年明け早々から重大な危機に直面している新日本監査法人 

2016年を迎えた日本の経済社会において、当面大きな話題となるのは、東芝不正会計の問題に関して、会計監査人としての厳しい責任を問われている新日本有限責任監査法人(以下、「新日本」)の問題だ。

昨年末、金融庁から課徴金納付命令を含む厳しい行政処分を受けた新日本が、信頼回復に向けてどのような対応を行うのか、そして、それを新日本の顧客企業がどのように評価し、次年度の会計監査人に新日本を再任するか否かをどう判断するのかは、日本企業のガバナンスにも関わる重要な問題である。

そして、日本最大の監査法人が危機的事態に直面している現状は、我が国の会計監査制度自体にも関わる重大な局面だと言える。

この問題について、私なりに考え方を整理しようとしていた昨年末、私の事務所宛に、「新日本に所属する一会計士」からの手紙が届いた。

 “郷原先生、一刻も早く助けてください。新日本監査法人所属の一会計士です。      新日本監査法人執行部が腐りきっています。ペンの力で是正をお願いいたします。”

との書き出しで始まるその手紙は、年末に出したブログ【新日本監査行政処分から見えてくる「東芝会計不正の深い闇」】で私が、新日本で行うべき対応として述べていることを踏まえ、理事長の辞任と理事の報酬減額で「責任の明確化」は終了したとして理事長退任後の椅子の取り合いに奔走している経営執行部の現状や、顧客企業を納得させられるものになっていない改革案などについて指摘し、「相変わらず危機感がなく無為無策の現執行部に委ねておいたのでは新日本は解散の道をたどってしまう」との危機感を露わにする内容であった。

手紙の主は匿名であるが、内容からして同法人の内部者であることは間違いないように思われることに加え、新日本の組織の現状と東芝の会計不正と新日本の監査対応の問題の本質についての重要な指摘が含まれている。

そこで、新日本の執行部宛てに手紙の写しを送付し、新日本の内部者を語ったものと考えられるか否か、書かれていることに事実に反する内容があるか否かの確認を求めたところ、英理事長からの回答があった。

そこで、手紙の内容と理事長の回答を踏まえ、新日本の現状と執行部が行うべき事項について、私の見解を述べることとしたい。

新日本の新体制人事の行方

手紙では、新日本の現状について、

“現在の経営執行部の面々は、別紙【弊法人の責任の明確化】(ホームページに掲載)にある理事長の退任と理事の報酬減額をもって責任の明確化は既に終了したかのように、英理事長退任後の経営執行部の椅子の取りあいに奔走している始末。職員への今回の金融庁からの業務改善命令についての説明会の席で、説明者の事業部長から、「私が次の品質管理部長になる予定です。・・・」「次の理事長は着々と決まりつつあります。ご安心を。」などという発言が出る始末です。密室で経営執行部の人選が現経営陣の中で進められている状況です。経営執行部の刷新の動きがまるで見えず、相も変わらず現経営陣の中で名札の付替えを企んでいる状況です。

少なくとも、リスク対応責任者であり今回の金融庁対応を一手に行ったM氏(今回処分を受けた谷渕氏を金融庁に出向させようと画策もした)や審査委員長のS氏(審査機能の不十分性を指摘された)、各事業部長、ほとんど機能していない2名の副理事長や経営専務理事を一刻も早く免職とすべきであるというのが大多数の社員の意見であるにも係わらず、相変わらず反省もなく、密室で不透明かつ甘い人事が画策されています。

一方の監査現場では、経営執行部からの適切な指示もないまま、クライアントからの厳しいお叱りを受けながら、お詫びと説明に四苦八苦しながら飛び回っている状況です。経営執行部が作成の別紙【弊法人の改革案】(ホームページに掲載)では、あまりに抽象的かつ幼稚な改善案であり、今回の事態を招いた原因分析等も全くなされていない表面的なものでは、当然にクライアントに納得していただけるわけもなく、新日本への不信感は募るばかりの状況です。その状況をフィードバックしても、現経営陣に危機感が無く、相変わらず無為無策です。このままでは新日本は本当に解散の道をたどってしまいます。“

