日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言

かんぽ生命保険の不適切販売問題を受けて、かんぽ生命株式会社(以下、「かんぽ生命」)の植平光彦社長と、販売委託先の日本郵便株式会社(以下、「日本郵便」)の横山邦男社長が、7月10日に開いた記者会見については、【「日本郵政のガバナンス問題」としての保険不適切販売問題~日本郵便横山社長への重大な疑問】で詳しく述べたが、7月31日、日本郵政の長門正貢社長が、かんぽ生命の植平社長、日本郵便の横山社長とともに記者会見を開いた。

長門社長は、定例会見で質問に答えたことはあったものの、この問題についての記者会見に臨んだのは初めてだった、大変堂々とした態度で会見を主導し、質問をする記者を圧倒している感すらあった。

この会見の直前の7月29日、今年4月に行われた日本郵政によるかんぽ生命株式の売却に関して、郵政民営化委員会の岩田一政委員長が、記者会見で、「不祥事案は速やかに公表すべきだった。透明性が極めて重要だった」と指摘し、日本取引所グループの清田瞭最高経営責任者(CEO)も、「適切な情報開示がなかった」として問題視する発言したことが大きく報じられていた。

この点に関して質問を受けた長門社長は、かんぽ生命の植平社長に事実関係を説明させた後、株式売却の際には不祥事について全く認識がなかったとして反論し、「冗談ではない」と、岩田発言・清田発言に憤ってみせた。

かんぽ生命株式の売却に関して、民営化委員会の委員長や日本取引所のCEOに問題を指摘されたというのは、日本郵政グループとしてもその経営トップとしても、極めて深刻な事態だ。日本郵政の社長が、記者会見の場で、民営化委員会の委員長と日本取引所のCEOの問題の指摘に対して、感情的な言葉まで用いて反論したことを、どのように評価すべきか。

会見で長門社長の態度に圧倒されたせいか、今のところ、マスコミからの批判は、あまり見られない。しかし、政府は、この秋に、日本郵政株式の第3次売り出しを行って、売却収入を東日本大震災の復興財源にすることを予定している。その株式会社の社長の発言としては重大な疑問がある。予定どおりに日本郵政の株式を売り出すことは一層絶望的になった。それどころか、長門社長の下での株式売出しに投資家の理解を得ることも困難になったと言わざるを得ない。

読売新聞記者との質疑応答

かんぽ株売出しについての長門社長の発言は、読売新聞の「ヨネザワ」という記者からの質問に答えたものだった。同記者は、「横山社長に1問、長門社長に2問お聞きします」と断った上で、まず、日本郵便の横山社長に対して

問題が拡大した背景に、本社経営陣全体で、問題の発覚当初から現場の理解・認識が甘かったのではないか。現場の情報が届いていたとして、本社に正しく伝えられていたのか。経営陣の意向に沿って塗り替えられた情報ではなかったのか。さきほど意見交換の場を作るというが、上の顔色をうかがうような意見交換では意味がない。社風、意識改革についてどう考えているのか。

と質問した。

それに対して、横山社長は、今後の施策の一つとしている、「現場社員との意見交換の場」については、「お客様のご不満の声や、自分たちが仕事をやっていくうえでこんなことがやりにくいというような声を広範に聞く会を設けようと思っている。万が一にも、私と参加者との間で、それを遮断する、出席者を制限するようなことがあるようであれば、それは断罪しないといけない」などと答えた。

そして、ヨネザワ記者は、2問目で、長門社長に、「今回の問題でかんぽ生命株の売却時にこの問題を把握していたか否かというのはひとつの焦点となっている」とした上で、

問題の把握のレベル感と公表のタイミングの正しい在り方についてどのように考えているのか伺いたいと思います。要は例えば調査を始めた時点とか、グレーな案件があった時点とか、それが黒と確定した時点とか、あるいは今回のように黒が大量にあった時点とか、そういうふうな公表するタイミングについてご自身の認識、あとは今批判の声も中には出ているわけですが、そのような声にどのように応えて、あるいは他社の状況も踏まえて、正しいのはどのようなタイミングでこのような問題を公表するべきかと考えるのかを教えてください。

と質問した。

これに対して、長門社長は、

大事なポイントを聞いて頂きまして、民営化委員会の岩田委員長がご発言になりました。日本証券取引所の清田さんが同じようなご発言をされました。4月4日にかんぽ生命の第二次売り出しをスタートいたしましたけれども、その時点でかんぽ、郵政の経営者はこの事象を知っていたのではないかと、こういうご発言でした。大変な発言でございまして、どういう文脈で、どういう情報に基づいておっしゃったのか知れませんけれども、これは騙して株を売ったという懸念があるぞと、こういうご発言なのですね。大変に重大な発言だと思います。岩田発言、清田発言について、私どもの認識をしっかりと申し上げたいと思います。

と述べた上、かんぽ生命の植平社長に、不祥事を把握した経過を説明させ、株式売却の時点では、不適切販売の不祥事について全く認識がなく、開示すべき情報を開示しなかったものではないことを強調した。そこでの、植平社長と長門社長が14分にもわたって行った説明は、概ね以下のようなものであった。

不適正募集の事案が2018年度は20件程度存在しており、業法違反になっていると認定されるものが20件程度発生しているということ。そうした苦情のなかに乗り換えに関わるようなものが1件あった。

こういう不適正募集という事案はパーセンテージは非常に小さい。そのことをもって会社経営全体にとって重大と認識するには至っていない。

昨年度1年間でそういう数字があったことは、これは隠さずに、金融庁、総務省のほうにきっちりと報告している数字。黙って隠したという数字ではない。

4月4日にかんぽ株を発売するという決断は我々だけでできるわけではない。きちんと引受証券や弁護士を雇って、彼らにいろいろアドバイスをしてもらって出している。

持株のほうの立場で言えば、4月4日の時点はまだ全く白です。今回の6月27日の2万4千件は22件と比べても桁が違う、異次元の数字が出てきて、そのような認識になった。

日本郵政のガバナンスのことで言えば、6月の取締役会は株主総会後の臨時取締役会だが、ここでは本件は、全く議論になっていない。かんぽ生命の取締役会でその22件が報告されたのは5月の取締役会だった。

そして、このように説明した上で、長門社長は、

かんぽ生命の取締役会、私、ボードメンバーに入っておりますから、そこでその22件が報告されたのはやはり5月のかんぽの取締役会です。そういうことでございますので、岩田発言、清田発言は非常に重いので、この場をお借りして、冗談ではないということを申し上げておきたい。

と言い切ったのである。

 ここで、長門社長は、「これ2問目でしたね。3問目があったかと思いますが。」と言って、さらに質問を促した。1問目から既に20分以上を経過しており、ヨネザワ記者も、さすがに、他の記者に遠慮したのか、「長くなってしまいましたが、最後に一問、端的に伺いたいと思います。」と言った上で、「今回の一連の問題を受けて、郵便局への信頼というのはまだあるとお考えでしょうか。」と質問した。

 これに対して、長門社長は、「著しく本当にお客様の期待を裏切ったし、ブランドイメージを損なってしまったと感じております。」と述べた上で、

我々、郵便配達を始めたのが148年前、明治4年でございます。2021年に150周年を迎えます。その日から毎日、日曜日はやっていませんが現在は、雨の日も風の日も郵便をお届けしていた。

保険業務を始めましたのが103年前です。この間、2万4千局の郵便局で、お客様の最も近いところにいると言って、このグループは地味だけど真面目だよね、というブランドを諸先輩、今も43万人の同僚の殆んどの人が誠実に働いて頂いてこのようなブランドを作って頂いたと思っていますが、大きく毀損してしまったと大変責任を痛感しております。

一刻も早く戻すべく現在のタスキを繋ぐということが我々の仕事だと思っております。

と、自らの使命は信頼回復を図ることだと述べると、質問を受けてもいない横山社長が、

例えで一例申し上げれば、災害の時にいち早くどんな機関よりも早く郵便局を再開する、そして避難されておりますお客様をひとりでも多く探してその避難の先まで郵便を届ける、という大変な社会的使命を我が社の社員は全員が持っているということを私は知っております。

と述べ、それを受けて、長門社長は、熊本地震の時の、「かんぽの宿阿蘇」で被災者の救援にあたった事例のことを話し、

これが私どものルーツだと思っております。当面のミッションはこれだと思っておりますので、一所懸命頑張って、本来のイメージにできるだけ早く戻すべくできるだけ頑張りたいと思っております。

と述べて、ヨネザワ記者の質問への応答が終わった。

質疑応答は、想定されていたものではないのか

この一人の記者との質疑応答は、合計で30分近くにも及んでいる。長門社長が、このタイミングで記者会見を開いて言いたかったことをすべて言い尽くしたような内容であり、質問自体を想定していたような印象を受ける。

横山社長への1問目は、「現場の情報が届いていたとしても経営陣の意向に沿って塗り替えられた情報ではなかったのか」というものだが、【前掲拙稿】でも述べたように、日本郵便での不適切な保険営業に関しては、総務省の指導やマスコミの追及を受けるなどをしており、横山社長が気づかなかったわけがないという点は、本来、記者側からは最大の追及ポイントのはずだ。ところが、ヨネザワ記者は、「現場からの情報が伝わらなかったために、経営陣は今回の不適切販売について認識していなかった」ということを前提にしており、実横山社長は、それを受けて、今後の施策を中心に答えている。

2問目の長門社長への質問も、民営化委員会委員長と日本取引所CEOからの批判をどう受け止めるか、というストレートな聞き方ではなく、婉曲的に「どの時点で、問題を公表するべきか」という「法的義務」についての説明を求めている。

そして、特に不自然なのは、2問目の質問に対して、長門社長が、岩田発言、清田発言に対して「冗談じゃない」と憤りを露わにした後、「3問目」を質問するように促したことである。

記者から、3つの質問を受けていたのに、3問目の質問の内容を忘れてしまった、というのであれば、聞き直すこともあるだろう。しかし、ヨネザワ記者は、3問質問したいと言っていたが、2問目までで既に20分もの時間を使っている。それを、わざわざ会見者の方から「3問目の質問」をさせるというのは、通常はあり得ない。しかも、その質問に対して、郵政の歴史だとか、郵便局職員の災害時の地域への貢献など、まさに会見者の方が言いたいことを延々と話し、ヨネザワ記者との質疑応答は、合計で30分にも及んだ。

会見全体が、このヨネザワ記者との質疑のように、個々の記者の質問全体に丁寧にすべて答えるものだったかと言えば、決してそうではない。

2つ前の質問で、「NHKクローズアップ現代」の記者が、以下のように質問した。

私どもは今から一年以上前の4月に、そちらに座っていらっしゃる日本郵便の佐野常務、それからかんぽ生命の堀家専務に対してですね、不適正な事例が今広がっているのではないかと、金融庁に届けるような違法行為まで起きているのではないかということで取材を申し入れて、その時に「信頼を裏切るような行為が少なくない数起こっている」、「会社として非常に深刻に受け止めている」、「郵便局に対して信頼を失ってはいけない、改めないといけない」というような発言をされております。

そういうような責任ある立場の方からのご発言がありながら、なぜその後も状況は変わらなかったのか。あるいは状態だけ見れば、例えば不適正事例という金融庁届出事例は20件から22件に増加しているし、あるいは局長が関与するような不適正事例、管理者が関与するような不適正事例も起こっています。根絶できていないというよりも、むしろ悪化をしているという傾向すら感じるような状況です。

なぜそれは止めることができなかったのか、また直近の調査で分かったと言いますが、一年以上前にそういう認識があったということとの整合性をどのように認識されているのかをお答えください。

この質問に対しては、かんぽ生命の植平社長が、「募集品質の向上のための総合対策を打った結果、苦情全体が大幅に減少してきている。高齢者の苦情が順次減ってきている。全体の品質が良化していると認識していた」「不適正募集の発生は減少してきている。」そのようななかで今回の問題の発生を直近のデータで認識をしたので、遡及して将来に向けての対策を打っていく意思決定をした」などと述べ、質問の趣旨とは全くかみ合わない答をしている。

そして、記者会見の場に、1年余り前にNHKの取材に対して、「信頼を裏切るような行為が少なくない数起こっている」「会社として非常に深刻に受け止めている」などと答えた執行役員が同席しているのに、その趣旨について説明させることもなく、横山社長から日本郵便側の認識を答えることもせず、長門社長は何も答えずに、質問への答を終えている。

