検察にとって「泥沼」と化した美濃加茂市長事件控訴審

2月23日に開かれた美濃加茂市長事件の控訴審の裁判所、検察、弁護人の三者打合せで、今後の審理の予定がほぼ確定したので、その結果について、早くブログ読者の皆さん(とりわけ、美濃加茂市民の方々)にお伝えしなければならないと思っていましたが、翌日の2月24日の衆議院予算委員会中央公聴会で公述人として意見陳述を行ったことや、公聴会での意見陳述の際に議員の一人から誹謗中傷発言を受けたことへの対応などに煩わされたことなどもあって、遅くなってしまいました。

2月23日の三者打合せの結果、次回5月の公判期日において、贈賄供述者中林の証人尋問が裁判所の職権で行われる予定になったことについては、同日、裁判所内の記者クラブでの記者会見で明らかにしましたし、既に、各紙で報道されています。(その後、期日は5月23日に決まりました。)また、名古屋地裁での一審から、この裁判を傍聴し取材してくれているジャーナリストの江川紹子さんからの取材に応えて、別途、打合せの結果について説明しており、江川さんは、【高裁が職権で最重要証人を尋問へ~美濃加茂市長の事件で異例の展開】と題して、記事にしてくれています。

江川さんも書かれているように、「高裁が職権で最重要証人を尋問」という事態になっていることについて、控訴審で、一審の無罪判決が覆る可能性が出てきたのではないかと心配されている美濃加茂市民の方もおられるのではないかと思いますが、主任弁護人の私としては、そのようなことは全く心配しておりません。

控訴審の審理が当初の予定より時間がかかっていることについては、美濃加茂市民の皆様には申し訳ないと思いますが、審理の経過は弁護人側にとって極めて順調であり、今回、実施されることになった贈賄供述者の証人尋問で控訴審の事実審理は終了し、夏から初秋にかけて控訴審判決が言い渡され、藤井浩人市長の潔白が明らかになるものと確信しています。

控訴審のこれまでの経過は、控訴した検察にとっては、まさに「泥沼」と言える状況であり、検察幹部は、組織の面子だけにこだわって控訴したことを激しく後悔しているものと思います。

一審では、市長逮捕後の圧倒的な有罪視報道に対抗して、市長が潔白であることを美濃加茂市民の方々に信じてもらうため、ブログ、ツイッター、ニコ生などを通じて、捜査状況や一審の経過等について、弁護人からも発信を続けてきましたが、一審で無罪判決を勝ち取ることができたことから、控訴審では、検察官からの挑戦を受ける立場として、裁判経過についての発信は、記者会見での対応など最小限にとどめてきました。

しかし、既に、控訴審第1回公判期日から半年以上経っており、美濃加茂市民の方々にも、この辺りで現状をご説明しておく必要もあると思いますので、現時点で、明らかにできる範囲で、お伝えしたいと思います。

一審無罪判決の主な理由と控訴審での検察官の主張

昨年3月5日に言い渡された名古屋地裁での一審判決は、①捜査段階における中林の供述経過、記憶喚起の経過に関して、中林の説明内容に疑義があること、重要な事実に関して変遷し、不自然であること、客観的な事実を示されて、それに符合するような供述を行った可能性があることなどの問題点を指摘し、中林供述の信用性を否定する背景事情として、②「中林が融資詐欺に関してなるべく軽い処分、できれば執行猶予付き判決を受けたいとの願いから、捜査機関の関心を他の重大な事件に向けることにより融資詐欺に関するそれ以上の捜査の進展を止めたいと考えたり、自身の情状を良くするために、捜査機関、特に検察官に迎合し、少なくとも、その意向に沿う行動に出ようとすることは十分にあり得るところである」とした上で、「(平成26年)3月26日に融資詐欺に関して2回目の起訴がなされた後、被告人の弁護人らの告発を受けて同年10月20日に融資詐欺に関して3回目の起訴がなされるまでの間、融資詐欺に関する起訴はなされておらず、上記告発がなされるまでは具体的な起訴の予定がなかったものと考えられ、結果的に見れば、中林の期待に沿う有利な展開になっていたと言える」などと判示して虚偽供述の動機の存在の可能性を認めました。

これに対して、検察官は控訴趣意書で、まず、(1)中林証言を離れ、証拠によって認められる「中林と被告人との癒着」と「癒着の深まり」に関する客観的な間接事実から現金の授受が推認されると主張し、控訴審裁判所に「有罪」を印象づけようとしました。

そして、控訴審での事実審理で、検察官が行おうとしたことは、(2)取調べ警察官に中林の供述経過・記憶喚起の経過と、証拠請求している取調べメモが中林の取調べ時に作成したものである旨を証言させ、証言と取調べメモの両方によって、中林供述について、一審判決が指摘している上記①の「客観的な事実を示されて、それに符合するような供述を行った可能性」を否定しようとする立証、(3)中林の融資詐欺事件の捜査・処理を担当した検察官の証人尋問で、中林の融資詐欺の捜査・処理の経過及び処分理由等を証言させることで、検察官が、中林の融資詐欺の捜査処理に関して有利な取扱いを行ったことがなく、一審判決が判示した上記②の「虚偽供述の動機の存在の可能性」を否定しようとする立証、という二つの面からの立証でした。

控訴審での検察官立証の「迷走」

このうち、控訴趣意書での検察官の(1)の主張は、書かれていることの大部分が証拠に基づいていない、或いは、事実を歪曲しているという、ほとんど「偽装」に近いもので、弁護人の答弁書で、その「偽装」の一つひとつを徹底して引き剥がしていったことは、答弁書を提出した昨年7月のブログ【検察控訴趣意書と東芝不適切会計に共通する「偽装の構図」】で述べたとおりです。

弁護人からは、裁判所に対して、検察官の証拠請求を認めず、ただちに結審して控訴棄却することを求めましたが、8月25日に行われた控訴審の第一回公判期日で、裁判所(木口信之裁判長)は、(2)について中村道成警察官、(3)について苅谷昌子検察官の証人尋問を行うことを決定しました。

ところが、尋問されることになった苅谷検察官というのは、平成26年9月4日に、名古屋地検が、弁護人による告発を受理した後に、中林の融資詐欺の告発事件の捜査・処理を担当した検察官で、それ以前の中林の融資詐欺の事件の捜査・処分には全く関わっていませんでした。検察官は、苅谷検察官の証言予定事実を記載した書面を提出しましたが、同告発以前の捜査経緯は、同人が直接体験したことではなく、すべて、愛知県警捜査二課担当者や当時の担当検察官からの伝聞だったのです。

一審判決は、「告発がなされるまでは、中林にとって(中林の融資詐欺の捜査が)当初の期待に沿う有利な展開になっていたといえる」と指摘して、中林が、虚偽の贈賄の事実を自白する動機が存在した可能性があったことを認めましたが、そこでの「有利な展開」というのは、弁護人の告発が行われる前のことです。

「虚偽供述の動機が存在した可能性」に関する最大の問題は、平成26年2月から3月にかけて中林が起訴された2件の融資詐欺の捜査経緯と、それ以外に中林が総額3億6400万円に及ぶ詐欺について自白していたのに、それらの事案について、弁護人による告発が行われるまで、捜査も起訴も全く行われなかったのが、いかかなる事情によるものだったのかだったのか、という点ですが、苅谷検察官はこの点についての捜査・処分には全く関与しておらず、証言できる立場ではなかったのです。

事実が争われている裁判では、自分が「直接」体験した事実でなければ証言させられません。もし、検察官が、苅谷検察官にそのような伝聞証言をさせようとしたら、弁護人が「異議」を述べ、証言が制止されることになります。

弁護人からは、検察官が主張していることは、苅谷検察官が証言可能な事項ではなく、むしろ平成26年2月から3月までの融資詐欺の捜査を担当した愛知県警捜査二課の警察官に「直接」証言させるべきだと指摘し、検察官が証人尋問を請求しないのであれば、弁護人から証人尋問請求を行う方針を示しました。しかし、検察官は、頑なに、警察官の証人尋問の請求を拒否し、弁護人が証人尋問請求をしようとすると、「控訴審は一審判決の当否を審査する『事後審査審』なのに、弁護人は、その範囲を超えて審理のやり直しを求めている」などと、言いがかりをつけてきました。

弁護人が、「苅谷検察官自身が経験した融資詐欺の捜査・処理については、その部分に限定した苅谷検察官の報告書が証拠請求されれば、その書証の取調べに同意する」と述べたところ、内容を限定した書証が採用されました。その結果、苅谷検察官を証人尋問して証言させるべき事項がなくなってしまったので、昨年12月11日の第3回公判に予定されていた苅谷検察官の証人尋問は取り消されたのです。

苅谷検察官の証人尋問を行う旨の決定を行った木口裁判長は、9月末に退官し、その後任としてこの裁判を担当することになった村山浩昭裁判長が、この証人尋問の取消決定をしました。

結局、控訴審での検察官の立証は、証人尋問としては、中林の取調べを担当した中村警察官だけになりました。

それ以外に検察官が請求していた主な証拠は、(ア)その取調べの際に中村警察官が作成したとする「取調べメモ」、(イ)中林が贈賄を自白した後に、知人のA氏が、中林に頼まれて贈賄資金を貸したと供述したことで中林証言が裏付けられたという「供述の前後関係」を立証するためのA氏の上申書、(ウ)中林が起訴された後に初めて事情聴取を受けたB氏が、中林から「市長に30万円ぐらい渡した」と話したという「供述の前後関係」を立証するためのB氏の検察官調書でした。

このうち、(ア)の取調べメモについては、弁護人から、そもそも、供述経過については、本来、録音・録画等の客観的記録を残しておくべきで、それを、いつ、どのように作成したのかもわからない取調べメモで立証しようとするのは不当だと主張し、検察官が都合の良い部分を断片的に拾い上げて立証しようとしている可能性があるとして、取調べメモ全体を証拠開示するように請求しました。

その結果、検察官は、開示した中林の取調べメモの中に、検察官が請求した「手書きの取調べメモ」と同じ時期に作成された「ワープロ打ち取調べメモ」があり、そこには、手書きメモで検察官が主張していることとは異なった供述内容が記載されていることがわかったのです。

惨憺たる結果に終わった中村警察官の証人尋問

中村警察官が作成した取調べメモにも、そのような重大な食い違いがあることが明らかになった後、昨年11月26日に、中村警察官の証人尋問が行われたのですが、それは、検察官にとって惨憺たる結果でした。

中村警察官は、二つの取調べメモの食い違いについて、「ワープロ打ちメモの方は、上司への報告のために、実際の供述とは違うことを書いた」と証言したり、(「手書きメモ」に書いているように)中林が第一授受のガスト美濃加茂店にT氏が同席していたどうか「記憶がはっきりしない」と述べていたのに、最初に作成した中林の警察官調書ではT氏が「いなかった」ことになっていることに関して、「若いころから、先輩には、調書というのは基本的には断定で取るもんだよという話を聞いて実践してきたことから、高峰がいなかったと断定して調書を作成した」というようなことを証言したり、その証言内容は、凡そまともな捜査官の証言とは思えないものでしたが、特に決定的だったのは、中林が、取調べの中でガスト美濃加茂店にT氏が同席していたことを思い出した経緯に関しての証言でした。

