籠池氏問題に見る”あまりに拙劣な危機対応”

報道によると、昨日の夜、自民党が、23日の衆参両院予算委員会での籠池氏証人喚問の質問順を、野党を先にすることを提案し、野党側の反対で、結局、自民党が最初に質問をすることになったようだ。

自民党側には、籠池証言を崩す自信がないのだろうか。籠池氏の100万円寄付発言を「首相への侮辱」「問い質したい」と言って証人喚問を求めたのは自民党側だ。籠池証言を崩す自信がないのなら、やめておけば良かった。

明日の籠池氏の証人喚問がどのような展開になり、どのような結果で終わるかはわからないが、少なくとも、籠池発言が出た段階で、その挑発に乗る形で自民党側から「証人喚問」に打って出たのは、「危機対応」としては全くの誤りだった。

野党側の対応も決して褒められたものではない。4党の議員が雁首そろえて籠池氏の話を聞きに行ったのは、明らかに「前のめり」だった。籠池氏から、「政治家に現金を渡した」という話が出ると期待して行ったのだろうが、逆に「安倍首相から100万円寄付受領」などという話を持ち出されてしまった。この時点で、野党側は、その話をどうするつもりだったのだろうか。

これに対して、自民党側としては、どっしり構えて、安倍首相が完全否定コメントを出し、野党側に「参考人で出すのなら出してみろ」と毅然たる態度で臨めばよかった。野党が籠池参考人招致を求めてくれば、自民党側から、「喚問の目的に100万円寄付の件は含まれるのか」と聞けばよい。籠池証言の信用性に確証が持てない野党側としては、対応が難しかったはずだ。特に、「永田メール問題」のトラウマがある民進党は、共産党との共同歩調をとることもできなかった可能性がある。

ところが、何と、その直後に、事もあろうに自民党側から「証人喚問」を求めたので、野党側は救われた。自民党側は、「籠池氏に問い質す」と言って証人喚問に持ち込んだ以上、当然、「籠池氏の話を聞くこと」が主眼となる。証人から話を聞き、その証言の真偽を判断することが目的なのだから、【籠池氏証人喚問、高度の尋問技術が求められる自民党質問者】でも述べたように、それ自体で独立した「物証」と評価されるものではなく、森友学園側が作成した郵便払込受領証であっても、事後的に作出されたものでなければ、籠池供述を補強する証拠にはなり得る。

「籠池氏側が物証を出して来るかどうかが問題」と言う声があるが、「物証」だけが問題なのであれば、最初から「証人喚問」などやる必要はない。100万円寄付発言には取り合わず、籠池氏側に、「あなたのいい加減な話を聞くつもりはない。物証があるなら出せ」と要求すればよかったのである。証人喚問を行う以上、それではすまない。

もちろん、私にも、籠池氏の「100万円寄付受領発言」の真偽はわからない。安倍首相が断言するように、「全くそのような事実はない」というのが真実で、籠池氏の「作り話」なのかもしれない。しかし、もし、そうだったとすれば、国会に引っ張り出して「作り話」をさせた上、その話を崩すことも、信用性を否定することもできなかった、では済まされない。

問題は、自民党内で、このような「拙劣な危機対応」を決断したのは誰なのかという点だ。竹下亘国対委員長が独断で決めたとは思えない。安倍首相自身に関する問題なので、安倍首相が決断したか、少なくとも了承したからこそ、短時間で方針が決まったのではなかろうか。そうであるとすれば、国のリーダーとして、「危機対応」の判断力には、一抹の不安を感じざるを得ない。

 

 

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籠池氏証人喚問、高度の尋問技術が求められる自民党質問者

3月23日に、衆参両院の予算委員会で、森友学園理事長籠池泰典氏の証人喚問が行われる。安倍首相から妻昭恵夫人を通して100万円の寄付を受領したとの籠池氏の発言を受けて、自民党側から提案して決定されたもので、自民党側から仕掛けた証人喚問だ。

安倍首相は、100万円の寄付について、自身も妻の昭恵氏も行っていないと全面否定している。【籠池氏証人喚問は、自民党にとって「危険な賭け」】でも述べたように、小学校の設置認可申請の取り下げに追い込まれたことで、国から土地の原状回復と返還を求められることが必至となり、入学予定の児童の保護者への入学金等の返還に加え、校舎の建物工事代金の支払等で窮地に追い込まれている籠池氏は、「公費による支援」まで持ち出しているようであり、国に対抗して自らの立場を守るために、一発大逆転を狙って事実ではない架空の寄付金受領話をし始めた可能性もある。少なくとも、籠池氏には「虚偽供述の動機」が存在している可能性があることは確かだ。

今回の証人喚問は、100万円の寄付受領の話を始めた籠池氏に対して「首相に対する侮辱」とまで言い切って、自民党側が自ら仕掛けたものであり、自民党側としては、その話が虚偽であること、信用できないことを明らかにし、同氏の偽証告発に持ち込むことが最大の目標であることは言うまでもない。

一方で、籠池氏がこれまで取ってきた態度からすると、籠池氏は、証人喚問で100万円の寄付受領の事実を詳細に語ると思われる。それに対して、証言の信用性にあまり疑いを生じさせることができず、「言いたい放題」で終わってしまった場合、籠池氏は、今後も、「国会で詳しくお話したとおり」などと言って、土地取得問題や小学校の認可問題の事後処理の中で、事あるごとに「安倍首相からの寄付の話」を引き合いに出し、安倍政権側にとって一層厄介な事態になりかねない。

しかも、100万円の現金受領の話が否定できないといこうとになると、昭恵夫人を含む関係者の証人喚問又は参考人招致という、安倍政権にとっては最悪の事態に追い込まれかねない。

今回の証人喚問は、想定される証言の信用性に疑念を生じさせ、あわよくば虚偽証言であることを明らかにするために行われるものであり、少なくとも、証人喚問を仕掛けた自民党側にとっては、裁判の場での尋問で言えば「反対尋問」である。主尋問が、予定されている証言内容について、淡々と質問していけばよいのと異なり、主尋問での証言を崩すための反対尋問というのは、高度な尋問技術が求められる。今回の証人喚問で、籠池氏の証言の信用性に疑念を生じさせたうえで偽証告発の足掛かりをつかむことを期待される自民党の質問者の議員の責任は重大である。

籠池氏「反対尋問」は容易ではない

しかし、実際の証人喚問で、籠池氏の証言の信用性を否定するために効果的な尋問を行うことは決して容易ではない。

第1に、尋問のポイントとなる点が複数あり、しかも、その相互関係が微妙なので、尋問の戦略が立てにくいということである。

籠池証言に関してポイントとなるのは、①昭恵夫人との間での100万円の現金授受の有無、②(授受があったとして)それが「安倍晋三首相からの寄付」であったか否か、③「安倍晋三首相からの寄付」「昭恵夫人の名誉校長就任」を、森友学園の小学校開校のための用地取得、設置認可等に関して、有利に活用しようとした事実の有無、④他の政治家に対して森友学園の小学校開校のための用地取得や設置認可等に関する尽力を依頼した事実、それに関する謝礼等の支払の有無である。

もともと野党側が籠池氏の参考人招致を求めていたのは、③、④についての話を聞くことが中心だった。それを拒絶し続けてきた自民党側が、急転直下、証人喚問を決断したのは、①、②についての籠池氏の発言を放置できなくなったからであり、まさに、自民党質問者にとって最大の目的は、①、②についての籠池氏の話が信用できないことを明らかにすることである。

しかし、ここには二つの厄介な問題がある。

一つは、籠池氏に対する質問で、①と②のいずれの否定に主眼を置くかである。仮に、昭恵夫人からの現金受領という①の事実が否定されなくても、それが「安倍首相からの寄付」だという②が否定できれば、安倍首相自身の問題にはならない。しかし、現在のところ、安倍首相は①、②の両方を否定しており、自民党質問者としては、それに沿って両方を否定するスタンスで質問せざるを得ないだろう。

しかし、籠池氏の証言内容如何では、①については、相当程度事実があった可能性が高いと判断せざるを得なくなる場合もありうる。その場合は、むしろ、②に力点を置いて、「昭恵夫人からの現金寄付があったとしても、安倍首相からではない」という点を守り抜かなければならない。その点についての判断は極めて微妙だ。

二つ目の問題は、①、②についての質問の仕方が、③についての籠池氏の証言に影響を与える可能性があることである。①、②について、「安倍首相からの寄付はなかったのではないか」と追及的な尋問を行えば、それに反発して、籠池氏側は、③に関して、近畿財務局や大阪府側との交渉・折衝において、「安倍首相からの寄付」をちらつかせていたことを強調する可能性がある。それは、「安倍首相に関連する小学校との認識から、安倍首相の意向を『忖度』して森友学園に有利な取り計らいをしたのではないか」との疑念を強めることになってしまいかねない。

「100万円寄付受領」をめぐる証拠関係

第2に、①、②に関しては、証人喚問決定後、籠池氏側の「100万円寄付受領」を裏付ける方向での証拠と、官邸側からの否定する方向での証拠の存在が明らかにされており、自民党質問者は、それらの証拠を念頭において質問をすることになるが、証拠評価について事前に十分な検討が必要となる。

官邸側が明らかにしているのは、同行した職員の「現金のやり取りが行われるような場がなかった」との供述である。もし、政府職員が「常に」同行していて、籠池氏と昭恵夫人との間で「現金のやり取りを行う機会」が全くなかったのであれば、現金の授受は完全に否定される。しかも、籠池氏は、野党議員に対して、「100万円の現金を受け取った後、『感謝』と称して10万円を包んで渡した」と述べているようである。100万円と10万円の二つの現金授受の機会が存在したのか、という点が問題になる。

この点に関して、籠池氏の長女の籠池ちなみ氏は、菅野氏のツイキャスで、100万円の授受は、塚本幼稚園内にある「玉座の間」というところに、籠池夫妻と昭恵夫人の3人だけが入っている際に行われたと説明している。ちなみ氏の話によると、特別の客人以外は入室できない場所のようにも思える。籠池氏が、「玉座の間」で現金100万円を昭恵夫人から受け取ったと具体的に証言した場合、同行政府職員が、「玉座の間」についてどのように記憶しているのかが問題となる。昭恵夫人がそのような部屋に入った事実がないというのか、入室したが、その際、職員が同席していたというのか。一方、籠池氏側から昭恵夫人に渡したとされる10万円については、どこでどのように渡したのかは明確ではない。その点についての籠池氏の証言が、同行政府職員が監視していたとしか思えない場での現金授受であれば、職員の供述によって否定できる可能性は高まる。

「同行政府職員は、常時、昭恵夫人の近くでその動向を監視している」という一般論だけでは、塚本幼稚園において籠池氏と昭恵夫人との間で現金を授受する機会がなかったことの証明には不十分である。塚本幼稚園内での昭恵夫人の行動の詳細について、政府職員から具体的に確認しておく必要がある。

籠池氏が出してきた「郵便振替受領証」

一方、籠池氏側から出てきている証拠は、菅野完氏が公開した2015年9月7日付けの郵便振替受領証である。9月7日の月曜日に森友学園の寄付受領口座に100万円を入金した際のものだが、その払込人欄は、「安倍晋三」、「匿名」の記載が、それぞれ修正テープで消され、「㈻森友学園」に修正されている。これについて、籠池氏側は以下のように説明しているようだ。

9月5日の土曜日に昭恵夫人から受領した現金100万円を、一旦金庫に入れ、7日の月曜日に寄付受領口座に入金した。その際、「安倍晋三からの寄付」であることは公式には表に出さないことになっていたので、郵便局に残る側の「払込取扱票」には森友学園と記載したが、学園側に残る「受領書」には、「安倍晋三」が寄付者であることがわかるようにしておこうと考えて、払込人欄に「安倍晋三」と記載して学園職員が郵便局で払込手続をしようとした。しかし、払込取扱票と受領書の名義が異なっていたのでは受け付けられないと言われ、会計士に相談した上、「匿名」と修正したが、それでも受け付けてもらえず、「㈻森友学園」に修正した。

