「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問

維新の党への法律意見書の作成提出

本日朝、維新の党に、私と清水真弁護士との連名による法律意見書を提出した。

同党の執行役員会のメンバーであった東徹衆議院議員が、「維新の党党大会実行委員長」と称して、10月24日に臨時党大会を開催する旨の文書を党員に送付し、今年5月の江田前代表の辞任をうけ、両院議員総会で代表に選出され、その後、代表として活動してきた松野氏と現執行部について、代表選任及び任期延長が無効で、代表及び執行役員会が存在しない状態となっていると主張していることに関して、東氏が開催を呼び掛けている「臨時党大会」が党大会として有効なものであるのか否か、松野代表及び現執行部の地位が正統なものか否かについて、弁護士の立場から法律意見を求められたことに対して回答したものだ。

私は、維新の党の支持者でも支援者でもない。維新の党執行部からの質問事項に対して、純粋に、法律家の立場から客観的な見解を述べたまでだ。

現在の維新の党執行部と、東議員や、離党した橋下徹元代表など、いわゆる「大阪組」との対立について、どちらの政治的主張が正しいのか、私が関知するところではない。

しかし、維新の党が政党であり、政党助成法に基づいて税金を原資とする政党助成金の交付を受け、また、政治資金規正法による規律の下で、政治資金の寄附を受けるなどして政治活動を行う「法人格を有する組織」である以上、その運営が法律に基づくものであり、党規約その他の内部規則に従ったものでなければならないのは当然である。

その点に関して、法的な争いがあるのであれば、本来は司法判断に委ねるべき問題だ。しかし、事柄の性格上も、時間的にも、裁判所の判断を仰ぐことによる解決は容易ではない。そうであれば、現時点において、両者の政治的対立とは離れて、客観的な立場で可能な限りの検討を行って判断を示すことが社会的にも重要なことだと考え、意見書の作成を受任したものだ。

政治に関連する問題への過去の発言・指摘

私は、これまでも、企業不祥事や検察問題のみならず、政治に関連する問題について、政治とは切り離して、純粋に法律的、或いはコンプライアンス的観点からの判断を示してきた。

最近の例では、維新の党の現執行部側の議員の多くが所属していた「みんなの党」の代表であった渡辺喜美氏が、化粧品販売会社の社長から、2010年の参院選前に選挙資金として3億円、2012年の衆院選前にも5億円の合計8億円の提供を受け、渡辺代表の個人口座に振り込んで貸し付け、そのうち約5億4900万円が未返済であったと新聞で報じられ、公職選挙法違反、政治資金規正法違反が成立するのではないかが問題にされた際、当ブログで、【渡辺喜美代表への資金提供問題、誰のどの選挙の資金なのかと題する記事を掲載し、今回の渡辺代表が受けた資金提供については、公選法・政治資金規正法違反での立件には、多くの隘路があり、容易ではないことを指摘した。

この記事は、マスコミの報道にも大きな影響を与え、その後、同氏は公選法違反等で告発されたが不起訴に終わり、法律的には、私が指摘した通りの結果となった。

この時も、私は、渡辺喜美氏とは何の関係もなく、支持する立場にもなかった。あくまで、検事の実務経験者たる法律家としての見解である。

さらに遡ると、2009年3月、政権交代をめざす野党第一党民主党の小沢一郎代表の秘書が、東京地検特捜部に政治資金規正法違反で逮捕された際、私は、元検事・検察実務家の立場から、検察捜査の暴走を厳しく批判した。新聞・雑誌等での発言(その中でも特に注目を集めたのが、日経ビジネスオンライン【ガダルカナル化する検察捜査】)のほか、サンデープロジェクトに多数回出演し、検察捜査の見込み違いを指摘した。

私は、小沢一郎氏とは一面識もなかったし、検事時代は、検察捜査の最前線で、公共工事利権に絡む事件と闘ってきた人間だ。民主党では、それまでは仙谷由人氏と親しく、政権交代後の各分野での施策についてのブレーン的な立場でもあった。(拙著【検察が危ない】ベスト新書)

私にとって、小沢氏をターゲットとする検察捜査を批判することについて、政治的意図は全くなかった。むしろ、小沢事件捜査での検察捜査を批判したことで、それ以降、小沢氏の仇敵とも言える仙谷氏とは疎遠になり、同氏が政権交代後、政府の要職を務めるようになってからは音信すら全くない。

また、私は一方で、小沢氏の姿勢も厳しく批判した。陸山会事件で秘書3人が逮捕された際は、検察を厳しく批判し、全面対決を打ち出していた小沢氏が、その後、秘書3人の起訴と同時に自らは不起訴になるや、「検察の公正公平な捜査の結果と受け止める」と述べたことを厳しく批判した。(朝日新聞2010年2月20日15面「私の視点」【小沢氏の対決姿勢はどこへ】)

このように、私は、政治に関連する問題や事件に関しても、純粋に法律的、或いは実務的な立場から発言し、見解を述べてきたつもりだ。

法律意見書作成に至る経緯と結論

今回、維新の党からの質問に対する法律意見書というのは、上記のような、ブログやマスコミでの発言とは異なり、報道されている範囲の事実や、検察での実務経験だけから意見を述べられるような問題ではない。党規約・内部規則・当内部での会合の議事録等の膨大な資料を精査することが必要であり、弁護士業務として、事務所の弁護士・法務スタッフ・他事務所の弁護士を補助的に活用した。そして、法律意見書の客観性を確保するため、日頃から親しい弁護士から、会社法等の組織法に精通する弁護士として紹介を受け、これまで一面識もなかった潮見坂法律事務所の清水真弁護士にも加わってもらい、徹底して議論した末に取りまとめたものである。

今回、この意見書作成を受任したのは、然るべき人物からの依頼があったからである。

先週金曜日、現在、維新の党の幹事長を務める今井雅人衆議院議員から電話があり、維新の党と「大阪組」との対立が法律問題に発展しており、法的検討を依頼したいと言ってきた。

今井議員は、美濃加茂市在住で、収賄事件で私が弁護人を務める藤井浩人美濃加茂市長から、去年紹介を受けていた。藤井市長の兄貴分のような存在で、市長の収賄事件に関しても、いろいろ側面からの支援をしてくれていた。

多くの業務を抱えている上に、ブログ【「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」】の執筆や、最近の不祥事事案に関するマスコミへのコメント等も加わって、多忙を極めている中、今回の意見書作成の業務を受任したのは、今井氏からの依頼だったからであり、まさに、「美濃加茂コネクション」によるものであった。

極めて短期間での調査・検討と意見書の作成であったが、必要な検討は十分に行ったものであり、判断・結論には自信を持っている。

「松野代表及び現執行部には正統性があり、東議員の送付した文書によって,何らかの会合が開かれたとしても,それは維新の党の党大会ではなく,そこで何らかの内容が決定されても,その効果は維新の党には及ばない」との結論は、質問書に示された現執行部の見解に沿うものだが、法律家として当然の見解だと考えており、党大会依頼者側の判断に迎合したものでは決してない。

「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏に対する疑問

以上が、本日、維新の党執行部に提出した法律意見書を作成するに至った経過や、この問題に関する私の立場に関する説明である。

これに関連して、維新の党を8月に離党しているものの、今も「大阪組」の中心人物でもある橋下徹氏のことについても触れておこう。

私は、橋下氏に対して、政治的には、支持するものでも批判するものでもない。これまでツイッター・ブログ等でも、橋下氏についてのコメントは一切行った記憶はない。

唯一の接点は、2008年3月に和歌山市で開かれた近畿ブロック知事会で、私が「談合問題とコンプライアンス」について講演した時であった。

当時、私は、拙著【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書)で述べた、「日本社会では法令と実態とが、しばしばかい離し、そのような法令の遵守に凝り固まったコンプライアンスが、社会に大きな弊害をもたらしている」との持論につついて、全国各地で講演等を行っていた。

当時、大阪府知事だった橋下氏は、私の講演内容に共感し、「大阪府庁でも、法令遵守が大きな弊害をもたらしている」というようなことを発言していた。

それ以降も、これまで、橋下氏について特に悪い印象を持ったことはない。

しかし、今回、法律見解作成業務に関連して、維新の党執行部と「大阪組」との対立に関する橋下氏のツイッター・ブログでの発言を大まかに把握した。その個人的感想を率直に言わせてもらうとすれば、「弁護士たる政治家」の姿勢としては大きな問題があるように思える。

橋下氏は、法律論や判例等を持ち出しては、「自分は法律の専門家、弁護士ではない人間には法律のことはわからない」という前提で、弁護士ではない人間を徹底して見下した言い方をする。

[10月19日のツイッター・ブログ]

バカども国会議員の連中が、とんでもない法律論を流し始めている。なんかおかしいなと感じている国会議員は、必ず弁護士に相談しに行くこと。

などという言い方が、その典型である。

そして、その中に、「憲法31条 デュープロセス」「平成3年の監獄法施行規則に関する最高裁判例」などと、法律の専門用語や判例などを持ち出して、「やはり法律の専門知識を持った弁護士にはかなわない」と思わせる。

[10月18日のツイッター・ブログ]

維新の党には現在代表がいないという主張について維新の党の国会議員が反論しているが、いやー酷いねこの集団は。顧問弁護士くらいに相談してから発言した方がいいよ。国会議員って法律を作る人達。ところが維新の党の国会議員は法律的素養0

僕がなんと言おうと、大阪組の国会議員がなんて言おうと、最後は必要なプロセスを踏む。当たり前じゃないか。憲法31条、デュープロセスくらいちょっとは勉強してよ。維新の党のおこちゃま集団は、僕が決めれば、大阪組の国会議員が言えばすべてが決まると勘違いしている。手続きというものを知らない。

維新の党の幹部と名乗る人たちの反論の頼りの綱はここだけ。平成3年の監獄法施行規則に関する最高裁判例を一回くらい読んだらどうだ?いわゆる委任立法の限界というやつだ

というような言い方である。

しかし、実は、橋下氏が持ち出している専門用語や判例に対する理解というのは誠に不正確で素人的なものであり、そこで持ち出すことの妥当性には重大な疑問符がつく。

維新の党の幹部に「一回くらい読んだらどうだ?」と言っている「平成3年の監獄法の最高裁判例」は、「幼年者と被勾留者との接見を一律に禁止した上、例外として、限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すと定めた監獄法施行規則が、監獄法50条の委任の範囲を超え無効と判断された事例」であり、被拘留者が外部者と面会を行う自由という人権の制限が問題となった事案である。

人権の制限について法による委任の範囲を超えることが許されないということと、今回の維新の党のような、組織法に関して上位規範による委任の範囲をどのように解釈するかという問題は、性格が全く異なるのであり、同列に論じることはできない。

また、「代表任期延長についての手続き」の問題に関して「憲法31条、デュープロセス」という言葉を持ち出しているが、「何人も、法の適正な手続きによらずに、生命、自由、または財産を奪われることはない」というのが憲法31条のデュー・プロセスであり、本来は、刑事手続きの適正さの保障である。それが、行政的手続きによる権利侵害での手続的保障にまで及ぶとの議論はあるが、「組織の長を決定する手続き」という組織法上の「手続き」とは、これも性格が異なる。

