八田隆氏の対検察国賠訴訟の意義

八田隆氏の国賠訴訟における代理人としての意見陳述は以下の通り。

本訴訟は、国税局に告発され、検察官に起訴された脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴の棄却で無罪が確定した原告が、告発、起訴が違法であったとして、国家賠償を求めるものである。

本件の審理が行われるに当たって、原告代理人として、検察官の違法な起訴等に対する賠償請求について意見を申し述べたい。

検察官は、起訴・不起訴の判断について広範な裁量権を与えられている。

検察官が、起訴する事件を「有罪判決が得られる高度の見込み」で絞り込むことが、有罪率99.9%という高い有罪率につながっていることに対する批判もあり、たとえば、鉄道事故、航空機事故等の業務上過失致死事件等で、被害者・遺族の強い希望がある場合は、有罪判決が得られる見込みが低い事件であっても、敢えて起訴して、公開の法廷における審理を通して裁判所の判断を仰ぐべきという意見もある。平成21年の検察審査会法改正で、告訴・告発に係る事件について検察審査会の議決に一定の法的拘束力が認められるようになったのも、検察官の不起訴処分によって事件を終結させず公判での審理に委ねるべきとの社会的要請が考慮されたものと言えよう。

また、幼児の誘拐殺人事件のように、事件が未解決であることが地域社会に大きな不安を与える事件においては、捜査機関に対して、犯人を検挙することへの社会的要請が強く働く。確実に有罪判決が得られる見込みがない事件であっても、犯人であることが合理的に疑われる被疑者を逮捕し、捜査を遂げて起訴し、それが最終的に無罪になったとしても、捜査・公判の手続き、検察官の対応等に問題がなければ、検察官が起訴したことがただちに社会的に問題となるわけではない。

事件の性格、内容によって、検察官が起訴するに当たって必要とされる「有罪の見込み」の程度は異なるのであり、英語で刑事裁判がcriminal trialであるように、検察官には、有罪判決の見込みが低い事件でも、刑事裁判に「挑戦」することが社会的に求められる場合もあるのである(なお、そのような社会的要請に応えて、実際に「挑戦」することが許されるのは、「推定無罪の原則」が徹底され、起訴による被告人の不利益を最小限とするよう配慮が行われることが条件である。起訴事実を否認する被告人が長期にわたって身柄拘束される、いわゆる「人質司法」や、検察官手持ち証拠の開示が不十分な状況の下では、検察官の「挑戦」的な起訴など許容される余地はない。)。

しかし、本件で東京地検特捜部が起訴した八田氏の事件は、そのような「積極的な起訴」が期待される事件とは全く性格を異にする。
まず、本件には、処罰を求める被害者も遺族もいない。日本では、国家が個人から税を徴収するに当たって、自ら所得を申告して納税させるという「申告納税制度」が採用されている。その下では、当局による所得の把握を困難にするような仮装・隠ぺい行為が行われると、制度の運用に支障が生じることから、そのような行為を罰することで、納税者の正直な所得申告を確保しようというのが脱税犯処罰の趣旨であり、まさに、税を徴収する国の側の事情による処罰なのである。
そうである以上、脱税による処罰の対象は、結果的に所得の申告が過少だったという「申告漏れ」ではなく、意図的に所得を過少申告して税を免れようとしたことが客観的に明らかな場合に限定されなければならないのは当然である。

その点の立証に疑念がある場合に起訴を行うことは、徴税という国家作用のための国家機関である検察官の公訴権の濫用であり、許されない。

とりわけ、給与所得者の場合、所得税が給与から源泉徴収されることで、「申告納税制度」によらず、国家も徴税コストをかけず、多くの国民から税を徴収している。そのような給与所得者に、もし、源泉徴収されていない、納税申告すべき所得があって、申告が行われていない場合には、その不申告ないし過少申告が脱税の意図に基づくものでない限り、税務当局は申告の不備を指摘して納税させればそれで足りるのであり、脱税犯としての処罰の対象とすることなど、絶対にあってはならない。
ところが、給与所得者であった八田氏は、所得の一部が源泉徴収されておらず、申告を怠っていたことについて、脱税の疑いをかけられ、脱税で告発され、起訴が行われたのである。八田氏は、すべての所得が源泉徴収されていると認識していたもので、脱税の意図は全くなかったと一貫して主張し、それを裏付ける十分な証拠があった。長期間の多数回にわたる取調べの結果で、検察官は、八田氏に脱税の意図がなかったことを十分に認識していた。それなのに、八田氏の弁解を無視して、起訴を行った。

そして、一審公判で適切な審理が行われ、当然の結果として無罪判決が出たが、検察官は、その「当然の無罪判決」をも受け入れずに控訴を申立て、これまた「当然の控訴棄却判決」が出された。

本件の起訴、そして、控訴は、一体何のために行われたのであろうか。それは、国税局と検察との面目、体面の維持、両者の関係を維持するという「組織の論理」に基づくものとしか考えられない。それは、徴税という国家作用のための検察官の権限の濫用であり、源泉徴収によって納税している多くの給与所得者に対して、重大な脅威を与えるものである。

このような不当な起訴・控訴に対しては、単に、裁判所の適切な判断によって、その不当な試みが失敗に終わった、ということだけで終わらせてはならない。

本訴訟において、裁判所において適切な審理・判断が行われ、違法な起訴、控訴を行った個人及び組織の責任が明らかになることによって、検察官の権限濫用の防止を図っていくことが不可欠である。

 

 

 

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獄中で30歳の誕生日を迎えることになった藤井美濃加茂市長

昨日で、藤井浩人美濃加茂市長が逮捕されてから1ヶ月、そして、今日は、藤井市長の30歳の誕生日である。

藤井市長は、雨水浄化プラント導入が地震・豪雨災害の被災時の美濃加茂市民の生活に役立つものと考え、プラントの導入に向けて、市議時代から同市当局に働きかけを行っていた。市長就任後も、積極的に取り組んでいたことは認める一方で、同プラントの事業者の中林正善から現金を受領した事実は一切ないと述べて、収賄の事実を一貫して否定している。

弁護団は、藤井市長の勾留決定に対する準抗告、勾留取消請求、同却下決定に対する準抗告、同棄却決定に対する特別抗告、勾留延長決定に対する準抗告、保釈請求など、不当な身柄拘束を終わらせるべく、刑事訴訟法上採り得るあらゆる手段を講じてきたが、裁判所は、「罪証隠滅のおそれがある」などとして、ことごとく却下ないし棄却し、今なお、藤井市長の身柄拘束は続いている。

