甘利大臣をめぐる事件で真価を問われる検察

昨日のブログ【甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか】で、週刊文春で報じられた甘利明大臣や秘書が業者からUR(都市再生機構)の道路用地買収の補償問題で「口利き」を依頼され、金品を受け取った疑惑について、記事の内容を前提に、あっせん利得処罰法違反の成否に関する解説を行った。

結論としては、①「契約」に関するものと言えるか、②「請託」があったと言えるか、③「権限に基づく影響力の行使」があったと言えるか、についての弁解・主張は出て来るであろうが、速やかに捜査に着手し、事実と証拠を積み上げていけば、少なくとも、秘書についてのあっせん利得を起訴に持ち込める可能性は十分にある。

また、甘利大臣本人についても、ご本人が、国会答弁で、現金を受け取ったか否か「記憶が曖昧」と述べているぐらいなので、甘利事務所と大臣室で現金を渡した状況を明確に述べている業者側の供述と比較して、業者側供述が信用できることは誰の目にも明らかである。

甘利大臣自身が「権限に基づく影響力」を行使してUR側に一定の職務行為を行うことの「請託」を受けたと言えるか否かについても、文春記事に出て来る、甘利大臣が業者から現金を受け取った際に、資料に基づいて説明を受け、同席した秘書に、「これ(資料)を、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい」と指示したとの業者側の話について、河野という大臣秘書官が、資料を受け取ったか否か、大臣との間でこの件についてどのようなやり取りがあったのかなどについて、供述を固めていけば、立証の目途を立てることができる可能性がある。

それに加え、公設第一秘書が受け取った500万円のうち400万円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないとされており、これらについて政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記入罪)が成立する可能性が高い。

裏金献金摘発へのハードル

このような、政治資金収支報告書に記載されない「裏献金」の問題を政治資金規正法違反の犯罪で摘発する際にハードルとなるのが、「政治資金の帰属」の問題だ。

政治資金規正法は、政党や政治団体の会計責任者に政治資金収支報告書の作成・提出を義務づけている。国会議員であれば、個人の政治資金管理団体のほかに、代表を務める政党支部があり、そのほかにも後援会など複数の政治団体があるのが一般的だ。このような政治家が、企業側から直接政治献金を受け取ったのに、領収書も渡さず、政治資金収支報告書にも全く記載しなかったとすれば、政治資金の透明化に露骨に反する最も悪質な行為だが、このような「裏献金」の事実について政治資金規正法違反で刑事責任を問うことは容易ではない。

政治資金規正法違反の事実として考えられるのは、「企業等は政党または資金管理団体以外に対して寄附をしてはならない」との規定に違反して「政治家個人宛の寄附」を受領した事実か、受領した寄附を収支報告書に記載しなかったという虚偽記載の事実である。ところが、その「裏献金」が、政治家個人に宛てたものか、資金管理団体、政党支部などの団体に宛てたものかがはっきりしないと、どちらの規定に違反するのかが特定できない。裏金は、最初から寄附を「表」に出すことを考えていないのだから、政治家個人宛か、どの団体宛かなどということは考えないでやり取りするのが普通であり、結局、「政治資金の宛先」が特定できないために、政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えないということになる。

議員の職務権限との関連性が認められないために賄賂にはならない「贈収賄崩れ」のような裏金のやり取りは、政治資金の透明化という法の趣旨から言うと最も悪質な行為だが、このような「政治資金の帰属」の問題があい路となって立件できない結果に終わる場合が多かった。

裏金献金摘発が容易な例外的ケース

しかし、例外的に、この「刑事立件の壁」を超えられるケースがある。それは、政治団体名等で領収書が交付され政治資金収支報告に記載される「表の献金」と「裏の献金」の両方がある場合だ。

その典型例が、2002年から03年にかけて、私が、長崎地検次席検事として捜査を指揮した「自民党長崎県連事件」だ(拙著【検察の正義】(ちくま新書)の「最終章 長崎の奇跡」で、地方の中小地検の全庁一丸となった独自捜査で、政権政党の地方組織の公共工事受注業者からの集金構造に迫ったこの事件について述べている。)。

この事件は、自民党長崎県連が、公共工事の受注額に応じて政治献金をするようゼネコンに要求し、多額の寄附が行われていた事件だ。政党への政治献金に対して公職選挙法を初めて適用したことで全国的にも注目を集めたが、長崎県知事選挙に関して公共工事受注業者から寄附を受けたという公選法違反に加えて、多額の「裏献金」を政治資金収支報告書の虚偽記入罪で立件・起訴した。

それが可能だったのは、長崎県連の幹事長と事務局長が、正規に領収書を発行して収支報告書にも記載して処理する「表の献金」を受ける一方で、同じような形態でゼネコン側から受け取った献金の一部については、領収書を渡さず、収支報告書にも記載しないで処理し、県連の「裏金」に回していたからだ。「自民党長崎県連宛の寄附」として収支報告書に記載すべき寄附であるのに、その記載をしなかったことの立証が容易だった。

今回の甘利大臣をめぐる政治資金の問題も、長崎県連事件と同様に、収支報告書に記載された「表の寄附」と、記載しない「裏献金」の両方がある。例外的に、政治資金規正法違反で立件可能なケースだと言えよう。

文春の記事を前提にすれば、甘利事務所の政治資金の処理はあまりに杜撰であり、しかも、大臣の現金授受についての記憶は「曖昧」であり、このような政治家の事務所に捜索に入れば、不正な金の流れがほかにも発見される可能性も高い。

甘利大臣をめぐる疑惑は、事件の中身としては、検察が大物政治家をターゲットとして捜査に着手することが十分に可能だと言えよう。

政界捜査で繰り返されてきた法務省からの圧力

もっとも、この種の政治家に関連する事件の場合、しばしば検察と法務省との関係が問題になる。

人事・予算を内閣に握られている法務省の側には、安倍内閣の有力閣僚の事件を摘発することに対しては、相当な抵抗があるであろう。

とりわけ、現在の法務省にとっては、「日本版司法取引」の導入や盗聴の範囲の拡大などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案が、昨年の通常国会で成立せず、参議院で継続審議となっており、今国会での議案の取扱いは、安倍政権側の判断に委ねられている。法務省側からは、甘利大臣の事件の検察の捜査を抑え込むことと引き換えに、刑訴法改正案の審議を進めることを求めるという「闇取引」を持ち掛けるというのも考えられないことではない。

安倍政権が絶大な政治権力を誇る状況下で、法務省サイドの圧力を跳ね返して、甘利大臣自身の事件をも視野に入れた捜査を積極的に進めていくことができるか、検察の真価が問われることになる。

前記の自民党長崎県連事件の捜査でも、ちょうど小泉政権の絶頂期だったこともあり、政権与党に打撃を与えること避けようとする法務省サイドから強烈な圧力がかかった。当時、長崎地検では、議長を逮捕して、自民党有力政治家の疑惑に迫ろうとしており、県連の裏金に関して、中央の有力政治家に絡む事件のネタも多数あったが、捜査が政権政党に大きな打撃を与えることを懸念した法務省や法務省系の最高検幹部の猛烈な反対に行く手を阻まれ、在宅捜査に切り替えて略式起訴に持ち込み、捜査を終結させざるを得なかった。

検察の正義を巡る環境を変えた検察審査会の起訴議決

過去にも、政治に絡む事件で検察と法務省との確執が繰り返されてきた。しかし、今では、そのような法務省側の消極意見があったとしても、法改正によって権限が強化された検察審査会の存在が、圧力を跳ね返す大きな力となり得る。「検察の正義」をめぐる環境が大きく変わっているのである。

近著【告発の正義】(ちくま新書)でも書いたように、2009年の検察審査会法の改正で、検察審査会の議決によって起訴される制度が導入されたため、告発された事件が不起訴になった場合、告発人は検察審査会に審査の申立てを行うことができる。そこで、「起訴相当」の議決が出ると、検察は再捜査を行うことになる。以前は、再捜査の結果、検察が再度不起訴にすれば、刑事事件はそれで終結していたが、法改正により、検察官が二度目の不起訴を行っても、検察審査会で再度審査して「起訴議決」を行えば、裁判所が指定する弁護士によって起訴手続きがとられることになった。

起訴議決制度が導入されたことで、検察は、社会的に注目を集めた告発事件については、検察審査会の議決によって起訴議決に持ち込まれる可能性がないかどうかという観点から検討せざるを得なくなった。「市民の常識」を尊重した捜査・処分をせざるを得なくなっている。

週刊文春の記事によって、甘利大臣の疑惑もあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の犯罪に該当する可能性があることが広く世の中に認識されていることから、市民団体等が告発を行ってくる可能性は高い。告発された場合、いろいろ理屈をつけて検察が不起訴にしても、検察審査会への審査申立てが行われ、「市民の常識」に基づいて起訴議決が行われる可能性がある。

検察にとって千載一遇のチャンス

2009年、政権交代をめざす野党第一党の民主党党首小沢一郎氏の秘書を、僅か2000万円の、しかも政治資金収支報告に記載された「表の寄附」に関する政治資金規正法違反で逮捕した検察にとって、現政権の有力閣僚の秘書の事件の捜査に消極的な姿勢をとることなど許されない。

法務省の圧力に屈し、十分な捜査を行わず、告発をされても不起訴にするというような姿勢をとれば、市民を代表する検察審査会の審査員から「起訴議決」の鉄槌を下されることになることとなるだろう。

その時は、大阪地検特捜部の証拠改ざん等の不祥事、東京地検特捜部の陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書による検察審査会の議決誘導問題など、一連の不祥事で大きく傷ついた検察への国民の信頼は完全に回復不能となる。

逆に、甘利大臣とその秘書に対して、適切な捜査を行って証拠を固め、適切な刑事処分を行うことができれば、不祥事で失われていた検察への信頼を、一気に回復させることができる。本来であれば、即刻辞任してもおかしくない重大な疑惑が表面化しているのに、TPP問題の国会審議の関係などで大臣を辞めるに辞められない状況は、検察にとっては、まさに千載一遇のチャンスだと言えよう。

文春の早刷り版で、記事の内容が明らかになってから既に2日経過している。その間にも罪証隠滅が行われている可能性が高い。しかも、甘利大臣は、「第三者を入れて調査を行う」というようなことを言っている。明らかに犯罪に当たる今回の問題について「非犯罪ストーリー」で関係者証言を固めてしまう罪証隠滅になりかねない。

速やかに強制捜査に着手し、証拠を収集しなければ、刑事事件として立件・起訴できる可能性が低下していくことは確実だ。もはや一刻の猶予も許されない。

一連の不祥事に関して、厳しく検察を批判し、今も、美濃加茂市長事件の控訴審で検察と徹底的に戦っている私だが、今回の事件については、検察の威信をかけた戦いに期待したい。

 

 

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甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか

本日(1月21日)発売の週刊文春が、甘利明TPP担当大臣や秘書がUR(独立行政法人都市再生機構)の道路用地買収に関して「口利き」を行い、業者から多額の金品を受領していたことを報じている。この記事には、その行為について、あっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反が成立する可能性がある旨の私のコメントも掲載されている。報じられている疑惑の中身は以下のようなものだ。

甘利大臣の公設第一秘書が、URの道路用地買収をめぐるトラブルに関して、UR側に補償金を要求していた業者から依頼を受け、UR側との交渉に介入し、URに2億2000万円の補償金を支払わせ、2013年8月に、その謝礼として500万円を受け取った。

それに加え、甘利大臣自身も、業者と直接会って、URと業者との産業廃棄物処理に関するトラブルについて説明を受けて補償交渉に関する対応を依頼され、同年11月に大臣室、2014年2月には神奈川県内の事務所で、現金50万円ずつ計100万円を直接受け取った。

その後、別の秘書(現・政策秘書)が環境省の課長と面談し、URの担当者と面談するなどして、産廃処理をめぐるトラブルに介入。その秘書は業者から多額の接待を受け、URの監督官庁である国交省の局長への「口利き」の経費などと称して合計6百万円以上を受領するなどしていた。

公設第一秘書が受け取った500万円のうち400万円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないという。