「平成3年の最高裁判例」についても、憲法31条についても、橋下氏の論理は、あまりに表面的かつ素人的な「こじつけ」にしか見えないのである。

そして、橋下氏は、別のツイートで

国会こそが国権の最高機関であり、唯一の立法機関(憲法41条)だから、行政で何でもかんでも決められるわけじゃないよ、というのが平成3年の最高裁判例

党で言えば、党大会が国会。党大会が最高議決機関(規約6条)。執行役員会は内閣、行政・執行機関(規約第4章)なんだよね。維新の党の国会議員には三権分立から教えないといけないよ。

規約6条2項において党大会にも『その他重要事項を決めることができる』とバスケットクローズ条項が定められている

代表選出なんて、明らかに組織の重大事項。そうなれば規約6条2項に基づいて党大会で審議し決することは当たり前

というように、監獄法に関する最高裁判例を、憲法41条に結びつけ、「代表選は党大会で行うべし」という議論にまで無理やり結び付けていくのである。

しかし、組織内部において、構成員全体で構成される機関と、その委任を受けて業務執行を行う執行部との間で、どのような権限配分、役割分担が行われるのかは、組織内における自律的な判断に委ねられるのであり、それは、国会が国権の最高機関であることを前提とする国政レベルでの法律の規則等への委任の範囲の問題とは異なる問題である。

しかも、橋下氏が強調している規約6条2項の、党大会が「その他重要事項を審議し決定する」というのも、党大会の招集権者が、規約に基づく招集通知を期限内に行い、その中で審議事項とすることを連絡するなどの手続きがとられた場合に、「その他重要事項」が審議されることになるのであり、党大会の開催手続きを無視して、代表選出が当然に党大会での決定事項となるわけではない。

橋下氏の論理は、幾重にも飛躍しており、凡そ法的な論理になっているとは言い難い。

このように、適切とは言い難い法律専門用語や、一般人には容易にアクセスできない判例などを持ち出して、自論の根拠づけとなるかのように見せるやり方は、「弁護士たる政治家」として厳に慎むべきだと思う。弁護士としての法的素養や実務能力は、そのようなことのために与えられたのではない。

検事時代の経験だが、レスリング・ボクサー等のプロ選手が、その技を一般人に使った場合には、「凶器使用」と同等の厳しい量刑で求刑するのが通例だった。プロは、プロスポーツで培った技能を、プロ相手に使うべきであって、一般人に危害を加える方向で使うことは許されない。弁護士も、その技能を政治の分野で、非弁護士の政治家や国民を欺く方向で使ってはならないのである。

繰り返しになるが、私は、政治的に維新の党を支持するものでもなければ、近く立ち上げられるという「おおさか維新の会」を批判するものでもない。両者は、政党らしく、正々堂々と、政策による論戦を行ってもらいたい。

橋下氏にも、法律論を持ち出すのであれば、「弁護士たる政治家」としての矜持を持って、正確かつ適切に行うべきであり、それができないのであれば、「弁護士」という意識は捨てて政治家としての活動を行ってもらいたい。

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「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」

横浜市内の大型マンションが傾いた問題で、建設時の杭打ち工事で、建物の基礎となっている複数の杭が強固な地盤に届いておらず、杭打ちのデータに別の工事のデータが転用されていたことに加え、セメント注入量まで偽装されていたことが明らかになった。

デベロッパーは三井不動産レジデンシャル、元請け施工が三井住友建設、下請けが日立ハイテクノロジーズ、杭打ち工事を行った孫請けが旭化成建材と、いずれも日本を代表する企業ないし子会社であり、日本の企業のコンプライアンスが問われる事態に発展している。

同じようにマンション等の建築をめぐって発生した問題に、2005年11月に表面化した姉歯元一級建築士による耐震強度構造計算書偽装事件(「姉歯事件」)がある。この問題は、日本社会全体を巻き込む大きな問題となったが、その多くは、建築基準法に対する無理解、建物の耐震性についての誤解によるものだった。姉歯事件と比較すると、基礎となる杭が地盤に届いていないという現実的な瑕疵の問題であり、少なくとも「建物の傾斜」という実害が発生している点において、「計算上の耐震強度」の問題で、建物の実害も発生しなかった姉歯事件より重大かつ深刻である。

むしろ、設計段階の問題であった姉歯事件をめぐる騒ぎの中で、施工段階における真の問題が見過ごされてきたことが、今回の問題の背景となったとみることもできる。

改めて姉歯事件をめぐる問題を振り返りつつ、今回の問題を考えてみることとしたい。

姉歯事件では、国交省が問題を公表した後、建築基準法に定められた耐震基準を満たさないマンションやホテルなどが全国各地で建設されていた事実が次々と明らかになった。国交省が、耐震強度が大幅に偽装された建物の使用を禁止したことで、住民がマンションからの退去を余儀なくされるなど、大きな社会問題となった。

この事件では、構造計算書を偽装して耐震強度を実際より高く見せかけようとした姉歯元一級建築士のほかに、構造計算書の偽装を見抜けなかった指定確認検査機関、姉歯氏の構造計算によって多数の低価格マンションを建設・販売して急成長した不動産業者、建築施工業者など関連する業者の責任が次々と問題にされ、これらの関係者の多くが、刑事処罰まで受けた。

この事件を受けて、国交省は、耐震強度偽装の再発防止のための建築基準法の改正を行い、建築確認について厳格かつ煩雑な手続を規定した。そのため、建築確認申請の手控えや審査手続きの大幅な遅延につながり、マンションや住宅などの建築が一時的にストップし、住宅着工件数が激減、建築・不動産をはじめ関連業界は大変なダメージを受けた。法改正後の建築件数の大幅な減少の影響を受けて倒産する企業も出て、日本の建築業界は、リーマンショックの前から深刻な不況に見舞われた。

このように、社会的にも、経済的にも、かつてない程の重大な問題に発展した耐震強度偽装事件だったが、実は、この問題に対しては大きな誤謬があり、まさにこの問題に関して社会が「思考停止状態」であったことを、拙著「思考停止社会~遵守に蝕まれる日本」(講談社現代新書:2009年)で指摘した。

若干長文になるが、拙著の該当部分をそのまま引用する。

そもそもこの問題が起こった背景には、建築基準法というのが何のための法律で、それを社会で活用していくために、どういう方向で法律を運用していったらいいのかという基本的な視点の欠如がありました。

この法律は、「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準」を定めるものであり、建築確認制度というのは、建築士が設計を行っていることを前提に、行政においても事前に最低限の設計図上のチェックを行うという趣旨で設けられた制度でした。

この制度ができた終戦直後、もともと予定されていたのは、木造の一戸建てのような単純な構造の建築物でした。しかしその後、経済の発展に伴って、建築技術も飛躍的に進歩し、建築物も高層・大規模化し、複雑で多様な構造のビルが建築されるようになったため、建築士の設計と建築主事の建築確認によって安全性を確保するというこの制度は、大規模建築については形骸化してしまいました。

それにもかかわらず、一般の人には、建築確認が、現在のような高層化・複雑化した建築物についても安全性を確保する役割を果たしているように誤解されてきました。建築基準法による建築確認という制度が果たしている役割について、一般人の認識と実態との間に大きなギャップが生じていたのです。

特に、建物の耐震性能という面では、建築確認はほとんど安全性の確保の機能を果たしていませんでした。多くの人は、地方自治体や民間建築確認機関による建築確認が行われた以上、耐震性能が建築基準法の基準を充たしているものと信じていましたが、複雑で高度な建物の耐震強度の確認というのは、設計図上の建築確認という手続で確かめられるような簡単なものではありません。耐震強度の構造計算は、あくまで一つの計算方法であり、実際の地震による倒壊の危険は敷地の地盤などの自然条件によっても異なります。また、設計上問題はなくても、その設計図通りに施工しない手抜き工事が行われる危険性をなくすことはできません。

しかし、建築確認が形骸化していたからと言って、日本の大規模建築物の安全性が低かったということではありません。阪神淡路大震災のような極端な場合を除けば、日本の建築物の安全性に重大な問題が生じることはなく、全般的には高い水準に保たれてきました。それは、設計者、施工会社の信用が大切にされ、技術者の倫理観がしっかりしていたからです。

つまり日本の建築物の安全性は、従来から、建築基準法という「法令」や建築確認という「制度」ではなく、会社の信用と技術者倫理によって支えられてきたのです。

ところが、1981年の建築基準法の改正で新たな耐震基準が導入された際、その基準は既設建築物には適用されず、それ以降のものだけに適用されたために、周囲に耐震性の低い建物がゴロゴロしているのに、新たに建てる建物だけは高い耐震性を要求されることになりました。

このことが、耐震性能に関して建築基準法の基準の性格を非常に曖昧なものにしてしまったことは否めません。「最低の基準」なのであれば、絶対に充たさなければならない基準という認識で設計・施工が行われ、設計者・技術者の倫理観も十分に働くはずですが、基準が充たされていない建築物が実際には周りに多数あるということであれば、絶対的な基準という認識は希薄になってしまいます。

その後、1990年代に入ってから、民間の建築業界の価格競争が激化して、極端な安値受注が横行し、そのしわ寄せが施工の現場を直撃しました。結果、工事の質を落として採算を確保しようとする手抜き工事、粗漏工事が横行したと言われています。設計の段階で耐震基準を充足していても、施工段階で強度不足の建物が建築される危険性は全般的に高くなったのです。こうして、実質的に建物の安全性を確保するためのシステム全体に綻びが生じる中で、一人の無責任極まりない建築士によって多数の建物の構造計算書を改ざんするという、露骨な「違法行為」がいとも簡単に行われたのが耐震強度偽装事件です。

この事件が、社会に大きな影響を及ぼす騒ぎに発展する原因となったのは、強度が偽装された建物の使用禁止と取り壊しを命じた国土交通省側が発した「震度5強の地震で倒壊の恐れがある」という言葉でした。震度5強というと、地震国日本ではかなり頻繁に起きる地震です。その程度の地震で、建築された建物が「倒壊」してしまう恐れがあるということで、国民の関心は「強度が偽装された建物」に集中しました。

「耐震強度偽装」という違法行為がマスコミにセンセーショナルに取り上げられ、多くの人は、強度を偽装された建物だけが、ちょっとした地震でガラガラと崩れおちてしまい、中にいる人が押しつぶされてしまうように誤解しました。

1981年以前に建築された建物には、問題になった耐震強度が偽装された建物より耐震性の低いものも多数あり、もし、耐震性が低い建物の存在が問題だというのであれば、日本中の多数の建物の使用を禁止しなければならなかったはずですが、社会の関心は、偽装行為を叩き、偽装の再発を防止することばかりに向けられてしまったのです。

問題の核心は、建築基準法という法令に基づく建築確認の手続に関して、耐震強度の「偽装」という行為が行われたことが明らかになったことでした。多くの人々が、建物の安全性を確保する役割を果たしていると思っている法令上の手続に関して偽装を行うというのは、水戸黄門の印籠に泥を塗るような行為というイメージでとらえられたのです。