弁護人を受任した時、1984年7月25日という藤井市長の生年月日を見て、誕生日が近いことはわかっていた。遅くとも、30歳の誕生日までには、市長の身柄を検察・警察の手から奪還し、美濃加茂市民の皆さんの元にお返しようと考えていたのに、それが果たせず、留置場で誕生日を迎えさせることになってしまった。起訴後も市長の潔白を信じ、早期釈放を求める市民の署名が2万1000人を超えるなど、圧倒的多数の美濃加茂市民の皆さんの期待に沿えず、主任弁護人として、大変申し訳ないと思う。

勾留を維持し、保釈を認めない裁判所の判断は、検察官の強硬な意見に基づくものである。本件起訴後、裁判所で身柄関係書類が開示され、保釈請求に反対する検察官の意見書の内容を把握することができた。

ブログ【藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題】でも述べてきたように、本件の争点は、実質的には、中林と被告人の供述が対立する現金の授受の有無に限られている。中林が詐欺罪で起訴され勾留中で、同席者の高峰氏が現金の授受がなかったと供述している以上、「罪証隠滅のおそれ」などない。ところが、検察官は、「罪証隠滅のおそれ」があるかのように仕立て上げ、藤井市長の保釈に強く反対しているのだ。

呆れてしまうのは、検察官が、被告人の取調べ態度に因縁をつけ、「供述が曖昧で、公判においてどのような主張をしてくるか不明」「供述調書作成にも応じていない」などと述べている点である。取調べ担当検察官は、「いい加減に現金授受を認めろ」と迫るのみで、他の事項については具体的に聴取しようとせず、供述調書を作成しようとすらしないのは検察官の方なのである。要するに、身柄を拘束しておいて、何とか現金授受を認めさせようとしているだけなのだ。

弁護人から主任検察官に、「可能な限り思い出して説明する意思があるので、具体的な資料を示して取調べを行ってほしい」旨申し入れをしたほどである。しかし、藤井市長が、「中林とのメールなどについても、説明をしたいので示してほしい。」と言っても、取調べ検察官は「時間がない」と言って、その機会すら与えなかった。

藤井市長と中林との会食に同席していた高峰についても、検察官は保釈請求に対する意見書で、「供述を徐々に変遷させ弁護人の主張に沿った供述をするに至っている」として、「被告人を保釈した場合,被告人が前記高峰と自己に有利な内容で詳細な日裏合わせを行うことは必至である」などと言っているが、高峰氏は、当初、警察で、連日朝から晩まで過酷な取調べを受け、「金を渡したところを見ただろう」という追及を「見ていない」と否定し続けると、「中林が金を渡したところをお前が見ていないのであれば、席を外していたとしか考えられないではないか」と理詰めで迫られ、その旨の供述調書に署名しただけであり、それが全く意に反するものであることを、高峰氏は、その後の検察官の取調べでも明確に述べている。

現時点での高峰氏の供述が、「現金の授受は見ていないし、席も外したことはない」という内容で完全に固まっていることは、同人がニコ生の番組【[最年少・藤井美濃加茂市長収賄事件]事件のキーパーソン・タカミネ氏生出演】に出演して明確に供述している。今さら、藤井市長との間でどういう「口裏合わせ」が可能なのであろうか。

検察官が、「罪証隠滅のおそれ」の理由としていることは、ほとんどが、苦し紛れの「でっち上げ」に過ぎないのである。

しかし、このような、不当極まりない検察官の意見も、検察官側の証拠だけを見せられる裁判官には、疑うすべもない。そのため、裁判官は、検察官の意見を受け入れて「罪証隠滅のおそれ」を理由に、保釈請求を却下してしまうのである。

弁護団は、取調べ状況や、疑いを受けている事実についての認否について、藤井市長の供述を録取した詳細な書面を作成したり、関係者の供述状況を確認したりして、現時点では、「罪証隠滅のおそれ」は全くなくなっていることを具体的な資料で明らかにし、来週再度保釈請求を行うべく準備を行っている。

藤井市長の30歳の誕生日には間に合わなかったが、一日でも早く、藤井市長を美濃加茂市民の下にお返しできるよう、弁護団の必死の活動が続いている。いくら不当な検察官の抵抗が続けられようと、身柄拘束が解かれ、藤井市長が復帰する日は遠くはない。

かつて、私が検事として逮捕・勾留した初老の被疑者が言っていた。「人間を成長させる3つの大きな経験が『闘病』『浪人(職がなく、職に就くあてもないこと)』『投獄』だといいます。お陰様で、三つ目の経験をさせてもらいました」。

30歳の誕生日に「投獄」を経験した藤井浩人氏。彼は、きっと、この試練を乗り越え、大きな政治家になってくれると期待している。

 

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「責任先送りのための起訴」という暴挙

昨日、当ブログの【「前代未聞」の検察の判断を待つ藤井美濃加茂市長事件】で、勾留満期での検察の判断に、「証拠を無視した起訴」と「現職市長を逮捕しながら処分保留・釈放」という二つの可能性があるが、いずれも「前代未聞」だということを述べた。

本日、名古屋地検は、前者の判断を行い、藤井市長を受託収賄、事前収賄、あっせん利得処罰法違反で起訴した。

上記ブログでも述べたように、藤井市長が、現金の授受を一貫して全面否定し、会食の場に同席していたタカミネ氏も、席をはずしたことはなく、現金の授受は見ていないと供述している以上、賄賂の授受の立証が到底無理だということは、常識で考えればわかるはず。それなのに、なぜ、「あらゆる刑事事件を、法と証拠に基づき適切に処理しているはずの検察」が、このような事件での起訴という暴挙に出るのか。

それは、現職市長を逮捕した事件だからこそ、処分保留・不起訴にすることは、警察幹部、そして、その逮捕を了承し、勾留請求をした検察にとって、重大な責任問題になるからだ。いくら公判立証が困難であっても、無罪の可能性が高いと思っても、現時点で、現職市長逮捕が見込み違いであったこと、間違いであったことを認めるよりは、ましだからだ。

現在の名古屋地検の検察幹部にとって、今回起訴した事件が無罪になったとしても、その判決が確定する頃には、検事正も次席検事も異動になっており、責任を問われることはない。一般的に判決が確定する3年先ぐらいには、検事正などは退官しているかもしれない。そうである以上、現時点で大変な責任問題を生じさせることになる不起訴処分を行わないのが賢明ということになる。

企業の世界であれば、経営者が事業上の判断を誤った時、早期に判断の誤りを認めて、会社の損失を最小限にとどめるための意思決定が行われるようにするのが、取締役会、監査役などによるコーポレートガバナンスのシステムだ。それが機能していないと株主が重大な損失を被ることになる。

