「藤井市長への贈賄者に有罪判決」報道に騙されてはならない

1月16日午前、名古屋地方裁判所で、藤井浩人美濃加茂市長への贈賄供述者中林正善の有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決言い渡しが予定されている。

藤井市長の公判では、中林は、4億円近くもの融資詐欺を犯したと自白しているのに、僅か2100万円しか立件・起訴しないことの見返りに藤井市長への30万円の贈賄供述が行われた「闇取引」の疑いを指摘しているのであるが、藤井弁護団の告発を受けて、藤井市長の公判中に追加起訴された4000万円を含む6100万円の融資詐欺と30万円の贈賄が中林の起訴事実であり、それら全体に対して判決が言い渡される。

中林の贈賄供述は、中林の創作或いは捜査官側の誘導によるもので、全くの虚偽であることは、藤井弁護団が一貫して主張してきたところであり、昨年12月24日の公判期日で弁護人の弁論で詳細に論証した(その概要は、当ブログ【美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信】)。藤井市長も、我々弁護人も、3月5日に予定されている判決で、市長の無実が明らかになることを信じている。

しかし、中林自身の公判では、被告人の中林が贈賄の事実を含め公訴事実を全面的に認め、全く争っていないので、有罪判決が言い渡されるのは当然である。

被告人中林からも、弁護人からも、事実関係について何の主張もされておらず、贈賄の事実を否定する藤井市長の供述も証拠として提出されていないのだから、裁判所としては、贈賄の事実を否定する余地がない。もちろん、藤井市長の公判で争点となっている中林の贈賄供述の信用性についても判断が示されることはない。

しかし、藤井市長の逮捕直後から、「有罪視報道」を繰り返してきたマスコミは、この「当然の有罪判決」についても、世の中に、「藤井市長有罪」のイメージを拡散するために、最大限に活用しようと考えているようだ。実際に、中林の判決に先立って、複数の報道機関から、藤井市長に対して、中林公判での贈賄の有罪判決についての感想・コメントを求めてきている。

中林に対する判決の中で、量刑上は贈賄より遥かに重い融資詐欺を除外あるいは極端に矮小化して、贈賄の部分を殊更に強調し、「藤井市長への贈賄者に有罪判決」などの見出しで、「無罪を主張する藤井市長公判への影響が必至」などと報じ、「裁判所の判断が出ても辞職の意向なし」などと非難しようというのであろうか。

万が一にも、このような不当な報道が行われて、読者・視聴者に、裁判所が藤井市長の収賄事件について有罪を認定したかような誤解を与えることがないよう、本日、主任弁護人の私から、名古屋、岐阜の報道関係者宛ての要請文を送付した。以下にその全文を引用する。

  2015.1.15

報道関係者各位

 中林正善被告人に係る判決の報道についての要請

                   藤井浩人主任弁護人 弁護士 郷原 信郎

1月16日午前、名古屋地方裁判所で中林正善の有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決が言い渡される予定である。

中林の公判では、中林が贈賄の事実を含め公訴事実を全面的に認めているので、検察官請求の証拠に不備でもない限り、中林の自白に基づいて有罪判決が言い渡されるのは当然である。そこでは贈賄事実の有無について格別の判断が示されるものではなく、ましてや、藤井市長の公判で争点となっている中林の贈賄供述の信用性について、判断が示される余地は全くない。

しかも、中林に対する公訴事実のうち、「有印公文書偽造・同行使、詐欺」は、地方自治体等の名義の発注書・受注証明書・契約書等を偽造して、浄水設備を受注しているかのように装い、取引先の名義で自社の預金口座に振込を行って発注者から代金が入金されているように仮装するなどして、金融機関から6000万円もの金員を騙取した悪質・重大な融資詐欺事案であるのに対して、「贈賄」の公訴事実は、金額が30万円と僅少であるうえ、上記詐欺等での勾留中の自首に等しい経過であることから、刑事責任の程度は軽微である。

同被告人に対する裁判所の量刑判断の殆どは、「有印公文書偽造・同行使、詐欺」の事実に関するものなのであるから、同被告人に対する判決を報じるのであれば、金融機関を食い物にする悪質かつ重大な融資詐欺の再発防止の観点からも、融資詐欺の事実を中心に報じるのが当然であり、それが、報道機関としての社会的責任でもある。

しかるに、中林公判で上記判決が予定されていることに関して、複数の報道機関から、藤井浩人美濃加茂市長に対して、中林公判での贈賄の有罪判決についての感想・コメントを求めるなど、中林に対する贈賄の有罪判決を、藤井市長の事件に関連づけて報じようとする動きがある。

藤井市長は、上記中林の贈賄供述に基づいて受託収賄で逮捕・起訴されたが、一貫して賄賂の授受を否定し、潔白を訴えている。贈賄事実を全面的に認める中林に有罪判決が出たからといって、それを、担当裁判部も異なり、主張も証拠も完全に異なる藤井市長の事件に関連付け、贈賄の事実を同一の裁判所が認めたことを印象づけるかのような報道を行うことが許されないことは言うまでもない。

また、中林に対する有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄の事件に対する有罪判決のうち、贈賄の部分だけ殊更に強調し、「藤井市長への贈賄で中林被告に有罪判決」などの見出しで報じることは、読者・視聴者に対して、藤井市長の贈収賄事件で裁判所が有罪を認定したかのような誤った印象を抱かせることになる。

藤井市長は、受託収賄等を全面的に否認したまま保釈され、美濃加茂市長の職に復帰し、市民の支持と信頼を得て市長の公務に全力を尽くしている。万が一、中林に対する有罪判決があったことが、藤井市長事件の有罪無罪の判断に関連づけて報道された場合、読者・視聴者に、「藤井市長有罪」の誤った印象を与えることとなり、藤井市長の公務に重大な支障を生じさせることとなる。また、中林に対する判決の報道を通して、藤井市長が有罪であるかのような印象操作を行うことは、「推定無罪の原則」の下での報道倫理にも反するものである。

そこで、藤井市長の主任弁護人として、中林判決の報道に当たって、下記の事項を要請する。

①有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決であることを正確に表示すること(法定刑、量刑への影響の比較からも、「贈賄等被告事件」などと略称することは事実に反する歪曲であり、許されない。)

②判決での「量刑についての判断」は、融資詐欺の事実に対するものと贈賄に対するものとを区別し、融資詐欺に関する判示が贈賄に対する判示と誤解されないようにすること

③贈賄に関する判決について、藤井市長の公判との関係に言及する場合は、「中林被告は起訴事実を全面的に認めているので有罪判決は当然であり、証拠関係も異なるので、藤井市長に対する判決とは直接関係ない」旨付記すること

 

万が一、上記要請に反する報道が行われた場合には、報道倫理上の問題としての対応及び法的措置を検討せざるを得ないことを付言する。

上記①の「贈賄等被告事件」というのは、新聞等での表現で言えば、「贈賄などの罪に問われている中林被告」という言い方であろうが、いずれにしても、中林の刑事責任の大半は融資詐欺であり、それを「贈賄など」と表現するのは、判決の歪曲以外の何ものでもない。

名古屋・岐阜のマスコミ各社の報道が、上記要請に反するものとなっていないか、明日の判決に関する新聞記事、テレビニュースに注目したい。

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マック問題における「商品の品質」と「顧客対応の品質」の混同

昨年末から、マクドナルドのハンバーガーやチキンナゲット等の商品に、ビニール片、金属片、中には人の歯が発見されたなどと、異物混入の問題が、連日、メディアで大きく報道されている。

ワイドショーで、匿名・顔無しで登場する異物混入の「被害者」は、「マクドナルド側は100円返金しただけで、謝罪がなかった。原因についても説明がなかった。」などと同社側の対応を厳しく批判している。

3連休中に立ち寄ったショッピングモールのフードコートでは、他のコーナーは行列ができているのに、マクドナルドのコーナーだけが閑散としていた。このことからも、「異物混入問題」の影響の深刻さを感じる。

異物混入の問題についての見方は二つに分かれる。「商品として出荷された食品に異物が混入することなどあってはならない。許されない。」という教条主義的な考え方がある一方で、「食品の製造工程で異物混入を完全になくすことは不可能であり、それを一つひとつ取り上げるのは騒ぎ過ぎ。」という、冷静な見方もある。

多くの食品企業では、「100万個の商品についての発生件数」をPPMという単位で表示し、異物混入の統計をとっている。異物混入で健康被害が発生したとか、その危険性があったというのであれば話は別だが、そのような問題ではない異物混入については、本来は、このPPMの数値等に基づいて発生頻度の大きさが問題にされるべきだ。

そういう意味では、今回の異物混入の問題は、「商品の品質問題」としてとらえると、報道は過剰であり、この問題を正しく伝えているとは言い難い。

もっとも、直近の報道で取り上げられているのは、必ずしも「異物混入の問題」自体ではない。むしろ、異物混入の事実が指摘されたことに対するマクドナルド側の対応の問題が取り上げられることが多くなっている。

そこには「顧客対応」というもう一つの問題がある。

食品に関連する事業は、製造業、流通業、小売業、飲食店事業の4つに大別できる。

食料品を工場で大量生産して供給する食品製造業の場合、顧客との接点は日常的なものではない。直接対応しなければならないとすれば、商品に関して消費者からの苦情等があった場合である。この場合、もし、製品の品質に問題があれば、ほとんどの場合、当該製品だけではなく、同じ工場やラインで製造された製品全体に関わる問題になるので、消費者からの苦情に対しては、情報の収集把握の観点からも、最大限に丁寧に対応することが求められる。(ペヤングが虫の混入問題で商品の出荷を全面的に停止したのは、まさにその典型例である。)

一方、食品小売業、飲食店事業の場合、顧客との接点は日常的だが、顧客から商品や提供した料理に関して苦情・クレームがあった場合にも、それは当該食品の提供の過程、つまり小売業であれば商品の保存・管理、飲食店であれば食材の加工・調理の過程における個別問題である可能性の方が大きい。そのため、提供する商品や料理全体に関わる問題というよりは、その苦情・クレームを言ってきた特定の顧客との個別対応の問題になる場合が多い。

そして、その顧客対応においては、礼節をもって丁寧に対応するのは当然であるとしても、中には「不当要求」や「詐欺的な要求」というのもあり得るのであるから、顧客の要求にすべて応じることが適切な対応、ということにはならない。

一般的に、顧客対応に関しては、小売業や飲食店の業態や取扱う商品のグレード等に応じた「業務品質」が要求されることになる。同じ飲食店事業であっても、高級レストランとファーストフード店との間には、要求される顧客対応の品質に差があるであろう。

