大阪地検をめぐる事件、特別公務員職権濫用罪の成立は明白

10月21日、大阪地検をめぐる事件について、大坪前特捜部長及び佐賀前副部長が犯人隠避罪で起訴された。今後の最大の課題は、既に起訴されている前田元検事による特別公務員職権濫用の事実について捜査を尽くすことである。

前田元検事の行為が特別公務員職権濫用に該当するか否かに関しては、村木氏を逮捕・勾留した行為が「職権濫用」と言えるかが問題になるが、以下の理由により該当することは明らかである。

前田元検事が村木氏逮捕を検討し、関連する証拠関係を上司、上級庁に報告し、検察庁内で逮捕への了承を得たと考えられる平成21年6月上旬頃の時点で、関係者の供述からは、村木氏から上村氏への不正な証明書作成の指示があったとすれば6月8日以降としか考えられなかった。一方で、上村氏の自宅から押収されたフロッピーディスク内に残っていた本件証明書の文書データの最終更新日が6月1日午前1時過ぎとなっており、同時期に同文書の作成が終了したと認められ、同文書の作成を村木氏が指示したとすればその時期は5月31日以前としか考えられなかった。そのため、虚偽公文書作成についての村木氏の共謀すなわち同氏の上村氏に対する文書作成の指示に関する関係者供述は、客観的証拠と矛盾しており、その時点で得ていた証拠関係すべてを総合すると、村木氏の共謀は立証困難で、有罪の見通しはほとんどなかった。

前田元検事はこのような証拠関係の矛盾を十分に認識していながら、同フロッピーディスクのデータの存在を報告文書に記載せずに秘匿し、証拠関係の矛盾を隠蔽して、上司及び上級庁の決裁ないし了承を得て村木氏を逮捕した。このような行為が、検察庁法4条により「公益の代表者」と位置づけられ、「裁判所に法の正当な適用を請求」することとされている検察官の職務として許される余地がないことは言うまでもない。

そこで、前田元検事は、最終的に、フロッピーディスクの更新日データという客観的な証拠が有罪立証の決定的な障害になることを恐れ、パソコンソフトを使用して最終更新日を改竄する行為に及んだものである。それが、上記のような有罪立証が困難な証拠関係であることを秘して決裁・了承を得て村木氏を逮捕・勾留した行為を隠蔽すること、無実の村木氏を罪に陥れることを目的とするものであったことは明らかである。

前田元検事は、上記フロッピーディスクの最終更新日データの改竄行為について、最高検察庁に証拠隠滅罪で逮捕され、本年10月11日に起訴されたが、その際の最高検側の説明によれば、「他の証拠から立証可能と考えていたが、嫌な証拠、マイナス証拠で公判が紛糾することは避けたいという思いから改ざんした。マイナス証拠で即無罪とは思っていなかった」と供述しているとのことである。これは、特別公務員職権濫用罪の嫌疑に対する弁解と考えられるが、「他の証拠から立証可能」というのは、一体どのような立証が可能だという意味であろうか。村木氏が虚偽の証明書作成を指示したことをいかに多数の関係者が供述していたとしても、フロッピーディスクの最終更新日データという客観的証拠と矛盾している限り全く無価値なものであり、そのデータを改竄、隠蔽等しなければ有罪立証が困難なことは明らかである。

公判段階において正確なフロッピーディスクの最終更新日データを記載した捜査報告書が村木氏の弁護人側に開示されてしまったことで上記証拠関係の矛盾が明らかになった後に前田元検事を含む検察官側が行った論告で『6月1日未明に、いったんは「平成18年5月28日」という作成日付が入力されたデータを作成しながらも、現実の公的証明書の発行については、必要な審査資料の提出がなかったことから、やはり逡巡していたところ、その後、被告人からの指示等で背中を押されて公的証明書を発行するという最終決断に至った』という証拠に基づかない不合理極まりない主張を行っているが、このような主張を行わざるを得なかったことも、証拠の矛盾を解消して有罪立証を行うことがもともと困難であったことを裏付けていると言うべきである。

前田元検事は、証拠改竄の目的について「公判を紛糾させたくなかった」と述べているが、フロッピーディスクのデータを含めすべての証拠関係が明らかになれば、「公判の紛糾」程度では収まらないことは明らかであり、目的が、その存在が明らかになると有罪判決の重大な支障になるフロッピーディスクのデータという客観証拠を隠蔽することで、有罪判決を得ようとすることにあったことは明らかである。