もちろん、森友学園側で作成した書類であり、それ自体が「独立した客観的証拠」としての価値が認められるものではない。郵便振替の受領書を、修正テープで修正することの不自然性なども指摘されているが、確かに、このような形で郵便振替手続を行おうとすること自体、普通には考えにくいことだ。

しかし、少なくとも、2015年9月7日に、森友学園の寄付受領口座に100万円の入金があったことは否定できない事実であり、週末にたまたま他からの100万円の現金授受があったのでない限り、2日前の土曜日に昭恵氏との間で現金授受があったことの推認につながる。

また、修正箇所に郵便局長の印が押捺されていることからも、「安倍晋三」と一旦記載されていたことは間違いない。その時点で、籠池氏が、現在のような事態を想定し、偽装工作を行っていたとも考えられないので、この受領証が、9月5日に昭恵夫人から「安倍晋三から」として現金100万円を受領し、領収書は拒絶されたので匿名扱いにしたとの籠池氏の供述と整合し、籠池証言の信用性を高める方向に作用することは否定できない。

講演料を寄付に振り替えた可能性

このような100万円の現金の動きに関する一つの推測として、官邸側から、「籠池氏側は、昭恵夫人が講演に訪れる際に、予め、講演料として現金100万円を用意していたが、その受領を拒絶されたため、それを、寄付金を受領したように処理したのではないか」という話が出ているようだ。

しかし、塚本幼稚園PTAの決算書には、同年度の「社会教育費」の40万円の支出について、摘要欄に「6/21姫路城(親子遠足) 11/26京都御所(社会見学)」という記述に続き、「社会講座 7/11谷川浩司先生 9/5首相夫人安倍昭恵先生」との記述がある。塚本幼稚園での講演に講演料が支払われているとすれば、この40万円に含まれている可能性が高い。いずれにしても、100万円というのは、幼稚園のPTAでの講演料の金額としては多過ぎるといえ、もし、そのような金額の現金を籠池氏が事前に用意していたのであれば、その現金の出所がなければならない。また、「籠池氏側が講演料を渡そうとしたが昭恵夫人が拒絶した」のであれば、同行政府職員が、常時、昭恵夫人の近くで監視していたとの前提からすると、「昭恵夫人が講演料の受領を拒絶した場面」を同行職員が見ていないとおかしいことになる。

自民党質問者から、前記①、②についての質問をすれば、籠池氏側から、郵便振替受領書についての証言が出てくるはずだ。それに対して、どのような事実関係、証拠関係を念頭において質問を行うのか。「払込手続や記載の修正が不自然だ」といくら言ったところで、今回の事態を受けてねつ造したものであることを明らかにできない限り、籠池証言の補強としての証拠価値は否定できない。漫然と質問すると、籠池氏の具体的な説明によって、かえって「不自然さ」を薄め、信用性を高めることになりかねない。

籠池供述の一般的否定と人格非難

「昭恵夫人からの100万円の寄付受領」の事実自体についての質問とは別に、これまでの籠池氏の行動や発言から、一般的に信用性を否定するという「人格非難」的な方法も考えられる。反対尋問で証人を弾劾する際にしばしば使われる方法であり、私も、美濃加茂市長事件で贈賄供述者の反対尋問や、その信用性を否定する弁論で活用した。

しかし、籠池氏は、少なくとも今回の問題が表面化するまでは、昭恵夫人とは良好な関係であり、昭恵夫人は小学校の名誉校長就任まで引き受けていた。安倍首相も、国会で、当初は、籠池氏が理事長を務める森友学園について「しつけ等をしっかりしているところに共鳴した」と答弁していた。そのような籠池氏の人格非難が行き過ぎると、昭恵夫人や安倍首相のイメージ低下につながりかねない。「人格非難」には制約があると言わざるを得ないだろう。

むしろ、個別の事項について、籠池氏の言動に虚偽があったことを追及していくのが得策だと思われる。

籠池氏の虚偽が疑われる言動について、様々な指摘がなされている。最近では、「籠池氏が昨年10月に、感謝状贈呈式で稲田防衛大臣と会った」との赤旗記事が、籠池氏が参加していなかったとわかったことで訂正記事が出された問題等が、籠池氏の供述の信用性に関連づけて報じられているが、同記事は籠池氏の妻の諄子氏の証言に基づくもので、籠池氏の供述の信用性には直接関係がない。しかも、籠池氏側がそのような発言をしたのか、赤旗の側の取材の誤りなのかもわからない。少なくとも自民党質問者には取り上げにくい問題だろう。

金額が違う小学校の建築工事の請負契約書が3通あるという話も、請負契約書の作成経緯や提出の目的などについて、事実を詰めておかないと、籠池氏の好きなように弁解される可能性もある。

むしろ、重要なのは、「森友学園問題が表面化した際に、代理人弁護士に、財務省側から『しばらく身を隠しておくように』という要請があった」と籠池氏が述べていることであろう。

この話は、「昭恵夫人からの100万円の寄付受領」の話が出てくるのとほぼ同時期に出てきたものであり、いずれも、このところ籠池氏のスポークスマン的な立場で対応している菅野完氏が明らかにした事実である。この事実が虚偽だとすると、100万円の寄付受領の供述の信用性にも大きな影響を与える。

しかし、この件についても、長女のちなみ氏は、上記のツイキャスで、籠池氏の話に沿う話をしている。塚本幼稚園に来るのを欠かしたことがない籠池氏が、その期間だけ幼稚園に来なかったと述べている。籠池氏の代理人だった弁護士が、上記事実を菅野氏が明らかにした直後「財務省から要請があった事実はない。籠池氏の代理人を辞任する」とのファックスをマスコミ各社に送付したとのことであるが、その際、弁護士名は一切明らかにしないように求め、その後一切マスコミに対応していないようであり、責任を持って発言しているとは言い難い面もある。籠池氏の証人喚問で、籠池証言の信用性を争うための事実として取り上げるのであれば、少なくとも、その弁護士から事実確認を行っておくことが不可欠であろう。

証人喚問による真相解明を

質問者が言いたいことを滔滔と述べることに終始することも珍しくない通常の国会質問とは異なり、今回の証人喚問は、どのように質問をし、何を証言させるのかという刑事事件的な尋問技術が求められる、まさに真剣勝負である。問題は、このような証人喚問の質問者の重責を、誰が担うかである。

自民党には、若狭勝氏と山下貴司氏という二人の検事出身の衆議院議員がおり、一応候補になるように思える。しかし、一般的には、有罪・無罪を争う刑事事件では、起訴事実を立証する側の検察官が主尋問、弁護人が反対尋問を行う立場になる場合が大部分なので、検察官の世界には「反対尋問」の経験とノウハウはあまりない。自民党議員には、他にも法曹資格者が相当数いるはずであり、反対尋問技術という面から最も適した議員を選ぶべきであろう。

証人喚問までの時間は限られているが、質問者の議員には、本稿で述べてきたことも参考にしてもらった上、是非、効果的な反対尋問を行ってもらいたい。それによって、今回の証人喚問を、真相解明に結び付けてもらいたい。

 

 

 

 

 

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籠池氏証人喚問は、自民党にとって「危険な賭け」

森友学園の小学校開設をめぐる問題に関して、参院予算委員会の大阪府での現地調査で、籠池泰典理事長が「安倍晋三首相から、夫人の昭恵氏を通じて100万円寄付を受けた」と述べ、その後、野党の議員らの前で同様の事実を説明した上、「国会ですべて話をする」と述べた。

このような籠池氏の発言を受け、その後、自民党側から、民進党に、23日に衆参両院の予算委員会で、籠池氏の証人喚問をそれぞれ実施することが提案され、17日に衆参の予算委で正式決定することになったと報じられている。

「危険な賭け」に出た自民党

これまで、民進党などが求める参考人招致を拒否してきた自民党が、今回、逆に証人喚問を提案した理由について、竹下亘自民党国対委員長は

(籠池氏を)たださなければいけないという思いは非常に強く持っている。総理に対する侮辱だからしっかり受け止めなければならない

と記者団に述べた。

もし、籠池氏が言う「安倍首相からの寄付金100万円を昭恵夫人から受け取った」という事実があったとすると、国会で、「寄付金集めにも、まったく関わっていないと言うことは、はっきりと申し上げておきたい」と明言していた安倍首相には致命的な事態になる。「安倍首相から」との点を別にしても、これまでに明らかになっている森友学園の小学校新設をめぐる様々な問題からすると、「安倍首相夫人からの100万円の現金の受領」だけでも、安倍首相にとって重大な事態になることは避けがたい。

自民党側が、野党側が求めてきた「参考人招致」ではなく「証人喚問」を提案したのは、それによって、偽証をすれば刑事罰を科される立場に籠池氏を追い込み、「昭恵夫人から100万円の寄付を受けた」との証言を撤回させるか、証言を維持するのであれば、偽証罪での告発によって籠池氏の証言が嘘であることを司法判断で明らかにしようという意図であろう。

しかし、もし、偽証の制裁を覚悟の上で行った国会で、「昭恵夫人から100万円受け取ったとの話が虚偽であった」と認めさせることも、虚偽だとする明確な根拠を示すこともできなかった場合には、逆に、籠池氏の証言が重みをもつことになる。それは、安倍首相にとって最悪の事態になりかねない。

自民党としては、国会での圧倒的多数の「数の力」で偽証告発に持ち込もうという考えかもしれないが、議員証言法では、証人の告発は、委員会の3分の2の賛成が必要である。衆議院予算委員会では、委員長を除く49名の委員の3分の2は33人であり、自民党の30人だけでは足りない。少なくとも、公明党の委員3人(うち一人は弁護士)の賛成が必要だが、それを得るためには、偽証と認めるだけの十分な根拠が必要となるであろう。

過去に、国会での証人喚問の結果、偽証罪で告発された例は相当数あるが、国会が不安定な状況であった昭和20年代を除けば、かなり慎重に行われており、その大部分は、その後、検察当局の捜査の結果、偽証の事実が明らかになった(国会での偽証の疑い以外の別の犯罪の容疑で捜査が行われた結果、国会での偽証も明らかになった)というケースだ。

最近では、AIJ投資顧問の年金資産消失事件で、浅川社長が証人喚問されて以来、国会の証人喚問は行われておらず、5年ぶりとなる。この浅川社長の事例は、当初、参考人招致されたが、曖昧な供述であったことを受けて証人喚問が行われたものであり、今回のように、民間人が「いきなり証人喚問」というのは異例だ。

果たして、偽証罪での告発に持ち込めるのか、自民党は、「危険な賭け」に出たと言わざるを得ない。

美濃加茂市長事件との共通性

確かに、籠池氏の話には、100万円を受け取ったとしながら、領収書も渡さず、寄付名簿に「安倍」という名前を記載することもなかったなど、不可解な点も少なくない。

また、小学校の設置認可申請の取り下げに追い込まれたことで、国から土地の原状回復と返還を求められることが必至となり、入学予定の児童の保護者への入学金等の返還に加え、校舎の建物工事代金の支払等で窮地に追い込まれている籠池氏は、「公費による支援」まで持ち出しているようであり、国に対抗して自らの立場を守るために、一発大逆転を狙ってウソの寄付金受領話を始めた可能性もある。

「自らの利益のために虚偽の供述を行う動機がある」という点でも、「現金の授受の有無が最大の争点になった」という点でも共通するのが、現在、控訴審での「逆転有罪判決」を上告審で覆すために上告趣意書の作成作業に追われている「美濃加茂市長事件」だ。

当ブログでも、捜査や裁判の経過について詳述してきたように、この事件では、贈賄供述者のNは、総額4億円近くもの融資詐欺を犯して逮捕され、そのうち2100万円の事実しか立件されていない段階で、市長(当時は市議)へ20万円の現金を渡したとの供述を始め、さらに、それ以前に10万円を渡した事実も供述した。この後、警察の捜査は、贈収賄に集中し、残りの融資詐欺は立件されることなく、Nに対する起訴は、30万円の贈賄と2100万円の融資詐欺にとどまった。