日曜日(1月17日)に、週刊文春の記者からの電話で、甘利大臣と秘書に関する疑惑の内容を聞かされ、私は耳を疑った。いまどき、そんな“絵に描いたような”国会議員や秘書による「口利き・あっせん利得」というのが行われているなどとは、にわかに信じ難かったからだ。しかも、甘利大臣はTPP担当大臣、最も有力な現職閣僚の一人だ。それが、大臣在任中の2013年から14年に、大臣自身や秘書による「口利き」に関して、多額の金品のやり取りが行われたというのだ。

「あっせん利得処罰法」は、国会議員等の政治家が、行政機関等に「口利き」をして金品を受け取る行為を処罰する法律だ。政治家が「口利き」をし、その見返りとして「報酬」を受け取るという行為は、政治家と行政との腐敗の象徴としてかねてから批判されてきたが、2000年に中尾元建設大臣が、公共工事発注の口利きの見返りに建設会社から賄賂を受領して受託収賄事件で逮捕されたのを契機に、改めて国民から批判が高まったことを受け、2002年に法律が制定された。その後も、「政治とカネ」をめぐる問題が表面化する度に、国民の政治不信が高まり、政治家のモラルが問われ、政治資金の透明化のため政治資金規正法の強化・改正も行われてきた。このような流れの中、2003年に施行された「あっせん利得処罰法」が実際に適用されて摘発された事例としては、市町村議会議員が公共工事の発注に関して「口利き」をして利益供与を受けた事件が数件ある程度で、国会議員や秘書が関わる事件が摘発された例はない。

国会議員レベルの政治家に関して言えば、政治資金の透明化、政治活動の浄化が進み、「口利き」による金品の受領などというのは「過去の遺物」になりつつあると、少なくとも私は認識していたし、多くの国民の認識もそれに近かったはずだ。

ところが、週刊文春の記事によると、まさに国論を二分したTPP交渉の最前線に立って活躍する政治家の甘利大臣の秘書が、古典的とも言える「口利き」を平然と行って、業者から金をせしめていた。しかも、大臣自身も関わったり、現金を受領したりしていたというのだ。

私は、コメントを求めてきた記者に、そのような疑惑を裏付ける証拠があるのかと聞いた。記者によれば、甘利大臣側と業者とのやり取りや「口利き」の経過に関して、録音等の確かな証拠もあるとのことだ。

この問題は、久々に「政治とカネ」に関する重大な疑惑として、国会等で追及されることは必至だろうが、何と言っても焦点となるのは、現職大臣やその秘書について、検察当局による犯罪捜査がどのように行われ、どのような刑事処罰に発展するのか、特に注目されるのは、本件について、過去に例がない「あっせん利得処罰法」の国会議員やその秘書に対する適用が行われるか否かであろう。

週刊文春の記事を前提に、甘利大臣や秘書に関するあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の成否に関してポイントとなる点を述べておくこととしよう。

あっせん利得処罰法1条1項は、「衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長が、国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときは、3年以下の懲役に処する」と定めており、2項で、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」の「役員又は職員」に対しての行為も同様としている。また、同法2条は、「衆議院議員又は参議院議員の秘書」が同様の行為をおこなったときは2年以下の懲役に処するとしている。

URは国交省が100%出資している独立行政法人であり同法2項の「法人」に該当すること、甘利大臣は衆議院議員であり、その秘書が、2項の「衆議院議員の秘書」に該当することは明らかだ。

問題は、①秘書のURの職員に対する行為が、法人の「契約」に関するものと言えるか、②「請託」があったと言えるか、③「権限に基づく影響力を行使」したと言えるか、である。

①については、秘書が関わった問題は、URの道路用地買収をめぐる業者との間の補償交渉であり、公共工事などとは違い、契約の内容が具体化しているものではない。しかし、補償交渉の結果、URと業者との間で合意が成立すれば、それは契約であり、その合意が業者にとって有利なものとなるよう、URの役職員に対して働きかけが行われたのであれば、「契約」に関するものと言うことができるであろう。

②の「請託」とは「一定の行為を行うよう又は行わないよう依頼すること」である。請託事項は、その案件の具体的事情に照らして、ある程度の特定性・具体性を要するものでなければならない。「請託を受け」とは、単に依頼されたという受身の立場では足らず、その職務に関する事項につき依頼を受け、これを承諾したことが必要である。記事によれば、甘利大臣の秘書は、実際にURの職員と面談したりしているのであるから、URの役職員に補償に関する「職務上の行為」を行わせるよう働きかけるという「具体的行為」を、業者が依頼したことは明らかであろう。

③についても、ここでの「権限に基づく影響力の行使」というのは、「大臣としての権限」ではなく、「国会議員の権限」に基づくものでなければならないが、政権与党の有力閣僚である甘利大臣は、国会議員としても、予算や法案の審議や評決に関して大きな影響力を持っていることは明らかであり、その秘書も、それを十分に認識した上で活動しているはずなので、UR側への働きかけが「権限に基づく影響力の行使」であることは否定できないであろう。

甘利大臣についても、「権限に基づく影響力」を行使してUR側に一定の職務行為を行うことの「請託」を受け、現金をその報酬として受領したのであれば、あっせん利得が成立することになる。

記事では、甘利大臣は、業者とURとのトラブルに関して、資料に基づいて説明を受け、同席した秘書に、「これ(資料)を、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい」と指示したとされているが、大臣自身がその後、実際に業者からの依頼に基づく行為、例えば、自ら行政庁やURに働きかけたり、秘書へ指示するなどの行為を行ったのか否かは明らかではない。

また、「請託」というのは、依頼する行為が、何らかの具体性を持ったものであることが必要であり、漠然としたものでは「請託」とは言えないというのが一般的な理解であろうが、記事を前提にしても、業者側が大臣に具体的にどのような行為を依頼したのかは明らかではない。

しかし、検察は、「請託」の具体性についてはかなり緩やかに解している。

現在名古屋高裁に控訴中の美濃加茂市長事件では、一審で賄賂の授受が否定され無罪判決が言い渡されているが、この事件で、検察は、藤井美濃加茂市長が市議時代に業者から浄水プラントの導入に関して依頼を受けたとして、受託収賄、事前収賄と併せて、「あっせん利得処罰法」違反の事実も起訴している。

この事件での検察の主張は、浄水プラントの導入に関して、具体的に市議会議員としてどのような職務を依頼したのかが特定されていなくても「請託」に当たるというものである。

もちろん、同事件で市長の主任弁護人を務める私は、そのような「請託」の要件の拡張解釈は不当だと考えており、同事件の公判でも「請託」を認める余地がないことは強く主張しているが、一審では弁護側の主張どおり「賄賂の授受」そのものが否定されているので、「請託」の有無は裁判所の判断の対象にはなっていない。しかし、検察は、「請託」について、そのような緩やかな解釈で起訴し、無罪判決に対して控訴まで行って有罪判決を求めているのである。これからすると、今回の甘利大臣の事件について、「請託」が認められないことを理由に消極判断をすることはあり得ないであろう。

また、大臣自身についてのあっせん利得罪は成立せず、秘書についてのみ同罪が成立する場合であっても、秘書と大臣との共謀による犯罪の成立が問題になり得る。過去に、「政治とカネ」の問題について、政治家が秘書に責任を押し付けているとの批判が繰り返され、秘書について、政治的責任のみならず、秘書との共謀による刑事責任の追及が遡上に上った例は枚挙にいとまがない(最近の例では、小沢一郎氏の秘書が政治資金規正法違反に問われた例で、小沢氏自身も共謀による刑事責任が問題とされた。)が、実際には共謀の立証は困難であり、刑事責任が問われた例はほとんどない。本件でも、秘書が業者から受け取った金について、甘利大臣が認識していたことの証拠が得られるかどうかが鍵となるだろう。

今日の参議院決算委で、この問題について質問された甘利大臣は、「会社の社長一行が大臣室を表敬訪問されたことは事実だ。一行が来られて正確に何をされたのか、記憶があいまいなところがある。きちんと整理をして説明したい」と答弁した。

まさに、唖然とするような答弁である。50万円もの現金を受け取ったか否か記憶が曖昧だ、ということは、その程度の現金は、いちいち覚えていないぐらい受け取っているということであろうか。

現職有力閣僚をめぐる「絵に描いたようなあっせん利得」の疑惑は、一層深まっている。

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年明け早々から重大な危機に直面している新日本監査法人 

2016年を迎えた日本の経済社会において、当面大きな話題となるのは、東芝不正会計の問題に関して、会計監査人としての厳しい責任を問われている新日本有限責任監査法人(以下、「新日本」)の問題だ。

昨年末、金融庁から課徴金納付命令を含む厳しい行政処分を受けた新日本が、信頼回復に向けてどのような対応を行うのか、そして、それを新日本の顧客企業がどのように評価し、次年度の会計監査人に新日本を再任するか否かをどう判断するのかは、日本企業のガバナンスにも関わる重要な問題である。

そして、日本最大の監査法人が危機的事態に直面している現状は、我が国の会計監査制度自体にも関わる重大な局面だと言える。

この問題について、私なりに考え方を整理しようとしていた昨年末、私の事務所宛に、「新日本に所属する一会計士」からの手紙が届いた。

 “郷原先生、一刻も早く助けてください。新日本監査法人所属の一会計士です。      新日本監査法人執行部が腐りきっています。ペンの力で是正をお願いいたします。”

との書き出しで始まるその手紙は、年末に出したブログ【新日本監査行政処分から見えてくる「東芝会計不正の深い闇」】で私が、新日本で行うべき対応として述べていることを踏まえ、理事長の辞任と理事の報酬減額で「責任の明確化」は終了したとして理事長退任後の椅子の取り合いに奔走している経営執行部の現状や、顧客企業を納得させられるものになっていない改革案などについて指摘し、「相変わらず危機感がなく無為無策の現執行部に委ねておいたのでは新日本は解散の道をたどってしまう」との危機感を露わにする内容であった。

手紙の主は匿名であるが、内容からして同法人の内部者であることは間違いないように思われることに加え、新日本の組織の現状と東芝の会計不正と新日本の監査対応の問題の本質についての重要な指摘が含まれている。

そこで、新日本の執行部宛てに手紙の写しを送付し、新日本の内部者を語ったものと考えられるか否か、書かれていることに事実に反する内容があるか否かの確認を求めたところ、英理事長からの回答があった。

そこで、手紙の内容と理事長の回答を踏まえ、新日本の現状と執行部が行うべき事項について、私の見解を述べることとしたい。

新日本の新体制人事の行方

手紙では、新日本の現状について、

“現在の経営執行部の面々は、別紙【弊法人の責任の明確化】(ホームページに掲載)にある理事長の退任と理事の報酬減額をもって責任の明確化は既に終了したかのように、英理事長退任後の経営執行部の椅子の取りあいに奔走している始末。職員への今回の金融庁からの業務改善命令についての説明会の席で、説明者の事業部長から、「私が次の品質管理部長になる予定です。・・・」「次の理事長は着々と決まりつつあります。ご安心を。」などという発言が出る始末です。密室で経営執行部の人選が現経営陣の中で進められている状況です。経営執行部の刷新の動きがまるで見えず、相も変わらず現経営陣の中で名札の付替えを企んでいる状況です。

少なくとも、リスク対応責任者であり今回の金融庁対応を一手に行ったM氏(今回処分を受けた谷渕氏を金融庁に出向させようと画策もした)や審査委員長のS氏(審査機能の不十分性を指摘された)、各事業部長、ほとんど機能していない2名の副理事長や経営専務理事を一刻も早く免職とすべきであるというのが大多数の社員の意見であるにも係わらず、相変わらず反省もなく、密室で不透明かつ甘い人事が画策されています。

一方の監査現場では、経営執行部からの適切な指示もないまま、クライアントからの厳しいお叱りを受けながら、お詫びと説明に四苦八苦しながら飛び回っている状況です。経営執行部が作成の別紙【弊法人の改革案】(ホームページに掲載)では、あまりに抽象的かつ幼稚な改善案であり、今回の事態を招いた原因分析等も全くなされていない表面的なものでは、当然にクライアントに納得していただけるわけもなく、新日本への不信感は募るばかりの状況です。その状況をフィードバックしても、現経営陣に危機感が無く、相変わらず無為無策です。このままでは新日本は本当に解散の道をたどってしまいます。“

