「虚偽捜査報告書作成・隠避」の「自白」に等しい検察幹部発言

陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書作成問題について、虚偽公文書作成罪で告発されている田代検事について、不起訴の見通しを報じる新聞報道が相次いでいる。その中でも特に注目されるのが、5月27日付朝日朝刊の「強制起訴への影響配慮」と題する記事だ。
不起訴の環境l作りを目論む検察幹部の発言をそのまま垂れ流した記事のように思えるが、逆に、その意図に反して、この事件の重大性、明白性を自ら認めたに等しい内容だといえる。
問題は、この記事で、昨年1月上旬に東京地検がこの問題を把握した際の対応についての当時の検察幹部の「指定弁護士の職務に影響を及ぼすため公表しなかった。隠したわけではない。」とのの発言だ。この「指定弁護士の職務」への影響というのはどういう意味なのであろうか。
記事に書かれているように、その時点での聴取に対して田代検事が「逮捕中の取り調べであったやり取りと記憶が混同した」と答えたことから「故意の虚偽記載はない」と判断したのであれば、単なる過失で虚偽文書を作成してしまい、それがたまたま検察審査会に送付されたというだけだ。少なくとも、検察審査会の議決を誘導しようとする意図はなかったことになる。そうであれば、「指定弁護士の職務への影響」はなかったはずだ。
影響があると判断したのは、田代検事の弁解は到底信用できないもので、公表した場合には、この虚捜査報告書の作成が、検審議決誘導のための重大な犯罪行為であることが否定できなくなり、小沢氏への起訴議決は無効ではないかとの主張が出てくるからであろう。そのような「指定弁護士の職務への影響」を懸念して公表しなかったということだと思われる。つまり、この朝日の記事での「指定弁護士の職務への影響」というのは、検察幹部が、田代検事の弁解が到底信用できないこと、検審議決誘導の事実が否定できないことを、事実上自白しているに等しい。そうなると、大坪・佐賀氏への一審での検察論告と判決と同じ論理を適用すれば、この時の検察幹部については、犯人隠避が成立するということにならざるを得ない。
こういう重大な内容の記事を、『田代検事は「嫌疑不十分」、当時の特捜幹部は「嫌疑なし」で不起訴』という見通しで締めくくる記者の神経が私には理解不能だ。

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ブログ始めました。

これまで、メルマガやtwitter.longerで行ってきた私の意見・解説を、ブログ形式での発信に改めることにしました。過去に書いたものもご覧になれるよう、できるだけ当ブログ内に格納しようと思います。

西松事件での小沢氏秘書逮捕以来、3年以上にわたって、検察の捜査・処分や検察審査会の審査・議決に関する様々な問題について、その時々に意見・解説を行ってきました。

検察審査会の起訴議決に基づく小沢氏の公判で一審無罪判決が出る一方、検察は、陸山会事件をめぐる検審議決誘導問題、虚偽捜査報告書作成問題等で窮地に追い込まれるなど、一連の問題は最終局面に近づいています。これまでの経過を、歪んだマスコミ報道によるのではなく、客観的に振り返ってみる必要があると思います。

そういう面からも、このブログを是非活用してもらえればと思います。

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バス事故に関する国交省の監督行政の問題

昨日の記者レクでも、バス事故に関する国交省の監督行政の問題を取り上げました。「安全と競争の関係」という極めて重要な問題が背景にあると思います。

私も総務省顧問としてこの問題に関する行政評価に関わっただけに、今回の事故は本当に残念です。どう考えても控訴審で覆るとは思えない小沢無罪判決のことで、いつまでもグダグダ言っているより、貸切バスの問題等「安全と競争」に関する行政の問題を考える方が重要だと思います。

2010年2月に総務省で開催された行政評価機能強化検討会の議事録中の「安全確保のための行政」の問題に関する私の発言部分を抜粋してアップしました。


平成22年2月17日開催、第1回行政評価機能評価検討会議事録から抜粋]

【郷原顧問】 行政評価の機能を抜本的に強化するということであれば、聖域を設けないことが絶対に重要だと思うんです。今まで聖域と考えられていたような業務、先ほど防衛省の作戦業務は作戦の当否を評価することはできないという話がありましたけれども、それはもちろんそうなんですが、例えば検察庁の業務で言えば、事件処理の当否は評価の対象にはならないと思いますが、どういうリソースをどういう業務に振り向けるかというのは、検察庁も行政ですから当然、行政評価の対象になるはずです。
そういう面で考えますと、資料4の4ページの「貸切バスの安全確保」という件について相談を受けたんですが、貸切バスについて重大な事故が発生して、違法行為が後を絶たない状況にあって、行政処分も行われているけれども、なかなか危険な状態が解消できない。そういう場合に、刑事告発を行って罰則適用をする必要があるのではないかということが検討されています。
しかし、今までの行政と検察との関係から言いますと、罰則適用というのは行政からの告発ではほとんど行われていません。結局、事案の重大性、悪質性に応じて行政処分のレベル、最終的には罰則適用というものがシステムとして整っていないと、効果的、実効的な行政はできないはずなんですが、罰則適用の部分は刑事司法の問題だということで、最初から聖域化してしまっているために、行政としての効率性・有効性という発想がないんです。
改めて、検察もそういう部分においては行政なわけです。個別の事件の処理は検察固有の業務ですけれども、どういう法分野に対してどういう体制で臨んでいるのか、実際にどういう実績を-19-上げているのか、そこできちんと行政庁との擦り合わせができているのかという観点から、行政としての評価をしていくことによって、かえって行政のリソースの効率化にもつながると思いますし、エンフォースメントの強化も図れるんじゃないか。そういったところにも、従来聖域と考えていた領域にやるべきことが含まれているんじゃないかと思います。
【郷原顧問】エレベーターの安全の問題をお話ししたいと思うのですが、2006年に港区でエレベーター事故が起きて、非常に悲惨な犠牲者が出た。あの事故に関しては、警察による事故原因の究明がなかなか行われないで、そのためにずっと行政の対応が遅れてしまって、エレベーターの安全対策が遅れたということが既に問題になっているんですが、より根本的な問題として、そもそもエレベーターというのは、建築基準法の枠組みの中で、国交省の住宅局建築指導課などという部署で所管することに適しているのかという問題があると思います。
建築基準法は、階段とかドアという構造物をいかに安全に造るかということには向いていますけれども、エレベーターのような高度なメカトロニクス機器をどうやって安全に設置して、どうやって維持管理していくのかということには全く向いていません。しかも、そういったことに関する専門知識を持った要員は、ほとんど国交省の住宅局にはいない。2年ぐらいでどんどん入れかわってしまう。結局、そういったことが国際的な安全基準を実現する上でもマイナスになり、事故原因の調査に関しても当事者意識を欠いてしまうことにつながる。
こういう問題を根本的に解決しようと思えば、建築基準法という枠組みの中にエレベーターの問題が入っていること自体を見直さないといけない。そういうことはどこも言い出さないんです。むしろ、人を運搬する機器という面では国交省の乗り物を所管する部門の問題かもしれませんし、メカトロニクス機器という面では経産省の所管のほうが適当なのかもしれない。エレベーターの安全を実現するためにどこの省庁が担当するべきなのか、改めて根本的に見直さないといけないという問題が、まずエレベーターの問題だと思います。

