美濃加茂市長無罪判決 ~極めて当然だが決して容易ではない司法判断~

3月5日午後2時、名古屋地裁で、藤井浩人美濃加茂市長に対して、無罪の判決が言い渡された。

昨年6月24日の逮捕の直後から、藤井市長の潔白を確信して、全力で弁護活動に臨んできた私にとって、待ち望んでいた判決そのものであった。

今回の判決について、この最初のブログでは、判決を私がどのような思いで迎えたのか、そして、言い渡された判決が、日本の刑事司法においてどのような意味を持つものなのかについて述べたいと思う。

まず、判決言渡しの直前の私の率直な心境を述べておきたい。

藤井市長が潔白であり、現金を受け取った事実などなく、警察、検察の逮捕・起訴、そして、公判が全くデタラメなものであることは、昨年6月末の市長逮捕以来、私が、ツイッター、ブログ、インターネット番組等で繰り返し述べてきたとおりである。

しかも、9月中旬から始まった公判において、裁判所の事実解明への積極的な姿勢が示され、検察の捜査・立証の杜撰さが、次々と明らかになっていった。鵜飼裁判長の訴訟指揮の方向性、証人尋問、被告人質問での裁判所の質問事項などからしても、裁判所が無罪の心証であることは疑いの余地がないように思えた。

昨年12月24日の第9回公判期日、弁護人が行った11万字に及ぶ膨大な弁論は、論告での検察の主張を完全に崩壊させることができたと手応えを感じたし、無罪は間違いないとの確証を持ったことは、年末のブログ【美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信】でも詳細に述べた。(同ブログに、弁論全文を掲載した私の法律事務所HPを引用している)

藤井市長逮捕から結審までの約半年、弁護人としてやれることはすべてやり尽くした。私としては無罪判決を確信し、自信を持って判決言渡しに臨むつもりだった。

しかし、判決が近づくと、私の胸中は次第に穏やかではなくなっていった。

我々弁護人が、公判で立証し、弁論で明らかにしたことを、そのまま裁判所が認めるとすると、検察の面子は丸つぶれであり、このような事件で現職市長を起訴して有罪論告を行ったことについて、組織内外で重大な責任を問われかねない。

これまでの日本の刑事裁判における検察と裁判所の関係、とりわけ、今回のような社会的、政治的に極めて重大な影響を及ぼす事件に対する裁判所の一般的姿勢からして、本当にそのようなことができるのだろうか、結審から判決までの間に、裁判所が変節してしまう可能性はないだろうか、そのような不安が次第に大きくなっていった。

今年1月、私と元裁判官の森炎弁護士との対談本【「虚構の法治国家」(講談社)】が出版された。その中で、森氏は、刑事裁判官の「検察の言いなりになる、というより、積極的に、検察にもたれかかりたいという精神性」「根深い依存意識」を指摘し、その「検察にもたれ込む裁判所」が刑事司法の虚構の構図の中心だと、いみじくも述べている。

同書の最後の4章「美濃加茂市長事件から考える裁判所と検察」のあとの「あとがき」で、「一連の検察不祥事を経て、検察は変わったのか、戦前から長らく検察にもたれかかってきた裁判所の姿勢が、司法制度改革を機にどのように変わるのか。それらを占うためにも、美濃加茂市長事件の今後の展開に注目していただきたい。」と書いて、本を締めくくったが、森炎氏が言うように絶望的とも言える日本の刑事裁判官の一般的な姿勢の中で、名古屋地裁刑事6部だけは特別だと、本当に期待して良いのだろうか。

しかも、マスコミ等を通じて伝わってくる検察側の感触は、「判決には全く心配していない」というものだった。あれだけ、弁論で論告がコテンパンにやられているのに、それでもめげないというのは、裁判所が検察の意に反する判決を出すことはないという確たる見通しでもあるのだろうか。

そういう懸念が、いくら打ち消そうとしても、頭から離れなかった。

藤井市長逮捕から公判が結審するまでの半年間、全精力を傾けて、この弁護に取り組んできただけに、万が一、予想外の判決だった場合には、私にとっても打撃は計り知れない。

判決の数日前に、数年ぶりのひどい風邪を引き、声が出しづらい状態になったのも、そういう複雑な心境が影響していたのかもしれない。

そして迎えた判決言渡し。

「主文、被告人は無罪。」という鵜飼裁判長の言葉を聞いて、感無量だった。

裁判の経過からも、我々弁護人が主張・立証してきたことからも、当然の無罪判決である。しかし、その「当然の無罪判決」を出すことが、裁判所にとって、いかに大変なことか。とりわけ今回の事件のように、検察が組織を挙げて取組み、面子にかけて有罪判決を得ようとしている事件において、いかに困難なことか。現職検事としての23年間を含め、これまで刑事司法に関わってきた私が十分過ぎるぐらいに認識していることだった。

そういう意味で、今回の、鵜飼裁判長以下の名古屋地裁刑事6部によって、藤井市長無罪という公正な判断が示されたことに、心から敬意を表したい。

しかし、この判決の本当の意義は、「無罪」という主文だけではない。その結論を導いた理由に極めて大きな意味がある。

判決では、公訴事実の要旨、当事者の主張、公判供述や供述調書の概要等に続いて、本件の最大の争点である「贈賄供述の信用性」についての検討を行っている。

これについて、まず、

中林の公判供述は、全体として具体的かつ詳細なものと評価でき、一定の裏付けが存在する上、弁護人からの反対尋問にも揺らいでおらず、供述内容に矛盾を含むなど明らかに不合理な内容も見受けられないことは検察官の主張するとおりである。

として、検察官が中林供述を信用できる根拠として主張する点を概ね認めた上で、

中林のような会社経営の経験があり、また、金融機関を相手として数億円の融資詐欺を行うことができる程度の能力を有する者がその気になれば、その内容が真実である場合と、虚偽や誇張等を含む場合であるとにかかわらず、法廷において具体的で詳細な体裁を備えた供述をすることはさほど困難なことではない。加えて、本件では、中林は、平成26年10月1日の第2回公判期日及び同月2日の第3回公判期日で実施された証人尋問に臨むにあたり、検察官との間において相当入念な打ち合わせをしてきたものと考えられる上、隣房者との間で対質の方法により行われた第7回公判期日で実施された証人尋問に臨むにあたっても、検察官との間で6,7回に及ぶ打合せを行っていたというのであるから、公判廷において、客観的資料と矛盾がなく、具体的かつ詳細で不自然かつ不合理な点がない供述となることは自然の成り行きといえる。

と述べて、中林が関係資料に整合するように供述を整えた可能性を指摘した。

これまでの刑事事件では、検察官の立証においては、「具体的かつ詳細」「裏付けがある「一貫している」というような要素が認められれば、「供述は信用できる」と判断されるのが一般的だった。

しかし、今回の判決では、中林の贈賄供述について、そのような一般的な供述の信用性の要素は認められるとした上で、中林と検察官とが「入念な打合せ」をしていることなどから「具体的で詳細な体裁を備えた供述をしている可能性がある」として、「供述の信用性が供述者によって作り出されている疑い」を指摘している。

そして、そのように疑う根拠に関して、判決の最後に、「中林の虚偽供述の動機の可能性に関する当裁判所の判断」という項目を設け、

捜査機関の関心を他の重大な事件に向けることにより融資詐欺に関するそれ以上の捜査の進展を止めたいと考えたり、中林自身の刑事事件の情状を良くするために、捜査機関、特に検察官に迎合し、少なくともその意向に沿う行動に出ようとすることは十分にあり得るところである。

と述べているのである。

私は、弁論の冒頭の「はじめに」で、本件の贈賄供述の信用性に関して、以下のように述べている

《中林については、融資詐欺等での自己の処罰を軽減するために、被告人への贈賄の事実を作り出し、意図的に虚偽供述をしていることが疑われているのであり、しかも、そのような中林の供述を、捜査機関側も容認し、取調べ、証人テスト等において、中林とともに、供述の信用性を作出している疑いがある。そのことを踏まえ、「中林が意図的に虚偽供述をしているのか、そうではないのか」を判断することが、本件において真相を明らかにする上で不可欠なのである。

検察官が中林の供述の信用性に関して強調する「関係証拠との符合」「供述内容が具体的で自然であること」などの外形的要素は、事後的に作出することが可能なものであり、上記の意味における「中林の供述の信用性」の評価とはほとんど無関係である。そのようなものは、連日長時間にわたる取調べ、証人テストの中において、中林・取調官のいずれが主体的かはともかく、自由自在に作出することが可能なのである。

本件における中林の供述の信用性評価において重要なことは、事後的には作りだせない供述動機、供述経過等から、中林の供述が自らの記憶に基づくものであるか否かを判断することなのである。》

今回の判決は、裁判所が、弁護人が本件での贈賄供述の信用性に関して強く訴えてきたことを正面から受け止め、「意図的な虚偽供述が疑われる場合の信用性」について適切な判断を示したところに、極めて重要な意味があるのである。

それは、検察が設定した刑事事件の判断の枠組みそのものに対して判断するということであり、元裁判官の森炎氏が対談本で言うところの「検察にもたれかかる裁判所」であれば、このような判断は到底行い得なかったはずだ。

これまでの刑事裁判での裁判所の判断は、基本的に、検察官が設定した土俵の上で、検察の判断の枠組みの下で行われてきた。それが、99.9%を超える高い有罪率につながり、無実を訴える被告人にとっては絶望的な状況が続いてきた。今回の判決は、検察の土俵・枠組みの中での判断ではなく、裁判官自身の、そして世の中の常識に沿った判断枠組みの下での、公正な判断を示したものといえる。

その意味で、今回の判決は、「極めて当然だが、決して容易ではない司法判断」だった。

それを行い得る裁判体によって市長の事件が裁かれたことは、市長逮捕以来8か月余、不当な捜査・公判で大きな損失を受けてきた美濃加茂市民、市役所職員など、市長の潔白を信じて支えてきた人達にとって、最大の幸運であった。

そして、それは、日本の刑事司法に一筋の光明をもたらしたものと言えよう。

 

 

 

 

 

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中京テレビ問題を通して考える訂正謝罪放送のあり方

1月21日の当ブログ【美濃加茂市長事件に関する中京テレビの「重大な誤報」】で、中京テレビのニュース・情報番組「キャッチ」で、藤井美濃加茂市長への贈賄供述者に対する判決の報道において重大な誤報があったことを指摘し、放送内容に対しても批判した。このことを受けて、中京テレビは、同日午後4時半過ぎ、同番組の中で、訂正謝罪を行った。

以下が、その訂正謝罪放送での発言内容である。

【ナレーション】

先週の金曜日、岐阜県美濃加茂市の市長への贈賄罪や別の事件での詐欺罪などに問われた会社社長への判決のニュースをお伝えしましたが、その中で一部訂正があります。

起訴状などによりますと、水道機器販売会社社長の中林正善被告は、おととし、美濃加茂市長の藤井浩人被告に対して、市内の中学校に雨水のろ過設備を設置する見返りに現金合わせて30万円の賄賂を渡したとして贈賄の罪などにも問われています。

また、美濃加茂市などから工事を請け負ったとするうその書類を銀行に提出するなどして、融資金合わせて6100万円をだまし取った詐欺罪なども問われています。

これまでの裁判で、中林被告は起訴内容をいずれも認めていて、先週金曜日、名古屋地裁は、社会に大きな影響を及ぼし、刑事責任は重いなどとして、問われた罪をすべて認定。合わせて懲役4年の判決を言い渡しました。

【キャスター】

「この裁判の贈収賄事件についてなんですけれども、この中林被告の有罪判決が、全面的に無罪を主張しています美濃加茂市長の藤井被告の判決に影響するのかどうか、先日のニュースの中で、中林被告と藤井被告の裁判は別々に行われていまして、裁判官も独立しているので、中林被告の有罪判決が藤井被告の判決に影響を及ぼすことはないとお伝えしました。

つまり、証拠も別で、独立した裁判のわけなんですね。

この部分は正しいんですけれども、ただ、その後のコメントで、これまでの贈収賄事件で、送った側が有罪で、受け取った側が無罪という例はない、とお伝えしました。

しかし、これについてはですね、贈賄側が有罪で、収賄側が無罪というふうに異なる判決が出て、確定したケースがあることが分かりました。

この点訂正して、お詫びいたします。

失礼いたしました。

なお、藤井被告の判決は、3月5日に言い渡される予定です。

私が、同放送について指摘した主な問題は、①判決は融資詐欺と贈賄に対するものであるのに、融資詐欺をほとんど無視し、30万円の贈賄の事実だけで懲役4年の実刑判決が言い渡されたとしか思えない報道であること、②、「藤井判決に影響を及ぼすことはないことの理由が、裁判官に独立性が保障されていることが中心で、中林は公判で贈賄事実を全面的に認めており、収賄事実を全面否認する藤井市長の主張を踏まえた審理は行われておらず、藤井公判とは証拠が全く異なることに一切触れていないこと、③「贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がない」という、事実に反する発言をしたこと、の3つである。

