日大「危険タックル」事件、第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか

2018年5月6日に行われたアメリカンフットボール(以下、「アメフト」)の試合で、日本大学の選手が、関西学院大学の選手に、反則行為にあたる危険なタックルをして負傷させた問題。警視庁は、タックルをした男子選手を傷害の疑いで書類送検し、内田正人・前監督と井上奨・元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への指示は認められなかったと判断し、容疑はないとする捜査結果の書類を送付したと報じられている。

警視庁の捜査結果と第三者委員会の調査結果

 2月5日午前の朝日ネット記事は、「捜査関係者による」として、以下のように報じている。

 警視庁は試合映像を入手し、詳細に分析。結果的に関東学生アメフト連盟などの認定との食い違いが約10カ所見つかったという。

 「内田氏が悪質タックルを見ていたのに選手を交代させなかった」と指摘される根拠については、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ていなかったことを確認。コーチ陣がインカム(ヘッドホン)を通じて反則があったことを伝えたのに内田氏が交代させなかったとも指摘されたが、内田氏はそもそもインカムを着けていなかった、としている。

 タックル直後、井上氏の「やりましたね」との発言に内田氏が「おお」と応じたとされる場面も、両氏が視線を合わせていないことなどから、警視庁は内田氏が反則を事前に了解していた事実はないと判断した。

 日大ではこれまでも日常的に使ってきたが、今回のような悪質な反則行為をする選手はいなかったという。井上氏は記者会見で「潰せ」と言ったことは認めたうえで「けがをさせろという意図はなかった」と述べていた。

 さらに、2月6日の朝日朝刊では、警視庁での発表を受けて

 警視庁は関係者計195人への聞き取りをした。捜査1課によれば、関東学生アメフト連盟(関東学連)と日大の第三者委員会の調査は、日大の部員らへの聞き取りなどから両氏の指示があったと認定していたが、この調査に応じた部員の多くが警視庁の調べに「報道を見て(タックルした)選手のためになんとかしなくてはいけない、選手の話に沿うように証言しなくては、と思った」などと説明。指示を直接聞いた人は確認されなかったとしている。

と報じている。

 関東学生アメフト連盟は、昨年5月29日、日大アメフト部の問題に関する調査結果を公表し、5月31日に、日大は、元広島高検検事長の勝丸充啓弁護士を委員長、委員の弁護士7名のうち4名が元検察官という元検察官中心の第三者委員会(正式名称「日本大学アメリカンフットボール部における反則行為に関する第三者委員会」、以下「第三者委」)を設置し、6月29日に中間報告書、7月30日に最終報告書が公表された。

 第三者委では、関係者等に対するヒアリング(延べ約100名)、関係資料の分析、検証(画像解析の外部委託も含む)、関係場所の往査、日大アメフト部部員に対するアンケート調査、他大学アメフト部監督等に対する意見照会などの調査を行った結果として、以下のような事実認定を行っている(中間報告書12頁)

 A選手の説明は全般的に信用できるものと判断し、これを事実認定の基本に据え、他の信用できる関係証拠も総合考慮し、本件一連の反則行為が内田氏や井上氏の指示に基づくものであったこと及び当該指示が相手選手に対する傷害の意図を含むものであったとの認定に至った。他方、これに反する内田氏及び井上氏の説明は、不自然かつ不合理で、信用できる関係証拠とも矛盾することなどから、信用することができない。

 そして、第三者委は、このような事実認定を前提に、以下のように述べて、内田・井上両氏を「断罪」している。

 A選手の行為自体、決して許されるものではないが、それを指示しておきながら、これを否定して不自然・不合理な弁解を重ねるばかりか、A選手との認識のかい離であるとかA選手の勘違いであるなどと責任回避の態度に終始する内田氏、井上氏にはアメフト指導者としての資質が決定的に欠けているといわざるを得ない。

 今回の警視庁の捜査結果では、第三者委で、内田・井上両氏が「反則の指示」をしたと認定し、「断罪」した根拠の大半が否定され、「傷害を負わせる意図はなかった」という正反対の結論となった。なぜ、第三者委の調査と警察の捜査とで正反対の事実認定となったのか。

 前記朝日記事に書かれた警察の捜査結果との比較で第三者委報告書の調査結果を見ると、問題は次の3点に集約できる。

 第1に、「危険タックル」を行ったA選手の「反則タックルを指示された」との供述の信用性を全面的に肯定したこと、第2に、内田・井上両氏の供述の信用性を否定したこと、そして、第3に、選手への指示に関して、「相手方に怪我をさせることの認識」がどの程度であれば違法なのかという問題である。

A選手の供述の信用性の肯定

 第三者委は、以下のように述べて、「内田・井上両氏から精神的重圧を受ける中でルールを逸脱した危険なタックルの指示を受け、それを実行した」とのA選手の供述の信用性を全面的に肯定している(中間報告書12頁)。

 A選手の説明は、本件反則行為に及んだ経緯・状況等について、全体として、他の選手等の関係者の説明等の関係証拠ともよく符合し、内容においても合理的かつ自然で、疑問を差し挟むところは見られない。また、A選手が、自己に不利な内容も含めて詳細な説明をしていること、自ら犯した反則行為の重大性を認識して深く反省し、負傷させたB選手を始め関係者へ強い謝罪の意を表するとともに、自己の責任を自覚し今後アメフトのプレーを断念するとの決意を固めるなど、その姿勢に保身の意識は感じられないこと、自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できることなどから、A選手の説明には基本的に高度の信用性が認められる。

 A選手は、動画がネットで拡散し、その後、テレビ等で繰り返し映し出されている「ルールを逸脱した危険タックル」を行った当事者であり、それによって被害者の関学選手が傷害を負ったことについての直接の責任を負う。それが監督・コーチの指示によるものだったという点については、A選手がパワハラ的環境で追い詰められた精神状態にあったとすると、本人としては、記憶しているとおりに供述していても、監督・コーチの発言内容についての受け止め方が、相手方の真意と異なる可能性もある。

 報告書は、「自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できる」と述べているが、記者会見の中で、自己の「危険タックル」についての反省謝罪の部分についてはそう言えるとしても、監督・コーチの指示によるものだったことについては、自ら記者会見を行ったこと自体が供述の信用性を肯定する理由にはなるわけではない。

内田・井上両氏の供述の信用性の否定

 第2の点、すなわち、内田・井上両氏の弁解の信用性に関して第三者委が重視したのが、「内田氏が本件危険タックルを当該時点で認識しながら、あえてA選手のプレー続行を容認していた事実」の有無であり、それを肯定し、「A選手による危険タックルは内田氏の想定外の行動ではなく、あらかじめ了解していたものと強く推認できる」という結論を導いた。

 この点についての内田氏の認識の根拠としたのが

 内田氏は、その直後、井上氏から、「Aがやりましたね。」と報告を受け、「おお。」と言ってこれに応じている。

という事実だった。しかし、この事実は、警察の捜査で、「この場面で両氏が視線を合わせていない」という理由で否定された。ただし、「視線を合わせていない」だけで、会話があったことを否定する根拠になるのかは、若干疑問だ。

 また、内田氏が本件危険タックルを自身の目で見ていたかどうかについて、第三者委は、

 客観的に検証することは困難であったが、日大チームは本件危険タックルにより15ヤードの罰退を科されているのであって、仮に本件危険タックルを見ていなかったというのなら何が起こったのかを周囲の関係者に尋ねるのが通常と思われるところ、内田氏が当時誰かに確認したような事実は一切見当たらない。だとすれば、内田氏は、当時本件危険タックルを自身の目で見ていたか、少なくともその視界に捉えていたものと認めるのが相当であろう。

としていた。

 しかし、警察の捜査結果では、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ておらず、インカムをつけていなかったために他のコーチからの報告も聞いていなかったとされている。第三者委が指摘している「大音量でアナウンスされていた」かどうか、それによって内田氏が反則の内容を認識していたかどうかの説明はない。内田氏が15ヤード罰退の理由を何によるものだと考えていたのかも、不明だ。

 このように、警察の捜査結果で、内田・井上両氏の供述の信用性についての疑問がすべて解消されたわけではない。

 警察の捜査結果が、消極のほうに傾いたのは、両氏の供述の信用性以外の理由だったと考えることもできる。

スポーツ中の行為への傷害罪のハードルの高さ

 第3の問題は、スポーツの中での相手選手に怪我をさせる行為を傷害罪に問うことのハードルの高さである。

 スポーツの中での選手の行為を傷害等の刑法犯に問われたケースというのはほとんどない。アメフトは、格闘技に近い、選手の体が激しくぶつかり合うスポーツであり、プレーによる負傷の可能性があることを予め了解した上で試合が行われる。もちろん、危険なプレーを禁止するルールがあり、そのルールの範囲内でプレーを行わなければならない。しかし、反則を犯して相手に怪我をさせたとしても、それがただちに傷害罪に当たるわけではない。実際の試合では、反則が行われることも、それによって選手が負傷することは、「想定の範囲内」であり、選手はそれを前提に自分の身を守るしかないことを承知の上で出場しているのである。

 今回のA選手の「危険タックル」は、単なるルール違反からは逸脱したものであり、それを、意図的に行ったとすれば、実行した本人には傷害罪が成立する可能性が高い。そのような危険タックルを行うことについて、内田監督と井上コーチが、実際にA選手が行ったような「単なるルール違反」ではない「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせることを意図し、それを指示したのであれば「傷害の共謀」があったということになる。

 しかし、選手を指導する立場にある監督・コーチが、「危険タックルで相手選手に怪我をさせることを指示する」というのは、「関学アメフト部に対して特別の動機」があれば別だが、通常は考えにくい。基本的に、内田・井上両氏が傷害罪で起訴される可能性は限りなく低いと考えるのが、刑事実務からの常識的な判断であろう。警察の説明は、内田・井上両氏の供述の信用性に関する説明が大部分だが、実質的な理由は、むしろ「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせる意図の立証の困難性にあったのではないか。

 そのような見通しは、元検察官中心の第三者委側でも十分に認識できたはずだ。それにもかかわらず、第三者委の報告書が、内田・井上両氏の傷害罪の認定につながるような証拠評価を行ったことの背景には、第三者委設置当時、この「危険タックル問題」での内田・井上両氏について「有罪バイアス」が働いていたことが影響しているように思える。

第三者委員会への「有罪バイアス」

 アメフトの試合中に、パスを投げ終えて無防備だった関学大選手に背後からタックルするという「危険極まりない異常な反則プレー」の動画が、試合直後からネットで拡散されたことで一気に批判が炎上し、しかも、反則を受けた側(選手の父親や関学大)が、危険タックルを行った日大選手ではなく、日大アメフト部や監督・コーチを批判したことから、日大アメフト部に対する批判が高まった。しかも、その後、反則プレーを行ったA選手が顔を出して謝罪の記者会見を行ったことの「潔さ」が評価される一方、会見で反則指示を全否定した内田・井上氏側の「往生際の悪さ」が対照的にとらえられたことで、批判は、内田・井上氏側に集中することになった。さらに、記者会見での日大の広報担当者と集まった記者との間で口論のようなやり取りがあったことなど、日大側の危機対応の拙さもあって、大学への反発が高まり、日大アメフト部と日大への社会的批判は最高潮に達した。こうした中で、反則指示の有無に関して、両氏に有利な意見・結論が出しづらい状況であった。

 しかも、第三者委設置後の6月11日には、ヒアリングに応じた被害選手の父親が、担当の弁護士の発言を自身のフェイスブックで公表して第三者委の弁護士の中立性に疑問を呈したこと、日本大学教職員組合が「大学側の意向に沿った調査報告書等を出したら、弁護士としてプロフェッションとしての見識が問われることになる」などの意見を発表したことが報じられた。

 このような「有罪バイアス」の高まりの中で、第三者委としては、内田・井上両氏が傷害の意図で危険タックルの反則を指示したことを明確に認定し、両氏を厳しく断罪せざるを得ない状況に追い込まれていったとみることができる。

 今回、警察が、告訴事件を検察庁に送付した段階での捜査結果の公表という異例の措置に踏み切ったのも、有罪視一辺倒の世の中の見方を否定するために、相応の根拠を示す必要があると考えたからであろう。

今後の展開

 今回、警視庁は被害者から告訴されている内田・井上両氏の傷害被疑事件を、A選手とともに検察庁に送付したので、処分は、検察官の判断に委ねられることになる。第2の点に関しては、前記の通り、公表された警察の捜査結果だけではまだ釈然としない点もあるが、捜査した警察が消極判断を示している以上、内田・井上両氏を検察官が起訴することはないと考えてよいであろう。

 問題は、今回の捜査結果の公表によって、今後どのような社会的影響が生じるかである。

 理事を解任され、懲戒解雇された内田氏は、日大を提訴しており、今回の捜査結果は、訴訟に大きな影響を与える。その上、今後、内田氏を「断罪」したマスコミが名誉棄損で訴えられる可能性もある。問題となる報道の大半は、第三者委の報告書が出る前に行われている。この場合、第三者委の報告書は、マスコミ側の報道内容の真実相当性を裏付けるはずだったが、警察の捜査結果がそれに対する「有力な反証」となる。

 また、日大にとっては、「内田・井上両氏が、傷害の意図で反則タックルを指示し、A選手が実行した」との事実を前提に、第三者委員会から提言された原因分析・再発防止策を、今後の対応において、そのまま維持するのかどうかも問題になる。

 第三者委報告書が両氏を厳しく「断罪」した記述が名誉棄損だとして、それを公表した日大と第三者委側が内田・井上両氏から訴えられることもあり得ないわけではない。

 重大な組織の不祥事で信頼が失墜した場合に、信頼回復のための「切り札」とされる「第三者委員会」だが、事案の中身によっては、調査の在り方や報告書の内容について非常に困難な問題が生じ得ることを示していると言えよう。

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小4女児死亡事件、「個人情報」の“法令遵守” が市教委の対応の誤りを招いた

千葉県野田市の小学4年女児(栗原心愛さん)が自宅で死亡し、父親(栗原勇一郎容疑者)が傷害で逮捕された事件に関して、市教委が、女児が父親からの「いじめ」を訴えたアンケートのコピーを栗原容疑者に渡していたことで、厳しい批判を浴びている。

この問題は、市教委が、アンケートの記載内容を「個人情報」ととらえ、個人情報保護に関する法令・条例等の「法令上の判断」に偏りすぎた対応をした結果、女児の生命を守ることができなかったと見ることができる。その意味では、法令に基づく対応、つまり「法令遵守」ではなく、子供の生命を守るという「社会的要請」に応えるための対応に徹するべきだったと言える。

15年程前の2004年、桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センターを設立し、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めて以来、ずっと強調してきたのが、「コンプライアンスを“法令遵守”ではなく“社会的要請に応えること”ととらえなければならない」ということであった。とりわけ、「個人情報保護」に関する「法令遵守」は、人の生命に関わる重大な場面において、「社会的要請に反する事態」を引き起こす。

コンプライアンス研究センターの設置直後に発生した、戦後最大の鉄道事故、福知山線脱線事故の際に起きた「個人情報保護法」の「法令遵守」の事例について、【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書:2007年)で、以下のように述べている。

法令規則の方ばかり見て、その背後にどんな社会的要請があるかということを考えないで対応すると、法令は遵守しているけれども社会的要請には反しているということが生じるわけです。

その典型的な例が、JR福知山線の脱線事故の際に、被害者の家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせたのに対して、医療機関側が個人情報保護法を楯にとって回答を拒絶したという問題です。

個人情報保護法が何のためにあるのかということを考えてみると、その背景には、近年の急速な情報化社会の進展があります。今の社会では、情報は大変な価値があります。それを適切に使えば、個人に非常に大きなメリットをもたらしますが、逆に、個人に関する情報が勝手に他人に転用されたり流用されたりすると、本人にとんでもない損害を与える恐れがあります。ですから、個人情報を大切にし、十分に活用するために、情報が悪用されることを防止する必要があります。そこで、個人情報を取扱う事業者に、情報の管理や保護を求めている、それが個人情報保護法です。

あの脱線事故の際、電車が折り重なってマンションに突っ込んでいる悲惨な事故をテレビで目の当たりにして、自分の肉親が電車の中に閉じ込められているのではないか、病院に担ぎ込まれて苦しんでいるのではないかと心配する家族にとって、肉親の安否情報こそが、あらゆる個人情報の中でも、最も重要で大切なものではないかと思います。ですから、事故後の肉親の安否問い合わせに対して、迅速に、的確に情報を伝えてあげることこそが、個人情報保護法の背後にある社会的要請に応えることだったのです。

しかし、あのとき多くの医療機関の担当者の目の前には「個人情報保護法マニュアル」があったのでしょう。そこには、個人情報に当たる医療情報は他人には回答してはいけないと書いてあったので、その通りに対応し回答を拒絶したのです。担当者には、「法令遵守」ということばかりが頭にあって、法の背後にある社会的要請など見えていなかったのです。

このようにいうと、個人情報保護法に詳しい内閣府の担当者や弁護士さんから、「何条何項但書には、そのような場合には提供してもいいということが書いてある。単なる勉強不足だ。」と言われるかも知れません。しかし、そういう法律の勉強をしていないと適切な判断ができないことなのでしょうか。大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。

本来人間がもっているはずのセンシティビティというものを逆に削いでしまっている、失わせてしまっているのが、今の法令遵守の世界です。

「いじめ」のアンケートでの父親から虐待を受けていた女児の「先生どうにかなりませんか」という“叫び”を、「個人情報」の問題と考えてしまったところに、市教委の対応の根本的な誤りがあった。

1月31日付け朝日記事【「父の恫喝に屈した」市教委がアンケート渡す 小4死亡】や、翌2月1日に野田市が公表したアンケート内容などを総合すると、アンケートのコピーを父親に渡すまでの経過は、以下のように整理できる。

(1)2017年11月6日、(冒頭に「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と書かれている)「いじめ」に関するアンケート調査に、女児が「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と記入し、「父親によるいじめ」を訴える。

(2)女児は、約50日間、児童相談所(以下、「児相」)に一時保護された後、12月27日に両親の元へ返される。

(3)2018年1月12日、父親と母親とが、学校、市教委指導課が今後の対応を話し合った際、父親が、アンケートのコピーを渡すよう強く要求。

(4)それに対して、市教委は「個人情報であり、本人の同意がない」との理由で拒否。

(5)1月15日に、父親と母親が「子供の字で書かれた同意書」を持参して、アンケートのコピーを渡すよう要求。

(6)女児に確認せず、市教委担当課長の判断でコピーを渡す。

(7)アンケートには自筆の書き込み以外に、担任だった女性教諭が聞き取りした「なぐられる10回(こぶし)」「きのうのたたかれたあたま、せなか、首をけられて今もいたい」「口をふさいで、ゆかにおしつける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」といった内容も書き込まれていたが、この教諭の書き込みは消して渡した。