国交省としても、そのような許し難い行為によって建築された建物は有無を言わさず取り壊しを命じることになります。それが、入居したばかりのマンションから多額のローンを抱えたまま退去しなければならない、という社会的に許容し難い事態を発生させ、それに対する怒りが、そのような事態を招いた耐震強度偽装行為に関わった者を厳罰に処し、その再発防止のためであればあらゆる手段を講じるべき、という論調につながっていったのです。

 

要するに、姉歯事件は、「建築物の敷地・構造・設備・・用途に関する最低の基準を定める」という建築基準法という法律の性格が理解されず、その法律によって定められた「耐震強度」によって、建物の安全性が確保されているように誤解され、それに、国交省側の「震度5強で倒壊の恐れ」という無神経な発言があって、マンションの使用禁止等の事態に発展し、日本社会に重大な影響を与えた。

しかし、その後発生した東日本大震災においても、強度が偽装された建物が倒壊したという話は全く聞かない。結局、姉歯事件で問題にされた「耐震強度」は実際の地震における安全性には直結しないものだった。

一方、今回の問題では、「大規模な構造物の基礎は強固な地盤で固定されなければならない」という、建築物の敷地・構造・設備・・用途に関する「最低の基準」に関する問題で、「建物が傾く」という実害が発生しているのに、姉歯事件のような建物の使用禁止等の措置はとられていない。

「改めて構造計算を行ったところ、耐震性には問題はなかった」とされているが、セメント注入量の偽装が発覚する前のことである。しかも、マンションの販売担当者は、廊下の手すりの高さに差があるとの当初の住民の指摘に対して、「東日本大震災でズレた」と説明していたのである。耐震性に問題がないとの説明も額面どおり受け止めることはできないように思える。

他方、両者に共通しているのは、問題の背景や構造に目を向けることなく、「偽装」という個別の行為に問題が限局されようとしていることだ。

姉歯事件で、「耐震強度偽装」という違法行為を行った者や、その行為に関わった者の処罰と偽装の再発防止措置をとることに社会の関心が集中したのと同様に、今回の問題についても、「データ偽装」という不正行為にばかり焦点があたっているように思える。

それを象徴するのが、データ偽装が明らかになった直後の証券市場での関連する会社の株価の動きだ。報道初日は、元請の三井住友建設の株価がストップ安の暴落となったが、翌日、データ偽装が、孫請の旭化成建材の社員による行為であることが明らかになるや、同社の親会社の旭化成の株価が暴落、逆に、三井住友建設の株価は大幅に値を上げた。

「データ偽装」を行った会社がすべての責任を負担することを前提にしているかのような株価の動きの一方で、マスコミ報道でも、「改ざん(偽装)を行ったのは、すべて一人の現場代理人であること」が強調されている。

確かに、現場代理人は、工事の品質に絶対的な責任を負うべき立場の技術者であって、その立場の人物が、建物の基礎に関わる工事のデータを意図的に偽装するということは凡そ考えられないことだ。

しかし、今回の問題は、単に、データの管理の問題ではない。杭が強固な地盤に未達だったことからデータ偽装が行われたことは明らかであり、その事実を隠蔽しようとする意図があったとしか考えられない。

「杭の地盤への未達」の事実を知りながら、それを是正しようとせず、データを偽装するという行為が、いかなる動機で行われたのか、そこにどのような事情があったのか(「杭の地盤への未達」未達を明らかにすることが、当該現場代理人又はその会社にとって、どのような不利益があったのか)を解明することがまず必要だ。

杭打ち工事を孫請けした企業だけではなく、建築工事全体を施工した元請建設会社等の施工管理上の問題、或いは、デベロッパーによるマンション建設の事業計画自体に問題があった可能性もある。

そもそも、建築工事・土木工事においては、当初想定していた条件とは異なった施工条件が施工の段階で判明することは避けられない。その対応に大きなコストがかかるものであった場合に、追加費用を誰がどのように負担するのかについて明確なルール・基準が設定され、適切な対応ができる予算上の余裕が設定されていなければならない。そうでなければ、立場の弱い下請け企業に負担が押し付けられ、その負担を逃れるために、不正が行われるということになりかねない。

前掲拙著で述べたように、姉歯事件では、耐震強度偽装にばかり関心が向けられ、「手抜き工事・粗漏工事が横行し、耐震性が不十分な建築が野放しになっている実態」には目が向けられることはなかった。そのような状態が継続していたところに、その後の建築業界をめぐる極端な人手不足・工事採算の悪化が加わり、状況が一層深刻化したことが今回の問題発生の背景になった可能性もある。

いずれにしても、まずは、「データ偽装」を行った現場代理人の動機や事情を徹底解明し、その背景を幅広く深く調査し、真の原因を究明する必要がある。

多数の企業、官公庁等の組織に関係する問題だけに、当事者企業の内部調査だけでは十分な事実解明や原因究明は期待できない。

国交省が、第三者も含めた調査体制を構築することも含めて、主体的に調査に関わることが不可欠である。

 

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司法試験問題漏洩、前代未聞の「法務省の告発」の行方

司法試験考査委員で明治大学法科大学院の青柳幸一教授が、自身の作成した試験問題を、教え子だった20代の女性受験者に漏らした問題で、法務省は青柳教授を国家公務員法(守秘義務)違反罪で東京地検に告発した。

検察庁や法務省法務総合研究所など法務・検察に23年間勤務した私だが、「法務省本省の告発」というのは聞いたことがない。まさに前代未聞の告発が行われるに至った今回の事件が今後各方面に及ぼす影響は計り知れない。

折しも、告発が行われた9月8日、私の新著「告発の正義」(ちくま新書)が発売された。

告発の正義(小)

同書では、告発について、「悪事を暴く」という意味の内部告発などの「社会的事象としての告発」と、刑事訴訟法や特別の法律が定めた権限に基づいて、捜査機関に犯罪の処罰を求める「法律上の告発」の二つに大別している。

今回の「法務省の告発」は、刑事訴訟法239条2項による「法律上の告発」であるが、そのような告発が行われるに至ったのは、その受験生の答案の点数が著しく高く、採点した考査委員から法務省に「漏えいがなければ作成困難な内容」との情報が寄せられたことが発端だとのことであり、その委員の情報提供は、「考査委員による試験問題の漏えい」の疑いを持った考査委員が行った一種の「告発」的行動と見ることもできよう。

法律上の告発には、一般人による告発と公務員(官公庁)による告発とがある。

刑訴法239条1項の「何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。」が一般人の告発の権利を規定しているほか、2項で「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」として公務員による告発義務を定めている。この2項の規定による告発は、通常、公務員個人ではなく、官公庁の組織の決定に基づいて行うもので「官公庁による告発」である。

官公庁による告発には、このような刑訴法に基づくもののほかに、独占禁止法に基づく公正取引委員会の告発、金融商品取引法に基づく証券取引等監視委員会の告発のように、法律によって法執行機関に与えられた特別の告発権限によるものがある。

そして、刑訴法に基づく官公庁の告発にも、所管する法律違反に対する告発(厚労省によるノバルティスファーマ社に対する告発がその一例、前掲拙著138頁以下)と、当該官公庁の内部者が行った犯罪行為に対する告発があるが(その典型が、ヤミ専従問題で厚労省が旧社保庁職員に対して行った告発)、今回の法務省の告発は、非常勤ではあるが法務省に所属する公務員に当たる司法試験考査委員の犯罪行為に対して行ったもので、後者の告発である。

刑訴法239条2項の「犯罪あると思料するときは告発しなければならない」との文言は、一見すると、「犯罪の疑いがあると思った公務員(官公庁)には告発の義務がある」という意味のようにも思えるが、一般的には、犯罪の嫌疑が十分にあると判断し、なおかつ、その犯罪について処罰すべきと判断した場合に告発を行うことを規定したものと解されている。

今回の事件では、法務省は、13年間にわたって、司法試験考査委員という重職にあった大学教授を、処罰すべき悪質・重大な犯罪を行ったと判断して告発したのである。そのこと自体が衝撃的である。

検察庁は、法務省に属する行政機関である。それだけに、その法務省が、検察に対して告発を行ったことは、検察にとって極めて重大な意味を持つ。

告発を受けた東京地検特捜部は、試験問題のどの範囲をどのように教えたのか、答案の書き方まで教えたのかなど漏えいの事実関係の詳細だけでなく、青柳教授と受験生の女性の関係や、このような問題が発生した背景についても徹底した捜査を行わなければならない。

もし、漏えいを受けた女性受験生の方から青柳教授に積極的に働きかけて、試験問題を漏えいさせたとすれば、国家公務員法111条の「…に掲げる行為を、企て、命じ、故意にこれを容認し、そそのかし又はそのほう助をした者は、それぞれ各本条の刑に処する。」に該当し、受験生について犯罪が成立する可能性もある。

青柳教授と受験生の両方が漏えいの事実を認めていたとしても、両者の供述内容によっては、犯情も量刑も大きく異なってくるのであるから、「罪証隠滅のおそれ」がないとは言えない。青柳教授を逮捕・勾留し、身柄を拘束して取調べを行うことにならざるを得ないのではなかろうか。

守秘義務違反の罰則は「1年以下の懲役又は50万円以下の罰金」と軽いが、司法試験の公正に対する信頼を失墜させるという結果は極めて重大であり、また、2007年に問題となった慶応大学法科大学院の教授のケースのように、法科大学院での教育の中で、担当する法科大学院生全体に試験問題の素材を「重要判例」として紹介したというのとは異なり、青柳教授の場合は、法科大学院での教育とは離れた私的な場で特定の女性の受験生に問題を漏えいしたというのであるから、犯情も極めて悪質である。逮捕・勾留という、厳しい社会的非難を前提とする身柄拘束措置を受けることも致し方ないであろう。

本件の事案の真相の解明は、既に明らかになっている青柳教授の女性受験生に対する試験問題の漏えいだけにとどまってはならない。過去に本件の余罪に該当するような事実はなかったのか、青柳教授が漏えいに及んだことを全くの個人的資質の問題と扱って良いのか、その背景に法科大学院と司法試験制度の関係に関わる構造的な問題はなかったのかなどについても幅広い事実解明が必要である。

刑事事件としての捜査だけではなく、法務省において、第三者も含めた調査によって、これらの点についても解明していく必要がある。

13年にもわたって同一の教授を考査委員の職にとどまらせたことが今回の事件を発生させる原因となったことは否定できない。2007年の慶応大学法科大学院教授の問題以降の法務省の対応が問題となる可能性もある。法務省の「告発の正義」は、最終的に「告発者の不正義」を明らかにする結果につながるかもしれない。

今回の試験問題漏えい発覚の契機となったのは、同僚の考査委員による法務省への情報提供が行われたことだった。

従来から司法の世界では、法曹三者の間の「同族意識」が強い。法学部、法科大学院の教授も、長年司法試験考査委員を務めるような「大御所」の場合、その「同族」に含まれる。

問題の答案が、「漏えいがなければ作成困難な内容」であり、考査委員からの漏えいが疑われたとしても、従来からの「同族的関係」の下では、法務省側に通報することには抵抗もあったはずだ。実際に特定の考査委員から特定の受験生に問題が漏えいしていたとすれば、司法の世界を揺るがす重大な問題になりかねない。もし、その考査委員が見過ごしてしまえば、法務省側が答案の中身を見ることはないのだから、発覚することはまずなかった。