検察の意思決定のシステムは、一度行った判断が誤りであった場合、その誤りを認めて「引き返すこと」が社会全体に生じる損失を防ぐことになる。本件であれば、美濃加茂市長個人だけではなく、美濃加茂市民に重大な不利益を与えることを防ぐことになる。しかし、検察組織では、その時点の幹部の責任回避のために、個人や社会に重大な不利益を生じさせることになるような判断が行われることを防ぐシステムが機能しない。検察のガバナンスの重大な欠陥だ。

今回の起訴のような暴挙が行われないよう、重大事件における検察の意思決定についてチェックシステムを確立しないと、検察改革で打ち出された「引き返す勇気」は絵空事になってしまう。

長谷川充弘検事正には、この事件の公判の決着がつくまで異動させず、名古屋地検に「塩漬け」にしてもらいたい。このような「証拠を無視した起訴」をしたことの責任をきちんととってもらわなければならない。

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「前代未聞」の検察の判断を待つ藤井美濃加茂市長事件

全国最年少市長の藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取ったとして逮捕された事件は、明日、20日間の勾留満期を迎える。

前回の当ブログ【藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題】で、逃亡のおそれも罪証隠滅のおそれもないのに現職市長について「勾留の必要」を認め、不当な身柄拘束を容認した名古屋地裁の決定が重大な憲法問題であるとして、勾留の取消を求める特別抗告を最高裁に申し立てたことについて述べた。

この事件では、業者(詐欺で起訴され勾留中)が、2013年4月2日に10万円、同月25日に20万円を藤井氏(当時は市議)に渡したとする会食の場には、常に、藤井氏にその業者を紹介した人物が同席していた。「現金を渡した」と供述する業者と、それを全面的に否定し潔白を訴える藤井市長との供述が対立する中で、この同席者は、藤井市長の任意聴取が開始されると同時に警察から連日長時間の過酷な取調べを受け、意識を失う程の状態にまで追い込まれながらも、一貫して業者と藤井市長との現金の授受を否定していることについては、前回のブログで書いた。

その同席者のタカミネ氏が、7月9日夜、ニコニコ生放送の番組(インターネット中継)に出演し、ジャーナリストの江川紹子氏のインタビューに答え、現金授受があったと中林(業者)が言っている2回の会食の場に同席した状況について、「中林と藤井氏が一緒にいた時間は、いずれも1時間足らず。その間、自分は席を外していないし、現金の授受は見ていない。」と明確に述べた。それどころか、中林について「虚偽公文書作成や、他の金融機関からの融資詐欺など、起訴される可能性があるのに起訴されていない犯罪事実がある。」「中林は、某名古屋市議会議員に現金を渡したということも言っているが、その事実はないことがわかった。」などとも発言した。

被疑者を勾留して捜査を続けている贈収賄事件に関して、事件の鍵を握る同席者が、公開の場で、現金の授受を明確に否定する証言を行っただけではなく、贈賄供述が、「ヤミ司法取引」による虚偽供述である疑いまで示唆するという、前代未聞の事態に至っている。

このような前代未聞の状況で迎える明日(7月15日)の藤井市長の勾留満期、検察は、「勾留のまま起訴」か「処分保留で釈放」かの判断を迫られることになる。後者の場合、不起訴の可能性が高まることは言うまでもない。

上記のような現状からすると、起訴・不起訴いずれの方向であっても、検察の判断は、「前代未聞」である。

もし、検察が、藤井市長を起訴するという判断をした場合、「証拠を無視した起訴」そのものであり、有罪の確信がある事件のみ起訴することで刑事司法の中核を担ってきた検察にとって「前代未聞の起訴」である。現職市長の収賄事件という極めて社会的影響の大きい重要事件について、検察がそのような判断を行ったとすれば、検察史上に禍根を残す暴挙といえよう。

贈賄供述と、それを一貫して否定する収賄側供述とが対立し、その場に同席した人物が、賄賂の授受がなかったことを公開の場で明確に証言し、それが映像として記録されているのであるから、常識で考えても、賄賂の授受の事実が認められないのは当然だ。贈賄供述がいかにもっともらしく作成されていても、同席者の証言が覆る余地がない以上、現金の授受が認定される余地はない。それを敢えて起訴するとすれば、「証拠を無視した起訴」であるが、そんなことは、検察実務の常識からはあり得ない。

万が一、この事件で贈賄供述をしている業者の供述に基づいて起訴が行われた場合には、弁護人としては、「賄賂授受の証拠が希薄」というだけでなく、「業者側がなぜ虚偽の贈賄供述をしたのか」という点に関して、「ヤミ司法取引」の疑いも含めて徹底的に追及していくことになるであろう。

法制審議会の刑事司法制度特別部会で、「捜査・公判協力型協議・合意制度」と称して、司法取引を容認する答申が出た直後でもあり、本件で、「ヤミ司法取引」による虚偽の贈賄供述が公判で問題とされることは、今後の司法取引をめぐる議論にも重要な影響を与えることになる。

常識的には、本件で藤井市長を起訴する余地はなく、「処分保留で釈放⇒不起訴」というのが当然の結論だと考えられる。しかし、警察が現職市長を逮捕した本件について、不起訴という判断を行うことは、検察にとって、別の前代未聞の事態を招くことになる。

地方自治体に重大な影響を及ぼす現職首長の逮捕については、慎重の上にも慎重な捜査と判断が求められる。警察としても、間違いなく起訴される見通しがなければ逮捕することはできない。この種の事件では、「事前相談」と称して、警察が検察に証拠関係等を説明し、「起訴の約束」をとりつけた上で逮捕するのが通例であり、本件でも、愛知県警は、名古屋地検の「起訴の約束」をとりつけた上で藤井市長を逮捕したはずだ。もし、名古屋地検が不起訴にした場合、愛知県警との関係では約束違反となり、今後の警察と検察との関係に大きな禍根を残すことになる。

過去に、現職市長が逮捕された事件で、検察が不起訴にしたというのは聞いたことがない。この種の事件で不起訴の判断をするとすれば、検察にとって、それはそれで、「前代未聞の事態」であることは間違いない。

本件では、藤井市長逮捕の時点での「起訴の約束」に関して、名古屋地検に重大な判断の誤りがあったと考えられるが、そのような場合でも、これまでの検察は、警察との「起訴の約束」を尊重して起訴し、公判で無理筋の有罪立証を試みることで、問題を先送りする場合が多かった。ここにも、「引き返せない構図」が存在していたのである。

しかし、検察は、大阪地検の証拠改ざん問題などの一連の不祥事を受け、検察改革の中で「引き返す勇気」を強調してきた経過がある。従来のような「引き返せない構図」にとらわれることは、もはや許されない。

大阪地検の村木厚子氏の事件では、FDデータという客観証拠と供述調書のストーリーが矛盾していることがわかったのに、主任検事が、それを上司に報告せずに起訴したうえ、そのFDデータの改ざんまで行い、公判段階で証拠の矛盾が明らかになっても、有罪立証を断念せず、有罪論告まで行った。そして、無罪判決後に、主任検事による証拠改ざんが発覚し、検察への信頼は地に堕ちた。