上記朝日記事は、この経過に関して、以下のように述べている。

この頃、学校は保護者への情報開示などを求める念書も要求され、栗原容疑者に渡していた。心愛さんは18日に市内の別の学校に転校。2回あったアンケートでいじめを訴えることはなかった。

矢部課長は「(12日の面会で担当者が)大きな声で恫喝され、威圧的な態度に恐怖を感じ、強い要求に屈してしまった。その後、どのような影響が出るか、心にひっかかりながらも渡してしまった」と話した。

その後、関係機関が参加する2月20日の「要保護児童対策地域協議会」の実務者会議でコピーを渡したことを報告する資料が配られたが、市の担当課も柏児相も特に対応を取らなかった。市や市教委の幹部は事件後に知ったという。市は情報公開条例に違反する恐れがあるとして、関係者を処分する方針だ。

個人情報保護の問題なのか

(3)の父親と母親の女児のアンケート回答の開示要求に対して、市教委の当初の対応は、(4)の「個人情報」を理由に拒否するというものだったが、その拒絶理由に対しては、(5)で両親が「本人の同意書」を持参したために、「個人情報」を理由に拒絶できないと考え、父親にコピーを渡すという(6)の事態に至った。しかも、上記朝日記事によれば、現時点においても、野田市は、市教委の対応が「情報公開条例に違反する恐れがある」と判断しているようだ。

しかし、そもそも、女児のアンケートの記述は、「個人情報保護」の問題なのだろうか。個人情報保護に関する法令上の対応を行おうとしたこと自体が間違いだったのではないか。

アンケートは、学校内での「いじめ」について行われたものであり、一般的には、アンケート中の「いじめ」記載については、その子供の親は、「被害者側の立場」だ。アンケートが目的としている学校内での「いじめ」の問題について、子供の親に対して、子供の回答を見せるよう要求されて拒絶することは、もともと想定されていない。ところが、問題のアンケートの記述は、女児の「父親によるいじめ」を内容とするものであり、父親は加害者の立場だ。「個人情報」だからではなく、そもそも、その女児の記述内容の性格上、父親は、絶対にその事実を開示してはならない相手方だったはずだ。「訴訟を起こす」とまで言って開示を強く要求してきた父親に対して、「個人情報」を理由とする以外に拒絶する理由がないと判断したこと自体が間違っていたというべきだろう。

今回の問題は、アンケートに女児が書いた「父親の虐待」についての「情報」について、それがどのような意味を持ち、どのような方向で活用されるべきものなのか、ということを考えるべきだった。「父親から虐待を受けていることの叫び」としての「情報」を社会としてどのように受け止め、どのように対応すべきなのかという視点から考えるべきだったといえる。それを、個人情報の一般的取扱いに関する「情報の提供や公開」ついての法令・規則に基づいて判断したことに根本的な問題があった。まさに「悪しき“法令遵守”」の最たるものである。市教委としては、アンケートの目的からして、そもそも開示すべきではない情報と判断をして開示を拒絶すべきだった。

児童相談所との関係

しかし、日常的に法令に基づいて業務を行うこととされている市教委という公務員の立場からは、「法令遵守」的対応に陥って、かえって、「社会の要請」に反してしまうということは、官公庁や自治体において、しばしば起きる問題である。児童虐待問題に対して、「社会の要請に応える」という方向での十分な対応が行えなかったことについて、市教委の担当者を一方的に非難批判することが適切とは思えない。

上記朝日の記事に書かれている2月20日の「要保護児童対策地域協議会」の実務者会議で何の意見も出されていないということも、市教委の担当者個人の問題ではないことを示していると言えよう。

そこで重要なことは、(1)のアンケートの自由記述での女児の「いじめの訴え」と、教師が聞き取った虐待の事実が児相に通報され、それによって、(2)の一時保護の措置がとられた時点から、少なくとも、この児童虐待問題は「児相マター」になっているということだ。12月27日に一時保護は解除になっているが、それは児相のどのような判断によるものだったのか。「虐待の危険性が低下した」と判断したのだろうか。しかし、いずれにしても、児相としては、その後も、父親による女児に対する虐待の有無を引き続き注意深く見守っていく必要があったはずだ。

(2)の児相の一時保護のきっかけとなったのは(1)の女児のアンケートへの記述だったわけだが、それが、何らかの事情で父親が知るところとなり、だからこそ、年明けから、父親は(3)の開示要求の行動を起こしたと考えられる。なぜ、アンケートのことが父親に知られてしまったのか。

そして、(3)~(5)に至る父親からの執拗なまでのアンケートの開示要求を、児相は把握していたのだろうか。市教委の側は、コピーを渡す判断をする際に、児相に相談をしなかったのだろうか。上記の「要保護児童対策地域協議会」には、児童相談所の関係者も参加していたのではなかろうか。そこで女児の父親にコピーを渡したことを報告する資料が配られたのに意見が出なかったのは、その時点では、コピーを渡すことが特に問題はなかったとの判断を児相側も共有していたということではないか。

本来、個別の児童虐待への対応に関して専門的な知見を持っているのは児童相談所であり、既に「児相マター」になっている今回の虐待問題については、児相が積極的に対応することが何より重要だったはずだ。市教委の対応に問題がなかったとは決して言えないが、児相の対応と切り離して市教委側の対応に焦点を当てて一方的に非難することが適切とは思えない。

市教委の対応に関しては、公表されたアンケートの内容の中に教師が聞き取った「虐待」の具体的内容が書き込まれていると報じられる一方で、父親にコピーを渡す際に、その部分は消して、女児自身が書いた自由記述だけにして渡したことはほとんど報じられていない。そのため、女児が教師に訴えた虐待内容も含めて、父親に開示したように認識されている。

女児が児相に一時保護された直接の理由となったのは、教師の聞き取りで女児が「虐待」について話したことだったはずだ。その点を隠して開示したというのは、市教委側の一応の配慮と評価する余地もある。教師が聞き取った虐待の具体的事実も含めてアンケートのコピーを渡したかのように誤解される報道は適切ではない。

アンケートのコピーを渡したことの虐待への影響

もう一つ重要なことは、アンケートのコピーを渡したのは、昨年の1月のことであり、女児が死亡したのは1年後の今年1月だということだ。しかも、現時点の父親の逮捕罪名は「傷害」であり、虐待と女児の死亡との因果関係も明らかになっていない。アンケートのコピーを渡したことが、その後、父親の虐待にどのような影響を与えたのかは、現時点では明らかになっていないのである。

コピーを渡す行為が適切ではないとの評価が変わるものではないが、それが重大な結果につながったのかどうかは、逮捕された父親の刑事事件の裁判の中で明らかになることだ。市教委の対応の拙さだけに注目するのではなく、「子供の生命を守る」という社会の要請に応えるために、虐待を受けている子供の叫びを、関係機関がどのように受け止め、どのように連携して対応すべきかを、改めて考えるべきだ。

今回のアンケートのコピーの問題に関して、野田市には、1日800件を超える抗議の電話が殺到していると報じられている。

しかし、今回の市教委の対応は、「法令遵守」による対応で「社会的要請」に反してしまった典型例であり、官公庁、自治体が陥りがちな「コンプライアンスの誤り」と言える。児相等の対応と切り離して、市教委の対応だけに焦点を当てて非難するのは適切ではない。ましてや、市教委の対応によって女児の命が奪われたかのような短絡的なとらえ方をすべきではない。むしろ、今回の問題を、自治体としての取組みを抜本的に見直す契機とすべきだ。

 

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勤労統計不正、「第三者委員会」への無理解が混乱を招いた

 1月22日に、厚生労働省が、「第三者委員会」として設置した「毎月勤労統計調査等に関する特別監察委員会」の調査報告書を公表した時点でYahoo!ニュースにアップした【”報告書公表まで7日間”の「第三者委員会」はありえない】と題する記事で、以下のように指摘した。

 1月16日の委員会の設置の段階では、「調査の中立性や客観性を明確にするため計6人の外部委員で構成する第三者委員会としての特別監察委員会を設置、初会合で根本匠厚労相は、早急な原因究明と再発防止策の策定を委員に要請した。」と報じられていた。また、今回公表された調査報告書にも、「第三者委員会として設置されたものである」と明記されている。

 しかし、この委員会は本当に「第三者委員会」と言える存在であり、初会合で厚労相から独立した委員会としての調査を委嘱されたのだろうか。そうであれば、それ以降は、委員会が主導して「何をどのように調査し、どのように原因究明、再発防止策策定」を行うのかを決定し、委員会の責任において調査を行い、調査結果を取りまとめる、ということでなければならず、いずれにしても、日本の行政組織の信頼そのものを大きく揺るがしかねない今回の問題について、その真の原因を徹底して究明することが必要なのに、「言語道断である」「考えが甘すぎる」「想像力が著しく欠如していた」などという「叱責の言葉」が並び、ありきたりの「見方」が示されているだけだ。調査の結果明らかになった事実に基づく原因分析らしきものは全くない。

 この委員会が、中立性・独立性を持った「第三者委員会」なのであれば、まず、設置の段階で、委員会が調査事項を確認し、調査の方針、調査の手法を議論し、それを調査の実行部隊に指示し、調査結果について逐次報告を受け、その結果に基づいて委員会で原因について議論して、調査結果と原因論を報告書に取りまとめることになるはずであり、これらについて「調査補助者」を活用することは可能だが、いずれにしても、基本的な部分は、委員会が主導して進めていくのが当然である。

 そのような第三者委員会の調査であれば、事実関係のみならず原因究明も含めて、わずか7日間で調査報告書の公表に至るということは絶対にありえない。それを、最初から、わずか7日間の期間で調査報告書を公表する「予定」で、「第三者委員会まがいの委員会」を立ち上げて、ほとんど原因分析も行わず幕引きを図ろうとしたとすれば、そのような厚労省の対応自体が、一つの「不祥事」であり、それを誰がどのように意思決定したのかを問題にすべきだ。そして、今回の勤労統計をめぐる問題について、改めて本物の第三者委員会を立ち上げて、徹底した調査と原因分析を行うべきだ。

 その後、この「特別監察委員会」の調査に関して、調査における事情聴取の多くが、厚労省の職員によって行われており、委員会が直接聴取したのは、対象者37人中12人だけだったこと、委員会による聴取に厚労省の官房長が立ち会っていたことなど、「第三者性」に疑念を生じさせる事実が明らかになっている。

 上記記事で指摘したように、今回の「特別監察委員会」の調査とその結果についての報告書は、その設置と報告書公表の経過から考えて、本来の中立性・独立性を備えた「第三者委員会」とは到底言えないものだったことは間違いない。しかし、ここで、問題を整理する必要があるのは、「第三者委員会」というのは、不祥事の事実解明・原因究明のための手段であり、(1)「特別監察委員会」が「第三者委員会」としての実体を備えたものと言えるかという問題と、(2)今回の勤労統計不正の問題の事実関係やその原因の問題とは区別して考える必要があるということである。

 今回の「特別監査委員会」のメンバーは、もともと自ら聴取を行うことを前提にしているとは思えない。最初から、調査は基本的に厚労省の事務方に委ね、主要な関係者の聴取にだけ委員会メンバーが同席する、という方針だったのであろう。そうであれば、なぜ、設置の段階で、根本匠厚労大臣が、「第三者委員会としての原因究明と再発防止策の策定を委員に要請した」などと明言したのであろうか。それ以降、「第三者委員会」としての調査であることが前提とされ、それと調査の実態とがあまりに乖離していることで、“第三者委員会の偽装”のようにとらえられてしまった。

 最近の中央官庁の不祥事として記憶に新しいのが、一昨年の森友学園に関する「決裁文書改ざん問題」がある。議会制民主主義の根幹を損なう行政機関の国会及び国民に対する裏切りであり、到底許容できない問題であった。それが明らかになった当初から、私は、以下のように指摘していた(【森友文書書き換え問題、国会が調査委員会を設置すべき】)。

 この問題に関しては、客観的な立場から、事案の経緯・背景を解明し、行為者を特定し、なぜ、このようなことが行われたのかについて、詳細に事実を解明することが不可欠であり、犯罪捜査や刑事処罰は中心とされるべきではない。その調査を、今回の問題で著しく信頼を失墜した財務省自身が行っても、調査結果が信頼されることはないだろう。独立かつ中立の立場から信頼できる調査を行い得る「第三者による調査」の体制を早急に構築することが必要である。そして、その調査体制の構築も、当事者の財務省に行わせるべきではない。今回の問題の性格・重大性に鑑みると、「書き換えられた決裁文書」の提出を受けた「被害者」とも言える「国会」が主導的な立場で調査を行うべきであり、福島原発事故の際に国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」のような、国会での国政調査の一環と位置付けるべきだ。

 しかし、実際にはどうであったのか。

 財務省は、「第三者委員会」どころか、外部者を含めた調査を全く行わず、検察当局の不起訴処分直後に極めて抽象的で曖昧な内容内部調査結果を公表しただけだった。だが、「第三者委員会」を設置しなかったことに対する批判はほとんどなかった。そして、内部調査である以上、その結果に責任を持つのは、財務省のトップの麻生太郎財務大臣だが、調査結果の公表の際、「改ざんの動機」を質問された麻生大臣は、「それがわかれば苦労しない」などと開き直った。

 このような財務省の「決裁文書改ざん問題」への対応と比較すれば、今回の厚労省の対応は、はるかに“まし”と言えるだろう。厚労省にとっては、最初から、監察チームによる徹底した内部調査を行い、その調査手法、調査結果等について、厚労大臣の諮問機関としての外部者で構成される委員会に検証してもらう。また、その意見を踏まえ、さらなる調査と原因究明を行うという選択肢もあったはずだ。

 そういう意味では、問題の重大性から調査の「第三者性」にこだわった根本大臣の姿勢は、決裁文書改ざん問題における麻生財務大臣の対応より、はるかに真面目だったと言える。しかし、最大の問題は、根本大臣が、「第三者委員会」というものの意味を十分に理解しないまま、「特別監察委員会」の調査について、「第三者委員会による調査、原因究明、再発防止」と表現したことにある。調査報告書の公表後も、国会で、国民民主党大串議員から、調査結果について誰が最終責任を負うのかと質問されて、「調査結果については第三者委員会が責任を負う」と答弁し、責任の所在についても「第三者委員会」を強調してしまった。それによって、調査の実態が「第三者委員会」というレッテルとは大きく乖離していたということで野党やマスコミの激しい追及を受け、調査の枠組み関する問題に議論が集中したため、統計不正の事実関係とその原因や、今後の再発防止策という重要な点に議論がなかなか進まない現状を招いている。

 官公庁、企業を問わず、組織の重大な不祥事対応において「第三者委員会」の設置が検討されるが、実際には、第三者委員会をめぐって、様々な問題が起きていることも事実であり、今回の厚労省の問題も「第三者委員会の失敗事例」と言ってよいであろう。

 「第三者委員会」を設置することについては、設置することがどのような意味を持ち、それがどのような効果等をもたらすのか十分に認識理解した上で判断を行う必要がある。そのために、「第三者委員会」についての基本的な理解と適切な活用方策について述べたのが、昨年出した長文ブログ記事【企業を蝕む「第三者委員会」の“病理” ~横行する「第三者委員会ビジネス」】である。そこで前提として書いている「第三者委員会の基本論」を踏まえた対応が行われていれば、厚労省がこれ程までの混乱に陥ることもなかったのではなかろうか。

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世耕大臣のダボス会議での「人質司法」擁護“失言”を、朝日はなぜ削除したのか

ダボス会議に出席した世耕弘成経済産業大臣が、1月23日、「日本に関する討論会」の場で、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が特別背任などの罪で起訴された事件で日本の刑事司法制度に批判が出ていることに関して、「各国の司法制度は歴史上の成り立ちがそれぞれ違う。その一部を切り取ってその国の司法制度が正しいか間違っているかという議論はフェアではないと思う」と述べた上、「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできないが、米国や欧州、多くの国々はあらゆる犯罪に関して通信傍受ができる」と述べたと朝日新聞が報じた(1月24日09時44分配信ネット記事)。

この中の「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできない」との発言に対して、趙誠峰弁護士が

これは事実に反する。嘘。平成28年刑訴法改正によって通信傍受は詐欺などにも拡大され、およそテロとは無縁の事件でも「現に」通信傍受が行われている。いますぐ発言を訂正すべき

とツイートするなど、SNS上で批判の声が上がった。すると、その直後、同記事から、通信傍受に関する記述がすべて削除された。

趙弁護士は、その事実を指摘し、「誤った発言部分がカットされていることは、これはこれで大問題ではないか。どういう経緯で記事の内容を変えたのか朝日新聞ははっきりするべきではないか」とツイートしている。

安倍首相も含む各国の首脳、要人が出席し、海外のメディアも注目する「ダボス会議」という国際会議での「日本に関するセッション」の場で、現職の経産大臣が、日本の「人質司法」を擁護するかのような発言を行い、しかも、明らかに誤った発言をしたとすると、極めて重大な問題だ。

通信傍受についての明らかに誤った発言

まず、世耕氏の「通信傍受に関する発言」が、ダボス会議の場で本当に行われたのか否かが問題になるが、記事の掲載と削除の経緯からすると、あったと考えざるを得ない。

世耕氏が、当該発言をしていなかったのに発言したかのように誤って報じたというのであれば、現職閣僚の発言についての朝日新聞の誤報だったということになり、明示的に訂正するのが当然である。訂正がないということは、世耕大臣の発言はあったが、何らかの事情で削除したということしか考えられない。念のため、朝日新聞の「お客様オフィス」に問い合わせたが、「世耕大臣の発言はあったと考えてもらって差し支えない」とのことであった。

そして、世耕氏が「日本の通信傍受の対象犯罪は大規模なテロのような犯罪に限られている」と発言したとすれば、その内容は、明らかに誤っている。

日本における「通信傍受」は、2000年に施行された通信傍受法で、対象犯罪が、薬物・銃器・集団密航・組織的殺人の4類型に限られていたが、もともと、「大規模なテロのような犯罪」に限られていたわけではない。しかも、2016年12月施行の刑事訴訟法改正に伴う通信傍受法の改正により、対象犯罪が爆発物使用・殺人・傷害・放火・誘拐・逮捕監禁・詐欺・窃盗・児童ポルノの9類型に拡大されており、現在では、詐欺・窃盗などの財産犯も含まれている。

