ゴーン氏保釈が、検察、日産、マスコミに与える“重大な影響”

 3月5日、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長について、東京地方裁判所は、保釈を許可する決定をし、同日夜、検察の準抗告も棄却され、ゴーン氏は、6日に、昨年11月19日の逮捕以来、108日ぶりに身柄拘束を解かれた。

 ゴーン氏の身柄拘束がここまで長期化したのは、検察が、「罪証隠滅のおそれ」を理由に、身柄拘束を続けて、被告人の無罪主張を抑え込もうと、なりふり構わず、逮捕・勾留・勾留延長を行い、起訴後も保釈への強い反対を繰り返して「身柄拘束の長期化」を図ってきたからである。

 1月10日の最終の起訴後、2回にわたる保釈請求が却下されていたが、前提条件が特に変わったわけではない今回の3回目の請求で保釈が許可された。それは、弁護人が「特捜検察マインド」を色濃く残す元特捜部長の大鶴基成弁護士中心のチームから、弘中淳一郎・高野隆弁護士中心の「検察と戦うチーム」に変わったことの影響が極めて大きかったと考えられる。

 弁護団の一新によって、ゴーン氏にとって名実ともに「検察の支配下」から離れ、検察・日産と戦う体制が整ったことが、今回の保釈許可決定という具体的成果につながったものと言えよう。

 そして、今回のゴーン氏保釈は、今後、各方面に重大な影響を生じることになる。

「罪証隠滅のおそれ」についての判断の変化

 以前は、「起訴事実を否認している」というだけで「罪証隠滅のおそれがある」とされ、保釈却下の事由とされていたが、最近の裁判所は、「罪証隠滅のおそれ」を個別的な事情に応じて具体的に判断する傾向を強めつつある。

 平成26年11月17日の最高裁決定では、痴漢事件で、「被害少女への働きかけの可能性」が勾留の要件である「罪証隠滅のおそれ」にあたるかが争われたが、「被害少女に対する働きかけの現実的可能性もあるというのみで、その可能性の程度について理由を何ら示さずに勾留の必要性を認めた原決定」を「違法」として取り消し、勾留請求却下を是認する判断が示された。

 この最高裁決定もあり、一般の事件では、「罪証隠滅のおそれがない」として勾留請求が却下されたり、保釈が認められたりするケースは、以前より多くなっている。

 それでも、特捜部の事件など、裁判結果が検察組織の面子に関わるような事件では、無罪を主張する被告人の保釈が早期に認められることは殆どなかった。検察が、「保釈を認めて被告人が罪証隠滅行為を行い、検察の立証に支障が出たら裁判所のせいだ」と言わんばかりの意見書を出して保釈に強硬に反対するのを、裁判所が受け入れて、保釈請求を却下することで、身柄拘束が長期化するというのが通例だった。

 一連の検察不祥事などを契機に、検察の取調べが可視化されたことなどで、従来の特捜部の捜査手法であった「供述調書中心主義」が見直され、従来のような、脅し・すかしによって検察官の意に沿う供述調書に署名させるという従来の特捜検察の捜査手法はとれなくなった。しかし、それは逆に、検察が身柄拘束の継続によって被告人の無罪主張を封じ込めようとする「人質司法」の悪用に一層拍車をかけている。公判で無罪主張する可能性がある被告人の保釈に強硬に反対し続け、長期勾留で体調不良を訴え釈放を懇願する被告人側に、自白を内容とする書面を作成して提出することを要求し、その書面を公判で提出させて公訴事実を争わせないようにするというやり方で、無罪主張を封じ込めた事件もある(【“人質司法の蟻地獄”に引きずり込まれた起業家】)。

「ゴーン氏身柄拘束継続」に対する検察の姿勢

 そのような検察の「人質司法」を悪用する姿勢が極端な形で表れたのが今回のゴーン氏の事件であった。

 昨年11月、特捜部は、ゴーン氏を、帰国直後の羽田空港の航空機内で、「2015年までの5年分」の役員報酬についての有価証券報告書虚偽記載の金融商品取引法違反の容疑で逮捕し、勾留延長の上で起訴したのに引き続いて、「直近3年分の虚偽記載」で再逮捕・勾留し、勾留延長請求したが、裁判所に請求が却下され、準抗告も棄却されるや、急遽、特別背任罪で再逮捕、勾留・勾留延長した上で起訴。その後2回にわたる保釈請求に対しても強硬に反対し続け、まさに、なりふり構わず、ゴーン氏の身柄拘束の継続を図ってきた。

 しかし、裁判所の姿勢は、従来の特捜部事件への対応とは異なったものだった。上記の勾留延長請求却下に加え、ゴーン氏と同じ有価証券報告書虚偽記載で逮捕されたグレッグ・ケリー氏が、勾留延長請求却下後、全面否認のまま保釈を許可されるなど、裁判所には「検察と一線を画する姿勢」も窺えた。

 こうした中、ゴーン氏は、金商法違反に加えて特別背任でも起訴されたが、最近の裁判所の一般的傾向からすると、「罪証隠滅のおそれ」が具体的に認められるのか疑問であり、早期保釈許可も十分に考えられた(【“ゴーン氏早期保釈”の可能性が高いと考える理由】)。

 デリバティブの評価損の「付け替え」についても、サウジアラビア人への送金についても、ゴーン氏が保釈された場合に、日産関係者に対して「口裏合わせ」を依頼することは考えられない。そもそも、ゴーン氏が、日産の社内に影響力を持っていたのは、経営トップとして社内で強大な権限を持っていたからである。代表取締役会長を解職され、経営トップの座から引きずり降ろされたゴーン氏の影響力は大幅に低下しており、日産役職員の事件関係者との間で「口裏合わせ」ができる状況ではない(しかも、日産経営陣は、社員に対して、ゴーン氏・ケリー氏やその弁護人との接触を禁止している)。

 そういう意味では、今回の保釈許可決定は、「罪証隠滅のおそれ」に関する裁判所の判断として「当然の決定」と言える。

 しかし、一方で、検察が組織の面子をかけて逮捕・起訴したゴーン氏の事件で、公判前整理手続すら始まっていない現時点で保釈が許可されるというのは、検察にとっては衝撃であり、それを敢えて裁判所が決定したことは「画期的」と言える。

 今回の保釈許可決定は、「当然だが画期的な決定」と言うべきだ。

1、2回目の保釈請求と3回目の保釈請求の違い

 今回の保釈に関して、自宅玄関への監視カメラの設置、パソコンでのインターネット使用制限など、ゴーン氏の「罪証隠滅」が行えないようにする物理的措置が保釈条件とされたことが、保釈許可の大きな要因となったとされている。

 しかし、本当に罪証隠滅を行おうとすれば、そのような措置があっても完全に防止することは困難だ。そのような措置は、従来の特捜事件とは異なった保釈の判断をするための一つの「口実」に過ぎず、むしろ、決定的な違いは、裁判所も、事件の中身や証拠関係を踏まえて、長期の身柄拘束を避けたいと考えていたこと、そのような状況の中で、弘中・高野チームが、それまでの大鶴チームとは異なり、「人質司法」を打破してゴーン氏の保釈を獲得することに並々ならぬ情熱をもって取り組んだ成果と見るべきであろう。

 保釈決定の前日に外国特派員協会で記者会見を行った「無罪請負人」と言われる弘中弁護士に注目が集まっているが、私は、今回の保釈獲得に関しては、むしろ高野弁護士によるところが大きかったのではないかと見ている。

 今年1月18日の長文ブログ【人質司法の原因と対策】にも書かれているように、高野弁護士は、日本の「人質司法」の根本的な問題を指摘し、実際の刑事事件の中で、その打破を実践してきた弁護士だ。「罪証隠滅のおそれ」を振りかざし、無罪主張をする被告人の保釈を阻止しようとする検察と戦ってきた。今回も、保釈に強く反対する検察官の意見書を、身柄関係書類の閲覧で把握し、そこで指摘されている「罪証隠滅のおそれ」を徹底的に否定して、保釈を認めない理由がないことを論証したことが保釈許可の大きな要因になったと考えられる。

 一方の大鶴基成弁護士は、記者会見でも、「一般的に言うと第1回公判までは保釈が認められないケースが非常に多い。」などと「人質司法」について、やや的外れな発言を行い(「人質司法」は第一回公判までだけの問題ではない)、「これは人質司法などと呼んで弁護士は強く批判している。」などと他人事のように言っていた。かつて特捜部長として、ライブドア事件・村上ファンド事件などの事件で特捜検察の中核を担ってきた大鶴弁護士は、特捜部側で無罪を主張する被告人の保釈を阻止した経験は豊富でも、全面否認事件の弁護人として検察と戦い、被告人の身柄釈放を勝ち取った経験は乏しかったのだろう。「人質司法」が典型的に表れているゴーン氏事件で、保釈を獲得する使命を果たす弁護人としてはミスキャストだったと言わざるを得ない。

ゴーン氏保釈による「重大な影響」

 今回のゴーン氏の保釈には、監視カメラの設置等の異例の保釈条件が付されている。しかし、保釈条件は不変のものではない。今後の公判前整理手続や公判審理の状況に応じて、不要となれば、条件が解除されることもあり得る。

 美濃加茂市長事件では、現職市長だった藤井浩人氏は、収賄容疑について現金の授受を含めて全面否認していたが、4回目の保釈請求が許可され、逮捕以来62日間の身柄拘束で保釈された(【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】)。このときは、副市長を含む多くの市役所職員との接触禁止等の保釈条件が付され、保釈に水を差したいマスコミは、「市長職を務めることは事実上困難」などと報じた。しかし、公判前整理手続の中で、「罪証隠滅のおそれ」が全くないことが客観的に明らかになり、弁護人の保釈条件変更申請で接触禁止は順次解除されていった。

 ゴーン氏についても、今後、公判前整理手続や公判審理の中で、検察が提示する事実や証拠、それに対する弁護側の対応によって、「罪証隠滅のおそれ」がないことが明らかになれば、保釈条件の変更の可能性もある。そういう意味では、保釈条件は、被告人にとって決定的な問題ではない。

 重要なことは、いかなる保釈条件が付されていても、拘置所での身柄拘束が続くのと、社会内での活動が可能になるのとでは、その拘束の質が決定的に違うということだ。

 今回の保釈によって、今後、ゴーン氏の刑事事件の公判対応や、マスコミへの対応、ゴーン氏が関わる企業の経営などに、大きな影響が生じる可能性がある。

 第1に、公判前整理手続や公判に向けて、弁護団と十分な準備ができるということだ。言語の違いに加え、関連資料も膨大なため、拘置所での弁護団とゴーン氏との打合せは困難を極めたはずだ。保釈されたことで、検察の開示証拠を踏まえて、効果的で綿密な打合せを行うことが可能となる。

 第2に、ゴーン氏は、今後、検察や日産側のリークによる夥しい数の「有罪視報道」にくまなく目を通し、弁護士らとともに、事実無根の名誉毀損報道に対して法的措置を講じる準備を始める可能性がある。それは、ゴーン氏事件の報道の流れを変え、これまでの報道で生じた世の中の認識を是正することにつながる可能性がある。

 第3に、軽視できないのは、日産自動車・ルノー・三菱自動車の経営に与える影響だ。

 ゴーン氏は、日産自動車・ルノー・三菱自動車の3社で会長職は解職されたが、今も取締役の地位にはある。ゴーン氏が、各社の取締役会に出席すれば、これまで全く弁明の機会を与えられず、一方的に「不正」とされている、起訴事実以外の「不正」についての弁明を行うことも(少なくとも、ルノー・三菱自動車においては)可能となり、今後の3社の取締役会での議論に大きな影響を生じる可能性がある。

ゴーン氏の取締役会への出席の可能性

 そこで問題となるのが、今回のゴーン氏の保釈条件の中には、事件関係者との接触禁止のほか、日産自動車の取締役会・株主総会への出席には裁判所の許可が必要というのが含まれていることが、ゴーン氏の取締役会への出席にどのように影響するかだ。

 まず重要なことは、取締役は株主総会で株主に選任され、会社のために、善管注意義務を果たし、忠実に職務を行う立場だということだ。会社法上、「取締役会への出席義務」は明記されてはいないが、格別の支障がない限り、取締役会に出席することは取締役の義務であると言えよう。ゴーン氏も、格別の支障がない限り、取締役として日産の取締役会に出席するのは当然であり、健康上の理由など出席できない事情がない限り、取締役会に出席すべく裁判所の許可を求めることになるであろう。

 ゴーン氏が取締役会への出席の許可を求めた場合、株主に選任された取締役として、職務を行う上で必要と判断して出席を求めているのであるから、裁判所としても「必要性がない」と判断する余地はないだろう。裁判所は、保釈条件の一つである「接触禁止」に違反する可能性があるかどうかによって可否を判断することになると思われる。

 保釈条件としての「接触禁止」というのは、起訴事実についての「罪証隠滅」が行われないようにするため、外形的に、その「おそれ」がある場面を作らないようにすることを保釈の条件にするという趣旨だ。

 取締役会の出席者のうち西川廣人社長が、金商法違反との関係でゴーン氏が接触を禁止されている「事件関係者」の一人だと考えられるし、他にも「事件関係者」が含まれている可能性がある。問題は、取締役会への出席について「西川氏らとの間での『罪証隠滅のおそれ』があると言えるかどうか」だ。

 裁判所は、ゴーン氏が許可を求めた場合、検察官に意見を求めることになる。弁護人側は、ゴーン氏に対する「反逆者」の西川氏を含め、日産関係者に対するゴーン氏の影響力はなくなっており、発言がすべて記録される取締役会への出席による「罪証隠滅のおそれ」は皆無だと主張するだろうが、検察官は、ゴーン氏の取締役会での発言が西川社長らにも影響を与え得ること、ゴーン氏が取締役会に出席していることや発言すること自体が公判立証に影響を与えるなどとして、出席に強く反対するであろう。

 ここでの裁判所の判断は、結局のところ、現時点でのゴーン氏の立場について、「推定無罪の原則」を尊重し、株主に選任された取締役としての職務の履行として取締役会に出席することを重視するか、「罪証隠滅」が公判審理に影響を与える可能性を最小化することを重視するかという観点から行われることになり、そこでは、保釈の可否と同様の枠組みでの判断が行われることになる。

 ちなみに、前記の美濃加茂市長事件で藤井市長が保釈された直後、保釈条件として副市長を含む多数の市役所職員との接触が禁止されている状況で、藤井市長が、起訴された収賄容疑についての説明を求める市議会に出席できるかどうかが問題になった。しかし、藤井市長は、市議会に出席して、自らが潔白であることなどを、公判での主張に支障を生じない範囲で説明した。その際、藤井市長と副市長とは離れた席に座らせ、直接の話をすることがないよう配慮した。

