安倍元首相殺害事件を踏まえ、安倍氏の政治手法が招いたリスクを考える

2022.07.17 theLetter 郷原信郎の「世の中間違ってる!」

安倍元首相殺害事件は、公衆の面前で行われ、犯人が現行犯逮捕されているので、殺害の外形的事実には争いはありません。捜査で解明すべき点は、犯行動機・背景に限られます。

一般的に、殺人事件等の犯罪の動機については、まず、被疑者に犯行の動機、犯行に至るまでの行動、犯行状況等について詳細に供述させ、そして、その供述の信用性を確かめるため、徹底した裏付け捜査を行います。

もちろん、被疑者が当初から真実を述べているかどうかはわかりません。何かの事情があって真実の動機を隠していることもあり得ます。しかし、現在は、被疑者が所持し、使用しているスマホ、パソコン等に残されてるデータ等に、様々な情報が記録されており、電話の通話記録も入手可能です。動機に関する被疑者の供述に不自然・不合理な点があったり、客観証拠と不整合な点があれば、それを手がかりに、被疑者を追及することも可能です。

突発的・衝動的な事件であればともかく、用意周到に犯行の準備をしていた場合には、その過程について詳細な裏付け捜査を行っていけば、被疑者が供述する動機が真実かどうかは、比較的早期に見極めがつくはずです。

山上容疑者の安倍元首相殺害事件についても、そのような捜査が、警察・検察によって徹底して行われているはずで、それによって、犯行動機・背景が解明され、最終的には刑事事件の公判で明らかにされます。

警察も、捜査の段階ですが、逮捕された山上徹也容疑者の供述内容を公式・非公式に公表しているようです。マスコミへの非公式な情報提供は、「リーク」ということになるわけですが、極めて社会的関心が高い事件であり、早期に供述内容が伝えられる社会的必要性もあることを考慮すれば、犯行動機等に関して、供述内容を正確に伝えるものである限り、警察の「リーク」も例外的に許容されると考えざるを得ないでしょう。

このような警察情報によると思われる報道によれば、山上容疑者は、

「母親が入信する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)にのめり込み、多額の寄付をした結果、破産し、家族がバラバラになった。」

「旧統一教会を日本に招き入れたのは岸信介元首相で、国内でそれを拡大させたのが安倍元首相だと信じていた。母親がこの教団にカネを注ぎ込みすぎて家庭が壊れた。絶対に許すことはできなかった。」

「教団トップを襲うことが現実的ではなかったため、ターゲットとしやすい安倍元首相に狙いを定めた。」

と供述しているとのことです。

現在の山上容疑者の供述内容が上記のとおりであることは概ね間違いないのでしょう。

このような山上容疑者の犯行動機についての供述を受けて、7月11日に、旧統一教会の田中富弘会長が記者会見を開きました。田中会長は、

山上徹也容疑者は、信者ではなく、信者であった記録も存在しないが、山上徹也容疑者の母親は教会員であり、これまでも1ヶ月に1回程度の頻度、教会の行事に参加してきた。

と述べ、

山上容疑者の家庭が破綻された諸事情は把握していないが、破綻されていたことは知っている。

収入の10分の1の献金を指導しているほか、特別な献金、結婚した感謝を捧げる献金等の高額の献金が「信者の意思」によって行われている。

2009年に、当時の法人会長が、記者会見して声明文を発表してコンプライアンスを強調し、それ以降、コンプライアンスの徹底を進めてきたので、それ以降トラブルはない。

安倍元首相が、友好団体が主催する行事にメッセージ等を送られたことはある。教団の韓鶴子総裁が主導し、推進している世界平和運動に対して賛意を表明してくれたもので、宗教法人・世界平和統一家庭連合の会員として登録されたこともなく、顧問にもなったこともない。

安倍元首相の祖父岸信介氏との関係は、法人との関係というより、創設者・文鮮明の推進する平和運動に強く理解を深めてくれた。

などと述べました。

これに対して、7月12日、旧統一教会による信者への献金・奉仕の強要の被害救済などに取り組んでいる「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、「連絡会」)が記者会見し、

今も同連合(世界平和統一家庭連合、旧統一教会)による信者への献金の強要に関する相談が寄せられている。元信者への返金を命じる民事裁判の判決が近年も相次いでおり、献金の強要はないという説明はウソ。

連絡会は、21年9月、同連合の友好団体のオンライン集会にビデオメッセージを寄せた安倍元首相に対し「『お墨付き』を与えることになる。安倍先生の名誉のためにも慎重に考えていただきたい」という抗議文も送っている。

などと述べました。

また、連絡会の紀藤正樹弁護士は、テレビ番組に出演し、

韓国では教祖が逮捕され、表立った活動ができなくなった。統一教会系団体がここまで自由に活動してるのは世界で日本だけ。自民党が統一教会にもっと厳しい態度をとっていたら、こんな事件が起きなかった可能性は高い。

などと述べています。

これらの他にも、新聞・ニュース・ワイドショー等では、旧統一教会の信者が多額献金で破綻に至っている問題や、信者二世の悲惨な実態などが連日取り上げられ、批判が高まっています。

山上容疑者の犯行動機の供述については、「教団への恨み」は理解できても、それを安倍元首相殺害に結び付けるのはやや飛躍しており、当初、理解し難い面があったことは確かです。しかし、今回の事件を機に、旧統一教会批判が世の中で急激に盛り上がりました。山上容疑者としても、安倍元首相を殺害すれば、それが、極めて重大な事件として社会の注目を集め、マスコミの報道も一色となることは間違いなく、犯行動機について「旧統一教会への恨み」を滔々と供述すれば、旧統一教会批判に火を付けることができると予想していたのかもしれません。

まさに、現在のような教団への批判状況になることを意図して、用意周到に安倍氏殺害のために銃の製造を続けていたとすれば、(そのような行動は絶対に肯定はできませんが)犯行動機としては理解可能だと言えます。

しかし、もともと安倍氏を支持する立場の人達には、事件を機に、旧統一教会をめぐる問題と信者や信者二世の問題が大きく取り上げられ、教団と自民党等の政治家との関係も指摘されることに我慢がならないようです。「安倍元首相が、旧統一教会への恨みによって殺害された」という事実自体を受け入れようとせず、根拠もなく「安倍元首相は政治的目的で殺害された」という話に、無理やり持っていこうとする動きも見られます。

それを煽るようなことを書き立ているのが、「東スポ」です。

「安倍元首相銃撃の山上容疑者の背後に2つの〝反アベ団体〟か 捜査当局が重大関心」

などと題する記事で、

山上容疑者はリベラル色が強い“反アベ”団体に所属していたのではないかと言われています。安倍氏の長期政権の“独善的”な姿勢を嫌う団体。会員は数千人規模です。

などという出所不明の話を書いています。

このような、根拠も示されていない凡そ新聞記事とは言えないものを真に受ける人は少ないでしょうが、看過できないのは、「東京地検公安部長」まで務めた元検事の弁護士までもが、奈良警察による安倍元首相殺害事件の捜査そのものに疑問があるかのようなことを述べていることです。

ネット記事によると、

「一連の流れから、容疑者は動機をあえて教団がらみにしようとしている可能性がある。」

「今回の犯行に関しては動機の解明が非常に重要。動機が宗教団体へのうらみなのか、政治的なテロなのかは大きな違いがある。」

「警備の問題にしても、動機が宗教団体であれば批判は弱くなるが、政治的なテロだとすれば大きくなる。奈良県警はどうも動機を宗教の方に持って行こうとしているようにも見える。動機についてはしっかり解明してほしい。」

と訴えたとのことです。

「動機が宗教団体であれば批判は弱くなるが、政治的なテロだとすれば大きくなる。」としていますが、確かに、「政治的テロ」であれば、公安当局として、そのような動きを察知できなかった責任も問題になるでしょう。しかし、だからと言って、警察が、警備の不備という重大な失態を犯した上に、犯行動機についても真実を覆い隠そうとする、というのは、あまりに飛躍しています。

既に各メディアで詳細に報じられているように、山上容疑者の母親が旧統一教会にのめり込み、1億円余りもの献金をして破産し、一家がバラバラになったという事実があったとしても、教団に恨みを持ったというのは「ウソ」で、本当の動機を隠して「あえて教団がらみにしようとしている」というのでしょうか。奈良県警にも、「教団がらみ」にしておいた方が好都合ということで本当の動機を隠して宗教の方に持って行こうとする合理的な理由があるとは思えません。 

前述したように、殺人事件の動機については、入念な捜査が行われているはずです。奈良県警が大規模な体制で捜査を行っている中で、「本当の動機」を隠してあえて教団がらみにしようとすることが可能だとも考えられません。

テレビ番組やネット記事でのこのような見解を真に受ける人がいれば、世の中に誤った先入観を与えることになり、前のニュースレター記事でも書いた、事件による社会の「二極化」を助長することになりかねません。

今回の事件を受けて、改めて「安倍政治」を振り返ってみると、政治権力を増大させることを極端にまで追及し、その政治権力によって批判を跳ねのけるというやり方が、第二次安倍政権の特徴だったと言えます。これは、第一次安倍政権の際、首相就任後の参院選で敗北し、「国会のねじれ」が生じて政権が行き詰り、健康面の理由で辞任を余儀なくされた経験が背景にあるのでしょう。

第二次安倍政権では、政権交代したものの国民の期待に応えられず政権を失った民主党の弱点を突いて「悪夢の民主党政権」と強調し、国民に「民主党に政権を渡すことの愚かさ」を強調しつつ、「衆議院の解散は首相の専権だ」として、選挙で勝つために最も都合の良い時期に解散のタイミングを設定し、実際に、国政選挙ではすべて圧勝して、「安倍一強」と言われる政治状況を作り出しました。

そして、集団的自衛権を容認する「解釈改憲」、安全保障法制、特定秘密保護法、共謀罪など、国論を二分するような問題でも、批判に対しては、国会での圧倒的多数を占めていることによる「政治権力」で押し切る、という方法を貫きました。

外交でも、日米豪印戦略対話(クアッド首脳会議)を実現するなど、大きな成果を残しましたが、これも、国内での政治基盤が安定していたからこそ可能になったことです。

これらの第二次安倍政権の成果については、その賛否について意見の対立がありますが、いずれにしても、かつてないほどの大きな仕事を成し遂げたことは間違いありません。

このような、政治権力を増大させてあらゆる批判を力で押し切る、という手法は、森友・加計学園問題、「桜を見る会」問題など、安倍首相ないし安倍政権をめぐる「疑惑」が表面化した際にも、同様に用いられました。

森友学園問題では、

「私や妻が関わっていたら総理も議員もやめる。」

と答弁して、野党の追及姿勢に自ら火に油を注ぎました。

加計学園問題では、自らがトップを務める内閣府の下での国家戦略特区の枠組みの下で、「総理のお友達」が優遇された疑惑を招いたことについて、利益相反が生じる得る枠組みについて相応の改善措置をとるという対応をとっていれば早期に収拾が可能だったのに、

「関係法令に基づき適切に実施している。」

と答弁するだけで全く問題ないとする姿勢を貫いたために、「安倍首相の指示の有無」という、いずれの立場からも立証が困難な事項をめぐって、不毛な国会論争が続きました。

客観的に見ても、極めて拙劣な「危機対応」であり、それによってかえって批判が増幅することとなりましたが、そのような批判も、国会での絶対多数を背景とする政治権力で押し切ったのです。

そして、そのような安倍首相に説明責任を拒否する姿勢に対して、野党、マスコミからの追及が高まると、逆に、安倍氏を支持する勢力からは、野党、マスコミの追及に対して「批判のための批判だ」とする批判が行われ、それは、日本の政治、社会の「二極化」を招きました。

こうした中で、政権から遠ざかっている野党は、内部対立・分裂を繰り返し、ますます勢力を弱め、相対的に安倍政権の政治的権力をさらに増大させることになりました。

このような第二次安倍政権下における安倍氏の政治手法の下で、自民党が選挙で勝利することに貢献していたのが、「旧統一教会関係者による無償の選挙協力」であったことが、今回の事件を機に次第に明らかになりつつあります。

90年代に「霊感商法」など多くの問題を起こした旧統一教会に対して、自民党議員などもある程度距離を置いていたのですが、露骨に関係が深まっていたのが、第二次安倍政権になってからだとされています。そこには、選挙で政権の基盤を固め、さらに政治権力を増強させるためには手段を選ばないという、安倍政権の姿勢が関係していた可能性があります。

一方で、旧統一教会との関わりを深めることによって、そのような教団への多額の献金で経済的に困窮し、家族が崩壊し、人生が破壊された信者、元信者、その家族、信者二世などの「怨念」が自爆的な犯罪につながる危険を生じさせたとも考えられます。

選挙で勝ち、政治権力を増大させるために手段を選ばない、という方法を徹底したことは、安倍氏が大きな政治的実績を残すことにつながりました。しかし、その偉大な政治家には、社会の最底辺で絶望に追い込まれる人達の窮状は全く視野に入っていなかった。政治権力者が、自爆的な犯罪によって攻撃されるリスクを高めることになったのではないでしょうか。

皮肉にも、そういう「究極のリスク」を自ら高めてしまったことを認識せず、「日本は安全な国」と確信していた安倍元首相は、奈良駅前での街頭演説中にそのリスクが突然現実化したことで、命を絶たれることになりました。

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「安倍元首相殺害」は“一つの刑事事件”、まずは真相解明を

7月8日正午頃、安倍元首相が街頭演説中に銃撃されるという衝撃のニュースが飛び込んできた。何とか一命をとりとめてもらいたいとの祈りも空しく、同日夕刻、亡くなられた。

私は、森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題など、安倍首相をめぐる問題が表面化する度、私独自の視点で、安倍氏を厳しく批判してきた。まさに、私にとって、言論で戦い続けてきた最大の権力者が、安倍氏だった。政権の座から離れているが、いずれまた政権に復帰してくる可能性もあり、今後も、私の「権力との戦い」の相手だと思っていた。まだまだ批判し、戦い続けたかった。それだけに、私にとっても、安倍氏の突然の死去は衝撃であり、言いようのない喪失感を味わっている。

安倍晋三氏に、心からご冥福をお祈りします。

参議院選挙最終盤にもかかわらず、史上最長の在任期間を誇った元首相の突然の死去の報道一色となったが、この事件のマスコミの受け止め方、取り上げ方には、疑問な点が多々ある。

今回の事件の発生直後から、

「言論を暴力で封じ込める行為」

「自由な民主主義体制を破壊する行為」

などの言葉が、当たり前のように使われていることには違和感を覚える。

参議院選挙の投票日の2日前に、その参議院選挙の応援のための街頭演説を行っていた最中に起きた事件であり、それが、選挙に多大な影響を生じさせたことは間違いない。しかし、犯罪の動機が、選挙運動の妨害などの政治的目的であったとする根拠は、今のところない。選挙期間中の街頭演説中の犯行だったことだけで、反抗の政治性や、選挙との関連性を決めつけた見方をすることは、逆に、選挙や政治に不当な影響を与えることになりかねない。

そのような見方は、逆に、本件を政治的目的によるテロであるかのような誤解を生み、模倣犯の発生につながる可能性もある。

ここで、間違いなく言えることは、今回の安倍氏殺害は、「選挙期間中に選挙の街頭演説中の政治家が被害にあった」という特異性はあっても、あくまで「1件の刑事事件」だということだ。被疑者は、今後、刑事訴訟法の手続にしたがって、証拠取集が行われ、起訴され、刑事裁判で判決が言い渡されて処罰されることになる。そして、最終的には、刑事裁判での事実認定によって、この安倍元首相殺害事件というのが、どのような動機・目的で行われた事件だったのかが明らかになる。

逮捕された山上徹也容疑者は、警察の取調べに対して、特定の宗教団体の名前を挙げて

「恨みがあった。団体のトップを狙うつもりだった」

「(安倍氏が)団体とつながりがあると思った」

「母親が(この宗教団体の)信者で、多額の寄付をして破産したので、絶対に成敗しないといけないと思っていた」

と供述しているとのことだが(読売)、そうであるとすると、政治的目的はなく、個人的な恨みを動機とする犯行を行うに当たって、それが可能だと考えた現場が、たまたま選挙演説の場だったことになる。

仮に、動機が、「特定の宗教団体に対する恨み」であったとして、その恨みを安倍元首相に向ける理由があったのかどうかは別の問題だ。

しかし、2021年9月17日に、全国の弁護士300名からなる「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が、特定の宗教団体について、

信者の人権を抑圧し、霊感商法による金銭的搾取と家庭の破壊等の深刻な被害をもたらしてきた問題について、国会議員や地方議員が特定の宗教団体やそのフロント組織の集会・式典などに出席し祝辞を述べ、祝電を打つという行為が目立っており、宗教団体に、自分達の活動が社会的に承認されており、問題のない団体であるという「お墨付き」として利用されている

として、安倍晋三衆議院議員宛てに公開抗議文を送付していた事実がある。

「特定の宗教団体」によって親族が深刻な被害を負ったことを、安倍元首相への恨みに結び付けることも、それなりの理由があるのかもしれない。

いずれにしても、本件の犯行動機が何なのかは、今後、刑事事件の捜査・公判を慎重に見極めていかなければならない。

また、2019年7月の参議院議員選挙期間中に、札幌市内の街頭演説において、安倍首相の演説に対して路上等から声を上げた市民らに対し、北海道警察の警察官らが肩や腕などを掴んで移動させたり長時間に亘って追従したりした問題について、警察官らによる行為は違法だとして市民らの国家賠償請求の一部を認容した判決が出たことを、本件で安倍元首相の演説の際の警備の支障になったかのような見方もある。

しかし、「声を上げて批判すること」と、「物理的に抹殺しようとすること」とは全く次元の異なる問題だ。

安倍氏銃撃の際の映像が繰り返し放映されているが、現場で警護に当たっていた警察官が、安倍氏と同じ視線で聴衆の方にばかり目を向けていたために、後方から安倍氏に接近して自作銃を発射した犯人に気付かなかったことが警護上の問題として指摘されている。

なぜ、聴衆の方にばかり目を向けるのか。

「安倍帰れ!」というような聴衆からの反応の方に注意を向け過ぎたために、後方への警戒が疎かになったとすれば、むしろ、札幌地裁判決にもかかわらず「聴衆側からの批判的な言動に対しての警戒」を重視したことが、「聴衆ではない殺人者からの襲撃」に対して無防備な状況を作ってしまったと言えるのではないか。

「声を上げて批判すること」と、「物理的に抹殺しようとすること」の二つを混同するような見方をすることは、民主主義に対する重大な脅威になりかねないだけでなく、要人警護に対しても不備を生じさせるものでしかない。

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「軽井沢バス事故の原因」についての再考察~事業用自動車事故を「運輸安全委員会」の対象にすべき

2016年1月、長野県軽井沢町で、スキー客の大学生らを乗せた大型バスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。乗員2人を含む15人が死亡、26人が重軽傷を負う事故が発生した。

長野地検は、事故から5年後の2021年1月に、バスの運行会社「イーエスピー」の社長と、運行管理者だった元社員の2人を業務上過失致死傷罪で在宅起訴し、長野地裁で公判審理が続いている。

検察側は、「大型バスの運転に不慣れで山道の走行経験も十分でない運転手が、速度超過でカーブを曲がりきれなかった」と事故原因をとらえ、それを前提に、運行管理者について、「死亡したバス運転手が大型バスの運転を4年半以上していないことを知りつつ雇用し、その後も適切な訓練を怠った過失」、社長については、「運転手の技量を把握しなかった過失」が事故につながったと主張している。それに対して、被告・弁護側は、「死亡した運転手が技量不足だとは認識しておらず、事故を起こすような運転を予想できなかった」と無罪を主張している。

6月2日の公判では、死亡した運転手のT氏を運行会社に紹介した同僚のO氏が出廷し、証人尋問が行われた。

事故原因とされた「運転手の技量の未熟さ」について直接知り得る立場にあるO氏は、事故直後から、事故に関する発信を続けてきた。検察庁でも、多数回、取調べを受け供述調書もとられたようだが、検察官は、供述調書の証拠請求も、証人尋問請求も行っていない。今回、証人尋問を請求したのは弁護側だった。事件について重要人物が、ネットで供述を公開し、その後に証人尋問が行われるというのは、異例のことだ。その「異例の証人尋問」を直接見極めるため、長野地裁に赴き公判を傍聴した。

