「サケ弁当」問題で露呈した特定秘密保護法の危うさ

食材の虚偽表示問題を受け、消費者庁が昨年12月に公表したメニュー表示のガイドライン案をめぐり、森雅子消費者担当大臣は7日の閣議後記者会見で、「サーモントラウト(ニジマス)」を使って「サケ弁当」と表示しても必ずしも景品表示法違反にはあたらないとの見解を示した(2月8日付日経「『サーモントラウト』使っても『サケ弁当』はOK 食材表示案 消費者相が見解」 )

昨年12月、消費者庁は、食材の虚偽表示問題を受けて公表した「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について(案)」の「メニュー表示に関するQ&A」の中では、「サーモントラウト(和名:ニジマス)をサーモンと表示することは問題がある」とされていた。

このガイドラインの考え方に対して、外食業界側から強い反発があり、ニジマスを使用したサケ茶漬け、サケおむすびはどうなのか、という議論に発展していたことが、今回の森大臣の発言でのニジマスを使った「サケ弁当」を容認する発言につながったのであろう。

森担当大臣は、「表示された食材の半値以下のものを使うのは、消費者に著しく優良だと誤認させ不当表示にあたるが、一般的に消費者が認知し、値段が安価で両者の間に差がない場合は違反にならない場合がある」と述べたとのことである。

「表示された食材の半値」というのが、「優良誤認」による不当表示に当たるか否かの基準だということだが、この「半値」というのは、どこで成立しているどういう「価格」に基づいて判断するのであろうか。

「一般的に消費者が認知し、値段が安価で両者の間に差がない」場合には不当表示に当たらない、だから、ニジマスをサケと称するのはOKだというが、サケ弁当に使われている魚がニジマスであることは、少なくとも、私は知らなかった。「一般的に消費者が認知していること」を知らなかったとするとお恥ずかしい話であるが、果たしてそうなのであろうか。

中華料理店などでは、バナメイエビも含め、小型のエビを「シバエビ」と呼んでいたようであり、報道では、「シバエビは仕入れ値が1キロ当たり2500円、バナメイエビは同1400円」とされていた。消費者庁は、バナメイエビを「シバエビ」とメニュー表示するのは、「問題がある」としているが、森大臣が示した見解だと、不当表示には当たらないように思える。

明らかな見解の不統一であり、不適正な法運用と言わざるを得ない。

ガイドラインで示された法適用の基準が、大臣の発言で簡単に変更される、しかも、その論理が明らかに破綻しているというのでは、法執行機関の体をなしていないと言わざるを得ないだろう。

当ブログ【お上にひれ伏す「巨大不祥事」企業】で述べたように、阪急阪神ホテルズの問題を契機に、外食産業から百貨店業界にまで波及する大きな社会問題となった「食材偽装」問題に関して、消費者庁は、マスコミで騒がれた阪急阪神ホテルズの事案に対しては、景表法で排除措置命令を出し、殆ど同様の問題でもマスコミが取り上げなかったプリンスホテルの事案は調査すら行わない、という偏頗な法運用を行った。

偏頗な法適用に対する抵抗もなく、景表法の解釈についての「場当たり的解釈」も意に介することなく、不当表示を含む景表法違反に対して課徴金の導入を検討しているのが、森雅子大臣が担当大臣をつとめる消費者庁である。このような曖昧な基準で、課徴金が課されたり課されなかったりするというのは、事業者にとって余りに不公平であり、法律の運用として到底許されることではない。

そもそも、飲食店等における食材の提供というのは、素材の客観的な属性、成分だけではなく、そのイメージも含めて、消費者に価値をもたすものである。その両面から評価して、消費者に著しい誤認を生じさせ、選択を誤らせる行為は厳格に取り締まる必要があるが、厳密に呼称の正確性を貫くことが、消費者利益を図ることになるものではない。

消費者庁のガイドラインで問題とされた「牛脂注入牛肉」の問題についても同様のことが言える。それが、安価な牛肉に高級和牛の牛脂を注入することで高級牛肉と変わらない味を楽しんでもらうというのは、食材を提供する事業者の一つの「創意工夫」と言える。それを「牛脂注入」と明示させることで、料理のイメージが著しく損されることは否定しがたい。

そのようなことを徹底していけば、高級食材と低級食材の価格差はさらに拡大し、一握りの富裕層以外の多くの庶民は、イメージの悪い料理を、みじめな思いをしながら食べるしかなくなるのである。それが、社会にとって本当に望ましい方向なのであろうか。

「サケ弁当」「サケ茶漬け」などをめぐる議論の混乱の原因は、「食材表示」問題についての消費者庁の考え方自体が誤っていることにある。消費者問題担当大臣として行うべきことは、食材表示問題についての真の消費者利益というのは何なのかを、根本的に考え直すことなのである。

ところが、森担当大臣は、ガイドラインで基準を示したものの、事業者側の反発で、それを徹底することが難しくなると、「表示された食材の半値以下」、「一般的に消費者が認知」、「値段が安価で両者の間に差がない」などという曖昧な基準で、「その場しのぎ」をしようとしているのである。

もう一つの深刻な問題は、弁護士でもある国会議員として、消費者庁担当大臣と特定秘密保護法の特命担当大臣をも兼務する森雅子氏に、法律の運用に関する「場当たり的解釈」についての自覚が全くないように思えることだ。

景表法違反に対する法的措置として課徴金を導入するのであれば、不当表示についても、成立要件を明確化し、恣意的運用を排除することが不可欠である。それは、運用如何によって重大な人権侵害を生じる恐れのある特定秘密保護法案についても強く言えることである。「特定秘密」とは何かについて客観的で恣意性を排除した基準が示され、不当な秘密指定が行われることをどのようにしてチェックするのかについて、有効な方策が講じられなければならない。それを、景表法の不当表示の問題で露呈したような「都合の良い解釈」でごまかされたのでは、たまったものではないのである。

昨年12月に、与党の強行採決で成立した特定秘密保護法は、今後、法律の運用の枠組み作りという重要な段階を迎える。景表法の不当表示の問題で露呈した森担当大臣の「法執行の適正さに対する感覚の鈍さ」は、特定秘密保護法の運用の枠組み作りの「適正さ」に対しても重大な懸念を生じさせるものと言わざるを得ない。

 

 

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ノバルティス社告発、何が「犯罪」なのか

1月11日の当ブログ【ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省】に続いて、厚労省が東京地検に告発したノバルティスファーマ社の薬事法違反(誇大広告)の事件について、大学の調査結果や報道等で明らかになっている事実を前提に、刑事事件として立件する上でどのような問題があるのかを指摘し、一般的に「官公庁の告発」をめぐる問題について考えてみたい。

厚労省が今回の告発で適用を求めたのは、薬事法の誇大広告の禁止の罰則である。

薬事法66条1項は、「何人も、医薬品、医薬部外品、化粧品又は医療機器の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」と規定している。

その違反に対しては、85条4号の罰則が適用され、「2年以下の懲役」、「2百万円以下の罰金」のいずれか又は併科される。そして、両罰規定(90条本文)で、法人の代表者、従業者等が、法人の業務に関して違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人に対しても罰金刑を科すこととされている。

「ノバルティス社と広告に関わった同社の氏名不詳の社員を刑事告発した」と報じられたことから、厚労省は、「どの社員が行為者なのかは特定できないが、法人としてノバルティス社について、薬事法違反の犯罪が成立することは明らかだ」と判断して告発したように思われたのではないか。

しかし、日本の刑事司法においては、両罰規定による法人の処罰は、行為者個人についての犯罪成立が前提とされており、行為者が不特定で、行為者について犯罪が成立するか否かが不明確なまま、法人だけが処罰されることは、刑事実務上あり得ない。

法人処罰については、古くから、自然人個人ではなく、組織体としての「法人の行為」を認め、法人に対する刑事責任を追及すべきだという「組織体責任論」に基づく立法論が存在する。特に、カルテル、談合などの独禁法違反行為については、法人事業者の事業活動の中で、事業者の利益のため行われるものであり、しかも、「事業者は・・・してはならない」などと「事業者」が禁止規定の名宛人として規定されていて、事業者自体が違反行為を行わない義務を負っているのであるから、「法人の行為」を認め、行為者個人とは切り離して法人事業者を処罰の対象にすべきではないか、という議論が行われてきた。

しかし、実際には、そういう独禁法違反事件についても、「法人に対する刑事責任の追及は行為者及び行為の特定が前提」との原則は、例外なく守られてきた。

今回、厚労省が告発した薬事法の誇大広告の禁止の規定では、禁止の名宛人は「何人も」とされており、「すべての自然人」を意味し、「法人」は含まれない。したがって、上記のような独禁法違反などについて「法人の行為」を認めるべきとする見解からも、行為者を特定せず、個人の犯罪行為が成立しないまま、法人に対して刑事責任を追及する余地はない。

今回問題になっているのは、ノバルティス社の広告宣伝が、「虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布」に該当する疑いがある、ということだ。降圧剤バルサルタンが、高血圧だけでなく心疾患等についても効能があるということを、多数の大学の研究者の論文によって根拠づける宣伝広告を行っていたが、データの不正操作等があったことが判明して論文が撤回されたことから、心疾患等に対しての効能の根拠は失われたことから「虚偽又は誇大」の疑いが生じている。

この規定で禁止されているのは、「虚偽又は誇大」であること認識しつつ「広告宣伝を行う行為」であり、「降圧剤が高血圧だけでなく心疾患等に対しても顕著な効能があることが臨床研究によって裏付けられている」という宣伝内容が事実に反することを認識した上で、臨床研究の結果を使った広告宣伝を行ったのでなければ、罰則を適用することはできない。

厚労省は、誇大広告の禁止の違反行為者を「氏名不詳」として、法人としてのノバルティス社を告発したのであるが、この場合、法人としての同社に罰則を適用するためには、同社の代表者、従業者等の特定の自然人が「違反行為者」と認められることが必要である。

同社の特定の社員が「降圧剤バルサルタンが心疾患にも効能があることを裏付ける臨床研究」でのデータ解析に関与し、データの改ざんに関わっていた疑いは指摘されているが、それが事実だとしても、その社員が広告宣伝にも関わっているのでなければ「違反行為者」に該当しない。

ノバルティス社の社員の誰かが、大学での臨床研究でのデータ改ざんに関わっていて、それとは別の誰かが、改ざんとは知らずに臨床研究の結果を使った広告宣伝を行っていた、というのでは足りないのである。

つまり、法人としてのノバルティス社について、「犯罪ありと思料する」というのは、大学での臨床研究でのデータ改ざんを具体的に認識した上で、広告宣伝を行っていた社員が、同社の社内に存在すると「思料する」のでなければならない。

ノバルティス社内で、大学の臨床研究への関与と商品の広告宣伝の担当部門相互の関係がどうなっているのか詳細は不明だが、同社の日本での売上の規模からすると、一般的に考えて、別の部門で行われていると見るのが合理的であろう。

そうだとすると、「違反行為者」が存在するとすれば、次の二つのいずれかである。

一つは、臨床研究でのデータ改ざんに関わった社員と広告宣伝を行う部門の社員との間で、データの改ざんが行われていることについて何らかの意思疎通が行われていた、つまり、両部門が協力して虚偽の広告を行っていた場合、もう一つは、両者の共通の上司の指示によって、臨床研究でのデータ改ざんへの関与と広告宣伝が行われていた場合である。

厚労省は、そのいずれであると「思料した」のであろうか。

官公庁の告発をめぐっては、「犯罪ありと思料する」とはどのような場合か、官公庁側は、どの程度まで自らの調査を行った上で告発すべきなのか、などに関して、官公庁と検察との間で様々な確執があった。その典型が、独占禁止法違反の犯罪をめぐる公正取引委員会と検察の関係である。

1990年代、日米構造協議でアメリカ側から独禁法の運用の強化の一環として刑事罰の積極適用を求められた公正取引委員会と検察との間でも、告発をめぐって様々な確執があった。ちょうど、1990年4月に検察から公取委に出向した私が、まず取り組んだのが、独禁法違反に対する刑事罰適用の枠組み作りだった(拙著【検察の正義】(ちくま新書))。

独禁法違反については、「この法律の規定に違反する犯罪があると思料するときは、検事総長に告発しなければならない」(74条)とされ、しかも、公取委の告発が無ければ刑事事件として起訴することができないという専属告発が定められている。

公取委は、独占禁止法の運用を一元的に行う専門官庁で、しかも、独立行政委員会として内閣からも独立した位置づけが与えられている。独禁法に関する問題は、すべて公取委独自の判断で行いたいという考え方が強い。独禁法違反に対して刑事罰を適用すべきとする告発の要否の判断も、独禁法という法律の運用の一つなのであるから、公取委が、従来からの独禁法の考え方にしたがって、その裁量で行うべきだというのが公取委側の基本的な考え方だった。公取委側の裁量で告発し、検察は告発を受けて刑事事件として起訴できるかどうかを判断し、起訴したくなければ不起訴にすれば良い、というのが公取委側の理屈だった。

一方、検察にとっては、行政庁が「犯罪ありと思料」して告発した事件を不起訴にすることは、行政庁と異なった判断をしたことについて説明責任が生じることになるので、最も避けたい事態である。