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小沢氏無罪判決をどう受け止めるべきか

4月26日、東京地方裁判所において、陸山会をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察審査会の起訴議決に基づいて起訴された小沢一郎氏に対する判決が言い渡された。

主文は無罪。しかし、判決理由は、検審の議決や検察官役の指定弁護士の主張の多くを認めながら、最終的には、政治資金収支報告書への虚偽記入についての小沢氏の故意を否定して無罪の結論を導いていることから、判決の受け止め方が大きく分かれ、様々な議論を呼んでいる。

この判決をどう読むべきか、私の見解を示すとともに、この判決で一応の決着を見ることになると思われる陸山会事件を、組織のコンプライアンスという観点から考えることとしたい。

<「当然の無罪」を判決はどう理由づけたか>

政治資金収支報告書への真実記載義務を会計責任者・職務補佐者に課す一方、代表者には会計責任者の選任・監督両方に過失がある場合の罰金刑のみ定めている現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないというのが刑事司法関係者の常識である。本件では陸山会の代表者の小沢氏の刑事責任追及は困難だとして、検察が二度にわたって不起訴としたのも当然の判断であった。

今回の判決は、そういう「当然の判断」を、法解釈論で一刀両断的に行うのではなく、虚偽記入の犯意を根拠づける具体的事実の認識が立証されていないという点から丁寧に行っている。

判決では、石川氏らについての収支報告書の虚偽記入に関する事実関係や故意について詳細に認定し、小沢氏との共謀が認められるとする検察審査会の議決や指定弁護士の主張に対しても、「相応の根拠があると考えられなくはない」と述べた上で、4億円の借入金の記載の必要性と、本件土地取得を平成17年ではなく16年の収支報告書に記載する必要性についての小沢氏の認識を否定し、無罪の結論を導いている。

まず、4億円の借入金の記載の必要性の認識であるが、平成16年の陸山会の収支報告書の収入の欄に小沢氏からの「借入金4億円」が記載されているが、判決は、小沢氏名義の銀行からの借入金を陸山会に転貸したという「借入金4億円」のほかに、小沢氏から現金で提供された4億円についても「借入金4億円」と収支報告書に記載しなければならなかったとして、それを除外して収入総額を記載したことが虚偽記入にあたると認めている。

この点に関しては、小沢氏の弁護人は、現金で提供された4億円は、小沢氏からの「預り金」であり、陸山会名義の定期預金とされ銀行からの借入金の担保とされていても、実質的には小沢氏の所有なので、4億円を、陸山会の資産として収支報告書に記載することも、借入金として記載することも不要だったと主張していた。

判決ではその弁護人の主張は認めなかったが、その根拠とされたのは、「小沢氏から提供された4億円が陸山会の一般財産に混入しており、その相当部分が本件土地の取得費用に費消された」という事実であった。そうだとすれば、その事実を小沢氏が認識した上で、それを除外した収取報告書を作成・提出することを了承したのでない限り、小沢氏に虚偽記入の刑事責任は問えない。ところが、その点について石川氏が小沢氏に報告した証拠はない。したがって、小沢氏に虚偽記入の犯意があったと立証されておらず犯罪は成立しない、というのが無罪の理由である。

また、本件土地の取得の収支報告書への記載の時期の問題については、石川氏が、不動産業者との間で、本件土地取得公表の先送りを意図して、売買契約の決裁を17年に先送りしようとしたが拒否され、所有権移転登記手続きのみ先送りする旨の合意を取り付けて合意書を作成したもので、所有権の移転時期の変更は合意されていないことは認識していたとして、石川氏が平成16年の収支報告書に土地取得及び取得費の支出を計上すべきであることを認識しながら、計上しない収支報告書を作成、提出したことを認めている。

一方、小沢氏に関しては、このように土地取得時期の先送りができなかった具体的事情を石川氏から報告されたことが立証されていないことを理由に、小沢氏は平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性を認識していなかった可能性があるとしての虚偽記入の犯罪の成立を否定している。

要するに、小沢氏は、収支報告書の記載内容について報告・了承していたとしても、記載すべき事項が記載されていないことの認識、つまり虚偽の収支報告書を作成・提出することの故意が認められないから、犯罪は成立しない、という理由で、無罪の結論が導かれているのである。

このような判決内容からすると、無罪の結論は裁判所にとって当然の判断であり、有罪とは相当な距離があると見るべきであろう。

<検察審査会起訴議決・指定弁護士の主張に対する「配慮」>

私は、判決が言渡しの直後、判決要旨をざっと読んだだけの段階では、無罪という「当然の結論」を出す一方で、検察審査会という市民の議決に基づいて行われたものであることや、小沢氏に対する批判的世論にも配慮しているようにも感じた。しかし、判決要旨を精読してみると、判決の内容は、指定弁護士、弁護側の主張双方について、必要に応じて必要な範囲で事実を認定し、法律を適用したもので、「検察審査会の議決や世論に配慮した」という面はそれ程重要な要素ではないように思える。

石川氏ら秘書の行為を、概ね指定弁護士の主張に沿って認定し、詳細に判示しているが、それは、虚偽記入の実行行為の存在が小沢氏の共謀に関する認定の前提事実であるからであると同時に、小沢氏の犯意の認定に関する事実でもあるからである。
実際に、小沢氏から提供された4億円の取扱いや不動産の所有権取得、不動産登記等に関する事実関係は、最終的には、小沢氏の犯意を否定する根拠ともなっている。また、石川氏らの行為についての今回の判決の認定は、決して指定弁護士側の主張を全面的に認めたものではない。

特に重要なのは、指定弁護士は、「石川は本件預金担保貸付の当初からこのような処理を予定しており、これによって資金の動きを複雑にして、第三者の目からわかりにくくし、また、本件土地の購入原資とした借入金も2年間で返済済みであるように見せかけることを意図して行った巧妙な隠ぺい、偽装工作である」旨主張しているが、判決は、「本件預金担保貸付について短期間で巨額の返済をすればかえってその異例さが浮き彫りになるおそれもあり、隠ぺい、偽装工作として積極的な意味があるかには疑問がある」「『金額が大きいので、被告人を借入名義人とした方が借りやすいと考えた』旨の石川供述を否定することはできない」として、むしろ、「その場しのぎの処理として行われたとみるのが相当である」「指定弁護士の主張は採用することができない」と判示しているのである。

また、マスコミでしきりに「説明責任を果たしていない」として批判される4億円の原資についての小沢氏の法廷供述についても、判決は、「大筋においては、その供述の信用性を否定するに足りる証拠はない」としている。

石川氏ら秘書の行為についても、結論として虚偽記入であることは認めているが、「隠ぺい・偽装工作」であることは否定し、むしろ、政治資金収支報告書上、小沢氏の多額の現金保有の事実の表面化を避け、不動産取得時期の先送りをする上で「事務処理手続きを誤り、虚偽の認識を持って報告書に記入した事案」との認定に近い。「元代表の共謀共同正犯の成立を疑うことは相応の根拠がある」と述べてはいるが、そもそも、その「共謀共同正犯」の成立が問題にされている犯罪の実体である虚偽記入自体が、形式的、手続き的なもので極めて軽微なものに過ぎないのである。

