岐阜県警違法押収事件の背景に、県・国による「診療所つぶし」

明日、8月25日に、美濃加茂市長事件の控訴審第1回公判期日を控えている状況だが、「もう一つの岐阜の事件」が重大な局面を迎えている。

この事件は、岐阜の笠松町と各務原市で、特別養護老人ホーム、ケアハウス等の介護施設と心療内科のクリニックを兼営する社会福祉法人徳雲会が、医療法違反で、岐阜県警の捜索差押を受けたが、私を含め、美濃加茂市長事件の弁護団のメンバーのうち3名の弁護士が同法人の弁護人を受任し、その捜索差押が違法だとして岐阜地裁に準抗告を申し立てていたものだ。

8月21日夜、岐阜地裁は、我々の準抗告に対して、約1000点の押収物のうち235点の押収が違法だとして取り消す旨の決定を行った。

取り消しの対象とされた押収物の主なものは、社会福祉法人に関連する介護施設の介護記録や、薬局の処方箋であり、その1綴を「1点」としていたりするため、警察の押収点数としては235点でも、実際の処方箋など書類の数にしたら、数千、数万という量だ。

これだけの大量の物品の押収が、裁判所の決定で違法とされたことは、過去に例がないのではないか。

この背景には、徳雲会が、各務原市内で開業を予定している内科の診療所の開設をめぐる問題がある。

徳雲会は、各務原市の小学校の近隣でケアハウスと心療内科のクリニックを開設している。認知症の老人等の介護に手厚い医療のサポートができるよう、老人介護施設とクリニックを併設しているのである。

それに加えて、さらに手厚い医療サポートを行うため、隣接して内科の診療所を開設しようとしたのに対して、地元の医師会側から強烈な反発が生じたようだ。

同じ市内で内科を経営しているのが、各務原市の医師会長を務め、さらに7年間にわたって岐阜県の医師会長も務める地元医師会の大物だ。

岐阜県の担当部局からは、内科診療所の開設に対して、嫌がらせとも思える様々な調査や指導を受け、厚生労働省の出先である東海北陸厚生局岐阜事務所からも、毎月、時に毎週、監査と称して、執拗な書類提出や事情聴取を強いられ、診療所の運営に重大な支障が生じていた。

そのような妨害にもめげす、今年9月に、内科診療所の開設を行おうと準備を進めていた矢先、8月6日の夕刻、岐阜県警が100人態勢で、2つのクリニックや関連施設に大規模な捜索差押を行ったのだった。

この捜索差押には、多くの重大な問題がある。

そもそも、容疑事実は、徳雲会が経営する診療所の「管理者」が、年末年始を含む25日間、「兼任状態」にあったということだ。休日を除けば、兼任していた期間はわずか1週間程度である。一応罰則はあるが、法定刑は「罰金20万円以下」、常識で考えても、凡そ罰則を適用すべき事件ではないことは明らかだ。

しかも、捜索差押の方法は、常識では考えられないようなやり方で、しかも徹底したものだった。診療所、介護施設、関連する調剤薬局のほか、理事長、院長の自宅ばかりか、全く関係のない従業員の自宅までが捜索の対象になった。

しかも、各務原市の診療所の捜索は、夕方から開始され、翌日の明け方まで夜通し行われた捜索に、各務原市にある岐阜保健所の職員が立会人になっていた。すぐ隣の施設にいた理事長が、「診療所の捜索に立ち会いたい」と言っているのに、それを認めず、県職員である保健所職員に立ち会わせたのだ。

刑訴法第114条2項は、「人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内で差押状又は捜索状の執行をするときは、住居主若しくは看守者又はこれらの者に代るべき者をこれに立ち会わせなければならない。これらの者を立ち会わせることができないときは、隣人又は地方公共団体の職員を立ち会わせなければならない。」と規定している。建造物の捜索に「看守者」である理事長が立ち会うと言っているのであるから、立ち会わせるのが当然だ。それに、理事長に立ち会わせることができない理由も、立ち会わせるべきではない緊急の必要も全くなかった。

しかも、信じがたいことに、捜索開始時から立会のために警察に同行してきていた保健所職員は、捜索の20日ほど前に、県の保健所がそのクリニックに実施した立入検査の担当者だ。こうなると、捜索差押の立会とはいえず、保健所が、正式な手続きを取らずに、事実上捜索に同行して、保健所の立入検査も行ったということになる。

保健所職員の「立会」で深夜から明け方まで行われた捜索では、心療内科のクリニックで保管していたカルテ数千点が、すべて押収された。警察は、医師法第24条2項で医師が保管を義務付けられており、しかも重大な個人情報を含むカルテを、患者の氏名もその数もその枚数も特定せず、ダンボール箱に詰め込んですべて持ち去ったのである。

一体何が目的で、このように明らかに違法な捜索が行わたのか。

後日、岐阜県健康福祉部医療整備課の課長から、徳雲会の理事長に電話がかかってきた。

「おたくは、9月に各務原に内科診療所を開業する届出を出しているが、法人の理事らは本当に賛成しているのか」

「もちろん。理事会で決定しています。」

「今回、警察に捜索に入られたのに、それでも予定どおり開業するのか。警察の捜索を受けても開業するのであれば、改めて理事会で決定する必要がある。」

「警察の捜索なんか関係ありません。うちは捜索されるようなことは何もしていません。それに、昨日の捜索のことを、どうして、県がご存じなんですか。」

「保健所の職員が捜索に立ち会っているので、報告を受けている」

「そんな立会は、頼んでいません。私が立ち会いたいと言ったのに、警察が立ち会わせてくれなかったんです。」

「理事の一人ひとりに、警察の捜索を受けても内科診療所の開業に賛成するのか意思確認するので、理事の電話番号が入った名簿を出しなさい。」

理事会でちゃんと決議されており、その書類もすでに提出しているにもかかわらず、このようなことを言ってきたのである。理事長は、岐阜県庁に赴き、医療整備課の課長に対して、「理事の名簿の提出には応じられない」と伝えた。その際も、課長からは、警察の捜索が入ったことを各理事に知らせた上で、内科診療所を開業するのか否か賛否を問い直すことを強く求められた。

これらの経緯からすると、警察の捜索は、近く各務原市で開業予定の内科診療所の開設を妨害することを目的に行われたとしか考えられない。

私は、この捜索について理事長から連絡を受けた当初は、「別件捜索」で、何か別の犯罪のための証拠を押収することが目的ではないかと思った。

しかし、このような捜索差押の態様や、岐阜県の医療整備課長が理事長に対してやってきたことを見ると、「別件捜索」でなく、むしろ、「診療所の開設妨害」という、刑事事件とは無関係の目的で行われた疑いが濃厚だ。

「捜索差押」という強制捜査は、被疑者の逮捕・勾留などの身柄拘束と並んで、重大な人権侵害だ。戦後、新憲法が制定され、第35条で、「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」と規定され、それを受けて、刑訴法で捜索差押に関する規定が定められた後、数多くの事例で、捜査機関による捜索差押手続の違法性が争われ、多くの判例、裁判例が蓄積されてきた。その中でも、今回の事件ほど、違法極まりない捜索差押の事例があっただろうか。

徳雲会が経営する二つの心療内科のクリニックには、岐阜県警の捜索差押が行われた後も、毎日、多くの患者が訪れている。その診療のために不可欠なカルテがすべて警察に押収されているので、必要なカルテについては、その都度還付を受けているが、なにしろ、カルテは、患者氏名も冊数も枚数も特定されず、箱ごと持ち去られ、しかも、警察で、バラバラにされてコピーされているようなので、果たして、そのカルテの中身が、元の状態で返還されたかどうかもわからない。

実際に、還付されたカルテを、コンピューターに記録されたレセプトデータと照合したところ、診療が行われているのに、その日の分が欠落しているカルテが多数発見されている。どこで紛失したのか、警察との間で事実確認中だ。

「カルテの紛失」ということになると、クリニックでの診療に与える影響は重大だ。処方した薬剤や、副作用の有無等もすべてカルテに記載されている。そこに「漏れ」があったために医師が誤った判断をした場合、人命にも関わる。

このように医療機関での診療行為に重大な影響を生じさせる警察の捜索差押が行われたことは、医業を監督する厚生労働省にとっても放置できない事態のはずだ。しかし、厚生労働省の出先の東海北陸厚生局は、警察の捜索差押を問題視するどころか、逆に、徳雲会の診療所に対する嫌がらせ的な「監査」を続けており、むしろ、岐阜県や岐阜県警などと結託して、診療所を潰しにかかっているように思える。

東海北陸厚生局による異常なまでに執拗な「監査」が始まったのは、各務原市の内科診療所の開設の計画を始めた、今から3年前だった。それ以降、診療所の管理者の医師が毎週のように、厚生局の監査に呼び出され、長時間聴取されるということが続いているのである。しかし、今でも、何が「不正の疑い」なのかは全く明らかにされていない。

しかも、今回の岐阜県警の捜索差押と歩調を合わせるかのように、監査の通知が届き、カルテ等の提出を求められている。「カルテは警察にすべて押収されているので提出できない」と説明しても、それを証明する書類の提出を求められるなど、「嫌がらせ的な監査」はなおも続いている。

徳雲会の診療所を、そして、各務原市内での内科診療所の開業を潰そうとする岐阜県、岐阜県警、そして、厚労省の出先の東海北陸厚生局の動きの背後に何があるのか。岐阜県、県警、医師会の幹部がどのようにつながっているのか、或いは、県や国の政治家がそこに関わっているのかいないのか。

岐阜の都心部からやや離れた場所に、岐阜県庁と岐阜県警の庁舎が並んで立っている。二つの庁舎は、なぜか、2階が渡り廊下でつながっている。この二つの建物の姿が、岐阜県と岐阜県警の異常な関係を象徴しているのではないか。

