日産、株主が選任した取締役の取締役会出席に「会社」が反対する“異常事態”

 保釈が許可され、108日ぶりに身柄拘束を解かれたゴーン氏は、裁判所の許可があれば日産の取締役会に出席できるとされたことから、取締役会への出席を裁判所が許可するかどうかが注目された(【ゴーン氏「当然だが画期的な保釈許可決定」で生じる“重大な影響”】)。

 3月11日の昼のNHKニュースでは、ゴーン氏が12日の日産取締役会出席の許可を裁判所に求めていることについて、「日産側は出席に反対する意向を検察に伝えている」と報じていた。

 しかし、取締役は株主に選任されているのであり、その取締役の出席に、会社(執行部側)は反対できる立場ではない、そのような、会社法的にあり得ない「日産のゴーン氏取締役会出席への反対」を、そのまま報じるNHKに疑問を感じていたところ、同日夕方、東京地裁がゴーン氏の取締役会出席を許可しない決定をしたと報じられた。

 朝日新聞ネット記事では、

被告弁護人の弘中惇一郎弁護士は11日夕、記者団に対し、「日産から強い反対があった」ことを明らかにした。

弘中弁護士によると、日産側から取締役会の開催の案内を受けたため、ゴーン被告が取締役としての責任を果たすために出席を希望し、証拠隠滅の恐れを排除するため、地裁には「弁護士も同席して出席したい」旨を申し入れた。

一方、日産側は顧問弁護士を通じ、ゴーン被告の出席について「強硬に反対」する意見書を出したという。主な反対理由については、1)現在の日産としては今後のことを決めるのにゴーン被告は出席してもらう必要がない、2)ゴーン被告の出席により、他の取締役が影響を受け、罪証隠滅の恐れがある、3)ゴーン被告が出席すると議論がしにくい――というもの

としている。

 しかし、日産が上記のような意見を提出したというのは、どう考えても理解できない。

 1)の「ゴーン氏出席の必要がない」、3)の「ゴーン被告が出席すると議論がしにくい」というのは、日産の執行部として言えることではない。株主に選任された取締役の出席の必要性は、会社執行部が否定できることではない。会社執行部は、取締役会に業務執行を委ねられているのである。その取締役会の一員の出席の要否について意見を言える立場ではない。

 2)は「他の取締役が影響を受ける」ということだが、日産の取締役の中でゴーン氏が接触を禁止されている関係者は西川廣人社長だけのはずだ。その西川氏が、「ゴーン氏の取締役会出席によって影響を受け、罪証隠滅の恐れがある」という趣旨であろう。

 裁判所は、株主に選任された取締役の、取締役会への出席について「必要性」を否定できる立場ではない。しかし、会社が「出席の必要がない」と意見を述べた場合、それは会社として許されることではないが、会社法上の判断を行う立場ではない刑事裁判所としては、その意見を尊重することになる。

 最大の問題は、ゴーン氏の取締役会出席が、関係者の西川氏の公判証言にどう影響するかだ。もし、日産の意見書で、「西川氏は、取締役会でゴーン氏と顔を合わせただけで、心理的圧迫を受け、公判証言ができないと言っている」と述べているのであれば、裁判所としても、公判審理に影響があると判断せざるを得ないであろう。

 しかし、ゴーン氏には弁護士が同席し、証拠隠滅の恐れを排除するというのだから、もちろん、ゴーン氏が刑事事件に関する発言などするわけもない。それなのに、「取締役会で顔を合わせるだけで圧迫を受けて公判証言に影響する」と言っているとすれば、西川氏は、今後、ゴーン氏の刑事公判で、ゴーン氏の目の前で証言できるのだろうか。そのような情けないことを言う人間が社長を務めていて、日産という会社は本当に大丈夫なのだろうか。

 西川氏は、ゴーン氏逮捕直後の会見で、社内調査の結果、重大な不正が明らかになったゴーン氏に対して「強い憤り」を覚えると述べていた。その時点で西川氏が言っていた「不正」のうち、唯一、検察が起訴事実とした「有価証券報告書虚偽記載」については、西川氏自身が、代表取締役CEOとして有価証券報告書の作成・提出義務を負う立場なのに、西川氏は、逮捕も起訴もされていない(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。そういう西川氏にとって、ゴーン氏が取締役会に出てきたら「合わせる顔がない」というのはわかる。しかし、そのような「社長の個人的な後ろめたさ」から、株主に選任された取締役の取締役会出席に、「会社として」反対するということが、株式会社のガバナンス上許されるのであろうか。

 西川氏は、また、ゴーン氏逮捕直後の会見で、「社内調査によって、カルロスゴーン本人の主導による重大な不正行為が明らかになった。会社として、これらは断じて容認できないことを確認のうえ、解任の提案を決断した。」と述べていたが、その不正の事実を、ゴーン氏本人が出席する取締役会に報告して解職の議案を出すのではなく、検察に情報提供して逮捕してもらってから、本人がいない臨時取締役会で解職を決議したのである。

 日産は、ゴーン氏が保釈され、取締役会への出席の意向を示すや、出席に反対する意見書を提出するという、株式会社として「異常な対応」を行い、ゴーン氏の取締役会出席を回避した。しかし、それによって、日産自動車は、会社法上の規律もガバナンスも機能しておらず、もはや株式会社としての「体を成していない」ことを図らずも露呈したことになる。

 今日は、日産取締役会の後、日産・ルノー・三菱自動車の共同記者会見が行われるとのことだ。しかし、この取締役会をめぐる動きは、西川社長の下では日産という会社が立ちいかなくなることを示しているように思える。

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“ゴーン氏保釈”で転換点を迎えた「特捜的人質司法」

 昨年11月19日、東京地検特捜部に逮捕され、勾留・再逮捕が繰り返される中、無実を訴え続けた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が、108日間身柄拘束された後にようやく保釈された。それを機に、日本の刑事手続における「人質司法」に注目が集まっている(【ゴーン氏「当然だが画期的な保釈許可決定」で生じる“重大な影響”】)。

 「人質司法」とは、逮捕された被疑者、起訴された被告人が、犯罪事実を否認し潔白を訴えている間、身柄拘束が長期間にわたって継続することをいう。日本の刑事司法では、昔からそのようなことが当然のようにまかり通ってきた。

 ゴーン氏の事件で、日本の刑事司法が国際的な批判を浴びていることについて、山下貴司法務大臣は、

それぞれの国において、例えば刑法の中身であるとか刑事手続きそれ自体が違います。それが制度全体として機能するように成り立っているということでございまして、個々の制度の違う点だけに着目して単純に比較することは適切ではない

と答弁している(2019年2月25日衆議院予算委員会)。

 確かに、刑事事件一般について言えば、犯罪事実を否認する被告人の身柄拘束の長期化は、日本の刑事司法の特質とも関連しており、背景には、日本社会における「犯罪」や「犯罪者」に対する認識がある。そういう意味では、「人質司法」という面だけを切り取って批判するのは、必ずしも適切とは言えない。

 しかし、このような「一般的人質司法」の問題と、特捜事件における「人質司法」の問題とは、異なる。

 「人質司法」が日本社会で初めて注目を浴びたのは、厚生労働省の村木厚子局長が大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、一審で無罪判決が出て確定し、その過程で、主任検察官の証拠改ざん事件が発覚し、検察全体が激しい社会的批判を浴びた「特捜検察不祥事」が発端である。その後、厚労省事務次官にまでなった村木氏が、起訴事実を全面否認していたことから164日にわたって勾留されたのが、まさに、「特捜的人質司法」である。

 そのようなやり方は、それまで、東京地検特捜部においても、ロッキード事件・リクルート事件・ゼネコン汚職事件など過去の多くの事件で常套手段とされてきた。そこには、「特捜事件の特殊な構造」があり、実態は「人権侵害」そのものと言える理不尽なものだった。ゴーン氏の事件で国際的に大きな注目を集めたのは「特捜事件における人質司法」の問題であり、それは、刑事事件一般における「人質司法」とは異なる。

 そこで、まず、刑事事件において身柄拘束が行われる理由を改めて整理し、「一般的人質司法」の背景について述べた上で、「特捜的人質司法」の問題について考えてみる。

被疑者・被告人はなぜ身柄を拘束されるのか

 罪を犯したことが疑われる被疑者・被告人でも、無条件に身柄拘束が認められるわけではない。逮捕・勾留によって身柄を拘束することが認められるのは、「逃亡の恐れ」あるいは「罪証隠滅のおそれ」があるという理由による。

 「逃亡のおそれ」を判断する要素は、まず事件の重大性と、予想される量刑である。殺人事件で死刑か無期懲役になりそうだということであれば、逃亡のおそれが大きいのは当然だ。一方、罰金刑や執行猶予が確実な事件であれば、逃亡の恐れは相対的に小さい。

 次に、被告人の仕事や生活の状況が、逃亡のおそれの判断材料となる。生業につかず住居を転々としているような場合には、「逃亡の恐れ」が大きいが、家族がいて、社会的に安定した地位もある会社員や公務員等の場合には、逃亡の恐れは相対的に小さい。

 「罪証隠滅のおそれ」の有無・程度は、被疑者・被告人が犯罪事実を認めているか否かで異なる。被疑者自身が一貫して犯罪事実を認めている場合は、犯罪に関する証拠を隠滅しようとする可能性は低い。一方、被疑者が犯罪事実を否認していて、犯罪事実に関する決定的な証拠がなく、被疑者が関係者に口裏合わせを頼んだり、物的証拠を破棄・隠滅したりすることで、有罪立証が困難になるという場合には、「罪証隠滅の恐れ」が大きいということになる。

