「リニア談合」告発、検察の“下僕”になった公取委

3月23日、東京地検特捜部は、リニア中央新幹線の工事をめぐる談合事件で、大林組、鹿島、清水建設、大成建設のゼネコン4社と、逮捕された大成建設、鹿島両社の担当者2人を独占禁止法違反(不当な取引制限)で起訴した。

大成建設、鹿島2社の担当者については、逮捕した以上、起訴しないことは考えられず、不当に起訴されるであろうとは思っていたが、驚いたのは、大林組、清水建設の2社の担当者が起訴されず、法人だけの起訴になったことだ。

しかも、起訴事実は、逮捕事実と実質的に変わっておらず、品川駅・名古屋駅の合計3工区の工事に関する合意だとのこと。それらの工事を受注したのは、担当者が起訴されなかった大林組と清水建設であり、逮捕・起訴された大成と鹿島の2社は、全く受注もしていない。

大林組、清水建設の2社の担当者の不起訴の理由については、「公正取引委員会に談合を自主申告し、捜査に協力したことなどを考慮したとみられる」などとされている。

逆らう者は逮捕する「権力ヤクザ」の特捜部】でも述べたように、検察は、そもそも、独禁法違反の事実を否認している2社の担当者だけを逮捕するという「権力ヤクザ」のようなことをしているのだから、その流れで、検察が、2社を不起訴にするのは想定できないわけではない。問題は、公正取引委員会(公取委)までもが、その検察の方針に沿う形で告発を行ったことだ。

公取委は、独禁法違反の犯罪について「専属告発権」を有しており、公取委の告発がなければ、検察は起訴することができない(96条1項)。そして、公取委が告発した事件について不起訴処分を行った場合、検察官は、法務大臣を通して内閣総理大臣に不起訴理由を報告しなければならない(74条3項)。独禁法違反の犯罪について、他の犯罪とは比較にならないほど、公取委に強い権限が与えられているのである。ところが、今回、公取委は、4社と2者の告発をすることで、検察捜査に刃向かう会社とその担当者を徹底して不利に取り扱うという検察の極めて不当なやり方を、丸ごと追認した。

もし4社間で「競争を制限する合意」があったとしても、それによって工事を受注して利益を得た会社の担当者と、受注せず協力しただけの会社の担当者と、どちらが独禁法違反として悪質・重大かは、明らかなはずだ。検察の取調べに対して犯罪事実を否認している2社の担当者だけを起訴し、認めている2社は起訴しないというのは、検察の都合による、検察の方針であり、公取委にとって、担当者の告発に差を設ける理由は全くないはずである。公取委は、記者会見でその理由について質問され「調査の内容に関わる」などと意味不明の理由で説明を拒んだようだ。

しかも、昨年12月の時点で当ブログ【リニア談合、独禁法での起訴には重大な問題 ~全論点徹底解説~】で詳細に述べたように、リニア工事は、JR東海という民間企業の発注であり、極めて高度な技術が要求される大規模工事で、発注方式も、受注者選定の方式も、そのような工事の特性に応じたものとなっているのだから、そもそも、今回のリニア工事をめぐる問題は、独禁法違反の犯罪で処罰すべき問題ではない。

日経Bizgate「郷原弁護士のコンプライアンス指南塾」【「リニア談合」の本質と独禁法コンプライアンス】でも述べたように、「独禁法違反の犯罪」の成否以前の問題として、独禁法コンプライアンスの基本的視点から考えれば、そもそも独禁法で問題にすべき案件ではないことは明らかだ。

ところが、公取委は、「『4社の法人に対する告発状』と『2社担当者だけの告発状』を持ってこい」という検察の「御用命」に、 “下僕”のように従った。

そのような告発に至るまでの経過は、産経ネット記事【大成・鹿島「最高裁まで争う」 検察主導、司法取引“先取り”…異例ずくめの捜査】によれば、

特捜部は昨年12月8、9日、リニアの非常口新設工事の入札で不正があったとして偽計業務妨害容疑で大林組を家宅捜索。同18、19日には独禁法違反容疑で公取委とともに4社を捜索したが、別の公取委幹部は「事件のスタートからして異例だった」と振り返る。

談合事件は、公取委が数カ月かけて調査を進めた上で特捜部が本格捜査に乗り出すのが一般的だが、今回は当初から特捜部が主導し、家宅捜索からわずか2カ月余りで大成と鹿島の幹部を逮捕。起訴に至るまで3カ月という“スピード捜査”だった。「市場の番人」といわれる公取委がゼネコン側の聴取にもあまり携わっておらず、最後まで“置き去り”にされた。

ということのようだ。「本来は公正取引委員会の調査が先行する談合事件で、特捜部が終始捜査を主導する、異例ずくめの捜査」だった。

ゼネコン談合に対する独禁法の適用、それを悪質・重大として告発することの是非というのは、独禁法の運用強化が図られてきた90年代以降、公取委にとっても重要なテーマであった。私が公取委出向時1992年に関わった埼玉土曜会事件以降、公取委と検察との間には様々な確執があった。(埼玉土曜会事件は、大手ゼネコンによる談合事件の告発をめざして、公取委として可能な限りの調査を行ったが、検察の幹部や現場からの強烈な消極的対応のため、告発断念に追い込まれた事件。その経過については、【告発の正義】(ちくま新書:2015年)第3章で詳しく述べている。)告発見送りを正式に決定した公取委と検察との協議の場で、当時の最高検財政経済係検事が述べた次のような言葉(同書97頁)が、当時の検察側の考え方を象徴するものだった。

そもそも66社もの談合の事件を告発などしようと考えるのがおかしい。そんな事件を告発されたら、検察がどれだけの検事を動員してやらなければならなくなるか。公取委には、排除勧告とか課徴金とか、自分でやれることがあるんだから、それでやっていればよい。

このような独禁法の問題に対する検察の基本的なスタンスは、当時から全く変わっていない。「独禁法という法律が、経済社会にとって極めて重要な法律であり、その法律の実効性を高めていくためには、課徴金等の行政処分に加えて、悪質・重大な事案には刑事罰を科す必要がある」というのが、独禁法的視点からの刑事罰適用の理由だが、検察には、そのような視点は全くない。「検察の捜査は検察のためにやるのであり、特捜部としてリソースを投入して行う捜査は、特捜部として社会的注目を集め、評価される事件をやるためのもの」ということなのだ。

今回は、逆に、「公共調達をめぐる競争政策」という、独禁法運用においても極めて重要なテーマに、検察が、検察の都合で土足で踏み込んできて、ほとんど公取委に独自に判断させることもなく、勝手に捜査をして、独禁法の解釈についても、告発の要否についても、検察の方針を公取委に押し付け、公取委は、それに唯々諾々と従ったのである。

今回の「リニア談合事件」での公取委の告発は、独禁法運用を担ってきた公取委の歴史に重大な汚点を残したと言わざるを得ない。

 

 

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美濃加茂市長事件の真相解明に向け、民事訴訟提訴

受託収賄等の事件で有罪判決を受け、市長辞任に至った前美濃加茂市長藤井浩人氏が、虚偽の贈賄供述を行った人物と、控訴審での証人尋問を妨害する行為を行った弁護士に対して損害賠償を求める民事訴訟を提起したことについて、昨日(3月22日)、原告の藤井氏と弁護団による記者会見が、東京司法クラブで行われた。

記者会見の冒頭、藤井氏は、提訴に至った理由、その思いについて、以下のようにコメントした。

 2013年6月から、昨年12月まで、岐阜県美濃加茂市長を務めておりました藤井浩人です。

全く身に覚えのない収賄の罪で逮捕起訴され、名古屋地裁では、贈賄証言が虚偽だと判断され、無罪を言い渡して頂きました。ところが、二審名古屋高裁では、私には一言も発言の機会が与えられないまま、全く理由もなく逆転有罪が言い渡されました。そして、昨年12月、上告理由に当たらないとして上告は棄却され、それを受けて、私は市長を辞任しました。

こうして刑事裁判では、私は賄賂の現金を受け取ったとされましたが、真実は一つです。裁判でずっと訴えてきたとおり、私は、現金を受け取った事実は全くありません。私に現金を渡したという証言は、全くの嘘です。

その真実を、民事裁判の場で明らかにするため、嘘の贈賄証言をした人物と、刑事裁判で真実が明らかになることを妨害した弁護士の二人に対する損害賠償請求訴訟を提訴しました。

