沖縄への一括交付金で予算執行の適正は確保できるのか

沖縄では、昨年11月、識名トンネルというトンネル工事をめぐる補助金の不正請求の問題が表面化。国から5億8000万円の補助金返還をめぐって、県執行部と議会とが対立し、補助金返還の予算を議会が不承認、今月に入って、国の出先機関の沖縄総合事務局が、沖縄県側を補助金適正化法違反、虚偽公文書作成で「被疑者不詳」のまま告発するという、前代未聞の事態に発展している。
講演のために那覇市を訪れ、この問題を知った私は、6月15日の朝、ツイッターで、「沖縄では、予算の執行をめぐって、大変なことが起きている。こういう状況を放置したまま、沖縄に巨額の一括交付金を投入したことには重大な問題がある。消費増税の前にやるべきことがあると、改めて痛感する。詳細を把握した上でブログに書くこととしたい。」と予告した。
その時は知らなかったが、この問題については、6月14日発売の週刊文春で「仲井真知事のカネと女」というタイトルで、沖縄県の仲井真知事をめぐるスキャンダルとして報じられていた。
週刊文春の記事では、この工事に関して、仲井真知事が、個人的に親密な関係の女性を通して、大手ゼネコンに有利な取り計らいをした疑いを指摘し、「知事スキャンダル」としてとらえている。
同記事が指摘している知事関与の疑いは、今後、刑事事件の捜査によって明らかにされることになるであろう。私の方では、それとは別個に、この問題を、沖縄県という自治体組織のコンプライアンスという観点から分析・検討しようと考えているが、週刊文春の記事でも引用されている県の第三者委員会の報告書が入手できていないので(通常、この種の報告書は、ホームページへの掲載という形で一般公開されるが、沖縄県のホームページには、第三者委員会の報告書は見当たらない。そこにも、沖縄県のこの問題に対する対応の問題が表れている)、早急に入手した上、分析・検討の結果を、このブログ等で明らかにしようと思う。

しかし、いずれにしても、知事スキャンダル問題は別として、中央から巨額の予算が投じられている沖縄の自治体において、補助金等の予算執行の適正さを確保するための体制が極めて脆弱であり、それが今回の問題の原因となっていることは否定できない。
本年度から、使途を限定しない一括交付金が、沖縄県に300億円、県内の市町村に303億円交付されたが、現地で聞いた話では、この一括交付金は、使途は限定されていないが、従来の補助金事業は対象外であり、沖縄振興のための新たな事業の企画立案が必要だが、実際には、交付金の対象事業の目途は殆ど立っていないようだ。
使途の自由度が高いだけに、予算執行を適正さが、一般の補助金以上に強く求められることになるが、識名トンネル工事の問題をめぐる対応の混乱を見る限り、沖縄県の現状で予算執行の適切さが確保できるのか甚だ不安である。
来年3月までに、交付金を使い切らなければならないという焦りが生じると、不適正な予算執行の問題が生じる危険性は一層高まる。
私が総務省顧問・コンプライアンス室長として調査・検討に取り組んだICT関連の補助金の予算執行の不適切事案も、平成21年度の二次補正予算で年度末近くになって認められた「ICTふるさと元気事業」をめぐって起きた問題であり、審査期間が短かったことが、補助金の予算執行の適正さに関して重大な問題を生じさせたものだった。現状からすると、来年度末までに新たな事業を企画立案して300億円の一括交付金予算を使い切るのは至難の業だと言わざるを得ない。

そもそも、沖縄県に対して、今年度、多額の一括交付金を交付することが果たして妥当だったのか極めて疑問である。
普天間基地の辺野古への移転などの政治課題の解決のために沖縄を優遇しようとする意図によるものであろうが、適切な予算執行を行う体制が整備されていることを確認することもなく、場当たり的に予算のバラマキを行っても、本当の意味の沖縄振興にはつながらない。
沖縄問題一つとってみても、このような愚策を繰り返す政府に、消費増税によって一層大きな予算執行の権限を与えるべきだとは到底思えない。その前に、やらなければならないことがあるはずだ。

識名トンネルをめぐる問題も、そのような政府の政策の欠陥の産物としての沖縄の予算執行問題全体に関連づけて理解すべきであろう。

          

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虚偽報告書作成問題、日経記事から窺われる検察の危機的状況

6月8日の日経朝刊の『「元特捜部長」供述維持を』と題する記事の中で、田代検事作成の虚偽捜査報告書問題に関する検察の調査結果について述べている。その中で注目すべきは、これまで、新聞各紙が田代検事の「嫌疑不十分」による不起訴の見通しを報じる記事の中で理由としていた「記憶の混同」という言葉が全く出てこないことだ。

昨年12月の小沢公判で田代検事の証人尋問の際に問題にされたのは、「『ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ。』と言われたことで、堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたって話した」との記載が、石川議員が隠し撮りした録音記録には全くないことであった。田代検事は、その点の報告書の記載が客観的に虚偽であることを認め、石川氏の勾留中の取調べでのやり取りと「記憶が混同した」と弁解した。当初は、この「記憶の混同」の弁解が信用できるかどうかが問題とされたが、2月の小沢公判での検察官調査の証拠請求却下決定で、裁判所は「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べて、田代検事の弁解を一蹴した。

しかし、その後、この事件について、市民団体の告発を受けて行われていた虚偽公文書作成罪等による捜査と最高検による調査では、田代検事は「記憶の混同」の弁解を維持し、その弁解が崩せないので、虚偽文書作成の「犯意」が立証できないので「嫌疑不十分」で不起訴にせざるを得ないと、新聞各紙は報道してきた。

ところが、その後、田代検事作成の報告書と取調べの録音記録の現物がネットで公開されたことで、それまで問題にされていたような「局所的な問題」ではなく、報告書の内容全体が、実際の取調べ状況とは全く異なっており、凡そ「記憶の混同」などという弁解が通る余地はないことが明らかになった。 そのことは、私も、様々な場で指摘してきたが、先日、小川前法相の退任会見での「指揮権発言」の中でも、『報告書全体が虚偽であり「記憶の混同」の弁解は到底通らない』との指摘を行っている。

こうした状況の中で、検察当局も、さすがに「記憶の混同」の弁解を崩せないことを理由とする不起訴は無理だと判断し、理由を変更しようとしてることが、今回の日経記事につながったのかもしれない。

日経の記事に書かれているのは、『主任検事が、田代検事に、石川議員とのやり取りを「分かりやすく作成するように」と指示し、田代検事は質問と回答が交互に並ぶ形式で報告書を作成した』『田代検事には報告書が検察審に提出されるとの認識がなかった』ということであり、それらを理由に田代検事の不起訴という結論を導こうとしているように思える」(記事に書かれているのは、最高検の調査結果であるが、告発されている刑事事件の不起訴理由も、その調査結果と同様の事実関係を前提にするものと思われる)。

