横浜IRをコンプライアンス・ガバナンスの視点で考える

コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」である。

桐蔭横浜大学特任教授・コンプライアンス研究センター長として、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めた2004年以降、私が、常に世の中に訴え続けてきたことである。そのようなコンプライアンスの視点から、組織をめぐる様々な問題の解決、コンプライアンス体制の構築・運用等に関わってきた。

「社会の要請に応える」という観点が特に重要なのが地方自治体である。

民間企業の「社会的要請」が、需要に反映された社会の要請に応えることがベースとなり、それが、組織の存続・成長にもつながるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズに応えることが最も重要な社会の要請であることは間違いないが、その時点での直接的なニーズに応えることだけで地方自治体の役割が果たせるものではない。自治体には、住民にとっての短期的利益、長期的利益のほか、その時々の国家的、社会的利益も含めて様々な社会の要請が交錯する。地方自治体の日々の業務や実施する事業に関して、「社会的要請に応えること」は、複雑かつ困難な問題となる。

そのようなコンプライアンスの視点を、自治体の行政に活用することに関して、多くの自治体の制度や仕組みの構築や不祥事対応等に関わってきたが、その中で最も深く関わりを持ってきたのが横浜市だ。桐蔭横浜大学教授コンプライアンスセンター長を務めていた2007年からコンプライアンス外部委員、2017年9月からはコンプライアンス顧問として、各部局、各区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局、各区の幹部に対するコンプライアンス研修も実施してきた。

その中で関わった具体的な問題について、これまでにも、日経グローカルの巻頭「直言」で取り上げた(2019年4月「社会の要請に応え信頼される自治体に」)ほか、今年6月10日には、当欄の記事【生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス】で、今年2月に起きた神奈川区生活支援課での生活保護の申込への対応をめぐる問題についても書いた。

コンプライアンス、ガバナンスという観点から、現在の横浜市にとっての最大の問題は、統合型リゾート(IR)推進の是非をめぐる問題だ。

横浜港・山下ふ頭にカジノを含むIRを整備する計画について、開発・運営する事業者の公募を行っていた横浜市は、5月31日、海外のIR事業者等による2グループが応募のための資格審査を通過したことを公表した。今後、事業計画の提案を受け、今夏頃に事業予定者が選定される予定とされている。

一方、IR(統合型リゾート)誘致に反対の立場を取る横浜港運協会の藤木幸夫前会長が中心となって設立した一般社団法人横浜港ハーバーリゾート協会は、IRとは異なる山下ふ頭の再開発をめざす活動を展開しており、IRに反対する立憲民主党、共産党などの野党も加わり、IR反対派の動きが強まっている。

山下ふ頭という、横浜港の中心にある広大な土地を、どのように開発し、活用していくのか、そこに、カジノを含む大規模リゾートを誘致すべきなのか否か、その判断は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼすものとなる。財政的、文化的、教育的、環境的な社会の要請が複雑に絡み合い、その意思決定に関して、自治体のガバナンスの在り方が正面から問われる問題であり、まさに、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題だと言える。

 この問題についての私の見解を述べておくこととしたい。

IR推進をめぐる議論の整理

まず、横浜市のIR事業に関する議論を整理してみたい。

IR(統合型リゾート)とは、民間事業者が、展示施設・国際会議場、ホテル、レストラン・ショッピングモール、エンターテイメント施設などの施設と、これを収益面で支えるカジノ施設を一体的に整備して運営するものであり、これにより観光の振興、地域経済の振興、財政の改善を図ろうとするものである。

横浜市において、IR整備計画を推進すべきとする財政上の理由として、次のようなものが挙げられる。

(1)今後、横浜市でも生産年齢人口の減少等による、消費や税収の減少、社会保障費の増加など、経済活力の低下や厳しい財政状況が見込まれており、そうした状況であっても都市の活力を維持するための財源確保が必要である。

(2)横浜市は上場企業数が少なく、法人市民税収入が少ない。

(3)今後、小中学校の建て替えなど、公共施設の保全・更新に膨大な予算が必要となる。

  そして、観光の特性に関して指摘されるのが

(4)横浜市への観光客は日帰りが多く、観光消費額が少なく、その伸びも小さい。

  ということである。

要するに、(1)~(3)のような事情から、横浜市の財政が将来悪化すると予想されるので、IRから市に入る収入によって財源を確保しようというものである。

そして、(4)の日帰り中心の観光を、IRの整備による内外の宿泊客の増加で観光消費額を増大させ、経済の活性化を図ろうというものである。

これに対して、IR反対派の主たる論拠は、カジノ賭博によるギャンブル依存症、治安悪化等のカジノの負の側面の指摘だ。

実際に、韓国などでは、カジノを含む総合リゾート施設がカジノによる巨額の収益を上げる一方で、自国民の多くがギャンブル依存症で生活破綻に追い込まれ、深刻な社会問題となった。

このようなギャンブル依存症に対しては、IR整備法による対策として、「日本人等への7日間で3回迄、28日間で10回迄の入場制限」、「広告・勧誘の制限」や「カジノ内ATM設置禁止」など施設内制限、「本人・家族の申告による入場制限」、「日本人等への24時間毎に6,000円の入場料の徴収」等の措置がとられるほか、顔認証やAI等による入場制限など事業者独自の依存症対策も行われ、市としても独自の取組みを行うので対策として万全だというのが、IR推進の立場からの説明だ。

確かに、日本人の入場規制等の対策は、一応のギャンブル依存症対策にはなっているといえるだろう。少なくとも、連日カジノに通い詰めるような極度の依存症は防止できそうだ。

しかし、日本人が「28日間で10回」(休日はすべてカジノ)というような頻度でカジノに入り浸ること自体、立派な「ギャンブル中毒」といえる。そのようなレベルでの入場が可能であるのに、依存症を防止する「十分な対策」と言えるのだろうか。

ギャンブル依存症対策をこの程度にとどめざるを得ないのは、もともと、この事業が、カジノだけを目的に入場する日本人が失う「賭け金」による収入を相当程度見込んでいるからであるようにも思える。

IR推進派は、「カジノの面積は、施設全体の面積の3%以内」とされていることを強調し、カジノは施設のごく一部に過ぎず、「IRは、アトラクション、散策を楽しむ市民の憩いの場」であることをアピールしているが、それは、ギャンブルの収益によって成り立つ事業という「本質」を覆い隠すもののように思える。

IRは、確かに、魅力的なアトラクション、憩いの場を含むリゾート施設である。しかし、それらの施設の整備・運営がカジノの収益によって行われるものである。そうである以上、外国客だけでなく、日本人、とりわけ、横浜市民がカジノで失う賭け金による収入も相当な額に上ることが想定されているのは「厳然たる事実」だといえよう。

IRをめぐる議論は、結局のところ、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情や(4)の観光収入の実情などから、IRによって「横浜市を豊かにすること」への期待を重視するか、横浜市の未来が「ギャンブルによって支えられる」、そこには「横浜市民がカジノで失う賭け金も含まれている」という負の側面を重視するか、ということに帰着するように思われる。

少なくとも、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情に対しては、IRによる収入増加を図ることだけが解決策ではない。

市民が健康で文化的で安心して暮らせる横浜市のために、何が必要なのかという観点から、政策の優先順位を検討し、市の財政支出の抑制を図り「静かでコンパクトな横浜」をめざすのも一つの方向である。そこには、「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などを、従来の横浜市の方針どおり実施すべきなのかという問題も密接に関連する。

 

地方自治体のガバナンス

 上記のような議論の整理を踏まえて、IR事業の是非を考えることになるのであるが、その前提として、地方自治体にとって、地域社会にとって、重要な問題についての意思決定がどのような手続・プロセスで行われるべきかという、地方自治体のガバナンスについて、民間企業等などとの比較も踏まえて、整理しておきたい。

日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制がとられており、自治体の運営と意思決定は、首長と議会に委ねられている。

予算・条例の提出権が首長側にしかなく、議会は、それを議決する権限しかないなど、首長に権限が集中しているところに特色がある。

(大統領制に近いが、予算・法律の提出権限がなく、議会に対しては拒否権しかないアメリカの大統領と比較しても、日本の自治体の首長の権限は強い。)

首長に権限が集中し、その権限行使を議会でチェックする二元代表制の枠組みの下では、議会で議案が否決されない限り、首長の判断がそのまま自治体の決定となる。

例外として、「直接民主制」の方法である住民投票が行われる場合もあるが、地方自治法第 12 条、74条に規定される「住民による条例制定又は改廃の直接請求権」に基づく「住民投票」は、首長、議員の解職請求(リコール)のような二元代表制の構成要素の変更に関わるものや、市町村合併の是非のような自治体の存立自体に関わるものに限られる。

自治体運営に関する個別の事項について住民投票が行われるのは、自治体執行部の提案する住民投票条例が議会で可決成立した場合だけだ。法定数を超える署名によって住民投票条例制定を求める直接請求を行うことも可能だが、この場合も、執行部から議会に提出される住民投票条例が可決されなければ、住民投票は実施されない。しかも、住民投票の結果は、自治体の決定を法的に拘束するものではない。

そういう意味では、法令上は、直接民主制としての住民投票は、あくまで、二元代表制の枠内で、それを補完する機能を果たすに過ぎない。つまり、二元代表制の下では、首長と議会議員は、選挙で選ばれることによって、それぞれ住民から、その任期中「白紙委任」を受けているので(「選挙公約」には法的拘束力はないので、候補者が特定の事項について選挙公約で約束したとしても、法律的には「白紙委任」となる)、議会の了承が得られる限り、首長は、自治体の運営に関していかなる判断をも行うことができる。

もっとも、そのような首長の地位は選挙で住民に選ばれたことによるものなので、任期が満了し、選挙で首長が交代した場合は、新たな首長によって、前任の首長の判断が覆されることもある。

民間企業のガバナンスとの比較

このような地方自治体のガバナンスを、民間企業のガバナンスと比較してみよう。

株式会社の場合、株主総会で選任された取締役で構成される取締役会において、代表取締役を選任する。会社の業務執行は、重要事項については取締役会決議が必要となるものの、基本的に代表取締役の裁量に委ねられる。

一方、地方自治体の首長は、住民から直接選挙で選ばれる点において、株式会社の代表取締役が、株主総会で株主が選任した取締役によって選任されるのとは異なるが、一旦選任されれば、任期中、業務執行について広範な裁量権があること、任期満了によってその地位を失うことにおいては、会社の代表取締役と基本的な相違はない。

しかし、「地方自治体の首長と住民の関係」と、「株式会社の代表取締役と株主の関係」との間では、大きく異なる点がある。

株主が会社に求めるのは配当金の支払や株価の上昇などの経済的利益であり、基本的にはそれに尽きるのに対して、当該自治体の区域内で生活し、住民サービスを受ける立場の自治体の住民は、自治体の運営によって居住環境や生活に関しても大きな影響を受ける。

首長が担う自治体の運営は、経済的利益のみならず、住民サービスを通して、住民の日常生活に深く関わる。そういう意味で、株主と住民との間には、ステークホルダーとしての立場に大きな違いがある。

株主にとっては、株価の変動要因となり配当の多寡にも影響する会社の財務内容・業績が最大の関心事であるが、住民にとっては、自治体の財政状況や収支の状況が、将来にわたって行政サービスのレベルに影響を与える重要な要素ではあっても、その時点での自治体行政の評価に関する一要素に過ぎず、むしろ、日常的に受ける住民サービスの内容の方が大きな関心事となる。

すなわち、会社にとっての株主の意向は、基本的に、期待どおりの配当金が得られ、株価を上昇させることに尽きるが、自治体の住民の意向は、そのように単純なものではない。

既に述べたように、自治体の首長は、任期中、自治体の運営について住民から「白紙委任」を受けているが、その判断に当たって、住民の意向や意見は十分に考慮する必要があるという面で、会社の代表取締役と株主との関係とは異なるのである。

もし、首長の自治体運営や決定が、住民の意向と大きく乖離したものとなった場合、最終的には、選挙で住民の意思が示され、首長が交代することになる場合もある。しかし、自治体が行う大規模な事業等について一度決定したことが、選挙で首長が交代して覆された場合、当該自治体に大きな混乱と損失が生じることとなる(【「事業の検証と責任追及」についての小池知事と五十嵐市長の決定的な違い】)https://nobuogohara.com/2017/04/21/。

そのため、地方自治体の首長は、当該自治体やその住民に重大な影響を生じさせるような施策や事業の遂行については、二元代表制に基づき「首長の判断について、議会の承認を受けた」というだけでなく、その自治体の住民の民意を確かめ、考慮しつつ進めていくことが必要であり、その点は、地方自治体のガバナンスにおいて特に重要な点だと言える。

地方自治体にとって「社会の要請に応えること」

 このことは、地方自治体という組織にとっての「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスの特質にも関連する。

地方自治体にとっての「社会の要請」が、第一次的には「当該自治体の行政区域の住民からなる社会(地域社会)の要請」であることは異論のないところであろう。

ただし、それは、その地域の利益のみを図り、国全体の利益を損なうものであってはならない。「地域社会の要請」は、「国家社会の要請」と調和したものでなければならない。

また、「地域社会の要請」には、短期的なものと長期的なものがある。現在の住民の利益ばかりを図ることが、将来にわたる地域社会の利益を損なうものであってはならない。

そういう意味で、「自治体の運営・事業の遂行が民意に沿うものであるべき」ということにも、一定の限界があることは否定できない。事柄の性格によって、「民意に沿った政策決定」が求められる程度は異なる。そのために、首長と議会による「二元代表制」による「熟議」を通して、その地方自治体が、様々な社会的要請に応えられるような意思決定を行うことが求められているのである。

横浜市におけるIRをめぐる議論と自治体ガバナンス

これらの地方自治体のガバナンス、コンプライアンスの一般論を前提に、横浜市のIRをめぐる議論の経過について、改めて考えてみよう。

横浜市におけるIRの推進に関して、林文子市長は、当初、「市の将来の経済成長に有効な手段で、導入に非常に前向き」との見解を示してきたが、2017年7月の市長選の半年前に「白紙」と立場を変えて選挙に臨み、三選を果たした。

この際、選挙公約で「統合リゾートの導入検討」を掲げていたともされているが、膨大な「選挙公約詳細版」の中に小さく書かれているに過ぎず、実際に、IRの推進が、市長選挙の実質的な争点にはならなかった。

ところが、2018年7月に、統合型リゾート施設(IR)整備法が成立した後の2019年8月、横浜市は、山下ふ頭でのIR整備に取り組んでいく方針を公表した。

これに対して、IRに反対する市民運動が活発化し、住民投票を求める署名が法定数を超える19万筆も集まり、市に提出された。しかし、住民投票条例案は、市の反対意見が付されて、市議会に提出され、市議会は条例案を否決した。