と述べている(手紙では個人名が書かれているが、イニシャル表示にした)。

手紙の主が新日本の内部者だと断定はできないが、少なくとも、後半部分に書かれている「お詫びと説明に四苦八苦しながら飛び回っている監査現場の状況」は、私の認識と符合する。

私が社外監査役を務めるIHIの監査チームの筆頭の公認会計士は、東芝の会計監査に関与していたことで金融庁の業務停止処分を受けて退社したため、若手の二人の会計士が今回の行政処分について説明に訪れた。会計年度の途中で筆頭の業務執行社員が業務停止を受けて交代せざるを得なくなり、それまでの会計監査にも重大な疑念が生じたことで、クライアントのIHIに重大な迷惑をかけている。それにもかかわらず、行政処分の説明を若手の会計士に行わせるだけで、法人のトップが謝罪にすら来ない新日本の姿勢に対して、私以外の監査役からも厳しい指摘が行われていた。

他のクライアント企業でも同様の状況であろうと推察され、この手紙で書かれている「監査現場の惨状」は、現実のことだと思われる。

問題は、前半部分の「理事長の退任と理事の報酬減額をもって責任の明確化は既に終了したかのように、英理事長退任後の経営執行部の椅子の取りあいに奔走している」という、理事長辞任後の体制についての法人執行部の言動である。

これが事実だとすれば、新日本の執行部は、金融庁の業務改善命令において「今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ、経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。」とされているのを、ほとんど無視しているに等しい。そのような状況で危機的な事態を乗り切れるとは考えられないのであり、「このままでは新日本は本当に解散の道をたどってしまいます」との手紙の主の危機感も、決して杞憂ではないように思える。

株式会社などの企業組織であれば、このような形で組織が致命的な打撃を受けることがないようにするためにガバナンス体制が設けられている。手紙に書かれているとおりであるとすると、新日本という監査法人の組織には、一般的な組織のガバナンスが根本的に欠落しているということになる。

今回の行政処分を受け、新日本の新体制に向けての人事がどのようなものになるのかに、注目すべきであろう。

東芝会計不正の本質と新日本の対応の根本的な問題

そして、手紙の後半には、東芝の会計不正の本質について、以下のような指摘が書かれていた。

“そもそも、先生もご指摘のように経営陣の無為無策は目を覆うものがあり、挙句の果ては金融庁を本気で怒らせたとしか思えないような処分です。このような結論になる前に、オリンパス事件の時に先生が主導されたような「外部者による検証委員会」のようなものを立ち上げ、監査の実態を調査の上、世の中に監査制度の改善に向けた将来のための提言のようなものを発信ができなかったのか、非常に悔やまれてなりません。現場感覚から申し上げると、今回の不正会計と監査見落としの根本原因は、「東芝と監査人の現場での不適切な関係」にあることは間違いないのです。東芝側の監査人をリスペクトもしない一業者としての扱いの中で、果たして会計士監査が十分に機能発揮できる現場環境下にそもそもあったのかどうか、そこが最大のポイントです。

現状、金融庁の指摘は、リスクアプローチや会計上の見積もりの監査における懐疑心の保持、分析的実証手続き等々監査手続き上の不十分性ということになっています。当然、これは真摯に受け止めて深く反省し改善対応しますが、実は今回の東芝事件の本質はここではありません。もっと大きな問題がありながら、監査の手法に話がすり替えられてしまっています。クライアントと会計監査人の関係(まさに先生のおっしゃる「深い闇」です)にメスを入れて、将来の会計監査制度の信頼確立のための提言に繋げるチャンスを新日本は自ら放棄してしまったと同時に本質からずれた形で手続き上のあまりにも厳しい改善命令が出され、社会の信頼を失ってしまいました。ここに至るまでの無為無策は全く大きな罪であり、経営陣の総退陣は必須であると考えます。“

前ブログでも、「東芝の会計不正の問題は、業務停止の行政処分を受けた7人の公認会計士が、東芝側の虚偽の説明を受けたために不正に気づかなかったというような単純な問題とは思えない。むしろ、東芝側と新日本側との間に、主要顧客である東芝との長年の関係の中で、東芝執行部の意向を尊重し、その会計処理を容認するという暗黙の合意があったのではないか。会計監査を担当していた公認会計士は、そのような暗黙の合意を前提に、敢えて問題意識を希薄化させて監査に臨まざるを得なかったのではなかろうか。」という見方を述べたが、手紙では、監査現場の認識に基づいて、不正会計と監査見落としの根本原因は、「東芝と監査人の現場での不適切な関係」であり、東芝側の監査人をリスペクトもしない一業者としての扱いの中では、会計士監査が十分に機能発揮できる現場環境下にそもそもなかったのではないかとの指摘が行われている。

この指摘が正しいとすれば、東芝の会計不正の本質は、私が指摘したように、会計監査を担当していた会計士個人の問題ではなく、東芝と新日本の長年にわたる関係そのものの問題だったことになる。

新日本執行部への確認と回答内容

今回の匿名の手紙については、上記のとおり、新日本執行部に確認を求めたところ、新日本の英理事長の回答は、以下のとおりであった。

“この手紙は新日本監査法人の職員が作成したものであるかどうか確認できませんのでこの手紙についてコメントは控えさせていただきます。ただ当法人といたしましては今回の事態を極めて重く受け止めており、現在具体的な問題点と改善策について真剣に協議しているところであります。したがってこの手紙がいずれの者によって作成されたか否かにかかわらず、経営陣が無為無策であるとか、改善のために真剣に取り組んでいないかのように指摘する点については事実に反するものと考えております。当法人としましては、今後速やかに具体的な改善策を打ち出し、これを内外共にお伝えすることによって、関係各方面の信頼を回復していくべく努力してまいる所存です。どうかご理解を賜り、今後の当法人の歩みをお見守りいただければ幸甚です。“

というものであった。

行政処分を受けて公表された【弊法人の改革案】が全く評価に値しないものであることは、手紙の主が指摘するとおりであり、私も全く同意見であるが、英理事長は、「具体的な問題点と改善策についての真剣に協議している」とのことであるので、その協議の結果、打ち出される改善策の内容によって、手紙に書かれているように、「現経営陣に危機感が無く、相変わらず無為無策」であるか否かを判断すべきであろう。

その改善策に関して注目すべきは、今回のような組織の不祥事を起こした当事者の組織として当然行うべきことが行われるのかどうかである。

それは、不祥事の事実関係を具体的に明らかにし、その原因を究明することだ。

この二つが十分に行われない限り、まともな不祥事対応とは言えないし、不祥事を起こした組織の信頼回復はあり得ない。

これまでブログ等で繰り返し指摘しているように、今回の東芝会計不正に対する新日本の会計監査の問題に関しては、不祥事の中身が何であったか、どのような事実であったのかは具体的に明らかにされていないし、それがいかなる原因によって生じたものなのかは全く不明である。

このような状況のまま、今回の問題の収拾を図ろうとしても、社会の理解も、顧客企業側の納得も得られるはずはないし、手紙に書かれているように「新日本が解散への道をたどる」という最悪の結果も、現実のものとなりかねない。

新日本のパートナー会計士で構成される評議会が、執行部の改善策が上記のような観点から十分なものかをしっかり見極めたうえで、法人としての意思決定を行う必要があろう。

新日本の不祥事対応を阻む東芝側からの「守秘義務」による圧力

この事実関係の解明と原因の究明に関して、これまでそれを阻んできた最大の要因は、前ブログでも述べたように、新日本のM氏が口にしていた「東芝との間の守秘義務」の問題であろう。

確かに、一般的には、東芝の会計監査人である新日本には、監査の内容やそれに至る判断の経過等に関して東芝に守秘義務を負っている。しかし、今回の会計不正については、東芝の第三者委員会の報告書が公表され、そこで、「会計監査人の監査に関わる問題は委嘱事項ではない」としながらも、新日本の会計監査に関わる事実が多数指摘されている。今回、金融庁の行政処分を受けることになったのも、東芝の第三者委員会報告書が発端である。

しかも、この第三者委委員会は、「日弁連の第三者委員会ガイドラインに準拠したもの」とされていたにもかかわらず、実際には、実は「第三者」では全くなく、東芝側の指示によって動く「見せかけだけの存在」であったことが日経ビジネスのスクープ報道で明らかになっており、東芝側は、これに対して何らの反論も抗議もした形跡はない。

第三者委員会報告書がそのように東芝執行部の意向に従ったものだとすれば、その報告書に記載された事実に関連する事項に関して、新日本側が調査し、事実関係を明らかにすることを、東芝側が守秘義務を盾にとって妨げることなど社会的に許容される余地はない。

新日本は、この点に関して、東芝側に守秘義務の解除を強く求めるべきであるが、果たして、これまで新日本側から東芝側にそれを要求したのであろうか。この点について、新日本は十分な検討を行ったのであろうか。

今回の新日本及び会計士個人に対する行政処分で指摘されている事実は、会計監査としてあまりにお粗末であり、この程度の監査しかできなかったことに関して、何らの弁解も説明もできないのであれば、監査法人として信頼を失うのは当然である。

それによって、新日本にとって、大量の顧客企業を失って解散の危機に瀕するおそれがある。その場合、新日本は、東芝の会計監査が凡そ大手監査法人の監査とは言い難いお粗末なものであったために解散に追い込まれた最低の監査法人だったことになり、その所属会計士も、そのような監査法人に所属していた不名誉を免れることができないことになる。

当事務所に寄せられた「新日本所属の一会計士」の悲痛な訴えを、私は重く受け止め、今後の対応を行っていくこととしたい。

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新日本監査行政処分から見えてくる「東芝会計不正の深い闇」

東芝の会計不正で会計監査人としての責任が問題にされていた新日本有限責任監査法人(以下、「新日本」)に対して、金融庁は、12月22日に、公認会計士法に基づき、21億円の課徴金納付命令・3カ月間の新規契約受注業務の停止・業務改善命令という行政処分を行った。また、東芝の監査を担当してきた7人の公認会計士に対しても、それぞれ6カ月から1カ月の業務停止処分が出された。

当ブログ【トップの無為無策で窮地に追い込まれた新日本監査法人】で指摘した同法人のトップである英理事長も、来年1月末で引責辞任することになった。

しかし、東芝不正会計問題と、それに関する監査法人の責任問題が、今回の行政処分で決着すると考えるのは大きな間違いである。

今回の行政処分で明らかにされた事実から、東芝と新日本をめぐる「深い闇」が見えてくる。その「闇」を明らかにしない限り、今回の会計不正問題は終わらない。

注目すべきは、金融庁が行政処分の公表文に記載した「東芝の財務書類に対する虚偽証明」の内容である。

パソコン事業、半導体事業に関する不正についても、工事進行基準の問題についても、新日本が、不正のリスクを認識すべき「4半期末月の利益や原価の異常値」や「原価差額の減額」などを認識しながら、勝手に思い込んだり、東芝側の説明を鵜呑みにしたりして、理由を十分に確認しなかったとされている。

この通りの事実だったとすると、新日本による東芝の会計監査は、あまりにお粗末であり、職務上の義務を果たしたとは到底言えないものだったことになる。

一方で、この行政処分の認定事実を前提にすると、次の二つの点に重大な疑問が生じることになる。

第一に、今回業務停止処分を受けた7人の公認会計士が、それ程までに無能であったのか、という点である。

以前、オリンパスの「損失隠し」に関して、会計監査人の責任が問題とされた際、私は、新日本監査法人の「オリンパス監査検証委員会」の委員として調査を総括した。その時の経験からすると、新日本監査法人の主要顧客企業だった東芝の会計監査を担当する公認会計士が、上記のような指摘を受けるほど無能であったとは考えられない。

しかも、この7人の中には、2010年の東芝の会計監査において、相当の注意を怠り、重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明したことを理由に1か月の業務停止処分を受けたU氏が含まれている。同氏は、私が社外監査役を務めるIHIの監査チームの「主査」を務めていた。私には、これまで接した公認会計士の中で、最も信頼できる有能な公認会計士と評価していたU氏が、今回のような極めて低レベルの不正会計を見過ごすなどということは、全く信じられない。