最高検が会見で明らかにした前田検事の特別公務員職権濫用に対する弁解と思える供述は明らかに不合理であり、同罪で捜査をしない理由は見出し難い。無実の村木氏を逮捕・勾留し、150日以上にもわたって身柄拘束を継続したことの責任は、被疑者、被告人やその関係者が、罪を免れたり、免れさせたりする目的で行われる行為を想定している証拠隠滅罪(懲役2年以下)のレベルをはるかに超えるものである。前田元検事の特別公務員職権濫用についての捜査を尽くし、それを許してしまった検察の決裁システムをめぐる問題を解明することが、今回の事件を全面的に解決し、検察に対する国民の信頼を回復する唯一の道である。

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小沢氏不起訴と秘書3人の起訴についてのコメント(その3)

【第83回定例記者レク概要より抜粋】

次に、今回の事件を通して見た政治、検察、メディアの関係についてお話をしてみたいと思います。まず政治です。

これほど政治が検察、メディアに対して、まったく無力であるということをさらけ出したと思います。昨年の西松事件のときも含めてです。政治が政治として、政治の内部における自浄作用もほとんど発揮できない。そして、検察の捜査に対しては、まったく無批判にそれをそのまま受け入れる。その中で、中には民主党の石川議員の同期の中には逮捕事実をもっときちんと明らかにしようじゃないか、みんなでちゃんと理解しようじゃないか、そこを検証しようじゃないかという動きがあっても、結局それはメディアから批判されるとその動きはあっという間に吹き飛んでしまう、という状況で、結局、検察に対しても、メディアの報道に対しても、主体性をほとんど発揮することができなかった。

そしてそれは、捜査の対象になっていない自民党などは、もっけの幸いとばかりに、検察やメディアの報道の尻馬に乗って、自分たちが政治的に優位な立場に立とうとする。こんなことが今後も繰り返されていったら、恐らく二大政党制は全然日本に根付かないと思います。二大政党制というものがきちんと日本に根付くためには、まず、政治家が政治家たる自覚を持たないといけない。その自覚のなさをさらけ出してしまったのが今回の問題に対する各政治家、政党の対応ではないかと思います。

そして、メディアの問題ですが、今回のメディアの問題が、検察の情報漏洩だとか、検察リークを垂れ流しただとか、そんなような薄っぺらな形で問題にされていること自体、まったく本質をとらえていないと思います。今回の問題に関するメディアの問題は、司法クラブメディアは検察と一体化している、そして非司法クラブメディアは独自の視点からいろいろな問題を報道してきてはいても、情報量や視聴者層が限られてしまって、世の中の人はほとんど司法クラブ系のメディアの情報一色になってしまった。それは、まさに、検察という1つの権力とメディアとの関係という構造的な問題であって、独立した機関が情報を特定のメディアにリークして、情報漏洩して記事を書かせたという矮小な問題ではないと思います。

一番問題なのは、検察が向かっている方向と常に司法クラブ系のメディアが同じ方向を向いてしまっている。だから批判、検証ができないわけです。基本的に、心情的に同じ方向を向いているのはいいんですが、その中にやっぱり立ち止まって考える、立ち止まって疑問を持つという冷静さがなければメディアではないと思います。今までいろいろな問題を指摘してきました。西松事件でもそうだし、今回の問題についても指摘してきました。それについて、メディアの方で、郷原はこんなことを言っているけどもこれはおかしいという話を聞いたことがありません。そこは、基本的に一体関係でもいいんですけども、ある面では検察の捜査に対して権力、権限の行使ですから、冷静に客観的に冷めた目で見ることができる、そういう余地を残しておかないといけないのではないかと思います。

それから、今日の新聞などでしきりに書かれているのが、まだ小沢氏が不起訴になったといっても検審がある、検審で2回起訴相当議決が行われたら、起訴強制されるんだ、まだ小沢氏は罪を免れたと思うのは早いぞ、というような言い方の記事がけっこう出ています。
私は、少なくとも検察がそういうことを念頭に置いて、最後は検審が判断してくれるという考え方を持って処分をすることは絶対にあってはならないと思います。

そもそも、検察審査会法が改正されて議決の拘束力が与えられたのは、今までの検察の捜査のあり方、処分のあり方に対していろいろな不信が生じてきたからです。とりわけ最大の原因になったのは福岡地検の次席検事の問題です。ああいったことを機に、検察が不信感を持たれたから、それに対して検察の処分権限に例外を求めようということで、例外的に検察審査会の議決に強制力を持たせる話になったわけです。