 この市議会への藤井市長の出席は、当然、検察・警察も把握していたが、それが「接触禁止」の保釈条件に反するとして保釈取消請求されることはなかった。

 仮に、日産の取締役会への出席が許可されないとしても、ルノーと三菱自動車の取締役会への出席は話が別だ。両社は、本件起訴事実と直接の関係はないのであり、三菱自動車の取締役会への出席、ルノーの取締役会への電話やビデオ会議システムでの出席が制限される理由はないだろう(三菱自動車の日産出身取締役が「事件関係者」に該当する場合には、日産取締役会と同様の問題が生じる。)。

 ゴーン氏が、両社の取締役会に出席しようとするかどうかは不明だが、自己の潔白を主張し、会長解職の不当性を訴えるために出席したいと考えた場合には、出席が可能となる可能性が高い。

 大鶴弁護士が記者会見で予測していたように「第一回公判まで保釈が許可されない」ということであれば、ゴーン氏は、日産の臨時株主総会で取締役を解任され、ルノー・三菱自動車の定時株主総会で両社の取締役も解任され、3社への影響力を完全に失った後に、ようやく保釈されるということになっていたであろう。

 そういう意味で、「検察と戦う弁護士チーム」に一新された弁護団の保釈請求によって、それまで拘置所で検察の支配下に置かれていたゴーン氏の身柄が弁護団の元に奪還されたことが、今後のゴーン氏の検察・日産やマスコミ等に対する「反撃」に、極めて重要な意味を持つことは間違いない。

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日産西川社長の“デタラメ”を許してよいのか

2月28日の日経朝刊一面トップの「2005年転機、日産ゴーン会長に全権『あの時、議論すべきだった』」題する記事、日産自動車西川廣人社長のインタビューが掲載された(日経電子版【「ゴーン流の成功は幻想」 日産社長インタビュー詳細】)。17面にもインタビューの続きが掲載されており、西川氏の話が、大きく取り上げられている。

しかし、このインタビュー記事では、ゴーン元会長についての「不正」の情報を検察に提供してケリー氏とともに逮捕させ、二人の代表取締役不在の臨時取締役会で、ゴーン氏の代表取締役会長の解職を決議したことについて、その経過や、果たしてそれが正当であったのか、という、ゴーン体制転覆に関する「疑問」には何一つ答えていない。西川氏ら日産経営陣の行ったことを「策略であり、反逆だ」と主張するゴーン氏に対する反論にも全くなっていない。

西川社長は、ゴーン元会長の解任理由を改めて問われ

取締役会での決定は刑事責任の有無でなく、解任に相当する判断材料を弁護士から頂いたからだ。(不正は)経営者・トップとして守るべき事から完全に逸脱していた。会社としては絶対に放置できない。解任しない選択肢はなかった。

(社内調査の結果を)取締役会でシェアしたが『これは無いね』と。金融商品取引法違反、投資会社の不正使用、経費の不正使用など1件だけみても、普通の役員であれば即解雇というレベルのものなので

と答えている。

この中で、見過ごせないのは、今になって、「刑事事件になるかどうかにかかわらず」と言っていることだ。

ゴーン氏・ケリー氏が検察に逮捕された直後の記者会見で、西川氏は、

内部通報に基づき数か月にわたって社内調査を行い、逮捕容疑である報酬額の虚偽記載のほか、私的な目的での投資資金の支出、私的な目的の経費の支出が確認されたので、検察に情報を提供し、全面協力した

と述べた。

「普通の役員であれば即解雇というレベルのもの」「刑事事件になるかどうかに関係なく、不正は重大であり弁解の余地がない」と考えていたのであれば、なぜ、検察に情報を提供する前に、その「重大な不正」の調査結果を取締役会に報告し、本人の弁解を聞いた上で、解職を決議するという方法をとらなかったのか。取締役会の場で全く議論することもなく、調査結果を検察に持ち込むという行動をとったことがコーポレートガバナンス上の最大の問題なのだ(【「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その1)~企業ガバナンスと透明性】)。

西川氏がゴーン氏逮捕直後の記者会見で述べた「不正」のうち、「報酬額の虚偽記載」については西川氏自身の関与の重大な疑念が生じ、他の二つの「不正」は、その具体的な内容は一切明らかになっていない。

今回のインタビューで、西川氏は、社内調査で明らかになった「不正」の具体的内容も明らかにせず、一方的に「トップとして守るべきことから完全に逸脱していた」と批判している。

「昨年10月頭に私に社内調査の結果が来た」と言っているが、問題なのは、西川氏らが最終的な「社内調査結果」を受け取った時期ではない。そもそも、その不正調査が、どのような経緯で、どの時期に開始され、西川氏が、どのように関わったかだ。

西川氏は、2005年にゴーン氏がルノーの会長を兼任した時点で、「議論すべきだった」と言っており、それが記事の見出しにまでなっているが、ゴーン氏の「腰巾着」のような存在であった西川氏に、その時点で「議論」する余地などあったとは思えない。ゴーン氏への独裁を容認し、社長CEOに取り立てられ、自らも5億円もの高額報酬を得るようになってから、自らの責任をも顧みず検察と結託した「クーデター」でゴーン体制を覆したことが問題なのであり、西川氏が2005年のことに言及するのは、問題の「すり替え」以外の何物でもない。

2月12日に発表した2018年第3四半期決算で、有価証券報告書に未記載の約92億円をゴーン氏への報酬として一括計上する一方、ゴーン氏の報酬過少申告の事件をめぐる司法判断や、日産が検討しているゴーン被告への損害賠償請求をにらみ、実際の支給は見送るとしたことについて、西川氏は、決算発表の会見で、「これを実際に支払うことを決めたわけではない。私としては支払いをする、という結論に至るとは思っていない。」などと、全く意味不明の説明を行った。日産側が「支払わない方針」だとしても、役員報酬という債務の存在を明確に認めることで、ゴーン氏に対する債務という「会社にとっての損害」が発生することに変わりはない。十分な根拠もなく、ゴーン氏の役員報酬を計上し、損害を発生させるのは「背任的行為」とも言える。

2017年からCEO社長を務めている西川氏は、ゴーン氏、ケリー氏が、有価証券報告書虚偽記載で起訴されている直近2年分の虚偽記載について直接的な責任を負うにある立場にあり、刑事責任を追及は避けられないはずだ(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

西川氏は、1月24日夜に開いた記者会見で、同社前会長で特別背任の罪などで起訴されたカルロス・ゴーン被告をめぐる一連の問題について、「私も含めて過去の経営陣の責任は重い」と発言。その上で「そのあとの体制を作らないといけない。会社を軌道に乗せてバトンタッチすべきであると思っている」と話した。定時株主総会のある「6月うんぬんではなく、できるだけ早く私の果たすべき責任を果たして次に引き継げる状態にしたい」と考えているとも述べ、ガバナンス体制の構築にめどをつけた上で経営トップから退く意向を明らかにしていた(【日産の西川社長が退任示唆、ゴーン前会長巡る一連の問題で責任】)。

ところが、今回のインタビューでは、西川氏は、「私が一身に受けて直していく。自分がやるしかない」と述べて「6月の定時株主総会以降も続投する考えを示した」とのことだ。

コーポレートガバナンスを無視したクーデターで前経営トップの体制を覆し、その理由とされ、検察の起訴事実となった有価証券報告書虚偽記載について、自らの重大な責任について説明責任を果たすこともなく、いったん表明した「当然の辞任」の意向もあっさり否定し、自らも年間5億円もの高額の役員報酬を得てきたCEO社長の地位にとどまろうとしている西川氏。日本社会は、いつから、このような“デタラメ”がまかり通る社会になってしまったのだろうか。

 

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今治市「山本大臣就任祝賀会」関与は“公務”の不可解、「加計学園補助金」にも疑問

 菅良二今治市長が、山本順三大臣就任祝賀会の発起人となり、会費の受領等の事務局事務を市職員に行わせた問題、昨日(2月14日)に【菅今治市長が市職員に命じた「大臣就任祝賀会」全面サポート】と題する記事で詳しく解説したが、同日、この問題は、衆議院予算委員会でも取り上げられた。

 山本大臣は、就任祝賀会については、「招かれて出席しただけ、詳細は知らない」、祝賀会の会費の残りから現金10万円が山本氏側にわたったと報じられていることについては、「報道は全くの事実無根であり、当日は目録を頂戴したが、中身は空っぽの目録だった」と答弁した。

 また、この問題についての今治市側の対応について、朝日新聞が以下のように報じている。

 菅市長は14日、「社交儀礼であり、市の事務の範囲として認められている。政治的行為に該当しない」などとするコメントを発表した。片上課長は取材に対し、違法性を否定する根拠として、奈良県上牧町が大臣就任祝賀会を主催して公費支出し、住民が違憲として返還を求めた訴訟で「社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定できない」などとした1989年の最高裁判例を挙げた。

 注目すべきは、(1)週刊文春の取材に対して菅市長が認めている「10万円授受」について、山本大臣が明確に否定する答弁を行ったこと、(2)今治市が、市職員の祝賀会への関与を「市の事務」だとしたことの2つだ。

 私が、週刊文春にコメントした時点では、「市長個人が発起人となった大臣就任祝賀会」という「政治的行為」に、市役所職員に関与させたという、「市長個人の問題」であり、「市職員に政治的行為に関わることを命じることのパワハラ的問題」と考えていた。

 ところが、今治市は、市職員の関与を「公務」と認めた。そして、一方で、「現金10万円の授受」に関して菅市長と山本大臣の供述が相反している。それによって、この問題は、今後重大な問題に発展する可能性が出てきた。

89年最高裁判例の町主催大臣就任祝賀会と本件との違い

 今治市は、山本大臣就任祝賀会への関与を、「社交儀礼としての市の事務」だとし、政治活動ではないとすることの根拠として、奈良県上牧町が大臣就任祝賀会を主催して公費を支出した件についての最高裁判例を挙げているが、これは、今回の件での市の公務としての対応を正当化する根拠には全くならない。

 上牧町の事例は、過去に上牧村長を務め、県議会議員から国会議員になった政治家の郵政大臣就任について、町が主催して祝賀行事を行って町の公金を支出したことの違法性が、地方自治法に基づく住民訴訟で問題とされた事案だ。町として予算措置を講じ、議会の承認も受けて行った「公金支出の適法性」の問題であり、地方公務員法の「政治的行為」が争われた事例ではない。

 この事案について、一審判決は、

 上牧町の挙行した本件祝賀式典は、町民多数の賛意に基き、特別の条例によることなく行われ、その経費は、予算の定めるところにより普通地方公共団体の長の命令をもって収入役がこれを支出したものであって地方自治法232条の3、4の規定に照らし適法であるのみならず、社会的実在としての地方公共団体の通常の社交儀礼の範囲内における支出に該当し、その当不当については見解が分かれるとしても、これを違法とすべき理由は見当らない。

として、この事例において町の「公金支出」が違法ではないとし、最高裁もこれを是認したものだ。大臣就任祝賀式典への自治体の公金支出が、常に「社交儀礼の範囲内」との理由で合法だとしているのではない(しかも、同判決では、「このような式典が政治的な色彩をもつことは否定できないところであり、郷土の誇りとなるスポーツ選手の表彰式典などとは異なり、政治的な対立感情が介入する余地もないではない」などの理由で、「本件祝賀式典に対する公金の支出は社交儀礼の範囲を逸脱するものとして違法と判断せざるをえない」との伊藤正巳判事の反対意見も付されている。)。

 一方、今回の今治市の問題は、菅今治市長が個人として発起人となった大臣就任祝賀会の事務局を市職員が務め、会費の受領や管理まで行ったことが、市職員の「政治的行為」に該当し、「政治的中立性」を損なうのではないかがが問題になっているのである。市職員が大臣就任祝賀会に関与することについては、市役所内で正式な決裁手続を経て行われているわけではなく、議会の承認も経ていない。正式な手続による公金の支出の違法性が争われた上記最高裁判例の事案とは全く異なるのである。

理解不能な今治市の対応

 本件での市職員の関与が「政治的行為」であることを否定するために、なぜ、関連性が希薄な最高裁判例が持ち出されたのか理解不能だ。

 それ以上に不可解なのは、今治市が、市長個人が発起人になって開催された山本大臣就任祝賀会に、市職員を関わらせたという「市長個人の問題」を、なぜ、「社交儀礼としての市の事務」などと、市の組織を巻き込むような理屈で正当化しようとするのかである。

 そこには、市長の判断はいかなる場合でも正しいのだから、その「正しさ」を維持するために、関連性が希薄な判例を持ち出してでも、何とか理屈付けをしようとする今治市の姿勢がみてとれる。

 それによって、関与した市職員の行為の「政治的中立性」の問題や、それを指示した菅市長の政治責任の問題だけではなく、

 そもそも今治市の行政は、法令に基づいて適正な手続によって行われているのか

という点にも深刻な疑念を生じることになるのである。

「現金10万円授受」をめぐる問題と祝賀会の「政治資金パーティー」性

 今治市が、山本大臣就任祝賀会への関与を、「社交儀礼としての市の事務」だとして「公務」であると認めたことは、山本氏に対する「10万円現金供与」問題にも重大な影響を与える。

 この問題については、山本氏は、「中身は空っぽの目録だった」として授受を全否定している。週刊文春の取材では認めていた菅市長も、改めて質問すれば、山本氏に合わせる方向に答を変えるかもしれない。

 しかし、週刊文春の方でも、当然取材の際は録音をとっているはずであり、簡単に翻すことができるはずはない。「記憶違いだった」というような話をし始めれば、祝賀会の資金の流れをめぐる疑惑を一層深めるだけでなく、今治市のトップである市長に対する信頼が、大きく損なわれることになる。

 さらに問題なのは、今治市が、「公務」だと認めた市職員の関与の中に、「参加費1万円を領収する事務」が含まれており、市側が「会費は課が金庫で管理し、現在は費用の精算中」(前記朝日記事)だとしていることだ。祝賀会に関する会計事務が市職員によって「公務」として行われたということになると、公務としての会計処理状況について市議会で説明する責任があるし、それを報告する文書は行政文書として情報公開の対象になる。

 「公務」としての会計処理の状況について担当の市職員が市に報告することになれば、当初から、1万円の会費について、どのような使途を予定していたのか、実際にどれだけの費用がかかり、どれだけの残金が生じ、その残金をどのように処理する予定だったのかについて、今治市側が説明責任を負うことになる。その説明如何では、会費の残金を大臣側に提供することを予定していた疑いが生じることもあり得る。それによって、山本大臣就任祝賀会が、「政治資金パーティー」としての性格を持ったものとの疑いを生じさせる可能性もある。その場合、祝賀会への関与が「政治的行為」であることは、一層否定できなくなる。

加計学園問題に影響する可能性

 「地元出身の国会議員が大臣に就任したのだから、盛大に祝賀会を行う」というのは、今治市では、当たり前のことだったのかもしれない。しかし、そこに、市民のために公平に公正に、かつ、法令に基づき適正に職務を行うべき市役所の組織や職員が関わることで、問題は全く異なったものとなる。そこでは、「今治市」という自治体の姿勢が、市民を向いたものだったのか、市長や市長が支持する政治家の方を向いたものだったのか、根本から問われざるを得ない。