 身柄拘束によって、被疑者・被告人は、その生活の場や業務・活動から切り離され、社会活動が困難な状態に置かれる。それによって自己や家族の生活や所属する会社の業務・事業等に重大な影響が生じることになる。その影響の程度は、被疑者が単身者・無職者等の場合や、刑務所の出入所を繰り返しているような常習的犯罪者の場合は小さいが、家族や定まった職業があり、社会的地位が高い場合には、大きい。

 上記のような「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」という身柄拘束の必要性と、それによって生じる影響・不利益の程度が総合的に勘案されて、勾留・勾留延長・保釈の可否等の身柄拘束やその継続の是非が判断される。

 その判断において、基本的には法律上の考慮要因となっていないものの、実質的に必要性を根拠づける要因の一つとして作用しているのが、「身柄拘束による社会防衛的機能」だ。

 日本は、基本的に「治安の良い安全な社会」であり、「国が犯罪から市民を守ってくれている」との考え方が強い。犯罪を行ったとして逮捕・起訴された人間は、有罪判決が確定する前であっても、「新たな犯罪を行うおそれ」を防止する必要があり、社会内で自由な活動が許されるべきではないという「社会防衛的な観点」が身柄拘束の正当化事由となっていることは否定できない。個人の銃器所有が認められ、犯罪からの自己防衛の考え方もとられるアメリカなどとは異なる。このような「社会防衛的な観点」からの身柄拘束の正当化は、殺人・強盗・窃盗・性犯罪等の個人的な法益侵害・被害を生じさせる犯罪において相対的に大きい。

 日本においては、法的には、「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」が身柄拘束の理由とされるが、実際には、それに加えて、「社会防衛的観点」も身柄拘束の理由になっていると考えられる。日本では、犯罪事実を否認している場合には「罪証隠滅のおそれ」が大きいので保釈を認めるべきではないというのが一般的な考え方だった。しかし、「推定無罪の原則」からすると、犯罪事実を否認し、無実を訴えている被告人の方こそ、身柄拘束によって不利益を受けるのは不当だということになる。そのどちらを優先する考え方をとるのかによって、「罪証隠滅のおそれ」の判断基準が異なってくる。

 以前は、「起訴事実を否認している」というだけで「罪証隠滅のおそれがある」とされ、起訴事実を否認する被告人は、検察官立証が終わるまで保釈されないという、「人質司法」が当然のようにまかり通ってきた。最近では、裁判所が、「罪証隠滅のおそれ」を、当該事件の個別事情に応じて、現実的な可能性の有無という面から具体的に判断する傾向が強まりつつある(【“ゴーン氏早期保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 「推定無罪の原則」は、少しずつではあるが尊重される方向にあると言える。

 しかし、そのような刑事司法全体における「人質司法」の問題と、特捜事件における「人質司法」とは、問題の性格と構造が異なる。この二つを明確に区別して議論することが必要である。

「一般的人質司法」

 日本社会は、一般的に、犯罪者の確実な検挙・処罰により「良好な治安」が実現されることを求める傾向が、もともと強かった。本来、被疑者の逮捕は、「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」がある場合に、それを防止するための「措置」に過ぎないはずだが、実際には、それによって「犯罪者」というレッテル付けが行われ、一定期間社会から隔離しておくことが正当化される。検察官の起訴は、刑事訴訟法上は、刑事裁判を求める「措置」に過ぎないはずだが、検察官は、公訴権を独占し、訴追裁量権を持っており、犯罪の嫌疑が十分だと判断した場合にのみ起訴を行い、有罪率が99.9%にも達するので、検察官の判断は、事実上、そのまま司法判断となる。そのため、社会的には、「起訴」は、事実上、被告人が「犯罪者」であることを意味する。

 そして、このようにして「犯罪者」としてレッテル付けが行われた人間の多くは、犯罪事実を認め、反省悔悟の情を示すことから、日本では「自白率」が高い。その中で、起訴事実を否認し、潔白を訴える被告人は「異端者」として取り扱われる。「犯罪者としての烙印」が押されているのに、反省悔悟もしない人間は、社会に戻すと、いつ何時再び犯罪を行うかもしれないということで、「社会防衛的な観点」から社会から隔離すること、つまり身柄拘束の長期化も容認する傾向があったことは否定できない。

 形式上は、「罪証隠滅のおそれあり」との要件を充たしていることで保釈を認めないわけだが、その要件が、起訴事実を否認する被告人について広く解釈されてきた背景には、このような「犯罪事実を認めず悔い改めない被告人は身柄拘束が継続されてもやむを得ない」との認識があったことは否定できない。

 しかし、刑事事件における証拠に基づく事実認定は微妙であり、検察官が判断を誤り、冤罪が生まれることもある。映画『それでもボクはやっていない』で注目された痴漢冤罪事件がまさにそうであるように、冤罪で起訴された人間にとって「人質司法」は理不尽極まりない苛酷な人権侵害となる。しかし、そのような事件には、「被害者」や「深刻な被害」があり、犯罪自体を検挙せずに放置することはできない。それだけに、「人質司法」を全体的にどうしていくのかというのは、決して単純な問題ではない。

「特捜的人質司法」

 ゴーン氏の事件で国際的な批判を浴びているのは「特捜的人質司法」の問題であり、それは、上記のような「一般的人質司法」とは構造が異なる。

 その点に関して、まず、「特捜部」という組織の特徴と、対象とされる事件の特色について見ておく必要がある。

 特捜部というのは「検察独自捜査」を行うことを目的とする捜査機関である。一般事件では警察が担う、犯罪の端緒の把握、逮捕など第一次捜査機関としての役割を、特捜事件ではすべて検察官及び補助者の検察事務官が行う。勾留するかどうか、起訴するかどうかという検察官固有の判断に加えて、検察独自捜査においては、そもそも、事件を刑事事件として立件するかどうか、被疑者を逮捕するかどうかという判断も検察官が行う。

 特捜部の捜査で被疑者を逮捕することは、社会に重大な影響を与えるので、逮捕等の強制捜査着手の判断は、検察組織内部で慎重に行われる。多くの事件では、地方検察庁の上層部、高等検察庁、最高検察庁等の上級庁の了承、事件によっては法務省当局の了承も得て、検察組織の意思決定に基づいて行われる。

 しかし、このように、検察組織全体での意思決定を経て、特捜部が、社会的に地位のある被疑者を逮捕し、重大な社会的影響を生じさせてしまうと、その後に、想定していなかった事実や証拠が明らかになった場合でも、当初の判断が間違っていたことを認めることになる捜査の中止や断念の決断は、検察組織全体に重大な責任を生じさせるので、極めてしにくくなる。特捜事件で、被疑者を逮捕した検察が、勾留請求や起訴を断念することはほとんどない(【検察の「組織の論理」からするとゴーン氏不起訴はあり得ない】)。

 このような特捜部が手掛ける事件は、一般的な刑事事件とは、以下のような点で異なる。

 第1に、特捜部の事件では、政治家・高級官僚・経済人・企業人など社会の中心部で活躍する人物が摘発対象とされ、被疑者の逮捕・勾留・起訴が、その対象者の生活や業務に甚大な影響を与えるだけでなく、社会・経済全体にも重大な影響を与えることも少なくない。一般に、刑事事件で警察に逮捕される被疑者の多くは「社会の底辺」で活動する者であり、刑務所の出入りを繰り返す常習的犯罪者も少なくないのとは異なる。

 第2に、特捜部の事件には「被害」「被害者」もない。殺人・強盗・窃盗等の一般的な犯罪であれば、「被害」が発生したことを把握した時点で、警察が捜査に着手する。しかし、特捜部が手掛ける刑事事件は、そのような「被害」とは無関係な、贈収賄・政治資金規正法違反・脱税・金融商品取引法違反など、いずれも、国家的・社会的法益等の抽象的な法益の侵害を理由に立件される犯罪である。

 第3に、社会の中心部で活躍する人物を、「被害」も「被害者」もないのに、検察が独自の判断で立件するのであるから、それを刑事事件として取り上げたことも含めて、その責任はすべて検察が負うことになる。被疑者を逮捕・起訴してマスコミの拍手喝采を浴び、無事に有罪判決に至れば、特捜部の「名声」が高まり、捜査を率いた特捜部幹部は英雄視される。一方、捜査が崩壊し、或いは、無罪判決で敗北に終わった場合には、検察組織に重大な責任が生じ、捜査を指揮した特捜幹部も責任追及を受けることになる。

 これらの特質から明らかなことは、特捜部の事件については、「一般的人質司法」に関して前述した「社会防衛的観点」からの身柄拘束は、全く無関係である。特捜部に逮捕され、起訴され、起訴事実を全面否認のまま保釈されたとしても、世の中に「新たな犯罪の不安」を生じさせるわけではない。

 結局のところ、特捜部の事件における「人質司法」というのは、検察が、自らの責任において刑事立件し被疑者を逮捕・起訴した事件で、被告人が起訴事実を否認する場合に、公判を有利にするため、有罪判決を得るために行われるものであり、「罪証隠滅のおそれ」を広く解釈することが検察に有利に働き、「罪証隠滅のおそれ」を狭く解釈することが不利に働くという、極めて「単純な構図」なのである。

 過去に特捜部が手掛けた事件における「人質司法」の事例は枚挙にいとまがない。

 リクルート事件での江副浩正氏は113日、あっせん収賄事件等の鈴木宗男氏は437日、外務省支援委員会背任事件での佐藤優氏の512日等、起訴事実を全面否認した被告人を長期間にわたって勾留する「人質司法」と、威迫的・欺瞞的取調べで検察の設定したストーリーに沿う供述調書に署名させる、という二つの手段を用いて、検察は、特捜部起訴事件で無罪判決が出ることを防いできた。

 特捜部が、そのために、どのような手段を用いてきたかは、江副浩正氏、佐藤栄佐久氏(元福島県知事)、村木厚子氏など、多くの「特捜検察の被害者」が著書で、特捜的捜査手法の実態を明らかにしている。