そこから推測できる不起訴理由は、①田代報告書の記載内容が「一問一答形式」になっているのは主任検事に指示された「書き方」の問題であり、それは実際の取調べのやり取りと同じではないが、書こうとしている趣旨は、実際の取調べと同様の趣旨、②田代検事には、その報告書は部内で使われるだけで、検察審査会に提出されるとの認識がなかったので、虚偽文書の「行使の目的」がない、というところであろう。

しかし、このような理由で犯罪の成立を否定することは困難であろう。

①は、確かに、報告書と実際のやり取りが一字一句同じでなければならないというわけではないという説明にはなっても、報告書の内容と実際の取調べの状況の違いの説明には到底なり得ない。報告書では、「取調べの冒頭」で、田代検事が、被告人の立場にあるので取調べに応じる義務がないことを説明したことになっているが、録音記録によれば、取調べの冒頭は、録音機を持っていないかどうかの確認をしつこく行ない、取調べが拒否できることなど全く告げていない。また、報告書では、田代検事が、「これまで供述してて調書にしたことは間違いないか」と確認したところ、石川氏の方が、従来の供述内容には間違いないが、「小沢先生が私から説明を受けたことを否定しているのに、自分がそれを認める供述をすると小沢先生の説明を否定することになる。」と言って逡巡している様子が記載されているが、実際には、田代検事の側が、「従前の供述を維持していれば、検察審査会の審査員は、小沢氏が絶対権力者だということに疑問を持つので、起訴議決は出ない。」というようなことを言って、供述を維持するよう、石川氏にしつこく働きかけている。

まさに捜査報告書に記載されている取調べの状況そのものが実際の取り調べ状況とは全く違うのであり、①の不起訴理由は到底成り立ちえない。

②についても、検察官名義の捜査報告書の形式からして、田代検事が、報告書は検察部内用のもので裁判の証拠として使われたり、検察審査会に提出されるものではないと認識していたとは考えにくいが(部内だけで使うものであれば、検察官の署名・押印は不要、報告資料としてのペーパーで十分なはず)、仮に、そのような認識であったとしても、そのような形式の文書を作成して上司に提出する行為は「虚偽文書を真実の文書として他人に認識させ,または認識させうる状態におく」という(虚偽公文書の)「行使」に当たることを否定する余地はない。部内にとどまると認識していたとしても、犯罪の成否の問題ではなく、情状の問題に過ぎない。

結局のところ、①、②ののような理由は、犯罪の成立が立証できないという「嫌疑不十分」の理由にはなり得ない。せいぜい、犯罪は認められるが情状面を評価して起訴は不要だとする「起訴猶予」の理由に無理無理持っていく余地があるかも知れないという程度であろう(その場合も、「起訴猶予」に対して、世の中の納得が得られるとは到底思えない。検察審査会で検察の不起訴処分が覆されるのは確実であろう)。

そして、ここへ来て、検察にとっては一層重大な問題となっていると思 われるのは、田代検事の偽証の問題である。

東京地裁の証拠請求却下決定で、「田代検事が公判で供述する説明内容にも、深刻な疑いを生じさせるものと言わざるえ終えない」と述べて、偽証の疑いを強く示唆している。検察当局が田代検事の「記憶の混同」の弁解を維持することにこだわるのは、ここに最大の原因があるように思える。「記憶の混同」の弁解が崩れると、小沢公判での証人尋問で、報告書が虚偽であることを認めた上で「記憶の混同」と説明した田代検事の証言について偽証罪が成立することが否定できなくなってしまう。それは、田代検事の罪状として虚偽公文書作成に偽証が加わることにとどまらない。小沢公判で田代検事がどのように証言するのかについて、検察の組織内で、証人尋問前に検討が行われ、少なくとも、特捜部や東京地検幹部の了承の下に法廷で「記憶の混同」と説明することが了承されたはずだ。それが偽証ということになると、広範囲の検察幹部が偽証について責任を問われることになる。これは、現在の検察組織にとって致命的な事態だ。

日経新聞の記事から窺われるのは、陸山会事件での虚偽報告書作成問題で検察が重大な危機にさらされている現状である。

笠間総長は、この事態をどう打開しようとしているのであろうか。滝実新法務大臣は、この事態にどう対処しようとしているのであろうか。

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小川前法相の指揮権発言について考える

小川敏夫前法務大臣が、6月4日の退任会見で、虚偽報告書作成問題に関して、「指揮権の発動を決意したが、野田佳彦首相の了承を得られなかった」ことを明らかにした(朝日)。
多くの記事では「指揮権発動相談」と表現しているが、小川氏は「相談」などという言葉は使っていないし、検事総長に対する指揮権は法相の固有の権限であり、権限行使に関して総理大臣に「相談」すべきことではない。「了承」が得られなかったという朝日新聞の表現が正しい。
とは言え、小川氏が指揮権の「発動」という言葉を使い、それについて野田総理に「了承」を求めたことは事実である。虚偽報告書作成問題について検察の判断だけに委ねておいて良いのか、という問題提起としては評価できるが、この「発動」と「了承」に関しては、法相指揮権の本来の在り方にも関連する大きな問題がある。

検察庁法14条は「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と規定している。
同条本文は、検察官も、4条、6条で定められた検察官の事務、すなわち、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定していることから、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができる。
この但し書は「検察組織としての独立性」と、内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う法務大臣の権限とを調整する規定である。
刑事事件の捜査・処分については、基本的には、「検察の独立性」を尊重し、検察の判断に委ね法務大臣は介入しない、しかし、例外的に、「検察の独立性」の枠組みに委ねておくことが適切ではない事件については、法務大臣が検事総長に対する指揮を行うべきというのがこの規定の趣旨であるが、問題は、その例外をどのように考えるかである。
造船疑獄における犬養法務大臣の「指揮権発動」が、検察の捜査・処分に対して政治的介入を行ったとして厳しい社会的批判を受けたこともあって、それ以降、政治家である法務大臣による指揮権は事実上「封印」されてきた。
しかし、その原因となった造船疑獄事件をめぐる「指揮権発動」についても重大な誤解があり、 行き詰った捜査から「名誉ある撤退」をするために、当時の検察幹部の策略によって、指揮権発動が行われた可能性が強いことが、最近になって、当時の関係者の証言等から明らかになっている(詳しくは、3年前の日経ビジネスオンライン拙稿『「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を』http://bit.ly/a1tzQ9

