全国最年少市長の「潔白を晴らす」

全国最年少の藤井浩人美濃加茂市長が市議時代に業者から30万円を受け取ったとされている事件で、弁護人を受任し、名古屋地検の接見室で藤井氏と接見した際、最後に交わしたのが「頑張って、潔白を晴らしていきましょう。」という言葉だった。

その直後に、名古屋市内で行った記者会見でも、私は、「潔白を晴らしたい」という言葉を何度も口にし、翌日の新聞記事にも、そのまま引用された。

この「潔白を晴らす」という言葉、日本語的には若干おかしい。正しくは、「潔白を明らかにする」か「疑いを晴らす」だろう。

しかし、接見の最後で藤井氏にかけた言葉が「潔白を晴らす」だったことは間違いないし、今も、藤井氏がやるべきこと、そして、私が弁護人として行おうとしていることにぴったり当てはまる言葉は、「潔白を晴らす」なのである。

藤井氏は6月24日に収賄の容疑で警察に逮捕され、検察は26日に勾留請求し、裁判所も勾留を決定した。その疑いを晴らすために一般的に必要なことは、本人が、そして、弁護人の我々が、潔白を「明らかにしていくこと」「証明すること」だ。

警察、検察に犯罪の容疑をかけられ、逮捕までされた人物は、まず犯罪者だと考えて間違いなく、その疑いを晴らすためには、「潔白であること」つまり、本来間違いはないはずの警察や検察の認定が誤っているという「例外的な事例」であることを、本人や弁護人が「証明しなければならい」というのが、世間の一般的な認識であろう。

しかし、私には、接見室で、仕切り板を隔てて座っている若き市長の姿、表情を見て、そして、彼の「私は絶対に現金など受け取っていません。」とはっきり言い切る言葉を聞いて、その疑いを晴らすための「証明」などという大仰なことが求められているとは思えなかった。

警察の何かの見立て違い、誤解が重なり、その誤りを正す警察組織内のシステムが機能せず、そして、そのような警察捜査の暴走の抑制する立場にある検察が本来の役割を果たかったために、若き市長の周りに「収賄の疑い」が、どんよりと雲のように漂っているだけであり、我々がやるべきことは一刻も早くその雲を「晴らしてしまうこと」だ、としか思えなかったのだ。

その瞬間に、私の口から自然に出たのが「潔白を晴らす」という言葉だった。「潔白」は当然のことであり、我々が行うべきことは、その「潔白」を覆い隠そうとしている雲を吹き飛ばし、彼の「潔白」が「晴れわたった空」のように、誰にもはっきりと見えるようにすることだ。そういう私の思いは、「潔白を明らかにする」という「正しい日本語」では表現できなかった。

それから2日、多くの情報提供を受けたこともあり、私の頭の中では、彼の「潔白」はますます明白なものになりつつある。警察捜査が、どうしてこのように誤った方向に向かってしまったのか、検察がなぜ、それを止めることができなかったのか。その経緯と構図も、少しずつわかってきたように思える。

私が由良秀之のペンネームで書いた推理小説「司法記者」、とそれを原作とするWOWOW連続ドラマ「トクソウ」(今年5月11日から5回連続で放映)では、特捜捜査の暴走と、それと癒着し、それを煽っていく司法マスコミの関係を描いている。ここで出てくる検察捜査の暴走のプロセスと、今回の警察捜査の暴走のプロセスには、共通点があるように思える。

一昨日の夜、接見後の記者会見で、我々弁護団が、藤井市長の潔白を確信していると述べ、「有罪視報道」を控えること、客観的・中立的報道を行うことを要請したにもかかわらず、警察情報を、信ぴょう性を確認することもなく垂れ流す県警クラブ中心のマスコミ報道は、まさに推理小説「司法記者」に出てくる司法クラブ中心のマスコミ報道とそっくりである。

藤井市長逮捕に対する政治家の反応も様々だ。

藤井市長の仲間、多くの若き政治家たちが、彼の潔白を信じ、懸命に激励、支援の活動をしている一方で、逮捕の報道を見て、当然に「有罪」だと決めつけ、この時とばかり、藤井市長の政治姿勢まで批判している政治家もいる。

【「若手守旧派」政治家】などというタイトルのブログで、

若さが売り物の新鮮なイメージのその市長さんが、雨水浄化設備の設置をめぐって業者に便宜を図り、見返りに現金30万円の賄賂を受け取りました。

などと書いて有罪と決めつけ、

正直言って、20歳代の実務の経験のない若者に、自治体の経営ができるとは、私は思いません。

有権者の判断とはいえ、何となく釈然としません。「何かを実現するために」政治家になるのではなく、「自己実現のために」政治家になったのでしょう。あるいは「割の良い仕事」としての政治家かも。

などと書いてこき下ろしている、みんなの党衆議院議員の山内康一氏などは、その典型だ。

とりわけ、野党議員には、権力との一定の距離感が必要だ。権力の行使に対して、健全な懐疑心を持つことが必要なはずだ。

警察、検察などの行動を無条件に正しいものとし、権力の攻撃にさらされている政治家に対し、本人は潔白を訴えているのに有罪と決めつけてこきおろすような野党政治家は、いかに立派な主義主張を述べていようと、立派な政策を訴えていようと、誰からも信用されないだろう。こういう時にこそ、政治家の本質が表れるのである。

一度権力行使の対象にされたら、当然晴れるべき疑いも、それを晴らすのは決して容易なことではない。

権力に群がるマスコミ、権力におもねる政治家の中で、藤井市長の「潔白を晴らす」ことに、我々はこれから取り組んでいかなければならない。

 

 

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自転車競技連盟総監督解任決議問題、連盟の混乱極まる

       ~「解任理由不明の“解任決議”」の責任は誰が負うのか~

日本自転車競技連盟が、理事会でナショナルチーム松本整総監督の解任決議を行い、松本氏側が、解任権不存在確認の仮処分命令を申し立てている件(当ブログ6月7日付け【東京五輪に向けての選手強化を阻む競技団体の“競技団体のガバナンス崩壊”】参照)で、6月11日、東京地裁で、当事者の主張を聞く審尋の手続きが行われた。

契約を無視した解任決議に対して、松本氏側が、ただちに仮処分申立てを含む法的措置を講じてくることを予想していなかったのか、連盟側の対応は混乱を極めている。

審尋の直前1時間前に答弁書を提出し、その書面提出をもって、総監督の解任の通知だとしているが、解任の「理由」は書面には全く示されておらず、審尋の場においても、解任理由については、「今後明らかにする」と述べただけだ。

連盟が、契約書に2017年3月までの契約期間内は解任できないと明記されているのを無視して松本氏の解任決議を行ってから6日も経っているのに、解任の理由を全く示せないというのは、どういうことなのだろうか。理事会で総監督解任を決議したのであれば、解任議案に関して、その理由が示された上で審議され、解任議案が可決されたということでなければおかしい。理由すら明確にしないまま総監督解任を決議したとすると、それは、もはや「理事会決議」とは言い難い。

答弁書や審尋での発言からすると、連盟側は、「総監督との契約は委任契約だから解除は可能で、不当な解除だというのであれば損害賠償の問題になるだけだ」と考えているようだ。しかし、そもそも、補助金等の税金も投入されている公益財団法人の自転車競技連盟が、不当解任によって損害賠償を支払うことを承知の上で契約を解除するというようなことが許されるのだろうか。その場合の損害賠償というのは、一体誰が負担するのであろうか。

これまでの連盟側の対応を見る限り、もはや「組織の体をなしていない」と言わざるを得ない。このような混乱の中で、不当な解任決議など一連の対応に関して、連盟内部でも様々な問題が噴出する可能性がある。最終的には、橋本会長、今回の解任決議を主導した副会長、それに付和雷同した理事などの個人の責任が問題にならざるを得ないであろう。

一方の松本氏は、今回、不当な解任決議が連盟側からリークされ、報道されたことなどによって、重大な名誉棄損の被害を受けている。このような連盟側の暴挙に対して徹底的に戦っていく姿勢である。

それに関して、松本氏は、昨日付けで、自身のホームページ「鉄人疾走松本整オフィシャルサイト」に【日本自転車競技連盟に関する一部報道について】としてコメントを公表し、その中で、「契約を盾にとって総監督の地位にしがみつく気持ちは毛頭ありません。今回の自転車競技連盟側が、契約を無視した違法なやり方を強行してきたことに対して、それに屈することは、自転車競技の世界のみならず、広くスポーツの世界に重大な悪影響を生じさせると考え、あらゆる法的措置を講じて、連盟と戦っているものです」と述べている。

松本氏は、今後、損害賠償請求等の措置をとっていくことで、仮に、賠償金が得られたとしても、それによって個人の利益を得る意思は全くなく、全額をスポーツ振興のために寄附する意向である。

松本氏にとって、今回の行動は、自身の個人的問題としてというより、自転車競技連盟を正常化し、法や契約を守る健全な組織運営を実現するための戦いなのである。

 

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東京五輪に向けての選手強化を阻む“競技団体のガバナンス崩壊”

2020年東京、56年ぶりに日本で開催される夏季五輪。レスリング、体操、水泳、柔道など、日本がこれまでメダルを獲得してきた種目だけではなく、多くの種目で日本選手が大活躍し、メダル・ラッシュとなる…。日本人の誰もが夢見る光景であろう。

それを実現するためには、運動能力・素質の優れた競技者を幅広く発掘し、最先端の科学的・合理的なトレーニング・強化の手法を用いて競技能力を向上させていく必要がある。その中心的な役割を果たさなければならないのが、公益法人等として設立されている各種競技の競技団体である。

しかし、多くの競技団体は、メダル獲得に向けて一致団結しているというのとはかけ離れた状況にある。法人としてのガバナンスが崩壊し、合理的な選手強化に向けての主体性を発揮することなど到底期待できない惨憺たる状況にある団体も少なくない。

テコンドー協会は、不適正経理などで2度にわたって是正勧告を受けたことから、今年5月に、公益社団法人の認定の取消しを申請し、内閣府の監督下から外れることになった。

強化方針の違いなどで対立が続いていた日本ホッケー協会は、6月7日、総会で、吉田大士会長ら執行部の理事8人全員の解任を決めたが、議決の手続等をめぐって対立が続いている。

多くの競技団体で、内紛や、ガバナンス上の問題が続発する中、政府の監督下にある公益財団法人でありながら、権限を逸脱してナショナルチーム総監督解任決議を強行し、東京地裁から仮処分の審尋への出頭を求められるなど、まさに「ガバナンス崩壊」を露呈したのが、橋本聖子参議院議員が会長を務める日本自転車競技連盟(以下「JCF」)だ。

過去にメダル獲得の実績のある自転車競技は、東京五輪でのメダル・ラッシュに向けて期待が高い種目である。この自転車競技連盟をめぐる混乱は、今後の東京五輪に向けての各種目の選手強化にも重大な影響を与えかねない。

私は、この問題に、総監督松本整氏の代理人の立場で関わっている。まず、問題の背景・経緯と現状をまとめておこう。

 

自転車競技には特殊な要因がある。サッカーなどでは考えられないが、自転車競技の中心を担う競輪選手にとって、競輪に出場した方がナショナルチームで国際大会等に出場するよりも高収入が得られるため、競輪界では、ナショナルチームでの活動よりも日本の競輪でレースに出場することを優先し、ナショナルチームを、競輪よりも低く位置づける傾向があった。そのため、ナショナルチームの合宿への参加者も少なく、選手自身の独自の練習メニューの実施に偏り、チームとしての組織的対応は十分に行われていなかったのである。

しかし、公益財団法人たるJCFにとって、税金を投入して、ナショナルチームの強化を行い、国内外への大会へ参加する以上、ワールドカップやオリンピックでメダルを継続的に獲得できるよう、ナショナルチームの組織的な強化を行うことは、社会的使命である。そのような認識から、前会長の富原忠夫氏は、競輪を知り尽くし、プロスポーツ選手のトレーナーとしても活躍し、科学的トレーニングの造詣も深い松本氏にナショナルチーム総監督就任を要請した。

松本氏は、順天堂大学スポーツ科学部での研究成果等に基づく科学的・合理的なトレーニングによって、競輪選手としての自己の能力を極限まで高め、高松宮記念杯競輪での優勝を含め、最高齢G1優勝記録を3回更新した実績を持つ。