一審判決では、多くの証人尋問や私の被告人質問が行われ、贈賄供述者が、自分の刑事処分を軽くするために虚偽の贈賄供述をしたと指摘して頂きました。

控訴審でも、贈賄供述をした動機について一審と同様の判断が示され、新たに明らかになった事実は何一つなかったのに、なぜか結論は逆転有罪でした。

上告審では、贈賄供述の信用性について全く判断をしてもらえませんでした。

刑事裁判の経過の中で絶対に許せないのは、証人尋問の前に私の事件の一審判決書が受刑中の贈賄供述者に差し入れられたことで、控訴審の証人尋問が台無しにされてしまったことです。控訴審判決でも、「証人尋問の目的が達せられなかった」と認めています。この贈賄供述者の証人尋問は、資料の提示もせず、検察官との打合せもさせないで、記憶していることを確かめるために証人尋問が行われたものでした。私は、その証人尋問で、現金を渡したという話が全くの嘘だという真実が明らかになるものと期待していました。そのような証人尋問の妨害を、贈賄供述者の弁護人だった弁護士が行ったことは絶対に許せません。今回、その弁護士に対しても訴訟を提起したのは、なぜそのような証人尋問の妨害を行ったのか、真相を明らかにするためです。

原告訴訟代理人には、郷原先生を中心とする一審からの弁護団のコアメンバーと、上告審で弁護に加わって頂いた喜田村先生、それに、新たに、元裁判官の森炎先生にも加わって頂き、大変心強い弁護団にお願いすることができました。

この度の訴訟の目的は、真実は一つであり、「現金の授受が全くないこと」「贈賄供述が嘘であること」を明らかにするためです。そのためにも、二人の被告に、事の重大さをしっかり認識し、民事裁判を真剣に受け止めてもらうため、私が被った損害の全額を請求額としました。

民事裁判は、東京地裁民事44部の3人の裁判官に担当して頂くことになりました。刑事裁判の中で明らかになったことを、改めて公正に判断して頂ければ、現金授受の事実は全くなく、贈賄証言が嘘だという真実が明らかになるものと確信しています。

藤井浩人美濃加茂市長 冤罪 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!】で述べたように、最高裁から、昨年12月11日付けの「三行半の例文」の上告棄却決定が届き、藤井氏は、市長辞任の意向を表明したが、我々弁護団に対して、

「市長は辞任しますが、私が現金を受け取った事実はないという真実を明らかにするため、今後も戦い続けます。とれる手段があるのならば、あらゆることをやっていきたい。」

と述べて、自らの潔白、無実を明らかにするために戦い続けていくことを明確に宣言していた。今回の提訴は、このような藤井氏の意向を受けて行ったものだった。

一般の刑事事件であれば、「有罪判決が確定したのだから、裁判所の判断は、『贈賄供述は信用できる』『現金授受の事実があった』ということだ。それを民事訴訟で蒸し返しても仕方がないではないか」と思われるだろう。

しかし、そのような一般論は、藤井氏の刑事裁判には通用しない。

この事件では、贈賄証言の信用性について、贈賄供述者の証人尋問や被告人質問を自ら直接行ったうえで、「贈賄証言は信用できない」として無罪を言い渡した一審裁判所と、書面だけで「贈賄供述は信用できる」と判断した控訴審裁判所との間で判断が分かれた。そして、上告審は、「上告理由に当たらない」として上告を棄却し、収賄の事実の有無についても、贈賄証言の信用性についても判断は示さなかった。

このような裁判の経過や、各裁判所が示した判断を踏まえて、民事裁判で、主張立証が尽くされ、公正な審理が行われれば、贈賄証言が虚偽だという真実が明らかになる可能性は十分にある。

刑事裁判での真相解明の最大のポイントは、控訴審裁判所が、職権で、贈賄供述者の証人尋問を直接行って信用性を確かめようとした場面だったが、「裁判所も予測しなかった事態」によって尋問の目的が達成できず、一審での贈賄証言を書面だけで判断するしかなくなった。その判断が、信じ難いことに、一審判決の判断を覆し、贈賄証言の信用性を肯定するというものだったのである。

その「裁判所も予測しなかった事態」というのが、証人尋問の前に、藤井氏の事件の一審判決書が受刑中の贈賄供述者に差し入れられたことだった。それが、いかなる経緯で、いかなる目的で行われたのか、その点の真相解明も、今回の民事訴訟の重要な目的だ。

贈賄供述者は、一審証人尋問の前に、検察官と1か月以上にわたって朝から晩まで打合せを行っていたことを証言している。控訴審裁判所は、そのような検察官との打合せを行わせず、事前に資料も見せず、記憶していることをそのまま証言させたいとして控訴審での職権証人尋問を行う方針を示した。検察官は「記憶が減退している」と言って、証人尋問に強く反対したが、その反対を押し切って尋問が決定された。そのままの状態で証人尋問が行われたら、贈賄供述が記憶とは無関係の「作り話」だったことが明白になってしまう。検察は確実に追い詰められていた(【検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審】)

そこに、検察にとって、まさに「神風」のような出来事が起きた。一審での贈賄供述者の証言が詳細に書かれている藤井氏の一審判決のほぼ全文に近い「判決要旨」が、贈賄供述者の弁護人だった弁護士によって、受刑中の贈賄供述者に差し入れられたのだ。この弁護士と、贈収賄事件の主任検察官との関係について、贈賄供述者は「私の弁護士と検事は知り合いです。いろいろと交渉してくれてる様です。」と自筆の手紙に書いていた。

その判決要旨差入れから約1か月後に行われた証人尋問で、贈賄供述者は、一審とほとんど同じ証言を行った。判決要旨を熟読して証言内容を用意してきたことは明らかだった。

この控訴審での証人尋問について、控訴審判決は、

受刑中の贈賄供述者が、当審証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという裁判所としても予測しなかった事態が生じたために目論見を達成できなかった面がある。

と判示して、証人尋問の目的が阻害されたことを認めている。

上告棄却決定の直前に公刊した【青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開】を読んでくれた方々が、不当極まりない警察の捜査、検察の起訴・公判立証、逆転有罪を言い渡した控訴審判決に憤り、藤井氏に対して励ましの声をかけてくれた。その思いを受け止め、民事訴訟を通して事件の真相を明らかにできるよう、全力を尽くしていきたい。

 

 

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“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家

「人質司法」とは

詐欺で逮捕されてから8か月以上も勾留されたままになっている森友学園の前理事長の籠池泰典氏夫妻などに関して、「人質司法」の問題が注目を集めている。

日本では、犯罪事実を認めた者は身柄を拘束されないか、拘束されても早期に釈放されるが、犯罪事実を否認する者、無罪主張をする者は、勾留が長期化し、保釈も認められず、長期間にわたって身柄拘束が続くという「人質司法」が、当然のようにまかり通ってきた。

日本が欧米に比べ犯罪の検挙率、有罪率が極端に高いことの背景に、罪を犯した者が、警察、検察に犯罪事実を自白する率「自白率」が高いということがある。犯罪者は「確実に」検挙・処罰され、しかも、自らの罪を認めて悔い改めることで、日本社会の治安の良さが維持されてきた、というような見方が一般的であった。

それが「人質司法」が肯定されてきたことの背景とも言えるだろう。

警察や検察に逮捕された者は、通常、潔く自白し、裁判でも罪を認める。被疑事実を争ったり、裁判で無罪主張したりする人間は、世間の常識をわきまえない異端者・逸脱者であり、そういう人間の身柄拘束が長引くのは致し方ない、という考え方だ。

確かに、警察、検察の捜査が「常に」適正に公正に行われ、逮捕・起訴も正当な判断によって行われているのであれば、「人質司法」も特に大きな問題ではない。しかし、もし、警察、検察が判断を誤り、不当に逮捕されたり、起訴されたりした場合、「人質司法」は、恐ろしい「凶器」となる。無実、潔白を主張する者、逮捕、起訴が不当だと訴える者は、長期間にわたる身柄拘束を覚悟しないといけないということになる。起訴されたら、検察官の主張を丸ごと認めない限り、自由の身にはなれない。そのため、意に反して自白し、事実を認めざるを得ない、無罪主張を行うこともできない、ということになり、それが、多くの冤罪事件を生んできた。

こういう「人質司法」は、もともと、反社会的なことをしている人間、犯罪者、犯罪と密接な関わりを持っている人間や、国会で安倍首相や昭恵夫人と対立する証言を行った籠池氏のように、社会的には注目を集めることをやった人に起きることであり、一般の市民には無縁の世界だと思われているかもしれない。

しかし、決してそうではない。普通に生活し、普通に仕事をしていた一般市民も、「人質司法」の脅威にさらされることがある。突然、犯罪の疑いを受け、逮捕、起訴され、その疑いを晴らそうとすると、「人質司法」の“蟻地獄”に引きずり込まれ、何とか身柄拘束から逃れようとして、検察官の主張を全面的に受け入れて身に覚えのない罪を認め、裁判では自分の言い分を述べることもできない。そういう悲惨な事態に追い込まれることも起こり得るのだ。

私が、上告審になって弁護人を受任し、先週、上告趣意書を提出した唐澤誠章氏の詐欺、脱税幇助の事件は、真面目に懸命に仕事に取り組んでいた一人の起業家に、「人質司法」が容赦なく襲い掛かり、“蟻地獄”に取り込まれた事例だ。

 

