八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」

東京国税局に告発され、東京地検特捜部に起訴されるという、それまでは有罪率100%だった脱税事件で、一審無罪判決、検察官控訴棄却で無罪確定という全面勝利を勝ち取った元クレディ・スイス証券の八田隆氏が、本日(2014年5月16日)、検察庁と国税局の違法行為に対する損害賠償請求訴訟を提起する。

この国家賠償請求訴訟の代理人弁護団には、捜査段階から一審、控訴審の全過程で弁護人として八田氏の無罪主張を支え続けて見事に無罪を勝ち取った小松正和弁護士、本件では控訴審から弁護人に加わって八田氏の「完全勝利」に貢献した喜田村洋一弁護士(検察審査会の議決によって起訴された小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件でも弁護人として無罪判決を勝ち取った)、元検察官で、「検察の在り方検討会議の委員」も務め、一連の特捜検察の不祥事について徹底した検察批判を展開してきた私、そして、元裁判官で、「司法権力の内幕」「教養としての冤罪論」等の著書等を通して裁判所の体質や刑事司法の現実を厳しく批判している森炎弁護士が加わった。
八田氏は、今回の弁護士チームを「ドリーム・チーム」と称している【国家賠償訴訟に関して (2)~代理人ドリーム・チーム結成!】。

八田氏は、2009年12月に、脱税(所得税法違反)で東京国税局に告発されたが、捜査段階から、株式報酬は源泉徴収されていると認識していたもので、脱税の犯意はなかったとして全面否認してきた。同社において税務調査の対象とされた約300人のうち、約100人が株式報酬について無申告であったこと、ゴールドマン・サックス証券会社など、クレディ・スイス証券会社と同様の立場にある外国証券会社では、株式報酬について源泉徴収を行っていたことなどに加え、八田氏には脱税の犯意はなかったことを裏付ける証拠が十分にあり、検察には、弁解を覆せる見込みは全くなかった。
それにもかかわらず、東京地検特捜部は、2011年12月に、八田氏を起訴した。当然の結果として、2013年3月1日 東京地裁刑事8部は、八田氏に対して無罪を言い渡した。
検察官は、この裁判所の当然の無罪判断を受け入れず、東京高裁に控訴を申し立てたが、検察官の証拠請求は、すべて却下され、2014年1月31日 控訴は棄却、検察官は上告をせず、無罪が確定した。

検察官は、起訴不起訴の判断について広範な裁量権を与えられている。その検察官が、起訴の対象を「有罪判決が得られる見込み」で絞り込んでいることが、有罪率99.9%という異常な数字につながっているとの指摘もある。
たとえば、鉄道事故、航空機事故等の業務上過失致死事件等で、被害者・遺族が強く処罰を希望する場合は、有罪判決が得られる見込みが低い事件であっても起訴して、公開の法廷における審理を通して裁判所の判断を仰ぐべきという意見もあり、このような事件では、検察官が起訴した事件が無罪になったからと言って、ただちに、その起訴が不当と評価されるわけではない。
しかし、本件で東京地検特捜部が起訴した八田氏の事件は、そのような「積極的な起訴」が期待される事件とは全く性格を異にする。
まず、本件には、処罰を求める被害者も遺族もいない。国家が個人から税を徴収するに当たって、自ら所得を申告して納税させるという「申告納税制度」の下では、当局による所得の把握を困難にするような仮装・隠ぺい行為が行われると、制度の運用に支障が生じることから、そのような行為を罰することで、納税者の正直な所得申告を確保しようというのが脱税犯処罰の趣旨であり、まさに、税を徴収する側の国の事情による処罰なのである。
そうである以上、脱税による摘発・処罰の対象は、結果的に所得の申告が過少だったという「申告漏れ」ではなく、所得を過少に申告して税を免れようとして意図的に脱税したことが客観的に明らかな場合に限定されなければならない。その点の立証に些かなりと疑念がある場合に起訴を行うことは許されない。
ところが、本件について、八田氏は、脱税の意図は全くなかったと一貫して主張し、それを裏付ける十分な証拠があるのに、東京地検特捜部は、八田氏の弁解を無視して、起訴を行った。
なぜ、検察官が、そのような不当な判断を行ったのか、その背景には、いくつかの特異な事情があったことを想定することができる。

まず、本件告発が行われた2009年12月 22日頃、東京地検の税務事件担当である特捜部が置かれていた状況である。
佐久間達哉特捜部長率いる東京地検特捜部は、2009年3月に、西松建設事件で、当時民主党代表であった小沢一郎氏の秘書を同氏の資金管理団体陸山会にかかる2100万円の政治資金収支報告書虚偽記載の事件で逮捕・起訴し、同年5月に小沢氏を代表辞任に追い込んだ。同事件の捜査については、政権交代の可能性のある総選挙を控えた時期に、従来の基準からは考えられない軽微な違反を立件し強制捜査を行ったことから、検察の政治介入ではないかとの批判があり、検察内部でも、軽微な事件で重大な政治的影響を与えた同事件は、特捜部の重大な失態とされていた。
その後、同年8月末の衆議院議員総選挙で民主党が圧勝し、同党を中心とする連立政権が誕生し、小沢氏が政権与党の民主党の幹事長に就任した。特捜部は、その頃から、小沢氏に政治的ダメージを与えるとともに、西松建設事件の失敗捜査の汚名を晴らすべく、陸山会の世田谷区の土地の取得にかかる政治資金収支報告書虚偽記入事件の内偵捜査を進め、翌2010年1月15日には、現職衆議院議員の石川知裕氏を含む小沢氏の秘書・元秘書3人を同事件で逮捕し、さらに、小沢氏の起訴をめざして、同氏の取調べを行うなどした結果、同年2月4日に、秘書ら3人を公判請求し、小沢氏を不起訴処分にするに至った。
本件告発が行われた2009年12月下旬というのは、このような陸山会事件の捜査が、新聞等でも報道され、内偵捜査は最終段階を迎え、東京地検特捜部が、組織を挙げて、捜査に取り組んでいた時期である。
このような時期に行われたのが本件告発であり、その直前に、検察と国税局との間で「告発要否勘案協議会」が開かれ、そこで、特捜部として、告発を了承する判断が行われたのだ。
なぜ、そのような慌ただしい時期に、告発が行われたのか。なぜ、検察がそれを了承したのか。そこには、当時の佐久間特捜部が置かれていた事情が関係していると考えざるを得ない。
世田谷の不動産取得をめぐる4億円の裏金がゼネコンからの裏献金であることを解明し、小沢氏を起訴して、その政治生命を断つという「妄想」に取りつかれていた特捜部にとっては、国税局との緊密な連携・協力関係を維持することは不可欠だった。そのような状況において、国税局幹部からの、本件の告発を何とかして受けてもらいたいとの強い要請を拒絶することができず、有罪判決を得る十分な見込みがない事件の告発を了承する、という異例の措置につながったのではないか。

そして、本件起訴が行われた2011年12月7日頃というのは、前年秋に、大阪地検の郵便不正事件で、村木厚子氏の無罪判決が出され、その直後に、朝日新聞のスクープで、前田検事による証拠改ざんが発覚したことで、検察が猛烈な社会からの批判にさらされ、2010年11月には、法務大臣の下に「検察の在り方検討会議」が設置されるなど、特捜捜査の在り方を中心に、検察に対する批判的な観点からの議論が盛んに行われていた時期だった。2011年2月28日には、特捜部が取り扱う身柄事件(被疑者を逮捕し又は勾留している事件)等について,起訴又は不起訴の処分を行う場合には,検事正は,あらかじめ検事長の指揮を受けなければならないとされるなど、特捜部の身柄事件に対して、従前より厳しいチェックが行われることになっていた。
一般的に、容疑事実を否認している被疑者に対しては、逮捕・勾留した上で起訴し、長期間の身柄拘束のプレッシャーにさらすことで、公判での無罪主張を封殺する、というのが、検察の常套手段である。特に、八田氏の場合は、カナダ在住で、当時は無職、起訴状の送達ができるか否かも、公判への出頭を確保できるかどうかも定かではない。そのような事件での在宅起訴は、それまでの検察の常識からは、到底考えられない。
しかし、特捜部は、結局、八田氏を逮捕・勾留せず、否認のまま在宅起訴した。
逮捕・勾留が行われなかったのは、当時の検察をめぐる状況の下では、証拠が希薄で有罪判決の十分な見込みのない中で逮捕・勾留することが、検察不祥事・特捜改革との関係で困難だったからだと考えられる。
しかしそうであれば、起訴自体を差し控えるのが当然だ。ところが、そこには、国税当局と検察との間の、かねてからの深い関係があり、「告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、不起訴にすることは許されない」という「不文律」があった。東京地検特捜部は、有罪判決を得る見込みがほとんどないことを承知の上で起訴する、という「暴挙」に出ざるを得なかった。

そして、本件に関して、違法性・不当性が最も明白で、正当化する余地が全くない、検察の「暴挙」が、一審の無罪判決に対して検察官が控訴を申し立てたことである。
一審で無罪判決を受けた被告人に対して、検察官が控訴を行うことは、米国では許されていない。我が国でも、「無罪判決に対する検察官控訴は許すべきではない」との意見が、かねてから強く主張されてきた。検察においても、検察官側からの控訴は、控訴審で新たな証拠を請求し、採用される可能性がある場合に限定するという「不文律」を守ってきた。
少なくとも、同じ証拠関係の下で、控訴審裁判官に、一審判決とは異なった判断をしてもらうために控訴するというのは、検察に都合の良い裁判官の判断を漁るということに他ならない。不当な有罪判決を言い渡した裁判に対する救済のために被告人の側が控訴するのは当然だが、国の側に、一審の無罪判決を覆す裁判所の判断を求めるためだけの控訴が認められるべきではないのは、これもまた当然なのである。
ところが、新証拠を請求できる見通しは全くなく、一審無罪判決を覆せる可能性も全くなかった八田氏の事件で、検察は控訴した。

何故に、明白に違法な控訴が行われたのか。前記のとおり、八田氏が、有罪を得る見込みがほとんどないのに公判請求されたのと同様に、国税当局と検察とのかねてからの深い関係があったために、告発要否勘案協議会において検察官が了承した上で国税局が告発した事件について、検察が、無罪判決の裁判所の判断を受け入れて確定させることができない、という「不文律」があったからとしか考えられない。

検察官は、単に都合の良い裁判官の判断を求めるだけの検察官控訴は行わないという「不文律」には敢えて従わず、国税と検察との関係に関する「不文律」を優先したのである。
そのような検察官の「暴挙」の当然の帰結として、控訴審での検察官の証拠請求は、すべて却下され、公判は一回で結審、控訴棄却の判決が言い渡された。その判決では、一審判決以上に、検察官の判断の誤りが厳しく指摘されている。

本件の告発・起訴・控訴という3つの違法行為によって、一市民である八田氏は職を失い、長期間にわたって、能力・適性を生かせる仕事につく機会が奪われ、多大な損害を被った。
それらの違法行為は、検察と国税との告発要否勘案協議会等を通じた「不透明な関係と癒着」を背景として、西松建設事件、陸山会事件という「特捜検察の暴走」の大きな流れによって巻き起こされ、現実化した、検察という権力の「もう一つの暴走」である。
今週の日曜日から始まったWOWOWの連続ドラマWシリーズ「トクソウ」(原作「司法記者」由良秀之)では、殺人事件の真相が明らかになるにつれ、「政界捜査における特捜部の暴走」が明らかになる。
八田氏の事件をめぐる特捜検察の暴走の原因とその問題点は、今回の国家賠償請求訴訟の審理の中で、明らかになっていくだろう。

八田氏は、今回の訴訟で賠償金を得ることができたら、個人の懐に入れるのではなく、刑事司法改革の基金を作り、国家権力に狙われた市民が、八田氏のような冤罪に苦しむことのない刑事司法の実現に貢献したいと言っている。
一市民を踏み潰そうとする国税・検察と真っ向から渡り合い、刑事事件の捜査・公判に完全勝利した八田氏の“正義のリベンジ”が、これから始まる。
「やられたらやり返す!倍返しだ!!」

 

 

 

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渡辺喜美代表への資金提供問題、誰のどの選挙の資金なのか

化粧品販売会社DHC(東京)の吉田嘉明会長が、みんなの党の渡辺喜美代表に対し、2010年の参院選前に、選挙資金として3億円、2012年の衆院選前にも5億円の合計8億円を渡辺代表の個人口座に振り込んで貸し付け、そのうち約5億4900万円が未返済だと明らかにしたことに関して、渡辺代表について、公職選挙法(公選法)違反、政治資金規正法違反が成立するのではないかが問題にされている。

ちょうど、猪瀬前東京都知事が、医療法人徳洲会から受けた5000万円の選挙資金について、選挙運動費用収支報告書の虚偽記入の容疑で捜索等の強制捜査を受け、略式起訴の見通しと報じられたのとタイミングと重なったこともあって、渡辺代表についての選挙資金の収入が選挙運動資金収支報告書に記載されていなかったことについて、公選法違反に該当し、猪瀬氏と同様に捜査の対象とされるとの連想が働いたのであろう。

もちろん、一企業の経営者から、これだけの巨額の資金が、渡辺代表に対して、選挙資金或いは政治資金として提供されていたのに、それが有権者、国民に公開されていなかったとすれば、政治的、道義的に重大な問題であり、渡辺代表が厳しい批判を受けるのは当然である。

しかし、公選法、あるいは政治資金規正法違反の犯罪に該当するかどうかは、それとは別の問題である。

猪瀬氏の問題については、5000万円の資金提供疑惑が報じられたばかりの頃、昨年11月28日の当ブログ【猪瀬都知事問題 特捜部はハードルを越えられるか】において、多くの問題があるものの猪瀬氏の公選法違反での立件の可能性は十分にある、ということを指摘した。

しかし、今回の渡辺代表が受けた資金提供については、公選法、政治資金規正法違反での立件には、多くの隘路があり、容易ではないことを指摘しておきたい。現時点で報道されている事実関係からは、刑事立件の可能性を前提に考えるべき事案とは言い難いのである。