そういう観点から言えば、全国津々浦々に膨大な数のハンバーガーショップを擁し、大量の飲食物を提供するマクドナルドの業態というのは、ちょうど食品製造業と小売業、飲食店事業の中間形態であり、そこには、顧客対応に関する複雑な要素がある。

主として国外の工場で製造した食材を、個々のハンバーガーショップで加工し、店内で顧客に提供する。そこで、顧客からの商品に関する苦情・クレームがあった場合、原因としては、工場での製造過程と、ハンバーガーショップでの加工の過程の両方が考えられるが、厳重な製造管理が行われている工場の過程より、個別のハンバーガーショップでの加工の過程での発生確率の方が圧倒的に大きいのが一般的であろう。

このことを前提にすれば、マクドナルドにおける顧客対応は、基本的には、飲食店事業型であり、しかも、提供する商品のグレードという面で言っても、一般的に要求される「顧客対応の品質」は、高級レストランとは異なるものといえ、だからこそ、アルバイト中心の従業員や若年の店長等による対応が可能だということであろう。

このように考えると、少なくとも、このところ新聞、テレビ等で報じられている「異物混入問題」におけるマクドナルドの顧客対応が、特に問題があると言えるかどうかは疑問だ。

それなのに、これだけの騒ぎになってしまったのは、なぜだろうか。

異物混入を発見した消費者が、メーカーに連絡をする前に、ネット上に写真をアップしたり、マスメディアに連絡をしたりすることが原因との指摘もあるが、それは一因ではあっても、主たる原因ではないように思う。

通常であれば、商品の中にビニール片等の異物が入っていたとしても、その写真をすぐにネット上にアップすることはしないであろうし、もし、アップされたとしても、それがすぐにネット上で大きく取り上げられて大騒ぎになることもない。

一般的には、ハンバーガーショップにおける「異物混入」の問題は、工場での製造過程の問題ではなく、個別店舗の問題であり、その一つひとつが、マクドナルド全体の問題として大きく取り上げられることにはならないからだ。

それが、今回の「異物混入問題」では全く異なった展開になった理由として考えられるのは、2014年7月に発覚した、マクドナルドの「消費期限切れの食肉使用問題」だ。

上海の中国法人が製造した消費期限切れ食肉がマクドナルドの商品の原料として使われていた問題は、マクドナルドの商品の品質問題そのものであった。それが、メディアで大々的に報道されたことによって「マクドナルドの商品の品質」に対する信頼が大きく揺らいだ。

その問題から半年しか経過しておらず、マクドナルドの商品イメージに影響が残っている状況下で、「異物混入」がネット上にアップされたことで、もともとは、個別店舗における「顧客対応」の問題だったのが、消費期限切れの食肉問題と同様の「商品の品質問題」のように誤解された面があるように思われる。

その点の誤解が、インターネットでの情報拡散、マスコミでの大々的な報道につながり、社会的問題となってくると、個別店舗における異物混入に対する顧客対応の問題までもマスコミ等で大きく取り上げられることになる。

では、マクドナルドは、食品関連企業として、今回の問題に対してどのような対応をすべきだったのだろうか。

まず重要なことは、昨年の消費期限切れ問題の影響を考慮して、通常の「異物混入問題」とは異なった対応を行うことだったと考えられる。

ネットでの動きが始まった段階で、ハンバーガーショップにおける「異物混入」が、一般的には「個別店舗の問題」であることを理解してもらうため、「異物混入」についての問合せ・苦情件数の推移の統計数字等を用いて、それが、消費期限切れの食肉問題のような「工場の製造過程における品質問題」とは性格が異なることを十分に説明することが必要だった。

会社として、すみやかに、ネットで取り上げられている問題について、それがどのような問題なのかを丁寧に説明すれば、大きな誤解は防げたはずだ。

食品企業の危機対応は、発生した問題の性質と、それに関連する環境を考慮した柔軟なものでなければならない。危機対応は決してマニュアル通りで済むものではない。

そういう意味で、マクドナルドの「異物混入問題」への対応は、食品企業の危機対応にとって大きな教訓となるものと言えるだろう。

今回の「異物混入問題」については、マスコミ報道にも危ういものを感じざるを得ない。現時点では、報道ないし放送倫理上の問題は具体化していないが、一つ間違うと、ちょうど8年前の今頃の「不二家消費期限切れ原料使用問題」でのTBS「みのもんたの朝ズバッ」のような問題を引き起こしかねない。

この時も、ペコちゃんブランドで国民的に人気が高い不二家に対するマスコミのバッシングは異常だった。

当初は、消費期限切れの牛乳をシュークリームの原料に使用した事実を「バレたら雪印の二の舞」と言って社内に箝口令を敷いたことへの「隠ぺい企業批判」から始まったが、実は、この「雪印の二の舞」は、雪印の社内者が考えたものではなく、外部のコンサルタント会社のスタッフが、自らの存在価値を誇示するため、社内会議に提出した資料の中で使った表現であった。「隠ぺい企業批判」は誤解であり、「消費期限切れ牛乳使用」といっても品質上何の問題もない、単なる社内基準違反だった。⇒拙著【思考停止社会(講談社現代新書)19頁】

しかし、それがわかっても、マスコミのバッシングは止まらなかった。些細な社内基準違反や、真偽不明の元従業員の告発証言を取り上げるなどして、連日、新聞・テレビでの不二家バッシングが続いた。その中で、異常なまでの執拗な報道を展開したのが「TBS朝ズバッ」だった。一日平均15分の枠を使って連日不二家問題を取り上げ、その中で、凡そ公共の電波での放送にはあるまじき報道を垂れ流し続けた。【組織の思考が止まるとき(毎日新聞社)205頁以下・166頁以下】

この番組の不二家バッシング報道の中には、「異物混入」を取り上げたものもあった。

2007年1月31日の番組で、異物混入問題で批判されていた不二家が、件数が他メーカーと比較して特に多くないことの根拠として、1年間の「異物混入問い合わせ件数」を「1670件」と公表し、100万個当たりの発生件数を意味する「PPM」の数字が食品メーカーにおける一般的な数字と異ならないことを示したのだが、翌日の「朝ズバッ」では、「問合せ件数」をことさらに「苦情件数」に書き替え、PPMの数字を削除した表を紹介した上、みのもんた氏が、「苦情件数が1年間に1670件」だと呆れたように言い放った上、「これはもう異物というより汚物だね、こうなると。」などと、食品メーカーの問題に対して、絶対に口にしてはならない「汚物」などという言葉で、不二家をこき下ろしたのである。

不二家には全国に洋菓子のフランチャイズ店を展開している。この問題の不二家バッシングの影響で、そのうち2割の店が、倒産・廃業に追い込まれ、自殺者まで出ることとなった。

不二家信頼回復対策会議の議長として、あまりに理不尽な不二家バッシングへの怒りと悲しみを経験した私には、今回のマクドナルド・バッシングが、不二家バッシングのような異常な事態に発展することが懸念されてならない。

マスコミ関係者には、このところ報道されている問題が、「商品の品質問題」ではなく「顧客対応の品質問題」であることを認識・理解した上、節度ある、良識に基づく報道が行われることを切に望みたい。

 

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美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信

藤井浩人美濃加茂市長が市議時代の30万円の収賄の罪で逮捕されてちょうど半年に当たる12月24日、同事件の第9回公判期日が開かれ、弁護人の弁論と被告人最終陳述が行われて結審した。判決言い渡しは3月5日午後2時。

5日前に行われた検察官の論告は、この事件での検察の捜査・公判の杜撰さを象徴する内容そのものだった。その論告を受けて行った11万8000字に及ぶ弁論の中で、私が無罪を確信する理由は書き尽くせたと思う(郷原総合コンプライアンス法律事務所HPに項目ごとに分割して掲載中)。

通常、否認事件の弁論は、検察官立証の柱とされている供述について、まず、その内容に関する問題を指摘し、その上で、供述経過、供述動機等の供述の信用性に関する指摘をするというのが一般的であろう。

しかし、本件の弁論の記述の順序は、それとは異なる。

弁論の「はじめに」の後半で触れているように、本件の最大の争点であり、実質的に唯一の証拠である贈賄供述者中林の「供述の信用性」の問題が、一般的な供述の信用性の問題とはかなり性格を異にするからだ。

通常、供述の信用性に関してまず重要なのは、「見間違い」、「聞き間違い」、「言い間違い」など、知覚・記憶・表現の過程での誤りがなかったかどうかを確かめることだ。供述者が記憶どおりに話していても、事実と異なる供述(非意図的虚偽供述)が行われることもあり得るからだ。例えば、目撃供述であれば、どのような状況で(明暗、障害物の有無等)、どのような位置から(遠近)、どのような意識で(ぼんやり、注目して等)、見ていたのかなどが問題になる。また、供述内容の合理性や、他の証拠との符合なども、信用性を評価する上での重要な判断要素となる。

しかし、本件で中林の供述の信用性に関して問題となるのは、そのような「非意図的な虚偽供述」ではない。

贈賄供述者の中林については、融資詐欺等での自己の処罰を軽減するために、被告人への贈賄の事実を作り出し、意図的に虚偽供述をしていることが疑われている。しかも、捜査機関側が、そのような中林の供述を容認し、取調べ、証人テスト等において、中林とともに、供述の信用性を作出している疑いがある。

このような場合、当該供述が他の証拠と符合していることや、供述内容が具体的かつ詳細だとか合理的だなどということは、供述の信用性を判断する決め手とはならない。そのような要素は、連日長時間にわたる取調べ、証人テストの中において自由自在に作出することが可能だからである。

取調官が、調書の内容を、信用性を強調できるものであるように誘導し、一方、供述者の側も、自分自身の利益のために架空の犯罪事実を作りだし、それが発覚しないように、自らの供述を信用してもらおうとしているとすると、取調官と供述者との間で供述の信用性を高めるための「共同作業」が行われることになる。その場合、事後的に作出可能な要素は、信用性を判断する上での決め手にはなり得ないのである。

むしろ、この場合に重要なのは、事後的には作出できない要素である。意図的な虚偽供述が行われていると弁護人が相応の根拠に基づいて主張している本件では、その主張に対して反論・反証ができるのかが最大の問題になる。

そのような観点から、本件の弁論では、まず、第1で、中林の供述動機について「闇取引の疑い」の問題について述べ、次に、第2で供述経過について述べ、その後に、第3で贈賄供述の内容に関する問題について述べている。