もっとも、この造船疑獄事件における「指揮権発動」の問題はともかく、政治家に対する捜査に、政治家たる法務大臣による政治的意図に基づく介入については、微妙な問題があることは否定できない。

しかし、今回の事件はそれとは性格が異なる。検察組織に関わる検察官の職務上の犯罪の問題である。 検察官の職務に関して犯罪が行われた場合、他の検察官、上司が共犯者となることもあり、また、背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような事件を「検察の組織としての独立性」の枠組みで適切に処理することは、もともと困難である。そのような問題が発生した場合に、組織上の問題を明らかにし、再発防止を図ることについての行政上の責任を負うのは、検察を含む行政組織のトップの法務大臣であり、法務大臣が積極的に関与し、法務大臣として指揮権の行使を検討するのは当然である。

問題は、その場合、法務大臣が具体的事件についてどのような「指揮」を行うのかである。 検察が立件し、処分前の事件について、その起訴・不起訴等の処分の内容を、具体的に指示するのであれば、刑事事件の処分の判断なのであるから、事実と証拠に基づいて行われなければならないのは当然であり、法務大臣として、まず、検察当局から報告を受ける必要がある。
小川前法相は、「指揮権発動を決意した」と言いながら、その具体的内容は明らかにしていないが、「発動」という大仰な言葉を使っていることから、処分内容を明示して「指揮」することを考えたようにも思える。証拠や事実関係の報告書を受ける前に、特定の被疑者の起訴を具体的に指示しようとしたのであれば、適切ではないと言わざるを得ない。
しかし、ここでいう「具体的事件について指揮」に当たっては、必ずしも、処分内容を明示する必要はない。 捜査・処分における厳正な対応という方向性を示す抽象的な指示を行うことも可能であり、それでも法務大臣の「指揮」であれば検察としても重く受けざるを得ない。
特に、東京地検特捜部の捜査の過程における重大な不祥事である今回の虚偽捜査報告書作成問題に対して、世の中の見方は極めて厳しいのであるから、そのような世間の常識を背景に、「『記憶の混同』などという弁解は世の中に通用しない。厳正な対処を」というだけで、検察は、報道されているような不起訴処分を行うことは困難になるであろう。

もう一つの問題は、小川前法相は、指揮権の問題について、なぜ野田総理大臣の了承を求めたのかである。
造船疑獄における「指揮権発動」のような政治的意図に基づく捜査・処分に対する介入であれば、その責任は内閣が負うことになるので、内閣の長の判断を仰ぐ必要があるが、今回の問題のように検察組織に関わる問題であるが故に、「検察の独立」に委ねることが適切ではない、というのであれば、検察を含む法務省という行政組織のトップである法務大臣の固有の権限行使の問題でありあるから、総理大臣の了承を得る必要はなかったはずだ。

了承を得ておく理由としては、この事件について「記憶の混同」の弁解を排斥して田代検事を起訴した場合、12月の小沢公判での田代証言が偽証ということになり、そのような証言をすることについて東京地検や上級庁の幹部が関わっていた可能性があるので、田代検事の起訴は、検察の幹部人事にも影響があると判断して、総理大臣の意向を確認しようとしたということも考えられなくもない。

いずれにしても、小川前法相の指揮権に関する発言は、今回の検察不祥事に対して積極的に指揮権を行使しようとしたとすれば、それは当然であり、評価できるが、その経過や内容に不明な点が多い。今後の虚偽報告書作成事件の処分のみならず、法務大臣と検察との関係にも影響を与え得る問題であるだけに、決意した指揮権行使の具体的内容、その理由、野田総理の対応などについて、十分な説明を行う必要があるのではなかろうか。

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「虚偽捜査報告書作成・隠避」の「自白」に等しい検察幹部発言

陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書作成問題について、虚偽公文書作成罪で告発されている田代検事について、不起訴の見通しを報じる新聞報道が相次いでいる。その中でも特に注目されるのが、5月27日付朝日朝刊の「強制起訴への影響配慮」と題する記事だ。
不起訴の環境l作りを目論む検察幹部の発言をそのまま垂れ流した記事のように思えるが、逆に、その意図に反して、この事件の重大性、明白性を自ら認めたに等しい内容だといえる。
問題は、この記事で、昨年1月上旬に東京地検がこの問題を把握した際の対応についての当時の検察幹部の「指定弁護士の職務に影響を及ぼすため公表しなかった。隠したわけではない。」とのの発言だ。この「指定弁護士の職務」への影響というのはどういう意味なのであろうか。
記事に書かれているように、その時点での聴取に対して田代検事が「逮捕中の取り調べであったやり取りと記憶が混同した」と答えたことから「故意の虚偽記載はない」と判断したのであれば、単なる過失で虚偽文書を作成してしまい、それがたまたま検察審査会に送付されたというだけだ。少なくとも、検察審査会の議決を誘導しようとする意図はなかったことになる。そうであれば、「指定弁護士の職務への影響」はなかったはずだ。
影響があると判断したのは、田代検事の弁解は到底信用できないもので、公表した場合には、この虚捜査報告書の作成が、検審議決誘導のための重大な犯罪行為であることが否定できなくなり、小沢氏への起訴議決は無効ではないかとの主張が出てくるからであろう。そのような「指定弁護士の職務への影響」を懸念して公表しなかったということだと思われる。つまり、この朝日の記事での「指定弁護士の職務への影響」というのは、検察幹部が、田代検事の弁解が到底信用できないこと、検審議決誘導の事実が否定できないことを、事実上自白しているに等しい。そうなると、大坪・佐賀氏への一審での検察論告と判決と同じ論理を適用すれば、この時の検察幹部については、犯人隠避が成立するということにならざるを得ない。
こういう重大な内容の記事を、『田代検事は「嫌疑不十分」、当時の特捜幹部は「嫌疑なし」で不起訴』という見通しで締めくくる記者の神経が私には理解不能だ。

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ブログ始めました。

これまで、メルマガやtwitter.longerで行ってきた私の意見・解説を、ブログ形式での発信に改めることにしました。過去に書いたものもご覧になれるよう、できるだけ当ブログ内に格納しようと思います。

西松事件での小沢氏秘書逮捕以来、3年以上にわたって、検察の捜査・処分や検察審査会の審査・議決に関する様々な問題について、その時々に意見・解説を行ってきました。

検察審査会の起訴議決に基づく小沢氏の公判で一審無罪判決が出る一方、検察は、陸山会事件をめぐる検審議決誘導問題、虚偽捜査報告書作成問題等で窮地に追い込まれるなど、一連の問題は最終局面に近づいています。これまでの経過を、歪んだマスコミ報道によるのではなく、客観的に振り返ってみる必要があると思います。

