九州電力が開催した「お客さまとの対話の会」について

3月14日、九州電力は、一連のやらせ問題からの信頼回復を目的として、福岡市内で「お客さまとの対話の会」を開いた。
九州電力第三者委員会報告書の中の「経営トップを中心とする会社幹部が、電気利用者等の消費者、ステークホルダーと直接対話を行う場を設け、今回の賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省した上で今後透明な企業活動を徹底する方針を明確に表明する「企業活動透明化宣言」を行うこと」という提言の実行として開かれたものとのことである。
しかし、そこで会社側の説明は、九州電力にホームページに掲載されている「信頼回復に向けての取組み」を内容とするものである。それが、第三者委員会報告書が指摘する「原発立地県である佐賀県知事と九州電力との不透明な関係に基づく原発問題への対応」という問題の本質を受け止めたものではなく、そのような取組みでは提言を実行したとは全く言えないことは、3月5日にマスコミに公表し、このブログにも掲載した『九州電力の「信頼回復に向けての取組み」について』で指摘したとおりである。
問題の本質を踏まえて、「賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省」が行われたものでない以上、提言を実行したことにはならない。
このような説明内容の問題以上に重要なことは、このような会の開催手続と公開性の問題である。そこには、口先では「環境変化の認識ができていなかったことが根本原因であった」などと言っていても、実は、「どのような環境変化に、どのように対応できていなかったことが問題だったのか」が全く理解できていない九州電力の組織の現状が表われている。

今回の「対話の会」は、一般の入場は不可で、マスコミを除いて非公開、参加者の選定プロセスも明らかにされていない。
そこでの発言の概要をマスコミを通じて把握したところ、その中では、批判的な意見もある程度出ているとは言え、原発に正面から反対する意見は14人中1人だけ、経済団体の関係者など、電力の安定的で安価な供給を求める声が目立った。そして、何より重要なことは、九州電力が、全国レベルで批判され信頼を失墜する原因になった「経産省への報告書での第三者委員会報告書を『つまみ食い』した問題」や、その後の対応の問題についての質問が全く出ていないことだ。
このような会場参加者の意見、反応が、九州地域の社会全体の九州電力に対する見方、意見、批判を反映したものとは凡そ言えないものであることは明らかである。九州電力にとって都合の良いメンバーを中心に恣意的に参加者を選定したことが選定経過が明らかにできない原因であろう。

実は、こういうやり方で「対話の会」などと称する会を行おうとすることが、福島原発事故前の原発をめぐる環境においては通用しても、事故後の環境の激変の後における社会においては許されないやり方の典型なのである。
原発事故前は、電力会社が、原発推進のために世論形成のために、異端者扱いしていた反対派をできるだけ排除した形で、「予定調和的な議論」を作り上げていくことも、社会的に大きな問題とはならなかった。しかし、福島原発事故によって原発の「絶対安全の神話」は崩壊し、原発をめぐる環境は激変した。電力会社には、原発に関する国民的な議論に対して、可能な限りの情報提供、説明責任を果たした上、それに対する国民や地域住民のありのままの意見、考え方を、正面から、真摯に受け止めることが求められるようになった。
今の九州電力は、自分達が、地域社会全体からどのように見られているか、批判されているのか、という生の現実に向き合わなければならない。そのためには、あらゆる意見、見方を持った「お客様」が参加可能なオープンな場で堂々と説明、議論をすることが不可欠なのである。

本日発売の拙著『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」問題の深層』(毎日新聞社)の中で(32-33貢)、原発事故による環境変化に対する認識のズレを象徴する眞部社長の言葉を紹介している。

第三者委員会の発足当初、眞部社長がしばしば口にしていたのが「『やらせメール』問題は、コンプライアンスの問題ではなくて、マナーの問題です」という言葉だ。「ゴルフで、グリーンでわいわい騒いでいたら他のプレーヤーに迷惑でしょ」。真部社長の問題認識は、結局、その程度のものだった。その問題によって、なぜ九州電力が厳しい社会的批判を受け、自らも国会に参考人招致されて社長辞任の意向を表明する事態に追い込まれたのか、全く理解できなかったのだ。
九州電力の問題の本質は、決してその程度のものではない。私は第三者委員会設置当初から、この問題の本質は「福島原発事故による原発をめぐる環境の激変に、九州電力が適応できなかったことにある」と指摘してきた。原発事故前は、「絶対安全の神話」を国民が信じ続けるよう啓蒙を行うことが中心だったが、原発事故によって国民が制御不能になる施設の恐ろしさを目の当たりにしたことで「絶対安全の神話」は崩壊した。その後は、原発を運営する電力会社は、客観的な安全性の確保に加えて、いかなる事態が発生した場合でも万全な対応を行い、情報開示、説明責任が果たせる企業なのかなどについて、社会から評価・判定を受ける立場になった。
英国での長い歴史と伝統の中で育まれた「紳士のスポーツ」ゴルフの本質は、「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」であり、そのボールの状態をプレーヤーが作為的に動かしてはならない、というのと同様に、再稼働の是非などという原発問題に関する重要な判断に関しては、十分な情報開示を果たすことを前提に、「あるがままの民意が、あるがままに把握されること」が守られなければならないルールとなったのである。
そういう状況の中で、プレーヤーである電力会社自らが不透明なやり方で民意を作出しようとするのは、原発事故後の日本社会においては、原発問題に関する判断の公正さを著しく損なう行為である。そういう意味で、「やらせメール」問題は、「法令には違反しないが、明らかなルール違反でコンプライアンス違反」なのである。この問題は、真部社長が考えているような「マナーの問題」ではない。むしろ、「ラフに入ったボールをつまみ上げてフェアウェイに投げる行為」に近いと考えるべきなのだ。

ここで、「ゴルフの本質」としての「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」というのは、ボールが、ラフ、ハザード、バンカーなど、いかに打つことが困難な条件下にある場合でも、ボールを動かすことなく、そのままの状態で打たなければならないということである。
九州電力にとって、地域社会の見方、意見がいかに厳しいものであっても、それを、あるがままの状態で、正面から受け止めなければならない。原発再稼働に不安を感じ、反対する多くの市民の声を含め、消費者、電気利用者のあらゆる声に耳を傾け、真摯にそれに向き合うことで、同社は、原発事故後の厳しい環境に適応することができるのだ。

「対話の会」の冒頭の挨拶の中で、九州電力の瓜生次期社長は、(同じような問題を起こしたら)「私たちの会社はないという危機感を持っています。」と言いながら、涙ぐんだという。
この程度の「生ぬるい状況」で「生ぬるい発言」をするだけで泣いているような人が、九州電力の経営トップとして、今後更に厳しい環境変化に直面することになる同社を率いていけるのか、甚だ心配である。

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陸山会事件小沢公判での指定弁護士の論告について

3月9日、東京地裁で行われた小沢一郎氏に対する政治資金規正法違反事件の公判で、指定弁護士が論告を行い、被告人の小沢氏に対して禁固3年を求刑した。この論告に対する所感を述べることとしたい。

東京地検特捜部による検察審査会を欺くための虚偽捜査報告書問題等の策略の発覚、検察官調書証拠請求却下などによって、起訴そのものが有効であったか否かにすら疑念が生じるという絶望的な状況においても、指定弁護士は最後までベストを尽くした。まずは、そのプロ根性に敬意を表したい。

指定弁護士は、検察審査会の起訴議決に基づき公訴提起の手続を行い、その公訴を維持する方向での活動を行う立場にある、いかなる戦況においてもギブアップすることは許されない、絶望的な状況においても、立ち上がって敵に向かっていくしかない。

今回の陸山会事件小沢公判での論告は、そういう「後に引けない立場」にある指定弁護士として、可能な限りの主張・立証を試みたものであり、与えられた立場で最大限の努力を行ったものと評価できると思う。