19世紀の世の中に戻ったかのような錯覚を覚える今回の事件、到底、現代の法治国家において起きていることとは思えない。

我々は、「岐阜県の闇」と徹底的に戦っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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機構に厳しい「内部調査報告書」と、厚労省に優しい「第三者委報告書」

日本年金機構(以下、「機構」)からの大量の年金個人情報の流出問題に関して、二つの調査報告書が相次いで公表された。

8月20日の日本年金機構「不正アクセスによる情報流出事案に関する調査委員会」の報告書、21日の厚労省「日本年金機構における不正アクセスによる情報流出事案検証委員会」の報告書である。

組織の不祥事が発生した際に、事実解明、原因究明等の調査を行う組織の設定の方法として、内部者中心の体制で調査が行われることが多いが、重大な不祥事については、内部者だけでは、徹底した調査を行って、問題の根本原因や組織の体質等の構造的にまで踏み込んだ指摘を行うことが困難なので、外部者によって構成される「第三者委員会」が設置されることがある。

機構の調査委員会が、理事長を委員長とする機構内部のメンバーに社外弁護士が一人加わった「内部調査委員会」であるのに対して、厚労省の検証委員会は、元最高裁判事の甲斐中辰夫弁護士を委員長とする外部者のみによる委員会で、まさに「第三者委員会」である。

通常は、第三者委員会である厚労省の検証委員会の方が、組織の体質や構造的な問題も含めた厳しい指摘を行うことが期待されるのが当然だ。

しかし、今回の二つの報告書を比較すると、その関係が全く逆だ。

「内部調査委員会」である機構の調査委員会の報告書が、今回の情報流出問題に関して、機構の対応の問題点としてこれまで指摘されていた点の殆どを指摘し、その原因についても、「現場における業務の実態が幹部を含む本部に伝わらない。」「実態を踏まえてルール設定を行うという努力不足」などと、私が、総務省年金業務監視委員会の委員長としての経験に基づき、参議院厚労委員会での参考人質疑等で指摘していた点も含め、組織自体に関わる問題を指摘し、しかも、「その根底には、ガバナンスの脆弱さ、組織としての一体感の不足、リーダーシップの不足、ルールの不徹底など旧社会保険庁時代から指摘されてきた諸問題があり」などと、組織の来歴にまで踏み込んだ原因分析を行うなど、機構の役職員全体に厳しい指摘を行っている。

一方、「第三者委員会」である厚労省の検証委員会の方は、5月8日に機構が標的型ウイルスメールによる攻撃を受けるわずか2週間前の4月22日に、厚労省年金局が類似の手口による攻撃を受け、URLブロックを行った上で通信を遮断した事実があったこと、その際、仮に、厚労省統合ネットワーク単位でURLブロックを行っていれば、機構での不正な通信は防げていたという、これまで全く明らかにされていなかった重要な事実を報告書の中で述べていながら、そのような事実があったのに、5月8日の、NISCが不正の通信を検知し厚労省に通知し、機構に伝達したことについて、係長から上司に報告が行われなかったことなどについての厚労省の組織自体の問題についての指摘や原因分析は全く行われていない。

そして、原因分析においても、厚労省の情報セキュリティー担当者は実質1人で、「システムの規模との比較で到底十分とはいえない」などと指摘しているが、厚労省年金局の組織の根本的な問題については全く指摘していない。

指摘の厳しさから言えば、機構の報告書が「第三者委員会」のレベル、厚労省の報告書の報告書の方は「内部調査委員会」のレベルに止まっている。

どうしてこのような「あべこべ」の内容になったのだろうか。

そこには、今回の情報流出問題を、機構の問題に矮小化し、厚労省の組織に関わる問題に発展させないようにする意図があるように思える。

年金機構の組織に関わる問題を、いまだに「旧社保庁時代からの問題」などという使い古された言葉で説明しようとする発想は、年金機構の内部者から出て来るものとは考えられない。そこには、旧社保庁の「消えた年金問題」で政権を失ったトラウマをいまだに引きずる安倍政権側の発想が働いているように思える。

厚労省の組織に関わる問題を全く指摘しないまま、当初、「中間報告」のはずだった報告書を、急きょ「最終報告」に切り替えて、慌てて幕引きをした厚労省の検証委員会は、今回の問題を機構の問題に矮小化しようとする意図の中で、形だけの「第三者委員会」として都合よく利用されたとしか思えない。

今回の情報流出問題が明らかになった直後に【年金機構個人情報流出事件は、外部機関による監視をなくした安倍政権の大罪】でも述べたように、今回の問題を深刻化させた根本的な原因は、組織の無謬性にこだわり、責任回避に終始して、日本年金機構という組織自体の問題に正面から向き合おうとしなかった厚労省の対応にある。

 

 

 

 

 

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監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書

昨日(7月20日)夜、東芝の「不適切会計」に関する第三者委員会の調査報告書要約版が、同社のHPで公表された。

歴代3社長が現場に圧力をかけるなどして、「経営判断として不適切な会計処理が行われた」「経営トップらを含めた組織的な関与があった」などと、経営者の責任が厳しく指摘されている。

経営トップらが「見かけ上の当期利益のかさ上げ」を狙い、担当者らがその目的に沿う形で不適切会計を継続的に行ってきたとしているが、その原因については、経営トップや、事業部門の責任者に「当期における損失計上を先延ばしにしようとする意図が存在したものと思料される。」などと述べているにとどまり、その意図が、「会計処理上許されない損失先送りとの認識を含むものであったか否か」は明確にされていないし、そもそも、その動機が何であったのかには全く触れられていない。

そして、財務部・経営監査部・監査委員会等による内部統制が十分に機能しなかったと指摘し、「東芝の役職員において、適切な会計処理に向けての意識が欠如していた」「上司の意向に逆らえない企業風土があった」などと、問題の背景となった企業風土についてまで言及している。

また、責任の所在について、「取締役、執行役ではなかった役職員の中にも、不適切な会計処理に関与していたり、不適切な会計処理により意図的な『見かけ上の当期利益の嵩上げ』が実行されていることを認識又は容認していた者も存在する。これらの役職員のうち、少なくとも幹部職員(例えば、部長職以上の職にある職員)については、その関与の程度等を十分に検証した上で、人事上の措置(懲戒手続きの実施を含む)を適切に行うことが望ましい。」と、幹部職員全体の人事処分にまで言及している。

調査の結果明らかになった具体的事実については、本日(21日)午後に予定されている詳細版の公表を待つしかないが、要約版を読んだ限りの印象としては、結論においては、歴代の経営トップに対しても、事業部門の責任者に対しても、厳しい断罪を行っているものの、それが意図的で悪質なものであることの根拠となる事実はほとんど示されていないこと、監査法人などに対して正しく説明せず、外部から発見されにくい巧妙な手法で行われていたと述べ、監査法人への隠ぺいの意図まで認定しているのに、それを「不正」ではなく「不適切」と表現していることなど、全体としてバランスの悪さを感じる。

そして、誠に不可解なのは、会計監査人の監査の過程で問題が指摘されず、結果として外部監査による統制が十分に機能しなかったことを認めていながら、会計監査人の監査の妥当性の評価は調査の目的外だとして評価判断を回避し、「経営トップや組織の不当な関与により内部統制が有効に機能しない状況下では、組織全体がごまかしや不正な操作による組織防衛行動に走ってしまう余地が生ずる。このような会社組織による事実の隠ぺいや事実と異なるストーリーの組み立てに対して、独立の第三者である会計監査人がそれをくつがえすような強力な証拠を入手することは多くの場合極めて困難である。」などと、会計監査人である監査法人が「不適切会計」を指摘できなかったことはやむを得ないかのような言い方をしている点だ。

2011年に表面化した「オリンパス損失隠し問題」についての第三者委員会の調査報告書が、会計監査人の新日本有限責任監査法人について、前任の会計 監査人であるあずさ監査法人からの引継ぎの際の「監査人の交代事由」に関する事実確認が極めて形式的かつ簡略 なものに留まっていたこと、M&Aで取得した海外企業の配当優先株の買戻しに際して「のれん」計上した処理について、より慎重な検討及び判断がなされるべきであったことなど、厳しい指摘を行ったのとは全く正反対の姿勢だと言えよう。

東芝の会計監査人は、オリンパス問題で第三者委員会から厳しく問題を指摘された新日本有限責任監査法人である。しかも、今回の問題の発端となった工事進行基準をめぐる不適切会計の問題に関しては、東芝とも関係の深い伝統企業IHIでも、2007年に、海外のプラント事業をめぐって今回と同様の問題が表面化し、300億円を超える過年度決算訂正に追い込まれ、有価証券報告書虚偽記載で課徴金納付命令を受けた。そのIHIの会計監査人も、新日本有限責任監査法人なのである。

私は、そのIHIが過年度決算訂正問題で特設注意市場銘柄に指定され、内部統制、コンプライアンスの抜本的見直しを迫られた際に、同社の社外監査役に就任し、それ以降、同社のコンプライアンスへの取組みをサポートしてきた。

会計監査人の新日本監査法人の担当者との間でも、工事進行基準の適切な管理も含め、様々な意見情報交換を行っている。少なくとも、会計処理の適切さという点において、IHIの内部統制、コンプライアンスは格段に向上したと自信を持って言える。IHIの会計監査人としての新日本有限責任監査法人の担当者は、工事進行基準に関して問題が生じ得る大型案件については、会計監査人自身が海外往査を行って現場の状況を確認するなど、十分な役割を果たしてくれている。

それと同じ監査法人が会計監査人を務める東芝において、IHIで過去に起きたのと殆ど同様の事態が発生しているのに、何ら気づかず問題も指摘できないなどということは私には理解できない。近年、大手監査法人では、「品質管理体制」の強化が打ち出されていたはずであり、過去に発生した企業会計を巡る問題を踏まえた監査品質の向上を図るのは当然のことだろう。

