“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察

大阪地検特捜部が、国立循環器病研究センター(以下、「国循」)の元医療情報部長の桑田成規氏を逮捕・起訴した「国循事件」、今年3月16日に大阪地裁で言い渡された有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)に対して桑田氏が控訴し、大阪高裁での控訴審に舞台が移った。この事件の弁護を7月に受任、主任弁護人として控訴趣意書作成に取り組んできたが、8月13日、大阪高裁に控訴趣意書を提出した。

「国循官製談合事件」とも言われているが、この事件で問題になったのは「談合」ではない。国循の情報システムの運用保守業務の入札に関して、従来から業務を独占してきたN社と新規参入業者のD社とが争いとなった際、発注者側の「情報提供」や「仕様書の作成」が、D社に有利にN社等を不利にするものだとして、いわゆる官製談合等防止法(正確には、「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」)の「入札等の公正を害すべき行為」に該当するとされた事件だ。

桑田氏自身とその支援者たちが「冤罪」であることを切々と訴えてきた【国循サザン事件―0.1%の真実―】と題するブログ等でも、一審判決後、久々のブログ更新で、控訴趣意書提出を報告している。

もっとも、桑田氏の事件の「冤罪」は、事件と無関係な人間が犯人とされて巻き込まれるという一般的な「冤罪」とは全く構図が違う。高度な技術を要する情報システムをめぐる発注の中で起きた事件であるだけに、「冤罪」の構造は複雑だ。

桑田氏自身もブログ等で発信し続けてきた事件の構図を大まかに振り返ってみよう。

 

医療情報学の専門家として大規模医療機関で活躍していた桑田氏

桑田氏は、医療情報学の専門家だ。2003年から2011年にかけて、鳥取大学医学部講師兼医療情報部副部長として勤務し、電子カルテシステムの開発管理保守で実績を挙げた。その後、同年3月に大阪大学の准教授となったが、上司の教授から、当時、電子カルテの導入が難航していた国循の医療情報部長への就任を打診された。大阪大学に戻ったばかりで、しばらくは研究のキャリアを積みたいと考えていた桑田氏は逡巡したが、国循での電子カルテの導入は自分でなければできない、との使命感から、就任を受諾し、2011年9月から、国循での病院情報システムや、職員間のネットワークの運用責任者の業務に就いた。

就任直後から、桑田氏は、病院情報システムへの電子カルテの導入に精力的に取り組み、2012年1月には、その構築を成し遂げた。しかも、桑田氏が導入した電子カルテのシステムは、病院で電子カルテに蓄積された診療データを、セキュリティを保ちながら研究所の臨床研究にも利用できるようするなど画期的なもので、仮想化システムを活用した「4階層ネットワーク」の構築は、厚労省の独立行政法人評価委員会において高い評価を受けた。

桑田氏は、国循全体の職員間のネットワークシステムの運用にも関わった。桑田氏が医療情報部長に就任するまで、国循の情報システムに関する業務はN社がほぼ独占し、高い価格で、非効率な業務が行われていた。情報システムに関する発注では、業務の内容を熟知している既存業者が圧倒的に優位な立場にあるので、競争条件を対等にし、新規参入を可能にするためには、新規参入業者への情報開示と、発注条件に対する業者側からの意見・質問への応答を義務付ける「意見招請手続」などが重要だったが、国循では、それらが行われておらず、情報ネットワークを担当していた桑田氏の前任者や、発注手続を担当する契約係も、N社の独占による「ぬるま湯」的状態に甘んじていた。

桑田氏の着任以降は、桑田氏が、鳥取大学時代から、情報システム業者として高く評価していたD社が、国循の情報システム業務に参入し、N社の独占の牙城を崩していった。その結果、業務は大幅に効率化され、費用も大きく低減された。

 

大阪地検特捜部の強制捜査着手

こうして、国循にとって懸案であった電子カルテが導入され、情報システムをめぐる状況が劇的に改善されるに至ったのだが、それを根底から否定する動きとなったのが、2014年2月の大阪地検特捜部の国循への強制捜査着手だった。その容疑事実は、「桑田氏と契約係が共謀してD社に予定価格を漏洩した」という、いわゆる官製談合防止法違反、公契約関係競売入札妨害罪だった。

“入札価格の漏洩の競売入札妨害罪を「入り口事件」にして強制捜査に着手し、贈収賄事件の立件を狙う”、というのは、昔から、警察の捜査2課等が、土建屋談合・贈収賄事件で用いてきた「使い古された捜査手法」だった。それを、高度の技術を要する複雑な大規模医療機関の情報システムの問題で使おうとしたことに、検察捜査の根本的な誤りがあった。

ここで前提とされていたのは、①桑田氏とD社との「癒着」、②桑田氏が国循の情報システムの発注においてD社を不当に有利に取り扱った「不正」の2つだった。

特捜部がこのような狙いで捜査に着手することとなった背景に、桑田氏が国循医療情報部長に就任して以降、国循からの大型の情報システム受注を次々と失うことになったN社やその関係業者側の不満・反発があった。N社は、平成24年度にD社にネットワーク関連業務の受注を奪われた後、25年度の入札で、関係業者S社に参加を打診し、それを受けたS社は原価を無視した過度な安値で落札して強引に受注を図ったものの(いわゆるダンピング行為)、国循が「履行能力調査」を行ったために受注断念に追い込まれていた。実際に、一審公判の中の証人尋問で、S社の担当社員が、社内で、「こいつら(D社)、国循のK部長を潰さないとダメなのではないか」というメールのやり取りをしたり、早くから特捜部に協力したりしていたことが明らかになっている。

 

特捜捜査の目論見は外れ、官製談合防止法での強制捜査の「暴挙」へ

その後の捜査で、特捜部は、①の「癒着」を徹底して炙り出そうと、桑田氏とD社との金銭的関係や飲食等を徹底的に洗ったが、完全に「的外れ」だった。桑田氏とD社の関係は、桑田氏がD社を「情報システム業者として技術的にもレベルが高く、誠実に仕事をする業者」と評価し、国循の業務でもD社を活用した、ということだけであり、それ以上でも以下でもなかった。桑田氏とD社との間には、「癒着関係」など全くなかった。

しかし、②の「不正」の方は単純ではなかった。官製談合防止法は、2000年以降の談合批判の高まりを受けて、2002年に議員立法で制定されたもので、もともと刑事罰則を設けていなかったが、旧日本道路公団等、相次ぐ官製談合事件を受けて、2006年に再び議員立法により改正され、発注者側の公務員等に対する罰則が盛り込まれたものだった。

「反公共工事」を旗印にしていた当時の民主党が中心となった議員立法だったこともあり、発注者側の職員に対して、徹底して「談合関与」の排除を求めるものだった。「入札等の公正を害すべき行為」という曖昧な要件で、いきなり公務員側に重い罰則が適用されることになったため、談合とは関係ない行為までもが、特定の業者との「癒着」とは無関係に、広範囲に処罰の対象とされることになった。通常は、そういう行為は、行政内部での措置や人事上の対応で済ます程度のものであり、警察送致や告発で刑事事件にされ、間違って刑事事件として取り上げられても、「起訴猶予」で終わるのが当然であった。しかし、それを敢えて刑事立件して起訴するという「暴挙」も、起訴権限を持つ検察がやろうと思えばできないことではない。

国循への強制捜査は、大々的に報じられていたこともあって、特捜部は、後には引けなかったのであろう、国循の情報システムの発注に関して、桑田氏がD社に情報提供した行為や、仕様書案への条項の盛り込みなどを、官製談合防止法に違反する「入札等の公正を害する行為」として無理矢理立件し、桑田氏とD社の社長を逮捕・起訴したのである。

桑田氏が、情報システムを劇的に改善させ、大きな成果を挙げた国循の内部者の立場や感情も、特捜部の無理筋の捜査の助けとなった。桑田氏の前任者にとっては、桑田氏が国循で大きな成果を挙げたことは、それまでの自らの仕事が否定されたようなもので、決して快く思ってはいなかった。それどころか、N社の独占に手を貸していた自分の仕事を「正当化」するためには、検察が、桑田氏のやり方を「D社を有利にし、N社を不当に不利にするものだ」と見てくれることは、望むところだったはずだ。国際協定で義務づけられた意見招請手続も行わず、「ぬるま湯」的な発注を放置していた契約係も、桑田氏が就任した以降のことが「当然のこと」であれば、自分達がやっていたことが「不公正」となってしまう。契約係にも、検察捜査に最大限協力する動機があった。

桑田氏は、起訴事実をすべて争い、全面無罪を主張した。公判では、35回の期日、延べ14人の証人尋問、被告人質問10回、審理は2年近くに及んだ。

 

「最大の攻撃防禦ライン」がもたらしたもの

こうした中、検察側・弁護側の最大の攻撃防禦ラインとなったのが、「桑田氏が、D社に送付した体制表について、どのような認識を持っていたのか」という点だった。実際に桑田氏がD社に送付した資料は、N社が平成24年度入札の競争参加資格審査のために提出していた体制表だったことは客観的事実だった。それについて、桑田氏は、「その年度の体制表(現行体制表)だと思ってD社側に送ったもので、N社が入札のために提出した資料とは知らなかった」と一貫して供述していた。

この点が、桑田氏の行為について犯罪の成否に関する最大の争点とされ、攻撃防御の主戦場となった。しかし、犯罪の成否と、その犯罪が、刑事事件として処罰すべきものなのかということとは異なる。特に、官製談合防止法については、上記のような制定経緯から、入札等をめぐる不公正な行為を防止するため発注者側の行為が広く対象とされている。通常は刑事処罰の対象には全くなり得ない行為であっても、形式上は「入札等の公正を害すべき行為」に該当する余地がある。

桑田氏がD社に送付した目的は、「その時点で業務を行っている業者だけが知り得る情報を、新規参入業者にも提供することで、入札参加者間の公平で対等な競争条件を確保すること」だった。それによって、入札での競争機能が高まると考えたからだった。それは、N社の独占の下、競争が機能せず、非効率な情報システムが放置されてきた状況を抜本的に変えるためだった。D社の利益を図るためではないことは明らかだった。

しかし、そのような目的であっても、入札参加者の1社への情報提供となると、形式上、違反・犯罪に当たる可能性がある。

もし、送付の際、体制表が現行のものだと思っていたとしても、契約担当者を通じて正規の手続で情報提供したものではない以上、D社への情報提供は、それが入札のために提出した資料であろうと、前年度の体制表であろうと、官製談合防止法違反が禁ずる「入札等の公正を害すべき行為」に該当する可能性は、ある。

そういう意味では、業務体制表をD社に送った際に、「N社が入札のために提出した資料」との認識が桑田氏にあったのかどうかは、本来、重要な争点ではなかった。

しかし、「N社が入札のために提出した資料のD社への送付」であることを犯罪成立の根拠として強調する検察と、それを真っ向から否定する桑田氏や弁護側という対立構図のために、一審公判では、その点が検察官と弁護側との激しい攻防ラインとなった。

それは、検察にとっては好都合な展開だった。もともと、「認識の立証」というのは、刑事事件の立証の中で、検察が得意技にしているものだ。国循の契約担当者などの証言で、現行体制表との認識で送付したとの桑田氏の供述を否定することは、困難ではなかった。

桑田氏とD社との「癒着」や、その利益を図ったことなど、本来、刑事処罰にすべき理由を何一つ立証できなかった検察は、体制表についての「認識」の立証だけは、優位に立つことができた。

結局、一審判決では、「N社が入札のために提出した資料ではなく現行体制表だと思ってD社側に送った」という桑田氏の供述の信用性が否定され、それに伴って、「D社の利益を図ったものではない」という桑田氏の供述全体も否定され、他の公訴事実についても、「D社の利益に、他の業者に不利になるようにした」との認定から「ドミノ倒し」的に、全面有罪の判断につながった。

一審判決は、弁護側の主張のほとんどを退け、公訴事実すべてについて有罪。判決文は、検察論告の要約に等しいものだった。

以上が、大阪地検特捜部の捜査着手から、一審有罪判決に至るまでの桑田氏の「冤罪」の経緯だ。

 

桑田氏の行為のどこに「犯罪性」があるのか

そもそも、桑田氏を捜査の対象とし、逮捕・起訴して、2年もの時間と膨大なコストをかけて、有罪に追い込もうとしている検察のどこに「正義」があるのだろうか。

桑田氏は、極めて有能な医療情報学の専門家である。その能力を最大限に活かし、鳥取大学医学部での電子カルテシステム構築で大きな成果を挙げ、電子カルテ導入が難航していた国循の医療情報部長として、めざましい成果を挙げた。まさに、大規模医療機関において多くの患者の生命と健康のために、医療情報システムが確実に機能するよう最大限の努力を行い、成果を挙げてきた。その過程で、入札手続に関して、仮に、官製談合防止法への「形式的違反」があったとしても、それは、D社という特定の業者の利益を図ったものではなく、D社からの見返りを期待したものでもない。単に、独占受注に胡坐をかいていたN社側の「不当な利益」を失わせただけだ。それが、果たして刑事事件として取り上げるべき問題なのか。世の中の様々な法令違反の行為の中から、健全な社会常識に基づいて、「処罰すべき行為」を刑事事件として取り上げて事件化するのが、検察、とりわけ、特捜部の役割ではないのか。

一審論告で、検察官は、単に「被告人桑田が有罪だ」と主張するだけで、その悪情状を何一つ指摘できていなかった。

それどころか、「被告人桑田の動機」について、以下のように述べて、「懲役2年」を求刑した。

D社の能力を評価していた被告人桑田において、優秀な業者が落札できるようにして、国循の情報システムをより良いものにしたいという動機に出たものであったとしても、それが各犯行を正当化する理由にならないことは当然である。

しかし、一体何が「当然」なのであろうか。桑田氏の行為は単なる「手続上の問題」に過ぎない。形式上法令違反に当たるとしても、検察官の処分としては、「起訴猶予」が当然だ。

一審判決は、その検察官の主張を「丸呑み」し、執行猶予付きとは言え、「懲役2年」という、全く理解し難い量刑の判決を言い渡したのだ。

 

検察は不祥事の反省も教訓もすべて捨て去った

国循事件は、かつて2010年に無罪判決が出され、証拠改ざん問題も発覚して厳しい社会的批判を浴びた「村木事件」以降に、大阪地検特捜部が初めて手掛けた「本格的検察独自捜査」だった。しかし、その事件で、検察が行ったことの不当性、社会を害する程度は、「村木事件」にも匹敵する、というのが控訴趣意書の作成を終えた私の率直な印象だ。