まさに、本件で争点となる供述の信用性が、一般的な供述の信用性とは異なる特殊性を有することから、そのような構成で弁論を展開しているのである。

弁論に先だって行われた検察官の論告では、中林の供述の信用性に関して、多くのことを述べているが、その殆どは「関係証拠との符合」「供述内容が具体的で自然であること」など、事後的に作出することが可能なものばかりであり、弁護人の主張に対して十分な反論が行われているとは到底言えない。

 

【第1 中林の贈賄供述の動機と「闇取引の疑い」】では、中林が贈賄を供述し、その供述に基づいて藤井市長が収賄で逮捕、起訴されるまでの間、悪質極まりない4億円近くもの融資詐欺のうち2100万円分しか立件・起訴していなかった検察官の捜査・処理が不適切なもので中林を不当な利益を与えかねないものであったことを明らかにした。

検察官が、弁護人の告発を受け、6か月以上前から放置していた融資詐欺の捜査を再開させ、4000万円分については起訴を行ったものの、5700万円分の融資詐欺については不起訴にしたこと、しかも不起訴の理由が「嫌疑不十分」であったことで、検察官の処分の不適切さは、弁解の余地のないものになった。

「嫌疑不十分」というのは、犯罪の嫌疑が十分ではないことを理由とする不起訴処分である。しかし、中林については、藤井市長への贈賄を自白したのとほぼ同時期に融資詐欺全体を概括的に認める供述調書が作成されている。それによれば、その詐欺の手口は、金融機関に対して、架空の工事を受注したと偽って融資金を騙し取るというものである。検察官は、論告で「詐欺罪として起訴するに当たっては、同罪の構成要件である欺罔行為や錯誤の成否を検討する必要があり、そのためには、被害者を含む関係者の事情聴取や資料入手が必要不可欠である上、返済状況や被害者の処罰意思も考慮することになる」などと一般論を述べているが、中林の詐欺の手口が、金融機関に対して、架空の工事を受注したと偽って融資金を騙し取るというものであることからすると、「欺罔行為」も「錯誤の成否」も問題になる余地がないのである。

悪質極まりない犯行態様の総額4億円に上る融資詐欺の起訴を6100万円の被害額の事実にとどめざるを得なかったのは、中林と検察官との間に、融資詐欺の起訴を最小限にとどめることの見返りに、贈賄自白を維持し藤井公判での検察官立証に協力するとの明示又は黙示の約束があり、弁護人の告発によって4000万円の告発事実についての起訴は行なわざるを得なかったが、さらに5700万円の追起訴を行えば、量刑が、中林が許容できる限度を超え、中林が当初の約束を覆し、検察官立証に協力しなくなる恐れがあったからとしか考えられない。

贈賄供述の動機について、中林は、「本当の反省をするためには全部話さなきゃいけないし、ゼロになって社会復帰ということになるんだったら、やっぱり全てを話さないといけない」と思って、被告人への贈賄を供述したと涙ながらに証言したが、それが全くの詐言であった。翌日の反対尋問で、中村警察署在監時に隣房に在監していたO氏が名古屋拘置所移監後に送付した後、O氏宛の手紙で、勾留中の身でありながら、「人材派遣の仕事」と称して「韓国のプロモーターと店との間で、毎月の給料から上りをはねる仕事」をしようと考え、そのための資金管理をOの内妻に手伝わせることを、再三にわたって、手紙でOに依頼をしていたことが明らかになったのだ。しかも、同Oが公判で証言したところによれば、中林は、中村警察署の留置場に在監していた頃から、詐欺まがいの仕事で名前を使えそうな人間みんなに声をかけて、名前を借りようとしていたという。

そして、さらに重要なことは、中林と起訴検察官との特異な関係だ。

連日朝から晩まで証人尋問の打合せをしていたと認めている関口検事との関係について、中林は、証人尋問で、関口検事から、「絶対藤井には負けないから、中林さん最後まで一緒に闘ってくださいね」というようなことを言われたこと、藤井弁護団から聞かれることに対して自分が答えられないことが「失敗」だと思い、「失敗は許されない」と思って、「必死に」やっていたことを認めている。

これは、関口検事が起訴した藤井被告人の有罪立証のために中林が協力し、一方で、中林の側は、その協力の見返りとして、自己の刑事事件についての有利な取扱いを期待しているという「互恵関係」と言わざるを得ず、贈賄の被告人と、それを起訴した検察官の関係とは凡そかけ離れたものであることは明らかである。

このような中林と関口検事との関係からすれば、検察官が、中林の供述の信用性の根拠として縷々述べている事項は、「事後的に作出することが可能」というだけではなく、「事後的に作出されたことが強く疑われる」と言わざるを得ない。

 

【第2 中林の供述経過及び本件捜査経過】では、弁護人が、公判前整理手続段階から予定主張として掲げ、冒頭陳述等でも主張した中林の供述経過の問題について詳述した。

中林の供述は、3月27日の警察官供述調書と5月1日の検察官調書とで、ガスト美濃加茂店での10万円の現金授受の現場とされる会食への同席者の有無という重要な点に関して異なっており、その間に、同会食の人数に関する客観的証拠が入手されていることから、供述の変遷が、客観的証拠によって明らかになった事実と辻褄が合うように変更された疑いがあるとの弁護人の主張に対して、中林は、証人尋問において、供述の変遷は自ら記憶を喚起したもので、取調官による誘導によるものではない旨一貫して供述した。しかし、検察官は、中林本人の供述以外に、そのような供述経過を裏付ける証拠を全く提示することができず、誘導及び客観的証拠との辻褄合せの疑いは全く解消されないどころか、中林が供述するとおりの供述経過であれば、なぜ、そのような自然な供述の変遷の経過が供述調書で証拠化したり、取調べメモなどに記録化したりしなかったのかについて合理的な説明ができていない。

そこで検察官が、論告で持ち出してきた理屈は、「供述調書に過度に依存することなく公判中心主義、直接主義の下で重要関係者の公判供述に重きを置いて立証する場合、捜査段階の供述調書の些細な変遷を取り上げて変遷理由を供述調書に記載することはせず、そのような変遷が仮に問題とされるのであれば、重要関係者が公判廷で説明することで供述の信用性の吟味を受けることに委ねるのが相当であり、そのような考え方に立つと、変遷理由を記載した供述調書が存在しないことを殊更に問題視するまでもない。」というものだった。

しかし、贈収賄事件のような関係者の供述に依存せざるを得ない事件においては、供述経過が、自らの記憶を喚起した経過として自然なものであること、客観的証拠との辻褄合わせではないことを明らかにするためには、供述調書によるか否かは別として、少なくとも供述経過を記録することは不可欠である。

本件のように中林の供述がほとんど唯一の証拠と言える事件においては、本来は、取調べの経過が、全過程録音録画という形で記録化されるべきであるが、本件では、それが行われた形跡がなく、供述経過に関する資料は供述調書しか証拠化されていない。

その供述調書に、供述の重要な変遷についての記載がなく、それ以外にも、本人の供述以外に供述経過を明らかにする客観的証拠が全くない本件において、検察官が、「直接主義、口頭主義の下では変遷理由を供述調書に記載する必要がない」などと言うのは、ほとんど「開き直り」としか言いようがない。

この「第2」では、証拠があまりに希薄で、中林の供述の信用性にも重大な問題があるこの事件でなぜ現職市長の逮捕という暴挙が行われたのか、その捜査経過について、私の検察官経験に基づいて合理的な推測を述べている。

 

弁論の「第1」で述べた中林の贈賄供述の動機の問題と「第2」で述べた供述経過の問題とで、検察官の主張の破綻は明白となった。

しかし、もちろん、弁護人として述べることは、それだけは終わらない。

「第3」以降で、中林の供述内容や公判で取調べられた他の証拠、被告人の藤井市長の供述等についても、検察官の主張が、ほとんど「ごまかし」「まやかし」の類に過ぎないことを徹底的に明らかにした。

 

【第3 中林の贈賄供述の内容自体の不合理性】の中で、特に注目してもらいたいのは、4月2日に被告人と会う目的に関する中林の供述に関する指摘である(58頁)。

中林は、4月2日に、「お渡ししたい資料と御相談したいことがあります」というメールを送って、被告人と昼に会う約束を取り付けたことに関して、直接会って相談したいことや、直接会って渡したい資料があったわけではなかった」と証言した。

そして、検察官は、中林が現金と一緒に被告人に渡したと証言している資料が、その後、何ら利用された形跡がないことから、中林が被告人に早急に直接手渡さなければいけなかったものとは認められないとして、論告で、「会いたい理由は現金を渡すことであったが・・・口実として相談と渡したい資料があると記載して呼び出したという中林の証言と正に合致」していると主張した。

しかし、検察官が証拠請求して証拠採用された、4月2日のガスト美濃加茂店での会食で中林が被告人に渡したとされる資料の中身を見ると、その日、中林が藤井市議に至急会って渡したいと考える内容そのものなのである。

中林は、前日の4月1日に美濃加茂市の防災安全課で課長らと打合せをしたが、その際、雨水を浄水プラントで浄化しても飲用水として使うことには反発があるので、生活用水だけで使うようにできないかと言われ、それが、いかに不合理な反発で、飲用水として使用することに全く問題はないことを藤井市議に理解してもらおうとして作成したのが、その時に渡した資料なのである。西中学校の航空写真も添付され、赤ボールペンで書き込みもしてあり、中林としては、被告人に至急渡そうと思って必死に作成した資料であることは明らかだ。

検察官が論告で述べていることは、証拠の内容と矛盾するのである。

検察官は、証拠を見ないで、主張を組み立て、論告を書いたとしか思えない。私が、地検で決裁官を務めていた頃であれば、部下がこのような論告を書いてきたら、厳しく叱責していたであろう。

【第4 中林供述と他の証拠との関係】では、賄賂の授受があったとされる会食にいずれも同席していて、現金の授受は見ていないし、席も外していないと一貫して供述しているT氏の供述について、検察官が主張している「供述の変遷」が全く事実に反するものであり、T氏の検察官調書の作成方法にも重大な問題があることを指摘し、検察官が、そのT氏の証言に対する反証として証人に出してきた居酒屋の店長の証言、中林の供述の信用性を担保する証拠として出してきたH氏、Y氏の証言が全く関連性のないものであることを詳述している。

【第5 被告人供述の内容は合理的であり、自白を迫る警察・検察の取調べには重大な問題がある】では、被告人の藤井市長の供述に対する検察官の指摘や、被告人のメールに関して検察官が述べていることが全く的外れであることについて述べている。