しかし、そういう「退却できない立場」の指定弁護士による最大限の努力の成果として行われた今回の論告が、政治資金規正法違反の刑事事件における主張・立証として、通常行われる範囲を超え、従来からの刑事司法の常識を逸脱するものになってしまったことは否定できない。

論告は、①公訴棄却の主張に対する反論など、本件裁判の形式要件についての記述。 ②石川・池田・大久保の3名の元秘書について政治資金規正法違反が成立することに関する立証。③小沢氏の共謀に関する立証 の3つの部分に分かれる。

①、②については、小沢氏の弁護人、或いは、石川氏らの控訴審の弁護人から、詳細な証拠関係に基づく反論が行われるであろう。

ここでは、小沢氏の公判の最大のポイントであるとともに、検察の捜査・処分の考え方とは大きく乖離する考え方がとられた小沢氏の共謀に関する論告の記述に絞って述べておこう。

この点に関して、指定弁護士の論告では、小沢氏からの4億円の現金による資金提供を収支報告書に記載せず、虚偽の記載を行った石川氏らの動機・目的が、小沢氏から多額の資金提供が行われた事実を秘匿することにあったこと、そのような行為を行う動機は、石川氏ら個人にはなく、多額の資金の提供を表に出したくないとの小沢氏の意向に基づいていると考えられることなどを根拠に、石川氏らの虚偽記載に関して、小沢氏との具体的な謀議、報告、了承、指示等の事実が全く特定できなくても、小沢氏の共謀が認定できるとしている。

このような小沢氏の共謀の主張・立証には、二つの面から重大な問題がある。まず、第一に、政治資金規正法の一般的な法解釈を逸脱していることである。政治資金規正法は、政治資金収支報告書の作成義務とその記載の正確性を担保する責任を基本的に会計責任者(又は、その職務補佐者)に負わせている。政治団体の代表者に対しては、同法25条2項で、政治資金収支報告書の虚偽記載が行われた場合に、会計責任者の「選任及び監督」について相当な注意を怠った場合に罰金刑に処することとしており、それは、法が、虚偽記載についての責任を基本的には会計責任者に負わせた上、代表者については、会計責任者の「選任」と「監督」の両方に過失があったという例外的な場合に処罰の対象とする趣旨だと解される。

そのような法の趣旨からすると、政治資金収支報告書の虚偽記載政治団体の代表者が、収支報告書の記載に虚偽があることについて認識していた、という程度で処罰されるというのは、法の趣旨に著しく反するものである(このような政治資金規正法の現状のままにしておいてよいのかという立法の問題は別として)。

第二に、この共謀の主張・立証の根拠とされている「共謀理論」は、かつて「暴力革命」を標榜する過激派によるテロ、ゲリラ事件や拳銃による殺傷事件を繰り返す暴力団等による組織的犯罪の摘発・処罰に用いられたことにある。それは、論告中に、平成15年の暴力団組長の銃刀法違反事件の最高裁判決を引用していることにも表れている。この判決では、自らの警護に当たる組員に拳銃を持たないように指示命令することができる組長が、組員らが拳銃を所持していることを概括的にではあれ確定的に認識していたことで、「黙示的に意思の連絡があったと言える」として、拳銃の所持について組長の「共謀」を認めている。

指定弁護士の論告では、この最高裁判例の考え方を、政治資金収支報告書の虚偽記載である本件事案に適用して、小沢氏が石川氏らを指揮命令し、犯行を止めることができる立場であったこと、小沢氏には、4億円の資金提供の事実を隠蔽するために政治資金収支報告書に虚偽の記載を行うことについて確定的認識があった、ということを根拠に、小沢氏に共謀が認められるとしているのである。

この主張・立証は、刑事司法の常識を逸脱したものと言わざるを得ない。

過激派のテロ・ゲリラ事件や、暴力団による拳銃による抗争事件などでは、当該組織の存在と活動自体が犯罪性を帯びていて、国家や社会にとって容認できないものであり、しかも、そのことを、当該組織の側も敢えて否定はしていない。過激派の場合は「犯行声明」を出したりして公然と認めており、暴力団は、まさに反社会的団体そのものである。

これらの事案では当該組織によって犯行が行われたことは明らかであっても、実行行為者や首謀者を特定する証拠がないために、通常の刑事事件で「共謀」の立証に不可欠となる「具体的謀議」の事実を特定することができない。

このような場合の共謀の立証の方法として、具体的謀議自体を全く特定せず、(ア)組織としての方針や意思、(イ)組織内における被告人の地位・立場、(ウ)被告人が、何らかの形で、犯罪の実行を認識していたことについての客観的証拠、の3つを立証することで、共謀を立証するという方法がとられてきた。

ここでの立証の考え方は、「謀議」という具体的事実自体を立証する、或いは推認するという一般的な共謀の立証とは異なり、上記(ア)~(ウ)の事実を立証することによって、直接「共謀の成立」という法的評価をすることが可能だという考え方に基づく。

このような「共謀理論」は、一般の刑事事件の事実認定とは質的に異なる。それは、共謀の認定を、本来の構成要件事実である「謀議」という具体的事実ではなく、組織の活動における地位・役割と犯行に関する認識という要素に基づく「規範的評価」によって行おうとするところに特徴がある。

すなわち、本来、刑事事件で立証する事実は、「誰が、いつ、どこで、何をしたか」という個別具体的な事実である。それが明らかにされることで、その事実に関して、当該被告人が、どのような意思でどのように犯行に関与したかが明らかになり、共謀による刑事責任の有無・程度が立証されるのである。ところが、前記のような特殊な組織的犯罪においては、その組織的活動に関わる、何らかの「状態」が立証するという方法をとるのである。論告が引用する最高裁判例の事案でも、暴力団組織が、組長護衛のために部下が拳銃を所持している「状態」について組長が認識していることで組長の共謀が立証できるとされたのは、その典型的な例である。

しかし、このような「状態」とその認識を立証することによって共謀を行う余地があるのは、当該組織の活動自体が恒常的に犯罪に向けられていると考えられるからである、「暴力革命」を活動目標として掲げ、テロ、ゲリラの実行を組織として認めている過激派がまさにその典型であり、他の暴力団との拳銃による抗争事件を繰り返している暴力団組織も、その活動自体が犯罪に向けられていると言える。そのように、犯罪に対する恒常的な認識が組織内で共有されていることを前提に、被告人の地位と、特定の犯罪事実に関する被告人の認識を立証することで共謀が立証可能と考える余地があるのは、犯罪を行うことにより、或いは、犯罪を行ってでも、目的を達成しようという方針が組織内で共有されていることが前提なのである。

このような特殊な「共謀理論」を適用する余地があることの背景には、そのような自ら社会秩序に反する活動を標榜している組織は社会から排除されるべきであることについての「社会的合意」の存在がある。

そのような共謀理論を陸山会事件における小沢氏の共謀に適用すべきというのは、過激派、暴力団組織等の共謀の前提となる「組織の存在及び活動自体の反社会性」を、特定の政治家、政治団体の政治資金の処理をめぐる事件に適用することを求めているということにほかならない。

しかし、政治資金の処理、収支報告書の記載に虚偽があったと言っても、それは、政治資金に関する手続きの問題に過ぎない。政治資金の処理に関するルールは、国民、有権者の政治家、政党の選択のための情報開示の問題であり、テロ、ゲリラ事件、暴力団の抗争事件のような国家や社会を根底から揺るがしたり、実際の人の死傷の危険を生じさせたりするものではない。

また、このような政治資金に関するルールは、本来、あらゆる政治家、政党に、法の規定に従って、公平に適用すべきものであり、政治的な影響を意図した恣意的な運用は許されない。小沢氏の政治資金規正法違反事件について検察が不起訴の判断を行った際には、このような特殊な共謀理論の適用など凡そ考えられなかったはずだ。それは、政治に関連する事件の共謀についての認定の問題と、反社会的勢力の事犯における共謀の認定とは決定的に違うことについての、検察としての健全な常識によるものである。また、もしそのような共謀理論の適用を前提にできるのであれば、少なくとも、東京地検特捜部の検察官も、裁判所の多くの検察官調書の請求が却下されるような違法・不当な取調べを行う必要は全くなかったはずだ。

