「畝本検事総長談話」大炎上の背景にある検察の「全能感」と“法相指揮権問題”

1966年に静岡市内で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件(「袴田事件」)の再審で、9月26日に静岡地裁が言い渡した無罪判決に対して、検察は、控訴期限の2日前の10月8日に控訴を断念することを発表した。その際に公表した、畝本直美検事総長の談話(以下、「畝本総長談話」)に対して、弁護団が抗議の声明を出すなど、厳しい批判が行われており、SNSのX上でも批判の投稿が「炎上」し、「検事総長」がトレンドに入りした状態が続いた。

畝本検事総長に対する直接の批判は、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのに、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表していることに向けられている。

弁護団は声明で、控訴を断念して袴田氏の無罪を確定させておきながら、袴田氏を犯人視する談話をするというのは、名誉毀損になりかねないとしている。検事総長に対する批判がここまで「大炎上」していることの背景には、今、衆議院総選挙で最大の争点となっている「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」で、殆どの国会議員が処罰されず、納税もしないままに終わったことに対する不満があるのではないだろうか。

しかも、石破新内閣の発足によって就任した牧原秀樹法務大臣は、10月11日の定例会見で、弁護団から「無罪になった人を犯人視している」と批判が出ていることについて、

「検察は無罪を受け入れている。不控訴の判断理由を説明する必要な範囲で、判決内容の一部に言及したものと承知している。そうした意見は当たらない」

と述べて、検事総長を擁護したとのことだ。

しかし、「判決内容への言及」は、その結論が「控訴すべき事案」というもので、「不控訴の判断理由の説明」とは真逆であるからこそ批判されているのである。「不控訴理由の説明に必要な範囲の論評」だというのは全く通らない。牧原法相は、旧統一教会との関係が衆院本会議や記者会見で追及され、選挙支援を受けていたことや、教団や関連団体の行事に少なくとも10回出席したことを認めおり、そのような問題を抱える法相が、凡そ理由にならない理由で畝本総長談話を擁護したことで「検事総長批判」にさらに燃料を投下する結果になりかねない。

検察に対する批判・不信は、2010年の村木厚子氏に対する冤罪事件と証拠改ざん事件以来の深刻さだ。

畝本総長談話には、どういう問題があるのか、牧原法務大臣はどう対応すべきだったのか。それらを検討するためには、改めて、検察という組織が本来果たすべき職責、そして、法務大臣と検察との関係について、根本的に考え直してみる必要がある。

検察の「権限行使」について、誰が責任を負うのか

憲法第65条第1項では、「行政権は、内閣に属する」と規定されており、内閣は行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負うとされている(内閣法第1条第2項)。

検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。

刑訴法上、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持つ日本の刑事手続において、刑事事件に関して検察が極めて強大な権限を有しており、日本の刑事司法の下では、検察の判断は、事実上、裁判所の司法判断に近いものとなっている。それだけに、「司法権」の行使に直結する検察の権限行使については、裁判官の独立と同様に、検察官個人としての独立性と、検察組織としての独立性が尊重されている。が、内閣の一員である法務大臣と、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命としている検察との関係については、微妙な問題がある。

それは、検察官の権限行使には他の官庁にはない特殊性があるためである。検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」との規定、および個々の検察官が行う意思決定は国家が行う意思決定とみなされることから、個々の検察官は、独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。他の行政官庁のようにそのトップである大臣の有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは性格が大きく異なるのである。

つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長が「すべての検察庁の職員を指揮監督する」(7条)、検事長・検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされ、検事総長・検事長・検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。つまり、主任検察官個人の権限行使に対して、上司の決裁によるチェックが行われ、事件の重大性によっては、主任検察官が、所属する検察庁の上司や、管轄する高等検察庁や最高検察庁等の上級庁の了承を得た上で権限行使が行われる。

法務大臣の指揮

そのような検察の権限行使と法務大臣との関係について、検察庁法14条は、

「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」

と規定している。

同条本文は、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定しているため、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができるとされている。「検察の権限行使の独立性」を確保することと、法務大臣が、行政権に属する検察権の行使について内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う原則との調和を図っているのである。

法務大臣が個々の事件について個々の検察官を直接指揮することができるとすると、検事総長、検事長からの指揮を受けている場合、どちらに従うべきかについて混乱を来すことになる。そこで、法務大臣の指揮は、個々の検察官に対する指揮監督を通じて個々の事件について最終的な決定権者の立場にある検事総長に対して行うようにすることで、個々の事件の捜査・処分についても法務大臣の権限が及ぶこととされているのである。

法相指揮権が「封印」される契機になった造船疑獄

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はない。しかし、少なくとも、一般の刑事事件に対しては、検察官の権限行使の独立性を確保することが、刑事事件について「法と証拠に基づいて適切に処理すること」だとされており、実際上、そこに法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉という批判を招くことになる。

1954年の造船疑獄で、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。

「政治的圧力によって、正義を実現しようとした検察捜査の行く手が阻まれた」とのマスコミや世の中の認識があり、それが、「検察の正義」は神聖不可侵のもので外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。

しかし、実際には、この事件についての法相指揮権発動の真相は、そのような単純なものではなく、政治家と検察との間に様々な思惑と駆け引きがあったことが、史料や関係者証言から明らかになっている(『指揮権発動』渡辺文幸著、信山社)。

それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。

しかし、法務大臣の指揮権が問題となるのは、そのような政治と検察の対立場面だけではない。検察の「法と証拠に基づく判断」には限界もある。世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、検察が「法と証拠に基づいて判断すること」だけでは適切な対応が期待できないものもある。その場合は、検察の判断に委ねるだけではなく、法務大臣の指揮権による対応を検討することが必要となる。ところが、造船疑獄での指揮権発動以降、事実上「封印」されてしまったため、法務大臣の指揮権が検討されるべき場面でも、実際に活用されることはなかった。

外交上の判断と法務大臣の指揮権

法務大臣の指揮権が検討されるべき典型例が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。

事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

このような場合には、検察の側で、外交上の判断が必要な事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。

このような理由で指揮権を発動すべきであった事案として、2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件がある。

中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにした。この事件での船長の釈放、そして、結果的に不起訴処分となることについて、検察が組織として外交上の判断を行ったかのように説明したのである。

しかし、検察官が訴追裁量権の行使に当たって考慮できるのは、当該刑事事件の情状や犯罪後の更生の可能性に関連する事情であり、外交上の配慮は、248条の訴追裁量権で考慮すべき事項に含まれるとは考えられない。

国の行政組織の役割分担と責任の所在という観点から考えたとき、外交問題は外務省が所管し、その責任を負うのは外務大臣であり、国として最終的には内閣総理大臣が責任を負う。検察が外交上の判断を行ったとすれば、権限を逸脱したものである。

検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行ったことに対して、当時の仙谷由人官房長官は「了とする」と述べ、「官邸側の意向を受けて検察が釈放を決定したのではないか」との疑いの指摘に対しても、外交関係への配慮も含めてすべて検察の責任において釈放の判断が行われたように説明した。しかし、外交上の判断の責任は内閣にあるのであり、犯罪の成否や情状評価等の処罰の必要性の判断という刑事司法上の判断を行う権限しか有しない検察に押し付けようとするのは許されないことである。

この中国船船長釈放問題については、検察が内閣側に政治的に利用された面がある。しかし一方で、このような、法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例において、検察官の訴追裁量権の枠内で判断するかどうかという問題に対して、検察内部で十分な議論が行われたようには思えない。そこには「検察の正義」を絶対視し、いかなる場合においても、刑事事件の処分は検察内部で誰からの干渉も受けずに決めることに拘り、「法相指揮権」の完全否定を支持するマスコミや世の中の論調がある。その背景には、前述した造船疑獄での法務大臣の「指揮権発動」に対する誤解があるのである。

検察不祥事への対応と法相指揮権

事案の性格上、検察内部だけで判断することでは適切な判断が期待できない場合もある。

公務員による職権乱用などの罪について、検察官の不起訴処分に不服がある場合に、裁判所に事件を審判に付すよう請求できる「付審判制度」がある。これは、公務員職権濫用罪等の特定の公務員犯罪は、警察官・検察官が職務熱心の余り、その行為が違法と評価する程度に達していた場合に、検察官はその行為の結果の恩恵を受ける立場にあり、利害関係を有するため、本来であれば起訴すべき警察官の職権濫用行為を公平中立に起訴するとは想定できないという考え方に基づくものである。

最近では、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部の検察官の取調べでの恫喝暴言の特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁が付審判開始決定を出した。このような事件について、検察の組織だけに委ねていたのでは起訴はあり得なかった。

刑事事件が、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した場合、他の検察官・上司が共犯者となる場合の背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような場合、「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することでは公平中立な判断を期待できないことは一層明白である。

2010年に表面化した大阪地検の証拠改ざん事件等の不祥事の際、当時の柳田稔法務大臣が検事総長に対して「厳正な対応」を指示した。この対応は14条本文の一般的指揮権によるものとされているが、同条但し書きの指揮権の発動もあり得る事態だったとも考えられる。

そして、2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部のT検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙して「起訴すべき」との議決に誘導して覆した「特捜部の暴発」とも言える不祥事だった。

これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている(拙著【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社:2012)。

この時の検事総長は、私が検察官の現役時代の最も尊敬する上司であった。元特捜部長で特捜部の内実も知り尽くした検事総長ですら、この歴史上の汚点とも言える「検察不祥事」に対して厳正に対応することはできなかった。そのことは、検察の組織的不祥事に対する検察内部の対応の限界を示している。法務大臣の指揮権で対応すべき典型事例だったと言うべきだろう。

袴田事件再審判決への控訴と法相指揮権

では、袴田事件再審判決に対する検察官の控訴という「権限行使」について、どう考えるべきか。

この事件は、強盗殺人事件という、本来は、検察が、「法と証拠」に基づいて判断すべき刑事事件の典型例である。袴田氏を無罪とした一審判決には、「5点の衣類」のねつ造、当初の刑事裁判を担当した検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定が、証拠に基づく合理的なものと言えるかなど、検察官にとって許容できない事実認定の問題がある。検察が「法と証拠」だけで判断するのであれば、控訴申立以外に選択肢はないように思えた。

もともとは、典型的な刑事事件であったが、58年もの年月の経過により、もはや刑訴法に基づく刑事裁判として真相解明を行って解決する範疇を超えた事件になっている。再審判決は、捜査機関のねつ造を、従来の刑事訴訟による事実認定の枠組みを超えた強引な認定で無罪の結論を導いたが、それは、検察にとって「法と証拠」に基づく認定としては到底受け入れられるものではなかった。

一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容されない。しかも、再審判決の「5点の衣類」のねつ造を認めた事実認定を控訴審で覆せる可能性は十分にあるとしても、では、「袴田事件冤罪」が、これ程までに国民の共通認識になっている以上、控訴審で最終的に有罪判決が出される可能性があるかと言えば、ほとんどない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。

となると、強盗殺人という被害者・遺族がいる犯罪である以上、「法と証拠」に基づく検察の判断として不控訴の判断はあり得ない。

畝本総長談話の

《控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容である》

というのが、検察としての「法と証拠」に基づく判断という趣旨なのであろう。それを検察として公言するのであれば、検事総長としても、それを貫き、控訴申立を行うしかなかった。

《袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではない》

という、社会的観点から「不控訴判断」をするのであれば、検察の判断とは切り離して行うしかない。

その解決の方法は、法務大臣が、指揮権に基づいて、検事総長に不控訴を指示することしかなかったのである。

誤った畝本総長談話の背景にある検察の「全能感」

検事総長談話として公表するものである以上、畝本総長だけの見解ではなく、少なくとも、最高検が組織として判断した内容であろう。なぜ、そのような誤った判断を行ったのか。

そこには、検察の組織において、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されず、あらゆることが検察の権限内で解決可能であるような「全能感」に支配されていることに根本的な問題があるように思われる。

そして、本来、そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは政治家であり、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。

昔、私が、検事任官数年目の若手検事だった頃、当時国連アジア極東犯罪防止研修所所長だった大先輩の講話を受ける機会があった。その中で「検察も国のシステムの一つであることを忘れてはいけない」という話を聞き、目を見開かせられる思いをした。

検察も行政機関である以上、「国のシステムの一つ」であるのは当然のことなのであるが、検察官の仕事をしているうちに、刑事事件の捜査処理という刑事司法の世界を通して物事を考えるようになり、検察を中心に世の中が動いているという「天動説」のような発想になっていく。

外交上の判断が中心となった尖閣船長釈放問題で、法務大臣の指揮権という話にならなかったのも、今回の畝本総長談話で、「法と証拠に基づく控訴すべきとの判断」と、「社会的観点からの不控訴の判断」を検察が同時に行うかのように公言するという、致命的な誤りを犯してしまったのも、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されていないことが根本原因であるように思える。

「検察も国のシステムの一つである」

そのあまりに当然のことを前提に、「法と証拠による判断」には一定の限界があることを踏まえて、法務大臣の指揮権の在り方を考えてみる必要があるのではなかろうか。

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「政治資金パーティー裏金問題の核心」に迫る~始まりは“マネロン”だった!

昨年12月から年明けにかけ、「自民党派閥政治資金パーティー問題」の検察捜査が、異例の大規模捜査体制で行われたものの、「裏金議員」3人が起訴・略式起訴されたほかは、会計責任者の起訴・略式起訴だけにとどまり、起訴された2人についても、公判が開かれる見通しも立たず、事実関係は全く明らかになっていない。政治資金規正法違反で起訴された清和政策研究会(安倍派、以下、「清和会」)の代表兼会計責任者の松本淳一郎氏の公判でも、検察の冒頭陳述は、単に「かねて、ノルマを超えてパーティー券を販売した場合の『還付金』『留保金』に相当する金額を除いた金額を清和会の政治資金収支報告書に記載していた」と述べるだけで、「裏金問題」の経緯、意思決定のプロセス等の具体的な事実関係は何一つ明らかにしなかった。

4月には、自民党の党紀委員会が、「裏金議員」39人に対して離党勧告から戒告までの処分を行ったが、「単なる不記載であること」を前提とするものであり、所得税の納税への言及すらなく、検察の捜査処分を前提とするものだった。

結局、「裏金問題」の真相は全く明らかにならず、裏金議員は納税すら行わないまま、4月の衆議院3補選で自民党は全敗、支持率低迷を受けて岸田文雄首相が退陣を表明した後の自民党総裁選で新総裁に選出された石破茂氏は、総裁選時に明言した予算委員会開催後に国民の審判を仰ぐとの方針に反して、就任直後に10月27日に衆議院総選挙を行うことを明言した。

裏金問題への対応が全く不十分なまま解散総選挙が行われることに対して、国民の批判が一層高まったことを受け、10月6日、石破新総裁は、派閥幹部に加えて、党の処分の対象となった「裏金議員」についても、説明が不十分で有権者の理解が得られない場合は総選挙で非公認にする方針を明らかにした。

総選挙の公示を目前に控え、「裏金議員」の説明はこれからが本番となった。

私は、裏金問題の真相が全く明らかにならない状況に対して、いくつかのルートを通じて清和会関係の「裏金議員」側に接触を図り、事実解明のためのヒアリングを行うなど、私なりに事実解明に向けての取組みを行ってきた。

そのヒアリングの結果と、これまで「裏金議員」の記者会見等での説明を基に、「政治資金パーティーでの裏金提供の背景と経緯」「パーティー券販売ノルマは、誰がどのように設定したのか」「裏金の帰属」等を中心に事実解明に取り組んできた。清和会の裏金問題について把握できた事実について私なりの分析を行った上、今後、「裏金議員」が行うべき説明とその評価について私見を述べることとしたい。

ヒアリング結果に基づく検討

(1)「ノルマの設定」は誰がどのようにして行っていたのか

清和会では、政治資金パーティー券の販売について「ノルマ」が設定され、ノルマ分の販売ができなければ議員側が自分で購入しなければならず、ノルマを超えて販売したら、その分が「還付金(ノルマ超分も清和会側に送金した後に還付してもらう方式)」あるいは「留保金(ノルマ超分はそのまま議員側で留保する方式)」として議員側に供与されるというやり方が、20年以上昔から継続してきた。

このようなやり方について、初当選の際に議員に直接説明され、ほとんどの議員が認識していたようだ。

すなわち、今回の問題のそもそもの原因は、議員側が強く達成を求められる「パーティー券販売ノルマの設定」にあったと言える(「還付金」「留保金」の供与と異なり、議員側がノルマ未達分を購入した具体的事実は確認されていないが、多くの議員が、ノルマ達成義務を認識し、それを前提として動いていたことは間違いない。)。

この「ノルマの設定」というのは、三塚博氏、森喜朗氏が清和会会長だった時代から、会長等の派閥幹部が決定し、パーティー券が配布されるときに、派閥の事務担当者から議員側に伝えられていたようだ。

ノルマは、初当選の際は低く、当選回数を重ねるごとに増えていき、閣僚になると一気に増える。それは、「派閥のおかげで閣僚にしてもらったのだから、その分、派閥に貢献すべき」という考え方による。

しかし、実際のノルマの具体的な金額は、必ずしも当選回数や閣僚経験の有無によって一律ではなく、会長等の派閥幹部の裁量(匙加減)で決められていたようだ。当該議員に対する期待や評価がノルマの金額に反映されることもあり、派閥内の上下の力関係を反映するものでもあった。議員相互間では、他の議員のノルマの金額はわからず、お互いにノルマについて話をすることもなく、所属議員は、そのようなやり方に従うしかなかったとのことだ。

2020年からのコロナ感染下では、パーティー券の販売もままならないだろうという配慮からノルマが引き下げられた。それにより、もともと支持者らに一定の枚数のパーティー券の購入を依頼していた議員は、ノルマ超の販売分についての「還付金」「留保金」の金額が従前より多額に上ることになった。

(2) 還付金等の派閥での「処理」とマネーロンダリング

議員側は、初当選の頃から、ノルマ超のパーティー券売上の還付金について、派閥の事務局から、

「派閥で処理済だから」

「政策活動費だから」

「所属議員側で収支報告書に記載しなくてよい」

「記載しないように」

などと指示され、それにしたがってきたと説明している。

三塚、森会長時代など、かつては、パーティー券の売上は、「還付金」等も含めて清和会の収支報告書に計上し、そのうち、「還付金分」を清和会から党本部に寄附し、それを、政策活動費として党が所属議員に寄附するという方法がとられていたようだ。「議員→派閥→党本部→議員」という流れで、一度、政党に入れて、政策活動費としてバックしてもらうという方法であり、この金の流れであれば、現行政治資金規正法上、政党から政治家個人への寄附は許容されているので、派閥から議員個人に適法にノルマ超の売上を供与できる。

しかし、その党本部との間のマネロンスキームはその後、省略されるようになり、結局、ノルマ超過分を派閥から議員に戻すという現在の「還流スキーム」だけが残ることになった。それに伴い、派閥側も所属議員側も両方不記載ということになった。

「清和会」側から「政務活動費なので収支報告書に記載しないでよい」と説明されていたことを、供与を受けていた所属議員の一人である宮澤博行衆議院議員(当時)が防衛副大臣辞任の際の記者会見で明らかにしているほか、政治資金規正法違反で逮捕起訴された池田佳隆氏も、昨年12月にいち早く政治資金収支報告書を訂正した際、そのように説明していた。また、自民党の調査に対する回答の中にもその旨の説明がある。

これらからも、「還付金」等について、「政党から個人あての政策活動費であるから収支報告書に記載不要」との説明が行われていたことは間違いないようだ。

もっとも、三塚、森会長時代においても、そのような党本部を介した寄附の正当化としてのマネロンが実際に行われていたかどうかは不明であり、単にそのように説明されていただけの可能性もある。

しかし、いずれにせよ、そのような「政策活動費という説明」がなされていたことは事実であり、それが、「還付金」等の性格、その帰属、違法性、についての議員側の認識に影響していたことは否定できない。

派閥と党本部との間で資金の移動が行われ、党本部で当該派閥の所属議員に対する政策活動費の支出の手続がとられていたとすれば、「合法的な裏金」として所属議員個人に帰属することになる。この場合、政治家個人に帰属する以上、当該議員の資金管理団体、政党支部等への政治資金収支報告書への記載義務はないが、一方で、原則として所得税の納付義務が生じる。

