竹田会長「訴追」で東京五輪の危機を招いた政府・JOCの「無策」

 フランスの司法当局が、日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長を東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)招致に絡む贈賄容疑で訴追に向けての予審手続を開始したと、仏紙ルモンドなどフランスメディアが報じている。

 カルロス・ゴーン氏が特別背任等で追起訴された直後であり、この時期のフランス当局の動きがゴーン氏に対する捜査・起訴への報復との見方も出ている。

 このJOCによる五輪招致裏金疑惑問題については、2016年にフランス当局の捜査が開始されたと海外メディアで報じられ、日本の国会でも取り上げられた時点から、何回かブログで取り上げ、JOCと政府の対応を批判してきた。

東京五輪招致疑惑の表面化

 問題の発端は、2016年5月12日、フランス検察当局が、日本の銀行から2013年7月と10月に、2020年東京オリンピック招致の名目で、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子に関係するシンガポールの銀行口座に約2億2300万円の送金があったことを把握したとの声明を発表したことだ。

 この問題が、AFP、CNNなどの海外主要メディアで「重大な疑惑」として報じられたことを受け、竹田会長は、5月13日、自ら理事長を務めていた東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会(2014年1月に解散、以下、「招致委員会」)としての支払の事実を認めた上で、「正式な業務契約に基づく対価として支払った」などと説明した。しかし、この説明内容は極めて不十分で、東京五輪招致をめぐる疑惑に対して、納得できる説明とは到底言えないものだった。

 フランス検察当局の声明によれば、送金した先がIAAF前会長の息子に関係する会社の銀行口座であるという事実があり、それが2020年五輪開催地を決定する時期にあまりに近いタイミングであることから、開催地決定に関して権限・影響力を持つIOC委員を買収する目的で行われた不正な支払いだった疑いがあるとのことだった。問題は、招致委員会側に、そのような不正な支払いの意図があったのか否かであり、そのような意図があったのに、それが秘匿されていたのだとすれば、JOCが組織的に開催地決定をめぐる不正を行ったことになり、東京五輪招致をめぐって、極めて深刻かつ重大な事態となる。

 私は、ブログ記事【東京五輪招致をめぐる不正支払疑惑、政府・JOCの対応への重大な疑問】で、この問題を詳しく取り上げ、JOCの竹田会長は、まさに、招致委員会の理事長として今回の約2億2300万円の支払を承認した当事者であり、支払先に際してどの程度の認識があったかに関わらず、少なくとも重大な責任がある。招致委員会が組織として正規の手続きで支払った2億2300万円もの多額の資金が、五輪招致をめぐる不正に使われた疑惑が生じており、しかも、支払いを行った招致委員会のトップが、現在のJOCのトップでまさに当事者そのものである竹田会長なので、「外部の第三者による調査が強く求められる」と指摘した。

 その上で、同ブログ記事の末尾を、以下のように締めくくった。

 五輪招致をめぐる疑惑について、徹底した調査を行ったうえ、問題があったことが明らかになっても、それでもなお、東京五輪を開催するというのが国民の意思であれば、招致を巡る問題を呑み込んだうえで国民全体が心を一つにして、開催に向けて取り組んでいくべきであろう。

 今回の招致委員会をめぐる疑惑について、客観的かつ独立の調査機関を設けて徹底した調査を行い、速やかに招致活動をめぐる問題の真相を解明した上で、東京五輪の開催の是非についての最終的な判断を、国政選挙の争点にするなどして、国民の意思に基づいて行うべきではなかろうか。

外部調査チームによる調査報告書公表

 しかし、その後の政府、JOCの対応は、それとは真逆のものだった。

 国会での追及を受けたことなどから、その後、JOCは、第三者による外部調査チームを設置し、2016年9月1日に、「招致委員会側の対応に問題はなかった」とする調査報告書が公表された。しかし、それは、根拠もなく、不正を否定する「お墨付き」を与えるだけのものであった。それについて、日経BizGate【第三者委員会が果たすべき役割と世の中の「誤解」】で、以下のように指摘した。

 フランスで捜査が進行中であり、今後起訴される可能性があるという段階で、国内で行える調査だけで結論を示したということになるが、その調査はあまりに不十分で、根拠となる客観的な資料もほとんど示されていない。

 この報告書では、「招致委員会がコンサルタントに対して支払った金額には妥当性があるため、不正な支払いとは認められない」と述べているが、そもそも金額の妥当性に関する客観的な資料は何ら示されていない。世界陸上北京大会を実現させた実績を持つ有能なコンサルタントだというが、果たして本当に彼の働きによって同大会が実現したのかという点について全く裏が取れていない。

 また、招致が成功した理由や原因、コンサルティング契約に当たって半分以上の金額を成功報酬に回した理由も、何1つ具体的に示されていない。そのような契約が「適正だった」と判断することなど、現時点ではできないはずだ。

 結局のところ、疑惑に対して納得のいく説明を行えるだけの客観的な資料が全くない状態で、専門家だとか中立的な第三者などによる何らかのお墨付きを得ることで、説明を可能にしようとした、ということでしかない。

BOC会長のリオ五輪招致疑惑による逮捕

 そして、2017年10月5日 リオデジャネイロオリンピックの招致をめぐって、ブラジルの捜査当局が、開催都市を決める投票権を持つ委員の票の買収に関与した疑いが強まったとして、ブラジル・オリンピック委員会(BOC)のカルロス・ヌズマン会長を逮捕したことが、マスコミで報じられた。

 NHKニュースによると、ブラジルの捜査当局は、20179月、リオデジャネイロへの招致が決まった2009年のIOC(国際オリンピック委員会)の総会の直前に、IOCの当時の委員で開催都市を決める投票権を持つセネガル出身のラミン・ディアク氏の息子の会社と息子名義の2つの口座に、ブラジル人の有力な実業家の関連会社から合わせて200万ドルが振り込まれていたと発表していた。捜査当局は、ヌズマン会長が、「贈賄側のブラジル人実業家と収賄側のディアク氏との仲介役を担っていた」として、自宅を捜索するなど捜査を進めてきた結果、2009年のIOC総会の直後、ディアク氏の息子からヌズマン会長に対して、銀行口座に金を振り込むよう催促する電子メールが送られていたことなどから、票の買収に関与した疑いが強まったとして逮捕したとのことだった(日本では報じられていないが、その後、起訴されたとのことである)。

 このニュースは、日本では、ほとんど注目されなかったが、私は、【リオ五輪招致をめぐるBOC会長逮捕の容疑は、東京五輪招致疑惑と“全く同じ構図”】と題するブログ記事を出し、リオ五輪招致疑惑と、東京五輪招致疑惑とが全く同じ構図であることを指摘し、以下のように述べた。

 BOC会長が逮捕された容疑は、リオオリンピック招致をめぐって、「IOCの当時の委員で開催都市を決める投票権を持つセネガル出身のラミン・ディアク氏の息子の会社と息子名義の口座に、約200万ドルが振り込まれていた」というもので、東京オリンピック招致をめぐる疑惑と全く同じ構図で、金額までほぼ同じだ。

 IOCの倫理委員会は、「疑惑が報じられた昨年からフランス検察当局の捜査に協力し、さらに内部調査を継続している」としているが、その調査は、当然、東京オリンピックをめぐる疑惑にも向けられているだろうし、IOCの声明の「新たな事実がわかれば暫定的な措置も検討する」の中の「暫定的な措置」には、東京オリンピックについての措置も含まれる可能性があるだろう。

 JOCは、「その場しのぎ」的に、第三者委員会を設置し、その報告書による根拠もない「お墨付き」を得て問題を先送りした。それが、今後の展開如何では、開催まで3年を切った現時点で、“本当に東京オリンピックを開催してよいのか”という深刻な問題に直面することにつながる可能性がある。

 今後のBOC会長逮捕をめぐるブラジル当局の動き、オリンピック招致疑惑をめぐるIOCと倫理委員会の動きには注目する必要がある。

 以上のような経過からすると、今回、フランス当局の竹田会長の刑事訴追に向けての動きが本格化したのは当然のことと言える。東京五輪招致をめぐる疑惑について、フランス当局の捜査開始の声明が出されても、全く同じ構図のリオ五輪招致をめぐる事件でBOC会長が逮捕されても、凡そ調査とは言えない「第三者調査」の結果だけで、「臭いものに蓋」で済ましてきた日本政府とJOCの「無策」が、東京五輪まで1年半余と迫った今になって、JOC会長訴追の動きの本格化という、抜き差しならない深刻な事態を招いたと言えよう。

 今日、竹田会長は、訴追に関する報道を受けて、「去年12月に聴取を受けたのは事実だが、聴取に対して内容は否定した」とするコメントを発表したとのことだが、問題は、フランス司法当局の竹田会長の贈賄事件についての予審手続が、どのように展開するかだ。

 フランスでの予審手続は、警察官、検察官による予備捜査の結果を踏まえて、予審判事自らが、被疑者の取調べ等の捜査を行い、訴追するかどうかを判断する手続であり、被疑者の身柄拘束を行うこともできる。昨年12月に行われた竹田会長の聴取も、予審判事によるものと竹田会長が認めているようなので、予審手続は最終段階に入り、起訴の可能性が高まったことで、フランス当局が、事実を公にしたとみるべきであろう。

 ということは、今後、フランスの予審判事が竹田会長の身柄拘束が必要と判断し、日本に身柄の引き渡しを求めてくることもあり得る。この場合、フランス当局が捜査の対象としている事実が日本で犯罪に該当するのかどうかが問題になる。犯罪捜査を要請する国と、要請される国の双方で犯罪とされる行為についてのみ捜査協力をするという「双方可罰性の原則」があり、日本で犯罪に該当しない行為については犯罪人引渡しの対象とはならない。

 今回、フランス当局が捜査の対象としている「IOCの委員の買収」は、公務員に対する贈賄ではなく、日本の刑法の贈賄罪には該当しないが、「外国の公務員等」に対する贈賄として外国公務員贈賄罪に該当する可能性はあるし、招致委員会の理事長が資金を不正の目的で支出したということであれば、背任等の犯罪が成立する可能性もあり、何らかの形で双罰性が充たされるものと考えられる。

 いずれにせよ、フランスの裁判所で訴追されることになれば、旧皇族の竹田宮の家系に生まれた明治天皇の血を受け継ぐ竹田氏が「犯罪者」とされ、JOC会長職を継続できなくなるだけでなく、開催前の東京五輪招致の正当性が問われるという危機的な事態になることは避けられない。

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ゴーン氏、早期保釈の可能性~「罪証隠滅の現実的可能性」はない

 1月8日午前、東京地裁で開かれた勾留理由開示公判で、カルロス・ゴーン氏は、自身の言葉で、「私は無実だ。」「不正をしたことはなく、根拠もなく容疑をかけられ不当に勾留されている。」と主張し、勾留事実についても、具体的な反論を行った。そして、同日午後、大鶴基成弁護士らゴーン氏弁護団も記者会見を行った。元特捜部長・最高検公判部長の大鶴氏が「犯罪の嫌疑が全くないと確信している。」と明言したことは大きな意味があった。これまで、検察や日産側のリークによると思える「犯人視・有罪視報道」に埋め尽くされ、世の中の多くの人が「強欲ゴーン=有罪」のように決めつけていた状況にも変化の兆しが見える。

 今日(1月11日)、勾留延長満期となる特別背任で、検察は、ゴーン氏を起訴するであろう。そして、4回目の逮捕がない限り、そこで、事実上、捜査は終結することになる。

 そこで、最大の注目点となるのが、ゴーン氏の保釈が認められるかどうかだ。

 「保釈の見通し」に関する記者会見での大鶴氏の発言には疑問な点があった。特捜部長も務め、検察側で長く刑事事件に携わってきた大鶴氏だが、刑事事件での「検察との全面対決」では、弁護側の視点と検察側の視点とは大きく異なる。23年に及ぶ検察官としての経験から刑事手続は知り尽くしていたつもりだった私も、全面対決の初戦となった美濃加茂市長事件では、初めて経験することも多く、弁護人として役立てる資料・情報の収集に苦労をした。

