控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”

「これまで警察、検察と戦ってきましたが、裁判所とも戦わなければならなくなるとは思いませんでした」

今も全国最年少、32歳の若き市長が、控訴審逆転有罪判決の直後に漏らした言葉だった。

控訴棄却で無罪判決が確定することを固く信じ、「美濃加茂市民 完全勝利」という垂れ幕まで用意して判決を待っていた美濃加茂市民は、落胆の淵に叩き落とされた。

ほとんど一審と同様の証拠に基づき、しかも、一審裁判所は、証人尋問、被告人質問を直接行って、その態度、言い方、表情等も参考にしつつ信用性を判断している一方、控訴審裁判所は、尋問記録の書面だけに基づいて、その内容だけで判断して、いともたやすく一審の無罪判決を覆してしまう。一審無罪の控訴審でそのようなことが許されるのか、信じ難い判決であった。

いつも検察寄りの判決を予想することの多いマスコミも、今回ばかりは、控訴棄却で無罪の方向で事前取材を進めていた社が多く、「破棄自判有罪」というのは想定外だったようだ。

袴田事件の再審開始決定では、死刑囚をいきなり執行停止で釈放するというサプライズを演じた村山浩昭裁判長は、「どちらの方向にも、大きくぶれやすい裁判官」という評判だったが、今回は、被告人の藤井市長にとっても、美濃加茂市民にとっても、最悪のサプライズとなった。

判決の中で、特筆すべきは、控訴審裁判所自ら職権で行った贈賄供述者中林の証人尋問の証言内容に、判決の理由でほとんど触れていないことだ。

控訴審の第一回公判は昨年の8月25日、そこで、贈賄供述者中林の取調べを行った中村警察官と、中林の融資詐欺の捜査を担当した検察官の証人尋問が採用され、警察官の証人尋問は、11月26日に行われた。その後、検察官の尋問は、弁護人の主張により尋問の必要が全くないことが明らかになって取り消され、その尋問が予定されていた12月11日の期日が取り消されて、その日、裁判所・検察官・弁護人の三者打合せが行われた。そこで、裁判長から「中林の職権証人尋問を検討する」との意向が示された。それから、裁判所における職権尋問実施の方法や、尋問事項に関する検討に期間が費やされ、中林の証人尋問が実施されたのは、今年の5月23日であった。

つまり、控訴審の事実審理が行われた期間約9か月のうち5ヶ月以上が、中林の証人尋問に関する対応に費やされたのである。

中林の職権証人尋問は、検察官との打合せ等に影響されない中林の「生の記憶」を確認するためのもので、それだけの期間を費やしても行う意味が十分にあるものだった。

しかし、検察にとっては、中林の生の記憶として全く証言できないということになると、中林証言が実質的に唯一の拠り所である検察にとって致命的な事態になりかねなかった。そこで、検察は、証人テストを行うことに強くこだわったが、村山裁判長に「証人テストは控えてほしい」とはねつけられた。今年2月、控訴審裁判所が中林の職権証人尋問を決定した時点で、検察は確実に追い込まれていた。

ところが、【美濃加茂市長事件、裁判所職権証人尋問を台無しにした”ヤメ検弁護士の資料送付”】でも述べたように、実際に行われた証人尋問では、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林に、今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知を受けるよりも前に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られるという想定外の事態が起こった。中林が、藤井市長事件の判決を事前に読んでいたことがわかったのである。判決書を読めば、自分の捜査段階での供述も一審での証言内容もすべて書かれている。検察官と打合せを行ったのと同じことになってしまった。その想定外の出来事によって、追い込まれていた検察は、結果的に救われることとなった。

この控訴審での中林の職権証人尋問について、昨日の判決で、村山裁判長は、概要以下のように述べた。

弁護人が主張し、原判決も指摘するように、原審における証人尋問で、検察官が入念な打ち合わせを行ったため、中林の原審公判証言が、客観資料と矛盾がなく、具体的・詳細で、不自然不合理な点がない供述になるのは自然だと評価されたことを考慮して、職権で尋問を行った。

検察官側の事前の打合せを控えてもらって、時間が経ったとはいえ、証人自身の具体的な記憶に基づいて供述してもらおうと試みた。しかし、受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見は達成できなかった。

 

この「受刑中の中林が、証言に先立ち、原判決の判決要旨に目を通したという、裁判所としても予測しなかった事態」というのが、中林の元に、一審判決が差し入れられたということであり、控訴審判決では、それによって、尋問の本来の目的が果たせなかったこと、つまり、判決書差入れによって証人尋問が妨害されたことを認めたのである。

そして、控訴審での中林の証人尋問での証言内容についてはほとんど触れず、一審での証言内容だけで中林供述の信用性を判断して「合理的で、一貫していて関係証拠と符合している、関係者の証言で裏付けられている」、というような理由で、信用性を認め、信用できないとした一審判決の判断を「不合理だ」と排斥した。

つまり、控訴審裁判所は、中林の供述の信用性を判断するため、自ら証人尋問を行ったのに、それが「一審判決の送付・差入れによって妨害されて本来の目的を果たせなかった」というだけで完全に「なかったこと」にし、直接証言を見聞した一審裁判所が「信用できない」としている一審での中林証言について、検察官との長時間にわたる入念な打合せが証言に影響していることを認めながら、「信用できる」と判断したのである。

もう一つ、全く予想外だったのは、「破棄自判 有罪」という判決になったことだ。控訴審判決が、中林証言の信用性について一審判決と異なる判断をする可能性が仮にあるとしても、その場合は、中林証言と対立する藤井市長の供述、同席者Tの証言が信用できないといえるのかどうかを改めて判断しなければならないので、少なくとも、控訴審でも被告人質問をしたり、Tの証人尋問を行ったりした上で判断するのが当然で、それをやっていない以上、原判決を破棄する場合でも、一審への差戻ししかあり得ないと考えていた。

ところが、控訴審判決では、被告人質問も、Tの証人尋問もやらず、直接、その証言の信用性を確かめることなく、「信用できない」と判断して、逆転有罪判決を言い渡したのだ。

被告人供述を「信用できない」とする理由として挙げたのは、中林が現金を渡したと証言している会食の際の「記憶が曖昧」だということだった。

しかし、この事件の裁判を傍聴してきたジャーナリストの江川紹子さんも、

《名古屋高裁は、藤井市長の記憶が曖昧だから信用できないとばっさり。でも、事件に関わっていない人に、1年半前の特定の日の出来事をつぶさに覚えていろという方が無理では。布川事件の杉山さんがよく言っていた…犯人にとっては忘れられない特別な日でも、俺にとっては何でもない普通の日だった」》

とツイートしているように、検察官との長時間にわたる「打合せ」で綿密に証言を作り上げてきている中林と、身に覚えのないことで1年半前の出来事を尋ねられている藤井市長とで、法廷で話す記憶の程度に大きな差があるのは当然だ。一審は、そのような被告人供述に何の疑問も指摘していない。それなのに、控訴審判決は、毎回公判に出廷していた藤井市長に全く話を聞くこともなく、「記憶が曖昧だから信用できない」としたのである。

また、中林と藤井市長との会食に同席していたTの証言は、一審では中林供述の信用性を判断する極めて重要な証人と位置付けられ、証人尋問が行われたものだが、控訴審判決は、その証言を直接確かめることもなく、同意された調書を断片的に取り上げて、Tの証言の信用性を疑問視した。

控訴審判決は、まさに、なりふり構わず有罪判決に向けて突っ走ったと言える。

その「引き金」となったのが、藤井市長事件の一審判決書が受刑中の中林に送られて差入れられたことである。

中林は、一審の弁護人だった弁護士に、資料の送付を依頼した理由について「全く何もかも覚えてないでは困るなというふうに私の中で思った」と証言している。つまり、そのままの状態で、何の打合せもなく、資料を読むこともなく証人尋問に臨めば、「何も覚えていない」ということになりかねないことが、弁護士に資料送付を依頼した理由だったと証言している。

一方、実際に行われた中林の控訴審での証言と、一審判決書の記載とを比較してみると、中林が、差し入れられた判決書を熟読して証言を用意してきたものであることは明らかだ。

もし、裁判所の目論見どおり、中林が検察官との打合せも、事前の資料送付も何もなく証人尋問に臨んだとしたら、中林には「生の記憶」はほとんどないことが露呈し、一審での証言は、検察官との打合のとおりに証言したに過ぎないことが明らかになっていたはずだ。

ところが、中林の一審弁護人が判決書を差し入れたことによって、状況は大きく変わった。控訴審の事実審理の期間の3分の2近くもの期間を費やして行った中林職権証人尋問が、裁判所の目論見どおりのものではなくなった。控訴審の事実審理の目玉であった中林職権証人尋問の意味が稀薄になったことで、裁判所は、検察官との長時間にわたる綿密な打ち合わせで塗り固めた中林証言中心の一審の証拠のほうにばかり目を向けていった。それが「引き金」となって、控訴審判決は、有罪の方向に暴走していった。

不可解なのは、「判決書差入れ・証人尋問妨害」が行われた経過である。証人尋問に重大な影響を生じさせたのが、藤井市長の一審の判決書だが、本来、それは、同事件の当事者や弁護人等でなければ入手すること困難なものである。中林の弁護人が、なぜその判決書を入手することできたのかについても重大な疑問がある。

この点について、検察官は、弁論で、「検察官は、当審中林証言後、中林の元弁護人から、中林に差し入れた被告人の判決書とは、マスコミから入手した判決要旨であることを確認するとともに、マスコミ用の判決要旨が、判決書と同様100頁近いものであることを確認した。」などと述べているが、裁判所が判決要旨をマスコミに配布しているのは、被告事件の正確な報道のための特別の便宜供与であり、それ以外の目的に流用することは固く禁じられている。それが、マスコミから流出し、尋問予定の証人に事前に送付されて証人尋問に重大な影響を生じたとすれば、看過し難い重大な問題だ。

検察官が弁論で述べている「弁護士がマスコミから入手した」というのが果たして事実であるのか疑問だ。この点も含め、控訴審に重大な影響を与えた控訴審での「判決書差入れ・証人尋問妨害」について、真実が解明されなければ、藤井市長も、美濃加茂市民も、到底納得することはできないであろう。

判決の翌日、まさに大きな問題になっているのが、村山裁判長の「判決要旨」の取扱いだ。今回のような社会の耳目を引く事件では、通常、判決言渡し後に、判決書の全文に近い「判決要旨」が配布される場合が多い。弁護人から書記官に対して、判決前に、後で判決書か判決要旨、あるいは項目メモでも渡してもらえないのかを聞いたが「本日渡せるものはない」との答えだった。そのため、弁護団は、村山裁判長が2時間半、相当な早口で原稿を読み続けて言渡した判決を走り書きでメモしただけで、判決後の記者会見に臨み、その後、美濃加茂市における判決内容の市議会への説明や、市民向けの説明会に出席した際にも、判決内容については大まかな説明しかできなかった。

ところが、本日、記者の話で、昨日、判決言渡し直後に裁判所からマスコミに判決要旨が配布されていたことがわかった。藤井市長が、市議会から、判決要旨を入手したら声明を出すように要請されたので、弁護人からすぐに担当書記官に連絡し、マスコミに配布された判決要旨で構わないので交付して欲しいと求めたが、裁判長に確認した書記官は、「弁護人には渡せない」とのことだった。

裁判の当事者である被告人の弁護人に対して、「判決要旨」という判決内容を正確に記載した書面を交付せず、なぜかマスコミには判決直後に渡すというやり方は、藤井市長だけでなく、5万6000人の美濃加茂市民に対する「嫌がらせ」としか思えない。

市民に選ばれた美濃加茂市長に対して、一審判決とほぼ同じ証拠に基づいておきながら、「有罪ありき」の方向で証拠を評価し、市長の話を一言も聞かず、いきなり有罪にするという、不当極まりない判決を出した村山裁判長にとって、マスコミに便宜を図ることは大切だが、市民や市議会に対する便宜を図るつもりはないということなのだろう。

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「拙速で無理な懲戒処分」に表れた「小池劇場」の“行き詰まり”

小池百合子東京都知事が、11月25日の定例会見で、都幹部18人の減給の懲戒処分と、退職者に対しては給与自主返納の要請を行うことを発表した。

11月23日にアップしたブログ記事【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】でも指摘したように、今回の処分の根拠とされた「第二次自己検証報告書」は、凡そ調査報告書の体をなさない杜撰な内容であるだけでなく、技術会議報告書の結論を、「敷地全体に盛り土をするのが都の整備方針とされた」という方向に歪曲している疑いもある。同報告書は、懲戒処分の根拠となるものとは到底言えない。

毎日新聞の記事【盛り土問題 世論意識、処分急ぐ 都知事、責任解明できず】でも適切に指摘されているように、今回の懲戒処分は、小池氏が拙速にこの問題の「幕引き」を図ったものと評さざるを得ない。

今回の懲戒処分には多くの無理がある。

「小池劇場」を演じることで、世論の大きな支持を得てきた小池氏だが、ここに来て、状況が徐々に変わりつつあることに気付いていないようだ。

私の【前回ブログ記事】は、同氏が世の中から圧倒的な支持を受けている中、多くの反対意見を覚悟の上で、豊洲市場問題への小池氏の対応を批判したものだったが、同記事は、BLOGOS・ハフィントンポストにも転載され、ブログのコメントやツイッターでの反応も多くが好意的だった。豊洲市場問題を、冷静に客観的に受け止め、小池氏の対応に疑問を持つ読者が増えていることが窺われた。

ツイッターで、「豊洲市場」を検索してみると、今回の小池知事の都幹部懲戒処分の発表に関して、批判的ツイートが多く並ぶ。「小池劇場」の観衆の雰囲気は、確実に変わりつつあるようだ。

そんな中、小池氏は、25日の記者会見での、都幹部懲戒処分に関する質問に対しても、明らかに不合理な回答でごまかしている。

前出の毎日新聞記事を書いたと思える記者からの質問で、「通常の懲戒処分は大体6ヶ月以上かかると言われる中で、処分の時期が早いのではないか」と質問され、小池氏は、

法曹界の方々を含めたご意見を聞き、今回の結論に至ったわけでございまして、決して、早すぎるから、という話ではないと思います。むしろ、市場関係者の方々からすれば、早すぎるということは全くないんじゃないだろうかと、全てが遅すぎると思われていると思います

と答えている。

「市場関係者からすると全てが遅すぎる」というが、市場関係者の多くは、小池知事が移転延期を発表して以降、混乱が続き、未だに先が見通せない豊洲への市場移転問題の早期決着を求めているのであり、都の幹部の懲戒処分が早いか遅いかなどには、誰も大きな関心を持ってはいない。

また、「法曹界の方々」からも意見を聞いたというのであるが、それは一体誰なのだろうか。処分の妥当性について弁護士見解を得ているというのであれば、その弁護士名を明らかにし、責任の所在を明確にすべきであろう。

そもそも懲戒処分の根拠とされている「事実」自体に問題があるという点を別にしても、懲戒処分の妥当性という面から考えると、今回の「5分の1減給6か月」というのは、明らかに重すぎる。刑事事件の量刑で言えば、「法定速度を20㎞オーバーしたスピード違反」を、法定刑の上限である「懲役6月」に処するようなものだ。まともな弁護士であれば、「適切な処分だ」とは言わないであろう。

今回、小池氏は、都幹部への処分と併せて、「就任前の事案ではあるが、自らけじめをつけるという意味で、知事給与の5分の1を自主返上する」として給与自主返上の方針を明らかにしている。それは、おそらく、知事給与を半額に削減する条例案の提出で、都議の給与が知事を大幅に上回り、都民から都議の給与引き下げを求める声が出る状況を作って都議会議員をゆさぶったのと同様の発想で、本来は責任のない現知事として給与自主返納を打ち出すことで、本来責任を問われるべき当時の知事の石原慎太郎氏にプレッシャーをかけることを意図したものかもしれない。

しかし、そもそも、都幹部に対する懲戒処分の前提事実自体に根本的な疑問があるのであり、それに関連して、都知事給与の自主返上を打ち出すことが、石原前知事に対してどれだけの効果があるのか疑問だ。

