正義の「抜け殻」と化した検察官~国循事件控訴審、検察「弁論放棄」が意味するもの

4月16日、大阪地検特捜部が、国立循環器病研究センター(以下、「国循」)の元医療情報部長の桑田成規氏を逮捕・起訴した「国循事件」の控訴審第2回公判期日が開かれ、最終弁論が行われて結審した。判決は、7月30日午前10時半に言い渡される。

私は、大阪地裁での一審で、桑田氏に対して、懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決が言い渡された後に、控訴審での主任弁護人を受任した。控訴趣意書を提出した時には【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】、第1回公判期日では【情報システムの世界に甚大な悪影響を与えかねない“国循事件”の展開】と題する記事で、この事件の内容や捜査、公判の経過を伝えてきた。

厚労省現職局長の村木厚子氏を逮捕・起訴した事件で無罪判決が出た直後に、主任検察官による「証拠改ざん」が発覚し、厳しい非難にさらされ信頼を失墜した大阪地検特捜部が、その不祥事以降、初めて着手した本格的な「検察独自捜査」が、この国循事件だった。組織の信頼回復をめざし、取り組んだ事件だったはずだ。

しかし、この事件の捜査、公判において明らかになったのは、まさに、誇りも矜持も失った「抜け殻」のような検察官の姿だった。

 

事件の発端

国循の情報システムの受託は、従来からN社が独占しており、運用・保守体制は極めて杜撰な状態で、無駄に高額の委託費が費やされ、国循は、当時、必須であった電子カルテのシステム導入も実現できていなかった。そのような国循の医療情報部長に就任した桑田氏は、電子カルテシステムを短期間で導入するなど、大きな功績を挙げたが、それは、多くの業務の委託先がN社から新規参入のD社に変わり、同社が従前のN社より優れた技術で対応したことによるところも大きかった。しかし、国循からの受託業務の多くを失ったN社、そして同社との緊密な結びつきの下で国循の情報ネットワーク管理を担当してきた前任者等からは、快く思われていなかった。

平成26年2月4日、大阪地検特捜部は、公契約関係競売等妨害罪等の容疑で、国循及びD社の事務所等に対して捜索差押を行い、強制捜査に着手した。同特捜部の意図は、両者間の贈収賄事件等の立件にあったものと思われるが、被告人両名には、業務外の個人的な関係があるわけではなく、問題にされるような金銭の授受も、接待供応の事実もなかったので、立件は不発に終わった。

しかし、同年11月18日、桑田氏は、官製談合防止法違反等の事実で逮捕された。国循に対する強制捜査で得られた証拠・資料の中から、形式上、同法8条の入札等の「公正を害すべき行為」に該当し得る行為を抽出して無理やり仕立て上げられたのが、本件各公訴事実であった。

 

桑田氏のいかなる行為が犯罪に問われたのか

桑田氏は、業者間の談合に関わったものではなく、D社から賄賂を受け取ったものでも、供応接待を受けたものでもない。使い込みをしたわけでもなかった。問われた罪は、官製談合防止法8条違反の「公の入札等の公正を害する行為」だった。医療情報部長として国循の情報システムの発注に関与する中で、「D社が初めてシステムの管理業務の入札に参加した際、業務の体制表をメールでD社に送付した行為」「D社受注の翌年の入札で仕様書に新たな条項を加えた行為」などの行為が、同法違反に当たるとされたものであった。

一審で最大の争点とされたのが、「桑田氏が、業務体制表のメール送付の際に、当該入札の年度の業務体制表と認識していたのか、前年度の体制表だと認識していたのか」という点であった。前年度の体制表を送付した認識しかなかった桑田氏は、当該年度の体制表とは認識せずメール送付したと訴え続けた。それを理由に、「全面無罪」を主張し、多くの支援者にも支えられて「冤罪」を訴えてきた。2年にわたる審理で、多数の証人の尋問、被告人質問が行われ膨大な時間が費やされたが、検察官は、国循の多数の職員の証言や物証等から、認識があったことを立証し、その検察官の主張が全面的に認められた。

その結果、桑田氏は、執行猶予付きとは言え、公務員にとって致命的ともいえる「懲役刑」の有罪判決を受けたのである。

桑田氏は、国循の医療情報部長就任以来、国循の情報システムの効率化、高度化のために寝食をも忘れ、誠心誠意、その職務に打ち込んできた。国循という大規模医療機関に、難航していた電子カルテシステムの導入も早期に成し遂げ、患者や、そこで働く職員に多大な貢献をしたことは、一審で証言台に立った国循幹部や多くの専門家が認めるところであり、検察官もこれを認めている。

その桑田氏が、医療情報部長としてシステム発注に関して行った行為が、果たして、官製談合防止法という法律に違反する違法行為なのか、「公正を害した」として処罰されるような犯罪行為なのか、まさに、それをどう「評価」するかが、この事件の最大の争点だった。

 

官製談合防止法とは

同法は、官製談合に対する社会的批判の高まりの中で、議員立法により、談合自体に関わる行為のみならず、発注者側公務員の一定の範囲の行為が「公正を害する行為」として処罰の対象とされたものだ。同法の禁止規定は、公共調達に関わる公務員全体に対して向けられる規範である。そのような特殊な背景の下で制定された特殊な法律なのであり、犯罪構成要件の「入札等の公正を害すべき行為」の文言も抽象的で解釈に幅があり得るが、その罰則適用は、発注に関わるすべての公務員に影響を及ぼす。法律の立法経緯、立法の趣旨、実務の運用状況を踏まえて判断する必要があり、それらに精通する専門家の意見を聞くことが重要だ。

当控訴審において、必要であれば、専門家証人として証言台に立つことも了承し、この分野の専門家として詳細な意見書を提出したのが上智大学の楠茂樹教授であった。同教授は、経済法学者で、公共調達法制の数少ない専門家であり、官製談合防止法の立法経緯にも精通し、数多くの官公庁・地方自治体の公共調達改革や、契約監視委員会の委員長、委員を務め、監視実務等についても豊富な経験を有する。官製談合防止法等の公共調達法制に関する多数の著書もある。

 

控訴審での最大の争点

一審で有罪判決を受けた後、桑田氏は、自らが行った行為が、官製談合防止法違反として処罰されるような行為なのかどうかについて、楠教授に意見を求めた。同教授の意見は、桑田氏にとって、ある意味では、大変厳しいものであった。

一審で最大の争点とされた「業務体制表の送付」に関して、「仮に前年度の業務体制表と認識していたとしても、正規の手続を経ず入札参加者に情報提供したことについて、形式上は犯罪が成立することは否定できない」というのが楠教授の意見であった。

しかし、起訴事実のうちの1つの事実について、「形式上犯罪が成立する」と言っても、それは、桑田氏の行為を、官製談合防止法違反として処罰することが正当だとするものでは決してなかった。楠教授から提出された意見書(以下、「楠意見書」)では、弁護人からの質問に答え、本件において法令解釈上のポイントとなる点について、判例・通説の見解及び官製談合防止法の合理的な解釈に基づく見解が示されており、原判決と検察官の主張には法令解釈の重大な誤りが多々あること、桑田氏の行為が、同法違反として処罰されるべき行為では全くないことが明快に論証されていた。

桑田氏は、この楠教授の意見を受け入れ、控訴審においては、全面無罪の主張を行わず、一つの事実についてのみ有罪を認める苦渋の決断をした。それは、一審を通じて、多くの人の支援活動を受けて行ってきた「冤罪」の訴えを一部取り下げるものだったが、他の事実については無罪を主張し、全体として、凡そ刑事事件として取り上げるべきではない事案を無理矢理刑事事件として仕立て上げた検察を厳しく批判する控訴趣意書を提出した。

 

楠意見書への検察官の対応の迷走

こうして、当控訴審では、桑田氏が国循の医療情報部長として行った対応が、官製談合防止法違反として処罰されるべき行為なのかという違法性の評価が争点になった。

その点に関する控訴審の審理で最大の焦点になったのが、弁護側が証拠請求した上智大学法科大学院の楠茂樹教授の意見書の取扱いだった。

発注において設定される仕様書に「新たな条項」を追加する行為の違法性について、一審判決が、

特定の業者にとって当該入札を有利にし、又は、特定の業者にとって当該入札を不利にする目的をもって、現にそのような効果を生じさせ得る仕様書の条項が作成されたのであれば、当該条項が調達の目的達成に不可欠であるという事情のない限り、(官製談合防止法違反の「公の入札等の公正を害する行為」に該当する)

と判示していたのに対して、楠意見書は、

ある条件を設定すれば、特定の業者が競争上有利になると予想される場合、これは財務会計法令上問題か。確かに、「競争性の確保」という観点のみを切り取っていえば、問題であるように思える。しかし、おおよそあらゆる公共調達において何らかの調達対象について有利・不利があるのであって、これを問題視してしまえば、多くの公共調達が機能不全に陥ってしまう。重要なのは競争性の制約に見合った条件の設定なのか、という点であって、有利・不利の存在それ自体ではない。

等と述べている。

楠意見書の見解を前提にすれば、一審判決の法令解釈の誤りは明らかだった。

しかし、このような楠意見書への検察官の対応は、混乱・迷走を続け、最後は「反論」の放棄に終わった。

弁護人が、楠意見書の取調べ請求を行ったのに対して、検察官は、答弁書提出後に、口頭で、「不必要・不同意」との意見を伝えてきた。しかし、楠意見書は、入札談合等関与行為防止法の罰則を適用する前提として必要となる同法の解釈適用及び入札契約制度についての文献等に基づく客観的な記述が中心とされ、その中で同教授自身の経験に基づく見解も述べられているのである。弁護人は、少なくとも客観的な記述については、不同意にする理由はないはずだとして、楠教授の見解の部分を不同意とするのであれば、その部分に限定して、部分不同意にするよう求めた。

すると、検察官は、第1回公判期日で、一転して、楠意見書の取調べに「同意」した上、ほぼ全体について「信用性を争う」などとしてきた。「公共調達法制の第一人者である楠教授の意見が『信用できない』というのか」と釈明を求めたところ、「意見書とは意見・見解を異にするという趣旨だ」と釈明した。

