法人に対して数百億円、時には数千億円もの罰金が科されることもある米国などとは大きく異なる。しかし、そのような日本における法人処罰の実務は、最近になって大きく変わりつつある。

 2015年3月に発覚した「東洋ゴムの免震装置データ改竄事件」では、同年7月、東洋ゴム子会社の法人のみを起訴し、役員ら10人は起訴猶予となり、法人に対しては、罰金1000万円の有罪判決が言い渡されて確定した。

 2017年の電通違法残業事件で、東京地検は、過労自殺した新入社員の当時の上司ら3人の労働基準法違反を認定したうえで、不起訴処分(起訴猶予)とし、法人としての電通を同法違反罪で略式起訴した。電通については、代表取締役社長が被告会社代表者として出廷して裁判が開かれ、罰金刑が言い渡されて確定した。

 これらの事案は、いずれも、行為者が処罰されず、法人だけが処罰された例である。

 そして、2016年5月に成立した刑訴法改正で日本版司法取引が導入されたことによって、法務・検察が、法人処罰を独立のものとして取り扱う傾向を強めてきた。法務省側は、法案審議の過程で、「法人」にとって、その「役職員」の刑事事件は「他人の刑事事件」であり、法人自体も司法取引の対象となることを明確に説明してきた。

 そして、2018年に改正法が施行され、日本版司法取引の初適用事案となった「三菱日立パワーシステムズ」の外国公務員贈賄事件では、同社と東京地検特捜部との間で、法人の刑事責任を免れる見返りに、不正に関与した社員への捜査に協力する司法取引(協議・合意)が成立し、社内調査によって捜査に協力した法人は処罰を免れ、役職員のみが起訴され、有罪となった。この事例では、法人が自社の事業に関して発生した犯罪について積極的に内部調査を行って事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力することが法人の責任を軽減するものと評価されたのであり、まさに法人の行為を独立して評価する方向の運用の典型と言える(【「日本版司法取引初適用事例」への“2つの違和感” ~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性】)。

 このように、法務・検察主導で、法人処罰を行為者処罰から独立したものとして取り扱おうとする傾向は、司法取引の導入もあって、もはや不可逆的なものとなっており、徐々にではあるが日本の社会にも浸透しつつある。

 そのような法人処罰の運用を前提にすれば、ゴーン氏・ケリー氏を行為者として、日産自動車が法人起訴されている今回の事件では、法人としての日産は、ゴーン氏らとは独立した立場の「被告会社」であり、被告人と同様の権利が与えられ、訴訟活動を行うことができることは明らかだ。日産が第1回公判で公訴事実を全面的に認め、ゴーン氏・ケリー氏が否認した場合には、公判を分離し、日産の公判では検察官請求証拠が「同意書証」として採用されて、早期に有罪判決が言い渡されるというのが、従来の刑事裁判実務から想定される「当然の対応」であった。ところが、裁判所は、その「当然の対応」を行わないことにした。それは、「法人処罰と行為者処罰の関係」で説明することはできないのであり、やはり、上記(2)の「司法取引」をめぐる問題が主たる理由であることは明らかだ。

「日産公判分離せず」の方針と司法取引をめぐる問題

 本件は、初適用となった上記の三菱日立パワーシステムズの事件に続いて2例目の日本版司法取引の適用事件である。日本版司法取引の導入に関する刑訴法改正案の国会審議の過程で、司法取引による供述には、自己の処罰が軽減されることを目的として、他人を引き込むための虚偽供述が行われる危険性があることが問題にされ、様々な議論が行われた。私も、国会審議の過程で、参考人意見陳述において、この問題を指摘した(平成27年7月1日衆議院法務委員会)。

 本件の金商法違反の件で検察と司法取引を行ったとされているのは、ゴーン氏の秘書室長を務めていた人物であり、この秘書室長の供述について、一般的な意味の虚偽供述のおそれが問題になるのは当然だが、本件をめぐる司法取引の問題は、その秘書室長の供述だけの単純な問題ではない。