そういう面からも、このブログを是非活用してもらえればと思います。

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バス事故に関する国交省の監督行政の問題

昨日の記者レクでも、バス事故に関する国交省の監督行政の問題を取り上げました。「安全と競争の関係」という極めて重要な問題が背景にあると思います。

私も総務省顧問としてこの問題に関する行政評価に関わっただけに、今回の事故は本当に残念です。どう考えても控訴審で覆るとは思えない小沢無罪判決のことで、いつまでもグダグダ言っているより、貸切バスの問題等「安全と競争」に関する行政の問題を考える方が重要だと思います。

2010年2月に総務省で開催された行政評価機能強化検討会の議事録中の「安全確保のための行政」の問題に関する私の発言部分を抜粋してアップしました。


平成22年2月17日開催、第1回行政評価機能評価検討会議事録から抜粋]

【郷原顧問】 行政評価の機能を抜本的に強化するということであれば、聖域を設けないことが絶対に重要だと思うんです。今まで聖域と考えられていたような業務、先ほど防衛省の作戦業務は作戦の当否を評価することはできないという話がありましたけれども、それはもちろんそうなんですが、例えば検察庁の業務で言えば、事件処理の当否は評価の対象にはならないと思いますが、どういうリソースをどういう業務に振り向けるかというのは、検察庁も行政ですから当然、行政評価の対象になるはずです。
そういう面で考えますと、資料4の4ページの「貸切バスの安全確保」という件について相談を受けたんですが、貸切バスについて重大な事故が発生して、違法行為が後を絶たない状況にあって、行政処分も行われているけれども、なかなか危険な状態が解消できない。そういう場合に、刑事告発を行って罰則適用をする必要があるのではないかということが検討されています。
しかし、今までの行政と検察との関係から言いますと、罰則適用というのは行政からの告発ではほとんど行われていません。結局、事案の重大性、悪質性に応じて行政処分のレベル、最終的には罰則適用というものがシステムとして整っていないと、効果的、実効的な行政はできないはずなんですが、罰則適用の部分は刑事司法の問題だということで、最初から聖域化してしまっているために、行政としての効率性・有効性という発想がないんです。
改めて、検察もそういう部分においては行政なわけです。個別の事件の処理は検察固有の業務ですけれども、どういう法分野に対してどういう体制で臨んでいるのか、実際にどういう実績を-19-上げているのか、そこできちんと行政庁との擦り合わせができているのかという観点から、行政としての評価をしていくことによって、かえって行政のリソースの効率化にもつながると思いますし、エンフォースメントの強化も図れるんじゃないか。そういったところにも、従来聖域と考えていた領域にやるべきことが含まれているんじゃないかと思います。
【郷原顧問】エレベーターの安全の問題をお話ししたいと思うのですが、2006年に港区でエレベーター事故が起きて、非常に悲惨な犠牲者が出た。あの事故に関しては、警察による事故原因の究明がなかなか行われないで、そのためにずっと行政の対応が遅れてしまって、エレベーターの安全対策が遅れたということが既に問題になっているんですが、より根本的な問題として、そもそもエレベーターというのは、建築基準法の枠組みの中で、国交省の住宅局建築指導課などという部署で所管することに適しているのかという問題があると思います。
建築基準法は、階段とかドアという構造物をいかに安全に造るかということには向いていますけれども、エレベーターのような高度なメカトロニクス機器をどうやって安全に設置して、どうやって維持管理していくのかということには全く向いていません。しかも、そういったことに関する専門知識を持った要員は、ほとんど国交省の住宅局にはいない。2年ぐらいでどんどん入れかわってしまう。結局、そういったことが国際的な安全基準を実現する上でもマイナスになり、事故原因の調査に関しても当事者意識を欠いてしまうことにつながる。
こういう問題を根本的に解決しようと思えば、建築基準法という枠組みの中にエレベーターの問題が入っていること自体を見直さないといけない。そういうことはどこも言い出さないんです。むしろ、人を運搬する機器という面では国交省の乗り物を所管する部門の問題かもしれませんし、メカトロニクス機器という面では経産省の所管のほうが適当なのかもしれない。エレベーターの安全を実現するためにどこの省庁が担当するべきなのか、改めて根本的に見直さないといけないという問題が、まずエレベーターの問題だと思います。

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小沢氏無罪判決をどう受け止めるべきか

4月26日、東京地方裁判所において、陸山会をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察審査会の起訴議決に基づいて起訴された小沢一郎氏に対する判決が言い渡された。

主文は無罪。しかし、判決理由は、検審の議決や検察官役の指定弁護士の主張の多くを認めながら、最終的には、政治資金収支報告書への虚偽記入についての小沢氏の故意を否定して無罪の結論を導いていることから、判決の受け止め方が大きく分かれ、様々な議論を呼んでいる。

この判決をどう読むべきか、私の見解を示すとともに、この判決で一応の決着を見ることになると思われる陸山会事件を、組織のコンプライアンスという観点から考えることとしたい。

<「当然の無罪」を判決はどう理由づけたか>

政治資金収支報告書への真実記載義務を会計責任者・職務補佐者に課す一方、代表者には会計責任者の選任・監督両方に過失がある場合の罰金刑のみ定めている現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないというのが刑事司法関係者の常識である。本件では陸山会の代表者の小沢氏の刑事責任追及は困難だとして、検察が二度にわたって不起訴としたのも当然の判断であった。

今回の判決は、そういう「当然の判断」を、法解釈論で一刀両断的に行うのではなく、虚偽記入の犯意を根拠づける具体的事実の認識が立証されていないという点から丁寧に行っている。

判決では、石川氏らについての収支報告書の虚偽記入に関する事実関係や故意について詳細に認定し、小沢氏との共謀が認められるとする検察審査会の議決や指定弁護士の主張に対しても、「相応の根拠があると考えられなくはない」と述べた上で、4億円の借入金の記載の必要性と、本件土地取得を平成17年ではなく16年の収支報告書に記載する必要性についての小沢氏の認識を否定し、無罪の結論を導いている。

まず、4億円の借入金の記載の必要性の認識であるが、平成16年の陸山会の収支報告書の収入の欄に小沢氏からの「借入金4億円」が記載されているが、判決は、小沢氏名義の銀行からの借入金を陸山会に転貸したという「借入金4億円」のほかに、小沢氏から現金で提供された4億円についても「借入金4億円」と収支報告書に記載しなければならなかったとして、それを除外して収入総額を記載したことが虚偽記入にあたると認めている。