東芝の会計不正の問題は、業務停止の行政処分を受けた7人の公認会計士が、東芝側の虚偽の説明を受けたために不正に気づかなかったというような単純な問題とは思えない。

むしろ、東芝側と新日本側との間に、主要顧客である東芝との長年の関係の中で、東芝執行部の意向を尊重し、その会計処理を容認するという暗黙の合意があったのではないか。会計監査を担当していた公認会計士は、そのような暗黙の合意を前提に、敢えて問題意識を希薄化させて監査に臨まざるを得なかったのではなかろうか。

第二の疑問は、前記の認定事実からすると、新日本が会計監査人として責任を問われるべきであることは明白であるのに、東芝側が、その責任を追及しようとしないどころか、監査法人の責任問題を意図的に回避するという不自然な対応をしてきたのは、なぜなのかという点であるが、東芝側と新日本側との間に、上記のような「暗黙の合意」があったとすれば、東芝側の対応も合理的だったと言える。

東芝の第三者委員会報告書は、会計監査人の監査の妥当性の評価は東芝からの委嘱事項に含まれておらず、調査の目的外だとして評価判断を回避していながら、会計監査人に責任を問うことが困難であることについて、以下のように、長々と記述をしている。

“問題となった処理の多くは、会社内部における会計処理の意図的な操作であり、会計監査人の気づきにくい方法を用い、かつ会計監査人からの質問や資料要請に対しては事実を隠蔽したり、事実と異なるストーリーを組み立てた資料を提示して説明するなど、外部の証拠により事実を確認することが困難な状況を巧みに利用した組織的に行われた不適切な会計処理であった”

「会計監査人の監査に関わる問題は委嘱事項ではない」としながら、東芝側の隠ぺいが巧妙で組織的なものであったことを強調し、会計監査人である監査法人が問題を指摘できなかったことはやむを得ないかのように述べているのは、明らかに不自然である。

私は、報告書を最初に読んだ時点から、この点について疑問を持ち、ただちに、ブログ【監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書】や日経ビジネスオンライン(NBO)のインタビュー記事【東芝は「社長のクビ」より「監査法人」を守ったで、第三者委員会報告書からは、監査法人との関係という問題の核心部分が調査の対象から除外され、不正会計の実態が全く明らかになっていないことを指摘し、その後も、東芝第三者委員会に関する問題と監査法人に関する問題を指摘し続け、『世界』9月号、『プレジデントオンライン』への寄稿や、9月外国特派員協会での講演でも、その点を指摘した。

そして、その疑問に関して、決定的な事実が明らかになったのが、NBOのスクープ記事【東芝、室町社長にも送られた謀議メール 巨額減損問題、第三者委の調査は“出来レース”だった】である。

この記事に掲載された第三者委員会設置の時点での東芝執行部間のメールのやり取りによって、第三者委員会が、実は「第三者」では全くなく、東芝側の指示によって動く「見せかけだけの存在」であったことが明らかなった。

しかも、そのメールのやり取りの中には、米国原発子会社の減損の問題を第三者委員会の調査の対象とするのか否か、委員の松井秀樹弁護士が会社側の意向を確認してきているとの法務部長のメールに対して、田中社長が、メールで「今回の課題は、原子力事業の工事進行案件と初物案件(ETCなど)であって、それ以外は特に問題ないという論理の組み立てが必要だ。そうでなければ会社の体質、組織的な問題に発展する」と述べているという「決定的な事実」が含まれているのである。

この記事を前提にすると、東芝の組織の体質など根幹に関わる「米国原発子会社の減損問題を調査対象から除外して隠ぺいする」というのが、当時の東芝の経営トップの意向であり、第三者委員会は、その意向にしたがい、東芝が設定したストーリーのとおりに報告書を作成したということになる。

それと同様に、第三者委員会報告書が、上記のように、会計監査の問題は委嘱の範囲外だとしながらその責任を否定するという、明らかに不自然な記述を行ったのも、「監査法人の責任が問われることを回避すること」が、その時点での東芝執行部にとっての至上命題だったのであれば、第三者委員会が、その意向に忠実にしたがったものと理解できる。

では、なぜ、その時点での東芝執行部が、監査法人の責任が問われることを避けようとしたのか。

それによって、米国原発子会社の減損問題を含む東芝問題の本質が明らかになることを恐れたからだとの推測が可能である。

一方の新日本側も、東芝側が設定した「第三者委員会のストーリー」をうまく使って、会計監査人としての責任を免れようと画策していたように思える。

第三者委員会報告書公表直後から、監査法人問題を厳しく指摘する私に接触し、東芝問題に関して説明をしてきた新日本の幹部が、品質管理本部長のM氏だった。

M氏の説明は、「東芝側はトップが関与して、会計監査人に巧妙に虚偽説明をし、虚偽の資料を提出していたので、会計監査人として不正を見抜くことは困難だった」というものだった。

第三者委員会の報告書の中で、「パソコン事業における部品取引」の問題に関して、会計処理方法を悪用して見かけ上の当期利益を嵩上げしていたことが指摘され、報告書末尾に、毎四半期末月に損益が異常に良くなっていることを示すグラフが資料として添付されており、これを見ると、監査法人が不正に気付かないことはあり得ないように思えた。これに関して、M氏は、「このグラフに書かれていることは、新日本側には全く知らされておらず、巧妙に隠されていました。それなのに、グラフを報告書に添付して、あたかも新日本側が知っていたかのような印象を世の中に与える第三者委員会のやり方はひどいと思います。」と言った。「そういうことなら、東芝側に抗議したらいいじゃないですか」と私が言うと、「東芝側は、第三者委員会報告書は委員会が作成したもので、その内容には東芝は関知しない、と言うんです。第三者委員会は、既に解散しているので、抗議のしようがありません」と言った。私が、「東芝側の虚偽説明について新日本側で言い分があるのであれば、それを堂々と表に出して反論すればいいじゃないですか。」と言うと、「守秘義務の問題がありますが、何とかできないか検討します。室町氏は、今回の不正を知らなかったとは到底言えない。社長の椅子にとどまっているのは考えられない。」などと、この問題について本音を語っているように思えるM氏が言うことに、大きなウソはないものと思っていた。

しかし、この点について、今回の金融庁の行政処分では、

“監査の担当者は、毎四半期末月の製造利益が他月に比べ大きくなっている状況や、四半期末月の製造原価がマイナスとなる異常値を認識するとともに、その理由を東芝に確認し、「部品メーカーからの多額のキャッシュバック」があったためとの回答を受けていたが、監査調書に記載するのみで、それ以上にチーム内で情報共有をしていなかった。”

と明確に認定されている。

M氏は、私がブログ【トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人】を出した2日後の12月18日夜、私に電話をかけてきて、「ようやく、東芝側の新日本への隠ぺいの決定的な事実を表に出して反論を本格的にやることになりました。もう、新聞、テレビなどのメディアの仕掛けもしています。来週から、どんどんやっていきます」と言ってきた。その際、「守秘義務の問題についてはどうお考えでしょうか。」と聞いてきたので、私が、「第三者委員会を使って世間を騙そうとした東芝に新日本の守秘義務を問題にする資格はありません。」と言うと、「安心しました。」と言っていた。

ところが、「東芝への反撃」をするどころか、12月22日に金融庁の行政処分が出た後も、新日本側は、記者会見すら開かず、全くの「音なし」である。M氏からその後、何の連絡もない。

このようなM氏の言動を振り返ってみると、M氏は、その場、その場で言うことを使い分けながら、法人内部や関係先で、適当な説明を繰り返していたのではないかと思える。前のブログで指摘した「トップの無為無策」も、M氏の画策と無関係とは思えない。

M氏の不誠実な言動からすると、現在の新日本の執行部の問題は、「無為無策の理事長」だけではないように思える。

IHIの監査役を務める私も含め、現在、新日本が会計監査人となっている上場企業の監査役は、来期の監査契約を行うかどうかを判断する重要な責務を担うことになる。

山口利明弁護士も、ブログで指摘しているように(【監査法人が課徴金処分を下された場合の監査役会による再任拒否】)改正会社法で会計監査人の選任・解任権限を持つことになった監査役(会)としては、課徴金納付命令を受けた新日本の再任の可否について判断を適切に行わなければ、善管注意義務違反に問われることになる。

その判断は、担当公認会計士個人の能力や姿勢の問題ではなく、新日本という組織の監査品質の問題である。今回の行政処分においては、12月15日の公認会計士・監査審査会の勧告をそのまま引用し、「品質管理本部は、問題のみられる一部の地区事務所への改善指導を実施しているものの、前回の審査会検査で検証した地区事務所が担当する監査業務において、今回の検査においても重要な監査手続の不備が認められている。監査での品質改善業務を担っている各事業部等は、品質管理本部の方針を踏まえて監査チームに監査の品質を改善させるための取組を徹底させていない。」と述べて、新日本の「品質管理本部」と「事業部」の問題を指摘しているのであるから、新日本がこの指摘をどのように受け止め、従来のやり方についてどのように反省し、どのような改革を行おうとしているのかが重要である。

特に重要なのは、金融庁の業務改善命令で「今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ、経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。」とされていることを踏まえ、「品質管理本部」や「事業部」の責任者について、組織内で責任の所在が明らかにされているかどうかであり、その点は、新日本が東芝の会計不正について真摯に反省し、抜本的な出直しを行おうとしているかを見極める上での重要な判断要素だと言えよう。

今回の問題を、7人の公認会計士個人だけが厳しい制裁を受けることで終わらせてはならない。

東芝と新日本の関係に見られるような監査法人と主要顧客企業との長年の関係に基づく「深い闇」の実態を明らかにし、解消していかなければ、日本の会計監査制度に対する信頼の確立はあり得ない。

 

 

 

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トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人

組織が重大な危機に直面した時、組織のトップの対応が、その組織の生死を分けることになる。

室町社長を中心とする会社執行部が、「第三者委員会の枠組み」を、世の中を欺くための「隠れ蓑」にするという悪辣なやり方まで用いて、問題の本質である原発事業に関わる問題を隠蔽し、いくつかの部門の「損失先送り」等の些末な問題だけで世の中の批判をかわそうとした東芝は、日経ビジネスの徹底した追及報道(【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損】【スクープ 東芝、室町社長にも送られた謀議メール 巨額減損問題、第三者委の調査は“出来レース”だった】)等によって追い込まれ、社会的批判の「炎上」を招き、史上最高額の課徴金納付命令を勧告されたことに加え、辞任した歴代3社長の刑事告発まで検討されるという最悪の事態に至っている。

その悪辣さとは全く正反対に、組織のトップの全くの無為無策によって、窮地に追い込まれているのが、新日本有限責任監査法人(以下、「新日本」)だ。

12月15日、金融庁の公認会計士・監査審査会は、東芝を監査した新日本に行政処分を行うよう金融庁に勧告した。勧告を受けて金融庁は、監査法人では初となる課徴金処分や、業務改善命令を出す方向で検討しているとされている。

私は、東芝の第三者委員会報告書が公表された直後から、当ブログ【監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書】やNBO【東芝は「社長のクビ」より「監査法人」を守ったなどで、監査法人との関係という問題の核心部分が調査の対象から除外され、不正会計の実態が全く明らかになっていないことを指摘してきた。

東芝第三者委員会報告書は、会計監査人の監査の妥当性の評価は調査の目的外だとして評価判断を回避しながら、その一方で、監査法人が不正に関わっていることを窺わせるような記述を随所で行い、それによって、東芝の会計不正を見過ごした新日本に対する世の中の批判は高まっていった。

そして、上記の審査会の勧告では、「当監査法人の理事長、品質管理本部長及び事業部長など経営に関与する社員は、…社員の品質管理に対する意識改革や期中レビューの強化、定期的な検証 の実施担当者の選任方法の変更等、改善に向けた取組を強化してきたとしている。 しかしながら、…原因分析を踏まえた改善策の周知徹底を図っていないことに加え、改善状況の適切性や 実効性を検証する態勢を構築していない。…審査態勢も十分に機能していない。 経営に関与する社員はこうした状況を十分に認識しておらず、審査会検査等の指摘事 項に対する改善策を組織全体に徹底できていない。」などと、理事長以下の対応に対しても厳しい指摘を行っている。

ところが、新日本執行部は、これまで「東芝との契約上の守秘義務」を強調し、独自の対社会的対応をほとんど行っていないばかりか、今回の事態を招いたことについて責任の所在すら明らかにしていない。

