組織的問題の本質を的確に指摘した化血研第三者委員会報告書~残された問題は厚労省との関係~

東芝の第三者委員会報告書との決定的な違い

血漿分画製剤やワクチンの大手メーカーの一般財団法人「化学及(および)血清療法研究所」(以下、「化血研」)が国の承認と異なる方法で製品をつくっていた問題で、第三者委員会の報告書が公表された。

第三者委員会報告書と言えば、日本を代表する伝統企業東芝の会計不祥事に関して第三者委員会が設置されたが、委員会の性格や報告書の内容について厳しい批判を受け、惨憺たる結果を招いたばかりである。

私は、東芝の第三者委員会報告書については、今年7月に公表された直後から「『問題の核心』を見事に外した第三者委員会報告書」などと酷評してきたが(「世界」9月号、プレジデントオンライン【「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷】)、原発事業の会計処理に関する問題を委員会の調査事項から除外することを委員会側の弁護士と会社執行部との間で画策していたことが報じられるに及んで、「第三者委員会スキーム」そのものが、世の中を欺くための手段として使われた「壮大な茶番」だったと表現した(【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】)。

化血研第三者委員会報告書は、不正の内容を詳細に明らかにし、「製品の安全性及び患者の安心を優先すべき製薬会社としてあってはならない重大な違法行為」「常軌を逸した隠蔽体質」と厳しく批判する一方で、問題の本質を端的に指摘しており、東芝の第三者委員会報告書とは比較にならない程質の高いものと言えよう。

何より評価できるのは、報告書の末尾で「総評」として、化血研問題の本質に関して、

問題の根幹として感じたのは、「研究者のおごり」と「違法行為による呪縛」である。”と指摘し、後者について、“一度開始された不整合や隠ぺい工作を当局に知られることなく中止することは極めて困難であり、化血研の役職員は、先人達が始めた不正行為や隠ぺいを当局に報告する勇気もなく、それらを改善する方策も見つからず、先人達の違法行為に呪縛されて、自らも違法行為を行うという悪循環に陥っていた。

と述べている点である。

これは、長期間にわたって組織的に行われた不正行為を解消是正することの困難性に関して、多くの組織的不正行為にも当てはまることであり、不正行為が40年にもわたって継続され、組織内で隠ぺいされていた今回の問題の核心を衝いた指摘である。

 

「ムシ型行為」と「カビ型行為」

かねてから、私は、違法行為、コンプライアンス問題には、個人の利益のために個人の意思で行われる単発的な行為である「ムシ型」と、組織内や業界内で、長期間にわたって恒常化し、広範囲に蔓延している「カビ型」の二つの要素があると指摘してきた(法令遵守が日本を滅ぼす思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~等)。

カビ型の行為については、内部監査や内部通報等の通常のコンプライアンスの枠組みでは発見が困難であり、内部告発等によって表面化すると深刻な問題に発展する「恐ろしさ」があることを強調してきた。

横浜市のマンションの「傾き」に関連して明らかになった杭打ちデータの改ざん問題も、杭打ち業界全体に蔓延する「カビ型」そのものであり、「カビ型」という観点から、その実態が明らかにならず長期間にわたって発覚することなく継続した原因や建設業界等で、他にも存在していると考えられる同種行為の「カビ型行為」を把握していくための方策を考える必要があることを指摘した。(【「カビ型違法行為」の恐ろしさが典型的に表れた「杭打ちデータ改ざん問題」】)。

化血研における血漿分画製剤の製造に関する不正行為も、長期間にわたり、組織的に行われてきた「カビ型」そのものである。第三者委員会報告書の「違法行為による呪縛」というのも、不正が長期間にわたって是正できなかった根本的な原因を、不正行為の当事者の立場に立って端的に表現したものと言えよう。

このような第三者委員会報告書が作成・公表されるに至ったのは、委員の人選及び委員会の運営等に関して、組織から独立した立場で公正に調査を行い得る環境が整えられ、役職員等の関係者からの協力が十分に得られたからであろう。

東芝の第三者委員会報告書が、「上司の意向に逆らうことができない企業風土」などという、どこの企業組織にも少なからず存在する「組織の通例」を針小棒大に表現するなど、問題の本質とはかけ離れたものとなっているのとは対照的である。

「第三者委員会」を、世間を欺くための手段として悪用し、問題の本質が明らかにならないよう画策してきた東芝は、内部告発等によって次々と問題の核心が指摘され、いまなお、信頼回復とは程遠い状況にある。

一方、第三者委員会によって、長期間にわたる不正について、それが組織的に継続されてきた根本的な原因も含めて問題の本質が明らかにされた化血研は、再生と信頼回復に向けて一歩を踏み出すことができたと言える。

 

唯一残された「厚労省との関係」に関する問題

このように全体としては高く評価できる化血研の第三者委員会報告書だが、一つだけ「物足りなさ」を感じた点がある。

それは、厚生労働省の側には、不正行為が長期間にわたって続けられていたことに関して、問題となる対応はなかったのかという点である。

今回の第三者委員会は、化血研という組織が設置したものであり、監督官庁である厚生労働省側の問題を指摘することは、本来の調査の対象外である。しかし、もし、同省側の姿勢や対応が、不正を継続し、隠ぺいを行うことについての抵抗感を希薄化させる要因の一つになっていたとすれば、それは、化血研の不正の原因に関しても重要な事実である。

組織と外部との関係が、組織不祥事の動機となった場合、その点を調査の対象とするのかその点を報告書で指摘するのかに関しては微妙な問題が生じる場合が多い。

その点を調査事項とすることに関して、組織の上層部側からの強い反発が生じたのが、「九州電力やらせメール問題」であった(拙著第三者委員会は企業を変えられるか~九州電力やらせメール問題の深層】(毎日新聞社:2012年)。また、みずほ銀行の「反社向け融資問題」では、金融庁検査対応にも問題があり、その点を指摘することが、銀行側の隠ぺい疑惑を解消する最大の論拠になったはずなのに、第三者委員会報告書でその点の指摘を全く行なわず、報告書公表後も、銀行への隠ぺい疑惑が収まらず、「反社向け融資問題」が金融業界全体にまで拡大する原因となった(拙著企業はなぜ危機対応に失敗するのか】(毎日新聞社:2013年))。

化血研の問題では、不正行為とその隠ぺいが余りに巧妙に行われたために、厚労省側では全く察知しようがなかったということかもしれないが、40年にもわたる不正行為について、検査を行う監督官庁側が、その兆候に全く気付かないということは考えにくい。また、第三者委員会報告書でも、原因分析の中で「化血研が不整合や一変申請の不備を防止するためには、監督機関との間で緊密なコミュニケーションをとることは必要不可決であり、そのようなコミュニケーションを欠いた化血研の閉鎖性、独善性が本件不整合や隠ぺいを生じさせた最大の原因であると推認される」と述べているが、コミュニケーションがうまく機能していないことの原因は、その当事者双方のあるのが一般的である。

医薬品メーカーと厚労省との関係を考えた時、そこに、「天下り」等を通しての癒着関係等が生じていないのか、それが化血研側に、「監督機関側も不正の発見は望んでいないはず。形だけ整えておけば良い」という「甘え」につながったりしていなかったのかという点は、問題の本質という面で無視できない視点ではないかと思われる。

化血研の第三者委員会報告書は、大変質の高い内容であるだけに、その中で、厚労省側の対応が、化血研の不正、隠ぺいに影響した可能性の有無について全く記述がないのは、些か残念である。

 

血漿分画製剤の医薬品としての特殊性

今回の不正の対象となった血漿分画製剤をめぐっては、私自身も、過去に、田辺三菱製薬の子会社バイファ社による遺伝子組み換えアルブミン製剤メドウェイに関するデータ差し替え等の不正行為の問題に関して、第三者委員会の委員長を務めたことがある。

血漿分画製剤には、献血によって提供される人血を主たる原料とし、極めて限られたメーカーの供給途絶が人命に関わるという医薬品としての特殊性がある。私も、メドウェイ問題の調査において、それが不正の重要な要因の一つになっているとの認識を持った。

化血研という血漿分画製剤の有力メーカーで40年以上も不正行為とその隠ぺいが続いてきたことの背景にも、そのような製剤の特殊性があり、それが「違法行為による呪縛」によって長期間継続し、隠ぺいされてきたとみるべきであろう。

そうだとすれば、血漿分画製剤をめぐる問題は、化血研という一組織の問題にとどまらず、厚労省とメーカーとの関係を含めた構造的な問題である可能性もある。化血研の第三者委員会報告書は、化血研という組織内の問題に関して問題の本質を明らかにする役割は果たしたが、組織外の要因については何も指摘していない。

化血研の問題に関して、厚労省の側に反省すべき点がないのか、という視点から、今後の同省の対応についても、関心を持って見守っていかなければならない。

 

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偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部

東芝不正会計問題を徹底追及してきた日経ビジネスオンライン(NBO)が、11月12日のスクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損で、東芝が米国の原発子会社ウエスチングハウスでの巨額の減損を隠ぺいしていた事実を報じ、重要事実をいまだに隠ぺいしようとする東芝の姿勢に厳しい批判が向けられ、東証が、開示基準違反を指摘するに至ったのに続いて、NBOは、昨日午後、スクープ 東芝 減損隠し 第三者委と謀議 室町社長にもメールと題する決定的な記事を配信した。

今回のNBOの記事には、第三者委員会発足前に、当時の田中久雄社長、室町正志会長(現社長)、法務部長(現執行役員)等の東芝執行部が、原発子会社の減損問題を、委員会への調査委嘱事項から外すことを画策するメールが掲載されている。その東芝執行部の意向は、東芝の顧問法律事務所の森・濱田松本法律事務所から、第三者委員会の委員の松井秀樹弁護士に伝えられ、結果的に、第三者委員会報告書では、「東芝と合意した委嘱事項以外の事項については(中略)いかなる調査も確認も行っていない」とされて、原発事業をめぐる問題は、見事に調査対象から外されたのである。もちろん、そのようなことが、委員長である上田廣一弁護士(元東京高検検事長)の了解なく行われることは考えられない。

記事の内容が事実だとすると、東芝の会計不正への対応で中心とされてきた「第三者委員会スキーム」は、世の中を欺くための手段として使われた「壮大な茶番」だったことになる。

私は、今年7月の東芝第三者委員会報告書公表以降、当ブログでも何度か問題を指摘してきたほか、「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷(プレジデントオンライン)、【「問題の核心」を見事に外した第三者委員会報告書】(岩波・世界9月号)等で、東芝の第三者委員会報告書を徹底批判してきた。