まず、公選法違反については、吉田氏が、渡辺代表への合計8億円の資金提供は、「選挙に関する資金」だったと認めており、選挙運動費用収支報告書に記載されていないことが問題になるとされている。朝日新聞には、元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士の「選挙資金だった場合、たとえ借入金だったとしても選挙運動費用の収支報告書に記載がなければ、公職選挙法違反に問われる可能性がある」とのコメントが掲載されているが、この場合の「選挙運動」というのは、具体的に、誰の、どの選挙のことなのだろうか。

公職選挙法は、「公職の候補者」「候補者届出政党」「参議院名簿届出政党等」「推薦届出者」について、選挙運動費用収支報告書の提出を義務付けている。

「選挙運動費用収支報告書の記載義務」は、特定の選挙における「公職の候補者」などにつて、一つひとつ別個に発生する。渡辺代表が、2010年の参議院選挙、2012年の衆議院選挙の「選挙資金」という趣旨で、吉田氏から提供を受けたとしても、それが、それぞれの国政選挙での「みんなの党」の選挙資金として、漠然と認識されていただけでは、具体的にどの「公職の候補者」に選挙運動費用収支報告書の記載義務が生じるのかがわからない。

そこが、「2012年の東京都知事選挙における猪瀬直樹」という特定の「公職の候補者」の選挙費用収支報告書の記載が問題になった猪瀬前都知事の問題と、決定的に異なる点である。

むしろ、それぞれの国政選挙において、政党としての「みんなの党」が選挙運動を行うための費用、ということであれば、法律上は、公職選挙法上の「選挙運動費用」というより、選挙に関連する「政治資金」という性格が強いというべきであろう。

しかし、では、その「政治資金」の収入を公開していなかったことについて、政治資金規正法違反が成立するといえるのかというと、話は、そう単純ではない。

若狭弁護士は、公選法に関する前記コメントに続いて、政治資金規正法に関して、「政治活動の費用だった場合は、政治資金収支報告書に記載がないと政治資金規正法違反にあたる可能性がある。」とコメントしているが、問題は、この資金提供を、どの政治団体、或いは政党に関する「政治資金収支報告書」に記載すべきなのか、という点である。

政治資金規正法は、政治家個人(公職の候補者)の政治活動に関する寄附を原則として禁止し、政治団体を通した個人献金のみ許されるとしている。一方、企業・団体からの献金については、政党や政党支部に対してのみ行うことができるとしている。

報道によると、吉田氏から渡辺代表に対する資金提供は、渡辺代表の個人口座に対して行われたものだということだが、趣旨としては、「みんなの党」の選挙資金に充てる目的だったように思える。

吉田氏から渡辺代表に対する資金の提供が、政治家としての渡辺氏個人に対して行われたものであれば、政治団体を通していないので、それ自体が、政治家個人に対する寄附の禁止に違反することになる。

資金の提供が「みんなの党」という政党に対して行われたものであれば、同党の政治資金収支報告書の虚偽記入の問題である。

吉田氏は、「選挙資金」というだけで、寄附の宛先がはっきりせず、「振込先は政治献金とは違う個人の口座だった」と述べているようだが(朝日)、渡辺代表個人に対する政治資金の寄附だとすると、吉田氏自身も罰則の適用を受けることになる(政治資金規正法21条1項違反)。吉田氏が、自分も違法行為を行ったことを認めるとも思えない。

しかし、逆に、政党宛の寄附と認定する上では、口座が個人口座であったこと、渡辺代表以外、「みんなの党」の誰にも知らされていないことが、立証上の隘路となる。

このように、贈収賄等のように、その資金の授受自体が犯罪事実になるのと異なり、帰属すべき先が明確ではない寄附は、収支報告書虚偽記入罪ととらえることが困難だという点は、政治資金規正法違反が、政治資金収支報告書への記載義務違反という形で構成される犯罪であることからくる根本的な問題である。

何の手続もとられることなく候補者個人に直接現金が提供されるというような典型的な「裏献金」の場合に立件が困難になることを、私は、かねてから指摘してきた。

現在、報道されている事実関係を前提にすると、今回の吉田氏から渡辺代表に対する巨額の選挙資金提供の事実については、政治的、道義的責任は別として、違法行為・犯罪として立件するのは相当困難だろうというのが率直な印象である。

 

 

 

 

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厚労省による「民法に反する解釈変更」と内閣による「解釈改憲」

行政庁は、所管する法律について解釈権限を持っている。

年金に関する法令を所管する厚労省は、年金の支給に関して、関連法令をどのように解釈し、どのような基準を定めることも可能であり、その解釈や基準が誤っていれば、裁判所の司法判断によって是正される、というのが、行政と司法の関係に関する一般原則である。

しかし、行政庁が法解釈や基準の設定としてできることにも、社会との関係において、自ずと限度があるはずだ。明らかに論理的に誤った解釈や、民法という社会の基本法の根幹部分に反する解釈を行うことは、国民が行政庁に与えている権限を逸脱するものである。そのような疑いがある場合には、裁判所の判断を待つまでもなく、まず、行政庁の長である大臣が、説明責任を果たすべきであり、それに対する社会的な批判に答えるべきであろう。

3月19日に緊急開催した総務省年金業務監視委員会で取り上げた「失踪宣告の場合の消滅時効の起算点に関する厚生労働省の解釈変更」は、その内容が民法の規定に明らかに反するだけでなく、解釈変更が、「所在不明高齢者に対する老齢年金の支給」に対する厚労省の不手際に関連して行われたという点にも重大な問題がある。この解釈変更は、厚労省の権限を実質的に逸脱するものであり、厚生労働大臣には重大な説明責任があるといえよう。

集団的自衛権に関して、安倍内閣が行おうとしている「解釈改憲」に関しても、内閣が負うべき説明責任と司法判断の関係について同じことが言える。

内閣には憲法解釈を行う権限があり、その解釈を変更することも権限の範囲内である。内閣の解釈変更が誤っていた場合には、最高裁判所の違憲審査権(憲法81条)によって是正されるべき、というのが、憲法に関する行政と司法の関係に関する一般原則である。

しかし、平和主義を定める憲法9条に関して、その根幹部分に関わる解釈の変更を内閣が行おうとした場合、それは内閣の権限で自由に行うことができ、その解釈の当否は、最高裁判所の違憲審査権の判断に委ねられるべき、ということでは済まされない。

憲法9条に関して、これまで積み重ねられてきた議論を踏まえて、解釈変更を行うことの相当性について、様々な場で、徹底した議論が行われ、内閣としての説明責任を果たすことが必要である。

現在、自民党内からも、国会での論戦に加えて、「閣議決定による解釈変更」について異論が出ているのも、「解釈改憲」をめぐる当然の議論と言うべきであろう。

行政庁による所管法令の解釈変更も、内閣による憲法解釈の変更も、行政判断と司法判断をめぐる構図は共通しているのである。

今回の厚労省の失踪宣告と消滅時効をめぐる解釈変更は、明白かつ重大な誤りであることに加え、変更に至った経緯、問題が指摘された後の対応を見る限り、厚労省が、国民生活に重大な影響を生じる年金制度を所管する行政庁として、果たして信頼できる存在と言えるのか否かについても、根本的な疑問を生じさせるものと言わざるを得ない。

それらの問題について、具体的に述べることとしたい。

なお、私は、現在、総務省年金業務監視委員会の委員長を務めているが、本稿で述べる意見は、あくまで私個人のものである。委員会としての意見は、今月末に同委員会の設置期限が切れ、来年度以降、厚労省の年金行政を省外から監視する常設機関がなくなってしまうことを踏まえて今月末に行う予定の「総務大臣への意見具申」の中で明らかにする予定である。

失踪宣告による「人の死」と消滅時効に関する民法の原則

法律上、「人の死」は、医師が死亡診断をした場合、或いは、死体が確認された場合に認められるというのが原則である。

その例外として、古くから民法が認めてきた制度に「失踪宣告」がある。長期間生死不明の人を、ある時点で死亡したものとみなし、その者にかかわる法律関係を確定させる制度だ。

失踪宣告ができるのは、7年間の生死不明(普通失踪)、あるいは戦死、地震・津波等の危難による1年間の生死不明(危難失踪)のいずれかの場合であり、利害関係人(家族)が、家庭裁判所に失踪宣告の申し立てを行い、家裁が、調査を経た後、一定期間の生死不明の事実を認定し、審判で失踪宣告を出す。審判が確定すると、生死不明から7年後の時点(危難による生死不明の場合は、危難が去った時点)で死亡したとみなされることになる。

そのような制度を利用するかどうかは、その人の家族の意思に委ねられており、そこには、国家は介入しない。親族法上の手続の多くには、公益上の観点から検察官による請求が認められているが、失踪宣告については、検察官による申立ては認められていない。いかに長期間生死不明の状態が続いていても、家族の意思に反して、国が「人の死」の認定を強制することはできないという考え方に基づく。

だから、家族は、何年、何十年、生死不明であっても、生存を信じて、生還を待ち続けることができる。死という法的効果を得るかどうかは、家族の意思・判断による、というのが、この「失踪宣告」という民法上の制度の根幹なのである。

例えば、東日本大震災による行方不明者の家族には、失踪宣告の申立てが可能になるまでの期間を一般的な危難失踪の1年から3か月に短縮する立法が行われた。しかし、この場合も、失踪宣告を申し立てるか否かは家族の判断であり、国がそれを強制したり、すみやかに行わないことで不利益を課したりすることはできない。

一方で、債権の消滅時効に関して、民法では「消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する」とされ、それには、「債権が存在しない以上、その債権の消滅時効が進行することはない」という当然の前提がある。存在しない債権について「権利行使」というのは、論理的に考えられないからである。

社会の構成原理を定める民法で、失踪宣告と消滅時効がこのように定められている以上、いくら長期間生死不明であっても、家族が申立てをせず、失踪宣告が出されていない状態で、「人の死」によって発生する債権の時効が進行して、権利行使ができなくなるということは、絶対に、あり得ない。

厚労省が、失踪宣告がなくても死亡一時金等の時効が進行することの根拠として挙げているのが、年金を受ける権利(基本権)と「月々の年金債権」(支分権)の消滅時効に関する判例である。年金を受ける権利を持っている者は、当局に裁定請求を行い、裁定がなされることで月々の年金債権を確定させることができるので、基本権について裁定請求が行われなくても、月々の支分権について時効が進行する(長期間裁定請求しないで放置しておけば、月々の年金受給権は時効消滅する)というものである。

しかし、基本権も支分権も、同じ被保険者の年金受給に関する権利であり、一体のものである。基本権が存在する以上「債権」は存在すると言えるが、失踪宣告がない以上、「人の死」を原因とする年金の債権は発生せず、存在していない。この判例は、全く根拠にならない。

厚労省の解釈変更の内容とその経緯

死亡に関する年金制度からの給付には、「遺族年金」「死亡一時金」「寡婦年金」がある。

失踪宣告で「人の死」とみなされた場合の死亡一時金、遺族年金について、厚労省は、従来は、審判が確定した時点が消滅時効の起算点になるという解釈をとっていた。

ところが、厚労省は、2年前の2012年5月に、課長補佐・専門官による文書で、日本年金機構からの「疑義照会回答書の差し替え」を行って、その「民法上当然の解釈」を変更した。年金事務を行う日本年金機構で取扱いに疑問が生じた場合に、厚労省に対して「疑義照会」を行い、厚労省からの回答書にしたがって年金支払いの事務を行うため、回答書が差し替えられることによって、年金事務の取り扱いが変更されたのである。どのような変更かというと、年金請求権の消滅時効の起算点を、「審判確定の日」ではなく、失踪宣告の審判で過去に遡って認定される「死亡したとみなされる日」である、としたのだ。

つまり、生死不明で7年間経過した時点から、家族が失踪宣告の申立てを行っていなくても、消滅時効が進行し、2年で時効消滅するものとし、時効完成後の請求は認めないということになった。

そのような解釈変更は、2011年ころに、多数の長期間所在不明高齢者の家族に老齢年金の支給が継続されていることが社会問題になった「所在不明高齢者問題」に関連して行われたものだった。

この「所在不明高齢者問題」に関して、厚労省と日本年金機構は、(所在不明高齢者の死亡を確定させて老齢年金の支給を打ち切る目的だと思われるが、)、老齢年金を受け取っている所在不明高齢者の家族に、失踪宣告申立てをするように勧奨した。しかし、長期間所在不明だった高齢者に失踪宣告が出され、失踪後7年目に死亡したとみなされると、それ以降の長期間の分の遺族年金が支払われることになる(例えば、20年間の所在不明であれば、13年前に死亡したとみなされ、13年間の遺族年金が支給されることになる)。

一方で、「死亡とみなされた日」以降に支給されていた老齢年金は返還させる必要が生じるが、会計法により、返還請求権は5年で時効消滅してしまうので、最大でも5年分しか取り戻せない。そのため、老齢年金と遺族年金が重複して支給される期間(20年間の所在不明であれば8年間)が生じ、事実上、老齢年金を不当に受け取っていた所在不明高齢者の家族に対しても、さらに支給せざるを得ないケースが続出することになる。

そこで、厚労省は、失踪宣告の場合の消滅時効の起算点を「死亡とみなされた日」に変更することで、老齢年金と遺族年金の重複支給をしないで済ませようとしたのである。

しかし、「所在不明高齢者問題」については、年金受給者が長期間所在不明で、死亡している可能性が高い状況で老齢年金の支給が継続されていたこと自体が問題なのであり、家族が故意に行っていたとすれば不正受給の犯罪である。そのような事例が多数存在し、長期間放置されていたのであれば、それは実態を把握せずに年金を支給していた年金当局の不手際であり、責任は厚労省や社会保険庁・日本年金機構の側にある。その問題から目をそらすために、消滅時効の起算点を民法の原則に反して遡らせることで、遺族年金の正当な受給権まで時効消滅させてしまうというのは、本末転倒である。

そのような「民法上あり得ない解釈」をとったことで、国民年保険料を3年以上納付した者が、老齢基礎年金や障害基礎年金を受給せずに死亡した場合に支払われる死亡一時金(消滅時効期間2年)の支給に関して重大な問題が生じ、それを、今回、年金業務監視委員会が取り上げた。

しかし、実は、問題は、死亡一時金だけに限られるわけではない。厚労省が「疑義照会回答書の差し替え」を行う契機となった遺族年金(消滅時効期間5年)に関しても、失踪宣告で死亡したとみなされた人の遺族の正当な権利として認められるべき年金受給権を奪うことになるのである。