東芝の不祥事対応が、問題の本質を隠蔽し、世間の目をごまかそうとした「意図」と「画策」という面で、「最低・最悪」であったのに対して、新日本の対応は、「無為無策」によって、数千人の公認会計士等を抱える法人組織を崩壊させかねないという意味で「最低・最悪」である。

新日本は、これまでも幾度か重大な不祥事に直面し、その度に、私も危機対応に関わってきた。

2008年、証券取引等監視委員会の調査で、新日本に所属していた30代の公認会計士が監査先の会社の株をインサイダー取引したことが発覚。第三者委員会では私が委員長として(【会計士インサイダー事件で新日本監査法人に「調査委」】)、当該公認会計士の株取引だけでなく、監査法人に所属するすべての公認会計士職員を対象に株取引の実態を調査し、顧客企業から得た情報の不正使用の疑惑を招かないようにするための抜本的な対策を提案した。

2011年12月には、オリンパスの「損失隠し」事件に関して、オリンパス第三者委員会の調査報告書で、会計監査人の新日本について言及があり、「前任のあずさ監査法人からの業務引き継ぎ」と「ジャイラス社の配当優先株買い取りの際の報酬ののれん計上」の2点について、「問題なしとしない」との指摘が行われたことを受け、「オリンパス監査検証委員会」を設置、私は調査担当委員として弁護士調査チームによる調査を総括し、調査報告書を取りまとめた。

オリンパスの粉飾決算を指摘できなかった新日本への批判が高まり、法的責任を追及されかねない状況だったが、オリンパス事件の本質を見極める上で重要だった英国の医療機器会社ジャイラス社の企業価値について、オリンパス側の協力を得て調査を行えたことなどもあり、新日本が法的責任を問われるべき問題ではないことが明らかになったことから、2012年3月末の検証委員会報告書公表以降、新日本に対するマスコミや世の中の批判は概ね沈静化した。

このように、インサイダー取引問題の時の水嶋理事長、オリンパス問題の時の加藤理事長など、歴代の理事長は、重大な問題に直面した時に、第三者による調査体制を構築し、監査法人としての問題を客観的に検討して改善策を構築するという危機対応を行うことで、何とか信頼を維持してきた。

今回の東芝問題に対しても、「監査法人問題は委嘱の対象外なので評価判断の対象にしない」とした第三者委員会報告書が公表された直後に、東芝側に守秘義務の解除を求め、東芝監査を検証する第三者機関を自ら設置して調査検討を行い、問題点を明らかにする姿勢を示していれば、ここまで批判を受けることも、厳しい処分にさらされることもなかったのではないか。ところが、英公一理事長を中心とする新日本執行部は、東芝監査の問題を自ら検証しようとはせず、全くの無為無策であり、凡そ危機対応とは言えないものであった。

しかも、今回の東芝の会計不祥事表面化後の経緯を見ると、新日本は、東芝執行部の策略にまんまと嵌められてきたように思える。新日本は、東芝が世間を欺くために使った「第三者委員会の枠組み」の被害者だったとも言える。

第三者委員会報告書は、会計監査人の監査の妥当性の評価は調査の目的外だとして評価判断を回避し、監査法人が不適切会計を指摘できなかったことはやむを得ないかのような言い方をする一方で、米国の原子力事業子会社の発電所の建設受注案件について、監査法人側が損失先送りを認めるかのような発言をした旨の東芝側の説明を記述し、パソコン事業における部品取引の問題については、報告書末尾に、監査法人との関係について何の説明もなく、毎4半期末月に損益が異常に良くなっていることを示すグラフを資料として添付するなどしている。これらを見ると、誰しも、監査法人が不正に気付かないことはあり得ないような印象を持つはずだ。

つまり、東芝第三者委員会報告書では、表面的には、監査法人の会計監査の評価を行っていないため、ただちに監査法人の責任が表面化し、会計監査人を解任することにはならないが、監査法人の責任を問題にする声が次第に高まっていくような「毒」がしっかり盛り込まれているのだ。

このような報告書の記述に対しては、新日本側では弁解・反論したいことも多々あったであろうが、報告書公表前は、東芝側から「第三者委員会ガイドラインに準拠した委員会なので、我々も報告書の内容は一切知らされていない。」と言われ、内容を把握することはできず、公表後に異論を述べようとしても、公表と同時に委員会は解散してしまっており、その相手がいない。

そして、新日本は、報告書公表後も、それまで通り、15年3月末決算の監査を行い、2か月余り遅れて決算公表にこぎ着けたが、その後になって、東芝側から、「不正を指摘できなかった新日本に会計監査を委ねることはできない」との理由で、来年度以降新日本とは契約しない方針が、マスコミを通じて世の中に明かされるのである。

まさに、東芝執行部は、見せかけだけの第三者委員会の枠組みを最大限に活用し、新日本を利用するだけ利用した上で、用済みになったら切り捨てる、ということなのである。

そして「今回の審査会の勧告に関して、審査会の事務局長が、東芝への一連の監査でも、東芝側から新日本への『不当な圧力は認められなかった』といい、審査会は新日本の監査姿勢の甘さに問題があったと判断している」(毎日新聞)と報じられるなど、東芝側の監査法人への対応の問題は指摘されず、監査法人側の問題だけが一方的に批判されているのも、東芝執行部の思惑どおりと言える。

もちろん、新日本の東芝の会計監査人としての対応には重大な問題があり、重大な会計問題の隠ぺいに、少なくとも結果的に加担したことになるのであるから、相応の処分を受けるのはやむを得ない。しかし、一連の経過を見ると、新日本は、少なくとも、今回の会計不正の問題の表面化後は、東芝執行部の術中にまんまと嵌められたのではないか、というのが率直な印象である。

新日本に対しては、近く行政処分が出される。業務改善命令に加え、監査法人に対して初めての課徴金納付命令が出されることになる可能性が高い。それに加え、一定期間の新規受注の停止命令が出される可能性もある。これらの処分を受けて、多くの顧客企業が契約の継続を再検討することになれば、日本最大の監査法人である新日本が、存亡の危機に追い込まれる可能性もある。

このような事態に至っても、英理事長を中心とする新日本の執行部は、無為無策を通すのであろうか。

今からでも遅くない。新日本は、東芝側に騙されてきたことと、見過ごしてしまったこととを整理し、会計監査人としてどのように考え、どのように対応してきたのか、そこにどのような問題があったのかを、自ら明らかにするべきだ。

そして、審査会の勧告で「監査法人の運営は、著しく不当」として指摘されたこと、及びトップを含む執行部の無為無策によって、現在のような事態を招いたことの責任を明確にすべきではないか。

 

 

 

 

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組織的問題の本質を的確に指摘した化血研第三者委員会報告書~残された問題は厚労省との関係~

東芝の第三者委員会報告書との決定的な違い

血漿分画製剤やワクチンの大手メーカーの一般財団法人「化学及(および)血清療法研究所」(以下、「化血研」)が国の承認と異なる方法で製品をつくっていた問題で、第三者委員会の報告書が公表された。

第三者委員会報告書と言えば、日本を代表する伝統企業東芝の会計不祥事に関して第三者委員会が設置されたが、委員会の性格や報告書の内容について厳しい批判を受け、惨憺たる結果を招いたばかりである。

私は、東芝の第三者委員会報告書については、今年7月に公表された直後から「『問題の核心』を見事に外した第三者委員会報告書」などと酷評してきたが(「世界」9月号、プレジデントオンライン【「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷】)、原発事業の会計処理に関する問題を委員会の調査事項から除外することを委員会側の弁護士と会社執行部との間で画策していたことが報じられるに及んで、「第三者委員会スキーム」そのものが、世の中を欺くための手段として使われた「壮大な茶番」だったと表現した(【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】)。

化血研第三者委員会報告書は、不正の内容を詳細に明らかにし、「製品の安全性及び患者の安心を優先すべき製薬会社としてあってはならない重大な違法行為」「常軌を逸した隠蔽体質」と厳しく批判する一方で、問題の本質を端的に指摘しており、東芝の第三者委員会報告書とは比較にならない程質の高いものと言えよう。

何より評価できるのは、報告書の末尾で「総評」として、化血研問題の本質に関して、

問題の根幹として感じたのは、「研究者のおごり」と「違法行為による呪縛」である。”と指摘し、後者について、“一度開始された不整合や隠ぺい工作を当局に知られることなく中止することは極めて困難であり、化血研の役職員は、先人達が始めた不正行為や隠ぺいを当局に報告する勇気もなく、それらを改善する方策も見つからず、先人達の違法行為に呪縛されて、自らも違法行為を行うという悪循環に陥っていた。

と述べている点である。

これは、長期間にわたって組織的に行われた不正行為を解消是正することの困難性に関して、多くの組織的不正行為にも当てはまることであり、不正行為が40年にもわたって継続され、組織内で隠ぺいされていた今回の問題の核心を衝いた指摘である。

 

「ムシ型行為」と「カビ型行為」

かねてから、私は、違法行為、コンプライアンス問題には、個人の利益のために個人の意思で行われる単発的な行為である「ムシ型」と、組織内や業界内で、長期間にわたって恒常化し、広範囲に蔓延している「カビ型」の二つの要素があると指摘してきた(法令遵守が日本を滅ぼす思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~等)。

カビ型の行為については、内部監査や内部通報等の通常のコンプライアンスの枠組みでは発見が困難であり、内部告発等によって表面化すると深刻な問題に発展する「恐ろしさ」があることを強調してきた。

横浜市のマンションの「傾き」に関連して明らかになった杭打ちデータの改ざん問題も、杭打ち業界全体に蔓延する「カビ型」そのものであり、「カビ型」という観点から、その実態が明らかにならず長期間にわたって発覚することなく継続した原因や建設業界等で、他にも存在していると考えられる同種行為の「カビ型行為」を把握していくための方策を考える必要があることを指摘した。(【「カビ型違法行為」の恐ろしさが典型的に表れた「杭打ちデータ改ざん問題」】)。

化血研における血漿分画製剤の製造に関する不正行為も、長期間にわたり、組織的に行われてきた「カビ型」そのものである。第三者委員会報告書の「違法行為による呪縛」というのも、不正が長期間にわたって是正できなかった根本的な原因を、不正行為の当事者の立場に立って端的に表現したものと言えよう。

このような第三者委員会報告書が作成・公表されるに至ったのは、委員の人選及び委員会の運営等に関して、組織から独立した立場で公正に調査を行い得る環境が整えられ、役職員等の関係者からの協力が十分に得られたからであろう。

東芝の第三者委員会報告書が、「上司の意向に逆らうことができない企業風土」などという、どこの企業組織にも少なからず存在する「組織の通例」を針小棒大に表現するなど、問題の本質とはかけ離れたものとなっているのとは対照的である。

「第三者委員会」を、世間を欺くための手段として悪用し、問題の本質が明らかにならないよう画策してきた東芝は、内部告発等によって次々と問題の核心が指摘され、いまなお、信頼回復とは程遠い状況にある。

一方、第三者委員会によって、長期間にわたる不正について、それが組織的に継続されてきた根本的な原因も含めて問題の本質が明らかにされた化血研は、再生と信頼回復に向けて一歩を踏み出すことができたと言える。

 

唯一残された「厚労省との関係」に関する問題

このように全体としては高く評価できる化血研の第三者委員会報告書だが、一つだけ「物足りなさ」を感じた点がある。

それは、厚生労働省の側には、不正行為が長期間にわたって続けられていたことに関して、問題となる対応はなかったのかという点である。

今回の第三者委員会は、化血研という組織が設置したものであり、監督官庁である厚生労働省側の問題を指摘することは、本来の調査の対象外である。しかし、もし、同省側の姿勢や対応が、不正を継続し、隠ぺいを行うことについての抵抗感を希薄化させる要因の一つになっていたとすれば、それは、化血研の不正の原因に関しても重要な事実である。