検察が行うべきことは、そういう実態になってしまつたことについて謙虚に反省して、自分たちの処分権限をもっともっと国民が信頼してくれる努力をすることではないかと思います。そういう意味で、とりあえず被害者がこう言っているから、遺族がこう言っているから、

あるいは世の中がこう騒いでいるから不起訴にするけれども、検審でひっくり返ったらまた考え直そうというようないい加減なことを考えていたら、検察はそのうち組織として消滅してしまうと思います。

私は、刑事司法の中核としての検察の役割は決して変わることはないし、今後も世の中がますます複雑多様になるに従って、罰則適用という形での制裁を検察が適切に運営していく、適切に行っていく必要性は、これまで以上に高まっていくと思います。そういう面で、これから、検察はもっともっと世の中に対して、社会に対して、開かれた目を持って、社会の実態に本当に適合した重大性、悪質性の判断を適切に行っていく。そのために検察はもっともっと進化しなければいけないと思います。

私も、そういう観点から今回の問題について、一検察OBとして発言してきたつもりです。今後も、まずは石川議員、現職の議員でありながら10万を超える十勝、帯広の有権者の人たちの支持を得て、これから通常国会に出席しようとするときに、それを阻まれてしまった石川議員が、一体どんな事実で、どんな証拠で、政治資金規正法違反とされたのか、起訴されたのかを、今後の刑事公判の中でしっかり見ていきたいと思います。私が今考えている事実関係とか、証拠関係だと、本当に石川公判はどうなるんだろうかと思います。

通常の特捜事件であれば、問題事件であっても、半年や1年は検察官の立証の段階で一応公判は順調に推移して、弁護人立証の段階でおかしくなっても世の中人はだいたい忘れているということで済むわけです。しかし今回の問題はそんなレベルではないのではないか。本当に、この事実関係のもとで悪質重大な政治資金規正法違反と言えるのかどうか。冒頭から、第1回公判からしっかり、検察の立証と、弁護側の反証を見ていく必要があるのではないかと思います。

問題は、事件の重大性・悪質性だけではありません。そもそも、意図的な収支報告書の虚偽記入や不記載に当たるか、犯罪が成立するのか、という問題です。定期預金の名義を小沢氏個人にしておけば何の問題もなかったわけで。要するに、自白の内容が小沢氏から現金が入ってきたことを隠したかったから書きませんでしたという自白が、果たして客観的な事実に符合しているのかどうか。そうしたかったんなら別に名義を小沢氏名義にすればよかったわけです、定期預金を。それをやらないで、定期預金の名義を陸山会にし、なおかつ不記載にして隠すということが、どうやったら合理的な説明がつくのでしょうか。

ですから、そういう自白調書になっているかどうかは、第1回公判でだいたいわかるのではないかと思います。そこがクリアされていれば、その次に重大性、悪質性の問題になるけれども、私はまだそこのところが全然自分で理解できないので、はたして第1回で納得できるような立証ができるのだろうかということも疑問です。

若干、感想めいた話になりますが、西松事件のときの世の中の雰囲気、検察の捜査に対する見方と、今回の捜査に対する見方はずいぶん違いました。私は基本的に同じスタンスでものを言ってきたつもりですが、西松事件のときは国策捜査というフレーズがあったために、世の中の人がその国策捜査というものに対する反発、批判というものを検察にぶつけた。ですから、私がやってきた検察批判も受け入れられやすかった。今回はそうではありませんでした。今回は国策捜査というフレーズがなかったために、捜査や事件の中身の問題だけです。しかし、その中身の問題は西松事件よりもはるかに問題のレベルは大きかった。それを私はずっと、この問題を1カ月以上ずっと言い続けてきましたが、はっきり言って、西松事件のときよりも非常につらかったことは間違いないです。本当に、事務所なぜ小沢の肩を持つのか、というようなご批判とか、不満の声も届きました。しかし、一方では本当に勇気づけてくれた、支援してくれた人たちもたくさんいました。そういう人たちのことを思って、これからも同じスタンスでこの問題について意見を言っていきたいと思っています。

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小沢氏不起訴と秘書3人の起訴についてのコメント(その2)

【第83回定例記者レク概要より抜粋】

それから、小沢氏の不起訴についてです。これは、私がかねてから言っているように、当然の結果であって、検察の最低限の良識が働いた。それによって暴発が回避されたということではないかと思います。石川議員についてすら、起訴をされることは、正直言って、今の今までまだ信じられなかったくらいですが、その石川議員の起訴と比べて、さらにさらに、ハードルが高く問題が非常に大きい。ほとんど、この事件での小沢氏の起訴は考えられない、というのが私の今までの考え方だったし、今もそう思っています。