 私自身、検察官退職後、多くの「特捜検察の被害者」から直接話を聞いてきた。その中には、「特捜的人質司法」によって、被告人の「裁判を受ける権利」までもが侵害されたと思える事案もある。

 公認会計士細野裕二氏は、粉飾決算の共謀に加わったとして特捜部に逮捕・起訴され、控訴審で、共謀とされた日時にアリバイがあることが明らかになり、一審で共謀を証言した関係者も証言を覆したのに、弁護人が保釈を得るために一部同意した供述調書の記載だけを根拠に有罪とされた(【『特捜神話の終焉』(飛鳥新社:2010年)第二章「キャッツ事件」(細野裕二・郷原信郎対談)抜粋】)。唐澤誠章氏の事例では、検察官は、公判で無罪主張する可能性がある被告人の保釈に強硬に反対し続け、長期勾留で体調不良を訴え釈放を懇願する被告人側に、自白を内容とする書面を作成して提出することを要求し、その書面を公判で提出させて公訴事実を争わせないようにするというやり方で、無罪主張を封じ込めた(【“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家】)。

 この唐澤氏の事例を見ると、一連の検察不祥事の影響で、検察官の取調べの録音録画が導入され、取調べで「ストーリー通りの供述調書」を作成させる、という従来の「特捜検察的捜査手法」が使えなくなったことが、「人質司法」によって、無罪主張そのものを封じ込めるというやり方につながっているように思える。

 そして、そのような「特捜的人質司法」を容認し、協力する「ヤメ検弁護士」などの弁護活動により、保釈獲得のために無罪主張が封じ込められ、「特捜の獲物」とされた人達は、十分な裁判所の判断を受けることもなく、謂れのない罪に服させられてきた。【「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」】で紹介した中小企業融資をめぐる詐欺事件では、懸命に中小企業の経営に取り組む経営者と、それを必死に支える経営コンサルタントが、特捜捜査に踏み潰され、弁護人となった大物ヤメ検弁護士の言葉で、裁判で無実を訴える機会すら失っていった。その当事者の佐藤真言氏は、その忌まわしい経過を著書『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』で克明に綴っている。

ゴーン氏の事件で「特捜的人質司法」は大きな転換点に

 日本の刑事司法全体における「一般的人質司法」の問題は、刑事司法全体の構造や日本社会の特質にも関連する問題であり、しかも、被害者、遺族等、刑事処罰に利害や重大な関心を持つ存在もあり、一朝一夕に変えられる問題ではない。今後、個々の事例において「罪証隠滅のおそれ」を否定する弁護人の努力と、裁判所の判断の積み重ねの中で、少しずつ是正を図っていく問題であろう。

 しかし、「特捜的人質司法」は、それとは根本的に異なる。要するに、特捜検察の組織の面子を維持し、名声を高めること、検察組織の責任を回避することなどを目的に、有罪判決を得るための「武器」を確保するというものにすぎない。

 もちろん、保釈可否の判断を行うのは裁判所であり、そのような「特捜的人質司法」による人権蹂躙を許容してきた裁判所にも重大な責任がある。しかし、特捜事件での逮捕・起訴の判断は、検察組織の意思決定に基づいて行われ、「検察の正義」を“翼賛”する夥しい「有罪視報道」によって、世の中には「処罰が当然であるかのような雰囲気」が醸成される。無実を訴える被告人の保釈請求に対しては、「保釈許可して、罪証隠滅をされて事件が潰れたら裁判所の責任だ」と言わんばかりの「恫喝的」な検察官の意見書に、裁判所も追従せざるを得なかったのが実情だった。今回のゴーン氏の事件でも、「人質司法」によって無罪主張を封じ込めようとする検察とマスコミの「有罪視報道」の構図は全く同様だったが、それが国際的な注目を浴びたこともあって、裁判所がその「特捜的人質司法」に立ちはだかることになった。

 ロッキード事件、リクルート事件を始めとする数々の事件で「特捜検察の栄光」の影で、政治家、経済人のみならず、巻き込まれた一般市民にも「塗炭の苦しみ」を与えてきた「特捜的人質司法」による人権蹂躙は、国際的な批判にさらされ、今、大きな転機を迎えようとしている。

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ゴーン氏保釈が、検察、日産、マスコミに与える“重大な影響”

 3月5日、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長について、東京地方裁判所は、保釈を許可する決定をし、同日夜、検察の準抗告も棄却され、ゴーン氏は、6日に、昨年11月19日の逮捕以来、108日ぶりに身柄拘束を解かれた。

 ゴーン氏の身柄拘束がここまで長期化したのは、検察が、「罪証隠滅のおそれ」を理由に、身柄拘束を続けて、被告人の無罪主張を抑え込もうと、なりふり構わず、逮捕・勾留・勾留延長を行い、起訴後も保釈への強い反対を繰り返して「身柄拘束の長期化」を図ってきたからである。

 1月10日の最終の起訴後、2回にわたる保釈請求が却下されていたが、前提条件が特に変わったわけではない今回の3回目の請求で保釈が許可された。それは、弁護人が「特捜検察マインド」を色濃く残す元特捜部長の大鶴基成弁護士中心のチームから、弘中淳一郎・高野隆弁護士中心の「検察と戦うチーム」に変わったことの影響が極めて大きかったと考えられる。

 弁護団の一新によって、ゴーン氏にとって名実ともに「検察の支配下」から離れ、検察・日産と戦う体制が整ったことが、今回の保釈許可決定という具体的成果につながったものと言えよう。

 そして、今回のゴーン氏保釈は、今後、各方面に重大な影響を生じることになる。

「罪証隠滅のおそれ」についての判断の変化

 以前は、「起訴事実を否認している」というだけで「罪証隠滅のおそれがある」とされ、保釈却下の事由とされていたが、最近の裁判所は、「罪証隠滅のおそれ」を個別的な事情に応じて具体的に判断する傾向を強めつつある。

 平成26年11月17日の最高裁決定では、痴漢事件で、「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われたが、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について理由を何ら示さずに勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認する判断が示された。

 この最高裁決定もあり、一般の事件では、「罪証隠滅のおそれがない」として勾留請求が却下されたり、保釈が認められたりするケースは、以前より多くなっている。

 それでも、特捜部の事件など、裁判結果が検察組織の面子に関わるような事件では、無罪を主張する被告人の保釈が早期に認められることは殆どなかった。検察が、「保釈を認めて被告人が罪証隠滅行為を行い、検察の立証に支障が出たら裁判所のせいだ」と言わんばかりの意見書を出して保釈に強硬に反対するのを、裁判所が受け入れて、保釈請求を却下することで、身柄拘束が長期化するというのが通例だった。

 一連の検察不祥事などを契機に、検察の取調べが可視化されたことなどで、従来の特捜部の捜査手法であった「供述調書中心主義」が見直され、従来のような、脅し・すかしによって検察官の意に沿う供述調書に署名させるという従来の特捜検察の捜査手法はとれなくなった。しかし、それは逆に、検察が身柄拘束の継続によって被告人の無罪主張を封じ込めようとする「人質司法」の悪用に一層拍車をかけている。公判で無罪主張する可能性がある被告人の保釈に強硬に反対し続け、長期勾留で体調不良を訴え釈放を懇願する被告人側に、自白を内容とする書面を作成して提出することを要求し、その書面を公判で提出させて公訴事実を争わせないようにするというやり方で、無罪主張を封じ込めた事件もある(【“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家】)。

「ゴーン氏身柄拘束継続」に対する検察の姿勢

 そのような検察の「人質司法」を悪用する姿勢が極端な形で表れたのが今回のゴーン氏の事件であった。

 昨年11月、特捜部は、ゴーン氏を、帰国直後の羽田空港の航空機内で、「2015年までの5年分」の役員報酬についての有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反の容疑で逮捕し、勾留延長の上で起訴したのに引き続いて、「直近3年分の虚偽記載」で再逮捕・勾留し、勾留延長請求したが、裁判所に請求が却下され、準抗告も棄却されるや、急遽、特別背任罪で再逮捕、勾留・勾留延長した上で起訴。その後2回にわたる保釈請求に対しても強硬に反対し続け、まさに、なりふり構わず、ゴーン氏の身柄拘束の継続を図ってきた。

 しかし、裁判所の姿勢は、従来の特捜部事件への対応とは異なったものだった。上記の勾留延長請求却下に加え、ゴーン氏と同じ有価証券報告書虚偽記載で逮捕されたグレッグ・ケリー氏が、勾留延長請求却下後、全面否認のまま保釈を許可されるなど、裁判所には「検察と一線を画する姿勢」も窺えた。

 こうした中、ゴーン氏は、金商法違反に加えて特別背任でも起訴されたが、最近の裁判所の一般的傾向からすると、「罪証隠滅のおそれ」が具体的に認められるのか疑問であり、早期保釈許可も十分に考えられた(【“ゴーン氏早期保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、社員に対して、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触を禁止している)。

 そういう意味では、今回の保釈許可決定は、「罪証隠滅のおそれ」に関する裁判所の判断として「当然の決定」と言える。

 しかし、一方で、検察が組織の面子をかけて逮捕・起訴したゴーン氏の事件で、公判前整理手続すら始まっていない現時点で保釈が許可されるというのは、検察にとっては衝撃であり、それを敢えて裁判所が決定したことは「画期的」と言える。

 今回の保釈許可決定は、「当然だが画期的な決定」と言うべきだ。

1、2回目の保釈請求と3回目の保釈請求の違い

 今回の保釈に関して、自宅玄関への監視カメラの設置、パソコンでのインターネット使用制限など、ゴーン氏の「罪証隠滅」が行えないようにする物理的措置が保釈条件とされたことが、保釈許可の大きな要因となったとされている。