組織と外部との関係が、組織不祥事の動機となった場合、その点を調査の対象とするのかその点を報告書で指摘するのかに関しては微妙な問題が生じる場合が多い。

その点を調査事項とすることに関して、組織の上層部側からの強い反発が生じたのが、「九州電力やらせメール問題」であった(拙著第三者委員会は企業を変えられるか~九州電力やらせメール問題の深層】(毎日新聞社:2012年)。また、みずほ銀行の「反社向け融資問題」では、金融庁検査対応にも問題があり、その点を指摘することが、銀行側の隠ぺい疑惑を解消する最大の論拠になったはずなのに、第三者委員会報告書でその点の指摘を全く行なわず、報告書公表後も、銀行への隠ぺい疑惑が収まらず、「反社向け融資問題」が金融業界全体にまで拡大する原因となった(拙著企業はなぜ危機対応に失敗するのか】(毎日新聞社:2013年))。

化血研の問題では、不正行為とその隠ぺいが余りに巧妙に行われたために、厚労省側では全く察知しようがなかったということかもしれないが、40年にもわたる不正行為について、検査を行う監督官庁側が、その兆候に全く気付かないということは考えにくい。また、第三者委員会報告書でも、原因分析の中で「化血研が不整合や一変申請の不備を防止するためには、監督機関との間で緊密なコミュニケーションをとることは必要不可決であり、そのようなコミュニケーションを欠いた化血研の閉鎖性、独善性が本件不整合や隠ぺいを生じさせた最大の原因であると推認される」と述べているが、コミュニケーションがうまく機能していないことの原因は、その当事者双方のあるのが一般的である。

医薬品メーカーと厚労省との関係を考えた時、そこに、「天下り」等を通しての癒着関係等が生じていないのか、それが化血研側に、「監督機関側も不正の発見は望んでいないはず。形だけ整えておけば良い」という「甘え」につながったりしていなかったのかという点は、問題の本質という面で無視できない視点ではないかと思われる。

化血研の第三者委員会報告書は、大変質の高い内容であるだけに、その中で、厚労省側の対応が、化血研の不正、隠ぺいに影響した可能性の有無について全く記述がないのは、些か残念である。

 

血漿分画製剤の医薬品としての特殊性

今回の不正の対象となった血漿分画製剤をめぐっては、私自身も、過去に、田辺三菱製薬の子会社バイファ社による遺伝子組み換えアルブミン製剤メドウェイに関するデータ差し替え等の不正行為の問題に関して、第三者委員会の委員長を務めたことがある。

血漿分画製剤には、献血によって提供される人血を主たる原料とし、極めて限られたメーカーの供給途絶が人命に関わるという医薬品としての特殊性がある。私も、メドウェイ問題の調査において、それが不正の重要な要因の一つになっているとの認識を持った。

化血研という血漿分画製剤の有力メーカーで40年以上も不正行為とその隠ぺいが続いてきたことの背景にも、そのような製剤の特殊性があり、それが「違法行為による呪縛」によって長期間継続し、隠ぺいされてきたとみるべきであろう。

そうだとすれば、血漿分画製剤をめぐる問題は、化血研という一組織の問題にとどまらず、厚労省とメーカーとの関係を含めた構造的な問題である可能性もある。化血研の第三者委員会報告書は、化血研という組織内の問題に関して問題の本質を明らかにする役割は果たしたが、組織外の要因については何も指摘していない。

化血研の問題に関して、厚労省の側に反省すべき点がないのか、という視点から、今後の同省の対応についても、関心を持って見守っていかなければならない。

 

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偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部

東芝不正会計問題を徹底追及してきた日経ビジネスオンライン(NBO)が、11月12日のスクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損で、東芝が米国の原発子会社ウエスチングハウスでの巨額の減損を隠ぺいしていた事実を報じ、重要事実をいまだに隠ぺいしようとする東芝の姿勢に厳しい批判が向けられ、東証が、開示基準違反を指摘するに至ったのに続いて、NBOは、昨日午後、スクープ 東芝 減損隠し 第三者委と謀議 室町社長にもメールと題する決定的な記事を配信した。

今回のNBOの記事には、第三者委員会発足前に、当時の田中久雄社長、室町正志会長(現社長)、法務部長(現執行役員)等の東芝執行部が、原発子会社の減損問題を、委員会への調査委嘱事項から外すことを画策するメールが掲載されている。その東芝執行部の意向は、東芝の顧問法律事務所の森・濱田松本法律事務所から、第三者委員会の委員の松井秀樹弁護士に伝えられ、結果的に、第三者委員会報告書では、「東芝と合意した委嘱事項以外の事項については(中略)いかなる調査も確認も行っていない」とされて、原発事業をめぐる問題は、見事に調査対象から外されたのである。もちろん、そのようなことが、委員長である上田廣一弁護士(元東京高検検事長)の了解なく行われることは考えられない。

記事の内容が事実だとすると、東芝の会計不正への対応で中心とされてきた「第三者委員会スキーム」は、世の中を欺くための手段として使われた「壮大な茶番」だったことになる。

私は、今年7月の東芝第三者委員会報告書公表以降、当ブログでも何度か問題を指摘してきたほか、「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷(プレジデントオンライン)、【「問題の核心」を見事に外した第三者委員会報告書】(岩波・世界9月号)等で、東芝の第三者委員会報告書を徹底批判してきた。

私が指摘してきたのは、今回の東芝の第三者委員会の「枠組み」に対する根本的な疑問であった。

①会計不正の問題なのに、不正の認識の根拠となる監査法人による会計監査の問題が委嘱の対象外とされていること、②調査の対象が、「損失先送り」という損益計算書(P/L)に関するものに限られ、原発子会社の巨額の「のれん代」の償却の要否等の会社の実質的な財務基盤に関わる貸借対照表(B/S)項目は対象から除外されていること、などからすると、第三者委員会の調査は、意図的に問題の本質から目を背けようとしているとしか思えなかった。

また、室町氏については、会計不正が行われた期間に取締役会長の地位にあったにも関わらず、社内に設置された特別調査委員会の委員長を務めただけでなく、第三者委員会報告書でも「関与がなかった」とされて何ら責任を問われず、東芝の再生を担う社長に就任したことに加え、その後の同氏の言動にも多大な疑問を感じていた(【東芝決算発表再延期、記者会見での室町社長の「責任」発言に唖然】。その後、室町氏の責任に全く言及しない責任調査委員会報告書が公表され、さらに、東芝が米国の原発子会社の巨額の減損を隠ぺいしていたことが明らかになったことで、室町氏に東芝の再生、信頼回復を委ねることは不可能だとの確信を深めた(原発子会社巨額減損「隠ぺい」 東芝再生は「風前の灯」)。

今回のNBOの記事によって、室町現社長を含む現執行部の正当性の、最大の、いや唯一の根拠とされてきた「第三者委員会報告書」が、全くの「見せかけだけのもの」であったことが明らかになったのである。記事を前提にすれば、室町社長を含む東芝の現執行部の責任は重大であり、その職にとどまるべきでないことは誰の目にも明らかであろう。また、「偽りの第三者委員会」によって世間の目をごまかすことに加担した委員たる弁護士にも重大な責任があると言えよう。

現在のところ、不祥事を起こした企業にとって第三者委員会を設置するか否か、それをどのように運用するかについて法令上の定めがあるわけではないが、2010年に日弁連が公表した「第三者委員会ガイドライン」は、企業等の不祥事において、第三者委員会を設置した場合における重要なルールとして機能している。

その「第三者委員会ガイドライン」では、「第三者委員会は、依頼の形式にかかわらず、企業等から独立した立場で、企業等のステークホルダーのために、中立・公正で客観的な調査を行う。」とされている。依頼した企業から独立した立場で活動する委員会であり、調査範囲や調査結果は、依頼者たる企業側がコントロールできるものではないことが前提とされている。

不祥事を起こした企業においては、その当事者たる企業経営者の利益と、公益的観点、ステークホルダーの利益は、往々にして対立する。「第三者委員会ガイドライン」を前提とすれば、企業の経営者に選任され、報酬の支払を受ける立場にありながら、企業から独立した立場で公正な調査を行う使命を担う第三者委員会の委員は、会社から報酬を受け、独立して会計監査を行う公認会計士・監査法人と類似する。

企業関係の業務を手掛ける弁護士であれば、企業の執行部の意向に沿う方向で動くことが、当該企業と関係を維持し、その後の自らの利益にもつながる場合が多いが、そのような利害から離れ、公正・中立な立場で事実調査・原因究明・再発防止策の検討を行うのが第三者委員会の役割である。

重大な不祥事を起こした企業にとって、内部者による調査委員会では、調査への信頼性が確保できない場合、第三者委員会の設置が有力な手段となる。しかし、それは、調査の範囲や調査結果等について委員会の判断を尊重することが大前提なのであり、第三者委員会を設置する経営者は、不利な事実が明らかになるリスクを覚悟した上で設置の判断を行うことになる。

そのため、不祥事企業が、わざわざ「日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠する第三者委員会ではない」と断ったうえで外部者による調査委員会を設置する例もあるくらいだ。

今回の東芝の第三者委員会は、「日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠する委員会である」と明確に説明した上で設置されたものであった(2015年5月8日付「第三者委員会設置のお知らせ」)。そして、対外的にガイドラインを振りかざして、報告書の内容に関する責任が東芝本体に及ばないようにするという方向で「第三者委員会の独立性」を最大限に活用した。ところが、実際には、第三者委員会の委員たる弁護士が、調査範囲について、経営者側の意向を受け重大な問題を調査対象から外す方向で積極的に動いたというのである。それは、「第三者委員会」の名称を使った「虚偽表示」のようなものだ。

このようなやり方は、日本において、第三者委員会に関する、確立されたルールを蔑ろにするもので、企業等の不祥事対応において重要な機能を果たすべき第三者委員会への信頼性を著しく損なうものである。

私自身、検事を退職し、弁護士登録して以降、企業等の第三者委員会に関して様々な経験をしてきた。多くの案件では、企業側との信頼関係のもとに不祥事の本質に迫ることができ、信頼回復に向けての役割を果たしてきた。

しかし、2011年の、原発事故後の玄海原発の再稼働をめぐる「九州電力やらせメール問題」の第三者委員会委員長を務めた際には、委嘱者の九州電力の経営トップと激しく対立することになった。調査の過程で、九電社員が組織的に「やらせメール」の送信を行った発端が、当時の佐賀県知事の九電幹部への発言だったことが判明した。その事実は、「やらせメール」の重要な動機であるとともに、その背景にある九電と原発立地自治体の首長との不透明な関係が問題の本質であるとの認識から、その点を事実解明・原因究明の対象としたのに対して、当時の九電経営陣は、第三者委員会に対して佐賀県知事発言を調査の対象外とすることを求め、九電に提出した第三者委員会報告書に対しても、九州電力側が反論コメントを出すなどしてきた。その結果、委員会報告書提出後も、九電側との応酬を繰り広げることになった(拙著第三者委員会は企業を変えられるか~九州電力やらせメール問題の深層】(毎日新聞社:2012年))。

福島原発事故後、「原発絶対安全の神話」が崩壊した後に、電力会社が、原発再稼働をめぐって発生した問題で失った信頼を回復し、社会の理解を得ていくためには、問題の本質を明らかにすることが不可欠であり、そのために最大限の努力を行うことは、第三者委員会委員長として当然の責務である。委嘱者である企業の経営トップが、調査の方針に介入してきても受け入れるべきではない。

もちろん、第三者委員会としての筋を通す事は、個人的な利益につながるものではない。私の場合、以前相当数あった電力会社からの仕事は、九電問題以降、全くなくなった。

しかし、社会に重要な影響を与える企業不祥事等の第三者委員会を引き受ける者としては、それも覚悟すべきことだろうと思う。

最近、企業不祥事における「第三者委員会ビジネス」が、弁護士業界の収益源と化したことが、第三者委員会の活動をゆがめているように思える。今回のNBO記事でも、第三者委員会の委員の松井弁護士から四大法律事務所の一角である森・濱田松本法律事務所のF弁護士を通じて、原発子会社の減損問題を調査の対象とするか否かを確認してきたとされているが、そうだとすれば、今回の第三者委員会と会社側の不透明な関係に、森・濱田松本法律事務所が関わっていたことになる。

今後、第三者委員会が機能するためには、今回のような問題が再び起きないよう対策を講じることが不可欠である。

企業側では、不祥事を発生させた執行部や社内取締役ではなく、社外取締役あるいは不祥事と関係のない立場の役員を中心に、不祥事ガバナンス体制を構築し、第三者委員会の設置や委嘱事項の範囲の検討、委員の人選等を行うべきであろう。