 そもそも、事件の発端は、日産が社内調査の結果を検察に提供したことにあり、その後、日産は、検察と「二人三脚」のような関係で全面的に協力し、検察官立証のための証拠を共同して作り上げてきた。前記の三菱日立パワーシステムズの前例からすれば、その法人としての日産も、検察との司法取引により法人起訴を免れていてもおかしくないが、なぜか法人起訴されている(それが、日産についての有罪判決確定で、ゴーン氏らの無罪判決を阻止しようとする検察の策略である可能性については【検察の「日産併合起訴」は、ゴーン氏無罪判決阻止の“策略”か】)。

 また、日産の西川社長は、「ゴーン氏の退任後の役員報酬の支払の合意」についての文書に署名しているとされている上、直近2年分については、CEO社長として有価証券報告書を作成提出したものであり、本来虚偽記載の第一的責任を負う立場にあるにもかかわらず、刑事立件すらされていない。そこには、西川氏と検察との「ヤミ司法取引」の疑いがある(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

下津裁判長が「司法取引が本格的に争点になる」と言っているのは、上記のような、本件における日産と検察との関係全体が「司法取引」的であることを意味しているものと考えられる。日産と検察の「合作」のような形で作られた証拠によって、法人としての日産の犯罪を立証すること自体に問題がある。また、西川氏が起訴されないまま、ゴーン氏らだけが起訴されていることも重大な問題とならざるを得ない。このような複雑な「司法取引」の構造を抱えた今回の事件については、日産だけを分離するのではなく、また、日産と検察の「合作」による証拠によってではなく、証人尋問で証言の信用性を慎重に判断した上で、ゴーン氏らの刑事責任とともに日産の刑事責任を判断すべきと考えたのであろう。まさに、弘中弁護士が、4月2日の記者会見で指摘した「フェアトライアルの観点」からの判断だと言える。

「最大の武器」を失った特捜検察

 従来の刑事裁判では、被告人が公判で公訴事実を認めると、検察官請求の書証がすべて採用されて裁判がすぐに終わり、判決が出るというのが原則だった。最近では、裁判員裁判では、書証によらず証人尋問で事実認定が行われることが多くなり、裁判員裁判ではない事件でもそのような傾向が徐々に広がりつつあるようだ。

 しかし、特捜事件では、「人質司法」に加えて、以下のような構図があったために、被告人がいくら争っても有罪判決を免れられなかった。

 自白しない限り身柄拘束が続くという「人質司法」のプレッシャーによって、共犯とされた者のうち少なくとも一人が自白し、公判で公訴事実を認めれば、検察官調書どおりの事実認定で有罪判決が出される。その判決を出したのと同じ裁判官が、同じ事件について他の被告人に無罪判決を出すことは、まずない。別の裁判官であれば、無罪判決が出ることもあり得るが、その場合は、検察官が必ず控訴するし、殆どの場合、控訴審で逆転有罪判決が出され、司法判断の統一性が図られる。その結果、特捜事件では、無罪を争っても、結局、この「人質司法」と「自白事件の有罪確定」の組み合わせによる「蜘蛛の糸」に絡み取られ、いくらもがいても有罪判決から逃れることができない、というのが、従来の特捜事件の構図だった。

 今回の裁判所のような姿勢が一般化していけば、特捜検察は、「共犯自白事件の有罪確定による無罪判決阻止」という、自らの責任で逮捕・起訴した者を確実に有罪に追い込むための「最大の武器」を失うことになる。

 こうして、「検察の正義」の象徴であった特捜部の事件における「検察中心の刑事司法」の構造は、音を立てて崩れようとしている。それは、無理筋の事件で強引にゴーン氏・ケリー氏を逮捕したことの結果であり、この事件での勾留延長請求却下、早期保釈決定、そして、今回の「日産公判分離せず」という裁判所の判断は、本来、あるべき裁判所の姿勢が示されたに過ぎない。しかし、「検察幹部」は、未だに、今回の事件が海外から注目を集めたことで、裁判所が「外圧」に屈したという、身勝手な反発をしていると報じられている。検察幹部にとっては、今回の事態を客観的に受け止めることができないようだ。