O氏は、弁護側からの質問に答えて、事故直前に、T氏が運転する大型バスに同乗した際の経験に基づいて「T運転手の運転技術が未熟ではなかったこと」を証言した。

検察官は、事故直後のブログの記載との矛盾などを指摘し、供述の信用性を争おうとしていたが、あまり効果を上げたようには思えなかった。むしろ、O氏のブログのことを公判廷に持ち出したことが今後の公判の展開に影響するように思えた。

公判は、次回以降、被告人質問、論告・弁論が行われ、最終盤を迎える。

警察は事故後1年半で在宅送致、事故から5年後にようやく起訴に至った。警察の事故原因では、「運転手はなぜフットブレーキを踏まなかったのか」という疑問があり、それについて「予見可能性」の立証が難しいことが検察の捜査長期化、処分遅延の理由だろう。

判決では、事故原因自体についての検察の主張を前提に、「予見可能性」の有無の判断だけで結論が決まる可能性が高い。有罪無罪いずれであっても、事故原因自体について裁判所が警察・検察の認定と異なった判断を示す可能性は低い。

事故発生以来の事故原因究明の経過を、報道で振り返り、問題点を指摘してみることとしたい。

事故発生以降の報道に見る事故原因の特定の経過

この事故による死者は15人、そのうち、乗客が13名、乗員が2名である。

警察の過失運転致死傷の送致事実のとおり、運転手の過失によって事故が発生し、乗客が死亡したのであれば、運転手が加害者、乗客が被害者ということになる。

しかし、もし、車両の故障や整備不良による事故で、運転手には事故が回避できなかったのだとすれば、運転手も含め、事故車両に乗車していた人間は、全員「被害者」となる。

2016年1月15日未明の事故発生直後の報道からすると、事故発生直後の警察捜査は、運転手が加害者か被害者か、いずれの可能性もあり得るとの想定で行われていたと思われる。

地元紙信濃毎日新聞の1.16夕刊では、

転落場所直前の路面に1本だけタイヤ痕が残っていたことから、県警の捜査本部が、バスは何らかの原因で制御不能になり、片輪走行の状態になって転落したとの見方を強めている。

車両の故障や運転手の体調不良など、ガードレールに衝突した原因の解明が捜査の焦点の一つ。県警は、バスを運行した「イーエスピー」(東京都羽村市)の契約社員で、死亡したT運転手(65)=東京都青梅市=の遺体を司法解剖し、死因を調べている。道路の構造に大きな問題は見つかっていないという。

同紙1.18朝刊では、

運転手の居眠り運転や運転ミスが原因との見方が浮上しているが、バス自体の不具合も考えられるため、捜査本部は18日から車体を検証して事故原因の解明を進める。17日、バスを軽井沢署から上田市にある自動車メーカーの工場に移送した。

同紙1.19朝刊では、

現場の手前約100メートルにある道路左側のガードレールには、バスがぶつかったとみられる損傷があった。タイヤ痕はこの損傷のさらに手前で始まっており、ガードレールぎりぎりの場所に続いていた。

捜査本部による乗客への聴取で、バスは事故直前に蛇行していた様子が判明。ガードレールに衝突した後の急ハンドルで、逆に車体右側に重心がかかって片輪走行の状態となり、現場のガードレールを突き破ったとみられている。転落した場所直前の路面にも、バス右側とみられるタイヤ痕が1本残っていた。

捜査本部は18日、上田市の自動車メーカーの工場に運んだバスの検証を19日午前に始めると明らかにした。速度や距離を自動的に記録する運行記録計(タコグラフ)の記録や、車両の不具合の有無なども調べる。

とされている。

少なくとも、この時点までは、事故原因として、体調不良などの運転手の側の問題と、車両の故障、整備不良などの車体の不具合の問題の両方が想定されていたことが窺われる。

ところが、事故車両のバスは、17日、軽井沢署から上田市にある自動車メーカーの工場に移送され、19日午前から検証が開始された。この「自動車メーカーの工場」というのが、「三菱ふそうトラック・バス 甲信ふそう上田支店」であり、本件事故車両のメーカーである三菱ふそうトラック・バス(以下、「三菱ふそう」)の整備工場である。

この検証開始の翌日の1.20朝刊では、

現場の約250メートル手前に設置された監視カメラに、事故を起こしたとみられるバスが蛇行しながら走る様子が写っていることが19日、国土交通省への取材で分かった。県警の捜査本部もこの映像を入手。死亡した運転手が大型バスに不慣れだったとの情報があることから、運転技術に問題がなかったか捜査する。

バスの運行会社「イーエスピー」(東京)によると、死亡したT運転手(65)は昨年12月の採用面接で「大型バスは慣れておらず、苦手だ」という趣旨の話をしていた。

と、「運転技術の問題」が、にわかにクローズアップされる。

 同日の記事では、

自動車はフットブレーキを過度に使うと利きが低下する「フェード現象」が発生する。事故現場は国道18号碓氷バイパスの長野・群馬県境の入山峠から下って約1キロ地点。バスが何らかの理由でフットブレーキを多用した可能性もある。同センター調査部によると、ブレーキ部品を解析すればフェード現象が起きていたかどうかが分かる。

一方、三菱ふそうバス・トラックによると、今回のバスはフットブレーキやサイドブレーキのほか、エンジンの排気に圧力をかけてエンジンブレーキの効果を増す補助ブレーキ「排気ブレーキ」も装備。フットブレーキを多用しなくても峠を下る手段はあったとみられている。

とも書かれており、この時点での「運転技術の問題」は、フットブレーキを多用したことによって「フェード現象」が起き、ブレーキが利かなくなったことが想定されていたものと思われる。

ところが、21日には、「軽井沢署の捜査本部による事故車両の検証の結果、バスのギアがニュートラルになっていた可能性がある」、同22日には、「一方でフットブレーキには目立つ異常がなかった。捜査本部は、バスは何らかの異常により下り坂で速度を制御できなくなり、事故現場の左カーブを曲がりきれずに転落した可能性があるとみて調べている。」と報じられ、この頃から、「運転手のミスで、ギアがニュートラルのまま速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーが、徐々に固まっていく。

28日の同紙朝刊では、

軽井沢署の捜査本部による原因究明作業は、バスのギアがなぜニュートラルになっていたかが大きなポイントだ。ニュートラルではエンジンブレーキが利かず、速度の制御は難しい。現場の国道18号碓氷バイパスで運転経験がある大型バス運転手や、事故分析の専門家は、操作ミスが原因との見方を示している。

としている。

「捜査本部は車両の不具合の可能性も視野に入れ、慎重に調べている。」とも書かれているが、実際に、この時点で、「車両の不具合」について、何か具体的に調べていたという話は全くない。この頃以降の報道では、「運転手の操作ミスによってニュートラルで走行した」ということが強調されていく。

そして、それ以前から報じられていた、「死亡したT運転手が『大型バスは慣れておらず、苦手だ』と言っていた」という話と関連づけられ、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーを前提に、刑事事件についての警察の捜査と、事業用自動車事故調査委員会(以下、「事故調査委員会」)の調査が行われていった。

警察の書類送検、検察の捜査・処分、事故調査委員会報告書公表

そして、長野県警は、翌2017年6月27日、死亡したT運転手を自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で、運行会社「イーエスピー」の社長と運行管理者だった元社員を業務上過失致死傷容疑で、長野地検に書類送検した。送致事実は、T運転手(被疑者死亡)については、

「運転技術に習熟していなかったため操作を誤り、時速96キロで道路右のガードレールに右前部から衝突し、ガードレールをなぎ倒して約5メートル下の崖下にバスを転落させた過失」

社長と運行管理者については、

「大型バスの運転に不慣れなT運転手に運行管理上実施すべき教育などの指導監督を怠った過失」

だった。

その2日後の6月29日に公表された事故調査委員会の報告書も、警察の送致事実と平仄を合わせたものだった。事故原因については、以下のように記載されている。

事故は、貸切バスが急な下り勾配の左カーブを規制速度を超過する約 95km/h で走行したことにより、カーブを曲がりきれなかったために発生したものと推定される。

事故現場までの道路は入山峠を越えた後にカーブの連続する下り坂となっているが、貸切バスの運転者は、本来エンジンブレーキ等を活用して安全な速度で運転すべきところ、十分な制動をしないままハンドル操作中心の走行を続けたものと考えられ、このような通常の運転者では考えにくい運転が行われたため車両速度が上昇して車両のコントロールを失ったことが、事故の直接的な原因であると考えられる。

同運転者は、事故の 16 日前に採用されたばかりであったが、事業者は、同運転者に健康診断及び適性診断を受診させていなかった。また、大型バスの運転について、同運転者は少なくとも5年程度のブランクがあり、大型バスでの山岳路走行等について運転経験及び運転技能が十分でなかった可能性が考えられる。このような同運転者に事業者が十分な指導・教育や運転技能の確認をすることなく運行を任せたことが事故につながった原因であると考えられる。

そして、警察の書類送検の後、長野地検の捜査は長期化し、刑事処分が行われたのは、送致から3年半後の2021年1月だった。結局、T運転手を「被疑者死亡」で不起訴にしたほか、社長と運行管理者については、送致事実とほぼ同様の過失で、業務上過失致死傷罪に当たるとして起訴されたものだった。

「運転手のミス」と「車両の不具合」の関係

事故に関して、客観的事実として間違いなく言えることは、以下の2点である。

第1に、T運転手は、体調面の問題はなく、意識喪失、自殺、いずれの可能性もない。事故車両が道路から転落する直前まで、事故回避のための措置をとり続けていた。

第2に、事故車両が事故直前の下り坂を走行する際に、ギアはニュートラルであり、エンジンブレーキが利かない状況だった。しかし、エンジンブレーキが利かなくても、フットブレーキが正常に機能すれば、安全に停止できた。

 ということは、直接の事故原因は、次の二つに集約できる。

(1)T運転手が、フットブレーキを踏めば安全に停止できるのに、何らかの事情で、フットブレーキを踏まずに下り坂を走行した。

(2)T運転手は、フットブレーキを踏んで減速しようとしたが、何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが利かず、減速できなかった。

(1)であれば、運転手は、自らも死亡しているが、「加害者」の立場、(2)であれば、乗客やもう一人の乗員とともに「被害者」の立場となる。

そのいずれであったのかで、警察の捜査の方向性は全く異なってくる。

事故原因究明のための警察捜査は、(1)(2)のそれぞれについて、原因となるあらゆる要素を想定し客観的な立場で、その可能性、蓋然性の有無を検討していくことが必要となるはずだ。

長野県警の捜査は、事故直後は、(1)(2)のそれぞれを想定して行われていたと思われるが、1月17日に、事故車両のメーカーである三菱ふそうの整備工場に事故車両が持ち込まれて検証が開始されて以降は、(1)の方向に集中していく。そして、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーに収れんしていく。

一方で、(2)については、具体的にどのような捜査が行われたのかも明らかにされていない。

そもそも、(2)の方向の事故原因の可能性について検討するのであれば、事故原因如何では重大な責任を負う可能性のある事故車両のメーカーの整備工場に事故車両を持ち込むこと自体に重大な問題がある。本来、事故車両と無関係な整備工場に運び込んで、第三者的な立場の専門家による検証を行うべきであった。三菱ふそうの整備工場で事故車両を検証することにした時点で、(2)の方向での事故原因は、事実上棚上げしたように思える。

事故原因から(2)を排除することになると、 (1)しか残らないことになるが、この警察ストーリーに対しては、当初から疑問視する見方があった。

「鑑定士のブログ」での指摘

事故直後から、「鑑定士のブログ」と題する個人ブログで、事故に関する発信を続けてきたO氏は、事故当時、運行会社のイーエスピーに勤務していた大型バス運転手であり、事故で死亡したT運転手を同社に紹介した人物であり、T運転手の運転技術のレベルを最もよく知る人物だ。

1月24日のブログでは、以下のように述べて、T運転手の運転ミスが事故原因だとする警察の見方に疑問を呈している。O氏が、事故原因が運転技量の問題とされたことについて、亡くなったT運転手に代わって、反論を述べているように思える。

まず、T運転手の運転技量について、

Tは、大型ダンプと中型バスの経験はしっかりとあり、合計で20年以上の運転経験から考えたら、同じシステムのブレーキやシフト関連での経験不足という事はあり得ないし、大型ダンプの車幅はバスと同じ、長さの違いさへ(原文ママ)クリアすれば、大型バスへの移行はそんなに難しい事ではない。

現在では、中型バス以上や4t以上の車では、シフトレバーはフィンガーという形式が大多数で、昔ながらの棒シフトは、皆無と言って良いほど少ない。

と述べている。

この点に関連して、事故現場に至るまでのルートについて、以下のように指摘している。

国道18号線を高崎市から事故現場まで走行すれば判る事だが、あの下り坂に近い道路状態は幾つかある。

安中市から碓氷バイパスに至る途中の、松井田から横川付近は、急な下り坂にカーブもあり、あの事故現場と同等か、それ以上の危険を感じる場所もある。

松井田妙義インター手前の急な下り坂にカーブ、その先の陸橋からインターに至る下り坂のカーブ、それを通過して、釜飯のおぎのやさんに至る下り坂とカーブに、碓氷バイパスと旧道の分岐のカーブに下り坂。

それらを丁寧にクリアし、急カーブが続く急な登り坂をクリアしたからこそ、お客様は寝ていたのであり、あの1キロ地点では、ブレーキも適切に使っていたと考えるのが正しい。

つまり、O氏は、事故に至るまでにT運転手が運転したと考えられる同様の下り坂の個所を、具体的に挙げ、T運転手の運転技術が未熟であったために下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を問題なく安定走行していたことの説明がつかないと指摘しているのである。

そして、O氏のみならず、誰しも思う当然の指摘をしている。

場所は下り坂だ。

スピードが上がってくる。

経験の有無より、まずは全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。

緩やかな下り坂なら、制動に排気ブレーキを選択したとしても、運転者なら制動を選択する。

つまり、余り排気ブレーキが効かなかったとしても、当然シフト操作と同時かそれよりも優先して、フットブレーキを踏んでいなければならない。

これはお客様の為に以前の問題で、減速しなければ事故になるし、事故になれば自分も無事には済まないし、死ぬかも知れない。

自分の保身の為にも絶対にフットブレーキは使ったはずだ。

スピードが上がって怖くなったら、新米だろうがベテランだろうがブレーキは踏んで当然。

「全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。」というのは、あまりにも当然であり、「運転未熟のために、ギアをニュートラルにしたまま、加速しているのにフットブレーキを踏むこともなく、漫然と下り坂を下っていった」という警察のストーリーは、運転者の行動としてあり得ないという指摘だ。

O氏は、T運転手の運転技能に関する極めて重要な関係者である。それに加え、大型バス運転手としても、本件事故現場を含む道路での豊富な運転経験がある。

T運転手の運転技量の程度については、T運転手がイーエスピーに採用された後に、大型バスの運転技量を確かめるために試乗したのは、O氏とM氏の2人である。O氏が、「乗客を乗せて大型バスを運転するに十分な技量を備えていた」と証言するのに対して、M氏は「運転が未熟だった」と証言している。いずれの証言が信用できるかが問題になるが、O氏は、事故直後から、ブログで、事故の被害者・遺族に対して、謝罪の言葉を繰り返しつつ、一貫して、T運転手の運転技量には問題なかったと述べており、しかも、O氏は、事故の5カ月後の6月に、遺族と直接会って、同様の説明をしている。その理由について「ご遺族の悲しみが少しでも癒えるなら……それがお会いする俺の唯一の理由です。」とブログで述べている。

O氏にとって、T運転手の運転技量が乗客を乗せて大型バスを運転させるのが危険なほど未熟であったのに、敢えて紹介したとすれば、事故について責任の一端があるということになる。検察官は、その責任を回避しようとする動機があると主張するのかもしれない。しかし、O氏は、事故後、イーエスピーを退社しており、責任と言っても、法的責任ではない、むしろ、発言を動機づけているのは、遺族に対する謝罪の気持ちと、亡くなったT運転手の無念を晴らしたいという思いであろう。O氏が、認識に反することをブログで述べたり、法廷で証言したりするとは思えない。

そういう意味では、T運転手の運転技量については、O氏のブログの内容も、公判証言も、信用性が十分に認められると言えよう。

O氏の供述は、警察が事故原因を(1)の方向でとらえて業務上過失致死傷罪を立件する上で、大きな障害になるものだった。

「ブレーキの不具合」の可能性

一方、(2)の「事故発生時のブレーキの不具合」が原因だとすると、事故車両は、事故現場の碓氷峠の下り坂に差し掛かるまでに、同様の下り坂を問題なく走行していたのであるから、少なくとも、その時点まではブレーキに異常がなく、事故現場に差し掛かる下り坂で、突然、ブレーキに異常が生じたことになる。そのようなブレーキの故障が発生する可能性があるのかが問題になる。

この点について、自動車評論家の国沢光宏氏は、事故後早くから、以下のような指摘を行っていた。(当初は、ヤフーニュースに投稿されていたようだが、現在は削除されている。同氏の見解を支持する【群馬合同労組のサイト】に転載されている)。

そこで問題になるのが(ブレーキ)エアで作動する部分の凝水です(空気タンクには水が溜まる)30年程前よりエアドライヤという除湿装置が装備され凝水はほとんどなくなりましたが全くゼロでははありません。…外気温は低かったでしょうから凍結することは十分考えられます。坂を下り始めて排気ブレーキなりクラッチなりフィンガーシフトなりを操作した際にエアが流れ氷の固まりがどこかに詰まったと考えられます。」「エアブレーキ系の配管が凍結したことによる事故であれば、溶けた時点で原因全くわからなくなる。しかも全て正常に見えてしまう。

なお、国沢氏は、【最近のブログ記事】でも、刑事公判の動きに関連して、事故原因について同様の見解を述べている。

このような「エアタンク内に水が溜まり、エアブレーキ系の配管が凍結した」というのは、本件事故に至るまでの走行状況とも整合する。碓氷峠の頂上まで長い上り坂の間は、ブレーキは使わず、アクセル操作だけであり、その間に氷点下の気温で配管内の凍結が生じ、下り坂になって急にブレーキが利かなくなった可能性もある。

事故原因の解明を警察捜査の結果だけで終わらせてよいのか

長野警察の捜査では、本件事故の原因は、前記(1)の「運転手が大型バスの運転未熟のために操作を誤り、下り坂をニュートラルで走行したために、制御不能となった」と特定された。しかし、これについては、未だに多くの疑問がある。

「T運転手の運転技術が未熟であったために、下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を、問題なく安定走行していたことの説明がつかない」

「全ての運転者は、危険を感じたらブレーキ(制動)を踏むはずだ。」

など、T運転手の同僚のO氏も、【鑑定士のブログ】で指摘しているとおりだ。

一方、警察の捜査結果や事故調査委員会報告書で、「想定されるもう一つの原因」である前記(2)「何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが効かず、減速できなかった」との原因の事故であることを否定するに十分な根拠が示されているといえるのか、疑問だ。

もっとも、刑事裁判で、弁護側は、この事故原因の問題は主たる争点にはしていないようだ。公判では、最大の争点は、検察が主張する前記(1)の事故原因についての被告人らの「予見可能性」であり、その事故原因に多くの疑問があるということは、そういう原因で事故が発生することの予見が困難だと主張する根拠にもなるので、その分、検察の有罪立証のハードルを高めることになる。弁護側が、公判戦術として、「事故原因」をあえて争わず、「予見可能性」に争点を絞るのは、ある意味で合理的と言えるだろう。

しかし、重大事故の真相解明は、刑事責任の追及のためだけに行われるものではない。

将来への希望に胸を膨らませていた多くの若者達の生命が一瞬にして奪われた重大事故が、なぜ発生したのか。真の原因を究明することは、同様の悲惨な事故を繰り返さないために、社会が強く求めるものであると同時に、尊い肉親の命を奪われた遺族の方々の切なる願いだ。

この重大事故を「社会に活かす」ためにも、真の事故原因の究明に向けての取組みは、刑事裁判とは離れるとしても、可能な限り行っていくべきではなかろうか。そのためには、警察が特定した前記(1)の「運転未熟」による事故原因に対する疑問に向き合うこと、そして、前記(2)の「ブレーキの不具合」を否定する根拠が十分と言えるのか、改めて検討する必要があるのではないか。