中小企業支援事業の起業家が刑事事件に巻き込まれるまで

唐澤氏は、大学卒業後、人材コンサルティング会社を経て、24歳で起業した。

目指したのは「中小企業の雇用を創出すること」だった。当時は、まだ従業員数が100名以下のいわゆる中小企業に新卒大学生が就職することは珍しく、中小企業で新卒大学生を募集する手段もノウハウも確立されていなかった。多くの中小企業の社長は、新卒大学生の採用は中小企業にとっては無理だという社会通念が根深かった。しかし、日本の企業の97%以上は中小企業だというデータがある中、中小企業における雇用拡大、創出は大きなテーマになると考え、中小企業の新卒大学生の採用支援・代行を成功報酬型で行う日本初のビジネスモデルを考案し、活力ある中小企業の新規雇用創出に貢献したいとの志を抱いて起業したものだった。

そして、中小企業が大手企業に負けないように採用活動を進めていくためのノウハウを次々に考え、将来性があっても、学生に知られていない中小企業で優秀な新卒大学生を採用するための「採用支援・代行事業」を行った。その結果、起業して約20年間で約500社もの企業の採用支援・代行を行い、約5万人の新卒大学生の就職支援を行った。

会社は、最盛期には従業員170人、経常利益6億円まで成長し、上場も目前だったが、2008年のリーマンショックで危機的状況になり、事実上倒産。しかし、何とか事業を立て直し、従業員数40名に回復するところまで漕ぎつけた。

ところが、2014年2月20日、突然、唐澤氏の会社に、東京国税局査察部の強制調査が入った。唐澤氏の会社は、ようやく採算ラインに届いた程度で、法人税の問題など起きようがない。その査察調査は、主要取引先だったM氏が経営する企業グループに対して行われた国税局査察部の一斉強制調査だった。

M氏は査察部の一斉強制調査でも脱税を全面的に否認していたようで、査察調査は長期化し、取引先に過ぎない唐澤氏にも、M氏の脱税に関与している疑いが向けられた。

問題とされたのは、M氏の経営する会社との間の月額150万円の業務委託契約だった。

M氏から、「妻名義にした自宅不動産を担保に銀行から住宅ローンを借りるため、妻に安定収入があるように銀行に見せる目的」と説明され、唐澤氏が経営する会社で、その不動産を賃借し、その賃料に見合う業務委託契約を締結して、M氏から唐澤氏の方に賃料相当額を支払うことになったものだった。

業務委託契約書は唐澤氏が以前からM氏の会社に対して行っていた採用支援業務の延長上のような業務内容で、実体がある契約だった。また賃貸借契約書は、確かに、住宅ローンの関係で銀行に提出することが目的の契約であり、実際に、唐澤氏側がその不動産を使ったことはほとんどなかったが、自宅の一部を、唐澤氏の会社で会議用等に使えるように提供してもらっており、いつでも使えるように、自宅を開錠する暗証番号も教えてもらっていた。

M氏の経営する会社からは、唐澤氏が起業して間もない頃から、新卒採用の支援業務の大口の発注を受けており、唐澤氏は、M氏に恩義を感じていた。M氏の値引きや支払いの時期・方法などについての要望にはほとんど従っていたこともあり、M氏の「架空ではないから問題はない」との言葉を信じて契約に応じた。

その業務委託費が架空経費の疑いを受け、国税局の査察調査では、M氏が経営する会社の法人税の脱税の手段とされたようだった。そして、賃貸借契約と業務委託契約が架空契約であり、M氏の脱税に加担するためのものだとして、唐澤氏も「脱税幇助」の疑いをかけられたのである。

唐澤氏は、M氏の脱税容疑について何度も任意で呼び出されて聴取を受けたが、M氏の企業グループの幹部などではなく、取引先に過ぎない唐澤氏にとって、M氏が経営するどの会社でどのような税務申告を行っているのか、そこで脱税しているかなどということは全く与り知らないことだった。唐澤氏は、「M氏の脱税のことは一切知らない。」と脱税への関与を明確に否定した。

 

全額返還を妨害した助成金詐欺での強引な逮捕

国税局査察部の調査も長期化し、強制捜査から2年半が経過した。M氏への査察調査は終了したのかと思っていた矢先の2016年7月、M氏の会社が受けていた中小企業雇用安定助成金の不正受給に関する東京地検特捜部の捜査が始まり、会社の従業員が事情聴取を受けた。

その助成金に関する手続は、唐澤氏の会社が受託して行ったものだった。社員に休業させて研修を受けさせた場合に支払われるものだったが、当初、行う予定だった研修が実際にはほとんど行われていないものがあり、結果的に不正に受給したことになっていることは否定できなかった。

特捜部が、国税局査察部が強制捜査で押収したM氏の会社の全データ・書類の中から助成金関係の書類の不備を見つけ、M氏の脱税の容疑を固め、助成金詐欺としてM氏と唐澤氏を立件しようとしていることがわかった。

唐澤氏は、東京労働局に問い合わせをし、受給していた助成金で不正や不備があった場合の対処について聞いたところ、「東京労働局として調査をし、不正であることが確認できれば、取消決定通知を出すので、取消決定通知を受けて全額返納してくれれば良い」という回答だった。また、「全額返納した場合、刑事告発は行う理由がない上、過去に刑事告発をした事例は1件もない」との回答だった。

そこで、唐澤氏は、自らが受け取っていた報酬分を全額、M氏側に返還し、その数日後には、M氏の会社が受給した助成金について東京労働局へ全額返済しようとしたが、東京労働局から、「独自の調査で不正受給であると正式に認定し取消決定通知を出してからでないと受け取れない」と言われたため、やむなく、東京労働局の調査が終了するまで、東京労働局にも伝えたうえで、2016年9月15日に全額を供託した。東京地検特捜部の取り調べでも、法務局への供託書のコピーを提出した。しかし、唐澤氏は、27日に、M氏とともに、助成金不正受給の詐欺罪で逮捕されることとなった。

唐澤氏が、逮捕され、接見禁止のまま勾留されたために、東京労働局の調査に応じることができなくなり、助成金を全額返還するため供託までしていたのに、被害弁償も完了できなかった。120日にも及ぶ勾留がなければ、東京労働局の調査を受けて、速やかに取消決定を受けて、全額返済し、それで100%終了していたことは確実だった。

逮捕された9月27日は午前10時から東京地検特捜部で任意の取り調べ予定があったが、前日から、心臓の痛みなど極度の体調不良となったため、検察官に、体調を壊し、病院で受診することと病院名を連絡した上で、病院で入院のための検査を受けていた。そこに、特捜部の検事がやってきて、検査を中断させられて逮捕され、そのまま拘置所に収容された。

逮捕、勾留は、助成金の全額返還を妨害するために強引に行われたものだった。

 

「人質司法」の“蟻地獄”

以上が、唐澤氏が逮捕されるまでの経過だ。

極度の体調不良の状態で逮捕された唐澤氏にとって、拘置所での身柄拘禁は、まさに地獄だった。彼は、幼い頃から、極度の閉所恐怖症で、遊園地の観覧車にも乗れず、会社を経営するようになって以降も、商談であっても狭い会議室には入ることもできない程だった。

そのような唐澤氏は、拘置所の独房に入れられ、不安と恐怖のため一睡もすることができず、拘置所の医師に、不安障害、パニック障害と診断され、睡眠薬、数種類の抗精神薬等を処方され、朝、昼、晩、寝る前と4回も大量に服用せざるを得ない状態となった。意識が朦朧とした状態となり、検察官の取調べに対しても、まともに受け答えすらできず、取り調べは、平均して1日30分程度しか行われなかった。

唐澤氏は、助成金詐欺容疑での勾留満期に起訴されると同時に、M氏に対する法人税法違反幇助で再逮捕された。「M氏との間で架空の業務委託契約を行って脱税を幇助した」という被疑事実だった。唐澤氏には、「脱税を幇助した」という認識は全くなかった。M氏の自宅不動産の賃貸借契約も、住宅ローンの関係で銀行に提出することが目的の契約で、実際に自宅の一部は、唐澤氏の会社で会議用等にいつでも使える状態だった。業務委託契約も、実際に、起業当初から、M氏の会社からは様々な業務委託を受けており、その業務量をそれまでより増やしてくれるものと思っており、実態がないわけではなかった。しかも、唐澤氏は、M氏の会社の経営状況も税務申告の内容も全く知らない。黒字か赤字かも知らなかった。仮に、M氏が脱税をして、それに業務委託契約書が使われたとしても、それを唐澤氏が知る由もなかった。

唐澤氏は、取調べでそのように説明しようとしたが、その点について具体的に質問されることはほとんどなく、「M氏の脱税について他に私が知っていることはないか?」という趣旨のことを何度も何度も聞かれるだけだった。「会社を経営していたのだから、架空の業務委託契約に応じることが、脱税に利用される可能性があることは、わかっていただろう」というようなことを繰り返し質問され、朦朧とした意識の中で、それを認めたような内容の調書に署名させられた。

 