一審で中林は、ジャーナル(利用人数が3人だったことを示す店の資料)を見せられる前に、高峰が同席していたことを「自分で思い出した」と証言していたのですが、中村警察官は、「ジャーナルから3人で利用していることが判明し、その回答結果を中林に見せたところ、中林は、特に驚いた様子もなく『ああ、高峰さんいたんですね』と言った」と証言したのです。検察官は、中村警察官が、一審での中林証言と明らかに食い違った証言をしたことに気づき、弁護人の反対尋問が終わった後の再主尋問になって、「あなたが記憶違いをしているということは考えられませんか」と質問し、これに対して、中村警察官は、「全部覚えているわけではありませんので、まあ、もしかしたらということは確かにあるかもしれません」などと証言しました。警察官が、証言の最後になって、自分の記憶の曖昧さを認めるという結果になったのです。

(イ)の上申書、(ウ)の検察官調書については、A氏もB氏も一審で既に証人尋問を行っており、そこで質問すれば良かったもので、控訴審で証拠にできるようなものではありません。検察官は、それらの書証を裁判所に採用してもらうために、供述の時期を立証するためのもので「非供述証拠」だなどと屁理屈を持ち出していましたが、昨年12月11日の三者打合せで裁判所から「証拠採用しない」との判断が示されました。

極めて異例の最重要証人の職権尋問

こうして、控訴審での検察官立証が「迷走」を続け、ズタボロになった後に、村山裁判長から、控訴審での中林の証人尋問を検討していることが明らかにされ、2月23日の三者打合せで、5月に証人尋問を行うことが事実上決定されたのです。

控訴審裁判所が、職権で最重要証人の証人尋問を行うというのは、極めて異例のことです。本件公判において証言の信用性が強く争われ、一審無罪判決においてその信用性に重大な疑問があるとされた贈賄供述者の中林という人物について、控訴審において、中林の取調べ警察官である中村道成の証人尋問が行われ、一審での中林証言と同人の証言との間に相反する部分も生じていることを踏まえて、控訴審裁判所としても直接話を聞いて信用性を判断したいという趣旨だと思われます。

一審で、中林証言の信用性が否定されて無罪判決が出されているわけですから、その中林を控訴審で再尋問するというのは、本来、弁護人として歓迎すべきことではないはずですが、我々としては、中林が供述する現金の授受の事実など全くなく、藤井市長は潔白だと確信していますし、中林の証人尋問を重ねれば重ねるほど、その証言の信用性を否定する方向に働くものと考えています。これまでの控訴審における事実審理の経過からも、控訴審で中林の証人尋問が行わることについて、反対はせず、裁判所の公正な判断に委ねることとしました。

本来、中林証言の信用性について一審判決の判断を覆そうとするのであれば、検察官の方から、控訴審での中林の再尋問を請求するのが通常だと思います。ところが、検察官は、再尋問を請求しようとしないどころか、裁判所が中林を再尋問するかもしれないという話が出た時点から、尋常ではない狼狽ぶりでした。検察官は、打合せの場で、「時間もかなり経過し、記憶の後退等もある」などの理由で再尋問に反対する姿勢を見せていましたが、その後の書面では、「もし、裁判所が再尋問の必要があると判断する場合には検察官からも証人尋問請求する」との意向を示してきました。

検察官は、中林の再度の証人尋問には反対だが、もし、裁判所が尋問を行うということであれば、いきなり裁判官から質問されると中林が何を言い出すのか予想がつかないので、事前に、中林と「証人テスト(打合せ)」をしたいと考えて、「検察官からも尋問を請求する」と言い出したと思われます(「証人テスト」は、証人尋問を請求した当事者が尋問準備のための行うものです)。一審では、主任検察官と中林との間で「証人尋問の打合せ」が、「連日朝から晩まで休みもなく」行われていたことが明らかになり、一審判決でも、検察官と中林との間で「入念な打合せ」が行われたことが証言の信用性を否定する事情の一つとして指摘されました。

検察官が中林の「証人テスト」を行えば、一審と同じように、中林の供述を検察官に有利な方向にガチガチに固めようとしてくることは明らかで、中林の「生の話」を直接聞いてみたいという控訴審裁判所の公正な証人尋問を妨害するものだとして、弁護人からは、検察官の証人尋問請求にも、「証人テスト」を行うことにも強く反対しました。

このような検察官の姿勢に対する村山裁判長の姿勢は徹底したものでした。検察官の証人尋問請求については、裁判所の意図に反しているので、もし、請求しても却下すると明言し、「検察官は証人テストを控えてもらいたい。もし、証人テストを行った場合には、中林の証言の信用性の評価に影響する」と検察官に釘を刺しました。

ということなので、【江川さんのブログ】では、「異例の控訴審での最重要証人の職権尋問」について、落合洋司弁護士と元裁判官の木谷明先生の二人の見方が紹介されていますが、「裁判所としてできるだけ証人の素の記憶を知りたいということではないか」という木谷先生の見方の方が裁判所の意向に近いと思います。

村山裁判長は「裁判所が直接尋問するというのは、それ自体リスクはあるが、質問の仕方を工夫して、法廷で必要に応じて資料を示して記憶を喚起しながら質問を行いたい」と述べて、公判廷で、中林から生の証言を聞き出すことに意欲を示しています。

美濃加茂市民の皆さん、裁判所の公正な尋問によって、なぜ、中林が、無実の藤井美濃加茂市長を陥れるような、全く事実に反する供述を行ったのか、なぜ、一審で検察官の意向に沿った証言を続けたのか、真相が明らかになることを期待しようではありませんか。

 

 

 

 

 

カテゴリー: 藤井浩人美濃加茂市長 | 2件のコメント

看過できない重大な”国会のコンプライアンス問題”

2月24日の衆院予算委員会中央公聴会で公述人として招かれた私に対して、おおさか維新の会の足立康史議員が「郷原さんは専門家ではなく政治家、政治屋だ。予算委の場で売名行為をされたことについて批判する」などと暴言を吐いたことについて、竹下亘委員長が、問題発言をしたとして注意することと、委員長が私に直接謝罪することを決めた旨報じられている。

足立議員に対しては、おおさか維新の会の予算委メンバーを通じて厳重注意したとのことだが、足立氏は、昨日(2月25日)、自身のフェイスブックで、

中央公聴会では民主党がまたまたエセ専門家=郷原弁護士の権威を笠に政府与党批判を展開したので、郷原弁護士は公述人に相応しくないとの観点から質問しました。

などと述べ、同日の、衆議院予算委員会第二分科会では、

衆議院規則に、ある事柄についての賛否が分かれるテーマについて公述人を呼ぶ時は、両方バランスよく呼ばないとダメだということが書いてあります。そうあらねばならないと、これはもう衆議院の規則なんですね。ところが、昨日の予算委員会の中央公聴会というのは予算について議論しているんだけれども、何故か郷原公述人が居て、郷原公述人がある特定の立場のことだけを言ったわけです。それについては山下委員からも、あなたは元検察の弁護士としてある主張をしているけれども、自分が知っている別の元検察の弁護士は全く真反対の意見をお持ちの人もいるんですよということを指摘されました。至極ごもっともで。昨日の中央公聴会は、要すれば両方の意見の公述人をちゃんと並べて説明させないといけないという、そういう根本的な違和感があったものですから、そういう発言、質疑になったということで。

などと発言している。反省している気配も、自身の発言の問題を認める姿勢も全く見受けられない。

しかも、足立氏が、分科会で、「自民山下議員が『別の元検察の弁護士は全く真反対の意見を述べている』」と発言した」と言っているが、予算委員会公聴会で自民党の山下貴史議員がそのような発言をした事実は全くない(山下議員は、昨日のブログでも述べたように、「権限に基づく影響力」に関して、私の著書や美濃加茂市長事件を引用して、的外れの反論をしていただけである。)。足立氏は、山下議員の発言を捏造してまで、自らの発言を正当化しようとしているのである。

昨日のブログ【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】でも述べたように、中央公聴会での私の意見陳述は、これまで、国会審議でもしばしば取り上げられてきた「政治とカネ」の問題を整理し、あっせん利得処罰法の適用範囲について予算執行との関係で説明し、コンプライアンス論の観点から、財政投融資によるURの公的住宅資産の活動と、住のセフティネット構築のために公費投入も含めて議論するに当たって、前向きな議論ができる前提を確保するためにも、甘利氏の問題の事実解明が必要だと述べたものだ。

10年前の2006年にも、同じ中央公聴会で「コンプライアンスは『法令遵守』ではなく『社会の要請に応えること』である」との私のコンプライアンス論を、国の予算に生かしていく必要性について意見を述べたことがある。今回、衆議院予算委員長からの文書で、中央公聴会において公述人として意見を述べるよう依頼された私にとって、改めて、コンプライアンス・刑事実務という専門の知見から行った当然の意見陳述だった。

昨日夕刻、予算委員会の委員の民主党議員から、足立議員に対する厳重注意と、予算委員長の謝罪については私にも伝えられた。しかし、私に対して委員長の謝罪が、どこで、どのような形で行われるのかは、何も決まっておらず、足立氏の暴言が議事録から削除されるのかどうかについても、「速記録ができていないので、まだ決まっていない」とのことだ。

足立氏の、「政治屋だ。予算委の場で売名行為をされたことについて批判する」などという足立氏の発言が新聞等で掲載され、その発言にどのような問題があり、どのように間違っているのかについての予算委員会としてのコメントが全くなく、しかも、足立氏本人は、私に対する発言を正当化するような言動を続けていることで、私の名誉は、さらに著しく害されている。

足立氏の発言は、一般的には、名誉棄損に当たり、刑事上、民事上の責任が問われるべき問題であるが、憲法51条で、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」とされていることから、名誉棄損の法的責任が否定される可能性がある(もっとも、足立氏の発言は、公述人の意見陳述に対する質問の範囲を著しく逸脱しているので、免責が認められない余地もある)。

免責特権が国会議員に与えられているのは、国家議員の発言について、国会の外部から法的責任の追及が行われることになると、外部者が、司法権に基づいて、国会での議論に介入することを許すことになり、国会、内閣、司法の三権分立を損なう恐れが生じるからである。そこで、憲法は、国会内での議員の発言を司法審査の対象とすることを否定し、国会内での発言の当否や、その責任については、国会の自治、自律的判断に委ねることとしているのである。

第103回国会衆議院社会労働委員会において、議員が、医療法の一部を改正する法律案件の審議に際し、札幌市のとある病院の問題を取り上げて質疑し、その病院の院長について、「院長は五名の女性患者に対して破廉恥な行為をした。同院長は薬物を常用するなど通常の精神状態ではないのではないか。現行の行政の中でこのような医師はチェックできないのではないか。」等と発言し、この発言の翌日、この院長が死をもって抗議するとして自殺した事案においても、賠償請求は棄却されている(最高裁判決平成9年9月9日)。国会議員の免責特権というのは、それだけ重いものなのである。