少なくとも、このNHK記者の質問に対しては、質問の趣旨に忠実に、真摯に答える姿勢は全く窺われない。、読売新聞のヨネザワ記者との長時間にわたる質疑応答とは対照的だ。

長門社長発言をどう評価するか

問題は、このように会見者側で予め想定していたのではないかと思える質疑応答の中で、長門社長が述べたことの中身である。

確かに、日本郵政とかんぽ生命の正式に行われた会議、報告という面で言えば、正式な報告で不祥事を認識したのは6月下旬ということになるであろう。そして、そのような正式な会議、報告以外については、証拠は何もない。そういう意味では、長門社長が言うように、かんぽ生命株の売出しに関して、日本郵政、かんぽ生命の経営者も、不祥事を知っていたのに、それを隠して騙してかんぽ生命株を売却した疑いについて、「シロ」だというのは、証拠上は、法的判断としてはそうかもしれない。個人に疑いをかけられているとすれば、長門社長が「冗談ではない」というのも、正しいであろう。

しかし、岩田委員長や清田CEOが指摘したのは、そういう「経営トップとして不祥事を認識していたのに、騙して株を売った疑い」という個人の問題ではない。日本郵政という組織が保有していたかんぽ生命の株式を、一般投資家に売りつけたことに関して、そのかんぽ生命という会社の中身に関わる重要な事実が売出しの時点で開示されていなかった。岩田委員長は、そういう事象について、「郵政民営化を進めていく上で支障となる」と指摘し、清田CEOは、「証券市場への企業内容の適切な開示という面で問題がある」と指摘したということである。

それに対して、長門社長は、「売出しの時期は、自分達だけで決められるわけではない、開示の内容は、証券会社や弁護士がデューディリジェンスで確認し結果に基づいて決めている」と言っているのであるが、それは、問題を経営トップで個人の問題ととらえ、責任を否定しているだけで、組織としての問題を指摘する岩田発言、清田発言に対する反論には全くなっていない。

長門社長個人としてではなく、日本郵政グループの経営トップとして、保有していたかんぽ生命株式を一般投資家に売却した後、同社の保険販売に重大な問題が発生していることが明らかになって、株価が大きく値下がりしている。そのことについて経営者としてのどのように受け止めるのか、ということが問われているのである。ところが、長門社長は、「自分は知らなかったからシロだ」と個人レベルでの言い訳をしているのである。しかも、長門社長は、日本郵政の社長だけを務めているのではない。かんぽ生命、日本郵便の取締役でもある。それらの会社の事業活動が適切に行われることについて、取締役としての責任を負っている。会見での長門社長の発言からは、その自覚が全くないように思える。

日本郵政グループとして開いた会見の場で、特定の記者から都合の良い質問を受けて的外れの反論を行い、「冗談ではない」などと放言する長門氏が経営トップを務めている限り、日本郵政株の売出しをすることなど不可能であり、それを強行しようとすれば、政府として、投資家からの信頼を裏切ることになりかねない。

「地域に寄り添う郵便局員」がなぜ顧客の利益を損なったのか

ヨネザワ記者に3問目の質問を促し、「郵便局への信頼」という言葉が出ると、長門社長は、「待ってました」とばかり、日本郵政150年の歴史の話を始め、横山社長が、「地域に寄り添い、そこに生きるお客様とともに共生している」として、その例として郵便局員の災害時の地域貢献の例を持ち出した。これも、想定どおりのプレゼンのような内容だ。

しかし、今、問題になっているのは、本来、地域と、地域住民に寄り添う存在のはずだった郵便局員が、露骨に顧客の利益を損なうような保険募集を行っていた事例が膨大な数発生しているという事実である。長門社長、横山社長には、そのような行為を行わざるを得ない状況に、多くの郵便局員を追い込んでしまった経営トップとしての責任が問われているのである。そのことの自覚があれば、「地域に寄り添う郵便局員」などという言葉が、軽々に口にできるとは思えない。

もう一つの問題は、長門社長が、今回の問題についての責任について問われ、「特別調査委員会メンバーは3人とも検察出身。厳しく調査して頂くためにお願いした。厳正な報告が出てくる」などと述べて、「検察出身の弁護士3名からなる特別調査委員会だから、経営陣に対しても厳正な調査結果が出てくるはずで、それによって責任の有無を判断する」と述べたことだ。

しかし、検察出身の弁護士による調査だから厳正な結果になるというのは全くの幻想である。これまでにも、第三者委員会や外部調査が、依頼者の経営者や政治家に手ぬるいと批判された事例の多くが、検察出身の弁護士によるものだ(小渕優子議員、舛添要一都知事の政治資金問題、日本大学アメフト部問題での第三者委員会など)。そして、この日本郵政の特別調査委員会の委員長の検察出身弁護士は、レオパレス21の第三者委員会の委員長を務めた弁護士である。その調査報告書について、第三者委員会格付け委員会の格付けでは、

退任してから既に 13 年が経過している過去の人物である元社長にのみ焦点を当て、その責任追及に多くのページを割いて いる。一方、2010 年から現在まで 9 年間社長を務めてきた前社長の関与についてはほとんど触れられていない。

調査スコープを矮小化して 1990 年代後半から 2000 年代前半のみを切り取り、創業者の責任のみを執拗に記述することでこの陥穽にはまり込んだのではなかろうか。

と酷評されており、評価も非常に低い。今回の問題についても、過去の経営陣の責任の焦点を当て、現経営陣への責任追及を交わす方向での調査が行われないとも限らない。

いずれにしても、「検察出身の弁護士3名からなる第三者委員会」というだけでは現経営陣にも厳しい厳正な調査が行われるはずだということの根拠には全くならない。

出席した記者達を圧倒していたように思える長門社長ら3社長の記者会見だが、そこでの発言内容は、経営者としての傲慢さと独善を示すものでしかなかった。それが、日本郵政グループの危機を一層重大かつ深刻なものにすることは避けられないであろう。

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「強運」と「不運」の“光と影”

40年近く前、司法試験に合格した後、司法研修所に入所するまでの期間、司法試験受験生の指導をしていた時に、しばしば、理学部卒・独学で2年で合格した「運の強さ」の秘訣について聞かれたとき、次のように話していた。

世の中には、運に恵まれることと、不運に見舞われることがある。運に恵まれた時には、自分は強運の人間だと思って、その強運に自信を持てばいい。不運に見舞われたら、人が一生に与えられる運の量は同じ、不運に遭ったということは、その分、運を将来に蓄積したと受け止めれば良い。

運不運の受け止め方は、その後の私の人生でも、基本的に変わらなかったと思う。

そういう私にとって、「不運」の極限だったのが、カープファンとして、東京で「広島・巨人戦」を応援した際の戦績だった。

半世紀にわたるカープファンである私は、後楽園球場の時代も含め、東京で、「広島・巨人戦」に行って、一回も、広島の勝利を目にしたことがなかった。その「不運」の連続は、3年前から一転して「強運」そのものとなり、それ以降、私が東京で応援に行った際、一度もカープは巨人に負けていない。

その「強運」が極端な形で表れたのが、昨日(7月31日)の東京ドームでの「広島・巨人戦」だった。

交流戦最下位で一気に順位を落とした後、復調し9連勝を遂げたカープは、カード初戦の前日に敗れ、連勝がストップしてしまっていた。その直後の重要な一戦。一方の巨人にとっても、一時は首位独走状態だったのに、3カード連続負け越しで、2位との差が3.5ゲームまで縮まった。その後の連勝で一機に首位固めを狙うために、極めて重要な試合だった。

結果は、3-2とカープが接戦に勝利し、巨人との差を5ゲームに縮めた。

ちょうど3年前、カープの17年ぶりのリーグ優勝が現実のものとなりつつあった時期、それまで41年間続いていたジンクスを打破すべく苦悶していた時期とは、全く正反対だ。

長年にわたって、私が「広島・巨人戦」でのカープにもたらしてきた「不運」から、今、一転して「強運」をもたらすようになった経過を振り返ってみると、そこに、「強運」と「不運」の“光と影”が、鮮やかなコントラストをなしている。

まず、3年前にツイッターにアップし、かなりの反響を呼んだ【ある不幸なカープファンの物語】を、そのまま引用する。

カープファンとしての私の歴史は、昭和40年前後、広島で過ごした小学生時代に始まる。父に連れられ、広島市民球場で、カープの試合を観戦した。

当時、広島カープは「万年最下位」と言われた弱小チームだった。

巨人戦以外では、観客の殆どがカープファンだが、現在のような、お揃いのユニフォームや鐘、太鼓、ラッパによる秩序だった応援などというものとは全く異なって。カープの攻撃で凡退する度、敵の攻撃で失点する度、ため息とヤジと怒号が飛び交い、グランド内に、物が投げ入れられたり、観客が乱入したりしてゲームが中断する。

中盤までに失点を重ねると、決まって、カープファン同士の「喧嘩」が始まる。

「今日のカープは、はあ(広島の方言で「もう」という意味)だめじゃあ」と言う諦めの早いファンと、「逆転するんじゃ」と反発するファンとの間で、言い争いになり、時にはつかみ合いになる。

期待はいつも失望に変わり、さらには味方選手への不満につながる。負け試合では、ヤジの大半は味方選手をヤジり倒すものだった。そういう屈折したカープファンの心理が渦巻く広島市民球場の雰囲気は、何とも殺伐としたものだった。

当時、プロ野球ファンの中では、最も恵まれない存在だったカープファンだったが、それだけに、「悲願の初優勝」は、ファンすべての夢だった。

私は、父の転勤に伴って、中学校3年になった年に、島根県松江市に転居、その後高校まで松江市で暮らした。周囲がみなカープファンだった広島時代とは異なり、松江にはカープファンは全くいなかった。テレビのプロ野球中継は巨人戦ばかりなので、「プロ野球は巨人」と思い込んでいる人間ばかりだった。

そのような環境での孤立感もあって、私のカープへの思い入れは一層強くなった。毎年、プロ野球開幕から1、2か月ほどは、「今年こそ初優勝」と、毎晩、カープ戦のラジオ中継に聞き入った。そのラジオは、広島市の中国放送が中国山地を超えて微かに届く電波、ラジオを耳に押し付けてボリュームを一杯に上げて、雑音の中からかすかに聞こえるアナウンサーの声で戦況がようやくわかる程度だった。それを試合開始から終了まで聞き続けた。しかし、この頃のカープの弱さはセリーグの中でも際立っており、「鯉のぼりの5月」を過ぎると負けがこみ、優勝は絶望的となって私はカープのラジオ中継から解放される、ということが続いた。

大学に入学して東京に暮らすようになってからは、広島の中国放送を聞くこともなくなり、カープファンとしての意識が若干希薄になっていった。

そして、大学3年の1975年、ルーツ監督・古葉監督の下での「赤ヘル軍団」カープの快進撃が始まった。カープの勢いは、例年のように「鯉のぼりの5月」では終わらない。一方、前年にV10を逸して、長嶋茂雄氏が引退し、監督に就任して初めての年となった巨人は開幕から負け続け、早々に優勝は絶望的になっていた。

かつてのカープと巨人の関係が逆転したような状況に気を良くした私は、当時、住んでいた本郷三丁目から後楽園球場まで歩いて広島・巨人戦の観戦に出かけた。

しかし、なぜか、私が後楽園に行くと、必ずカープは負ける。長嶋巨人を応援する巨人ファンがはしゃぐのを横目に、悔しさを噛みしめながら球場を後にするということが、3回ぐらい続いた。

私は考えた。「今年は、これほどカープが勝ち、巨人が負けているのに、自分が球場に行くときだけ広島が負けるというのは、どう考えてもおかしい。3連戦のうち1試合だけ行っているから、たまたま負け試合に当たるのだろう。3連戦全部行けば、さすがに全部負けることはないはずだ。」