意見書で検察官が書いた「保釈すべきでない理由」

助成金詐欺に加えて、脱税幇助で起訴された唐澤氏の保釈請求は、3回にわたって却下された。裁判官からの保釈請求への求意見に対して、検察官は、「不相当であり却下すべき」として、強く保釈に反対した。

唐澤氏は、助成金を全額返還するために供託までしていたのであり、詐欺について裁判で無罪主張をするつもりはなかったが、助成金の不正受給は計画的なものではなく、不正の利益を得る目的ではなかったということを、取調べで朦朧とした状況の中でも訴えていた。検察官は、それについて「詐欺の犯意を否認している。無罪を争おうとしている」とした。また、脱税幇助については、保釈に反対する理由を次のように述べていた。

法人税法違反幇助事件について、被告人は、捜査段階の取調べにおいて、業務委託手数料の架空性を一応認めているものの、送金する名目となっていたMの居宅の建物賃貸借契約については、実際にMの居宅を打合せに使ったことがあったなどと供述している上、幇助の故意についても、業務委託手数料の計上が脱税を目的にしたものであると明確に認識していたわけではない旨曖昧な供述をしている(被告人の反省文にも「私自身の税に関する知識をしっかり見直し」、「過ち」などと記載しており、無罪を争う事案と考えていることが判明する。)。

検察官が言っているのは、「幇助の故意について曖昧な供述をしている」「無罪を争おうとしている」ということだ。

もともと、唐澤氏は、M氏の脱税について全く認識がなかったのだから、「全く知らなかった」と言って無罪主張をするのは当然だ。認識がなかったのだから、「曖昧な供述」になるのも当然だ。ところが、検察官は、それを「罪証隠滅のおそれがある」として保釈に強く反対する理由にしたのだ。

しかし、保釈請求を受けた裁判官は、このような全く不当極まりない検察官の意見を受け入れて、保釈請求を却下した。そして、唐澤氏の勾留は100日を超えた。保釈請求についての検察官の反対意見をそのまま受け入れてしまう裁判所の姿勢が、「人質司法」の悪弊につながっているのだ。

 

検察官が要求した事実を全面的に認める「上申書」提出

長期間にわたって勾留が続いたため、唐澤氏の睡眠障害、不安障害、パニック障害の症状はさらに深刻な状況となり、精神は崩壊寸前の状態だった。どんなことをしてでも、すぐに保釈をとってもらいたいと切望したことを受け、唐澤氏の一審弁護人は、検察官と交渉した。

検察官は、保釈に反対しない条件として、「第1回公判期日で公訴事実を全面的に認めること」、「検察官請求書証すべてに同意すること」のみならず、「事実を全面的にかつ具体的に認める旨の被告人の上申書を提出すること」を要求してきた。

弁護人から検察官の要求を伝えられた唐澤氏は、一刻も早く保釈されたいという思いから、「どのような上申書でも署名する」、「内容は弁護人に任せる」と答えた。弁護人は、検察官の要求に合わせ、脱税幇助を含めて事実を全面的に認める上申書を作成して唐澤氏に署名させ、検察官に提出した。

第1回公判期日では、被告人の罪状認否の際に、その上申書が、弁護人から裁判所に提出され、公判調書には、「公訴事実は間違いありません。その余については、上申書のとおりです」と記載されて上申書が公判調書に添付された。

第1回公判後の保釈請求に対して、検察官は、上申書が裁判所に提出され、罪状認否での被告人供述の内容とされたことから、保釈に反対せず、保釈がようやく許可された。

 

執行猶予獲得のため検察官主張への反論・主張を全て控える

こうして、唐澤氏は、120日にわたる勾留の末、ようやく保釈され、身柄拘束を解かれた。

第1回公判では、検察官請求証拠がすべて同意書証として取調べられたが、その内容には、唐澤氏には納得できない点が多々あった。脱税を幇助することなど全く考えていなかったのに、脱税幇助とされたことに加えて、絶対に納得できなかったのは、唐澤氏の会社でやってきたことが「助成金詐欺ビジネス」であるかのように検察官の冒頭陳述で書かれていて、関係者の調書もそういう内容になっていたことだった。唐澤氏が、中小企業緊急雇用安定助成金の書面作成代行業務の仕事を始めたのも、新卒採用支援・代行で取引してもらっていた企業から付随するサービスとして、助成金の書類の作成を依頼されたからだった。中小企業の役に立ちたいという気持ちから、助成金の書類作成について調査し、助成金の申請にかかわったもので、決して、詐欺ビジネスをやっていたわけではなかった。

しかし、保釈後、供託していた助成金の全額返還が完了したこともあり、一審弁護人からは、「起訴事実を全面的に認めて検察官の主張を争わなければ、執行猶予の可能性が高い」と言われていた。そこで、公判では、唐澤氏は、検察官の主張には全く異を唱えず、被告人質問でも、ひたすら「反省の弁」を述べ続けた。

ところが、検察官の論告求刑は「4年6月 罰金400万円」、懲役刑の求刑は主犯のM氏と同じだった。3年以下の刑でなければ執行猶予が認められないので、その求刑が「実刑相当」を意味することは明らかだった。しかし、助成金詐欺については全額返還済み、しかも、逮捕前に、返還のために全額供託までしている。脱税幇助についても、実際には、脱税についての認識もなく、もちろん、報酬も全く受け取っていない。そのような唐澤氏が実刑になる可能性は低いとの弁護人の言葉を信じ、執行猶予を期待していた。

しかし、一審判決は「懲役2年6月 罰金300万円」の「実刑判決」だった。

全く納得できない逮捕、勾留、起訴だったが、弁解したいことも弁解せず、主張したいことも主張せず、ひたすら「反省の弁」を述べて執行猶予を望んだが、結果は「実刑」だった。

控訴審では、新たな弁護人を依頼し、何とか執行猶予判決になるように弁護活動を依頼した。

一審判決後、M氏が脱税した税金を全額納付したこともあり、控訴審では情状が評価されて執行猶予になる可能性が相応にあるとの判断から、控訴審でも、事実は争わず、反省・悔悟を強調し、執行猶予付き判決を求めた。脱税幇助についても、一審判決の事実誤認や無罪の主張を敢えて行わず、「脱税の全体像を知らず、脱税を容易にする意図・目的を有していなかった」という情状面の主張にとどめた。唐澤氏の会社との取引先の中小企業主等1259人が、「20年にわたり、経営者として企業の採用代行、雇用創出という価値ある仕事に従事してきたという実績もあり」「今後も社会に貢献してほしいと強く願います。」「何卒、執行猶予を付した判決を強く嘆願いたします。」という内容の嘆願書を書いてくれたので、それも、裁判所に提出した。それは、彼の事業が決して助成金詐欺ビジネスなどではなく、採用支援・代行によって中小企業に貢献していることを示すものでもあった。

しかし、結局、控訴審でも、「懲役1年8月 罰金300万円」と、若干軽減されただけで、やはり「実刑」だった。

結局、一審でも、控訴審でも、唐澤氏に不利な認定の最大の根拠となったのが、第1回公判の罪状認否に添付された、具体的かつ詳細に事実を認める内容の上申書だった。

唐澤氏は、長期間の身柄拘束に耐えられず、精神も崩壊に近い状態に追い込まれて、検察官の意のままに作成された上申書に署名せざるを得なかった。それが、結局、極度の閉所恐怖症の唐澤氏が最も恐れていた実刑いう身柄拘束に追い込まれることにつながってしまったのである。

控訴審判決後に、弁護人を受任した私は、脱税幇助の事実について最高裁判例違反・事実誤認の無罪主張を行い、詐欺についても執行猶予が当然の事案であることを主張する上告趣意書を作成・提出した。

唐澤氏は、捜査段階での被告人の取調べ状況及び供述調書の作成状況について、検察官は被告人の述べることに耳を貸さず、検察官の設定したストーリーを押し付け、供述していないことを含めて強引に調書を作成して署名をさせようとする取調べだったと訴えた。その状況は録画に残された唐澤氏の様子を見れば一目瞭然だと思われた。

そこで、唐澤氏の主張を裏付けるべく、それまで開示されていなかった取調べの録音録画媒体の開示を検察官に求めたが、「応じられない」との通知があり、上告審裁判所に、証拠開示を命じる訴訟指揮権の発動を求めたが、証拠開示命令は行われなかった。

 

これが刑事裁判と言えるのか

以上が、唐澤氏が、査察部の強制調査を受け、東京地検特捜部に逮捕・起訴され、一審、二審で実刑判決を受けて上告審に至るまでの経過だ。

彼は、全面無罪を勝ち取ろうと考えていたわけではない。ただ、絶対に納得できないのは、M氏の経営状況も、納税のことも全く知らず、脱税幇助の意思など全くなかったのに、脱税幇助で有罪とされたことだ。それが認められるのであれば、他人に頼まれて架空の契約書や領収書の作成に応じたというだけで、脱税幇助の犯罪にされてしまうことになる。また、彼は、決して、助成金詐欺をビジネスでやっていたわけではないし、そこから不正の利益を得ようとしたわけではなかった。しかし、そういう彼の言い分は、全く述べる機会が与えられず、主張もできないまま、裁判では一方的に「反省の弁」だけを述べさせられるだけだった。これが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。