しかも、世耕氏は、第1次安倍内閣発足と同時に内閣官房副長官に就任し、刑訴法改正と併せて通信傍受法改正案が成立した2016年5月も、官房副長官の地位にあった。なぜ通信傍受の対象犯罪が「大規模なテロのような犯罪に限られている」などという誤った認識を持っているのかも極めて不可解である。

問題は、その世耕発言が、どのような趣旨で行われたものなのかである。当初の朝日新聞の記事も、世耕氏の発言の要点を伝えたものであり、発言全体がどのような趣旨だったのかは不明だが、少なくとも、世耕氏が、ゴーン氏の事件で問題にされている日本の刑事司法制度に対する海外の批判に関して発言したこと、それが、犯罪事実を認めない限り保釈が許可されず身柄拘束が続く「人質司法」への批判を強く意識したものであったことは間違いないと考えられる。

世耕氏は、なぜ、「人質司法」に対する海外からの批判への反論で、通信傍受のことを持ち出したのだろうか。

ゴーン氏の事件に関して海外から批判されている「人質司法」というのは、ゴーン氏の事件のような、凶悪事件ではない経済犯罪においても、犯罪事実を否認し、無罪主張をしている被告人については、「罪証隠滅のおそれがある」との理由で保釈が認められず身柄拘束が長期化する現実のことである。それは、「推定無罪の原則」を軽視し、長期の身柄拘束を、自白獲得・無罪主張の封じ込めに使う検察と、それを容認してきた裁判所の姿勢の問題である。(高野隆氏【人質司法の原因と対策】)

一方、「通信傍受」は、捜査機関が裁判所の令状を得て行う捜査手段であり、その対象をどの範囲の犯罪に認めるかは、保釈を認めない理由の「罪証隠滅のおそれ」とは凡そ関連性がない問題だ。

世耕氏の発言の趣旨が、仮に、「日本では、捜査機関に通信傍受が許される範囲が狭いから、通信手段による罪証隠滅が行われることが防止できない。だから否認している被告人の保釈が認められないことも合理性がある。」というものだとすると、全く見当違いも甚だしい。

それどころか、「人質司法」の解消のためには、捜査機関にさらに広範囲に通信傍受を認めるべきという恐ろしい発想につながりかねないのであり、現職閣僚がそういう考えを持っていること自体が重大な問題だ。

いずれにせよ、朝日新聞の報道によれば、日本の経産大臣が、国際会議の場で、経産省の所管外の刑事司法制度に関する発言をし、その内容に重大な誤りがあった可能性が高いのであるから、その発言全体がどのようなものであったのかを明らかにすべきである。その上で、世耕氏が、説明責任を果たすことが不可欠だ。

現職経産大臣の発言の影響

次に問題となるのは、世耕氏の発言の影響である。

「ダボス会議」は、ジュネーヴに本部を置く独立した国際機関「世界経済フォーラム」の年次総会であり、政府間の公式会議ではないが、知識人やジャーナリスト、多国籍企業経営者や国際的な政治指導者などのトップリーダーが一堂に会し、世界が直面する重大な問題について議論する場であり、そこでの発言は、国内外のメディアから注目されている。

ゴーン氏の事件では、日産の西川社長らが、社内調査で把握したゴーン氏の不正事実を検察に持ち込み、ゴーン氏が逮捕され、出席できなかった取締役会でゴーン氏を代表取締役会長職から解職したという、企業ガバナンスという面からは本来許されないやり方で経営トップを交代に追い込んだ。その背景には、日産と、その大株主でフランス政府が筆頭株主のルノーとの経営統合をめぐる争いがあったとも言われている。

ゴーン氏が逮捕・起訴されても、フランスのルノーの側では、「推定無罪の原則」を重視し、ゴーン氏を会長職にとどめていたが、身柄拘束が長期化し、解消される見通しが立たないことから、とうとうゴーン氏は、ルノーの会長職辞任に追い込まれた。

そのような事態を招いた、「長期の身柄拘束の解消の目途が立たない」という現実が、日本の「人質司法」によるものだと海外から批判されているのである。日本の有力な自動車メーカーである日産の経営に関わりを持つ経産省にとって、「人質司法」に対する国際的批判は他人事ではない。

そうした中で、司法制度については所管外の経産大臣が、海外のメディアも多数取材しているダボス会議の「日本に関する討論会」の場で、日本の「人質司法」を擁護し、海外からの批判に反論するかのような発言を「敢えて」行い、しかも、その発言が「明らかに誤っていた」ということになると、国際社会に対して、日本の刑事司法への重大な誤解を与えることになる。そればかりか、今後、日産とルノーとの関係にも関わりを持つ可能性のある日本の経産省のトップが、日本の刑事司法制度の現状について基本的な理解を欠いていたことを露呈することになり、今後、日産とルノーをめぐる問題への経産省の対応にも重大な悪影響を及ぼしかねない。

世耕発言の該当部分が削除されたのはなぜか

もう一つの重大な問題は、一度ネット記事で掲載した世耕大臣のダボス会議での発言を、誤りが指摘された後に、何の断りもなく削除したのは、いかなる事情によるものなのか、という点である。

新聞紙面の記事と異なり、ネット記事は、修正や削除が容易にできる。誤った事項があった場合に、訂正を明示することなく、修正・削除が行われることもある。しかし、今回のネット記事は、現職閣僚の、国際的な会議の場での発言に関するものだ。それに対して読者から批判の声が上がっているのに、何の断りもなく一部削除することは許されない。発言の内容が実際の発言と異なっていたのであれば、明示的に訂正するのが当然だ。もし、記事に掲載した世耕氏の発言が日本の刑事司法制度に関する誤った発言であることが分かったのであれば、発言に関する記事はそのままにして、発言が誤っていたことを別途指摘すべきだ。

ネット上での誤りの指摘を受け、その発言を削除したとすれば、朝日新聞は、現職有力閣僚がダボス会議で行った誤った発言の「隠ぺい」を行ったことになる。

森友・加計問題で安倍政権を徹底追及し、激しく対立してきた朝日新聞である。安倍政権の中枢を担う現職閣僚と不透明な関係を疑われないよう、ネット記事から世耕氏の発言に関する記述の一部を削除した経緯と理由を明らかにすべきだ。

世耕氏はどう対応すべきか

世耕氏は、まず、ダボス会議の「日本に関する討論会」において、日本の刑事司法に関してどのような発言をしたのか、全体を公表すべきである。そして、同発言中に、誤った発言があったのであれば、海外メディア等に対して速やかに訂正し、日本の通信傍受について正しい理解が得られるように措置を講じるべきだ。

その上で、その発言の趣旨、「人質司法」など日本の刑事司法制度に対する海外からの批判への反論の中で、なぜ「通信傍受」の話を持ち出したのかについても明確に説明すべきだ。

ダボス会議での「通信傍受」に関する“失言”は、日本の有力自動車メーカー日産とフランスのルノーとの経営統合問題にも影響を及ぼす可能性があるばかりでなく、刑事司法制度に対する日本政府の姿勢自体にも疑念を生じかねない。世耕氏は、現職経産大臣として十分に説明責任を果たすべきだ。

 

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情報システムの世界に甚大な悪影響を与えかねない“国循事件”の展開

昨年8月の控訴趣意書提出直後、【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で概要を紹介した「国立循環器病研究センター事件」の控訴審第1回公判が、昨日(1月24日)大阪高裁で開かれた。

この事件では、2年に及ぶ審理の末、昨年3月に出た一審有罪判決に対して桑田成規氏が控訴し、私は7月に弁護人を受任、主任弁護人として、控訴趣意書作成・提出等の弁護活動の中心となってきた。

日産自動車で、西川廣人社長らの「クーデター」に加担して、万年赤字からV字回復させて倒産の危機から救ったカルロス・ゴーン氏を逮捕・起訴し、暴走捜査の末、「人質司法」の身柄拘束を続ける東京地検特捜部。一方、「証拠改ざん等の不祥事による信頼失墜からの名誉回復」という邪な動機で「国循事件」の捜査に着手し、医療情報システムの世界に多大な貢献をした桑田氏を逮捕・起訴し、医療情報部長から引きずり下ろした大阪地検特捜部、共通するのは、不祥事からの信頼回復のための「検察改革」で強調された「引き返す勇気」などというのが微塵もないということだ。今や、東京、大阪の特捜部の幹部の頭の中からは、そのような言葉は、完全に消えてなくなってしまっているようだ。

昨日の控訴審第1回公判では、控訴審に対応する大阪高検の検察官の対応が緩慢で、凡そ当事者意識が感じられないことから、口頭で求釈明し、公判廷で厳しく追及しようとした。しかし、検察官は、何も答えようとせず、「近く人事異動で担当検察官が交替するので、いつ答えられるかもわからない」と抜け抜けと言い放つ。裁判所は、そのような検察官の対応に特に不快感を示すでもなく、法廷には、何とも言えない「まるっとした雰囲気」が漂う。次の検察官の書面提出期限は3月15日、次回公判期日は、4月16日に指定された。

検察の不当な主張を「丸呑み」した一審有罪判決が、万が一「司法判断」として確定すれば、情報システムの世界に甚大な悪影響を与え、社会的害悪を生じさせかねない。

私は、ゴーン氏事件については、外部から「事件の形」で特捜捜査を批判してきたが、「国循事件」では、主任弁護人として、真剣勝負で「刑事公判での検察との戦い」に臨んでいる。「刑事公判での戦い」をできるだけ表に出し、この事件で、大阪地検特捜部が行ったこと、そして、その後の検察に、いかに「不祥事の反省」がないかということを、世に問い続けていこうと思う。

まず、昨日、公判後に大阪司法クラブで、桑田氏と弁護団が行った記者会見の模様を、以下に紹介する。

また、控訴趣意書を匿名化して私の事務所のHPにアップしたのでお読みいただきたい。⇒【国循事件控訴趣意書】

 

国循事件記者会見の内容

(2019年1月24日 15時~15時30分,大阪地方裁判所司法記者クラブ)

【冒頭説明】

(郷原)

主任弁護人の郷原です。今日,桑田さんの控訴審の第1回の公判が開かれました。控訴審ということで,公判の場では,なにが起きているかよくわからないと思いますので,こういう形でご説明した方がよいと思った次第です。最初に桑田さんの方から一言お話をいただきたいと思います。

(桑田)

昨年3月に第1審の判決を得まして,結果としては有罪判決となってしまったわけですけれども,今回,それが不当な判決であると思い,控訴いたしました。詳しい趣旨については,後ほど,主任弁護人の郷原先生からお話がありますが,私の気持ちといたしましては,この事件の問題は,私個人の名誉の問題ではなく,むしろ,医療情報システム,つまり病院の中で動いているコンピュータシステムの発注に関して,業界で通常行われていることや,行わなくてはならないようなことに至るまで,全く裁判所に理解されなかったという点を,是非,正さなければならないというところにあります。とくに,国循のような先端医療を担う施設においては,その情報システムも当然に高度なものであるべきであって,そのために必要な発注をしているという,ただそれだけであるにもかかわらず,それが罪に問われた。しかも,その背景となる入札制度や関連法規について,十分に検討されないままに判決が出されてしまった,というところに大変憤りを感じています。

(郷原)

私は,この控訴審から,桑田さんの弁護を引き受けることにしました。私自身,これまでも検察と全面的に戦う事件の弁護を担当してきましたが,桑田さんの事件も,検察,しかも特捜部の事件で,弁護人として検察と戦うべき事件であると考えましたし,今,桑田さんがいわれたように,この事件はその判決結果が,医療情報システムのみならず,情報システムの発注全体にも関わる非常に社会的影響の大きい事件であると考えました。それだけに,この事件には,控訴審からですけれども,私なりに全力で取り組んできたつもりです。

1審では審議にかなり長い時間がかかったので,記者の方々も,最初の段階のことはあまりご存じないと思います。この事件は,大まかな流れで言うと,明らかに,大阪地検特捜部は贈収賄のような事件を狙って,まさに今回当事者になったD社と桑田さんとの間の「癒着のようなもの」を刑事事件にしようという考えで,強制捜査に入ったことはほぼ間違いないと思います。なぜ彼らがそういう見方をしたのかといえば,おそらくその背景には,桑田さんは,前任の鳥取大学医学部の病院で,電子カルテの導入という難しい仕事を成し遂げて大きな成果を上げ,非常に期待されて国循の医療情報部長になった人です。桑田さんとしては,できるだけ合理的,経済的に病院の情報システムの発注をしようと考えて,それまでずっと国循で業務を受注していた企業による,情報システムの「独占状態」をなんとかしたいという思いを持ち,新規参入業者にもその情報システムの入札に参加させ,対等な条件で受注競争ができるようにということを考えてやったことが,結果的に,それまでずっとその業務を独占していた会社の側から快く思われなかった,あるいは,それまで国循内部で情報システムの発注を担当していた,いってみれば「ぬるま湯に浸かっていた」人にも快く思われなかった。このようなことが背景となって,いわゆる癒着のようなものが,あたかも事件であるような認識で,大阪地検特捜部が捜査に入ったのではないかと思われます。

しかし,実際に調べてみると,そういう癒着・腐敗というような事実はなにもなく,ましてや刑事事件になるようなものはなにもなかったわけです。以前,大阪地検の証拠改ざんなどの不祥事があったときに,私も検察のあり方委員会に加わって色々議論しましたけれども,本来ならば,あのとき検察が言っていたような「引き返す勇気」というのを彼らがしっかり持って,引き返さないといけない事件だったと思うのですが,大阪地検特捜部は,いったん取りかかった以上はなにがなんでも刑事事件にするというような方向で,結局,桑田さんを,いわゆる官製談合防止法違反で逮捕するということに至ったわけです。

今回,起訴された事実は,大まかにいうと3つあります。

1つ目は,初年度の入札での情報提供の問題です。企業が,情報システムの運用保守の受注を狙って入札に加わろうと思うと,どういう体制でその業務を行うのかがわからないと,なかなか適切に費用の積算ができないのです。その点,既存業者は,当然よくわかっているのだけれども,新規参入業者にはまったくわからない。そこで,競争条件を対等にするためには,新規参入業者も含めて適切にそのような情報を提供しないといけないということで,桑田さんは情報提供をした。これは,ちょっとした間違いがあった可能性もあるのですけれども,結果的に,本来,公式に提供しないといけない情報を,非公式に提供してしまったということがあった。この点は,若干,問題があったということは否定できない。ところが,この事件では,それまでその業務を受注していたN社が入札参加に当たって国循に提出していた情報を,桑田さんが意図的に新規参入業者であるD社に提供したと捉えられてしまった。それは桑田さんの認識と全く反していたのですが,そこが1審では最大の争点になってしまったのです。ただ,本当は,この事件で争うべき重要な点はそこではありませんでした。

2つ目は,翌年度の入札での仕様設定の問題です。桑田さんが着任後にその業務を受注したD社が,翌年,また同じ業務を受注するのですけれども,そのときに桑田さんが設定した入札の仕様について,桑田さんがD社に特に有利な設定を意図的にしたと言われた。

3つ目は,「お付き合い入札」の問題です。次の入札をするときに,D社以外に受注意欲をもった業者がいなかった。そのままだと,1社のみ参加する入札(1者応札)となってしまう。国循の契約係,つまり契約の担当者というのは,1者応札を非常に嫌うのです。1者応札というのは,後々,契約監視委員会などで問題にされることがあるので,そこで,契約係は,できるだけ1者応札にならないようにしたいということで,全然受注意欲のない会社にお付き合いで入札に参加してもらったということがあり,そこに桑田さんが関わったかどうかということが問題になったのです。

大まかにいうと,以上のことがこの事件の中で問題になったのですが,ここで適用された,いわゆる官製談合防止法というのは,比較的最近になって罰則が強化された法律で,ほとんどこれまでこういう事例に対して適用されたことがない法律なのです。今日も,官製談合防止法違反の疑いで,大阪地検特捜部が大阪市役所に捜索を行っていると報じられていましたけれども,今までこういうようなタイプの事件で問題になってきたのは,予定価格を漏らしたとか,最低制限価格を漏らしたとか,価格の漏示なのです。ところが,今回の事件はそうではなくて,入札におけるやり方,仕様の設定とか,そういう情報の提供とか,まさに入札に対応する行為の根幹部分のところが,特定の業者に有利なように便宜を図ったという疑いで法適用がなされたということなのです。

しかし,これについては,特定の業者に便宜を図る目的ではなくて,公正な競争の条件を作り,そして,国循という組織の医療情報システムの発注を少しでも経済的・効率的に,いいものを作ってもらおうと思った,と桑田さんは一貫して主張しているわけです。ただ,そういう複雑な情報システムの発注をめぐる問題であるということと,法律解釈が非常に微妙な問題であるということから,1審ではなかなか争点がうまく整理されないまま,結局,さきほど言った,その前年までずっと受注していたN社の「秘密」である体制表を,意図的にD社に提供したのかどうか,そういう認識を持っていたのかどうか,というところだけが主たる争点として取り上げられました。その部分について,桑田さんに不利な証拠がそろえられていたことから,1審では有罪認定してしまった。それで,残念ながら,最大の争点が有罪となってしまったために,他の点もあたかも桑田さんがその業者が有利になるように計らったかのような捉えられ方をされてしまったというのが1審の経過でした。

控訴審では,そこのところを少し整理して,情報システムの発注と法適用についてなにが重要なのかというところを改めて検討しなおして,控訴趣意書としての主張を組み立て直しました。ここでは,その中で,今日の第1回の審理で一番言いたかったことについて少しお話しておきます。

桑田さんが問題にされた行為,すなわち情報提供の問題や仕様設定の問題については,そもそもそのような問題が生じないようにする手続きがあるのです。大型の発注,とくに情報システムの発注については,意見招請という手続きをやりなさい,ということが国際協定で義務づけられているのです。どういうことかというと,入札公告前に,その仕様設定などの入札条件について,意見がある人は出してください,質問があればしてください,という手続きなのです。そういうことをやらないと,なかなかこういう情報システムの発注で公平な入札の条件が作れないからなのです。これは国際協定上,絶対に不可欠なものなのです。

ところが,国循では,桑田さんが着任するまで,長年,N社が独占している状態で,その手続きを全くとっていなかった。契約担当者が勝手に決めた入札の条件,仕様でやっていたのです。これについて,1審では,京都大学や大阪大学の医療情報部の教授,この分野の最先端の先生たちが証言に立ち,「ありえないことだ」「信じられないことだ」と言っています。まず,この事件は,そこに根本的な問題があるのです。これが正しく行われていたら,そもそも桑田さんが業者に情報提供をする必要がなかった。仕様の設定についても,桑田さんが必要だと考えて設定した仕様に,もし問題があるのだったら,当然,意見招請の手続きのなかで客観的な検討が行われていたはずです。ということで,本来,その手続きが取られていなかったことが問題なのではないかということを,1審から弁護団は強く主張してきたのです。