 今治市は、市職員の関与を「公務」と認めたことで市の行政への信頼が損なわれ、市長への信頼も損なわれる。それが、今後、今治市にとって大きな悪影響を及ぼすことは必至だ。

 今治市が獣医学部新設に関して36億円の補助金を加計学園に提供したことに関して、補助金が不正な支出だとして住民訴訟が提起されている。

 「地方自治体の行政は、法令に基づいて適正に行われている」というのが世の中の一般的認識だ。しかし、今回、菅市長が発起人となった大臣就任祝賀会に市職員を動員した問題で、菅市長が追及され、市当局は、市長の行為を正当化するために、市職員の関与を「公務」だなどと主張するという今治市の姿勢が明らかになると、菅市長が強いリーダーシップで進めてきた加計学園への補助金の支出にも、重大な疑念が生じることになりかねない。

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“市職員の政治的中立性”を蔑ろにする菅今治市長の責任

 今週木曜日発売の週刊文春(2019年2月21日号)の記事【加計誘致の今治市が大臣就任祝賀会で地方公務員法違反の疑い】 に、「本来公務員は政治的中立性が求められ、職務として祝賀会の事務を担った市職員は、政治的行為を制限した地方公務員法に違反する」「命令に逆らえず政治的活動に従事したとすれば、市長のパワハラにも当たる」との私コメントが掲載されている。

 同記事で問題にされている市長は、加計学園問題に関して批判を受けてきた菅良二今治市長だったということで、今治市での加計学園の獣医学部設置問題を厳しく批判してきた私が、その批判の延長上で、今治市長を批判しているように思った人も多いかもしれない。

 しかし、この大臣祝賀会を開催した「市長」が「今治市長」であることは、文春記者の取材を受けてコメントした時点では知らされていなかった。私は、事案の内容を聞き、地方公務員法に違反する行為を市役所職員に職務として行わせた市長の責任についてコメントしたものだ。

「あっせん利得処罰法違反」についての週刊誌コメント

 週刊文春からは、これまでにも法律の解釈・適用の問題についてコメントを求められることが多かったが、私としては、不正確なコメントをすると、自分の法律・コンプライアンスの専門家としての信用にも関わるので、慎重に検討し、必要に応じて文献・資料等も調査した上でコメントするようにしている。

 私のコメントが大きな意味をもったのは、2016年2月の、甘利明氏(当時、経済財政担当大臣)のURの用地買収問題に関する「口利き・金銭授受疑惑」について週刊文春からコメントを求められ、「あっせん利得処罰法違反に該当する疑いがある」と指摘したことだった。この時は、あっせん利得処罰法の条文解釈のみならず、立法経緯や、甘利氏の政治家としての「影響力」に関わる政治経歴等も調べ、自信をもって「あっせん利得処罰法違反の疑い」を指摘した。この問題については、その後国会でも、衆議院予算委員会公聴会で公述人として、特殊法人のコンプライアンスについて意見を述べたが、その際にも、あっせん利得処罰法の適用に関して法律見解を述べた(【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】)。

 しかし、週刊文春に限らず、週刊誌からコメントを求められても、「法律違反の疑いがあるとは言えない」と述べ、コメントが掲載されなかったことも多い。最近では、週刊文春から、片山さつき大臣の問題について、「口利き疑惑があっせん利得処罰法違反に当たるのではないか」とコメントを求められたが、「権限に基づく影響力」に基づいて「口利き」をした事案とは考えられないので「あっせん利得処罰法違反の疑いはない」と答え、私のコメントは掲載されなかった。

 今回は、先週土曜日に週刊文春の記者から電話があり、「現職市長が発起人となって国務大臣の就任祝賀パーティーを主催し、会費1万円で飲食を提供するパーティーを開き、その事務局事務を市職員が行った。パーティー収入の中から、10万円が国務大臣に『就任祝い金』として渡された」という事案について、法律に違反するかどうかの見解を求めてきた。

「政治資金パーティー」への該当性

 まず考えたのは、政治資金パーティーに関する政治資金規正法の規定に違反する可能性であった。もし、この祝賀パーティーが政治資金パーティーに該当するとすれば、政治資金規正法22条の9で、「地方自治体の職員が、その地位を利用して、政治資金パーティーに対価を支払つて参加することを求め、若しくは政治資金パーティーの対価の支払を受け、若しくは自己以外の者がするこれらの行為に関与すること」が禁止されており、この「地方自治体の職員」には、特別職・一般職であっても該当するので、市長の地位を利用して市役所職員に開催の事務を行わせたことは違法となる。

 しかし、「政治資金パーティー」については、政治資金規正法8条の2で「対価を徴収して行われる催物で、当該催物の対価に係る収入の金額から当該催物に要する経費の金額を差し引いた残額を当該催物を開催した者又はその者以外の者の政治活動に関し支出することとされているもの」と定義されており、この「市長」が主催したパーティーについては、収入のうち10万円が国務大臣に対して「就任祝い金」として渡った事実があっても、収入から経費を差し引いた残額が、「政治活動に関し支出することとされている」と言えるか否かは微妙である。この祝賀会が政治資金パーティーに該当し、市長の行為が地位利用による政治資金パーティーへの参加を求める行為として「政治資金規正法違反の疑い」を指摘することは難しいと判断した。

 ただ、政治資金規正法上の「政治資金パーティー」に該当するというためには、パーティーの目的や開催の経緯・会の収支・差額の使途などを、もう少し詳しく調べる必要があり、該当することを前提に政治資金収支報告書への記載義務や罰則適用を議論することはできない、ということであり、大臣就任祝賀として、大臣たる政治家を支持する「政治資金パーティー」に近いものであることに変わりはない。

市職員の祝賀会への関与と地方公務員法の「政治的行為の制限」

 政治資金パーティーに形式上該当しないとした場合に、次に問題となるのは、国務大臣就任祝賀パーティーを市長が主催し、その事務や会費の募集に市職員が関わることと、地方公務員法の「政治的行為の制限」との関係だ。

 「特別職地方公務員」に当たる市長には、政治的行為の制限はないが、「一般職地方公務員」である市職員には政治的中立性が求められる。その市職員が職務として政治家の大臣就任祝賀会の事務を行い、会費の募集に関わり、その会費収入の一部が、大臣たる政治家にわたったということは、常識的に考えても、地方公務員の政治的中立に関するコンプラインス違反だと言える。

 市民にとっては、政治的に中立な立場で市の業務に従事しているはずの市職員が、特定の政治家を支持するパーティーの開催のために動員され、会費集めをさせられていること自体が許しがたい行為であることは明らかだ。

 地方公務員法36条2項は「政治的行為の制限」について

職員は、特定の政党その他の政治的団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、次に掲げる政治的行為をしてはならない。

と規定しており、この「次に掲げる政治的行為」の「三」が「寄附金その他の金品の募集に関与すること」とされている。

 国務大臣の就任祝賀パーティーを行うことは、内閣の一員として任命された国務大臣を支持することを通して、「特定の内閣」を支持する目的と解することができるし、パーティーの会費の募集に関与することは、政治資金パーティー券の募集と同様に、「金品の募集」に当たると考えられる。

 週刊文春の記事によれば、

パーティーの〈お問合せ先〉は、「今治市総務調整課」、領収書には参加費1万円を領収した事務取扱者として、課長名の判子が押されている。

とのことであり、パーティーの事務局を市の総務調整課職員が全面的に担い、会費の徴収まで行ったということになる。

祝賀会開催に関する市長の市職員への命令は「パワハラ的」

 もっとも、特別職たる市長には、この「政治的行為の制限」は適用されないし、市職員が、上記の規定に反した場合も、罰則がなく、懲戒処分の対象になるだけなので、市長が市職員にそれをやらせたとしても、それ自体が、犯罪の共謀になるわけではない。

 しかし、逆に言えば、このような「政治的行為の制限」に反する市職員の行為は、罰則の対象とはならないので、違反が認められた場合も、市当局として採り得る措置は、当該市職員に対して懲戒処分を行うことしかない。しかし、その「懲戒権者」は、市のトップである「市長」なのである。市長が主催した政治的活動としてのパーティーに、市長から指示されて事務を行ったり、会費を集めたりした市職員が、市長によって懲戒処分される、というのは全く本末転倒の話である。地方公務員法は、そもそも、「政治的行為の制限」に違反する行為が、首長の指示や命令によって行われることを予定していないのである。

 それだけに、この問題は深刻である。市職員は、政治的中立を求められていることは十分に認識しているはずであり、本来、市長から、政治家の就任祝賀会の事務を行うよう命令を受けても、それを拒否するのが当然である。しかし、市職員にとっては、市長は市役所の組織のトップである。その命令に逆らえるはずがない。このような状況に追い込まれ、政治的活動に従事させられた市職員にとって、市長の命令はパワハラと評価することもできる。

菅市長の責任の重大性

 週刊文春の記事によって、就任祝賀パーティーの発起人となった市長が、「菅良二今治市長」であることを知った(就任を祝賀されたのが国家公安委員会委員長である「山本内閣府特命担当大臣」であることは、コメントの確認をする際に知った。)。

 記事によれば、菅市長は、「政治活動ではなく、大臣の祝賀会」と説明し、市側も「祝賀会は政治活動ではなく、儀礼的なもの」と回答しているようだが、大臣就任を祝うということ自体が、「大臣たる政治家への支持」という性格を持つのであり、「祝賀会」であることも、「儀礼的」であることも、政治活動であることを否定する根拠にはならない。

 過去の同様の事例として、2013年11月に、自民党の武田良太衆院議員の防衛副大臣就任祝賀会を、田川市郡の全市町村の首長や地元県議らが発起人となって1人5千円の会費制で立食パーティー形式で開くに際して、自治体の首長らが呼びかけ、田川市職員が区長会などに参加を要請していたことが、公務員の政治的中立性が損なわれるなどとして、批判されたケースがある。

 この事例では、市職員は、祝賀会への参加を要請しただけで、会費の徴収等の事務局事務を行ったとはされていないが、それでも「政治的中立性」に反することが問題となっている。

 前記のとおり、今回の山本大臣の就任祝賀会は、今治市長が発起人となり、市職員が事務局を務め会費の徴収まで行ったのであり、地方公務員法が禁止する「政治的活動」の性格が一層顕著だということだ。

 自治体職員の懲戒権者である首長自らが、公務員の政治的中立性に関するコンプライアンス違反を命令し、本来、納税者たる市民のために、政治的に中立的立場で職務を行うべき市職員が、「特定の政治家の政治活動の成果を祝うパーティー」を全面的にサポートすることは、到底許されることではない。

 菅市長は違法行為の責任を直接問われるものではないが、政治的責任は極めて重大である。

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西川社長ら日産経営陣は、なぜ「検察の手先」となるのか

1月11日に、特別背任等で追起訴された後も、2度の保釈請求が却下され、勾留が90日近くに及んでいる日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏の事件、日本の「人質司法」の“悪弊”を海外に露呈する状況が続いている。

 日産自動車が、2月12日に発表した2018年第3四半期決算で、有価証券報告書に未記載の約92億円をゴーン氏への報酬として一括計上する一方、ゴーン氏の報酬過少申告の事件をめぐる司法判断や、日産が検討しているゴーン被告への損害賠償請求をにらみ、実際の支給は見送ることを明らかにした。

 数日前から、そのような日産の方針が報じられていたが「まさか」と思っていた。本当にゴーン氏の役員報酬を決算に計上するとは…。

苦し紛れの「役員報酬約92億円計上」に根拠はあるのか

 昨年12月3日にヤフーニュースに出した記事【ゴーン氏「退任後報酬による起訴」で日産経営陣が陥る“無間地獄”】で、私は以下のように述べた。

 日産は、臨時取締役会でゴーン氏の会長及び代表取締役を解職しており、さらに、臨時株主総会で取締役も解任する方針を明らかにしているが、「ゴーン氏の退任」が現実化した場合、ゴーン氏へ「退任後の役員報酬」を支払うべきかどうかという問題に直面する。検察が主張するとおり、「退任後の報酬」について合意の時点で支払いは確定しており、単に「支払時期が退任後に後送りされているだけ」だとすれば、日産側は、ゴーン氏退任の際に支払わなければならないことになる。また、退任後の役員報酬自体が「違法」とされたのではなく、開示しなかったことが違法とされているのだから、「違法な役員報酬は支払わない」という理由での支払いの拒絶もできない。日産側の経営判断で支払わないとすれば、「支払は確定していた」という前提を否定する重要な間接事実となる。

 有価証券報告書等の虚偽記載で起訴された前経営者に、巨額の退任後報酬を支払うなどということは、株主には到底理解されない。しかし、検察の主張と整合性をとろうと思えば、ゴーン氏への約80憶円の支払いを拒絶することは容易ではないのである。

 ゴーン氏自身も、1月8日の勾留理由開示公判で、「退任後の役員報酬の支払は確定していない」と強く主張し、「報酬の支払が確定しているのなら、今、私が死亡した場合に相続人が受け取れるはずだが、そうでないことは明らかだ」と述べていた。

 この点が、検察の有価証券報告書の虚偽記載の起訴事実の立証にとって最大の障害になることは必至だった。

 そして、日産は、臨時株主総会で、ゴーン氏を取締役から解任する方針を示しており、早くも、「ゴーン氏の退任後の役員報酬」の支払いの問題が現実化することになった。

 「退任後の役員報酬の支払は確定していた」という検察の主張と整合性をとるために、日産経営陣は、不記載だったとされた役員報酬を一括計上し、しかも、ゴーン氏への損害賠償請求の可能があることなどを理由に、その役員報酬の支払をせず、「未払金」にするという方法を選択したということだろう。

 【前掲記事】で述べたように、ゴーン氏の役員報酬に関する文書については、朝日記事によると、「年間報酬の総額(約20億円)と、その年に受け取った額(約10億円)、差額(約10億円)の3項目が具体的に記載された合意文書(「書類1」)があり、一部のものにはゴーン前会長と秘書室幹部の署名があるとされる。そして、それ以外に、退任後の支払い方法が書かれたという書面(「書類2」)があり、コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約など、複数の別の名目が記されているとのことで、特捜部は、「書類2」は隠蔽工作のためのものとみているとのことだ。

 では、今回計上されたゴーン氏の役員報酬計上は、一体何を根拠とするものなのだろうか。「書類1」は、ゴーン氏と秘書室幹部との間で交わされただけである。会社としての正式決定といえるのであろうか。「書類2」には、西川氏も署名を行っているとのことであり、有効なものである可能性もある。しかし、それが有効だとすれば、支払はコンサル契約、競業避止契約の対価であり、契約関係の存在が支払の条件となる。現在のゴーン氏が、そのような契約関係が考えられる状況ではないことは明らかだ。