とりわけ、独禁法については、公取委の「告発に係る事件について公訴を提起しない処分をしたときは、検事総長は、遅滞なく、法務大臣を経由して、その旨及びその理由を、文書をもつて内閣総理大臣に報告しなければならない」(74条3項)という規定があり、告発された事件について不起訴処分をした場合には、内閣総理大臣への報告という重々しい手続が義務付けられており、重大な説明責任を負うことになる。検察側としては、公取委から告発を受ける事件は、事前に、起訴できる見通しが立てられるものに限定したいというのが本音だった。

そこで、独禁法の刑事罰適用を積極的に行うためには、公取委側と検察側の考え方を、十分に擦り合わせておく必要があり、そのために、告発に至るまでの検討の枠組み作りをすることが、出向検事として公取委にいた私の最大の任務だった。

しかし、独禁法違反に対する刑事罰の適用に関して、公取委と検察との間には基本的な考え方の違いがあり、その擦り合せは容易ではなかった。

公取委側の考え方は、従来の公取委の独禁法の解釈に基づいて「違反が成立する」と判断できる場合には、そのまま「犯罪ありと思料する」というものだった。従来の公取委の調査では、違反というのは、事業者単位、つまり企業の組織全体の行為として明らかにすれば良く、個人の行為の特定は、基本的に不要とされていた。また、違反の立証は、具体的な証拠がなくても、推認によって行うことも可能とされてきた。その延長上で告発を行おうというのが公取委の考え方だった。

一方、検察は、犯罪というのは、個人の行為であり、それを具体的に明らかにすることが刑事処罰の必要条件だとする伝統的な刑事司法の考え方に基づき、起訴して有罪に持ち込めるほどに個人の行為が特定され、その証拠がそろっている場合に限って、「犯罪ありと思料する」として告発を行うことが可能であるという考え方だった。

このように、大きく考え方が違う公取委と検察との間で、告発の対象事件に関する基本的なルールと検討の枠組みを作り、公取委の検察の間の協議の場としての「告発問題協議会」の設置を公表したのが90年6月だった。同年秋には、石油カルテル事件以来17年ぶりとなる業務用ストレッチフイルムのカルテル事件の告発にこぎ着けたものの、翌年には、埼玉土曜会談合事件の告発を、検察の強い意向で断念。公取委は、世の中から強い批判を浴びた(その後、93年に東京地検特捜部が手掛けたゼネコン汚職事件では、公取委に対して告発断念を働きかけた見返りにゼネコンから賄賂をもらったとして中村喜四郎衆院議員を逮捕・起訴した)。そして、93年には、検察が先に刑法の談合罪で行為者を起訴していたシール談合事件で、公取委が、独禁法違反で法人事業者だけを告発した。

 

当時、公取委には、刑事事件としての告発のための調査権限である「犯則調査権」(2006年独禁法改正で導入された)はなく、法律で「犯罪捜査のためのものと解してはならない」とされている行政調査権があるのみだったので、通常の行政処分で必要な範囲を超えて、刑事事件に関する調査を行うことには制約があった。その制約の中で最大限の調査を行っても、無理難題を押し付けて、告発を受け入れようとしない検察側の「唯我独尊」的な姿勢に失望させられることも多かった。

しかし、そういう経験を持つ私でも、今回のノバルティス社の事件で、厚労省側に「告発のアドバルーン」だけ上げられ、ほとんど白紙の状態から捜査を行わなければならない特捜部には、同情を禁じ得ない。

特捜部では、徳洲会から政界への資金提供をめぐる事件の捜査が続けられていると報じられている。辞任した猪瀬前東京都知事の徳洲会からの5000万円の選挙資金提供の問題も、市民団体の告発があり、不起訴にした場合には検察審査会への申立てが必至であることを考えれば、公選法違反の起訴をめざして捜査が行われているのであろうが、そのハードルが高いことは【猪瀬都知事問題 特捜部はハードルを越えられるか】でも述べたとおりである。

そうした中で、ノバルティス社事件に大きな捜査コストをかけざるを得ないことは特捜部にとって相当な痛手なのであろう。

しかし、様々な分野で法の実効性の確保が求められ、悪質・重大な違反行為に対して最も峻厳な制裁として刑罰の発動が求められる状況の中で、今回のような法律の所管官庁からの告発は、これまで以上に重要になっていくと考えられる。それだけに、所管官庁と検察とが、法の趣旨・目的に沿って、それぞれ有する権限を適切かつ効果的に活用して刑事罰適用に向けて連携協力していくことが重要になっているのである。

かつては、検察は、刑事事件に関する限り、あらゆる事象が検察を中心に動いているという「天動説」的な考え方をしていたのが、検察は、国家の一つのシステムだという「地動説」的な観点への転換が求められているということだ。

今回の告発を受けての「ゼロからの検察の捜査」は、まず、臨床試験のデータ改ざんを結論づけた大学の調査を、改めて、刑事事件の証拠の観点から再確認するところから始まるのであろう。まず、大学の研究者が、いかなる経緯で臨床研究を行い、そこにノバルティス社はどのように関わっているのか、という点を明らかにし、そこから、ノバルティス社が「臨床試験データの改ざん」を広告宣伝に利用しようとする意図があったのか否かを明らかにしていくことになろう。

 

 

 

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ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省

厚生労働省は、1月9日、降圧剤バルサルタンの臨床試験疑惑で、データ操作された試験論文を違法に宣伝に使ったとして、法人としての製薬会社ノバルティスファーマと氏名不祥の社員を薬事法違反(誇大広告)容疑で東京地検に刑事告発した。

この問題は、国際的な医学雑誌にも掲載され、バルサルタンの効能や効果の広告に使われた全国の5大学での臨床試験に関して、データ操作が行われていたことが、大学の調査などで明らかになり、日本の臨床研究の信頼を損ないかねない重大な問題として注目を集めていたものだ。

昨年(2013年)8月、当ブログでも、ノバルティス疑惑、独禁法適用の可能性 厚労省にとって「最悪の事態」も と題して、この問題に関して、厚労省の薬事法による対応が十分に行われないようであれば、独禁法の不公正取引の禁止規定を適用して、公取委が調査に乗り出す可能性があることを指摘した。

また、「法と経済のジャーナル」に掲載された【高血圧薬ディオバン問題、難航する真相解明 検察、公取委の出方は?】と題する私のインタビュー記事では、「国から薬の製造販売承認を得るために行う「治験(臨床試験)」ではなく、薬の販売後に薬の効能に関して行われる「臨床研究」に関する問題であり、薬事法の規制の対象外で、厚労省の承認などの本来の守備領域の問題ではないので、厚労省の調査には限界があること、不正なデータ操作を行ったノ社の社員が不正の動機も含めて真相解明することができるとすれば、被疑者の身柄拘束も可能な刑事事件の捜査によるしかなく、検察が独自に捜査に乗り出すことになる可能性もあり得ることを指摘した。

この問題が、最終的に、刑事事件の捜査に委ねられることになったこと自体は、私の指摘通りだったと言える。

しかし、それは、検察が独自に主体的に捜査に着手するという形ではなかった。ノバルティスファーマ社告発という「厚労省側のアクション」によって刑事事件化されることになった。

官公庁の告発は、刑訴法の「その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」という規定(239条2項)に基づいて行われるが、この「思料」は、それなりの根拠に基づく必要があることは言うまでもない。

ところが、厚労省側の説明や、報道から伺われる検察側の反応からすると、厚労省は一応調査を行ったものの、行為者を特定できず、ノバルティス社内で臨床研究の不正と広告とがどのような関係なのかも具体的に明らかにできず、ほとんど大学の調査結果やマスコミ報道で生じた「疑惑」だけで告発を行ったように思える。国家機関が行う告発としては極めて異例と言わざるを得ない。

捜査を担当する東京地検特捜部は、事実解明を「丸投げ」され、ほとんどゼロから証拠収集を行わざるを得ないのに、官公庁の告発事件である以上、軽々には不起訴にもできないという意味で、大きな捜査の負担を背負い込むことになった。

今回の告発については、マスコミ各社が「厚労省1月8日に告発」と報じたのに、実際には同日には告発は行われず、「ノバルティス告発を先送り」などと報じられた後、翌日の9日に告発という不可解な経過をたどった。

各社が一斉に報じたことからすると、当初「8日告発」が予定されていたことは間違いないのであろう。殆ど中身のない告発状であるから、内容の修正で1日延期する必要が生じたとも思えない。

検察側としては、事実解明を「丸投げ」する内容で、凡そ本来の「官公庁の告発」のレベルではないのに、マスコミに「偉そうに」告発の日まで予告する厚労省側の姿勢に怒り、厚労省に「告発1日延期」を強く求めたと見るべきであろう。

医薬品の研究開発はアベノミクスの三本の矢の一つの成長戦略の柱である。それだけに、我が国の医薬品研究に対する国際的信頼を損ないかねないバルサルタン問題の真相解明は、政府にとって避けて通れない重要な問題である。政府内の所管としては、薬事行政を担当する厚労省の問題であるが、前記インタビューでも述べたように、真相解明は、結局のところ、刑事事件としての捜査によらざるを得ない問題であった。

そうであるだけに、検察としては、早期に独自の捜査に着手することを検討すべきだったとも言えるが、一方、厚労省としては、何とかして真相解明を実現したいのであれば、検察に捜査を要請し、自らは「裏方」となって水面下で捜査に協力し、刑事立件の目途がついた段階での告発をめざすという方法もあり得た。

調査に数か月を空費した挙句、結局のところ事実を殆ど解明できず、被疑者不祥のままの告発を行って検察に丸投げするという厚労省のやり方が検察側の反発を招いたために、もともと困難であった本件の真相解明は、一層困難になったように思える。

とは言え、告発を受理した以上、検察は、今後、ゼロからの捜査に取り組まざるを得ない。薬事法違反(誇大広告)の刑事立件に関する問題点、今後予想される捜査の展開などについては、次のブログで述べることにしたい。

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マルハニチロ子会社農薬混入問題は、「個人の犯罪」か「企業不祥事」か

食品会社「マルハニチロホールディングス」の子会社「アクリフーズ」の工場で製造された冷凍食品から農薬マラチオンが検出された問題で、昨年12月29日に、マルハニチロが記者会見を行い、対象商品の自主回収を発表した。

年の瀬を控えた時期に、にわかに表面化した大手食品企業グループの商品の農薬汚染問題は、年をまたいで連日マスコミでも報じられており、アクリフーズ製の冷凍食品を食べて「嘔吐」「下痢」「腹痛」などを発症したなどの被害申告は、全国37都道府県、359人に上っている。

これまでの被害申告は、摂取した直後の「吐き気」などの急性症状が多いが、マラチオンを含む「有機リン系殺虫剤」については、子供の体質によっては、慢性の中毒症状を引き起こす恐れがあるとの指摘もある(【食品に混入された有機リン農薬「マラチオン」の”毒性”について自ら調べないマスコミ】)

因果関係が不明確な慢性的な症状まで被害として問題にされるようになると、さらに大きな社会問題に発展する可能性もある。

12月12日に公刊した拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか~相次ぐ『巨大不祥事』の核心】でも述べたように、昨年7月以降、カネボウ化粧品、みずほ銀行、阪急阪神ホテルズと企業不祥事が多発したが、今回の問題は、それらの不祥事とは異なる。食品企業が製造販売した商品に有毒成分が含まれ、それによって「吐き気」などの健康被害が生じているという点では「企業不祥事」である。しかし、検出された農薬は、通常の製造過程で混入した可能性は殆ど考えられず、何者かが人為的に混入した可能性が高いとされており、その点では、「個人の犯罪」である可能性が高く、既に警察が業務妨害罪の容疑で捜査に着手している。

しかし、外部者の侵入が極めて困難であることから、企業の内部者による犯行が疑われており、個人の意図的行為によるものであっても、企業組織の何らかの問題に起因している可能性が高い。そういう意味では、「個人の犯罪」であると同時に、「企業不祥事」の性格があることも否定できない。

●マスコミ報道の現状

警察の捜査は開始されたばかりであり、現時点では、事件の真相は全く不明である。それどころか、工場での入室管理や、勤務体制に加え、農薬の混入が多数の商品に及び、混入の期間にもかなりの幅があることからも、外部者による農薬混入は極めて考えにくいということがわかっているだけで、犯人像ははっきりしない。

マスコミも、自主回収の発表の時点と、その時の説明で毒性を過小評価していたことで再度行われた記者会見の時点では大きく報道したが、その後は、県当局の立入検査、警察捜査の動きと、被害申告の拡大などの客観的事実を報じているだけで、企業に対する批判・非難の論調はほとんど見られない。

同じ食品企業をめぐる問題であった2000年の雪印乳業集団食中毒事件とは大きく異なる展開となっている。雪印事件では、大阪工場で製造した加工乳が黄色ブドウ球菌による毒素で汚染されていたことが早期に判明したが、その毒素混入の原因がなかなか特定できず、警察捜査の結果 食中毒発生の1ヶ月半後に、北海道の大樹工場で起きた停電で脱脂乳が加温状態におかれたことが原因となって生じた毒素が、その後、大阪工場での加工乳製造の原料に混入していたことが判明した。原因不明の間、社長の記者会見での失言など会社側の危機対応の拙劣さもあって、大阪工場の製造設備や製造方法など、様々な問題がマスコミによる雪印バッシングのネタにされ、雪印乳業は、「雪印」ブランドによる事業が困難な状況になった。