この点に関しては、小沢氏の弁護人は、現金で提供された4億円は、小沢氏からの「預り金」であり、陸山会名義の定期預金とされ銀行からの借入金の担保とされていても、実質的には小沢氏の所有なので、4億円を、陸山会の資産として収支報告書に記載することも、借入金として記載することも不要だったと主張していた。

判決ではその弁護人の主張は認めなかったが、その根拠とされたのは、「小沢氏から提供された4億円が陸山会の一般財産に混入しており、その相当部分が本件土地の取得費用に費消された」という事実であった。そうだとすれば、その事実を小沢氏が認識した上で、それを除外した収取報告書を作成・提出することを了承したのでない限り、小沢氏に虚偽記入の刑事責任は問えない。ところが、その点について石川氏が小沢氏に報告した証拠はない。したがって、小沢氏に虚偽記入の犯意があったと立証されておらず犯罪は成立しない、というのが無罪の理由である。

また、本件土地の取得の収支報告書への記載の時期の問題については、石川氏が、不動産業者との間で、本件土地取得公表の先送りを意図して、売買契約の決裁を17年に先送りしようとしたが拒否され、所有権移転登記手続きのみ先送りする旨の合意を取り付けて合意書を作成したもので、所有権の移転時期の変更は合意されていないことは認識していたとして、石川氏が平成16年の収支報告書に土地取得及び取得費の支出を計上すべきであることを認識しながら、計上しない収支報告書を作成、提出したことを認めている。

一方、小沢氏に関しては、このように土地取得時期の先送りができなかった具体的事情を石川氏から報告されたことが立証されていないことを理由に、小沢氏は平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性を認識していなかった可能性があるとしての虚偽記入の犯罪の成立を否定している。

要するに、小沢氏は、収支報告書の記載内容について報告・了承していたとしても、記載すべき事項が記載されていないことの認識、つまり虚偽の収支報告書を作成・提出することの故意が認められないから、犯罪は成立しない、という理由で、無罪の結論が導かれているのである。

このような判決内容からすると、無罪の結論は裁判所にとって当然の判断であり、有罪とは相当な距離があると見るべきであろう。

<検察審査会起訴議決・指定弁護士の主張に対する「配慮」>

私は、判決が言渡しの直後、判決要旨をざっと読んだだけの段階では、無罪という「当然の結論」を出す一方で、検察審査会という市民の議決に基づいて行われたものであることや、小沢氏に対する批判的世論にも配慮しているようにも感じた。しかし、判決要旨を精読してみると、判決の内容は、指定弁護士、弁護側の主張双方について、必要に応じて必要な範囲で事実を認定し、法律を適用したもので、「検察審査会の議決や世論に配慮した」という面はそれ程重要な要素ではないように思える。

石川氏ら秘書の行為を、概ね指定弁護士の主張に沿って認定し、詳細に判示しているが、それは、虚偽記入の実行行為の存在が小沢氏の共謀に関する認定の前提事実であるからであると同時に、小沢氏の犯意の認定に関する事実でもあるからである。
実際に、小沢氏から提供された4億円の取扱いや不動産の所有権取得、不動産登記等に関する事実関係は、最終的には、小沢氏の犯意を否定する根拠ともなっている。また、石川氏らの行為についての今回の判決の認定は、決して指定弁護士側の主張を全面的に認めたものではない。

特に重要なのは、指定弁護士は、「石川は本件預金担保貸付の当初からこのような処理を予定しており、これによって資金の動きを複雑にして、第三者の目からわかりにくくし、また、本件土地の購入原資とした借入金も2年間で返済済みであるように見せかけることを意図して行った巧妙な隠ぺい、偽装工作である」旨主張しているが、判決は、「本件預金担保貸付について短期間で巨額の返済をすればかえってその異例さが浮き彫りになるおそれもあり、隠ぺい、偽装工作として積極的な意味があるかには疑問がある」「『金額が大きいので、被告人を借入名義人とした方が借りやすいと考えた』旨の石川供述を否定することはできない」として、むしろ、「その場しのぎの処理として行われたとみるのが相当である」「指定弁護士の主張は採用することができない」と判示しているのである。

また、マスコミでしきりに「説明責任を果たしていない」として批判される4億円の原資についての小沢氏の法廷供述についても、判決は、「大筋においては、その供述の信用性を否定するに足りる証拠はない」としている。

石川氏ら秘書の行為についても、結論として虚偽記入であることは認めているが、「隠ぺい・偽装工作」であることは否定し、むしろ、政治資金収支報告書上、小沢氏の多額の現金保有の事実の表面化を避け、不動産取得時期の先送りをする上で「事務処理手続きを誤り、虚偽の認識を持って報告書に記入した事案」との認定に近い。「元代表の共謀共同正犯の成立を疑うことは相応の根拠がある」と述べてはいるが、そもそも、その「共謀共同正犯」の成立が問題にされている犯罪の実体である虚偽記入自体が、形式的、手続き的なもので極めて軽微なものに過ぎないのである。

マスコミは、今回の判決について、指定弁護士の主張や、従来からの小沢氏の「政治と金」に関するマスコミの批判をそのまま認めながら、結論だけ「無罪」としたかのように扱い、「黒に近いグレー」「実質的には有罪判決に近い」などと報じているが、判決の趣旨・内容を十分に理解しているものとは思えない。

<判決における検察捜査への厳しい批判>

今回の判決の中で最も重要な判示は、検察による虚偽の捜査報告書の作成及び検察審査会への送付を厳しく批判している点である。

判決は、虚偽の捜査報告書作成等の問題に関する弁護人の公訴棄却の申立てに対する判断の中で、事実に反する捜査報告書によって検察審査会が判断を誤って起訴議決を行ったとしても、「検察審査会における起訴議決が無効であるとするのは、法的根拠に欠ける」と述べて、公訴棄却の申立てを退けているが、それに関連して、弁護人の主張を「違法捜査抑止の見地をも考慮すべきとの主張」と敢えて忖度した上で、事実に反する捜査報告書の作成や検察審査会への送付によって検察審査会の判断を誤らせることは「決して許されない」と厳しく断罪した上、「事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で、対応されることが相当」と述べている。

つまり、法的な根拠がないので公訴棄却をすることはできないが、検察官による虚偽の報告書による検察審査会の判断を誤らせる行為は、決して許されない行為であり、そのような違法捜査抑止の見地から、「検察庁等」における徹底した調査や捜査による真相解明が不可欠であり、それが行われなければ、検察審査会による起訴議決という制度自体にも重大な支障が生じかねないという見方を示しているのである。

