美濃加茂市長事件 “最後の書面”を最高裁に提出

藤井浩人美濃加茂市長 冤罪 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!】で述べた美濃加茂市長事件の上告棄却決定、一貫して潔白を訴えてきた受託収賄等の罪の有罪確定が現実のものとなった藤井浩人氏には遥かに及ばないとしても、主任弁護人の私にとっても強烈な打撃だった。

2014年6月、逮捕直後の藤井氏と接見し、潔白を確信して弁護人を受任して以来、全身全霊を挙げて弁護活動に取り組んできた。一審で無罪判決を勝ち取ることができ、それが最終の司法判断となって、若き藤井市長を支持してきた美濃加茂市民の皆さんに、藤井氏の潔白が明らかになったと報告できる日が来ることを確信し、まさに弁護士生命を賭けて闘ってきた。

その間、藤井氏は、市民の圧倒的な支持に支えられ、「現職市長」として収賄の罪で逮捕・起訴されながら、3年半にわたって市長職にとどまって市政を担い続けるという、それ自体一つの“奇跡”が起きていた。

控訴審で“驚愕の逆転有罪判決”を受けたものの、上告審に向けて、主要争点となる「控訴審における事実審理の在り方」の問題の専門家でもある元東京高裁部総括の原田國男弁護士、民事のみならず刑事弁護でも輝かしい実績を挙げて来られた喜田村洋一弁護士を加えた“最強の上告審弁護団”を編成した。今年5月に提出した上告趣意書は、私自身も渾身の執筆を行ったし、両弁護士も重要部分を執筆され、まさに、完璧な内容に仕上げることができたとの自負を持って最高裁に提出した。これを読んでもらえさえすれば、必ず“再逆転無罪”の判決が出されるものと確信していた。

8月からは、ここまでの闘いの全経過を著書にすべく執筆に取りかかり、11月中旬に校了。12月8日には、KADOKAWAから【青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開】が発売された。

その直後の、12月12日火曜日だった。私の事務所に、最高裁第三小法廷からの「三行半(みくだりはん)」の上告棄却決定書が届いた。それを見たとき、全身の力が抜けた。しばし、何が起きているのか理解できなかった。

すぐに藤井市長本人に連絡しようと思ったが、議会での代表質問の最中ということだったので、あまりに重大なこの知らせが、議会での対応に与える影響を考え、議会が終了した午後3時半頃に伝えた。

電話に出た藤井市長自身も、さすがに落胆しているようだったが、すぐに、今後とり得る手続、有罪判決確定の時期などの話になり、「棄却決定送達の翌日から3日以内に異議申立ができるが、過去に異議で決定が覆ったことはなく、確定を1、2週間先延ばしする意味しかない。」と伝えた。

藤井氏は、「異議申立は是非お願いします。辞職の時期は、これから相談して決めます。」とのことだった。

藤井市長は、結局、13日の市議会本会議終了後に、不在配達となっていた上告棄却決定通知の「送達」を受け、夕方、市議会に対して、上告棄却で有罪が確定する見通しになったことを受けて市長を辞職することを報告、その日の夜、多くの市民も集まった記者会見で、辞職の意向を表明した。

翌日、辞表が市議会で受理され、藤井市長は、「藤井前市長」となった。

辞職の意向を固めたことを聞いたとき、確定を先延ばしするために異議申立をする必要はなくなったと思い、藤井氏に再度確認したところ、「やはり最後まで潔白を訴えたいので、異議申立はお願いします。」とのことだった。

これまで、身柄釈放に向けての各種の申立、公判前整理手続、一審、控訴審、上告審で提出した書面の総数は百通以上、字数にすれば数十万字にも及ぶ。それらの書面はすべて「藤井市長の無罪確定」を目指して書いてきたものだった。今回は既に勝負はついてしまっている。渾身の上告趣意書に対して「三行半の例文」で棄却の判断をした同じ裁判体が、「異議申立」によって決定を見直すことは100%あり得ない。しかも、藤井氏は市長を辞職する。戦で言えば、総大将が討ち取られ、武器・弾薬も尽きた「落ち武者」のようなものだ。藤井氏の意向はあったが、「異議申立書」を書く気力が出なかった。

そんな14日木曜日の午前、事務所にいた私に電話をかけてきたのが、棄却決定が出る前にも上告審の見通し等について再三問い合わせてきていた記者だった。

「異議申立をいつ行うんですか。」「誰が最高裁に書面を届けるんですか。」というようなことを聞いてきた。「異議申立」と言っても、何か書くか考えてすらいない。持っていくのは、それまでと同様に、事務所の事務員に行かせればよいと思っていたので、「今さら、何を言っているのだろう。」と思った。

しかし、彼は、真剣だった。

著書を読ませて頂きました。私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです。

 私には意外だった。最高裁の判断が出て、有罪の司法判断が確定することになっているのだから、世の中からも、マスコミからも「これで美濃加茂市長事件も終った」とされるように思っていた。しかし、無罪の可能性はゼロになっても、まだ、裁判の手続は完全には終わっていない。潔白を主張する藤井氏の最後の訴えを見守ってくれる人がいるのだ。

マラソンで、ゴールにたどり着けず、力尽きて倒れているランナーが、「ガンバレ」と旗を振って応援してくれる人の姿を見たような思いだった。私は立ち上がった。再び走り始め、ゴールまで走り抜こうと思った。

「わかった。これから頑張って申立書を書き、私が最高裁に持っていこう。」

と答えた。

その後、他のマスコミからも、次々と問合せの電話がかかってきた。

異議申立のことは、その日の昼のNHKのニュースのほか、多くのマスコミで報じられた。

翌日の金曜日から、私は異議申立書の起案に集中して取り組んだ。

異議の対象は、

弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。

という、事件の内容も、判断も、何も書かれていない、単なる「例文」だ。

しかし、その僅か三行半の中に、弁護人として「最後の主張」を行う手掛かりが含まれていた。

刑事訴訟法では、上告理由は、405条で、(1)「憲法違反」、(2)「判例違反」に限定されている。そして、411条で、(3)「上告理由がない場合でも、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」とされている(職権破棄)。

藤井氏の事件の上告趣意書では、「判例違反」の主張を二つと、「重大な事実誤認」の職権破棄を求める主張を行っている。弁護団の検討の結果、「判例違反」と「重大な事実誤認」で十分に破棄が期待できる事案なので、敢えて「憲法違反」の主張をする必要はないという結論になり、「憲法違反」の主張はしなかったのである。

ところが、上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている。念のため、他の上告事件で、上告趣意で憲法違反の主張をしていないのに、「憲法違反をいう点」などと決定に記載された例があるか否かを調査してみたが、全く見当たらなかった。上告人らが違憲の主張をしていないのに「憲法違反をいう点」などと判示した本決定は、上告趣意を正しく把握し理解した上で出されたものとは考えられない。

しかも、決定では、「判例違反」の主張について「事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく」としているが、上告趣意で主張する「判例違反」のうち、平成24年の「チョコレート缶事件判決」は、一審の無罪判決が、控訴審判決で破棄自判有罪とされた事件だ。“控訴審における事実誤認の審査の在り方”に関する実務上の指針とされている判例であり、一審無罪判決が控訴審判決で破棄自判有罪とされた本件と「事案を異にする判例」であることは全くあり得ない。

そして、上告趣意書でも特に全力を挙げて主張したのが、「控訴審判決が贈賄供述の信用性を認めたことが事実誤認だ」ということであり、それは、刑訴法405条の上告理由には当たらないが、「著しく正義に反する重大な事実誤認」なので判決に影響を及ぼす、として、刑訴法411条による「職権破棄」を求めたのである。

ところが、決定では「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と述べている。もちろん、職権破棄を求める主張をした場合にも、そのことに何も触れないで、このような例文で棄却されることもあるが、少なくとも重大な事件であれば、職権破棄を求める主張に対して、破棄しない場合には、「所論にかんがみ記録を精査しても、411条を適用すべきものとは認められない」などと記載される場合も多い。少なくとも、人口5万6000人の美濃加茂市の現職市長が逮捕・起訴され、被告人でありながら、今も市長職にあり、有罪が確定すれば失職するのであるから、重大な事件ではないとは決して言えない。職権調査をしたともしないとも言わず「上告理由に当たらない」はないだろう。

結局、この「三行半」の例文の棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。

ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである。

問題は、最高裁が最初から結論を決めてかかったとすると、それはなぜか?である。

今回の事件で無罪判決が出されることを阻む何らかの「力」が働いていたのではないか、ということは、控訴審の“驚愕の逆転有罪判決”の際も言われていた。それが裁判所外からの力だとすると、日本の刑事司法は、まさに「闇」そのものだということになる。しかし、そのような「力」が仮に働いたとしても、それが明らかになることはあり得ない。そういう想定で考えることは我々法律実務家にとって意味のあることではない。

では、美濃加茂市長事件の“真っ暗闇”の結末をもたらした「力」とは一体何なのか。刑事裁判の制度や運用に関する問題は考えられないだろうか。そうだとすると、“真っ暗闇”を今後、是正していく余地もあり得るということになる。

そういう観点から改めて考えてみると、やはり、最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である。

弁護活動の最中には、私は、決してそのようには考えたくなかったし、それはあり得ないと考えて、これまで弁護活動に取り組んできた。しかし、今回の、上告趣意に全く対応しない「三行半の決定」を見ると、最高裁や高裁レベルでは、それが大きな影響を与えた可能性が十分にあると考えざるを得ない。

私は、異議申立書の冒頭に

僅か3行余りの決定には、弁護人らは「憲法違反」を主張していないのに、主張しているかのように判示するなど、全体として弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものであり、弁護人らとしては、本件について上告趣意が十分に理解され、適切に検討された上での決定であるか否かについて疑問を持たざるを得ない