林市長は、「二元代表制で、市長が提案し、議会が承認の議決をした」と強調する。確かに、IR推進の横浜市の方針は、市議会が、関連予算を可決するなどして承認しており、二元代表制という面で言えば、意思決定のプロセスに問題はない。

一方で、カジノを含むリゾート施設を、市の中心部である山下ふ頭に整備する計画は、横浜市の財政状況に重大な影響を生じるだけでなく、ギャンブル中毒症、治安の悪化のおそれが指摘されるなど、横浜市民の生活にも重大な影響を及ぼし得るものであるだけに、IR推進の是非については、「二元代表制」によるプロセスを経るだけではなく、横浜市民の民意の確認も必要だと考えられるが、横浜市のIR推進については、これまで民意の確認は殆ど行われていない。19万筆を超える反対署名が集まったことや世論調査の結果等から、現状において、多くの横浜市民がIRに否定的な意見を有していることは否定できない。

このような経緯から、IRの推進の是非については、「民意を問う」というプロセスが欠落しており、今年8月に実施予定の横浜市長選挙において重要な争点となり、選挙結果によって民意が反映されることになるのは、ある意味では必然と言える。

重要施策について首長選挙で「民意」を問うことの限界

しかし、地方自治体の重要施策について、首長選挙で賛成・反対両方の意見の候補者による選挙戦の結果、当選した候補者の意見を「民意」とみなし、それだけで、施策の是非について一刀両断的に結論を出すことが適切と言えるだろうか。

首長選挙は、その後の4年間の任期中の市の運営や事業遂行について、市民が基本的に白紙委任する対象となる市長を選ぶためのものだ。4年間の市政を全面的に委ねるに相応しい能力・資質を持った市長を選ぶことが、まず重要であることは言うまでもない。

しかも、首長選挙において民意を問うべき事項は、決して単一ではない。4年間の任期において実施の是非の判断を求められる重要施策、事業には様々なものがある。それら全体について適切な判断を行う首長を選ぶのが首長選挙であり、一つの大規模事業の是非だけが問われるのではない(横浜市において、現在計画中の大規模な事業として、米軍上瀬谷通信施設跡地で進められていた「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設の是非、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などがある。)

また、首長選挙は、多数の候補から1名の首長を選ぶ手続きであり、その結果は、必ずしも、当該施策の是非についての民意の多数を反映するものではない。例えば、当該施策に反対の候補者が3名、賛成の候補者が1名で選挙戦を行った結果、賛成の候補が僅差で当選した場合、「賛成」の候補が市長に就任するが、民意の多数は「反対」ということになる。

 そして、もう一つ、決定的に重要なことは、首長選挙の結果を「民意」とみなして、重要施策の是非について一刀両断的に結論を出すことは、「二元代表制」のもう一方の要素である「議会」におけるプロセスを無視することになる、ということだ。

 前述したように、地方自治体の運営や事業の遂行は、基本的に、「二元代表制」に基づいて意思決定が行われる。重要施策の是非について、首長と議会との間の「熟議」を経て、判断が形成されていくのであるが、仮に、その判断が「民意」と異なっている場合に、首長選挙において、その施策に反対の民意が示されるということもあり得る。しかし、その場合も、その首長選挙において示された民意を、地方自治体の決定にどのように反映させるべきかは、当該施策の性格や実施の段階によって異なる。

 その重要施策が、大型事業である場合、それがまだ計画段階なのであれば、首長選挙で示された民意は、事業の中止の方向に向かうことになろう。しかし、既に、首長の判断と議会の承認の下で事業実施が決定され、契約も締結され、事業の一部が既に実施されているような場合、当該事業を白紙撤回することが、自治体に大きな損失や負担を生じさせることもあり得る。

そのような場合に、仮に、事業の白紙撤回の方向に大きく舵を切るとすれば、それを首長が議会に提案し、議会で審議をした上で、白紙撤回を模索していくことになるだろう。場合によっては、白紙撤回のために大きな財政上の負担が生じ、その予算を議会が承認する必要が生じることも考えられる。

それだけに、「民意」を確認する方法も、首長選挙で事業への反対の意見の候補者への投票が、他の候補者より相対的に多数を占めたというだけでなく、首長と議会という「二元代表制」のプロセス全体に向けられた「重い民意」であるべきである。それは、住民投票のような「直接民主主義」の方法によるほかないのではなかろうか。

横浜IRについて「民意」を反映させる方法

 横浜市のIR事業に関しては、事業者からの企画提案を受け、事業者を選定する段階であり、まだ事業の実施が決定されたわけではないので、現時点での「白紙撤回」が、事業者からの損害賠償等の法的な問題を生じさせることはないだろう。しかし、事業実施を前提として行われてきたこれまでの様々な施策を見直し、現実に白紙撤回を実行していくためには、予算の見直しなど議会の承認が必要となることも多々あり、まさに「二元代表制」に基づいて市長と市議会が十分な議論を経て協力して行っていくことが必要となる。

これまでの決定のプロセスでは、民意の確認が不十分であり、反対署名の数、世論調査の結果等によれば、むしろ民意に反しているようにも思える。そのような「民意の反映」の欠落を補完する重要な機会が、市長選挙であることは間違いない。しかし、その「民意の反映」を、市長選挙において、賛成派・反対派のいずれが勝利を収めるかということだけで、一刀両断的に行い、IR問題にすべて決着を付けることができるかと言えば、決してそうではない。そのような方法は、今後の市政に大きな混乱が生じさせることになりかねない。では、市長選挙でのIR推進について「民意」を問うとすれば、その選択肢は、どう設定すべきか。それは、現職の林市長が議会の支持を得て進めてきたIRを従前どおり推進するのか、それとも、改めて住民投票で民意を問うのかのいずれかである。

横浜市のIR事業については、住民投票を求める署名が法定数を超えたことに基づいて市議会に提出された住民投票条例が否決されている。しかし、この時点では、まだ、事業の内容すら固まっておらず、その時点で住民投票を行っても、単に「カジノ賛成・反対」だけを問うものにしかならず、横浜市の将来にも重大な影響を及ぼすIR事業推進の是非についての「本当の民意」を示すものにはならなかったであろう。

 現時点では、既に事業者からの提案も出揃っているのであり、事業の内容を具体的に示し、

その目的、それが横浜市の将来にもたらすメリット・デメリット等を示し、市民に判断材料を提供した上で、住民投票を行うことも可能である。

市長選で、「住民投票で改めて民意を問うこと」を公約に掲げた候補者が当選し、その点についての民意が確認された場合、市長が市議会に、IRについて「真の民意」を問うための上記の実施方法も含む住民投票条例案を提出することになるだろう。市議会では、「住民投票を実施すべき」との民意が市長選挙で示されたことを踏まえ、住民投票条例案の可否を審議・議決することになる。市議会で住民投票条例が可決され、住民投票が実施された場合には、その結果示された「民意」に従うことになる、IR事業「白紙撤回」が多数であれば、市長と市議会と協力し、全力で民意を実現していくべきことは言うまでもない。

冒頭でも述べたように、「IR事業推進の是非」は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼす、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題である。その判断が、横浜市の未来に禍根を残さないようにするためには、自治体組織としての健全なガバナンスによって、意思決定が行われることが不可欠である。

私が横浜市のコンプライアンス顧問に就任したのは、2017年、3期目に入った直後の林文子市長が、重点施策として「コンプライアンスへの取組み」を掲げたことに伴うものだった。それから4年、「社会の要請に応える」コンプライアンスは、市の組織全体に着実に浸透しつつあると実感している。林市長の任期満了に先立ち、私自身は、7月6日のコンプライアンス委員会をもって顧問を退任する。しかし、立場は変わっても、IR事業を含む今後の横浜市の行政には、引き続き注目していきたい思う。

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外環道大深度工事の地上被害は「陥没・空洞」だけではない。外環道工事延伸、リニア中央新幹線の大深度工事への波及は必至

2020年10月、東京外環道のトンネル工事によって地上に陥没・空洞が発生、周辺地域で、家屋の傾き、損傷、地盤沈下等の被害が次々と明らかになった。「地上から40メートル以深、又は、支持層の下10メートル以深のいずれか深い方」という地下空間を、公共利用のために、国交省の認可を受けて、地上の土地に関する権利と関わりなく使用できる、という「大深度法」に基づき、地上への影響はないことを前提に行われている工事だったが、その前提を覆す「地上住民への深刻かつ重大な被害」が発生したものだった。

閑静な住宅地で、平穏な生活を営んでいた住民たちにとって、何の了解も同意もなく、地中で進められた工事によって、不安と恐怖に苛まれ、甚大な被害にさらされたことは、あまりに理不尽だ。被害住民としては、なぜ、そのような深刻な被害を生じさせる事故が生じたのか、徹底した原因究明が行われ、納得できる合理的な説明と情報開示が行われることを求めるのが当然だ。

私は、東京外環道工事の被害住民17名(現時点で契約済みの方)から委任を受けた代理人弁護士からなる弁護団の団長として、NEXCO東日本・中日本、国交省関東地整という3者の共同事業者に対して情報開示や説明を求めてきた。

しかし、NEXCO東日本など事業者側が2021年3月19日に公表した有識者委員会報告書の内容には、多くの疑問点、不合理な点があり、被害住民の委任を受けた当職らが、それらの疑問に答えるよう4月9日付けで要請書を送付したにもかかわらず、事業者側は、他の被害住民からの質問と「十把ひとからげ」にして、ホームページに回答を掲載しただけであり、しかも、その内容は、要請書で示した疑問にはまともに答えず、虚偽説明、問題のすり替え、ごかましに終始している。要求している情報開示もほとんど行っていない。その一方で、事業者側は、トンネルルート直上の住民に対して、「地盤補強のための一時移転」を求めてきている。

地上被害発生への「不安」は、リニア中央新幹線大深度工事にも波及

このような事業者側の被害住民に対する説明責任も果たさず情報開示も行わない不誠実極まりない対応によって、この問題は、新たな局面を迎えようとしている。

同様に、大深度法に基づいて、東京都大田区、世田谷区などの地下空間にトンネルを掘削する予定のリニア中央新幹線工事についての地上住民に対する説明会が先週開かれた。外環道工事での陥没・空洞問題は、リニア大深度工事の地上住民にも大きな不安を与えているはずだ。この工事の事業主体のJR東海が、外環道大深度工事で発生した地上の住民への被害に対して、外環道の事業者と同様の説明で済まそうとしたのでは、住民の不安は全く解消されないことは明らかだ。

今後、外環道被害住民側からも、外環道事業者がとり続けてきた不誠実極まりない対応についての情報が、リニア中央新幹線大深度工事の地上住民側にも提供されれば、大深度工事への地上住民の不安が拡散・拡大することは必至だ。それは、今後、外環道大深度工事が再開された場合に、地上でその影響を受ける可能性がある、三鷹市、練馬区、杉並区等の地上住民にとっても、他人事ではない。

外環道工事が、その完成によって、首都圏の交通渋滞を緩和するなどの交通上の利便を提供するという意味で、社会の要請に応えるものであることは確かだ。しかし、そのための工事の施工に当たって、地上住民の生活・健康に影響を及ぼす被害・損害を生じさせないという「社会的要請に応えること」は、事業者にとって最低限のコンプライアンスだ。地上の住民・権利者の同意なく大深度地下を掘削する工事なのである以上、一層強くそれが求められるのは当然だ。大深度法という法律に基づいて施工する工事なので「法令遵守」上問題ないという「慢心」があるとすれば、それは、事業者に対する信頼を著しく損ない、今回の外環道工事をめぐる不祥事の社会的影響を一層巨大化することになりかねない。

地上被害は陥没・空洞発生以前から生じていた

昨年10月に、調布市の外環道大深度工事の地上で被害が発生した時点から、この問題は「陥没・空洞問題」と報じられることが多かった。しかし、実は、大深度工事による地上住民への被害は、陥没・空洞が初めてではなかった。それより1か月以上前の2020年8月に入った頃から、振動及び低周波音の体感的被害の被害が深刻化していた。

ある住民は、その被害の模様について、次のように述べている。

ある日、仕事を終えて夜に帰宅すると、どこからか不明の地響きのような重低音が聞こえてきた。初めは2階の家族が大音量の音楽を聴いているのかと思い、様子を見に行くと家族は音楽を聴いていなかった。鼓膜に圧力がかかり食事も喉を通らないような不快な重低音(振動)であったため、外にでて原因を確認しようとしたが、外に出ても音源に近づくことができず、不快な重低音は不明なまましばらく続いた。記憶は定かでないが21時頃に振動はやんだ。

ネットで調べてみると外環工事が進行中であることがわかり、数日耐えればよいと言い聞かせて過ごした。しかし、重低音は数日かけてゆっくりと遠くから近づき、そのまま遠のいていくことを期待していたが、一向に遠のかず、2週間以上の間、同様の振動に毎朝・毎晩悩まされた。

当時、数週間にわたり継続する異常な振動に、地盤は大丈夫なのかと不安がよぎる。 また後に、この振動が直下の掘削ではなく、直線で20m程度離れたルートの掘削であったことを知り、直下であればどれほどの振動になるのかと恐怖を感じる。

また、ある住民は、次のように述べている。

ある日、突然変な波長の震えが鼓膜をびんびん突き刺し、頭も体も振動を感じ、食   器は振動を受け、チャリチャリとなり続けた・・・3週間ほど続いた。常に2階で大男がずしんずしんと歩くような振動を感じた。

「苦情・問合せ」に対応した夜間施工時間短縮が陥没・空洞の原因との事業者説明

事業者側は、陥没・空洞の発生を受けて、有識者委員会を設置、2021年3月に公表された報告書では、事故原因について「『特殊な地盤条件』が存在し、振動・騒音に対する問合せが相次いだために、夜間の工事中止時間を延長し施工時間を短縮したところ、カッターの回転不能が頻発、それを解消するために行った特別な作業で土砂の取り込みが発生。過剰な取り込みで陥没・空洞が発生した」と述べている。

要するに、地上住民の苦情を受けて、夜間の工事中止時間を延長するという「地上住民への配慮」を行ったことが、陥没・空洞が発生した原因であるかのように述べているのである。

そして、リニア中央新幹線の大深度工事を施工するJR東海は、このような外環道の大深度工事の陥没・空洞の発生の「教訓」からか、住民説明会で、「マシンを止めないのが安全な工法。夜も進めたい」と述べ、夜間も工事を実施し、振動や騒音には個別に対応する方針を明らかにしている。