同じ「原因不明」でも、雪印乳業の場合は、個人犯罪の疑いは全くなく、いずれにしても工場での製造過程で原因物質が発生したことが明らかであり、原因が解明できないことも企業への批判につながったのに対して、今回のマルハニチロ子会社の農薬混入問題は、個人の意図的行為による可能性が高く、企業がどのような責任を負うべき問題なのかが、現時点では不明であることから、マスコミも、どう報道してよいかわからない、ということなのであろう。

しかし、食品企業にとって、製造工程で製品に農薬が混入するというのは、絶対にあってはならない問題であり、何者かが意図的に混入したものであったとしても、製造工程の管理についての責任は免れない。いずれにしても、「企業不祥事」であることは否定できないのであり、被害が全国規模に拡大し、慢性症状も問題にされかねないことを考えると、企業経営にとっても重大な問題だと言えよう。

このような事態が発生した際に、企業としての危機対応が極めて重要であることは、言うまでもない。しかし、今回の問題に対するこれまでのマルハニチロ側の危機対応には、大きな問題があった。上記のようなマスコミ報道の状況から、それが大きな批判・非難につながっていないだけである。

今後の同種の事案への対応に関する教訓という観点からも、マルハニチロ側の危機対応の問題を指摘しておく必要があろう。

●自主回収の遅れ

まず、最初に冷凍食品から異臭がするとの報告があってから1か月半も経った後に、自主回収に至ったことについて対応の遅れが問題となる。

会社側は、工場内での塗料の付着可能性を考え、原因物質の特定に時間を要したと説明している。確かに、農薬の人為的混入というのは会社側としては想定していなかったことであろうし、問題を公表すれば、膨大な商品の自主回収は避けられないことから、慎重な検討を行った上で自主回収を決定したというのもわからないではない。しかし、塗料の付着であれ何であれ、「異臭」が通常の製造工程では発生しないものであることは明らかであり、健康被害の可能性は否定できなかったのであるから、消費者の視点に立って考えた時は、遅くとも、同様の異臭の報告が9件も寄せられた12月初めの段階では、自主回収を行うべきであった。迅速に対応していれば、今回全国に拡大している被害も相当程度防止できた可能性がある。

前掲拙著】で取り上げた昨年の3大不祥事の一つ、カネボウ化粧品の美白成分ロドデノールによる「白斑被害」の問題については、同社が、美白成分と「白斑様症状」との因果関係が不明なまま、突然の自主回収を発表したことに対し、問題を把握した時点から、消費者への情報提供を徹底していくべきであったと述べている。この化粧品の場合と、今回のような食品の場合とでは、事情が異なる。化粧品の場合は、消費者側の使い方によっても「白斑様症状」の発生の可能性は違ってくるのであり、「日焼け後の使用」「重ね塗り」への注意喚起を行うことでも、相当程度被害が防止できたはずである。しかし、食品の場合はそうではない、消費者にとっては食べるか食べないかしか選択の余地はないのである。健康被害を生じる可能性があると判断した段階での速やかな自主回収は不可欠である。しかも、化粧品の場合は、自主回収によって当該製品の将来にわたっての全面的製造販売中止が避けられないのに対して、食品の場合は、原因が解明され再発防止策がとられれば、同種製品の製造販売再開は可能である。マルハニチロ側の自主回収の決定の遅れは、食品企業として重大な問題があったと言わざるを得ないだろう。

●毒性を過小評価する説明

この点に関連して、それ以上に重大な問題として指摘すべきなのが、会社側として初めて、この問題を世の中に明らかにした、自主回収発表の段階で、その農薬が人体に及ぼす影響について、毒性を過小評価する説明を行い、厚労省から指導を受けて、再度記者会見を開いて訂正せざるを得なくなったことだ。

当初のマルハニチロ側の説明は、農薬の濃度が1万5千PPMと最も高かった「とろ~りコーンクリームコロッケ」について「体重20キログラムの子供が60個食べないと(中毒症状は)発症しない」というものだったが、厚労省の指導によって、「最も濃度が高いコロッケは子供が8分の1個を食べると症状が出る可能性がある」と訂正したのである。

同社の当初の説明の根拠は、「実験で投与した動物の半数が死ぬ量」を基準とし、体重1キロ当たり1グラムで計算したものだが、厚労省が、この基準を使うのは不適切であり、健康に悪影響を及ぼさないと推定される限度量(急性参照用量)を基準とするよう求めたことを受けて訂正されたものだった。

実際に、異臭による「吐き気」などの健康への影響が生じている今回のようなケースでは、混入した農薬の健康への影響がどの程度のものであるのかについて、正確な情報を提供することが極めて重要だ。とりわけ、一個当たりの価格が安い商品が大部分であるだけに、「健康被害の可能性がほとんどない」との会社側の説明は、商品が冷凍庫内にそのまま放置されたり消費されたりすることにもつながる。マルハニチロ側が、農薬の健康への影響の程度に関して、厚労省も放置できないと判断するほど、誤った説明をしてしまったのは、健康被害という実害にもつながりかねないのであり、食品企業としての「消費者の視点に立った対応」そのものを疑問視されてもやむを得ない大失態である。

さらにいえば、自主回収の遅れに関して、マルハニチロ側がいくら、原因物質が特定できなかったなどと弁解をしても、健康への影響について過小評価した説明をするという無神経さをさらけ出してしまったのでは、弁解も到底受け入れられないものとなってしまう。

●過去の食品企業不祥事との違い

製品の品質・安全性に関する過去の企業不祥事では、むしろ、危険性や健康への影響が過大に報道され、企業が不当に批判・非難される例が多かった。

その典型例が、2008年の伊藤ハム東京工場で起きた、工場用水からシアン化合物が検出された問題だ。この問題については、拙著【思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本】(講談社現代新書)で取り上げている。

同年10月25日、伊藤ハムは記者会見を行って、工場で使用している地下水からシアン化合物が検出されたことと、ソーセージ、ピザなど合計331万パック(賞味期限切れ、受託生産分を含む)を自主回収することを公表した。

これは、千葉県柏市の伊藤ハム東京工場での同年9月18日の定期検査で、使用する地下水から水道法の基準値(1リットルあたり0.01ミリグラム)を上回る0.02ミリグラムのシアン化合物が検出され、10月15日の再検査の結果でも基準値を上回ったので、自主公表、自主回収に至ったものだった。

しかし、シアン化合物が微量検出されたのは食品製造に使用した地下水からで、それを、食品製造に使用しても、個々の食品に含まれるシアン化合物は、ほとんど数字で表せないほど微量になるため、実際に自主回収の対象となった商品からはまったく検出されなかった。しかも、地下水の含有量は、日本の水質基準は若干超えるものの、もともと日本の基準は厳しく設定されているため、世界保健機関が飲料水質ガイドラインで定める基準でみると、その3分の1以下だった。国際的な水準からは、飲用水にしても全く問題はない含有量である。全国生活協同組合連合会のホームページによると、この地下水で製造したソーセージを1日390袋一生食べ続けても健康上まったく問題ないというレベルだった。

このように、まったく健康への影響がないレベルの問題なのに、この問題は、同社の会見の翌日の朝刊で、一面トップ、社会面トップなどで大々的に報道された。シアン化合物が検出された段階で、その事実をただちに公表しなかったことが「隠ぺい」に当たるとして批判された。そして、多くの記事に、シアン化合物の毒性について、「大量に摂取すると窒息症状やめまい、頭痛、けいれんなどを起こす」などという解説も付された。伊藤ハムは、各紙の社説などでも厳しく批判され、東京工場の閉鎖という事態にまで追い込まれたのである。

この問題は、健康被害など全くなく、しかも、それが生じる可能性も全くないのに、「猛毒のシアン化合物」という言葉だけが独り歩きして、世の中に誤解され、企業が不当な批判・非難を受けた事例である。そのような誤解を生じさせないためには、記者会見の場でも、「この地下水で製造したソーセージを1日390袋一生食べ続けても健康上まったく問題ない」ということを、会社側でもっと強調しても良かった。

しかし、今回のアクリフーズの問題は、異臭による「吐き気」などの健康への影響が生じているのであり、伊藤ハムの事例とは全く異なる。当然、健康被害の可能性についての説明を正確に行うことが最も重要なのに、伊藤ハムのような過去の食品企業の不祥事での教訓が逆に働いてしまったのか、健康被害の可能性を過小に説明するという、全く的外れな対応をしてしまったのである。

しかも、29日の会見で農薬の健康への影響について誤った説明を行い、31日未明に再度の会見を行わざるを得なくなったことが、報道のタイミングに関しても最悪の結果を生じさせた。「マルハニチロの子会社の商品に農薬が混入し、しかもその毒性を過小評価したことで厚労省の指導を受けた」というニュースは、31日の朝からテレビ、新聞などで報じられ、31日夜には、年間を通じても最高の視聴率の番組NHK「紅白歌合戦」の最中のニュースでも報じられた。大規模食品企業にあるまじき失態が、大晦日のお茶の間で「紅白歌合戦」を視聴する全国の消費者にあまねく周知されたことは、同社のブランドイメージにとっても大きなマイナスを生じさせることになったといえるだろう。

●食品企業として問題をどう受け止めるか

もう一つの、ある意味では最も本質的な問題は、今回の問題を、どうとらえるのか、という点だ。

今回の農薬混入が個人犯罪なのだとすれば、犯人の特定が行われない限り、原因や背景について真相はわからない。しかし、企業が管理する製造工程内で、企業が雇用する従業員が働く場所で発生した問題なのであるから、いずれにしても、その原因は、何らかの形で企業の事業活動に関連している可能性が高い。当事者の企業としては、真相は不明であっても、あらゆる可能性を考え、原因となり得る要因を可能な限り把握し、問題の再発に向けて最大限の努力をしていく必要があろう。

食品の製造工場の衛生管理、入室管理は極めて厳重であり、外部者はもちろん、従業員といえども、工場の製造ラインの中に外部から農薬を持ち込むなどということが容易にできるとは思えない。もし、持ち込まれたとすると、極めて巧妙な方法で隠して持ち込み、しかも、それを他の従業員の目を盗んで巧妙に食品に混入したということになる。そうだとすれば、単なる「悪ふざけ」などではなく、何らかの意図を持って計画的に行われたことになる。このアクリフーズという企業、そして、その工場に、工場内部者の会社への不満、反発が生じる可能性はなかったのであろうか。

●企業不祥事に翻弄されたアクリフーズの歴史

アクリフーズは、もともとは雪印乳業の冷凍食品製造部門であったが、2000年に発生した前記雪印乳業集団食中毒事件による経営悪化から、冷凍食品部門を分社化した子会社「雪印冷凍食品株式会社」として設立された。

さらに、2001年の雪印食品の牛肉偽装事件の影響で、「雪印」ブランドでの事業が困難になり、2002年10月に「アクリフーズ」に社名変更、2003年10月に、ニチロに買収され、2007年にニチロがマルハグループに経営統合されたのに伴って、マルハニチロホールディングスの100%子会社となった。

そして、今年2014年4月には、アクリフーズを含むマルハニチログループの主要4社が、マルハニチロホールディングスに経営統合されることが既に公表されており、独立した企業としての歴史に幕を閉じる予定になっている。

雪印の時代に相次いだ不祥事、そして、会社消滅間際に同社自身が起こしたのが、今回の農薬混入事件だった。まさに、不祥事に翻弄され続けたのが、同社の歴史だったと言えよう。

同じ食品企業でも、乳業会社と水産会社とでは、組織のDNAも異なるであろうし、予定されている経営統合の目的は経営の合理化・効率化なのであるから、アクリフーズが行ってきた食品製造業務の内容や人員配置などにも様々影響を及ぶことになるのであろう。

このような会社の状況の中で、社員、従業員の側から人事、待遇面などの不満が背景となって今回の事件が起きた可能性はないのであろうか。

食品企業としてどう対応すべきか

アクリフーズ製冷凍食品による被害申告は全国に拡大し、今なお増え続けている。1月4日時点で、回収予定の商品数640万個に対して、回収された商品は、111万個であり、回収率は17%にとどまっている。消費者側に、低価格の冷凍食品を、わざわざ着払い冷凍便で返品してもらう手間をかけてもらおうと思えば、それなりの代償を支払うことも覚悟すべきであろう。「現品到着後、後日、改めてお品代(商品券)をお支払します」という程度では、実際に返品してくれる消費者は限られる。

1月3日にアクリフーズが設置を公表した「事故調査委員会」のメンバーも、委員長がアクリフーズの社長、副委員長が同社の常務、委員も同社の上部、「他委員」の5人の中にマルハニチロホールディングスのCSR統括部長、経営企画部長が含まれているに過ぎない。今回の問題が「子会社のアクリフーズの問題」に過ぎず、しかも、「同社の従業員と思われる犯人による個人的犯罪」という認識を反映しているのではなかろうか。

こうしたマルハニチロ側の対応は、自社グループの工場内で農薬が混入された製品が、今なお、消費者の家庭の冷蔵庫内に残存していることに対する危機感があまりにも希薄なように思える。

私は、かねてから、コンプライアンス問題には、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的行為としての「ムシ型」と、組織的、構造的な背景の下で時間的・場所的な拡がりを持って行われる「カビ型」の二つの要素があるという指摘をしてきた。