彼の事件の場合、「人質司法」は、単に、否認する被疑者・被告人の身柄拘束の長期化というだけでない。検察官が、保釈に反対しない条件として、事実を全面的に認める上申書の提出を要求し、身柄拘束から逃れたい一心から、それに応じたことで、その上申書が、事実に反する認定の唯一の根拠にされ、実刑に追い込まれるという、まさに「人質司法の蟻地獄」の世界そのものだった。

逮捕前に全額返還のために供託まで行っていた助成金詐欺についても、M氏の脱税のことは全く知らなかったと述べている脱税幇助についても、「罪証隠滅のおそれ」など全くないことは明らかであろう。検察官が保釈に反対する理由は、要するに「検察官が望むとおりに自白していない」というだけである。それは、人質司法によって、「罪証隠滅のおそれ」ではなく、「無罪主張のおそれ」を抑え込んでいるに過ぎない。

そして、何より許し難いのは、保釈に反対しない条件として事実を認める上申書を提出させるという検察官のやり方と、そして、その上申書を、罪状認否で被告人が述べたことのように公判調書に添付するという裁判所の姿勢だ。罪状認否というのは、公訴事実について、被告人が認めているのかどうか、認められない点があるとすればどの点かを被告人の口から直接聞いて確認するための手続であり、被告人を詳細に自白させるための手続ではない。

大阪地検不祥事を契機とする検察改革の流れの中で、検察官の取調べの可視化が進められ、法律上義務化されるに至った。しかし、その一方で、取調べで無理な自白をさせるのではなく、「人質司法」のプレッシャー、検察官の主張を丸ごと認めさせるという姑息な手段が使われ、裁判所までもがそれに加担している。

一般の市民であっても、このような「人質司法の蟻地獄」に取り込まれてしまう恐れがあるという恐ろしい現実を直視する必要がある。

 

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森友文書書き換え問題、国会が調査委員会を設置すべき

学校法人「森友学園」との国有地取引の際、財務省近畿財務局の管財部門が作成した決裁文書について、「契約当時の文書」と、「国有地売却問題の発覚後に国会議員らに開示した文書」の内容が違っていたと朝日新聞が報じた問題、3月7日に、国有地取引を担当していた近畿財務局職員が自殺し、9日に、国会議員に決裁文書を開示した当時の財務省理財局長佐川宣寿氏が国税庁長官を辞任した。

そして、昨日(3月12日) 財務省は、合わせて14の決裁文書に書き換えがあったこと、それらは、当時の財務省理財局の指示で、近畿財務局が書き換えを行っていたことを認める調査結果を公表した。

この問題に関しては、3月8日に出したブログ記事【「森友決裁文書書き換え問題」は“2つの可能性”を区別することが必要】で、国会議員に開示された決裁文書とは異なった内容の決裁文書が財務省内に存在していたとすると、「決裁文書原本の写しとして国会議員に開示された資料が、開示に当たって書き換えられた可能性」と「公文書として財務省が管理しておくべき決裁文書原本そのものが、最終的に現在の内容になるまでの間に書き換えられた可能性」の二つ可能性があることを指摘した。

今日の財務省の調査結果の公表によると、上記の二つの可能性のうち前者の「国会議員への提出用の決裁文書の写しの書き換えが行われた」ということのようだ。

 

朝日新聞が指摘していた「特例的な内容となる」「本件の特殊性」「学園の提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」など森友学園に対する「特例的な扱い」を示す言葉のほか、「安倍昭恵夫人」、籠池氏と「日本会議大阪」の関係などの記載が削除された「決裁文書の写し」が作成され、それが真正な決裁文書の写しであるように装って国会議員に開示されていた。まさに、国会での審議或いは国政調査権の行使等に関して重要な事実を隠蔽したということであり、行政権の行使について内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制の根幹を揺るがしかねない許すべからざる行為だ。

しかし、それについて、公文書偽造罪等の刑法上の「文書犯罪」が成立する可能性は高くないように思える。

問題は、第1に、国会議員に提出した「決裁文書の写し」が偽造・変造等の対象となる「公文書」に当たるか、第2に公文書偽造・変造罪の成否、第3に虚偽公文書作成罪の成否だ。

第1の点は、「原本の写であっても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り、公文書偽造罪の客体となる」との判例(最判昭和51年4月30日)もあるので、書き換えた「決裁文書の写し」を国会議員に提出し、決裁文書の原本が同一の内容だと信じさせた本件において、「写し」であることが公文書偽造・変造等が成立の妨げにはなることはない。

第2に、公文書偽造・変造罪の成否だが、それらが成立するのは、決裁文書の作成権限者以外の者が、その了解なく、作成権限者の名義で勝手に公文書を作成した場合だ。作成権限者の了解の下に作成したのであれば偽造・変造罪は成立しない。決裁当時の作成権限者が既に異動している場合は、職務権限規程の内容によるが、書き換えた時の作成権限者が書き換えを了解できると解し得る場合が多いであろう。決裁文書の書き換えについて、公文書偽造・変造罪が成立する可能性は低い。

最大の問題は、第3の虚偽公文書作成罪の成否だ。

今回の「書き換え」は基本的に「一部記述の削除」に過ぎない。一部の文言や交渉経緯等が削除されたことによって、国有地売却に関する決裁文書が事実に反する内容の文書になったと認められなければ「虚偽公文書の作成」とは言えない。「特例的な扱い」を示す記述の削除は、それによって、実際には、国有地売却が「特例的な扱い」であったのに、特例的ではない「一般的な扱い」による売却として決裁されたという内容の決裁文書になったと認められれば、「虚偽公文書」に当たることになる。財務省側は、交渉経緯や「安倍昭恵夫人」「日本会議大阪」に関する記載が削除された点は、決裁文書において決裁の根拠となった「本質的な内容」ではなく、「虚偽公文書」には当たらないと主張するであろうし、その点は、まさに疑惑の核心とされてきた、森友学園と安倍昭恵氏との関係、日本会議大阪と籠池氏との関係等が、国有地売却の決裁において重要な影響を及ぼしたかどうかに関連する。その影響があったと認められなければ、これらの記載を削除した決裁文書の写しの作成が「虚偽公文書作成」に当たるとは言えない。

なお、国会での議論において重要となる記載を意図的に削除した決裁文書の写しを「真正な決裁文書の写し」であるかのように装ったからといって、文書の内容自体が虚偽でなければ、「虚偽公文書の作成」には当たらない。「決裁文書の写し」の行使目的が「国会に対する騙し」だったということとは、別の問題である。

このように考えると、今回の書き換えについて、公文書の偽造・変造、虚偽公文書作成などの「文書犯罪」が成立する可能性はかなり低いように思える。むしろ、国会議員の調査や国会での審議に対する妨害であることからすると、元検事の住田裕子弁護士がテレビ番組等で主張しているように、むしろ、「国会議員の調査や国会での審議に対する妨害」として「偽計業務妨害罪」ととらえる方が、実態には即していると言うべきであろう。しかし、国勢調査による真相解明を妨げる行為については、国会での虚偽答弁自体が処罰されないのに、それに合わせる形で行った文書の書き換えが、国政調査権の行使を妨げる「偽計業務妨害罪」と言いうるかが問題となる。

 

国会での議論において重要なポイントとなる記載を削除した「決裁文書の写し」を真正な決裁文書と内容が同一であるように装って提出するということは、議会制民主主義の根幹を損なう行政機関の国会及び国民に対する裏切りであり、到底許容できないものだ。しかし、そのような行為は、法の想定を超えたものであり、犯罪として処罰することには、もともと限界がある。

 

この問題に関しては、客観的な立場から、事案の経緯・背景を解明し、行為者を特定し、なぜ、このようなことが行われたのかについて、詳細に事実を解明することが不可欠であり、犯罪捜査や刑事処罰は中心とされるべきではない。その調査を、今回の問題で著しく信頼を失墜した財務省自身が行っても、調査結果が信頼されることはないだろう。独立かつ中立の立場から信頼できる調査を行い得る「第三者による調査」の体制を早急に構築することが必要である。そして、その調査体制の構築も、当事者の財務省に行わせるべきではない。今回の問題の性格・重大性に鑑みると、「書き換えられた決裁文書」の提出を受けた「被害者」とも言える「国会」が主導的な立場で調査を行うべきであり、福島原発事故の際に国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」のような、国会での国政調査の一環と位置付けるべきだ。

今回の書き換えが犯罪に当たる可能性は全くないとは言えないが、国会主導の調査が行われ真相が解明された後に、その結果を踏まえて、「被害者」である国会が告発を行うかどうかを検討すべきであろう。