一方、第三者委員会の委員を受任する側、特に弁護士は、ガイドラインの趣旨を十分に理解し、「第三者委員会倫理」に則って活動することが必要だ。

重大な不祥事が相次ぐ中、信頼回復に向けての切り札となる「第三者委員会」は、形だけのものであってはならない。問題の本質に迫り、抜本的な改善を図ることに繋がる第三者委員会の活動こそが、企業の危機を救うのである。

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 「カビ型違法行為」の恐ろしさが典型的に表れた「杭打ちデータ改ざん問題」

10月19日に、横浜市の大型マンションのデータ偽装問題に関して、【「姉歯事件」より重大・深刻な「マンションデータ偽装問題」】と題するブログ記事を出した。その後、この問題を発端に、データ改ざん問題は、杭打ち業界全体に拡大し、今や、建築業界全体の構造的な問題にまで発展している。

杭打ち工事のデータ改ざんの当事者である旭化成建材が施工したすべての建築物が調査の対象とされ、全国各地で次々とデータの流用等による改ざんが発見された。しかも、問題の発端となった不正に関わった複数の職員が、「改ざんは先輩に教わった」と証言していることが報じられ、杭打ち工事の最大手の企業「ジャパンパイル」でもデータの流用が行われていたことが公表されるに及んで、今回のデータの改ざん・偽装問題は、個人的な問題でも、個別の企業の問題でもなく、業界全体の問題であることが明白になった。

「偽装」「隠ぺい」「改ざん」「捏造」という言葉に該当する問題に対して、容赦なく厳しい批判・非難が行われるのが、近年の企業不祥事をめぐる世の中の動きであり、その中には、実態と無関係に「形式的な不正」だけで過剰なバッシングが行われる例も多い。しかし、今回の問題は、建築物の基礎を固める杭打ち工事のデータの偽装・改ざんであり、建築物の使用者、住宅建築であれば住民にとって、建物の安全性に対する信頼の根本に関わる問題である。安全性への影響如何にかかわらず、そのデータの取扱いが業界全体で杜撰極まりないものであったことは、社会に衝撃を与える事態だと言えよう。

「ムシ型行為」と「カビ型行為」

私は、違法行為、コンプライアンス問題には、「ムシ型」と「カビ型」があるということを、【法令遵守が日本を滅ぼす】【思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~】等で指摘してきた。

「ムシ型」というのは、個人の利益のために個人の意思で行われる単発的な行為であるのに対して、「カビ型」というのは、組織内で、長期間にわたって恒常化し、広範囲に蔓延している行為、つまり、時間的・場所的な拡がりを持った行為だ。

「ムシ型」に対しては、当事者を厳罰に処すという「殺虫剤」型の対応が有効であり、二度とそのような行為を行わないよう「法令遵守」を厳命することで、再発防止を図ることになるが、「カビ型」には、そのような対応はあまり効果がない。

「カビ型」に対して必要なことは、恒常化していた問題行為の実態を明らかにし、その原因が「汚れ」なのか「湿気」なのかを究明して除去することだ。業界全体に拡がる「カビ」の場合には、個々の企業だけでは対応は困難であり、所管官庁も含めた業界全体のコラボレーションが必要となる。

このような「ムシ型」「カビ型」の違いを認識せず、従来と同様に「ムシ型」=個人的行為を前提にした対応を行うことは、問題をより深刻化させることになる。

「カビ型違法行為」の恐ろしさ

今回の杭打ち工事のデータの偽装・改ざんについても、当初は、横浜市のマンションの杭打ち工事を担当した旭化成建材の現場代理人の「個人的な問題」のように言われており、会社側の記者会見でも「物言いや振る舞いからルーズな人だと感じた」などと現場代理人個人に問題があるかのような発言をしていた。局所的・単発的な「ムシ型」違法行為の問題で済まそうとしていたようだ。しかし実は、この問題はムシ型ではなく、典型的な「カビ型違法行為」だったのである。

カビ型違法行為は、監査等の通常のコンプライアンス対応による発見が困難であり、内部告発等によって表面化すると深刻な問題に発展するという「恐ろしさ」がある。

私は、その問題を前掲拙著【思考停止社会 ~「遵守」に蝕まれる日本~】(53頁)で指摘したほか、日経ビジネスオンラインに寄稿した論考【「カビ型違法行為」の恐ろしさ 蔓延・恒常化した違法行為はどう解消したらよいのかでも書いている。

違法行為・不正行為が長年にわたって恒常化している場合、それに関わった者の中に、不正行為を行いたくないと考えた者がいたとしても、是正措置をとるために何らかの労力・コストが必要となる場合には、それを自ら提案することはとても難しい。

是正措置に労力・コストをかけるためには、その予算措置の理由の説明が必要であり、その説明をするには、過去に恒常的に不正を行っていた事実を表に出さなければならないからだ。それによって、それまで現場で不正を実行してきた関係者達が、重大な責任を問われることになりかねない。その際、「不正行為をやっていたのは自分や自社だけではない。他人も他社も同様にやっている。」という「カビ型」の弁解は全く通用せず、「法令遵守」に反したことだけで問答無用の非難が行われるのは、過去の多くの不祥事・事件が示すところだ。

「ステンレス鋼管データねつ造問題」

上記著書や論考で言及している「ステンレス鋼管データねつ造問題」の根本的な原因は、JIS規格という「法令規則」が、実態と乖離したまま放置されていたことにある。、鋼管溶接技術の進歩のため、ステンレス鋼管について水圧試験で発見されるようなレベルの傷や不具合は全くと言って良いほどなくなり、水圧試験を実施する意味はほとんどなくなっていたのだ。しかし、規格上は、「全量水圧検査が必要」とされていたため、水圧試験データがなければJIS承認をとることができず、そのデータの捏造が長期間にわたって恒常化していたのだ。工場の生産体制・検査体制も、水圧試験をやらないことが前提になっていた。

その後、JIS規格を実態に合わせようとする業界関係者の努力のためか、2004年から、「客先の了承を得れば一部だけの抜き取り検査でもよい」ことになった。制度を実態に適合させる方向での改善が行われたのだ。

ところが、その後も、水圧検査は全く行われず、従前どおりデータを捏造する行為が続けられていた。それは、以下のような事情からだと考えられる。

2004年以前は、実態は水圧試験を全く行っていなかったが、建前上は全量水圧試験を行ったことにして、捏造したデータで外形を整えていた。それが、2004年の基準改正に伴って、「一部だけの検査」が許容されることになった。「全量水圧試験をやってきているという建前」を前提にすると、「全量から抜き取りへの変更」ということになり、設備や人員を減らすことができるということになる。しかし、実態を前提とすれば、それまで全く行っていなかった水圧試験を一部だけでも行うことになるのであるから、設備や人員を増やす必要が出てくる。

それまでデータ捏造行為をやっていたことは表に出せないと考えていた現場の関係者達は、誰も「設備や人員を増やして抜き取り検査をやろう」と言い出せなかったのであろう。

カビ型違法行為を解消するためには、過去の違法行為の事実に頬かむりして「違法行為・不正行為をするな」という「法令遵守」の命令を行うだけでは問題は解決しない。それまで違法行為が恒常化していた事実を全て表に出したうえで、それを前提にして、その解消のための方策を講ずることが不可欠なのである。

そこに、カビ型違法行為の恐ろしさ、それを発見し解消することの難しさがある。

「杭打ちデータ改ざん」の恒常化・潜在化の原因

このことを今回の杭打ちデータの偽装・改ざんの問題に当てはめてみよう。

データの不正が行われた原因は、杭打ちデータの機器の不調でデータがとれない、記録紙が雨に濡れて読めない、などの事態が発生していたからだったとされている。

「杭打ち工事のデータを記録し、元請け業者に正確に報告すること」は、ずっと昔から杭打ち工事業者に対して法令によって義務付けられていたと考えられるが、昔は、データを記録する機器が、その義務を確実に履行できるだけの性能を充たしていなかった。そのため、正確なデータが取得できなかった場合でも、現場で杭打ち作業を行う技術者の「経験と勘」によって、「杭が地盤に到達した」と確認されれば問題はないと考え、他の工事のデータを流用するなどの不正が行われたのであろう。

その時代には、杭打ちデータの記録に関する「法令」が、現場の実態とかい離していたため、杭打ちデータの偽装・改ざんが、「カビ型違法行為」として業界に蔓延していたのである。

しかし、21世紀に入る頃から、日本の経済社会においてもコンプライアンスが強調され、法令遵守が強く求められるようになってきた。そうした中で、世の中でも「安全から安心へ」のトレンドの変化が生じ、「実質的に安全であれば良い」というかつての考え方から、「安全であることの記録を確実に残し、求められた時に、そのための記録・情報を確実に提示すること」によって「安心」を確保する考え方への転換が要求されるようになった。

企業社会に、そのように大きな「環境変化」が生じたのであるから、杭打ち工事を行う事業者も、記録が確実に残せるようデータを記録する機器のバージョンアップを行うべきであった。それが、杭打ち業者に求められた「環境変化に適応する」という意味のコンプライアンス対応であった。

しかし、前述した「ステンレス鋼管データ偽装問題」と同様の事情が、そこで、コンプライアンス対応を妨げたのではないだろうか。

機器のバージョンアップには、当然コストがかかる、そのための予算措置が必要となる。しかし、その必要性を説明するためには、「これまでの機器では、記録がとれない時はデータの偽装・改ざんを行っていました」と正直に告白しなければならない。それは、杭打ち工事に関する法令違反を自ら申告することであり、それ自体で重大な責任を問われることになる。いくら、業界全体に蔓延している「カビ型違法行為」であっても、それが表面化すれば、最初に明らかになった問題の当事者に重大な責任が生じことになるのは、まさに今回の問題を見れば明らかであろう。

結局、杭打ち工事の現場は、従来どおり「経験と勘」によって、杭が地盤に到達したことを確認するという「安全」の確保は行われてきたものの、それを確実に記録するという「安心」への対応が不十分なまま、建築が行われてきたというのが実態だったのだと思われる。

データの偽装・改ざんという不正行為は、典型的な「カビ型」違法行為であり、私がかねてから指摘してきた「カビ型違法行為の恐ろしさ」、つまり「カビ」を発見し、なくすことがいかに困難であるかが典型的に表れた事例だと見ることができる。

「カビ型違法行為」に対して今後行うべきこと

このような行為は、一度全てが表面化してしまえば、是正することは、それ程困難なことではない。杭打ち業界全体が改善の方向に向かい、データを確実に記録できる機器が導入され、データの偽装・改ざんは根絶されるであろう。長期間発見されなかった事情は、「規範意識や倫理観の希薄さ」という個人的な問題というより、上記のような「カビ的違法行為のシステム」の問題なのであるから、そのシステムさえ改善されれば、不正が起こることはなくなる。今回の問題を契機に、「不正が絶対に起こり得ないよう検査の厳格化・罰則の強化」を行う必要があるとは思えない。むしろ、国交省が責任回避のために、そのような対応をすれば、耐震強度偽装事件(姉歯事件)の際と同様に、建築不況を招くことになりかねない。

この機会に行うべき重要なことは、これまで述べてきた「カビ型違法行為の恐ろしさ」を再認識し、今回表面化した杭打ちデータの問題以外にも「カビ型違法行為」が潜在化している可能性があるとの前提で、企業としての現場の実態把握に努めることである。

そのためには、「実質的に安全であれば良い」という従来の感覚では現在の社会には通用しないこと、「安心を確保するために正確な記録を残しておくことが不可欠であること」についての認識・理解を組織の隅々にまで浸透させる研修教育を実施した上、一定の期間を定めて不正行為を自主的に申告した者には制裁・処分を減免する措置をとることが有効であろう。「不正行為を行うな」という厳命と厳罰化だけでは、かえって「カビ型違法行為」を一層潜在化させてしまうことになる。

今回の問題に端的に表れているように、「建築物の基礎に関わる杭打ちという最も重要な工事に関してデータを改ざんすることなどあり得ない」という常識は通用しない。表面化したら、そのように厳しい批判・非難を受けることが確実な違法行為であるからこそ、当事者にとっては、「絶対に表には出せない行為」と認識され、深く潜在化する「恐ろしいカビ」になってしまうのである。