「人質司法」と「保釈の見通し」についての大鶴弁護士の説明

 大鶴氏は、記者会見で、「人質司法」について、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。これは人質手法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと述べた上、保釈の見通しについて、「この事件で第1回公判が開かれるまで少なくとも半年はかかるだろう」「日本の普通の保釈の実情から、普通一般的には特別背任を全面的に否認していると、少なくとも第1回公判までは東京地裁令状部は保釈を認めないケースが多い。それは一番弁護人が懸念しているところで、その話はずっとゴーンさんにもしているので、ゴーンさんもそれは非常に困ったことだと考えておられる。」などと述べた。

 しかし、この大鶴氏の説明には不正確な点がある。まず、「人質司法」についての大鶴氏の説明は、一般的な「人質司法」の意味とは若干異なる。「人質司法」とは、罪を認めて自白した者には身柄拘束からの解放が認められやすいが、罪を認めていない者には身柄拘束が続くという、「自白の有無で釈放・保釈の是非が決まるかのような刑事事件での身柄拘束」のことを言う。収賄等の事件で全面無罪を争った鈴木宗男氏が、検察官立証が終わるまで、437日間身柄拘束が続いた例もある。つまり、無罪主張をした場合、第1回公判後も検察官立証が終わるまで「罪証隠滅のおそれがある」という理由で保釈が認められないことを含めて「人質司法」と言うのである。

 大鶴氏は「第一回公判まで」ということを強調したが、第一回公判の前後で状況が異なるのは、被告人が罪状認否で公訴事実を全面的に認め、検察官調書に同意して、情状立証だけで早期に裁判を終わらせる場合、つまり、検察と争わない姿勢を示した場合だ。勾留理由開示公判で「私は無実」「不当な身柄拘束を受けている」と訴えたゴーン氏の場合、第一回公判でも「全面無罪」を主張するはずであり、その前後で状況が変わるとは思えない。

 大鶴氏は、ゴーン氏が特別背任で起訴された場合の「保釈の見通し」について、「人質司法」についての上記のような理解を前提に、第1回公判まで半年以上は保釈を認めない可能性が高いとの見通しをゴーン氏に伝えていると述べたが、最近では、「人質司法」の理由とされてきた「罪証隠滅のおそれ」の判断について、裁判所の姿勢が変化し、個別の事情を踏まえて具体的に判断する傾向がある。大鶴氏は、検察側で保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として被告の身柄奪還に全力を挙げた経験があまりないのかもしれない。

「罪証隠滅のおそれ」についての裁判所の判断の傾向

 「罪証隠滅のおそれ」について最高裁が重要な判断を示したのが平成26年11月17日の決定だ。痴漢事件で「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われた事例で、裁判官が勾留請求を却下した決定に対して準抗告裁判所が「罪証隠滅のおそれ」を認めて勾留請求却下を取り消して勾留を認めた決定について、弁護人が特別抗告した結果、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について原々審と異なる判断をした理由を何ら示さず原々審の裁判を取り消して勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認した。

 それまでも、下級審では、「罪証隠滅のおそれ」を個別具体的に判断して、勾留請求を却下したり、保釈を認めたりする裁判例があったが、最高裁が、そのような考え方を明確に認めたことで、「罪証隠滅のおそれ」があることは、「個別具体的に示される必要がある」として、保釈が認められる傾向が強まっている。

 私が、主任弁護人を務めた2014年の美濃加茂市長事件でも、逮捕当初から賄賂の授受を全面否認し、否認のまま起訴されたが、保釈請求を繰り返す中で、「罪証隠滅のおそれ」がないことを具体的に明らかにした結果、名古屋地裁は、4回目の保釈請求を却下した決定を取り消して保釈を許可した(起訴後39日目)(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このような全面否認の贈収賄事件での早期保釈は、昔では、あり得ないものだった。

 今回の事件では、東京地裁が、特捜部の勾留延長請求を却下するという、従来の特捜事件に対する裁判所の姿勢では考えられなかった判断を行うなど、身柄拘束の要件を厳格に判断する姿勢を見せていること、金商法違反で起訴されたケリー氏が、全面否認のまま既に保釈されていることなどから考えると、裁判所は、ゴーン氏の保釈請求に対しても「罪証隠滅のおそれ」の有無について、厳格に判断する可能性が高い。弁護人側が、保釈請求で、その点について具体的に説得力のある論証をすれば、早期の保釈の可能性も十分にある。

「ゴーン氏」について「罪証隠滅のおそれ」はない

 そこで問題になるのが、特別背任で起訴された場合、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれ」があると言えるのかだ。

 具体的に考えてみると、デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して、「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触も禁止している)。

 唯一、「罪証隠滅のおそれ」が考えられるとすれば、日産から送金を受けた「サウジアラビア人の知人の実業家」」(会見では「E氏」)との間で電話等による「口裏合わせ」が行われる可能性である。しかし、そもそも、大鶴氏が会見で指摘しているように、検察は、そのサウジアラビア人の聴取をしないままゴーン氏を逮捕したのであり、現在も、検察はE氏の供述を得ていない。検察官が立証を予定している「証拠」が存在しないのであるから、その罪証を隠滅すること自体があり得ない。

 しかも、大鶴氏によれば、E氏は、弁護人に対して、ゴーン氏の勾留理由開示公判とほぼ同時期に、「日産自が販売代理店の問題を解決し合弁会社設立に道を開くのを助けた」「日産から受け取ったとされる1470万ドル(約16億円)は正当な報酬」とする声明を出している。(【サウジ実業家:日産からの16億円の支払いは正当-特別背任事件】

 E氏の供述がゴーン氏の主張に沿うものであることがこの声明によって明らかになっているのであるから、E氏の供述をゴーン氏側から働きかけて有利に「変更」させる必要はない。

 これは、美濃加茂市長事件での「賄賂の授受」があったとされた会食の場の同席者(T氏)をめぐる状況と似ている。T氏は弁護人に対して「会食の場での現金の授受は見ていないし、席も外していない。」と説明し、ネット番組「ニコニコ生放送」にも出演して同趣旨の話をしていた。そのため、検察官も、T氏について「罪証隠滅のおそれ」があると主張をすることはできなかった。

「ゴーン氏」早期保釈の可能性は高い

 このように考えると、保釈請求に対して、いくら検察官が、ゴーン氏について「罪証隠滅のおそれがある」として必死に反対しても、E氏との関係で「罪証隠滅のおそれ」を認める余地はなく、それ以外に「罪証隠滅のおそれ」の具体的な可能性もないことを保釈請求で具体的に論証すれば、ゴーン氏の保釈が許可される可能性が高い。

 今日、特別背任で起訴され、再逮捕がなければ、今日中に保釈請求が行われるだろう。保釈請求をうけた裁判所から検察官への「求意見」に対して検察官の意見書が出されるのが今日の夜、保釈可否の判断は、週明けには行われることになるだろう。

 来週早々にもゴーン氏が東京拘置所から出てくる可能性は十分にある。

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「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”

平成の時代が、残り5か月余と「最終盤」に入った昨年11月19日、日産・ルノー・三菱自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏が、東京地検特捜部に、突然逮捕され、その直後、日産西川廣人社長は、緊急記者会見を開き、「ゴーン氏への権力の集中」を是正するため同氏の不正に関する社内調査結果を検察に提供したことを明らかにした。

国内だけでなく、海外からも大きな注目を集めることになった「日産・ゴーン氏事件」のその後の展開は、平成の時代における重要テーマとされてきた、企業のガバナンス・透明性、「日本版司法取引」と検察の在り方、マスコミ報道の在り方等の問題に関して、日本社会が今なお根深い問題を抱えていることを示すものとなった。

4ヵ月間の「平成最後の年」を迎え、この事件で表れた日本社会の「病理」をこのままにして平成の時代を終わりにして良いのだろうか。これらの問題の相互関係を整理しつつ、考えてみたいと思う。

「平成の30年」の企業ガバナンスへの取組みと日産経営陣の行動

第1に、西川社長ら現経営陣が、ゴーン氏を代表取締役会長の座から引きずり下ろした方法が、コーポレートガバナンスの観点からどう評価されるかという問題である。

西川氏は、逮捕直後の記者会見で、ゴーン氏への権力の集中によってガバナンスが機能していなかったことを強調した。しかし、ガバナンスの観点からまず問題とされるべきは、その西川氏らが行ったこと、すなわち、「ゴーン氏の不正」について密かに社内調査を行い、その結果を検察に情報提供して代表取締役のゴーン氏・ケリー氏の2人を検察に逮捕させ、その間に、臨時取締役会を開催して両氏の解職を議決したやり方である。

社内調査の結果把握した「絶対権力者」の不正が悪質・重大であったとしても、不正が、「会社の開示義務違反」「会社の資金の私的流用」など会社の対応や財産に関するものなのであれば、本来は、ガバナンスのルールにより、「私的自治」の範囲で解決されるべきだ。社内調査結果を取締役会に報告し、当事者に弁解・説明の機会を与えた上で、代表取締役会長の「解職動議」を出して議決するというのが本来のやり方だ。

「昭和の時代」には聞くことがなかった「コーポレートガバナンス」という言葉は、平成に入って以降、旧態依然とした日本企業の経営改革の旗印とされ、会社法や上場企業のルール整備などが行われ、日本社会の重要なテーマとされてきた。

「取締役会自体が、絶対権力者に支配されていて、不正事実を報告されても適切な議決ができない」という理由は、平成に入ったばかりの頃であればともかく、現在においては、ガバナンス無視を正当化する理由にはならないはずだ。そのような事態を防止し、対処するために、会社法上、ガバナンス上のルールが整備されてきたはずだからだ。不正事実が明白であればそれを容認することは取締役の善管注意義務違反となる。取締役会に出席する監査役は、そのような不正・善管注意義務違反を指摘し、是正するための法的権限が与えられている。それらの仕組みがあり、法的責任の追及が可能となることで、「企業経営者の暴走を抑止する」というのが、コーポレートガバナンスの仕組みだ。

西川氏らは、そのような会社法上の法的手続を無視して、社内調査結果を、取締役会での議決を経ることなく検察に持ち込み、検察の捜査権限で代表取締役二人を取締役会から強制的に排除した上で、代表の座から引きずり下ろした。まさに、会社法の規律とガバナンスを根本から否定するものだ。

組織のボスに逆らう態度をとった者は、その瞬間に、マシンガンが火を噴き物理的に抹殺されるというマフィア映画のような世界であれば、ボスに立ち向かうためには警察の力を恃むしかないということもあるだろう。しかし、日産自動車という上場企業での「ゴーン会長による独裁」を、果たして、そのようなマフィア組織と同視してよいのであろうか。

ゴーン氏ら逮捕直後の会見で、西川氏は、「内部調査によって判明した重大な不正行為は、明らかに両名の取締役としての善管注意義務に違反する」として、(1)逮捕容疑の役員報酬額の虚偽記載のほか、(2)私的な目的での投資資金の支出、(3)私的な目的で経費の支出、の3つを指摘し、11月22日の臨時取締役会で、それらを理由に、ゴーン氏・ケリー氏の代表取締役解職を議決したようだ。ゴーン氏という権力者の不正は、誰の目にも明白な「犯罪」であり、それは、検察当局の権限によって刑事処罰の対象にするしかないものだった、と言いたかったのであろう。