Nにとっては、融資詐欺を次々と立件されると、長期の実刑を覚悟しなければいけない状況であったのだが、市長への贈賄を供述したことで、警察の動きを贈収賄事件に集中させることができ、全体としても大幅に軽い事実の起訴にとどまって、まさに「思惑通り」の結果になっていたのである。

それと同様に、今回の籠池氏も、小学校の開校が絶望的となり、国から厳しい措置を受けることが必至の状況の下で、「総理大臣から夫人を通じて100万円の寄付を受けた」という爆弾発言をすることで、世の中の関心をその問題に集中させようという、同様の「思惑」が感じられる。

「現金授受の有無」に関する証言の信用性判断のポイント

同じように「現金授受の有無」が最大の争点になっている美濃加茂市長事件と比較しながら、籠池氏証人喚問に関してポイントとなる点を考えてみよう。

3月16日の参院予算委員会の現地調査の際、籠池氏は、

2015年9月5日に安倍昭恵氏が塚本幼稚園に講演に訪れた際、昭恵氏が「安倍晋三からです。」「どうぞお使いください。」と言って寄付金100万円を差し出した。籠池氏が「領収証はどういたしましょうか。」と尋ねると、昭恵氏は「いや、それはもう結構です。」と答えた

と述べている。証人喚問では、このような内容の証言をさらに詳しく行うことになる可能性が高い。

現金授受の有無に関しては、その「授受の機会」があったか否かは決定的な事実だ。美濃加茂市長事件では、2回の現場に同席者がいて、少なくとも、その目の前での授受がなかったことは、同席者が一貫して供述していた。Nは、「同席者が席を外した際に現金を渡した」と供述していたが、この同席者から、何とか「席を外した」との供述をとろうと、警察では恫喝的、強迫的な取調べが行われたが、同席者は、一貫して、「会食は短時間で、その間席を外した事実はない」と供述していた。

籠池証言についても、重要なのは、昭恵夫人に同行したとされる政府職員の供述である。もし、「塚本幼稚園に滞在した時間内に、常に職員の誰かが同席していて籠池氏側と昭恵夫人とが立会人なしで会った場面は全くなかった」ということが客観的に明らかになれば、政府職員に見られることなく現金の授受があった事実は否定される。ただ、講演の会場であった幼稚園の内部は、籠池氏の側が熟知している。政府職員が「常に同席していた。」と供述した場合でも、籠池氏の側が「政府職員抜きでいた時間があったこと」を現場の状況も含めて具体的に供述した場合、いろいろな場において昭恵夫人に同行している政府職員側の記憶が正しいと言い切ることができるかは微妙だ。

一般的には、授受されたとされる原資や使途も重要だ。美濃加茂市長事件では、授受したとされた現金の金額が20万円、10万円と少額だったため、「原資」や「使途先」から現金授受を裏付けることは困難だったが、籠池氏が昭恵夫人から受け取ったと述べるのは100万円と金額が大きい。昭恵夫人にとって、100万円という金額が、現金で出金した可能性を否定できる金額であろうか。

一方、籠池氏側でそのような金額を受け取ったとすれば、使途が問題になる。100万円もの寄付を、その後、小学校建築にどのように使ったのかは、尋問者の方で厳しく追及するであろう。しかし、籠池氏の側でも、それは当然予想しているはずであり、例えば、「総理大臣から頂いたお金なので、ゆめゆめ疎かにはできないと考え、小学校開校後に最も有効な使い道に充てようと考えて、手をつけず現金のまま自宅においておいた」などと証言されると、その可能性を否定することは難しい。

籠池供述の経緯や、その合理性の問題に関して、今になって、「昭恵夫人から100万円を受領した」と言い出したことが、これまでの「安倍首相側には何もしてもらっていない」という話と矛盾しているのではないかという点、100万円もの寄付を領収書も渡さずに受け取り、寄付者名簿に「安倍」という名前が記載されていないことがあり得るのかという点も追及の対象になるであろう。

しかし、前者については、「先週までは、小学校の設置認可を最優先に考えてきたので、野党やマスコミから追及されている状況において、安倍首相からの寄付などという話を持ち出せば、さらに追及を受け、認可が一層困難になると思ったので出せなかった」と証言するであろうし、領収書の点は、おそらく、「昭恵夫人が要らないと言われているのは、総理大臣の名前を表に出すことに支障があるからだろうと考えて、そのことは一切表に出さなかった」と説明するであろう。いずれも、そのような説明は「疑わしい」とは言えても、虚偽だと客観的に立証するのは難しい。

議会証言を偽証告発することの困難性

証言が「虚偽」だということを、刑事手続で認定される程度に立証するということは決して容易ではない。籠池氏が「昭恵夫人から100万円を受領した」との証言を維持した場合、その証言を「偽証」で告発するのであれば、予算委員会として、授受の反対当事者である昭恵夫人の供述を得ることが最低限必要であろう。自民党は、昭恵夫人の証人喚問ないし参考人招致を覚悟のうえで、籠池氏の証人喚問を提案したのであろうか。

もし、籠池氏が100万円の現金受領を維持し、偽証で告発して検察での捜査にゆだねた場合、昭恵夫人の側で、「授受があったとされる当日、そのような金額の現金を持参した可能性がない」ことの立証のため、安倍家の個人的な資金の動きを示さなければならなくなるが、果たしてそれは可能だろうか。

美濃加茂市長事件では、我々弁護人は、融資詐欺での告発まで行ってNを徹底追及した結果、Nの供述の信用性に「合理的な疑い」があるとされ、一審判決では証言の信用性が否定され、現金授受が否定された。しかし、その一審判決の「N証言の信用性を否定する判断」は、控訴審では、不当にも覆されているのである。

今回の籠池証言について、偽証告発が行われ、処罰まで行われるためには、逆に、「籠池証言が虚偽であること」が「合理的な疑い」を容れない程度にまで立証できなければならない。立証のレベルは、美濃加茂市長事件で弁護人が行ったN証言の虚偽性の立証を大きく超えるものとなる。

昨日、籠池氏が、昭恵夫人からの100万円の受領の話をしたと報じられてから、2、3時間後には、竹下国対委員長が「証人喚問」のことを言い出したというのは、拙速であった感は否めない。

私が助言する立場であれば、まず、野党側の参考人招致の話を受け入れ、参考人として十分に籠池氏の話をしっかり確認した上で、上記の点等について、籠池参考人供述の不合理性を追及するネタをしっかり用意した上で「証人喚問」に臨む、という戦略を勧めたであろう。

安倍首相にとっては、極めて重要な証人喚問になるのであるから、実際に、証人喚問で籠池氏への尋問を担当する予算委員会の自民党議員には、大変なプレッシャーがかかることになるであろう。

やはり、籠池氏証人喚問は、自民党にとって「危険な賭け」である。

 

 

 

 

 

 

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森友学園問題 補助金不正で捜査機関が動かないのはなぜか

森友学園が、国(国土交通省)から受け取った「サスティナブル建築物先導事業に対する補助金」に関連して、(a)約21億8000万円、(b) 約15億円、(c)約7億5000万円という金額の異なる3通の請負契約書が作成され、(a)の契約書が提出された国から5000万円余の補助金が学園に支払われた事実があることが明らかになっている。この契約書が、補助金を国から受けるための虚偽の契約書だった疑いがあり、補助金を不正に受給した補助金適正化法違反の疑いがある。

この疑いについて、森友学園は、3月8日、ホームページ上に「補助金申請について」と題する「お知らせ」を掲載して、「補助金詐欺には当たらない」と主張している。

これだけ社会的に注目を集めている案件で、具体的な犯罪の疑いが生じているのに、いまのところ、警察、検察が捜査に動いているという話はない。

補助金適正化法29条1項は、「偽りその他不正の手段により補助金等の交付を受け、又は間接補助金等の交付若しくは融通を受けた者は、五年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と規定している。

森友学園が、国に提出した請負契約書が、実際の契約内容とは異なるものであり、それを認識した上で提出したのであれば、「偽りその他不正の手段」を行ったということになり、そのような契約書提出によって補助金の交付を受けた場合には、同条項違反の犯罪が成立する。

森友学園のホームページでは、補助金詐欺(上記法律違反)の疑いを持たれていることについて、次のように説明している。

①補助金申請時に申告する建築費(請負金額)は、申請後に増額変更することができない。そのため、実際に工事が始まって建築費が上振れた場合、それに見合った補助金を受領できないという事態が生じうる。それを避けるべく、上振れ分を十分に見込んで申請した。そして、その(上振れ分を十分に見込んだ)申請金額とつじつまを合わせた請負契約書を提出した。

②補助金の申請時期が実施設計前の段階であったこと、募っている寄付金次第では計画の大幅な見直しが予測されたことから、申請時には建築費の上振れの可能性が十分にあった。

③実際に支払われた補助金については、申請時より大幅に工期が遅れたにもかかわらず、現場確認がなされないまま、当初の計画通りに入金がなされてしまったものであり、工事が進行中で返還すべき金額も不明なため、国の指示を待つ状況が続いている。

④最終的な建築費が確定した時点で適切な申告を行い、適切な補助金額を受領する意向である。

この「お知らせ」に書かれていることからは、補助金適正化法違反の疑いは全く晴れない。

①②で述べていることは、補助金申請の時点では、将来建築費が増額される可能性があったので、その分を見込んで、実際より金額の大きい(a)の請負契約書を作成して提出した、ということであるが、少なくとも、申請時に提出された(a)の契約書が、請負金額を水増ししたものであって事実に反するものであれば、「偽りその他不正の手段」によって補助金を申請したことになる。

そして、その申請の結果、当初の計画通りに補助金の支払が行われたのであれば、現場確認が行われたか否かに関わりなく、申請に基づいて「補助金の交付を受けた」ということであり、③も弁解にならない。④は、「不正に受け取った補助金であっても、後で返せば良いだろう」と言っているもので、これも全く弁解にならない。

森友学園の補助金適正化法違反の犯罪の成否に関して問題となる点は、次の2点である。

第1に、「真実の請負金額」がいくらなのか、という点である。

補助金不正受給の罪で処罰するためには、「本来交付されるべきであった補助金額」と「偽りその他不正の手段によって交付された補助金額」との差額を「不正受給額」として特定する必要がある。そのため、「真実の請負金額」が特定される必要がある。

この点について、契約を締結した建設業者は、大阪府に対して、(b)の金額が正しい請負金額だと説明しているようだ。それに対して、森友学園の籠池理事長は、3月8日の大阪府の調査の際も、報道陣に、(c)の7億5000万円が正しいと説明している。

(b)は、建設業者が、建設業法による経営事項審査申請に記載している工事受注額のはずであり、それが虚偽であれば、建設業者が同法による行政処分の対象になる。一方、森友学園側は、(c)の金額の請負契約書を私学審議会への小学校設置の認可申請に添付しており、それが虚偽であれば、認可を得ることが絶望的になる(ただし、私立学校法では虚偽の申請に対する罰則はない。)。

どちらが述べていることが真実なのかが確定できないと、犯罪の成立は立証できない。

この点については、3月8日の大阪府の検査の際に、籠池氏が提出した工事代金の前払い分1億5552万円の領収書は、森友学園が主張する請負代金7億5600万円ではなく、関西エアポートへの助成金申請で提出した約15億5000万円の契約書の内容と一致したとされており、 (b)の請負金額に合致しているようだ。捜査機関が請負代金の積算根拠等を確認することで、(b)の契約書が真実であったことが確認されれば、この点の問題は解消される。

第2に、実際に支払われた補助金の手続において、建物の建設費用がどのように認定されたのかである。この点について、「専門家を交えた検討の結果、補助対象の設計費と工事費はおよそ15億2000万円と算定され、6194万円を助成することになり、先月までに5644万円余りが支払われている。」との報道がある(NHK)。国土交通省側で、6194万円の補助金額の算定の根拠としての建築費用をどのように認定したのかが問題となる。