ところが,非常に不可解なことに,この意見招請の手続きが本来必要であったのに,それが取られなかったということを,検察は,捜査のなかで隠そうとしたとしか思えない経過があったのです。意図的に調書から除外をしたり,証人尋問のときに,意見招請の手続きが必要だったということをあえて証言させなかったり,というようなことがあり,1審では,これは検察の隠蔽に重大な問題がある,さらに,そもそもこの意見招請の手続きがなかったこと自体が問題で,だから,桑田さんには犯罪が成立しないのだという主張までしたのです。ところが,それに対して検察官は,弁護人が最も強くした主張であるにもかかわらず,論告でまったく触れませんでした。無視です。そして,論告で一切触れられていないのに,なぜか裁判所は,その犯罪の成立が否定されるという主張も,隠蔽という主張も,ごくごく簡単な理由で排斥したのです。

その点を,我々は控訴審の段階で再検討しました。専門家の意見によれば,意見招請の手続きがないということだけで,犯罪の成立が完全に否定されるかというと,その手続きがなくても,まだ若干の公正さという部分が残っているといえるので,犯罪の成立がまったく否定されるとまではいえない。よって,控訴審では,そのような主張ではなく,そのことがわかっていたら,そもそも,桑田さんの行為が犯罪として摘発され起訴されるなんてことはありえない,検察官はそういう重要なことを完全に見過ごして,そして逆に隠すような形でこの事件を起訴したのだというところに,起訴の手続きに重大な問題がある,だからその起訴の手続きの違法を理由に公訴を棄却すべきであったのにしなかった点に,原判決には訴訟手続きの法令違反があるという主張をしました。それと同時に,桑田さんについては,完全に無罪というのではなくて,犯罪の成立が否定できない部分が若干あるとしても,これはあまりに軽微で,検察官がこんなものを起訴したこと自体が重大な問題なのだ,やはりこの意見招請の手続きが欠けていたことが重大な問題なのだということを強く主張しています。

ところが,それについて検察官は,答弁書でどういう主張をしたのかというと,1審判決の表現をそのまま引用しただけで,こちらの主張に対しては全く答えていない。そこで,なぜ検察官は,この意見招請の問題について,検察官としての自分たちの意見を言わないのだということを,今回改めて意見書で釈明を求めたわけです。ところがそれに対しても検察官は無視,全くなにも言ってこない。ここまでくると,検察にはこの点についてなにか不都合が事由でもあるのかと考えざるをえません。

ということで,今日,法廷で,口頭で釈明をしようとしましたが,検察官が釈明せず,口頭では求釈明できなかったのですが,そこで,まず聞きたかったのはこの点だったのです。意見招請の手続きが欠けていたことについて,なぜ検察官はここまで沈黙するのか。なぜ認否をしないのか。その点について重大な問題があったということであれば,桑田さんは本来起訴すべきではなかった。犯罪の成立が完全には否定できない部分があるとしても,当然,起訴猶予にすべきであったという理由にもなりますから,絶対に無視できない事由のはずです。そこのところは,控訴審でも強く言いたいところです。

結論としては,1審と少し違うのは,第1事実については,犯罪の成立を完全に否定まではできないかもしれないが,少なくとも起訴するような事実ではないということで,本来,起訴手続き自体に重大な違法があり,公訴棄却すべきであったと主張していることです。ですから,1審の無罪の主張と実質的にはほぼ変わりませんけれども,控訴審では,無罪プラス公訴棄却,いずれにしても桑田さんは処罰すべきではない,一切処罰されるようなことをやったわけではないという主張であることには変わりありません。

検察が桑田さんを逮捕し起訴したというのは本当に不当極まりないものだと思いますが,もう一つの大きな問題は,1審判決では,必要不可欠なものしか仕様の設定をしてはいけないという判断をしていることです。仕様の設定というのは,本来,いろいろなレベルがあるわけです。必要があれば,この建物には,この施設にはこのぐらいのものが必要だということを考えて,それを工事の発注で仕様にすることは,本来,担当者の裁量のはずです。情報システムだってそうです。どのぐらいのものを要求するのか,予算の範囲内でどこまでのものを要求するのかは,担当者が判断できるはずです。ところがそれを,不可欠なもの,最低限のものでないと設定してはいけないということを1審判決は言っているわけです。もしそういう一般論が司法判断として確定してしまったら,もう情報システムの発注はまともにできなくなってしまうのではないかということが強く懸念されるところです。

私の説明は以上です。

【主な質疑応答】

(記者)

本日法廷であった,証拠の同意,不同意の内容について簡単に教えてください。

(郷原)

控訴審で,弁護人として一番重要な証拠として提出したのが,上智大学の楠茂樹教授の意見書です。楠教授は公共調達法制の数少ない専門家で,第一人者です。公共調達制度の国際比較や,日本の公共調達法制の歴史といった著書もありますし,入札監視委員会の委員長などの実務経験も豊富です。そこで,その楠意見書を証拠請求したところ,当初,検察官は,不同意と言ってきたのです。こちらは,意見書には客観的には間違いない部分もあるのだから,全部不同意はないだろう,検察官と意見の違うところだけを特定してほしい,ということを言ったのです。そうしたら,結局,今回出してきた検察官の意見書で,楠意見書に同意したうえで,その内容的な部分の全部について信用性を争うというのです。楠教授には,一部,検察官が納得しないところがあるようだから,証人尋問に応じてほしいということを事前に依頼していたのです。そうしたら,検察官は意見書の信用性を争う,と,なにか嘘を書いているようなことをいうわけです。これはとんでもない,失礼極まりない話だということを言いたかったのです。だから,信用性を争うということの趣旨を明確にしてほしいと。検察官は,意見書のどの部分を争いたいのか明らかにすべきだと思います。

(記者)

本件とは別なのですが,徳島大学の事件に飛び火したのですよね。これはD社にこの件で捜索に入ったら,たまたまそういう証拠が手に入ったということなのでしょうか。その件では,徳島大学の先生とD社との,いわゆる汚職が認められたけれども,本件とはまったく関係ない話ということですか。

(郷原)

D社の方が賄賂攻勢をしたわけではなくて,むこうから要求された要求型の贈収賄なのです。だから決してD社の営業が問題なわけでもなんでもないのです。ところが,検察はそれを一緒にしてしまって,国循でもそのようなやり方をとったという疑いを持っていたのだと思います。たまたま徳島大学ではそういうことがあって,要求されて賄賂を渡したということがあったから,そちらを先にやったということだと思います。

(記者)

楠先生の意見書とは,簡単にいうと,どんなことが書いてあるのでしょうか。

(郷原)

まず,意見招請の手続きがいかに重要なのかということを非常に明確に言っています。しかし,その手続きが欠けていたら,直ちに,入札の公正を害すべき行為がすべて無罪になるのか,つまり犯罪の成立が否定されるのかというと,そうではないけども,少なくとも,犯罪の成立に影響を及ぼす重要な事実であるということを明確に言っています。

次に,さきほどの仕様の設定の問題です。不可欠性を絶対要件にすることは考えられないと。すくなくとも発注者には適切に仕様を設定する裁量権・判断権がある。その合理性が問題なのであって,不可欠なもの,最低限のものしか仕様の設定ができないということになったら,入札というのは成り立たないということも,明確に言っています。

さらに「お付き合い入札」について,本件では,もともと競争がない状態で,競争の「外形」を作るだけであって,これは入札の公正を害すべき行為には当たらないというのが楠教授の意見です。これが,たとえば,自治体でよく事件になる,昔からあるタイプの不正ですと,市長とか自治体の幹部が,指名競争入札で受注意欲のない業者だけを指名して,特定の会社に受注させるようなことがあります。この例も,なんとなく「お付き合い入札」みたいに見えるけれども,これは付き合わせることによってメンバーセットして,受注意欲のある業者を排除しているのですから,それはもう完全に競争に影響を及ぼしているのですが,もともと他に受注意欲のある業者がない本件とは異なります。

以上のことから,楠先生の意見書を全面的に前提にすると,ほぼ控訴趣意書で我々が述べていることが裏付けられることになります。そもそも,検察官が楠意見書に同意すること自体がおかしいのです。反論があるのだったら,その部分を不同意にして,証人尋問で質すべきものと思います。

以上

 

 

 

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「竹田会長事件」、「ゴーン氏事件」との“決定的な違い”~政府・国会による事実解明が不可欠

1月11日、検察は、ゴーン氏を、特別背任と直近3年分の有価証券報告書の虚偽記載で追起訴し、検察捜査も一つの節目を迎えた。同日、ゴーン氏側は、保釈を請求、連休明けには、裁判所の判断が出される。自白しなければ保釈が認められない「人質司法」の世界の典型と言える特捜事件についての従来の裁判所の姿勢からは、全面否認の特別背任事件についての早期保釈は考えにくいとの見方が多いが、「罪証隠滅のおそれ」の有無を具体的に判断するべきとする最近の裁判所の姿勢からは、ゴーン氏の事件については、早期保釈の可能性も十分にある(【ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない】)。

同日夕刻、こうしたゴーン氏の事件の追起訴、保釈請求と時を同じくして、フランスの司法当局が、日本オリンピック委員会(JOC)竹田恆和会長の東京五輪招致に絡む贈賄容疑での訴追に向けての予審手続を開始したと報じられた。そのタイミングが、日本の検察当局が日産・三菱自動車の前会長で、現在もフランスのルノーの会長であるカルロス・ゴーン氏を特別背任等での追起訴、保釈請求した日と一致したことで、ゴーン氏が逮捕され、長期間にわたって身柄拘束されていることに対するフランスの「報復」「意趣返し」ではないかという見方が出ている。

 五輪招致裏金疑惑問題については、2016年5月にフランス当局の捜査が開始されたと海外メディアで報じられた際に日本の国会でも取り上げられ、その後、2017年10月には、同じ構図の五輪招致疑惑で、リオ五輪招致をめぐるブラジルの捜査当局が、ブラジル・オリンピック委員会(BOC)の会長を逮捕するなど、刑事事件の動きは確実に進展していた。【竹田会長「訴追」で東京五輪の危機を招いた政府・JOCの「無策」】。捜査の開始時期からしても、その後の捜査の動きからしても、フランス当局の捜査が、昨年11月のゴーン氏の「衝撃的な逮捕」で表面化した「ゴーン氏事件」と無関係であることは明らかだ。

 一方で、「ゴーン氏事件」が、検察の追起訴と弁護側の保釈請求という、「身柄拘束の長期化=人質司法」に関する極めて重要な局面を迎えたのと同じ時点で、竹田会長に対する「訴追」に向けての手続の開始についてフランス当局側が明らかにしたことが、偶然の一致とも考えにくい。

 しかし、フランス当局が、このようなタイミングで竹田会長への「訴追」の動きを公表したことを「報復」とか「意趣返し」のような感情的なものとみるべきではない。東京五輪開催を1年半後に控え、その中心となる組織JOCのトップである竹田会長の事件(以下、「竹田会長事件」)とフランスを代表するルノーの現会長であるゴーン氏の事件には、多くの共通点がある。一方で、日本の検察当局がゴーン氏に対して行った捜査・起訴のやり方と、フランス司法当局が竹田会長に対して行っている捜査のやり方との間には大きな違いがある。この2つの比較を踏まえて、ゴーン氏に対する捜査・起訴の不当性について問題が指摘されたものと受け止め、2つの事件に対する日本社会の対応を考えるべきであろう。

「ゴーン氏事件」と「竹田会長事件」の共通点

 ゴーン氏が1月11日に追起訴された「特別背任」の事件と、竹田会長に対してフランス当局が予審手続を開始した「贈賄事件」の共通点として、以下の点がある。

 第1に、資金の流れの「趣旨」が問題になっていることだ。ゴーン氏の事件では、「CEOリザーブ」と言われるゴーン会長の権限で支出できる予算から、サウジアラビアの知人の実業家ジュファリ氏に合計約16億円が支出されたことについて、「ゴーン氏個人の取引に関して信用保証を行ったことへの謝礼の趣旨で、支出が会長の任務に反する行為だ」というのが検察の主張だ。一方、フランス当局の竹田会長に対する捜査の嫌疑は、オリンピック招致委員会がコンサルタント料として「ブラック・タイディングス」社に支払った約2億2500万円について、「国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子のパパマッサタ・ディアク氏に、2020年オリンピック開催地決定の際のIOC委員等の買収資金を提供する趣旨だった」という疑いだ。

 第2に、これらの趣旨について、ゴーン氏も、竹田会長も、犯罪や不正につながる趣旨を否定している。ゴーン氏は、勾留理由開示公判で、ジュファリ氏は日産に対して極めて重要な業務を推進してくれたので、同氏の会社からの請求に基づき、関係部署の承認に基づいて相応の金額の対価を支払ったと説明して「不正な支出」であることを否定しており、同氏の中東地域での日産への貢献に関して、「日産の資金調達を支援」、「日産が地元の販売代理店との間で紛争になった時、解決のために支援」、「湾岸地域全域で、業績不振に陥っていた販売代理店を日産が再編成することを支援し、日産が販売力の勝るトヨタなどの競合他社に競り勝てるようにしてくれた」、「日産がサウジアラビアに自動車工場を建設できるように交渉を支援」、「サウジ当局とのハイレベルの面談等の設定」などを挙げている。一方、竹田会長は、事件について、フランス当局による捜査が開始されたと報じられた時点から「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と述べて不正を否定しており、今回の予審手続の開始が報じられたことに対しても、「昨年12月に聴取を受けたのは事実だが、聴取に対して内容は否定した」として不正を否定するコメントを発表している。

 第3に、資金を受け取った者が、いずれも、資金の流れ自体又は不正の趣旨を否定しており、しかも、捜査当局がその人物を聴取できていない。ジュファリ氏は、「日産自動車が販売代理店の問題を解決し、合弁会社設立に道を開くのを助けた」「日産から受け取った1470万ドル(約16億円)は正当な報酬」とする声明を出しており、パパマッサタ・ディアク氏は、共同通信の取材に対して、「竹田氏は私の父とも誰とも(五輪招致を)話し合ったことはない」と述べ「(疑惑に)竹田氏を巻き込むのはばかげている」と語ったとされている。日本の検察当局はジュファリ氏の聴取をすることなくゴーン氏を逮捕し、現時点では聴取未了であり(ゴーン氏の弁護人大鶴弁護士の記者会見での発言)、パパマッサタ・ディアク氏は、フランス当局が逮捕状を取り国際手配したものの、出身国のセネガルに滞在中で、セネガルは同氏の身柄引き渡しには応じていない。

「ゴーン氏事件」と「竹田会長事件」の“決定的な違い”

 以上のように、ゴーン氏の特別背任事件と竹田会長の事件とは共通点があるが、一方で大きく異なっている点がある。

ゴーン氏の事件は、日産という株式会社の支出に関して、会社法の「特別背任罪」に問われているものであるのに対して、竹田会長の事件は、IOC委員側に、東京五輪招致に関して賄賂を贈ったという「贈収賄事件」である。

 取締役の任務違背行為を特別背任罪に問うのは、極めてハードルが高い。会社法・ガバナンスを専門とする山口利昭弁護士も指摘するように、

経営判断を過度に委縮させることがないように、一次的にはガバナンスや民事ルールによってコントロールされるべきものであり、刑事制裁が期待されるのは、法人の財産保護や事業活動の秩序維持のための最終局面なので、ハードルの高さはやむをえない

ビジネスのために支払ったとの疑いを払しょくできなければ任務違背行為を認定できず、『私的流用かビジネスか』といったレベルの心証であれば当然のことながら無罪

ということになる(【日産前会長特別背任事件-焦点となる三越事件高裁判決の判断基準】)。そういう意味では、前記のとおり、ゴーン氏がジュファリ氏側への支払について、中東での日産の事業のための正当な支払であったと説明し、ジュファリ氏側もその説明に沿う供述をすると、特別背任罪で有罪になる可能性は極めて低いということになる。

 一方、竹田会長の事件は、「組織の業務の従事者に、その義務に違反する行為を依頼する趣旨で利益供与を行う」ことによって成立するフランス刑法の「贈収賄罪」(このような「民民間の贈収賄行為」はフランス刑法では犯罪とされているが、日本では犯罪とはならない)である。IOC委員にIOC総会で東京五輪招致に便宜を図るよう依頼する趣旨の金銭がわたったということであれば、贈収賄が成立することは否定できない。

 竹田会長が理事長を務めていたオリンピック招致委員会から、2020年東京オリンピック招致の名目で、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子に関係するシンガポールの銀行口座に7月に95万ドル、10月に137万5000ドル(合計日本円で約2億2500万円)の送金があったことが確認されており、後者は、9月7日にIOC総会で東京五輪招致が決まった後の送金であり、「成功報酬」であることは否定できない。

 しかも、英紙「The Guardian」によると、リオ五輪招致をめぐる贈収賄事件に関して、ブラジル連邦検察局は、フランス検察局の調査に基づいて、2013年、東京五輪招致委員会による2度目の支払い後、「ブラック・タイディングス」社の銀行口座から、パリの会社へパパマッサタ氏の宝石等の支払いとして8万5000ポンド(約1300万円)が送られていた事実を確認し、IOCに影響力のあったディアク氏の支援と投票を買収する意図を持って、リオ五輪と東京五輪において息子であるパパマッサタ氏に裏金が支払われたと認定したとのことである。招致委員会からの2億2500万円の支払が、東京五輪招致のためのIOC委員買収の賄賂として使われたことに関して、フランス当局は確証を持っているものと思われる。

 残された問題は、「ブラック・タイディングス」社に対して支払われた2億2500万円の支払が五輪招致のための賄賂資金だったとして、それが竹田会長が理事長を務めていた招致委員会内部でどのように認識され、どのように決定されたのかという組織内の問題であり、それについて、竹田会長が聴取を受けているということであろう。

 これに対して、招致委員会の支払の正当性を認め不正を否定するのがJOCの「外部調査チーム」による「調査報告書」であるが、そこには、「ブラック・タイディングス」社に対する支払金額の妥当性に関する客観的な資料は何ら示されておらず、同社を世界陸上北京大会を実現させた実績を持つ有能なコンサルタントだと判断したことの根拠も示されていない。凡そ「第三者調査」の名に値しないものであり、竹田会長などの当事者の「言い訳」をなぞって「不正なし」と結論づけただけのものに過ぎず、竹田会長をはじめ招致委員会関係者の犯罪の嫌疑を否定する意味を持つものではない(日経BizGate【第三者委員会が果たすべき役割と世の中の「誤解」】)。