そう思って、6月末頃の巨人・広島3連戦、3日続けて後楽園球場に行き、外野席の立見席で観戦した。しかし、何と、カープは巨人に3連敗してしまった。

さすがに、それ以降、後楽園球場に行くのはやめた。

すると、カープは、その後快進撃を続け、10月の後楽園球場での巨人戦に勝って、とうとう悲願の初優勝を果たした。私は、球場には行かず、初優勝の喜びを一人かみしめた。

こうして、カープが「悲願の初優勝」を果たしたことで、長年の私の夢は実現し、それ以降、カープへの思い入れは次第に沈静化していった。

初優勝を遂げた後のカープは、チームのイメージも変わった。女性、子供のファンが圧倒的に多くなり、球場での応援も、屈折した殺伐とした昔の広島市民球場とは全く違う、秩序立った、華やかなものになっていった。

1979年、80年とカープは2年連続でリーグ優勝し、80年には、初の日本シリーズ優勝も果たした。1975年のリーグ初優勝の後、1991年までに合計6回リーグ優勝した時代のカープは、もはや、昔のような万年最下位のカープではなかった。初優勝を夢見ていた頃のようなカープへの情熱は少なくなり、むしろ、私にとっては、「巨人が負けること」の方が重要だった。私が「万年最下位」のカープを応援し続けていた間、圧倒的な強さを誇っていたのがV9時代の巨人だった。カープはいつも巨人に打ち負かされていた。その巨人は、「いくら負けても、まだまだ負け足りないチーム」だった。そのV9時代の巨人の中心選手が長嶋であり、その長嶋が率いる巨人には、もっともっと負けてほしかった。

しかし、長嶋監督就任後最初の昭和50年、カープの初優勝の年に最下位に終わった巨人は、翌年には息を吹き返しリーグ優勝し、その後も、優勝を繰り返した。それは、私にとって不愉快極まりないことだった

しかも、「権威」や「権力」に対して対抗意識が強かった私にとって、プロ野球の世界の「権力」そのものである巨人が勝つこと、シリーズや日本シリーズで優勝することは不愉快なことだった。私にとって、プロ野球は「巨人の優勝を阻止するチームを応援すること」が中心だった。もちろん、その巨人の優勝を阻止するチームになってほしいチームのナンバーワンが広島カープであったことに変わりはなかったが、カープは、91年以降、リーグ優勝から遠ざかり、「巨人を倒すチーム」にはなり得ていなかった。

 そういう私にとって、1996年のセリーグペナントレースは生涯忘れられない悲しい結末になった。この年のカープは、前半戦、好調に勝ち続け、7月には、2位の巨人に11.5ゲームを付けて独走していた。しかし、その後、不調に陥って、巨人に追い上げられ、とうとう最終戦で逆転されて、巨人のリーグ優勝に終わった。

この時、私以上に熱烈なカープファンだった母が、末期の大腸がんで広島市内の病院に入院していた。病室のテレビで懸命にカープを応援する母の願いもむなしく、巨人とのゲーム差は悪夢のように縮まっていった。巨人の「奇跡の逆転優勝」という、考えたくもない、忌まわしい事態が、「メークドラマ」という言葉で徐々に現実化していった。東京ドームでの最終戦、カープが逆転された試合をテレビで見ていた母は悲鳴を上げていた。二ヶ月後、その病室で母は息を引き取った。

この出来事以降、私の巨人に対する感情は、反感から憎悪に近いものになっていった。

 

その後長らく、優勝争いとはほとんど縁がなかったカープが、久々に巨人を倒すチームになる期待を感じさせてくれたのが2014年だった。3位でペナントレースを終えたカープは、クライマックスシリーズファーストステージで阪神に快勝、その勢いで、ペナントレース優勝の巨人とのファイナルステージに挑む。若手選手中心のはつらつとしたチームに、絶対的エース前田健太もいる。私は、久しぶりに球場でカープを応援することにした。チケット屋で定価の数倍もするチケットを買い、第2戦の東京ドームに乗り込んだ。

しかし、前田は打たれ、カープの強打線は、菅野投手の前に手も足も出ず惨敗した。やはり、「私が東京で広島・巨人戦を観戦に行くと必ず広島が負ける」というジンクスが、40年近くを経た後も変わっていないことを再認識した。そのシリーズ、結局、カープは巨人に1勝もできなかった。

久々に東京ドームで味わった悔しさで、私のカープファン魂は強烈に蘇った。翌2015年、アメリカ大リーグで活躍した黒田の復帰で期待が高まるカープの応援に神宮球場に出かけた。

多くの「カープ女子」を含む真っ赤なスタンドでのカープファンの応援は、かつての広島市民球場の殺伐とした、すさんだカープファンとは全く対照的だった、私も、真っ赤なカープ帽、応援グッズを携え、神宮球場に通った。しかし、この年のヤクルトは強かった。黒田が登板した試合でもヤクルトの強打線に打ち込まれた。結局、私が神宮球場に行った5戦すべてで、カープはヤクルトに敗れた。

そして、今年(2016年)のペナントレースが開幕、広島は開幕から打線が好調、4月16日、初めて東京ドームでの広島・巨人戦、予告先発は、昨シーズン巨人に負けがなかった黒田。東京での広島の巨人戦勝利を目にする最大のチャンスが訪れたと思った私は、東京ドームに出かけた。

しかし、黒田は不調、序盤から打ち込まれる。広島も追い上げたが、結局1点差で負けた。球場を埋め尽くす巨人ファンがオレンジのタオルを振り回すという「おぞましい光景」を見せつけられ、「やはり東京ドームになど来るべきではなかった」と反省した。

東京ドームでの巨人戦はダメでも、神宮でのヤクルト戦なら、と思って、その翌週、神宮球場に応援に行ったところ、カープはヤクルトに快勝、新井が2000本安打を達成した記念すべき試合だった。

勢いに乗るカープは、4月29日からの中日戦で、打線が爆発して3連勝、その間、貧打の巨人はヤクルトに3連敗、勢いの差は歴然としていた。ゴールデンウィークの5月3日からの東京ドームでの広島・巨人3連戦、初日の予告先発は、カープが巨人キラーのジョンソン、巨人は4月16日に先発して広島に打ち込まれた田口。「東京での巨人戦のジンクス」を覆す最大のチャンスだと確信した私は、自信を持って東京ドームに乗り込んだ。

予想どおり、ジョンソンは上々の立ち上がり、カープは田中、エルドレッドのホームランで4回までに2点を取った。ジョンソンなら、この2点を守り切ってくれるだろうと思い、「やはり、今日は応援に来てよかった」と思った。

ところが、4回裏、ツーアウトから、好守備を誇るショート田中が信じられないタイムリーエラーを犯したことをきっかけに、2点をとられて同点にされる。7回表、カープは、ノーアウト2、3塁という絶好の勝ち越しのチャンスを迎えたが、次打者のショート正面のゴロでエルドレッドが無謀にもホームに突っ込んでアウト、1、3塁となった後、ショートゴロ併殺で無得点。8回裏に1点をとられて逆転され、9回は澤村に抑えられて万事休す。まさかの敗戦だった、カープを負けさせる方向に、何か不思議な力が働いているとしか思えなかった。

翌4日の試合、カープは野村が先発、打線も順調に得点を重ね、難なく6対1で快勝した。私がいないと、どうしてこんなに簡単に勝つのか。

どうしたら、このジンクスの泥沼から抜け出せるのか、そう考えた時、私の頭に「逆転の発想」が浮かんだ。「カープが勝てそうな試合に来てジンクスを破ろうとするから、ジンクスでカープが負ける。むしろ、勝てなさそうな日に行けば、ジンクスが逆に働いて勝つのではないか」、5日の試合は、巨人の予告先発は菅野、広島は先発投手の谷間のため未勝利の九里。常識的には、ほとんど勝ち目のない試合だった。私は、「逆転の発想」にかすかな望みを持って、また、東京ドームに出かけた。

その試合、九里は好投し、5回まで零点に抑えた。天谷が菅野から2ランホームランを打って一点差に迫るという意外な健闘は見せた。しかし、結局、カープは4対2で負けた。当たり前の結果だった。また、オレンジのタオルを振り回す巨人ファンを横目に球場を後にすることになった。

その巨人は、翌5月7日からの東京ドームでの中日との3連戦で3連敗した。4月29日から5月9日までの、対ヤクルト、広島、中日の9試合で、巨人は2勝7敗。勝ったのは、5月3日と5日の2日だけ、いずれも私が東京ドームに行った日だった。それ以外の7試合は全部負けたのだった。

私は、「自分が東京での巨人戦でカープの応援に行くことは、カープに禍をもたらし、巨人を利するだけだ」と深く肝に銘じ、それ以降、球場に足を運ぶことは控え、テレビでの応援に徹した。すると、その後のカープは快進撃を続け、一時、二位の巨人に11.5ゲーム差をつけて首位を独走。後半戦に入って、4.5ゲーム差まで追い上げられ、1996年の悪夢を思い出したが、また、突き放し、現在、8ゲーム差。本日、8月23日からの東京ドームでの広島・巨人3連戦を迎える。

広島が勝てば、巨人の自力優勝は消滅、ついに広島に25年ぶりの優勝に向けてのマジックが点灯する。それを、どうしても、この目で見たい、という思いを抑えることができない。カープファンには誠に申し訳ないが、私は、本日の広島・巨人戦、東京ドームでカープの応援に加わる。

今日こそ、「東京の巨人戦でカープを応援に行くと必ず負ける」というジンクスが、41年ぶりに破られることを確信して。

そして、その8月23日の「広島・巨人戦」の結末を書いたのが、【ある不幸なカープファンの物語・2016年8月23日篇~「不幸」は続く】である。

カープが巨人に勝てばマジックが点灯する8月23日。「東京で広島・巨人戦に行くと広島が負ける」というジンクスが41年ぶりに破られることを夢見て、カープファンの皆様には申し訳ないと思いつつ、覚悟を決めて東京ドームに向かう。

数日前、ネットオークションで、ネット裏のチケットを、驚くほど安い価格でゲット。「これは何かが変わる前兆か」と、かすかな期待を持って球場に乗り込む。席は、実況席のすぐ下。グラウンド全体が良く見える位置。

カープの先発は、絶対的エースで巨人キラーのジョンソン、打線も好調。対する巨人の先発はマイコラス、前回の広島戦では6回で5点とられてKOされている。どう見ても、カープ有利に思える。唯一の不安材料は、私が球場に来ていることだけ。

試合は、ジョンソンとマイコラスの投手戦。両チーム無得点が続く。と言っても、ジョンソンが、8回まで散発3安打。3塁も踏ませない危なげない投球であるのに対して、マイコラスは、4回、無死1、3塁、5回、一死2.3塁、7回一死3塁と再三にわたってピンチを招く。しかし、カープ打線にあと一本が出ない。

両チーム無得点のまま迎えた9回、カープは、2死満塁のチャンスを逃し、その裏、巨人が、さすがに疲れの見えるジョンソンを打ち込んで1死満塁のチャンスを迎えた時点で、「やはり今日もダメか」と天を仰いだ。しかしカープの好守で内野ゴロ併殺に切り抜け、胸をなでおろす。

10回裏、カープの投手はジャクソンに変わる。巨人は脇谷から始まる下位打線、この回は問題ない、次の回が勝負だ。ジャクソンも簡単に2ボール2ストライクと追い込む。

そこで信じられないことが・・・。

脇谷が打ったライトへの打球が、何とスタンドに飛び込んだのである。それを呆然と見届けた私は、その瞬間、脱兎のごとく球場の外に駈け出した。出口に近い席だったので、幸い、「オレンジのタオルを振り回す巨人ファン」の忌まわしい光景を見ることだけは免れた。

今季50試合以上に登板して、ホームランを2本しか打たれていないジャクソンが、どうして、一本もホームランを打っていない脇谷などに打たれるのか、全く信じられなかった。自宅に帰った後、テレビのスポーツニュースで、そのシーンを見ると、何と、脇谷が打った球は、高めの「クソボール」、まともな打者なら、見送ってスリーボールにするところだ。脇谷が「吊り球」に手を出して振ったバットとボールが「空中衝突」したようなもの。だから、スタンド中段にまで飛んだのだ。

どうして、私が東京ドームで見ていると、こういうことが起きるのか。

「40年以上のジンクス」を破るのは、やはり容易ではない。

しかし、私はめげない。この後も、そのジンクスが破られる夢への挑戦を続ける。

それ以降、カープは順調に勝ち星を重ね、同年9月28日の東京ドームでの「広島・巨人戦」でセリーグ優勝を決めた。

私は、その翌日。優勝決定後の9月29日、東京ドームでの最終戦にカープの応援に行った。「優勝決定後のゲーム」なら、それまでとは違うのではないかという思いもあった。しかし、カープの選手たちは、前日夜の祝勝会の疲れが残っているのか、なかなかエンジンがかからず、0-2でリードされたまま終盤に入ったが、「やはり、消化試合でもだめか」と思っていたら、カープは、6回から反撃開始、5点をとって逆転、5-3でカープが勝った。