この党本部との資金移動のマネロンが行われていたとしても、ある頃から省略され、単に「政策活動費」「派閥で処理済」との説明だけが行われるようになった。その説明を、額面通りに信じていた議員がいたとすれば、政治資金規正法違反の認識も、違反を基礎づける事実認識もなかったことになる。

しかし、もし、党からの政策活動費であれば、党本部側から所属議員宛てに、支出した旨の連絡があるはずである。そもそも、派閥の政治資金パーティーの売上の一部還流という認識がある以上、「政策活動費の説明」を額面通りに受け止め「合法的な資金」と認識した議員は少なかったものと思われる。

つまり、議員側では、「政策活動費」「派閥で処理済」との派閥側からの説明があっても、違法ではないと認識していたことは考えにくいが、一方で、そのような説明を前提に、突き詰めて考えれば、資金の性格は、政党からの政策活動費と同様に、議員個人に向けられたものであり、本来は所得税の課税対象との認識につながったはずである。

(3)「ノルマ超のパーティー券の販売」の議員側の目的

ノルマに対してどのような姿勢で臨むかには、議員によって差があったようだ。最大限に努力してパーティー券を販売しても、課せられたノルマを達成するのがやっとという程度の議員にとって、ノルマ超の販売で裏金を得ようという意図はもともとない。しかし、議員の中には、ノルマ超のパーティー券の販売によって「裏金」を得ることを意図して、積極的に販売活動を行っていた議員もいたようだ。このような議員の場合、還付金等が「裏金」として供与され、それを議員側で自由に使えることのメリットを享受しようとする意図があったことになる。

このような「ノルマ超のパーティー券の販売によって裏金を獲得しようとする意図」の有無・程度は、必ずしも実際に得ていた「裏金」の金額の大きさと一致するわけではない。2020年以降のコロナ下で「ノルマの減額」の措置がとられたことから、それまでノルマを達成できる程度パーティー券の販売を行っていた議員に、「ノルマ減額分」が「還付金」「留保金」として供与されることになった。特に、閣僚経験者などノルマが高額に設定されていた場合には、ノルマの引き下げ額も大きく、「還付金」等の金額が高額になったと考えられる。

このように、意図することなく多額の「還付金」等を得ることになった議員は、その多くを、将来、ノルマが引き上げられた場合にノルマ未達で自らパーティー券を購入せざるを得ない場合に備え、「裏金」として保管しておこうとすることになる。実際に、将来のノルマ未達の場合のパーティー券購入費用として「還付金」等を保管していたと説明する議員も多かった。

ノルマ超のパーティー券の販売によって「裏金」を得ようとする積極的な意図は、結果的に得ていた還付金等の金額の多寡とは必ずしも一致しない。むしろ、ノルマ引下げ以前からの「裏金金額」が「積極的な裏金獲得の意図」を反映しているとみることもできる。

(4) 裏金の帰属

ノルマ超のパーティー券の販売で、派閥から議員側に供与される「還付金」等について、かつては、一度党本部を経由するマネロンによって「合法化」するやり方から始まったと考えられ、その後も「政策活動費」「派閥で処理済」との説明が行われていた。

還付金等を受け取っていた議員側は、それを、資金管理団体、政党支部など、特定の団体宛の金と認識していたわけではなく、あくまで、派閥から提供される「活動費」と認識していたに過ぎない。

そして、多くの議員は、「還付金」等を留保していた目的について、「将来、パーティー券の販売ノルマが達成できなかった時に、自分でパーティー券を購入して補填しなければならなくなることに備えるため」と説明している。仮に、販売ノルマ未達分のパーティー券を、議員側が購入して補填することになった場合、資金管理団体、政党支部の資金でパーティー券を購入した場合、収支報告書で公表することになり、派閥の所属議員によるパーティー券購入の事実が公表される事態は、派閥側も議員側も避けたいと考えるものと思われる(ヒアリングに応じた議員秘書も、「ノルマ未達分のパーティー券購入費を資金管理団体、政党支部で支出することは困難」と述べている)。結局、ノルマ未達分が生じた場合は、議員個人の資金でパーティー券を購入せざるを得ないと考えられる。

このように考えると、議員側が「派閥から供与された還付金等を、将来ノルマ未達分の補填に備えて保管していた」というのも、還付金等が政治家個人に帰属していたことを示す事実と言えるのである。

以上のようなことから、政治団体ではなく、議員個人に帰属することは明らかである。

ところが、清和会は、ノルマ超のパーティー券売上についての還付金等が、資金管理団体、政党支部宛ての寄附として政治資金収支報告書を訂正し、議員側でも政治団体に帰属するものとして収支報告書の訂正が行われている。

これは、所属議員側が、検察の取調べにおいて「仮に、収支報告書に記載するとすれば、どの収支報告書に記載していたか」と質問されて、資金管理団体、政党支部のいずれかを答えたことを根拠に、帰属先が特定され、検察の指導によって収支報告書の訂正が行われたものと考えられるが、還付金等の実態に即したものとは言えない。

清和会の場合、数年前まで、「餅代」「氷代」として、所属議員に政治資金を提供していたようであり、それは、予め「振込用口座」として清和会に届け出た銀行口座に振り込まれていた。もし、清和会側が、「還付金」等を、収支報告書に記載する前提で議員側に振込送金したとすれば、清和会に口座を届け出ている政治団体ということになるはずであるが、多くの場合、この届出口座の名義の団体と、政治資金収支報告書を訂正した団体とが一致しない。これも、「還付金」等が、訂正した政治団体宛の寄附ではないことを示していると言える。

結局、議員側が、政治団体宛の寄附との具体的な認識があったわけではないのに、検察の指導によって、資金管理団体、政党支部の収支報告書の訂正が行われ、それによって、議員側に供与された還付金等が、そのまま政治団体に帰属したことにされ、後述するとおり「私的流用」の事実がない限り、所得税の課税の対象にならないとされた。その結果、本来議員個人に帰属する収入であるのに所得税の課税を免れることになり、国民の強い不公平感につながっているのである。

政治資金規正法違反の成否

以上のような、今回の「裏金議員ヒアリング」の結果明らかになった事実関係からすると、派閥からの「還付金」「留保金」が、議員個人宛に供与されたものであることは明らかである。検察が、すべての「裏金議員」に対して、資金管理団体、政党支部の宛ての寄附だったとして政治資金収支報告書を訂正するように指導し、その帰属先の政治資金収支報告書の虚偽記入・不記載罪が成立することを前提に捜査処理したのは誤りだったということになる。以下のような、「公職の候補者の政治活動に関する寄附」の禁止規定の適用を前提に、検察の政治資金規正法の捜査処分が行われるべきだった。

政治資金規正法第21条の2第1項は、

「何人も、公職の候補者の政治活動に関して寄附をしてはならない。」

として「公職の候補者の政治活動に関する寄附の禁止」を定め、また、第22条の2は、

「何人も、第21条の2第1項に違反してされる寄附を受けてはならない。」

として公職の候補者の政治活動への寄附の供与と受領の両方を禁止している。

そして第26条は「第21条の2第1項の規定に違反して寄附をした者」(第1号)「第22条の2の規定に違反して寄附を受けた者」(第3号)について

「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」

と定め、第28条の2は、

「第26条第3号の規定の違反行為により受けた寄附に係る財産上の利益は、没収する。その全部又は一部を没収することができないときは、その価額を追徴する。」

と定めている。

「政治資金パーティー裏金問題」は、派閥側が政治資金収支報告書にパーティー収入を過少に記載した虚偽記入罪(第25条1項)に加えて、派閥側に対しては、公職の候補者の政治活動に関する寄附の供与の禁止(第21条の2第1項)違反、所属議員に対しては、同寄附の受領の禁止(第22条の2)違反で、第26条の「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」の罰則の適用を前提に捜査処理すべきだった。もし、この罰則が適用され、処罰された場合には、寄附を受け取った議員側から、寄附額全額を没収すること、既に費消しているなどして没収できない場合は、追徴することになる。

しかし、上記のような罰則適用が前提にされるべきだとしても、それらの罰則を適用して「裏金議員」の処罰が可能だったことになるわけではない。

政治資金収支報告書の虚偽記入・不記載罪の場合に、会計責任者が罰則適用の対象となるのとは異なり、個々の「寄附の受領」の行為について、「公職の候補者」すなわち政治家たる議員個人が罰則の対象となる。実際に処罰するためには、政治家個人宛の寄附を受けるという犯意をもって、個別の寄附を受けたことが証拠により立証される必要がある。

清和会の場合、政治資金パーティーのノルマ超の売上の還流は、20年以上前から慣行化していたとのことであり、議員の側は、ノルマの金額や、その増減等は認識していても、実際のパーティー券売上の処理や「還付金」「留保金」についての具体的事項は秘書に任せていて認識していない場合もあると考えられる。公職の候補者の政治活動への寄附の供与と受領の犯罪が成立するためには、個別の寄附について具体的な犯意をもって寄附・受領が行われることが必要であり、秘書に処理を任せていた場合には、政治家個人宛の寄附の受領の個別の認識がなく、犯罪が立証できない場合も多い。

実際に上記の罰則を適用して処罰できるのは、議員自身が「ノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図」を有している場合で、還付金の管理にも議員自身が関わり、政治家個人宛の寄附として還付金を受領したことについての個別具体的な認識が立証できる事例に限られる。

もっとも、犯罪の成立が立証できなかったとしても、実態としては「政治家個人宛の寄附」なのであるから、前提に受領した寄附の処置、納税などを検討すべきであろう。

裏金についての納税と没収

パーティー券の売上の「還付金」「留保金」について、検察は、所属議員の資金管理団体や政党支部宛の寄附だとして収支報告書の訂正を行わせたため、これらはすべて政治家個人に帰属しない政治資金だということになっている。政治資金であれば、原則として、議員個人に対する課税の対象外となり、議員が私的用途に費消した事実がない限り課税されない。

しかし、既に述べたように、議員個人に帰属する寄附だったのであるから、所属議員個人の所得となり、原則として、所得税の課税の対象とされるべきである。政治活動の費用として使われた事実が領収書等で明らかになる金額を除いて、雑所得として所得税の申告をすべきだ。

検察の捜査処理前提だと、政治団体に帰属した政治資金は原則非課税で「私的流用」だけが課税の対象となるのであるが、今回ヒアリング等で明らかになった事実を前提とすれば、原則として課税対象となり、実際に政治活動に充てた費用だけが控除されるという「真逆の税務処理」となるのである。

大きな差が生じるのは、議員に供与された「還付金」「留保金」のうち、使用されずに残っていた残余金の取扱いである。検察の捜査処理を受けての収支報告書の訂正を前提にすれば、残余金は、資金管理団体や政党支部に帰属し、通常の政治資金として使用できることになる。しかし今回ヒアリング等で明らかになった事実を前提とすれば、残余金は全て個人所得として申告し納税すべきということになる。

そして、前記のとおり、仮に、「政治家個人宛寄附」として政治資金規正法違反の犯罪の成立が認められれば、全額没収となるのである。犯意や個別の寄附の認識がないということだけで処罰を免れたとしても、法の趣旨からすれば、「還付金」「留保金」の残余金は、議員の手元に残しておくべきではないといえる。前記のとおり、還付金等の実態に即したものとは言えない検察の捜査処分の方針に沿って、政治団体への帰属を前提に政治資金収支報告書の訂正が行われ、自民党の処分も、検察の処分に沿う形で行われ、その後の議員側の対応も、すべてそれを前提に行われたため、その結果、議員側は、還付金等について所得税課税を免れ、その資金を、議員側の政治資金としてそのまま使えるという、国民には到底納得できない結末となった。

検察の処分が、いまさら変更される可能性は低いとしても、自民党や議員側の対応は、実態に即した方向で行われることが不可欠である。

「裏金議員」の説明と対応の評価ポイント

解散総選挙を目前に控え、「裏金問題」について、石破自民党総裁が、「裏金議員」のうち重い処分を受けた議員や説明が不十分な議員に対して非公認とすることを含む厳しい措置をとる方針を明らかにし、改めて裏金についての説明の在り方が問題となっている。

これまで述べてきたヒアリング結果を前提に、今後、裏金議員の個別の説明においてポイントとなる点を指摘しておこう。

(1)ノルマ設定への関与

今回の「裏金問題」の核心はノルマの設定である。その達成のためのインセンティブとして導入されたのが、「還付金」「留保金」であるともに、その販売実績が、派閥内での評価につながっており、実績に応じてノルマをどの程度に設定するかは、派閥会長を中心とする派閥幹部の匙加減によって行われていたようである。まさに問題の本質とも言えるノルマの設定が、細田博之氏までの派閥会長だけに委ねられていたのか、事務総長など派閥幹部も関わっていたのかについて、派閥幹部だった議員には、単なる「裏金議員」とは別次元の説明責任がある。

前記のとおり、コロナ下では、ノルマ金額が減額されたことが、それまでの同等のパーティー券販売活動をしていた議員に、多額の「還付金」等が入ることにつながった。この際、派閥幹部は、ノルマの減額を早くから認識しており、それに応じて、パーティー券の販売活動のレベルを下げていた可能性がある。閣僚経験者として高額のノルマを課せられていたと考えられる議員の中で、5年間の裏金総額を見ると、萩生田光一氏(2728万円)、山谷えり子氏(2403万円)、橋本聖子氏(2057万円)らと比較して、清和会事務総長だった松野博一氏(1051万円)、高木毅氏(1019万円)、下村博文氏(476万円)などの裏金金額が相対的に低く、コロナ下の2021年10月から翌年8月まで事務総長を務めた西村康稔氏に至っては、100万円と極端に少ない。このことからも、事務総長クラスの派閥幹部は、事前にノルマの減額の見通しを知り、販売活動をセーブしていたのではないかと考えられる。

(2)ノルマ超のパーティー券の販売を行う意図・目的

「裏金議員」がノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図の有無は、その悪質性を評価する上での重要な判断要素である。積極的な意図をもっていたのであれば、「領収書がいらない自由に使える金」を得ようとする目的があったということであり、選挙における買収資金のような「表に出せない金」や私的用途に使う意図があったということになる。

このような意図がどの程度にあったのかを判断する上で重要なのは、「コロナ下でのノルマ減額」によって予期せぬ形で入ってきた「還付金」等を除外した金額である。それは、意図して得ようとした裏金の金額に近いと考えられる。

(3) 裏金の保管形態

「裏金議員」の記者会見での説明や自民党の調査結果等からすると、保管形態としては、「議員事務所で管理していた」「銀行口座で管理していた」の二つがある。それ以外の形態であれば、「他の資金と個人の資金と混同していた」ということであり、「合理的な説明はできない」ということであろう。

議員事務所で保管されていた場合、一般的には、その支出は、政治活動費として処理可能なものに限定されている、ということが言える。もっとも、かつて安倍晋三元首相が「桜を見る会」問題での国会での虚偽答弁に関して、記者会見で説明した際、「前夜祭の費用補填については、合計800万円もの費用を、後援会として費用負担すべきところを、(安倍氏が認識しないまま)個人資金で負担していた」と説明した。安倍氏の事務所では、政治資金と個人の資金の区別すらついておらず、どんぶり勘定になっていたということであり、逆に、政治資金が個人的用途に使われる可能性も十分にあったことになる。このように、議員事務所において政治資金と個人資金の両方を管理していて、最終的に政治資金収支報告書の提出時に両方に振り分ける、という資金管理の形態であれば、「還付金」等を議員事務所で管理していたとしても、個人的用途に充てられる可能性も十分にある。

銀行口座で管理されていた場合は、その口座の名義人と通帳、カード等を誰が管理していたかが重要となる。要するに、誰が引き出すことができる状況になっていたのか、ということである。

いずれにせよ、重要なことは、その資金の管理に議員本人が関わっていたのか、という点である。

この点、今年4月の自民党の党紀委員会の審査に基づく処分では、派閥幹部以外の議員については、「過去5年において、自身の政治団体に相当な額、1000万円以上、もしくは500万円以上の不記載がある議員について、会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者」の管理責任が問われ処分の対象とされた。このように「会計責任者に任せきり」というのが、処分の要件になっているのは、検察の捜査処分と同様に、派閥政治資金パーティーをめぐる問題、派閥から資金管理団体・政党支部等への寄附の単なる不記載に過ぎないという認識を前提にしているからであり、その「不記載処理」を行った会計責任者に「任せきり」にしていた方が責任が重い、ということになるのである。

しかし、これまで述べてきたように、その前提が誤っている。議員個人に帰属する寄附であることを前提にすると、むしろ、逆の評価となる。「裏金」の管理に議員本人が関わらず、議員事務所或いは議員個人が引き出すことができない口座等で管理し、それを完全に秘書等に任せていた方が、私的流用の可能性が低く、悪質性の程度も低く、議員本人がその資金の使い途に直接関われるようになっていた場合の方が、私的な用途に使われた可能性があり、悪質だということになる。

前記(2)で、「ノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図」が認められ、なおかつ、裏金の管理に議員本人が関わっていた、ということであれば、私的用途或いは違法な用途に使われていた可能性が高く、最も悪質だということになる。

(4)裏金の返還の有無、納税の意思

検察の捜査処分を前提にすると、還付金等は、全額、資金管理団体又は政党支部に帰属したことになり、そのような訂正が行われている。この場合、それらの団体の資金と混同するので、「残余金」は存在しないことになる。しかし、もともと不記載を前提に供与された「裏金」であったものが、検察の捜査処分を経て、議員側が政治活動費として使えるようになっていること自体に対して国民が納得せず、強い不満を持つのは当然である。

残余金はどうするべきなのだろうか。

既に述べたように、還付金等は議員個人に帰属することを前提にすると、全額が原則個人所得となり、その中で、議員の政治活動費に充てられたものは、所得から控除され、残余金が所得税の課税の対象となると考えられる。

「裏金議員」としては、議員個人への帰属を前提に、各年において実際に政治活動の費用として使った金額を具体的に算定し、残余金の納税を行うというのが、本来の今回の裏金問題の処理だったはずだ。そのような処理が可能であるかどうか、その意思があるかどうかも、「裏金議員」の対応の評価要素と考えるべきだ。

「裏金議員」のこれまでの説明に欠けていたこと 

裏金議員に対する自民党の従来の対応がなぜ国民から厳しい批判を受けているのか、それは、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い不公平感と憤りである。

国民の多くは、裏金議員の中には、その金を個人の懐に入れていた議員が相当数いるのではないかと今も疑っている。裏金議員の説明は、その国民の疑問に答えるものでなければならない。

上記の指摘を踏まえ、「裏金問題」について十分な説明が行われること、それを自民党執行部が適切に評価することが、石破新総裁の下で総選挙に臨む自民党が、本当に変われるかどうかの試金石である。

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袴田事件再審無罪判決、検察として控訴は不可避、「法相指揮権による最終決着」しかない

1966年に静岡県の味噌製造会社の専務一家4人が殺害・放火された、いわゆる「袴田事件」の再審で、9月26日、静岡地裁(國井恒志裁判長、谷田部峻裁判官、益子元暢裁判官)は、死刑が確定していた袴田巌氏に対して無罪の判決を言い渡した。死刑が確定した事件で再審が開始された事件が4件あるが、いずれも再審の一審で無罪判決が出され、検察官が控訴することなく、そのまま確定している。

袴田事件の再審無罪判決も、結論は予想どおりであり、再審請求審、再審で長年にわたって戦い続けてきた弁護団の「全面勝利」の判決で、58年ぶりに袴田氏の潔白が明らかになったのだから、一日も早くそれが「司法の最終判断」となるよう、「検察は控訴をすべきではない」、「即刻上訴権放棄をして、無罪判決を確定させるべき」という論調が大半である。

しかし、今回の再審判決の内容を仔細に検討すると、検察にとっては、「到底受け入れがたい判決」であり、また、弁護側にとっても、結論は「無罪」であるものの、袴田氏は潔白・完全冤罪であるという弁護側主張の大半を排斥した今回の再審判決は、「手放しで喜べる判決」とは言い難い。

控訴期限は10月10日であり、検察組織は、それまでに控訴・不控訴の判断を迫られる。もし、控訴を行った場合、検察は、世の中から、無実の人に58年以上も死刑囚の汚名を着せた上、面子だけにこだわって悔い改めることなく有罪主張を続けることに対して、「人でなしの組織」のような猛烈な批判に晒され、控訴審でも大逆風の中での審理を余儀なくされることになる。