と述べている(手紙では個人名が書かれているが、イニシャル表示にした)。

手紙の主が新日本の内部者だと断定はできないが、少なくとも、後半部分に書かれている「お詫びと説明に四苦八苦しながら飛び回っている監査現場の状況」は、私の認識と符合する。

私が社外監査役を務めるIHIの監査チームの筆頭の公認会計士は、東芝の会計監査に関与していたことで金融庁の業務停止処分を受けて退社したため、若手の二人の会計士が今回の行政処分について説明に訪れた。会計年度の途中で筆頭の業務執行社員が業務停止を受けて交代せざるを得なくなり、それまでの会計監査にも重大な疑念が生じたことで、クライアントのIHIに重大な迷惑をかけている。それにもかかわらず、行政処分の説明を若手の会計士に行わせるだけで、法人のトップが謝罪にすら来ない新日本の姿勢に対して、私以外の監査役からも厳しい指摘が行われていた。

他のクライアント企業でも同様の状況であろうと推察され、この手紙で書かれている「監査現場の惨状」は、現実のことだと思われる。

問題は、前半部分の「理事長の退任と理事の報酬減額をもって責任の明確化は既に終了したかのように、英理事長退任後の経営執行部の椅子の取りあいに奔走している」という、理事長辞任後の体制についての法人執行部の言動である。

これが事実だとすれば、新日本の執行部は、金融庁の業務改善命令において「今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ、経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。」とされているのを、ほとんど無視しているに等しい。そのような状況で危機的な事態を乗り切れるとは考えられないのであり、「このままでは新日本は本当に解散の道をたどってしまいます」との手紙の主の危機感も、決して杞憂ではないように思える。

株式会社などの企業組織であれば、このような形で組織が致命的な打撃を受けることがないようにするためにガバナンス体制が設けられている。手紙に書かれているとおりであるとすると、新日本という監査法人の組織には、一般的な組織のガバナンスが根本的に欠落しているということになる。

今回の行政処分を受け、新日本の新体制に向けての人事がどのようなものになるのかに、注目すべきであろう。

東芝会計不正の本質と新日本の対応の根本的な問題

そして、手紙の後半には、東芝の会計不正の本質について、以下のような指摘が書かれていた。

“そもそも、先生もご指摘のように経営陣の無為無策は目を覆うものがあり、挙句の果ては金融庁を本気で怒らせたとしか思えないような処分です。このような結論になる前に、オリンパス事件の時に先生が主導されたような「外部者による検証委員会」のようなものを立ち上げ、監査の実態を調査の上、世の中に監査制度の改善に向けた将来のための提言のようなものを発信ができなかったのか、非常に悔やまれてなりません。現場感覚から申し上げると、今回の不正会計と監査見落としの根本原因は、「東芝と監査人の現場での不適切な関係」にあることは間違いないのです。東芝側の監査人をリスペクトもしない一業者としての扱いの中で、果たして会計士監査が十分に機能発揮できる現場環境下にそもそもあったのかどうか、そこが最大のポイントです。

現状、金融庁の指摘は、リスクアプローチや会計上の見積もりの監査における懐疑心の保持、分析的実証手続き等々監査手続き上の不十分性ということになっています。当然、これは真摯に受け止めて深く反省し改善対応しますが、実は今回の東芝事件の本質はここではありません。もっと大きな問題がありながら、監査の手法に話がすり替えられてしまっています。クライアントと会計監査人の関係(まさに先生のおっしゃる「深い闇」です)にメスを入れて、将来の会計監査制度の信頼確立のための提言に繋げるチャンスを新日本は自ら放棄してしまったと同時に本質からずれた形で手続き上のあまりにも厳しい改善命令が出され、社会の信頼を失ってしまいました。ここに至るまでの無為無策は全く大きな罪であり、経営陣の総退陣は必須であると考えます。“

前ブログでも、「東芝の会計不正の問題は、業務停止の行政処分を受けた7人の公認会計士が、東芝側の虚偽の説明を受けたために不正に気づかなかったというような単純な問題とは思えない。むしろ、東芝側と新日本側との間に、主要顧客である東芝との長年の関係の中で、東芝執行部の意向を尊重し、その会計処理を容認するという暗黙の合意があったのではないか。会計監査を担当していた公認会計士は、そのような暗黙の合意を前提に、敢えて問題意識を希薄化させて監査に臨まざるを得なかったのではなかろうか。」という見方を述べたが、手紙では、監査現場の認識に基づいて、不正会計と監査見落としの根本原因は、「東芝と監査人の現場での不適切な関係」であり、東芝側の監査人をリスペクトもしない一業者としての扱いの中では、会計士監査が十分に機能発揮できる現場環境下にそもそもなかったのではないかとの指摘が行われている。