私が指摘してきたのは、今回の東芝の第三者委員会の「枠組み」に対する根本的な疑問であった。

①会計不正の問題なのに、不正の認識の根拠となる監査法人による会計監査の問題が委嘱の対象外とされていること、②調査の対象が、「損失先送り」という損益計算書(P/L)に関するものに限られ、原発子会社の巨額の「のれん代」の償却の要否等の会社の実質的な財務基盤に関わる貸借対照表(B/S)項目は対象から除外されていること、などからすると、第三者委員会の調査は、意図的に問題の本質から目を背けようとしているとしか思えなかった。

また、室町氏については、会計不正が行われた期間に取締役会長の地位にあったにも関わらず、社内に設置された特別調査委員会の委員長を務めただけでなく、第三者委員会報告書でも「関与がなかった」とされて何ら責任を問われず、東芝の再生を担う社長に就任したことに加え、その後の同氏の言動にも多大な疑問を感じていた(【東芝決算発表再延期、記者会見での室町社長の「責任」発言に唖然】。その後、室町氏の責任に全く言及しない責任調査委員会報告書が公表され、さらに、東芝が米国の原発子会社の巨額の減損を隠ぺいしていたことが明らかになったことで、室町氏に東芝の再生、信頼回復を委ねることは不可能だとの確信を深めた(原発子会社巨額減損「隠ぺい」 東芝再生は「風前の灯」)。

今回のNBOの記事によって、室町現社長を含む現執行部の正当性の、最大の、いや唯一の根拠とされてきた「第三者委員会報告書」が、全くの「見せかけだけのもの」であったことが明らかになったのである。記事を前提にすれば、室町社長を含む東芝の現執行部の責任は重大であり、その職にとどまるべきでないことは誰の目にも明らかであろう。また、「偽りの第三者委員会」によって世間の目をごまかすことに加担した委員たる弁護士にも重大な責任があると言えよう。

現在のところ、不祥事を起こした企業にとって第三者委員会を設置するか否か、それをどのように運用するかについて法令上の定めがあるわけではないが、2010年に日弁連が公表した「第三者委員会ガイドライン」は、企業等の不祥事において、第三者委員会を設置した場合における重要なルールとして機能している。

その「第三者委員会ガイドライン」では、「第三者委員会は、依頼の形式にかかわらず、企業等から独立した立場で、企業等のステークホルダーのために、中立・公正で客観的な調査を行う。」とされている。依頼した企業から独立した立場で活動する委員会であり、調査範囲や調査結果は、依頼者たる企業側がコントロールできるものではないことが前提とされている。

不祥事を起こした企業においては、その当事者たる企業経営者の利益と、公益的観点、ステークホルダーの利益は、往々にして対立する。「第三者委員会ガイドライン」を前提とすれば、企業の経営者に選任され、報酬の支払を受ける立場にありながら、企業から独立した立場で公正な調査を行う使命を担う第三者委員会の委員は、会社から報酬を受け、独立して会計監査を行う公認会計士・監査法人と類似する。

企業関係の業務を手掛ける弁護士であれば、企業の執行部の意向に沿う方向で動くことが、当該企業と関係を維持し、その後の自らの利益にもつながる場合が多いが、そのような利害から離れ、公正・中立な立場で事実調査・原因究明・再発防止策の検討を行うのが第三者委員会の役割である。

重大な不祥事を起こした企業にとって、内部者による調査委員会では、調査への信頼性が確保できない場合、第三者委員会の設置が有力な手段となる。しかし、それは、調査の範囲や調査結果等について委員会の判断を尊重することが大前提なのであり、第三者委員会を設置する経営者は、不利な事実が明らかになるリスクを覚悟した上で設置の判断を行うことになる。

そのため、不祥事企業が、わざわざ「日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠する第三者委員会ではない」と断ったうえで外部者による調査委員会を設置する例もあるくらいだ。

今回の東芝の第三者委員会は、「日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠する委員会である」と明確に説明した上で設置されたものであった(2015年5月8日付「第三者委員会設置のお知らせ」)。そして、対外的にガイドラインを振りかざして、報告書の内容に関する責任が東芝本体に及ばないようにするという方向で「第三者委員会の独立性」を最大限に活用した。ところが、実際には、第三者委員会の委員たる弁護士が、調査範囲について、経営者側の意向を受け重大な問題を調査対象から外す方向で積極的に動いたというのである。それは、「第三者委員会」の名称を使った「虚偽表示」のようなものだ。

このようなやり方は、日本において、第三者委員会に関する、確立されたルールを蔑ろにするもので、企業等の不祥事対応において重要な機能を果たすべき第三者委員会への信頼性を著しく損なうものである。

私自身、検事を退職し、弁護士登録して以降、企業等の第三者委員会に関して様々な経験をしてきた。多くの案件では、企業側との信頼関係のもとに不祥事の本質に迫ることができ、信頼回復に向けての役割を果たしてきた。

しかし、2011年の、原発事故後の玄海原発の再稼働をめぐる「九州電力やらせメール問題」の第三者委員会委員長を務めた際には、委嘱者の九州電力の経営トップと激しく対立することになった。調査の過程で、九電社員が組織的に「やらせメール」の送信を行った発端が、当時の佐賀県知事の九電幹部への発言だったことが判明した。その事実は、「やらせメール」の重要な動機であるとともに、その背景にある九電と原発立地自治体の首長との不透明な関係が問題の本質であるとの認識から、その点を事実解明・原因究明の対象としたのに対して、当時の九電経営陣は、第三者委員会に対して佐賀県知事発言を調査の対象外とすることを求め、九電に提出した第三者委員会報告書に対しても、九州電力側が反論コメントを出すなどしてきた。その結果、委員会報告書提出後も、九電側との応酬を繰り広げることになった(拙著第三者委員会は企業を変えられるか~九州電力やらせメール問題の深層】(毎日新聞社:2012年))。

福島原発事故後、「原発絶対安全の神話」が崩壊した後に、電力会社が、原発再稼働をめぐって発生した問題で失った信頼を回復し、社会の理解を得ていくためには、問題の本質を明らかにすることが不可欠であり、そのために最大限の努力を行うことは、第三者委員会委員長として当然の責務である。委嘱者である企業の経営トップが、調査の方針に介入してきても受け入れるべきではない。

もちろん、第三者委員会としての筋を通す事は、個人的な利益につながるものではない。私の場合、以前相当数あった電力会社からの仕事は、九電問題以降、全くなくなった。

しかし、社会に重要な影響を与える企業不祥事等の第三者委員会を引き受ける者としては、それも覚悟すべきことだろうと思う。

最近、企業不祥事における「第三者委員会ビジネス」が、弁護士業界の収益源と化したことが、第三者委員会の活動をゆがめているように思える。今回のNBO記事でも、第三者委員会の委員の松井弁護士から四大法律事務所の一角である森・濱田松本法律事務所のF弁護士を通じて、原発子会社の減損問題を調査の対象とするか否かを確認してきたとされているが、そうだとすれば、今回の第三者委員会と会社側の不透明な関係に、森・濱田松本法律事務所が関わっていたことになる。

今後、第三者委員会が機能するためには、今回のような問題が再び起きないよう対策を講じることが不可欠である。

企業側では、不祥事を発生させた執行部や社内取締役ではなく、社外取締役あるいは不祥事と関係のない立場の役員を中心に、不祥事ガバナンス体制を構築し、第三者委員会の設置や委嘱事項の範囲の検討、委員の人選等を行うべきであろう。

一方、第三者委員会の委員を受任する側、特に弁護士は、ガイドラインの趣旨を十分に理解し、「第三者委員会倫理」に則って活動することが必要だ。

重大な不祥事が相次ぐ中、信頼回復に向けての切り札となる「第三者委員会」は、形だけのものであってはならない。問題の本質に迫り、抜本的な改善を図ることに繋がる第三者委員会の活動こそが、企業の危機を救うのである。

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 「カビ型違法行為」の恐ろしさが典型的に表れた「杭打ちデータ改ざん問題」

10月19日に、横浜市の大型マンションのデータ偽装問題に関して、【「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」】と題するブログ記事を出した。その後、この問題を発端に、データ改ざん問題は、杭打ち業界全体に拡大し、今や、建築業界全体の構造的な問題にまで発展している。

杭打ち工事のデータ改ざんの当事者である旭化成建材が施工したすべての建築物が調査の対象とされ、全国各地で次々とデータの流用等による改ざんが発見された。しかも、問題の発端となった不正に関わった複数の職員が、「改ざんは先輩に教わった」と証言していることが報じられ、杭打ち工事の最大手の企業「ジャパンパイル」でもデータの流用が行われていたことが公表されるに及んで、今回のデータの改ざん・偽装問題は、個人的な問題でも、個別の企業の問題でもなく、業界全体の問題であることが明白になった。

「偽装」「隠ぺい」「改ざん」「捏造」という言葉に該当する問題に対して、容赦なく厳しい批判・非難が行われるのが、近年の企業不祥事をめぐる世の中の動きであり、その中には、実態と無関係に「形式的な不正」だけで過剰なバッシングが行われる例も多い。しかし、今回の問題は、建築物の基礎を固める杭打ち工事のデータの偽装・改ざんであり、建築物の使用者、住宅建築であれば住民にとって、建物の安全性に対する信頼の根本に関わる問題である。安全性への影響如何にかかわらず、そのデータの取扱いが業界全体で杜撰極まりないものであったことは、社会に衝撃を与える事態だと言えよう。

「ムシ型行為」と「カビ型行為」

私は、違法行為、コンプライアンス問題には、「ムシ型」と「カビ型」があるということを、【法令遵守が日本を滅ぼす】【思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~】等で指摘してきた。

「ムシ型」というのは、個人の利益のために個人の意思で行われる単発的な行為であるのに対して、「カビ型」というのは、組織内で、長期間にわたって恒常化し、広範囲に蔓延している行為、つまり、時間的・場所的な拡がりを持った行為だ。

「ムシ型」に対しては、当事者を厳罰に処すという「殺虫剤」型の対応が有効であり、二度とそのような行為を行わないよう「法令遵守」を厳命することで、再発防止を図ることになるが、「カビ型」には、そのような対応はあまり効果がない。

「カビ型」に対して必要なことは、恒常化していた問題行為の実態を明らかにし、その原因が「汚れ」なのか「湿気」なのかを究明して除去することだ。業界全体に拡がる「カビ」の場合には、個々の企業だけでは対応は困難であり、所管官庁も含めた業界全体のコラボレーションが必要となる。

