国際社会の要請から考えれば、東京五輪2024年への順延が現実的な選択肢

 国際オリンピック委員会(IOC)は、22日、新型コロナウイルスの感染拡大で高まる延期要請の声を受け、今年7月24日開幕の東京五輪の日程変更を検討することを発表した。大会中止については強く否定したが、延期の時期については未定、4週間のうちに結論を出すと報じられている。

 これを受け、安倍首相も、23日、東京五輪の延期を含めて検討を始めると発表し、同日、大会組織委員会の森喜朗会長も、「延期の件は議論しないわけにはいかない」と述べた。

 2020年夏開催の東京五輪の延期は、既に決定的になっていると言えよう。

 問題は、延期した五輪をいつ開催するかということだ。「1カ月延ばすのか、3カ月延ばすのか、5カ月延ばすのか、シミュレーションをする必要がある」などとトボけたことを言っている森会長は、現在の感染状況からは論外であり、2021年、22年への1年あるいは2年の延期というのが、議論の中心となっている。

 しかし、ヨーロッパを中心に感染拡大の勢いが止まらず、交通の途絶、外出禁止による影響から、リーマンショックを超え、世界不況への突入さえ懸念されている状況で、果たして、1、2年延期して開催するということが妥当と言えるのか。

 「社会的要請への適応」というコンプライアンスの視点から考えた場合には、東京五輪を2024年、パリ五輪を2028年に、それぞれ順延するというのが、国際社会の要請に応える、最も現実的な選択肢と言えるのではないだろうか。

 1年後にせよ、2年後にせよ、オリンピック・パラリンピック開催日程に向けて、会場の確保、必要な人員確保など関連業を行っていくためには、凄まじい労力とコストがかかる。今年の世界経済がどのような深刻な状況になるのか先が全く見えない状況下で、日本の社会に、そのようなことにエネルギーを注いでいる余裕があるとは思えない。

 また、今年夏の開催に向けて、予選突破、本番に向けてのコンディションの整備を続けてきた選手の立場に立って考えた場合にも、1年後に先送りするということは、今から、新たな設定に向けて準備をしていかなければならない。延期の原因となった新型コロナウイルス感染が拡大している状況で、1年後に向けての準備を始めることも、相当な精神的な負担になることは間違いない。

 もう一つ考えなければならないのは、2024年にパリ五輪を開催する予定のフランスの状況である。2024年の開催に向けての準備は、2、3年前から開始され、施設の整備や体制整備などは、おそらく今佳境に入っているはずである。しかし、イタリア、スペインに次いでフランスでも新型コロナウイルスの感染が急拡大しており、外出禁止令まで出され、経済も壊滅的打撃を受けている。おそらく、五輪開催に向けての準備はすべてストップしているはずであり、経済が深刻な打撃を受けているフランスが、五輪開催の準備をいつ再開できるのか、見通しがつかない状況であろう。

 このように考えると、日本の社会にとっても、フランスの社会にとっても、そして、新型コロナウイルスによるパンデミックを乗り越えていかなければならない世界全体にとって、東京五輪を4年順延し、治療薬やワクチンが開発されて感染が克服され、国際経済の打撃から立ち直った時点から、新たな国際協調の枠組みを構築し、東京五輪を、その象徴として位置づけていくのが、最も社会の要請に応えることなのではないだろうか。

 それによって、重大な影響を受ける人は多いだろう。2020年開催の五輪出場をめざして練習を重ねてきた選手達には本当に辛いことであろう。しかし、2024年への「順延」であれば、2020年五輪は「中止」ということにはなるが、東京での五輪開催自体は「中止」ではない。確実な開催に望みをつなぐということを優先すべきではないだろうか。

 我々日本社会は、2011年の東日本大震災、福島原発事故で「環境の激変」を経験した。あまりの激変に、その現実を直視できず、激変前の認識にとらわれて起こす過ちも多発した。原発に関しては、「安全神話」に支配されていた原発事故前の状況と同様の考え方で対応したために、原発事故後の社会の要請に反する不祥事が、企業でも、官公庁でも多く発生した。 2021年、2022年への延期ということが議論の中心になっているのは、パンデミック前の「環境」での認識から脱却できていないからではないか。

 「新型コロナウイルスによるパンデミック」というのは、半年前までは、多くの人が全く想定していなかった突然の出来事である。しかし、それによって、国際社会の環境が激変したというのが、残念ながら「現実」である。現在の国際社会の状況は、我々日本社会が経験した東日本大震災・福島原発事故による「環境の激変」と類似している。