 このような「検察幹部」が、今回の「日産公判分離せず」の裁判所の方針決定を、「フェアトライアルの観点」と切り離すために、無理やり「法人処罰」の問題に関連付けようとすることも考えられなくはない。しかし、そのような受け止め方は、せっかく、司法取引導入とともに進展しつつあった日本の法人処罰の活性化の流れに水を差すことになりかねない。それによって、法務・検察が、組織を挙げて実現させた「日本版司法取引」の企業社会への浸透も阻害することになりかねない。

 日産・ゴーン氏事件の今後の展開が、日本の刑事司法の在り方そのものに重大な影響を生じることは避け難い。法務・検察当局は、その事態を正面から受け止めるべきだ。「司法取引」と「法人処罰」の複雑な関係を念頭に置きつつ、今後の公判に向けての動きを注視していく必要がある。

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令和の時代に向けて日本の刑事司法“激変”の予兆~「日産公判分離せず」が検察と日産に与えた“衝撃”

昨年11月19日、突然のゴーン氏逮捕から始まり、国内外から大きな注目を集めてきた「日産・ゴーン氏事件」。平成最後の1週間に起きた「ゴーン氏再保釈」と、それに続く「日産公判分離せず」という裁判所の判断は、検察にとっても、「司法取引」を使って「ゴーン氏追放クーデター」を仕掛けた日産経営陣にとっても「最悪の事態」と言える。

 それらが、来る令和の時代における「刑事司法の激変」を予感させるものであることを解説し、ゴーン氏逮捕以来、この事件について全力で書き続けてきた私にとっての“平成最後の記事”を締めくくることとしたい。

ゴーン氏再保釈への「検察幹部」の“強烈な反発”

 4月4日、検察は、保釈中だったカルロス・ゴーン氏を「オマーンルート」の特別背任で逮捕し、制限住居の捜索を行い、キャロル夫人の身体検査を行い、携帯電話、パスポートを押収するという強制捜査を行った。

 捜索でゴーン氏側の「保釈条件違反」の事実を見つけ出して保釈取消に持ち込むこと、或いは、キャロル夫人が絡んだ「罪証隠滅のおそれ」の具体的な根拠をつかんで再度の保釈を阻止し、身柄拘束の長期化や、夫人への強制捜査のプレッシャーで、ゴーン氏を自白に追い込んで無罪主張を封じ込めることを意図するもので、弁護側から、「文明国においてはあってはならない暴挙」と厳しく批判されるのも当然だった。

 そのような批判も覚悟の上で、「平成最後の勝負」として行った異例の強制捜査だったはずだが、4月25日に、裁判所が再保釈を許可し、検察の準抗告をあっさり棄却したことで、その目論見は、もろくも潰え去った。

 一連の事件では、裁判所が、勾留延長請求却下、全面否認のままでの早期保釈など、従来の特捜事件とは異なる冷静な対応を行っていたこともあり、私は、再保釈の可能性が高いと考えていた(【“ゴーン氏再保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 裁判所の再保釈の判断は、「当然の決定」だったが、それに対する検察幹部の反発は凄まじいものだった。

 東京地検のスポークスマンの久木元伸次席検事は、東京地裁の保釈許可決定が出た段階で、「事件関係者に対する働きかけを企図していたことなどを認めた上、証拠隠滅の疑いがあるとしながら、保釈を許可したことは誠に遺憾」などと、公式に裁判所を批判するコメントを出した。