松本氏とJCFとの間との総監督委嘱契約の期間は、2017年3月31日までで、期間内は解任できないことが契約上明記されている。

松本氏としては、リオデジャネイロオリンピックまでの長期的な計画に基づいて、責任を持って選手強化に臨むため、契約期間内は解任されないことを条件に総監督就任を受諾したものであった。

 

松本氏が総監督に就任したのは、ロンドンオリンピックの前年である。松本氏は、さっそく、個々の選手のトレーニングに関する情報を監督が把握する組織的な管理手法を導入するとともに、日本人がパワーで劣る部分をスキルで補うべく、中野浩一氏のデータを分析し、日本人の得意な巧緻性を活かして力の利用効率を向上させる科学的なトレーニングプログラムを取り入れた。その成果は、日本記録の更新回数を見れば明らかである。松本氏の就任前は2008年3回、2009年4回、2010年6回、2011年3月まで1回であるのに対し、松本氏の就任後は、2011年4月以降9回、2012年14回、2013年15回と、着実に成果が上がっている。

それに加えて、イギリスで採用しているKPI(医科学的指標)を日本版に加工し、選手の選考・強化・育成指針の指標とすることなどに取組んでいる。松本氏の科学的トレーニングは、平成25年7月28日(日)NHK BS1のドキュメンタリー番組【為末大が読み解く!勝利へのセオリー】でも紹介された。

 

ところが、このように斬新な方法でナショナルチームの選手強化を真摯に推進する松本氏を疎む勢力があった。チームとしての組織的な情報管理や、科学的なトレーニング手法に対する反発もあり、それが松本総監督を引きずりおろそうとする画策につながった。 それは、まず「パワハラ騒ぎ」という形で顕在化した。

女子選手が松本総監督のパワーハラスメントの申告をしたとして、2013年4月に、連盟内に倫理委員会が設置され、調査が行われた。委員は、松本総監督降ろしの画策の中心人物の副会長を含む連盟内部者2名と弁護士、大学元教員の4名である。

しかし、調査を行っても、松本総監督を解任に追い込むようなパワハラの事実は出てこなかった。それにもかかわらず、無理にこじつければパワハラと言えなくもない程度の発言があったことを強引に認定し(パワハラとされた発言については、松本氏が否定しているだけでなく、その場に同席した連盟幹部も強く否定している。)、2013年12月に、松本氏に対して「厳重注意処分」を行った。そして、そのパワハラ認定及び処分について、松本氏側が一貫して強く反発しているにもかかわらず、2014年3月に、行為者を匿名にしてはいるが、パワハラ行為があったとしてJCFのホームページで公表した。

そして、パワハラによる松本総監督解任の画策に失敗した副会長サイドが、「成績不振」を理由に解任決議を強行した、というのが今回の騒ぎである。

そもそも、リオデジャネイロオリンピックまでの期間、総監督を継続して務めることで、選手の育成・強化に責任を持つことを条件に就任を受諾した経緯から、契約上、連盟側には、解任する権限がない(仮に、総監督が連盟の内部機関であれば、理事会決議によってただちにその職を失うということもあり得る。しかし、JCFと総監督とは契約関係であり、理事会決議でその地位を一方的に失わせることはできない)。

しかも、解任決議の理由とされた「成績不振」も、上記のとおり、全く事実に反する。新聞記事では、「11年ロンドン五輪では3大会連続のメダル獲得を逃すなどチームは低迷」と書かれているが、松本総監督就任後の唯一の大会であるロンドン五輪は、就任後僅か1年後のことであり、そこでメダルがとれなかったことは、「松本総監督就任による成績不振」ではない。むしろ、日本記録の数などから見れば、ナショナルチームの成績は確実に上向いてきているのである。

このように法的に無効で、しかも、何の理由もない、不当な解任決議に対して、松本総監督は、連盟には解任権がないことの確認の仮処分を申し立て、東京地裁で審尋が予定されていることは既に述べたとおりだが、新聞では、「松本総監督解任」などの見出しで報じられている。法的に無効な解任決議の情報が、このように露骨にマスコミに提供されるのも、連盟のガバナンス崩壊を端的に表わしている。

 

選手個人の能力・資質や気力・精神力だけで獲得できるメダルの数は限られている。多くの種目でメダル獲得の可能性を高めていくためには、科学的知見に基づいた合理的な手法によって、選手の能力を引き上げていく必要があることに異論はないであろう。しかし、そのような選手育成・強化の中心を担うべき競技団体内部の「数の論理」が、そこに立ちはだかる。

前会長時代のJCFが、一定期間、解任を制限して総監督委嘱を継続していく契約を締結したのは、選手強化の方針・手法が、その時々の競技団体の「数の論理」に左右されることがないようにするための一つの知恵であったと考えられる。それは、スポーツ振興という公益を目的とする法人としての性格上、契約を無視・破棄する行為を行うことはあり得ないという常識に期待するものともいえる。

そのような常識を、ものの見事に覆したのが、今回のJCFの総監督解任決議であった。それが、公益財団法人として行い得ないもので、何ら効力を有しないものであることは、今後、仮処分・本案訴訟の場で法的に確認されていくことになるであろう。

しかし、今回の混乱の代償は、決してそれだけには止まらない。

選手の育成・強化を担う公益財団法人の競技団体において、このような法・契約無視の暴挙が行われ得るという現実は、自転車競技のみならず、あらゆる競技団体にも悪影響を及ぼしかねない。2020年東京五輪でのメダル・ラッシュを「夢まぼろし」に終わらせないためにも、競技団体において、法・契約・ルールをしっかり守るという法的ガバナンスを確立することが急務である。

 

 

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特捜幹部の独善と日航機御巣鷹山事故

特捜検察の「政界捜査での暴走」と「司法メディアとの歪んだ関係」を描いたWOWOW連続ドラマW「トクソウ」が、明日6月8日日曜日午後10時からの放送で最終回を迎える。

このドラマの放映を記念して、原作者(【「司法記者」講談社文庫)でドラマ脚本監修者でもある私と田原総一朗氏とで対談田原総一朗×郷原信郎【第1回】「特捜部は正義の味方」の原点となった「造船疑獄事件の指揮権発動」は検察側の策略だった!を行い、現代ビジネスのサイトに掲載されている。

ちょうど同じ時期、同じ現代ビジネスのサイトに、三匹のおっさん記者、東京地検特捜部を語るという対談記事が掲載されている。東京新聞の村串栄一氏、朝日新聞の村山治氏、NHKの小俣一平氏、いずれも、この小説、ドラマに描かれている世界を代表する司法記者だ。

大阪地検の郵便不正事件や陸山会事件をめぐる不祥事で、既に「日本最強の捜査機関」の看板も地に堕ちてしまった感のある「特捜検察」の昔を懐かしむ話の中で、特捜部長と司法記者との歪んだ関係を象徴する興味深いエピソードが出てくる。

小俣 私が印象深く覚えているのが、’85年の8月13日だったと思いますが、当時の特捜部長だった山口悠介さんに誘われた山登りです。

村串 ああ、行ったなあ。谷川岳だっけ。

小俣 そうです。山登りが好きだった山口さんは、記者を誘って時々山登りツアーをやっていた。司法記者クラブに加盟している全社が参加したと思います。

村山 前日の8月12日は、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した日です。私はちょうど当直勤務の日でした。夕方、クラブから社に戻る途中で連絡が入り、そのまま現場に行った。13日朝、山腹の墜落現場を確認し、遺体の確認作業などの取材をしました。

村串 ああいう大きな事故が起こると、社会部の記者は総出で取材に当たるわけだけど、原則、司法記者クラブは温存されるんだよね。裁判所や検察の動きを見ておくことが何にもまして大事だということで。

小俣 私は「こんなときに山登りなんかしていていいのかな」と思って、上司に相談したんです。そうしたら「司法クラブは事故取材に回らなくていい。お前たちにとって重要なのは特捜部の動きをウォッチすること。特捜部長が行くところにはどこにでもついていけ。」と言われました。もちろん、山登りのすぐ後に現地入りしましたけど。

村串 ただ、山登りについていったからといって、特捜部長が水面下で捜査を進めている事件について話すわけでもないんだよな。

小俣 あの頃はたしかリッカー事件がいつ弾けるか、という時期でした。それに関する情報を山口さんがポロッとこぼすのではないかと期待していたわけです。

御巣鷹山の日航機墜落事故という、犠牲者500人を超える航空機事故史上最悪の事故が発生した翌日、新聞、テレビ局各社は、社会部のみならずあらゆる部署から記者を動員し、総力を挙げて事故取材に取り組んでいた。そんな時に、司法記者クラブの記者達だけは、特捜部長との「お付き合い」で山登りに出かけていたのだ。

ここに登場する当時の特捜部長の山口悠介氏は、私が検事任官6年目の1989年、東京地検で司法修習生の指導係検事を務めていた頃の東京地検次席検事であった。次席検事室に修習生を集めて開かれていた酒盛りで、「山登り」の話もしばしば出ていた。検察が「正義の頂点」であることに些かの疑問も持っていないタイプの人物であった。

山口氏は、その後、東京地検次席検事から、御巣鷹山日航機事故の業務上過失致死事件を担当する前橋地検の検事正に異動し、事故から約6年後の91年7月、不起訴処分を行い、検事正として「不起訴理由説明会」を行った。そこで、彼は、事故の遺族と自ら向き合うことになった。

被災者家族の会「8・12連絡会」の「90・7・17前橋地検――8・12連絡会『日航機事故不起訴理由説明会概要』」によると、山口検事正は、この説明会の冒頭で、次のような発言をした(大野達三「日本の検察」(新日本出版社:1992))。

「私は検察庁での大ベテランと言われている。ロッキード事件の時、日本では刑事免責制度はないが、免責をし、嘱託尋問をして、田中角栄を逮捕した。大企業の脱税事件、リクルート、三越事件、リッカ―ミシン、平和相互銀行その他大きな事件には全て関与し、年間逮捕者(72人)ナンバーワンの実力がある。今回この実力がかわれて、昨年9月、日航機事件の捜査をすることになった。…」「飛行機に乗る人が多すぎるという現状。検察審査会の人が言っていたが、一人交通事故でなくなっても起訴されるのに、なぜ520人もなくなっているのに起訴しないのはおかしいと言いだした。皆そうおもっていた。しかし飛行機は墜落すればだいだい死ぬ。520人も乗っていたから死んだんで、一人しか乗っていなかったら、一人しかしななかった。なんで520人ものたくさんの人が乗っていたのか。…」

この無神経極まりない発言で、山口検事正は、遺族からの怒りと激しい反撃にさらされ、説明会は5時間に及んだという。

その後、山口氏は、札幌高検検事長に昇進したが、覚せい剤常用者の女性と、検察庁の忘年旅行会の際に知り合い、同女性が覚せい剤事件で逮捕・起訴された後も密会を続けたとの女性スキャンダルが週刊誌で報じられ、国会でも、「最高検の綱紀粛正に関する質問主意書」が出されて追及されたことで96年に検事長を辞職し、99年に世を去った。

山口氏のスキャンダルのきっかけとなった東京地検各部の忘年旅行会には、当時、私も何回か参加したことがある。この旅行会は、特捜部、公安部、刑事部、公判部などの各部が、毎月各部所属の検事の給与から天引きして積み立てている会費で開催していた。検事正、次席検事を招待し、いずれかが参加するのが恒例になっていた。旅行会は、部内の懇親の場というより、部長等の幹部にとっては、検事正・次席検事を接待する場、ヒラ検事にとっては、検事正・次席検事に顔を覚えてもらう場であり、各部にとっての一大行事であった。忘年会にはコンパニオンが呼ばれ、翌日は、必ずゴルフコンペが開催されていた。

「ロッキード事件の鬼」で有名な、当時の吉永祐介検事正が参加するゴルフコンペでは、優勝者は、決まって検事正だった。吉永氏がゴルフの達人だったわけではない。参加者が気を遣い、必ず検事正が優勝し、優勝賞品を持って帰ってもらうように「調整」するのだ。午後のラウンドに入ると、第一組でプレーする検事正のスコアの情報が他の組に伝えられる。ゴルフの上手い副検事など、バンカーの中で「あっ」などと言いながら、何回か空振りをしていた。