しかし、もし控訴審ということになった場合、弁護側も、控訴審での対応において、極めて困難な判断を迫られることになる。

「検察批判論者」の筆者の袴田事件への論評

私は、23年間検察の組織に属し、検察官としての職務経験を有する「検察OBの弁護士」である。しかし、多くの検察OB弁護士とは異なり、主として特捜部が手掛けた事件について、検察を厳しく批判し、自らも弁護人として、美濃加茂市長事件、青梅談合事件、五輪談合事件などで法廷での「検察との戦い」を繰り広げてきた。また、2010年に、大阪地検特捜部が村木厚子氏を逮捕・起訴した事件で無罪判決が出され、その直後に、主任検察官による証拠改ざんが明らかになって、検察が世の中から厳しい批判を受けた際、法務省に設置された「検察の在り方検討会議」には、「検察に厳しい論者」の一人として加わり、取調べの可視化、特捜検察の組織の解体等について持論を展開した。同会議での提言を受け、検察改革の一環として出されたのが「検察の理念」である。

かかる意味において、検察OBの中では数少ない「検察批判論者」の筆者だが、袴田事件については、これまで独自の立場からの論評を行ってきた。

2014年に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が出した再審開始決定が、即時抗告審での東京高裁(大島隆明裁判長)の決定で取り消された際には、【袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性】で同決定を支持する論評を行った。その決定が最高裁で破棄差戻しとなり、東京高裁(大善文男裁判長)が、再審開始決定を出した際には、【「組織的証拠ねつ造」可能性認める袴田事件“再審開始決定”、検察の特別抗告は許されない】と題して、同決定での「捜査機関の証拠改ざんの認定」の背景と意味を解説し、検察官の特別抗告に対して消極の意見を述べた。

そして、上記大善決定に対して検察が特別抗告を断念して再審開始決定が確定し、静岡地裁で始まった再審で、検察官、弁護人の主張が出そろった段階で出した【袴田事件再審「証拠ねつ造の可能性」を徹底分析~「無罪判決」でも事実解明は終わらない】では、再審公判での検察官・弁護人双方の主張について解説し、最大の争点が「5点の着衣の証拠改ざん」であり、それが肯定された場合に、その後に予想される事態、についても私見を述べた。

今回出された再審判決に対しても、マスコミや世の中の論調に流されることなく、内容を客観的に分析し、検察の控訴・不控訴の判断に関して問題となる点を解説すること、そして、この事件をどう決着させるべきかについて私見を述べることは、私自身に課せられた責務と言うべきであろう。

田事件再審開始決定までの経過

袴田氏は、裁判では一貫して無罪を訴えたが、1980年に死刑判決が確定、翌年に第一次再審請求が申立てられ、2008年、最高裁で棄却されたが、同年に第2次再審請求が申立てられた。

この第2次再審請求審で、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した」(刑訴法435条6号)として弁護人が主張したのは、袴田氏が逮捕・起訴され公判審理が行われていた最中に味噌樽の底から発見され、袴田氏が犯人であることを裏付ける有力な証拠とされた「5点の衣類」についての、

(ア) 衣類から血液細胞を他の細胞から分離して抽出する「細胞選択的抽出法」を実施した上で、採取した試料のDNA鑑定を行った結果、袴田氏のDNA型とは一致しないという本田克也筑波大学教授のDNA鑑定(本田鑑定)

と、

(イ) 5点の衣類には付着した血痕の色の赤みが残っていたとされるが、1年以上味噌に浸かっていたとは考えられないことを実験によって証明したとする「味噌漬け実験報告書」

の2つであった。

2014年3月、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、(ア)(イ)をいずれも「新証拠」と認め、再審開始を決定(以下、「村山決定」)、袴田氏の死刑および勾留の執行を停止し、袴田氏は釈放された。

即時抗告審の東京高裁(大島隆明裁判長)は、2018年に、(ア)の「本田鑑定」について、

《本田氏の細胞選択的抽出法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在しているにもかかわらず、原決定は細胞選択的抽出法を過大評価しているほか、原決定が前提とした外来DNAの残存可能性に関する科学的原理の理解も誤っている》

《本田鑑定を信用できるとした原決定の判断は不合理なものであって是認できず、本田鑑定で検出したアリルを血液由来のものとして、袴田のアリルと矛盾するとした結果も信用できず、本田鑑定は、袴田の犯人性を認定した確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるような明白性が認められる証拠とはいえない》

として証拠価値を否定し、(イ)の「味噌漬け実験報告書」については、

《5点の衣類の各写真は、写真自体の劣化や、撮影時の露光といった問題があり、発見当時の色合いが正確に再現されていないのであるから、色合いを比較対照する資料とはなり得ないものである上、前記各みそ漬け実験で用いられたみそは、5点の衣類が発見された1号タンク内にあったみその色合いを正確に再現したものとはいえない》

などとして、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出した(以下、「大島決定」)。

それに対して、弁護人が特別抗告を申し立て、2020年12月に、最高裁は、(ア)については、証拠価値を否定した大島決定を支持したが、(イ)については、

《前高裁決定は、みそ漬けされた血液の色調に影響を及ぼす要因、とりわけみそによって生じる血液のメイラード反応に関する専門的知見について審理を尽くすことなく、メイラード反応の影響が小さいものと評価した誤りがあるとし、このことは5点の衣類に付着した血痕に赤みが全く残らないはずであるとは認められないとの前高裁決定の判断に影響を及ぼした可能性がある》

と指摘して、審理を東京高裁に差し戻す決定(以下、「最高裁決定」)を行った。

そして、2023年3月、東京高裁(大善文男裁判長)で、(イ)を、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認める再審開始決定(以下、「大善決定」)が出された。

2種類の無罪

再審開始決定が確定したことにより行われる再審公判では、改めて、通常の刑事事件の一審と同様の手続で刑事裁判がやり直されることになる。再審裁判所は、再審請求審の決定に拘束されるものではなく、検察官が行う主張立証にも制限はないとされている。本件では、検察官は、改めて有罪立証を行い、袴田氏に死刑を求刑した。裁判所は、自由心証により、袴田氏について「犯罪の証明」があるのか、改めて判断することになった。

無罪判決は、検察官が起訴した事件について「犯罪の証明がない」場合に言い渡されるが、その「無罪判決」には二通りある。

犯罪を行った疑いで逮捕・勾留され起訴されたが、「被告人が犯人ではないことの証明」があった場合は、犯罪の疑いが消滅するのであるから、「完全無罪」である。

もう一つは、被告人に対する犯罪の疑いがなくなったわけではないが、被告人が犯人であることの根拠とされた証拠について重大な疑問が生じたり、「拷問による自白」「違法に収集された証拠」など、刑事裁判で証拠とすることができないと判断されたりして、有罪判決に必要とされる「合理的な疑いを容れない程度までの犯罪の証明がない」と判断される場合である。

この場合、「被告人が犯人である可能性」が否定されるわけではないが、「疑わしきは被告人の利益に」の原則から、裁判所の判断によって無罪判決が言い渡される。裁判所の認定による「無罪」、言わば「認定無罪」である。

「被告人と犯行との結びつき」、つまり被告人の犯人性に関しては、「積極証拠」と「消極証拠」があり、その相関関係で、有罪無罪が決せられることになる。被告人のアリバイ成立、真犯人が別人であることなどを証明する証拠が、犯人性についての「消極証拠」であり、それが客観的に明白なものであれば、被告人が犯人ではないことが証明され、「完全無罪」となる。

一方、犯人性についての「積極証拠」の証拠価値や信用性が否定された場合、或いは疑問が生じた場合、被告人の犯人性についての証拠は弱まる。その程度如何では、「認定無罪」となるが、その判断は、被告人の犯人性について疑いが消滅するわけではない。

本件再審公判の証拠構造

再審請求審の過程で、弁護人が「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」と主張し、裁判所も、それを認めたのが前記(ア)(イ)であった。

(ア)のDNA鑑定(本田鑑定)は、その証拠価値・信用性が認められれば、衣類に付着した血痕が別人のものだということになり、5点の衣類が犯行着衣ではなく捜査機関によってねつ造されたことが殆ど疑いの余地がないことになる。しかし、村山決定では証拠価値・信用性が認められたものの、大島決定は証拠価値を否定し、その判断は、最高裁決定でも、大善決定でも変わっておらず、再審公判で証拠価値が認められる可能性は低い。

(イ)の「味噌漬け実験報告書」は、再審請求審において、最終的に「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされた。

袴田氏を有罪とし、死刑とした確定判決では、一審の公判段階で犯行現場付近の味噌樽の底から発見された「5点の衣類」が袴田氏の犯人性についての最大の「積極証拠」とされた。しかし、大善決定は、血痕の色調の変化に関する実験結果と科学的知見に基づき、「味噌樽に隠匿後1年以上経過したものである可能性は極めて低い」と判断し、5点の衣類が、袴田氏が犯行後に隠したものではなく、発見から近接した時期に味噌樽の底に入れられたものであり、それは捜査機関が衣類に血痕を付着させるなどしてねつ造し、味噌樽の底に隠した可能性が高いと判断した。

それによって、袴田氏の犯人性についての最大の証拠である5点の衣類の証拠価値が否定され、他に犯人性についての証拠は、一審の公判段階で発見された「5点の衣類」以外には、袴田氏のパジャマから微量の血液と混合油が検出されたことと自白調書しかない。

自白調書については警察の取調べが、連日長時間にわたる「強制、拷問又は脅迫による自白」だとして任意性が否定され、警察官調書は全く採用されず、証拠採用されたのは検察官調書一通のみである。

「5点の衣類」が「被告人と犯行の結びつき」の積極証拠であることが否定されると、犯人性についての証拠は極めて希薄となり、その結果、「疑わしきは被告人の利益に」の原則にしたがい、裁判所としては「無罪を言い渡すべき」ということになると判断され、(イ)の「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされたものである。

この「味噌漬け実験報告書」は、袴田氏の犯人性についての決定的な「積極証拠」とされた5点の衣類の証拠価値について疑問を生じさせる証拠であり、再審公判でも、その証拠評価が審理の中心となったが、その証拠としての位置づけ、証拠の性格について、特異な要素があることに留意する必要がある。

「味噌漬け実験報告書」の特異性

第一に、「味噌漬け実験報告書」は、本件の証拠である「5点の衣類」自体について、変色の経過等を直接明らかにしたものではない。味噌樽の中に1年以上漬けられた場合の変色の程度について、類似した条件下での変色の経過を実験することによって「類推」したものであり、それによって、本件の証拠の5点の衣類の変色経過を証明できるか否かは、科学的な知見による「評価」が必要となる。結局のところ、それは、変色の速度についての可能性の程度の「判断」に過ぎない。

第二に、仮に、「赤みが残る可能性」が完全に否定されるとすると、必然的に、袴田氏とは別の人物が味噌樽の底に「大量の血痕が付着した5点の衣類を隠匿した」ことになり、それを行ったのは捜査機関である可能性が高いことになる。

この「血痕の付着した5点の衣類を味噌樽の底に沈める」という証拠ねつ造は、その実行のためには、警察が、袴田氏が事件前に着用していた衣類を把握し、それに見合う衣類を調達し、一方で大量の血液を入手して衣類に付着させて「血痕が付着した5点の衣類」を準備し、味噌樽の底に何かを沈めるという行為であり、味噌製造会社側の協力を得て、実際に味噌工場に立ち入って実行することが必要になり、多数の警察官が、「証拠ねつ造」と認識しつつ、その実行に関与したことになる。

捜査機関がそのような証拠ねつ造行為を組織的に行うことが可能であったのか、現実に行い得るものだったのかが問題になるが、もし、その捜査機関によるねつ造の可能性が完全に否定されるか、或いは、可能性が極めて低い、ということになると、逆に、「味噌漬け実験報告書」による「1年以上味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性の否定」に疑問が生じることになる。

第三に、味噌漬け実験報告書によって、仮に、5点の衣類が犯行着衣である可能性が否定され、捜査機関による証拠ねつ造があったとされた場合でも、それは、袴田氏の犯人性についての「積極証拠」が否定され、「合理的な疑いを容れない程度」の証明ではないと判断されて「認定無罪」の判断に至るということであり、それだけで「完全無罪」となるものではない。捜査機関が、袴田氏の犯人性について、証拠による立証は困難だが、「確信」を持っていて、そうであるがゆえに「証拠ねつ造」を敢えて行った、ということも考えられないわけではない。その場合、そのような捜査機関の行為は到底許容されるものではないが、袴田氏の犯人性の判断とは別の問題である。

つまり、「味噌漬け実験報告書」は、その証拠としての性格上、証拠価値が科学的に裏付けられたとしても、そこには、「捜査機関による組織的な証拠ねつ造の可能性」との相関性があり、「ねつ造の可能性」の評価も、再審公判の審理と結論において、極めて重要なものと言わざるを得ないのである。また、「味噌漬け実験報告書」だけでは、袴田氏の犯人性を否定する決定的な「消極証拠」にはならないのであり、「完全無罪」のためには別の証拠が必要となる。

弁護人の「警察による証拠ねつ造の主張」

本件の弁護人は、上記のような証拠構造の下で、「袴田氏は一家4人殺害・放火事件の犯人ではなく、真犯人は別にいる」として、袴田氏の「無実」「潔白」を訴え、「完全無罪」の結論をめざしてきた。

本件の犯人像についても、「単独犯」「内部犯行」「金品取得目的」という警察の見方は、味噌製造会社内部者の犯行であるかのように見せかけるために、事件直後、早いものは事件発生の数時間後から、現場の遺留物等の証拠ねつ造等によって作り上げられたものだと主張し、現場の状況等から、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行であると主張してきた。

再審公判でも、前記 (イ)の「味噌漬け実験報告書」の証拠価値・信用性を、新たな専門家証言等によってさらに補強することに加え、前記(ア)の本田鑑定の証拠価値・信用性を改めて主張した。犯人像についても、「本件は、検察官が主張する、住居侵入、被害者4人の強盗殺人、放火事件ではなく、犯人は一人ではなく複数の外部の者であって、動機は強盗ではなく怨恨だった。犯人たちは、午前1時過ぎの深夜侵入したのではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいた。そして、4人を殺害して放火した後、表シャッターから逃げて行った」と主張した。「警察は、袴田氏とは全く犯人像の異なる真犯人が別にいるのに、真犯人を捜査の対象から外し、初動捜査の段階から、証拠のねつ造を重ねて、袴田氏を犯人に仕立てあげた」として、事件発生直後からの捜査の全過程における証拠ねつ造を主張するものだった。

これに対して、検察官は、「味噌漬け実験報告書」については、新たな専門家の証言により、「味噌樽に1年以上浸かっていても赤みが残る可能性はある」と主張し、弁護人の「証拠ねつ造の主張」も全面的に否定し、「5点の衣類」についても、「捜査機関によるねつ造は不可能又は著しく困難であり、被告人が犯行時の着衣を犯行直後に味噌樽の底に隠したもの」と主張した。

再審判決における「認定無罪」の結論

再審判決は、その冒頭で、「判決の骨子」として

被告人が本件犯行の犯人であることを推認させる証拠価値のある証拠には、三つのねつ造があると認められ、これらを排除した他の証拠によって認められる本件の事実関係によっては、被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。

すなわち、①被告人が本件犯行を自白した本件検察官調書は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得され、犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的にねつ造されたものと認められ、刑訴法319条1項の「任意にされたものでない、疑のある自白」に当たり、②被告人の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた5点の衣類は、1号タンクに1年以上みそ漬けされた場合にその血痕に赤みが残るとは認められず、本件事件から相当期間経過後の発見に近い時期に、本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもので、証拠の関連性を欠き、③5点の衣類のうちの鉄紺色ズボンの共布とされる端切れも、捜査機関によってねつ造されたもので、証拠の関連性を欠くから、いずれも証拠とすることができず、職権で、これらを排除した結果、他の証拠によって認められる本件の事実関係には、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない、あるいは、少なくとも説明が極めて困難である事実関係が含まれているとはいえず、被告人が本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。

ねつ造その1(検察官調書)

「3つのねつ造」の一つは、検察官調書を「実質的にねつ造」と評価したものである。

裁判所の判断として、取調べの経緯や状況はともかく、一応、検察官に供述した内容を録取し、供述者が署名押印した検察官調書を、「実質的に」とは言え、「ねつ造された」と評価したのは前代未聞である。一般的に言えば、むしろ、供述者が言ってもいない内容を調書にして署名させるやり方の方が、実質的な「ねつ造」に近いとも言え、実際にそのような供述調書の作成が問題とされた事例は枚挙にいとまがない。プレサンスコーポレーション事件での大阪高裁の不審判決定等で検察官の不適切な取調べが大きな問題になっていることもあり、検察官調書が「実質的にねつ造された」との事実認定・評価は、今後の検察の実務に大きな影響を生じかねない判示であり、検察として極めて受け入れ難いものではないかと考えられる。

ねつ造その2(5点の衣類)

二つ目の「ねつ造」は、村山決定、大善決定においても可能性を指摘されていた、捜査機関による「5点の衣類」の証拠ねつ造である。確定判決においては「5点の衣類」が、犯人が犯行直後に味噌樽に隠した「犯人の着衣」とされていたが、再審請求審においては、その点に合理的な疑いを生じさせた「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新たな証拠」とされ、そこから、論理必然的に、「5点の衣類」は、犯行直後ではなく、発見から近接した時期に味噌タンクに隠したことになり、それを行うとすれば捜査機関の可能性が高いとされ、間接に捜査機関によるねつ造の可能性が指摘されていた。

しかし、再審公判では、再審請求審のように「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」に該当するかどうかを判断するのではなく、通常の刑事裁判と同様に、公訴事実が証拠によって認定できるかどうかを判断することになる。その事実認定において、検察官が、改めて被告人の犯人性の最大の根拠として主張した「5点の衣類」について、誰が何の目的で味噌タンクの中に隠したのかについても、採用した証拠に基づく事実認定をせざるを得ない。それについて、再審判決は、「本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもの」との積極的な事実認定を行ったのである。

「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについて、大善決定では、「当審で取り調べた各専門的知見から、1年以上みそ漬けされた5点の衣類の血痕の赤みが消失することが化学的機序として合理的に推測できる」としていたが、再審判決は、「その血痕は赤みを失って黒褐色化する」との断定的な判断を示し、それを前提に、「被告人以外の者が5点の衣類をその発見に近い時期に1号タンク内に隠匿したとすると、5点の衣類は、犯人が本件犯行時に着用していた犯行着衣でないと認められる。」「5点の衣類を犯行着衣としてねつ造した者としては、事実上、捜査機関の者以外に想定することができない」として、捜査機関によるねつ造を認定している。

検察官は「捜査機関による5点の衣類のねつ造は非現実的で実行不可能なものである」と主張したが、以下のような理由で退け、捜査機関が、被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあったとしている。

① 5点の衣類が発見される前は、5点の衣類を除く当時の証拠関係では、被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった。

② 捜査機関は、被告人が当時居住していた本件工場の従業員寮の捜索等を実施しており、被告人の着衣を把握していた。被告人の荷物が同年9月2 7日頃に被告人の実家に送付されるまでの間に、実際の被告人の衣類を入手し、ねつ造に及んだ可能性も十分にある。

③ 本件工場の北側出入口は、従業員以外の者も出入りできる状況であったから、捜査機関において、他の従業員に気付かれずに1号タンク内に5点の衣類を隠匿することも可能であり、5点の衣類の隠匿等に本件会社の従業員の協力が不可欠であったとはいえない。従業員の利害は本件会社の経済的利益と必ずしも一致するものではないから、本件会社に経済的打撃が生じることをもって、直ちにその従業員の協力を得ることが著しく困難であったともいい難く、従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性も否定できない。

④ 5点の衣類が発見された当時、被告人の自白の任意性が否定され、被告人が無罪となる可能性が否定できない状況にあり、被告人の自白と矛盾し、検察官の当初の立証方針に沿わないとしても、捜査機関が被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあった。