 検察幹部の裁判所批判を、詳細に、あからさまに報じたのが産経新聞だが、それによると「検察幹部」は、

「これが許されるなら日本の刑事司法は崩壊する」(幹部)と猛反発している。

「地裁は証拠隠滅の恐れが低いと判断したのではない。それを認めたのに保釈決定を出した。全庁的に怒り狂っている」(産経)。

とのことだ。

 「一般論として、容疑者の逮捕や勾留などは、刑事訴訟法の規定に従って司法判断を経ているので、適正に行われている。」との山下法務大臣の国会答弁が象徴しているように、これまで、裁判所の「司法判断」は、検察の権限行使にお墨付きを与える役割を果たしてきた。特に、検察が最高検も含む「全庁的意思決定」に基づいて行う「特捜捜査」については、例外なく検察の判断に従ってきた。被告人の身柄拘束を、自白獲得、「無罪主張封じ込め」に最大限に活用する「人質司法」に対しても、裁判所は「司法判断」という「武器」を、惜しみなく与え続けてきた。

 ところが、ゴーン氏事件では、長期間の身柄拘束に対する内外の批判もあって、裁判所の「司法判断」が従来の対応とは大きく異なってきた。決定的となったのが、検察の「最後の勝負」を無にする今回の再保釈の決定だった。「罪証隠滅のおそれ」について、「可能性が否定できない限り保釈は認められない」という検察の考え方を基本的に認めてきた裁判所が、今回のゴーン事件で、「現実的な可能性が示されない限り保釈は認めるべき」という方向に大きく変わった。

 「検察幹部」は、その「司法判断」に正面から異を唱え、露骨に批判し、「言うことを聞くから大人しくしてやっていたんだ。」と言わんばかりの「権力ヤクザ」の態度をとっている。

 これまで、日本の裁判所は、常に検察に依存し追従する存在であった。それは、特に「被疑者・被告人の身柄拘束」に関する判断では顕著だった。その両者の関係が、大きく変わる予兆の中で、平成の最後を迎えようとしているのである。

「日産とゴーン氏・ケリー氏を公判分離せず」との裁判所方針が“検察に与える衝撃”

 それ以上に、検察にとって「衝撃」だったのが、4月26日に、日産が法人として起訴されている金融商品取引法違反事件で、裁判所が、公訴事実を否認するゴーン氏・ケリー氏と、全面的に公訴事実を認める日産の公判とを分離せず、「共通の証拠」によって裁判を行うという裁判所の方針が示されたことだった(朝日【ゴーン前会長の公判、日産と分離せず審理へ 時期は未定】)。

 ゴーン氏の弁護人は、金商法違反事件で、検察官がゴーン氏の事件と併合して同じ起訴状で起訴した「法人としての日産」について、公判手続が分離された場合、日産事件の裁判で取調べられる検察請求証拠をすべて読んだ裁判官が、ゴーン氏の事件の審理を行って判決を出すことはアンフェアだとして、フェアトライアルの観点から、分離後の両者の公判を異なった裁判体で審理することを求めていた。

 同じ金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の事実について、同一の起訴状で併合して起訴された被告人は、同一の裁判体による同一の手続で審理されるのが原則だ。それぞれが「被告人」の立場で、同一の第1回公判期日に臨むことになる。しかし、ここで、公訴事実に対する認否が、事実を全面的に認める被告人Aと事実を否認し、争う被告人Bとに分かれた場合、通常は、公判手続を分離することになるのだが、それぞれ、同一の裁判体が審理することになる。

 認める被告人Aの裁判では、検察官請求証拠を全部同意し、その書面だけで事実認定が行われることになるので、その公判では、罪体(事件の中身)についての証人尋問等は行われず、情状関係の証拠だけを取り調べて、被告人Aの希望どおり、早期に有罪判決が出て刑が確定することになる。

 一方、否認する被告人Bについては、検察官請求証拠のうち、被告人の弁解・主張と異なる内容の検察官の供述調書等は弁護人が「不同意」にして裁判官の目に触れないようにし、調書の代わりに証人尋問によって事実認定を行うことになり、その分、審理が長期化することになる。

 もちろん、建前としては、「事実の認定は証拠による」(刑訴法317条)のであり、同じ公訴事実について、認めた被告人Aについては検察官調書等に基づいて有罪判決が出て、否認した被告人Bについては証人尋問での証言に基づいて無罪判決が出るというのは、理論上は特に問題はない。しかし、一方で、「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。」(刑訴法318条)とされ「自由心証主義」が定められているため、裁判官が、検察官請求証拠に基づいて「有罪」の判断をした場合、同じ裁判官が、証人尋問による証言によって事実認定をする場合に、検察官調書等を読んでその内容を認識・記憶していることが、否認事件での判決の「心証」に影響することは否定できない。

