三菱自動車の「第三者委員会」が担う役割と今後の課題

4月26日、三菱自動車は、燃費試験に関する不正について国土交通省に報告し、その内容について、相川社長らが、記者会見で説明を行った。そして、同日、不正事実について調査するため、元東京高検検事長の渡辺恵一弁護士を委員長とし、いずれも検事経験者の弁護士3名で構成される「特別調査委員会」の設置も公表した。

同社の国土交通省への報告内容には、以下の事実が含まれている。

(1)14型『eKワゴン』『デイズ』(2013年2月申請)に設定されている4つの類別(燃費訴求車、標準車、ターボ付車、4WD車)のうち、燃費訴求車の開発において、2011年2月時点の目標燃費は26.4km/lであったが、その後の社内会議で繰り返し上方修正し、最終的(2013月2月)には29.2km/lまで引き上げていたこと

(2)同燃費訴求車につき、燃費を良く見せるため、走行抵抗を実測したデータの中から小さい値を選別し、走行抵抗を設定していたこと

(3)走行抵抗の実測に当たって、法規で定められた惰行法と異なる方法「高速惰行法」を用いていたこと

(4)14型および15型『eKスペース』『デイズルークス』などの車種の燃費について、上記14型『eKワゴン』『デイズ』のデータを基に、実測ではなく、目標燃費に合わせて机上算出し、申請していたこと

4月21日の最初の会見の公表事実には含まれていなかった「データを実測ではなく机上で算出していた事実」が新たに問題行為に加わった。そして、上記問題行為のうち、(3)は、1990年代前半から継続して行われていたものであることも、記者会見で明らかにされた。不祥事の重大性、深刻さのレベルは、当初の公表の段階よりさらに高まったと言える。

前回の【三菱自動車の生死を分ける“第三者委員会”】では、今回の不祥事再発で、社会の信頼を完全に失った三菱自動車が、自動車メーカーとして存続することは極めて困難であり、唯一、自動車メーカーとして存続する余地があるとすれば、鍵となるのは、様々な専門分野の知見を集めた「第三者委員会」による中立かつ独立の立場からの調査によって、今回の問題をめぐる事実経過の真相と問題の本質を明かにし、本当の意味で組織を抜本的に変革する具体的な方針を打ち出せるかどうかだと述べた。

そこでは、「事実調査を行う体制が十分に整うことに加えて、委員会の構成が、専門性と、社会的視点、とりわけユーザーの立場等にも配慮したバランスのとれたものでなければならない」と述べたが、今回設置された「特別調査委員会」が、そのような「第三者委員会」とは異なるものであることは明らかだ。検事長経験者を含む検察OB弁護士3名でメンバーを固めたもので、「委員会」というより、むしろ、渡辺弁護士中心の「調査チーム」というのが実態に近いように思える。

しかし、今回の三菱自動車の不祥事をめぐる状況を踏まえて考えると、現時点で上記のような委員構成の「特別調査委員会」が設置されたことには、相応の理由があるように思える。

何と言っても、不正の内容はあまりに重大であり、現時点の社会の最大の関心事である「不正の客観的事実と、経営幹部も含む不正への関与者の範囲」について事実解明を行わなければ、三菱自動車という企業を、日本の社会において、引き続き自動車メーカーとして存続させることができるのかどうかの判断がつかない。組織のコンプライアンスを根本から問い直し、組織の抜本改革を行うことが現実的に可能なのかどうかは、不正の客観的事実が明らかにならなければ判断できないと言える。

そのような理由から、まずは、不正事実の解明を主眼としていく必要がある。そして、今回の不正は長期間にわたって、様々な形態で行われていたもので、冒頭の国交省への報告事項の(1)から組織ぐるみの不正が強く疑われることからすれば、その調査は、相当にタフなメンバーで行われる必要がある。

そういった意味で、単なる検察No2経験者というだけではなく、検察官としての実務能力が高く評価されている渡辺恵一弁護士と、相応の検察官の実務経験を持つ中堅クラスの弁護士2名の組合せという調査体制は、今回の不正調査に関しては合理的なものと言える。

しかし、【前のブログ】でも述べたように、今回の不祥事再発で三菱自動車という企業に対する社会の信頼が著しく損なわれている状況において、「第三者委員会」に求められることは、不正調査の徹底による真相解明だけではない。

委員会の調査が、会社から独立して客観的な立場から行われることへの信頼を確保し、調査の範囲・調査事項等が明らかにされ、それが自動車の専門家や、ユーザーの立場からも納得が得られるものであることが必要であり、それらについて、委員会側から、情報開示や説明を行っていくことも必要となる。

しかし、今回設置が公表された「特別調査委員会」に関しては、不正調査の体制の整備が優先されたという事情があったにせよ、委員会に関する情報開示と説明という重要な要素が、現時点では、十分に意識されているようには思えない。

特に、委員会設置について、書面によるプレスリリースをしただけで、委員会側の記者会見どころか、社長等の記者会見でも、具体的な言及を行わなかったことは、不祥事に対する危機対応として問題があると言わざるを得ない。

特別調査委員会の設置に関しては、コンプライアンスの専門弁護士で、第三者委員会の在り方にも詳しい山口利昭弁護士が、【三菱自動車特別調査委員会に期待する「真の原因究明」】と題する最新のブログで、三菱自動車の「特別調査委員会」のメンバーの選定プロセスに関する疑問を指摘し、「第三者委員会の選定経過を開示すべき」との意見を述べている。

山口弁護士は、

関係者によると、三菱自動車は、当初、約3カ月間の調査委員会による調査が終わるまで発表を先送りすることを検討したが、日産などの反対を受けて発表に踏み切った

という毎日新聞の記事(4月27日)が、燃費偽装問題の公表前から(社内調査を目的とした)特別調査委員会が設置されていたようにも読めるということを根拠に、

今回選任された委員の方々は、不祥事公表前の三菱自動車さんの危機対応を支援していたことも憶測される。

と述べているものだが、上記毎日新聞の記事は、文面からすると、今回「特別調査委員会」を設置したことについて、設置の段階で公表するか、3か月後に調査結果がまとまった段階で公表するかということに関する意見の相違を取り上げたものに過ぎず、それ自体が、今回選任された委員が不祥事公表前の危機対応を支援していたことを疑う根拠になるのかは、疑問である。

とは言え、仮に誤解によるものだったとしても、新聞記事に基づいて、委員会の独立性・公正性に関して疑念を持たれるというのは、三菱自動車側からの「特別調査委員会」の設置に関する情報開示・説明が不十分だからに他ならない。仮に、設置の段階で、委員会側の記者会見を行って設置の経緯について説明を行っていれば、そのような誤解が生じることはあり得なかったはずだ。

また、特別調査委員会の調査期間は3か月とされているが、その間、調査の対象事項に関して、会社側も委員会側も一切コメントしないという対応で済ますことができるのかも今後の問題となるであろう。

今回の不正の規模や期間等からすれば、3か月という調査期間を要するのはやむを得ないものと思われる。しかし、今回の不祥事が、三菱自動車のユーザー、軽自動車のOEM供給先の日産など、多くのステークホルダーに影響を与えていること、国交省の燃費試験の実施方法やデータの取扱いにも影響することなどからすると、今回の不正に関する様々な疑問に対して、「特別調査委員会の調査結果を待つ」ということで3ヶ月間、何の情報開示も説明もしない、ということでは済まされないであろう。

さりとて、会社側が、特別調査委員会の調査が行われている間に、調査対象となっている事項について独自にコメントすることは、その内容が、委員会の最終的な調査結果と齟齬していた場合には会社側への一層の不信と混乱を生じさせる恐れがあり、一致していた場合には、委員会の調査が、会社側の意向に影響されたのではないかとの疑念を生じさせることになりかねない。委員会の側においても、調査の途中の時点で、中間報告書を取りまとめて公表することが必要になることも考えられるほか、会社側が早期に情報開示を行わざるを得ない事項がある場合には、委員会側が何らかの形で関与することを検討する必要がある。

また、山口弁護士も、前記ブログ記事で、日弁連第三者委員会ガイドラインで「第三者委員会は、調査の過程において必要と考えられる場合には、捜査機関、監督官庁、 自主規制機関などの公的機関と、適切なコミュニケーションを行うことができる」とされていることに言及している。国土交通省も立入検査を行うなどして調査を進めており、正規の燃費試験を行わず、データも不正に抽出した三菱自動車に対して、国交省側が厳しい対応を行うことは必至と考えられる中で、特別調査委員会としても、国交省側とのコミュニケーションを行い、可能な範囲での情報交換や調整を図っていくことも重要な課題となる。

そういう意味では、今回の三菱自動車の不祥事に関する「第三者委員会」にとっては、粛々と不正調査を行うだけではなく、委員会独自の様々な対応を行っていくことは避けられないように思われる。

不正事実に関する調査という面でも、その不正は、単発的な個人的不正とは異なり、大企業の組織内で長期間にわたって継続されてきたものであって、試験方法の問題・データの抽出の問題などレベルの違う様々な問題が複雑に交錯しており、それらが、過去の「リコール隠し」等の不祥事を受けて構築・強化されてきたコンプライアンス体制をかいくぐって行われてきたものであることなどからすると、不正をめぐる事実関係は、複雑かつ膨大である。しかも、組織を背景に、組織の論理で行われた不正行為の事実解明が求められるのであり、少なくとも、検察の主戦場の刑事司法の場における「個人の行為中心の証拠収集・事実認定」とは性格が異なる面がある。このような事案の全体像を明らかにして問題の本質に迫ることは決して容易なことではない。

今回設置された特別調査委員会が、不正調査のコアとしての役割を果たすためには、十分な調査体制を整えることがまず必要となるが、それに加えて、「第三者委員会」として、前記のような様々な役割を果たし得るよう、様々な知見を活用するなどして、委員会をさらに充実させていくことも考えていくべきであろう。

私個人にとっても、2004年に桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センターを設立し、組織のコンプライアンスに関する活動を始めた頃、ちょうど「リコール隠し」の再発と重大事故の発生で、三菱自動車が社会から厳しい批判・非難を受けていた。センター設置の契機の一つとなったのが三菱自動車の不祥事だった。

私は、「社会の要請に応える」という独自のコンプライアンス論の観点から、教条的な「法令遵守」に偏り過ぎていた三菱自動車のコンプライアンスの誤りを指摘し、コンプライアンスの再構築に関して様々な角度から検討した。三菱自動車問題は、2004年秋に公刊したコンプライアンス研究センターの機関誌「季刊コーポレートコンプライアンス」創刊号で取り上げ、私のコンプライアンスに関する最初の著書【コンプライアンス革命】(2005年 文芸社)でも詳しく取り上げており、検事時代の大先輩であった松田昇氏が委員長に就任した同社の企業倫理委員会でも、私の「三菱自動車のコンプライアンスに関する指摘」は、参考にされたはずだ。

私にとっては、三菱自動車の問題は、自らのコンプライアンス論の原点とも言えるものであり、今また重大な不祥事が再発し、同社が存亡の危機とも言える状況に追い込まれていることは大変残念である。

今回の不祥事は、過去の「リコール隠し」のような「安全」に関する問題ではなく、自動車ユーザーからの「低燃費」自動車の需要に応えるという、事業の主軸に関わる問題である。「自動車メーカーのコンプライアンス」の基本的な視点から、改めて問題を整理してみる必要がありそうだ。