具体的にどういうことなのかを、死亡一時金、遺族年金それぞれについて、事例に即して述べてみたい。

消滅時効の起算点に関する解釈変更の影響

[死亡一時金の事例]

 Aが、年金受給年齢に達する前に、突然家を出て行方不明となり、自殺、事故死等によって死亡した可能性が高いと考えられた。7年が経過し、失踪宣告が可能になった時点では、Aの実母が生存していて、息子の死を受け入れ難いと考えられたため、失踪宣告の申し立ては行わなかった。その約1年後(失踪から8年後)に、Aの実母が亡くなったこともあり、Aの長男が家庭裁判所に失踪宣告を申し立てた。申立から1年半後(失踪から9年半後)に、審判で失踪宣告が出された。

 このケースでは、審判確定の日が消滅時効の起算点だとすると、問題なく死亡一時金が支給されるが、「死亡とみなされた日」が起算点だとすると、その日から2年半経過しているので、時効完成で支給されないことになる。

しかし、7年間所在不明の状態が続いても、その時点で死亡一時金の請求の手続ができるわけではない。失踪宣告の審判が確定するまでは、「人の死」は全く現実化していないのであり、「死亡一時金請求権」という債権自体が存在していない。請求の手続が行えるのは、審判が確定した後であるが、審判は裁判所の手続なので、申し立てからどれだけの期間がかかるのかも一律ではない(一般的には、1年余りかかると言われている)。つまり、消滅時効の起算点について、変更後の厚労省の解釈をとると、Aの事例では、請求は全く不可能になるし、一般的にも、請求ができないケースが続出することになる。

[遺族年金の事例]

20歳から60歳まで40年間の全期間保険料を納めた漁船の乗組員のBは、年金受給資格を得たが、受給開始前に、漁船が沈没して行方不明となり、1年経過後も死体が発見されず、生存の可能性は極めて低いと考えられた。Bの妻は、失踪宣告の申立てをして審判が確定したら遺族年金が給付されると社労士から知らされたが、Bの死を受け入れることができなかったため、Bが残した預金で食いつなぎ、Bの生還を待ち続けた。

7年後、ようやく気持の整理がついたことから、Bの妻は、失踪宣告の申立てを行い、約1年後に、「漁船沈没時に死亡したとみなす」旨の失踪宣告の審判が確定した(危難失踪)。

この場合、「死亡とみなされた日」から8年後に遺族年金を請求(裁定請求)しても、変更後の厚労省の解釈によれば、そのうち3年分の「支分権」は時効消滅していて、支給されないことになる。(この場合、厚労省の解釈によれば、「基本権」も消滅時効していて、遺族年金をすべて不支給にできることになるが、厚労省は、自らの裁量の範囲内で「時効を援用せず」、支分権が時効消滅していない5年分だけ支払ってやる方針のようだ。)

しかし、Bの妻にとって、Bが死亡したことによる「遺族としての生活」は、8年前の漁船沈没時から続いていたのであり、その間、遺族年金を受給せず、Bの預金で食いつないできたことで、その資産は確実に減少している。自らの気持ちの整理のために必要な歳月を経て失踪宣告の申立てを行うことは、民法上、権利として認められているのであり、その権利を行使しただけのBの妻には、8年分の遺族年金全額を支給するのが当然である。3年分を支給しないというのは、あまりに理不尽である。

(7年間生死不明の普通失踪でも、家族が12年以上、帰来を待ち続けた場合には、遺族年金の「支分権」が時効消滅することになる。)

死亡一時金の消滅時効をめぐる日本年金機構の現場と厚労省の混乱

厚労省は、「失踪宣告によって死亡とみなされた日が消滅時効の起算点になる」という解釈変更は、日本年金機構からの「疑義照会回答書の差し替え」という全くの内部手続で行った。それによって、遺族年金や死亡一時金の受給者に重大な影響が生じるにもかかわらず、国民に対する周知は全く行われなかった。

そればかりか、この解釈変更は、日本年金機構の年金事務所の現場においても、取扱いが十分に周知、理解されてはいなかったようだ。

今回、総務省年金業務監視委員会が取り上げた死亡一時金請求の事例に関して、年金機構の現場での対応は混乱し、厚労省の見解も二転三転した。

失踪宣告が出された後、遺族が年金事務所にAの死亡の手続きに行ったところ、「死亡一時金の請求ができるので請求してください。」と促されたので、請求を行ったにもかかわらず、消滅時効を理由に請求書が返戻されたのである。社会保険労務士が代理人となり、年金事務センターに返戻の理由を尋ねたところ、「失踪宣告の場合の消滅時効は失踪宣告によって死亡とみなされた日から進行する」という理由が記載された文書が送付されてきた。そこで、事務センターに、「民法の消滅時効の規定に抵触するのではないか」と尋ねたところ、副所長が、「厚労省にも上げて了解を得て回答しているが、個人的にはおかしいと思う」と述べたという。さらに、厚労省年金局に電話で尋ねたところ、「民法には抵触していない」との回答だったので、遺族は再度、請求書を年金事務所に提出するとともに、総務省年金業務監視委員会に調査の要請を行った。

同委員会事務室から厚労省年金局に問合を行ったところ、解釈変更後の死亡一時金についての取扱いをそのまま維持することは困難だと考えたようで、厚労省は「受給権者の責めに帰すべき事由が全くなく2年を経過してしまったことが明らかな場合などには、個別の事情を考慮して請求を認める余地がある。」と、例外的に請求を認める場合があるという内容の回答をしてきた。そこで、委員長の私が直接問いただしたのに対して、年金局は、「行方不明から7年を経過した時から2年以内に失踪宣告の申立てを行っている場合は、失踪宣告の審判の確定から一定期間内に死亡一時金の請求が行われれば、当該請求を認める」と、給付の範囲を拡大する方向に見解を改めてきた。さらに、3月19日の年金業務監視委員会の場では、「失踪宣告の審判確定から2年以内に請求があった場合には時効を援用しない」と再度見解を改め、結局、支払に対する考え方を2年前の解釈変更時に遡って適用する、という方針を明らかにした。

このように、日本年金機構の現場のみならず、厚労省年金局の対応までもが混乱と失態を繰り返したのは、「失踪宣告によって『死亡とみなされた日』から消滅時効が進行する」という解釈が、余りに不合理で常識外れだったからであろう。

結局、厚労省は、死亡一時金については、消滅時効による不支給の範囲を、2年前の解釈変更以前と同じ取扱いに戻したのであるが、それでも、消滅時効の起算点についての解釈自体は変えようとはしていない。消滅時効が完成していても、その時効を「援用」しないということで、消滅時効の起算点を審判確定の日としていた時期と取扱いを同様にするということである。それによって、法令解釈の誤りを認めないで済まそうとしているのである。解釈が誤っていたことを認めることで遺族年金の支払に影響が及ぶ事態を避けようとしているのであろう。

しかし、前にも述べたように、「所在不明高齢者問題」の多くは、不正受給の犯罪のという特異な問題である。年金受給者の所在確認という当然の措置がしっかりとられている限り、そのようなことが大規模に発生することは考えられない。

むしろ、上記の「遺族年金の事例」のように、失踪宣告制度の趣旨からは当然に保護されるべき遺族年金の受給権を失わせることの方が重大な問題なのである。

 いかなる理屈を持ってしても、このような厚労省の消滅時効の起算点の解釈と、それによる遺族年金、死亡一時金の支給の判断を正当化する余地はない。

行政庁の法令解釈の限界

 行政庁の法令解釈権にも一定の限界がある。それは、国民の負託を受け、国民の信頼の上で職務を行うべき社会的存在としての行政庁にとって、社会的に許容し難い解釈が行えないのは、当然のことである。

債権が存在しない以上、「権利行使可能」ではなく、消滅時効が進行する余地はない、というのは、法令解釈の「論理的な限界」であり、失踪宣告の申立てはすべて家族の意思を尊重し、国は介入しない、というのは、社会生活の基本法である民法の失踪宣告制度の趣旨からくる「制度的限界」である。

ところが、厚労省は、それらの限界を逸脱した法律解釈を行い、「遺族年金や死亡一時金がもらいたければ、家族の生還を待たないで、とっとと失踪宣告の申立てをせよ」と言っているのである。

それは、日本という国において、長期間生死不明となった人について、法律上の死亡をどのような要件で認めるのか、国が、それにどのように関わるのか、という人の死に対する社会の考え方の根幹に関する問題である。

そういうことに対して余りに無神経な姿勢、自らの不手際を覆い隠すため法律の拡大解釈、重大な取扱い変更を国民に全く周知しようとしない不透明なやり方などを見ると、残念ながら、数々の不祥事で国民から厳しい批判を浴びた年金行政の本質は改まっていないと言わざるを得ない。

そのことについて、厚生労働省の行政について国民に責任を負う立場にある田村憲久厚生労働大臣に、重大な説明責任が問われている。

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長谷川閑史社長はベストの危機対応で武田薬品を救えるか

圧巻だった長谷川社長主導の記者会見

武田薬品の高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告の問題を報じた2月27日、28日のNHKニュースに関して、一昨日の3月3日、当ブログで【NHK報道で追い詰められた武田薬品】と題する記事を出したところ、当ブログの閲覧数、閲覧者数共に最高を記録したのを始め、BLOGOS、ハフィントンポストにも転載され、大きな反響を呼んだ。

同日、武田薬品は、予定されていたメディア懇親会を中止、午後6時から急きょ、長谷川閑史社長が出席する記者説明会(同社主催の記者会見)を開催した。

その模様は、東洋経済のネット記事【ノバルティスに続き、武田薬品でも不正が発覚 第三者機関による調査の結果が焦点に】などでも詳しく紹介されているが、武田薬品の対応は、以下の点で、重大な不祥事に直面した企業の危機対応として適切なものだったと評価できる。

会見の冒頭で、長谷川社長は、「臨床試験に対する一連の報道によって不安を抱いている患者、医薬関係者に早急に現時点で把握している情報を開示させていただくことが、何にもまして必要かつ誠実な対応だ。」と記者会見を開催した理由について述べた

長谷川社長、営業本部長など3人の会見者は、冒頭で、立ったまま頭を下げて謝罪し、途中では、広告に使ったグラフが、論文に掲載する前の学会発表に用いたものだったことを認めた上で、製薬業界の広告に関する自主ルールでは、論文から引用すべきとされているのに、学会発表のデータを使用した点、効果について他の薬と統計的に有意な差がないのに、差があるように誤解されるような表現があった点が不適切だったと認め、「深く反省し、お詫び申し上げます」と述べた。一方、臨床試験データの改ざんはないこと、研究チームへの奨学寄附金についても適切に拠出されていて利益相反上の問題はないことを強調した。

会見上では、会見者の背後に大きなスクリーンを用意し、そこに、広告宣伝に使用したグラフと論文のグラフを映し出して、大きな違いがないことを、映像的にわかりやすく説明した。そして、会見の中で第三者機関を設置して調査を行う方針を明らかにした。

会見の冒頭の長谷川社長の発言で、会社として、問題をどのように受け止め、どのように対応しようとしているのかを示したこと、記者からの質問に対しても、重要な点については社長自らが答えたこと、自社の主張を視覚的にわかりやすく表現したこと、第三者委員会の設置を迅速に決断し、会見で公表したことなど、いずれも危機対応としては極めて適切だったと言えよう。

記者会見によって報道は沈静化

このような危機対応の結果、新聞各紙の朝刊記事やテレビニュースは、昨日の会見での武田薬品側の説明と謝罪の内容を、比較的小さく淡々と伝えており、今のところ、企業不祥事に対するバッシング報道につながる気配はない。

企業不祥事の記者会見に関しては、「立ち上がって深々と頭を下げる謝罪」が、新聞、テレビニュースなどで大きく取り上げられ、不祥事について企業側に弁解の余地がなく、問答無用の悪事であること」を印象づけ、問題が単純化されることにつながる場合が多いが、今回の武田薬品の会見については、冒頭の会見者が頭を下げているシーンを取り上げている新聞、テレビは殆どない。

高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告の問題に関するマスコミの追及が、このような程度にとどまり、批判・非難が高まっていないのは、NHKニュースによる報道などを受けて、迅速な対応が決定され、長谷川社長中心に行われた記者会見で、会社側の主張が、マスコミ側に十分に理解されたことよるところが大きいものと考えられる。

もし、会見を、担当役員以下に委ねていたら、論文データや、学会データ、広告宣伝の内容について、記者から厳しい追及を受け、誇大広告の疑いについて、弁解の余地のない状態に追い込まれていた可能性もある。

拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか 相次ぐ「巨大不祥事」の核心】(2013年毎日新聞社)で取り上げている、昨年後半に表面化した、カネボウ化粧品、みずほ銀行、阪急阪神ホテルズの不祥事では、いずれも、企業が危機対応に失敗し、不祥事の中身について重大な誤解を招いたがゆえに、もともと重大な不祥事ではないのに「巨大不祥事」化していった。これとは対照的な今回の武田薬品の対応は、危機対応におけるディフェンスのフォーメーションの在り方として、多くの企業において参考にすべきであろう。

「誇大広告疑惑」は解消されたか

しかし、危機対応がいくら適切に行われたからと言って、決して、前回のブログで「史上最大の企業不祥事」と表現した総売上1兆4000億円の高血圧治療薬をめぐる今回の問題の疑惑が晴れたわけではない。

武田薬品は、追跡期間42か月以降、ブロプレスがCa拮抗薬・アムロジピンに比べ、良好な心血管イベント抑制効果を示しているように見えることを強調。“クロス”という言葉を用い、長期投与による同剤の有効性を訴求してきた。この点について同社の医薬営業本部長の岩崎真人氏は、「統計学的に有意差はないものを交差するという言葉を使ったが、これは誤解を与える可能性のあった内容であったと反省している」と謝罪した。実際には、カルシウム拮抗薬とブロプレスは、心疾患に対する抑制度は変わらないのにもかかわらず、長期に渡って投与すればブロプレスのほうが優位だと思わせていることになる。つまり、ブロプレスを長期投与すると他の薬剤より心疾患を抑えることが期待できるという誤解を生むことから、多数の種類が製造されている高血圧治療薬の中で医師が薬を選択する際、大きな誘引材料となることは間違いない。武田薬品の記者会見は、この点について「プロモーションコード(業界団体の規約)違反」という表現を用い、業界内の規約の違反にすぎないかのように印象づけているが、薬事法に違反する誇大広告に当たらないことの説明にはなっていない。