しかし、西川氏が言うところの内部調査の結果判明した「不正」が、明白な「犯罪」で、代表取締役解職が当然のものであったのか否か、現時点では、検察が逮捕・起訴した(1) の「役員報酬額の虚偽記載」は「退任後の報酬の支払の約束」記載の問題であることが明らかになっているだけで、(2)(3)については、検察の捜査に関わるとして、社内調査の結果すら、一切、公式には明らかにされていない。

このように考えると、西川氏ら日産経営陣がゴーン氏を代表取締役会長から追い落とした手法は、「平成の30年」の間にルールが整備され、大幅に進化したはずの日本のコーポレートガバナンスにおいて決して許容される行為でないことは明らかである。

「上場企業の透明性」の問題

第2に、日本を代表する上場企業である日産自動車に関して、株主や投資家に対して「重要な事項」が迅速かつ正確に情報開示されているのかという「上場企業の経営の透明性」の問題がある。

上場会社の財務内容に加えて、いかなる体制で、いかなる方針によって経営が行われているのかなどの企業の内容が正確に開示されることや、経営者が交代したのであれば、それがいかなる理由により、どのような手続で交代が行われたのか(辞任か解任か)が明らかにされることは、株主や投資家の判断にとっても極めて重要な事項であり、迅速かつ正確に情報開示されることが必要だ。それは、「上場企業の経営の透明性を確保する」ということだ。

「昭和の時代」は、このような上場企業の透明性確保の視点は希薄であった。そもそも、この時代は、証券市場自体が,不確実な情報と思惑が入り乱れる中で投機的な取引が横行する世界であり,企業の内部情報が「市場内の噂」となって株価に影響することも常態化していた。企業会計も「簿価会計」が原則で,上場企業であっても,含み益の実現等調整による決算対策を行うことは容易であり,公表上の損益と会社の実態との間にかい離があることも珍しくなかった。そのような状況において、「企業内容の公正な開示」に対する投資家の関心も低かった。

平成に入ってからは、90年代に多発した企業の重大な不祥事等を契機に、上場企業の透明性確保に向けての取組みが進んだ。企業の適時開示についても法律の規定だけではなく取引所のルールも充実化され、株主や投資家は、有価証券報告書等を通して、企業の内容をタイムリーに認識できるようになった。「平成の30年」は、企業内容の透明性確保のための制度が飛躍的に充実した時代だったと言える。

日産という日本を代表する上場企業に関して、会長だったゴーン氏が逮捕された昨年11月19日以降、経営体制が、ゴーン氏をトップとする体制から西川社長を中心とする体制に変わったにもかかわらず、その理由については、西川氏がゴーン氏の逮捕直後の会見で説明すると同時に日産のホームページで以下のように開示されただけで、具体的な事由は一切明らかにされていない。

社内調査の結果、両名は、開示されるカルロス・ゴーンの報酬額を少なくするため、長年にわたり、実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していたことが判明いたしました。そのほか、カルロス・ゴーンについては、当社の資金を私的に支出するなどの複数の重大な不正行為が認められ、グレッグ・ケリーがそれらに深く関与していることも判明しております。

ここで言われている「資金の私的支出などの重大な不正行為」というのが何なのか、全く明らかになっていない。しかも、この「ゴーン氏の不正が判明した」と言っているのも、当事者に弁解の機会すら与えることもなく、代表取締役3人のうちの1人の西川氏の判断だけで一方的に行ったものだ。その社内調査を持ち込まれた検察がゴーン氏らを逮捕した直後の段階で、社内調査の結果すら公表しないまま、社内調査結果で「判明した」と決めつけてしまっているが、上場企業として、そのような一方的な開示が許されるのだろうか。そして、43%余の株式を有する大株主ルノーは、当然のことながら、そのような日産現経営陣の行動を支持・容認はしておらず、今後、日産自動車の経営がどうなるのか、全く不明な状況が続いている。その一方で、ゴーン氏逮捕以降、検察や日産側のリークによると思える夥しい量の報道により、日本社会では「ゴーン氏による経営の私物化」が既定事実化し、「日産経営陣の行動の正当性」が是認されているように見える。

このように、日産自動車という上場企業について、経営者の交代の理由や今後の経営の見通しという重要な企業内容に関して、公式な開示がほとんどないまま出所不明の情報が氾濫するという異常な状況にあり、株主や投資家にとって、極めて「不透明な状況」が続いている。このような状況も、「昭和の時代」であればともかく、「平成の30年」を経た現在の日本の企業社会では許容されないはずである。

「平成の30年」に、検察をめぐって起きたこと

そのような「不透明な状況」を招いている根本的な理由は、西川社長ら日産現経営陣が、それまでの経営トップであったゴーン氏を解職すべき理由として西川氏が指摘した(1)~(3)の不正について、社内調査の結果を検察に持ち込み、ゴーン氏に対する捜査を要請し、検察が、それに応じて、日本への帰国直後のゴーン氏・ケリー氏を、いきなり逮捕したからだ。

そこで問題になるのが、西川氏らの行動を是認し、ゴーン氏らを逮捕するという判断を行った検察という組織の問題だ。

特捜部という捜査機関を抱える検察は、戦後の日本において、政治・経済を動かし、時代を変える大きな影響力を持つ存在であった。その検察をめぐって「平成の30年」にどのようなことが起きたかを振り返ってみる必要がある。

平成の時代に入ったばかりの平成元年2月、東京地検特捜部は、江副浩正リクルート会長を逮捕した。このリクルート事件の捜査展開を受けて、竹下登首相は退陣、内閣総辞職に追い込まれた。リクルート事件は、平成に入った直後の日本の政治に重大な影響を与えた。

そして、その後、90年代を通して、東京佐川急便事件、自民党金丸副総裁の脱税事件、ゼネコン汚職事件と、東京地検特捜部の捜査は、日本社会に大きな影響を与え続けた。

こうした中、検察は「正義」を実現する組織だと国民のほとんどが信じる一方で、その組織の内実は、ベールに包まれていた。

その検察の内実が露呈する重大な危機に直面したのが、平成14年(2002年)のことだった。当時、大阪高検公安部長だった現職検察官の三井環氏が、「検察庁が国民の血税である年間5億円を越える調査活動費の予算を、すべて私的な飲食代、ゴルフ代等の『裏金』にしていることを、現職検察官として実名で告発する・・・」として証言するビデオ収録当日の朝に、競売で取得した神戸市のマンションに居住の実態がないのに登録免許税を軽減させた「詐欺」の容疑で任意同行を求められそのまま逮捕された。マスコミからは「検察による口封じ」と批判された。

そして、平成22年(2010年)、大阪地検特捜部が、厚生労働省の現職局長だった村木厚子氏を逮捕・起訴した郵便不正事件で、検察官による不当な取調べが問題とされて検察官調書の大半の証拠請求が却下され、無罪判決が言い渡され、その直後、主任検察官が、証拠のフロッピーディスクを改ざんしていたことが発覚、検察を揺るがす大不祥事となった。一方、東京地検特捜部では、陸山会事件での小沢一郎氏に対する捜査の過程で、同氏の秘書だった石川知裕氏の取調べでの供述内容について虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢氏に対する起訴議決に誘導しようとしていた事実が発覚。虚偽公文書作成罪での関係者の告発が行われた。

検察は、大阪地検特捜部の事件で主任検察官を証拠隠滅、特捜部長・副部長を犯人隠避で逮捕・起訴し、特異な主任検察官と特捜部幹部による「特異な事件」として決着させる一方、東京地検特捜部の問題については「捜査報告書の虚偽」は「記憶違い」だとして関係者全員を不起訴とし、主任検察官だけが辞職することで、事件を決着させた。

大阪地検の不祥事を受けて、法務省には「検察の在り方検討会議」が設けられた(筆者も委員として加わった)。不祥事の反省を踏まえた「検察改革」の一環として、「検察の理念」も制定・公表された。検察改革は、その後、村木氏も加わった法制審議会特別部会で議論され、検察官の取調べの録音・録画を義務化する一方、新たな捜査手法として「日本版司法取引」を導入する刑事訴訟法改正が行われた。

一連の不祥事で信頼を失ったことの影響で、その後、検察捜査が社会の耳目を集めることはほとんどなく、特捜部は「鳴かず飛ばす」の状況が続いていたが、東京地検特捜部は、2018年3月に大手ゼネコン元幹部を逮捕・起訴した「リニア談合事件」に続いて、日産・ルノー・三菱自動車のゴーン会長を逮捕した今回の事件で、国内のみならず、海外からも大きな注目を集めることになった。

一方、大阪地検特捜部が、不祥事以降初めての本格的な検察独自捜査に着手したのが、2014年11月に、大阪国立循環器病研究センターの医療情報部長を逮捕した「国循官製談合事件」だった。

このように、検察が、日本社会に大きな影響を与える一方で、検察組織としての重大な問題が表面化し、組織そのものの信頼が揺らいだのが「平成の30年」であった。

検察は、不祥事を反省し、「健全な組織」になったのか

「国循官製談合事件」については、検察に起訴された桑田成規氏は無罪を主張したが、2018年3月に大阪地裁で有罪判決が言い渡された。私は、控訴審から桑田氏の弁護人を受任し、控訴趣意書を大阪高裁に提出した。この事件で、検察が行ったことの不当性、社会を害する程度が、「村木事件」にも匹敵するものであることは、【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で詳述している。

では、東京地検特捜部が行った今回のゴーン氏の事件の捜査と、それに関する検察組織の対応はどう評価されるのか。

「平成の30年」の終わりを迎え、検察が「検察の理念」を実現できる健全な組織になったと言えるのだろうか。

第1に、今回の事件の中身の問題である。

刑事立件された事件は、(1)2015年3月までの5年間の有価証券報告書の虚偽記載、(2)2018年3月期まで3年間の有価証券報告書の虚偽記載、(3)ゴーン氏のデリバティブの評価損の日産への付け替えの特別背任、(4)サウジアラビア人の会社への支出の特別背任、このうち、(1)が既に起訴されており、それに続く再逮捕事実とされた(2)については、裁判所が勾留延長請求を却下し、現在も処分未了であり、(3)と(4)は、(2)での勾留延長請求を受けて急遽、ゴーン氏を再逮捕した事実であり、1月11日に勾留延長満期を迎える。

このうち、(1)、(2)は、「退任後の報酬支払の約束」についての不記載を問題にするものだが、退任後のコンサル、競業避止等による報酬を受ける「希望」ないし「計画」に過ぎず、役員報酬として有価証券報告書に記載義務はないのではないか、役員報酬の記載が虚偽記載の問題とされたことは過去に例がなく、しかも、退任後の報酬の問題であり、罰則の対象となる「重要事項」には当たらないのではないか、との重大な疑問がある(【役員報酬「隠蔽」は退任後の「支払の約束」に過ぎなかった~ゴーン氏逮捕事実の“唖然”】)。

また、(2)については、直近2年分については西川社長がCEOであり、有価証券報告書の作成・提出義務者で、しかもゴーン氏の退任後の報酬についての合意書に署名していたとされる西川社長の刑事責任の問題は避けては通れない。西川氏中心の日産経営陣側と連携して虚偽記載でゴーン氏、ケリー氏のみの刑事責任を追及しようとしている検察捜査には重大な疑問がある(【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】)。

(3)は、単に「評価損」を一時的に、日産という企業の信用下に置いただけで、損失が現実化した時にはすべてゴーン氏が負担しており、「損失の発生」が考えられないのに、背任罪の構成要件の「損害を発生させた」と言えるか重大な疑問があり、少なくとも、過去に、現実の損害が発生していない事例で背任罪が適用された事例は全くない。