私は、上記のオリンパス損失隠し問題での第三者委員会での会計監査人の問題についての指摘を受けて、新日本有限責任監査法人が設置した「オリンパス監査検証委員会」の委員として、調査を総括し、報告書の取りまとめを行った。

【同報告書】においては、同監査法人の法的責任について、「オリンパス問題に関して、新 日本監査法人が法的責任を問われる余地はないと考えられる。」と結論づけた。

しかし、オリンパスの問題と今回の東芝の「不適切会計」とは全く性格が異なる。オリンパスの問題は、1998 年~2000 年の間に、保有金融資産の含み損を連結財務諸表から分離するために、いわゆる「飛ばし」を実行した後、2003 年~2008 年の間に国内外の企業買収に乗じて資金を作り、「飛ばし」によって連結財務諸表から切り離した損失に充当す るなどして分離した損失を解消したという会計不正であり、「飛ばし」は、海外のファンド等を通じて巧妙に実行されて隠ぺいされ、社内でもごく僅かな人間しか知らなかった。しかも、その損失というのは、同社の本業とは全く無関係の金融取引によるものであって、通常の業務に関する会計監査では知る余地がない。今回のような、多くの事業部門で、日常的に不適切な会計処理が繰り返されていた問題とは大きく異なる。

オリンパス監査検証委員会で、「会計監査人には法的責任はない」と結論づけた上、会計不正が疑われる場合の不正調査への積極的な取組みも含め、様々な再発防止策を提言したことは正しかったと確信している。

だからこそ、今回の東芝の問題については、会計監査人の監査法人が、その役割をどのように果たしたのか、という点には、強い関心を持たざるを得ない。

今回のように、経営トップの方針にしたがって、企業内部で利益操作が行われるというのは、本来、内部統制の問題ではない。内部統制は、経営トップが、その方針に沿って業務が行われているかどうかを把握する手段であり、経営トップが利益操作を意図していたのであれば、そもそも、内部統制を問題にする余地はない。

そのような場合は、内部統制の枠組みの外にある会計監査人が不適切な処理を防止する機能を果たす以外に方法はないのである。

しかも、会計監査人が問題を指摘していないというのは、その会社の役職員にとって最大の弁解ともなり得るのである。表面的には、会計監査人に対して十分な説明を行っていなかったとか、実態を隠していたと言っても、その点について質問をしたり、資料の追加提出を求めたりしない会計監査人は、実質的に、そのような処理を認めていると思われても不思議はない。

今回の第三者委員会報告書で述べているような「経営トップが社内カンパニーに対して過大な収益目標と損益改善要求を課し、その達成を強く求める」というようなことは、多くの企業で、程度の差はあれ、行われていることである。

問題は、それが、「適切な会計処理」の範囲内で行われるのかどうかであるが、それが不適切の方に流れないようにするための「歯止め」となるのが、外部の会計監査人の監査のはずだ。

今回の問題での第三者委員会の報告書では、どう考えても、監査法人の責任についての言及は避けられないと考えていたが、それが、上記のようなものにとどまっているのは、全く不可解である。

新日本有限責任監査法人も、今回の東芝の問題を、会計監査に関する問題と受け止めて自ら検証しようとする姿勢は全く見えない。

今回の東芝の問題が「企業の組織ぐるみの不適切会計」だと言うのであれば、それを抑止するのは外部機関としての会計監査人しかあり得ない。工事進行基準のような日常的な会計処理の問題に対しては、会計監査人による監査が十分に機能すること、そして、企業の役職員の側が、会計監査が機能していると認識していることこそが、この種の「企業の会計不祥事」を防止するための最も有効な方策である。

「会計処理について監査法人、会計監査人が了承してくれていること」を不適切性の認識を否定する弁解としているはずだが、第三者委員会報告書は、そのような弁解に触れることなく、財務部・経営監査部・リスクマネジメント部等の担当部署や監査委員会の「内部統制機能の欠如」を批判している。

このような形で、「監査法人の不祥事」としての側面が取り上げられることなく、今回の問題の決着が図られるのであれば、もはや、日本の会計監査制度は有名無実化していると見られても致し方ないであろう。

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 検察控訴趣意書と東芝不適切会計に共通する「偽装の構図」

今年3月5日に名古屋地方裁判所で言い渡された藤井浩人美濃加茂市長に対する無罪判決に対して、不当な控訴を行った検察が(【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】)出してきた控訴趣意書に対する答弁書を、7月15日に名古屋高等裁判所に提出した。

6月18日に提出された検察の控訴趣意書は、二つの意味で「想定を超えるもの」だった。

まず、一読したところの印象は、一審の論告などと較べると、文章の質も高く、論理的で、説得力がある。読んだ者の多くが「逆転有罪の可能性がある」と思うような内容だった。検察がこれだけの内容の控訴趣意書を出してくるというのは想定していないことだった。

ところが、じっくり読んでみると、書かれていることの大部分が証拠に基づいていない。或いは、事実を歪曲している。一見して、論理的で説得力があるように見えるのは、事実や証拠を勝手に作り上げているからなのだ。検察官の控訴趣意書で、これ程までの「偽装」を行ってくるのか、それは、私の想定を遥かに超えていた。

もちろん、答弁書では、そのような控訴趣意書全体にわたる「偽装」の一つひとつを、徹底して引き剥がしていった。

美濃加茂市長事件は、もともと中林の贈賄供述が唯一の証拠であり、一審では、検察官が、中林供述の信用性を裏付けるとする証拠を提出し、弁護人は、それが信用できないものであって、意図的な虚偽供述であることを立証して争った。そして、一審は、検察官が中林供述の裏付けだとする証拠の多くを、関連性が稀薄だとして排斥し、弁護人の主張どおり、中林供述は信用できず虚偽供述の動機が存在した可能性があるとして無罪判決を言い渡した。

ところが、控訴趣意書での検察官の主張は、まず、一審判決が「本件各現金授受の事実を基礎づける証拠としては,贈賄者である中林の公判供述があるのみである。」と判示したのが間違いだと言い、「中林証言を離れて,間接証拠からどこまでの間接事実が認定でき,そこからどのような事実が推認されるのかを確定する作業や,これを踏まえて中林証言全体の信用性の検討を行うという作業を怠っている」というのである。

そして、その「間接事実」として、中林と被告人の藤井市長(当時は、市議)が知り合い、美濃加茂市への浄水プラントの導入に向けて協力するようになり、実際に、実験プラントとして導入された経緯に関して、いろいろ事実を書き並べている。

しかし、「中林証言から離れて、間接事実から事実が推認される」などということは、あり得ないことだ。被告人の藤井市長も、浄水プラントの導入が美濃加茂市民のためになると思って導入を推進してきたことを認めており、事実関係にほとんど争いはない。そんな経過が収賄の「間接事実」になるはずはないのだが、浄水プラント導入に向けての被告人(藤井市議)の動きが、中林の依頼に応じて行われたものであったかのように、巧妙な脚色が加えたれているため、その部分の記述を読むと、二人の間で「現金の授受」があったように思えてくる。

しかも、単に脚色されているだけではない。「中林証言から離れて認められる間接事実」だと言っているので、その根拠として「中林証言以外の証拠」が引用されているのだが、実際には、その証拠のどこを見ても、その間接事実に対応する内容が含まれていない。中には、証拠の中から都合の良いものだけを取り出して、「客観的事実」であるように装っているものもある。

つまり、検察官が控訴趣意書で「中林証言を離れて現金授受を推認させる間接事実」と言っているのは、ほとんどが、証拠に基づかず、事実を歪曲したもので、まさに「偽装」なのである。

端的な例を挙げよう。

控訴趣意書の中に、被告人と中林の癒着関係を示す事実として、「被告人は、・・・飲食代金を中林にまとめて支払ってもらっていた」「面会時の飲食代金を中林がまとめて支払ったり」などという表現が出てくる、藤井市長は、「会食の際の飲食代金は、その都度割り勘で払っていた」と述べており、中林も、割り勘分を現金で受け取っていたことを認めている。この「まとめて支払ってもらっていた」というのは、中林が、「一旦、クレジットカードで3人分の支払いをした」ということなのである。

それを「まとめて支払ってもらっていた」などと表現して、あたかも、被告人分の飲食代も含めて中林が支払っていたかのようなに見せかけようとしているのである。

そもそも、この事件は、現金の授受に関する証拠は中林の贈賄供述だけ、その信用性がすべてだ。ところが、それだけの争いになると勝ち目がないので、中林供述以外の証拠によって現金授受の間接事実が認められるように偽装しているのだ。

しかも、その偽装は、検察官の主張全体にわたっている。だから、一読すると誰もが有罪であるかのように思ってしまうのである。

外見的には鉄筋鉄骨造の建物のように見せかけているが、実は建材を張り合わせただけの「偽装建築」のようなものだ。

控訴趣意書は、一審の論告などとは異なり、名古屋地検で作成した上、名古屋高検でも検討し、今回のような事件であれば、最高検も了承しているはずだ。検察が組織として作成・提出してきたもののはずの控訴趣意書で、どうして、このような露骨な「偽装」がまかり通ってしまうのか。

そこには、検察の組織に関わる構造的な問題がある。

事件の記録や証拠に直接見て検討するのは、現場の検察官であり、上司や上級庁は、証拠に直接触れることは、原則としてない。証拠の中身がわかっているのは、現場でその事件を担当していた検察官しかいないのだ。今回の事件のように、事件を捜査し、起訴した検察官が、公判も中心となって行い、その結果無罪判決が出たという場合、その検事には、無罪になるような事件を起訴したことと、その後の公判での有罪立証に失敗したことについて責任があるはずだが、証拠の中身の詳しいことは、その検察官にしかわからない。そこで、控訴趣意書も、まずは、その担当検察官に案を作らせることになる。

その案を上司や上級庁が検討し、さらに検察の上層部の了承を得ることになるわけだが、その過程で、一審とは異なった角度から立証しようとして、「この事件は、こういう構図で立証すべきだ」という方針が示されると、現場の方では、それに対応する証拠がないと思っても、「証拠との関係で無理です。」とはなかなか言えない。