足立氏が、公述人の名誉を棄損する発言をしたことについて、法的責任を負わないとすれば、発言について国会内で懲罰等により責任を問われることになる。暴言について、所属する党のメンバーから「予算委員会の厳重注意」を伝達されただけで済む問題ではない。しかも、その後も、足立氏は、全く反省もせず、他の議員の発言までねつ造して、自己の発言を正当化する言動を続けているのであるから、国会において厳正な懲罰が行われるのは当然である。

しかし、少なくとも、これまでの予算委員会及び予算委員長の対応を見る限り、このような憲法の規定の趣旨を踏まえた対応が行われているとは思えない。

国民が、国会内での議員の発言によって名誉を毀損されるなど権利を侵害されることを防止すること、国会に対する他の権力の介入を防止するという二つの要請を両立させることが、国会が真に社会の要請に応えることにつながるという、「国会のコンプライアンス」を、ここで改めて認識する必要がある。

足立議員の予算委員会公聴会での発言は、足立氏個人の問題というだけではなく、看過できない重大な「国会のコンプライアンス」の問題である。

 

 

カテゴリー: コンプライアンス問題, 政治 | 8件のコメント

独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題 

衆議院予算委員長名の文書で、昨日2月24日の中央公聴会において公述人として意見を述べるよう依頼が来たので、出席して意見を述べた。

10年前の2006年に、同じ中央公聴会で「コンプライアンスは『法令遵守』ではなく『社会の要請に応えること』である」との私のコンプライアンス論を、国の予算に生かしていく必要性について意見を述べたことがある。

昨日は、改めて、コンプライアンスの観点から、「政治とカネ」の問題、あっせん利得処罰法違反と予算執行の関係、今回の甘利問題を通して、独立行政法人URの組織や活動の在り方、政治との関係性について所見を述べた。

その要旨は以下のとおりだ。

 これまで、多くの政治家に関して「政治とカネ」という括りで指摘がされてきたが、この曖昧な言葉で、性格の異なる問題が一把ひとからげに混同されて議論されてきたことには問題がある。

「政治とカネ」の問題は、「賄賂」系の問題、「政治資金の公開」系の問題、「寄附制限」系の問題の3つに大別することができる。

「賄賂」系の問題について、国会議員の場合、その直接の職務権限は、議会での質問・表決等であり、その対価として賄賂と認められるものの範囲は限られるため、国会議員に収賄罪が適用される例は極めて少ない。むしろ、職務権限を背景として行われる、行政官庁等へのいわゆる「口利き」等で対価を受け取る行為が厳しい社会的批判を受けるケースが多いことから、「あっせん利得処罰法」が制定され、国会議員等の政治的公務員については、処罰の範囲が拡大されている。

「政治資金の公開」系の問題というのは、政治資金の寄附やその使途を政治資金収支報告書によって公開し、政治家や政党の活動が政治資金によって不当な影響を受けていないかを、国民の不断の監視に委ね、選挙における有権者の選択に反映させようとの趣旨で行われている政治資金公開制度の下で、収支報告書に虚偽の事実を記載するなどの行為が違反に問われるものである。

「寄附制限」系の問題というのは、政治資金の寄附に関して、政治資金規正法によって制限されている連続赤字会社、補助金受給企業、外国企業からの寄附の禁止や、寄附の量的制限等に違反する問題である。

これまで、うんざりするほど取り上げられ、中には国会審議にも大きな影響を与えてきた「政治とカネ」の問題の多くは、第二、第三の、いわば政治資金処理の手続き上の問題である。これらは、意図的に行われたものでない限り、基本的には、政治資金を正しく公開することと、再発防止の徹底が重要となる。

それに対して、第一の「賄賂系の問題」というのは、公務の廉潔性を損なう「犯罪」そのものであり、政治的公務員の職務の信頼性にも関わる問題であるだけに、事案の真相を解明した上で厳正な処罰が行われる必要があるが、最近10年以上、国会議員について表面化した事例はない。

国会議員等の政治的公務員の「賄賂系の問題」に対して適用される極めて重要な罰則規定である「あっせん利得処罰法」は、2000年に公明党を中心とする議員立法によって成立し、2001年に施行されたものだ。

もっとも、国会議員等の政治家が、支持者・支援者等の国民から依頼され、裁量の範囲内の行政行為について行政庁等に働きかけて依頼に応えようとすることは、国民の声・要望を行政行為に反映させるための政治活動として必要なものでもあることから、立法にあたっては、そのような政治活動全般を委縮させることがないよう、看過できない重大な事案だけが処罰の対象となるよう配慮がなされている。

要件としては、「特定の者に対する行政庁の処分」に関する「あっせん」が対象とされているほか、予算執行の段階での、国、地方自治体及び国が2分の1以上を出資する団体の「売買、貸借、請負その他の契約」に関する「あっせん」が対象とされている。

国会における予算案の審議・議決、決算の審査・承認という国会議員の直接の権限を背景に、支持者、支援者等の要望を行政庁側に伝え、それを予算の作成・執行に反映することも政治家の政治活動の重要な役割だが、その中でも、予算の策定段階での行政庁への働きかけは、特定の個人や企業に有利に働く面があっても、基本的には政策実現を目的として行われるもので、政治活動の自由が保障される必要性が高いのに対して、予算執行の段階で行われる事業者等との契約というのは、法令上の手続に基づいて適正かつ公平に行われるべきものであり、政治家が契約の相手方や契約内容に介入することは正当な政治活動とは言い難い面がある。そこで、「契約」に関する行政庁等への「あっせん」によって利得を得る行為は、行政処分への介入と並んで、「口利き」による弊害が大きいと考えられ、あっせん利得処罰法の対象とされている。

「権限に基づく影響力の行使」も要件とされているが、国会議員の場合、「権限に基づく影響力」の典型は、議院において法律・予算等を多数決で成立させることに関して他の議員への働きかけを行い、多数の意思を形成することである。法律や予算は、通常は、議会において多数を占める与党の賛成で成立するので、与党議員であることや、党内で有力議員であることは影響力の大きさの要素であると言える。

このように、あっせん利得処罰法は、あっせんの対象を、「行政処分」と「契約」に関するものに限定した上、「権限に基づく影響力を行使」した場合に処罰の対象を限定するもので、「二重の絞り」をかけることで、政治活動を不当に委縮させないように配慮しつつ、行政庁等に不当な影響力を及ぼし、依頼者の個人的利益を図ろうとする悪質な行為を処罰する適切な立法と評価できる。

この法律の施行後、国会議員やその秘書に対して同法の罰則が適用された例はないが、法律が施行されたことが、悪質な「口利き」によって利得を得る行為に対して一定の抑止効果をもたらしたと見ることもできる。

ところが、今般、現職有力閣僚であった甘利氏とその秘書をめぐって、独立行政法人のURとの補償交渉をめぐるあっせん利得処罰法違反の疑いが表面化し、しかも、そのような「口利き」を依頼したと告白している者から、「現職大臣が大臣室で現金を受領した」という信じ難い事実も明らかになった。

URとの補償交渉は「補償契約」によって決着するので、「契約」に関する「あっせん」であることは明らかである。甘利氏の秘書は、補償の金額にまで介入して、その報酬として多額の金銭や接待を受けた事実があったようであり、「国会議員の権限に基づく影響力」についても、現職閣僚で有力な与党議員であるうえ、2008年に麻生内閣で行革担当大臣に就任した甘利氏は、2012年に自民党が政権に復帰して以降、組織の在り方や理事長の同意人事など、URをめぐる問題が与党内で議論される場合には相当大きな発言力を持っていたものと考えられることから、「議員としての影響力の行使」が十分可能な立場だったといえる。

甘利氏をめぐる問題は、二重の絞りがかけられ、ストライクゾーンが狭く設定されたあっせん利得処罰法の処罰の対象の、まさにど真ん中のストライクに近い事案である。

検察当局としては、早急に強制捜査に着手して証拠を確保すべきと考えられるが、「東京地検がUR職員から聴取」などと一部で報じられた以外、捜査が行われている形跡は全くない。また、甘利氏は、大臣辞任後国会には全く登院しておらず、辞任を表明した記者会見で「元特捜部の弁護士に調査を依頼している」と述べているが、果たしてそのような「元特捜弁護士」というのが存在しているのか否かも疑問だ。

この問題が、大臣辞任ということだけで、何ら真相解明が行われず、うやむやにされるとするとすれば、国会議員の政治活動に関する倫理感の弛緩を招くことになりかねず、あっせん利得処罰法が制定された意味がなくなってしまいかねない。

最後に、「コンプライアンスは法令遵守ではなく組織が社会の要請に応えること」という観点から、公的な住宅供給を担う独立行政法人URの組織の問題として今回の甘利氏をめぐる問題を考えてみたい。

URは、財政投融資による住宅等の資産12兆円を保有する巨大な公益法人だ。事業の内容が、民間の住宅建築・住宅供給と競合することから、事業の効率化、合理化が求められ、民営化の議論が遡上にのぼってきたが、一方で、これから超高齢化社会を迎え、また、若年世代の貧困も大きな社会問題となっている我が国社会において、住宅供給を民間のみに任せておいてよいのか、衣食住の基本と言える「住」のセフティネットを確保していくため、公的住宅供給が、どのような役割を果たしていくべきなのかは、大変重要な問題だ。

そういう問題に関して、政治家が、国民・地域住民から、幅広く、公的住宅供給をめぐる声を、UR・国交省に伝えるというのは、良い意味での、健全な「口利き」と言える。

公益法人としての経営の効率性・合理性を追求する一方で、社会的な必要があれば、公費を投入してでも、住のセフティネットの役割を果たすことに関して、介護・年金等の社会福祉の問題とも関連づけて、国会の場で議論することが必要であり、それが、URにとっての「社会の要請に応える」真のコンプライアンスにつながるはずだ。

ところが、今回の甘利氏の問題では、公有地を不法占拠する建物への補償交渉という、いわば「薄汚い口利き」に介入し、それによって秘書は多額の金品を受け取り、頻繁に接待をうける、大臣は大臣室で現金50万円を受け取る、UR幹部は与党の有力議員や秘書の顔色を窺う、というようなことが明らかになっている。

こんなことで、「公的住宅供給を通して社会の要請に応える」というURの本当の役割が果たせるだろうか。まず、こういう歪んだ関係に関して、一体何が起きたのか、どういう事実があったのかということを早急に解明した上で、今後のこうした問題についての政治とUR・国交省との関係等を前向きに建設的に議論していくべきだ。

本来、検察が、刑事事件として取り上げ捜査の対象にすべき案件だが、それが全く行われないのであれば、国会審議の前提としての重要性を考えれば、国会における事実解明も必要になってくるものと思う。

私としては、国会審議でもしばしば取り上げられる「政治とカネ」の問題を整理し、あっせん利得処罰法の適用範囲について予算執行との関係で説明し、コンプライアンス論の観点から、財政投融資によるURの公的住宅資産の活動と、住のセフティネット構築のために公費投入も含めて議論するに当たって、前向きな議論ができる前提を確保するためにも、甘利氏の問題の事実解明が必要だという意見を述べたものである。公述人として意見を述べるよう求められた私にとって、コンプライアンス・刑事実務という専門の知見から行った意見陳述だった。