 つまり、どう考えても、「役員報酬」を計上する根拠などないのだ。

西川氏らにゴーン氏の「特別背任」を批判する資格があるのか

 役員報酬を計上すれば、日産は、会計上、ゴーン氏への債務の存在を認めることになる。西川氏は、決算発表の会見で、「これを実際に支払うことを決めたわけではない。私としては支払いをする、という結論に至るとは思っていない。」と述べたとのことだが、ゴーン氏は損害賠償債務を認めるわけがないし、実際に裁判上、日産の損害賠償請求が認められるかどうか全く不明だ。しかも、日産側が「支払わない方針」だとしても、役員報酬という債務の存在を明確に認めることで、ゴーン氏に対する債務という「会社にとっての損害」が発生することに変わりはない。十分な根拠もなく、ゴーン氏の役員報酬を計上し、損害を発生させるのは「背任的行為」とも言える。

 「デリバティブの評価損を日産に付け替えただけで、形式上損害が発生し、特別背任が成立する」という「検察の理屈」からすると、支払を凍結したとしても、役員報酬を計上した段階で、ゴーン氏への役員報酬の「未払金」という「損害の発生」は否定できないことになる。

 今回の「役員報酬計上」は、日産CEOの西川廣人社長が最終的に判断したものであることは間違いない。これまで述べてきたように、西川氏は、「直近2年分」の有価証券報告書虚偽記載については、自らがCEOであり、有価証券報告書の真実性について直接責任を負う作成・提出者であり、ゴーン氏・ケリー氏の虚偽記載罪の刑事責任を問うのであれば、本来、西川氏も刑事責任を問われることは避けられない(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

 ところが、ゴーン氏・ケリー氏が、「直近3年分」も含めて起訴されたのに、西川氏は刑事立件すらされていない。検察との「ヤミ取引」で「お目こぼし」をしてもらっている疑いが濃厚だ。

 そうなると、西川氏にとって、検察の意向に従って、或いは、検察の意向を慮り、本来行うべきではないゴーン氏の役員報酬の計上を行う動機は、「自らの刑事責任を免れるため」という「自己の利益を図る目的」で行われたということになる。しかも、西川氏は、前年度でもCEOとして、5億円近くもの役員報酬を得ているのであり、検察の意向に従い、CEOの地位を守ることは、個人的にも大きな利益をもたらす。

 このような西川CEOをトップとする日産経営陣には、特別背任で起訴されているゴーン氏を批判する資格があるのだろうか。

ルノーに「検察の手先」と批判された日産

 この日産第3四半期決算発表の少し前に、2月10日に、フランスのジュルナル・デュ・ディマンシュ(Journal de Dimanche)紙に、【ゴーン事件、日産を非難するルノーの書簡~自動車メーカーの弁護士が日本の調査の「逸脱」を非難】と題する記事が掲載された。

 日本でも、共同通信、産経新聞等の記事で、【ルノー「検察の手先」と日産非難】などと報じられていたが、ジュネーブ在住の和泉純子氏(@junko1958)からジュルナル・デュ・ディマンシュ紙記事の送付を受けた。以下が、その概要の日本語訳だ。→【全文はこちら

推定無罪の原則の尊重とアライアンスの維持のため、ルノーは何週間も沈黙していたが、水面下では日産の行動に対して動いており、二社の関係は緊迫していった。

 本件の発生から2ヶ月後の1月19日、ルノーの弁護士クイン・エマニュエル・アークハート・サリバン(以下、「ルノー弁護士」)から、日産側のレイサムアンドワトキンスの弁護士に、10頁にわたる書簡が送られていた。

 ルノー弁護士はまず、ルノーが十分に早い段階で情報提供も適切な主張もなされなかったことに遺憾の意を示し、数十年間の協力関係を強固にするため2015年に二社が合意したRAMA (Restated Alliance Master Agreement) の精神を妨げるものだと指摘し、ルノーと日産のアライアンス内で不正があったならば、その調査には全面的に協力するとした上で、調査の重大な逸脱を指摘して「日産及び日産の弁護士による内部調査の手法ならびにルノー従業員への対応の仕方についての重大な懸念」を表明した。

 書簡によると、日産とレイサムは二度目の逮捕の後、ルノーに報告することなく、フランスでゴーンに対する告発を補強する要素を探していた。また、「ルノーの書類が存在するかもしれないにもかかわらず」ルノーに知らせず、ゴーンのブラジル、レバノン、オランダのマンションの捜索も試みていた。

 「ルノーは日産とその弁護士が、日本の検察庁によるルノー従業員へのインタビューを得るのに使った手法について、理解し非難するに足る十分な証拠を収集した。」「日産は、ルノー側に許可を求めることなく、ルノー従業員に電話やメールで直接接触した。これはアメリカ、フランス、その他どの国の規範や規則とも相容れない。日産担当者は、検察庁と日産との調整を行っているとして、日産と同取締役会を、検察庁の延長であるかのように思わせた。旅費と東京での宿泊費の支払いまでも申し出た。」と批判した。

 書簡では、裏付けとしてクボヒデアキなる人物とルノー従業員との12月14日から1月3日のメールが引用されている。

 12月14日にクボは西川社長と日産取締役会の責任のもとでゴーンの容疑の内部調査を行っており、東京地検との仲介役と名乗った上で、検察が対面でのインタビューを求めているとして、東京に来てほしいと従業員にメールを送った。

 12月21日、ルノー従業員は、証人として検察庁に力を貸すという原則に反対するつもりはないが、検察からではなく日産から連絡があったことに驚いていると述べた上で、正式な手続きの元、パリでの聴取にならば応じる用意があると返信。

 それに対し、翌12月22日、クボは「国際法の下では、検察庁は外国にいる人々に対し、電話やビデオ会議で直接質問する権限を有さない。その国の主権を侵害することになるからだ。そのため、関係のある会社が関係者を他国から日本へ連れてくることが慣例だ。本調査のために、複数人がすでに来日し、帰国した。」として、再度来日を要請。

12月27日、クボはアプローチを変える。日本とフランスの司法条約を尊重した法的手続に時間がかかることに言及した上で、内部調査員が弁護士同席のもとでビデオ会議による尋問を行うことを提案した。

同日、当該従業員は「公的な法的手続、つまり、日本とフランスの司法共助条約に従いたい。遠隔地からであっても、検察庁の公的な調査の妨げとなる可能性のあることを行なったり参加したりしたくない。ご理解いただけると思う。」と返信。

 同日、クボは「検察の行う犯罪捜査のいかんを問わず、我々日産はコーポレートカバナンスの中で、我々自身の調査を行い、真実を突き止め、適切な対応を行わなければならない。我々が必要とする情報の範囲は必ずしも検察のそれと同じとは限らない。これは我々にとって緊急の事項だ」と聴取を正当化。「他の従業員やCFO含む元幹部も、既に受け入れたか受け入れようとしている。今のところ協力に応じないのはルノーのもう一人の従業員とあなただけだ。…検察はビデオ会議のことを認識しており、検察の捜査の妨げになることを心配する必要はない。」と恫喝に近いメールを送信した。

 2019年1月3日、当該従業員は、条約の規定に従った公式の法的な手続きでないとして、再度インタビューを断る。また、12月27日の依頼内容が、不明確なプロセスであり、最初のメールで言及したものとは異なる問題だと指摘した。

このやり取りを受け、ルノー弁護士は「国際協定の枠組みから外れてルノー従業員にインタビューすることは、フランス法に違反する。」と厳しく批判。1月1日のインタビューを12月31日に知らせたことにも遺憾の意を示した。

 ゴーンの社長辞任から数日後に、ルノー弁護士は、日産に対する不満事項をまとめ、徹底的に攻撃することを決めた。日産がルノーに知らせずに、ルノーアライアンスで働く幹部の報酬を調査したことに驚き、また、日産の役員報酬の方針に深く関与し、日産取締役会で様々な事項の助言を行なっていたレイサムの利益相反を指摘した。

 日産でゴーンの執務を率いていたハリ・ナダも批判の対象だ。ハリ・ナダが1月11日にルノー社長のティエリー・ボロレに対してメールを送り、日産でゴーンに近い立場にいたホセ・ムニョスの辞任を伝え、「ルノーのいかなる社員も幹部も日産あるいはアライアンスに関して話し合うために接触してはならない」と要請したことに触れ、内部通報者の一人とされているナダが本件で日産を代表する立場で長期間関与していることは、調査の動機と客観性に疑問を生じさせるとして、「中立的な事実調査というよりは政治的キャンペーンのようだ」と抗議した。

終始「検察の手先」として動いている日産

 この記事が紹介しているルノーの弁護士の手紙によれば、日産の「クボヒデアキ」氏は、検察の意向を受け、ルノー側の了解を得ることなく、ルノー従業員に連絡をとって、来日して検察の取調べを受けるよう要請し、従業員がそれを拒むと、ビデオ会議で、日産側の弁護士とのインタビューを受けさせようと画策していたというのである。

 そもそも、今回の事件で、ゴーン氏と同時にケリー氏が逮捕された際も、ケリー氏が厳しい腰痛と脊髄の病気を抱えていて手術直前のところを、日産に「どうしてもビデオ会議ではダメな、参加が必須な会議があるから」と騙されて飛行機に乗せられ、日本に着いたところを逮捕された事実を、同氏の夫人が明らかにしている。

 日産は、この時も、「検察の手先」となって、ケリー氏を騙して来日させて逮捕させた。そして、その逮捕事実である「退任後の報酬」についての有価証券報告書虚偽記載の事実での検察の起訴を維持するために、根拠もなくゴーン氏の役員報酬の計上を行って日産に形式上の損害を与え、それと並行して、「検察の手先」となってルノー従業員に検察の聴取を受けさせるために来日させようとしたり、その代わりに日産の弁護士による聴取に応じさせようとしたりしているというのである。

 西川氏ら日産経営陣は、ゴーン氏の逮捕以降、終始「検察の手先」として動いており、もはや、独立した判断を行う会社執行部ではなく、東京地検特捜部“日産分室”と化したと言わざるを得ない。

 このようなやり方が、日産の43%超の株式を持つルノーに対して重大な背信行為であることは明らかであり、このようなことを行いながら、ルノーとのアライアンスについての交渉を行っても、ルノー側が日産の求めに応じることは考えられないし、日産という会社や株主にとって大きな損失につながることは避けられない。

 西川氏は、ゴーン氏による支配・権限の集中を、日産のガバナンス問題だと言い、「ガバナンス改善特別委員会」まで設置した。しかし、では、西川氏の下での日産のガバナンスはどうなのか。今回の「ゴーン氏への未払い役員報酬」の計上による西川氏ら日産経営陣による「会社の私物化」と言うべきではないのか。

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日大「危険タックル」事件、第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか

2018年5月6日に行われたアメリカンフットボール(以下、「アメフト」)の試合で、日本大学の選手が、関西学院大学の選手に、反則行為にあたる危険なタックルをして負傷させた問題。警視庁は、タックルをした男子選手を傷害の疑いで書類送検し、内田正人・前監督と井上奨・元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への指示は認められなかったと判断し、容疑はないとする捜査結果の書類を送付したと報じられている。

警視庁の捜査結果と第三者委員会の調査結果

 2月5日午前の朝日ネット記事は、「捜査関係者による」として、以下のように報じている。

 警視庁は試合映像を入手し、詳細に分析。結果的に関東学生アメフト連盟などの認定との食い違いが約10カ所見つかったという。

 「内田氏が悪質タックルを見ていたのに選手を交代させなかった」と指摘される根拠については、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ていなかったことを確認。コーチ陣がインカム(ヘッドホン)を通じて反則があったことを伝えたのに内田氏が交代させなかったとも指摘されたが、内田氏はそもそもインカムを着けていなかった、としている。

 タックル直後、井上氏の「やりましたね」との発言に内田氏が「おお」と応じたとされる場面も、両氏が視線を合わせていないことなどから、警視庁は内田氏が反則を事前に了解していた事実はないと判断した。

 日大ではこれまでも日常的に使ってきたが、今回のような悪質な反則行為をする選手はいなかったという。井上氏は記者会見で「潰せ」と言ったことは認めたうえで「けがをさせろという意図はなかった」と述べていた。

 さらに、2月6日の朝日朝刊では、警視庁での発表を受けて

 警視庁は関係者計195人への聞き取りをした。捜査1課によれば、関東学生アメフト連盟(関東学連)と日大の第三者委員会の調査は、日大の部員らへの聞き取りなどから両氏の指示があったと認定していたが、この調査に応じた部員の多くが警視庁の調べに「報道を見て(タックルした)選手のためになんとかしなくてはいけない、選手の話に沿うように証言しなくては、と思った」などと説明。指示を直接聞いた人は確認されなかったとしている。

と報じている。

 関東学生アメフト連盟は、昨年5月29日、日大アメフト部の問題に関する調査結果を公表し、5月31日に、日大は、元広島高検検事長の勝丸充啓弁護士を委員長、委員の弁護士7名のうち4名が元検察官という元検察官中心の第三者委員会(正式名称「日本大学アメリカンフットボール部における反則行為に関する第三者委員会」、以下「第三者委」)を設置し、6月29日に中間報告書、7月30日に最終報告書が公表された。

 第三者委では、関係者等に対するヒアリング(延べ約100名)、関係資料の分析、検証(画像解析の外部委託も含む)、関係場所の往査、日大アメフト部部員に対するアンケート調査、他大学アメフト部監督等に対する意見照会などの調査を行った結果として、以下のような事実認定を行っている(中間報告書12頁)

 A選手の説明は全般的に信用できるものと判断し、これを事実認定の基本に据え、他の信用できる関係証拠も総合考慮し、本件一連の反則行為が内田氏や井上氏の指示に基づくものであったこと及び当該指示が相手選手に対する傷害の意図を含むものであったとの認定に至った。他方、これに反する内田氏及び井上氏の説明は、不自然かつ不合理で、信用できる関係証拠とも矛盾することなどから、信用することができない。

 そして、第三者委は、このような事実認定を前提に、以下のように述べて、内田・井上両氏を「断罪」している。

 A選手の行為自体、決して許されるものではないが、それを指示しておきながら、これを否定して不自然・不合理な弁解を重ねるばかりか、A選手との認識のかい離であるとかA選手の勘違いであるなどと責任回避の態度に終始する内田氏、井上氏にはアメフト指導者としての資質が決定的に欠けているといわざるを得ない。

 今回の警視庁の捜査結果では、第三者委で、内田・井上両氏が「反則の指示」をしたと認定し、「断罪」した根拠の大半が否定され、「傷害を負わせる意図はなかった」という正反対の結論となった。なぜ、第三者委の調査と警察の捜査とで正反対の事実認定となったのか。

 前記朝日記事に書かれた警察の捜査結果との比較で第三者委報告書の調査結果を見ると、問題は次の3点に集約できる。

 第1に、「危険タックル」を行ったA選手の「反則タックルを指示された」との供述の信用性を全面的に肯定したこと、第2に、内田・井上両氏の供述の信用性を否定したこと、そして、第3に、選手への指示に関して、「相手方に怪我をさせることの認識」がどの程度であれば違法なのかという問題である。