そんな立証ができるぐらいなら、一審でもやっていたであろうし、そもそも、無罪判決など出ていなかったはずだ。そういう意味では、そのような方針で立証することもともと不可能であることは、上層部も、少し考えてみればわかるはずだ。

それでも、上層部が、そういう方向に控訴趣意書の案を修正しようとしてきた場合、結局、現場の方は、そういう構成にできるよう、証拠の方を「調整」・「工夫」し、証拠からは認められない事実に歪曲していくことになる。

その「偽装の構図」は、東芝の不適切会計に関して報じられていることと共通する。

「東芝が過去の決算で不適切な処理をしていた問題で、当時社長だった佐々木則夫副会長が、予定通りの利益を上げられない部署に、会議の場やメールで『工夫しろ』と指示していた。」と報じられている(7月10日付け朝日新聞)。この「工夫しろ」という言葉それ自体は、形式上は「利益を上げたような嘘の報告をしろ」という意味ではない。しかし、実際に利益が上がっていない状況で、利益が上がるように「工夫しろ」と言われれば、担当者の方では、もはや事実に反した報告をして、利益が出ているように「偽装」するしかないということになる。

それと同様に、美濃加茂市長事件での控訴が、組織の面子だけのための控訴だということは、検察内部では認識しているはずだ(【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】)。そういう状況で、上層部が、「中林証言を離れて現金授受を推認できるような間接事実」を中心にするように控訴趣意書を修正してきたら、暗黙のうちに、それに合うように証拠上の体裁を取り繕えという指示だと受け止めてしまうだろう。それが、「偽装」につながっていく。

日本の刑事司法の正義を独占してきた検察、日本を代表する伝統企業の東芝、二つの組織に共通するのは、「上層部の無理な指示を現場が受け入れざるを得ない組織の危うさ」である。

 

 

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参考人質疑で露わになった「日本版司法取引」法案の重大な欠陥

一昨日(7月1日)に行われた衆議院法務委員会で、刑事訴訟法改正案に含まれる「捜査公判協力型協議合意制度」(いわゆる「日本版司法取引」)について、私も含め5人の参考人による意見陳述及び関連質疑が行われた。

その中で、検察官と被疑者・被告人との間の「合意」がどのような場合に行われるのかという点に関して、いずれも検察実務経験者の参考人である私と、高井康行弁護士の間で、認識に大きな乖離があることが明らかになった。

どのような場合に「合意」が行わるのか、というのはこの制度の根幹に関わる問題である。しかも高井参考人は与党推薦であり、法案を提出した法務省側からも事前に説明を受けていたと考えられることからすると、高井発言は、法案提出者の法務省側の認識に沿ったものと解することができる。

法務省は、検察官が、どのような場合に、どのような判断を経て「合意」に応じる判断を行うとの前提で法案を提出しているのだろうか。

この日本版司法取引制度は、検察官と被疑者・被告人との間で、被疑者・被告人において,他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力を行い、検察官において,その裁量の範囲内で一定の処分又は量刑上の恩典を提供するという合意をするものである。この「合意」が成立すると、被疑者・被告人側は「他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力」を行う義務を負う一方で、検察官は、「一定の処分又は量刑上の恩典を提供」する義務を負う。つまり、「合意」が成立した時点で、被疑者・被告人は、合意がなかった場合と比較して、刑事処罰に関して有利な取扱いを受ける権利が発生するのである。

そして、その合意は、検察官が合意から「離脱」しない限り有効であり、「離脱」という事態が生じない限り、被疑者・被告人側は、検察官に対して、処罰の軽減措置を求める権利を有することになる。

では、「離脱」がどのような場合に認められるか。それは、端的に言えば、被疑者・被告人の供述が真実ではないことが明らかになった場合である。「合意」の前提となった供述内容が真実ではなかったことが、被疑者・被告人の側の責任によることが明らかになった場合、つまり、当該供述が虚偽であったことを被疑者・被告人自身が認めた場合、或いは、真実ではないことが、その後の捜査等によって客観的に明らかになった場合である。

そうだとすると、「合意」は、検察官の当該被疑者・被告人の刑事事件の処分や、公判において求める処罰の内容等について重大な決定を伴うものであって、軽々に行えるものではない。

検察内部の手続として、刑事事件の処分を決する際に、主任検察官の判断について、上司の決裁が、事件の重大性によっては上級庁の決裁も必要とされる。それと同様に、「合意」を行うに当たっては、刑事処罰を軽減する重要な決定なのであるから、上司の決裁を受けることになるはずだ。そのような検察官としての決定を行うに当たって、供述が信用できるものであるか否かについて、供述内容の検討及び裏付け捜査を行った上で「合意」するのが当然である。それを行わないまま「供述が真実かもしれないので取りあえず合意をする」などということは考えられない。

ところが、高井参考人の発言は、検察官は、被疑者・被告人が供述しようとする「他人の刑事事件」の「おおまかな外形」だけで、まず「合意」を行い、その後に、具体的な供述をさせて、その内容を検討することを前提にしている。具体的には、國重徹議員(公明党)の質問に対する高井参考人の以下の発言である(【7月1日衆議院法務委員会】開始後2:08:08頃から)

普通、協議の場面というのは、私がその当時者としてしゃべるとすると、「うちの依頼人はこういうことを知っていますよ。」「こういうことまではしゃべれます。」と、具体的な事実は何も言わないわけですね。そこで具体的事実を言ってしまったら、タダで自分の商品を売ることになるじゃないですか、わかりやすく言えば。だから、「こういう良いものを持っています」ということは言うんですが、箱の中に何が入っているのかは言わない。ただし、検察官としても、空箱を買わされても困るわけですから、当然、「箱の中に、蛇が入っているのか、それともミミズがはいっているのか、それくらいは言え」という話になると思うんですね。「蛇じゃないけどミミズは入ってますよ。」というぐらいの話なんです。そうすると検察官が、「ミミズくらいでも買うに値するね。」と思えば「じゃあ合意しましょう」と。「じゃあ箱を開けてくださいよ。ミミズってどういう形をしているんですか。」という話になって、「このミミズははこういう形でここでとってきたものなんですよ。」と説明をすることになるんですね。

もし、この程度の「ミミズ話」で、合意が行われ、その話をした被疑者・被告人が処罰の軽減を受けることができるとすれば、とんでもない話である。人に対する刑罰・処罰というものをそんなに軽々しく軽減してよいのであろうか。そんなことで、検察に対する信頼が維持できるのであろうか。

しかし、これまでの衆議院法務委員会での上川陽子法務大臣や林真琴刑事局長の答弁を、改めて見てみても、供述内容をどの程度に確かめ、検察官としてどの程度に信用性の吟味を行った上で「合意」をするのかについては、明確な答弁は見当たらない。

この法案の委員会質疑の中で、与党議員から、私と同様の疑問が示されている。

(6月19日法務委員会、自民党井野俊郎議員の質問)

○井野委員 

そうしますと、例えば、B、Cの犯罪、詐欺について不起訴にするから、A、Bの犯罪、贈賄について話せということも可能となるわけですね。
その上で、この資料の例で申し上げますと、現金等の授受があって、お金には色がありませんから、これが例えば、単なる政治献金なのか、はたまた賄賂性を持った現金なのかということで、司法取引になってくると、捜査機関としては、現金の授受というものが、ある程度これは賄賂性があったんじゃないかと見込んだ上で司法取引というものを持ちかけるなり持ちかけられるなりということが、当然、今回予想されるわけであります。
すなわち、私が言いたいことは、検察官はある程度こういうことを見込んで司法取引を持ちかけたり持ちかけられたりということがあるわけですから、供述する側といいましょうか司法取引に応ずる側、Bとしては、検察官のストーリーに乗るといいましょうか、こうだったんじゃないかというような、ある程度、誘導というもののバイアスがかかるのではないかという点が考えられるわけであります。
この点については、当然、そういう制度を前提としますので、本当にこの問題は信用性というものが大きく問題になってきますけれども、この点の信用性担保について改めてちょっとお伺いさせていただきたいと思います。

○林政府参考人

合意制度におきまして、合意成立後に取り調べというものが行われる場合がございます。その場合についての御質問であろうかと思います。
まず、本法律案におきまして、合意に基づく供述が他人の公判で用いられる場合には、その合意内容が記載された書面が、当該他人にも、また裁判所にも必ずオープンにされて、その場で供述の信用性が厳しく吟味される仕組みとなっております。そのために、合意に基づく供述というものにつきましては、裏づけ証拠が十分に存在するなど、積極的に信用性を認めるべき事情が十分にある場合でない限り、信用性は肯定されません。仮に、特定の供述に誘導するような方法がとられたことが後の公判で明らかになれば、もともと合意に基づく供述は裁判所において警戒心を持って受けとめられることと相まって、その供述の信用性については回復しがたい疑念を持たれることとなります。
したがいまして、検察官といたしましては、合意後に取り調べを行うような場合には、その信用性に影響を及ぼすような取り調べとならないよう十分留意して、任意かつ具体的な供述を得た上で、その裏づけ捜査を徹底して行って、供述の信用性を慎重に吟味することが不可欠となります。

(中略)

井野委員

先ほどの点なんですけれども、Bとの司法取引の中で、この現金が賄賂性を持ったものだと見込んだんだけれども、いや、単なる政治献金でした、結局、贈賄罪はできませんでした、かつ、B、C間の詐欺罪についても不起訴の合意をしていたから、それについても不起訴になってしまうと。私は、ちょっとこの点、果たしてこれが、国民的理解といいましょうか、結局、Bとしては、二重のお得と言ったらおかしいんですけれども、多大なる利益を得てしまうように私は感じるんですね。当然、Cとしては、被害者でありますから、なぜ私の犯罪まで不起訴になってしまうのかというような、そんな思いを場合によっては持たれる方もいると思うんですね。
その点について、国民的理解といいましょうか、適正な刑事司法と言えるのかどうなのかというのは、私はちょっと疑問に思うところがあるんですけれども、その点についてはどうなんでしょうか。