 そもそも、同じ事件についての「司法判断」が異なるというのは、真相を究明することが中心とされる日本の刑事訴訟(刑訴法1条)の目的に反すると考えられることは否定し難い。実際に、もし、同じ事件で自白した被告人Aに有罪判決が出た後に、被告人Bの否認事件で無罪の判決が出た場合、自白事件の有罪判決に対して「再審事由」となるという重大な影響が生じることになる。同じ事件を同じ裁判体が判断する場合には、その「違和感」は、なおさら大きい。

 過去の例を見ても、併合して起訴された一部の被告人について公判手続が分離されて有罪判決が出た後に、同じ裁判体が、否認する被告人に対して、それと矛盾する判断の無罪判決が言い渡されたケースは、聞いたことがない(「犯意」「共謀」は、被告人ごとに異なるので、同じ事件でも、「犯意」「共謀」がないとされた被告人だけに無罪判決が出ることはあり得る。)。

「日産の早期有罪判決」による「ゴーン氏ら無罪判決阻止」を狙った検察

 検察と「二人三脚」のような関係で捜査に協力してゴーン氏を起訴に持ち込んできた日産であるから、公判で金商法違反の公訴事実を全面的に認めることは間違いない。従来であれば、公訴事実を全面的に認めた法人としての日産の公判手続は、全面的に否認するゴーン氏・ケリー氏とは分離され、関係者の検察官調書を含めて検察官請求証拠をすべて同意書面として取調べられ、早期に有罪判決が出されることになる。

 この金商法違反の事件は、日産の社内調査結果に基づくものなので、検察官請求証拠というのは、事実上、検察と日産の「合作」のようなものだ。争点となる「ゴーン氏の退任後報酬の支払は確定していたのか」「投資判断にとって重要と言えるか」などについても、検察の主張を最大限に裏付ける内容になっていることは間違いない。

 一方、起訴事実を全面的に否認するゴーン氏とケリー氏については、検察官調書は「不同意」となり、関係者の証人尋問が行われて、証言によって事実が認定されることになる。

 しかし、検察の主張を最大限に裏付ける内容の証拠をじっくり読み、しかも、そのような証拠で有罪判決を出したのと同じ裁判官が、ゴーン氏・ケリー氏についても審理をして判決を出すのであれば、結論は自ずと明らかだ。

 検察が、日産の法人起訴を行ったこと自体も、「無罪判決阻止の戦略」によるものであった可能性が高い(【検察の「日産併合起訴」は、ゴーン氏無罪判決阻止の“策略”か】)。

 昨年6月に導入された「日本版司法取引」の初適用事案となった三菱日立パワーシステムズの外国公務員贈賄事件では、会社が「法人」として社内調査結果の提供などを行い、役職員の捜査公判に協力したことの見返りに「法人」の起訴を免れる「司法取引」が行われた。ゴーン氏の事件でも、社内調査結果を検察に提供して、捜査に協力した「日産」の法人起訴を免れさせることは十分可能だったのに、敢えて日産を法人起訴した。そこには、日産とゴーン氏らとを同じ裁判体に係属させ、事実を全面的に認める日産に早期に有罪判決を出させることで、同じ裁判官がゴーン氏らに無罪判決を出さないようにするという意図が働いていた可能性が高い。

 日産とゴーン氏らの公判が分離され、両方が同じ裁判体で審理されることになれば、無罪判決の可能性は殆どなくなる。ゴーン氏の弁護人が、フェアトライアルの観点から問題を指摘するのは当然だった。

打ち砕かれた“検察の無罪判決阻止の目論見”

 それに対して、裁判所は、「公判分離」そのものを行わず、日産に対しても、ゴーン氏ら弁護側が不同意にした検察官請求証拠は採用しないという「異例の方針」を明らかにした。