また、広告宣伝に、「論文のデータ」ではなく、「学会発表のデータ」を使用したことが業界団体の規約違反だったと説明しているが、その会社側に有利な「学会発表のデータ」というのは、どのようにして作られたのか、という点に重大な問題がある。2月28日のNHKニュースで、研究チームの代表者の猿田氏が、「広告の記事内容は誤りで、事前にチェックすべきだった」とコメントしたとされているが、「学会発表のデータ」であれば代表者の猿田氏が把握していないはずはなく、「記事内容は誤り」ということにはならないはずだ。記者会見では、このデータの作成は研究チーム側が行ったもので武田薬品は関与していないかのように説明しているが、上記の猿田氏のコメントとは矛盾する。

「誇大広告」刑事告発は回避できるのか

一昨日のブログでも書いたように、厚労省が、既に、ブロプレスと同じARB高血圧治療薬であるノバルティスファーマ社のディオバンの問題に関して、誇大広告の薬事法違反で刑事告発を行っている以上、ブロプレスの問題に関しても、違反が成立する限り、刑事事件としての立件が問題とならざるを得ない。記者会見によって当面の危機は回避しように見える武田薬品だが、高血圧治療薬ブロプレスの誇大広告問題による危機を脱したと言えるだろうか。

記者会見で、武田薬品側は、「第三者委員会の調査を待ちたい」としながらも、現時点では、今回の問題は誇大広告には該当しないと判断している旨答えた。

その理由について、担当部長は、「提供している情報は効能内の情報を超えたものではない。効能外の利用を促進するためではない。」と説明し、長谷川社長が、それに補充して、「臨床試験の結論は有意差がないということであり、グラフでも専門家がみれば誰でも分かるような形で表記されている。(広告の記述が)その内容と異なるのは不適切であったが、我々は誇大広告とは判断していない」と述べた。

しかし、グラフ自体は「有意差がない」という内容になっているとしても、広告の文言でそれとは異なった説明をしていれば、「誇大な記事の広告」に当たることは明らかであり、長谷川社長が述べている点は誇大広告を否定する理由にはならない。

また、「有意差がないものを有意差があるかのようにゴールデンクロスと表現したことが誇大広告に当たるのではないか?」との記者の質問に対して、担当部長は「(他の薬)と比較してどちらが長期に使ったらいいかを示唆したもので、ブロプレスの薬効そのものには関係ないので薬事法には抵触していない。」と述べた。

この説明は、「厚労省で承認されている高血圧治療薬の効能に関して広告をしたものであり、(ノバルティスファーマ社のディオバンの問題のように、)その効能とは別の他の症状に対する効能を広告したものではない」「他の薬との比較を述べただけで、薬の効能そのものに問題ないのだから誇大広告には当たらない」という趣旨であろう。

しかし、薬事法66条の誇大広告の禁止規定は、「何人も、医薬品…(中略)…の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」と定めているのであり、「承認された効能の範囲か否か」で区別していない。また、「比較広告」が典型的な広告の手法であることは常識であり、「効能自体に問題はないから誇大広告には当たらない」という理屈は通らないのである。

一昨日のブログ記事【NHK報道で追い詰められた武田薬品】でも述べたように、武田薬品が行った広告が、誇大広告を禁止する薬事法の規定に違反するものであることは否定できない。ディオバンの問題に関しては、データ改ざんという不正が行われたのは、Jikei Heart Studyなどの大学での臨床試験であり、それがノバルティスファーマ社の広告宣伝に活用された経緯や、社内での意思決定のプロセスは明らかになっていない。にもかかわらず、厚労省は、同社を「被疑者不詳」のまま薬事法違反で刑事告発した。

武田薬品の問題は、同社が、記者会見で強調したように、臨床試験の「データ改ざん」が行われたのではなく、そのデータを活用した広告宣伝に「虚偽又は誇大な記事」があったというものであり、まさに典型的な誇大広告の薬事法違反なのである。

同ブログ記事でも述べたように、今回の武田薬品のブロプレスの問題に関して、薬事法の誇大広告の禁止違反の罰則が適用されるかどうか、最大の問題は公訴時効である。時効期間の最近3年以内まで広告宣伝行為が行われていなければ、時効完成ということになる。この点に関して、武田薬品側は、会見で、「宣伝は、明日以降は速やかに解消する」と述べ、問題のパンフレットを用いた宣伝が、会見の直前まで行われていたことを認めた。

こうなると、厚労省としても、武田薬品の刑事告発を回避することはほとんど不可能になったと見ざるを得ないであろう。

「真の医薬品コンプライアンス」の観点からの検証・総括を

今後、注目されるのは、設置の方針が明らかにされた第三者機関(第三者委員会)が、どのようなメンバーで、どのような位置づけ、役割を与えられて設置されるのか、どの程度、独立性、中立性が確保されるのかである。前に述べた2013年3大不祥事では、いずれの企業も第三者委員会を適切に活用できなかったことによって事態は一層深刻化した。とりわけ、みずほ銀行問題では、名目だけの「第三者」委員会が設置され、当たり障りのない銀行側の言い分をなぞっただけの報告書公表にとどまったことが、同銀行に対する誤解を一層拡大させ、金融業界全体を巻き込んだ「巨大不祥事」にまで発展した(【企業はなぜ危機対応に失敗するのか】2013年毎日新聞社)。

記者会見で武田薬品側は、「誇大広告に当たるか否かは第三者委員会の調査を待ちたい。」と述べたが、上記のように、誇大広告の成立については、現時点においても、否定する余地はほとんどない。

重要なのは、武田薬品が、「法令遵守」ではなく「社会の要請に応えること」という意味のコンプライアンスの観点から、今回の問題を検証することである。高血圧治療薬に対する「社会の要請」は、「血圧を下げる」という第一次的な効能ばかりではなく、それによって実質的に脳疾患、心疾患などの疾病を予防することである。そのような観点から、総売上が1兆4000億円に上る高血圧治療薬ブロプレスについて、他の薬より心疾患を予防できるかのような表現を使って行ってきた営業、広告宣伝といった事業活動が、「高血圧治療薬に対する社会の要請」という面から、どのような問題があったのか、何を反省すべきなのかについて、独立性・中立性を確保した第三者委員会の調査・検討によって明らかにされるべきである。それができれば、むしろ、医薬品最大手の武田薬品に対する信頼が一層高まることにつながるであろう。(【第三者委員会は企業を変えられるか】2012年毎日新聞社)

さらに、武田薬品の対応が、医薬品メーカーに対する社会的責任を十分に果たしたものと評価されれば、今回の問題について、形式的に誇大広告の薬事法違反が成立しても、実質的には罰則適用の必要がないとの判断がなされることも可能となる。それは、ディオバンのデータ改ざんに関する元社員の関与等の疑惑について、記者会見を開くこともなく、十分な説明責任も果たさず、厳しい社会的批判を浴びたノバルティスファーマ社との関係で、刑事告発について異なった取扱いをすることの合理的な理由にもなり得るからである。

長谷川社長を中心に行われた危機対応は、問題が表面化した現段階で、マスコミ報道による社会的批判・非難の拡大を防止することに関してはベストの結果をもたらした。

それが、その後、第三者委員会の設置によって、事案の真相究明と原因究明が行われ、問題の本質が明らかにされ、医薬品最大手としての信頼回復が果されることにつながるのかどうか、長谷川社長のリーダーシップ、危機対応の真価が問われるのはこれからである。

 

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NHK報道で追い詰められた武田薬品

医薬品トップ企業の誇大広告を暴いたNHK報道

医薬品最大手の武田薬品工業が、14年間での売上が1兆4000億円余りに上る高血圧治療薬「ブロプレス」に関する「重大な犯罪」、そして、医薬品メーカーとしてのコンプライアンスの根幹に関わる「重大な不祥事」に直面している。

同社のトップ長谷川閑史氏は、経済同友会の代表幹事、日本製薬工業協会会長を務める財界のリーダーであり、政府の産業競争力会議の民間議員として、安倍政権にとっても重要な地位にある。

そういう日本の財界のトップ企業を追い詰める報道を行ったのが、籾井会長の失言問題によって公共放送としての組織のガバナンスの根幹が問われているNHKの報道班だ。

2月27日の午後6時のニュースで、「大手製薬会社、武田薬品工業が販売する高血圧の治療薬が、狭心症などの発症をどのくらい抑えられるのか調べた大規模臨床研究のデータが、薬の宣伝広告に使われた際、一部、病気を発症するリスクが低くなるよう変わっていたことがわかりました。」などと報じたのに続いて、翌28日の午後6時、7時のニュースでは、「ほかの製薬会社の薬と比べた臨床研究の結果を、平成18年ごろ、薬の宣伝広告に使った際、一部、病気の発症を抑える効果が高くなるようデータが書き換わり、研究の結果と異なるグラフが作られていたものです。さらに広告では、複数の専門家がこのグラフの意味を解説する形で、ブロプレスをより長期に使うと、狭心症などになる割合が減っていくなどと、臨床研究の結果と異なる宣伝をしていたことが新たに分かりました。」と報じた。

決定的なのは、28日のニュースで、「臨床研究結果の解説をしていた1人で、臨床研究を行ったチームの代表者だった猿田享男慶応大学名誉教授が、NHKの取材に対し、『広告の記事内容は誤りで、事前にチェックすべきだった。』と話しています。」と、広告の記事が誤りであることを正面から認める研究チーム側のコメントを報じたことだ。

ノバルティス社に続く誇大広告薬事法違反の表面化

昨年、ノバルティスファーマ社の高血圧治療薬ディオバンの臨床試験に関して、全国6大学の臨床試験データが改ざんされていたことが明らかになり、狭心症などへの効能に関して事実に反する宣伝広告が行われていた問題について、厚労省が同社を薬事法違反(誇大広告)で東京地検に告発、東京地検特捜部は、同社と、臨床試験を行った大学等に対して、捜索差押を行っている。

それと同種の高血圧治療薬の臨床試験に関しても重大な不正が行われていたことを報じたNHKの報道は、最近の企業不祥事報道の中でも特筆すべきものと言えよう。

当ブログ記事【ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省】【ノバルティス社告発、何が「犯罪」なのか】でも述べたように、ディオバンの事件については、同社社員が大学での臨床試験データの改ざんに関わっていたとしても、その事実が、同社において宣伝広告を行う部門において認識されていた事実がなければ、法人としての同社について違反に問うことは困難であり、刑事事件での起訴のハードルは高い。

しかし、今回、NHKが報じている武田薬品の問題は、臨床試験データの改ざんなどというややこしい問題ではない。論文で発表された臨床試験のデータを、一部、病気の発症を抑える効果が高くなるようデータを書き換え、研究の結果と異なるグラフを作り、事実に反する広告宣伝を行ったという極めて単純な話だ。報道の通りだとすると、それが社内のどのレベルまで関与して行われたかは別として、武田側に誇大広告の薬事法違反が成立することは否定し難いのではないか。

薬事法の誇大広告に関する罰則は、「2年以下の懲役」、「2百万円以下の罰金」のいずれか又は併科であり、公訴時効が3年なので、論文のデータと異なったグラフを用いた広告宣伝が2011年3月以降まで継続していことが条件となるが、それが充たされている限り、ノバルティスファーマ社の事件の捜査の対象が、武田薬品に拡大することも十分にあり得る。

医薬品メーカーのコンプライアンス問題としての重大性

今回の高血圧治療薬ブロプレスの広告宣伝をめぐる問題は、薬事法という法令に関して重大な問題であることは明らかだ。しかし、問題は、決してそれだけに留まるものではない。それ以上に重要なことは、今回の問題が、医薬品メーカーのコンプライアンスの根幹を揺るがす極めて重大な問題だということである。

私は、コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「社会の要請に応えること」だと、拙著【「法令遵守」が日本を滅ぼす】(新潮新書:2007年)などで一貫して述べてきた。

医薬品メーカーにとっての「法令遵守」は、薬事法の規定に従って、治験を正しく行って効能を確認し、厚労省の承認を受けた医薬品を製造販売することである。しかし、高血圧治療薬の場合、血圧を下げるという効能の先には、実質的に脳疾患や心疾患等の疾病の治療、改善・予防の効果が期待されているのであり、本当の意味で「社会の要請」に応えるためには、薬を処方する医療者に、その点について正確な情報を提供しなければならない。

「高血圧症」というのは、脳疾患、心疾患等のリスクを高めるとされている「血圧の状態」であって、その症状自体というより、高血圧症から引き起こされる重大な合併症の方が問題となる。つまり、高血圧治療薬の目的は、第一次的には「血圧を低下させること」であるが、最終的な目的は、脳疾患、心疾患等のリスクを低下させることであり、その目的に対してどの程度有効であるかについては、多くの患者に対する臨床試験を行うことで明らかになる。その臨床試験の結果をふまえ、それぞれの医師が、どの薬を患者に処方するかを判断することになる。

そういう意味で、高血圧治療薬に実質的な疾病予防の効果があるのか否か、どの程度の効果があるのか、ということに関して、「正確な情報を提供すること」は、医薬品企業の「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスにとって、極めて重要なことなのである。

今回明らかになった、臨床試験結果のデータを偽って宣伝広告に使用する行為は、医薬品のコンプライアンスの根本を揺るがすとして極めて重大な不祥事だと言わざるを得ない。

28日のNHKのニュースでは、この問題に関する武田薬品側のコメントが紹介されている。その中の「治験で確認された、血圧を下げるという薬の効果には問題ない。」という言葉は、日本の医薬品最大手企業である同社のコンプライアンスの考え方が、「薬事法遵守」のレベルに止まっていて、医薬品メーカーとしての真のコンプライアンスとは程遠いものであることを端的に表したものといえる。「治験によって効能を確認し、製造承認を受けるという薬事法上の『法令遵守』に関して問題はない。発売後の臨床試験やその結果に基づく広告は、薬事法に関して重要な問題ではない。」というのが同社の認識なのであろう。そこでは、高血圧治療薬に関する医薬品メーカーに対する重要な「社会の要請」が見過ごされている。それだけではない。それが、薬事法上も誇大広告の禁止の規定に触れる違法行為だという「法令遵守」に関する認識も欠落しているように思えるのである。