マスコミは、今回の判決について、指定弁護士の主張や、従来からの小沢氏の「政治と金」に関するマスコミの批判をそのまま認めながら、結論だけ「無罪」としたかのように扱い、「黒に近いグレー」「実質的には有罪判決に近い」などと報じているが、判決の趣旨・内容を十分に理解しているものとは思えない。

<判決における検察捜査への厳しい批判>

今回の判決の中で最も重要な判示は、検察による虚偽の捜査報告書の作成及び検察審査会への送付を厳しく批判している点である。

判決は、虚偽の捜査報告書作成等の問題に関する弁護人の公訴棄却の申立てに対する判断の中で、事実に反する捜査報告書によって検察審査会が判断を誤って起訴議決を行ったとしても、「検察審査会における起訴議決が無効であるとするのは、法的根拠に欠ける」と述べて、公訴棄却の申立てを退けているが、それに関連して、弁護人の主張を「違法捜査抑止の見地をも考慮すべきとの主張」と敢えて忖度した上で、事実に反する捜査報告書の作成や検察審査会への送付によって検察審査会の判断を誤らせることは「決して許されない」と厳しく断罪した上、「事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で、対応されることが相当」と述べている。

つまり、法的な根拠がないので公訴棄却をすることはできないが、検察官による虚偽の報告書による検察審査会の判断を誤らせる行為は、決して許されない行為であり、そのような違法捜査抑止の見地から、「検察庁等」における徹底した調査や捜査による真相解明が不可欠であり、それが行われなければ、検察審査会による起訴議決という制度自体にも重大な支障が生じかねないという見方を示しているのである。

この判示は、検察にとって極めて重いものである。田代検事の虚偽公文書作成に関連して、当時の東京地検幹部等多数が市民団体によって告発されており、その事件の捜査や、事件の検証のための調査を徹底的に行い、真相を解明しなければ、今回の判決を踏まえた対応とは言えないであろう。その調査の在り方については、先般、検察の在り方検討会議の元委員が中心になって法務大臣と検事総長に提出した「要請書」でも述べているように、第三者も含めた事実調査を行うことで客観性を担保する必要がある。本件判決で、調査の主体を「検察庁等」と言っているのは、その趣旨も含むものと言うべきであろう。

<検察組織のコンプライアンス問題>

小沢氏に対する不起訴処分は、検察としては当然の判断であり、今回の無罪判決も当然と受け止めているであろう。しかし、刑事司法の健全な常識からすると当然であるこの無罪判決に至るまでには多くの紆余曲折があり、それによって、検察の組織は致命的なダメージを受けることになった。

そもそもの発端は、3年余り前、小沢氏の秘書を比較的少額の政治資金規正法違反で突然逮捕したところにあった。政権交代が現実化する中、総選挙を控えた時期に野党第1党党首であった小沢氏に対して行われた捜査は、迷走を続けた末、検察にとって不本意な結果に終わった。その後、政権交代で与党幹事長の地位に就いた小沢氏に対して、遺恨試合のような形で特捜部が着手したのが陸山会事件であった。

当初、小沢氏から提供された不動産購入代金4億円の原資がゼネコンからの裏金であるとの想定で石川氏と秘書3人を逮捕したが、裏金捜査は不発に終わり、4億円虚偽記入等の形式犯だけの立件となった。

検察としては、小沢氏不起訴は当然の判断だったが、それに納得できない特捜検事らは、検審の議決によって不起訴決定を覆すことを画策した。虚偽記入についての小沢氏への報告・了承を認める石川氏の取り調べ状況に関して、供述調書が信用できるように思わせる虚偽の報告書を作成して検審に送付、素人の検察審査員は小沢氏の共謀を認定し、起訴すべきとの議決を出した。

検察が2度にわたって不起訴としているだけにより強く働くべき「推定無罪の原則」は殆ど無視され、指定弁護士の起訴によって被告人の立場に立たされた小沢氏は、あたかも犯罪者であるかのように扱われ、党員資格停止など重大な政治的ダメージを受け、また、それは、政権交代後の日本の政治の混乱にも大きな影響を及ぼした。

検察の組織としての不起訴処分を、一部の検察官が検察審査会まで利用して覆そうとした「反逆行為」は、組織としての統制機能、一体性という、検察の核心部分にも疑念を生じさせることになった。まさに検察という組織の重大なコンプライアンス問題というのが、今回の事件の重要な核心の一面である。

<指定弁護士による控訴の可能性>

この事件に関する社会の当面の関心事は、今回の判決に対して、指定弁護士が控訴をするのか否か、控訴を断念して刑事事件が決着するか否かである。

今回の判決は、全体として、証拠の評価、事実認定、法律判断ともに極めて適切であり、控訴理由とされる点はほとんど見当たらない。唯一、問題にされる余地があるとすれば、無罪の理由とされた、4億円の借入金の記載の必要性、平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性についての小沢氏の認識の問題が、公判の中で争点とされていなかったことであろう。公判前整理手続で整理された争点とは異なる点を、判決で突然無罪の理由とするのは、訴訟手続上問題があるとの理由で「訴訟手続の法令違反」を控訴理由とすることが考えられる。

しかし、判決の無罪理由としているのは、政治資金収支報告書への虚偽記入の犯罪を認めることについて、当該報告書が虚偽であるとの認識を欠くから犯意がないというものである。故意犯である以上、故意は犯罪成立の不可欠の要件であり、それは、検察官が当然に立証責任を負うものである。その点が、公判前整理手続で争点にされていなかったからと言って、検察官として立証不十分であったことの弁解にはならないのであり、それは「検察官役」の指定弁護士であっても同様である。

実質的に考えても、冒頭でも述べたように、現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないという刑事司法関係者の常識が、今回の判決の無罪の判断の背景にあり、判決では、それを具体的な事実認定を通して、丁寧にその理由が示されているに過ぎない。控訴しても控訴審で、その判断が覆る可能性は殆どないのであり、今回の事件による政治の混乱をさらに長引かせることになる控訴をすべきではないことは明らかである。

そもそも、指定弁護士の職務とされている検察審査会の起訴議決に基づく「公訴の維持」が、控訴にまで及ぶのかも疑問である上に、指定弁護士の実務上の判断としても、控訴の判断が行われる可能性は極めて低いと考えられる。

<もう一つのコンプライアンス問題>

5月10日の控訴期限の経過によって、政権交代後の日本の政治に重大な影響を与えるとともに、検察に対する国民の信頼を失墜させる結果を招いた陸山会事件は、石川知裕氏ら秘書の控訴審を除いて、一応の決着を見ることになるであろう。

しかし、小沢氏にとっては、自らに対する刑事事件が確定した段階で、行うべき重要な事柄が残されていることを見過ごしてはならない。それは、陸山会という政治団体の組織の代表者として、政治資金処理に関する組織のコンプライアンス問題について総括し、反省すべき点を反省することである。