○林政府参考人 

基本的に、今回の合意制度について対象事件を限定したところにつきましては、やはり、犯罪の軽重等を考えまして、組織的な犯罪について適正な刑罰を科すことの必要性、それに資するための行為をした者について何らかの利益を与える、こういった形で一番ふさわしい類型の対象事件は何かということで限定したものでございます。その中では、結果的に双方が不起訴になるというようなことがないわけではないとは思いますけれども、基本的に、そのようなことについて、制度としては、国民の理解が得られ得るものとして対象事件を限定したと考えております。

井野議員は「被疑者・被告人Bと検察官の間で、AがBから賄賂を収受したとの『他人(A)の犯罪事実』についてBが供述を行い、検察官がAを起訴した場合には、BがAの公判で贈賄を証言するという協力を行う見返りに、BがCから金銭を騙し取った詐欺罪を不起訴にするという『合意』が行われた」という設例を挙げて、第1に、そのような事例において、司法取引を持ちかけたり持ちかけられたりした検察官が、Bに対してAの収賄が成立するようなストーリーを作って、Bをそのストーリーに沿った供述をするよう誘導しようとする恐れがあるのではないかという疑問を指摘した。

それに対して、林刑事局長は、合意に基づく供述によって起訴した場合には、合意内容が記載された書面が、当該他人にも、裁判所にもオープンにされて供述の信用性が厳しく吟味される仕組みとなっており、仮に、特定の供述に誘導するような方法がとられたことが後の公判で明らかになれば、その供述の信用性については回復しがたい疑念を持たれることになるので、検察官の誘導はあり得ないと答弁している。

そこで、井野議員は、第2の疑問として、上記の設例において、「合意後、Bの取調べを行い裏付け捜査を行ったが、Bの供述に基づいてAを収賄で起訴するには至らず、一方で、検察官とBとの間では合意が成立しているので、Cからの詐欺についても不起訴にせざるを得ず、結局、両方の犯罪が不起訴に終わってしまった」という事態に対して、国民的理解が得られないのではないか、適正な刑事司法とは言えないのではないかと指摘している。

それに対して、林刑事局長は、「組織的な犯罪について適正な刑罰を科すことに資する行為をした者に何等かの利益を与えるのに一番ふさわしい類型の対象事件に限定されている」ということを理由に、国民的理解が得られると述べているのである。

井野議員の提示した二つの疑問は相互に関連しており、誠にもっともである。林刑事局長の答弁は、それらの疑問に対して正面から答えていない。

確かに、「合意」が行われ、Bが処罰の軽減の恩典を受けることの見返りに贈賄供述をしたことが明らかになっていれば、裁判所でも信用性が厳しく吟味されるであろう。しかし、Aを起訴できないということになると、単に、Bに詐欺事件の不起訴という恩典を与えただけの結果に終わってしまう。Bの詐欺事件の被害者Cが不起訴処分に納得できず、検察審査会に審査を申し立てた場合、「合意」が成立していたので不起訴にしたということだけでは、実際にAを起訴できていない以上、審査員の納得は得られないだろう。その結果、強制起訴ということになれば、さすがに検察庁内で問題になりかねない。

そうなると、検察官は、「合意」をした以上、何とかしてAを収賄で起訴しようと取調べを行い、B供述と客観的証拠との辻褄を合わせようとし、その過程で、検察官が、Bの供述を、Aを起訴できる方向に誘導する可能性も十分にある。

実際に、今年3月5日に名古屋地裁で無罪判決が言い渡された美濃加茂市長事件では、贈賄供述者が、4億円近くにも上る悪質な融資詐欺を自白していながら、そのうち2100万円の事実だけしか立件・起訴されていない中で贈賄を自白し、その後、残りの融資詐欺が捜査も起訴もされていなかったことから、弁護人は、公判前整理手続の段階から、贈賄供述者が、融資詐欺での検察官の有利な取り計らいを期待して虚偽の贈賄を自白した「闇司法取引の疑い」を主張していた。そして、弁護人が4000万円の融資詐欺の余罪について告発を行ったのに対して、検察官が追起訴をせざるを得なくなるなど、検察官の有利な取り計らいの疑いが一層強まっていた状況の下で、検察官が行ったことは、贈賄供述者の証人尋問に備え、「連日朝から晩まで休みもなく打合せを行い、贈賄供述者に証言内容を覚え込ませること」だったのである。しかも、このような異常なまでの打合せが行われていたことは、贈賄供述者が、在監していた施設の隣の房にいた人物に書いた手紙を弁護人が入手したことから明らかになったのである。証人尋問の準備のために検察官が贈賄供述者と接触した回数・時間等について、弁護人が検察官に資料の開示請求を行っていたが、検察官は開示しようとしなかった。

さらに、このような検察官による「証人尋問への異常な対応」が行われたことが公判廷で明らかになり、一審で無罪判決が言い渡されたのに、検察官は控訴し、控訴趣意書で、「一審での検察官の対応には何の落ち度もなかった」と強弁しているのである。【組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長】

このことは、「合意」が行われたような場合でも、検察官が、必死になって供述の信用性を高め、あるいは維持しようと思えば、誘導も含めてあらゆる手段を取ること、そして、検察組織としても、それを容認していることを示しているのである。

このような事態が生じないようにするための唯一の方法は、「合意」を行う前に、供述内容を精査し、裏付けをとって信用性を吟味することである。それなくして、検察官が、「協議合意制度」を適切に運用できるとは考えられない。

ところが、その法案審議の委員会で、与党推薦の検察の実務経験者の参考人として出てきた高井弁護士は、検察官が、供述内容も確かめず、信用性も吟味しないまま、「合意」するのが当然であるかのように言い放ったのである。

もし、そのような検察官の対応が行われるとすると、高井参考人が言うところの「凡そ食えないミミズ話」が、検察官に安売りされて、無責任な処罰軽減ばかりが行われるか、逆に、それを避けようとして、ミミズ話で無理やり起訴するために、検察官の取調べや、証人尋問の「打合せ」で、供述の信用性が後から作り上げられることになりかねない。

そのような事態が、果たして、世の中に説明できるのだろうか、納得が得られるのだろうか。

今後の国会審議の中で、この点について法案提出者の政府・法務省に明確な答弁を求めた上、十分に議論することが不可欠であろう。

それなくして、「捜査公判協力型協議合意制度」を含む刑訴法改正案を成立させることがあってはならない。

 

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「流出した基礎年金番号は変更」「変更通知は郵送」で本当に大丈夫なのか

 日本年金機構がサイバー攻撃を受け約125万件の年金情報が流出した問題の原因究明と再発防止策を検討するために厚生労働省が設置した「日本年金機構不正アクセス事案検証委員会」の第1回会合が、本日(6月8日)開かれた。

今回の情報流出が発生・拡大して大量の個人情報流出に至ったことに関して、年金機構の管理体制や対応の杜撰さが次々と明らかになっており、機構の対応の問題点とその原因を明らかにすることも当然必要だ。

しかし、何といっても、今重要なことは、今回発生した年金個人情報の大量流出という事態に対して、情報流出によって年金業務の現場が重大な影響を受けている事態は全く収拾できておらず、今後の展開如何では、年金加入者の国民に対して、さらに重大な不利益が生じる可能性も否定できないということである。

最大の問題は、本件個人情報流出問題に対して年金機構や厚労省が講じている対応策が果たして適切なのかという点でなはいか。

厚労省と機構が明らかにした対応策は、①情報流出した基礎年金番号をすべて変更する、②基礎年金番号変更の通知は、電話ではなく文書を郵送して行う、というものである。しかし、それらの方法が、本件情報流出に対する対策として果たして適切なものと言えるのだろうか。

流出した情報が悪用され、国民に年金の不正受給や詐欺等の被害が発生することを防止するためには、流出した情報が真実の情報ではないという状況にするしかない。流出した個人情報のうち、個人の住所、生年月日は勝手に変えることはできないのであるから、年金当局ができることは、基礎年金番号を変更すること(①)しかない。それしか選択肢はないので、情報流出の公表と同時に、その方針を公表したということであろう。

また、年金機構からの電話での通知という方法をとると、機構を語って電話をかけ、詐欺などに悪用される恐れが高いことから、電話はかけないことにし、文書を郵送する方法(②)で基礎年金番号の変更を通知するということであろう。

これらの方法をとれば、年金個人情報の大量流出に関連して問題が発生した場合、「二次被害」についての機構や厚労省の言い訳にはなるであろう。しかし、果たして、年金加入者、受給者の不利益を防止することに関して合理的と言えるであろうか。

まず、基礎年金番号を、年金機構が一方的に変更し、その旨の文書を郵送して通知する、というのだが、その通知を受けた人が、それによって、基礎年金番号の変更を正しく認識するとは限らない。郵送された文書を見ない人も少なくないであろう。また、文書で通知するにしても、どのような様式の文書で届くのかもわからない。(それが公表されると詐欺犯人にも使われてしまう可能性がある。)

そのように考えると、年金機構が、すべての基礎年金番号を変更し、それを文書の郵送で通知するという方法によって、新たな基礎年金番号として年金加入者に認識させることは容易ではない。

しかも、本人認証の手段としても使われてきた基礎年金番号は、金融機関等に自主的に申告されていることもある。年金機構以外の公私の団体に情報として把握されている基礎年金番号の情報について、それら公私の団体に変更通知を行って、番号の情報を更新させることは、容易ではない。

基礎年金番号は、20歳以上の国民と、勤労者すべてに通知されているはずだが、基礎年金番号の通知を受けた記憶すらないという人も少なくないはずであり、実際にどの範囲の国民が番号を認識・把握しているのか不明だ。