「ゴーン氏事件」と「竹田会長事件」への日仏当局の対応の大きな違い

 このように考えると、ゴーン氏事件と竹田会長事件には、多くの共通点があるが、犯罪の嫌疑の程度、起訴された場合の有罪の可能性という点では、竹田会長事件と、ゴーン氏の特別背任事件との間には「決定的な違い」がある。

 ところが、両国の司法当局の対応は逆だ。日本の検察当局は、ゴーン氏を「退任後の報酬の支払の約束」に関する有価証券報告書の虚偽記載の罪で成田空港到着後にいきなり逮捕し、30日以上にわたって身柄拘束をした上に、特別背任罪で逮捕・起訴し、ゴーン氏は、逮捕後58日経った今も東京拘置所で勾留されている。一方で、3年以上前から東京五輪招致をめぐる贈収賄事件の捜査を行ってきたフランス当局は竹田会長の逮捕も行っておらず、慎重に捜査を進めている。

 以上のように両事件を比較すると、司法手続の適正さ、公正さという面で、日本の検察当局のやり方がいかに異常なものかが一層明白となる。フランス当局側が、「ゴーン氏事件」での重要な局面と同じタイミングで「竹田会長事件」の「訴追」に向けての手続を公表したことに、両者の違いを強調する意図があった可能性もあるだろう。

 今後の、ゴーン氏事件と竹田会長事件への日本社会としての対応では、この「共通点」と「決定的な違い」を十分に認識して行っていく必要があろう。

日本の政府として、社会として採るべき対応

 まず、ゴーン氏事件への対応だが、既に弁護人から出されている保釈請求について、裁判所が、「特捜部が起訴した特別背任の否認事件なので早期保釈はあり得ない」などという「固定観念」から離れて、起訴事実の嫌疑の程度と具体的な「罪証隠滅のおそれ」の有無の二つの面から適切に判断することだ。もし、不当な保釈請求却下が行われた場合、凶悪事件でもない経済事犯での身柄拘束が解消される見込みが全く立たないという異常な事態となる。その場合、日本の「人質司法」に対して国際的批判を受けることになるだろうが、本件でのゴーン氏の早期保釈は、適切な「罪証隠滅のおそれ」を判断すれば十分可能なのであり、決して国際的批判におもねるものではない。

そして、「竹田会長事件」に対しては、まず、今日(1月15日)に予定されている竹田会長の記者会見が極めて重要だ。予審手続の開始が報じられた直後のコメントのように調査報告書で「不正なし」とされたことを強調するだけでは、フランス当局で「訴追」に向けて手続が開始されたことに対するJOC会長としての説明責任を果たしたことにはならない。少なくとも、以下の点については、十分な説明を行うべきだ。

 (1) 「ブラック・タイディングス」社の招致実績を評価した具体的理由(電通に実績を確認した際に、実績についてどのような説明があったのか。特に、同社が世界陸上北京大会を実現させた実績は、いかなる手法によって実現されたと認識していたのか。)

 (2) 国会(平成28年5月16日衆院予算委員会)では「ブラック・タイディングス」社の活動報告書の所在についての質問に、「関係書類は、法人清算人で招致委員会元専務理事の水野正人氏が確実に保管している」と答弁している。招致関係の書類は、調査委員会の報告書では「全て破棄された」とされているが、書類は、いつ廃棄したのか。

 (3) 成功報酬を支払った際、東京五輪招致までの「ブラック・タイディング」社の活動の内容についてどのような説明を受けたのか。

 竹田会長は、今日の記者会見で、質疑応答に全く応じず、「調査委員会で不正が否定された」と一方的に自分の言い分を述べて、会見を打ち切った。質疑応答に応じないのであれば、記者会見ではなく、書面を配れば良いのであり、まさに「記者会見の偽装」と言うべきだ。

 JOC竹田会長側に説明責任を果たす気がないのであれば、国として事実解明を積極的に行うしかない。中立性・独立性という面で国民に十分納得できる委員からなる第三者委員会を政府が設置するか、或いは、福島原発事故について国会に設置されたような、独立した調査委員会を国会に設置することも検討すべきだ。

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私が「検察の正義」を疑う理由

1月11日、フランスの司法当局が、日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長を、東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)招致に絡む贈賄容疑での訴追に向けての予審手続を開始したと報じられた。そのタイミングが、日本検察当局が日産、三菱自動車の前会長で、現在もフランスのルノーの会長のカルロス・ゴーン氏を特別背任等で追起訴し、保釈請求に対する裁判所の判断を示される段階になったのと一致したことで、ゴーン氏が逮捕され、長期間にわたって身柄拘束されていることに対するフランスの「報復」「意趣返し」ではないかという見方が出ている。

フランス当局の捜査は、3年前から続けられていたもので、捜査開始はゴーン事件とは全く関係ない。しかし、このタイミングで、続けられていた捜査が、予審手続の開始という「訴追」に向けての正式の手続であると公表されたことは、ゴーン氏の事件とは無関係ではないように思える。しかし、それを「報復」とか「意趣返し」のような感情的なものとみるべきではない。日本の検察当局が日産・ルノー・三菱自動車の経営トップのゴーン氏に行ったことに対して、日本のオリンピック委員会のトップである竹田会長に、フランス司法当局としてどのような対応をとるかを示し、問題提起をする趣旨と受け止めるべきであろう。

検察の正義への確信の有無で受け止め方が全く異なる

今回のゴーン氏の事件は、平成の時代が終わろうとしている今の日本社会に大きな課題が残されていることを示すものであり、【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”】では、それを、企業のガバナンス・透明性、検察の在り方、事件報道という4つの面から徹底分析した。

それに対する反応は、「検察の正義」に対する確信の有無によって、大きく二つに分かれる。「検察は正義の味方であり、検察が行うことは常に正しい」と確信している人は、その検察がゴーン氏を逮捕し、しかも起訴までしたのだから、ゴーン氏は「犯罪者」であり、西川社長ら日産経営陣がゴーン氏を経営トップの座から引きずり下ろしたのも正当であり、企業ガバナンス・透明性などということは問題にならない。また、その検察が正義の実現のために行っている捜査について「犯人視・有罪視報道」をすることも、大きな問題ではないということになる。

一方、「検察は必ずしも正義の味方ではない、検察が行うことが常に正しいとは限らない」という前提で、日産経営陣が行ったこと、日産の現状、そして、マスコミの事件報道の問題を客観的に見てみると、そこには大きな問題が浮かび上がってくる。

結局、「検察の正義」を確信するかどうかにすべてがかかっているのであるが、その確信の有無は、何によって生じるのだろう。

私がなぜ「検察の正義」に敢えて疑問を投げかけるのか、特に特捜検察について、「正義」を否定し、検察捜査を批判するのか。

実は、私自身も、大学の理学部を卒業して民間企業に勤めたところまでは、司法の世界と全く無関係で、検察のことなど考えたこともなかった。短期間で技術者を辞め、法曹の世界をめざすことになり、たまたま検察の世界に身を置くことになったが、それがなければ、「検察の正義」を確信する人間の一人として生きていたかもしれない。

私には、検察という組織に属し、特捜部の捜査にも関わった実体験がある。それによって「検察は、特に特捜部は、必ずしも正しいわけではない」との認識につながっている。その実体験について、これまでいくつかの著書で述べてきた。それがどのようなものであったか、著書を引用しつつ振り返ってみたい。

特捜捜査に幻滅した日

若手検事だった頃、多くの検事がそうであるように、私も、特捜部にある種の憧れを持っていた。経済事件、特殊事件の捜査で活躍することが夢だったともいえる。しかし、「他部からの応援」という形で初めて特捜部の捜査に関わった時に体験したことで、私の夢は崩壊した。その時のことを、私は、『検察の正義』(ちくま新書:2009年)の中で紹介している。

「東京地検特捜部の看板」で勝負

私にとって、最も違和感があった第三の問題は、「東京地検特捜部」の看板によって、被疑者や参考人を屈服させて、供述調書をとってしまえば、何でもできるという考え方だった。

この証券担保ローンの背任事件の最大のポイントは、不正融資とされる証券担保ローンの実行の時点で、融資先の投資家の株式損益がどのような状況だったかである。全体として利益が出ているのであれば、ある程度、担保評価を緩めて、融資額を増額することも、あながち不合理な判断とは言えない。

私は、その頃、まだあまり普及していなかった「表計算ソフト」を活用して、株式売買の損益を逐次計算できるマクロプログラムを完成させ、背任事件の共犯とされている投資家の被疑者の損益状況を調べてみた。すると、背任融資とされていた融資の実行の大半の時点で、トータルでは十分に利益が出ており、投資の最後の時点で、特定の銘柄によって膨大な損失を出し、それでトータルの損益が大幅なマイナスになったものだということがわかった。私はそうして判明した事実を、応援検事の、身分も顧みず、思い切って主任検事、副部長に報告してみた。しかし、「被疑者が全員、Aはずっと株で損をしていたと言っているじゃないか。お前のパソコンはおかしいんじゃないか」と一笑に付された。

それから間もなく、被疑者Aは逃亡し、所在をくらましてしまった。それ以降は被疑者の所在を突き止めるための捜査一色になった。

捜査対象の被疑者の所在不明は、検察独自捜査にとって重大な支障になる。全国の都道府県警に指名手配をして協力を求めることができる警察とは違い、検察は所在不明になった被疑者の行方をつきとめることには限界がある。

しかし、被疑者の逮捕、本格的捜査が予定され、応援検事まで確保している場合に、長期間先延ばしすることはできない。つのる焦燥感の中で、そのときの主任検事が命じたのは、所在不明となった被疑者の家族・親類縁者を片っ端から呼び出して、「かくまっているのではないか」との疑いで取調べを行って、徹底的にいじめるというやり方だった。それを徹底すれば、家族、親類縁者が、被疑者の行方を懸命に探すはずで、心当たりに連絡したりすることによってどこかで被疑者の所在が明らかになって、通報してくるのではないか、という考え方だった。

確かに、それは、被疑者の所在を突き止めるために検察として取り得る手段の中では有効なものなのかも知れない。しかし、Aは、殺人犯のように、草の根分けても探し出さなければならない犯罪者ではない。何が何でもその所在を明らかにしたいというのは、「検察の都合」に過ぎないのだ。

私も、その「家族、親類縁者いじめ」の取調べに駆り出された。上司の指示・命令を受けてやらされる仕事の中で、これほど気の進まないことはなかった。

検事になって最も惨めな一日

ある日、主任検事から、所在不明の被疑者Aの従弟を呼び出して取り調べるようにとの指示を受けた。前日に私と同期のX検事が呼び出しの電話をかけたが、どうしても都合が悪いと言って出頭を拒否したとのことだった。「何か隠しているから来たくないんだろう。徹底して締め上げろ」という指示だった。

私が電話をかけたところ、Aの従弟のB氏が出た。東京地検特捜部の検事であることを告げ、「Aさんのことでお伺いしたいことがあるので、明日、東京地検まで来てもらえませんか」と言うと、「Aとはもう何年も会っていません。何も知りません。どうしても行かなければいけませんか」と言ってきた。「それでも、どうしても直接お伺いしたいことがあるのです」と言うと、「では、行きます」と言ってくれた。

翌日の朝、霞ヶ関の東京地検に出向いたB氏は、私の「取調べ」が始まるなり、淡々と話し始めた。

「一昨日の夜も、X検事から電話があって、明日東京地検に来てくれと言われました。私が、仕事があって無理ですと言うと、『お前はAの居場所を知っているだろう。嘘をついてもわかる。隠しているから調べに応じたくないんだろう。隠したりしていると捕まえるぞ』とさんざん脅されました。ちょうど、我が家では、子供にいろいろ大変なことがあって、とても深刻な家族会議をしている最中でした。中学生の息子がイジメで登校拒否をしています。それに加えて、一昨日、小学生の息子が、重い心臓病だということがわかって、私たち家族はどうしたら良いんだろうと、目の前が真っ暗になって……。そこに、夜の10時過ぎにX検事から電話があったのです。どうしても都合が悪いからと言って、東京地検に行くのは一日待ってもらいました。昨日、また電話がかかってきました。それが、検事さんからでした。私が検察庁に呼び出されたということで、今朝出てくるときに、女房が取り乱していて、私が逮捕されるんではないかと心配で頭がおかしくなりそうだと言っていました」

私が、その話を聞いて驚き、黙っていると、Bはさらに言葉を続けた。

「私は、市役所の職員として、20年余り仕事をしてきました。人から後ろ指を指されるようなことをしたことはありません。もし、私がAのことで何か知っていたら、すべてお話しします。でも、何も知りません。生意気なことを言うようですが、私も、少しばかりですが国にも市にも税金を納めている市民です。どうしてこういう目に遭わされなければならないんでしょうか」

私は、このときほど、恥ずかしく惨めな思いをしたことはなかった。自分がやっていることは人間のやることではないと思った。

私は、すぐに、B氏の自宅に電話をかけて、B氏の妻と話をした。「何も心配することはありません。ご主人に何か疑いがかかっているということではありません。こちらの都合で、どうしても今日、一日、こちらにいてもらわないといけないのですが、まったく心配は要りませんから安心してください。今日の夜にはお返しします。今日だけで、明日以降は来てもらうこともありません」

そして、B氏には「あなたから聞くことは何もありません。でも、どうしても、我々の組織の内部的な問題で、今日一日、この建物にいてもらわなければならないんです。待合室で待っていてください。時折、部屋に入ってもらいます。夜には帰ってもらいますから」

私は、昼と夕方のそれぞれ、主任検事に取調べの状況を報告した。

「しぶとい奴です。さっきからガンガンやってるんですが、何も話しません。本当に何も知らないのかも知れませんが、もう少し頑張ってみます」と真っ赤な嘘をついた。

主任検事に評価してもらおうなどという気持がまったくなかったことは言うまでもない。私が恐れたのは、私の「取調べ」が生ぬるいという理由で、B氏の「取調べ」がX検事に担当替えになることだった。とにかく、一日で終わらせなければならない。そのためには、そういう報告をするしかなかった。

その日のことは、私にとって衝撃だった。応援に入るまで、ある種の「憧れ」すら持っていた特捜部に対するイメージは全く異なったものになった。

ゼネコン汚職事件での冤罪に関する実体験

この時、応援検事として初めて特捜事件の捜査に関わった時の経験で、私は、特捜部の捜査が、必ずしも正義ではないということを強く認識させられることになった。そして、その数年後、正式に特捜部に所属し、特捜検事として関わった「ゼネコン汚職事件」で、私は、特捜捜査が「不正義」そのものであることを実体験することになる。『検察が危ない』(ベスト新書:2010年)で次のように述べている。

事実無根だった梶山1000万円疑惑

三井建設から梶山静六前自民党幹事長へ渡ったとされる一〇〇〇万円の問題については、一月九日、朝日新聞が朝刊で、以下のように報じた。

「竹内前知事が、同県内に計画されている緒川(おがわ)ダムなどの公共工事をめぐり、地元茨城二区選出で前自民党幹事長の梶山静六代議士の側から、三井建設の受注に便宜を図るよう要請を受けたことがある、と周辺関係者に話していることが、八日明らかになった。竹内前知事は東京地検特捜部にも同様の供述をしている模様だ。関係者によると、緒川ダムの受注でゼネコン各社による激しい競争が展開されていた一九九一年春ごろ、三井建設から梶山氏側あてとして一千万円が支出されていたという」というものだった。

~中略~

そして、数日後、朝日新聞は、「同県が計画している緒川ダムの建設工事について『一九九一年初め、当時の県土木部幹部らに対し、三井建設にも受注させるよう示唆した』と周辺関係者に話していたことが十二日、明らかになった。東京地検特捜部にも同様の供述をしている模様だ。」と報じる。

その直後、特捜部が三井建設の関係者の「一斉聴取」を開始したことが報道された。三井建設から梶山静六議員に一〇〇〇万円が渡ったことを三井建設関係者の供述で裏付けようとするものだった。

その後、新聞、テレビ、週刊誌等がこの疑惑を報道し、臨時国会と通常国会の会期に挟まれた「空白の一日」の一月三〇日が梶山逮捕のXデーだなどと、まことしやかに語られ、その当日には、検察庁周辺に新聞記者、カメラマン等が大挙して押し掛ける騒ぎとなった。世間の関心はこの問題に集中し、梶山逮捕の「Xデー」のために検察庁周辺には四六時中マスコミが張り込んだ。

しかし、その後、特捜部の係官が議員会館に出向いて議員の面会簿を調査した事実が報じられた頃から風向きが大きく変わった。議員会館の面会簿からは、一〇〇〇万円の授受があったとされる日の前後には面会の事実が確認できなかったのだ。この実情はその事件の捜査に関わっていなかった私にも聞こえてきた。特捜部内は沈痛な雰囲気に包まれていた。

そして、一九九四年一月三一日、日経新聞が、「三井建設、元役員、一〇〇〇万円着服と供述」と報じた。

「長年にわたり同社の『業務屋』として政界へのヤミ献金などに携わり、一千万円を同社から引き出して梶山代議士側に届けたとされていたこの元取締役が、最近になって『問題の一千万円を着服し、遊興費などに充てた。弁済したい』などと供述。さらに一千万円が会社から引き出されたのとほぼ同時期に、この元取締役の金融機関の口座に一千万円とほぼ同額の金を入金していた、という。」

こうして三井建設から梶山議員への一〇〇〇万円の供与疑惑は事実無根であったことが明らかになった。この着服の事実に関しては、その役員が業務上横領の事実で立件され、起訴猶予とされた。

同年3月7日付の読売新聞は、この事件の捜査経過について、以下のように報じている。

「ゼネコン汚職の捜査で、予想外の経過をたどったのが、三井建設から前自民党幹事長・梶山静六代議士(67)あての名目で一千万円が支出されたことに絡んだ贈賄疑惑。特捜部では、大物議員をめぐる疑惑だけに、最重要と位置づけ、年明けから多数の検事を投入、三井建設幹部の集中聴取などに乗り出した。しかし、捜査の過程で元取締役から『着服した』との供述が出て、一月末にはそれが表面化した。贈賄か、着服か。特捜部では慎重に裏付け捜査を進め、元取締役の供述の信用性を確かめるため、取り調べにも複数の検事があたったという。着服の事実が濃厚となるにつれ、『政界ルートはつぶれた』との悲観的な声も捜査幹部から出たほど。」