中京テレビの放送では、このうち③について訂正と「謝罪」を行ったほか、①については、当初の放送では述べていなかった「美濃加茂市などから工事を請け負ったとするうその書類を銀行に提出するなどして、融資金合わせて6100万円をだまし取った詐欺罪にも問われていること」についても述べ、②については、「証拠も別で独立した裁判のわけなんですね。」と述べた。

一応、私のブログでの指摘に応える内容になっており、当初から、この内容の放送が行われていたら、私が問題を指摘することはなかった。

しかし、訂正放送は、ゼロからの放送ではない、中林の判決に関して、事前の要請文によって、誤解を与えないように要請されていたにもかかわらず、それをほとんど無視した放送を行い、視聴者に重大な誤解を与えたと指摘されたことを受けての対応である。

そういう意味では「訂正謝罪」が十分なものだったとは到底言えない。

まず、①の点については、贈賄だけで懲役4年に処せられたかのような誤解を与えた。

「訂正謝罪放送」では、贈賄だけではなく、融資詐欺も含めて懲役4年の判決だったと述べている。しかし、それは、当初の放送の言葉を訂正するものでもないし、それについて「誤解を招いたこと」を認めるものでもない。当初の放送で、「贈賄で懲役4年になった」というイメージを持った視聴者は、同じ判決のことを再度報じられても、前の放送と何が違うのかがわからないので、当初の印象が変わることは考えにくい。

②の点についても、「訂正謝罪放送」では、確かに「証拠も別で独立した裁判」と言っている。しかし、これだけでは、なぜ、中林被告の有罪判決が藤井被告の判決に影響を及ぼすことはないのかを理解できる視聴者は少ないであろう。

そして、何より重要なことは、「贈賄だけで懲役4年の有罪判決が出たように報じることで、視聴者に対して、贈賄者以上に厳しい有罪判決が藤井市長にも出されるような印象を与えることに問題があり、贈賄側有罪・収賄側無罪の判決が今まで例がないという明白な誤りも、単なる過誤ではなく、そういう方向に報じる材料を集めようとした結果としか考えられない」という指摘に対して、何も答えていないことだ。

【美濃加茂市長事件に関する中京テレビの「重大な誤報」】で引用した当初の放送の内容について、報道局長名で「特に問題ないと考えております。」と回答した中京テレビは、その点の問題が全く理解できていなかったとしか思えない。そのような理解のレベルのままで、明白な誤りだとわかった「贈賄側有罪・収賄側無罪が今まで例がない」という点だけを訂正しても、視聴者に与えた誤解や誤った印象を解消することにはならない。

ここに、訂正謝罪放送の在り方に関する根本的な問題がある。

私は、拙著「『法令遵守』が日本を滅ぼす」などで、かねてから、「法令遵守」の考え方から脱却し、コンプライアンスを「法の趣旨・目的と、その背後にある社会的要請に応えること」ととらえるべきとの持論を述べてきたが、その中で、「放送事業者のコンプライアンス」と「放送法の法令遵守」の関係について。以下のように述べてきた。

公共の電波を用いて行われるテレビ放送の内容は社会に大きな影響をもたらす。それが真実に反し、名誉や信用を害するものであれば、被害は甚大である。免許を与えられている放送事業者に高度な真実義務と倫理が要求されることは言うまでもない。影響の大きさからすると、意図的な虚偽・捏造に対して重い罰則や行政処分が用意されていてもおかしくない。

しかし、一方で、放送内容への国家の介入は、憲法が保障する表現の自由、報道の自由を侵害するので、極力慎重でなければならない。そのため、放送法は、真実でない事項の放送による権利侵害について、放送事業者に、被侵害者の請求によって「事実を調査する義務」と、「真実ではないことが判明した場合に訂正放送を行う義務」を定め(同法4条)、義務違反について50万円以下の罰金という極めて軽い罰則を設けている。「請求があったのに調査しないこと」、「真実に反すると判明したのに訂正放送しないこと」は違反になるが、監督官庁には調査権限も与えられていないので、放送事業者が調査を行いさえすれば、放送事業者自ら真実に反することを認めない限り、同法違反に対して電波法が定める電波停止や免許取消しの処分は、発動しようがない。

そのため、放送内容が事実に反すると指摘された際の放送事業者の対応は、「放送法の法令遵守」という観点からは、「請求があったら必ず調査は行い、その上で、真実に反していないと言い続ける」という態度になりやすい。

実際に、放送内容が事実に反することの立証は困難な場合が多いので、放送事業者としては、そのような態度を取り続けることで、「真偽不明」に終わり、訂正放送を行わなくても済むことが多いのである。

2007年1月に表面化した、不二家の消費期限切れ原料使用問題で、TBSの番組「みのもんたの朝ズバッ」で、半月以上もの間、一日平均15分以上も「不二家バッシング」の放送を垂れ流していたが、その中には、事実に反するもの、事実を歪曲するものが多数あった。

連日のバッシング放送によって、不二家は全製品の製造・販売停止に追い込まれ、フランチャイズチェーンの20%が倒産・廃業に追い込まれた。

当時、不二家信頼回復対策会議の議長を務めていた私は、その中の一つの「消費期限切れチョコレート再利用スクープ」がインタビュー映像の「すり替え」によるねつ造である疑いを掘り起し、発足したばかりだったBPO放送倫理検証委員会にも審理要請を行うなどして、朝ズバッの不二家バッシングの放送倫理上の問題を追及し、事実に反する放送、ねつ造疑惑についての調査に終始消極的だったTBSを徹底的に批判した。

そして、この問題に関連して、その頃、国会で審議されていた放送法改正案に関して、衆議院総務委員会で参考人として意見陳述を行い、「放送の自由の尊重と真実性の確保という二つの社会の要請を両立させるため自律を重視するのが放送法の趣旨・目的であり、そこで放送事業者に求められるのは、自主的に真実を明らかにして放送内容を検証するための調査体制の整備である。監督官庁が果たすべき役割は、体制整備を指導支援することであり、放送内容への直接的な調査や介入ではない。」との意見を述べた。

放送内容に対する国家の介入を排除し「放送の自由」を守るためには、放送事業者が、放送法の「法令遵守」を超えて、事実に反する報道について自主的に調査し、社会の要請に応える姿勢を持たなければならない。このことは、新聞にも寄稿し(【法令順守をはき違えるな】朝日「私の視点」)2007年5月17日)、著書でも、再三にわたって取り上げてきた(【思考停止社会】(講談社現代新書)179頁以下)。

 

「事実に反する放送」について指摘を受けた際に放送事業者がとるべき対応は、決して放送法の「法令遵守」だけにとどまるものではない。それと同様のことが、「事実に反する放送」であることが判明した場合の訂正放送の在り方の問題についても指摘できる。

事実に反する放送を行ったことが否定できなくなった場合、その「事実に反していた部分」を訂正する放送を行いさえすれば、放送法上は問題ない。

しかし、そのような「法令遵守」の観点からの「局所的な訂正」で、本当の意味で、放送事業者として社会的要請に応えたと言えるだろうか。誤った放送が行われる背景には、多くの場合、番組の編成、編集上の問題、取材の方向性、姿勢の問題などがある。そのような点も含めて、視聴者に誤解を与えたり、誤った印象を与えたりしたことの原因を明らかにし、それらを全体として解消し、是正していくことが、放送事業者の真のコンプライアンスである。

中京テレビの今回の「訂正放送」は、「放送法の形式的な法令遵守」という面からは、事実に反する部分が訂正されている。しかし、当初の放送で視聴者に与えた誤った印象や誤解を解消しないままであることは、「公正かつ客観的な報道を行うことで、世の中の事象を視聴者に正しく伝える」という放送事業者のコンプライアンスの側面からは、いまだに重大な問題が残っていると言わざるを得ない。

昨年6月24日に藤井美濃加茂市長が逮捕されてから半年余にわたり、弁護人の立場から、公正かつ客観的な報道・対等報道の要請を続けてきた。

市民の代表者として同市の行政を担う現職市長が、容疑事実を全面的に否定し潔白を訴える事件であるだけに、「推定無罪の原則」の下での報道の在り方が大きく問われる事件であったが、全体として、旧来の「犯人視・有罪視報道」の悪弊を改めたとは到底言えない報道が多く、この種事件の報道の在り方に大きな課題を残したと言って良いであろう。

3月5日午後に言い渡される予定の藤井市長に対する判決を踏まえて、これまでの報道についても検証してみる必要がある。

 

 

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美濃加茂市長事件に関する中京テレビの「重大な誤報」

1月16日、藤井市長に対する贈賄を供述している中林正善に対する判決公判が開かれ、名古屋地裁刑事3部(藤井市長の公判は刑事6部が担当)は、有印公文書偽造・同行使、詐欺、および贈賄の罪で、中林に懲役4年の実刑判決を言い渡した。

当ブログ【「藤井市長への贈賄者に有罪判決」報道に騙されてはならない】でも述べたように、この判決の前日の1月15日午前に、藤井市長の主任弁護人の私から、読者・視聴者に誤解を与える報道が行われることがないよう、報道関係者宛の要請文をファックス送付していた。

程度の差はあれ、その要請に配慮した報道が多かった中で、要請をほとんど無視し、全体として視聴者に重大な誤解を与える内容の放送を行ない、しかも、その中で、「贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がない」などという事実に反する内容を報じたのが、中京テレビ(日本テレビ系)の夕方のニュース・情報番組「キャッチ」であった。

少なくとも、我々が把握しているだけで、贈賄側の有罪判決が確定した後に、収賄側が無罪で確定した事例として、1989年11月13日に大津地裁で滋賀県土木部幹部の収賄事件で無罪判決を言い渡した事例(検察官控訴断念)、1992年1月8日に熊本地裁で同県菊池市議会議長の収賄事件で無罪を言い渡した事例(検察官控訴したが棄却され確定)がある。

中京テレビの放送は、これらの事実に反する。

この誤報は、単なる「過誤」とか、「調査不足」などで済まされる問題ではない。事実を全面的に認め、何も争っていない贈賄供述者に対して、有罪判決が言い渡されるのは当然のことである。その判決結果を用いて、収賄で起訴されている藤井市長の有罪も確実であるように印象操作を行おうという意図で行われたとしか考えられない、重大・悪質な誤報である。

この判決に対しては、藤井市長が

私が全く関わっていない中林被告自身の裁判で、どのような判決が行われるかは、私の裁判とは全く関係ないものと思います。私に贈賄したと述べた中林被告の話が信用できるかどうかは、3月5日に予定されている私に対する判決で裁判所の適切な判断が下されるものと信じています。

とコメントし、私も、主任弁護人として、

まず、中林の公判では、中林が贈賄の事実を含め公訴事実を全面的に認めており、中林の弁護人も何らの主張もしていないので、中林の自白に基づいて有罪判決が言い渡されるのは当然である。贈賄事実について、収賄事実を全面的に否認している藤井被告人側の主張を踏まえた事実認定は行われていないので、藤井市長の公判とは全く無関係である。

有罪とされた有印公文書偽造・同行使、詐欺の事実の犯行態様の悪質性・重大性を考慮すれば、贈賄が起訴されていなかったとしても4年の実刑は当然であり、贈賄の事実が認定されたことの量刑への実質的影響は軽微だと考えられる。

むしろ、4年の実刑とされたのは、藤井弁護団が4000万円の融資詐欺の事実を告発したことを受けて、検察官が、同事実を追起訴したことによるものであり、それがなければ、融資詐欺の起訴は2100万円にとどまっていたと考えられる。

しかも、検察官は、弁護人が、10月24日付け、及び12月19日付けで告発した合計被害額3億4750万円の融資詐欺の事実を、中林が全面的に自白しているにもかかわらず、嫌疑不十分等の裁定主文で不起訴処分にしているのであり、このような検察官の不当な事件処理によって、中林の融資詐欺の起訴事実が6100万円の被害額にとどまったことが、量刑が懲役4年にとどまった原因であり、未決勾留が210日算入されたことをも考慮すると、中林に対する量刑は、その刑事責任と比較して著しく軽いと言わざるを得ない。