今回の事件は、特捜部による検察独自捜査ではないが、地方自治体の首長逮捕という社会的・政治的影響の大きさもあり、不起訴になった場合には、警察のみならず、逮捕を了承し、勾留請求を行った検察に対しても厳しい批判が予想される。警察送致事件であっても、検察にとって「引き返しにくい構図」の事件であることは間違いない。

しかも、この種の事件に関しては、逮捕と同時に、「逮捕=有罪」を前提に、逮捕された首長が社会的に「犯罪者」として扱われることで、「引き返しにくい構図」が生じることも否定し難い。逮捕後に夥しい数のマスコミの有罪視報道が垂れ流されたのがその典型であるし、自民党岐阜県連が逮捕当日に藤井市長を除名したのも、野党の国会議員がブログで藤井市長をこき下ろしたりしたのも、「警察が逮捕した以上、不起訴はあり得ない」という見込みによるものであろう。

そのような「逮捕=有罪」の社会的認識の中で、検察にとって、「引き返すこと」は一層困難になる。

明日の勾留満期には、「証拠を無視した起訴」という前代未聞の判断を行うか、「引き返す勇気」を持って、処分保留のまま釈放・不起訴という、前代未聞ではあるが、検察が行うべき「適切な判断」を行うのか、検察の意思決定が行われることになる。

その判断を行う名古屋地検の最高責任者が、長谷川充弘検事正である。

彼は、一連の検察不祥事に際して、最高検察庁検事として、極めて重要な役割を担った。大阪地検の証拠改ざん事件では、大坪元特捜部長、佐賀元特捜部副部長の犯人隠避事件の主任検察官として、両名を犯人隠避罪で起訴した。特捜部長・副部長が、「主任検事の証拠改ざんを認識しながら、引き返さなかった」ことについて、容赦なく断罪した長谷川検事が、名古屋地検検事正として、まさに「引き返す勇気」が求められている今回の事件に、どのような判断を下すのだろうか。

警察の逮捕を了承し、勾留請求を行い、ここまで勾留を続けてきたことの非を潔く認め、「引き返せる検察」を世の中に示してくれることを期待したい。

明日の勾留満期を控え、本日夜、美濃加茂市では、本件に関心を持つ市民が参加する集会が開かれ、弁護人の私も参加する(「郷原信郎弁護士とともに藤井市長事件を考える会」ニコ生中継http://live.nicovideo.jp/watch/lv186077267 )。

最高裁への特別抗告に際して、2日間で1万5000人を超える市民(人口5万5000人)が早期釈放を求める署名を行った。藤井市長の潔白を信じる多くの市民とともに、検察が、「引き返す勇気」を持ち、“前代未聞”の現職市長釈放の決断を行うのを待ちたいと思う。しかし、一方で、従来の「引き返せない構図」に引きずられ、「証拠を無視した起訴」という“前代未聞の暴挙”を行う可能性があることも十分に認識し、今後の戦いにも備えなければならない。

 

 

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藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題

藤井浩人美濃加茂市長が市議時代に業者から30万円を受け取った収賄の疑いで逮捕・勾留されている事件で、勾留取消請求却下決定に対する準抗告を棄却する名古屋地裁の決定に対して、本日間もなく、最高裁判所に特別抗告を申し立てる。

その理由は、現職の美濃加茂市長の被疑者について、逃亡のおそれがなく、罪証隠滅のおそれもほとんどなくなっているのに、勾留の必要を認めて、勾留取消請求を棄却した名古屋地裁の決定が、「地方自治の本旨」等、地方自治の基本原則を定める憲法92条、93条2項の趣旨に反し、「正当な理由」を拘禁の要件と定める憲法34条後段、「適正手続の保障」を定める憲法31条に違反するということだ。

現職市長で、一貫して潔白を訴える藤井市長に「逃亡のおそれ」がないことは、あまりにも当然で、任官後僅か半年の新米裁判官が、そのような非常識な勾留理由を認めたことが裁判所のシステムの問題であることを、【現職市長に「逃亡のおそれあり」として勾留決定をした任官後半年の新米裁判官】で指摘した。

「逃亡のおそれ」については、さすがに、勾留決定に対する準抗告棄却決定でも勾留取消請求却下に対する準抗告棄却決定でも「逃亡のおそれについて判断するまでもなく」と述べて判断を回避している。

問題は、罪証隠滅のおそれの方であるが、贈賄が行われたとされている2回の会食の場にいた同席者が、市長の任意聴取が始まった日から、連日、朝から晩まで警察・検察の取調べを受けている。しかも警察では、過酷な取調べで意識を失うところまで追い込まれているにもかかわらず、一貫して「現金授受は見ていない。そのような話は聞いたこともない。」と供述しており、藤井市長の支援者が行っているネット署名にも、「俺が白だというんだから白だ!」と書き込むなど、贈賄供述をしている業者の供述の裏付けにならない供述がほぼ確定している。

江川紹子氏も、コラム【藤井美濃加茂市長収賄容疑事件、裁判所は令状発行機関なのか】で、この同席者にインタビューした結果について、次のように述べている。

高峰氏に話を聞くと、現金授受も有利な取り計らいをしてほしいとの請託も、明確に否定した。

「そもそも、彼(藤井氏)はこの浄水設備の導入に乗り気になっていたので、業者が賄賂を渡したり、有利な取り計らいを頼んだりする必要が、全くないんです。会った時には、ずっと私がいて、彼と業者の2人だけになる機会もありませんでしたし」(高峰氏)

贈賄業者は、別件の詐欺事件(教育委員会の公印を偽造して金融機関から融資金をだまし取った事件など)で勾留中であり、藤井市長が有利な供述をするよう働きかけることはできないし、同席者は、市長の供述と一致しているのであるから、働きかける必要もない(もちろん、今後、警察、検察が、同席者に拷問的な取調べを行って現金授受を見たと認めさせるというのであれば別だが)。

このような事件で、どうして「罪証隠滅のおそれ」があると言えるのか。

そもそも市議時代の30万円の収賄事件で現職市長を逮捕するということ自体が、この種の事件の捜査の常識からはあり得ない。それに加え、何と言っても、本件は、勾留10日足らずで、賄賂の授受がなかったことはほぼ明白となり、罪証隠滅のおそれもなくなったという特異な事件なのである。これらの事件の内容や捜査経過に関する問題点については【最年少・藤井美濃加茂市長収賄事件 担当弁護士郷原信郎氏独占インタビュー】で述べている。