今後も、特別調査委員会の活動や調査結果に注目しつつ、引き続き、当ブログで、三菱自動車の問題を取り上げていきたい。

 

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舛添東京都知事の資質・姿勢に対する根本的な疑問

舛添東京都知事が、海外出張でのスイートルームでの宿泊等の高額の支出や、毎週湯河原の別荘の往復に公用車を使用していた問題等で批判を浴びている。

橋下徹氏は、公用車使用の問題などで舛添氏を厳しく批判する一方で、「早く有能な舛添さんに戻って!」などと舛添氏の政治家としての能力・手腕を評価しているような言い方もしている。

一方、人気ブロガーの木走正水氏は、【舛添氏の政治家としての真の問題点】で、舛添氏の政治家としての姿勢や組織のトップとしての資質についての問題を厳しく指摘している。

私は、木走氏の意見に全面的に賛同する。

舛添氏の政治姿勢はパフォーマンスそのものであり、組織のトップとしての姿勢に重大な問題がある。同様にパフォーマンスの塊のような政治家である(であった?)橋下氏が、舛添氏を政治家として評価するのも、もっともだと思える。今回の公用車問題が「舛添氏らしくない」という見方も、橋下氏ならでは、と言えよう。

私は、舛添氏が厚生労働大臣であった2008年に、社会保険庁の不祥事の調査に調査委員会の委員として加わった経験から、同氏の組織のトップとしての姿勢に重大な疑問を持ち、著書等でも指摘してきた。

当時、私は、厚生労働大臣直属の調査委員会の委員として、いわゆる「年金改ざん問題」(標準報酬月額遡及訂正問題)の調査に加わった。その調査の過程で、その問題によって社会保険庁職員が世の中から大きな誤解を受け、不当なバッシングを受けていることを知った。その誤解に基づくバッシングの原因となったのが、問題発覚当初から、事実関係を十分に確かめることもなく、社保庁職員を「犯罪者扱い」してこきおろし、大臣直属の調査委員会を立ち上げたことを大臣室にテレビカメラまで入れてアピールする、という「人気取りパフォーマンス」だった。

もちろん、私も、数々の不祥事を起こしてきた社保庁の組織や職員に問題が多々あったことは否定しないし、全体として擁護する気持ちはない。しかし、少なくとも、厚生年金記録の「改ざん問題」に関しては、世の中には重大な誤解があり、社保庁職員に対する非難の多くが、的外れなものだった。

そして、そのような誤解と不当な非難の大きな原因となったのが、社保庁を含む厚労省という組織のトップの地位にあった舛添厚労大臣の対応だった。日経ビジネスオンライン(NBO)の記事【「年金改ざん」批判は根拠のない「空中楼閣」 バッシングの元凶は舛添厚労大臣の「人気取りパフォーマンス」】、および著書【思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本】で指摘したとおりである。

私は、その後、2010年4月に、「総務省年金業務監視委員会」の委員長に就任し、委員会の場でも、折に触れて、この「年金改ざん問題」に関連して、中小企業に対する厚生年金の適用・収納の問題について発言してきた。その際の厚労省側とのやり取りからも、「年金改ざん問題」についての上記の著書等に書いた私の理解・指摘が決して間違っていなかったこと、逆に言えば、年金改ざん問題での社保庁職員に対するバッシングが不当なものだったことは明らかだ。

第一次安倍政権は、「宙に浮いた年金記録問題」などの年金の問題で、世の中から厳しい批判を受け、国民の支持を失った。しかし、その中でも、厚労大臣であった舛添氏だけは、一貫して人気を維持してきた。それは、世の中の風向きを見てバッシングに同調し、批判されている当事者を情け容赦なくこき下ろすというパフォーマンスが巧みだったからであろう。

一方で、このような舛添氏のパフォーマンスによって、同氏が所属していた自民党政権は「年金問題」による傷口を一層広げていくことになり、結局、政権を明け渡すことになった。

2009年の総選挙で惨敗し、政権を失った後の自民党からは、沈みゆく船から逃げ出すように離党者が相次いだ。もはや、再び政権に返り咲くことはないだろうと思える状況になった時に、真っ先に自民党を見捨てて逃げ出したのが舛添氏であった。

「人気取りパフォーマンス」を得意とする舛添氏にとって、自民党に留まったのではパフォーマンスを発揮する場がない、と考えたのであろう。

それから4年余り経過した後、猪瀬直樹氏が、徳洲会からの献金問題で辞任に追い込まれ、急遽、都知事選挙が行われることになった。その選挙に、舛添氏が立候補し、自民党は、その舛添氏を支持した。それに対して正面から異を唱えたのは、「除名された人を応援することに『大義』がない」と言って批判した小泉進次郎氏ぐらいだった。

今回の舛添氏の問題は、東京都の規程に違反するものではない。まさに「法令遵守」的には問題のない行為である。また、舛添氏が言っているように、理屈上、正当化する余地が全くないわけではないかもしれない。

舛添氏が、自分自身のパフォーマンスや損得勘定を抜きにして、本当に都民のために働き、都民からの信頼を大切にして、都知事としての職務を行っていたのであれば、今回のようなことが問題にされることもなかったかもしれない。「自分は都知事として、東京都のトップとして立派な仕事をしているのだから、相応の待遇を受けるのが当然だ」という「傲慢さ」が、舛添氏の弁明から見え隠れすることが、厳しい批判が行われることにつながっているのであろう。

海外出張の旅費の金額、スイートルームでの宿泊、湯河原の別荘への公用車の使用の是非などということ自体は、いずれも小さな問題である。それ以上に重要なことは、それらの行動に表れた舛添氏という人物の資質・姿勢が、本当に東京都知事という職に相応しいものなのかどうか、改めて考えてみることではなかろうか。

 

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甘利問題、検察捜査のポイントと見通し①(あっせん利得処罰法違反)

前のブログ【甘利問題、今なお消極見解を述べる宗像紀夫弁護士・内閣官房参与】で述べたような甘利問題でのあっせん利得処罰法違反について、今なお消極見解を述べる宗像紀夫弁護士の誤りを指摘したが、本稿では、そのような誤った見解に惑わされることなく、今後の検察捜査を正しく予測し、見守っていくために、「国会議員の権限に基づく影響力の行使」についての正しい解釈を前提に、今後の捜査の見通しとそのポイントを解説しておきたい。(本稿は、若干専門的な内容なので、主として法曹関係者・マスコミ関係者向きであることを予めお断りしておく。)

今回の問題は、甘利氏の秘書が、道路用地買収をめぐるURと建設会社との補償交渉に介入し、秘書が建設会社側から多額の報酬を受け取ったり接待を受けたりしたほか、甘利氏自身も大臣室等で合計100万円の現金を受領したというものだが、それに関して、あっせん利得罪の成否が問題となる案件が二つある。

一つは、2013年5月に、建設会社側の依頼を受けた甘利事務所が介入した後に、同年8月に約2億2000万円の補償金が支払われた案件(A案件)、もう一つは、URの工事によって建設会社所有の土地のコンクリートに亀裂が入ったことに関して、建設会社がURに産廃処理費用として数十億円の補償を行うことを要求した案件(B案件)である。

あっせん利得罪の容疑で行う捜査に関して問題となる点は、A案件・B案件の間で異なる。順次述べていきたい。

1 公訴時効との関係

A案件に関しては、約2億2000万円の補償金が支払われた当日の2013年8月20日に、甘利氏の地元事務所の所長のK秘書に対して、謝礼として500万円が支払われているが、その事実については、あっせん利得罪の公訴時効は3年であり、今年の8月20日には時効が完成する。

一方、B案件については、建設会社側から甘利氏側への依頼は、2014年1月頃から始まり、同年2月1日に甘利氏へ50万円が手渡され、その後も秘書は「国交省への口利き依頼」と称して複数回にわたって商品券を要求したり、飲食等の接待のほか、費用と称して現金を受け取ったりしていたもので、金銭の授受は2015年11月まで続いていたとされているので、公訴時効による制約は、現時点ではあまりない。

後に詳述するように、A案件については、「甘利事務所側の介入後からURとの補償交渉が進展し約2億2000万円の支払が行われた事実があり、甘利氏の国会議員としての影響力が作用した疑いは濃厚だが、甘利氏の秘書が、その『影響力を行使した具体的事実』がないので、あっせん利得罪の立証が困難」という判断になる可能性がある。

しかし、今回の一連の事件については、弁護士や市民団体による告発が行われており、もし、不起訴になれば、検察審査会への審査申立てが行われることは必至だ。検察審査会で起訴すべしとする議決が2回行われ、裁判所が指定する弁護士が起訴することになった場合に、公訴時効完成前に起訴手続を行うことができるようにする必要がある。そのためには、A案件については、もし、不起訴ということであれば、遅くとも公訴時効の3か月前には処分を行うことが必要であろう。そうなると、起訴不起訴の判断は、5月20日頃までには行う必要がある。

一方、B案件については、公訴時効までの期間には十分余裕がある。A案件については、5月20日頃までに不起訴とし、引き続き、B案件についての捜査を継続するという方法も、考えられないわけではない。しかし、仮に、A案件が先行して不起訴となり、検察審 査会の審査申立てが行われば、公訴時効が完成する8月20日までに議決が出されることになる。その場合に予想される上記のA案件の不起訴理由は、法律上は成り立つ理屈であっても、一般人の常識では到底納得できないものだ。A案件を先行して不起訴にしても検察審査会で起訴議決を免れることは困難だと考えられる。検察としては、A案件の検審議決が出される前に、B案件を起訴に持ち込めるよう最大限の努力をせざるを得ないであろう。

2 「国会議員の権限に基づく影響力」

「国会議員の権限に基づく影響力の行使」については、「国会議員の権限に基づく影響力」の有無・程度の問題と、それを甘利氏や秘書がURに対して「行使した」と言えるか否かの二つに分けて考える必要がある。

URの予算等を承認する直接の所管官庁は国土交通省である。しかし、かつては公団だったURが独立行政法人となった後、その組織の在り方については、完全民営化を含めた様々な議論が行われてきた。それは最終的には、都市再生機構法という法律の改正の是非の問題である。しかも、URの理事長等は国会の同意人事だ。第一次安倍内閣で行政改革担当大臣を経験している甘利氏は、国会での多数を占める与党内でのURの在り方や人事等に影響力を及ぼし得る有力な国会議員と認識されていた可能性がある。それが、UR側から押収した資料や、それに基づくUR側の供述によって裏付けられれば、「国会議員の権限に基づく影響力」があったことの立証が可能となる。

A案件で、それまで進んでいなかった補償交渉が甘利事務所の介入後に一気に進展し、約2億2000万円の補償金が支払われることで決着した事実は、補償金が支払われたA案件についてあっせん利得罪の成否だけではなく、結果的には補償金が支払われなかったB案件についてのあっせん利得罪の成否に関しても、「権限に基づく影響力」の有無を判断する上で重要な事実となる。

甘利氏の行革担当大臣等としてのUR問題への関与と、与党内での国会議員としての地位等に加えて、甘利事務所介入直後から補償交渉が進展した経緯等からすれば、A・B両案件について、「国会議員の権限に基づく影響力」を認める余地は十分にある。

3 「影響力の行使」

しかし、甘利氏がURに対して、「国会議員の権限に基づく影響力」があり、それがUR側の補償交渉に現実的な影響を及ぼし、甘利氏側がその報酬を受け取ったとしても、それだけで犯罪が成立するわけしない。その「影響力」を、議員やその秘書が「行使」した場合でなければ犯罪とはならない。