とコメントした。

この判決についての新聞、テレビ各社の報道の多くは、判決内容のほかに藤井市長や主任弁護人のコメントを報じており、全体としては、程度の差はあれ、上記要請を考慮したことが窺われる内容だった。

中部地区で圧倒的な発行部数を誇る中日新聞は、社会面で、「市長『判決は関係ない』 美濃加茂汚職 市議『予想通り』」との見出しで、市長や主任弁護人のコメント、中林弁護人のコメントを載せ、1面の解説では、

「美濃加茂市長に30万円を渡したとして贈賄罪に問われた中林正善被告の有罪判決は、被告が全面的に起訴内容を認める中で導かれたものだ。無実を訴える市長藤井浩人被告の判決は3月に予定されているが、異なる審理内容を基に別の裁判長が有罪か無罪かを判断するため、今回の判決が影響することはない。過去にはリクルート事件の1審で贈賄側の江副浩正元会長が有罪になる一方、収賄側の藤波孝生元官房長官は無罪(二審で逆転有罪となり確定)になるなど、判断が分かれた例もある。中林被告の公判では、検察側、弁護側ともに事実関係に争いはなく、証言台に立ったのは中林被告だけ。それも「反省している」と情状酌量を求めるもので、有罪判決は必然だった。しかし、藤井被告の公判で検察側、弁護側は「現金授受の有無」をめぐって真っ向から対立。藤井、中林両被告や各証人ら七人が証言台に立った。弁護側は両被告の会食に同席した知人から「授受の機会はなかった」との証言を引き出した。一方、検察側は中林被告の知人2人から「現金を渡したと聞いた」との趣旨の証言を得た。授受の現場を防犯カメラでとらえるなどしていたわけではなく、唯一の直接証拠と言えるのは中林被告の贈賄供述のみだ。知人らの証言など中林被告の公判では存在しなかった審理内容を基に、藤井被告の判決が贈賄供述の信用性をどう評価するのか。争いのない今回の公判に比べ、核心に迫った判決となるに違いない。」

と、両公判での主張立証の違いを分かりやすく説明している。

NHKは、午後6時の全国ニュースとその後の中部・東海地区のニュースで、判決を取り上げ、主任弁護人のコメントのほか、「贈賄側は有罪となり、収賄側が無罪になるということはあり得ます」という刑訴法学者の識者コメントを入れている。

民放局では、名古屋テレビ(テレビ朝日系)の夕方の番組で、

「2人の裁判は、別々の裁判長のもとで行われている。対立する2人の主張を裁判所がどう評価するか、注目されている。藤井市長の裁判で、中林被告が検察側の証人として出廷し、贈収賄の有無について争う場面があった。一方、中林被告の裁判では、贈賄行為の前提について争われることなく、贈賄があったことが前提として裁判が進められてきた。その結果、<被告人を懲役4年に処する>中林被告には、贈賄罪のほか、2つの金融機関から融資金をだまし取った罪も含め一括とした量刑が言い渡された。」

と、中林公判と藤井公判との証拠が全く異なることにも言及した。

このような両公判の証拠の違いについて言及した報道は、上記中日新聞と名古屋テレビの報道くらいであり、結論が異なる場合の理由として、別々の裁判長が担当することを挙げているのが大部分であった。懲役4年という量刑が、贈賄が含まれず有印公文書偽造・同行使、詐欺だけでもおかしくない量刑であることに触れた報道がなかった点に不満は残るが、判決に関する報道は、全体として、要請文に相当程度配慮したものといえよう。

その中にあって、要請を完全に無視し、視聴者に誤解を与える最悪の内容で、しかも、その中に、明らかな誤りがあったのが、中京テレビ(日本テレビ系)の番組「キャッチ」だった。

以下は、その中での、中林判決に関する放送の音声である。

【ナレーション】

贈賄側に懲役4年の判決が言い渡されました。今日、名古屋地裁に入る贈賄などの罪に問われている水道機器販売会社社長中林正善被告44歳。起訴状などによりますと、中林被告は、おととしの4月、当時市議会議員であった美濃加茂市長藤井被告に対し、市内の中学校に雨水のろ過設備を設置してもらう見返りに現金30万円を渡したなどとされています。一方で、収賄などの罪で起訴されている藤井浩人被告は、一貫して現金の授受はないとして無罪を主張しています。名古屋地裁で開かれた裁判で、堀内裁判長は、「自己の会社の利益を図るため、30万円という少なくない現金を市議会議員に交付した」として、中林被告の贈賄の事実を認め、懲役4年の判決を言い渡しました。弁護側は、中林被告の供述の信用性が認められたなどとして、控訴しない方針だ、ということです。無罪を主張している藤井被告は、中林被告の有罪判決を受けて、「私の裁判とは全く関係ないものと思います。裁判所の適切な判断が下されるものと信じています」とコメントしています。3月5日に藤井被告に判決が言い渡される予定です。

  【キャスター】

今回、贈賄側の中林被告に懲役4年の有罪判決が言い渡されました。控訴しない方針、ということですので、有罪判決が確定する見通しなんですね。一方で、一貫して無罪を主張し続けている美濃加茂市長の藤井被告。名古屋地裁などによりますと、それぞれ裁判官が別なんですよ。裁判官には独立性が保障されています。さらにですね、藤井被告の審理も終了していまして、あとは判決を待つばかり、という状況となっていますので、今日の中林被告の有罪判決がですね、藤井被告の判決に影響を及ぼすことはないであろうということです。ただ、今まで贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がない、ということなんですね。この注目の藤井被告の判決は、3月5日に言い渡される予定です。

要請文でも述べているように、中林に対する裁判所の量刑の殆どは、公文書偽造・行使を伴う悪質な融資詐欺に関するものであり、贈賄の事実の量刑は僅かなものに過ぎない。もし、30万円の贈賄だけで起訴されていたら、贈賄の法定刑は三年以下の懲役・罰金であるから、せいぜい懲役1年程度で、執行猶予が当然であり、4年の実刑など、まずあり得ない。ところが、この放送を見る限り、中林は「30万円の贈賄の事実」だけで懲役4年の実刑判決を受けたとしか思えない伝え方をしている。

また、藤井公判への影響について、「藤井判決に影響を及ぼすことはないであろう」と言ってはいるが、その理由は、「裁判官には独立性が保障されていること」「藤井被告の審理が終了していること」とされているだけである。中林は公判で贈賄事実を全面的に認めており、収賄事実を全面否認する藤井市長の主張を踏まえた審理は行われておらず、藤井公判とは証拠が全く異なることに全く触れていない。

その上で、最後が、「ただ、今まで贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がないということなんですね。」という、全く事実に反する「解説」で締めくくられているのである。視聴者誰もが、「中林の判決とは別の裁判官が判断しても、贈賄の中林が有罪なのだから、収賄の藤井市長も(いくら悪あがきしても)有罪になるだろう」と思うような内容である。

「弁護側は、中林被告の供述の信用性が認められたなどとして、控訴しない方針だということです」というのも全く意味不明であり、あたかも中林判決で、中林の供述の信用性が判断されたかのような誤解を招くものである。中林公判では事実関係は争っていないのであるから、中林供述の信用性は問題にならない。仮に中林の弁護人がそのような発言をしたとしても、不控訴の理由としてわざわざ報道するようなことではない。現に、他の新聞、テレビでは、そのような「不控訴理由」は全く報じられていない。

このような、視聴者に重大な誤解を与える放送が行われたため、週明けの1月19日に、中京テレビ報道責任者宛に文書を送付し、同番組で、中林の判決について、上記「有印公文書偽造・同行使、詐欺」の点を完全に無視し、贈賄だけで4年の実刑が言い渡されたかのように報じた点、「今まで贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がない」などと報じた点において、上記要請を完全に無視した内容の放送であったと指摘し、①上記番組を放映するに当たって、当職からの要請文をどのように取り扱ったのか、②上記番組について、問題はないと考えているのかについて、回答を求めた。

(他に、東海テレビ(フジテレビ系)の報道責任者に対しても、「東海テレビ スーパーニュース」の放送内容に関する指摘と、回答を要請する文書を送付したが、その問題の程度は中京テレビとはかなり差があるので、当ブログでは東海テレビの問題には触れないこととする。)

同日夕刻に送付されてきた中京テレビ報道局長名の回答書は、以下のようなものだった。

1.番組放送にあたって、郷原様からの「要請文」をどのように取り扱ったか

まず、「要請文」については、社内で検討させていただきました。その上で、「当時、現職の市会議員に現金を送ったとされる贈賄容疑」は、「社会的にも関心の高い重要な事案であり、その判決内容を中心に報道することは意義がある」と判断いたしました。

また、判決文についても「贈賄および利益供与」について相当量をさいて説明をしており、内容的にも「合計30万円という少なくない現金を市会議員に交付したことは、市民の信頼を毀損し、社会に大きな影響を及ぼすものである。被告人の刑事責任は重い」旨を記しており、充分に中心的に報道すべき内容であると判断いたしました。

その上で、「有印公文書偽造・同行使、詐欺」については、画面のスーパーインポーズで「贈賄・詐欺などの罪」と示し、原稿でも「贈賄の罪などに問われているのは…」と表現し、判決が「贈賄罪」だけでないことを示しました。

また、本番組の中では、藤井被告のコメントとして「私の裁判とは、全く関係ないものと思います。裁判所の適切な判断が下されるものと信じています」と、ナレーションで紹介しています。

加えて、スタジオ部分では「それぞれの裁判官は、独立性が保証されていることから、この中林被告の有罪判決が、藤井被告の判決に影響を及ぼすことはない」旨をキャスターが説明しています。

スタジオの最後で、「今まで贈収賄事件で賄賂を渡した側が有罪で、受け取った側が無罪となった例がない」というのを、これまでの「確定判決」の例から、事実をそのまま述べたものです。

2.番組内容が、問題ないかと考えるか

これについては、上記1の理由から「特に問題ない」と考えております。

 

回答書の最後の部分で、「贈賄側有罪・収賄側無罪の判決が今まで例がない」というのが全くの誤りで、「事実をそのまま述べた」と強弁した点には全く弁解の余地はない。

しかし、問題はそれだけではない。この回答文は、要請文を踏まえて放送を行ったことの説明には全くなっていない。

「贈賄および利益供与について相当量をさいて説明をしており」と述べているが、実際の判決は、当然のことながら、贈賄および利益供与より、融資詐欺についての量刑理由の説明の方の量が多いのに、その点を完全に除外し、誰もが贈賄だけで懲役4年の実刑判決を受けたと思わせる内容になっていることが問題なのである。

「贈賄・詐欺などの罪」と画面に表示した、と述べているが、そのような表示はそれほど気に留めないし、「詐欺」という一言があっても、上記コメント等がなされているので、それだけでは意味がわからない。

つまり、放送全体が、贈賄者に対する懲役4年の有罪判決が出たことから、視聴者に「藤井市長に対してもそれ以上に厳しい有罪判決が出される」と思わせる内容になっているのである。そのことが問題なのであり、「贈賄側有罪・収賄側無罪の判決が今まで例がない」という明らかな誤りも、単なる過誤ではなく、そういう方向に報じる材料を集めようとした結果、としか考えられない。

この放送を見た藤井市長は、「いくら自分の裁判で潔白を訴えても、贈賄者の裁判で有罪判決が出ると、無罪判決が出る可能性は全くないのかと、暗澹たる気持になった。」とのことであり、放送を見た美濃加茂市職員の多くも、「市長は潔白なのに、有罪にされてしまうのか…とショックを受けた。」とのことである。

我々弁護人の主張の内容や審理を知っている被告人の藤井市長や、日頃から藤井市長の裁判に関心を持って情報に接している市役所職員でも、そのような受け止め方なのである。この放送だけを見た一般の市民がどのように受け取るかは、容易に想像できるであろう。

中京テレビは、放送法による規律の下で、公共の電波の使用を許可されている放送事業者である。このような放送倫理上重大な問題を引き起こしたことを、単に、「贈賄側有罪・収賄側無罪の判決が今まで例がない」という点だけを形式的に訂正するだけで済ますことは、決して許されない。

 

 

 

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「藤井市長への贈賄者に有罪判決」報道に騙されてはならない

1月16日午前、名古屋地方裁判所で、藤井浩人美濃加茂市長への贈賄供述者中林正善の有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決言い渡しが予定されている。