村木事件は、「証拠」の問題であり、「事実」の問題だった。そこに、大阪地検特捜部の重大な「見込み違い」があり、不当な捜査の末、証拠改ざんという問題まで起きた。一方、国循事件の問題は、贈収賄事件の立件を目論み、それに失敗した特捜部が、健全な常識を備えていれば、凡そ刑事事件にすべきではないとわかるはずの問題を、無理矢理刑事事件に仕立て上げたことにある。不当な起訴に対して組織的なチェックが働かなかったばかりでなく、2年にもわたる審理に膨大なコストをかけた挙句、懲役2年を求刑し、一審裁判所が、それに盲従した。そもそも、検察組織内部で、「何を刑事事件にすべきか」、「何が悪いのか」について最低限の常識が働いていれば、このようなことは起こり得なかった

一方で、東京地検特捜部も、「リニア談合事件」で、日本の社会資本整備に壊滅的打撃を与えていることは当ブログでも取り上げてきた(【リニア談合捜査「特捜・関東軍の暴走」が止まらない】など)。両特捜部に共通するのは、検察改革で強調された「引き返す勇気」など屁とも思っていないということである。

奇しくも、国循事件の控訴趣意書の作成が佳境を迎えている頃、法務・検察の姿勢を示す「ある事象」に気づいた。

取調べの録音・録画の証拠としての取扱いが重要な争点となった「栃木小1女児殺害事件」の控訴審判決が8月3日東京高裁で言い渡された。その際、「検察の在り方検討会議」で、取調べの録音録画を直接証拠として用いることについての議論をしたことを思い出した。「検察の在り方検討会議」は、2010年、大阪地検不祥事からの信頼回復のため、法務大臣の下に設置された会議だった。委員として会議に加わっていた私は、「取調べの可視化は不当な取調べ抑止のための手段である。録音・録画を直接証拠として用いることは、本来、公判廷の被告人質問で行うべきことを、密室の取調べで、弁護人の立会なしで行うことになりかねない。」という意見を述べた。最近、いくつかの事件で、録音・録画の直接証拠化の是非が重要な問題となっているのだ。

当時の議論の内容を確認しようと、法務省のホームページを見たところ、1年ほど前には、議事録、資料全てが掲載されていた「検察の在り方検討会議」の頁から、最終提言以外が全て削除されていた。法務省での他の会議については、全て議事録・資料が掲載されているのに。

法務・検察当局は、大阪地検特捜部をめぐる不祥事も、それを受けて法務大臣の下に設置された「検察の在り方検討会議」も、全て「なかったことにしたい」ということなのであろう。

結局、特捜検察は何一つ変わっていない。一連の検察不祥事の反省・教訓も、「引き返す勇気」を強調した「検察改革」も、全て捨て去り、「おぞましい権力機関」として蘇ろうとしている特捜検察、それが、社会にとって、どれ程危険なことかを痛感させられるのが、今回の「国循事件」だ。

一審で証言台に立った、京都大学医学部附属病院医療情報企画部長の黒田知宏教授は、今回の事件について、

普通にやってそれが罪に問われるというのであれば、この業界で働く方は、本当にいなくなる可能性がある。

と述べている。

今回の国循事件のような「不正義」がまかり通るのであれば、情報システムの世界のみならず、それを基盤として営まれている社会全体にも、重大かつ深刻な悪影響を及ぼすことになりかねない。

健全な常識からは考えられない検察官の不当な起訴に対して、一審大阪地裁では行わなかった“正当な司法判断”が、大阪高裁の控訴審で下されることを期待し、桑田氏の主任弁護人としての活動を続けていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

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「日本版司法取引初適用事例」への“2つの違和感” ~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性

タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)事件で、事業を受注した「三菱日立パワーシステムズ」(MHPS)と、捜査している東京地検特捜部との間で、法人の刑事責任を免れる見返りに、不正に関与した社員への捜査に協力する司法取引(協議・合意)が成立し、今年6月に施行された刑訴法改正で導入された「日本版司法取引」(捜査公判協力型協議合意制度)の初適用事件になったと報じられている。

MHPSは、三菱重工業と日立製作所の火力発電事業部門が統合し2014年2月に設立した会社であり、事業を受注したのは、統合前の三菱重工業だったとのことだ。

「日本版司法取引」は、検察官と被疑者・被告人およびその弁護人が協議し、被疑者・被告人が「他人」の刑事事件の捜査・公判に協力するのと引換えに、自分の事件を不起訴または軽い求刑にしてもらうことなどを合意するものだ。

導入の目的については、「組織犯罪の末端の関与者に刑事責任の軽減の恩典を与えることで、組織の上位者の犯罪について供述しやすくすること」と説明されてきた。ところが、その初適用事例が、「外国公務員贈賄」という犯罪に関して、事業上の利益を得る「会社」が免責されるのと引き換えに、犯罪行為に関わった「社員」の刑事責任を追及する方向での「取引合意」だった。「想定とは逆」であることに、違和感が生じるのも当然と言えよう。

今回の事例には、二つの面で違和感を持たざるを得ない。

 

法人免責が「取引合意」の対象となったことへの「違和感」

第一の「違和感」は、MHPSと検察官との間で、「法人」の刑事責任を免れることと引き換えに、贈賄行為に関わった「社員」が刑事処罰されることに協力するという「合意」が行われたことだ。

日本での法人処罰は、刑法以外の法律の罰則に設けられた「両罰規定」に基づいて行われる。

両罰規定とは、「法人の役職員が、その業務に関して、違反行為を行ったときは、行為者を罰するほか、法人に対しても各本条の罰金刑を科する」という規定に基づき、行為者個人だけではなく、法人も処罰されるというものだ。

この「法人の処罰」は、法人の役職員が法人の業務に関して犯罪を行った場合に、法人にも刑事責任を問うもので、行為者の責任とは別個のものと考えられている。理論上は、法人にとって、その役職員の刑事事件を「他人の刑事事件」ととらえることは可能だ。

しかし、その前提は、あくまで、行為者の役職員「個人」について犯罪が成立する、ということであり、アメリカのように、行為者が不特定のままでも「法人の行為」について犯罪成立を認め、法人を処罰するというのではない。

自然人個人に対する「道義的非難」が中心の日本の刑事司法では、「意思も肉体も持たない抽象的存在」の「法人」に対する処罰は、重要視されてはこなかった。日本法での法人処罰は、法人の役職員個人について犯罪が成立することを前提に、副次的に行われるものに過ぎず、法人に対する罰金の上限も、3億円から5億円程度にとどまっている(昔は個人の上限と同じ500万円程度だったが、90年代から、独禁法等でようやく「行為者個人と法人との罰金額の上限の切り離し」が行われ、数億円への引き上げが進められていった)。法人に対して数百億円、時には数千億円もの罰金が科されることもある米国などとは大きく異なる。今回問題になっている「外国公務員贈賄」の不正競争防止法違反の法人に対する法定刑の上限も3億円に過ぎない。

「法人処罰」を、行為者個人の処罰とは独立したものと位置付けるのであれば、当然、その責任の根拠も異なるはずである。従来の見解では、法人の責任の根拠は、行為者に対する選任監督上の過失とされてきたが、実際に、行為者の犯罪行為が認められた場合に、法人については選任監督上の過失がないとして免責された例はほとんどない。実際には、両罰規定がある罰則によって役職員が処罰されると、ほぼ自動的に法人も処罰されてきたのである。

つまり、「個人処罰」中心の考え方の日本法による「法人処罰」は、独立した制裁としての位置づけが十分なものではなく、それ自体の制裁機能も、決して十分なものではなかった。

「司法取引」によって処罰が軽減されることの理由は、他人の犯罪への捜査・公判に協力することで、その責任が軽減されるということであろう。「法人」としてのMHPSが捜査・公判に協力することで法人の責任が軽減され、一方で行為者「個人」が処罰されるというのであれば、MHPSの捜査・公判への協力を、「法人自体の責任を軽減する要素」として評価したことになる。そのような「法人固有の責任の評価」は、少なくとも、これまでの法人処罰では、ほとんど行われて来なかった。

このような日本法による「法人処罰」の実情からは、法人の処罰を免れることと引き換えに、行為者たる役職員「個人」の刑事責任の追及に協力する「取引合意」が成立するというのは、想定し難いことだった。

しかし、今回の件は「両罰規定によって処罰され得る『法人』」が、役職員「個人」の処罰に協力することの見返りに、法人の処罰を免れさせてもらうという取引だ。

MHPS側が、法人に対する処罰を免れることを優先したのは、僅か上限3億円に過ぎない法人処罰自体より、法人が処罰されることに伴って国際協力銀行(JBIC)等の融資が停止されるなど、他の制裁的措置がとられることを恐れたからだと考えられる。しかし、そのような「企業そのものが被る事業上の不利益」を免れるために、行為者の役職員「個人」が刑事処罰を受けることに積極的に協力する「取引合意」を行うことが、果たして、企業として適切な対応と言えるのだろうか。

 

外国公務員贈賄の処罰をめぐる特殊な問題

もう一つの「違和感」は、法人に対する処罰を免れさせる見返りに、行為者たる社員の側の刑事責任を追及することに協力する「取引合意」が、「東南アジアの国での外国公務員贈賄」という「特殊な事情から発生することが多い犯罪」について行われたことだ。

東南アジア諸国では、古くから、公務員が公務の受益者から直接報酬を受け取る慣習がある。それは、米国等でのレストラン等で従業員が客からチップを受け取るのが慣習化しているのと同様に、その国の公務員制度に深く根差しているもので、それを禁止する法律があっても容易に解消できるものではない。

そのような慣習が存在するところで行う事業のために現地に派遣される社員は、事業を進める中で、現地の公務員から賄賂を要求された場合に、極めて辛い立場に立たされることになる。要求どおり賄賂を支払わなければ、有形無形の不利益が課され、事業の大幅な遅延というような事態に追い込まれることは必至だ。海外での事業では、契約時に「履行遅延の場合の損害賠償の予定」(リキダメ)が合意されていることが多く、事業が遅延すると、そのリキダメの発生が予想されることで、その会計年度末に多額の損失引当金を計上せざるを得ないことになる。

現地に派遣されている社員は、事業の遅延を生じさせないよう、本社側から強く要求され、一方で、現地の公務員から賄賂を要求され、それに応じないと事業が遅延するというジレンマに立たされることになる。

社員に「コンプライアンスの徹底」を指示しても、社員を窮地に陥れるだけだ。贈賄リスクを低減するために、現地のコンサルタントを活用して、「賄賂の支払」が直接的にならないようにする弥縫策がとられることもあるが、それは、根本的に問題をなくすものではない。

結局のところ、そのような東南アジアの国で事業を行う場合には、公務員側から賄賂を要求されるリスクが相当程度あることを前提に事業を行うか否かの意思決定を行わざるを得ないのである。

今回のMHPSの事件に関しては、2013年に、三菱重工業が、タイの民間の発電事業者から発電所建設事業を受注し、その後、同社と日立製作所の火力発電事業部門が統合されて2014年にMHPSが設立された後、同社の社員が、現地の公務員から現金を求められ、担当社員らが数千万円を支払ったということのようだ。

まさに、タイという東南アジアの国で、そのような事業を行うのであれば、意思決定を行う際に、当然、現地公務員による賄賂要求のリスクを認識した上で決定する必要があったのであり、事件は、そのような当然のリスクが顕在化したものに過ぎない。

発生することが分かっていたリスクにさらされ、ジレンマに悩んだ末に、賄賂を贈った社員を処罰することと引き換えに、会社に対する制裁を免れさせるというのは、納得できることではない。

今回の「取引合意」によって、今後、贈賄の実行行為者の社員側に対する捜査が行われることになるが、最終的にどのような刑事処分が行われるか、現時点ではわからない。担当取締役も贈賄を承認していたという報道もあり【(日経)海外贈賄疑惑、元取締役が承認か 納期遅れ回避で】、「末端の社員」ではなく、取締役クラスが処罰されることになるかもしれない。「トカゲのしっぽ切り」にはならない可能性もある。しかし、担当取締役が承認したとしても、それも、上記のようなジレンマに悩んだ末で判断したことは同様であり、その取締役も、贈賄行為によって個人的利益を受ける立場ではないはずだ。本来処罰すべきは、利益が帰属する法人自体であるのに、逆に役職員個人が処罰されることに問題があるのである。

 

日立製作所の南アフリカでのFCPA違反との関係

MHPSがこのような「取引合意」を行ったことの背景に、経営統合前に日立製作所が起こした南アフリカでのFCPA(Foreign Corrupt Practices Act、海外腐敗行為防止法)違反の事件の影響が考えられる。

外国公務員贈賄問題の専門家である北島純氏の【北島 純の「外国公務員贈賄罪研究会」ブログ】によると、この事件は、日立製作所の南アフリカ法人が、南アフリカの与党「アフリカ民族会議」(ANC)のフロント企業と合弁で現地子会社を設立し、その後、日立製作所は二つの発電所建設を政府系企業から受注することに成功、フロント企業に「配当」として500万ドル、「成功報酬」として100万ドルを支払った。このうち「consulting fees」名目で計上した「成功報酬」分は、実質的には「外国政党」への支払いであったのに、適切に会計処理をしなかったということで、FCPAの会計条項違反で日立製作所は起訴され、1900万ドル(約23億円)の制裁金を払う和解に合意したというものだ。

この日立製作所の事業を引き継いだのが、三菱重工業の発電事業部門との経営統合で設立されたMHPSだった。

この事件は、「企業の外国の政党への支払」がFCPAの会計条項違反とされたもので、日本の「外国公務員贈賄罪」には当たらない。ただ、今回のタイでのMHPSの贈賄事件も、その支払の会計処理が、FCPAの会計条項違反となる可能性もあり、同社としては、FCPA違反も含めて企業としての責任追及を最小限にするため、日本法での法人処罰を免れようとした可能性もある。

しかし、今回の「取引合意」で法人が処罰を免れることができるのは、あくまで日本法に関するものであり、FCPA違反も含めて免責されるのではない。日本法で役職員が起訴された場合、それを受けて米国司法省の捜査が行われ、法人がFCPA違反で起訴される可能性は残る。

 

「司法取引」初適用事件の「法人処罰」をめぐる議論への影響

今回、MHPSが検察官との「司法取引」に応じたことが、企業の利益を優先して社員を検察に売り渡したようなイメージを持たれたことで、社会にマイナスのイメージを与えたことは否定し難い。そして、それによって守ろうとした「企業の利益」も、FCPA違反も含めて考えた場合に、最終的に、本当に利益になるのかは疑問だ。

また、検察にとっても、今後の捜査の結果が、懸念されているような「トカゲのしっぽ切り」で終わった場合には、経済界にも注目されて導入した「日本版取引」のデビュー戦としては、お粗末極まりないものとなり、制度自体のイメージダウンにつながりかねない。

しかし、一方で、今回、「日本版司法取引」の初適用事例で「法人処罰」が対象となったことは、これまで、ほとんど注目されて来なかった日本法における法人処罰に初めて焦点が当たるという面では、大きな意義を持つものと言えよう。