⑤ 昭和42年8月3 1日に5点の衣類が発見された後の吉村検察官による警察の捜査活動と連携した臨機応変かつ迅速な主張·立証活動を考慮すると、少なくとも吉村検察官にとって、被告人の自白と矛盾するような当初の立証方針の変更は、その立証活動に支障を来すほど影響はなかった。

この「5点の衣類のねつ造」の認定の基礎となっているのは、「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについての「断定的判断」である。弁護人請求の専門家証人のみならず、検察官請求の専門家証人の意見も踏まえて、その結論を導いている。しかし、そもそも、「味噌漬け実験報告書」は、「5点の衣類」自体についての分析結果ではなく、類似した条件下での血痕の変色の経過の実験による類推と科学的な推論によるものであり、間接的なものに過ぎない。それを「捜査機関による組織的証拠ねつ造」という事実を認定する証拠とすることには、もともと限界がある。「ねつ造は非現実的で実行不可能」との検察官の主張に対して行っている①~④の反論も、「ねつ造の可能性を完全に否定することはできない」という指摘にとどまるのであり、積極的にねつ造が行われたことの根拠になるものではない。

例えば、③の「味噌製造会社の従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性」について、「会社に無断で従業員が協力する可能性」を完全に否定することはできないことは再審判決の指摘のとおりかもしれない。しかし、警察が従業員に、何物かを味噌タンクに隠匿したいので協力してほしいと協力を申し入れることになるが、そこには拒絶されるリスクもあるし、それが、後日発見され、袴田氏の刑事裁判で有罪の最大の証拠とされることになった場合、会社に無断で警察に協力した従業員の心理的葛藤は想像を絶するものになるであろう。そのような証拠ねつ造工作を行うことのリスクは、警察にとって、重要殺人事件で検挙した被告人が無罪となることとは比較にならないほど大きい。

現実的な可能性としては、捜査機関による証拠ねつ造の可能性は極めて低いというのが常識的な見方であろう。

ねつ造その3(共布の端切れ)

「三つ目のねつ造」は、「5点の衣類」の衣類が袴田氏の着衣であったことの認定に関して、袴田氏の実家の捜索で押収したとされた「共布の端切れ」も、捜査機関によるねつ造と認定し、そこに検察官も関わっていると認定したことだ。それは、以下の理由による。

⑥ 5点の衣類の一つの「黒色ようズボン 1枚」(鉄紺色ズボン)は、黒色様とはされているものの、「味噌の水分、塩分などで濡れてやや固くなり、しわまみれ」とされているのに、袴田氏の実家の捜索で「共布の端切れ」を押収した経緯について警察官は、「黒色ようズボン」そのものと「同一生地同一色と認め」たと証言しており、同一生地同一色と判断したのは不合理である。捜査機関の者による持込みなどの方法によって、本件捜索以前に被告人の実家に持ち込まれた後に押収された事実を推認させる。

⑦ 吉村検察官は、昭和42年8月31日に1号タンクから発見された5点の衣類等について、5点の衣類と被告人を結び付ける端切れが押収された9月12日、本件捜索の立会人である袴田ともから事情を聴取した同月17日より前の9月11日に、立証趣旨を「被告人が本件を犯した際着用していた着衣であること」として証拠請求し、13日には、次回の公判期日を待つことなく犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した冒頭陳述の訂正まで行っている。具体的な証拠が乏しい状況で、5点の衣類が被告人の着衣と判断していたと認められ、被告人の実家から端切れが押収されることを本件捜索以前から知っていたことを推認させる。

再審判決は、吉村検察官が、「共布の端切れ」が袴田氏の実家から押収されることを、事前に知っていたと「推認」している。

その主たる理由は、吉村検察官が、5点の衣類と被告人を結び付ける「端切れ」が押収される前から、5点の衣類が犯行着衣であることを前提とする証拠請求、冒頭陳述の訂正等の公判対応を行っていることである。

確かに、「ズボンの共布」が実家から発見されれば、袴田氏の着衣であることの決定的な証拠になる。しかし、大量の血痕が付着した「5点の衣類」は、既に8月31日には味噌タンクの底から発見されているのである。それが犯行着衣である可能性が高いと考え、その時点から、それと被告人との結びつきを明らかにする補充捜査が開始されたはずであり、その結果、袴田氏の着衣と認める証拠が相当程度収集されていた可能性もある。吉村検察官が「5点の衣類」を犯行着衣と判断して公判対応を行ったことが、それ程不合理なこととは思えないし、ましてや、それだけで、「証拠ねつ造に加担した検察官」と「推認」されるようなこととは思えない。

再審判決の「共布の端切れ」に吉村検察官が関わったかのような事実認定には疑問がある。

袴田氏の母親の供述調書と公判供述の信用性に関する検察官の主張

さらに、再審判決は、前記の「共布の端切れ」について、袴田氏の母親の袴田ともの捜査段階の供述と公判供述の関係について、公判廷では

「そういったものを私は一度も見ませんでした」

「警察官が引き出しの中にあったといって私の前へ見せました」

と端切れが本件捜索前から存在していた点につき記憶がない旨証言し、本件捜索以前から被告人の実家に端切れがあったか否かという点で公判での証言内容と食い違っていることについて、袴田ともの検察官調書に、本件捜索以前から端切れが存在していたかのような記載があることや、袴田ともが端切れの押収当日に「ズボントモキレ」と記載した任意提出書を提出していることは、自らの体験を自発的に供述したというよりも、想定外のものを警察官から発見されたと言われて混乱したまま、捜査機関から、消去法的に、寮から送り返された被告人の荷物の中に端切れがあったという状況で理詰めで供述させられたことを強く疑わせると述べた上、

検察官は、袴田ともが、検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述を した覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していることや、検察官調書に署名・押印していることをもって、その供述内容の信用性が高まるかのように主張する。 

しかし、供述証拠の信用性は、他の証拠による裏付けや供述状況等を総合的に評 価して判断されるものである上、検察官が指摘する袴田ともの上記証言や供述調書の署名・押印は、作成の真正、すなわち、取調べにおける供述内容と供述調書の記載内容が一致していることを推認させるにすぎず、これらによって、内容の真正、すなわち、供述内容の真実性が直ちに裏付けられるものではない。検察官の上記主張は、任意性を確保しつつその裏付け捜査等によって十分な証拠の収集・把握に努めて供述を吟味するという、捜査機関が自ら規律する取調べの在るべき姿(犯罪捜査規範168条、173条(改正前の165条、170条)、検察の理念の4項、5項参照)にも反しかねない主張であって、採用できない。

と判示している。

前記の「3つのねつ造」についての事実認定は、すべて、袴田氏の確定判決に至るまでの50年前の警察や検察官の対応に関するものであるが、上記の供述調書の信用性に関する検察官の主張に対する判示は、現在行われている再審公判での検察官の対応の問題だ。

そこでの検察官の対応が「検察の理念」に反しかねないと批判されているのは、「検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述をした覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していること」「検察官調書に署名・押印していること」を供述内容の信用性が高まる事由として主張することである。大阪地検特捜部の不祥事等を受けて、それまでの検察の「調書中心主義」が反省を迫られ、公判中心の立証が指向されていることは確かであり、そのような現在の刑事裁判において、上記のようなワンパターンのやり方で供述調書の信用性を主張するのは「時代錯誤」だという批判である。

「検察の理念」は、上記の検察不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の提言を受けて検察が策定したものである。それだけに、「検察の理念」に基づく判決の批判は、検察にとって極めて重いものであり、公判での立証活動全体にも影響を及ぼしかねない。

袴田弁護団にとっても受け入れがたい「再審判決の理由」

以上のとおり、再審判決が認めた「3つのねつ造」は、検察官にとって到底受け入れがたいもののように思える。

では、その再審判決が、これまで長年にわたって、冤罪との戦いを続けてきた弁護人たち、袴田弁護団にとって、手放しで喜べる内容であったかと言えば、決してそうではない。

袴田氏の再審の扉を開く契機となった村山決定が最も重視した「5点の衣類」についてのDNA鑑定(本田鑑定)の証拠価値を否定しただけでなく、「5点の衣類」が袴田氏の着衣ではないことについてのズボンのサイズ、血痕の付着状況などについての弁護人主張は、「味噌漬け実験報告書」以外はすべて排斥した。そして、弁護人が、袴田氏が犯人ではなく、別に真犯人がいると主張する根拠としてきた、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする犯人像の主張、それに関連する事件発生直後からの警察の証拠ねつ造の主張など、袴田氏の犯人性を否定する主張は悉く排斥している。一方で、多くの事実について、「被告人が本件の犯人であることとの整合性」を認める判示を行っている。

現場の状況、凶器等の現場の遺留物についての判断から、袴田氏以外の犯人の可能性もあると述べる一方で、犯人像の中に袴田氏が含まれることは否定していないのである。

「5点の衣類」のねつ造の認定に関する再審判決の判示の「被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった」との表現からも、再審判決が認定した「捜査機関によるねつ造」は、弁護人が主張するように、真犯人がいることを認識しつつ、敢えて袴田氏を犯人に仕立て上げる、という「悪意」によるものではなく、袴田氏が犯人であると確信し、しかし、それを立証する証拠が十分ではないことから、「無罪判決によって真犯人を野に放ち、4人惨殺事件は迷宮入りする」という捜査機関にとって「最悪」の事態を回避するための「究極の選択」として行われた可能性を想定し、だからこそ、常識的には想定し難い「捜査機関による証拠ねつ造」も、本件に限っては想定できないものではないと判断したとも考えられる。そのような「被告人が有罪であるとの捜査機関側の確信」についての再審裁判所の認識は、犯人像についての弁護人の主張を悉く否定し、「被告人が犯人であることと整合する」との表現を多用していることにも表れているように思える。

そのような再審判決の認定は、弁護団が「完全無罪」をめざし一貫して主張してきた「犯人像についての主張」「初動捜査における証拠ねつ造の主張」などに対して十分な反論になっているのだろうか。特に「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする弁護人の犯人像についての主張は、相応に説得力があるように思えるが、再審判決の判示が、そのような弁護団の根本的な疑問を解消するに十分なものであるようには思えない。

再審判決は、袴田氏は犯人ではなく、真犯人は別にいると一貫して「完全無罪」を主張してきた弁護人にとっても、容易に受け入れることができるものではないように思える。

再審判決に対して「検察の控訴断念」はあり得るのか

今回の再審判決の認定は、これまで弁護人が一貫して訴えてきた、「袴田氏は無実であり真犯人は別にいる」とする「実体的不正義」の主張のほとんどを排斥し、袴田氏を含む犯人像の想定は否定しない一方で、捜査機関側の「手続的不正義」を徹底して糾弾し、犯人性についての証拠の大半を排除し、それによって証拠が不十分であることを理由に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫いて袴田氏無罪を結論づけたものである。

「手続的不正義」についての捜査機関に対する糾弾には、人権を無視した拷問的取調べなど、捜査機関側にとって弁解の余地のないものもある一方で、刑事判決の事実認定として疑問な点も少なくない。とりわけ、「5点の衣類」のねつ造の事実認定、確定審の一審を担当した吉村検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定は、検察としては許容し難いものであろう。また、検察官調書が「実質的に捏造されたもの」との評価や再審公判での検察官の検察官調書の信用性に関する主張が「検察の理念」に反するとの批判も、検察にとっては相当異論があるところであろう。

再審判決に対して検察官が控訴せず確定した場合、刑事裁判で事実認定が行われた「3つのねつ造」について、捜査機関側に対して国家賠償請求が提起されることは避けられないし、捜査機関による組織的なねつ造について検証と事実解明が求められることも考えられる。また、「公判での主張が『検察の理念』に反する」との裁判所の指摘を受け入れたということになれば、今後の検察の公判立証への影響も大きなものとなる。

一方で、弁護人にとってみれば、これまで40年以上にわたって、再審で袴田氏の冤罪を晴らし、無実を明らかにする戦いを続けてきた活動を思えば、捜査機関のねつ造を認める一方で袴田氏の犯人性を否定する弁護人の主張は採用せず「疑わしきは被告人の利益に」との原則によって無罪とした今回の判決の理由には承服しがたい点も多いのではないかと思える。

弁護人は、無罪判決に対する控訴はできないが、もし、検察官が控訴を申立てた場合には、控訴答弁書においてどのような主張を行うべきか、困難な判断を迫られることになる。

筆者も、美濃加茂市長事件で一審無罪判決に対して、検察官が控訴を申立て、一審での検察官の主張とは異なる主張を行って一審無罪判決を批判してきた際、弁護人として、「一審無罪判決の擁護」と「控訴審での検察官主張への反論」のどちらを優先するのか苦悩した経験がある。

袴田弁護団としても、もし、検察官控訴で控訴審に対応することになった場合、一審無罪判決に対してどのような姿勢で臨むのか困難な状況に直面することになるかもしれない。

このように、検察の立場からは受け入れ難く、弁護人の立場からも、無罪の結論はともかく、理由は受け入れがたい再審判決だが、それでは、再審裁判所として、どのような審理を行い、どのような判断が行えたのか。50年以上前の一家4人惨殺事件という、刑事事件として最も重大な死刑求刑事件の刑事裁判を、改めて刑訴法の規定に基づいて行うこと、それによって、証拠に基づく事実認定を行うこと自体が、極めて困難である。そもそも、犯人像についての疑問など、事件から58年経った現在において、証拠に基づく判断で解消されることなど考えられない。だからこそ、再審判決は「手続的正義」を全面に掲げて捜査機関を論難する方向に走らざるを得なかったと考えることができる。

しかし、そのような本件についての審理・判断の困難さは、検察官が控訴を申立てた場合に、控訴審を担当する裁判所にとって一層大きくなることは想像に難くない。そういう意味で、この事件の真相解明は、もはや刑訴法に基づく刑事裁判の範疇を超えているというべきであろう。

法務大臣指揮権による最終決着を

再審判決の「3つのねつ造」の認定と再審公判での主張に対する批判は、検察にとって受け入れ難いものであり、現行法の解釈・実務において、無罪判決に対する検察官控訴が許容されている以上、再審判決に対しては控訴を申立てる以外に選択肢はないように思える。

そして、検察官控訴が行われた場合、弁護人も、困難な判断に迫られることになり、控訴審は、簡単に「控訴棄却」で決着するとは考えらえない。相応の期間がかかることは覚悟せざるを得ないだろう。

しかし、一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容できない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。もし、高齢の二人のいずれかに万が一のことがあった場合には、検察批判の大炎上を招くことは必至だ。

上記述べたように、既に、刑訴法に基づく刑事裁判として解決する範疇を超えているように思えるこの「袴田事件」の最終決着のための唯一の方法は、法務大臣の指揮権(検察庁法14条但し書)によって、控訴申立を行わないように、もし控訴を申立てた場合には取下げるように、検事総長に対して指示することではないか。

法務大臣自身が、自らの責任において、明示的に14条但し書きの個別の事件の捜査・処分についての指揮権を行使することがあり得る。それが実際に行われたのが、造船疑獄における法務大臣の指揮権の行使であり、通常、「指揮権発動」というのは、このことを指している。

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないから、どのような瑣末な事件でも、法務大臣が関心を持てば、検事総長を通じて捜査・処分に介入することは可能である。しかし、一般的な犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足り、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、介入することは、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになる。

しかし、例外的に、検察組織内部の決定だけに委ねておくことが適切ではない場合に、法務大臣が指揮権の行使について検討し、判断することが必要とされることもある。それは刑事事件の捜査・処分について、検察として判断を行うことが適切ではない場合である。

その典型例の一つが、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣と協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件で、船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認め、検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行った。

このような法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例においても、検察官の訴追裁量権の枠内で判断することを是とするような検察内部の考え方があり、そして、それを支持する世の中の論調がある。

しかし、今回の袴田事件の再審判決への対応は、事件から58年の間の刑事裁判、再審請求審の経過、袴田氏が34年にわたって確定死刑囚として、死刑を執行される以上の精神的苦痛を受け、その精神を病むところまで追い込まれていること、そして、確定審の認定に重大な疑問が生じ、再審開始が決定され、実際に再審公判が行われたものの、刑事裁判によって、この事件が解決されるどころか、判決の内容を見る限り、再審判決で確定させることは、刑事司法の枠内で考える限り困難であることなどから考えると、「刑事司法の枠を超えた法務大臣の責任による判断」として、控訴を行わないように、或いは取り下げるように検事総長を指揮することで、本件の最終決着を図るべき事案である。

検察官による事実誤認を理由とする控訴は、英米法の諸国においては「二重の危険の禁止」の法理の下に禁止され、また大陸法の諸国においても、参審制等により国民の司法参加が認められていること、控訴審の機能は誤判救済にあると位置付けられていることなどから、多くの国で禁止されている。我が国においても、憲法第39条において「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されているのを「二重の危険の禁止」の法理であると解する見解が有力であり、検察官による上訴は憲法違反の疑いがある。

無罪判決に対する検察官控訴に対しては、そのような憲法上の疑義があることをも考慮すれば、この袴田事件の無罪判決についての検察官への不控訴の指示は、憲法の趣旨にも沿うものとの見方も可能である。

指揮を受けた検事総長は、「再審判決の事実認定は承服しがたいものであるが、検察庁法に基づく法務大臣の指揮を受けたので、それに従う」と述べて不控訴で事件を決着させることになる。

その場合、この事件の過程で問題になった再審の在り方についての問題の指摘、検察の公判対応への批判などは、すべて法務大臣自身が受け止めて、この事件での著しい審理の長期化を招いた再審に関する法整備、無罪判決に対する検察官控訴の是非の検討などを、その責任において、今後の対応を行うということになるであろう。

長年、袴田氏の冤罪救済の活動に懸命に取り組んできた弁護団、与えられた刑訴法の権限に基づき、再審請求審、再審への対応を行ってきた検察官、そして、50年以上も過去の事件について証拠による事実認定という極めて困難な審理判断を行う裁判所、もう十分にその使命は果たしてきた。

袴田巌氏と姉のひで子氏を刑事裁判から解放し、静かな余生を送ってもらうため、ここで「ノーサイド」の笛を吹くことができるのは法務大臣しかいない。

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“総裁選ルール”は“公選法ルール”とどう異なるのか、「公平性」が何より重要な理由

自民党総裁選も最終盤に入り、候補者陣営の間、支援者の間で、様々な形でのバトルが激化している。ここへきて、今回の総裁選にあたって自民党選挙管理委員会が定めたルールとの関係で問題が指摘されることが多くなっている。

総裁選は、自民党という一つの政党のトップを選ぶ選挙であり、公職選挙ではないが、事実上それが総理大臣を選ぶ選挙になっているだけに、社会的注目度は大きい。選挙で設定されたルールは、正しく、公平に適用されなければならないし、それに基づく批判も正当に行われることが必要だ。「公選法が適用される場合の違法評価」が、総裁選に関しても引き合いに出されることがあるが、今回の総裁選のルールと、公職選挙法のルールとは基本的な性格に違いがある。その点を踏まえて議論をしないと、混乱が拡大するだけだ。

今回の総裁選ルールと「公平性」が特に重要な理由

今回の自民党総裁選挙で、岸田文雄首相が、総裁選不出馬、退陣の意向を表明した最大の原因となったのが「派閥政治資金パーティー裏金問題」である。岸田首相が行ってきた対応が国民から全く評価されず、政権への信頼が失われたからこそ、再選に向けての出馬を断念せざるを得なかった。

「政治とカネ」がテーマとなった総裁選となることから、その総裁選は可能な限り金をかけない選挙にしようということで 選挙管理委員会は9月4日付で、政策パンフレットの郵送や自動音声(オートコール)による電話作戦の禁止を党内に通知した。それは、今回の総裁選をめぐる政治情勢を考慮したテンポラリー(一時的)・ルールだ。

最も重要なことは、このルールが各候補者の総裁選に向けての活動に公平に作用すべきだということだ。そこで「不公平性」が問題となった場合には、事実上の「総理大臣を選ぶ選挙」の正当性に重大な疑問が生じることになる。

「法律によるルール」とは異なり、ルール適用の時期、適用の範囲等について厳密な規定があるわけではない。しかし、総裁選ルールの性格に照らし、公平性が特に重要であることを認識しているのは当然であり、自らの行動が「公平性」の面から問題がないかどうかは、常識的に判断が可能なはずだ。それが認識でき