そういう意味では、指定弁護士の論告は、一見、緻密な論理と間接証拠の積み上げによる説得力のある主張・立証のように見えるが、その内実は、刑事司法の常識を大きく逸脱するものであり、政治資金規正法事件についてこのような論告を敢えて行うことには、常識ある法律家として相当な抵抗があったものと推察される。

しかし、冒頭にも述べたように、指定弁護士は「退却」は許されないという考え方から、敢えて、このような論告による主張・立証に踏み切ったのであろう。

検察審査会法の改正によって導入された起訴強制制度には、指定弁護士が今回のように相当程度常識を逸脱した主張を行わざるを得なくなること、一部の検察官が検察審査会の審査員を騙して起訴議決を行わせようとする謀略が行われる危険性が排除できないことなど、重大な欠陥があることが今回の事件で明らかになったと言うべきであろう。

(初出:メルマガ http://www.comp-c.co.jp/pdf/20120312.pdf

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九州電力の「信頼回復に向けての取組み」について

3月1日、九州電力ホームページ上に、「信頼回復に向けての取組みについて」と題して、「経済産業省主催の県民説明番組への当社社員による意見投稿要請等の一連の事象」についての信頼回復、再発防止策への取組みの内容等が掲載されました。
この「信頼回復に向けての取組み」について、今回、ホームページに掲載された同「取組み」について、私を含め、行動を共にしてきた九州電力第三者委員会の元委員3名は事前に何の連絡も受けていませんが、同委員会の委員長を務めた者として、これまでの経緯を踏まえて、若干のコメントをしたいと思います。

まず、結論から言うと、この「取組み」は全く評価できません。このようなものでは、九州電力の信頼回復には全くつながらないと思います。
一連の問題による九州電力の信頼失墜の最大の原因は、発生した不祥事そのものよりも、不祥事に対する事後対応にあります。同社が自ら設置した第三者委員会報告書が指摘する問題の本質を受け止めず、調査結果に反論するなど佐賀県古川知事との関係で不合理な主張を繰り返し、第三者委員会が指摘した問題の本質を受け止めなかったことが信頼失墜の最大の原因です。
昨年10月14日に同社が経済産業省に提出した最終報告書の内容が、第三者委員会報告書の都合の良いところを「つまみ食い」する内容だったことで、枝野経済産業大臣から厳しい批判を受けたものです。
ところが、同ホームページの「信頼回復に向けての取組みについて」の中の「経済産業省主催の県民説明番組への意見投稿呼びかけ等について」の冒頭では、「2011年9月30日、第三者委員会最終報告書を受領しました。当社はこの報告書を真摯に受け止め、2011年10月14日に、経済産業省へ事実関係と今後の対応(再発防止策)について報告書を提出しました。」と書いています。同社は10月14日の経産省に報告書を提出した時点から、「第三者委員会報告書の真摯に受け止めていた」ということなのです。
10月14日に枝野大臣に報告書を厳しく批判されたことも、九州電力自身が、12月22日に、改めて「第三者委員会報告書を真摯に受け止めます」という「紙切れ一枚」を改めて経産省に提出したことも、すべてなかったことにするということになります。
また、「今回の一連の事象の根本的な原因」の中に、「経営トップ層の責任」という項目がありますが、ここで書いてあるのは、「経営層に責任があるとの第三者委員会の指摘を、経営陣は真摯に受け止めることが必要」というだけで、一体何を、どう受け止める必要があるのか全くわかりません。
「規制当局や関係自治体等との関係性」の項目でも、第三者委員会報告書が問題の本質として指摘した「原発立地自治体との不透明な関係」という言葉は全く入っておらず、『より高い「透明性」を確保する仕組み等の検討が重要』と書かれているだけです。「より高い」というのであれば、これまでもある程度は「透明性」が確保されていたが、更に「透明性」を高めるという意味になります。第三者委員会報告書が問題の本質として指摘している「不透明性」は否定しているということです。
また、この「原発立地自治体との不透明な関係」に関する提言で最も重要な点は、「首長との間で原発の設置、再稼働等の重要事項について不透明な形での話合いを一切行わないこと、」ですが、その部分は、九州電力の「取組み」からは、完全に除外されています。
九州電力の「信頼回復への取組み」では、第三者委員会報告書の提言と似たような言葉が並んでおり、一見すると、報告書をそのまま受け入れているように見えますが、問題の本質に関わる部分が巧妙に除外されていますし、そもそも、大前提となる、信頼失墜の原因になった自分達の行為のどこがどのように悪かったのか、という点についての認識が示されておらず、取組みの方向性が定まっていなければ、何を行っても意味がほとんどないのです。
このような無意味な「信頼回復の取組み」にコストをかけるのは、原発停止による燃料費の負担増で膨大な経常損失を計上し、電気料金値上げによる利用者への転嫁を目論んでいる九州電力にとって、単なる「無駄遣い」でしかないと思います。
一連の九州電力の問題に関しては、今月の18日に発売予定の拙著『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」問題の深層』(毎日新聞社)で詳しく述べており、「あとがき」の中でで、九州電力の現状について、「眞部社長は、『第三者委員会報告書の提言は120%受け入れている』などと強弁していたが、少なくとも問題の本質に関わる提言については、実行する気配すらない。」と述べています。
今回同社のホームページに掲載された「信頼回復に向けての取組み」を見ても、その点についての私の認識は全く変わりません。

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小沢氏公判での証拠却下決定、注目すべきは、虚偽公文書作成の範囲と偽証の認定、特捜部の組織的な不当取調べの認定

本日の小沢氏の公判で、東京地裁大善文男裁判長は石川知裕衆議院議員ら元秘書3人の供述調書の多くについて証拠採用を却下した。元代表の関与を認めた石川氏の調書についても、任意性、特信性を否定して請求を却下した。

決定書全文を入手して読んだが、石川氏らの供述調書の請求を却下したという結論もさることながら、重要なことは、その理由の中で、取調検察官の田代検事の法廷証言の信用性についても踏み込んだ判断をしたことである。特に、田代検事が市民団体から虚偽公文書作成罪で告発されている石川氏の取調べ状況についての捜査報告書の問題に関して「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べているのは、事実上、田代検事の偽証と虚偽公文書作成の犯意を認めたものと言え、東京地検の告発事件の捜査に決定的な影響を与えるものと思われる。

しかも、決定書では、その田代検事の後に石川氏の取調べを担当した吉田副部長も取調べで石川氏に圧力をかける行為を行っていたことを認め、田代検事の不当な取調べが、個人的なものではなく、組織的なものであったことまで認定している。

今回の証拠決定は、検察、とりわけ特捜検察にとって衝撃的なものであろう。

市民団体の告発事件は、最高検から東京地検刑事部に回付されたとのことだが、東京地検刑事部は、今回の東京地裁の決定を受けて、早急に、捜査に着手することになるだろう。

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JR西日本山崎前社長の事件と小沢事件の共通性

JR西山崎前社長の事件は、当初、神戸地検・大阪高検が起訴意見で最高検に持ち込んだ際に、当時の笠間次長が厳しく問題を指摘して却下。ところが、その後、笠間次長が広島高検検事長に異動して、決裁ラインから外れたことから、神戸地検・大阪高検は再び最高検に起訴意見を持ち込み、後任の伊藤次長の了承を得て起訴した。その当然の結果が今回の無罪判決だ。