このような事件で、美濃加茂市民が、一致結束して、市長の潔白を信じ、早期釈放を求めている。7月6日の日曜日から本格的に始まった市民の署名は、美濃加茂市の人口約5万5000人のうち、昨日までのわずか2日間で1万5000人を超えた(代理署名も含む)。

このような状況で、不当な勾留を続け、美濃加茂市政に重大な支障を生じさせているのは、憲法92条が保障する地方自治制度に対する重大な侵害である。

名古屋地検、愛知県警などが行っている美濃加茂市に対する不当な干渉を、名古屋地裁が、何の問題意識もなく丸ごと容認している以上、重大な憲法問題として最高裁判所による救済を求めるほかない。

 

 

 

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現職市長に「逃亡のおそれあり」として勾留決定をした任官後半年の新米裁判官

藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取った収賄の容疑で逮捕・勾留されている事件について、昨日午前、名古屋地裁で勾留理由開示公判が行われた。裁判官から、勾留理由を開示し、被疑者、弁護人が意見陳述を行う手続きだ。

この事件での警察、検察、裁判所の判断は、多くの面で疑問だらけだが、まさに、その「極め付け」と言うべきなのが、勾留決定をした裁判官が、勾留理由として「逃亡のおそれ」を認めていることだ。

選挙で美濃加茂市民の支持を得て市長に就任し、一貫して潔白を訴えている現職の市長が、市民を見捨てて逃亡すると言うのか?あまりに非常識な、美濃加茂市民に対しても非礼極まりない判断をした裁判官はどういう人物なのか。

法服をまとい、六法全書を手に現れた裁判官は、度の強い眼鏡をかけ、見るからに「ひ弱な秀才タイプ」。それが、今年1月に任官したばかりの森判事補だった。

森裁判官は、被疑者の人定質問の後、勾留理由の説明に入る。

「逃亡のおそれ」については、「被疑者の身上関係に加え、本件の性質等も考慮に加えますと、本件強制捜査を受けて一時その所在を隠すなどして逃亡すると疑うに足りる相当な理由があると認められました。」と述べた。

しかし、その発言は、いかにも自信なさそうで、小声で早口だったので、聞き取りにくく(私は裁判官席に最も近い弁護人席だったので、何とか聞き取れた)、傍聴していた記者の中には、所在を隠す「可能性」ではなく、「藤井市長が本件強制捜査を受けて一時所在を隠していたこと」を、逃亡のおそれがあることの理由として挙げたように誤解した者もいたようだ。実際にそのように報じた地元のテレビ局もある。

藤井市長が、逮捕前に、一時的にせよ所在を隠していたことなどあろうはずがない。それどころか、藤井市長は、逮捕の前日の朝、おびただしい数のマスコミ関係者が自宅周辺を取り巻き、多数の車が違法駐車して近隣住民に迷惑をかけているのを見かねて、自ら美濃加茂警察署に乗り込み、違法駐車の取締りを要請している。やましいことがあって、逃げ隠れをしようと思う人間であれば、警察署に自ら乗り込んでいったりするわけがない。

現職市長に「逃亡のおそれがある」とした、この森裁判官の判断は、明らかに常識外れである。

しかし、まともな法曹関係者にとって理解し難いこのような森裁判官の判断も、任官して僅か半年の新米裁判官であることを考えれば、一概に個人だけを責められないような気もする。

法科大学院や司法研修所で法律や司法実務を学んでいるのだから、地方自治についての憲法の規定などは、十分に理解しているだろう。しかし、それは、首長は住民の直接選挙で選ばれることや、自治体が国から独立して行政を行うことなどを観念的に理解しているに過ぎない。市長が市民から選ばれて市政を担っているというのが、実際どういうことなのか。その市長を勾留し、長期間身柄拘束をすることが、市民や市政にどのような影響を及ぼすのか、というようなことについての現実感がないのだろう。

市長が市民を見捨てて逃亡することなどあり得ないという、あまりに当然のことも理解できず、「独身、29才の被疑者であれば、逃亡のおそれがある」という刑事司法の世界の一般論だけで、勾留の必要性を判断したのではないか。

もちろん、任官して半年と言っても、一人前の裁判官としての職責を与えられ、勾留の決定を行ったのであるから、その責任がある。新聞記事にも実名が掲載され、弁護人の私から「常識外れの勾留理由」と批判されるのも、その職責上は当然である。

しかし、それにしても、昨日の法廷で、現職市長に「逃亡のおそれ」があることの理由に関して、弁護人の私から厳しく問い質され、どうしていいのかわからないという感じだった森裁判官の表情を思い出すと、若く未熟な裁判官を、あのような場に立たせること自体が気の毒な感じがする。そこには、裁判官の業務に関わる制度の問題があるのではないか。

刑事裁判官の判断のうち、証拠による事実認定や法律判断という判決を下すことについては、裁判官としての一定の経験年数が必要とされ、判事補は、5年以上の経験を有する「特例判事補」でなければ、単独で裁判を行うことができないことになっている。また、重罪の裁判については、十分な経験を有する裁判長を含む3人の合議体で裁判が行われる。

その一方で、逮捕状の発布、勾留の決定などには、裁判官としての経験年数は必要とされない。つまり、現在の裁判所では、事実認定、法律適用などの「実体判断」が重視され、逮捕、勾留などの身柄拘束に関する「手続判断」は、著しく軽視されているのである。

しかし、事件によっては、最終的な事実認定や法律判断ばかりでなく、逮捕・勾留という身柄拘束についての判断が、被疑者自身やその家族に重大な影響を与える場合もある。また、今回の事件のように、被疑者の身柄拘束が地方自治体の住民や行政に重大な影響を与える場合もある。

そういう「実体判断」重視、「手続判断」軽視の裁判所のシステムが、今回の事件での現職市長に対して、「逃亡のおそれがある」などという非常識な勾留理由の判断が行われた根本的な原因であるように思える。

 

 

 

 

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契約をないがしろにし、司法手続きを無視する自転車競技連盟の暴挙

当ブログ【東京五輪に向けての選手強化を阻む“競技団体のガバナンス崩壊”】で紹介した、自転車競技連盟による松本整総監督解任問題に関して、昨日、東京地裁で2回目の審尋期日が開かれた。

前回のブログ【自転車競技連盟総監督解任決議問題、連盟の混乱極まる】でも述べたように、解任権がないことの確認と解任しないことを求める仮処分の第1回審尋期日において、連盟側は、「答弁書をもって解任を通知する」と述べて、裁判官の目の前で、まさに審理の対象とされている「松本総監督の解任」を強行したのである。しかも、その解任の理由を問われても、「今後明らかにする」と述べるにとどまり、解任決議を行ってから6日も経っても解任の理由を全く示せないという混乱ぶりを露呈した。