検察官は、論告で「被告人は、具体的な状況や客観的証拠について、何ら合理的な供述ができておらず、自己に不利益な事柄については、覚えていない、分からないという逃避的な供述に終始しているだけであり、かかる供述に信用性を認めることなど到底できない。」などと主張する。しかし、被告人の供述は、取調べに対しても、公判廷での被告人質問においても、終始、断片的な記憶、曖昧な記憶等から言えることを精一杯に述べているのであり、供述内容に不自然不合理な点は全くない。連日朝から晩まで「打合せ」を行って、「現金を渡した」とするストーリーを作り上げている中林の供述が具体的なのは当然である。現金を受け取った事実もない被告人にとって、1年以上も前の会食の際のやり取りや会話の具体的状況など記憶していないのは当然であろう。

4月25日の会食後に、中林に「いつもすみません」とメールを送信していることについて、「いつも」がついているのが、中林から現金を2回もらったことに対する謝礼だとする主張なども、あまりに荒唐無稽であり、検察官がこういうメールの記載を針小棒大に取り上げるのは、本件の証拠の希薄さを端的に表している。

【第6 中林の被告人への請託も権限に基づく影響力行使も認められないこと】では、中林の供述を前提にしても、そもそも、本件では、贈収賄、あっせん利得処罰法違反という犯罪が成立しないことを詳述している。

これは、12月10日に結審し、来年1月16日に判決が言い渡される予定の中林自身の公判では、贈賄等の事実を本人が認めていて、検察官調書等がすべて証拠採用されているが、それでも有罪判決は出せないのではないかという問題の指摘でもある。

 

私は、逮捕の翌日の6月25日夜、最初に接見をした後の記者会見から、藤井市長の潔白を確信していると明言してきた。論告で検察官の主張の無内容さ、杜撰さを再認識し、この弁論を書く過程で、私は、藤井市長の潔白、無実への確信は、さらに深まった。その確信が、来年3月5日、無罪判決として結実することを信じたい。

 

 

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「違憲解散による違憲選挙」で議席を減らした自民党は勝利したと言えるのか?

そもそも、今回のような「権力維持だけが目的の理由なき解散」は、憲法上認められるのか、衆議院定数不均衡を抜本的に是正することないまま解散総選挙を行うことは、法の下の平等に反するのではないか、という二重の意味で違憲の疑いがある解散総選挙【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】を強行した安倍首相率いる自民党が獲得した議席は、選挙前の議席295議席を下回る291議席だった。

「不意打ちの違憲解散」によって、野党の選挙準備が整わず、主要野党の民主党と維新の党が候補者を立てられなかった選挙区が61に上り、公示直後から、「自民党が単独で300議席を超える勢い」と報じられ、自公政権を支持しない有権者は、投票に行く意欲すら失い、投票率が極端に低下することで、自公の地滑り的勝利が予想されていた。

投票の一週間前に会った自民党議員の秘書は、「もう選挙は終わりました」と言って、忘年会で飲んでいた。

こうして行われた昨日の選挙は、予想どおり投票率は戦後最低の約52%、自公が圧勝し、自民党単独で全議席の3分の2を超えるのではないか、と誰しも考えたはずだ。

しかし、開票結果は、その予想と異なるものだった。

低投票率で公明党は議席を伸ばしたものの、自民党は、小選挙区での議席を、前回から 14議席も減らした。民主党は、枝野幹事長をはじめ、苦戦が予想されていた幹部や中堅の候補者の多くが、海江田代表を除き、接戦を制して小選挙区で勝利した。

戦後最低の投票率は、与党圧勝の予想で投票の意欲を失った政権不支持者が投票に行かなかっただけではなく、民主党など野党に愛想をつかした消極的選択の自民支持者の投票意欲まで失わせたと見るべきであろう。

候補者すら立てられない状況にまで追い込まれた野党に壊滅的打撃を与えることで、自民党だけで3分の2の議席を確保し、憲法改正への足掛かりを作ることも、安倍首相の視野に入っていたはずだが、その目論見は外れた。

今回の選挙は、実質的に憲法に反する解散を行ってまで、権力の集中を図ろうとした政権側の動きが、最終的には有権者に阻まれたと評価することができるだろう。

この選挙結果は、自民党にとって、「アベノミクスに対する国民の信任を得た」と無条件で評価できるものではない。

与党圧勝の予想を既に織り込んでいた株式市場、為替市場が、この選挙結果をどう受け止めるのか。株価と為替の動きは、アベノミクスの今後の動きを占うものとなるだろう。

急激な原油安、ギリシャ問題などEU経済の不安材料など、国際経済の波乱要因が多数あるなか、自民党にとって期待外れに終わった今回の総選挙の結果は、今後アベノミクスが直面する大きな試練を暗示しているのかもしれない。

 

 

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「違憲の解散による違憲の選挙」への唯一の対抗手段は「投票すること」

私が、【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】で、憲法上解散できる要件を充たしていないこと、議員定数不均衡の抜本的な是正のないままの解散は法の下の平等に反することという二つの面から憲法違反だと論じた今回の解散による総選挙が、明日、投票日を迎える。

その状況は、私が指摘した今回の解散の違憲性が一層露わになっていると言えよう。

解散後間もなく、マスコミの調査で、自民だけで300議席を超える勢いと報じられる一方、政府からマスコミに対して選挙に影響を与える報道の自粛要請が行われたこともあって、マスコミの選挙報道は盛り上がりを欠き、国民の選挙への関心は一層薄れ、投票率の低下が与党に更に有利に働くことが予想されている。

憲法は、本来、69条により、衆議院で内閣不信任案が可決された場合に、内閣にその対抗手段としての解散を認めている。それが、憲法が規定する議院内閣制の下で、行政を担う内閣と立法府の国会とが適正に権力バランスを維持するためのシステムである。

憲法が与えている本来の権限を超え、69条以外の場合でも7条の天皇の国事行為としての解散を行うことが容認されてきたのも、それが、憲法の基本原則である「権力分立の原則」を大きく損なうことがなかったからである。そのため、憲法違反の問題が顕在化することはなかった。

しかし、今回の解散は、それまでの衆議院解散とは大きく異なる。

安倍首相は、2012年の衆議院選挙で圧勝し、与党の圧倒的多数の衆議院が4年間維持されるという権力基盤を得た。それだけでも、国の統治機構において十分過ぎるほどの権力である。

ところが、今回、安倍内閣は、本来、内閣に与えられている解散権を逸脱した解散を、野党にとって最悪のタイミングで行うことによって、さらなる権力集中を目論み、新聞各紙、テレビ各局の調査では、自民公明の与党だけで圧倒的多数の勢力を占める選挙結果になることが予想されている。

そのやり方は、ボクシングで言えば、相手選手がスリップダウンしている間に、思い切り踏みつけて再起不能にする行為に等しい。スポーツにも、勝つためにやって良いことの範囲についてのルールが存在するのと同様に、政治の世界においても、憲法秩序を根底から損なうようなやり方は、いくらそれが権力奪取にとって合理的で、表面上は合法に見えても、やってはいけないというのが鉄則のはずだ。

今回の解散は、明らかにそのルールを逸脱し、そして、このままいけば、それによって、極端な権力集中を招き、日本国憲法の基本原則すらも損われかねない事態になろうとしている。

我々国民にとって、それに対して残された唯一の手段は、違憲の解散によって、違憲の選挙が行われ、その結果、憲法上容認できない権力集中が生み出されようとしている事態への危機感を持って、明日の選挙に臨むことである。

明日の選挙で棄権した人間は、この選挙によって生み出された政治権力が、今後4年間に、いかなる政治的、外交的決断を行い、それがいかなる結果を招こうと、それに対して、不満を述べることは許されない。

我々は、明日の衆議院選挙において、投票を行うという、日本国憲法下の国民として最低限の、しかし、最も重要な権利を、確実に行使しなければならない。

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5700万円融資詐欺不起訴の陰に「贈賄供述者の企み」

藤井浩人美濃加茂市長の事件、今月24日の最終公判期日での弁論の準備に忙殺されているところに、名古屋地方検察庁から、処分通知書が届いた。藤井弁護団が同地検に10月24日に提出していた贈賄供述者の詐欺事件の告発ついて「不起訴」の処分を通知してきたものだった。

【美濃加茂市長事件、「検察の迷走」を象徴する実質審理の幕切れ】でも書いたように、我々藤井弁護団が告発していた4000万円の融資詐欺の事実で、10月20日、名古屋地検は、贈賄供述者中林を、有印公文書偽造・同行使、詐欺の罪名で追起訴した。中林が自白していた融資詐欺の大部分について、立件すらしていなかった検察は、藤井弁護団の告発によって、有印公文書偽造・同行使、詐欺という悪質な犯罪についての起訴不起訴の判断を覆したが、弁護人は、10月24日に、同種の5700万円の融資詐欺の事実について追加告発し、11月7日に開かれた中林の公判では、4000万円の融資詐欺の追起訴分の検察官立証が行われた上、さらに、追加告発分の捜査・処理のために1ヶ月先の12月10日に次回公判が指定されとのことで、追加告発についても起訴は必至だろうと思われた。

ところが、12月10日の公判期日までに追起訴は行われず、その日で中林の公判は、検察官が、懲役4年6月の求刑を行って結審、判決は来年1月16日と指定された。

そのような公判の進行からは、藤井弁護団の5700万円の追加告発に対する不起訴の処分通知は予想されたものだった。

この不起訴処分のことは、12日付けの中日新聞朝刊でも小さな記事で報じられており、同記事には、不起訴の理由に関して「中林被告の弁護人によると、被告の知人が金融機関に全額を弁済したという」と書かれている。

それにしても、この5700万円の融資詐欺の不起訴は不可解である。

当初は2100万円の起訴に止めていたのに、藤井弁護団の告発によって4000万円分を追起訴せざるを得なかった検察が、5700万円の追加告発の融資詐欺を不起訴にすることの理由が説明できるのか。

藤井弁護団としては、不起訴処分に対しては、当然、検察審査会への審査申立てを行う。地方公共団体の発注書を偽造するなど、有印公文書まで偽造して金融機関から融資金を騙し取る悪質な詐欺の事案である。犯罪事実が認められる限り、すべての事実を起訴して厳しく処罰するのが当然だ。

その不起訴の理由は、中日新聞の記事の中林の弁護人の話によれば「知人による全額被害弁償」だとのことだが、4億円もの融資詐欺を働いて、多額の未返済金を抱え、それ以外にも、勤務していた病院からの1億5000万円もの横領の被害弁償も未了で、全く金がないはずの中林に、5700万円もの被害弁償金を提供する「知人」などいるのか。