このような「ムシ型」「カビ型」の違いを認識せず、従来と同様に「ムシ型」=個人的行為を前提にした対応を行うことは、問題をより深刻化させることになる。

「カビ型違法行為」の恐ろしさ

今回の杭打ち工事のデータの偽装・改ざんについても、当初は、横浜市のマンションの杭打ち工事を担当した旭化成建材の現場代理人の「個人的な問題」のように言われており、会社側の記者会見でも「物言いや振る舞いからルーズな人だと感じた」などと現場代理人個人に問題があるかのような発言をしていた。局所的・単発的な「ムシ型」違法行為の問題で済まそうとしていたようだ。しかし実は、この問題はムシ型ではなく、典型的な「カビ型違法行為」だったのである。

カビ型違法行為は、監査等の通常のコンプライアンス対応による発見が困難であり、内部告発等によって表面化すると深刻な問題に発展するという「恐ろしさ」がある。

私は、その問題を前掲拙著【思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~】(53頁)で指摘したほか、日経ビジネスオンラインに寄稿した論考【「カビ型違法行為」の恐ろしさ 蔓延・恒常化した違法行為はどう解消したらよいのかでも書いている。

違法行為・不正行為が長年にわたって恒常化している場合、それに関わった者の中に、不正行為を行いたくないと考えた者がいたとしても、是正措置をとるために何らかの労力・コストが必要となる場合には、それを自ら提案することはとても難しい。

是正措置に労力・コストをかけるためには、その予算措置の理由の説明が必要であり、その説明をするには、過去に恒常的に不正を行っていた事実を表に出さなければならないからだ。それによって、それまで現場で不正を実行してきた関係者達が、重大な責任を問われることになりかねない。その際、「不正行為をやっていたのは自分や自社だけではない。他人も他社も同様にやっている。」という「カビ型」の弁解は全く通用せず、「法令遵守」に反したことだけで問答無用の非難が行われるのは、過去の多くの不祥事・事件が示すところだ。

「ステンレス鋼管データねつ造問題」

上記著書や論考で言及している「ステンレス鋼管データねつ造問題」の根本的な原因は、JIS規格という「法令規則」が、実態と乖離したまま放置されていたことにある。、鋼管溶接技術の進歩のため、ステンレス鋼管について水圧試験で発見されるようなレベルの傷や不具合は全くと言って良いほどなくなり、水圧試験を実施する意味はほとんどなくなっていたのだ。しかし、規格上は、「全量水圧検査が必要」とされていたため、水圧試験データがなければJIS承認をとることができず、そのデータの捏造が長期間にわたって恒常化していたのだ。工場の生産体制・検査体制も、水圧試験をやらないことが前提になっていた。

その後、JIS規格を実態に合わせようとする業界関係者の努力のためか、2004年から、「客先の了承を得れば一部だけの抜き取り検査でもよい」ことになった。制度を実態に適合させる方向での改善が行われたのだ。

ところが、その後も、水圧検査は全く行われず、従前どおりデータを捏造する行為が続けられていた。それは、以下のような事情からだと考えられる。

2004年以前は、実態は水圧試験を全く行っていなかったが、建前上は全量水圧試験を行ったことにして、捏造したデータで外形を整えていた。それが、2004年の基準改正に伴って、「一部だけの検査」が許容されることになった。「全量水圧試験をやってきているという建前」を前提にすると、「全量から抜き取りへの変更」ということになり、設備や人員を減らすことができるということになる。しかし、実態を前提とすれば、それまで全く行っていなかった水圧試験を一部だけでも行うことになるのであるから、設備や人員を増やす必要が出てくる。

それまでデータ捏造行為をやっていたことは表に出せないと考えていた現場の関係者達は、誰も「設備や人員を増やして抜き取り検査をやろう」と言い出せなかったのであろう。

カビ型違法行為を解消するためには、過去の違法行為の事実に頬かむりして「違法行為・不正行為をするな」という「法令遵守」の命令を行うだけでは問題は解決しない。それまで違法行為が恒常化していた事実を全て表に出したうえで、それを前提にして、その解消のための方策を講ずることが不可欠なのである。

そこに、カビ型違法行為の恐ろしさ、それを発見し解消することの難しさがある。

「杭打ちデータ改ざん」の恒常化・潜在化の原因

このことを今回の杭打ちデータの偽装・改ざんの問題に当てはめてみよう。

データの不正が行われた原因は、杭打ちデータの機器の不調でデータがとれない、記録紙が雨に濡れて読めない、などの事態が発生していたからだったとされている。

「杭打ち工事のデータを記録し、元請け業者に正確に報告すること」は、ずっと昔から杭打ち工事業者に対して法令によって義務付けられていたと考えられるが、昔は、データを記録する機器が、その義務を確実に履行できるだけの性能を充たしていなかった。そのため、正確なデータが取得できなかった場合でも、現場で杭打ち作業を行う技術者の「経験と勘」によって、「杭が地盤に到達した」と確認されれば問題はないと考え、他の工事のデータを流用するなどの不正が行われたのであろう。

その時代には、杭打ちデータの記録に関する「法令」が、現場の実態とかい離していたため、杭打ちデータの偽装・改ざんが、「カビ型違法行為」として業界に蔓延していたのである。

しかし、21世紀に入る頃から、日本の経済社会においてもコンプライアンスが強調され、法令遵守が強く求められるようになってきた。そうした中で、世の中でも「安全から安心へ」のトレンドの変化が生じ、「実質的に安全であれば良い」というかつての考え方から、「安全であることの記録を確実に残し、求められた時に、そのための記録・情報を確実に提示すること」によって「安心」を確保する考え方への転換が要求されるようになった。

企業社会に、そのように大きな「環境変化」が生じたのであるから、杭打ち工事を行う事業者も、記録が確実に残せるようデータを記録する機器のバージョンアップを行うべきであった。それが、杭打ち業者に求められた「環境変化に適応する」という意味のコンプライアンス対応であった。

しかし、前述した「ステンレス鋼管データ偽装問題」と同様の事情が、そこで、コンプライアンス対応を妨げたのではないだろうか。

機器のバージョンアップには、当然コストがかかる、そのための予算措置が必要となる。しかし、その必要性を説明するためには、「これまでの機器では、記録がとれない時はデータの偽装・改ざんを行っていました」と正直に告白しなければならない。それは、杭打ち工事に関する法令違反を自ら申告することであり、それ自体で重大な責任を問われることになる。いくら、業界全体に蔓延している「カビ型違法行為」であっても、それが表面化すれば、最初に明らかになった問題の当事者に重大な責任が生じことになるのは、まさに今回の問題を見れば明らかであろう。

結局、杭打ち工事の現場は、従来どおり「経験と勘」によって、杭が地盤に到達したことを確認するという「安全」の確保は行われてきたものの、それを確実に記録するという「安心」への対応が不十分なまま、建築が行われてきたというのが実態だったのだと思われる。

データの偽装・改ざんという不正行為は、典型的な「カビ型」違法行為であり、私がかねてから指摘してきた「カビ型違法行為の恐ろしさ」、つまり「カビ」を発見し、なくすことがいかに困難であるかが典型的に表れた事例だと見ることができる。

「カビ型違法行為」に対して今後行うべきこと

このような行為は、一度全てが表面化してしまえば、是正することは、それ程困難なことではない。杭打ち業界全体が改善の方向に向かい、データを確実に記録できる機器が導入され、データの偽装・改ざんは根絶されるであろう。長期間発見されなかった事情は、「規範意識や倫理観の希薄さ」という個人的な問題というより、上記のような「カビ的違法行為のシステム」の問題なのであるから、そのシステムさえ改善されれば、不正が起こることはなくなる。今回の問題を契機に、「不正が絶対に起こり得ないよう検査の厳格化・罰則の強化」を行う必要があるとは思えない。むしろ、国交省が責任回避のために、そのような対応をすれば、耐震強度偽装事件(姉歯事件)の際と同様に、建築不況を招くことになりかねない。

この機会に行うべき重要なことは、これまで述べてきた「カビ型違法行為の恐ろしさ」を再認識し、今回表面化した杭打ちデータの問題以外にも「カビ型違法行為」が潜在化している可能性があるとの前提で、企業としての現場の実態把握に努めることである。

そのためには、「実質的に安全であれば良い」という従来の感覚では現在の社会には通用しないこと、「安心を確保するために正確な記録を残しておくことが不可欠であること」についての認識・理解を組織の隅々にまで浸透させる研修教育を実施した上、一定の期間を定めて不正行為を自主的に申告した者には制裁・処分を減免する措置をとることが有効であろう。「不正行為を行うな」という厳命と厳罰化だけでは、かえって「カビ型違法行為」を一層潜在化させてしまうことになる。

今回の問題に端的に表れているように、「建築物の基礎に関わる杭打ちという最も重要な工事に関してデータを改ざんすることなどあり得ない」という常識は通用しない。表面化したら、そのように厳しい批判・非難を受けることが確実な違法行為であるからこそ、当事者にとっては、「絶対に表には出せない行為」と認識され、深く潜在化する「恐ろしいカビ」になってしまうのである。

 

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原発子会社巨額減損「隠ぺい」 東芝再生は「風前の灯」

昨日、日経ビジネスオンライン(以下、「日経BOL」)に、【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損と題する記事が掲載され、会計不祥事からの信頼回復を図る東芝に、重大かつ深刻な「説明不足」、というより、実質的な「隠ぺい」があったことが明らかになった。

 今回の会計不祥事で東証の特設注意市場銘柄に指定され、月30日の臨時株主総会で、取締役の過半数を社外取締役にするなど、経営陣を一新して再生を図ってきたはずの東芝だが、今回の問題は、早くも、その新体制が全くの見せかけだけのものに過ぎなかったことを露呈した。

東芝が大半の株式を取得して子会社にしていた米国の原発会社ウェスティングハウス・エレクトリック社(以下、「WH社」)で、合計1600億円の巨額減損が発生していたことが、明らかになった。同社の単体決算は2012年度と2013年度に赤字に陥っていたが、日経ビジネス誌が指摘するまで、東芝はその事実を開示していなかった。

東芝は、原発建設事業の国際展開を目論み、2005年にWH社を約6000億円で買収したが、その後、東日本大震災による福島原発事故の発生などで原発建設をめぐる状況が激変、当初の目論見は大きく狂った。

今年に入って表面化した東芝の不適切会計に関して、第三者委員会報告書等で調査の対象とされたのは「損失先送り」という損益計算書(P/L)上の問題ばかりで、貸借対照表(B/S)に関しては会計処理上の問題はないとされていた。WH社の買収の当初の目論見が大きく外れていることから、買収の際に計上されている巨額の「のれん代」の減損を行うべきなのに、適切に行われていないのではないか、ということに関して疑問の声が上がっていたが、東芝はこれまで、原子力事業については一貫して「順調だ」と説明してきた。