重要なことは、犯罪に該当する可能性が低いのに「検察の捜査に協力する」などということを、「調査を十分に行わないことの口実」に使われることがないようにすることだ。

今回の問題の重大性、悪質性からすると、「公務員犯罪として処罰すべきだ」という声が高まり、野党やマスコミの追及においても、「犯罪捜査、関係者の逮捕、刑事処罰」等を強く意識したものになる可能性がある。しかし、これまで述べてきたように、今回の問題が刑事事件として起訴に至る可能性は低い。検察当局も、犯罪に当たる可能性が低いことは当然認識しているはずであり、告発でも行われない限り、正式に「捜査中」とコメントすることはないはずだ。

今回の問題について、犯罪処罰を追求し、告発等を行うことは、重要な事実について調査回避の口実を与え、真相が解明されることを免れようとする側を、かえって利することになりかねない。

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「森友決裁文書書き換え問題」は“2つの可能性”を区別することが必要

朝日新聞が、3月2日付朝刊の1面トップで「森友文書 書き換えの疑い」と報じた問題をめぐって、国会が紛糾している。

朝日によると、平成27~28年の学校法人「森友学園」との国有地取引の際、財務省近畿財務局の管財部門が作成した決裁文書について、「契約当時の文書」と、「国有地売却問題の発覚後に国会議員らに開示した文書」の内容が違っていたという。決裁文書は、1枚目に決裁の完了日や局幹部の決裁印が押され、2枚目以降に交渉経緯などが記されており、2つの文書とも、起案日、決裁完了日、番号が同じで、ともに決裁印が押されていたが、「契約当時の文書」では、学園との取引について「特例的な内容となる」「本件の特殊性」「学園の提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」との記載があったが、「開示文書」には、これらの文言がなかったことを「確認」したとのことだ。

この問題をめぐって、決裁文書の書き換えが行われたとすると、「公文書偽造」「同変造」「虚偽公文書作成」などの犯罪に当たるのではないかと野党側は財務大臣や財務省を追及し、財務当局側は防戦一方となった。財務省側は、「原本」は大阪地検に提出していて近畿財務局にはないとし、問題の文書が検察の捜査の対象であることを理由に、国会議員に提出したものと異なる決裁文書の「存否」についても回答しなかった。

このような財務省側の対応に対して、与党側からも決裁文書の資料提出を求められたことを受け、3月8日、財務省は、参議院予算委員会理事会に、決裁文書の写しを提出した。それは、国会議員に開示された文書と内容が同一であり、これに対して、野党側は、「書き換え後と思われる資料しか出てこなかった。」などと厳しく批判し、国会審議に応じておらず、事態の収拾の目途はついていない。

 

国会議員に開示された決裁文書とは異なった内容の決裁文書が財務省内に存在していたとすると、2つの可能性が考えられる。

第一に、決裁文書原本の「写し」として国会議員に開示された資料中、森友学園との交渉経過等についての部分が、開示に当たって書き換えられた可能性だ。この場合、財務省が公文書として管理している決裁文書の「原本」自体は、書き換られず、正しい記載のままになっていることになる。

当時、森友学園問題での朝日新聞を中心とするマスコミ報道を受け、国会でこの問題の追及を受けることになった財務省及び内閣側は、近畿財務局の対応が「森友学園特別扱い」と評価されると、安倍内閣にとっても重大なリスクとなるとの認識があったはずだ。そのリスクは避けたい意向だった財務省本省から報告を求められた近畿財務局側が、上記のような本省側の意向を認識し、本省側に対して「森友学園特別扱い」ではなかったと説明した後に、国会からの要求で、決裁文書を提出することになったとすれば、実際の決裁文書には、「特例的な内容となる」「本件の特殊性」「学園の提案に応じて」などと記載されていたことから、それをそのまま提出すると、それまでの説明が虚偽だということが発覚してしまうということで、2枚目以降の経過説明の部分を、問題がない記載に改めたものを作成して、決裁印が押してある1枚目と合体させて本省に提出し、それが国会議員に提出された可能性がある。

これは、近畿財務局側が書き換えの主体だったという想定だが、もちろん、可能性としては、国会への提出資料について、財務省本省側も関与して書き換えが行われたというケースも全く考えられないことではない。

この第一の可能性の有無については、確認するのは極めて簡単だ。近畿財務局側から大阪地検に任意提出されている決裁文書の「原本」と突き合わせば、国会議員に提出された決裁文書の「写し」が、「原本」と内容が異なるものかどうか一目瞭然だ。

この場合、「写し」の書き換えであっても、有印公文書変造・同行使の犯罪に当たる。判例で、「公文書偽造罪は、公文書に対する公共的信用を保護法益とし、公文書が証明手段としてもつ社会的機能を保護し、社会生活の安定を図ろうとするものであるから、公文書偽造罪の客体となる文書は、これを原本たる公文書そのものに限る根拠はなく、たとえ原本の写であつても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り、これに含まれるものと解するのが相当」とされているので(最判昭和51年4月30日)、決裁文書の写しが書き換えされて国会議員に提出されたとすれば、有印公文書変造の重大な犯罪が成立することになる。

決裁文書の「原本」は、当該行政行為を行った財務省が、責任を持って保管すべき公文書であり、国会議員に提出した資料について、それが原本と異なるのではないかとの疑いが持たれているのであれば、その「原本」を示して、「写し」が「原本」と相違ないことを明らかにするのは行政官庁として当然の義務だ。

決裁文書の「原本」が検察官に任意提出されていて財務省側の手元にないとしても、それが、「捜索」ではなく、「任意提出」によって検察の管理下にあるのであれば、あくまで「任意」の提出なのであるから、財務省側で、その提出した文書自体を使用する必要が生じたとして検察官に要請して、一旦返還をしてもらうことができる。捜索差押ではなく、任意提出という手段をとったということであれば、検察官としては、その内容を、提出者の財務局側に秘匿しておく必要があるとは判断していないということだからだ。検察としても、返還に支障があるとは思えないし、少なくとも、任意提出者の財務局に文書の写しをとらせることは捜査の支障となるものではない。その結果、決裁文書「原本」と、開示した決裁文書原本の「写し」が同一であることが確認できれば、少なくとも、第一の可能性は否定できるのである。財務省側で検察と交渉し、その点を明らかにすることは、行政文書原本の管理者である財務省当局の当然の義務と言うべきであろう。

 

そこで、仮に、第一の公文書原本の「写し」の書き換えの可能性が否定された場合、第二の可能性として問題となるのが、公文書として財務省が管理しておくべき決裁文書「原本」そのものが、最終的に現在の内容になるまでの間に、書き換えられた可能性だ。いずれかの段階で、現在大阪地検に任意提出されている「原本」と言われている文書とは異なる内容の「本当の原本」が存在していたが、政府答弁に整合する内容に書き換えられ、それが国会議員に提出されたという可能性だ。この場合、国会議員に開示された決裁文書は、現在の正式な決裁文書とは異ならないことになる。

決裁文書として存在していた「本当の原本」そのものが書き換えられたとすれば、公文書管理法によって適切に管理することとされている公文書を、行政機関自身が組織的に書き換えたということになる。それは、有印公文書偽造・変造等に該当する「前代未聞の重大な公務員犯罪」だ。

しかし、現在、大阪地検に提出されている最終的な決裁文書の「原本」とは異なる内容の「本当の原本」が、どの時点で、どのような形で存在していたのかが明らかにされなければ、そのような重大な犯罪行為が組織的に行われたことの嫌疑があるとは言えない。

つまり、大阪地検が任意提出を受けた決裁文書「原本」と開示された「写し」が同一であることが確認され、第一の「公文書書き換え」の可能性が否定された場合には、第二の「公文書書き換え」の可能性の有無が問題になるのであるから、それを指摘するためには、朝日新聞が、その根拠を具体的に示すことが必要となる。スクープ記事で、「確認」したとする「開示文書とは異なる決裁文書原本」が、実際に存在することを示さなければならない。

 

朝日新聞の報道に関しては、「情報源」及び「確認」の方法について、様々な可能性が考えられる。可能性が高いのは、財務省の内部告発者からの情報又は資料の入手、検察関係者からの情報又は資料の入手の二つだ。

前者については、内部告発者の資料の真偽に問題がなかったのかどうか、が重要だ。一般的に、内部告発には様々な動機・事情が考えられる。極端な場合、決裁文書の「原本」として朝日新聞が確認したものが、すでに「書き換え」されたものである可能性もないではない。また、後者の検察関係者からの入手の場合、それ自体が、捜査情報漏洩という全くの違法行為であるので、情報源は絶対に明らかにすることはできず、事は非常に厄介だ。

 

以上のとおり、今回の「森友決裁文書書き換え問題」については、2つの可能性に分けて考える必要がある。第一は、行政庁である財務省の国会への報告に関して、虚偽説明や書き替えられた文書の提示が行われた可能性であり、「財務省」対「国会」という問題だ。行政機関が行政文書の原本を国会に提示するのは当然であり、検察の捜査や任意提出は言い訳にならない。