「外環道の陥没・空洞は、住民の苦情がうるさかったから夜間工事を止めたのが原因、リニア大深度工事では、なりふり構わず夜間も掘り進めるので、陥没・空洞は起きない」と考えているのかもしれない。しかし、そもそも、地上への影響がないことを前提に制定されている法律に基づいて行われる工事で、地上住民に上記のような振動、低周波音の被害を発生させ続けていたことが重大な問題であり、それに対して苦情が殺到するのは当然のことである。その当然の苦情への対応のために「陥没・空洞」が発生したのだとすれば、その根本原因となった振動・低周波音を「一次的な被害」ととらえ、その発生を防止するのが、地上住民の同意なく大深度近くを掘削する事業者の当然の義務と言うべきであろう。外形的に明らかな「陥没・空洞」さえ発生させなければよいというのは、あまりに無責任な考え方だ。

根本原因は、不十分な事前調査で地盤の把握ができていなかったこと

根本的な問題は、有識者委員会の事故原因の説明にも出てくる「特殊な地盤」について、事業者が施工計画の段階で把握して、地上への影響を生じさせないようにするための十分な対策が講じたかどうかだ。

その点に関しては、事前の地盤調査が十分に行われていたのか否かに重大な疑問がある。

事業計画では、、トンネルルート上で、200メートルに1本のボーリングを行うことが原則とされていたのに、被害発生個所周辺のルート直上では、1キロメートルにわたってボーリングが実施されていなかった。しかも、その周辺には、「NEXCO中日本所有地」、「国道事務所所有地」、「市管理の公園」というボーリング実施が可能と思える3箇所の土地があった。今年4月に、被害住民弁護団から事業者への「要請書」で、この3箇所でボーリングが実施されなかった理由について尋ねたところ、

ボーリング調査は、大型の機械により数ヶ月の作業を要することもあり、また調査作業等で周辺への影響が懸念されること等、地域の周囲の住環境も考慮の上、調査箇所を選定しております。

ご指摘の3箇所の用地については、

・住居が近接しており、騒音・振動による周囲の住環境への影響が懸念されたこと

・当時の土地利用やアクセス道路の状況から実施が難しかったこと

・周辺のボーリング調査や微動アレイ調査を組み合わせることにより必要な調査がカバーできたこと

等により、ボーリング調査は実施していないものと考えております。

ボーリング調査は、物理的に実施可能な箇所全てで実施するものではなく、既存調査等で把握した地質状況を踏まえた上で実施箇所を検討して必要な箇所で実施しております。

陥没・空洞事故を受け、地域の住民の方々に、ご不便やご迷惑をおかけしながら、ご協力を頂いて実施した原因究明のためのボーリング調査等の結果は、この事前調査の結果と概ね一致しており、工事着手前に行われる地盤状況把握のための事前調査は適切に行われていることを有識者委員会に確認いただいております。

などと回答した。

事業者側の説明は、ボーリング不実施の理由には全くならない

しかし、少なくとも、「国道事務所所有地」と「市管理の公園」は、調査時点でも道路に面しており、現に陥没事故後にはそこで特段の騒音・振動対策も行わずにボーリングが実施されている。「NEXCO中日本の用地」でも、陥没事故後に特段の騒音・振動対策も行わずにボーリングを実施しており、ボーリング調査が当該3地域において実施可能であったことが事故後に実証されている。

ボーリング調査を補完するために行ったとする「微動アレイ調査」については、地表近くの地盤状況しか把握できないとの指摘もあり、国交省のホームページにもそのような記載がある。

NEXCOは「工事着手前に行われる地盤状況把握のための事前調査は適切に行われていることを有識者委員会に確認いただいております」としているが、同委員会の小泉委員長は、「ネクスコや国土交通省の用地については説明を受けていないので認識していなかった。」(2021年2月12日ブリーフィング)、「通常のボーリングよりは距離が飛んでいる。・・・こういう事象が起こってみれば、この辺のボーリングはもっと取れればよかった。」(2020年12月18日ブリーフィング)などと発言しており、委員会として、「地盤状況把握のための事前調査は適切」と判断していたとは思えない。

事業者側の回答は、単なる「ごまかし」である。被害住民に対して、事故を発生させたことを真摯に反省し、工事の事前調査、工事施工全般にわたる事故原因の分析を誠実に行って、振動・低周波音、陥没・空洞、地盤の緩み等の被害を二度と発生させないようにしようとする姿勢が全く見受けられない。

「地盤補強のための一時移転」を被害住民に求める事業者

その一方で、事業者側は、地盤補強のための一時移転に向けての交渉を進めようとしている。陥没・空洞が発生した区間に生じた「地盤の緩み」を補強するため、薬液の注入等の工事を実施したいとして、トンネル直上の家屋の住民に対して、2年間の「一時移転」を要求している。

この工事も、口先では、大深度トンネル工事によって地上に生じた被害の復旧であるかのように言っているが、本当の目的は、工事続行ために必要な「地盤補強」であることが疑われる。というのは、今回、地上に被害を発生させたNEXCO東日本「南行きトンネル」と隣接して、NEXCO中日本が施工中の「北行きトンネル」の大深度工事が被害発生現場周辺であり、それが、今回の陥没・空洞の表面化以降ストップしている。NEXCO中日本は、工事再開を目論んでいるようであり、その工事施工のためには、今回の事故で生じた「地盤の緩み」を解消する必要があり、そのために「地盤補強」を行おうとしている可能性があるのである。

不誠実極まりないNEXCO東日本等の事業者の対応に、被害住民は、呆れ果て、その怒りは頂点に達している。

事業者側の不誠実極まりない対応による被害住民の「不安」は、今後、リニア中央新幹線大深度工事の地上となる大田区、世田谷区、外環道大深度工事の延伸先の三鷹市、練馬区、杉並区の地上住民にも波及することは必至だ。今回の事故は、単なる「調布陥没・空洞被害者」だけの問題ではないことを、これらの大深度工事が通過する行政区域の住民すべてが認識すべきだ。

なお、外環道大深度工事の問題に対する対応の経過、事業者側に送付した要請書等については、郷原総合コンプライアンス法律事務所のホームページに掲載しているので、ご関心がある方はご覧頂きたい。

➡ https://www.gohara-compliance.com/information/gaikan

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生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス

私は、コンプライアンスを、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」ととらえ、組織をめぐって発生する様々な問題の解決、事業・業務におけるコンプライアンスの取組みに関わってきた。

とりわけ、「社会の要請に応える」というコンプライアンスの観点が重要なのが地方自治体である。民間企業においては、需要に反映された社会の要請に応えていくことがベースとなるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズのほかに、公共の利益に関連する様々な要請が絡み合い、それに応えていく地方自治体の業務に関して、複雑かつ困難な問題が発生する。

その中で、最も深く関わってきたのが横浜市だ。2007年から、コンプライアンス外部委員としてコンプライアンス委員会に関わっていたが、2017年からはコンプライアンス顧問として、各部局、区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局・各区の幹部に対するコンプライアンス研修の実施などを通して、深く関わってきた。

コロナ禍の長期化で、社会全体が消耗、疲弊する中で、地方自治体に対する要請も複雑多様となり、バランスよく的確に応えていくことは容易ではなくなっている。こうした中で、横浜市においても、様々な不祥事の発生が続いている。

そのうちの一つ、社会的にも大きな問題となったのが、今年2月、横浜市神奈川区生活支援課での生活保護の申請をめぐる問題だ。

生活保護をめぐる複雑な社会の要請

生活保護という制度と運用をめぐっては、これまでも地方自治体の現場で様々な問題を発生してきた。そこには、制度と運用をめぐって社会の要請が複雑に絡み合う構図がある。

1つは、「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」という要請である。誰しも、自らの資産・能力によって健康で文化的に生活できることを望んでいるはずであり、それが困難な人に対する直接的な公的支援として行われる生活保護は、「最終的な手段」だ。生活困窮者に対して、就労機会の提供や他の制度の活用などによって自立を支援できるのであれば、その方が望ましいことは言うまでもない。

2つめは、「保護を必要とする人には積極的に対応する」という要請だ。自らの資産・能力では健康で文化的な最低限の生活を維持することが困難な状況になっている人に対しては、生活保護による支援を積極的に行うことが求められる。真に生活保護を必要としている人に申請を躊躇させるようなことはあってはならない。特に、現在のコロナ禍のように、困窮者が急増する経済、社会状況においては、生活保護による支援が、より幅広く行われる必要がある。

3つめは、「保護要件の審査は厳格に行うべき」という要請だ。生活保護費は、公的資金によって賄われているのであり、保護要件の充足に関する審査は厳正に行われなければならない。いかなる状況においても、資産・能力についての虚偽申請や不正受給は許されないし、特に、暴力団関係者等による不正請求に対しては、毅然とした対応が求められる。

生活保護に対応する自治体には、複雑に交錯するこれら3つの要請に、バランスよく適切に対応することが求められる。

自治体の現場での生活保護への対応の経緯

自治体の受付窓口では、生活保護の申請があれば、まず「相談」という形で対応し、生活保護制度のほか、生活福祉資金・障害者施策等各種の社会保障施策についても説明する。そのうえで、申請の意思を確認し、様々な検討・調査が行われる。その際、自治体の側で、保護申請をなるべく受理したくないと考えて、申請書を渡さない、受け取らない、申請を取り下げさせるような対応がなされることがある。

かつて、暴力団などの不正受給防止のために厳格な審査を求める通知が厚生省から発出されたことがあり、その通知に過度に反応した現場が、申請を受理せず、窓口で追い払う傾向が強まったことがあった。それが、「水際作戦」として批判にさらされた。2006年には、北九州で生活保護申請を受理してもらえなかった生活困窮者の餓死事件が発生したことで、社会問題化した。

その後、厚生労働省は、「要保護者の申請権の侵害をしない」方針を明確に打ち出し、生活保護法23条による法施行事務監査を行って、「保護の相談に当たっては、相談者の申請権を侵害しないことはもとより、申請権を侵害していると疑われるような行為も厳に慎むこと」と徹底してきた。

しかし、その後も、2014年に銚子市で母子心中事件が起きるなど、生活保護をめぐる問題は後を絶たない。「保護申請をなるべく受理しない」という「水際作戦的な姿勢」は、まだ、自治体の一部に残っているようである。

自治体としては、窓口での対応が、そのような批判を招かないよう、最大限の努力をすべきであるよ。

横浜市神奈川区生活支援課の事案

そこで、横浜市神奈川区生活支援課で発生した事案についてみてみよう。

2月22日、横浜市神奈川区生活支援課に、「アパートで暮らしたい」という理由で生活保護を申請しようと訪れた20代女性の申請を受け付けなかったことが問題になった。女性を支援する生活保護の支援団体から、「生活保護の申請権を侵害する悪質な水際作戦」などと批判され、マスコミでも大きく報じられた。

その女性は、居所がなく、「アパートで生活をしたいため」生活保護を申請したいと希望していたのに、対応した職員が、路上生活者などに提供される横浜市の生活自立支援施設を案内し、「居所が定まらないと申請が却下される可能性がある」などと施設入所が受給の要件であるかのような誤った説明を行って、女性の当日の申請を諦めさせてしまったのである。

担当職員が事実と異なる説明を行い、申請の意思があったのに受け付けなかったのは、明らかに誤った対応だ。問題は、そのような対応が、どのような意図で行われたのか、それが、担当職員個人の問題なのか、横浜市の組織としての生活保護への対応姿勢にも問題があったのかという点だ。

この事案では、申請書を持参して「申請したい」と口頭で述べている時点で、客観的に申請意思が明らかだったと言える。路上生活者になりかねない若い女性が救済を求めてきているのであるから、上記の2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」要請という面では、担当職員から促してでも、申請書を受け取るべきだった。

その女性は「アパートで生活をしたい」との希望を述べていたのに、申請書を提出させる前に、施設等を案内し、そこに住民票を移せば容易に手続きできるかのような説明を行えば、施設入所が受給の要件であるかのように思われ、意にそぐわない施設入所を押し付けられたように受け取られる。そういう意味で、申請権を侵害する可能性のある対応であったことは否定できない。

「水際作戦」だったのか

しかし、担当職員の対応は、果たして、申請をなるべく受理したくないとか、申請を諦めさせようとする意図で行われたのだろうか。

支援施設を保有している横浜市の担当職員として、居所のない困窮者に対して、支援の「選択肢」として、経済的負担のない施設への入所を案内することは、一般論としては間違っていない。また、居所があることは生活保護申請の要件ではないが、居所が定まっていない場合、受給決定後の生活状況の調査等に支障が生じる可能性があるという意味で、受給の可否の決定に影響を与える要因となることは否定できない。保護が開始されるために、居所を定めたほうがよいというのも、生活保護の受給についての説明として間違っているわけではない。

そういう意味では、申請を妨げようとする意図ではなく、むしろ、良かれと思って説明していたのではないかとも思える。それは、申請を受け付けた後の要保護要件の審査で、上記の3つめの「保護要件の審査は厳格におこなうべき」との要請が働くことを念頭において、1つめの「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」との要請から、まず、居所のない状況を解消すれば実質的な救済につながると思った可能性がある。

しかし、そうであったとしても、若い女性に、いきなり施設入所を勧めたことが配慮を欠いた対応であったことは否定できないし、それが、申請を受け付けること自体に消極的であるように受け取られ、2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」という要請に反することになったのである。

担当者個人の対応の背景にある、横浜市の生活保護行政の姿勢自体については、問題があったようには思えない。最近の厚生労働省の生活保護法施行事務監査において問題が指摘されたことはないし、昨年も、緊急事態宣言を受け、ゴールデンウイーク中も臨時相談窓口を開設して対応するなど、むしろ、生活保護への対応には積極的な姿勢で臨んでいた自治体である。横浜市としては、必要な生活保護費については、十分に予算確保する考えが浸透しており、申請を絞り込む動機があったとも思えない。

コロナ禍での環境変化への不適応

そのように考えると、むしろ、今回の事案は、コロナ禍での要保護者の状況の「変化」に、担当職員を含め神奈川区の生活保護担当部門が適応できていなかったことに原因があるように思われる。感染対策の影響でいきなり職を失い、住居も失って、生活保護を求めるケースが増えており、その中には、居所さえあれば施設でもよいと考える困窮者ばかりではなく、職を失って所持金は減少していても、施設には抵抗感があり、一般住居に暮らしたい、と希望する人もいる。“生活保護”と一口に言っても、要保護者が求めることの中身が多様化し、よりきめ細かな対応が必要となっていると言えよう。

そうした状況においては、受付窓口での相談の段階から、その実情、困窮の態様・程度に応じて、実質的に有効な支援を行えるよう適切な対応が必要となるし、それが、要保護者に正しく認識理解され、寄り添った対応ができるよう、より高度なスキルが求められる。

現場の知識習得・技術向上のための指導体制、人員不足の改善などにも目を向ける必要があるだろう。

横浜市は、今回の事案を受けて、5月14日、第三者による検証を行うため、「生活保護申請対応検証専門分科会」を設置した。そこでは、今回の不適切な対応について検討し、原因を明らかにするだけでなく、コロナ禍での環境激変の中で、要保護者にきめ細かなケアを行うための職員の指導監督や体制整備の方策について幅広く検討が行われることが期待される。

そして、事案の調査、上記分科会による検証を踏まえて、現場レベルでの改善措置を十分に講じることに加え、もう一つ重要なのは、自治体としての明確なメッセージを発することである。今回の事案がマスコミで「水際作戦」などと報じられたことで、横浜市の生活保護行政に対して疑念や不信が生じたことは否定し難い。それを払拭するためには、コロナ禍で増大する生活困窮者に対して、生活保護も含め、あらゆる手段を講じて積極的に支援を行っていく方針を明確に示すことが大切である。自治体のトップ自らの対応が求められる場面である。

 

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菅原一秀氏は、なぜ公の場で「国民への説明」をせず、ネット上での「一方的な発信」ばかりするのか?