考えられるとすれば、貸金返済と称して中林が融資詐欺で銀行から得た金の大半の提供を受け、共犯として警察の強制捜査や取調べを受けていたHぐらいだ。Hは、藤井公判で証人として出廷し、「中林から藤井氏に贈る金を貸してほしいと言われて金を貸した」などと証言している。

仮に、「知人」から被害弁償金として5700万円を提供してもらえることになったとしても、普通であれば、既に起訴されている6100万円の詐欺の弁償の方を優先するはずだ。なぜ、起訴されている融資詐欺の6100万円の方をそのままにして、告発されている融資詐欺の被害弁償の方を優先するのか。

結審した中林公判では被害弁償の話は全く出ていないので、一審では実刑判決は免れない。それに対して控訴を申し立て、控訴審で「知人」が全額弁償すれば、一審判決後の事情として考慮され、執行猶予の可能性も十分にある。中林はそれを目論んでいるのかもしれない。

いずれにしても、追加告発分の詐欺を不起訴にしたことは、検察として、中林に対する現時点での精一杯の有利な取り計らいだと言えよう。もし、追加告発分の詐欺を起訴した場合、中林に対する起訴は総額1億3000万円近くになり、罪名も有印公文書偽造・同行使、詐欺であるから、求刑は懲役7~8年、判決も5~6年の実刑は避けられない。当初、僅か2100万円の起訴にとどまり、執行猶予の可能性もあると見込んでいた中林にとって、「全く話が違う」ということになり、贈賄供述を翻す恐れすらある。検察にとって最悪の事態を防ぐために、なりふり構わず追加告発分を不起訴にした、ということであろう。

中林は、11月19日の藤井公判での再度の証人尋問の前に保釈され、身柄拘束を解かれた状態で弁護人に付き添われて法廷に現れた。それについて、前記ブログで、検察として、保釈請求に反対意見を述べないことが、再度の証人尋問で贈賄供述を覆すことなく従前どおりの供述をすることへの見返りとしての中林へ有利な取扱いだった疑いを指摘した。5700万円の追加告発分の融資詐欺を不起訴にすることは、その証人尋問の前に、検察官と中林の間で行った「6~7回の打合せ」の中で約束されていたのかもしれない。

12月10日の公判で結審したことで、中林に対する判決言渡しが、藤井市長に対する判決より先行することは確実となった。贈賄を認めている中林の公判が早期に終結し、有罪判決が出ることで、その後に言い渡される藤井市長の判決で、同じ名古屋地裁での無罪判決を出しにくくしようという検察の思惑もあるのかもしれない。

ここで、改めて考えてみなければならないのが、憲法38条 3項で、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」とされ、それを受けて、刑訴法319条2項で、「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」と規定されていることの意味だ。憲法の規定は、他に証拠もないのに自白だけで処罰できるとすると、拷問等による自白の強要のおそれがあることから、人権保障の観点から、自白偏重捜査を抑止しようとするものだが、刑訴法は、「公判廷における自白」を含めて、他に証拠がない場合に有罪とされないとしていて、憲法より広い意味を含む。

本件では、中林の公判では、藤井市長が収賄を全面否認していているので、贈賄についての実質的な証拠は被告人中林の自白だけだ。

贈賄の起訴は、それによって融資詐欺が立件・起訴されないことを企んだ本人が強く望んだものであり、自白を唯一の証拠として有罪とされても、中林の人権上は、何ら問題はない。

しかし、このような不当な企みによる「自作自演」の犯罪で有罪を受けることが認められると、それに伴って、共犯とされた人間(本件において収賄で起訴された藤井市長)に対する重大な人権侵害が生じかねない。

こういうことも含め、たとえ被告人が公判廷で自白し、むしろ処罰されることを望んでいる場合でも、それだけでは有罪にすることはできないと解することが、憲法の人権保障の趣旨を本当の意味で活かすことになるのではなかろうか。

憲法と言えば、明日が衆議院の解散による総選挙の投票日である。当ブログ【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】で書いたように、内閣の解散権がどのような場合に認められるのかという面でも、議員定数不均衡が法の下の平等に反するという面でも、今回の解散は憲法に反するものである。

ここでも、憲法が本当の意味で求めていることを、我々は、改めて認識するべきであろう。

いずれにせよ、「詐欺師」などのいかがわしい人物と結託して全国最年少市長を葬り去ろうとする捜査・公判のアクションは、来週の12月19日の公判での論告求刑で完結する。それは検察史上に汚点を残すものとなろう。

我々弁護団は、12月24日の弁論で、信用性に重大な疑義がある中林の贈賄供述に、なぜ検察が取り込まれ、引き返すことなく、起訴・有罪立証・論告求刑まで突き進んでしまったのか、その構図を含めて本件の真相を明らかにすべく全力を尽くしていく。

もちろん、それと並行して、中林の企みを目論み通りにさせないための「次の一手」も、確実に打っていく。

 

 

 

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美濃加茂市長事件、「検察の迷走」を象徴する実質審理の幕切れ

贈賄供述者の再度の証人尋問を請求しなかった検察官

今年6月24日「全国最年少市長逮捕」から約5か月、藤井美濃加茂市長の収賄事件は、11月19日の第7回公判で実質審理が終了。12月19日に検察官の論告、24日に弁護人の弁論が行われて結審することとなった。

実質審理の幕切れのシーンは、この事件の捜査・公判で繰り返されてきた検察の迷走を象徴するものだった。

10月24日の被告人質問の後に、最後の証拠調べとして行うことになったのが、贈賄供述者中林の再度の証人尋問と、その中林と警察の留置場で隣房だったB氏との「対質形式」での証人尋問だった。【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】

B氏は、今年の4月下旬に、中林が「検事の取調べで『人数が合わない』と言われて、辻褄が合わなくて困っている」と言っていたと証言。中林は、そのような発言はしていないと否定した。

その後の検察官が、B氏の証言に関連する中林の警察、検察での供述経過だけではなく、今回の尋問事項とは関係ない被告人との会食の回数・場所等についても質問を始め、弁護人の異議、裁判長の注意も聞かず、前回の証言と重なる質問を続けた。中林は、検察官の質問に、澱みなく、すらすらと答える。その供述態度は、「連日朝から晩まで検察官との打合せをして臨んだ」と本人も認めていた前回の証人尋問の時と全く同じだった。

しかし、今回の中林の証人尋問は、前回のような検察官請求の証人尋問ではなかった。B氏の証言によって中林証言の信用性に重大な問題が生じ、弁護人の請求で再度尋問を行うことになったものだ。検察官は、裁判所に促されて一旦は中林再尋問を請求するとしていたのに、再尋問を避けたい事情があったらしく、請求しなかった。そのため、再尋問は弁護人請求で行われることになり、検察官は反対尋問を行う立場に過ぎなかった。そのような証人に検察官が接触して証言内容の打合せをすることは、弁護側の証人尋問に対する妨害や偽証教唆が疑われるので、一般的には許されないものだ。

主任弁護人の私は、名古屋地検検事正宛に、今回の証人尋問に当たって、万が一にも検察官が中林と接触することがないよう、公判担当検察官の指導監督を求める要請書を送付していた。

検察官の異議に傍聴席が「爆笑」

しかし、尋問を行った結果、中林の証言には前回証言とは異なった内容も含まれ、その後の他の証人の証言内容に完全に合致していたことから、中林が検察官との「打合せ」で、前回の中林の証人尋問後に行われた他の証人の証言内容をもとに、辻褄を合わせてきたたことが疑われた。

裁判長も、その点に疑問を持ったようで、検察官の「反対尋問」に続いて、中林の証言内容が前回証言と異なっていることに関して質問をした。

「前回のあなたの証人尋問後に他の人がこの法廷で証言した内容について、誰かから聞きましたか」

中林は、「聞いていません」と、平然と否定した。

裁判長が質問したのは、山家住吉店での11月の会食のことだった。この日の会食については、同席者や店長の証言があり、藤井市長も被告人質問で具体的に供述しているが、中林は、前回の尋問で、「4月25日を最後に被告人とは会っていない」と明確に述べていた。ところが、今回は、「11月にも被告人と会っていた」と証言したのだ。

この点について、裁判長から尋ねられた中林は、「被告人と会っていない」と証言したのは「市長選までのことを聞かれたと思ったから」と説明したが、私の目には、その供述態度に動揺が見られた。11月の山家住吉店での会食のことは、中林の証言でも出てこなかったし、供述調書でも全く述べていなかったことだ。前回証言後に、他の証人の証言内容を誰かから教えられたとしか思えない。

そこで、裁判長の質問の後、主任弁護人の私から、中林に、「証人尋問の決定後、検察官と会ったか」と質問したところ、中林は、「関口検事、伊藤検事の二人と会った」と答えた。

「弁護人からの証言内容の確認の要請を断る一方で、検察官とは何回も会っていたのか。」と問い質そうとした瞬間に、伊藤検事と関口検事の二人が同時に勢いよく「異議あり!」と言って立ち上がり、「何回も、ではない。誤導だ!」と異議を述べた。

そこで、弁護人は「では何回か。」と質問したところ、中林は平然と「6~7回です。」と答えたのだ。

傍聴席からは爆笑が起こり、裁判長から「傍聴人は静粛に」との注意がなされて、証人尋問が終了した。

実際に、中林も認めているように、証人尋問決定後に、検察官は、少なくとも「6~7回」にわたって中林との「打合せ」をしているのである。弁護人が「何回も打合せをしたのか」と聞いたのがなぜ「誤導」になると言うのか。検察官は、なぜ、自ら証人尋問請求もしていない中林に多数回接触して「打合せ」をするなどという不当な行為を、敢えて行ったのか。

この事件の捜査・公判で繰り返されてきた検察の不可解な対応、迷走がここでも続いているのである。

証人の名誉・プライバシーを踏みにじる検察官

それだけではない。検察官のB氏に対する反対尋問にも重大な問題があった。「詐欺師と検察官が結託して藤井市長を追い込もうとしていることに義憤を感じて、拘置所から藤井市長に手紙を書いた」とするB氏に対する「腹いせ」としか思えなかった。

B氏は、実刑判決を受けて服役を控えている身であり、手錠腰縄で拘束された状態で公開の法廷に出ることは名誉・プライバシーの侵害につながる。本来事件とは無関係のB氏の立場に配慮し、傍聴席との遮蔽措置をとることが決定された。

また、B氏のフルネームが傍聴席に知られることがないよう、証人尋問に先立って証人の住所・氏名を確認する際も「証人カード記載のとおり」のみで済ます配慮がなされ、弁護人も、尋問の冒頭において、傍聴人に対して、証人の名前が法廷外に知られることがないよう配慮を求めた。