そういう意味では、笠間次長の時代に最高検が適切な判断を下したのに、それを覆して起訴をしたことが、そもそもの間違いだったのであり、無罪判決への控訴断念は当然と言える。しかし、経過はどうあれ、形式上は検察が組織として起訴を決定した事件で、事実上その誤りを認めるに等しい控訴断念は、極めて異例であり、まさに笠間総長の主導性がなければ行い得なかったであろう。まさに、笠間検察が打ち出した「引き返す勇気」が初めて発揮された事例とと言える。

重要なことは、西松建設事件を発端とする小沢事件も同様の経過をたどったことだ。笠間次長時代に、特捜部が西松建設事件での小沢氏秘書逮捕を画策し、次長が却下、それを、笠間次長の広島高検への異動後に伊藤次長に持ち込んで了承を得て、2010年3月に大久保氏逮捕・起訴。山崎前社長の事件と全く同じ構図。その後、村木氏逮捕・起訴、陸山会事件など、現在の信頼失墜を招いた「検察の暴走」は、すべて、「笠間不在」の間に引き起こされたことであり、それらの尻拭いを行いつつ、検察改革を実行する立場にある笠間総長は、誠に気の毒というほかない。

今回の控訴断念は、(朝日新聞の「証拠改竄スクープ」で「引き返させられた」と思われる村木氏事件を別にすると)、そういう「笠間不在」の最高検の失態から初めて「引き返した」事例である。今後も、同じ経過による誤りに対して、同様の「引き返す」姿勢で臨んでもらいたい。それが、検察の信頼回復の唯一の道だ。

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古川知事と「真相究明委員会」

古川知事は「真相究明委員会」からのヒアリング、調査への協力を拒絶したが、佐賀県議の方々からは、佐賀県の内部調査報告書の検証等の調査を依頼してきている。しかし、九電の第三者委員会の調査との関係もあり、委員長の立場にあった私としては、同社の了解が得られない限り、関連する事項について弁護士として調査を受託することはできない。古川知事がヒアリングに応じ調査に協力するのであれば九電側も了解するだろうが、拒絶したのであれば、了解するとは思えない。ということで、佐賀県議の方々には、今日の会談で、調査受託をお断りせざるを得ない。
今日の会談では、調査受託をお断りする代わりに、公表されている内部調査報告書に関して、コンプライアンス、調査の専門家の立場からの一般的な問題の指摘をして、今後の調査の参考にしてもらおうと思う。もちろん、九電第三者委員会終了後に、何回も福岡に行って九電経営陣批判の会見を行った時と同様、今日、福岡に行くのも「手弁当」。今回の件については、報酬も費用も受け取る気はない。
昨日、新幹線の中で、改めて佐賀県の内部調査報告書に目を通したが、それにしてもヒドイ。「突っ込みどころ満載」。こんな報告書で、プルサーマル公開討論会での九電関係者大量動員、「仕込み質問」の問題が「決着済み」と強弁する古川知事の神経が私には理解できない。 もし、我々が調査チームを編成して、この内部調査報告書の問題点を追及しようとしたとすれば、ひとたまりもないであろう。掘立小屋に籠城して武田の騎馬軍団を迎え撃つようなもの。まさに「鎧袖一触」。
この程度内部調査報告書の内容であれば、私が直接関わらなくても、佐賀県議の方々の調査・検証、県議会での追及だけでも「粉砕」されることになるのではなかろうか。
それにしても、古川知事の対応は残念だ。「真相究明委員会」の佐賀県議の方々からも、「決して古川知事を辞任に追い込むことが目的ではない。早くこの問題に決着をつけて、他の県政の重要課題に取り組んでもらいたい」という思いを聞いた。そうであれば、私が知事ヒアリングという形で関わることで、問題の決着を図り、原発問題についての佐賀県の判断の新たな枠組みを提案することが、古川知事にとってもベストだと思ったのだが。
古川知事は、行政手腕、首長としてのリーダーシップなど、大変有為な人材。古川知事の信頼が失墜した現状は佐賀県民にとっても不幸だ。「籠城」をやめて、私との話に応じてくれるのであれば、今からでも遅くはないと思うのだが。

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宗像紀夫弁護士の見解に対する反論

昨年12月7日、朝日新聞オピニオン面の「耕論―不祥事と第三者委員会」に、以下のような、私の第三者委員会委員長としての行動を批判する宗像紀夫弁護士(元名古屋高検検事長・東京地検特捜部長)の見解が掲載された。

私は過去に何件か第三者委員会の委員長などを引き受けましたが、その時に留意したのは、予断や偏見、その他政治的な思惑などを一切持たずになるべく多くの関係者に話を聞くこと。そして、契約上守秘義務が課されているか否かに関わらず、調査で知り得た事実を勝手に公表しないということでした。大きい企業の不祥事ですから、新聞記者などが調査内容を聞こうと接触してきましたが、途中経過は一切話しませんでした。
昨年日弁連が策定した「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」でも、「独立した立場で中立・公正で客観的な調査を」「調査報告書提出前にその全部または一部を企業等に開示しない」と定めています。
こうした観点から見て、問題となるものもあります。九州電力の「やらせメール」問題に関する第三者委員会の郷原信郎委員長の行動です。
まずは、郷原氏が、委員長内定後、就任直前に古川康・佐賀県知事と面会して、「早期に辞任した方が政治的ダメージは少ない」と辞任を促したことです。最も重要な調査対象である古川知事に辞任を求めるという行動を見ると、郷原氏が何らかの予断を持って調査に臨んでおり、中立・公正な立場ではなかったと言われても仕方ないのではないでしょうか。
その後7月30日、古川知事が記者会見でやらせメールへの関与を否定するや、郷原氏も委員長として会見し、「知事の発言は結果的にやらせメールの引き金になった」と反論しました。まだ本格的な調査も始まっていない段階でのこのような発言は、委員会に対する信頼性を失わせるものであり、越権行為と言えます。

この中には明らかに事実に反する前提で書かれている部分があり、しかも、日弁連第三者委員会ガイドラインについても、その趣旨を誤解して、私への批判に引用している。
このような宗像弁護士の「見解」は、コンプライアンスを専門とする活動を行ってきた立場としては到底容認できないものであり、その直後に出された朝日新聞のWebジャーナルの「法と経済のジャーナル」のインタビュー記事の末尾でも[追録]の形で反論した。

本日付け朝日新聞オピニオン面「私の視点」の「第三者委員会 対話型と独立型を柔軟に」と題する記事の中でも、宗像弁護士の「見解」への反論を述べている。ただ、字数の制約もあり、同記事では第三者委員会に関する一般論に基づいて「まったくの的はずれである」と切り捨てるにとどめている。
そこで、同氏の見解の誤りを詳細に述べることとするが、その前に、このような宗像弁護士の見解が新聞に掲載されたこと自体に対する疑問について述べておきたい。

そもそも、上記「耕論」の中で、宗像弁護士が「第三者委員会の専門家」と位置付けられていること自体が不可解である。私の知る限りでは、宗像弁護士が第三者委員会の委員長を務められたという話は、横浜市立大学の学位謝礼問題の調査委員会ぐらいしか知らない。企業等の不祥事に関する事実関係等を社会に対して明らかにすることが重要な目的なのであるから、委員会報告書が公表されていなければ意味がないと思われるが、インターネットで検索しても、宗像弁護士が委員長を務めた第三者委員会報告書は見当たらない。少なくとも、新聞報道されるような大きな企業不祥事の第三者委員会の委員長を務められた経験はほとんどないものと思われる。
それにもかかわらず、「第三者委員会特集」に宗像弁護士が専門家として登場し、私を名指しで批判してきた理由は何なのか、その背景には何があるのであろうか。

次に、宗像弁護士の「見解」の内容について述べる。
まず、前提となる事実関係を誤っているのが、7月30日に、古川知事が記者会見したことを受けて、私が記者会見を開いて発言したことについて、宗像弁護士が「知事の発言がやらせメールの引き金になったと言って古川知事の発言に反論したことは『越権行為』だ」と批判している点である。