今回の日経BOLの記事によって、WH社が巨額の減損処理を行っていたことに加えて、それを東芝の連結決算に反映させないための「屁理屈」を、監査法人に受け入れさせることを画策する社内メールの存在も明らかになった。

このWH社の減損問題に関して、東芝側は、「当社の連結決算には影響がなく、会計ルール上も問題がない」と説明しているようだ。今回明らかになった減損は、原発「建設」というWH社の一部門の問題であって、原発の「メンテナンス」部門は順調なので、WH社全体を子会社としている東芝の連結決算上は、のれん代の減損の必要はない、というのが、会計処理上の理屈としてはギリギリ通るのかもしれない。

しかし、日経BOLの記事に引用された社内メールによると、その理屈は、東芝幹部が監査法人に無理矢理受け入れさせた「屁理屈」だったようだ。その「屁理屈」が、会計処理上は、仮に通るとしても、「原発建設事業における1600億円の減損」の事実を全く公表せず、それについて説明すらしてこなかったことは、日本の経済社会に重大な影響を与えた会計不祥事の当事者である東芝が社会に対して果たすべき説明責任という観点からは、到底許されることではない。

それは、実質的な「隠ぺい」と言わざるを得ない。

WH社の買収に関して、当初同社の原発建設事業を国際展開に活用しようと目論んだのに、その事業が巨額の減損に追い込まれたことは、少なくとも、東芝にとっては重大な事象であり、東芝の連結決算上、減損を回避する理屈があり得るとしても、その理屈を含めて事実を開示して説明することが、東芝にとって最低限の説明責任だと言うべきであろう。

会計不正が行われていた当時、取締役会長という立場にありながら責任追及を免れ、まさに、東芝の信頼回復・再生のために社長の座についたはずの室町現社長は、東芝の事業の現況に関する極めて重大な事実を、公表も説明もしてこなかったことの責任をどうとるのであろうか。

そして、このような社内執行部の社会的責任に目を背けた姿勢に対して、厳しい監視の目を向けなければならないのが、社外役員のはずだ。「社外取締役中心の東芝の新経営陣」は、社会の重大な関心事である東芝の原子力事業に関して、実質的な「隠ぺい」が行われていたことに対して、一体何をやってきたのであろうか。

このようなことがまかり通る企業体質が維持されている限り、日本を代表する伝統企業だったはずの東芝の再生は、もはや「風前の灯」だと言わざるを得ない。

 

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診療所違法捜査、岐阜県警の許し難い「ノットリリースザボール」

前回のブログ【「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問】で、橋下徹氏が、維新の党執行部を批判している理屈がデタラメであること、その「弁護士たる政治家」としての姿勢に重大な問題があることを指摘して厳しく批判したが、維新の党に提出した法律意見書に対して(なぜか私の名前を出さずに)批判する一方で、ブログに対して全く反論してこない。

昨日からは、美濃加茂市長事件控訴審での検察との戦い(【美濃加茂市長事件控訴審、事実審理開始で重大なリスクを抱え込むことになった検察】)、診療所つぶしの違法捜索事件での岐阜県警との戦い(【岐阜県警違法押収事件の背景に、県・国による「診療所つぶし」】)の戦線に復帰した。

美濃加茂市長事件の方は、10月初めの異動で、村山浩昭判事が裁判長となった。

新たな裁判体となったわけだが、気を引き締め直し、この事件で警察・検察が捜査・公判で一体何をやってきたのか、無実・潔白の市長を逮捕し、美濃加茂市民の代表を葬り去ろうとしたのはなぜなのかを解明すべく、弁護人として、徹底した立証を行っていく。

一方で、岐阜県警の診療所等に対する違法押収事件の方は、岐阜地裁で、警察の押収処分の一部を違法だとして取り消す異例の決定が出てから、間もなく3か月になるが、岐阜県警は、いまだに、数千点のカルテを含む膨大な書類のほとんどを「留置の必要がある」などとして抱え込んだまま、被疑事実とされた罰金20万円の医療法違反事件の捜査については、被疑者の取調べすら行われず、全く動きもない。

この捜索は、極めて軽微な被疑事実で、必要性も全くないのに、関係するすべての事務所ばかりか、関係者の自宅も含めて11か所において、明け方まで「家探し」するという異常なやり方だったことに加え、そもそも、その「医療法違反」とされている被疑事実が、犯罪の構成要件に該当しないことを、弁護人として、早い段階から指摘してきた。

要するに、「医療法」における診療所等の「管理」に関する規定は、診療所等の開設者(本件で言えば、社会福祉法人徳雲会)に対して、資格ある医師に診療所を管理させることを義務づけている規定であり、違反に問われるとすれば「開設者」なのに、他の診療所の管理者となっていた「医師」が「別の診療所を管理した」という事実を犯罪事実ととらえ、医師を被疑者として捜索を行っているのである。

我々は、そのような医療法の法律解釈について所管官庁の厚労省に照会し回答を求めたところ、我々の解釈が正しいとの回答があった。

それによって、捜索の根拠自体がないことが明らかになったとして、岐阜県警に以下のような文書を送付して、押収物すべてを速やかに返還するように求めた。

犯罪構成要件に該当しない被疑事実による押収物の返還要請

貴県警生活安全部生活環境課及び羽島警察署は、本年8月6日夕刻から7日未明にかけて医療法違反の被疑事実で社会福祉法人徳雲会関連施設、同法人理事長、職員の自宅等11箇所に対する捜索差押を実施し、数千点に上る診療録等大量の書類等を差押えた。

同押収物の一部については、8月21日、岐阜地方裁判所の決定により、同県警作成の押収品目録記載の235点について、押収が違法であるとして押収処分が取り消され、既に返還済みであるが、その余の押収物については、ごく一部が還付されたほかは、今なお、留置の必要があるとして、押収が継続されている。

貴県警が捜索差押の根拠とした医療法12条違反の被疑事実は、

被疑者らが共謀の上、診療所Aにおいて、平成25年12月27日から平成26年1月21日までの間、同Aクリニックの管理者として岐阜保健所長に届出している医師が管理することなく、実質的な管理を診療所Bの管理者として届け出されている他の医師が行い、もって診療所を管理する医師が無許可で他の診療所の管理を行った

とのことであり、診療所を管理する「医師」が他の診療所の「管理を行ったこと」を犯罪事実ととらえるものである。

しかし、医療法における「管理」に係る規定は、診療所の「開設者」に、「資格ある医師等に管理をさせる」ことを義務づけるものである。「開設者」がその義務に反した場合に違反が成立することはあっても、「医師」等が「管理を行ったこと」について違反が成立する余地はなく、捜索差押の根拠とされた被疑事実はそもそも犯罪構成要件に該当しない。

このことを、当職らは、再三にわたって指摘してきたところであるが、今般、当職らが、医療法を所管する厚生労働省医政局総務課に対して行っていた照会に関して、添付書面記載のとおり、「他の診療所の管理者となっている医師が診療所を管理した事実があったとしても、当該管理を行った医師が違反に問われるものではない」旨回答があった。上記捜索差押で被疑者とされていた「医師」2名は、当職らが指摘していたとおり、上記医療法の規定による違反の主体にはなり得ないことが明らかになった。

なお、上記捜索差押の被疑事実においては、両罰規定の適用として、社会福祉法人徳雲会も被疑法人とされているが、被疑者とされる「医師」2名が違反行為の主体となり得ない以上、同法人も被疑法人とはなり得ないことは言うまでもない。

上記厚労省の回答から、貴県警が徳雲会および医師2名に対して行った捜索差押は、犯罪構成要件に該当しない被疑事実に基づく違法なものであることが明白になったのであるから、貴県警において保管中の押収物のすべてを、速やかに返還するよう要請するものである。

本要請に対する貴県警の対応について、10月19日午後5時までに回答されたい。

ところが、それに対する10月19日付岐阜県警の回答は、「平成27年10月15日付け要請については、現に捜査中の事件であり、捜査に関する事柄については、回答いたしません。」という木で鼻を括ったようなものだった。

「まだ捜査中」だと言いたいのだろうが、一体何の捜査をやっているのか。

昨日、捜査が行き詰ったためか、別件の容疑で全くデタラメな捜査を行っていることを赤裸々に示す事実が明らかになった。

徳雲会の診療所に昨年まで勤務していた医師が、理事長、院長らから告訴されていた軽微な事件があった。告訴した側もその内容をよく覚えておらず、我々弁護人にも全く知らされていなかったが、岐阜県警は、その事件を1年半近くも放置していたのに、告訴人側に全く知らせることもなく、10月に入って、その事件で医師の自宅や実家まで捜索し、使用しているパソコンやタブレットなどを押収した上で、被疑者として呼び出して取り調べることでプレッシャーをかけ、その後で、徳雲会の診療所で何か不正が行われていなかったか、具体的な事実を聞き出そうとしたのである。この期に及んでも、押収している大量のカルテの中から、何とかして犯罪のネタを引き出そうとしているのであろう。

警察の非道なやり方に恐怖を覚えた医師が、私の事務所に連絡してきたことから、警察の不当な捜査を把握するところとなった。

軽微な事件については、ただちに示談で解決し、昨日、告訴取消書を警察署に提出した。そして、警察が、事実を歪曲するような供述調書を作成していた点については、医師から正しい事実関係を述べた陳述書の作成提出を受け、徳雲会の事件を捜査する岐阜県警生活環境課に写しを提出し、担当課長らに厳重に抗議した。

数千点のカルテを含む膨大な書類の押収を不当に継続し、捜査の見込みが全く立たない状況で、別件の捜査と称して、徳雲会側が告訴している事件まで引っ張り出して、このような悪辣なことをやっているのが岐阜県警なのである。

ここまでくると、もはや「権力ヤクザ」の所業と批判されてもやむを得ないであろう。

岐阜県警は、そのような無駄な抵抗を直ちにやめ、違法・不当な捜査について謝罪し、事態を収拾すべきである。

ラグビーでは、タックルされて倒されてもボールを離さない「ノットリリースザボール」は重大な反則行為だ。診療に不可欠な大量のカルテを押収し、弁護人側からの攻撃でボロボロになりながら、いまだにカルテを抱え込んで離さない岐阜県警のやり方は、「ノットリリースザボール」の反則そのものであり、社会に対する重大な背信だ。

 

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「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問

維新の党への法律意見書の作成提出

本日朝、維新の党に、私と清水真弁護士との連名による法律意見書を提出した。

同党の執行役員会のメンバーであった東徹衆議院議員が、「維新の党党大会実行委員長」と称して、10月24日に臨時党大会を開催する旨の文書を党員に送付し、今年5月の江田前代表の辞任をうけ、両院議員総会で代表に選出され、その後、代表として活動してきた松野氏と現執行部について、代表選任及び任期延長が無効で、代表及び執行役員会が存在しない状態となっていると主張していることに関して、東氏が開催を呼び掛けている「臨時党大会」が党大会として有効なものであるのか否か、松野代表及び現執行部の地位が正統なものか否かについて、弁護士の立場から法律意見を求められたことに対して回答したものだ。