我々松本氏の代理人弁護団は、司法手続無視の解任通知を撤回する機会を与えるため、解任決議の撤回を求める確答催告書を出し、連盟側に、法に従った対応を行う最後の機会を与えた。

しかし、その後今回の期日まで、催告書に対する連盟側からの回答は全くなく、昨日30日の第2回審尋期日において、連盟側は、解任決議を撤回するどころか、今になって、出し遅れの証文のような、凡そ理由にもならない解任事由を並べ立て、6月4日の解任決議を無理やり理屈付けようとしている。

その一つとして挙げられている「成績不振」は、松本総監督就任前と比較しての「成績不振」とは到底言えないものであり、前ブログでも述べたように、松本氏が、日本記録の数を大幅に増やすなど、総監督としての力を発揮して成果を上げていることを完全に無視している。

また、すでに最も軽微な連盟内の処分で決着しているパワハラ問題(それ自体も全くの冤罪であることは松本氏が一貫して主張しているが)を蒸し返して、それによって連盟と松本氏の信頼関係が損なわれたなどと主張している。

このような苦し紛れの解任理由を、今になって持ち出さざるを得ないのは、理事会決議というのが、最初から「解任ありき」で行われたものであって、ほとんど理由の検討もないまま決議されたことを示している。

今回の期日に出された書面と、期日におけるやり取りから、連盟側には、法や契約に従う意思も、仮処分という司法手続きを尊重する意思も全くないことが明らかになったといえる。松本氏代理人弁護団としては、もはや次の手段を講じざるを得ないと判断した。

このような連盟側の暴挙を主導してきたのが誰であるかは、わかっている。法人としての連盟だけではなく、そのような個人に対しても、法的責任を厳しく追及していく方針だ。法や契約を無視する行為を多数決で決めても、その損害賠償責任を連盟に負わせるだけで済む、と言う考え方を改めさせない限り、今回のような競技団体の暴挙はなくならない。

本日、連盟及び一部の理事に対する損害賠償請求等の訴訟を提起し、午後4時から松本氏本人が記者会見を行う。

自転車競技連盟という競技団体のガバナンスが問われている今回の問題、この提訴と記者会見で、局面が大きく変わることになる。

 

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全国最年少市長の「潔白を晴らす」

全国最年少の藤井浩人美濃加茂市長が市議時代に業者から30万円を受け取ったとされている事件で、弁護人を受任し、名古屋地検の接見室で藤井氏と接見した際、最後に交わしたのが「頑張って、潔白を晴らしていきましょう。」という言葉だった。

その直後に、名古屋市内で行った記者会見でも、私は、「潔白を晴らしたい」という言葉を何度も口にし、翌日の新聞記事にも、そのまま引用された。

この「潔白を晴らす」という言葉、日本語的には若干おかしい。正しくは、「潔白を明らかにする」か「疑いを晴らす」だろう。

しかし、接見の最後で藤井氏にかけた言葉が「潔白を晴らす」だったことは間違いないし、今も、藤井氏がやるべきこと、そして、私が弁護人として行おうとしていることにぴったり当てはまる言葉は、「潔白を晴らす」なのである。

藤井氏は6月24日に収賄の容疑で警察に逮捕され、検察は26日に勾留請求し、裁判所も勾留を決定した。その疑いを晴らすために一般的に必要なことは、本人が、そして、弁護人の我々が、潔白を「明らかにしていくこと」「証明すること」だ。

警察、検察に犯罪の容疑をかけられ、逮捕までされた人物は、まず犯罪者だと考えて間違いなく、その疑いを晴らすためには、「潔白であること」つまり、本来間違いはないはずの警察や検察の認定が誤っているという「例外的な事例」であることを、本人や弁護人が「証明しなければならい」というのが、世間の一般的な認識であろう。

しかし、私には、接見室で、仕切り板を隔てて座っている若き市長の姿、表情を見て、そして、彼の「私は絶対に現金など受け取っていません。」とはっきり言い切る言葉を聞いて、その疑いを晴らすための「証明」などという大仰なことが求められているとは思えなかった。

警察の何かの見立て違い、誤解が重なり、その誤りを正す警察組織内のシステムが機能せず、そして、そのような警察捜査の暴走の抑制する立場にある検察が本来の役割を果たかったために、若き市長の周りに「収賄の疑い」が、どんよりと雲のように漂っているだけであり、我々がやるべきことは一刻も早くその雲を「晴らしてしまうこと」だ、としか思えなかったのだ。

その瞬間に、私の口から自然に出たのが「潔白を晴らす」という言葉だった。「潔白」は当然のことであり、我々が行うべきことは、その「潔白」を覆い隠そうとしている雲を吹き飛ばし、彼の「潔白」が「晴れわたった空」のように、誰にもはっきりと見えるようにすることだ。そういう私の思いは、「潔白を明らかにする」という「正しい日本語」では表現できなかった。

それから2日、多くの情報提供を受けたこともあり、私の頭の中では、彼の「潔白」はますます明白なものになりつつある。警察捜査が、どうしてこのように誤った方向に向かってしまったのか、検察がなぜ、それを止めることができなかったのか。その経緯と構図も、少しずつわかってきたように思える。

私が由良秀之のペンネームで書いた推理小説「司法記者」、とそれを原作とするWOWOW連続ドラマ「トクソウ」(今年5月11日から5回連続で放映)では、特捜捜査の暴走と、それと癒着し、それを煽っていく司法マスコミの関係を描いている。ここで出てくる検察捜査の暴走のプロセスと、今回の警察捜査の暴走のプロセスには、共通点があるように思える。

一昨日の夜、接見後の記者会見で、我々弁護団が、藤井市長の潔白を確信していると述べ、「有罪視報道」を控えること、客観的・中立的報道を行うことを要請したにもかかわらず、警察情報を、信ぴょう性を確認することもなく垂れ流す県警クラブ中心のマスコミ報道は、まさに推理小説「司法記者」に出てくる司法クラブ中心のマスコミ報道とそっくりである。

藤井市長逮捕に対する政治家の反応も様々だ。

藤井市長の仲間、多くの若き政治家たちが、彼の潔白を信じ、懸命に激励、支援の活動をしている一方で、逮捕の報道を見て、当然に「有罪」だと決めつけ、この時とばかり、藤井市長の政治姿勢まで批判している政治家もいる。

【「若手守旧派」政治家】などというタイトルのブログで、

若さが売り物の新鮮なイメージのその市長さんが、雨水浄化設備の設置をめぐって業者に便宜を図り、見返りに現金30万円の賄賂を受け取りました。

などと書いて有罪と決めつけ、

正直言って、20歳代の実務の経験のない若者に、自治体の経営ができるとは、私は思いません。

有権者の判断とはいえ、何となく釈然としません。「何かを実現するために」政治家になるのではなく、「自己実現のために」政治家になったのでしょう。あるいは「割の良い仕事」としての政治家かも。