そもそもこの日の私の会見は、古川知事と事前に打ち合わせた上、古川知事の関与について誤解が生じないように「支店長作成メモでは、九電社員に投稿を要請したように見えるが、古川知事の説明は異なっており、今後、知事発言がどのような影響を与えたのか第三者委員会の調査で明らかにしたい」と述べたものであり、古川知事の発言への「反論」ではない。
7月30日の記者会見では、一部の記者から、「知事会見の火消しではないか」という質問が出たぐらいであり、私の発言が、決して「古川知事の発言への反論」ではないことは、朝日新聞の記者も含めて、会見に出席した記者から聞けば容易にわかることだったはずだ。

また、この日の会見は『越権行為』でもない。
会見まで6月21日の知事公舎での面談という重要な事実が公表されていなかったが、古川知事は、九州電力の「やらせメール」が表面化した時点では同社を批判しており、その発端とされていた九電副社長以下の佐賀市内での会談の直前に、古川知事と会談した事実があり、そこで知事が「やらせメール」の舞台となった6月26日の国主催の説明番組について発言した事実があるということになると、知事が厳しい批判を受け、一方で、九電側もその事実の隠ぺいを批判されかねない。
古川知事にとっても、その事実が、マスコミ報道や第三者委員会報告書の公表という形で表に出るより、自ら記者会見で明らかにし、それを受けて私が会見を行って説明する方が得策だということを、私から古川知事に提案し、九電側とも事前に調整した上で、このようなやり方をとったものであり、全く「越権行為」ではない。
7月30日の古川知事側の記者会見とそれを受けての私の会見に対するマスコミ側の反応は、概ね事前に想定した範囲だった。少なくとも、知事公舎での会談という重大な事実が、それまで隠していたことに対する批判がほとんどなく表に出せたことは、古川知事にとっても九電にとっても大きなメリットだったと言えよう。

宗像弁護士は、日弁連第三者委員会ガイドラインの「調査報告書提出前にその全部又は一部を開示しない」という文言を引用して、調査途中での事実公表を問題にしているが、この文言は、「報告書の起案権は委員会側にあり、会社に事前に開示することで会社側の意向で内容の修正を求められることがあってはならない」という趣旨であり、重要な事実が委員会の活動の途中で明らかになった場合の公表の是非とは別の問題だ。

オリンパスの第三者委員会も、反社会的勢力に資金が流れた疑いが報道されたのに対して、委員会として「そのような事実は認められていない」とのコメントをしたと報じられている。このように、第三者委員会の活動の途中経過であっても、重要な事項を公表すべき場合がある。とりわけ、公益企業の典型である電力会社の第三者委員会には、露骨な証拠廃棄や重要事実の隠蔽などに関して情報開示が必要となることも十分にあり得る。宗像弁護士が引用するガイドラインの条項は、そのこととは無関係である。
宗像弁護士は、私にとって検察の大先輩で元上司、特捜部に所属していた当時の特捜部長である。しかし、大変僭越ながら、今回の「御指導」は、専門外で、余りに的外れだったと言わざるを得ない。
そういう専門外のことより、むしろ、私が由良秀之著「司法記者」の中で描いている「特捜検察の暴走」と重ね合わせて、御自分の特捜部長時代のこととを思い起こして頂くことの方が重要なのではないかと思う。

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陸山会事件を「平成の盧溝橋事件」にしてはならない 〜虚偽捜査報告書作成事件の捜査・調査に速やかに着手すべき〜

検察審査会起訴議決によって起訴されている小沢一郎氏の公判で、昨年の秋に表面化し、検察の信頼を失墜させた大阪地検をめぐる不祥事をも上回る重大な問題が、先週、明らかになったからだ。

12月15日に東京地裁で開かれた公判において、元東京地検特捜部所属の田代政弘検事の証人尋問が行われ、昨年5月、同会元事務担当者の石川知裕衆院議員を保釈後に再聴取した際の状況について、石川被告が供述していない内容を捜査報告書に記載していたことが明らかになった。

その報告書は小沢被告に対する起訴議決を出した東京第5検察審査会にも提出され、審査の資料とされ、議決書にも一部が引用されている。

石川被告は昨年1月の逮捕後、田代検事の取り調べを受け、「小沢被告の了承を得て政治資金収支報告書に虚偽記入をした」との供述調書に署名した。そして、同年5月17日の任意の再聴取でも同様の内容の調書が作成され、同日付けの取調べ状況に関する捜査報告書とともに、検察審査会に捜査資料として提出された。この問題を、一面トップ、社会面トップで報じた16日付読売新聞朝刊によると、同報告書には、田代検事が小沢氏に対する報告とその了承について調査を録取した状況を質問したことに対する石川氏の供述として、以下のように記載されている。

「私が『小沢先生は一切関係ありません』と言い張ったら、検事から、『あなたは11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ。小沢一郎の秘書という理由ではなく、石川知裕に期待して国政に送り出したはずです。それなのに、ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ。』と言われたんですよね。これは結構効いたんですよ。堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたって話したんですよね。」

ところが、そのようなやり取りは、石川被告が再聴取を隠し取りした録音記録にはない。

同日の証人尋問で、その点について、小沢被告の弁護人から追及された田代検事は、「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した。虚偽ではない」と釈明した。

田代検事の行為は、検察官の作成名義の捜査報告書という公文書に虚偽の記載をしていたということであり、虚偽性についての認識があれば、虚偽公文書作成罪という犯罪に該当する。虚偽公文書作成という犯罪は、形式上犯罪に該当する行為であっても、可罰性の幅は非常に広い。公文書の内容に事実に反する点があったとしても、それが官公庁内部に止まるものであれば、実質的な処罰価値はない場合も多い。しかし、本件のようにその報告書が司法作用に重大な影響を及ぼすというのは、最も悪質・重大な虚偽公文書作成の事実と言えよう。

検察官の取調べをめぐる問題は、郵便不正事件でも、小沢氏の元秘書3人が起訴された政治資金規正法違反事件でも問題になった。被疑者が実際の供述しているのとは異なる内容の供述調書が作成され、威迫、利益誘導、切り違えなどの不当な方法によって被疑者に署名をさせるという方法が問題にされ、供述調書の請求が却下されるという事例が相次いでいる。

被疑者の供述を内容とする捜査報告書をめぐる今回の問題は、検察官の供述調書をめぐる問題とは性格を異にする。供述者の署名があって初めて書面として成立する供述調書とは異なり、捜査報告書は、検察官側が一方的に作成できる書面だ。あくまで捜査の状況を報告するための文書であり、その分、被疑者の供述内容を立証する証拠としての価値は低い。一般の刑事事件においては、捜査報告書によって被疑者の供述が立証され、事実認定が行われることはほとんどない。

しかし、検察審査会の審査員という素人の判断との関係では、捜査報告書の取扱いも全く異なってくる。証拠の種別、価値等について前提となる知識が乏しい審査員は、捜査報告書であっても、被疑者の供述として書面に記載されていれば、それなりに信用できるもののように判断することとなる。

今回虚偽であることが明らかになった捜査報告書は、検察審査会に資料として提出され、審査会の判断の根拠とされたものであり、それを意図して行われた疑い、つまり、虚偽の捜査報告書が検察審査会をだます目的で使われた疑いがある。そこに、これまで供述調書に関して問題とされてきたこととは異なる重大な問題があるのである。

そこで、まず問題となるのは、報告書に虚偽の記載が行われたことが意図的なものであるかどうかである。

田代検事は、勾留中の取調べのやり取りと混同したという「過失」を主張しているが、起訴後、保釈で身柄非拘束の状況での取調べでのやり取りを、その直後に捜査報告書に記載する際に、3ヶ月前も前の勾留中のやり取りと混同するなどということ自体が考えられない。