ない候補者は、そもそも総裁になる資格自体があるのかすら疑問だ。

公選法ルールとの性格の違い

公選法とのルールの性格の違いも明確に認識する必要がある。

公職選挙法が、すべての人に向けられた法律であるのに対して、今回の総裁選に関して設定されたテンポラリー・ルールは、あくまで、総裁選を戦う候補者、陣営の間の「戦い方」に関するルールだ。そのような候補者本人の活動、陣営の活動以外の、地方組織も含めて党の所属議員、党員・党友による総裁選に向けての活動全体に適用されるべきものではない。もちろん「カネをかけない総裁選」という方針は、できるだけ党全体において尊重されるべきであるが、ルール自体が適用され、その違反が問題にされるのは、候補者、陣営自体の行為である。

「カネがかからない総裁選ルール」との関係も、候補者、陣営が行った行為とそれ以外の支援者の行為とでは評価は全く異なる。

高市氏のリーフレット郵送問題

上記の総裁選ルールへの違反が最初に問題にされたのが、高市早苗氏だった。高市氏の総裁選に向けての政策を記載したリーフレット30万部超が、上記のルールの通知後に全国の党員・党友に届いたことで、ルール違反の疑いが指摘された。この問題で、逢沢選管委員長は、9月11日、高市氏を口頭注意した。

高市氏は、総裁選出馬が確定していなかった7月に原文を書き、8月の頭に業者に依頼して、8月末には発送の手続きを済ませ、それが上記のルール通知後に配達されたもので、総裁選ルールには違反しないと説明している。しかし、8月21日に自民党選管から逢沢一郎委員長の名前で出された書面で、「自民党が変わる」「自民党を変える」決意に相応しい選挙とするために「今回の総裁選に関係する告示前の活動(いわゆる事前活動)についても、極力、費用をかけないよう努めるべき」と通達しており、発送を終えるまでに、「カネのかからない総裁選ルール」は十分認識できたはずだ。高市陣営以外にも、封書を党員に送る手配を進めていたものの、選管の上記方針が出たので発送を取りやめた陣営が複数あるとのことだ(山本一郎氏【笑ってはいけない自由民主党総裁選、高市陣営が党員向けリーフレット配った件で空中戦が発生】)。

少なくとも、各候補者が、党員・党友に自らの政策の周知を図る上での公平性に重大な疑問が生じたことは否定できない。選挙序盤で高市氏の優勢が伝えられると、他の総裁選候補者の陣営から批判が相次いだのも当然と言えよう。

高市氏支持者のネット上の主張

そのような高市氏の総裁選ルール違反が問題とされたことを受け、高市氏を支持する人達がSNS上で、「他の候補も総裁選のリーフレットを送っている」として、党員に送付されたリーフレットの現物の写真をアップするなどし、高市氏も、党選管から問題視された自身のリーフレット郵送に関し「1人だけ郵送したわけではない」と発言し、「他陣営も同様のことをやっている」と主張した。

しかし、アップされたリーフレットやその送付文書等を見ると、これらは、候補者本人や陣営ではなく、支持する地方議員個人や支援者等が行ったもののようだ。そうであれば、候補者や陣営がルール違反に問われる問題ではない。高市氏自身の判断で、30万部超のリーフレットを郵送した問題とは全く違う。

高市氏のリーフレット大量郵送問題は、郵送の判断を行った時点で、他の候補者との「公平性」に疑問が生じることは十分に認識可能だったはずだ。それを敢えて行い、実際に、党員・党員の支持を得ることについての公平性の問題が生じることになった。仮に、高市氏が総裁選に当選した場合、この問題は、総裁の地位の正当性に重大な疑念を生じることになろう。

高市氏側の反論における「石破氏側の問題」の中身

総裁選の決戦投票で高市氏との対戦相手になる可能性があると言われているのが石破茂氏だが、最近、高市氏を熱烈に支持する人達によって「大阪での中華料理店での支援者の会」のことが大きく取り上げられている。

須田慎一郎氏は、「虎ノ門ニュース」と称するYouTubeチャンネルで【※削除覚悟※ 須田慎一郎さんが自民党総裁選のある候補の秘密を掴んできてくれました】と題し、「緊急生配信」と大きな赤文字の下に「あの総裁選候補の秘密 遂に掴みました」などと記載した目立つサムネイルを付けた動画を配信している、

石破氏の支援者が大阪の中華料理店で開いた会について、討論会で大阪に来た石破氏が1時間余り会に参加すること、知人も誘って参加できるとされていることなどがわかるLINEのやり取りなどを示し、「党員・党友なら」「無料で参加できる」などとLINEには書かれていないことを付け加えている。

石破陣営が、「カネのかからない総裁選」のルール違反行為を行っている例であるかのように述べ、それを「緊急配信」「秘密を掴んだ」などとし拡散している。

しかし、LINEのやり取りを見る限り、単に、支援者が開いた集会に石破氏が短時間参加しただけの話であり、少なくとも石破氏やその陣営の側の問題ではない。それだけであれば、何の問題もないことは、須田氏も認識しているようで、「その費用を石破陣営が出しているのではないか」「全国で同じようなことをやっているのではないか」などと「全く根拠のない憶測」を遠慮がちに述べているだけだ。その動画の内容に問題があることを自覚しているからこそ、タイトルに「削除覚悟」という言葉を入れているのであろう。

敢えて「公選法のルール」を持ち出した場合

このような高市支持者による石破氏に関する指摘について、「公選法が適用される選挙であれば違反になるのではないか」、と思う人もいるようだ。「たとえ支援者が開いた集会だとしても、飲食が提供されるのは問題ないのですか?しかも聞けば結構な高級店みたいなのですけど。会費制なら問題ないにしても、無料だったみたいですから。」との投稿もある。 

確かに、公職選挙であれば、支援者が特定の候補者を当選させる目的で有権者を饗応した事実があれば、公選法違反になる。しかし、それは、あくまで「当該支援者の行為」であり、その行為者である支援者が公選法違反に問われるだけだ。候補者側にも責任が及ぶのは、候補者自身や連座制の対象者が饗応に関与していたり、その資金を提供した事実があった場合だ。

前述したように、今回の総裁選では、候補者やその陣営に対して「カネのかからない選挙」にするためにルールが設定されたもので、支援者に対して適用されるルールではない。しかも、「石破陣営が費用を負担しているのではないか」というのが全くの憶測であることを須田氏自身も述べており、そもそも「党員・党友であれば何人でも無料で」という点も、引用しているLINEにはない。それであれば、たとえ公選法が適用される選挙であっても、候補者側の責任が問題になる余地は全くない。そもそも、このような「大阪での支援者の会」を「緊急配信」「候補者の秘密」などと取り上げること自体が、凡そ理解し難い。

ネットの世界での単純化

須田氏の動画は、全く中身のない単なる印象操作に過ぎないが、その動画が高市支持者に拡散される間に、あたかも石破陣営が高市氏のリーフレット郵送問題以上に露骨なルール違反を行っているかのように単純化されていく。

特に露骨なのは、門田隆将氏@KadotaRyushoだ。

門田氏は、須田動画のLINEを一部引用し、

《何の問題もない高市早苗氏の国政報告に対して虚偽情報をバラ撒いた石破茂陣営。大阪でも9月18日「党員であれば、誰を何人連れて来てもOK、突然参加も可、という会合を開いた。いくら公選法適用外でもやり方が露骨すぎる」と他陣営から非難噴出》

などと、候補者陣営が総裁選での饗応工作を行ったかのように単純化して印象操作している。そして、フォロワー50万人を超える門田氏の投稿がさらに拡散され、あたかも、石破陣営は総裁選のために大阪の高級中華料理店で多数の党員・党友に饗応を行った事実があり、高市氏の総裁選ルール違反を問題にする資格がないかのような印象を与えている。

候補者自身が、相当な資金をかけて「国政だより」を党員に大量配布した高市氏の問題と、支援者が主催した会食に限られた時間参加しただけの石破氏とは全く問題が異なるのであり、高市氏の行為を擁護・正当化する理由には全くならない。

9月27日の投開票日が迫っているが、自らの総裁選ルール違反に対して他の候補者の問題を引き合いに出して全く非を認めようとしない高市氏が有力候補の一角とされ、手段を選ばず高市氏支持を拡大していこうとするネットの世界の熱烈な支持者の動きは、事実上総理大臣を決める選挙の「危うさ」を象徴しているように思える。

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自民総裁選「政治とカネ」から逃げる候補者達、「裏金議員」に何を説明させるべきか

岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明したことを受け、10人を超える議員が出馬の意向を示していた自民党総裁選が9月12日に告示され、9人が立候補の届出を行った。

岸田首相の不出馬の最大の原因となったのが「派閥政治資金パーティー裏金問題」であり、この「政治とカネ」の問題への対応が国民から全く評価されず、政権が信頼を失ったからこそ、再選を断念せざるを得なかったのである。その直後に解散総選挙が行われることが予想される今回の総裁選では、「裏金問題」への対応に関して、岸田首相との違いをアピールできる対策の「競争」になるのが当然だろうと思われた。

しかし、9人の候補者がそれぞれ出馬会見を行い、「政策」については立派なことを言っている一方で、「政治とカネ」問題について、国民が納得し信頼が回復できるような対応方針を示した候補者は一人もいなかった(【自民党総裁選出馬会見、「政治とカネ」問題で「抜本改革」を打ち出せない小林・河野、他の候補者は?】【高市氏出馬会見、党紀委処分で裏金議員「非公認」を否定、「『ちゃぶ台返し』はできない」に重大な疑問】)。

総裁選の投票権を持つ自民党所属議員の中に、派閥から裏金を受け取っていた「裏金議員」が80人以上含まれ、その支持を受けられるかどうかが、とりわけ決選投票の当落のカギを握ることになるため、「裏金議員」の反発を招くような対応方針は打ち出せない、というのが最大の理由であろう。

自民党の新総裁に就任すれば、総選挙で国民に信を問うことになるが、まずは、議員票を獲得して総裁選に勝利しなければ、総裁として総選挙に臨むこともできない。総選挙のことは、総裁選で勝ってから考えればよいということだろう。つまり、総裁選が「一次試験」、それを突破しなければ「二次試験」に臨むことができない、ということか。

しかし、国民の側からすると、今回の総裁選は、総選挙で国民の信を問う総裁を選ぶ選挙であり、岸田首相不出馬の原因となった「政治とカネ」問題に対して、国民が納得し、支持するような対応を打ち出すことの競争を行うことが、衆院選に向けての「一次試験」であり、その点を曖昧にしたまま総裁選を勝ち抜いて新首相に就任しても、自民党に対する信頼が回復しない以上、「二次試験」の総選挙での「落第」は必至のはずである。

高市早苗氏は、「自民党で処分が決まっている。非公認を含めて党内で積み重ねてきた議論を、総裁が代わったからと言ってちゃぶ台返しをしたら独裁」などと言って、裏金議員への対応を見直す余地は全くないと断言したが、それ以外の総裁選候補者の多くは、「不記載議員には説明責任を果たさせる」或いは「説明責任を尽くしたかどうか見極める」ということを述べた。

問題は、その「説明責任」の中身である。

今回の「裏金問題」で、なぜ国民が強烈に反発し、怒ったのか、それは、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い憤りである。政治資金として公開しない「裏金」というのは、個人が自由に使える、ということであり、一般の国民がそのようなお金を得ていたことがわかれば、間違いなく所得税の納税をさせられる。場合によっては、追徴税、重加算税まで課せられる。ところが、「裏金議員」は、「政治資金の収支報告書への不記載に過ぎなかった」と弁解して収支報告書を訂正し、何のお咎めもなし、ということになっている。そのことに国民は怒っているのである。SNS上に「裏金議員」に関して「脱税」「泥棒」などという言葉が飛び交っているのもそのためである。

岸田首相は、「検察が法と証拠に基づいて厳正に捜査処分を行った」と強調するが、その検察の処分にも多くの国民が疑念を持っている。私も、現在の「裏金事件」をめぐる混乱の最大の原因が検察の誤った捜査・処分であることを再三指摘してきた(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】)。

そのような現状において、国民の納得を得るために、自民党総裁として、「裏金議員」に求めるべき説明というのは、どういうものなのか。

重要な点は、「①なぜ、どのような認識で収支報告書に記載しない金を受け取ったのか」「②それをどのように管理していたのか」「③どのような用途に使ったのか」「④未使用金はどうしようと思っていたのか」である。

① は、そもそも、政治活動に関して「収支報告書に記載不要の金」というのは、あり得ないはずである。それを議員側が受け取った際にどのように認識していたのか、というのは「裏金問題」の核心である。そして、管理状況、使途、未使用金の使用予定は、それが、どの政治団体、或いは政治家個人に帰属する資金であったのかを判断する重要なポイントとなる。それらの説明の結果、「政治家個人に帰属する政治資金の寄附」と判断されれば、そもそも違法寄附となる可能性がある上に、所属議員の個人所得となり、所得税の納税の義務も生じることになる。

本来、自民党の党紀委員会での処分に当たって、これらの点について個別にヒアリングをして、事実確認を行うことが不可欠だったはずだが、それが十分に行われたようには思えない。

だからこそ、総裁選で新総裁が選出されたら、まず、その点について個々の「裏金議員」に説明を求めることが必要だ。その結果、政治団体に帰属する資金であることについて納得できる説明が行われた議員については、その説明内容を国民に示すことで、その議員についての党紀委員会の処分が正当であったことが確認されたことになる。

一方、①~④の説明の結果、政治家個人宛の政治資金の寄附だと判断せざるを得ない場合には、少なくとも、当該議員に所得税の修正申告・納税を行うよう求めることが必要になる(違法寄附を受けたことについての告発も検討の余地はあるが、検察が刑事処分済であるので実際上は処罰は困難であろう)。

このようにして新総裁が、国民が裏金議員の「不処罰」「不納税」に対する疑問・不満に向き合い、裏金議員に対する説明を求め、事実関係を明らかにすることができれば、岸田首相不出馬を受けての自民党総裁選は「裏金問題」で失った自民党の信頼回復のために大きく貢献することになる。

このような説明を求めることをせず、自民党としての事実解明のレベルが、党紀委員会の処分の前提事実と何も変わらないということであれば、今回の総裁選は、国民にとって「一体なんだったのか」ということになる。

その場合、国民は、来る総選挙で、自民党に「解党的出直し」を迫るほどの「惨敗」という選挙結果を突きつけるしかない。

「新しい総裁」による刷新感で「政治とカネ」問題をごまかそうというのが、自民党議員の魂胆のようだ。そのようなことでごまかされるほど、国民は馬鹿ではない。

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高市氏出馬会見、党紀委処分で裏金議員「非公認」を否定、「『ちゃぶ台返し』はできない」に重大な疑問

自民党総裁選に向けての出馬表明の動きが本格化してきた8月28日、本欄の記事【自民党総裁選出馬会見、「政治とカネ」問題で「抜本改革」を打ち出せない小林・河野、他の候補者は?】で、岸田首相が総裁選不出馬に追い込まれた最大の原因となった「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金問題」の経過と、岸田首相の対応を振り返り、総裁選における「政治とカネ」問題の論点を整理し、その時点で出馬会見を行っていた小林鷹之氏と河野太郎氏の、この問題に対する会見での発言について論評した。

「裏金問題」への対応には、派閥から政治資金パーティーの売上のキックバック等を受け、政治資金収支報告書に記載しなかった議員(裏金議員)に対して、どのような対応を行うのかという問題と、このような「裏金問題」を含め、政治資金制度をどのように是正していくのか、具体的に政治資金規正法をどう改正していくのか、という二つの問題があり、これらについて、総裁選の候補者が、国民に全く評価されなかった岸田首相の対応とは異なるどのような施策が打ち出せるかが注目点だと述べた。

そして、小林氏、河野氏に共通する裏金に関する事実解明を否定する姿勢について、岸田首相がこれまで国会答弁で繰り返してきたことと全く変わらないものであり、その理由とする

「捜査権を持つ検察以上のことは自民党にもできない」

というのは全くの誤りであることを述べた。

検察が行えることは、刑罰法令を適用し、刑訴法に基づく権限を行使して、証拠により犯罪を立証して処罰を求めることだ。適用する刑罰法令に問題があれば処罰が困難になり、刑訴法上の権限を用いることにも、黙秘権、令状主義等による制約がある。

一方、自民党として裏金の事実解明を行おうと思えば、「公認権」という党所属議員の生殺与奪の力を有している自民党総裁が、裏金受領議員に、受領の経緯、保管状況、使途について可能な限り調査して報告させ、十分な説明責任を果たすことを次期衆院選の公認の条件とすれば、相当程度の事実解明ができるはずだと述べた。

また、河野氏が、裏金議員への対応として

「不記載と同じ金額を返還をしていただくことでけじめとする」

などと述べたことに対しても、「裏金」は、派閥から所属議員にわたったものであり、自民党は返還を求める立場ではないことを指摘した。

裏金議員への対応について、8月24日に出馬表明した石破茂氏は、説明責任を尽くすことの必要性を強調し、公認についても新執行部で検討する余地があると述べている。一方、9月6日に記者会見を行った小泉進次郎氏も、

「対象となった議員の公認については、説明責任が尽くされているか。再発防止に取り組んでいるか、地方組織、県連の意見を聞いて新執行部で判断する」

と述べている。一方、茂木敏充氏は、

「(衆院)解散が決まった時点で党選対本部で厳正に判断したい」

としか述べていない。9月3日に出馬会見を行った林芳正氏は、

「総裁が代わったからと言って、政倫審、党の党紀委員会等の手続をとって決定したことを何も手続をとらないで変えることはあってはならない」

と述べ、小林氏と同様に、

「新たな事実が出てきた場合には、党としての調査を考える」

と述べた。

そして、マスコミの情勢調査等では、石破氏、小泉氏と並び有力候補の一角とされている高市早苗氏が、9日に出馬会見を行った。

高市氏は、裏金議員への対応について問われ、

「自民党で処分が決まっている。8段階の処分の中には『非公認』もある。非公認より厳しい処分が5名に下されている。非公認を含めて党内で積み重ねてきた議論を総裁が代わったからと言ってちゃぶ台返しをしたら独裁」

だと述べて、新総裁に就任しても、裏金議員への公認等について検討する考えはないと述べた。

基本的な趣旨は林氏と同様だが、党紀委員会で「非公認」も含めて検討した上で、処分が決定されたことを強調し、それを覆すのは「独裁」とまで言い切ったことで、裏金議員の公認を見直すことを明確に否定した。この高市氏の発言は、次期衆院選での公認の見直しなどという話にならないよう、固唾をのんで総裁選の行方を見守っている80人を超える裏金議員の支持を得る上では、この上なく効果的なものと言えよう。

しかし、一見、論理的に見える高市氏の「裏金議員への処分見直し否定論」だが、そこには重大な疑問がある。

まず、第一に、自民党の党紀委員会で決定された処分というのは、自民党という組織の中で、組織の論理の範囲内で議論され決定されたものであり、それに対して、国民から強い反発批判が生じているからこそ、岸田内閣の支持率が低迷し、現職首相の総裁選不出馬という結果につながったものだ。今回の総裁選において、そのような岸田総裁の下の自民党内で行われたことを、既に一定の手続を経て決定済だという理由で、すべて「是」として見直さない、というのでは、自民党内では通用しても、国民に対しては全く理解されないだろう。

第二に、その党紀委員会の決定の前提事実に合理性があるのか、という問題である。裏金議員に対する自民党の従来の対応がなぜ国民から厳しい批判を受けているのか、それは、何と言っても、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い憤りである。

国民の多くは、裏金議員の中には、その金を個人の懐に入れていた議員が相当数いるのではないかと疑っている。裏金議員の側は、すべて「政治資金として使っていたもので、議員個人が懐に入れていた金はない」と説明し、自民党の側も、その弁解を丸呑みして、裏金はすべて「政治資金」との前提で、党紀委員会の処分が行われている。

党紀委員会の処分についての自民党の発表(【党紀委員会の審査結果について記者会見】)を見ても、派閥幹部として不適切な会計処理への関与が疑われた派閥幹部のほか、「不記載議員」については、

《過去5年において、自身の政治団体に多額、2000万円以上の不記載があった議員の政治的、道義的責任も重いとの判断でした。上記以外にも、過去5年において、自身の政治団体に相当な額、1000万円以上、もしくは500万円以上の不記載がある議員について、会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者の管理責任も問われるとの審査結果でした》