なぜかというと、ここでも、2004年の収支報告書に小沢一郎氏からの4億円の借入金の記載があるということが非常に重要な事実です。結局、もし、この記載がなくて、銀行からの借り入れなんていうものもなくて、小沢氏から4億円の現金が入ってきたという事実だけがあったのに、それがまったく記載されていないという単純な話であれば、もし、石川氏が、収支報告書はこういう形で提出しますと言って1回見せたという程度でも、それを見れば、書いてあるか書いていないかははっきりしますから、書いてないな、俺は金を出したのに、書かないまま出すんだなということを了承したということで、比較的簡単に共謀も立証できるわけです。

しかし、小沢一郎氏からの4億円の借入金が書いてあるのに、それでも、これは現金という意味ではない。現金の4億円のことは不記載なんだ、ということであれば、これはそれなりの説明が必要です。石川議員から、これはこういうことで違う意味の記載なのです、先生からの現金のことは書いてありません、ということを詳しく説明を受けないと、小沢氏にそのことの認識があるとは言えないし、ましてや、共謀があるとは到底言えないと思います。そういう意味で、この事件で小沢氏の共謀が立証される可能性は極めて低いと思っていました。

それ以外にもいろいろな問題がありますけれども、それだけでもほとんど共謀による起訴は、可能性は限りなくゼロに近いと思っていました。ですから、もし、小沢氏起訴というような処分を検察庁が行うとすると、これは暴発以外の何ものでもないと考えていましたが、昨日の『夕刊フジ』にも私のインタビューが出ていましたが、そこでも「小沢起訴なら検察の暴発」ということをはっきり言っています。その暴発はなかったということで、検察の最低限の良識が働いたと私は見ています。

そこで、昨年の3月の西松建設事件から、ずっと小沢氏側に対する検察捜査が続いていたということですが、今回の検察捜査の問題全体を私がどう見るかということですが、私は、いろいろ検察捜査に対する批判の中で言われているような、検察が組織として当初から民主党や小沢氏に狙いを定めて、何とかして小沢氏を政治的につぶそうと思って組織的に行動したという見方もありますが、私はそういう捜査だとは思っていません。当初からそういう狙いでやったのではなく、もともと、西松建設事件に着手した段階では、いろいろな可能性を考えて着手したけれども、結局うまくいかなかった。まさに出口を求めて迷走した末、ほかに選択肢がなく、やむを得ず、小沢氏秘書の大久保秘書への強制捜査、逮捕という強制捜査に踏み切ったということではないかと思います。

ただ、そういう強制捜査を行うことを最終的にそれを決断したことの背景には、個人的なレベルで反民主党的な考え方とか、反小沢感情みたいなものもあったかもしれません。その後、西松事件はもっともっと背後に大きな事件があるのではないかと言われながらも、全然そんなものはなくて、結局、最初の逮捕事実とほとんど変わらないような事件で起訴されたわけです。その起訴によって、小沢氏は民主党の代表辞任に追い込まれたわけですが、その公判で検察はまず西松側の公判で大きくつまずいてしまった。政治資金の金額があまりにも少ないので、天の声という言葉によって事件の悪質性を強調しようとしたところ、結局、西松建設側が全面降伏の西松建設公判においても、裁判所は国沢氏に対する判決の中で、公共工事の受注と西松建設側からの政治献金との対価関係を明確に否定しました。まさに検察が強調した「天の声」という余計な部分は全部そぎ落とされてしまったという結果になったわけです。

今回の陸山会をめぐる政治資金問題についての捜査が、そういうような西松建設事件が、はっきり言って失敗捜査に終わったことのリベンジとしての、まさに執念の小沢側捜査であったことは否定できないと思います。結局、ほとんど1年近くにもわたって特定の政治家の事件を徹底的に追い続けたわけです。その間、特捜検察のリソースの大半が小沢戦線に投入された。これは、当初から意図していたものではないとしても、結果的には極めて政治的色彩の強い捜査になってしまったことは否定できないと思います。やはり、検察がこういう形で自主的に政治的意図を持って長期間捜査を続けていく、結果的に、まさに政治集団化してしまう、これは検察として絶対に避けねばならないことだと思います。まさに、そのことの是非を、この1年にわたる検察の捜査にあまりに政治色が強いという問題がなかったのかということをきちんと検証しなければいけないと思います。