今回の問題が、個人が意図的に行わった農薬の混入という「個人の犯罪」であれば、その点においては「ムシ型」だと言える。しかし、それは、「カビ型」的要素を否定するものではない。犯人が特定されず、直接的原因が明らかにならなくても、今回の問題を重大な「企業不祥事」ととらえ、その背景となり得る要因を可能な限り広く明らかにしていくことが、消費者被害の拡大防止と再発防止、そして、食品企業としての信頼回復につながるのである。

 

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お上にひれ伏す「巨大不祥事」企業

12月19日、消費者庁は、阪急阪神ホテルズなど3社に対して、景表法違反による排除措置命令を出し、同社に対しては、8品目の表示について、「実際のものより著しく優良であると示す表示」に当たるとして、「景品表示法に違反するものである旨を、一般消費者へ周知徹底すること」などの措置を講ずるよう命令した。

26日には、金融庁が、「暴力団員向け融資」問題で、みずほ銀行に対して、提携ローンに関する業務について、1カ月間の業務停止命令を出した。そして、経営管理体制に問題があったとして、みずほ銀行に加えて、親会社のみずほフィナンシャルグループにも業務改善命令を出した。これを受けて、同社の塚本隆史会長は引責辞任を表明した。

今月12日に公刊した拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか~相次ぐ「巨大不祥事」の核心】で取り上げた2013年の3大企業不祥事のうちの二つについて、年末に、慌ただしく行政庁の処分が出されたということになる。

cover同書で指摘したように、これらの不祥事は、当事者の企業の危機対応の失敗によって世の中に重大な誤解が生じ、誤解が企業への不信を生み、不信を解消するための対応が更なる誤解を生む、という誤解と不信の連鎖によって「巨大不祥事」になったものだ。しかし、今回、誤解は全く解消されなかったどころか、行政庁の正式の処分が出たことによって、誤解を拡大することになったマスコミ報道が追認されるような形で決着が図られることになった。

それぞれの行政処分には法的に問題があるわけではない。行政庁の裁量の範囲内で権限を行使したに過ぎない。しかし、いずれについても、処分の内容が問題の中身に応じたものなのか、同種事例との公平が保たれているのかどうかなどの点に疑問がある。

消費者庁は、「実際のものより著しく優良であると示す表示」について、「広告・宣伝の要素を含む表示では、表示対象である商品・役務が消費者から選択されるように、ある程度の誇張がなされることもあるが、一般消費者もある程度の誇張があることを通常認識していることから、広告・宣伝に通常含まれる程度の誇張があっても、一般消費者の適切な選択を妨げるとは言えない。しかし、この許容される限度を超えるほどに実際のもの等よりも優良であると表示すれば、一般消費者は、広告・宣伝に通常含まれる程度の誇張を割り引いて判断しても、商品・役務の内容が実際のもの等よりも優良であると誤って認識し(誤認し)、その商品・役務の選択に不当に影響を与えることとなる。このように『著しく』とは、当該表示の誇張の程度が、社会一般に許容される程度を超えて、一般消費者による商品・役務の選択に影響を与える場合をいう。」という解釈を示している(「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について(案)」)。

阪急阪神ホテルズに対する消費者庁の排除措置命令の対象とされた表示が、この解釈に照らして、「実際のものより著しく優良であると示す表示」に当たるかどうかが、疑問なものも少なくない。

典型的なのは、新阪急ホテルの「シーファー」という店舗で、「苺とチョコのシューア・ラ・モード シューアイスに苺と生クリームを加えた甘さがたまらない一品。手作りチョコソースと合わせてどうぞ」と表示していたが、チョコソースに市販されている業務用のチョコソースを使用していたことが「優良誤認表示」とされたことである。

「手作りチョコソース」は、「シューアイスに苺と生クリームを加えた」料理の本体ではなく、それに掛ける「ソース」を、その店で「手作り」をしていなかったという問題である。

しかも、前記拙著でも述べたように、阪急阪神ホテルズの出崎前社長が辞任を表明した記者会見の際の説明によれば、「手作り」と表示したチョコソースは、「既製のチョコレートリキュールとコーヒークリームを混ぜたもの」だということである。

一般消費者による商品・役務の選択の判断は、その表示を行う店舗がどの程度のグレードの、どの程度の価格設定の店なのかによって異なることは言うまでもない。「手づくりチョコソース」という表現は、食通が利用する高級店であれば厳密さが求められるであろうが、HPによれば、飲み放題付2960円のコースもある比較的低価格の店「シーファー」における消費者の選択に、チョコソースの「手作りの程度」がどれだけ影響したといえるのだろうか。

それ以上に問題なのは、今年の6月17日と同月22日に、経営する全国のホテルで、地鶏ではない鶏肉を「地鶏」と表示した件、「バナメイエビ」を「芝海老」と表示していた件など合計25店舗64品目の「食材とメニュー表示の違い」があったことを公表したプリンスホテルに対しては、景表法違反による調査も措置も全く行われていないということだ。阪急阪神ホテルズは、プリンスホテルの事実公表を受けて自主的に内部調査を行い、判明した事実を公表したが、阪急阪神ホテルズだけが排除措置命令の対象とされた。

その前の5月には、ディズニーランドを運営するオリエンタルランドの子会社が経営するホテルで、ブラックタイガーを「車海老」、交雑種の国産牛を「和牛」などとしていたことを公表している。ブラックタイガーを「車海老」と表示していたのは、阪急阪神ホテルズと同時に消費者庁から排除措置命令を受けた「ザ・リッツ・カールトン大阪」の問題と同じである。

同様の犯罪や違法行為が他にも行われているのに、なぜ自分だけが摘発されるのか、という不満に対して、説明に使われるのが「犯罪・違法行為を認める証拠があるから摘発したのであって、証拠がないものは摘発できない」との説明である。「周りの車もすべてスピード違反をしているのになぜ自分だけが」と文句を言っても、「違反が計測されたのが、あなたの車だからだ」と言われれば致し方ない。

しかし、今回の排除措置命令に対しては、そのような説明はできない。プリンスホテルの事例についても、ディズニーランドのホテルの事例についても、当事者が事実を認めて公表していて、証拠は十分だからである。

景表法違反の排除措置命令が行われた場合、違反に対しては罰則適用もあり得るのであり、法執行機関の消費者庁に運用の公平性が求められるのは当然である。

排除措置命令を受けた阪急阪神ホテルズと、受けなかったプリンスホテルの最大の違いは、後者の問題は、殆どマスコミは取り上げなかったが、阪急阪神ホテルズはマスコミで大きく取り上げられて叩かれたことである。

阪急阪神ホテルズの問題は、マスコミに叩かれ、社会的にも大きな問題になったため、処分を出さないではいられなくなった消費者庁が、同社が厳しい批判を受けて反発も反論もできない状態になっていることに乗じて、出したのが、今回の排除措置命令だったと見るべきであろう。

もう一つの行政処分が、みずほ銀行に対する業務停止命令である。この命令の理由の中で、金融庁は、「取締役会は、重要事項の審議を行う会議体として、実質的な議論をほとんど行っておらず、その機能を発揮していないほか、経営政策委員会の一つであるコンプライアンス委員会が有効に機能するような方策を講じていないこと」「縦割り組織の弊害などガバナンスを含めた根本的な問題の洗出しや、これを踏まえた抜本的な改善対応を迅速に行っていなかったこと」と述べている。取締役会、コンプライアンス委員会によるガバナンスが機能しておらず、その原因が「縦割り組織の弊害」にあるということである。

持ち株会社のみずほフィナンシャルグループに対しても、同様のガバナンスに関する指摘のほか、「平成23年3月に発生したシステム障害時の教訓等を踏まえつつ、適切なグループ経営管理機能を発揮していなかった」との指摘も行っている。

これらの指摘自体は正しいのかもしれない。しかし、それらは、今回の提携ローンをめぐる反社対応の問題で指摘されるべき事項であろうか。

この問題は、世の中には、みずほ銀行が「暴力団員関係者には融資をしない、融資をしていたことがわかったら、ただちに契約を解消して回収すべし」、という義務に違反したという単純な義務、銀行であれば当然の義務に違反した、全く弁解の余地のない話のように受け取られた。しかし、今回のオリコを通じての提携ローンの問題は、そのような単純な話ではない。かつて暴力団対策として企業に求められた「不当要求の拒絶」の問題ではなく、反社会的勢力との「一切の関係の遮断」というシステムの構築に関する問題である。

みずほ銀行には、提携ローンを通じた融資に関しても、「一切の関係遮断」という観点からの積極的な取組みが求められていたが、そういう方向への発想の転換が不十分であったため、銀行幹部も含めた組織的な検討を適切に行っていなかったことが問題なのである。

しかし、反社会的勢力との「一切の関係遮断」という発想に転換していくことが容易ではないことは、みずほ銀行だけの問題ではない。「一切の関係遮断」を行うことは、対象とする反社関係者の範囲をどうするか、約定どおりに返済が行われている場合に、ただちに期限の利益を失わせ、一括返済を要求することが適切なのかなど、様々困難な問題があり、他の金融機関においても、その対応には相当に苦慮している。9月27日に行われた金融庁の当初の業務改善命令も、果たして、「一切の関係遮断」という発想の転換を十分に踏まえたものであったのか疑問である。

当初の業務改善命令でのもう一つの指摘は「反社会的勢力との取引が多数存在するという情報が担当役員止まりとなっていたこと」であるが、それも、金融庁の誤認に基づくものであり、その原因は、みずほ銀行が事実に反する報告をしたことだけではなく、金融庁側の検査のあり方にもあったことは否定できない。

みずほ銀行への業務停止命令と、自社への業務改善命令を受けて、みずほフィナンシャルグループは、委員会設置会社へ移行することを発表した。取締役の選任・解任を決める指名委員会、取締役の報酬を決める報酬委員会を設置し、それらの委員はすべて社外で構成することを発表した。相当思い切ったガバナンス改革であり、それ自体は、評価できるものである。

しかし、それが、今回のように「行政庁の処分」を受けて行われることに、私は大きな違和感を覚える。

コーポレート・ガバナンスは、企業経営の根幹をなすものであり、私企業であれば、それは、本来、自主的な、かつ自律的に行われるべきものである。お上の威光にひれ伏すように打ち出されたガバナンス改革策によって、みずほ銀行のガバナンスは抜本的に改善するのであろうか。むしろ、社外中心の取締役会、各種委員会は「お飾り」のようなものになり、実質的な意思決定は、金融庁の意向を過度に忖度する執行部門によって行われることになるのではなかろうか。

今回の二つの行政庁の処分、そして、その対象とされた企業の対応は、処分権限と裁量を有する官庁と民間企業との圧倒的な力の差を見せつけるものであった。

特定秘密保護法が、行政権限の肥大化と、官僚組織による情報の独占をもたらす立法であり、その背景に、自民党が、衆議院選挙で圧勝して政権に復帰し、今年7月の参議院選挙でも圧勝して、衆参両院において安定的な勢力を維持する政治状況があることは、当ブログの【特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか】で指摘したところだが、行政権限の肥大化は、企業不祥事をめぐる官と民の関係にも及んでいるように思える。

「食材偽装」問題についての消費者庁の排除措置命令、みずほ銀行の「暴力団向け融資」問題についての金融庁の業務停止命令は、私が前記拙著で述べている、「企業の危機対応の失敗は、その企業のみならず業界全体、そして、世の中にも大きな影響を生じさせる『巨大不祥事』を招く」ということを、まさに実証したものとも言える。

しかし、それらの「お上」の処分が、重大な誤解をそのまま封印して問題を「幕引き」させることになり、そして、民間企業は、常に「お上」の意向を忖度しないと事業活動ができないという事態につながるとすれば、私は、それを容認することは到底できない。

今後も、同書を中心に、「誤解」と「不信」の連鎖によって不祥事が「巨大化」するプロセスを明らかにし、それを防止・解消するための努力を続けていきたい。

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「問題の単純化」によって不祥事が「巨大化」する構図

今年は、特に、7月以降の後半に、企業不祥事がマスコミに大々的に取り上げられ、社会問題化する事例が相次いだ。

7月4日、カネボウ化粧品が、美白成分ロドデノールを含む化粧品の自主回収を発表し、それ以降、「白斑被害」がマスコミで大きく取り上げられ、大きな社会問題に発展した。8月には、JR北海道が、レール幅が基準値外となっているのを放置していた問題を始め、様々な問題が明らかになって、厳しい批判を受けた。

9月下旬には、みずほ銀行が「暴力団員向け融資」の問題で金融庁から業務改善命令を受け、そのタイミングが、ちょうど、メガバンクの幹部の不正に「倍返し」と言って立ち向かう銀行マンを描いたドラマ「半沢直樹」が空前の高視聴率を記録して終了した直後だったこともあって、批判が一気に過熱し、反社対策の問題は、金融業界全体を巻き込む問題に発展した。

そして、10月下旬には、阪急阪神ホテルズの「食材偽装」問題が表面化、社長が辞任してもなお批判は収まらず、ホテル・レストランのみならず百貨店業界をも巻き込む社会問題に発展した。

東日本大震災が発生した2011年の九州電力「やらせメール」問題、オリンパス問題以降、企業不祥事が大きな社会問題にはならない状況が続いていたが、それが一変し、今年は「巨大不祥事」が相次いだ年と言ってよいだろう。