私は、維新の党の支持者でも支援者でもない。維新の党執行部からの質問事項に対して、純粋に、法律家の立場から客観的な見解を述べたまでだ。

現在の維新の党執行部と、東議員や、離党した橋下徹元代表など、いわゆる「大阪組」との対立について、どちらの政治的主張が正しいのか、私が関知するところではない。

しかし、維新の党が政党であり、政党助成法に基づいて税金を原資とする政党助成金の交付を受け、また、政治資金規正法による規律の下で、政治資金の寄附を受けるなどして政治活動を行う「法人格を有する組織」である以上、その運営が法律に基づくものであり、党規約その他の内部規則に従ったものでなければならないのは当然である。

その点に関して、法的な争いがあるのであれば、本来は司法判断に委ねるべき問題だ。しかし、事柄の性格上も、時間的にも、裁判所の判断を仰ぐことによる解決は容易ではない。そうであれば、現時点において、両者の政治的対立とは離れて、客観的な立場で可能な限りの検討を行って判断を示すことが社会的にも重要なことだと考え、意見書の作成を受任したものだ。

政治に関連する問題への過去の発言・指摘

私は、これまでも、企業不祥事や検察問題のみならず、政治に関連する問題について、政治とは切り離して、純粋に法律的、或いはコンプライアンス的観点からの判断を示してきた。

最近の例では、維新の党の現執行部側の議員の多くが所属していた「みんなの党」の代表であった渡辺喜美氏が、化粧品販売会社の社長から、2010年の参院選前に選挙資金として3億円、2012年の衆院選前にも5億円の合計8億円の提供を受け、渡辺代表の個人口座に振り込んで貸し付け、そのうち約5億4900万円が未返済であったと新聞で報じられ、公職選挙法違反、政治資金規正法違反が成立するのではないかが問題にされた際、当ブログで、【渡辺喜美代表への資金提供問題、誰のどの選挙の資金なのかと題する記事を掲載し、今回の渡辺代表が受けた資金提供については、公選法・政治資金規正法違反での立件には、多くの隘路があり、容易ではないことを指摘した。

この記事は、マスコミの報道にも大きな影響を与え、その後、同氏は公選法違反等で告発されたが不起訴に終わり、法律的には、私が指摘した通りの結果となった。

この時も、私は、渡辺喜美氏とは何の関係もなく、支持する立場にもなかった。あくまで、検事の実務経験者たる法律家としての見解である。

さらに遡ると、2009年3月、政権交代をめざす野党第一党民主党の小沢一郎代表の秘書が、東京地検特捜部に政治資金規正法違反で逮捕された際、私は、元検事・検察実務家の立場から、検察捜査の暴走を厳しく批判した。新聞・雑誌等での発言(その中でも特に注目を集めたのが、日経ビジネスオンライン【ガダルカナル化する検察捜査】)のほか、サンデープロジェクトに多数回出演し、検察捜査の見込み違いを指摘した。

私は、小沢一郎氏とは一面識もなかったし、検事時代は、検察捜査の最前線で、公共工事利権に絡む事件と闘ってきた人間だ。民主党では、それまでは仙谷由人氏と親しく、政権交代後の各分野での施策についてのブレーン的な立場でもあった。(拙著【検察が危ない】ベスト新書)

私にとって、小沢氏をターゲットとする検察捜査を批判することについて、政治的意図は全くなかった。むしろ、小沢事件捜査での検察捜査を批判したことで、それ以降、小沢氏の仇敵とも言える仙谷氏とは疎遠になり、同氏が政権交代後、政府の要職を務めるようになってからは音信すら全くない。

また、私は一方で、小沢氏の姿勢も厳しく批判した。陸山会事件で秘書3人が逮捕された際は、検察を厳しく批判し、全面対決を打ち出していた小沢氏が、その後、秘書3人の起訴と同時に自らは不起訴になるや、「検察の公正公平な捜査の結果と受け止める」と述べたことを厳しく批判した。(朝日新聞2010年2月20日15面「私の視点」【小沢氏の対決姿勢はどこへ】)

このように、私は、政治に関連する問題や事件に関しても、純粋に法律的、或いは実務的な立場から発言し、見解を述べてきたつもりだ。

法律意見書作成に至る経緯と結論

今回、維新の党からの質問に対する法律意見書というのは、上記のような、ブログやマスコミでの発言とは異なり、報道されている範囲の事実や、検察での実務経験だけから意見を述べられるような問題ではない。党規約・内部規則・当内部での会合の議事録等の膨大な資料を精査することが必要であり、弁護士業務として、事務所の弁護士・法務スタッフ・他事務所の弁護士を補助的に活用した。そして、法律意見書の客観性を確保するため、日頃から親しい弁護士から、会社法等の組織法に精通する弁護士として紹介を受け、これまで一面識もなかった潮見坂法律事務所の清水真弁護士にも加わってもらい、徹底して議論した末に取りまとめたものである。

今回、この意見書作成を受任したのは、然るべき人物からの依頼があったからである。

先週金曜日、現在、維新の党の幹事長を務める今井雅人衆議院議員から電話があり、維新の党と「大阪組」との対立が法律問題に発展しており、法的検討を依頼したいと言ってきた。

今井議員は、美濃加茂市在住で、収賄事件で私が弁護人を務める藤井浩人美濃加茂市長から、去年紹介を受けていた。藤井市長の兄貴分のような存在で、市長の収賄事件に関しても、いろいろ側面からの支援をしてくれていた。

多くの業務を抱えている上に、ブログ【「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」】の執筆や、最近の不祥事事案に関するマスコミへのコメント等も加わって、多忙を極めている中、今回の意見書作成の業務を受任したのは、今井氏からの依頼だったからであり、まさに、「美濃加茂コネクション」によるものであった。

極めて短期間での調査・検討と意見書の作成であったが、必要な検討は十分に行ったものであり、判断・結論には自信を持っている。

「松野代表及び現執行部には正統性があり、東議員の送付した文書によって,何らかの会合が開かれたとしても,それは維新の党の党大会ではなく,そこで何らかの内容が決定されても,その効果は維新の党には及ばない」との結論は、質問書に示された現執行部の見解に沿うものだが、法律家として当然の見解だと考えており、党大会依頼者側の判断に迎合したものでは決してない。

「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏に対する疑問

以上が、本日、維新の党執行部に提出した法律意見書を作成するに至った経過や、この問題に関する私の立場に関する説明である。

これに関連して、維新の党を8月に離党しているものの、今も「大阪組」の中心人物でもある橋下徹氏のことについても触れておこう。

私は、橋下氏に対して、政治的には、支持するものでも批判するものでもない。これまでツイッター・ブログ等でも、橋下氏についてのコメントは一切行った記憶はない。

唯一の接点は、2008年3月に和歌山市で開かれた近畿ブロック知事会で、私が「談合問題とコンプライアンス」について講演した時であった。

当時、私は、拙著【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書)で述べた、「日本社会では法令と実態とが、しばしばかい離し、そのような法令の遵守に凝り固まったコンプライアンスが、社会に大きな弊害をもたらしている」との持論につついて、全国各地で講演等を行っていた。

当時、大阪府知事だった橋下氏は、私の講演内容に共感し、「大阪府庁でも、法令遵守が大きな弊害をもたらしている」というようなことを発言していた。

それ以降も、これまで、橋下氏について特に悪い印象を持ったことはない。

しかし、今回、法律見解作成業務に関連して、維新の党執行部と「大阪組」との対立に関する橋下氏のツイッター・ブログでの発言を大まかに把握した。その個人的感想を率直に言わせてもらうとすれば、「弁護士たる政治家」の姿勢としては大きな問題があるように思える。

橋下氏は、法律論や判例等を持ち出しては、「自分は法律の専門家、弁護士ではない人間には法律のことはわからない」という前提で、弁護士ではない人間を徹底して見下した言い方をする。

[10月19日のツイッター・ブログ]

バカども国会議員の連中が、とんでもない法律論を流し始めている。なんかおかしいなと感じている国会議員は、必ず弁護士に相談しに行くこと。

などという言い方が、その典型である。

そして、その中に、「憲法31条 デュープロセス」「平成3年の監獄法施行規則に関する最高裁判例」などと、法律の専門用語や判例などを持ち出して、「やはり法律の専門知識を持った弁護士にはかなわない」と思わせる。

[10月18日のツイッター・ブログ]

維新の党には現在代表がいないという主張について維新の党の国会議員が反論しているが、いやー酷いねこの集団は。顧問弁護士くらいに相談してから発言した方がいいよ。国会議員って法律を作る人達。ところが維新の党の国会議員は法律的素養0

僕がなんと言おうと、大阪組の国会議員がなんて言おうと、最後は必要なプロセスを踏む。当たり前じゃないか。憲法31条、デュープロセスくらいちょっとは勉強してよ。維新の党のおこちゃま集団は、僕が決めれば、大阪組の国会議員が言えばすべてが決まると勘違いしている。手続きというものを知らない。

維新の党の幹部と名乗る人たちの反論の頼りの綱はここだけ。平成3年の監獄法施行規則に関する最高裁判例を一回くらい読んだらどうだ?いわゆる委任立法の限界というやつだ

というような言い方である。

しかし、実は、橋下氏が持ち出している専門用語や判例に対する理解というのは誠に不正確で素人的なものであり、そこで持ち出すことの妥当性には重大な疑問符がつく。

維新の党の幹部に「一回くらい読んだらどうだ?」と言っている「平成3年の監獄法の最高裁判例」は、「幼年者と被勾留者との接見を一律に禁止した上、例外として、限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すと定めた監獄法施行規則が、監獄法50条の委任の範囲を超え無効と判断された事例」であり、被拘留者が外部者と面会を行う自由という人権の制限が問題となった事案である。

人権の制限について法による委任の範囲を超えることが許されないということと、今回の維新の党のような、組織法に関して上位規範による委任の範囲をどのように解釈するかという問題は、性格が全く異なるのであり、同列に論じることはできない。

また、「代表任期延長についての手続き」の問題に関して「憲法31条、デュープロセス」という言葉を持ち出しているが、「何人も、法の適正な手続きによらずに、生命、自由、または財産を奪われることはない」というのが憲法31条のデュー・プロセスであり、本来は、刑事手続きの適正さの保障である。それが、行政的手続きによる権利侵害での手続的保障にまで及ぶとの議論はあるが、「組織の長を決定する手続き」という組織法上の「手続き」とは、これも性格が異なる。