一方、第二の可能性は、国会との関係だけではなく、「財務省」という行政組織の内部で、その意思決定のプロセスを正確に記録しておくべき決裁文書の原本が組織内で偽造・変造されたという、組織自体の正当性に関わる問題だ。もし、朝日新聞が、その嫌疑の根拠を提示した場合には、財務省としても、第三者委員会等を設置して徹底的に調査することが必要になるであろうし、検察捜査にも最大限協力すべきであることは言うまでもない。

第一の可能性の問題が「一回表」の攻防だとすると、そこで行われるべきことは、まず、財務省側が、大阪地検に保管されているという最終的な決裁文書の原本を提示することだ。それによって、攻防は「一回裏」に入り、そこでは、決裁文書の原本が、現在の内容になるまでの間に、内容が異なる決裁文書が存在していたことについて、朝日新聞が具体的に資料を提示することが必要となる。

ところが、この二つの可能性、両者の攻撃防禦が混同され、場外乱闘状態となって、野党と政府の攻防や、マスコミ報道が行われている。それが、一層の混乱を招いているように思える。

 

 

 

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“否認2社幹部逮捕の暴挙”は「日本版司法取引」とは無関係

「リニア談合」事件で、東京地検特捜部は、独禁法違反の犯罪事実を認めた大林組と清水建設の幹部を在宅のまま調べる一方、犯罪事実を否認し独禁法違反には当たらないと主張し続けた大成建設と鹿島建設の幹部を逮捕した。

この「リニア談合事件」については、独禁法違反の犯罪ととらえることは全くの無理筋であり、不当であることは、昨年末から様々な観点から指摘してきたところだ(【リニア談合、独禁法での起訴には重大な問題 ~全論点徹底解説~】【リニア談合捜査「特捜・関東軍の暴走」が止まらない】)。

今回の事件で特捜部が行った被疑者逮捕は、検察史上最悪の「暴挙」だ(【“逆らう者は逮捕する”「権力ヤクザ」の特捜部】)。

ところが、今回の「大成、鹿島だけの逮捕」に関して、検察幹部が、今年6月からの刑事訴訟法改正施行での「日本版司法取引」の導入を先取りしたものだという、耳を疑うような発言をしていることを複数の司法担当記者から聞いた。そのような検察幹部の発言を、元検事の弁護士に「代弁」させる形で取り上げている産経新聞の記事もある【(産経)身柄と在宅…特捜部、6月導入の司法取引を先取り?】。

元検事の弁護士は、

特捜部はこれまで否認しているから逮捕、認めているから在宅という分け方はしてこなかった。今回は司法取引も視野に、捜査に協力し真実を語れば、身柄拘束にも慎重に臨むという姿勢を示しているのではないか。

とコメントしている。

しかし、「今回の2社だけの逮捕」は、日本版司法取引に関連づけて正当化されるものではない。また、なぜ、現時点で、捜査に協力する大林、清水側が「真実を語っている」と言えるのかも不明だ。日本版司法取引というのは、「他人の犯罪事実」に関して捜査機関に協力する供述をした者に一部の犯罪の不起訴、求刑の軽減等の有利な取扱いをすることができるとする制度だ。

今回のように、4者の共犯が疑われている事件において、被疑者の「身柄拘束」の取扱いに関して、事実を認めている者を有利に、否認している者を不利に取り扱うことを正当化する制度では決してない。

 

司法取引には「自己負罪型」と「他人負罪型」の2つがあ

古くから「司法取引」が定着し、多用されてきた米国には、二つの類型の「司法取引」が認められている。

一つは、検察官と被疑者・弁護人との間で、自分の容疑事実のうち一部を認める代わりに、他の犯罪事実について立件しないことや処罰を軽減することを約束する「自己負罪型司法取引」。これが行われると、通常、一部の犯罪事実について被疑者は「有罪答弁」を行い、裁判手続を経ないで刑が確定する。

もう一つは、他人の犯罪事実についての供述をすることで、自らの処罰を軽減してもらう「他人負罪型司法取引」。これは、自分ではない「他人の犯罪」についての供述を行うことを検察官に対して約束し、それによって、自らの処罰を軽減してもらう制度だ。

今回の刑訴法改正で日本に導入されるのは「他人負罪型」であり、「自己負罪型」の導入は見送られた。その最大の理由は、日本の司法制度の下では、罪を犯した者が、その事実を認めるのは当然であり、自白したからと言って「特別の恩典」が与えられる理由がないということ、一方で、「他人の犯罪」については供述する義務はないので、それを敢えて行った者を優遇することを正当化することが可能だということである。

しかも、「有罪答弁」で裁判手続を経ることなく刑が確定する米国とは異なり、自白事件であっても、裁判所の判決という「司法判断」によって犯罪事実と刑が確定することになっている日本では、検察官と被疑者・弁護人との間だけで刑を確定させる権限は検察官には与えられていないので、米国のような「自己負罪型」の運用にはなじまない。

 

大林、清水の「有利な取扱い」は「闇司法取引」

このような「日本型司法取引」が、今年の6月の法改正で導入されるからといって、「2社だけの逮捕」を正当化する余地が全くないことは明らかだ。

もし、大林、清水を「有利に取り扱う理由」があるとすれば、

①自らの罪を認めていること、

②他人(大成、鹿島)の犯罪事実についての供述を行ったこと

の二つだが、「自己負罪型」が含まれていない日本版司法取引においては、

①は、少なくとも「処罰軽減の理由」にならない。

②について、もし、それが軽減の理由とされるのであれば、供述者と検察官との間で協議が行われ「合意書」が取り交わされることが必要だ。その供述に基づいて他人が起訴された場合には、その「合意書」が公判に提出され、当該他人にも、裁判所にも提示され、公判の場で供述の信用性が厳しく吟味される。

日本版司法取引の制度は、まだ導入されていないのであるから、検察官と大林、清水との間で正式に協議し「合意」するということはあり得ないし、「合意書」も存在しない。もし、今回、②の供述を理由とする大林、清水側への「有利な取扱い」、被疑者側との間で、逮捕をしないとか、処罰を軽減することを約束して、大成、鹿島に不利な供述を引き出すというようなことが行われたとすれば、「闇司法取引」そのものである。

従来から、特捜部などと「検察協力型ヤメ検弁護士」などとの間で、水面下で繰り返されてきた不透明な「闇司法取引」が行われないようにすることも「日本版司法取引」導入の大きな理由だったはずだ。制度導入を「先取り」して「闇司法取引」を行うなどというのが制度の趣旨に反することは明らかだ。

 

司法取引が「人質司法」を助長させる重大な危険

それ以上に問題なのは、「司法取引」と「身柄拘束」を関係づけることだ。

「司法取引」によって処罰が軽減されることと、身柄拘束の取扱いとは厳密に区別されるべきものだ。逮捕するか否かと「司法取引」を関連づけることは許されない。

日本では古くから「人質司法」の悪弊が指摘されてきた。犯罪事実を認めた者は身柄を拘束されないか、拘束されても早期に釈放されるが、犯罪事実を否認する者、無罪主張をする者は、勾留が長期化し、保釈も認められず、長期間にわたって身柄拘束が続くということだ。

無実、潔白を訴える者が、「人質司法」の下での長期間の身柄拘束に耐えられず、心ならずも事実に反する自白をしたり、公判で有罪を認めたりするという「冤罪」が、昔から繰り返されてきた。

本来、被疑者に対する犯罪捜査も「任意捜査」が原則だ。「強制捜査」、とりわけ身柄拘束は重大な人権侵害であり、それを正当化する十分な理由がある場合に限られる。身柄拘束の理由は、「逃亡のおそれ」と「罪証隠滅のおそれ」の二つだが、後者が、犯罪事実を否認する被疑者、無罪主張を行う被告人について拡大解釈されて、検察官が勾留の理由や、保釈に反対する理由に「罪証隠滅のおそれ」を強調し、裁判官がそのような検察官の意見に追従してしまうことが「人質司法」につながってきた。

今回の大成、鹿島側だけの逮捕が「司法取引の先取り」などと正当化されるようなことがあれば、日本版司法取引によって「人質司法」がさらに助長されることになりかねない。

2010年に表面化した大阪地検特捜部の不祥事等で検察が信頼を失墜したことを受けて、法務省が「検察の在り方検討会議」を設置し、そこから、検察改革の検討が始まった。私も、その会議に委員として議論に加わった。その流れの延長上で「取調べの可視化」とセットで導入されるに至ったのが「日本版司法取引」だった。ところが、それは、制度導入の趣旨を大きく逸脱して、検察の「焼け太り」につながろうとしている。それは、リニア談合問題の当事者である建設業界や社会資本整備の分野だけではなく、社会全体に対しても、重大な脅威を生じさせることになりかねない。

 

日本版司法取引をめぐる国会での議論

日本版司法取引が、検察官に、今回の「2社だけの逮捕」のようなやり方を許容するものではないことを、改めて社会全体で認識を共有する必要がある。刑訴法改正の国会審議での質疑・答弁を改めて確認してみよう。