 しかし、本当に罪証隠滅を行おうとすれば、そのような措置があっても完全に防止することは困難だ。そのような措置は、従来の特捜事件とは異なった保釈の判断をするための一つの「口実」に過ぎず、むしろ、決定的な違いは、裁判所も、事件の中身や証拠関係を踏まえて、長期の身柄拘束を避けたいと考えていたこと、そのような状況の中で、弘中・高野チームが、それまでの大鶴チームとは異なり、「人質司法」を打破してゴーン氏の保釈を獲得することに並々ならぬ情熱をもって取り組んだ成果と見るべきであろう。

 保釈決定の前日に外国特派員協会で記者会見を行った「無罪請負人」と言われる弘中弁護士に注目が集まっているが、私は、今回の保釈獲得に関しては、むしろ高野弁護士によるところが大きかったのではないかと見ている。

 今年1月18日の長文ブログ【人質司法の原因と対策】にも書かれているように、高野弁護士は、日本の「人質司法」の根本的な問題を指摘し、実際の刑事事件の中で、その打破を実践してきた弁護士だ。「罪証隠滅のおそれ」を振りかざし、無罪主張をする被告人の保釈を阻止しようとする検察と戦ってきた。今回も、保釈に強く反対する検察官の意見書を、身柄関係書類の閲覧で把握し、そこで指摘されている「罪証隠滅のおそれ」を徹底的に否定して、保釈を認めない理由がないことを論証したことが保釈許可の大きな要因になったと考えられる。

 一方の大鶴基成弁護士は、記者会見でも、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。」などと「人質司法」について、やや的外れな発言を行い(「人質司法」は第一回公判までだけの問題ではない)、「これは人質司法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと他人事のように言っていた。かつて特捜部長として、ライブドア事件・村上ファンド事件などの事件で特捜検察の中核を担ってきた大鶴弁護士は、特捜部側で無罪を主張する被告人の保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として検察と戦い、被告人の身柄釈放を勝ち取った経験は乏しかったのだろう。「人質司法」が典型的に表れているゴーン氏事件で、保釈を獲得する使命を果たす弁護人としてはミスキャストだったと言わざるを得ない。

ゴーン氏保釈による「重大な影響」

 今回のゴーン氏の保釈には、監視カメラの設置等の異例の保釈条件が付されている。しかし、保釈条件は不変のものではない。今後の公判前整理手続や公判審理の状況に応じて、不要となれば、条件が解除されることもあり得る。

 美濃加茂市長事件では、現職市長だった藤井浩人氏は、収賄容疑について現金の授受を含めて全面否認していたが、4回目の保釈請求が許可され、逮捕以来62日間の身柄拘束で保釈された(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このときは、副市長を含む多くの市役所職員との接触禁止等の保釈条件が付され、保釈に水を差したいマスコミは、「市長職を務めることは事実上困難」などと報じた。しかし、公判前整理手続の中で、「罪証隠滅のおそれ」が全くないことが客観的に明らかになり、弁護人の保釈条件変更申請で接触禁止は順次解除されていった。

 ゴーン氏についても、今後、公判前整理手続や公判審理の中で、検察が提示する事実や証拠、それに対する弁護側の対応によって、「罪証隠滅のおそれ」がないことが明らかになれば、保釈条件の変更の可能性もある。そういう意味では、保釈条件は、被告人にとって決定的な問題ではない。

 重要なことは、いかなる保釈条件が付されていても、拘置所での身柄拘束が続くのと、社会内での活動が可能になるのとでは、その拘束の質が決定的に違うということだ。

 今回の保釈によって、今後、ゴーン氏の刑事事件の公判対応や、マスコミへの対応、ゴーン氏が関わる企業の経営などに、大きな影響が生じる可能性がある。

 第1に、公判前整理手続や公判に向けて、弁護団と十分な準備ができるということだ。言語の違いに加え、関連資料も膨大なため、拘置所での弁護団とゴーン氏との打合せは困難を極めたはずだ。保釈されたことで、検察の開示証拠を踏まえて、効果的で綿密な打合せを行うことが可能となる。

 第2に、ゴーン氏は、今後、検察や日産側のリークによる夥しい数の「有罪視報道」にくまなく目を通し、弁護士らとともに、事実無根の名誉毀損報道に対して法的措置を講じる準備を始める可能性がある。それは、ゴーン氏事件の報道の流れを変え、これまでの報道で生じた世の中の認識を是正することにつながる可能性がある。

 第3に、軽視できないのは、日産自動車・ルノー・三菱自動車の経営に与える影響だ。

 ゴーン氏は、日産自動車・ルノー・三菱自動車の3社で会長職は解職されたが、今も取締役の地位にはある。ゴーン氏が、各社の取締役会に出席すれば、これまで全く弁明の機会を与えられず、一方的に「不正」とされている、起訴事実以外の「不正」についての弁明を行うことも(少なくとも、ルノー・三菱自動車においては)可能となり、今後の3社の取締役会での議論に大きな影響を生じる可能性がある。

ゴーン氏の取締役会への出席の可能性

 そこで問題となるのが、今回のゴーン氏の保釈条件の中には、事件関係者との接触禁止のほか、日産自動車の取締役会・株主総会への出席には裁判所の許可が必要というのが含まれていることが、ゴーン氏の取締役会への出席にどのように影響するかだ。

 まず重要なことは、取締役は株主総会で株主に選任され、会社のために、善管注意義務を果たし、忠実に職務を行う立場だということだ。会社法上、「取締役会への出席義務」は明記されてはいないが、格別の支障がない限り、取締役会に出席することは取締役の義務であると言えよう。ゴーン氏も、格別の支障がない限り、取締役として日産の取締役会に出席するのは当然であり、健康上の理由など出席できない事情がない限り、取締役会に出席すべく裁判所の許可を求めることになるであろう。

 ゴーン氏が取締役会への出席の許可を求めた場合、株主に選任された取締役として、職務を行う上で必要と判断して出席を求めているのであるから、裁判所としても「必要性がない」と判断する余地はないだろう。裁判所は、保釈条件の一つである「接触禁止」に違反する可能性があるかどうかによって可否を判断することになると思われる。

 保釈条件としての「接触禁止」というのは、起訴事実についての「罪証隠滅」が行われないようにするため、外形的に、その「おそれ」がある場面を作らないようにすることを保釈の条件にするという趣旨だ。

 取締役会の出席者のうち西川廣人社長が、金商法違反との関係でゴーン氏が接触を禁止されている「事件関係者」の一人だと考えられるし、他にも「事件関係者」が含まれている可能性がある。問題は、取締役会への出席について「西川氏らとの間での『罪証隠滅のおそれ』があると言えるかどうか」だ。

 裁判所は、ゴーン氏が許可を求めた場合、検察官に意見を求めることになる。弁護人側は、ゴーン氏に対する「反逆者」の西川氏を含め、日産関係者に対するゴーン氏の影響力はなくなっており、発言がすべて記録される取締役会への出席による「罪証隠滅のおそれ」は皆無だと主張するだろうが、検察官は、ゴーン氏の取締役会での発言が西川社長らにも影響を与え得ること、ゴーン氏が取締役会に出席していることや発言すること自体が公判立証に影響を与えるなどとして、出席に強く反対するであろう。

 ここでの裁判所の判断は、結局のところ、現時点でのゴーン氏の立場について、「推定無罪の原則」を尊重し、株主に選任された取締役としての職務の履行として取締役会に出席することを重視するか、「罪証隠滅」が公判審理に影響を与える可能性を最小化することを重視するかという観点から行われることになり、そこでは、保釈の可否と同様の枠組みでの判断が行われることになる。

 ちなみに、前記の美濃加茂市長事件で藤井市長が保釈された直後、保釈条件として副市長を含む多数の市役所職員との接触が禁止されている状況で、藤井市長が、起訴された収賄容疑についての説明を求める市議会に出席できるかどうかが問題になった。しかし、藤井市長は、市議会に出席して、自らが潔白であることなどを、公判での主張に支障を生じない範囲で説明した。その際、藤井市長と副市長とは離れた席に座らせ、直接の話をすることがないよう配慮した。

 この市議会への藤井市長の出席は、当然、検察・警察も把握していたが、それが「接触禁止」の保釈条件に反するとして保釈取消請求されることはなかった。

 仮に、日産の取締役会への出席が許可されないとしても、ルノーと三菱自動車の取締役会への出席は話が別だ。両社は、本件起訴事実と直接の関係はないのであり、三菱自動車の取締役会への出席、ルノーの取締役会への電話やビデオ会議システムでの出席が制限される理由はないだろう(三菱自動車の日産出身取締役が「事件関係者」に該当する場合には、日産取締役会と同様の問題が生じる。)。

 ゴーン氏が、両社の取締役会に出席しようとするかどうかは不明だが、自己の潔白を主張し、会長解職の不当性を訴えるために出席したいと考えた場合には、出席が可能となる可能性が高い。

 大鶴弁護士が記者会見で予測していたように「第一回公判まで保釈が許可されない」ということであれば、ゴーン氏は、日産の臨時株主総会で取締役を解任され、ルノー・三菱自動車の定時株主総会で両社の取締役も解任され、3社への影響力を完全に失った後に、ようやく保釈されるということになっていたであろう。

 そういう意味で、「検察と戦う弁護士チーム」に一新された弁護団の保釈請求によって、それまで拘置所で検察の支配下に置かれていたゴーン氏の身柄が弁護団の元に奪還されたことが、今後のゴーン氏の検察・日産やマスコミ等に対する「反撃」に、極めて重要な意味を持つことは間違いない。

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日産西川社長の“デタラメ”を許してよいのか

2月28日の日経朝刊一面トップの「2005年転機、日産ゴーン会長に全権『あの時、議論すべきだった』」題する記事、日産自動車西川廣人社長のインタビューが掲載された(日経電子版【「ゴーン流の成功は幻想」 日産社長インタビュー詳細】)。17面にもインタビューの続きが掲載されており、西川氏の話が、大きく取り上げられている。