「平成3年の最高裁判例」についても、憲法31条についても、橋下氏の論理は、あまりに表面的かつ素人的な「こじつけ」にしか見えないのである。

そして、橋下氏は、別のツイートで

国会こそが国権の最高機関であり、唯一の立法機関(憲法41条)だから、行政で何でもかんでも決められるわけじゃないよ、というのが平成3年の最高裁判例

党で言えば、党大会が国会。党大会が最高議決機関(規約6条)。執行役員会は内閣、行政・執行機関(規約第4章)なんだよね。維新の党の国会議員には三権分立から教えないといけないよ。

規約6条2項において党大会にも『その他重要事項を決めることができる』とバスケットクローズ条項が定められている

代表選出なんて、明らかに組織の重大事項。そうなれば規約6条2項に基づいて党大会で審議し決することは当たり前

というように、監獄法に関する最高裁判例を、憲法41条に結びつけ、「代表選は党大会で行うべし」という議論にまで無理やり結び付けていくのである。

しかし、組織内部において、構成員全体で構成される機関と、その委任を受けて業務執行を行う執行部との間で、どのような権限配分、役割分担が行われるのかは、組織内における自律的な判断に委ねられるのであり、それは、国会が国権の最高機関であることを前提とする国政レベルでの法律の規則等への委任の範囲の問題とは異なる問題である。

しかも、橋下氏が強調している規約6条2項の、党大会が「その他重要事項を審議し決定する」というのも、党大会の招集権者が、規約に基づく招集通知を期限内に行い、その中で審議事項とすることを連絡するなどの手続きがとられた場合に、「その他重要事項」が審議されることになるのであり、党大会の開催手続きを無視して、代表選出が当然に党大会での決定事項となるわけではない。

橋下氏の論理は、幾重にも飛躍しており、凡そ法的な論理になっているとは言い難い。

このように、適切とは言い難い法律専門用語や、一般人には容易にアクセスできない判例などを持ち出して、自論の根拠づけとなるかのように見せるやり方は、「弁護士たる政治家」として厳に慎むべきだと思う。弁護士としての法的素養や実務能力は、そのようなことのために与えられたのではない。

検事時代の経験だが、レスリング・ボクサー等のプロ選手が、その技を一般人に使った場合には、「凶器使用」と同等の厳しい量刑で求刑するのが通例だった。プロは、プロスポーツで培った技能を、プロ相手に使うべきであって、一般人に危害を加える方向で使うことは許されない。弁護士も、その技能を政治の分野で、非弁護士の政治家や国民を欺く方向で使ってはならないのである。

繰り返しになるが、私は、政治的に維新の党を支持するものでもなければ、近く立ち上げられるという「おおさか維新の会」を批判するものでもない。両者は、政党らしく、正々堂々と、政策による論戦を行ってもらいたい。

橋下氏にも、法律論を持ち出すのであれば、「弁護士たる政治家」としての矜持を持って、正確かつ適切に行うべきであり、それができないのであれば、「弁護士」という意識は捨てて政治家としての活動を行ってもらいたい。

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「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」

横浜市内の大型マンションが傾いた問題で、建設時の杭打ち工事で、建物の基礎となっている複数の杭が強固な地盤に届いておらず、杭打ちのデータに別の工事のデータが転用されていたことに加え、セメント注入量まで偽装されていたことが明らかになった。

デベロッパーは三井不動産レジデンシャル、元請け施工が三井住友建設、下請けが日立ハイテクノロジーズ、杭打ち工事を行った孫請けが旭化成建材と、いずれも日本を代表する企業ないし子会社であり、日本の企業のコンプライアンスが問われる事態に発展している。

同じようにマンション等の建築をめぐって発生した問題に、2005年11月に表面化した姉歯元一級建築士による耐震強度構造計算書偽装事件(「姉歯事件」)がある。この問題は、日本社会全体を巻き込む大きな問題となったが、その多くは、建築基準法に対する無理解、建物の耐震性についての誤解によるものだった。姉歯事件と比較すると、基礎となる杭が地盤に届いていないという現実的な瑕疵の問題であり、少なくとも「建物の傾斜」という実害が発生している点において、「計算上の耐震強度」の問題で、建物の実害も発生しなかった姉歯事件より重大かつ深刻である。

むしろ、設計段階の問題であった姉歯事件をめぐる騒ぎの中で、施工段階における真の問題が見過ごされてきたことが、今回の問題の背景となったとみることもできる。

改めて姉歯事件をめぐる問題を振り返りつつ、今回の問題を考えてみることとしたい。

姉歯事件では、国交省が問題を公表した後、建築基準法に定められた耐震基準を満たさないマンションやホテルなどが全国各地で建設されていた事実が次々と明らかになった。国交省が、耐震強度が大幅に偽装された建物の使用を禁止したことで、住民がマンションからの退去を余儀なくされるなど、大きな社会問題となった。

この事件では、構造計算書を偽装して耐震強度を実際より高く見せかけようとした姉歯元一級建築士のほかに、構造計算書の偽装を見抜けなかった指定確認検査機関、姉歯氏の構造計算によって多数の低価格マンションを建設・販売して急成長した不動産業者、建築施工業者など関連する業者の責任が次々と問題にされ、これらの関係者の多くが、刑事処罰まで受けた。

この事件を受けて、国交省は、耐震強度偽装の再発防止のための建築基準法の改正を行い、建築確認について厳格かつ煩雑な手続を規定した。そのため、建築確認申請の手控えや審査手続きの大幅な遅延につながり、マンションや住宅などの建築が一時的にストップし、住宅着工件数が激減、建築・不動産をはじめ関連業界は大変なダメージを受けた。法改正後の建築件数の大幅な減少の影響を受けて倒産する企業も出て、日本の建築業界は、リーマンショックの前から深刻な不況に見舞われた。

このように、社会的にも、経済的にも、かつてない程の重大な問題に発展した耐震強度偽装事件だったが、実は、この問題に対しては大きな誤謬があり、まさにこの問題に関して社会が「思考停止状態」であったことを、拙著「思考停止社会~遵守に蝕まれる日本」(講談社現代新書:2009年)で指摘した。

若干長文になるが、拙著の該当部分をそのまま引用する。

そもそもこの問題が起こった背景には、建築基準法というのが何のための法律で、それを社会で活用していくために、どういう方向で法律を運用していったらいいのかという基本的な視点の欠如がありました。

この法律は、「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準」を定めるものであり、建築確認制度というのは、建築士が設計を行っていることを前提に、行政においても事前に最低限の設計図上のチェックを行うという趣旨で設けられた制度でした。

この制度ができた終戦直後、もともと予定されていたのは、木造の一戸建てのような単純な構造の建築物でした。しかしその後、経済の発展に伴って、建築技術も飛躍的に進歩し、建築物も高層・大規模化し、複雑で多様な構造のビルが建築されるようになったため、建築士の設計と建築主事の建築確認によって安全性を確保するというこの制度は、大規模建築については形骸化してしまいました。

それにもかかわらず、一般の人には、建築確認が、現在のような高層化・複雑化した建築物についても安全性を確保する役割を果たしているように誤解されてきました。建築基準法による建築確認という制度が果たしている役割について、一般人の認識と実態との間に大きなギャップが生じていたのです。

特に、建物の耐震性能という面では、建築確認はほとんど安全性の確保の機能を果たしていませんでした。多くの人は、地方自治体や民間建築確認機関による建築確認が行われた以上、耐震性能が建築基準法の基準を充たしているものと信じていましたが、複雑で高度な建物の耐震強度の確認というのは、設計図上の建築確認という手続で確かめられるような簡単なものではありません。耐震強度の構造計算は、あくまで一つの計算方法であり、実際の地震による倒壊の危険は敷地の地盤などの自然条件によっても異なります。また、設計上問題はなくても、その設計図通りに施工しない手抜き工事が行われる危険性をなくすことはできません。

しかし、建築確認が形骸化していたからと言って、日本の大規模建築物の安全性が低かったということではありません。阪神淡路大震災のような極端な場合を除けば、日本の建築物の安全性に重大な問題が生じることはなく、全般的には高い水準に保たれてきました。それは、設計者、施工会社の信用が大切にされ、技術者の倫理観がしっかりしていたからです。

つまり日本の建築物の安全性は、従来から、建築基準法という「法令」や建築確認という「制度」ではなく、会社の信用と技術者倫理によって支えられてきたのです。

ところが、1981年の建築基準法の改正で新たな耐震基準が導入された際、その基準は既設建築物には適用されず、それ以降のものだけに適用されたために、周囲に耐震性の低い建物がゴロゴロしているのに、新たに建てる建物だけは高い耐震性を要求されることになりました。

このことが、耐震性能に関して建築基準法の基準の性格を非常に曖昧なものにしてしまったことは否めません。「最低の基準」なのであれば、絶対に充たさなければならない基準という認識で設計・施工が行われ、設計者・技術者の倫理観も十分に働くはずですが、基準が充たされていない建築物が実際には周りに多数あるということであれば、絶対的な基準という認識は希薄になってしまいます。

その後、1990年代に入ってから、民間の建築業界の価格競争が激化して、極端な安値受注が横行し、そのしわ寄せが施工の現場を直撃しました。結果、工事の質を落として採算を確保しようとする手抜き工事、粗漏工事が横行したと言われています。設計の段階で耐震基準を充足していても、施工段階で強度不足の建物が建築される危険性は全般的に高くなったのです。こうして、実質的に建物の安全性を確保するためのシステム全体に綻びが生じる中で、一人の無責任極まりない建築士によって多数の建物の構造計算書を改ざんするという、露骨な「違法行為」がいとも簡単に行われたのが耐震強度偽装事件です。

この事件が、社会に大きな影響を及ぼす騒ぎに発展する原因となったのは、強度が偽装された建物の使用禁止と取り壊しを命じた国土交通省側が発した「震度5強の地震で倒壊の恐れがある」という言葉でした。震度5強というと、地震国日本ではかなり頻繁に起きる地震です。その程度の地震で、建築された建物が「倒壊」してしまう恐れがあるということで、国民の関心は「強度が偽装された建物」に集中しました。

「耐震強度偽装」という違法行為がマスコミにセンセーショナルに取り上げられ、多くの人は、強度を偽装された建物だけが、ちょっとした地震でガラガラと崩れおちてしまい、中にいる人が押しつぶされてしまうように誤解しました。

1981年以前に建築された建物には、問題になった耐震強度が偽装された建物より耐震性の低いものも多数あり、もし、耐震性が低い建物の存在が問題だというのであれば、日本中の多数の建物の使用を禁止しなければならなかったはずですが、社会の関心は、偽装行為を叩き、偽装の再発を防止することばかりに向けられてしまったのです。