 

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原発子会社巨額減損「隠ぺい」 東芝再生は「風前の灯」

昨日、日経ビジネスオンライン(以下、「日経BOL」)に、【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損と題する記事が掲載され、会計不祥事からの信頼回復を図る東芝に、重大かつ深刻な「説明不足」、というより、実質的な「隠ぺい」があったことが明らかになった。

 今回の会計不祥事で東証の特設注意市場銘柄に指定され、月30日の臨時株主総会で、取締役の過半数を社外取締役にするなど、経営陣を一新して再生を図ってきたはずの東芝だが、今回の問題は、早くも、その新体制が全くの見せかけだけのものに過ぎなかったことを露呈した。

東芝が大半の株式を取得して子会社にしていた米国の原発会社ウェスティングハウス・エレクトリック社(以下、「WH社」)で、合計1600億円の巨額減損が発生していたことが、明らかになった。同社の単体決算は2012年度と2013年度に赤字に陥っていたが、日経ビジネス誌が指摘するまで、東芝はその事実を開示していなかった。

東芝は、原発建設事業の国際展開を目論み、2005年にWH社を約6000億円で買収したが、その後、東日本大震災による福島原発事故の発生などで原発建設をめぐる状況が激変、当初の目論見は大きく狂った。

今年に入って表面化した東芝の不適切会計に関して、第三者委員会報告書等で調査の対象とされたのは「損失先送り」という損益計算書(P/L)上の問題ばかりで、貸借対照表(B/S)に関しては会計処理上の問題はないとされていた。WH社の買収の当初の目論見が大きく外れていることから、買収の際に計上されている巨額の「のれん代」の減損を行うべきなのに、適切に行われていないのではないか、ということに関して疑問の声が上がっていたが、東芝はこれまで、原子力事業については一貫して「順調だ」と説明してきた。

今回の日経BOLの記事によって、WH社が巨額の減損処理を行っていたことに加えて、それを東芝の連結決算に反映させないための「屁理屈」を、監査法人に受け入れさせることを画策する社内メールの存在も明らかになった。

このWH社の減損問題に関して、東芝側は、「当社の連結決算には影響がなく、会計ルール上も問題がない」と説明しているようだ。今回明らかになった減損は、原発「建設」というWH社の一部門の問題であって、原発の「メンテナンス」部門は順調なので、WH社全体を子会社としている東芝の連結決算上は、のれん代の減損の必要はない、というのが、会計処理上の理屈としてはギリギリ通るのかもしれない。

しかし、日経BOLの記事に引用された社内メールによると、その理屈は、東芝幹部が監査法人に無理矢理受け入れさせた「屁理屈」だったようだ。その「屁理屈」が、会計処理上は、仮に通るとしても、「原発建設事業における1600億円の減損」の事実を全く公表せず、それについて説明すらしてこなかったことは、日本の経済社会に重大な影響を与えた会計不祥事の当事者である東芝が社会に対して果たすべき説明責任という観点からは、到底許されることではない。

それは、実質的な「隠ぺい」と言わざるを得ない。

WH社の買収に関して、当初同社の原発建設事業を国際展開に活用しようと目論んだのに、その事業が巨額の減損に追い込まれたことは、少なくとも、東芝にとっては重大な事象であり、東芝の連結決算上、減損を回避する理屈があり得るとしても、その理屈を含めて事実を開示して説明することが、東芝にとって最低限の説明責任だと言うべきであろう。

会計不正が行われていた当時、取締役会長という立場にありながら責任追及を免れ、まさに、東芝の信頼回復・再生のために社長の座についたはずの室町現社長は、東芝の事業の現況に関する極めて重大な事実を、公表も説明もしてこなかったことの責任をどうとるのであろうか。

そして、このような社内執行部の社会的責任に目を背けた姿勢に対して、厳しい監視の目を向けなければならないのが、社外役員のはずだ。「社外取締役中心の東芝の新経営陣」は、社会の重大な関心事である東芝の原子力事業に関して、実質的な「隠ぺい」が行われていたことに対して、一体何をやってきたのであろうか。

このようなことがまかり通る企業体質が維持されている限り、日本を代表する伝統企業だったはずの東芝の再生は、もはや「風前の灯」だと言わざるを得ない。

 

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診療所違法捜査、岐阜県警の許し難い「ノットリリースザボール」

前回のブログ【「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問】で、橋下徹氏が、維新の党執行部を批判している理屈がデタラメであること、その「弁護士たる政治家」としての姿勢に重大な問題があることを指摘して厳しく批判したが、維新の党に提出した法律意見書に対して(なぜか私の名前を出さずに)批判する一方で、ブログに対して全く反論してこない。

昨日からは、美濃加茂市長事件控訴審での検察との戦い(【美濃加茂市長事件控訴審、事実審理開始で重大なリスクを抱え込むことになった検察】)、診療所つぶしの違法捜索事件での岐阜県警との戦い(【岐阜県警違法押収事件の背景に、県・国による「診療所つぶし」】)の戦線に復帰した。

美濃加茂市長事件の方は、10月初めの異動で、村山浩昭判事が裁判長となった。

新たな裁判体となったわけだが、気を引き締め直し、この事件で警察・検察が捜査・公判で一体何をやってきたのか、無実・潔白の市長を逮捕し、美濃加茂市民の代表を葬り去ろうとしたのはなぜなのかを解明すべく、弁護人として、徹底した立証を行っていく。

一方で、岐阜県警の診療所等に対する違法押収事件の方は、岐阜地裁で、警察の押収処分の一部を違法だとして取り消す異例の決定が出てから、間もなく3か月になるが、岐阜県警は、いまだに、数千点のカルテを含む膨大な書類のほとんどを「留置の必要がある」などとして抱え込んだまま、被疑事実とされた罰金20万円の医療法違反事件の捜査については、被疑者の取調べすら行われず、全く動きもない。

この捜索は、極めて軽微な被疑事実で、必要性も全くないのに、関係するすべての事務所ばかりか、関係者の自宅も含めて11か所において、明け方まで「家探し」するという異常なやり方だったことに加え、そもそも、その「医療法違反」とされている被疑事実が、犯罪の構成要件に該当しないことを、弁護人として、早い段階から指摘してきた。

要するに、「医療法」における診療所等の「管理」に関する規定は、診療所等の開設者(本件で言えば、社会福祉法人徳雲会)に対して、資格ある医師に診療所を管理させることを義務づけている規定であり、違反に問われるとすれば「開設者」なのに、他の診療所の管理者となっていた「医師」が「別の診療所を管理した」という事実を犯罪事実ととらえ、医師を被疑者として捜索を行っているのである。

我々は、そのような医療法の法律解釈について所管官庁の厚労省に照会し回答を求めたところ、我々の解釈が正しいとの回答があった。

それによって、捜索の根拠自体がないことが明らかになったとして、岐阜県警に以下のような文書を送付して、押収物すべてを速やかに返還するように求めた。

犯罪構成要件に該当しない被疑事実による押収物の返還要請

貴県警生活安全部生活環境課及び羽島警察署は、本年8月6日夕刻から7日未明にかけて医療法違反の被疑事実で社会福祉法人徳雲会関連施設、同法人理事長、職員の自宅等11箇所に対する捜索差押を実施し、数千点に上る診療録等大量の書類等を差押えた。

同押収物の一部については、8月21日、岐阜地方裁判所の決定により、同県警作成の押収品目録記載の235点について、押収が違法であるとして押収処分が取り消され、既に返還済みであるが、その余の押収物については、ごく一部が還付されたほかは、今なお、留置の必要があるとして、押収が継続されている。

貴県警が捜索差押の根拠とした医療法12条違反の被疑事実は、

被疑者らが共謀の上、診療所Aにおいて、平成25年12月27日から平成26年1月21日までの間、同Aクリニックの管理者として岐阜保健所長に届出している医師が管理することなく、実質的な管理を診療所Bの管理者として届け出されている他の医師が行い、もって診療所を管理する医師が無許可で他の診療所の管理を行った

とのことであり、診療所を管理する「医師」が他の診療所の「管理を行ったこと」を犯罪事実ととらえるものである。

しかし、医療法における「管理」に係る規定は、診療所の「開設者」に、「資格ある医師等に管理をさせる」ことを義務づけるものである。「開設者」がその義務に反した場合に違反が成立することはあっても、「医師」等が「管理を行ったこと」について違反が成立する余地はなく、捜索差押の根拠とされた被疑事実はそもそも犯罪構成要件に該当しない。

このことを、当職らは、再三にわたって指摘してきたところであるが、今般、当職らが、医療法を所管する厚生労働省医政局総務課に対して行っていた照会に関して、添付書面記載のとおり、「他の診療所の管理者となっている医師が診療所を管理した事実があったとしても、当該管理を行った医師が違反に問われるものではない」旨回答があった。上記捜索差押で被疑者とされていた「医師」2名は、当職らが指摘していたとおり、上記医療法の規定による違反の主体にはなり得ないことが明らかになった。

なお、上記捜索差押の被疑事実においては、両罰規定の適用として、社会福祉法人徳雲会も被疑法人とされているが、被疑者とされる「医師」2名が違反行為の主体となり得ない以上、同法人も被疑法人とはなり得ないことは言うまでもない。

上記厚労省の回答から、貴県警が徳雲会および医師2名に対して行った捜索差押は、犯罪構成要件に該当しない被疑事実に基づく違法なものであることが明白になったのであるから、貴県警において保管中の押収物のすべてを、速やかに返還するよう要請するものである。

本要請に対する貴県警の対応について、10月19日午後5時までに回答されたい。

ところが、それに対する10月19日付岐阜県警の回答は、「平成27年10月15日付け要請については、現に捜査中の事件であり、捜査に関する事柄については、回答いたしません。」という木で鼻を括ったようなものだった。

「まだ捜査中」だと言いたいのだろうが、一体何の捜査をやっているのか。

昨日、捜査が行き詰ったためか、別件の容疑で全くデタラメな捜査を行っていることを赤裸々に示す事実が明らかになった。

徳雲会の診療所に昨年まで勤務していた医師が、理事長、院長らから告訴されていた軽微な事件があった。告訴した側もその内容をよく覚えておらず、我々弁護人にも全く知らされていなかったが、岐阜県警は、その事件を1年半近くも放置していたのに、告訴人側に全く知らせることもなく、10月に入って、その事件で医師の自宅や実家まで捜索し、使用しているパソコンやタブレットなどを押収した上で、被疑者として呼び出して取り調べることでプレッシャーをかけ、その後で、徳雲会の診療所で何か不正が行われていなかったか、具体的な事実を聞き出そうとしたのである。この期に及んでも、押収している大量のカルテの中から、何とかして犯罪のネタを引き出そうとしているのであろう。

警察の非道なやり方に恐怖を覚えた医師が、私の事務所に連絡してきたことから、警察の不当な捜査を把握するところとなった。

軽微な事件については、ただちに示談で解決し、昨日、告訴取消書を警察署に提出した。そして、警察が、事実を歪曲するような供述調書を作成していた点については、医師から正しい事実関係を述べた陳述書の作成提出を受け、徳雲会の事件を捜査する岐阜県警生活環境課に写しを提出し、担当課長らに厳重に抗議した。

数千点のカルテを含む膨大な書類の押収を不当に継続し、捜査の見込みが全く立たない状況で、別件の捜査と称して、徳雲会側が告訴している事件まで引っ張り出して、このような悪辣なことをやっているのが岐阜県警なのである。

ここまでくると、もはや「権力ヤクザ」の所業と批判されてもやむを得ないであろう。

岐阜県警は、そのような無駄な抵抗を直ちにやめ、違法・不当な捜査について謝罪し、事態を収拾すべきである。

ラグビーでは、タックルされて倒されてもボールを離さない「ノットリリースザボール」は重大な反則行為だ。診療に不可欠な大量のカルテを押収し、弁護人側からの攻撃でボロボロになりながら、いまだにカルテを抱え込んで離さない岐阜県警のやり方は、「ノットリリースザボール」の反則そのものであり、社会に対する重大な背信だ。

 

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