この指摘が正しいとすれば、東芝の会計不正の本質は、私が指摘したように、会計監査を担当していた会計士個人の問題ではなく、東芝と新日本の長年にわたる関係そのものの問題だったことになる。

新日本執行部への確認と回答内容

今回の匿名の手紙については、上記のとおり、新日本執行部に確認を求めたところ、新日本の英理事長の回答は、以下のとおりであった。

“この手紙は新日本監査法人の職員が作成したものであるかどうか確認できませんのでこの手紙についてコメントは控えさせていただきます。ただ当法人といたしましては今回の事態を極めて重く受け止めており、現在具体的な問題点と改善策について真剣に協議しているところであります。したがってこの手紙がいずれの者によって作成されたか否かにかかわらず、経営陣が無為無策であるとか、改善のために真剣に取り組んでいないかのように指摘する点については事実に反するものと考えております。当法人としましては、今後速やかに具体的な改善策を打ち出し、これを内外共にお伝えすることによって、関係各方面の信頼を回復していくべく努力してまいる所存です。どうかご理解を賜り、今後の当法人の歩みをお見守りいただければ幸甚です。“

というものであった。

行政処分を受けて公表された【弊法人の改革案】が全く評価に値しないものであることは、手紙の主が指摘するとおりであり、私も全く同意見であるが、英理事長は、「具体的な問題点と改善策についての真剣に協議している」とのことであるので、その協議の結果、打ち出される改善策の内容によって、手紙に書かれているように、「現経営陣に危機感が無く、相変わらず無為無策」であるか否かを判断すべきであろう。

その改善策に関して注目すべきは、今回のような組織の不祥事を起こした当事者の組織として当然行うべきことが行われるのかどうかである。

それは、不祥事の事実関係を具体的に明らかにし、その原因を究明することだ。

この二つが十分に行われない限り、まともな不祥事対応とは言えないし、不祥事を起こした組織の信頼回復はあり得ない。

これまでブログ等で繰り返し指摘しているように、今回の東芝会計不正に対する新日本の会計監査の問題に関しては、不祥事の中身が何であったか、どのような事実であったのかは具体的に明らかにされていないし、それがいかなる原因によって生じたものなのかは全く不明である。

このような状況のまま、今回の問題の収拾を図ろうとしても、社会の理解も、顧客企業側の納得も得られるはずはないし、手紙に書かれているように「新日本が解散への道をたどる」という最悪の結果も、現実のものとなりかねない。

新日本のパートナー会計士で構成される評議会が、執行部の改善策が上記のような観点から十分なものかをしっかり見極めたうえで、法人としての意思決定を行う必要があろう。

新日本の不祥事対応を阻む東芝側からの「守秘義務」による圧力

この事実関係の解明と原因の究明に関して、これまでそれを阻んできた最大の要因は、前ブログでも述べたように、新日本のM氏が口にしていた「東芝との間の守秘義務」の問題であろう。

確かに、一般的には、東芝の会計監査人である新日本には、監査の内容やそれに至る判断の経過等に関して東芝に守秘義務を負っている。しかし、今回の会計不正については、東芝の第三者委員会の報告書が公表され、そこで、「会計監査人の監査に関わる問題は委嘱事項ではない」としながらも、新日本の会計監査に関わる事実が多数指摘されている。今回、金融庁の行政処分を受けることになったのも、東芝の第三者委員会報告書が発端である。

しかも、この第三者委委員会は、「日弁連の第三者委員会ガイドラインに準拠したもの」とされていたにもかかわらず、実際には、実は「第三者」では全くなく、東芝側の指示によって動く「見せかけだけの存在」であったことが日経ビジネスのスクープ報道で明らかになっており、東芝側は、これに対して何らの反論も抗議もした形跡はない。

第三者委員会報告書がそのように東芝執行部の意向に従ったものだとすれば、その報告書に記載された事実に関連する事項に関して、新日本側が調査し、事実関係を明らかにすることを、東芝側が守秘義務を盾にとって妨げることなど社会的に許容される余地はない。