私は、東京で、初めてカープが巨人に勝つ試合を目にすることができた。

それが、私にとっての「広島・巨人戦」での「不運」の流れを大きく変えることになった。

それ以降、東京でも、広島でも、私が応援に行った「広島・巨人戦」で、カープが巨人に負けたことは一度もない。

そして、昨日の試合である。

初回、カープは、西川が先頭打者ホームラン、続く2番菊池もホームランで2点、3回には、鈴木誠也のタイムリーで3点をリードした。

一方の巨人は、ジョンソンの巧みな投球にほとんどまともな当たりはなく、ランナーもほとんど出ず、沈黙したが、球数が多く、6回が限度だろうと思えた。案の定、7回からは、リリーフの遠藤が登板したが、ゲレーロに2点ホームランを打たれて1点差となった。

その後も、ヒット、四球などで二死満塁のチャンスでバッターは坂本、ほとんど祈るしかない場面だったが、ライトのフェンス際まで飛んだ大きなフライで、何とか1点差を守った。

そして、8回裏、カープは今村が登板したが、無死から亀井に二塁打を打たれ、バッターは長打の岡本。ところが、原監督の岡本へのサインは1球目からバントだった。2球目でバントは成功し、一死3塁となり、バッターは前の打席ホームランのゲレーロ。カープはフランスアが登板。打った当たりは3塁ライナー、ランナー亀井は戻れず併殺打となり8回が終了。9回裏も、先頭バッターの炭谷の当たりが3塁ライナー。後の二人は、フランスアが三振に仕留めて試合終了。

まさに、痺れるような接戦だったが、カープにとっては、本当にラッキーだった。

初回の西川のホームランは、ライトフェンスを僅かに超えた当たり、菊池は、直球を狙っていたのか「出会い頭」のようなホームラン、鈴木誠也のヒットも会心の当たりではなかったが、ショートの左を際どく抜けた。いずれも、ラッキーな得点だった。

一方の巨人の攻撃は、ジョンソンには手も足も出なかったが、降板後は、チャンスの連続だった。満塁からの坂本のライトフライも、ゲレーロの3塁ライナーも、まさに紙一重であり、大量点につながっていてもおかしくなかった。

2016年5月3日、絶好調のカープが絶不調の巨人に信じられない敗戦を喫したのとは真逆の方向に、「カープを勝たせる方向への不思議な力」が働いていたとしか思えない。

40年にわたる「不運」のジンクスで貯めこんだ「運」は、まだまだ強烈に残っているようだ。

一時は12ゲーム差まで広がっていた巨人とのゲーム差も5ゲームまで縮まった。1996年の怨念を晴らす「逆メークドラマ」に向けて、今後も、東京ドームでの「広島・巨人戦」に、可能な限り、応援に行きたいと思う。

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公共調達のあり方に重大な影響を与える“国循事件控訴審判決”

国立循環器病研究センター医療情報部長だった桑田成規氏が、大阪地検特捜部に官製談合防止法違反で逮捕・起訴された「国循事件」の控訴審判決が、明日7月30日に言い渡される。

昨年8月、控訴趣意書提出の時点で、それまでの捜査公判の経過と検察捜査の問題点を、ブログ記事【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で明らかにし、【控訴趣意書】は、事務所HPで公開している。

また、大阪高裁での控訴審の2回の公判期日の状況と、そこでの検察官の対応が、どのようなものだったのかについては、【正義の「抜け殻」と化した検察官~国循事件控訴審、検察「弁論放棄」が意味するもの】で述べている。

大阪地検特捜部にとって、不祥事以降初めての「本格的独自捜査事件」

大阪地検特捜部が、村木厚子氏の事件で「冤罪」が明らかになったことに加えて、証拠改ざん問題まで発覚して厳しい社会的批判を浴びて以降、初めて手掛けた「本格的検察独自捜査」が、この国循事件だ。贈収賄事件の立件を目論み、強制捜査に着手したものの、失敗に終わり、一連の不祥事を受けての検察改革で打ち出された「引き返す勇気」をもって捜査を打ち切るべきだったのに、組織の面子のために、本来犯罪とすべきではない国循の情報システムの発注手続の問題を無理矢理刑事事件に仕立て上げ、桑田氏を逮捕・起訴した。

村木事件は、「証拠」の問題であり、「事実」の問題だった。そこに、大阪地検特捜部の重大な「見込み違い」があり、検察のストーリーを押し付ける不当な取調べに加えて、「証拠改ざん」という問題まで起きた。

一方、国循事件の問題は、検察の「判断」の問題だ。経済社会では様々な事象が発生する。その中で、何を刑事事件として取り上げ、処罰の対象にすべきなのかについての判断は、基本的に検察に委ねられている。検察が判断を誤り、刑事事件とすべきではない事件を刑事事件として取り上げた場合、経済社会の中で多数発生している同種の問題が、広く刑事立件として、処罰の対象とされることになり、重大な社会的影響が生じることになる。

国循事件では、不当な起訴に対して検察内部での組織的なチェックが働かなかったばかりでなく、2年にもわたる審理の末、懲役2年を求刑し、一審裁判所は、それに盲従した判決を出した。控訴審では、その検察の捜査・起訴と一審裁判所の判断に重大な誤りがあることを徹底して主張した。

そもそも、検察組織内部で、「何を刑事事件にすべきか」、「何が悪いのか」について最低限の常識が働いていれば、このようなことは起こり得なかった。

犯人ではない人間、事件と無関係の人間が犯人とされ、逮捕・起訴されるという「冤罪」は、後から証拠を探せれば白黒がはっきりするので、世の中にわかりやすい。そういう事件と無関係の人間に対する「冤罪」が、普通の社会生活を営む人間に、いきなり降りかかるという事態はそれほど多くは発生しない。一方、特捜部の事件の問題は、事件と無関係の人間がいきなり逮捕、起訴されるという形での「冤罪」ではない。問題になるのは、それが「犯罪」に当たるのか、「犯罪」とすべきなのかという「評価」であり、その「評価」自体と、それを根拠づける「事実」の存否が正しかったのかどうか、なのである。

桑田氏は、極めて有能な医療情報学の専門家であり、その能力を最大限に活かし、鳥取大学医学部での電子カルテシステム構築で大きな成果を挙げ、電子カルテ導入が難航していた国循に、医療情報部長として就任し、めざましい成果を挙げた。まさに、大規模医療機関において、多くの患者の生命と健康を守るために、医療情報システムが確実に機能するよう最大限の努力を行い、成果を挙げてきた人である。

桑田氏のような人が、刑事事件で逮捕・起訴され、処罰されることがあり得るとすれば、この世の中で、前向きに改革の意欲を持って職務に取り組んでいる人には少なからず「言いがかり」をつけられて、刑事事件に巻き込まれるリスクがあるということになる。

それだけに、この事件に対する裁判所の判断は、ある意味ではわかりやすい「冤罪」の問題以上に、社会的にも重要な問題だと言えるのである。

刑事事件化の背景

桑田氏が医療情報部長に就任するまで、国循の情報システムに関する業務はN社がほぼ独占し、高い価格で、非効率な業務が行われていた。情報システムに関する発注では、業務の内容を熟知している既存業者が圧倒的に優位な立場にあるので、競争条件を対等にし、新規参入を可能にするためには、新規参入業者への情報開示と、発注条件に対する業者側からの意見・質問への応答を義務付ける「意見招請手続」などが重要だった。しかし、国循では、それらが行われておらず、情報ネットワークを担当していた桑田氏の前任者や、発注手続を担当する契約係も、N社の独占による「ぬるま湯」的状態に甘んじていた。

桑田氏の着任以降は、桑田氏が、鳥取大学時代から、情報システム業者として高く評価していたD社が、国循の情報システム業務に参入し、N社の独占の牙城を崩していった。その結果、業務は大幅に効率化され、費用も大きく低減された。

ところが、2014年2月、大阪地検特捜部は国循の強制捜査に着手、その容疑事実は、「桑田氏と契約係が共謀してD社に予定価格を漏洩した」という、いわゆる官製談合防止法違反、公契約関係競売入札妨害罪だった。

“入札価格の漏洩の競売入札妨害罪を「入り口事件」にして強制捜査に着手し、贈収賄事件の立件を狙う”、というのは、昔から、警察の捜査2課等が、土建屋談合・贈収賄事件で用いてきた「使い古された捜査手法」だ。それを、高度の技術を要する複雑な大規模医療機関の情報システムの問題で使おうとしたことに、検察捜査の根本的な誤りがあった。

特捜部がこのような狙いで捜査に着手することとなった背景に、桑田氏が国循医療情報部長に就任して以降、国循からの大型の情報システム受注を次々と失うことになったN社やその関係業者側の不満・反発があった。N社は、平成24年度にD社にネットワーク関連業務の受注を奪われた後、25年度の入札で、関係業者S社に参加を打診し、それを受けたS社は原価を無視した過度な安値で落札して強引に受注を図ったものの(いわゆるダンピング行為)、国循が「履行能力調査」を行ったところ、受注を断念せざるを得なくなった。

桑田氏は、独占受注に胡坐をかいていたそれまでの受注企業の「不当な利益」を失わせただけだった。そもそも、大阪地検特捜部の捜査着手の方向が全く間違っていたのである。

一審の裁判の経過

桑田氏が問われた罪は、官製談合防止法8条違反の「公の入札等の公正を害する行為」だった。医療情報部長として国循の情報システムの発注に関与する中で、①「D社が初めてシステムの管理業務の入札に参加した際、業務の体制表をメールでD社に送付した行為」、②「D社受注の翌年の入札で仕様書に新たな条項を加えた行為」などの行為が、同法違反に当たるとされたものだった。

一審で最大の争点とされたのが、「桑田氏が、メール送付の際に、N社が提出した当該年度の業務体制表と認識していたのか、前年度の体制表と認識していたのか」という点であった。前年度の体制表を送付した認識しかなかった桑田氏は、当該年度の体制表とは認識しないでメールを送付したと訴え続けた。それを理由に、「全面無罪」を主張し、多くの支援者にも支えられて「冤罪」を訴えてきた。

しかし、それは、ある意味では、検察にとって好都合な展開だったと言える。もともと、「認識の立証」というのは、刑事事件の立証の中で、検察が得意技にしているものだ。国循の契約担当者などの証言を固めて、前年度の体制表と認識して送付したという桑田氏の弁解を崩し、当該年度の体制表であることを認識した上で送付したことを、刑事裁判で立証することは、さほど困難ではなかった。

検察は、桑田氏とD社との「癒着」や、その利益を図ったことなど、本来、刑事処罰にすべき理由を何一つ立証できなかったが、体制表についての「認識」の立証については、優位に立つことができた。2年にわたる審理で、多数の証人の尋問、被告人質問が行われ膨大な時間が費やされたが、検察官は、国循の多数の職員の証言や物証等から、認識があったことを立証し、その結果、桑田氏は、執行猶予付きとは言え、公務員にとって致命的ともいえる「懲役刑」の有罪判決を受けたのである。

控訴審での弁護人主張

控訴審では、一審での弁護方針を全面的に見直し、①については、無罪主張は行わず、桑田氏が国循の医療情報部長として行った対応は、官製談合防止法違反として処罰されるべき行為ではないとして、検察官の違法性の評価の誤り、訴追裁量権の逸脱を主張した。②については、システム発注における仕様書に「新たな条項」を追加した行為は、発注の目的にとって合理的なもので、「公の入札の公正を害すべき行為」に該当しない、として無罪を主張した。

控訴審の審理で最大の焦点になったのが、弁護側が証拠請求した上智大学法科大学院の楠茂樹教授の意見書だった。楠教授は経済法学者で、公共調達法制と入札監視実務の専門家であり、この問題をめぐる法令の適用や事実の評価に関する、専門的見地からの意見書を控訴審に提出した。