 公訴事実を全面的に認める法人としての日産の公判を、ゴーン氏・ケリー氏の公判とは分離せずに、同じ公判手続で行い、検察官請求証拠に日産側が「同意する」と述べても、ゴーン氏・ケリー氏の側が「不同意」とした証拠は、法人としての日産との関係でも採用しないという方針だ。検察と日産との合作である検察官調書等の膨大な証拠は、証拠として採用されないことなった。要するに、日産が有罪かどうかは、検察官請求証拠ではなく、裁判所が直接取り調べた証拠によって、ゴーン氏・ケリー氏の有罪無罪と併せて判断することになったのである。

 それによって、「ゴーン氏無罪判決阻止の最後の拠り所」だった「日産の法人事件の早期有罪決着」という検察の「策略」は、完全に打ち砕かれることになった。

 それは、公判で公訴事実を争わない事件(自白事件)については、検察官請求証拠が、そのまま裁判の証拠として取調べられて有罪判決が出される、という日本の刑事司法の「基本的な枠組み」の下では、凡そ考えられないことだ。「被告人が罪を認めて早く有罪判決を出すように求めているのだから、検察官請求証拠どおりの事実認定で有罪判決を出すのが当然」という日本の刑事司法の常識を覆すものだった。ある意味では、こうして、刑事事件のほとんどを占める「自白事件」での事実認定が、すべて検察官請求証拠に基づいて行われることが、日本の刑事司法の「検察中心の構図」を支えてきたとも言える。

 ところが、今回の事件で法人として起訴された日産は、公訴事実を全面的に認めているのに、ゴーン氏・ケリー氏と検察との全面対立が繰り広げられる公判すべてに被告人として臨み、そこでの証人尋問の結果等に基づいて、有罪無罪の判断が行われることになった。

 効果的なタイミングでフェアトライアルに関する問題を指摘した弘中惇一郎弁護士の記者会見は絶妙だったと言えよう。

日産にとっても、想定外の“最悪の事態”

 それは、検察と「一心同体」の関係で、この事件に協力してきた日産経営陣にとっても想定外の「最悪の事態」のはずだ。

 日産経営陣は「ルノー側の経営統合の要求」を跳ね返す目的で「ゴーン氏追放クーデター」を敢行したにもかかわらず、結局、6月の定時株主総会を前に、ルノー側から経営統合を要求され、応じない場合には西川社長の辞任要求が避けられないという「ゴーン後経営体制」にとって「危機的事態」に追い込まれている。

 検察の当初の目論見どおりであれば、日産は、早期に有罪判決を受けることになり、日産にとっての有価証券報告書の虚偽記載の金融商品取引法違反の問題を「過去の問題」にしてしまうこともできるはずだった。しかし、日産に対する刑事公判が、ゴーン氏らの事件とともに公判に係属することになると、日産にとっての金商法違反の問題の最終決着は大幅に遅延し、日産の証券市場からの資金調達にも影響することなる。

 しかも、日産は、現時点では、金商法違反事件について全面的に認める方針であるが、今後、ルノーとの関係もあって、経営体制がそのまま維持されるとは限らない。もし、経営体制が変われば、日産が、ゴーン氏・ケリー氏という二人の代表取締役を排除して、「役員報酬についての有価証券報告書虚偽記載」の金商法違反事実を認めたことが果たして正しかったのか、という点についても疑問が生じる可能性があり、会社としての刑事事件への対応が再検討されることもあり得る。

 検察は、中東という「異次元の世界」での事業に関して、経営者の判断の「任務違背性」を立証するという、「想像を超える困難な公判立証」を2つも抱え込み、絶望的な公判立証を余儀なくされることになっただけでなく、金商法違反の公判では、ゴーン氏・ケリー氏側との全面対決に加えて、「日産有罪」さえも予断を許さない事態となった。