A選手の供述の信用性の肯定

 第三者委は、以下のように述べて、「内田・井上両氏から精神的重圧を受ける中でルールを逸脱した危険なタックルの指示を受け、それを実行した」とのA選手の供述の信用性を全面的に肯定している(中間報告書12頁)。

 A選手の説明は、本件反則行為に及んだ経緯・状況等について、全体として、他の選手等の関係者の説明等の関係証拠ともよく符合し、内容においても合理的かつ自然で、疑問を差し挟むところは見られない。また、A選手が、自己に不利な内容も含めて詳細な説明をしていること、自ら犯した反則行為の重大性を認識して深く反省し、負傷させたB選手を始め関係者へ強い謝罪の意を表するとともに、自己の責任を自覚し今後アメフトのプレーを断念するとの決意を固めるなど、その姿勢に保身の意識は感じられないこと、自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できることなどから、A選手の説明には基本的に高度の信用性が認められる。

 A選手は、動画がネットで拡散し、その後、テレビ等で繰り返し映し出されている「ルールを逸脱した危険タックル」を行った当事者であり、それによって被害者の関学選手が傷害を負ったことについての直接の責任を負う。それが監督・コーチの指示によるものだったという点については、A選手がパワハラ的環境で追い詰められた精神状態にあったとすると、本人としては、記憶しているとおりに供述していても、監督・コーチの発言内容についての受け止め方が、相手方の真意と異なる可能性もある。

 報告書は、「自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できる」と述べているが、記者会見の中で、自己の「危険タックル」についての反省謝罪の部分についてはそう言えるとしても、監督・コーチの指示によるものだったことについては、自ら記者会見を行ったこと自体が供述の信用性を肯定する理由にはなるわけではない。

内田・井上両氏の供述の信用性の否定

 第2の点、すなわち、内田・井上両氏の弁解の信用性に関して第三者委が重視したのが、「内田氏が本件危険タックルを当該時点で認識しながら、あえてA選手のプレー続行を容認していた事実」の有無であり、それを肯定し、「A選手による危険タックルは内田氏の想定外の行動ではなく、あらかじめ了解していたものと強く推認できる」という結論を導いた。

 この点についての内田氏の認識の根拠としたのが

 内田氏は、その直後、井上氏から、「Aがやりましたね。」と報告を受け、「おお。」と言ってこれに応じている。

という事実だった。しかし、この事実は、警察の捜査で、「この場面で両氏が視線を合わせていない」という理由で否定された。ただし、「視線を合わせていない」だけで、会話があったことを否定する根拠になるのかは、若干疑問だ。

 また、内田氏が本件危険タックルを自身の目で見ていたかどうかについて、第三者委は、

 客観的に検証することは困難であったが、日大チームは本件危険タックルにより15ヤードの罰退を科されているのであって、仮に本件危険タックルを見ていなかったというのなら何が起こったのかを周囲の関係者に尋ねるのが通常と思われるところ、内田氏が当時誰かに確認したような事実は一切見当たらない。だとすれば、内田氏は、当時本件危険タックルを自身の目で見ていたか、少なくともその視界に捉えていたものと認めるのが相当であろう。

としていた。

 しかし、警察の捜査結果では、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ておらず、インカムをつけていなかったために他のコーチからの報告も聞いていなかったとされている。第三者委が指摘している「大音量でアナウンスされていた」かどうか、それによって内田氏が反則の内容を認識していたかどうかの説明はない。内田氏が15ヤード罰退の理由を何によるものだと考えていたのかも、不明だ。

 このように、警察の捜査結果で、内田・井上両氏の供述の信用性についての疑問がすべて解消されたわけではない。

 警察の捜査結果が、消極のほうに傾いたのは、両氏の供述の信用性以外の理由だったと考えることもできる。

スポーツ中の行為への傷害罪のハードルの高さ

 第3の問題は、スポーツの中での相手選手に怪我をさせる行為を傷害罪に問うことのハードルの高さである。

 スポーツの中での選手の行為を傷害等の刑法犯に問われたケースというのはほとんどない。アメフトは、格闘技に近い、選手の体が激しくぶつかり合うスポーツであり、プレーによる負傷の可能性があることを予め了解した上で試合が行われる。もちろん、危険なプレーを禁止するルールがあり、そのルールの範囲内でプレーを行わなければならない。しかし、反則を犯して相手に怪我をさせたとしても、それがただちに傷害罪に当たるわけではない。実際の試合では、反則が行われることも、それによって選手が負傷することは、「想定の範囲内」であり、選手はそれを前提に自分の身を守るしかないことを承知の上で出場しているのである。

 今回のA選手の「危険タックル」は、単なるルール違反からは逸脱したものであり、それを、意図的に行ったとすれば、実行した本人には傷害罪が成立する可能性が高い。そのような危険タックルを行うことについて、内田監督と井上コーチが、実際にA選手が行ったような「単なるルール違反」ではない「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせることを意図し、それを指示したのであれば「傷害の共謀」があったということになる。

 しかし、選手を指導する立場にある監督・コーチが、「危険タックルで相手選手に怪我をさせることを指示する」というのは、「関学アメフト部に対して特別の動機」があれば別だが、通常は考えにくい。基本的に、内田・井上両氏が傷害罪で起訴される可能性は限りなく低いと考えるのが、刑事実務からの常識的な判断であろう。警察の説明は、内田・井上両氏の供述の信用性に関する説明が大部分だが、実質的な理由は、むしろ「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせる意図の立証の困難性にあったのではないか。

 そのような見通しは、元検察官中心の第三者委側でも十分に認識できたはずだ。それにもかかわらず、第三者委の報告書が、内田・井上両氏の傷害罪の認定につながるような証拠評価を行ったことの背景には、第三者委設置当時、この「危険タックル問題」での内田・井上両氏について「有罪バイアス」が働いていたことが影響しているように思える。

第三者委員会への「有罪バイアス」

 アメフトの試合中に、パスを投げ終えて無防備だった関学大選手に背後からタックルするという「危険極まりない異常な反則プレー」の動画が、試合直後からネットで拡散されたことで一気に批判が炎上し、しかも、反則を受けた側(選手の父親や関学大)が、危険タックルを行った日大選手ではなく、日大アメフト部や監督・コーチを批判したことから、日大アメフト部に対する批判が高まった。しかも、その後、反則プレーを行ったA選手が顔を出して謝罪の記者会見を行ったことの「潔さ」が評価される一方、会見で反則指示を全否定した内田・井上氏側の「往生際の悪さ」が対照的にとらえられたことで、批判は、内田・井上氏側に集中することになった。さらに、記者会見での日大の広報担当者と集まった記者との間で口論のようなやり取りがあったことなど、日大側の危機対応の拙さもあって、大学への反発が高まり、日大アメフト部と日大への社会的批判は最高潮に達した。こうした中で、反則指示の有無に関して、両氏に有利な意見・結論が出しづらい状況であった。

 しかも、第三者委設置後の6月11日には、ヒアリングに応じた被害選手の父親が、担当の弁護士の発言を自身のフェイスブックで公表して第三者委の弁護士の中立性に疑問を呈したこと、日本大学教職員組合が「大学側の意向に沿った調査報告書等を出したら、弁護士としてプロフェッションとしての見識が問われることになる」などの意見を発表したことが報じられた。

 このような「有罪バイアス」の高まりの中で、第三者委としては、内田・井上両氏が傷害の意図で危険タックルの反則を指示したことを明確に認定し、両氏を厳しく断罪せざるを得ない状況に追い込まれていったとみることができる。

 今回、警察が、告訴事件を検察庁に送付した段階での捜査結果の公表という異例の措置に踏み切ったのも、有罪視一辺倒の世の中の見方を否定するために、相応の根拠を示す必要があると考えたからであろう。

今後の展開

 今回、警視庁は被害者から告訴されている内田・井上両氏の傷害被疑事件を、A選手とともに検察庁に送付したので、処分は、検察官の判断に委ねられることになる。第2の点に関しては、前記の通り、公表された警察の捜査結果だけではまだ釈然としない点もあるが、捜査した警察が消極判断を示している以上、内田・井上両氏を検察官が起訴することはないと考えてよいであろう。

 問題は、今回の捜査結果の公表によって、今後どのような社会的影響が生じるかである。

 理事を解任され、懲戒解雇された内田氏は、日大を提訴しており、今回の捜査結果は、訴訟に大きな影響を与える。その上、今後、内田氏を「断罪」したマスコミが名誉棄損で訴えられる可能性もある。問題となる報道の大半は、第三者委の報告書が出る前に行われている。この場合、第三者委の報告書は、マスコミ側の報道内容の真実相当性を裏付けるはずだったが、警察の捜査結果がそれに対する「有力な反証」となる。

 また、日大にとっては、「内田・井上両氏が、傷害の意図で反則タックルを指示し、A選手が実行した」との事実を前提に、第三者委員会から提言された原因分析・再発防止策を、今後の対応において、そのまま維持するのかどうかも問題になる。

 第三者委報告書が両氏を厳しく「断罪」した記述が名誉棄損だとして、それを公表した日大と第三者委側が内田・井上両氏から訴えられることもあり得ないわけではない。

 重大な組織の不祥事で信頼が失墜した場合に、信頼回復のための「切り札」とされる「第三者委員会」だが、事案の中身によっては、調査の在り方や報告書の内容について非常に困難な問題が生じ得ることを示していると言えよう。

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小4女児死亡事件、「個人情報」の“法令遵守” が市教委の対応の誤りを招いた

千葉県野田市の小学4年女児(栗原心愛さん)が自宅で死亡し、父親(栗原勇一郎容疑者)が傷害で逮捕された事件に関して、市教委が、女児が父親からの「いじめ」を訴えたアンケートのコピーを栗原容疑者に渡していたことで、厳しい批判を浴びている。

この問題は、市教委が、アンケートの記載内容を「個人情報」ととらえ、個人情報保護に関する法令・条例等の「法令上の判断」に偏りすぎた対応をした結果、女児の生命を守ることができなかったと見ることができる。その意味では、法令に基づく対応、つまり「法令遵守」ではなく、子供の生命を守るという「社会的要請」に応えるための対応に徹するべきだったと言える。

15年程前の2004年、桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センターを設立し、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めて以来、ずっと強調してきたのが、「コンプライアンスを“法令遵守”ではなく“社会的要請に応えること”ととらえなければならない」ということであった。とりわけ、「個人情報保護」に関する「法令遵守」は、人の生命に関わる重大な場面において、「社会的要請に反する事態」を引き起こす。

コンプライアンス研究センターの設置直後に発生した、戦後最大の鉄道事故、福知山線脱線事故の際に起きた「個人情報保護法」の「法令遵守」の事例について、【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書:2007年)で、以下のように述べている。

法令規則の方ばかり見て、その背後にどんな社会的要請があるかということを考えないで対応すると、法令は遵守しているけれども社会的要請には反しているということが生じるわけです。

その典型的な例が、JR福知山線の脱線事故の際に、被害者の家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせたのに対して、医療機関側が個人情報保護法を楯にとって回答を拒絶したという問題です。

個人情報保護法が何のためにあるのかということを考えてみると、その背景には、近年の急速な情報化社会の進展があります。今の社会では、情報は大変な価値があります。それを適切に使えば、個人に非常に大きなメリットをもたらしますが、逆に、個人に関する情報が勝手に他人に転用されたり流用されたりすると、本人にとんでもない損害を与える恐れがあります。ですから、個人情報を大切にし、十分に活用するために、情報が悪用されることを防止する必要があります。そこで、個人情報を取扱う事業者に、情報の管理や保護を求めている、それが個人情報保護法です。

あの脱線事故の際、電車が折り重なってマンションに突っ込んでいる悲惨な事故をテレビで目の当たりにして、自分の肉親が電車の中に閉じ込められているのではないか、病院に担ぎ込まれて苦しんでいるのではないかと心配する家族にとって、肉親の安否情報こそが、あらゆる個人情報の中でも、最も重要で大切なものではないかと思います。ですから、事故後の肉親の安否問い合わせに対して、迅速に、的確に情報を伝えてあげることこそが、個人情報保護法の背後にある社会的要請に応えることだったのです。

しかし、あのとき多くの医療機関の担当者の目の前には「個人情報保護法マニュアル」があったのでしょう。そこには、個人情報に当たる医療情報は他人には回答してはいけないと書いてあったので、その通りに対応し回答を拒絶したのです。担当者には、「法令遵守」ということばかりが頭にあって、法の背後にある社会的要請など見えていなかったのです。

このようにいうと、個人情報保護法に詳しい内閣府の担当者や弁護士さんから、「何条何項但書には、そのような場合には提供してもいいということが書いてある。単なる勉強不足だ。」と言われるかも知れません。しかし、そういう法律の勉強をしていないと適切な判断ができないことなのでしょうか。大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。

本来人間がもっているはずのセンシティビティというものを逆に削いでしまっている、失わせてしまっているのが、今の法令遵守の世界です。

「いじめ」のアンケートでの父親から虐待を受けていた女児の「先生どうにかなりませんか」という“叫び”を、「個人情報」の問題と考えてしまったところに、市教委の対応の根本的な誤りがあった。

1月31日付け朝日記事【「父の恫喝に屈した」市教委がアンケート渡す 小4死亡】や、翌2月1日に野田市が公表したアンケート内容などを総合すると、アンケートのコピーを父親に渡すまでの経過は、以下のように整理できる。

(1)2017年11月6日、(冒頭に「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と書かれている)「いじめ」に関するアンケート調査に、女児が「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と記入し、「父親によるいじめ」を訴える。

(2)女児は、約50日間、児童相談所(以下、「児相」)に一時保護された後、12月27日に両親の元へ返される。

(3)2018年1月12日、父親と母親とが、学校、市教委指導課が今後の対応を話し合った際、父親が、アンケートのコピーを渡すよう強く要求。

(4)それに対して、市教委は「個人情報であり、本人の同意がない」との理由で拒否。

(5)1月15日に、父親と母親が「子供の字で書かれた同意書」を持参して、アンケートのコピーを渡すよう要求。

(6)女児に確認せず、市教委担当課長の判断でコピーを渡す。

(7)アンケートには自筆の書き込み以外に、担任だった女性教諭が聞き取りした「なぐられる10回(こぶし)」「きのうのたたかれたあたま、せなか、首をけられて今もいたい」「口をふさいで、ゆかにおしつける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」といった内容も書き込まれていたが、この教諭の書き込みは消して渡した。

上記朝日記事は、この経過に関して、以下のように述べている。

この頃、学校は保護者への情報開示などを求める念書も要求され、栗原容疑者に渡していた。心愛さんは18日に市内の別の学校に転校。2回あったアンケートでいじめを訴えることはなかった。

矢部課長は「(12日の面会で担当者が)大きな声で恫喝され、威圧的な態度に恐怖を感じ、強い要求に屈してしまった。その後、どのような影響が出るか、心にひっかかりながらも渡してしまった」と話した。