漏えいした可能性が最も高いのは、受験生と接点を持つ法科大学院の教授であり、誰が疑わしいのかということも、概ね見当がついていたはずだ。そういう意味では、この同僚の考査委員による情報提供は、まさに、現在起きている重大な事態をかなりの程度予測した上で行われた一種の「告発」だったとみるのが合理的であろう。

新著「告発の正義」の中では、激しく変化する環境の中で、「告発」が大きな社会的意義を有することになっている現状について書いた。

「法律上の告発」のうち一般人によるものは、かつては、「検察の正義」の前に無力だった。しかし、検察審査会の起訴議決制度の導入後、検察の告発事件の捜査処分が大きく影響を受けるようになり、「告発の正義」と「検察の正義」の関係が変わった。官公庁の告発に対する姿勢も、近年、大きく変化している。同書では、こうした環境変化の中での「告発の正義」の実相を、私自身が検察や公取委で経験したことも含め、様々な事件を通して描いた。

法務省が憲法学会の大御所の司法試験考査委員を告発するという衝撃的な事態となった今回の事件は、「告発」をめぐる社会の環境が、従来では考えられなかった方向に大きく変化をしていることを示している。

前代未聞の「法務省の告発」が、司法の世界にどのような激変をもたらすのか。その「告発の正義」の行方から目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

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東芝決算発表再延期、記者会見での室町社長の「責任」発言に唖然 

今年6月末の提出が2か月延期され、8月末に予定されていた東芝の有価証券報告書の提出が、その期限の日の夕刻になって、9月7日まで、さらに7日間延期されることが発表された。

東芝のような大規模上場企業が、決算発表を延期すること自体が異例だが、それに加えて、再度の決算発表の延期というのは、全く前代未聞だ。

提出期限ぎりぎりでの延期の発表をした室町正志会長兼社長が、午後8時から記者会見を開き、そこで、9月7日の再延長期限を守ることはできるのかと質問され、「できないとは想定していませんが、万が一、そういう事態になれば、重い責任をとります」「極端にいうと、進退問題を含めて考えなければいけない」と述べたとのことだが、再度の決算発表延期という前代未聞の事態を受けて会見を開いた社長の言葉とは思えない。

「再度の決算発表延期」自体が、本来、絶対にあってはならないこと、許されないことであり、社長の「責任」は、それだけでも限りなく重い。本来であれば、即刻辞任すべきだろうが、7日間の再延長後の決算発表を行うことが社長にとって重大な責任があるので、それを果たすために社長の椅子にとどまっているというのが一般的な見方であろう。

会見での質問は、9月7日の期限が守られるかどうかの見通しであって、守られなかった場合の責任など聞くまでもないはずだ。しかも、室町社長は、今回の不適切会計が行われた時期の会長であり、本来、責任を問われるべき立場だった。社長を兼任して会社にとどまっているのは、危機的事態にある東芝を救うことだけが目的のはずであり、それが果たされなければ即刻辞任は当然のはずだ。

それを「重い責任をとる」とか、「極端にいうと」「進退問題も含めて」という言葉が出て来ること自体が信じられない。 このような「責任についての無神経さ」は、東芝の経営陣全体に共通しているようだ。

 【引責辞任した3社長が東芝社内を闊歩】(日経ビジネスオンライン)などと書かれていることが事実だとすれば、東芝の経営幹部には、そもそも「引責辞任」ということの意味がわかっていないようだ。

 【「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷】(プレジデント・オンライン)で私が指摘したとおり、本来の第三者委員会とは凡そ言えないような「第三者委員会報告書」の公表と「歴代3社長辞任」で幕引きを図ろうとしたこと自体が間違い。抜本的な問題を明らかにしないまま、前期末決算の発表をしようとすることに無理があった。経営幹部の無責任な姿勢に対する反発が一部の社員の反発を招き、内部通報が続くことにつながっているのだろう。

このような現状の東芝は、もはや、組織としての体をなしていないように思える。

 

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美濃加茂市長事件控訴審、事実審理開始で重大なリスクを抱え込むことになった検察

昨日(8月25日)午後、名古屋高裁で、美濃加茂市長事件の控訴審第1回公判が開かれた。

検察官が控訴趣意書、弁護側が答弁書に基づいて、それぞれの主張を行い、裁判所は、検察官が行った証拠請求のうち、贈賄供述者中林の取調官の中村道成警部補と、弁護人が告発した中林の融資詐欺の捜査・処分を担当した苅谷昌子検事の二人の証人尋問を行うことを決定した。

【検察控訴趣意書と東芝不適切会計に共通する「偽装の構図」】でも述べたように、検察官の控訴趣意書は、書かれていることの大部分が証拠に基づいていない、或いは事実を歪曲しており、全体が「偽装建築」のようなものであり、答弁書で、その「偽装」を徹底的に引きはがした。裁判所も、双方の書面を読み、少なくとも控訴趣意書における検察官の主張も、それを前提に行っている証拠請求も、「苦し紛れ」のものであることは十分に認識したはずだ。

本来、刑事裁判においては、一審中心主義がとられており、証拠の請求、取調べは一審で行うのが原則だ。控訴審では、「一審で請求しなかったことについてのやむを得ない事情」がある場合にしか証拠請求ができない。「一審の無罪判決が予測不可能だったこと」を「やむを得ない事情」だとする検察官の理屈は論外であり、裁判所に認められる余地はない。それでも、裁判所が2人の証人尋問を決定したのは、検察官の証拠請求について「やむを得ない事情」が認められないとしても、裁判所独自に職権で取調べる必要があると判断したということであろう。

一日も早く無罪判決が確定し、藤井市長の無実・潔白が動かぬものとなることを望んでいる美濃加茂市民にとっても、市長の下で職務を遂行する市職員にとっても、これ以上、市長の裁判に時間がかかるのは耐え難いことであろうし、そういう意味では、控訴審での審理が続くことで、判決の確定が遅れるのは残念だ。

しかし、一方で、今回の事件をめぐっては、いまだに多くの謎が残されていることも事実である。

悪質極まりない手口で4億円近くもの融資詐欺を犯していることを自白している中林に対して、僅か2100万円の詐欺事件を立件しただけで、それ以降は、全く捜査の対象にせず、合計30万円の藤井市長への贈賄の容疑の取調べばかりを行ったのは、いかなる意図によるものだったのか、名古屋地検では、弁護人が4000万円の融資詐欺を告発するまで、中林の処分に対して、いかなる検討が行われ、いかなる求刑が予定されていたのか。

一審で、弁護人は、中林の供述経過に関して、「客観的資料との辻褄合わせ」の疑いなど多くの問題を指摘したうえで、中林の取調警察官である中村警察官の証人尋問を請求し、取調べの記録の証拠開示も求めたが、検察官は、中村警察官の証人尋問には強く反対し、取調べメモの開示にもなかなか応じず、最終的は裁判所の手続の中で取調べメモの一部だけを開示した。

ところが、一審で無罪判決を受け、窮地に追い込まれた検察官は、その中村警察官を自ら証人尋問請求し、その上、「中林の供述経過が合理的なものであることを示す取調べメモも存在していのに一審では不必要と考えて開示も証拠請求もしなかった」などと述べて証拠請求してきたのである。

検察官は、一審で主任検察官と中林が行ったような「連日、朝から晩までの綿密な打合せ」を、今度は、中村警察官との間で行って、中林の供述経過が合理的だというストーリーを作り上げてくるのであろうか。

取調べメモについて、私は、答弁書で

検察官は、刑事訴訟において強大な権限を与えられ、関連する証拠も、積極証拠であれ消極証拠であれ、すべて把握し、保持できる立場にある。それだけに、重大な消極証拠の存在が、事後的に明らかになった場合には「隠ぺい」が疑われ、逆に、存在していることを認識していたら当然証拠請求すべき積極証拠を事後的に出してきた場合には捏造が疑われるのは致し方ないところである。

と指摘した。

検察官は、そのような取調べメモが存在していることが一審の段階からわかっていたのに証拠請求しなかったと本気で主張するのであろうか。

控訴審裁判所は、このような検察官の証拠請求を「論外」と言って切り捨て、第1回期日で即日結審することも可能だったはずだ。敢えてそうせず、2人の証人尋問を決定したのは、控訴審裁判所が、現職市長が市長職を継続したまま一貫して無実を主張し、公判で戦い抜き、一審で無罪判決を勝ち取ったという「前代未聞の事件」について、なぜ、市長が逮捕・起訴されたのか、警察官・検察官は、どう判断して、どのような対応をしてきたのかという、誰しもが思う根本的な疑問について、真相解明の役割を果たそうという決意によるものであろう。

取調べメモが捏造ではないかとの疑いについても、中村警察官の証言が、組織を守ろうとして事実に反する証言を行うのではないかという点についても、控訴審裁判所は、十分な問題意識を持って審理に臨まれるのだろうと思う。

市長の冤罪が完全に晴れる「美濃加茂の本当の春」を待つ市民、市職員の皆さんには大変申し訳ないが、かくなる上は、控訴審裁判所の今回の決定を前向きに受け止め、警察、検察の捜査や取調べの過程を明らかにするための立証活動を徹底的に行っていくこととしたい。

検察官請求証拠がすべて却下され、第1回期日で即日結審していたら、年内に予想される次回判決期日での控訴棄却は確実であった。控訴審での事実審理が開始されることで、検察としては、無罪判決が早期に確定するという目の前のリスクをひとまず回避したことになる。しかし、それによって、この事件をめぐる「警察・検察の闇」が明らかになるという、重大なリスクを抱え込むことになった。

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岐阜県警違法押収事件の背景に、県・国による「診療所つぶし」

明日、8月25日に、美濃加茂市長事件の控訴審第1回公判期日を控えている状況だが、「もう一つの岐阜の事件」が重大な局面を迎えている。

この事件は、岐阜の笠松町と各務原市で、特別養護老人ホーム、ケアハウス等の介護施設と心療内科のクリニックを兼営する社会福祉法人徳雲会が、医療法違反で、岐阜県警の捜索差押を受けたが、私を含め、美濃加茂市長事件の弁護団のメンバーのうち3名の弁護士が同法人の弁護人を受任し、その捜索差押が違法だとして岐阜地裁に準抗告を申し立てていたものだ。

8月21日夜、岐阜地裁は、我々の準抗告に対して、約1000点の押収物のうち235点の押収が違法だとして取り消す旨の決定を行った。

取り消しの対象とされた押収物の主なものは、社会福祉法人に関連する介護施設の介護記録や、薬局の処方箋であり、その1綴を「1点」としていたりするため、警察の押収点数としては235点でも、実際の処方箋など書類の数にしたら、数千、数万という量だ。

これだけの大量の物品の押収が、裁判所の決定で違法とされたことは、過去に例がないのではないか。

この背景には、徳雲会が、各務原市内で開業を予定している内科の診療所の開設をめぐる問題がある。

徳雲会は、各務原市の小学校の近隣でケアハウスと心療内科のクリニックを開設している。認知症の老人等の介護に手厚い医療のサポートができるよう、老人介護施設とクリニックを併設しているのである。