「影響力を行使して」とは、「権限に基づく影響力を積極的に利用すること」であるが、それは明示的なものに限られない。国会議員として影響力を及ぼし得ることを黙示的に示すことも含まれる。

URとの補償交渉に介入した甘利氏の元秘書が、甘利氏が、与党の有力政治家であり、URの在り方に関する立法等を通してURに影響を及ぼし得る国会議員であることを、暗にほのめかしたり、それを前提にしていると思われる発言をした、というような事実があれば、「行使した」と認められる余地がある。

しかし、その「行使」の事実は、個人の行為として具体的に特定されなければならない。問題は、その「行使」の場面があったか否かである。

週刊文春の記事によると、建設会社の総務担当者のI氏が、URとの補償交渉(A案件)について最初に依頼したのが2013年5月9日、対応したのがK氏(当時甘利氏の秘書で地元事務所の所長)、UR側に内容証明を送ることを提案し、同じ甘利氏の秘書だったM氏が、UR本社に赴いて交渉した結果、同年8月に、URから約2億 2000万円の補償金が支払われることになった。I氏は、8月20日、その謝礼として500万円をK氏に渡したとのことである。

A案件について、甘利事務所側が直接UR側と接触したのは、このM秘書がUR本社に行った際の一回だけのようだ。それ以外に、電話などでUR側と話す機会があった可能性もあるが、それらのURとの接触において、「影響力を行使した」と認められるような言動があったことを立証する証拠を得ることは容易ではない。

一方、B案件については、2014年1月に面談を申し入れて以降、2015年11月ころに至るまで、I氏から金銭や飲食の提供を繰り返されていた甘利氏の秘書が、UR側に多数回にわたって執拗に接触を繰り返し、その中で、2015年10月にURが「逆にこれ以上関与しないほうが良いように思う。現在の提示額は基準上の限度一杯であり工夫の余地が全くなく、要望を聞いてしまうと甘利事務所もURも厳しくなるだけ。」とコメントするような場面まで出てきた(UR折衝記録)。同年11月には、大和事務所にてKとUR総務部長・国会担当職員が面談した際、大臣名を出して圧力をかけたとされる。

影響力の「行使」の要件は、A案件よりB案件の方が認められる可能性が高いとみるべきであろう。

4 共謀

犯罪が成立するとすれば元秘書個人であり、「甘利事務所」という組織体ではない。

M秘書が「権限に基づく影響力を行使して」UR側にあっせんを行い、その報酬をK秘書が受け取ったとしても、「あっせん」と「対価の受領」について、両秘書に共謀(意思連絡)がなければ、犯罪は成立しない。また、後に述べる甘利氏本人への捜査の波及も、秘書の供述が得られるか否かが鍵となる。

このような事案では、議員本人との共謀関係はもとより、秘書相互の共謀関係についても、すんなり供述することは考えにくい。供述状況を踏まえて、甘利事務所や両秘書の自宅等への捜索を行うことが不可欠だと思われ、それが遅れれば遅れるほど、証拠の確保は困難となる。

もし、共謀について証拠が得られないことを理由に不起訴処分となった場合には、1月に本件が週刊誌報道されてからURへの強制捜査の着手まで3か月を要し、甘利事務所や秘書に対する強制捜査が更に遅れたことが厳しく批判されることになりかねない。

5 甘利氏本人の嫌疑に関する捜査

今後、元秘書に対する捜査が本格化した場合、I氏から現金100万円を直接受け取ったことを認めている甘利氏本人について犯罪が成立する余地があるかという点が重大な関心事になっていくことは必至である。

少なくとも、週刊文春の記事だけを前提にすれば、甘利氏についてのあっせん利得罪の嫌疑はかなり稀薄だと言わざるを得ない。

甘利氏が受領した現金のうち、2013年11月14日の大臣室での50万円は、甘利事務所の介入によってA案件について補償交渉が進展し、2億2000万円の補償金が支払われたことの謝礼だとI氏は週刊文春で述べており、前後の状況からは、そのような趣旨の現金であることは疑う余地がない。もし、A案件について元秘書にあっせん利得罪が成立する場合に、甘利氏が、A案件への介入についてK秘書らから報告を受けた上で50万円を受領したのであれば、甘利氏についてもあっせん利得罪が成立することになるが、A案件については「影響力の行使」の事実があったことの立証が容易ではないことは前述したとおりである。

一方、2014年2月1日に、甘利氏が地元事務所で受領した50万円は、週刊文春でのI氏の話によると、B案件でのURへの口利きの依頼の報酬とのことであり、もし、B案件について、「国会議員の権限に基づく影響力の行使」の事実が認められ、その点について甘利氏の共謀が認められれば、甘利氏本人についても、あっせん利得罪が成立する可能性が出て来る。

この点についての秘書の供述が得られるか、或いは、甘利氏が直接URや国交省に働きかけている事実などが明らかになった場合などには、甘利氏本人に捜査が波及する可能性もないとは言えない。

6 A案件とB案件の関係

甘利事務所側の介入後、補償交渉が急速に進展し、2億2000万円もの補償金が支払われるに至ったA案件と、多数回にわたって、執拗に補償交渉に介入したものの、結局、補償金は支払われなかったB案件とを比較すると、A案件についてのあっせんと、その報酬の受領の方が、刑事事件として立件・起訴しやすいように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。

A案件で、URが甘利事務所介入後に、「積極的に影響力を行使」ということをするまでもなく、すんなりと短期間のうちに約2億2000万円の補償金を支払ったというのは、UR側が、甘利氏側の介入に対して弱い立場にあること、つまり、甘利氏がURに対して「国会議員としての影響力」を持っていたことを示す重要な事実だ。それは、A案件だけではなく、B案件についても、あっせん利得罪の成立についての積極判断の根拠となる。

そのような影響力を持つ甘利氏側からの要請があっても、URがB案件補償金支払に応じなかったのは、応じると「不正な職務行為」になってしまうからだと考えられる。甘利氏側から執拗に要請しても、つまり「国会議員としての影響力」を「行使」しても、不正行為の要求には応じることができなかったのであろう。

そうであれば、B案件については、「国会議員の権限に基づく影響力を行使して」あっせんし、その報酬を受け取ったことについて、甘利氏の秘書に、あっせん利得罪が成立する可能性が十分にある。そして、上記⑤の証拠が得られれば、B案件について、甘利氏本人について犯罪が成立する可能性もある。

それどころか、甘利氏やその秘書がUR側に「不正な職務行為」をあっせんして報酬を受領したということになると、刑法の「あっせん収賄罪」が成立する可能性もある。

かなり長くなったので、この点については、別稿に譲ることとしたい。

 

 

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甘利問題、今なお消極見解を述べる宗像紀夫弁護士・内閣官房参与

4月8日、甘利問題で、東京地検特捜部が、都市再生機構(UR)の千葉業務部と建設会社に対して、夜を徹して家宅捜索を行ってから、20日が経過した。

検察が、国交省所管の公益法人のURに対して強制捜査を行ったのであるから、相当な嫌疑があり、今後の捜査によって証拠を固めれば犯罪を立証できると判断しているはずだ。

今年8月20日に、告発事実の一部の公訴時効期間満了も迫っており、東京地検特捜部では、初の国会議員又は秘書によるあっせん利得処罰法違反(あっせん利得罪)の立件に向けて鋭意捜査を行っていると思われる。

宗像弁護士の消極見解

それにしても不可解なのは、今回の甘利問題が表面化した時点から、あっせん利得罪の成立に否定的な見方を示していた検察OBの一人、宗像紀夫弁護士が、検察の強制捜査以降においても、あっせん利得罪の要件である「権限に基づく影響力の行使」について、全く的外れな解釈を示し、犯罪が成立する余地が乏しいかのようなコメントを行っていることだ。

検察は、私が、甘利問題が週刊文春で報じられた直後から、ブログ等で述べてきた解釈と同様に、この点についても、今後の捜査によって、要件をクリアできる可能性が十分にあると考えたからこそ、強制捜査に着手したはずだ。法解釈上の問題で立件できる可能性がほとんどないものであれば、検察内部で強制捜査が是認されることはあり得ない。

4月13日付け日経新聞社会面記事の中の宗像氏のコメントに関連する部分を全文引用する。

元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士によると、同法違反罪の成立には「議員の権限に基づく影響力の行使」が必要という。金銭授受のあった当時、甘利氏は経済財政・再生担当相だった。宗像弁護士は「分かりやすい例は『言うことを聞かないと議会で質問して追及する』といった場合だが、甘利氏は当時閣僚で、議会で質問する立場にはなかった」と指摘。URを所管する国土交通相でもなく、「URとのトラブルに関連して職務上の権限があるとは考えにくい」としている。

当時閣僚で、議会で質問する立場にはなく、URを所管する国土交通相でもなかった甘利氏には、「議員の権限に基づく影響力の行使」が認められる余地がないというのであれば、今回の問題について、あっせん利得罪が成立する余地はないことになる。宗像氏は、検察が、法解釈上犯罪成立の見込みが乏しいのに、無理に強制捜査を行っているとでも言いたいのだろうか。

あっせん利得罪は、刑法のあっせん収賄と同様に、公務員が他の公務員(URのような公益法人の役職員は、法律で「みなし公務員」とされている。)に一定の職務行為を行うこと、或いは行わないことを働きかける「あっせん」を行って対価を受け取る行為を処罰の対象としている。

国会議員のような「政治的公務員」の場合、政策実現のための政治活動として、官僚等の公務員に職務行為に関して働きかけを行うこともあり、その対価を「政治献金」として受領する行為を広く処罰の対象にすると、正当な政治活動の委縮を招きかけないという考え方(この考え方の是非については議論の余地はあるが)から、あっせんの対象とされる公務員の職務行為が、あっせん収賄では「不正行為」に限定され、あっせん利得処罰法では、対象が「契約」や「行政処分」に関するあっせんに限定された上、「権限に基づく影響力を行使して」あっせんを行った場合に限定されている。

そのため、一般的には、国会議員やその秘書に対する適用のハードルはかなり高い。しかし、今回の甘利問題は、そのように狭く設定されたあっせん利得処罰法の処罰対象のストライクゾーンの「ど真ん中」の事案であり、あっせん利得罪で立件・起訴される可能性も十分にある。そのことは、ブログ【甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか】などでも繰り返し述べ、今年2月24日の衆議院予算委員会公聴会での公述人意見陳述でも、同様の見解を述べたが(【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】)、これまで、反論は全くない。

「権限に基づく影響力の行使」について言えば、国会議員の「権限」とは、議院における議案発議権・評決権・委員会における質疑権等であり、国会議員の「権限に基づく影響力」とは、権限に直接又は間接に由来する影響力、すなわち職務権限から生ずる影響力のみならず、法令に基づく職務権限の遂行に当たって当然に随伴する事実上の職務行為から生ずる影響力をも含む。「他の国会議員への働きかけ」も、国会議員としての職務権限に密接に関連するもので、そのような行為を行い得ることによる影響力も、「権限に基づく影響力」に含まれるとされている。このような解釈は、立法当時の国会答弁や立法者の解説書などでも示されているものであり、否定される余地はないものだ。事件当時、有力閣僚の地位にあった甘利氏の場合、与党内でのURに関する議論にも大きな影響力を及ぼし得る有力議員であり、「権限に基づく影響力」を及ぼし得る立場であったことは明らかだ。