ところが、それに対する、自民党とおおさか維新の対応は、信じ難いものであった。

私が甘利氏の問題に言及し「まさにど真ん中のストライクに近い事案」と言ったあたりから、右半分強の自民党席はざわつき始め、何人もの議員が立ち上がって他の議員の席に行って話をするなど、ほとんどまともに聞いている議員はいないという、さながら「学級崩壊」の状態だった。

特に、最前列に座っていた平沢勝栄議員は、最後列にいた質問者のトップバッターの山下貴司議員とのところに歩み寄り、なにやら耳打ちを始めた(この「耳打ち」は私の陳述終了後も続いていた)。

そして、私を含め4人の公述人の意見陳述が終わり、最初に山下議員が質問に立ち、普通の表情で他の公述人に対する質問をした後、にわかに物凄い形相になって「質問」、ではなく「演説」し始めた。

一見まともなことを言っているように思えるが、内容は支離滅裂で、私の意見陳述に対する反論には全くなっていない。

まず、山下議員は、「国会が法制度や予算に対する建設的議論を脇に置いて、個別の事件追及に汲々とするのは、捜査機関や司法権に対する国会の介入になりかねない」、「法律家として、民事刑事に関わらず、個人の法的な責任の有無について国会の場で取り上げることについては慎重でなければならない」などと述べた上で、民主党政権時代に、陸山会をめぐる政治資金規正法違反事件について、小沢一郎氏や秘書について予算委員会での証人喚問や参考人招致を求めたが実現しなかったことを指摘した。

しかし、政治資金規正法違反で秘書が逮捕されていた小沢氏の事件とは異なり、甘利氏の問題については、現時点では告発すら行われていないし、捜査機関の捜査が現実化しているわけでもない。しかも、私は、あっせん利得処罰法の立法の趣旨、罰則の適用範囲を示し、甘利氏の問題が、当然、検察があっせん利得処罰法違反で捜査の対象とすべき事件だと述べた上、もし、検察が捜査によって事実解明を行わないのであれば、国会による事実解明を行うこともやむを得ないと言っているのである。国会が捜査機関に直接介入すべしと言っているわけでもないし、ましてや、甘利氏の法的責任を国会の場で取り上げろと言っているわけでもない。

そして、もっとも的外れなのは、山下議員があっせん利得罪について、「その権限に基づく影響力を行使して」というのが「新しい構成要件」であり、その解釈については「まだ固まっていない」と述べた上で、私の著書「検察の正義」の記述を引用したり、美濃加茂市長事件に言及した点である。

「検察の正義」で「議員の職務としての活動より政治活動が中心になっている国会議員や秘書が、この罪で摘発された事例は過去にはない。野党議員の場合には「権限に基づく影響力」というのは一層考えにくい」と、やや消極的に述べておられますが、郷原先生、このとおりで間違いないですか?今うなづいていただきました。

そして、私が主任弁護人となった一審無罪となった美濃加茂市長事件で、収賄と併せてあっせん利得罪について起訴されており、私を含む弁護側が

「当時市議会議員であった被告人は、市議会で質問権を行使したこともないし、市職員にとって議会で再質問されることは一般的なことであって特に負担になるものではないから、これを恐れて対応することは考えられず、市議会議員としての権限に基づく影響力の行使に該当するとは言えない。市が動いたのは市として必要があったからであり、被告人の権限に基づく影響力の行使によるものではない。」

と主張していることに言及し、

美濃加茂事件について、「影響力の行使」要件について、そのようなご主張をされたことは間違いありませんか。今、うなづいて頂きました。

などと言うのである。

いずれについても、私に説明すら求めず一方的に引用して、私が、その引用に「うなづいた」だけで、私が、あっせん利得罪に対して消極的な姿勢を示していることを認めたかのように扱おうとする。

しかし、著書で述べているのは、私が、意見陳述の中でも述べたように、法律や予算は、通常は、議会において多数を占める与党の賛成で成立するので、与党内で影響力を持つ有力議員であることが「権限に基づく影響力」の大きな要素であり、野党議員の場合には影響力は大きくないということだ。甘利氏は、与党の有力議員なのであるから、著書で述べていることは全く違うのであり、あっせん利得罪の「ど真ん中のストライク」であることには変わりはない。

また、美濃加茂市長事件で弁護人として主張しているのは、検察が主張する「議会での質問」の事実が「ない」ということと、被告人は、一人会派で、議会で多数を占める政党に所属しているわけでもなく、「議員の権限に基づく影響力」は極めて低い、ということであり、甘利氏のような与党の有力政治家の場合とは全く異なる。

山下議員は、このような的外れな引用をして、私が、「書いてあることとしてはその通りだ」という意味で「うなづいた」というだけで、

このように、解釈が分かれ、しかも当てはめも事案によって異なる法律の個別事件の法解釈について、国会の、特にこの予算委員会で延々と取り上げることについては疑問があるということなんです。

などと、一方的に「独演」を続けた。「公述人に対する質疑」を行う立場なのに、公述人に発言する機会をほとんど与えようともしなかった。

衆議院の予算委員会における質疑で、このような議論のやり方がまかり通るというのは驚きである。

しかも、この山下議員の質問は、単なる個人プレーとは思えない。質問の前、平沢議員は、山下議員の席に歩み寄って、入念な「打合せ」をしていた。自民党チームの「平沢監督」が、ネクストバッターズボックスにいた山下議員に気合を入れ、その上でバッターボックスに入って行ったのが、この「演説」だったのである。

そして、この山下議員の発言は、5番目に質問に立ったおおさか維新の会の足立康史議員にも多大な影響を与えた。

足立議員は、「今日は、山下委員から、冒頭、スキャンダル周りの話があって、大西委員(民主党)からも議論があったので、私がほっとくわけにもいかない」などと言って、山下議員の「演説」を受けての質問を始めた。

その内容は、公述人の私に「(公聴会に)なぜ来たのか」、「普通の人は民主党の応援団には弁護士の仕事は頼まない」、「郷原さんは専門家じゃない、政治屋なんです」などと、公述人の意見陳述とは全く無関係な、露骨な誹謗中傷そのものであり、まさに、国会の品位を貶める発言そのものであった。

足立議員の誹謗中傷質問に対しては、予算委員会理事の民主党の山井議員が委員長に、発言の撤回を求めて激しく詰め寄っていた。野党席から非難の怒声があがる一方、自民党席から、「議事進行!」「議事進行!」という叫び声が上がり、委員長は、「後日、理事会で協議する」と言っただけで、そのまま、足立議員の質問は終了した。

これが、昨日の、衆議院予算委員会中央公聴会での私の意見陳述をめぐる顛末である。

残念ながら、このような状態の予算委員会で審議され、成立しようとしているのが、我が国の国家予算なのである。

 

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甘利氏疑惑調査の「元特捜弁護士」は、本当に存在するのか

甘利明氏は、1月30日の夕刻に開いた記者会見において、「元東京地検特捜部の検事である弁護士」が秘書や経理担当者などの関係者から直接聴取し、関連資料等を確認された結果、とりまとめられた報告書があるとして、それにもとづいて、URへの「口利き」や現金授受の疑惑についての説明を行った。そして、その「特捜OBの第三者の弁護士」が秘書からの聴取等による調査した結果として、「S社総務担当者からURとの間の補償に関する陳情があった」「URに行って話合いの進捗状況について確認した」「URに行って現状について教えてもらった」「秘書が金額交渉等に介入したことはない」などと説明した。

甘利氏は、「URへの口利き」も「金額交渉への介入」も否定した上で、秘書が、S社側から政治献金として現金を受領しながら一部を使い込んでしまったり、多数回にわたって現金を受領したり、飲食の接待を受けていたことなどについて、「秘書が疑惑を招いていることについての監督責任をとって辞任する」ことを明らかにした。

「私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは私の政治家としての美学、生き様に反します。」などと涙ながらに述べた甘利氏は、ネットを中心に、「全く潔い」「現代の『武士』」などと賞賛され、重要閣僚の辞任にもかかわらず、安倍内閣の支持率を低下させるどころか、逆に、支持率が上昇するという結果をもたらした。

甘利氏の記者会見での説明において最大の拠り所とされたのが、「元特捜検事の弁護士による調査」だった。しかし、その弁護士が一体どこの誰なのであるのか、甘利氏は、一切明らかにしなかった。

私は、この時点から、果たして、甘利氏が説明しているとおり、「元特捜検事の弁護士による調査」が行われているのか、そもそもそのような弁護士が果たして存在しているのか、多大な疑問を持ってきた。

その後、20日近く経ったが、「元特捜検事の弁護士による調査」に関する情報は、何一つ明らかになっていない。一方で、昨日、民主党の疑惑追及チームが、甘利事務所に「口利き」を依頼したS社の一色氏が甘利事務所側やURとのやり取りを録音した音声記録を公表し、甘利氏の秘書がURからS社へ支払う補償金の金額交渉に深く関わっていたことがわかり、会見での甘利氏の説明が事実に反していたことが明らかになった。

「元特捜検事の弁護士」による調査が本当に行われているのかについて疑問に思った第一の理由は、甘利氏が、「私は調査を担当した弁護士とは一切接触をしておりません。」と述べたことである。「公正な調査を担保するため」だということだが、第三者としての調査を受任する際に、依頼者と全く会わないで調査をするということは、我々の常識からは考えられない。企業不祥事等でも、「第三者調査」を受任する際には、依頼者本人と会って、調査の趣旨・目的、調査の範囲、調査期間等を確認するのが通常のやり方である。

もし、依頼者である甘利氏本人が直接会っていないとすると、そのような調査依頼に関する協議・打合せは誰との間で行われたのであろうか。甘利事務所は、事務所長の公設第一秘書、現政策秘書、政務秘書官等の事務所の主要メンバーが、すべて今回の問題に関係し、少なくとも、そのうち二人は犯罪的な行為を行って既に退職している。「自らは違法なこと、やましいことは全くしておらず、秘書の監督責任しかない。」と言っておられる甘利氏以外に、第三者調査の依頼に関して話ができる人間はいないはずだ。

甘利氏が、「第三者としての公正な調査」を依頼したいのであれば、「真実が明らかになるように、私に遠慮することなく厳正に調べてください」と言って直接頼めば済むことであり、接触しない理由は全く考えられない。

しかも、その弁護士が甘利氏と接触しておらず、甘利氏本人のヒアリングは行われていないということであれば、調査のやり方としても考え難いものである。今回の疑惑の中心は、大臣室及び大和事務所における現金授受の問題など「甘利氏自身の問題」なのだから、調査を行うのであれば甘利氏本人からの聴取が不可欠なはずだ。ところが、甘利氏は、その弁護士と全く接触していないというのだ。少なくとも、特捜部でまともな仕事をした経験のある検事であれば、あり得ない調査方法だ。

調査を担当している「特捜OBの弁護士」というのが実際には存在しないので、甘利氏が、そのような人物と接触しようにも接触できるわけがないということではないのか。

わざわざ「元特捜検事の弁護士」に依頼したということは、できる限り真実を明らかにするために「捜査経験を持つプロ」に頼んだということのはずだが、甘利氏の説明どおりだとすると、調査のやり方も姿勢も、到底「プロ」とは思えない。