今月12日に公刊した拙著【なぜ企業は危機対応に失敗するのか~相次ぐ「巨大不祥事」の核心】では、今年後半に表面化したカネボウ化粧品・みずほ銀行・阪急阪神ホテルズの3つの不祥事を取り上げ、企業の危機対応の失敗によって、世の中に重大な誤解が生じ、それを解消するための企業の対応が更なる不信を生むという、「誤解」と「不信」の連鎖によって、業界全体や社会全体にも重大な影響を及ぼす「巨大不祥事」に発展していく構図について、詳しく述べている。

このように不祥事が「巨大化」した事例に共通するのは、マスコミによる「問題の単純化」である。

マスコミは、複雑で微妙な問題を単純化し、「新聞やニュースの見出しにしやすい表現」に当てはめて伝える。単純でわかりやすい話でないと、読者・視聴者に理解されず、受け入れられないからだ。それに、企業の経営トップが沈痛な面持ちで深々と頭を下げる謝罪会見の映像が加わる。この映像の効果は大きく、「頭を下げているのだから、悪いことをしたのだ」という印象が強烈に刻み込まれる。謝罪会見映像と単純化された事実によって、結果的に、「わかりやすい不祥事像」が作り出されて報じられることになる。

本来、企業という組織体の活動に伴って起きる不祥事は決して単純なものではない。その背景には様々な構造があり、その評価・判断も微妙なものが大部分である。それが、わかりやすく単純化されることによって、不祥事の実態についての大きな誤解が生じることになる。もともと単純ではない問題が単純化されることで、不祥事は「巨大化」していくのである。

拙著で取り上げた3つの不祥事の中身も、その評価も決して単純なものではない。

カネボウ化粧品の問題では、今でも、美白成分ロドデノールと「白斑様症状」との因果関係は全く明らかになっていない。原因不明の白斑症状を呈する病気は化粧品に関係なく以前から相当数発生していた。また、他社の美白化粧品にも同様の問題があるのか否かも全く明らかになっていない。この問題の評価・判断は、本来は非常に微妙なのである。

しかし、繰り返しテレビに映し出される謝罪会見の映像と、白斑被害者の白斑部分を映し出した「顔無し映像」によって、美白成分ロドデノールを含有するカネボウ製品だけが問題であって、それによって膨大な白斑被害を発生させたかのように問題が単純化された。

みずほ銀行の問題は、銀行は融資先との接点は全くなく、提携先のオリコが審査をして融資した自動車ローン等の小口のローンの資金の供給元になっただけであり、かつて企業と暴力団との関係で問題にされた「不当要求の拒絶」の問題ではない。「一切の関係の途絶」によって反社会的勢力を社会から排除することが求められる最近の情勢の中で、組織としての対応が若干遅れたという問題だった。ところが、それが、「暴力団向け融資を知りながら、二年間放置した」などと単純化して報じられた。

しかも、金融庁が業務改善命令で指摘した「情報が担当役員止まりだった」というのは、事実誤認で、実際には、取締役会、コンプライアンス委員会に報告されていた。その事実誤認が、みずほ銀行側の責任なのか、検査を行った金融庁側の問題なのかも微妙な問題だったはずだが、みずほ銀行側の隠ぺいの疑いと、金融庁とメガバンクの癒着・馴れ合いの疑いに単純化された。

阪急阪神ホテルズの問題は、食材とメニュー表示の不一致の程度は殆どが軽微なもので、しかも、大部分がホテル内の格安レストランや宴会でのビュッフェ形式の料理の提供の問題であり、メニュー表示によって消費者に誤認を与えた程度は極めて低かったのに、それが「高級ホテルの高級レストラン」での「食材偽装」であり、利用者を欺く許しがたい行為として単純化された。

問題が「単純化」されることによって、企業に対して、本来受ける必要のない批判や非難の矛先が向けられることになるのである。

もう一つ企業不祥事の「巨大化」にとって大きな転換点となるのが、「社長辞任」又は「辞任表明」である。

一般的には、経営トップの社長が引責辞任するというのは、不祥事に対してケジメをつけ、最終的に事態を収拾するための有効な方法である。しかし、一方で、「社長辞任」は、経営トップが引責辞任すべき重大な不祥事であることを会社自身が認めることになり、重大な問題だとして不祥事を追及するマスコミ側を勢いづかせることにもなりうる。過去の「巨大不祥事」では、辞任表明後も、批判・非難が収まらないどころか、逆に、一層激しくなり、企業にとって危機が拡大した事例も少なくない。

2000年の雪印乳業の集団食中毒事件で、石川哲郎社長が、記者会見直後に「私は寝ていないんだ」と発言してマスコミの激しい批判を招き、6日後に「辞任表明」を行ったが、その後も、同社への批判・非難はさらに拡大した。

2007年の不二家消費期限切れ原料使用問題でも、藤井林太郎社長が、問題表面化の4日後に「辞任表明」を行ったが、それを機に、不二家に対するマスコミのバッシングが一層拡大していった。

前記拙著で取り上げた2013年の三大不祥事の中では、阪急阪神ホテルズの「食材偽装」問題が、まさに「社長辞任」によって、事態が収拾できず、企業への批判・非難がさらに拡大していった事例である。

出崎弘社長は、問題が表面化してわずか6日後に阪急阪神ホテルズの社長辞任と、親会社の阪急阪神ホールディングス取締役の辞任を併せて表明したが、その記者会見でも、マスコミから徹底的に批判され、会見映像が、テレビのワイドショー等で繰り返し映された。巷では、阪急阪神ホテルズの問題が話題になる度、「あの社長の謝罪の態度が悪い」「言い方が悪い」などとこき下ろされ、「顔つきが悪い」などという声まで聞かれた。出崎社長は「食材偽装」問題の最大の「悪役」にされてしまった。

辞任会見でマスコミの反発を招いたのは、「今回の問題は『偽装』ではなく、従業員の知識不足や現場の連携不足があり、誤表示を認識していなかった」という言葉だった。

この説明は、「食材とメニュー表示の不一致」に関する極めて正確な説明である。しかし、その「正確な説明」が、問題を沈静化させるどころか、マスコミの反発を招くことになったのはなぜか。

辞任会見での出崎社長の発言は、不祥事の中身に対する「正確な説明」ではあったが、「高級ホテルの高級レストランでの『食材偽装』」として単純化された問題が広まる流れに逆らうことになってしまった。結局、出崎社長の「偽装」否定発言は、「真摯な反省の態度が見えない」という批判の根拠とされ、危機は一層拡大していったのである。

この際の出崎社長の「正確な説明」が逆に混乱を拡大させることになった最大の原因は、会社側が、当初から、追及のキーワードとなることが必至の「偽装」という言葉について、定義が曖昧なまま、事実公表、記者会見に臨み、「偽装」の意味について会社側とマスコミの認識が食い違ったまま、「偽装」であるか否かについて応酬を繰り返したことにある。

マスコミ側は、食材とメニュー表示との間に何らかの「相違」があり、その違いを「認識」した上で食材を使用した料理を提供していればそれだけで「食材偽装」に当たるという前提で、阪急阪神ホテルズの問題は「偽装」だと決めつけ、追及した。

しかし、一般的な「偽装」という言葉の意味は、そうではない。食材とメニュー表示との違いにも様々なレベルがある。それをすべて厳密に一致させることは困難である。その違いが、許される範囲を超えていることを認識しつつ、食材を提供すること、それによって不正の利益を得ようとする行為を「偽装」と呼ぶのが一般的ではないだろうか。阪急阪神ホテルズ側の「偽装」の定義は、そのような一般的認識に近い。食材とメニュー表示の違いを認識していても、「その程度の食材と表示の相違は許される」と考えて提供していた場合は偽装ではないというのが、会社側の見解だった

許されないことを認識した上で、敢えてやっていたとすると、その動機は、不正な利益を得ることしかあり得ない。不正な利益を得る目的ではなかったことは、今回の阪急阪神ホテルズの担当者すべてが強く否定しており、この問題に関する会社側関係者の言い分の核心だったのであろう。

しかし、そのような前提での「偽装」の否定は、食材とメニュー表示の「相違」とその点の「認識」があれば「偽装」だとして問題を単純化するマスコミ側には受け入れられず、「不合理な言い訳をしている」「真摯な反省がない」とされたのである。

「偽装」という言葉の意味するところが、問題を説明する会社側と追及するマスコミ側とで食い違っていたことが、事実公表当初からの記者会見の混乱の最大の原因だったといえる。

辞任会見でも「偽装ではなくメニューの誤表示である」と言い続けた出崎社長に対しては、「最初にあっさり『偽装』を認めてしまえば、あれほどの騒ぎにはならなかった」という声もある。「食材偽装」を最後まで否定し、社長の地位を失った後も「悪役」とされるような発言をしてまで、彼が守ろうとしたのは、従業員の名誉だったのではないか。

「不正な利益を得ようとする意図はなかった」「そういう意味での偽装ではない」という点は、ホテル、レストランの担当者の従業員達にとって、どうしても譲れない「言い分」の核心だった。出崎社長にとって、今回の問題に関わった多くの社員・従業員の名誉を守るためにも、絶対に譲れない線だったのであろう。

90年代末、山一證券の野澤社長が、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くないんです!」と言って絶叫した同社の廃業の際の記者会見は、経営トップが率先して行った誠意ある謝罪として伝説に残る会見だとされている

「従業員を守りたい」という思いに関しては、出崎社長も、変わるところはなかったと思われる。社長を辞任、親会社の取締役まで辞任すること表明をしているのに、なおも「偽装」を否定することが出崎社長個人にとってプラスになるわけではないからだ。

しかし、感情を露わにして、涙ながらに社員に対する応援を求めた野澤社長とは異なり、終始冷静な態度で説明をしようとした出崎社長は、世の中から冷ややかな目で見られ、「食材偽装」問題の最大の悪役にされた。

危機対応に失敗し、不祥事を「巨大化」させてしまったことについての出崎社長の経営トップとしての責任は大きい。しかし、彼が最後まで「偽装」を否定し続けたことは、経営者の姿勢として理解できる。

重要なことは、組織としての危機対応のレベルを高めることで、マスコミによる「問題の単純化」を防ぎ、不祥事を「巨大化」させないようにすることなのである。

 

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「権力の内幕」の描き方

12月4日にちくま新書から公刊された元裁判官である森炎氏の「司法権力の内幕」が、実に面白い。

【特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか】でも述べたように、現在の政治状況からすれば、特定秘密保護法が成立することは避けられない状況にあったのであり、むしろ、問題は今後である。法律の濫用が行われないよう、マスコミも、我々も、刑事司法がいかに運用されているのかに最大の関心を持って見守っていかなければならないだろう。

そういう観点からも、この元裁判官が書いた「裁判所の内幕」「刑事司法の内幕」を書いた同書は貴重だ。

「権力の内幕」の描き方というのは、大変微妙である。公務員として知り得た秘密を漏えいしたということで、守秘義務違反に問われることがあり得るし、表現の仕方によっては、マスコミに局所的に取り上げられて、スキャンダルを提供することにもなりかねない。

その点、同書の著者の森氏は、「内幕」の描き方の勘どころを、実にうまく掴んでいる。

まず、同書には、「はじめに」もなく、いきなり、カフカの「審判」のストーリーの紹介から始まる。「全体主義の社会における政治体制とその恐怖を予見した書」とも言われる、この「審判」の世界と、日本の司法の現実とが対比されることで、何とも不気味な「プロローグ」となる。

そして、第一章では、著者の裁判官時代の様々な体験が、登場する裁判官を匿名にして語られる。その最初のあたりで、新任裁判官として赴任した大阪地裁での「地裁所長との衝突」について、次のように書かれている。

≪私が所長の秘書官が持ってきた書類に判を押さなかったことで、ひと悶着起きた。これは慣行として続けられてきた公費に関連する事柄だったが、客観的に見れば目くじらを立てるような問題ではなかった。当時は、官公庁の公費の使途について関心が高まりつつあったが、とりたてて、それまでの慣行に逆らわなければならないというようなことではなかった。何の理由もなく拒否したことではないとはいえ、せいぜい三分の理ぐらいしかなかった。それに、事柄は、新任裁判官の歓迎行事に関係していた。だから、当時の所長からすれば、実に理不尽と感じたことだろう≫

ここで書かれている「慣行として続けられてきた公費に関連する事柄」というのが何なのか、「事柄は、新任裁判官の歓迎行事に関係していた」というのはどういうことなのか。それに関して「秘書官が持ってきた書類」というのが何なのか、一般の読者には、よくわからないであろう。しかし、なんとなく、過去に慣行化していた役所の公費の不正流用のことを言っているのではないか、ということはわかるであろう。

そして、我々のように、この時代の官公庁に勤務した経験を持つ人間には、何を言っているのかは、よくわかるのである。当時は、多くの官公庁で、何らかの予算を庁内での懇親会費や慶弔費に流用することは慣行化していた。そのためには、正規の予算執行に見せかけるための書類作成(例えば、出張旅費の申請書)が必要であり、その書類に、執行する官が押印する必要があった。それは、形式的には虚偽の公文書に押印することになる。

そのような前提知識に基づいて、前記の文章で森氏が言おうとしていることは、具体的にわかるのである。

まさに、読者の健全な推察力を期待して、ギリギリの範囲まで書いているということであろう。

前記の【特定秘密保護法刑事司法は濫用を抑制できるのか】でも引用したが、私も同じちくま新書の【検察の正義】の中で、1980年代末、テロなどによる暴力革命を標榜していた過激派の事件に東京地検公安部の検事として関わった経験の中で、非公然活動家が公安警察に捕捉された際の「転び公妨」について述べている。そこで私が述べていることは客観的な事実だけだ。