その後、関係機関が参加する2月20日の「要保護児童対策地域協議会」の実務者会議でコピーを渡したことを報告する資料が配られたが、市の担当課も柏児相も特に対応を取らなかった。市や市教委の幹部は事件後に知ったという。市は情報公開条例に違反する恐れがあるとして、関係者を処分する方針だ。

個人情報保護の問題なのか

(3)の父親と母親の女児のアンケート回答の開示要求に対して、市教委の当初の対応は、(4)の「個人情報」を理由に拒否するというものだったが、その拒絶理由に対しては、(5)で両親が「本人の同意書」を持参したために、「個人情報」を理由に拒絶できないと考え、父親にコピーを渡すという(6)の事態に至った。しかも、上記朝日記事によれば、現時点においても、野田市は、市教委の対応が「情報公開条例に違反する恐れがある」と判断しているようだ。

しかし、そもそも、女児のアンケートの記述は、「個人情報保護」の問題なのだろうか。個人情報保護に関する法令上の対応を行おうとしたこと自体が間違いだったのではないか。

アンケートは、学校内での「いじめ」について行われたものであり、一般的には、アンケート中の「いじめ」記載については、その子供の親は、「被害者側の立場」だ。アンケートが目的としている学校内での「いじめ」の問題について、子供の親に対して、子供の回答を見せるよう要求されて拒絶することは、もともと想定されていない。ところが、問題のアンケートの記述は、女児の「父親によるいじめ」を内容とするものであり、父親は加害者の立場だ。「個人情報」だからではなく、そもそも、その女児の記述内容の性格上、父親は、絶対にその事実を開示してはならない相手方だったはずだ。「訴訟を起こす」とまで言って開示を強く要求してきた父親に対して、「個人情報」を理由とする以外に拒絶する理由がないと判断したこと自体が間違っていたというべきだろう。

今回の問題は、アンケートに女児が書いた「父親の虐待」についての「情報」について、それがどのような意味を持ち、どのような方向で活用されるべきものなのか、ということを考えるべきだった。「父親から虐待を受けていることの叫び」としての「情報」を社会としてどのように受け止め、どのように対応すべきなのかという視点から考えるべきだったといえる。それを、個人情報の一般的取扱いに関する「情報の提供や公開」ついての法令・規則に基づいて判断したことに根本的な問題があった。まさに「悪しき“法令遵守”」の最たるものである。市教委としては、アンケートの目的からして、そもそも開示すべきではない情報と判断をして開示を拒絶すべきだった。

児童相談所との関係

しかし、日常的に法令に基づいて業務を行うこととされている市教委という公務員の立場からは、「法令遵守」的対応に陥って、かえって、「社会の要請」に反してしまうということは、官公庁や自治体において、しばしば起きる問題である。児童虐待問題に対して、「社会の要請に応える」という方向での十分な対応が行えなかったことについて、市教委の担当者を一方的に非難批判することが適切とは思えない。

上記朝日の記事に書かれている2月20日の「要保護児童対策地域協議会」の実務者会議で何の意見も出されていないということも、市教委の担当者個人の問題ではないことを示していると言えよう。

そこで重要なことは、(1)のアンケートの自由記述での女児の「いじめの訴え」と、教師が聞き取った虐待の事実が児相に通報され、それによって、(2)の一時保護の措置がとられた時点から、少なくとも、この児童虐待問題は「児相マター」になっているということだ。12月27日に一時保護は解除になっているが、それは児相のどのような判断によるものだったのか。「虐待の危険性が低下した」と判断したのだろうか。しかし、いずれにしても、児相としては、その後も、父親による女児に対する虐待の有無を引き続き注意深く見守っていく必要があったはずだ。

(2)の児相の一時保護のきっかけとなったのは(1)の女児のアンケートへの記述だったわけだが、それが、何らかの事情で父親が知るところとなり、だからこそ、年明けから、父親は(3)の開示要求の行動を起こしたと考えられる。なぜ、アンケートのことが父親に知られてしまったのか。

そして、(3)~(5)に至る父親からの執拗なまでのアンケートの開示要求を、児相は把握していたのだろうか。市教委の側は、コピーを渡す判断をする際に、児相に相談をしなかったのだろうか。上記の「要保護児童対策地域協議会」には、児童相談所の関係者も参加していたのではなかろうか。そこで女児の父親にコピーを渡したことを報告する資料が配られたのに意見が出なかったのは、その時点では、コピーを渡すことが特に問題はなかったとの判断を児相側も共有していたということではないか。

本来、個別の児童虐待への対応に関して専門的な知見を持っているのは児童相談所であり、既に「児相マター」になっている今回の虐待問題については、児相が積極的に対応することが何より重要だったはずだ。市教委の対応に問題がなかったとは決して言えないが、児相の対応と切り離して市教委側の対応に焦点を当てて一方的に非難することが適切とは思えない。

市教委の対応に関しては、公表されたアンケートの内容の中に教師が聞き取った「虐待」の具体的内容が書き込まれていると報じられる一方で、父親にコピーを渡す際に、その部分は消して、女児自身が書いた自由記述だけにして渡したことはほとんど報じられていない。そのため、女児が教師に訴えた虐待内容も含めて、父親に開示したように認識されている。

女児が児相に一時保護された直接の理由となったのは、教師の聞き取りで女児が「虐待」について話したことだったはずだ。その点を隠して開示したというのは、市教委側の一応の配慮と評価する余地もある。教師が聞き取った虐待の具体的事実も含めてアンケートのコピーを渡したかのように誤解される報道は適切ではない。

アンケートのコピーを渡したことの虐待への影響

もう一つ重要なことは、アンケートのコピーを渡したのは、昨年の1月のことであり、女児が死亡したのは1年後の今年1月だということだ。しかも、現時点の父親の逮捕罪名は「傷害」であり、虐待と女児の死亡との因果関係も明らかになっていない。アンケートのコピーを渡したことが、その後、父親の虐待にどのような影響を与えたのかは、現時点では明らかになっていないのである。

コピーを渡す行為が適切ではないとの評価が変わるものではないが、それが重大な結果につながったのかどうかは、逮捕された父親の刑事事件の裁判の中で明らかになることだ。市教委の対応の拙さだけに注目するのではなく、「子供の生命を守る」という社会の要請に応えるために、虐待を受けている子供の叫びを、関係機関がどのように受け止め、どのように連携して対応すべきかを、改めて考えるべきだ。

今回のアンケートのコピーの問題に関して、野田市には、1日800件を超える抗議の電話が殺到していると報じられている。

しかし、今回の市教委の対応は、「法令遵守」による対応で「社会的要請」に反してしまった典型例であり、官公庁、自治体が陥りがちな「コンプライアンスの誤り」と言える。児相等の対応と切り離して、市教委の対応だけに焦点を当てて非難するのは適切ではない。ましてや、市教委の対応によって女児の命が奪われたかのような短絡的なとらえ方をすべきではない。むしろ、今回の問題を、自治体としての取組みを抜本的に見直す契機とすべきだ。

 

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勤労統計不正、「第三者委員会」への無理解が混乱を招いた

 1月22日に、厚生労働省が、「第三者委員会」として設置した「毎月勤労統計調査等に関する特別監察委員会」の調査報告書を公表した時点でYahoo!ニュースにアップした【”報告書公表まで7日間”の「第三者委員会」はありえない】と題する記事で、以下のように指摘した。

 1月16日の委員会の設置の段階では、「調査の中立性や客観性を明確にするため計6人の外部委員で構成する第三者委員会としての特別監察委員会を設置、初会合で根本匠厚労相は、早急な原因究明と再発防止策の策定を委員に要請した。」と報じられていた。また、今回公表された調査報告書にも、「第三者委員会として設置されたものである」と明記されている。

 しかし、この委員会は本当に「第三者委員会」と言える存在であり、初会合で厚労相から独立した委員会としての調査を委嘱されたのだろうか。そうであれば、それ以降は、委員会が主導して「何をどのように調査し、どのように原因究明、再発防止策策定」を行うのかを決定し、委員会の責任において調査を行い、調査結果を取りまとめる、ということでなければならず、いずれにしても、日本の行政組織の信頼そのものを大きく揺るがしかねない今回の問題について、その真の原因を徹底して究明することが必要なのに、「言語道断である」「考えが甘すぎる」「想像力が著しく欠如していた」などという「叱責の言葉」が並び、ありきたりの「見方」が示されているだけだ。調査の結果明らかになった事実に基づく原因分析らしきものは全くない。

 この委員会が、中立性・独立性を持った「第三者委員会」なのであれば、まず、設置の段階で、委員会が調査事項を確認し、調査の方針、調査の手法を議論し、それを調査の実行部隊に指示し、調査結果について逐次報告を受け、その結果に基づいて委員会で原因について議論して、調査結果と原因論を報告書に取りまとめることになるはずであり、これらについて「調査補助者」を活用することは可能だが、いずれにしても、基本的な部分は、委員会が主導して進めていくのが当然である。

 そのような第三者委員会の調査であれば、事実関係のみならず原因究明も含めて、わずか7日間で調査報告書の公表に至るということは絶対にありえない。それを、最初から、わずか7日間の期間で調査報告書を公表する「予定」で、「第三者委員会まがいの委員会」を立ち上げて、ほとんど原因分析も行わず幕引きを図ろうとしたとすれば、そのような厚労省の対応自体が、一つの「不祥事」であり、それを誰がどのように意思決定したのかを問題にすべきだ。そして、今回の勤労統計をめぐる問題について、改めて本物の第三者委員会を立ち上げて、徹底した調査と原因分析を行うべきだ。

 その後、この「特別監察委員会」の調査に関して、調査における事情聴取の多くが、厚労省の職員によって行われており、委員会が直接聴取したのは、対象者37人中12人だけだったこと、委員会による聴取に厚労省の官房長が立ち会っていたことなど、「第三者性」に疑念を生じさせる事実が明らかになっている。

 上記記事で指摘したように、今回の「特別監察委員会」の調査とその結果についての報告書は、その設置と報告書公表の経過から考えて、本来の中立性・独立性を備えた「第三者委員会」とは到底言えないものだったことは間違いない。しかし、ここで、問題を整理する必要があるのは、「第三者委員会」というのは、不祥事の事実解明・原因究明のための手段であり、(1)「特別監察委員会」が「第三者委員会」としての実体を備えたものと言えるかという問題と、(2)今回の勤労統計不正の問題の事実関係やその原因の問題とは区別して考える必要があるということである。

 今回の「特別監査委員会」のメンバーは、もともと自ら聴取を行うことを前提にしているとは思えない。最初から、調査は基本的に厚労省の事務方に委ね、主要な関係者の聴取にだけ委員会メンバーが同席する、という方針だったのであろう。そうであれば、なぜ、設置の段階で、根本匠厚労大臣が、「第三者委員会としての原因究明と再発防止策の策定を委員に要請した」などと明言したのであろうか。それ以降、「第三者委員会」としての調査であることが前提とされ、それと調査の実態とがあまりに乖離していることで、“第三者委員会の偽装”のようにとらえられてしまった。

 最近の中央官庁の不祥事として記憶に新しいのが、一昨年の森友学園に関する「決裁文書改ざん問題」がある。議会制民主主義の根幹を損なう行政機関の国会及び国民に対する裏切りであり、到底許容できない問題であった。それが明らかになった当初から、私は、以下のように指摘していた(【森友文書書き換え問題、国会が調査委員会を設置すべき】)。

 この問題に関しては、客観的な立場から、事案の経緯・背景を解明し、行為者を特定し、なぜ、このようなことが行われたのかについて、詳細に事実を解明することが不可欠であり、犯罪捜査や刑事処罰は中心とされるべきではない。その調査を、今回の問題で著しく信頼を失墜した財務省自身が行っても、調査結果が信頼されることはないだろう。独立かつ中立の立場から信頼できる調査を行い得る「第三者による調査」の体制を早急に構築することが必要である。そして、その調査体制の構築も、当事者の財務省に行わせるべきではない。今回の問題の性格・重大性に鑑みると、「書き換えられた決裁文書」の提出を受けた「被害者」とも言える「国会」が主導的な立場で調査を行うべきであり、福島原発事故の際に国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」のような、国会での国政調査の一環と位置付けるべきだ。

 しかし、実際にはどうであったのか。

 財務省は、「第三者委員会」どころか、外部者を含めた調査を全く行わず、検察当局の不起訴処分直後に極めて抽象的で曖昧な内容内部調査結果を公表しただけだった。だが、「第三者委員会」を設置しなかったことに対する批判はほとんどなかった。そして、内部調査である以上、その結果に責任を持つのは、財務省のトップの麻生太郎財務大臣だが、調査結果の公表の際、「改ざんの動機」を質問された麻生大臣は、「それがわかれば苦労しない」などと開き直った。

 このような財務省の「決裁文書改ざん問題」への対応と比較すれば、今回の厚労省の対応は、はるかに“まし”と言えるだろう。厚労省にとっては、最初から、監察チームによる徹底した内部調査を行い、その調査手法、調査結果等について、厚労大臣の諮問機関としての外部者で構成される委員会に検証してもらう。また、その意見を踏まえ、さらなる調査と原因究明を行うという選択肢もあったはずだ。

 そういう意味では、問題の重大性から調査の「第三者性」にこだわった根本大臣の姿勢は、決裁文書改ざん問題における麻生財務大臣の対応より、はるかに真面目だったと言える。しかし、最大の問題は、根本大臣が、「第三者委員会」というものの意味を十分に理解しないまま、「特別監察委員会」の調査について、「第三者委員会による調査、原因究明、再発防止」と表現したことにある。調査報告書の公表後も、国会で、国民民主党大串議員から、調査結果について誰が最終責任を負うのかと質問されて、「調査結果については第三者委員会が責任を負う」と答弁し、責任の所在についても「第三者委員会」を強調してしまった。それによって、調査の実態が「第三者委員会」というレッテルとは大きく乖離していたということで野党やマスコミの激しい追及を受け、調査の枠組み関する問題に議論が集中したため、統計不正の事実関係とその原因や、今後の再発防止策という重要な点に議論がなかなか進まない現状を招いている。

 官公庁、企業を問わず、組織の重大な不祥事対応において「第三者委員会」の設置が検討されるが、実際には、第三者委員会をめぐって、様々な問題が起きていることも事実であり、今回の厚労省の問題も「第三者委員会の失敗事例」と言ってよいであろう。

 「第三者委員会」を設置することについては、設置することがどのような意味を持ち、それがどのような効果等をもたらすのか十分に認識理解した上で判断を行う必要がある。そのために、「第三者委員会」についての基本的な理解と適切な活用方策について述べたのが、昨年出した長文ブログ記事【企業を蝕む「第三者委員会」の“病理” ~横行する「第三者委員会ビジネス」】である。そこで前提として書いている「第三者委員会の基本論」を踏まえた対応が行われていれば、厚労省がこれ程までの混乱に陥ることもなかったのではなかろうか。

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世耕大臣のダボス会議での「人質司法」擁護“失言”を、朝日はなぜ削除したのか