そこで、弁護人は、第2回公判期日において、検察官が楠意見書と意見を異にする」というのであれば、同意見書のうち、どの部分について、どのように意見を異にするのかを明確にすべきだと重ねて釈明を求めた。しかし、検察官は、その「異なる見解」の内容は全く明らかにしなかった。

このような検察官の対応のため、一審判決や検察官の主張の法令解釈と楠意見書との見解の相違が曖昧で、法令解釈上の争点が明確にならなかった。そこで、弁護人は、急遽、楠教授に原判決や検察官の書面を提示し、法令解釈の相違点を明確にする補充意見書の作成を依頼し、取調べ請求した。

その補充意見書では、

検察官の答弁書等における主張は、入札談合等関与行為防止法第8条の立法趣旨、背任罪との関係、「保護法益」、危険犯としての性格においても、「入札等の公正を害すべき行為」の解釈についても、楠意見書とほとんど同じである一方で、個別論に関しては、全く異なった法令解釈が示されている。その理由・根拠は、検察官の書面に書かれていないため判然としないが、いずれにせよ、検察官答弁書等の法令解釈には明らかに不合理な点があり、大阪地裁判決にも同様の問題があると言わざるを得ない。

と結論づけている。

 

補充意見書への検察官の対応

楠意見書は、検察官の法令解釈を「不合理」で理由・根拠が判然としないと指摘している。その楠意見書を「同意」し、具体的な反論は全く行わず、その上で、検察官は、「原判決の認定判断に誤りはないと考えており、同補充意見書の内容は、独自の見解にすぎず、従前の判例実務ともかい離するものであって、検察官においてそのようには解釈していない。」などと言ってきた。

しかし、官製談合防止法を含む公共調達法制の研究及び入札監視実務に関しては第一人者である楠教授の見解を「独自の見解」と言うのであれば、「独自ではない見解」は、一体どこにあるのだろうか。

しかも、検察官は、楠意見書が「判例実務ともかい離する」としているが、検察官が挙げる「判例」というのが本件とは全く異なる事案であることは、弁護人が既に詳細に指摘していた。刑事事件すべてを検索可能な検察官が、弁護人の意見書に反論すべく、判例集未搭載の下級審裁判例まで検索し、可能な限り同種事例を収集した結果、本件に相対的に近い事例として抽出された結果が、それらの裁判例だけだったのである。

そのことは、本件と同様の行為が刑事事件として摘発された例は皆無であることを裏付けるものだった。桑田氏の行為のうち、形式上犯罪の成立を否定できない点についても、せいぜい「注意」の対象となる程度で、凡そ刑事事件として取り上げるべき行為ではないというのが楠意見書の見解だったが、それが、検察官の判例検索によって裏付けられたのである。

 

最終弁論での検察官の「沈黙」

第2回公判期日での最終弁論で、弁護人は、このような検察官の対応について、「本件に関する検察官の主張は、完全に破綻・崩壊していると言わざるを得ず、それにより、検察官の法令解釈に全面的に依拠する原判決の法令解釈の誤りも明白になった」と指摘し、起訴された2つの事実については無罪、残り一つについても、「本来、刑事事件として立件されるような事件では全くなく、立件されたとしても、起訴猶予とされるのが当然であって、検察官が訴追裁量を誤り、起訴した本件に対する被告人桑田の量刑としては、少額の罰金刑が相当であることは明らかであり、罰金刑の執行猶予とすべき」と主張して、最終弁論を締めくくった。

それに対して、検察官は、弁論を全く行わず、「沈黙」した。

国循事件は、不祥事以来初の本格的検察独自捜査事件で、贈収賄事件の立件を目論んで強制捜査に着手し、その目論見が完全に外れた大阪地検特捜部が、健全な常識を備えていれば、凡そ刑事事件にすべきではないとわかるはずの桑田氏の行為を、無理矢理刑事事件に仕立て上げたものだ。不当な強制捜査着手や起訴に対して組織的なチェックが働かなかった。そればかりか、2年にもわたる審理に膨大なコストをかけて、桑田氏を有罪にすることにこだわり、一審裁判所は検察官の主張を丸呑みした。

そして、控訴審に至り、ようやく、公共調達法制の専門家の楠教授の意見書に基づき、官製談合防止法違反事件としての本質に関わる主張が行われるや、検察官は、その主張に目を背け、「見解を異にする」と譫言のように述べつつ、具体的な反論を回避し、最終弁論期日には、弁護人の主張に対する反論すら「放棄」し、控訴審が終結したのである。

 

本件が、官公庁・自治体の職員全体に与える「重大な影響」

この事件で、官製談合防止法違反で桑田氏を逮捕し、起訴したのは、大阪地検特捜部、つまり、検察であって、警察でも、他の捜査機関でもない。その法律の解釈や犯罪の該当性・違法性の評価が問題になっているのであるから、その議論を堂々と受けて立つのが当然ではないか。検察官は、なぜ、その議論から逃げるのか。このような無責任極まりない、まさに法廷で関西ならではの「ボケ」を演じているようにも思える検察官の対応は、官製談合防止法違反としての解釈・運用論に焦点が当たらないようにする「策略」である可能性もある。万が一、裁判所が、その「策略」に乗り、同法の法令解釈の誤りに関する弁護人の主張や楠意見書に反応せず、一審判決の判断をそのまま確定させてしまうようなことが起きた場合には、世の中に、重大な悪影響が生じることになりかねない。

官製談合防止法は、公契約に関わる職員すべてに関わる規範だ。

桑田氏も、国循の医療情報部長として、医療情報システムの構築・運用を担当する立場で、国循と業者との契約に関わっただけであり、「契約担当者」ではなかった。官公庁・自治体の職員のほとんどが、何らかの形で公契約に関わっているのである。もし、桑田氏のように、契約の目的実現のために、契約条件が適切に設定されるよう「当然の努力」を行うことが、「不可欠ではない条件を設定して公の入札等の公正を害した」として、官製談合防止法違反の犯罪に問われるとすると、それは、誠実に真剣に職務に取り組む官公庁・自治体の職員全体に、重大な影響を与えることになりかねないのである。

楠教授は、控訴審終結後に桑田氏と弁護人が記者会見を開くと聞いて、メッセージを送ってきた。その最後で、以下のように述べている。

本件は公共調達の世界においても官製談合防止法の世界においても、極めて注目される重大な先例となるだろう。学術界のみならず司法界でも多くの関係者が今後論じ続けることとなろう。大阪高裁にはどうか、以上の問題を意識した上で、法の番人として適切な判断を下してもらいたい。

 

 

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ゴーン氏「オマーン・ルート」特別背任に立ちはだかる“経営判断原則”

 一昨日(4月3日)午後、産経新聞が、ネットニュースで「カルロス・ゴーン被告を4回目逮捕へ オマーン資金流用の疑い」と報じ、翌日の4日早朝、東京地検特捜部は、ゴーン氏を、保釈の制限住居とされていた自宅で逮捕し、同住居内の捜索で、キャロル夫人の携帯電話、パスポートまで押収した。

 これまでも、特捜検察による「暴走捜査」「暴挙」は数限りなく繰り返されてきたが、特に、森本宏特捜部長になってからは、昨年のリニア談合事件で「徹底抗戦」の2社のみを対象に行った捜索の際、法務部に対する捜索で、弁護士が捜査への対応・防禦のために作成していた書類やパソコンまで押収し、さらに検事が社長室に押しかけ「社長の前で嘘をつくのか」「ふざけるな」などと恫喝するなど「権力ヤクザ」の所業に近い数々の「無法捜査」が行われてきた。

 今回のゴーン氏の「4回目の逮捕」と捜索押収も、常軌を逸した「無法捜査」であり、ゴーン氏弁護人の弘中惇一郎弁護士が「文明国においてはあってはならない暴挙」と批判するのも当然だ。その手続上の問題は、今後、重大な人権問題として取り上げられることになるだろう。

 それとは別の問題として、そもそも、このオマーン・ルートと言われる特別背任の事件が、刑事事件として立証可能なのだろうか、という点は、あまり注目されていない。ゴーン氏逮捕を報じるメディアの多くは、「ゴーン元会長による会社私物化が明らかになった」「口座の資金の流れが解明されたことで確実な立証が可能になった」などと検察リークによると思われる情報を垂れ流している。しかし、これまでの捜査の経緯と、経営者の特別背任罪の立証のハードルの高さから考えると、有罪判決の見込みには重大な疑問がある。

 今回の検察のゴーン氏逮捕も、追い込まれた末の「暴発」である可能性が強い。

オマーン・ルートの特別背任での逮捕に至る経緯

 報道によると、このオマーン・ルートの特別背任というのは、

ゴーン前会長は2015年12月から18年7月までの間、日産子会社の「中東日産」(アラブ首長国連邦)からオマーンの販売代理店「スヘイル・バウワン・オートモービルズ」(SBA)に計1500万ドル(当時のレートで約16億9800万円)を送金させ、うち計500万ドル(同約5億6300万円)を自らが実質的に保有するペーパーカンパニーに還流させた疑いがある。SBAに送金した資金の原資はCEO(最高経営責任者)直轄の「CEOリザーブ(予備費)」で、「販売促進費」名目で支出された。

とのことだ。

 「4回目の逮捕」をいち早く報じて捜査報道をリードした産経新聞が、昨日の逮捕後、ネット記事で、ゴーン氏逮捕に至る経緯について【中東「資金工作」解明へ検察慎重派説得 カルロス・ゴーン容疑者再逮捕】と題して詳しく報じている。その中に、検察内部において逮捕が決定された経過について、以下のような内容が含まれている。

(1)検察上層部は、裁判所が特捜部の捜査に厳しい態度をとっていることから、「無理して一部でも無罪が出たら組織が持たない」という理由から、「これ以上の立件は不要」と、オマーン・ルートの立件に「慎重姿勢」だった。