「小池劇場」の第1幕「豊洲市場・盛り土」を早期に幕引きして、第2幕への観衆の期待を高めようとしたのだろうが、ラストシーンで主演監督自身が唐突に舞台に登場せざるを得なかったところに、このストーリーの苦しさが透けて見える。

「小池劇場」も、行き詰りつつあるように感じざるを得ない。

 

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「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ

前回ブログ記事【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】で述べたことを踏まえ、今回は、小池知事が指摘した「豊洲市場の建物の地下に『盛り土』をせず地下空間を設置した問題」について、これまでの経緯と現状を具体的に検証し、小池知事と東京都の対応のコンプライアンス的視点からの分析・評価を行う。

上記ブログ記事でも予告していたものだが、専門家会議、技術会議についての会議資料に基づく法的検討等に想像以上の時間を要した。かなりの長文になるが、末尾の「本件について都知事として行うべきであった発言・説明についての私案」とともに、一挙に掲載することとしたい。

小池氏の「コンプライアンス対応」が招いた「最悪の事態」

小池氏が9月10日の「緊急会見」で述べたことは、以下のように整理できる。

(a)敷地に全面盛り土をすると情報開示していたが、誤りがあったので訂正する。

(b)建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置したことは、「専門家会議」の提言に反しているので、土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされておらず、行政的にも問題がある。

(c)したがって、盛り土をせず地下空間を設置したことで安全性に問題がないのかを、「専門家会議」に意見を求めなければならない。

(d)行政手続的な問題や情報公開が誤っていた問題について市場担当者や当時の担当者等に話を聞く必要がある。

これら(a)~(d)の小池氏の発言は、コンプライアンス的に見ると、形式的には一応正しい。この時点での小池氏の発言や示した方針は正当なもので、特に問題はないように思える。

しかし、その小池氏の知事会見での「コンプライアンス的対応」を契機とする豊洲市場問題のその後の展開が、市場関係者にとっても、最終的に損失を負担することになりかねない都民にとっても、最悪の事態となっていることは明らかである。

11月18日の都知事定例会見で小池氏が明らかにしたところによると、専門家会議や市場問題PT等での検討の結果、豊洲市場の安全性が確認された場合でも、移転時期は早くて1年後の2017年冬から2018年春、環境アセスメント(影響評価)をやり直す場合は、さらに1年程度延びるとのことである。

それによって、既に完成している豊洲市場の施設の維持管理費に一日約500万円(年間では20億円近く)かかるのに加えて、豊洲への移転を前提に既に設備を導入し稼働させている業者、必要な要員を確保して人件費をかけている業者への補償、老朽化した築地市場の維持補修のための費用等、移転が遅延したことのよる最終的な費用が、膨大な金額に上ることは必至である。

豊洲への移転の延期に伴って、老朽化した築地市場の使用を継続しなければならないことの問題も深刻だ。音喜多都議が、ブログ記事【豊洲市場に「ゼロリスク」を求め続けるとどうなるか?冷静に検証してみた結果…[築地移転問題]】でも指摘しているように、現在の築地市場には、小型ターレトラックと大型トラックの動線が混在し、さらにそこに観光客などの歩行者が加わるという、一般常識からは考えられない混沌とした交通環境になっており、交通事故も多発している。また、平成27年に、場内洗浄や活魚用水に使用されている濾過海水から、発がん性物質である「トリハロメタン」が環境基準値を超えるレベルで検出されている問題のほか、いまだに市場内に残置されているアスベストの問題などもあり、そのような劣悪な環境下で、生鮮食品の市場が今後も長期間運営され続けること自体が、都民にとって重大な不利益となっている。

今後必要となる「業者への補償」の原資について、小池氏は、11月18日の定例記者会見で、記者の質問に答え、「基本的には“市場会計”という独立したものなので、それをベースにする」、「市場という独立性のあるものの中で処理する。」と述べているが、そもそも、今回の移転延期は小池氏が都知事として決定したものであり、業者には何の責任もない。「独立した“市場会計”の中で処理する」ということになると、市場会計が市場参加者の業者の負担で成り立っている以上、何らかの形で負担を業者に求めることになる。全くの筋違いであり、業者側は到底応じられないだろう。

今回の豊洲への移転延期の長期化による損失が、都の一般会計に巨額の負担、すなわち都民の税金による直接の負担を生じさせることは避けがたい。

小池氏が指摘した「オーソライズされていない」と「行政的な問題」

小池氏は、9月10日、土曜日の「緊急会見」を行う際に、今回の「盛り土・地下空間」問題を、どのような問題ととらえていたのか。

まず、「敷地全面に盛り土を行っている」を情報開示・説明をしていたのに、実際には、建物の下は盛り土をせず地下空間が設置されていたのであるから、東京都の情報公開に問題があったことは間違いない。小池氏は、まず、この点を指摘し、訂正している。重要なことは、東京都という行政組織が「情報開示の誤り」という問題を起こしたのであるから、小池知事は、その組織のトップの東京都知事として、都民に謝罪をしなければならないということだ。ところが、小池氏は、他人事のように「訂正します」と言っているだけで、全く謝罪を行っていない。当時の石原知事個人の問題と「東京都の組織」の問題とが区別されていないように思える。

「情報開示が誤っていた」という問題だけであれば、基本的には情報開示の内容を「訂正」して、十分に周知と謝罪をすればよい話である。重要なのは、それ以上に実質的な問題があるか否かである。ところが、小池氏が問題にしたのは、建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置したことが、「専門家会議」の提言に反しているので、「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない」ことと、そこに「行政的な問題がある。」という点であった。

「オーソライズ」という言葉の正確な意味は「正当と認めること。公認すること、権能を与えること。」である。

つまり、「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない。」という小池氏の指摘の意味は、土壌汚染対策の安全性は、専門家会議が認めることによって初めて、東京都が決定した土壌汚染対策として「正当」とされるのであり、「専門家会議のオーソライズ」がないと、いかなる方法であっても(誰が安全だと言っても)、正当なものとは認められない、という意味であろう。そして、小池氏は、「正当」とは認められないまま、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法がとられていたことが「行政的な問題」だとしたのである。

問題は、「専門家会議」が、そのように、土壌汚染対策の「正当性」を認める「権能」を持つような存在なのか否かである。この点に関しては、「専門家会議」の設置目的、法的位置づけと、その構成メンバーの専門性の両面から疑問がある。

「専門家会議」は地方自治法上の「オーソライズ機関」ではない

官公庁・自治体では、行政上の決定に関して、審議会・委員会等の外部者による審議・検討を行うという方法がとられるが、この場合、審議会・委員会が、本来の「オーソライズ」、つまり、決定を正当化する「権能」を持つものとして設置されるのであれば、法令上の根拠が必要となる。地方自治体の場合、意思決定が行政を拘束するような機関として設置されるのであれば、地方自治法138条の4第3項で「条例」による設置が求められる「附属機関」でなければならない。しかし、「専門家会議」は、条例上の根拠に基づいて設置されたものではなく、同法の「附属機関」には該当しない。したがって、「専門家会議の提言」は、行政的には、東京都にとって「参考意見」にしか過ぎず、決定を「オーソライズ」するものではない。

「専門家会議」の設置目的は、「生鮮食料品等を扱う豊洲新市場において、食の安全・安心を確保する観点から、東京都の土壌汚染対策の妥当性等について検討し、評価・提言を行うこと」とされているが、都民向けの説明では、「東京都は、現行法令に照らして問題のない水準で、土壌汚染対策を行うこととしていますが、都民や市場関係者の一部になお懸念の声があります。市場が生鮮食料品を扱うことの重要性から、都民が安心できる市場とするため、土壌汚染対策等を検証する専門家会議を設置しました。」とされている。このことからも、主として、豊洲市場の土壌汚染対策の安全性について、都民の「安心」を確保するという性格が濃厚だったと考えられる。

そして、「専門家会議」のメンバーは、環境管理、水質、土質等の専門家だけで構成され、そこには、建築、土木等の専門家は含まれていない。このメンバー構成からしても、専門家会議が、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という建物の「建設」に関する土木工事・建築工事の具体的内容も含めた土壌汚染対策についてまで、「正当化のための権能」を与えるような会議体ではないことは明らかである。

つまり、「専門家会議」の実際の目的は、東京都の豊洲市場の土壌汚染対策が、「環境の専門家」の立場から見て、全体として安全性を確保するために十分なものであることについて、慣用的な意味の「オーソライズ」、つまり、都民向けの「お墨付き」「権威づけ」を与えるものだったのである。

「技術会議」の設置目的と法的位置づけ

「敷地全体に4.5メートルの盛り土をする」という土壌汚染対策の方針は、法律上の要請はもちろん、環境の専門家が十分な対策と評価する内容だったと言える。しかし、実際に、それを豊洲市場での整備事業の中で具体化していく場合に、建物の地下の土壌汚染対策を、それ以外の場所と同様にすべきなのか、それとも、別の方法をとるべきなのかについて検討する必要が生じる。その点については、環境の専門家だけではなく、土木、建築等の専門家も加わって検討する必要がある。そのために設置した外部者による会議が「技術会議」であった。

そして、この会議も、条例上の根拠に基づく「附属機関」ではないのであるから、東京都の決定が、「技術会議」の決定に拘束されるというものではないが、少なくとも、「建物下に盛り土をせず地下空間を設置する」ということの是非を検討するとすれば、それは、「専門家会議」ではなく「技術会議」であったことは明らかである。

「行政的な問題がある」とは言えない

東京都にとっては、「専門家会議」の提言も、「技術会議」の意見も、参考意見に過ぎないのであり、小池知事の会見での「土壌汚染対策の安全性についてオーソライズされていない。」という発言が、「正当化」「権能を与える」という意味で「オーソライズ」という意味であれば正確ではないし、その「専門家会議の提言に反した」ということだけなのであれば、法的には「行政的な問題がある」ということにはならない。

「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方針が、石原知事をトップとする当時の東京都の行政組織の中で正当な手続で決定されたものであれば、それが、「専門家会議」の提言に反したものであったとしても、「行政的」には問題はなかった。

「行政的な問題」があるとすれば、地下空間設置の方針が、どこで、どのように決定されたのかが不明確だということであり、それは東京都という行政組織の「ガバナンスの問題」である。それを問題にするのであれば、石原都知事の対応を含めて考えることが不可欠のはずだ。

そのガバナンス問題を別とすれば、「盛り土・地下空間」の問題というのは、「土壌汚染対策全体について『専門家会議』による権威づけが行われている」という都民向けの「情報開示」が誤っていたことと、建物地下の土壌汚染対策に関する都議会での東京都の答弁・説明の内容が誤っていたことという二つの面での「情報開示・説明の問題」なのである。

「技術会議」は、「盛り土せず地下空間設置」を否定してはいない

では、実際のところ、「建物下で盛り土せず地下空間を設置する」という方法について、「専門家会議」を受けて具体的な工法を検討するために設置された「技術会議」でどのような議論が行われたのか。

全面公開された会議の経過と結果に関する資料を見る限り、少なくとも、技術会議では、「建物の地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法自体についてはほとんど議論が行われておらず、肯定も否定もしていない、というのが実際のところである。

技術会議に対して、「盛り土をせず地下空間を設置すること」が一つの案として提示されていたことは、第8回の技術会議の資料から明らかである。東京都の「自己検証報告書」(「第一次報告書」)では、第8回技術会議について、

都は「土壌汚染対策と地下水浄化の対策をした後、地下水質のモニタリングを行い、さらに万一、地下水中から環境基準を超える汚染物質が検出された場合には、汚染地下水の浄化が可能となるよう、建物下にこれらの作業空間を確保する」と説明した。

第9回技術会議について

技術会議が独自に提案した事項として、汚染物質の除去・地下水浄化の確認のため、『国が検討している土壌汚染対策法改正が行われ、豊洲新市場予定地が同法の対象となった場合にも、地下水質のモニタリングができるよう観測井戸を設置し、指定区域の解除が可能となるような対策とする。なお、仮に地下水中から環境基準を超える汚染物質が検出された場合には、汚染地下水の浄化ができるよう建物下に作業空間を確保する必要がある』とした。ただし、地下とするか否かについての言及はない。

と記述していた。

このうちの「技術会議が独自に提案した事項として」の部分が誤りであったとされ、第二次自己検証報告書(「第二次報告書」)で、「『技術会議報告書の構成』案を事務局から提案したが、その中で」と訂正されたが、第8回会議と第9回会議で、「地下空間」についての記述自体は訂正されておらず、事務局側から「建物下に作業空間を確保する」との提案が行われ、議論が行われたことは明らかである。会議資料の中には、「建物建設地にはモニタリングのための地下空間を設置し、建物建設地以外は埋め戻しをする」という具体的な案も提示されている。

問題は、その「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という案について技術会議での検討の結果、どのような判断が示されたかである。第9回会議では、「委員」から「土地の利用、機能、価値の問題が、経費に対して十分プレイバックされない」との指摘が行われているが、ここでの「地下空間」に対する反対理由は、かかる経費に見合う機能・価値が期待できないということであり、建物下に盛り土を行わないことの「安全性」の問題ではない。

技術会議では「地下空間」については、それ以上の議論は行われた形跡がない。結局のところ、「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という事務局の案に対しては、「機能、価値が経費と見合わないのではないか」との意見が出たのみである。

第一次報告書の、

端緒となる第1段階は、技術会議においてモニタリング空間に関連する議論が行われていた時点である。第4回技術会議(平成20年10月21日)では、委員から地下水の長期モニタリング及び処理の必要性についての発言があり、第8回技術会議(平成20年12月15日)においてとは、モニタリング空間の必要性を説明している。第9回技術会議(平成20年12月25日)においても、技術会議の独自提案としてモニタリング空間が提示された。土壌汚染対策に万全を期す機運がこのころから醸成されていった。

という記述も、訂正された「技術会議の独自提案として」という点以外は、技術会議での「モニタリング空間」についての検討状況全体についての概ね正しい記述なのである。

「技術会議が独自に提案した事項として」という第一次報告書の当初の記述も、「その案を技術会議の側が全く独自に提案した」という意味だとすれば事実と異なるが、一般的には、このような外部者会議の独自提案というのは、原案を事務局が示し、それを会議で議論した上で「会議の独自提案」とすることが多いのであり、全くの誤りという程のものではない。少なくとも、公開された官公庁の行政文書に「赤文字による訂正」を記入するという「前代未聞の措置」を行うほどの重大な誤りだったとは思えない。

「第二次自己検証報告書」による技術会議報告書の「歪曲」

そして、その「第一次自己検証報告書」を訂正し、真相に迫ったとされている「第二次自己検証報告書」では、「豊洲新市場整備方針の策定(平成21年2月6日)」として、

平成21年2月6日、石原知事決定の『豊洲新市場整備方針』(以下、『整備方針』という)が策定された。技術会議の提言内容(敷地全面A.P.+6.5mまでの埋め戻し・盛土)をもって都の土壌汚染対策とすることが明記された。これにより、専門家会議、技術会議の提言は、都の方針となった。

と記述されている。

しかし、ここで「敷地全面A.P.+6.5mまでの埋め戻し・盛土」と書かれているのは不正確である。技術会議報告書には、「エ 埋め戻し・盛り土」の項目の中に、小項目として「①砕石層設置」「②埋め戻し・盛り土」が設けられ、「砕石層設置」については「敷地全面にわたり、A.P.+2mの位置に厚さ50㎝の砕石層を設置する」と書かれているが、「埋め戻し・盛り土」については、「砕石層設置後、計画地盤高(A.P.+6.5m)まで埋め戻し・盛り土を行う」と書かれているだけで、「敷地全面にわたり」とは書かれていない。基本的には、「砕石層の上に6.5m埋め戻し・盛り土を行う」という方針であることは明らかであるが、モニタリングのための地下空間を設置することにした場合にも、6.5mの「盛り土」を行った上で、設置することが必要だという趣旨かどうかは不明である。

モニタリング空間を設置した場合にも、「全面盛り土」を維持するとすれば、建物の床面は、空間の高さだけ周囲からレベルアップすることになり、その場合には、自動車等のアクセスのための誘導路の設計等が問題になるが、そのような検討が行われた形跡はない。前述したように、技術会議での議論からは、「建物下にモニタリングのための地下空間を設置する」という方法が、土壌汚染対策の安全性の観点から否定されたとは思えない以上、技術会議報告書の内容と、それを受けて策定されたとされる「豊洲新市場整備方針」が、例外なく敷地全体にわたって「盛り土」を行う方針だったと断定することには無理がある。技術会議の報告書で「敷地全面にわたって盛り土」を明記したとする「第二次検証報告書」には、技術会議の意見を「全面盛り土・地下空間否定」の方向に歪曲している疑いがある。