しかし、読者の中には、このように思われる方もいるであろう。

「指名手配されているわけでもないのだから、じっとしていれば捕まることもないのに、なぜ非公然活動家が、警察官に取り囲まれた際に、突き飛ばしたりするのか。そう考えると、公安部の警察官が、やっと見つけ出した非公然活動家をそのまま逃がすことはできないので、自分の方から転んでおいて、突き飛ばされたとして現行犯逮捕するのではないか。」と思われる読者もいるであろう。それは、警察の捜査活動に対する「健全な懐疑心」と言えるだろう。

【検察が危ない】(ベスト新書)では、特捜検察の実態に関して、自らの特捜部での勤務経験に基づいて書いているが、そこでの具体的事件に関する記述は、新聞報道などで明らかになっている事項にとどめている。そして、本当に世の中に認識してもらいたい、「特捜暴走の実態」については、むしろ、由良秀之のペンネームで書いた推理小説【司法記者】の中でフィクションとして詳細に描いている。私も、「権力の内幕」の描き方には、相当工夫をしてきたつもりである。

そして、森氏は、第二章以下で、自らが体験した具体的事実から離れて、裁判所の「権力的姿」を一般的に記述しているが、それに先立って、第一章の末尾で、次のように述べている。

≪本書次章以下では、司法権力は様々な仕方で市民の前に出現するという前提のもとに、それぞれの場面で立ち現れる裁判所の権力的姿をとらえ、多様な角度から、差し矢、尖り矢、繰り矢、投げ矢、征矢、火矢、あらゆる批判の矢で第三権力の的を射抜くことを試みる。そのため、自然と、それは激烈な権力批判になる。もしかしたら、いきおい余って過剰になる面も出てくるかもしれない。その代わり、必ずや市民にとって意義のある司法権力批判になると考える次第である。≫

第二章以下には、森氏が、予め断っている通り、明快に「司法権力の内幕」が描かれている。冤罪に対しても、「人質司法」と言われる不当な身柄拘束の長期化に対しても、裁判所が殆ど司法的救済機能を果たせていない現実に関して、裁判官での体験に基づく鋭い批判が展開されている(「特捜検察の権力」に関しては、私とは若干視点が異なるが)。

特定秘密保護法が、重大な人権侵害につながりかねないとして強く反対した人たちにとって、同書は必読の書と言えよう。

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特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか

特定秘密保護法案が、少数の野党の反発やマスコミなどの強い反対を押し切って、今日、参議院で採決され、成立する見通しだと報じられている。

私も、このような行政への一層の権限集中を招く立法が行われることには反対である。しかし、それは、法案自体に問題があるということではない。むしろ、官僚組織である検察に権限が集中し、しかも、マスコミも、それに対して批判機能を果たせない日本の刑事司法の現状の下では、その法律に基づく権限の濫用を抑制することが困難だという、刑事司法の実情の方に問題がある。検察出身の法律実務家の立場から、その点を中心に、私の見解を述べてみることにしたい。

まず、特定秘密保護法案をめぐる議論の現状を、私なりに整理してみる。

外交、防衛に関して、国家が厳重に管理しなければならない秘密があることは確かであり、そのような秘密を保護するために、秘密を取扱う公務員に特別に厳格な義務を課すことも、合理的と言えるであろう。そして、公務員がその義務に反しないようにするためには、公務員に秘密を漏えいさせようとする行為も一定の範囲で処罰の対象とせざるを得ない。そして、そのような行為は、現在の国家公務員法でも罰則の対象とされているのであり、特定秘密保護法によって初めて処罰の対象とされるわけではない。

このように考えると、特定秘密保護法案の内容には問題はないとして、法案に反対するマスコミを批判する池田信夫氏、高橋洋一氏らの見解は、一応筋が通っていると言えよう。

また、元法制局長官の阪田雅裕氏が、「公務員が職務上知り得た秘密全般について、漏らす行為やその煽り、そそのかしが、現行の国家公務員法で処罰の対象とされており、何が秘密なのかについては曖昧で、その指定の手続も定められていない。特定秘密保護法は、その中で特に厳格に管理すべき秘密について、指定の手続と、それを保護するための措置を定めているものであり、国公法で秘密とされていないものが秘密にされるわけではない。」と述べているのも、特定秘密保護法案に対する法律家としての常識的な見方だと言えよう(特定秘密保護法案法律としては構造的な問題はない)。

安倍内閣が、現行憲法の解釈変更によって集団的自衛権の行使を認めようとしたことに対して、憲法改正によらなければ不可能であると異を唱えた阪田氏ですら、このように述べているのであり、少なくとも、純粋に法律家の立場から考えると、この法案に根本的な問題があるとはいえない。

しかし、同法案に対しては、当初から強い反対意見がある。特に、衆議院で強行採決された後は、法案を短期間で成立させようとする政府与党のやり方に対する批判も加わり、反対意見が高まっている。

法案に反対する立場・意見は、次のように整理できる。

第1に、「国家として、外交、防衛などに関して、厳重に管理しなければならない秘密事項があるのは当然である。」という法案の前提に関して、その背景にある外交政策に反発する立場がある。

今回、この時期に、急いで法案を成立させようとしている背景に、アメリカの意向が働いていることは否定できないであろう。現在の、日本の外交政策の下で、外交・防衛に関する秘密管理を厳格化することは、「対米追従」を一層進め、アメリカとの軍事同盟を強化することにつながる。それ自体に反対する立場からは、法案に強く反対するのは、ある意味では当然と言えよう。

しかし、自公両党及びそれと外交政策的には大きな違いはない野党が、衆参両院で圧倒的多数を占める現状では、そのような「対米追従」を批判する「反米イデオロギー」は、国民の支持するところではない。外交政策的な観点からの反対は潜在化し、法案自体の内容に関する批判に振り向けられることになる。

第2に、秘密の指定権・判断権が、基本的に当該行政機関に委ねられていることに対する反発がある。「特定秘密に当たるか否かの判断は、第一次的には、行政行為を遂行する行政機関に委ねざるを得ないのであり、その濫用に対するチェックも、国家として『厳重に管理すべき秘密』であることから、第三者に関与させることには限界があり、基本的には政府内部によるチェックに委ねざるを得ない。」というのが、政府与党側の論理である。

行政機関の権限の源泉は、行政の遂行に関して、情報を独占することにある。その情報の独占状態は、2001年に「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」が制定され、情報公開制度が拡充されることによって、大幅に緩和されてきた。そして、2006年に公益通報者保護法が施行され、企業の世界においては、内部告発が積極的に行われるようになり、それを奨励することが社会的風潮になってきたが、行政機関の職員も、この法律による保護を受けて内部告発を積極的に行うことになると、行政機関による情報の独占は一層崩れていくことになる。

特定秘密保護法が、行政機関側に秘密を厳格に管理する権限を与え、それを重い罰則で担保することは、このような情報公開制度等による、行政の権限を制約する流れに逆行することになる。情報を入手して報道することを仕事としているマスコミとしては、それに反発するのは、ある意味では当然の反応と言えよう。そこでは、マスコミの「報道の自由」、国民の「知る権利」が侵害されるという点が強く主張される。

第3に、これらの反対や懸念を背景に、現在、法案の最大の問題点とされているのが、 防衛に関する事項、外交に関する事項、外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止に関する事項、テロ活動防止に関する事項とされている特定秘密の範囲の問題である。

特に、自民党の石破幹事長の「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において変わらない」というブログでの発言も相まって、特定秘密の範囲に関する「テロリズム」の定義が大きな問題となっている。

この点に関しては、法案における「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」という定義が、「強要」、「殺傷」、「破壊」を同列に並べているように読めることも問題とされている(「与える目的で」と「人を殺傷」の間に読点「、」が入っていれば、このような誤解を受けることはなかったと思われ、細かい点ではあるが法案の文言上の欠陥と言えよう)。

この点に関連して、「公安捜査」の実情から、法定刑も重く、処罰範囲が広範な罰則の導入に対して、捜査権限濫用に対する危惧感を表明するのが、元検事の落合洋司弁護士である。同弁護士は、「公安事件では、『犯罪があるから捜査する。』だけでなく、『捜査すべき組織や人がいるから捜査する。」『捜査することに意味、意義がある。』『捜査により組織や人に打撃を与える。』という観点から捜査が行われる」として、「秘密」に関わる行為を広範囲に処罰対象にしている今回の法案が、公安事件捜査で濫用される恐れがあることを指摘している(ブログ【弁護士落合洋司(東京弁護士会)の日々是好日】)。

 

私も、1980年代末から90年代にかけて、東京地検公安部に約2年半在籍した。落合弁護士が在籍した90年代と異なり、中核派、革マル派などの過激派の事件を含む公安事件が多発していた時代であった。そのような時期に公安事件の捜査を経験した者として、特にこの点に言及する必要があるだろう。

公安事件捜査は、一般の刑事事件捜査のように、発生した犯罪について捜査し、犯人を特定して逮捕する、という経過をたどるのではない。政治的目的で活動する特定の団体という対象が予め設定され、その活動を制圧・排除するという目的に沿った捜査活動が行われる。そして、そこでは、あらゆる罰則、あらゆる権限が使われる。

その実態については、拙著【検察の正義】(ちくま新書:2009年)25頁以下で触れている。

 ≪当時は、極左暴力集団と言われる中核派、革マル派などの非公然活動家によるテロなどの破壊活動や内ゲバ殺人事件が多発しており、警視庁公安部は、その対策のために、非公然活動家の検挙を目的とする取締りを行っていた。非公然活動家が警視庁公安部に逮捕され送致されてくると、東京地検公安部では、主任検事とは別に取調べ担当検察官を指名して共同捜査体制で臨む場合が多かった。

非公然活動家というのは、テロなどの「軍事行動」を実行する革命軍に所属する者と、そのための偵察、情報収集活動などの後方支援活動を行う者に分かれる。いずれも、家族、親族、知人など、すべての個人的つながりを絶って、その存在と活動が、まったく把握されないよう地下に潜って活動を行っている。その行方を追い続けているのが公安警察だった。過去の内ゲバ殺人事件やテロ事件などの重大事件で指名手配されている革命軍所属の「兵士」が、その所在を突き止められて逮捕状によって逮捕される、というケースもあったが、多くは、後方支援部隊の非公然活動家が、警察官から職務質問を受けた際に警察官に暴行を加えたという公務執行妨害の現行犯や、運転免許証の更新手続の際に、住居不定で非公然活動をしているのに、実家などを住所として申告して免許証を取得したという免状等不実記載罪など、いわゆる「微罪」で逮捕されてくるケースだった。

非公然活動家が公務執行妨害で逮捕される場合の多くは「転び公妨」などと呼ばれる事案だった。指名手配をされているわけでもない非公然活動家であれば、警察官から職務質問を受けても、おとなしくしていれば何も問題はないはずなのに、なぜ、警察官を突き飛ばしたりするのか、疑問に思える。しかし、警察の送致書類の上では、被疑者が職務質問を受けた途端に抵抗を始め、警察官に暴行を働いた状況を複数の警察官が詳細に報告している。

このような事案でも、公務執行妨害の嫌疑を裏付ける警察官の供述があり、非公然活動家である以上「住居不定」などで、当然に、勾留の要件は充たされる。そこで、その身柄拘束の期間内、完全黙秘の被疑者と取調べ担当検察官とが対峙することになる。≫

ここで言っている「免状不実記載」「転び公妨」で逮捕されても、ほとんど起訴されることはない。要は、20日間余りの身柄拘束のネタに使われるというのが実態だった。

犯人の処罰に向けての刑事事件の手続という面から考えると、そのような事実で身柄拘束をする必要性は、実際にはない。そのことは、検察官も裁判官もわかっているはずだ。しかし、公安事件で、「非公然活動家」が逮捕され、送致されてきた事件で、検察官が勾留請求をしないということはほとんどなかったし、裁判官が勾留請求を却下した例も少なかった。

このようなことは、「刑事司法に対する一般的な認識」としては考え難いことであろう。しかし、それも、テロなどの軍事活動を標榜する過激派の取締りという目的の下では、刑事司法の現場で実際に起こり得るのである。

特定秘密保護法の罰則が、そのような目的で使われる恐れがあるのかどうかは、何とも言えない。しかし、刑事司法が、常に適切に、法の目的に沿って運用されているという前提で考えることは危険である。

捜査機関が法の本来の趣旨に反する権限行使を行おうとした時、刑事訴訟法上、それを抑制する多くの手段が定められている。検察官が勾留請求するかどうかという判断、裁判所が勾留請求を認めるかどうかの判断、最終的な判決における事実認定などを通して、適切な判断が行われるというのが、刑事訴訟法の建前だが、ひとたび国家が一定の方向に動き始めたときは、それらの手段によって抑制できるとは限らないのである。

前出の阪田元法制局長官が、「特定秘密保護法案には法律として構造的な問題はない」とする理由として、「もし、不当に特定秘密に指定された事項に関して、刑事事件が立件され起訴された場合には、裁判所が適切に判断するはずだ」と述べている。それは、「刑事司法に対する一般的な認識」に基づく見解としては正しいであろう。しかし、実際に、公安事件も含め、刑事司法の現場が、すべて、そのような認識通りに運用されているかといえば、必ずしもそうではないのである。