菅原一秀衆院議員(前経済産業大臣)が、地元で香典・枕花等として現金を渡したとされる事件で、公職選挙法違反(選挙区内での寄附)の罪で略式起訴される見通しとなったことを受け、菅原氏は、6月1日に自民党を離党した上、議員辞職願を提出し、3日に、衆議院本会議で辞職が認められ、菅原氏は、議員の身分を失った。

来週には略式起訴が行われるとされており、裁判所が罰金の支払を命ずる略式命令を出すと、選挙権・被選挙権(公民権)が原則5年間停止となり、その間、菅原氏は、公職を務めることも、公職選挙に立候補することもできないし、選挙運動を行うことも禁止される。

菅原氏は、自らの「公式ブログ」で、

けじめとして、本日、衆議院議員を辞すべく院に辞職願を提出致しました。

などと述べているが、罰金刑で公民権停止となり国会議員失職となるからこそ、議員辞職願を提出したものであり、自発的に「けじめ」をつけたものでは全くない。

 菅原氏に対しては、野党だけではなく、自民党と連立政権を組む公明党や自民党内からも説明を求める声が上がっているが、菅原氏は、マスコミへの発表文とブログで

当局の処分がまだ出ておりませんゆえ、ここですべてをお話することは差し控えさせていただきます。

と述べ、現時点では、事件についての公式の説明を全く行っていない。

 ところが、ブログやフェイスブック(Facebook)では、上記の投稿を含め、「一方的な発信」を続けている。

 6月に入ってから辞職願を提出したことで、6月末の期末手当が全額支給されることについて野党などから批判されたことを受け、2日夕刻、Facebookで

昨日、議員辞職願を提出しました。明日の本会議で辞職が許可される予定です。尚、月末予定の賞与は当初より、全額返上するつもりでしたので、その手続きに入ります。法律上、返上が叶わなければ、昨年同様、被災地に全額お送りさせていただきます。

と投稿した。

 その後、菅原氏は、翌朝までに、上記投稿の「尚、月末予定の賞与は」の前に、「検察の処分が6月とのことで、それまで任期を全うしようとしました。」を付け加えている。

 6月1日に辞職願を提出したのは、検察の処分が出るまで任期を全うしようという意図で、期末手当をもらうためではないという「言い訳」がしたいのであろうが、そもそも、地元有権者への寄附の公選法違反の事実を認めていながら、ここまで議員の椅子にとどまったこと自体、本来、許されることではない。

今回、刑事処分に先立って辞職したのは、検察に、自発的に議員辞職したことを情状面で評価してもらい、「公民権停止期間は3年に短縮が相当」との意見を裁判所に提出してもらおうとの魂胆であろう。刑事処分後に議員辞職したのでは、情状面の評価の対象にならないことは言うまでもない。そういう意味では、「6月1日議員辞職願提出」というのは、「期末手当満額支給」で、なおかつ「公民権停止期間短縮」を狙える「絶妙なタイミング」と言える。

そして、菅原氏は、2日深夜、公式ブログにも同様の投稿を行った。

3日夜には、Facebookの投稿で、議員辞職が許可されたことの報告に加えて、

なお、期末手当について総務省と衆議院の議員課に確認したところ、やはり国庫への返納は不可とのことです。全額、被災地へお送りさせていただきます。

と述べている。

 しかし、菅原氏の「被災地に送る」というのも、「期末手当返上」として額面どおり受け取ることはできない。

 元秘書らの話によると、菅原氏は、秘書から、公設秘書が国から支給されている給与と私設秘書の給与の差額を「上納」させており、その時にも、「被災地への寄附」や「赤い羽根募金に充てる」ことを名目にしていたという。また、常時「香典袋」を持参して活動していた秘書が、地元の支援者の葬儀・通夜の情報を入手し損ねて香典等を出すことができなかった時に、「罰金」と称して秘書から金を巻き上げる際にも、「慈善団体に寄附する」などと言っていた。

 今回は、「秘書から」ではなく、「国民から」期末手当分を巻き上げることになるのだが、秘書に対して常時使っている「被災地に送る(寄付する)」という常套文句で批判を逃れようとしているのであろう。

 自分の支持者、支援者向けのブログ・Facebookで一方的に発信しているが、その内容は、公の場や記者会見であれば、追及されて、到底維持できなくなるようなことばかりなのである。 

 菅原氏は、公選法違反を犯した事実を認めていながら、6月1日まで議員の職にとどまって歳費ばかりか期末手当まで全額を受領することになった。一方で、事件の内容や経緯についても、6月1日に辞職願を提出した理由についても、国民への説明責任を全く果たさず、ブログやFacebookで身勝手な「一方的な説明」を続けている。

このような議員が、自民党の要職を務め、経済産業大臣まで務めていたというのは、巨額買収事件で後に逮捕された河井克行議員が法務大臣を務めていたのと同程度に、信じ難いことだ。

菅原氏に対する略式命令では、議員辞職したことを有利に評価することなどあってはならない。原則どおり、5年の公民権停止が当然だ。

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「検察審査会の正義」で議員辞職に追い込まれた菅原一秀氏、「秘書にハメられた」についても説明を

 菅原一秀衆院議員(前経済産業大臣)が、地元で香典・枕花や現金を渡したとされる問題で、菅原氏は、6月1日に自民党を離党し、議員辞職願を提出した。東京地検特捜部は、近く、公職選挙法違反(選挙区内での寄付)の罪で菅原氏を略式起訴する見通しと報じられている。

 私は、菅原氏の指示で有権者への香典・枕花や現金供与を行っていた元公設秘書2人の代理人として、そして、当初の検察の菅原氏に対する不起訴処分(起訴猶予)に対する検察審査会への審査申立の代理人として、この事件に関わってきた。その契機となったのは、当時公設秘書だった2人から、2019年11月、「菅原氏から、『文春と組んで代議士をハメた秘書』のように言いふらされて、事務所をクビにされそうになっている」と相談を受けたことだった。

 この事件が週刊文春で報じられた後、検察が捜査に着手し、不当な不起訴処分に終わった時点までの経緯については【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】で詳細に述べている。

 2020年6月、検察は、菅原氏の公選法違反事実を認めた上で「起訴猶予」としたが、次席検事が異例の会見を開いて説明した理由は全く納得できるものではなく、検察審査会に持ち込まれれば、覆ることは必至だと思えた。ところが、検察は、7か月以上も前に受領していた告発状を、不起訴処分の直前に告発人に送り返し、「告発事件」ではなく、検察が独自に認知立件した事件のように装って、事件が検察審査会に持ち込まれないようにする「検察審査会外し」を画策していたことがわかった。

 私は、同年7月、告発人から委任を受け、審査申立代理人として、「有効な告発状を提出している以上、検察が不当に受理せず返戻していても『告発した者』として検察審査会への申立ては可能」との法解釈に基づいて、検察審査会への申立てを行ったところ、数日後、東京第4検察審査会から「令和2年(申立)8号事件として受理した」旨の通知が届いた。(この間の検察の不当な対応と審査申立の経緯については、ブログ記事【菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か】)

 そして、その9か月後の2021年3月12日、東京第4検察審査会が、菅原氏に対して「起訴相当」の議決を行ったことが発表された。

 告発人の「申立事件」として検察審査会が受理しているのに、検察は、検察審査会から提出を求められた不起訴記録を提出しないという「審査妨害行為」を行ったが、菅原氏の元公設秘書2名が、菅原氏に指示されて公選法違反行為を実行していた状況についての「陳述書」や資料を提出するなどして審査に協力したこともあって、東京第4検察審査会として職権で審査を行うことを議決した上、「起訴相当」議決に至ったものだった。まさに、市民の代表として「検察の不正義」を正した画期的な議決であった(【菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!】)。

 検察官が、犯罪事実を認めた上で「起訴猶予」とした事件が、検審で「起訴相当」と議決された場合、検察が再捜査の結果、再度「起訴猶予」にしたとしても、検審での再度の審査で「起訴議決」となり「強制起訴」されることはほぼ確実だ。検察にも、不起訴処分の際に犯罪事実を認めている菅原氏にも、「逃げ道」はなかった。

 そういう意味で、検察が菅原氏を起訴し、議員失職となるのも当然の結末だった。今回、菅原氏が議員辞職したのは、現職議員のまま刑事処分を受けることを避けるためであろう。

 このような経緯の中で、最大の問題は、当初、検察が、なぜ菅原氏を「起訴猶予」にしたのかという点だ。

今回の結末からも明らかなように、現職国会議員の「違法寄附」の公選法違反行為が認められる以上、罰金刑に処するのは当然であり、「起訴猶予」などという処分はあり得ない。

 2019年10月に週刊文春の報道を受けて経産大臣を辞任した菅原氏は、その後、「体調不良」を理由に10月から開かれていた臨時国会を欠席し続ける一方で、「秘書にハメられた」と言って地元支持者回りをしていた。

 そして、2020年1月20日の通常国会の初日には、国会内で、記者に公選法違反の疑惑について質問されて、

「告発を受けているので答えられない」

と述べて説明を拒否していた。

 ところが、6月16日、菅原氏は、突然、自民党本部で記者会見を行い、

「近所や後援会関係者らの葬儀が年間約90件あり、自身は8~9割出席しているが、私が海外にいた場合、公務で葬儀に参列できない場合に秘書に出てもらい、香典を渡してもらったことがある。枕花の提供もあった。」

として公選法違反の事実を認め、

「反省している」

と述べた。

 その翌週の6月25日、菅原氏の不起訴処分が、東京地検次席検事の記者会見で公表された。

 このとき認定された違法寄附は約30万円、不起訴理由は、「後援会関係者らの葬儀には自身が8~9割出席した」という菅原氏の言い分を「丸呑み」したものだった。元秘書らは、常に「菅原一秀」という文字が印字された香典袋を持ち歩き、通夜・葬儀の情報を得たら菅原氏に金額を尋ねて香典を持参しており、菅原氏本人の出席は、そのごく一部に過ぎず、違法な寄附の総額は300万円程度に上ることは、秘書らの供述やLINEデータ等からも明らかだった。

 菅原氏の突然の「記者会見」と検察の不起訴処分のタイミング、不起訴理由の説明などから考えると、検察側と菅原氏側と間で、何らかの話し合いが行われ、不起訴の方針が決まったようにしか思えない。 

 今回、菅原氏が起訴される見込みの公選法違反の法定刑は50万円以下の罰金である。簡裁の略式命令による罰金刑が確定すれば、公選法の規定で「公民権停止」となり、衆院議員を失職する。公民権は原則5年間停止され、その間は立候補もできない。

 この公民権停止については、裁判所が、情状により、刑の言渡しと同時に、規定の不適用や期間短縮を宣告することができるとされている(公選法252条4項)。そして、それについて、検察官が、裁判所に「意見」を述べるのが通常だ。

 公民権停止期間が、原則通り5年なのか、3年程度まで短縮されるかは、菅原氏が、今年秋までに行われる次回衆院選には立候補できないとしても次々回の衆院選に立候補できる否かに関わる。近く行われる菅原氏の略式請求で、公民権停止について検察がどのような意見を述べるのか、裁判所が略式命令でどう判断するのかが注目される。(裁判所は、検察の意見には拘束されない。)

 元秘書らは、2020年3月末に菅原氏に公設秘書を解任されたが、それまで、秘書として菅原氏の指示に忠実にしたがい、職務を行ってきた。国会議員秘書の職にある者にとって、「週刊誌と組んで議員を大臣辞任に追い込んだ」などと言われることは、職業生命を奪われる程の「汚名」だ。菅原氏は、秘書にそのような汚名を着せて自らを正当化し、検察も、そのような菅原氏の言い分を「丸呑み」して不当な起訴猶予処分を行った。しかし「検察審査会の正義」によって、それが是正されようとしている。

 菅原氏は、今回の事件について、これまで全く説明責任を果たして来なかった。

 略式命令を受けた際には、「秘書に汚名を着せていた点」も含めて、公の場で説明責任を果たすべきだ。 

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2021年開催回避のための「現実的方策」としての“2024年東京パリ共同開催”

 コロナ禍による医療の危機的な状況が続き、2か月先に迫った東京五輪の開催に、国民の8賄以上が、中止か延期を望んでいるにもかかわらず、日本政府や五輪組織委員会、東京都の「開催強行」の方針は変わらず、国民の間に、強い不安と反発が渦巻いている。

 こうした中、東京五輪開催に否定的な論調のTBS系「サンデーモーニング」に出演した姜尚中氏が、東京五輪を2024年のパリ五輪と一部“共催”にする案を提示した。東京五輪開催を「賭け」と表現し、「それはしてはならない」と否定し、

「場合によっては、パリ大会の時に一部を日本で開催するなんていうことも、フランスとIOC、JOCでやって、そこで初めて日本なりに『克服しました』と世界にアピールすればいい」

と述べた。

 私は、昨年6月、都知事選の際に、「2021年東京五輪」の開催を中止し、「2021東京パリ共同開催」とすることを現実的な選択肢として提案していた(【都知事選の最大の争点「東京五輪開催をどうするのか」】)。

その時点で考えた案は、

会場設置に多額の費用がかかる種目を中心に、全種目の3分の2程度を東京或いはその周辺で開催し、パリでは、会場の整備等の費用が低額で済む競技(例えば、暑さが問題とされるマラソン・競歩や、お台場の競技会場が「トイレのような臭さ」で評判が悪いトライアスロンなど)を開催することで、競技種目を分担し、開会式は東京で、閉会式はパリで実施する