(2)オマーンやレバノンなどに求めた捜査共助では、期待した回答は得られなかった。

(3)特捜部は、中東関係者から事情聴取を重ね、資金支出の決裁文書や資金の送金記録などの関係証拠を積み上げた。

(4)特捜部は、「中東での資金工作の全体像を解明しなければ、サウジアラビア・ルートで無罪が出かねない」と言って検察上層部を説得し、逮捕にこぎつけた。

 他社に先駆けて、「逮捕」を報じた産経が、逮捕後いち早く報じたのであるから、検察の現場と上層部との間の動きについて、十分な取材に基づいて書いていると考えてよいであろう。

検察上層部の「慎重姿勢」と特別背任の「経営判断原則」

 この中で、まず重要なのは、検察上層部が、「無理して一部でも無罪が出たら組織が持たない」という理由でオマーン・ルートの立件に「慎重姿勢」だったことである。金商法違反事件、特別背任事件のいずれにも重大な問題があり、無罪判決の可能性が十分にあることは、私が、これまで再三指摘してきたところであり、検察上層部の懸念は正しい。そして、検察上層部が、オマーン・ルートの立件に慎重だったのは、特別背任という犯罪の立証のハードルの高さを認識しているからだと思われる。

 会社の経営者は、経営上の意思決定をするうえで、資金の支出について広範な裁量権を持っている。その権限は、取締役会の承認等の手続的な制約があり、その手続に違背すると会社法上の責任の問題が生じる。しかし、経営者の決定による支出が「特別背任罪」に該当するかどうかについては、「経営判断原則」が適用され、その支出が会社にとって「有用性」があるか否か、対価が「相当」かどうかという点から、「任務違背」に当たるかどうかが判断される。

 三越の元会長とその愛人が会社を食い物にしたとされて特別背任で起訴された三越事件の東京高裁判決(平成5年11月29日)では、「経営判断原則」に基づいて社長の愛人が経営する会社への支出が「任務違背」に当たるかどうかが判断され、一部無罪とされた。この事件での「経営判断原則」の判断枠組みについては、山口利昭弁護士が、ブログでわかりやすく解説している(【日産前会長特別背任事件-焦点となる三越事件高裁判決の判断基準】)。

 ゴーン氏逮捕後の報道は、ほとんどが「SBAに支払われた資金がゴーン氏側に還流した」ことをもって「会社資金の流用」としているが、特別背任罪に問われているのはあくまで「日産からSBAへの支払い」であり、それが「任務違背」に当たらない限り、結果的にその支払がゴーン氏の個人的利益につながったとしても(「利益相反」など経営者の倫理上の問題は別として)、特別背任罪は成立しない。

 上記の産経記事で書かれている「検察上層部の慎重姿勢」というのは、まさに、経営判断原則に基づくと、SBAの支払が「任務違背」に当たると言える十分な証拠がないという理由によるものだと考えられる。

オマーン・ルートの特別背任罪の成否

 そこで、日産からオマーンの販売代理店SBAへの支払に「任務違背」性が認められるか否かであるが、これについて、ゴーン氏側は、「SBAへの支払は、毎年、販売奨励金として行っているもので、問題ない」と主張しているとのことだ。

 上記の通り、任務違背かどうかは、「経営判断原則」に基づき、「有用性」と「対価の相当性」が判断されることになるが、まず、オマーンでの日産の自動車の販売の一般的状況について、「自動車ジャーナリスト」の井上久男氏が、ヤフーニュースの記事【日産とオマーンの怪しい関係 役員に高級時計をプレゼントも】で以下のように述べている。

 調査会社によると、オマーンの自動車販売は市場全体で2017年が約14万6000台、18年が約12万4000台とそれほど大きくない。市場規模は日本の40分の1程度だ。その中で日産は17年に2万8000台、18年に2万7000台を売り、シェアは19.2%、21.4%。オマーンではシェア1位がトヨタで、2位が日産、3位が韓国の現代自動車だ。

 単純計算して車の卸価格を200万円として、日産のオマーン向け出荷売上高は540億円程度、粗利益は27億円程度ではないか。オマーン市場は将来伸びる可能性があるとはいえ、こんな小さな市場の販売代理店に、日本円で39億円もの大金が流れるのか不思議でならない。

 井上氏は、「粗利益27億円」と「39億円」とを比較しているが、年間の「粗利益27億円」と、8年間で39億円の支払いを比較するのはおかしい。1年なら5億になる。通常、販売奨励金は、売上高に応じて算定するはずであり、年間売上高540億円の1%弱という5億円の販売奨励金が特別に高額とは言えないだろう。

 上記産経記事では、「資金支出の決裁文書や資金の送金記録などの関係証拠を積み上げた」としているが、オマーンでの日産車の販売に関して一定の実績が上がっていれば、販売奨励金の支払いが、日産にとって有用性がないとは言えないし、対価が不当であったともいえない以上、資金の流れや手続に関する証拠だけでは、「有用性」「対価の相当性」を十分に否定することはできない。

 検察は、ゴーン氏が、SBAへの支払のうち500万ドル(同約5億6300万円)を自らに還流させたと主張しているようだ。確かに、正規に支払が予定されていた販売奨励金の金額に、ゴーン氏側への還流分を上乗せして支払ったということであれば、その分は、「経営判断原則」の範囲外の個人的流用となる余地もある。しかし、その点の立証のためには、SBA側から、「当初から、日産が支払うべき販売奨励金に上乗せした支払を受け、それをゴーン氏側に還流させた」との供述が得られることが必要だ。SBA側からそのような供述が得られていないことは間違いなさそうだ(4月5日朝日新聞「時時刻刻」)。

「15億円クルーザー」は本当か

 SBAに渡った約35億円のうち、約15億円がゴーン氏のキャロル夫人の会社に還流し、“社長号”なる愛称がつけられたクルーザーの購入代金に充てられているとしきりに報じられているが、この点に関しても、今年2月の時点で、週刊新潮が以下のようにルノー関係者の説明を報じている(【逆襲の「ゴーン」! 中東の販売代理店が日産を訴える理由】)。

 クルーザーは、昨年亡くなったレバノンの弁護士から購入しました。ゴーンは以前からその弁護士と親しかったため、“体調が悪く、もう海に出ることもないから、私の船を買わないか?”と持ちかけられていた。でも、あくまでもポケットマネーで、マリーナなどの契約も引き継ぐためにクルーザーの所有会社ごと買い取って、キャロル夫人の名義にしたとのことでした

 この説明のとおりだとすると、「15億円のクルーザー」に関する報道も怪しくなる。それは、あくまで新艇の価格であり、上記のような経緯で、マリーナなどの契約も引き継いだ譲受の実際の価格は、大幅に下回っていた可能性がある。

 もちろん、事実関係、証拠関係の詳細は不明だ。しかし、産経新聞が報じているように検察上層部が「慎重姿勢」であった理由を考えてみると、現時点においてもオマーン・ルートの特別背任について有罪立証の見通しが立っているようには思えない。

 そのような特別背任の容疑事実で、敢えてゴーン氏を逮捕し、自宅やキャロル夫人に対する捜索押収を行った特捜部には、再度の逮捕でゴーン氏に精神的打撃を与え、自宅の捜索で保釈条件違反に当たる事実を見つけだして保釈取消に追い込むことや、ゴーン氏側の公判準備の資料を押収して弁護活動に打撃を与えること、そして、最終的には、検察に敵対するゴーン氏を自白に追い込み叩き潰すことが目的だったとしか思えない。

 上記、週刊新潮の記事では、SBA側の対応に関して、

オマーンに派遣された日産の調査チームは経営者に対し、取引関係の解消までチラつかせてゴーンに不利な証言を求めました。でも、彼はそれを拒絶し、逆に日産に対する訴訟も辞さずと憤慨している。この代理店は売上実績でかなりのシェアを持っており、中東で強い発言力がある。仮に取引解消となれば、他の代理店も追随して離反するかもしれず、日産側も大打撃を被るのは避けられません

と報じている。

 検察と日産が結託し、数々の「非道」を重ねている「ゴーン氏追放劇」と「権力ヤクザ」のような捜査は、重大な局面を迎えようとしている。

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「法人としての日産」をゴーン氏と共に起訴した検察の“策略”

ゴーン氏弁護団の公判分離申立て

 昨日(4月2日)、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏の弁護人の弘中惇一郎弁護士が、記者会見を開き、ゴーン氏と日産の公判を分離し、違う構成の裁判体で審理するよう東京地裁に申し立てたことを明らかにした。弘中弁護士は、ゴーン氏と日産の刑事裁判を併合したまま審理を進めれば、フェアトライアル(公正な審理)に反すると説明した。

 端的に言えば、起訴事実を全面的に認め、有罪判決を得ようとしている日産と、起訴事実を争い、無罪を主張するゴーン氏が、同じ裁判官に裁かれるのでは、公正な審理が期待できないということだ。

 有価証券報告書の虚偽記載の事実について、法人として起訴されている日産自動車とゴーン氏・ケリー氏は、同一の起訴状で併合して起訴されているので、通常は、同じ裁判体で審理が行われる。

 これまで、日産は、検察と「二人三脚」のような関係で捜査に協力してゴーン氏を起訴に持ち込んできたのであるから、法人として起訴されている事実について全面的に認めることになる。一方、ゴーン氏とケリー氏は、起訴事実を全面的に否認しており、裁判でも無罪を主張する。

 日産は起訴事実を全面的に認めるため、検察官が請求する関係者の供述調書などの証拠はすべて採用され、裁判官がそれをもとに有罪判決を出す。一方、ゴーン氏とケリー氏の裁判については、起訴事実を全面否認するため、検察官請求証拠は不同意として裁判に出ないようにし、証人尋問によって事実が認定されることになる。

 分離された事件は、裁判体が同じであっても、証拠関係が異なるので、事実認定や有罪・無罪の判断も別になされるというのが建前である。しかし、実際は、検察官請求証拠をすべて読んだうえで日産について有罪判決を出した裁判体が、ゴーン氏・ケリー氏についての同じ事件を、証拠が別だからと言って、見た証拠を見なかったことにして無罪と判断することができるだろうか。