検察の本来の役割は、社会内のさまざまな事象の中で発生する違法行為に対して、刑事罰を適正に、適切に適用することです。その刑事罰の適用の対象の中でも、伝統的な犯罪、殺人、強盗、窃盗に対しては検察の価値判断は不要です。こういう犯罪が反道徳的、反道義的な行為であるという評価は、刑法典の中できちんと定まっています。あとは、検察は、そういう行為について犯人が明らかになるだけの証拠があるのか、その事実を立証できるだけの証拠があるのかを判断して、証拠があれば起訴すればいいし、その検察の判断に誤りがあれば、裁判所が無罪判決を出すということであって、検察の価値判断はほとんどそこに介在する余地はありません。

しかし、今まさに社会が非常に複雑化、多様化して、いろいろな社会経済事象に対していろいろな法律が適用され、そこにはいろいろな罰則が付されているわけです。そういう罰則をどうやって法の趣旨に従って、違反の重大性、悪質性を判断して、適切に適用していくのか。ここが検察の非常に重要な役割になっているわけです。今回の政治の問題もそうです。ライブドア事件、村上ファンド事件のような経済事犯の問題もそうです。検察には非常に大きな役割が課されているわけです。中には、刑事罰を使わないで課徴金で済ませる案件もあっても、それは、刑事罰との整合性を考えて、その違反行為に対して科される不利益が本当に重大性、悪質性に見合ったものであるかどうかについて、最終的な責任を持つのが検察だと思います。

そういう意味で、伝統的な犯罪形態の1つである贈収賄という刀と、近代的な、現代的な犯罪現象、違法行為現象の1つである政治資金規正法とでは、その適用のあり方に極端な違いがあります。その違いをわきまえないで安易に政治資金規正法の刀を政治家に対して振るおうとするところに、最近の検察の捜査のあり方に重大な問題があった。それが、昨年以来の西松事件、今回の陸山会の不動産取得をめぐる政治資金問題に現れたと見ています。

わかりやすい例えで言えば、贈収賄は銃剣です。正面からぶすっと突き刺すか、あるいは狙いを定めて発射すればいいわけです。そういう武器です。狙いを1つに定められる、そういう武器です。それに対して、政治資金規正法は武器に例えると自動小銃です。自動小銃の撃ち方というのは、1つのところに狙いを定めて、それをめがけて撃つのではなく、そこら中にいる人間に幅広くだだーっと銃撃を浴びせる武器です。だからこそ、自動小銃で武装した反乱軍は大変な殺傷能力を持っているわけです。

そういう性格を持った武器である。政治資金規正法はそういう武器だということを明確に認識しないまま、単に政治資金規正法が民主主義にとって重要な法律だということだけで、検察の恣意的な判断で摘発、罰則の適用の対象を選択していったら、これは、民主主義にとって非常に重大な脅威になりかねないということをあらためて認識しなければいけないと思います。

そのことに関して、私は以前から、一罰百戒とは一罰を勝手に選べばいいものではないということを言い続けてきました。一罰は、できる限りその捜査機関、その刑事司法機関が努力をして、できる限り重大悪質なものに適用していく。そこに一罰を科し、それよりも重大性、悪質性のレベルの低い行為に対しては、あえて罰は加えない。これが正しい一罰百戒の考え方です。それを恣意的に、一番つまみ食いのしやすいところだけ一罰を加えるというやり方をするとどうなるかというと、一罰の対象にされた側は納得しません。徹底的に抵抗します。そして、一罰の対象にならなかった周りの99の人間も、やられたやつが運が悪かったと思うだけで、決して悔い改めません。一罰が適切に選択されることによって、それほどの悪性を持たないその他の違反行為を行っていた人間は、それを見てきちんと悔い改める。それが本当の一罰百戒だと思います。

そういう検察の捜査の問題の一方で、今回の問題に関して、小沢氏側に対しても言いたいことは山ほどあります。

まず、現在まで小沢氏が記者会見などで説明してきたことの内容は、まったく不十分です。そもそも、資金管理団体は、政治資金規正法の趣旨から考えて、政治資金の財布です。財布の中には不動産は入りません。性格上も明らかです。だから、財布の中に無理やり不動産を詰め込むから、その人が死んだあとの財布の中をどうするのかということが問題になるわけです。そこのところは、小沢氏はもっときちんと国民に対して政治団体、資金管理団体で不動産を購入しようとした目的、意図などを説明すべきだし、そして、これが政治家の政治活動が行われなくなった、もし小沢氏が死亡したときに、その後どうなるのかについて、もっと明確な措置を取るべきです。一番望ましいのは、資金管理団体の所有にしておくのではなく、やはり、小沢氏が民主党が大事だと思うなら民主党の所有にすればいいわけです。民主党が今後も長く二大政党制の一翼を担う政党としてやっていくために、小沢氏は陸山会の財産を拠出すればいいわけです。そのくらいのことをやる必要があると私は思います。