というものだった。

 7月に、あるルートを通じて、フランス側関係者の意向を確かめてもらったところ、

「フランス側としては、日本が2021年夏東京五輪開催の方針を維持している限り、2024年開催について日本側と話をすることは困難」

とのことだったので、それ以降、様々な観点から、2021年東京五輪開催を強行すべきではない、早期に開催を断念すべき、との意見を述べてきた(【”東京五輪協賛金追加拠出の是非”を、企業コンプライアンスの観点から考える】、【東京五輪開催中止「責任回避」合戦を、スポンサー企業も国民も冷静に見極めるべき】)。

 パリ五輪については、フランス政府等は、予定どおり開催の方針を崩していないが、少なくとも昨年9月末の時点では、瀬藤澄彦帝京大学元教授が、コロナ禍でパリ市内の交通網の整備、開催資金の調達等が大きな影響を受けており、決して開催準備が楽観視できる状況ではないと指摘していた(【コロナ危機の影響受ける24年パリ五輪の開催準備】。

 フランスとしても、パリ五輪開催には、国の威信がかかっているのであろうし、それに先立つ東京五輪の開催方針が変わらない以上、3年先の五輪開催に消極的な姿勢は見せられないのは当然であろう。

 しかし、東京五輪でも、開催経費は当初の予定を大幅に上回り、しかも、開催直前まで開催の是非をめぐる混乱が続いていることで、パリ五輪開催に向けてのスポンサー企業の姿勢には大きな影響が生じているはずだ。フランスにとっても、膨大な費用をかけて当初の予定どおりパリ五輪の開催を進めることに、本当に問題はないのだろうか。

 フランスのマクロン大統領は、いち早く、東京五輪開会式への参加を表明しているが、もし、「2024年東京パリ共同開催」ということにできるのであれば、東京五輪開会式を、日本とフランス政府、東京都とパリの代表だけが出席した「東京・パリ聖火共有イベント」に代替することで、日本とフランスの連携・協力をアピールする場にすることも考えられる。

 1年前から、この方向に舵を切っていれば、今のような、直前に迫った東京五輪開催に向けての「進退両難」の“断末魔状態”に陥ることはなかった。しかし、時計の針を戻すことはできない。今からでも遅くない。2021年夏開催を中止する現実的な選択肢として考えてみるべきだ。

 商業化したオリンピックというイベント自体に対して批判的な意見も多くなっており、東京五輪中止だけでなく、今後、オリンピックには一切関わるべきではないという意見もあろう。しかし、開催に向けてのIOCの強い意向を受け、政府・組織委員会・東京都が、開催に向けて「爆走」する中、「開催強行」から国民の命や健康を守るために、どうしたら、今年7月の開催中止を実現できるのかを考えるしかない。「2024年東京パリ共同開催」は、国民の命を守り、しかも、これまで東京五輪にかけてきた膨大な費用がすべて無駄になってしまわないように2021年東京五輪開催を中止する現実的な選択肢だ。

 今からでも遅くない。パリ五輪に関する情報収集を行い、パリ市側との水面下での意見交換を行って「東京パリ共同開催」を模索することが、開催都市の東京都にとって、「東京都民の命を守る」という社会的要請に応える “究極のコンプライアンス”だと言えよう。

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自民党重鎮「関与否定」発言から明らかになった「1億5千万円提供の指示者」~資金使途は関連書類「仮還付」で解明可能

2019年参院選を巡る買収事件で有罪が確定した河井案里元参院議員の陣営に、自民党本部から、同じ自民党公認の溝手顕正氏の10倍の1億5000万円もの資金が提供されていた問題について、党重鎮の発言が波紋を広げている。

5月17日の自民党本部での記者会見で、二階俊博幹事長は、資金の支出について「私は関係していない」と述べ、林幹雄幹事長代理も「実質的には当時の選挙対策委員長が広島を担当していた。幹事長は細かいことはよく分からない」と説明した。

党本部が資金を支出した2019年4~6月、自民党の選挙対策委員長を務めていたのは、甘利明・税制調査会長だったが、同氏は、18日、記者団に「(1億5000万円の支出には)1ミリも関与していない。1ミクロンもかかわっていない。事件後の新聞報道を見て初めて知った」と述べた。

このような自民党幹部の発言に関して、岸田文雄前政調会長は、18日に出演したBS番組で、「1億5000万円を出したその後、それを何に使ったか、これを明らかにしてもらいたい。我々が申し入れをした論点と、昨日から騒ぎになっている論点、これはちょっとずれている」と発言した。

自民党本部から河井陣営に提供された1億5000万円に関して問題になっているのは、

(1)溝手候補の10倍もの資金提供は誰が決めたのか、

(2)何に使ったのか、

の2つの点だ。

(1)の点は、そもそも、自民党広島県連の強い反対・反発にもかかわらず、参院広島選挙区に2人目の候補として案里氏を公認したのは、いかなる目的だったのか、という点に関連する。

克行氏が公判で供述しているように「自民党の党勢拡大、憲法改正の発議のため」だけだったのか、安倍晋三前首相が「溝手氏への私怨」から同氏の落選を狙ったのか、或いは、菅義偉氏、二階氏らが、総裁選を見据えて、安倍首相の後継の自民党総裁の有力候補だった岸田氏の大番頭の溝手氏落選を狙ったのかなど、様々な見方がある。

いずれにせよ、1億5000万円の資金提供を決定した人物は、10倍もの資金提供の理由について説明責任を負うことになる。

一方、(2)の点は、資金提供の違法性、不当性に関連する。

結果的に、買収原資に充てられたというだけでも、その政治的・社会的責任は重大だ。もし、資金提供が、「案里氏を当選させる目的で」買収原資に充てられることを認識した上で行われたのであれば、公選法の買収目的交付罪に該当する可能性もある(【検察は“ルビコン川”を渡った~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】)。

この点について最もよく知る克行氏は、自らの公判の被告人質問で、買収の資金について、「私の手持ちの資金で賄った」「衆議院の歳費などを安佐南区の自宅の金庫に入れ保管していた金で賄った。」と供述した。しかし、検察官から、日頃から議員活動のために「借り入れ」をしていることとの関係や、平成31年3月に金庫にあった現金の額について質問され、「覚えていない」としか答えられず、また、検察官から「自宅を検察が捜査した時点では大金はなかった。」と指摘されても「わからない」と述べるだけだった。

一方で、克行氏は、公判供述で、県連が溝手氏だけを支援し、案里氏の支援をすべて拒絶しており、「県連が果たすべき役割を果たしていない」ので、「やむを得ず」「市議、県議に県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げ」たと述べている(【「事実を認めた」河井克行元法相の公判供述は、広島県連・安倍前首相・菅首相にとって「強烈な刃」!】)。

克行氏は、5月18日の公判期日の被告人最終陳述では「1億5000万円の交付金の使途につき、いわゆる買収資金には一銭も使わなかった」と述べたが、弁護人の弁論では買収原資については全く触れておらず、「買収資金はポケットマネー」という克行氏の公判供述は弁護人にも信用されていない。

このように、上記(2)について、買収資金に充てられたことが明白になっており、上記(1)の1億5000万円の資金提供を誰が指示・決定したかが特定されると、責任追及が必至ということで、二階氏・甘利氏ら自民党重鎮が「関与否定発言」を行っていると見るべきであろう。

岸田氏も求めている、上記(2)の点についての自民党としての事実解明について、二階氏などは、これまで「検察から書類が戻れば、報告書を作成し、総務省に届ける」と述べて、「関係書類が検察に押収されていること」を、事実解明ができない「言い訳」にしてきた。しかし、河井夫妻の公判の状況からすれば、現時点では、その「言い訳」は全く通用しない。1億5000万円の使途を明らかにする関連書類の入手はすぐにも可能だ。

証拠物の押収というのは、捜査や公判立証のために行われるものであり、原則として、当該事件の裁判が終わるまでは押収物は返還されないが、刑訴法上、「押収物は、所有者、所持者、保管者又は差出人の請求により、決定で仮にこれを還付することができる。」(222条1項、123条2項)とされ、「仮還付」が認められている(仮還付を受けた者はその物を、証拠価値を変動させないように保管する義務を負う)。

案里氏の公判は終了して判決が確定し、克行氏の公判は、既に、検察官立証も論告弁論も終了し、判決を待つだけの状況になっている。関係書類の押収を継続する必要が全くなくなったとは言えないとしても、仮還付が行えない理由は考えられない。党本部が「任意提出」し「領置」(捜査機関が任意提出で証拠物を取得すること)されている関連書類については、党本部が仮還付を求めれば、すぐに仮還付されるだろう。また、克行氏が捜索の際に押収された資料は、克行氏自身が検察に仮還付を求めなくてはならないが、党本部が、克行氏に、総務省への報告のために必要だとして関係書類の仮還付を検察官に請求するよう要請すれば、克行氏が拒むことはできないはずだ。克行氏がその理由で仮還付を求めれば、検察官も仮還付を拒む理由はない。

つまり、現時点では、党本部にとって、1億5000万円の使途の全容の解明はすぐにも可能であり、上記(2)について岸田氏の要請に応じない理由はないのである。

では、自民党幹部の説明が食い違っている(1)の「誰が資金提供を決めたのか」という点は、どうなのだろうか。

この資金提供は、自民党の公式の政治資金によるものであり(原資の大部分は「政党助成金」と言われている)、自民党本部の会計責任者の事務総長が手続を行ったものと考えられる。その事務総長に対して、資金提供の指示を行ったのは誰なのか。

幹事長が関わるのが通常だろうが、もし、二階氏が言うように、「幹事長が関わっていない」とすると、自民党本部内で事務総長に指示できるのは、幹事長より上位の役職者しか考えられない。

そして、広島の選挙を担当していた選挙対策委員長の甘利氏が「1ミクロンも関わっていない」のであれば、「幹事長より上位の役職者」が、選対委員長を飛び越して、直接、事務総長に指示したことになる。

「首相動静」によれば、この合計1億5000万円の党本部からの資金提供が行われた前後に、克行氏と当時の安倍首相(自民党総裁)とは頻繁に単独面談を行っている。案里氏を公認した3月13日の前後の2月28日と3月20日、党本部から案里氏が代表を務める政党支部に1500万円を振り込んだ2日後の4月17日、3000万円を振り込んだ3日後の5月23日に安倍氏と克行氏とが単独で面会しており、6月10日に案里氏政党支部に3000万円、克行氏政党支部に4500万円が振り込まれた10日後の20日にも安倍氏と克行氏とが単独で面会し、その一週間後の同月27日に克行の政党支部に3000万円が振り込まれている(【“崖っぷち”河井前法相「逆転の一打」と“安倍首相の体調”の微妙な関係】)。

これらの単独面談の中で、克行氏から安倍氏に「広島県連が、案里氏の選挙への協力をすべて拒否し、果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、県連に代行して市議、県議に、党からの交付金を現金で差し上げざるを得ない」という説明が行われなかったとは考え難い。

2019年参院選広島選挙区の買収事件で有罪が確定した河井案里氏陣営に提供された1億5000万円をめぐっては、依然として多くの「闇」が残されている。しかし、案里氏の夫で元法相の克行氏の公判供述によって、「党本部からの交付金」である1億5000万円が買収原資になったことは、もはや否定する余地はなくなっている。押収された関連資料も仮還付可能な状況となり、事実解明を拒否する自民党本部の「検察庁に資料が押収されている」との言い訳も通用しない。

では、資金提供を指示したのは誰なのか。

事ここに至って、にわかに自民党重鎮間で「関与否定発言」の応酬が起きたことで、それが誰であるかが一層明白となった。そして、その資金提供の指示が、地元政治家に、党からの交付金を現金で渡すことになると認識して行われたことも、否定することは困難となっている。

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河井元法相公判、懲役4年”実刑論告“で「最重要論点スルー」の謎

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる公職選挙法違反(買収)事件の河井克行元法務大臣の公判で、4月30日に論告求刑が行われた。

検察は、懲役4年を求刑し、「現職国会議員によるこれほどの大規模買収事件は過去に前例はなく、正に前代未聞の悪質な犯行である」「被告人の刑事責任は極めて重大であって、被告人に対しては厳罰をもって臨むべきであり、被告人には相当期間の矯正施設内処遇が必須である」と述べた。

懲役4年は、総括主宰者に対する法定刑の上限である。また、「相当期間の矯正施設内処遇が必須」という表現は、「絶対に実刑に処すべき」ということであり、通常、「執行猶予付判決であれば控訴」を意味する。

かつて、検察組織を指揮監督する立場にあった元法務大臣に対する論告として、誠に厳しいものだったといえよう。

しかし、論告全文を入手して読んだところ、その内容が、厳しい論告求刑に見合うものと言えるのか、甚だ疑問だ。現金供与が、「党勢拡大、地盤培養活動の一環としての政治資金の寄附」であったのか否か、そうだとした場合に、それが、買収罪の「犯罪の情状」にどう影響するのかが、克行氏が実刑か執行猶予かを分ける最大のポイントになることは必至だが、論告では、その最重要論点をスルーしてしまっているのだ。

河井克行氏は、県議・市議・首長など地方政治家への現金供与について、「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、地元政治家らに対して寄附をしたもの」と主張し、弁護側も、初公判での冒頭陳述で、同主張を前提に、「被告人が現金を供与した趣旨は、それぞれ相手方によって異なるが、いずれにしても、実務上、広く慣習として行われ、法的にも許容されている政治活動に伴う現金の供与であった」と述べて無罪を主張していた。

被告人質問の冒頭で、罪状認否を変更して、殆どの起訴事実について「事実を争わない」としたものの、その後、5日間にわたる弁護人からの被告人質問でも、その「政治資金の寄附であった」との主張を維持し、主張に沿った供述を詳細に行った。

次回期日での弁護側の弁論では、情状面の主張として、克行氏の現金供与が、従来摘発されてきたような、投票や選挙運動を直接依頼する「買収」とは異なることを徹底して主張するはずだ。従来は許容されてきた「政治資金の寄附」という性格の現金供与であり、「違法性の低いもの」と主張してくるのは確実だ。

被告人質問終了の時点で出した記事【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” ~党本部「1億5千万円」も“違法”となる可能性】で述べたように、克行氏が「事実を争わない」としたものの、地方政治家に対する現金供与は「政治資金の寄附」であるとの供述を維持したことで、克行氏への有罪判決において、「政治資金の寄附であっても当選を得させる目的で金銭を供与すれば買収罪が成立する」との判断が示される可能性があり、そうなると、党本部が、国政選挙の際に都道府県連を通して政治家の支部に交付する「選挙資金」も、使途を限定しない「供与」であれば「買収罪」に該当することになりかねない。公職選挙の在り方に重大な影響を与えることになるため、克行氏公判での検察官の論告、弁護人の弁論、それらを受けて言い渡される判決に注目すべきと述べた。