 そのような形で刑事裁判を行うことが、フェアトライアル(公平な審理)に反するというのが、ゴーン氏の弁護団が公判分離の申し立てをした理由だ。

自白事件も「司法判断」を行う“日本的刑事司法”

 このような問題が生じてしまうのは、日本の刑事裁判制度のもとでは、「自白事件についても証拠による事実認定が行われる」からである。

 古くから、アメリカ、イギリスなど英米法諸国では、「有罪答弁」(アレインメント)という手続があり、被告人が起訴事実を認め「有罪答弁」を行えば、証拠の取調べは行われず、被告人は有罪とされる。刑事訴訟において職権主義がとられるドイツでも、21世紀に入ってから、被告人が罪を認めた場合に手続を簡素化する「合意手続」が導入された。アレインメントに憲法上の疑義があるとされたイタリアでは、憲法が改正されて「合意手続」が導入された(【ドイツにおける答弁取引(いわゆる申合せ)と憲法】)。フランスでも、一定の範囲の「軽罪」については「有罪に関する事前承認のための出頭」という制度がある(「重罪」は、10年以上の拘禁刑が科され得る犯罪)。

 このように、諸外国では被告人が事実を争わない場合に、正式な裁判手続きを経ないで有罪とする制度を認めるのが趨勢である。その背景には、司法取引の導入との関係があると思われる。有罪答弁によって「有罪」とされ、被告人が刑に服するのは、「証拠」による「司法判断」によるものではなく、「合意」の結果に過ぎない。ところが、日本の現行制度のように、司法取引で「他人の犯罪」の捜査公判に協力した被告人であっても、裁判手続きによって、自白や関連する「証拠」に基づいて「有罪判決」が出され、それが「司法判断」だということになると、それと関連する「他人の事件」での有罪無罪の判断に重大な影響を生じてしまう。

有罪判決を出した裁判体が「同一の事件」で無罪判決を出せるか

 同じ裁判官からなる裁判体が、司法取引による有罪の「司法判断」を行った場合には、その影響はさらに顕著なものとなる。同じ人間であれば、一つの事象に対する事実認定や判断について、根拠となる証拠が異なっているからと言って、「異なる事実認定」をすることに強い抵抗があるのは当然である。「事実認定」と言っても「自由心証主義」であるから、異なる証拠関係だからと言って、「ある事実」が、あるのか、ないのかの判断・認識が分かれることには抵抗を感じるのが通常ではなかろうか。

 会社として「司法取引」に応じたに等しい日産が、アレインメントによることなく、証拠による裁判手続を経て有罪判決を受けることになると、その「証拠」というのは、検察との合作で、最大限に「有罪」を印象づけるものとなる。それをすべて見て有罪判決を出した裁判体が、同じ事件で無罪を主張するゴーン氏・ケリー氏に対して、異なった認定をすることができるだろうか。

 そういう意味で、ゴーン氏の弁護団が、日産の裁判手続と分離し、別の裁判体で審理することを求めるのは当然である。それが行われず、同一の裁判体が、日産と、ゴーン氏・ケリー氏を裁くということになれば、「公正な裁判」とは言えないことは明らかだ。

自白事件の「有罪判決」を、無罪判決阻止のために活用してきた検察

これまでも、検察は、自白事件についても証拠による「司法判断」が行われるという日本の刑事裁判を最大限に活用してきた。例えば、企業犯罪で逮捕した被疑者Aが全面否認していて、有罪無罪が微妙な場合に、関与の希薄な共犯者Bを敢えて併合起訴するという方法がとられる。その共犯者Bには、「検察協力型ヤメ検弁護士」が弁護人について、起訴事実を全面的に認め、早期に執行猶予付きの有罪判決が出る。そうなると、その有罪判決を出した裁判体が、同じ事件でAに無罪判決を出すことは極めて困難になる。このようなやり方は、特に、特捜部では「常套手段」とされてきた。

日産の「法人併合起訴」は検察の「策略」か

 昨年6月に導入された「日本版司法取引」の初適用事案となった三菱日立パワーシステムズの外国公務員贈賄事件では、会社が「法人」として社内調査結果の提供などを行い、役職員の捜査公判に協力したことの見返りに「法人」の起訴を免れる「司法取引」が行われた。その事例と同様の「司法取引」をすれば、ゴーン氏の事件でも、社内調査結果を検察に提供して、捜査に協力した「日産」の法人起訴を免れさせることは十分可能だったはずだ。

 その日産を敢えて起訴したのは、日産とゴーン氏らとを併合起訴して同じ裁判所に係属させ、事実を全面的に認める日産に早期に有罪判決を出させることで、同じ裁判所がゴーン氏らに無罪判決を出すことを困難にしようという「策略」だったとの見方も可能だ。

 自白事件についても検察官請求証拠によって有罪の「司法判断」が行われるという日本の刑事司法は、国際的にも特異な制度になりつつある。それは、「人質司法」と並んで、今回のゴーン氏事件を契機に抜本改革を議論すべき事柄と言うべきであろう。

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日産、株主が選任した取締役の取締役会出席に「会社」が反対する“異常事態”

 保釈が許可され、108日ぶりに身柄拘束を解かれたゴーン氏は、裁判所の許可があれば日産の取締役会に出席できるとされたことから、取締役会への出席を裁判所が許可するかどうかが注目された(【ゴーン氏「当然だが画期的な保釈許可決定」で生じる“重大な影響”】)。

 3月11日の昼のNHKニュースでは、ゴーン氏が12日の日産取締役会出席の許可を裁判所に求めていることについて、「日産側は出席に反対する意向を検察に伝えている」と報じていた。

 しかし、取締役は株主に選任されているのであり、その取締役の出席に、会社(執行部側)は反対できる立場ではない、そのような、会社法的にあり得ない「日産のゴーン氏取締役会出席への反対」を、そのまま報じるNHKに疑問を感じていたところ、同日夕方、東京地裁がゴーン氏の取締役会出席を許可しない決定をしたと報じられた。

 朝日新聞ネット記事では、

被告弁護人の弘中惇一郎弁護士は11日夕、記者団に対し、「日産から強い反対があった」ことを明らかにした。

弘中弁護士によると、日産側から取締役会の開催の案内を受けたため、ゴーン被告が取締役としての責任を果たすために出席を希望し、証拠隠滅の恐れを排除するため、地裁には「弁護士も同席して出席したい」旨を申し入れた。

一方、日産側は顧問弁護士を通じ、ゴーン被告の出席について「強硬に反対」する意見書を出したという。主な反対理由については、1)現在の日産としては今後のことを決めるのにゴーン被告は出席してもらう必要がない、2)ゴーン被告の出席により、他の取締役が影響を受け、罪証隠滅の恐れがある、3)ゴーン被告が出席すると議論がしにくい――というもの

としている。

 しかし、日産が上記のような意見を提出したというのは、どう考えても理解できない。

 1)の「ゴーン氏出席の必要がない」、3)の「ゴーン被告が出席すると議論がしにくい」というのは、日産の執行部として言えることではない。株主に選任された取締役の出席の必要性は、会社執行部が否定できることではない。会社執行部は、取締役会に業務執行を委ねられているのである。その取締役会の一員の出席の要否について意見を言える立場ではない。

 2)は「他の取締役が影響を受ける」ということだが、日産の取締役の中でゴーン氏が接触を禁止されている関係者は西川廣人社長だけのはずだ。その西川氏が、「ゴーン氏の取締役会出席によって影響を受け、罪証隠滅の恐れがある」という趣旨であろう。

 裁判所は、株主に選任された取締役の、取締役会への出席について「必要性」を否定できる立場ではない。しかし、会社が「出席の必要がない」と意見を述べた場合、それは会社として許されることではないが、会社法上の判断を行う立場ではない刑事裁判所としては、その意見を尊重することになる。

 最大の問題は、ゴーン氏の取締役会出席が、関係者の西川氏の公判証言にどう影響するかだ。もし、日産の意見書で、「西川氏は、取締役会でゴーン氏と顔を合わせただけで、心理的圧迫を受け、公判証言ができないと言っている」と述べているのであれば、裁判所としても、公判審理に影響があると判断せざるを得ないであろう。

 しかし、ゴーン氏には弁護士が同席し、証拠隠滅の恐れを排除するというのだから、もちろん、ゴーン氏が刑事事件に関する発言などするわけもない。それなのに、「取締役会で顔を合わせるだけで圧迫を受けて公判証言に影響する」と言っているとすれば、西川氏は、今後、ゴーン氏の刑事公判で、ゴーン氏の目の前で証言できるのだろうか。そのような情けないことを言う人間が社長を務めていて、日産という会社は本当に大丈夫なのだろうか。

 西川氏は、ゴーン氏逮捕直後の会見で、社内調査の結果、重大な不正が明らかになったゴーン氏に対して「強い憤り」を覚えると述べていた。その時点で西川氏が言っていた「不正」のうち、唯一、検察が起訴事実とした「有価証券報告書虚偽記載」については、西川氏自身が、代表取締役CEOとして有価証券報告書の作成・提出義務を負う立場なのに、西川氏は、逮捕も起訴もされていない(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。そういう西川氏にとって、ゴーン氏が取締役会に出てきたら「合わせる顔がない」というのはわかる。しかし、そのような「社長の個人的な後ろめたさ」から、株主に選任された取締役の取締役会出席に、「会社として」反対するということが、株式会社のガバナンス上許されるのであろうか。

 西川氏は、また、ゴーン氏逮捕直後の会見で、「社内調査によって、カルロスゴーン本人の主導による重大な不正行為が明らかになった。会社として、これらは断じて容認できないことを確認のうえ、解任の提案を決断した。」と述べていたが、その不正の事実を、ゴーン氏本人が出席する取締役会に報告して解職の議案を出すのではなく、検察に情報提供して逮捕してもらってから、本人がいない臨時取締役会で解職を決議したのである。