宗像氏の日経新聞記事でのコメントは、全く誤ったものと言わざるを得ない。

同氏は、特捜部長経験者で、元検事長という大物検察OBだが、一方で、現在、安倍内閣の「内閣官房参与」という地位にもある。今回の甘利問題についての発言は、特捜検察OBという立場で言っているのか、それとも、内閣官房参与として、安部内閣の擁護者の立場で言っているのだろうか。

 

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三菱自動車の生死を分ける“第三者委員会”

過去に、「リコール隠し」などの重大な不祥事を繰り返し、存亡の危機に立たされた三菱自動車が、4月20日、重大な不祥事を公表した。「eKワゴン」「eKスペース」「デイズ」「デイズクルーズ」の燃費を、実際よりもよく見せるために、国土交通省に提出する「走行抵抗値」のデータについて、複数のデータの平均値を伝えるべきところを、意図的に有利なデータを伝えていたのである。それにより、カタログ上の燃費が5~10%水増しされていたことになる。社内調査では、その他の車でも2002年から国内法で定められた方法とは異なる試験方法でデータが取られていたことも判明したという。

燃費算定の根拠とされる「走行抵抗値」のデータについて、恣意的に有利なデータを選択することが許されるはずもなく、そのような有利なデータを抽出したことについて、「燃費偽装」と単純化されて非難されるのは致し方ない。また、同社が、海外で認められていた試験方法でデータを取っていたことも、日本では、日本の法令上規定された試験方法によってデータをとることで、燃費に関する公正な競争が確保できるのであり、国内で認められていない試験方法を用いていたこと自体が、明らかなルール違反である。

三菱自動車では、2000年の道路運送車両法違反(リコール隠し)、2004年には「ふそうトラック」のタイヤ脱落事故捜査に端を発したさらなるリコール隠しと「ヤミ改修」が発覚した。相次ぐ不祥事によって、世の中から激しい批判・非難を浴び、再生に向けて万全のコンプライアンス体制で臨んでいたはずであったのに、3度目の重大不祥事を引き起こしてしまった同社は、まさに存亡の危機に立たされている。

前回の不祥事では、グループ企業各社の資金支援などで、何とか危機を乗り切った三菱自動車だが、今回は、過去の減免分の税金の支払い、提携先への損害賠償が予想されるなど、社長自身も「かなりダメージが大きい」と認めるように、今回の問題で受ける財務上の損失は計り知れない。それに加え、「三菱自動車」に対する社会の信頼は完全に地に堕ちており、自動車メーカーとして存続すること自体が相当に困難だと言わざるを得ない。

記者会見で、社長は、公表した問題について、「さらに客観的で徹底した調査を行うため、独立性のある外部有識者のみによる、調査のための委員会を設置し、調査結果がまとまり次第公表させていただく予定です」と述べて、詳細な調査を、第三者による委員会の調査に委ねる方針を明らかにしている。

記者会見での会社側の説明では不明な点、不可解な点が多々ある。

不正を行った部署は、同社の「性能実験部」だということだが、同部は、燃費、排ガス試験等を管理している部署で、開発部門からは独立しているとのことだ。実験の結果、性能目標が達成できなくても、性能実験部が責任を負うわけではない。それなのに、なぜ、同部が組織ぐるみと思える不正を行ったのか、そこには、開発部門から直接、或いは、会社経営幹部からの指示があったことが疑われる。そして、その背景に何があったのか、それは、三菱自動車という組織の根幹に関わる問題であるように思われる。

今回の重大な不祥事によって、三菱自動車という企業が、その歴史に幕を下ろすこととなるのか、何とか社会からの最低限の信頼を繋ぎ止めて存続することができるのか、その鍵となるのは、前回の不祥事のように、グループ企業の支援が受けられるか否かではない。「第三者委員会」による中立かつ独立の立場からの調査によって、今回の問題をめぐる事実経過の真相と問題の本質を、隠し立てせず世の中に明かにし、本当の意味で組織を抜本的に変革する具体的な方針を打ち出せるかどうか、である。

 

第三者委員会の失敗事例

事案の重大さの如何を問わず、企業不祥事が表面化した場合には、調査・検討の中立性・客観性を確保する手段として、「第三者委員会」を設置して、事実調査・原因究明等を行うのは、企業の危機対応の常識になったと言ってよいであろう。

しかし、過去には、その「第三者委員会」に関して重大な過ちを犯し、かえって危機を深刻化させてしまった不祥事事例もある。

2013年の「みずほ銀行問題」では、グループ内のノンバンクでの定型的な自動車ローンの審査に、銀行の反社情報を反映させるための措置が不十分だったことに関して金融庁の業務改善命令を受けたことが、「暴力団向け融資問題」と誤解され、激しい批判を受けたという危機的な状況で、「第三者委員会」を設置した。しかし、調査期限を、金融庁への報告期限に合わせて僅か20日間と設定したことや、問題の隠ぺいを疑われたことに関して、銀行側の言い分を代弁するような内容にとどまるなど、独立性・客観性を持つ第三者委員会としての機能が全く発揮できなかったことで、みずほ銀行の金融庁に対する「隠ぺい疑惑」をかえって増幅する結果につながってしまった。それによって、問題は、みずほ銀行だけにとどまらず金融業界全体の問題に発展した(拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか】毎日新聞社:2013年)。

昨年(2015年)、社会的にも大きな問題となった「東芝会計不祥事」では、「日弁連第三者委員会ガイドラインに準拠する委員会」と明確に表示した上で設置し、「第三者委員会の独立性」を最大限に活用したが、実際には、弁護士の委員が、調査範囲について、経営者側の意向を受け重大な問題を調査対象から外す方向で積極的に動いたことが、日経ビジネスの報道等によって明らかになった。また、公認会計士の委員に関しては、本年文芸春秋4月号の記事により、東芝が、新日本監査法人に会計監査を任せる一方で、競合する大手監査法人であるトーマツの子会社から、新日本の監査意見に対抗するための「工作」の伝授を受けていたことがわかり、会計不正の調査に、会計監査対策に関わっていたトーマツ傘下の公認会計士が起用されていた事実が明らかになった。これらの事実から、東芝が設置した第三者委員会は、会社からの独立性も客観性も全くない、「偽りの“第三者”委員会」であったことが明らかになり、それが、東芝という企業に対する信頼性を一層失わせることになった(【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】【新日本監査行政処分から見えてくる「東芝会計不正の深い闇」】【最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」】)。

これらの企業不祥事事例では、「第三者委員会」の存在が、不祥事企業の信頼回復のために全く役に立たなかったどころか、東芝問題では、逆に、信頼失墜の最大の原因となった。

今回の三菱自動車の問題は、リコール隠し問題等で信頼が地に堕ちた企業での「不祥事の再発」であり、信頼を失墜した組織から独立した第三者委員会による事実調査と原因究明は、信頼回復のための最後の手段と言うべきであり、それが、本来の役割を果たすか否かで、企業としての三菱自動車の生死が分かれると言っても過言ではない。

 

三菱自動車第三者委員会の在り方の検討

では、三菱自動車は、第三者委員会の設置に関して、どのような対応を行うべきか、そして、設置された第三者委員会は、どのような方針で調査を行い、それを社会に明かにしていくべきか。

九州電力「やらせメール」問題では、東日本大震災に伴って発生した福島原発事故で「原発安全神話」が崩壊した後の原発再稼働の是非をめぐって企業が組織的に行った「やらせメール」という行動が社会から厳しい批判・非難を受け、信頼が著しく損なわれるという状況において第三者委員会が設置された。まさに企業の信頼回復ができるか否かが、第三者委員会での調査・検討にかかっているという状況だったという点に関して、今回の三菱自動車の不祥事と共通していると言える。

この九州電力の不祥事に関連づけて第三者委員会の在り方を論じた拙著【第三者委員会は企業を変えられるか 九州電力「やらせメール」問題の深層】(毎日新聞社:2012年)で述べたことを踏まえて考えてみたい。

まず、第一に、第三者委員会を、どの程度、企業からの独立性・客観性を持った存在と位置付けるかである。これは、一般的には、事業の性格・公益性・ステークホルダーとの関係等に応じて判断すべき事項である。

上記の九州電力「やらせメール」問題は、福島原発事故直後の原発再稼働の是非という社会的にも最も関心の深い事項に関して、公益企業の電力会社が起こした不祥事であり、社会全体との関わりが深く、企業の意向・方針から独立した第三者委員会の調査・検討が強く求められる不祥事の典型であった。一方、不祥事の影響が基本的に会社の利害にとどまり、社会的影響が比較的小さいものもある(もっとも、社会的存在としての企業であれば、不祥事による社会的影響がないということはあり得ない)。

第三者委員会をどの程度、企業から独立した存在とし、どの程度、委員会側の主導性を認めるかは、事業の性格、不祥事の性格等に応じて判断すべきである。

三菱自動車の場合は、大手自動車メーカーの一角であり、製造・販売する自動車が道路交通で生じさせる公共の危険を考慮すると、私企業ではあるが、比較的公共性の高い事業と言える。しかも、今回の不祥事による三菱自動車に対する社会の批判・非難の強さを考慮すれば、会社側がある程度の影響力を持つ形での調査では、社会の信頼を得ることは難しいと言わざるを得ない。今回の三菱自動車の第三者委員会については、独立性・客観性を確保することが特に重要だと言える。

第二に、第三者委員会の委員長及び委員の人選が重要である。

一般的には、第三者委員会の人選は、経営執行部が判断・決定する事項である。

しかし、上記のように、今回の三菱自動車の不祥事に関しては、第三者委員会が会社とは利害関係がなく、独立した立場で、客観的に調査・検討を行うことが強く求められる。それだけに委員長・委員の人選においても、委員会の独立性・客観性が外形上確保されていることが重要であり、人選は執行部に委ねるのではなく、社外取締役を含む取締役会や、コンプライアンスを審議する社外者による機関の「企業倫理委員会」等が積極的に関与すべきであろう。

東芝の例を鑑みれば、委員に選任する有識者等の人選も、合理性・独立性のあるものでなければならない。今回の問題の性格上、法曹関係者のみならず、自動車工学の専門家、消費者問題の専門家等の参画は不可欠であろうし、全体として専門分野のバランスのとれた委員の構成にする必要がある。また、独立性が確保され、会社に大きな影響を与える事項の審議決定をする権限が与えられる必要があるので、その分、委員の人数も少なくとも5名程度は確保し、委員会内での議論の充実を図るべきであろう。

第三に、委員会発足の段階での社会への発信とその後のコミュニケーションが求められる。

三菱自動車に対する社会の信頼が崩壊に危機に瀕している現状においては、会社から独立した立場で公正かつ客観的な調査を行う第三者委員会への信頼を確保することが極めて重要であり、そのためにも、委員会から社会への発信は欠くことができないものである。

第三者委員会が発足し、初回の委員会を開催した時点で記者会見を行い、委員会として、どのような問題意識で、どのような事項について、どのような体制で、どのような調査を行うのかについて丁寧に説明し、調査結果の公表までにスケジュールを具体的に示すことが必要である。それによって、委員会調査への期待を高め、今回の不祥事に対する社会的評価・判断は、第三者委員会報告書が公表されるのを待とうとする雰囲気を醸成し、三菱自動車の不祥事に関する社会の関心を、第三者委員会の調査に集中させることも可能となる。