ダボス会議に出席した世耕弘成経済産業大臣が、1月23日、「日本に関する討論会」の場で、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が特別背任などの罪で起訴された事件で日本の刑事司法制度に批判が出ていることに関して、「各国の司法制度は歴史上の成り立ちがそれぞれ違う。その一部を切り取ってその国の司法制度が正しいか間違っているかという議論はフェアではないと思う」と述べた上、「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできないが、米国や欧州、多くの国々はあらゆる犯罪に関して通信傍受ができる」と述べたと朝日新聞が報じた(1月24日09時44分配信ネット記事)。

この中の「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできない」との発言に対して、趙誠峰弁護士が

これは事実に反する。嘘。平成28年刑訴法改正によって通信傍受は詐欺などにも拡大され、およそテロとは無縁の事件でも「現に」通信傍受が行われている。いますぐ発言を訂正すべき

とツイートするなど、SNS上で批判の声が上がった。すると、その直後、同記事から、通信傍受に関する記述がすべて削除された。

趙弁護士は、その事実を指摘し、「誤った発言部分がカットされていることは、これはこれで大問題ではないか。どういう経緯で記事の内容を変えたのか朝日新聞ははっきりするべきではないか」とツイートしている。

安倍首相も含む各国の首脳、要人が出席し、海外のメディアも注目する「ダボス会議」という国際会議での「日本に関するセッション」の場で、現職の経産大臣が、日本の「人質司法」を擁護するかのような発言を行い、しかも、明らかに誤った発言をしたとすると、極めて重大な問題だ。

通信傍受についての明らかに誤った発言

まず、世耕氏の「通信傍受に関する発言」が、ダボス会議の場で本当に行われたのか否かが問題になるが、記事の掲載と削除の経緯からすると、あったと考えざるを得ない。

世耕氏が、当該発言をしていなかったのに発言したかのように誤って報じたというのであれば、現職閣僚の発言についての朝日新聞の誤報だったということになり、明示的に訂正するのが当然である。訂正がないということは、世耕大臣の発言はあったが、何らかの事情で削除したということしか考えられない。念のため、朝日新聞の「お客様オフィス」に問い合わせたが、「世耕大臣の発言はあったと考えてもらって差し支えない」とのことであった。

そして、世耕氏が「日本の通信傍受の対象犯罪は大規模なテロのような犯罪に限られている」と発言したとすれば、その内容は、明らかに誤っている。

日本における「通信傍受」は、2000年に施行された通信傍受法で、対象犯罪が、薬物・銃器・集団密航・組織的殺人の4類型に限られていたが、もともと、「大規模なテロのような犯罪」に限られていたわけではない。しかも、2016年12月施行の刑事訴訟法改正に伴う通信傍受法の改正により、対象犯罪が爆発物使用・殺人・傷害・放火・誘拐・逮捕監禁・詐欺・窃盗・児童ポルノの9類型に拡大されており、現在では、詐欺・窃盗などの財産犯も含まれている。

しかも、世耕氏は、第1次安倍内閣発足と同時に内閣官房副長官に就任し、刑訴法改正と併せて通信傍受法改正案が成立した2016年5月も、官房副長官の地位にあった。なぜ通信傍受の対象犯罪が「大規模なテロのような犯罪に限られている」などという誤った認識を持っているのかも極めて不可解である。

問題は、その世耕発言が、どのような趣旨で行われたものなのかである。当初の朝日新聞の記事も、世耕氏の発言の要点を伝えたものであり、発言全体がどのような趣旨だったのかは不明だが、少なくとも、世耕氏が、ゴーン氏の事件で問題にされている日本の刑事司法制度に対する海外の批判に関して発言したこと、それが、犯罪事実を認めない限り保釈が許可されず身柄拘束が続く「人質司法」への批判を強く意識したものであったことは間違いないと考えられる。

世耕氏は、なぜ、「人質司法」に対する海外からの批判への反論で、通信傍受のことを持ち出したのだろうか。

ゴーン氏の事件に関して海外から批判されている「人質司法」というのは、ゴーン氏の事件のような、凶悪事件ではない経済犯罪においても、犯罪事実を否認し、無罪主張をしている被告人については、「罪証隠滅のおそれがある」との理由で保釈が認められず身柄拘束が長期化する現実のことである。それは、「推定無罪の原則」を軽視し、長期の身柄拘束を、自白獲得・無罪主張の封じ込めに使う検察と、それを容認してきた裁判所の姿勢の問題である。(高野隆氏【人質司法の原因と対策】)

一方、「通信傍受」は、捜査機関が裁判所の令状を得て行う捜査手段であり、その対象をどの範囲の犯罪に認めるかは、保釈を認めない理由の「罪証隠滅のおそれ」とは凡そ関連性がない問題だ。

世耕氏の発言の趣旨が、仮に、「日本では、捜査機関に通信傍受が許される範囲が狭いから、通信手段による罪証隠滅が行われることが防止できない。だから否認している被告人の保釈が認められないことも合理性がある。」というものだとすると、全く見当違いも甚だしい。

それどころか、「人質司法」の解消のためには、捜査機関にさらに広範囲に通信傍受を認めるべきという恐ろしい発想につながりかねないのであり、現職閣僚がそういう考えを持っていること自体が重大な問題だ。

いずれにせよ、朝日新聞の報道によれば、日本の経産大臣が、国際会議の場で、経産省の所管外の刑事司法制度に関する発言をし、その内容に重大な誤りがあった可能性が高いのであるから、その発言全体がどのようなものであったのかを明らかにすべきである。その上で、世耕氏が、説明責任を果たすことが不可欠だ。

現職経産大臣の発言の影響

次に問題となるのは、世耕氏の発言の影響である。

「ダボス会議」は、ジュネーヴに本部を置く独立した国際機関「世界経済フォーラム」の年次総会であり、政府間の公式会議ではないが、知識人やジャーナリスト、多国籍企業経営者や国際的な政治指導者などのトップリーダーが一堂に会し、世界が直面する重大な問題について議論する場であり、そこでの発言は、国内外のメディアから注目されている。

ゴーン氏の事件では、日産の西川社長らが、社内調査で把握したゴーン氏の不正事実を検察に持ち込み、ゴーン氏が逮捕され、出席できなかった取締役会でゴーン氏を代表取締役会長職から解職したという、企業ガバナンスという面からは本来許されないやり方で経営トップを交代に追い込んだ。その背景には、日産と、その大株主でフランス政府が筆頭株主のルノーとの経営統合をめぐる争いがあったとも言われている。

ゴーン氏が逮捕・起訴されても、フランスのルノーの側では、「推定無罪の原則」を重視し、ゴーン氏を会長職にとどめていたが、身柄拘束が長期化し、解消される見通しが立たないことから、とうとうゴーン氏は、ルノーの会長職辞任に追い込まれた。

そのような事態を招いた、「長期の身柄拘束の解消の目途が立たない」という現実が、日本の「人質司法」によるものだと海外から批判されているのである。日本の有力な自動車メーカーである日産の経営に関わりを持つ経産省にとって、「人質司法」に対する国際的批判は他人事ではない。

そうした中で、司法制度については所管外の経産大臣が、海外のメディアも多数取材しているダボス会議の「日本に関する討論会」の場で、日本の「人質司法」を擁護し、海外からの批判に反論するかのような発言を「敢えて」行い、しかも、その発言が「明らかに誤っていた」ということになると、国際社会に対して、日本の刑事司法への重大な誤解を与えることになる。そればかりか、今後、日産とルノーとの関係にも関わりを持つ可能性のある日本の経産省のトップが、日本の刑事司法制度の現状について基本的な理解を欠いていたことを露呈することになり、今後、日産とルノーをめぐる問題への経産省の対応にも重大な悪影響を及ぼしかねない。

世耕発言の該当部分が削除されたのはなぜか

もう一つの重大な問題は、一度ネット記事で掲載した世耕大臣のダボス会議での発言を、誤りが指摘された後に、何の断りもなく削除したのは、いかなる事情によるものなのか、という点である。

新聞紙面の記事と異なり、ネット記事は、修正や削除が容易にできる。誤った事項があった場合に、訂正を明示することなく、修正・削除が行われることもある。しかし、今回のネット記事は、現職閣僚の、国際的な会議の場での発言に関するものだ。それに対して読者から批判の声が上がっているのに、何の断りもなく一部削除することは許されない。発言の内容が実際の発言と異なっていたのであれば、明示的に訂正するのが当然だ。もし、記事に掲載した世耕氏の発言が日本の刑事司法制度に関する誤った発言であることが分かったのであれば、発言に関する記事はそのままにして、発言が誤っていたことを別途指摘すべきだ。

ネット上での誤りの指摘を受け、その発言を削除したとすれば、朝日新聞は、現職有力閣僚がダボス会議で行った誤った発言の「隠ぺい」を行ったことになる。

森友・加計問題で安倍政権を徹底追及し、激しく対立してきた朝日新聞である。安倍政権の中枢を担う現職閣僚と不透明な関係を疑われないよう、ネット記事から世耕氏の発言に関する記述の一部を削除した経緯と理由を明らかにすべきだ。

世耕氏はどう対応すべきか

世耕氏は、まず、ダボス会議の「日本に関する討論会」において、日本の刑事司法に関してどのような発言をしたのか、全体を公表すべきである。そして、同発言中に、誤った発言があったのであれば、海外メディア等に対して速やかに訂正し、日本の通信傍受について正しい理解が得られるように措置を講じるべきだ。

その上で、その発言の趣旨、「人質司法」など日本の刑事司法制度に対する海外からの批判への反論の中で、なぜ「通信傍受」の話を持ち出したのかについても明確に説明すべきだ。

ダボス会議での「通信傍受」に関する“失言”は、日本の有力自動車メーカー日産とフランスのルノーとの経営統合問題にも影響を及ぼす可能性があるばかりでなく、刑事司法制度に対する日本政府の姿勢自体にも疑念を生じかねない。世耕氏は、現職経産大臣として十分に説明責任を果たすべきだ。

 

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情報システムの世界に甚大な悪影響を与えかねない“国循事件”の展開

昨年8月の控訴趣意書提出直後、【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で概要を紹介した「国立循環器病研究センター事件」の控訴審第1回公判が、昨日(1月24日)大阪高裁で開かれた。

この事件では、2年に及ぶ審理の末、昨年3月に出た一審有罪判決に対して桑田成規氏が控訴し、私は7月に弁護人を受任、主任弁護人として、控訴趣意書作成・提出等の弁護活動の中心となってきた。

日産自動車で、西川廣人社長らの「クーデター」に加担して、万年赤字からV字回復させて倒産の危機から救ったカルロス・ゴーン氏を逮捕・起訴し、暴走捜査の末、「人質司法」の身柄拘束を続ける東京地検特捜部。一方、「証拠改ざん等の不祥事による信頼失墜からの名誉回復」という邪な動機で「国循事件」の捜査に着手し、医療情報システムの世界に多大な貢献をした桑田氏を逮捕・起訴し、医療情報部長から引きずり下ろした大阪地検特捜部、共通するのは、不祥事からの信頼回復のための「検察改革」で強調された「引き返す勇気」などというのが微塵もないということだ。今や、東京、大阪の特捜部の幹部の頭の中からは、そのような言葉は、完全に消えてなくなってしまっているようだ。

昨日の控訴審第1回公判では、控訴審に対応する大阪高検の検察官の対応が緩慢で、凡そ当事者意識が感じられないことから、口頭で求釈明し、公判廷で厳しく追及しようとした。しかし、検察官は、何も答えようとせず、「近く人事異動で担当検察官が交替するので、いつ答えられるかもわからない」と抜け抜けと言い放つ。裁判所は、そのような検察官の対応に特に不快感を示すでもなく、法廷には、何とも言えない「まるっとした雰囲気」が漂う。次の検察官の書面提出期限は3月15日、次回公判期日は、4月16日に指定された。

検察の不当な主張を「丸呑み」した一審有罪判決が、万が一「司法判断」として確定すれば、情報システムの世界に甚大な悪影響を与え、社会的害悪を生じさせかねない。

私は、ゴーン氏事件については、外部から「事件の形」で特捜捜査を批判してきたが、「国循事件」では、主任弁護人として、真剣勝負で「刑事公判での検察との戦い」に臨んでいる。「刑事公判での戦い」をできるだけ表に出し、この事件で、大阪地検特捜部が行ったこと、そして、その後の検察に、いかに「不祥事の反省」がないかということを、世に問い続けていこうと思う。

まず、昨日、公判後に大阪司法クラブで、桑田氏と弁護団が行った記者会見の模様を、以下に紹介する。

また、控訴趣意書を匿名化して私の事務所のHPにアップしたのでお読みいただきたい。⇒【国循事件控訴趣意書】

 

国循事件記者会見の内容

(2019年1月24日 15時~15時30分,大阪地方裁判所司法記者クラブ)

【冒頭説明】

(郷原)

主任弁護人の郷原です。今日,桑田さんの控訴審の第1回の公判が開かれました。控訴審ということで,公判の場では,なにが起きているかよくわからないと思いますので,こういう形でご説明した方がよいと思った次第です。最初に桑田さんの方から一言お話をいただきたいと思います。

(桑田)

昨年3月に第1審の判決を得まして,結果としては有罪判決となってしまったわけですけれども,今回,それが不当な判決であると思い,控訴いたしました。詳しい趣旨については,後ほど,主任弁護人の郷原先生からお話がありますが,私の気持ちといたしましては,この事件の問題は,私個人の名誉の問題ではなく,むしろ,医療情報システム,つまり病院の中で動いているコンピュータシステムの発注に関して,業界で通常行われていることや,行わなくてはならないようなことに至るまで,全く裁判所に理解されなかったという点を,是非,正さなければならないというところにあります。とくに,国循のような先端医療を担う施設においては,その情報システムも当然に高度なものであるべきであって,そのために必要な発注をしているという,ただそれだけであるにもかかわらず,それが罪に問われた。しかも,その背景となる入札制度や関連法規について,十分に検討されないままに判決が出されてしまった,というところに大変憤りを感じています。

(郷原)

私は,この控訴審から,桑田さんの弁護を引き受けることにしました。私自身,これまでも検察と全面的に戦う事件の弁護を担当してきましたが,桑田さんの事件も,検察,しかも特捜部の事件で,弁護人として検察と戦うべき事件であると考えましたし,今,桑田さんがいわれたように,この事件はその判決結果が,医療情報システムのみならず,情報システムの発注全体にも関わる非常に社会的影響の大きい事件であると考えました。それだけに,この事件には,控訴審からですけれども,私なりに全力で取り組んできたつもりです。