楠教授が、特に重要な問題として指摘したのが、発注において設定される仕様書に「新たな条項」を追加する前記②の行為の違法性だった。

この点について、一審判決は、

特定の業者にとって当該入札を有利にし、又は、特定の業者にとって当該入札を不利にする目的をもって、現にそのような効果を生じさせ得る仕様書の条項が作成されたのであれば、当該条項が調達の目的達成に不可欠であるという事情のない限り、官製談合防止法違反の「公の入札等の公正を害する行為」に該当する

と判示していた。

それに対して、楠意見書では、

おおよそあらゆる公共調達において何らかの調達対象について有利・不利があるのであって、これを問題視してしまえば、多くの公共調達が機能不全に陥ってしまう。重要なのは競争性の制約に見合った条件の設定なのか、という点であって、有利・不利の存在それ自体ではない

との意見であり、この見解を前提にすれば、一審判決の法令解釈が誤っており、②の事実が無罪であることは明らかだった。

検察官は、最終弁論すら放棄した

この楠意見書への検察官の対応は、混乱・迷走そのものだった。

検察官は、第1回公判期日で、楠意見書の取調べに「同意」した上、ほぼ全体について「信用性を争う」などとし、「意見書とは意見・見解を異にするという趣旨だ」と釈明したが、検察官は、その「異なる見解」の内容は全く明らかにしなかった。

第2回公判期日での最終弁論で、弁護人は、このような検察官の対応について、「本件に関する検察官の主張は、完全に破綻・崩壊していると言わざるを得ず、それにより、検察官の法令解釈に全面的に依拠する原判決の法令解釈の誤りも明白になった」と指摘し、起訴された事実のうち2つについては無罪、残り一つについても、「本来、刑事事件として立件されるような事件では全くなく、立件されたとしても、起訴猶予とされるのが当然であって、検察官が訴追裁量を誤り、起訴した本件に対する被告人桑田の量刑としては、少額の罰金刑が相当であることは明らかであり、罰金刑の執行猶予とすべき」と主張して、最終弁論を締めくくった。

検察官は、楠意見書に対しても、弁護人の主張に対しても、具体的な反論を全く行わず、上記のような弁護人の最終弁論に対しても、検察官弁論をせず、反論を全く行わなかった(【前掲記事】)。

控訴審判決の注目点

控訴審判決で、まず、注目されるのは、量刑だ。

一審判決は、懲役2年執行猶予4年を言い渡した。これに対して、弁護人は、①については、適切に事案が評価されれば起訴猶予相当の事件であることから、少額の罰金刑の執行猶予とすることを求めた。控訴審判決で懲役刑が維持されるのか、罰金に変更されるのかどうかが、まず注目点だ。

もし、一審判決の懲役刑の量刑が見直され、罰金刑とされた場合には、特捜部が独自捜査で刑事立件して公判請求した事件では異例の事態となる。事件の評価が根本的に誤っているとの主張が裁判所に認められたことになる

社会的な影響という面で重要なのは、上記②の行為について、一審の有罪判断が覆されるか否かである。

これに関しては、「当該条項が調達の目的達成に不可欠であるという事情のない限り」違法となるという一審判決の判断について、それが誤っていることを、控訴趣意書でも、その後の弁護人の主張・立証でも、強く主張してきた。契約の目的実現のために、契約条件が適切に設定されるよう「当然の努力」を行うことが、官製談合防止法違反の犯罪に問われるとすると、公共調達に関する官公庁・自治体の職員全体に、重大な影響を与えることになりかねない。

この点について原判決の見解が誤っていることを明確に指摘した楠教授の意見書の見解が、控訴審判決でどのように取り扱われるのか。桑田氏個人のみならず、社会全体に対しても、極めて重要な司法判断となる。

 

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吉本興業、独禁法「優越的地位の濫用」による摘発が現実のものに

一昨日(7月23日)出した記事【“吉本興業下請法違反”が、テレビ局、政府に与える重大な影響】で、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本HD」)をめぐる問題について、下請代金支払遅延等防止法(以下、「下請法」)違反の可能性と、テレビ局・政府が、コンプライアンス上問題のある企業と取引を継続することについての問題を指摘したところ、大きな反応があった。テレビ局との契約主体が、資本金1000万円の吉本興業株式会社(以下、「吉本興業」。2019年6月に「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」から商号変更。)だとすると、下請法の適用対象の「親事業者」に該当しないのではないかとの疑問、その場合、下請法のトンネル会社規定が適用される可能性の指摘もある(【吉本興業は下請法の適用外?芸人が正当なギャラを受け取るには】【吉本興業は下請法違反? ギャラの認識で芸人と食い違い、書面のやりとりもなし】)。

公正取引委員会の山田昭典事務総長も、昨日の定例記者会見で、吉本が所属芸人と契約書を交わしていないことについて、「契約書面が存在しないことは問題がある。」と発言した(【吉本興業“契約書なし”を問題視 公取委事務総長が指摘】)。

この点に関連して、経済法学者の楠茂樹上智大学教授からは、「下請法は独占禁止法の優越的地位乱用規制の補完的立法である。」「資本金等の要件から下請法が適用されないケースにおいては、独占禁止法がダイレクトに適用されることになる。」との本質を衝いた指摘が行われている(【下請法と独占禁止法:芸能事務所と芸能人の関係で考える】)。

また、Business Insider Japanの取材に応じた公取委の元幹部も「契約書を交わすのは、取り引きの基本。それさえ守られていないようだ。発注書を渡さないのは、事務所側がいつでも自由に条件を変えられるようにしたいからだろう。」「公の場で契約書がないことまで明らかになっていて、当局がなにも調べずに終わるということは考えにくい。」とし、独禁法の「優越的地位の濫用」による摘発の可能性も指摘している(【独禁法に違反? 契約書なし続く吉本をめぐる2つの法的疑問】)

一方、この問題について複数の記者から取材を受けたが、下請法違反の指摘について吉本HDの広報に問い合わせると、「発注書面は芸人に交付している」と説明しているようだ。

これらの議論や動きを踏まえて、この問題についての、今後の展開を予測してみよう。

「吉本と芸人との取引」が下請法の対象外?

まず、「吉本と芸人との取引」が吉本興業の資本金の関係で下請法の対象外ではないかとの指摘についてであるが、確かに、下請法2条7項では、資本金1000万円を超えることを「親事業者」の要件としており、資本金1000万円の吉本興業も、商号変更前の「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」も、下請法の「親事業者」には該当せず、同法3条の発注書面交付義務を負わないようにも思える。

しかし、吉本所属の芸人・タレントについて、テレビ局への出演の契約をしている吉本HDグループは、2009年時点でも、売上が約500億円に上る大企業である。しかも、その吉本HDは、もともと上場会社の吉本興業株式会社がMBOで非上場企業になって持ち株会社化した企業であり、その前身は、芸能事務所そのものである。そのような企業グループと、個人事業主としての吉本所属芸人やタレントとの関係が、形式上の契約主体を資本金1000万円の会社にしていることで、下請法の適用の対象外となり、契約書すら交わしていなくても法的な問題を問われない、というような非常識な結論が、果たして、通用するだろうか。昭和の時代であればともかく、経済社会における法の機能強化、コンプライアンスの徹底が図られてきた平成の30年を経て、今、令和の時代に入っているのである。

さすがに、吉本HD側も、そのことは認識しているようで、だからこそ、マスコミからの取材に対しても、今になって「芸人には発注書面を交付している」などという「凡そ通るわけもない苦しい言い逃れ」をしているのであろう。

しかし、そもそも、吉本HDの経営トップの大崎洋会長が、吉本のポリシーとして「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。」と述べ、今後も契約書は作成しないと明言しているのである。そのような会長の方針に反して、現場では芸人との契約書が作成され発注書面が交付されていたなどということがあり得ないことは誰の目にも明らかであろう。

吉本興業側が、岡本昭彦雄社長の記者会見での「冗談」の言い訳と同レベルの「言い訳」をしているのは、さすがに、吉本興業の資本金が1000万円であることを下請法違反への「弁解」として持ち出すことができないからであろう。そういう「弁解」が吉本側から出てくれば、「法の潜脱」の意図が明確になる。それは、トンネル会社規制を適用して下請法違反で摘発する方向に、公取委を後押しすることになるだろう。

下請法違反潜脱行為に対しては、独禁法「優越的地位の濫用」禁止規定の適用

楠教授が指摘するように、もし、吉本興業が、資本金との関係で「親事業者」に該当せず、下請法が適用されない場合は、それは、独禁法違反としての「優越的地位の濫用行為」(独禁法19条)の禁止規定の適用の問題となる。下請法は、「優越的地位の濫用」のうち、親事業者が下請事業者に対して行う典型的な態様の行為と、違反につながりかねない行為を、形式的に切り取って、それに対する措置を定めたものだ。公取委の内部の担当も、独禁法違反一般の調査を担当する審査局ではなく、経済取引局下請課が、中小企業庁とも連携して調査する仕組みになっている。

下請法の適用対象は、主として客観的な基準で判断され、違反に対する措置も、多くは勧告・注意にとどまる。違反の多くは、下請法が定める規定の理解不十分によるもので、そのような「悪意のない違反」に対して指導的措置をとることが中心だ。

そういう意味では、下請法の適用を免れようとする意図で行われる「悪意のある違反」は、もともと下請法の適用領域とは異なるとも言える。吉本興業が契約主体を資本金1000万円にすることで「法の潜脱」を図ったとすれば、そのような悪質かつ露骨な違反行為に対しては、公取委審査局が、独禁法本体の「優越的地位の濫用」に関する規定の適用を検討するのが本筋であろう。「下請法」による調査は、書面による質問に回答することなどがほとんどだが、審査局が「優越的地位の濫用」の疑いで調査に入ることになれば、「立入検査」などの法律に基づく正式な手続で証拠収集が行われ、処分としても、排除措置命令のほか、取引額の1%の課徴金を課されることになる。

「優越的地位の濫用」の成否のポイントとなる「不当な不利益」の有無

「優越的地位の濫用」は、「自己の取引上の地位が相手方に優越している一方の当事者が,取引の相手方に対し,その地位を利用して,正常な商慣習に照らし不当に不利益を与える行為」である。このうち、吉本興業が、芸人・タレントに対して、「自己の取引上の地位が相手方に優越している一方の当事者」であることには疑問の余地はない。問題は、「正常な商慣習に照らし不当に不利益を与えた」と言えるか否かである。下請法が適用される場合は、「発注書面の不交付」自体が違反となるが、優越的地位の濫用については、「不当な不利益」という「実質的な被害」がなければならない。山田事務総長が、前記会見で、「契約書がないだけでただちに問題になるわけではないが、事務所が強い立場を利用してタレントを不当に低い報酬で働かせるなどすれば独禁法で問題なる恐れがある。」と述べているのは(日経)、優越的地位の濫用の要件を意識したものであろう。

契約書もなく、吉本興業側が勝手に報酬額を決めていること自体が「不当な不利益」と見ることもでき、それ自体でも「違反の恐れ」があるとされて公取委が警告をする対象としては十分であろうが、実際に「違反」と認定するためには、吉本興業の所属芸人・タレントが、不当に低い報酬で働かされた事実が必要となる。最低賃金を大幅に下回るような条件で働かせていたということであれば、客の前で披露できるだけで、どんな条件でも応じるという芸人側の意向があったとしても、「不当な不利益」であることは否定できないであろう。

吉本興業に対する、独禁法・下請法による摘発の可能性は相当程度あると考えられる。

それにしても不思議なのは、吉本HDという会社には、社外取締役、社外監査役に、東京の大手法律事務所所属弁護士なども含む4名もの弁護士がいるのに、なぜ、芸人・タレントとの間で契約書すら交わされていない「無法状態」が放置されてきたのかということだ。吉本HDの社外役員というのは、それ自体が一つのステータスということなのであろうか。

コーポレートガバナンスの強化に関して、社外役員の存在が重視され、弁護士の社外役員も相当な数に上っている。しかし、本当に、それが会社の経営を法的に健全なものにすることに役立っているのか、改めて考えてみる必要がありそうだ。

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「吉本興業と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局、政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか

振り込め詐欺グループの宴会に参加して金を受け取ったとして謹慎処分を受けた、宮迫博之氏と田村亮氏の2人の記者会見を受けて、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本」)の岡本昭彦社長が、7月22日に記者会見を行ったが、言っていることが意味不明で、宮迫氏らへの発言について不合理極まりない言い訳に終始し、一度行った契約解除を撤回する理由も不明なままであり、社長・会長の責任については50%の報酬減額で済ますというのも、全く納得のいくものではない。