と述べ、それに続いて、上告趣意での弁護人の主張と「3行余りの決定」が全く対応していないことを具体的に指摘した。

本件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたのだとすれば、贈賄の供述者が、自らの罪を認め、融資詐欺の事実も含め有罪判決が確定し、服役までしていることが影響している可能性がある。もし、贈賄者と収賄者とで事実認定が異なることが、司法判断の統一性を害するとの理由だとすると、贈賄者が事実を全面的に認めている刑事裁判で、贈賄について有罪の認定が行われ有罪判決が確定することは、収賄の被告人やその弁護人にとって、どうにも防ぎようがないことであり、そのような理由で、藤井氏の事件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたとすれば、全く不当極まりないことだと述べた。

そして、異議申立書の最後を、以下のように締めくくった。

被告人が法廷で言葉を発したのは、言い分を丁寧に聞いてくれた1審裁判所だけである。控訴審でも、上告審でも、裁判所に対して発言する機会は全く与えられることはなかった。直接聞いた1審裁判所が「信用できる」と判断してくれた被告人の公判供述を、直接聞いてもいない控訴審が、記録を読んだだけで「記憶のとおり真摯に供述しているのかという点で疑問」と断罪した。質問されれば、いくらでも説明できたことなのに、説明の機会は与えられなかった。

本件では、中林証言と被告人供述を直接聞いた1審の3人の裁判官の過半数が、中林供述には合理的な疑いがあると判断したのである。それらを直接聞いていない控訴審の3人の裁判官が、仮に、裁判記録を見る限り中林証言は信用できる、被告人供述は信用できないと判断したとしても、中林証言が信用できない、被告人の供述が信用できると判断した裁判官が少なくとも2人いるのに、公訴事実が「合理的な疑いを容れない程度」まで立証されたと言えるのだろうか。

それが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。

そのような不当極まりない控訴審の審理・判断を正してくれるのが最高裁判所なのではないのか。それが、三審制がとられている日本の司法の頂点にあり、「最後の砦」である最高裁の役割なのではないのか。

判例違反の主張は「事案を異にする」というが、それなら、一審で無罪の事実認定が理由もなく控訴審で覆されたような事件に対しては、何ら救済のルールはないというのか。

本件のようなことがまかり通るとすれば、刑事司法の正義など、国民は全く信じられなくなると言わざるを得ない。

本件上告裁判所を構成する5人の裁判官

山﨑敏充判事

岡部喜代子判事

木内道祥判事

戸倉三郎判事

林景一判事

に、改めて問いたい。

本件において、1審無罪判決を破棄し有罪の自判を行った原判決を是認してよいのか、このまま有罪判決を確定させることは著しく正義に反するのではないか。

この異議申立書を、昨日午後、美濃加茂から上京した藤井氏とともに、最高裁判所に提出した。申立書を携え、最高裁の建物に入る南門には、多くの報道陣のカメラが待ち構えていた。裁判所職員に案内され、刑事受付で事件の係属を確認してもらったうえで、異議申立書を提出。その後2時半から東京の司法記者クラブで、藤井氏と私とで記者会見を行い、異議申立書で訴えたことなどについて説明した。

藤井氏は、「潔白の訴えは、今後も決して諦めません。」と述べ、異議申立てが棄却されて有罪が確定した場合には、贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。

我々の闘いは、まだ終わらない。

(なお、私の法律事務所のHPに【異議申立書全文】を掲載している)

 

 

 

 

 

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【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪】 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった! 

12月11日、名古屋高裁の逆転有罪判決に対して上告中だった美濃加茂市長事件について、最高裁の上告棄却決定が出された。

主任弁護人の私の下に届いた上告棄却決定の理由は、

弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。

という、いわゆる「三行半の例文」だった。

本日、藤井市長は、記者会見を開き、上告棄却決定が確定することで失職することになることを受け、辞職する意向を表明した。

名古屋地裁の一審判決は、多くの証人を直接取調べ、被告人質問で藤井市長の話も直接聞き、丁寧な審理を行った心証に基づき、無罪を言い渡した。ところが、控訴審では、贈賄供述者の取調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井市長には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕の“逆転有罪判決”を言い渡した。このような不当極まりない控訴審判決を、最高裁がそのまま是認し、有罪が確定することなどあり得ないと信じていた。

一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか。

先週金曜日には、捜査段階から上告趣意書提出までの経過を詳細に記した拙著青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開がKADOKAWAから発売された。

この本を読んでもらえれば、藤井市長が潔白であること、警察の捜査、検察の起訴・公判立証と、有罪を言い渡した控訴審の判断が不当極まりないものであることが、世の中に広く理解されるものと確信していた。驚愕の上告棄却決定は、その発売日の先週金曜日から週末を挟んだ翌月曜日だった。そのタイミングは、単なる偶然とは思えない。

同書でも、私は書いている。

万が一、上告が棄却されて有罪が確定したとしても、藤井市長の「潔白」という真実は、それによって否定されるものではない。その場合、私は、「冤罪」を広く世の中に訴え、司法の場でも、再審で有罪判決を覆すことに全力を挙げていくであろう。

最高裁の上告棄却が現実となった今も、その思いに全く変わりはない。

藤井市長は、今回の司法判断にもめげることなく、自らの潔白を市民に訴え続けるとともに、今後も美濃加茂市政の推進に情熱を燃やし続けるであろう。そういう彼を私は、今後も、引き続き全力でサポートしていきたい。

青年市長は、警察・検察、そして、控訴審裁判所という「司法の闇」と闘い続けてきた。

その先にある、最高裁を頂点とする日本の刑事司法自体が、実は「真っ暗闇」だということが、今回の上告棄却決定で明らかになったのである。

 

 

 

 

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小池氏による一者入札禁止「制度改革」の“愚”

東京都入札制度「改革」がもたらした惨状

東京都議会の6日の代表質問で、小池都知事が今年5月に実施した「入札制度改革」について、公明党、自民党などからの批判が相次いだ((日経)【都議会、知事を追及 入札改革に批判強まる】)。

豊洲市場の建物の地下で「盛り土」がなかったことの安全対策として行われる予定の工事では、入札参加を業者が一者またはゼロになったり、入札価格が予定価格を大きく上回ったりすることで不調が相次いだことで、工事施工が大幅に遅延し、来年10月に予定されている豊洲への移転が危ぶまれる事態となっている。このため、東京都は、一部の工事について入札を断念し、特命随意契約に切り替える方針を固めたとのことだ。

そもそも昨年8月末に、小池氏が豊洲への市場移転を延期し、その理由の一つとして「巨額かつ不透明な費用の増大」を挙げたことが根本的に誤りであった。あたかも、市場移転に関する工事に関して不正の疑いがあるかのような言い方をしたのである。

これに関して問題にされていたのは、2013年から行われた豊洲市場の主要な3つの建物の工事3件について、最初の入札がいずれも不調に終わり、2回目の入札で3施設の予定価格が1.6倍に引き上げられたほか、予定価格に対する落札額の割合を示す落札率が3件とも99%を超えたことだった。小池知事がトップを務める都政改革本部は、一つのグループだけが入札に参加し、予定価格が一気に引き上がった2回目の入札で落札していることから、「競争性や合理性に疑問がある」などとして、抜本的な見直しを求め、小池知事も「東京都は高価格体質があると言わざるをえない」と指摘していた。

しかし、そもそも、過去に発注され、終了している工事の費用の問題は、市場移転延期の理由にはなり得ない。もし、その疑いがあるのであれば、その事実を解明し、その結果、不正行為等が判明すれば、関係者の責任追及や支払った費用の返還や賠償が問題になるというだけのことである。

そして、それ以上の的外れだったのは、「一者入札」での落札を、あたかもそれ自体で不正の疑いがあるかのように問題にしたことである。

一者入札禁止「入札制度改革」のデタラメ

そのような認識を背景に、小池氏が唱えた「ワイズ・スペンディング(賢い支出)」の一環として、「都政改革本部」が今年5月に打ち出したのが、入札に参加する業者が複数いなかった場合は入札を中止してやり直す「一者入札の禁止」や「予定価格の事後公表」などを内容とする「入札制度改革」だった。

しかし、「一者入札」を、理由を問わず禁止し、「一者入札」の場合は入札を中止してやり直すというのは全くの愚策であり、公共工事の入札契約制度が根本的にわかっていないとしか言いようがない。

もちろん、「競争入札」は、複数の、できれば多数の業者が入札に参加し、入札価格をめぐる競争が行われて、最も低価格の入札をした業者が落札し受注するのが望ましいことは言うまでもない。しかし、工事の発注をめぐる状況は、需給関係によって大きく異なる。工事の発注量が少なく、多くの業者が熾烈な競争を行っている状況であれば、「入札における価格競争」も期待できるが、逆に、発注される工事の量が多く、人手不足などで受注可能な業者が少なければ、入札参加者が少なくなるのは当然である。また、特殊な技術を要する工事ではもともと受注可能な業者が少ない。

しかも、日本の公共調達制度では、入札の場合も「予定価格」が設定され、その価格を一円でも超えると落札できない「予定価格の上限拘束」が定められている。発注者側の公務員が建設物価等を基に算定する予定価格が工事の実態に適合するとは限らない。また、資材費や人件費等の工事単価が急上昇する局面では、実勢価格が予定価格を大幅に上回り、予定価格内で落札すると大幅な赤字受注になってしまう。このような場合、「一者入札」どころか、予定価格以下での落札者がゼロになり、「入札不調」になる。

豊洲の4件の工事が発注された2013年というのは、東日本大震災の復旧工事と、安倍政権発足後、「国土強靭化」政策の下で公共投資が増額された影響で、人件費・資材費が異常に高騰し、前年度の建設物価をベースに算定される予定価格が実勢価格と大幅にかい離し、あらゆる公共工事で、入札不調が相次いでいた時期だった。