前述したように、「法人処罰」は、自然人個人に対する道義的責任が中心の日本では、これまで、あまり注目されて来なかった。個人の行為を離れた「法人自体の犯罪行為」は認められず、法人固有の責任を評価することも殆ど行われて来なかった。そうした中で、今回の「司法取引」で「法人が免責された」ということは、まさに、法人が自社の事業に関して発生した犯罪について積極的に内部調査を行って事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力することが法人の責任を軽減するものと評価されたことになる。それは、「法人処罰」に対する従来の運用を大きく変える可能性につながるものと言える。

本来、違法行為や犯罪行為に対する制裁・処罰は、全体として、その責任の程度、悪質性・重大性のレベルに応じたものでなければならない。しかし、日本では、企業や法人に対する制裁は、「行政上の措置としての課徴金」と「刑事罰」が併存し、その関係についての理論的な整理も必ずしも十分ではなく、制裁の在り方についての総合的な研究は、これまで殆ど行われて来なかった。(行政上の制裁を含む法人に対する処罰の在り方についての殆ど唯一の著作と言えるのが、刑法学者の佐伯仁志教授の【制裁論】(有斐閣2009年))。

 

「組織罰」としての「業務上過失致死傷罪」への両罰規定の導入をめざす動き

今回の事件が、法人に対する制裁の在り方についての議論の契機になるとすると、そこで避けては通れないのが、従来、特別法犯に限定されてきた「両罰規定」を、刑法犯にも導入することの是非の検討である。例えば、「談合罪」など、刑法犯の中にも「法人の利益」のために行われることが多い犯罪があるが、それらについても法人を処罰する規定がないことが、かねてから問題とされてきた。

それに関して、既に、具体的な動きとなっているのが、重大事故の遺族の方々が中心となって行っている、「業務上過失致死傷罪」に対する「組織罰」実現をめざす活動である。

2005年の福知山線脱線事故、2012年の笹子トンネル事故など、多くの重大事故の遺族の方々が中心になって、当初、イギリスで導入された「法人故殺罪」のような「法人組織自体の行為についての刑事責任」を問うことをめざして、2014年に「組織罰を考える勉強会」が立ち上げられた。2015年10月、その会に私が招かれた際、日本の刑法体系からは実現が容易ではない「法人処罰」ではなく、現行法制上可能な、業務上過失致死傷罪についての「両罰規定」を導入する刑事立法を行うことを提案したところ、その趣旨が理解され、それ以降の会の活動が、「両罰規定」によって重大事故についての企業の責任を問うことをめざす、「組織罰を実現する会」に発展していった。

現在も、立法化をめざす積極的な活動が続けられている。

この「業務上過失致死傷罪」への「両罰規定」の導入に関して最も重要なことは、法人の業務に関する事故について、法人役職員に同罪が成立する場合には、法人にも両罰規定が適用されるが、「当該法人における安全確保のためのコンプライアンス対応が事故防止のために十分なものであったにもかかわらず、予測困難な逸脱行為によって事故が発生した場合には、法人を免責する」ということである。事故防止のための安全コンプライアンスが十分に行われていたことを、法人側が立証した場合には免責されるとすることで、刑事公判で、企業の安全コンプライアンスへの取組みが裁かれることになるのである。

今回の司法取引初適用事例での法人の免責は、内部調査によって犯罪事実を明らかにし、捜査・公判に協力するという「法人の事後的なコンプライアンス対応」を評価し、責任の軽減を認めるものであり、法人の固有の責任を独立して評価するという発想に基づくものだ。それは、事故に至るまでの加害企業の安全コンプライアンスへの取組みを実質的に評価して法人の責任の減免を決するという、「組織罰を実現する会」がめざす両罰規定の導入にとって、追い風になるものと言えよう。

今回の司法取引初適用事例が、あらゆる面で「法人処罰」をめぐる議論を活性化することにつながることを期待したい。

 

 

 

 

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袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性

2014年3月に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が出した袴田事件の再審開始決定(以下、「地裁決定」)に対する検察官の即時抗告について、6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は、地裁決定を取り消し、再審を開始しない旨の決定(以下、「高裁決定」)を行った。

マスコミからコメントを求められ、高裁決定を入手して全文を読んだ。

これまでの多くの事件に関して、検察の捜査・処分を厳しく批判し、美濃加茂市長事件などの冤罪事件で検察と戦ってきた私である。社会的に「冤罪事件の象徴」のように受け止められ、地裁の再審開始決定に対する検察の即時抗告でも、検察側と弁護側が激しく対立してきた袴田事件に関して、再審開始を取消す決定が出たことについて、検察側コメントと同趣旨の「適切・妥当な決定」との意見を述べることに、内心複雑なものがあることは事実だ。

しかし、高裁決定を読む限り、その根拠となった本田克也筑波大学教授のDNA鑑定(以下、「本田鑑定」)が、凡そ科学的鑑定と評価できない杜撰なものであり、それを根拠に再審開始を決定した静岡地裁の判断も、全く合理性を欠いており、再審開始決定が取り消されるのは当然としか言いようがない。

今回の高裁決定を担当した大島隆明裁判長は、菊池直子殺人未遂幇助事件での無罪判決、横浜事件での再審開始決定などの、いくつかの著名事件も含め、公正・中立な裁判で高く評価されてきた裁判官である。一般的には、検察の主張に偏り、検察にもたれかかる刑事裁判官が多い中で(元裁判官森炎氏との対談本【虚構の法治国家】講談社)、大島裁判長は、検察側、弁護側どちらにも偏らず、公正な裁判が期待できる裁判官だということは、袴田事件の支援者にも認識されていたはずだ「【浜松 袴田巖さんを救う市民の会「即時抗告審の大島隆明裁判長って、どんな裁判官?」】)。

高裁決定は、本田鑑定の手法の科学的根拠の希薄さ、非合理性を厳しく指摘しているが、それを読む限り、過去に、多少なりと「科学」に関わった人間にとって(私は一応「理学部出身」である。)、本田鑑定が「科学的鑑定」とは到底言い難いものであることは明白だ。

 

本田DNA鑑定の「非科学性」についての高裁決定の指摘

「衣類のうちのシャツの血痕から袴田さんとは異なるDNA型を検出した」として、地裁の再審開始決定の根拠とされた本田鑑定について、高裁決定は、

当裁判所は、検討の結果、A(本田克也氏)の細胞選択的抽出法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在しているにもかかわらず、原決定は細胞選択的抽出法を過大評価しているほか、原決定が前提とした外来DNAの残存可能性に関する科学的原理の理解も誤っている上、平成23年12月20日付けのA鑑定書添付のチャート図の解釈にも種々の疑問があり、これらの点を理由としてA鑑定を信用できるとした原決定の判断は不合理なものであって是認できず、A鑑定で検出したアリルを血液由来のものとして、袴田のアリルと矛盾するとした結果も信用できず、A鑑定は、袴田の犯人性を認定した確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるような明白性が認められる証拠とはいえないと判断した。

として、本田鑑定の信用性を否定した。

その詳細な理由について述べている部分の中で特に注目すべきは、鑑定資料の「チャート図」に関する以下のような判示だ。(下線は筆者)

原決定は、その説示に照らせば、本件チャート図によれば、対照試料からアリルが全く検出されていない点を、血液由来のアリルを検出したものであるとするA鑑定に信用性を認める最大の根拠としていることは明らかである。しかし、本件チャート図については、以下のとおり十分な信頼性を確保できないような事情が存在する。

ア Aは、本件チャート図について、原審において、同チャート図に、Aが型と判定した以外にもピークのようなものがあるとの検察官の指摘に対し、正規のバンドの位置になくオフラダーの表示があったが、同チャート図のオフラダーの自動表示を手動で消去したことを自認しており、自らの判断等に従って同チャート図の表示を変えたものであって、同チャート図の正確性について、自ら疑われかねないような行為をしているほか、同チャート図には、同一の試料についても何回目かの表示もなく、同チャート図のみでは、各試料について行われたPCR増幅の回数や各チャート図に係る検査の順序等も不明のままである。加えて、本件チャート図は、本来カラー表示されるものであるのに、白黒で印字されたコピーを提出し、アリルピークの位置(塩基数bp)が読み取れる縦線も不鮮明なものが含まれているため、検出されたアリルピークが正確であるのか確認することが困難な状態となっているものも一部存在する。一方、Aが作成した鑑定書のうち、袴田の血液のDNA型を鑑定した平成24年4月12日付け鑑定書に添付されたチャート図は、カラーで鮮明に印字されているものであって、本件チャート図とは、余りに体裁が異なるものである。

イ 細胞選択的抽出法については鑑定の手法として大きな疑問がある以上、それにもかかわらずA鑑定の結果を支持できるというためには、その鑑定のデータの信用性が十分検討されなければならないが、本件チャート図には前述したとおりその信頼性を疑問視せざるを得ない点があり、本件チャート図の信用性判断のためには、元となるデータや実験ノート等の原資料をも確認する必要性が高いといえる。

ところが、Aは、本件チャート図の元となるデータや実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は既に原審時点において、見当たらない又は削除したと回答しており、その他のデータや実験ノートについても、当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている。しかし、事件が係属中で、前記のとおり、A自身が、その鑑定は法医学の分野ではおそらく世界的にも例がない劣悪な条件下でのDNAの抽出や型判定に成功したものであることを自認しているにもかかわらず、DNA鑑定に関するデータや実験ノートを一切保存していないということは、余りにも不自然というほかなく、消去した理由に関するAの説明にはプライバシー保護や記録保存のシステム上の困難性をいう点を含め、納得しかねる点が余りにも多いというほかない。

このような本田鑑定の「チャート図」についての疑問を踏まえれば、果たして鑑定資料に付着した血液中に含まれていたDNAを抽出したものなのかどうか疑問に思うのが当然である。即時抗告審では、鑑定の手法の信頼性の有無を確認するための事実取調べとして、本田鑑定の「再現実験」を行おうとしたが、結局、弁護人の協力が得られず断念したとのことだ。

確立された科学的手法ではない鑑定であれば、鑑定の経過やデータ・資料が確実に記録されていることや、再現性が確認されていることが、鑑定の信用性を立証するために不可欠と考えられるが、本田鑑定は、データ・資料が保存されておらず、再現実験による確認もできなかった。このような鑑定に客観的な証拠価値を認めることができないのは当然である。

 

「STAP細胞」問題との類似性

袴田事件で静岡地裁の再審開始決定が出たのとちょうど同時期、社会の注目を集めていたのが「STAP細胞」をめぐる問題であった。2014年1月末に、理化学研究所の小保方晴子氏、笹井芳樹氏らが、STAP細胞を発見したとして、論文2本を世界的な学術雑誌ネイチャー(1月30日付)に発表し、生物学の常識をくつがえす大発見とされ、若い女性研究者の小保方氏は、「リケジョの星」などと世の中に大々的に報じられた。

が、論文発表直後から、様々な疑義や不正の疑いが指摘されていた。

4月1日には、理化学研究所が、STAP細胞論文に関して画像の切り貼り(改竄)やねつ造などの不正があったことを公表した。その際、研究の過程の裏付けとなる実験ノートについては、3年で2冊しか残されておらず、小保方氏が残したノートには、日付すら記載されておらず、実験ノートの要件を充たしていなかったことも明らかにされた。

これを機に、STAP細胞をめぐる研究不正疑惑が大きな社会問題となり、理化学研究所では、STAP現象の検証チームを立ち上げ、小保方氏を除外した形で検証が行われ、論文に報じられていた方法でのSTAP現象の再現が試みられるとともに、7月からは、それとは別に小保方氏にも単独での検証実験を実施させた。

しかし、結局、STAP細胞の出現を確認することはできず、同年12月、理化学研究所は、検証チーム・小保方氏のいずれもSTAP現象を再現できなかったとして、実験打ち切りを発表した(検証が行われている最中の8月4日、世界的な科学者として将来を期待されていた笹井氏は自殺した。)

袴田事件で静岡地裁の再審開始決定が出されたのが2014年3月27日、理化学研究所が、小保方氏らの不正を公表したのが、その5日後だった。

本田氏のDNA鑑定は、「細胞選択的抽出法」によって、「50年前に衣類に付着した血痕から、DNAが抽出できた」というもので、もし、それが科学的手法として確立されれば、大昔の事件についてもDNA鑑定で犯人性の有無について決定的な証拠を得ることを可能にするもので、刑事司法の世界に大きなインパクトを与える画期的なものである。

「STAP細胞発見」には様々な疑惑が指摘され、小保方氏は実験の客観的データで疑問に答えることができず、「本当にSTAP細胞が生成されたのか」という点に深刻な疑問が生じた。それを受けて、小保方氏自身も再現実験に取り組まざるを得なくなり、結果「再現できず」で終わったことで、科学的には「STAP細胞生成」の事実は否定されるに至った。

それと同様に、本田鑑定で「細胞選択的抽出法」によって「DNAが抽出できた」というのであれば、その抽出の事実を客観的に明らかにするデータが提示される必要がある。ところが、本田氏は、鑑定の資料の「チャート図」の元となるデータや、実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は、地裁決定の前の時点で、「見当たらない」又は「削除した」と回答しており、その他のデータや実験ノートについても、高裁での証人尋問の際に、「すべて消去した」と証言したというのである。そこで、STAP細胞問題と同様に、裁判所が弁護側に「客観的な再現」を再三にわたって求めたが、結局、再現ができず、「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出について、客観的に裏付けがないまま審理が終わった。

本田鑑定が用いたとされる「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出をめぐる経緯は、静岡地裁の再審開始決定とほぼ同時期に大きな社会問題となっていたSTAP細胞問題と酷似していると言えるのではないだろうか。

 

朝日社説の的外れな高裁決定批判

高裁決定の翌日(6月12日)の朝日新聞社説【袴田事件再審 釈然としない逆転決定】は、

地裁の段階で6年、高裁でさらに4年の歳月が費やされた。それだけの時間をかけて納得のゆく検討がされたかといえば、決してそうではない。この決定に至るまでの経緯は、一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。

と述べた上、

別の専門家に再鑑定を頼むかで長い議論があった。実施が決まると、その専門家は1年半の時間をかけた末に、高裁が指定した検証方法を完全には守らず、独自のやり方で弁護側鑑定の信頼性を否定する回答をした。高裁は結局、地裁とほぼ同じ証拠関係から正反対の結論を導きだした。

身柄を長期拘束された死刑囚の再審として国際的にも注目されている事件が、こんな迷走の果てに一つの区切りを迎えるとは、司法の信頼を傷つける以外の何物でもない。

と、高裁での即時抗告審の審理経過や決定を批判している。

しかし、即時抗告審で4年の時間を要したのは、科学的な根拠に乏しい本田鑑定について、その信用性を裏付ける立証を弁護側に求めていたからである。STAP細胞問題と同様に、本田氏自らが、裁判所による再現実験に応じ、「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出を再現して見せることが何より本田鑑定の信用性を明らかにする確実な方法であるにもかかわらず、結局、それは実現しなかった。