検察、特に特捜という組織の中にいると、常に司法記者達に囲まれて情報をねだられ、部下からも崇め奉られているうちに、それが当然のような意識になっていく。

史上最悪の航空機事故の翌日であっても、司法記者達は、特捜部長の山登りに金魚の糞のように着き従っていた。事故の遺族の前で、「なんで520人ものたくさんの人が乗っていたのか」というようなことを平然と言ってのけられる神経は、そうした特捜幹部と司法記者の異常な関係の中で作られていくのである。

WOWOWドラマ「トクソウ」では、見込み違いがわかっても引き返そうとしない「政界捜査の暴走」を主導する特捜部副部長鬼塚剛を三浦友和氏が演じている。こうした「正義の怪物」は、特捜幹部と司法記者との異常な関係の中から生み出されていくのである。

 

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PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない

PC遠隔操作事件で、昨年2月の逮捕以来、一貫して犯行を全面否認してきた片山祐輔被告人(以下、「片山被告」)が、別人の真犯人を装うメールを自作自演していたことが明らかになり、弁護人に、起訴事実すべてについて自らの犯行であることを認め、保釈が取消となって、片山被告は収監された。

そして、5月22日の公判で、片山被告は、「全部事実です」と一転して起訴内容を認め、「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

一年余りにわたって、捜査、公判での警察・検察側と弁護側との全面対決が大きな注目を集めてきた今回の事件は、これで全面解決に向かうことになるであろう。

この事件をめぐっては、警察、検察及び裁判所の捜査、公判での対応に関して、様々な問題が指摘されてきた。

私は、片山被告が逮捕された後に、【PC遠隔操作事件:反省なき「有罪視報道」の構図】と題して、捜査側の情報のみを一方的に垂れ流すマスコミの「有罪視報道」の問題を指摘したが、それ以降は、当ブログでも、ツイッターでも、この事件についての発言は全く行わなかった。

片山被告が、犯人であるのか否かという点に確証がつかめないこの事件について、刑事司法全般に関わる重要な問題点と関連づけて論評することに躊躇を覚えたからだ。

もちろん、刑事事件の捜査・公判に関して問題があれば、片山被告が真犯人であろうとなかろうと、問題として指摘すべきだという意見も、それはそれで正しい。

しかし、今回の事件は、PC遠隔操作によって罪もない人達を多数誤認逮捕させたという重大な個人犯罪である。真犯人が検挙されなければ、今後も同様の事案が再発する可能性がある。片山被告が犯人であることが、単に「判決で認定された」というだけではなく、本人も認め、客観的な事実として明らかになれば、警察・検察の捜査や裁判所の対応が、基本的には肯定的な評価を受けることになる。そういう結末があり得る事件に関連づけて、捜査・公判をめぐる重要な一般的問題を論じることには、ある種の「危うさ」を感じたというのが、この事件について私が発言を控えてきた理由だった。

片山被告が真犯人であることが明白になった現時点において、この事件で争点とされたことを改めて整理し、刑事司法に関する一般的な問題についての議論への影響を考えてみたい。

「罪証隠滅の恐れ」の拡大と「人質司法」の助長

第一に、今回の事件の刑事手続に関する大きな問題の一つとして、公訴事実を否認しているというだけで「罪証隠滅の恐れ」が拡大解釈され、実際には殆どその恐れがない場合でも、保釈が認められず、長期の身柄拘束が続く「人質司法」の問題がある。

片山被告は、起訴後も、罪証隠滅の恐れがあるとされて、保釈が認められず、身柄拘束が続いた。しかも、弁護側が検察官請求証拠に同意し、証拠が採用された後も、検察官は、保釈に強く反対し、東京地裁も、保釈請求を却下し続けていた。2014年3月4日に、東京高裁が、東京地裁の保釈請求却下決定を取り消し、保釈保証金1,000万円で保釈を許可する決定をしたことで、片山被告は、逮捕から1年1か月近く経って初めて、身柄拘束を解かれた。

片山被告の事件審理を行っていた東京地裁と検察官は、「罪証隠滅の恐れあり」と判断し、東京高裁は、その恐れがないと判断した。結果的には、片山被告が行った「真犯人メール」の自作自演を行ったことが明らかになり、罪証隠滅は現実のものとなった。

これまで、保釈の可否の判断などで想定される「罪証隠滅」というのは、検察官立証で証人尋問が予定されている場合に、その証人と口裏合わせをして自己に有利な証言をさせるというような「検察官立証に妨害する行為」だった。ところが、片山被告が行ったのは、検察官立証とは全く無関係に、真犯人が別にいることを示す証拠を、一からねつ造するという行為だった。

従来は、全面否認している被告人でも、検察官立証が概ね終了すれば、「罪証隠滅の恐れがなくなった」として保釈されるのが一般的だった。しかし、今後、保釈の可否の判断に当たって、片山被告が行ったような、「真犯人が別にいる証拠をねつ造する」という罪証隠滅が行われる可能性を想定しなければならないとすれば、犯人性を否認する被告人については、検察官立証がどこまで進んでいようと、判決が出るまでは「罪証隠滅の恐れ」が常に存在することになる。それを理由に保釈請求が却下されるということになれば、「人質司法」を一層助長する結果を招くことになりかねない。

片山被告が行った余りに身勝手な行動は、今後、無実を訴える被疑者、被告人の長期間の身柄拘束が正当化されることにつながりかねない。それだけに、今回の事件の動機・背景も含め、その特異性が、今後の公判の審理の中で十分に解明されなければならないであろう。

この点に関して重要なことは、片山被告が真犯人であることが明らかになった以上、本件の警察、検察、裁判所の捜査・公判の経過の中で、問題として指摘できる点があったとしても、同被告人を逮捕・起訴して処罰しようとしたという基本的な方向性に間違いはなかったということを認めた上で議論すべきだということである。

PC遠隔操作という特異な事件ではあったが、真犯人の片山被告は、どう悪あがきしようと、最終的には有罪判決を受け、犯した罪に応じた処罰を受けることは避けられなかったと考えられる。

そういう視点で見れば、高裁の保釈許可決定は、決して間違ってはいなかったということになる。今回、片山被告が、保釈後に、露骨な無罪証拠のねつ造を行ったことが、自ら犯人性についての決定的な証拠になった。真犯人であれば、保釈された後に、罪証隠滅を図ろうとしても、結局のところ、自ら墓穴を掘って、自ら犯行を認めざるを得ない状況に追い込まれるだけであり、罪証隠滅など決して成功するものではない、と理解すべきである。

特捜部が起訴した事件などでは、起訴事実を否認する被告人を、関係者と通謀(口裏合わせ)をする「罪証隠滅」の恐れがあるとして長期間身柄拘束をすることが当たり前のように行われてきた。それは、検察が作り上げたストーリーを、供述調書によって立証しようとしているために、そのストーリーが崩される可能性として、関係者との接触、口裏合わせの防止に腐心しないといけないということである。しかし、仮に、そのような口裏合わせによって、公判での立証が妨げられるとすれば、関係者が、供述調書の内容に反する証言が行われ、なおかつ、それが真実に反する「偽証」だった場合であるが、被告人が敢えてそれを画策しようとすれば、「偽証教唆」のリスクを覚悟しなければならない。そういう意味では、「罪証隠滅の恐れ」というのは、実は杞憂に過ぎない場合も多い。

だからこそ、今回の事件での片山被告の行動が、日本の刑事司法に特有の「人質司法」を助長する結果になることがないよう、今後の事件での裁判所の保釈の判断の動向については、注視していかなければならない。片山被告の「真犯人なりすましメール」の自作自演にはやや稚拙な面があり、もう少し上手にやっていたら露見せず、無罪判決を受けていた可能性があると見ることもできないわけではない。しかし、冷静に、合理的に行動できないからこそ「犯罪者」なのである。罪証隠滅の成功の可能性を過大視し、「警察、検察の現状では、真犯人を処罰できない結果に終わった可能性がある」という見方をすることは、警察、検察にさらなる捜査手段を与えるべき、という議論につながり、捜査権限の強化、「人質司法」を助長することになりかねない。

「取調べの可視化」議論と結びつけることの是非

第二は、「取調べの可視化」との関係だ。

本件では、弁護側が被疑者の取調べの可視化を要求し、それが受け入れられないことを理由に取調べを拒絶した。検察官が可視化に応じれば、片山被告も取調べに応じ、そこで、客観的根拠を提示して追及していれば、早期に自白が得られた可能性がある、との見方がある。

しかし、本件で、仮に、弁護側の要求を受け入れて取調べを可視化したとすれば、それ以降、検察は、すべての事件で、弁護側の可視化要求を受け入れることにならざるを得ない。個別の事件で、検察にそのような決定を迫ることが、果たして妥当と言えるであろうか。

私は、取調べの録音録画がすべて刑事公判での直接証拠として使用されるという、現状のままの取調べを全面可視化することには、必ずしも賛成ではない。弁護人も立ち会わず、検察官の質問にさらされる取調べの場での供述と、公判における裁判官、弁護人の前での被告人質問による供述の、どちらを重視すべきなのかは、慎重に検討すべき問題だからである。

私は、検察の在り方検討会議の場でも、取調べの可視化は、録音録画を直接証拠として使用するのではなく、不当な取調べによって供述者の意に反する供述調書が作成されたと弁護側から主張された場合に、供述の任意性、信用性を判断する資料としてのみ使用すべきだということを主張してきた(同会議第10回議事録41ページ以下郷原委員提出資料)。

推理小説「司法記者」(由良秀之)でも、それを原作とするWOWOWドラマ「トクソウ」でも描かれているように、「検察の暴走」の中において、恫喝、利益誘導等の不当な取調べが行われてきたことは事実である。取調べの可視化は、そのような不当な取調べを抑止する目的に限定して行うべきである。録音録画の直接証拠化は、かえって、被疑者、被告人の不利益に働く結果になる恐れもある。

そのような観点も含め、これから進めていかなければならない取調べの可視化をめぐる議論に、今回の事件で事実上決着をつけてしまおうのは、あまりに乱暴ではなかろうか。

本件のマスコミ報道

第三に、本件のマスコミ報道についても触れておこう。

片山被告の逮捕・勾留直後の報道については、前掲ブログでも述べたとおりであり、裁判員制度導入の際の過去の「有罪視報道」への反省はどうなったのか、と思わざるを得ないような状況であった。しかし、その後、弁護側が、再三にわたって記者会見を開き、積極的に情報開示・説明を行ったこともあって、捜査機関、検察官側に偏った一方的な報道は、過去の特捜事件などと比較すると少なかったと見るべきであろう。

そういう意味で、本件は、警察、検察、裁判所の捜査・公判対応、弁護人側の防禦の在り方など、多くの面で、教訓と今後に向けての糧を残した事件と言えるのではなかろうか。

それが、「人質司法」の追い風になるような悪しき結果につながらないようにすることは、我が国の刑事司法の問題を真摯に考えようとする者にとっての責務である。

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八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」

東京国税局に告発され、東京地検特捜部に起訴されるという、それまでは有罪率100%だった脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴棄却で無罪確定という全面勝利を勝ち取った元クレディ・スイス証券の八田隆氏が、本日(2014年5月16日)、検察庁と国税局の違法行為に対する損害賠償請求訴訟を提起する。

この国家賠償請求訴訟の代理人弁護団には、捜査段階から一審、控訴審の全過程で弁護人として八田氏の無罪主張を支え続けて見事に無罪を勝ち取った小松正和弁護士、本件では控訴審から弁護人に加わって八田氏の「完全勝利」に貢献した喜田村洋一弁護士(検察審査会の議決によって起訴された小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件でも弁護人として無罪判決を勝ち取った)、元検察官で、「検察の在り方検討会議の委員」も務め、一連の特捜検察の不祥事について徹底した検察批判を展開してきた私、そして、元裁判官で、「司法権力の内幕」「教養としての冤罪論」等の著書等を通して裁判所の体質や刑事司法の現実を厳しく批判している森炎弁護士が加わった。
八田氏は、今回の弁護士チームを「ドリーム・チーム」と称している【国家賠償訴訟に関して (2)~代理人ドリーム・チーム結成!】。