第四に、その点に関連して、委員会の調査開始後において、委員会が、必要に応じて調査の状況や、一部の調査結果について情報提供を積極的に行う必要がある。

今回の問題公表時の記者会見では、社外者による調査期間は「3か月」とされているが、現に多くのユーザーが対象車種の使用を続けていることからすると、3か月間、今回の不正に関して何の情報開示もないということでは、社会の納得が得られない。しかし、第三者委員会の調査に委ねている状況で、会社側が、調査事項に関連する事項についてコメントすることが適切ではないことは言うまでもない。

そうした中では、第三者委員会の調査の過程においても必要に応じて情報発信することが必要である。また、調査の状況によっては、中間報告書等によって中間段階での調査結果の公表も検討する必要がある。

第五に、第三者委員会報告書公表時に、報告書の内容について、十分な説明を行い、その内容について社会の理解納得が得られるように最大限の努力を行うことが必要である。場合によっては、報告書公表後においても、社会の受け止め方や会社側の対応に応じて、何らかの対応を行うことも必要となる。

これまでの企業不祥事の多くで、「第三者委員会は、報告書公表をもって解散し、それ以降は存在していない」との考え方の下に、公表時の記者会見が終了した後は、全く説明を行わないことが多かった。しかし、少なくとも、今回の三菱自動車の不祥事に関しては、前記のように、現時点での会社側の説明には多くの疑問点があり、それに関連して調査解明すべき事項も多岐にわたる。それらに関する調査結果について、一回の記者会見だけで説明を尽くすのは困難であろう。また、第三者委員会報告書では、原因究明と是正策・再発防止策を提示することになるが、それを受けての会社の対応が十分なものであるのかは社会の重大な関心事となる。それについて、第三者委員会は、既に解散しているからコメントも対応もしないということでは、企業に対する社会の信頼を回復することは著しく困難となる。

この点が最悪だったのが、東芝の第三者委員会である。報告書公表後、「第三者委員会は既に解散している」との理由で何も説明せず、また、会社側も、「会社から独立した第三者委員会の責任で作成された報告書内容にはコメントできない」との対応に終始した。このような対応に不信感を持ったマスコミも多く、そのうちの一つの日経ビジネスが、東芝の社内者に対して誌面で内部告発を呼びかけるという異例の対応をしてまで徹底追及する動きに発展していった(もっとも、東芝の場合には、前記のように「第三者委員会」そのものが偽装だった疑いが強く、委員会として適切な対応ができなかったのは当然だったとも言える。)

今回の三菱自動車の不祥事では、第三者委員会が、信頼を喪失した会社経営幹部に代わって、社会とのコミュニケーションの役割を果たすことが重要になると考えられる。

企業としては、ほとんど「死に体」の状態と言える三菱自動車が、今回の不祥事を機に、企業組織の抜本改革を果たし、長い時間をかけて社会の信頼を回復していくことができるとすれば、近く設置される第三者委員会が、今回の不祥事に関して会社からの独立性・客観性を確保した上で、徹底した調査を行い、過去の不祥事では改めることができなかった「問題の本質」を明らかにすることしかあり得ない。

グループ企業3万人の従業員と家族を救うためにも、第三者委員会の人選が適切に行われ、自動車ユーザーなどステークホルダーの納得が得られる徹底した調査と原因究明が行われることを期待したい。

 

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甘利問題、「政治的向かい風」の中で強制捜査着手を決断した検察

都市再生機構(UR)と建設会社との間の補償交渉に介入した甘利元経済財政再生TPP担当大臣の元秘書らが、同社総務担当者から多額の金銭を受領し、甘利氏自身も、大臣室等で現金を受領した問題(以下、「甘利問題」という)に関して、昨夜(4月8日)、東京地検特捜部が、URの千葉業務部と建設会社に家宅捜索に入ったことが大きく報じられている。

私は、最初に週刊文春で報道された時点から、ブログ等で「絵に描いたようなあっせん利得」と評し、衆議院予算委員会公聴会でも、「狭いストライクゾーンのど真ん中のストライクの事案」などと表現して、あっせん利得処罰法違反等による刑事事件の捜査の対象とすべき事件であることを繰り返し訴えてきた。

しかし、今年1月にこの問題が表面化し、その1週間後に甘利氏が大臣を辞任したが、その後も、検察が本格的に捜査を行おうとしている様子はうかがえなかった。「検察は参議院選挙までは捜査に着手しない」というような話も耳にしていた。

だからこそ、昨夜、NHKの「ニュースウォッチ9」の冒頭で、このニュースを聞いた時には、正直驚いた。

この問題での処罰の中心となるべき甘利事務所や秘書の側が対象となっておらず、URや建設会社側だけに捜索が行われたということから、それまで散発的に報じられていた捜査の動きと同様に、告発を受けて捜査をせざるを得ない立場の検察が「ガス抜き」のためにやっているのではないか、という見方もできなくはない。

それにしても、甘利氏が外交交渉を担当したTPP関連法案の国会審議が始まろうとしている時期、しかも、この7月に衆参同時選挙が行われる可能性も取り沙汰されており、その前哨戦として極めて重要な衆議院北海道5区の補欠選挙を直前に控えている時期だ。この時期の「甘利問題」での強制捜査着手というのは、政治的な影響は大きいと言わざるを得ない。

政治的影響を生じさせる事件、とりわけ選挙への影響が大きい強制捜査の着手に対しては、検察に対し、法務省サイドからの抑制が強く働く。まして、絶大な政治権力を握る安倍政権の意向に反する方向での捜査着手に対しては、強い反発が生じることは必至だ。

どの時期に、どのような捜査を行うかは、捜査機関側が判断する問題であり、政治的影響への配慮を優先させるなら、告発されていても、当面は本格的捜査を見合わせるということも考えられる。

それだけに、突然の強制捜査、しかも、夕方に着手し夜を徹して行われているというUR等に対する捜索差押というのは、捜査の方法としてもインパクトが強い。検察の本気度を示しているように思える。

捜索の対象に甘利事務所が含まれていないことも、この事件に関する証拠関係の特殊性と、事件の政治的影響を考えれば、捜査のやり方として考えられないものではない。建設会社の総務担当者は、甘利氏の秘書とのやり取りをすべて録音していると言われており、その点や現金授受について甘利事務所側の証拠隠滅は困難だからだ。

告発されている「あっせん利得処罰法違反事件」について言えば、事件を起訴できるか否かの最大のポイントは、「国会議員の権限に基づく影響力の行使」があったと認められるか否かであり、その点については、「UR」に対する捜索は極めて重要な意味を持つ。甘利事務所側への強制捜査は政治的影響に最大限に配慮する法務省側の意向の下で高検・最高検に了解を得ることは困難なので、まず、告発事件のあっせん利得処罰法違反の捜査に関して、現時点で最も重要といえるUR側への捜査を先行させるというやり方は、あり得る。そのような観点から、UR側への捜査を進めていたところ、UR側の対応から任意捜査では事実解明が困難だと判断して強制捜査着手を決断したのであろう。

もちろん、甘利事務所側を強制捜査の対象としなければ、URへの働きかけへの甘利大臣個人の関与について十分な証拠を得ることが困難であることは否定できない。しかし、まず、現時点で可能な範囲での最大限の積極捜査としてUR側等への捜索を行うなどして、秘書に対するあっせん利得処罰法違反の証拠を固め、その捜査の目途が立った後に、甘利氏自身の関与の解明を行うという方法も、捜査の進め方として十分にあり得る。

大阪地検の不祥事など一連の不祥事以降、旧来の「検察が考えたストーリーどおりの供述調書」をとることを中心とする捜査が行えなくなり、それ以降、目ぼしい成果をほとんど挙げることができなかった特捜検察。しかも、安倍政権への政治権力の一極集中が進み、政権側の意向を忖度せざるを得ない状況の検察にとって、「甘利問題」への本格捜査へのハードルは相当高かったと思われる。「絵に描いたようなあっせん利得」に対する検察の積極的捜査を当然視し、期待する発言を続けてきた私も、内心では、「たぶん今の検察には無理だろう」というあきらめに近い思いが強かった。それだけに、今回の、この時期の強制捜査着手は、意外であった。

「甘利問題」の刑事事件としての評価、捜査のポイント等については、今年1月以降、【甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか】【甘利大臣をめぐる事件で真価を問われる検察】【甘利問題、検察が捜査着手を躊躇する理由はない】などのブログで繰り返し述べてきた。甘利氏の政治家としての経歴、事件当時のポジション等からして、あっせん利得処罰法違反の要件としての「国会議員の権限に基づく影響力の行使」を立証することは十分に可能だと考えられる。また、補償交渉での要求が不当なものであれば、刑法の「あっせん収賄」に該当する可能性すらある。

今回のUR側等への捜索に関しては、「政治的な強い向かい風」の中での強制捜査に着手にした東京地検特捜部の決断に、まずは敬意を表したい。そして、今後、事件の真相解明に向け、幾多の困難を乗り越えて捜査が遂行されていくことを強く期待したい。

 

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八田氏国賠訴訟、「控訴違法」で窮地に追い込まれた国・検察

美濃加茂市長事件では、現職市長を起訴した収賄事件で一審無罪判決を受け、組織の面子だけにこだわって無謀な控訴をした検察は、控訴審での立証が破たんし、現職市長の潔白が一層明白になるという、「泥沼」に追い込まれている【検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審】。その一方で、検察の「不当な控訴」をめぐるもう一つの裁判が佳境に入りつつある。

それまでは有罪率100%だった東京国税局が告発し、東京地検特捜部が起訴した脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴棄却で無罪確定という全面勝利を勝ち取った八田隆氏(【勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか】)は、2014年5月16日、国税局の告発、検察の起訴、控訴が違法だったとして、国に損害賠償を請求する訴訟を提起した(【八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」】)。

この訴訟では、八田氏の弁護人として八田氏の刑事裁判で検察と戦った小松正和弁護士、喜田村洋一弁護士に、元裁判官の森炎弁護士と元検察官の私(対談本【虚構の法治国家】(講談社の共著者))が加わって結成した原告代理人弁護団は、告発・起訴・控訴それぞれが違法であったことを主張し、被告の国側と戦ってきた。(八田氏は、それを「ドリーム・チーム」と称している。【#検察なう(393)「国家賠償訴訟に関して(2)~代理人ドリーム・チーム結成!」】

美濃加茂市長事件で、主任弁護人として、検察の不当極まりない控訴を受けて立ち、戦っている最中の私は、八田氏の国賠訴訟でも、検察の控訴の違法性(控訴違法)の主張を主に担当している。「無罪判決に対する検察の控訴」をめぐる戦いを、まさに同時並行で進めてきた。

美濃加茂市長事件では、贈賄供述者の控訴審での職権証人尋問という異例の展開に、検察は「証人テスト」も封じられて手も足も出せない状況にある。(この検察の惨状については、既に【前掲ブログ】で詳述。)

八田氏国賠訴訟での「控訴違法」をめぐる争いでも、検察の意向に沿って行われていると思える被告・国側の対応が混乱・迷走を続けており、原告が求めている控訴検察官の証人尋問をめぐって、国側は窮地に追い込まれている。

米国では、一審で無罪判決を受けた被告人に対して、検察官が控訴を行うことは、「二重の危険の禁止の法理」に反するとして、許されていない。我が国でも、学説では、「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。」と定める憲法39条の規定が、米国の「二重の危険の禁止の法理」に由来するものだとして、無罪判決に対する検察官控訴は憲法に違反するとの見解が有力に主張されてきたが、最高裁判例では合憲とされ、実務上は、容認されてきた。