ところが、起訴検察官でもある関口検事は、B氏に対する反対尋問で、名誉を著しく傷つける質問を何度も行った。

弁護人の質問において、B氏に対して、藤井市長の事件とは全く無関係で、何の得にもならないのに、市長宛ての手紙を送ったことを確認していた。そのB氏に、関口検事は、「会食の場の同席者のA氏と知り合いではないか」と質問したのだ。A氏の自宅から押収された暴力団員の名刺に書かれた名前がBの名前であることを前提に、その名刺を、あたかも、A氏とB氏が知り合いであることの根拠であるかのように示し、組の名称や名前を何回も読み上げたりしたのだ。

B氏が、被告人・弁護人側に有利な供述をしているA氏に依頼されて、一連の証言を行っている疑いがあるとでも言いたかったのであろう。B氏は、「全く知らない」と答えた。

公判後、A氏に確認したところ、上記の名刺は10年ぐらい前に居酒屋を経営していた際に、店に来た暴力団関係者の名刺がたまたま自宅に残っていただけだとのことであった。もちろん、A氏とB氏は何の交流もない。そのような質問を行うのであればA氏に事前に確認するのが当然であるが、A氏への検察官からの事前の問合せは全くなかったとのことであった。

関口検事の質問は、B氏の名誉を著しく傷つけただけではなく、A氏が暴力団関係者と交際があるかのような印象をも傍聴人に与える、極めて不当なものであった。

また、B氏が中林に送った手紙の内容に関して、殊更にB氏の名前が含まれている手紙の文面を何か所も読み上げたりしもした。

結局、そういった関口検事の嫌がらせで、B氏のフルネームも傍聴席にわかってしまった。裁判所や弁護人の配慮を全く無にし、証人の名誉・プライバシーを著しく傷つける質問を行ったのだ。そこには、「公益の代表者」として検察官が求められる証人への最低限の配慮すらなかった。

検察の「迷走の経過」

こうして、藤井美濃加茂市長が収賄で起訴された事件の公判の証拠調べは終了した。検察官の対応は、最初から最後まで、その姿勢に重大な疑問を感じさせるものであった。

改めて振り返ってみよう。

中林の贈賄自白は公文書偽造を伴う悪質な融資詐欺での勾留中に行われたものだった。約4億円にも上る融資詐欺を自白しているのに、そのうち僅か2100万円の事件しか立件・起訴されないで捜査が終了するのとほぼ同時期に、中林は藤井市長への贈賄を自白した。そして、それ以降、贈賄を起訴に持ち込むことで融資詐欺の立件・起訴を最小限にとどめようとする中林と、警察官、検察官との取調の中で、贈賄供述と客観的資料との辻褄合せが行われていった。

中林の供述に基づいて現職市長を逮捕するのであれば、中林の贈賄供述の信用性を判断する上で決定的に重要な、会食の場の同席者であるA氏を事前に取調べ、A氏の供述内容を確認し、中林供述と相反するのであれば、両者の供述の信用性の評価を十分に行うことが不可欠である。しかし、警察はA氏に、藤井市長とほぼ同時に任意同行を求め、その以降、連日、長時間にわたって、恫喝的、虐待的な取調べを行った。

一方、藤井市長に対しても、任意同行の直後から、恫喝的、威迫的な取調べが行われた。藤井市長は、中林の贈賄供述を正面から否定し、無実を訴え続けた。

この二人を同時に任意同行して叩けば、どちらかが中林の供述に沿う供述を行うだろうという見通しのもとに行われたと思われる捜査は、その思惑が全くはずれ、中林の贈賄供述だけに依存するものとなり、しかも、その贈賄供述は同席者の供述とも相反するという問題を抱えていた。現職市長を収賄で起訴するためには証拠があまりに希薄であることは明らかだった。

しかし、名古屋地検は、強引に藤井市長を起訴し【「責任先送りのための起訴」という暴挙】、藤井市長の潔白を信じる圧倒的な市民の支持を背景に、弁護人が繰り返した保釈請求にも、徹底して反対し続けた【藤井市長を人質に籠城する検察】

公判前整理手続が開始され、争点・証拠整理が進んだこともあって、逮捕後62日後に、藤井市長はようやく保釈され、市長の職務に復帰した。【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】

9月17日に始まった公判は、10月1日、2日の中林証人尋問で最大の山場を迎えたが、その1日目の検察官の主尋問の最後の場面で、中林は「詐欺師」の本領を発揮した【証人尋問で「詐欺師」の本性をあらわにした贈賄供述者】

検察官に、融資詐欺の勾留中に贈賄の自白を始めた理由について尋ねられ、「やってしまったこと全部話してゼロになって社会復帰したいと思って、…すべてを話さそうと決心して藤井市長への贈賄を自白しました…(泣)」と、何度も声を詰まらせながら、涙ながらに訴えたのである。

しかし、それが、詐欺師独特の演技であったことが、2日目の反対尋問で露わになる。

中林は、融資詐欺を行っていたころと同時期に、勤務先の病院で事務長の立場で合計1億5000万円を横領し、年間5~6000万円ものお金を、借金の返済や、キャバクラやクラブでの豪遊代に使っていたのだ。多額の融資詐欺と横領の犯罪を立て続けに行ってきた中林が、「やったことを全部話して、反省して、ゼロからやり直そう」と考えて、30万円の贈賄の自白を行ったなど言っても、誰が信じるであろうか。

そして、さらに、警察署の留置場で中林の隣の房にいて、名古屋拘置所に移監された後も中林と文通を続けていたB氏が、中林の全く反省のない詐欺師ぶりに呆れ果て、美濃加茂市役所の藤井市長宛に手紙を送ってきたことで、前日の尋問での虚言が一層明白となったのだ。弁護団が名古屋拘置所でB氏に接触し、証人尋問の前日に入手した中林の自筆の手紙には、起訴された2100万円分の詐欺以外は立件されず執行猶予になることを期待していたこと、自分の事件の裁判も終わっていないのに、外国人を店に紹介して上前をはねる人材派遣事業を目論み、手紙の中でB氏の内妻に資金管理の仕事を頼めないかと打診している内容などが書かれていた。中林は、融資詐欺・贈賄で裁判中の身でありながら、抜け目なく、他人を手足に使って、いかがわしい事業を行うことを画策していたのである。

中林は、弁護人の質問に対して、B氏宛の手紙に書いていたことを基本的に認め、検察官との間で、連日、朝から晩まで証人尋問の「打合せ」を行っていたことも認めた。

そして、10月24日の第6回公判での藤井市長の被告人質問の直前の20日、名古屋地検は、藤井弁護団が告発していた4000万円の融資詐欺の事実で、中林を、有印公文書偽造・同行使、詐欺の罪名で追起訴した。

中林が自白していた融資詐欺の大部分について、立件すらしていなかった検察は、藤井弁護団の告発によって、有印公文書偽造・同行使、詐欺という悪質な犯罪についての起訴不起訴の判断を覆した。融資詐欺に関して事情は何一つ変わっていない。本来であれば、検察としてはこのような追起訴は絶対に行いたくなかったはずだ。しかし、不起訴にしたとしても、検察審査会に審査申立されれば起訴議決に至る可能性が極めて高いことから、やむを得ず起訴したのであろう。

その後も、弁護人は、中林に対して行われていた捜査・処理上の有利な取扱いに対する追及の手を緩めず、10月24日には、同種の5700万円の融資詐欺の事実について追加告発した。

11月7日に開かれた中林の公判では、4000万円の融資詐欺の追起訴分の検察官立証が行われた上、さらに、追加告発分の捜査・処理のために1ヶ月先の12月10日に次回公判が入ったとのことであり、弁護人が問題にしなければ、2100万円の事実だけに止まっていたはずの中林の融資詐欺の起訴額は1億3000万円近くに上る可能性が強くなった。中林は、贈賄供述を行った時点とは、全く異なる状況に追い込まれたのである。

驚いたことに、中林は、再度の証人尋問の前に保釈され、身柄拘束を解かれた状態で法廷に現れた。1億3000万円近くもの有印公文書偽造・同行使を伴う融資詐欺で起訴されれば、求刑懲役7~8年、判決も5~6年の実刑というのが一般的だ。そのような事件で、検察が簡単に保釈を認めることは、通常はあり得ない(起訴済みの事実をすべて認めていたとしても、権利保釈の除外事由の一つの「常習として長期3年以上の罪を犯した時」に当たるとの主張は可能だし、追加告発分の5700万円の融資詐欺での再逮捕も可能なはずだ。)。

検察にとって、何とか、藤井市長の公判での中林の協力を継続させるための中林に対する現時点での唯一の有利な取扱いが、保釈を認めることだったのではないか。

「検察の迷走」を象徴する証拠調べの幕切れ

この事件のポイントは、中林が、多額で悪質極まりない融資詐欺の大部分の立件・起訴を免れようとする動機で贈賄供述を行った疑いが濃厚であること、その中林と検察官とが、捜査段階では連日の取調べ、証人尋問の前には、連日朝から晩まで「打合せ」を行うなど、「贈賄ストーリー」を作り上げることに異常なほどの長時間を費やしていったところにある。

そういう中林と検察官の関係は、検察官が請求すらしなかった中林の再度の証人尋問においても、結局のところ、何一つ変わるところはなかった。中林の贈賄供述を維持するためには、「なりふり構わず」あらゆる手段を講じるという検察の姿勢が、6~7回もの打合せを行うことにつながったのであろう。そして、証人尋問の最後で2人の検察官が同時に立ち上がって述べた不可解な異議は、不当な打合せを追及されることへの防禦反応によるものではなかろうか。

我々弁護団は、12月24日に行われる予定の第9回公判期日での弁論で、このような中林と検察によって作り上げられた「贈収賄事件」の虚構を徹底的に明らかにしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題

先週から、安倍首相が衆議院解散を決断し、年内に総選挙が行われる見通しなどと報じられている。民意を問うべき重大な政治課題があるわけでもないのに、自公両党で圧倒的多数を占める衆議院を、任期半ばで解散するというのは、常識的には考えられない。それだけでなく、今回の解散は憲法が内閣に与えている衆議院解散権という点からも、問題がある。

【「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状】でも書いたように、全国最年少市長の藤井浩人美濃加茂市長事件は最終局面を迎えており、明後日に贈賄供述者中林の再度の証人尋問と、ブログ【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】で「B氏」と称した中林の隣房者の証人尋問が「対質形式」で行われる。主任弁護人として、尋問の準備等に忙殺されているところだが、しばらくの間中断し、今回の衆議院解散の問題に関して、ブログで私見を述べることにしたい。