しかし、このインタビュー記事では、ゴーン元会長についての「不正」の情報を検察に提供してケリー氏とともに逮捕させ、二人の代表取締役不在の臨時取締役会で、ゴーン氏の代表取締役会長の解職を決議したことについて、その経過や、果たしてそれが正当であったのか、という、ゴーン体制転覆に関する「疑問」には何一つ答えていない。西川氏ら日産経営陣の行ったことを「策略であり、反逆だ」と主張するゴーン氏に対する反論にも全くなっていない。

西川社長は、ゴーン元会長の解任理由を改めて問われ

取締役会での決定は刑事責任の有無でなく、解任に相当する判断材料を弁護士から頂いたからだ。(不正は)経営者・トップとして守るべき事から完全に逸脱していた。会社としては絶対に放置できない。解任しない選択肢はなかった。

(社内調査の結果を)取締役会でシェアしたが『これは無いね』と。金融商品取引法違反、投資会社の不正使用、経費の不正使用など1件だけみても、普通の役員であれば即解雇というレベルのものなので

と答えている。

この中で、見過ごせないのは、今になって、「刑事事件になるかどうかにかかわらず」と言っていることだ。

ゴーン氏・ケリー氏が検察に逮捕された直後の記者会見で、西川氏は、

内部通報に基づき数か月にわたって社内調査を行い、逮捕容疑である報酬額の虚偽記載のほか、私的な目的での投資資金の支出、私的な目的の経費の支出が確認されたので、検察に情報を提供し、全面協力した

と述べた。

「普通の役員であれば即解雇というレベルのもの」「刑事事件になるかどうかに関係なく、不正は重大であり弁解の余地がない」と考えていたのであれば、なぜ、検察に情報を提供する前に、その「重大な不正」の調査結果を取締役会に報告し、本人の弁解を聞いた上で、解職を決議するという方法をとらなかったのか。取締役会の場で全く議論することもなく、調査結果を検察に持ち込むという行動をとったことがコーポレートガバナンス上の最大の問題なのだ(【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その1)~企業ガバナンスと透明性】)。

西川氏がゴーン氏逮捕直後の記者会見で述べた「不正」のうち、「報酬額の虚偽記載」については西川氏自身の関与の重大な疑念が生じ、他の二つの「不正」は、その具体的な内容は一切明らかになっていない。

今回のインタビューで、西川氏は、社内調査で明らかになった「不正」の具体的内容も明らかにせず、一方的に「トップとして守るべきことから完全に逸脱していた」と批判している。

「昨年10月頭に私に社内調査の結果が来た」と言っているが、問題なのは、西川氏らが最終的な「社内調査結果」を受け取った時期ではない。そもそも、その不正調査が、どのような経緯で、どの時期に開始され、西川氏が、どのように関わったかだ。

西川氏は、2005年にゴーン氏がルノーの会長を兼任した時点で、「議論すべきだった」と言っており、それが記事の見出しにまでなっているが、ゴーン氏の「腰巾着」のような存在であった西川氏に、その時点で「議論」する余地などあったとは思えない。ゴーン氏への独裁を容認し、社長CEOに取り立てられ、自らも5億円もの高額報酬を得るようになってから、自らの責任をも顧みず検察と結託した「クーデター」でゴーン体制を覆したことが問題なのであり、西川氏が2005年のことに言及するのは、問題の「すり替え」以外の何物でもない。

2月12日に発表した2018年第3四半期決算で、有価証券報告書に未記載の約92億円をゴーン氏への報酬として一括計上する一方、ゴーン氏の報酬過少申告の事件をめぐる司法判断や、日産が検討しているゴーン被告への損害賠償請求をにらみ、実際の支給は見送るとしたことについて、西川氏は、決算発表の会見で、「これを実際に支払うことを決めたわけではない。私としては支払いをする、という結論に至るとは思っていない。」などと、全く意味不明の説明を行った。日産側が「支払わない方針」だとしても、役員報酬という債務の存在を明確に認めることで、ゴーン氏に対する債務という「会社にとっての損害」が発生することに変わりはない。十分な根拠もなく、ゴーン氏の役員報酬を計上し、損害を発生させるのは「背任的行為」とも言える。

2017年からCEO社長を務めている西川氏は、ゴーン氏、ケリー氏が、有価証券報告書虚偽記載で起訴されている直近2年分の虚偽記載について直接的な責任を負うにある立場にあり、刑事責任を追及は避けられないはずだ(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

西川氏は、1月24日夜に開いた記者会見で、同社前会長で特別背任の罪などで起訴されたカルロス・ゴーン被告をめぐる一連の問題について、「私も含めて過去の経営陣の責任は重い」と発言。その上で「そのあとの体制を作らないといけない。会社を軌道に乗せてバトンタッチすべきであると思っている」と話した。定時株主総会のある「6月うんぬんではなく、できるだけ早く私の果たすべき責任を果たして次に引き継げる状態にしたい」と考えているとも述べ、ガバナンス体制の構築にめどをつけた上で経営トップから退く意向を明らかにしていた(【日産の西川社長が退任示唆、ゴーン前会長巡る一連の問題で責任】)。

ところが、今回のインタビューでは、西川氏は、「私が一身に受けて直していく。自分がやるしかない」と述べて「6月の定時株主総会以降も続投する考えを示した」とのことだ。

コーポレートガバナンスを無視したクーデターで前経営トップの体制を覆し、その理由とされ、検察の起訴事実となった有価証券報告書虚偽記載について、自らの重大な責任について説明責任を果たすこともなく、いったん表明した「当然の辞任」の意向もあっさり否定し、自らも年間5億円もの高額の役員報酬を得てきたCEO社長の地位にとどまろうとしている西川氏。日本社会は、いつから、このような“デタラメ”がまかり通る社会になってしまったのだろうか。

 

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今治市「山本大臣就任祝賀会」関与は“公務”の不可解、「加計学園補助金」にも疑問

 菅良二今治市長が、山本順三大臣就任祝賀会の発起人となり、会費の受領等の事務局事務を市職員に行わせた問題、昨日(2月14日)に【菅今治市長が市職員に命じた「大臣就任祝賀会」全面サポート】と題する記事で詳しく解説したが、同日、この問題は、衆議院予算委員会でも取り上げられた。

 山本大臣は、就任祝賀会については、「招かれて出席しただけ、詳細は知らない」、祝賀会の会費の残りから現金10万円が山本氏側にわたったと報じられていることについては、「報道は全くの事実無根であり、当日は目録を頂戴したが、中身は空っぽの目録だった」と答弁した。

 また、この問題についての今治市側の対応について、朝日新聞が以下のように報じている。

 菅市長は14日、「社交儀礼であり、市の事務の範囲として認められている。政治的行為に該当しない」などとするコメントを発表した。片上課長は取材に対し、違法性を否定する根拠として、奈良県上牧町が大臣就任祝賀会を主催して公費支出し、住民が違憲として返還を求めた訴訟で「社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定できない」などとした1989年の最高裁判例を挙げた。

 注目すべきは、(1)週刊文春の取材に対して菅市長が認めている「10万円授受」について、山本大臣が明確に否定する答弁を行ったこと、(2)今治市が、市職員の祝賀会への関与を「市の事務」だとしたことの2つだ。

 私が、週刊文春にコメントした時点では、「市長個人が発起人となった大臣就任祝賀会」という「政治的行為」に、市役所職員に関与させたという、「市長個人の問題」であり、「市職員に政治的行為に関わることを命じることのパワハラ的問題」と考えていた。

 ところが、今治市は、市職員の関与を「公務」と認めた。そして、一方で、「現金10万円の授受」に関して菅市長と山本大臣の供述が相反している。それによって、この問題は、今後重大な問題に発展する可能性が出てきた。

89年最高裁判例の町主催大臣就任祝賀会と本件との違い

 今治市は、山本大臣就任祝賀会への関与を、「社交儀礼としての市の事務」だとし、政治活動ではないとすることの根拠として、奈良県上牧町が大臣就任祝賀会を主催して公費を支出した件についての最高裁判例を挙げているが、これは、今回の件での市の公務としての対応を正当化する根拠には全くならない。

 上牧町の事例は、過去に上牧村長を務め、県議会議員から国会議員になった政治家の郵政大臣就任について、町が主催して祝賀行事を行って町の公金を支出したことの違法性が、地方自治法に基づく住民訴訟で問題とされた事案だ。町として予算措置を講じ、議会の承認も受けて行った「公金支出の適法性」の問題であり、地方公務員法の「政治的行為」が争われた事例ではない。

 この事案について、一審判決は、

 上牧町の挙行した本件祝賀式典は、町民多数の賛意に基き、特別の条例によることなく行われ、その経費は、予算の定めるところにより普通地方公共団体の長の命令をもって収入役がこれを支出したものであって地方自治法232条の3、4の規定に照らし適法であるのみならず、社会的実在としての地方公共団体の通常の社交儀礼の範囲内における支出に該当し、その当不当については見解が分かれるとしても、これを違法とすべき理由は見当らない。

として、この事例において町の「公金支出」が違法ではないとし、最高裁もこれを是認したものだ。大臣就任祝賀式典への自治体の公金支出が、常に「社交儀礼の範囲内」との理由で合法だとしているのではない(しかも、同判決では、「このような式典が政治的な色彩をもつことは否定できないところであり、郷土の誇りとなるスポーツ選手の表彰式典などとは異なり、政治的な対立感情が介入する余地もないではない」などの理由で、「本件祝賀式典に対する公金の支出は社交儀礼の範囲を逸脱するものとして違法と判断せざるをえない」との伊藤正巳判事の反対意見も付されている。)。