警察の事故原因特定に対する疑問

警察が、「ブレーキの不具合」を否定した根拠は、「事故の検証でブレーキに不具合が発見されなかったこと」に加えて、事故現場手前に残る2カ所のバスのタイヤ痕が「ブレーキ痕」だとする科学捜査研究所の鑑定結果だ。

2016年1月30日の【タイヤ痕は「ブレーキ痕」】と題する毎日新聞記事は、

捜査関係者によると、現場直前にある右車輪だけのタイヤ痕と、さらに約100メートル手前の車体との接触痕が残るガードレール付近にある左車輪のタイヤ痕を詳しく検証。どちらもタイヤパターンが読み取れるものの筋状にこすれるなどしており、フットブレーキを踏んだ際の摩擦で付いた痕跡と判断した。高速で車体の荷重が偏ったまま曲がる際にも同様の痕跡が付くとの指摘があるが、捜査関係者は「現場のカーブの角度では可能性は低い」とみている。

と報じている。

このようなタイヤ痕が「ブレーキ痕」だとする見方が、その後、科捜研の正式の鑑定書の内容とされ、刑事公判での証拠とされているものと思われる。

しかし、事故直後の報道では、現場検証を行った警察は、居眠り運転やフットブレーキの踏み過ぎによる「フェード現象」などを想定していたようであり、むしろ、「フットブレーキでの制動が働かなかった」と見ていたように思える。

多数の死傷者が出た重大事故であるだけに、事故直後の事故現場の検証も相当入念に行われ、現場のタイヤ痕から得られる情報を、警察の現場なりに推定しつつ、捜査が進められたはずだ。その時点では、現場のタイヤ痕は「フットブレーキが機能した痕跡」とは見られていなかったということだろう。

事故直後、国交省の依頼で、事故車両の走行状況を記録した監視カメラの映像や、事故現場の道路を撮影した写真等を解析した日本交通事故鑑識研究所の見解でも、

転落直前の路面に残ったタイヤ痕は「遠心力を受けながら右に横ずれしていく時、車体右側のタイヤが残した跡に見える。運転手はフットブレーキを使っていなかった可能性がある

とされていた(1.21 信濃毎日)

ところが、その後、自動車評論家の国沢氏などからブレーキの不具合の可能性が指摘されるや、それを打ち消すかのように出てきたのが、タイヤ痕が「ブレーキ痕」だという話だった。

上記の毎日新聞の【タイヤ痕は「ブレーキ痕」】と題する記事では、

乗客・乗員15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故で、現場手前の「碓氷(うすい)バイパス」に残る2カ所のバスのタイヤ痕について、県警軽井沢署捜査本部が「ブレーキ痕」とみていることが捜査関係者への取材で分かった。死亡したT運転手(65)が少なくとも2度フットブレーキを踏んだが十分に減速できなかったことを示している。

事故が29日に発生から2週間を迎えた中、捜査本部は、運転手が大型バスに不慣れだったことが事故につながったとの見方を強めている。

などと、事故現場周辺のタイヤ痕がブレーキ痕であることが判明して「運転手が大型バスの運転未熟のために操作を誤った」という警察のストーリーが裏付けられたかのように報じられている。

しかし、私が記事検索を行った範囲では、この頃、「ブレーキ痕」について報じたのは同記事だけであり、地元紙も含め他の記事は見当たらない。

そして、それから約1年半後、長野県警の書類送検の2日後に公表された【事故調査委員会報告書】では、事故現場付近のタイヤ痕については、

センターライン付近からガードレール付近まで続くタイヤ痕は、遠心力により右側タイヤに荷重が偏り、かつ、同タイヤが横方向にずれたためにその痕が濃く付いたものと推定される

と書かれ、タイヤ痕は車体の傾きによって生じたものとされており、「ブレーキ痕」とは一切書かれていない。

事故調査委員会報告書は、事故原因について警察の捜査結果を参考にした上で取りまとめられたものである。同報告書で、事故現場付近の道路上のタイヤ痕が、事故時にブレーキが有効に機能していたことの根拠とされていないのは、事故調査委員会としては、タイヤ痕が「ブレーキ痕」であることに疑問を持っていたからだと考えられる。

このような経過からも、やはり、「事故時のブレーキの不具合の発生」を否定する根拠が果たして十分なのか、疑問が残ると言わざるを得ない。

事故調査委員会報告書に対する自動車エンジニアの疑問

もし、「事故時にブレーキが効かなかった」のが事故原因だとすると、その直前まで安定走行ができていたのに、碓氷峠の下り坂に至って、突然、ブレーキが効かなくなったのはなぜか、という点が問題になる。そこで想定される原因の一つが、「エアタンク内に水が溜まり、エアブレーキ系の配管が凍結した」という国沢氏の指摘だ。

このような指摘は、事故調査委員会でも把握していたようであり、報告書では、

ブレーキ用エア配管は車体内部に配管されており、外気にさらされていないことや、事故後、後輪ブレーキ用エアタンクからの水分の流出はなかったことから、ブレーキ用エア配管等の内部での凝結水の凍結によるブレーキ失陥が生じてはいなかったと考えられる。

とされている(55頁)。

このような報告書の内容に関しては、私のところに、事故原因に関する見解を寄せてくれた自動車エンジニアの方が、次のような疑問を指摘している。

大型バスの一般的な構造からすると、ブレーキ用エア配管全体が車体内部に配管され、外気にさらされていないというのは考えにくく、タンクより先の様々なバルブ類、ブレーキ本体部品の解体を行って確認しなければ、凍結の原因となった擬水の有無はわからないのではないか。

コンプレッサにより加圧された、水分を含んだ圧縮空気を乾燥させるエアドライヤと呼ばれる装置のメンテナンスが行われていたかも確認が必要で、不具合が有った場合は、水分や油分がエアブレーキのシステムに悪影響を及ぼしていた可能性も考えられる。

ブレーキライニングの分解確認だけでは、ブレーキの不具合の有無は判断できないのではないか。

三菱ふそうの整備工場で行われた本件事故車両の「ブレーキの不具合の有無」に関する検証は、上記のような疑問に答えられるだけものだったのだろうか。

「2005年の三菱ふそう大型バス等リコール」との関係

さらに、同自動車エンジニアの方が指摘するのが、2005年に三菱ふそうが行ったブレーキの不具合についての【リコールの届出】との関係だ。本件事故車両も、そのリコールの対象であり、「改善措置」が適切に行われていたのか確認が必要との指摘である。

このリコールというのは、

制動装置用エアタンクに圧縮空気を供給するパイプ(エアチャージパイプ)の強度が不足しているため、車体の振動等により当該パイプに亀裂が発生するものがある。そのため、そのままの状態で使用を続けると、当該パイプからエアが漏れ、最悪の場合、制動力が低下するおそれがある。

という不具合について、三菱ふそうが、国土交通省に届け出たものだ。

改善措置は、

全車両、当該パイプ、パイプ取付金具及び固定金具を対策品と交換する。

また、対象車のメンテナンスノート・整備手帳に、当該固定金具を1年又は2年毎に交換する旨のシールを追加する。

とされている。

しかし、リコールであるにもかかわらず、対策用の部品は1-2年交換という暫定対策とされている。「交換をお願いするステッカー」を貼るだけの対策であるため、中古購入後に部品を交換していない場合には、制動力不足が発生した可能性がある。

もし、このような制動装置の部品の不良が事故原因に影響していたとすると、三菱ふそうのリコールの際の改善措置と事故の関係が問題になる可能性がある。

三菱ふそうの整備工場で行われた検証では、リコールの改善措置の対象となった部品の不具合による制動力不足の可能性について、十分な確認が行われたのであろうか。

本件事故と同時期に問題化していた「北海道白老町バス事故」

上記のような、事故車両の検証自体への疑問に加えて、「三菱ふそう」という自動車メーカーには、車両の不具合やリコールに関して重大な問題を起こした過去があり、そのような企業を事故車両の車体の検証に関わらせることの妥当性について、特に疑問がある。 

「三菱ふそう」という会社は、2000年にリコールにつながる重要不具合情報を社内で隠蔽している事実が発覚し、長年にわたって、運輸省(現国交省)に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収・修理する「ヤミ改修」を行ってきたこと、それにより死傷事故が発生していたことが明らかになって、厳しい社会的批判を浴びた「三菱自動車のトラック・バス部門」が分社化されて設立された会社だ。

分社化されて「三菱ふそう」となった後の2004年には、2000年のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚。同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故で、前会長など会社幹部が道路運送車両法違反(虚偽報告)、業務上過失致死傷で疑捕・起訴され、有罪判決を受けた。

しかし、その後も、2012年には、2005年2月に把握していた欠陥を内部告発されるまでリコールしなかったことが発覚するなど、リコールを回避して「ヤミ改修」で済ませようとする安全軽視の姿勢が、長年にわたって批判されてきた。

しかも、ちょうど本件事故が発生した頃は、2013年8月に北海道白老町の高速道路で発生した同社製の大型バスの事故で運転手が運転を誤ったとして起訴された業務上過失致傷事件の刑事公判が、重要な局面を迎えていた。

「突然ハンドル操作不能に陥った」として「車両が事故原因だ」とする被告人の無罪主張に対して、事故車両を製造した「三菱ふそう」の系列ディーラーの従業員は、事故後に同社の整備工場で行った車両の検証結果に基づいて、

「ハンドルの動力をタイヤに伝える部品に腐食破断が認められるが、走行に与える影響は、全くないか軽微なものに過ぎないから、事故原因は車両にはない」

と述べて、「事故原因は運転手の運転操作によるもの」との検察の起訴事実に沿う証言をした。

その証人尋問が実施されたのが2016年1月14日、その日は、奇しくも、軽井沢バス事故を起こしたバスが、多くの若者達を乗せて、東京・原宿を出発した日だった。

この白老町のバス事故では、その後、弁護側鑑定など、真の事故原因を明らかにする弁護活動が徹底して行われた結果、「事故原因は車両にあり、運転手には過失はない」として、無罪判決が出された。

弁護人からは、三菱ふそうの従業員の虚偽供述のために不当に起訴されたとして「三菱ふそう」に損害賠償を求める民事訴訟に加えて、検察官の不当な起訴に対する国家賠償請求訴訟が提起され、国家賠償請求訴訟では、検察官の起訴の過失を認める一審判決が出されている。

この事故に関連して、2016年7月には、国交省が、事故車両と同型のバスで「車体下部が腐食しハンドル操作ができなくなる恐れがある」として使用者に点検を促し、その結果1万3637台中805台で腐食が発見されていたことが分かったため、2017年1月に、805台について「整備完了まで運行を停止」するよう指示が出され、三菱ふそうは、同年2月にリコールを届け出た。

本件の軽井沢バス事故の事故車両も、このリコールの対象車両だった。(もっとも、本件事故では、白老バス事故のような部品の腐食によるハンドル操作不能が問題になっているわけではない。)

本件事故が発生し、事故原因の究明が行われていた2016年から2017年にかけての時期は、「三菱ふそう」にとって、同社製の大型バスによる白老バス事故の原因が車両にある疑いが強まり、対応に追われている時期だった。しかも、白老の事故については、刑事公判での「事故原因は車両にはない」とする同社側の証言に「偽証の疑い」まで生じていたのである。  このような時期に、本件の事故車両は、「三菱ふそう」の整備工場に持ち込まれて、車体の検証が行われた。そして、その検証開始直後から、警察の事故原因の見方は、「運転手のミスで、ギアがニュートラルのまま速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーで固められていった。マスコミも、そのストーリーに沿う報道を行い、ブレーキの不具合の可能性が指摘されることはほとんどなかった。そして、事故調査委員会の調査結果も、警察の事故原因捜査を後追いする形で取りまとめられ、公表された。

事業用自動車事故の原因究明と責任追及についての制度上の問題

現在、長野地裁で行われている本件事故の刑事裁判で前提とされている事故原因は、上記のように多くの疑問がある。しかし、公判での最大の争点は、その事故原因を前提とする被告人らの「予見可能性」であり、事故原因に対する疑問について裁判所の判断が示される可能性は低い。

将来への希望に胸を膨らませていた大学生など多くの若者達の生命が奪われ、生存者も深い傷を負った、この悲惨な重大事故の真の原因究明は、遺族・被害者の方々はもちろん、社会全体が強く求めるものだ。これまで述べてきた多くの疑問に蓋をして、このまま終わらせてよいのだろうか。

事故車両が保存されているのであれば、今からでも調査できることはあるはずである。これまで述べてきたような疑問点を解消するため、「三菱ふそう」とは無関係な第三者の専門家が中心となって、車両の詳細な検証など、事故原因の再調査を行うべきである。

本件事故についてこれまで指摘してきたことからすると、バス事故の原因究明と責任追及の在り方については、制度上大きな問題があると言わざるを得ない。

事故原因の解明にとって重要なことは、想定される事故原因について、責任追及を受ける可能性がある当事者には関わらせず、客観性が担保された体制で調査が行われることだ。

軽井沢バス事故については、車両を製造した「三菱ふそう」の整備工場で検証が行われ、ブレーキの不具合等の車体の問題の解明の「客観性」が阻害され、「運転ミス」という人的要因の方向に偏った原因の特定が行われていった。同じ「三菱ふそう」製のバスで発生した白老バス事故についても、「三菱ふそう」が事故車両の車体の検証に関わり、警察、検察は運転手の過失責任を問おうとしたが、刑事公判で、事故原因が車両の側にあったことが明らかになった。

いずれも、当事者ともいえる「三菱ふそう」が事故原因究明に関わったこと自体に重大な問題があり、それが、特定された事故原因に対する不信の原因となっている。そこには、本件事故のような事業用自動車の重大事故の原因調査に関する制度的な問題がある。

「事業用自動車事故」は「運輸安全委員会」の対象とされていない

鉄道事故・航空機事故・船舶事故については、2008年に、航空・鉄道事故調査委員会と海難審判庁の調査部門が改組・統合され、国家行政組織法第3条に基づく独立行政委員会として「運輸安全委員会」が設置されている。職権の独立が保障され、独自の人事管理権が認められたほか、事故原因の関係者となった私企業に対しても直接勧告できるなど、権限が強化された。調査についても、法律に基づく強制権限が与えられている。

ところが、自動車事故は、本件のような「事業用自動車事故」も含めて「運輸安全委員会」の対象とはされていないため、法的根拠に基づかない「事故調査委員会」が監督官庁の国交省の業務に関連して設置されるだけだ。独立機関による事故調査対象の範囲に関しては、かねてから、米国のNTSB(国家運輸安全員会)などのように道路交通事故の一部などについても含めるべきとの指摘があり、2008年の運輸安全委員会設置時にも議論されたようだが、実現には至らなかった。

軽井沢バス事故でも、白老バス事故でも、警察の判断で、車両を製造したメーカー側で事故車両の検証が行われ、事故原因が車両の問題ではなく運転手の運転操作にあったとされた。多数の死傷者を発生させる可能性のあるバス等の事業用自動車による事故も、客観性が担保された体制で、十分な権限に基づいて原因調査が行うことが必要であり、「運輸安全委員会」の調査対象に含めることを真剣に検討すべきである。

「車齢」の制限撤廃の規制緩和に問題はなかったのか

軽井沢バス事故についての再発防止策は、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」という人的事故原因を前提に、「安全対策装置の導入促進」のほか、運転者の選任、健康診断、適性診断及び運転者への指導監督の徹底など、運転手の運転技能、運転適性の確保を中心とする対策が講じられた。

しかし、もし、事故原因が車両の方にもあった場合には、再発防止策は大きく異なるものになっていたはずだ。

車両自体の危険性に関して見過ごすことができないのは、バスの「車齢」の問題である。

本件事故車両は、2002年登録で車齢13年、部品の腐食破断が原因とされた白老町バス事故の事故車両は、1994年登録で、事故時の車齢は19年である。

過去、貸切バス事業が免許制であった時代には、新規許可時の使用車両の車齢は、法定耐用年数(5年)以内とされていたのが、2000年法改正による規制緩和で、車齢の規制は撤廃された。

本件事故を受けて設置された「軽井沢スキーバス事故対策検討委員会」でも、「古い車両を安価で購入し、安全確保を疎かにしている事業者がいる」との指摘を受けて、車齢の制限も検討されが、同委員会に提出された資料によると車齢と事故件数の相関関係が認められないことなどから、車齢の制限は見送られた。

しかし、この時の対策委員会の資料は、「貸切バスの乗務員に起因する重大事故」とバスの車齢の相関関係を見たものであり、車両の不具合や整備不良等による事故と車齢との関係を検討したものではない。

白老町事故に関連して、同様の部品の腐食破断による事故が多数発生していたことが明らかになり、リコールが行われたことから考えても、表面化していない、車両に起因するバス事故が相当数ある可能性がある。軽井沢バス事故も、13年という、かつての法定耐用年数を大幅に超える車両で起きた事故だった。この事故で、仮に、車両の不具合が原因の事故である可能性が指摘されていれば、「車齢の長いバスの車両の不具合による危険」の問題も取り上げられ、「車齢」と「車両の不具合に起因する事故」の相関関係についても検討され、そもそも、2000年の規制緩和における車齢規制の撤廃が適切だったのか、という議論にもなっていた可能性がある。

知床観光船事故との共通点

今年4月23日に北海道知床で発生した観光船事故と、この軽井沢バス事故は、直接の当事者の運転者が事故で死亡するなどして供述が得られないこと、運行会社の安全管理の杜撰さが問題とされていること、国交省が監督権限を持つ事業であったことなどの共通点がある。

知床観光船事故が、最近の事故であるのに対して、軽井沢バス事故は、6年前に起きた過去の重大事故であり、今後の事故の危険とは直接関係ないと思われるかもしれない。

しかし、コロナ禍での需要の急減によって苦境に喘いできた観光・旅行業界にとって、今後、外国人旅行者の受け入れが再開され、需要が増大すれば、これまでの収入減を取り戻すべく、「背に腹は代えられない」ということで、安全対策を疎かにしても、収益確保を優先する事業者が出てくる可能性が十分にある。

その際、車齢の長いバスに必然的に高まる車両の不具合による事故の危険が高まることが懸念される。知床観光船事故に関しても、監督官庁の国交省の対応が手緩かったと批判されているが、その背景に、観光・旅行業界の窮状への配慮が働いた可能性も指摘されている。同じような「手緩い対応」が、コロナ禍で苦境に喘いできた貸切バス業界に対する国交省への対応でも行われ得るのではないだろうか。

そういう面からも、軽井沢バス事故の真の事故原因は何なのか、その究明のための再調査を行い、必要に応じて再発防止策も見直すべきではないだろうか。

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“誤振込事件、電算機詐欺で起訴”検察は裁判所を舐めているのか。無罪主張しなければ、弁護過誤の可能性も

山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円を誤って1世帯に振り込んだ問題で、誤振込口座の名義人の町民が、電子計算機詐欺罪で逮捕・勾留されていたが、昨日(6月8日)、検察は、同罪での起訴を「強行」した。

本件での電算機詐欺罪の適用が、「無理筋」であることについては、いずれも、Yahoo!ニュース個人で、逮捕直後に甲南大学名誉教授で刑法学者の園田寿氏が《【給付金誤振込み事件】電子計算機使用詐欺罪の適用は疑問だ。》と題する記事を投稿され、その後、私も、【“4630万円誤振込事件”、「電子計算機使用詐欺」のままでは無罪】と題する記事を投稿した。

さらに、朝日新聞の言論サイトの「論座」にも、5月26日に園田氏が【誤入金4630万円を使い込み それでも罪に問うのはきわめて難しい】と題して、改めて本件を犯罪に問うことの困難性を指摘し、私も、【4630万円誤送金問題 町の実名公表、警察の逮捕、メディアの犯罪視報道の「異常」】と題し、本件での電算機詐欺罪の適用だけでなく、2017年の森友学園の小学校建設の際に国の補助金不正受給をめぐって籠池泰典氏夫妻に対して補助金適正化法違反ではなく詐欺罪を適用した問題も含め、罪刑法定主義が蔑ろにされている現実を指摘した。

このような刑法学者の園田氏と刑事実務家の私が、本件での電算機詐欺罪成立否定説を唱えたのに対して、これまで、異論・反論は全く出されていない。法解釈として、法適用として、法律家の中ではほとんど一致した見解であるように思うが、電算機詐欺罪で勾留請求した検察は、全く動じる気配を見せず、起訴に至った。