しかし、違憲ではないとしても、野放図に認められるべきではないのは当然だ。

三審制の下で、被告人の側が、有罪判決を不服として上級審による救済を求めることが認められるのは当然だが、検察官が、一審の無罪判決を覆そうとして控訴することは、いかなる場合にも許されるというものではない。少なくとも、検察の実務においても、検察官側からの控訴は、検察内部での慎重な検討を経て、控訴審で新たな証拠を請求し、採用される可能性がある場合など、一審無罪判決が覆せる十分な見通しがある場合でなければならないと考えられてきた。

そして、裁判員制度の導入に伴って、控訴審のあり方の見直しなどが議論され、控訴審では第1審の判断を尊重すべきという主張が行われたことを受け、平成24年2月13日の最高裁判決で「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」とされた。

これによって、無罪判決に対する検察官の控訴も、さらに制約を受けることになった。

控訴審が一審の無罪判決を覆すことができるのは、「一審判決に事実誤認がある」と判断した場合だ。最高裁で、その「事実誤認」について、「論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」との判断が示されたため、検察官が「事実誤認」を理由に一審無罪の破棄を求めて控訴するためには、一審判決が「論理則、経験則に反していること」を具体的に主張できることが必要になったのである。

ところが、八田氏の脱税事件では、検察官控訴を慎重に判断する検察内部における慣例も、平成24年最高裁判例による制約も、完全に無視された。

この事件の控訴審では、検察官は、一応「新証拠の請求」を行っているが、すべて一審段階で存在していた証拠である。控訴審で請求する証拠については、「一審で請求しなかったことについてやむを得ない事由」があることが必要であるが、この制約の下で、新証拠が採用される可能性は全くなかった。また、検察官の控訴趣意書での主張は、言葉の上では、「一審無罪判決の論理則、経験則違背」を主張しているように見えるが、その中身は、ほとんど一審での主張の繰り返しで、「論理則、経験則に照らして不合理であることを具体的に示すこと」など全くできていない。

実際に、控訴審では、第一回期日で、検察官の証拠請求はすべて却下され、ただちに結審、控訴棄却の判決が言い渡された。検察官の控訴は「問答無用」で斬り捨てられたに等しい。

この事件については、そもそも国税局が告発したことも、その告発事件を検察官が起訴したことも、全くデタラメだが、何と言っても最も明白に違法なのは、一審で無罪判決が出た後に、それを覆す見込みが全くないのに、検察官が無理やり控訴したことだ。

控訴違法に関する原告側の主張に対して、被告・国側は、凡そ的外れな主張を繰り返してきた。

上記の「平成24年最高裁判決」については、

刑事事件における控訴審の審査の在り方を示したものであり、検察官による控訴申立ての判断基準や要件を示したものでもなければ、検察官による控訴申立ての国賠法上の違法性判断基準を示したものでもない

などと述べ、

検察官は、第一審の事実認定が不合理であることを『具体的に』示すことができない場合に控訴申立てをしても国賠法上違法ではない

とまで言い切ったのである。これはすなわち、控訴審での主張や立証と関係なく、検察官が、「あいつは有罪だ」と思っていれば控訴していい、という主張だ。

しかし、一審無罪判決に対して検察官が控訴するとすれば、無罪という結論を導いた事実認定が間違っている(事実誤認)と主張して、控訴審で、その主張を認めてもらい、無罪判決を覆すことが目的のはずだ。

国側の主張は、検察官は、公訴権(刑事事件を起訴する権限)を自由に行使できるのと同様に、無罪判決に対する控訴も、したいと思えば自由に行うことができ、控訴がどのような結果に終わっても一切責任を問われないという、まさに「検察の独善」そのものだといえよう。

大阪地検特捜部の村木厚子氏の冤罪事件や証拠改ざん事件で厳しい社会の批判を浴び、「検察の理念」を定めるなど、抜本的な改革を迫られた検察組織である。「有罪」だと判断し「正義」だと思えば、無罪判決に対する控訴でも何でもやることができる、という考え方が、国民に許容されないのは当然であろう。

平成24年の最高裁判決以降、無罪判決に対する検察官の控訴の違法性が争われた事例での裁判例はまだ出ていない。八田氏の国賠訴訟は、その点についての貴重な先例になる可能性がある。

この点に関して重要なことは、検察官の権限と責任に関する法的枠組みが、検察という組織と一般の行政庁とでは大きく異なるということだ。

一般に、官公庁では、その長である大臣が有する権限を各部局が分掌するという形で権限が配分されているが、検察庁では、検事総長、検事長、検事正などの職にあるからといって、刑訴法上、特別の権限があるわけではない。勾留請求、起訴、上訴など刑訴法上の権限は、全て「検察官」個人に与えられている。

検察庁法1条は、「検察庁」と「検察官」の関係について、「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」としている。これは、個々の検察官は独立して検察事務を行う「独任制の官庁」であり、そのような個々の検察官の事務を統括するのが組織としての「検察庁」だという趣旨だ。

検察庁内部では、上司は各検察官に対して、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に担当を替えたりできる権限)を有している。だから、主任検察官と上司との意見が異なる場合は、上司が引取移転権を行使することで、主任検察官とは異なった処分を行うことはあり得るが、部下に自分の意見を強制することはできない。

事件を担当する検察官は、証拠を精査・検討して、権限を行使するかどうかを判断する。その検察官個人の判断については、検察庁内部の決裁システムによって「組織としての承認」を受けた上で、実際の権限を行使することになるが、刑訴法に基づく権限自体は、検察官個人に帰属しているので、権限行使についての責任も、組織ではなく検察官個人に帰属するのである。

控訴するか否かは、検察庁にとって極めて重要な判断であり、地検の内部での検討の後に上級庁の高検との協議を行い、場合によっては最高検との協議も行われる。そして、事件を起訴した検察官や公判を担当した検察官ではなく、その地方検察庁の検察事務を統括する立場の次席検事が自ら検討した上で控訴を決定し、控訴申立書に署名して控訴を行うのが通例だ。本件では、控訴申立書を書いて、裁判所に対して控訴の手続きをとった当時の東京地検次席検事のI検事が、控訴申立ての責任を負うのであり、過失の有無・違法性も、I検事個人の認識や行為から判断されることになる。

当然、一般的には、控訴の責任を負う立場にある検察官自身が、一審無罪判決の内容や証拠関係を検討した上で、控訴審で無罪判決を覆せる見通しが十分にあると判断して、控訴が行われる。

しかし、本件に関しては、そのような慎重な検討が行われないまま、I検事が控訴申立てを行った可能性がある。

国税当局と検察とはかねてから深い関係にある。国税が告発相当と判断した事件については、必ず両者で「告発要否勘案協議会」が開かれた上で、告発するかどうかが判断される。その告発要否勘案協議会で検察官の了承を得て国税局が告発した事件については、不起訴にはしないというのが「不文律」である。その告発事件に対して一審無罪判決が出た場合、国税局との関係からは、控訴せずに一審で無罪を確定させることなどできないというのが「検察の立場」であろう。そうなると、東京地検次席検事として、「検察の立場」を守るべき中心的地位にあるI検事は、判決内容や証拠関係とはかかわりなく、「控訴しかあり得ない」と判断して、一審判決を覆せる見込みが全くないにもかかわらず無謀な控訴を行ったのではないか。

そのように推測するもう一つの根拠は、控訴の違法性の判断基準に関する被告の国側の主張内容だ。前述したように、被告は、「検察官は、第一審の事実認定が不合理であることを『具体的に』示すことができない場合に控訴申立てをしても国賠法上違法ではない」などという凡そ世の中に受け入れられるはずもない主張を続けている。そのような判断基準を前提にしないと、I検事が行った控訴の違法性を否定することができないからだとしか考えられない。

これらの根拠に基づいて、東京地検次席検事だったI検事の控訴申立てについて、原告は、次のような具体的事実を主張した。

東京地方検察庁検察官(I次席検事)は、本件一審無罪判決が出された時点で、東京国税局が告発し東京地検特捜部が起訴した脱税事件についての一審無罪判決は承服し難いものと考え、控訴することを決断したものであり、判決書を検討することも、証拠関係を直接確認することもせず、第1審判決の事実認定が論理則・経験則に照らして不合理であることを具体的に示すことができるか否か、控訴審において有罪判決を得る見込みがあるか否かなどの検討を行わないまま、本件控訴申立てを行った。

ところが、被告は、この具体的事実について、

原告の主張する判断枠組みは採用し得ない独自の見解であり、これによって控訴申立てが国賠法上違法であるかが判断される余地はない(そのため、上記に対して認否を行う必要を認めないものである。)

などと述べているのである。

原告の「法的枠組みの主張」は、平成24年最高裁判例を踏まえた、十分に根拠のあるもので、「独自の見解」などと言って済ませられるようなものではない。裁判所が採用する可能性がないなどとは到底言えないはずだ。ところが、被告・国は、原告の主張事実に認否をしようとせず、最終的に、裁判長から「被告は原告の事実主張に対して『沈黙』でよいのか」と念押しされて、ようやく「検討する」と言っている始末だ。

認否についても、当然、検察庁側の意向を確認しているものと思われるが、「I検事が判決内容も証拠も検討せずに、控訴申立てを行った」と主張されているのに、それをただちに否定すらできないというのは、この事件での控訴が、いかに不当極まりないものであったのかを端的に示していると言える。

有罪率99.9%という圧倒的に不利な状況の下で、無実を訴え続けて裁判を戦い抜いた者にとって、また潔白を信じて支援してきた者にとって、一審無罪判決は、まさに「待ちわびた春」だ。その「春」を土足で踏みにじる権限が、検察官に与えられていいはずはない。無罪判決を覆す見通しもないのに、組織の面子維持、結論先送りのために控訴することなど、絶対に許されてはならない。そのような控訴を行った検察官と検察の組織は、当然の控訴棄却という結果に対して、厳しい責任を問われるべきだ。

一審無罪判決を覆す見込みがないのに行われた無謀な控訴について、その権限行使を行った検察官が、判決内容や証拠関係をどれだけ検討し、どの時点で控訴を決断したのか。八田氏の国賠訴訟で真相を明らかにすべき重要なポイントだ。

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最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」

今月発売の文芸春秋4月号の特集「アベノミクス崖っぷち」の中の【スクープ・東芝「不正謀議メール」を公開する】と題する記事によって、東芝会計不祥事に関して注目すべき事実が明らかになった。

昨年7月の東芝第三者委員会報告書公表以降、新聞、テレビ等の多くのメディアが、「会計不正を主導した経営トップを厳しく断罪する第三者委員会報告書」によって歴代3社長が辞任に追い込まれたことを大々的に報じ、それによって、「幕引き」の雰囲気が醸成される中、誌面で東芝内部者に内部告発を呼びかけるという異例の対応まで行って、東芝会計不正の徹底追及を続けていたのが日本を代表する経済誌「日経ビジネス」であった

私は、当ブログ(【監査法人に大甘な東芝「不適切会計」第三者委員会報告書】)、日経ビジネスオンライン(NBO)(【東芝は「社長のクビ」より「監査法人」を守った】【「東芝不適切会計」第三者委員会報告書で深まる混迷】(プレジデントオンライン)、【「問題の核心」を見事に外した第三者委員会報告書】(岩波・世界9月号)等において、報告書の内容に重大な疑問があることを指摘し、「第三者委員会を中心とする東芝の不祥事対応」を徹底的に批判してきた。