 

憲法上の内閣の解散権の根拠

内閣による衆議院の解散が、憲法69条により衆議院で内閣不信任案が可決された場合に限られるのか、それ以外の場合でも認められるのかは、古くから、憲法上の論点とされてきた。

憲法の規定を素直に読めば、憲法45条が衆議院の任期は4年と定めており、69条がその例外としての内閣不信任案可決に対抗する衆議院解散を認めているのだから、解散は69条の場合に限定されるということになるはずだ。憲法草案に携わったGHQも、衆議院解散を69条所定の場合に限定する解釈を採っていたようで、現行憲法下での最初の衆議院解散となった1948年のいわゆる馴れ合い解散は、野党が内閣不信任案を提出して形式的にそれを衆議院で可決し、「69条所定の事由による解散」とする方法が採られた。

日本では、その後、野党側も早期解散を求める政治状況の下で、解散事由を限定する考え方は実務上とられなくなり、1952年の第2回目の衆議院解散は、69条によらず天皇の国事行為を定めた7条によって行われた。

その解散で議席を失った苫米地議員が、解散が違憲であると主張して議員の歳費を請求する訴訟を起こしたのに対して、高裁が69条によらない7条による衆議院解散を合憲と認め、最高裁判所は、いわゆる統治行為論を採用し、高度に政治性のある国家行為については法律上の判断が可能であっても裁判所の審査権の外にあり、その判断は政治部門や国民の判断に委ねられるとして、違憲審査をせずに上告を棄却したこともあり、その後、69条によらない7条による衆議院解散が慣例化した。

 

先進諸外国での議会解散権

しかし、内閣には議会の解散権が無条件に認められるというのでは、決してない。先進諸外国でも、内閣に無制約の解散権を認めている国はほとんどない。

日本と同じ議院内閣制のドイツでも、内閣による解散は、議会で不信任案が可決された場合に限られており、法制度上は内閣に自由な解散権が認められているイギリスにおいても、2011年に「議会任期固定法」が成立し、首相による解散権の行使が封じられることになった。

 

理由なき解散は「内閣の解散権の逸脱」

もともと、議院内閣制の下では、内閣は議会の信任によって存立しているのであるから、自らの信任の根拠である議会を、内閣不信任の意思を表明していないのに解散させるのは、自らの存在基盤を失わせる行為に等しい。予算案や外交・防衛上重要な法案が否決された場合のように、実質的に議院による内閣不信任と同様の事態が生じた場合であればともかく、それ以外の場合にも無制限に解散を認めることは、内閣と議会との対立の解消の方法としての議会解散権の目的を逸脱したものである。

現行憲法は、衆議院議員の任期を原則として4年と定め(45条)、例外としての衆議院解散を、条文上は内閣不信任案が可決された69条の場合に限定している。そして、直接国民の意思を問う国民投票としては、憲法改正が発議された場合の特別の国民投票(96条)しか認めていない。このような規定からすると、内閣が、自らを信任している議会を解散することによって国民に信任を求めるということは、憲法は原則として認めていないと解するべきであろう。

69条の場合ではなくても、憲法7条に基づく衆議院解散が認められる理由とされたのは、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、政府・与党が基本政策を根本的に変更しようとする場合など、民意を問う特別の必要がある場合があり得るということであり、内閣による無制限の解散が認められると解されてきたわけではない。

現在の安倍内閣は、一昨年の年末の総選挙で大勝し、国民から支持を受け、衆議院の圧倒的な多数で信任されて成立した内閣だ。安倍政権が衆議院の信任を失うという事態や、民意を問うべき重大な政治課題が生じることがない限り、衆議院議員に任期を務めさせることが国民の意思のはずだ

今回、安倍首相が決断したと言われている現時点の衆議院解散が、民意を問うべき重大な政治上の争点もなく、主として安定した政権を今後4年間維持するためのタイミングの判断として行われるのだとすれば、それは、衆議院議員の任期を定める憲法45条及びその例外として衆議院の解散を認める憲法69条の趣旨に実質的に反するものである。

 

法の下の平等を侵害する衆議院解散

それに加え、現時点で衆議院解散を強行するとすれば、もう一つ憲法上大きな問題が生じることになる。最高裁でも法の下の平等に反し「違憲状態」であるのに、国会がこれを合理的期間内に是正しないのは憲法に違反するとの判断が示されている「衆議院定数不均衡問題」である。前回衆議院選挙の際の三党合意による国会議員定数削減による定数不均衡の抜本的是正は、少なくとも、次の総選挙までに行わなければならない必須の事項だったはずだ。この点について、「0増5減」で極端な不均衡を是正しただけで、何ら抜本的な改正を行うことなく、任期が2年以上残っているこの時期に敢えて衆議院を解散し、総選挙を行うのは、憲法の要請に反するものと言えよう。

もし、安倍首相が、現時点で衆議院解散を強行するとすれば、内閣に与えられた解散権を逸脱し、なおかつ、国会議員定数の不均衡を是正し法の下の平等を図るという憲法上重要な義務にも反する。

これまで最高裁判所が、違憲審査に対して極めて消極的で、国の重大な憲法違反に対しても、統治行為論によって判断を回避してきたこともあり、「首相の憲法違反」に対して司法的救済が行われることは期待しがたい。そのため、もし解散総選挙が行われた場合、国民に残された手段は、「首相の重大な憲法違反」を十分に認識した上で、投票を行うことである。

 

「アベノミクスへの信任」をめぐる誤謬

このように憲法上重大な問題がある衆議院解散が強行された場合、安倍首相は、そこで行われる総選挙を、国民に「アベノミクスへの信任」を問う選挙と位置づけることになるであろう。それが、憲法7条による衆議院解散を正当化するような「民意を問うべき重大な政策課題」に当たらないことは言うまでもないが、もう一つの大きな問題は、「アベノミクス」を、現時点で多くのマスコミの論調通りに評価してよいのかという疑問だ。

第一に、日本銀行の追加金融緩和決定との関係である。現時点での「アベノミクスの評価」は、10月31日に黒田日本銀行総裁が追加金融緩和を発表したことによる「急激な円安・株高」という状況に大きく影響されることになる。

この「急激な円安・株高」は、安倍政権発足以降強調されてきた象徴的な経済事象である。しかし、金融緩和は、政府から独立性を保障された中央銀行である日本銀行の政策決定会合で、総裁、副総裁2名、審議委員6名の合計9名による評決の結果、賛成5人、反対4人の多数決で決定されたものだ。その責任は、政府から独立した日本銀行が負うべきものであり、それ自体は、安倍政権による政策の評価の対象とすべきものではない。

第二に、「急激な円安・株高」が、現時点において国民生活にどのような影響を与えているのか、それが国民に正しく認識・理解されているかどうかという問題だ。

円安は、輸入物価の上昇を通じて国民生活を圧迫するというデメリットの一方で、企業業績の向上、株高によって国民に経済的メリットをもたらす。

問題は、その「企業業績の向上、株高」の中身だ。

まず、企業業績の方だが、安倍政権発足後の円安による企業業績の向上の大部分は、海外事業の収益が円安によって円ベースで膨らんでいることによるものだ。ドル円が30%下がれば、それによって、ドルで得ている海外事業での収益が円ベース30%増加する。日本企業は、本社経費や国内での人件費を円ベースで支払うので、海外収益が増えた分、トータルの収益が増加するのは当然のことである。

その収益の増加が円ベースの賃金の上昇につながるのであれば、国民は円安による企業業績向上のメリットを享受できるわけだが、現在までのところ、それが十分に実現しているとは言い難い。

もう一つの株高の方も、その中身は、「日経平均7年ぶり高値更新」等の見出しの新聞報道から受ける国民のイメージとは異なったものだ。

10月31日に黒田日銀総裁が追加緩和を発表して以降、日経平均株価は先週末までに1800円余り上昇した。その上昇寄与分は、一部の超値嵩株に極端に偏っている。株価4万4000円余のファーストリテイリングと株価2万円余のファナックの2銘柄の日経平均寄与分は、450円にも上る(筆者の試算)。日経225の上昇分の約4分の1が、この2銘柄によるものなのだ。当然のことながら、このような超値嵩株は、小口投資家には手が届かない。売買単位が100株なので、ファーストリテイリングは440万円、ファナックは200万円余の資金が必要となる。NISA(少額投資非課税制度)を利用して株式投資をしている庶民などにはほとんど無縁の銘柄だ。

日経平均上昇がそのように偏った銘柄によるものであるだけに、資金の逃げ足も速く、ちょっとしたきっかけで大きく下落するリスクもある。庶民にはなかなか手を出しづらい「株高」だといえよう。

多くの国民は、企業業績の向上も、給与の増加にはつながっておらず、株高も庶民の持ち株への影響は限られているということで、円安のメリットを実感できないでいる。それなのに、マスコミで連日「円安・株高」が報じられると、そのメリットを享受できていないのは自分だけであるような錯覚に陥るのではないだろうか。

このような状況のもとで、アベノミクスが正しく評価されるであろうか。むしろ、日銀の金融緩和と政府の経済政策がうまく調和して、日本経済の回復軌道が鮮明になり、「円安・株高」が本当の意味で国民の経済的利益につながったといえるときに、本当の評価が可能になるのではないだろうか。

現時点での解散・総選挙によって「アベノミクスへの信任」を求めることには、大きな問題があるように思える。

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「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状

10月24日、藤井美濃加茂市長事件の第6回公判で被告人質問が行われ、藤井市長は、現金授受は全くないこと、市議時代の浄水プラントの導入に向けての活動も、中林の依頼によるものではなく、美濃加茂市民のための防災対策として積極的に取組んでいたことを明確に述べた。一般的に市議会議員としてどのように活動していたのか、問題とされた浄水プラントの件に、どのように考えて対応していたのかという点も含め、藤井市長が証言台で述べた内容は納得し共感できるものであった。

賄賂の受け渡しが行われたとされるガスト美濃加茂店や名古屋市内の居酒屋での会食の場面についても、記憶していること、記憶にないことを明確に区別して述べた。

この点に関する検察官の質問に対して、「具体的に覚えていない」「記憶がない」と答えることもあったが、一年以上前の、本人にとっては、特別に意識することのない会食なのであるから、その場での発言の内容や資料を受け取ったか否かなどについて具体的な記憶がないのは当然である。