武田薬品側のコメントは、高血圧治療薬に関して、臨床試験によって明らかにすべき薬の実質的な効果の重要性と、それに伴う社会の要請を十分に認識していないことを端的に表すものである。このようなコメントを引き出して報じたことにも、NHK報道班の的確な問題意識が表れていると言えよう。

日本における高血圧治療薬の現状

高血圧治療薬には、利尿薬、カルシウム拮抗薬、アンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACEI)、アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)などの種類があり、それぞれの種類ごとにいくつもの薬が製造されている。

これらは、いずれも相応の血圧低下の効果は認められているが、心臓等の臓器保護作用などの副次的作用については、様々な評価があり、高血圧症の患者に対して、そのうちどの薬を処方するのかは、現場で診療に当たる医師の判断に委ねられる。

世界的には、高血圧の治療薬で一番推奨されているのはサイアザイド系利尿薬であり、売上も多い。ところが、日本においては、武田薬品のブロプレスと、ノバルティス社のディオバンが、いずれも1000億円以上を売り上げ、2012年には全医薬品の売上ランキングの1位、2位となるなど、ARB高血圧治療薬が圧倒的多数を占める。それがいびつな状況であることは、以前より一部の医師等から指摘されてきた【「本当に」医者に殺されない47の心得 [心得13] 高血圧の治療薬 そのいびつさ】。

そのような日本における高血圧治療薬をめぐる状況に大きな影響を与えてきたのが、大学等で行われてきた臨床試験である。上記のように、高血圧治療薬の最終的な目的は、脳疾患、心疾患等のリスクを低下させることなのであるから、医師はそのために最も効果的な薬を選択しようとする。高血圧治療薬による脳疾患、心疾患等の予防・改善効果を総合的に検証するために行われる臨床試験の結果が、医師の判断に重要な影響を与えるのは、ある意味では当然と言えよう。

慈恵医科大学を中心に行われた「Jikei Heart Study」 では、ARBのディオバンが脳疾患、心疾患等のリスクを低下させるとの臨床試験の結果が出されて医学雑誌等で公表された。そして、京都大学、大阪大学等の研究チーム「CASE-J」による臨床試験では、ARBのブロプレスとカルシウム拮抗薬のノルバスク(ファイザー社)との効果の比較が行われた。

このような臨床試験に関して、「データの改ざん」が行われ、改ざんされたデータによる広告宣伝が行われたのがディオバンの問題、「データと異なる広告宣伝」が行われたのが、今回の武田薬品のブロプレスの問題なのである。

ARB高血圧治療薬に対して膨大な医療費が投じられてきたことは、果たして国民の健康に、高血圧症によって起きる心疾患、脳疾患の予防・改善にとって合理的だったのだろうか。日本の高血圧医療の在り方にも深刻な疑問を生じさせるのが、今回の一連の問題なのである。

高血圧治療薬のほとんどが特許切れで低価格で販売されている中、特許期間が残存していたARBだけが高価格を維持してきたが、2014年にはディオバン・ブロプレスいずれも特許切れを迎え、それ以降は、薬価も下がり、ジェネリック医薬品の登場で売上が低下することが予想される。2つのARB高血圧治療薬について、特許切れ前の最後の時期に、臨床試験のデータを不正に使用した広告宣伝が行われ、医薬品メーカーに膨大な利益をもたらしたことになる。

ノバルティス社を告発した厚労省には告発回避の選択肢はない

今回の誇大広告問題の問題は、約1兆4000億円に上る対象医薬品の売上規模のみならず、日本の医薬品業界のトップ企業が起こした医薬品メーカーのコンプライアンスの根幹に関わるという問題の中身においても、「史上最大の企業不祥事」だと言えるであろう。

籾井会長問題でガバナンスの危機にさらされるNHKは、医薬品業界のリーダーであり、日本の財界においても重要な地位を占める武田薬品の重大な不祥事の報道で、公共放送である報道機関としての役割を十分に果たした。

それは、既に、厚労省が、ディオバンの問題に関してノバルティス社を刑事告発していることと相まって、今後の刑事事件の展開に大きな意味を持つことになる可能性がある。

ディオバンもブロプレスも、いずれも、売上1000億円を超えるARB高血圧治療薬である。前掲ブログ記事でも述べたように、ディオバンについては、臨床試験でデータ改ざんが行われたことが明らかだとは言え、ノバルティス社内部の広告宣伝を行う側でデータ改ざんを認識していたことの立証は容易ではなく、刑事立件は相当に困難である。そのような誇大広告事件について敢えて刑事告発を行った厚労省にとって、論文のデータと異なる広告宣伝を行ったという、弁解の余地のない誇大広告について、公訴時効の問題がクリアされるのであれば、刑事告発を回避する選択肢があるとは思えない。

スイスのノバルティス社と日本の武田薬品とで、差別的な取り扱い行った場合には、国際的な問題にも発展しかねないという問題もある。

そのような状況を考えれば、検察当局も、本件の刑事立件の可能性について、早急に検討を行う必要がある。立件が可能と判断された場合、検察は、その捜査権限を、最大限に、なおかつ適正に活用して、公共放送の報道によって明らかになった「史上最大の企業不祥事」の真相に迫る役割を担うことになる。

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「サケ弁当」問題で露呈した特定秘密保護法の危うさ

食材の虚偽表示問題を受け、消費者庁が昨年12月に公表したメニュー表示のガイドライン案をめぐり、森雅子消費者担当大臣は7日の閣議後記者会見で、「サーモントラウト(ニジマス)」を使って「サケ弁当」と表示しても必ずしも景品表示法違反にはあたらないとの見解を示した(2月8日付日経「『サーモントラウト』使っても『サケ弁当』はOK 食材表示案 消費者相が見解」 )

昨年12月、消費者庁は、食材の虚偽表示問題を受けて公表した「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について(案)」の「メニュー表示に関するQ&A」の中では、「サーモントラウト(和名:ニジマス)をサーモンと表示することは問題がある」とされていた。

このガイドラインの考え方に対して、外食業界側から強い反発があり、ニジマスを使用したサケ茶漬け、サケおむすびはどうなのか、という議論に発展していたことが、今回の森大臣の発言でのニジマスを使った「サケ弁当」を容認する発言につながったのであろう。

森担当大臣は、「表示された食材の半値以下のものを使うのは、消費者に著しく優良だと誤認させ不当表示にあたるが、一般的に消費者が認知し、値段が安価で両者の間に差がない場合は違反にならない場合がある」と述べたとのことである。

「表示された食材の半値」というのが、「優良誤認」による不当表示に当たるか否かの基準だということだが、この「半値」というのは、どこで成立しているどういう「価格」に基づいて判断するのであろうか。

「一般的に消費者が認知し、値段が安価で両者の間に差がない」場合には不当表示に当たらない、だから、ニジマスをサケと称するのはOKだというが、サケ弁当に使われている魚がニジマスであることは、少なくとも、私は知らなかった。「一般的に消費者が認知していること」を知らなかったとするとお恥ずかしい話であるが、果たしてそうなのであろうか。

中華料理店などでは、バナメイエビも含め、小型のエビを「シバエビ」と呼んでいたようであり、報道では、「シバエビは仕入れ値が1キロ当たり2500円、バナメイエビは同1400円」とされていた。消費者庁は、バナメイエビを「シバエビ」とメニュー表示するのは、「問題がある」としているが、森大臣が示した見解だと、不当表示には当たらないように思える。

明らかな見解の不統一であり、不適正な法運用と言わざるを得ない。

ガイドラインで示された法適用の基準が、大臣の発言で簡単に変更される、しかも、その論理が明らかに破綻しているというのでは、法執行機関の体をなしていないと言わざるを得ないだろう。

当ブログ【お上にひれ伏す「巨大不祥事」企業】で述べたように、阪急阪神ホテルズの問題を契機に、外食産業から百貨店業界にまで波及する大きな社会問題となった「食材偽装」問題に関して、消費者庁は、マスコミで騒がれた阪急阪神ホテルズの事案に対しては、景表法で排除措置命令を出し、殆ど同様の問題でもマスコミが取り上げなかったプリンスホテルの事案は調査すら行わない、という偏頗な法運用を行った。

偏頗な法適用に対する抵抗もなく、景表法の解釈についての「場当たり的解釈」も意に介することなく、不当表示を含む景表法違反に対して課徴金の導入を検討しているのが、森雅子大臣が担当大臣をつとめる消費者庁である。このような曖昧な基準で、課徴金が課されたり課されなかったりするというのは、事業者にとって余りに不公平であり、法律の運用として到底許されることではない。

そもそも、飲食店等における食材の提供というのは、素材の客観的な属性、成分だけではなく、そのイメージも含めて、消費者に価値をもたすものである。その両面から評価して、消費者に著しい誤認を生じさせ、選択を誤らせる行為は厳格に取り締まる必要があるが、厳密に呼称の正確性を貫くことが、消費者利益を図ることになるものではない。

消費者庁のガイドラインで問題とされた「牛脂注入牛肉」の問題についても同様のことが言える。それが、安価な牛肉に高級和牛の牛脂を注入することで高級牛肉と変わらない味を楽しんでもらうというのは、食材を提供する事業者の一つの「創意工夫」と言える。それを「牛脂注入」と明示させることで、料理のイメージが著しく損されることは否定しがたい。

そのようなことを徹底していけば、高級食材と低級食材の価格差はさらに拡大し、一握りの富裕層以外の多くの庶民は、イメージの悪い料理を、みじめな思いをしながら食べるしかなくなるのである。それが、社会にとって本当に望ましい方向なのであろうか。

「サケ弁当」「サケ茶漬け」などをめぐる議論の混乱の原因は、「食材表示」問題についての消費者庁の考え方自体が誤っていることにある。消費者問題担当大臣として行うべきことは、食材表示問題についての真の消費者利益というのは何なのかを、根本的に考え直すことなのである。

ところが、森担当大臣は、ガイドラインで基準を示したものの、事業者側の反発で、それを徹底することが難しくなると、「表示された食材の半値以下」、「一般的に消費者が認知」、「値段が安価で両者の間に差がない」などという曖昧な基準で、「その場しのぎ」をしようとしているのである。

もう一つの深刻な問題は、弁護士でもある国会議員として、消費者庁担当大臣と特定秘密保護法の特命担当大臣をも兼務する森雅子氏に、法律の運用に関する「場当たり的解釈」についての自覚が全くないように思えることだ。

景表法違反に対する法的措置として課徴金を導入するのであれば、不当表示についても、成立要件を明確化し、恣意的運用を排除することが不可欠である。それは、運用如何によって重大な人権侵害を生じる恐れのある特定秘密保護法案についても強く言えることである。「特定秘密」とは何かについて客観的で恣意性を排除した基準が示され、不当な秘密指定が行われることをどのようにしてチェックするのかについて、有効な方策が講じられなければならない。それを、景表法の不当表示の問題で露呈したような「都合の良い解釈」でごまかされたのでは、たまったものではないのである。

昨年12月に、与党の強行採決で成立した特定秘密保護法は、今後、法律の運用の枠組み作りという重要な段階を迎える。景表法の不当表示の問題で露呈した森担当大臣の「法執行の適正さに対する感覚の鈍さ」は、特定秘密保護法の運用の枠組み作りの「適正さ」に対しても重大な懸念を生じさせるものと言わざるを得ない。

 

 

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ノバルティス社告発、何が「犯罪」なのか

1月11日の当ブログ【ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省】に続いて、厚労省が東京地検に告発したノバルティスファーマ社の薬事法違反(誇大広告)の事件について、大学の調査結果や報道等で明らかになっている事実を前提に、刑事事件として立件する上でどのような問題があるのかを指摘し、一般的に「官公庁の告発」をめぐる問題について考えてみたい。

厚労省が今回の告発で適用を求めたのは、薬事法の誇大広告の禁止の罰則である。

薬事法66条1項は、「何人も、医薬品、医薬部外品、化粧品又は医療機器の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」と規定している。

その違反に対しては、85条4号の罰則が適用され、「2年以下の懲役」、「2百万円以下の罰金」のいずれか又は併科される。そして、両罰規定(90条本文)で、法人の代表者、従業者等が、法人の業務に関して違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人に対しても罰金刑を科すこととされている。

「ノバルティス社と広告に関わった同社の氏名不詳の社員を刑事告発した」と報じられたことから、厚労省は、「どの社員が行為者なのかは特定できないが、法人としてノバルティス社について、薬事法違反の犯罪が成立することは明らかだ」と判断して告発したように思われたのではないか。

しかし、日本の刑事司法においては、両罰規定による法人の処罰は、行為者個人についての犯罪成立が前提とされており、行為者が不特定で、行為者について犯罪が成立するか否かが不明確なまま、法人だけが処罰されることは、刑事実務上あり得ない。

法人処罰については、古くから、自然人個人ではなく、組織体としての「法人の行為」を認め、法人に対する刑事責任を追及すべきだという「組織体責任論」に基づく立法論が存在する。特に、カルテル、談合などの独禁法違反行為については、法人事業者の事業活動の中で、事業者の利益のため行われるものであり、しかも、「事業者は・・・してはならない」などと「事業者」が禁止規定の名宛人として規定されていて、事業者自体が違反行為を行わない義務を負っているのであるから、「法人の行為」を認め、行為者個人とは切り離して法人事業者を処罰の対象にすべきではないか、という議論が行われてきた。

しかし、実際には、そういう独禁法違反事件についても、「法人に対する刑事責任の追及は行為者及び行為の特定が前提」との原則は、例外なく守られてきた。

今回、厚労省が告発した薬事法の誇大広告の禁止の規定では、禁止の名宛人は「何人も」とされており、「すべての自然人」を意味し、「法人」は含まれない。したがって、上記のような独禁法違反などについて「法人の行為」を認めるべきとする見解からも、行為者を特定せず、個人の犯罪行為が成立しないまま、法人に対して刑事責任を追及する余地はない。

今回問題になっているのは、ノバルティス社の広告宣伝が、「虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布」に該当する疑いがある、ということだ。降圧剤バルサルタンが、高血圧だけでなく心疾患等についても効能があるということを、多数の大学の研究者の論文によって根拠づける宣伝広告を行っていたが、データの不正操作等があったことが判明して論文が撤回されたことから、心疾患等に対しての効能の根拠は失われたことから「虚偽又は誇大」の疑いが生じている。