新日本は、この点に関して、東芝側に守秘義務の解除を強く求めるべきであるが、果たして、これまで新日本側から東芝側にそれを要求したのであろうか。この点について、新日本は十分な検討を行ったのであろうか。

今回の新日本及び会計士個人に対する行政処分で指摘されている事実は、会計監査としてあまりにお粗末であり、この程度の監査しかできなかったことに関して、何らの弁解も説明もできないのであれば、監査法人として信頼を失うのは当然である。

それによって、新日本にとって、大量の顧客企業を失って解散の危機に瀕するおそれがある。その場合、新日本は、東芝の会計監査が凡そ大手監査法人の監査とは言い難いお粗末なものであったために解散に追い込まれた最低の監査法人だったことになり、その所属会計士も、そのような監査法人に所属していた不名誉を免れることができないことになる。

当事務所に寄せられた「新日本所属の一会計士」の悲痛な訴えを、私は重く受け止め、今後の対応を行っていくこととしたい。

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年明け早々から重大な危機に直面している新日本監査法人  への1件のフィードバック

  1. 行本憲治 より:

    監査業務経験者の立場から、先生の発信についてコメントさせていただきます。
    新日本に所属する一会計士、からの内容の中で、
    「東芝と監査人の現場での不適切な関係」にあることは間違いないのです。東芝側の監査人をリスペクトもしない一業者としての扱いの中で、果たして会計士監査が十分に機能発揮できる現場環境下にそもそもあったのかどうか、そこが最大のポイントです。
    ここの点が、事実がまだ明らかにされていない現況ですが、本当に問題の本質だと推測できることに同感ですが、監査法人内での課題について触れてみます。
    そもそも長年にわたり、同じ会計士集団が監査していると、クライエントにもよりますが、判断が分かれる会計処理につき先輩の会計士が判断し、審査部門も認めた場合は、後日、なかなか違う判断をすることが難しい状況はよくありそうなことです。自分自身が過去判断した事項であればなおさらです。自分たちの判断は間違っていないという理屈もたてるし、場合によれば問題と分かっていても触れない、ムードが監査チームの中に出てくる。鐘紡事件などはその典型と言える。
    パートナーについては長期関与の問題防止のためにローテーション制度を導入しているが、パートナーになるまでのローテーションはルールにないということで、足掛け10年以上監査チームの幹部に加わっていることもざらにある。
    EUでは監査法人自身のローテーション、米国では5年程度で監査人選定のための再コンペをしているが、日本では会計士業界自身の反対も強く実現できていない。長く担当すると癒着が起こりやすい中では、せめて法人内だけでも本当に有効なローテーションを厳しくやるべきである。会社の内容を理解できていないと監査しにくいということならせめて主査クラスのローテーション、混成チームを検討したほうがいい。 
    またこのローテーションを考えるうえで、過去から続いている監査室グループ、ビッグクライエント担当グループの分解をどうやって行くかということも含まれる。これをしないと法人内に自治共同体が構成されやすい。
    新日本の会計士がいかにいい加減な監査をしてきたか、を指摘された金融庁の処分理由の説明であるが、能力的に劣った会計士が東芝の監査に従事していることはあり得ない。むしろ平均以上の能力者が担当しているはずである。
    問題の本質は、制度、風土から醸成される人間行動、判断の構造問題である。
    本質的な問題として、監査人はクライエントから相談があったときには、クライエントの立場も考慮して適切な会計処理選択の工夫に加担しがちになる。クライエントから監査報酬を受け、これを維持することが法人内での地位維持の根源であることが影響している。
    本来、監査チームの中でクライエントの会計処理について、チーム内で議論を行い、何が正しい処理なのかできる風土を醸成できるかどうかが組織の大事なポイントである。
    このあたりは新日本だけでなく公認会計士監査業全体の共通した課題である。東芝問題を契機にどのようにメスを入れていくか、会計士自らで改革することは難しいということであれば、外部からの経営者、社外監査役的な陣容を監査法人自身がどこまで作れるか、ここまで踏み込んだ改革が業界の先兵としてやれるかどうかが新日本だけでなく、大手、中小監査法人共通の課題である。

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