これを受けて、園田氏は、早速、【阿武町誤振込み事件 電算機使用詐欺での起訴は無謀だ】と題する記事をアップしている。そこでも書かれているように、本件に電算機詐欺罪が適用できない理由は、

《本件では民法で裏付けのある合法な実体のある預金情報が入力されているので、被告人が「虚偽の情報」を入力したとはいえない。》

ということであり、誠に単純だ。

ところが、入手した「公訴事実の要旨」によると、検察官の起訴事実は、次のような内容のようだ。

被告人は、A銀行B支店に開設された自己名義の普通預金口座に山口県阿武町から臨時特別給付金として4630万円の振込人金が誤ってなされたことを奇貨として、電子計算機を使用して前記口座の預金からオンラインカジノサービスの決済代行業者であるC社にその利用料金の支払をすることにより同サービスを利用し得る地位を得ようと考え、令和4年4月12日午後5時9分頃、山口県萩市内において、インターネットに接続した携帯電話機を操作して、A銀行が提供するインターネットバンキングにアクセスし、東京都内に設置された同銀行の預金残高管理、振替及び振込等の事務処理に使用される電子計算機に対し、振込依頼等をする正当な権限がないにもかかわらず、正当な権限に基づいて同口座からD銀行E支店に開設された前記C社名義の普通預金口座に400万円の振込を依頼する旨の虚偽の情報を与え、同日午後5時11分頃、オンラインシステムにより、神奈川県内に設置された電子計算機に接続されている磁気ディスクに記録された前記C社名義の普通預金口座の預金残高を400万円増加させて財産権の得喪、変更に係る不実の電磁的記録を作るなどし、よって、400万円相当の前記オンラインカジノサービスを利用し得る地位を得て、もって財産上不法の利益を得たものである。

この公訴事実では、誤振込された預金を、「オンラインカジノサービスの決済代行業者であるC社にその利用料金の支払をすることにより同サービスを利用し得る地位を得ようと考え」た場合は、「振込依頼等をする正当な権限がない」のに、「正当な権限に基づいて同口座からD銀行E支店に開設された前記C社名義の普通預金口座に400万円の振込を依頼する」旨の情報をオンラインシステムに記録させることは、「虚偽の情報」を与えて「不実の記録」を作ることになる、ということのようだ。

この理屈を前提にすれば、民事上、有効な預金債権を取得している口座名義人であっても、それが「正当な権限に基づくもの」でなければ、預金の振替や振込を行うことが電算機詐欺罪に当たり得ることになる。

ここでの「正当な権限」があるかどうかは、誰がどう判断するのだろうか。単に、預金を、同じ銀行の定期預金に振り替えた場合、或いは、証券会社の口座に振り替えた場合はどうだろうか。証券会社の場合、株の信用取引のような元本保証が全くない用途もあれば、MMFのような、すぐにも換金可能な金融商品もある。これらの場合、「正当な権限」があると言えるのか。

誤振込された口座の名義人が、中小企業経営者で、1か月後に同程度の確実な入金が見込めるが、当面の運転資金がなくて従業員の給料が払えない状況だった場合、誤振込の資金を一次的に給与支払いに回すために振り込む場合はどうだろうか。

また、「経費を架空計上して確定申告して、税金の還付を受けた」との疑いをかけられている場合、その還付された税金を他の口座に振込む場合は「正当な権限」がないとされる可能性があり、不正還付について、税法上、修正申告や追徴課税が問題になるのとは別に、電算機詐欺罪での処罰もあり得ることになる。

そもそも「正当な権限」の有無で、電算機詐欺になったり、ならなかったりするということになると、ネットバンキングで預金取引をする際にも、余程考えないと、危ないということになる。本件の検察官の起訴状は、そのような「恐ろしい事態」も生じさせかねない、全く不当極まりないものと言わざるを得ない。

しかし、検察官がこのような公訴事実で起訴してしまった以上、後は、裁判の行方に注目し、裁判所の適正な判断に期待するしかない。

上記のとおり、園田氏と私がヤフーニュース記事だけでなく、「論座」にも記事を投稿して、一貫して電算機使用詐欺罪の成立を否定しているのを、検察も読んでいないとは思えない。その上で、このような「あられもない公訴事実」で敢えて電算機詐欺罪で起訴するというのは、一体、どういう神経をしているのだろうか。

「このような公訴事実でも、裁判所には、世の中の反発を受けるような無罪判決を書く度胸はないだろう」と考えているのだとすれば、あまりに裁判所を舐めているとしか言いようがない。

結局のところ、裁判に注目するということにならざるを得ないが、そこで、唯一、懸念されるのが、弁護人が法的主張をせず、有罪を認めてしまうことだ。もし、弁護人が、法的には無罪主張が可能であること、電算機詐欺罪が成立しないとの指摘があることを被告人に説明せず、法律上の問題点を認識させずに、公訴事実を全面的に認める弁護活動を行い、有罪判決に至ったとしたら、正当な弁護活動とは言えず、弁護過誤となる可能性があるのではないだろうか。

事実関係には争いがない場合に法律上の無罪主張をするかどうかは、一般的には、弁護人としての判断の問題であろうが、少なくとも、本件のように社会的に注目された事件で、法律上の無罪主張が可能であるという指摘が公然と行われているのであるから、それについて説明した上で、被告人自身に無罪主張を行うかどうかを判断させることが、弁護人としての義務と言えるだろう。

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“4630万円誤振込事件”、「電子計算機使用詐欺」のままでは無罪

5月18日、山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円を誤って1世帯に振り込んだ問題で、同県警萩署は、振り込みを受けた田口翔容疑者を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕した。

逮捕容疑は、

自分名義の銀行口座に町から入金された4630万円が町のミスで誤って入金されたものと知りながら、4月12日に自分のスマートフォンを操作してオンライン決済サービスを利用。決済代行業者の口座に400万円を振り替えて財産上不法の利益を得た

ということのようだ。

この事件は、阿武町が誤送金の事実を公表した時点からマスコミで大きく取り上げられ、ワイドショーでも話題の中心になっていた。同町は、田口容疑者が一旦は返金に応じようとしていたのに態度を翻して返金を拒絶し、代理人弁護士がすべて費消してしまったことを明らかにしたことを受けて、不当利得返還請求の民事訴訟を提起したが、勝訴判決を受けても回収できる見込みはほとんどなく、犯罪の成否や処罰についての議論が、マスコミでもネット上でも盛り上がっている。

弁護士コメンテーターの意見で最も多いのが、「電子計算機使用詐欺罪」であり、今回の山口県警の逮捕容疑は、この「多数説」を採用したように見えるが、この見解は、重要な問題点を見過ごしているのではないか。

電子計算機使用詐欺罪の逮捕容疑のまま起訴するのは「無理筋」であり、まともな弁護士が担当すれば無罪となる可能性が強い。まさか検察官が、「素人レベルの弁護士見解」に惑わされることはないと思うが、社会的影響も大きい事件だけに、検察の「鼎の軽重」が問われる場面と言える。

本件に、詐欺罪の一形態としての電子計算機使用詐欺罪を適用することの最大の支障となるのは、誤振込による預金債権の有効性に関する平成8年の最高裁の民事判例だ。

振込依頼人が、振込先の口座を誤って名前の似た別の口座に送金してしまったところ、振り込まれた口座の名義人が、誤入金分を口座から出金した場合について、かつての下級審民事判例は、

「誤振込による預金債権は無効であり、口座名義人の債権者が誤振込預金を強制執行によって差し押さえることはできない」

という立場を採っていた。これに従えば、刑事においても、誤振込により無効である預金債権を、誤振込であることを秘して払戻請求する行為は、銀行員に対する詐欺行為にあたると解することが可能であった。

ところが、平成8年4月26日の最高裁判決は、従来の下級審判例を覆し、誤振込による預金債権の成立を肯定して、口座名義人の預金に対する債権者の差押えを認め、強制執行に対する振込依頼人の第三者異議の訴えを退けた。

「誤振込による預金債権が有効」なのであれば、誤振込による預金債権の払戻請求(口座名義人による預金の出金)は、有効な預金債権の正当な権利者による払戻請求ということになるので、銀行に対する詐欺行為とは言えないことになる。

しかし、その後の刑事判例では、上記最高裁民事判決後も、誤入金分の預金の払戻しについてかなり「強引な理屈」で詐欺罪の成立を認めている。

平成10年3月18日の大阪高裁判決は、誤振込による預金債権の成立を肯定する最高裁平成8年民事判決を引用した上で、

「誤振込による入金の払戻をしても、銀行との間では有効な払戻となり、民事上は、そこには何ら問題を生じないのであるが、刑法上の問題は別である」

として、

「払戻に応じた場合、銀行として、そのことで法律上責任を問われないにせよ、振込依頼人と受取人との間での紛争に事実上巻き込まれるおそれがあることなどに照らすと、払戻請求を受けた銀行としては、当該預金が誤振込による入金であるということは看過できない事柄というべき」

であるとして1項詐欺罪の成立を認め、その上告審である平成15年3月12日最高裁判決も、最高裁平成8年民事判決と同様に誤振込による預金債権の成立を認めながら、

「銀行にとって、払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは、直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない。これを受取人の立場から見れば、受取人においても、銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。社会生活上の条理からしても、誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金相当分を最終的に自己の物とすべき実質的な権利はないのであるから、上記の告知義務があることは当然というべきである。そうすると、誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐欺罪の欺罔行為に当たり、また、誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たる」

として1項詐欺罪の成立を認めている。

しかし、この平成15年の最高裁刑事判例は、平成8年民事判例にもかかわらず何とかして詐欺罪での有罪結論を導くために、苦し紛れの理屈を述べたに過ぎない(いわゆる「救済判例」)。 

平成15年判例は、「誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たる」と述べているが、仮に、口座名義人に、「誤振込を銀行に告知すべき信義則上の義務」があると解したところで、誤振込であることを明かした上で払戻請求された場合でも銀行は支払を拒絶できないのであるから、銀行には「詐欺罪の錯誤」などない。また、誤振込を告知しなかった場合でも、「銀行から払い戻しは受けたが、誤振込をした人には別途弁済するつもりだった。」との弁解が否定できなければ、詐欺罪の成立は認められないはずだ。実際に、田口容疑者は、逮捕直前に、弁護士を通じて「お金を使ったことは大変申し訳なく思っています。少しずつでも返していきたいと思っています」と語ったと報じられている。

このように、銀行の窓口で預金を払い戻した場合の1項詐欺の成立にも重大な疑問があるが、本件では、銀行の窓口での払戻ではなく、電子データの送信によって、誤送金口座からの振替が行われており、逮捕事実は、「人」を被欺罔者とする「詐欺罪」ではなく、電子計算機使用詐欺罪だ。その点が、犯罪の成否に関して致命的だ。

電子計算機使用詐欺罪は、「人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作」った場合に成立する。銀行預金の振替の指示に応じるのが「人」ではなく、「銀行システム」なので、行為者側の真意や事情に関する「被害者の錯誤」ということは基本的に問題になる余地がない。田口容疑者の意図や内心がどうであれ、誤振込による預金債権の振替が、有効な預金債権の正当な権利者による振替として行われたのであれば、「電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて」ということにはならない。上記の平成15年最高裁刑事判例のような理屈は、少なくとも電子計算機使用詐欺罪に適用できないことは明らかだ。

このように、田口容疑者の逮捕事実の電子計算機使用詐欺罪では、犯罪の立証は困難だと言わざるを得ない。いくら田口容疑者が事実関係を認めていると言っても、上記のような法律上の問題を主張することは、弁護人として当然であり、それに対して、まともな裁判所が判断すれば、無罪判決は避けられない。検察が、上記の平成15年最高裁刑事判決のような「救済判決」が出ることを期待して起訴するのであれば、ギャンブルそのものだ。

とは言え、誤振込された4600万円を超える町民の財産を、それを知りながらネットカジノで全額費消したと述べている「悪辣な輩」に対して、刑事処罰ができないというのは、あまりにも社会常識に反することは確かだ。何らかの犯罪が成立し得るのであれば、その可能性を最大限に模索すべきであろう。

この事例について成立する可能性のある犯罪として、2011年に改正された刑法96条の 2の「強制執行妨害目的財産損壊等罪(強制執行妨害罪)」が考えられる。

町から返金を求められたのに、返金を渋り、その後、再三にわたって返金の要請を拒絶して、ネットカジノの資金に振り替えたということだが、その時点で弁護士に相談しているようなので、弁護士からは、「仮差押を受ける可能性が高い」と言われているはずだ。とすれば、誤振込された口座からネットカジノの決済代行業者の口座に振替えたことについて、「強制執行を妨害する目的」があったことは認定できるように思える(ネットカジノ業者の口座に振り替えた後は、仮差押は困難だったはずだ)。もっとも、振替後の資金がほとんど即時にカジノで費消されるなどしていて「隠匿した」と言えるような状況でない場合には、同罪は成立しないことになる。

検察官は、本件の田口容疑者の行為が、同条1号の「強制執行を妨害する目的で、強制執行を受け、若しくは受けるべき財産を隠匿し」と規定する強制執行に該当する可能性を念頭に、誤振込口座からの資金の振替の目的などについて事実関係を明らかにした上、同罪の成否について、法律面、事実面両方から、検討する必要があるのではないか。

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知床観光船事故「桂田社長」を処罰できない現行刑法、「組織罰」「代表者罰」実現を

今年4月23日に、知床半島沖で観光船が遭難した事故で、26人の乗客・乗員のうち、現在までに14人が発見されたが全員死亡、残る12人の生存も、残念ながら絶望的と言わざるを得ない状況だ。遭難現場付近の海底120メートルに、遭難した観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈んでいるのが発見されたが、船体引き揚げが行えるのかどうかも不明だ。

第1管区海上保安本部などは、業務上過失致死、業務上過失往来危険の容疑で、運航会社有限会社「知床遊覧船」の事務所や社長、船長の自宅の家宅捜索等の捜査に着手している。事故に至る経緯は不明な点が多く、生存者がいないこともあって、事故原因の究明は容易ではない。事故の刑事責任追及も困難を極めることになるだろう。

運航会社の「知床遊覧船」については、他の観光船は、4月30日からの運航なのに、同社の観光船のみ、一週間早く運航を開始していたこと、強風・波浪注意報が発令され、漁業者の多くは操業を見合わせる中で、観光船KAZU Ⅰが単独で出航したこと、数か月前から船と連絡を取り合うための無線機のアンテナが壊れ昨年にも事故を2件起こしていたこと、同社が定めていた運航基準や安全管理規程にも違反していたことなど、安全対策に関して重大な問題があったことが明らかになっている。

「知床遊覧船」の安全対策は杜撰極まりないもので、観光船の「安全統括管理者」の同社の桂田精一社長に、このような事業を行う上で不可欠のはずの「乗客の安全を最優先する」という意識があったのかすら疑問だ。

このような悲惨な重大事故が発生した経緯、責任の所在が徹底して明らかにされるのが当然だが、残念ながら、現在の法制度のままでは、それが十分に行い得ない。今回の観光船事故でも、同じことが繰り返される可能性が高い。それによって、事業者の安全軽視の姿勢の背景にある「凄腕経営コンサル」による「徹底した合理化指導」等の要因も覆い隠されてしまうことになる。このような現状を絶対に放置してはならない。今回の事故による多数の尊い犠牲を無にしないためにも。

現行の業務上過失致死傷罪では重大事故の刑事責任追及は困難

事故の刑事責任追及は、現行法制上、刑法の「業務上過失致死傷罪」によって行われることになるが、犯罪の立証に関して重大な問題があり、最終的に、有罪とされて刑事処罰に至った例は極めて少ない。

JR西日本が起こした「福知山線脱線事故」(2004年、尼崎市内で電車が急カーブを曲がり切れずに脱線してマンションに衝突し、107人死亡、562人負傷)については、検察が事故当時の社長を起訴し、歴代3社長は、検察審査会の起訴議決によって起訴されたが、いずれも最高裁で無罪判決が確定している。

2012年の中日本高速道路笹子トンネルの崩落事故で9名が死亡した事故では、中日本高速道路関係者が書類送検されたが全員不起訴で終わっている。2016年1月に発生した軽井沢バス事故では、大学生らのスキー客を乗せたバスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。15人が死亡、26人が負傷した。この事故では、事故から5年経った2021年1月に、運行会社の社長と運行管理者が起訴されたが、無罪を主張し、公判が係属しており、予断を許さない。

そこには、様々な要因がある。業務上過失致死傷罪は、

(1)「人の死亡」という結果の発生

(2)(予見可能な)結果を回避するための注意義務に違反したこと(過失)

(3)「過失」と結果の因果関係

の3つの要件が充たされた場合に成立する。

その立証上の最大のネックになるのが「予見可能性」だ。

事故というのは、故意の殺人とは異なり、何らかの予期せぬ事情によって、人の死亡という結果が生じたものである。それが、予見可能だったこと、予見した上で、事故を回避する措置をとることが可能だったことが証明されないと同罪による処罰はできない。

同罪は刑法犯であり、処罰の対象は「個人」だけだ。特定の個人の「過失」と「人の死傷」との因果関係がある場合に、その個人が業務上過失致死傷罪の処罰の対象とされる。鉄道会社等の大規模企業の事業で起きた事故の場合、組織内の様々なレベルの人間が関わっており、安全確保に関して当該企業の組織の体質や事業者の方針自体に問題があっても、処罰の対象となり得るのは組織内の特定の個人であり、組織自体を処罰の対象とすることはできない。

しかも、鉄道、バス等の重大事故では、直接の当事者である運転者が死亡している場合が多く、その供述が得られないために、事故に至る経過や、事故の直接の原因となった行為の理由が解明できない。それが事業者側の安全管理上の責任を問うことの支障になる。

このような理由から、重大事故で多数の犠牲者が出た場合も、刑事責任を問うことは極めて困難だというのがこれまでの重大事故の処罰の実情だ。

今回の観光船事故についても、業務上過失致死罪による刑事責任の追及は容易ではないように思える。

乗客14人について既に死亡が確認されており、(1)の「人の死亡」という結果が発生したことは明らかであり、(2)の「過失」に関しても、出航時に強風・波浪注意報の発令後に出航したこと自体が危険な行為であり、その危険が現実化し、事故に至ったと言える。また、(3)の因果関係についても、単純な「条件関係」で言えば、出航しなければ事故は起きなかったのであるから、因果関係があるということになる。

しかし、業務上過失致死罪においては、「原因行為から結果発生までの因果の流れ」が明らかになり、そのような経過で人の死亡という結果が発生することについて予見可能性と、結果回避義務に違反したことが「過失」の要件となる。そういう意味では、事故に至る経過が明らかになり、事故の原因が特定されないと、「結果」と「過失」の因果関係があるとは言えない。

桂田社長が説明しているように、波が高くなったら引き返してくる「条件付出航」だった場合、出航自体の判断より、「引き返す判断の遅れ」などの出航後の船長の対応が事故の直接の原因だったことになる可能性もある。また、何らかの外的要因によって船体が損傷したことが沈没の直接の原因だったとすると(桂田社長は「クジラに突き上げられて船体が損傷した可能性」を指摘していると報じられている)、出航自体は、事故の発生につながったとは言えないことになる。

前記の軽井沢バス事故の刑事事件について、検察側は、運行管理者について、「死亡したバス運転手が大型バスの運転を4年半以上していないことを知りつつ雇用し、その後も適切な訓練を怠った」過失、社長については、「運転手の技量を把握しなかった」過失を主張している。これに対して、被告側は、「死亡した運転手が技量不足だとは認識しておらず、事故を起こすような運転を予想できなかった」と起訴内容を否認し、無罪を主張している。

運転手は、「ギアをニュートラルにしてエンジンブレーキもかけないで漫然と運転した」とされているが、死亡しているため、なぜ、「エンジンブレーキをかけないで下りの山道を走行する」という「過失行為」を行ったのか、原因がわからない。「大型バスの運転は苦手」と言っていたとしても、大型バスの運転免許は持っていたのであり、実技訓練が1回だけだったとしても、その際に、エンジンブレーキを通常どおり使っていたはずだ。そうなると、「運転手がそのような運転を行うことは予見できなかった」という社長や運行管理者側の主張を否定することは容易ではない。