この規定で禁止されているのは、「虚偽又は誇大」であること認識しつつ「広告宣伝を行う行為」であり、「降圧剤が高血圧だけでなく心疾患等に対しても顕著な効能があることが臨床研究によって裏付けられている」という宣伝内容が事実に反することを認識した上で、臨床研究の結果を使った広告宣伝を行ったのでなければ、罰則を適用することはできない。

厚労省は、誇大広告の禁止の違反行為者を「氏名不詳」として、法人としてのノバルティス社を告発したのであるが、この場合、法人としての同社に罰則を適用するためには、同社の代表者、従業者等の特定の自然人が「違反行為者」と認められることが必要である。

同社の特定の社員が「降圧剤バルサルタンが心疾患にも効能があることを裏付ける臨床研究」でのデータ解析に関与し、データの改ざんに関わっていた疑いは指摘されているが、それが事実だとしても、その社員が広告宣伝にも関わっているのでなければ「違反行為者」に該当しない。

ノバルティス社の社員の誰かが、大学での臨床研究でのデータ改ざんに関わっていて、それとは別の誰かが、改ざんとは知らずに臨床研究の結果を使った広告宣伝を行っていた、というのでは足りないのである。

つまり、法人としてのノバルティス社について、「犯罪ありと思料する」というのは、大学での臨床研究でのデータ改ざんを具体的に認識した上で、広告宣伝を行っていた社員が、同社の社内に存在すると「思料する」のでなければならない。

ノバルティス社内で、大学の臨床研究への関与と商品の広告宣伝の担当部門相互の関係がどうなっているのか詳細は不明だが、同社の日本での売上の規模からすると、一般的に考えて、別の部門で行われていると見るのが合理的であろう。

そうだとすると、「違反行為者」が存在するとすれば、次の二つのいずれかである。

一つは、臨床研究でのデータ改ざんに関わった社員と広告宣伝を行う部門の社員との間で、データの改ざんが行われていることについて何らかの意思疎通が行われていた、つまり、両部門が協力して虚偽の広告を行っていた場合、もう一つは、両者の共通の上司の指示によって、臨床研究でのデータ改ざんへの関与と広告宣伝が行われていた場合である。

厚労省は、そのいずれであると「思料した」のであろうか。

官公庁の告発をめぐっては、「犯罪ありと思料する」とはどのような場合か、官公庁側は、どの程度まで自らの調査を行った上で告発すべきなのか、などに関して、官公庁と検察との間で様々な確執があった。その典型が、独占禁止法違反の犯罪をめぐる公正取引委員会と検察の関係である。

1990年代、日米構造協議でアメリカ側から独禁法の運用の強化の一環として刑事罰の積極適用を求められた公正取引委員会と検察との間でも、告発をめぐって様々な確執があった。ちょうど、1990年4月に検察から公取委に出向した私が、まず取り組んだのが、独禁法違反に対する刑事罰適用の枠組み作りだった(拙著【検察の正義】(ちくま新書))。

独禁法違反については、「この法律の規定に違反する犯罪があると思料するときは、検事総長に告発しなければならない」(74条)とされ、しかも、公取委の告発が無ければ刑事事件として起訴することができないという専属告発が定められている。

公取委は、独占禁止法の運用を一元的に行う専門官庁で、しかも、独立行政委員会として内閣からも独立した位置づけが与えられている。独禁法に関する問題は、すべて公取委独自の判断で行いたいという考え方が強い。独禁法違反に対して刑事罰を適用すべきとする告発の要否の判断も、独禁法という法律の運用の一つなのであるから、公取委が、従来からの独禁法の考え方にしたがって、その裁量で行うべきだというのが公取委側の基本的な考え方だった。公取委側の裁量で告発し、検察は告発を受けて刑事事件として起訴できるかどうかを判断し、起訴したくなければ不起訴にすれば良い、というのが公取委側の理屈だった。

一方、検察にとっては、行政庁が「犯罪ありと思料」して告発した事件を不起訴にすることは、行政庁と異なった判断をしたことについて説明責任が生じることになるので、最も避けたい事態である。

とりわけ、独禁法については、公取委の「告発に係る事件について公訴を提起しない処分をしたときは、検事総長は、遅滞なく、法務大臣を経由して、その旨及びその理由を、文書をもつて内閣総理大臣に報告しなければならない」(74条3項)という規定があり、告発された事件について不起訴処分をした場合には、内閣総理大臣への報告という重々しい手続が義務付けられており、重大な説明責任を負うことになる。検察側としては、公取委から告発を受ける事件は、事前に、起訴できる見通しが立てられるものに限定したいというのが本音だった。

そこで、独禁法の刑事罰適用を積極的に行うためには、公取委側と検察側の考え方を、十分に擦り合わせておく必要があり、そのために、告発に至るまでの検討の枠組み作りをすることが、出向検事として公取委にいた私の最大の任務だった。

しかし、独禁法違反に対する刑事罰の適用に関して、公取委と検察との間には基本的な考え方の違いがあり、その擦り合せは容易ではなかった。

公取委側の考え方は、従来の公取委の独禁法の解釈に基づいて「違反が成立する」と判断できる場合には、そのまま「犯罪ありと思料する」というものだった。従来の公取委の調査では、違反というのは、事業者単位、つまり企業の組織全体の行為として明らかにすれば良く、個人の行為の特定は、基本的に不要とされていた。また、違反の立証は、具体的な証拠がなくても、推認によって行うことも可能とされてきた。その延長上で告発を行おうというのが公取委の考え方だった。

一方、検察は、犯罪というのは、個人の行為であり、それを具体的に明らかにすることが刑事処罰の必要条件だとする伝統的な刑事司法の考え方に基づき、起訴して有罪に持ち込めるほどに個人の行為が特定され、その証拠がそろっている場合に限って、「犯罪ありと思料する」として告発を行うことが可能であるという考え方だった。

このように、大きく考え方が違う公取委と検察との間で、告発の対象事件に関する基本的なルールと検討の枠組みを作り、公取委の検察の間の協議の場としての「告発問題協議会」の設置を公表したのが90年6月だった。同年秋には、石油カルテル事件以来17年ぶりとなる業務用ストレッチフイルムのカルテル事件の告発にこぎ着けたものの、翌年には、埼玉土曜会談合事件の告発を、検察の強い意向で断念。公取委は、世の中から強い批判を浴びた(その後、93年に東京地検特捜部が手掛けたゼネコン汚職事件では、公取委に対して告発断念を働きかけた見返りにゼネコンから賄賂をもらったとして中村喜四郎衆院議員を逮捕・起訴した)。そして、93年には、検察が先に刑法の談合罪で行為者を起訴していたシール談合事件で、公取委が、独禁法違反で法人事業者だけを告発した。

 

当時、公取委には、刑事事件としての告発のための調査権限である「犯則調査権」(2006年独禁法改正で導入された)はなく、法律で「犯罪捜査のためのものと解してはならない」とされている行政調査権があるのみだったので、通常の行政処分で必要な範囲を超えて、刑事事件に関する調査を行うことには制約があった。その制約の中で最大限の調査を行っても、無理難題を押し付けて、告発を受け入れようとしない検察側の「唯我独尊」的な姿勢に失望させられることも多かった。

しかし、そういう経験を持つ私でも、今回のノバルティス社の事件で、厚労省側に「告発のアドバルーン」だけ上げられ、ほとんど白紙の状態から捜査を行わなければならない特捜部には、同情を禁じ得ない。

特捜部では、徳洲会から政界への資金提供をめぐる事件の捜査が続けられていると報じられている。辞任した猪瀬前東京都知事の徳洲会からの5000万円の選挙資金提供の問題も、市民団体の告発があり、不起訴にした場合には検察審査会への申立てが必至であることを考えれば、公選法違反の起訴をめざして捜査が行われているのであろうが、そのハードルが高いことは【猪瀬都知事問題 特捜部はハードルを越えられるか】でも述べたとおりである。

そうした中で、ノバルティス社事件に大きな捜査コストをかけざるを得ないことは特捜部にとって相当な痛手なのであろう。

しかし、様々な分野で法の実効性の確保が求められ、悪質・重大な違反行為に対して最も峻厳な制裁として刑罰の発動が求められる状況の中で、今回のような法律の所管官庁からの告発は、これまで以上に重要になっていくと考えられる。それだけに、所管官庁と検察とが、法の趣旨・目的に沿って、それぞれ有する権限を適切かつ効果的に活用して刑事罰適用に向けて連携協力していくことが重要になっているのである。

かつては、検察は、刑事事件に関する限り、あらゆる事象が検察を中心に動いているという「天動説」的な考え方をしていたのが、検察は、国家の一つのシステムだという「地動説」的な観点への転換が求められているということだ。

今回の告発を受けての「ゼロからの検察の捜査」は、まず、臨床試験のデータ改ざんを結論づけた大学の調査を、改めて、刑事事件の証拠の観点から再確認するところから始まるのであろう。まず、大学の研究者が、いかなる経緯で臨床研究を行い、そこにノバルティス社はどのように関わっているのか、という点を明らかにし、そこから、ノバルティス社が「臨床試験データの改ざん」を広告宣伝に利用しようとする意図があったのか否かを明らかにしていくことになろう。

 

 

 

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ノバルティス社告発、真相解明を検察に「丸投げ」した厚労省

厚生労働省は、1月9日、降圧剤バルサルタンの臨床試験疑惑で、データ操作された試験論文を違法に宣伝に使ったとして、法人としての製薬会社ノバルティスファーマと氏名不祥の社員を薬事法違反(誇大広告)容疑で東京地検に刑事告発した。

この問題は、国際的な医学雑誌にも掲載され、バルサルタンの効能や効果の広告に使われた全国の5大学での臨床試験に関して、データ操作が行われていたことが、大学の調査などで明らかになり、日本の臨床研究の信頼を損ないかねない重大な問題として注目を集めていたものだ。

昨年(2013年)8月、当ブログでも、ノバルティス疑惑、独禁法適用の可能性 厚労省にとって「最悪の事態」も と題して、この問題に関して、厚労省の薬事法による対応が十分に行われないようであれば、独禁法の不公正取引の禁止規定を適用して、公取委が調査に乗り出す可能性があることを指摘した。

また、「法と経済のジャーナル」に掲載された【高血圧薬ディオバン問題、難航する真相解明 検察、公取委の出方は?】と題する私のインタビュー記事では、「国から薬の製造販売承認を得るために行う「治験(臨床試験)」ではなく、薬の販売後に薬の効能に関して行われる「臨床研究」に関する問題であり、薬事法の規制の対象外で、厚労省の承認などの本来の守備領域の問題ではないので、厚労省の調査には限界があること、不正なデータ操作を行ったノ社の社員が不正の動機も含めて真相解明することができるとすれば、被疑者の身柄拘束も可能な刑事事件の捜査によるしかなく、検察が独自に捜査に乗り出すことになる可能性もあり得ることを指摘した。

この問題が、最終的に、刑事事件の捜査に委ねられることになったこと自体は、私の指摘通りだったと言える。

しかし、それは、検察が独自に主体的に捜査に着手するという形ではなかった。ノバルティスファーマ社告発という「厚労省側のアクション」によって刑事事件化されることになった。

官公庁の告発は、刑訴法の「その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」という規定(239条2項)に基づいて行われるが、この「思料」は、それなりの根拠に基づく必要があることは言うまでもない。

ところが、厚労省側の説明や、報道から伺われる検察側の反応からすると、厚労省は一応調査を行ったものの、行為者を特定できず、ノバルティス社内で臨床研究の不正と広告とがどのような関係なのかも具体的に明らかにできず、ほとんど大学の調査結果やマスコミ報道で生じた「疑惑」だけで告発を行ったように思える。国家機関が行う告発としては極めて異例と言わざるを得ない。

捜査を担当する東京地検特捜部は、事実解明を「丸投げ」され、ほとんどゼロから証拠収集を行わざるを得ないのに、官公庁の告発事件である以上、軽々には不起訴にもできないという意味で、大きな捜査の負担を背負い込むことになった。

今回の告発については、マスコミ各社が「厚労省1月8日に告発」と報じたのに、実際には同日には告発は行われず、「ノバルティス告発を先送り」などと報じられた後、翌日の9日に告発という不可解な経過をたどった。

各社が一斉に報じたことからすると、当初「8日告発」が予定されていたことは間違いないのであろう。殆ど中身のない告発状であるから、内容の修正で1日延期する必要が生じたとも思えない。

検察側としては、事実解明を「丸投げ」する内容で、凡そ本来の「官公庁の告発」のレベルではないのに、マスコミに「偉そうに」告発の日まで予告する厚労省側の姿勢に怒り、厚労省に「告発1日延期」を強く求めたと見るべきであろう。

医薬品の研究開発はアベノミクスの三本の矢の一つの成長戦略の柱である。それだけに、我が国の医薬品研究に対する国際的信頼を損ないかねないバルサルタン問題の真相解明は、政府にとって避けて通れない重要な問題である。政府内の所管としては、薬事行政を担当する厚労省の問題であるが、前記インタビューでも述べたように、真相解明は、結局のところ、刑事事件としての捜査によらざるを得ない問題であった。

そうであるだけに、検察としては、早期に独自の捜査に着手することを検討すべきだったとも言えるが、一方、厚労省としては、何とかして真相解明を実現したいのであれば、検察に捜査を要請し、自らは「裏方」となって水面下で捜査に協力し、刑事立件の目途がついた段階での告発をめざすという方法もあり得た。

調査に数か月を空費した挙句、結局のところ事実を殆ど解明できず、被疑者不祥のままの告発を行って検察に丸投げするという厚労省のやり方が検察側の反発を招いたために、もともと困難であった本件の真相解明は、一層困難になったように思える。

とは言え、告発を受理した以上、検察は、今後、ゼロからの捜査に取り組まざるを得ない。薬事法違反(誇大広告)の刑事立件に関する問題点、今後予想される捜査の展開などについては、次のブログで述べることにしたい。

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マルハニチロ子会社農薬混入問題は、「個人の犯罪」か「企業不祥事」か