 日産は、ゴーン氏が保釈され、取締役会への出席の意向を示すや、出席に反対する意見書を提出するという、株式会社として「異常な対応」を行い、ゴーン氏の取締役会出席を回避した。しかし、それによって、日産自動車は、会社法上の規律もガバナンスも機能しておらず、もはや株式会社としての「体を成していない」ことを図らずも露呈したことになる。

 今日は、日産取締役会の後、日産・ルノー・三菱自動車の共同記者会見が行われるとのことだ。しかし、この取締役会をめぐる動きは、西川社長の下では日産という会社が立ちいかなくなることを示しているように思える。

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“ゴーン氏保釈”で転換点を迎えた「特捜的人質司法」

 昨年11月19日、東京地検特捜部に逮捕され、勾留・再逮捕が繰り返される中、無実を訴え続けた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が、108日間身柄拘束された後にようやく保釈された。それを機に、日本の刑事手続における「人質司法」に注目が集まっている(【ゴーン氏「当然だが画期的な保釈許可決定」で生じる“重大な影響”】)。

 「人質司法」とは、逮捕された被疑者、起訴された被告人が、犯罪事実を否認し潔白を訴えている間、身柄拘束が長期間にわたって継続することをいう。日本の刑事司法では、昔からそのようなことが当然のようにまかり通ってきた。

 ゴーン氏の事件で、日本の刑事司法が国際的な批判を浴びていることについて、山下貴司法務大臣は、

それぞれの国において、例えば刑法の中身であるとか刑事手続きそれ自体が違います。それが制度全体として機能するように成り立っているということでございまして、個々の制度の違う点だけに着目して単純に比較することは適切ではない

と答弁している(2019年2月25日衆議院予算委員会)。

 確かに、刑事事件一般について言えば、犯罪事実を否認する被告人の身柄拘束の長期化は、日本の刑事司法の特質とも関連しており、背景には、日本社会における「犯罪」や「犯罪者」に対する認識がある。そういう意味では、「人質司法」という面だけを切り取って批判するのは、必ずしも適切とは言えない。

 しかし、このような「一般的人質司法」の問題と、特捜事件における「人質司法」の問題とは、異なる。

 「人質司法」が日本社会で初めて注目を浴びたのは、厚生労働省の村木厚子局長が大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、一審で無罪判決が出て確定し、その過程で、主任検察官の証拠改ざん事件が発覚し、検察全体が激しい社会的批判を浴びた「特捜検察不祥事」が発端である。その後、厚労省事務次官にまでなった村木氏が、起訴事実を全面否認していたことから164日にわたって勾留されたのが、まさに、「特捜的人質司法」である。

 そのようなやり方は、それまで、東京地検特捜部においても、ロッキード事件・リクルート事件・ゼネコン汚職事件など過去の多くの事件で常套手段とされてきた。そこには、「特捜事件の特殊な構造」があり、実態は「人権侵害」そのものと言える理不尽なものだった。ゴーン氏の事件で国際的に大きな注目を集めたのは「特捜事件における人質司法」の問題であり、それは、刑事事件一般における「人質司法」とは異なる。

 そこで、まず、刑事事件において身柄拘束が行われる理由を改めて整理し、「一般的人質司法」の背景について述べた上で、「特捜的人質司法」の問題について考えてみる。

被疑者・被告人はなぜ身柄を拘束されるのか

 罪を犯したことが疑われる被疑者・被告人でも、無条件に身柄拘束が認められるわけではない。逮捕・勾留によって身柄を拘束することが認められるのは、「逃亡の恐れ」あるいは「罪証隠滅のおそれ」があるという理由による。

 「逃亡のおそれ」を判断する要素は、まず事件の重大性と、予想される量刑である。殺人事件で死刑か無期懲役になりそうだということであれば、逃亡のおそれが大きいのは当然だ。一方、罰金刑や執行猶予が確実な事件であれば、逃亡の恐れは相対的に小さい。

 次に、被告人の仕事や生活の状況が、逃亡のおそれの判断材料となる。生業につかず住居を転々としているような場合には、「逃亡の恐れ」が大きいが、家族がいて、社会的に安定した地位もある会社員や公務員等の場合には、逃亡の恐れは相対的に小さい。

 「罪証隠滅のおそれ」の有無・程度は、被疑者・被告人が犯罪事実を認めているか否かで異なる。被疑者自身が一貫して犯罪事実を認めている場合は、犯罪に関する証拠を隠滅しようとする可能性は低い。一方、被疑者が犯罪事実を否認していて、犯罪事実に関する決定的な証拠がなく、被疑者が関係者に口裏合わせを頼んだり、物的証拠を破棄・隠滅したりすることで、有罪立証が困難になるという場合には、「罪証隠滅の恐れ」が大きいということになる。

 身柄拘束によって、被疑者・被告人は、その生活の場や業務・活動から切り離され、社会活動が困難な状態に置かれる。それによって自己や家族の生活や所属する会社の業務・事業等に重大な影響が生じることになる。その影響の程度は、被疑者が単身者・無職者等の場合や、刑務所の出入所を繰り返しているような常習的犯罪者の場合は小さいが、家族や定まった職業があり、社会的地位が高い場合には、大きい。

 上記のような「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」という身柄拘束の必要性と、それによって生じる影響・不利益の程度が総合的に勘案されて、勾留・勾留延長・保釈の可否等の身柄拘束やその継続の是非が判断される。

 その判断において、基本的には法律上の考慮要因となっていないものの、実質的に必要性を根拠づける要因の一つとして作用しているのが、「身柄拘束による社会防衛的機能」だ。

 日本は、基本的に「治安の良い安全な社会」であり、「国が犯罪から市民を守ってくれている」との考え方が強い。犯罪を行ったとして逮捕・起訴された人間は、有罪判決が確定する前であっても、「新たな犯罪を行うおそれ」を防止する必要があり、社会内で自由な活動が許されるべきではないという「社会防衛的な観点」が身柄拘束の正当化事由となっていることは否定できない。個人の銃器所有が認められ、犯罪からの自己防衛の考え方もとられるアメリカなどとは異なる。このような「社会防衛的な観点」からの身柄拘束の正当化は、殺人・強盗・窃盗・性犯罪等の個人的な法益侵害・被害を生じさせる犯罪において相対的に大きい。

 日本においては、法的には、「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」が身柄拘束の理由とされるが、実際には、それに加えて、「社会防衛的観点」も身柄拘束の理由になっていると考えられる。日本では、犯罪事実を否認している場合には「罪証隠滅のおそれ」が大きいので保釈を認めるべきではないというのが一般的な考え方だった。しかし、「推定無罪の原則」からすると、犯罪事実を否認し、無実を訴えている被告人の方こそ、身柄拘束によって不利益を受けるのは不当だということになる。そのどちらを優先する考え方をとるのかによって、「罪証隠滅のおそれ」の判断基準が異なってくる。

 以前は、「起訴事実を否認している」というだけで「罪証隠滅のおそれがある」とされ、起訴事実を否認する被告人は、検察官立証が終わるまで保釈されないという、「人質司法」が当然のようにまかり通ってきた。最近では、裁判所が、「罪証隠滅のおそれ」を、当該事件の個別事情に応じて、現実的な可能性の有無という面から具体的に判断する傾向が強まりつつある(【“ゴーン氏早期保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 「推定無罪の原則」は、少しずつではあるが尊重される方向にあると言える。

 しかし、そのような刑事司法全体における「人質司法」の問題と、特捜事件における「人質司法」とは、問題の性格と構造が異なる。この二つを明確に区別して議論することが必要である。

「一般的人質司法」

 日本社会は、一般的に、犯罪者の確実な検挙・処罰により「良好な治安」が実現されることを求める傾向が、もともと強かった。本来、被疑者の逮捕は、「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」がある場合に、それを防止するための「措置」に過ぎないはずだが、実際には、それによって「犯罪者」というレッテル付けが行われ、一定期間社会から隔離しておくことが正当化される。検察官の起訴は、刑事訴訟法上は、刑事裁判を求める「措置」に過ぎないはずだが、検察官は、公訴権を独占し、訴追裁量権を持っており、犯罪の嫌疑が十分だと判断した場合にのみ起訴を行い、有罪率が99.9%にも達するので、検察官の判断は、事実上、そのまま司法判断となる。そのため、社会的には、「起訴」は、事実上、被告人が「犯罪者」であることを意味する。

 そして、このようにして「犯罪者」としてレッテル付けが行われた人間の多くは、犯罪事実を認め、反省悔悟の情を示すことから、日本では「自白率」が高い。その中で、起訴事実を否認し、潔白を訴える被告人は「異端者」として取り扱われる。「犯罪者としての烙印」が押されているのに、反省悔悟もしない人間は、社会に戻すと、いつ何時再び犯罪を行うかもしれないということで、「社会防衛的な観点」から社会から隔離すること、つまり身柄拘束の長期化も容認する傾向があったことは否定できない。

 形式上は、「罪証隠滅のおそれあり」との要件を充たしていることで保釈を認めないわけだが、その要件が、起訴事実を否認する被告人について広く解釈されてきた背景には、このような「犯罪事実を認めず悔い改めない被告人は身柄拘束が継続されてもやむを得ない」との認識があったことは否定できない。

 しかし、刑事事件における証拠に基づく事実認定は微妙であり、検察官が判断を誤り、冤罪が生まれることもある。映画『それでもボクはやっていない』で注目された痴漢冤罪事件がまさにそうであるように、冤罪で起訴された人間にとって「人質司法」は理不尽極まりない苛酷な人権侵害となる。しかし、そのような事件には、「被害者」や「深刻な被害」があり、犯罪自体を検挙せずに放置することはできない。それだけに、「人質司法」を全体的にどうしていくのかというのは、決して単純な問題ではない。