問題の核心は、建築基準法という法令に基づく建築確認の手続に関して、耐震強度の「偽装」という行為が行われたことが明らかになったことでした。多くの人々が、建物の安全性を確保する役割を果たしていると思っている法令上の手続に関して偽装を行うというのは、水戸黄門の印籠に泥を塗るような行為というイメージでとらえられたのです。

国交省としても、そのような許し難い行為によって建築された建物は有無を言わさず取り壊しを命じることになります。それが、入居したばかりのマンションから多額のローンを抱えたまま退去しなければならない、という社会的に許容し難い事態を発生させ、それに対する怒りが、そのような事態を招いた耐震強度偽装行為に関わった者を厳罰に処し、その再発防止のためであればあらゆる手段を講じるべき、という論調につながっていったのです。

 

要するに、姉歯事件は、「建築物の敷地・構造・設備・・用途に関する最低の基準を定める」という建築基準法という法律の性格が理解されず、その法律によって定められた「耐震強度」によって、建物の安全性が確保されているように誤解され、それに、国交省側の「震度5強で倒壊の恐れ」という無神経な発言があって、マンションの使用禁止等の事態に発展し、日本社会に重大な影響を与えた。

しかし、その後発生した東日本大震災においても、強度が偽装された建物が倒壊したという話は全く聞かない。結局、姉歯事件で問題にされた「耐震強度」は実際の地震における安全性には直結しないものだった。

一方、今回の問題では、「大規模な構造物の基礎は強固な地盤で固定されなければならない」という、建築物の敷地・構造・設備・・用途に関する「最低の基準」に関する問題で、「建物が傾く」という実害が発生しているのに、姉歯事件のような建物の使用禁止等の措置はとられていない。

「改めて構造計算を行ったところ、耐震性には問題はなかった」とされているが、セメント注入量の偽装が発覚する前のことである。しかも、マンションの販売担当者は、廊下の手すりの高さに差があるとの当初の住民の指摘に対して、「東日本大震災でズレた」と説明していたのである。耐震性に問題がないとの説明も額面どおり受け止めることはできないように思える。

他方、両者に共通しているのは、問題の背景や構造に目を向けることなく、「偽装」という個別の行為に問題が限局されようとしていることだ。

姉歯事件で、「耐震強度偽装」という違法行為を行った者や、その行為に関わった者の処罰と偽装の再発防止措置をとることに社会の関心が集中したのと同様に、今回の問題についても、「データ偽装」という不正行為にばかり焦点があたっているように思える。

それを象徴するのが、データ偽装が明らかになった直後の証券市場での関連する会社の株価の動きだ。報道初日は、元請の三井住友建設の株価がストップ安の暴落となったが、翌日、データ偽装が、孫請の旭化成建材の社員による行為であることが明らかになるや、同社の親会社の旭化成の株価が暴落、逆に、三井住友建設の株価は大幅に値を上げた。

「データ偽装」を行った会社がすべての責任を負担することを前提にしているかのような株価の動きの一方で、マスコミ報道でも、「改ざん(偽装)を行ったのは、すべて一人の現場代理人であること」が強調されている。

確かに、現場代理人は、工事の品質に絶対的な責任を負うべき立場の技術者であって、その立場の人物が、建物の基礎に関わる工事のデータを意図的に偽装するということは凡そ考えられないことだ。

しかし、今回の問題は、単に、データの管理の問題ではない。杭が強固な地盤に未達だったことからデータ偽装が行われたことは明らかであり、その事実を隠蔽しようとする意図があったとしか考えられない。

「杭の地盤への未達」の事実を知りながら、それを是正しようとせず、データを偽装するという行為が、いかなる動機で行われたのか、そこにどのような事情があったのか(「杭の地盤への未達」未達を明らかにすることが、当該現場代理人又はその会社にとって、どのような不利益があったのか)を解明することがまず必要だ。

杭打ち工事を孫請けした企業だけではなく、建築工事全体を施工した元請建設会社等の施工管理上の問題、或いは、デベロッパーによるマンション建設の事業計画自体に問題があった可能性もある。

そもそも、建築工事・土木工事においては、当初想定していた条件とは異なった施工条件が施工の段階で判明することは避けられない。その対応に大きなコストがかかるものであった場合に、追加費用を誰がどのように負担するのかについて明確なルール・基準が設定され、適切な対応ができる予算上の余裕が設定されていなければならない。そうでなければ、立場の弱い下請け企業に負担が押し付けられ、その負担を逃れるために、不正が行われるということになりかねない。

前掲拙著で述べたように、姉歯事件では、耐震強度偽装にばかり関心が向けられ、「手抜き工事・粗漏工事が横行し、耐震性が不十分な建築が野放しになっている実態」には目が向けられることはなかった。そのような状態が継続していたところに、その後の建築業界をめぐる極端な人手不足・工事採算の悪化が加わり、状況が一層深刻化したことが今回の問題発生の背景になった可能性もある。

いずれにしても、まずは、「データ偽装」を行った現場代理人の動機や事情を徹底解明し、その背景を幅広く深く調査し、真の原因を究明する必要がある。

多数の企業、官公庁等の組織に関係する問題だけに、当事者企業の内部調査だけでは十分な事実解明や原因究明は期待できない。

国交省が、第三者も含めた調査体制を構築することも含めて、主体的に調査に関わることが不可欠である。

 

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司法試験問題漏洩、前代未聞の「法務省の告発」の行方

司法試験考査委員で明治大学法科大学院の青柳幸一教授が、自身の作成した試験問題を、教え子だった20代の女性受験者に漏らした問題で、法務省は青柳教授を国家公務員法(守秘義務)違反罪で東京地検に告発した。

検察庁や法務省法務総合研究所など法務・検察に23年間勤務した私だが、「法務省本省の告発」というのは聞いたことがない。まさに前代未聞の告発が行われるに至った今回の事件が今後各方面に及ぼす影響は計り知れない。

折しも、告発が行われた9月8日、私の新著「告発の正義」(ちくま新書)が発売された。

告発の正義(小)

同書では、告発について、「悪事を暴く」という意味の内部告発などの「社会的事象としての告発」と、刑事訴訟法や特別の法律が定めた権限に基づいて、捜査機関に犯罪の処罰を求める「法律上の告発」の二つに大別している。

今回の「法務省の告発」は、刑事訴訟法239条2項による「法律上の告発」であるが、そのような告発が行われるに至ったのは、その受験生の答案の点数が著しく高く、採点した考査委員から法務省に「漏えいがなければ作成困難な内容」との情報が寄せられたことが発端だとのことであり、その委員の情報提供は、「考査委員による試験問題の漏えい」の疑いを持った考査委員が行った一種の「告発」的行動と見ることもできよう。

法律上の告発には、一般人による告発と公務員(官公庁)による告発とがある。

刑訴法239条1項の「何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。」が一般人の告発の権利を規定しているほか、2項で「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」として公務員による告発義務を定めている。この2項の規定による告発は、通常、公務員個人ではなく、官公庁の組織の決定に基づいて行うもので「官公庁による告発」である。

官公庁による告発には、このような刑訴法に基づくもののほかに、独占禁止法に基づく公正取引委員会の告発、金融商品取引法に基づく証券取引等監視委員会の告発のように、法律によって法執行機関に与えられた特別の告発権限によるものがある。

そして、刑訴法に基づく官公庁の告発にも、所管する法律違反に対する告発(厚労省によるノバルティスファーマ社に対する告発がその一例、前掲拙著138頁以下)と、当該官公庁の内部者が行った犯罪行為に対する告発があるが(その典型が、ヤミ専従問題で厚労省が旧社保庁職員に対して行った告発)、今回の法務省の告発は、非常勤ではあるが法務省に所属する公務員に当たる司法試験考査委員の犯罪行為に対して行ったもので、後者の告発である。

刑訴法239条2項の「犯罪あると思料するときは告発しなければならない」との文言は、一見すると、「犯罪の疑いがあると思った公務員(官公庁)には告発の義務がある」という意味のようにも思えるが、一般的には、犯罪の嫌疑が十分にあると判断し、なおかつ、その犯罪について処罰すべきと判断した場合に告発を行うことを規定したものと解されている。

今回の事件では、法務省は、13年間にわたって、司法試験考査委員という重職にあった大学教授を、処罰すべき悪質・重大な犯罪を行ったと判断して告発したのである。そのこと自体が衝撃的である。

検察庁は、法務省に属する行政機関である。それだけに、その法務省が、検察に対して告発を行ったことは、検察にとって極めて重大な意味を持つ。

告発を受けた東京地検特捜部は、試験問題のどの範囲をどのように教えたのか、答案の書き方まで教えたのかなど漏えいの事実関係の詳細だけでなく、青柳教授と受験生の女性の関係や、このような問題が発生した背景についても徹底した捜査を行わなければならない。

もし、漏えいを受けた女性受験生の方から青柳教授に積極的に働きかけて、試験問題を漏えいさせたとすれば、国家公務員法111条の「…に掲げる行為を、企て、命じ、故意にこれを容認し、そそのかし又はそのほう助をした者は、それぞれ各本条の刑に処する。」に該当し、受験生について犯罪が成立する可能性もある。

青柳教授と受験生の両方が漏えいの事実を認めていたとしても、両者の供述内容によっては、犯情も量刑も大きく異なってくるのであるから、「罪証隠滅のおそれ」がないとは言えない。青柳教授を逮捕・勾留し、身柄を拘束して取調べを行うことにならざるを得ないのではなかろうか。

守秘義務違反の罰則は「1年以下の懲役又は50万円以下の罰金」と軽いが、司法試験の公正に対する信頼を失墜させるという結果は極めて重大であり、また、2007年に問題となった慶応大学法科大学院の教授のケースのように、法科大学院での教育の中で、担当する法科大学院生全体に試験問題の素材を「重要判例」として紹介したというのとは異なり、青柳教授の場合は、法科大学院での教育とは離れた私的な場で特定の女性の受験生に問題を漏えいしたというのであるから、犯情も極めて悪質である。逮捕・勾留という、厳しい社会的非難を前提とする身柄拘束措置を受けることも致し方ないであろう。

本件の事案の真相の解明は、既に明らかになっている青柳教授の女性受験生に対する試験問題の漏えいだけにとどまってはならない。過去に本件の余罪に該当するような事実はなかったのか、青柳教授が漏えいに及んだことを全くの個人的資質の問題と扱って良いのか、その背景に法科大学院と司法試験制度の関係に関わる構造的な問題はなかったのかなどについても幅広い事実解明が必要である。