この判示は、検察にとって極めて重いものである。田代検事の虚偽公文書作成に関連して、当時の東京地検幹部等多数が市民団体によって告発されており、その事件の捜査や、事件の検証のための調査を徹底的に行い、真相を解明しなければ、今回の判決を踏まえた対応とは言えないであろう。その調査の在り方については、先般、検察の在り方検討会議の元委員が中心になって法務大臣と検事総長に提出した「要請書」でも述べているように、第三者も含めた事実調査を行うことで客観性を担保する必要がある。本件判決で、調査の主体を「検察庁等」と言っているのは、その趣旨も含むものと言うべきであろう。

<検察組織のコンプライアンス問題>

小沢氏に対する不起訴処分は、検察としては当然の判断であり、今回の無罪判決も当然と受け止めているであろう。しかし、刑事司法の健全な常識からすると当然であるこの無罪判決に至るまでには多くの紆余曲折があり、それによって、検察の組織は致命的なダメージを受けることになった。

そもそもの発端は、3年余り前、小沢氏の秘書を比較的少額の政治資金規正法違反で突然逮捕したところにあった。政権交代が現実化する中、総選挙を控えた時期に野党第1党党首であった小沢氏に対して行われた捜査は、迷走を続けた末、検察にとって不本意な結果に終わった。その後、政権交代で与党幹事長の地位に就いた小沢氏に対して、遺恨試合のような形で特捜部が着手したのが陸山会事件であった。

当初、小沢氏から提供された不動産購入代金4億円の原資がゼネコンからの裏金であるとの想定で石川氏と秘書3人を逮捕したが、裏金捜査は不発に終わり、4億円虚偽記入等の形式犯だけの立件となった。

検察としては、小沢氏不起訴は当然の判断だったが、それに納得できない特捜検事らは、検審の議決によって不起訴決定を覆すことを画策した。虚偽記入についての小沢氏への報告・了承を認める石川氏の取り調べ状況に関して、供述調書が信用できるように思わせる虚偽の報告書を作成して検審に送付、素人の検察審査員は小沢氏の共謀を認定し、起訴すべきとの議決を出した。

検察が2度にわたって不起訴としているだけにより強く働くべき「推定無罪の原則」は殆ど無視され、指定弁護士の起訴によって被告人の立場に立たされた小沢氏は、あたかも犯罪者であるかのように扱われ、党員資格停止など重大な政治的ダメージを受け、また、それは、政権交代後の日本の政治の混乱にも大きな影響を及ぼした。

検察の組織としての不起訴処分を、一部の検察官が検察審査会まで利用して覆そうとした「反逆行為」は、組織としての統制機能、一体性という、検察の核心部分にも疑念を生じさせることになった。まさに検察という組織の重大なコンプライアンス問題というのが、今回の事件の重要な核心の一面である。

<指定弁護士による控訴の可能性>

この事件に関する社会の当面の関心事は、今回の判決に対して、指定弁護士が控訴をするのか否か、控訴を断念して刑事事件が決着するか否かである。

今回の判決は、全体として、証拠の評価、事実認定、法律判断ともに極めて適切であり、控訴理由とされる点はほとんど見当たらない。唯一、問題にされる余地があるとすれば、無罪の理由とされた、4億円の借入金の記載の必要性、平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性についての小沢氏の認識の問題が、公判の中で争点とされていなかったことであろう。公判前整理手続で整理された争点とは異なる点を、判決で突然無罪の理由とするのは、訴訟手続上問題があるとの理由で「訴訟手続の法令違反」を控訴理由とすることが考えられる。

しかし、判決の無罪理由としているのは、政治資金収支報告書への虚偽記入の犯罪を認めることについて、当該報告書が虚偽であるとの認識を欠くから犯意がないというものである。故意犯である以上、故意は犯罪成立の不可欠の要件であり、それは、検察官が当然に立証責任を負うものである。その点が、公判前整理手続で争点にされていなかったからと言って、検察官として立証不十分であったことの弁解にはならないのであり、それは「検察官役」の指定弁護士であっても同様である。

実質的に考えても、冒頭でも述べたように、現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないという刑事司法関係者の常識が、今回の判決の無罪の判断の背景にあり、判決では、それを具体的な事実認定を通して、丁寧にその理由が示されているに過ぎない。控訴しても控訴審で、その判断が覆る可能性は殆どないのであり、今回の事件による政治の混乱をさらに長引かせることになる控訴をすべきではないことは明らかである。

そもそも、指定弁護士の職務とされている検察審査会の起訴議決に基づく「公訴の維持」が、控訴にまで及ぶのかも疑問である上に、指定弁護士の実務上の判断としても、控訴の判断が行われる可能性は極めて低いと考えられる。

<もう一つのコンプライアンス問題>

5月10日の控訴期限の経過によって、政権交代後の日本の政治に重大な影響を与えるとともに、検察に対する国民の信頼を失墜させる結果を招いた陸山会事件は、石川知裕氏ら秘書の控訴審を除いて、一応の決着を見ることになるであろう。

しかし、小沢氏にとっては、自らに対する刑事事件が確定した段階で、行うべき重要な事柄が残されていることを見過ごしてはならない。それは、陸山会という政治団体の組織の代表者として、政治資金処理に関する組織のコンプライアンス問題について総括し、反省すべき点を反省することである。

今回の判決の認定事実によると、小沢氏の資金管理団体である陸山会の会計処理は、会計に関して殆ど素人に近い秘書の石川氏や池田氏に委ねられ、余りに杜撰なものであり、何億にも上る高額の不動産を取得したり、その資金に関して関する銀行からの融資を受けるなどの多額の資金移動が行われたりするのに相応しいものとは到底言えないものであった。
それが、前記のように、虚偽の認識を否定できない「事務処理上の問題」につながったものである。小沢氏の政治資金に関して、実際にどのような問題があるかはわからない。しかし、少なくとも、今回の刑事事件で明らかになった事実から判断する限り、本件の本質は、政治資金の会計処理の体制があまりに貧弱であったために起きた陸山会の土地取得をめぐる会計処理の混乱によって生じた政治資金処理上の問題である。それが、「歪んだ正義」を振りかざす特捜検察と、それと一体となったマスコミによって、巨額の政治資金をめぐる「政治家の犯罪」のように扱われ、「政治と金スキャンダル」に発展してしまったというのが実態である。

そのスキャンダル自体は、今回の判決が確定すれば一応の決着がつくことになるであろう。しかし、小沢氏にとっては、その段階において、絶対に避けては通れない問題がある。それは、そもそもの原因となった陸山会という政治団体組織の政治資金の会計処理をめぐるコンプライアンス問題について、その組織のトップとして、きちんとした総括・反省を行うことである。何もしないで良いということには決してならない。