甘利氏自身も、会見で、「このたびの報道によれば異例にも相手方が膨大な録音や写真を持っているとのこと」と述べているように、今回の週刊文春の記事では、一色氏が、甘利氏の秘書やUR側とのやり取りについて50時間以上にわたる録音記録を残しているとはっきり書かれているのであるから、第三者の弁護士が調査を行うのであれば、調査結果が録音記録によって覆されることがないよう、秘書のヒアリングを行う際にも、真実を話すように強く説得するはずだ。

しかし、甘利氏が明らかにした調査結果の中には、文春の記事に書かれていないことで、甘利氏にとって不利なことは何一つ含まれていない。真相を明らかにしようとする姿勢は全くうかがえない。

今回、一色氏の録音記録が公表されて、秘書がURのS社への補償金の金額交渉に深く関わっていたことが明らかになり、会見での甘利氏の説明が事実に反していたことが明らかになったのも当然の結果と言えよう。

「元特捜検事の弁護士による調査」は、甘利氏側においても真相解明のための努力が行われているかのように世の中に認識させることに最大の効果を発揮した。甘利氏自身が「涙ながらのパフォーマンス」で「潔さ」を演出したことと相まって、「現職閣僚の口利き疑惑」から国民の関心をそらすことにつながった。

昨年の東芝の会計不祥事において、「第三者委員会スキーム」があたかも中立的かつ客観的な調査が行われているかのように装い、ステークホルダーを欺くために悪用され、不祥事対応において重要な機能を果たすべき「第三者委員会」に対する一般的信頼すら損ないかねない事態を招いたばかりだ(⇒【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】)。

それと同様に、記者会見で甘利氏が強調した「元特捜検事による調査」が、「特捜検事」という言葉で、国民の目をごまかすために使われたものだったとすれば、多くの国民がこれまで「正義」と重ね合わせてきた「特捜」ブランドを悪用するものであり、「特捜関係者」にとっても許し難いもののはずだ。

「元特捜検事の弁護士」というのが、本当に実在しているのか、実在しているとすれば、誰なのか、これまでどのような調査が行われてきたのか、甘利氏は、早急に明らかにすべきである。

 

 

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「一発実刑」で清原を蘇らせることはできないか 

2月2日の覚せい剤所持での逮捕以来、テレビのニュース番組やワイドショーは、清原和博元プロ野球選手(西武・巨人・オリックス)の話題で埋め尽くされている(まだ、「容疑者」の段階だが、「清原容疑者」という呼称には、かえって犯罪者的イメージがあるので、以下では、現役時代からの「清原」という呼称を使う。)。

テレビでは、警察の事前リークがあったから撮影できたとしか思えない逮捕後の同行シーンの映像が繰り返し映し出されている。有名人が警察に逮捕されて転落する様を「見世物」にして視聴率を稼ごうとするやり方に、ある種のさもしさを感じるのは私だけではないであろう。

今回の「清原報道」の多くは、大物元プロ野球選手が覚せい剤で逮捕された初のケースのように大々的に扱われているが、実は、過去に、プロ野球において、清原以上の実績を残した大選手が、覚せい剤で逮捕された実例がある。

1993年に覚せい剤の所持で逮捕され、懲役2年4月の実刑判決を受けた江夏豊氏(現野球解説者、本来「江夏氏」と呼ぶべきだが、同様に、現役選手時代の「江夏」という呼称を使う。)だ。

最多勝2回 最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手5回、MVP2回という輝かしい戦績に加え、1979年の日本シリーズ最終第7戦、1点リードの9回裏に一死満塁のピンチで、三塁ランナーがスタートしたのを見て、指先だけのコントロールでスクイズを外して併殺に打ち取り、広島を日本一に導いたシーンは、多くの野球ファンの脳裏に残っている。間違いなく球史に残る名投手だ。通算本塁打525本(歴代5位)を放ったものの、無冠に終わった清原とは比較すべくもない。

その江夏が逮捕されたのが現役引退後8年目、容疑は「覚せい剤所持」、いずれも今回の清原と全く同じだ。江夏は覚せい剤の所持量が多かったことなどから、いきなり実刑判決を受けて服役した。しかし、服役後、覚せい剤と絶縁し、見事に社会復帰を果たした江夏は、野球解説者や指導者として今も活躍している。

覚せい剤事犯の再犯率は極めて高い。江夏のケースは数少ない成功例と言ってよいであろう。なぜ、覚せい剤から立ち直ることができたのか。本人の強い意志があり、支援する人達の努力があったことはもちろんであろうが、初犯で実刑という思い切った量刑が行われ、江夏もそれを受け入れて服役したことで、一定期間、物理的に覚せい剤から隔絶されたこと、刑務所の規律の下での規則正しい生活で健康状態が劇的に改善したことが、江夏を見事に蘇らせることにつながったと考えられる。

覚せい剤事犯の場合、初犯に対しては、ほとんど執行猶予の判決が出される。そして、多くの者が、執行猶予中に再び覚せい剤に手を染めて有罪判決を受け、執行猶予が取り消され、新たな事件の懲役に、前の事件の懲役が加算され、かなり長期の受刑となる。いきなりの長期の服役で更生の意欲が失われてしまうことも珍しくない。

「初犯⇒執行猶予」「再犯⇒実刑・初犯の執行猶予取消」というお決まりのパターンが、かえって、覚せい剤事犯者の社会復帰を妨げているとも言える。

清原の場合も、数年前から覚せい剤の影響と考えられる奇行が目立っていたと言われており、覚せい剤への精神的依存性は相当高いと思われるが、初犯なので執行猶予となる可能性が高い。執行猶予であれば、服役はせず、社会内で生活できることになるが、もちろん、社会の表舞台で働けるわけはない。もともとの知名度の高さに加え、今回、これだけテレビで顔を露出させられた清原が、普通の社会人として暮らすことは困難であろうし、結局、どこかに閉じこもって失意のうちに時を過ごすことになる可能性が高い。そのうちに再び覚せい剤に手を染める、というパターンで再犯に及んでしまうことが強く懸念される。

江夏の成功例を見る限り、清原の場合も、初犯であっても、1年程度の実刑とし、一定期間矯正処遇を受けさせることが、逆に、社会復帰の可能性を高めることになるのではないか。

執行猶予を付するか実刑にするかは裁判官の裁量だ。覚せい剤事犯は、それ自体は一般的には被害者がいない犯罪であり、裁判官として初犯に実刑を言い渡すことに抵抗があるのは理解できる。しかし、本来、執行猶予は、社会内での処遇が本人の更生に資すると確信がもてる場合に言い渡されるべきだ。社会に戻ることで逆に再犯の可能性が高まると考えられるような場合にも、形式的・機械的に執行猶予の恩典を与えるのが果たして本人のためになるのだろうか。

清原を裁く裁判官に、球史に残る名投手江夏豊に一発実刑を言い渡した裁判官と同様の英断を望むことはできないだろうか。

 

 

 

 

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「甘利(前)大臣問題」と「遠藤大臣問題」の“決定的な違い”

2月4日の毎日新聞朝刊で、遠藤利明オリンピック・パラリンピック担当相が、英語の授業で日本人教師を補佐する外国語指導助手(ALT)を派遣する会社の創業者から献金を受け、文部科学省にALT派遣事業の予算化を働きかけたと報じられたが、甘利明氏が、URへの「口利き」と大臣室での金銭受領等の問題で大臣辞任に追い込まれた問題が追及されているタイミングだったことから、“安倍政権の閣僚の新たな「政治とカネ」の問題”として両者が関連づけられかねない状況だった。

しかし、毎日新聞の記事を見る限り、遠藤大臣の問題は、甘利前大臣の問題とは全く性格が異なる。

決定的な違いは、後者が、URという国が全額出資する特殊法人の事業に関して発生した補償の問題に関して、特定の企業の利益を図る「口利き(あっせん)」を行い、秘書及び大臣自身が利益の提供を得た疑いであるのに対して、前者は、ALT派遣に対して国費を投入することによって利益を得る可能性のある企業の経営者から政治献金を受けていたという問題だということである。

甘利元大臣の問題は、政治家や秘書が、URの民営化等の政策を議論し、多数決によって決定する立場にある国会議員たる政治家が、それによる影響力を利用して、本来介入すべきではないURの「事業遂行」に介入して利益を図った疑いであり、あっせん利得禁止法違反の疑いに加え、不正な職務行為の「あっせん」であれば、あっせん収賄という刑法犯にも該当し得る問題である。(⇒【甘利問題、検察が捜査着手を躊躇する理由はない】参照)問題とされているのは、秘書がそのような「口利き」の対価の疑いがある金品の授受を行い、それに大臣も関わっていた疑いがあることで、政治家としての資質そのものが問われているのである。

それに対して、遠藤大臣の問題は、国会議員の本来の職務である政策実現に関して、それが利益となる特定の業界や企業から政治献金を受けていたという問題であり、政治献金が政治資金収支報告書で公開され透明化されていれば、それ自体は何の問題もない。問題になり得るとすれば、ALTという政策自体に何らかの問題があるのに、問題点をことさらに無視したとか、他の政策で同様の目的が実現できるのに無視するなど、政策実現のやり方に問題があり、そのようなやり方が、政策実現によって利益を得る企業等からの政治献金を受けていることに影響されている疑いがある場合である。

両者を、「政治とカネ」の問題として同列に扱うことは、甘利前大臣問題を追及する意味を稀薄化させることになりかねない。

甘利氏が、大臣辞任を表明した会見で説明した内容に関して、多くの問題点と疑問を指摘する週刊文春の続報【 甘利大臣辞任スクープ すべての疑問に答える】(2月11日号)が出た日の朝刊で、遠藤大臣に関する記事が新聞で報じられたことは、甘利前大臣問題のさらなる追及に対して、攻撃の矛先をかわす効果すら生じかねないものであった(毎日新聞にそのような意図があったとは思えないが)。

かかる観点からすれば、同日の衆議院予算委員会で、遠藤大臣の問題が取り上げられたものの、基本的には事実確認にとどまり、遠藤大臣も、英語教育の充実のための政策として、ALT事業の予算化に向けての活動を続けてきたことを適切に説明し、この問題が拡大の兆しを見せていないことは幸いであったと言えよう。

「政治とカネ」の問題に関しては、「政策実現と政治献金との対価性」、「政治資金の透明性」「赤字企業、外国企業、補助金受交付企業など政治献金を行う主体の制限の問題(「企業・団体献金の禁止」もその延長上にある)」など様々な問題が交錯する。甘利前大臣の問題は、そのような「政治とカネ」の問題とは性格を異にする、「犯罪」そのものが疑われる問題だ。

この時期に遠藤大臣問題が報じられたことで、むしろ、甘利前大臣問題が、そのような一般的な「政治とカネ」問題とは全く次元の異なる悪質な問題であることを再認識すべきであろう。これを契機に、引き続き甘利前大臣の問題の真相解明を行っていく必要がある。

 

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甘利問題、UR「『口利き』を否定」の“怪”

都市再生機構(UR)が、甘利事務所との面談内容を公表した。

12回にわたって、甘利氏の秘書とUR側が面談を繰り返し、そのうち6回は総務部長が同席していた。その中で、甘利氏の秘書から、「少し色を付けてでも地区外に出て行ってもらうほうがよいのではないか」との発言があったことも明らかになった。ところが、誠に不可解なことに、新聞記事では、「UR側は『口利き』は否定している」とされている。