(4)については、支払先のサウジアラビア人という直接の当事者本人から、支払を受けた理由についての供述を確認しなければ、レバノン国籍を持つゴーン氏自身の人脈の中東における日産の販路拡大への活用などとの関係で、支払が日産会長としての任務に背くものかどうかが明らかにならない。日産社内の担当者の証言等から、ゴーン氏の裁量で支出できるとされていた「CEO直轄費」の創設や支出自体が不正なものであったと認定できるとすれば、そのような不正な支出が、なぜ、日産の内部統制や監査法人の会計監査で指摘されなかったのかに疑問が生じる。また、「不正の支出」であれば、日産がゴーン氏に関して行った社内調査でなぜ明らかにならなかったのかも疑問だ(【ゴーン氏特別背任逮捕は、追い込まれた検察の「暴発」か】)。

結局、(1)~(4)のいずれも、経済犯罪に対する常識的な見方に照らして、刑事事件としてまともなものは何一つない。無理筋の事件を強引に立件したと言わざるを得ない事件ばかりだ。

第2に、このような事件で、国際的な経営者であるゴーン氏をいきなり逮捕するという、常識では考えられない行動をとったことに関する、検察組織の姿勢だ。上記(2)の事実について、東京地裁が勾留延長請求を却下したことへの検察幹部の反応について、それまで「従軍記者」のような立ち位置で、検察の捜査現場や検察幹部を「密着取材」してきた朝日新聞の記事【検察幹部「はしご外された」 ゴーン前会長今後の動きは】(11月21日)で、以下のように書かれている。

「裁判所は、検察と心中するつもりはないということだ。はしごを外された」検察幹部は東京地裁の決定に対し、こう漏らした。日本の刑事司法における「長期勾留」を海外メディアが批判していたこともあり、ある程度は警戒していた。「国際世論に配慮して早期釈放すれば、『日本の裁判所は検察と違う』と英雄視されるから」

日本の刑事司法においては、検察が起訴した事件について有罪率は99.9%にも達する。まさに検察が「正義」を独占し、裁判所は、その検察の正義を追認するだけの構図だったことは確かであり、特に、特捜事件については、裁判所が検察の主張を否定することはほとんどなかった。それが当然だという検察側の認識が、上記の記事の「はしごを外された」という検察幹部の発言に表れている、無理筋の上に無理筋を重ね、それに対して裁判所がくだした「当然の判断」に反発するというのは、検察の驕りを端的に表している。

第3に、検察の「説明責任」に対する姿勢である(【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】)。

一般的に言えば、刑事事件については、「捜査の秘密」や「公判立証への影響」が重視される関係で、事件の内容に関する情報開示に大きな制約がある。刑事事件の関係者は、捜査機関側から、捜査の対象となっている事件の内容を公にしないことを強く求められる。

一般的には、刑事司法の対象としての「犯罪」は、殺人・強盗・窃盗などのように、社会、経済の中で一般的に生じる事象とは異質な「犯罪行為」そのものであり、処罰すべきか否かを判断する余地はない。犯罪があれば、犯人を処罰するのが当然であり、その犯人が誰なのか、その証拠があるのか、そして、その犯罪の情状つまり、「犯罪に至った事情」を考慮して、「処罰の程度」を判断するのが刑事司法の役割だ。そのような「伝統的犯罪」の領域であれば一切の情報を開示せず、説明責任を果たさないという対応も致し方ないのかもしれない。

しかし、特に、特捜部が扱う事件は、そのような「伝統的犯罪」とは異なり、一般の社会や経済で起きる事象について、政治家・官僚・企業人など、社会の中心部で活動する人間が摘発の対象とされ、社会生活や経済活動に対しても重大な影響を与える。しかも、殺人事件のように「発生した事件の犯人を検挙する」というのではなく、検察独自の判断で、刑事事件としての立件を判断する。そのため、同種の事象が世の中に多数存在している中で、なぜそれだけを刑事事件として取り上げたのか、他の同種の行為とどう違うのかについて疑問が生じることになる。

例えば、2006年のライブドア事件で東京地検特捜部が行った「突然の強制捜査」は、翌日、東証が1日システムダウンするほどの重大な経済的影響を与えた。2009年の陸山会事件で、当時の野党第一党であった小沢一郎民主党代表の秘書3人を政治資金規正法違反で逮捕した事件は、その後の日本の政治にも重大な影響を与えた。

これらの事件については、他の同種の事象との比較で、なぜ、それらの事件だけを刑事事件として取り上げたのかについて検察の「説明責任」が問題とされたが、検察は説明責任を一切果たしてこなかった。

特捜検察と「利益共同体」とも言える司法メディアは、検察に公式の説明責任を求めようとせず、取材源である「検察幹部」が非公式に述べた意見や考え方をそのまま、匿名で無批判に伝えるというのが従来のやり方だった。 そのようなマスコミの姿勢もあって、「検察の正義」の象徴とも言える特捜事件についても、社会への説明責任を一切果たさない検察の姿勢が容認されてきた。

ゴーン氏の事件については、国際的にも注目を集めていることに配慮したのか、東京地検次席検事が、外国メディアの参加も認める「記者会見」を何回か行ってきた。しかし、撮影・録音は一切禁止、しかも、事件の内容に関すること、検察の対応や処分の理由に関することについては、すべて「答えを差し控える」として説明を拒絶するなど、単に、「記者を集めて質問を受ける場」を作ったに過ぎず、凡そ「記者会見」と呼べるようなものではない。

日本版司法取引と「日産・ゴーン氏事件」

そして、第4に、「日本版司法取引」との関係である。

「日本版司法取引」は、従来の検察捜査が、取調べと供述調書中心で、それが、大阪地検不祥事のような大きな問題を引き起こした反省を踏まえて、従来の捜査手法に頼らない、新たな捜査手法として導入が図られたものだ。その本来の目的からすると、捜査を透明にし、公正さを確保する方向に働くはずだった。

昨年(2018年)6月の施行以降、適用例は、三菱日立パワーシステムズに対する1件だったが、今回のゴーン氏の事件では、逮捕直後から、日産側と検察との司法取引が、大きな成果を挙げた事件であるかのようにマスコミで取り上げられた。どう考えても無理筋と思える上記(1)の事件で検察がゴーン氏を逮捕したことの背景に、日本版司法取引を世の中にアピールしたい検察の思惑があったという可能性もある。

しかし、今回の事件を見る限り、「日本版司法取引」は、検察捜査の透明性を確保するどころか、捜査を一層不透明にする方向に作用しているとしか思えない。

それは、米国では一般的な「自己負罪型司法取引」(被疑者・被告人本人が自らの罪の一部を認める代わりに他の罪の処罰をしない旨の検察官との合意)を導入せず、「他人負罪型」(他人の犯罪についての捜査公判についての協力の見返りに、自己の犯罪の処罰を軽減する合意)のみ導入した「日本版司法取引」の構造的な問題だと言える。

アメリカの「自己負罪型」であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし「他人負罪型」は、その「他人」の刑事事件の捜査の結果、その他人が起訴され、公判が開かれなければ、どのような司法取引が行われたのかが明らかにならない。そういう意味で、日本版司法取引は、米国の制度と比較すると、非常に不透明な制度だと言える。

司法取引の中身が、世の中に明らかにならず、社員に司法取引に応じるよう働きかけたはずの日産側にも、刑事事件として立件されるのがどの範囲になるのかが見通しが立たず、司法取引を仲介した弁護士の判断などに依存せざるを得ないというのは、「日本版司法取引」の不透明性によるものと言える(【ゴーン氏事件、日産の「大誤算」と検察の「大暴走」の“根本的原因”】)。

結局、今回の事件を見る限り、特捜捜査で刑事事件として立件すべきかどうかについて、検察組織に適正な判断が行えているとは到底考えられないし、不祥事への反省から「検察の理念」を策定したにもかかわらず、独善的な考え方は、何一つ変わっておらず、説明責任を果たすことへの消極姿勢も変わっていない。

それに加え、旧来の捜査手法に代わるものとして導入された「日本版司法取引」によって検察捜査は一層不透明なものになっていると言わざるを得ない。

ゴーン氏事件での「犯人視・有罪視報道」

ゴーン氏逮捕直後から、検察或いは日産側からのリークによると思える夥しい量の「ゴーン叩き報道」が行われ、社会全体には「ゴーン=強欲=悪党」というイメージが定着し、ゴーン氏が代表取締役会長を解任されたことが当然のことのように認識されている。

一方で、企業のガバナンスとしては許容する余地がないはずの日産経営陣のクーデターに対する批判的なマスコミ報道はほとんどない。検察がゴーン氏らを逮捕したことで、ゴーン氏に対するバッシング報道一色と化し、「推定無罪の原則」を無視した犯人視・有罪視報道が横行した。日産経営陣は、「検察の正義」という後ろ盾を得たことで、「クーデター」に対しても、その正当性に疑問を持たれることはほとんどなかった。

「平成の30年」は、「犯人視・有罪視」報道が「推定無罪の原則」との関係で反省を迫られ、マスコミの世界では、その是正が大きな課題とされてきた時代だったはずだ。しかし、今回の事件についての報道を見る限り、そのような取組みの成果はどこに行ってしまったのかと思わざるを得ない。

「昭和の時代」の終わり、財田川事件・免田事件等、再審無罪事件が相次いだことで、それまで「呼び捨て」だった逮捕された容疑者は、ようやく「肩書」や「容疑者」を付けて報道されるようになった。そして、平成に入ってから、ロス疑惑事件、松本サリン事件など、「犯人視報道」が問題となる事件が相次ぎ、司法制度改革の目玉として裁判員制度が導入されることになって、日本新聞協会は、2008年に、事件報道についての統一的な取材・報道指針を策定し、その中で、被疑者の権利を不当に侵害する「犯人視・有罪視報道」を行わないこと、検察官と被疑者・被告人の主張を対等に扱う「対等報道」の重要性が確認された。

そして、一審で無罪が確定した村木厚子氏の事件での「犯人視・有罪視報道」については、マスコミ各社が、逮捕当初の報道について検証するなど、この事件での報道への反省が、それ以降の特捜事件の報道に活かされるはずだった。

しかし、今回のゴーン事件に関する報道を見る限り、その大部分は、検察や日産側の情報によって、ゴーン氏の犯人性、悪質性を印象づけようとするものであり、形式的に「捜査関係者によると」「特捜部はみている」などという言葉は書かれていても、実質は、「犯人視・有罪視報道」と変わらない。特にひどいのが、年初以降の、特別背任についての記事である。

例えば、【機密費創設はゴーン被告指示、中東各国に流れる】と題する1月2日の読売新聞の記事である。

ゴーン被告がサウジアラビアの知人側に提供した「機密費」は、ゴーン被告の指示で2008年12月頃に創設されたことが関係者の話でわかった。機密費がサウジ以外の中東各国の関係先に流れていたことも判明。東京地検特捜部は、私的損失で多額の評価損を抱えたゴーン被告が、その穴埋めなどに利用するため、自身の判断で使える資金を用意させたとみている。

と書かれているが、機密費を創設したのがゴーン氏だったとしても、また、それが中東各国の関係先に流れていたとしても、それが、なぜ、「評価損の穴埋め」に使われることになるのか全く不明だ。ゴーン氏の説明を聞かなければ、その点は判断できないはずだ。しかも、その評価損が日産に付け替えられたことが前記(1)の特別背任とされるのであれば、その損失を日産に負担させる意図だったとされているはずであり、そうであれば「穴埋め」の資金は必要ないはずだ。「東京地検特捜部の見方」を伝える記事として「誤り」ではない。しかし、露骨に「ゴーン氏が有罪との印象」を与える記事であることは間違いない。

このような「有罪の印象操作」とも言える報道によって、私のような実体験を持つ者は別として、基本的に「検察の正義」を信じる多くの国民には、次第に印象が既定事実化していく。そして、それは「有罪の印象」を前提にした識者の談話等によってさらに増幅されていく。