2015年6月19日法務委員会において、自民党井野俊郎議員の質問に対して、林真琴法務省刑事局長は、次のように答弁している。

本法律案におきまして、合意に基づく供述が他人の公判で用いられる場合には、その合意内容が記載された書面が、当該他人にも、また裁判所にも必ずオープンにされて、その場で供述の信用性が厳しく吟味される仕組みとなっております。そのために、合意に基づく供述というものにつきましては、裏づけ証拠が十分に存在するなど、積極的に信用性を認めるべき事情が十分にある場合でない限り、信用性は肯定されません。仮に、特定の供述に誘導するような方法がとられたことが後の公判で明らかになれば、もともと合意に基づく供述は裁判所において警戒心を持って受けとめられることと相まって、その供述の信用性については回復しがたい疑念を持たれることとなります。

林刑事局長は、日本版司法取引(協議合意制度)においては、「合意内容が記載された書面が、当該他人にも、また裁判所にも必ずオープンにされて、その場で供述の信用性が厳しく吟味されること」を強調している。この林刑事局長の答弁からも、今回のように、制度が施行される前、正式な合意書など何もない状況で、特捜部が、犯罪事実を認めている被疑者を在宅、否認している被疑者を逮捕と、身柄の取扱いに差を設けるという恣意的な措置をとることなど、容認される余地は全くないのである。

2015年7月1日の日本版司法取引導入についての衆議院法務委員会の参考人質疑で、私は、次のような指摘を行っている。

 もともと、公訴権を独占し、訴追裁量権を有する検察官は、起訴猶予処分を行う裁量とか、あるいは独自捜査における事件の立件の要否の判断についての裁量に関して、さまざまな形で、検察に極めて協力的な一部のいわゆるやめ検弁護士などとの間で、不透明な形の事実上の司法取引のようなことが行われてきた実情があったと私は認識しております。そういうものを排除していくためにも、司法取引を透明な形で導入することには意味があると考えております。

しかしながら、今国会に提出され、現在審議されておりますこの協議・合意制度の導入に関しては、私は、日本の刑事司法制度の特性、そしてこの美濃加茂市長事件での対応に象徴される検察の現状に照らして、幾つかの点で重大な危惧感を持たざるを得ません。

先ほど来、高井参考人、川出参考人から実務的、そして制度的な観点からいろいろ述べられたこと、それ自体は私も全くそのとおりだと思います。しかし、99%の事件がそのようにしてこの制度が適切に運用されていくとしても、私は、現状を考えると、残りの1%に、とりわけ検察のメンツにかかわるような重大な犯罪について大きな問題が生じるおそれがあるというふうに感じております。そういう私の懸念について具体的に申し述べたいと思います。

まず、基本的な観点からの二つの懸念のうちの一つは、日本の刑事司法と米国の刑事司法との違いであります。

米国の刑事司法というのは、一言で言うと機能的な司法であって、目的実現のために最大限の効率、効果を追求する司法であります。一方、日本の刑事司法は、一言で言うと正義系の司法とでもいいましょうか、あくまで実体的真実の追求にこだわります。このような違いが、実際に制度面で大きな違いにつながっているんじゃないかと思います。

米国で一般的な自己負罪型司法取引の導入が見送られたのも、こういう根本的な考え方の違いがあるからじゃないかと思います。そのような違いを前提にすると、日本への司法取引の導入には、制度面でさまざまな配慮が必要になるのじゃないかと思います。

そして二番目に、検察の組織の特色であります。

行政官庁でありながら独立性を尊重される特殊な組織である検察。日本の検察は、情報開示責任、説明責任を負わず、組織における決定は自己完結します。ある意味ではガバナンスが働きにくい組織の典型であり、特に重大事件に関しては、個人の判断よりも組織の論理が優先される傾向にあります。

法曹資格者の集団として人材の流動性があり、検事であっても一法律家としての良心を中心に職務を行う米国と、組織の論理がどうしても重大事件において中心になってしまう日本との間では、かなり大きな違いがあるのではないかと思います。

そういう意味で、米国と同様の制度を導入するに当たっても、日本的刑事司法や検察のあり方のもとでは、別個の観点からの検討が必要だと考えられます。

この参考人質疑において、日本の刑事司法制度・検察制度の下で「他人負罪型」に限って司法取引を導入するという制度の導入が、検察の対応如何では重大な危険を生じさせる懸念を指摘したが、その懸念は、制度の導入前の現時点で、早くも現実のものになっているのである。

 

 

 

 

 

 

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“逆らう者は逮捕する”「権力ヤクザ」の特捜部

東京地検特捜部は、リニア新幹線建設工事をめぐる「談合事件」で、大成建設の元常務と鹿島の担当部長を独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで逮捕した。

昨年末に出したブログ記事【リニア談合、独禁法での起訴には重大な問題 ~全論点徹底解説~】で詳細に述べたように、この事件は、「独禁法違反の犯罪」で刑事責任を問うような事件ではない。

捜査の対象となったスーパーゼネコン4社のうち、課徴金減免申請を行って「談合を認めた」とされた大林組、清水建設に対して、大成建設、鹿島が徹底抗戦の姿勢を貫いたのは当然だった。

リニア談合捜査「特捜・関東軍の暴走」が止まらない】で述べたように、特捜部は、その徹底抗戦の2社のみを対象に、再度の捜索を行い、その際、大成建設では、法務部に対する捜索で、弁護士が捜査への対応・防禦のために作成していた書類や、弁護士のパソコンまで押収し、さらに検事が社長室に押しかけ「社長の前で嘘をつくのか」「ふざけるな」などと恫喝したとして、大成建設側が「抗議書」を提出したところ、その日の夜、同社だけに「3度目の捜索」を行うなど、抵抗する社を捜査権限で踏みつぶそうとしてきた特捜部。その暴走は止まらず、とうとう、この「特捜部に逆らう2社の担当者を逮捕する」という暴挙に出た。

大成、鹿島も、4社間の協議や情報交換等の「外形的事実」は認めた上で「独禁法違反には当たらない」と主張しているとのことだ。そのような法的主張をしている大成、鹿島の担当者について、なぜ「罪証隠滅の恐れがある」ということになるのか。単に、「検察の主張に反対して抗戦している奴らは、検察の捜査権限を使って徹底排除する」という、身勝手極まりない検察の論理による逮捕のように思える。

昔、赤塚不二夫氏の漫画「天才バカボン」にしばしば登場する警察官の「本官さん」が、「タイホだ!タイホだー!」とわめきながら、空に向けてピストルをぶっ放す絵が印象的だった。今、特捜部がやっていることは、そのレベルだ。

 

取材してきた記者によると、特捜部は、逮捕についての副部長の記者レクを開いたが、「品川駅舎建設工事、名古屋駅舎建設工事が対象」と説明しただけで、質問には全く答えないとのことだ。

そもそも、独禁法違反の「不当な取引制限」は、「一定の取引分野における競争を実質的に制限する『相互拘束性』のある競争事業者間の合意があったこと」が必要だ。東京名古屋間のリニア工事“全体”というのであれば「一定の取引分野」と言えるだろうが、品川と名古屋の駅舎建設工事だけでは「一定の取引分野」の競争制限ではない。個別の物件の談合“的”行為に過ぎない。

仮に「品川と名古屋の駅舎建設工事」を「一定の取引分野」ととらえるとしても、受注しているのは大林と清水だけであり、大成、鹿島は、「協力しただけ」の立場だ。この場合に、「相互に(持ちつ持たれつの)関係を持って合意を実行する」という「相互拘束の関係」があったとは考えられない。

被疑者の逮捕にまで至った以上、起訴しないことは考えにくい。しかし、この事件の公判で、検察がまともに「独禁法違反の犯罪」を立証できるとは到底思えない。

それでも、敢えて、逮捕・起訴を行う特捜部や検察の幹部には、「無謀な起訴も、やってしまえば責任を問われることはない」という「打算」がある。起訴さえしてしまえば、公判は一審だけでも数年がかかり、最終的に結果が出るのは現在の検察幹部がすべて現場を離れてから、退職してからのことなので、現時点の特捜幹部・検察幹部にとって、責任を問われることはないという「責任回避のシステム」がある。だから、無謀極まりない特捜の起訴も、決して思いとどまろうとしないのだ。

 

独禁法は、経済社会における「公正かつ自由な競争」を法目的とする法律だ。その罰則の適用は、法目的実現の手段の一つだ。しかし、特捜部にとっては、独禁法という法律も、自らの都合で捜査権限を行使するための手段の一つに過ぎないと考えているのであろう。

大阪地検不祥事による批判を受け信頼を失墜しても、全くめげることも、反省することもなく、組織の体面維持と責任回避のために、捜査権限を私物化する「権力ヤクザ」そのものの特捜部の「独善」の実態が、今回の逮捕で改めて露わになったと言えよう。

 

 

 

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