八田氏は、2009年12月に、脱税(所得税法違反)で東京国税局に告発されたが、捜査段階から、株式報酬は源泉徴収されていると認識していたもので、脱税の犯意はなかったとして全面否認してきた。同社において税務調査の対象とされた約300人のうち、約100人が株式報酬について無申告であったこと、ゴールドマン・サックス証券会社など、クレディ・スイス証券会社と同様の立場にある外国証券会社では、株式報酬について源泉徴収を行っていたことなどに加え、八田氏には脱税の犯意はなかったことを裏付ける証拠が十分にあり、検察には、弁解を覆せる見込みは全くなかった。
それにもかかわらず、東京地検特捜部は、2011年12月に、八田氏を起訴した。当然の結果として、2013年3月1日 東京地裁刑事8部は、八田氏に対して無罪を言い渡した。
検察官は、この裁判所の当然の無罪判断を受け入れず、東京高裁に控訴を申し立てたが、検察官の証拠請求は、すべて却下され、2014年1月31日 控訴は棄却、検察官は上告をせず、無罪が確定した。

検察官は、起訴不起訴の判断について広範な裁量権を与えられている。その検察官が、起訴の対象を「有罪判決が得られる見込み」で絞り込んでいることが、有罪率99.9%という異常な数字につながっているとの指摘もある。
たとえば、鉄道事故、航空機事故等の業務上過失致死事件等で、被害者・遺族が強く処罰を希望する場合は、有罪判決が得られる見込みが低い事件であっても起訴して、公開の法廷における審理を通して裁判所の判断を仰ぐべきという意見もあり、このような事件では、検察官が起訴した事件が無罪になったからと言って、ただちに、その起訴が不当と評価されるわけではない。
しかし、本件で東京地検特捜部が起訴した八田氏の事件は、そのような「積極的な起訴」が期待される事件とは全く性格を異にする。
まず、本件には、処罰を求める被害者も遺族もいない。国家が個人から税を徴収するに当たって、自ら所得を申告して納税させるという「申告納税制度」の下では、当局による所得の把握を困難にするような仮装・隠ぺい行為が行われると、制度の運用に支障が生じることから、そのような行為を罰することで、納税者の正直な所得申告を確保しようというのが脱税犯処罰の趣旨であり、まさに、税を徴収する側の国の事情による処罰なのである。
そうである以上、脱税による摘発・処罰の対象は、結果的に所得の申告が過少だったという「申告漏れ」ではなく、所得を過少に申告して税を免れようとして意図的に脱税したことが客観的に明らかな場合に限定されなければならない。その点の立証に些かなりと疑念がある場合に起訴を行うことは許されない。
ところが、本件について、八田氏は、脱税の意図は全くなかったと一貫して主張し、それを裏付ける十分な証拠があるのに、東京地検特捜部は、八田氏の弁解を無視して、起訴を行った。
なぜ、検察官が、そのような不当な判断を行ったのか、その背景には、いくつかの特異な事情があったことを想定することができる。

まず、本件告発が行われた2009年12月 22日頃、東京地検の税務事件担当である特捜部が置かれていた状況である。
佐久間達哉特捜部長率いる東京地検特捜部は、2009年3月に、西松建設事件で、当時民主党代表であった小沢一郎氏の秘書を同氏の資金管理団体陸山会にかかる2100万円の政治資金収支報告書虚偽記載の事件で逮捕・起訴し、同年5月に小沢氏を代表辞任に追い込んだ。同事件の捜査については、政権交代の可能性のある総選挙を控えた時期に、従来の基準からは考えられない軽微な違反を立件し強制捜査を行ったことから、検察の政治介入ではないかとの批判があり、検察内部でも、軽微な事件で重大な政治的影響を与えた同事件は、特捜部の重大な失態とされていた。
その後、同年8月末の衆議院議員総選挙で民主党が圧勝し、同党を中心とする連立政権が誕生し、小沢氏が政権与党の民主党の幹事長に就任した。特捜部は、その頃から、小沢氏に政治的ダメージを与えるとともに、西松建設事件の失敗捜査の汚名を晴らすべく、陸山会の世田谷区の土地の取得にかかる政治資金収支報告書虚偽記入事件の内偵捜査を進め、翌2010年1月15日には、現職衆議院議員の石川知裕氏を含む小沢氏の秘書・元秘書3人を同事件で逮捕し、さらに、小沢氏の起訴をめざして、同氏の取調べを行うなどした結果、同年2月4日に、秘書ら3人を公判請求し、小沢氏を不起訴処分にするに至った。
本件告発が行われた2009年12月下旬というのは、このような陸山会事件の捜査が、新聞等でも報道され、内偵捜査は最終段階を迎え、東京地検特捜部が、組織を挙げて、捜査に取り組んでいた時期である。
このような時期に行われたのが本件告発であり、その直前に、検察と国税局との間で「告発要否勘案協議会」が開かれ、そこで、特捜部として、告発を了承する判断が行われたのだ。
なぜ、そのような慌ただしい時期に、告発が行われたのか。なぜ、検察がそれを了承したのか。そこには、当時の佐久間特捜部が置かれていた事情が関係していると考えざるを得ない。
世田谷の不動産取得をめぐる4億円の裏金がゼネコンからの裏献金であることを解明し、小沢氏を起訴して、その政治生命を断つという「妄想」に取りつかれていた特捜部にとっては、国税局との緊密な連携・協力関係を維持することは不可欠だった。そのような状況において、国税局幹部からの、本件の告発を何とかして受けてもらいたいとの強い要請を拒絶することができず、有罪判決を得る十分な見込みがない事件の告発を了承する、という異例の措置につながったのではないか。

そして、本件起訴が行われた2011年12月7日頃というのは、前年秋に、大阪地検の郵便不正事件で、村木厚子氏の無罪判決が出され、その直後に、朝日新聞のスクープで、前田検事による証拠改ざんが発覚したことで、検察が猛烈な社会からの批判にさらされ、2010年11月には、法務大臣の下に「検察の在り方検討会議」が設置されるなど、特捜捜査の在り方を中心に、検察に対する批判的な観点からの議論が盛んに行われていた時期だった。2011年2月28日には、特捜部が取り扱う身柄事件(被疑者を逮捕し又は勾留している事件)等について,起訴又は不起訴の処分を行う場合には,検事正は,あらかじめ検事長の指揮を受けなければならないとされるなど、特捜部の身柄事件に対して、従前より厳しいチェックが行われることになっていた。
一般的に、容疑事実を否認している被疑者に対しては、逮捕・勾留した上で起訴し、長期間の身柄拘束のプレッシャーにさらすことで、公判での無罪主張を封殺する、というのが、検察の常套手段である。特に、八田氏の場合は、カナダ在住で、当時は無職、起訴状の送達ができるか否かも、公判への出頭を確保できるかどうかも定かではない。そのような事件での在宅起訴は、それまでの検察の常識からは、到底考えられない。
しかし、特捜部は、結局、八田氏を逮捕・勾留せず、否認のまま在宅起訴した。
逮捕・勾留が行われなかったのは、当時の検察をめぐる状況の下では、証拠が希薄で有罪判決の十分な見込みのない中で逮捕・勾留することが、検察不祥事・特捜改革との関係で困難だったからだと考えられる。
しかしそうであれば、起訴自体を差し控えるのが当然だ。ところが、そこには、国税当局と検察との間の、かねてからの深い関係があり、「告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、不起訴にすることは許されない」という「不文律」があった。東京地検特捜部は、有罪判決を得る見込みがほとんどないことを承知の上で起訴する、という「暴挙」に出ざるを得なかった。

そして、本件に関して、違法性・不当性が最も明白で、正当化する余地が全くない、検察の「暴挙」が、一審の無罪判決に対して検察官が控訴を申し立てたことである。
一審で無罪判決を受けた被告人に対して、検察官が控訴を行うことは、米国では許されていない。我が国でも、「無罪判決に対する検察官控訴は許すべきではない」との意見が、かねてから強く主張されてきた。検察においても、検察官側からの控訴は、控訴審で新たな証拠を請求し、採用される可能性がある場合に限定するという「不文律」を守ってきた。
少なくとも、同じ証拠関係の下で、控訴審裁判官に、一審判決とは異なった判断をしてもらうために控訴するというのは、検察に都合の良い裁判官の判断を漁るということに他ならない。不当な有罪判決を言い渡した裁判に対する救済のために被告人の側が控訴するのは当然だが、国の側に、一審の無罪判決を覆す裁判所の判断を求めるためだけの控訴が認められるべきではないのは、これもまた当然なのである。
ところが、新証拠を請求できる見通しは全くなく、一審無罪判決を覆せる可能性も全くなかった八田氏の事件で、検察は控訴した。

何故に、明白に違法な控訴が行われたのか。前記のとおり、八田氏が、有罪を得る見込みがほとんどないのに公判請求されたのと同様に、国税当局と検察とのかねてからの深い関係があったために、告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、検察が、無罪判決の裁判所の判断を受け入れて確定させることができない、という「不文律」があったからとしか考えられない。

検察官は、単に都合の良い裁判官の判断を求めるだけの検察官控訴は行わないという「不文律」には敢えて従わず、国税と検察との関係に関する「不文律」を優先したのである。
そのような検察官の「暴挙」の当然の帰結として、控訴審での検察官の証拠請求は、すべて却下され、公判は一回で結審、控訴棄却の判決が言い渡された。その判決では、一審判決以上に、検察官の判断の誤りが厳しく指摘されている。

本件の告発・起訴・控訴という3つの違法行為によって、一市民である八田氏は職を失い、長期間にわたって、能力・適性を生かせる仕事につく機会が奪われ、多大な損害を被った。
それらの違法行為は、検察と国税との告発要否勘案協議会等を通じた「不透明な関係と癒着」を背景として、西松建設事件、陸山会事件という「特捜検察の暴走」の大きな流れによって巻き起こされ、現実化した、検察という権力の「もう一つの暴走」である。
今週の日曜日から始まったWOWOWの連続ドラマWシリーズ「トクソウ」(原作「司法記者」由良秀之)では、殺人事件の真相が明らかになるにつれ、「政界捜査における特捜部の暴走」が明らかになる。
八田氏の事件をめぐる特捜検察の暴走の原因とその問題点は、今回の国家賠償請求訴訟の審理の中で、明らかになっていくだろう。

八田氏は、今回の訴訟で賠償金を得ることができたら、個人の懐に入れるのではなく、刑事司法改革の基金を作り、国家権力に狙われた市民が、八田氏のような冤罪に苦しむことのない刑事司法の実現に貢献したいと言っている。
一市民を踏み潰そうとする国税・検察と真っ向から渡り合い、刑事事件の捜査・公判に完全勝利した八田氏の“正義のリベンジ”が、これから始まる。
「やられたらやり返す!倍返しだ!!」

 

 

 

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渡辺喜美代表への資金提供問題、誰のどの選挙の資金なのか

化粧品販売会社DHC(東京)の吉田嘉明会長が、みんなの党の渡辺喜美代表に対し、2010年の参院選前に、選挙資金として3億円、2012年の衆院選前にも5億円の合計8億円を渡辺代表の個人口座に振り込んで貸し付け、そのうち約5億4900万円が未返済だと明らかにしたことに関して、渡辺代表について、公職選挙法(公選法)違反、政治資金規正法違反が成立するのではないかが問題にされている。

ちょうど、猪瀬前東京都知事が、医療法人徳洲会から受けた5000万円の選挙資金について、選挙運動費用収支報告書の虚偽記入の容疑で捜索等の強制捜査を受け、略式起訴の見通しと報じられたのとタイミングと重なったこともあって、渡辺代表についての選挙資金の収入が選挙運動資金収支報告書に記載されていなかったことについて、公選法違反に該当し、猪瀬氏と同様に捜査の対象とされるとの連想が働いたのであろう。

もちろん、一企業の経営者から、これだけの巨額の資金が、渡辺代表に対して、選挙資金或いは政治資金として提供されていたのに、それが有権者、国民に公開されていなかったとすれば、政治的、道義的に重大な問題であり、渡辺代表が厳しい批判を受けるのは当然である。