「特捜的人質司法」

 ゴーン氏の事件で国際的な批判を浴びているのは「特捜的人質司法」の問題であり、それは、上記のような「一般的人質司法」とは構造が異なる。

 その点に関して、まず、「特捜部」という組織の特徴と、対象とされる事件の特色について見ておく必要がある。

 特捜部というのは「検察独自捜査」を行うことを目的とする捜査機関である。一般事件では警察が担う、犯罪の端緒の把握、逮捕など第一次捜査機関としての役割を、特捜事件ではすべて検察官及び補助者の検察事務官が行う。勾留するかどうか、起訴するかどうかという検察官固有の判断に加えて、検察独自捜査においては、そもそも、事件を刑事事件として立件するかどうか、被疑者を逮捕するかどうかという判断も検察官が行う。

 特捜部の捜査で被疑者を逮捕することは、社会に重大な影響を与えるので、逮捕等の強制捜査着手の判断は、検察組織内部で慎重に行われる。多くの事件では、地方検察庁の上層部、高等検察庁、最高検察庁等の上級庁の了承、事件によっては法務省当局の了承も得て、検察組織の意思決定に基づいて行われる。

 しかし、このように、検察組織全体での意思決定を経て、特捜部が、社会的に地位のある被疑者を逮捕し、重大な社会的影響を生じさせてしまうと、その後に、想定していなかった事実や証拠が明らかになった場合でも、当初の判断が間違っていたことを認めることになる捜査の中止や断念の決断は、検察組織全体に重大な責任を生じさせるので、極めてしにくくなる。特捜事件で、被疑者を逮捕した検察が、勾留請求や起訴を断念することはほとんどない(【検察の「組織の論理」からするとゴーン氏不起訴はあり得ない】)。

 このような特捜部が手掛ける事件は、一般的な刑事事件とは、以下のような点で異なる。

 第1に、特捜部の事件では、政治家・高級官僚・経済人・企業人など社会の中心部で活躍する人物が摘発対象とされ、被疑者の逮捕・勾留・起訴が、その対象者の生活や業務に甚大な影響を与えるだけでなく、社会・経済全体にも重大な影響を与えることも少なくない。一般に、刑事事件で警察に逮捕される被疑者の多くは「社会の底辺」で活動する者であり、刑務所の出入りを繰り返す常習的犯罪者も少なくないのとは異なる。

 第2に、特捜部の事件には「被害」「被害者」もない。殺人・強盗・窃盗等の一般的な犯罪であれば、「被害」が発生したことを把握した時点で、警察が捜査に着手する。しかし、特捜部が手掛ける刑事事件は、そのような「被害」とは無関係な、贈収賄・政治資金規正法違反・脱税・金融商品取引法違反など、いずれも、国家的・社会的法益等の抽象的な法益の侵害を理由に立件される犯罪である。

 第3に、社会の中心部で活躍する人物を、「被害」も「被害者」もないのに、検察が独自の判断で立件するのであるから、それを刑事事件として取り上げたことも含めて、その責任はすべて検察が負うことになる。被疑者を逮捕・起訴してマスコミの拍手喝采を浴び、無事に有罪判決に至れば、特捜部の「名声」が高まり、捜査を率いた特捜部幹部は英雄視される。一方、捜査が崩壊し、或いは、無罪判決で敗北に終わった場合には、検察組織に重大な責任が生じ、捜査を指揮した特捜幹部も責任追及を受けることになる。

 これらの特質から明らかなことは、特捜部の事件については、「一般的人質司法」に関して前述した「社会防衛的観点」からの身柄拘束は、全く無関係である。特捜部に逮捕され、起訴され、起訴事実を全面否認のまま保釈されたとしても、世の中に「新たな犯罪の不安」を生じさせるわけではない。

 結局のところ、特捜部の事件における「人質司法」というのは、検察が、自らの責任において刑事立件し被疑者を逮捕・起訴した事件で、被告人が起訴事実を否認する場合に、公判を有利にするため、有罪判決を得るために行われるものであり、「罪証隠滅のおそれ」を広く解釈することが検察に有利に働き、「罪証隠滅のおそれ」を狭く解釈することが不利に働くという、極めて「単純な構図」なのである。

 過去に特捜部が手掛けた事件における「人質司法」の事例は枚挙にいとまがない。

 リクルート事件での江副浩正氏は113日、あっせん収賄事件等の鈴木宗男氏は437日、外務省支援委員会背任事件での佐藤優氏の512日等、起訴事実を全面否認した被告人を長期間にわたって勾留する「人質司法」と、威迫的・欺瞞的取調べで検察の設定したストーリーに沿う供述調書に署名させる、という二つの手段を用いて、検察は、特捜部起訴事件で無罪判決が出ることを防いできた。

 特捜部が、そのために、どのような手段を用いてきたかは、江副浩正氏、佐藤栄佐久氏(元福島県知事)、村木厚子氏など、多くの「特捜検察の被害者」が著書で、特捜的捜査手法の実態を明らかにしている。

 私自身、検察官退職後、多くの「特捜検察の被害者」から直接話を聞いてきた。その中には、「特捜的人質司法」によって、被告人の「裁判を受ける権利」までもが侵害されたと思える事案もある。

 公認会計士細野裕二氏は、粉飾決算の共謀に加わったとして特捜部に逮捕・起訴され、控訴審で、共謀とされた日時にアリバイがあることが明らかになり、一審で共謀を証言した関係者も証言を覆したのに、弁護人が保釈を得るために一部同意した供述調書の記載だけを根拠に有罪とされた(【『特捜神話の終焉』(飛鳥新社:2010年)第二章「キャッツ事件」(細野裕二・郷原信郎対談)抜粋】)。唐澤誠章氏の事例では、検察官は、公判で無罪主張する可能性がある被告人の保釈に強硬に反対し続け、長期勾留で体調不良を訴え釈放を懇願する被告人側に、自白を内容とする書面を作成して提出することを要求し、その書面を公判で提出させて公訴事実を争わせないようにするというやり方で、無罪主張を封じ込めた(【“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家】)。

 この唐澤氏の事例を見ると、一連の検察不祥事の影響で、検察官の取調べの録音録画が導入され、取調べで「ストーリー通りの供述調書」を作成させる、という従来の「特捜検察的捜査手法」が使えなくなったことが、「人質司法」によって、無罪主張そのものを封じ込めるというやり方につながっているように思える。

 そして、そのような「特捜的人質司法」を容認し、協力する「ヤメ検弁護士」などの弁護活動により、保釈獲得のために無罪主張が封じ込められ、「特捜の獲物」とされた人達は、十分な裁判所の判断を受けることもなく、謂れのない罪に服させられてきた。【「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」】で紹介した中小企業融資をめぐる詐欺事件では、懸命に中小企業の経営に取り組む経営者と、それを必死に支える経営コンサルタントが、特捜捜査に踏み潰され、弁護人となった大物ヤメ検弁護士の言葉で、裁判で無実を訴える機会すら失っていった。その当事者の佐藤真言氏は、その忌まわしい経過を著書『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』で克明に綴っている。

ゴーン氏の事件で「特捜的人質司法」は大きな転換点に

 日本の刑事司法全体における「一般的人質司法」の問題は、刑事司法全体の構造や日本社会の特質にも関連する問題であり、しかも、被害者、遺族等、刑事処罰に利害や重大な関心を持つ存在もあり、一朝一夕に変えられる問題ではない。今後、個々の事例において「罪証隠滅のおそれ」を否定する弁護人の努力と、裁判所の判断の積み重ねの中で、少しずつ是正を図っていく問題であろう。

 しかし、「特捜的人質司法」は、それとは根本的に異なる。要するに、特捜検察の組織の面子を維持し、名声を高めること、検察組織の責任を回避することなどを目的に、有罪判決を得るための「武器」を確保するというものにすぎない。

 もちろん、保釈可否の判断を行うのは裁判所であり、そのような「特捜的人質司法」による人権蹂躙を許容してきた裁判所にも重大な責任がある。しかし、特捜事件での逮捕・起訴の判断は、検察組織の意思決定に基づいて行われ、「検察の正義」を“翼賛”する夥しい「有罪視報道」によって、世の中には「処罰が当然であるかのような雰囲気」が醸成される。無実を訴える被告人の保釈請求に対しては、「保釈許可して、罪証隠滅をされて事件が潰れたら裁判所の責任だ」と言わんばかりの「恫喝的」な検察官の意見書に、裁判所も追従せざるを得なかったのが実情だった。今回のゴーン氏の事件でも、「人質司法」によって無罪主張を封じ込めようとする検察とマスコミの「有罪視報道」の構図は全く同様だったが、それが国際的な注目を浴びたこともあって、裁判所がその「特捜的人質司法」に立ちはだかることになった。

 ロッキード事件、リクルート事件を始めとする数々の事件で「特捜検察の栄光」の影で、政治家、経済人のみならず、巻き込まれた一般市民にも「塗炭の苦しみ」を与えてきた「特捜的人質司法」による人権蹂躙は、国際的な批判にさらされ、今、大きな転機を迎えようとしている。

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ゴーン氏保釈が、検察、日産、マスコミに与える“重大な影響”

 3月5日、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長について、東京地方裁判所は、保釈を許可する決定をし、同日夜、検察の準抗告も棄却され、ゴーン氏は、6日に、昨年11月19日の逮捕以来、108日ぶりに身柄拘束を解かれた。

 ゴーン氏の身柄拘束がここまで長期化したのは、検察が、「罪証隠滅のおそれ」を理由に、身柄拘束を続けて、被告人の無罪主張を抑え込もうと、なりふり構わず、逮捕・勾留・勾留延長を行い、起訴後も保釈への強い反対を繰り返して「身柄拘束の長期化」を図ってきたからである。

 1月10日の最終の起訴後、2回にわたる保釈請求が却下されていたが、前提条件が特に変わったわけではない今回の3回目の請求で保釈が許可された。それは、弁護人が「特捜検察マインド」を色濃く残す元特捜部長の大鶴基成弁護士中心のチームから、弘中淳一郎・高野隆弁護士中心の「検察と戦うチーム」に変わったことの影響が極めて大きかったと考えられる。

 弁護団の一新によって、ゴーン氏にとって名実ともに「検察の支配下」から離れ、検察・日産と戦う体制が整ったことが、今回の保釈許可決定という具体的成果につながったものと言えよう。