 今、考えなければならないことは、パンデミック後の国際社会にとって、何が重要で、何が求められているのか、という観点から行動することであろう。パンデミックがどれだけ拡大し、それによる死者がどれだけの数に及ぶのか、感染拡大による経済封鎖が国際経済にどれだけ深刻な影響を及ぼし、それによる失業、貧困、飢えなどがどれだけ深刻な状況になるかも不明な状況で、2021年、2022年の五輪開催に向けて力を注いでいる余裕が国際社会全体にあるとは思えない。オリンピックに政治的利害を有する一部の政治家、利権に関わるIOC関係者、関連企業等にとっては、五輪の一つの大会の中止は、考えたくもないことかもしれない。しかし、「国際社会の要請に応える」という観点から、冷静に、客観的に考えた場合には、東京五輪を2024年、パリ五輪を2028年に、それぞれ順延するしか、選択肢はないのではなかろうか。

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国際社会の要請から考えれば、東京五輪2024年への順延が現実的な選択肢 への3件のフィードバック

  1. kaz murata より:

    今回の東京五輪は実は3度目であり、正直であらねばならない。80年前、皇紀2600年、ゼロ戦の生まれた年、が第一回目であった。当時の日本はアジアにおける数少ない独立国で、かつ「五大国」の一つであった。アジアで初、有色人種国家としても初の五輪招致に成功したのである。明治以来、日本人は頑張り上手くやってきた。東京開催の障害要因としては「夏季の高温多雨」というわけで、涼しい9月21日から10月6日に予定されていた。
      同年に第5回冬季五輪として札幌オリンピックが開催されることも決定されていた。これもアジア初かつ有色人種国家初の冬季オリンピック開催となるはずであった。ところが、支那の問題などで、東京五輪は返上された。第2回目は、1964年で実現し、新幹線も運転を初め戦後の日本の復興を宣伝し、世界はまだ脅威とは認識されず、賞賛の目で見ていた。
      最近の東京の夏は恐ろしく暑いが、今回は7/24-8/09となっている。これは、米国のスポーツテレビ番組の都合であり、以前の秋の時期に戻すべきである。一民間テレビ局とその宣伝関係会社の利権の都合で時期を決めてはいかん、と思ふ。武漢菌世界大恐慌の深い後遺症を鑑みれば、4年の延期でも足りないかもしれない。

  2. 大塚 淑夫 より:

    冷静に、正直果敢に、現実を見つめて、そして未来への希望を、足下から一歩ずつ皆で形作っていこうという、郷原さまの勇気と決意と、ながい戦いに、こころからの賛同と感謝と、敬意を捧げたくおもいます。真の愛情と言うものの尊い姿を見るおもいです。 ありがとうございます。私は私の小さな世界で、残りの人生を一生懸命生きて参ります。

  3. Pefume do mundo より:

    郷原先生
      Perfume do mundo です ❤❤❤❤。
      感染症の専門家でなくとも、知能があればわかることですが、世界でコロナが感染拡大している以上、オリンピックは無期延期もしくは中止が妥当です。オリンピックの会場は感染者の受け入れなどに使用すれば良いでしょう。アルコールやパーセントの高い酒(焼酎やリキュール類)で消毒が可能です。
      東京で感染が拡大しているのは、羽田空港と成田空港で入国制限を部分的に解除したため
    です。一刻も早く、入国制限を元に戻して、PCR 検査の拡充をすべきです。自民党は政治資金パーティーの企画をしているような場合でしょうか。金で買う票は真の票ではありません。
    しかも、このような状況のときに、政治資金パーティーの企画、この当たりがKYです。政治資金パーティはすべて中止にすべきでしょう。
      小池都知事は都知事選のテレビ討論もせず遁走したまま、再選されましたが、アラート出すだけのやっている感では困ります。都知事として、PCR検査の拡充などの役割を果たせないなら、辞任していただきたいですね。学歴詐称の疑惑も残ったままです。学歴詐称に疑問のある方はChange. orgに署名運動がございますのでぜひ投票してくださいませ。小池都知事と安倍総理は大変よく似ています。都知事は再選後、すぐに安倍総理と仲良く握手されていました。これが何を意味するか、有権者の皆様もおわかりですよね??国民の皆様、真実を見抜く目、養いましょう。

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