今回の判決の認定事実によると、小沢氏の資金管理団体である陸山会の会計処理は、会計に関して殆ど素人に近い秘書の石川氏や池田氏に委ねられ、余りに杜撰なものであり、何億にも上る高額の不動産を取得したり、その資金に関して関する銀行からの融資を受けるなどの多額の資金移動が行われたりするのに相応しいものとは到底言えないものであった。
それが、前記のように、虚偽の認識を否定できない「事務処理上の問題」につながったものである。小沢氏の政治資金に関して、実際にどのような問題があるかはわからない。しかし、少なくとも、今回の刑事事件で明らかになった事実から判断する限り、本件の本質は、政治資金の会計処理の体制があまりに貧弱であったために起きた陸山会の土地取得をめぐる会計処理の混乱によって生じた政治資金処理上の問題である。それが、「歪んだ正義」を振りかざす特捜検察と、それと一体となったマスコミによって、巨額の政治資金をめぐる「政治家の犯罪」のように扱われ、「政治と金スキャンダル」に発展してしまったというのが実態である。

そのスキャンダル自体は、今回の判決が確定すれば一応の決着がつくことになるであろう。しかし、小沢氏にとっては、その段階において、絶対に避けては通れない問題がある。それは、そもそもの原因となった陸山会という政治団体組織の政治資金の会計処理をめぐるコンプライアンス問題について、その組織のトップとして、きちんとした総括・反省を行うことである。何もしないで良いということには決してならない。

とりわけ、小沢氏は、日本の政治において今後も重要な地位を占め、大きな影響力を持つことを目指して活動していくのであれば、政治資金の会計処理という面に関して、これまでのように「すべて適法に処理している」というだけではなく、「適法で適切な政治資金会計処理が行える体制整備を行う」ことが不可欠であろう。

小沢氏にとって、今回の問題がこれまで「政治と金スキャンダル」として刑事事件に関連づけられていたために、政治資金会計処理の問題に言及できなかった面もあると思われるが、今回、その刑事事件が一応の決着を見る段階に至ったのであるから、もはや、その問題から目を背けることは許されない。

小沢氏自らが、判決で指摘された点を中心に、政治資金の会計処理に関する事実関係を整理し、このようなコンプライアンス問題を発生させた原因について総括・反省する必要がある。それによって、本当の意味で、陸山会をめぐる問題について、小沢氏としてケジメをつけることできるのである。

(初出:メルマガ http://www.gohara-compliance.com/uploadPDF/ozawa.pdf

 

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陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書

今日、法務大臣宛と検事総長宛に提出した陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書をアップしました。

江川紹子氏、後藤昭一橋大教授と私の在り方元委員を含む19人の各分野の有識者による要請書。しっかり受け止めて実行してもらいたい。

法務大臣要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/MOJ/

検事総長要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/PPG/

賛同者一覧
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/menber/

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大坪・佐賀氏犯人隠避事件判決公判傍聴記

まず、呆れたのが、判決文を読む裁判長の声が小声で早口で殆ど聞き取れないこと。私は特に耳が悪いわけではないので、おそらく、最前列の記者席でも殆ど聞き取れなかったはずだ。傍聴席に聞こえない判決の言い渡しというのは、「公開の法廷での判決」と言えるのか。これが記者会見であれば、「聞こえませーん」という罵声が飛ぶはずだが、法廷での裁判長に対しては、記者から文句を言う声は全くが出ない。
要するに、判決は被告人・弁護人に聞かせるもので、記者も含めて傍聴人は、恩恵として傍聴席で見せてやっているだけ、ということか。

さて、聞き取りにくい中で聞いた判決だが、主文は、執行猶予付の有罪。検察・弁護側の主張、争点、公判経過からはこういう結果になるだろうとは思っていた。被告人二人が、前田検事(当時)の故意の証拠改ざんを認識していたかどうか、隠蔽の意図があったかどうかについての判示が延々と続く。最も重要な問題は、昨年2月に出した「組織の思考が止まるとき」(毎日新聞社)でも書いたように、本件が犯人隠避に当たるかどうか、という法律問題だ。私は、両氏が故意の改ざんであるかどうかについて、認識していたことと違う報告を上司にしていたとしても、それは、組織内における報告手続の問題で、それが、刑事事件の犯人を逮捕する義務に反したということには当たらない、という見方だが、弁護側の主張は、改竄の認識を否定することにばかり力点が置かれた。そうなると、検察側は、現職検事を何人も証人に立てて、故意の改ざんの認識があったことを立証することになる。裁判所としては、多数の現職検事が偽証していたことの認定はしにくいはずだ。

判決では、犯人隠避の成立については、簡単な理由で認めた。しかし、そのことは、別の面で大きな意味を持つことになる。

判決の量刑理由の中で、「特捜幹部であった被告人達は、部下の犯罪を認識したら、ただちに捜査して、刑事事件として立件すべきだった」というような明確に述べていた。
しかも、執行猶予にした理由、つまり、被告人に有利な情状として、本件は、被告人ら個人的な動機で行った行為というより、特捜検察の体質、検察の組織の問題が表れたもので、個人だけを責められないというようなことも言っていた。

検察は、これまで、都合の悪い証拠は、できるだけ非開示にし、都合の悪い身内の不祥事はできるだけ表に出ないようにする、という組織文化を守り続けてきた。今回の判決は、「身内の犯罪」をみつけたら、自ら捜査して刑事事件として立件せよ、という姿勢に転換することを検察に求めたのだ。

この判断を前提にすれば、陸山会事件での田代検事の虚偽公文書作成の事件の捜査に対しても、検察が消極的姿勢で臨むことは「犯罪」だということになる。しかも、その捜査は、特捜部長、副部長という個人レベルの問題だけにとどめるのではなく、組織的背景にも踏み込んで捜査すし事実解明をする必要がある、ということなのだ。

今回の「聞き取りにくい判決」の中身は検察にとって相当重いものだ。

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大阪地検不祥事での危機対応を誤り、再び重大な不祥事に直面する検察

大阪地検の郵便不正事件における証拠改竄事件等の不祥事等で失墜した検察の組織の信頼を回復し、再生を図るために立ち上げられた「検察の在り方検討会議」は、不祥事に関わる第三者委員会の一例と言ってよいだろう。その会議の委員として、検討に加わっていた最中の昨年2月に上梓したのが、本書と連作の関係にある前著『組織の思考が止まるとき〜『法令遵守』から『ルールの創造』へ』(毎日新聞社)だった。

ここ数年来の組織のコンプライアンスに関する活動の集大成と位置づけた同書だったが、私はその約半分を、検察問題に関する記述に充てた。検察不祥事が、まさに検察の組織の本質に根差すもので、問題の根本から目を背け、社会の要請の変化に適応できない組織の性格そのものを改めなければならないことを理解する上で格好の題材だと考えたからだ。
同書では、行政組織でありながら「準司法機関」と位置づけられ、「組織としての独立性」が極端に尊重される閉鎖的で自己完結的な組織の特殊性が、検察を環境変化に適応するための「ガバナンス」「情報開示」「説明責任」の要請(本書第1章123貢参照)から免れさせてきたことを指摘した。そして、大阪地検の不祥事への検察の対応の根本的な誤りは、証拠改竄という個人の犯罪行為に問題を矮小化し、問題の本質に目を向けなかったところにあり、それが、大阪地検の大坪元特捜部長、佐賀元副部長を犯人隠避で逮捕せざるを得ない状況に追い込まれた最大の原因であることも指摘した。