それから、今回の現金4億円という金額が庶民感覚とかなりかけ離れているというところが、何で小沢氏の自宅にはそんなたくさんの現金があるんだという国民の側からの違和感を生み、それが疑惑として取りざたされ、その疑惑が、検察捜査の追い風になって、その追い風を受けた検察の捜査がここまでおかしな方向に向かってしまった、私に言わせると暴発の寸前のところまでいってしまったわけです。そう考えた場合、こういう検察の暴走を招いたことについて、小沢氏側の責任も非常に重大だと思います。もっと、一国の政権を担う大政党の大幹事長なんですから、クライシスマネジメントがもつとしっかりしていないといけない。この程度の危機管理能力で与党の大幹事長が務まるのか、ということに私は非常に疑問を感じます。

いろいろ小沢氏の側の事情もあると思いますが、私はこの問題で、こういう検察の暴発のような状況に追い込まれて、国民に大変な迷惑をかけたことについて、小沢氏はもっとしっかり反省してもらう必要があると思います。

そして、今後の小沢氏側の対応として絶対に慎むべきは、検察に対して報復的な対応を取らないことです。

検察の捜査に非常に重大な問題があったことは間違いありません。しかし、これは何も今回、にわかに発生した問題ではなく、私が昨年の9月に出した『検察の正義』(ちくま新書)の中でも書いたように、いろいろな背景、いろいろな経過があって検察はすでに危機的な状況に陥りつつあった。それが今回の問題で顕在化したと見るべきだと思います。

検察は、組織として特殊です。90年代以降、いろいろな民間企業が、そして官庁が、ガバナンス改革を求められ、ガバナンス改革を実行してきた、いろいろな情報開示を求められてきた。その中で、検察だけが説明責任からも、情報開示からも、基本的に免れてきた。だから、検察の組織は組織内で完結しまっている正義の世界なんです。それを支えてきた条件の中で、今後の検察にとって絶対に残さないといけないものと、そうでなくて、今後検察がもっともっと、これからの新しい時代に適応していくためには変えていかなければいけないこと、これをもっと問題を整理していかなければいけないのではないか。そういう議論をまず、政治の場でもしっかりやっていかないといけないと思います。

ですから、今回の問題について小沢氏がやるべきことは、そういう検察が本当に自浄能力を発揮して、国民の信頼に耐え得る刑事司法機関、捜査機関になり得るように、条件、環境を整備することであって、間違っても小沢氏とか、小沢氏の側が、側近も含めて、検察のやったことはけしからん、だから自分たちが好きなように検察の人事を動かしてやるとか、検察の組織の内部に手を突っ込むなどということではありません。そういうことをもし始めるとすれば、韓国と同じことになってしまいます。

今回の問題は、検察が勝利すれば、戦前の日本のようになってしまい、小沢氏の勝利が変な方向に行くと韓国のようなことになってしまう。日本の国にとって非常に重大なターニングポイントになりかねない事態であったと思いますし、まだ、その危険は過ぎ去っていません。とにかく、これから小沢氏がやるべきことは、まだまだ説明が不十分な点について、国会の場などで十分な説明をしていくこと。そして、陸山会の保有不動産について、国民の不信を払拭できるだけの抜本的な措置を取ることではないかと思います。

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小沢氏不起訴と秘書3人の起訴についてのコメント(その1)

【第83回定例記者レク概要より抜粋】

今日が石川議員ほか2名の、小沢一郎氏の秘書の拘留満期で、通常であれば4時の次席の定例会見で処分が発表になると思っていましたが、ずいぶん時間が遅れて、先ほどようやく処分が行われたことが発表されたようです。地検の側の今日の処分についての公表の内容、説明の内容などの情報をまったく得ていませんので、とにかく3人が起訴されて、小沢氏は不起訴になったということだけを前提にコメントをしたいと思います。

まず、最初にお断りしておきますが、私がこういう発言をする目的、意図は、決して特定の政治家、政党を擁護しようということではありません。今回はたまたま検察対小沢という対立構図になっているので、私が検察捜査を批判する立場で発言することが、あたかも小沢擁護であるように受け取られがちですが、私はそういうつもりはまったくありません。恐らく、検察捜査の対象が小沢氏ではなく、ほかの政治であっても、自民党であっても、公明党であっても、私は検察の捜査に問題があれば、必ずその問題を指摘すると思います。