とりわけ、小沢氏は、日本の政治において今後も重要な地位を占め、大きな影響力を持つことを目指して活動していくのであれば、政治資金の会計処理という面に関して、これまでのように「すべて適法に処理している」というだけではなく、「適法で適切な政治資金会計処理が行える体制整備を行う」ことが不可欠であろう。

小沢氏にとって、今回の問題がこれまで「政治と金スキャンダル」として刑事事件に関連づけられていたために、政治資金会計処理の問題に言及できなかった面もあると思われるが、今回、その刑事事件が一応の決着を見る段階に至ったのであるから、もはや、その問題から目を背けることは許されない。

小沢氏自らが、判決で指摘された点を中心に、政治資金の会計処理に関する事実関係を整理し、このようなコンプライアンス問題を発生させた原因について総括・反省する必要がある。それによって、本当の意味で、陸山会をめぐる問題について、小沢氏としてケジメをつけることできるのである。

(初出:メルマガ http://www.gohara-compliance.com/uploadPDF/ozawa.pdf

 

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陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書

今日、法務大臣宛と検事総長宛に提出した陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書をアップしました。

江川紹子氏、後藤昭一橋大教授と私の在り方元委員を含む19人の各分野の有識者による要請書。しっかり受け止めて実行してもらいたい。

法務大臣要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/MOJ/

検事総長要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/PPG/

賛同者一覧
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/menber/

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大坪・佐賀氏犯人隠避事件判決公判傍聴記

まず、呆れたのが、判決文を読む裁判長の声が小声で早口で殆ど聞き取れないこと。私は特に耳が悪いわけではないので、おそらく、最前列の記者席でも殆ど聞き取れなかったはずだ。傍聴席に聞こえない判決の言い渡しというのは、「公開の法廷での判決」と言えるのか。これが記者会見であれば、「聞こえませーん」という罵声が飛ぶはずだが、法廷での裁判長に対しては、記者から文句を言う声は全くが出ない。
要するに、判決は被告人・弁護人に聞かせるもので、記者も含めて傍聴人は、恩恵として傍聴席で見せてやっているだけ、ということか。

さて、聞き取りにくい中で聞いた判決だが、主文は、執行猶予付の有罪。検察・弁護側の主張、争点、公判経過からはこういう結果になるだろうとは思っていた。被告人二人が、前田検事(当時)の故意の証拠改ざんを認識していたかどうか、隠蔽の意図があったかどうかについての判示が延々と続く。最も重要な問題は、昨年2月に出した「組織の思考が止まるとき」(毎日新聞社)でも書いたように、本件が犯人隠避に当たるかどうか、という法律問題だ。私は、両氏が故意の改ざんであるかどうかについて、認識していたことと違う報告を上司にしていたとしても、それは、組織内における報告手続の問題で、それが、刑事事件の犯人を逮捕する義務に反したということには当たらない、という見方だが、弁護側の主張は、改竄の認識を否定することにばかり力点が置かれた。そうなると、検察側は、現職検事を何人も証人に立てて、故意の改ざんの認識があったことを立証することになる。裁判所としては、多数の現職検事が偽証していたことの認定はしにくいはずだ。

判決では、犯人隠避の成立については、簡単な理由で認めた。しかし、そのことは、別の面で大きな意味を持つことになる。

判決の量刑理由の中で、「特捜幹部であった被告人達は、部下の犯罪を認識したら、ただちに捜査して、刑事事件として立件すべきだった」というような明確に述べていた。
しかも、執行猶予にした理由、つまり、被告人に有利な情状として、本件は、被告人ら個人的な動機で行った行為というより、特捜検察の体質、検察の組織の問題が表れたもので、個人だけを責められないというようなことも言っていた。

検察は、これまで、都合の悪い証拠は、できるだけ非開示にし、都合の悪い身内の不祥事はできるだけ表に出ないようにする、という組織文化を守り続けてきた。今回の判決は、「身内の犯罪」をみつけたら、自ら捜査して刑事事件として立件せよ、という姿勢に転換することを検察に求めたのだ。

この判断を前提にすれば、陸山会事件での田代検事の虚偽公文書作成の事件の捜査に対しても、検察が消極的姿勢で臨むことは「犯罪」だということになる。しかも、その捜査は、特捜部長、副部長という個人レベルの問題だけにとどめるのではなく、組織的背景にも踏み込んで捜査すし事実解明をする必要がある、ということなのだ。

今回の「聞き取りにくい判決」の中身は検察にとって相当重いものだ。

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大阪地検不祥事での危機対応を誤り、再び重大な不祥事に直面する検察

大阪地検の郵便不正事件における証拠改竄事件等の不祥事等で失墜した検察の組織の信頼を回復し、再生を図るために立ち上げられた「検察の在り方検討会議」は、不祥事に関わる第三者委員会の一例と言ってよいだろう。その会議の委員として、検討に加わっていた最中の昨年2月に上梓したのが、本書と連作の関係にある前著『組織の思考が止まるとき〜『法令遵守』から『ルールの創造』へ』(毎日新聞社)だった。

ここ数年来の組織のコンプライアンスに関する活動の集大成と位置づけた同書だったが、私はその約半分を、検察問題に関する記述に充てた。検察不祥事が、まさに検察の組織の本質に根差すもので、問題の根本から目を背け、社会の要請の変化に適応できない組織の性格そのものを改めなければならないことを理解する上で格好の題材だと考えたからだ。
同書では、行政組織でありながら「準司法機関」と位置づけられ、「組織としての独立性」が極端に尊重される閉鎖的で自己完結的な組織の特殊性が、検察を環境変化に適応するための「ガバナンス」「情報開示」「説明責任」の要請(本書第1章123貢参照)から免れさせてきたことを指摘した。そして、大阪地検の不祥事への検察の対応の根本的な誤りは、証拠改竄という個人の犯罪行為に問題を矮小化し、問題の本質に目を向けなかったところにあり、それが、大阪地検の大坪元特捜部長、佐賀元副部長を犯人隠避で逮捕せざるを得ない状況に追い込まれた最大の原因であることも指摘した。

しかし、「検察の在り方検討会議」での検察改革をめぐる議論は、「取調べの可視化」の問題に集中し、法務・検察とほとんど一体的な関係にある、というより、法務官僚以上に保守的な「御用学者」の強硬な反対論の中で、極めて不十分で曖昧な形で「取調べの可視化」の方向性を打ち出すのが精一杯の状況だった。検察組織の特殊性に関する私の問題提起と抜本的な改革の提案も会議の場での御用学者の「御高説」に阻まれて、ことごとく無視された。