本田鑑定がDNA鑑定に用いた「細胞選択的抽出法」は、科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在していたが、地裁決定が、それを根拠に再審開始を決定し、「死刑囚釈放」という措置まで行った以上、その根拠とされる本田鑑定を軽々に扱うわけにはいかない。裁判所としては、弁護側に、信用性を裏付ける立証の機会を十分に与え、そのために長い期間がかかったのであり、それは、再審開始決定の取消という結論を導くに至るまでの裁判所の慎重さを示すものであったと言える。

「迷走の果て」などと高裁決定を批判するのは、全く的外れと言うべきであろう。

 

地裁決定の「論理の飛躍」

科学的原理や有用性に深刻な疑問が存在している本田鑑定を過大に評価して、別人が犯人である疑いだけではなく、警察の証拠ねつ造の疑いまで指摘し、死刑の執行のみならず勾留の執行も停止したのが静岡地裁の再審開始決定だ。

地裁決定は、本田鑑定によって、味噌樽から発見された衣類が袴田氏の着衣ではない蓋然性が高いとされることや、発見された衣類の色等から、1年以上味噌に浸かっていたとするのは不自然と判断されることを前提に、「衣類が、事件と関係なく事後に作成されたものであり、それは、証拠が後日ねつ造されたと考えるのが最も合理的」とした上、

警察は、人権を顧みることなく、袴田を犯人として厳しく追及する姿勢が顕著であるから、5点の衣類のねつ造が行われたとしても特段不自然とはいえず、公判において袴田が否認に転じたことを受けて、新たに証拠を作り上げたとしても、全く想像できないことではなく、もはや可能性としては否定できない

として、警察の証拠ねつ造の疑いを指摘したのである。

これに対して、高裁決定は、以下のように述べている。

その取調べ方法には、供述の任意性及び信用性の観点からは疑問と言わざるを得ない手法が認められるが、捜査段階における袴田の取調べ方法にこのような問題があることを踏まえても、取調べの結果、犯行のほぼ全容について袴田の供述を得て、犯行着衣についてもそれがパジャマである旨の自白を得た捜査機関が、新たにこの自白と矛盾するような5点の衣類をねつ造することは容易には考え難いというべきであり、袴田の取調べ状況から、5点の衣類のねつ造を結び付けることは、かなり論理の飛躍があるといわざるを得ない。

そして、警察の人権を顧みない取調べから、証拠のねつ造を疑うことについて

A鑑定や5点の衣類の色に関する誤った評価を前提としているとはいえ、自白追及の厳しさと証拠のねつ造の可能性を結び付けるのは、相当とはいえない。これまでしばしば刑事裁判で自白の任意性が問題となってきたように、否認している被疑者に対して厳しく自白を迫ることは往々にしてあることであって、それが、捜査手法として許される範囲を超えるようなことがあったとしても、他にねつ造をしたことをうかがわせるような具体的な根拠もないのに、そのような被疑者の取調方法を用いる捜査当局は、それ自体犯罪行為となるような証拠のねつ造をも行う傾向があるなどということはできず、そのような経験則があるとも認め難い。しかも、そのねつ造したとされる証拠が、捜査当局が押し付けたと主張されている自白のストーリーにはそぐわないものであれば、なおさらである。

冤罪事件や再審の歴史は、警察や検察による証拠の「隠ぺい」の歴史だったと言っても過言ではないほど、過去の多くの事件で、不当に証拠が隠されていたことが、真相解明を妨げてきたことは事実だ。また、検察においても、現に、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件という「改ざん」事件が発生しており、警察でも証拠の改ざんが刑事事件に発展した事例も過去に発生している。一般的に言えば、警察や検察による「証拠に関する不正」が行われる抽象的な可能性があることは、否定できるものではない。

しかし、日々発生する膨大な刑事事件の摘発・捜査・処分が、現場の警察官・検察官によって行われ、その職務執行が基本的に信頼されることで刑事司法が維持されているのであり、それら全体に対して、常に証拠に関する不正を疑うことはできない。疑うのであれば、相応の根拠がなければならないのは当然である。

ところが、「相応の根拠」と言えるものは何もない。

もし、当時の警察が、仮に、袴田氏を有罪にするためにあらゆる手段を使おうとしていたとしても、無関係の衣類を袴田氏の着衣のように偽って、味噌樽の中から発見するという行為は、高裁決定が指摘するように、「過酷な取調べの末に得られていた袴田氏の自白とは全く矛盾する証拠を、発覚のリスクを冒して敢えてねつ造する」という、全く合理的ではない行動を警察組織が行ったことになる。

このような「証拠のねつ造」を疑うことは、警察がいかに人権を無視した過酷な取調べを行っていたとしても、裁判における合理的な事実認定とは到底言えないものである。

高裁決定は、そのような地裁決定の指摘を、「論理の飛躍」と表現して否定しているのである。

 

「冤罪救済」に向けての活動は終わらない

本田鑑定は、科学的根拠を欠くものであり、「無罪を言い渡すべき新たな証拠」とは到底言えないものだ。それを根拠として再審開始を決定した静岡地裁の判断も正当とは言えないものである。高裁決定で、再審開始を取り消したのは当然だと言える。

しかし、袴田氏が、本当に犯人であるのか、50年にもわたって訴え続けてきたように冤罪であるのか、真実は神のみぞ知るところである。有罪判決が確定しているとはいえ、袴田氏の犯人性について断定的なことを言うつもりはない。

袴田氏の冤罪救済に向けての活動が長年にわたって続けられてきた。その支援者や弁護団には、本田鑑定など、これまで再審請求で証拠とされているものとは別に、「袴田氏は犯人ではない」と信じる確たる理由があるのかもしれない。本当に袴田氏は冤罪なのかもしれない。袴田氏の冤罪救済をめざす活動は、これからも続けられるであろう。

そういう袴田氏の冤罪を救済する活動にとってみても、本田鑑定や、それを根拠とする静岡地裁の再審開始決定は、本当に、評価されるべきものなのだろうか。

凡そ科学的鑑定とは言えない本田鑑定が、静岡地裁決定で過大評価され、袴田氏の冤罪救済の最大の根拠と位置付けられてきたことは、逆に、冤罪救済に向けての取組みを阻害するものだったのではなかろうか。

本田鑑定を評価し「死刑囚釈放」まで行った静岡地裁決定により、4年間、世の中に、「再審開始・冤罪確定」への「幻想」が生じてしまった。地裁の再審開始決定に対する検察の即時抗告への批判、それが早期に棄却されて再審開始が確定することへの期待が高まり、それが高裁決定で覆されたことで、貴重な時間が無駄にされてしまった。それは、かえって、袴田事件の冤罪救済に向けての活動の大きな支障になったのではなかろうか。

私は、日本の刑事司法の構造について、これまで多くの批判的意見を述べてきた。

閉鎖的かつ独善的な検察組織が「正義」を独占する日本の刑事司法、「人質司法」の悪弊、一たび、有罪判決が確定すれば、検察や警察の管理下にある証拠開示について明確なルールもなく、再審の扉は重く、地裁で再審開始決定が出ても、多くが、即時抗告で覆されてしまう。そのような、冤罪を生みかねない、冤罪の救済が困難な日本の刑事司法の現状は、改めていかねばならない。

しかし、非科学的な鑑定で犯人性を否定することや、その非学的な鑑定を過大評価して再審開始を決定することが、そのような刑事司法の構造の改善や真の冤罪救済につながるとは、私には到底思えない。

高裁決定で、DNA鑑定の非科学性と、鑑定手法の杜撰さを厳しく指摘された本田克也氏は、今後も刑事事件での鑑定を続けていくのであれば、高裁決定が指摘した疑問・批判について公式の場で何らかの説明を行うべきであろう。

 

死刑・勾留の執行停止を取消さなかったことへの疑問

今回の高裁決定を支持する立場からも、「中途半端」として批判されているのが、地裁の再審開始決定を取り消しながら、死刑執行と勾留については執行停止を取り消さかったことである。

なぜ、このような判断が行われたのか。高裁決定は、

(袴田氏の)年齢や生活状況、健康状態等に照らすと、再審開始決定を取消したことにより逃走のおそれが高まるなどして刑の執行が困難になるような現実的危険性は乏しいものと判断され

と述べているが、そのような若干中途半端に思える判断の背景として、次のようなことが考えられる。

第1に、地裁決定で死刑囚の釈放という前代未聞の措置がとられたことで生じていた袴田事件に対する社会の認識と、再審裁判での証拠関係との間に大きなギャップが生じていたことである。4年前、静岡地裁の決定で釈放された袴田氏は、自由の身となって支援者・家族の元に戻った。釈放された死刑囚が公の場に姿を現わせば、社会全体に袴田氏の「冤罪」「無実」が確定的になったと認識するのも当然だ。しかし、実際には、再審開始決定は、まだ地裁の段階であり、その根拠とされた本田鑑定には深刻な疑問があった。

再審開始決定の取消しに伴って、死刑・勾留の執行停止も取り消され、釈放されていた袴田氏がただちに収監されることになれば、その映像的な効果によって、「無実の人間を強引に収監して死刑を執行しようとする無慈悲な刑事司法」と受け止められ、強烈な反発が生じることは必至だ。逆に、そのような事態が想定されることから、いかに地裁決定が不合理でも、取消すのは現実的には困難ではないか、との見方もあったほどだった。

即時抗告審で地裁の再審開始決定を取消されるのは「当然の判断」であったが、それに伴って、釈放されている死刑囚を再収監することで生じる社会的混乱を避けるということも考慮されたのではなかろうか。

もう一つ考えられるのは、この事件で袴田氏が受けてきた処遇と、現在の状況である。

袴田氏は、一家4人殺しの強盗殺人容疑で逮捕されて以降、48年間にわたって身柄を拘束され、そのうち34年間は死刑の執行の恐怖に晒された状態での拘禁が続いてきた。その拘禁反応もあるのか、現在では、事件自体の認識・記憶もなくなっているようだ。

袴田氏の取調べは、高裁決定でも指摘しているように、「深夜まで連続して長時間取調べを続け」「心理的に追い込んで疲弊させていく手法が用いられ」「取調室に便器を持ち込ませて排尿をさせたり」など、著しく人権を無視したものであり、いくら残虐な殺人事件の捜査であっても、そのような拷問的な取調べで自白を獲得しようとすることは、近代国家として許されるものではない。そういう意味で、袴田氏は、拷問に近い違法・不当な取調べと、その後の長い年月の死刑囚としての拘禁という峻厳な刑罰にも匹敵する著しい苦痛を受けてきたことは間違いない。

これらのことへの思慮が、極めて明快な理由で再審開始決定を取消す一方で、死刑・勾留の執行停止は取り消さないという若干中途半端な措置をとったことの背景にあるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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財務省決裁文書改ざんが起訴できない“本当の理由” ~問題の根本は、陸山会事件での虚偽捜査報告書作成事件にある

森友学園への国有地売却をめぐる背任事件と決裁文書改ざん事件で、検察が、佐川宣寿前国税庁長官ら財務省関係者全員を不起訴にしたことに対して、野党やマスコミから、厳しい批判が行われている。国有地売却という国民の重大な利害に関わる行政行為についての決裁文書が300か所以上にもわたって改ざんされていたにもかかわらず、刑事責任が問えないという結論に国民の多くが納得できないのは当然であろう。

私は、決裁文書改ざん問題が明らかになって以降、国会での審議あるいは国政調査権の行使等に関して重要な事実を隠蔽したということであり、行政権の行使について内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制・議会制民主主義の根幹を揺るがしかねない許すべからざる行為であるものの、今回の「書き換え」は基本的に「一部記述の削除」に過ぎず、一部の文言や交渉経緯等が削除されたことによって、国有地売却に関する決裁文書が、事実に反する内容の文書になったと認められなければ「虚偽公文書の作成」とは言えないとの理由で、虚偽公文書作成罪で起訴される可能性は高くないと言ってきた。

検察も、最初から、国の関係者を起訴しない方針だったはずだ。それでも告発を受理し、任意聴取を続けてきたのは、一方の当事者の籠池泰典被告ら森友学園側だけを対象にすると「国策捜査」との批判が巻き起こると予想したからだろう。

今回、検察が不起訴理由としているのは、背任罪については、幹部や職員に自らの利益を図ったり国に損害を与えたりする意図は認められないこと、虚偽公文書作成罪については、「虚偽の文書を作成したとまでは言えない」と判断したというものだ。そのような理由で不起訴にするのであれば、背任については1年以上、決裁文書改ざんについても3ヶ月もかけて捜査を続ける必要があったとは思えない。

いずれにせよ、検察がこれまでかけてきた捜査期間の大半は、国民向けの「ポーズ」だったと言わざるを得ない。

 

虚偽公文書作成罪での起訴は「検察の判断」の問題

私が、「虚偽公文書作成罪での起訴の可能性が低い」としてきたのは、同罪に関する法解釈の問題というより、同罪に関する従来の刑事実務の観点からだ。「虚偽の文書」という文言を、「少しでも事実と異なる記載がある文書はすべて虚偽の文書に当たる」とすると、公務員が作成した文書の多くについて虚偽公文書作成罪が成立することになりかねない。そこで、「虚偽の文書」については、「その文書作成の目的に照らして、本質的な部分、重要な部分について虚偽が記載された場合に限られる」という限定を加えるべきという考え方になる。

しかし、そのような消極論は、「虚偽の文書」という文言解釈から当然出てくるものではなく、理論上の根拠や判例上の根拠があるわけではない。一方で、今回のような決裁文書のような、官公庁の内部文書に関する虚偽公文書作成罪の成否に関する基準を示す判例もない。(昭和33年9月5日最高裁判所判決を根拠に、虚偽公文書作成が成立すると主張する人もいるが(【従たる内容の変更でも犯罪ですよ、菅官房長官】など)、同判例は、「村農地委員会議事録」について、「本件の工場跡の買収につきこれを宅地とするか耕地とするかを定める重要点であり、その除去により恰も現実にされた決議と異(な)る事項が決議されたかのように記載することは公文書の無形偽造であるといわなければならない。」として、「未だ所定の署名者の署名押印を終つていない場合においても、既に会長の押印を終つて一般の閲覧に供せられるようになつた」場合に、その一部の除去について虚偽公文書作成罪が成立するとしたもので、一般の閲覧に供される農地委員会議事録において実際の内容とは異なる議決がされたように記載された事案であって、決裁文書の改ざんについて虚偽公文書作成が成立することの根拠となるものではない。)

そういう意味では、今回の事件についての虚偽公文書作成罪の成否は、検察の判断如何にかかっていると言ってよい。決裁文書を改ざんする重大な行為が虚偽公文書作成罪で処罰されないのはおかしい、納得できない、という世の中の常識や圧倒的な世論を受けて、もし、検察が、虚偽公文書作成で起訴した場合、検察の判断を否定する理由はなく、裁判所はほぼ間違いなく有罪判決を出すであろう。