例えば、朝日の記事(11月29日)では、ゴーン氏の役員報酬に関して、以下のように報じている。

約20億円の報酬のうち毎年開示するのは約10億円にとどめ、差額の約10億円を退任後に受け取ることにしたとされる点について、「(公表したら)従業員のモチベーションが落ちると思った」と話していることが関係者への取材でわかった

この記事自体は、役員報酬についてのゴーン氏の説明をほぼ正確に伝えたものだろう。

ゴーン氏は、「退任後の報酬」についての虚偽記載を否認し、退任後の報酬についての「希望」ないし「計画」であって確定したものではないと主張しているのであり、「従業員のモチベーションが落ちる」というのは、ゴーン氏の主張を前提にすれば、自らの権限で受領できたはずの役員報酬を敢えて半分に減額し、その分を、確定していない退任後の報酬の「希望」に回した理由の説明のはずだ。

ところが「従業員のモチベーションが落ちる」という理由の説明は、「役員報酬虚偽記載の理由」であるかのように受け止められ、それを前提に識者が批判したりしているのである。まさに、マスコミの「印象操作」的報道によって、識者も「有罪」の印象を持たされて談話を述べているということであろう。

4つの問題の相互関係

「日産・ゴーン氏事件」で、コーポレートガバナンス、企業の透明性、検察の在り方、マスコミ報道の4つに関して起きたことは、相互に深く関連している。

西川社長らが、「ゴーン氏の不正」についての社内調査の結果を、検察に持ち込み、ゴーン氏・ケリー氏が不在の取締役会において、代表取締役会長を解職したことは、コーポレートガバナンスとして許容できることでは決してない。

捜査と刑事手続という「不透明なプロセス」に委ねたことで、逮捕後1か月半が経過しても、西川社長が会見で述べたゴーン氏の「不正」の具体的な内容はほとんど明らかになっておらず、それについて公式な説明・開示は全く行われないという「極めて不透明な状況」を招いていることも、上場企業としてあり得ない事態である。

しかし、日産現経営陣は、コーポレートガバナンスを無視したやり方についても、上場企業としてあり得ない不透明さも、批判されることはほとんどない。

それは、検察のゴーン氏逮捕で、西川氏ら日産現経営陣が「検察の正義」という後ろ盾を得たからである。検察の判断は「正義」であり、検察が逮捕という判断をしたことで、ゴーン氏は犯罪者の「烙印」を押された。それによって、「会社経営から犯罪者を排除することは正当な行為であり、コーポレートガバナンスの問題ではない」という認識になる。確かに、刑事司法全体としては、99.9%の有罪率に表れているように。検察の判断は、ほとんどが、そのまま裁判所の司法判断となる。検察が独自捜査で自ら逮捕した以上不起訴になることはあり得ず(【検察の「組織の論理」からするとゴーン氏不起訴はあり得ない】)、裁判でもほぼ間違いなく有罪になるとの予測は一般的には正しい。

しかし、果たして、検察組織の決定は、絶対的に正義だと言えるのだろうか。

ゴーン氏のような事件についても、検察の判断を絶対的に「正義」と信じてよいのであろうか。殺人事件であれば、その事実がある限り、その犯人が社会から排除されることも当然であるが、経済犯罪・経済法令違反というのは、必ずしも、そのようなものではない。ゴーン氏の「罪状」は、日産が会社として提出すべき有価証券報告書の記載の問題、会社に評価損を付け替えたことが、損失を生じさせたことになるか否か、中東の知人の会社への支出が、会長の任務に反しているかどうかという、本来会社の「私的自治」に委ねられる問題である。それに加えて、前記のように(1)~(4)の各事実については、常識的に考えても、刑事事件として立件すべき問題なのかどうか重大な疑問があるのである。検察の判断は絶対的に正義だという思い込みで考えるべきとは到底言えない問題であろう。しかも、既に述べたように、平成の歴史の中では、「検察の正義」への信頼を揺るがす問題・不祥事は、実際に何回も起きているのである。

それにもかかわらず、「東京地検特捜部によるゴーン氏逮捕」で、コーポレートガバナンスも、企業の透明性も、すべて無視されることになるのは、マスコミの「推定無罪の原則」を無視した「犯人視・有罪視報道」によるところが大きい。それが、「平成の時代」を通して、経済社会の重要なテーマであったはずのコーポレートガバナンスや企業の透明性に関する思考を停止させ、西川氏ら日産経営陣の行動を容認することにつながっている。

しかし、逆に言えば、「検察の正義」への過信と、マスコミの「犯人視・有罪視報道」で、簡単に歪められてしまうところに、日本の「コーポレートガバナンス」が極めて脆弱で、「企業内容の透明性」も「見せかけだけのもの」であることが表れている。

それらが、平成最後の4ヵ月を迎えた日本社会の「病理」と言えるのである。

 

 

 

 

カテゴリー: コンプライアンス問題, マスコミ, 司法取引, 日産問題, 検察問題 | 2件のコメント

「従軍記者」朝日の“値千金のドキュメント”が描く「検察の孤立化」

東京地検特捜部が日産のカルロス・ゴーン会長を逮捕した事件については、(1)突然の逮捕、(2)逮捕容疑は、実際に支払われた役員報酬ではなく、「退任後の支払の約束」に過ぎなかったこと、(3)再逮捕事実が、当初の逮捕事実と同じ虚偽記載の「直近3年分」だったこと、(4)再逮捕事実による勾留延長請求を、東京地裁が却下したこと、(5)延長請求却下の翌日に、特捜部がゴーン氏を特別背任で再逮捕したこと、という「衝撃」が繰り返されてきた。

私は、その都度、明らかになった衝撃の事実を解説する記事を書いてきた。

その私にとって、特別背任による再逮捕の翌日の朝日新聞朝刊2面に掲載された【(時時刻刻)特捜、特別背任に急転換 「虚偽記載は形式犯」批判に反発 ゴーン前会長再逮捕】という記事の内容は、この事件の展開や内容に関して、これまで繰り返されてきた「衝撃」に匹敵するほどの「驚き」だった。

朝日記事で明らかになった特別背任再逮捕に至る経緯

朝日の記事では、検察が特別背任による再逮捕に至った経緯について、次のように書かれている。

 「特別背任は、20日の地裁決定まではやらなくてもいいと思っていた。だが今はやるべきだと思っている」

ゴーン前会長に会社法違反(特別背任)容疑を適用した21日、検察幹部は言った。翻意の理由は、勾留延長を退けた「裁判所の仕打ち」だと説明した。

東京地検特捜部は6月ごろから捜査を開始。司法取引した日産幹部の聴取や資料分析を重ね、ゴーン前会長による「会社の私物化」の事件化を目指した。日産側が購入した海外の高級住宅の私的利用など、背任が疑われる話もあった。しかし、確実に立件できる「本丸」と判断したのは、2010~17年度の8年間で約91億円にのぼった「報酬隠し」だった。

適用したのは金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)だ。前半5年と後半3年に分けて逮捕し、20日間ずつ勾留する方針を立てた。最初の逮捕は11月19日。検察幹部は「事件として立つのはこれだけだ」と述べ、年内の捜査終結をにおわせていた。

だが、隠した報酬は退任後に支払う仕組みであり、前会長はまだ受領していないことが報じられると、「形式犯だ」「特別背任が実質犯なのに、できなかった」との批判が噴出した。

それでも検察幹部らは「ガバナンス(企業統治)が重視される時代の潮流に乗った新しい類型の犯罪。投資家や株主を欺く重罪だ」と意に介さなかった。

11月27日付朝刊で朝日新聞が「私的損失 日産に転嫁か」との見出しで、今回の特別背任の容疑の一部を報じた際も、検察幹部らは「推定無罪の原則は忘れないように」と話し、立件には消極的な姿勢だった。

潮目が変わったのは、報酬の虚偽記載の後半3年分で再逮捕した12月10日以降だった。国内外のメディアが「長期勾留」批判を繰り返す中、世論を意識した地裁が勾留延長を認めないのではないかという観測が、検察庁内に広まった。「特別背任」カードを切るための検討が具体化した。

地裁は勾留期限の20日、延長請求を却下。検察側の準抗告も棄却した。地裁は21日、5年分と3年分を「事業年度の連続する一連の事案」と判断したと説明した。地裁が棄却の理由を明らかにするのは異例だ。

地裁の判断は、後半3年の捜査について「簡単に終えられるでしょう」というメッセージのようだった。法律の素人ならともかく、同じ法律家の裁判官まで「報酬の虚偽記載は形式犯」という見方を示したと検察は受け取った。

このままではこの事件の価値が軽んじられる――。検察幹部は「そこまでいうなら、裁判所が『実質犯』と考える特別背任もやるということだ」と話した。

特別背任再逮捕に至る経緯についての私の「推測」

その記事が出る数時間前の21日夕刻、特別背任による再逮捕を受け、私は【ゴーン氏特別背任逮捕は、追い込まれた検察の「暴発」か】と題するブログを出した。

前日の勾留延長請求却下から、急転直下、再逮捕となり、なかなか頭の整理をするのも大変だったが、それまでの捜査の経緯を振り返り、その「衝撃的な事態」について、その時点で推測できることを書いた。

もし、特別背任が立件可能なのであれば、当初の逮捕事実で起訴した12月10日の時点で、特別背任で再逮捕したはずだ。ところが、再逮捕事実が、2018年3月期までの直近3年間の同じ虚偽記載の事実だった。また、20日の勾留期間が年末年始にかかる12月10日以降に新たな事実で再逮捕すれば、年末年始休暇返上で捜査を継続することになり、各地から集められている多くの応援検事を年末年始に戻さず留め置くことになる。これらのことから考えても、12月10日の時点で特別背任の刑事立件が可能と判断していたのであれば、その時点で、特別背任で再逮捕していたはずである。

このような捜査の経緯から考えても、12月10日の時点では、特別背任の容疑について、刑事立件が予定されていたとは思えないと指摘した。

そして、 直近3年間の虚偽記載という再逮捕事実で勾留延長を請求して却下され、準抗告まで行っていることからすると、再逮捕後の10日間の捜査によって、特別背任の立件が可能になったとも考えられない。特別背任での再逮捕は、勾留延長請求の却下を受けて急遽決定されたものと思われた。

朝日の記事は、20日の勾留延長却下決定までは、特別背任による再逮捕をする予定ではなかったが、却下決定という「裁判所の仕打ち」を、裁判所が「報酬の虚偽記載は形式犯」という見方を示したと受け止めて、急遽、再逮捕することにした、としている。それは、私の推測の根幹部分を「検察幹部の発言」によって裏付けるものだった。

一つの新聞の記事に過ぎないと言っても、羽田空港でのゴーン氏逮捕を映像付きで速報するなど、検察内部に深く食い込み、現場の動きをいち早くつかんで、まさに「従軍記者」さながらの取材報道をしてきた朝日新聞の記事だけに、信ぴょう性は高いと見るべきであろう。

最大の問題は、このような経緯で、検察が、特別背任による再逮捕を行ったことが正しかったのかどうかだ。

再逮捕容疑事実に対する“重大な疑問”

その後の報道によれば、その逮捕容疑の概要は、以下のようなもののようである

ゴーン氏は、10年前の2008年、リーマンショックの影響でみずからの資産管理会社が銀行と契約して行った金融派生商品への投資で18億5000万円の含み損を出したため、新生銀行から担保の追加を求められ、投資の権利を日産に移し損失を付け替えた。その付け替えが日産の取締役会の承認を経ておらず違法ではないかということが証券取引等監視委員会の新生銀行の検査の際に問題にされ、結局、この権利は、ゴーン氏の 資産管理会社に戻された。