県議・市議らへの現金供与について、克行氏の「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、首長・県議ら地元政治家らに対して、寄附をした」との主張は、初公判から被告人質問まで一貫しており、検察官の質問でも揺らいでいない。

この点の克行氏の主張を否定することができるのか。検察官が、「政治資金の寄附」であることを否定するとすれば、「政治資金収支報告書に記載されていない」「領収書が授受されていない」などの根拠が考えられる。

しかし、河井夫妻の公選法違反事件で同氏らの事務所への捜索が行われたのは2020年1月、2019年分の政治資金収支報告書の提出期限の前で、収支報告書の記載が確定していない時期であり、収支報告書の記載の有無で「政治資金」かどうかを判断することはできない。

また、克行氏の供述によれば、政治資金の財布は4つあり、寄附については、金額などを調整して先方とも協議し、最終的に報告書に記入していたとのことであり、現金の授受の時点で領収書の授受を行わないのは、通常のやり方と変わらないことになる。領収書を受領していないことも、「政治資金」であることを否定する理由にはならない。

現金供与は政治資金の寄附だという克行氏の一貫した供述を否定することは困難なのではないか。(一方で、克行氏の「買収原資がポケットマネーである」とか、「溝手氏を落選させる意図はなかった」などの供述は、検察官の反対質問で崩されており、信用性がないことは明らかになっている。)

それでも、検察の論告では、現金供与が「政治資金の寄附」であることを否定する主張をするのか、それとも、「政治資金の寄附であることは、現金供与が買収であることを否定するものではなく、違法性を低下させるものでもない」と主張するのか、そこが、論告の最大の注目点だった。

ところが、検察は、この最も重要な論点について、ほとんど触れておらず、克行氏の主張の中に再三でてくる「党勢拡大」「地盤培養」という言葉も全く出てこないし、「政治資金の寄附」という言葉も見当たらない。

検察は、5万字を超える論告の大部分を、克行氏が本件選挙における案里氏の当選に向けた活動全般を取り仕切る立場にあった選挙の総括主宰者であったこと、案里氏の現金供与が買収に当たり、それについて克行氏の共謀が認められること、克行氏が、事実を争っている県議会議員4名に対しても現金供与の事実があり買収罪が認められること、などに関する記述に費やし、克行氏が、事実を争わないとしつつも、被告人質問の時間の大半を費やして行った「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動の一環として、地元政治家らに対して寄附をした」との主張については、県議会議員、市議会議員、町議会議員及び首長らへの現金供与の趣旨に関する被告人の弁解についての項目でわずかに述べているだけだ。

その内容も、初公判の弁護人冒頭陳述で「克行氏自身の政治基盤を強固にすること」だけではなく、「自民党の党勢拡大」「案里氏のための地盤培養」のための「政治資金の寄附」だと主張し、被告人質問でも、克行氏は、その主張に沿って詳細に供述したにもかかわらず、検察官は、克行氏が「自分自身の政治基盤を維持し強固なものとする目的」であったとだけ主張しているように引用し、それを否定する理由として、各現金供与当時に目前に迫っていたのは克行氏の選挙ではなく案里氏の選挙であったことや、現金を供与した際に自己の広報誌「月刊河井克行」の配布や自己の活動状況の報告を一切行っていないことなどを取り上げている。

しかし、国会議員の政治基盤強化のための政治活動は、自らの選挙が迫った時期だけではなく、日常的に行われているのが実態であり、広報誌の配布や自己の政治活動の報告もそれがなければ政治活動ではないと言えるようなものではない。検察の主張は、克行氏の主張を正しくとらえていないだけでなく、政治活動の実態に反する全く的はずれの主張だ。

克行氏は、被告人質問で、「一般的に、県連が、交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議・市議に振り込むが、県連からの交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われ、県連が果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、その役割を第3支部(克行支部長)、第7支部(案里支部長)で果たさないといけないと思い、県議・市議に、県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた」と供述し、県議・市議などへの現金の供与は、自民党広島県連が行っている「党勢拡大のための資金の振込み」と同じ性格のものだと主張して、自らの現金供与を正当化しているが、検察は、これに対しても、何ら反論できていない。

検察は、一方で、法定刑の上限の懲役4年を求刑し、「実刑必須」と述べたのである。

検察官の論告と、弁護人の弁論を受けて判決が出されることになるが、裁判所としては、「懲役4年求刑」「実刑必須」という検察の厳しい論告なので、執行猶予判決は容易には選択できない。一方で、実刑を言い渡すとすれば、弁護人の主張に正面から判断せざるを得ないことになる。

弁護人が、「自民党の党勢拡大、案里及び被告人の地盤培養活動のための政治資金の寄附」であることを情状に関する主張として強調することは確実であり、裁判所としても、克行氏の現金供与が「政治資金の寄附」であるのか、そうだとして、それが情状面でどう評価されるのかについて判断を示さなければ、克行氏に実刑判決を下すことはできないだろう。

しかし、「政治資金の寄附ではない」という事実認定を行うとしても、検察は、否定する根拠を何一つ示せていない。また、上記のとおり、克行氏の被告人質問での供述からも、現金供与が、「当選を得させる目的」であると同時に、「政治資金の寄附」でもあることを否定することはできないので、「党勢拡大、地盤培養活動の一環としての政治資金の寄附」であることを認定した上で、「当選を得させる目的で供与した以上、公選法違反の買収罪が成立する」との前提で、それを情状面でどう評価するかの判断を示すことになるだろう。

河井夫妻を買収で起訴する一方で被買収者の処分を全く行っていない検察は、今後、被買収者の刑事処分という、誠に厄介な問題に直面することになるが、克行氏の判決で、地方政治家への現金供与が「政治資金の寄附」であったのか否か、それが、買収罪の「犯罪の情状」にどう影響するのかについて示される判断は、被買収者の刑事処分にも大きな影響を与えることになる。これまでは、検察の「自己抑制」によって、「政治資金の寄附」の弁解が予想される、選挙に関連する政治家間の資金のやり取りの事案が刑事事件として立件されることはほとんどなかったが、河井夫妻の事件で、検察は、敢えてそこに踏み込み、元法務大臣の現職国会議員を逮捕した。ところが、検察は、論告で「政治資金の寄附」と買収の関係の問題をスルーする一方で、克行氏を「実刑必須」と主張する、誠に不可解な論告を行った。

「政治資金の寄附」を情状面で強調する弁論を受けての判決では、「政治資金の寄附と買収罪の関係」が裁判所の判断の対象となることは避けられない。それによって、元法務大臣の多額現金買収事件による日本の公職選挙の「激変」が、現実のものとなるのである。

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「参院広島再選挙」後、被買収議員の起訴は確実!「政治×司法」の権力対立が発端の「激震」が続く

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる河井克行元法務大臣の公職選挙法(公選法)違反事件の被告人質問が、3月23日から4月8日まで7期日にわたって行われ、そこで克行氏が供述した内容と、今年6月頃にも言い渡される判決が、日本の公職選挙に「激変」をもたらす可能性があることを、前回の記事【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” ~党本部「1億5千万円」も“違法”となる可能性】で述べた。

一方、案里氏から現金を受領した4人の広島県内の政治家については、案里氏の公選法違反の事実について有罪が確定し、克行氏から現金を受領した首長・議員らの大半も、現金を受領したこと、それが選挙買収の金であったことを認める証言をしている。本来、これらの被買収者についても公選法違反で起訴され、公民権停止となり、一定期間、選挙権もなく、選挙運動も禁じられるはずであるのに、被買収者らについては、いまだに公選法違反の刑事処分が行われていない。

そのような状況で、案里氏の当選無効に伴う、上記参議院広島選挙区の「やり直し」の再選挙が告示されるといという「異常な事態」が生じているが(【河井夫妻買収事件「被買収者」告発受理!処分未了では「公正な再選挙」は実施できない】)、自民党は、元経産官僚の西田英範氏を擁立し、野党統一候補の宮口治子氏との「事実上の一騎打ち」となって、激しい選挙戦が繰り広げられている。

この再選挙に関して、克行氏の公判供述と有罪判決の見通しを踏まえ、広島県の有権者が認識しておくべき重要事項がある。それは、再選挙後、遅くとも、今年6月頃の克行氏有罪判決の頃までには、検察が被買収者の県議・市議らを起訴することは確実ということだ。

河井夫妻起訴時、被買収者の刑事処分はなぜ見送られたのか

これまで、検察が、克行氏・案里氏を公選法違反で起訴する一方で、本来であれば、当然、同時に起訴すべき被買収者らの刑事処分を行わず、処分未了のまま河井夫妻の買収事件の公判に至ったというのは、検察の常識からは本来あり得ない。そのような異常な対応が行われたのは、河井夫妻の公選法違反事件のうち、首長・県議・市議らの地元政治家に対する買収事件というのが、選挙の告示から離れた時期に現金が授受されたものであり、「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」の主張が予想されるという点で、過去にはほとんど例のない異例なものだっただからだ。

検察は、今回、敢えて、その異例の公選法違反事件の摘発に踏み切ったが、河井夫妻を起訴する一方で、被買収者の刑事処分を行わなかった。その理由として考えられるのは、

(1)河井夫妻と同時に被買収者を起訴した場合、河井夫妻の公判での証人尋問で被買収者らが、克行氏らと同様に「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」だとして案里氏の「参院選挙のための買収」との認識を否定することで、河井夫妻の無罪主張が裏付けられ、公判が混乱するおそれがあったこと

(2)判決で「党勢拡大,地盤培養活動のための政治資金の寄附」を理由とする無罪主張が認められて起訴事実の多くが無罪となる可能性があったこと

である。

異例の河井夫妻「買収事件」摘発の背景

従来は、上記(1)(2)のような懸念があるのであれば、強制捜査に着手する段階で、検察組織内で消極意見が出され、着手を断念するのが通常であった。しかし、元法相の克行氏と現職参議院議員の案里氏の公選法違反事件に対する捜査が進められていた昨年の今頃の検察は、当時の安倍政権との関係で、「異常な状況」に置かれていた。安倍政権、その中でも特に中央省庁の官僚の世界に強大な支配力をもっていた菅義偉官房長官らが、当時東京高検検事長であった黒川弘務氏を検事総長に就任させる人事を強行しようとし、検察庁法に露骨に違反する東京高検検事長の定年延長を閣議決定し、それが、過去の法解釈を恣意的に変更する「禁じ手」まで使ったものであったことから、国会で厳しい追及を受けた。さらに、黒川氏定年延長の閣議決定を事後的に正当するための「検察庁法改正案」が国会に提出されたことで、国民的な批判が沸き起こり、元検事総長を含む多くの検察OBが、反対の声を上げるという事態にまで至り、結局、安倍政権は検察庁法改正案の撤回に追い込まれた。

元法務大臣の河井克行氏夫妻に対する、異例の公選法違反の強制捜査は、そういう政権と検察をめぐる「異常な状況」の下で、従来であれば刑事立件しなかった「国政選挙をめぐる政治家間の現金授受」を、敢えて立件されたものだった。

被買収者の首長・議員らの刑事処分の見通しを十分に考える余裕がないまま、河井夫妻を逮捕・起訴することを最優先して捜査を進めた結果、河井夫妻の起訴の時点で、上記の(1)(2)の理由から、被買収者の刑事処分を行わないという「異常なやり方」をとらざるを得なくなったというのが実情だったものと思われる。

本来、公選法違反事件の刑事処罰は、「選挙の公正」を確保するために行われるべきものであり、検察が、買収者を起訴する一方、被買収者の刑事処分を行なわない、などというやり方は、常識では考えられない、法目的を逸脱したやり方である。しかし、当時の安倍政権側の検察への介入も、検察制度を根本的に揺るがしかねない不当きわまりないものであり、当時の稲田伸夫検事総長以下の検察幹部が、まさに「手段を選ばず」、河井夫妻の逮捕・起訴に突き進んだのも、理解できないわけではない。

河井夫妻公判の進展と被買収者「刑事処分見送り」事由の解消

そのような公選法の趣旨・目的に反する異例の河井夫妻の起訴の結末が、河井夫妻の公判で被買収者の証人尋問がすべて終わった後に、さらなる異常事態を引き起こした。

案里氏に対しては有罪判決が確定し、案里氏の当選無効に伴う、やり直しの「参院広島再選挙」が行われることになったが、河井夫妻の買収の事実が認められれば、当然に被買収の公選法違反で公民権停止になるはずの広島県内の首長・議員らの刑事処分が未了であるため、被買収者にも「やり直しの再選挙」の選挙権が与えられ、選挙運動にも法的制限がない。まさに、「公正な選挙」が著しく阻害された状況で、与野党の激しい選挙戦が行われている。

しかし、一方で、このような事態を招いた「被買収者の刑事処分見送り」の結果、河井夫妻の公判の証人尋問では、被買収者側のほとんどが、「現金受領時に買収の目的を認識していた」と認めたために、上記(1)の理由は解消された。そして、案里氏は有罪判決が確定して当選無効となり、克行氏も、被告人質問の冒頭で、罪状認否を変更して、首長・県議・市議らに対する買収を含め、ほとんどの事実について「事実は争わない」と述べ、有罪判決が確実となった。それにより、上記(2)の理由も解消された。現時点では、検察が被買収者の刑事処分を見送っていた上記(1)(2)の理由はなくなったのである。

それどころか、既に、案里氏について有罪が確定し、克行氏についても近く有罪判決が出るのであるから、市民団体の告発が受理され、刑事立件されている被買収者の公選法違反事件について、処分を遅らせる理由は全くないのである。

しかし、現時点においては、被買収者の刑事処分が行えない「重大な事由」がある。

案里氏の当選無効を受けての参議院広島選挙区の再選挙が告示され、選挙期間の最中であり、そのような「選挙期間中における選挙に重大な影響を与える公選法違反の捜査や処分は差し控え、選挙の終了を待つ」というのも「捜査機関・検察にとっての不文律」であり、再選挙の投票日までは、被買収者の刑事処分は差し控えざるを得ないのである。

再選挙投票日後に行われる被買収者刑事処分

それは、投票日以降は、可及的速やかに刑事処分が行われることを意味する。遅くとも、克行氏の一審有罪判決が出ると予想される6月初旬頃までには、刑事処分が行われることは確実であろう。