 そして、今回のゴーン氏保釈は、今後、各方面に重大な影響を生じることになる。

「罪証隠滅のおそれ」についての判断の変化

 以前は、「起訴事実を否認している」というだけで「罪証隠滅のおそれがある」とされ、保釈却下の事由とされていたが、最近の裁判所は、「罪証隠滅のおそれ」を個別的な事情に応じて具体的に判断する傾向を強めつつある。

 平成26年11月17日の最高裁決定では、痴漢事件で、「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われたが、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について理由を何ら示さずに勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認する判断が示された。

 この最高裁決定もあり、一般の事件では、「罪証隠滅のおそれがない」として勾留請求が却下されたり、保釈が認められたりするケースは、以前より多くなっている。

 それでも、特捜部の事件など、裁判結果が検察組織の面子に関わるような事件では、無罪を主張する被告人の保釈が早期に認められることは殆どなかった。検察が、「保釈を認めて被告人が罪証隠滅行為を行い、検察の立証に支障が出たら裁判所のせいだ」と言わんばかりの意見書を出して保釈に強硬に反対するのを、裁判所が受け入れて、保釈請求を却下することで、身柄拘束が長期化するというのが通例だった。

 一連の検察不祥事などを契機に、検察の取調べが可視化されたことなどで、従来の特捜部の捜査手法であった「供述調書中心主義」が見直され、従来のような、脅し・すかしによって検察官の意に沿う供述調書に署名させるという従来の特捜検察の捜査手法はとれなくなった。しかし、それは逆に、検察が身柄拘束の継続によって被告人の無罪主張を封じ込めようとする「人質司法」の悪用に一層拍車をかけている。公判で無罪主張する可能性がある被告人の保釈に強硬に反対し続け、長期勾留で体調不良を訴え釈放を懇願する被告人側に、自白を内容とする書面を作成して提出することを要求し、その書面を公判で提出させて公訴事実を争わせないようにするというやり方で、無罪主張を封じ込めた事件もある(【“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家】)。

「ゴーン氏身柄拘束継続」に対する検察の姿勢

 そのような検察の「人質司法」を悪用する姿勢が極端な形で表れたのが今回のゴーン氏の事件であった。

 昨年11月、特捜部は、ゴーン氏を、帰国直後の羽田空港の航空機内で、「2015年までの5年分」の役員報酬についての有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反の容疑で逮捕し、勾留延長の上で起訴したのに引き続いて、「直近3年分の虚偽記載」で再逮捕・勾留し、勾留延長請求したが、裁判所に請求が却下され、準抗告も棄却されるや、急遽、特別背任罪で再逮捕、勾留・勾留延長した上で起訴。その後2回にわたる保釈請求に対しても強硬に反対し続け、まさに、なりふり構わず、ゴーン氏の身柄拘束の継続を図ってきた。

 しかし、裁判所の姿勢は、従来の特捜部事件への対応とは異なったものだった。上記の勾留延長請求却下に加え、ゴーン氏と同じ有価証券報告書虚偽記載で逮捕されたグレッグ・ケリー氏が、勾留延長請求却下後、全面否認のまま保釈を許可されるなど、裁判所には「検察と一線を画する姿勢」も窺えた。

 こうした中、ゴーン氏は、金商法違反に加えて特別背任でも起訴されたが、最近の裁判所の一般的傾向からすると、「罪証隠滅のおそれ」が具体的に認められるのか疑問であり、早期保釈許可も十分に考えられた(【“ゴーン氏早期保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、社員に対して、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触を禁止している)。

 そういう意味では、今回の保釈許可決定は、「罪証隠滅のおそれ」に関する裁判所の判断として「当然の決定」と言える。

 しかし、一方で、検察が組織の面子をかけて逮捕・起訴したゴーン氏の事件で、公判前整理手続すら始まっていない現時点で保釈が許可されるというのは、検察にとっては衝撃であり、それを敢えて裁判所が決定したことは「画期的」と言える。

 今回の保釈許可決定は、「当然だが画期的な決定」と言うべきだ。

1、2回目の保釈請求と3回目の保釈請求の違い

 今回の保釈に関して、自宅玄関への監視カメラの設置、パソコンでのインターネット使用制限など、ゴーン氏の「罪証隠滅」が行えないようにする物理的措置が保釈条件とされたことが、保釈許可の大きな要因となったとされている。

 しかし、本当に罪証隠滅を行おうとすれば、そのような措置があっても完全に防止することは困難だ。そのような措置は、従来の特捜事件とは異なった保釈の判断をするための一つの「口実」に過ぎず、むしろ、決定的な違いは、裁判所も、事件の中身や証拠関係を踏まえて、長期の身柄拘束を避けたいと考えていたこと、そのような状況の中で、弘中・高野チームが、それまでの大鶴チームとは異なり、「人質司法」を打破してゴーン氏の保釈を獲得することに並々ならぬ情熱をもって取り組んだ成果と見るべきであろう。

 保釈決定の前日に外国特派員協会で記者会見を行った「無罪請負人」と言われる弘中弁護士に注目が集まっているが、私は、今回の保釈獲得に関しては、むしろ高野弁護士によるところが大きかったのではないかと見ている。

 今年1月18日の長文ブログ【人質司法の原因と対策】にも書かれているように、高野弁護士は、日本の「人質司法」の根本的な問題を指摘し、実際の刑事事件の中で、その打破を実践してきた弁護士だ。「罪証隠滅のおそれ」を振りかざし、無罪主張をする被告人の保釈を阻止しようとする検察と戦ってきた。今回も、保釈に強く反対する検察官の意見書を、身柄関係書類の閲覧で把握し、そこで指摘されている「罪証隠滅のおそれ」を徹底的に否定して、保釈を認めない理由がないことを論証したことが保釈許可の大きな要因になったと考えられる。

 一方の大鶴基成弁護士は、記者会見でも、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。」などと「人質司法」について、やや的外れな発言を行い(「人質司法」は第一回公判までだけの問題ではない)、「これは人質司法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと他人事のように言っていた。かつて特捜部長として、ライブドア事件・村上ファンド事件などの事件で特捜検察の中核を担ってきた大鶴弁護士は、特捜部側で無罪を主張する被告人の保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として検察と戦い、被告人の身柄釈放を勝ち取った経験は乏しかったのだろう。「人質司法」が典型的に表れているゴーン氏事件で、保釈を獲得する使命を果たす弁護人としてはミスキャストだったと言わざるを得ない。

ゴーン氏保釈による「重大な影響」

 今回のゴーン氏の保釈には、監視カメラの設置等の異例の保釈条件が付されている。しかし、保釈条件は不変のものではない。今後の公判前整理手続や公判審理の状況に応じて、不要となれば、条件が解除されることもあり得る。

 美濃加茂市長事件では、現職市長だった藤井浩人氏は、収賄容疑について現金の授受を含めて全面否認していたが、4回目の保釈請求が許可され、逮捕以来62日間の身柄拘束で保釈された(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このときは、副市長を含む多くの市役所職員との接触禁止等の保釈条件が付され、保釈に水を差したいマスコミは、「市長職を務めることは事実上困難」などと報じた。しかし、公判前整理手続の中で、「罪証隠滅のおそれ」が全くないことが客観的に明らかになり、弁護人の保釈条件変更申請で接触禁止は順次解除されていった。

 ゴーン氏についても、今後、公判前整理手続や公判審理の中で、検察が提示する事実や証拠、それに対する弁護側の対応によって、「罪証隠滅のおそれ」がないことが明らかになれば、保釈条件の変更の可能性もある。そういう意味では、保釈条件は、被告人にとって決定的な問題ではない。

 重要なことは、いかなる保釈条件が付されていても、拘置所での身柄拘束が続くのと、社会内での活動が可能になるのとでは、その拘束の質が決定的に違うということだ。

 今回の保釈によって、今後、ゴーン氏の刑事事件の公判対応や、マスコミへの対応、ゴーン氏が関わる企業の経営などに、大きな影響が生じる可能性がある。

 第1に、公判前整理手続や公判に向けて、弁護団と十分な準備ができるということだ。言語の違いに加え、関連資料も膨大なため、拘置所での弁護団とゴーン氏との打合せは困難を極めたはずだ。保釈されたことで、検察の開示証拠を踏まえて、効果的で綿密な打合せを行うことが可能となる。

 第2に、ゴーン氏は、今後、検察や日産側のリークによる夥しい数の「有罪視報道」にくまなく目を通し、弁護士らとともに、事実無根の名誉毀損報道に対して法的措置を講じる準備を始める可能性がある。それは、ゴーン氏事件の報道の流れを変え、これまでの報道で生じた世の中の認識を是正することにつながる可能性がある。

 第3に、軽視できないのは、日産自動車・ルノー・三菱自動車の経営に与える影響だ。

 ゴーン氏は、日産自動車・ルノー・三菱自動車の3社で会長職は解職されたが、今も取締役の地位にはある。ゴーン氏が、各社の取締役会に出席すれば、これまで全く弁明の機会を与えられず、一方的に「不正」とされている、起訴事実以外の「不正」についての弁明を行うことも(少なくとも、ルノー・三菱自動車においては)可能となり、今後の3社の取締役会での議論に大きな影響を生じる可能性がある。

ゴーン氏の取締役会への出席の可能性

 そこで問題となるのが、今回のゴーン氏の保釈条件の中には、事件関係者との接触禁止のほか、日産自動車の取締役会・株主総会への出席には裁判所の許可が必要というのが含まれていることが、ゴーン氏の取締役会への出席にどのように影響するかだ。

 まず重要なことは、取締役は株主総会で株主に選任され、会社のために、善管注意義務を果たし、忠実に職務を行う立場だということだ。会社法上、「取締役会への出席義務」は明記されてはいないが、格別の支障がない限り、取締役会に出席することは取締役の義務であると言えよう。ゴーン氏も、格別の支障がない限り、取締役として日産の取締役会に出席するのは当然であり、健康上の理由など出席できない事情がない限り、取締役会に出席すべく裁判所の許可を求めることになるであろう。