結果的に事実無根であることが明らかになった「梶山代議士への一〇〇〇万円の供与」については、その役員の詳細な「贈賄自白調書」が作成されていた。もし、偶然に、自白で授受があったとされていた日の前後に役員が議員会館で梶山氏に面会していたら、「梶山逮捕」は現実のものになっていたかもしれない。

私は、梶山議員への贈賄事件の捜査断念の後に、「贈賄資金を着服した役員」の業務上横領事件の取調べを担当し、それまでの経過について詳しく話を聞いた。その役員の、それまでに作成された調書を見たところ、議員会館での1000万円の現金授受という「全くの架空の事実」について、授受の位置関係についての図面を含む詳細な供述調書が作成されていた。一度「ウソの自白」をすると、特捜部側は何とか事件を立件しようとしてストーリーが固められていき、自白を引っ込めることができなくなるという「冤罪」の構図そのものだった。

特捜検察と司法メディアの癒着

そして、このような特捜捜査について、全く疑問を持たず、捜査の展開をめぐってスクープ合戦を繰り広げていたのが「司法記者」だった。彼らの殆どは、特捜部の捜査に対する批判的な視点は全くなかった。その中で唯一、特捜捜査の問題について私と認識を共有していたのが、読売新聞のY記者だった。彼とは、ゼネコン汚職事件に限らず様々事件について「ストーリーありき、供述調書をとることがすべて」という、事実を解明する機能をほとんど果たさない特捜捜査と、それに対して批判機能を全く果たせない司法メディアについての認識を共有していた。

私は、そのような特捜捜査の内実や、司法記者との関係をフィクションで描くことができないかと考えて書き始め、その17年後に、ようやく推理小説として完成したのが、「司法記者」(講談社:2011年、講談社文庫:2014年)である。「由良秀之」のペンネームで書いたこの小説は、2014年にWOWOWドラマW【トクソウ】でドラマ化された(主演:吉岡秀隆、三浦友和)。

「平成の次の時代」に向けての日本社会の重要な課題

検察庁では、日々、膨大な数の一般刑事事件が適切に捜査・処理されており、そういう意味で、検察が、基本的に「刑事司法の正義の実現」に関して、その役割を果たしていることは疑いのないところだ。しかし、組織内部ですべての意思決定・判断が行われ、組織として一たび誤った判断をしてしまうと、組織内で是正することが困難になるというのが検察組織に関わる根本的な問題であり、それが典型的に表れるのが、検察自らが事件を立件し、被疑者を逮捕・起訴する、特捜部の捜査だ。私は、このような実体験に基づき、「検察の判断は、特に特捜事件については、正しいとは限らない」という認識から、これまでも多くの事件で捜査・処分に対する批判的な見解を述べてきた。

そして、特捜捜査に内在する危険性が、国際的な経営者の逮捕・起訴という形で現実化し、国内外に大きな影響を与えているのが今回のゴーン氏の事件だ。同氏の逮捕以降、特捜捜査に重大な問題があることを徹底して指摘し続けてきたが、事件は、1月11日の特別背任事件等での追起訴で一つの節目を迎え、この3連休明けにも出される裁判所の保釈の可否の判断を待っている状況だ。

仮に、保釈が認められなければ、凶悪事件でもない、経済事犯での身柄拘束が果てしなく続くという異常な「人質司法」に対して国際的な批判を受けることは必至だ。JOC竹田会長自身は、フランスで12月10日に予審判事の取調べを受けたことを認めており、その日に、予審判事の権限で逮捕される可能性もあった。フランス司法当局のJOC竹田会長への捜査が、被疑者の身柄拘束に対して慎重に進められていることと比較しても、日本の当局の、ゴーン氏に対する身柄拘束のやり方の異常性が際立つことになる。

しかし、裁判所が、「検察追従の姿勢」の呪縛から離れて正当に判断すれば、保釈が許可される可能性は十分にある。【ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない】でも述べたように、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれ」があるのかという点を、最高裁判例等に照らして厳密に判断すれば、否定されるのが当然だ。それは、海外メディアの批判を恐れたものでもないし、フランス当局の圧力によるものでもない。

ゴーン氏の逮捕以降、多くの海外メディアからの取材を受けたが、日本のメディアからの取材は少なく、特に、新聞、地上波テレビの社会部、司法クラブ関係の記者からの取材は皆無に等しい。そうした中、こうした検察の問題に常に関心を持ち、私に発言の場を与えてくれた「平成のジャーナリズムの巨人」田原総一朗氏の番組「激論クロスファイア」(BS朝日)に、今日(1月13日)の午後6時から生出演する。

【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”】でも述べたように、ゴーン氏事件に表れた企業ガバナンス・透明性、検察の在り方、事件報道という問題が、「平成の次の時代」に向けての日本社会の重要な課題であることを、しっかり話すこととしたい

 

 

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竹田会長「訴追」で東京五輪の危機を招いた政府・JOCの「無策」

 フランスの司法当局が、日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長を東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)招致に絡む贈賄容疑で訴追に向けての予審手続を開始したと、仏紙ルモンドなどフランスメディアが報じている。

 カルロス・ゴーン氏が特別背任等で追起訴された直後であり、この時期のフランス当局の動きがゴーン氏に対する捜査・起訴への報復との見方も出ている。

 このJOCによる五輪招致裏金疑惑問題については、2016年にフランス当局の捜査が開始されたと海外メディアで報じられ、日本の国会でも取り上げられた時点から、何回かブログで取り上げ、JOCと政府の対応を批判してきた。

東京五輪招致疑惑の表面化

 問題の発端は、2016年5月12日、フランス検察当局が、日本の銀行から2013年7月と10月に、2020年東京オリンピック招致の名目で、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子に関係するシンガポールの銀行口座に約2億2300万円の送金があったことを把握したとの声明を発表したことだ。

 この問題が、AFP、CNNなどの海外主要メディアで「重大な疑惑」として報じられたことを受け、竹田会長は、5月13日、自ら理事長を務めていた東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会(2014年1月に解散、以下、「招致委員会」)としての支払の事実を認めた上で、「正式な業務契約に基づく対価として支払った」などと説明した。しかし、この説明内容は極めて不十分で、東京五輪招致をめぐる疑惑に対して、納得できる説明とは到底言えないものだった。

 フランス検察当局の声明によれば、送金した先がIAAF前会長の息子に関係する会社の銀行口座であるという事実があり、それが2020年五輪開催地を決定する時期にあまりに近いタイミングであることから、開催地決定に関して権限・影響力を持つIOC委員を買収する目的で行われた不正な支払いだった疑いがあるとのことだった。問題は、招致委員会側に、そのような不正な支払いの意図があったのか否かであり、そのような意図があったのに、それが秘匿されていたのだとすれば、JOCが組織的に開催地決定をめぐる不正を行ったことになり、東京五輪招致をめぐって、極めて深刻かつ重大な事態となる。

 私は、ブログ記事【東京五輪招致をめぐる不正支払疑惑、政府・JOCの対応への重大な疑問】で、この問題を詳しく取り上げ、JOCの竹田会長は、まさに、招致委員会の理事長として今回の約2億2300万円の支払を承認した当事者であり、支払先に際してどの程度の認識があったかに関わらず、少なくとも重大な責任がある。招致委員会が組織として正規の手続きで支払った2億2300万円もの多額の資金が、五輪招致をめぐる不正に使われた疑惑が生じており、しかも、支払いを行った招致委員会のトップが、現在のJOCのトップでまさに当事者そのものである竹田会長なので、「外部の第三者による調査が強く求められる」と指摘した。

 その上で、同ブログ記事の末尾を、以下のように締めくくった。

 五輪招致をめぐる疑惑について、徹底した調査を行ったうえ、問題があったことが明らかになっても、それでもなお、東京五輪を開催するというのが国民の意思であれば、招致を巡る問題を呑み込んだうえで国民全体が心を一つにして、開催に向けて取り組んでいくべきであろう。

 今回の招致委員会をめぐる疑惑について、客観的かつ独立の調査機関を設けて徹底した調査を行い、速やかに招致活動をめぐる問題の真相を解明した上で、東京五輪の開催の是非についての最終的な判断を、国政選挙の争点にするなどして、国民の意思に基づいて行うべきではなかろうか。

外部調査チームによる調査報告書公表

 しかし、その後の政府、JOCの対応は、それとは真逆のものだった。

 国会での追及を受けたことなどから、その後、JOCは、第三者による外部調査チームを設置し、2016年9月1日に、「招致委員会側の対応に問題はなかった」とする調査報告書が公表された。しかし、それは、根拠もなく、不正を否定する「お墨付き」を与えるだけのものであった。それについて、日経BizGate【第三者委員会が果たすべき役割と世の中の「誤解」】で、以下のように指摘した。

 フランスで捜査が進行中であり、今後起訴される可能性があるという段階で、国内で行える調査だけで結論を示したということになるが、その調査はあまりに不十分で、根拠となる客観的な資料もほとんど示されていない。

 この報告書では、「招致委員会がコンサルタントに対して支払った金額には妥当性があるため、不正な支払いとは認められない」と述べているが、そもそも金額の妥当性に関する客観的な資料は何ら示されていない。世界陸上北京大会を実現させた実績を持つ有能なコンサルタントだというが、果たして本当に彼の働きによって同大会が実現したのかという点について全く裏が取れていない。

 また、招致が成功した理由や原因、コンサルティング契約に当たって半分以上の金額を成功報酬に回した理由も、何1つ具体的に示されていない。そのような契約が「適正だった」と判断することなど、現時点ではできないはずだ。

 結局のところ、疑惑に対して納得のいく説明を行えるだけの客観的な資料が全くない状態で、専門家だとか中立的な第三者などによる何らかのお墨付きを得ることで、説明を可能にしようとした、ということでしかない。

BOC会長のリオ五輪招致疑惑による逮捕

 そして、2017年10月5日 リオデジャネイロオリンピックの招致をめぐって、ブラジルの捜査当局が、開催都市を決める投票権を持つ委員の票の買収に関与した疑いが強まったとして、ブラジル・オリンピック委員会(BOC)のカルロス・ヌズマン会長を逮捕したことが、マスコミで報じられた。

 NHKニュースによると、ブラジルの捜査当局は、20179月、リオデジャネイロへの招致が決まった2009年のIOC(国際オリンピック委員会)の総会の直前に、IOCの当時の委員で開催都市を決める投票権を持つセネガル出身のラミン・ディアク氏の息子の会社と息子名義の2つの口座に、ブラジル人の有力な実業家の関連会社から合わせて200万ドルが振り込まれていたと発表していた。捜査当局は、ヌズマン会長が、「贈賄側のブラジル人実業家と収賄側のディアク氏との仲介役を担っていた」として、自宅を捜索するなど捜査を進めてきた結果、2009年のIOC総会の直後、ディアク氏の息子からヌズマン会長に対して、銀行口座に金を振り込むよう催促する電子メールが送られていたことなどから、票の買収に関与した疑いが強まったとして逮捕したとのことだった(日本では報じられていないが、その後、起訴されたとのことである)。

 このニュースは、日本では、ほとんど注目されなかったが、私は、【リオ五輪招致をめぐるBOC会長逮捕の容疑は、東京五輪招致疑惑と“全く同じ構図”】と題するブログ記事を出し、リオ五輪招致疑惑と、東京五輪招致疑惑とが全く同じ構図であることを指摘し、以下のように述べた。

 BOC会長が逮捕された容疑は、リオオリンピック招致をめぐって、「IOCの当時の委員で開催都市を決める投票権を持つセネガル出身のラミン・ディアク氏の息子の会社と息子名義の口座に、約200万ドルが振り込まれていた」というもので、東京オリンピック招致をめぐる疑惑と全く同じ構図で、金額までほぼ同じだ。

 IOCの倫理委員会は、「疑惑が報じられた昨年からフランス検察当局の捜査に協力し、さらに内部調査を継続している」としているが、その調査は、当然、東京オリンピックをめぐる疑惑にも向けられているだろうし、IOCの声明の「新たな事実がわかれば暫定的な措置も検討する」の中の「暫定的な措置」には、東京オリンピックについての措置も含まれる可能性があるだろう。

 JOCは、「その場しのぎ」的に、第三者委員会を設置し、その報告書による根拠もない「お墨付き」を得て問題を先送りした。それが、今後の展開如何では、開催まで3年を切った現時点で、“本当に東京オリンピックを開催してよいのか”という深刻な問題に直面することにつながる可能性がある。

 今後のBOC会長逮捕をめぐるブラジル当局の動き、オリンピック招致疑惑をめぐるIOCと倫理委員会の動きには注目する必要がある。

 以上のような経過からすると、今回、フランス当局の竹田会長の刑事訴追に向けての動きが本格化したのは当然のことと言える。東京五輪招致をめぐる疑惑について、フランス当局の捜査開始の声明が出されても、全く同じ構図のリオ五輪招致をめぐる事件でBOC会長が逮捕されても、凡そ調査とは言えない「第三者調査」の結果だけで、「臭いものに蓋」で済ましてきた日本政府とJOCの「無策」が、東京五輪まで1年半余と迫った今になって、JOC会長訴追の動きの本格化という、抜き差しならない深刻な事態を招いたと言えよう。

 今日、竹田会長は、訴追に関する報道を受けて、「去年12月に聴取を受けたのは事実だが、聴取に対して内容は否定した」とするコメントを発表したとのことだが、問題は、フランス司法当局の竹田会長の贈賄事件についての予審手続が、どのように展開するかだ。

 フランスでの予審手続は、警察官、検察官による予備捜査の結果を踏まえて、予審判事自らが、被疑者の取調べ等の捜査を行い、訴追するかどうかを判断する手続であり、被疑者の身柄拘束を行うこともできる。昨年12月に行われた竹田会長の聴取も、予審判事によるものと竹田会長が認めているようなので、予審手続は最終段階に入り、起訴の可能性が高まったことで、フランス当局が、事実を公にしたとみるべきであろう。

 ということは、今後、フランスの予審判事が竹田会長の身柄拘束が必要と判断し、日本に身柄の引き渡しを求めてくることもあり得る。この場合、フランス当局が捜査の対象としている事実が日本で犯罪に該当するのかどうかが問題になる。犯罪捜査を要請する国と、要請される国の双方で犯罪とされる行為についてのみ捜査協力をするという「双方可罰性の原則」があり、日本で犯罪に該当しない行為については犯罪人引渡しの対象とはならない。

 今回、フランス当局が捜査の対象としている「IOCの委員の買収」は、公務員に対する贈賄ではなく、日本の刑法の贈賄罪には該当しないが、「外国の公務員等」に対する贈賄として外国公務員贈賄罪に該当する可能性はあるし、招致委員会の理事長が資金を不正の目的で支出したということであれば、背任等の犯罪が成立する可能性もあり、何らかの形で双罰性が充たされるものと考えられる。

 いずれにせよ、フランスの裁判所で訴追されることになれば、旧皇族の竹田宮の家系に生まれた明治天皇の血を受け継ぐ竹田氏が「犯罪者」とされ、JOC会長職を継続できなくなるだけでなく、開催前の東京五輪招致の正当性が問われるという危機的な事態になることは避けられない。

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ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない

 1月8日午前、東京地裁で開かれた勾留理由開示公判で、カルロス・ゴーン氏は、自身の言葉で、「私は無実だ。」「不正をしたことはなく、根拠もなく容疑をかけられ不当に勾留されている。」と主張し、勾留事実についても、具体的な反論を行った。そして、同日午後、大鶴基成弁護士らゴーン氏弁護団も記者会見を行った。元特捜部長・最高検公判部長の大鶴氏が「犯罪の嫌疑が全くないと確信している。」と明言したことは大きな意味があった。これまで、検察や日産側のリークによると思える「犯人視・有罪視報道」に埋め尽くされ、世の中の多くの人が「強欲ゴーン=有罪」のように決めつけていた状況にも変化の兆しが見える。

 今日(1月11日)、勾留延長満期となる特別背任で、検察は、ゴーン氏を起訴するであろう。そして、4回目の逮捕がない限り、そこで、事実上、捜査は終結することになる。

 そこで、最大の注目点となるのが、ゴーン氏の保釈が認められるかどうかだ。

 「保釈の見通し」に関する記者会見での大鶴氏の発言には疑問な点があった。特捜部長も務め、検察側で長く刑事事件に携わってきた大鶴氏だが、刑事事件での「検察との全面対決」では、弁護側の視点と検察側の視点とは大きく異なる。23年に及ぶ検察官としての経験から刑事手続は知り尽くしていたつもりだった私も、全面対決の初戦となった美濃加茂市長事件では、初めて経験することも多く、弁護人として役立てる資料・情報の収集に苦労をした。

「人質司法」と「保釈の見通し」についての大鶴弁護士の説明

 大鶴氏は、記者会見で、「人質司法」について、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。これは人質手法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと述べた上、保釈の見通しについて、「この事件で第1回公判が開かれるまで少なくとも半年はかかるだろう」「日本の普通の保釈の実情から、普通一般的には特別背任を全面的に否認していると、少なくとも第1回公判までは東京地裁令状部は保釈を認めないケースが多い。それは一番弁護人が懸念しているところで、その話はずっとゴーンさんにもしているので、ゴーンさんもそれは非常に困ったことだと考えておられる。」などと述べた。

 しかし、この大鶴氏の説明には不正確な点がある。まず、「人質司法」についての大鶴氏の説明は、一般的な「人質司法」の意味とは若干異なる。「人質司法」とは、罪を認めて自白した者には身柄拘束からの解放が認められやすいが、罪を認めていない者には身柄拘束が続くという、「自白の有無で釈放・保釈の是非が決まるかのような刑事事件での身柄拘束」のことを言う。収賄等の事件で全面無罪を争った鈴木宗男氏が、検察官立証が終わるまで、437日間身柄拘束が続いた例もある。つまり、無罪主張をした場合、第1回公判後も検察官立証が終わるまで「罪証隠滅のおそれがある」という理由で保釈が認められないことを含めて「人質司法」と言うのである。

 大鶴氏は「第一回公判まで」ということを強調したが、第一回公判の前後で状況が異なるのは、被告人が罪状認否で公訴事実を全面的に認め、検察官調書に同意して、情状立証だけで早期に裁判を終わらせる場合、つまり、検察と争わない姿勢を示した場合だ。勾留理由開示公判で「私は無実」「不当な身柄拘束を受けている」と訴えたゴーン氏の場合、第一回公判でも「全面無罪」を主張するはずであり、その前後で状況が変わるとは思えない。