しかし、私は、検察が今回の事件を「起訴しない」と確信していた。それは、検察が、自らの「虚偽公文書作成罪」の問題に関して過去に行ってきたことと比較して、「組織的な虚偽公文書作成」が疑われる事件を起訴することは凡そあり得ないと考えられたからだ。

 

陸山会事件の虚偽捜査報告書作成での「虚偽公文書作成罪」の不起訴

東京地検特捜部の小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部所属の検事が作成し、検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事(当時)、佐久間達哉特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

その事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙してまで「起訴すべき」との議決に誘導した「前代未聞の事件」であった。検察審査会に「強制起訴」された小沢氏に対して東京地裁が2012年4月26日に言い渡したのは無罪判決であったが、その中でも、「検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである」「本件の審理経過等に照らせば、本件においては事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で対応がなされることが相当であるというべきである」と、検察を厳しく批判し、調査の必要性に言及した。

この東京地裁判決の批判を受けて、最高検による調査が行われ、その調査結果と田代検事などの不起訴の理由についての最高検報告書が取りまとめられた。

この虚偽捜査報告書の事件との比較からも、今回の決裁文書改ざん事件での虚偽公文書作成罪による起訴はあり得なかったと言える。

 

捜査報告書が実際の供述と「実質的に相反しない」という論理の破綻

最高検の報告書で、田代検事を虚偽公文書作成罪の「不起訴」の理由とされたのは、

①田代検事が作成した捜査報告書は、取調べにおける石川氏の供述と実質的に相反しない内容となっている

②実際にはなかったやり取りが捜査報告書に記載されている点については、その記載内容と同様のやり取りがあったものと思い違いをしていた可能性を否定することができない

という点だった。

しかし、田代検事が作成した捜査報告書に書かれている取調べの状況は、石川氏が密かに録音した実際の取調べでのやり取りとは、全く異なったものだった。

捜査報告書に記載された状況は、

石川氏は、従前の供述調書の内容について一貫して全面的に認める一方で、小沢氏の供述を否定することを気にして供述調書への署名を渋っていた。そこで、田代検事が、石川氏に供述調書作成に至る経緯を思い出させたところ、田代検事に言われたことを自ら思いだし、納得して小沢氏への報告・了承を認める供述調書に署名した

というもので、田代検事は小沢氏の供述との関係ばかりを気にする石川氏に、従前と同様の供述調書に署名するよう淡々と説得しているだけで、全く問題のない「理想的な取調べ状況」が描かれていた。

もし、取調べの経過が、この通りだったとすれば、誰しも、それ以前に作成されていた、石川氏が小沢氏との共謀を認めた供述調書は信用できると判断するであろう。                                      実際にそのような捜査報告書の提出を受けた検察審査会は、「小沢氏との共謀に関する石川氏の供述が信用できる」として小沢氏の「起訴相当」を議決した。

ところが、実際の取調べ状況は、それとは全く異なる。

録音記録によると、田代検事は、石川氏に、「従前の供述を覆すと、検察審査員も石川氏が小沢氏から指示されて供述を覆したものと考え、起訴議決に至る可能性がある。」なとど言って、従前の供述を維持するように繰り返し推奨し、「検察が石川氏を再逮捕しようと組織として本気になったときは全くできない話ではない。」などと恫喝まがいのことを言っていた。石川氏が、取調べの中で、「捜査段階で作成された『小沢氏への報告・了承に関する供述調書』の記載は事実と異なる」として、それを訂正するよう求めているのに、そのような石川氏の要求を諦めさせ、従前の供述を維持させようとしていた。最高検の報告書でも、そのような田代検事の発言は「不適正な取調べ」として指摘している。

田代検事は、検察も「不適正」と認めざるを得ないあらゆる手段を弄して、何とか、石川氏に従前の供述を維持させようとし、そのような「不適正な取調べ」によって、ようやく供述調書に署名させたというのが実際の「取調べ状況」だった。

田代報告書と取調べの録音記録とを読み比べてみれば、誰がどう考えても、捜査報告書に記載されている取調べ状況が、実際の取調べ状況と「実質的に相反し」、捜査報告書が「虚偽公文書」であることは明らかだ。

ところが、最高検は、田代報告書の中から、録音記録中の同趣旨の発言と無理やりこじつけられなくもないような箇所だけを抽出し、「記憶の混同」で説明できない箇所は見事に除外して、両者が「実質的に相反しない」と強弁した。

それを正当化する理屈として、供述内容を報告することを目的とする報告書の記載に関する一般論として、「表情や身振り、手振り等のしぐさ、それ以前の取調べにおけるやり取りを含めたコミュニケーションの結果得られた供述の趣旨を取りまとめて記載する」ことが「一般的には許容され得る」という理屈までを持ち出していた。しかし、「捜査報告書」というのは、供述調書とは異なり、供述者に供述内容の確認を求めることもなく、検察官が一方的に作成して上司に報告するものだ。その報告内容について、表情や身振り、手振りなどを勝手に「供述」に置き換えて具体的な言葉で表現したり、過去の取調べで述べたことを、再度供述したように勝手に記載したりすることが許されるということになれば、検察官は、取調べ状況の捜査報告書に何を書いてもかまわないことになり、それについて「虚偽公文書作成」などあり得ないことになる。

このような全く事実に反する捜査報告書を作成して、検察審査会に提出し、その判断を誤らせる行為が「犯罪」であることは、否定する余地はないところであろう。ところが、検察は、この、誰がどう考えても「虚偽公文書作成」としか考えられない行為を、東京地検特捜部が組織的に行ったのに、告発されていた特捜部長以下を全員「不起訴」にし、その理由として、捜査報告書の内容が、実際の供述と「実質的に相反しない内容」だと言ってのけたのである。

虚偽公文書作成罪を不起訴とした検察の判断が不当極まりないものであり、「検察の正義」が大きく揺らいだことは、当時のブログ【「社会的孤立」を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している~】に記載している。

 

陸山会事件での虚偽捜査報告書作成事件不起訴の「その後」

捜査報告書作成者で直接の行為者であるT検事は懲戒処分を受けて辞職したものの、佐久間特捜部長は、その後も検察の要職を務め、現在も、法務省法務総合研究所長の職にある。また、虚偽公文書作成事件を、凡そあり得ない理由で、なりふり構わず不起訴処分にした最高検察庁の主任検事であった長谷川充弘氏は、認証官の広島高検検事長を務めた後、現在は証券取引等監視委員会の委員長のポストに就いている。

陸山会事件での虚偽捜査報告書作成事件は、「検察の歴史上最悪の組織犯罪」と言うべき事件である。しかし、検察は、その後、関係者らを相応に人事上処遇するなどして、組織的に許容したのであり、今さら、「虚偽捜査報告書の作成が、実は虚偽公文書作成罪に当たる犯罪であった、その不起訴処分が不当であった。」などと言えるわけがないのである。

陸山会事件での捜査報告書が、実際の供述と「実質的に相反しない」と強弁した検察の論理を当てはめれば、今回の森友学園への国有地売却の決裁文書での改ざんについても、改ざん前の文書と改ざん後の文書とが「実質的に異ならない」ということにならざるを得ない。

虚偽公文書作成罪における「虚偽の文書」の範囲は曖昧であり、結局のところ、検察の判断によるところが大きい。検察が、自らの組織的犯行が疑われた虚偽捜査報告書作成事件と財務省の決裁文書改ざん事件とで、虚偽公文書作成罪の成立範囲について、明らかに異なった判断を行った場合、そのような検察の判断の是非が公判で厳しく争われることは必至だ。

陸山会事件での虚偽捜査報告書の作成が、「東京地検特捜部が組織的に、虚偽の捜査報告書を作成して検察審査会を騙したことが疑われた事件」であったのに対して、森友学園に関する決裁文書の問題は、「財務省が、組織的に決裁文書を改ざんして、国会を騙そうとしていたことが疑われる事件」であり、両者は、「組織の内部文書によって外部の組織を騙そうとしたことが疑われる事件」である点で共通する。

今回の決裁文書改ざん事件についての不起訴が、一般人の常識に反する不起訴であるとしても、そのレベルは、陸山会事件の虚偽公文書作成事件と比較すれば、低い。陸山会事件での「虚偽公文書作成罪」についての判断を前提にすれば、決裁文書改ざん問題を、検察が起訴することはあり得ないのである。

 

真相解明に向け今後行うべきこと

今回の財務省の決裁文書改ざん問題は、行政行為の意思決定に関わる文書を財務省が組織的に改ざんして国会に対して虚偽の説明をしたという問題なのであるから、「書き換えられた決裁文書」の提出を受けた「被害者」とも言える「国会」が主導的な立場で調査を行うべきであり、犯罪捜査や刑事処罰は中心とされるべきではないことを、これまでも指摘してきた。実際に、今回、すべての関係者が「不起訴」に終わったことで、今後の焦点は、国会での真相解明に移る。

本日(6月4日)、財務省による内部調査の結果が公表される予定だが、今回の問題で著しく信頼を失墜した財務省自身の調査結果をそのまま「鵜呑み」にすることができないのは当然だ。公表される財務省の内部調査については、調査結果だけではなく、調査の内容、経過についても問い質し、調査が不十分な点や疑問点を徹底して追及することが必要だ。

特に、昨年、理財局長として国会で事実と異なる答弁を行い、決裁文書改ざんにおいても中心人物だったとされている佐川氏が、国会での証人喚問では、「刑事訴追を受けるおそれ」を理由に証言を拒絶する一方で、財務省の内部調査に対して、どのように対応し、どのように供述をしているかが注目される。

内部調査への供述内容如何では、佐川氏の再度証人喚問が必要になることも十分に考えられる。検察で不起訴処分になったことで、前回の証人喚問の時とは「刑事訴追を受けるおそれ」に関して状況が大きく異なる。

ただ、検察の不起訴処分に対しては告発人側が検察審査会への審査申立てを行う方針を明らかにしており、その審査結果如何では、検審議決による起訴の可能性もないわけではない。とりわけ、本件では、既に述べたように、佐川氏らの行為が虚偽公文書作成罪に当たらないとの検察の判断は、一般人の常識では理解できない面があり、一般市民の検察審査会では、起訴すべきとする意見が多数を占める可能性も否定できない。

そうなると、国会での再度の証人喚問を行った場合に、ここでも、佐川氏が「刑事訴追を受けるおそれ」があるとの理由で証言を拒絶する可能性も全くないではない。しかし、検察審査会で「強制起訴」され、最終的に有罪となったケースは、これまでに殆どない。検察が起訴すれば、裁判所は有罪とする可能性が高いことは既に述べたが、検察が「不起訴」にした場合には、「公務員の世界における文書作成に関する問題」だということで、検察の判断が重視される可能性が強く、裁判所が有罪の判断をくだす可能性は決して高くはない。

佐川氏が、財務省の内部調査に対しては供述し、検察の不起訴処分を受けたのに、検審議決に基づく起訴の可能性を理由に国会での証言を拒絶することは、国税庁長官まで務めた官僚にあるまじき態度と厳しく批判されることは必至であり、再喚問が行われれば証言をせざるを得ないであろう。

 

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加計学園「自治体騙し」自認文書で、「安倍政権側ストーリー」崩壊の危険

5月21日に愛媛県が公開した、2015年2月から4月にかけての加計学園獣医学部設置をめぐる動きに関する文書(以下「愛媛県文書」という)の中に、加計学園側の話として、「2/25に理事長と首相との面談(15分程度)」の記載があったことから、その日に、安倍首相と加計孝太郎理事長とが面談し、獣医学部新設に関する話をした疑いが生じた。安倍首相は、その日に加計理事長と会った事実を否定し、政府与党側からは、その記載について、「伝聞の伝聞」だとして、証拠価値を疑問視する声が上がっていた。

そうした中、5月26日、「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えた」と記載した加計学園名義の文書が、「報道機関」宛にファックス送付されたのである。

このファックス文書に書かれているとおりだとすると、加計理事長と会ったことを否定する安倍首相の主張には沿うものとなる。しかし、その一方でこれまで安倍政権側が、加計学園問題について組み立ててきた「ストーリー」が次々と崩壊していくことになりかねない。

 

愛媛県文書の信ぴょう性の高さ

愛媛県職員が作成した2015年4月2日の首相官邸での柳瀬唯夫首相秘書官(当時)との面談記録について、文書の信ぴょう性が極めて高いことは、【柳瀬氏、「参考人招致」ではなく「証人喚問」が不可欠な理由】で述べたとおりだ。その後に公開された愛媛県側の文書についても、県職員が加計学園関係者や今治市職員から実際に聞いた話をそのまま書いていると考えられ、基本的に、信ぴょう性は高い。

ただ、「2/25の理事長と首相との面談」の事実は、愛媛県担当者が加計学園関係者から聞いた「伝聞」に過ぎず、加計学園関係者の発言した内容が真実である確証はないので、愛媛県の文書の記載だけで、面談があったと決めつけるわけにはいかない。私も、この点について、マスコミの取材を受けた際、「加計理事長⇒加計学園担当者⇒愛媛県担当者」の伝聞なので、そのまま鵜呑みにはできない旨コメントしていた。

しかし、愛媛県が公開した文書全体の内容を見ると、加計学園関係者が虚偽の事実を述べたとは思えないものであり、「伝聞」ではあっても、面談があった可能性は相応に高いように思えた。

奇しくも、加計学園側は、このファックス文書で、愛媛県文書に記載された加計学園関係者の発言自体は認め、その他の内容についても、愛媛県文書の内容について発言内容と異なるとは一切言っていない。このことからも、加計学園関係者の発言内容について愛媛県文書の信ぴょう性は一層高まったといえる。

 

愛媛県文書の中での「2/25理事長と首相との面談」の記述

愛媛県が公開した獣医学部新設に関する面談記録等の中には、多数の箇所に、「2/25理事長と首相との面談」の記載がある。

まず、「(平成)27.2」の「加計学園と加藤内閣官房副長官との面会の状況」を加計学園関係者が愛媛県に報告した際の面談記録の中に、「獣医学会や既存大学の反発のため今治市への設置は厳しい状況にある」との報告の後に、

国では、国家戦略特区申請の積み残し分について、地方創生特区の名のもとに追加承認を行う模様であり、加計学園では、新潟市の国家戦略特区の中で提案されている獣医学部の設置が政治主導により決まるかもしれないとの危機感を抱いており、同学園理事長が安倍総理と面談する動きもある。

という記述がある。

加計学園側は、愛媛県に対して、獣医学部の新設に関して獣医学会等の反発があって厳しい状況の下、新潟市での獣医学部設置だけが「政治主導」で決まること(そうなると、今治市での設置はさらに絶望的となる)への危機感から、「加計理事長が安倍総理と面談する動き」があると説明しているのである。

つまり、加計理事長と安倍総理との面談というのは、突然出てきた話ではなく、上記のような背景の下に、今治市での加計学園の獣医学部設置を「政治的に」進めるために、加計理事長⇒安倍首相という働きかけをしようとしていることが報告されているのである。