また、通常、被疑者の供述が変遷したのであれば、変遷の時点で理由を聞いているはずであり、3ヶ月以上も経った、釈放後に、勾留中の供述の理由を尋ねるということも、検察官の取調べの経過として考えられない。そのような常識では考えられないような質問を自分が行い、石川氏がそれに答えているという状況を、田代検事が「自らの記憶」として、報告書に書いたとは考えられない。

しかも、石川氏の勾留中の取調べの大半が、水谷建設からの裏献金の受領の問題に費やされたこと、特に、勾留延長後の10日間は、田代検事から担当副部長に取調べ検察官が交代し、もっぱら水谷建設からの裏献金の問題について聞かれていたことは、同氏自身が語っているところである。政治資金収支報告書の虚偽記入について小沢氏に報告をした旨の石川氏の供述調書に関して、田代検事がそのような供述をした理由を尋ね、石川氏が説明する、というような「勾留中のやり取り」は、いったいどの時点で行われたのであろうか。そもそもその「やり取り」自体が存在していなかった疑いが強い。

だとすると、石川氏が、「ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになる」と考えて小沢氏への虚偽記載の報告を認めた、という捜査報告書の記述自体が「創作」であり、石川氏の供述を捏造した疑いが濃厚と言うべきであろう。

田代検事の「過失」の弁解は明らかに不合理であり、意図的で、しかも実害を伴う虚偽公文書作成罪の嫌疑が相当程度認められるのであるから、検察として、捜査或いは内部調査に乗り出すのは当然であろう(「うその報告書―検察は経緯を検証せよ」と題する12月18日の朝日新聞社説でも、「なぜうその報告書が作られ、チェックもできなかったのか、経過を解明・検証して国民に説明する作業が欠かせない」と説明を求めている)。

検察には、今回の虚偽公文書作成の問題について、今のところ何の動きもない。この件について何の調査も捜査も行わないとすると、前田検事の故意の証拠改ざんを行った事実を知りながら、同検事の刑事事件について捜査し、検挙するなどの措置をとらなかったとして上司の大坪・佐賀両氏を犯人隠避罪に問おうとしている検察の主張は、根底から崩れる。調査を行ったとしても、田代検事の「過失」の弁解を、そのまま受け入れるようであれば同様である。それによって、先日、検察官の論告・求刑が行われた大坪・佐賀両氏の公判にも重大な影響を与えることとなる。大坪・佐賀両氏の弁護側から、公訴取消を求められた場合、検察はどう反論するのであろうか。

本件の虚偽公文書作成の問題に関して重要なことは、それが、検察審査会の議決に大きな影響を与えたこと、つまり、刑事司法作用を害する結果になったことだ。

前田元検事の事件では、フロッピーディスクのデータの改ざんが行われたが、データが改ざんされる前の正しいデータを記載した捜査報告書が弁護側に開示され証拠請求されたことから、公判の審理には結果的に影響を与えなかったのに対して、今回虚偽が明らかになった捜査報告書は、検察審査会に提出され、小沢氏を起訴すべきとする議決書にも引用されており、まさに、検察審査会が小沢氏の犯罪事実を認定する議決に大きな影響を与えている。

しかも、その取調べの際、たまたま、石川被告が、隠し録音をしていたことから、虚偽報告が発覚したが、もし、録音が存在していなかったら、田代検事は、今回のような小沢氏の公判での証人尋問で、捜査報告書の通りに取調べ時のやり取りを証言していたであろう。それは田代検事が録取した石川氏の供述調書の信用性を肯定する根拠にされた可能性が高い。

さらに重大な問題は、この虚偽捜査報告書の作成が意図的なものであったとすれば、それが田代検事個人の判断で行われたものとは考えにくいということだ。

先に述べたように、勾留中の被疑者が検察官の取調べに対して新たに行った供述について、その理由を、起訴後3ヶ月も経った後の取調べでわざわざ質問し、それについて捜査報告書を作成するなどということは、通常の検察官の取調べではあり得ない。何らかの上司の指示がなければ、このような捜査報告書が作成されることはないと考えるのが合理的であろう。

そもそも、この政治資金規正法違反事件について、小沢氏は、検察の処分としては、嫌疑不十分で不起訴となっており、検察の組織としては、犯罪事実の認定について消極の判断をしている。通常であれば、検察審査会で起訴相当議決や起訴議決が出されて検察の処分が覆されることは、検察にとって極めて不名誉なことであり、検察審査会の議決を受けて行われる再捜査において、わざわざ、検察の不処分が検察審査会の議決で覆される方向で捜査を行うこと自体、担当検察官個人の行動としてはあり得ない。石川氏の供述調書の信用性を補強する虚偽の捜査報告書を作成してまで、検察審査会に小沢氏の犯罪事実を認めさせようとする行動は、田代検事個人の意思によって行われたとは考えられない。

検察組織全体の方針に反して、検察審査会の議決を検察の処分を覆す方向に向け、それによって小沢氏を政治的に葬ろうと考える一部の集団が検察組織内部に存在していて、田代検事はその意向に従って動いたとしか考えられない。

検察審査会の審査員が小沢氏との共謀を認める石川氏の供述調書を信用し、小沢氏に対する起訴議決を行うようにするため、田代検事に虚偽の捜査報告書を作成させる、という行為が、東京地検特捜部内で組織的な背景を持って行われた疑いが濃厚である。そうなると、検察批判を繰り返してきた私にすら信じられないことではあるが、陸山会事件では、特捜部という検察組織の中の一部が、小沢氏不起訴という検察の組織としての決定に従わず、検察審査会という外部の組織を活用して検察の処分を覆させようと「暴発」したと見ざるを得ないのである。

田代検事の証人尋問の翌日の12月16日の公判で、証人として出廷した前田元検事が、「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」「検察が不起訴と判断した資料として検審に提出されるもので、証拠になっていないものがある」などと証言し、東京地検特捜部の陸山会事件捜査を厳しく批判した。証拠隠滅事件で実刑判決を受けて受刑中の前田元検事は、特捜部の問題とは利害関係がなくなっており、その供述の信用性を疑う理由に乏しい。そのような前田検事による、陸山会事件の捜査の内幕の暴露も、その捜査に一層疑念を生じさせるものとなった。

昨年秋に表面化した問題は、大阪地検が中心だったが、今回の問題は特捜検察の本尊とも言える東京地検特捜部の問題だ。それだけに、特捜検察は、まさに、存亡の危機と言うべき状況にある。

陸山会事件について小沢氏を起訴すべきとする検察審査会の議決は、政権交代によって成立した鳩山政権を退陣に追い込む大きな要因となり、その後の二度にわたる民主党代表選での争点を小沢氏の「政治とカネ」問題に集中させた。それ以降、反小沢の民主党主流派と小沢派との間の泥沼の党内対立によって、民主党は国民の支持を失っただけでなく、深刻な政治不信を招き、日本の政党政治は、もはや崩壊に近い状態とも言える

一方で、東京地検特捜部の小沢氏に対する一連の捜査への対抗意識も動機の一つとなって、大阪地検特捜部が無理に無理を重ねた郵便不正事件は、村木氏の冤罪、証拠改ざんの発覚という最悪の結末となり、特捜部長、副部長の逮捕という異常な事態まで引き起こして検察の信頼は失墜した。他方、その発端となった小沢氏に対する東京地検特捜部の捜査も、不当な取調べによる供述調書の請求却下、そして、今回の虚偽報告書の作成問題と次々と問題を露呈し、検察への信頼は地に堕ちた。国家の最も枢要な作用と言うべき刑事司法の中核を担う検察は、今や危機的状況にある。

このように、社会全体が、そして、検察という一つの権力組織が泥沼の状況に追い込まれていく契機となったという意味で、陸山会事件は、日本軍という権力組織、そして、日本という国が「日中戦争」の泥沼へと引きずり込まれていく契機となった「盧溝橋事件」と似ているとの見方もできよう。