藤井市長の公判では、中林は、4億円近くもの融資詐欺を犯したと自白しているのに、僅か2100万円しか立件・起訴しないことの見返りに藤井市長への30万円の贈賄供述が行われた「闇取引」の疑いを指摘しているのであるが、藤井弁護団の告発を受けて、藤井市長の公判中に追加起訴された4000万円を含む6100万円の融資詐欺と30万円の贈賄が中林の起訴事実であり、それら全体に対して判決が言い渡される。

中林の贈賄供述は、中林の創作或いは捜査官側の誘導によるもので、全くの虚偽であることは、藤井弁護団が一貫して主張してきたところであり、昨年12月24日の公判期日で弁護人の弁論で詳細に論証した(その概要は、当ブログ【美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信】)。藤井市長も、我々弁護人も、3月5日に予定されている判決で、市長の無実が明らかになることを信じている。

しかし、中林自身の公判では、被告人の中林が贈賄の事実を含め公訴事実を全面的に認め、全く争っていないので、有罪判決が言い渡されるのは当然である。

被告人中林からも、弁護人からも、事実関係について何の主張もされておらず、贈賄の事実を否定する藤井市長の供述も証拠として提出されていないのだから、裁判所としては、贈賄の事実を否定する余地がない。もちろん、藤井市長の公判で争点となっている中林の贈賄供述の信用性についても判断が示されることはない。

しかし、藤井市長の逮捕直後から、「有罪視報道」を繰り返してきたマスコミは、この「当然の有罪判決」についても、世の中に、「藤井市長有罪」のイメージを拡散するために、最大限に活用しようと考えているようだ。実際に、中林の判決に先立って、複数の報道機関から、藤井市長に対して、中林公判での贈賄の有罪判決についての感想・コメントを求めてきている。

中林に対する判決の中で、量刑上は贈賄より遥かに重い融資詐欺を除外あるいは極端に矮小化して、贈賄の部分を殊更に強調し、「藤井市長への贈賄者に有罪判決」などの見出しで、「無罪を主張する藤井市長公判への影響が必至」などと報じ、「裁判所の判断が出ても辞職の意向なし」などと非難しようというのであろうか。

万が一にも、このような不当な報道が行われて、読者・視聴者に、裁判所が藤井市長の収賄事件について有罪を認定したかような誤解を与えることがないよう、本日、主任弁護人の私から、名古屋、岐阜の報道関係者宛ての要請文を送付した。以下にその全文を引用する。

  2015.1.15

報道関係者各位

 中林正善被告人に係る判決の報道についての要請

                   藤井浩人主任弁護人 弁護士 郷原 信郎

1月16日午前、名古屋地方裁判所で中林正善の有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決が言い渡される予定である。

中林の公判では、中林が贈賄の事実を含め公訴事実を全面的に認めているので、検察官請求の証拠に不備でもない限り、中林の自白に基づいて有罪判決が言い渡されるのは当然である。そこでは贈賄事実の有無について格別の判断が示されるものではなく、ましてや、藤井市長の公判で争点となっている中林の贈賄供述の信用性について、判断が示される余地は全くない。

しかも、中林に対する公訴事実のうち、「有印公文書偽造・同行使、詐欺」は、地方自治体等の名義の発注書・受注証明書・契約書等を偽造して、浄水設備を受注しているかのように装い、取引先の名義で自社の預金口座に振込を行って発注者から代金が入金されているように仮装するなどして、金融機関から6000万円もの金員を騙取した悪質・重大な融資詐欺事案であるのに対して、「贈賄」の公訴事実は、金額が30万円と僅少であるうえ、上記詐欺等での勾留中の自首に等しい経過であることから、刑事責任の程度は軽微である。

同被告人に対する裁判所の量刑判断の殆どは、「有印公文書偽造・同行使、詐欺」の事実に関するものなのであるから、同被告人に対する判決を報じるのであれば、金融機関を食い物にする悪質かつ重大な融資詐欺の再発防止の観点からも、融資詐欺の事実を中心に報じるのが当然であり、それが、報道機関としての社会的責任でもある。

しかるに、中林公判で上記判決が予定されていることに関して、複数の報道機関から、藤井浩人美濃加茂市長に対して、中林公判での贈賄の有罪判決についての感想・コメントを求めるなど、中林に対する贈賄の有罪判決を、藤井市長の事件に関連づけて報じようとする動きがある。

藤井市長は、上記中林の贈賄供述に基づいて受託収賄で逮捕・起訴されたが、一貫して賄賂の授受を否定し、潔白を訴えている。贈賄事実を全面的に認める中林に有罪判決が出たからといって、それを、担当裁判部も異なり、主張も証拠も完全に異なる藤井市長の事件に関連付け、贈賄の事実を同一の裁判所が認めたことを印象づけるかのような報道を行うことが許されないことは言うまでもない。

また、中林に対する有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄の事件に対する有罪判決のうち、贈賄の部分だけ殊更に強調し、「藤井市長への贈賄で中林被告に有罪判決」などの見出しで報じることは、読者・視聴者に対して、藤井市長の贈収賄事件で裁判所が有罪を認定したかのような誤った印象を抱かせることになる。

藤井市長は、受託収賄等を全面的に否認したまま保釈され、美濃加茂市長の職に復帰し、市民の支持と信頼を得て市長の公務に全力を尽くしている。万が一、中林に対する有罪判決があったことが、藤井市長事件の有罪無罪の判断に関連づけて報道された場合、読者・視聴者に、「藤井市長有罪」の誤った印象を与えることとなり、藤井市長の公務に重大な支障を生じさせることとなる。また、中林に対する判決の報道を通して、藤井市長が有罪であるかのような印象操作を行うことは、「推定無罪の原則」の下での報道倫理にも反するものである。

そこで、藤井市長の主任弁護人として、中林判決の報道に当たって、下記の事項を要請する。

①有印公文書偽造・同行使、詐欺、贈賄被告事件に対する判決であることを正確に表示すること(法定刑、量刑への影響の比較からも、「贈賄等被告事件」などと略称することは事実に反する歪曲であり、許されない。)

②判決での「量刑についての判断」は、融資詐欺の事実に対するものと贈賄に対するものとを区別し、融資詐欺に関する判示が贈賄に対する判示と誤解されないようにすること

③贈賄に関する判決について、藤井市長の公判との関係に言及する場合は、「中林被告は起訴事実を全面的に認めているので有罪判決は当然であり、証拠関係も異なるので、藤井市長に対する判決とは直接関係ない」旨付記すること

 

万が一、上記要請に反する報道が行われた場合には、報道倫理上の問題としての対応及び法的措置を検討せざるを得ないことを付言する。

上記①の「贈賄等被告事件」というのは、新聞等での表現で言えば、「贈賄などの罪に問われている中林被告」という言い方であろうが、いずれにしても、中林の刑事責任の大半は融資詐欺であり、それを「贈賄など」と表現するのは、判決の歪曲以外の何ものでもない。

名古屋・岐阜のマスコミ各社の報道が、上記要請に反するものとなっていないか、明日の判決に関する新聞記事、テレビニュースに注目したい。

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マック問題における「商品の品質」と「顧客対応の品質」の混同

昨年末から、マクドナルドのハンバーガーやチキンナゲット等の商品に、ビニール片、金属片、中には人の歯が発見されたなどと、異物混入の問題が、連日、メディアで大きく報道されている。

ワイドショーで、匿名・顔無しで登場する異物混入の「被害者」は、「マクドナルド側は100円返金しただけで、謝罪がなかった。原因についても説明がなかった。」などと同社側の対応を厳しく批判している。

3連休中に立ち寄ったショッピングモールのフードコートでは、他のコーナーは行列ができているのに、マクドナルドのコーナーだけが閑散としていた。このことからも、「異物混入問題」の影響の深刻さを感じる。

異物混入の問題についての見方は二つに分かれる。「商品として出荷された食品に異物が混入することなどあってはならない。許されない。」という教条主義的な考え方がある一方で、「食品の製造工程で異物混入を完全になくすことは不可能であり、それを一つひとつ取り上げるのは騒ぎ過ぎ。」という、冷静な見方もある。

多くの食品企業では、「100万個の商品についての発生件数」をPPMという単位で表示し、異物混入の統計をとっている。異物混入で健康被害が発生したとか、その危険性があったというのであれば話は別だが、そのような問題ではない異物混入については、本来は、このPPMの数値等に基づいて発生頻度の大きさが問題にされるべきだ。

そういう意味では、今回の異物混入の問題は、「商品の品質問題」としてとらえると、報道は過剰であり、この問題を正しく伝えているとは言い難い。

もっとも、直近の報道で取り上げられているのは、必ずしも「異物混入の問題」自体ではない。むしろ、異物混入の事実が指摘されたことに対するマクドナルド側の対応の問題が取り上げられることが多くなっている。

そこには「顧客対応」というもう一つの問題がある。

食品に関連する事業は、製造業、流通業、小売業、飲食店事業の4つに大別できる。

食料品を工場で大量生産して供給する食品製造業の場合、顧客との接点は日常的なものではない。直接対応しなければならないとすれば、商品に関して消費者からの苦情等があった場合である。この場合、もし、製品の品質に問題があれば、ほとんどの場合、当該製品だけではなく、同じ工場やラインで製造された製品全体に関わる問題になるので、消費者からの苦情に対しては、情報の収集把握の観点からも、最大限に丁寧に対応することが求められる。(ペヤングが虫の混入問題で商品の出荷を全面的に停止したのは、まさにその典型例である。)

一方、食品小売業、飲食店事業の場合、顧客との接点は日常的だが、顧客から商品や提供した料理に関して苦情・クレームがあった場合にも、それは当該食品の提供の過程、つまり小売業であれば商品の保存・管理、飲食店であれば食材の加工・調理の過程における個別問題である可能性の方が大きい。そのため、提供する商品や料理全体に関わる問題というよりは、その苦情・クレームを言ってきた特定の顧客との個別対応の問題になる場合が多い。

そして、その顧客対応においては、礼節をもって丁寧に対応するのは当然であるとしても、中には「不当要求」や「詐欺的な要求」というのもあり得るのであるから、顧客の要求にすべて応じることが適切な対応、ということにはならない。

一般的に、顧客対応に関しては、小売業や飲食店の業態や取扱う商品のグレード等に応じた「業務品質」が要求されることになる。同じ飲食店事業であっても、高級レストランとファーストフード店との間には、要求される顧客対応の品質に差があるであろう。

そういう観点から言えば、全国津々浦々に膨大な数のハンバーガーショップを擁し、大量の飲食物を提供するマクドナルドの業態というのは、ちょうど食品製造業と小売業、飲食店事業の中間形態であり、そこには、顧客対応に関する複雑な要素がある。

主として国外の工場で製造した食材を、個々のハンバーガーショップで加工し、店内で顧客に提供する。そこで、顧客からの商品に関する苦情・クレームがあった場合、原因としては、工場での製造過程と、ハンバーガーショップでの加工の過程の両方が考えられるが、厳重な製造管理が行われている工場の過程より、個別のハンバーガーショップでの加工の過程での発生確率の方が圧倒的に大きいのが一般的であろう。

このことを前提にすれば、マクドナルドにおける顧客対応は、基本的には、飲食店事業型であり、しかも、提供する商品のグレードという面で言っても、一般的に要求される「顧客対応の品質」は、高級レストランとは異なるものといえ、だからこそ、アルバイト中心の従業員や若年の店長等による対応が可能だということであろう。

このように考えると、少なくとも、このところ新聞、テレビ等で報じられている「異物混入問題」におけるマクドナルドの顧客対応が、特に問題があると言えるかどうかは疑問だ。

それなのに、これだけの騒ぎになってしまったのは、なぜだろうか。

異物混入を発見した消費者が、メーカーに連絡をする前に、ネット上に写真をアップしたり、マスメディアに連絡をしたりすることが原因との指摘もあるが、それは一因ではあっても、主たる原因ではないように思う。

通常であれば、商品の中にビニール片等の異物が入っていたとしても、その写真をすぐにネット上にアップすることはしないであろうし、もし、アップされたとしても、それがすぐにネット上で大きく取り上げられて大騒ぎになることもない。

一般的には、ハンバーガーショップにおける「異物混入」の問題は、工場での製造過程の問題ではなく、個別店舗の問題であり、その一つひとつが、マクドナルド全体の問題として大きく取り上げられることにはならないからだ。