専門家が評価する「建物下盛り土せず地下空間設置」

既に述べたように、専門家会議も技術会議も、条例上の根拠に基づく「附属機関」ではないのであるから、東京都が「技術会議」の決定に拘束されるものではない。実際に土木工事・建築工事の設計・施工については、東京都が、専門家会議の提言や、技術会議の報告書を尊重しつつ、適切に決定していけばよいのである。

もちろん、最終的にとられた「建物下は盛り土をせず地下空間を設置する」という方法が、土壌汚染対策の客観的な安全性に関して問題がある、というのであれば、話は別であり、豊洲への市場移転を根本的に見直す必要がある。しかし、今回の豊洲市場への移転の遅延の原因となった「建物地下に盛り土をせず地下空間を設置する」という方法に関しては、現時点では安全性に関する具体的な問題は指摘されていない。むしろ、建築・土木の専門家の立場からは、「空間があることで地下水と地上階を遮断することが可能となるため、より衛生的である。」(【築地移転・豊洲問題:「地下室」の方が「盛土」よりも衛生的で安全である、という技術論】 藤井聡氏)、「汚染物質に対するコンクリートの遮蔽性は高く、床を透過する危険性はほとんど論じられていない。」(【「盛り土」「地下空間」「汚染物質」 ── 豊洲市場問題とは何だったのか】 若山滋氏)といったように、建物地下に盛り土を行わず地下空間を設置したのは、安全面でも優れた方法だったとの意見が多く、「地下空間肯定論」に対する専門的見地からの批判はほとんど見られない。また、市場問題PT第1回会議において、専門委員である建築家の佐藤尚巳氏は、座長が冒頭に、当面はプロジェクトチームの対象外だとした地下空間について、「非常に大きな誤解」があるとして敢えて言及し、地下空間はコスト削減・保守メンテ性・地下水の管理という面からも「非常に有効な空間」であり、「作ったのは都の技術系職員の英知だと思う」「正しい選択であった」と述べた。

不毛な「地下空間設置・盛り土一部不実施」の犯人探し

小池知事が「地下空間設置・盛り土一部不実施」の一点に問題を集中させ、「それを、いつ誰がなぜ決定したのか」という課題設定を行い、徹底調査するよう指示した。その方針にしたがって、東京都の内部調査が行われ、9月30日に調査結果が公表されたが(第一次報告書)、そこでは「行為者」「責任者」が特定されていなかったことに批判が集中した。そして、10月7日に、自己検証報告書中で、「技術会議が独自に提案した事項として」「建物下に作業空間を確保する必要がある」としていたのが誤りだったとされたことが契機となって再度の調査(第二次自己検証)が行われ、11月1日に第二次報告書が公表された。

小池氏が、その調査結果の公表で、退職者も含む東京都幹部8人を責任者として特定し、「懲戒処分の手続に入る」と明言したことに、世の中の多くの人は、「東京都の組織の古い体質に大ナタを振るった」と評価し、拍手喝采を送っている。

このような経過から、世の中の多くの人には、東京都の幹部が、内部調査であることをいいことに、自らの責任追及を免れるために、建物下で盛り土をせず地下空間を設置したことの責任を技術会議に押し付けようとしたが、それが嘘であることがバレてしまい、第二次自己検証の結果、真相が解明されて、東京都の幹部に対して「正義の鉄槌」が下った、と受け取られているようだが、それは、「小池劇場」の演出によるところが大きいと言うべきであろう。

「第二次自己検証報告書」の認定と判断

小池氏が、「盛り土」問題について、東京都の幹部8人を処分する根拠としている第二次報告書では、

いつ、どの時点で誰が「建物下に盛土をせず地下にモニタリング空間を設置する」ことを決定したのか

がサブタイトルとされ、「それを決定した者を責任者として特定すること」に全精力が注がれている。しかし、その内容は、「十分な根拠もなく認定した事実に基づいて、(小池知事の意向に沿って)責任を(無理やり)肯定した」というものであり、まともな組織の「調査報告書」とは言い難いものだ。

同報告書では、前述したように、第一次自己検証報告書の「技術会議が独自に提案した事項として」の部分を訂正したほか、基本設計に関する中央卸売市場新市場整備部と日建設計との間の具体的なやり取りが明らかにされ、同部が当初から、建物下にモニタリング空間を設置し盛り土をしない方針で臨んでいたこと、平成23年8月18日の部課長会で、その方針が確認されたことを認定している。そして、「部課長会のメンバーは、当日出席したか否かにかかわらず、当該部課長会において、整備方針に反して、建物下に盛り土をせず地下にモニタリング空間を作ることを了解したと判断する。」との判断を示し、当時在籍していた新市場整備部の部長級職員には「整備方針に反して地下空間設置を進めていた責任」、新市場整備部長には「上司の市場長、管理部長に報告・説明等をしなかった責任」、管理部長には「地下空間設置を知り得る立場にあり、新市場整備部に必要な措置をとるよう調整すべき立場にあったのに、職責を全うしなかった責任」があるとされ、市場長は、「事務方の最高責任者として責任」を免れないとされている。

しかし、既に述べた専門家会議・技術会議の法的性格、メンバー構成、技術会議での議論の内容からすると、「建物下に盛り土をせず地下にモニタリング空間を作ること」が東京都の整備方針に反しているとは言えない。地下空間を含む最終的な建物の設計を、いつ、誰が、なぜ決めたのかが、手続上明確になっていないということは、東京都が組織として明確に意思決定しなかったことについての「ガバナンスの問題」である。建物下での「地下空間」の設置と、それに伴う「一部盛り土不実施」だけを取り上げて、それを決定した行為を「行政上の問題」にし、都幹部の懲戒処分を行おうとしているが、いずれも、責任の根拠は、「決定」などとは到底いえない極めて曖昧で抽象的なものにすぎず、法的にもコンプライアンス的にも正当とは言えない。特に、東京都の行政の最高責任者である当時の石原知事の責任を除外して、具体的な根拠もなく、市場長に「事務方の最高責任者」として責任を問うのは明らかに不当である。

小池氏のマスコミ等への対応の問題

これまで述べたように、今回の「盛り土・地下空間」に関する問題が、当時の東京都のガバナンスの問題と、都民への情報開示や都議会への答弁・説明の誤りであることを前提に考えた場合、9月10日の「緊急会見」を起点とする小池知事のマスコミや都民に向けての対応はどう評価すべきであろうか。

市場の整備が終了し、移転を待つ段階の現在においては、問題が都民の「安心」に影響することを最小限にとどめることができるよう、「客観的な安全性」に直接影響する問題ではないことを十分に説明しつつ、「情報開示・情報公開」に関する問題を指摘していくべきであった。

しかし、9月10日の小池知事会見以降、「豊洲市場」の問題を指摘する報道において、移転を進めてきた(小池知事就任前の)東京都を批判する報道が過熱し、「土壌汚染対策は十分なのか」「食の安全は確保できるのか」といった世の中の懸念は一気に高まった。

共産党都議団が視察時に撮影したと思える「豊洲の地下空間の大量の水たまり」の写真が繰り返し映し出され、テレビで水に浸したpH試験紙が青色に変わったことから地下空間の水がpH12〜14の強アルカリ性であることが示され、「なんらかの化学物質が影響しなければこれだけの強アルカリ性にはならない。」との共産党都議団の主張がそのまま紹介されたり、民間検査機関の分析結果を公表し、1リットルあたり0.004mg(環境基準は0.01mg)の微量のヒ素が検出されたとの発表が取り上げられたりしたことで、多くの視聴者は、豊洲市場の地下空間は「土壌汚染による汚染水がたまっている空間」だと考えるようになった。

「建築の専門家」と称する人物による建築構造批判を、テレビ番組が無検証で報じるものもあった。「欠陥」の主なものとしては、①床の積載荷重不足(「床が抜ける」)、②耐震強度不足、③地下への重機搬入口がない、などがあったが、いずれも誤った根拠に基づいた内容だということがわかった。

東京都議が視察時に撮影した写真から、加工パッケージ棟4階の柱が傾いているのではないかとの情報提供を受けて、民放の報道番組で「柱が傾いている」という放送が行われたが、即座に、都職員や別の都議が検証実験を行った結果、柱は傾いておらず、カメラの角度でそう見えただけだったことが判明したという信じ難い誤報問題も発生した。

東京都が公表した、敷地内の地下水のベンゼン、ヒ素、水銀についてのモニタリング数値も、飲料水として利用する場合の「環境基準」、排水に用いる場合の「排水基準」等が区別されることなく、あたかも土壌汚染を示すものであるかのように報じられた。生鮮食品を扱う市場の敷地内で有害化学物質が検出され、しかも、過去一度も上回ったことのない「環境基準」を超える量のベンゼンやヒ素が検出されたり、「国の指針値」の7倍もの濃度の水銀が検出されたりしたという話を聞けば、豊洲市場への移転について、消費者が不安を持つのは当然である。

9月10日の「緊急会見」後の一連の報道の結果、豊洲市場に対するイメージは極端に悪化し、「生鮮食品を扱う市場として使うことは困難になった」との声も聞かれるに至っている。

その会見の10日前、小池知事は、「安全性への疑念」も理由の一つに挙げて、豊洲への市場移転の延期を発表していた。わずか10日後の土曜日の「緊急会見」で「安全性の確保についてオーソライズされていない」と発言すれば、「安全性への疑念」が具体化したことの指摘と受け取られることは十分に予想できたはずだ。小池知事自身が「盛り土・地下空間」の問題が「情報開示・情報公開」の問題であり、ただちに客観的な安全性につながる問題ではないことを繰り返し強調する姿勢をとらない限り、豊洲への市場移転に一貫して反対してきた共産党都議団の動きや、それに便乗してガセネタを流布する「専門家」の言動とあいまって、「豊洲市場」について「安全性に関する重大な問題がある」との認識が世の中に拡散する結果になるのは必然だったと言えよう。小池氏の対応には、マスコミ報道の過熱を助長する面があったと言わざるを得ない。

【前回ブログ記事】でも述べたように、11月7日に予定され、既に施設が完成し業者も準備を行っていた8月末の段階での豊洲への移転延期という、通常はあり得ない決定を発表していた小池氏にとって、移転延期の判断が正しかったことを根拠づける何らかの理由が必要だった。そのために、「情報開示に関する問題」に過ぎない問題を、安全性にも関連する問題でもあるかのように、「前のめり」に取り上げてしまったと見ることもできるだろう。

小池氏の対応は本当に「都民ファースト」か

豊洲市場問題に対する小池氏の発言や対応は、表面的には、コンプライアンス的に正しいように思える。まさに、小池氏は、コンプライアンスで武装した「リボンの騎士」であり、「小池劇場」で演じられているのは、まさに小池流「コンプライアンス都政」である。

しかし、これまで述べてきたように、その「コンプライアンス論」には、いくつもの矛盾と欠陥がある。少なくとも、東京都が、現在のやり方のまま、豊洲市場問題に対応していくことが本当に都民の利益に沿う「都民ファースト」と言えるのかには多大な疑問を持たざるを得ない。ところが、豊洲市場問題への小池知事の対応について、正面から批判する声はほとんど聞かれない。小池氏が都知事選挙で圧勝し、今なお絶大な人気を誇っていることから、批判すること自体で「炎上」の危険があると考えているからかもしれない。

小池氏が、本当に「情報公開」を都政改革の中心に位置づけていくのであれば、小池氏が明らかにした方針や、公開された情報に関して、自由闊達な議論が行われることが重要であろう。正面から批判をすることを躊躇させるような小池劇場の「魔力」には危険な面がある。巨大な東京都の行政組織が明らかに変調をきたしていることに、一都民として、強い危惧を感じざるを得ない。

都知事としての発言・説明の「私案」

最後に、これまで述べてきたことを踏まえ、「本件について都知事として行うべきであった発言・説明」について私の案を示し、本稿の締めくくりとしたい。

 豊洲市場に関しては、土壌汚染対策として、敷地全面について盛り土を行っていると、都民の皆さまにも、都議会にもご説明していたのに、建物の下は空間になっていて盛り土をしていないのではないかとの御指摘を頂き、確認をしましたところ、青果棟、鮮魚棟等の地下は、汚染土壌を取り除いた上に砕石層を設置し、それを直接コンクリートで蓋をして、その上は地下空間になっていることがわかりました。この敷地全体に盛り土をするという方法は、豊洲市場の土壌汚染対策について専門的見地から御検討頂くために設置していた専門家会議で提言されていたことでありますし、都民の皆さまには、提言どおりの土壌汚染対策を行っていると情報公開し、議会でも説明していたわけですから、一部盛り土が行われていなかったということは、そういう点からも、都民の皆さまにも、議会に対しても事実に反する情報公開・説明をしていたことになります。

もちろん、このような建物の下で盛り土をせずにコンクリートで蓋をして地下空間を設置するという方法が、都の担当部局において、様々な観点からの検討を行った上で、土壌汚染対策も含め安全性に問題はないとの判断に基づいて行ったものだと思いますし、そのような方法をとることで土壌汚染対策の安全性に問題が生じるということではありません。しかし、いずれにせよ、都民の皆さまや議会に対して事実に反する情報公開・説明をしていたことについて、訂正するとともに、東京都の行政の最高責任者として、深くお詫びをしたいと思います。

「情報公開」は私が都政改革の中心的課題として掲げるものですが、公開する情報が正しいものでなければならないことは当然であり、今回のようなことは二度と起きないように情報公開の改革を進めていきたいと思います。

また、今回の問題は、土壌汚染対策の安全性に直接疑問を生じさせる問題ではありませんが、かねてから豊洲市場の安全性に対する疑念が払拭できていない中で、この「建物の下は盛り土をせず地下空間を設ける」という方法についても、改めて専門家にお伺いするなどして、安全性に問題がないことの確認をしっかり行っていきたいと思います。

なお、もう一つ重要な問題は、建物の下に盛り土をせず地下空間をつくるという方法が、いつ、どこで、誰によって決定されたのか、という点であります。専門家会議の提言を受け、施設整備の中で土壌汚染対策を具体化することに関して設置された技術会議において、そのような方法がどのように議論されたのか、都の担当部門で、どのような検討を行い、どのような手続を経て、それを決定したのか。専門家会議の提言とは一部異なる方法をとるのであれば、その点が十分に説明される必要があると思います。これは、ある意味では、東京都という行政組織のガバナンスの問題でもありますので、その点は、当時の担当者も含めて、場合によっては、当時の東京都の最高責任者であった石原元知事にもお話をお伺いした上で、明らかにしていきたいと思います。その結果、東京都の組織の在り方、ガバナンスの問題があるということが明らかになった場合には、躊躇なく、思い切った改革を行っていきたいと思います。

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小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える

小池百合子都知事が、9月10日土曜日に豊洲市場の土壌汚染問題に関する「緊急会見」を開き、専門家会議で土壌汚染対策として建物の地下も含めて「盛り土」を行うことを提言し、都もそのような説明をしていたのに、実際には、建物の地下では「盛り土」が行われず、空間になっていたことを明らかにした。11月に予定されていた築地市場の豊洲への移転を延期する方針を発表した10日後だった。それ以降、この問題は、東京都民のみならず、社会全体にとっても重大な問題として、連日、マスコミで取り上げられてきた。

この問題では、11月1日に、小池知事が、「都の幹部8名が、盛り土をしないことを決めた実務上の決定者、また事実を知り得る立場にあった者であった」として、懲戒処分の手続きを行うことを明言した。

そして、11月4日に東京都が公表した「豊洲市場移転に関するロードマップ」によると、現在設置している専門家会議と、市場問題プロジェクトチームが中心となって安全性等の検証を行い、その後に環境アセスメントに入る。環境影響が軽微の場合は1、2カ月程度で終了するが、影響が大きい場合は再検討が必要で15カ月程度かかる。環境アセス次第では、追加対策工事が生じる可能性があり、最後に農相への認可手続きを経て、移転は2018年以降に大きくずれ込むとのことである。