それに加えて、さらに手厚い医療サポートを行うため、隣接して内科の診療所を開設しようとしたのに対して、地元の医師会側から強烈な反発が生じたようだ。

同じ市内で内科を経営しているのが、各務原市の医師会長を務め、さらに7年間にわたって岐阜県の医師会長も務める地元医師会の大物だ。

岐阜県の担当部局からは、内科診療所の開設に対して、嫌がらせとも思える様々な調査や指導を受け、厚生労働省の出先である東海北陸厚生局岐阜事務所からも、毎月、時に毎週、監査と称して、執拗な書類提出や事情聴取を強いられ、診療所の運営に重大な支障が生じていた。

そのような妨害にもめげす、今年9月に、内科診療所の開設を行おうと準備を進めていた矢先、8月6日の夕刻、岐阜県警が100人態勢で、2つのクリニックや関連施設に大規模な捜索差押を行ったのだった。

この捜索差押には、多くの重大な問題がある。

そもそも、容疑事実は、徳雲会が経営する診療所の「管理者」が、年末年始を含む25日間、「兼任状態」にあったということだ。休日を除けば、兼任していた期間はわずか1週間程度である。一応罰則はあるが、法定刑は「罰金20万円以下」、常識で考えても、凡そ罰則を適用すべき事件ではないことは明らかだ。

しかも、捜索差押の方法は、常識では考えられないようなやり方で、しかも徹底したものだった。診療所、介護施設、関連する調剤薬局のほか、理事長、院長の自宅ばかりか、全く関係のない従業員の自宅までが捜索の対象になった。

しかも、各務原市の診療所の捜索は、夕方から開始され、翌日の明け方まで夜通し行われた捜索に、各務原市にある岐阜保健所の職員が立会人になっていた。すぐ隣の施設にいた理事長が、「診療所の捜索に立ち会いたい」と言っているのに、それを認めず、県職員である保健所職員に立ち会わせたのだ。

刑訴法第114条2項は、「人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内で差押状又は捜索状の執行をするときは、住居主若しくは看守者又はこれらの者に代るべき者をこれに立ち会わせなければならない。これらの者を立ち会わせることができないときは、隣人又は地方公共団体の職員を立ち会わせなければならない。」と規定している。建造物の捜索に「看守者」である理事長が立ち会うと言っているのであるから、立ち会わせるのが当然だ。それに、理事長に立ち会わせることができない理由も、立ち会わせるべきではない緊急の必要も全くなかった。

しかも、信じがたいことに、捜索開始時から立会のために警察に同行してきていた保健所職員は、捜索の20日ほど前に、県の保健所がそのクリニックに実施した立入検査の担当者だ。こうなると、捜索差押の立会とはいえず、保健所が、正式な手続きを取らずに、事実上捜索に同行して、保健所の立入検査も行ったということになる。

保健所職員の「立会」で深夜から明け方まで行われた捜索では、心療内科のクリニックで保管していたカルテ数千点が、すべて押収された。警察は、医師法第24条2項で医師が保管を義務付けられており、しかも重大な個人情報を含むカルテを、患者の氏名もその数もその枚数も特定せず、ダンボール箱に詰め込んですべて持ち去ったのである。

一体何が目的で、このように明らかに違法な捜索が行わたのか。

後日、岐阜県健康福祉部医療整備課の課長から、徳雲会の理事長に電話がかかってきた。

「おたくは、9月に各務原に内科診療所を開業する届出を出しているが、法人の理事らは本当に賛成しているのか」

「もちろん。理事会で決定しています。」

「今回、警察に捜索に入られたのに、それでも予定どおり開業するのか。警察の捜索を受けても開業するのであれば、改めて理事会で決定する必要がある。」

「警察の捜索なんか関係ありません。うちは捜索されるようなことは何もしていません。それに、昨日の捜索のことを、どうして、県がご存じなんですか。」

「保健所の職員が捜索に立ち会っているので、報告を受けている」

「そんな立会は、頼んでいません。私が立ち会いたいと言ったのに、警察が立ち会わせてくれなかったんです。」

「理事の一人ひとりに、警察の捜索を受けても内科診療所の開業に賛成するのか意思確認するので、理事の電話番号が入った名簿を出しなさい。」

理事会でちゃんと決議されており、その書類もすでに提出しているにもかかわらず、このようなことを言ってきたのである。理事長は、岐阜県庁に赴き、医療整備課の課長に対して、「理事の名簿の提出には応じられない」と伝えた。その際も、課長からは、警察の捜索が入ったことを各理事に知らせた上で、内科診療所を開業するのか否か賛否を問い直すことを強く求められた。

これらの経緯からすると、警察の捜索は、近く各務原市で開業予定の内科診療所の開設を妨害することを目的に行われたとしか考えられない。

私は、この捜索について理事長から連絡を受けた当初は、「別件捜索」で、何か別の犯罪のための証拠を押収することが目的ではないかと思った。

しかし、このような捜索差押の態様や、岐阜県の医療整備課長が理事長に対してやってきたことを見ると、「別件捜索」でなく、むしろ、「診療所の開設妨害」という、刑事事件とは無関係の目的で行われた疑いが濃厚だ。

「捜索差押」という強制捜査は、被疑者の逮捕・勾留などの身柄拘束と並んで、重大な人権侵害だ。戦後、新憲法が制定され、第35条で、「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」と規定され、それを受けて、刑訴法で捜索差押に関する規定が定められた後、数多くの事例で、捜査機関による捜索差押手続の違法性が争われ、多くの判例、裁判例が蓄積されてきた。その中でも、今回の事件ほど、違法極まりない捜索差押の事例があっただろうか。

徳雲会が経営する二つの心療内科のクリニックには、岐阜県警の捜索差押が行われた後も、毎日、多くの患者が訪れている。その診療のために不可欠なカルテがすべて警察に押収されているので、必要なカルテについては、その都度還付を受けているが、なにしろ、カルテは、患者氏名も冊数も枚数も特定されず、箱ごと持ち去られ、しかも、警察で、バラバラにされてコピーされているようなので、果たして、そのカルテの中身が、元の状態で返還されたかどうかもわからない。

実際に、還付されたカルテを、コンピューターに記録されたレセプトデータと照合したところ、診療が行われているのに、その日の分が欠落しているカルテが多数発見されている。どこで紛失したのか、警察との間で事実確認中だ。

「カルテの紛失」ということになると、クリニックでの診療に与える影響は重大だ。処方した薬剤や、副作用の有無等もすべてカルテに記載されている。そこに「漏れ」があったために医師が誤った判断をした場合、人命にも関わる。

このように医療機関での診療行為に重大な影響を生じさせる警察の捜索差押が行われたことは、医業を監督する厚生労働省にとっても放置できない事態のはずだ。しかし、厚生労働省の出先の東海北陸厚生局は、警察の捜索差押を問題視するどころか、逆に、徳雲会の診療所に対する嫌がらせ的な「監査」を続けており、むしろ、岐阜県や岐阜県警などと結託して、診療所を潰しにかかっているように思える。

東海北陸厚生局による異常なまでに執拗な「監査」が始まったのは、各務原市の内科診療所の開設の計画を始めた、今から3年前だった。それ以降、診療所の管理者の医師が毎週のように、厚生局の監査に呼び出され、長時間聴取されるということが続いているのである。しかし、今でも、何が「不正の疑い」なのかは全く明らかにされていない。

しかも、今回の岐阜県警の捜索差押と歩調を合わせるかのように、監査の通知が届き、カルテ等の提出を求められている。「カルテは警察にすべて押収されているので提出できない」と説明しても、それを証明する書類の提出を求められるなど、「嫌がらせ的な監査」はなおも続いている。

徳雲会の診療所を、そして、各務原市内での内科診療所の開業を潰そうとする岐阜県、岐阜県警、そして、厚労省の出先の東海北陸厚生局の動きの背後に何があるのか。岐阜県、県警、医師会の幹部がどのようにつながっているのか、或いは、県や国の政治家がそこに関わっているのかいないのか。

岐阜の都心部からやや離れた場所に、岐阜県庁と岐阜県警の庁舎が並んで立っている。二つの庁舎は、なぜか、2階が渡り廊下でつながっている。この二つの建物の姿が、岐阜県と岐阜県警の異常な関係を象徴しているのではないか。

19世紀の世の中に戻ったかのような錯覚を覚える今回の事件、到底、現代の法治国家において起きていることとは思えない。

我々は、「岐阜県の闇」と徹底的に戦っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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機構に厳しい「内部調査報告書」と、厚労省に優しい「第三者委報告書」

日本年金機構(以下、「機構」)からの大量の年金個人情報の流出問題に関して、二つの調査報告書が相次いで公表された。

8月20日の日本年金機構「不正アクセスによる情報流出事案に関する調査委員会」の報告書、21日の厚労省「日本年金機構における不正アクセスによる情報流出事案検証委員会」の報告書である。

組織の不祥事が発生した際に、事実解明、原因究明等の調査を行う組織の設定の方法として、内部者中心の体制で調査が行われることが多いが、重大な不祥事については、内部者だけでは、徹底した調査を行って、問題の根本原因や組織の体質等の構造的にまで踏み込んだ指摘を行うことが困難なので、外部者によって構成される「第三者委員会」が設置されることがある。

機構の調査委員会が、理事長を委員長とする機構内部のメンバーに社外弁護士が一人加わった「内部調査委員会」であるのに対して、厚労省の検証委員会は、元最高裁判事の甲斐中辰夫弁護士を委員長とする外部者のみによる委員会で、まさに「第三者委員会」である。

通常は、第三者委員会である厚労省の検証委員会の方が、組織の体質や構造的な問題も含めた厳しい指摘を行うことが期待されるのが当然だ。

しかし、今回の二つの報告書を比較すると、その関係が全く逆だ。

「内部調査委員会」である機構の調査委員会の報告書が、今回の情報流出問題に関して、機構の対応の問題点としてこれまで指摘されていた点の殆どを指摘し、その原因についても、「現場における業務の実態が幹部を含む本部に伝わらない。」「実態を踏まえてルール設定を行うという努力不足」などと、私が、総務省年金業務監視委員会の委員長としての経験に基づき、参議院厚労委員会での参考人質疑等で指摘していた点も含め、組織自体に関わる問題を指摘し、しかも、「その根底には、ガバナンスの脆弱さ、組織としての一体感の不足、リーダーシップの不足、ルールの不徹底など旧社会保険庁時代から指摘されてきた諸問題があり」などと、組織の来歴にまで踏み込んだ原因分析を行うなど、機構の役職員全体に厳しい指摘を行っている。

一方、「第三者委員会」である厚労省の検証委員会の方は、5月8日に機構が標的型ウイルスメールによる攻撃を受けるわずか2週間前の4月22日に、厚労省年金局が類似の手口による攻撃を受け、URLブロックを行った上で通信を遮断した事実があったこと、その際、仮に、厚労省統合ネットワーク単位でURLブロックを行っていれば、機構での不正な通信は防げていたという、これまで全く明らかにされていなかった重要な事実を報告書の中で述べていながら、そのような事実があったのに、5月8日の、NISCが不正の通信を検知し厚労省に通知し、機構に伝達したことについて、係長から上司に報告が行われなかったことなどについての厚労省の組織自体の問題についての指摘や原因分析は全く行われていない。