それが、今回の「異物混入問題」では全く異なった展開になった理由として考えられるのは、2014年7月に発覚した、マクドナルドの「消費期限切れの食肉使用問題」だ。

上海の中国法人が製造した消費期限切れ食肉がマクドナルドの商品の原料として使われていた問題は、マクドナルドの商品の品質問題そのものであった。それが、メディアで大々的に報道されたことによって「マクドナルドの商品の品質」に対する信頼が大きく揺らいだ。

その問題から半年しか経過しておらず、マクドナルドの商品イメージに影響が残っている状況下で、「異物混入」がネット上にアップされたことで、もともとは、個別店舗における「顧客対応」の問題だったのが、消費期限切れの食肉問題と同様の「商品の品質問題」のように誤解された面があるように思われる。

その点の誤解が、インターネットでの情報拡散、マスコミでの大々的な報道につながり、社会的問題となってくると、個別店舗における異物混入に対する顧客対応の問題までもマスコミ等で大きく取り上げられることになる。

では、マクドナルドは、食品関連企業として、今回の問題に対してどのような対応をすべきだったのだろうか。

まず重要なことは、昨年の消費期限切れ問題の影響を考慮して、通常の「異物混入問題」とは異なった対応を行うことだったと考えられる。

ネットでの動きが始まった段階で、ハンバーガーショップにおける「異物混入」が、一般的には「個別店舗の問題」であることを理解してもらうため、「異物混入」についての問合せ・苦情件数の推移の統計数字等を用いて、それが、消費期限切れの食肉問題のような「工場の製造過程における品質問題」とは性格が異なることを十分に説明することが必要だった。

会社として、すみやかに、ネットで取り上げられている問題について、それがどのような問題なのかを丁寧に説明すれば、大きな誤解は防げたはずだ。

食品企業の危機対応は、発生した問題の性質と、それに関連する環境を考慮した柔軟なものでなければならない。危機対応は決してマニュアル通りで済むものではない。

そういう意味で、マクドナルドの「異物混入問題」への対応は、食品企業の危機対応にとって大きな教訓となるものと言えるだろう。

今回の「異物混入問題」については、マスコミ報道にも危ういものを感じざるを得ない。現時点では、報道ないし放送倫理上の問題は具体化していないが、一つ間違うと、ちょうど8年前の今頃の「不二家消費期限切れ原料使用問題」でのTBS「みのもんたの朝ズバッ」のような問題を引き起こしかねない。

この時も、ペコちゃんブランドで国民的に人気が高い不二家に対するマスコミのバッシングは異常だった。

当初は、消費期限切れの牛乳をシュークリームの原料に使用した事実を「バレたら雪印の二の舞」と言って社内に箝口令を敷いたことへの「隠ぺい企業批判」から始まったが、実は、この「雪印の二の舞」は、雪印の社内者が考えたものではなく、外部のコンサルタント会社のスタッフが、自らの存在価値を誇示するため、社内会議に提出した資料の中で使った表現であった。「隠ぺい企業批判」は誤解であり、「消費期限切れ牛乳使用」といっても品質上何の問題もない、単なる社内基準違反だった。⇒拙著【思考停止社会(講談社現代新書)19頁】

しかし、それがわかっても、マスコミのバッシングは止まらなかった。些細な社内基準違反や、真偽不明の元従業員の告発証言を取り上げるなどして、連日、新聞・テレビでの不二家バッシングが続いた。その中で、異常なまでの執拗な報道を展開したのが「TBS朝ズバッ」だった。一日平均15分の枠を使って連日不二家問題を取り上げ、その中で、凡そ公共の電波での放送にはあるまじき報道を垂れ流し続けた。【組織の思考が止まるとき(毎日新聞社)205頁以下・166頁以下】

この番組の不二家バッシング報道の中には、「異物混入」を取り上げたものもあった。

2007年1月31日の番組で、異物混入問題で批判されていた不二家が、件数が他メーカーと比較して特に多くないことの根拠として、1年間の「異物混入問い合わせ件数」を「1670件」と公表し、100万個当たりの発生件数を意味する「PPM」の数字が食品メーカーにおける一般的な数字と異ならないことを示したのだが、翌日の「朝ズバッ」では、「問合せ件数」をことさらに「苦情件数」に書き替え、PPMの数字を削除した表を紹介した上、みのもんた氏が、「苦情件数が1年間に1670件」だと呆れたように言い放った上、「これはもう異物というより汚物だね、こうなると。」などと、食品メーカーの問題に対して、絶対に口にしてはならない「汚物」などという言葉で、不二家をこき下ろしたのである。

不二家には全国に洋菓子のフランチャイズ店を展開している。この問題の不二家バッシングの影響で、そのうち2割の店が、倒産・廃業に追い込まれ、自殺者まで出ることとなった。

不二家信頼回復対策会議の議長として、あまりに理不尽な不二家バッシングへの怒りと悲しみを経験した私には、今回のマクドナルド・バッシングが、不二家バッシングのような異常な事態に発展することが懸念されてならない。

マスコミ関係者には、このところ報道されている問題が、「商品の品質問題」ではなく「顧客対応の品質問題」であることを認識・理解した上、節度ある、良識に基づく報道が行われることを切に望みたい。

 

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美濃加茂市長事件結審、揺るがぬ潔白への確信

藤井浩人美濃加茂市長が市議時代の30万円の収賄の罪で逮捕されてちょうど半年に当たる12月24日、同事件の第9回公判期日が開かれ、弁護人の弁論と被告人最終陳述が行われて結審した。判決言い渡しは3月5日午後2時。

5日前に行われた検察官の論告は、この事件での検察の捜査・公判の杜撰さを象徴する内容そのものだった。その論告を受けて行った11万8000字に及ぶ弁論の中で、私が無罪を確信する理由は書き尽くせたと思う(郷原総合コンプライアンス法律事務所HPに項目ごとに分割して掲載中)。

通常、否認事件の弁論は、検察官立証の柱とされている供述について、まず、その内容に関する問題を指摘し、その上で、供述経過、供述動機等の供述の信用性に関する指摘をするというのが一般的であろう。

しかし、本件の弁論の記述の順序は、それとは異なる。

弁論の「はじめに」の後半で触れているように、本件の最大の争点であり、実質的に唯一の証拠である贈賄供述者中林の「供述の信用性」の問題が、一般的な供述の信用性の問題とはかなり性格を異にするからだ。

通常、供述の信用性に関してまず重要なのは、「見間違い」、「聞き間違い」、「言い間違い」など、知覚・記憶・表現の過程での誤りがなかったかどうかを確かめることだ。供述者が記憶どおりに話していても、事実と異なる供述(非意図的虚偽供述)が行われることもあり得るからだ。例えば、目撃供述であれば、どのような状況で(明暗、障害物の有無等)、どのような位置から(遠近)、どのような意識で(ぼんやり、注目して等)、見ていたのかなどが問題になる。また、供述内容の合理性や、他の証拠との符合なども、信用性を評価する上での重要な判断要素となる。

しかし、本件で中林の供述の信用性に関して問題となるのは、そのような「非意図的な虚偽供述」ではない。

贈賄供述者の中林については、融資詐欺等での自己の処罰を軽減するために、被告人への贈賄の事実を作り出し、意図的に虚偽供述をしていることが疑われている。しかも、捜査機関側が、そのような中林の供述を容認し、取調べ、証人テスト等において、中林とともに、供述の信用性を作出している疑いがある。

このような場合、当該供述が他の証拠と符合していることや、供述内容が具体的かつ詳細だとか合理的だなどということは、供述の信用性を判断する決め手とはならない。そのような要素は、連日長時間にわたる取調べ、証人テストの中において自由自在に作出することが可能だからである。

取調官が、調書の内容を、信用性を強調できるものであるように誘導し、一方、供述者の側も、自分自身の利益のために架空の犯罪事実を作りだし、それが発覚しないように、自らの供述を信用してもらおうとしているとすると、取調官と供述者との間で供述の信用性を高めるための「共同作業」が行われることになる。その場合、事後的に作出可能な要素は、信用性を判断する上での決め手にはなり得ないのである。

むしろ、この場合に重要なのは、事後的には作出できない要素である。意図的な虚偽供述が行われていると弁護人が相応の根拠に基づいて主張している本件では、その主張に対して反論・反証ができるのかが最大の問題になる。

そのような観点から、本件の弁論では、まず、第1で、中林の供述動機について「闇取引の疑い」の問題について述べ、次に、第2で供述経過について述べ、その後に、第3で贈賄供述の内容に関する問題について述べている。

まさに、本件で争点となる供述の信用性が、一般的な供述の信用性とは異なる特殊性を有することから、そのような構成で弁論を展開しているのである。

弁論に先だって行われた検察官の論告では、中林の供述の信用性に関して、多くのことを述べているが、その殆どは「関係証拠との符合」「供述内容が具体的で自然であること」など、事後的に作出することが可能なものばかりであり、弁護人の主張に対して十分な反論が行われているとは到底言えない。

 

【第1 中林の贈賄供述の動機と「闇取引の疑い」】では、中林が贈賄を供述し、その供述に基づいて藤井市長が収賄で逮捕、起訴されるまでの間、悪質極まりない4億円近くもの融資詐欺のうち2100万円分しか立件・起訴していなかった検察官の捜査・処理が不適切なもので中林を不当な利益を与えかねないものであったことを明らかにした。

検察官が、弁護人の告発を受け、6か月以上前から放置していた融資詐欺の捜査を再開させ、4000万円分については起訴を行ったものの、5700万円分の融資詐欺については不起訴にしたこと、しかも不起訴の理由が「嫌疑不十分」であったことで、検察官の処分の不適切さは、弁解の余地のないものになった。

「嫌疑不十分」というのは、犯罪の嫌疑が十分ではないことを理由とする不起訴処分である。しかし、中林については、藤井市長への贈賄を自白したのとほぼ同時期に融資詐欺全体を概括的に認める供述調書が作成されている。それによれば、その詐欺の手口は、金融機関に対して、架空の工事を受注したと偽って融資金を騙し取るというものである。検察官は、論告で「詐欺罪として起訴するに当たっては、同罪の構成要件である欺罔行為や錯誤の成否を検討する必要があり、そのためには、被害者を含む関係者の事情聴取や資料入手が必要不可欠である上、返済状況や被害者の処罰意思も考慮することになる」などと一般論を述べているが、中林の詐欺の手口が、金融機関に対して、架空の工事を受注したと偽って融資金を騙し取るというものであることからすると、「欺罔行為」も「錯誤の成否」も問題になる余地がないのである。

悪質極まりない犯行態様の総額4億円に上る融資詐欺の起訴を6100万円の被害額の事実にとどめざるを得なかったのは、中林と検察官との間に、融資詐欺の起訴を最小限にとどめることの見返りに、贈賄自白を維持し藤井公判での検察官立証に協力するとの明示又は黙示の約束があり、弁護人の告発によって4000万円の告発事実についての起訴は行なわざるを得なかったが、さらに5700万円の追起訴を行えば、量刑が、中林が許容できる限度を超え、中林が当初の約束を覆し、検察官立証に協力しなくなる恐れがあったからとしか考えられない。

贈賄供述の動機について、中林は、「本当の反省をするためには全部話さなきゃいけないし、ゼロになって社会復帰ということになるんだったら、やっぱり全てを話さないといけない」と思って、被告人への贈賄を供述したと涙ながらに証言したが、それが全くの詐言であった。翌日の反対尋問で、中村警察署在監時に隣房に在監していたO氏が名古屋拘置所移監後に送付した後、O氏宛の手紙で、勾留中の身でありながら、「人材派遣の仕事」と称して「韓国のプロモーターと店との間で、毎月の給料から上りをはねる仕事」をしようと考え、そのための資金管理をOの内妻に手伝わせることを、再三にわたって、手紙でOに依頼をしていたことが明らかになったのだ。しかも、同Oが公判で証言したところによれば、中林は、中村警察署の留置場に在監していた頃から、詐欺まがいの仕事で名前を使えそうな人間みんなに声をかけて、名前を借りようとしていたという。

そして、さらに重要なことは、中林と起訴検察官との特異な関係だ。

連日朝から晩まで証人尋問の打合せをしていたと認めている関口検事との関係について、中林は、証人尋問で、関口検事から、「絶対藤井には負けないから、中林さん最後まで一緒に闘ってくださいね」というようなことを言われたこと、藤井弁護団から聞かれることに対して自分が答えられないことが「失敗」だと思い、「失敗は許されない」と思って、「必死に」やっていたことを認めている。