 ②の郵送通知は、年金機構の職員を語った電話による詐欺の防止には効果的である。しかし、文書による一方的な通知では、相手方の認識・理解が確認できない。結局、変更された基礎年金番号が、どのように認識されているかを確認できないままでは、その後の基礎年金番号の取扱いに大きな混乱を招く。

「情報流出した全ての基礎年金番号の変更」「変更通知は文書で郵送」という措置をとることは、125万件の年金個人情報流出問題の公表と同時に公表されたが、その方針は、果たして、年金業務の現場の状況を踏まえ、実際にそれを行うことの困難性を考慮した上で行われたのであろうか。それが、実務的に可能なことなのか、それを行おうとした場合に、現場にどのような混乱が起きるのか、その点を、実際に年金業務に従事している現場の声を聞いた上で決定したものなのであろうか。

前のブログ【年金機構個人情報流出事件は、外部機関による監視をなくした安倍政権の大罪】でも述べたように、2014年3月末で廃止された総務省年金業務監視委員会では、「運用3号問題」「時効特例給付に関する問題」「失踪宣告者に対する死亡一時金の給付に関する問題」など年金業務に関する様々な具体的事案を取り上げ、日本年金機構の年金業務と、年金に関する制度構築と監督の役割を担う厚労省の問題を指摘してきた。それらの事案に共通していたのは、機構幹部や厚労省年金局が、年金業務の現場の状況を把握することなく決定を行い、それを上命下服で現場に押し付けていること、そして、それによって生じている問題を、機構幹部と厚労省年金局が全く把握していない実情であった。

それと同じことが、今回の情報流出が明らかになったことを受けての機構と厚労省の措置にも言えるのではないか。

年金機構の職員における非正規職員の割合が増加し、業務の多くはアウトソーシング化されるという状況の中で、責任をもって適正な年金業務が維持できるのか、という問題は、総務省年金業務監視委員会でも、様々な問題事例の発生を踏まえて指摘してきた。

そのようにして、以前から、年金業務の現場の対応能力が限界に近い状態にあったところに、今回の問題が発生したことで、年金事務所には苦情や非難の電話が集中している。情報漏えいについての問い合わせには休日出勤して対応をせざるを得ない、基礎年金番号の変更の通知の業務、それに関する情報の修正の業務も重なる。

年金事務所など現場の混乱と疲弊が極限に達していることは想像に難くない。このような状況で、適正な業務を維持することは「神業」に近いと言うべきであろう。

不正アクセスによる情報流出の原因究明・再発防止も極めて重要なことである。しかし、今、それ以上に重要なことは、今回の情報流出への対応による現場の混乱で年金加入者に重大な不利益が生じることがないよう、有効かつ合理的な対策を講じることである。そのためには、年金事務所等の現場の声を聞いて、状況を把握することが不可欠だ。

 

 

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年金機構個人情報流出事件は、外部機関による監視をなくした安倍政権の大罪

日本年金機構は、職員のパソコンに外部からウイルスメールによる不正アクセスがあり、国民年金や厚生年金などの加入者と受給者の個人情報が外部に流出したことを、昨日(6月1日)、記者会見で発表した。国民年金・厚生年金などの加入者に付与される10桁の基礎年金番号と、氏名、生年月日の3情報が約116万7000件、3情報と住所の計4情報が約5万2000件、基礎年金番号と氏名の2情報が約3万1000件の合計約125万件に上るとのことだ。

外部からのメールの添付ファイルにウイルスが入っていたのに、複数の職員が不用意にファイルを開いたこと、その後機構が「不信なメールは開けないように」との指示をしたが、その指示が徹底されず、別の職員もメールを受け取り、添付ファイルを開いてしまったことが原因だ。しかも、機構で管理する個人情報には、パスワードをかける決まりになっていたのに、半数はパスワードがかかっていなかったとのことだ。

年金業務に関して公的に管理されている個人情報が大量に流出した今回の事件は、国の情報管理システムの根幹にかかわる重大な問題だ。

私は、2010年に総務省に設置された年金業務監視委員会(国家行政組織法8条に基づく行政委員会)の委員長として、日本年金機構や厚労省年金局の年金業務を監視する職務に携わってきた。その委員会が、昨年3月末に廃止される際、「厚労省や年金機構の外部に、年金業務を監視する機関が必要である」との意見を、委員会として取りまとめ、総務大臣への意見具申も行った。(【外部機関の設置検討を 年金業務監視委が意見書】

年金業務の監視の役割を担ってきた立場から、日本年金機構や厚労省年金局の組織の体質や業務の現状には多くの問題があり、外部機関による監視体制がなくなってしまうと、重大な問題が発生することが強く懸念されたからである。この問題については、年金業務監視委員会の設置当時の総務大臣であった原口一博議員が、監視委員会廃止直後の衆議院総務委員会で取り上げ、元委員長の私を参考人として招致し、監視委員会を廃止した政府を厳しく批判した。(原口議員の質問は、2014年4月1日総務委員会 53分30秒ころから)

総務省年金業務監視委員会が設置されていた4年間、委員会では様々な問題を取り上げてきた。2011年のサラリーマンの専業主婦にかかる年金、いわゆる「運用3号」問題、2013年の「時効特例給付に関する問題」、委員会廃止直前の2014年の「失踪宣告者に対する死亡一時金の給付に関する問題」などが、主な問題だが、いずれも、厚労省や年金機構が自主的に委員会に報告してきたものではなく、社会保険労務士等からの問題の指摘や、機構職員の内部告発など、外部からの指摘によって、委員会が問題を把握したものだった。(これらの問題の詳細については、前記衆議院総務委員会の中で(58分頃~)説明している。)

「運用3号問題」は、保険料を支払っていなかった主婦に、年金全額の支給を認めることにするという重大な事項を、厚労省は「課長通知」だけで指示をし、しかも、明らかに国民年金法に反し、重大な不公平を生じる問題であった。この問題に対して、年金業務監視委員会が総務大臣へ意見具申を行い、厚労大臣が、当時野党であった自民党から国会で厳しく追及されたことで、「運用3号」の課長通知は廃止され、新たな立法措置がとられることになった。

「時効特例給付に関する問題」と「失踪宣告者に対する死亡一時金の給付に関する問題」には共通の要因があった。年金業務の現場を担う日本年金機構の組織には「重要事項の周知徹底ができない」、「現場の問題意識が上層部に伝わらない」という重大な欠陥があり、それに起因して発生したのが、これらの問題だった。

今回の情報流出問題は、まさに、そのような機構組織の重大な欠陥によるリスクが顕在化したものである。これまで、組織の無謬性にこだわり、責任回避に終始して、そのような機構組織の問題に正面から向き合おうとしなかった厚労省にも重大な責任がある(【郷原信郎氏、激白!「誤りを認めず、無謬性にこだわる厚労省の体質が年金行政を混乱させた」(上)【同 (下)】  ) 。

そのような日本年金機構の組織の根本的な問題や、機構を監督する立場の厚労省の組織の体質の問題を、具体的な事例を通して指摘してきたのが、外部機関としての総務省年金業務監視委員会だった。

委員会の議事はすべて公開され、マスコミにもフルオープンで行われた。そのような場で、年金問題の専門家も含む外部機関としての委員会から厳しい指摘を受けることは、厚労省や機構に緊張感を持たせることにもつながっていたであろう。

その年金業務監視委員会の設置期限は、2014年3月末と定められていた。もちろん、政令を改正すれば、設置期限の延長は可能であり、それまでの委員会での活動状況や、年金業務の実情を考えたら、当然、設置期限は延長されるべきであった。

ところが、2013年12月、総務省の行政評価局長が私の事務所を訪れて、「年金業務監視委員会は設置期限の翌年3月末で廃止し、それ以降は厚労省の社会保障審議会の中に部会として第三者機関を作り、そこで年金業務について審議してもらう。年金記録第三者委員会も廃止し、総務省は年金問題から手を引く。」ということを伝えてきた。

ほぼ終息しつつあった年金記録回復に関する「年金記録第三者委員会」をどうするかはともかく、現に多くの問題が発生していた年金業務については、年金業務監視委員会が、継続して問題を指摘し続けていた。「厚労省の審議会などという身内同然の組織の中に、第三者による審議機関を設けても、厚労省外に独立した組織として設置されてきた年金業務監視委員会の機能を代替することには全くならない」と私の意見を述べたが、総務省と厚労省との間の協議で既にその方針は決まっており、官邸の了承も得ているということだった。行政評価局長は明確には言わなかったが、省庁間の問題なので、総理官邸の意向が強く働いているということのようだった。

その1年前に発足した第二次安倍政権は、アベノミクスによる円安、株高によって支持率も高く、安定政権として基盤を形成しようとしている時だった。安倍首相にとっては、第一次安倍政権の際に、「消えた年金問題」が発端で政権が崩壊した悪夢から、「年金は鬼門」との認識があったのだろう。それだけに、総務省年金業務監視委員会が厚労省年金局や年金機構の問題を厳しく追及する中で、また年金に関する重大な問題が露見することは避けたいという思いがあったのかもしれない。

実際に、民主党政権下で立ち上げられた年金業務監視委員会による問題の指摘が、「運用3号問題」では、当時の民主党政権にとっての重大なリスクにつながった。参議院予算委員会で民主党の細川大臣を厳しく追及したのが、現在、総理官邸で官房副長官を務める世耕弘成参議院議員だった。当時野党議員であった世耕議員は、年金業務監視委員会での厚労省追及の一部始終を傍聴し、それを材料に、国会での追及を行ったものだった。(当時の細川厚労大臣は、違法な課長通知の責任を問われ、辞任(ダウン)寸前まで追い込まれたが、その直後の3月11日に東日本大震災が発生したことで、かろうじてゴングで救われた形になった。)