しかし、「検察の在り方検討会議」での検察改革をめぐる議論は、「取調べの可視化」の問題に集中し、法務・検察とほとんど一体的な関係にある、というより、法務官僚以上に保守的な「御用学者」の強硬な反対論の中で、極めて不十分で曖昧な形で「取調べの可視化」の方向性を打ち出すのが精一杯の状況だった。検察組織の特殊性に関する私の問題提起と抜本的な改革の提案も会議の場での御用学者の「御高説」に阻まれて、ことごとく無視された。

そして、会議の議論が大詰めを迎えていた頃、3月11日に東日本大震災が発生したことで、世間の関心は検察不祥事や検察改革の問題から離れてしまい、あまり注目もされないまま三月末に提言を取りまとめて会議は終了した。

その後、笠間治雄検事総長の強いリーダーシップによって、検察独自捜査における取調べの可視化の導入・拡大などの具体的取組みが行われてはきたが、検察の組織全体の危機感、問題意識は希薄で、検察の組織の特殊な性格はなんら変わっていない。

こうして、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」を抜本的な改革の契機にすることができなかった検察は、現在、検察審査会の起訴議決によって起訴された小沢一郎民主党元代表の陸山会事件に関連して表面化した重大な不祥事に直面している。

同会元事務担当者の石川知裕衆院議員は、2011年1月に陸山会の政治資金規正法違反で逮捕された後、「小沢先生の了承を得て政治資金収支報告書に虚偽記入をした」との供述調書に署名していた。そして、東京第五検察審査会が一回目の起訴相当議決を出した後の5月17日の任意の再聴取でも同様の内容の調書が作成され、同日付の取調べ状況に関する捜査報告書とともに、同検察審査会に捜査資料として提出されていた。その捜査報告書には、小沢氏に対する報告とその了承について録取した状況に関して、「『ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ』と言われたことで堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたと話しました」とする石川氏の供述が記載され、検察審査会にも提出されて審査の資料とされ、議決書にも一部が引用されていた。

2011年12月15日に東京地裁で開かれた公判において、保釈後の再聴取を担当した取調べ検察官の証人尋問が行われ、石川被告が再聴取を隠し取りした録音記録にはそのような供述がないことを小沢氏の弁護人から追及された取調べ検察官は、捜査報告書の内容が事実と異なっていることを認めた上で「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した」と釈明した。翌日の公判では、大阪地検の郵便不正事件でフロッピーディスクのデータを改ざんした証拠隠滅で逮捕・起訴され実刑判決を受けて服役中の前田元検事が証人として出廷し、陸山会事件の捜査に加わり、小沢氏の秘書の大久保隆規氏の取調べを担当した際の状況について、一部の検察官の「妄想」に近い思い込みで強引に進められた無理筋の捜査であるなどと証言し、東京地検特捜部の陸山会事件捜査を厳しく批判した。

2012年2月18日、東京地裁大善文男裁判長は、石川氏ら元秘書三人の供述調書の多くについて、任意性、特信性を否定して証拠請求を却下決定した上、その理由の中で、石川氏の取調検察官の法廷証言の信用性について、自ら虚偽を認めている捜査報告書に関して、「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べて取調べ検察官に虚偽公文書作成の犯意があったことを事実上認め、さらに、同検察官の後に石川氏の取調べを担当した副部長が取調べで石川氏に圧力をかける行為を行っていた事実にも言及して、不当な取調べが個人的なものではなく、組織的なものであったことまで認定した。

この問題について、市民団体が虚偽公文書作成罪により告発をしており、東京地裁の決定は、告発を受けての捜査に大きな影響を与えると思われる。

前田元検事のフロッピーディスクのデータの改ざんに関しては、データが改ざんされる前の正しいデータを記載した捜査報告書が弁護側に開示され証拠請求されたことから、公判の審理には結果的に影響を与えなかったが、今回虚偽が明らかになった捜査報告書は、検察審査会に提出され、小沢氏を起訴すべきとする議決書にも引用されており、検察審査会が小沢氏の犯罪事実を認定する議決に大きな影響を与えている。しかも、虚偽の捜査報告書の作成が意図的なものであったとすれば、それが取調べ検察官個人の判断で行われたものとは考えにくい。

検察は、同事件について嫌疑不十分で不起訴という処分をしており、検察審査会の起訴議決でその不起訴処分が覆されることは、検察組織にとって極めて不名誉なことである。検察審査会議決を受けて行われる再捜査において、不起訴処分が起訴議決で覆されるような方向で捜査を行うこと自体、通常の検察官個人の行動としてはありえない。石川氏の供述調書の信用性を補強する虚偽の捜査報告書を作成する個人的動機は考えられない。

検察としての方針に反して、検察審査会の起訴議決によって検察の不起訴処分を覆そうと考える一部の検察官が組織の内部に存在していて、その指示によって取調べ検察官が虚偽の捜査報告書を作成した疑いが濃厚と言うべきであろう。

検察組織の中の一部の検察官が、政治的に重大な影響を与える小沢氏の事件についての検察の組織としての不起訴の決定に従わず、検察審査会という外部の機関の力によって検察の処分を覆させようとしたのだとすると、それは、検察の組織の中核と位置付けられてきた「組織としての一体性」が崩壊し、組織の統制が働かなくなってしまったことを意味する。検察の組織の在り方そのものが問われる重大な危機である。

どうしてこのような事態に陥ってしまったのか。その重要な要因となったのが、『組織の思考が止まるとき』でも述べた検察のクライシスマネジメントの誤りである。証拠改ざんの事実が表面化した際、即日、前田検事(当時)を逮捕して、その問題を証拠隠滅という個人の刑事事件として扱い、しかも、その捜査を郵便不正事件の捜査・処分の決裁ラインに関わっていた当事者の最高検が行ったことが、クライシスマネジメントとして最大の誤りだった。前田元検事の個人の問題に矮小化しようとしたことが、上司の大坪、佐賀両氏を犯人隠避で逮捕せざるをえない状態に追い込まれることにつながった。結局、証拠隠滅罪で実刑判決を受けて服役した前田元検事が、陸山会事件の公判に証人として出廷して特捜捜査を厳しく批判し、それが証拠決定での東京地裁の厳しい特捜捜査批判の根拠となった。

検察の組織が環境変化に適応できなくなっている現実から目を背け不祥事を個人の犯罪として矮小化しようとした危機対応の誤りが、ここまで深刻な事態を招いてしまったのである。

そして、3月2日、読売新聞朝刊の一面トップで、「陸山会事件の虚偽報告書、検察は1年前に把握」との見出しで、捜査報告書に虚偽の記載があった問題で、東京地検が発覚の約一年前にこの事実を把握しながら、十分な調査を行わず放置していたことがわかったことが報じられた。大阪地検の不祥事を発端に、検察の信頼回復のための方策を検討していた「検察の在り方検討会議」の最中に、検察は、東京地検特捜部の不祥事に関して、また致命的な誤りを犯していたのである。これでは、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」が、何のためのものであったのかわからない。