日本軍側、中国側のいずれが仕掛けたものであるのかについて、様々な見方の違いがあるが、いずれにしても、盧溝橋事件が、何者かの意図によって、予期せぬ軍事衝突が引き起こされ、それが日中戦争の引き金になっていったことには、ほぼ疑いがない。

それと同様に、陸山会事件の検察審査会の起訴相当議決、起訴議決が、刑事司法関係者の予期せぬものであり、それが、その後の日本の政治、社会、そして検察組織に重大な影響を生じさせていったことは明らかである。

歴史のベールに包まれた盧溝橋事件の真相を解明することは、今となっては極めて困難であろう。しかし、その後の日本の政治、社会に重大な影響を与えた検察審査会での起訴議決という「民意」の作出に大きく影響したと思われる虚偽の捜査報告書作成事件が、意図的なものであったのか、組織的背景があったのかを、捜査又は調査によって解明することは決して困難なことではない。捜査又は調査にただちに着手し、陸山会事件の検察捜査の真相を明らかにすることが、日本の社会を、そして、検察を救う唯一の道である。

(初出:メルマガ  http://www.comp-c.co.jp/pdf/111219.pdf

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大坪・佐賀氏の公判、その問題の本質

今日の夕方の朝日放送の番組「キャスト」でも話したように、今回の大坪・佐賀氏の公判では、故意の改竄を認識していたかどうかばかりが問題にされているが、問題の本質はそこではない。もし、仮に、故意の改竄だと認識していたとして、それなら、二人はどうすべきだったか、それによって、村木事件の裁判の展開にどのような影響があったのか。この点に関して、今日の検察の論告では、昨年12月の最高検の検証報告書を引用し、「もし、大坪・佐賀氏が真実を報告し、上司が適切に対応していたら、前田検事の証拠隠滅事件に対する捜査・処理が行われ、・・・最終的には村木事件の公訴を取り消すことも検討されたと思われる」などと述べたが、弁護人側から、「証拠に基づかない論告」と異議を出され、撤回した。この点は、この事件の核心と言うべきであろう。

要するに、大坪・佐賀氏が故意の改竄を認識していたかどうかが、村木事件にどのような影響を与えていたのか、検察は立証できなかったのである。証拠の改竄は絶対に許されないこと、と検察は強調するが、では、これまで、検察は、刑事事件で検察側に不利な証拠をすべて開示してきたのか、その点については検察官の裁量が相当程度認められてきたはずだ。今回の前田検事の証拠改竄行為に、そのような一般的な検察官の捜査・公判対応とは異なった特別の悪性を見出すとれば、「村木氏を無実の罪に陥れる」という意図を持って行ったということしかあり得ない。しかし、検察は、前田元検事の特別公務員職権乱用事件を不起訴にし、自ら、そのことを否定しているのである。前田検事の行為が刑事事件の結果に影響しないのであれば、大坪・佐賀両氏が、故意の改竄と認識していたとしても、それを見逃す行為が刑事処罰に値する行為とは思えない。

組織の思考が止まるとき」などで述べているように、大坪・佐賀両氏の行為は、そもそも犯人隠避の構成要件に該当しない、という法律上の問題に加えて、検察は、今日の論告で、両氏を刑事処罰する根拠となる可罰性を主張することすらでききなかった。今後のこの事件の公判の展開は予断を許さない見るべきであろう。

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「オリンパス監査検証委員会」設置の目的と今後の課題

12月12日午前10時から、新日本監査法人の「オリンパス監査検証委員会」の初会合が開かれ、終了後、記者会見が行われた。

委員長には大泉隆史弁護士(元大阪高検検事長)、私は調査担当委員として弁護士調査チームによる調査を総括し、調査報告書を取りまとめる。他に、監査論が専門の高田敏文東北大学会計大学院教授、会計学が専門の藤井秀樹京都大学大学院教授も委員として加わっている。

この委員会は、オリンパス第三者委員会の調査報告書で、現在同社の監査人として会計監査を担当している新日本監査法人について、「前任のあずさ監査法人からの業務引き継ぎ」と「ジャイラス社の配当優先株買い取りの際の報酬ののれん計上」の2点について、「問題なしとしない」との指摘が行われたことを受けて設置されたものである。

新日本監査法人は、2011年9月下旬に、当時のオリンパス社長のウッドフォード氏のオリンパス社取締役会に対する質問のメールのコピーが送付され始めたことを契機に外部通報対応としての内部調査を行い、その後、同社が、11月8日に適時開示をした時点で損失隠しを認識し、更に本格的な内部調査を行った結果、監査手続きに問題は見当たらないとしたのであるが、事柄の重要性にかんがみ、自らの判断のみで良しとするのではなく、外部有識者による客観的な検証を行うために、この委員会を立ち上げることになった。

本来、日弁連の「不祥事に係る第三者委員会ガイドライン」で言うところの「第三者委員会」というのは、不祥事を起こし信頼を失墜した企業等の組織が、外部の第三者による調査、原因分析、再発防止策の策定によって、信頼を回復することを目的として設置するものである。今回のオリンパスの問題に関して、新日本監査法人は、自らの監査手続き等に関して問題があるとは認識していないのであり、そういう意味で、今回の新日本監査法人の検証委員会は、「不祥事」を起こしたという前提で設置される一般的な「第三者委員会」とは異なる。

自ら「不祥事」と認識していない今回のオリンパス問題に関して、なぜ外部者による委員会を設置したのか。そこには、日本社会のみならず国際的にも大きな注目を集めている今回のオリンパス問題に関する監査の問題が、単に一企業の監査だけにとどまらず、監査及び監査法人の在り方、あるいはその社会的位置づけを問い直す契機にもなり得る重大な問題だという認識がある。

そのような認識に基づいて、監査法人としての判断を、内部の調査だけではなく、客観的な検証を行った上で行うことを目的として、今回の検証委員会が設置された。検事長経験者の弁護士を委員長に、コンプライアンス、不祥事調査専門弁護士、監査論及び会計学の研究者というメンバー構成で委員会を組織したのも、そのような趣旨に沿うものである。

今後、調査担当委員の私の下に、九州電力第三者委員会でも調査チームの総括を務めた赤松幸夫弁護士、梅林啓弁護士を中心とする弁護士調査チームを組織し、委員長や他の委員の意見も踏まえ、オリンパス第三者委員会の調査報告書で指摘された点を中心に調査を行い、その調査結果を調査報告書として取りまとめ、検証委員会としての議論を経て検証委員会報告書として公表することになる。年内には、調査報告書を中心とする検証委員会の中間報告書を公表し、2月末を目途に最終報告書を公表する予定だ。

このように、自らの組織にとって「不祥事」と認識していない問題について、独立した第三者による調査・検証を行うというのは、かなり異例である。新日本監査法人側でも相当勇気がいる決断であったことは想像に難くない。その決断が、新日本監査法人のみならず、今後の我が国の監査制度及び監査法人の在り方にも有益だったと言われるよう、検証委員会としての役割を果たさなければならないと思う。

このところ、検察問題や電力会社問題に関する活動ばかりで目立っていた私がなぜ監査法人問題の調査に関わるのか、意外に思われるかもしれないが、実は、私は、監査法人の問題とは浅からぬ縁がある。

2007年、新書「『法令遵守』が日本を滅ぼす」を公刊した頃から、私は、組織のコンプライアンスの全体的検討のための「法令環境マップ」という手法を開発し、様々な分野に応用してコンプライアンスに関連する調査・検討を行い、その中で「監査法人法令環境マップ」プロジェクトに取り組んだ。

「会計ビックバン」によって監査法人の経済社会・証券市場における位置づけが大きく変わり、監査の厳格化・品質管理が求められる中で、公認会計士法が改正されて課徴金制度が導入されというような、監査法人の業務環境の急激な変化の中で、その業務そのものに関して、或いは、労働環境、情報環境、競争環境等の監査法人組織を取り巻く様々な環境要素の相関関係の中で、どのようなコンプライアンス・リスク発生しているのかを具体的に把握するため、監査法人の執行部や各部署からヒアリングを行い、詳細な資料・文献調査を行うなど、1年半をかけて取り組んだ成果を報告書に取りまとめた。