などと書いてこき下ろしている、みんなの党衆議院議員の山内康一氏などは、その典型だ。

とりわけ、野党議員には、権力との一定の距離感が必要だ。権力の行使に対して、健全な懐疑心を持つことが必要なはずだ。

警察、検察などの行動を無条件に正しいものとし、権力の攻撃にさらされている政治家に対し、本人は潔白を訴えているのに有罪と決めつけてこきおろすような野党政治家は、いかに立派な主義主張を述べていようと、立派な政策を訴えていようと、誰からも信用されないだろう。こういう時にこそ、政治家の本質が表れるのである。

一度権力行使の対象にされたら、当然晴れるべき疑いも、それを晴らすのは決して容易なことではない。

権力に群がるマスコミ、権力におもねる政治家の中で、藤井市長の「潔白を晴らす」ことに、我々はこれから取り組んでいかなければならない。

 

 

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自転車競技連盟総監督解任決議問題、連盟の混乱極まる

       ~「解任理由不明の“解任決議”」の責任は誰が負うのか~

日本自転車競技連盟が、理事会でナショナルチーム松本整総監督の解任決議を行い、松本氏側が、解任権不存在確認の仮処分命令を申し立てている件(当ブログ6月7日付け【東京五輪に向けての選手強化を阻む競技団体の“競技団体のガバナンス崩壊”】参照)で、6月11日、東京地裁で、当事者の主張を聞く審尋の手続きが行われた。

契約を無視した解任決議に対して、松本氏側が、ただちに仮処分申立てを含む法的措置を講じてくることを予想していなかったのか、連盟側の対応は混乱を極めている。

審尋の直前1時間前に答弁書を提出し、その書面提出をもって、総監督の解任の通知だとしているが、解任の「理由」は書面には全く示されておらず、審尋の場においても、解任理由については、「今後明らかにする」と述べただけだ。

連盟が、契約書に2017年3月までの契約期間内は解任できないと明記されているのを無視して松本氏の解任決議を行ってから6日も経っているのに、解任の理由を全く示せないというのは、どういうことなのだろうか。理事会で総監督解任を決議したのであれば、解任議案に関して、その理由が示された上で審議され、解任議案が可決されたということでなければおかしい。理由すら明確にしないまま総監督解任を決議したとすると、それは、もはや「理事会決議」とは言い難い。

答弁書や審尋での発言からすると、連盟側は、「総監督との契約は委任契約だから解除は可能で、不当な解除だというのであれば損害賠償の問題になるだけだ」と考えているようだ。しかし、そもそも、補助金等の税金も投入されている公益財団法人の自転車競技連盟が、不当解任によって損害賠償を支払うことを承知の上で契約を解除するというようなことが許されるのだろうか。その場合の損害賠償というのは、一体誰が負担するのであろうか。

これまでの連盟側の対応を見る限り、もはや「組織の体をなしていない」と言わざるを得ない。このような混乱の中で、不当な解任決議など一連の対応に関して、連盟内部でも様々な問題が噴出する可能性がある。最終的には、橋本会長、今回の解任決議を主導した副会長、それに付和雷同した理事などの個人の責任が問題にならざるを得ないであろう。

一方の松本氏は、今回、不当な解任決議が連盟側からリークされ、報道されたことなどによって、重大な名誉棄損の被害を受けている。このような連盟側の暴挙に対して徹底的に戦っていく姿勢である。

それに関して、松本氏は、昨日付けで、自身のホームページ「鉄人疾走松本整オフィシャルサイト」に【日本自転車競技連盟に関する一部報道について】としてコメントを公表し、その中で、「契約を盾にとって総監督の地位にしがみつく気持ちは毛頭ありません。今回の自転車競技連盟側が、契約を無視した違法なやり方を強行してきたことに対して、それに屈することは、自転車競技の世界のみならず、広くスポーツの世界に重大な悪影響を生じさせると考え、あらゆる法的措置を講じて、連盟と戦っているものです」と述べている。

松本氏は、今後、損害賠償請求等の措置をとっていくことで、仮に、賠償金が得られたとしても、それによって個人の利益を得る意思は全くなく、全額をスポーツ振興のために寄附する意向である。

松本氏にとって、今回の行動は、自身の個人的問題としてというより、自転車競技連盟を正常化し、法や契約を守る健全な組織運営を実現するための戦いなのである。

 

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東京五輪に向けての選手強化を阻む“競技団体のガバナンス崩壊”

2020年東京、56年ぶりに日本で開催される夏季五輪。レスリング、体操、水泳、柔道など、日本がこれまでメダルを獲得してきた種目だけではなく、多くの種目で日本選手が大活躍し、メダル・ラッシュとなる…。日本人の誰もが夢見る光景であろう。

それを実現するためには、運動能力・素質の優れた競技者を幅広く発掘し、最先端の科学的・合理的なトレーニング・強化の手法を用いて競技能力を向上させていく必要がある。その中心的な役割を果たさなければならないのが、公益法人等として設立されている各種競技の競技団体である。

しかし、多くの競技団体は、メダル獲得に向けて一致団結しているというのとはかけ離れた状況にある。法人としてのガバナンスが崩壊し、合理的な選手強化に向けての主体性を発揮することなど到底期待できない惨憺たる状況にある団体も少なくない。

テコンドー協会は、不適正経理などで2度にわたって是正勧告を受けたことから、今年5月に、公益社団法人の認定の取消しを申請し、内閣府の監督下から外れることになった。

強化方針の違いなどで対立が続いていた日本ホッケー協会は、6月7日、総会で、吉田大士会長ら執行部の理事8人全員の解任を決めたが、議決の手続等をめぐって対立が続いている。

多くの競技団体で、内紛や、ガバナンス上の問題が続発する中、政府の監督下にある公益財団法人でありながら、権限を逸脱してナショナルチーム総監督解任決議を強行し、東京地裁から仮処分の審尋への出頭を求められるなど、まさに「ガバナンス崩壊」を露呈したのが、橋本聖子参議院議員が会長を務める日本自転車競技連盟(以下「JCF」)だ。

過去にメダル獲得の実績のある自転車競技は、東京五輪でのメダル・ラッシュに向けて期待が高い種目である。この自転車競技連盟をめぐる混乱は、今後の東京五輪に向けての各種目の選手強化にも重大な影響を与えかねない。

私は、この問題に、総監督松本整氏の代理人の立場で関わっている。まず、問題の背景・経緯と現状をまとめておこう。

 