総務部長が、報道陣に、「補償額上乗せを求めるような発言はなかった。秘書との面会が影響を与えたことはなかった」と述べたことを、「『口利き』はなかった」と表現しているようだが(UR、甘利氏元秘書との面談内容を公表 口利きは否定(朝日)】)、ここでの「口利き」という日本語は、一体どういう意味なのだろう。

12回にもわたって、S社への補償に関してUR側と交渉し、その中で「少し色をつけて」と言われたことを認めているのに「『口利き』を否定」というのは、日本語の使い方として全く理解できない。

辞書によると、「口利き」とは「談判・相談などをまとめようと、あいだをとりもつこと。」である。新聞記事を書く前に、まず中学校レベルの日本語の勉強をした方が良いのではないか。

この「口利き」というのは、「あっせん利得処罰法違反に当たるような『口利き』」という意味かもしれない。しかし、法律には「口利き」などという言葉は使われていない。政治家や秘書の「口利き」のうち、「権限に基づく影響力を行使してあっせんし、報酬を受け取った」ものが処罰の対象にされているということに過ぎない。そういう意味であれば、「法律に触れるようなあっせんは否定」と書くべきであろう。しかも、URの公表内容を前提にすれば、甘利事務所側の「口利き」があっせん利得処罰法違反に当たる可能性は一層高まったと言えるのである。(甘利事務所の「口利き」について犯罪が成立する可能性が十分にあることについては⇒ブログ【甘利問題、検察は捜査を躊躇する理由はない。】参照)

もしくは、UR側が「『口利き』ではない」と言っているから、その通りに書いたということなのだろうか。そうであれば、例えば、「相談」という言葉に関して、「いろいろ事情を説明して、対応について助言してもらいました。でも『相談』ではありません。」と言ったら、「『相談』は否定」と書くのだろうか。

あまりに不可解な新聞の見出しが並んでいるのを見て、朝から、眩暈がしそうだ。

 

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甘利問題、検察が捜査着手を躊躇する理由はない 

週刊文春で、都市再生機構(UR)への「口利き」「金銭授受」の疑惑を報じられていた甘利明衆議院議員が、1月28日に行った記者会見で、大臣室での50万円を含め合計100万円の自らの現金受領と、秘書が500万円を受領したことを認めた上、大臣を辞任した。「口利き」の依頼者側が、面談や金銭授受の場面を録音していると報じられたことから、その録音記録に反しない範囲で最大限自己に有利な説明をしようとしたが、どうしても現金授受は否定できなかったということであろう。

大臣室で、業者から、URとの補償交渉についての相談や依頼を受けて対応し、その場で現金を受領したというのであるから大臣辞任は当然である。甘利氏が自らと秘書の金銭受領を認めたこと、その直後に、UR側が、甘利事務所との12回にわたる接触を認めたことで、この件があっせん利得処罰法違反(「あっせん利得罪」)等の犯罪に該当するか否かに焦点が移った。

高井康行弁護士による「あっせん利得罪不成立」論の誤り

あっせん利得処罰法違反の成否について、私は、当初の文春記事のコメントでも、当ブログ【甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか】でも、成立の可能性が十分にある事件であることを指摘してきたが、新聞、テレビ等では、「あっせん利得罪は成立しない」「違反に問うことは困難」との検察OB弁護士の法律専門家見解が、多数掲載されている。

その中でも、とりわけ多数のメディアで、「甘利経済財政・再生担当大臣には、国交省所管のURに対しては直接的な影響力はないので、違反は成立しない」と半ば断定的に述べているのが高井康行弁護士だ。

しかし、あっせん利得処罰法で処罰の対象としているのは、「衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長」及びその秘書であり、国務大臣は含まれていない。つまり、自治体の首長が主体とされている一方で、総理大臣や国務大臣は除外されているのだ。

同法違反は「権限に基づく影響力の行使」を要件としているが、甘利氏や秘書の場合であれば、「衆議院議員としての権限に基づく影響力」が問題になるのであり、国務大臣としての権限や所管は問題にならない。高井弁護士の見解は、法律の条文自体を読み違えている。職務権限との関連が問題となる贈収賄罪と混同しているのではないか。

「権限に基づく影響力の行使」とは

では、国会議員の場合、「権限に基づく影響力」と、それを「行使して」というのはどういう意味か。

「国会議員の権限」とは、議院における議案発議権、評決権、委員会における質疑権等である。議員立法で成立したこの法律の立案者が国会審議で行った答弁では、国会議員の「権限に基づく影響力」とは、「権限に直接又は間接に由来する影響力、すなわち職務権限から生ずる影響力なみならず、法令に基づく職務権限の遂行に当たって当然に随伴する事実上の職務行為から生ずる影響力をも含む」とされている。立案者の一人である公明党の漆原良夫議員の逐条解説でも、同様の解釈が示され、「他の国会議員への働きかけも、国会議員としての職務権限に密接に関連するものであり、そのような行為を行い得ることによる影響力も、『その権限に基づく影響力』に含まれる」と解説されている。

そして、同逐条解説では、「影響力を行使して」とは、「権限に基づく影響力を積極的に利用すること」であり、「被あっせん公務員の判断に影響を与えるような形で、被あっせん公務員に影響を有する権限の行使・不行使を明示的又は黙示的に示すこと」だとされている。

国会議員は、議員個人の権限として、「質問」「表決」を行うことができるが、それだけでは、「影響力」は限られる。それ以上に重要なのは、議院において法律・予算等を多数決で成立させることに関して、他の議員への働きかけを行い、多数の意思を形成することである。法律や予算は、通常は、議会において多数を占める与党の賛成で成立するのであり、その点に関しては、議員が、与党議員であり、与党内で影響力を持つ有力議員であることは、「国会議員としての権限に基づく影響力」の大きさの要素だと言える。

そして、有力閣僚であることは、与党の有力議員として与党内における意見形成においても、他の国会議員よりも大きな影響力があり、それだけ「権限に基づく影響力」も大きいと言える。与党の有力議員やその秘書が、与党として法律・予算の議決や主要人事への同意等に影響を与え得る立場にあることを、話題に持ち出したり、ほのめかしたりして、あっせんを受ける公務員に職務を行わせようとする場合にも、「権限に基づく影響力の行使」があったと認められる余地がある。

高井弁護士は、「議員としてUR側に『何とかしなければ国会で質問する』などと言った場合は抵触する可能性があるが、閣僚の甘利氏は国会で質問する立場にない」などとも述べているが(日経)、「国会での質問をちらつかせて要求する」というような行為で報酬を得るのは、国会議員の職務に関連する「収賄」の典型事例であり、そのような場合しか適用できないとすれば、あっせん利得処罰法を制定した意味は全くない。

あっせん利得処罰法は、国会議員の職務権限と直接関係がないために収賄罪による処罰の対象とならなかった「政治活動と密接な関係があるあっせん行為(口利き)」による利得の獲得を一定の範囲で処罰の対象にするために制定されたものだ。高井弁護士は、このような法律の制定の趣旨や存在意義を理解しないで発言しているとしか思えない。

甘利氏とURの関係と「議員の権限に基づく影響力」

甘利氏や秘書とURの関係について言えば、「議員の権限に基づく影響力」に関して、次のような背景がある。

まず、URは、国が100%出資している独立行政法人である。現職出向・OBを含め国土交通省出身者が多く、理事長も歴代国土交通省OBだったが、民主党政権時代に、民間人が理事長に就任し、現在に至っている。

URは、賃貸事業など民間企業と競合する事業を多く行っているが、巨額の財政投融資によって経営が支えられ、巨額の有利子負債を抱えていることから、民営化や存続の可否を含めた組織の在り方についての議論が重ねられてきた。

2007年の「独立行政法人整理合理化計画」で当時の渡辺喜美行革担当大臣がURを民営化する方針を打ち出して以降、その後の民主党政権下においても、民営化がしばしば遡上に上ってきたが、自民党への政権交代後は、その議論は下火となり、現在も独立行政法人として存続している。

このような経過から、URという組織は、その時々の政権の意向に大きく左右される面があり、政治に対しては極めて脆弱な組織だと言える。

とりわけ、民営化の方針を打ち出した渡辺喜美氏の後任として、2008年に麻生内閣での行革担当大臣に就任した甘利氏は、2012年に自民党が政権に復帰して以降、有力閣僚として自民党内での影響力を維持してきたのであるから、URをめぐる問題については与党内で相当大きな発言力を持ち、URに対しても、組織の在り方や理事長の同意人事等を通して非常に大きな影響力を持っていたと考えられる。

このような、URに関連のある閣僚ポストも経験した与党の有力議員としての甘利氏とURとの関係が、まず、「議員としての権限に基づく影響力」の背景になっていると言えよう。

甘利氏本人と秘書がS社側から金銭を受領した事実を認めているのであるから、甘利氏の秘書とURとの間で繰り返された多数回の会合の中で、秘書が、S社にとって有利な補償額を引き出そうとして、上記のような甘利氏のURに対する影響力に関連するような発言をしたり、暗黙のうちにそれを誇示したりした事実があれば、秘書が「議員の権限に基づく影響力を行使した」とされ、あっせん利得罪が成立する可能性がある。また、権限に基づく影響力の当事者である甘利氏自身が、URに対して直接、或いは、国交省を通じて、S社からの依頼に関して何らかの連絡をとったとすれば、甘利氏本人にも、あっせん利得罪が成立する可能性がある。

このように考えると、今回の甘利氏と秘書の問題は、あっせん利得罪として立件・起訴に持ち込める可能性が十分にあり、検察当局が、積極的に捜査を進めていくべき事件だと言えよう。

あっせん収賄罪成立の可能性も

週刊文春のコメントやこれまでのブログでは触れていないが、今回の甘利氏や秘書の問題に関しては、あっせん利得罪や政治資金規正法違反のほかに、もう一つ成立の可能性がある犯罪がある。

それは、刑法197条の4の「あっせん収賄罪」である。

同罪は、「公務員(①)が請託を受け、他の公務員(①)に職務上不正な行為(②)をさせるように、又は相当の行為をさせないようにあっせんをする」ことの対価として賄賂を受け取った場合に成立する。

国会議員で国務大臣であった甘利氏も秘書も特別職国家公務員に該当し、UR職員には、「みなし公務員規定」があるので(都市再生機構法10条)、あっせんの対象となる公務員に該当する(①)。

あっせん収賄罪(懲役5年以下)が、あっせん利得罪(懲役3年以下)と異なるのは、「不正な行為」(②)が要件とされていることである。

S社側が、甘利大臣側に依頼した、補償交渉の案件は二つあり、一つの案件に関しては、当初、1600万円の補償しか行われていなかったが、甘利事務所が交渉に加わった後に、2億2000万円が支払われた(A案件)。もう一つの案件に関しては、隣地に関してURが産業廃棄物の処理費用30億円を負担したことから、S社はURに同様の補償を要求し(B案件)、その後、甘利事務所が交渉に介入したが、結局、補償は行われないまま、本件が週刊誌報道されるに至った。