そして、次の「27.3」の加計学園側と愛媛県との面談記録で、冒頭に、

2/25に理事長が首相と面談(15分程度)

という記載があり、その面談の模様について

 理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね。」とのコメントあり

と書かれている。

注目すべきは、その後の、

検討中の大学附置施設(高度総合検査センター等)の設置には多額の費用が必要であるが、施設設置に伴う国からの補助がない中、一私学では困難であるので、国の支援が可能となる方策の検討を含め、県・市の財政支援をお願いしたい。

との記述だ。

加計学園側は、今治市での獣医学部設置について、加計理事長と安倍首相が面談し、安倍首相が前向きの反応を示したと述べた後に、国からは補助がないので、「県・市の財政支援」を求めているのである。

そして、次の3/15の今治市役所での今治市と加計学園との協議結果についての報告文書では、

柳瀬首相秘書官と加計学園の協議日程について、2/25の学園理事長と総理との面会を受け、同秘書官から資料提出の指示あり

と書かれており、「柳瀬秘書官からの資料提出の指示」は、学園理事長と総理との面会を受けてのものだとされている。

秘書官から求められている「資料」の具体的内容が記載されているが、注目されるのは、

学園作成の概要版資料の表紙(別紙p.4)は、写真及び県と市のマークやキャッチフレーズは削除し、学園名を明記

との記載だ。

本来、国家戦略特区の申請者は「地方自治体」であり、自治体が主体となって特区申請を行い、それが認められた場合に、事業者を選定するということになっているのに、加計学園作成の資料について、なぜ県と市のマークやキャッチフレーズを削除する必要があるのか。「加計学園の申請」であることが一見してわかるようにしておくためだと思える。

そして、「文部科学省の動向」の項目では、

 2/25に学園理事長と総理との面会時の学園提供資料のうち、「新しい教育戦略」(別紙p.5-6)に記載の目指すべき大学の姿に関する部分を抜粋したアンケート形式の資料を示して、短期間での回答を求めている。

と書かれており、「2/25の学園理事長と総理との面会の際に加計学園が提供した資料」についての言及がある。ページ数が記載されていることからも、この「提出資料」は愛媛県にも渡っていると考えられる。

文書の末尾には、「(参考)加計学園の直近の動向・今後の予定」が付記されており、その最初に「2/25 理事長と安倍総理が面談」と書かれている。

そして、「獣医師養成系大学の設置に係る内閣府及び首相秘書官訪問について」と題する書面では、

安倍総理と加計学園理事長が先日会食した際に、獣医師養成系大学の設置について地元の動きが鈍いとの話が出たとのことであり、同学園としては柳瀬首相秘書官に4月2日午後3時から説明したいので、県と今治市にも同行願いたいとの要請があったと今治市から連絡があった。

と書かれている。

「2/25の学園理事長と総理との面会」以外に、「安倍総理と加計学園理事長との会食」の機会にも、獣医学部新設の話が出て、その際に、「地元の動きが鈍い」との話が出たことを理由に、加計学園が、首相官邸での柳瀬秘書官との面談に赴くにあたって、愛媛県と今治市にも同行するよう求めたことがわかるのである。

 

「2/25理事長と首相との面談」は特区申請・補助金交付の大前提

愛媛県の文書によると、加計学園は、理事長と首相の面談が行われる前に、「面談の動き」があることの説明をし、実際に面談があったとされた後には、面談の際に理事長から首相に渡った資料も示し、それを前提に、愛媛県・今治市に対して補助金を要請している。

これらの記載からすれば、愛媛県にとって、「2/25理事長と首相との面談」の事実が、加計学園の獣医学部新設に向けて、国家戦略特区の申請を行うこと、加計学園に補助金を交付することの大前提だったことは明らかだ。

しかも、「2/25理事長と首相との面談」は、柳瀬秘書官からの資料提出の指示に関連づけられ、面談時に理事長から首相に提供した資料にも言及するなど、この時期の加計学園と愛媛県との交渉全般にわたって、頻繁に持ち出されている事柄であり、もし、その面談の事実がなかったとすると、獣医学部新設に向けての話が根底から覆されかねない。

伝聞部分についても、加計学園関係者が意図的に事実と異なる発言をすることなど通常はあり得ないことなので、愛媛県は、獣医学部の新設について極めて重要な事実を含むこの書面を公開したと考えられる。

ところが、その「2/25理事長と首相との面談」ついて、加計学園側は、担当者がその発言をしたことを認めた上で、「実際にはなかったのに虚偽の事実を伝えた」として、愛媛県側に何の断りもなく、一方的に「報道機関」宛にファックス送付した。

もし、本当に、加計学園側が、「2/25理事長と首相との面談」が実際にはなかったのに、虚偽の事実を伝えたということであれば、獣医学部の立地自治体として国家戦略特区の申請を行い、多額の補助金を交付している愛媛県・今治市に対する重大な背信行為だ。そのような事実を把握したのであれば、まず、当事者の愛媛県・今治市に対して、十分な説明と謝罪をするのが当然だ。

ところが、5月28日に国会で集中審議が行われる2日前の26日に、いきなり、マスコミ宛のファックス文書で、そのような事実を公表したのである。

このような対応の方法からしても、安倍首相が追及されることが予想される5月28日の国会の集中審議に向けて、安倍首相の答弁に合わせるために、ファックスで文書を送付したことが強く疑われる(安倍政権側の指示であった可能性も否定できない)。

しかし、加計学園側も、「報道機関」宛にファックス送付した以上、今後、その内容を自ら否定することはできないだろう。

そうなると、少なくとも、加計学園としては、このファックス文書に書かれていることが真実であることを前提に今後の対応を行わざる得ない。それは、安倍政権側にとって、かえって不利な展開となる可能性が高い。

 

「加戸前知事ストーリー」の崩壊

加計学園のファックス文書では、

 当時は、獣医学部設置の動きが一時停滞していた時期であり、何らかの打開策を探しておりました。そのような状況の中で、構造改革特区から国家戦略特区を用いた申請にきりかえれば、活路が見いだせるのではないかとの考えから、当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思うとの事でした。

とされている。

もし、その通りであったとすると、これまで、加計学園の獣医学部新設と安倍首相との関係をめぐる疑惑を否定するために、自民党側が再三にわたって国会に参考人招致してきた加戸前愛媛県知事の供述に重大な疑問が生じることになる。

昨年7月の衆議院予算委員会での閉会中審査で、加戸氏は、今治市に加計学園の獣医学部を誘致しようと考えた理由について

私、鳥インフルエンザにめぐり会いまして、その後、狂牛病の問題、口蹄疫の問題が続きますが、いずれにいたしましても、四国への上陸は許さないという前提での取り組みをしながら、県庁の獣医師、大動物獣医師の不足に悲鳴を上げながら、みんなに頑張ってもらい、あるいは学者のお話も聞きながら、国際的にこの問題は大きくなるという中で、愛媛に獣医学部が欲しいと思いました。

それは、研究機関としてと同時に、今治の学園都市、それと、愛媛県の公務員獣医師の不足も補うし、しかも、国際的に胸を張れる、アメリカに伍して先端的に勉強ができるような場を持って、今治を国際的な拠点都市にする、そんな夢でおりまして、ちょうど、県会議員と加計学園の事務局長がたまたまお友達という関係でつながった話ででき上がりましたから、飛びつきました。

と述べた上、愛媛県、今治市と加計学園の関係について以下のように述べている。

平成十七年の一月から話がスタートして、二年後に獣医学部をやってみましょうという話になってまいりましたので、それ以来は正直申し上げて加計一筋でありますけれども、その間、ほかのところにも当たりましたが、(中略)その後、獣医学部ということでいろいろなところへ当たってみましたけれども、反応はありません

(中略)好き嫌いは別として、話に乗っていただいたのが加計学園でありますから、私どもにとって、今、正直な言葉を申し上げたら、言葉がいいかどうかわかりませんけれども、愛媛県にとって、今治市にとって、黒い猫でも白い猫でも、獣医学部をつくっていただく猫が一番いい猫でありまして、

要するに、加戸氏によれば、獣医学部の新設は、愛媛県の公務員獣医師不足の解消や今治を国際的な拠点都市にする構想などから、愛媛県・今治市側が主導して、獣医学部誘致に積極的に取り組んできたもので、それに応じてくれた大学が加計学園しかなかったから「加計一筋」だったということである。

今回、加計学園がファックス文書で認めているように、当時「獣医学部設置の動きが一時停滞していた時期であり、何らかの打開策を探していた」という事情から、加計学園側が、国家戦略特区に切り替えて活路を見出そうとして、加計理事長と安倍首相との面談の事実をでっち上げて、愛媛県・今治市側を騙していたのだとすると、加計学園は、そのような背信的なやり方まで用いて、なりふり構わず獣医学部新設を実現しようとしていたということになり、「加戸ストーリー」は根底から崩れることになる。

 

「安倍ストーリー」「加計ストーリー」の崩壊

崩壊するのは「加戸ストーリー」だけではない。

加計学園がファックス文書で公表したことが事実だとすると、今後、愛媛県や今治市が、加計学園獣医学部に交付する予定の補助金に影響を生じることは必至だ。補助金は、住民の血税によって賄われているのであり、国家戦略特区申請・補助金交付に関して、加計学園が説明してきた重要な前提事実が嘘だったとすれば、そのような嘘をつくような学校法人に対して補助金を出し続けてよいのかどうかが問題になる。

いずれにせよ、そのような重大な背信行為を、加計学園側の誰がどのような理由で行ったのか、加計学園側が納得できる説明を行わなければ、住民の理解が得られるはずがない。

また、愛媛県文書によれば、加計学園側で中心となって動いていたのは、「渡邊事務局長」であり、学園事務局のトップであり、法人のトップである加計理事長から直接指示を受けて動く立場だ。そのような人物が、加計理事長と安倍首相との面談の事実をでっち上げて、愛媛県・今治市側を騙していたのだとすれば、それを加計理事長が知らないことはあり得ない。

安倍首相は、国会で、加計孝太郎氏について「彼が私に対して私の地位や立場を利用して何かを成し遂げようとしたことはただの一度もない。獣医学部新設について働きかけや依頼は全くなかった。」と繰り返し答弁してきた。今回、安倍首相との面談をネタにして愛媛県・今治市を騙すという工作に加計孝太郎氏が関わっていたとすると、そのような「安倍首相のストーリー」も根底から崩れることになる。

しかも、自治体に対する重大な背信行為を行ったのが、私学助成という公費を支給されている学校法人だというのも、極めて深刻である。そのような学校法人に多額の学費を支払っている学生もその親も、学園が健全な教育活動を行っていると信頼して良いのかどうか疑問を感じるだろう。ところが、加計学園は、国家戦略特区によって、一校だけ獣医学部の新設が認められ、様々な問題を指摘されながらも文科省の認可を取得し、今年の春に開学した。それが、加計学園に「既に開学し学生を受け入れている以上、今更潰せない。」という「加計ストーリー」の主張を行うことを可能にした。

しかし、県・市に対する今回のような重大な背信行為を自ら明らかにし、しかも、補助金を交付している愛媛県・今治市に対しても非礼極まりない対応を行っている加計学園は、今後、県・市の住民からも強い不信感をもたれることになりかねない。それは、「開学したもの勝ち」という「加計ストーリー」すら危うくしかねない。

5月28日の国会での集中審議の中で、安倍首相は、福山哲郎参議院議員の質問に対して、「委員が作ったストーリー」と答弁して、審議が紛糾した。

しかし、今回の、加計学園の愛媛県・今治市を騙していたことを認めるファックス文書と「ストーリー」の関係について言えば、むしろ、「加戸ストーリー」「安倍ストーリー」「加計ストーリー」という、安倍政権側のストーリーが崩壊する危険を考えるべきであろう。

 

 

 

 

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首相が秘書官に「口裏合せ」を懸念されることの“異常”

自らの「『口裏合わせ』のおそれ」に言及した安倍首相

加計学園の獣医学部新設をめぐる問題について、5月10日の衆参両院予算委員会で柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑が行われ、5月14日の衆参両院の予算委員会の集中審議では、柳瀬氏の参考人質疑の結果に関連して、安倍首相に対する質疑も行われた。

それらの質疑で、柳瀬氏と安倍首相の答弁が一致しているのが、「柳瀬氏は、加計学園関係者と3回も首相官邸で面談したのに、首相に報告しなかった」という点だが、それは、首相と首相秘書官との一般的な関係からは「あり得ないこと」だというのが常識的な見方であり、最新のNHK世論調査で、柳瀬氏の説明に「納得できない」とする回答が、全体で8割近くに上り、与党支持者でも7割を超えている。

柳瀬氏は、参考人質疑で、「2015年4月に官邸で加計学園関係者と面会していた記憶はあったが、愛媛県、今治市側とは会った記憶はなかった、そのことを、昨年7月の衆参両院での閉会中審査の前に今井尚哉首相秘書官にも伝えていた」と答弁し、一方、安倍首相は、「柳瀬氏と加計学園関係者とが首相官邸で面談していたことは、柳瀬氏から聞いた今井秘書官から、ゴールデンウイーク中に『柳瀬元秘書官が国会に呼ばれれば学園関係者と面会したことを認める』との報道が流れた際に、報告を受けて知った」とした。

そして、今井氏が、昨年7月に柳瀬氏と加計学園関係者との面談の事実を知りながら、それを安倍首相に知らせなかった理由について質問され、

柳瀬元秘書官から、「加計学園関係の獣医学の専門家から話を聞いた記憶はあるが今治市の方と会った記憶はない」との話を聞いたとのことでした。ただ当時は今治市との面会の有無が争点となるなかで、このやり取りを含め私に報告がこなかったということですが、と同時に、いわば私が柳瀬元秘書官と、こういうことについて口裏を合わせているということはあってはならないことでございますので、その際柳瀬元秘書官は参考人として呼ばれていましたので、このやり取りについては、私に伝えない方がいいだろうということであった、とのことでございます。その後、今井秘書官も柳瀬秘書官とは、こうしたことについては連絡を取っていないということでございます。

などと述べた。

「加計学園問題の真相」に関わる重要事実の隠蔽

この安倍首相の答弁は、加計学園問題の真相解明に関して、極めて重要な内容を含んでいる。

安倍首相の答弁のとおりだとすると、今井氏は、安倍首相と柳瀬元秘書官とが「加計学園関係者と官邸で面談したこと」について口裏を合わせをしてはいけないと考え、安倍首相に伝えなかった、ということになる。今井氏は、安倍首相に知らせれば「口裏合わせ」をする恐れがある、つまり、それを伝えると、安倍首相が、参考人質疑の前に、柳瀬氏に連絡をとったりする可能性があると考えていたということになる。