しかし、それは本末転倒の考え方だ。総務省という外部に設置された組織による監視機能も確保し、年金業務の適正化に万全を期すことが、政権として年金問題によるリスクを最小化する方法だったはずだ。

今回の個人情報の大量流出は、まさに機構の組織の構造に関わる問題であり、それを防止できなかったことには厚労省に重大な責任がある。1年余り前、総務省年金業務監視委員会が廃止される直前まで、外部機関による年金業務監視の必要性を訴え続けてきた私の懸念が現実の問題になってしまったことは誠に残念だ(ビデオニュース年金業務監視委員会を廃止して日本の年金は本当に大丈夫なのか)。

政府は、国民にとって重大な関心事である年金業務について、厚労省年金局と、日本年金機構の現状にいかなる問題があるのかについて調査し、監視体制の整備を早急に行うべきだ。構造的な問題を抱えた日本年金機構、そして、無謬性にこだわり根本的な問題解決を行おうとしない厚労省に委ねていたのでは、今回の問題からの信頼回復はあり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

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「憂国の士」としての愛川欽也氏の最期

俳優の愛川欽也氏が亡くなって1か月になる。

私は、同氏が司会を務めていた番組「愛川欽也のパックインジャーナル」に数回出演しただけのお付き合いだったので、その人柄についてコメントするような立場ではないと考え、心の中で哀悼の意を捧げるだけにとどめてきた。

しかし、故人に関する話題は、「俳優・タレント」「愛妻家・おしどり夫婦」が中心となり、私が、パックインジャーナルでお付き合いをさせて頂いた中で強く感じた「憂国の士」としての側面がほとんど取り上げられないことに若干の違和感を覚える。私が強く感じた愛川氏の国を憂うる思いについて書いてみようと思う。

「愛川欽也のパックインジャーナル」には、CSテレビの朝日ニュースターの時代には、電話出演も含めて7~8回、その後、朝日ニュースターがなくなった後、愛川氏が自ら立ち上げたインターネット放送「kinkin.tv」の番組にも2回ほど出演させて頂いた。

今年2月7日の出演の際、美濃加茂市長事件のことも話題になり、「3月5日の判決が出たら、是非また出演してほしい。」と言われていた。無罪判決を勝ち取ることができ、その後出演の日程を調整したが、3月中は予定が合わず、4月11日と5月9日に出演することになっていた。

しかし、4月6日に、「kinkin.tvが終了する」との連絡を受け、一体何があったのだろうと思っていたところ、4月15日のニュースで、愛川氏が肺がんで亡くなられたという突然の訃報を聞き、事情を理解した。

愛川氏は、反「権力」・反「戦争」・反「対米追従外交」・反「原発」という思想で一貫した人だった。その思想の根本には、私のような戦後生まれの人間には想像もつかない、「戦争」や「権力」の恐ろしさを知る実体験があるのであろう。愛川氏の言葉の端々に、そういう自らの体験を基に、今の日本をめぐる状況を、そして、この国の行く末がどうなるのかを本当に心配する熱い思いが込められていた。

2月7日の番組出演は久しぶりだった。その時点で既に、愛川氏の体は癌に蝕まれ、その苦痛はかなりのものだったはずだが、昨年6月と何も変わった印象は受けなかった。愛川氏は、以前と同様、憲法改正の国民投票の問題、TPP交渉の問題等に関して、自らの思いを語っていた。そこに貫かれていたのは、政治権力が一極に集中することへの不安・危惧だったように思う。

5年程前、鳩山政権下で、「普天間基地の県外移転」の公約実現が困難になり、鳩山首相が窮地に陥っていた時期、パックインジャーナルの出演日の前夜に、愛川氏から私の携帯に電話がかかってきたことがあった。

「郷原さん、何とか基地の県外移転はできないものだろうか。沖縄の人達の思いからすると、それしかない。それに、せっかく政権交代が実現したのに、今回の件で政権がダメになってしまうのは本当に残念でならない。」

愛川氏は、本当に、思い詰めているような声で、私にそう言ってきた。

私は、パックインジャーナルでは、検察問題や九電やらせメール問題などの問題を中心に発言していた。基地問題や外交問題は専門外だ。しかし、そういう私にも、沖縄の基地の移転先について何か良い知恵がないか、と真剣に聞いてくる愛川氏の熱意に心を打たれた。

私は、その後、私がかつて長崎地検次席検事をしていた頃のつてを辿って、佐世保基地や長崎県内等に、普天間基地の一部の移転先候補が考えられないかを情報収集したり、外交軍事の専門家の田岡俊次氏と連絡をとって話したりした。

最期の最期、癌で余命いくばくもなかった愛川氏の頭には、愛妻のことや、俳優、タレントとしての活躍を振り返ることだけではなく、今の日本という国の政治・外交・社会をめぐる状況を、心の底から憂うる思いもあったのではないだろうか。

愛川氏は、まさに「憂国の士」だった。

我々は、どのような思想、どのような立場であっても、このような愛川氏の思いを受け止め、この国の、この社会の今後のことを、真剣に考える姿勢を持ち続けなければならない。

改めて、愛川欽也氏の死を心から悼み、御冥福をお祈りする。

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「松本整氏総監督解任決議撤回」は、自転車競技連盟の抜本改革の契機となるか

昨年7月1日、松本整氏が公益財団法人日本自転車競技連盟(以下「JCF」という。)に対して提起したに地位確認及び損害賠償請求の訴訟について、3月27日、和解が成立した。(毎日新聞【自転車:競技連盟 代表総監督の解任決議撤回で和解】

この訴訟は、2011年からJCFのナショナルチーム総監督を務めていた松本氏を、JCFが昨年6月4日に理事会で解任決議を行って解任したこと対して、松本氏が、自らが総監督の地位にあることを確認すると共に、JCFの松本整に対する数々の不法行為(理事会による違法な解任決議、同決議等のマスコミへの情報リーク等)に対する損害賠償を求めた訴訟だった。

昨年6月の当ブログ東京五輪に向けての選手強化を阻む競技団体のガバナンス崩壊でも述べているように、公益財団法人たるJCFにとって、税金を投入して、ナショナルチームの強化を行い、国内外への大会へ参加する以上、ワールドカップやオリンピックでメダルを継続的に獲得できるよう、ナショナルチームの組織的な強化を行うことは、社会的使命である。JCFの前会長の故富原忠夫氏は、そのような認識から、競輪を知り尽くし、プロスポーツ選手のトレーナーとしても活躍し、科学的トレーニングの造詣も深い松本氏にナショナルチーム総監督就任を要請した。

松本氏は、リオデジャネイロオリンピックまでの長期的な計画に基づいて、責任を持って選手強化に臨むため、契約期間内は解任されないことを条件に総監督就任を受諾し、2011年に、総監督に就任したものだった。委託契約書にも、解任できないとの条件が明記されている。

ところが、このように斬新な方法でナショナルチームの選手強化を真摯に推進する松本氏を疎む勢力が、チームとしての組織的な情報管理や科学的なトレーニング手法に対する反発などもあって、松本総監督を引きずりおろそうと画策し、理事会における「数の論理」で、契約を無視した不当な解任決議を行ったのである。

それに対して、松本氏が、「自分の推進してきた改革を支持してくれた人々のために、自転車競技連盟における、法や契約を守る健全な組織運営を回復し、正常化する」ことを目的として提起したのが今回の訴訟である(松本氏は、訴訟提起時に、自らのホームページにコメントを公表している。⇒【http://tetsujin.tv/pop/20140611.pdf】)。

今回の和解の主な内容は、以下の3点である。

① JCFは、松本整の総監督解任決議を撤回する。

② 松本整とJCFは、本日をもって、総監督の委嘱契約を終了させることに合意した。

③ JCFは、この訴訟及び和解を契機として、コンプライアンス体制の強化を推進する。

和解条項の詳細については、既に、JCFのホームページの新着情報欄に掲載されている。

①の「解任決議の撤回」に関しては、「松本整氏を2016年度まで総監督の職から解任できない旨合意しているにもかかわらず、2014年6月4日に開催された本連盟の理事会で松本整氏を総監督から解任する決議をすると共に、松本整氏に対し、総監督から解任する通知したことにつき遺憾の意を表する」ことも和解条項に含まれており、「解任できない旨の合意に反して行われた解任決議」が、JCFとして行われるべきではなかったことを認めた上で解任決議を撤回するものである。公益財団法人の理事会決議が10ヶ月後に撤回されるという異例の事態となった理由も、それによって理解できるのである。

また、③のコンプライアンス体制の強化も、この「訴訟及び和解を契機として」行われるものであり、連盟のコンプライアンス体制に問題があったことが、「解任決議の撤回」という異例の事態を引き起こした原因となったことを事実上認めるものと言えよう。

解任決議の撤回で総監督の地位を回復した松本氏は、②によって連盟との合意で契約を終了することになり、ナショナルチームの総監督として今後、選手の指導育成に当たることはなくなった。

昨年6月の契約を無視した不当な解任決議の後、JCFでは、既に新体制でナショナルチームの指導育成を行っている。現時点で松本氏が総監督としての職務に復帰することは事実上、不可能であった。そして、松本氏は、当初から、「ナショナルチームの強化に貢献したいという思いは変わっていないが、総監督の地位にしがみつく気持ちはなく、連盟に対して金銭的要求を行うことも目的ではない」と明言していた。

「JCFが契約を無視した違法なやり方を強行してきたことに対して、それに屈することは、自転車競技の世界のみならず、広くスポーツの世界に重大な悪影響を生じさせると考え、あらゆる法的措置を講じて、連盟と戦う」と宣言していた松本氏は、上記の和解条項で、本訴提起の目的を達成できると判断し、今回の和解に応じることにしたものである。

(松本氏のコメント⇒【http://tetsujin.tv/pop/20150327.pdf】)