そういう意味で、今回の事件がどういう事件なのか、そこにどういう問題があるのか、それが検察の捜査のあり方、処分のあり方として正しいのかということを、長年検察の組織にお世話になった人間として言わざるを得ないという思いで発言しているものです。

そこでまず、今回の民主党小沢幹事長の資金管理団体、陸山会の土地取得をめぐる政治資金規正法違反事件がどういう問題であったのかということを考え、今日の処分についてコメントする前に、そもそも政治資金規正法とはどういう趣旨・目的で作られた法律で、政治資金規正法の罰則適用はどのように行われるべきなのか。まず、その一般論を十分理解した上でこの問題を考える必要があると思います。

ご存じのように、政治資金規正法は、政治資金の収支の公開を行うことを通して、健全な民主主義の発展を図るという法律だと思います。要するに、政治資金を国民が自主的に提供するということ自体は政治資金規正法は、決して悪いことではない。それは、政治資金規正法の浄財という表現にも表れていると思います。それ自体は悪いことではないけれども、それをどういうような政治資金、どういうような政治家、政党の政治資金が、どういう個人、団体、企業によってまかなわれているのかをきちんと国民に明らかにして、そして、そういう政治資金によってどういう活動を行っているのか、政治資金をどのように使っているのかも明らかにして、それによって、政治家や政党の政治活動を評価していって、最終的には国民が、有権者が、政治選択を行っていくことを目的にしているわけです。

そういう面で考えると、政治資金規正法が国民に対して公開を求めている、その政治資金に関する情報の最もコアの部分は、その政治家、政党の政治資金がまずどのような個人、団体、企業によってまかなわれているのかという部分です。そして、どのように使われているのかという部分です。政治団体の収支を一つ一つ、できる限り会計帳簿に記載したり、収支報告書に記載していくことも必要なことではあります。でも、目的はそういう資金の出所と使い道を明らかにすることであって、そういう面で虚偽の記載が行われていたり、重要な事実が隠されていれば、政治資金規正法の趣旨・目的に照らして重大な違反行為と評価される、ということになると思います。

ですから、これまで検察の政治資金規正法違反の摘発において、最も重要な処罰の対象となってきたのは裏献金、ヤミ献金でした。これは、そういう献金が行われたこと自体が、収支報告書に記載されていないわけですから、悪質重大な政治資金規正法違反に該当することは疑いのないところだろうと思います。

そういう観点から、政治資金規正法に形式上違反するかどうかだけではなくて、実質的に悪性、重大性を持った政治資金規正法違反かどうかをしっかり見極めて、刑事罰の対象にするかどうかを判断することが検察の重要な役割だというべきだと思います。そういう観点から、今回の処分を考えてみたいと思います。

まず、石川議員ら3名の起訴のうち、特に現職の国会議員である石川議員の起訴は非常に重大な問題だと思いますので、この問題についてまず考えてみたいと思います。

容疑事実は収入総額と支出総額の過少記入です。問題は、収入総額、支出総額の過少記入によって、一体、何が隠されていたのか。犯罪の実質は何なのかということです。ここで、非常に重要な事実が、前から私はいろいろな場で指摘していますが、2004年の陸山会の収支報告書に小沢一郎氏からの借入金4億円という記載があるということです。

この事実は、石川氏の処分だけではなく、小沢氏の処分も含めて、非常に重要な事実です。

問題は、これまで2004年の収支報告書に4億円の借入金の記載があっても、しかし、4億円について不記載の事実が、実質的には収入金額の過少記入ということですが、実質的には4億円分が記載されていなかったと言われてきた理由は何なのかというと、4億円の小沢氏からの借入の記載というのは、銀行からの融資……小沢氏名義で銀行から借り入れたお金、それを小沢氏から陸山会が借りた。それが4億円の借入金と記載されているだけで、現金で小沢氏から4億円入ってきたとされている部分については、収支報告書には記載されていない、というのが、どうも検察の見方のようですし、今日もそういう考え方で起訴が行われたと思います。