これは、関口検事が起訴した藤井被告人の有罪立証のために中林が協力し、一方で、中林の側は、その協力の見返りとして、自己の刑事事件についての有利な取扱いを期待しているという「互恵関係」と言わざるを得ず、贈賄の被告人と、それを起訴した検察官の関係とは凡そかけ離れたものであることは明らかである。

このような中林と関口検事との関係からすれば、検察官が、中林の供述の信用性の根拠として縷々述べている事項は、「事後的に作出することが可能」というだけではなく、「事後的に作出されたことが強く疑われる」と言わざるを得ない。

 

【第2 中林の供述経過及び本件捜査経過】では、弁護人が、公判前整理手続段階から予定主張として掲げ、冒頭陳述等でも主張した中林の供述経過の問題について詳述した。

中林の供述は、3月27日の警察官供述調書と5月1日の検察官調書とで、ガスト美濃加茂店での10万円の現金授受の現場とされる会食への同席者の有無という重要な点に関して異なっており、その間に、同会食の人数に関する客観的証拠が入手されていることから、供述の変遷が、客観的証拠によって明らかになった事実と辻褄が合うように変更された疑いがあるとの弁護人の主張に対して、中林は、証人尋問において、供述の変遷は自ら記憶を喚起したもので、取調官による誘導によるものではない旨一貫して供述した。しかし、検察官は、中林本人の供述以外に、そのような供述経過を裏付ける証拠を全く提示することができず、誘導及び客観的証拠との辻褄合せの疑いは全く解消されないどころか、中林が供述するとおりの供述経過であれば、なぜ、そのような自然な供述の変遷の経過が供述調書で証拠化したり、取調べメモなどに記録化したりしなかったのかについて合理的な説明ができていない。

そこで検察官が、論告で持ち出してきた理屈は、「供述調書に過度に依存することなく公判中心主義、直接主義の下で重要関係者の公判供述に重きを置いて立証する場合、捜査段階の供述調書の些細な変遷を取り上げて変遷理由を供述調書に記載することはせず、そのような変遷が仮に問題とされるのであれば、重要関係者が公判廷で説明することで供述の信用性の吟味を受けることに委ねるのが相当であり、そのような考え方に立つと、変遷理由を記載した供述調書が存在しないことを殊更に問題視するまでもない。」というものだった。

しかし、贈収賄事件のような関係者の供述に依存せざるを得ない事件においては、供述経過が、自らの記憶を喚起した経過として自然なものであること、客観的証拠との辻褄合わせではないことを明らかにするためには、供述調書によるか否かは別として、少なくとも供述経過を記録することは不可欠である。

本件のように中林の供述がほとんど唯一の証拠と言える事件においては、本来は、取調べの経過が、全過程録音録画という形で記録化されるべきであるが、本件では、それが行われた形跡がなく、供述経過に関する資料は供述調書しか証拠化されていない。

その供述調書に、供述の重要な変遷についての記載がなく、それ以外にも、本人の供述以外に供述経過を明らかにする客観的証拠が全くない本件において、検察官が、「直接主義、口頭主義の下では変遷理由を供述調書に記載する必要がない」などと言うのは、ほとんど「開き直り」としか言いようがない。

この「第2」では、証拠があまりに希薄で、中林の供述の信用性にも重大な問題があるこの事件でなぜ現職市長の逮捕という暴挙が行われたのか、その捜査経過について、私の検察官経験に基づいて合理的な推測を述べている。

 

弁論の「第1」で述べた中林の贈賄供述の動機の問題と「第2」で述べた供述経過の問題とで、検察官の主張の破綻は明白となった。

しかし、もちろん、弁護人として述べることは、それだけは終わらない。

「第3」以降で、中林の供述内容や公判で取調べられた他の証拠、被告人の藤井市長の供述等についても、検察官の主張が、ほとんど「ごまかし」「まやかし」の類に過ぎないことを徹底的に明らかにした。

 

【第3 中林の贈賄供述の内容自体の不合理性】の中で、特に注目してもらいたいのは、4月2日に被告人と会う目的に関する中林の供述に関する指摘である(58頁)。

中林は、4月2日に、「お渡ししたい資料と御相談したいことがあります」というメールを送って、被告人と昼に会う約束を取り付けたことに関して、直接会って相談したいことや、直接会って渡したい資料があったわけではなかった」と証言した。

そして、検察官は、中林が現金と一緒に被告人に渡したと証言している資料が、その後、何ら利用された形跡がないことから、中林が被告人に早急に直接手渡さなければいけなかったものとは認められないとして、論告で、「会いたい理由は現金を渡すことであったが・・・口実として相談と渡したい資料があると記載して呼び出したという中林の証言と正に合致」していると主張した。

しかし、検察官が証拠請求して証拠採用された、4月2日のガスト美濃加茂店での会食で中林が被告人に渡したとされる資料の中身を見ると、その日、中林が藤井市議に至急会って渡したいと考える内容そのものなのである。

中林は、前日の4月1日に美濃加茂市の防災安全課で課長らと打合せをしたが、その際、雨水を浄水プラントで浄化しても飲用水として使うことには反発があるので、生活用水だけで使うようにできないかと言われ、それが、いかに不合理な反発で、飲用水として使用することに全く問題はないことを藤井市議に理解してもらおうとして作成したのが、その時に渡した資料なのである。西中学校の航空写真も添付され、赤ボールペンで書き込みもしてあり、中林としては、被告人に至急渡そうと思って必死に作成した資料であることは明らかだ。

検察官が論告で述べていることは、証拠の内容と矛盾するのである。

検察官は、証拠を見ないで、主張を組み立て、論告を書いたとしか思えない。私が、地検で決裁官を務めていた頃であれば、部下がこのような論告を書いてきたら、厳しく叱責していたであろう。

【第4 中林供述と他の証拠との関係】では、賄賂の授受があったとされる会食にいずれも同席していて、現金の授受は見ていないし、席も外していないと一貫して供述しているT氏の供述について、検察官が主張している「供述の変遷」が全く事実に反するものであり、T氏の検察官調書の作成方法にも重大な問題があることを指摘し、検察官が、そのT氏の証言に対する反証として証人に出してきた居酒屋の店長の証言、中林の供述の信用性を担保する証拠として出してきたH氏、Y氏の証言が全く関連性のないものであることを詳述している。

【第5 被告人供述の内容は合理的であり、自白を迫る警察・検察の取調べには重大な問題がある】では、被告人の藤井市長の供述に対する検察官の指摘や、被告人のメールに関して検察官が述べていることが全く的外れであることについて述べている。

検察官は、論告で「被告人は、具体的な状況や客観的証拠について、何ら合理的な供述ができておらず、自己に不利益な事柄については、覚えていない、分からないという逃避的な供述に終始しているだけであり、かかる供述に信用性を認めることなど到底できない。」などと主張する。しかし、被告人の供述は、取調べに対しても、公判廷での被告人質問においても、終始、断片的な記憶、曖昧な記憶等から言えることを精一杯に述べているのであり、供述内容に不自然不合理な点は全くない。連日朝から晩まで「打合せ」を行って、「現金を渡した」とするストーリーを作り上げている中林の供述が具体的なのは当然である。現金を受け取った事実もない被告人にとって、1年以上も前の会食の際のやり取りや会話の具体的状況など記憶していないのは当然であろう。

4月25日の会食後に、中林に「いつもすみません」とメールを送信していることについて、「いつも」がついているのが、中林から現金を2回もらったことに対する謝礼だとする主張なども、あまりに荒唐無稽であり、検察官がこういうメールの記載を針小棒大に取り上げるのは、本件の証拠の希薄さを端的に表している。

【第6 中林の被告人への請託も権限に基づく影響力行使も認められないこと】では、中林の供述を前提にしても、そもそも、本件では、贈収賄、あっせん利得処罰法違反という犯罪が成立しないことを詳述している。

これは、12月10日に結審し、来年1月16日に判決が言い渡される予定の中林自身の公判では、贈賄等の事実を本人が認めていて、検察官調書等がすべて証拠採用されているが、それでも有罪判決は出せないのではないかという問題の指摘でもある。

 

私は、逮捕の翌日の6月25日夜、最初に接見をした後の記者会見から、藤井市長の潔白を確信していると明言してきた。論告で検察官の主張の無内容さ、杜撰さを再認識し、この弁論を書く過程で、私は、藤井市長の潔白、無実への確信は、さらに深まった。その確信が、来年3月5日、無罪判決として結実することを信じたい。

 

 

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「違憲解散による違憲選挙」で議席を減らした自民党は勝利したと言えるのか?

そもそも、今回のような「権力維持だけが目的の理由なき解散」は、憲法上認められるのか、衆議院定数不均衡を抜本的に是正することないまま解散総選挙を行うことは、法の下の平等に反するのではないか、という二重の意味で違憲の疑いがある解散総選挙【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】を強行した安倍首相率いる自民党が獲得した議席は、選挙前の議席295議席を下回る291議席だった。

「不意打ちの違憲解散」によって、野党の選挙準備が整わず、主要野党の民主党と維新の党が候補者を立てられなかった選挙区が61に上り、公示直後から、「自民党が単独で300議席を超える勢い」と報じられ、自公政権を支持しない有権者は、投票に行く意欲すら失い、投票率が極端に低下することで、自公の地滑り的勝利が予想されていた。

投票の一週間前に会った自民党議員の秘書は、「もう選挙は終わりました」と言って、忘年会で飲んでいた。

こうして行われた昨日の選挙は、予想どおり投票率は戦後最低の約52%、自公が圧勝し、自民党単独で全議席の3分の2を超えるのではないか、と誰しも考えたはずだ。

しかし、開票結果は、その予想と異なるものだった。

低投票率で公明党は議席を伸ばしたものの、自民党は、小選挙区での議席を、前回から 14議席も減らした。民主党は、枝野幹事長をはじめ、苦戦が予想されていた幹部や中堅の候補者の多くが、海江田代表を除き、接戦を制して小選挙区で勝利した。

戦後最低の投票率は、与党圧勝の予想で投票の意欲を失った政権不支持者が投票に行かなかっただけではなく、民主党など野党に愛想をつかした消極的選択の自民支持者の投票意欲まで失わせたと見るべきであろう。

候補者すら立てられない状況にまで追い込まれた野党に壊滅的打撃を与えることで、自民党だけで3分の2の議席を確保し、憲法改正への足掛かりを作ることも、安倍首相の視野に入っていたはずだが、その目論見は外れた。

今回の選挙は、実質的に憲法に反する解散を行ってまで、権力の集中を図ろうとした政権側の動きが、最終的には有権者に阻まれたと評価することができるだろう。

この選挙結果は、自民党にとって、「アベノミクスに対する国民の信任を得た」と無条件で評価できるものではない。

与党圧勝の予想を既に織り込んでいた株式市場、為替市場が、この選挙結果をどう受け止めるのか。株価と為替の動きは、アベノミクスの今後の動きを占うものとなるだろう。

急激な原油安、ギリシャ問題などEU経済の不安材料など、国際経済の波乱要因が多数あるなか、自民党にとって期待外れに終わった今回の総選挙の結果は、今後アベノミクスが直面する大きな試練を暗示しているのかもしれない。

 

 

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「違憲の解散による違憲の選挙」への唯一の対抗手段は「投票すること」

私が、【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】で、憲法上解散できる要件を充たしていないこと、議員定数不均衡の抜本的な是正のないままの解散は法の下の平等に反することという二つの面から憲法違反だと論じた今回の解散による総選挙が、明日、投票日を迎える。

その状況は、私が指摘した今回の解散の違憲性が一層露わになっていると言えよう。

解散後間もなく、マスコミの調査で、自民だけで300議席を超える勢いと報じられる一方、政府からマスコミに対して選挙に影響を与える報道の自粛要請が行われたこともあって、マスコミの選挙報道は盛り上がりを欠き、国民の選挙への関心は一層薄れ、投票率の低下が与党に更に有利に働くことが予想されている。

憲法は、本来、69条により、衆議院で内閣不信任案が可決された場合に、内閣にその対抗手段としての解散を認めている。それが、憲法が規定する議院内閣制の下で、行政を担う内閣と立法府の国会とが適正に権力バランスを維持するためのシステムである。

憲法が与えている本来の権限を超え、69条以外の場合でも7条の天皇の国事行為としての解散を行うことが容認されてきたのも、それが、憲法の基本原則である「権力分立の原則」を大きく損なうことがなかったからである。そのため、憲法違反の問題が顕在化することはなかった。