このような状況での工事の発注なのだから、当初の予定価格内での入札者がいなかったのは当然であり、予定価格を6割引き上げて、ようやく各工事について一者(ゼネコンの共同企業体)の入札があったということだと考えられる。

複数の工事が同時に発注された場合、それぞれの工事に一者を受注予定者として割り当てる「談合」の結果、「一者入札」になったということも、過去の事件としてはあったし、その可能性が否定できるわけではない。しかし、2013年の豊洲の4件の工事については、「一者入札」という結果になるのは、当時の建設工事をめぐる状況からすると、むしろ当然の現象であって、そこから不正を疑い、さらに、それを契機に「一者入札禁止」の制度改革を行うというのは、全く的外れである。

今回の、豊洲市場での工事の発注の遅れは、このようなデタラメな制度変更がもたらしたものであり、早急に、「一者入札禁止」などという馬鹿げた制度を改めるべきである。東京都は、豊洲の工事を特命随意契約に切り替えようとしているとのことだが、随意契約には「随契理由」が必要であり、それらの工事にその理由があるとは思えない。「一者入札禁止」を取りやめ、入札契約制度改革が全くの誤りであったこと率直に認めた上で、合理的な価格での応札をゼネコン側に要請すべきであろう。

東京都における「入札契約制度改革」の経緯

このような「入札制度改革」が行われる前の東京都の入札契約制度は、2010年10月に公表された「東京都入札契約制度改革研究会報告書」に基づいて行われた入札契約制度改革をベースとするものだった。

同研究会は、東京都の入札契約制度及び運用の在り方を検討するため専門家・有識者を集めて2009年6月に設置されたものだった。私は、その入札契約制度研究会の会長として議論を総括し、報告書の取りまとめを行った。

私自身、公共調達制度や談合等の不正をめぐる問題は、法務省法務総合研究所研究官の時代からの専門分野の一つであり、海外の制度との比較も含めて、公共調達や談合の問題等について様々な研究を行ってきた。【入札関連犯罪の理論と実務】(東京法令)のほか、コンプライアンス関係の著書でも、「非公式システム」として我が国の公共調達に蔓延していた談合問題を取り上げ、多くの建設業団体、建設会社等でコンプライアンスの講演を行ってきた。地方自治体の入札契約制度改革に関しては、2006年に、当時、首相補佐官だった世耕弘成氏からの依頼で、地元和歌山県の入札制度改革検討委員会の委員長として、前知事が官製談合問題で辞職した直後の和歌山県での入札制度改革の在り方を検討したのを始め、2007年には、山形県公共調達改善委員会、2009年には京都府公共調達検討委員会などの委員長を務め、各自治体の制度改革に関わってきた。そういう私にとって、東京都の入札契約制度研究会は、それまで行ってきた公共調達制度改革に関する検討の総仕上げとも言うべきものだった。

委員会のメンバーには、公共調達問題を検討するためのベストのメンバーを揃えた。武田晴人氏は経済学者で東大大学院教授、「談合の経済学」の著書もあり、日本の公共調達制度や談合問題に詳しい。小澤一雅氏は、土木工学・建設マネジメントが専門の東大大学院教授、楠茂樹氏は、経済法が専門の上智大学准教授(現在は教授)で、「公共調達と競争政策の法的構造」等の著書もある。谷隆徳氏は、地方自治問題に精通する日経新聞の編集(論説)委員である。

このようなメンバーを中心に発足した研究会は、1年5ヶ月の間に13回の会合を開き、業界関係者からのヒアリングも行うなどして、入札契約制度に関するあらゆる論点について広範囲に議論した。

当時は、リーマンショック後の不況に加えて、公共投資の削減、建設不況下で公共工事の受注価格が大きく下落し、ダンピング受注が深刻な問題となっていた。研究会でも、ダンピング対策は主要な検討課題であり、それに伴って最低価格と同水準の入札を招きやすい「予定価格事前公表の是非」を議論した。

一方で、予定価格と実勢価格の乖離のために「入札不調」も相当数発生していた。入札不調には至らなかったが「一者入札」で落札した工事も相当数あったと思われるが、それは、入札価格が予定価格を少しでも上回れば、最低価格であっても落札できないという「予定価格の上限拘束」に根本的な問題があるとの認識が研究会では共有されていた。予定価格によって価格の上限だけが拘束される制度は国際的に見ても特異な制度だ。その不合理性は、総合評価方式の導入が拡大し、価格以外の要素が重視されるようになるのに伴って一層顕著になり、入札不調に伴って行政コストが増大するなど、様々な問題が生じていた。

研究会では、現行法令上、予定価格の上限拘束という制度自体を変えることはできないため、それを緩和する方法が考えられないかについても議論した。発注者側の積算に基づいて算出する、「従来であれば予定価格として設定する価格」を「基準価格」にして、それを何割か上回る水準を、実際の入札の「予定価格」として設定し、最低入札価格が、その「予定価格」以下であれば、一応落札可能とした上、その価格が「基準価格」を上回っていた場合も、その価格が不当に高いものでないかどうかを審査(「高価格調査」)した上で、問題なければ契約するという方法についても真剣に議論した。しかし、当時、事務局側から、議会との関係等から、ただちに導入することは難しいとされ、報告書でも「一つの考え方」として示すにとどめた。

つまり、入札契約制度研究会では、当時ダンピング対策が重要な問題となっている中で、予定価格と実勢価格とのかい離の問題についても十分な検討を行い、それに伴って発生する「入札不調」や「一者入札」の問題を、「予定価格の上限拘束の緩和」という方向で議論していたのである。そして、研究会報告書の提言を受けて東京都が打ち出した「公共工事に関する入札契約制度改革の実施方針」においても、「予定価格の上限拘束性の問題」について、次のように述べて、入札不調が起きる根本的な原因は「予定価格の上限拘束性」であるとの問題意識が示されているのである。

 国及び地方公共団体の競争入札は、予定価格を超えて落札できないとする「上限拘束」の原則と、最低価格での入札を落札とする「自動落札」の原則を基本としている。自動落札については、総合評価方式などの導入に併せて例外規定が整備されたが、上限拘束性には一切の例外が認められていない。 こうした厳しい上限拘束性は、総合評価方式の技術提案内容の制限、入札不調に伴う行政コストの増加や事業執行の遅れなどにつながる場合もあるが、これらは法令上の整理なくして解決することは困難である。

予定価格の上限拘束性については、自動落札の原則と同様、一定の条件の下で地方公共団体の判断により拘束性を緩和する例外措置が可能となるよう、国に対する法令改正の要望に向けて取り組んでいく。

このような東京都の入札契約制度改革の経過からすると、「一者入札禁止」などという突飛な考え方が出てくる余地は全くなかったのである。

小池知事顧問団中心の「入札制度改革」の暴走

今回の「入札契約制度改革」が行われるまでは、東京都の入札契約制度研究会は、東京都のホームページにも掲載されており、都の要綱上も研究会が存在していた。入札制度を変更するのであれば、何らかの形で入札契約制度研究会のメンバーによる議論を行うのが当然だと思えたし、私も、できる限り協力したいと考えて、当時、研究会の事務局を担当していた財務局の幹部とも話をした。

しかし、入札制度改革については、都政改革本部の中の「顧問団」の一部が主導して進めており、事務方はほとんど口を出せないとのことだった。そのことに、内心忸怩たる思いを持っていることは十分に理解できた。私が、昨年11月以降、【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】、【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】などで、小池氏による「劇場型都政」で行われている市場移転延期や「盛り土」問題の取り上げ方に重大な問題があることを指摘するなど、小池氏を徹底批判していたため、事務方としては、小池都知事や顧問団に対して「郷原」という名前も、郷原が会長を務めた「入札契約制度研究会」のことも、とても口にできないということだろうと思った。

今年4月に、顧問団の意見に基づいて策定された「入札制度改革案」が公表された後、都議会でも、4月25日の財政委員会でこの問題が審議され、自民党議員からは、制度改革案を疑問視する意見が出されている。北久保眞道議員は「財務局主催の入札契約制度改革研究会の会長として、従来の入札契約制度の設計に携わってきた郷原信郎氏を参考人として当委員会に招致すること」を提案しているが、否決されている。

もし、入札契約制度研究会のメンバーで制度改革について議論する機会や意見を述べる機会が与えられていたら、「一者入札禁止」などという馬鹿げた制度改正には強く反対していたであろう。

小池氏は、「ワイズ・スペンディング」を掲げ、その目玉として行った入札制度改革で打ち出されたのが「一者入札禁止」であった。その“暴走”と言うべき「制度改悪」は、小池氏の判断で延期された市場移転の時期をさらに遅延させ、市場関係者に大きな打撃を与えている。このようなデタラメな施策のどこが「ワイズ」なのであろうか。

「小池都政改革」が、東京都の工事発注にもたらしている“厄災”は、もう都民として許容できる限度を遥かに超えている。都政の現状に、都民の一人として深く憂慮せざるを得ない。

 

 

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世耕経産大臣は、日本の製造業の‟破壊者”か

10月8日の、神戸製鋼所の記者会見での公表以降、日本を代表するメーカーで次々と明らかになっている「データ改ざん問題」は、殆どが、安全性や実質的な品質には影響のない「形式上の不正」であり、納入先の顧客に説明し、安全性等が確認されれば、本来、公表する必要がない事柄である。

それらの多くは、顧客との契約で、製品の品質・安全上必要な水準を上回って設定されている規格・仕様について、メーカーの製造過程で、その余裕を持たせた規格・仕様から若干下回る「不適合品」が発生した場合に、データを書き替えて「適合品」であるように表示して出荷納品したという問題だと考えられる。