築地市場の設備が老朽化し、市場としての機能が著しく低下する中、整備がほとんど完了している豊洲市場には移転ができず、一日500万円の維持費がかかる状況が、今後もかなりの期間続くことになる。

このような事態になってしまったことについて、豊洲市場自体の問題と、それに関する東京都の対応にどのような問題があり、それがどのように取り上げられ、マスコミや世の中がどのように反応してきたのか、これまでの経過を振り返ってみたい。

安全性・健康被害に関連する問題のコンプライアンス要素

官公庁や企業の事業や業務に関して、安全性や健康被害が問題になる場合、コンプライアンスの視点から問題となる要素が3つある。①「客観的な安全性」、②消費者、利用者等の「安心」、そして、③事業や業務に関する情報開示・説明責任である。

この3つの要素は、相互に密接に関わっている。

まず、①の「客観的な安全性」が最も重要であることは言うまでもない。法令上の基準を全て充たすだけではなく、考え得るあらゆるリスクに対応する万全の措置をとることが「安全コンプライアンス」として不可欠である。

しかし、いくら客観的には安全であっても、そして、危険性が合理的に否定できても、安全ではない印象・イメージを持たれることで②の「安心」が損なわれる場合もある。

そこで、重要となるのが、③の情報開示・説明責任を十分に尽くすことだ。それによって、「安全」であることへの信頼が確保され、「安心」を得ることができる。もし、情報開示が十分に行われていないと「隠ぺい」と批判され、事実に反する情報の開示を意図的に行っていた場合には、「改ざん」「偽装」「ねつ造」による厳しい批判・非難を受け、組織の信頼が失われるだけでなく、「安心」も著しく損なわれることになる。

かかる意味において、組織にとって、その活動をめぐる「情報開示」を積極的に行うことは重要である。しかし、組織の活動や業務をすべて公開し、透明にすることが求められているわけではない。情報開示が求められる程度は、事業・業務の内容や問題の性格、重要性によって異なる。

また、開示された「情報」が正しく理解されず、誤ったイメージによって、価値判断や評価が行われることで、大きな弊害が生じる場合もある。情報開示は、受け取る側の「情報リテラシー」如何によっては、「負の作用」を生じることに注意しなくてはならない。特に、「安全性」の問題に関して、専門的な知識がなければ意味が正しく理解できない数値などが公表された場合、マスコミの取り上げ方によっては、健康への影響等について、誤ったイメージが広がってしまい、正しい判断をすることが著しく困難になることもある。

豊洲移転問題のコンプライアンス的整理

東京都にとって、築地市場の豊洲への移転問題は、上記の①~③が複雑に交錯する困難なコンプライアンス問題である。

土壌に汚染物質を含む工場跡地に生鮮食品を扱う市場を建設するのであるから(そのような立地を選択したことの是非はおいておくとして)、まず、①の「安全性」に関して、土壌汚染対策等において法令上の基準を充たすことはもとより、健康被害の可能性をなくすための万全の安全対策が求められることは言うまでもない。

次に、②の「安心」に関してだが、これは「安全性」を確保するための対策が万全であることについて、市場関係者や消費者等に理解・納得してもらい、それを通して「安心」を得なくてはならない。そのために、豊洲への市場移転を決定した当事者の東京都側が「安全」と判断するだけではなく、その判断を客観化するための外部の専門家による検証を行うことが必要となる。

そして、③の「情報開示」に関しては、安全性に関わる事項について十分な情報開示を行うことと、安全対策等に関する議会での質問などに対して正確な説明を丁寧に行うことである。

築地市場の豊洲への移転は、石原知事時代の2001年に決定された方針にしたがい、その後の猪瀬知事時代、舛添知事時代も着々と進められてきた。その過程で、安全対策を外部の専門家が評価する枠組みとして設置されたのが「専門家会議」であり、その方針に沿って、外部者からなる「技術会議」での議論も踏まえて、建設計画が具体化されてきた。

こうして新市場の整備のほとんどが完了し、11月7日に予定された移転に向けての最終段階の作業が進められていた今年8月に、舛添知事の辞任を受けての都知事選挙で圧勝した小池百合子氏が都知事に就任し、豊洲への市場移転問題への対応の「主役」の座に登場することになった。

小池氏は、自らの著書(「東京WOMEN大作戦」2008年)で、市場は築地での建替えが妥当だとし、豊洲は東京五輪用のメディアセンターなど、食との関係の薄い分野で活用すべきと述べていた。都知事就任後、都政改革本部を設け、「都政改革」の方針を打ち出している小池氏が、豊洲への移転について、どのような判断を下すのかが注目された。

しかし、この時点での判断というのは、市場の豊洲への移転の是非を判断する段階、或いは、その建設途中の段階のものとは異なる。既に、6000億円近くもの巨費が投じられて建物や設備のほとんどが完成しており、11月の移転に向けて、冷凍業者等は設備の稼働に入っている。移転を中止すれば、投じられた費用の大部分はドブに捨てることになるし、延期した場合も、一日500万円を超える維持費がかかる。常識で考えれば、豊洲への移転を中止又は延期できる時期は、とうに過ぎているといえるだろう。

それでも、豊洲への移転自体を見直すとか、移転時期を大幅に延期する必要性が生じる場合もあり得る。その理由があるとすれば、①の安全性の問題である。

もし、豊洲市場の土壌汚染など、安全性に関して疑念を生じさせる事実が新たに発見されたのであれば、人の健康に関わる問題であるだけに、巨額の整備費用や維持費のことなど言っていられないだろう。客観的に安全と言えるか否かを、あらゆる観点から徹底的に再検証し、その結果如何によっては移転中止ということもあり得る判断である。しかし、①の安全性以外の問題で、移転を中止ないし大幅に延期する理由は考えにくい。

客観的な安全性には問題がないにもかかわらず、都民の間に「不安」が生じているのであれば、その不安を解消すべく最大限の努力をすべきであるし、情報開示・説明が不十分であるために、不安が解消できていないということであれば、改めて情報開示・説明を行うことで、安全性に対する疑問を解消することが何より重要となる。

要するに、①の「安全性」の問題と切り離して、裸のまま②の「安心」、③の「情報開示・説明責任」の問題を取り上げても、それだけでは豊洲への移転の見直しや延期を正当化できるとはいえないのであり、予定どおり移転することの是非の判断は、兎にも角にも、①の「安全性」の問題にかかっているのである。

豊洲への移転延期の理由

8月31日に豊洲への移転を延期することを発表した際、小池氏が挙げた延期の理由は、①の「安全性」の観点だけの単純なものではなかった。

「都民ファースト」の観点から、第1に「安全性への懸念」、第2に「巨額かつ不透明な費用の増大」、第3に「情報公開の不足」という3つの理由から、延期を決断したとの説明であった。

「安全性への懸念」については、2014年11月18日から2年間の予定で土壌汚染対策の安全性の確認のための地下水のモニタリングが行われているので、その完了前に豊洲市場を開場することはできない、2年間のモニタリング結果を見届けることは、安全性の確認の説得力ということにおいて譲ることはできない、という理由だった。

確かに、土壌汚染対策は、もしそれが不十分であれば、地下水のモニタリングの結果に表れるのであるから、予定のモニタリングが完了する前に、市場を開場すべきではないというのは「正論」である。しかし、既に前知事の時代に、11月 7日開場の予定で、全てが動いている。それを延期することで、市場関係者に重大な影響が生じることは避けられない。仮に、地下水モニタリングが完了していないことだけを理由にして移転を延期し、最後のモニタリングの結果に全く問題がなかった場合、結果論ではあるが、小池氏の移転延期の判断によって大きな損失が生じたということになる。そこで、第1の「安全性への懸念」に付け加えられたのが、第2、第3の理由なのであろう。

しかし、第2の「巨額かつ不透明な費用の増大」というのは移転延期の理由になるだろうか。建設費が当初の予定を大幅に上回っていることは事実だが、その費用は、既に前知事までの時代に投じられてしまっている。移転を中止すれば、投じられた費用の多くはムダになり、移転を延期すれば多額の維持費用がかかることになり、都民の負担をさらに増大させることになるだけだ。「巨額かつ不透明な費用の増大」については、その経緯について十分な事実解明が行われるべきであるし、その結果、関係者の責任追及や、支払った費用の返還や賠償を求める事態に発展することはあり得るが、移転の中止・延期の理由になるものではない。

そこで、第3の「情報公開の不足」という理由が持ち出され、「都民ファースト」という小池氏のスローガンの中心とされている「情報公開」にも関連するものとして重視されることになった。

小池氏は、この点について、記者会見で

豊洲新市場が2752億円もかけた立派な建物だけれども、そこでこんなにお金をかけていながら、そこで仕事をする業者さんからいまだに不満が多く出てくるのは一体何なのでしょうか。それから、849億円もかけて土壌汚染対策をしているのに、安全性への疑問が絶えないのは一体何なのでしょうか。それは、私はやはり適切な情報開示、情報公開が行われて、またはちゃんとそれが伝わっていなかったからではないだろうか

と述べている。

しかし、安全性の問題と離れて、情報開示・情報公開が十分ではなかったことが、既に建物設備が完成している豊洲市場の開場を中止したり、大幅に延期したりする理由になるといえるのだろうか。「安全性」に関して問題がないことが客観的に明らかなのに、情報開示に問題があり、「安心」が得られていないというのであれば、改めて、それを十分に情報開示、説明すべきである。そして、その反省を、情報公開に関する都政改革に結び付けていけばよいのである。従前の情報開示に問題があったとしても、「客観的な安全性」の問題から離れて、移転を中止・延期することの理由にはならないのではないか。

既に建物・設備は完成し移転を目前に控えていた豊洲市場開場を延期することの是非を考えるのであれば、本来、「安全性」の問題に議論を集中すべきであった。ところが、小池都知事の会見での説明によって、論点が、「それまでかけてきた費用の正当性」「情報開示の内容」等に拡散することになった。

「盛り土」中心のストーリー展開

そして、延期発表から10日後の9月10日、土曜日の「緊急会見」で、小池氏が、敷地全体で行われるという方針であった「盛り土」が、建物の地下では行われていなかったことを明らかにし、問題を指摘したことで、それ以降、豊洲への移転問題は、「盛り土」の問題を中心にストーリーが展開していくことになった。まさに、小池劇場での小池監督主演映画“盛り土”の開演である。

本来、「盛り土」は、工場跡地に立地する豊洲市場の土壌汚染対策の唯一の方法というわけではなく、一つの手段に過ぎない。ところが、「盛り土」が建物の地下で行われていなかったのが、いかなる理由なのか、誰が決めたのか、なぜ、その事実が正しく情報開示されていなかったのか、という「盛り土」に関する事実だけがクローズアップされてきた。

しかも、建物の地下で「盛り土」を行っていないのに、行っているように説明していたというのは、「情報開示」、つまり上記③の問題なのであるが、それを、①の「安全性」の問題、②の「安心」の問題と関連づけ、さらに、小池都政改革の目玉とされている一般的な「情報公開」の文脈で捉えるという「カメラワーク」の影響もあって、豊洲市場問題における「盛り土」の位置づけがどんどん高まっていった。

小池氏の「緊急会見」での指摘以降、「盛り土」問題がどのような経緯をたどり、都の幹部8人の「懲戒処分」や、移転延期の長期化という事態につながったのか、次回ブログ記事で詳しく述べることとしたい。

 

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若狭勝氏ブログ発言と「特捜部の常套手段」

自民党の若狭勝衆議院議員が、昨晩(10月27日)、

意味深な話です。刑事被告人が無罪を主張している際、関係者から、「執行猶予だから罪を認めろ」という働き掛けがなされる場合があります。しかし、状況に照らし、被告人が無罪と思われる場合、その働き掛けに応じることは、著しい人権侵害となるので、到底できません。

などという僅か4行の短いブログ記事を出し、それがBLOGOSに転載されていた。寄せられたコメントでは、都知事選で自民党都連の方針に反して小池百合子候補を支援した7人の区議会議員に対する自民党側の対応に関する発言と受け取られているようだが、ブログ記事の文面からはよくわからない。

ただ、このブログ記事の中で若狭氏が言っている「『執行猶予だから罪を認めろ』という働きかけ」の話に関連して思い出すのは、過去に特捜部が起訴した事件の公判対策で常套手段としてきたやり方だ。

特捜部が手掛けた事件などで、ターゲットとされた被疑者が否認を続け、公判でも全面無罪を主張することが予想される場合に、関与の薄い関係者も含めて「共犯者」として逮捕・勾留することは珍しくない。その共犯者の弁護人に対して、検察側から、「保釈に協力する。どうせ執行猶予だから公判で認めさせてほしい。」との働きかけが行われることがある。その弁護人が「検察協力型ヤメ検弁護士」だと、弁護人が「早期保釈も得られるし、判決は執行猶予が確実だ。」とその共犯者を説得すれば、共犯者は全面的に事実を認めて早期結審し、執行猶予付き有罪判決が出ることになる。この場合、同じ事件であれば、一つの起訴状で同時に起訴されるので、無罪主張をする被告人と早期結審で有罪判決を受ける共犯者は同じ裁判体に裁かれることになる。

全面的に事実を認めた被告人の裁判は、弁護人が検察官調書等を証拠とすることに同意するので、裁判官はほぼ調書しか見ないで有罪判決を出す。一方、無罪主張をする被告人の裁判では、争っている事実についての検察官調書は証拠とされず、証人尋問が行われるので、同じ事件であっても有罪無罪の判断の根拠となる証拠は異なることになる。判断のもとになる証拠関係が異なるのであるから両者の判決結果が異なってもおかしくはないのであるが、実際には、同じ事件について、共犯者に既に有罪の判決を出した裁判官にとって、主犯者の事件で無罪判決を出すことには相当な心理的抵抗が生じる。

そのような効果を狙って、本来であれば、起訴する必要もないような共犯者も敢えて起訴するということは、実際に、過去の特捜事件において行われてきたし、このようなやり方は、特捜部にとって有力な公判対策になってきた。それによって、刑事処罰を受けるようなことをした覚えはないと思っている場合、つまり、「被告人が無罪と思われる場合」に近いのに、「早期保釈」「執行猶予」で説得されて罪を認めて有罪となった人間も少なくない。

若狭氏は、そういう特捜部で、主任検察官や副部長を務め、「『執行猶予だから罪を認めろ』という働き掛け」を行う側であった。「その働き掛けに応じることは、著しい人権侵害となるので、到底できません。」などと言っているのは、特捜部時代のことへの反省と悔恨を込めているのであろうか。

若狭氏とは検事任官同期である私は、彼が、検事退官後、弁護士・コメンテーターの立場から、参議院選挙に立候補した時(この選挙では落選し、2014年の衆議院議員選挙で初当選)にも、【参議院選出馬の若狭勝弁護士、「法律実務家としての魂」はどこに?】と題するブログ記事で、「検事・若狭勝」に関する私の記憶をたどった上、国会議員への転身を図る彼の姿勢を批判してきた。

その考えに今も変わりはない。

 

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「白紙領収書」問題の根本は、議員間の現金授受という「不透明な慣行」

10月6日の参議院予算委員会での答弁で、菅義偉官房長官と稲田朋美防衛大臣が、政治資金パーティーの会費を払った際、白紙の領収書を受け取り、自身の事務所関係者が金額などを記入していたことを認め、「多くの出席者がいるパーティーで主催者側が短時間に領収書を作ることは難しい。互いに面識のある主催者と参加者との間においては、主催者側の了解の下、いわば委託を受けて参加者側が記載することがしばしば行われている。」などとして、事務処理上の対応だと説明した。そして、政治資金規正法を所管する高市早苗総務大臣は、「領収書の作成方法を定めた規定はなく、主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」と答弁した。

これに対して、毎日【白紙の領収書 政治家の非常識に驚く】読売【政治資金領収書 法の適正運用へ手間惜しむな】に加え、一般的には「自民党寄り」の記事・論説が多い産経新聞までもが、社説で【白紙の領収書 非常識がまかり通るのか】などと厳しく批判している。

自民党は、当初は「問題ない」とし、「細かいことばかり取り上げないでほしい」(二階幹事長)としていたが、11日になって、安倍首相が、国会で「国民に疑惑をもたれないようにしなければならない」と答弁し、幹事長名で、会場の受付で金額など必要事項を記入した領収書を交付するよう求め、混雑して交付が難しい場合は、事後に金額などを記載した領収書を届けるよう要請する通達を出した。