食品会社「マルハニチロホールディングス」の子会社「アクリフーズ」の工場で製造された冷凍食品から農薬マラチオンが検出された問題で、昨年12月29日に、マルハニチロが記者会見を行い、対象商品の自主回収を発表した。

年の瀬を控えた時期に、にわかに表面化した大手食品企業グループの商品の農薬汚染問題は、年をまたいで連日マスコミでも報じられており、アクリフーズ製の冷凍食品を食べて「嘔吐」「下痢」「腹痛」などを発症したなどの被害申告は、全国37都道府県、359人に上っている。

これまでの被害申告は、摂取した直後の「吐き気」などの急性症状が多いが、マラチオンを含む「有機リン系殺虫剤」については、子供の体質によっては、慢性の中毒症状を引き起こす恐れがあるとの指摘もある(【食品に混入された有機リン農薬「マラチオン」の”毒性”について自ら調べないマスコミ】)

因果関係が不明確な慢性的な症状まで被害として問題にされるようになると、さらに大きな社会問題に発展する可能性もある。

12月12日に公刊した拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか~相次ぐ『巨大不祥事』の核心】でも述べたように、昨年7月以降、カネボウ化粧品、みずほ銀行、阪急阪神ホテルズと企業不祥事が多発したが、今回の問題は、それらの不祥事とは異なる。食品企業が製造販売した商品に有毒成分が含まれ、それによって「吐き気」などの健康被害が生じているという点では「企業不祥事」である。しかし、検出された農薬は、通常の製造過程で混入した可能性は殆ど考えられず、何者かが人為的に混入した可能性が高いとされており、その点では、「個人の犯罪」である可能性が高く、既に警察が業務妨害罪の容疑で捜査に着手している。

しかし、外部者の侵入が極めて困難であることから、企業の内部者による犯行が疑われており、個人の意図的行為によるものであっても、企業組織の何らかの問題に起因している可能性が高い。そういう意味では、「個人の犯罪」であると同時に、「企業不祥事」の性格があることも否定できない。

●マスコミ報道の現状

警察の捜査は開始されたばかりであり、現時点では、事件の真相は全く不明である。それどころか、工場での入室管理や、勤務体制に加え、農薬の混入が多数の商品に及び、混入の期間にもかなりの幅があることからも、外部者による農薬混入は極めて考えにくいということがわかっているだけで、犯人像ははっきりしない。

マスコミも、自主回収の発表の時点と、その時の説明で毒性を過小評価していたことで再度行われた記者会見の時点では大きく報道したが、その後は、県当局の立入検査、警察捜査の動きと、被害申告の拡大などの客観的事実を報じているだけで、企業に対する批判・非難の論調はほとんど見られない。

同じ食品企業をめぐる問題であった2000年の雪印乳業集団食中毒事件とは大きく異なる展開となっている。雪印事件では、大阪工場で製造した加工乳が黄色ブドウ球菌による毒素で汚染されていたことが早期に判明したが、その毒素混入の原因がなかなか特定できず、警察捜査の結果 食中毒発生の1ヶ月半後に、北海道の大樹工場で起きた停電で脱脂乳が加温状態におかれたことが原因となって生じた毒素が、その後、大阪工場での加工乳製造の原料に混入していたことが判明した。原因不明の間、社長の記者会見での失言など会社側の危機対応の拙劣さもあって、大阪工場の製造設備や製造方法など、様々な問題がマスコミによる雪印バッシングのネタにされ、雪印乳業は、「雪印」ブランドによる事業が困難な状況になった。

同じ「原因不明」でも、雪印乳業の場合は、個人犯罪の疑いは全くなく、いずれにしても工場での製造過程で原因物質が発生したことが明らかであり、原因が解明できないことも企業への批判につながったのに対して、今回のマルハニチロ子会社の農薬混入問題は、個人の意図的行為による可能性が高く、企業がどのような責任を負うべき問題なのかが、現時点では不明であることから、マスコミも、どう報道してよいかわからない、ということなのであろう。

しかし、食品企業にとって、製造工程で製品に農薬が混入するというのは、絶対にあってはならない問題であり、何者かが意図的に混入したものであったとしても、製造工程の管理についての責任は免れない。いずれにしても、「企業不祥事」であることは否定できないのであり、被害が全国規模に拡大し、慢性症状も問題にされかねないことを考えると、企業経営にとっても重大な問題だと言えよう。

このような事態が発生した際に、企業としての危機対応が極めて重要であることは、言うまでもない。しかし、今回の問題に対するこれまでのマルハニチロ側の危機対応には、大きな問題があった。上記のようなマスコミ報道の状況から、それが大きな批判・非難につながっていないだけである。

今後の同種の事案への対応に関する教訓という観点からも、マルハニチロ側の危機対応の問題を指摘しておく必要があろう。

●自主回収の遅れ

まず、最初に冷凍食品から異臭がするとの報告があってから1か月半も経った後に、自主回収に至ったことについて対応の遅れが問題となる。

会社側は、工場内での塗料の付着可能性を考え、原因物質の特定に時間を要したと説明している。確かに、農薬の人為的混入というのは会社側としては想定していなかったことであろうし、問題を公表すれば、膨大な商品の自主回収は避けられないことから、慎重な検討を行った上で自主回収を決定したというのもわからないではない。しかし、塗料の付着であれ何であれ、「異臭」が通常の製造工程では発生しないものであることは明らかであり、健康被害の可能性は否定できなかったのであるから、消費者の視点に立って考えた時は、遅くとも、同様の異臭の報告が9件も寄せられた12月初めの段階では、自主回収を行うべきであった。迅速に対応していれば、今回全国に拡大している被害も相当程度防止できた可能性がある。

前掲拙著】で取り上げた昨年の3大不祥事の一つ、カネボウ化粧品の美白成分ロドデノールによる「白斑被害」の問題については、同社が、美白成分と「白斑様症状」との因果関係が不明なまま、突然の自主回収を発表したことに対し、問題を把握した時点から、消費者への情報提供を徹底していくべきであったと述べている。この化粧品の場合と、今回のような食品の場合とでは、事情が異なる。化粧品の場合は、消費者側の使い方によっても「白斑様症状」の発生の可能性は違ってくるのであり、「日焼け後の使用」「重ね塗り」への注意喚起を行うことでも、相当程度被害が防止できたはずである。しかし、食品の場合はそうではない、消費者にとっては食べるか食べないかしか選択の余地はないのである。健康被害を生じる可能性があると判断した段階での速やかな自主回収は不可欠である。しかも、化粧品の場合は、自主回収によって当該製品の将来にわたっての全面的製造販売中止が避けられないのに対して、食品の場合は、原因が解明され再発防止策がとられれば、同種製品の製造販売再開は可能である。マルハニチロ側の自主回収の決定の遅れは、食品企業として重大な問題があったと言わざるを得ないだろう。

●毒性を過小評価する説明

この点に関連して、それ以上に重大な問題として指摘すべきなのが、会社側として初めて、この問題を世の中に明らかにした、自主回収発表の段階で、その農薬が人体に及ぼす影響について、毒性を過小評価する説明を行い、厚労省から指導を受けて、再度記者会見を開いて訂正せざるを得なくなったことだ。

当初のマルハニチロ側の説明は、農薬の濃度が1万5千PPMと最も高かった「とろ~りコーンクリームコロッケ」について「体重20キログラムの子供が60個食べないと(中毒症状は)発症しない」というものだったが、厚労省の指導によって、「最も濃度が高いコロッケは子供が8分の1個を食べると症状が出る可能性がある」と訂正したのである。

同社の当初の説明の根拠は、「実験で投与した動物の半数が死ぬ量」を基準とし、体重1キロ当たり1グラムで計算したものだが、厚労省が、この基準を使うのは不適切であり、健康に悪影響を及ぼさないと推定される限度量(急性参照用量)を基準とするよう求めたことを受けて訂正されたものだった。

実際に、異臭による「吐き気」などの健康への影響が生じている今回のようなケースでは、混入した農薬の健康への影響がどの程度のものであるのかについて、正確な情報を提供することが極めて重要だ。とりわけ、一個当たりの価格が安い商品が大部分であるだけに、「健康被害の可能性がほとんどない」との会社側の説明は、商品が冷凍庫内にそのまま放置されたり消費されたりすることにもつながる。マルハニチロ側が、農薬の健康への影響の程度に関して、厚労省も放置できないと判断するほど、誤った説明をしてしまったのは、健康被害という実害にもつながりかねないのであり、食品企業としての「消費者の視点に立った対応」そのものを疑問視されてもやむを得ない大失態である。

さらにいえば、自主回収の遅れに関して、マルハニチロ側がいくら、原因物質が特定できなかったなどと弁解をしても、健康への影響について過小評価した説明をするという無神経さをさらけ出してしまったのでは、弁解も到底受け入れられないものとなってしまう。

●過去の食品企業不祥事との違い

製品の品質・安全性に関する過去の企業不祥事では、むしろ、危険性や健康への影響が過大に報道され、企業が不当に批判・非難される例が多かった。

その典型例が、2008年の伊藤ハム東京工場で起きた、工場用水からシアン化合物が検出された問題だ。この問題については、拙著【思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本】(講談社現代新書)で取り上げている。

同年10月25日、伊藤ハムは記者会見を行って、工場で使用している地下水からシアン化合物が検出されたことと、ソーセージ、ピザなど合計331万パック(賞味期限切れ、受託生産分を含む)を自主回収することを公表した。

これは、千葉県柏市の伊藤ハム東京工場での同年9月18日の定期検査で、使用する地下水から水道法の基準値(1リットルあたり0.01ミリグラム)を上回る0.02ミリグラムのシアン化合物が検出され、10月15日の再検査の結果でも基準値を上回ったので、自主公表、自主回収に至ったものだった。

しかし、シアン化合物が微量検出されたのは食品製造に使用した地下水からで、それを、食品製造に使用しても、個々の食品に含まれるシアン化合物は、ほとんど数字で表せないほど微量になるため、実際に自主回収の対象となった商品からはまったく検出されなかった。しかも、地下水の含有量は、日本の水質基準は若干超えるものの、もともと日本の基準は厳しく設定されているため、世界保健機関が飲料水質ガイドラインで定める基準でみると、その3分の1以下だった。国際的な水準からは、飲用水にしても全く問題はない含有量である。全国生活協同組合連合会のホームページによると、この地下水で製造したソーセージを1日390袋一生食べ続けても健康上まったく問題ないというレベルだった。

このように、まったく健康への影響がないレベルの問題なのに、この問題は、同社の会見の翌日の朝刊で、一面トップ、社会面トップなどで大々的に報道された。シアン化合物が検出された段階で、その事実をただちに公表しなかったことが「隠ぺい」に当たるとして批判された。そして、多くの記事に、シアン化合物の毒性について、「大量に摂取すると窒息症状やめまい、頭痛、けいれんなどを起こす」などという解説も付された。伊藤ハムは、各紙の社説などでも厳しく批判され、東京工場の閉鎖という事態にまで追い込まれたのである。

この問題は、健康被害など全くなく、しかも、それが生じる可能性も全くないのに、「猛毒のシアン化合物」という言葉だけが独り歩きして、世の中に誤解され、企業が不当な批判・非難を受けた事例である。そのような誤解を生じさせないためには、記者会見の場でも、「この地下水で製造したソーセージを1日390袋一生食べ続けても健康上まったく問題ない」ということを、会社側でもっと強調しても良かった。

しかし、今回のアクリフーズの問題は、異臭による「吐き気」などの健康への影響が生じているのであり、伊藤ハムの事例とは全く異なる。当然、健康被害の可能性についての説明を正確に行うことが最も重要なのに、伊藤ハムのような過去の食品企業の不祥事での教訓が逆に働いてしまったのか、健康被害の可能性を過小に説明するという、全く的外れな対応をしてしまったのである。

しかも、29日の会見で農薬の健康への影響について誤った説明を行い、31日未明に再度の会見を行わざるを得なくなったことが、報道のタイミングに関しても最悪の結果を生じさせた。「マルハニチロの子会社の商品に農薬が混入し、しかもその毒性を過小評価したことで厚労省の指導を受けた」というニュースは、31日の朝からテレビ、新聞などで報じられ、31日夜には、年間を通じても最高の視聴率の番組NHK「紅白歌合戦」の最中のニュースでも報じられた。大規模食品企業にあるまじき失態が、大晦日のお茶の間で「紅白歌合戦」を視聴する全国の消費者にあまねく周知されたことは、同社のブランドイメージにとっても大きなマイナスを生じさせることになったといえるだろう。

●食品企業として問題をどう受け止めるか

もう一つの、ある意味では最も本質的な問題は、今回の問題を、どうとらえるのか、という点だ。

今回の農薬混入が個人犯罪なのだとすれば、犯人の特定が行われない限り、原因や背景について真相はわからない。しかし、企業が管理する製造工程内で、企業が雇用する従業員が働く場所で発生した問題なのであるから、いずれにしても、その原因は、何らかの形で企業の事業活動に関連している可能性が高い。当事者の企業としては、真相は不明であっても、あらゆる可能性を考え、原因となり得る要因を可能な限り把握し、問題の再発に向けて最大限の努力をしていく必要があろう。

食品の製造工場の衛生管理、入室管理は極めて厳重であり、外部者はもちろん、従業員といえども、工場の製造ラインの中に外部から農薬を持ち込むなどということが容易にできるとは思えない。もし、持ち込まれたとすると、極めて巧妙な方法で隠して持ち込み、しかも、それを他の従業員の目を盗んで巧妙に食品に混入したということになる。そうだとすれば、単なる「悪ふざけ」などではなく、何らかの意図を持って計画的に行われたことになる。このアクリフーズという企業、そして、その工場に、工場内部者の会社への不満、反発が生じる可能性はなかったのであろうか。

●企業不祥事に翻弄されたアクリフーズの歴史

アクリフーズは、もともとは雪印乳業の冷凍食品製造部門であったが、2000年に発生した前記雪印乳業集団食中毒事件による経営悪化から、冷凍食品部門を分社化した子会社「雪印冷凍食品株式会社」として設立された。

さらに、2001年の雪印食品の牛肉偽装事件の影響で、「雪印」ブランドでの事業が困難になり、2002年10月に「アクリフーズ」に社名変更、2003年10月に、ニチロに買収され、2007年にニチロがマルハグループに経営統合されたのに伴って、マルハニチロホールディングスの100%子会社となった。