このような「データ改ざん」は、日本の素材メーカー、部品メーカーの多くに潜在化している「カビ型不正」の問題であり、それらの殆どは、実質的な品質の問題や安全性とは無関係の「形式上の不正」に過ぎず、顧客に対して「データ書き替え」の事実と、真実のデータについて十分な情報を提供し、書き替えに至った理由や経過を正しく説明して品質への影響や安全性の確認を行うことができれば、もともと大きな問題にはなり得ない。

そのことを、私は【日産、神戸製鋼…大企業の不祥事を読み解く(前編)】【日産、神戸製鋼…大企業の不祥事を読み解く(後編)】などで指摘したほか、メディアの取材等でも繰り返し強調してきた。

ところが、神戸製鋼所がこの問題を3連休の中日に記者会見で公表し、「品質不正で信頼失墜」などと大きく報道されて以降、三菱マテリアル、東レなど日本を代表するメーカーが社長記者会見を開いて子会社の「データ改ざん」の問題を公表し、その都度大々的に報道され、「日本の製造業の品質が危ない」などと騒がれる事態になっている。

もちろん、製品の納入先の顧客の了解を得ることなく、真実のデータが書き替えられた事実があったことは間違いないのであり、その中に、真実のデータを前提にすると品質上・安全上問題があるという事例が全く存在しないと断言することはできない。しかし、問題の大部分は、上記のような背景・原因で発生した「形式上の不正」に過ぎないと考えられることからすると、現在起きている騒ぎは明らかに異常である。

なぜ、このような馬鹿げた状況に至ってしまったのか。その原因が、世耕弘成大臣をトップとする経済産業省側の対応にあったことが次第に明らかになりつつある。

日経新聞の「迫真」に連載されている「神鋼 地に堕ちた信頼 1」(11月28日朝刊)では、神戸製鋼所が改ざん問題の公表に至った経過について以下のように書かれている。

現場からの不正問題の報告を受けて、神鋼は9月中旬から顧客への説明を始めた。「これから気をつけてください」梅原に集まってくる顧客の反応は悪くなかった。アルミ・銅事業の売上高のうち不正の対象は約4%(年約120億円)。業績への影響もほとんどないように思えた。

だが、顧客を通じて監督官庁の経済産業省など霞が関に情報があがり始めると状況は一変する。あくまでも民間同士の契約であり、この時点で法令違反は未確認。「国に関与されることはない」と高をくくっていた。

ところが「味方」と思っていた経産省はつれなかった。日産の不正検査問題もあり、問題を早期に解決しないと「日本の製造業の信頼が揺らぐ」との思いがあった。「できるだけ早い段階で会見で公表すべきだ」。9月28日に問題を把握すると神鋼に終始圧力をかけ続けた。10月に入ると顧客を通じて不正の事実が取引先に広がった。追い込まれた神鋼はついに発表を決断する。

つまり、神戸製鋼側が、8月末にアルミ・銅製品についてデータ改ざんがあったことを把握し、顧客への説明を行っている最中に、顧客側からその情報を得た経産省が、「できるだけ早く会見で公表すべき」と神戸製鋼に圧力をかけ続けた結果、同社が記者会見で公表するに至ったという経過だったようだ。この公表の時点で、神戸製鋼は、まだ顧客への説明の途中だった。3連休の中日である日曜日の午後に、突如記者会見を開いたことは、マスコミ側に、“ただちに対応が必要な緊急事態”との認識を与えるもので、公表のタイミングとしては最悪だった。しかも、その場で自動車や新幹線、旅客機など、日常生活になじみのある製品の多くに使用されていることを明らかにし、その安全性については明言できなかったために、社会的関心が一気に高まり、マスコミの取り上げ方も大きくなった。それによって、神戸製鋼という企業の信頼は大きく傷つき、製品の安全性が確認されても、事態を収束させることが困難な状況になっていった。

その後、データ改ざん問題が、三菱マテリアル、東レと、他のメーカーに波及するに至った後、世耕氏は、大臣会見で、以下のような発言を行っている。

産業界においては、自らの会社でこういった類似の事案がないかどうかを確認する動きがあると承知していますが、これはもう当然のことだと思います。そして、そういう中で、万一類似の事案が確認をされた場合には、顧客対応などとは別に速やかに社会に対して公表をして、社会からの信頼回復に全力を注ぐことを期待したいと思います。

「顧客対応などとは別に速やかに社会に対して公表」を求めるという発言からは、「データ改ざん」の基本的構図も、問題の性格も、全く理解していないとしか思えない。経産大臣がこのような発言を行うことで、この問題をめぐる混乱を助長し、日本の製造業に対する国際的信頼を失墜させかねないことには気づいていないようだ。

重要なことは、今回の「データ改ざん」問題は、「BtoB」(企業対企業の取引)の製造事業の中で発生した問題であり、「BtoC」(企業対消費者)の事業の問題ではないということだ。「BtoC」の事業であれば、消費者に販売した製品の表示や説明に誤りがあった場合には、ただちにその事実を公表し、必要に応じて製品の回収等を行うこともあり得る。それは、製造・販売者側の情報に基づいて商品を選択する消費者に対して、商品に関する正しい情報の提供が求められるからだ。

しかし、「BtoB」の事業の場合は、それとは異なる。納入した製品の第一次的な利害関係者は顧客企業だ。納入された製品が自社内だけで消費・使用されている場合には、「データの改ざん」が自社の消費や使用上特に影響がなく、当該顧客企業が特に問題にしないのであれば、当該企業の「私的領域」の問題であり、データ改ざんの事実を公表する必要はない。

当該製品を、「BtoC」の顧客企業が、消費者向けの製品の素材・部品として使用する場合には、当該消費者向け商品の品質・安全性を消費者に対して保証するのは当該顧客企業であり、素材・部品のメーカーではない。素材・部品のデータが改ざんされていたのであれば、該当素材・部品を使用し、加工して製造した自社製品の品質・安全性に影響があるか否かを顧客企業が検討し、その結果、問題が生じる可能性がある場合には、データ改ざんを行った企業に公表を求め、当該顧客企業としても消費者に対して十分な説明を行う必要が生じる。データ改ざんが品質・安全性に全く影響しないと判断した場合には、その公表を求めるか否かは、当該顧客企業が判断することである。BtoC企業が「自社製品の品質・安全性に誤解を生じる可能性があるので公表しないでほしい」と希望するのであれば、BtoB企業の側で、勝手に公表すべきではないし、もし、一方的に公表すれば、顧客企業から契約上の守秘義務違反による損害賠償責任を問われることもあり得る。

つまり、BtoBの事業において顧客企業に納入した製品の品質・安全性に関する問題を把握した場合の対応は、兎にも角にも当該顧客企業に情報提供・説明したうえで対応について判断してもらい、その判断を最優先することに尽きるのであり、世耕氏が発言しているように、「顧客対応などとは別に速やかに公表する」などということはあり得ないのである。

このことは、東レが社長記者会見で公表した、子会社のタイヤ補強材「タイヤコード」についてのデータ改ざんの例で考えてみれば明らかであろう。同社がデータ改ざんを把握した時点で、顧客のタイヤメーカーに情報提供・説明することとは「別に」、顧客に了解を得ることなく、一方的に「当社がタイヤメーカーに納入した素材についてデータ改ざんがあった。」と公表したとしたら、どういう事態が発生していたであろうか。当然、公表された「データ改ざん」の内容や影響について、マスコミから説明を求められることになる。当該素材の納入先が国内外のタイヤメーカー十数社と答えざるを得ない。しかし、「安全性に問題がないのか」と聞かれても、「顧客の側で判断されること。当社からは、何もお答えできない」とコメントせざるを得ない。このような公表は、タイヤを使用した製品である自動車のユーザーを無用の不安と混乱に陥れることになる。後日、タイヤメーカーに説明した結果、「ごく僅かな数値の違いなので安全性に影響はない」との判断だったということが公表されても、それまでの間に社会に与えた甚大な影響は、取返しのつかないことになっているであろう。

このように考えれば、アルミ・銅事業でのデータ改ざんを把握した後、顧客への説明と情報提供を行っていた期間、公表を考えていなかった神戸製鋼、タイヤコードでの同様の問題を把握した後、顧客への説明を優先させ公表を行わなかった東レ子会社の対応も、特に問題があったとは思えない。

ところが、世耕経産大臣は、データ改ざんなどの「不正」は、「顧客対応などとは別に速やかに公表すべき」と言うのである。社会に不安と混乱を生じさせ、日本の製造業に対する信頼を「破壊」する言動以外の何物でもない。

経団連の榊原定征会長は、11月29日、日本企業の国際的信用を毀損することを防ぐため、会員企業約1350社に対して、品質問題の実態調査を要請する考えを表明した。調査の結果、不正が発覚した場合は、必要に応じて顧客や政府へ連絡するとともに、再発防止を徹底するよう求めるという。しかし、その際、世耕大臣が言うように「顧客対応とは別に速やかに公表すべき」だとされ、それに従わざるを得ないとすると、上記のように社会に無用の不安と混乱を招くことになる。そうなると、企業は、不正を把握したこと自体を「隠ぺい」することを選択せざるを得なくなる可能性がある。理由は若干異なるが、山口利昭氏も、【品質検査データ偽装に気づいた企業は素直に公表できるだろうか】という記事の中で、調査の結果不正を把握した企業が隠ぺいする可能性を指摘している。

今回、素材・部品メーカーのデータ改ざん問題が、ここまで重大な問題に発展したことには、経産省の対応、とりわけ、世耕大臣の対応が大きく影響しているように思える。経産省が行うべきことは、「速やかな公表」ばかり迫って、世の中の不安を煽ることではない。むしろ、既に問題を公表している各社から、「データ改ざん」の内容について詳細な報告を受けて事実関係を把握し、品質・安全性に影響を与え得るものなのかどうかを検討し、他のメーカーでも潜在化していると思える同種のデータ改ざんを、どのようにして把握するのか、データ改ざん問題に対して今後どのように対応すべきなのか、コンプライアンス、ガバナンスの専門家、製品の品質問題やメーカーの品質管理の専門家を集めた会議を開いて検討することであろう。「顧客対応などとは別に速やかに公表すべき」などという的外れの発言を速やかに撤回すべきであることは言うまでもない。