事故に至るまでの客観的な経過が相当程度明らかになっている軽井沢バス事故でも、事故の直接の当事者の運転手の供述が得られず、「過失行為」の原因が不明であることが、運行会社側の業務上過失致死傷罪の支障となっている。沈没に至る経緯が全く不明の今回の観光船事故の場合、船長の供述が得られないことが、業務上過失致死罪での会社側の刑事責任の追及にとって一層大きな支障となる。

国交省の行政処分は「経営上の配慮」が厳正な対応を妨げる

一方、運行事業者に対する行政の対応も、重大事故が相次いできた貸切バス業界に対する国交省の対応の経過などからすると、重大事故を防止する機能を期待するのは困難だ。そこには、中小零細業者が多い業界への、国交省側の経営への配慮が、厳正な処分を妨げているという実情がある。

貸切バス事業は、2000年に施行された道路運送法改正により、需給調整規制が廃止され、免許制から許可制(輸送の安全、事業の適切性等を確保する観点から定めた一定の基準に適合していれば事業への参入を認める)に移行したことによって新規参入が容易となり、貸切バス事業者の数が激増し、競争が激化した。

2007年2月、あずみ野観光バスが運行していたスキーバスが大阪府吹田市の高架支柱に激突して1人が死亡、26人が負傷する事故が発生したことで、ツアーバスの実態や、貸切バス事業者の過酷な労働体制が浮き彫りになったことを受け、国の行政機関の行政についての運営状況等を調査し、改善を勧告する行政調査を行う「総務省行政評価局」が調査し、2010年9月に、国交省に対して勧告を行った。

当時、私は、総務省顧問を務めており、この行政評価局の調査についても助言を行うなどして関わったが、調査で明らかになった貸切バス業界の安全軽視の実態、それを見過ごしてきた国交省の対応は、本当に酷いものであった。貸切バス事業については、多数の法令違反があり、安全運行への悪影響が懸念されるのに、行政処分の実効性の確保が不十分だった。法令違反に対する使用停止処分の際に、対象とする車両や時期を事業者任せにしている例もあるという有様だった。このような貸切バス事業の背景には、届出運賃を下回る契約運賃や運転者の労働時間等を無視した旅行計画が旅行業者から一方的に提示されるということもあった。

要するに、業界が構造的な過当競争の状況にあるなど、厳しい経営状況にある事業者に対しては、行政処分が経営に打撃を与えないよう「馴れ合い」のような対応が行われていたのである。

結局、そのような総務省行政評価局の勧告が行われても、貸切バス業界の状況は改善せず、2012年4月、関越自動車道で乗客7人が死亡、38人が重軽傷を負う事故が発生、運転手の居眠り運転が原因だった。これを受け、国土交通省は、貸切バスの夜間運行の制限や安全コストを反映させた新運賃・料金制度の導入などを行ったが、2016年1月に、学生らのスキー客を乗せたバスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。15人が死亡、26人が負傷する軽井沢バス事故が発生した。この事故に関しても、基準を下回る運賃での受注が高齢の技術が未熟な運転手を乗務させることにつながったこと、会社が運転手に走行ルートを指示するための「運行指示書」には出発地と到着地だけが書かれ、どのようなルートを通るのかについては記載がなかったことなど、国交省の指導監督に関連する問題も指摘されている。

観光船・遊覧船についても、海上運送法で国交省の許可・届出が義務付けられているが、2011年8月、天竜川川下り船の転覆で5人が死亡、5人が負傷する事故が発生し、現場が流れの激しい場所であったのに、救命胴衣を着用させていなかったことから、国交省は、全国の川下り船事業者に対し、救命胴衣の着用徹底等を指導した。しかし、重大事故が発生した場合に、その原因となった問題に対応するという「後追い」的な対応では、今回の観光船事故のような、救命胴衣では救命できない水温が低い海域での水難事故は防止できなかった。

今回の観光船事故に関して、「KAZU Ⅰ」の通信設備では電波が届かないエリアがあったにもかかわらず船舶検査を通過させていたこと、昨年、同船が2回も事故を起こしていたのに行政処分が行われなかったことなど、事業者の安全管理には重大な問題があったことが次々と明らかになっている。国交省が「知床遊覧船」に厳正な措置を行って、安全管理の不備を是正させていれば、事故は起きなかったのではないかとも思える。

このような国交省の手緩い対応の背景に、コロナ感染で打撃を受けている観光業界への配慮があった可能性がある。北海道観光の目玉の一つである「知床観光船」事業の維持という配慮が、厳正な処分を躊躇させた可能性がある。

従来の国交省の運輸行政には、「経営への配慮」に偏り、乗客の生命・身体の安全がなおざりになるという根本的な問題があった。事故が発生した場合に、同様の原因で起きる事故の再発防止のための措置は徹底して行われるが、事前に危険を予知し、先回りして安全確保のための厳正な措置を行う姿勢は不十分だ。中小零細企業が多い日本において、行政は、事故発生前の予防措置として、事業者が倒産に追い込まれる程の厳正な対応は行いづらい。一方、鉄道会社・高速道路会社等の大企業に対しては、行政が私企業の事業活動の中身に介入することにも限界がある。

凄腕経営コンサルは、「安全軽視企業」にどう関わったのか

2018年4月1日、経済誌「ダイヤモンドオンライン」に【なぜ、世界遺産知床の「赤字旅館」は、あっというまに黒字になったのか】と題する記事が掲載されていた。その「赤字企業」というのが、今回の観光船事故を起こした「知床遊覧船」である。

同記事は、全国700社以上を指導し、倒産企業ゼロ、5社に1社が過去最高益、自社も日本初の「日本経営品質賞」2度受賞、15年連続増収の実績を誇る小山昇氏の連載記事の一つだ。その中で、同氏が「有限会社しれとこ村」を経営指導し、「赤字の会社があっというまに黒字に変わった」ことに関するエピソードが書かれている。       

知床観光船が売り出されたとき、私は、「値切ってはダメ! 言い値で買いなさい」と指導した。

とも書かれている。これは「有限会社しれとこ村」が、今回事故を起こした「KAZUⅠ」等の観光船を買って、有限会社「知床遊覧船」を設立したということだろう。

観光船を「言い値」で買って、しかも、その会社を「あっと言う間に黒字」にしたというのである。その間には、余程、徹底した経費の削減が行われたのであろう。そこで、本来、安全にとって最低限必要なコストも削減されたのだとすると、まさに、「赤字企業を黒字化する経営指導」が、今回の事故の背景になったということになる。

今回の事故に関して、次々と明らかになっている桂田社長の、「安全軽視」の経営については、「こんなことを一人で判断しただろうか」と不思議だった。その背後に、「凄腕経営コンサル」という存在があった可能性を、小山氏自身が示唆しているのである。

既に述べたように、国交省の行政処分は、「企業経営への配慮」から「馴れ合い」的なものになりがちで、安全対策を徹底させることができない。その一方で「凄腕経営コンサル」が、安全のためのコストをも削減する徹底した合理化で「経営の黒字化」を図る指導を行う。この二つが「両輪」となって「安全コスト削減」によって赤字企業を延命させることで、人命にかかわる事故の危険が増大することになる。

恐ろしいのは、小山氏のような「凄腕経営コンサル」が指導し、徹底した合理化が行われ「黒字化」された企業が、全国に数えきれないほどあるということだ。

そういう企業は、いつ何時、有限会社「知床遊覧船」のような重大事故を起こしても不思議ではない。

不可解なのは、小山氏の元記事が、今回の観光船事故発生後、ダイヤモンドオンラインからは削除されたことだ(転載記事やツイッターでの引用は残っていたため、記事削除への批判が殺到し、ダイヤモンドオンラインは記事を再公開した)。自身が書いた記事の中身に、「隠したいこと」でもあるのだろうか。

重大事故遺族が求める「組織罰の創設」を

加害事業者の杜撰な安全対策で多くの人命が奪われる重大事故が発生する度に、加害者側に刑事責任等の法的責任を問うことができず、尊い肉親の命を奪われたことへの責任の所在すら明らかとならないことに、遺族は、やり場のない怒りを抱え、悲嘆に暮れるということが繰り返されてきた。

福知山線脱線事故等の重大事故の遺族の方々は、肉親の死を無駄にしたくない、事故防止に活かしたいという思いから、「組織罰を実現する会」を結成し、「重大事故の業務上過失致死罪に両罰規定を導入する特別法の制定」をめざしている(【組織罰はなぜ必要か:事故のない安心・安全な社会を創るために】)。私は、「両罰規定による組織罰」の発案者であり、会の活動にも顧問として加わっている。

国交省の運輸行政には、企業経営への配慮が働き、乗客の安全確保を徹底するものにはなっていない。一方で、「凄腕コンサル」の経営指導などで「安全を軽視してまで合理化が図られ、重大事故の危険が拡散される。このような状況で、事故を防止し、乗客の安全を確保するためには、個々の事業者に、事故で乗客の生命に危険を生じさせることの重大性の認識、危機感を高め、安全対策を徹底しなければ、事故を起こした場合に厳罰に処せられると認識させられるような法制度にするしかない。

そして、一度、人命にかかわる事故が発生した場合には、加害企業がどのような安全対策を行い、そこにどのような問題があったのか、仮に安全軽視の姿勢だったとすると、それはどのような背景によるものか、それらの事実の解明は、刑事事件の捜査によって行うしかない。

そこで、今回の観光船事故を機に真剣に検討すべきなのが、重大事故を起こした事業者やその経営者に対して刑事処罰が行えるようにするため法律の制定である。

既に述べたように、現行の法制度では、重大事故で多数の犠牲者が出た場合でも、法人事業者の組織的な過失を、犯罪として問うことができないし、直接の当事者の運転手・船長等が死亡していることが多く、そのことも、事業者側の刑事責任追及の支障となる。

会社側が安全対策を軽視し、安全管理が杜撰であり、それが重大事故の発生につながったとしても、今回の「知床遊覧船」のように事業者の代表者の対応がいかに安全を軽視し、事故後の対応に誠意がなくても、事業者も代表者も処罰することができない結果に終わる可能性が高いのである。そのような現在の法制度を、重大事故を発生させた事業者や代表者の処罰が可能になるよう、抜本的に是正すべきである。

重大事故の処罰を「個人」から「事業者」中心に転換

そこで、運転手・船長等の事故の直接の当事者等、事業者の役職員を行為者として、業務上過失致死罪が成立する場合に、「両罰規定」によって事業者の刑事責任が問えるようにしようというのが、「組織罰」の導入だ。

現行法の両罰規定とは、

「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務又は財産に関して、次の各号に掲げる規定の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対しても、当該各号に定める罰金刑を科する。」

という規定であり、特別法の多くの罰則に設けられている。

事業に関する死亡事故について、業務上過失致死傷罪を刑法から切り出して、両罰規定を導入する特別法を制定してはどうか。この場合、事業者に対する罰金額の上限は、その事業規模に応じて、経営に打撃を生じ得るほど高額に設定する。

現行の両罰規定の法人等の責任の根拠は、「行為者に対する選任監督上の過失」とされており、その過失がないことを法人等の側が立証すれば免責される。業務上過失致死罪の両罰規定についても、行為者の過失行為に関して十分な安全対策を行って事故防止義務を尽くしていたことを事業者側が立証した場合には免責されることになる。

これにより、事故の刑事責任の追及を、「個人」から「事業者(多くの場合法人)」に転換できることになる。運転者等の直接の当事者が死亡している場合には、当該行為者個人は処罰の対象にならない。その個人についての犯罪成立は、事業者の刑事責任を問う前提になるだけである。その行為者個人が、刑事公判で業務上過失致死傷罪の成立を争うことがないので、犯罪の成否についての判断基準も、従来より緩やかになることが期待できる。運転者が生存している場合も、両罰規定による法人事業者の処罰が主眼となるので、過失行為者は、捜査に全面協力し、事故に至る経緯で、事業者側の安全対策の不備、杜撰さ、会社上層部からの指示の内容等についても、詳しく供述することを条件に、寛大な処分を行うことが可能となる。さらに、「日本版司法取引」の対象罪名に加えることができれば、そのような行為者の処罰の取り扱いが容易になるだろう。

「組織罰」が導入されていた場合の過去の重大事故での処罰

このような法律が制定されていれば、過去の重大事故でも、法人事業者に罰金刑を科すことが可能だったと考えられる。

福知山線脱線事故では、事故当時の社長を検察が起訴し、歴代3社長が、検察審査会の起訴議決によって起訴されたが、いずれも無罪判決が確定しており、現行制度の下では、刑事責任追及は行えなかった。しかし、事故の状況と事故原因は事故調査報告書によって明らかになっている。業務上過失致死傷罪に両罰規定が導入されていれば、運転手が死亡していても、「車掌との電話に気を取られ、急カーブの手前で減速義務を怠った」という過失で、運転手についての業務上過失致死傷罪の成立が立証できる可能性がある。

そして、「そのような運転手の過失による事故を防止するために、JR西日本が十分な安全対策をとっていたか否か」が刑事裁判の争点となり、JR西日本が、「事故防止のための措置が十分だった」と立証できないと、法人としての同社に対して罰金の有罪判決が言い渡されることになる。

軽井沢バス転落事故でも、業務上過失致死傷罪の両罰規定が導入されていれば、「エンジンブレーキをかけることなく加速して、制限速度を大幅に超過した状態で、漫然と下り坂カーブに突入した」との過失で、死亡した運転手に業務上過失致死傷罪が成立するとして、運行会社に両罰規定を適用して起訴することができる。その場合、会社側の安全対策が十分であったことを立証しなければ罪を免れることができない。運転技術が未熟な運転手に対して教育を行うなどの安全対策を十分に講じていなかったことで、会社が有罪となる可能性が高い。

 重大事故の遺族の方々が、実現を求めて必死に活動を続けている「組織罰」、つまり「業務上過失致死傷罪への両罰規定」の導入を、今こそ、真剣に検討すべきである。

「代表者処罰規定」の導入も

それに加え、今回の事故に関して報じられている「知床遊覧船」の桂田社長の「安全軽視」の対応からすると、事業者に対する「両罰規定」に加えて、法人事業者の代表者に対する「三罰規定」の導入も検討すべきであるように思う。

独占禁止法95条の2は、「三罰規定」すなわち「代表者処罰」について以下のよう規定している。

「不当な取引制限」(カルテル・談合等)の違反があつた場合においては、その違反の計画を知り、その防止に必要な措置を講ぜず、又はその違反行為を知り、その是正に必要な措置を講じなかつた当該法人の代表者に対しても、各本条の罰金刑を科する。

というものだ。

これと同様に、業務上過失致死罪に両罰規定を導入する立法においても「三罰規定」を設け、行為者の過失によって「人の死」の結果が生じ得ることを認識していたのに、敢えて安全対策を講じなかった代表者を処罰する規定を設けるのである。

この場合、罰金額の上限は事業者と同様であり、情状如何では相当な高額な罰金刑に処せられることになる。そして、代表者が罰金を支払うことができなければ「労役場留置」となり、服役することになる。

仮に、業務上過失致死罪に両罰規定、三罰規定を導入する法律が制定されていても、今回の事故に関しては、事故原因の特定ができなければ、直接の行為者の船長の業務上過失致死罪の成立が立証できず、「知床遊覧船」への両罰規定も、桂田社長への三罰規定も適用できないことになる。

しかし、「事故原因が特定できるかどうか」は、事故が起きてみないとわからないのであり、「組織罰」「代表者処罰」が導入されていれば、事故を起こして、安全対策を十分に講じていなかった場合に高額の罰金刑を科されることがないようにするために、日頃から、事故防止に細心の注意を払い、十分な安全対策を講じておくしかない。それができない事業者は廃業するしかないということになるのである。

重大事故の刑事責任を法人事業者や代表者に対しても追及することを可能にし、事業者の安全への姿勢や対策の中身、その背景を、刑事事件で明らかにすることができるよう、組織罰・代表者罰の実現に向けて具体的に動き始めることが、安全な社会の実現を願う国民の負託を受けた国会議員の責務である。

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SMBC日興・副社長逮捕、「検察幹部」は“プーチン”化していないか!?

3月24日、大手証券会社、SMBC日興証券(以下、「SMBC日興」)の幹部らによる相場操縦事件で、東京地検特捜部は、佐藤俊弘副社長を金融商品取引法違反(違法安定操作)の相場操縦の疑いで逮捕した。また、同日、既に逮捕されていた幹部4人に新たに一人を加えた5人と、法人としてのSMBC日興の6者を起訴した。

これらの事態を受けて、同日夜、同社の近藤雄一郎社長が記者会見を行い、

「証券会社という立場にありながら、金融商品取引法違反で起訴、逮捕という市場の信頼を著しく揺るがす重大な事態を引き起こしたことを重く受け止め、深く反省している」

と述べた。

しかし、近藤社長は、自らの現時点での引責辞任は否定し、金商法違反で法人としてのSMBC日興が起訴されたことについて、

「内部管理態勢に不備があったことは否定できず、法人としての責任は免れないものと考えている」

と述べたが、逮捕・起訴された幹部についての犯罪の成否については、

「送達される起訴状、開示される証拠を見て判断したい」

と述べるにとどめた。

逮捕された4人は、「通常の業務の範囲内」と述べて違法性を否定していると報じられており、犯罪の容疑をかけられた役職員らが、「無罪主張」をしていることを踏まえて、会社としては、金商法違反事実の違法性についてはコメントしないという姿勢で一貫している。「推定無罪の原則」からすれば、当事者企業の経営者として当然の対応と言えるだろう。

しかし、証券取引等監視委員会(以下、「監視委員会」)と、その強制調査を受けて同社の幹部社員を逮捕した検察当局にとっては、このようなSMBC日興側の態度は、幹部を起訴し、副社長まで逮捕した検察当局の「有罪判断」に対する「挑戦」に思えるだろう。

この事件で強制調査が開始されたのは昨年6月、その後の調査に対して、SMBC日興側は、一貫して違法性を否定し、徹底抗戦をしてきた。

9か月後の今年3月4日、検察は、外国人2人を含む会社幹部4人の逮捕という「強硬手段」に出た。しかし、それでも、会社幹部4人は違法性を認めず、なおも「無罪主張」の構えを崩していないようだ。佐藤副社長も、特捜部の逮捕前の調べに対して「取り引きの報告は受けていたが、違法という認識はなかった」などと説明していたようだ。逮捕後も、「買い支え自体は聞いていたが、手口までは聞いていない」と容疑を否認しているとのことであり、供述内容はほとんど変わらないということだろう。

「軍門」に下ろうとしないSMBC日興という大手証券会社に対して、検察は、4人の会社幹部を起訴するのと同時に、同社副社長を逮捕するという異例の対応に及んだ。

「検察・監視委員会」と「SMBC日興」との全面対決に至っている相場操縦事件について、何が問題となるのか、それに対して検察はどう対応しようとしているのか、事件は今後、どう展開していくのか、報道等に基づいて考えてみることにしたい。

犯意・共謀の問題

この事件は、大株主が大量の株を売る際、市場での値崩れを防ぐために、市場時間外に証券会社が一度買い取った上で投資家らに転売する「ブロックオファー」という取引に関して、株式の買取り・転売が行われる日の取引終了の直前に、SMBC日興が、対象銘柄で大量の買い注文を出していたことが、「不正な買い支え」であり、「違法安定操作取引」(「相場を安定させる目的をもつて、一連の有価証券売買等を行うこと」金商法159条3項)に当たるとされているようだ。

この事件に関して、第1に問題となるのは、ブロックオファーの対象銘柄について、SMBC日興の取引日の「終値」近辺での「大量の買い注文」が、逮捕・起訴された4人の幹部の指示によって行われたものなのか、ブロックオファーの対象銘柄の株価を維持する目的で行われたのか、という「犯意」と「共謀」だ。

「相場を安定させる目的をもつて、一連の有価証券売買等を行う」ことについての「犯意」と「共謀」なのであるから、どの銘柄について、どのような「目的」で相場を安定させるのか、価格をどのような範囲に安定させるのか、について認識を共有することが必要であり、「買い支えを行うことについて漠然と認識していた」という程度では、「犯意」「共謀」があったとは言えないだろう。

「終値」近辺での「大量の買い注文」が、自己売買部門の担当者の独自の判断で行われたもので、逮捕・起訴された幹部の指示によるものでなければ、そもそも、「不正の買い支え」とは言えない。