その刑事処分は、一方の買収者側の河井夫妻が有罪である以上、犯罪事実が認められる前提で行われるのは当然だ。「犯罪を認める証拠が不十分」という「嫌疑不十分」による不起訴はあり得ない。不起訴にするとすれば、「犯罪が認められるが敢えて起訴しない」という「起訴猶予処分」しかあり得ない。しかし、公選法違反のうち買収事件については、求刑処理基準があり、「起訴猶予」は「1万円未満」、「1万円~20万円」は「略式請求」(罰金刑)で、「20万円を超える場合」は「公判請求」(懲役刑)というのが一般的な基準だ(私が現職検察官だった当時の基準だが、今でも大きな変更はないはずだ)。

今回、県議・市議らが河井夫妻から現金を受領した金額は、10万円から50万円、最も多額の者は150万円であり、検察の求刑処理基準に照らして「起訴猶予」はあり得ない。

仮に、何らかの口実をつけて、無理やり「起訴猶予」にしたとしても、告発者の市民団体が検察審査会に審査を申立て、市民の常識で判断されれば、間違いなく「起訴相当」議決が出されるだろう。

検察には起訴猶予の選択肢はない

検察の「起訴猶予処分」は、このところ、相次いで検察審査会の議決によって覆されている。

黒川氏の「賭け麻雀」の賭博事件について、検察は「起訴猶予」処分としたが、検察審査会の「起訴相当議決」を受け、一転して、「略式請求書面審理で罰金刑)」に至った。また、菅原一秀氏の公選法違反事件でも、検察は「起訴猶予」処分としたが、その後の露骨な「検察審査会の審査妨害」にもかかわらず、検察審査会の職権による「起訴相当議決」が出されている(【菅原一秀議員「起訴相当」議決、「検察の正義」は崩壊、しかし、「検察審査会の正義」は、見事に示された!】)。

このような現状からは、この上、河井夫妻事件の被買収者の大量の「起訴猶予」処分が検察審査会で「起訴相当」議決を受けることになれば、検察の訴追裁量権(起訴猶予処分を行う権限)に対する信頼は地に堕ちることになりかねない。

現職の県議・市議を含め、被買収者のほとんどが、遅くとも6月頃までには起訴されることになることは避けられないのである。

県議・市議の大量失職という「異常事態」

このようにして、被買収者が公選法違反で起訴された場合、その殆どは、証人尋問で、現金の授受と案里氏の選挙に関連する金であることの認識を認めており、河井夫妻の有罪判決が出た後に、起訴された場合、その証言を覆すことはできない。略式命令で早期に確定するか、公判になっても短期間で決着するだろう。

その対象となる被買収者の中には、現職の広島県議会議員・広島市議会議員、それぞれ13名が含まれており、その殆どは自民党所属の議員だ。罰金であれ、懲役刑であれ、公選法違反で有罪判決を受ければ公民権停止となって議員を失職するだけでなく、一定の期間内、選挙権・被選挙権がなくなるので、公職選挙に立候補することはできず、当然のことながら再選挙にも立候補できない。

県議・市議の起訴・大量失職によって、今回の事件が、「河井夫妻の個人的犯罪」ではなく、従来からの自民党の選挙をめぐる資金の供与の慣行に根差す問題であること(【河井元法相公判供述・有罪判決で、公職選挙に”激変” 】)が一層明白になるだけでなく、多数の議員失職によって大混乱に陥ることとなる広島自民党は、「解体的出直し」を迫られることになる。新聞紙上に「自民党広島県連 再起動」などと題する全面広告を出している県連会長の岸田文雄氏には、選挙後に予想される「恐ろしい事態」に対する認識が完全に欠落していると言わざるを得ない。

そして、公明党にとっても、再選挙後の県議・市議の起訴・失職の見通しは「他人事」ではない。

今回の再選挙は、自民党としては、過去の参院広島選挙区での与野党の得票差から、再選挙になっても自民党候補が圧勝できると見込んで再選挙に臨んだものの、「政治とカネ」問題への予想外の逆風により、情勢調査では自民党候補の西田氏と野党候補の宮口氏とはほぼ互角の情勢となっている(広島県民を舐め切った自民党執行部の「見通しの甘さ」には、ただただ呆れるしかない)。

そこで、自民党が「頼みの綱」としているのが公明党である。次期衆院選で、克行氏の小選挙区だった広島3区に斎藤鉄夫政調会長を擁立し、自民党の全面支援を受けようとしている公明党は、今回の参議院広島再選挙でも、自民党西田候補支援に全力を挙げているとされる。

しかし、公明党は、参院再選挙後に自民党を直撃する「恐ろしい事態」を認識しているのだろうか。いくら、今回の再選挙で自民党候補を支援して自民党に恩を売っても、再選挙後、県議・市議の起訴・大量失職で混乱に陥る自民党には、公明党に「見返りの支援」をする余裕などなくなるのではないだろうか。

「政治権力」対「司法権力」の激突によって生じた巨大な地殻変動

前法務大臣の衆議院議員とその妻の現職参議院議員の公選法違反による同時逮捕という「憲政史上前代未聞の大事件」は、克行氏の有罪判決で、戦後続いてきた「政治資金を隠れ蓑とする選挙資金の供与」が買収罪に問われることで、日本の公職選挙に「激変」をもたらすだけでなく、そのような旧来のやり方で選挙資金の供与を受けた広島県の地方政治家が大量に被買収の罪に問われて失職するという、さらなる「大激震」につながることは必至だ。

その発端は、戦後最長の政権となった安倍政権とその中枢の菅官房長官という「政治権力」と、大阪地検不祥事等で信頼が損なわれたとは言え、多くの日本人にとって「正義」と期待される検察という「司法権力」とが、検事総長人事をめぐって激しく対立するという、前代未聞の「権力VS権力の激突」によって憲政史上初の大きな地殻変動が生じたことにあった。

案里氏有罪確定に伴う参院広島再選挙をめぐって今起きていることは、日本の政治を襲う巨大な地震・津波の衝撃のほんの「序の口」でしかない。

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実態とかけ離れ形骸化した法令で処罰されることの“理不尽”~「条約違反の豚肉差額関税」との戦い

有罪率99%超、無罪を主張する者は、「人質司法」での長期身柄拘束で塗炭の苦しみに晒される、という恐ろしい日本の刑事司法の現実の中、謂れのない容疑で「犯罪者」とされる人は後を絶たない。検察官や弁護人の言葉で「絶望的な現実」を知らされ、裁判では起訴事実を認め、犯罪者の汚名と屈辱に甘んじるという選択をする人が大部分だ。

しかし、その中でも、無実・潔白を訴えて、権力機関と戦い続ける人もいる。

私自身が、弁護を担当した事件で、「権力機関と戦い」を続けてきたのが、美濃加茂市長事件での藤井浩人氏、そして、青梅談合事件の酒井政修氏。いずれも、一審で無罪判決を受けながら、驚愕の控訴審逆転有罪判決を受け、有罪が確定した事例だ。

最近、納税者人権救済センター主催で開催されたオンライン・シンポジウムに参加し、現在も刑事裁判が続いている「関税法違反事件」での不当な人権侵害のことが取り上げられた。

東京税関と東京地検特捜部という権力機関による強制捜査を受け、逮捕・起訴され、一貫して無罪主張を続けているのが、田邉正明氏だ。

不合理極まりない、前時代の遺物のような「差額関税制度」の下での関税法の罰則を適用され、手続的にも、実態的にも不当極まりない東京地裁の一審判決で実刑を言い渡され、現在、東京高裁に控訴審が係属中だ。

日本の刑事司法の絶望的な現実の下で、「権力機関との戦い」を続けている田邉氏の関税法違反事件、なぜ、日本の刑事司法においては、このような理不尽で非道なことが起きるのか、その背景からみてみよう。

刑事事件の「2つの類型」

日本の刑事司法について考える上で重要なことは、刑事事件には、被害・被害者が存在する事件と、それがない事件という「2つの類型」があるということだ。

刑事事件で、まず思い浮かべるのは、殺人、強盗、住居侵入窃盗、振り込め詐欺などのように、被害者・遺族に具体的な被害が発生する「犯罪」だ。現に被害が発生している以上、犯人を特定し、処罰するのは、当然だ。警察捜査・検察官の起訴・刑事裁判によって、犯罪者の処罰が行われることは、被害者・遺族の要請に基づくものでもある。

そのような事件で犯人とされ、逮捕・起訴された場合でも、無実を訴え、無罪を主張する者もいる。刑事裁判の結果、容疑者の「犯人性」が否定されて「冤罪」が明らかになることもある。一旦は有罪判決が確定しても、長い年月を経て再審が開始され、ようやく冤罪が明らかになった事例もある。しかし、その場合も、現に犯罪は発生し、被害者・遺族が犯人の検挙・処罰を求めているのだから、犯人を検挙するための犯罪捜査が行われたこと自体が否定されるものではない。

この場合の「冤罪」というのは、「真犯人は別にいるのに、犯人ではない人間が犯人扱いされた」ということだ。この場合は、真犯人ではないのに犯人とされて重大な人権侵害が発生したことについて、捜査機関や検察官の判断の誤りが問題となる。

人間の営みがある以上、犯罪が行われ被害が発生するという「社会的事象」を完全になくすことは不可能であり、冤罪を100%防ぐことも困難だ。犯罪被害も、冤罪も、国家がその防止と救済のための努力を最大限に行うしかない。

しかし、容疑者が逮捕・起訴され、裁判が行われる「刑事事件」の中には、具体的な被害も被害者もないのに、権力機関が犯罪を認定して、捜査に着手し、処罰が行われることがある。

それは、「法令違反行為」によって、国家的法益あるいは社会的な法益(利益)が侵害されたとして、検察(主として「特捜部」)・警察捜査二課・国税庁・税関・証券取引等監視委員会等の犯罪の検挙を任務とする権力機関が、独自に「犯罪」を認定して逮捕・起訴に至るパターンだ。

ここで犯罪の疑いをかけられるのは、多くの場合、定まった仕事を持ち、社会に貢献している人達だ。そういう人が、ある日、突然、家宅捜索・身柄拘束等の刑事手続の対象とされる。その日から、その人生は激変する。

そこには、処罰を求める被害者・遺族はいない。権力機関が権限を行使する理由は、建前上は「使命感」「正義感」「規範意識」だが、実際に、その原動力となっているのは、「組織としての実績作り」「個人の組織内での評価」「出世願望」ではないかと考えざるを得ないような事件が見られる。

「被害のない刑事事件」はなぜ摘発されるのか

このパターンの「刑事事件」で逮捕・起訴された者は、「真犯人が別にいる」ということによって「冤罪」を明らかにすることはできない。この場合、逮捕・起訴された者にとっては、権力機関側の判断の前提となる事実認定と法律適用を争い、「犯罪自体が存在しない」と主張する以外に術がないのである。

しかし、その前提事実と法律適用は、権力機関側が権限に基づいて認定・判断したものであり、それを否定する主張をすると、組織の面子・責任回避・保身のため権力機関側からの容赦ない熾烈な反撃に遭う。

その典型的な手段とされるのが「人質司法」だ。犯罪事実を否認し、無罪を主張する被告人の保釈に対して、検察官は、関係者との口裏合わせなどの「罪証隠滅のおそれ」があることについて詳細な意見書を提出して、強く反対する。保釈許可決定が出ると、準抗告を申立てて抵抗する。その結果、無罪主張する被告人は、気が遠くなる程の長期間にわたる身柄拘束を受けることになる。

後に一審無罪判決が確定し冤罪であったことが明らかになった村木厚子氏は165日間身柄を拘束された。最近では、オリンパス事件の共犯等に問われ、無罪を訴えた横尾宣政氏は965日にわたって勾留された。

法令・制度の実態との乖離の典型例としての「豚肉差額関税制度」

「法令違反」を犯したのであれば、処罰されるのは当然と思われるかもしれない。しかし、法令や制度が実態と乖離し、形骸化しているのに、そのまま存続しているために違法行為が恒常化する、ということは、日本では、しばしば起きる事象だ(拙著【法令遵守が日本を滅ぼす】新潮新書:2007年)。

そういう法令に関して、権力機関が、独自に「犯罪」を認定し、恣意的に、狙い撃ち的に不当な摘発が行われることがある。

田邉氏が逮捕・起訴された豚肉差額関税をめぐる関税逋脱事件は、その典型と言える。

差額関税制度は、1971年に貿易自由化が実施された際に導入された制度だ。外国から国内価格より安い物が輸入されて供給過剰になったり、逆に供給不足によって価格が高騰したりするのを防止するための制度と説明されているが、実際には、豚肉の輸入・流通の実態と乖離しており、制度の必要性は全くなくなっている。

2000年以降の差額関税制度は、

基準輸入価格を546.53円/kg、分岐点価格を524円/kgとし、輸入価格が64.53円以下の場合は1kg当たり482円の従量税を課し、輸入価格が64.53円を超えて524円(分岐点価格)までの場合は基準輸入価格(546.53円)と輸入価格との差額を関税として課し、輸入価格が524円(分岐点価格)以上の場合は4.3%の従価税を課す

とされている。従量税が適用される1kg64.53円以下の豚肉など存在しないに等しいので、実際には、基準輸入価格と輸入価格の差額と同額の関税、つまり「差額関税」が課されることになる。基準輸入価格を下回る価格で輸入すると、下回った分をすべて関税として徴収されることになるのであり、関税法を遵守する限り、基準輸入価格546.53円以下の価格で輸入することは、経済的に見合わないものとなる。

冷凍加工用豚肉の輸入と流通の実態

日本では庶民の食卓に欠かせない生活必需品といえるハム・ソーセージ等の加工品は、主として、ウデ・カタ等の低価格部位の輸入冷凍加工用豚肉を原料として製造されている。それは、ハム・ソーセージ等を製造するメーカー(以下、「ハム・ソーメーカー」)が、加工用豚肉を、安価な価格で仕入れることができることが前提となっており、加工用豚肉の国内相場は、実際に、概ね1kg当たり300円前後で推移している。

原産国からの低価格部位の輸出価格の相場は、概ね1kg当たり200円から300円程度なのであるが、差額関税制度の下では、そのような低価格で冷凍加工用豚肉を輸入しても、高額の関税がかかり、国内価格はそれの差額関税を上乗せした水準になるはずだ。ところが、実際には、輸入価格は基準輸入価格の546円に張り付いている一方、国内での実勢価格はそれを大きく下回り、ハム・ソーセージメーカーは安価な加工用豚肉を仕入れている。

関税法違反の「違法行為」の恒常化の実態

差額関税制度があるのに、なぜ、そのような安価な冷凍加工用豚肉の輸入が可能なのか。

所管官庁の農水省は、差額関税制度の下では、低価格部位と高価格部位を組み合わせるいわゆる「コンビネーション」による輸入が運用上認められていて、組み合わせによって関税が一番安くなる部分に価格を合わせるような形で輸入し、その後、高価格部位は高く、低価格部位は安く売ることが可能だからだと説明してきた。