とされており、この「不記載」は、すべて会計責任者が行ったことで、議員本人は、「会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者の管理責任」だけが問題にされている。

しかし、実際には、そうではなく議員個人の用途に使われていたと考えざるを得ない事実も明らかになっている。

例えば、「裏金議員」の一人の堀井学氏が、資金管理団体の政治資金収支報告書に、安倍派から還流されたパーティー収入約1700万円を寄付として記載しなかった政治資金収支報告書の虚偽記入と、秘書らを通じて選挙区内の52人に香典計38万円や枕花(約23万円相当)を贈った公職選挙法違反(選挙区内の寄付)の罪で略式請求されたことだ(堀井氏は事件を受け議員辞職)。

この件について、堀井氏が派閥から受領した「裏金」を原資として香典等を有権者に渡していたと一部で報じられている。検察の起訴事実によると、「資金管理団体が堀井学を名義人として寄附をした」というのではなく、堀井氏自身が寄附の主体とされている。資金となった派閥からの裏金は政治団体ではなく政治家個人に帰属し、それを原資に香典等が贈与されたということになる。

たまたま明らかになった堀井氏の事件で、裏金が政治団体ではなく個人に帰属した疑いが濃厚になっているのである。それ以外の議員について、すべて政治団体に帰属し、個人に入った裏金は全くなかったと、どうしていえるのであろうか。

ところが、仮に、議員が、「裏金」を、秘書や会計責任者に委ねることなく自分の懐に入れていたという場合、上記の党紀委員会の処分では、「会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった」とは言えないので処分を免れることになってしまうのである。

第三に、そもそも、「非公認」という処分も含めて、党紀委員会で検討の上、「非公認」より重い処分が5人に下されているので、新総裁に代わっても、裏金問題に関連して「非公認」にすることはできない、という高市氏の理屈も明らかにおかしい。

確かに自民党の党規律規約では、(1)除名(2)離党勧告(3)党員資格停止(4)選挙での非公認(5)国会・政府の役職辞任勧告(6)党の役職停止(7)戒告(8)党則順守勧告という8段階の処分が予定されており、その中の4番目として、「非公認」も含まれている。

しかし、それは、党紀委員会の審査の対象とされた事実について、適切と判断された処分が選択されたということであり、既に述べたように、そのような前提事実で党紀委員会の処分を決定したことが国民に理解されていないのであるから、新総裁が、その処分だけでは国民の理解が得られないと判断した場合に、その点について、対象議員に説明を求め、その説明が尽くされない、或いは、説明困難なことがある、ということであれば、総裁として公認を再検討する余地があるのは当然である。

結局のところ、党紀委員会で「非公認」の選択肢も含めて検討した結果「非公認」の処分が行えなかったので、その件に関して公認の見直しはあり得ないという高市氏の主張は全く通る余地はない。

高市氏が、なぜ、このような理屈を持ち出してまで、裏金議員の公認見直しを否定しようとするのか。それは、現時点での総裁選の情勢が、仮に決選投票に残った場合に、「裏金議員からの圧倒的な支持」を受けようとする思惑があるのかもしれない。

しかし、説明も十分にせず、納税の義務も果たさない裏金議員に対して「大甘」な対応のままでは、仮に総裁選挙を乗り切ったとしても、選挙で国民の理解と信頼を得ることは困難であろう。

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堀井学氏「1700万円裏金」「香典贈与」略式起訴で露呈した“裏金議員への「大甘捜査」”

東京地検特捜部は8月29日、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる事件で、「清和政策研究会」(安倍派)から還流されたパーティー収入について、直前に衆議院議員を辞職した堀井学氏を政治資金規正法違反の罪で略式起訴した。

検察の発表によると、堀井氏は、資金管理団体の「ともに歩き学ぶ会」の2019~2021年分の政治資金収支報告書に、安倍派から還流されたパーティー収入約1700万円を寄付として記載しなかったことが、同団体の政治資金収支報告書の虚偽記入であり、政治資金規正法に違反するとされたようだ。

また、堀井氏は、2021年10月~2023年10月、秘書らを通じて選挙区内の52人に香典計38万円や枕花(約23万円相当)を送った公職選挙法違反(選挙区内の寄付)の罪でも同時に略式起訴されており、政治資金規正法違反の罪と併せて「罰金100万円」「公民権停止3年」の略式命令が出された。

堀井氏起訴と「裏金議員」立件基準との関係は?

この堀井氏に対する政治資金規正法違反と公選法違反の略式起訴に関しては、不可解な点がいくつかある。

自民党の調査結果によると、2018年から2022年までの5年間で派閥から裏金(収支報告書に記載しない前提で派閥から所属議員に供与された金)を受領した国会議員は82人に上る(2024年2月13日東京新聞)が、検察が、今年1月に行った一連の裏金事件に対する刑事処分において、正式起訴されたのは、4826万円の池田佳隆衆議院議員と5154万円の大野泰正参議院議員の2名、その他に4355万円の谷川弥一元衆院議員を略式起訴しただけで、それ以外は、刑事立件されず、告発されても不起訴となっている。

そのため、検察は、刑事立件の基準を3000万円とし、それ以下の金額の裏金議員は立件しない方針だと言われていた。

今回、裏金の金額が2196万円とされていた堀井氏が、1700万円の収支報告書虚偽記入で略式起訴された。なぜ3000万円以下なのに起訴されたのか、他の裏金議員との関係はどうなるのだろうか。

裏金の悪質性と公選法違反との関係

裏金に関する政治資金規正法違反で、堀井氏だけ、特に刑事立件され起訴される理由があるとすれば、同時に略式請求された事件、有権者に対する香典・枕花の供与の公選法違反との関係であろう。

しかし、82人の「裏金議員」の多くが主張しているように、「派閥からの還付金の単なる収支報告書への不記載であり、全額政治活動のために使っていて、実質的には問題ない」ということだとすると、それとは全く別個に香典等の寄附の公選法違反が発覚したからと言って、裏金の「単なる手続上の違反」が、突然、処罰すべき政治資金規正法違反と評価されるのもおかしい。この堀井氏の1700万円の収支報告書虚偽記入だけが起訴される理由にはならないはずだ。

一部で報じられているように、堀井氏は派閥から受領した「裏金」を原資として香典等を有権者に渡していたことによって、悪質性について評価が変わったということであれば、1700万円の虚偽記入の処罰について、一応理屈は通る。

しかし、その場合、もう一つの疑問が生じる。

今回、堀井氏は、「衆議院議員の公職にあった者」つまり「公職の候補者」として、選挙区内の有権者に香典・枕花を供与したということで、公選法199条の2第1項(「公職の候補者等は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない」)違反で起訴されている。

「公職の候補者等を寄附の名義人とする当該選挙区内にある者に対する寄附」も同条2項で禁止されているが、検察の起訴事実は、「資金管理団体が堀井学を名義人として寄附をした」というのではない。政治団体「ともに歩き学ぶ会」ではなく、堀井氏自身が、堀井氏個人の資金による供与だったとすると、裏金は政治家個人に帰属し、それを原資に香典等が贈与されたということになるのではないか。

裏金は政治団体に帰属するのか政治家個人に帰属するのか

一般的に、「裏金」というのは、その議員に関係する政治団体・政党支部のどこの収支報告書にも記載しない、という前提で領収書もやり取りせずに供与するものだ。今回の派閥から所属議員にわたった政治資金パーティーの「還付金」ないし「留保金」(議員が購入者から受領した売上金の一部を派閥の口座に送金せず手元に留保するもの)も、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたというのだから、議員の側は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかったということだ。

「収支報告書に記載しない金」として供与されたということは、政治団体の収支報告書の記載の対象ではない「政治家個人に対する寄附」と考えるのが自然だが、それは、「違法寄附」となる。

政治資金収支報告書の虚偽記入の法定刑は禁錮5年以下・罰金、会計責任者が作成義務を負い、政治家本人の関与は間接的だ。一方、「政治家個人宛の政治資金の寄附」と認定されれば、政治資金規正法21条の2第1項に違反となり、法定刑は禁錮1年以下・罰金と虚偽記入と比較すれば軽いが、政治家本人が直接的に処罰の対象となり、罰金刑に処せられただけでも議員失職となる。そして、その寄附が政治家個人に帰属したことになり、所得税の課税の対象となる。

もちろん、裏金議員は、議員失職にはなりたくないし、納税もしたくないので、「政治家個人宛の政治資金の寄附」であることは、なかなか認めないであろう。

だからこそ、今回、全国から応援検事を集めて大捜査体制で捜査を行った検察は、少しでも「政治家個人宛の政治資金の寄附」であることを認めさせる方向で追及すべきだったと、私はかねてから主張してきた。

そういう捜査を行っていれば、82人の「裏金議員」の中に議員本人も「政治家個人宛の政治資金の寄附」であったことについて言い逃れができない事例も少なからずあったはずだ。

政治家個人に帰属していたと思われる丸川珠代氏の裏金

その典型例が、神戸学院大学上脇博之教授と私の連名で、「政治家個人宛の寄附」の事実で告発した丸川珠代参院議員の事例だ(【「この愚か者めが!」丸川珠代議員への「政治家個人宛寄附」告発の“重大な意味”】)。

丸川氏本人が、マスコミの取材に対して、ノルマ超過分をパーティー券売上納付額から除外する方法による寄附だったこと、「資金は(自分の)口座で管理していた」と述べ、自分個人の口座で管理していたことを認めているのである。

このような場合は、検察官の取調べで、「政治家個人宛の寄附」であることを認めさせることは、それ程困難ではないはずであり、政治資金規正法21条の2違反で略式請求すると同時に、それを議員の個人所得として課税するよう、国税当局に通報することもできたはずだ。

堀井氏の裏金はどちらなのか

堀井氏についても、丸川氏の場合と同様に、派閥からの裏金を、「政治家個人宛の政治資金の寄附」として受け取ったからこそ、有権者への香典、枕花の贈与という収支報告書に記載して表に出すことができないお金として使っていた、ということであろう。

派閥からの裏金が政治団体宛だったのであれば、「団体の裏金」を堀井氏が横領して香典等に充てたことになるが、あまりに不自然不合理だ。

堀井氏が派閥から受領した裏金を政治団体「ともに歩き学ぶ会」宛ての寄附ととらえ収支報告書に記載していなかった虚偽記入として起訴するのは実態に反していると言わざるを得ない。

裏金事件における検察の大甘処分と今回の起訴

今回の裏金事件では、議員本人の取調べで、「収支報告書に記載しない前提の金である以上、資金管理団体、政党支部などに宛てた政治資金ではない」として、収支報告書を提出不要の「政治家個人宛の寄附」として受け取ったことを認めさせる方向で追及する捜査を行うべきだった。それを行っていれば、実際に、「政治家個人宛の寄附」であること立証でき、政治資金規正法21条の2第1項違反で起訴し、議員失職に追い込める事例も相当数あったはずだ。

しかし、実際の検察の捜査は、それとは真逆の方向で、「還付金」「留保金」が資金管理団体などの政治団体に帰属していることを認めさせ、それを政治団体の政治資金収支報告書に記載しなかった問題としてとらえようとした。

その結果、裏金議員の殆どが刑事立件すらできないまま捜査は終結、僅かに正式起訴した池田佳隆及び大野泰正の2名の国会議員についても、起訴から半年以上経過しても、公判の見通しすら立っておらず、検察が果たして有罪立証ができるのか否かすら疑わしい。

今回の堀井氏の件も、「裏金」が、議員個人名義での香典、枕花の贈答に使われたとすれば、政治家個人宛の寄附であったことを示す重要事実のはずだ。その実態に即して「政治家個人宛の政治資金の寄附」として処罰をすべきなのに、他の裏金議員について、政治家個人宛ではなく政治団体宛の寄附として処理し、政治資金収支報告書の訂正まで行わせる「大甘捜査」をしてきたことと平仄を合わせるためか、香典等の贈与と併せて資金管理団体の収支報告書の虚偽記入で略式起訴するという、不可解な刑事処分となった。

そして、検察は、堀井氏を政治団体の収支報告書虚偽記入を略式請求したのと同じ日に、告発状を5か月間も受理しないまま預かっていた丸川氏についての「政治家個人宛の寄附」等の告発を、あろうことか、「嫌疑なし」で不起訴処分とした。堀井氏と同様に、丸川氏に対する「裏金」も政治団体(丸川氏の場合は政党支部)宛てであった、ということを言いたかったのであろうが、むしろ、堀井氏と同様であれば「政治家個人宛の寄附」であることは明白であり、丸川氏の不起訴処分の不当性を裏付けるものである。

丸川氏については、不起訴処分通知が届き次第、私と上脇教授とで、ただちに検察審査会に申立を行うことは言うまでもない。

今回の堀井氏の略式起訴は、検察の今回の政治資金パーティー裏金事件への対応全体が間違っていたことを端的に示す結果になったと言えよう。

殆どの裏金議員が「裏金議員は、処罰も納税もせず、反省もしていない」という現状に対して、真面目に働いて納税してきた国民の不満と怒りが爆発し、政治不信が極度に高まっている。このような事態を招いたことの大きな原因が検察捜査の方向性の誤りにあることは否定できない(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】

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自民党総裁選出馬会見、「政治とカネ」問題で「抜本改革」を打ち出せない小林・河野、他の候補者は?

「自民党が変わることを国民の前にしっかりと示すために、私が身を引く」と述べて岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明したことを受け、自民党総裁選に向けての動きが活発化し、10人を超える議員が出馬の意向を示している。

まず小林鷹之議員が8月19日、河野太郎議員が26日に出馬会見を行い、総裁選に向けての政策、方針などについて述べた。

岸田首相が総裁選不出馬に追い込まれた最大の原因となったのは裏金問題、政治資金問題であり、総裁選に向けて、これまでの経緯を振り返り、問題を整理してみたい。

昨年12月、自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金問題が表面化し、検察捜査が本格化して以降、政治資金規正法違反事件等の実務経験に基づき、政治資金規正法自体に構造的な問題があり(政治家には政治献金を受け入れる複数の「財布」があるので、政治家側が裏金を受領した場合に、その帰属が特定できず処罰が困難であるという問題)、同法による裏金受領議員の処罰のハードルは極めて高いこと、処罰を免れても重大な政治責任がある「裏金受領議員」は、早急に、政治責任をとって議員辞職し、選挙で改めて有権者の信を問うべきであること、政治資金規正法の構造問題を是正する抜本的な制度改革を行うべきとの意見を述べてきた【「ザル法の真ん中に空いた大穴」で処罰を免れた“裏金受領議員”は議員辞職!民間主導で政治資金改革を!】

国会で裏金問題の追及を続けてきた立憲民主党の「国対ヒアリング」にも、昨年12月18日、26日、今年1月20日と3回出席し、政治資金規正法の問題について説明し、今回の「裏金問題」を受けての政治資金規正法改正についても提案を行った。

私の予想どおり、その後の検察捜査は迷走し、裏金議員に対する厳正な処罰を期待していた国民の期待を大きく裏切ることになった。政治家たちが所得税の課税・納税すら行われないまま刑事処分を免れ、一方で、確定申告で厳格な納税申告を求められる国民の批判不満は最高潮に達した。

「裏金問題」表面化後、最初の国政選挙となった4月28日の3つの衆議院補欠選挙で、自民党は保守王国と言われ過去に敗北したことがなかった島根一区で惨敗、他の2つの選挙区では、公認・推薦もできず不戦敗という惨憺たる結果に終わった。

自民党内では、議員本人に収支報告書の「確認書」の作成を義務づけたうえで、会計責任者が虚偽の記載などで処罰された場合、内容を確かめずに作成していれば公民権を停止する措置を導入するなどの「裏金問題の再発防止策」中心の政治資金規正法改正案を自公両党で国会に提出し、強引に成立させたが、そのような「その場しのぎ的対応」で国民の不満や怒りが収まるはずもなく、岸田内閣への支持率は低迷を続けた。

こうした中で、9月に任期満了に伴い自民党総裁選挙に向けて去就が注目されていた岸田文雄首相が総裁選不出馬、退陣の意向を表明したのである。

岸田首相の不出馬の最大の原因となったのが「裏金問題」であり、岸田首相が行ってきた対応が国民から全く評価されず、信頼を失ったからこそ、再選に向けての出願を断念せざるを得なかったのである。今回の総裁選では、「裏金問題」への対応に関して、岸田首相との違いをアピールできる対策の「競争」になると考えるのが当然だろう。

「裏金問題」への対応には、二つのポイントがある。

一つは、派閥から政治資金パーティーの売上のキックバック等を受け、政治資金収支報告書に記載しなかった議員(裏金議員)に対して、どのような対応を行うのかという問題、もう一つが、このような「裏金問題」を含め、政治資金制度をどのように是正していくのか、具体的に政治資金規正法をどう改正していくのか、という問題である。

この二つについて、国民に全く評価されなかった岸田首相の対応とは異なるどのような施策が打ち出せるかが注目点だ。

しかし、小林氏、河野氏の二人の政治資金問題、裏金問題についての出馬会見での発言の内容は、全く評価できないもので、「愕然とした」というのが率直なところであった。

「政治とカネ」問題についての会見での発言は、小林氏は、

「一人一人の政治家が自ら説明責任を果たしていく。これが原則だ。私も実態が正直よく分からない。検察当局が調べる中で、今回不起訴という処分になっている。そうした中で、検察のような権力、権限を持たない自民党が調査をするというのも一定の限界がある。新たな事実が出てきた場合には当然、党としての調査を考えるということだと考えている」

河野氏は、

「(裏金問題の)真相究明ができたというふうには思えない。ただ、捜査権を持っている検察が調べて分からないものを、どう真相究明をするのかというのは難しいものなのかなと思うが、不記載との指摘を受けて書類を直したらそれで終わりというのは、なかなか国民から理解を(得る)というのは難しいだろう。それならば、不記載と同じ金額を返還をしていただくことでけじめとする、というのがよろしいのではないかと思う」

というような内容だった(いずれも、東京新聞による要約)。

まず、裏金議員に対する対応について、二人に共通するのが、「捜査権を持つ検察以上のことはできない」と言って、裏金に関する事実解明を行う気がないということだ。この点についていえば、岸田首相がこれまで国会答弁で繰り返してきたことと全く変わらない。

「捜査権を持つ検察ができないことは自民党にもできない」というのは、全くの誤りだ。

検察が行えることは、刑罰法令を適用し、刑訴法に基づく権限を行使して、証拠により犯罪を立証して処罰を求めることだ。適用する刑罰法令に問題があれば、処罰が困難になり、刑訴法上の権限を用いることにも限界が生じる。また、検察の捜査に対しては、被疑者側には黙秘権があり、捜索差押等には令状主義の制約がある。被疑者側としては、検察の要求に任意に応じるだけであり、積極的に自発的に裏金をめぐる事実関係を明らかにしようとする動機がない。

裏金議員の中で唯一人、逮捕・起訴されたのが池田佳隆衆院議員であり、大野泰正参院議員は在宅起訴されたが、前記の政治資金規正法の「大穴」の下では、起訴はもともとかなりの無理筋であった(【「政治資金規正法の大穴」を無視した池田議員逮捕、「危険な賭け」か、「民主主義の破壊」か】)。二人とも、いまだに公判も始まっておらず、裏金をめぐる事実関係が公判で明らかになるかどうかも不明だ。

そういう意味では、今回の「裏金問題」については、検察による事実解明にはもともと限界があったと言わざるを得ない。

一方、自民党として、裏金の事実解明を行おうと思えば、行えることは十分にある。「公認権」という党所属議員の生殺与奪の力を有している自民党総裁として、裏金受領議員に、受領の経緯、保管状況、使途について可能な限り調査して報告させ、十分な説明責任を果たすことを次期衆院選の公認の条件とすれば、相当程度の事実解明ができるはずだ。

「検察捜査以上のことはできない」などという腰の引けた発言は、「裏金議員への配慮」によるものとしか思えない。

このような、裏金の事実解明に後ろ向きの姿勢を取り繕うためか、河野氏は、裏金議員への対応として、「不記載と同じ金額を返還をしていただくことでけじめとする」などと述べている。