『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」 問題の深層』(毎日新聞社)「あとがき」から抜粋)

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九州電力が開催した「お客さまとの対話の会」について

3月14日、九州電力は、一連のやらせ問題からの信頼回復を目的として、福岡市内で「お客さまとの対話の会」を開いた。
九州電力第三者委員会報告書の中の「経営トップを中心とする会社幹部が、電気利用者等の消費者、ステークホルダーと直接対話を行う場を設け、今回の賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省した上で今後透明な企業活動を徹底する方針を明確に表明する「企業活動透明化宣言」を行うこと」という提言の実行として開かれたものとのことである。
しかし、そこで会社側の説明は、九州電力にホームページに掲載されている「信頼回復に向けての取組み」を内容とするものである。それが、第三者委員会報告書が指摘する「原発立地県である佐賀県知事と九州電力との不透明な関係に基づく原発問題への対応」という問題の本質を受け止めたものではなく、そのような取組みでは提言を実行したとは全く言えないことは、3月5日にマスコミに公表し、このブログにも掲載した『九州電力の「信頼回復に向けての取組み」について』で指摘したとおりである。
問題の本質を踏まえて、「賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省」が行われたものでない以上、提言を実行したことにはならない。
このような説明内容の問題以上に重要なことは、このような会の開催手続と公開性の問題である。そこには、口先では「環境変化の認識ができていなかったことが根本原因であった」などと言っていても、実は、「どのような環境変化に、どのように対応できていなかったことが問題だったのか」が全く理解できていない九州電力の組織の現状が表われている。

今回の「対話の会」は、一般の入場は不可で、マスコミを除いて非公開、参加者の選定プロセスも明らかにされていない。
そこでの発言の概要をマスコミを通じて把握したところ、その中では、批判的な意見もある程度出ているとは言え、原発に正面から反対する意見は14人中1人だけ、経済団体の関係者など、電力の安定的で安価な供給を求める声が目立った。そして、何より重要なことは、九州電力が、全国レベルで批判され信頼を失墜する原因になった「経産省への報告書での第三者委員会報告書を『つまみ食い』した問題」や、その後の対応の問題についての質問が全く出ていないことだ。
このような会場参加者の意見、反応が、九州地域の社会全体の九州電力に対する見方、意見、批判を反映したものとは凡そ言えないものであることは明らかである。九州電力にとって都合の良いメンバーを中心に恣意的に参加者を選定したことが選定経過が明らかにできない原因であろう。

実は、こういうやり方で「対話の会」などと称する会を行おうとすることが、福島原発事故前の原発をめぐる環境においては通用しても、事故後の環境の激変の後における社会においては許されないやり方の典型なのである。
原発事故前は、電力会社が、原発推進のために世論形成のために、異端者扱いしていた反対派をできるだけ排除した形で、「予定調和的な議論」を作り上げていくことも、社会的に大きな問題とはならなかった。しかし、福島原発事故によって原発の「絶対安全の神話」は崩壊し、原発をめぐる環境は激変した。電力会社には、原発に関する国民的な議論に対して、可能な限りの情報提供、説明責任を果たした上、それに対する国民や地域住民のありのままの意見、考え方を、正面から、真摯に受け止めることが求められるようになった。
今の九州電力は、自分達が、地域社会全体からどのように見られているか、批判されているのか、という生の現実に向き合わなければならない。そのためには、あらゆる意見、見方を持った「お客様」が参加可能なオープンな場で堂々と説明、議論をすることが不可欠なのである。

本日発売の拙著『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」問題の深層』(毎日新聞社)の中で(32-33貢)、原発事故による環境変化に対する認識のズレを象徴する眞部社長の言葉を紹介している。

第三者委員会の発足当初、眞部社長がしばしば口にしていたのが「『やらせメール』問題は、コンプライアンスの問題ではなくて、マナーの問題です」という言葉だ。「ゴルフで、グリーンでわいわい騒いでいたら他のプレーヤーに迷惑でしょ」。真部社長の問題認識は、結局、その程度のものだった。その問題によって、なぜ九州電力が厳しい社会的批判を受け、自らも国会に参考人招致されて社長辞任の意向を表明する事態に追い込まれたのか、全く理解できなかったのだ。
九州電力の問題の本質は、決してその程度のものではない。私は第三者委員会設置当初から、この問題の本質は「福島原発事故による原発をめぐる環境の激変に、九州電力が適応できなかったことにある」と指摘してきた。原発事故前は、「絶対安全の神話」を国民が信じ続けるよう啓蒙を行うことが中心だったが、原発事故によって国民が制御不能になる施設の恐ろしさを目の当たりにしたことで「絶対安全の神話」は崩壊した。その後は、原発を運営する電力会社は、客観的な安全性の確保に加えて、いかなる事態が発生した場合でも万全な対応を行い、情報開示、説明責任が果たせる企業なのかなどについて、社会から評価・判定を受ける立場になった。
英国での長い歴史と伝統の中で育まれた「紳士のスポーツ」ゴルフの本質は、「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」であり、そのボールの状態をプレーヤーが作為的に動かしてはならない、というのと同様に、再稼働の是非などという原発問題に関する重要な判断に関しては、十分な情報開示を果たすことを前提に、「あるがままの民意が、あるがままに把握されること」が守られなければならないルールとなったのである。
そういう状況の中で、プレーヤーである電力会社自らが不透明なやり方で民意を作出しようとするのは、原発事故後の日本社会においては、原発問題に関する判断の公正さを著しく損なう行為である。そういう意味で、「やらせメール」問題は、「法令には違反しないが、明らかなルール違反でコンプライアンス違反」なのである。この問題は、真部社長が考えているような「マナーの問題」ではない。むしろ、「ラフに入ったボールをつまみ上げてフェアウェイに投げる行為」に近いと考えるべきなのだ。

ここで、「ゴルフの本質」としての「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」というのは、ボールが、ラフ、ハザード、バンカーなど、いかに打つことが困難な条件下にある場合でも、ボールを動かすことなく、そのままの状態で打たなければならないということである。
九州電力にとって、地域社会の見方、意見がいかに厳しいものであっても、それを、あるがままの状態で、正面から受け止めなければならない。原発再稼働に不安を感じ、反対する多くの市民の声を含め、消費者、電気利用者のあらゆる声に耳を傾け、真摯にそれに向き合うことで、同社は、原発事故後の厳しい環境に適応することができるのだ。

「対話の会」の冒頭の挨拶の中で、九州電力の瓜生次期社長は、(同じような問題を起こしたら)「私たちの会社はないという危機感を持っています。」と言いながら、涙ぐんだという。
この程度の「生ぬるい状況」で「生ぬるい発言」をするだけで泣いているような人が、九州電力の経営トップとして、今後更に厳しい環境変化に直面することになる同社を率いていけるのか、甚だ心配である。

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陸山会事件小沢公判での指定弁護士の論告について

3月9日、東京地裁で行われた小沢一郎氏に対する政治資金規正法違反事件の公判で、指定弁護士が論告を行い、被告人の小沢氏に対して禁固3年を求刑した。この論告に対する所感を述べることとしたい。