しかし、公選法、あるいは政治資金規正法違反の犯罪に該当するかどうかは、それとは別の問題である。

猪瀬氏の問題については、5000万円の資金提供疑惑が報じられたばかりの頃、昨年11月28日の当ブログ【猪瀬都知事問題 特捜部はハードルを越えられるか】において、多くの問題があるものの猪瀬氏の公選法違反での立件の可能性は十分にある、ということを指摘した。

しかし、今回の渡辺代表が受けた資金提供については、公選法、政治資金規正法違反での立件には、多くの隘路があり、容易ではないことを指摘しておきたい。現時点で報道されている事実関係からは、刑事立件の可能性を前提に考えるべき事案とは言い難いのである。

まず、公選法違反については、吉田氏が、渡辺代表への合計8億円の資金提供は、「選挙に関する資金」だったと認めており、選挙運動費用収支報告書に記載されていないことが問題になるとされている。朝日新聞には、元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士の「選挙資金だった場合、たとえ借入金だったとしても選挙運動費用の収支報告書に記載がなければ、公職選挙法違反に問われる可能性がある」とのコメントが掲載されているが、この場合の「選挙運動」というのは、具体的に、誰の、どの選挙のことなのだろうか。

公職選挙法は、「公職の候補者」「候補者届出政党」「参議院名簿届出政党等」「推薦届出者」について、選挙運動費用収支報告書の提出を義務付けている。

「選挙運動費用収支報告書の記載義務」は、特定の選挙における「公職の候補者」などにつて、一つひとつ別個に発生する。渡辺代表が、2010年の参議院選挙、2012年の衆議院選挙の「選挙資金」という趣旨で、吉田氏から提供を受けたとしても、それが、それぞれの国政選挙での「みんなの党」の選挙資金として、漠然と認識されていただけでは、具体的にどの「公職の候補者」に選挙運動費用収支報告書の記載義務が生じるのかがわからない。

そこが、「2012年の東京都知事選挙における猪瀬直樹」という特定の「公職の候補者」の選挙費用収支報告書の記載が問題になった猪瀬前都知事の問題と、決定的に異なる点である。

むしろ、それぞれの国政選挙において、政党としての「みんなの党」が選挙運動を行うための費用、ということであれば、法律上は、公職選挙法上の「選挙運動費用」というより、選挙に関連する「政治資金」という性格が強いというべきであろう。

しかし、では、その「政治資金」の収入を公開していなかったことについて、政治資金規正法違反が成立するといえるのかというと、話は、そう単純ではない。

若狭弁護士は、公選法に関する前記コメントに続いて、政治資金規正法に関して、「政治活動の費用だった場合は、政治資金収支報告書に記載がないと政治資金規正法違反にあたる可能性がある。」とコメントしているが、問題は、この資金提供を、どの政治団体、或いは政党に関する「政治資金収支報告書」に記載すべきなのか、という点である。

政治資金規正法は、政治家個人(公職の候補者)の政治活動に関する寄附を原則として禁止し、政治団体を通した個人献金のみ許されるとしている。一方、企業・団体からの献金については、政党や政党支部に対してのみ行うことができるとしている。

報道によると、吉田氏から渡辺代表に対する資金提供は、渡辺代表の個人口座に対して行われたものだということだが、趣旨としては、「みんなの党」の選挙資金に充てる目的だったように思える。

吉田氏から渡辺代表に対する資金の提供が、政治家としての渡辺氏個人に対して行われたものであれば、政治団体を通していないので、それ自体が、政治家個人に対する寄附の禁止に違反することになる。

資金の提供が「みんなの党」という政党に対して行われたものであれば、同党の政治資金収支報告書の虚偽記入の問題である。

吉田氏は、「選挙資金」というだけで、寄附の宛先がはっきりせず、「振込先は政治献金とは違う個人の口座だった」と述べているようだが(朝日)、渡辺代表個人に対する政治資金の寄附だとすると、吉田氏自身も罰則の適用を受けることになる(政治資金規正法21条1項違反)。吉田氏が、自分も違法行為を行ったことを認めるとも思えない。

しかし、逆に、政党宛の寄附と認定する上では、口座が個人口座であったこと、渡辺代表以外、「みんなの党」の誰にも知らされていないことが、立証上の隘路となる。

このように、贈収賄等のように、その資金の授受自体が犯罪事実になるのと異なり、帰属すべき先が明確ではない寄附は、収支報告書虚偽記入罪ととらえることが困難だという点は、政治資金規正法違反が、政治資金収支報告書への記載義務違反という形で構成される犯罪であることからくる根本的な問題である。

何の手続もとられることなく候補者個人に直接現金が提供されるというような典型的な「裏献金」の場合に立件が困難になることを、私は、かねてから指摘してきた。

現在、報道されている事実関係を前提にすると、今回の吉田氏から渡辺代表に対する巨額の選挙資金提供の事実については、政治的、道義的責任は別として、違法行為・犯罪として立件するのは相当困難だろうというのが率直な印象である。

 

 

 

 

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厚労省による「民法に反する解釈変更」と内閣による「解釈改憲」

行政庁は、所管する法律について解釈権限を持っている。

年金に関する法令を所管する厚労省は、年金の支給に関して、関連法令をどのように解釈し、どのような基準を定めることも可能であり、その解釈や基準が誤っていれば、裁判所の司法判断によって是正される、というのが、行政と司法の関係に関する一般原則である。

しかし、行政庁が法解釈や基準の設定としてできることにも、社会との関係において、自ずと限度があるはずだ。明らかに論理的に誤った解釈や、民法という社会の基本法の根幹部分に反する解釈を行うことは、国民が行政庁に与えている権限を逸脱するものである。そのような疑いがある場合には、裁判所の判断を待つまでもなく、まず、行政庁の長である大臣が、説明責任を果たすべきであり、それに対する社会的な批判に答えるべきであろう。

3月19日に緊急開催した総務省年金業務監視委員会で取り上げた「失踪宣告の場合の消滅時効の起算点に関する厚生労働省の解釈変更」は、その内容が民法の規定に明らかに反するだけでなく、解釈変更が、「所在不明高齢者に対する老齢年金の支給」に対する厚労省の不手際に関連して行われたという点にも重大な問題がある。この解釈変更は、厚労省の権限を実質的に逸脱するものであり、厚生労働大臣には重大な説明責任があるといえよう。

集団的自衛権に関して、安倍内閣が行おうとしている「解釈改憲」に関しても、内閣が負うべき説明責任と司法判断の関係について同じことが言える。

内閣には憲法解釈を行う権限があり、その解釈を変更することも権限の範囲内である。内閣の解釈変更が誤っていた場合には、最高裁判所の違憲審査権(憲法81条)によって是正されるべき、というのが、憲法に関する行政と司法の関係に関する一般原則である。

しかし、平和主義を定める憲法9条に関して、その根幹部分に関わる解釈の変更を内閣が行おうとした場合、それは内閣の権限で自由に行うことができ、その解釈の当否は、最高裁判所の違憲審査権の判断に委ねられるべき、ということでは済まされない。

憲法9条に関して、これまで積み重ねられてきた議論を踏まえて、解釈変更を行うことの相当性について、様々な場で、徹底した議論が行われ、内閣としての説明責任を果たすことが必要である。

現在、自民党内からも、国会での論戦に加えて、「閣議決定による解釈変更」について異論が出ているのも、「解釈改憲」をめぐる当然の議論と言うべきであろう。

行政庁による所管法令の解釈変更も、内閣による憲法解釈の変更も、行政判断と司法判断をめぐる構図は共通しているのである。

今回の厚労省の失踪宣告と消滅時効をめぐる解釈変更は、明白かつ重大な誤りであることに加え、変更に至った経緯、問題が指摘された後の対応を見る限り、厚労省が、国民生活に重大な影響を生じる年金制度を所管する行政庁として、果たして信頼できる存在と言えるのか否かについても、根本的な疑問を生じさせるものと言わざるを得ない。

それらの問題について、具体的に述べることとしたい。

なお、私は、現在、総務省年金業務監視委員会の委員長を務めているが、本稿で述べる意見は、あくまで私個人のものである。委員会としての意見は、今月末に同委員会の設置期限が切れ、来年度以降、厚労省の年金行政を省外から監視する常設機関がなくなってしまうことを踏まえて今月末に行う予定の「総務大臣への意見具申」の中で明らかにする予定である。

失踪宣告による「人の死」と消滅時効に関する民法の原則

法律上、「人の死」は、医師が死亡診断をした場合、或いは、死体が確認された場合に認められるというのが原則である。

その例外として、古くから民法が認めてきた制度に「失踪宣告」がある。長期間生死不明の人を、ある時点で死亡したものとみなし、その者にかかわる法律関係を確定させる制度だ。

失踪宣告ができるのは、7年間の生死不明(普通失踪)、あるいは戦死、地震・津波等の危難による1年間の生死不明(危難失踪)のいずれかの場合であり、利害関係人(家族)が、家庭裁判所に失踪宣告の申し立てを行い、家裁が、調査を経た後、一定期間の生死不明の事実を認定し、審判で失踪宣告を出す。審判が確定すると、生死不明から7年後の時点(危難による生死不明の場合は、危難が去った時点)で死亡したとみなされることになる。

そのような制度を利用するかどうかは、その人の家族の意思に委ねられており、そこには、国家は介入しない。親族法上の手続の多くには、公益上の観点から検察官による請求が認められているが、失踪宣告については、検察官による申立ては認められていない。いかに長期間生死不明の状態が続いていても、家族の意思に反して、国が「人の死」の認定を強制することはできないという考え方に基づく。

だから、家族は、何年、何十年、生死不明であっても、生存を信じて、生還を待ち続けることができる。死という法的効果を得るかどうかは、家族の意思・判断による、というのが、この「失踪宣告」という民法上の制度の根幹なのである。

例えば、東日本大震災による行方不明者の家族には、失踪宣告の申立てが可能になるまでの期間を一般的な危難失踪の1年から3か月に短縮する立法が行われた。しかし、この場合も、失踪宣告を申し立てるか否かは家族の判断であり、国がそれを強制したり、すみやかに行わないことで不利益を課したりすることはできない。

一方で、債権の消滅時効に関して、民法では「消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する」とされ、それには、「債権が存在しない以上、その債権の消滅時効が進行することはない」という当然の前提がある。存在しない債権について「権利行使」というのは、論理的に考えられないからである。

社会の構成原理を定める民法で、失踪宣告と消滅時効がこのように定められている以上、いくら長期間生死不明であっても、家族が申立てをせず、失踪宣告が出されていない状態で、「人の死」によって発生する債権の時効が進行して、権利行使ができなくなるということは、絶対に、あり得ない。

厚労省が、失踪宣告がなくても死亡一時金等の時効が進行することの根拠として挙げているのが、年金を受ける権利(基本権)と「月々の年金債権」(支分権)の消滅時効に関する判例である。年金を受ける権利を持っている者は、当局に裁定請求を行い、裁定がなされることで月々の年金債権を確定させることができるので、基本権について裁定請求が行われなくても、月々の支分権について時効が進行する(長期間裁定請求しないで放置しておけば、月々の年金受給権は時効消滅する)というものである。

しかし、基本権も支分権も、同じ被保険者の年金受給に関する権利であり、一体のものである。基本権が存在する以上「債権」は存在すると言えるが、失踪宣告がない以上、「人の死」を原因とする年金の債権は発生せず、存在していない。この判例は、全く根拠にならない。

厚労省の解釈変更の内容とその経緯

死亡に関する年金制度からの給付には、「遺族年金」「死亡一時金」「寡婦年金」がある。

失踪宣告で「人の死」とみなされた場合の死亡一時金、遺族年金について、厚労省は、従来は、審判が確定した時点が消滅時効の起算点になるという解釈をとっていた。

ところが、厚労省は、2年前の2012年5月に、課長補佐・専門官による文書で、日本年金機構からの「疑義照会回答書の差し替え」を行って、その「民法上当然の解釈」を変更した。年金事務を行う日本年金機構で取扱いに疑問が生じた場合に、厚労省に対して「疑義照会」を行い、厚労省からの回答書にしたがって年金支払いの事務を行うため、回答書が差し替えられることによって、年金事務の取り扱いが変更されたのである。どのような変更かというと、年金請求権の消滅時効の起算点を、「審判確定の日」ではなく、失踪宣告の審判で過去に遡って認定される「死亡したとみなされる日」である、としたのだ。