日本の刑事司法は、事実を否認する被疑者を長期的に身柄拘束する「人質司法」、検察官による証拠の独占など、検察官にあらゆる権限が集中している。そして、検察は、第一次捜査機関の警察とは極めて近い関係にある。

このような刑事司法の実情を考えた時、私は、「刑事司法への信頼」を前提に、特定秘密保護法に問題がないとする意見には、賛成できない。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

そのような刑事司法に対して、マスコミは、これまで十分に批判的機能を果たしてきたであろうか。過去に、過激派等に対する公安捜査の実情に関する問題を指摘した報道がどれだけあったであろうか。「人質司法」など、刑事司法の問題点について、どれだけ指摘してきたであろうか。直近では、検察の一部が、虚偽の捜査報告書で検察審査会を騙して政治的目的を遂げようとした陸山会事件での「特捜部の暴走」に対して、民主主義を危うくするものとして徹底した批判が行われたであろうか。

検察や警察との「もたれ合い」的な関係によって、刑事司法の歪みを温存してきたという点からは、責任の一端はマスコミにもあるのではなかろうか。そういうマスコミが、「知る権利」「報道の自由」を振りかざして、法案に反対していることに対して、若干の違和感を覚えざるを得ない。

しかも、日本の官僚、行政組織と親密な関係を維持してきた自民党が、昨年12月の衆議院選挙で圧勝して政権に復帰し、今年7月の参議院選挙でも圧勝して、衆参両院において安定的な勢力を維持する政治状況になったことから、行政権限の肥大化、官僚組織による情報の独占に向けて立法が行われることも、ある意味では当然の趨勢と言うべきであろう。

このような政治状況を招いてしまった最大の原因は、昨年12月まで政権の座にあった民主党が事実上崩壊してしまったことにある。それは、第一次的には、民主党の自業自得だ。しかし、政権交代直後から、民主党が「政治とカネ」の問題をめぐる党内抗争に明け暮れる状況になったことには、マスコミも深く関わっている。

その結果できあがった、「単一の価値観に支配される政治状況」の下で、今、行政組織の権限の更なる強化に向けての特定秘密保護法が成立しようとしているのである。

いかに少数野党が抵抗しようと、マスコミがこぞって批判しようと、多くの知識人、文化人が反対しようと、特定秘密保護法が今国会で成立することを阻止することは避けられないであろう。

そういう政治の現実を、重く受け止めるべきではなかろうか。

元法制局長官の阪田氏も言うように、法律家の常識から法案自体の内容を客観的に見れば、特に問題があるとは言えない。であれば、重要なのは法案が成立した後である。法の趣旨を逸脱する、法律家の常識に反する法の運用が行われた場合に、適切な抑制機能を果たし得る刑事司法の実現に向けて、マスコミを含め世の中全体が問題意識を持ち、議論を深めていくべきではなかろうか。

 

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猪瀬都知事問題 特捜部はハードルを越えられるか

猪瀬東京都知事が、医療法人徳洲会からの5000万円の資金提供の問題で窮地に立たされている。

都知事選の公示直前に、徳洲会の徳田虎雄理事長を尋ねて、都知事選立候補の挨拶を行い、その後、少なくとも、1億円の選挙資金の提供を要請し、5000万円を現金で、徳田理事長の長男の徳田毅衆議院議員から受領したという事実関係は、ほぼ間違いないようだ。

都が許認可権を有する病院の経営母体である医療法人から多額の資金提供を受けていた事実が明らかになり、しかも、説明が二転三転していることなどから、都知事の職は継続できないのではないかという見方も出てきている。

猪瀬氏は、今年4月に、オリンピック招致をめぐって、米ニューヨークタイムズ紙のインタビューで、他の立候補都市と東京とを比較し、「イスラム諸国は互いにケンカばかりしている」などと述べたことが問題にされた際、単に「規定を知らなかった」「今回の件でルールがわかって良かった」と言って済ませ、規範の背後にあるオリンピックの基本理念に反する発言をしたことについては一切反省しなかった人物である。その対応については、当ブログの猪瀬知事の「謝罪」に見る「法令遵守」への逃避でも厳しく批判した。

今回も、捜査当局、司法当局が、違法と認定しない限り問題ない、と言って「法令遵守」を盾にとって逃げ込みを図ろうとする可能性が十分あるようにも思える。

そこで、今回の事件の刑事立件に関して、私の検事時代の経験に基づき、法律上、実務上、問題となる点を整理・検討しておくことにしたい。

前提事実と成立し得る犯罪

今回の現金提供の経緯や趣旨に関して、猪瀬氏側の主張と、報じられている徳洲会側の説明とはかなり異なっているが、政治団体「一水会」代表の木村三浩氏の証言を中心とする11月25日付けの時事通信の記事

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013112400243

の内容が、猪瀬氏、徳洲会側の説明の、概ね中間のように思えるので、以下、この記事の内容を前提に考えてみる。

同記事によると、政治団体「一水会」代表の木村三浩氏が、猪瀬氏と徳田虎雄前理事長の面会を仲介した。その場ではあいさつだけで、お金の話は出なかったが、木村氏が、面会後に、虎雄氏の次男徳田毅衆院議員に電話で「選挙はいろいろお金が掛かるから応援してやってくれ」と、知事への資金提供を依頼し、実際の金額については、徳田議員と虎雄氏が決め、徳洲会側からその後、5000万円が猪瀬氏側に提供された、とのことである。

これに対して、猪瀬氏は、「個人的な借入金で、短期間で返済する予定だったが、それが遅れ、徳洲会に対する捜査が開始された後に返済した。出納責任者にも知らせていないので、収支報告書に記載すべき収入ではない。」と説明しているようだ。

そこで、成立し得る犯罪として、まず、収賄罪の成否が問題となる。

5000万円の受領が、当時副知事だった猪瀬氏の職務権限に関するものであれば、単純収賄が成立する余地がある。特命事項として猪瀬知事にどのような所管事項が与えられていたのか、その中に病院に関係するものがあったのかが問題となる。

次に、知事選挙では当選確実とされていたのであるから、知事就任前の事前収賄に当たらないかも問題になるが、この場合には「請託」が必要である。知事の職務権限に関する事項について、徳洲会側から、例えば、病院に関する許認可等に関して何か具体的な依頼を受けたというような事実がない限り、事前収賄に問うことは困難である。

そこで問題となるのは、公職選挙法に定める選挙運動費用収支報告書の虚偽記入罪の成否である。

徳洲会からの5000万円の受領が、公職選挙法における「選挙運動に関してなされた寄附その他の収入」に当たるとすると、収支報告書にそれを記載しないで選挙管理委員会に提出した場合、収支報告書の虚偽記入罪が成立するのではないかが問題となる。

なお、一般的には、選挙資金と政治資金の関係も問題となるが、猪瀬氏は、政党の公認、推薦を受けておらず、しかも「個人の借入金」と弁解しているので、政治資金規正法との関係は、当面は問題とはならない。

公職選挙法違反の成否

猪瀬氏が説明するように、この5000万円が借入金だったとしても、選挙運動のためのものであれば、選挙運動費用収支報告書に記載すべき「寄附その他の収入」に当たるとされている(総務省見解)。猪瀬氏が受領した5000万円は、木村氏が述べているように猪瀬氏が直接要求したものではないとしても、都知事選挙の資金として提供されたもので、そのことは猪瀬氏も十分に認識していると考えられるので、その収入が選挙運動費用収支報告書に記載されていないことについて、公選法違反が成立することは明白であるようにも思える。

しかし、この種の公選法の罰則適用というのは、決して単純な問題ではない。

公選法の選挙運動費用収支報告書の記載に関しては、公選法の「選挙運動に関してなされた寄附その他の収入」の解釈に関して、選挙資金、政治資金、個人の資金の三つの関係に関わる微妙な問題がある。それに加え、公選法上の出納責任者と候補者本人の関係に関して、政治資金規正法の収支報告書の記載における政治団体、政党の代表者と「会計責任者」の関係と同様の問題がある。

後者の問題については、公職選挙法は、収支報告書の記載義務を、出納責任者に課していることから、猪瀬氏が徳洲会から受領した5000万円が「選挙運動費用収支報告書に記載すべき収入」に当たるとしても、猪瀬知事が5000万円を受領した事実を出納責任者に知らせなかったとすると、出納責任者には不記載の責任は問えない。

しかし、収支報告書の虚偽記入罪は「身分犯」ではなく、虚偽の記入に関与した人間であれば誰にでも成立すると解されている。とすれば、収入の一部を除外したことで収入の総額についての記載が虚偽となり、その総額の虚偽の記載に候補者本人が関わっている、ということになれば候補者本人に虚偽記入罪が成立し得る。

収支報告書の記載に猪瀬氏本人がどの程度関与しているのかが問題になるのは、陸山会事件において、資金管理団体の代表者の小沢一郎氏が、収支報告書の虚偽記入について共謀が問題になったのと同じ構図だが、異なる点もある。不動産の購入代金に関して、銀行からの借入金と小沢氏本人が提供した資金との関係が問題になり、しかも、陸山会事件では「小沢氏からの4億円の借入金」が政治資金収支報告書に記載されていた(同事件では、控訴審判決は、実行行為者の秘書についても偽装・隠ぺいの意図を否定した。)。しかし、猪瀬氏の場合はそれとは異なり、猪瀬氏本人が現金を徳洲会からの選挙支援としての5000万円を受領していたという単純な事案である。収支報告書に記載すべき収入であるか否かという前者の問題がクリアされ、しかも猪瀬氏に隠ぺいの意図が認めらる場合は、猪瀬氏本人を虚偽記入の実質的な主体と構成することは十分可能であろう。

「選挙運動に関してなされた寄附その他の収入」の範囲

そこで、最も重要な問題は、選挙運動費用収支報告書に記載すべき「選挙運動に関してなされた寄附その他の収入」とはどの範囲なのかという点である。猪瀬氏に徳洲会から提供された5000万円が、猪瀬氏の都知事選挙支援のための資金であったとしても、それが、ただちに収支報告書に記載すべき収入に該当するわけではない。

公職選挙に立候補し、当選に向けての活動をするためには、様々な資金が必要になる。

選挙の準備期間から公示・告示後の選挙期間中も含めた候補者本人の生活費も必要となる。立候補するまでの間に、政党、団体の支持を獲得するための活動に必要な資金、候補者の名前や政策を世の中に認知してもらうための活動など、選挙の公示・告示の前から行われる活動にも費用が必要となる。政党の公認、推薦候補であれば、このような広範囲の選挙のための活動が、政党の政治活動として行われ、その資金が政治資金によって賄われることになるが、政党の推薦を受けない無所属候補であれば、自己資金が中心となる。

本来、公職選挙に関する収支を報告させ公開する目的は、公職の候補者が、これらの様々な選挙資金について、どのような個人や団体から支援を受けて選挙運動を行ったのかを有権者に公開することで、選挙の公正を確保し、当選した候補者が公職についた後に行う職務が公正に行われるようにすることにあるはずだ。

そうであれば、このような選挙にかかる様々な資金の提供元を広範囲に選挙運動費用収支報告書に記載させ、公開することが、制度の趣旨に沿うものと言えよう。

しかし、従来の公職選挙に関しては、実際に、選挙運動費用収支報告書の記載の対象とされてきた収入は、様々な選挙運動の資金のうち、ごく一部に過ぎなかった。

選挙期間中、選挙運動に直接かかる費用「人件費・家屋費・通信費・交通費・印刷費・広告費・文具費・食糧費・休泊費・雑費」などが法定選挙運動費用であり、これについては、公職選挙法で、支出できる上限が定められている。選挙事務所を借りる賃借料、ポスターの作成・掲示の費用、街頭活動のためのガソリン代費用などである。

そして従来、収支報告書の支出欄には、このような選挙運動期間の選挙運動に直接かかった費用だけが記載され、収入欄の記載も、この支出に対応する収入金額にとどめるのが通例であった。

つまり、収支報告書の支出としては、選挙期間中の選挙活動に直接必要な費用を記載し、その支出にかかる資金をどのようにして捻出したかを収入欄で明らかにする、というのが一般的な選挙運動費用収支報告書の記載の実情だったのだ。

猪瀬氏が徳洲会からの5000万円の資金提供について説明しているように、候補者個人が他人から資金提供を受けていても、出納責任者に知らせていない収入は、収支報告書の収入には記載されない場合が、これまでは多かったものと思われる。

しかし、それでは、選挙活動の収支報告書が公開されても、公選法の選挙活動の収支報告書公開の意義は、極めて限られたものにしかならない。その候補者の選挙活動全体が、どのような個人、企業、団体等に支えられているのかは、ほとんど明らかにならないのである。

政党の公認、推薦等で立候補する場合には、政党の政治活動によって支援されることになり、その政治活動の収支は、政治資金収支報告書によって公開される。しかし、むしろ、その候補者の支持基盤を明らかにする必要があるのは、猪瀬知事のように、無所属で立候補する場合だ。その場合の実質的な選挙資金の提供元が明らかになることが、選挙の公正を確保するために重要である。