このような問題については、専門家などの知見を十分に活用することが重要である。大臣が、素人考えの思い付きで対応してしまうと、すでに混乱の極致に達してしまった一連のデータ改ざん問題を一層深刻化させることになりかねない。

 

 

 

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東レ会見での“ネット掲示板書き込みへの言及”で重大局面を迎えたデータ改ざん問題

東レは、2017年11月28日に都内で会見を開き、子会社の東レハイブリッドコード(THC)が、タイヤの形状を保持する補強材のタイヤコードや、自動車のブレーキホースやベルトに用いられる補強材等の一部の製品の品質データを書き換えて出荷していたと発表した。

この東レ子会社の検査データの改ざんは、経団連会長の榊原定征氏が、不正が行われた期間、東レの社長・会長を務めていたこと、同氏が、その直前に表面化した三菱マテリアルの検査データの改ざん問題について「日本の製造業に対する信頼に影響を及ぼしかねない深刻な事態だ」と批判していたこともあって、一層注目を集めることになった。

それ以上に驚いたのは、同社の日覺昭廣社長が、今回、この問題の公表に至った経緯について、記者会見で、「今月初めに、ネットの掲示板で書き込みがあり、問い合わせを受けた。正確な情報を流すべきだと思った。」「神戸製鋼所のデータ改竄問題がなければ子会社のデータ改ざんも公表しなかった。」などと説明したことだ。

記者会見とほぼ同時刻に公開された週刊文春のネット記事でもこの問題を報じており、不正の公表に至る経緯には様々な動きがあったはずだが、公表に至った原因として説明されたのは、「ネット掲示板への書き込み」だった。このような公表の原因の説明は、今後のデータ改ざん問題の展開や関与社員の行動に“重大な影響”を与えることになりかねない。

昨年(2016年)8月に、【「カビ型行為」こそが企業不祥事の「問題の核心」】(日経BizGate「郷原弁護士のコンプライアンス指南塾」)で、鉄鋼メーカーが水圧試験のデータを偽装していたことが発覚した“ステンレス鋼管データ捏造事件”や、マンション建設の際の杭打ち工事のデータ偽装が業界全体に蔓延していたことが明らかになった“マンションくい打ちデータ改ざん事件”などの重大な不祥事事例を「カビ型行為」として紹介し、内部監査、内部通報窓口の設置等の通常のコンプライアンス対応による発見が困難であること、組織内での自主的な自浄作用を働かせることが難しいことを指摘した。

そして、今年10月以降、日産自動車、神戸製鋼等で不祥事が相次いで表面化したことを受け、【日産、神戸製鋼…大企業の不祥事を読み解く(前編)】【日産、神戸製鋼…大企業の不祥事を読み解く(後編)】では、改めて、それらのデータの「改ざん」や「偽装」などが、人的、時間的「拡がり」を持つ典型的な「カビ型行為」であることを指摘した。その中でも述べたが、多くの大企業、特に、素材、部品メーカーでは、検査数値より、確立された製造工程とブランドに相応の信頼があるため、検査数値の多少のブレは、顧客との暗黙の了解の下に、「数値の調整」が見過ごされてきたというのが、おそらく、多くの「データ改ざん」の実態だと考えられる。

しかし、「法令遵守の徹底」「偽装・隠ぺい・改ざん・捏造」への批判が「水戸黄門の印籠」のように世の中を席巻する昨今の「過剰コンプライアンス社会」では、「形式上の不正」であって実質的な安全性、品質に影響がなくても、「データ改ざん」それ自体が厳しい批判非難の対象となる(拙著【思考停止社会~遵守に蝕まれる日本】講談社現代新書:2009年)。それに伴い、過去から製造現場で恒常的に行われていた「改ざん」「偽装」が「隠ぺい」されることで不正が連鎖し、潜在化し、「カビ」として企業組織の末端ではびこることになる。そして、この「カビ型不正」は、巧妙に隠ぺいされるため内部監査では発見できず、関与している従業員の側にメリットもない内部通報も機能しないため、多くは、マスコミや監督官庁への内部告発によって表面化する(最近では、日産自動車の無資格検査問題が、検査員の名義の「偽装」で隠ぺいされていることが監督官庁への内部通報によって発覚したと推測される)。それによって、社会的批判・非難が一気に高まり企業に重大なダメージが生じる場合もある。

データの改ざん・偽装等の行為は、今なお、多くの大企業の現場で潜在化しているとの前提で対応すべきであり、企業にとっては、それを、どのように把握し、どのように解決し、世の中に説明するかが重要な問題となっている。

そうした中で、今回、東レ子会社のデータ改ざん問題に関して、記者会見で、「ネットの掲示板への書き込み」があったことが公表の理由と明言されたことで、これまで、多くの企業の製造現場でデータ改ざん等の「カビ型不正」に悩まされてきた関与社員に、「2チャンネル等の匿名掲示板への書き込み」という、有力な問題表面化の手段が提供されることになった。

経団連会長出身企業がそのように理由を説明して問題の公表を行った以上、他の企業も、今後データ改ざん等の具体的事実が掲示板に書き込まれる都度、同様の対応をせざるを得ないことになる。今なお、企業の製造現場で潜在化していると考えられる「カビ型不正」を抱える日本の大企業、特に素材、部品メーカーにおいて、今後、データ改ざん等の情報のネット掲示板への流出が相次ぐことで、その都度、経営トップが謝罪会見に追い込まれるという最悪の事態になりかねない。

記者会見で、「掲示板書き込みが問題公表の原因」であることを率直に認めた東レの日覺社長の姿勢は大変誠実で正直であり、経営トップの対応として評価すべきであろう。しかし、一方で、「カビ型」の、安全性に問題のない「形式的不正」としての「データ改ざん」が、世の中から厳しい指弾を浴びる「改ざんドミノ」とも言われる異様な社会情勢の下で、その「正直さ」が、東レという個別企業のみならず、日本企業全体にも“重大な影響”を生じさせることになりかねない。

掲示板への書き込みが公表に至った最大の原因だったとしても、「当社子会社のデータの改ざんは把握しておりましたが、お客様にも説明して了解を得ておりますし、安全性にも影響がないことから公表の必要はないものと考えていました。しかし、神戸製鋼所の問題等への社会的批判が高まっていること、マスコミ報道や、ネット情報等によって、問題が表面化する可能性も十分にあることなどから、自主的に公表するのが適切と考えるに至ったものです。」というような、「当たり障りのない説明」でごまかす「役人的したたかさ」で対応することも可能だった。そうしていれば、「掲示板への書き込み」に注目が集まることはなかっただろう。

では、企業として、このリスクにどう対処したら良いのか。方法は2つある。

一つは、そのような「カビ型不正」を把握するために最も有効な手段である「問題発掘型アンケート」(【「カビ型行為」対策の切り札、”問題発掘型アンケート調査”】)を緊急に実施することで、不正に関わっている社員の「匿名情報」を、ネットの匿名掲示板ではなく、アンケートの自由記述の方に集めるようにすることだ。

そして、もう一つは、「カビ型不正に対する社内処分についてリニエンシーを導入する」こと。つまり、期限を設定し、それまでに、「カビ型不正」を自主申告した場合には、社内処分を免除するが、期限後に発覚した不正に関わっていたことが判明した場合には、申告の過怠も含め厳正な社内処分を行うことを告知するという方法だ。この場合、「形式的不正」の範囲であれば社内処分の免除を「確約」する必要があり、それには取締役会決議が必要となろう。

いずれにしても、多くの日本企業に、安全性に影響のない「データ改ざん」などの「カビ型不正」問題で重大なダメージを受けないようにするために、迅速な対応が求められている。

 

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“幻”に終わった「党規約による小池氏独裁」の企み

一応評価できる今回の規約改訂

前回記事【“小池氏独裁”のための、恐るべき「希望の党」規約】で指摘した規約が改訂された。改正は、11月2日付けだったようだが、11月6日になって、ようやく希望の党ホームページ中の「党規約」で、改訂後の規約が公開された(【希望の党規約】)。

最新の規約を(C)、その改訂前の規約を(B)、後に詳述する結党時の規約を(A)とする。

規約(B)に関して、「創業者」である小池百合子氏の「独裁」を可能にする規定として指摘したのは、

①「結党時の代表」である小池氏は、病気にならない限り、6年間は絶対に解職できないことになっていること

②「共同代表」「幹事長」「政調会長」等の党執行部の役員人事の権限も、すべて「代表」に帰属していること

③代表が指名する「ガバナンス長」が、国会議員の候補者の公認、推薦や、現役国会議員及び国政選挙の候補者となろうとする者の実力及び人物評価、「コンプライアンス委員会」「コンプライアンス室」を所管するなど党所属国会議員の生殺与奪に関わる広範な権限を持つこと

の3点であった。

このうち、①については、8条2項で、「代表の任期は就任から3年とし、重ねて就任することができる」とされているのは変わらないが、「任期満了に伴う新たな代表の選出をもって、任期は終了するものとし」とされたことで、「結党時の代表」も、3年の任期満了の際に代表選挙が行われて新代表が選出されれば、3年の任期で代表を退任することが明確にされた。

②については、「共同代表」については、「代表とともに党務及び国会活動全般を統括する」とされ、両院議員総会で選出することも明記された。「幹事長」「政調会長」等の役員人事についても、「代表及び共同代表が協議の上決定し、両院議員総会の承認を得る」とされた。