 一方、今回の今治市の問題は、菅今治市長が個人として発起人となった大臣就任祝賀会の事務局を市職員が務め、会費の受領や管理まで行ったことが、市職員の「政治的行為」に該当し、「政治的中立性」を損なうのではないかがが問題になっているのである。市職員が大臣就任祝賀会に関与することについては、市役所内で正式な決裁手続を経て行われているわけではなく、議会の承認も経ていない。正式な手続による公金の支出の違法性が争われた上記最高裁判例の事案とは全く異なるのである。

理解不能な今治市の対応

 本件での市職員の関与が「政治的行為」であることを否定するために、なぜ、関連性が希薄な最高裁判例が持ち出されたのか理解不能だ。

 それ以上に不可解なのは、今治市が、市長個人が発起人になって開催された山本大臣就任祝賀会に、市職員を関わらせたという「市長個人の問題」を、なぜ、「社交儀礼としての市の事務」などと、市の組織を巻き込むような理屈で正当化しようとするのかである。

 そこには、市長の判断はいかなる場合でも正しいのだから、その「正しさ」を維持するために、関連性が希薄な判例を持ち出してでも、何とか理屈付けをしようとする今治市の姿勢がみてとれる。

 それによって、関与した市職員の行為の「政治的中立性」の問題や、それを指示した菅市長の政治責任の問題だけではなく、

 そもそも今治市の行政は、法令に基づいて適正な手続によって行われているのか

という点にも深刻な疑念を生じることになるのである。

「現金10万円授受」をめぐる問題と祝賀会の「政治資金パーティー」性

 今治市が、山本大臣就任祝賀会への関与を、「社交儀礼としての市の事務」だとして「公務」であると認めたことは、山本氏に対する「10万円現金供与」問題にも重大な影響を与える。

 この問題については、山本氏は、「中身は空っぽの目録だった」として授受を全否定している。週刊文春の取材では認めていた菅市長も、改めて質問すれば、山本氏に合わせる方向に答を変えるかもしれない。

 しかし、週刊文春の方でも、当然取材の際は録音をとっているはずであり、簡単に翻すことができるはずはない。「記憶違いだった」というような話をし始めれば、祝賀会の資金の流れをめぐる疑惑を一層深めるだけでなく、今治市のトップである市長に対する信頼が、大きく損なわれることになる。

 さらに問題なのは、今治市が、「公務」だと認めた市職員の関与の中に、「参加費1万円を領収する事務」が含まれており、市側が「会費は課が金庫で管理し、現在は費用の精算中」(前記朝日記事)だとしていることだ。祝賀会に関する会計事務が市職員によって「公務」として行われたということになると、公務としての会計処理状況について市議会で説明する責任があるし、それを報告する文書は行政文書として情報公開の対象になる。

 「公務」としての会計処理の状況について担当の市職員が市に報告することになれば、当初から、1万円の会費について、どのような使途を予定していたのか、実際にどれだけの費用がかかり、どれだけの残金が生じ、その残金をどのように処理する予定だったのかについて、今治市側が説明責任を負うことになる。その説明如何では、会費の残金を大臣側に提供することを予定していた疑いが生じることもあり得る。それによって、山本大臣就任祝賀会が、「政治資金パーティー」としての性格を持ったものとの疑いを生じさせる可能性もある。その場合、祝賀会への関与が「政治的行為」であることは、一層否定できなくなる。

加計学園問題に影響する可能性

 「地元出身の国会議員が大臣に就任したのだから、盛大に祝賀会を行う」というのは、今治市では、当たり前のことだったのかもしれない。しかし、そこに、市民のために公平に公正に、かつ、法令に基づき適正に職務を行うべき市役所の組織や職員が関わることで、問題は全く異なったものとなる。そこでは、「今治市」という自治体の姿勢が、市民を向いたものだったのか、市長や市長が支持する政治家の方を向いたものだったのか、根本から問われざるを得ない。

 今治市は、市職員の関与を「公務」と認めたことで市の行政への信頼が損なわれ、市長への信頼も損なわれる。それが、今後、今治市にとって大きな悪影響を及ぼすことは必至だ。

 今治市が獣医学部新設に関して36億円の補助金を加計学園に提供したことに関して、補助金が不正な支出だとして住民訴訟が提起されている。

 「地方自治体の行政は、法令に基づいて適正に行われている」というのが世の中の一般的認識だ。しかし、今回、菅市長が発起人となった大臣就任祝賀会に市職員を動員した問題で、菅市長が追及され、市当局は、市長の行為を正当化するために、市職員の関与を「公務」だなどと主張するという今治市の姿勢が明らかになると、菅市長が強いリーダーシップで進めてきた加計学園への補助金の支出にも、重大な疑念が生じることになりかねない。

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“市職員の政治的中立性”を蔑ろにする菅今治市長の責任

 今週木曜日発売の週刊文春(2019年2月21日号)の記事【加計誘致の今治市が大臣就任祝賀会で地方公務員法違反の疑い】 に、「本来公務員は政治的中立性が求められ、職務として祝賀会の事務を担った市職員は、政治的行為を制限した地方公務員法に違反する」「命令に逆らえず政治的活動に従事したとすれば、市長のパワハラにも当たる」との私コメントが掲載されている。

 同記事で問題にされている市長は、加計学園問題に関して批判を受けてきた菅良二今治市長だったということで、今治市での加計学園の獣医学部設置問題を厳しく批判してきた私が、その批判の延長上で、今治市長を批判しているように思った人も多いかもしれない。

 しかし、この大臣祝賀会を開催した「市長」が「今治市長」であることは、文春記者の取材を受けてコメントした時点では知らされていなかった。私は、事案の内容を聞き、地方公務員法に違反する行為を市役所職員に職務として行わせた市長の責任についてコメントしたものだ。

「あっせん利得処罰法違反」についての週刊誌コメント

 週刊文春からは、これまでにも法律の解釈・適用の問題についてコメントを求められることが多かったが、私としては、不正確なコメントをすると、自分の法律・コンプライアンスの専門家としての信用にも関わるので、慎重に検討し、必要に応じて文献・資料等も調査した上でコメントするようにしている。

 私のコメントが大きな意味をもったのは、2016年2月の、甘利明氏(当時、経済財政担当大臣)のURの用地買収問題に関する「口利き・金銭授受疑惑」について週刊文春からコメントを求められ、「あっせん利得処罰法違反に該当する疑いがある」と指摘したことだった。この時は、あっせん利得処罰法の条文解釈のみならず、立法経緯や、甘利氏の政治家としての「影響力」に関わる政治経歴等も調べ、自信をもって「あっせん利得処罰法違反の疑い」を指摘した。この問題については、その後国会でも、衆議院予算委員会公聴会で公述人として、特殊法人のコンプライアンスについて意見を述べたが、その際にも、あっせん利得処罰法の適用に関して法律見解を述べた(【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】)。

 しかし、週刊文春に限らず、週刊誌からコメントを求められても、「法律違反の疑いがあるとは言えない」と述べ、コメントが掲載されなかったことも多い。最近では、週刊文春から、片山さつき大臣の問題について、「口利き疑惑があっせん利得処罰法違反に当たるのではないか」とコメントを求められたが、「権限に基づく影響力」に基づいて「口利き」をした事案とは考えられないので「あっせん利得処罰法違反の疑いはない」と答え、私のコメントは掲載されなかった。

 今回は、先週土曜日に週刊文春の記者から電話があり、「現職市長が発起人となって国務大臣の就任祝賀パーティーを主催し、会費1万円で飲食を提供するパーティーを開き、その事務局事務を市職員が行った。パーティー収入の中から、10万円が国務大臣に『就任祝い金』として渡された」という事案について、法律に違反するかどうかの見解を求めてきた。

「政治資金パーティー」への該当性

 まず考えたのは、政治資金パーティーに関する政治資金規正法の規定に違反する可能性であった。もし、この祝賀パーティーが政治資金パーティーに該当するとすれば、政治資金規正法22条の9で、「地方自治体の職員が、その地位を利用して、政治資金パーティーに対価を支払つて参加することを求め、若しくは政治資金パーティーの対価の支払を受け、若しくは自己以外の者がするこれらの行為に関与すること」が禁止されており、この「地方自治体の職員」には、特別職・一般職であっても該当するので、市長の地位を利用して市役所職員に開催の事務を行わせたことは違法となる。

 しかし、「政治資金パーティー」については、政治資金規正法8条の2で「対価を徴収して行われる催物で、当該催物の対価に係る収入の金額から当該催物に要する経費の金額を差し引いた残額を当該催物を開催した者又はその者以外の者の政治活動に関し支出することとされているもの」と定義されており、この「市長」が主催したパーティーについては、収入のうち10万円が国務大臣に対して「就任祝い金」として渡った事実があっても、収入から経費を差し引いた残額が、「政治活動に関し支出することとされている」と言えるか否かは微妙である。この祝賀会が政治資金パーティーに該当し、市長の行為が地位利用による政治資金パーティーへの参加を求める行為として「政治資金規正法違反の疑い」を指摘することは難しいと判断した。

 ただ、政治資金規正法上の「政治資金パーティー」に該当するというためには、パーティーの目的や開催の経緯・会の収支・差額の使途などを、もう少し詳しく調べる必要があり、該当することを前提に政治資金収支報告書への記載義務や罰則適用を議論することはできない、ということであり、大臣就任祝賀として、大臣たる政治家を支持する「政治資金パーティー」に近いものであることに変わりはない。

市職員の祝賀会への関与と地方公務員法の「政治的行為の制限」

 政治資金パーティーに形式上該当しないとした場合に、次に問題となるのは、国務大臣就任祝賀パーティーを市長が主催し、その事務や会費の募集に市職員が関わることと、地方公務員法の「政治的行為の制限」との関係だ。