一般的に言えば、いくら「権限に基づく影響力の行使」を受けたからと言っても、公務員やUR職員が「不正行為」まで行うことは考えにくい。

A案件については、実際に、S社に2億2000万円が支払われているが、それは、補償金の支払について、甘利事務所側からの働きかけを受けたUR側が、適法に行い得る範囲で、最大限に有利な金額としてS社側に支払ったのが2億2000万円ということだったのだろう。

それに対して、B案件の方は、産廃処理費用をURに負担させることは、適法に行い得る範囲を超えていたから、結局、支払われないままで終わったのではないか。そうであれば、そのS社側の要求は、「不正な行為」を求めるもので、そのことを認識して、甘利氏又は秘書が、UR側に要請したとすれば、「不正行為のあっせん」に該当する可能性がある。

検察にとって捜査着手を躊躇する理由はない

前のブログ【甘利大臣をめぐる事件で真価を問われる検察】でも述べたように、今回の週刊誌報道で表面化した甘利氏をめぐる問題は、度重なる不祥事で信頼を失墜した検察にとって、その威信を回復する「千載一遇のチャンス」だ。

甘利氏が、S社からの現金100万円の受領と秘書の500万円の受領を認めて大臣を辞任し、URが、甘利事務所秘書との12回にわたる面談の事実を認めた。

前に述べた、甘利氏の有力与党国会議員としての、URとの浅からぬ関係と、その影響力も含めて考えると、あっせん利得罪又はあっせん収賄罪の事件として、これだけ、好材料が揃った事件はない。しかも、秘書2名については、比較的立件が容易な政治資金規正法違反(300万円分の収支報告書虚偽記入)と業務上横領という、身柄確保のための「入り口事件」もある。

検察のストーリーに合わせた調書を不当な取調べをしてでもとるという旧来の特捜の捜査手法を使わずとも、捜索差押による関連証拠の入手と適正な取調べを淡々と行うことで、捜査の展望は開けるはずである。

甘利氏の大臣辞任によって、憲法75条の「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。」という規定による制約も予算審議への影響を考慮する必要もなくなった今、検察にとって、捜査着手を躊躇する理由はない。

 

 

 

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甘利大臣をめぐる事件で真価を問われる検察

昨日のブログ【甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか】で、週刊文春で報じられた甘利明大臣や秘書が業者からUR(都市再生機構)の道路用地買収の補償問題で「口利き」を依頼され、金品を受け取った疑惑について、記事の内容を前提に、あっせん利得処罰法違反の成否に関する解説を行った。

結論としては、①「契約」に関するものと言えるか、②「請託」があったと言えるか、③「権限に基づく影響力の行使」があったと言えるか、についての弁解・主張は出て来るであろうが、速やかに捜査に着手し、事実と証拠を積み上げていけば、少なくとも、秘書についてのあっせん利得を起訴に持ち込める可能性は十分にある。

また、甘利大臣本人についても、ご本人が、国会答弁で、現金を受け取ったか否か「記憶が曖昧」と述べているぐらいなので、甘利事務所と大臣室で現金を渡した状況を明確に述べている業者側の供述と比較して、業者側供述が信用できることは誰の目にも明らかである。

甘利大臣自身が「権限に基づく影響力」を行使してUR側に一定の職務行為を行うことの「請託」を受けたと言えるか否かについても、文春記事に出て来る、甘利大臣が業者から現金を受け取った際に、資料に基づいて説明を受け、同席した秘書に、「これ(資料)を、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい」と指示したとの業者側の話について、河野という大臣秘書官が、資料を受け取ったか否か、大臣との間でこの件についてどのようなやり取りがあったのかなどについて、供述を固めていけば、立証の目途を立てることができる可能性がある。

それに加え、公設第一秘書が受け取った500万円のうち400万円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないとされており、これらについて政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記入罪)が成立する可能性が高い。

裏金献金摘発へのハードル

このような、政治資金収支報告書に記載されない「裏献金」の問題を政治資金規正法違反の犯罪で摘発する際にハードルとなるのが、「政治資金の帰属」の問題だ。

政治資金規正法は、政党や政治団体の会計責任者に政治資金収支報告書の作成・提出を義務づけている。国会議員であれば、個人の政治資金管理団体のほかに、代表を務める政党支部があり、そのほかにも後援会など複数の政治団体があるのが一般的だ。このような政治家が、企業側から直接政治献金を受け取ったのに、領収書も渡さず、政治資金収支報告書にも全く記載しなかったとすれば、政治資金の透明化に露骨に反する最も悪質な行為だが、このような「裏献金」の事実について政治資金規正法違反で刑事責任を問うことは容易ではない。

政治資金規正法違反の事実として考えられるのは、「企業等は政党または資金管理団体以外に対して寄附をしてはならない」との規定に違反して「政治家個人宛の寄附」を受領した事実か、受領した寄附を収支報告書に記載しなかったという虚偽記載の事実である。ところが、その「裏献金」が、政治家個人に宛てたものか、資金管理団体、政党支部などの団体に宛てたものかがはっきりしないと、どちらの規定に違反するのかが特定できない。裏金は、最初から寄附を「表」に出すことを考えていないのだから、政治家個人宛か、どの団体宛かなどということは考えないでやり取りするのが普通であり、結局、「政治資金の宛先」が特定できないために、政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えないということになる。

議員の職務権限との関連性が認められないために賄賂にはならない「贈収賄崩れ」のような裏金のやり取りは、政治資金の透明化という法の趣旨から言うと最も悪質な行為だが、このような「政治資金の帰属」の問題があい路となって立件できない結果に終わる場合が多かった。

裏金献金摘発が容易な例外的ケース

しかし、例外的に、この「刑事立件の壁」を超えられるケースがある。それは、政治団体名等で領収書が交付され政治資金収支報告に記載される「表の献金」と「裏の献金」の両方がある場合だ。

その典型例が、2002年から03年にかけて、私が、長崎地検次席検事として捜査を指揮した「自民党長崎県連事件」だ(拙著【検察の正義】(ちくま新書)の「最終章 長崎の奇跡」で、地方の中小地検の全庁一丸となった独自捜査で、政権政党の地方組織の公共工事受注業者からの集金構造に迫ったこの事件について述べている。)。

この事件は、自民党長崎県連が、公共工事の受注額に応じて政治献金をするようゼネコンに要求し、多額の寄附が行われていた事件だ。政党への政治献金に対して公職選挙法を初めて適用したことで全国的にも注目を集めたが、長崎県知事選挙に関して公共工事受注業者から寄附を受けたという公選法違反に加えて、多額の「裏献金」を政治資金収支報告書の虚偽記入罪で立件・起訴した。

それが可能だったのは、長崎県連の幹事長と事務局長が、正規に領収書を発行して収支報告書にも記載して処理する「表の献金」を受ける一方で、同じような形態でゼネコン側から受け取った献金の一部については、領収書を渡さず、収支報告書にも記載しないで処理し、県連の「裏金」に回していたからだ。「自民党長崎県連宛の寄附」として収支報告書に記載すべき寄附であるのに、その記載をしなかったことの立証が容易だった。

今回の甘利大臣をめぐる政治資金の問題も、長崎県連事件と同様に、収支報告書に記載された「表の寄附」と、記載しない「裏献金」の両方がある。例外的に、政治資金規正法違反で立件可能なケースだと言えよう。

文春の記事を前提にすれば、甘利事務所の政治資金の処理はあまりに杜撰であり、しかも、大臣の現金授受についての記憶は「曖昧」であり、このような政治家の事務所に捜索に入れば、不正な金の流れがほかにも発見される可能性も高い。

甘利大臣をめぐる疑惑は、事件の中身としては、検察が大物政治家をターゲットとして捜査に着手することが十分に可能だと言えよう。

政界捜査で繰り返されてきた法務省からの圧力

もっとも、この種の政治家に関連する事件の場合、しばしば検察と法務省との関係が問題になる。

人事・予算を内閣に握られている法務省の側には、安倍内閣の有力閣僚の事件を摘発することに対しては、相当な抵抗があるであろう。

とりわけ、現在の法務省にとっては、「日本版司法取引」の導入や盗聴の範囲の拡大などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案が、昨年の通常国会で成立せず、参議院で継続審議となっており、今国会での議案の取扱いは、安倍政権側の判断に委ねられている。法務省側からは、甘利大臣の事件の検察の捜査を抑え込むことと引き換えに、刑訴法改正案の審議を進めることを求めるという「闇取引」を持ち掛けるというのも考えられないことではない。

安倍政権が絶大な政治権力を誇る状況下で、法務省サイドの圧力を跳ね返して、甘利大臣自身の事件をも視野に入れた捜査を積極的に進めていくことができるか、検察の真価が問われることになる。

前記の自民党長崎県連事件の捜査でも、ちょうど小泉政権の絶頂期だったこともあり、政権与党に打撃を与えること避けようとする法務省サイドから強烈な圧力がかかった。当時、長崎地検では、議長を逮捕して、自民党有力政治家の疑惑に迫ろうとしており、県連の裏金に関して、中央の有力政治家に絡む事件のネタも多数あったが、捜査が政権政党に大きな打撃を与えることを懸念した法務省や法務省系の最高検幹部の猛烈な反対に行く手を阻まれ、在宅捜査に切り替えて略式起訴に持ち込み、捜査を終結させざるを得なかった。

検察の正義を巡る環境を変えた検察審査会の起訴議決

過去にも、政治に絡む事件で検察と法務省との確執が繰り返されてきた。しかし、今では、そのような法務省側の消極意見があったとしても、法改正によって権限が強化された検察審査会の存在が、圧力を跳ね返す大きな力となり得る。「検察の正義」をめぐる環境が大きく変わっているのである。

近著【告発の正義】(ちくま新書)でも書いたように、2009年の検察審査会法の改正で、検察審査会の議決によって起訴される制度が導入されたため、告発された事件が不起訴になった場合、告発人は検察審査会に審査の申立てを行うことができる。そこで、「起訴相当」の議決が出ると、検察は再捜査を行うことになる。以前は、再捜査の結果、検察が再度不起訴にすれば、刑事事件はそれで終結していたが、法改正により、検察官が二度目の不起訴を行っても、検察審査会で再度審査して「起訴議決」を行えば、裁判所が指定する弁護士によって起訴手続きがとられることになった。

起訴議決制度が導入されたことで、検察は、社会的に注目を集めた告発事件については、検察審査会の議決によって起訴議決に持ち込まれる可能性がないかどうかという観点から検討せざるを得なくなった。「市民の常識」を尊重した捜査・処分をせざるを得なくなっている。

週刊文春の記事によって、甘利大臣の疑惑もあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の犯罪に該当する可能性があることが広く世の中に認識されていることから、市民団体等が告発を行ってくる可能性は高い。告発された場合、いろいろ理屈をつけて検察が不起訴にしても、検察審査会への審査申立てが行われ、「市民の常識」に基づいて起訴議決が行われる可能性がある。

検察にとって千載一遇のチャンス

2009年、政権交代をめざす野党第一党の民主党党首小沢一郎氏の秘書を、僅か2000万円の、しかも政治資金収支報告に記載された「表の寄附」に関する政治資金規正法違反で逮捕した検察にとって、現政権の有力閣僚の秘書の事件の捜査に消極的な姿勢をとることなど許されない。