そもそも、「領収書」というのは、金銭を受領した側が、その受領の事実を証明するために金銭を支払った側に交付する書面である。最も重要な要素である「金額」を記入せずに渡して、支払った側に記入してもらうのでは、「領収書」をやり取りする意味がない。政治資金規正法が認めている国会議員の政治資金パーティーで、「白紙領収書」のやり取りという「非常識なやり方」が横行していること自体が、厳しい社会的批判を受けるのは当然と言えよう。

しかし、この問題に関して、“「白紙領収書」は、政治資金規正法上の領収書とは認められないので、違法だ”、“支払者が金額を書くのは私文書偽造の犯罪に当たる”などと言われていることや、富山市議会の政務調査費の不正請求で「白紙領収書」が使われていたことが引き合いに出されたりするのは、明らかに誤りだ。そのような的外れの批判は、かえって、この問題の根本を見過ごすことにつながる。

白紙領収書の違法性

まず、政治資金パーティーでの「白紙領収書」のやり取りが「違法」なのかどうかという点だが、領収書というのは、金銭の授受を証明するための手段であり、「文書」である以上、その記入を作成者が他人に代行させることは可能だ。支払者自身が正確に金額を確認して記入するよう委任することも、「領収書」の本来の趣旨には反するものではあるが、金銭授受の客観的事実に誤りがないのであれば、それ自体が法律上の問題になるわけではない。政治資金規正法に、「領収書の作成方法」に関する規定があり、支払者側が記入することが禁止されているのであれば、政治資金の処理に関して白紙で交付された領収書を用いることは違法となるが、そのような規定がない以上、政治資金規正法違反の問題は生じない。また、作成者の承諾を得て、他人が文書を作成した場合に、「偽造」の問題が生じないのは当然である。地方議会での政務調査費の不正請求に関して「白紙領収書」が使われていた問題は、金銭授受の事実がないのに、それがあるかのような「虚偽の領収書」を作成していた問題であり、稲田・菅両氏が認めている「白紙領収書」の問題とは異なる。

白紙領収書の客観面での「不適切さ」

しかし、法律上問題ないからと言って、すべてが是認されるわけではない。政治資金問題等で都知事辞任に追い込まれた舛添氏の「政治資金による中国服購入」と同様に、「違法ではないが不適切」なものもあるのであり、その「不適切さ」のレベルは、事案によって異なる。政治資金パーティーにおける「白紙領収書」のやり取りの「不適切さ」のレベルがどの程度のものなのかを、まず考えてみる必要がある。

「白紙領収書」の「不適切さ」には、客観面の問題と主観面の問題とが考えられる。

客観面の問題というのは、事実とは異なる金銭授受が作り上げられ、それが、脱税・詐欺・不正請求等の手段に使われる恐れがあることである。

金銭の授受の客観的な事実を領収書以外の方法で証明できるが、何らかの理由で形式上「領収書」が必要な場合などは、白紙のままやり取りされたとしても、客観面での「不適切さ」のレベルは低い。例えば、銀行振込による支払いをした場合について、形式上「領収書」の提出が必要な場合、予め「白紙領収書」を渡しておいて、支払者の方で送金手続を完了した段階で、自ら金額を記入するというやり方をとったとしても、客観的事実と齟齬が生じる可能性はほとんどない。

また、“現金受領時に金額を確かめずに白紙領収書を渡し、その後に、受領者の方で金額を確認した上で、その金額を支払者に連絡して、金額の記入を代行してもらう”というやり方をとった場合には、受領者側で、確認した金額を記載した領収書の「控え」を作成するはずだ。支払者が「白紙領収書」に記入した金額が、その「控え」の記載と一致しているのであれば実質的な問題はない。

要するに、領収書の記載と「支払の客観的事実」との一致が担保されているのであれば、客観面での「不適切さ」のレベルは低いのである。

そこで問題となるのが、政治資金パーティーでの国会議員間の「白紙領収書」のやり取りに関して、「支払の客観的事実との一致」が担保されていると言えるかどうか、逆に言えば、「白紙領収書」のやり取りが、事実とは異なる金銭の授受があったかのような政治資金の処理、すなわち「不正の手段」に使われる可能性がないかどうかである。

この点に関しては、「政治資金パーティー」という政治資金集めの手段が、政治資金規正法が認める方法の中で、年間5万円以上の場合が全て収支報告書で公開される寄附(いわゆる「政治献金」)と比較して「不透明な手法」であることとの関係が問題となる。政治資金パーティーの収入に関しては、一件20万円までの対価(会費)の支払は、政治資金収支報告書には、個別に記載する必要はなく、パーティー収入の総額のみ記載されれば良いことになっている。個別に支払われた会費の金額が、収支報告書に記載されて公開されないという匿名性・不透明性が、企業・団体献金に対する制限強化の中で「隠れ蓑」となり、過去には、政治資金をめぐる「不正の温床」にもなってきた。

私も、検事時代に、地方地検の検察独自捜査で、政党の地方組織主催の政治資金パーティーで、数千万円の収入がパーティー収入から除外されて裏金となり、不正な使い道に回されていた事件や、県議会議員主催のパーティー券を県幹部が地位を利用してゼネコンにあっせんしていた事件など、政治資金パーティーをめぐる犯罪を摘発し、起訴したことがある。

そういう経験を有する私にとって、今回、政治資金パーティーに関して「白紙領収書」の問題が取り上げられ、真っ先に考えたのは、「不正の手段」として使われたのではないかということであった。この点については、私なりに十分に検討したが、政治資金規正法の規定等との関係から言えば、「白紙領収書」が「不正の手段」として使われた可能性は極めて低いと考えられる。

10月6日の参議院予算委員会で、高市総務大臣は、以下のように答弁している。

主催者も、来賓として出席した者も国会議員である場合、双方の事務所においてパーティーの日付、名称、出金額または入金額が記録されていますから、事実と異なる必要事項の領収書への記入というものはまず発生しないと考えられることから、出席国会議員側による記入を了解する関係というものが成立すると考えられます。ちなみに、特定パーティーの報告書ですけれども、対価にかかる収入の金額の横に対価の支払いをした者の数も記入しなければなりません。ともに政治家の国会議員の事務所ですから、ここのところは出金も、それから入金もお互いに記録をしている。パーティー券も、これは政治資金法に基づくパーティーであることをちゃんと記した書面を交付しなければいけないわけですから、それによって互いに保管していると。こういったことから出席者側による記入を了解される関係が成立すると考えております。

高市大臣は、当事者の国会議員が、双方の事務所で、パーティーの日付・名称とそのパーティーで支払った金額・受け取った金額を記録していて、事実と異なる金額が記載されることは考えられないので、主催者側の了解を得て出席者側が金額を記入しても問題はないと言うのである。

そこで問題となるのが、20万円以下の対価の支払が政治資金収支報告書で公開されない政治資金パーティーについて、「入出金が正しく記録されている」と言えるか否かである。

この点に関して重要なことは、パーティーに関する「入出金の記録」は、収支報告書による公開の対象にはなっていないが、政治資金規正法により、法律上、作成・備付けが義務づけている会計帳簿の記載事項とされているので、「白紙領収書」を交付した場合でも、その収入を会計帳簿に記載しなければならず、事実と異なる記載をすれば、会計帳簿虚偽記入罪が成立するということである。もちろん、会計帳簿は公開されるものではなく、会計帳簿虚偽記入罪で摘発された話は聞いたことがないので、パーティー券収入が、実際にどれだけ正確に記載されているかはわからない。しかし、パーティーに参加した国会議員の側では、相手方の会計帳簿への記載が杜撰であるか否かはわからない以上、それを見越して、白紙の領収書に事実に反する記載を行うということは考えにくい。

このようなことから、政治資金パーティーにおける「白紙領収書」については、「支払の客観的事実との一致」の担保という面ではあまり問題はなく、不正の手段にされる可能性も低い。つまり、客観面での「不適切さ」のレベルは低いと言えるのである。

白紙領収書の主観面での「不適切さ」

しかし、「白紙領収書」が領収書の本来の作成方法ではなく、そのようなやり方が横行することが、適正な会計処理や税務申告を阻害することに変わりはない。国会議員の政治資金パーティーにおいて、そのようなやり方が、当たり前のようにまかり通っていると国民に認識されることは、大きな社会的弊害をもたらす。それが、主観面での「不適切さ」の問題である。

これまで「政治とカネ」の問題が表面化する度に、政治資金規正法のルールが強化され、とりわけ、以前は、政治資金の「収入」面の問題が中心で、あまり問題にされることがなかった政治資金の「支出」の問題が、事務所費の問題等として、しばしば問題化し、すべての支出に領収書添付が義務付けられるに至って、国民には、「領収書」が、政治資金の適正処理において極めて重要なものと認識されるようになった。その「領収書」に関して、国会議員間においては、白紙のまま授受されるという「世の中では凡そ通用しないやり方」が用いられていること自体が、政治に対する更なる不信を生じさせることになる。

そもそも、多数の参加者が集まる政治資金パーティーに国会議員が参加する際に、“「水引き」に入れた現金を持参する”という慣行が、「事務手続上の必要」から「白紙領収書」を交付することにつながった根本的な原因なのである。政治資金パーティーは、政党や政治家が、広く浅く政治資金の提供を受けるための手段であり、それは、本来、国会議員間の資金のやり取りに使うためのものではない。もし、他の政治家の政治活動を資金的に支援したいのであれば、その金額を、振込送金等の方法で、資金管理団体等に寄附すれば良いのである。

政治資金パーティーに、有力国会議員が来賓として招かれたのであれば、参加して、挨拶・スピーチを行うこと、少なくとも、パーティーに顔を見せることだけでも、パーティー主催者の議員にとって有難いことであろう。その際に、“「ご祝儀」として、「水引き」に入れた現金を手渡す”という「旧態依然としたやり方」を続けることは、透明性が強く求められている現在の政治の世界にそぐわないように思われる。

自民党二階幹事長の通達も、短期的には守られるであろうが、「水引き」に入れた現金授受の慣行が変わらなければ、いずれ、パーティー後に、金額を確認して領収書を送るという煩雑な方法はとられなくなっていく可能性が高い。

政治資金パーティーにおける国会議員間の現金授受という「不透明なやり方」を改めることが、今回の「白紙領収書」問題の根本的な解決方法である。

 

 

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「推定無罪」を無視した高畑裕太氏事件を巡る報道・放送

8月23日に、強姦致傷罪で逮捕された俳優高畑裕太氏が、昨日(9月9日)、不起訴処分となり、釈放された。 同氏の弁護人は、以下のようなコメントを発表した。

 今回、高畑裕太さんが不起訴・釈放となりました。

これには、被害者とされた女性との示談成立が考慮されたことは事実と思います。しかし、ご存じのとおり、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません。

一般論として、当初は、合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません。もっとも、このようなタイプではなく、当初から、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして、無理矢理性行為を行うタイプの事件があり、これは明らかに強姦罪が成立します。違法性の顕著な悪質な強姦罪と言えます。

私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。

しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。

平成28年9月9日

 

弁護人が、不起訴処分になった事件についてこのようなコメントを出すのは異例だ。そうでもしないと、「強姦魔が、金に物を言わせて、被害者と示談し、処罰を免れた」というような憶測に基づくバッシングが続くことが懸念されたからであろう。弁護人としては、「被害者」側の了解がなければ、このようなコメントはできないはずだ。被害者との間での示談も、実質的には、「強姦」というほどの事実ではなかったことを被害者側が認めた上で行われた可能性もある。

高畑氏及び弁護人の側が、そのような懸念を持つのも当然と思えるほど、同氏の逮捕以降の報道は異常だった。「人気俳優が重大な性犯罪で逮捕された」として、連日、ワイドショー等でも大々的に取り上げられた。この時点で、客観的に明らかになっていた事実は、「強姦致傷での逮捕」だけであり、それ以外に、本人や弁護人のコメントはなく、「容疑を認めている」という情報についても、警察の正式コメントか否かも不明であった。

にもかかわらず、逮捕が報じられた後、「俳優高畑裕太が悪質重大な強姦を犯した極悪非道な性犯罪者」だということが、ほとんど確定的事実のように扱われ、母親の高畑淳子氏が記者会見の場に引き出されて、300人もの記者から過酷な質問・追及を受け、その場面での高畑淳子氏の発言までもが事細かに取り上げられていった。

しかし、報道されていた断片的な事実などからすると、果たして、強姦致傷の事実があったか否か自体が、疑問な事案であると言わざるを得ない。強姦の被害申告をしてきたのが、被害者本人ではなく、被害者の「知人」であるというのは、あまり一般的ではない。通常であれば、他人には明らかにしたくない事実であって、それが、事件後短時間の間に知人に話し、その知人がすぐに被害を届け出ている。また、態様にしても、ビジネスホテルの客室という周囲に音が聞こえやすい場所なので、被害者が抵抗したり、大声を出したりすれば、すぐに周囲に発覚するはずだ。なぜそのような場所で「強姦」をしようとしたのか、疑問がある。

私は、「示談の成否にかかわらず、起訴される可能性は低いだろう」と考えていた。そのことを、ブログで書こうかとも思ったが、重大な性犯罪で有罪になることを決めつける圧倒的な報道・放送の中で、それを否定する方向での意見を述べても理解されるとは思えない状況であったので、フジテレビのバイキングという討論番組に弁護士コメンテーターとして出演した際に、「強姦致傷といっても、様々な事案がある。まだ逮捕されただけの段階であり、起訴されるかどうかもわからないのだから、重大な犯罪を行ったとの前提で先走って話をすべきではない。」ということを繰り返し述べるにとどめた。

この件に関する同番組への3回目の出演となった8月30日、ある出演者が「これは凶悪犯罪」という発言をしたため、さすがに放置できないと考え、少し踏み込んだ発言をした。以下は、その時の発言内容である。

郷原)凶悪犯罪という言い方は絶対適切じゃないと思いますね。まず、まだ起訴もされていないんです。現時点であまり決め付けたものの言い方は絶対すべきではない。弁護人の立場から言わせてもらうと、「会見」というのは、弁護人としては好ましくないですよね。まだ認否も明らかにしていないわけです、弁護人は。本当にあの強姦の事実を認めているかどうかということも全く正式には何のコメントもないんですよ。しかし高畑さんが、お母さんが会見をすれば、当然聞かれますよね、「本人は認めていましたか?」と。そこでお母さんが何と言ったかと言ったら、「ルールがあって聞いちゃいけないそうです。」と。そんなことないです。母親が面会に行って「あなたやったの?」当然聞きますよ。それを聞いたからといって面会が禁止になるという、そんなことはないです。でも、だからと言って、それは嘘でしょう、なんてことは絶対言ってほしくないんです。そうやって息子が認めているのか認めていないのかということも、母親としては明らかにしたくないんですよ。

坂上)これは例えば、会見を開くということは、弁護士さんと相談していますよね。

郷原)していると思います。ですから、弁護活動という面で言えば、こんな段階で会見はしてほしくないですよ。

坂上)でも弁護士さんが、ある意味、GOを出したから、会見を開いたわけですよね。

郷原)そうでしょうね。もう致し方ないという判断でしょうね。その代わり、事件の中身についてはできるだけコメントしてほしくない。それがああいう発言につながったのかもしれないですね。

ヒロミ)じゃあ聞けることは聞けるんですね。接見の場では。

郷原)聞けます。

坂上)ただそこで変なやりとりというか、作為的な方向に行ったらダメってこと。

郷原)もちろん、罪証消滅の恐れがあるということになると、口裏合わせとかですね。そうなると接見禁止ということになるんですよ。でも、この事件ではありえないじゃないですか、被害者と加害者との間の一対一の話だから。それで面会ができなくなるということはちょっと考えられないですね。

ヒロミ)起訴されるか、されないかというのはどれくらいの時期に。

郷原)いろんな可能性がありますね、今後。ひょっとすると示談が成立して不起訴という可能性があるし、それに、捜査の結果、これは本当に強姦なのか、無理やりやろうと思ったんじゃないんじゃないかということが問題になって起訴できないという可能性だってありますよ