しかし、今回の解散は、それまでの衆議院解散とは大きく異なる。

安倍首相は、2012年の衆議院選挙で圧勝し、与党の圧倒的多数の衆議院が4年間維持されるという権力基盤を得た。それだけでも、国の統治機構において十分過ぎるほどの権力である。

ところが、今回、安倍内閣は、本来、内閣に与えられている解散権を逸脱した解散を、野党にとって最悪のタイミングで行うことによって、さらなる権力集中を目論み、新聞各紙、テレビ各局の調査では、自民公明の与党だけで圧倒的多数の勢力を占める選挙結果になることが予想されている。

そのやり方は、ボクシングで言えば、相手選手がスリップダウンしている間に、思い切り踏みつけて再起不能にする行為に等しい。スポーツにも、勝つためにやって良いことの範囲についてのルールが存在するのと同様に、政治の世界においても、憲法秩序を根底から損なうようなやり方は、いくらそれが権力奪取にとって合理的で、表面上は合法に見えても、やってはいけないというのが鉄則のはずだ。

今回の解散は、明らかにそのルールを逸脱し、そして、このままいけば、それによって、極端な権力集中を招き、日本国憲法の基本原則すらも損われかねない事態になろうとしている。

我々国民にとって、それに対して残された唯一の手段は、違憲の解散によって、違憲の選挙が行われ、その結果、憲法上容認できない権力集中が生み出されようとしている事態への危機感を持って、明日の選挙に臨むことである。

明日の選挙で棄権した人間は、この選挙によって生み出された政治権力が、今後4年間に、いかなる政治的、外交的決断を行い、それがいかなる結果を招こうと、それに対して、不満を述べることは許されない。

我々は、明日の衆議院選挙において、投票を行うという、日本国憲法下の国民として最低限の、しかし、最も重要な権利を、確実に行使しなければならない。

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5700万円融資詐欺不起訴の陰に「贈賄供述者の企み」

藤井浩人美濃加茂市長の事件、今月24日の最終公判期日での弁論の準備に忙殺されているところに、名古屋地方検察庁から、処分通知書が届いた。藤井弁護団が同地検に10月24日に提出していた贈賄供述者の詐欺事件の告発ついて「不起訴」の処分を通知してきたものだった。

【美濃加茂市長事件、「検察の迷走」を象徴する実質審理の幕切れ】でも書いたように、我々藤井弁護団が告発していた4000万円の融資詐欺の事実で、10月20日、名古屋地検は、贈賄供述者中林を、有印公文書偽造・同行使、詐欺の罪名で追起訴した。中林が自白していた融資詐欺の大部分について、立件すらしていなかった検察は、藤井弁護団の告発によって、有印公文書偽造・同行使、詐欺という悪質な犯罪についての起訴不起訴の判断を覆したが、弁護人は、10月24日に、同種の5700万円の融資詐欺の事実について追加告発し、11月7日に開かれた中林の公判では、4000万円の融資詐欺の追起訴分の検察官立証が行われた上、さらに、追加告発分の捜査・処理のために1ヶ月先の12月10日に次回公判が指定されとのことで、追加告発についても起訴は必至だろうと思われた。

ところが、12月10日の公判期日までに追起訴は行われず、その日で中林の公判は、検察官が、懲役4年6月の求刑を行って結審、判決は来年1月16日と指定された。

そのような公判の進行からは、藤井弁護団の5700万円の追加告発に対する不起訴の処分通知は予想されたものだった。

この不起訴処分のことは、12日付けの中日新聞朝刊でも小さな記事で報じられており、同記事には、不起訴の理由に関して「中林被告の弁護人によると、被告の知人が金融機関に全額を弁済したという」と書かれている。

それにしても、この5700万円の融資詐欺の不起訴は不可解である。

当初は2100万円の起訴に止めていたのに、藤井弁護団の告発によって4000万円分を追起訴せざるを得なかった検察が、5700万円の追加告発の融資詐欺を不起訴にすることの理由が説明できるのか。

藤井弁護団としては、不起訴処分に対しては、当然、検察審査会への審査申立てを行う。地方公共団体の発注書を偽造するなど、有印公文書まで偽造して金融機関から融資金を騙し取る悪質な詐欺の事案である。犯罪事実が認められる限り、すべての事実を起訴して厳しく処罰するのが当然だ。

その不起訴の理由は、中日新聞の記事の中林の弁護人の話によれば「知人による全額被害弁償」だとのことだが、4億円もの融資詐欺を働いて、多額の未返済金を抱え、それ以外にも、勤務していた病院からの1億5000万円もの横領の被害弁償も未了で、全く金がないはずの中林に、5700万円もの被害弁償金を提供する「知人」などいるのか。

考えられるとすれば、貸金返済と称して中林が融資詐欺で銀行から得た金の大半の提供を受け、共犯として警察の強制捜査や取調べを受けていたHぐらいだ。Hは、藤井公判で証人として出廷し、「中林から藤井氏に贈る金を貸してほしいと言われて金を貸した」などと証言している。

仮に、「知人」から被害弁償金として5700万円を提供してもらえることになったとしても、普通であれば、既に起訴されている6100万円の詐欺の弁償の方を優先するはずだ。なぜ、起訴されている融資詐欺の6100万円の方をそのままにして、告発されている融資詐欺の被害弁償の方を優先するのか。

結審した中林公判では被害弁償の話は全く出ていないので、一審では実刑判決は免れない。それに対して控訴を申し立て、控訴審で「知人」が全額弁償すれば、一審判決後の事情として考慮され、執行猶予の可能性も十分にある。中林はそれを目論んでいるのかもしれない。

いずれにしても、追加告発分の詐欺を不起訴にしたことは、検察として、中林に対する現時点での精一杯の有利な取り計らいだと言えよう。もし、追加告発分の詐欺を起訴した場合、中林に対する起訴は総額1億3000万円近くになり、罪名も有印公文書偽造・同行使、詐欺であるから、求刑は懲役7~8年、判決も5~6年の実刑は避けられない。当初、僅か2100万円の起訴にとどまり、執行猶予の可能性もあると見込んでいた中林にとって、「全く話が違う」ということになり、贈賄供述を翻す恐れすらある。検察にとって最悪の事態を防ぐために、なりふり構わず追加告発分を不起訴にした、ということであろう。

中林は、11月19日の藤井公判での再度の証人尋問の前に保釈され、身柄拘束を解かれた状態で弁護人に付き添われて法廷に現れた。それについて、前記ブログで、検察として、保釈請求に反対意見を述べないことが、再度の証人尋問で贈賄供述を覆すことなく従前どおりの供述をすることへの見返りとしての中林へ有利な取扱いだった疑いを指摘した。5700万円の追加告発分の融資詐欺を不起訴にすることは、その証人尋問の前に、検察官と中林の間で行った「6~7回の打合せ」の中で約束されていたのかもしれない。

12月10日の公判で結審したことで、中林に対する判決言渡しが、藤井市長に対する判決より先行することは確実となった。贈賄を認めている中林の公判が早期に終結し、有罪判決が出ることで、その後に言い渡される藤井市長の判決で、同じ名古屋地裁での無罪判決を出しにくくしようという検察の思惑もあるのかもしれない。

ここで、改めて考えてみなければならないのが、憲法38条 3項で、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」とされ、それを受けて、刑訴法319条2項で、「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」と規定されていることの意味だ。憲法の規定は、他に証拠もないのに自白だけで処罰できるとすると、拷問等による自白の強要のおそれがあることから、人権保障の観点から、自白偏重捜査を抑止しようとするものだが、刑訴法は、「公判廷における自白」を含めて、他に証拠がない場合に有罪とされないとしていて、憲法より広い意味を含む。

本件では、中林の公判では、藤井市長が収賄を全面否認していているので、贈賄についての実質的な証拠は被告人中林の自白だけだ。

贈賄の起訴は、それによって融資詐欺が立件・起訴されないことを企んだ本人が強く望んだものであり、自白を唯一の証拠として有罪とされても、中林の人権上は、何ら問題はない。

しかし、このような不当な企みによる「自作自演」の犯罪で有罪を受けることが認められると、それに伴って、共犯とされた人間(本件において収賄で起訴された藤井市長)に対する重大な人権侵害が生じかねない。

こういうことも含め、たとえ被告人が公判廷で自白し、むしろ処罰されることを望んでいる場合でも、それだけでは有罪にすることはできないと解することが、憲法の人権保障の趣旨を本当の意味で活かすことになるのではなかろうか。

憲法と言えば、明日が衆議院の解散による総選挙の投票日である。当ブログ【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】で書いたように、内閣の解散権がどのような場合に認められるのかという面でも、議員定数不均衡が法の下の平等に反するという面でも、今回の解散は憲法に反するものである。

ここでも、憲法が本当の意味で求めていることを、我々は、改めて認識するべきであろう。

いずれにせよ、「詐欺師」などのいかがわしい人物と結託して全国最年少市長を葬り去ろうとする捜査・公判のアクションは、来週の12月19日の公判での論告求刑で完結する。それは検察史上に汚点を残すものとなろう。

我々弁護団は、12月24日の弁論で、信用性に重大な疑義がある中林の贈賄供述に、なぜ検察が取り込まれ、引き返すことなく、起訴・有罪立証・論告求刑まで突き進んでしまったのか、その構図を含めて本件の真相を明らかにすべく全力を尽くしていく。

もちろん、それと並行して、中林の企みを目論み通りにさせないための「次の一手」も、確実に打っていく。

 

 

 

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美濃加茂市長事件、「検察の迷走」を象徴する実質審理の幕切れ

贈賄供述者の再度の証人尋問を請求しなかった検察官

今年6月24日「全国最年少市長逮捕」から約5か月、藤井美濃加茂市長の収賄事件は、11月19日の第7回公判で実質審理が終了。12月19日に検察官の論告、24日に弁護人の弁論が行われて結審することとなった。

実質審理の幕切れのシーンは、この事件の捜査・公判で繰り返されてきた検察の迷走を象徴するものだった。

10月24日の被告人質問の後に、最後の証拠調べとして行うことになったのが、贈賄供述者中林の再度の証人尋問と、その中林と警察の留置場で隣房だったB氏との「対質形式」での証人尋問だった。【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】

B氏は、今年の4月下旬に、中林が「検事の取調べで『人数が合わない』と言われて、辻褄が合わなくて困っている」と言っていたと証言。中林は、そのような発言はしていないと否定した。

その後の検察官が、B氏の証言に関連する中林の警察、検察での供述経過だけではなく、今回の尋問事項とは関係ない被告人との会食の回数・場所等についても質問を始め、弁護人の異議、裁判長の注意も聞かず、前回の証言と重なる質問を続けた。中林は、検察官の質問に、澱みなく、すらすらと答える。その供述態度は、「連日朝から晩まで検察官との打合せをして臨んだ」と本人も認めていた前回の証人尋問の時と全く同じだった。

しかし、今回の中林の証人尋問は、前回のような検察官請求の証人尋問ではなかった。B氏の証言によって中林証言の信用性に重大な問題が生じ、弁護人の請求で再度尋問を行うことになったものだ。検察官は、裁判所に促されて一旦は中林再尋問を請求するとしていたのに、再尋問を避けたい事情があったらしく、請求しなかった。そのため、再尋問は弁護人請求で行われることになり、検察官は反対尋問を行う立場に過ぎなかった。そのような証人に検察官が接触して証言内容の打合せをすることは、弁護側の証人尋問に対する妨害や偽証教唆が疑われるので、一般的には許されないものだ。

主任弁護人の私は、名古屋地検検事正宛に、今回の証人尋問に当たって、万が一にも検察官が中林と接触することがないよう、公判担当検察官の指導監督を求める要請書を送付していた。

検察官の異議に傍聴席が「爆笑」

しかし、尋問を行った結果、中林の証言には前回証言とは異なった内容も含まれ、その後の他の証人の証言内容に完全に合致していたことから、中林が検察官との「打合せ」で、前回の中林の証人尋問後に行われた他の証人の証言内容をもとに、辻褄を合わせてきたたことが疑われた。

裁判長も、その点に疑問を持ったようで、検察官の「反対尋問」に続いて、中林の証言内容が前回証言と異なっていることに関して質問をした。

「前回のあなたの証人尋問後に他の人がこの法廷で証言した内容について、誰かから聞きましたか」

中林は、「聞いていません」と、平然と否定した。

裁判長が質問したのは、山家住吉店での11月の会食のことだった。この日の会食については、同席者や店長の証言があり、藤井市長も被告人質問で具体的に供述しているが、中林は、前回の尋問で、「4月25日を最後に被告人とは会っていない」と明確に述べていた。ところが、今回は、「11月にも被告人と会っていた」と証言したのだ。