自転車競技には特殊な要因がある。サッカーなどでは考えられないが、自転車競技の中心を担う競輪選手にとって、競輪に出場した方がナショナルチームで国際大会等に出場するよりも高収入が得られるため、競輪界では、ナショナルチームでの活動よりも日本の競輪でレースに出場することを優先し、ナショナルチームを、競輪よりも低く位置づける傾向があった。そのため、ナショナルチームの合宿への参加者も少なく、選手自身の独自の練習メニューの実施に偏り、チームとしての組織的対応は十分に行われていなかったのである。

しかし、公益財団法人たるJCFにとって、税金を投入して、ナショナルチームの強化を行い、国内外への大会へ参加する以上、ワールドカップやオリンピックでメダルを継続的に獲得できるよう、ナショナルチームの組織的な強化を行うことは、社会的使命である。そのような認識から、前会長の富原忠夫氏は、競輪を知り尽くし、プロスポーツ選手のトレーナーとしても活躍し、科学的トレーニングの造詣も深い松本氏にナショナルチーム総監督就任を要請した。

松本氏は、順天堂大学スポーツ科学部での研究成果等に基づく科学的・合理的なトレーニングによって、競輪選手としての自己の能力を極限まで高め、高松宮記念杯競輪での優勝を含め、最高齢G1優勝記録を3回更新した実績を持つ。

松本氏とJCFとの間との総監督委嘱契約の期間は、2017年3月31日までで、期間内は解任できないことが契約上明記されている。

松本氏としては、リオデジャネイロオリンピックまでの長期的な計画に基づいて、責任を持って選手強化に臨むため、契約期間内は解任されないことを条件に総監督就任を受諾したものであった。

 

松本氏が総監督に就任したのは、ロンドンオリンピックの前年である。松本氏は、さっそく、個々の選手のトレーニングに関する情報を監督が把握する組織的な管理手法を導入するとともに、日本人がパワーで劣る部分をスキルで補うべく、中野浩一氏のデータを分析し、日本人の得意な巧緻性を活かして力の利用効率を向上させる科学的なトレーニングプログラムを取り入れた。その成果は、日本記録の更新回数を見れば明らかである。松本氏の就任前は2008年3回、2009年4回、2010年6回、2011年3月まで1回であるのに対し、松本氏の就任後は、2011年4月以降9回、2012年14回、2013年15回と、着実に成果が上がっている。

それに加えて、イギリスで採用しているKPI(医科学的指標)を日本版に加工し、選手の選考・強化・育成指針の指標とすることなどに取組んでいる。松本氏の科学的トレーニングは、平成25年7月28日(日)NHK BS1のドキュメンタリー番組【為末大が読み解く!勝利へのセオリー】でも紹介された。

 

ところが、このように斬新な方法でナショナルチームの選手強化を真摯に推進する松本氏を疎む勢力があった。チームとしての組織的な情報管理や、科学的なトレーニング手法に対する反発もあり、それが松本総監督を引きずりおろそうとする画策につながった。 それは、まず「パワハラ騒ぎ」という形で顕在化した。

女子選手が松本総監督のパワーハラスメントの申告をしたとして、2013年4月に、連盟内に倫理委員会が設置され、調査が行われた。委員は、松本総監督降ろしの画策の中心人物の副会長を含む連盟内部者2名と弁護士、大学元教員の4名である。

しかし、調査を行っても、松本総監督を解任に追い込むようなパワハラの事実は出てこなかった。それにもかかわらず、無理にこじつければパワハラと言えなくもない程度の発言があったことを強引に認定し(パワハラとされた発言については、松本氏が否定しているだけでなく、その場に同席した連盟幹部も強く否定している。)、2013年12月に、松本氏に対して「厳重注意処分」を行った。そして、そのパワハラ認定及び処分について、松本氏側が一貫して強く反発しているにもかかわらず、2014年3月に、行為者を匿名にしてはいるが、パワハラ行為があったとしてJCFのホームページで公表した。

そして、パワハラによる松本総監督解任の画策に失敗した副会長サイドが、「成績不振」を理由に解任決議を強行した、というのが今回の騒ぎである。

そもそも、リオデジャネイロオリンピックまでの期間、総監督を継続して務めることで、選手の育成・強化に責任を持つことを条件に就任を受諾した経緯から、契約上、連盟側には、解任する権限がない(仮に、総監督が連盟の内部機関であれば、理事会決議によってただちにその職を失うということもあり得る。しかし、JCFと総監督とは契約関係であり、理事会決議でその地位を一方的に失わせることはできない)。

しかも、解任決議の理由とされた「成績不振」も、上記のとおり、全く事実に反する。新聞記事では、「11年ロンドン五輪では3大会連続のメダル獲得を逃すなどチームは低迷」と書かれているが、松本総監督就任後の唯一の大会であるロンドン五輪は、就任後僅か1年後のことであり、そこでメダルがとれなかったことは、「松本総監督就任による成績不振」ではない。むしろ、日本記録の数などから見れば、ナショナルチームの成績は確実に上向いてきているのである。

このように法的に無効で、しかも、何の理由もない、不当な解任決議に対して、松本総監督は、連盟には解任権がないことの確認の仮処分を申し立て、東京地裁で審尋が予定されていることは既に述べたとおりだが、新聞では、「松本総監督解任」などの見出しで報じられている。法的に無効な解任決議の情報が、このように露骨にマスコミに提供されるのも、連盟のガバナンス崩壊を端的に表わしている。

 

選手個人の能力・資質や気力・精神力だけで獲得できるメダルの数は限られている。多くの種目でメダル獲得の可能性を高めていくためには、科学的知見に基づいた合理的な手法によって、選手の能力を引き上げていく必要があることに異論はないであろう。しかし、そのような選手育成・強化の中心を担うべき競技団体内部の「数の論理」が、そこに立ちはだかる。

前会長時代のJCFが、一定期間、解任を制限して総監督委嘱を継続していく契約を締結したのは、選手強化の方針・手法が、その時々の競技団体の「数の論理」に左右されることがないようにするための一つの知恵であったと考えられる。それは、スポーツ振興という公益を目的とする法人としての性格上、契約を無視・破棄する行為を行うことはあり得ないという常識に期待するものともいえる。

そのような常識を、ものの見事に覆したのが、今回のJCFの総監督解任決議であった。それが、公益財団法人として行い得ないもので、何ら効力を有しないものであることは、今後、仮処分・本案訴訟の場で法的に確認されていくことになるであろう。

しかし、今回の混乱の代償は、決してそれだけには止まらない。

選手の育成・強化を担う公益財団法人の競技団体において、このような法・契約無視の暴挙が行われ得るという現実は、自転車競技のみならず、あらゆる競技団体にも悪影響を及ぼしかねない。2020年東京五輪でのメダル・ラッシュを「夢まぼろし」に終わらせないためにも、競技団体において、法・契約・ルールをしっかり守るという法的ガバナンスを確立することが急務である。

 

 

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