一方の贈賄供述者の中林は、膨大な時間を費やして作成された検察官調書の内容を、「連日朝から晩まで」検察官との打合せを行って証人尋問に臨んだことは本人も認めたうえ、調書の内容を丸暗記したかのような証言を行ったのである。だからこそ、その話の内容が具体的かつ詳細だったといえる。

ところが、肝心な賄賂の授受の場面については、二つの場面ともに、「少ないですけど足しにしてください。」「すみません。助かります」という全く同じ言葉のやり取りで、その時の相手の表情や自分の心情の表現すら全くないのである(そのことの不自然さは、中林の証人尋問での裁判長の尋問によって鋭く指摘されている。)。

一年前の、記憶が定かではない会食の場面のこととは違い、藤井市長にとって、絶対に忘れることのできないのは、逮捕後の警察、検察での取調べの状況である。

早朝に任意同行を求められて愛知県警本部での取調べが始まり、席に座った直後から警察官が書類を机に叩きつけ、「金をもらったことを潔く認めろ!」と、2~3時間にわたって大声で何度も何度も怒鳴られたこと、「こんなハナタレ小僧を選んだ美濃加茂市民の気がしれない。」などと美濃加茂市民を侮辱するようなことを言われ、「いつになったら市長を辞めるんだ?」と繰り返し迫られたこと、「美濃加茂市を焼野原にしてやる!」と言われて、自白しないと捜査の対象を、支援者や市役所の関係者、市民にどんどん拡大させていくと恫喝されたこと、そういった取調の状況を、藤井市長は法廷の場でも明確に述べた。

そして、見過ごすことができないのは、検察官の取調べでも「詐欺的な手口」で自白を迫られたことである。

検察官は、公判前整理手続の段階から、ガスト美濃加茂店で10万円の現金の受け渡しがあったとされる昨年4月2日の二日後の4日の午前に、被告人が経営していた塾の銀行口座に9万5000円が入金されているが、それに見合う他の銀行口座からの出金がないことから、その入金が、賄賂として受け取った現金の使途だとの主張をしていた。

藤井市長は、検察官の取調べでも、この9万5000円の入金について、「どこから来た金か。」「誰から借りたのか。」「金をもらったのではないか。」と厳しく追及された。それに対して、藤井市長は、「年度末、年度初めの時期なので、塾の月謝等の現金収入が多かったはずだ。」と繰り返し述べているのに、完全に無視され、あたかも、そのような現金収入はなかったかのように装って、追及が続けられた(この点は、取調べの録音・録画媒体にも記録されている)

ところが、保釈後、還付されたパソコンや預金通帳で確認したところ、その時期の現金収入は15万円程度あり、また、銀行にも国税の還付金が28万円余り振り込まれていた。

それらの事実については警察の捜査報告書が作成されていて、検察官もわかっていたはずだ。それなのに、その事実を隠して、銀行入金の原資が説明できないように仕向けて、藤井市長に自白を迫っていたのである。

このような警察、検察の不当な取調べについて、弁護人が質問し、藤井市長が詳細な証言をしたのに、検察官からは、取調べに関する反対質問は何一つなかった。検察官も、その点については争いようがないということであろう。

午前中で弁護人からの質問が終わり、午後からは検察官の質問が行われた。

被告人質問は、被告人側の主張・弁解を具体的かつ詳細に行う場である一方、本件のように被告人が全面的に事実を争っている場合には、検察官にとっても、被告人を追及し、弁解の不合理性を明らかにする「攻撃の場」でもある。今回の被告人質問に当たって、検察官は、弁護側と同じ2時間の質問時間を要求し、「追及の構え」を見せていた。

しかし、結果は空振り。それも、バットとボールが30センチ位離れているような見事な空振りだった。

大部分は、中林の贈賄供述に基づいて、現金授受があったとされる会食の場面について質問し、「記憶がない」「はっきり覚えていない」という被告人に、「そんなことも覚えていないのか」などというものだった。これが、いかに「的外れな追及」か、既に述べたところから明らかであろう。

そして、極め付けは、20万円が渡ったとされる居酒屋での会食の後に、藤井氏(当時は市議)から中林に送ったメールの文面についての「追及」である。

「ありがとうございます。いつもすみません」というメールの文言が、現金をもらったお礼だというのが検察官の主張である。

これに対して、弁護人からは、市議会議員であった被告人は、メールで、「ありがとうございます」「すみません」などという言葉を、数えきれないほど使用していることはメール記録からも明らかで、そのような文言が格別の意味を持つものではない、ということを公判前整理手続の段階から指摘していた。

ところが、起訴検察官でもある公判の主任検察官は、この時のメールの文言が、「すみません」ではなく、「いつもすみません」だということを指摘して、執拗な質問を行ってきた。この「いつも」というのは、「すみません」以上の特別の意味があるのではないか、つまり、「ガストでの10万円に続いて、さらに20万円もらったので、『いつもすみません』とメールしたのではないか」というのである。

これでは、「ろくな証拠もなく、全面否認の被告人を追及するネタもないので、この程度のことしか訊けません」と自白しているようなものだ。

検察が、証拠の希薄さを承知の上で強引に起訴し(【「前代未聞」の検察の判断を待つ藤井美濃加茂市長事件】)、公判で一層事態は悪化しているのに「引き返す勇気」を発揮することもなく(【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】)、ここに至ってしまった、という、この事件の現状を象徴するような被告人質問であった。

そして、検察にとっての更なる危機的な事態は、むしろ、被告人質問の終了後に裁判長が行った今後の訴訟の進行に関するいくつかの決定である。

一つは、贈賄供述者中林の再度の証人尋問と、上記ブログ【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】で「B氏」と称した中林の隣房者の証人尋問が決定され、しかも、検察官の反対を一蹴し、「対質形式」で両者を同じ機会に尋問することが決定されたこと、そして、弁護人が求めていた逮捕前の中林の取調べに関する「取調メモ」等の証拠開示に関して裁判所が判断するため期日間整理手続を行うことが決定されたことである。

中林の贈賄供述の経過は、明らかに無理筋の贈収賄事件で、なぜ現職市長が逮捕されたのか、という本件の根本的な問題に関して極めて重要な事実だ。

上記の各決定は、その点の真相解明に向けての裁判所の並々ならぬ熱意を示すものと言えよう。

藤井美濃加茂市長事件の公判は、「風前の灯」に近い検察官立証に対し、有罪無罪の判断というレベルを超えて、新たなステージに向かいつつある。

 

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重要閣僚の資質を疑う宮沢経産大臣の問題発覚後の発言

小渕経済産業大臣の政治資金問題での辞任を受けて急きょ後任となった宮沢経済産業大臣が、政治資金を「SMバーでの交際費」に支出した問題と、東京電力株を保有している問題の二つで厳しい批判を浴びている。

前者は論外であり、その様な不適切極まりない政治資金の支出すらチェックできない政治家に経産大臣という重要閣僚が務まるとは到底思えないが、さらに唖然とするのは、この問題に関する宮沢氏の釈明だ。

「地元の秘書がこの店に行ったということ。しっかりとカウンターで会話ができる店でございまして。たまたまそういう店が割合安くて、話もできるので使ったと言っております。」と説明したとのことだが、この「しっかりとカウンターで会話ができる店」というのはどういう意味なのだろう。テレビニュースで「SMバー」の店内の模様が映されていたが、カウンターの中には、何本もの色付きのロープがぶら下がっていた。そのような場所が、政治家の秘書が政治資金で行う交際で「しっかり話ができる場」なのだろうか。

「自分は行っていない」ということの証しとして、敢えてこのような的外れの説明をしたのかもしれないが、このような説明を行う神経の持ち主に、どうして、原発再稼働の是非という国民にとっての最大の関心事について適切な判断ができると言えるのだろうか。

この無神経さは、東電株保有に関して、「東電の応援といった意味があるので、売らずに持ち続ける。」などという説明を平然と行えることにも共通している。

経産大臣に就任する前に東電株を長期保有していたこと自体は何の問題もない。しかし、電力会社の利害に決定的な影響を及ぼす経産大臣が、東京電力の株主として、その事業活動による利益の配分を受ける立場にいることが許されるわけがない。

「大臣の職にある間は株式の取引ができないので売却することもできない」というのも、そのまま株式保有を続ける言い訳には全くならない。

閣議で了承を得た上で、東電株を売却し、その売却代金を福島原発事故の被災者支援に寄附するという方法でもとれば、批判されることもないはずだ。形式的に大臣規範に違反するから売却しないというのは、「悪しき法令遵守」でしかない。

最大の問題は、経産大臣という重要閣僚の地位にある宮沢氏に、「利益相反」という問題意識が全くないことだ。

コンフリクト(利益相反)の有無というのは、他人の重要な利害に関わる職務を任される者にとって、極めて重要な問題だ。我々弁護士も、案件の受任にあたって、他の依頼者とのコンフリクトがないかという点に常に最大限の注意を払う。それは、利益相反的な立場で職務を行うこと自体が、その職務の公正さに重大な疑念を招くからだ。

2009年に、「日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会」の委員長として、西川善文社長時代の日本郵政株式会社において発生した「かんぽの宿」などの資産売却等に関する様々な問題について、第三者の立場から、コーポレート・ガバナンス及びコンプライアンスの観点に基づく調査及び検討を行った際、委員会報告書で、手続の公正さ、適正さの観点から重要な問題として指摘したのは「実質的利益相反」であった。

民営化後の日本郵政で発生した問題の中には、業者選定などで、自分の出身母体の企業の利益を図ったのではないかとの疑念を生じた事例があった。何らかの利害関係があると疑われる者が、権限に基づく職務を行うことは、その職務執行の内容如何によっては、公正さに疑念を生じ、コンプライアンス上重大な疑念を招くことになりかねない。

宮沢経産大臣が東電株を保有している問題も、法令、規則には違反しないとしても、「実質的利益相反」が疑われかねないというところに問題がある。

それが問題となるのは、宮沢大臣がトップを務める経産省の対応が、監督下にある東電にとって有利な方向となった時である。

かかる意味では、宮沢大臣が、東電株を保有し続けるのであれば、「大臣規範上、東電株を売却することができないので保有し続けるが、そのことによって東電に対して些かなりと利益を図ったと誤解されかねないよう、東電に対しては、経産大臣として、可能な限り厳しい対応を行う」と述べなければならないはずだ。

「東電の応援と言った意味があるので」などと発言するのは、それとは全く正反対である。

政治資金のSMバー支出の問題についても、東電株保有の問題についても、発覚した問題そのものより、それに関する宮沢経産大臣の発言のほうが、重要閣僚の資質を疑わせるものと言わざるを得ない。

 

 

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