この点について、逮捕・起訴された幹部が所属していたエクイティ本部内で、ブロックオファー取引と自己売買の両方が行われており、両者の間に「ファイアーウォールの設置」(情報の遮断)が行われていなかったこと、同社の売買審査部門から、摘発対象となった大量の株の買い注文に関し、社内の売買監視部門のシステムで不審と警告されていたのに問題視されず必要な対応も取られていなかったことなどが報じられている。これらの報道は、いずれも、監視委員会・検察側からのリークによるものと思われる。

検察側の「見立て」は、

ファイアーウォールがなく、情報が筒抜けだから、ブロックオファー取引に関する判断と自己売買部門の買い注文とは直結していた。しかも、自己売買部門で、警告を受けた「不正な買い注文」を、何の動機もなくやるわけはない。それは逮捕・起訴された幹部らの指示によるものに違いない。

というものであろう。

しかし、そのような「ストーリー」で、SMBC日興の金商法違反を立証するためには、逮捕・起訴された幹部と、大量の買い注文を出した自己売買部門の担当者が、検察のストーリーに沿う供述を行うことが必要だ。何とか、そのような供述を行わせようとして4人を逮捕した上で、自己売買の担当者などの取調べも行ったはずだ。強制捜査によって収集された社内メールも徹底して調べられているはずだが、その中に「犯意」「共謀」を裏付けるものがあるのであれば、会社幹部ら4人が揃って否認を通すことは容易ではないはずだ。当初検察が意図したとおりのの供述や証拠が得られていない可能性が高いように思える。

「検察の見立て」を否定する事実

また、そのような「検察の見立て」を否定する方向に働く事実もある。

証券会社の自己売買部門も、基本的には、自らの判断で投資を行う「プロの投資家」である。「安ければ買い、高ければ売る」という原則に基づいて株式の売買を行っている。

ブロックオファーの対象とされた銘柄も、報道によれば、いずれも、相応に企業価値の高い企業であり、その株価が想定価格より低いと判断して買い注文を出すというのは、投資家としては当然の判断である。

マスコミ関係者から得た情報によれば、昨日起訴されたSMBC日興の幹部らの起訴状では、安定操作の方法は、「指値X円の買い注文を大量に入れる」というものだった。この「X円」という株価が、企業価値や相場の動きからして割安であり、「買い」が当然との判断によって買ったということもあり得る。

しかも、SMBC日興のブロックオファーは、投資家による「空売り」を誘発しやすい制度設計であったなどと報じられており、大株主からの買取と転売が行われる日に「空売り」によって株価を下落させようとする動きがあったことは間違いないようだ。「空売り」によって不自然に株価が下落したのであれば、自己売買部門が純粋な投資判断として「買い注文」を入れることも十分にあり得る。

そういう意味では、自己売買の担当者が、それなりの合理性のある理由をもって「独自の判断で買い注文を入れた」と供述した場合、それが虚偽だと断ずる根拠はあるのだろうか。

「絶対的な安値水準と判断されるレベルにまとまった買い指値注文を入れていたところ、不自然な空売りによって、その買い注文が約定してしまった」という場合であっても、結果的に、終値近辺でのSMBC日興の買いによる売買の割合が、売買全体に対して一定の数字を超えていれば、売買審査部から「終値関与の疑い」ということでアラートが出ることになる。しかし、「安値に予め出していた指値注文が大量に約定しただけ」と説明されれば、売買審査部門も「特に問題ない」という判断になるだろう。

一部の記事では、「金商法が禁止している『終値関与』があった」などと書かれていたが、明らかな誤解だ。「終値関与」というのは、「相場操縦等の不公正取引を疑う一要素」であって、それ自体が金商法で禁止されているわけではない。

要するに、逮捕・起訴された幹部らが自己売買部門の担当者に、「大量の買い注文」の指示をした事実があり、幹部らの意思で「意図的に買い支えた」と言えることが、一連の売買について犯罪が成立する大前提であり、その点について供述が得られないと、「相場を安定させる目的で一連の有価証券売買等を行った」という犯罪事実の立証は著しく困難なのである。

相場操縦の典型例は、仮装・馴合売買、見せ玉(約定する意思のない注文)などであり、取引としての合理性のない行為による相場操縦を個人が行った場合は、売買注文や株価の動きなどで、相当程度客観的に立証することも可能だ。しかし、本件のような、売買の当事者にとって相応に合理的な説明が可能な場合には、売買を行う意図・目的などの主観的要素についての供述が不可欠となる。昨年6月に監視委員会が着手した強制調査が、膠着状態に陥っていたのは、この点の供述が得られなかったからなのではないか。

株式購入者側「空売り」をどう見るか

第一の「共謀」についての証拠が得られ、幹部らの意思に基づいて大量の「指値買い注文」が出されていたことが認められるとして、第二に問題となるのが、【SMBC日興証券事件、「空売り」と「買い支え」の対立が背景か~「違法安定操作」での摘発への疑問】で述べたように、特定の銘柄について株価の値下がりにつながる『空売り』があったとされていることとの関係だ。

ブロックオファーでの購入者側が、買値の基準となる取引日の終値を意図的に下げようとして、買い取った株式で決済する前提で買い取り前に「空売り」を行ったとすれば、それ自体が「証券市場の公正」を害する行為であり、金商法157条の「有価証券の売買その他の取引又はデリバティブ取引等について、不正の手段、計画又は技巧をすること」の一般条項を適用して処罰すべきではないか、ということを述べた。

 産経新聞(3月24日付)は

SMBC日興は、投資家による「空売り」を誘発しやすい制度設計を武器に、業績を伸ばしたとされる。

関係者によると、他社は空売り防止の意味もあって同種取引をする際は取引日を明示せずに投資家に打診していたが、SMBC日興では取引日をほぼ明示しており、空売りする日付を限定しやすかったという。

検察幹部は「空売りでもうけさせるのが前提だった」と指摘し、制度設計の経緯なども捜査している。

などと、「検察幹部の見方」に基づいて記事を書いている。

しかし、このように、SMBC日興が、意図的に「空売り」を誘発する仕組みを作って、その「空売り」に「不当な買い支え」で対抗することが、SMBC日興にとってどのような意味があるのか。しかも、上記のように、購入者側が、買値の基準となる取引日の終値を意図的に下げようとして行う「空売り」は違法と考える余地もあるのである。そのようなことを企んでいたとすれば、それは、当事者の幹部らに説明してもらわなければわからない。

 

検察幹部の見方は、それを認めるSMBC日興側の供述がなければ、「妄想」に過ぎない。それを立証する証拠がなければ、違法・不当な「空売り」に対して、下落を防止する「買い支え」は、「相場が自然な需給関係に基づいて形成される」という本来の証券市場における株価形成に資するものとも言えるのである。

SMBC日興側の供述が不可欠な事案

検察が、上記の2つの点について、立証上の問題をクリアするためには、兎にも角にも、SMBC日興側の供述が不可欠だ。

大阪地検特捜部の村木厚子氏の事件で、検察官の不当な取調べが問題となる以前の特捜検察であれば、取調べで様々な手段を弄してストーリーどおりの供述調書に無理やり署名させ、それが採用されて立証されることになっていたであろう。しかし、村木氏の事件と証拠改ざん問題で世の中の厳しい批判を受けた検察は、その後、取調べの録音録画が導入されるなどしたことから、検察官の脅し・騙しの取調べで「ストーリーに沿った供述調書」に署名させるということが難しくなった。今回も、外国人2人を含む会社幹部4名を逮捕して取調べを行ったものの、SMBC日興側の供述は殆ど変わらなかったのではないか。

昨日、この4名の勾留満期を控え、最高検も含めて検察の処分方針が最終的に決定されたわけだが、「この証拠関係で公判立証ができるのか」との疑問が指摘されたのではないか。

そこで、検察が決定した方針は、「SMBC日興副社長逮捕」だったということが考えられる。

副社長逮捕でSMBC日興への世の中の批判を一層大きくし、それを受けて、金融庁も行政処分を行わざるを得なくなる、それによって同社を屈服せざるを得ない状況に追い込み、弁解・反論や公判での無罪主張を押し潰してしまおう、という意図で行われたのだとすると、恐ろしい話である。

しかし、4人の勾留満期の日に副社長を逮捕するというのは、通常の捜査の進め方ではない。捜査の最終段階で4人の幹部の中から副社長との共謀も含めて「自白」がとれた、ということなら話は別だが、これまでの経過からすると、それは考えにくい。

東京地検特捜部の捜査方針に大きな影響を持つ東京地検次席検事は、カルロス・ゴーン氏の事件の際に特捜部長だった森本宏氏だ。

私は、【深層カルロス・ゴーンとの対話 起訴されれば99%が有罪となる国で】(小学館:2020年)の中で、森本氏の特捜部長時代の捜査の進め方について、以下のように述べた。

森本特捜部長の下で手掛けた事件については、私も、その都度、いかにそのやり方が常識を逸脱しており、法的にいかに「無理筋」であるかを指摘してきた。しかし、森本特捜部は、終始、強気一辺倒で捜査を進めてきた。マスコミ、世の中の論調、裁判所の判断などの日本の検察、特捜部をめぐる構図の下では、「思い切ってやってしまえば、結果はついてくる」ということを、森本氏は、経験上認識しており、それが、特捜部が成果を挙げる上で、極めて合理的な発想だったことは間違いない。

森本氏は、そのような考え方で、国際的カリスマ経営者のカルロス・ゴーン氏を、突如逮捕して世界に衝撃を与え、私がその都度、指摘してきたように、多くの重大な問題があった同氏の事件を、「検察が始めた捜査は、引き返すことなく、めげることなく、とことんやり切る。それによって、結果は必ずついてくる」という方針でやり抜き、ゴーン氏は、「公正な裁判が期待できない」として海外に逃亡した。

今回の検察の捜査方針が次席検事の森本氏の判断にかかっているとすれば「SMBC日興副社長逮捕」が、上記のような目論見で行われた可能性も十分にあるように思える。

しかし、さすがに、今回の事件は、森本特捜部時代の事件のように、「結果オーライ」で済むとは限らない。

昨日起訴された4人の幹部の起訴事実が5銘柄に関するものだったのに、佐藤副社長の逮捕事実は、たった1銘柄に関するものだけだ。その1銘柄については、取引の内容についての佐藤副社長の認識に関する証拠が何らかの形で存在するということであろう。

森本次席検事が指揮する東京地検特捜部は、外国人2人を含む経営幹部の逮捕でSMBC日興に「侵攻」したが、かなりの苦戦を強いられているようだ。起死回生を狙って、佐藤副社長を逮捕し、全面自白に追い込み、SMBC日興を屈服させようというのだろうが、果たして目論見どおり行くのだろうかだろうか。起訴された4人も、SMBC日興側も、徹底抗戦の構えを崩していないようだし、4人の起訴と副社長の逮捕を受けての近藤社長の会見でのコメントも、「起訴された個人が有罪なのであれば、法人としても刑事責任を免れない」と述べているに過ぎないと思われる。今後、検察から開示される証拠を見て、会社としてどのような判断を下すのだろうか。

強大な権力で押し切ろうとするやり方は、“ウクライナに侵攻したプーチン”をも彷彿とさせる。ロシア軍のように「想定外の苦戦を強いられる」ということになる可能性もないとは言えない。

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「横浜市大不当要求問題」刑事告発、神奈川新聞の取材・報道に重大な問題

3月9日に、神奈川新聞が、紙面、ネット有料記事、ヤフーニュースに掲載した【横浜市長、大学在職・退職後の強要告発に「コメントは控える」】と題する記事に関する取材と記事化の過程に重大な問題があるとして、同社社長に厳重に抗議し、対応を求める書面を送付した。その件について、これまでの経過と問題の所在について述べることとしたい。

横浜市大現職教職員らからの山中竹春氏に関する問題の指摘

発端は、昨年7月26日、横浜市大理事長・学長名で発出された学内文書(請願審査における「7.26文書」➡【横浜市会議員らによる横浜市大への「不当圧力」問題の請願書・添付資料を公開】参照)について、現職教職員らが、「大学の自治」「政治的中立性」を侵害する重大な問題だとして私の事務所に連絡してきたことだった。それまでにも、医療情報分野の研究者、医療ジャーナリスト、神奈川県内の医師などから山中氏の能力・資質についての多くの情報が寄せられていたことに加え、山中氏の人間性、研究者としての基本的能力の欠如、市大での悪質なパワハラなどの具体的な話と、山中氏は「絶対に市長にしてはならない人物」であるとの訴えを聞いたことが、私が市長選挙で、山中氏の落選運動(【「小此木・山中候補落選運動」で “菅支配の完成”と“パワハラ市長”を阻止する!】)を行う決意につながった。

選挙期間中には、「コロナの専門家」であることの疑問、パワハラ疑惑、経歴詐称疑惑などの指摘、市大の取引業者への「恫喝音声」の公開などの様々な方法で展開したが、それにもかかわらず、山中氏は市長選挙で当選し、市長に就任した。しかし、私は、その後も、上記取引業者に対する強要未遂での山中市長の告発等に関わるなど、山中氏の市長としての適格性を問う活動を続けた。

「横浜市大への不当圧力問題」の調査を求める請願

9月には、横浜市会に「横浜市大への不当圧力問題」の調査を求める請願を行った。請願は、政策・総務・財務委員会に付託され、9月24日に続き、12月15日に行われた請願審査では、花上喜代治、今野典人議員、横浜市大の小山内いづ美理事長、相原道子学長が出席し、山中竹春市長も、市長としては18年ぶりに「説明員」として出席して、請願審査が行われた。しかし、そこでの山中氏の答弁は、ウソ・ごまかしだらけで、市大側の説明とも大きく乖離し、不当圧力問題の事実解明が十分に行えたとは到底言えないまま終わった【山中竹春横浜市長、請願審査委員会での追及に「虚言」連発。市長の存在自体が「横浜市民にとっての”災難”」】。

この請願は、当初、市会議員2名による市大への不当圧力を問題にし、その後、山中氏が市会の本会議で自ら関与を認めたことから、請願の対象を市長の不当圧力に拡大したものであり、山中氏自身にとっては、「市大教授を退職し、市長に就任する前、一私人であった時の問題」であり、「横浜市の事務」に関する問題とは言い難いことなどから、地方自治法100条に基づく調査の対象とすべき案件とは言い難かった。

山中氏の行為については、請願書でも、

「市民にSNSやインターネット上で不誠実を知ってもらった方がよいとも考える」

「コンプライアンス違反で訴え厳正に対処することも考えている」

などという発言によって、「名誉に対する害悪」を加えることを告知して市大理事長らに「義務のないこと」を行わせようとした刑法の「強要罪」に該当する可能性があると指摘していたが、請願審査の結果、それらの発言が、山中氏が小山内理事長に対して行ったものであること、しかも、6月16日の学内文書が事実無根だとして訂正・謝罪することが「義務なきこと」であったことが明らかになった。

このような請願審査の結果を受けて、私が横浜市役所で行った記者会見では、「不当圧力問題について山中氏を刑事告発することについての相談が市大関係者等から寄せられており、請願審査の結果に基づいて刑事事件として真相解明していくべき案件と考えられるので、刑事告発についての検討を進めていきたい」と述べた。

同月21日の本会議で請願についての採決が行われ、請願は不採択となったが、それに先立つ討論で、最大会派の自民党を代表して伊波俊之助議員が意見を述べ、

委員会審査の過程で、面会時のメール訂正の要求は殆ど山中市長が行ったということも明らかになっております。山中市長は「圧力という認識は一切ありません」という発言をしておりますけれども、記憶にないとか、あるいは質問に対して言い逃れ、直接答えないという場面もありました。「市民に誠実」というキャッチフレーズとは程遠い答弁でした。

強制力のない常任委員会の審査となると、これ以上審査をしたところでこの食い違いを埋めることができないと判断し、請願は不採択といたしました。あとは司法の場で判断されると思います。

と締めくくった。

同議員が言う「司法の場」で念頭に置かれているのが、請願審査の過程で明らかになった強要罪の疑いについての告発・刑事事件化であることは明らかであった。

山中市長を被告発人とする強要罪による告発状の作成・提出

このような横浜市議会での請願審査の結果を受けて、横浜市大の現職教職員と退職者数名から、山中氏の強要罪による告発についての検討と、告発状の作成を依頼され、その作業に着手した。

彼らの告発の重要な動機として、「市大在職時の山中氏が、教授・研究科長としての職責を全く果たしておらず、市長選に立候補を表明して職務を放棄したこと、悪質なパワハラを恒常的に行っていたこと、それらの事実を否定するために辞職後にとった行動」などがあった。それらも、告発に至った経緯として記載し、告発状案を完成させた。

その告発状案を、横浜地検特別刑事部に持ち込み、担当検察官との調整も終わった1月末には、現職教職員数名が横浜地検を訪れて担当検察官と面談し、告発に至った経緯を説明し、真相解明・刑事処分を求める意思を示した。

かかる経緯を経て、3月1日に、横浜市大の現職教職員及び退職者合計9名が告発人となった告発状が正式に受理された。

神奈川新聞への告発受理についての情報提供

問題は、山中市長に対する告発が受理されたことを、どのようにして公表するかだった。

今回の山中市長に対する告発は、横浜市会での調査を求める請願が常任委員会で審査され、相当程度事実関係が明らかになったことを受け、市議会からも、「司法の場」での真相解明が期待されたことを踏まえて行ったものだった。しかも、請願審査そのものに否定的だった立憲民主党・日本共産党の議員は、

「市大側は山中氏からの圧力と受け止めておらず、市大内部では問題にされてもいない」

などと述べていたのであり、多数の市大内部者が告発人となって刑事告発に及んだことは、それらの党の主張に対する反対事実でもあった。

そのような告発が、地検での審査を経て正式に受理されたことについて、情報提供するメディアとして考えたのが地元紙の「神奈川新聞」であった。同紙は、三木崇記者の署名記事で横浜市会での請願審査の内容や結果についても報じており、請願審査の結果を受けて私が市役所で会見し、山中市長の強要罪での告発の検討を行っていると述べたことにも、記事中で触れていた。そういう意味では、地元メディアとして、その告発の件を「市政にとって重要な問題」として報じるのに相応しいと思われた。告発人側も、匿名での記事化を条件に取材に応じる意向だった。

三木記者に、横浜市大の現職教職員らを告発人とする告発状が横浜地検に提出され数日内に受理の見通しであることを伝え、匿名を条件に告発人の直接取材も可能と伝えたところ、「告発状の内容と、それが受理された事実を報じたい」とのことだったので、告発状の内容を資料として送付した。

3月2日に、横浜地検から、1日付けで告発が受理されたとの連絡があったので、すぐに連絡したところ、三木記者は、告発人代表者に電話取材して確認をした上、告発受理についての記事が、3月3日付け朝刊で掲載された。

しかし、いわゆる「ベタ記事」で、同じページに、真鶴町長が選挙人名簿の不正使用の地方公務員法の守秘義務違反の事実で告発されたことが大きな見出し付きの記事で報じられているのと比較しても、異常に小さな扱いだった。

告発人代表者のインタビューとその記事化

その後、三木記者から、

「告発受理を報じた記事は小さな扱いとなり、いろいろ意見もあったので、告発人側のインタビューを行った上で、中身のある記事を出して、ガツンとやりたい」

との申入れがあった。告発人代表者にそれを伝えたところ、インタビューに応じることになり、3月6日の日曜日の午後、横浜市内で、2時間にわたってインタビューが行われた。

その記事を3月8日の朝刊に掲載する予定ということで、7日の昼頃には記事の「予定原稿」がメールで私宛に送られてきた。山中氏の行為が「大学の自治」に対する重大な侵害だと考え告発に至った経緯、市大でのパワハラの事実などを内容とするもので、インタビューに応じた趣旨にも沿う内容の約90行の大型記事だった。告発人代表者側に確認し、いくつか修正意見を送付したところ、同日夕刻には、それを反映させた「予定原稿」が送られてきた。その際、「記事に告発状の現物のイメージを掲載したい」とのことだったので、告発代表者の了解を得た上、告発人の署名入りの告発状を、当事務所からファックス送付した。