補助金適正化法違反の犯罪の成否は、この第1の点と第2の点の相関関係で決まる。

もし、第1の点について、建設業者が説明しているように、(b)の請負金額が正しかった場合、 森友学園が国交省に提出した(a)の金額の請負契約書が虚偽だったとしても、国の側で審査した結果、請負代金が(b)の金額であることを前提に補助金を交付したのであれば、「偽りその他不正」は行われたが、それによって補助金が不正に交付されたのではないということになる。詐欺罪であれば未遂罪が成立するが、補助金適正化法違反については未遂は処罰の対象とされていないので、犯罪は不成立となる。

一方、第1の点について、森友学園側が主張しているように、(c)の請負金額が正しかった場合、国交省側が補助金の手続で算定の根拠にした請負代金が(a)であっても(b)であっても、正しい金額とは異なっていたことになるので、「偽りその他不正の手段」によって補助金が不正に交付されたということで、補助金適正化法違反の犯罪が成立することになる。

籠池理事長が、大阪府に提出した契約書の(c)の金額が正しかったと言い張れば言い張るほど、犯罪の成立の可能性が高まるという皮肉な結果になるのである。

このように、申請の際に提出した契約書と補助金交付の基になった金額との関係によっては、補助金適正化法違反の犯罪が成立する可能性もあるが、一方で、森友学園側では虚偽の契約書を出して補助金を受けようとしたものの、結果的には国は騙されることなく、適正な金額の補助金を交付したということで、犯罪不成立ということもあり得る。

しかし、その場合でも、虚偽の契約書を提出して、私立学校の設置申請をすることも、補助金を不正に受給しようとすることも、当然のことながら法律が許容する行為ではない。前者は、それが発覚すれば、認可が得られなかったり、事後的に取り消されたりすることになることを考慮して罰則の対象にされていないだけあり、補助金不正受給は、未遂が罰則の対象とされていないだけであって、不正に補助金を受給しようとする行為が許されるわけではない。犯罪が成立しないからといって、森友学園が社会的非難を免れるものでは決してないのである。

刑事事件による事実解明ができないのだとすれば、行政手続や議会の場での事実解明の必要性が一層高まることになる。

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森友学園問題 「錯誤」登記をめぐる謎

学校法人「森友学園」に対して国有地が不当に安く売却された問題をめぐる疑惑が、ますます深まる中、小林よしのり氏が紹介するブログ「ゴー宣道場」の2月24日の記事【豊中市国有地格安売却疑惑「錯誤」の不可思議な登記】で、この土地の登記をめぐる興味深い指摘が行われている。

もともとこの一帯は伊丹空港の離着陸ルートにあたり、昭和53年ごろに騒音対策地として国が買収した土地だった。

その後、騒音が軽減されたとして、平成24年7月、この騒音対策地は「国(運輸省)」から「新関西国際空港株式会社(新関空会社)」に売却されている。

一昨年、豊中市が同じ騒音対策地から、学校給食センターの建設用地として、7210平米の土地を購入しているのだが、この時点での土地の所有者は「新関空会社」だから、豊中市は当然「新関空会社」に購入費を支払っている。金額は7億7000万円。

問題は、その後に書かれている指摘だ。

 森友学園が小学校用地として購入した土地の登記を見ると、平成24年7月に、所有者が国から「新関西国際空港株式会社」に移転。

ここまでは豊中市が購入した土地と同じだ。しかし、平成25年1月10日、なぜか「錯誤」を理由に所有者が抹消され、その上、なぜか所有者が「国(国土交通省)」に戻っているのだ。 

同日に出された同じブログの記事【「錯誤」登記の補足と、安倍首相の「森友学園切り捨て答弁」】に登記簿の写しが掲載されている。これを見ると、この土地は、運輸省(現国土交通省)の所有であったところ、

①平成24年10月22日に、「平成24年7月1日 現物出資」を原因として、新関空会社に所有権が移転

②平成25年1月10日に、「錯誤」を原因として、①の所有権(新関空会社)が抹消

されている。

つまり、問題の土地は、国から新関空会社に現物出資されたことになっていたが、その現物出資が「錯誤」で無効だったとして、国に戻り、その後、問題とされている森友学園との間で定期借地契約や売買契約が行われたりしたのである。

このことは、今回の問題が、単に、国が所有していた土地を安価で森友学園に売却したというだけにとどまらず、一旦、新関空会社に現物出資したものを、国が取り戻した上で、森友学園との契約を行うという「特別の取り計らい」が行われたのではないかという疑いを生じさせる。

しかも、【赤旗「森友学園問題 審議前に貸し付け内諾」】によると

森友学園は近畿財務局に国有地の賃貸を申し出ている段階で2014年10月31日、大阪府私学審議会(私学審)に新設認可を申請。私学審は、15年1月27日に「認可適当」と答申しました。

この答申の2週間後、国有財産の処分を決める近畿財務局の国有財産近畿地方審議会が、森友学園に国有地を10年間貸すことを決めました。

とのことである。「錯誤」を理由にして現物出資がなかったことにし、国が所有権を取り戻した後に、森友学園が賃貸を申し出たわけだが、その話はいつから始まっていたのか。

上記ブログによると、国交省大阪航空局は「手続き上のミスがあったので国に所有権を戻した。」と説明しているとのことだ。もともと現物出資が有効に成立していなかったという趣旨であろう。

しかし、平成24年度の新関空会社の有価証券報告書によれば、国から新関空会社への現物出資は、「関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する法律」に基づいて行われている。現物出資が行われたとされた半年後に、「錯誤」で所有権を抹消する登記が行われたのであれば、「手続き上のミス」を明らかにする書類が残されているはずだ。

法律に基づく現物出資等である以上、近畿地方財務局が「既に廃棄した」と説明している森友学園と財務局との交渉経過に関する文書等とは異なり、行政文書として確実に保存されているはずであり、それに関する文書を確認することで、事実関係は明らかになるはずだ。一旦は国有地ではなくなっていた土地について、その後、森友学園から賃貸の申し出があった。なぜ、都合良く、「錯誤」によって国に戻っていたのか。

いずれにせよ、国と政府100%出資会社との間での通常の取引や登記では考えにくいことが行われているように思える。この点についても、真相の解明が必要だろう。

 

 

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「録音録画停止後の脅し」を覆い隠そうとする検察と、加担する裁判所

日本最大級の宅配サイト「出前館」を運営するジャスダック上場会社「夢の街創造委員会」(以下、「夢の街」)の株式をめぐる相場操縦事件で東京地検特捜部に起訴された花蜜伸行氏の論告弁論公判が、2月17日、東京地裁で行われ、結審した。

傍聴席を埋め尽くしたマスコミ関係者や、花蜜氏の知人、支援者らの前で、主任弁護人の私の弁論の内容に対して、検察官が異議を申し立てるという異例の事態が発生した。

私の弁論での主張の内容は、これまでの検察官の主張立証の経過に基づき、検察官立証の不十分性を指摘しようとする、無罪を主張する弁護人としては当然のものであった。その「経過」というのは、「弁護人から、取調べの録音録画停止後の検察官の発言に関する問題を指摘されるや、検察官は、被告人調書の請求を撤回し、供述による主観面の立証を断念したこと」などである。

その弁論に対して、検察官が「証拠に基づかない弁論」などと異議を申し立てた。弁護人の主張としての弁論に不当な言いがかりを付ける、何の理由もない異議だった。ところが、信じ難いことに、裁判長は、その異議をあっさりと認めて、弁護人の弁論の削除を命じた。そして、異議を認めたことの不当性を、弁護人から訴えても「異議は処理済み」と言って一切耳を貸さず、予め検察官の論告、弁護人の弁論ともに30分と指定されていた持ち時間が、異議のやり取りのために消費されているのに、弁論開始から30分経過した時点で「もうやめてください」と言って、弁論を打ち切らせとしたのである(法廷は、次の公判まで十分に時間が空いていた。)。これが、多くの傍聴人の前で繰り広げられた異常な裁判の光景だったのである。

取調べの録音録画は、検察官の独自捜査においては全過程で実施することが義務付けられており、近く施行される刑事訴訟法改正では正式に制度化される。その制度を有名無実化することにもつながりかねない重大な事象を、必死に覆い隠そうとする検察官と、それに加担する裁判所、という構図を露呈した今回の問題は、今後の刑事司法制度の運用や立法にも重大な懸念を生じさせかねない。

裁判の争点

花蜜氏に対する起訴事実は、第1事実が、株価の上昇局面での「変動操作取引」、第2事実が、追証発生価格以下に株価が下落しないように買い支えていた時期の「安定操作取引」だ。

第1事実の変動操作取引に関する最大の争点は、花蜜氏に「売買を誘引する目的」があったか否かである(第2事実については、そもそも取引の内容自体が「安定操作取引」には該当せず、第1事実以上に花蜜氏の無罪は一層明白だと考えているが、冒頭で述べた問題と直接関係ないので、本稿では省略する。)。

特定の株式を継続的に買い進めて、一定の数量保有しようとすれば、それによって株価が上がるのは当然だ。その買い注文で株価が上がるのに伴って、その動きを見て、他の投資家が買い注文を入れてくることはあり得るし、当然予想可能なことである。それを認識していたというだけで相場操縦罪に当たるということになると、まとまった株の買い付けはすべて違法ということになってしまう。

そこで、継続的かつ大量の株式買付けが行われた場合、「違法な相場操縦」が成立するためには「売買を誘引する目的」があることが要件とされている。

この目的については、最高裁判例(平成 6年 7月20日協同飼料株価操作事件)で、「人為的な操作を加えて相場を変動させるにもかかわらず、投資者にその相場が自然の需給関係により形成されるものであると誤認させて有価証券市場における有価証券の売買取引に誘い込む目的」と解されている。要するに、「他の投資者に誤認させようという意図」がなければ犯罪は成立しないのだ。

花蜜氏は、「夢の街」の創業者で、同社が上場するまでは社長を務めていたが、その後、同社の経営から離れていた。顧問に復帰して再び同社の経営に関与することになった同氏は、信用取引で夢の街株を買い進めて15%の持株を取得し、株価時価総額を増大させることを目論んでいた。花蜜氏は、自身が買い進むことによって株価を上昇させようとしていたが、株を売り抜ける意図も、他人を売買に引きずり込んだり、「誤認」を与えたりする意図もなかったのである。

検察官の取調べでの「録音録画停止後の脅し」

花蜜氏は、証券取引等監視委員会の特別調査を受け、告発されていたが、同委員会での調書上は、事実を争う態度は見せていなかった。検察は、問題のない「自白事件」として扱っていたようで、逮捕されることもなく、在宅の取調べが始まった。

ところが、検察で、花蜜氏が「だまして引っ張り込もうという気持ちはなかった」「違法とも思っていなかった」という言い分を初めて述べたため、取調べ検察官が、「違法だとわかっていた」と認めさせようとして行ったのが、冒頭に述べた「録音録画停止後の『脅迫的発言』」だったのである。

監視委員会の告発による検察の独自捜査ということで、花蜜氏の取調べは、それまで、開始時から終了時まで録音録画されていた。ところが、昨年5月14日の取調べでは、検察官は、取調べの終了時、録音・録画を停止した後に

花蜜さんの主張は否認ということになります。否認となれば、罪を認めていない、反省していないということになるので、それなりの対応することになります。

花蜜さん、「関係者には寛大な処分を」と、取り調べ初日におっしゃいましたよね?否認ということでしたら、関係者も同様な対応をせざるを得なくなります。

というようなことを言ってきた。

ここで言っている「それなりの対応」が「逮捕」を、「関係者も同様な対応」が、「関係者の起訴」を意味していることは、花蜜氏にもすぐにわかった。もちろん、刑事事件で逮捕されることは恐怖だったし、株取引の名義を借りた知人Tさんも共犯者として監視委員会に告発されていた。Tさんを刑事事件に巻き込むことだけは何とかして避けたいと思っていた。仕方なく、花蜜氏は、検察官の意に沿う供述をすることにした。

その次の取調べが行われた5月17日、録音録画を開始する前に、検察官から、弁護人と話をしたかどうか聞かれ、「やはり程度の差はあれ、罪の意識はあったと思います」と答えると、「よし」ということになり、そこから録音録画が開始された。