その権利を戻す際に、サウジアラビア人の知人の会社が、担保不足を補うための信用保証に協力した。平成21年から24年にかけて、日産の子会社から1470万ドル(日本円でおよそ16億円)が送金された。

このうち、損失を付け替えたことが第1の特別背任、サウジの知人に送金したことが第2の特別背任だというのが検察の主張のようだ。しかし、報道によって明らかになった事実を総合すれば、二つの事実について特別背任罪で起訴しても、有罪判決を得ることは極めて困難だと考えられる。検察は、ここでも日産秘書室長との司法取引を使おうと考えているのかもしれないが、そうなると、「日本版司法取引」の制度自体の重大な問題が顕在化することになる。

第1については、新生銀行側が担保不足への対応を求めたのに対して、ゴーン氏側が、「日産への一時的な付け替え」で対応することを提案し、新生銀行がこれに応じたが、証券取引等監視委員会による銀行への検査で、新生銀行が違法の疑いを指摘されて、新生銀行側が日産に対して再度対応を求め、それが日産社内でも問題となり、結局、短期間で「付け替え」は解消され、日産側には損失は発生していないようだ。それを、「会社に財産上の損害を発生させた」特別背任罪ととらえるのは無理がある。

確かに、その時点で計算上損失となっている取引を日産に付け替えたのだとすれば、その時点だけを見れば、「損失」と言えなくもない。しかし、少なくとも、その取引の決済期限が来て、損益が確定するまでは、損失は「評価損」にとどまり、現実には発生しない。不正融資の背任事件の場合、融資した段階で「財産上の損失」があったとされるが、それは、その時点で資金の移動があるからであり「評価損」の問題とは異なる。ゴーン氏側が、「計算上損失となった取引を、一時的に、日産名義で預かってもらっていただけで、決済期限までに円高が反転して損失は解消されなければ、自己名義に移すつもりだった」と弁解した場合、実際に、損失を発生させることなくゴーン氏側に契約上の権利が戻っている以上、「損害を発生させる認識」を立証することも困難だ。

第2については、サウジアラビア人の会社への支出は、当時CEOだったゴーン氏の裁量で支出できる「CEO(最高経営責任者)リザーブ(積立金)」から行われたもので、ゴーン氏は、その目的について、「投資に関する王族へのロビー活動や、現地の有力販売店との長期にわたるトラブル解決などで全般的に日産のために尽力してくれたことへの報酬だった」と供述しているとのことだ。実際に、そのような「ロビー活動」や「トラブル解決」などが行われたのかどうかを、サウジアラビア人側の証言で明らかにしかなければ、その支出がゴーン氏の任務に反したものであることの立証は困難であり(「販促費」の名目で支出されていたということだが、ゴーン氏の裁量で支出できたのであれば、名目は問題にはならない)、そのサウジアラビア人の証言が得られる目途が立たない限り、特別背任は立件できないとの判断が常識的であろう。

検察は、サウジアラビア人の聴取を行える目途が経たないことから、特別背任の立件は困難と判断していたと考えられる。サウジアラビア人の証言に代えて、検察との司法取引に応じている秘書室長が、「支出の目的は、信用保証をしてくれたことの見返りであり、正当な支出ではなかった」と供述していることで、ゴーン氏の弁解を排斥できると判断して、特別背任での再逮捕に踏み切ったのかもしれない。

しかし、そこには、「司法取引供述の虚偽供述の疑い」という重大な問題がある。

この秘書室長は、ゴーン氏の「退任後の報酬の支払」に関する覚書の作成を行っており、今回の事件では、それが有価証券報告書の虚偽記載という犯罪に該当することを前提に、検察との司法取引に応じ、自らの刑事責任を減免してもらう見返りに検察捜査に全面的に供述している人間だ。そのような供述には、「共犯者の引き込み」の虚偽供述の疑いがある。そのため、信用性を慎重に判断し、十分な裏付けが得られた場合でなければ、証拠として使えないということは、法務省が、刑訴法改正の国会審議の場でも繰り返し強調してきたことだ。

「覚書」という客観証拠もあり、外形的事実にはほとんど争いがない「退任後の報酬の支払」に関する供述の方は、有価証券報告書への記載義務があるか否かとか、「重要な事項」に当たるのか否かなど法律上の問題があるだけで、供述の信用性には問題がない。しかし、秘書室長の「サウジアラビア人の会社への支出」の目的について供述は、それとは大きく異なる。ゴーン氏の説明と完全に相反しているので、供述の信用性が重大な問題となる。

その点に関して致命的なのは、この支払については、日産側は社内調査で全く把握しておらず、「退任後の報酬の支払」の覚書について供述した秘書室長が、この支出の問題については、社内調査に対して何一つ話していないことだ(上記朝日記事でも、「再逮捕は検察独自の捜査によるもので、社内調査が捜査に貢献するという思惑通りにはなっていない」としている。)。

秘書室長は、検察と司法取引する前提で、社内調査にも全面的に協力したはずであり、もし、このサウジアラビア人に対する支出が特別背任に当たる違法行為だと考えていたのであれば、なぜ社内調査に対してそれを言わなかったのか。「その点は隠したかった」というのも考えにくい。この支出が特別背任に当たり、秘書室長がその共犯の刑事責任を負う可能性があるとしても、既に7年の公訴時効が完成しており、刑事責任を問われる余地はないからである(ゴーン氏については海外渡航期間の関係で時効が停止していて、未完成だとしても、その時効停止の効果は、共犯者には及ばない)。

結局、秘書室長の供述の信用性には重大な問題があり、ゴーン氏の説明・弁解を覆して「サウジアラビア人への支出」が不当な目的であったと立証するのは極めて困難だと言わざるを得ない。

検察が従前、再逮捕についての消極的姿勢だったことには十分な合理性があったと考えられる。

朝日記事が持つ意味とその影響

結局のところ、今回の再逮捕容疑の特別背任は、起訴しても有罪に持ち込めるような事件だとは思えない。

そういう意味で、朝日記事の「特別背任は、20日の地裁決定まではやらなくてもいいと思っていた。」という検察幹部の言葉は、「やろうと思えばやれるがやらない」という意味ではなく、事件の内容・証拠関係から、特別背任で起訴すること、有罪判決を得ることは難しいと判断をしていたという意味であり、それは、合理的な判断だったと言える。

ところが、朝日記事によると、検察組織として、一旦は、特別背任は立件しないという方針を固めていたのに、裁判所の勾留延長却下決定を「仕打ち」と受け止め、急遽、再逮捕する方針に変わったというのである。

しかも、そのような方針転換をした理由についての検察幹部の言葉が「新聞の活字」として露わになった。

日本の刑事司法においては、検察が「正義」を独占し、裁判所は、極端に検察寄りだったことは事実であり、特に、特捜事件については、裁判所が検察の主張を否定することはほとんどなかった。しかし、「裁判所は検察の言いなりになっていれば良い」というようなことを検察幹部が新聞記者にあからさまに言ってのけるというのは、検察の驕りを端的に表している。朝日記事は、そのような「検察の傲慢」を、そのまま活字に表現したのだ。

裁判所が、今回、特捜事件では異例の勾留延長請求却下に加えて、検察の準抗告棄却決定の理由を公表するという異例の措置をとったことからも、裁判所特捜事件に対する姿勢は従来とは異なったものになりつつある。

朝日記事は、検察が、裁判所の適切な判断に対して不当に「反発」して、無理筋の特別背任による再逮捕という「暴挙」に至ったことを明らかにした。それは、検察が、従来、「『検察の正義』を追認するだけの存在」として見下していた裁判所から厳しいチェックを受けること、これまで「従軍記者」と考えていた司法メディアからも冷ややかな目で見られることで、「孤立化」の様相を深めつつある状況をリアルに描いたものとも言えるのである。

そういう意味で、今回の朝日記事は、日産・ゴーン氏事件の今後の展開のみならず、検察が「正義」を独占してきた日本の刑事司法の構造自体を変えていくことに対しても影響を与える「値千金のドキュメント」と言えるだろう。このような記事を書くことが可能となったのは、朝日新聞が、ゴーン氏逮捕以来、まさに「従軍記者」のように、捜査の現場や検察幹部に「密着」して取材をしてきたこと、それによって、検察側から「本音」を聞き出せる立場にあったからである。

このようなメディアと検察との「距離の近さ」は、これまで多くの事件で、検察捜査が無批判に報道され、その権力の暴走を許す原因ともなってきた。しかし、今回は、それが、検察捜査の経過と内部での方針決定の内幕をリアルに描くことで、検察の暴走に歯止めをかける方向に作用するかもしれない。

 

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ゴーン氏特別背任逮捕は、追い込まれた検察の「暴発」か

東京地検特捜部は、ゴーン氏、ケリー氏の再逮捕事実での勾留の延長を、東京地裁に請求したが却下され、準抗告も棄却されて、両氏の再逮捕事実の勾留は、12月20日で終了し、両氏は、当初の逮捕勾留事実での「起訴後の勾留」だけとなった。

今日にも、弁護人が保釈請求し、ゴーン氏の保釈の可能性が高まったと見られていた矢先、衝撃のニュースが飛び込んできた。

特捜部が、ゴーン氏を特別背任で逮捕したというのだ。

再々逮捕容疑に関する疑問

逮捕容疑は、
(1)ゴーン氏の資産管理会社と銀行の間の通貨のデリバティブ(金融派生商品)取引の契約で多額の損失が発生したため、2008年10月、契約の権利をゴーン氏の資産管理会社から日産に移し、約18億5千万円の評価損を負担する義務を日産に負わせた疑い
(2)その際に信用保証に尽力した関係者が経営する会社に対し、2009年6月~2012年3月の4回、日産の子会社から計1470万ドル(現在のレートで約16億3千万円)を入金させた疑い
の二つだとのことだ。

しかしこれらの特別背任の刑事立件には、多くの疑問がある。
(1)の事実は、行為から10年を経過しており、通常であれば、特別背任の時効が完成している。海外にいる期間は公訴時効が停止するが、ゴーン氏の場合、海外にいた期間が3年以上あったということで、一応、時効は完成していないとは言えても、経理書類の保存期間が原則7年、「会計帳簿及びその事業に関する重要な資料」等の保存期間が10年間と定められていることもあって、通常は、犯人の海外渡航期間があったからと言って、10年も前の事件を刑事事件として立件することはしない。

しかも、多額の損失が生じた契約の権利をゴーン氏の資産管理会社から日産に移すことで、日産が損失を被る危険性はあったことは確かだが、実際は、その後、契約は元に戻されているので、損失は発生していない。損失が発生していないのに、特別背任で刑事立件された例というのは、聞いたことがない。

また、その話は、そもそも、銀行側が、担保不足を解消するための措置を要求したことが発端で、それに対応する措置として行われたものだと考えられる。しかもそこには社内手続や取締役会での承認等、様々な経緯があり、それによって、仮に、背任に当たる余地があるとしても、そこに関係する人間の範囲は無限に拡大する。決して、ゴーン氏が一人で行えるような行為ではないはずだ。

(2)の事実については、詳細が不明であり、現時点は何とも言えないが、いずれにしても国際的な取引に関連する資金の動きに関する問題なので、単純に刑事事件としてとらえられるような話ではないように思える。

捜査の経緯からして特別背任の刑事立件が予定されていたとは思えない

それ以上に重要なことは、捜査の経緯から考えても、この特別背任の容疑について、刑事立件が予定されていたとは思えないということだ。

ゴーン氏らの逮捕勾留事実は、2015年3月期までの5年間の「退任後の報酬の合意」についての有価証券報告書虚偽記載の事実だった。これについては、ゴーン氏の逮捕当初から、有価証券報告書虚偽記載は「入り口事件」であり、特捜部は、特別背任など「実質的犯罪」の立件を予定しているとの観測があった。もし、特別背任が立件可能なのであれば、当初の逮捕事実で起訴した12月10日の時点で、特別背任で再逮捕したはずだ。