つまり、生死不明で7年間経過した時点から、家族が失踪宣告の申立てを行っていなくても、消滅時効が進行し、2年で時効消滅するものとし、時効完成後の請求は認めないということになった。

そのような解釈変更は、2011年ころに、多数の長期間所在不明高齢者の家族に老齢年金の支給が継続されていることが社会問題になった「所在不明高齢者問題」に関連して行われたものだった。

この「所在不明高齢者問題」に関して、厚労省と日本年金機構は、(所在不明高齢者の死亡を確定させて老齢年金の支給を打ち切る目的だと思われるが、)、老齢年金を受け取っている所在不明高齢者の家族に、失踪宣告申立てをするように勧奨した。しかし、長期間所在不明だった高齢者に失踪宣告が出され、失踪後7年目に死亡したとみなされると、それ以降の長期間の分の遺族年金が支払われることになる(例えば、20年間の所在不明であれば、13年前に死亡したとみなされ、13年間の遺族年金が支給されることになる)。

一方で、「死亡とみなされた日」以降に支給されていた老齢年金は返還させる必要が生じるが、会計法により、返還請求権は5年で時効消滅してしまうので、最大でも5年分しか取り戻せない。そのため、老齢年金と遺族年金が重複して支給される期間(20年間の所在不明であれば8年間)が生じ、事実上、老齢年金を不当に受け取っていた所在不明高齢者の家族に対しても、さらに支給せざるを得ないケースが続出することになる。

そこで、厚労省は、失踪宣告の場合の消滅時効の起算点を「死亡とみなされた日」に変更することで、老齢年金と遺族年金の重複支給をしないで済ませようとしたのである。

しかし、「所在不明高齢者問題」については、年金受給者が長期間所在不明で、死亡している可能性が高い状況で老齢年金の支給が継続されていたこと自体が問題なのであり、家族が故意に行っていたとすれば不正受給の犯罪である。そのような事例が多数存在し、長期間放置されていたのであれば、それは実態を把握せずに年金を支給していた年金当局の不手際であり、責任は厚労省や社会保険庁・日本年金機構の側にある。その問題から目をそらすために、消滅時効の起算点を民法の原則に反して遡らせることで、遺族年金の正当な受給権まで時効消滅させてしまうというのは、本末転倒である。

そのような「民法上あり得ない解釈」をとったことで、国民年保険料を3年以上納付した者が、老齢基礎年金や障害基礎年金を受給せずに死亡した場合に支払われる死亡一時金(消滅時効期間2年)の支給に関して重大な問題が生じ、それを、今回、年金業務監視委員会が取り上げた。

しかし、実は、問題は、死亡一時金だけに限られるわけではない。厚労省が「疑義照会回答書の差し替え」を行う契機となった遺族年金(消滅時効期間5年)に関しても、失踪宣告で死亡したとみなされた人の遺族の正当な権利として認められるべき年金受給権を奪うことになるのである。

具体的にどういうことなのかを、死亡一時金、遺族年金それぞれについて、事例に即して述べてみたい。

消滅時効の起算点に関する解釈変更の影響

[死亡一時金の事例]

 Aが、年金受給年齢に達する前に、突然家を出て行方不明となり、自殺、事故死等によって死亡した可能性が高いと考えられた。7年が経過し、失踪宣告が可能になった時点では、Aの実母が生存していて、息子の死を受け入れ難いと考えられたため、失踪宣告の申し立ては行わなかった。その約1年後(失踪から8年後)に、Aの実母が亡くなったこともあり、Aの長男が家庭裁判所に失踪宣告を申し立てた。申立から1年半後(失踪から9年半後)に、審判で失踪宣告が出された。

 このケースでは、審判確定の日が消滅時効の起算点だとすると、問題なく死亡一時金が支給されるが、「死亡とみなされた日」が起算点だとすると、その日から2年半経過しているので、時効完成で支給されないことになる。

しかし、7年間所在不明の状態が続いても、その時点で死亡一時金の請求の手続ができるわけではない。失踪宣告の審判が確定するまでは、「人の死」は全く現実化していないのであり、「死亡一時金請求権」という債権自体が存在していない。請求の手続が行えるのは、審判が確定した後であるが、審判は裁判所の手続なので、申し立てからどれだけの期間がかかるのかも一律ではない(一般的には、1年余りかかると言われている)。つまり、消滅時効の起算点について、変更後の厚労省の解釈をとると、Aの事例では、請求は全く不可能になるし、一般的にも、請求ができないケースが続出することになる。

[遺族年金の事例]

20歳から60歳まで40年間の全期間保険料を納めた漁船の乗組員のBは、年金受給資格を得たが、受給開始前に、漁船が沈没して行方不明となり、1年経過後も死体が発見されず、生存の可能性は極めて低いと考えられた。Bの妻は、失踪宣告の申立てをして審判が確定したら遺族年金が給付されると社労士から知らされたが、Bの死を受け入れることができなかったため、Bが残した預金で食いつなぎ、Bの生還を待ち続けた。

7年後、ようやく気持の整理がついたことから、Bの妻は、失踪宣告の申立てを行い、約1年後に、「漁船沈没時に死亡したとみなす」旨の失踪宣告の審判が確定した(危難失踪)。

この場合、「死亡とみなされた日」から8年後に遺族年金を請求(裁定請求)しても、変更後の厚労省の解釈によれば、そのうち3年分の「支分権」は時効消滅していて、支給されないことになる。(この場合、厚労省の解釈によれば、「基本権」も消滅時効していて、遺族年金をすべて不支給にできることになるが、厚労省は、自らの裁量の範囲内で「時効を援用せず」、支分権が時効消滅していない5年分だけ支払ってやる方針のようだ。)

しかし、Bの妻にとって、Bが死亡したことによる「遺族としての生活」は、8年前の漁船沈没時から続いていたのであり、その間、遺族年金を受給せず、Bの預金で食いつないできたことで、その資産は確実に減少している。自らの気持ちの整理のために必要な歳月を経て失踪宣告の申立てを行うことは、民法上、権利として認められているのであり、その権利を行使しただけのBの妻には、8年分の遺族年金全額を支給するのが当然である。3年分を支給しないというのは、あまりに理不尽である。

(7年間生死不明の普通失踪でも、家族が12年以上、帰来を待ち続けた場合には、遺族年金の「支分権」が時効消滅することになる。)

死亡一時金の消滅時効をめぐる日本年金機構の現場と厚労省の混乱

厚労省は、「失踪宣告によって死亡とみなされた日が消滅時効の起算点になる」という解釈変更は、日本年金機構からの「疑義照会回答書の差し替え」という全くの内部手続で行った。それによって、遺族年金や死亡一時金の受給者に重大な影響が生じるにもかかわらず、国民に対する周知は全く行われなかった。

そればかりか、この解釈変更は、日本年金機構の年金事務所の現場においても、取扱いが十分に周知、理解されてはいなかったようだ。

今回、総務省年金業務監視委員会が取り上げた死亡一時金請求の事例に関して、年金機構の現場での対応は混乱し、厚労省の見解も二転三転した。

失踪宣告が出された後、遺族が年金事務所にAの死亡の手続きに行ったところ、「死亡一時金の請求ができるので請求してください。」と促されたので、請求を行ったにもかかわらず、消滅時効を理由に請求書が返戻されたのである。社会保険労務士が代理人となり、年金事務センターに返戻の理由を尋ねたところ、「失踪宣告の場合の消滅時効は失踪宣告によって死亡とみなされた日から進行する」という理由が記載された文書が送付されてきた。そこで、事務センターに、「民法の消滅時効の規定に抵触するのではないか」と尋ねたところ、副所長が、「厚労省にも上げて了解を得て回答しているが、個人的にはおかしいと思う」と述べたという。さらに、厚労省年金局に電話で尋ねたところ、「民法には抵触していない」との回答だったので、遺族は再度、請求書を年金事務所に提出するとともに、総務省年金業務監視委員会に調査の要請を行った。

同委員会事務室から厚労省年金局に問合を行ったところ、解釈変更後の死亡一時金についての取扱いをそのまま維持することは困難だと考えたようで、厚労省は「受給権者の責めに帰すべき事由が全くなく2年を経過してしまったことが明らかな場合などには、個別の事情を考慮して請求を認める余地がある。」と、例外的に請求を認める場合があるという内容の回答をしてきた。そこで、委員長の私が直接問いただしたのに対して、年金局は、「行方不明から7年を経過した時から2年以内に失踪宣告の申立てを行っている場合は、失踪宣告の審判の確定から一定期間内に死亡一時金の請求が行われれば、当該請求を認める」と、給付の範囲を拡大する方向に見解を改めてきた。さらに、3月19日の年金業務監視委員会の場では、「失踪宣告の審判確定から2年以内に請求があった場合には時効を援用しない」と再度見解を改め、結局、支払に対する考え方を2年前の解釈変更時に遡って適用する、という方針を明らかにした。

このように、日本年金機構の現場のみならず、厚労省年金局の対応までもが混乱と失態を繰り返したのは、「失踪宣告によって『死亡とみなされた日』から消滅時効が進行する」という解釈が、余りに不合理で常識外れだったからであろう。

結局、厚労省は、死亡一時金については、消滅時効による不支給の範囲を、2年前の解釈変更以前と同じ取扱いに戻したのであるが、それでも、消滅時効の起算点についての解釈自体は変えようとはしていない。消滅時効が完成していても、その時効を「援用」しないということで、消滅時効の起算点を審判確定の日としていた時期と取扱いを同様にするということである。それによって、法令解釈の誤りを認めないで済まそうとしているのである。解釈が誤っていたことを認めることで遺族年金の支払に影響が及ぶ事態を避けようとしているのであろう。

しかし、前にも述べたように、「所在不明高齢者問題」の多くは、不正受給の犯罪のという特異な問題である。年金受給者の所在確認という当然の措置がしっかりとられている限り、そのようなことが大規模に発生することは考えられない。

むしろ、上記の「遺族年金の事例」のように、失踪宣告制度の趣旨からは当然に保護されるべき遺族年金の受給権を失わせることの方が重大な問題なのである。

 いかなる理屈を持ってしても、このような厚労省の消滅時効の起算点の解釈と、それによる遺族年金、死亡一時金の支給の判断を正当化する余地はない。

行政庁の法令解釈の限界

 行政庁の法令解釈権にも一定の限界がある。それは、国民の負託を受け、国民の信頼の上で職務を行うべき社会的存在としての行政庁にとって、社会的に許容し難い解釈が行えないのは、当然のことである。

債権が存在しない以上、「権利行使可能」ではなく、消滅時効が進行する余地はない、というのは、法令解釈の「論理的な限界」であり、失踪宣告の申立てはすべて家族の意思を尊重し、国は介入しない、というのは、社会生活の基本法である民法の失踪宣告制度の趣旨からくる「制度的限界」である。

ところが、厚労省は、それらの限界を逸脱した法律解釈を行い、「遺族年金や死亡一時金がもらいたければ、家族の生還を待たないで、とっとと失踪宣告の申立てをせよ」と言っているのである。

それは、日本という国において、長期間生死不明となった人について、法律上の死亡をどのような要件で認めるのか、国が、それにどのように関わるのか、という人の死に対する社会の考え方の根幹に関する問題である。

そういうことに対して余りに無神経な姿勢、自らの不手際を覆い隠すため法律の拡大解釈、重大な取扱い変更を国民に全く周知しようとしない不透明なやり方などを見ると、残念ながら、数々の不祥事で国民から厳しい批判を浴びた年金行政の本質は改まっていないと言わざるを得ない。

そのことについて、厚生労働省の行政について国民に責任を負う立場にある田村憲久厚生労働大臣に、重大な説明責任が問われている。

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長谷川閑史社長はベストの危機対応で武田薬品を救えるか

圧巻だった長谷川社長主導の記者会見

武田薬品の高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告の問題を報じた2月27日、28日のNHKニュースに関して、一昨日の3月3日、当ブログで【NHK報道で追い詰められた武田薬品】と題する記事を出したところ、当ブログの閲覧数、閲覧者数共に最高を記録したのを始め、BLOGOS、ハフィントンポストにも転載され、大きな反響を呼んだ。