自民党総裁として、裏金議員に返還を求めるというのは、どういうことなのか。この「裏金」は、派閥から所属議員にわたったものであり、自民党は返還を求める立場ではない。しかも、既に「寄附」として資金管理団体や政党支部の収支報告書の訂正をしている。仮に、議員個人に「返納」させるという意味であれば裏金が政治資金規正法に違反する議員個人宛のお金だったことになり、資金管理団体、政党支部宛の政治資金の不記載ととらえた検察の認定とも食い違うことになる。

「返還」と言っても、実質は「不記載額と同額の制裁金を科す」という意味であれば、そもそも、不記載の金額以外はほとんど事実解明も行われていないのに金銭的制裁を科すこと自体が問題であり、しかも、既に行った党の処分との関係で「二重処罰」の問題も生ずる。裏金議員側が反発するのも当然だ。

単なる思いつきで、このような裏金議員への対応を打ち出したとすれば、裏金問題、政治資金問題が最大のテーマになる総裁選への出馬会見での発言として、あまりに無理解・無責任だ。河野氏は、このような政治資金問題に関する発言を見る限り、総裁候補として失格と言わざるを得ないだろう。

もう一つのポイントである政治資金規正法の改正については、小林氏が、「改正政治資金規正法を厳格に守っていく」などと述べているが、少なくとも、裏金問題の背景となった「政治資金の不透明性」の解消に向けてさらなる法改正をする気は全くないようだ。「政治とカネ」問題での自民党への国民の不信に対する認識が甘いと言わざるを得ない。

国民が求めているのは、裏金問題の背景となった政治資金の不透明性を解消するための思い切った対策だ。岸田内閣で行った「その場しのぎ的」な法改正以上の抜本改革に後ろ向きのままでは、総裁選後の総選挙で国民に支持されるとは思えない。

この問題については、前の通常国会で政治資金規正法改正の議論が始まる前の5月8日に出した【後半国会の焦点・政治資金規正法改正、“裏金根絶”のための決定打は?】で、「政治資金規正法の『大穴』」を塞ぎ、政策活動費、旧文書交通費等も含め、政治資金の不透明性を解消する「抜本改革」について提案している。

この時は、自民党案への対案としての立憲民主党の政治資金規正法改正案が多くの問題を抱えたものであったことから、野党の代案を提案したものであった。今、まさに政治資金制度改正の議論をすべき場は自民党総裁選であろう。そこで求められているのは、これまでの政治資金の不透明さを解消し、国民の信頼が回復できるような政治資金規正法の抜本改革の具体案を競うこと、それについて党内のコンセンサスを作っていくことではなかろうか。

今週末から来週にかけて、有力候補とされている小泉進次郎氏を始め、総裁選候補者が次々と出馬会見をすることになるだろう。裏金問題、「政治とカネ」問題全般について、どのような具体的な対応方針を示すのかが注目される。

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「裏金議員の不処罰」で期待裏切った検察、五輪談合事件では「裁判所を抱き込んで暴走」

「検察・裁判所の暴走」が続く、東京五輪談合事件公判

東京五輪談合事件については、昨年2月、テストイベント計画立案業務を受託した6社と各社担当者、組織委員会元次長の森泰夫氏が独禁法違反で一括起訴された後に、それぞれの被告会社ごとに裁判が分離され、公訴事実を全面的に認め昨年12月に有罪判決を受けた森氏以外は、全者が公訴事実を争って公判が続いている。

各社の裁判の中で、この事件での検察、裁判所の対応について重大な問題が次々と明らかになっている(FACTA2024年7月号【「認めないと部下を逮捕する!」/「五輪談合事件」衝撃の告白/検察官と裁判官が「暴走」】)。

自民党派閥パーティーをめぐる事件で、裏金議員に対する処罰で国民を失望させた検察が、普通に働く市民に対しては、裁判所を抱き込んで、謂れのない「独禁法違反事件」を仕立て上げ、逮捕・起訴して「人質司法」で自白を迫る、そういうやり方が、当たり前のように罷り通っているのである。

イベント制作会社株式会社セレスポ(以下、「セレスポ」という。)の専務取締役鎌田義次氏(今年6月の株主総会で退任し、現在は顧問)は、昨年8月、196日間の「人質司法」に耐え抜いて保釈され【東京五輪談合、セレスポ鎌田氏”196日の死闘”で明らかになった「人質司法」の構造問題】、その後、東京地裁で公判が行われてきた。

第4回公判の被告人質問では検察官が取調べで発した信じ難い発言が明らかになった【「小学校で宿題やらなかったでしょう!」上場企業役員の被疑者に女性検事が浴びせた言葉】

7月12日の第7回公判で、弁護人最終弁論を行い、結審した。公判終了後、鎌田氏と主任弁護人の私とで、司法クラブで会見を行った。

昨年2月8日、独禁法違反で逮捕されたこと自体が、全く謂れのないものだったが、それ以上に、鎌田氏に対してその後検察・裁判所が行ってきたことは、異常というほかないものだった。それを知れば、多くの人が、「これが日本の刑事裁判か」と愕然とするであろう。しかし、それは、日本の経済社会で活動する国民すべてに、いつ降りかかるかもしれない「刑事処罰のリスク」そのものなのである。

「東京五輪談合事件」とは何だったのか

多くの人が、元電通の高橋治之氏やスポンサー企業経営者が逮捕・起訴された「東京五輪汚職事件」と混同しているが、「東京五輪談合事件」は、それとは全く異なる事件だ。

本件は、東京オリンッピク・パラリンピック競技大会(東京オリパラ大会)組織委員会が、東京オリパラ大会の会場・競技ごとに総合評価方式の一般競争入札で発注したテストイベント計画立案業務に関して、入札参加事業者6社とその担当者、組織委員会大会準備運営第一局次長として同業務の発注を総括していた森泰夫氏を、独占禁止法3条後段の「不当な取引制限」の罪で起訴した事案である。

 要するに、東京オリパラ大会のテストイベント計画立案業務の入札で、独禁法違反に当たる談合を行ったとして起訴されたのである。

 しかし、実際は、一般人が想像する「公共工事をめぐる談合」のような、単純なものではなかった。

 組織委員会の発注は、法的には「民間発注」であり、刑法や官製談合防止法は適用されない。適用されるのは、独占禁止法だけだ。そして、民間である以上、どのような方式で発注するかは、発注者が自由に選択できる。

東京五輪大会は、60もの競技がほぼ同じ時期に行われる世界最大のスポーツイベントであり、その26の会場で行われる競技すべてについて、穴を空けることなく、それぞれの競技についての過去の実績や競技団体との関係などに基づいて、実施能力のある事業者を選定する必要があった。人気のあるメジャーな競技に応札が集まり、マイナーな競技にはどこも応札しない事態になる懸念があり、国内のスポーツイベントに関わる業務リソースをバランスよく配分して、業務に対応しなければ、大会を実施することができない。

しかも、スポーツイベントの大会運営は専門的な業務の組み合わせによって成り立つため、1社でやり切ることは難しく、各業務に精通したスタッフを揃える必要がある。そこで、普段は競合する企業間でも、「協業」することが必要になる。

組織委員会のテストイベント計画立案業務の入札では、国際大会の運営実績などが「入札参加要件」とされており、複数の競技を組み合わせた会場ごとに入札が行われたので、各競技に実績のある複数事業者が協業することで初めて入札資格を充たせる場合も多かった。

そこで、発注者の組織委員会側で発注を統括する森氏が、各社の実績や意向に基づいて、全競技について、責任をもって業務を実施できる最低一つの事業者を確保できるよう、「入札前の調整」を、東京オリパラ大会のマーケティング専任代理店であったD社の協力を得て行ったものだった。

「公の入札」であれば、発注者が特定の事業者に入札参加や受注を依頼する行為自体が犯罪であり、それに関わった事業者も共犯の責任を問われることになる。ところが、組織委員会の発注は、法的には「民間発注」であり、発注者側の担当者が、特定の事業者と接触すること、入札参加、受注を依頼することは、内部的な責任を問われることはあり得ても、犯罪に問われることはない。

発注者の組織委員会の側が、事業者に対して受注の「割り振り」を行ったとしても、それ自体には犯罪性はなく、事業者が、発注者から受注案件の「割り振り」を受けてそれに応じたとしても、それ自体は独禁法上問題になるものではない。

事業者間の意思連絡がなく、単に「他の事業者も同様と認識していた」に過ぎない場合は、独禁法上問題となるものではない。

通常、入札談合であれば、競争が回避されるため、落札率(落札価格/予定価格)が高くなり、100%に近い数字になることも珍しくないが、本件入札での落札率は、何と約65%であった。組織委員会側の意向は尊重しつつ、事業者は、何らの制約もなく、自由に競争行動を行っていたのだった。

鎌田氏が逮捕以降一貫して行ってきた主張と森氏の供述

鎌田氏は、逮捕後の弁解録取において、

「森から『入札参加の依頼』を受け、これに応じたもので、『発注者の組織委員会側との入札参加についての合意』が成立したに過ぎない」

「入札参加依頼を受けなかった会場・競技への入札参加については何ら制約を受けていない」

と供述し、その後も一貫して同趣旨の供述を行ってきた。

その鎌田氏にとって、本件について、自社以外の唯一の接触の相手方だったのが組織委員会の森氏だった。森氏は、取調べの録音録画記録の中では、

「応札を依頼しただけ、依頼していない競技の入札を制約していない。事業者間で受注予定者の決定はしていない」

と何回も述べていた。鎌田氏の主張とも一致するものだった。

そもそも、「入札前の調整」の目的は、各社の実績や意向に基づいて、全競技について、責任をもって業務を実施できる最低一社の事業者に応札してもらうよう、適切な「協業」の組み合わせを確保することだった。入札は「総合評価方式」で行われ、実績や能力も審査される。依頼した事業者以外が入札に参加してきても、その中から、組織委員会が最適な業者を選定すればよいのであり、依頼した事業者以外の入札を制限する必要は全くなかった。

しかし、森氏の供述調書では、そのようなことは記載されていなかった。

逆に、勾留満期前日(2月27日)に作成された検察官調書では、

《各事業者とも、入札前に、私やD社側との間で、特定の競技に入札し、委託先となることを相互に確認し合い、合意しましたので、基本的に、合意したその競技だけに入札して、それ以外の競技には入札しないこととなっていました。》

とされていたが、森氏の取調べ録音録画記録全体を見ると、同調書作成の経過に重大な問題があることは明らかだった。

森氏は、A社がアーバンスポーツの入札について、「割り振り」に反して応札してきたのに対して、A社の落札を阻止するため、同社の企画提案書をD社に横流しするという、弁解の余地のない不正行為を行った事実があった。その案件だけ、他の競技とは異なり、D社の受注に強くこだわっていた。

検察官は、森氏の勾留満期の前日に、その事実を持ち出して森氏を追及し、反省を求め、その勢いで「反省の前提としての事実確認」だとして、本件全体について認める内容の調書を目の前で読んで聞かせパソコン入力して、印刷して閲読させ、署名を求めた。その内容の中には、上記の供述のように、それまでの取調べで供述していない内容が含まれていたが、森氏は、全く抵抗することなく署名した。

翌日に決まる自らの刑事処分や保釈の可否に集中していたと思われる森氏は、抵抗困難な心理状態に追い込まれ、署名したことは明らかだった。

検察官は、このような不当な方法まで用いて、森氏から、鎌田氏の主張に反する供述を調書にとっていた。それは、上記の鎌田氏の主張が最大の争点であることを検察官も認識していることを示していた。

森氏の録音録画媒体と証人尋問請求の採用を拒み続けた裁判所

弁護人は、「人質司法」で長期勾留が続く鎌田氏の保釈のために、森氏の検察官調書は全部同意していたが、上記の勾留満期前日の調書は信用性を強く争っていた。

取調べ録音録画によれば、森氏の真の供述は、

「入札参加の依頼を受けて応じたもので、組織委員会側との入札参加についての合意が成立したに過ぎない」

「入札参加依頼を受けなかった会場・競技への入札参加については何ら制約を受けていない」

との鎌田氏の主張と一致していることは明らかであるのに、調書化されていない。「森氏の真の供述によって、弁護人の主張が裏付けられる」として、公判前整理手続の段階から、森氏の取調べ録音録画記録媒体を証拠請求し、同氏の証人尋問も請求していた。

ところが、裁判所(安永健次裁判長)は、昨年10月17日の第一回公判で、上記の証拠取調べ・証人尋問の採否の決定を留保したまま、第2回期日を4か月以上も先の2月28日に指定し、その間に、公訴事実を争わなかった森氏の公判の有罪判決を先行させた。

そして、第2回公判以降、他の証人尋問や被告人質問を行って、森氏の録音録画媒体・証人尋問の採否は先送りした上、結局、被告人質問後の5月中旬、期日外で、いずれの請求もすべて却下する決定を出した。

結局、鎌田氏の主張を裏付ける最大の証拠である森氏の証人尋問、取調べの録音録画媒体の証拠採用がなされないまま、セレスポ・鎌田氏の公判は結審することになった。

ちょうど、その頃、セレスポなどと一括して在宅起訴され、公判が分離されて、同じ安永裁判長が担当して別々に審理されていたT社の公判で、森氏の供述調書が一部不同意とされたことを受けて、検察官申請で証人尋問が行われることがわかった。

6月13日の証人尋問公判を傍聴したところ、森氏は、弁護人の反対尋問に答えて、まさに、セレスポ公判の証人尋問で証言してもらいたかった

「入札参加を依頼したものであり、受注予定者の決定などはしていない」

「入札参加依頼をしなかった案件への入札参加は制約していない」

との鎌田氏の主張と完全に一致する証言を行った。

この森氏の証言の証人尋問調書が完成したら、セレスポ公判で証人尋問調書の証拠請求を行おうと考え、裁判所書記官に、証人尋問調書作成の進捗状況を何回も尋ねたが、セレスポ公判の論告期日の前日の7月2日の時点ではまだ完成していないということであり「裁判体の決裁で何日かかるかわからない」とのことだった。

7月3日の第7回公判で検察官の論告が行われ、弁護人の最終弁論は、論告の9日後の7月12日の第8回公判で行うこととされていた。

「証拠に基づかない検察官論告」に対する異議と裁判所の対応

検察官が行った論告では、弁護人が信用性を強く争った勾留満期前日の供述調書は、事実立証の根拠となる証拠から明示的に除外されていた。検察官は、「応札の依頼なのか、依頼されていない競技の入札が制限されていたか」について主張すらしていなかった。

論告では、証拠がほとんど引用されておらず、事実の記載も多くが抽象的で、証拠上の根拠も不明だった。「証拠に基づかない論告の記載」と思えるものも複数あった。

そのうちの一つがセレスポ取締役会での2名の役員の発言の記載だった。検察は、

鎌田氏の「アタック」という発言が、それらの役員の発言を受けてのものだから、「割り振り」に対して自社の希望競技を主張していくという意味だ

と論告で主張したが、そのような2名の役員の発言とそれに基づく主張は、検察官の証明予定事実記載書にも、冒頭陳述にも記載されておらず、論告において唐突に持ち出してきた主張だった。しかも、証拠上の根拠が不明だった。発言者のO氏の調書や添付書類には見当たらず、もう一人の役員に至っては、供述調書すら作成されていなかった。

弁護人は、このような論告の記載について、「証拠に基づかない論告」だとして異議を述べたが、裁判所は棄却した。検察官に同記載の証拠上の根拠を尋ねたところ、「被告人質問における検察官の質問が証拠である」旨の説明だった。

そこで、第8回公判では、弁論に先立って、弁護人から、裁判所に確認を求めた。

「検察官が説明するように質問が証拠になるなどということを前提に、このまま弁論を行ってよいのでしょうか。裁判所は、そのような前提で、異議を棄却したのでしょうか」

しかし、安永裁判長は、

「弁護人から出された異議については既に裁判所は棄却の決定を出しており、その理由について説明はしません」

と述べた。その直後、検察官が立ち上がり、

「弁護人に期日外で説明したことについて不正確に述べないでもらいたい。検察官の質問だけではなく、そのやり取り全体を証拠としているものである」

などと発言した。

その後、弁護人が弁論を行い、終わった直後、検察官は、弁論で検察官の取調べの問題について指摘している箇所について、

「被告人質問での弁護人の質問を証拠としているのではないか」

と発言した。

弁護人が「証拠に基づかない論告」と指摘した部分は、検察官が、証拠とされてない録音記録に基づいて質問し「~という発言は記憶にありますか」と聞かれて、鎌田氏は「覚えてません」と答えており、質問部分は全く証拠になりえない。

一方、検察官が指摘した弁護人の弁論の記述の方は、取調べの録音録画の内容に基づいて質問したのに対して鎌田氏が「はい」と認めているのであり、録音録画の内容についての被告人供述という「証拠」に基づいている。全く的外れの検察官の指摘だった。

弁護人はあえて、

「それなら、その部分は、特に重要な箇所ではないので削除する。そちらの方の記載も検討してもらいたい」

と述べた。当然、検察官の論告の記載も削除せざるを得ないだろうと思ったからだ。

しかし、安永裁判長は、弁護人が削除すると述べた部分だけ確認し、検察官の「証拠に基づかない論告」については、何の対応もしないまま、公判手続を終了した。それによって、検察官の「証拠に基づかない論告の記載」だけが、そのまま残ったのである。

「適法な証拠に基づく裁判」というのが刑事裁判の大原則である。検察官が、被告人質問で「・・・の事実があったのではないか」と質問し、被告人が「記憶にありません」と答えていても、その「・・・の事実があった」とする資料が証拠になり、検察官はそれに基づく主張ができる、というのであれば、検察官は、どのような証拠でも、証拠のルールを無視して、自由自在に都合のいい事実を証拠にして、自らの主張の根拠とすることができる。

これが「証拠に基づく裁判」と言えるだろうか。

T社公判での森証人尋問調書についての弁護人の質問と安永裁判長の対応

安永裁判長は、「これで審理を終える。判決は12月18日」と言ったが、その直後に、弁護人が立ち上がって、次のとおり述べた。

「T社の公判での森氏の尋問調書が作成されたかどうかを、書記官に何回も確認し、昨日も確認しましたが作成未了とのことでした。現時点でも未了ということでしょうか」

安永裁判長は露骨に不愉快そうな顔をして

「事件当事者でもない人に、そのようなことを答えることはしません」

と述べた。

もともと、T社と担当者は、鎌田氏と共犯関係にあるとして一括起訴されたものであり、セレスポ・鎌田氏の弁護人は、T社の公判の事件について「当事者ではない」とは決して言えない。第7回公判終了後の打合せの際にも、「T社の公判での森氏の尋問調書は、作成完了次第、証拠請求の予定。もし、間に合わなければ弁論再開請求の予定」と予告していた。

書記官に、論告直前に調書が完成する予定を確認した時点では、速記録はできているようだった。それから10日経過した時点で、いまだに「決裁中」ということは、安永裁判体が10日近くも証人尋問調書を完成させずに抱え込んでいたことになる。

森氏の証人尋問調書を証拠請求する方針を示しているセレスポ弁護人が証拠請求できないよう、「証人尋問調書作成の意図的な遅延行為」を行っているとしか思えない。

「ノットリリースザボール」の反則

「ボールを前に投げてはならない」「タックルされて倒されたらボールを離さなければならない」というのがラグビーの基本ルールであり、後者に違反する反則が「ノットリリースザボール」だ。倒されても、そのままボールを抱え込んでいたのではラグビーにならない。

安永裁判長の森氏の証人尋問調書の作成遅延行為は、ノットリリースザボールの反則そのものだ。公訴事実を認めて有罪判決を受けた森氏の公判で昨年7月に行われた被告人質問調書は、作成完了後、すぐに弁護人から証拠請求し、検察官も証拠請求して証拠採用されている。その森氏がT社公判で、被告人質問とは異なり、宣誓の上証人として証言したのであれば、その証言内容も、速やかに証拠化され、セレスポ公判で証拠とするのは、当然のことだ。

速記録が完成しているのに「決裁中」と称して裁判長が抱え込んでいるとすれば、重要な証拠を証拠採用するという刑事裁判の基本的なルールに反するノットリリースザボールの反則そのものだ。