令和の時代の刑事司法に向けて

 平成の30年は、検察にとって重大な問題が相次いで発生し、まさに信頼失墜の歴史であった(【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その2)~検察の在り方と「日本版司法取引」】)。その検察が、平成の最後の時期に、「大逆転」の失地回復をめざし、「司法取引」という新たな武器を用いて取組んだゴーン氏事件は、検察の判断の杜撰さ、「人質司法」に頼りきった捜査手法、検察幹部の独善的な態度など、検察の負の側面を白日の下に曝すことになり、内外からの強烈な批判を受けたばかりか、「検察中心の刑事司法」の構図そのものをも揺るがす事態に直面している。

 来る令和の時代、日本の刑事司法は、その中での検察の在り方は、どのように変わっていくのだろうか。ゴーン氏事件の今後の展開とともにしっかり見守り、引き続き発信を続けていきたい。

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“ゴーン氏再保釈”、「人質司法のカード」を失った検察

 日産の前会長カルロス・ゴーン氏について、東京地裁は、25日、保釈を認める決定を出した。4月23日に、ヤフーニュースの記事【“ゴーン氏再保釈”の可能性が高いと考える理由】で、再保釈の可能性が高いと述べたが、そこでも書いたように、検察は準抗告するだろうが、今回の事件に関する勾留・保釈等の決定に対する準抗告は、ゴーン氏、検察への有利不利を問わず、すべて棄却されており、裁判所が、当初の決定が、準抗告で覆ることがないよう慎重に行われていることが窺えるので、今回の起訴後の接見禁止の却下に対する準抗告も認められる可能性は低い。

 同記事でも書いたように、オマーン・ルートでの再逮捕後の勾留については、「罪証隠滅のおそれ」がないとして「勾留却下」を求める弁護側の準抗告、特別抗告が退けられている。しかし、そもそも「勾留却下」には「保釈」のような罪証隠滅を防止するための条件を付けられないため、裁判所としては、勾留するか、無条件に釈放するかの選択肢しかない。勾留が認められたからと言って、保釈の可否の判断で「罪証隠滅のおそれ」が認められることにストレートに結びつくわけではない。今回の保釈請求も、前回の保釈と同様の条件を付けた上で許可される可能性が相当高いと考えていた。

 もし、今回、保釈請求が却下されるとすれば、オマーン・ルートの証拠構造が、サウジアラビア・ルートとは異なっていて、前回の保釈条件と同様の方法では「罪証隠滅のおそれ」が否定できない場合である。特に、オマーンの販売代理店(SBA)を通じて、ゴーン氏側への「還流」したとされた資金が、ゴーン氏の夫人や息子が経営する会社に流れたなどと、検察リークによると思える「有罪視報道」が、新聞、テレビ等で繰り返されていたが、仮に、それらの報道のとおりだとすると、ゴーン氏と同居するキャロル夫人などの近親者に関して「罪証隠滅のおそれ」があり、保釈が認められないということになったはずだ。

 逆に言えば、今回、ゴーン氏の保釈が許可されたということは、そのような検察リーク報道の信ぴょう性は、極めて怪しいということだ。

 【ゴーン氏「オマーン・ルート」特別背任に“重大な疑問”】でも述べたように、今回のオマーン・ルートでのゴーン氏の「4回目の逮捕」と捜索押収も、常軌を逸した「無法捜査」だった。また、これまでの捜査の経緯と、経営者の特別背任罪の立証のハードルの高さから考えると、有罪判決の見込みには、重大な疑問がある。逮捕は、検察が、追い込まれた末の「暴発」であった可能性が高い。

 検察は、ここまで、無理筋の事件による4回もの逮捕を繰り返し、「人質司法」に頼り、何とかしてゴーン氏を自白に追い込み、無罪主張を封じようとしてきた。ところが、オマーン・ルートという「最後のカード」を切り、それについても、保釈が許可されてしまうと、もう切るカードがない。ようやく、刑事公判での対等の戦いが始まることになる。

 検察リークによる「有罪視報道」を繰り返してきたマスコミも、この辺りで少しは反省し、これまでの捜査の過程で「混乱と迷走」を繰り返してきた検察の内情を取材・報道することにも目を向けるべきだろう。

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