この点について、裁判長から尋ねられた中林は、「被告人と会っていない」と証言したのは「市長選までのことを聞かれたと思ったから」と説明したが、私の目には、その供述態度に動揺が見られた。11月の山家住吉店での会食のことは、中林の証言でも出てこなかったし、供述調書でも全く述べていなかったことだ。前回証言後に、他の証人の証言内容を誰かから教えられたとしか思えない。

そこで、裁判長の質問の後、主任弁護人の私から、中林に、「証人尋問の決定後、検察官と会ったか」と質問したところ、中林は、「関口検事、伊藤検事の二人と会った」と答えた。

「弁護人からの証言内容の確認の要請を断る一方で、検察官とは何回も会っていたのか。」と問い質そうとした瞬間に、伊藤検事と関口検事の二人が同時に勢いよく「異議あり!」と言って立ち上がり、「何回も、ではない。誤導だ!」と異議を述べた。

そこで、弁護人は「では何回か。」と質問したところ、中林は平然と「6~7回です。」と答えたのだ。

傍聴席からは爆笑が起こり、裁判長から「傍聴人は静粛に」との注意がなされて、証人尋問が終了した。

実際に、中林も認めているように、証人尋問決定後に、検察官は、少なくとも「6~7回」にわたって中林との「打合せ」をしているのである。弁護人が「何回も打合せをしたのか」と聞いたのがなぜ「誤導」になると言うのか。検察官は、なぜ、自ら証人尋問請求もしていない中林に多数回接触して「打合せ」をするなどという不当な行為を、敢えて行ったのか。

この事件の捜査・公判で繰り返されてきた検察の不可解な対応、迷走がここでも続いているのである。

証人の名誉・プライバシーを踏みにじる検察官

それだけではない。検察官のB氏に対する反対尋問にも重大な問題があった。「詐欺師と検察官が結託して藤井市長を追い込もうとしていることに義憤を感じて、拘置所から藤井市長に手紙を書いた」とするB氏に対する「腹いせ」としか思えなかった。

B氏は、実刑判決を受けて服役を控えている身であり、手錠腰縄で拘束された状態で公開の法廷に出ることは名誉・プライバシーの侵害につながる。本来事件とは無関係のB氏の立場に配慮し、傍聴席との遮蔽措置をとることが決定された。

また、B氏のフルネームが傍聴席に知られることがないよう、証人尋問に先立って証人の住所・氏名を確認する際も「証人カード記載のとおり」のみで済ます配慮がなされ、弁護人も、尋問の冒頭において、傍聴人に対して、証人の名前が法廷外に知られることがないよう配慮を求めた。

ところが、起訴検察官でもある関口検事は、B氏に対する反対尋問で、名誉を著しく傷つける質問を何度も行った。

弁護人の質問において、B氏に対して、藤井市長の事件とは全く無関係で、何の得にもならないのに、市長宛ての手紙を送ったことを確認していた。そのB氏に、関口検事は、「会食の場の同席者のA氏と知り合いではないか」と質問したのだ。A氏の自宅から押収された暴力団員の名刺に書かれた名前がBの名前であることを前提に、その名刺を、あたかも、A氏とB氏が知り合いであることの根拠であるかのように示し、組の名称や名前を何回も読み上げたりしたのだ。

B氏が、被告人・弁護人側に有利な供述をしているA氏に依頼されて、一連の証言を行っている疑いがあるとでも言いたかったのであろう。B氏は、「全く知らない」と答えた。

公判後、A氏に確認したところ、上記の名刺は10年ぐらい前に居酒屋を経営していた際に、店に来た暴力団関係者の名刺がたまたま自宅に残っていただけだとのことであった。もちろん、A氏とB氏は何の交流もない。そのような質問を行うのであればA氏に事前に確認するのが当然であるが、A氏への検察官からの事前の問合せは全くなかったとのことであった。

関口検事の質問は、B氏の名誉を著しく傷つけただけではなく、A氏が暴力団関係者と交際があるかのような印象をも傍聴人に与える、極めて不当なものであった。

また、B氏が中林に送った手紙の内容に関して、殊更にB氏の名前が含まれている手紙の文面を何か所も読み上げたりしもした。

結局、そういった関口検事の嫌がらせで、B氏のフルネームも傍聴席にわかってしまった。裁判所や弁護人の配慮を全く無にし、証人の名誉・プライバシーを著しく傷つける質問を行ったのだ。そこには、「公益の代表者」として検察官が求められる証人への最低限の配慮すらなかった。

検察の「迷走の経過」

こうして、藤井美濃加茂市長が収賄で起訴された事件の公判の証拠調べは終了した。検察官の対応は、最初から最後まで、その姿勢に重大な疑問を感じさせるものであった。

改めて振り返ってみよう。

中林の贈賄自白は公文書偽造を伴う悪質な融資詐欺での勾留中に行われたものだった。約4億円にも上る融資詐欺を自白しているのに、そのうち僅か2100万円の事件しか立件・起訴されないで捜査が終了するのとほぼ同時期に、中林は藤井市長への贈賄を自白した。そして、それ以降、贈賄を起訴に持ち込むことで融資詐欺の立件・起訴を最小限にとどめようとする中林と、警察官、検察官との取調の中で、贈賄供述と客観的資料との辻褄合せが行われていった。

中林の供述に基づいて現職市長を逮捕するのであれば、中林の贈賄供述の信用性を判断する上で決定的に重要な、会食の場の同席者であるA氏を事前に取調べ、A氏の供述内容を確認し、中林供述と相反するのであれば、両者の供述の信用性の評価を十分に行うことが不可欠である。しかし、警察はA氏に、藤井市長とほぼ同時に任意同行を求め、その以降、連日、長時間にわたって、恫喝的、虐待的な取調べを行った。

一方、藤井市長に対しても、任意同行の直後から、恫喝的、威迫的な取調べが行われた。藤井市長は、中林の贈賄供述を正面から否定し、無実を訴え続けた。

この二人を同時に任意同行して叩けば、どちらかが中林の供述に沿う供述を行うだろうという見通しのもとに行われたと思われる捜査は、その思惑が全くはずれ、中林の贈賄供述だけに依存するものとなり、しかも、その贈賄供述は同席者の供述とも相反するという問題を抱えていた。現職市長を収賄で起訴するためには証拠があまりに希薄であることは明らかだった。

しかし、名古屋地検は、強引に藤井市長を起訴し【「責任先送りのための起訴」という暴挙】、藤井市長の潔白を信じる圧倒的な市民の支持を背景に、弁護人が繰り返した保釈請求にも、徹底して反対し続けた【藤井市長を人質に籠城する検察】

公判前整理手続が開始され、争点・証拠整理が進んだこともあって、逮捕後62日後に、藤井市長はようやく保釈され、市長の職務に復帰した。【藤井美濃加茂市長ようやく保釈、完全無罪に向け怒涛の反撃】

9月17日に始まった公判は、10月1日、2日の中林証人尋問で最大の山場を迎えたが、その1日目の検察官の主尋問の最後の場面で、中林は「詐欺師」の本領を発揮した【証人尋問で「詐欺師」の本性をあらわにした贈賄供述者】

検察官に、融資詐欺の勾留中に贈賄の自白を始めた理由について尋ねられ、「やってしまったこと全部話してゼロになって社会復帰したいと思って、…すべてを話さそうと決心して藤井市長への贈賄を自白しました…(泣)」と、何度も声を詰まらせながら、涙ながらに訴えたのである。

しかし、それが、詐欺師独特の演技であったことが、2日目の反対尋問で露わになる。

中林は、融資詐欺を行っていたころと同時期に、勤務先の病院で事務長の立場で合計1億5000万円を横領し、年間5~6000万円ものお金を、借金の返済や、キャバクラやクラブでの豪遊代に使っていたのだ。多額の融資詐欺と横領の犯罪を立て続けに行ってきた中林が、「やったことを全部話して、反省して、ゼロからやり直そう」と考えて、30万円の贈賄の自白を行ったなど言っても、誰が信じるであろうか。

そして、さらに、警察署の留置場で中林の隣の房にいて、名古屋拘置所に移監された後も中林と文通を続けていたB氏が、中林の全く反省のない詐欺師ぶりに呆れ果て、美濃加茂市役所の藤井市長宛に手紙を送ってきたことで、前日の尋問での虚言が一層明白となったのだ。弁護団が名古屋拘置所でB氏に接触し、証人尋問の前日に入手した中林の自筆の手紙には、起訴された2100万円分の詐欺以外は立件されず執行猶予になることを期待していたこと、自分の事件の裁判も終わっていないのに、外国人を店に紹介して上前をはねる人材派遣事業を目論み、手紙の中でB氏の内妻に資金管理の仕事を頼めないかと打診している内容などが書かれていた。中林は、融資詐欺・贈賄で裁判中の身でありながら、抜け目なく、他人を手足に使って、いかがわしい事業を行うことを画策していたのである。

中林は、弁護人の質問に対して、B氏宛の手紙に書いていたことを基本的に認め、検察官との間で、連日、朝から晩まで証人尋問の「打合せ」を行っていたことも認めた。

そして、10月24日の第6回公判での藤井市長の被告人質問の直前の20日、名古屋地検は、藤井弁護団が告発していた4000万円の融資詐欺の事実で、中林を、有印公文書偽造・同行使、詐欺の罪名で追起訴した。

中林が自白していた融資詐欺の大部分について、立件すらしていなかった検察は、藤井弁護団の告発によって、有印公文書偽造・同行使、詐欺という悪質な犯罪についての起訴不起訴の判断を覆した。融資詐欺に関して事情は何一つ変わっていない。本来であれば、検察としてはこのような追起訴は絶対に行いたくなかったはずだ。しかし、不起訴にしたとしても、検察審査会に審査申立されれば起訴議決に至る可能性が極めて高いことから、やむを得ず起訴したのであろう。

その後も、弁護人は、中林に対して行われていた捜査・処理上の有利な取扱いに対する追及の手を緩めず、10月24日には、同種の5700万円の融資詐欺の事実について追加告発した。

11月7日に開かれた中林の公判では、4000万円の融資詐欺の追起訴分の検察官立証が行われた上、さらに、追加告発分の捜査・処理のために1ヶ月先の12月10日に次回公判が入ったとのことであり、弁護人が問題にしなければ、2100万円の事実だけに止まっていたはずの中林の融資詐欺の起訴額は1億3000万円近くに上る可能性が強くなった。中林は、贈賄供述を行った時点とは、全く異なる状況に追い込まれたのである。

驚いたことに、中林は、再度の証人尋問の前に保釈され、身柄拘束を解かれた状態で法廷に現れた。1億3000万円近くもの有印公文書偽造・同行使を伴う融資詐欺で起訴されれば、求刑懲役7~8年、判決も5~6年の実刑というのが一般的だ。そのような事件で、検察が簡単に保釈を認めることは、通常はあり得ない(起訴済みの事実をすべて認めていたとしても、権利保釈の除外事由の一つの「常習として長期3年以上の罪を犯した時」に当たるとの主張は可能だし、追加告発分の5700万円の融資詐欺での再逮捕も可能なはずだ。)。

検察にとって、何とか、藤井市長の公判での中林の協力を継続させるための中林に対する現時点での唯一の有利な取扱いが、保釈を認めることだったのではないか。

「検察の迷走」を象徴する証拠調べの幕切れ

この事件のポイントは、中林が、多額で悪質極まりない融資詐欺の大部分の立件・起訴を免れようとする動機で贈賄供述を行った疑いが濃厚であること、その中林と検察官とが、捜査段階では連日の取調べ、証人尋問の前には、連日朝から晩まで「打合せ」を行うなど、「贈賄ストーリー」を作り上げることに異常なほどの長時間を費やしていったところにある。

そういう中林と検察官の関係は、検察官が請求すらしなかった中林の再度の証人尋問においても、結局のところ、何一つ変わるところはなかった。中林の贈賄供述を維持するためには、「なりふり構わず」あらゆる手段を講じるという検察の姿勢が、6~7回もの打合せを行うことにつながったのであろう。そして、証人尋問の最後で2人の検察官が同時に立ち上がって述べた不可解な異議は、不当な打合せを追及されることへの防禦反応によるものではなかろうか。

我々弁護団は、12月24日に行われる予定の第9回公判期日での弁論で、このような中林と検察によって作り上げられた「贈収賄事件」の虚構を徹底的に明らかにしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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