東京地検特捜部による検察審査会を欺くための虚偽捜査報告書問題等の策略の発覚、検察官調書証拠請求却下などによって、起訴そのものが有効であったか否かにすら疑念が生じるという絶望的な状況においても、指定弁護士は最後までベストを尽くした。まずは、そのプロ根性に敬意を表したい。

指定弁護士は、検察審査会の起訴議決に基づき公訴提起の手続を行い、その公訴を維持する方向での活動を行う立場にある、いかなる戦況においてもギブアップすることは許されない、絶望的な状況においても、立ち上がって敵に向かっていくしかない。

今回の陸山会事件小沢公判での論告は、そういう「後に引けない立場」にある指定弁護士として、可能な限りの主張・立証を試みたものであり、与えられた立場で最大限の努力を行ったものと評価できると思う。

しかし、そういう「退却できない立場」の指定弁護士による最大限の努力の成果として行われた今回の論告が、政治資金規正法違反の刑事事件における主張・立証として、通常行われる範囲を超え、従来からの刑事司法の常識を逸脱するものになってしまったことは否定できない。

論告は、①公訴棄却の主張に対する反論など、本件裁判の形式要件についての記述。 ②石川・池田・大久保の3名の元秘書について政治資金規正法違反が成立することに関する立証。③小沢氏の共謀に関する立証 の3つの部分に分かれる。

①、②については、小沢氏の弁護人、或いは、石川氏らの控訴審の弁護人から、詳細な証拠関係に基づく反論が行われるであろう。

ここでは、小沢氏の公判の最大のポイントであるとともに、検察の捜査・処分の考え方とは大きく乖離する考え方がとられた小沢氏の共謀に関する論告の記述に絞って述べておこう。

この点に関して、指定弁護士の論告では、小沢氏からの4億円の現金による資金提供を収支報告書に記載せず、虚偽の記載を行った石川氏らの動機・目的が、小沢氏から多額の資金提供が行われた事実を秘匿することにあったこと、そのような行為を行う動機は、石川氏ら個人にはなく、多額の資金の提供を表に出したくないとの小沢氏の意向に基づいていると考えられることなどを根拠に、石川氏らの虚偽記載に関して、小沢氏との具体的な謀議、報告、了承、指示等の事実が全く特定できなくても、小沢氏の共謀が認定できるとしている。

このような小沢氏の共謀の主張・立証には、二つの面から重大な問題がある。まず、第一に、政治資金規正法の一般的な法解釈を逸脱していることである。政治資金規正法は、政治資金収支報告書の作成義務とその記載の正確性を担保する責任を基本的に会計責任者(又は、その職務補佐者)に負わせている。政治団体の代表者に対しては、同法25条2項で、政治資金収支報告書の虚偽記載が行われた場合に、会計責任者の「選任及び監督」について相当な注意を怠った場合に罰金刑に処することとしており、それは、法が、虚偽記載についての責任を基本的には会計責任者に負わせた上、代表者については、会計責任者の「選任」と「監督」の両方に過失があったという例外的な場合に処罰の対象とする趣旨だと解される。

そのような法の趣旨からすると、政治資金収支報告書の虚偽記載政治団体の代表者が、収支報告書の記載に虚偽があることについて認識していた、という程度で処罰されるというのは、法の趣旨に著しく反するものである(このような政治資金規正法の現状のままにしておいてよいのかという立法の問題は別として)。

第二に、この共謀の主張・立証の根拠とされている「共謀理論」は、かつて「暴力革命」を標榜する過激派によるテロ、ゲリラ事件や拳銃による殺傷事件を繰り返す暴力団等による組織的犯罪の摘発・処罰に用いられたことにある。それは、論告中に、平成15年の暴力団組長の銃刀法違反事件の最高裁判決を引用していることにも表れている。この判決では、自らの警護に当たる組員に拳銃を持たないように指示命令することができる組長が、組員らが拳銃を所持していることを概括的にではあれ確定的に認識していたことで、「黙示的に意思の連絡があったと言える」として、拳銃の所持について組長の「共謀」を認めている。

指定弁護士の論告では、この最高裁判例の考え方を、政治資金収支報告書の虚偽記載である本件事案に適用して、小沢氏が石川氏らを指揮命令し、犯行を止めることができる立場であったこと、小沢氏には、4億円の資金提供の事実を隠蔽するために政治資金収支報告書に虚偽の記載を行うことについて確定的認識があった、ということを根拠に、小沢氏に共謀が認められるとしているのである。

この主張・立証は、刑事司法の常識を逸脱したものと言わざるを得ない。

過激派のテロ・ゲリラ事件や、暴力団による拳銃による抗争事件などでは、当該組織の存在と活動自体が犯罪性を帯びていて、国家や社会にとって容認できないものであり、しかも、そのことを、当該組織の側も敢えて否定はしていない。過激派の場合は「犯行声明」を出したりして公然と認めており、暴力団は、まさに反社会的団体そのものである。

これらの事案では当該組織によって犯行が行われたことは明らかであっても、実行行為者や首謀者を特定する証拠がないために、通常の刑事事件で「共謀」の立証に不可欠となる「具体的謀議」の事実を特定することができない。

このような場合の共謀の立証の方法として、具体的謀議自体を全く特定せず、(ア)組織としての方針や意思、(イ)組織内における被告人の地位・立場、(ウ)被告人が、何らかの形で、犯罪の実行を認識していたことについての客観的証拠、の3つを立証することで、共謀を立証するという方法がとられてきた。

ここでの立証の考え方は、「謀議」という具体的事実自体を立証する、或いは推認するという一般的な共謀の立証とは異なり、上記(ア)~(ウ)の事実を立証することによって、直接「共謀の成立」という法的評価をすることが可能だという考え方に基づく。

このような「共謀理論」は、一般の刑事事件の事実認定とは質的に異なる。それは、共謀の認定を、本来の構成要件事実である「謀議」という具体的事実ではなく、組織の活動における地位・役割と犯行に関する認識という要素に基づく「規範的評価」によって行おうとするところに特徴がある。

すなわち、本来、刑事事件で立証する事実は、「誰が、いつ、どこで、何をしたか」という個別具体的な事実である。それが明らかにされることで、その事実に関して、当該被告人が、どのような意思でどのように犯行に関与したかが明らかになり、共謀による刑事責任の有無・程度が立証されるのである。ところが、前記のような特殊な組織的犯罪においては、その組織的活動に関わる、何らかの「状態」が立証するという方法をとるのである。論告が引用する最高裁判例の事案でも、暴力団組織が、組長護衛のために部下が拳銃を所持している「状態」について組長が認識していることで組長の共謀が立証できるとされたのは、その典型的な例である。

しかし、このような「状態」とその認識を立証することによって共謀を行う余地があるのは、当該組織の活動自体が恒常的に犯罪に向けられていると考えられるからである、「暴力革命」を活動目標として掲げ、テロ、ゲリラの実行を組織として認めている過激派がまさにその典型であり、他の暴力団との拳銃による抗争事件を繰り返している暴力団組織も、その活動自体が犯罪に向けられていると言える。そのように、犯罪に対する恒常的な認識が組織内で共有されていることを前提に、被告人の地位と、特定の犯罪事実に関する被告人の認識を立証することで共謀が立証可能と考える余地があるのは、犯罪を行うことにより、或いは、犯罪を行ってでも、目的を達成しようという方針が組織内で共有されていることが前提なのである。