1審では審議にかなり長い時間がかかったので,記者の方々も,最初の段階のことはあまりご存じないと思います。この事件は,大まかな流れで言うと,明らかに,大阪地検特捜部は贈収賄のような事件を狙って,まさに今回当事者になったD社と桑田さんとの間の「癒着のようなもの」を刑事事件にしようという考えで,強制捜査に入ったことはほぼ間違いないと思います。なぜ彼らがそういう見方をしたのかといえば,おそらくその背景には,桑田さんは,前任の鳥取大学医学部の病院で,電子カルテの導入という難しい仕事を成し遂げて大きな成果を上げ,非常に期待されて国循の医療情報部長になった人です。桑田さんとしては,できるだけ合理的,経済的に病院の情報システムの発注をしようと考えて,それまでずっと国循で業務を受注していた企業による,情報システムの「独占状態」をなんとかしたいという思いを持ち,新規参入業者にもその情報システムの入札に参加させ,対等な条件で受注競争ができるようにということを考えてやったことが,結果的に,それまでずっとその業務を独占していた会社の側から快く思われなかった,あるいは,それまで国循内部で情報システムの発注を担当していた,いってみれば「ぬるま湯に浸かっていた」人にも快く思われなかった。このようなことが背景となって,いわゆる癒着のようなものが,あたかも事件であるような認識で,大阪地検特捜部が捜査に入ったのではないかと思われます。

しかし,実際に調べてみると,そういう癒着・腐敗というような事実はなにもなく,ましてや刑事事件になるようなものはなにもなかったわけです。以前,大阪地検の証拠改ざんなどの不祥事があったときに,私も検察のあり方委員会に加わって色々議論しましたけれども,本来ならば,あのとき検察が言っていたような「引き返す勇気」というのを彼らがしっかり持って,引き返さないといけない事件だったと思うのですが,大阪地検特捜部は,いったん取りかかった以上はなにがなんでも刑事事件にするというような方向で,結局,桑田さんを,いわゆる官製談合防止法違反で逮捕するということに至ったわけです。

今回,起訴された事実は,大まかにいうと3つあります。

1つ目は,初年度の入札での情報提供の問題です。企業が,情報システムの運用保守の受注を狙って入札に加わろうと思うと,どういう体制でその業務を行うのかがわからないと,なかなか適切に費用の積算ができないのです。その点,既存業者は,当然よくわかっているのだけれども,新規参入業者にはまったくわからない。そこで,競争条件を対等にするためには,新規参入業者も含めて適切にそのような情報を提供しないといけないということで,桑田さんは情報提供をした。これは,ちょっとした間違いがあった可能性もあるのですけれども,結果的に,本来,公式に提供しないといけない情報を,非公式に提供してしまったということがあった。この点は,若干,問題があったということは否定できない。ところが,この事件では,それまでその業務を受注していたN社が入札参加に当たって国循に提出していた情報を,桑田さんが意図的に新規参入業者であるD社に提供したと捉えられてしまった。それは桑田さんの認識と全く反していたのですが,そこが1審では最大の争点になってしまったのです。ただ,本当は,この事件で争うべき重要な点はそこではありませんでした。

2つ目は,翌年度の入札での仕様設定の問題です。桑田さんが着任後にその業務を受注したD社が,翌年,また同じ業務を受注するのですけれども,そのときに桑田さんが設定した入札の仕様について,桑田さんがD社に特に有利な設定を意図的にしたと言われた。

3つ目は,「お付き合い入札」の問題です。次の入札をするときに,D社以外に受注意欲をもった業者がいなかった。そのままだと,1社のみ参加する入札(1者応札)となってしまう。国循の契約係,つまり契約の担当者というのは,1者応札を非常に嫌うのです。1者応札というのは,後々,契約監視委員会などで問題にされることがあるので,そこで,契約係は,できるだけ1者応札にならないようにしたいということで,全然受注意欲のない会社にお付き合いで入札に参加してもらったということがあり,そこに桑田さんが関わったかどうかということが問題になったのです。

大まかにいうと,以上のことがこの事件の中で問題になったのですが,ここで適用された,いわゆる官製談合防止法というのは,比較的最近になって罰則が強化された法律で,ほとんどこれまでこういう事例に対して適用されたことがない法律なのです。今日も,官製談合防止法違反の疑いで,大阪地検特捜部が大阪市役所に捜索を行っていると報じられていましたけれども,今までこういうようなタイプの事件で問題になってきたのは,予定価格を漏らしたとか,最低制限価格を漏らしたとか,価格の漏示なのです。ところが,今回の事件はそうではなくて,入札におけるやり方,仕様の設定とか,そういう情報の提供とか,まさに入札に対応する行為の根幹部分のところが,特定の業者に有利なように便宜を図ったという疑いで法適用がなされたということなのです。

しかし,これについては,特定の業者に便宜を図る目的ではなくて,公正な競争の条件を作り,そして,国循という組織の医療情報システムの発注を少しでも経済的・効率的に,いいものを作ってもらおうと思った,と桑田さんは一貫して主張しているわけです。ただ,そういう複雑な情報システムの発注をめぐる問題であるということと,法律解釈が非常に微妙な問題であるということから,1審ではなかなか争点がうまく整理されないまま,結局,さきほど言った,その前年までずっと受注していたN社の「秘密」である体制表を,意図的にD社に提供したのかどうか,そういう認識を持っていたのかどうか,というところだけが主たる争点として取り上げられました。その部分について,桑田さんに不利な証拠がそろえられていたことから,1審では有罪認定してしまった。それで,残念ながら,最大の争点が有罪となってしまったために,他の点もあたかも桑田さんがその業者が有利になるように計らったかのような捉えられ方をされてしまったというのが1審の経過でした。

控訴審では,そこのところを少し整理して,情報システムの発注と法適用についてなにが重要なのかというところを改めて検討しなおして,控訴趣意書としての主張を組み立て直しました。ここでは,その中で,今日の第1回の審理で一番言いたかったことについて少しお話しておきます。

桑田さんが問題にされた行為,すなわち情報提供の問題や仕様設定の問題については,そもそもそのような問題が生じないようにする手続きがあるのです。大型の発注,とくに情報システムの発注については,意見招請という手続きをやりなさい,ということが国際協定で義務づけられているのです。どういうことかというと,入札公告前に,その仕様設定などの入札条件について,意見がある人は出してください,質問があればしてください,という手続きなのです。そういうことをやらないと,なかなかこういう情報システムの発注で公平な入札の条件が作れないからなのです。これは国際協定上,絶対に不可欠なものなのです。

ところが,国循では,桑田さんが着任するまで,長年,N社が独占している状態で,その手続きを全くとっていなかった。契約担当者が勝手に決めた入札の条件,仕様でやっていたのです。これについて,1審では,京都大学や大阪大学の医療情報部の教授,この分野の最先端の先生たちが証言に立ち,「ありえないことだ」「信じられないことだ」と言っています。まず,この事件は,そこに根本的な問題があるのです。これが正しく行われていたら,そもそも桑田さんが業者に情報提供をする必要がなかった。仕様の設定についても,桑田さんが必要だと考えて設定した仕様に,もし問題があるのだったら,当然,意見招請の手続きのなかで客観的な検討が行われていたはずです。ということで,本来,その手続きが取られていなかったことが問題なのではないかということを,1審から弁護団は強く主張してきたのです。

ところが,非常に不可解なことに,この意見招請の手続きが本来必要であったのに,それが取られなかったということを,検察は,捜査のなかで隠そうとしたとしか思えない経過があったのです。意図的に調書から除外をしたり,証人尋問のときに,意見招請の手続きが必要だったということをあえて証言させなかったり,というようなことがあり,1審では,これは検察の隠蔽に重大な問題がある,さらに,そもそもこの意見招請の手続きがなかったこと自体が問題で,だから,桑田さんには犯罪が成立しないのだという主張までしたのです。ところが,それに対して検察官は,弁護人が最も強くした主張であるにもかかわらず,論告でまったく触れませんでした。無視です。そして,論告で一切触れられていないのに,なぜか裁判所は,その犯罪の成立が否定されるという主張も,隠蔽という主張も,ごくごく簡単な理由で排斥したのです。

その点を,我々は控訴審の段階で再検討しました。専門家の意見によれば,意見招請の手続きがないということだけで,犯罪の成立が完全に否定されるかというと,その手続きがなくても,まだ若干の公正さという部分が残っているといえるので,犯罪の成立がまったく否定されるとまではいえない。よって,控訴審では,そのような主張ではなく,そのことがわかっていたら,そもそも,桑田さんの行為が犯罪として摘発され起訴されるなんてことはありえない,検察官はそういう重要なことを完全に見過ごして,そして逆に隠すような形でこの事件を起訴したのだというところに,起訴の手続きに重大な問題がある,だからその起訴の手続きの違法を理由に公訴を棄却すべきであったのにしなかった点に,原判決には訴訟手続きの法令違反があるという主張をしました。それと同時に,桑田さんについては,完全に無罪というのではなくて,犯罪の成立が否定できない部分が若干あるとしても,これはあまりに軽微で,検察官がこんなものを起訴したこと自体が重大な問題なのだ,やはりこの意見招請の手続きが欠けていたことが重大な問題なのだということを強く主張しています。

ところが,それについて検察官は,答弁書でどういう主張をしたのかというと,1審判決の表現をそのまま引用しただけで,こちらの主張に対しては全く答えていない。そこで,なぜ検察官は,この意見招請の問題について,検察官としての自分たちの意見を言わないのだということを,今回改めて意見書で釈明を求めたわけです。ところがそれに対しても検察官は無視,全くなにも言ってこない。ここまでくると,検察にはこの点についてなにか不都合が事由でもあるのかと考えざるをえません。

ということで,今日,法廷で,口頭で釈明をしようとしましたが,検察官が釈明せず,口頭では求釈明できなかったのですが,そこで,まず聞きたかったのはこの点だったのです。意見招請の手続きが欠けていたことについて,なぜ検察官はここまで沈黙するのか。なぜ認否をしないのか。その点について重大な問題があったということであれば,桑田さんは本来起訴すべきではなかった。犯罪の成立が完全には否定できない部分があるとしても,当然,起訴猶予にすべきであったという理由にもなりますから,絶対に無視できない事由のはずです。そこのところは,控訴審でも強く言いたいところです。

結論としては,1審と少し違うのは,第1事実については,犯罪の成立を完全に否定まではできないかもしれないが,少なくとも起訴するような事実ではないということで,本来,起訴手続き自体に重大な違法があり,公訴棄却すべきであったと主張していることです。ですから,1審の無罪の主張と実質的にはほぼ変わりませんけれども,控訴審では,無罪プラス公訴棄却,いずれにしても桑田さんは処罰すべきではない,一切処罰されるようなことをやったわけではないという主張であることには変わりありません。

検察が桑田さんを逮捕し起訴したというのは本当に不当極まりないものだと思いますが,もう一つの大きな問題は,1審判決では,必要不可欠なものしか仕様の設定をしてはいけないという判断をしていることです。仕様の設定というのは,本来,いろいろなレベルがあるわけです。必要があれば,この建物には,この施設にはこのぐらいのものが必要だということを考えて,それを工事の発注で仕様にすることは,本来,担当者の裁量のはずです。情報システムだってそうです。どのぐらいのものを要求するのか,予算の範囲内でどこまでのものを要求するのかは,担当者が判断できるはずです。ところがそれを,不可欠なもの,最低限のものでないと設定してはいけないということを1審判決は言っているわけです。もしそういう一般論が司法判断として確定してしまったら,もう情報システムの発注はまともにできなくなってしまうのではないかということが強く懸念されるところです。

私の説明は以上です。

【主な質疑応答】

(記者)

本日法廷であった,証拠の同意,不同意の内容について簡単に教えてください。

(郷原)

控訴審で,弁護人として一番重要な証拠として提出したのが,上智大学の楠茂樹教授の意見書です。楠教授は公共調達法制の数少ない専門家で,第一人者です。公共調達制度の国際比較や,日本の公共調達法制の歴史といった著書もありますし,入札監視委員会の委員長などの実務経験も豊富です。そこで,その楠意見書を証拠請求したところ,当初,検察官は,不同意と言ってきたのです。こちらは,意見書には客観的には間違いない部分もあるのだから,全部不同意はないだろう,検察官と意見の違うところだけを特定してほしい,ということを言ったのです。そうしたら,結局,今回出してきた検察官の意見書で,楠意見書に同意したうえで,その内容的な部分の全部について信用性を争うというのです。楠教授には,一部,検察官が納得しないところがあるようだから,証人尋問に応じてほしいということを事前に依頼していたのです。そうしたら,検察官は意見書の信用性を争う,と,なにか嘘を書いているようなことをいうわけです。これはとんでもない,失礼極まりない話だということを言いたかったのです。だから,信用性を争うということの趣旨を明確にしてほしいと。検察官は,意見書のどの部分を争いたいのか明らかにすべきだと思います。

(記者)

本件とは別なのですが,徳島大学の事件に飛び火したのですよね。これはD社にこの件で捜索に入ったら,たまたまそういう証拠が手に入ったということなのでしょうか。その件では,徳島大学の先生とD社との,いわゆる汚職が認められたけれども,本件とはまったく関係ない話ということですか。

(郷原)

D社の方が賄賂攻勢をしたわけではなくて,むこうから要求された要求型の贈収賄なのです。だから決してD社の営業が問題なわけでもなんでもないのです。ところが,検察はそれを一緒にしてしまって,国循でもそのようなやり方をとったという疑いを持っていたのだと思います。たまたま徳島大学ではそういうことがあって,要求されて賄賂を渡したということがあったから,そちらを先にやったということだと思います。

(記者)

楠先生の意見書とは,簡単にいうと,どんなことが書いてあるのでしょうか。

(郷原)

まず,意見招請の手続きがいかに重要なのかということを非常に明確に言っています。しかし,その手続きが欠けていたら,直ちに,入札の公正を害すべき行為がすべて無罪になるのか,つまり犯罪の成立が否定されるのかというと,そうではないけども,少なくとも,犯罪の成立に影響を及ぼす重要な事実であるということを明確に言っています。

次に,さきほどの仕様の設定の問題です。不可欠性を絶対要件にすることは考えられないと。すくなくとも発注者には適切に仕様を設定する裁量権・判断権がある。その合理性が問題なのであって,不可欠なもの,最低限のものしか仕様の設定ができないということになったら,入札というのは成り立たないということも,明確に言っています。

さらに「お付き合い入札」について,本件では,もともと競争がない状態で,競争の「外形」を作るだけであって,これは入札の公正を害すべき行為には当たらないというのが楠教授の意見です。これが,たとえば,自治体でよく事件になる,昔からあるタイプの不正ですと,市長とか自治体の幹部が,指名競争入札で受注意欲のない業者だけを指名して,特定の会社に受注させるようなことがあります。この例も,なんとなく「お付き合い入札」みたいに見えるけれども,これは付き合わせることによってメンバーセットして,受注意欲のある業者を排除しているのですから,それはもう完全に競争に影響を及ぼしているのですが,もともと他に受注意欲のある業者がない本件とは異なります。

以上のことから,楠先生の意見書を全面的に前提にすると,ほぼ控訴趣意書で我々が述べていることが裏付けられることになります。そもそも,検察官が楠意見書に同意すること自体がおかしいのです。反論があるのだったら,その部分を不同意にして,証人尋問で質すべきものと思います。

以上

 

 

 

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