 ゴーン氏が取締役会への出席の許可を求めた場合、株主に選任された取締役として、職務を行う上で必要と判断して出席を求めているのであるから、裁判所としても「必要性がない」と判断する余地はないだろう。裁判所は、保釈条件の一つである「接触禁止」に違反する可能性があるかどうかによって可否を判断することになると思われる。

 保釈条件としての「接触禁止」というのは、起訴事実についての「罪証隠滅」が行われないようにするため、外形的に、その「おそれ」がある場面を作らないようにすることを保釈の条件にするという趣旨だ。

 取締役会の出席者のうち西川廣人社長が、金商法違反との関係でゴーン氏が接触を禁止されている「事件関係者」の一人だと考えられるし、他にも「事件関係者」が含まれている可能性がある。問題は、取締役会への出席について「西川氏らとの間での『罪証隠滅のおそれ』があると言えるかどうか」だ。

 裁判所は、ゴーン氏が許可を求めた場合、検察官に意見を求めることになる。弁護人側は、ゴーン氏に対する「反逆者」の西川氏を含め、日産関係者に対するゴーン氏の影響力はなくなっており、発言がすべて記録される取締役会への出席による「罪証隠滅のおそれ」は皆無だと主張するだろうが、検察官は、ゴーン氏の取締役会での発言が西川社長らにも影響を与え得ること、ゴーン氏が取締役会に出席していることや発言すること自体が公判立証に影響を与えるなどとして、出席に強く反対するであろう。

 ここでの裁判所の判断は、結局のところ、現時点でのゴーン氏の立場について、「推定無罪の原則」を尊重し、株主に選任された取締役としての職務の履行として取締役会に出席することを重視するか、「罪証隠滅」が公判審理に影響を与える可能性を最小化することを重視するかという観点から行われることになり、そこでは、保釈の可否と同様の枠組みでの判断が行われることになる。

 ちなみに、前記の美濃加茂市長事件で藤井市長が保釈された直後、保釈条件として副市長を含む多数の市役所職員との接触が禁止されている状況で、藤井市長が、起訴された収賄容疑についての説明を求める市議会に出席できるかどうかが問題になった。しかし、藤井市長は、市議会に出席して、自らが潔白であることなどを、公判での主張に支障を生じない範囲で説明した。その際、藤井市長と副市長とは離れた席に座らせ、直接の話をすることがないよう配慮した。

 この市議会への藤井市長の出席は、当然、検察・警察も把握していたが、それが「接触禁止」の保釈条件に反するとして保釈取消請求されることはなかった。

 仮に、日産の取締役会への出席が許可されないとしても、ルノーと三菱自動車の取締役会への出席は話が別だ。両社は、本件起訴事実と直接の関係はないのであり、三菱自動車の取締役会への出席、ルノーの取締役会への電話やビデオ会議システムでの出席が制限される理由はないだろう(三菱自動車の日産出身取締役が「事件関係者」に該当する場合には、日産取締役会と同様の問題が生じる。)。

 ゴーン氏が、両社の取締役会に出席しようとするかどうかは不明だが、自己の潔白を主張し、会長解職の不当性を訴えるために出席したいと考えた場合には、出席が可能となる可能性が高い。

 大鶴弁護士が記者会見で予測していたように「第一回公判まで保釈が許可されない」ということであれば、ゴーン氏は、日産の臨時株主総会で取締役を解任され、ルノー・三菱自動車の定時株主総会で両社の取締役も解任され、3社への影響力を完全に失った後に、ようやく保釈されるということになっていたであろう。

 そういう意味で、「検察と戦う弁護士チーム」に一新された弁護団の保釈請求によって、それまで拘置所で検察の支配下に置かれていたゴーン氏の身柄が弁護団の元に奪還されたことが、今後のゴーン氏の検察・日産やマスコミ等に対する「反撃」に、極めて重要な意味を持つことは間違いない。

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日産西川社長の“デタラメ”を許してよいのか

2月28日の日経朝刊一面トップの「2005年転機、日産ゴーン会長に全権『あの時、議論すべきだった』」題する記事、日産自動車西川廣人社長のインタビューが掲載された(日経電子版【「ゴーン流の成功は幻想」 日産社長インタビュー詳細】)。17面にもインタビューの続きが掲載されており、西川氏の話が、大きく取り上げられている。

しかし、このインタビュー記事では、ゴーン元会長についての「不正」の情報を検察に提供してケリー氏とともに逮捕させ、二人の代表取締役不在の臨時取締役会で、ゴーン氏の代表取締役会長の解職を決議したことについて、その経過や、果たしてそれが正当であったのか、という、ゴーン体制転覆に関する「疑問」には何一つ答えていない。西川氏ら日産経営陣の行ったことを「策略であり、反逆だ」と主張するゴーン氏に対する反論にも全くなっていない。

西川社長は、ゴーン元会長の解任理由を改めて問われ

取締役会での決定は刑事責任の有無でなく、解任に相当する判断材料を弁護士から頂いたからだ。(不正は)経営者・トップとして守るべき事から完全に逸脱していた。会社としては絶対に放置できない。解任しない選択肢はなかった。

(社内調査の結果を)取締役会でシェアしたが『これは無いね』と。金融商品取引法違反、投資会社の不正使用、経費の不正使用など1件だけみても、普通の役員であれば即解雇というレベルのものなので

と答えている。

この中で、見過ごせないのは、今になって、「刑事事件になるかどうかにかかわらず」と言っていることだ。

ゴーン氏・ケリー氏が検察に逮捕された直後の記者会見で、西川氏は、

内部通報に基づき数か月にわたって社内調査を行い、逮捕容疑である報酬額の虚偽記載のほか、私的な目的での投資資金の支出、私的な目的の経費の支出が確認されたので、検察に情報を提供し、全面協力した

と述べた。

「普通の役員であれば即解雇というレベルのもの」「刑事事件になるかどうかに関係なく、不正は重大であり弁解の余地がない」と考えていたのであれば、なぜ、検察に情報を提供する前に、その「重大な不正」の調査結果を取締役会に報告し、本人の弁解を聞いた上で、解職を決議するという方法をとらなかったのか。取締役会の場で全く議論することもなく、調査結果を検察に持ち込むという行動をとったことがコーポレートガバナンス上の最大の問題なのだ(【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その1)~企業ガバナンスと透明性】)。

西川氏がゴーン氏逮捕直後の記者会見で述べた「不正」のうち、「報酬額の虚偽記載」については西川氏自身の関与の重大な疑念が生じ、他の二つの「不正」は、その具体的な内容は一切明らかになっていない。

今回のインタビューで、西川氏は、社内調査で明らかになった「不正」の具体的内容も明らかにせず、一方的に「トップとして守るべきことから完全に逸脱していた」と批判している。

「昨年10月頭に私に社内調査の結果が来た」と言っているが、問題なのは、西川氏らが最終的な「社内調査結果」を受け取った時期ではない。そもそも、その不正調査が、どのような経緯で、どの時期に開始され、西川氏が、どのように関わったかだ。

西川氏は、2005年にゴーン氏がルノーの会長を兼任した時点で、「議論すべきだった」と言っており、それが記事の見出しにまでなっているが、ゴーン氏の「腰巾着」のような存在であった西川氏に、その時点で「議論」する余地などあったとは思えない。ゴーン氏への独裁を容認し、社長CEOに取り立てられ、自らも5億円もの高額報酬を得るようになってから、自らの責任をも顧みず検察と結託した「クーデター」でゴーン体制を覆したことが問題なのであり、西川氏が2005年のことに言及するのは、問題の「すり替え」以外の何物でもない。

2月12日に発表した2018年第3四半期決算で、有価証券報告書に未記載の約92億円をゴーン氏への報酬として一括計上する一方、ゴーン氏の報酬過少申告の事件をめぐる司法判断や、日産が検討しているゴーン被告への損害賠償請求をにらみ、実際の支給は見送るとしたことについて、西川氏は、決算発表の会見で、「これを実際に支払うことを決めたわけではない。私としては支払いをする、という結論に至るとは思っていない。」などと、全く意味不明の説明を行った。日産側が「支払わない方針」だとしても、役員報酬という債務の存在を明確に認めることで、ゴーン氏に対する債務という「会社にとっての損害」が発生することに変わりはない。十分な根拠もなく、ゴーン氏の役員報酬を計上し、損害を発生させるのは「背任的行為」とも言える。

2017年からCEO社長を務めている西川氏は、ゴーン氏、ケリー氏が、有価証券報告書虚偽記載で起訴されている直近2年分の虚偽記載について直接的な責任を負うにある立場にあり、刑事責任を追及は避けられないはずだ(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

西川氏は、1月24日夜に開いた記者会見で、同社前会長で特別背任の罪などで起訴されたカルロス・ゴーン被告をめぐる一連の問題について、「私も含めて過去の経営陣の責任は重い」と発言。その上で「そのあとの体制を作らないといけない。会社を軌道に乗せてバトンタッチすべきであると思っている」と話した。定時株主総会のある「6月うんぬんではなく、できるだけ早く私の果たすべき責任を果たして次に引き継げる状態にしたい」と考えているとも述べ、ガバナンス体制の構築にめどをつけた上で経営トップから退く意向を明らかにしていた(【日産の西川社長が退任示唆、ゴーン前会長巡る一連の問題で責任】)。

ところが、今回のインタビューでは、西川氏は、「私が一身に受けて直していく。自分がやるしかない」と述べて「6月の定時株主総会以降も続投する考えを示した」とのことだ。

コーポレートガバナンスを無視したクーデターで前経営トップの体制を覆し、その理由とされ、検察の起訴事実となった有価証券報告書虚偽記載について、自らの重大な責任について説明責任を果たすこともなく、いったん表明した「当然の辞任」の意向もあっさり否定し、自らも年間5億円もの高額の役員報酬を得てきたCEO社長の地位にとどまろうとしている西川氏。日本社会は、いつから、このような“デタラメ”がまかり通る社会になってしまったのだろうか。

 

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