法務省の圧力に屈し、十分な捜査を行わず、告発をされても不起訴にするというような姿勢をとれば、市民を代表する検察審査会の審査員から「起訴議決」の鉄槌を下されることになることとなるだろう。

その時は、大阪地検特捜部の証拠改ざん等の不祥事、東京地検特捜部の陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書による検察審査会の議決誘導問題など、一連の不祥事で大きく傷ついた検察への国民の信頼は完全に回復不能となる。

逆に、甘利大臣とその秘書に対して、適切な捜査を行って証拠を固め、適切な刑事処分を行うことができれば、不祥事で失われていた検察への信頼を、一気に回復させることができる。本来であれば、即刻辞任してもおかしくない重大な疑惑が表面化しているのに、TPP問題の国会審議の関係などで大臣を辞めるに辞められない状況は、検察にとっては、まさに千載一遇のチャンスだと言えよう。

文春の早刷り版で、記事の内容が明らかになってから既に2日経過している。その間にも罪証隠滅が行われている可能性が高い。しかも、甘利大臣は、「第三者を入れて調査を行う」というようなことを言っている。明らかに犯罪に当たる今回の問題について「非犯罪ストーリー」で関係者証言を固めてしまう罪証隠滅になりかねない。

速やかに強制捜査に着手し、証拠を収集しなければ、刑事事件として立件・起訴できる可能性が低下していくことは確実だ。もはや一刻の猶予も許されない。

一連の不祥事に関して、厳しく検察を批判し、今も、美濃加茂市長事件の控訴審で検察と徹底的に戦っている私だが、今回の事件については、検察の威信をかけた戦いに期待したい。

 

 

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甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか

本日(1月21日)発売の週刊文春が、甘利明TPP担当大臣や秘書がUR(独立行政法人都市再生機構)の道路用地買収に関して「口利き」を行い、業者から多額の金品を受領していたことを報じている。この記事には、その行為について、あっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反が成立する可能性がある旨の私のコメントも掲載されている。報じられている疑惑の中身は以下のようなものだ。

甘利大臣の公設第一秘書が、URの道路用地買収をめぐるトラブルに関して、UR側に補償金を要求していた業者から依頼を受け、UR側との交渉に介入し、URに2億2000万円の補償金を支払わせ、2013年8月に、その謝礼として500万円を受け取った。

それに加え、甘利大臣自身も、業者と直接会って、URと業者との産業廃棄物処理に関するトラブルについて説明を受けて補償交渉に関する対応を依頼され、同年11月に大臣室、2014年2月には神奈川県内の事務所で、現金50万円ずつ計100万円を直接受け取った。

その後、別の秘書(現・政策秘書)が環境省の課長と面談し、URの担当者と面談するなどして、産廃処理をめぐるトラブルに介入。その秘書は業者から多額の接待を受け、URの監督官庁である国交省の局長への「口利き」の経費などと称して合計6百万円以上を受領するなどしていた。

公設第一秘書が受け取った500万円のうち400万円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないという。

日曜日(1月17日)に、週刊文春の記者からの電話で、甘利大臣と秘書に関する疑惑の内容を聞かされ、私は耳を疑った。いまどき、そんな“絵に描いたような”国会議員や秘書による「口利き・あっせん利得」というのが行われているなどとは、にわかに信じ難かったからだ。しかも、甘利大臣はTPP担当大臣、最も有力な現職閣僚の一人だ。それが、大臣在任中の2013年から14年に、大臣自身や秘書による「口利き」に関して、多額の金品のやり取りが行われたというのだ。

「あっせん利得処罰法」は、国会議員等の政治家が、行政機関等に「口利き」をして金品を受け取る行為を処罰する法律だ。政治家が「口利き」をし、その見返りとして「報酬」を受け取るという行為は、政治家と行政との腐敗の象徴としてかねてから批判されてきたが、2000年に中尾元建設大臣が、公共工事発注の口利きの見返りに建設会社から賄賂を受領して受託収賄事件で逮捕されたのを契機に、改めて国民から批判が高まったことを受け、2002年に法律が制定された。その後も、「政治とカネ」をめぐる問題が表面化する度に、国民の政治不信が高まり、政治家のモラルが問われ、政治資金の透明化のため政治資金規正法の強化・改正も行われてきた。このような流れの中、2003年に施行された「あっせん利得処罰法」が実際に適用されて摘発された事例としては、市町村議会議員が公共工事の発注に関して「口利き」をして利益供与を受けた事件が数件ある程度で、国会議員や秘書が関わる事件が摘発された例はない。

国会議員レベルの政治家に関して言えば、政治資金の透明化、政治活動の浄化が進み、「口利き」による金品の受領などというのは「過去の遺物」になりつつあると、少なくとも私は認識していたし、多くの国民の認識もそれに近かったはずだ。

ところが、週刊文春の記事によると、まさに国論を二分したTPP交渉の最前線に立って活躍する政治家の甘利大臣の秘書が、古典的とも言える「口利き」を平然と行って、業者から金をせしめていた。しかも、大臣自身も関わったり、現金を受領したりしていたというのだ。

私は、コメントを求めてきた記者に、そのような疑惑を裏付ける証拠があるのかと聞いた。記者によれば、甘利大臣側と業者とのやり取りや「口利き」の経過に関して、録音等の確かな証拠もあるとのことだ。

この問題は、久々に「政治とカネ」に関する重大な疑惑として、国会等で追及されることは必至だろうが、何と言っても焦点となるのは、現職大臣やその秘書について、検察当局による犯罪捜査がどのように行われ、どのような刑事処罰に発展するのか、特に注目されるのは、本件について、過去に例がない「あっせん利得処罰法」の国会議員やその秘書に対する適用が行われるか否かであろう。

週刊文春の記事を前提に、甘利大臣や秘書に関するあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の成否に関してポイントとなる点を述べておくこととしよう。

あっせん利得処罰法1条1項は、「衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長が、国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときは、3年以下の懲役に処する」と定めており、2項で、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」の「役員又は職員」に対しての行為も同様としている。また、同法2条は、「衆議院議員又は参議院議員の秘書」が同様の行為をおこなったときは2年以下の懲役に処するとしている。

URは国交省が100%出資している独立行政法人であり同法2項の「法人」に該当すること、甘利大臣は衆議院議員であり、その秘書が、2項の「衆議院議員の秘書」に該当することは明らかだ。

問題は、①秘書のURの職員に対する行為が、法人の「契約」に関するものと言えるか、②「請託」があったと言えるか、③「権限に基づく影響力を行使」したと言えるか、である。

①については、秘書が関わった問題は、URの道路用地買収をめぐる業者との間の補償交渉であり、公共工事などとは違い、契約の内容が具体化しているものではない。しかし、補償交渉の結果、URと業者との間で合意が成立すれば、それは契約であり、その合意が業者にとって有利なものとなるよう、URの役職員に対して働きかけが行われたのであれば、「契約」に関するものと言うことができるであろう。

②の「請託」とは「一定の行為を行うよう又は行わないよう依頼すること」である。請託事項は、その案件の具体的事情に照らして、ある程度の特定性・具体性を要するものでなければならない。「請託を受け」とは、単に依頼されたという受身の立場では足らず、その職務に関する事項につき依頼を受け、これを承諾したことが必要である。記事によれば、甘利大臣の秘書は、実際にURの職員と面談したりしているのであるから、URの役職員に補償に関する「職務上の行為」を行わせるよう働きかけるという「具体的行為」を、業者が依頼したことは明らかであろう。

③についても、ここでの「権限に基づく影響力の行使」というのは、「大臣としての権限」ではなく、「国会議員の権限」に基づくものでなければならないが、政権与党の有力閣僚である甘利大臣は、国会議員としても、予算や法案の審議や評決に関して大きな影響力を持っていることは明らかであり、その秘書も、それを十分に認識した上で活動しているはずなので、UR側への働きかけが「権限に基づく影響力の行使」であることは否定できないであろう。

甘利大臣についても、「権限に基づく影響力」を行使してUR側に一定の職務行為を行うことの「請託」を受け、現金をその報酬として受領したのであれば、あっせん利得が成立することになる。

記事では、甘利大臣は、業者とURとのトラブルに関して、資料に基づいて説明を受け、同席した秘書に、「これ(資料)を、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい」と指示したとされているが、大臣自身がその後、実際に業者からの依頼に基づく行為、例えば、自ら行政庁やURに働きかけたり、秘書へ指示するなどの行為を行ったのか否かは明らかではない。

また、「請託」というのは、依頼する行為が、何らかの具体性を持ったものであることが必要であり、漠然としたものでは「請託」とは言えないというのが一般的な理解であろうが、記事を前提にしても、業者側が大臣に具体的にどのような行為を依頼したのかは明らかではない。

しかし、検察は、「請託」の具体性についてはかなり緩やかに解している。

現在名古屋高裁に控訴中の美濃加茂市長事件では、一審で賄賂の授受が否定され無罪判決が言い渡されているが、この事件で、検察は、藤井美濃加茂市長が市議時代に業者から浄水プラントの導入に関して依頼を受けたとして、受託収賄、事前収賄と併せて、「あっせん利得処罰法」違反の事実も起訴している。

この事件での検察の主張は、浄水プラントの導入に関して、具体的に市議会議員としてどのような職務を依頼したのかが特定されていなくても「請託」に当たるというものである。

もちろん、同事件で市長の主任弁護人を務める私は、そのような「請託」の要件の拡張解釈は不当だと考えており、同事件の公判でも「請託」を認める余地がないことは強く主張しているが、一審では弁護側の主張どおり「賄賂の授受」そのものが否定されているので、「請託」の有無は裁判所の判断の対象にはなっていない。しかし、検察は、「請託」について、そのような緩やかな解釈で起訴し、無罪判決に対して控訴まで行って有罪判決を求めているのである。これからすると、今回の甘利大臣の事件について、「請託」が認められないことを理由に消極判断をすることはあり得ないであろう。

また、大臣自身についてのあっせん利得罪は成立せず、秘書についてのみ同罪が成立する場合であっても、秘書と大臣との共謀による犯罪の成立が問題になり得る。過去に、「政治とカネ」の問題について、政治家が秘書に責任を押し付けているとの批判が繰り返され、秘書について、政治的責任のみならず、秘書との共謀による刑事責任の追及が遡上に上った例は枚挙にいとまがない(最近の例では、小沢一郎氏の秘書が政治資金規正法違反に問われた例で、小沢氏自身も共謀による刑事責任が問題とされた。)が、実際には共謀の立証は困難であり、刑事責任が問われた例はほとんどない。本件でも、秘書が業者から受け取った金について、甘利大臣が認識していたことの証拠が得られるかどうかが鍵となるだろう。

今日の参議院決算委で、この問題について質問された甘利大臣は、「会社の社長一行が大臣室を表敬訪問されたことは事実だ。一行が来られて正確に何をされたのか、記憶があいまいなところがある。きちんと整理をして説明したい」と答弁した。

まさに、唖然とするような答弁である。50万円もの現金を受け取ったか否か記憶が曖昧だ、ということは、その程度の現金は、いちいち覚えていないぐらい受け取っているということであろうか。

現職有力閣僚をめぐる「絵に描いたようなあっせん利得」の疑惑は、一層深まっている。

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