同日、武田薬品は、予定されていたメディア懇親会を中止、午後6時から急きょ、長谷川閑史社長が出席する記者説明会(同社主催の記者会見)を開催した。

その模様は、東洋経済のネット記事【ノバルティスに続き、武田薬品でも不正が発覚 第三者機関による調査の結果が焦点に】などでも詳しく紹介されているが、武田薬品の対応は、以下の点で、重大な不祥事に直面した企業の危機対応として適切なものだったと評価できる。

会見の冒頭で、長谷川社長は、「臨床試験に対する一連の報道によって不安を抱いている患者、医薬関係者に早急に現時点で把握している情報を開示させていただくことが、何にもまして必要かつ誠実な対応だ。」と記者会見を開催した理由について述べた

長谷川社長、営業本部長など3人の会見者は、冒頭で、立ったまま頭を下げて謝罪し、途中では、広告に使ったグラフが、論文に掲載する前の学会発表に用いたものだったことを認めた上で、製薬業界の広告に関する自主ルールでは、論文から引用すべきとされているのに、学会発表のデータを使用した点、効果について他の薬と統計的に有意な差がないのに、差があるように誤解されるような表現があった点が不適切だったと認め、「深く反省し、お詫び申し上げます」と述べた。一方、臨床試験データの改ざんはないこと、研究チームへの奨学寄附金についても適切に拠出されていて利益相反上の問題はないことを強調した。

会見上では、会見者の背後に大きなスクリーンを用意し、そこに、広告宣伝に使用したグラフと論文のグラフを映し出して、大きな違いがないことを、映像的にわかりやすく説明した。そして、会見の中で第三者機関を設置して調査を行う方針を明らかにした。

会見の冒頭の長谷川社長の発言で、会社として、問題をどのように受け止め、どのように対応しようとしているのかを示したこと、記者からの質問に対しても、重要な点については社長自らが答えたこと、自社の主張を視覚的にわかりやすく表現したこと、第三者委員会の設置を迅速に決断し、会見で公表したことなど、いずれも危機対応としては極めて適切だったと言えよう。

記者会見によって報道は沈静化

このような危機対応の結果、新聞各紙の朝刊記事やテレビニュースは、昨日の会見での武田薬品側の説明と謝罪の内容を、比較的小さく淡々と伝えており、今のところ、企業不祥事に対するバッシング報道につながる気配はない。

企業不祥事の記者会見に関しては、「立ち上がって深々と頭を下げる謝罪」が、新聞、テレビニュースなどで大きく取り上げられ、不祥事について企業側に弁解の余地がなく、問答無用の悪事であること」を印象づけ、問題が単純化されることにつながる場合が多いが、今回の武田薬品の会見については、冒頭の会見者が頭を下げているシーンを取り上げている新聞、テレビは殆どない。

高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告の問題に関するマスコミの追及が、このような程度にとどまり、批判・非難が高まっていないのは、NHKニュースによる報道などを受けて、迅速な対応が決定され、長谷川社長中心に行われた記者会見で、会社側の主張が、マスコミ側に十分に理解されたことよるところが大きいものと考えられる。

もし、会見を、担当役員以下に委ねていたら、論文データや、学会データ、広告宣伝の内容について、記者から厳しい追及を受け、誇大広告の疑いについて、弁解の余地のない状態に追い込まれていた可能性もある。

拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか 相次ぐ「巨大不祥事」の核心】(2013年毎日新聞社)で取り上げている、昨年後半に表面化した、カネボウ化粧品、みずほ銀行、阪急阪神ホテルズの不祥事では、いずれも、企業が危機対応に失敗し、不祥事の中身について重大な誤解を招いたがゆえに、もともと重大な不祥事ではないのに「巨大不祥事」化していった。これとは対照的な今回の武田薬品の対応は、危機対応におけるディフェンスのフォーメーションの在り方として、多くの企業において参考にすべきであろう。

「誇大広告疑惑」は解消されたか

しかし、危機対応がいくら適切に行われたからと言って、決して、前回のブログで「史上最大の企業不祥事」と表現した総売上1兆4000億円の高血圧治療薬をめぐる今回の問題の疑惑が晴れたわけではない。

武田薬品は、追跡期間42か月以降、ブロプレスがCa拮抗薬・アムロジピンに比べ、良好な心血管イベント抑制効果を示しているように見えることを強調。“クロス”という言葉を用い、長期投与による同剤の有効性を訴求してきた。この点について同社の医薬営業本部長の岩崎真人氏は、「統計学的に有意差はないものを交差するという言葉を使ったが、これは誤解を与える可能性のあった内容であったと反省している」と謝罪した。実際には、カルシウム拮抗薬とブロプレスは、心疾患に対する抑制度は変わらないのにもかかわらず、長期に渡って投与すればブロプレスのほうが優位だと思わせていることになる。つまり、ブロプレスを長期投与すると他の薬剤より心疾患を抑えることが期待できるという誤解を生むことから、多数の種類が製造されている高血圧治療薬の中で医師が薬を選択する際、大きな誘引材料となることは間違いない。武田薬品の記者会見は、この点について「プロモーションコード(業界団体の規約)違反」という表現を用い、業界内の規約の違反にすぎないかのように印象づけているが、薬事法に違反する誇大広告に当たらないことの説明にはなっていない。

また、広告宣伝に、「論文のデータ」ではなく、「学会発表のデータ」を使用したことが業界団体の規約違反だったと説明しているが、その会社側に有利な「学会発表のデータ」というのは、どのようにして作られたのか、という点に重大な問題がある。2月28日のNHKニュースで、研究チームの代表者の猿田氏が、「広告の記事内容は誤りで、事前にチェックすべきだった」とコメントしたとされているが、「学会発表のデータ」であれば代表者の猿田氏が把握していないはずはなく、「記事内容は誤り」ということにはならないはずだ。記者会見では、このデータの作成は研究チーム側が行ったもので武田薬品は関与していないかのように説明しているが、上記の猿田氏のコメントとは矛盾する。

「誇大広告」刑事告発は回避できるのか

一昨日のブログでも書いたように、厚労省が、既に、ブロプレスと同じARB高血圧治療薬であるノバルティスファーマ社のディオバンの問題に関して、誇大広告の薬事法違反で刑事告発を行っている以上、ブロプレスの問題に関しても、違反が成立する限り、刑事事件としての立件が問題とならざるを得ない。記者会見によって当面の危機は回避しように見える武田薬品だが、高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告問題による危機を脱したと言えるだろうか。

記者会見で、武田薬品側は、「第三者委員会の調査を待ちたい」としながらも、現時点では、今回の問題は誇大広告には該当しないと判断している旨答えた。

その理由について、担当部長は、「提供している情報は効能内の情報を超えたものではない。効能外の利用を促進するためではない。」と説明し、長谷川社長が、それに補充して、「臨床試験の結論は有意差がないということであり、グラフでも専門家がみれば誰でも分かるような形で表記されている。(広告の記述が)その内容と異なるのは不適切であったが、我々は誇大広告とは判断していない」と述べた。

しかし、グラフ自体は「有意差がない」という内容になっているとしても、広告の文言でそれとは異なった説明をしていれば、「誇大な記事の広告」に当たることは明らかであり、長谷川社長が述べている点は誇大広告を否定する理由にはならない。

また、「有意差がないものを有意差があるかのようにゴールデンクロスと表現したことが誇大広告に当たるのではないか?」との記者の質問に対して、担当部長は「(他の薬)と比較してどちらが長期に使ったらいいかを示唆したもので、ブロプレスの薬効そのものには関係ないので薬事法には抵触していない。」と述べた。

この説明は、「厚労省で承認されている高血圧治療薬の効能に関して広告をしたものであり、(ノバルティスファーマ社のディオバンの問題のように、)その効能とは別の他の症状に対する効能を広告したものではない」「他の薬との比較を述べただけで、薬の効能そのものに問題ないのだから誇大広告には当たらない」という趣旨であろう。

しかし、薬事法66条の誇大広告の禁止規定は、「何人も、医薬品…(中略)…の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」と定めているのであり、「承認された効能の範囲か否か」で区別していない。また、「比較広告」が典型的な広告の手法であることは常識であり、「効能自体に問題はないから誇大広告には当たらない」という理屈は通らないのである。

一昨日のブログ記事【NHK報道で追い詰められた武田薬品】でも述べたように、武田薬品が行った広告が、誇大広告を禁止する薬事法の規定に違反するものであることは否定できない。ディオバンの問題に関しては、データ改ざんという不正が行われたのは、Jikei Heart Studyなどの大学での臨床試験であり、それがノバルティスファーマ社の広告宣伝に活用された経緯や、社内での意思決定のプロセスは明らかになっていない。にもかかわらず、厚労省は、同社を「被疑者不詳」のまま薬事法違反で刑事告発した。

武田薬品の問題は、同社が、記者会見で強調したように、臨床試験の「データ改ざん」が行われたのではなく、そのデータを活用した広告宣伝に「虚偽又は誇大な記事」があったというものであり、まさに典型的な誇大広告の薬事法違反なのである。

同ブログ記事でも述べたように、今回の武田薬品のブロプレスの問題に関して、薬事法の誇大広告の禁止違反の罰則が適用されるかどうか、最大の問題は公訴時効である。時効期間の最近3年以内まで広告宣伝行為が行われていなければ、時効完成ということになる。この点に関して、武田薬品側は、会見で、「宣伝は、明日以降は速やかに解消する」と述べ、問題のパンフレットを用いた宣伝が、会見の直前まで行われていたことを認めた。

こうなると、厚労省としても、武田薬品の刑事告発を回避することはほとんど不可能になったと見ざるを得ないであろう。

「真の医薬品コンプライアンス」の観点からの検証・総括を

今後、注目されるのは、設置の方針が明らかにされた第三者機関(第三者委員会)が、どのようなメンバーで、どのような位置づけ、役割を与えられて設置されるのか、どの程度、独立性、中立性が確保されるのかである。前に述べた2013年3大不祥事では、いずれの企業も第三者委員会を適切に活用できなかったことによって事態は一層深刻化した。とりわけ、みずほ銀行問題では、名目だけの「第三者」委員会が設置され、当たり障りのない銀行側の言い分をなぞっただけの報告書公表にとどまったことが、同銀行に対する誤解を一層拡大させ、金融業界全体を巻き込んだ「巨大不祥事」にまで発展した(【企業はなぜ危機対応に失敗するのか】2013年毎日新聞社)。

記者会見で武田薬品側は、「誇大広告に当たるか否かは第三者委員会の調査を待ちたい。」と述べたが、上記のように、誇大広告の成立については、現時点においても、否定する余地はほとんどない。

重要なのは、武田薬品が、「法令遵守」ではなく「社会の要請に応えること」という意味のコンプライアンスの観点から、今回の問題を検証することである。高血圧治療薬に対する「社会の要請」は、「血圧を下げる」という第一次的な効能ばかりではなく、それによって実質的に脳疾患、心疾患などの疾病を予防することである。そのような観点から、総売上が1兆4000億円に上る高血圧治療薬ブロプレスについて、他の薬より心疾患を予防できるかのような表現を使って行ってきた営業、広告宣伝といった事業活動が、「高血圧治療薬に対する社会の要請」という面から、どのような問題があったのか、何を反省すべきなのかについて、独立性・中立性を確保した第三者委員会の調査・検討によって明らかにされるべきである。それができれば、むしろ、医薬品最大手の武田薬品に対する信頼が一層高まることにつながるであろう。(【第三者委員会は企業を変えられるか】2012年毎日新聞社)

さらに、武田薬品の対応が、医薬品メーカーに対する社会的責任を十分に果たしたものと評価されれば、今回の問題について、形式的に誇大広告の薬事法違反が成立しても、実質的には罰則適用の必要がないとの判断がなされることも可能となる。それは、ディオバンのデータ改ざんに関する元社員の関与等の疑惑について、記者会見を開くこともなく、十分な説明責任も果たさず、厳しい社会的批判を浴びたノバルティスファーマ社との関係で、刑事告発について異なった取扱いをすることの合理的な理由にもなり得るからである。