 「特別職地方公務員」に当たる市長には、政治的行為の制限はないが、「一般職地方公務員」である市職員には政治的中立性が求められる。その市職員が職務として政治家の大臣就任祝賀会の事務を行い、会費の募集に関わり、その会費収入の一部が、大臣たる政治家にわたったということは、常識的に考えても、地方公務員の政治的中立に関するコンプラインス違反だと言える。

 市民にとっては、政治的に中立な立場で市の業務に従事しているはずの市職員が、特定の政治家を支持するパーティーの開催のために動員され、会費集めをさせられていること自体が許しがたい行為であることは明らかだ。

 地方公務員法36条2項は「政治的行為の制限」について

職員は、特定の政党その他の政治的団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、次に掲げる政治的行為をしてはならない。

と規定しており、この「次に掲げる政治的行為」の「三」が「寄附金その他の金品の募集に関与すること」とされている。

 国務大臣の就任祝賀パーティーを行うことは、内閣の一員として任命された国務大臣を支持することを通して、「特定の内閣」を支持する目的と解することができるし、パーティーの会費の募集に関与することは、政治資金パーティー券の募集と同様に、「金品の募集」に当たると考えられる。

 週刊文春の記事によれば、

パーティーの〈お問合せ先〉は、「今治市総務調整課」、領収書には参加費1万円を領収した事務取扱者として、課長名の判子が押されている。

とのことであり、パーティーの事務局を市の総務調整課職員が全面的に担い、会費の徴収まで行ったということになる。

祝賀会開催に関する市長の市職員への命令は「パワハラ的」

 もっとも、特別職たる市長には、この「政治的行為の制限」は適用されないし、市職員が、上記の規定に反した場合も、罰則がなく、懲戒処分の対象になるだけなので、市長が市職員にそれをやらせたとしても、それ自体が、犯罪の共謀になるわけではない。

 しかし、逆に言えば、このような「政治的行為の制限」に反する市職員の行為は、罰則の対象とはならないので、違反が認められた場合も、市当局として採り得る措置は、当該市職員に対して懲戒処分を行うことしかない。しかし、その「懲戒権者」は、市のトップである「市長」なのである。市長が主催した政治的活動としてのパーティーに、市長から指示されて事務を行ったり、会費を集めたりした市職員が、市長によって懲戒処分される、というのは全く本末転倒の話である。地方公務員法は、そもそも、「政治的行為の制限」に違反する行為が、首長の指示や命令によって行われることを予定していないのである。

 それだけに、この問題は深刻である。市職員は、政治的中立を求められていることは十分に認識しているはずであり、本来、市長から、政治家の就任祝賀会の事務を行うよう命令を受けても、それを拒否するのが当然である。しかし、市職員にとっては、市長は市役所の組織のトップである。その命令に逆らえるはずがない。このような状況に追い込まれ、政治的活動に従事させられた市職員にとって、市長の命令はパワハラと評価することもできる。

菅市長の責任の重大性

 週刊文春の記事によって、就任祝賀パーティーの発起人となった市長が、「菅良二今治市長」であることを知った(就任を祝賀されたのが国家公安委員会委員長である「山本内閣府特命担当大臣」であることは、コメントの確認をする際に知った。)。

 記事によれば、菅市長は、「政治活動ではなく、大臣の祝賀会」と説明し、市側も「祝賀会は政治活動ではなく、儀礼的なもの」と回答しているようだが、大臣就任を祝うということ自体が、「大臣たる政治家への支持」という性格を持つのであり、「祝賀会」であることも、「儀礼的」であることも、政治活動であることを否定する根拠にはならない。

 過去の同様の事例として、2013年11月に、自民党の武田良太衆院議員の防衛副大臣就任祝賀会を、田川市郡の全市町村の首長や地元県議らが発起人となって1人5千円の会費制で立食パーティー形式で開くに際して、自治体の首長らが呼びかけ、田川市職員が区長会などに参加を要請していたことが、公務員の政治的中立性が損なわれるなどとして、批判されたケースがある。

 この事例では、市職員は、祝賀会への参加を要請しただけで、会費の徴収等の事務局事務を行ったとはされていないが、それでも「政治的中立性」に反することが問題となっている。

 前記のとおり、今回の山本大臣の就任祝賀会は、今治市長が発起人となり、市職員が事務局を務め会費の徴収まで行ったのであり、地方公務員法が禁止する「政治的活動」の性格が一層顕著だということだ。

 自治体職員の懲戒権者である首長自らが、公務員の政治的中立性に関するコンプライアンス違反を命令し、本来、納税者たる市民のために、政治的に中立的立場で職務を行うべき市職員が、「特定の政治家の政治活動の成果を祝うパーティー」を全面的にサポートすることは、到底許されることではない。

 菅市長は違法行為の責任を直接問われるものではないが、政治的責任は極めて重大である。

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西川社長ら日産経営陣は、なぜ「検察の手先」となるのか

1月11日に、特別背任等で追起訴された後も、2度の保釈請求が却下され、勾留が90日近くに及んでいる日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏の事件、日本の「人質司法」の“悪弊”を海外に露呈する状況が続いている。

 日産自動車が、2月12日に発表した2018年第3四半期決算で、有価証券報告書に未記載の約92億円をゴーン氏への報酬として一括計上する一方、ゴーン氏の報酬過少申告の事件をめぐる司法判断や、日産が検討しているゴーン被告への損害賠償請求をにらみ、実際の支給は見送ることを明らかにした。

 数日前から、そのような日産の方針が報じられていたが「まさか」と思っていた。本当にゴーン氏の役員報酬を決算に計上するとは…。

苦し紛れの「役員報酬約92億円計上」に根拠はあるのか

 昨年12月3日にヤフーニュースに出した記事【ゴーン氏「退任後報酬による起訴」で日産経営陣が陥る“無間地獄”】で、私は以下のように述べた。

 日産は、臨時取締役会でゴーン氏の会長及び代表取締役を解職しており、さらに、臨時株主総会で取締役も解任する方針を明らかにしているが、「ゴーン氏の退任」が現実化した場合、ゴーン氏へ「退任後の役員報酬」を支払うべきかどうかという問題に直面する。検察が主張するとおり、「退任後の報酬」について合意の時点で支払いは確定しており、単に「支払時期が退任後に後送りされているだけ」だとすれば、日産側は、ゴーン氏退任の際に支払わなければならないことになる。また、退任後の役員報酬自体が「違法」とされたのではなく、開示しなかったことが違法とされているのだから、「違法な役員報酬は支払わない」という理由での支払いの拒絶もできない。日産側の経営判断で支払わないとすれば、「支払は確定していた」という前提を否定する重要な間接事実となる。

 有価証券報告書等の虚偽記載で起訴された前経営者に、巨額の退任後報酬を支払うなどということは、株主には到底理解されない。しかし、検察の主張と整合性をとろうと思えば、ゴーン氏への約80憶円の支払いを拒絶することは容易ではないのである。

 ゴーン氏自身も、1月8日の勾留理由開示公判で、「退任後の役員報酬の支払は確定していない」と強く主張し、「報酬の支払が確定しているのなら、今、私が死亡した場合に相続人が受け取れるはずだが、そうでないことは明らかだ」と述べていた。

 この点が、検察の有価証券報告書の虚偽記載の起訴事実の立証にとって最大の障害になることは必至だった。

 そして、日産は、臨時株主総会で、ゴーン氏を取締役から解任する方針を示しており、早くも、「ゴーン氏の退任後の役員報酬」の支払いの問題が現実化することになった。

 「退任後の役員報酬の支払は確定していた」という検察の主張と整合性をとるために、日産経営陣は、不記載だったとされた役員報酬を一括計上し、しかも、ゴーン氏への損害賠償請求の可能があることなどを理由に、その役員報酬の支払をせず、「未払金」にするという方法を選択したということだろう。

 【前掲記事】で述べたように、ゴーン氏の役員報酬に関する文書については、朝日記事によると、「年間報酬の総額(約20億円)と、その年に受け取った額(約10億円)、差額(約10億円)の3項目が具体的に記載された合意文書(「書類1」)があり、一部のものにはゴーン前会長と秘書室幹部の署名があるとされる。そして、それ以外に、退任後の支払い方法が書かれたという書面(「書類2」)があり、コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約など、複数の別の名目が記されているとのことで、特捜部は、「書類2」は隠蔽工作のためのものとみているとのことだ。

 では、今回計上されたゴーン氏の役員報酬計上は、一体何を根拠とするものなのだろうか。「書類1」は、ゴーン氏と秘書室幹部との間で交わされただけである。会社としての正式決定といえるのであろうか。「書類2」には、西川氏も署名を行っているとのことであり、有効なものである可能性もある。しかし、それが有効だとすれば、支払はコンサル契約、競業避止契約の対価であり、契約関係の存在が支払の条件となる。現在のゴーン氏が、そのような契約関係が考えられる状況ではないことは明らかだ。

 つまり、どう考えても、「役員報酬」を計上する根拠などないのだ。

西川氏らにゴーン氏の「特別背任」を批判する資格があるのか

 役員報酬を計上すれば、日産は、会計上、ゴーン氏への債務の存在を認めることになる。西川氏は、決算発表の会見で、「これを実際に支払うことを決めたわけではない。私としては支払いをする、という結論に至るとは思っていない。」と述べたとのことだが、ゴーン氏は損害賠償債務を認めるわけがないし、実際に裁判上、日産の損害賠償請求が認められるかどうか全く不明だ。しかも、日産側が「支払わない方針」だとしても、役員報酬という債務の存在を明確に認めることで、ゴーン氏に対する債務という「会社にとっての損害」が発生することに変わりはない。十分な根拠もなく、ゴーン氏の役員報酬を計上し、損害を発生させるのは「背任的行為」とも言える。