ところが、同日夕刻になって、三木記者が、

「デスクが掲載に難色を示している。市大関係者が告発を決意する理由となった山中氏のパワハラについて、もっと具体的な話を聞きたい」

と言ってきた。そこで、告発人の一人で、最もひどいパワハラの被害を受けた市大退職者に連絡をとり、三木記者の取材に応じてもらうよう要請したところ、何とか了承が得られ、ただちに電話で取材が行われた。このパワハラ被害者は、パワハラによってメンタル面面の不調を来たし、退職を余儀なくされたもので、取材に応じることには心理的抵抗があったが、神奈川新聞が告発の事実を大きく報道するのであれば、ということで取材に応じてくれたものだった。

午後8時頃、三木記者から

「やはりデスクが通してくれなかったので、明日の掲載は見送りとなった。引き続き記事の内容を充実させて、明後日の朝刊で掲載するようにしたい」

との連絡が私と告発人代表者にあった。

翌8日の午後7時過ぎに、三木記者からメールで、記事の原稿が送られてきた。

信じ難いことに、それは、同日午後に行われた山中市長の定例会見での発言についての記事で、前日に送付された予定原稿とは全く異なり、末尾に、告発人代表者のコメントが、3行ほど「カウンターコメント」のように載せられているだけで、パワハラにも全く触れておらず、インタビューに応じた趣旨に反するものだった。

その後、三木記者と電話で話したが、「デスクの判断で削られた」と繰り返すのみだった。こちらが、

「告発人代表者も、パワハラ被害の退職者も、相当に無理をして取材に応じてくれた。その趣旨に全く反する記事にされることには納得できない」

と言うと、

「それならボツにするしかない」

とのことだった。

告発人代表者の意向を確認した上、

「送付された内容であれば記事掲載には了承できない」

と伝え、告発人側で取材に応じた結果は記事には出さないということで話が終わった。

翌9日、「カナロコ」に、強要罪での告発についての山中市長の定例会見でのコメント中心のネット記事が出ていて、それがヤフーニュースに転載されていた。その記事は、前日の予定原稿の内容から告発人代表者のコメントが削除したものだったが、あろうことか、告発人のインタビューの内容を記事化する前提で送付した告発状の現物の写真が掲載されていた。

また、神奈川新聞の紙面や、カナロコの「有料記事」には、ボツにするはずであった告発人代表者のコメント入りの記事がそのまま掲載されていた。

告発人としては、告発人側のインタビューの内容を記事化するということで取材に応じたのである。「告発状」の現物も、インタビューの内容とする記事が掲載される前提で送付したものだ。山中市長の定例会見でのコメントを中心とする記事は、全く前提を異にする。そのような記事に、告発状の写真を使用することを了承したことなどなく、まさに流用そのものだった。

神奈川新聞社長宛の抗議、措置の要求

ネット記事を確認した時点から、三木記者に連絡し、「告発状の現物の掲載は了承していない」として記事の削除等を求めたが、真摯な回答は得られず、編集責任者に電話させるように求めたが、全く連絡はなかった。

そこで、同日、神奈川新聞の須藤浩之社長宛てに、「無責任な取材・報道の姿勢及び取材協力者側への不誠実な対応に厳重に抗議し、ネット記事から、告発状の現物の写真を削除すること、紙面で、取材・報道において不当な対応を行い告発人に迷惑をかけたことについての謝罪文を掲載すること」を要求する書面を送付した。

同書面は、10日に神奈川新聞に配達されたが、本日(3月16日)現在、何らの返答もない。告発人代表者にも、パワハラ被害者の退職者にも、9日の、上記「山中会見コメント」中心の記事掲載後、何の連絡もない。ただし、11日には、問題の記事の告発状の現物の写真は削除され、横浜市のイメージ写真に差し替えられている。私からの書面を受け、同写真の掲載に問題があったことについては非を認めているものと思われるが、それにしても、告発人側から提供を受けた写真を勝手に記事に掲載し、それを一方的に削除し、取材協力者側に何の連絡もしないという神奈川新聞の対応は、あまりに常識を欠くものだ。

マスコミの取材・報道に関する重大な問題

このような神奈川新聞の対応には、メディアとして極めて重大な問題がある。

第一に、今回の告発とその受理の事実の重要性についての認識の問題である。

一般的には、告発というのは、一つの捜査の端緒に過ぎない。しかも、告発自体は、「何人も」可能なのであり、、一般市民が、マスコミ報道で犯罪に当たるとされた事実について、それだけを基に検察庁に告発を行うというケースも少なくない。そのような告発の多くは、「犯罪事実不特定」、「犯罪の嫌疑の根拠不十分」等の理由で告発状が返戻される。特に、2008年の検察審査会法の改正で、不起訴処分に対する検察審査会への申立てが行われ「起訴相当議決」の議決が出ると法的拘束力が生じるようになってからは、検察の「告発受理」に対する慎重な姿勢が顕著になった。

最近では、「検察庁への告発」は相当ハードルが高く、告発人側に、告発事実について、捜査を遂げ真相を明らかにした上処罰を求めるという意思が明確に示され、犯罪事実が起訴状の公訴事実に近い程度に十分に特定されていなければ、告発状は受理されない場合が多い。

今回の告発は、現職の横浜市長を被告発人とし、市が設置者である市立大学の現職教職員らが行ったものであり、しかも、検察庁での慎重な審査手続を経て、正式に受理されたのであって、その事実は極めて重い。もちろん、その告発事件に関して、最終的にどのような刑事処分が行われるかは、検察の捜査が行われた上でなければわからない。しかし、横浜市会での請願審査の経緯をも踏まえれば、今回の告発とその受理の事実は、それ自体が、地元紙として大きく取り上げるべき案件だと考えられた。

そういう意味で、「告発人側のインタビューを行った上で大きな記事にして、ガツンとやりたい」と言って、インタビューを申し入れてきた三木記者の姿勢は真っ当なものだった。しかし、そのインタビューが記事化され、原稿が出来上がった後の神奈川新聞社側の対応は、信じ難いものであった。

神奈川新聞は、今回の問題についての「告発受理」の意味を過少評価しているとしか思えない。

「告発者」の取材・報道をめぐる問題

そこで第二の問題となるのが、取材・報道における「告発者」への対応である。

「権力との対峙」「権力者の追及」は、マスコミの重要な役割である。

しかし、「権力」「権力者」に関する情報をつかみ、具体的な事実を把握することは、外部者のマスコミにとって容易なことではない。その貴重な情報源となるのが「告発者」である。

横浜市大における「絶大な権力者」であった山中氏が、市長選に立候補して横浜市の最高権力者になろうとしたことに対して、山中氏の実像を知る市大関係者等から、パワハラ・経歴詐称・不当圧力等の様々な問題が指摘され、それが、最終的に、横浜地検への告発という形になった。そして、それらの問題指摘の主体の「告発者」が、インタビュー取材に応じ、記事化される過程で起きたのが、今回の問題だ。

この場合、告発者は、その氏名が公表されたり、権力者側に知られたりすることで、いかなる不利益が生じるかわからない。取材・報道する側には、格段の配慮が求められることは言うまでもない。

三木記者は、告発状に関する資料提供を受け、当初は、告発に至る経緯と動機、告発人が訴えたいことなどを内容とする記事を書く前提で、長時間の面談のインタビュー取材を行い、告発人からありとあらゆる情報を得て、実際、社内の所定の形式で予定原稿を作成して、告発人側に送付して確認を求め、さらに、パワハラ被害者の追加取材まで行った。ところが、その後の神奈川新聞の記事掲載に至る対応は、三木記者とは全く異なるものだった。

三木記者の説明によれば、「デスクが難色を示している」ということだが、インタビューを行い、予定原稿を取材対象者に送付して確認まで求めているのである。しかも、その記事のために、告発人の署名の入った告発状の現物まで送付している。それなのに、その時点で、そのような趣旨の記事を掲載すること自体について、新聞社内部での了承がとれていないということが、果たしてあり得るのであろうか。

告発人代表者は、三木記者は大変熱心に問題意識を持ってインタビューをしてくれたと言っていた。予定原稿も、その趣旨に沿うものだった。告発人側からすれば、当初掲載予定であった記事が事後的な事情によって変更されたのではないか、例えば、山中氏側やそれと近い社内関係者の横やりがあったのではないか、と疑いたくなるのも致し方ない。告発人の氏名も含む極めてデリケートな情報まで提供している告発人側としては、そのような神奈川新聞社側の対応に重大な不信感を持ち、告発人側の秘密が守られるのか、山中氏側に情報が洩れることはないのかと不安になるのも当然であろう。

告発人の現職教職員らが、山中氏による横浜市大への不当要求の問題に、ここまで徹底してこだわり、強要罪による刑事告発にまで及んだのは、それが、横浜市大のガバナンス・教育体制等に重大な悪影響を与えた「山中竹春氏をめぐる問題」を象徴する問題だからである。彼らの懸命の訴えが、少しでも多くの横浜市民に届くよう、私なりに最大限の努力をしてきたが、残念ながら、市長選の前後から現在に至るまで、横浜のメディアは、そのような「山中問題」を殆ど取り上げて来なかった。

そのようなメディアの姿勢が端的に表れたのが、今回の山中市長告発問題についての神奈川新聞の取材・報道のように思える。

神奈川新聞は、疑念を晴らすべく、今回の取材・報道の経過について、納得できる説明を行うべきである。

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SMBC日興証券事件、「空売り」と「買い支え」の対立が背景か~「違法安定操作」での摘発への疑問

3月4日夜、SMBC日興証券エクイティ本部の本部長ら4人が、金融商品取引法違反の相場操縦の疑いで東京地検特捜部に逮捕された。

日経新聞(3月5日付け)では、以下のように報じている。

相場操縦の疑いがあるのは、企業の株式を大口で一括で取引する「ブロックオファー」と呼ばれる取引。大株主から株式売却の意向を受け、ほかの投資家に売り渡す。市場で大量の株式を売り出すと需給が崩れ、株価は下がりやすい。これを避けようと大株主が証券会社に依頼し、新たな株主を探してもらう取引だ。

4人は金融商品取引法が禁じる「終値関与」の疑いが持たれて逮捕された。取引時間が終わる「大引け」間際に買い注文を出す行為で、SMBC日興では引き受けた取引の成立を確実にしようと、市場で様々な株式を売買している部門に買い支えを依頼した疑いがある。ブロックオファーの取引価格は終値を基準とするため、終値が高くなるように特定の銘柄を買い支えたとみられる。

証券取引等監視委員会が、金融商品取引法違反(相場操縦)容疑の関係先として同社本社を強制調査し、東京地検への告発も視野に調べていると報じられた昨年11月4日に、【SMBC日興証券事件、相場操縦として刑事立件できるのか?】と題する記事で、報じられている範囲では、一般的な相場操縦である「取引を誘引する目的」で行う「変動操作」(159条2項)の成立には疑問があると述べた。

この「取引を誘引する目的」については、

「人為的な操作を加えて相場を変動させるにもかかわらず、投資者にその相場が自然の需給関係により形成されるものであると誤認させて有価証券市場における有価証券の売買取引に誘い込む目的」

と解するのが最高裁判例だ。

注文の出し方や株価の動きで、株価が上昇するように見せかけて、他の投資家を引きずり込み、株価を上昇させて、自分は売り抜けて儲けようというのが、一般的な相場操縦である「変動操作」の犯罪だ。

SMBC日興証券の社員が、ブロックオファーの取引価格の基準となる終値が下落しないように、特定の銘柄を買い支えたというだけでは、「取引を誘引する目的」の変動操作に該当するとは思えなかった。

むしろ、その時点で報じられているような事案であれば、有価証券の「相場をくぎ付けし、固定し、又は安定させる目的をもって」する「安定操作取引」(159条3項)で立件される可能性があることを指摘した。

安定操作取引は、有価証券の募集や売り出しを円滑に行うため、相場の安定を目的として行う市場での売買取引である。特に、それが必要であり、かつ、合理性が認められるのは、有価証券の募集・売り出しを円滑に行うために、株価の急激な変動を回避し、一定の範囲に収まるようにすることを目的とする場合であり、届出・報告等の所定の手続によって行われる場合には適法とされる。そのような手続を経ることなく、株価が、上限価格と下限価格の間の「一定の範囲」から逸脱しないようにするための安定操作取引が行われた場合には違法となる。

安定操作取引は、有価証券の募集・売り出しの場合であれば、事前に届出を行うことで適法に行うことができる。しかし、単に、大株主から立会時間外で売買の仲介を依頼されたというだけであれば、適法に安定操作を行うことはできない。

本日のSMBC日興証券の社長の記者会見では、同社幹部の逮捕容疑は違法安定操作取引(159条3項)ということであり、上記のような理由で「取引を誘引する目的」が認められないので、159条2項の変動操作取引ではなく、3項の違法安定操作取引で刑事立件されたものと考えられる。

しかし、【前記記事】で、安定操作取引で立件された具体例の「H氏の相場操縦事件」について書いたように、「違法安定操作取引」に関しては、「上限価格」と「下限価格」を定めて、株価がその間に収まるようにした場合に成立するものであり、単に、一定の価格を下回らないように買い支えていたというだけでは犯罪は成立しない。

SMBC日興証券の側は、終値近辺で買い注文を出して株価を買い支えただけであれば、株価の上昇を抑える必要はない。「上限価格」を設定したと言えるのか、疑問だ。

そして、もう一つ注目すべき事実は、以下のNHKの記事で報じられた事実だ。

大手証券会社SMBC日興証券の幹部ら4人が相場操縦の疑いで逮捕された事件で、4人は特定の銘柄について株価の値下がりにつながる「空売り」が行われたため、それに対抗して株価を維持しようと不正に大量の株を買い付けていた疑いがあることが関係者への取材で分かりました。

単に、SMBC側の「不正な買い支え」の動機になったのが、「空売り」だったことを報じているに過ぎないように見えるが、実は、その「空売り」こそが本件の発端となった重大な問題であるように思える。

上記のH氏は、「夢の街創造委員会」の創業者の花蜜伸行氏(その後「幸伸」と改名)である。創業者花蜜氏が、同社の株価が割安に放置されていたことから、僅かな資金を元に、信用取引で上場会社の15%もの株式を保有しようとし、その過程で行った取引について、証券取引等監視委員会に摘発されたのが「H氏の相場操縦事件」だった。

最近、花蜜氏は、自身の著書【僕は夢のような街をみんなで創ると決め、世界初の出前サイト「出前館」を起業した。】で、「夢の街株の買い支え」を行っていた最中に、花蜜氏の持ち株をまとまって購入してくれることになったファンドに、契約締結直後から大量の「空売り」をかけて夢の街株を売り崩されたことについて書いている。

花蜜氏の刑事裁判の少し前の日経ビジネス2016/09/05号の記事【敗軍の将、兵を語る「外資ファンドに相場で負けた」】の該当部分を引用する。

買い付け資金を何とか確保したいと考えていた矢先、ある外資系ファンドが、私の10万株を買うと手を挙げたのです。買い取り価格の条件は、契約日の終値の7%ディスカウント。資金が確保できるのならばと、私は承諾し、5月30日に、その外資系ファンドと10万株の売買契約書を締結しました。

すると、その瞬間から今までにはないような猛烈な売り浴びせが始まったのです。およそ1200円だった株価は急落し、終値は1085円。外資ファンドにはその7%引きで、私の保有していた10万株が渡りました。

私は膨大な追い証を支払わなくてはならなくなりました。その現金の捻出に困っていると、先の外資系ファンドがさらに10万株を買うと申し入れてきたのです。現金を作るにはそれ以外に方法がない。そう判断し、6月2日に私は、そのファンドにさらに10万株を売ることを決断しました。すると、また契約書を締結した直後から猛烈な売り浴びが始まった。株価はついに1028円まで下落しました。もう追い証さえ払えず、信用取引で買った250万株はすべて強制決済されました。そして私は10億円の債務を負いました。

さらに追い打ちをかけたのが証券取引等監視委員会の特別調査です。株価を上げたのが「相場操縦」、株価下落を食い止めたのが「株価固定」だとして、私は東京地検に刑事告発されたのです。

取り調べの中で取引データを見ると衝撃的な事実が判明しました。私が例の外資ファンドに10万株を売却する契約をした瞬間から、その外資系ファンドは、夢の街の10万株を空売りしていたのです。

彼らの売り崩しで私は持ち株を強制売却せねばならず、膨大な損害を受けました。取り調べではその外資系ファンドの売り崩しこそ違法だと訴えましたが、相手にされませんでした。

「夢の街」株を買い進めて資金不足になっていた花蜜氏は、自分の持ち株を、市場外でまとめて買い取ってくれるという外資系ファンドに、その契約日の終値の7%ディスカウントした価格で、売却する契約をしたところ、契約をした途端に、大量の「空売り」で売り崩され、大幅に下落した価格で売却を余儀無くされ、膨大な損失を被った。

「ブロックオファー」と呼ばれる取引も、上記日経記事に書かれているように、市場で大量の株式を売り出すと需給が崩れ、株価は下がりやすいので、これを避けようと大株主が証券会社に依頼し、買い取り先を探してもらうものだ。そこでの売買価格は、特定の日の終値を基準に、その何%かディスカウントした価格だ。もし、この終値が下がれば、買い取り先は、それだけ安く株式を買えることになる。

前記のNHKの記事の「株価の値下がりにつながる『空売り』」というのは、ブロックオファーで買い取る株式で決済するということで、買い取る前に購入者側が「空売り」をかけたのではなかろうか。そうだとすると、「夢の街」株で花蜜氏に「売り崩し」を仕掛けた外資ファンドと同様のことが、今回のSMBC日興証券のブロックオファーの株式購入者側によって行われたということになる。

売買価格の基準となる終値の下落を食い止めるための「買い支え」が問題なのであれば、それを下落させ、自分の買値を意図的に下げようとする「売り崩し」も問題ではないか。

上記の日経ビジネスの花蜜氏が「取り調べではその外資系ファンドの売り崩しこそ違法だと訴えた」というのは無理もないことだ。このように、自分が市場外で安く株式を取得するために、市場での終値を下落させる行為は、「証券市場の公正」を害する行為であり、金商法157条の

「有価証券の売買その他の取引又はデリバティブ取引等について、不正の手段、計画又は技巧をすること」

の一般条項を適用すべきなのではないだろうか。

「空売り」によって、株価を下落させようとする動きがあって、それに対抗した「買い支え」であったこと自体が、犯罪の成立を否定する理由にはならないが、そのような「空売り」が横行しているとすれば、そもそもブロックオファーという手法自体が成り立たないように思える。監視委員会の「違法安定操作」による摘発が、市場の実態に即した金商法の運用という面でバランスを欠いたものであることが、SMBC日興証券幹部が違法性を否定していることの背景にあるのではないだろうか。

今日の記者会見でも、同社の社長が「まず真相解明」と繰り返し、捜査による事実解明に委ねるだけでなく、外部弁護士による調査委員会を立ち上げたことからしても、同社側は、証券取引等監視委員会による摘発、検察による同社幹部の逮捕に、必ずしも納得していないようにも見受けられた。

「前代未聞の大手証券会社幹部の相場操縦による逮捕」が、果たして、金商法の罰則適用として適切なものだったと言えるのか、まだまだ予断を許さない面があるように思う。

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相次ぐ「選挙とカネ」問題表面化、抜本解決のための公選法改正を提案する

『文藝春秋』3月号で、京都における国政選挙の際に、自民党候補者が選挙区内の府議・市議に50万円を配っていた「自民党京都府連の選挙買収問題」が報じられた。

「衆議院選挙、参議院選挙とも候補者からの資金を原資として活動費(交付金)を交付しております。これは府連から交付することによる資金洗浄(マネーロンダリング)をすることにあります。」(原文ママ)

とする内部文書に基づいて、国政選挙の候補者から、府連を通して、地方議員に多額の金が渡る「選挙買収の構図」を報じたものだった。

 2月10日、参院京都府選出参議院議員で前府連会長の二之湯智・国家公安委員長が、立憲民主党の城井崇、階猛議員からこの問題について質問され、地元議員に金を配っていたことを認めた上、

「選挙活動の目的ではなく、党勢拡大のためで、適正に処理している」

と買収疑惑を否定した。

 同日、松野官房長官は、この問題について、二之湯国家公安委員長から報告を受けたとした上、

「法令に則して、適正に処理をしているということでございます。私の方としては、その説明を了といたしております」

と述べて、法的な問題はないとの認識を示した。

 2月14日の衆院予算委員会では、立憲民主党の階猛議員が、二之湯氏が参院選候補者だった2016年に同氏が代表を務める選挙区支部から府連に960万円を寄附したことについて、配布金額の根拠を質問した。