この閉会中審査で、安倍首相は

友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。常に、国民目線で丁寧な上にも丁寧に説明を続けたい。

と述べていた。その閉会中審査では、和泉洋人首相補佐官、前川喜平・前文部科学事務次官に加え、藤原豊・前内閣府審議官、八田達夫国家戦略特区民間議員・ワーキンググループ座長などが参考人招致されていたのであり、そこで求められていた「丁寧な説明」というのは、当然のことながら、単に、それまでの言い方を反省し、言い方を丁寧にして、「獣医学部新設について指示したことはない」という従前どおりの内容の「説明」を繰り返すことではなかった。加計学園の獣医学部新設が認められた経緯と、そこに、首相のみならず、首相官邸や、秘書官、補佐官等の首相の側近がどのように関わったかについて真相を明らかにした上、安倍首相が、その真相を「説明」することが、閉会中審査の目的だったはずだ。

安倍首相も、招致されている参考人に事前に連絡をとったりして、自分に有利な答弁をするように求めたりしてはならないことは当然わかっていたはずであり、今井氏としても、把握している事実は、できるだけ詳しく安倍首相に報告するのが当然だ。ところが、今井氏は、安倍首相が「口裏合わせ」をすることを懸念して、柳瀬氏と加計学園関係者との官邸での面談のことを伝えなかったというのである。

それが事実だとすると、最も近い立場で首相を支えている政務秘書官の今井氏が、安倍首相が、そのような軽率な行為を行うおそれがあると思っていたということであり、それは、安倍首相に対して、あまりに「失礼な対応」だと言わざるを得ない。

柳瀬秘書官が首相官邸で加計学園関係者と面談したということであれば、それが如何なる理由によるものであれ、加計学園の獣医学部新設に至る経緯の中で極めて重要な事実だ。それを、首相に知らせていなかったとすると、安倍首相は、「森友、加計問題隠し解散」などとも言われた解散後の総選挙中での加計学園問題についての「説明」も、上記のような重要な事実の認識を欠いたまま行っていたことになる。それは、加計学園問題に対する安倍首相の国会や国民への「説明」全体に重大な疑念を生じさせる問題だ。

もっとも、昨年7月の閉会中審査の前に、柳瀬氏から、加計学園関係者との官邸での面談の事実について知らされた時点で、今井氏が、柳瀬氏に、その直後の参考人質疑で、加計学園関係者と官邸で会ったことをありのままに答弁するよう指示或いは助言し、柳瀬氏がそのような答弁が行うまでは、万が一にも、安倍首相が柳瀬氏と「口裏合わせ」をすることがないように、それを安倍首相には伝えなかったというのであれば、安倍首相に対して「失礼な話」ではあるが、それなりの合理性があるといえなくもない。

しかし、実際には、柳瀬氏は、「加計学園関係者との官邸での面談の事実」について自分から明らかにしようとせず、愛媛県文書の公開まで、「記憶している限り会った事実はない」と面談の事実自体を否定し続けた。しかも、柳瀬氏は、今年5月に再度参考人招致され、加計学園関係者との面談は認めたものの、愛媛県、今治市職員との面談については「記憶がない」としている。極めて信ぴょう性が高い愛媛県文書の記載(【柳瀬氏、「参考人招致」ではなく「証人喚問」が不可欠な理由】)によれば、柳瀬氏が、愛媛県職員らに「自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」などと、国家戦略特区による獣医学部新設に向けて懇切丁寧に指導をしていることは明らかで、柳瀬氏の答弁が真実を語っているとは到底考えられない。

これらの対応が、加計学園問題の真相解明を著しく妨げていることは明らかだ。昨年7月の時点での柳瀬氏の対応は、今井氏の指示か、少なくとも了承を受けて行っているものと考えられる。

文芸春秋6月号の今井氏に関する記事とインタビュー

文芸春秋6月号の、森功氏の【「総理の分身」豪腕秘書官の疑惑】という記事では、今井氏が森友・加計学園問題の「すべての黒幕」であった疑いが指摘されている。この記事に関連して、同誌から今井氏宛てに、4月下旬に質問状をファックス送付したところ、その日の夕刻に、今井氏から担当編集者に「これはしっかり説明にうかがいたい」と電話があり、急遽、インタビューする運びとなったとのことだ。

4月10日に、愛媛県が首相官邸での面談記録を公開したことで、柳瀬氏の参考人招致が不可避となり、柳瀬氏が官邸で愛媛県職員らとともに加計学園関係者と会っていた事実を否定することが困難になった。そうなると、昨年7月の閉会中審査で、2015年4月2日での官邸での面談について質問されたのに、加計学園関係者との面談の事実を秘匿していたことが明らかになる。

文芸春秋のインタビュー記事にも書かれているように、それまで5年4か月、メディアのインタビューには一切応じていなかった今井氏が、今回、自発的に、しかも急遽、インタビューに応じたのは、柳瀬氏の再度の参考人招致が行われ、そこで加計学園関係者との官邸での面談の事実を明らかにせざるを得ないとことを受けての対応だった可能性が高い。

「柳瀬氏は愛媛県などの職員との面会を否定しているが加計学園関係者との官邸での面会は国会で認める方向で調整に入った。」と一斉に報じられたのが5月2日、今井氏のインタビューは4月下旬であり、その直前である。

そのインタビュー記事では、愛媛県が公開した文書で、官邸での柳瀬氏との面談の事実と発言内容が記載されていることについての質問に対して、今井氏は次のように答えている。

今井)僕は柳瀬が嘘をついているとは思いません。実際には会っていたとしても、本当に覚えていない可能性はあると思います。例えば、面会の場に大勢の人がいたら、忘れることだってあります。面会記録も、一年経てば捨ててしまうものです。

-首相秘書官が面会した内容を総理に報告しないのですか。

今井)秘書官は自分の業務としてやっているだけですから、いちいち報告しません。総理に直接関係する案件だけは必要に応じて上げる、そういうものです。

この文芸春秋の発売日が5月10日、まさに柳瀬氏の参考人質疑が行われた日だった。そこで柳瀬氏は、2015年4月2日に首相官邸で加計学園関係者と面談したことを認めたが、面会者が「10人近くの大勢だったため、愛媛県や今治市の方が同席していたか分からない」と述べた。今井氏が「例えば、面会の場に大勢の人がいたら、忘れることだってあります。」と述べているのは、柳瀬氏の再度の参考人質疑が行われること及びそこでどのような答弁をするかを想定した上での発言だと思われる。

再度の参考人質疑で、柳瀬氏が今井秘書官の関与に言及

5月10日行われた参考人質疑で、柳瀬氏は、国民民主党の川合孝典参議院議員の質問に対して、

去年の集中審議の前に今井秘書官から一度事実を訊かれまして、私は今治市の職員の方とお会いした記憶はないのです、と。ただ、加計学園の事務局の方、それからその専門家の方からお話を伺った記憶はあります、と。こういうふうに、集中審議の前に、もう去年の7月の集中審議の前には今井総理書記官にも訊かれてお答えしています。私はずっと一貫して同じ記憶でございますし、7月の集中審議では今治市の職員と会いましたかということを何度も訊かれましたので、記憶にございません、という答弁をさせて頂きました。

と述べた上、「全体像が見えなくなって、国民の方にわかりづらくなり、国会審議にも大変御迷惑をおかけして。大変申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。

柳瀬氏が、ここで、「今井秘書官」という名前を出したのは、昨年7月の閉会中審査で、2015年4月2日の官邸での面談について、その日に「加計学園関係者と会った」とは言わず、「今治市職員と会った記憶はない」とだけ答弁をすることは、柳瀬氏が独断で決めたのではなく、今井秘書官に報告した上、了解を得た上での対応だったという趣旨であろう。

加計学園の獣医学部新設に、首相や首相官邸がどのように関わったのかが問題になっているのであり、「2015年4月2日に官邸で加計学園関係者と会った」という重要な事実を秘匿するのは、国会に対しても、国民に対しても、著しく背信的で、「官僚の常識」からも到底行い得ない行為だ。柳瀬氏も、国会で何回も頭を下げることになった。柳瀬氏が閉会中審査で「不誠実な答弁」を行ったことについては、今井氏が了解しており、今井氏も「同罪」であるからこそ、柳瀬氏は、敢えて「今井氏への事前説明」に言及したと考えるのが自然であろう。

今井氏が、昨年7月の閉会中審査での、官邸での加計学園関係者との面談を秘匿するという柳瀬氏の「不誠実な答弁」を指示或いは容認し、一方で、その重要な事実を安倍首相に知らせなかったのは、なぜだろうか。

少なくとも、加計学園問題についての重要な事実が、できるだけ表に出ないようにしていること、そして、その「隠ぺい」について安倍首相は全く関わっていなかった話にしようとしていることは間違いない。その結果、「首相が秘書官に『口裏合わせ』を懸念され、重要事実を長期間知らされなかった」などという“異常”な話になってしまっているのである。

安倍首相は、ゴールデンウイーク中に今井氏から柳瀬氏が官邸で加計学園関係者と会っていたことを知らされ、その際、「口裏合わせがあってはならないと考えて、これまでそのことは知らせなかった」と言われて、今井氏にどう言ったのであろうか。「そう思うのは無理もない。知らされていたら口裏合わせをしたかもしれない。やっぱり今井ちゃんは頭がいい。」と納得したのだろうか。真っ当な感覚を持っていれば、それはあり得ない。今井氏に対して、「そんな重要なことをどうして私に知らせなかったのか。私が口裏合わせなどするわけがないじゃないか!」と激怒するのが当然だろう。そうでなかったとすれば、「加計学園問題について重要な事実を可能な限り隠蔽し、その隠蔽に安倍首相が関わっていないことにする」という方針について、今井氏と安倍首相とが「完全に一致していた」ということになる。

今井政務秘書官の更迭を検討すべき

森友・加計学園問題の「すべての黒幕」であったかどうかはともかく、少なくとも、それらの問題についての政府側の対応を中心となって取り仕切っていたのが今井氏であり、それが、少なくとも加計学園問題について、真相解明を著しく妨げていたことは、今回の柳瀬氏と安倍首相の答弁からすると、ほぼ間違いないと言える。安倍首相が、本当に「十分な説明をすること」「膿を出し切ること」をしようとしているのであれば、今井氏が加計学園問題について何をやってきたのかを、すべて明らかにした上、今井政務秘書官の更迭を検討すべきであろう。

 

 

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地銀統合に関する金融庁有識者会議報告書の“根本的な問題”

2016年2月26日、長崎県の地方銀行の十八銀行と、同県の地銀親和銀行を子会社とするふくおかフィナンシャルグループ(以下、「ふくおかFG」)が、経営統合について基本合意を締結したことを公表した。しかし、統合によって長崎県内での貸出しシェアが70%を超えることとなるため、公取委の企業結合審査が長期化、2017年7月25日に、両行は、経営統合の無期延期を公表した。そして、2017年12月に、公取委は、新潟県の第四銀行と北越銀行の経営統合についての審査結果を公表、統合を承認する判断だったが、そこで示された考え方を当てはめると、長崎での両行の統合の承認は困難との見方が強まった。

それを受け、今年4月11日、金融庁は、同庁が設置していた有識者会議「金融仲介の改善に向けた検討会議」で、この問題を検討課題として取り上げ、【「地域金融の課題と競争のあり方」と題する報告書】(以下、「報告書」)を公表した。

報告書は、「都道府県内のシェア等により画一的にその是非を判断するのではなく、競争当局と金融庁が連携し、地域金融の産業構造や特性を踏まえた審査や弊害への対応を実施することが必要」との提言を行っている。

菅義偉官房長官は、その翌日の4月12日の記者会見で、報告書について言及し、「人口減少下において地域経済のインフラサービスを確保することが重要であり、政府全体で議論する必要がある」と述べた。

5月7日には、ふくおかFGと十八銀行が共同で、「長崎県経済の活性化に貢献する経営統合の実現に向けて」と題するコメントを公表し、「将来にわたり長崎県経済の発展に貢献するという経営統合の目的を実現するとともに、独占・寡占による弊害が生じないように運営していく方針」を強調した。

長崎における地銀統合問題をめぐって、独禁法に基づき慎重な姿勢をとる競争当局・公取委と、統合を進めようとする金融庁との対立は一層鮮明となり、政府全体を巻き込んだ争いに発展しようとしており、今後の地銀統合全般にも影響を与えかねない重大な局面を迎えている。

しかし、地銀統合と独禁法に関する問題について、金融庁が公表した報告書の内容には大きな疑問がある。問題の根本について、私なりに分析・検討した結果を述べてみたいと思う。

 

地方銀行をめぐる問題に関する基本的視点

まず、地方銀行をめぐる問題を考えるに当たって、地方銀行というのがどのような組織であり、法的にどのような規律を受けるのかという点を確認しておかなければならない。

第1に、地方銀行は株式会社であり、会社法という組織法上の規律を受ける。株主総会、取締役会などの機関による決定に従って事業が運営されなければならず、コーポレート・ガバナンスが機能しなければならないことは言うまでもない。

第2に、地方銀行も事業者であり、民間事業者として利潤を追求する存在である以上、競争を制限する行為を行う抽象的危険は常に存在しているのであり、その事業活動に関して、独占禁止法による制約を受けることになる。

第3に、地方銀行も、銀行である以上、「銀行法による規律」を受ける。銀行法1条の目的規定で定められているように、「業務の公共性」「信用を維持」「預金者等の保護」の観点から、「業務の健全かつ適切な運営」が求められ、それに関して、金融当局の指導監督の対象とされる。この「金融行政的視点」からは、地方銀行に関して、バブル崩壊以降、経営破綻した銀行、或いは、経営破綻の懸念から公的資金注入の対象となった地方銀行があり、今後も、経営の健全性の維持が重要な要請とされる。

一方で、バブル崩壊後の経済の混乱の中で、銀行経営の健全性が強く求められ、金融当局による「金融検査マニュアル」に基づく資産査定が過大に意識されたこともあり、中小企業に対する「貸し渋り、貸し剝がし」と言われる対応が横行して深刻な社会問題になった。従来、銀行融資においては、担保・保証への依存度合いが高く、企業の事業性評価が不十分であったことの反省から、長期的な取引関係により得られた情報を基に、質の高い対面交渉等を通じて、早い時点で経営改善に取り組み、中小企業金融における貸出機能を強化するという「地域密着型金融」(リレーションシップバンキング)をめざす方向での「金融仲介機能」が重視されている。

他方、上記のような法的規律とは別に、地方銀行には、「地域と密着し、地域の発展に寄与することを使命とする金融機関」という特性がある。そこに、全国的、或いは国際的規模で事業を展開するメガバンクとの違いがある。

 

地銀をめぐる現在の環境と将来予測と経営統合の必要性

現在、地銀の経営統合が重要な問題となっていることの背景には、報告書の冒頭でも述べられている、「人口減少による資金需要の継続的な減少など、地域金融機関を取り巻く経営環境が構造的に厳しさを増している」との認識がある。銀行経営の健全性の維持ないし金融仲介機能を果たすことが将来的に困難になるとの危機感が、「地銀の経営統合によって経営基盤を強化するとともに過度の競争を抑制する必要がある」との金融当局の認識につながっている。