 大鶴氏は、ゴーン氏が特別背任で起訴された場合の「保釈の見通し」について、「人質司法」についての上記のような理解を前提に、第1回公判まで半年以上は保釈を認めない可能性が高いとの見通しをゴーン氏に伝えていると述べたが、最近では、「人質司法」の理由とされてきた「罪証隠滅のおそれ」の判断について、裁判所の姿勢が変化し、個別の事情を踏まえて具体的に判断する傾向がある。大鶴氏は、検察側で保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として被告の身柄奪還に全力を挙げた経験があまりないのかもしれない。

「罪証隠滅のおそれ」についての裁判所の判断の傾向

 「罪証隠滅のおそれ」について最高裁が重要な判断を示したのが平成26年11月17日の決定だ。痴漢事件で「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われた事例で、裁判官が勾留請求を却下した決定に対して準抗告裁判所が「罪証隠滅のおそれ」を認めて勾留請求却下を取り消して勾留を認めた決定について、弁護人が特別抗告した結果、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について原々審と異なる判断をした理由を何ら示さず原々審の裁判を取り消して勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認した。

 それまでも、下級審では、「罪証隠滅のおそれ」を個別具体的に判断して、勾留請求を却下したり、保釈を認めたりする裁判例があったが、最高裁が、そのような考え方を明確に認めたことで、「罪証隠滅のおそれ」があることは、「個別具体的に示される必要がある」として、保釈が認められる傾向が強まっている。

 私が、主任弁護人を務めた2014年の美濃加茂市長事件でも、逮捕当初から賄賂の授受を全面否認し、否認のまま起訴されたが、保釈請求を繰り返す中で、「罪証隠滅のおそれ」がないことを具体的に明らかにした結果、名古屋地裁は、4回目の保釈請求を却下した決定を取り消して保釈を許可した(起訴後39日目)(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このような全面否認の贈収賄事件での早期保釈は、昔では、あり得ないものだった。

 今回の事件では、東京地裁が、特捜部の勾留延長請求を却下するという、従来の特捜事件に対する裁判所の姿勢では考えられなかった判断を行うなど、身柄拘束の要件を厳格に判断する姿勢を見せていること、金商法違反で起訴されたケリー氏が、全面否認のまま既に保釈されていることなどから考えると、裁判所は、ゴーン氏の保釈請求に対しても「罪証隠滅のおそれ」の有無について、厳格に判断する可能性が高い。弁護人側が、保釈請求で、その点について具体的に説得力のある論証をすれば、早期の保釈の可能性も十分にある。

「ゴーン氏」について「罪証隠滅のおそれ」はない

 そこで問題になるのが、特別背任で起訴された場合、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれ」があると言えるのかだ。

 具体的に考えてみると、デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して、「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触も禁止している)。

 唯一、「罪証隠滅のおそれ」が考えられるとすれば、日産から送金を受けた「サウジアラビア人の知人の実業家」」(会見では「E氏」)との間で電話等による「口裏合わせ」が行われる可能性である。しかし、そもそも、大鶴氏が会見で指摘しているように、検察は、そのサウジアラビア人の聴取をしないままゴーン氏を逮捕したのであり、現在も、検察はE氏の供述を得ていない。検察官が立証を予定している「証拠」が存在しないのであるから、その罪証を隠滅すること自体があり得ない。

 しかも、大鶴氏によれば、E氏は、弁護人に対して、ゴーン氏の勾留理由開示公判とほぼ同時期に、「日産自が販売代理店の問題を解決し合弁会社設立に道を開くのを助けた」「日産から受け取ったとされる1470万ドル(約16億円)は正当な報酬」とする声明を出している。(【サウジ実業家:日産からの16億円の支払いは正当-特別背任事件】

 E氏の供述がゴーン氏の主張に沿うものであることがこの声明によって明らかになっているのであるから、E氏の供述をゴーン氏側から働きかけて有利に「変更」させる必要はない。

 これは、美濃加茂市長事件での「賄賂の授受」があったとされた会食の場の同席者(T氏)をめぐる状況と似ている。T氏は弁護人に対して「会食の場での現金の授受は見ていないし、席も外していない。」と説明し、ネット番組「ニコニコ生放送」にも出演して同趣旨の話をしていた。そのため、検察官も、T氏について「罪証隠滅のおそれ」があると主張をすることはできなかった。

「ゴーン氏」早期保釈の可能性は高い

 このように考えると、保釈請求に対して、いくら検察官が、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれがある」として必死に反対しても、E氏との関係で「罪証隠滅のおそれ」を認める余地はなく、それ以外に「罪証隠滅のおそれ」の具体的な可能性もないことを保釈請求で具体的に論証すれば、ゴーン氏の保釈が許可される可能性が高い。

 今日、特別背任で起訴され、再逮捕がなければ、今日中に保釈請求が行われるだろう。保釈請求をうけた裁判所から検察官への「求意見」に対して検察官の意見書が出されるのが今日の夜、保釈可否の判断は、週明けには行われることになるだろう。

 来週早々にもゴーン氏が東京拘置所から出てくる可能性は十分にある。

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「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”

平成の時代が、残り5か月余と「最終盤」に入った昨年11月19日、日産・ルノー・三菱自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏が、東京地検特捜部に、突然逮捕され、その直後、日産西川廣人社長は、緊急記者会見を開き、「ゴーン氏への権力の集中」を是正するため同氏の不正に関する社内調査結果を検察に提供したことを明らかにした。

国内だけでなく、海外からも大きな注目を集めることになった「日産・ゴーン氏事件」のその後の展開は、平成の時代における重要テーマとされてきた、企業のガバナンス・透明性、「日本版司法取引」と検察の在り方、マスコミ報道の在り方等の問題に関して、日本社会が今なお根深い問題を抱えていることを示すものとなった。

4ヵ月間の「平成最後の年」を迎え、この事件で表れた日本社会の「病理」をこのままにして平成の時代を終わりにして良いのだろうか。これらの問題の相互関係を整理しつつ、考えてみたいと思う。

「平成の30年」の企業ガバナンスへの取組みと日産経営陣の行動

第1に、西川社長ら現経営陣が、ゴーン氏を代表取締役会長の座から引きずり下ろした方法が、コーポレートガバナンスの観点からどう評価されるかという問題である。

西川氏は、逮捕直後の記者会見で、ゴーン氏への権力の集中によってガバナンスが機能していなかったことを強調した。しかし、ガバナンスの観点からまず問題とされるべきは、その西川氏らが行ったこと、すなわち、「ゴーン氏の不正」について密かに社内調査を行い、その結果を検察に情報提供して代表取締役のゴーン氏・ケリー氏の2人を検察に逮捕させ、その間に、臨時取締役会を開催して両氏の解職を議決したやり方である。

社内調査の結果把握した「絶対権力者」の不正が悪質・重大であったとしても、不正が、「会社の開示義務違反」「会社の資金の私的流用」など会社の対応や財産に関するものなのであれば、本来は、ガバナンスのルールにより、「私的自治」の範囲で解決されるべきだ。社内調査結果を取締役会に報告し、当事者に弁解・説明の機会を与えた上で、代表取締役会長の「解職動議」を出して議決するというのが本来のやり方だ。

「昭和の時代」には聞くことがなかった「コーポレートガバナンス」という言葉は、平成に入って以降、旧態依然とした日本企業の経営改革の旗印とされ、会社法や上場企業のルール整備などが行われ、日本社会の重要なテーマとされてきた。

「取締役会自体が、絶対権力者に支配されていて、不正事実を報告されても適切な議決ができない」という理由は、平成に入ったばかりの頃であればともかく、現在においては、ガバナンス無視を正当化する理由にはならないはずだ。そのような事態を防止し、対処するために、会社法上、ガバナンス上のルールが整備されてきたはずだからだ。不正事実が明白であればそれを容認することは取締役の善管注意義務違反となる。取締役会に出席する監査役は、そのような不正・善管注意義務違反を指摘し、是正するための法的権限が与えられている。それらの仕組みがあり、法的責任の追及が可能となることで、「企業経営者の暴走を抑止する」というのが、コーポレートガバナンスの仕組みだ。

西川氏らは、そのような会社法上の法的手続を無視して、社内調査結果を、取締役会での議決を経ることなく検察に持ち込み、検察の捜査権限で代表取締役二人を取締役会から強制的に排除した上で、代表の座から引きずり下ろした。まさに、会社法の規律とガバナンスを根本から否定するものだ。

組織のボスに逆らう態度をとった者は、その瞬間に、マシンガンが火を噴き物理的に抹殺されるというマフィア映画のような世界であれば、ボスに立ち向かうためには警察の力を恃むしかないということもあるだろう。しかし、日産自動車という上場企業での「ゴーン会長による独裁」を、果たして、そのようなマフィア組織と同視してよいのであろうか。

ゴーン氏ら逮捕直後の会見で、西川氏は、「内部調査によって判明した重大な不正行為は、明らかに両名の取締役としての善管注意義務に違反する」として、(1)逮捕容疑の役員報酬額の虚偽記載のほか、(2)私的な目的での投資資金の支出、(3)私的な目的で経費の支出、の3つを指摘し、11月22日の臨時取締役会で、それらを理由に、ゴーン氏・ケリー氏の代表取締役解職を議決したようだ。ゴーン氏という権力者の不正は、誰の目にも明白な「犯罪」であり、それは、検察当局の権限によって刑事処罰の対象にするしかないものだった、と言いたかったのであろう。

しかし、西川氏が言うところの内部調査の結果判明した「不正」が、明白な「犯罪」で、代表取締役解職が当然のものであったのか否か、現時点では、検察が逮捕・起訴した(1) の「役員報酬額の虚偽記載」は「退任後の報酬の支払の約束」記載の問題であることが明らかになっているだけで、(2)(3)については、検察の捜査に関わるとして、社内調査の結果すら、一切、公式には明らかにされていない。

このように考えると、西川氏ら日産経営陣がゴーン氏を代表取締役会長から追い落とした手法は、「平成の30年」の間にルールが整備され、大幅に進化したはずの日本のコーポレートガバナンスにおいて決して許容される行為でないことは明らかである。

「上場企業の透明性」の問題

第2に、日本を代表する上場企業である日産自動車に関して、株主や投資家に対して「重要な事項」が迅速かつ正確に情報開示されているのかという「上場企業の経営の透明性」の問題がある。

上場会社の財務内容に加えて、いかなる体制で、いかなる方針によって経営が行われているのかなどの企業の内容が正確に開示されることや、経営者が交代したのであれば、それがいかなる理由により、どのような手続で交代が行われたのか(辞任か解任か)が明らかにされることは、株主や投資家の判断にとっても極めて重要な事項であり、迅速かつ正確に情報開示されることが必要だ。それは、「上場企業の経営の透明性を確保する」ということだ。

「昭和の時代」は、このような上場企業の透明性確保の視点は希薄であった。そもそも、この時代は、証券市場自体が,不確実な情報と思惑が入り乱れる中で投機的な取引が横行する世界であり,企業の内部情報が「市場内の噂」となって株価に影響することも常態化していた。企業会計も「簿価会計」が原則で,上場企業であっても,含み益の実現等調整による決算対策を行うことは容易であり,公表上の損益と会社の実態との間にかい離があることも珍しくなかった。そのような状況において、「企業内容の公正な開示」に対する投資家の関心も低かった。

平成に入ってからは、90年代に多発した企業の重大な不祥事等を契機に、上場企業の透明性確保に向けての取組みが進んだ。企業の適時開示についても法律の規定だけではなく取引所のルールも充実化され、株主や投資家は、有価証券報告書等を通して、企業の内容をタイムリーに認識できるようになった。「平成の30年」は、企業内容の透明性確保のための制度が飛躍的に充実した時代だったと言える。

日産という日本を代表する上場企業に関して、会長だったゴーン氏が逮捕された昨年11月19日以降、経営体制が、ゴーン氏をトップとする体制から西川社長を中心とする体制に変わったにもかかわらず、その理由については、西川氏がゴーン氏の逮捕直後の会見で説明すると同時に日産のホームページで以下のように開示されただけで、具体的な事由は一切明らかにされていない。

社内調査の結果、両名は、開示されるカルロス・ゴーンの報酬額を少なくするため、長年にわたり、実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していたことが判明いたしました。そのほか、カルロス・ゴーンについては、当社の資金を私的に支出するなどの複数の重大な不正行為が認められ、グレッグ・ケリーがそれらに深く関与していることも判明しております。

ここで言われている「資金の私的支出などの重大な不正行為」というのが何なのか、全く明らかになっていない。しかも、この「ゴーン氏の不正が判明した」と言っているのも、当事者に弁解の機会すら与えることもなく、代表取締役3人のうちの1人の西川氏の判断だけで一方的に行ったものだ。その社内調査を持ち込まれた検察がゴーン氏らを逮捕した直後の段階で、社内調査の結果すら公表しないまま、社内調査結果で「判明した」と決めつけてしまっているが、上場企業として、そのような一方的な開示が許されるのだろうか。そして、43%余の株式を有する大株主ルノーは、当然のことながら、そのような日産現経営陣の行動を支持・容認はしておらず、今後、日産自動車の経営がどうなるのか、全く不明な状況が続いている。その一方で、ゴーン氏逮捕以降、検察や日産側のリークによると思える夥しい量の報道により、日本社会では「ゴーン氏による経営の私物化」が既定事実化し、「日産経営陣の行動の正当性」が是認されているように見える。

このように、日産自動車という上場企業について、経営者の交代の理由や今後の経営の見通しという重要な企業内容に関して、公式な開示がほとんどないまま出所不明の情報が氾濫するという異常な状況にあり、株主や投資家にとって、極めて「不透明な状況」が続いている。このような状況も、「昭和の時代」であればともかく、「平成の30年」を経た現在の日本の企業社会では許容されないはずである。

「平成の30年」に、検察をめぐって起きたこと

そのような「不透明な状況」を招いている根本的な理由は、西川社長ら日産現経営陣が、それまでの経営トップであったゴーン氏を解職すべき理由として西川氏が指摘した(1)~(3)の不正について、社内調査の結果を検察に持ち込み、ゴーン氏に対する捜査を要請し、検察が、それに応じて、日本への帰国直後のゴーン氏・ケリー氏を、いきなり逮捕したからだ。

そこで問題になるのが、西川氏らの行動を是認し、ゴーン氏らを逮捕するという判断を行った検察という組織の問題だ。

特捜部という捜査機関を抱える検察は、戦後の日本において、政治・経済を動かし、時代を変える大きな影響力を持つ存在であった。その検察をめぐって「平成の30年」にどのようなことが起きたかを振り返ってみる必要がある。

平成の時代に入ったばかりの平成元年2月、東京地検特捜部は、江副浩正リクルート会長を逮捕した。このリクルート事件の捜査展開を受けて、竹下登首相は退陣、内閣総辞職に追い込まれた。リクルート事件は、平成に入った直後の日本の政治に重大な影響を与えた。

そして、その後、90年代を通して、東京佐川急便事件、自民党金丸副総裁の脱税事件、ゼネコン汚職事件と、東京地検特捜部の捜査は、日本社会に大きな影響を与え続けた。

こうした中、検察は「正義」を実現する組織だと国民のほとんどが信じる一方で、その組織の内実は、ベールに包まれていた。

その検察の内実が露呈する重大な危機に直面したのが、平成14年(2002年)のことだった。当時、大阪高検公安部長だった現職検察官の三井環氏が、「検察庁が国民の血税である年間5億円を越える調査活動費の予算を、すべて私的な飲食代、ゴルフ代等の『裏金』にしていることを、現職検察官として実名で告発する・・・」として証言するビデオ収録当日の朝に、競売で取得した神戸市のマンションに居住の実態がないのに登録免許税を軽減させた「詐欺」の容疑で任意同行を求められそのまま逮捕された。マスコミからは「検察による口封じ」と批判された。

そして、平成22年(2010年)、大阪地検特捜部が、厚生労働省の現職局長だった村木厚子氏を逮捕・起訴した郵便不正事件で、検察官による不当な取調べが問題とされて検察官調書の大半の証拠請求が却下され、無罪判決が言い渡され、その直後、主任検察官が、証拠のフロッピーディスクを改ざんしていたことが発覚、検察を揺るがす大不祥事となった。一方、東京地検特捜部では、陸山会事件での小沢一郎氏に対する捜査の過程で、同氏の秘書だった石川知裕氏の取調べでの供述内容について虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢氏に対する起訴議決に誘導しようとしていた事実が発覚。虚偽公文書作成罪での関係者の告発が行われた。

検察は、大阪地検特捜部の事件で主任検察官を証拠隠滅、特捜部長・副部長を犯人隠避で逮捕・起訴し、特異な主任検察官と特捜部幹部による「特異な事件」として決着させる一方、東京地検特捜部の問題については「捜査報告書の虚偽」は「記憶違い」だとして関係者全員を不起訴とし、主任検察官だけが辞職することで、事件を決着させた。

大阪地検の不祥事を受けて、法務省には「検察の在り方検討会議」が設けられた(筆者も委員として加わった)。不祥事の反省を踏まえた「検察改革」の一環として、「検察の理念」も制定・公表された。検察改革は、その後、村木氏も加わった法制審議会特別部会で議論され、検察官の取調べの録音・録画を義務化する一方、新たな捜査手法として「日本版司法取引」を導入する刑事訴訟法改正が行われた。

一連の不祥事で信頼を失ったことの影響で、その後、検察捜査が社会の耳目を集めることはほとんどなく、特捜部は「鳴かず飛ばす」の状況が続いていたが、東京地検特捜部は、2018年3月に大手ゼネコン元幹部を逮捕・起訴した「リニア談合事件」に続いて、日産・ルノー・三菱自動車のゴーン会長を逮捕した今回の事件で、国内のみならず、海外からも大きな注目を集めることになった。

一方、大阪地検特捜部が、不祥事以降初めての本格的な検察独自捜査に着手したのが、2014年11月に、大阪国立循環器病研究センターの医療情報部長を逮捕した「国循官製談合事件」だった。

このように、検察が、日本社会に大きな影響を与える一方で、検察組織としての重大な問題が表面化し、組織そのものの信頼が揺らいだのが「平成の30年」であった。

検察は、不祥事を反省し、「健全な組織」になったのか

「国循官製談合事件」については、検察に起訴された桑田成規氏は無罪を主張したが、2018年3月に大阪地裁で有罪判決が言い渡された。私は、控訴審から桑田氏の弁護人を受任し、控訴趣意書を大阪高裁に提出した。この事件で、検察が行ったことの不当性、社会を害する程度が、「村木事件」にも匹敵するものであることは、【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で詳述している。