岡本社長は、この問題を、宮迫氏らとの「コミュニケーション不足」や、彼らの心情への「配慮不足」の問題のように扱い、「芸人ファースト」「ファミリー」などという言葉ばかりを使い、精神論的な問題にとどめ、吉本という会社と芸人・タレントの関係に関する根本的な問題に対する言及は全くなかった。

口頭での「契約」の是非

最大の問題は、吉本興業は、芸人・タレントと契約書を交わしておらず、大崎洋会長は、「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。民法上も、口頭で成立します。」と言い切っており、今後も契約書を交わさないことを明言していることである(【吉本興業の「理屈」は、まっとうな世の中には通用しない】)。

しかし、芸人等の出演契約というのは、小売店での現物売買、「料金表」に基づく業務発注などとは異なり、「契約書」を作成し、契約内容、対価を明確にしておくべき必要がある契約の典型だ。

しかも、企業にとって、そのような契約を口頭で行って、契約書も交わさないというやり方には、法律上問題がある。

それは、独占禁止法が禁止する「優越的地位の濫用」について、親事業者の下請事業者に対する行為を規制する下請代金支払遅延防止法(以下、「下請法」)との関係である。

下請法との関係

吉本の芸人・タレントは、個人事業主である。下請法により、一定規模の親事業者が個人事業主に役務提供委託する際には、下請法3条に定める書面(いわゆる3条書面)を発行する義務がある。吉本のような芸能事務所が主催するイベントへの出演を個人事業者のタレントに委託する場合には、「自ら用いる役務の委託」に該当するため下請法3条書面を交付する義務が発生しない。

しかし、吉本が、テレビ局等から仕事を請け負い、そこに所属芸人を出演させる場合には、吉本が個人事業者の芸人に役務提供委託をしたことになる可能性があり、この場合、下請け法3条の書面を発行する義務がある。下請法上、親事業者は発注に際して、発注の内容・代金の額・支払期日などを記載した書面を下請事業者に直ちに交付する義務があり(同法第3条)、この義務に反した場合には、親事業者の代表者等に50万円以下の罰金を科する罰則の適用がある(同法第10条)。

吉本では、芸人・タレントをテレビ等に出演させる際に、契約書を全く作成しないということなのであるから、下請法3条の発注書面交付義務違反となる可能性がある。

下請法が、このような下請事業者への書面交付を義務づけているのは、発注書面がないと、親事業者から、後で「そんな発注はしていない」、「代金はそんなに出す約束をしていない」、「支払いは3か月後だ」などと言われても下請事業者は反論しにくくなってしまうからである。そこで、下請事業者に不当な不利益が発生することを防止するために書面の交付が義務付けられている。

吉本の芸人は、契約書を交わすこともなく、契約条件も、対価も明示されないまま「口頭での契約」で出演の仕事を行っているのであり、著しく不利な立場に置かれていると言える。

この点に関して、公正取引委員会が、2018年2月に公表した「人材と競争政策に関する検討会報告書」では、以下のように書かれている。

発注者が役務提供者に対して業務の発注を全て口頭で行うこと,又は発注時に具体的な取引条件を明らかにしないことは,発注内容や取引条件等が明確でないままに役務提供者が業務を遂行することになり,前記第6の6等の行為を誘発する原因とも考えられる(この行為は,下請法 が適用される場合には下請法違反となる。)

※「第6の6の行為」⇒「代金の支払遅延,代金の減額要請及び成果物の受領拒否 ・ 著しく低い対価での取引要請・成果物に係る権利等の一方的取扱い・発注者との取引とは別の取引により役務提供者が得ている収益の譲渡の義務付け」

つまり、当該取引に下請法の適用がある場合には、発注者が業務の発注を全て口頭で行い、発注書面を交付しない行為が違法であることは明白である。

「下請法3条違反」に対する刑事罰適用の可能性

もっとも、下請法3条違反で罰則が実際に適用された例は、これまではなく、すべて当局の「指導」により是正が図られている。しかし、それは、ほとんどが、発注書面自体は作成交付されているものの、その記載内容に不備があるという軽微な違反だからである。書面を全く交付していないというのは、下請法の適用対象の大企業では、ほとんど例がない。しかも、吉本興業は、露骨な下請法違反を行っておきながら、経営トップである大崎会長が、悪びれることもなく、「今後も契約書は交わさない」と公言しているのである。このような違反に対しては、当局の「指導」では、実効性がないと判断され、刑事罰の適用が検討されることになるだろう。

違反の事実は、会長・社長の発言などからも明白だが、吉本所属の芸人・タレントから、公取委に申告、情報提供が行われれば、公取委が調査に乗り出すことは不可避となるだろう。この場合、「親事業者が,下請事業者が親事業者の下請法違反行為を公正取引委員会又は中小企業庁に知らせたことを理由として,その下請事業者に対して取引数量を減じたり,取引を停止したり,その他不利益な取扱いをしてはならない」(4条1項7号)という規定があるので、吉本側が、それを理由に、契約解除等の措置をとると、それ自体が下請法違反となる。

「吉本下請法違反」がテレビ局に与える影響

このように、吉本の下請法3条違反は、弁解の余地がないように思え、しかも、その事実関係は、外部的にも明白である。社会的責任を負う企業としては、「反社会的勢力」と関わりを持つことが許されないのと同様に、このようなコンプライアンス違反を行っていることを認識した上で取引を継続することは許されない。

吉本が、配下のすべての芸人・タレントと契約条件を明示した契約書を交わすなど、違法行為、コンプライアンス違反を是正する措置をとらない限り、吉本と契約をしているテレビ局、そして、吉本が4月21日に発表した教育事業への進出に総額100億円もの補助金の出資を予定している政府も、吉本との取引は停止せざるを得ないということになる。

もちろん、安倍首相も、吉本の番組に出演したりして、浮かれている場合ではないことは言うまでもない。

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「契約書のない契約」という“闇”~吉本興業の「理屈」は、まっとうな世の中では通用しない

7月20日、振り込め詐欺グループの宴会に参加して金を受け取ったとして謹慎処分を受けた、「雨上がり決死隊」の宮迫博之氏と「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮氏の2人が記者会見を開いた。引退を覚悟して、謝罪会見をしたいと会社に伝えた際に、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本」)の岡本昭彦社長から「会見したら、全員連帯責任でクビにする」と言われたと明らかにしたことで大きな波紋が生じている。今日(7月22日)午後2時からは、岡本社長の記者会見が予定されている。

この問題の背景には、吉本という会社と芸能人との契約関係や報酬の支払をめぐる問題がある。それらの問題について、同社の大崎洋会長が、Business Insider Japan(以下、「BI」)のインタビューで吉本という会社の考え方を詳しく述べている(【闇営業、契約書なし、安いギャラ、宮迫の今後…吉本・大崎会長が答えた60分】)。芸能界という特殊な世界で、芸能人を育て、その能力を引き出す芸能事務所の事業の特殊性を強調しているが、大崎氏が言う「吉本の理屈」というのは、法的に多くの問題があるだけでなく、今の世の中には、全く通用しないものである。

今日、岡本社長が記者会見で述べることも、そのような「吉本の理屈」に基づくものであろう。しかし、その「根本的な誤り」を正さなければ、吉本という会社が日本の社会で「まともな会社」として存続していくことはできないだろうと思う。

岡本社長記者会見の焦点

今日の岡本社長の会見での最大の注目点は、宮迫氏らが、早い時期に、記者会見で、真実をありのままに話したかったのに、吉本の岡本社長から「記者会見をしたら、全員連帯責任でクビにする」と言われていたと会見で述べたことの真偽と、吉本側の対応の是非だ。

岡本社長は、会見を予告する動画で「昨日のような会見をタレントに開かせてしまったことが大変心苦しい」と述べていることからすると、宮迫氏らが会見を開いたことに対して、何らかの「否定的発言」をするものと思われる。考えられるのは、(1)宮迫氏らが会見で明らかにした岡本社長発言自体の否定、(2)岡本社長発言を認めた上で、その正当性を主張し、それを理解せずに会社の方針に反して会見を開いた宮迫氏らの行動の批判、の二つである。

予告動画での発言からすると、岡本社長は、(2)の方向で説明するのであろう。

そこで「岡本社長発言」が正当であることの理由として主張するのは、「宮迫氏らに会見を開かないように言ったのは、吉本のためではなく、芸人である彼らを守ろうとした」ということだろう。

確かに、反社会的集団のイベントに参加し、報酬を受け取った疑惑が表面化した後、宮迫氏が「会見をしたい」と言った時点で、すぐに会見を行えば、説明の混乱、非難の炎上を招き、宮迫氏らがかえって窮地に追い込まれるおそれがあった。そういう意味で、岡本社長発言は、宮迫氏らを守るためであった、という説明には一定の合理性がある。しかし、宮迫氏らには、問題を起こした個人としてどのように対応するのか、ということに関して、個人としての考え方がある。一時的には混乱を招いても、嘘をついている状況を長期化させることは、一生悔いを残すと考えたというのは、個人の考え方として理解できる。

しかし、ここで問題になるのは、吉本という会社には、所属する芸人のマネジメントを行い、その芸人の利益を守る立場にあると同時に、吉本自体に、芸能事務所という事業を行う会社としての利害があり、両者が相反する可能性があることである。

芸人が自由に発信するのを制約しない?

BIのインタビューで、大崎氏は、謹慎処分を発表した際のプレスリリースの宮迫氏のコメントに批判が集中したことに対して、事務所としてチェックはできなかったのかと質問され

個人がそれぞれ自由に発信するのが、芸人のそのものです。そこを制約するのは、吉本らしくない。コントロールするのは、逆に問題があるのではと思っています。

と答えている。

しかし、そこで言っている「個人の自由な発信を制約しない」という会社の「建前」と、「会見したら、全員連帯責任でクビにする」という岡本社長が宮迫氏らに言ったとされていることとは全く正反対だ。その発言が、大崎会長の意向と無関係に行われたとは考えにくい。

そこには、吉本の芸能事務所としての立場と建前があり、その建前と、芸人個人の利益を守るマネジメントの立場との間で、どのような姿勢で対応したのか、という点が問題になる。

大崎会長の発言のとおりだとすると、宮迫氏らが個人として早期に世の中に説明責任を果たしたいと思ったとすれば、その意思は尊重されるべきであった。ところが、そうならなかったところに、個人の利益と会社の利益との典型的な「利益相反」があるのである。

「安いギャラ」と「会社を通さない営業」

その「利益相反」が、さらに顕著に表れるのが、芸人に対する報酬の支払いだ。

BIのインタビューで、大崎氏は、「闇営業の背景には、芸人たちの報酬が安いことがあるのではないか」との指摘に関して、

ギャラが安いことと、犯罪を起こすことはなんの関係もない。お金持ちは、犯罪を犯さないのかというとそんなことはない。

と述べている。

しかし、今回の問題は、「芸人が犯罪を起こした」ということではない。会社を通さずに営業を行い、報酬を受け取ったことに関して、その相手方の「反社会性」のチェックができていなかった、というコンプライアンス問題だ。ギャラが安いからと言って、自ら犯罪に手を染めるかと言えば、ほとんどの人間は、それはやらない。しかし、ギャラが安いために、会社を通さない営業(後述するように、大崎氏は、そのような会社を通さない営業を、会社として容認していたと述べている)を行わざるを得ず、そこでは「反社チェックというコンプライアンス対応」は個人としては十分に行うことができない。そういう意味では、「安いギャラ」が一つの要因となって、今回のような問題が起きた側面があることは否定できない。

大崎会長は、「安いギャラ」について以下のように述べている。

10組の漫才師が出て、上の3組の名前で800人がいっぱいになったとする。若い子の名前でイベントに来た客はいなくても、プロとして舞台に立ったんだから、1円でも払ってあげようという意味での250円。250円もらえてよかったなと、ぼくは思う。

交通費が500円かかって、250円では赤字だったとしても、800人の前で自分たちの漫才を3分できれば、たとえ1回も笑いが取れなくても今後の芸の役には立つでしょう。