しかし、コンビネーションを組むことで低価格部位の加工用冷凍豚肉を大量に安価で輸入するためには、ヒレ、ロースなどの高価格部位の冷凍豚肉を同時に大量に組み合わせる必要があるが、高価格部位は僅かな量しか取れないので、大量の高価格部位を確保することは困難だ。しかも、高価格部位の国内需要は、外食・中食用の冷蔵物のテーブルミートの需要が大部分であり、冷凍物の需要は少ない。冷凍の貨物によって、高価格部位と低価格部位とを組み合わせて分岐点価格に近い価格となるようにして大量に輸入するなどということは、理論上は可能だが、実際の需要から考えると極めて困難だ。

結局、コンビネーションの方法は、合法的に差額関税を免れる方法としては使えないのであり、実際には、「豚肉の輸入業者が、基準輸入価格546円近辺の価格で輸入したように申告して差額関税を免れる」という行為が横行し、当局にも、事実上「黙認」されることによって、冷凍加工用豚肉の国内相場が安価に維持されてきたのが実態なのである。

加工用豚肉の輸入価格は、エンドユーザーである大手ハム・ソーメーカーが仕入れ価格を「指値」をし、そこから仲卸業者のコミッションと輸入業者の費用と口銭を差し引いた金額になる。そもそも大手ハム・ソーメーカーの指値が300円程度と、基準輸入価格を大幅に下回っているのであるから、輸入業者が差額関税を支払って豚肉の輸入を行うことは不可能なのである。

一方のハム・ソーメーカーの側としても、もし、低価格部位の輸入冷凍豚肉を、基準輸入価格を前提として国内で取引するということになれば、600円を超える原料を使用して加工品を作ることとなり、それを加工品の価格に転嫁すると、庶民的な食品であるハム、ソーセージ等の豚肉加工品の価格が暴騰し、庶民の家計を圧迫し、食生活を脅かす結果となる。しかし、メーカーがそのことを慮って仕入れの高騰分を加工品の価格に転嫁しなければ、仕入れ価格が販売価格を上回り、大きな赤字を抱えることになる。

いずれにしても、ハム・ソーメーカーは、国内では生き残れず、事業を存続しようと思えば、安い原料豚肉を求めて海外に工場を移転することにならざるを得ない。そうなれば、国内産業の空洞化を招くばかりか、豚肉加工品を輸入に頼ることとなって、海外で加工された食品に対する食の安全の問題も生じる。

豚肉差額関税制度を維持する合理的理由は失われた

このような豚肉の「差額関税制度」が維持されてきたのは、もっぱら国内の豚肉生産者を、安価な輸入豚肉との競争から保護するためとされてきた。しかし、近年、国内豚肉生産者の事業構造や豚肉の流通の状況も大きく変化し、差額関税制度を維持する合理的な理由も失われている。

国産の豚肉は、通常は生で流通し、多くはそのままテーブルミートとして供給されるため、冷凍された状態で輸入される加工用の豚肉とは市場が全く異なる。また、仮に国産豚肉の低価格部位が加工用に回されているとしても、それは、小間切れやスライスでテーブルミートとして売られた残りであり、国産豚肉のごく一部に過ぎない。したがって、主として加工用である輸入冷凍豚肉が分岐点価格を下回る価格で輸入されたとしても、主としてテーブルミート用の国産豚肉の相場にはほとんど影響せず、国産豚肉と輸入豚肉は棲み分けができている。

また、豚肉においてもブランド化が相当進んでいる。牛肉では松阪牛などのブランドが有名だが、日本の消費者にとっては、豚肉においても牛肉と同様、沖縄のあぐー豚、鹿児島の黒豚、関東のTOKYO X、神奈川の大和豚などがブランド化している。国内消費量が増え、豚肉の飼育頭数も増えていることから、国内養豚は、廃れるどころか、極めて順調に成長している。ブランド化した豚肉は、輸入豚肉に比べて相当高価であるが、それでも日本の消費者は、テーブルミートとして、輸入豚肉でなく国産豚肉の方を好んで購入する。

国内養豚も、近年益々企業養豚化され、経営の著しい合理化によって、これまでの零細ないわゆる「庭先養豚」から、大規模養豚に集約されつつある。このような企業化・大規模化した国内養豚に対し、差額関税制度という消費者の利益にならない不合理な制度によって、牛肉に対して国が与える保護以上の保護を与える必要性はなくなっているのである。

条約違反・不合理性の指摘、制度撤廃の方針

豚肉差額関税制度に関しては、1971年の制度創設当初から、同制度の不合理性、違法状態の常態化等の問題点がたびたび国会で指摘されてきた。そして、1994年のウルグアイラウンド合意以降は、WTO(世界貿易機関)条約(農業協定)で禁止された非関税障壁の一つである「最低輸入価格制度」に該当する違法な制度だと批判されてきた。2005年頃からは、国内でも同制度の不合理性を指摘する世論も高まり、大手新聞各紙の社説等において同制度の問題点が指摘され、見直し、廃止等が強く叫ばれてきた。当時の所管大臣も、閣議後の記者会見で、この世論に応ずるように、同制度の見直しの検討を行う旨明言したことがあった。また、2007年の経済財政諮問会議においては同制度の廃止が提言され、経済財政改革の基本方針にもその趣旨が盛り込まれた。

このように、差額関税制度については、廃止等が議論されてきたにもかかわらず、実際には、同制度が抜本的に見直されることは一度もなく、現在に至るまで、40年以上も制度が維持されてきた。

加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、消費者の利益を害する著しく不合理な制度である差額関税制度が実質的に形骸化する中、差額関税を免脱して輸入された冷凍豚肉が、基準輸入価格をはるかに下回る価格で国内に流通し、大手ハム・ソーメーカーに原料として使用されているのが現実なのである。

差額関税の逋脱事犯摘発の正当性の根拠は失われた

2013年3月15日、安倍晋三首相は、「聖域なき関税撤廃」を標榜するTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に向けた交渉に参加する決断をしたこと、その旨、交渉参加国に通知をすることを公表した。その議論の中で豚肉は関税撤廃の例外品目として明示されなかった。つまり、この時点で、国の政策として、豚肉の差額関税制度が見直しの対象となることは必至の状況となった。

そして、2016年に締結されたTPP、2018年に締結された日本・EU経済連携協定(日欧EPA)においては、発効から10年後において、分岐点価格は現行の524円(部分肉kg当たり)のまま存在し続けるが、その価格を境として、高い豚肉は無税(現在は従価税4.3%)とされて関税が撤廃され、安い肉にはkg当たり50円の従量税が課せられることとなった。

これにより、安い豚肉について従量税が極めて安くなり、コンビネーションを組むためにかかるコストなどを考慮すれば、わざわざコンビネーションを組む必要がなくなるため、最低輸入価格維持のための差額関税制度は、実質的に廃止されたことになる。

制度創設当初から、加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、消費者の利益を害する著しく不合理な制度とされ、WTO条約で禁止された非関税障壁の一つである「最低輸入価格制度」に該当する違法な制度だとの批判もあった差額関税制度は、関税法違反の輸入行為が恒常化し、実質的に形骸化していたが、それに加えて、日本政府がTPP加入に伴って、実質的に「最低輸入価格制度」を廃止したことで、法律の実効性を確保する実質的理由もなくなったのである。

恣意的かつ狙い撃ち的な税関当局による摘発

このように豚肉差額関税制度は形骸化し、ほとんど全ての豚肉は基準輸入価格で輸入したように申告されて、差額関税は支払われないというのが実態で、最近の制度改正により、差額関税制度そのものがその存立の基盤を失った。

ところが、従来、税関当局は、このような関税法違反の豚肉輸入の大部分を黙認する一方で、昔から、特定の業者を狙い撃つかのように、基準輸入価格による輸入申告によって関税を免れたとして、恣意的に関税法違反事犯の摘発を行ってきた。

前記のとおり、エンドユーザーである大手ハム・ソーメーカーが仕入れ価格を「指値」をし、そこから仲卸業者のコミッションと輸入業者の費用と口銭を差し引いた金額が輸入価格となるので、輸入業者が得る利益は、実際には、1kg当たり数円の口銭に過ぎない。

ところが、一度、その豚肉輸入が、税関当局に差額関税の逋脱事犯として摘発されると、実際の輸入価格を前提として、本来、申告納付すべきだったとされる差額関税の額すべてが脱税額となる。例えば、300円が輸入価格だとすると、基準輸入価格と輸入価格の差額の246円となり、「脱税額」は膨大なものとなる。それは、実際に輸入業者が得ている利益とは著しくかけ離れたものである。所得税の逋脱事案では、事後的に納税が行われることも多いが、差額関税の場合は、免れたとされる関税の金額は到底支払困難な金額となり、有罪とされた場合の量刑も厳しいものとなる。

このような、実態に反した理不尽極まりない税関当局による差額関税の逋脱の摘発によって不当な逮捕・起訴を受け、差額関税制度の内容が大幅に改正され、実質的に廃止されたに等しい現在に至っても、その刑事裁判が続けられているのである。

田邉氏は、千葉県柏市の食肉卸会社「ナリタフーズ」の社長として、2007年に関税約59億6千万円を脱税したとして千葉地検に逮捕・起訴され、12年9月に懲役2年4カ月、罰金1500万円の判決が確定した後、2016年5月に、同市の畜産物輸入販売会社「ナンソー」と「OAK」などの実質経営者として、約61億5千万円の関税を免れたとして、東京地検特捜部に逮捕・起訴されて、2020年3月に、東京地裁で合計懲役3年6カ月の実刑判決を受け、現在控訴中だ。

2007年に千葉地検に逮捕・起訴された時点でも、差額関税制度が、加工用豚肉の輸入・流通の実態に反し、WTO条約で禁止された「最低輸入価格制度」に該当する条約違反の制度であることなどが厳しく批判されており、2007年の経済財政諮問会議においては同制度の廃止が提言され、経済財政改革の基本方針にもその趣旨が盛り込まれるなど、制度の正当性の根拠は失われていた。刑事裁判の中で、田邉氏は、差額関税は条約違反の違法な制度であり、それに基づいて定められた罰則も違法であることなどを強く訴え、上告審まで争ったが、裁判所が、そのような主張に耳を傾けることはなかった。

2016年の東京地検特捜部による田邉氏の逮捕は、日本政府が、TPP協定に調印し、それによって10年後に、高額の関税を課す差額関税制度は実質的に廃止されることが決まった後のことだ。制度としての正当性の根拠が失われ、実効性を確保する必要性も低下している中で、敢えて、罰則適用しなければならない理由があるのか。しかも、田邉氏の起訴事実の一部は、前刑で服役中に会社が行った豚肉輸入が対象とされている。刑務所の中から関税逋脱を共謀したとされているのである。

なりふり構わず「有罪」に固執する権力機関、むやみに従う裁判所

税関や検察等の権力機関は、このように実態と乖離し、制度としての正当性が失われ、国が批准した条約にも反しているにもかかわらず、関税法の罰則を適用して田邉氏を処罰することに異常なまでにこだわり続ける。そこには、いったいどのような動機があるのであろうか。

そして、そのような権力機関を丸ごと容認し、「有罪ありき」で刑事裁判を行ってきたのが、一審裁判所であった。

実態として「悪法」に反する違法行為が恒常化している中で、その違法行為の一つに「悪法」が適用されて逮捕・起訴された以上、適用の是非はともかく、「悪法」そのものが否定されない限り、有罪は免れないだろうと思われるかもしれない。しかし、話は、そのように単純ではない。

「悪法」である豚肉差額関税を含む関税法は、実質的に形骸化し、実勢価格が200~300円程度であるのに、基準輸入価格の546円での輸入申告が常態化し、豚肉の差額関税は、実際にはほとんど納税されていなかった。それは、実質的にみると「違法状態」で、「差額関税の免脱」が恒常化していたということである。しかし、それに対して関税法違反の罰則を適用して、処罰を行うというのであれば、そうした「違法状態」の中で、関税法に違反する犯罪行為が具体的に特定されなければならない。

まず、関税を逋脱した犯罪が成立するのは、「関税納付義務」を負う者であり、それは「貨物を輸入する者」である。通常、貨物の輸入申告の名義人となるが、裁判例等では「実質的にみて本邦に貨物を引き取って処分する権限を有している者、すなわち、実質的に輸入の効果が帰属する者」に関税を課すべきとされており、このような者が「貨物を輸入する者」に当たると解されている。

しかし、実際の豚肉の輸入取引の主な流れは非常に複雑であり、多くの取引は、まず先にハム・ソーセージメーカーが必要な量、価格を決定し、その条件に合う形で多くの取引先を介して輸入される。介在する業者は販売先を変更できず、販売条件の決定権もほとんどないことから、実質的な処分権限はない。

このような豚肉の輸入取引の流れの中に介在する特定の業者を「貨物を輸入する者」と認定し、関税の納付義務者だと決めつけることには、もともと無理がある。

さらに田邉氏は、当時「ナリタフーズ」の社長として収監され服役中であり、「ナンソー」と「OAK」、さらにその他取引先に対して指示を出し、他社を巻き込んで主体的に販売価格や販売条件を決定し、「ナンソー」らに実質的な処分権限があるような輸入を行うことはそもそも困難であった。

検察は、ナンソーを「貨物を輸入する者」と認定し、田邉氏を含む会社関係者を起訴したが、それ自体が、もともと無理筋だった。

もう一つの問題は、この場合の「課税価格」の基準となる価格が、「当該輸入取引に関し買い手により売り手に対して、現実に支払われた価格」とされているので、誰が「売り手」に当たるのかという点だった。

検察は、当初の公訴事実では、「売り手はサプライヤー(米国タイソンなど)」とし、その主張を前提に、多くの証人尋問や被告人質問が行われて証拠調べが終了した後に、「予備的訴因追加請求」が行われて、「売り手がサイプレス」との主張が追加を求めたのに対して、弁護人は強く反対したが、裁判所は訴因の追加を認め、追加の訴因に対する反証のための証人尋問請求をすべて却下して結審して、判決では、「売り手がサイプレス」だとする追加訴因を認定して、有罪としたのである。

このような経過を見ると、実態と乖離した「悪法」である差額関税を含む関税法を強引に適用して田邉氏を逮捕・起訴した検察は「なりふり構わず」有罪判決に固執し、一審裁判所も、最初から「有罪判決ありき」で裁判を行っていたとしか思えない。

冒頭でも述べたように、この事件には、「被害」も「被害者」もない。単に、権力機関の、面子だけを維持するために有罪にしようとする検察に、裁判所は、なぜ、そこまで「肩入れ」をしなければならないのだろうか。

ここにも、「日本の刑事司法の闇」がある。

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