問題は、それが意図的な不記載、意図的にそこの部分の収入を収支報告書に書かなかった、と言えるかどうかということです。それに関しては、私は、お配りしている今週出した『日経ビジネスオンライン』の論考の「上」の方にも書きましたように、問題は、現金の借り入れとは別に行われた、現金の提供とは別に行われた銀行からの借り入れが定期預金担保、4億円の定期預金を担保に行われたという、この4億円の定期預金の部分です。この4億円の定期預金が、陸山会の名義になっているので、結局、支出した金額が小沢氏からの現金で不動産の購入代金を支払った分に加えて定期預金の4億円という資産もある。だから、合わせておおむね8億円くらいの支出に見合う収入がなければいけない。ところが、現金の借り入れの分が書いていない、そこが違反だということになっているわけです。

しかし、本当に石川氏が自白しているというふうに言われているように、意図的に、小沢氏から現金が入ってきたことを隠したかった、それを書きたくなかったから書かなかったと言うのであれば、もっと簡単なやり方があったはずです。

それは、小沢氏から現金で借り入れたお金で不動産の購入代金を払った。その分、陸山会のお金で設定した定期預金の名義を、小沢氏名義にしていればいいわけです。それだったら小沢氏にとってはプラスマイナスゼロですから、何も借入なんて書く必要はないです。

小沢氏の入ってきたお金が小沢氏名義の定期預金になった。その定期預金を担保にして銀行から借りましたということであれば、小沢一郎氏名義での銀行からの借入金について借入金4億円という記載をするだけで、それで済んでいるわけです。小沢氏からの現金の提供のことを表に出したくないのであれば、そういう取扱をすれば十分だったわけで、なぜそういうやり方をしないで、金融機関からの借入の4億円は記載したが現金の借り入れは記載しなかったと言えるのか。そういうことを前提に考えると、事務上のミスではなく、意図的な不記載だとは思えません。

これについて、石川氏は早くから自白をしている、記載しなかったことを認めている、というんですが、その自白の内容が、今のようなことも前提にして、定期預金を小沢氏名義にするということは、例えば、何かこういう問題があるとか、それは考えたけれどもやらなかった、こういうふうにして現金の部分を書かないで隠しましたというような自白でなければ、自白として意味がないということではないかと思います。

足利事件でも、自白が客観的に虚偽であった、客観的な事実と符合しなかったということがあれだけ問題になっているわけです。ですから、自白は単に「認めた」という情報だけではなく、本当にその自白が客観的に真実なのかということの検証が必要だと思います。私には、今のこの部分がどうしても納得できないし、それについての報道がまったくない。それについて疑問を解消できる情報がまったくない。ですから、本当に石川氏の自白が、自白たり得るのか疑問です。

もう1つは、前から指摘していますが、要するに、実質的に考えてみると、この4億円の借入に見合うものは、4億円弱の土地購入代金です。

あくまで、支出は、実質的に見ると、4億円にしか過ぎないわけです。いろいろ新聞でも書かれているように、だから、定期預金担保の銀行からの借り入れはいらなかった、必要なかった。それをあえてやったのは、お金を隠すためだった。現金で入ってきたお金を隠すためだった、ということが報道されていますけれども、隠すためだったという話であれば、そこの部分が偽装であれば、それは、政治資金収支報告書に書くべき事実としても、本当に書かないといけない事実と言えるのだろうか。

偽装のスキームは、むしろ実質的には書かない方が正直な記載と言えるのではないだろうか。もし、それがゼネコンからのヤミ献金を隠すための偽装だったなら、そのゼネコンからのヤミ献金の方が犯罪事実として重要になるわけですが、それがはっきり出てこない限り、今回の政治資金規正法違反の事実は、犯罪性がどこにあるのかがさっぱりわからない。

最初に言いましたように、政治資金規正法の趣旨・目的からすると、すべての収入支出を記載しないといけないと言っても、結局、一番重要なことはその政治団体の政治資金が誰からの、どういう企業、団体からの拠出によってまかなわれているのかということです。そこのところについての問題が全然出てこない。結局、今報じられているところによると、身内のお金がぐるぐるっと回っただけだという意味で、石川議員の起訴されたとされる事実は、私はまったく犯罪としての重大性、悪質性についてぴんと来ません。ですから、起訴がずいぶん遅れていると聞いたときに、ひょっとすると石川議員の起訴にはまだまだ問題があるということで、検察庁の内部でまだもめているのかなと思っていたところです。まさに、こういう政治資金規正法違反で現職の国会議員が起訴されたということが、今回の事件の、一連の事件の最大の問題であって、これから石川議員が民主党を離党するという話もありますが、石川議員が起訴されたのであれば、今後の公判に、マスコミも、国民も、最大の注目をしていかなければいけないと思います。

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