芸は、人生をかけて何十年も積み重ねて完成するもの。修行時代に、先輩のおかげで舞台に立つ経験をしてもらう。ギャラの額の問題ではないと思ってます。

吉本は、このように、芸を磨くこと、その芸を多くのお客さんに観てもらってこそ価値が出るのだから、ギャラの額は、その場を提供する吉本側の「お心次第」で決めてもよいという考え方だ。

しかし、有名な芸人でも無名の芸人でも、吉本の興行に出演した場合には、興行主の吉本との間の「出演契約」に基づき、吉本に対価を請求できる。そういう意味では、出演する芸能人は「債権者」であり、吉本は、その対価を支払うべき「債務者」だ。両者は、利害が対立する契約の当事者である。その一方の吉本が、圧倒的な「優越的地位」の下で、報酬も明示しないで出演を依頼し、その対価を、「債務者」のお心次第で決めることができるなどというのは、まともな会社が行う「契約」として、あり得ない。

本来、興行を行うことを事業とする会社であれば、出演させる芸人については、キャリア・芸のレベル・人気度・集客力等を評価し、それに応じた相応の報酬額を合意し、興行にかかるコストを確定させた上で、興行を行うのが当然であろう。その上で、収益が上がるかどうかは、会社の責任である。

このように、利益相反が生じる関係であるからこそ、合意の段階で契約内容を明確化して、各当事者が、それぞれどのような義務を負うのかを明らかにしておかなればならない。会社としての利益と芸能人個人の利益との間で利益相反が生じる得る場合には、利益相反を防止するために、両者の立場を分けることを合意する必要がある。

そういう意味では、このような契約関係について、契約書で、契約内容を明確化しておくことが不可欠なのである。

口頭での「契約」の是非

大崎会長は、

芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。民法上も、口頭で成立します。

と言い切っている。

確かに、契約締結の形式は「契約書」に限らず、口頭でも成立する。例えば、小売店で商品を買うのも「売買」だが、商品を選択して代金を払うことで売買契約は完了し、その後に契約の履行が生じる余地がないので契約書は不要だ。また、業者が作成している「料金表」を確認した上で業務を発注し、業務終了後に請求書を受領して支払うという場合には、特に契約書を交わさない場合も多い。契約の内容と対価の関係が明確で争いが生じる可能性が低いため、契約書を作成する必要性も低いからだ。

しかし、吉本と芸人の関係は、それとは全く異なる。「契約書」を作成し、契約内容、対価を明確にし、利益相反が生じないようにしておく必要がある場合の典型だ。まさに、「契約書のない契約」による「闇」だといえる。

芸能事務所とタレントの契約と労働法上の問題

芸能事務所とタレントとの契約関係は、仕事のマネジメントをするという面においては「専属マネジメント契約」が一般的なようだが、実態として芸能事務所とタレントとの間に「使用従属関係」があり、労務の提供に対して賃金が支払われる関係であれば、雇用契約とみなされ、労働基準法9条に定める労働者としての保護を受けることになる。この場合、労働基準法により、就業規則を定めることや、労働条件通知書の交付が義務付けられる。

吉本とその傘下の6000人にも上るという芸人との関係は、一部の有名芸能人以外は、「使用従属関係」が認められる可能性がある。それは、今回の宮迫氏らの問題で用いられた「闇営業」という言葉に表れている。吉本所属の芸人が「会社を介しての仕事しか受けてはならない」という義務を負っているとすると、芸人の仕事はすべて会社の使用従属関係の下で行われていると認定され、雇用に該当するので、労働条件通知書を交付しないことが違法とされる可能性が高い。

そのことを意識しているからか、大崎会長は、BIのインタビューで、以下のように述べている。

闇営業という言葉を、今回のことで初めて知りました。要は会社を通さない仕事で、ぼくが入社したときからあって、いまもある。

そもそも「闇営業」という言葉もなく、会社を通さない仕事は自由に行えるというのである。そうだとすれば、芸人は労働者ではなく、個人事業者であり、事業者として自由に営業を行うことができ、吉本側からは制約を受けないということになる。

しかし、仮にそうだとすると、その「個人事業者としての自由な営業」の相手方の「反社チェック」を行うことは事実上不可能であり、今回のような問題の再発を防止することは難しいということになる。

日本の芸能事務所をめぐる法律上の根本問題

今回のような問題が発生した背景に、日本の芸能事務所とタレントの関係が、芸能活動に関するサポート業務を包括的に引き受けているという構造がある。それは、両者の関係の「一体化」を招き、「契約の当事者」という認識を希薄化させることになっている。

芸能事務所とタレントとが一体化していることで、タレント側は、芸能事務所側に生殺与奪の権利をすべて握られ、出演の対価の決定もすべて芸能事務所側に握られている構図になっている。このように明らかにタレント側に不利な構図であっても、外部的な問題が発生せず、タレント側がそれに甘んじている限り、特に問題が具体化することはない。しかし、今回のように、タレント個人が、反社会的集団・犯罪集団等との関わりを持ったとされることで社会的非難を浴びるという局面になり、個人の利害と芸能事務所の利害とが相反しかねない関係になると、その「一体的関係」のもとで、利益相反を防止するための措置すら明確ではない曖昧な契約関係の問題が一気に具体化することになる。

組織も個人も社会から複雑多様な要請を受け、それに応えていかなければならない「コンプライアンス」が重視される世の中では当然のこととも言えるのである。

タレントに仕事の斡旋を行うエージェントと、日常的なサポートを行うマネジメントが分化しているアメリカでは、かねてから、エージェントに関する法律も定められてきたが、日本は、この領域については、ほとんど「無法地帯」であったと言っても過言ではない。

吉本は、日本を代表する芸能事務所であるともに、一つの大手企業である。それだけではなく、2019年4月20日には、安倍晋三首相が吉本新喜劇の舞台に上がり、新喜劇の芸人たちと歓談し、それを大手メディア各社が「ニュース」という扱いで全国に報じるなど、一国の首相ともつながりを持っている。

上場企業ではないと言っても、それだけ大きな社会的影響を持つ企業なのであるから、その事業運営の適正さ、公正さが強く求められることは言うまでもない。

吉本の代表である岡本社長、そして、大崎会長には、吉本という会社が、江戸時代の「置屋稼業」のような事業から脱却し、タレント・エージェンシー企業として、契約の適正化・明確化を実現することが求められている。

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日本郵便横山社長の姿勢への重大な疑問~「日本郵政のガバナンス問題」としての保険不適切販売問題

日本郵政傘下のかんぽ生命保険の最大9万3000件に上る不適切販売が明らかになった問題で、かんぽ生命株式会社(以下、「かんぽ生命」)の植平光彦社長と、販売委託先の日本郵便株式会社(以下、「日本郵便」)の横山邦男社長が、7月10日に記者会見を開き、今後の対応や第三者委員会設置などの方針を明らかにした。

持ち株会社日本郵政の100%子会社の日本郵便は、かんぽ生命の保険商品の約9割を、全国津々浦々の郵便局員に販売させている。保険商品自体ではなく「不適切販売」が問題となったのが今回の不祥事であり、それは、主として日本郵便の問題だ。

両社長は記者会見で謝罪したが、その後も、郵便局員への厳しいノルマ設定が原因であることへの内部からの批判を、日本郵便が「SNS厳禁」の通達で封じ込めようとして強い反発を招くなど混乱が続いており、経営陣に対する批判は一層強まっている。

「郵政民営化」は、平成の時代における国家的事業の一つとして成し遂げられ、それによって「日本郵政」を中心とする企業グループが生まれた。しかし、現時点でも国が63%の株式を保有し、ユニバーサルサービスの提供の役割も担う「公共の財産」の一つだ。その日本郵政グループの主要2社が、令和という新たな時代に入って間もなく、国民の信頼を失いかねない重大な不祥事を引き起こした。それは、平成から令和に至る日本の歴史上も重要な事象と言うべきであろう。

「かんぽの宿問題」等に関する日本郵政ガバナンス検証委員会

私は、郵政民営化直後の西川善文日本郵政社長時代に起きた「かんぽの宿」問題などの一連の不祥事を受けて2010年に総務省が設置した「日本郵政ガバナンス検証委員会」(以下、「検証委員会」)の委員長を務めた (【総務省HP】)。その際、不祥事の事実関係の調査、原因分析、再発防止策の策定を行い、成果として公表したのが「日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書」(以下、「専門委員会報告書」)である。

今回、日本郵便の社長として謝罪会見に臨んだ横山氏は、当時、西川社長の側近として日本郵政の専務執行役員を務めており、日本郵便に900億円を超える損害を生じさせた「JPEX問題」などにおいて中心的な役割を果たした人物だ。

西川社長時代の日本郵政をめぐる一連の不祥事は、小泉政権以降の自民党政権下での郵政民営化を象徴する不祥事でもあり、問題を徹底追及してきた野党が政権の座についたのであるから、旧政権時代の問題について責任追及が行われるのは自然な流れとも言えた。郵政民営化反対の中心的立場であった亀井静香金融担当大臣は西川社長らに対する厳罰を強く求めていた。

しかし、当時、原口総務大臣の下で総務省顧問の立場にあった私は、政治的な意図から離れて、責任追及ではなく、西川社長時代の日本郵政で起きた問題を通して、日本郵政のガバナンスそのものを検証し、組織改革に結び付けていくことを提案した。そこで、事実関係の調査と原因分析・再発防止策の提言を行うために設置されたのが検証委員会だった。

検証委員会を「政治的つるし上げ」の場にするのではなく、日本郵政の将来に向けての建設的な議論を場にするため、政治家もメンバーに入っていた検証委員会から切り離された組織として、橘川武郎一橋大学教授(当時)、水嶋利夫元新日本監査法人理事長などの有識者、調査専門家だけをメンバーとする「調査専門委員会」を設置し、その調査結果を専門委員会報告書として公表することにした。そこでは、責任追及の根拠となり得る事実は具体的には記述せず、代表者以外の会社幹部はすべて匿名にした。

西川氏、横山氏らに対しても、総務省を通じて、そして、委員長の私から直接、中立的・客観的な立場で、日本郵政のガバナンスを議論するための調査であり、委員会の設置目的が責任追及ではないことを説明してヒアリングへの協力を求める文書を送ったが、結局、協力は得られなかった

その横山氏が、2016年に日本郵便の社長に就任するなどとは、夢にも思わなかった(横山社長就任に関する問題について報じた記事として、FACTA【日本郵政「横山復帰」で内紛再燃】、日経ビジネス【日本郵便、トップ人事が象徴する「国営郵政」】がある)。そして、今、一層深刻な不祥事が表面化し、日本郵政グループは再び国民の信頼を失いかねない事態に直面している。

今回、記者会見映像で、その「横山邦男日本郵便社長」の姿を初めて見ることとなった。経営トップとして重大な責任があるからこそ、会見冒頭で深々と頭を下げて「謝罪」をしたのだと思うが、横山氏には、「反省」という言葉もなく、今回の事態を招いたことへの「社長としての責任」についての言及もなかった。

9年前、一連の不祥事への対処を、責任追及ではなくガバナンス問題についての建設的な議論中心にすることを強く提案したのは私だった。それが、その後、横山氏の日本郵政グループへの復帰、日本郵便社長就任を許す結果につながり、今回のような事態に至ったとすれば。私にも、その責任の一端はあると言うべきかもしれない。

そのことへの「反省」も踏まえ、今回の不祥事の経過を概観し、改めて日本郵政のガバナンス問題を考えてみたい。

「契約者負担増」問題へのかんぽ生命の対応

6月24日、かんぽ生命は、2018年11月分の契約を調査した結果、同時期の約2万1千件の契約乗り換えのうち、約5800件で契約者の負担が増えていたことが判明したと公表した。

一般的にいって、同種類の保険を一度解約して再契約する「乗換契約」は、保障内容を見直せるメリットがある一方、再契約時に保険料が上昇するケースが多く、顧客にとって不利益となる可能性が高いため、保険業法では、特に「不利益となるべき事実を告げずに」乗換契約を行うことを明示的に禁じており(300条1項4号)、顧客本位の観点からも、顧客へのより丁寧な説明が求められる。

しかし、かんぽ生命によれば、解約によって契約者の年齢が上がることなどから保険料が増えるといった事例があったが、契約時には新旧の契約内容の比較を示すなどの対応をしており、「不適切な募集とは認識していない」と説明していた。日本郵政の長門正貢社長も、24日の定例記者会見では、かんぽ保険の乗り換え販売について「明確な法令違反があったとは思っていないが、反省している」と述べるにとどまっていた。