ここで発言しているとおり、この時点でも、不起訴処分は十分に予想されたことだった。

この種の性犯罪では、今回のように、被害者側の事情に加えて、今回のように不起訴で決着する可能性も十分にあるので、一般的には、逮捕されたというだけで、起訴前に事件が報道されることはほとんどない。マスコミは、事件の性格に配慮している。この事件では、高畑氏が人気芸能人であり、しかも、逮捕時の罪名が「強姦致傷」というセンセーショナルなものだったために、逮捕の段階から異例の「前のめりの報道」が行われた。

このような「前のめりのマスコミ報道」を招いた原因には、弁護士等の専門家のコメントが、影響したことも否定できない。

強姦致傷という罪名で逮捕されたというだけで、まだ、どのような事案なのかは全く不明であるのに、新聞でのコメントやテレビ番組での発言の多くが、「強姦致傷」という罪名だけで長期の実刑になるのが当然のように発言するものであった。

逮捕直後のスポーツ新聞の記事では、「元検事の弁護士」が、「恐らく高畑容疑者は4、5年の実刑判決」、「強姦致傷罪の場合、裁判員裁判で行われるので、もう少し重い実刑判決を受けるのでは」「一般の方の裁判員は性犯罪に厳しい傾向がある。このため最近の性犯罪の量刑は重くなることが多い。また強姦致傷罪は求刑通りの判決が出ることが多く、執行猶予が付くことは考えにくい」などと、高畑氏が強姦致傷罪で長期の実刑になるのが当然のようにコメントしているだけでなく、「手口や高畑容疑者のコメントを聞く限り、本当に初犯なのかどうかを疑いたくなる。手口が巧妙で、思いつきでやったとは思えない」などと、全く的外れな「指摘」まで行っているのである。

このような専門家コメントが、マスコミの「前のめり報道」を煽る結果になったことも否定できない。

今回の事件ほど、「推定無罪」という原則(「有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない(権利を有する)ことを意味する」(国際人権規約B規約14条2項))が著しく踏みにじられた例は他にないのではなかろうか。

一度犯罪者とされた人間が、不当な取扱い、辱め、迫害を受け、冤罪が繰り返されてきた不幸な歴史の中で、近代法の原則として、近代社会のルールとして確立したのが「推定無罪」である。

もちろん、有罪判決が確定するまで、「犯罪者」として扱うことが一切許されないわけではない。犯罪の嫌疑を持たれた時点、逮捕・勾留による身柄拘束、起訴、裁判で、本人が罪状を認め、それが公表されることなどによって、最終的に有罪となる可能性が高いと判断されれば、その程度に応じて、「有罪」との前提で取扱うことも相応に許容されるであろうし、特に、覚せい剤のように、本人が認めている限り、有罪判決になることはほとんど確実な事件であれば、逮捕段階から有罪視することも、それほど問題にはならない。

しかし、本件のような性犯罪では事情は全く異なる。事件の内容からして、起訴されるか否か、有罪判決に至るか否かには、多大な疑問があり、しかも、被害者の保護の要請もあるのであるから、逮捕の段階での事件報道は、極力差し控えるべきだった。

そして、そのためには、マスコミに対してコメントをする専門家の側にも、公表されている事実、明らかになっている事実から、客観的に事態を把握し、冷静になって、可能な限り正確なコメントをすることが求められていることは言うまでもない。

今回の高畑氏の事件に関する「前のめり報道」は、有名芸能人などの刑事事件に関する報道に関して多くの教訓・課題を残した。新聞・テレビ各社は、まず、これまで高畑氏に関して行った報道を真摯に検証し、不起訴処分・釈放という事件の結末と弁護人コメント等に照らして、不適切だったと考えられる報道や放送については是正措置をとるべきであろう。

しかし、現在のところ、マスコミにはそのような姿勢は全くうかがえない。新聞各紙は、高畑氏の不起訴処分に関して、「高畑さんの弁護人は書面で『被害者とされた女性との示談成立が考慮された』との見方を示した。」(毎日)などと弁護人コメントを引用して、あたかも示談成立が不起訴理由で、「強姦致傷」の嫌疑は否定されていないかのような書き方をしている。

冒頭に引用したように、弁護人コメントは、「示談成立が考慮されたことは事実だが、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れない。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではない」と述べて、示談成立が直接の不起訴理由ではないことを指摘し、反対に、「仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件」と明確に述べているのである。それを、弁護人コメントの一部を抜き出して「示談成立による不起訴」であるかのように書くのは、コメントのねつ造に近いものと言えよう。

今回の一連の報道で、高畑氏が受けるダメージや今後のマスコミ側の対応如何によっては、本件は、深刻な人権問題となり、訴訟に発展する可能性もないとは言えない。

 

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東芝粉飾決算刑事告発、検察の消極論の誤謬

東芝の不正会計問題に関して、告発をめざして調査を継続している証券取引等監視委員会(以下、「監視委員会」)と検察との間で対立・確執が生じている。

7月にも、歴代3社長の刑事責任を問うのは困難との見方を示した東京地検に対し、監視委員会は再考を求める意見を伝えたこと、経営トップ主導の粉飾決算で刑事事件として立件すべきとする監視委員会側と検察の見解が分かれる異例の展開となっていることが報じられていたが、8月16日には、日経新聞が「東芝不祥事で監視委と検察に異例の溝」との見出しで、あくまで告発にこだわる監視委員会と消極姿勢の検察との確執を報じている。

では、東芝会計不正について歴代経営者を刑事処罰することに関してどのような問題があるのか、告発に対する検察の消極論の論拠はどのようなもので、それはどのように評価されるべきものなのか。

私は、昨年7月に第三者委員会報告書が公表された直後、東芝会計不正が刑事事件に発展するか否かの見通しを尋ねられた際には、消極的な見解を述べた。それは、報告書の公表とその直後の「歴代3社長辞任」で東芝問題が幕引きされたように思える状況の下、その報告書が、「刑事事件への発展」とは余りにかけ離れた内容だったからである。むしろ、刑事立件につながるような要素を巧妙に外しているようにすら思えた。

刑事処罰を行うためには、行為者に「犯意」があることが不可欠である。会計不正、つまり粉飾決算事件についても、「不正な会計処理であることの認識」がなければ刑事処罰を行うことはできない。しかし、【監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書】でも詳述したように、第三者委員会報告書は、「経営判断として不適切な会計処理が行われた」「経営トップらを含めた組織的な関与があった」などと経営トップを厳しく批判している一方で、彼らの不正の認識には全く触れておらず、その認識を裏付ける事実についての記述もなかった。

この「不正の認識」について最も重要なのは、会計監査人である監査法人との関係であり、不正な会計処理を行うとすれば、監査法人を「だます」か、「見逃してもらう」のいずれか2つしかないのであるが、第三者委員会報告書は、監査法人が不正を見過ごしたことを窺わせるような記述を随所で行っていながら、「会計監査人の監査の妥当性の評価は調査の目的外」だとして評価判断を回避していた。東芝の経営陣にとっては「監査法人が違法性を指摘しなかったので、問題ないという認識だった」という逃げ道ができるようになる。そのような報告書の内容を前提とする限り、犯意を認定することができず、歴代社長の刑事責任の追及などとても無理だと考えられた。

しかも、刑事事件の立証においては「動機」が極めて重要である。犯罪というのは、何らかの動機に基づいて犯意が生じ、実行されるのであり、刑事事件の公判では、そのプロセスが明らかにされる。企業犯罪としての粉飾決算事件であれば、事件となった当時の会社の経営状況や、不正な会計処理を行わざるを得なかった事情等も含めて事案の真相を明らかにすることが求められる。

この点に関して早くから指摘されていたのが、東芝の会計不正の背景には、福島原発事故以降、海外での原発受注が不振であった米国の原発子会社ウエスチングハウスの巨額減損問題という「原発事業問題」があったのではないかということだった。しかし、第三者委員会報告書では、調査対象が⑴工事進行基準案件 ⑵映像事業 ⑶半導体事業における在庫の評価 ⑷パソコン事業における部品取引等の4分野の不正に限定され、会社の全体的状況も、会計不正の動機も全く明らかにされなかった。そして、報告書では、「調査の前提」と題する項目の中で

東芝と合意した委嘱事項以外の事項については、本報告書に記載しているものを除き、いかなる調査も確認も行っていない。

と、わざわざ断り書きがなされ、原発事業問題は調査の対象外とされ、東芝経営陣が不正な会計処理を行ってまで守ろうとしたものが何だったのかという「粉飾の動機」は明らかにされなかった。

しかし、それは、第三者委員会報告書公表時点での話である。その後、開始された監視委員会の特別調査では、上記の2点についての解明が進められているはずであるし、東芝会計不正をめぐっては、その後、多くの状況の変化があった。

まず、粉飾決算の「動機」の問題である。

東芝の会計不正について、誌面で内部告発を呼びかけるという手段まで用いて、徹底した追及報道を行っていた日経ビジネス誌と日経ビジネスオンライン(NBO)が、同年11月に出した(【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損】【スクープ 東芝、室町社長にも送られた謀議メール 巨額減損問題、第三者委の調査は“出来レース”だった】)等の記事によって、第三者委員会発足前に、当時の東芝執行部が、米ウエスチングハウスの減損問題を委員会への調査委嘱事項から外すことを画策し、その東芝執行部の意向が、東芝の顧問である法律事務所から第三者委員会の委員の弁護士に伝えられ、原発事業をめぐる問題が第三者委員会の調査対象から除外されたことが明らかになった。しかも、その中で、当時の田中社長が、社内メールで「今回の課題は原子力事業の工事進行案件と初物案件(ETCなど)であって、それ以外は特に問題がないという論理の組み立てが必要だ。そうでなければ、会社の体質、組織的な問題に発展する。」と述べていたことも明らかになった。

東芝会計不正の本質が原発事業をめぐる問題であり、当時の東芝経営陣は、その問題の本質を、組織的に隠ぺいしようとしたことが明らかになったのである。

粉飾決算の「犯意」の問題に直結する監査法人に関しても、状況は大きく変化した。

東芝の会計監査を行った新日本有限責任監査法人(以下「新日本」)が、公認会計士法に基づき、21億円の課徴金納付命令・3カ月間の新規契約受注業務の停止・業務改善命令という行政処分を受けたことで、新日本の監査手続きに問題があったとの公的判断が示されたうえに、その背景に東芝側の新日本に対する組織的な隠ぺいがあったことが明らかになりつつある。

【最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」】でも引用した、今年4月の文芸春秋『スクープ・東芝「不正謀議メール」を公開する』と題する記事で、米ウエスチングハウスの減損に関し、新日本が東芝に厳しい指摘をしていたこと、東芝側が、その意見に対抗すべく、競合する大手監査法人であるトーマツの子会社(デロイトトーマツコンサルティング)から「工作」の伝授を受けていたこと、そして、会計不正が発覚するや、その不正調査に、会計監査対策に関わっていたトーマツ傘下の公認会計士を起用したことなども指摘された。

東芝側が他の大手監査法人の子会社まで使って巧妙な隠ぺい行為を行っていたとすれば、それは、東芝側の粉飾決算の「犯意」を立証する上で重要な根拠となる。

ここで、検察が、東芝会計不正の刑事事件化が困難な理由の一つとして持ち出しているとされる、長銀・日債銀事件での無罪判決との関係に触れておく必要があるだろう。

前掲の日経記事でも、

特捜部が1999年に摘発した長銀・日債銀事件の影響を指摘する声も聞かれる。両事件では不良債権処理の方法が争点となったが、最高裁は「経営陣の裁量の範囲内で許される」などとして旧経営陣は無罪となった。バイセル取引も「裁量の範囲内」とされるのではないか、と検察は危惧した。

と書かれている。

しかし、長銀・日債銀事件での無罪判決は、東芝会計不正の刑事事件化への消極論の根拠には全くならない。それどころか、この事件での「検察の失敗」の教訓こそが、東芝の粉飾決算を刑事事件化の「糧」となるものなのである。

私は、【検察の正義】(ちくま新書:2009年)で、長銀事件で検察が犯した誤りについて解説している。

長銀の経営破綻に関し、東京地検特捜部は、改正後の決算経理基準こそが1998年3月期に適用されるべき「公正なる会計慣行」だと判断し、「長銀が独自の決算基準を策定して自己査定を歪めた」という粉飾決算の事実を構成して、経営陣を逮捕・起訴した。しかし、その後、長銀及び同時期に破綻した日債銀の株主らによって、長銀らの旧経営陣と監査法人を相手に破綻の民事責任を問う民事訴訟が提起され、その訴訟で、「1998年3月期において通用していた公正なる会計慣行は改正前の決算経理基準であり、同基準によると、長銀の1998年3月期の決算に違法性はない。」として請求を棄却する判決が相次いだことで、同じ事件を巡って刑事事件と民事事件とで判断が異なる事態となり、それが、刑事事件で最高裁の無罪判決につながった。

長銀事件では、検察の捜査・起訴の段階で、粉飾決算について行政処分などの公的判断は出されておらず、「公正なる会計慣行」について十分な検討も行わないまま、検察だけで判断して起訴したことが、無罪判決という失敗につながった。

検察は、今回の東芝問題について「取引自体は架空でなく、バイセル取引は他メーカーも行っている。禁止する明確なルールもない。」という理由で、刑事事件への消極論に結び付けようとしているようだが(前記日経記事)、それは、全くの筋違いだ。

東芝会計不正では、バイセル取引の悪用による不正も含め、会計不正の事実について、東芝に対しても、会計監査人の新日本に対しても、課徴金納付命令が出され、違法評価が公的に確定している。検察が「公正なる会計慣行」について十分検討せず、会計処理を違法と決めつけてしまった長銀等の事件とは全く異なる。しかも、東芝側は他の大手監査法人の子会社まで使って、会計監査対策を行っていた事実があるのであり、組織的な不正の隠ぺいの事実が解明されることによって、経営陣を含む不正の認識は一層明らかになる。

さらに、東芝の会計不正をめぐっては、東芝の株主が、東芝に対して会計監査人の新日本の責任を問うための損害賠償請求訴訟を起こすよう求める動きがある。東芝が提訴しない場合、株主代表訴訟が提起されることは必至だ。その場合、新日本は、「監査証明に係る業務を執行する社員が相当の注意を怠ったことにより、(略)重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明した」とする課徴金納付命令を受け入れているのであるから、監査法人側が相次いで勝訴した長銀・日債銀事件とは異なり、民事訴訟では新日本は厳しい状況に追い込まれることになる。

その場合、新日本側として、唯一の有効な反論主張となるのは、東芝側が、他の監査法人の子会社まで使って組織的な不正の隠ぺいを行ってきた事実を徹底して主張していくことである。民事裁判でそのような主張が行われ、それに関する事実が明らかになることは、間違いなく、東芝の粉飾決算の刑事事件の立証にもプラスとなる。

このように考えると、東芝の会計不正を刑事事件化すること、監視委員会が告発を行うことに何ら問題はないことは明らかだ。検察が、長銀事件を持ち出して、刑事事件化に消極論を唱えているのだとすれば、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」の類だと言わざるを得ない。

「事件化は困難」との趣旨が書かれた東京地検特捜部からの書面を一瞥した監視委幹部が「こんな結論は認められない。検察は全く分かっていない」と吐き捨てた(前掲日経記事)というのも当然である。

この問題に関して私の脳裏に浮かぶのが、約四半世紀前の埼玉土曜会談合事件の告発をめぐる問題のことだ。拙著【告発の正義】(ちくま新書:2015年)では、この談合事件をめぐって、告発をめざす公正取引委員会の動きが、それを断念させようとする検察に抑え込まれた経緯について、当時、公取委への出向検事として事件に関わった私自身の体験も含めて述べている(74頁以下)。

告発見送りを正式に決定した公取委と検察との協議の場で、当時の最高検財政経済係検事が、「そもそも66社もの談合の事件を告発などしようと考えるのがおかしい。そんな事件を告発されたら、検察がどれだけの検事を動員してやらなければならなくなるか。公取委には、排除勧告とか課徴金とか、自分でやれることがあるんだから、それでやっていればよい。」と言い放った(前掲【告発の正義】、97頁)。まさに、「検察の独善」を象徴する検察幹部の発言だった。