そして、原因分析においても、厚労省の情報セキュリティー担当者は実質1人で、「システムの規模との比較で到底十分とはいえない」などと指摘しているが、厚労省年金局の組織の根本的な問題については全く指摘していない。

指摘の厳しさから言えば、機構の報告書が「第三者委員会」のレベル、厚労省の報告書の報告書の方は「内部調査委員会」のレベルに止まっている。

どうしてこのような「あべこべ」の内容になったのだろうか。

そこには、今回の情報流出問題を、機構の問題に矮小化し、厚労省の組織に関わる問題に発展させないようにする意図があるように思える。

年金機構の組織に関わる問題を、いまだに「旧社保庁時代からの問題」などという使い古された言葉で説明しようとする発想は、年金機構の内部者から出て来るものとは考えられない。そこには、旧社保庁の「消えた年金問題」で政権を失ったトラウマをいまだに引きずる安倍政権側の発想が働いているように思える。

厚労省の組織に関わる問題を全く指摘しないまま、当初、「中間報告」のはずだった報告書を、急きょ「最終報告」に切り替えて、慌てて幕引きをした厚労省の検証委員会は、今回の問題を機構の問題に矮小化しようとする意図の中で、形だけの「第三者委員会」として都合よく利用されたとしか思えない。

今回の情報流出問題が明らかになった直後に【年金機構個人情報流出事件は、外部機関による監視をなくした安倍政権の大罪】でも述べたように、今回の問題を深刻化させた根本的な原因は、組織の無謬性にこだわり、責任回避に終始して、日本年金機構という組織自体の問題に正面から向き合おうとしなかった厚労省の対応にある。

 

 

 

 

 

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監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書

昨日(7月20日)夜、東芝の「不適切会計」に関する第三者委員会の調査報告書要約版が、同社のHPで公表された。

歴代3社長が現場に圧力をかけるなどして、「経営判断として不適切な会計処理が行われた」「経営トップらを含めた組織的な関与があった」などと、経営者の責任が厳しく指摘されている。

経営トップらが「見かけ上の当期利益のかさ上げ」を狙い、担当者らがその目的に沿う形で不適切会計を継続的に行ってきたとしているが、その原因については、経営トップや、事業部門の責任者に「当期における損失計上を先延ばしにしようとする意図が存在したものと思料される。」などと述べているにとどまり、その意図が、「会計処理上許されない損失先送りとの認識を含むものであったか否か」は明確にされていないし、そもそも、その動機が何であったのかには全く触れられていない。

そして、財務部・経営監査部・監査委員会等による内部統制が十分に機能しなかったと指摘し、「東芝の役職員において、適切な会計処理に向けての意識が欠如していた」「上司の意向に逆らえない企業風土があった」などと、問題の背景となった企業風土についてまで言及している。

また、責任の所在について、「取締役、執行役ではなかった役職員の中にも、不適切な会計処理に関与していたり、不適切な会計処理により意図的な『見かけ上の当期利益の嵩上げ』が実行されていることを認識又は容認していた者も存在する。これらの役職員のうち、少なくとも幹部職員(例えば、部長職以上の職にある職員)については、その関与の程度等を十分に検証した上で、人事上の措置(懲戒手続きの実施を含む)を適切に行うことが望ましい。」と、幹部職員全体の人事処分にまで言及している。

調査の結果明らかになった具体的事実については、本日(21日)午後に予定されている詳細版の公表を待つしかないが、要約版を読んだ限りの印象としては、結論においては、歴代の経営トップに対しても、事業部門の責任者に対しても、厳しい断罪を行っているものの、それが意図的で悪質なものであることの根拠となる事実はほとんど示されていないこと、監査法人などに対して正しく説明せず、外部から発見されにくい巧妙な手法で行われていたと述べ、監査法人への隠ぺいの意図まで認定しているのに、それを「不正」ではなく「不適切」と表現していることなど、全体としてバランスの悪さを感じる。

そして、誠に不可解なのは、会計監査人の監査の過程で問題が指摘されず、結果として外部監査による統制が十分に機能しなかったことを認めていながら、会計監査人の監査の妥当性の評価は調査の目的外だとして評価判断を回避し、「経営トップや組織の不当な関与により内部統制が有効に機能しない状況下では、組織全体がごまかしや不正な操作による組織防衛行動に走ってしまう余地が生ずる。このような会社組織による事実の隠ぺいや事実と異なるストーリーの組み立てに対して、独立の第三者である会計監査人がそれをくつがえすような強力な証拠を入手することは多くの場合極めて困難である。」などと、会計監査人である監査法人が「不適切会計」を指摘できなかったことはやむを得ないかのような言い方をしている点だ。

2011年に表面化した「オリンパス損失隠し問題」についての第三者委員会の調査報告書が、会計監査人の新日本有限責任監査法人について、前任の会計 監査人であるあずさ監査法人からの引継ぎの際の「監査人の交代事由」に関する事実確認が極めて形式的かつ簡略 なものに留まっていたこと、M&Aで取得した海外企業の配当優先株の買戻しに際して「のれん」計上した処理について、より慎重な検討及び判断がなされるべきであったことなど、厳しい指摘を行ったのとは全く正反対の姿勢だと言えよう。

東芝の会計監査人は、オリンパス問題で第三者委員会から厳しく問題を指摘された新日本有限責任監査法人である。しかも、今回の問題の発端となった工事進行基準をめぐる不適切会計の問題に関しては、東芝とも関係の深い伝統企業IHIでも、2007年に、海外のプラント事業をめぐって今回と同様の問題が表面化し、300億円を超える過年度決算訂正に追い込まれ、有価証券報告書虚偽記載で課徴金納付命令を受けた。そのIHIの会計監査人も、新日本有限責任監査法人なのである。

私は、そのIHIが過年度決算訂正問題で特設注意市場銘柄に指定され、内部統制、コンプライアンスの抜本的見直しを迫られた際に、同社の社外監査役に就任し、それ以降、同社のコンプライアンスへの取組みをサポートしてきた。

会計監査人の新日本監査法人の担当者との間でも、工事進行基準の適切な管理も含め、様々な意見情報交換を行っている。少なくとも、会計処理の適切さという点において、IHIの内部統制、コンプライアンスは格段に向上したと自信を持って言える。IHIの会計監査人としての新日本有限責任監査法人の担当者は、工事進行基準に関して問題が生じ得る大型案件については、会計監査人自身が海外往査を行って現場の状況を確認するなど、十分な役割を果たしてくれている。

それと同じ監査法人が会計監査人を務める東芝において、IHIで過去に起きたのと殆ど同様の事態が発生しているのに、何ら気づかず問題も指摘できないなどということは私には理解できない。近年、大手監査法人では、「品質管理体制」の強化が打ち出されていたはずであり、過去に発生した企業会計を巡る問題を踏まえた監査品質の向上を図るのは当然のことだろう。

私は、上記のオリンパス損失隠し問題での第三者委員会での会計監査人の問題についての指摘を受けて、新日本有限責任監査法人が設置した「オリンパス監査検証委員会」の委員として、調査を総括し、報告書の取りまとめを行った。

【同報告書】においては、同監査法人の法的責任について、「オリンパス問題に関して、新 日本監査法人が法的責任を問われる余地はないと考えられる。」と結論づけた。

しかし、オリンパスの問題と今回の東芝の「不適切会計」とは全く性格が異なる。オリンパスの問題は、1998 年~2000 年の間に、保有金融資産の含み損を連結財務諸表から分離するために、いわゆる「飛ばし」を実行した後、2003 年~2008 年の間に国内外の企業買収に乗じて資金を作り、「飛ばし」によって連結財務諸表から切り離した損失に充当す るなどして分離した損失を解消したという会計不正であり、「飛ばし」は、海外のファンド等を通じて巧妙に実行されて隠ぺいされ、社内でもごく僅かな人間しか知らなかった。しかも、その損失というのは、同社の本業とは全く無関係の金融取引によるものであって、通常の業務に関する会計監査では知る余地がない。今回のような、多くの事業部門で、日常的に不適切な会計処理が繰り返されていた問題とは大きく異なる。

オリンパス監査検証委員会で、「会計監査人には法的責任はない」と結論づけた上、会計不正が疑われる場合の不正調査への積極的な取組みも含め、様々な再発防止策を提言したことは正しかったと確信している。

だからこそ、今回の東芝の問題については、会計監査人の監査法人が、その役割をどのように果たしたのか、という点には、強い関心を持たざるを得ない。

今回のように、経営トップの方針にしたがって、企業内部で利益操作が行われるというのは、本来、内部統制の問題ではない。内部統制は、経営トップが、その方針に沿って業務が行われているかどうかを把握する手段であり、経営トップが利益操作を意図していたのであれば、そもそも、内部統制を問題にする余地はない。

そのような場合は、内部統制の枠組みの外にある会計監査人が不適切な処理を防止する機能を果たす以外に方法はないのである。

しかも、会計監査人が問題を指摘していないというのは、その会社の役職員にとって最大の弁解ともなり得るのである。表面的には、会計監査人に対して十分な説明を行っていなかったとか、実態を隠していたと言っても、その点について質問をしたり、資料の追加提出を求めたりしない会計監査人は、実質的に、そのような処理を認めていると思われても不思議はない。

今回の第三者委員会報告書で述べているような「経営トップが社内カンパニーに対して過大な収益目標と損益改善要求を課し、その達成を強く求める」というようなことは、多くの企業で、程度の差はあれ、行われていることである。

問題は、それが、「適切な会計処理」の範囲内で行われるのかどうかであるが、それが不適切の方に流れないようにするための「歯止め」となるのが、外部の会計監査人の監査のはずだ。

今回の問題での第三者委員会の報告書では、どう考えても、監査法人の責任についての言及は避けられないと考えていたが、それが、上記のようなものにとどまっているのは、全く不可解である。

新日本有限責任監査法人も、今回の東芝の問題を、会計監査に関する問題と受け止めて自ら検証しようとする姿勢は全く見えない。

今回の東芝の問題が「企業の組織ぐるみの不適切会計」だと言うのであれば、それを抑止するのは外部機関としての会計監査人しかあり得ない。工事進行基準のような日常的な会計処理の問題に対しては、会計監査人による監査が十分に機能すること、そして、企業の役職員の側が、会計監査が機能していると認識していることこそが、この種の「企業の会計不祥事」を防止するための最も有効な方策である。

「会計処理について監査法人、会計監査人が了承してくれていること」を不適切性の認識を否定する弁解としているはずだが、第三者委員会報告書は、そのような弁解に触れることなく、財務部・経営監査部・リスクマネジメント部等の担当部署や監査委員会の「内部統制機能の欠如」を批判している。

このような形で、「監査法人の不祥事」としての側面が取り上げられることなく、今回の問題の決着が図られるのであれば、もはや、日本の会計監査制度は有名無実化していると見られても致し方ないであろう。