その上で、報告書は、前記第3の「銀行法の規律」に関連する「金融行政的な観点」から、企業数が全国的に減少を続け、生産年齢人口も今後急速に減少し、将来の貸出残高の大幅な減少が予想されること、地銀の資金利益は継続的に減少しており、2016 年度は地域銀行の過半数の 54 行が本業赤字となっているなど地銀の経営環境の厳しさを指摘し、今後、人口減少が急速な地域においては、店舗削減が追い付かず、収益の減少が進んで金融機関の体力を奪い、地域における金融仲介機能の発揮に悪影響が及ぶとの予測を行っている。

そして、報告書は、上記のような現状認識と将来予測を前提に、第2の「競争法上の規律」に関連して、「競争法的視点」から、地銀の経営統合を行った場合の競争制限効果、弊害について述べている。

 

地銀をめぐる競争についての報告書の記述

報告書は、金融庁が設置した有識者会議によるものであり、基本的には金融庁の認識に沿うものと考えられる。その検討や指摘が適切なものであれば、地域金融機関をめぐる「競争法上の規律」に金融庁が参画し、企業結合の審査に、競争当局の公取委と金融庁が連携することが適切ということも言い得るであろう。

しかし、以下に述べるとおり、報告書では、「競争法的視点」に関して、十分な根拠に基づき適切な指摘が行われているとは到底言えない。

報告書は、「地域金融における競争状況の評価」に関して

都道府県など行政区画内における貸出額シェアのみに基づいて、貸出市場における金融機関の市場支配力の有無を判断することは困難と考えられる。

とし、その理由として、地域金融機関は、県外の金融機関や政府系金融機関との競争に直面していること、県境を越えた貸出競争が激化する中においては、都道府県内のシェアが高くても貸出金利を高く設定することは困難であることなどを挙げている。

その具体的根拠とされているのは、①近年、地域銀行は県境を越えた貸出を積極的に増加させている結果、県外の金融機関との競争に直面していること、②金融庁が全国の 中小企業等に実施したアンケートの結果、政府系金融機関との取引を選択した理由については、「政府系金融機関の方が借入条件が良かったから」と回答した企業が約6割となっていること、③IT 技術の進化によりパソコンやスマートフォンによる銀行取引の範囲が急速に拡大しており、金融機関の店舗への訪問の必要性が低下し、貸出を含む金融サービスの県境を越えた提供が更に加速することが予想されること、④地域銀行の本店所在都道府県における貸出額シェアと貸出金利低下幅(10年間)の間に、 相関は認められないことである。

しかし、①に関しては、「地域銀行は県境を越えた貸出を積極的に増加させている」としている根拠とされているグラフ(図表8)で見ても、顕著に差があるとは言えない。

②に関しては、政府系金融機関は、法令等に基づき、民業補完の観点から、基本的に民間金融業者から借り入れることが困難な事業者を貸出対象としているのである。アンケートの回答で「政府系金融機関の方が借入条件が良い」というのは、このような事業者に対しては、民間金融業者が融資に消極的で有利な金利水準を提示しないという傾向を示しているに過ぎないと考えられる。

③は、パソコンやスマホによる取引は、個人向けが多く、事業内容や経営状況を把握することが必要となる事業者に対する貸出に関しては、あまり影響がないのが現状だと考えられる。

そして、④については、少なくとも複数の金融機関を選択する余地がある場合には、他の金融機関との比較から、金利が低く設定される可能性がある。また、金融機関の融資取引に関しては、金利のほかに、経営指導や情報提供等も金融機関を選択する要素となり得る。

いずれにしても、需要者側にとっては取引する金融機関を選択する余地があるか否かが重要なのであり、「金利を高く設定することが可能かどうか」を地域金融機関の寡占化の弊害に関して過大視すべきではない。

 

過当競争と金融システムの安定性阻害

次に、報告書は、前記第3の「金融行政的な観点」と第2の「競争法的視点」の関係に関連して、需要が減少する中で過当競争が行われると金融機関の経営悪化を招く一方で、経営統合により生み出される余力が地域企業の育成、地域経済の発展のために使われれば、地域にとって恩恵がもたらされるとした上、人口減少等を通じて収益環境が厳しくなる中で、経営統合は、金融機関の健全性維持のための一つの選択肢となるとしている。

そして、過当競争による経営悪化の継続によって金融システムの安定性が損われるとする根拠について

銀行間の競争についての国際的な議論としては、競争が強まるほど、借入先に係る選択肢の増加を通じ、債務者の返済能力が高まり、銀行にとっての信用コストも低下するため、銀行経営の安定性が高まるとする見方(competition stability view)と、競争が強まるほど、利鞘が縮小し、過度なリスクテイク等が行われやすくなることなどから、銀行経営の安定性が損なわれるとする見方(competition fragility view)が存在するが、以下の分析から、近年は competition fragility view が当てはまっているようにみられる。

とした上、その根拠として、

我が国の地域銀行の、中長期の予想デフォルト確率は、2000 年代末から上昇基調であり、地域銀行の競争激化と長期的に連動している

と指摘している。

ここで述べていることは、「競争が激化すると利益が減少し、経営上のリスクが大きくなる」という、言わば「当然のこと」に過ぎない。それを、そこから、「金融システムの安定性確保と両立する競争のあり方を検討する必要がある」などという結論を導いているのである。

「金融システムの安定性の確保」のために「金融機関の経営の安定性」を維持する必要があり、そのためには「競争の在り方」を検討し「一定の取引分野における競争を実質的に制限する合併を認めることまで許容すべき」というのは、「競争法上の規律」からは、凡そ許容し難い考え方である(かつては、一定の要件と手続の下で「不況カルテル」が合法とされていたが、その時代においても到底許容されない考え方である。)

 

「金融仲介機能」の向上と地域金融機関の間の競争

報告書は、上記のように、十分な論拠もなく「競争の在り方」を論じ、「経営統合は、金融機関の健全性維持のための一つの選択肢である」と述べた上、「同一地域内の経営統合」に関して、

現在の地域銀行の一般的な貸出姿勢を調査すると、担保・保証への依存度合いが高く、企業の事業性評価が出来ていないところが多い。従って、こうした企業においては、経営統合以前の時点で、借入先の選択可能性が限定されている。すなわち、この点については寡占・独占の弊害と言うより、むしろ担保・保証の有無にかかわらず事業性を見た融資が普及していないことに問題の本質がある。

とした上、

金融庁がこれまで行っている、「事業性評価」に基づく融資や本業支援の促進、「企業ヒアリング・アンケート調査」の実施、「金融仲介機能のベンチマーク」(2016 年9月策定・公表)等の客観的な指標を活用した自己評価や開示の促進などの取組みを、更に促進すべきである。

と結論づけている。

これは、前記のとおり、第3の「金融行政的視点」から地域金融機関の融資における「金融仲介機能」の問題を指摘するものである。それについて、金融庁が従来から行ってきた対応をさらに推進すべきというのは、「金融行政的視点」からの指摘としては正しいとしても、そのような「問題の本質」が、なぜ「寡占・独占の弊害」と関係がないと言えるのか根拠は全く示されていない。

需要者の中小企業の側からすれば、地域銀行の寡占・独占により、選択の余地がなくなってしまえば、担保・保証に依存する姿勢から脱却できない金融機関であっても、それを選択するしかない。地域銀行において事業性を見た融資の普及には、「金融行政」による指導監督も必要であろうが、金融機関相互の競争、需要者側の選択も、それを実現する有効な手段だ。寡占・独占が、地域銀行の貸出姿勢の問題を助長する可能性も当然あるわけだが、報告書では、そのような観点は全く無視されている。

 

「経営統合によって生み出される余力」の活用

報告書は、地域金融機関の経営統合が、「金融機関の経営の安定性と、 最低限の金融インフラの確保に寄与する」とした上、

経営統合により生み出される余力が地域企業の育成に適切に使われれば、地域企業・経済の発展にも貢献する。他方、経営統合が同一地域内で行われる場合には、不当な金利の引上げやサービスの質の悪化 といった寡占・独占の弊害が生じないようにしなければならない。

とした上、

競争上の問題が生じる可能性がある同一地域内の経営統合については、都道府県内のシェア等により画一的にその是非を判断するのではなく、当該経営統合により地域にもたらされうる恩恵、寡占・独占 の弊害の可能性、地域の中小企業の真の不安の所在を把握し、的確な対応を行うことが重要である。

金融機関は、他の事業者と異なり、常時金融庁による検査・監督の下にあり、合併等についても金融庁が銀行法に基づく審査を実施することとなっているので、この枠組みを活用し、(金融庁が)、全体として、将来にわたり地域における金融インフラが確保され、地域企業・経済の成長・発展に貢献するか否かをもって経営統合の是非を判断すべきである。

事後的にも、金融庁が、「金利等の融資条件」や「金融サービスの質」の不当な悪化が生じていないかを、統合した金融機関の検査・監督や、債務者向けの相談窓口等を通じて把握し、問題があれば是正を行うこと、金融機関がコミットした経営統合の目的の進捗・達成状況についてモニタリングを行い、 地域に統合の果実が還元されることを確保していくことが必要である。

としている。

つまり、経営統合の是非については、公取委による「都道府県内のシェア等による画一的判断」による企業結合審査ではなく、金融庁の「銀行法に基づく審査」「事後的なモニタリング」を行うことを通して、経営統合の弊害を防止し、統合の目的である「統合の果実の地域経済への還元」を確保できるよう判断する必要があるとしているのである。

そして、このようなスキームを前提に、「新たな競争政策の枠組み」について、

競争当局と金融庁が連携し、地域金融の産業構造や特性を踏まえた審査や弊害へ の対応を実施すること

を提言しているのである。

ここで述べているのは、地域銀行の統合問題への対応を、公取委による企業結合審査という前記第2の「競争法的視点」ではなく、前記第3の「金融行政的視点」を活用して行うべきだということであり、その前提とされているのは、経営統合の目的について当該金融機関がコミットし(「明言し、約束・制約する」という意味であろう)、それを「事前事後に金融庁が指導監督するというスキームである。

しかし、そこには、地方銀行が私企業たる株式会社であることによる前記第1の「会社法による規律」という視点が完全に欠落している。

「経営統合により生み出される余力」を、経営統合を果たした地方銀行がどのように活用するかは、銀行が株式会社である以上、株主総会、取締役会等を通したガバナンスに基づく組織的決定に従わざるを得ないというのが、「会社法の規律」からの当然の帰結である。経営統合による余力の活用について、当該金融機関が何らかの「コミット」を行ったとしても、それは、「その時点の執行部の方針」に過ぎない。経営統合後に、当該金融機関をめぐる状況が変化し、ガバナンスに基づく意思決定が統合前とは別個のものになることも、私企業たる株式会社である以上、制約することはできない。株式会社である以上、その時々の経営環境の下で「株主の意向」にしたがい、会社の利益を最大化する方向で経営を行うのは当然であり、経営統合による競争制限で生じた果実の活用に関して、統合前の方針を維持することを監督官庁の金融庁が強制することは、私企業の経営への不当な介入となりかねない。

地方銀行の経営統合について、公取委の企業結合審査と、金融庁の銀行法に基づく審査(当事者の銀行のコミットについて事前事後の指導監督)との連携を行うという報告書の提言には、根本的な問題がある。

もちろん、提言されている「企業統合審査についての競争当局と金融庁との連携」を立法によって実現することは不可能ではない。しかし、今回の報告書で露呈した金融当局の「競争法の規律」「競争法的視点」への無理解からすると、競争当局と適切に連携することができるようには思えない。

 

長崎県における地域銀行の経営統合問題について

報告書は、ふくおかFG(福岡県、福岡銀行・熊本銀行・親和銀行を傘下に持つ)と十八銀行(長崎県の地方銀行)の経営統合について、

(ア)長崎県においても、事業所数や生産年齢人口は、全国の減少率を上回る急速なペースで減少している。

(イ)十八銀行と親和銀行(ふくおかGF)が経営統合を公表した後、県外銀行による貸出の伸びが目立っている。

(ウ)両行は、本件経営統合により生じた余力を地元企業の付加価値向上や事業再生の支援に活用することを公表している。

などと指摘し、「本件経営統合の是非を県内の貸出額シェアなどに基づいて事前に画一的に判断することは適切でない。このまま競争を続け、経営体力を消耗させ、金融機関数が減少し、自然に独占状態が発生する状態になるより、経営余力のあるうちに統合を認め、その経営余力を用いて地域企業の本業支援等を行うことを通じて、生産性向上や付加価値向上を図ることの方が、地域企業・経済の観点から望ましい。」と結論づけている。

しかし、(ア)は客観的事実であるとしても、(イ)については、報告書の図表15によると、県内金融機関の貸出の増加に比べて顕著に増加しているとは言えない。また、(ウ)の「本件統合により生じた余力の活用」については、冒頭で述べたように、今年5月7日にも、両行がコメントを公表しており、経営統合を認めるべき理由として強調したいようだが、上記の通り、地方銀行が株式会社である以上、ガバナンスに基づく組織的決定に従わざるを得ないのであり、経営統合の是非の判断において現在の各銀行の執行部の方針を過大に評価することはできないし、金融当局のモニタリングにも限界がある。

報告書は、公取委の企業結合審査について、「県内の貸出額シェアなどに基づく画一的判断だ」としているが、少なくとも、公取委は、県内に所在する需要者の企業へのアンケート調査なども実施し、経営統合によって生じ得る影響を実質的に考慮しつつ判断している。公取委も、貸し出しシェア5割を超える新潟県の第四銀行と北越銀行については、経営統合を承認しているのであり、貸出シェアが70%を超えるだけでなく、需要者側の選択の余地を奪うことが懸念される長崎での地銀の経営統合の計画に難色を示すのは、競争当局としては当然であり、公取委の対応が柔軟性を欠くと批判されるべきものではない。

現在のところ、十八銀行の業績は順調であり、経営上の問題は特にない。今後も、長崎地域において、ふくおかFG傘下の親和銀行との公正な競争を通して、地域の金融機関としての社会的使命を果たしていくことも十分に期待できる。

ふくおかFGと十八銀行は7日、長崎県内の全取引先に対し、他の金融機関への貸出債権譲渡について意向調査をするとのことだが、銀行側の都合で、融資取引の関係を変更させられる中小企業にとって迷惑極まりない話であろう。それこそ、リレーションシップバンキングという方向性にも反するのではないか。

そのようなことまでして、独禁法に抵触する疑いが強い地銀間の経営統合を進めようとするのは如何なる理由からなのであろうか。報告書の見解に沿って地銀統合を進めようとする金融庁の方針がその原動力になっているのであろうか、報告書には「根本的な問題」があることを改めて指摘しておきたい。

 

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