セレスポ・鎌田氏の行為のどこがどうして犯罪なのか

セレスポも、鎌田氏も、東京オリパラ大会のテストイベント計画立案業務の入札について、対象競技への自社の大会運営実績・対応能力について社内で検討し、会社としての判断で、各競技に入札するか否かを判断した。その際、組織委員会側から入札参加の要請を受けた案件については、可能な限り応じられるよう努力した。入札参加依頼を受けなかった会場競技についても実績と能力がある競技については、積極的に入札参加した。組織委員会側の依頼の有無で何ら制約を受けてはいない。

スポーツ大会で豊富な実績があるイベント制作会社として、国際的行事である東京オリパラ大会に対して当然の対応をして貢献した鎌田氏はじめセレスポ社員達が、なぜ「犯罪者」の汚名を着せられなければならないのか、絶対に納得できない、という思いから、鎌田氏は、検察官の2か月半にわたる取調べで可能な限り説明を尽くし、その後逮捕・勾留されても、196日にわたって、健康上の問題もあって筆舌に尽くし難い身柄拘束の苦痛にも耐え抜いた。

森氏の検察官調書には、「心理的強制の下で作成された勾留満期前日調書」以外に、鎌田氏の主張に関することはほとんどとられていない。その検察官調書を不同意にすれば、さらに半年程度保釈許可が遅れることは必至だった。「人質司法」から逃れるために、検察官請求証拠は全部同意した上で信用性を争い、取調べ録音録画等で弁護人の主張の証拠として「調書化されていない森供述」を活用する方針で臨むことにした(もっとも、検察官調書をすべて同意しても、検察官はなおも保釈に猛反対し続け、3回にわたって保釈請求は却下され続けた)。

しかし、弁護人の森氏の取調べ録音録画媒体の請求も、証人尋問請求も、安永裁判長にことごとく却下され、審理は終結した。被告人最終陳述で、鎌田氏は、

「森さんの話を聞いてもらえれば、私が主張するとおりだとわかってもらえるはずだと思っていました。残念です」

と述べた。

驚愕のH社有罪判決の判決理由

セレスポ・鎌田氏の弁論期日の前日の7月11日、同じ安永裁判長の裁判体で審理されたH社とその担当者の公判での判決言い渡しがあった。その判決要旨を入手して読んだ私は、腰を抜かさんばかりに驚いた。

「こんなものが独禁法違反の刑事事件の判決であるわけがない!」

9万字に上る弁論の作成の最終段階だった私は、その判決のことは、何とか頭から取り払おうと努めた。

H社は、D社に次ぐ広告代理店業界の大手企業、D社とは、もともと激しい競争を展開していた。個別の入札案件でも、森氏側の「割り振り」には従わず、依頼されない競技にも入札参加し、しかも、企画提案と入札価格の設定で落札の可能性を高めるため、全力を挙げていた。まさに、競争そのものというべきH社が、独禁法違反とされることはあり得ないと思われた。

ところが、判決では独禁法違反の成立を認めた。その理由として、次のように書かれている。

《被告人や他の事業者の従業者らは、森やD社の従業者らとの面談等を通じて、会場案件に応じて、森において受注が適切と考えている他の事業者の存在を認識したと認められ、さらに、同面談の内容等に照らし、森は、それら事業者の従業者らとも面談等を行って、その意向を示すなどしているであろうことを認識ないし予測していたことも認められる。そして、そもそも、東京2020大会は、世界的なスポーツイベントであり、従前からスポーツの競技大会の運営等を行っていた事業者にとって、他の同種事業者も、各競技団体との関係性を維持等するため、東京2020大会に関連する競技大会の運営等の業務を受注したいと考えていることは、当然想定し得た。そうすると、前記の認識を有するに至っていた被告人や他の事業者の従業者らはそのような業務の受注に関し、発注者である組織委員会の幹部職員として当該業務の発注について中心的な役割を果たしていた森からその意向を示されるなどした他の同種事業者らが、受注の可能性を高めるため、森の意向に沿って入札等に向けた行動をとることを相当程度の確実性をもって相互に予測していたと認めることができる。》

《このような事実関係に照らすと、被告会社等関係事業者7社は凝りを介するなどして、相互に他の事業者の入札行動等に関する行為を認識し、暗黙の裡に認容したと評価することができ、他の事業者との間で意思連絡をしたと認めることができる》

このような理屈で、不当な取引制限の成立を認めるなどということは、経済社会の常識からも考えらえない。

民間発注であれば、発注者側から、実績・経験を認められ、入札に参加してくれと依頼されれば、「受注の可能性が高まった」と思って喜んで入札参加するのが当然だろう。他の事業者も同じように、別の案件で入札参加を依頼され、従っているだろうと予測するのも当然のことだ。それが、なぜ談合なのか、独禁法違反なのか、なぜ「犯罪」になるのか。

セレスポ・鎌田氏の独禁法違反事件の公判前整理手続が始まったのが昨年6月、その後、公判が始まり、今回の弁論で結審するまでの1年余の間を振り返ると、安永裁判長が、検察官の意見に反した決定・対応をしたことは殆ど無く、すべて検察官の言いなりだ。

検察は「裏金議員」に対しては、全く的外れの捜査しかせず、国民の期待を裏切った(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】など)。

一方で、日々懸命に働いている企業人に対しては、凡そ常識はずれの「刑事処罰の刃」を向ける。そういう検察に寄り添っているのが刑事裁判所であり、安永裁判長に至っては、検察と共に「暴走」を続けている。

それ程までに裁判所が寄り添ってくれるのであれば、国会議員であろうが、派閥幹部だろうが、躊躇することなく起訴してしまえばよいではないか。なぜ、権力者であるか否かで、これほどまでの違いが生じるのだろうか。

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小泉法務大臣「検事総長に対する指揮権」自体を否定する“驚くべき答弁”

昨年12月19日、東京地検特捜部が、自民党「政治資金パーティー裏金事件」で、政治資金規正法違反の疑いで強制捜査に乗り出し、安倍派(清和政策研究会)と二階派(志帥会)の事務所を捜索した時点で、二階派に所属する小泉龍司法務大臣は、

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

として、20日、二階派に退会届を提出して受理され、派閥を離脱した。

その時に出した記事【指揮権に対応できない小泉法務大臣は速やかに辞任し、後任は民間閣僚任命を】でも述べたように、検察庁法14条の「法務大臣の指揮権」というのは、検察と法務省との関係に関する規定であり、法務省は、検察官の権限行使について報告を受け、監督する立場にある。一定の範囲の特異・重大事件については、「三長官報告」が行われ、事件の内容・捜査の方針等についても知り得る。その報告に基づいて14条但し書きの検事総長に対する指揮を行うことも可能である。

第十四条 法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。

今回の政治資金パーティー裏金問題についても、遅くとも安倍派・二階派の事務所に対する強制捜査着手までには「三長官報告」が行われ、基本的な捜査方針等についても知り得る立場にある小泉氏が、二階派も捜査の対象となっている現状において法務大臣の職を継続することには問題があった。

しかし、小泉氏は、二階派を離脱しただけで、法務大臣の職にとどまり、岸田文雄首相も、そのまま、小泉氏を解任することもせず、現在も、法務大臣の職にとどまっている。

小泉法務大臣の参議院法務委員会での答弁

その小泉法務大臣が、6月11日の参議院法務委員会で、鈴木宗男議員の質問に答えて。驚くべき答弁を行った。

それまでにも、鈴木議員は、大阪地検特捜部のプレサンスコーポレーション事件などで、最近多発している検察官の取調べをめぐる問題について、同委員会での質問を続けており、11日の質疑は、その締めくくりとして、検察官の取調べをめぐる不祥事についての法務大臣の姿勢を質したものだった。

小泉法務大臣は、検察官の法的地位について

検察官は、一人一人が検察官庁としての法的地位を持っています。最終決定者です。一人一人の検察官が実は国家権力の最終行使者になっています、その案件については。ですから、法務大臣といえども、そこへ入ってはいけない、入ってはいけない、個別の問題については入れない、それが検察庁法の14条の趣旨であります。独立性を持っているわけです。

と説明し、それに対して、鈴木議員から

14条の但し書には、法務大臣は検事総長を通じて物を言えるんですよ。大臣、ただし書を読んでみてください。

と言われ、次のように答弁した。

個別的な指揮権は個々の検察官には行使できない、ただし検事総長に対してはできる、それはそう書いてございますよ。それはそう書いてありますが、それは、検事総長が法務大臣をなだめるためにそういう規定を置いているんです、これは講学上。検事総長が、一対一で、ちょっと冷静になってくださいと、介入しないでくださいという政治家を止めるための装備としてそのただし書が入っていると、講学上はそのように解釈されています。

小泉法務大臣は、14条但し書の検事総長に対する指揮権の規定について、「検察に介入しようとする法務大臣に対して、検事総長が法務大臣をなだめるための規定、介入しないでくださいと政治家(の法務大臣)を止めるための規定」と断言し、「法務大臣といえども、個別の問題については入れないというのが検察庁法の14条の趣旨」と答弁したのである。

これは明らかな誤りである。

検察庁法14条の「正しい解釈」

法務大臣は、検察庁法14条本文の「一般的指揮権」で、検察事務の処理方法に関する一般的基準を指示したり,犯罪防止のために一般的方針を訓示したり,法令の行政解釈を示したり,個々の具体的事件について報告を求めたりすることができるが、同条但し書の「個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」との規定により、具体的事件に関しては,法務大臣は検事総長のみを指揮し、検事総長が部下検察官に対して有する指揮監督権(検察庁法7条1項)を媒介としてのみ,個々の検察官の行う検察事務に干渉しうるとされている(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。

検事総長の上司である法務大臣が具体的事件について検事総長に対して指揮をした場合には,重大かつ明白な瑕疵がない限り,国家公務員法98条1項に基づき,検事総長は法務大臣の指揮に従うべきこととなる。

この「検事総長のみを指揮することができる」という規定について、以下のように解説されている。(【弁護士山中理司のブログ「検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権」】

検察庁法制定当時の検察内部の意見は「検察庁は内閣の外に立つ独立機関たるべしという意見が圧倒的だった」(出射義夫『検察の面でみた刑事訴訟法の25年』―『ジュリスト』昭49・1・1 )。彼らは、昭和戦前期の「検察権の独立」の観念に強く支配されていたので、戦後憲法のもとで政党内閣が常態化し、政党出身の司法大臣が検察組織に君臨することを病的に警戒していた。
他方において、在野には戦前の検察ファッショ復活への警戒感が根強く、また何よりGHQ(占領軍最高司令部)が検察の民主的統制に強い関心を持っている以上、統帥権の独立にも似た検察権の独立を表立って維持することは難しいという判断も、司法省内にはあった。
そうした政治状況の中で、実際に出来上がった「検察庁法」は、政党出身の司法大臣を容認する代わりに、検事総長の任命には国会の関与を排除し、また司法大臣の監督権限を制限する条項(現14条)を設けて、検察への「一般」的指揮権を認める一方、個々の捜査については検事総長を通じてのみ指揮できる、という妥協案に落ち着いたのだ。

この点については、過去に、法務大臣の答弁が行われている。

【平成元年3月27日参議院本会議における高辻正巳法務大臣答弁】

指揮権の発動と申しますのは、検察庁法14条ただし書きの検事総長に対する法務大臣の指揮を指して言われるものと思いますが、この検察庁法十四条の趣旨は、一般に、国の検察事務を分担管理し、その機関の事務を統括する法務大臣の行政責任と、司法権と密接不可分の関係にある検察権の独立性の確保の要請との調和を図る点にあるものと考えられております。
そういうことからしますと、法務大臣がいわゆる指揮権を発動する場合は、検察権が不偏不党、厳正公平の立場を逸脱し、その他、検察事務を所掌し遂行する法務大臣がその責任を全うし得る限度を超えて運営されるというような特殊例外的な場合に限られるべきものであり、そのような特殊例外的な場合においては、法務大臣はその行政責任を全うするためにその指揮権を行使して正すべきものは正さなければなりませんが、そのような場合でないのに法務大臣がいわゆる指揮権を発動することはなすべきでないと考えております。その意味で、法務大臣は検察庁法第14条ただし書きの検事総長に対する指揮権をむやみに放棄するわけにはまいりません。
しかし私は、検察が今後ともよくその職責を果たし、法務大臣が指揮権を発動したりその他これに制肘を加えなければならないような事態が生じることはないものと信じております。

小泉法務大臣の「指揮権答弁」は前代未聞の重大な誤り

要するに、検察庁法14条但し書による指揮権は、「法務大臣が検事総長に対して具体的事件について指揮しうる権限」であり、司法権と密接不可分の関係にある検察権の独立性の確保の要請との調和を図るために、個々の検察官に対してではなく、検事総長のみを指揮の対象にすることにしているが、それは、検察官の権限行使に対する法務大臣の指揮権自体を否定するものではない。

小泉法務大臣が答弁で述べた「(検察庁法14条但し書は)検事総長が法務大臣をなだめるための規定」「ちょっと冷静になってくださいと、介入しないでください」と止めるための規定などというのは全くの珍説である。

このような「検察官との関係を規定する検察庁法14条について誤った解釈による答弁」が、法務官僚が事前に用意していたものとは思えない。おそらく、小泉法務大臣個人の考えを述べたものであろう。しかし、そうであれば、法務大臣の横にいた松下裕子刑事局長は、その誤りを是正しなければならなかった。全く何の反応もしなかった松下刑事局長も、その職責を果たしたとは言えない。    

しかも、この法務大臣としての「指揮権についての誤った答弁」には、昨年12月から問題となってきた「自民党派閥政治資金パーティー裏金問題」とも関連するし、それまでの参議院法務委員会での検察をめぐる問題に対する答弁とも関連する。

「自民党派閥裏金事件」と小泉法務大臣

冒頭で述べたように、昨年12月、小泉法務大臣は、

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

と述べて、二階派から離脱した。

その時点では、法務大臣として検事総長への捜査の指揮権を持つことを前提にしていたのであり、上記の参議院法務委員会での答弁とは明らかに前提が異なる。

なぜ、そのように前提を変える必要があったのか、それは、二階派を離脱したとは言え、捜査の対象になる可能性が否定できなかったことから、敢えて自分が法務大臣として個別事件についても検事総長を指揮できる立場であることを否定したかったからとしか思えない。

それは、法務大臣としての自分の地位を守るために、自らの権限について法律上誤った考え方をとり、その考え方で国会答弁を行ったということであり、法務大臣として到底許されることではない。

検察官の取調べをめぐる問題についての法務大臣答弁との関係

前記の小泉法務大臣の答弁は、それまで数回にわたって、参議院法務委員会で鈴木宗男議員が、最近多発している検察官の取調べをめぐる問題について法務大臣としての対応を質してきたことを踏まえ、締めくくりとして、法務大臣指揮権について改めて確認したのに対する答弁だった。

それまでの鈴木議員の質問では、

  • 弁解録取の手続で、被疑者が被疑事実は自分の認識と違うということを言っているのに、それをそのまま弁解録取書に取らないで、あたかも被疑事実を自白しているような弁解録取書を作成して署名させたということで最高検監察指導部に調査要請された事例
  • 在宅の被疑者に対する特捜部の検察官の取調べについて録音、録画されていない、被疑者が言ってもいないことを調書に取ったり、一部を切り取って事実を歪曲して調書に取ったということで弁護人から抗議を受け、弁護人が最高検に抗議したのに対し、特捜部側が、その被疑者の会社の社長を呼び付け、書面を撤回しろとか、わび状を出せというような要求をして、実際にわび状を出させたことが、刑事裁判での被告人の最終陳述で明らかにされた事例
  • 女性検事が、不当なやり方で自白を迫り、それに応じないとなると、延々と説教して『中学生でも悪いことをすれば反省する。あなたには反省がない。小学校で宿題をやらなかったでしょう』などと発言した事例

など、最近発生した問題について事実確認し、法務大臣に見解を求めたほか、既に公になっている、プレサンスコーポレーションの事件で恫喝まがいの取り調べの実態が問題になったこと、大川原化工機の事件では、人質司法のため被告人が胃癌が悪化して死亡した後に公訴取消しになったこと、河井元法務大臣の買収事件では、東京地検特捜部の検事が不起訴を示唆して供述を誘導したことなどについても、法務大臣として、調査を指示したり、是正のための措置をとる必要があるのではないかと質した。

このような鈴木議員の質問に対して、小泉法務大臣は、

個別事案に対する指揮権と境を接する問題

だと述べて、そのような事案に対して法務大臣として対応することを全て否定した。そのような小泉法務大臣の答弁が、すべて、前記の

「検察庁法14条但し書の指揮権は、検事総長が法務大臣をなだめるための規定」

という解釈を前提にしていたとすると、すべての答弁に重大な問題があったことになる。

少なくとも、検察に関する問題について、小泉法務大臣は、全く職責を果たしていなかったということなのである。

【前掲記事】でも指摘したように、検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないが、通常の犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足りるので、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになるので適切ではない。しかし、例外的に、「法務大臣が指揮権の発動を検討すべき場合」もある。それは刑事事件の捜査・処分について、検察だけで判断を行うことが適切ではない場合、その責任を負えない場合である。そのような事件については、法務大臣に報告して、その判断を求めることが必要となる。

「外交上の判断」が必要な刑事事件の捜査・処分

その典型が、事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合である。

検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

その例が、2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件である。中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにしたが、これは、指揮権発動により、内閣が責任をもって判断すべき事案であった。

検察不祥事と法務大臣の指揮権

また、問題の性格上、検察内部だけで判断するのが適切ではなく、法務大臣が指揮権に基づく介入を積極的に行うことが求められる場合の典型が、検察官の職務上の犯罪が検察の組織自体の不祥事に発展した場合である。

検察官による刑事事件が発生した場合、人事管理権者として、その事実を把握し、懲戒処分を行うことについての最終的な責任を負うのは法務大臣である。

定型的に処理可能な刑事事件の場合には、検察の組織内で「法と証拠に基づいて適切に処理する」ことに委ねれば済むであろう。しかし、検察官の権限行使としての職務に関して重大な犯罪の嫌疑が表面化した場合、他の検察官・上司が共犯者となることもあり、また、背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような事件を「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することには限界がある。

2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部所属の検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていた担当検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙してまで「起訴すべき」との議決に誘導した「前代未聞の事件」だった。

これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている。

このような「検察不祥事」に対する対応は、法務大臣の指揮権に基づく対応を検討すべき典型的事例と言うべきであろう。

小泉法務大臣と任命権者の岸田首相の重大な責任

小泉法務大臣の検事総長に対する指揮権に関する誤った国会答弁の問題は、極めて重大である。このままこの答弁を議事録に残すことなどあってはならない。法務大臣答弁の撤回は不可欠である。刑事局長から、改めて、検察庁法14条但し書について、これまでの政府見解に基づく正確な説明が行われるべきである。

そして、【前掲記事】でも指摘したように、政治情勢に重大な影響を及ぼす検察捜査について、「検察の暴走」という事態も、決してあり得なくはない。その場合、「検察の暴走」を止めることができるのは法務大臣の指揮権しかない。しかし、かつての造船疑獄のときの犬養法務大臣の指揮権発動のように、法務大臣の指揮権が検察の意向に反した形で行使された場合には、「検察捜査への介入」が世論の強い批判を浴び、法務大臣の責任のみならず、内閣自体の責任にも発展することになる。

法務大臣がこのように検察捜査に対して介入するとすれば、「政治家としての立場」というより、法務省のトップとして、法務省の組織としての検討に基づき、客観的中立的な立場で行うものであることが強く求められる。その法務大臣が、捜査の対象となっている派閥、自民党の政治家であれば、法務大臣が指揮権について判断するのは利益相反そのものであり、そのような状況においても公正で客観的な判断が可能で国民が信頼できる人物でなければ、法務大臣の職責を果たすことはできない。このような場合には、十分な法律の素養があり、これまで法務・検察とも、政治とも関係が希薄であった民間人が適切である。

法務大臣にとって検事総長に対する指揮権は、外交に関する問題や検察に関する問題などの例外的な刑事事件に関して、極めて重要な権限であるのに、それについて全く誤った認識・理解をしている小泉氏が、昨年9月の大臣就任以来、「自民党派閥政治資金パーティー裏金問題」という、政治的影響の極めて大きい事件の捜査・処分が行われた期間も含め、10か月にわたって法務大臣の職にあることは、重大な問題だ。

岸田文雄首相の任命責任も含め、厳しく責任が問われるべきである。

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