長谷川社長を中心に行われた危機対応は、問題が表面化した現段階で、マスコミ報道による社会的批判・非難の拡大を防止することに関してはベストの結果をもたらした。

それが、その後、第三者委員会の設置によって、事案の真相究明と原因究明が行われ、問題の本質が明らかにされ、医薬品最大手としての信頼回復が果されることにつながるのかどうか、長谷川社長のリーダーシップ、危機対応の真価が問われるのはこれからである。

 

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NHK報道で追い詰められた武田薬品

医薬品トップ企業の誇大広告を暴いたNHK報道

医薬品最大手の武田薬品工業が、14年間での売上が1兆4000億円余りに上る高血圧治療薬「ブロプレス」に関する「重大な犯罪」、そして、医薬品メーカーとしてのコンプライアンスの根幹に関わる「重大な不祥事」に直面している。

同社のトップ長谷川閑史氏は、経済同友会の代表幹事、日本製薬工業協会会長を務める財界のリーダーであり、政府の産業競争力会議の民間議員として、安倍政権にとっても重要な地位にある。

そういう日本の財界のトップ企業を追い詰める報道を行ったのが、籾井会長の失言問題によって公共放送としての組織のガバナンスの根幹が問われているNHKの報道班だ。

2月27日の午後6時のニュースで、「大手製薬会社、武田薬品工業が販売する高血圧の治療薬が、狭心症などの発症をどのくらい抑えられるのか調べた大規模臨床研究のデータが、薬の宣伝広告に使われた際、一部、病気を発症するリスクが低くなるよう変わっていたことがわかりました。」などと報じたのに続いて、翌28日の午後6時、7時のニュースでは、「ほかの製薬会社の薬と比べた臨床研究の結果を、平成18年ごろ、薬の宣伝広告に使った際、一部、病気の発症を抑える効果が高くなるようデータが書き換わり、研究の結果と異なるグラフが作られていたものです。さらに広告では、複数の専門家がこのグラフの意味を解説する形で、ブロプレスをより長期に使うと、狭心症などになる割合が減っていくなどと、臨床研究の結果と異なる宣伝をしていたことが新たに分かりました。」と報じた。

決定的なのは、28日のニュースで、「臨床研究結果の解説をしていた1人で、臨床研究を行ったチームの代表者だった猿田享男慶応大学名誉教授が、NHKの取材に対し、『広告の記事内容は誤りで、事前にチェックすべきだった。』と話しています。」と、広告の記事が誤りであることを正面から認める研究チーム側のコメントを報じたことだ。

ノバルティス社に続く誇大広告薬事法違反の表面化

昨年、ノバルティスファーマ社の高血圧治療薬ディオバンの臨床試験に関して、全国6大学の臨床試験データが改ざんされていたことが明らかになり、狭心症などへの効能に関して事実に反する宣伝広告が行われていた問題について、厚労省が同社を薬事法違反(誇大広告)で東京地検に告発、東京地検特捜部は、同社と、臨床試験を行った大学等に対して、捜索差押を行っている。

それと同種の高血圧治療薬の臨床試験に関しても重大な不正が行われていたことを報じたNHKの報道は、最近の企業不祥事報道の中でも特筆すべきものと言えよう。

当ブログ記事【ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省】【ノバルティス社告発、何が「犯罪」なのか】でも述べたように、ディオバンの事件については、同社社員が大学での臨床試験データの改ざんに関わっていたとしても、その事実が、同社において宣伝広告を行う部門において認識されていた事実がなければ、法人としての同社について違反に問うことは困難であり、刑事事件での起訴のハードルは高い。

しかし、今回、NHKが報じている武田薬品の問題は、臨床試験データの改ざんなどというややこしい問題ではない。論文で発表された臨床試験のデータを、一部、病気の発症を抑える効果が高くなるようデータを書き換え、研究の結果と異なるグラフを作り、事実に反する広告宣伝を行ったという極めて単純な話だ。報道の通りだとすると、それが社内のどのレベルまで関与して行われたかは別として、武田側に誇大広告の薬事法違反が成立することは否定し難いのではないか。

薬事法の誇大広告に関する罰則は、「2年以下の懲役」、「2百万円以下の罰金」のいずれか又は併科であり、公訴時効が3年なので、論文のデータと異なったグラフを用いた広告宣伝が2011年3月以降まで継続していことが条件となるが、それが充たされている限り、ノバルティスファーマ社の事件の捜査の対象が、武田薬品に拡大することも十分にあり得る。

医薬品メーカーのコンプライアンス問題としての重大性

今回の高血圧治療薬ブロプレスの広告宣伝をめぐる問題は、薬事法という法令に関して重大な問題であることは明らかだ。しかし、問題は、決してそれだけに留まるものではない。それ以上に重要なことは、今回の問題が、医薬品メーカーのコンプライアンスの根幹を揺るがす極めて重大な問題だということである。

私は、コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「社会の要請に応えること」だと、拙著【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書:2007年)などで一貫して述べてきた。

医薬品メーカーにとっての「法令遵守」は、薬事法の規定に従って、治験を正しく行って効能を確認し、厚労省の承認を受けた医薬品を製造販売することである。しかし、高血圧治療薬の場合、血圧を下げるという効能の先には、実質的に脳疾患や心疾患等の疾病の治療、改善・予防の効果が期待されているのであり、本当の意味で「社会の要請」に応えるためには、薬を処方する医療者に、その点について正確な情報を提供しなければならない。

「高血圧症」というのは、脳疾患、心疾患等のリスクを高めるとされている「血圧の状態」であって、その症状自体というより、高血圧症から引き起こされる重大な合併症の方が問題となる。つまり、高血圧治療薬の目的は、第一次的には「血圧を低下させること」であるが、最終的な目的は、脳疾患、心疾患等のリスクを低下させることであり、その目的に対してどの程度有効であるかについては、多くの患者に対する臨床試験を行うことで明らかになる。その臨床試験の結果をふまえ、それぞれの医師が、どの薬を患者に処方するかを判断することになる。

そういう意味で、高血圧治療薬に実質的な疾病予防の効果があるのか否か、どの程度の効果があるのか、ということに関して、「正確な情報を提供すること」は、医薬品企業の「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスにとって、極めて重要なことなのである。

今回明らかになった、臨床試験結果のデータを偽って宣伝広告に使用する行為は、医薬品のコンプライアンスの根本を揺るがすとして極めて重大な不祥事だと言わざるを得ない。

28日のNHKのニュースでは、この問題に関する武田薬品側のコメントが紹介されている。その中の「治験で確認された、血圧を下げるという薬の効果には問題ない。」という言葉は、日本の医薬品最大手企業である同社のコンプライアンスの考え方が、「薬事法遵守」のレベルに止まっていて、医薬品メーカーとしての真のコンプライアンスとは程遠いものであることを端的に表したものといえる。「治験によって効能を確認し、製造承認を受けるという薬事法上の『法令遵守』に関して問題はない。発売後の臨床試験やその結果に基づく広告は、薬事法に関して重要な問題ではない。」というのが同社の認識なのであろう。そこでは、高血圧治療薬に関する医薬品メーカーに対する重要な「社会の要請」が見過ごされている。それだけではない。それが、薬事法上も誇大広告の禁止の規定に触れる違法行為だという「法令遵守」に関する認識も欠落しているように思えるのである。

武田薬品側のコメントは、高血圧治療薬に関して、臨床試験によって明らかにすべき薬の実質的な効果の重要性と、それに伴う社会の要請を十分に認識していないことを端的に表すものである。このようなコメントを引き出して報じたことにも、NHK報道班の的確な問題意識が表れていると言えよう。

日本における高血圧治療薬の現状

高血圧治療薬には、利尿薬、カルシウム拮抗薬、アンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACEI)、アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)などの種類があり、それぞれの種類ごとにいくつもの薬が製造されている。

これらは、いずれも相応の血圧低下の効果は認められているが、心臓等の臓器保護作用などの副次的作用については、様々な評価があり、高血圧症の患者に対して、そのうちどの薬を処方するのかは、現場で診療に当たる医師の判断に委ねられる。

世界的には、高血圧の治療薬で一番推奨されているのはサイアザイド系利尿薬であり、売上も多い。ところが、日本においては、武田薬品のブロプレスと、ノバルティス社のディオバンが、いずれも1000億円以上を売り上げ、2012年には全医薬品の売上ランキングの1位、2位となるなど、ARB高血圧治療薬が圧倒的多数を占める。それがいびつな状況であることは、以前より一部の医師等から指摘されてきた【「本当に」医者に殺されない47の心得 [心得13] 高血圧の治療薬 そのいびつさ】。

そのような日本における高血圧治療薬をめぐる状況に大きな影響を与えてきたのが、大学等で行われてきた臨床試験である。上記のように、高血圧治療薬の最終的な目的は、脳疾患、心疾患等のリスクを低下させることなのであるから、医師はそのために最も効果的な薬を選択しようとする。高血圧治療薬による脳疾患、心疾患等の予防・改善効果を総合的に検証するために行われる臨床試験の結果が、医師の判断に重要な影響を与えるのは、ある意味では当然と言えよう。

慈恵医科大学を中心に行われた「Jikei Heart Study」 では、ARBのディオバンが脳疾患、心疾患等のリスクを低下させるとの臨床試験の結果が出されて医学雑誌等で公表された。そして、京都大学、大阪大学等の研究チーム「CASE-J」による臨床試験では、ARBのブロプレスとカルシウム拮抗薬のノルバスク(ファイザー社)との効果の比較が行われた。

このような臨床試験に関して、「データの改ざん」が行われ、改ざんされたデータによる広告宣伝が行われたのがディオバンの問題、「データと異なる広告宣伝」が行われたのが、今回の武田薬品のブロプレスの問題なのである。

ARB高血圧治療薬に対して膨大な医療費が投じられてきたことは、果たして国民の健康に、高血圧症によって起きる心疾患、脳疾患の予防・改善にとって合理的だったのだろうか。日本の高血圧医療の在り方にも深刻な疑問を生じさせるのが、今回の一連の問題なのである。

高血圧治療薬のほとんどが特許切れで低価格で販売されている中、特許期間が残存していたARBだけが高価格を維持してきたが、2014年にはディオバン・ブロプレスいずれも特許切れを迎え、それ以降は、薬価も下がり、ジェネリック医薬品の登場で売上が低下することが予想される。2つのARB高血圧治療薬について、特許切れ前の最後の時期に、臨床試験のデータを不正に使用した広告宣伝が行われ、医薬品メーカーに膨大な利益をもたらしたことになる。

ノバルティス社を告発した厚労省には告発回避の選択肢はない

今回の誇大広告問題の問題は、約1兆4000億円に上る対象医薬品の売上規模のみならず、日本の医薬品業界のトップ企業が起こした医薬品メーカーのコンプライアンスの根幹に関わるという問題の中身においても、「史上最大の企業不祥事」だと言えるであろう。

籾井会長問題でガバナンスの危機にさらされるNHKは、医薬品業界のリーダーであり、日本の財界においても重要な地位を占める武田薬品の重大な不祥事の報道で、公共放送である報道機関としての役割を十分に果たした。

それは、既に、厚労省が、ディオバンの問題に関してノバルティス社を刑事告発していることと相まって、今後の刑事事件の展開に大きな意味を持つことになる可能性がある。

ディオバンもブロプレスも、いずれも、売上1000億円を超えるARB高血圧治療薬である。前掲ブログ記事でも述べたように、ディオバンについては、臨床試験でデータ改ざんが行われたことが明らかだとは言え、ノバルティス社内部の広告宣伝を行う側でデータ改ざんを認識していたことの立証は容易ではなく、刑事立件は相当に困難である。そのような誇大広告事件について敢えて刑事告発を行った厚労省にとって、論文のデータと異なる広告宣伝を行ったという、弁解の余地のない誇大広告について、公訴時効の問題がクリアされるのであれば、刑事告発を回避する選択肢があるとは思えない。

スイスのノバルティス社と日本の武田薬品とで、差別的な取り扱い行った場合には、国際的な問題にも発展しかねないという問題もある。

そのような状況を考えれば、検察当局も、本件の刑事立件の可能性について、早急に検討を行う必要がある。立件が可能と判断された場合、検察は、その捜査権限を、最大限に、なおかつ適正に活用して、公共放送の報道によって明らかになった「史上最大の企業不祥事」の真相に迫る役割を担うことになる。

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