刑事事件としての捜査だけではなく、法務省において、第三者も含めた調査によって、これらの点についても解明していく必要がある。

13年にもわたって同一の教授を考査委員の職にとどまらせたことが今回の事件を発生させる原因となったことは否定できない。2007年の慶応大学法科大学院教授の問題以降の法務省の対応が問題となる可能性もある。法務省の「告発の正義」は、最終的に「告発者の不正義」を明らかにする結果につながるかもしれない。

今回の試験問題漏えい発覚の契機となったのは、同僚の考査委員による法務省への情報提供が行われたことだった。

従来から司法の世界では、法曹三者の間の「同族意識」が強い。法学部、法科大学院の教授も、長年司法試験考査委員を務めるような「大御所」の場合、その「同族」に含まれる。

問題の答案が、「漏えいがなければ作成困難な内容」であり、考査委員からの漏えいが疑われたとしても、従来からの「同族的関係」の下では、法務省側に通報することには抵抗もあったはずだ。実際に特定の考査委員から特定の受験生に問題が漏えいしていたとすれば、司法の世界を揺るがす重大な問題になりかねない。もし、その考査委員が見過ごしてしまえば、法務省側が答案の中身を見ることはないのだから、発覚することはまずなかった。

漏えいした可能性が最も高いのは、受験生と接点を持つ法科大学院の教授であり、誰が疑わしいのかということも、概ね見当がついていたはずだ。そういう意味では、この同僚の考査委員による情報提供は、まさに、現在起きている重大な事態をかなりの程度予測した上で行われた一種の「告発」だったとみるのが合理的であろう。

新著「告発の正義」の中では、激しく変化する環境の中で、「告発」が大きな社会的意義を有することになっている現状について書いた。

「法律上の告発」のうち一般人によるものは、かつては、「検察の正義」の前に無力だった。しかし、検察審査会の起訴議決制度の導入後、検察の告発事件の捜査処分が大きく影響を受けるようになり、「告発の正義」と「検察の正義」の関係が変わった。官公庁の告発に対する姿勢も、近年、大きく変化している。同書では、こうした環境変化の中での「告発の正義」の実相を、私自身が検察や公取委で経験したことも含め、様々な事件を通して描いた。

法務省が憲法学会の大御所の司法試験考査委員を告発するという衝撃的な事態となった今回の事件は、「告発」をめぐる社会の環境が、従来では考えられなかった方向に大きく変化をしていることを示している。

前代未聞の「法務省の告発」が、司法の世界にどのような激変をもたらすのか。その「告発の正義」の行方から目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

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東芝決算発表再延期、記者会見での室町社長の「責任」発言に唖然 

今年6月末の提出が2か月延期され、8月末に予定されていた東芝の有価証券報告書の提出が、その期限の日の夕刻になって、9月7日まで、さらに7日間延期されることが発表された。

東芝のような大規模上場企業が、決算発表を延期すること自体が異例だが、それに加えて、再度の決算発表の延期というのは、全く前代未聞だ。

提出期限ぎりぎりでの延期の発表をした室町正志会長兼社長が、午後8時から記者会見を開き、そこで、9月7日の再延長期限を守ることはできるのかと質問され、「できないとは想定していませんが、万が一、そういう事態になれば、重い責任をとります」「極端にいうと、進退問題を含めて考えなければいけない」と述べたとのことだが、再度の決算発表延期という前代未聞の事態を受けて会見を開いた社長の言葉とは思えない。

「再度の決算発表延期」自体が、本来、絶対にあってはならないこと、許されないことであり、社長の「責任」は、それだけでも限りなく重い。本来であれば、即刻辞任すべきだろうが、7日間の再延長後の決算発表を行うことが社長にとって重大な責任があるので、それを果たすために社長の椅子にとどまっているというのが一般的な見方であろう。

会見での質問は、9月7日の期限が守られるかどうかの見通しであって、守られなかった場合の責任など聞くまでもないはずだ。しかも、室町社長は、今回の不適切会計が行われた時期の会長であり、本来、責任を問われるべき立場だった。社長を兼任して会社にとどまっているのは、危機的事態にある東芝を救うことだけが目的のはずであり、それが果たされなければ即刻辞任は当然のはずだ。

それを「重い責任をとる」とか、「極端にいうと」「進退問題も含めて」という言葉が出て来ること自体が信じられない。 このような「責任についての無神経さ」は、東芝の経営陣全体に共通しているようだ。

 【引責辞任した3社長が東芝社内を闊歩】(日経ビジネスオンライン)などと書かれていることが事実だとすれば、東芝の経営幹部には、そもそも「引責辞任」ということの意味がわかっていないようだ。

 【「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷】(プレジデント・オンライン)で私が指摘したとおり、本来の第三者委員会とは凡そ言えないような「第三者委員会報告書」の公表と「歴代3社長辞任」で幕引きを図ろうとしたこと自体が間違い。抜本的な問題を明らかにしないまま、前期末決算の発表をしようとすることに無理があった。経営幹部の無責任な姿勢に対する反発が一部の社員の反発を招き、内部通報が続くことにつながっているのだろう。

このような現状の東芝は、もはや、組織としての体をなしていないように思える。

 

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美濃加茂市長事件控訴審、事実審理開始で重大なリスクを抱え込むことになった検察

昨日(8月25日)午後、名古屋高裁で、美濃加茂市長事件の控訴審第1回公判が開かれた。

検察官が控訴趣意書、弁護側が答弁書に基づいて、それぞれの主張を行い、裁判所は、検察官が行った証拠請求のうち、贈賄供述者中林の取調官の中村道成警部補と、弁護人が告発した中林の融資詐欺の捜査・処分を担当した苅谷昌子検事の二人の証人尋問を行うことを決定した。

【検察控訴趣意書と東芝不適切会計に共通する「偽装の構図」】でも述べたように、検察官の控訴趣意書は、書かれていることの大部分が証拠に基づいていない、或いは事実を歪曲しており、全体が「偽装建築」のようなものであり、答弁書で、その「偽装」を徹底的に引きはがした。裁判所も、双方の書面を読み、少なくとも控訴趣意書における検察官の主張も、それを前提に行っている証拠請求も、「苦し紛れ」のものであることは十分に認識したはずだ。

本来、刑事裁判においては、一審中心主義がとられており、証拠の請求、取調べは一審で行うのが原則だ。控訴審では、「一審で請求しなかったことについてのやむを得ない事情」がある場合にしか証拠請求ができない。「一審の無罪判決が予測不可能だったこと」を「やむを得ない事情」だとする検察官の理屈は論外であり、裁判所に認められる余地はない。それでも、裁判所が2人の証人尋問を決定したのは、検察官の証拠請求について「やむを得ない事情」が認められないとしても、裁判所独自に職権で取調べる必要があると判断したということであろう。

一日も早く無罪判決が確定し、藤井市長の無実・潔白が動かぬものとなることを望んでいる美濃加茂市民にとっても、市長の下で職務を遂行する市職員にとっても、これ以上、市長の裁判に時間がかかるのは耐え難いことであろうし、そういう意味では、控訴審での審理が続くことで、判決の確定が遅れるのは残念だ。

しかし、一方で、今回の事件をめぐっては、いまだに多くの謎が残されていることも事実である。

悪質極まりない手口で4億円近くもの融資詐欺を犯していることを自白している中林に対して、僅か2100万円の詐欺事件を立件しただけで、それ以降は、全く捜査の対象にせず、合計30万円の藤井市長への贈賄の容疑の取調べばかりを行ったのは、いかなる意図によるものだったのか、名古屋地検では、弁護人が4000万円の融資詐欺を告発するまで、中林の処分に対して、いかなる検討が行われ、いかなる求刑が予定されていたのか。

一審で、弁護人は、中林の供述経過に関して、「客観的資料との辻褄合わせ」の疑いなど多くの問題を指摘したうえで、中林の取調警察官である中村警察官の証人尋問を請求し、取調べの記録の証拠開示も求めたが、検察官は、中村警察官の証人尋問には強く反対し、取調べメモの開示にもなかなか応じず、最終的は裁判所の手続の中で取調べメモの一部だけを開示した。

ところが、一審で無罪判決を受け、窮地に追い込まれた検察官は、その中村警察官を自ら証人尋問請求し、その上、「中林の供述経過が合理的なものであることを示す取調べメモも存在していのに一審では不必要と考えて開示も証拠請求もしなかった」などと述べて証拠請求してきたのである。

検察官は、一審で主任検察官と中林が行ったような「連日、朝から晩までの綿密な打合せ」を、今度は、中村警察官との間で行って、中林の供述経過が合理的だというストーリーを作り上げてくるのであろうか。

取調べメモについて、私は、答弁書で

検察官は、刑事訴訟において強大な権限を与えられ、関連する証拠も、積極証拠であれ消極証拠であれ、すべて把握し、保持できる立場にある。それだけに、重大な消極証拠の存在が、事後的に明らかになった場合には「隠ぺい」が疑われ、逆に、存在していることを認識していたら当然証拠請求すべき積極証拠を事後的に出してきた場合には捏造が疑われるのは致し方ないところである。

と指摘した。

検察官は、そのような取調べメモが存在していることが一審の段階からわかっていたのに証拠請求しなかったと本気で主張するのであろうか。

控訴審裁判所は、このような検察官の証拠請求を「論外」と言って切り捨て、第1回期日で即日結審することも可能だったはずだ。敢えてそうせず、2人の証人尋問を決定したのは、控訴審裁判所が、現職市長が市長職を継続したまま一貫して無実を主張し、公判で戦い抜き、一審で無罪判決を勝ち取ったという「前代未聞の事件」について、なぜ、市長が逮捕・起訴されたのか、警察官・検察官は、どう判断して、どのような対応をしてきたのかという、誰しもが思う根本的な疑問について、真相解明の役割を果たそうという決意によるものであろう。

取調べメモが捏造ではないかとの疑いについても、中村警察官の証言が、組織を守ろうとして事実に反する証言を行うのではないかという点についても、控訴審裁判所は、十分な問題意識を持って審理に臨まれるのだろうと思う。

市長の冤罪が完全に晴れる「美濃加茂の本当の春」を待つ市民、市職員の皆さんには大変申し訳ないが、かくなる上は、控訴審裁判所の今回の決定を前向きに受け止め、警察、検察の捜査や取調べの過程を明らかにするための立証活動を徹底的に行っていくこととしたい。

検察官請求証拠がすべて却下され、第1回期日で即日結審していたら、年内に予想される次回判決期日での控訴棄却は確実であった。控訴審での事実審理が開始されることで、検察としては、無罪判決が早期に確定するという目の前のリスクをひとまず回避したことになる。しかし、それによって、この事件をめぐる「警察・検察の闇」が明らかになるという、重大なリスクを抱え込むことになった。

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