そこでは、

①会計不正の問題なのに、不正の認識の根拠となる監査法人による会計監査の問題が委嘱の対象外とされていること、

②調査の対象が、「損失先送り」という損益計算書(P/L)に関するものに限られ、原発子会社の巨額の「のれん代」の償却の要否等、会社の実質的な財務基盤に関わる貸借対照表(B/S)項目は対象から除外されていること

などからすると、第三者委員会の調査は、意図的に問題の本質から目を背けようとしているとしか思えないことを特に強調してきた。

そして昨年11月に、日経ビジネスが、本誌とNBOにおいて、内部告発によると思われる【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損】【スクープ 東芝 減損隠し 第三者委と謀議 室町社長にもメール】という二つの衝撃的なスクープを報じたことで、東芝問題をめぐる状況は激変した。

これらの記事から、第三者委員会発足前に、当時の田中久雄社長、室町正志会長(現社長)、法務部長(現執行役員)等の東芝執行部が、米国原発子会社の減損問題を委員会への調査委嘱事項から外すことを画策し、その東芝執行部の意向が、東芝の顧問法律事務所である森・濱田松本法律事務所から、第三者委員会の委員の松井秀樹弁護士に伝えられ、原発事業をめぐる問題が第三者委員会の調査対象から除外されたことが明らかになった。

その直後に出したブログ【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】で、私は、

記事の内容が事実だとすると、東芝の会計不正への対応で中心とされてきた「第三者委員会スキーム」は、世の中を欺くための手段として使われた「壮大な茶番」だったことになる。

と述べた。

今回の文芸春秋の記事では、東芝社内でやり取りされたメールに基づき、以下のような事実を報じている。

(ア)会計監査人の新日本有限責任監査法人(以下、「新日本」)が、米国原発子会社の減損に関して、東芝に厳しい指摘をしていた。

(イ)田中社長を始めとする会社執行部は、この新日本の指摘を「受け入れがたい」として徹底して戦う姿勢であった。

(ウ)新日本の意見を封じ込めようとする東芝側の画策には、同じ大手監査法人の有限責任監査法人トーマツ(以下、「トーマツ」)の100%子会社のデロイトトーマツコンサルティング(以下、「DTC」)が深く関わっており、新日本が崩せない「工作」を東芝に授けていた。

(エ)田中社長は、厳しい指摘をしてくる新日本に対して、「翌期からの監査法人(会計監査人)の変更も辞さない姿勢」で臨むよう財務部長に指示していた。

(オ)DTCは、原発子会社の減損対策等に関する対応助言メモについて、対外的には東芝の社内メモのように装うことで、DTCの関与を隠蔽するよう東芝側に要請していた。

(カ)東芝の会計不正の第三者委員会の委員に就任した公認会計士の一人は、直前までトーマツの業務執行社員であったうえ、調査補助者には「デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社」が起用された。

(キ)東芝財務部から、監査法人のヒアリング対象になる幹部社員向けに、極秘の対策マニュアル(真実を隠蔽するための「想定問答集」)が配布されていた。

文芸春秋の記事に書かれていることが真実だとすると、東芝は、新日本に会計監査を任せる一方で、競合する大手監査法人であるトーマツの子会社から、新日本の監査意見に対抗するための「工作」の伝授を受け、会計不正が発覚するや、その不正調査に、会計監査対策に関わっていたトーマツ傘下の公認会計士を起用したことになる。

会計監査人の新日本に対して東芝側が虚偽の資料を提出したり、虚偽説明を行ったりしていた事実があることは、第三者委員会の報告書でも認めている。そのような虚偽資料・虚偽説明に、DTCがどこまで関わっていたのか、トーマツ側にどの程度の責任があるのかはわからないが、東芝の監査対応に深く関わっていたトーマツの関係者が第三者委員会の調査を主導していたことは、委員会の調査や判断の公正さについて、新たに重大な疑念を生じさせるものと言えよう。

会計不正の問題なのに、なぜ、不正の認識の根拠となる監査法人による会計監査の問題が第三者委員会の調査の対象外とされたのかという当初からの疑問(前記①)に関しても、第三者委員会の委員の一人がトーマツの公認会計士で、調査補助者もトーマツの関連会社だったことと無関係ではないように思える。監査法人に関する問題を突き詰めていくと不正が新日本に発覚しないようにするための「工作」に加担したトーマツ自身にも跳ね返って来かねないという懸念が、監査法人問題が調査対象から除外される事情の一つになった可能性もある。

文芸春秋の記事では、

不正の振り付けをした会社が不正の調査をする。おまけに、どちらの仕事も費用を払うのは「被疑者」の東芝である。茶番としか言いようがない

と述べている。そうであるとすると、東芝の「第三者委員会スキーム」は、既に私が指摘しているように、委員会を設置した東芝執行部と第三者委員会の関係という面で「茶番」であっただけでなく、調査を担当し、補助する公認会計士の立場という面でも、世の中を欺くための手段として使われた「茶番」だったことになる。

今回の記事で明らかになった東芝社内のメールのやり取りは、東芝会計不祥事の核心が原発事業をめぐる会計処理上の問題であったこと、東芝執行部が、それを隠ぺいするためにいかなる手段も辞さない姿勢であったことを窺わせるものである。

東芝の財務部門から、新日本のヒアリング対象者に配布されていた「極秘のマニュアル」にDTCがどのように関わっていたのか、DTCの東芝の財務部門に対する指導・助言が、東芝の財務部門や事業部門が行っていた監査法人への虚偽説明にどのように関係していたのかなどは、文芸春秋の記事からは不明であるが、記事に掲載された東芝社内のメールのやり取りからは、東芝の新日本への虚偽の資料提出・説明に何らかの形でDTCが関わっていたことが疑われても致し方ないと言えよう。

文芸春秋の記事で明らかになった事実は、最終局面を迎えていると思われる証券取引等監視委員会による金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)による告発の動き、そして、検察当局による刑事事件の捜査での東芝歴代経営幹部の刑事責任追及にも相応の影響を与えるものと言えよう。

第三者委員会報告書が公表され、歴代三社長が辞任を表明した直後から、東芝経営幹部が粉飾決算で刑事責任を追及される可能性についてメディアから質問を受ける度に、「その可能性は極めて低い」と答えてきた。少なくとも、第三者委員会報告書には、経営トップ主導の不正会計を印象づけるセンセーショナルな表現は並んでいても、経営トップの「不正の認識」を具体的に裏付けるような事実はほとんど指摘されていなかったからだ。

【NBOのインタビュー】でも述べたように、東芝経営陣が会計不正を認識していたとすれば、監査法人を「だます」か、監査法人に「見逃してもらう」かのいずれかを具体的に認識していたはずだ。監査法人との関係というポイントを見事にスルーしている第三者委員会報告書では、東芝経営陣の不正を立証することは到底できないというのが私の見方だった。しかし、文芸春秋の記事に掲載されている東芝社内のメールからも、田中社長ら東芝幹部が、DTCの指導・助言を受けながら、新日本の会計監査での指摘に対抗しようとしていたことが窺われる。会計監査人たる新日本の意見を「受け入れがたい」とし、それを抑え込もうとしていたとすれば、会計不正の認識があったことの疑いを強めるものだと言えよう。

東芝会計不正を、「粉飾決算の刑事事件」として立件する上で重要なことは、「粉飾の動機」の解明だ。東芝経営トップが不正な会計処理を行ってまで守ろうとしたのは何だったのか。その点も、調査対象を、4つの事業部門の「不適切会計」に限定した第三者委員会報告書では、全く明らかにされていなかったが、前記の日経ビジネスの一連のスクープ記事と、今回の文芸春秋の記事を総合すれば、東芝の会計不正の核心が米国原発子会社の減損など原発事業をめぐる問題であることが強く疑われる。

しかし、東芝会計不正の背景に、国策として行われてきた原発事業を守るためであれば会計不正もやむを得ないという考え方による歴代経営トップの経営倫理の弛緩があったとすれば、東芝の会計不正の核心が原発事業をめぐる問題であることが明らかになることが、逆に、刑事責任追及のハードルとなる可能性もある。

原発事業をめぐる会計不正も含め、背景・動機について徹底した捜査を行い、真相解明することは、国内の原発の再稼働や海外での原発事業を積極的に推進しようとしている安倍政権にとって、決して歓迎すべきことではないであろう。

証券取引等監視委員会が告発できるかどうかも、検察当局が告発を受け入れ積極的に捜査に乗り出す方針を固めるかどうかにかかっている。

検察に、そのような安倍政権側の意向を忖度することなく、原発事業をめぐる会計不正を含めて東芝の粉飾決算事件に積極的に斬り込んでいくこと、適正かつ厳正な捜査を行って真相を解明することが期待できるだろうか。

文芸春秋が、東芝の記事を含む特集を「アベノミクス崖っぷち」と題しているように、東芝会計不祥事は、コーポレートガバナンスの強化を柱として位置付けるアベノミクスにとっても、避けては通れない問題だといえる。

「東芝会計不祥事をめぐる闇」は余りにも深い。しかし、その闇の真相を明らかにし、責任を明確にしない限り、日本企業のコーポレートガバナンスに対する信頼の回復・確立はあり得ない。

検察が、国民の期待・社会の期待に応えて、国の経済社会にとっても極めて重要な経済事犯の真相を解明する使命を果たすことができるかどうか。最終局面を迎えつつある東芝会計不祥事から目が離せない。

 

 

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「国会の懲罰動議を貶める発言」がまかり通る異常な事態

2月24日の衆議院予算委員会中央公聴会で公述人として意見陳述した際に、おおさか維新の足立康史議員から誹謗中傷発言を受けた件については、【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】で述べ、国会としての重大なコンプライアンス問題であり、国会内での発言について議員の免責特権が保障されている以上、国会での懲罰による対応が不可欠であることを指摘した。(【看過できない重大な”国会のコンプライアンス問題”】

その日に、実際に懲罰動議が出されたことから、私としては、その問題には、それ以上関わらないこととし、その後は、ブログでも、刑事実務に関する重要案件を取り上げてきた(【検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審】【札幌地裁「おとり捜査」再審開始決定が「画期的」であることの意味】)。

しかし、その後も足立議員の常軌を逸した言動は続いており、もはや国会の自律、自浄という面からも看過できないものとなっている。そのことを、懲罰動議の取扱いを検討する衆議院議院運営理事会の方々や、何より、選挙において、足立議員の国会議員としての適格性を判断する選挙区の有権者の方々にお伝えしておく必要があると考え、ここ数日の足立議員の言動と、それについて私が考えたことを取り上げることとした。

先週水曜日(3月2日)の午前中、足立議員の事務所から、私の法律事務所宛てに電話があり「足立議員が郷原先生に直接会って謝罪したいと言っているので、可能であれば、今日の夕方にも、事務所に伺わせて頂きたい。」と言ってきた。

その旨の連絡を受けた私が、秘書を通じて、「何を謝罪したいのかを明らかにして貰わないと、謝罪を受けることはできない。」と返答したところ、足立議員本人から直接、私の秘書宛てに電話があり、「とにかく全面的に謝罪したい。本当に申し訳ない。」ということを言ってきた。

しかし、その時点で足立議員は、公聴会の際やその後の他の委員会での発言だけではなく、自分のブログ、ツイッター等でも、私を「エセ専門家」などと誹謗中傷する発言を続けていた。私は、秘書を通じて、「少なくとも、誹謗中傷する内容のブログや、ツイッターを削除した上で、謝罪を申し入れるべきではないか。」と指摘したところ、「御趣旨はわかりました。やってみます。」と答えたとのことだった。