では、東京地検特捜部が行った今回のゴーン氏の事件の捜査と、それに関する検察組織の対応はどう評価されるのか。

「平成の30年」の終わりを迎え、検察が「検察の理念」を実現できる健全な組織になったと言えるのだろうか。

第1に、今回の事件の中身の問題である。

刑事立件された事件は、(1)2015年3月までの5年間の有価証券報告書の虚偽記載、(2)2018年3月期まで3年間の有価証券報告書の虚偽記載、(3)ゴーン氏のデリバティブの評価損の日産への付け替えの特別背任、(4)サウジアラビア人の会社への支出の特別背任、このうち、(1)が既に起訴されており、それに続く再逮捕事実とされた(2)については、裁判所が勾留延長請求を却下し、現在も処分未了であり、(3)と(4)は、(2)での勾留延長請求を受けて急遽、ゴーン氏を再逮捕した事実であり、1月11日に勾留延長満期を迎える。

このうち、(1)、(2)は、「退任後の報酬支払の約束」についての不記載を問題にするものだが、退任後のコンサル、競業避止等による報酬を受ける「希望」ないし「計画」に過ぎず、役員報酬として有価証券報告書に記載義務はないのではないか、役員報酬の記載が虚偽記載の問題とされたことは過去に例がなく、しかも、退任後の報酬の問題であり、罰則の対象となる「重要事項」には当たらないのではないか、との重大な疑問がある(【役員報酬「隠蔽」は退任後の「支払の約束」に過ぎなかった~ゴーン氏逮捕事実の“唖然”】)。

また、(2)については、直近2年分については西川社長がCEOであり、有価証券報告書の作成・提出義務者で、しかもゴーン氏の退任後の報酬についての合意書に署名していたとされる西川社長の刑事責任の問題は避けては通れない。西川氏中心の日産経営陣側と連携して虚偽記載でゴーン氏、ケリー氏のみの刑事責任を追及しようとしている検察捜査には重大な疑問がある(【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】)。

(3)は、単に「評価損」を一時的に、日産という企業の信用下に置いただけで、損失が現実化した時にはすべてゴーン氏が負担しており、「損失の発生」が考えられないのに、背任罪の構成要件の「損害を発生させた」と言えるか重大な疑問があり、少なくとも、過去に、現実の損害が発生していない事例で背任罪が適用された事例は全くない。

(4)については、支払先のサウジアラビア人という直接の当事者本人から、支払を受けた理由についての供述を確認しなければ、レバノン国籍を持つゴーン氏自身の人脈の中東における日産の販路拡大への活用などとの関係で、支払が日産会長としての任務に背くものかどうかが明らかにならない。日産社内の担当者の証言等から、ゴーン氏の裁量で支出できるとされていた「CEO直轄費」の創設や支出自体が不正なものであったと認定できるとすれば、そのような不正な支出が、なぜ、日産の内部統制や監査法人の会計監査で指摘されなかったのかに疑問が生じる。また、「不正の支出」であれば、日産がゴーン氏に関して行った社内調査でなぜ明らかにならなかったのかも疑問だ(【ゴーン氏特別背任逮捕は、追い込まれた検察の「暴発」か】)。

結局、(1)~(4)のいずれも、経済犯罪に対する常識的な見方に照らして、刑事事件としてまともなものは何一つない。無理筋の事件を強引に立件したと言わざるを得ない事件ばかりだ。

第2に、このような事件で、国際的な経営者であるゴーン氏をいきなり逮捕するという、常識では考えられない行動をとったことに関する、検察組織の姿勢だ。上記(2)の事実について、東京地裁が勾留延長請求を却下したことへの検察幹部の反応について、それまで「従軍記者」のような立ち位置で、検察の捜査現場や検察幹部を「密着取材」してきた朝日新聞の記事【検察幹部「はしご外された」 ゴーン前会長今後の動きは】(11月21日)で、以下のように書かれている。

「裁判所は、検察と心中するつもりはないということだ。はしごを外された」検察幹部は東京地裁の決定に対し、こう漏らした。日本の刑事司法における「長期勾留」を海外メディアが批判していたこともあり、ある程度は警戒していた。「国際世論に配慮して早期釈放すれば、『日本の裁判所は検察と違う』と英雄視されるから」

日本の刑事司法においては、検察が起訴した事件について有罪率は99.9%にも達する。まさに検察が「正義」を独占し、裁判所は、その検察の正義を追認するだけの構図だったことは確かであり、特に、特捜事件については、裁判所が検察の主張を否定することはほとんどなかった。それが当然だという検察側の認識が、上記の記事の「はしごを外された」という検察幹部の発言に表れている、無理筋の上に無理筋を重ね、それに対して裁判所がくだした「当然の判断」に反発するというのは、検察の驕りを端的に表している。

第3に、検察の「説明責任」に対する姿勢である(【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】)。

一般的に言えば、刑事事件については、「捜査の秘密」や「公判立証への影響」が重視される関係で、事件の内容に関する情報開示に大きな制約がある。刑事事件の関係者は、捜査機関側から、捜査の対象となっている事件の内容を公にしないことを強く求められる。

一般的には、刑事司法の対象としての「犯罪」は、殺人・強盗・窃盗などのように、社会、経済の中で一般的に生じる事象とは異質な「犯罪行為」そのものであり、処罰すべきか否かを判断する余地はない。犯罪があれば、犯人を処罰するのが当然であり、その犯人が誰なのか、その証拠があるのか、そして、その犯罪の情状つまり、「犯罪に至った事情」を考慮して、「処罰の程度」を判断するのが刑事司法の役割だ。そのような「伝統的犯罪」の領域であれば一切の情報を開示せず、説明責任を果たさないという対応も致し方ないのかもしれない。

しかし、特に、特捜部が扱う事件は、そのような「伝統的犯罪」とは異なり、一般の社会や経済で起きる事象について、政治家・官僚・企業人など、社会の中心部で活動する人間が摘発の対象とされ、社会生活や経済活動に対しても重大な影響を与える。しかも、殺人事件のように「発生した事件の犯人を検挙する」というのではなく、検察独自の判断で、刑事事件としての立件を判断する。そのため、同種の事象が世の中に多数存在している中で、なぜそれだけを刑事事件として取り上げたのか、他の同種の行為とどう違うのかについて疑問が生じることになる。

例えば、2006年のライブドア事件で東京地検特捜部が行った「突然の強制捜査」は、翌日、東証が1日システムダウンするほどの重大な経済的影響を与えた。2009年の陸山会事件で、当時の野党第一党であった小沢一郎民主党代表の秘書3人を政治資金規正法違反で逮捕した事件は、その後の日本の政治にも重大な影響を与えた。

これらの事件については、他の同種の事象との比較で、なぜ、それらの事件だけを刑事事件として取り上げたのかについて検察の「説明責任」が問題とされたが、検察は説明責任を一切果たしてこなかった。

特捜検察と「利益共同体」とも言える司法メディアは、検察に公式の説明責任を求めようとせず、取材源である「検察幹部」が非公式に述べた意見や考え方をそのまま、匿名で無批判に伝えるというのが従来のやり方だった。 そのようなマスコミの姿勢もあって、「検察の正義」の象徴とも言える特捜事件についても、社会への説明責任を一切果たさない検察の姿勢が容認されてきた。

ゴーン氏の事件については、国際的にも注目を集めていることに配慮したのか、東京地検次席検事が、外国メディアの参加も認める「記者会見」を何回か行ってきた。しかし、撮影・録音は一切禁止、しかも、事件の内容に関すること、検察の対応や処分の理由に関することについては、すべて「答えを差し控える」として説明を拒絶するなど、単に、「記者を集めて質問を受ける場」を作ったに過ぎず、凡そ「記者会見」と呼べるようなものではない。

日本版司法取引と「日産・ゴーン氏事件」

そして、第4に、「日本版司法取引」との関係である。

「日本版司法取引」は、従来の検察捜査が、取調べと供述調書中心で、それが、大阪地検不祥事のような大きな問題を引き起こした反省を踏まえて、従来の捜査手法に頼らない、新たな捜査手法として導入が図られたものだ。その本来の目的からすると、捜査を透明にし、公正さを確保する方向に働くはずだった。

昨年(2018年)6月の施行以降、適用例は、三菱日立パワーシステムズに対する1件だったが、今回のゴーン氏の事件では、逮捕直後から、日産側と検察との司法取引が、大きな成果を挙げた事件であるかのようにマスコミで取り上げられた。どう考えても無理筋と思える上記(1)の事件で検察がゴーン氏を逮捕したことの背景に、日本版司法取引を世の中にアピールしたい検察の思惑があったという可能性もある。

しかし、今回の事件を見る限り、「日本版司法取引」は、検察捜査の透明性を確保するどころか、捜査を一層不透明にする方向に作用しているとしか思えない。

それは、米国では一般的な「自己負罪型司法取引」(被疑者・被告人本人が自らの罪の一部を認める代わりに他の罪の処罰をしない旨の検察官との合意)を導入せず、「他人負罪型」(他人の犯罪についての捜査公判についての協力の見返りに、自己の犯罪の処罰を軽減する合意)のみ導入した「日本版司法取引」の構造的な問題だと言える。

アメリカの「自己負罪型」であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし「他人負罪型」は、その「他人」の刑事事件の捜査の結果、その他人が起訴され、公判が開かれなければ、どのような司法取引が行われたのかが明らかにならない。そういう意味で、日本版司法取引は、米国の制度と比較すると、非常に不透明な制度だと言える。

司法取引の中身が、世の中に明らかにならず、社員に司法取引に応じるよう働きかけたはずの日産側にも、刑事事件として立件されるのがどの範囲になるのかが見通しが立たず、司法取引を仲介した弁護士の判断などに依存せざるを得ないというのは、「日本版司法取引」の不透明性によるものと言える(【ゴーン氏事件、日産の「大誤算」と検察の「大暴走」の“根本的原因”】)。

結局、今回の事件を見る限り、特捜捜査で刑事事件として立件すべきかどうかについて、検察組織に適正な判断が行えているとは到底考えられないし、不祥事への反省から「検察の理念」を策定したにもかかわらず、独善的な考え方は、何一つ変わっておらず、説明責任を果たすことへの消極姿勢も変わっていない。

それに加え、旧来の捜査手法に代わるものとして導入された「日本版司法取引」によって検察捜査は一層不透明なものになっていると言わざるを得ない。

ゴーン氏事件での「犯人視・有罪視報道」

ゴーン氏逮捕直後から、検察或いは日産側からのリークによると思える夥しい量の「ゴーン叩き報道」が行われ、社会全体には「ゴーン=強欲=悪党」というイメージが定着し、ゴーン氏が代表取締役会長を解任されたことが当然のことのように認識されている。

一方で、企業のガバナンスとしては許容する余地がないはずの日産経営陣のクーデターに対する批判的なマスコミ報道はほとんどない。検察がゴーン氏らを逮捕したことで、ゴーン氏に対するバッシング報道一色と化し、「推定無罪の原則」を無視した犯人視・有罪視報道が横行した。日産経営陣は、「検察の正義」という後ろ盾を得たことで、「クーデター」に対しても、その正当性に疑問を持たれることはほとんどなかった。

「平成の30年」は、「犯人視・有罪視」報道が「推定無罪の原則」との関係で反省を迫られ、マスコミの世界では、その是正が大きな課題とされてきた時代だったはずだ。しかし、今回の事件についての報道を見る限り、そのような取組みの成果はどこに行ってしまったのかと思わざるを得ない。

「昭和の時代」の終わり、財田川事件・免田事件等、再審無罪事件が相次いだことで、それまで「呼び捨て」だった逮捕された容疑者は、ようやく「肩書」や「容疑者」を付けて報道されるようになった。そして、平成に入ってから、ロス疑惑事件、松本サリン事件など、「犯人視報道」が問題となる事件が相次ぎ、司法制度改革の目玉として裁判員制度が導入されることになって、日本新聞協会は、2008年に、事件報道についての統一的な取材・報道指針を策定し、その中で、被疑者の権利を不当に侵害する「犯人視・有罪視報道」を行わないこと、検察官と被疑者・被告人の主張を対等に扱う「対等報道」の重要性が確認された。

そして、一審で無罪が確定した村木厚子氏の事件での「犯人視・有罪視報道」については、マスコミ各社が、逮捕当初の報道について検証するなど、この事件での報道への反省が、それ以降の特捜事件の報道に活かされるはずだった。

しかし、今回のゴーン事件に関する報道を見る限り、その大部分は、検察や日産側の情報によって、ゴーン氏の犯人性、悪質性を印象づけようとするものであり、形式的に「捜査関係者によると」「特捜部はみている」などという言葉は書かれていても、実質は、「犯人視・有罪視報道」と変わらない。特にひどいのが、年初以降の、特別背任についての記事である。

例えば、【機密費創設はゴーン被告指示、中東各国に流れる】と題する1月2日の読売新聞の記事である。

ゴーン被告がサウジアラビアの知人側に提供した「機密費」は、ゴーン被告の指示で2008年12月頃に創設されたことが関係者の話でわかった。機密費がサウジ以外の中東各国の関係先に流れていたことも判明。東京地検特捜部は、私的損失で多額の評価損を抱えたゴーン被告が、その穴埋めなどに利用するため、自身の判断で使える資金を用意させたとみている。

と書かれているが、機密費を創設したのがゴーン氏だったとしても、また、それが中東各国の関係先に流れていたとしても、それが、なぜ、「評価損の穴埋め」に使われることになるのか全く不明だ。ゴーン氏の説明を聞かなければ、その点は判断できないはずだ。しかも、その評価損が日産に付け替えられたことが前記(1)の特別背任とされるのであれば、その損失を日産に負担させる意図だったとされているはずであり、そうであれば「穴埋め」の資金は必要ないはずだ。「東京地検特捜部の見方」を伝える記事として「誤り」ではない。しかし、露骨に「ゴーン氏が有罪との印象」を与える記事であることは間違いない。

このような「有罪の印象操作」とも言える報道によって、私のような実体験を持つ者は別として、基本的に「検察の正義」を信じる多くの国民には、次第に印象が既定事実化していく。そして、それは「有罪の印象」を前提にした識者の談話等によってさらに増幅されていく。

例えば、朝日の記事(11月29日)では、ゴーン氏の役員報酬に関して、以下のように報じている。

約20億円の報酬のうち毎年開示するのは約10億円にとどめ、差額の約10億円を退任後に受け取ることにしたとされる点について、「(公表したら)従業員のモチベーションが落ちると思った」と話していることが関係者への取材でわかった

この記事自体は、役員報酬についてのゴーン氏の説明をほぼ正確に伝えたものだろう。

ゴーン氏は、「退任後の報酬」についての虚偽記載を否認し、退任後の報酬についての「希望」ないし「計画」であって確定したものではないと主張しているのであり、「従業員のモチベーションが落ちる」というのは、ゴーン氏の主張を前提にすれば、自らの権限で受領できたはずの役員報酬を敢えて半分に減額し、その分を、確定していない退任後の報酬の「希望」に回した理由の説明のはずだ。

ところが「従業員のモチベーションが落ちる」という理由の説明は、「役員報酬虚偽記載の理由」であるかのように受け止められ、それを前提に識者が批判したりしているのである。まさに、マスコミの「印象操作」的報道によって、識者も「有罪」の印象を持たされて談話を述べているということであろう。

4つの問題の相互関係

「日産・ゴーン氏事件」で、コーポレートガバナンス、企業の透明性、検察の在り方、マスコミ報道の4つに関して起きたことは、相互に深く関連している。

西川社長らが、「ゴーン氏の不正」についての社内調査の結果を、検察に持ち込み、ゴーン氏・ケリー氏が不在の取締役会において、代表取締役会長を解職したことは、コーポレートガバナンスとして許容できることでは決してない。

捜査と刑事手続という「不透明なプロセス」に委ねたことで、逮捕後1か月半が経過しても、西川社長が会見で述べたゴーン氏の「不正」の具体的な内容はほとんど明らかになっておらず、それについて公式な説明・開示は全く行われないという「極めて不透明な状況」を招いていることも、上場企業としてあり得ない事態である。

しかし、日産現経営陣は、コーポレートガバナンスを無視したやり方についても、上場企業としてあり得ない不透明さも、批判されることはほとんどない。

それは、検察のゴーン氏逮捕で、西川氏ら日産現経営陣が「検察の正義」という後ろ盾を得たからである。検察の判断は「正義」であり、検察が逮捕という判断をしたことで、ゴーン氏は犯罪者の「烙印」を押された。それによって、「会社経営から犯罪者を排除することは正当な行為であり、コーポレートガバナンスの問題ではない」という認識になる。確かに、刑事司法全体としては、99.9%の有罪率に表れているように。検察の判断は、ほとんどが、そのまま裁判所の司法判断となる。検察が独自捜査で自ら逮捕した以上不起訴になることはあり得ず(【検察の「組織の論理」からするとゴーン氏不起訴はあり得ない】)、裁判でもほぼ間違いなく有罪になるとの予測は一般的には正しい。

しかし、果たして、検察組織の決定は、絶対的に正義だと言えるのだろうか。

ゴーン氏のような事件についても、検察の判断を絶対的に「正義」と信じてよいのであろうか。殺人事件であれば、その事実がある限り、その犯人が社会から排除されることも当然であるが、経済犯罪・経済法令違反というのは、必ずしも、そのようなものではない。ゴーン氏の「罪状」は、日産が会社として提出すべき有価証券報告書の記載の問題、会社に評価損を付け替えたことが、損失を生じさせたことになるか否か、中東の知人の会社への支出が、会長の任務に反しているかどうかという、本来会社の「私的自治」に委ねられる問題である。それに加えて、前記のように(1)~(4)の各事実については、常識的に考えても、刑事事件として立件すべき問題なのかどうか重大な疑問があるのである。検察の判断は絶対的に正義だという思い込みで考えるべきとは到底言えない問題であろう。しかも、既に述べたように、平成の歴史の中では、「検察の正義」への信頼を揺るがす問題・不祥事は、実際に何回も起きているのである。

それにもかかわらず、「東京地検特捜部によるゴーン氏逮捕」で、コーポレートガバナンスも、企業の透明性も、すべて無視されることになるのは、マスコミの「推定無罪の原則」を無視した「犯人視・有罪視報道」によるところが大きい。それが、「平成の時代」を通して、経済社会の重要なテーマであったはずのコーポレートガバナンスや企業の透明性に関する思考を停止させ、西川氏ら日産経営陣の行動を容認することにつながっている。

しかし、逆に言えば、「検察の正義」への過信と、マスコミの「犯人視・有罪視報道」で、簡単に歪められてしまうところに、日本の「コーポレートガバナンス」が極めて脆弱で、「企業内容の透明性」も「見せかけだけのもの」であることが表れている。

それらが、平成最後の4ヵ月を迎えた日本社会の「病理」と言えるのである。

 

 

 

 

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