ところが、検察が、勾留満期の12月10日にゴーン氏らを起訴するとともに再逮捕した事実は、2018年3月期までの直近3年間の同じ虚偽記載の事実だった。

しかし、8年間にわたる「覚書」の作成は、同一の意思で、同一の目的で毎年繰り返されてきた行為なのであるから、仮に犯罪に当たるとしても、全体が実質的に「一つの犯罪」と評価されるべきものだ。それを、古い方の5年と直近の3年に「分割」して逮捕勾留を繰り返すというのは、同じ事実で重ねて逮捕・勾留することに他ならず、身柄拘束の手続に重大な問題が生じる。しかも、過去の5年分の虚偽記載を捜査・処理した後に、直近3年分を立件して再逮捕するとすれば、その3年分を再逮捕用に「リザーブ」していたことになる。それは、検察の常識を逸脱した不当な身柄拘束のやり方である。

検察も、本来であれば、そのような実質的に同一事実での逮捕勾留の繰り返しという不当な再逮捕を行いたくはなかったはずだ。しかし、その事実での再逮捕以外に、身柄拘束を継続する方法がなかった。だからこそ、直近3年分の同じ事実での再逮捕を行ったのである。少なくとも、12月10日の時点で、特別背任罪の立件が可能な状況だったとは思えない。

それに、今回の事件の捜査は、地方の地検から検察官の応援派遣を受けているとされている。応援検察官を年末には原庁に戻さなければならない。20日の勾留期間が年末年始にかかる12月10日以降に新たな事実で再逮捕すれば、年末年始休暇返上で捜査を継続することになる。そのような捜査スケジュールは、検察の常識からはあり得ない。その点から考えても、12月10日の時点で特別背任の刑事立件が可能と判断していたのであれば、絶対に、その時点で、特別背任で再逮捕していたはずだ。

検察は、直近3年間の虚偽記載という「無理筋」の再逮捕事実で勾留延長を請求して却下され、準抗告まで行っている。もし、再逮捕後の10日間の捜査で特別背任の立件が可能になったというのであれば、勾留延長など請求せず、その時点で特別背任で再逮捕すれば良かった。

勾留延長請求却下で追い込まれていた検察

勾留延長請求が却下され、準抗告も棄却され、検察は、確実に追い詰められていた。

検察にとって衝撃的だったのは、これまで特捜事件で検察の主張を否定することなどあり得なかった東京地裁が、勾留延長請求の却下によって、検察とは大きく異なる判断を示したことだ。

延長請求を却下したのは、その時点で刑事処分を決めることができず、さらに身柄拘束を続ける必要があることについて「やむを得ない事情」がないと判断されたからだが、それは、そもそも、「有価証券報告書虚偽記載」の刑事事件としての重大性などについて、裁判所が検察の主張を十分に理解してくれなかったためだ。

検察は、準抗告を申立て、他の裁判官の判断を仰いだ。しかし、判断は同じだった。これによって、検察は、再逮捕事実での勾留期間が満了し、当初の逮捕事実での「起訴後の勾留」だけになると、ゴーン氏が保釈される可能性が高いことを覚悟せざるを得なくなった。

もし、保釈されてゴーン氏が公の場に出てくることになると、検察捜査に対して、そして、日産経営陣のクーデターに対して、厳しい批判を行うことは必至だ。代表取締役会長の地位を奪われたとはいえ取締役の地位に残っているゴーン氏が、検察や日産経営陣に対して「反撃」し、国際的批判が一層高まることは、検察にとって重大な「脅威」だったはずだ。

上記のような捜査の経緯から、特別背任での刑事立件には問題があり、再逮捕は予定されていなかったが、勾留延長請求却下、準抗告棄却で、ゴーン氏の保釈が不可避となり、追い詰められた検察が、急遽、「無理筋」を承知で、しかも、捜査班の年末年始休暇をも犠牲にして、特別背任による逮捕という「暴発」に至ったということが考えられる。

上記のとおり、今回の、ゴーン氏の再々逮捕は、検察組織内での判断だけで行える「逮捕権」を、検察が「組織防衛」の目的で使ったとすれば、「権力者ゴーンが日産を私物化している」と批判している検察こそ、「権力を私物化」したことになる。

今後のゴーン氏再々逮捕後の検察捜査の展開を、我々は、冷静に注意深く見守っていく必要がある。

 

 

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ゴーン氏勾留延長却下の根本原因は“不当な再逮捕” ~裁判所の特捜への姿勢に重要な変化

東京地検特捜部は、ゴーン氏・ケリー氏の再逮捕事実による勾留の延長を、東京地裁に請求したが却下され、却下決定に対する準抗告も棄却されて、両氏の再逮捕事実の勾留は、12月20日で終了した。両氏は、当初の逮捕勾留事実での「起訴後の勾留」だけとなり、今日にも、弁護人が保釈請求すると報じられている。

勾留延長請求は、やむを得ない事由がある場合にのみ認められる。延長請求が却下されたり、延長期間が短縮されるということは、一般の事件では、たまにある。しかし一般的には、日本の刑事裁判官の判断は、検察官寄りで、特に、捜査段階での身柄拘束の問題について、特捜部の主張が認められないということはほとんどなかった。勾留延長請求が認められなかったことは、検察にとっては衝撃であろう。

ゴーン氏は、当初の逮捕事実(5年間の虚偽記載)で起訴され、起訴後の勾留が続いているので、現時点では、起訴後の勾留と再逮捕(直近3年間の虚偽記載)の勾留が重なっている状態であり、再逮捕事実での延長請求が却下されても、ただちに釈放されるわけではない。今後、再々逮捕されることがなければ、起訴後の勾留については、保釈請求が可能となる。

検察としては、現在の勾留事実(直近3年間の虚偽記載)以外に逮捕できるような事実があれば、それで新たに逮捕しているはずなので、これで捜査終了となる可能性が高い。

そもそも、今回の事件で、特捜事件では異例の「勾留延長請求却下」に至ったのは、【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】でも述べたように、検察が、ゴーン氏らを「直近3年の役員報酬40億円過少記載」で再逮捕するという、常識に反するやり方を行ったことに根本的な原因がある。

有価証券報告書は毎年度作成・提出するものなので、本来は、年度ごとに「一つの犯罪」が成立する。2011年3月期から2018年3月期までの8年分の有価証券報告書のすべてに虚偽があるのであれば、8個の犯罪が成立することになるが、ゴーン氏の「退任後の報酬の合意」についての容疑は、そのような一般的な有価証券報告書の虚偽記載とは態様が異なり、ゴーン氏と秘書室長らとの間で、毎年、役員報酬の一部について、退任後に別の名目の支払に回すことの「覚書」が作成され、それが日産の総務・財務部門には秘匿されて、密かに保管されていたというのであり、毎年の有価証券報告書の作成・提出は、そのような「覚書」の合意とは無関係に行われていたことになる。

この8年間にわたる「覚書」の作成は、同一の意思で、同一の目的で毎年繰り返されてきた行為なのであるから、仮に犯罪に当たるとしても、全体が実質的に「一つの犯罪」と評価されるべきものなので、それを、古い方の5年と直近の3年に「分割」して逮捕勾留を繰り返すというのは、同じ事実で重ねて逮捕・勾留することに他ならない。

このようなことから、裁判所は、形式上は「別個の犯罪」だということで、勾留請求は認めたものの、そのような当初の逮捕事実と実質的に同一の事実で、さらに勾留期間を延長してまで捜査しなければならない事情は認められないとの判断で、勾留延長請求を却下したのだと考えられる。

これまでの特捜事件であれば、裁判所は、検察官の請求に疑問を持っても、それを受け入れてしまっていたが、今回は、国際的な事件で、検察官寄りの不当な決定を出せば国際社会から批判を浴びるということで、裁判所も、慎重に検討した上、検察官の請求を認めないという「当然の判断」に至ったのであろう。

次の問題は、弁護側のゴーン氏らの保釈請求に対して裁判所がどのように判断するかである。

検察官は、ゴーン氏が事実を否認していることから、「罪証隠滅のおそれ」があるとして、強く保釈に反対するだろう。しかし、これまでも繰り返し述べてきたように、ゴーン氏が起訴された罪状は、犯罪の成否にも疑問があり、また、投資判断に与える影響と言う面では凡そ悪質・重大な事件とは言えない。しかも、ゴーン氏・ケリー氏の側が主張しているのは、「退任後の別の名目での支払は確定していない」、或いは「役員報酬とは言えない」という「評価」の問題なので、罪証隠滅の余地はほとんどない。

検察官は、必死に反対意見を書き、保釈許可が出たら、準抗告を行って抵抗するであろうが、今回、特捜部の延長請求を却下したことには、裁判所が従来の特捜事件への姿勢とは明確に違ってきていることが表れており、保釈請求が認められる可能性は高いと言えよう(もっとも、今日の朝保釈請求が行われても、検察官の意見が出るのが今日の午後、保釈許可決定が今日の夜に出ても、検察官の準抗告は必至なので、準抗告棄却されて保釈が確定するのは、明日以降だろう。)。保釈されてゴーン氏が早期に公の場に出てくることは、検察にとっては、勾留延長却下以上に「衝撃」である。

西川氏らのクーデターによって代表取締役会長の地位を奪われたとはいえ、取締役の地位に残っているゴーン氏が、保釈後に、日産に対してどのような「反撃」を開始するのか。事件は、新たな展開を迎える。

 

 

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「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”

日産の代表取締役会長だったカルロス・ゴーン氏が、東京地検特捜部に突然逮捕され、3日後に開かれた臨時取締役会で解職された「日産・ゴーン事件」、起訴事実が、「退任後に別の契約で報酬を受領する合意」を有価証券報告書に記載しなかったという、犯罪に当たるかすら疑問な「罪状」にとどまることがほぼ確実となり、ゴーン氏を解職する「クーデター」を仕掛けた西川廣人社長ら日産経営陣の方が窮地に追い込まれつつある。

一方で、大阪地検特捜部の証拠改ざん問題など、一連の不祥事で、検察改革を迫られ、「引き返す勇気を持つこと」を強調した検察だったが、今回の事件での「大暴走」で「引き返す気」など微塵もないことを露呈した。検察独自の判断でゴーン氏を逮捕・起訴した以上、今後も、なりふり構わず、いかなる手段を使ってでも、有罪判決を得ようと「驀進(ばくしん)」を続けるであろう。

この事件については、逮捕直後に出した【役員報酬の隠蔽は、ゴーン氏主導か、会社主導か】以降、その時々の情報の制約の中で、私なりの分析・検討をしてきた。起訴事実が概ね明らかになったことを受け、12月14日には、【ゴーン氏事件、日産の「大誤算」と検察の「大暴走」の“根本的原因”】と題して、西川社長ら日産経営陣の「大誤算」の原因についても分析したことで、今回の「日産・ゴーン氏事件」の内容についての論評は、概ね書き尽くした感がある。

そうした中で、避けて通ることができないのは、今回の事件を、「日本社会」として、そして、「日本人」として問い直してみることである。

90年代末、日産は、それまでの「ぬるま湯」的な企業体質の結果、経営危機に陥り、倒産寸前の状況まで追い込まれた。メインバンクも救済を拒否、経産省からも見放され、世界の主要な自動車メーカーとの提携・統合を模索するも、手を挙げる企業はなく、万策尽きた状況の中、日産に救いの手を差し伸べたのがルノーであった。ルノーが、大株主のフランス政府からの資金も含めて8000憶円を出資し、日産は倒産を免れた。そして、ルノーから日産の経営者として送り込まれたゴーン氏が、大胆な経営改革でV字回復を遂げ、それ以降、概ね順調に、日産の業績は拡大し、直近の年度では、最終利益7500億円を計上するに至っている。