そして、そのプロジェクトが完了する直前の2008年3月に、まさに業務環境と情報環境の激変に関連して発生したのが新日本監査法人の元職員によるインサイダー取引事件であった。この事件について、新日本監査法人が設置した第三者委員会の委員長を務め、監査法人の全社員・職員を対象とする調査を実施し、原因分析、再発防止策の策定を行ったが、私は、その委員長を務めた。

そして、5月に公表した第三者委員会報告書では、問題の背景として、会計監査の厳格化・品質管理の強化に対応すべく監査法人の寡占化・大規模化による労働環境の変化が、監査法人が顧客企業側から受領する会計情報の不正流用の可能性という情報環境に関する問題を生じさせていたことを指摘した。

監査法人のコンプライアンス問題に関わるのは、この時以来3年半ぶりである。上記のプロジェクトやインサイダー取引の第三者委員会による知識・経験をベースに、検証委員会としての活動を行っていこうと考えている。

外国人社長のウッドフォード氏の突然の解任から始まったオリンパス問題は、同氏が海外のメディアや捜査当局等に告発を行ったこともあって、国際的にも注目を集めることになった。そして、巨額の損失隠しの問題が表面化、反社会的勢力への資金提供、経営者の個人的利得など様々な憶測が入り乱れ、一大企業スキャンダルに発展した。

そうした中で12月6日に公表されたオリンパス第三者委員会の調査報告書は、反社会的勢力への資金提供等を否定する一方、問題を、①バブル経済崩壊後の金融資産運用損の累積、②損失分離スキーム、③損失解消スキームの3つに整理した上で、財テクの失敗を正面から認めることなく隠し続け、時価会計への会計基準変更後もファンドによる飛ばしを用いるなどして、巨額損失を隠し続けた歴代のオリンパス経営陣を、「金融商品取引法や会社法に違反する行為であることはもとより、投資家に正しい情報を提供すべき上場企業としてあってはならないことである」と、厳しく批判している。

資金の流れに関するスキャンダルについては、最終的には、今後、刑事事件の捜査による解明を待つしかない。むしろ、今、重要なことは、上記の第三者委員会の調査報告書の指摘を具体化すること、つまり、オリンパス問題というのが、企業会計上いかなる問題なのか、どこにどのような違法性、悪質性があるのか、どの時点で、証券市場或いは投資家にどのような影響を与えたのかを、冷静に客観的に明らかにすることである。

その点に関して、明らかなことは、上記2の損失分離スキームによって巨額の損失が隠ぺいされ、その時点におけるオリンパスという上場会社の財務状況の開示内容が事実と異なっていたこと、しかし、一方で、分離された巨額の損失は、3の損失解消スキームを使ったことが会計手続上の問題はあったとしても、それによって、同社の事業収益で解消され、その後は、資産・負債の関係は証券市場や投資家に対して正しく開示されているということだ。

そういう意味で、巨額の損失の「飛ばし」の発覚で経営破綻に追い込まれた山一証券や、巧妙な粉飾決算で債務超過の実態を隠していたカネボウの問題などとは異なる。

どの時点の投資判断に影響を与えたかと言うと、少なくとも、2の損失分離スキームが行われていた間は、巨額の損失の隠蔽が、その時点における同社株に対する投資判断を誤らせるものであったことは明らかだ。しかし、その時点でオリンパス株の売買を行った投資家にとっては損失の隠蔽が継続している間は、損失隠しの影響は生じない。その間に反対売買を完了した投資家は影響を受けず、そのまま最近まで投資を継続していた投資家のみが、今回の損失隠し発覚による株価の急落によって大きな影響を受けた。

しかし、損失隠し発覚の時点では、3の損失解消スキームによって、損失が隠蔽された状態は既に解消されており、会社の財務内容は投資家に基本的には正しく開示されている。

ただ、「巨額の損失隠しを行っていた」「その損失をM&A等を用いた会計手続上問題のある方法で解消した」という過去の事実が明らかになり、それが「上場廃止」「行政処分」「強制捜査」等、オリンパス社に重大な不利益が生じる事態に発展する恐れが生じたために、株価に重大な影響が生じ、それによって、その時点の投資家が大きな不利益を被った、という事実経過である。

この構図は、2004年9月期の連結決算についての粉飾決算の問題に関して、2006年1月に検察が強制捜査に着手したことで、株価が急落し、投資家が莫大な損害を被ったライブドア事件と似ている。起訴事実とされたライブドア事件における粉飾決算の違法性や悪質・重大性については様々な意見があるが、いずれにせよ、2004年9月期の連結決算に関して粉飾決算の事実があっても、それは、実際に株価が急落して損失を被った2006年1月の時点の投資家の判断にはほとんど影響を与えていない。株価の急落は、その時点でのライブドアの財務内容や経営実態についての判断によるものではなく、検察の強制捜査によって「ライブドアは犯罪企業であり、捜査・刑事処分や東証の上場廃止等によって経営危機に至る」というメッセージが証券市場に伝わったために生じたものだ。

この事件では、検察は、その強制捜査の後、実際に、堀江貴文氏を始め会社幹部を逮捕・起訴し、いずれも有罪判決が確定し、東京証券取引所はライブドアを上場廃止にするという結末になったことから、強制捜査着手時点での検察の市場へのメッセージとそれによる投資判断は、一応事後的にも裏付けられた形になっている。

ところが、オリンパス問題については、東京証券取引所が上場廃止の措置をとるかどうかが注目されていたが、本日、同社の会計監査を担当する新日本監査法人が、同社の2011年9月中間期決算に対して「適正」の意見を出したことで、上場が維持される見通しだと報じられている。

問題は、「金融商品取引法違反」との判断がどうなるかであるが、証券取引等監視委員会や検察当局の動きは、今のところはない。今後の展開は予断を許さないが、オリンパス問題の違法性、悪質・重大性に関して、最終的にどのような判断が示されるのかは、現時点では不確定な状況であり、損失隠しの表面化の時点での株価急落を招いた、「上場廃止」「行政処分」「強制捜査」などの事態に発展する恐れを前提とする投資判断が裏付けられるかどうか、現時点では不明である。

「飛ばし」が経営破綻につながった事例とは異なり、決算報告への計上を先送りされた損失は、その後、本業の利益を原資に、③の損失分離スキームによって解消された。オリンパス経営陣側がそれを予測した上で、限られた期間内損失計上を回避しようとしただけであれば、少なくとも「飛ばし」によって経営破綻を先送りした事例と比較すると悪質性は低いということになる。その場合は、まさに今回の問題に対する責任は、上場企業として証券市場に対して企業の財務状況について適宜適切な開示を行う義務を中心にとらえられることとなる。

今回の「オリンパス監査検証委員会」での当面の調査の焦点は、オリンパス第三者委員会の調査報告書で指摘された二つの点であるが、その前提として、オリンパス問題自体を企業会計の観点からどう見るのか、違法性、悪質・重大性をどう評価するのかという点についての検討・評価を行うことも避けては通れない。

それは、いまだ不確定なオリンパス問題についての法的、会計的評価にもなにがしかの影響を与え得るだけに、一監査法人が設置した検証委員会ではあっても、調査・検討・判断の客観性、公平性が強く求められることになる。新日本監査法人の内部者のみならず、前任のあずさ監査法人の関係者などの外部者にもヒアリングへの協力を要請せざるを得ない。それだけに、外部からの信頼が確保できるよう、調査の公平性と適正さが不可欠である。そのことを肝に銘じて調査に取り組んでいきたい。

(初出:メルマガ  http://www.comp-c.co.jp/pdf/111214.pdf

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