その後、検察官から、しらじらしく、「前回までは全く違法だと思わなかったと話していたのに、本当のことを話すことにしたのはなぜか」などと質問された花蜜氏は、「逮捕されたり、共犯者が起訴されたりするのが怖いから」という本当のことは言ってはいけないと感じ、考えた末に、「当時の気持をもう一回冷静に考えてみた結果です」などと答えた。

それ以降の取調べでも、検察官は、「出来高を多く見せかけて他人の売買を誘い込む目的で仮装売買を行った」などと認めさせようとしてきたが、花蜜氏にとっては「対当売買」は、株価上昇で評価益が出ている信用建て玉の「益出し」が目的で、それによって「出来高を多く見せかける目的」は全くなかったので、その点については抵抗した。

すると、6月5日の取調べ終了時に、また、録音録画を停止した後に、検察官から

このままだと否認していると取らざるを得ない。

と言われた。

花蜜氏は、「自分が逮捕されるかもしれない。」「Tさんも起訴されてしまう。」という強い恐怖を覚えた。そこで、検察官の意向どおりの調書に署名しようと考えて、翌日の取調べに臨んだ。

翌日の取調べでも、検察官から「出来高を多く見せかけて他人の売買を誘い込む目的」があったか否かを確認され、「ありました」と答えると、そこから録音録画が開始された。

この日も、検察官は、対当売買が違法な仮装売買だと認識していたか否かについて、「昨日までと今日とで、話が違うのはなぜか。」などとしらじらしく質問してきた。花蜜氏は、「よくよく考えてみた結果です。」などと答えた。

その時点以降の取調べは、検察官が一方的に話し続けて確認を求め、花蜜氏は、単にうなづいたり、検察官からの問いかけに「そうです」と答えるだけ。その一方で、あたかも花蜜氏が話したことかのような供述調書が作成され、読み聞かされて署名をするということが繰り返されていった。途中からは、検察官の確認のプロセスもなくなり、花蜜氏が話してもいない内容の供述調書が一方的に作成され、読み聞かされて、それに署名するだけということが多くなっていった。

本来、取調べの録音録画は、被疑事実を否認している被疑者の取調べで、自白をさせようとする説得の経過や、供述変更の理由などを、そのまま録音録画記録に残すための制度のはずだ。しかし、花蜜氏の取調べの経過を見る限り、検察官には、そのような記録を残そうとする姿勢は全く窺われない。

事実を認めるに至った肝心なやり取りは、録音録画の対象から外され、検察官の意向どおりの調書作成に応じている被疑者と検察官との間での調書作成の過程が記録されているだけなのである。

検察官取調べの問題についての弁護人の主張と検察官の対応

花蜜氏が起訴された後に、弁護人を受任した私は、供述調書の作成の過程について上記のような重大な問題があることを把握した。そこで、公判では、取調べ検察官の録音録画停止後の脅迫的言辞によって作成された調書であることを理由に、争点となる「売買を誘引する目的」等の主観面に関する部分は、「任意性がない自白」だとして、すべて「不同意」にした。

少なくとも、前記の最高裁判例を前提にすれば、相場操縦事件では、「売買を誘引する目的」が要件となるので、行為者が他の投資者に「誤認」をさせる目的で取引を行ったことの立証が不可欠のはずだ。

検察官が、録音録画終了後に、花蜜氏に逮捕や共犯者の起訴をほのめかすということまでやって認めさせようとしたのも、他の投資家に「誤認」をさせようとして「仮装売買」「買い上がり買付け」「下値支え」を行ったという「自白」を得るためだった。

最大の争点に関連する検察官調書の枢要部分なので、検察官は、弁護人が不同意にした部分を、当然、「任意性のある自白」だと主張して刑訴法322条1項で証拠請求してくるものと予想していた。今年1月に行われた被告人質問では、「録音録画停止後の脅し」の経緯を花蜜氏に供述させて、検察官調書に任意性がないことを立証しようとした。すると、そこに検察官が異議を出して介入してきた。

「検察官調書のうち一部不同意部分は証拠になっておらず、本件と関連性がない」というのである。そして、裁判長は、「争点と関連性がないので質問はやめてください」と言って異議を認めたのである。弁護人は、検察官に、被告人調書の不同意部分について、322条1項による請求の予定がないことを確認した。驚いたことに、検察官は「請求しない」と答えた。それでも、供述経過に関する質問を封じられるのは不当だと思ったが、「証拠にならないのであれば」ということで、それ以上質問はしなかった。

このときの検察官の異議と、裁判所の対応も、「録音録画停止後の脅し」に関する弁護人の主張を、法廷で表に出したくないという検察官と、それに加担する裁判所の姿勢そのものだった。

その後の検察官からの被告人質問において、検察官は、被告人供述調書には全く触れないばかりか、株式取引の目的・意図に関する被告人の説明に対して、不合理性を具体的に指摘したり、追及したりすることもしなかった。結局、「他人を誤認させて売買を誘引する意図」についての被告人の供述はゼロということで終わった。

花蜜氏の供述調書以外に、検察官が「他人を誤認させて売買を誘引する目的」を立証するために請求した証拠に、借名口座の名義人のTさんの供述調書があった。「会話の中で、花蜜氏が、他人に誤認させる目的で取引を行っていることを、専門用語も交えて明確に説明した」という内容だった。弁護人がTさんに確認したところ、そのような供述はしていないのに、検察官が勝手に作文して署名を求めてきたので、仕方なく署名したという話だった。

当然のことながら、弁護人は、Tさんの検察官調書をすべて不同意とし、検察官の請求で証人尋問が行われたが、Tさんは公判でも弁護人への説明とほぼ同趣旨の証言を行い、検察官は、供述調書を、刑訴法321条1項2号(証人が公判で供述調書と相反する証言をしたときに、検察官調書の供述に「特に信用すべき情況」があれば、証拠採用できるとの規定)で証拠請求することもできなかった。検察官調書の内容が、検察官の作文であることが明らかで、「特に信用すべき情況」の立証が困難と考えたからであろう。

主観面の立証に失敗した検察官論告と弁護人弁論

結局、検察官が「録音録画停止後の脅し」まで行って作成した供述調書の不同意部分の請求を撤回したために、「他人を誤認させて売買を誘引する目的」についての花蜜氏の供述はゼロ、会話の中でそれを認める話を聞いたとするTさんの供述調書も証拠請求しなかったので、花蜜氏の主観面に関する直接証拠は全くなく、「売買を誘引する目的」についての検察官の立証は完全に失敗に終わった。

論告でどのような主張をしてくるのだろうと思っていたら、何と、検察官の被告人の主観面に関する主張は、「客観的な取引の内容だけで十分に推認できる」というものだった。争点に関する検察官の主張は、「取引の内容」だけを根拠とするもので、それ以外には、検察捜査で収集した証拠も、公判立証に用いた証拠もほとんど引用しなかった。

もし、それで、相場操縦の犯罪が立証できるのであれば、監視委員会での1年2ヶ月にわたる取調べも、検察官の合計24回にわたる取調べも、6ヶ月にわたる公判審理も、全て不要だったことになる。

弁護人の弁論では、万が一にも、裁判所が、「客観的な取引内容だけで相場操縦の主観的要件の立証が可能」という検察官の苦し紛れの主張を受け入れることがないよう、公判での検察官の主張立証と、弁護人の主張を整理して改めて指摘し、「客観的な取引内容」だけで「売買を誘引する目的」等の被告人の主観面についての立証が十分だとする検察官の主張がいかに無理筋で不合理かを強調しようとした。

その中で、検察官が、取調べに関する問題を弁護人から主張され任意性を争われて、一部不同意となった被告人調書の証拠請求を撤回したことを指摘しようとした際に、冒頭に指摘した、検察官の「証拠に基づかない弁論」との異議が出され、裁判長は、それをそのまま認め、弁論のうち、以下の部分を削除するよう命じたのである。

弁護人において、検察官が取調べにおいて、自らが逮捕されること及び被告人とともに告発されていたTが起訴されることを極端に恐れていた被告人に対して、録音録画を停止した後に、被告人の逮捕及び共犯者Tの起訴をほのめかす発言をしたことを理由に、被告人の検察官調書のうち、主観面に関する記述部分について、任意性を争い、一部不同意としたところ、検察官は、刑訴法322条1項で請求することもせず、請求を撤回した。被告人質問においても、検察官は、上記意図に関する質問はほとんど行わず、株式取引の目的・意図に関する被告人の説明に対して不合理性を具体的に指摘することもなく、追及することもしなかった。そのため、本件公判で取調べ済の証拠には、他人に「誤認」「誤解」させる意図を認める被告人供述はない。

この弁論のどこがどう不当なのであろうか。このような弁護人の当然の主張が封じられるようでは、まともな刑事裁判とは言えない。

今回の問題が制度及び立法に与える影響

今回の問題は、裁判長が、公判で検察官の理由もない異議を認めて弁護人の弁論を不当に制限し、「無罪主張に対して聞く耳を持たない姿勢を示した」という個別の刑事事件における「著しく偏頗で不公正な裁判所の姿勢」の問題にとどまらない。

取調べの録音録画は、平成26年6月16日付け最高検次長検事による依命通知で、検察独自捜査においては取調べの全過程で行うこととされ、昨年成立した刑事訴訟法改正で、正式に制度化されることになっている。大阪地検特捜部の問題等の検察不祥事を発端とする検察改革の中で、私も委員を務めた「検察の在り方検討会議」(2010年11月~2011年3月)での提言以降、様々な経緯を経て、ようやく「取調べの全過程の録音録画」の制度化が実現したものである。

ところが、花蜜氏の事件では、取調べ担当検察官は、録音録画を停止させた後に、本人の逮捕や共犯者の起訴を示唆する「脅迫的発言」を行い、被告人の弁解を封じ込め、自白させるという方法をとり、自白に至る過程が録音録画記録に一切残らないようにしたのである。そのようなやり方が許されるのであれば、「取調べの全過程の録音録画」の意味は全くない。

しかも、花蜜氏によれば、それぞれの脅迫的発言は、一通りその日の取り調べを終えて、休憩を取った後の発言であり、取調べ官が席を外して上司に報告した後、上司から指示されて行っている可能性が強い。つまり、このようなやり方は、取調べ官個人の問題ではなく、組織的に行われている疑いがあるのである。

もし、弁護人が主張する「録音録画終了後の脅迫的発言」の事実が存在せず、取調べに何の問題もないのであれば、せっかく録取した検察官調書の枢要部分の請求を撤回する必要はないはずであるし、自白の任意性には問題がないことを公判で立証するのが当然だ。ところが、検察官は、供述調書の証拠請求を断念し、取調べに問題がなかったことの立証も行わず、弁護人が、弁論で、それを検察官の立証不十分の根拠として指摘しようとするや、不当な異議を述べて、弁論を封殺しようとした。そして、事もあろうに、裁判所がその異議を認めて、検察官に加担したのである。

このようなことがまかり通るのであれば、取調べの録音録画という検察の取調べの適正化のための制度が導入されても、運用上、制度を捻じ曲げるやり方が横行することは必至であり、しかも、裁判所までがそれに加担するというのであれば、制度本来の機能は全く期待できないことになる。

それは、改正刑事訴訟法で正式に導入される取調べの録音録画の制度運用に重大な懸念を生じさせるばかりではない。法律や制度の導入が運用段階で不当な方向に歪曲され、その実態を捜査機関や検察が覆い隠そうとする画策に、本来であればチェック機能を果たすべき裁判所までもが加担するということなのであれば、法律や制度の「悪用」に対して何の歯止めもかからないことになる。

我が国には、戦前、検察が主導して治安維持法の拡大適用や不当な拷問的取調べによる思想弾圧が行われ、それに裁判所が加担した忌わしい歴史がある。不当な取調べ防止のための制度が設けられても、その運用が捻じ曲げられ、裁判所のチェックも機能しないということであれば、今国会に提出が予定されている「共謀罪」を含む「テロ等準備罪」新設法案に関しても、不当な人権侵害が行われる懸念を払拭することなどできるはずもない。

取調べの録音録画の適切な運用に重大な疑念を生じさせる今回の花蜜氏の取調べの問題について、法務・検察当局には徹底した事実調査と厳正な対応を求めていこうと考えている。