そういう意味で、選挙資金として提供されたものであれば、候補者個人が受け取って、出納責任者には知らせず、出納責任者が支出を管理する選挙期間内の直接の費用には使わなかったとしても、公選法の法目的に照らせば、収支報告書に記載すべき収入と解するべきであり、「選挙運動に関する寄附その他の収入」という文言からは、そう解釈するのが当然である。従来の選挙運動費用収支報告書の記載には、本来記載すべき収入が記載されていなかった実態があった、ということに過ぎないのである。

私は、2004年から2009年まで6年間、年に2~4回、警察大学校での都道府県警幹部向けに、「経済警察」に関する講義を行っていた。その中で、公選法の収支報告書虚偽記入罪の適用について触れている。

以下が、拙著【入札関連犯罪の理論と実務】(東京法令)の末尾に収録している、警察大学校での講義録の該当部分である。

これまではほとんど使われたことのない罰則ですが、いずれ使われる時期が来るのではないかと思っているのが、選挙運動に関する収支報告書の虚偽記入罪です。(中略)最近、選挙に関するルールがどんどん厳しくなる方向に向かっていますから、今後選挙運動の資金の透明化がこれまで以上に強く求められることになると、選挙に関する収入・支出に関してもルールが次第に明確になり、報告書の虚偽記入を処罰する条件が整ってくることも考えられます。それは、選挙に関する不正な金のやり取りを刑事事件として立件し、場合によっては贈収賄など他の事件に展開させていくための有力な武器になるかもしれません。ということで、公職選挙法にも収支報告書の虚偽記入罪の罰則があるということは頭に入れておいてもらったほうがいいと思います。

罰則適用へのハードルの高さ

もっとも、「選挙運動に関してなされた寄附その他の収入」をこのようにとらえ、罰則適用の対象にするとすれば、公職の選挙に関して、選挙支援のための資金提供を受けたのに、選挙運動費用収支報告書には記載されていない多くの事例が、形式的には公選法違反だということになり、その点をめぐって告発が繰り返されることになりかねない。このような罰則適用に対しては、法務・検察当局としても慎重な態度をとることにならざるを得ないであろう。

私が長崎地検の次席検事として捜査を指揮した2003年の自民党長崎県連事件においても同様の問題があった。

当時の自民党長崎県連幹事長が、長崎県知事選挙での選挙資金として中央ゼネコン各社に寄附を要求し、政治資金収支報告書に記載する「表の寄附」と、記載しない「裏の寄附」の両方で多額の寄附が行われた事実を、公共工事受注業者から首長等への「特定寄附」の禁止規定(公職選挙法199条)を適用して摘発したものであった。

長崎地検では、県連からの要求文言の内容から「知事選挙に関する寄附」であることは明白だと判断して強制捜査に着手する方針であったが、最高検、法務省刑事局から、「実質的にも選挙に関する寄附だったと言えるために、県連に入った資金が実際に選挙に関して使われていることが裏付けられること」、「寄附要求の悪質性を示す事実があること」などが、強制捜査着手へのハードルとして課された。どこまでが政治資金でどこまでが選挙資金なのかが曖昧だという「選挙に関する寄附」と「政治資金の寄附」との間の微妙な関係があり、政治資金の寄附と区別できるような寄附でなければ、政党に対する寄附に特定寄附の禁止規定を適用することは問題がある、との判断だった。それをクリアした事案でなければ、一つの事件の摘発によって、多くの同種事件が告発されて刑事事件化することにつながる、というのが実質的な理由であった。形式的に違反になるかだけではなく、検察としてその事案に罰則を適用することの妥当性に関して、納得できる指摘であった。

長崎地検捜査班は、そのハードルを一つひとつ乗り越え、最終的には、強制捜査への最高検、法務省のゴーサインを得た。そして、この事件は、当時、小泉政権の絶頂期だった自民党の地方組織のゼネコンからの集金構造を明らかにする事件として全国的にも注目され、国会での「政治とカネ」の論議にも火をつけることになった。

この際、若い検事、副検事、検察事務官が一体となった長崎地検の捜査で、多くのハードルを乗り越えていった経過については、拙著【検察の正義】(ちくま新書)の最終章「長崎の奇跡」で述べている。

二つのハードルを乗り越えるためには

徳洲会事件を捜査している東京地検特捜部にとっても、猪瀬氏の徳洲会からの5000万円について公選法違反で立件することについてのハードルは相当高いと言わざるを得ない。

そのハードルを乗り越えるためには、自民党長崎県連事件の場合と同様に、猪瀬氏が徳洲会から受領した5000万円が、従来の公職選挙でも恒常化していた「選挙運動費用収支報告書への収入の単なる不記載」と二つの面で区別できる必要がある。

一つは、当該5000万円の資金提供が、実質的にも「選挙運動に関する」ものだったと言えるかどうか、もう一つは、猪瀬氏が徳洲会からの5000万円の資金提供を収支報告書に記載しなかった行為の悪質性である。

猪瀬氏が徳洲会の徳田虎雄理事長に選挙出馬の挨拶に行き、その後、次男の徳田毅氏から5000万円の資金が提供されたということから、選挙支援の趣旨で提供された資金であることは明らかであるが、問題は、実質的に、猪瀬氏の選挙運動にどのような影響を与えたのかである。

猪瀬氏の選挙運動費用収支報告書によると、支出は2113万円。しかし、実際に選挙にかかった費用全体は、これだけではないだろう。収入として記載されているのは、猪瀬氏個人からの3000万円と市民団体からの50万円だけだが、選挙のための費用全体が、これだけで賄えたとは限らない。

猪瀬氏が立候補表明の時点で、選挙運動全体にどれだけの資金が必要だと考え、その資金をどのように賄おうと考えていたのか。そして、実際に、どれだけの費用がかかり、それをどのようにして賄ったのか。徳洲会から5000万円の提供を受けたことが、猪瀬氏の都知事選の選挙運動全体の収支にとって重要な役割を果たしたと認められれば、実質的にも「選挙運動に関する収入」と言えるであろう。そのためには、実際に選挙運動費用収支報告書に記載されているものだけではなく、猪瀬氏の選挙運動全体の収支を解明する必要がある。

行為の悪質性については、都が認可権を持つ病院を経営する医療法人から5000万円という多額の選挙資金の提供を受けたことだけでも相当に悪質な行為だと言えるが、それに加えて、資金提供を受けたことを隠ぺいしようとしていた事実があれば、悪質性はさらに高まることとなる。選挙運動費用収支報告書に記載された収入3050万円のうち3000万円が猪瀬氏の自己資金とされているが、もしそれが、猪瀬氏が出納責任者に徳洲会からの資金の提供を受けたことを秘匿し、大半を自己の預金だけで賄ったように装っていたからだとすれば、それ自体が悪質な隠ぺいである。それによって、「出納責任者が知らなかったから収支報告書に記載する義務がない」という弁解をしようと考えていたとすれば、さらに悪質である。本件発覚後に出てきた「借用書」も、作成経緯によっては、悪質性に関する重要な事実である。

実質的に「選挙運動に関する収入」と言えるか否か、及び行為の悪質性の二つの面から、猪瀬氏の行為が、単なる選挙運動費用収支報告書への収入の「不記載」とは区別できるものと認められれば、特捜部が、その種の公選法違反のリーディングケースとして捜査に着手するに相応しい事件として、最高検、法務省刑事局のゴーサインを得ることもできるのではなかろうか。

都から認可を受けている病院の経営母体の医療法人から5000万円もの多額の選挙資金の提供を受け、それを全く開示していなかったという猪瀬氏のような行為が許されるのであれば、選挙の公正は著しく害されることになるからだ。

大阪地検不祥事に加え、陸山会事件の不祥事への対応で、検察への信頼は崩壊したと言わざるを得ない状況にあり、とりわけ特捜検察は積極的な捜査が行い難い状況にあるが、ここは、汚名返上のため、そして、特捜検察再生のため、山上秀明特捜部長が指揮する東京地検特捜部の積極的かつ公正な捜査に期待したい。

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阪急阪神ホテルズ問題、「偽装」「誤表示」の微妙な関係と第三者委員会

 【阪急阪神ホテルズ問題、「自爆」を招いた会社側の「無神経」】でも詳しく述べたように、阪急阪神ホテルズの問題が重大な企業不祥事に発展したのは、阪急阪神ホテルズの危機対応の拙劣さによるところが大きい。

出崎社長が、記者会見で「『偽装』ではなく『誤表示』だ」と繰り返したことが、マスコミから厳しい批判を浴び、辞任に追い込まれる原因にもなった。

会見の混乱は、「偽装」と「誤表示」の関係を、会社側とマスコミ側とが異なった意味で理解していたことによるところが大きいように思える。

先日、この問題を取材している某記者から、次のような感想を聞いた。

「間違いはすべてメニューより安い食材を使うという共通点があります。メニューは芝エビだけれど実際は車エビを使っていた、などという逆のケースがひとつでもあれば『誤表示』という主張も説得力を持つのですが。」

このような「誤表示」という言葉の理解が、マスコミ側の追及の前提になっているようだ。

確かに、「誤表示」における「誤り」が、何の意図もない「表示のミス」という意味であれば、実際の食材がメニュー表示の価格水準より低い場合だけではなく、高い場合もなければおかしい、ということになる。

しかし、阪急阪神ホテルズ側が「誤表示」だと言っているのは、そういう意味ではないのであろう。

実際の食材と異なる表示をしたことについて、「その程度の相違は許される」と誤って判断したものは、「違法・不当」な表示をする意図はなかったのだから、「偽装」ではなく「誤表示」だという考え方なのであろう。

マスコミ側は、食材と表示とが多少なりと違うことを認識していれば、それだけで「偽装」であり、「誤表示」ではない、という考え方、会社側は、食材と表示の違いが「違法・不当」とは思っていなかった場合は「誤表示」に含まれる、という考え方、そこに大きな違いがある。

どこまでが「誤表示」と言えるのかを、野球の投球における「コントロールミス」に例えて考えてみよう。

マスコミ側の考え方によれば、投手は、ストライクを投げようとするのであれば、ストライクゾーンの真ん中(正確な表示)を狙って投げるのが当然で、「コントロールミス」(誤表示)というのは、真ん中に投げようとしているのに、外角内角どちらにも外れてしまうという「ノーコンピッチャー」のことだけを意味することになる。

内角ギリギリのストライク(許される範囲の表示)を狙って投げたところ、さらに内角に少し外れてボールになったというのは、真ん中を狙って投げなかったのだから、ストライクを狙う投球ではなく、「コントロールミス」とは言えない、ということだ。

マスコミの「誤表示」の定義によれば、食材についての一般的、客観的な表示を、一切の作為を加えないで行うべきで、その結果、たまたま表示が実際の食材と異なってしまった場合だけが「誤表示」だということになる。

しかし、プロの投手であれば、内角外角ギリギリを狙って投げて打者に打たれないようにするのが当然であるのと同様に、広告表示で、少しでも商品のイメージを良くしようとして、「違法、不当」とされない範囲で広告表示を行うのは、世の中の商売においては一般的なことだという考え方もあり得るのではないか。

この点は、「誤表示」と「偽装」の定義と、これらの関係をどのように理解するのかに関わる微妙な問題である。この定義や関係性の整理が曖昧で食い違ったまま、質疑・応答が繰り返されてしまったことが、記者会見をめぐる混乱に拍車をかけたことは否定できない。

会見における企業の内部者の説明で、この点について定義などを明確にし、誤解を解消することはなかなか困難である。そのような時は、外部者の第三者委員会が、中立的・客観的立場から、「偽装」「誤表示」の定義や関係を整理した上で、問題を指摘することができるし、そうすべきだといえる。

ところが、阪急阪神ホテルズの第三者委員会の委員長に就任したのは、元大阪地検検事正の小林敬氏である。同氏は、大阪地検検事正として、村木事件の証拠品のFDデータの改ざん問題について、当時の大坪特捜部長らから、「過失によるデータ改変です」と報告され、それを鵜呑みにして、何の問題意識も持たず、何の措置もとらなかったことの責任を問われて辞職した人物だ。

小林氏らが、戒告という内部処分だけしか受けなかったのは、大坪氏らから「過失によるデータ改変」と報告されたために、過失としか認識しなかったことが理由であった。

しかし、今年9月25日に大阪高裁で言い渡された大坪氏らの控訴審判決は、次のように判示して、「過失によるデータ改変」を見過ごした、当時の小林検事正及び玉井次席検事の責任を厳しく指摘している。

「小林及び玉井は、被告人両名の報告が、前田の行為により過誤による改変が生じたとの内容にとどまったとしても、大阪地検の最高幹部として、重大事件における最重要の証拠であるデータに手を加えたという重大な不祥事との認識を持って、被告人両名に対し、真相の解明を急ぐなど迅速な対応を指示するとともに、上級庁にも直ちに報告すべきであった」

当時、特捜部長、副部長だった大坪氏、佐賀氏は、犯人隠避罪で有罪が確定して法曹資格を失い、次席検事だった玉井氏は、大坪氏らに責任を押し付けたことで心労がたたったのか、辞任後まもなく急死した。

つまり、前代未聞の検察不祥事となった「証拠改ざん」、すなわち「証拠偽装」の問題について上司として責任を問われながら、今も法曹資格を維持しているのは小林氏だけ。その人物を、敢えて「食材偽装」問題の第三者委員会委員長に選任する阪急阪神ホテルズという企業の「無神経さ」には、ただただ、呆れるばかりである。

 

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