さらに、6月27日、24日の問題公表後の顧客の苦情や照会を受け、過去5年分の契約を調査したところ、顧客が保険契約の乗り換えにより不利益を受けた事例が約2万4千件にのぼることが判明したと発表した。既往症などの理由で顧客が旧契約から新契約に乗り換えできなかったのは1万5800件で、乗り換え時に既往症などの告知義務に違反し契約解除されたり、新契約前の病気を理由に保険金が支払われなかった事例が約3100件、本来は契約乗り換えの必要がなく、特約の切り替えで済んだ可能性がある契約が約5千件である。

かんぽ生命は、顧客に対して乗り換え前の契約に戻す意向があるかどうかなどを調べ、乗り換え前の契約に復元するなどの対応を取ると謝罪したが、この時点でも「募集の手続き自体はきちんとしている」(室隆志執行役)と説明したうえで「不適切な販売にはあたらない」との考えをあらためて示していた。

西日本新聞報道で明らかになった「弁解の余地のない不適切販売」

7月7日、日本郵便で、保険の乗り換えにおいて、新規契約から7カ月以上、旧契約の解約をせず、顧客に新旧の保険料を二重払いさせているケースが、2016年4月~2018年12月だけで、約2万2千件(2016年度約6400件、2017年度約8500件、2018年4~12月約7千件)に上ることを西日本新聞が報じた。

日本郵便では、内部規定で、新しい保険を契約後、6カ月以内に旧保険を解約したケースを「乗り換え」と定義し、契約した局員に支払われる手当金や営業実績は「新規契約の半分」と規定していた。しかし、通常、顧客にとって保険料を二重払いをすることの合理性はない。二重払いのケースの多くは、郵便局員が、満額のインセンティブを得るために、強引な営業で、旧保険の解約時期を意図的に遅らせたことによるものとしか考えられない。

また、内部規定では、顧客が旧契約の解約から3カ月以内に新契約を結んだ場合も「乗り換え」と定義されているので、満額のインセンティブを得るためには、新規契約の4カ月以上前に旧保険を解約させる必要がある。しかし、その場合、顧客は解約から新規契約までの間、無保険状態となり、何かあっても保障を受けられない。

まとまった金銭を一時的に必要とするような例外的な場合をのぞき、旧契約の解約は、次の契約と同時にするのが通常であるが、日本郵便では、新規契約の4カ月以上前に旧保険を解約させるケースも多数あり、契約前の4~6カ月間に無保険だったケースが2016年4月~2018年12月の契約分で約4万7千件(2016年度約1万7100件、2017年度約1万6600件、2018年4~12月約1万3千件)であった。

このような「乗り換え潜脱」は、内部規定上、「乗り換え」に当たらないため、新旧契約の比較表を用いて丁寧に説明するといった「乗り換え」におけるルールが適用されていなかったとされており、顧客が不利益となる事実を理解せずに、事実上乗り換えをさせられていたという重大な問題が発生していた可能性が高い。

こうして、郵便局員がインセンティブを得るなどの動機で、意図的に不適切な販売を行っていた可能性が高いことが判明するに至り、日本郵政グループの保険販売をめぐる問題は大きく拡大し、7月10日に、両者の社長が謝罪会見を開くに至ったのである。

指摘され続けていたかんぽ保険の不適切販売

郵便局員の不適切な保険販売の問題への指摘は、今に始まったことではない。「保険業法違反の営業」として金融庁に届け出た件数は、2015年度16件、2016年度15件、2017年度20件である。また、「説明不十分」「不適切な代書」など、内部で「不祥事故」と呼ばれる不適正な営業は、2015年度124件、2016年度137件、2017年度181件と、一向に減少していない。総務省は2019年6月19日に、日本郵政に対し、傘下のかんぽ生命等の不適切営業について、グループ全体のコンプライアンスの徹底と、活動の適正化を指導した。

また、2018年4月24日のNHKのクローズアップ現代では、「郵便局が保険を“押し売り”!? ~郵便局員たちの告白~」と題してこの問題を特集した。1か月で400通を超える情報提供を受け、高齢者に対し不適切な手続きで保険を販売する実態が放送されていた。

さらに、東洋経済や西日本新聞などは、関係者からの告発や、内部資料を入手するなどして、郵便局員の保険の営業手法について、問題提起を度々行っていた。

これらの各所からの指摘に対しては、日本郵便も、改善策として、2017年度から、80歳以上の顧客と契約を結ぶ際、必ず家族にも保険内容を説明するルールを導入。2018年度には、販売目標が高すぎるとして、会社全体の目標を1割引き下げ、2019年度からは、80歳以上の新規客に対する勧誘を自粛するなどはしていたようだ。しかし、保険の「乗り換え」が内包する様々なリスクについては、「違法ではない」、「不適切な販売とは考えていない」といった発言を繰り返していたのである。

記者会見での不適切販売への謝罪と対応方針の公表

7月10日記者会見では、かんぽ生命の植平社長と日本郵便の横山社長が不適切販売を認めて謝罪した。そして、郵便局員への過剰なノルマが不適切販売につながったとして、新契約をとった販売員に対する評価体系や目標設定を見直すこと、二重に徴収していた保険料の返還を進め、乗り換えの推奨もやめるなどの改善策を明らかにした。早期に第三者委員会を設置すること、社内の調査結果について年内に経過を報告することなどの方針も明らかにした。しかし、今後の調査で販売職員の法令違反などが判明すれば「厳正に対処する」と明言する一方、経営陣のノルマ設定や、現場管理者のノルマ管理などの問題解明については、消極的な発言に終始し、経営陣の責任については、「みずから問題の解決をやり遂げることが責任」などと述べて引責辞任を否定した。

日本郵便の横山社長は、不正の原因について、超低金利など販売環境が激変し、郵便局がこれまで多数販売してきた貯蓄型の商品は魅力が薄れているにもかかわらず「営業推進体制が旧態依然のままだった」と述べた。

貯蓄型商品中心の営業では、従来のような保険販売は見込めなくなっているのに、営業目標やノルマを重視する従来の営業推進が行われていたことが原因だとする見方自体は、誤ってはいないだろう。しかし、問題なのは、なぜ「営業推進体制が旧態依然のままだった」のか、それについて経営トップとして、どのように考え、対応をしていたのかを明らかにしなければならないはずだ。ところが、会見では、今後の改善の方策は示すものの、旧態依然の営業体制のままであった原因についての言及も、それに対する反省も全くない。

そのような横山氏の姿勢を象徴しているのが、会見で「経営者であれば、施策を打った段階で、ある程度こういうことが起こるんではないか、現場でどうなっているかを確認すべき」「わかったのはいつ頃なんですか?まずいことが起きているんじゃないかと気づいたのはいつ頃なんですか?」と質問されたのに対する次のような答え方だ。

いつ頃かというのはですね、あのー・・・、えーっと・・・、商品の募集品質の改善は常に現場の実態を確認しながらやっておりますので、これは常にやっておるところでありますけれども、目標の体系が実態にふさわしいのかどうかという疑問を持ち始めたのは、最近のことです。

しかし、横山氏が、2016年6月に日本郵便社長に就任するずっと前から、「超低金利」「貯蓄性商品の販売不振」の状況は続いていたはずだ。その横山氏は、社長就任後、2018年に日本郵政グループの中期経営計画で、生命保険業について「保障重視の販売、募集品質向上による保有契約の反転・成長」を打ち出していた一方で、その1年も後になって、目標の体系が実態にふさわしいのかどうかという疑問を持ち始めた、それまでは、現場の状況に気づかなかったというのである。メガバンク三井住友銀行の元幹部の言葉とは思えない。

しかも、前述したように、日本郵便での不適切な保険営業に関しては、総務省の指導やマスコミの追及を受けるなどをしており、気づかなかったわけがない。会見で横山氏の説明は不誠実極まりないものと言わざるを得ない。

「日本郵政のガバナンス問題」としての不適切販売問題

今回のような不適切販売問題が発生した要因として、かんぽ生命の保険商品では、民業圧迫の懸念などから保険金の上限額が2千万円と決まっていて、一般的に保険の「転換」の際に用いられる「新旧の契約の一時的併存」ができず、旧契約を解約した後に新契約に入り直す「乗り換え」で新旧の契約に切れ目が生じることから、問題が生じやすいということが指摘できる。

確かに、他の保険会社とは異なる条件であることは確かだ。しかし、一般の民間企業とは異なる条件による制約を受けることは、法的にもユニバーサルサービスの確保義務を負う日本郵政グループにおいては致し方ないことだ。西川社長時代の日本郵政の問題に関して専門委員会報告書で「A専務」として指摘を受けた立場でありながら、敢えて日本郵便の社長に就任した以上、そのような困難な条件を克服していく覚悟が求められるのは当然のことと言えよう。

記者会見で横山社長は、「お客様本位がすべてに優先するという考えが全局に徹底すれば、ユニバーサルサービスの一環として、全国津々浦々で郵便局員が保険を適切に販売することは十分可能」と言い切った。しかし、これまで、「乗り換え」に関しての問題が生じやすいというリスクにすら気付かなかった、或いはそれを無視していたとしか思えないことを棚に上げて、どうして「郵便局員が保険を適切に販売することは十分可能」などと言い切れるのだろうか。

9年前の専門委員会報告書においては、日本郵政のガバナンス問題について、「西川社長時代の日本郵政においては、政治情勢の激変の中、『郵政民営化を後戻りさせないように』との意図が背景あるいは誘因となって、拙速に業務執行が行われたことにより多くの問題の発生につながった」との基本認識に基づき、「日本郵政の事業をめぐる環境は、外部要因に強く影響される。そのため、今回の個別検証でも明らかになったが、これまでの日本郵政の経営をみると、その変化を見越し、環境が大きく変化する前に短期的に結果を出そうとして拙速に経営上の意思決定が行われ、事業が遂行される危険性を有しているものと推察される。」と述べている。

不動産売却やゆうパック事業とペリカン便事業との統合等、経営上の意思決定に関する問題であった西川社長時代の日本郵政の不祥事と、営業の現場で発生した今回の保険商品の不適切販売に関する問題は、性格が異なる問題だ。しかし、日本郵政グループには、とりわけ非上場である日本郵便という組織には、全国の郵便局網を活用し、日本社会全体に対してユニバーサルサービスを提供する組織として、一般の民間企業以上に、業務の公正さ、適正さが求められる。そのような要請に十分に応えるべく経営陣として適切な意思決定・対応をしていたと言えるのか、という点において、今回の問題も、「日本郵政のガバナンス問題」であることに変わりはないのである。

「反省のない横山氏」の日本郵便社長就任の是非

横山氏の日本郵便社長就任の問題を指摘した2016年【前掲FACTA記事】は、以下のように述べている

JPEXや接待疑惑に関しては、総務省が10年に公表した「日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書」にも明記されている。民主党政権下でまとめられた報告書ゆえに菅は信ずるに足らないと見たのか。あるいは、過去の罪は西川にのみあって、横山に責任はないと判断したのか。

しかし、全国2万4千の郵便局長、40万人(臨時職員含む)の郵便職員には、横山に対するトラウマが残っている。西川時代のような「上から目線」では必ず現場の抵抗に遭い、改革の歯車が逆回転する。一騒動も二騒動も起こるだろう。

そのような懸念は意に介さず、社長就任後の横山氏は、オープンイノベーションの考え方を前面に打ち出し、改革指向の積極経営指向を鮮明にしていった(日経ビジネス【第23回:市場主義とオープンイノベーションが成長を生む:「仕事がなくなるかもしれない」危機感がバネに】など)。

しかし、日本郵便という巨大組織で本当のイノベーションを実現しようと思えば、まず「足元の不安要素」を慎重に検討し、十分な対処を行った上で積極的な施策を行うというのが当然であろう。

ユニバーサルサービスの現場の郵便局で起きている問題に目もくれず、「イノベーション」に向かって突き進もうとしている横山氏の姿は、西川社長時代の日本郵政と本質的に変わることがないように思える。

このような「反省のない経営者」に委ねられた日本郵便という会社にも、それを中核とする日本郵政グループにも明るい展望は描けないように思う。

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