カテゴリー: 出前館(夢の街創造委員会株式会社), 司法制度, 検察問題 | 1件のコメント

“美濃加茂市長選、藤井氏圧勝”に、誤った「憲法論議」で水を差す中日新聞

1月29日、控訴審で「逆転有罪判決」を受けて、藤井浩人市長が辞職したことに伴う、美濃加茂市長選挙が行われ、再出馬した藤井氏が、1万9088票を獲得し、4105票の対立候補に圧倒的な差をつけて当選した。しかも、投票率は、57.1%と、前回、藤井氏が初当選して全国最年少市長となった際の選挙より4.24ポイント上回り、獲得票数も、前回より7694票も上回った。

「不当判決と戦いながら市長職を続けていくことへの信任」を訴えて出馬した藤井氏への市民の圧倒的支持が確かめられた選挙結果と見るのが当然であろう。

ところが、この選挙結果を報じる紙面で、藤井氏圧勝に思い切り水を差すような報道を行ったのが地元の中日新聞だ。

同じ日に行われた岐阜県知事選挙の記事よりも遥かに大きく、社会面トップで報じているのだが、大きな横見出しは《疑問消えぬ圧勝劇》、その下に《支持者は「選挙必要なかった」》、左横の方の《藤井氏は「信任を得た」》の見出しの下に、「三権分立抵触のおそれ」というタイトルで、「地方自治に詳しい昇秀樹名城大学教授(行政学)」の以下のコメントが掲載されている。

藤井氏は「法廷闘争をしながら市長を続けることの是非を問う」と唱え、選挙戦では「有罪判決の不当性」を訴えていたと聞く。司法が判断したことの是非を選挙で有権者に判断させるやり方で、憲法が定める三権分立に触れかねず、不適切だ。五月の市長選に藤井氏は立候補するべきでない。当選しても、有罪判決が確定して失職する可能性が残り、市政を混乱させかねない。政治家の身の処し方として、いったん身を引くべきだろう。

このコメントは、どう読んでも全く理解できない。

「三権分立」とは、国家権力を立法権(国会)、行政権(内閣)、司法権(裁判所)に分立させ、各権力相互間の抑制・均衡を図ることで、国民の権利・自由の確保を保障しようとするシステムである。

控訴審で「逆転有罪判決」を受けて市長を辞職した後に、「控訴審判決は不当であり、最高裁に上告中であるが、最終的に上告審の判断を仰ぎ、その判断が出るまで市長職を続けたい」と市民に訴えて支持を呼びかけることが、どうして「三権分立」の問題になるのであろうか。

地方自治体である美濃加茂市長選挙で示される「有権者たる市民の意思」は、「三権」に該当しないだけでなく、そもそも「権力」ではない。また、「司法が判断したことの是非」と言っているが、本件は、一審無罪、二審有罪で、まだ最終的な司法判断は出ていないのであり、前提が根本的に間違っている。

「昇教授コメント」は、そのような「明白に誤った意見」を述べた上で、「五月の市長選に藤井氏は立候補するべきでない。」などという、まさに余計なお世話とも言える意見を述べているのである。

この問題で、「三権分立」を持ち出すのが誤りであることは、中学生でもわかる話であり、このような明白に誤った「専門家コメント」を一方的に掲載して、市長選挙の結果に対して誤ったイメージを与えることは、まともな新聞メディアとして許されないやり方である。

中日新聞には、上記の点を指摘して、記事の訂正ないし反対意見の掲載を求める要請を行ったが、「コメントも含めて記事は誤っておらず、訂正はしない。反対意見を掲載することもしない。」との返答であった。

「昇教授コメント」の藤井氏の出直し選挙出馬への批判は、単に、「三権分立」を持ち出していることが誤っているだけでなく、実質的にも不当である。

司法判断と市長職との関係から言えば、有罪判決を受けても、それを無視して「不当判決」と言って市長職にとどまることの方が、はるかに「司法軽視」と言うべきであろう。一審、二審で判断が分かれた事件なのであるから、上告審の司法判断にすべてを委ねることとし、それが出るまでの間、引き続き市長職を担うことについて市民の審判を仰ぐというのは、むしろ、司法判断を尊重する姿勢にほかならない。

また、選挙で「有罪判決の不当性」を訴えたことが問題であるかのように言っているが、「控訴審判決が納得できないので上告審の判断を仰ぎたい。それが出るまで市長職を続けたい。」と言っている藤井氏としては、市民に対して「判決に納得できない理由」を説明するのは当然のことだ。

もちろん、有権者の市民に刑事事件の判決の中身について事細かな点まで理解してもらうことはできないであろう。しかし、藤井氏の事件に関しては、以下のような控訴審までの審理の経過等を外形的に説明するだけでも、控訴審判決が、藤井氏だけでなく美濃加茂市民にとっても到底納得できないものであることは十分にわかるはずだ。

藤井市長は、収賄事件で逮捕・起訴された後、保釈されて市長職に戻って以降、現金授受の事実が全くなく、自らが潔白であること、市議会議員時代は、純粋に市民のために、災害対策としての浄水プラントの導入に尽力してきたものであることを、直接、多くの市民に会って、繰り返し、繰り返し説明し、市長の話を信じる圧倒的多数の市民や市議会の支持の下で、被告人の立場にありながら、市長職を務めてきた。そして、一審の3人の裁判官は、藤井市長が法廷で述べたことを慎重に評価した末に「無罪」の結論を出した。ところが、控訴審判決は、被告人質問も全く行わないで、自分達が直接、見聞きしたわけではない一審での証拠を、事件記録だけで判断して、無罪判決を覆して有罪としたのである。多忙な市長が公務をやりくりして毎回公判に出廷しているのに、一言も藤井氏の言葉を聞くことすらなかった。

それだけでも、名古屋高裁の「逆転有罪判決」は、美濃加茂市民にとって到底受け入れられないものであり、藤井氏が、そのような不当判決を受け入れず、「最高裁での最終的な司法判断を待ちたい。それまでの間、引き続き市政を担当させてほしい。」と訴え、支持を求めることには、十分な合理性がある。

メディアは、「第4権力」とも言われる存在であり、「司法」「行政」「立法」の3つの権力の監視という重要な役割を担っている。「警察」と「検察」という権力機関が、市民によって選ばれ、市政を担う市長を、その職から引きずりおろそうとしたのが今回の事件であり、それに対して、美濃加茂市民は、そのような権力行使に屈することなく、一貫して市長の潔白・無実を信じ、支持・支援してきた。一審判決は、証拠の希薄さ、贈賄証言が信用できないことを適切に指摘して無罪を言い渡したが、控訴審判決が、それを覆した。その判決がいかに不当なものであるかは、当ブログにおいても、これまで指摘してきたとおりだ。その控訴審判決に対して上告して最高裁に最終的な司法判断を求めている藤井氏は、警察・検察、そして裁判権力に対する戦いを続けているのである。その藤井氏に対して、美濃加茂市民が圧倒的な支持を表明したのが、今回の選挙である。

本件に関して、憲法上の問題に言及するとすれば、国の不当な権力行使によって、市民が首長を選ぶという住民自治を基本とする地方自治が損なわれかねないという、地方自治の本旨(憲法92条、93条)の問題であろう。(【藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題】)

もちろん、再選されても任期は4ヶ月余りで再度選挙となることから、敢えて辞職することの是非や、選挙にかかるコスト(今回は岐阜県知事選挙との同時選挙なので、実際にかかるコストは、通常の市長選挙の3分の1の500万円程度)との関係で、藤井氏の「辞職・出直し選出馬」の是非について議論の余地があることは否定しない。

しかし、中日新聞が紙面で述べていることは、そのような議論にとどまらない。「三権分立」などという全く的外れの「憲法論議」を持ち出して「5月の市長選に立候補すべきではない」などと批判する「識者コメント」を掲載し、市長選挙での藤井氏の圧勝に水を差そうとし、その誤りを指摘しても、訂正・反論掲載すらしようとしないのである。

中日新聞は、名古屋・岐阜地区で圧倒的な販売部数を誇り、政治的・社会的影響力も大きい。美濃加茂市でも多くの市民が購読している。それだけに、とりわけ選挙に関し、公正な報道が強く求められるのであるから、掲載する識者コメントの内容が明らかに間違ったものでないかを検討し、読者に誤解を与えることのないようにすることは、最低限の要請であろう。

 

 

 

カテゴリー: マスコミ, 藤井浩人美濃加茂市長 | 2件のコメント

「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」

東京都が豊洲新市場で実施した第9回地下水モニタリング調査の結果、最大で環境基準値の79倍のベンゼンが検出されたことや、それまで未検出だったシアンが計数十箇所で検出されたことが明らかになったことを受けてアップした、前のブログ記事【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”】で、

小池氏は、これまでの対応について、「安全」と「安心」との混同があったことを率直に認めて謝罪し、地下水の環境基準は「安心」のためのものであって、安全性には全く問題がないことを丁寧に説明すべきだ

と述べた。

しかし、先週金曜日の都知事定例会見で小池都知事が述べた豊洲市場問題への対応方針は、それとは全く逆の方向であった。

小池氏は、東京都が「豊洲市場の売買契約締結に関して、東京都が石原慎太郎元都知事に対して約578億円を請求すること」を求められている住民訴訟で、石原元都知事の損害賠償責任を否定していた従来の都の対応を見直し、損害賠償責任の有無や範囲を検討し、裁判所に書面を提出する方針を明らかにした。

端的に言えば、豊洲市場への移転の問題について、それを決定した石原元知事の責任追及を求める住民側の主張を受け入れて、都が石原氏に巨額の損害賠償を求めることも含めて検討するというのである。

私も、そもそも土壌汚染の問題がある工場跡地に生鮮食品を扱う市場を移転させようとしたこと自体が適切だったのか、それを決定した当時の石原都知事の判断が適切だったのか、その経緯に問題はなかったのか等について、疑問を感じないわけではないし、その問題に関して石原氏を擁護するつもりはない。

しかし、今回の小池氏のやり方は、「盛り土」問題や、地下水の調査結果と環境基準の関係等で、都民に大きな誤解が生じている現状における豊洲市場問題への都知事の対応としては、重大な疑問がある。

なぜ、今、石原氏への損害賠償請求の話が出てくるのか

まず、地下水のベンゼン含有量などによって豊洲の安全性に関して大きな誤解が生じているこの時期に、石原氏への損害賠償責任の追及の話を持ち出すこと自体に重大な疑問がある。

会見の中で、小池氏は、訴訟対応の話が唐突に出てきたことについての記者からの質問に対して、以下のように答えている。

これまでどおりで、石原元都知事が行った行政について、そのままの延長で一体いいのかということがあるわけでございまして。そして、今、まさしく9回目の数値が出たという、驚くべき数値が出たということで、改めてこの段階で、これまでと同じ対応でいいのかという疑問も当然生じてくるわけでございます。

小池氏は、豊洲市場の地下水の9回目の調査で、「ベンゼンが環境基準の79倍」など、それまでとは全く違う結果が出たことを、訴訟対応の見直しの理由として説明しているのであるが、それが、全く筋違いであることは明らかであろう。

この9回目の地下水調査の結果については、専門家会議の平田座長も、「あまりにも今までの傾向と違っている。とても驚いている。」とコメントし、他の委員も困惑しており、基準を大きく上回った観測地点を中心に30カ所程度を選んで再調査を実施する方針が明らかにされている。今回の調査業務の発注が最低制限価格を設定しない競争入札で行われ、極端な低価格で落札されたために、業者に採水・分析を行う十分な能力がなかったのではないかとの疑念も指摘されている。この9回目の調査結果については、その正確性について疑問があり、再調査の結果を待たなければ、判断の根拠とはできないはずである。

それなのに、なぜ、「驚くべき数値が出たこと」が、石原氏に対する訴訟対応の見直しの理由になるのか。

しかも、「環境基準値」というのは、飲料水に適用される基準であって、豊洲市場の地下水のように、飲用にも清掃用にも使わない場合は、そもそも問題にはならないのであり、地下水の調査結果でのベンゼンの数値等を、豊洲市場の安全性に関する客観的な事実のように取り上げること自体が適切とは言い難いことは、【前回ブログ記事】で述べた通りである。そのことは、橋下徹氏のほか、小池氏を支持する音喜多都議も指摘している。