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 検察控訴趣意書と東芝不適切会計に共通する「偽装の構図」

今年3月5日に名古屋地方裁判所で言い渡された藤井浩人美濃加茂市長に対する無罪判決に対して、不当な控訴を行った検察が(【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】)出してきた控訴趣意書に対する答弁書を、7月15日に名古屋高等裁判所に提出した。

6月18日に提出された検察の控訴趣意書は、二つの意味で「想定を超えるもの」だった。

まず、一読したところの印象は、一審の論告などと較べると、文章の質も高く、論理的で、説得力がある。読んだ者の多くが「逆転有罪の可能性がある」と思うような内容だった。検察がこれだけの内容の控訴趣意書を出してくるというのは想定していないことだった。

ところが、じっくり読んでみると、書かれていることの大部分が証拠に基づいていない。或いは、事実を歪曲している。一見して、論理的で説得力があるように見えるのは、事実や証拠を勝手に作り上げているからなのだ。検察官の控訴趣意書で、これ程までの「偽装」を行ってくるのか、それは、私の想定を遥かに超えていた。

もちろん、答弁書では、そのような控訴趣意書全体にわたる「偽装」の一つひとつを、徹底して引き剥がしていった。

美濃加茂市長事件は、もともと中林の贈賄供述が唯一の証拠であり、一審では、検察官が、中林供述の信用性を裏付けるとする証拠を提出し、弁護人は、それが信用できないものであって、意図的な虚偽供述であることを立証して争った。そして、一審は、検察官が中林供述の裏付けだとする証拠の多くを、関連性が稀薄だとして排斥し、弁護人の主張どおり、中林供述は信用できず虚偽供述の動機が存在した可能性があるとして無罪判決を言い渡した。

ところが、控訴趣意書での検察官の主張は、まず、一審判決が「本件各現金授受の事実を基礎づける証拠としては,贈賄者である中林の公判供述があるのみである。」と判示したのが間違いだと言い、「中林証言を離れて,間接証拠からどこまでの間接事実が認定でき,そこからどのような事実が推認されるのかを確定する作業や,これを踏まえて中林証言全体の信用性の検討を行うという作業を怠っている」というのである。

そして、その「間接事実」として、中林と被告人の藤井市長(当時は、市議)が知り合い、美濃加茂市への浄水プラントの導入に向けて協力するようになり、実際に、実験プラントとして導入された経緯に関して、いろいろ事実を書き並べている。

しかし、「中林証言から離れて、間接事実から事実が推認される」などということは、あり得ないことだ。被告人の藤井市長も、浄水プラントの導入が美濃加茂市民のためになると思って導入を推進してきたことを認めており、事実関係にほとんど争いはない。そんな経過が収賄の「間接事実」になるはずはないのだが、浄水プラント導入に向けての被告人(藤井市議)の動きが、中林の依頼に応じて行われたものであったかのように、巧妙な脚色が加えたれているため、その部分の記述を読むと、二人の間で「現金の授受」があったように思えてくる。

しかも、単に脚色されているだけではない。「中林証言から離れて認められる間接事実」だと言っているので、その根拠として「中林証言以外の証拠」が引用されているのだが、実際には、その証拠のどこを見ても、その間接事実に対応する内容が含まれていない。中には、証拠の中から都合の良いものだけを取り出して、「客観的事実」であるように装っているものもある。

つまり、検察官が控訴趣意書で「中林証言を離れて現金授受を推認させる間接事実」と言っているのは、ほとんどが、証拠に基づかず、事実を歪曲したもので、まさに「偽装」なのである。

端的な例を挙げよう。

控訴趣意書の中に、被告人と中林の癒着関係を示す事実として、「被告人は、・・・飲食代金を中林にまとめて支払ってもらっていた」「面会時の飲食代金を中林がまとめて支払ったり」などという表現が出てくる、藤井市長は、「会食の際の飲食代金は、その都度割り勘で払っていた」と述べており、中林も、割り勘分を現金で受け取っていたことを認めている。この「まとめて支払ってもらっていた」というのは、中林が、「一旦、クレジットカードで3人分の支払いをした」ということなのである。

それを「まとめて支払ってもらっていた」などと表現して、あたかも、被告人分の飲食代も含めて中林が支払っていたかのようなに見せかけようとしているのである。

そもそも、この事件は、現金の授受に関する証拠は中林の贈賄供述だけ、その信用性がすべてだ。ところが、それだけの争いになると勝ち目がないので、中林供述以外の証拠によって現金授受の間接事実が認められるように偽装しているのだ。

しかも、その偽装は、検察官の主張全体にわたっている。だから、一読すると誰もが有罪であるかのように思ってしまうのである。

外見的には鉄筋鉄骨造の建物のように見せかけているが、実は建材を張り合わせただけの「偽装建築」のようなものだ。

控訴趣意書は、一審の論告などとは異なり、名古屋地検で作成した上、名古屋高検でも検討し、今回のような事件であれば、最高検も了承しているはずだ。検察が組織として作成・提出してきたもののはずの控訴趣意書で、どうして、このような露骨な「偽装」がまかり通ってしまうのか。

そこには、検察の組織に関わる構造的な問題がある。

事件の記録や証拠に直接見て検討するのは、現場の検察官であり、上司や上級庁は、証拠に直接触れることは、原則としてない。証拠の中身がわかっているのは、現場でその事件を担当していた検察官しかいないのだ。今回の事件のように、事件を捜査し、起訴した検察官が、公判も中心となって行い、その結果無罪判決が出たという場合、その検事には、無罪になるような事件を起訴したことと、その後の公判での有罪立証に失敗したことについて責任があるはずだが、証拠の中身の詳しいことは、その検察官にしかわからない。そこで、控訴趣意書も、まずは、その担当検察官に案を作らせることになる。

その案を上司や上級庁が検討し、さらに検察の上層部の了承を得ることになるわけだが、その過程で、一審とは異なった角度から立証しようとして、「この事件は、こういう構図で立証すべきだ」という方針が示されると、現場の方では、それに対応する証拠がないと思っても、「証拠との関係で無理です。」とはなかなか言えない。

そんな立証ができるぐらいなら、一審でもやっていたであろうし、そもそも、無罪判決など出ていなかったはずだ。そういう意味では、そのような方針で立証することもともと不可能であることは、上層部も、少し考えてみればわかるはずだ。

それでも、上層部が、そういう方向に控訴趣意書の案を修正しようとしてきた場合、結局、現場の方は、そういう構成にできるよう、証拠の方を「調整」・「工夫」し、証拠からは認められない事実に歪曲していくことになる。

その「偽装の構図」は、東芝の不適切会計に関して報じられていることと共通する。

「東芝が過去の決算で不適切な処理をしていた問題で、当時社長だった佐々木則夫副会長が、予定通りの利益を上げられない部署に、会議の場やメールで『工夫しろ』と指示していた。」と報じられている(7月10日付け朝日新聞)。この「工夫しろ」という言葉それ自体は、形式上は「利益を上げたような嘘の報告をしろ」という意味ではない。しかし、実際に利益が上がっていない状況で、利益が上がるように「工夫しろ」と言われれば、担当者の方では、もはや事実に反した報告をして、利益が出ているように「偽装」するしかないということになる。

それと同様に、美濃加茂市長事件での控訴が、組織の面子だけのための控訴だということは、検察内部では認識しているはずだ(【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】)。そういう状況で、上層部が、「中林証言を離れて現金授受を推認できるような間接事実」を中心にするように控訴趣意書を修正してきたら、暗黙のうちに、それに合うように証拠上の体裁を取り繕えという指示だと受け止めてしまうだろう。それが、「偽装」につながっていく。

日本の刑事司法の正義を独占してきた検察、日本を代表する伝統企業の東芝、二つの組織に共通するのは、「上層部の無理な指示を現場が受け入れざるを得ない組織の危うさ」である。

 

 

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参考人質疑で露わになった「日本版司法取引」法案の重大な欠陥

一昨日(7月1日)に行われた衆議院法務委員会で、刑事訴訟法改正案に含まれる「捜査公判協力型協議合意制度」(いわゆる「日本版司法取引」)について、私も含め5人の参考人による意見陳述及び関連質疑が行われた。

その中で、検察官と被疑者・被告人との間の「合意」がどのような場合に行われるのかという点に関して、いずれも検察実務経験者の参考人である私と、高井康行弁護士の間で、認識に大きな乖離があることが明らかになった。

どのような場合に「合意」が行わるのか、というのはこの制度の根幹に関わる問題である。しかも高井参考人は与党推薦であり、法案を提出した法務省側からも事前に説明を受けていたと考えられることからすると、高井発言は、法案提出者の法務省側の認識に沿ったものと解することができる。

法務省は、検察官が、どのような場合に、どのような判断を経て「合意」に応じる判断を行うとの前提で法案を提出しているのだろうか。

この日本版司法取引制度は、検察官と被疑者・被告人との間で、被疑者・被告人において,他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力を行い、検察官において,その裁量の範囲内で一定の処分又は量刑上の恩典を提供するという合意をするものである。この「合意」が成立すると、被疑者・被告人側は「他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力」を行う義務を負う一方で、検察官は、「一定の処分又は量刑上の恩典を提供」する義務を負う。つまり、「合意」が成立した時点で、被疑者・被告人は、合意がなかった場合と比較して、刑事処罰に関して有利な取扱いを受ける権利が発生するのである。

そして、その合意は、検察官が合意から「離脱」しない限り有効であり、「離脱」という事態が生じない限り、被疑者・被告人側は、検察官に対して、処罰の軽減措置を求める権利を有することになる。

では、「離脱」がどのような場合に認められるか。それは、端的に言えば、被疑者・被告人の供述が真実ではないことが明らかになった場合である。「合意」の前提となった供述内容が真実ではなかったことが、被疑者・被告人の側の責任によることが明らかになった場合、つまり、当該供述が虚偽であったことを被疑者・被告人自身が認めた場合、或いは、真実ではないことが、その後の捜査等によって客観的に明らかになった場合である。

そうだとすると、「合意」は、検察官の当該被疑者・被告人の刑事事件の処分や、公判において求める処罰の内容等について重大な決定を伴うものであって、軽々に行えるものではない。

検察内部の手続として、刑事事件の処分を決する際に、主任検察官の判断について、上司の決裁が、事件の重大性によっては上級庁の決裁も必要とされる。それと同様に、「合意」を行うに当たっては、刑事処罰を軽減する重要な決定なのであるから、上司の決裁を受けることになるはずだ。そのような検察官としての決定を行うに当たって、供述が信用できるものであるか否かについて、供述内容の検討及び裏付け捜査を行った上で「合意」するのが当然である。それを行わないまま「供述が真実かもしれないので取りあえず合意をする」などということは考えられない。

ところが、高井参考人の発言は、検察官は、被疑者・被告人が供述しようとする「他人の刑事事件」の「おおまかな外形」だけで、まず「合意」を行い、その後に、具体的な供述をさせて、その内容を検討することを前提にしている。具体的には、國重徹議員(公明党)の質問に対する高井参考人の以下の発言である(【7月1日衆議院法務委員会】開始後2:08:08頃から)