前掲日経記事では、「過去最高の課徴金を(監視委員会が東芝に対して)命じた意味をどうとらえるのか。」という検察幹部の言葉が、73億円もの課徴金を課したのだからそれで勘弁してやればいいではないか、という趣旨で紹介されているが、それは、前記埼玉土曜会事件での検察幹部の発言と重なる。四半世紀を経ても、「告発の正義」に対する「検察の独善」は何一つ変わっていないのだ。

今回の東芝の会計不正の背景には、日本の伝統企業の「宿痾(しゅくあ)」とも言えるコーポレートガバナンスの機能不全の現実がある。粉飾決算の刑事事件として事案の真相を明らかにし、その真の原因を追求することが、日本企業のガバナンスに対する国際的な信頼回復のために不可欠である。それが埼玉土曜会事件と同様に、課徴金納付命令だけの中途半端な形で終われば、日本の経済社会に大きな禍根を残すことになりかねない。

金融商品取引法違反事件の刑事告発は、「証券市場の番人」たる行政機関の証券取引等監視委員会の固有の権限である。佐渡賢一委員長の適切な指揮の下、刑事事件化に向けて最終段階の調査が着実に行われ、「検察の独善」に屈することなく、「告発の正義」が貫徹されることを期待したい。

[郷原信郎]の告発の正義 (ちくま新書)  

 

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「日本版司法取引」運用上の最大の問題は「意図的な虚偽供述の疑い」への対応~美濃加茂市長事件控訴審で見えてきたもの(下)

【(上)から続く】

3 美濃加茂市長事件控訴審での検察官の主張立証

(2)供述経過と裏付けの時間的関係による「虚偽供述の可能性」の否定

検察官は、前記2の第2の観点から、「捜査段階において、中林供述がなされ順次その後裏付けがとれるという経過から虚偽供述の可能性が否定される」との主張を行った。「虚偽供述の可能性」を、客観的事実から、論理則・経験則に基づいて否定しようとしたのである。

具体的な供述が先行し、裏付けとなる客観的事実が、その後に供述者に呈示されたという経過であれば、供述者が客観的事実との「辻褄合わせ」を行ったことが否定される。それによって、信用性の要素である「供述と客観的証拠との整合性」が事後的に「作出」された可能性が論理則、経験則に基づいて否定される。

このような経験則による立証を用いる場合、最大の問題は、供述をした時点と、裏付けとなる事実を供述者へ呈示した時点との前後関係を客観的に立証することができるか否かである。そのためには、供述経過に加え、取調べのどの時点でどのような資料が示されたのかを客観的に立証することが必要となる。最も確実な方法は、供述の全経過の正確な記録に基づく立証である。つまり、取調べの全過程が録音・録画されていれば、確実に立証することができるが、そうでない限り、この方法で「虚偽供述の可能性」を否定することには限界がある。

美濃加茂市長事件では、弁護人は、公判前整理手続の段階から、中林の供述の信用性に関して、客観的な事実が把握された後に、供述をその事実に合うように変更する「辻褄合わせ」が行われてきたことを主張してきたが、一審では、検察官は、供述経過に関する客観的な立証を行わず、贈賄供述者の中林が、証人尋問で、供述経過に関する弁護人の質問に答えることだけに終始した。

控訴審においては、供述経過に関する立証を積極的に行う姿勢に転じたが、そこで用いた手段は、中林の取調べ警察官の証人尋問と、同人作成の取調べメモの証拠請求を行うというものであった。

従来から、「取調べメモ」に関して、開示することに対しても、証拠とすることに対しても、一貫して消極的な姿勢を取り続けてきた検察官が、それを自ら刑事事件の立証に用いようとすること自体矛盾しているが、その点を別にしても、 そのような捜査の当事者である警察官の証言と、捜査官による断片的な記載に過ぎない取調べメモによる立証は、取調べの録音・録画等の客観的な記録による方法とは異なり、もともと証拠価値が低く、証明のレベルにおいて格段に劣る。

検察官は、現金授受に関して、中林が虚偽供述を行いうる場面を3つに類型化した上、警察官証言と取調べメモによる立証で、そのいずれもが否定されるので虚偽供述の可能性が否定されると主張したが、そもそも、そのような証明レベルの低い証拠による供述経過の立証で「虚偽供述の可能性」をすべて否定しようとする立論自体に無理があった。

実際に、3つの類型のうちで現実的な可能性が高いと考えられる「警察官から出入金状況等の間接事実に関する情報提供を受け、中林がこれを利用して虚偽の現金授受を供述した場合」について、検察官は、取調べメモの記載から、「中林が現金授受を供述した時点では、警察官から出入金状況についての情報を提供されていないこと」を立証しようとしたが、中林の取調べ警察官の証言や、取調べメモの記載、そして中林自身の証言内容から、逆に、供述時点で、出入金記録が中林に呈示されていた可能性が十分に想定されるに至った。

その点も含め、虚偽供述の現実的経過が具体的に想定できるに至ったことから、弁護人は、最終弁論において、想定できる虚偽供述の経過を具体的に提示したのである。

それに対する検察官の反論は、「弁護人の主張は証拠に基づかない憶測に過ぎない」というものであった。検察官が「虚偽供述の可能性」を否定するのであれば、弁護人が具体的に指摘している「可能性」が、経験則上あり得ないことを、証拠に基づいて論証しなければならないはずである。ところが、検察官は、極めて現実的な想定を、「憶測」だと言って誤魔化すことしかできなかったのである。

「虚偽供述の可能性」を、供述経過と裏付け証拠の呈示の前後関係から客観的に否定するというのは、協議合意制度導入後の立証方法として極めて重要なものとなる。それを行うためには、取調べの録音録画など、供述経過に関する証拠の質的向上が不可欠なのである。

 

4 「信用性の作出」が困難な状況での証人尋問

協議合意制度における「合意供述」のように、自己の処罰を軽減するための「意図的な虚偽供述」が疑われる場合、供述者にとって、虚偽供述の疑いを低減することが至上命題である一方、検察官にとっても、その供述を根拠として起訴したのであれば、その虚偽供述の疑念を払拭することが重要な課題となる。このような場合、「関係証拠と符合している」「供述内容が具体的、合理的で自然である」などの従来の一般的な要素だけで公判証言の信用性を評価することはできない。供述者と検察官の両者が、「信用性の作出」に向けて最大限の努力を行う可能性があるからである。そのために極めて効果的な方法が、検察官と証人との間で行われる「証人テスト」である。

刑事訴訟規則191条の3で「証人の尋問を請求した検察官又は弁護人は、証人その他の関係者に事実を確かめる等の方法によって、適切な尋問をすることができるように準備しなければならない」と定めていることを根拠に、これまで、検察官請求の重要証人については、徹底した「証人テスト」を行うことで証言の信用性を確保してきた。

刑訴規則上認められているのは、「事実を確かめる等の方法」であり、基本的には、尋問する側である検察官あるいは弁護人が準備をするために、証言内容を確認する「質問」を行うこと、そして、必要があれば、記憶喚起のための「質問」を行うことである(その場合には、ある程度の「誘導質問」は許されるであろう)。

しかし、特に、特捜部事件等の、検察にとっての重要事件では、そのような「証人テスト」の範囲を超えて、証人が、検察官調書と同様の内容を、理路整然と、澱みなく証言できるように、検察官と証人との間で証言内容の「打合せ」を行うことも珍しくなかった。

「意図的な虚偽供述」の疑いがある場合に、供述者と検察官が、このような「打合せ」まがいの「証人テスト」を通じて「信用性の作出」を行う可能性があるのであるが、逆に、それが行い得ないような状況下で証言を行わせることができれば、「意図的な虚偽供述」であるか否かを見極めることが可能となる。

一審判決で贈賄供述者中林の「意図的な虚偽供述の疑い」が指摘された美濃加茂市長事件では、控訴審で、検察官の事実取調べ請求に基づく審理に目途がついた段階で、裁判所から、異例の裁判所の職権による証人尋問の実施を検討している旨の意向が示され、慎重な検討の末に、実施が決定された。

一審判決は、中林の供述・証言の信用性に関して、「贈賄供述をすることで、捜査機関の関心を他の重大な事件に向けて融資詐欺の捜査を止めることが、自己の量刑上有利に働くとの期待が、意図的な虚偽供述の動機となった可能性」を指摘したが、立件も起訴もされていなかった融資詐欺の余罪を弁護人が告発し、追起訴が行われたことで、結局、中林に対しては、4年の実刑判決が確定し、その後に、藤井市長に対する一審無罪判決が言い渡された。

処罰を軽減する動機での虚偽の贈賄自白は、結果的には思惑通りにはいかなかったということになる。実刑判決が確定していた中林には、「自己の量刑の軽減の可能性」という「虚偽供述の動機」が存在しなくなった。そこで、改めて中林の証人尋問を行い、中林が一審と同様の贈賄証言を行えば、虚偽供述の可能性は大幅に低下する。検察官としては、証人尋問を請求することが中林証言の信用性を立証する最も有効な方法のはずだったが、請求しなかった。

そこで、控訴審裁判所が、職権で証人尋問を実施することを決定したのである。中林が虚偽供述をしていた場合、控訴審において、もはや自己の処罰の軽減のために虚偽供述を行う必要性はなくなっている一方で、一審で藤井市長への贈賄を証言した事実は消えない。控訴審での証人尋問の結果如何では、一審での証言が偽証の疑いを受けることになる。検察官にとって、もし、中林が、「一審で意図的な虚偽供述を行った」と認めてしまえば、立証は崩壊し、控訴は維持できなくなる。

そのような事情からすれば、控訴審での中林の証人尋問についても、一審と同様に、検察官が連日長時間の「証人テスト」を行って、「証言すべき内容」を検察官が徹底的に教え込んで、「信用性の作出」が行われる恐れがあった。

こうした中、裁判所は、職権で中林の証人尋問を実施することを決定するとともに、検察官に対して、「証人テストを控えるように」との異例の要請を行い、中林に対しては、尋問項目を示す以外に事前には資料を送付せず、一審での証言後1年半の経過による「記憶の減退」があることも覚悟した上で証人尋問を行う方針で臨んだのである。

ところが、中林の元弁護人であった弁護士が、証人尋問の1ヶ月以上も前に、受刑中の中林に美濃加茂市長事件の判決書等の資料を送付するという信じ難い事態が発生した。このことで、一審での証言内容等に関する情報が、中林に事前に与えられることになり、当初の裁判所の証人尋問実施の目的は大きく損なわれることになった(【控訴審で一層明白となった贈賄虚偽証言と藤井美濃加茂市長の無実】)。

しかし、弁護人は、中林の証言内容と判決書の記載との比較から、中林が判決書を熟読して証言内容を準備した上で証人尋問に臨んだ疑いがあること、「判決書が届いた段階で1回ちらっと見ただけ」との中林証言は信用し難いこと、資料送付を受ける経緯等についての証言も不自然であることなどを指摘したところであり、結果的には、一審証言が「意図的な虚偽供述」であった疑いに関して、多くの新たな判断材料が得られることになった。

 

5 検察官の「証人テスト」に関する重大な疑念

中林の証言によれば、一審では、証人尋問の前に、関口検事との「打合せ」を「1ヶ月くらい」「毎日朝・昼・晩とやっていた」という。一方、検察官は、弁護人からの証人テストの回数、時間、内容についての証拠開示を拒絶している。連日、長時間にわたって行われた検察官の「証人テスト」とは、一体どのようなものだったのか。

中林は、その手掛かりとなる証言を行っている。

原審での「証人テスト」について質問された中林は、

要するに打合せというのは、これはよく覚えてるんですけど、検事のほうから、これは取調べじゃないからと。取調べじゃないんで、これはどうだったああだったということはもう聞きませんと。ですから飽くまでもこれは打合せと思ってくださいというふうに検事から言われまして、検事から、証人として出すにはしっかりと打合せをして出なきゃいけないというふうに、そのときに法律という言葉を使ったかどうか定かじゃないんですけども、法律でもそういうふうになってるからというふうに検事から聞いたので、ああ、そうなのかというふうに私は納得して受けてました。

などと証言している。

その証言どおりだとすれば、関口検事と中林との間では、最初から、検事が「質問」して記憶の確認をするのではなく、「打合せ」と称して、証言内容について「協議」をしていたということなのであり、むしろ『検察官と共同で証言内容を作り上げる作業』だったと解される。そしてそのような「打合せ」を、「法律に基づくもの」だと言われて、事実上強制されていたと証言しているのである。

それが、刑訴規則で定めているような「尋問準備」のための「証人テスト」とは凡そかけ離れたものであったことは明らかである。

 

6 協議合意制度と「証人テスト」の是非

「意図的な虚偽供述」の疑いがある証人については、検察官と証人との間で「信用性の作出」が行われる可能性があり、上記のような、本来の「尋問準備」の目的を超えた「打合せ」まがいの「証人テスト」が行われると、信用性の評価に多大な悪影響があることは明らかだ。

かかる意味で、一審判決で「意図的な虚偽供述の疑い」を指摘された証人について、検察官に証人テストを行わせず、証人側には情報を与えず、「生の記憶」を確認するための証人尋問を行うことは、証言の真実性を確認する上で極めて有効な方法である。美濃加茂市長事件控訴審で行われた贈賄供述者中林の証人尋問は、まさに、そのような観点から行われたものであった。

その点に関して、もう一つ重要なことは、その証人尋問が裁判所の職権で行われ、実際の質問も、裁判所が主体となって行われたことである。

従来から、検察官は、重要証人の尋問で「証人テスト」を当然のように行い、それが、証人に、供述調書とほとんど同様の証言をさせる結果を招いていた。ある意味では、供述調書がそのまま証拠とされる自白事件のみならず、否認事件においても「調書中心主義」が貫徹されることにつながっていた。そして、そのような立証手法は、検察官の立証方法だけではなく、裁判所の審理及び事実認定の姿勢にも深く関係している。すなわち、事実を詳細に認定する「精密司法」の下で、裁判所側も、検察官に対して、十分な尋問準備を行って、理路整然とした、わかりやすい証言が得られるようにすることを求めてきたのであり、それが、検察官が行う「証人テスト」の背景になっていたことも否定できない。

「意図的な虚偽供述の疑い」がある事件で、「証人テスト」による「信用性の作出」を排除した証人尋問が行われる必要があるが、そのためには、裁判所も、従来の「精密司法」から発想を転換する必要があるのである。

かかる意味で、美濃加茂市長事件控訴審において、裁判所が、慎重な検討の末に、中林の職権による証人尋問を決定したことには大きな意義があったと言えよう。従来の裁判所のように、具体的かつ理路整然とした証言を行わせることを検察官に期待する姿勢であれば、考えにくい方法であった。

今回の控訴審裁判所が行った、重要証人の異例の職権証人尋問は、今後、協議合意制度の運用において直面することとなる「意図的な虚偽供述の疑い」がある証言の信用性の判断という困難な課題に関して、新機軸を提示するものと言えるのではなかろうか。

 

カテゴリー: 藤井浩人美濃加茂市長, 司法制度 | 1件のコメント

「日本版司法取引」運用上の最大の問題は「意図的な虚偽供述の疑い」への対応~美濃加茂市長事件控訴審で見えてきたもの(上)

いわゆる「日本版司法取引」、被疑者・被告人が、他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力を行う見返りに、検察官が,その裁量の範囲内で一定の処分又は量刑上の恩典を提供することを合意する「捜査公判協力型協議・合意制度」(以下、「協議合意制度」)を含む刑事訴訟法改正案が、本年6月に成立し、同制度は、2018年6月までに施行される予定とされている。

国会審議の中でも、協議合意制度の最大の問題とされたのが、自分の罪を免れ、或いは軽減してもらう目的で行われる「虚偽供述」によって、無実の人間の「引き込み」が起きる危険だった。

その法案審議が開始される直前の2015年3月5日に一審無罪判決が言い渡された美濃加茂市長事件は、「闇取引」が問題とされ、「意図的な虚偽供述の疑い」を理由に贈賄供述の信用性が否定された事件だったこともあって、法案審議の中でも注目された。(主任弁護人を務めた私は、衆議院法務委員会での参考人意見陳述で、同事件で問題となった点と協議合意制度導入の是非の関係についても言及した。【衆議院法務委員会議事録】