そればかりか、小池氏が、「盛り土」問題を大々的に取り上げる際、「安全性の確保のオーソライズを行う機関」として位置づけた専門家会議の平田座長も、「地上と地下は明確に分けて評価をしていただきたい。」「地上に関しては大きな問題はない。」と繰り返し述べて、豊洲市場の地上の安全性について、地下水の数値と環境基準との関係を過大視すべきではないことを強調しているのである。

「安全ではなく安心」を更に強調する小池氏

この点に関して、記者会見で、専門家会議の平田座長が、「今回の結果も踏まえた上で、地下の問題と地上のことを切り離して、地上の部分の方の安全性を考えることができるのではないか」という趣旨の発言をしていることについて記者から問われて、小池氏は以下のように回答した。

平田先生はまさしく専門家でいらっしゃいます。ご専門の立場から、そのようにおっしゃったのだと理解をいたします。一方で、私は一般消費者の1人だと思っておりまして、地下と地上と分けるのというのを、理解していただけるのは、なかなか難しいものがあるかなとも思うわけであります。よって、再調査のことも待ちたいとは思います

趣旨が不明確だが、要するに、平田座長が環境の専門家の立場から「地下水と環境基準値との関係は、地上施設の安全性とは切り離して考えることができる」と言っていることは、「専門家の立場」からは正しいことであっても、一般消費者の立場からは理解できない、ということのようである。

しかし、そもそも、「専門家会議」の設置目的について、東京都は、都民向けに、

東京都は、現行法令に照らして問題のない水準で、土壌汚染対策を行うこととしていますが、都民や市場関係者の一部になお懸念の声があります。市場が生鮮食料品を扱うことの重要性から、都民が安心できる市場とするため、土壌汚染対策等を検証する専門家会議を設置しました。

と説明してきた。豊洲市場の土壌汚染対策の安全性について、都民の「安心」を確保することを主目的として設置されたことは明らかである。

そのような都民の「安心」のための「専門家会議」が、地下水の数値を過大視すべきではないと言っているのに、小池氏は、一般消費者の「安心」の観点から、その見解すら受け入れようとしないのである。土壌汚染対策の安全性についての誤解を解消し、都民の「安心」を確保するための努力をするどころか、地下水の調査結果と環境基準との関係を殊更強調する小池知事の発言は理解し難い。

小池氏の発言からは、豊洲への市場移転の「白紙撤回」を視野に入れ、それによって東京都に生じる重大な損害についての責任追及の矛先を、豊洲への市場移転を決定した石原元知事に向けようとしているように思える。

そのような小池氏の姿勢が、豊洲市場問題の速やかな解決につながるどころか、ますます混迷を深めることになりかねない。

住民訴訟への都の対応方針の変更の「重大な意味」

もう一つの問題は、小池氏が、豊洲市場の問題に関する石原元知事の損害賠償責任の追及に関して、東京都としての対応方針を見直すとしたことである。

冒頭でも述べたように、私は、豊洲市場をめぐる問題について、石原氏を擁護するつもりはない。しかし、今回、都知事の定例会見の場で、元都知事の石原氏の損害賠償責任に関して「東京都としての方針見直し」を明らかにした小池氏のやり方は、余りに一方的であり、独断的といえる。

もし、石原元都知事に対する損害賠償の請求を求めている住民訴訟で、都が、被告としての主張を、原告の住民側の請求を受け入れる方向に変更した場合、住民訴訟は早期に決着し、それを受けて東京都が石原氏に対して損害賠償請求訴訟を提起することになる。石原氏の責任が認められるか否かの最終的な判断は裁判所に委ねられるが、石原氏がトップを務めていた東京都自身が、「石原氏に賠償責任あり」として提訴した場合、裁判所で責任が認められる可能性は、相当高くなるものと考えられる。

かつての地方自治法では、住民訴訟は「代位訴訟」であり、住民が監査請求を行い、請求が棄却された場合には、住民が直接、「違法な行為又は怠る事実」のあった自治体職員に対して訴訟を提起することができたが、濫訴による自治体職員の応訴の負担が過大なものとなること等を考慮し、2002年の地方自治法の改正によって、監査請求が棄却された住民側が、地方自治体に対して、違法行為等があった自治体職員に対して損害賠償を請求することを求める訴訟を起こす制度に改められた。「損害賠償の請求」について、自治体側が首長の判断で住民側の請求を認諾してしまうなどということは、法改正時には想定されていなかったことである。

東京都としての石原氏の損害賠償責任についての判断のプロセス

最大の問題は、石原氏の損害賠償責任の有無に関する東京都としての判断を、「誰が」・「どのようにして行うのか」だ。

小池氏は、記者会見で、「東京都の訴訟代理人の弁護士をすべて交代させ、新しい訴訟代理人で“訴訟対応特別チーム”を編成し、事実関係を解明して証拠を収集し、石原元都知事の法律的な損害賠償責任の有無・範囲を判断させる」などと述べ、「訴訟対応特別チーム」に損害賠償責任についての証拠による判断をさせるかのように言っているが、訴訟代理人は、依頼者との間で委任契約を締結し、依頼者の方針に従い、報酬を得て、依頼者に代わって訴訟行為を行う立場であり、客観的な立場で事実を認定・判断するのではない。訴訟対応の方針を決めるのは東京都側である。

小池氏は、住民訴訟への対応方針の見直しの理由について、会見で、

事実関係、それをもたらした責任を曖昧にすることなく、明らかにするということは、都政を改革して、緊張感を持って適正な運営を行う上で不可欠だという、そういう判断のもとで今回の見直しを東京都として致したいということでございます。

と述べているが、「都政改革」の一貫として、過去に元知事の下で行われた豊洲への市場移転や売買契約の経緯の問題を取り上げるのであれば、その事実関係の究明・原因分析等は、政治的な利害を離れて、第三者機関に中立的・客観的な立場で行わせ、その調査結果に基づいて、関与者に対する責任追及の要否を判断すべきであろう。

過去の組織のトップの損害賠償責任の有無についての東京都の判断を、小池氏自身が、「顧問団」等の意見を聞いて行うということであれば、大統領が代わる度に、前任の大統領が刑事訴追され、断罪されるという事態が繰り返されて来た韓国と同じようなものだ。

同じ豊洲市場の問題で、小池知事が大々的に取り上げた「盛り土」問題では、東京都が行った「第一次自己検証」に加え、都知事の方針に沿って大幅に変更する「第二次自己検証」もが、「内部調査」として行われ、「第三者による検証」は全く行われなかった。

最終的な「第二次自己検証」の内容は、「十分な根拠もなく認定した事実に基づいて、(小池知事の意向に沿って)責任を(無理やり)肯定した」というもので、組織の「調査報告書」とは凡そ言い難いものであったことは、【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】においても詳細に述べたとおりである。

そしてさらに、8人の都幹部に対して、報告書の「職責を全うしなかった責任」などという抽象的な記述に基づいて、懲戒事由として「何をしたこと」、或いは「何をすべきなのにしなかったこと」が理由であるのかすら明示することなく、「6ヶ月間給与20%減額」の懲戒処分などの「大量粛清」が行われた。

民間企業でも、官公庁・自治体であっても、組織にとっての重大な問題についての調査・検討は、中立性・客観性を確保するために「第三者委員会」方式をとるのが、通常の方法だ。しかし、小池氏は、そのような方法を一切とろうとせず、顧問団等の助言にしたがって都知事自身が決める方針のようである。

日本の地方自治制度における首長への権限集中と小池劇場の「暴走」

日本の地方自治制度は、首長に権限が集中しているところに特色がある。大統領制という面ではアメリカと同じだが、予算・条例の提出権が首長側にしかなく、議会は、それを議決する権限しかない日本の地方自治制度は、予算・法律の提出権限がなく、議会に対しては拒否権しかないアメリカの大統領より、首長としての権限は強い。

これまで、日本の地方自治体の首長は、そのような強大な権限を、相当程度抑制的に行使してきた。前任者に選挙で勝利して首長に就任しても、首長自らが前任者の責任追及を行った例はほとんどなかった。過去の問題に関して「第三者委員会」方式がとられるのも、ある意味では、首長の権限行使を客観的に適正な範囲に自己抑制しようとするものにほかならない。今回の石原氏への責任追及に向けての動きを見ると、小池氏は、その抑制を取り払い、独裁的な権限行使を行おうとしているように思える。

「情報公開」「透明性の確保」を理念として、「東京大改革」をアピールする小池氏は、それらの理念を、批判や攻撃に多用するが、その一方で、重要事項に関する自らの判断・決定のプロセスの透明性を確保しようとする姿勢は、極めて希薄である。判断の適正さ、客観性を確保しようとする姿勢もうかがわれない。強大な首長の権限の下で、そのような透明性・客観性を欠いた意思決定がまかり通るとなると、前述したように、住民訴訟制度が、首長の判断如何で政敵の前任者を陥れるために使えることとも相俟って、自治体運営は、限りなく「独裁」に近づくことになる。

客観的な検証を全く行わず、小池氏とその側近の判断だけで、東京都として石原氏の損害賠償責任を追及する方向に舵を切るとすれば、それは、ある種の「暴走」である。ところが、小池劇場での「悪党退治」の巧みな演出のために、マスコミも世論も追従し、ほとんど批判すら行われない。

日本の地方自治制度にとって、危機的な事態だと言わざるを得ない。

 

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豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”

1月14日に開かれた豊洲新市場の安全性を検証する第4回専門家会議で、東京都が豊洲新市場で実施した第9回地下水モニタリング調査の結果が発表され、最大で環境基準値の79倍のベンゼンが検出されたことや、今まで未検出だったシアンが計数十箇所で検出されたことが明らかになった。

「盛り土問題」で悪化した「豊洲市場」のイメージは、さらに極端に悪化し、市場関係者からは、「もはや豊洲への移転は不可能」という声も上がっている。豊洲への移転を断念し、築地市場の再整備を求める声も高まっている。

東京都は、大幅に基準値を超えた場所を中心に、30カ所程度で再調査を実施する方針を明らかにしているが、その結果、どのような数値が出たとしても、今回「基準値の79倍のベンゼン」「シアン検出」という言葉が出たことで、生鮮食品を扱う市場にとって致命的なイメージ悪化がもたらされてしまった以上、その回復は著しく困難になっていると言わざるを得ない。

しかし、ここで問題にされている「環境基準値」というのは飲料水に適用される基準であって、豊洲市場の地下水のように、飲用にも清掃用にも使わない場合は、もともと問題にはならない。しかも、「地下水の環境基準値」というのは、70年間、毎日2リットル飲み続けて、健康を害する人が(何千人に1人)出るか出ないかという数字であり、ベンゼンやごく微量のシアンが検出されたとしても、少なくとも、地下水を利用することのない地上の豊洲市場での生鮮食品の取扱いに影響を及ぼすものではない。

この点を端的に指摘しているのが、橋下徹氏である。ツイッターで「飲むわけでもなく、使うわけでもない地下水に環境基準を設定したことが全ての混乱の原因」と述べている。

小池都知事を支持する音喜多駿都議は、このような橋下氏の指摘を「全くそのとおり」とした上で、「敷地全体の地下水を環境基準値以下に浄化する方針が技術者会議で打ち出され、その方針に沿って市場関係者や議会への説明・説得が行われてきた」ので、今になって「環境基準は飲料水の基準だから問題ない」というのは、その「約束に反する」と述べている。一方で、築地市場は、「安心どころか現行法上の安全基準すら満たしていないことはほとんど明らか」であり、「豊洲新市場は『安全なのに安心ではない』、築地市場は『安全ではないのに安心である』という極めて矛盾した状態になっている」と指摘している(【安心と約束、豊洲市場問題、混在する2つの考えと解決アプローチ】)。