「いろいろな費用がいるだろうということで、私の思いで寄付をさせていただいた」

などと繰り返し、審議は一時中断した。

 様々な公職選挙で、買収も含めた公選法違反の摘発を行っている全国の警察組織のトップの国家公安委員長が自身の選挙買収疑惑について問い質され、このような不確かな答弁しかできない状況で、果たして、警察の選挙違反摘発に対する信頼を維持することができるのだろうか。

 13日には、府連会長の西田昌司参院議員が「政治資金の流れは全て適法」、報じられている内部文書について「私自身見たことも聞いたこともない。存在は確認されなかった」「党勢拡大のための広報紙の配布や政党の演説会などの活動の費用として、府会議員や市会議員ではなく、政党支部などへ支給されたもの、その資金の使い道は、各団体が適正かつ公正明大に収支報告をしている。」と反論する動画をYouTubeで公開している。

 西田氏は、府連から県議・市議への金の流れについて「配下の支部などへの活動費の支給」と説明しているが、候補者個人から府連に寄附させる理由についての説明はない。同氏は文藝春秋が報じた「内部文書」によるマネーロンダリング疑惑を否定しているが、外形的に見て、それを疑われても致し方ない金の流れがあることは否定できない。しかし、当事者は、「法令に則して、適正に処理をしている」、「政治資金の流れは全て適法」と主張し、官房長官までがそれを了承している。一般人・有権者には、到底理解できることではない。 

「公職選挙の公正」が根底か揺るぎかねない深刻な事態

 このような問題が表面化する契機となったのは、2019年の参議院広島選挙区をめぐる河井元法務大臣夫妻の多額現金買収事件だった。

 そして、新潟でも、泉田裕彦衆院議員が星野伊佐夫県議会議員から、衆議院選挙で当選するためには選挙区内の有力者に対して金を撒くしかないと言って裏金を要求されたことを公表し、星野氏を公選法違反で刑事告発している。この問題への泉田議員の厳正な対応に、広島での河井事件の影響があったことは、公表された星野氏とのやり取りからも明らかだ。

 広島での河井事件が、その後、新潟、京都と、「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」の問題の相次ぐ表面化につながっているのは、このような行為が、全国で相当広範囲に行われている実態を表しているものと考えられる。

 この問題に関して、自民党茂木敏充幹事長は、2月15日の定例会見で、

「自分なりに調べてみたが、立憲民主党の県連などでも同様のケースは散見される。収支報告書を見ればわかることで、同じようなケースが出てくる」

と述べた。茂木氏が指摘しているように、野党議員の側でも、同様の行為が一部にあるとすると、問題は国会全体に及ぶものということになる。

 「政治資金」を隠れ蓑にして、多額の金銭が地方政治家にばら撒かれ、それが買収罪に当たるかどうかについて、当事者が合理的な説明すらできないというような状況が続けば、国民の公職選挙に対する信頼が著しく損なわれ、近年高まっている政治不信を一層助長することになりかねない。

 買収罪の成立要件との関係で、河井事件への買収罪適用の特異性と、それが及ぼした影響などを整理し、京都府連の問題と比較するなどした上、「買収まがいの政治資金のやり取り」を抑止するための公職選挙法の運用・法改正などの方策について考えてみたい。

買収罪の成立要件と従来の摘発対象

 公選法上の「買収罪」というのは、

「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束」(221条1項1号)

をすることである。

 「当選を得る目的」「当選を得しめる目的」で、選挙人又は選挙運動者に対して「金銭の供与」を行えば、形式上は、「買収罪」の要件を充たすことになる。

 「供与」というのは、「自由に使ってよいお金として差し上げること」だ。

 「選挙運動者」との間で、「案里氏を当選させる目的」で「自由に使ってよい金」として、金銭のやり取りが行われれば、買収罪が成立することになる。

 従来の公選法違反の摘発の実務では、「買収罪」が適用されるのは、選挙運動期間中などに、有権者に直接投票を依頼して金銭を渡したり、選挙運動員に、法定の限度を超えて対価を支払ったりする行為に限られ、選挙の公示から離れた時期の地元政治家や地元有力者等との金銭のやり取りが買収罪で摘発されることは殆んどなかった。

 公職の候補者が、地方政治家や有力者に対して行う金銭の提供は、「選挙に向けての支持拡大のための政治活動」という性格もあり、公示日から離れた時期であればあるほど、「選挙運動」ではなく「立候補予定者が所属する政党の党勢拡大、地盤培養のための政治活動」を目的とする「政治活動のための寄附」との弁解が行われやすい。その主張を通されると、「選挙運動」の報酬であることの立証は容易ではない。ということから、これまで、候補者から政治家への金銭の提供については、警察は買収罪による摘発を行わず、検察も起訴を敢えて行ってこなかったのが実情であった。

 そのような捜査機関側の買収罪の摘発の姿勢もあって、国政選挙の度に、地方政治家に「選挙に向けて支持拡大のための活動」を依頼して金銭が提供されることは、恒常化し、半ば慣行化していった。

河井夫妻事件で異例の「買収罪」適用に踏み切った検察

 ところが、検察は、2019年の参院選の広島選挙区に立候補し当選した河井元法相の妻案里氏に関して、選挙の3か月前頃からの、首長・県議・市議ら地元政治家への金銭供与の「買収罪」による摘発に踏み切った。当時、黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題、検事総長人事等をめぐって、検察と安倍政権が対立していたことが背景になった可能性もある(【河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】)。

 検察は、2020年6月、現職国会議員の河井夫妻を買収罪で逮捕したが、検察には、この事件で、乗り越えなければならない「壁」が2つあった。

 第一に、買収者(供与者、お金を渡した者)の河井夫妻側も、被買収者(受供与者、お金を受け取った者)の地元政治家も、「河井案里氏が立候補する参議院選挙に関する金である」ことを否定し続ければ、買収罪の立証は容易ではないということだ。

 第二に、河井夫妻の買収罪が立証できた場合には、その金を受領した被買収者側の処罰が問題になる。買収者と被買収者は「必要的共犯」の関係にあり、買収の犯罪が成立すれば、被買収者の犯罪も当然に成立する。従来の公選法違反の摘発・処罰の実務では、両者はセットで立件され、処罰されてきた。河井夫妻事件の被買収者の大半は公民権停止になり一定期間、選挙権・被選挙権を失うことになる。

 河井夫妻事件の摘発については、上記の2つの問題があったが、それらを丸ごとクリアする方法として検察がとったのが、処罰の対象を河井夫妻に限定し、被買収者には処罰されないと期待させて「案里氏の選挙に関する金」であることを認めさせるという方法だった。

 検察の取調べで、被買収者らは、明確に「不起訴の約束」まではされなくても、検察官の言葉によって、処罰されることはないだろうとの期待を抱き、「案里氏の参院選のための金と思った」と認める検察官調書に署名した。

 河井夫妻の起訴状には被買収者の氏名がすべて記載されたが、100人全員について、刑事処分どころか、刑事立件すらされず、河井夫妻事件の捜査は終結した。これを受け、市民団体が、被買収者の公選法違反の告発状を提出したが、告発は受理すらされず、検察庁で「預かり」になったまま、河井夫妻の公判を迎えた。

公判で克行氏が供述した「地方政治家へのばら撒き」の実態

 買収罪で逮捕・起訴された克行氏は、初公判では「起訴事実は買収には当たらない」として全面無罪を主張し、被買収者ほぼ全員の証人尋問が行われることになった。被買収者は「処罰されることはないだろうとの期待」を持ったまま証人尋問に臨み、ほとんどが、「案里氏の参院選のための金と思った」と証言した。

 検察官立証が終了し、被告人質問の初回の公判で、克行氏は、罪状認否を変更し、首長・議員らへの現金供与も含め、殆どの起訴事実について、「事実を争わない」とした。その後の被告人質問では、「自民党の党勢拡大、地盤培養活動のための政治活動のための資金」を「案里氏に当選を得させるために配った」と詳細に供述した。案里氏に当選を得させる目的での金銭の授受であることを認めた上で、「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」の実態について赤裸々に供述したのである。

 この事件では、元法相で現職国会議員の克行氏自身が、案里氏の選挙のために多額の現金を県議・市議・首長等に配ったことで厳しい社会的批判を浴びたが、「克行氏自らが」「現金で」配らなければならなかった事情について、被告人質問で、克行氏は以下のように説明した。

一般的に、県連が、交付金として党勢拡大のためのお金を所属の県議・市議に振り込むが、県連からの交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われ、県連が果たすべき役割を果たしていないので、やむを得ず、その役割を第3支部(克行支部長)、第7支部(案里支部長)で果たさないといけないと思い、県議・市議に、県連に代行して党勢拡大のためのお金を差し上げた(【第51回公判】)

 要するに、「県連ルート」が使えなかったために、やむを得ず、「克行→県議・市議」というルートで、参院選に向けての「党勢拡大のための金」を直接配った、というのである。それは、方法は異なっても、「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」が従来から恒常化していたことを意味するものであった。

被買収者の地方政治家の起訴は、もともと不可避だった

 克行氏の被告人質問が行われていた頃に、検察に提出されていた市民団体の告発状が、既に受理されていることが明らかになった。検察にとっては、不起訴にするとしても、犯罪事実は認められるが敢えて起訴しない「起訴猶予」しかない。しかし、もともと求刑処理基準に照らせば、「起訴猶予」の余地はあり得なかった。告発人が不起訴処分を不服として検察審査会に審査を申立てれば、「起訴相当」の議決が出ることは必至だ。検察は、その議決を受けて起訴することになる。その際、被買収者側には、「検察は不起訴にしたが、市民の代表の検察審査会が『起訴すべき』との議決を出したので、起訴せざるを得ない」と言われれば、被買収者側も文句は言えないのである(【河井夫妻買収事件「被買収者」告発受理!処分未了では「公正な再選挙」は実施できない】)。

 6月18日、克行氏に対しては、計100人に1約2900万円を供与した公選法違反の買収罪で「懲役3年」の実刑判決が言い渡された。

 それから半月余り経った7月6日、検察は、被買収者100人について、被買収罪の成立を認定した上で99人を起訴猶予、1人を被疑者死亡で不起訴にしたことを公表した。

 この不起訴処分に対して、告発人が検察審査会に審査申立てを行い、検察審査会は、広島県議・広島市議・後援会員ら35人(現職県議13名、現職市議13名)については、「起訴相当」、既に辞職した市町議や後援会員ら46人については「不起訴不当」の議決を行った。

 議決を受け、検察は、「起訴相当」と「不起訴不当」とされた被買収者について事件を再起(不起訴にした事件を、もう一度刑事事件として取り上げること)して再捜査を行っている。「起訴相当」については、起訴することになる可能性が高い。「起訴相当」議決を受けた現職県議・市議が次々と議員辞職するなど、広島県政界の混乱が続いている。

 検察としても、河井夫妻の現金買収の原資と党本部からの「1億5000万円」との関係が明らかにされず「依然として政権に弱腰」の印象を与え、一方で、被買収者側については、公選法違反での立件・刑事処分が大幅に遅延し、案里氏の公選法違反での有罪確定を受けて行われた再選挙の際も被買収側の地方政治家が公民権停止にもならず「野放し」になり選挙の公正が著しく害されたことなど、河井事件で「かなりの痛手」を受けたことは確かである。

 しかし、検察が従来は買収罪を適用して来なかった「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」を買収罪で摘発したことでその実態が明らかになり、公職選挙をめぐる状況に大きな影響を与えたことは紛れもない事実である。

「政治資金規正法上の合法性」で買収罪の成立は否定できるか

 河井事件は、「国会議員個人→地方議員個人」というルートの国政選挙に関する金銭の提供が行われた事案だった。

 一方、「京都府連の選挙買収問題」では、「国会議員個人→都道府県連→地方議員個人」というルートで、買収罪の成否が問題になっている。

 「国会議員個人→地方議員個人」という直接のルートと、「国会議員個人→都道府県連→地方議員個人」という「迂回ルート」で違いがあるとすれば、県連を経由することで政治資金収支報告書に記載されるという「政治資金の処理の確実性」の点であろう。

 克行氏の場合、「国会議員個人→地方議員個人」のルートで、「自民党の党勢拡大、地盤培養活動の一環としての地元政治家らへの寄附」と称する「政治資金の寄附」を行ったと供述しだが、領収書の交付は殆ど行われておらず、政治資金としての処理自体が適法なものではなかった。

 その点、「国会議員個人→都道府県連→地方議員個人」のルートは、都道府県連という政治資金処理が確実な組織を通しており、「政治資金規正法上の合法性」が確実に担保されている点が河井事件とは異なると言える。

 しかし、判例上「選挙運動」は「特定の公職選挙の特定の候補者の当選のため直接・又は間接に必要かつ有利な一切の行為」とされているので、特定の選挙のための活動を行うのであれば、「党勢拡大、地盤培養のための政治活動」という性格があっても、「選挙運動者」に当たることは否定できない。「政治資金規正法」上は適法であっても、「当選を得させる目的」で、「選挙運動者」に金銭を「供与」すれば、「公選法」上の「買収罪」が成立することに変わりはないのである。

 もっとも、「特定の候補者を当選させる目的」は主観的なものなので、買収者も被買収者も、あくまで、その目的を否定し続けた場合、しかも、それが、「党勢拡大、地盤培養のための政治活動のための資金」という一応の理屈を伴うものである場合、その立証は容易ではない。

 河井事件では、被買収者側が、「処罰されることはないだろうとの期待」を抱き、「案里氏の参院選のための金と思った」と認める供述をしたからこそ、河井夫妻を買収罪で起訴することが可能になり、河井夫妻の有罪判決が確定したことで、被買収者側も、結局処罰を免れられなくなった。その供述がなければ、そもそも、買収事件の立証は困難だった。

 このような河井事件の経過からも明らかなように、結局、「選挙買収」と実質的に殆ど変わらない行為が、当事者が「選挙の目的」を認めるかどうかで違法になったり、ならなかったりすることにならざるを得ないのである。

 

「政治資金」を隠れ蓑にした選挙買収を抑止するための法改正

 では、広島、新潟、京都と相次いで表面化している「政治資金を隠れ蓑にした選挙買収」をなくし、公職選挙に対する国民の信頼を維持していくためにはどうしたらよいか。

 公選法の「買収罪」の成立は、「政治資金の寄附」であることで否定されるわけではない。現行法のままでも買収罪の適用は可能である。ということは、買収罪を積極的に適用していくとするのであれば、立法の問題というより、むしろ、運用の問題だと言える。しかし、既に述べたように、「当選を得又は得させる目的」があった否か、「選挙運動者」か「政治活動者」か、という当事者の認識・主観的要素で犯罪の成否が決まる買収罪については、捜査機関の側の対応には限界がある。

 そこで、「買収まがいの政治家間の資金のやり取り」に対する効果的な抑止措置として考えられるのは、公選法上に、「買収罪」の規定とは別に、「国政選挙に近い時期に行われる、候補者から政党支部及び地方政治家への金銭の供与(寄附)を禁止するための規定」を設けることである。 

 現行の公選法では、199条の2の「公職の候補者等の寄附の禁止」の規定の1項で、

公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この条において「公職の候補者等」という。)は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない。

とされた上、「ただし、政党その他の政治団体若しくはその支部に対してする場合」は、「この限りではない」として、政党及び支部に対する寄附が禁止から除外されている。

 そして、199条の5の2項で

公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)は、第百九十九条の二第一項の規定にかかわらず、次項各号の区分による当該選挙ごとに一定期間、当該公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者に係る後援団体に対し、寄附をしてはならない。

とされ、同条4項で、

この条において「一定期間」とは、次の各号に定める期間とする。

として、衆議院議員の総選挙については

衆議院議員の任期満了の日前九十日に当たる日から当該総選挙の期日までの間又は衆議院の解散の日の翌日から当該総選挙の期日までの間

参議院議員の通常選挙については、

参議院議員の任期満了の日前九十日に当たる日から当該通常選挙の期日までの間

などと規定され、この期間が、「後援団体に対する寄附の禁止期間」とされている。

 この199条の5に、「政党その他の政治団体若しくはその支部に対する一定期間内の寄附禁止」の以下の規定を追加し、公職選挙の前の一定期間は、公職の候補者から政党・政治団体・支部に対しての寄附も禁止してはどうか。

公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)は、第百九十九条の二第一項の規定にかかわらず、次項各号の区分による当該選挙ごとに一定期間、政党その他の政治団体若しくはその支部に対して、寄附をしてはならない。ただし、当該政党等に定期的に低額を納付する場合はこの限りではない。

 この場合、「公職選挙の前の一定期間」は、広島の河井事件、京都府連の今回の問題等で公職の候補者の側からの寄附が行われている時期が、任期満了の90日前頃であることからすると、180日程度に拡大しないと実効性は期待できないであろう。

 もっとも、政党所属の議員が公職の候補者である場合、それ以前から、定期的に定額の会費を納入しているものまで禁止する必要はないと考えられ、それらを除外する但し書きを入れることは必要であろう。

「買収まがい政治資金」をなくすため実効性のある禁止規定と関連する措置を

 政党その他の政治団体若しくはその支部に対する寄附は、政治活動の目的を実現するために必要であり、それ自体は禁止されるべきものではない。しかし、199条の2の「公職の候補者等の寄附の禁止」の規定が、いかなる目的のものであっても、当該選挙区内にある者に対する寄附を一律に禁止するものであることに照らせば、「政党その他の政治団体若しくはその支部に対する寄附」も、選挙との関連が疑われる期間に限定して、定期的に支払われる会費等を除いて、目的を問わず禁止することにも十分に合理性がある。

 それによって、「公職の候補者の政党に対する寄附」も、選挙の前の一定期間禁止され、京都府連の問題のような、「選挙前の候補者→都道府県連」の資金提供は禁止されることになる。そもそも、公職の候補者と政党等の関係というのは、本来、候補者が、政党から公認や推薦を受け、選挙運動の支援を受ける立場である。資金の流れとして、「政党→候補者」は考えられるが、「候補者→政党」という逆の流れは、公認・推薦の対価の支払とも解し得るものであり、正当とは言い難い。選挙前の一定期間、そのような資金の流れが禁止されることは合理的だと考えられる。

 もっとも、ここで考えなければならないのは、1990年代以降、「政治とカネ」の問題が表面化する度に、政治資金規正法が改正されるなどして、政治資金の透明化が図られる中でも、「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」の慣行が続いてきたことの背景としての「地方議員の収入の問題」である。

 かつては「政務調査費」の流用によって資金を確保していたのが、全国の地方自治体で議員の政務調査費の不正流用が発覚し、刑事事件化したことで、そのような方法での資金確保はできなくなった。もともと、多くの自治体の議員の給与は低く抑えられており、生活費を賄うのが精一杯で、活動費はとても捻出できない。それが、歳費が高額な上に文書交通費の支給などで優遇されている国会議員から地方政治家へ資金の流れを生む背景になっていることは否定できない。

 「国政選挙における国会議員候補者から地元政治家へのばら撒き」をなくしていくのであれば、地方議員の収入の問題についても、地方自治の在り方に関する問題として議論していくことが必要であろう。

 方向として二つが考えられる。一つは、多くの政令指定市のように、自治体議員に相応の報酬を維持し、その分、議員としての相応の活動が行われるよう、住民が日常的に監視し、選挙の度に検証していくこと、もう一つは、地方議員の収入は低額に抑え、兼業で行えるよう、議会の開催の時間、方法などを抜本的に改めることである。

 そもそも、全国の都道府県、市町村が全て同じ「二元代表制」の首長と議会の関係であることが必要なのか、もっと機能的な民主主義の制度を創設することも認めるべきではないか、という点についての地方自治法の改正の議論を行っていく必要もあるであろう。

 前法務大臣の衆議院議員とその妻の現職参議院議員の公選法違反による同時逮捕という「憲政史上前代未聞の大事件」は、両氏の有罪判決の確定によって、「政治資金を隠れ蓑とする選挙資金の供与」を白日の下にさらけ出すことになり、それに派生して新潟・京都などでの「選挙とカネ」問題の相次ぐ表面化につながっている。これを機に公職選挙の公正への国民の信頼を回復するための法改正を行うことは、全国会議員の責務である。

 多くの日本国民に政治や選挙に対する絶望を生じさせつつある現況を大きく変えるため、速やかに、法改正の議論を始めるべきである。

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