そして、今年2014年4月には、アクリフーズを含むマルハニチログループの主要4社が、マルハニチロホールディングスに経営統合されることが既に公表されており、独立した企業としての歴史に幕を閉じる予定になっている。

雪印の時代に相次いだ不祥事、そして、会社消滅間際に同社自身が起こしたのが、今回の農薬混入事件だった。まさに、不祥事に翻弄され続けたのが、同社の歴史だったと言えよう。

同じ食品企業でも、乳業会社と水産会社とでは、組織のDNAも異なるであろうし、予定されている経営統合の目的は経営の合理化・効率化なのであるから、アクリフーズが行ってきた食品製造業務の内容や人員配置などにも様々影響を及ぶことになるのであろう。

このような会社の状況の中で、社員、従業員の側から人事、待遇面などの不満が背景となって今回の事件が起きた可能性はないのであろうか。

食品企業としてどう対応すべきか

アクリフーズ製冷凍食品による被害申告は全国に拡大し、今なお増え続けている。1月4日時点で、回収予定の商品数640万個に対して、回収された商品は、111万個であり、回収率は17%にとどまっている。消費者側に、低価格の冷凍食品を、わざわざ着払い冷凍便で返品してもらう手間をかけてもらおうと思えば、それなりの代償を支払うことも覚悟すべきであろう。「現品到着後、後日、改めてお品代(商品券)をお支払します」という程度では、実際に返品してくれる消費者は限られる。

1月3日にアクリフーズが設置を公表した「事故調査委員会」のメンバーも、委員長がアクリフーズの社長、副委員長が同社の常務、委員も同社の上部、「他委員」の5人の中にマルハニチロホールディングスのCSR統括部長、経営企画部長が含まれているに過ぎない。今回の問題が「子会社のアクリフーズの問題」に過ぎず、しかも、「同社の従業員と思われる犯人による個人的犯罪」という認識を反映しているのではなかろうか。

こうしたマルハニチロ側の対応は、自社グループの工場内で農薬が混入された製品が、今なお、消費者の家庭の冷蔵庫内に残存していることに対する危機感があまりにも希薄なように思える。

私は、かねてから、コンプライアンス問題には、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的行為としての「ムシ型」と、組織的、構造的な背景の下で時間的・場所的な拡がりを持って行われる「カビ型」の二つの要素があるという指摘をしてきた。

今回の問題が、個人が意図的に行わった農薬の混入という「個人の犯罪」であれば、その点においては「ムシ型」だと言える。しかし、それは、「カビ型」的要素を否定するものではない。犯人が特定されず、直接的原因が明らかにならなくても、今回の問題を重大な「企業不祥事」ととらえ、その背景となり得る要因を可能な限り広く明らかにしていくことが、消費者被害の拡大防止と再発防止、そして、食品企業としての信頼回復につながるのである。

 

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お上にひれ伏す「巨大不祥事」企業

12月19日、消費者庁は、阪急阪神ホテルズなど3社に対して、景表法違反による排除措置命令を出し、同社に対しては、8品目の表示について、「実際のものより著しく優良であると示す表示」に当たるとして、「景品表示法に違反するものである旨を、一般消費者へ周知徹底すること」などの措置を講ずるよう命令した。

26日には、金融庁が、「暴力団員向け融資」問題で、みずほ銀行に対して、提携ローンに関する業務について、1カ月間の業務停止命令を出した。そして、経営管理体制に問題があったとして、みずほ銀行に加えて、親会社のみずほフィナンシャルグループにも業務改善命令を出した。これを受けて、同社の塚本隆史会長は引責辞任を表明した。

今月12日に公刊した拙著【企業はなぜ危機対応に失敗するのか~相次ぐ「巨大不祥事」の核心】で取り上げた2013年の3大企業不祥事のうちの二つについて、年末に、慌ただしく行政庁の処分が出されたということになる。

cover同書で指摘したように、これらの不祥事は、当事者の企業の危機対応の失敗によって世の中に重大な誤解が生じ、誤解が企業への不信を生み、不信を解消するための対応が更なる誤解を生む、という誤解と不信の連鎖によって「巨大不祥事」になったものだ。しかし、今回、誤解は全く解消されなかったどころか、行政庁の正式の処分が出たことによって、誤解を拡大することになったマスコミ報道が追認されるような形で決着が図られることになった。

それぞれの行政処分には法的に問題があるわけではない。行政庁の裁量の範囲内で権限を行使したに過ぎない。しかし、いずれについても、処分の内容が問題の中身に応じたものなのか、同種事例との公平が保たれているのかどうかなどの点に疑問がある。

消費者庁は、「実際のものより著しく優良であると示す表示」について、「広告・宣伝の要素を含む表示では、表示対象である商品・役務が消費者から選択されるように、ある程度の誇張がなされることもあるが、一般消費者もある程度の誇張があることを通常認識していることから、広告・宣伝に通常含まれる程度の誇張があっても、一般消費者の適切な選択を妨げるとは言えない。しかし、この許容される限度を超えるほどに実際のもの等よりも優良であると表示すれば、一般消費者は、広告・宣伝に通常含まれる程度の誇張を割り引いて判断しても、商品・役務の内容が実際のもの等よりも優良であると誤って認識し(誤認し)、その商品・役務の選択に不当に影響を与えることとなる。このように『著しく』とは、当該表示の誇張の程度が、社会一般に許容される程度を超えて、一般消費者による商品・役務の選択に影響を与える場合をいう。」という解釈を示している(「メニュー・料理等の食品表示に係る景品表示法上の考え方について(案)」)。

阪急阪神ホテルズに対する消費者庁の排除措置命令の対象とされた表示が、この解釈に照らして、「実際のものより著しく優良であると示す表示」に当たるかどうかが、疑問なものも少なくない。

典型的なのは、新阪急ホテルの「シーファー」という店舗で、「苺とチョコのシューア・ラ・モード シューアイスに苺と生クリームを加えた甘さがたまらない一品。手作りチョコソースと合わせてどうぞ」と表示していたが、チョコソースに市販されている業務用のチョコソースを使用していたことが「優良誤認表示」とされたことである。

「手作りチョコソース」は、「シューアイスに苺と生クリームを加えた」料理の本体ではなく、それに掛ける「ソース」を、その店で「手作り」をしていなかったという問題である。

しかも、前記拙著でも述べたように、阪急阪神ホテルズの出崎前社長が辞任を表明した記者会見の際の説明によれば、「手作り」と表示したチョコソースは、「既製のチョコレートリキュールとコーヒークリームを混ぜたもの」だということである。

一般消費者による商品・役務の選択の判断は、その表示を行う店舗がどの程度のグレードの、どの程度の価格設定の店なのかによって異なることは言うまでもない。「手づくりチョコソース」という表現は、食通が利用する高級店であれば厳密さが求められるであろうが、HPによれば、飲み放題付2960円のコースもある比較的低価格の店「シーファー」における消費者の選択に、チョコソースの「手作りの程度」がどれだけ影響したといえるのだろうか。

それ以上に問題なのは、今年の6月17日と同月22日に、経営する全国のホテルで、地鶏ではない鶏肉を「地鶏」と表示した件、「バナメイエビ」を「芝海老」と表示していた件など合計25店舗64品目の「食材とメニュー表示の違い」があったことを公表したプリンスホテルに対しては、景表法違反による調査も措置も全く行われていないということだ。阪急阪神ホテルズは、プリンスホテルの事実公表を受けて自主的に内部調査を行い、判明した事実を公表したが、阪急阪神ホテルズだけが排除措置命令の対象とされた。

その前の5月には、ディズニーランドを運営するオリエンタルランドの子会社が経営するホテルで、ブラックタイガーを「車海老」、交雑種の国産牛を「和牛」などとしていたことを公表している。ブラックタイガーを「車海老」と表示していたのは、阪急阪神ホテルズと同時に消費者庁から排除措置命令を受けた「ザ・リッツ・カールトン大阪」の問題と同じである。

同様の犯罪や違法行為が他にも行われているのに、なぜ自分だけが摘発されるのか、という不満に対して、説明に使われるのが「犯罪・違法行為を認める証拠があるから摘発したのであって、証拠がないものは摘発できない」との説明である。「周りの車もすべてスピード違反をしているのになぜ自分だけが」と文句を言っても、「違反が計測されたのが、あなたの車だからだ」と言われれば致し方ない。

しかし、今回の排除措置命令に対しては、そのような説明はできない。プリンスホテルの事例についても、ディズニーランドのホテルの事例についても、当事者が事実を認めて公表していて、証拠は十分だからである。

景表法違反の排除措置命令が行われた場合、違反に対しては罰則適用もあり得るのであり、法執行機関の消費者庁に運用の公平性が求められるのは当然である。

排除措置命令を受けた阪急阪神ホテルズと、受けなかったプリンスホテルの最大の違いは、後者の問題は、殆どマスコミは取り上げなかったが、阪急阪神ホテルズはマスコミで大きく取り上げられて叩かれたことである。

阪急阪神ホテルズの問題は、マスコミに叩かれ、社会的にも大きな問題になったため、処分を出さないではいられなくなった消費者庁が、同社が厳しい批判を受けて反発も反論もできない状態になっていることに乗じて、出したのが、今回の排除措置命令だったと見るべきであろう。

もう一つの行政処分が、みずほ銀行に対する業務停止命令である。この命令の理由の中で、金融庁は、「取締役会は、重要事項の審議を行う会議体として、実質的な議論をほとんど行っておらず、その機能を発揮していないほか、経営政策委員会の一つであるコンプライアンス委員会が有効に機能するような方策を講じていないこと」「縦割り組織の弊害などガバナンスを含めた根本的な問題の洗出しや、これを踏まえた抜本的な改善対応を迅速に行っていなかったこと」と述べている。取締役会、コンプライアンス委員会によるガバナンスが機能しておらず、その原因が「縦割り組織の弊害」にあるということである。

持ち株会社のみずほフィナンシャルグループに対しても、同様のガバナンスに関する指摘のほか、「平成23年3月に発生したシステム障害時の教訓等を踏まえつつ、適切なグループ経営管理機能を発揮していなかった」との指摘も行っている。

これらの指摘自体は正しいのかもしれない。しかし、それらは、今回の提携ローンをめぐる反社対応の問題で指摘されるべき事項であろうか。

この問題は、世の中には、みずほ銀行が「暴力団員関係者には融資をしない、融資をしていたことがわかったら、ただちに契約を解消して回収すべし」、という義務に違反したという単純な義務、銀行であれば当然の義務に違反した、全く弁解の余地のない話のように受け取られた。しかし、今回のオリコを通じての提携ローンの問題は、そのような単純な話ではない。かつて暴力団対策として企業に求められた「不当要求の拒絶」の問題ではなく、反社会的勢力との「一切の関係の遮断」というシステムの構築に関する問題である。

みずほ銀行には、提携ローンを通じた融資に関しても、「一切の関係遮断」という観点からの積極的な取組みが求められていたが、そういう方向への発想の転換が不十分であったため、銀行幹部も含めた組織的な検討を適切に行っていなかったことが問題なのである。

しかし、反社会的勢力との「一切の関係遮断」という発想に転換していくことが容易ではないことは、みずほ銀行だけの問題ではない。「一切の関係遮断」を行うことは、対象とする反社関係者の範囲をどうするか、約定どおりに返済が行われている場合に、ただちに期限の利益を失わせ、一括返済を要求することが適切なのかなど、様々困難な問題があり、他の金融機関においても、その対応には相当に苦慮している。9月27日に行われた金融庁の当初の業務改善命令も、果たして、「一切の関係遮断」という発想の転換を十分に踏まえたものであったのか疑問である。

当初の業務改善命令でのもう一つの指摘は「反社会的勢力との取引が多数存在するという情報が担当役員止まりとなっていたこと」であるが、それも、金融庁の誤認に基づくものであり、その原因は、みずほ銀行が事実に反する報告をしたことだけではなく、金融庁側の検査のあり方にもあったことは否定できない。

みずほ銀行への業務停止命令と、自社への業務改善命令を受けて、みずほフィナンシャルグループは、委員会設置会社へ移行することを発表した。取締役の選任・解任を決める指名委員会、取締役の報酬を決める報酬委員会を設置し、それらの委員はすべて社外で構成することを発表した。相当思い切ったガバナンス改革であり、それ自体は、評価できるものである。

しかし、それが、今回のように「行政庁の処分」を受けて行われることに、私は大きな違和感を覚える。

コーポレート・ガバナンスは、企業経営の根幹をなすものであり、私企業であれば、それは、本来、自主的な、かつ自律的に行われるべきものである。お上の威光にひれ伏すように打ち出されたガバナンス改革策によって、みずほ銀行のガバナンスは抜本的に改善するのであろうか。むしろ、社外中心の取締役会、各種委員会は「お飾り」のようなものになり、実質的な意思決定は、金融庁の意向を過度に忖度する執行部門によって行われることになるのではなかろうか。

今回の二つの行政庁の処分、そして、その対象とされた企業の対応は、処分権限と裁量を有する官庁と民間企業との圧倒的な力の差を見せつけるものであった。

特定秘密保護法が、行政権限の肥大化と、官僚組織による情報の独占をもたらす立法であり、その背景に、自民党が、衆議院選挙で圧勝して政権に復帰し、今年7月の参議院選挙でも圧勝して、衆参両院において安定的な勢力を維持する政治状況があることは、当ブログの【特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか】で指摘したところだが、行政権限の肥大化は、企業不祥事をめぐる官と民の関係にも及んでいるように思える。

「食材偽装」問題についての消費者庁の排除措置命令、みずほ銀行の「暴力団向け融資」問題についての金融庁の業務停止命令は、私が前記拙著で述べている、「企業の危機対応の失敗は、その企業のみならず業界全体、そして、世の中にも大きな影響を生じさせる『巨大不祥事』を招く」ということを、まさに実証したものとも言える。

しかし、それらの「お上」の処分が、重大な誤解をそのまま封印して問題を「幕引き」させることになり、そして、民間企業は、常に「お上」の意向を忖度しないと事業活動ができないという事態につながるとすれば、私は、それを容認することは到底できない。

今後も、同書を中心に、「誤解」と「不信」の連鎖によって不祥事が「巨大化」するプロセスを明らかにし、それを防止・解消するための努力を続けていきたい。

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