そして、③の「ガバナンス長」に関する規定は、すべて削除された。

これにより、「結党時の代表」にすべての権限が集中する「独裁のための規約」としての性格は、概ね解消されたと言えよう。一般的には、「最高機関」として位置づけられる「党大会」の規定がないことなど、まだ党の規約として特異な点もあり、「結党時の代表」の位置づけも含め、今後、さらなる規約改訂が必要になると考えられるが、役員人事、党運営等を民主的に行っていく方向は明確になったと言える。

「小池氏独裁のための規約」が作られた経過

前回ブログ記事】以降に、規約の改訂の経緯について、新たにわかったことがある。「希望の党」の「チャーターメンバー」(結党時の国会議員メンバーのことを小池氏は「チャーターメンバー」と呼んでいる。)の一人とも話したが、実は、私が、「小池氏独裁のための規約」と指摘した規約(B)は、9月25日の結党時の規約(A)を衆議院選挙の公示直後に改訂したものだった。

結党時の規約(A)では、「代表」は複数選任可能で、「各代表」が党を代表するとされていた。また、幹事長、政調会長人事も、「代表」が指名するが、両院議員総会承認を必要としていた。それが、改訂版(B)では、「共同代表」は「代表の指名により、代表を補佐する役割を担う」とされ、幹事長、政調会長等の役員も、「両院議員総会の承認」は外され、「代表の指名」のみで任命が可能とされた。

しかも、「ガバナンス長」という耳慣れないポストは、結党時の規約(A)では、その任務が「コンプライアンス及びガバナンスの構築の統括」に限定されていたが、公示直後の改訂(B)によって、「国会議員の候補者の公認、推薦」や、「現役国会議員及び国政選挙の候補者となろうとする者の実力及び人物評価」など広範な権限を持つように変更されている。

つまり、「希望の党」の結党時の規約(A)は、国会議員以外の者が代表に就任した国政政党の規約として、相応に合理的で民主的なものであったが、衆議院選挙公示直後に、「結党時の代表」に権限を集中させる改訂(B)が行われたこと、しかも、その改訂の段階で、代表に指名される「ガバナンス長」が、国会議員の活動にとって重要な権限をすべて独占する方向で改訂されたということだ。

この規約の改訂(A→B)は、若狭勝氏主導で行われ、「チャーターメンバー」の国会議員の会合で「了承」されたそうだ。結党時の規約(A)でも、規約改訂は、両院議員総会の承認が必要とされていたので、「チャーターメンバー」の会合での「了承」をもって、「両院議員総会の承認」とみなしたということのようだ。

当時の状況を思い起こしてみよう。9月25日、小池氏が突然「希望の党」結党表明し、民進党側が事実上の解党と所属国会議員の「希望の党」への合流によって、「政権交代」をめざして衆院議員選挙を戦う姿勢が明確になり、「希望の党」が、都議選と同様に圧勝することへの期待が高まった。「希望の党」の獲得議席数が100を超えることは確実視され、200に迫るとの予測もあった。結党時の規約(A)は、このような状況で作成されたものだった。つまり、この時点では、若狭氏が立ち上げた「輝照塾」の出身者など、「希望の党」が独自に擁立した候補者による獲得議席が相当な数に上ることを想定していたはずだ。

そのような前提で作られたのが、結党時の規約(A)だった。「結党時の代表」以外にも「代表」を置き、各「代表」を対等に扱い、役員人事も両院議員総会の承認に係らしめるという民主的なものだった。

しかし、その後、小池氏の「排除発言」を境に一気に逆風が強まり、若狭氏が、「政権交代は次の次」と発言したこともあって、政権交代への期待は急速にしぼんだ。結局、小池氏の衆院選への出馬もなく、10月10日の公示の頃には、自公で300議席を超える圧勝、「希望の党」の獲得議席は100にも届かないとの予想が一般的となった。小池旋風が逆風に変わったことで、「希望の党」の独自候補の当選は少数にとどまり、当選者の大半は民進党出身者となることが確実となっていった。

「独裁規約」への改訂の意図

結党時の規約の改訂は、このような状況の下で行われた。議員の大半が民進党出身者に占められることが確実になったので、党規約上、小池氏に権限を集中させ、それを後ろ盾に、若狭氏を中心とする少数の「希望の党」プロパー議員で民進党出身議員を抑え込んでしまおうという意図によるものだったことは明らかだ。しかも、改訂版(B)では、「本規約を変更するのが望ましいと代表が判断した場合」にのみ行えることになっている。小池氏自身が判断しない限り規約の改訂はできないので、規約上、「小池氏独裁」となるはずだった。

しかし、選挙期間中に、「希望の党」への逆風はさらに高まり、結局、規約改訂(A→B)の中心となり「ガバナンス長」に就任することを意図していたであろう若狭氏も、小池氏から引き継いだ小選挙区で落選、比例復活もできないという惨敗を喫し、政界引退に追い込まれた。「希望の党」プロパーの候補者の当選者は、近畿ブロック単独2位に指名され、惜敗率30%余りで復活当選した候補1人という惨憺たる結果に終わった。

結局、若狭氏も含めて、「希望の党」プロパー候補がほとんど全滅したため、「党規約による小池氏独裁」の企みも「幻」に終わったのである。

若狭氏は、選挙後のテレビ出演で、

希望の党は要するに、立ち上げ、あるいは立ち上げた後も、選挙が直後にあるということですから体制が整っていなかった。その体制が整っていない中で、じゃあどうすればいいかというと、やっぱりリーダーというか、トップリーダーの人がどんどん進めていかなければ、決めていかなければ動かない。いわば会社でいうと創業者。創業者の、ある意味一人が、率先して会社をどんどんどんどん力強く動かしていくのと、ほぼ同じだと思うんですけどね。

などと発言していた(10月31日「ゴゴスマ」)。

しかし、実際には、結党時には比較的常識的な内容の規約(A)であったのに、「希望の党」への逆風が強まり、「希望の党」のプロパーの候補の当選者が少数になることが確実な状況になったことから、「規約による独裁」を目論んで規約改訂(A→B)が行われたというのが真相のようである。

「独裁的規約」への改訂経緯は、政党の重大な汚点

前回ブログ記事】でも指摘したように、今回の改訂前の「小池氏独裁」の規約(B)は、政党の組織及び運営については民主的かつ公正なものとすることを求めている政党助成法の趣旨にも反する、民主主義政党としてはあり得ないものだ。このような規約が衆議院議院選挙期間中、公開もされないまま党規約となっていた。もし、「希望の党」のプロパー候補者が、10名程度でも当選していたら、小池⇒若狭ラインで、党の国会議員全体を支配するという恐ろしい構図になっていた可能性がある。若狭氏が、このような規約によって小池氏の「虎の威を借る狐」のように党組織の支配を目論んでいたというだけなのか、「チャーターメンバー」の国会議員も、その趣旨を理解した上で「独裁規約」(B)への改訂に賛成したということなのか。いずれにせよ、このような規約改訂の経過が、民進党から合流した候補者には全く知らされていなかったことは間違いないであろう。

「希望の党」の結党と最初の国政選挙に臨む際に、党運営の根本規範である党規約に関して、このような経過があったことは、政党としての一つの重大な汚点である。「希望の党」所属の国会議員全体が、そのことを肝に銘じ、民主主義政党に相応しい規約と党の組織を持った政党をめざし、現在の規約()をさらに進化させていくべきであろう。

 

 

 

 

 

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“小池氏独裁”のための、恐るべき「希望の党」規約

希望の党の共同代表に関して、「選出方法などを定める規約の見直しのための規約検討委員会が設置された」と報じられていたので、希望の党のホームページを見てみたところ、【党規約】が掲載されていた。衆議院選挙公示直前に「都民ファーストの会」を離党した音喜多駿都議が、選挙期間中に出したブログ記事【投票先の選定に当たっては、「公約」だけでなく「規約」も参考になる】で、「『規約』は政党における憲法のようなもの。憲法を読み解けば、その国の性格が一定程度わかるように、規約によってその政党がどのような組織なのかを判断できる。」とした上で、立憲民主党ですら規約が公開されているのに、「希望の党」の規約は一般公開されていないことを指摘していた。

現在は公開されているその「希望の党の規約」を読んでみて大変驚いた。それは、「小池氏独裁」を根拠づけるものでしかなく、凡そ民主主義政党の規約とは言えないものである。選挙中に、公開することができなかったのも当然だったと言える。

他の党の規約を見ると、「自民党」でも、「民進党」でも、「日本維新の会」でも、今回の選挙で消滅することになった「日本のこころを守る会」のような小規模政党でも、「党大会」が党の「最高機関」又は「最高議決機関」とされている。

ところが、希望の党の規約には、「党員」の規定はあるものの、「党大会」も「党員による機関」も規定されていない。「本党の上位議決機関を両院議員総会とする」と規定されているだけだ(6条1項)。あくまで「上位」に過ぎない。規約上、「最高機関」は存在しない。

現行の「希望の党」の規約によれば、「結党時の代表」である小池氏は、病気にならない限り、6年間は絶対に解職できないことになっている。

というのは、「代表」の選出は、所属国会議員の選挙で行うことにはなっているが、「結党時の代表」は、国会議員の選挙による選任の対象から除外されている。代表の任期は3年で「重ねて就任することができる」とされているので、「結党時の代表」は、選挙によらず、その意思により6年まで代表の地位を継続できることになる。しかも、政党では、代表を解職する事由として「代表が所属国会議員の信任を失った場合」が規定され、党所属の国会議員の発議による解職が規定されているのが一般的だが、「希望の党」の場合、代表の解職事由は「医学的問題(認知症、がん、脳卒中等)により代表を続けるのが困難であると認識されるとき」に限定されているのだ(8条10項)。

そして、「共同代表」「幹事長」「政調会長」等の党執行部の役員人事の権限も、すべて「代表」に帰属している。「共同代表」といっても、「代表」と対当な立場ではなく、「代表を補佐する役割を担う」とされている。あくまで代表の下で国会議員の活動を総括する立場に過ぎず、「共同代表」と言っても名ばかりだ。