このような音喜多都議の指摘は、全く正しい。

小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】でも述べたように、安全性や健康被害が問題になる場合、コンプライアンスの視点から問題となる要素は、①「客観的な安全性」、②消費者、利用者等の「安心」、そして、③事業や業務に関する情報開示・説明責任であり、客観的な問題である①と、主観的な理解・納得の問題である②③とは区別して考えなければならない。開示された「情報」が正しく理解されず、誤ったイメージを持たれ、価値判断や評価が行われることで、大きな弊害が生じる場合もある。「地下水の環境基準」という、市場の安全性とはほとんど関係ない数値によって市場の安全に対する重大な不安が生じている今回の問題はまさにその典型である。

音喜多都議が指摘するように、豊洲市場は、今回の「環境基準の79倍のベンゼン」を前提にしても、土壌汚染に関しては全く安全であり、むしろ、安全性に関しては、現在の築地市場の方が問題は遥かに大きく、豊洲市場への移転を断念し築地市場再整備に方針転換することは、合理的な判断としては凡そあり得ないものだ。

ところが、冒頭にも述べたように、既に豊洲市場のイメージ低下は致命的なものとなっており、生鮮食品を扱う市場として開場することが極めて困難な状況に立ち至っている。

音喜多都議は、「できる限りの環境基準適合を目指し追加対策などを検討しつつ、一定のところで線引をして安全宣言という折衷案が現実的な解決策」だとしているが、これまでのマスコミ報道によって豊洲市場の土壌汚染への不安が極端に高まっている現状において、市場関係者や都民に、そのような冷静かつ合理的な判断を期待することができるであろうか。音喜多都議の言う「現実的な解決策」で現在の事態が打開されるとは思えない。

築地市場の豊洲への移転問題がこのように混乱し、「進むも地獄、引くも地獄」という状況に立ち至った最大の原因は、昨年8月末に、既にほぼ施設が完成し、業者が設備の稼働まで開始させていた豊洲市場への移転を延期した小池知事の対応にある。

上記ブログ記事】でも述べたように、8月31日に、小池知事が移転延期の理由に挙げた「安全性への懸念」「巨額かつ不透明な費用の増大」「情報公開の不足」の3つのうち、本来、この移転延期の理由になり得るのは「安全性への懸念」だけだった。小池氏が考えていた「安全性」というのは一体何だったのだろうか。それが最終回の地下水検査の結果ということだったとすれば、「安全性」に関して、およそ的外れな認識を持っていたと言わざるを得ない。

このときの小池氏の説明で、「情報公開の不足」という「安心」の問題と「安全性」の問題とを混同したまま、豊洲への市場移転延期を決定したことが、その後の市場移転問題をめぐる混乱の発端となった。

そして、その10日後、小池氏が、豊洲市場の施設の下に「盛り土」がされていなかった問題を公表した際、「専門家会議」の提言に反しているので、「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない」と説明した。この専門家会議というのは、もともと「都民の安心」のために設置された組織であり、それを「安全性のオーソライズ」のためであるかのように説明したのは誤解を招くものであった。そのため、その後の報道において、移転を進めてきた(小池知事就任前の)東京都を批判する報道が過熱し、「土壌汚染対策は十分なのか」「食の安全は確保できるのか」といった世の中の懸念は一気に高まった。(【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】)。

そして、小池氏は、今回の地下水の調査結果が出る直前にも、年初のマスコミ各社のインタビューにおいて、市場移転の問題について、「科学的に安全性を判断する」と述べ、1月14日に発表される地下水の調査結果を重視する意向を示していた。それによって、公表される地下水の調査結果が、「安全性」の問題であるかのような認識の下で、注目を集めることになった。

このように小池氏が、豊洲市場の「地下水の環境基準」が「安心」の問題であるのに、「安全」の問題であるかのような誤解を与えたまま、その数値に注目が集まるような対応を続けてきた結果、安全面では全く問題ない地下水の環境基準の数値が公表されたことで、安全性に関する重大な問題が明らかになったかのように誤解され、豊洲への市場移転が極めて困難な状況に立ち至っているのである。

この状況をどのようにして打開していけばよいのか。

音喜多都議が、前記ブログの最後で強調しているように、「現在の79倍ベンゼン等という数値は暫定値であり、まずは再調査の結果を待つべき」というのも理解できないわけではない。しかし、その数値が市場の安全性の問題であるかのように誤解されたままでは、再調査の結果を待つこと、そして、その数字に注目することが、その公表の時点でさらなる混乱を招くことになりかねない。豊洲への市場移転をめぐる混乱を収拾し、問題を解決するための唯一の方法は、小池氏が、これまでの対応について、「安全」と「安心」との混同があったことを率直に認めて謝罪し、地下水の環境基準は「安心」のためのものであって、安全性には全く問題がないことを丁寧に説明することである。

「都政大改革」への期待から都民の圧倒的支持を得てきた小池氏であれば、真摯に説明することで、都民の理解を得るのは不可能ではないはずだ。混乱収拾のために敢えて「過ちは改めるに如かず」との姿勢をとる小池氏が、都民に一層評価されることにつながる可能性もある。

市場移転問題を、今年夏に行われる都議会議員選挙の争点になどという声も上がっているが、この問題の「安全」と「安心」を混同したまま「政争のネタ」にするというような「愚」は絶対に犯してはならない。地下水の調査結果と環境基準との関係に関する問題が、「頭の黒いネズミ」のイメージと重ね合わせて、「小池劇場」の素材に使われるようなことになると、この問題に対する世の中の誤解と市場移転問題の混乱は更に拡大し、市場関係者や都民の損害は回復不可能なものになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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「ASKA不起訴釈放をめぐる謎」によって生じる覚せい剤捜査への影響

今年最後のブログ記事である。

11月28日の美濃加茂市長事件控訴審の「逆転有罪判決」については、上告趣意書の作成の準備作業に着手しているが、判決内容を仔細に検討すると、証拠や当事者の主張、控訴審での検察の主張すらも無視した、「凡そ控訴審判決の体をなしていない判決」であることを一層強く感じる。マスコミ関係者の話によると、検察幹部ですら、「逆転有罪」を手放しでは喜べないようで、「理由がなあ…」などと浮かない顔をしているそうだ。

この判決が、論理的にも証拠的にも「凡そあり得ない異常判決」であることは、既に出している(【”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか】【被告人の話を一言も聞くことなく「逆転有罪」の判断ができるのか】の二つの記事や、You Tubeにアップしている美濃加茂市での【市民向け不当判決説明会の動画】をご覧頂ければ、十分に理解してもらえると思うので、ブログではこれ以上触れないこととし、私の方は、年明けから、上告趣意書作成の作業に全力を尽くすことにする。

今年は、芸能人等の覚せい剤事件が社会の注目を集めた年であった。【「一発実刑」で清原を蘇らせることはできないか】【ASKA氏を不起訴にした「異常に弱腰」な検察、美濃加茂市長事件での「無謀極まりない起訴」との落差】など、当ブログでも取り上げてきた。若年層への薬物の蔓延が深刻な社会問題になっている状況でもあるので、今年は、ASKA氏(以下、「ASUKA」)事件をめぐって今なお残る謎と、今後の覚せい剤捜査に与える影響について問題を整理して、ブログを締めくくることとしたい。

前のブログ】でも述べたように、ASKAが提出した液体(尿の提出を求められ、スポイトに入れたお茶を提出したと供述)から覚せい剤が検出されたのに、覚せい剤所持で起訴されることなく、全面的に不起訴で釈放となったのは不可解だ。

その後、この事件についての、いくつかのブログ記事がBLOGOSにも転載されているが、その中に、弁護士(元国会議員)で、「ASKA無罪放免事件は、検察が警察に対するチェック機能を果たしたケースと評価すべき」と書いている人がいるのには、些か驚いた。「検察は、警察の言い分を鵜呑みにしないで、ちゃんと仕事をした。」「お茶を尿だと見間違えなかった検察官を褒めておこう。」ということだそうだ。

この人が言うところの「警察の不適切捜査」というのは何のことだろうか。「採尿の際に手元を見ていなかったために、提出した液体が尿だと断定できなかった」というのは、確かに、自宅での採尿にしても、やり方がやや生ぬるかったとは言えるだろう。しかし、「尿ではない液体を提出されて受け取ったために、鑑定したが、覚せい剤が検出されず、被疑者を逮捕できなかった」というのであればともかく、その液体からは覚せい剤は検出されているのである。警察の対応が手ぬるかった面はあったとしても、覚せい剤の検出を免れようとする被疑者側の画策は不発に終わったと見るべきであろう。今回の警察捜査には、「若干間抜けな面があった」とは言えても、「違法捜査」とか「不適切捜査」というような性格のものではない。

もし、警察捜査に重大な問題があったとすれば、ASKAが提出した液体について、①覚せい剤が検出されたという「科捜研での鑑定結果」に疑問がある、②警察が提出を受けた後に液体に覚せい剤が混入された疑いがある、のいずれかの場合だ。しかし、①については、科捜研における覚せい剤鑑定は定型化され、その手法も定着しており、「覚せい剤検出」の鑑定結果が誤っていたとは考えにくい。ASKA自身も、その後更新したブログで、「科捜研に間違いはないと思います。」と述べている。

②については、もし、そのような疑いがあるというのであれば、警察内部に、被疑者が提出した尿に混入するための覚せい剤の「在庫」があることになり、警察の覚せい剤捜査そのものが根本的に信用できないということになる。何らかの具体的な根拠がない限り、検察官が、警察にそのような疑いをかけることはできないはずだ。

この点に関して思い出すのは、私が、まだ駆け出しの3年目の検事だった30年余り前、暴力団犯罪、覚せい剤犯罪が多発する都市の地検で担当した覚せい剤事件のことだ。覚せい剤中毒と思われる錯乱状態で逮捕された常習者について、同居していた両親から日頃の様子を聴取したところ、「覚せい剤中毒と思える状態はずっと続いており、逮捕される数か月前に、部屋で覚せい剤のような『白い結晶』を発見して警察に届けたが、警察からはその後全く音沙汰がなかった。」と言い出したのだ。私はその「覚せい剤らしきもの」を受け取った警察署と、担当警察官を特定し、地検に呼び出した。担当警察官は、最初は否定していたが、結局、「10グラムぐらいの覚せい剤と思える物を両親から受け取ったが、他の事件で忙しかったので、ロッカーに入れたまま、放置していた。」と認めた。その後、その警察署内から、実際に約10グラムの覚せい剤の結晶が発見された。その後、覚せい剤事犯の捜査の信頼を根底から失わせかねない重大な問題として、地検と警察の幹部との間で対策が協議されたことは言うまでもない。

このような重大な失態があったというのであればともかく、今回のASKAの事件では、警察の重大な違法捜査や失態があったことが具体的に明らかになっているわけではない。

それなのに、なぜ、提出された液体から覚せい剤が検出されているのに不起訴となったのかは全くの謎だ。その点への疑問が解消されないままでは、①②の理由で覚せい剤の使用を否認するケースが多数出てくる可能性があり、今後の覚せい剤捜査に大きな影響を及ぼすことが懸念される。

過去に、覚せい剤事件に関して重大な違法捜査の事実が明らかになり、不起訴処分や無罪判決につながった事例は多数ある。そのような違法捜査の抑制は、検察にとっても、当事者の警察にとっても極めて重要な課題だ。

しかし、覚せい剤事犯の捜査の現場では、「『被疑者側から押収した証拠物を鑑定した結果、覚せい剤が検出された事実』がある場合には格別の事情がない限り起訴される」というのは当然の前提であり、その大前提が崩れたのでは、そもそも覚せい剤捜査は成立しない。薬物事犯が若年層にまで蔓延し一層深刻化する現状において、不起訴処分によって、その大原則に疑念が生じるような事態が生じているのに、その事情もわからないまま、「検察はよくやった」などと安易な評価を行う無責任な言動は慎むべきであろう。

警察等の覚せい剤事件の捜査に対しては、適切な批判の目を持ちつつ、基本的には捜査を信頼する姿勢が必要である。それなしには、深刻化する薬物事犯の抑止は到底なし得ないことを強調して、今年のブログを締めくくることとしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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