検察官が控訴し、1年余にわたって名古屋高裁で繰り広げられてきた控訴審(7月27日結審、判決は11月28日に言い渡しの予定)で最大の問題となったのも、「意図的な虚偽供述の疑い」をどのように評価するのかという点だったが、それは、協議合意制度の運用上も、極めて重要な問題である。

そこで、美濃加茂市長事件控訴審の審理を通して協議合意制度の運用に関する問題を考えてみたい(長文なので、(上)(下)に分割して掲載する)。

 

1 美濃加茂市長事件における贈賄供述に関する問題と協議合意制度

現職市長が市議会議員時代の合計30万円の受託収賄等の事実で起訴され、捜査段階から一貫して現金授受の事実を全面否認してきた事件の唯一の直接証拠は浄水プラント業者の贈賄供述だったが、その供述は、合計4億円近くもの融資詐欺(公文書偽造・同行使等を手段とする)のうち2100万円の事実しか立件されていない段階で開始されたものだった。

警察が市長に対する贈収賄事件の捜査に着手して以降、融資詐欺の余罪がすべて不問に付されていたことに疑問を感じた弁護人は、公判前整理手続において「闇司法取引の疑い」を予定主張に掲げ、関連証拠の開示を受けたところ、当然起訴されるべき悪質な融資詐欺・公文書偽造・同行使等の事実が多数あることが確認された。弁護人が、それらの事実を告発したことで、検察官が、8ヶ月も放置していた4000万円の融資詐欺事実を追起訴せざるを得なくなったことなどを重視した一審裁判所は、「闇取引」自体は否定したものの、贈賄証言の信用性を否定する背景事実として「虚偽供述の動機が存在した可能性」を指摘して、市長に無罪判決を言い渡した。

現職市長の収賄事件での一審無罪判決に対して、検察は、組織の面子にかけて控訴した。控訴審では、贈賄供述者が、自己の処罰軽減を目的として「意図的な虚偽供述」をした疑いをどう評価するかが、最大のポイントとなった。

美濃加茂市長事件の一審では、処罰の軽減の約束が、不透明な形の事実上の取引として行われた「闇取引」の疑いが弁護人側から主張され、そのような「闇取引」が存在したのか否かが、一つの争点となった。一方、「協議合意制度」は、透明な形で、正式の制度として供述者に処罰の軽減の恩典を与えることで供述の動機を提供しようとするものであり、「合意供述」については、「取引」の存在が前提とされているという点で、美濃加茂市長事件とは異なる。

しかし、両者には重要な共通点がある。

それは、自己の処罰の軽減を目的とする「意図的な虚偽供述」が疑われ、その点が刑事裁判における重要な争点になるということである。

美濃加茂市長事件一審判決は、「闇取引」自体は否定しつつも、贈賄証言の信用性を否定する重要な背景として「虚偽供述の動機の存在の可能性」を指摘した。「闇取引」による供述であれ、協議合意制度導入後の「合意供述」であれ、自己の処罰の軽減のために「意図的な虚偽供述」を行う疑いがあることに変わりはない。そのような疑いがある場合は、実際の刑事裁判において、主張立証及び事実認定の在り方が、従来の「供述の信用性」の評価の手法とは大きく異なることとなる。

 

2 「意図的な虚偽供述」の疑いがある場合の立証と従来の立証との違い

  協議合意制度導入後の「合意供述」のように、自己の処罰を軽減する目的で「意図的な虚偽供述」を行った疑いがある場合には、もともと供述の信用性は低い。しかも、その供述の信用性については、従来の一般的な供述の信用性の評価とは異なった評価を行う必要がある。

従来は、刑事裁判では、「関係証拠と符合している」「供述内容が具体的、合理的で自然である」などが信用性を裏付ける要素とされ、公判証言もそれらを根拠に証言の信用性が認められ、刑事裁判の事実認定の根拠とされるのが通例であった。

しかし、合意供述のように「意図的に虚偽供述する動機」があり、実際に、刑事裁判で、「意図的な虚偽供述の疑い」が主張された場合には、そのような従来の信用性評価は必ずしも妥当しない。

自己の処罰を軽減するために「意図的な虚偽供述」を行う者は、まず捜査機関側に自らの供述を信用させる必要があり、一般的には信用性が高いと思われるような証言を必死に作り上げる可能性があるからである。「供述の信用性」の評価要素が、供述者によって作り上げられる、つまり意図的に「信用性の作出」が行われる恐れがある。

その供述者から聴取する立場の取調官の側も、当初は、そのような供述に対して慎重に対応するであろうが、一旦、その供述が信用できるものと考え、それを活用して捜査を進展させようと判断し、供述者との協議合意が成立した時点以降は、捜査の進展、当該事件の起訴に向けて、供述者と同様に「信用性の作出」を行う可能性がある。検察官も、合意供述に基づき、事件を起訴しようとして、取調べで供述内容を調書化する場合や、同供述に基づいて起訴が行われた後での証人尋問の準備等において、その供述が裁判所に信用されるようにするための努力を行うことになる。

こうした局面において、供述者側と警察官・検察官側が共同して、「供述の信用性」を作出することが考えられるのであるから、供述の信用性は、そのような経過の中で容易に作り出すことができる「供述の具体性・合理性、関係証拠との符合」等の従来の要素だけで信用性を評価することはできないのである。

では、「合意供述」のように、「意図的な虚偽供述の疑い」があるが、実際には真実を供述していると捜査機関・検察官が判断している場合、その供述に係る事実を立証するためにはどのような方法が考えられるのであろうか。

第1に、供述が契機となって把握された犯罪事実について、当該供述を除外して、それ以外の証拠によって当該事実を立証する方法である。特に重要となるのは間接事実による立証である。関連する事実を、間接事実として構成することで犯罪事実が推認できるのであれば、「意図的な虚偽供述」の疑いがある供述の信用性の低さが補われることになる。

第2に、供述経過と、それに関連する客観的事実の判明との時間的関係から、「意図的な虚偽供述の可能性」を否定するという方法である。「意図的な虚偽供述」というのは、記憶にない事実を創作して供述するということなので、客観的事実との不整合を来すことは避けがたい。それを信用できる供述であるように見せかけるためには、供述後に明らかになった客観的事実と辻褄が合うように供述内容を修正するなどして「信用性の作出」を行うことが不可欠となる。それが不可能であったことが客観的に否定できれば、それによって虚偽供述の可能性を否定し、証言の信用性を立証することができる。

協議合意制度導入後の「合意供述」ではないものの、一審判決でも、自己の処罰を軽減するための「意図的な虚偽供述の疑い」が指摘された美濃加茂市長事件における贈賄供述には、「合意供述」と同様の問題があり、控訴審で検察官が試みた立証も、上記の二つの観点に基づくものだった。

しかし、同控訴審での検察官の主張立証には多くの問題があり、控訴審での事実審理の結果、むしろ、贈賄供述が意図的な虚偽供述であることが一層明らかになった。そして、そのような検察官の主張立証の後に、裁判所が実施した職権での贈賄供述者の証人尋問の中で、意図的な虚偽供述の疑いがある証人尋問における検察官の「証人テスト」という重要な問題が明らかになったというのが、弁護人の主張である(【控訴審で一層明白となった贈賄虚偽証言と藤井美濃加茂市長の無実】)。

同事件の控訴審で検察官が試みた主張立証に関して弁護人が指摘した問題は、協議合意制度の導入後、制度を運用していく立場の検察官が、今後「意図的な虚偽供述」の疑いという問題にどう取り組んでいくのかを考える上でも極めて重要だと考えられる。

 

3 美濃加茂市長事件控訴審での検察官の主張立証

(1)贈賄証言を離れた間接証拠・間接事実による推認

上記第1について、検察官は、「本件各現金授受の事実を基礎づける証拠としては,贈賄者である中林の公判供述があるのみ」との前提で行われている一審判決の判断の枠組みに関して、控訴趣意書で、「中林証言を離れて,間接証拠からどこまでの間接事実が認定でき,そこからどのような事実が推認されるのかを確定する作業や,これを踏まえて中林証言全体の信用性の検討を行うという作業を怠っている」と批判し、原審での証拠に基づいて、「間接証拠から被告人と中林の癒着関係とその深まり、被告人による特定業者に対する有利・便宜な取り計らいと中林側の動機の存在、贈賄金の準備及び贈賄の機会の存在等の事実が認められ、これらによって現金授受の存在が推認される」と主張した。

自己の処罰軽減を目的とする「意図的な虚偽供述」が疑われる供述というのは、もともと信用性が低いのであるから、その供述を離れて、他の証拠によって公訴事実を立証しようとする方針自体は誤っていない。

しかし、問題は、当該起訴事実に関して、そのような間接証拠・間接事実による現金授受の推認を、「中林証言を離れて」行うことが可能なのか、果たして、その「間接事実による推認」に合理性があるのかである。これらの点は、公判前整理手続や一審での審理経過と現金授受についての検察官の主張立証の在り方にも関連してくる。

ア 「供述を離れての推認」

贈収賄事件は「密室の犯罪」と言われ、いずれかの当事者の自白が不可欠な事件と考えられており、事実を否認する事件においては、一方の自白の信用性が最大の争点になるのが通例であった。薬物の密輸事件等で、国外から大量の薬物を持ち込んで逮捕された被疑者が、薬物を所持していたことの認識を全面否認する場合に、それについては供述によるのではなく、様々な間接事実から薬物所持・密輸の犯意を立証するのが通例であるのとは大きく異なる。

美濃加茂市長事件においても、一審での検察官の立証は、贈賄供述者の証言が具体的かつ合理的で関係証拠と整合しているなどとして信用性できるとする立証が中心だった。

ところが、美濃加茂市長事件控訴審では、検察官は、贈収賄事件で「贈賄供述を度外視して」、間接証拠・間接事実から現金授受を推認することができると主張したのである。

問題は、贈収賄事件において、そのような「自白に頼らずに間接事実によって賄賂の授受の立証を行うこと」が可能なのか、という点である。

実際に検察官が間接事実として主張したのは、「被告人と中林との癒着関係とその深まり」「被告人による特定業者に対する有利・便宜な取り計らい」「中林の動機の存在」「被告人に供与することを企図した現金の準備」「贈賄の機会の存在」などであった。

検察官が現金の授受を推認させる間接事実の柱としたのは、収賄側から贈賄側に「特定業者への有利・便宜な取り計らい」、つまり「便宜供与」が行われていることであった。この「便宜供与」というのは、賄賂の対価としての職務行為であり、贈収賄事件においては極めて重要な要素である。それが存在することは、捜査の端緒にもなり得るし、また、贈収賄事件の悪質性を裏付ける重要な情状事実でもある。

しかし、「便宜供与」の事実それ自体を、賄賂の授受の間接事実として、そこから授受が推認されるとの主張が行われることは、従来はほとんどなかったものと思われる。賄賂の授受は、贈収賄いずれかの当事者の自白とその信用性を裏付ける証拠によって立証するという手法がとられてきた。

薬物の輸入事案のように、間接事実による立証が主体となる場合もある。大量の薬物を国外から持ち込んだという客観的事実が存在する場合には、それ自体で「重大な嫌疑」が存在している。そこでは、薬物所持の認識があったのか、なかったのかのいずれであるかが二分法的に争われることになる。被疑者側が「認識がなかった」と主張する場合には、その荷物が何だと認識していたのか、それをどのような経緯で所持し、国外から持ち込んだのか、という点についての弁解の合理性がなければ、「認識があった」という方向での事実認定に向かうこととなる。

ところが、贈収賄事件における「便宜供与」というのは、贈賄側と収賄側公務員との関係性、行われた職務の性格・内容によって、様々な理由が考えられる。単に、他の業者であれば行わない有利な取扱いが行われたからと言って、それだけで、賄賂の授受の嫌疑が生じたり、それが高まったりするわけではない。

美濃加茂市長事件に関して言えば、検察官は、被告人の「浄水プラント導入推進に向けての行動」、「特定企業に対する有利便宜な計らい」を「客観的事実」ととらえ、そこから、中林供述からも、被告人等の関係者の供述からも離れて、現金の授受が推認できるとしている。しかし、被告人は、浄水プラントは美濃加茂市の防災対策において必要だと考えて導入を推進しようとしたと一貫して供述しているのであり、そこに、「特定企業の利益を図る目的」があったか否かは、被告人供述の信用性と離れて評価することはできない。

また、検察官は、「動機の存在」、「供与することを企図した現金の準備」なども、「中林証言から離れて」現金授受を推認できる間接事実として主張しているが、これらは、まさに中林の主観面に関連する事実であり、供述によって初めて間接事実としての意味づけができるものである。

イ 供述以外の証拠の不存在

このように検察官の「贈賄供述を離れた間接事実による現金授受の推認」との主張には、もともと無理があった。そのような無理筋の主張を通そうとしたために、検察官の主張は、主張事実の内容と、根拠となる証拠に関して多くの問題を露呈することになった。

弁護人は、答弁書等で「中林証言を離れて、間接証拠によって認定できる間接事実から現金の授受の存在が推認される」とする検察官の主張は、根拠として引用されている証拠には、その事実を裏付ける証拠がなかったり、事実を歪曲していたり、関連証拠の中の都合の良い一部だけを取り出して引用したり、中林証言のみに依拠しているのに、表現を変えて客観的証拠に基づくように見せかけたりするなど、多くの問題があることを指摘した。

検察官の主張は、「中林証言を離れて」としているが、大部分は、中林証言に依拠するものであり、端的に言えば、「中林証言によって中林証言が裏付けられている」と述べているに等しいものだったのである。

ウ 審理経過に関する問題

また、検察の間接証拠・間接事実の主張には、一審での審理経過との関係でも重大な問題があった。

間接証拠・間接事実を、立証命題とどのように関連づけるのかは、当事者の立証方針による。公判前整理手続に付された場合、同手続の中で行われた争点整理に基づき、検察官が、立証命題と間接証拠・間接事実との関係を明示し、一審での審理をそれらに関するものに集中することによって迅速かつ充実した審理を行おうとするのが同手続の目的である。

その手続の中で検察官が明示した間接証拠・間接事実に対しては、弁護人側も十分な検討を行い、必要な反論・反証を行うことになる。

検察官が一審で明示しなかった証拠・事実は、検察官の立証命題と何らかの関連性を有すると解し得るとしても、関連性の有無や、推認し得る事実の範囲等については、原審の審理の過程で何らの検証も当事者の反論にもさらされていない。それを、控訴審に至って、検察官が間接証拠・間接事実として主張することは、関連性や推認の合理性に関して検察官の一方的な見方を示すものに過ぎない。

一審の公判前整理手続の段階で、検察官が間接事実として主張しておらず、被告人、弁護人側からの反論・反証も行われていない事実を、控訴審に至って、突然、立証命題を推認し得る間接証拠・間接事実として主張することは、証拠評価・事実認定の手法として合理的なものとは到底言えないだけでなく、公判前整理手続に関する訴訟手続の法令違反の疑いすら生じることとなる。

エ 協議合意制度の下での「合意供述を離れた間接事実による立証」

今後、協議合意制度が導入された後に、贈収賄事件等において、もともと信用性が低い「合意供述」を立証に活用するために、「証言と離れて」間接事実から賄賂の授受を推認する、という手法を用いることも、重要な検討課題になるであろう。

そのために、検察官は、立証命題となる事実に関して、どのような事実を、どのように間接事実として位置づけ、どのような証拠によって立証するのかを十分に検討する必要がある。美濃加茂市長事件においては、「便宜供与の事実」を賄賂授受の間接事実として主張するという方法での立証を、一審での審理経過を無視して、控訴審において唐突に行ったが、(この事件では、現金授受の事実が存在しないのだから当然の結果として、)立証は失敗に終わったというのが弁護人の主張である。しかし、今後、導入される協議合意制度を贈収賄事件の摘発に活用していく上で、「便宜供与の事実」を「賄賂の授受」の間接事実として位置づけて立証に活用していくことも重要な課題の一つだと言える。

もっとも、前述したように、「便宜供与」を賄賂の授受の間接事実として意味づけるとすれば、その動機・目的が重要となり、その点に関して当事者を追及して供述を得るしかないということになると、結局のところ「自白中心主義」に戻らざるを得なくなる恐れもある。この点については、協議合意制度の下における「供述を離れた立証の在り方」に関する制度論も含めた検討が必要であろう。

【(下)に続く。】

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