もう一つの特徴は、「ガバナンス長」などという不可解な役職の存在だ。この「ガバナンス長」は、「代表」が指名し、国会議員の候補者の公認、推薦や、現役国会議員及び国政選挙の候補者となろうとする者の実力及び人物評価を所管する。そして、この「ガバナンス長」は、「コンプライアンス委員会」と「コンプライアンス室」を所管し、「党員の倫理遵守」の問題についても権限を持つ。つまり、「代表」に指名された「ガバナンス長」が、党所属国会議員の生殺与奪に関わる広範な権限を持つということだ。

「ガバナンス」というのは、日本語では「統治」という意味であり、「組織をまとめて治める」、「支配し治める」という意味で用いられる。その根本には、その組織の主権者の存在がなくてはならない。株式会社であれば主権者は株主であり、国であれば国民である。主権者の意向に沿い、その利益を損なうことがないように組織を運営することが、ガバナンスである。

そういう意味で、一般的に、政党のガバナンスにおいて、「党員」や「サポーター」等の政党の構成員の存在が意識されているからこそ、「党大会」等が最高意思決定機関とされるのである。この場合の「ガバナンス」は、「党の運営が、党員やサポーターの意向に反しないようにすること」である。ところが、「希望の党」の場合、現行規約を前提とすると、「主権者」に当たるのは、「結党時の代表」である小池氏であり、「ガバナンス」というのは、結局のところ、「党運営を小池氏の意向に従わせること」に他ならない。小池氏の指名で選任される「ガバナンス長」は、「希望の党」の国会議員らを小池氏の「統制」に従わせる存在ということだ。

小池氏は、衆議院選挙での惨敗後も、「創業者としての責任」を強調し、代表を辞任しない意向を明らかにしている。その根本には、「希望の党は、今年2月に、商標登録までして、自分が立ち上げた政党だから、すべて自分のもの。その権利は絶対に手放さない。」という考え方があるのだろう。

しかし、このように党内民主主義が全く働かない「小池私党」が、政党助成金という公金の交付の対象としての「政党」と言えるのか、重大な疑問がある。

政党助成法4条2項は、政党助成の対象となる「政党」の義務として、「政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとする」ことを求めている。

「希望の党」の現行の規約のままでは、政党助成の対象となる「公党」としての政党とは到底言えないことは明らかだ。「希望の党」が、今後も国政政党として、政党助成を受けて政治活動を行っていくのであれば、「小池私党」としての現規約を、根本から改めるべきだ。

「希望の党」の規約に関して、「共同代表の選出方法を定める規約の見直し」が検討されているようだが、創業者の小池氏の独裁を前提とする規約の基本構造を維持し、「共同代表」を「代表が指名する」としている現規約を変更しないまま、単に、「共同代表」の選出のプロセスとして「所属国会議員による共同代表選挙」を規定しただけでは全く意味がない。政党としてのガバナンス、コンプライアンスを考えるのであれば、その前提として、株式会社であれば株主総会に当たる「組織の最高機関」の存在が明確になっていなければならない。そして、党の最高責任者としての「代表」は、その最高機関、それがないのであれば、選挙で国民の負託を受け、党が行う政治活動を行う所属国会議員によって「信任」されていなければならない。結党後初めての国政選挙で所属国会議員の構成が決まった以上、党組織を運営する「代表」は、党大会によるのでない限り、所属国会議員らによる選挙によって選出されるべきである。

もし、「結党時の代表」である小池氏が「創業者」であることを根拠に、党内での選挙を経ることなく「代表」の地位にとどまるというのであれば、その「代表」としての地位は「象徴的なもの」に過ぎず、人事権や、党の公認、推薦等についての権限、政党助成金や政治資金の支出等の党運営についての権限は「結党時の代表」にはないことを明確にすべきだ。

なお、このような「小池氏独裁」の党規約は、今回の選挙における「希望の党」に対する有権者の支持の前提だとする理屈も通用しない。音喜多駿都議が【前記ブログ記事】で指摘しているように、少なくとも、選挙戦の最中には、「希望の党」の規約は公開されていない。選挙後、しかも最近になって公開されたものであり、「希望の党」に投票した有権者が、このような恐るべき「小池独裁」の規約を前提に投票したのではないことは明らかだ。

「希望の党」の現行の規約は、組織のガバナンス、コンプライアンスについての基本的理解を欠いた人間が作ったとしか思えないが、その作成に関わったのは、元検事の弁護士で、2016年8月の都知事選挙以降、小池氏の腹心となってきた若狭勝氏だろう。同氏は、小池氏の選挙区だった東京10区を引き継いで、今回の衆院選に立候補し、比例復活もできず惨敗し、政界を引退すると報じられているが、その敗戦の弁の中で、「党規約の作成等に忙殺され、公示まで選挙区に入れなかった」ことを敗因として挙げている。

私は、若狭氏とは、検事任官同期である。若狭氏は、小池新党の足掛かりとしての「日本ファースト」設立を公表する直前の8月1日、Facebookで、私に、友達リクエストとともに以下のようなメッセージを送ってきていた。

郷原さん、ご無沙汰しております。若狭です。ご活躍、よく拝見しております。今度、政党のガバナンスとか、コンブラアンスについてお考えを教えていただけませんでしょうか。

私は、Facebookは、ツイッターに連動させてメッセージを出しているだけで殆ど見ないので、若狭氏の友達リクエストとメッセージに気付いたのは、1ヶ月余り経った9月20日過ぎだった。既に、衆議院解散が既定の事実となり、政界はあわただしくなり、若狭氏は、民進党を離党した細野豪志氏とともに、小池氏の国政進出の中心人物として動き始めていた。

私は、若狭氏にたいして、メッセージに気付くのが遅れた事情を書いた上で、

貴兄の新党立ち上げをめぐる現在の政治状況、心配しています。少し落ち着いて考えた方が良いと思います。

とメッセージを送った。しかし、それに対して、若狭氏からの反応はなかった。

彼の「政党のガバナンスとか、コンブラアンスについて教えてほしい」というのが、現行の「希望の党」の規約のことだったとすれば、私は「一般的な意味のガバナンス・コンプライアンスとは全く異なるもので、民主的な政党として許されないものだ」と厳しく指摘していたと思う。

小池氏独裁の体制づくりに腐心していた若狭氏が、私の意見に耳を貸したとも思えないが。

 

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「緑のタヌキ」は、すみやかに“排除”されるべき

衆議院解散の直前に、「希望の党」設立の「緑の大イベント」を仕掛け、多数の前議員を合流の渦に巻き込んで民進党を事実上解党させ、「政権交代」をめざすなどと宣言して、全く当選可能性のない人物も含めて無理やり定員の過半数の候補者を擁立したものの、大惨敗が予想されるや、超大型台風の接近で東京都にも甚大な被害が発生する可能性があるのに、「災害から都民の命を守る都知事」の責任にも背を向けて、投票日前日にパリに渡航し、フランスの有力紙からも「逃亡中の女王」などと揶揄されていた小池百合子氏が、今日(10月25日)、「逃亡先」のパリから帰国した。

パリでは、ケネディ前駐日大使と対談し、

都知事に当選してガラスの天井をカーンと1つ破ったかな。もう1つ、都議会の選挙というのがあって、そこもパーフェクトな戦いをして、ガラスの天井を破ったかなと思いましたけれども、今回、総選挙があって、鉄の天井があるということをあらためて知りました

などと宣ったそうである。

「ガラスの天井」というのは、「資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる、見えないが打ち破れない障壁」のことである。今回の選挙結果は、小池氏が、「組織内で女性の昇進を妨げる障壁」に妨げられて敗北したものだというのである。

恐るべき問題の「すり替え」だ。確かに、未だに日本の社会には、「ガラスの天井」が至る所に残っている。多くの働く女性達はその障壁と懸命に戦っている。小池氏がやってきたことは、その「ガラスの天井」を巧みに利用し、男性達をたぶらかして、自らの政治的野望を果たすことだった。今回の選挙結果は、小池氏の野望の「化けの皮」が剥がれただけだ。小池氏が今回の選挙結果と「ガラスの天井」を結びつけるのは、多くの働く女性達にとって許し難いことのはずだ。

国政政党を立ち上げ自ら代表となって「政権交代」をめざすことと、都知事の職とは、もともと両立するものではなかった。政権交代をめざす以上、首班指名候補を決めることは不可欠だし、それは、代表の小池氏以外にはあり得ない。一方で、東京五輪まで3年を切ったこの時期に都知事を辞任するのは、あまりに無責任で都民に対する重大な裏切りだ。小池氏の策略は、都知事辞任をギリギリまで否定しつつ、希望の党による政権交代への期待を最高潮にまで高め、その期待に応えるための「決断」をすれば、マスコミも、「安倍・小池、総選挙での激突」を興行的に盛り上げることを優先し、「都知事投げ出し」を批判しないだろうという「したたかな読み」に基づいていたはずだ。

ところが、小池氏の「策略」を知らされず、都知事辞任はあり得ないと常識的に考えていた腹心の若狭勝氏が、テレビ出演で、「政権交代は次の次」「小池氏は選挙には出ない」と、馬鹿正直に発言してしまった(この発言の後、小池氏は、若狭氏にテレビに出ないよう指示したようだが、「後の祭り」だった。)。民進リベラル系に対する「排除発言」も重なって、小池氏の「化けの皮」は剥がれ、希望の党による「政権交代」への期待は急速にしぼんでいった。