ところが、その後も、私への誹謗中傷を内容とするツイッター、ブログは全く削除されなかった。そこで、昨日(3月7日)、秘書を通じて、足立議員本人に、「誹謗中傷を内容とするツイッター、ブログも削除されておらず、何の連絡もないので、謝罪の話はなくなったということで良いですね。」と確認したところ、「ブログは転載された分は削除できない。ツイッターは既に多数リツイートされている。」などと言って、要するに、自分のアカウントにある誹謗中傷ツイートすら削除する気は全くなく、私に直接会って謝罪をする気もないことを認めたのである。

足立議員が私の秘書に対して口にした「全面的に謝罪する」という言葉は、2月24日の予算委員会公聴会で彼が行った誹謗中傷発言からすれば、あまりに当然であり、遅きに失したものとはいえ、それを聞いた時に、私は、ようやく彼も最低限の良心を見せてきたのかと思った。しかし、実際には、真摯に謝罪する気など、最初からなかったのである。

そして、驚くべきことに、足立議員は、【民主党の新しい看板は「鶏鳴狗党」が相応しい 憲政史上初“野党間”懲罰動議は一生の誉れ】と題するブログの中で、

郷原公述人に対する非礼は、民主党批判が高じて、その「火の粉」が飛んだもので、心から反省している。既に公聴会後にも直接非礼を詫び、予算通過を機に往訪し謝罪することも申し入れた。

などと述べている。

「公聴会後にも直接非礼を詫び」というのは、暴言を吐いた議員本人が、終了後、私のところに駆け寄り、いきなり一方的に手を握ってきて何やらわめいていたのであって、その時に、彼がどのようなことを言ったのかわからないし、ましてや、「誹謗中傷発言を行ったことへの謝罪」を受けた覚えは全くない。

政治家、国会議員は「言葉」によって有権者の心をつかみ、国会内で政策をめぐって真剣に「言葉」を戦わせることで国民の負託に答える職責を担っているはずだ。ところが、足立議員は、「謝罪申入れをした」「心から反省している」などという言葉で世の中を欺き、あろうことか、私への誹謗中傷発言によって出されている懲罰動議に対して「一生の誉れ」などと述べて、国会の自律・自浄のための最後の拠り所である懲罰手続すらも貶める発言を行っているのである。

もはや、このような人物が、国会議員として議院内を闊歩していること自体が、国会のコンプライアンスとして看過できない深刻かつ異常な事態だと言わざるを得ない。

このような異常事態が生じていることについて、野党議院を誹謗中傷したり、口汚いヤジで発言を妨害したりする足立議員の「用心棒的言動」の恩恵に与ってきた自民党のみならず、そのような足立議員の言動によって被害を受けながらも、それを表立って問題にして来なかった民主党・維新の党側の対応にも、反省すべき点があったと言わざるを得ない。

【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】でも述べたように、私が公聴会で行った意見陳述は、私の専門であるコンプライアンスの観点に基づくものだ。予算執行の段階で公平かつ適正に行われるべき「契約」に介入する「口利き」が、あっせん利得処罰法の対象とされていることを踏まえ、財政投融資によるURの公的住宅資産の活用の在り方と住のセフティネット構築のために、公費投入も含めて議論する必要があり、前向きな議論をする前提を確保するためにも、URが行う「契約」への口利きで報酬を受けた甘利氏をめぐる疑惑の事実解明が必要であることを指摘したものだ。それは、国民の声として識者の意見を聞く場としての予算委員会公聴会に相応しいものだったと考えている。

しかし、そのような私の意見陳述が、推薦した両党のその後の国会対応に活かされているようには思えない。予算執行における「契約」の適正確保の問題も、URの事業の在り方の問題も議論されてはいないし、むしろ、私の意見陳述と足立議員の誹謗中傷発言を機に、甘利氏をめぐる問題は収束してしまったような感すらある。

私が、【前記ブログ】などで、免責特権が与えられた議員の国会内での誹謗中傷発言に対しては懲罰で臨むべきと指摘したこともあり、予算委員長の厳重注意に加えて、懲罰動議が出されたが、それは、足立議員の院内での言動に対する初めての公式の対応だった。

これまで、民主党・維新の党が、国会内での足立議員の言動に対して、「触らぬ神に祟りなし」的な態度をとってきたことがが、言動を増長させる一因となったことは否定できない。

検察での刑事実務の経験から言わせてもらえば、一般的に、「やってはならない行為」を行った者は、その後、同様の行為に対する抵抗感が確実に鈍麻する。特に、然るべき制裁が科されない場合には、一層甚だしいものとなる。それは、殺人にも、家庭内暴力にも、児童虐待にも、覚せい剤事犯にも、同様に当てはまることである。

何の反省もない足立議員が、懲罰も受けることなく、平然と問題発言を繰り返しながら議員活動を続けていくことができるのであれば、今後も、政権側の意に沿わない野党推薦の参考人・公述人に暴言を浴びせる「政権与党の用心棒議員」の発言に全く歯止めが利かなくなる。それは、国民から様々な意見を取り入れ健全な議論を行う場としての国会の機能を著しく損なうことになりかねない。まさに「常習的」と言える足立議員の常軌を逸した言動の歯止めになりうるのは、国会において、発言の悪質性に応じた厳正な懲罰が行われること、そして、次の選挙で、有権者の適切な審判が下されることしかない。

懲罰動議の取扱いを検討する衆議院議院運営委員会の委員の方々には、与野党含め、このような足立議員の言動の異常性を直視し、国会の良識を守るために適切な審理を行って頂きたい。

そして、何より重要なことは、このような人物に多くの有権者が投票し、比例復活とはいえ当選したことが、現在のような国会での異常な事態を招いていることを、大阪9区の有権者の方々がしっかりと認識した上で、次の選挙での投票を行うことである。

 

 

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札幌地裁「おとり捜査」再審開始決定が「画期的」であることの意味

銃刀法違反(拳銃の所持)で実刑判決(懲役2年)が確定し、服役を終えていた元船員のロシア人男性が、「北海道警のおとり捜査は違法だった」として再審請求していた事件について、札幌地裁(佐伯恒治裁判長)は3日、再審開始を認める決定をした【毎日ネット記事】

上記記事の弁護人のコメントにもあるように、今回の再審開始決定は「極めて画期的」と言えるものだ。違法なおとり捜査を認めて再審開始を決定したのが初のケースで「画期的」というだけでなく、今回の再審決定は、そもそも、再審は、どのような事実が明らかになった場合に認められるべきかという一般論にも大きな影響を及ぼすものだ。

これまで、再審開始の事由とされてきたのは、有罪が確定した者について、「犯人ではなかったこと」、「犯意がなかったこと」など、犯罪が成立しないことが新証拠によって明らかになった場合である。

しかし、今回の事件では、再審を請求したロシア人男性は、「拳銃所持」という犯罪自体は否定していないし、再審開始決定でも、犯罪の成立自体は否定していない。

再審開始決定が「無罪を言い渡すべき」事由としたのは、その拳銃所持の犯罪の証拠である「拳銃」が、違法な「おとり捜査」によって収集されたもので、「違法収集証拠」として証拠とすることができないものだということが「新証拠(警察官の証言)」によって明らかになったということである。

これまで再審開始決定が出された事件と決定的に異なるのは、犯罪事実の有無・犯人性などの「実体判断」の問題ではなく、有罪の証拠とされた証拠が「違法収集証拠」だという訴訟手続法上の事実によって証拠とすることができない、だから、本人が犯罪の成立自体は否定していないとしても、「自白の補強証拠がない」として「無罪を言い渡すべき」だとされた点だ(憲法38条3項、刑訴法319条2項は、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には有罪とされないとしており、自白があっても、それを補強する証拠がなければ有罪とはできない。)。

三審制の下で、刑事裁判が行われ、その結果一度確定した判決が再審で覆されるのは、どのような証拠で、どのような事実が明らかになった場合なのかについて、これまで、様々な議論や裁判所の判断が積み重ねられてきた。再審開始の判断に関して、再審の扉を大きく開くことにつながったのが、最高裁白鳥事件決定での「『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則は再審制度にも適用されるべきであり、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できる」という判断だった。しかし、この決定も、有罪が確定した請求人の犯罪の成否という「実体判断」について行われたものだ。

再審事由に訴訟法上の事実が含まれるか否かについて明確に判断した裁判例はなく、学説上は、「含まれない」という見解の方が有力だった。もし、有罪の根拠とされた証拠が違法収集証拠であったことなどの訴訟法上の事実が再審開始の事由にされるとすると、違法収集証拠の主張に関連する再審請求の余地が大きく拡大することになる。

例えば、覚せい剤使用で起訴され、弁護側が「採尿が無令状で本人の意思に反して強制的に行われたので違法だ」と主張したが、裁判で警察官が「任意に採尿に応じたもので違法ではない」と証言して有罪が確定した者について、その後、警察官の偽証が明らかになり、実は採尿が「違法」で、採尿に関する捜査書類が「違法収集証拠」で証拠にできないものだったことが明らかになった場合にも、再審開始の余地があるということになる。

今回の再審開始決定では、おとり捜査が、もともと犯罪を行う意思がある者に捜査機関側が犯罪を行う機会を与えたという「機会提供型」ではなく、もともと罪を犯す意思のなかった者に働きかけて積極的に犯罪を行わせる「犯意誘発型」だったこと、北海道警が、おとり捜査の事実を組織的に「隠ぺい」し、警察官が偽証まで行ったことが認定されており、本件の捜査が、公正な捜査を行うべき警察として許し難いものであったことが認定されている。

このような警察の違法捜査と組織的隠ぺいは、全く弁解の余地のないものであり、「犯罪を抑止すべき国家が自ら新たな銃器犯罪を作りだした」などと厳しく批判した裁判所の姿勢は極めて適切なものと言えよう。

しかし、その極めて当然の批判を行った裁判所が、「将来の違法捜査抑止の観点からも、証拠能力は認められない」との判断を示して再審開始を決定したことは、今後、「再審」という手続の刑事訴訟における位置づけ自体を大きく変える可能性をはらんでいる。

これまで、再審は、有罪判決が確定して刑に服すこととなった者、あるいは服した者について、「冤罪救済の最後の手段」として位置づけられてきた。「違法収集証拠」という訴訟法上の事実自体を再審事由に含めることになれば、再審が、有罪判決が確定するまでの経過に、国家が刑罰を科す手続として許容できないものがあったか否かを検証する新たな機能を果たすことになる。

刑事事件の公判で捜査の違法性が争われる事例は多いが、ほとんどの場合、警察・検察が公判で違法性を徹底して争い、警察官・検察官が捜査に違法がなかったことを証言するため、実際に裁判所が捜査の違法性を認定する例は極めて少ない。むしろ、有罪判決が確定した後になって、何らかの事由が契機となって、捜査の違法性を根拠づける事実が明らかになるということのほうが起こり得る。その場合に、「違法収集証拠」という判断を通じて、再審開始決定に至る可能性があるということになると、再審が刑事裁判において果たす機能が、「冤罪の救済」だけでなく、「捜査の適法性の検証」にも及ぶという意味で、大きく変わることになる。

この再審開始決定について、検察が即時抗告を行って上級審の判断を仰ぐのか、もし行った場合に、抗告審が再審事由の範囲についてどのような判断を行うのかが注目される。

 

 

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