普通、協議の場面というのは、私がその当時者としてしゃべるとすると、「うちの依頼人はこういうことを知っていますよ。」「こういうことまではしゃべれます。」と、具体的な事実は何も言わないわけですね。そこで具体的事実を言ってしまったら、タダで自分の商品を売ることになるじゃないですか、わかりやすく言えば。だから、「こういう良いものを持っています」ということは言うんですが、箱の中に何が入っているのかは言わない。ただし、検察官としても、空箱を買わされても困るわけですから、当然、「箱の中に、蛇が入っているのか、それともミミズがはいっているのか、それくらいは言え」という話になると思うんですね。「蛇じゃないけどミミズは入ってますよ。」というぐらいの話なんです。そうすると検察官が、「ミミズくらいでも買うに値するね。」と思えば「じゃあ合意しましょう」と。「じゃあ箱を開けてくださいよ。ミミズってどういう形をしているんですか。」という話になって、「このミミズははこういう形でここでとってきたものなんですよ。」と説明をすることになるんですね。

もし、この程度の「ミミズ話」で、合意が行われ、その話をした被疑者・被告人が処罰の軽減を受けることができるとすれば、とんでもない話である。人に対する刑罰・処罰というものをそんなに軽々しく軽減してよいのであろうか。そんなことで、検察に対する信頼が維持できるのであろうか。

しかし、これまでの衆議院法務委員会での上川陽子法務大臣や林真琴刑事局長の答弁を、改めて見てみても、供述内容をどの程度に確かめ、検察官としてどの程度に信用性の吟味を行った上で「合意」をするのかについては、明確な答弁は見当たらない。

この法案の委員会質疑の中で、与党議員から、私と同様の疑問が示されている。

(6月19日法務委員会、自民党井野俊郎議員の質問)

○井野委員 

そうしますと、例えば、B、Cの犯罪、詐欺について不起訴にするから、A、Bの犯罪、贈賄について話せということも可能となるわけですね。
その上で、この資料の例で申し上げますと、現金等の授受があって、お金には色がありませんから、これが例えば、単なる政治献金なのか、はたまた賄賂性を持った現金なのかということで、司法取引になってくると、捜査機関としては、現金の授受というものが、ある程度これは賄賂性があったんじゃないかと見込んだ上で司法取引というものを持ちかけるなり持ちかけられるなりということが、当然、今回予想されるわけであります。
すなわち、私が言いたいことは、検察官はある程度こういうことを見込んで司法取引を持ちかけたり持ちかけられたりということがあるわけですから、供述する側といいましょうか司法取引に応ずる側、Bとしては、検察官のストーリーに乗るといいましょうか、こうだったんじゃないかというような、ある程度、誘導というもののバイアスがかかるのではないかという点が考えられるわけであります。
この点については、当然、そういう制度を前提としますので、本当にこの問題は信用性というものが大きく問題になってきますけれども、この点の信用性担保について改めてちょっとお伺いさせていただきたいと思います。

○林政府参考人

合意制度におきまして、合意成立後に取り調べというものが行われる場合がございます。その場合についての御質問であろうかと思います。
まず、本法律案におきまして、合意に基づく供述が他人の公判で用いられる場合には、その合意内容が記載された書面が、当該他人にも、また裁判所にも必ずオープンにされて、その場で供述の信用性が厳しく吟味される仕組みとなっております。そのために、合意に基づく供述というものにつきましては、裏づけ証拠が十分に存在するなど、積極的に信用性を認めるべき事情が十分にある場合でない限り、信用性は肯定されません。仮に、特定の供述に誘導するような方法がとられたことが後の公判で明らかになれば、もともと合意に基づく供述は裁判所において警戒心を持って受けとめられることと相まって、その供述の信用性については回復しがたい疑念を持たれることとなります。
したがいまして、検察官といたしましては、合意後に取り調べを行うような場合には、その信用性に影響を及ぼすような取り調べとならないよう十分留意して、任意かつ具体的な供述を得た上で、その裏づけ捜査を徹底して行って、供述の信用性を慎重に吟味することが不可欠となります。

(中略)

井野委員

先ほどの点なんですけれども、Bとの司法取引の中で、この現金が賄賂性を持ったものだと見込んだんだけれども、いや、単なる政治献金でした、結局、贈賄罪はできませんでした、かつ、B、C間の詐欺罪についても不起訴の合意をしていたから、それについても不起訴になってしまうと。私は、ちょっとこの点、果たしてこれが、国民的理解といいましょうか、結局、Bとしては、二重のお得と言ったらおかしいんですけれども、多大なる利益を得てしまうように私は感じるんですね。当然、Cとしては、被害者でありますから、なぜ私の犯罪まで不起訴になってしまうのかというような、そんな思いを場合によっては持たれる方もいると思うんですね。
その点について、国民的理解といいましょうか、適正な刑事司法と言えるのかどうなのかというのは、私はちょっと疑問に思うところがあるんですけれども、その点についてはどうなんでしょうか。

○林政府参考人 

基本的に、今回の合意制度について対象事件を限定したところにつきましては、やはり、犯罪の軽重等を考えまして、組織的な犯罪について適正な刑罰を科すことの必要性、それに資するための行為をした者について何らかの利益を与える、こういった形で一番ふさわしい類型の対象事件は何かということで限定したものでございます。その中では、結果的に双方が不起訴になるというようなことがないわけではないとは思いますけれども、基本的に、そのようなことについて、制度としては、国民の理解が得られ得るものとして対象事件を限定したと考えております。

井野議員は「被疑者・被告人Bと検察官の間で、AがBから賄賂を収受したとの『他人(A)の犯罪事実』についてBが供述を行い、検察官がAを起訴した場合には、BがAの公判で贈賄を証言するという協力を行う見返りに、BがCから金銭を騙し取った詐欺罪を不起訴にするという『合意』が行われた」という設例を挙げて、第1に、そのような事例において、司法取引を持ちかけたり持ちかけられたりした検察官が、Bに対してAの収賄が成立するようなストーリーを作って、Bをそのストーリーに沿った供述をするよう誘導しようとする恐れがあるのではないかという疑問を指摘した。

それに対して、林刑事局長は、合意に基づく供述によって起訴した場合には、合意内容が記載された書面が、当該他人にも、裁判所にもオープンにされて供述の信用性が厳しく吟味される仕組みとなっており、仮に、特定の供述に誘導するような方法がとられたことが後の公判で明らかになれば、その供述の信用性については回復しがたい疑念を持たれることになるので、検察官の誘導はあり得ないと答弁している。

そこで、井野議員は、第2の疑問として、上記の設例において、「合意後、Bの取調べを行い裏付け捜査を行ったが、Bの供述に基づいてAを収賄で起訴するには至らず、一方で、検察官とBとの間では合意が成立しているので、Cからの詐欺についても不起訴にせざるを得ず、結局、両方の犯罪が不起訴に終わってしまった」という事態に対して、国民的理解が得られないのではないか、適正な刑事司法とは言えないのではないかと指摘している。

それに対して、林刑事局長は、「組織的な犯罪について適正な刑罰を科すことに資する行為をした者に何等かの利益を与えるのに一番ふさわしい類型の対象事件に限定されている」ということを理由に、国民的理解が得られると述べているのである。

井野議員の提示した二つの疑問は相互に関連しており、誠にもっともである。林刑事局長の答弁は、それらの疑問に対して正面から答えていない。

確かに、「合意」が行われ、Bが処罰の軽減の恩典を受けることの見返りに贈賄供述をしたことが明らかになっていれば、裁判所でも信用性が厳しく吟味されるであろう。しかし、Aを起訴できないということになると、単に、Bに詐欺事件の不起訴という恩典を与えただけの結果に終わってしまう。Bの詐欺事件の被害者Cが不起訴処分に納得できず、検察審査会に審査を申し立てた場合、「合意」が成立していたので不起訴にしたということだけでは、実際にAを起訴できていない以上、審査員の納得は得られないだろう。その結果、強制起訴ということになれば、さすがに検察庁内で問題になりかねない。

そうなると、検察官は、「合意」をした以上、何とかしてAを収賄で起訴しようと取調べを行い、B供述と客観的証拠との辻褄を合わせようとし、その過程で、検察官が、Bの供述を、Aを起訴できる方向に誘導する可能性も十分にある。

実際に、今年3月5日に名古屋地裁で無罪判決が言い渡された美濃加茂市長事件では、贈賄供述者が、4億円近くにも上る悪質な融資詐欺を自白していながら、そのうち2100万円の事実だけしか立件・起訴されていない中で贈賄を自白し、その後、残りの融資詐欺が捜査も起訴もされていなかったことから、弁護人は、公判前整理手続の段階から、贈賄供述者が、融資詐欺での検察官の有利な取り計らいを期待して虚偽の贈賄を自白した「闇司法取引の疑い」を主張していた。そして、弁護人が4000万円の融資詐欺の余罪について告発を行ったのに対して、検察官が追起訴をせざるを得なくなるなど、検察官の有利な取り計らいの疑いが一層強まっていた状況の下で、検察官が行ったことは、贈賄供述者の証人尋問に備え、「連日朝から晩まで休みもなく打合せを行い、贈賄供述者に証言内容を覚え込ませること」だったのである。しかも、このような異常なまでの打合せが行われていたことは、贈賄供述者が、在監していた施設の隣の房にいた人物に書いた手紙を弁護人が入手したことから明らかになったのである。証人尋問の準備のために検察官が贈賄供述者と接触した回数・時間等について、弁護人が検察官に資料の開示請求を行っていたが、検察官は開示しようとしなかった。

さらに、このような検察官による「証人尋問への異常な対応」が行われたことが公判廷で明らかになり、一審で無罪判決が言い渡されたのに、検察官は控訴し、控訴趣意書で、「一審での検察官の対応には何の落ち度もなかった」と強弁しているのである。【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】

このことは、「合意」が行われたような場合でも、検察官が、必死になって供述の信用性を高め、あるいは維持しようと思えば、誘導も含めてあらゆる手段を取ること、そして、検察組織としても、それを容認していることを示しているのである。

このような事態が生じないようにするための唯一の方法は、「合意」を行う前に、供述内容を精査し、裏付けをとって信用性を吟味することである。それなくして、検察官が、「協議合意制度」を適切に運用できるとは考えられない。

ところが、その法案審議の委員会で、与党推薦の検察の実務経験者の参考人として出てきた高井弁護士は、検察官が、供述内容も確かめず、信用性も吟味しないまま、「合意」するのが当然であるかのように言い放ったのである。

もし、そのような検察官の対応が行われるとすると、高井参考人が言うところの「凡そ食えないミミズ話」が、検察官に安売りされて、無責任な処罰軽減ばかりが行われるか、逆に、それを避けようとして、ミミズ話で無理やり起訴するために、検察官の取調べや、証人尋問の「打合せ」で、供述の信用性が後から作り上げられることになりかねない。

そのような事態が、果たして、世の中に説明できるのだろうか、納得が得られるのだろうか。

今後の国会審議の中で、この点について法案提出者の政府・法務省に明確な答弁を求めた上、十分に議論することが不可欠であろう。

それなくして、「捜査公判協力型協議合意制度」を含む刑訴法改正案を成立させることがあってはならない。

 

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