あらゆる法的措置を講じることによって、JCFを、法や契約を守る健全な組織運営が行える組織に生まれ変わらせることを目指してきた松本整氏の戦いは終わった。

今後、松本氏の戦いによってJCFにもたらされた「解任決議の撤回」という事実を、JCFの組織内部においてどのように受け止め、どのような措置を行うのか。本件訴訟及び和解を契機とするコンプライアンス体制の強化が、形式的なものにとどまらず、公益財団法人として当然に必要とされるコンプライアンスを実現すべく徹底して行われるのかどうかなど、多くの課題が残された。訴訟提起直前に出したブログ自転車競技連盟総監督解任決議問題、連盟の混乱極まる~「解任理由不明の解任決議」の責任は誰が負うのか~で指摘したことが、今回の和解による「解任決議の撤回」で改めて現実の問題となるであろう。

今後のJCF組織の抜本改革の行方を、今回の訴訟で原告代理人を務めた私も、松本氏とともに、関心を持って見守っていきたい。

 

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組織の面子にこだわり「検察史上最悪の判断」を行った大野恒太郎検事総長

昨日(3月18日)午前10時、名古屋地裁から、「美濃加茂市長に対する無罪判決に対して検察官が控訴を行った」という連絡が入った。

3月5日に言い渡された無罪判決に対する控訴期限は3月19日である。地方自治体の現職市長に対して言い渡された無罪判決に対する控訴の可否の判断なのだから、慎重の上にも慎重な判断を行われるのが当然である。期限の一日前の、しかも朝に、検察官の控訴申立書が慌ただしく裁判所に持ち込まれるなどという事態は、予想していなかった。

3月16日に、一部マスコミが「検察が控訴の方針を固めた」と報道したことを受けて、翌17日に当ブログに出した【「美濃加茂市長無罪判決に検察控訴の方針」は、「妄想」か「狂気」か】は、BLOGOS、ハフィントンポストにも転載され、トップページ、或いは準トップのページに掲載され、ページビューも大きく伸びていた。

このブログでは、検察控訴の方針を報じる中日新聞の記事で、「検察関係者の主張」によると、「二人のメールのやりとりや、授受を聞いたとする関係者証言などについて判決が評価していない点が不服だ」とされていたことに関して、これらの証拠の具体的な中身を示して、賄賂授受の証拠になど全くなり得ないものであることを詳述し、検察が控訴の方針だとすれば、「担当検察官が都合のよい証拠だけ取り上げて説明するのを鵜呑みにし、弁護人の弁論も読まず、証拠全体も見ていないのではないかと思える」と書いた。

このようなブログが世の中に拡散することによって、「証拠上、控訴はあり得ない」「無罪判決が覆る可能性はない」との認識が広まり、検察内部でも動揺が生じて、証拠を再検討すべしという意見が出てくるのを恐れて、控訴期限の一日前の朝に控訴申立書を裁判所に提出するという「異例の対応」が指示されたとしか思えない。

悪質極まりない4億円近くもの融資詐欺を行いながら、僅か2000万円余しか立件されていなかった「詐欺師」の贈賄供述を信じ、同席者の聴取すら行わないまま現職市長を呼び出して聴取に踏み切ったこと、逮捕して勾留請求を行ったこと、何ら新たな証拠もないのに起訴したこと、公判での弁護人の反証で賄賂授受の立証が完全に崩壊しているのに有罪論告を行ったこと、そして結果的に当然の無罪判決を受けたこと、この全てについて、もし、検察が控訴断念の決断をしていれば、名古屋地検の担当検察官の暴走と地検幹部の監督責任という、地検レベルの問題で済ますことも不可能ではなかったはずだ。

しかし、この「当然の無罪判決」に対する控訴を行ったことで、検察はそれまでの名古屋地検の暴走を、組織として認めただけではなく、市長を控訴審の被告人の立場に立たせることで美濃加茂市民に更なる不利益を生じさせ、市政に影響を及ぼす責任を、組織として背負い込むことになった。秋元祥治氏もブログ【美濃加茂・藤井市長、検察は控訴だって。これ、無罪確定ならだれが責任とるんですかね。】で、控訴に関する検察の責任を適切に指摘している。

そもそも、先進国で、無罪判決に対する検察官控訴を認める国はほとんどない。アメリカでも、無罪判決に対する上訴は認められていない。

日本国憲法は、第39条で「既に無罪とされた行為については,刑事上の責任を問われない。又,同ーの犯罪について,重ねて刑事上の責任を問われない」と規定している。この規定は、「国家がある犯罪について刑罰権の有無を確かめるために,被告人を一度訴追したならば,もはや同一人を同一事実について再度刑事的に追及することは許されない」という英米法の「二重の危険の原理」を規定したものとする説が有力であり、かねてから、「無罪判決に対する検察官控訴は憲法 39条に違反する」という主張がなされてきた。

判例は、「一審の手続も控訴審の手続もまた,上告審のそれも同じ事件においては,継続せる一つの危険の各部分たるにすぎない」という理由で、検察官上訴を許容してきたが、学説では根強い批判がある。(【検察官上訴の研究 二重の危険の原理の観点から 高倉新喜】他)

つまり、一審無罪判決に対して検察官が控訴を行うこと自体に、憲法違反の疑いがあるのだ。もし、例外的に、検察官控訴が容認されるとしても、一審判決が法令の解釈や適用を誤った場合や、十分な証拠に基づく判断が行われなかった場合などに限られるはずである。実際に、検察実務でも、無罪判決に対する控訴は、一審が採用しなかった証拠、或いは新たな証拠の提出が可能な場合に限る、という取扱いが行われてきたはずだ。

美濃加茂市長事件の一審判決に対して、法令の解釈・適用に関する問題など何もない。しかも、「事件との関連性など全くない」として弁護人が強く反対した「渡したことを聞いたとする関係者」についても検察官の尋問請求が認められるなど、検察官の請求証拠はすべて採用した上で、無罪の判決が言い渡されたもので、証拠採用に関する問題も全くない。

前記ブログで述べた「証拠関係からして一審無罪判決が覆る可能性が全くない」というだけでなく、それ以前の問題として、無罪判決に対して検察官が控訴できる場合に当たらないのである。

どうして、このような無茶苦茶、デタラメな控訴の判断が行われたのか。検察組織のトップである大野恒太郎検事総長は、何を考えて、名古屋地検、名古屋高検の控訴意見を認める判断をしたのか。

検察内部のことだけに、真相は知る由もないが、マスコミ関係者や検察関係者からの情報によれば、大野総長を含め検察幹部は、美濃加茂市長事件の一審判決の前に、無罪判決が出る可能性すら認識しておらず、当然有罪だと考えていたようだ。「予想外の無罪判決」に対して、「検察が引き下がるわけにはいかない」として、証拠判断とは別のところで控訴の方針が決まったようだ。

しかし、仮にそうだとすると、検察組織における事件の捜査・公判に関する報告の在り方に重大な問題があると言わざるを得ない。

美濃加茂市長事件での逮捕、勾留、起訴が、何の証拠にも基づかないもので、公判審理の過程でも無罪の可能性が高まっていることは、私が、逐一ブログで述べてきた(【「責任先送りのための起訴」という暴挙】【「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状】【美濃加茂市長事件、「検察の迷走」を象徴する実質審理の幕切れ】など)。

そして昨年12月24日に行われた公判期日での弁護人の弁論で、検察官立証が完全に崩壊したことは、公判に立ち会っていた4人の検察官は十分に認識したはずだし、その上司も弁論を読んだはずだ。そして、この時点で、主任弁護人の私が、無罪判決を確信したことは、年末のブログ【美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信】でもはっきりと述べている。

実際、3月5日の判決公判期日、開廷前に久々に目にした主任検察官の関口検事の顔色は、それまで見たこともないほど蒼白で、明らかに無罪判決を覚悟していた様子だった。

それなのに、名古屋地検から上級庁に「有罪判決が出る見通し」が伝えられていたとすると、検察内部での重要事件の報告体制に重大な欠陥があることは明らかだ。

このような組織に、社会に重大な影響を与える刑事事件に関する決定を行わせることは危険だし、先日、閣議決定され、今通常国会に法案が提出される予定の「日本版司法取引法案」についても、そもそも、「検察組織が、司法取引を適正に行えるような信頼できる組織なのか?」という点から根本的に考え直してみる必要がある。

今回、検察が組織として行った控訴の決定は、明らかに誤りである。

検察官には、控訴を行う権限が与えられているだけでなく、行った控訴を取り下げる権限もある。

私は、昨日、名古屋地裁から検察官が控訴を行ったとの連絡を受けた後、ただちに、最高検察庁宛の要請書をファックス送付した(名古屋高等検察庁、名古屋地方検察庁にも同旨の要請書を送付)。その中で「検察の理念」にも言及し、以下のように述べている。

控訴を断念することにより、本件に対するこれまでの検察官の権限行使に重大な問題があったことを自認せざるをえなくなることは確かである。しかし、それを怖れて、理由のない不当な控訴という権限行使を行うことは、検察の理念に照らしても、断じて許されないものである。

すなわち、一連の検察不祥事を受けて定められた「検察の理念」においては、検察官の権限行使に関し、「自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず,時としてこれが傷つくことをもおそれない胆力が必要である。同時に,権限行使の在り方が,独善に陥ることなく,真に国民の利益にかなうものとなっているかを常に内省しつつ行動する,謙虚な姿勢を保つべきである。」と述べられており、検察としての面子にこだわり、或いは、捜査・公判の不当性を自認することを怖れて控訴を行ったとすれば、明らかに上記理念に反するものである。

「過ちは改むるに憚ること勿れ」という言葉がある。

大野検事総長が、今、まず行うべきことは、名古屋地検からの報告を鵜呑みにすることなく、証拠全体を再検討した上、控訴が「過ち」であったことを認め、控訴の取下げを行って無罪判決を確定させることである。

 

 

 

 

 

カテゴリー: 藤井浩人美濃加茂市長, 検察問題 | 5件のコメント