このような特殊な「共謀理論」を適用する余地があることの背景には、そのような自ら社会秩序に反する活動を標榜している組織は社会から排除されるべきであることについての「社会的合意」の存在がある。

そのような共謀理論を陸山会事件における小沢氏の共謀に適用すべきというのは、過激派、暴力団組織等の共謀の前提となる「組織の存在及び活動自体の反社会性」を、特定の政治家、政治団体の政治資金の処理をめぐる事件に適用することを求めているということにほかならない。

しかし、政治資金の処理、収支報告書の記載に虚偽があったと言っても、それは、政治資金に関する手続きの問題に過ぎない。政治資金の処理に関するルールは、国民、有権者の政治家、政党の選択のための情報開示の問題であり、テロ、ゲリラ事件、暴力団の抗争事件のような国家や社会を根底から揺るがしたり、実際の人の死傷の危険を生じさせたりするものではない。

また、このような政治資金に関するルールは、本来、あらゆる政治家、政党に、法の規定に従って、公平に適用すべきものであり、政治的な影響を意図した恣意的な運用は許されない。小沢氏の政治資金規正法違反事件について検察が不起訴の判断を行った際には、このような特殊な共謀理論の適用など凡そ考えられなかったはずだ。それは、政治に関連する事件の共謀についての認定の問題と、反社会的勢力の事犯における共謀の認定とは決定的に違うことについての、検察としての健全な常識によるものである。また、もしそのような共謀理論の適用を前提にできるのであれば、少なくとも、東京地検特捜部の検察官も、裁判所の多くの検察官調書の請求が却下されるような違法・不当な取調べを行う必要は全くなかったはずだ。

そういう意味では、指定弁護士の論告は、一見、緻密な論理と間接証拠の積み上げによる説得力のある主張・立証のように見えるが、その内実は、刑事司法の常識を大きく逸脱するものであり、政治資金規正法事件についてこのような論告を敢えて行うことには、常識ある法律家として相当な抵抗があったものと推察される。

しかし、冒頭にも述べたように、指定弁護士は「退却」は許されないという考え方から、敢えて、このような論告による主張・立証に踏み切ったのであろう。

検察審査会法の改正によって導入された起訴強制制度には、指定弁護士が今回のように相当程度常識を逸脱した主張を行わざるを得なくなること、一部の検察官が検察審査会の審査員を騙して起訴議決を行わせようとする謀略が行われる危険性が排除できないことなど、重大な欠陥があることが今回の事件で明らかになったと言うべきであろう。

(初出:メルマガ http://www.comp-c.co.jp/pdf/20120312.pdf

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九州電力の「信頼回復に向けての取組み」について

3月1日、九州電力ホームページ上に、「信頼回復に向けての取組みについて」と題して、「経済産業省主催の県民説明番組への当社社員による意見投稿要請等の一連の事象」についての信頼回復、再発防止策への取組みの内容等が掲載されました。
この「信頼回復に向けての取組み」について、今回、ホームページに掲載された同「取組み」について、私を含め、行動を共にしてきた九州電力第三者委員会の元委員3名は事前に何の連絡も受けていませんが、同委員会の委員長を務めた者として、これまでの経緯を踏まえて、若干のコメントをしたいと思います。

まず、結論から言うと、この「取組み」は全く評価できません。このようなものでは、九州電力の信頼回復には全くつながらないと思います。
一連の問題による九州電力の信頼失墜の最大の原因は、発生した不祥事そのものよりも、不祥事に対する事後対応にあります。同社が自ら設置した第三者委員会報告書が指摘する問題の本質を受け止めず、調査結果に反論するなど佐賀県古川知事との関係で不合理な主張を繰り返し、第三者委員会が指摘した問題の本質を受け止めなかったことが信頼失墜の最大の原因です。
昨年10月14日に同社が経済産業省に提出した最終報告書の内容が、第三者委員会報告書の都合の良いところを「つまみ食い」する内容だったことで、枝野経済産業大臣から厳しい批判を受けたものです。
ところが、同ホームページの「信頼回復に向けての取組みについて」の中の「経済産業省主催の県民説明番組への意見投稿呼びかけ等について」の冒頭では、「2011年9月30日、第三者委員会最終報告書を受領しました。当社はこの報告書を真摯に受け止め、2011年10月14日に、経済産業省へ事実関係と今後の対応(再発防止策)について報告書を提出しました。」と書いています。同社は10月14日の経産省に報告書を提出した時点から、「第三者委員会報告書の真摯に受け止めていた」ということなのです。
10月14日に枝野大臣に報告書を厳しく批判されたことも、九州電力自身が、12月22日に、改めて「第三者委員会報告書を真摯に受け止めます」という「紙切れ一枚」を改めて経産省に提出したことも、すべてなかったことにするということになります。
また、「今回の一連の事象の根本的な原因」の中に、「経営トップ層の責任」という項目がありますが、ここで書いてあるのは、「経営層に責任があるとの第三者委員会の指摘を、経営陣は真摯に受け止めることが必要」というだけで、一体何を、どう受け止める必要があるのか全くわかりません。
「規制当局や関係自治体等との関係性」の項目でも、第三者委員会報告書が問題の本質として指摘した「原発立地自治体との不透明な関係」という言葉は全く入っておらず、『より高い「透明性」を確保する仕組み等の検討が重要』と書かれているだけです。「より高い」というのであれば、これまでもある程度は「透明性」が確保されていたが、更に「透明性」を高めるという意味になります。第三者委員会報告書が問題の本質として指摘している「不透明性」は否定しているということです。
また、この「原発立地自治体との不透明な関係」に関する提言で最も重要な点は、「首長との間で原発の設置、再稼働等の重要事項について不透明な形での話合いを一切行わないこと、」ですが、その部分は、九州電力の「取組み」からは、完全に除外されています。
九州電力の「信頼回復への取組み」では、第三者委員会報告書の提言と似たような言葉が並んでおり、一見すると、報告書をそのまま受け入れているように見えますが、問題の本質に関わる部分が巧妙に除外されていますし、そもそも、大前提となる、信頼失墜の原因になった自分達の行為のどこがどのように悪かったのか、という点についての認識が示されておらず、取組みの方向性が定まっていなければ、何を行っても意味がほとんどないのです。
このような無意味な「信頼回復の取組み」にコストをかけるのは、原発停止による燃料費の負担増で膨大な経常損失を計上し、電気料金値上げによる利用者への転嫁を目論んでいる九州電力にとって、単なる「無駄遣い」でしかないと思います。
一連の九州電力の問題に関しては、今月の18日に発売予定の拙著『第三者委員会は企業を変えられるか〜九州電力「やらせメール」問題の深層』(毎日新聞社)で詳しく述べており、「あとがき」の中でで、九州電力の現状について、「眞部社長は、『第三者委員会報告書の提言は120%受け入れている』などと強弁していたが、少なくとも問題の本質に関わる提言については、実行する気配すらない。」と述べています。
今回同社のホームページに掲載された「信頼回復に向けての取組み」を見ても、その点についての私の認識は全く変わりません。

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