 「デリバティブの評価損を日産に付け替えただけで、形式上損害が発生し、特別背任が成立する」という「検察の理屈」からすると、支払を凍結したとしても、役員報酬を計上した段階で、ゴーン氏への役員報酬の「未払金」という「損害の発生」は否定できないことになる。

 今回の「役員報酬計上」は、日産CEOの西川廣人社長が最終的に判断したものであることは間違いない。これまで述べてきたように、西川氏は、「直近2年分」の有価証券報告書虚偽記載については、自らがCEOであり、有価証券報告書の真実性について直接責任を負う作成・提出者であり、ゴーン氏・ケリー氏の虚偽記載罪の刑事責任を問うのであれば、本来、西川氏も刑事責任を問われることは避けられない(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

 ところが、ゴーン氏・ケリー氏が、「直近3年分」も含めて起訴されたのに、西川氏は刑事立件すらされていない。検察との「ヤミ取引」で「お目こぼし」をしてもらっている疑いが濃厚だ。

 そうなると、西川氏にとって、検察の意向に従って、或いは、検察の意向を慮り、本来行うべきではないゴーン氏の役員報酬の計上を行う動機は、「自らの刑事責任を免れるため」という「自己の利益を図る目的」で行われたということになる。しかも、西川氏は、前年度でもCEOとして、5億円近くもの役員報酬を得ているのであり、検察の意向に従い、CEOの地位を守ることは、個人的にも大きな利益をもたらす。

 このような西川CEOをトップとする日産経営陣には、特別背任で起訴されているゴーン氏を批判する資格があるのだろうか。

ルノーに「検察の手先」と批判された日産

 この日産第3四半期決算発表の少し前に、2月10日に、フランスのジュルナル・デュ・ディマンシュ(Journal de Dimanche)紙に、【ゴーン事件、日産を非難するルノーの書簡~自動車メーカーの弁護士が日本の調査の「逸脱」を非難】と題する記事が掲載された。

 日本でも、共同通信、産経新聞等の記事で、【ルノー「検察の手先」と日産非難】などと報じられていたが、ジュネーブ在住の和泉純子氏(@junko1958)からジュルナル・デュ・ディマンシュ紙記事の送付を受けた。以下が、その概要の日本語訳だ。→【全文はこちら

推定無罪の原則の尊重とアライアンスの維持のため、ルノーは何週間も沈黙していたが、水面下では日産の行動に対して動いており、二社の関係は緊迫していった。

 本件の発生から2ヶ月後の1月19日、ルノーの弁護士クイン・エマニュエル・アークハート・サリバン(以下、「ルノー弁護士」)から、日産側のレイサムアンドワトキンスの弁護士に、10頁にわたる書簡が送られていた。

 ルノー弁護士はまず、ルノーが十分に早い段階で情報提供も適切な主張もなされなかったことに遺憾の意を示し、数十年間の協力関係を強固にするため2015年に二社が合意したRAMA (Restated Alliance Master Agreement) の精神を妨げるものだと指摘し、ルノーと日産のアライアンス内で不正があったならば、その調査には全面的に協力するとした上で、調査の重大な逸脱を指摘して「日産及び日産の弁護士による内部調査の手法ならびにルノー従業員への対応の仕方についての重大な懸念」を表明した。

 書簡によると、日産とレイサムは二度目の逮捕の後、ルノーに報告することなく、フランスでゴーンに対する告発を補強する要素を探していた。また、「ルノーの書類が存在するかもしれないにもかかわらず」ルノーに知らせず、ゴーンのブラジル、レバノン、オランダのマンションの捜索も試みていた。

 「ルノーは日産とその弁護士が、日本の検察庁によるルノー従業員へのインタビューを得るのに使った手法について、理解し非難するに足る十分な証拠を収集した。」「日産は、ルノー側に許可を求めることなく、ルノー従業員に電話やメールで直接接触した。これはアメリカ、フランス、その他どの国の規範や規則とも相容れない。日産担当者は、検察庁と日産との調整を行っているとして、日産と同取締役会を、検察庁の延長であるかのように思わせた。旅費と東京での宿泊費の支払いまでも申し出た。」と批判した。

 書簡では、裏付けとしてクボヒデアキなる人物とルノー従業員との12月14日から1月3日のメールが引用されている。

 12月14日にクボは西川社長と日産取締役会の責任のもとでゴーンの容疑の内部調査を行っており、東京地検との仲介役と名乗った上で、検察が対面でのインタビューを求めているとして、東京に来てほしいと従業員にメールを送った。

 12月21日、ルノー従業員は、証人として検察庁に力を貸すという原則に反対するつもりはないが、検察からではなく日産から連絡があったことに驚いていると述べた上で、正式な手続きの元、パリでの聴取にならば応じる用意があると返信。

 それに対し、翌12月22日、クボは「国際法の下では、検察庁は外国にいる人々に対し、電話やビデオ会議で直接質問する権限を有さない。その国の主権を侵害することになるからだ。そのため、関係のある会社が関係者を他国から日本へ連れてくることが慣例だ。本調査のために、複数人がすでに来日し、帰国した。」として、再度来日を要請。

12月27日、クボはアプローチを変える。日本とフランスの司法条約を尊重した法的手続に時間がかかることに言及した上で、内部調査員が弁護士同席のもとでビデオ会議による尋問を行うことを提案した。

同日、当該従業員は「公的な法的手続、つまり、日本とフランスの司法共助条約に従いたい。遠隔地からであっても、検察庁の公的な調査の妨げとなる可能性のあることを行なったり参加したりしたくない。ご理解いただけると思う。」と返信。

 同日、クボは「検察の行う犯罪捜査のいかんを問わず、我々日産はコーポレートカバナンスの中で、我々自身の調査を行い、真実を突き止め、適切な対応を行わなければならない。我々が必要とする情報の範囲は必ずしも検察のそれと同じとは限らない。これは我々にとって緊急の事項だ」と聴取を正当化。「他の従業員やCFO含む元幹部も、既に受け入れたか受け入れようとしている。今のところ協力に応じないのはルノーのもう一人の従業員とあなただけだ。…検察はビデオ会議のことを認識しており、検察の捜査の妨げになることを心配する必要はない。」と恫喝に近いメールを送信した。

 2019年1月3日、当該従業員は、条約の規定に従った公式の法的な手続きでないとして、再度インタビューを断る。また、12月27日の依頼内容が、不明確なプロセスであり、最初のメールで言及したものとは異なる問題だと指摘した。

このやり取りを受け、ルノー弁護士は「国際協定の枠組みから外れてルノー従業員にインタビューすることは、フランス法に違反する。」と厳しく批判。1月1日のインタビューを12月31日に知らせたことにも遺憾の意を示した。

 ゴーンの社長辞任から数日後に、ルノー弁護士は、日産に対する不満事項をまとめ、徹底的に攻撃することを決めた。日産がルノーに知らせずに、ルノーアライアンスで働く幹部の報酬を調査したことに驚き、また、日産の役員報酬の方針に深く関与し、日産取締役会で様々な事項の助言を行なっていたレイサムの利益相反を指摘した。

 日産でゴーンの執務を率いていたハリ・ナダも批判の対象だ。ハリ・ナダが1月11日にルノー社長のティエリー・ボロレに対してメールを送り、日産でゴーンに近い立場にいたホセ・ムニョスの辞任を伝え、「ルノーのいかなる社員も幹部も日産あるいはアライアンスに関して話し合うために接触してはならない」と要請したことに触れ、内部通報者の一人とされているナダが本件で日産を代表する立場で長期間関与していることは、調査の動機と客観性に疑問を生じさせるとして、「中立的な事実調査というよりは政治的キャンペーンのようだ」と抗議した。

終始「検察の手先」として動いている日産

 この記事が紹介しているルノーの弁護士の手紙によれば、日産の「クボヒデアキ」氏は、検察の意向を受け、ルノー側の了解を得ることなく、ルノー従業員に連絡をとって、来日して検察の取調べを受けるよう要請し、従業員がそれを拒むと、ビデオ会議で、日産側の弁護士とのインタビューを受けさせようと画策していたというのである。

 そもそも、今回の事件で、ゴーン氏と同時にケリー氏が逮捕された際も、ケリー氏が厳しい腰痛と脊髄の病気を抱えていて手術直前のところを、日産に「どうしてもビデオ会議ではダメな、参加が必須な会議があるから」と騙されて飛行機に乗せられ、日本に着いたところを逮捕された事実を、同氏の夫人が明らかにしている。

 日産は、この時も、「検察の手先」となって、ケリー氏を騙して来日させて逮捕させた。そして、その逮捕事実である「退任後の報酬」についての有価証券報告書虚偽記載の事実での検察の起訴を維持するために、根拠もなくゴーン氏の役員報酬の計上を行って日産に形式上の損害を与え、それと並行して、「検察の手先」となってルノー従業員に検察の聴取を受けさせるために来日させようとしたり、その代わりに日産の弁護士による聴取に応じさせようとしたりしているというのである。

 西川氏ら日産経営陣は、ゴーン氏の逮捕以降、終始「検察の手先」として動いており、もはや、独立した判断を行う会社執行部ではなく、東京地検特捜部“日産分室”と化したと言わざるを得ない。

 このようなやり方が、日産の43%超の株式を持つルノーに対して重大な背信行為であることは明らかであり、このようなことを行いながら、ルノーとのアライアンスについての交渉を行っても、ルノー側が日産の求めに応じることは考えられないし、日産という会社や株主にとって大きな損失につながることは避けられない。

 西川氏は、ゴーン氏による支配・権限の集中を、日産のガバナンス問題だと言い、「ガバナンス改善特別委員会」まで設置した。しかし、では、西川氏の下での日産のガバナンスはどうなのか。今回の「ゴーン氏への未払い役員報酬」の計上による西川氏ら日産経営陣による「会社の私物化」と言うべきではないのか。

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