こうした中で、今回の「クーデター」が起き、ゴーン氏を代表取締役会長の座から引きずり下ろした西川社長は、ゴーン氏について、逮捕直後の会見で、「初期、非常に大きな改革を行った実績は紛れもない事実だと思う。その後については功罪両方ある」などと述べたのである。

あたかも日産という会社が、ルノーから融資を受け、それと同時に、ゴーン氏を経営者として雇って経営を委ねたというのであれば、まだわかる。しかし、そうではない。ルノーは、自らリスクを負って、倒産寸前の日産に巨額の「出資」をし、43%超の株式を取得し、親会社としてゴーン氏を経営者に送り込んだのである。日産社内には「ルノーからの8000億円は、もう返した」という声があるようだが、それは「融資」の場合の話であろう。出資者に対して言うことではない。

こういう日産側の行いは、日本社会では「恩知らず」と言って軽蔑されてきたのではなかろうか。

もう一つ、今回の事件をめぐっては、ゴーン氏の「高額報酬」批判に結び付けようとする論調が目立った。高額報酬を得ていた「強欲・ゴーン」から日産の経営者の地位を奪うことは無条件に正しいことであり、そのためには、検察の権力を使うことも是認されるという考え方だ。

私は、ゴーン氏を擁護しているわけではないし、「高額報酬」を評価する立場にもない。私が論じてきたのは、ゴーン氏について犯罪が成立するのか、それが、ゴーン氏のような立場の人を突然逮捕することを正当化できる悪質・重大なものと言えるのか、ということと、それをめぐる日産現経営陣の行動の正当性の問題であり、ゴーン氏が日産から得ていた高額報酬の是非とは全く別の問題だ。

ところが、ゴーン氏を逮捕した検察やそれを画策した日産経営陣を批判している私を、「ゴーン氏の高額報酬を擁護している」かのように批判する人がいる。ゴーン氏の報酬が、一般的な日本の大企業の経営者の報酬と比較して高額であったことが今回の事件に関連づけられ、それが問題の根本であるかのように考えられている。

今回の事件を、そのようにとらえて良いのか。それは、我々「日本人の品格」にも関わる問題だ。

 

「経営者の報酬」をどう考えるか

【役員報酬の隠蔽は、ゴーン氏主導か、会社主導か】でも述べたように、経営トップの報酬の問題は、「会社は誰のものか」についての考え方に大きく左右される。

「会社は株主のもの」であるとすれば、その利益に貢献した経営者には、それに見合う報酬が支払われるのが当然だということになる。一方、「会社は社員のもの」ととらえるとすれば、会社の利益は社員が働いて生み出したものなのだから、社員を代表する経営者の報酬も、社員と比較して相応の金額に抑えられるべきということになる。

そのような考え方の違いは、会社における経営者の役割の違いとも関係している。前者であれば、株主の負託を受けた経営者は、強大な権限を持ち、経営上の意思決定は、基本的にトップダウンで行われる。そして、それによる成果としての企業の利益も、経営者の判断によるところが大きいということになる。一方、後者の考え方の企業では、会社の意思決定は、基本的にボトムアップで行われ、経営者は、担当部門の意見の最終調整の役割を果たすに過ぎず、経営者の決断によって新たな意思決定が生じる部分は少ない。そのような役割であれば、経営者の報酬も、社員より相対的に多い程度に留めるのが自然だ。

つまり、経営者の報酬は、「株主中心の考え方」では、株主の利益への貢献に応じて与えられるものであるが、「社員中心の考え方」では、社員全体の働きと努力の総体によって生み出された会社の利益を、社員とともに配分するということになる。

戦後の日本では、「社員中心の考え方」が中心で、「日本的経営」「日本的雇用慣行」の背景ともなってきた。しかし、バブル経済崩壊後、欧米的な「株主中心的な考え方」が強まっており、企業経営の在り方や雇用慣行も大きく変わりつつある。

私自身は、「会社は株主のもの」という考え方を徹底する、いわゆるグローバリズムの信奉者ではない。「会社は社員やその家族のためのもの」という考え方は、日本企業の経営の中で、一概に否定されるべきものではないと考えている。

しかし、現実の問題として、経営者の報酬の問題の背景には、上記のような「会社は誰のものか」についての考え方の違いが根本的な問題として存在する。当該企業の中で、実際に、経営者の役割がどのように位置づけられ、どのようにして収益が生み出されているのか、ということを踏まえた上でなければ、その企業の経営者の報酬が相当かどうかを評価することはできないのである。

 

「経営者の高額報酬」は「悪」か

もう一つ重要なことは、経営者が高額報酬を受けること自体を、社会としてどう評価すべきかは、決して単純には言えない問題だということだ。

社員の多くが、劣悪な労働条件の下、低賃金で酷使される一方、経営者が法外な高額報酬を得ているという「19世紀的状況」が社会として是認できないのは当然だ。しかし、現在の社会においては、労働者も含め、国民全体に最低限の生活が保障されるのは、国の社会政策の問題であり、また、企業の中で、いかなる条件でいかなる労働が行われ、どのように給与が支払われるべきかは、国の労働法制を前提に、企業の雇用政策や労使関係の中で、その社員の就業条件として決定されるべきものである。そういう面での社員の労働と会社への貢献に応じた給与・報酬の支払が行われた後に、なお会社に残る利益のうち、どれだけを経営者に帰属させるか、というのが経営者の報酬の問題だ。

日産の場合、その会社に残る利益が数千億であり、その中から、経営者のゴーン氏に支払われていた報酬は、以前は毎年20億円であり、今回の問題は、退任後に支払われる予定であった各期約10億円という金額の開示の問題だ。

仮に社員が10万人だとして、10億円を平等に配分するとすれば一人年間1万円となる。それは、パチンコや飲み代ですぐになくなる金額でもある。一方、その10億円が経営者一人に支払われた場合、贅沢な暮らしのために湯水のようにカネを使う人もいるだろうが、それを社会貢献の原資にしようとする人もいるだろう。石油事業での巨万の富で設立されたロックフェラー財団や、最近では、世界中で貧困や飢餓にさらされた子供達を救う慈善活動を行う財団に巨額の資金を投じているマイクロソフト社の創業者のビルゲイツ氏などがその典型であろう。多くの国で、文化的遺産の多くが、事業で巨万の富を築いた事業家によって築かれてきたことも事実だ。

会社が事業で得た利益の中から、経営者に高額報酬を支払うことと、社員に賞与等で広く配分することのどちらを選択するかは、会社における経営者の役割と実際の貢献の評価に基づいて会社内部で適正な手続で判断されればよく、それに尽きるのであり、「どちらが正しい」という話ではない。ましてや、高額報酬自体が「悪」として非難されるべきことではない。

 

日本社会における「闇討ち」「奇襲攻撃」の評価

今回の事件では、高額報酬への「羨望」「不公平感」という庶民的感情を巧みに操って、「ゴーン批判」が増幅されたことで、西川氏ら日産経営陣が、検察の権限を恃んでゴーン氏を日産の代表取締役会長の座から引きずり下ろした「クーデター」が正当化され、それに呼応するように、マスコミと日本社会を挙げての「ゴーン叩き」が行われた。

そこには、日本社会の一つの「負の側面」があるように思われる。

今回ゴーン氏の逮捕・起訴の容疑とされたのは、2010年3月期に役員の高額報酬の個別開示制度が導入されて以降、実際の支払額が約10億円に低減され、約10億円を退任後に別の名目で支払うことの合意(計画)についての有価証券報告書での「開示」の問題である。

それが問題だというのであれば、退任後の支払の計画について、文書に署名までして認識していた西川氏が、「このような形で退任後に報酬を受け取るべきではない」と堂々とゴーン氏に意見を言い、取締役会で議論した上、自らの権限で開示すれば良かった。

ところが、西川氏らは、ゴーン氏についての社内調査を密かに行って、その情報を検察に持ち込み、ゴーン氏の「突然の逮捕」に至らせ、説明も反論もできない状況に追い込んだまま、直後の記者会見で「残念という言葉をはるかに超えて、強い憤り、落胆を覚える」などとゴーン氏を一方的に断罪した(この会見で、西川氏が、逮捕容疑の報酬額の虚偽記載のほかに、検察に情報を提供したと述べた「私的な目的での投資資金の支出」、「私的な目的の経費の支出」も、ゴーン氏側の弁解・説明を聞くこともなく「不正」と断定したものであり、検察が特別背任罪等で立件しないのであれば、「ゴーン氏の悪事」と決めつけることはできない)。

このようなやり方は、古くは日本社会でも、「闇討ち」「寝首を掻く」などという言葉で表現され、「卑怯な計略」とされてきた。しかし、武力で劣る側が、圧倒的に優位な敵を倒す方法として「奇襲戦法」が肯定されることもあり(織田信長の「桶狭間の戦い」など)、太平洋戦争の開戦の際に、大戦果を挙げて賞賛された「真珠湾攻撃」もまさに「奇襲攻撃」であった。

しかし、宣戦布告もしないままの「奇襲」は、卑怯なやり方として、相手方から大きな反発を受ける。実際に、真珠湾攻撃の「奇襲」が米国民の激しい怒りを買い、在米日本人に対する不当な扱いや、その後の戦争での日本への民間人をも対象とする攻撃の理由とされたことも事実だ。

 

「高額報酬=強欲」批判に表れた「日本社会の卑しさ」

今回、ゴーン氏に重用されて社長の地位につき、自らも直近の期では5億円近くもの高額報酬を得ていた日産社長の西川氏が、ゴーン氏に対して行ったのが、まさに「闇討ち」であった。しかし、それは「検察の正義」という“錦の御旗”に支えられて正当化され、マスコミは、「ゴーン氏高額報酬=強欲」と決めつけ、検察・日産側のリークによる「ゴーン叩き」報道に埋め尽くされた。20年前、ルノーが巨額の出資をして倒産の危機に瀕した日産を救い、ゴーン氏が大胆な経営改革で同社を再生させたことは「過去のこと」とされ、「強欲な外国人経営者が日本人社員・取引先から不当に収奪している」との見方ばかりが強調される。かつては「名経営者ゴーン」にすり寄り、取材していたはずのジャーナリストが、「ケチ」「せこい」などとこき下す。そこには、強者や富める者が一度その地位から転落すると、社会全体で、水に落ちた犬に石を投げるという、これまでも繰り返されてきた日本社会の「卑しさ」の一面が現れたように思える。

 

日産・ゴーン氏事件で問われる「日本人の品格」

2011年の東日本大震災における被災者たちの行動は、世界中から称賛と感動の嵐を巻き起こした。多くの国で、自然災害の後には暴動や略奪が大量発生し、社会が無秩序化するのに、日本では、そういった犯罪が全く起きなかったからだ。むしろ、日本人は平時以上に冷静に行動し、「助け合いの精神」を発揮した。

東日本大震災で全世界から賞賛され尊敬された「秩序正しく寛容な日本社会」と、今回の情緒的な「ゴーン叩き」「高額報酬=強欲」批判に見る「排外的で無慈悲な日本社会」との間には、大きな落差がある。

入管法改正による外国人労働者受け入れ拡大、2020年東京オリンピック・パラリンピック、2025年大阪万博等のイベントなどもあり、今後、我々日本人と外国人との接点が急激に増えていくことは必至だ。

今回の「日産・ゴーン氏事件」を、犯罪の成否、法的責任などとは別に、「恩知らず」、「闇討ち」、「卑しさ」という面から、「日本人の品格」が問われる問題として考えてみる必要がある。

 

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