そして、会議の議論が大詰めを迎えていた頃、3月11日に東日本大震災が発生したことで、世間の関心は検察不祥事や検察改革の問題から離れてしまい、あまり注目もされないまま三月末に提言を取りまとめて会議は終了した。

その後、笠間治雄検事総長の強いリーダーシップによって、検察独自捜査における取調べの可視化の導入・拡大などの具体的取組みが行われてはきたが、検察の組織全体の危機感、問題意識は希薄で、検察の組織の特殊な性格はなんら変わっていない。

こうして、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」を抜本的な改革の契機にすることができなかった検察は、現在、検察審査会の起訴議決によって起訴された小沢一郎民主党元代表の陸山会事件に関連して表面化した重大な不祥事に直面している。

同会元事務担当者の石川知裕衆院議員は、2011年1月に陸山会の政治資金規正法違反で逮捕された後、「小沢先生の了承を得て政治資金収支報告書に虚偽記入をした」との供述調書に署名していた。そして、東京第五検察審査会が一回目の起訴相当議決を出した後の5月17日の任意の再聴取でも同様の内容の調書が作成され、同日付の取調べ状況に関する捜査報告書とともに、同検察審査会に捜査資料として提出されていた。その捜査報告書には、小沢氏に対する報告とその了承について録取した状況に関して、「『ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ』と言われたことで堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたと話しました」とする石川氏の供述が記載され、検察審査会にも提出されて審査の資料とされ、議決書にも一部が引用されていた。

2011年12月15日に東京地裁で開かれた公判において、保釈後の再聴取を担当した取調べ検察官の証人尋問が行われ、石川被告が再聴取を隠し取りした録音記録にはそのような供述がないことを小沢氏の弁護人から追及された取調べ検察官は、捜査報告書の内容が事実と異なっていることを認めた上で「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した」と釈明した。翌日の公判では、大阪地検の郵便不正事件でフロッピーディスクのデータを改ざんした証拠隠滅で逮捕・起訴され実刑判決を受けて服役中の前田元検事が証人として出廷し、陸山会事件の捜査に加わり、小沢氏の秘書の大久保隆規氏の取調べを担当した際の状況について、一部の検察官の「妄想」に近い思い込みで強引に進められた無理筋の捜査であるなどと証言し、東京地検特捜部の陸山会事件捜査を厳しく批判した。

2012年2月18日、東京地裁大善文男裁判長は、石川氏ら元秘書三人の供述調書の多くについて、任意性、特信性を否定して証拠請求を却下決定した上、その理由の中で、石川氏の取調検察官の法廷証言の信用性について、自ら虚偽を認めている捜査報告書に関して、「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べて取調べ検察官に虚偽公文書作成の犯意があったことを事実上認め、さらに、同検察官の後に石川氏の取調べを担当した副部長が取調べで石川氏に圧力をかける行為を行っていた事実にも言及して、不当な取調べが個人的なものではなく、組織的なものであったことまで認定した。

この問題について、市民団体が虚偽公文書作成罪により告発をしており、東京地裁の決定は、告発を受けての捜査に大きな影響を与えると思われる。

前田元検事のフロッピーディスクのデータの改ざんに関しては、データが改ざんされる前の正しいデータを記載した捜査報告書が弁護側に開示され証拠請求されたことから、公判の審理には結果的に影響を与えなかったが、今回虚偽が明らかになった捜査報告書は、検察審査会に提出され、小沢氏を起訴すべきとする議決書にも引用されており、検察審査会が小沢氏の犯罪事実を認定する議決に大きな影響を与えている。しかも、虚偽の捜査報告書の作成が意図的なものであったとすれば、それが取調べ検察官個人の判断で行われたものとは考えにくい。

検察は、同事件について嫌疑不十分で不起訴という処分をしており、検察審査会の起訴議決でその不起訴処分が覆されることは、検察組織にとって極めて不名誉なことである。検察審査会議決を受けて行われる再捜査において、不起訴処分が起訴議決で覆されるような方向で捜査を行うこと自体、通常の検察官個人の行動としてはありえない。石川氏の供述調書の信用性を補強する虚偽の捜査報告書を作成する個人的動機は考えられない。

検察としての方針に反して、検察審査会の起訴議決によって検察の不起訴処分を覆そうと考える一部の検察官が組織の内部に存在していて、その指示によって取調べ検察官が虚偽の捜査報告書を作成した疑いが濃厚と言うべきであろう。

検察組織の中の一部の検察官が、政治的に重大な影響を与える小沢氏の事件についての検察の組織としての不起訴の決定に従わず、検察審査会という外部の機関の力によって検察の処分を覆させようとしたのだとすると、それは、検察の組織の中核と位置付けられてきた「組織としての一体性」が崩壊し、組織の統制が働かなくなってしまったことを意味する。検察の組織の在り方そのものが問われる重大な危機である。

どうしてこのような事態に陥ってしまったのか。その重要な要因となったのが、『組織の思考が止まるとき』でも述べた検察のクライシスマネジメントの誤りである。証拠改ざんの事実が表面化した際、即日、前田検事(当時)を逮捕して、その問題を証拠隠滅という個人の刑事事件として扱い、しかも、その捜査を郵便不正事件の捜査・処分の決裁ラインに関わっていた当事者の最高検が行ったことが、クライシスマネジメントとして最大の誤りだった。前田元検事の個人の問題に矮小化しようとしたことが、上司の大坪、佐賀両氏を犯人隠避で逮捕せざるをえない状態に追い込まれることにつながった。結局、証拠隠滅罪で実刑判決を受けて服役した前田元検事が、陸山会事件の公判に証人として出廷して特捜捜査を厳しく批判し、それが証拠決定での東京地裁の厳しい特捜捜査批判の根拠となった。

検察の組織が環境変化に適応できなくなっている現実から目を背け不祥事を個人の犯罪として矮小化しようとした危機対応の誤りが、ここまで深刻な事態を招いてしまったのである。

そして、3月2日、読売新聞朝刊の一面トップで、「陸山会事件の虚偽報告書、検察は1年前に把握」との見出しで、捜査報告書に虚偽の記載があった問題で、東京地検が発覚の約一年前にこの事実を把握しながら、十分な調査を行わず放置していたことがわかったことが報じられた。大阪地検の不祥事を発端に、検察の信頼回復のための方策を検討していた「検察の在り方検討会議」の最中に、検察は、東京地検特捜部の不祥事に関して、また致命的な誤りを犯していたのである。これでは、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」が、何のためのものであったのかわからない。

『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」 問題の深層』(毎日新聞社)「あとがき」から抜粋)

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