そもそも、都議選で「パーフェクトな戦いをして、ガラスの天井を破った」という小池氏の認識は、見当違いも甚だしい。

都議選の直後、【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」】でも詳述したように、都議選での自民党の歴史的大敗は、安倍内閣の、加計学園問題、森友学園問題など安倍首相自身に関わる問題や、稲田防衛大臣の発言などの閣僚・党幹部の「不祥事」に対する都民の痛烈な批判の受け皿が、都議会民進党の崩壊のために、小池氏が率いる都民ファーストの会以外になかったことが、棚ぼた的な圧勝につながっただけだ。当時も、小池氏自身に対する人気は、築地・豊洲問題への対応への批判等で、確実に低下しつつあった。小池氏が言う「パーフェクトな戦い」とは、都議選の直前に都民ファーストの代表に就任、選挙の直後に代表を辞任して、選挙期間中だけ「小池・都民ファースト」の看板を掲げて、都民を騙したことを指すのであろう。

一昨日の戦国ストーリー風ブログ記事【平成「緑のタヌキ」の変】でも書いたように、今回の選挙は、前原氏率いる民進党議員達が、「緑のタヌキ」にまんまと「化かされ」、自滅し、それが、安倍首相が、森友、加計疑惑についての説明もろくに行わないまま圧勝するという、前原氏が目指したのとは真逆の選挙結果をもたらしたということである。希望の党公認候補として苦しい選挙戦を強いられ、何とか勝ち上がった人も、苦杯をなめた人も、まず、行うべきことは、「緑のタヌキ」の実体を見抜くことができず、まんまと「化かされて」しまったことへの痛切な反省である。小池氏を責めることはほとんど無意味である。この「化かし」は、通常の人間の「詐言」とは異なる。「緑のタヌキ」は決して尻尾をつかまれるようなことはしない。「選挙には出ないと最初から言っていたじゃないですか」と開き直られて終わりだ。化かされた側の棟梁の前原氏の愚かさが際立つだけだ。

彼らにとって必要なことは、「緑のタヌキ」に二度と化かされることがないように、今後の小池氏の在り方、行動に対して、厳しい目をもって対応していくことである。

パリでの「ガラスの天井」「鉄の天井」などの発言、帰国後の「せっかく希望の党がたちあがっているわけですから、国政に向けても進んでいきたい」などの発言を見る限り、小池氏が、今回の選挙結果について、そして、自分の所業が日本の政治や社会にいかに深刻な影響をもたらしたかについて、真摯に反省しているとは到底思えない。今後も、また、様々な策略を弄して、「緑のタヌキ」として巻き返しを図ろうとしてくることを十分に警戒しなければならない。

小池氏は、「都政に専念せよという都民 国民の声であったと真摯に受け止めたい」と言っているようだが、都民の一人として率直に言わせてもらえば、小池氏には、国政だけでなく、都政にも実質的に関わってもらいたくない。都知事にとどまるのであれば、マスコミ対応や外交活動などをやるだけにとどめてもらいたい。小池氏が、都政に実質的に関わっていくことが、全く有害無益であることは、都知事就任以降のこれまでの経過を見れば明白だ。

都知事としての小池氏について、私は、昨年11月以降、【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】【「拙速で無理な懲戒処分」に表れた「小池劇場」の“行き詰まり”】【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”】【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】などのブログ記事や、日経グローカル、都政新報などへの寄稿、片山善博氏との対談本【偽りの「都民ファースト」】の刊行などで、徹底して批判を行ってきた。

それらを読んで頂ければ、小池氏が行ってきたことが、いかに「ごまかし」「まやかし」であり、都政を混乱させるだけであったかは理解して頂けるはずだ。

「緑のタヌキ」に「化かされた人」も、正体を見破って「化かされなかった人」も、今回の総選挙で、思い知ったはずだ。「緑のタヌキ」は、国政からはもちろん、都政からも、速やかに「排除」されるべきである。

 

 

 

 

 

 

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平成「緑のタヌキ」の変 ~衆院選で起きた“民意と選挙結果とのかい離”~

始まりは、隣国、自民国の城主アベが起こした突然の挙兵だった。

自民国では、城主の「身内」や「お友達」を偏重するやり方に対して領民の批判が強く、しかも、それらの問題への対応が不誠実なものであったことから、城主への不満が高まりつつあった。いずれ、城主アベは、領民の信任を失い、城を追われるのではないかと見られていた。

そのような自民国の状況は、対立を続けていた民進国にとっては、城主アベを打倒する千載一遇の機会であったが、内部対立に加え、家臣の離反や不祥事が表面化し、対応に追われていた最中に、城主アベが突然挙兵したのだった。

もともと、「挙兵」には決まりがあった。領民を戦いに巻き込み、多大な負担と苦痛を負わせることになるのだから、余程の理由がなければならなかった。しかし、城主アベは、適当な口実をつけて、挙兵を宣言、近隣諸国との戦争準備を始めた。

大混乱に陥ったのが民進国の城内だった。家臣の離反や不祥事で混乱している最中に、アベ軍が攻め込んできたのでは、城を守れない。城主マエハラも家臣たちも、頭を抱えた。

そこに登場したのが、「私についてきなさい。城主アベを討ち取ってしんぜましょう。」などと言って現れた「緑の国の女城主」のユリコだった。自民国の出城を攻めて「黒いネズミ」を討ち取って大勝利を収めた「女城主ユリコ」の武勇伝は、瓦版などで広まっており、民進国では、城主マエハラが、「今、アベに攻められたのでは城がもたない。民進国が打ち揃って、緑の国の下に入り、ともにアベと戦おうぞ!」と家臣に呼びかけた。家臣たちは、城主マエハラから渡された軍資金を手に雪崩を打つように城を離れ、「緑の国」をめざした。アベ軍が押し寄せてきても、ユリコ率いる緑の軍が圧勝するだろうと信じて疑わなかった。

ところが、民進国の家臣達が「緑の装束と甲冑」を与えられて戦争準備に入った頃から、城主ユリコは、不可解な行動を取り始めた。

民進国の家臣をすべて引き取るのではなく、「考え方の合わない人は緑の国から排除します。」と言って、城を閉ざすことを明言したのである。「排除」の対象となった家臣達は、独自に「立憲民主国」を立ち上げて、自民国との戦争準備に入った。

そして、城主ユリコは、「アベを討ち取る」と言っていたのに、そのアベを支持する浪人を召し抱え、城に引き入れたりもした。決定的だったのが、城主ユリコ自身が、出陣する気配を見せないことだった。家臣達に対して「アベを倒せ!」と叱咤激励して応援するだけだった。「ユリコ殿、そろそろご出陣を。」を促されても、「最初からそんな気はないと言っているじゃありませんか。私には、トウキョウトの領民がいます。」などとうそぶいている。さらには「緑の軍」の総大将も決めようとしない。「戦が終わってから相談します。」と言うだけだった。

そうこうしているうちに、民進国の家臣たちの中から、「ユリコは『緑のタヌキ』だ。我々は騙されたんだ。」と言って離脱する動きが出てきた。「やはり騙された。『緑のタヌキ』に化かされて、民進国家臣の地位も失い、身ぐるみ剥がされた。」

しかし、もう時間がなかった。アベの大軍は、すぐそこに迫っていた。

そして、10月22日、戦いの火ぶたは切られた。立憲民主国は、「エダノ丸」を築いてアベ軍を迎え撃ち、城主エダノンを中心に奮戦し、アベ軍に各地で打撃を与えた。ユリコから「排除」された者、早く離脱した者も奮戦し、多くが生き残った。

しかし、「緑の軍」の方はといえば、戦う前から勝負はついていた。敗北を見越した城主ユリコは、前日に国外に逃亡。ユリコの腹心ワカサは、自民軍先鋒の若武者コイズミに、一撃で討ち取られた。「緑の軍」が新たに召し抱えた武将たちは、ほぼ全滅。民進国の家臣たちの多くが、緑の甲冑をつけたまま、自民軍の格下武将に討ち取られた。

 

以上が、今回の衆院選をめぐって起きた平成「緑のタヌキの変」の顛末である。

この「変」は、日本の政治に、そして、日本の社会に何をもたらすことになるのか。

直接の「被害者」は、「希望の党」に加わったがために落選の憂き目にあった民進党所属の前衆議院議員達である。しかし、「緑のタヌキ」に化かされて、公約が公表されてもいないのに「公約を遵守する」「党側が要求する金額を拠出する」などという「政策協定書」に署名したのは彼らなのであり、まさに自業自得である。しかも、途中で「化かされた」と気づく局面はいくらでもあった。

民進党を事実上解党して、希望の党に合流することを正当化する唯一の理由は、前原氏も言っていたように「いかなる手段を使っても安倍政権を倒す」ということだったはずだ。しかし、「希望の党」は、必ずしもそのような方向で一致結束していたわけではなかった。小池氏は「安倍一強」を批判するが、「情報公開の不足」などの自分の主張に我田引水的に結びつけようとするだけで、具体的な安倍批判はほとんどなかった。

原口一博元総務大臣が、公示の直前になって、「小池氏が出馬しないなら安倍支持」などと放言した中山成彬氏の九州比例ブロックでの扱い等に反発して、希望の党を離脱した際には、希望の党が「安倍打倒」に一枚岩になれていないことは十分に認識できたはずだ。その頃、私は、RONZAに、【希望の党は反安倍の受け皿としての「壮大な空箱」】と題する拙文を寄稿し、その中で、「原口氏の決断を重く受け止め、今回の衆議院選挙に向けての最大の目標が安倍政権打倒であることを、党の公認候補の間で改めて確認する行動を希望の党内部で起こすべきだ」と述べた。「安倍政権打倒をめざすことの確認文書への署名」を全立候補者に求めることも一つの方法であり、前原氏は、そのためにリーダーシップを発揮すべきだと述べた。

この時、民進党前議員達が、「血判状」に署名するぐらいの気概を持って、「アベ政権打倒」と、そのためのアベ批判の論陣について認識を共有し、一致結束していれば、局面も変わっていた可能性がある。関ケ原の戦いで西軍が壊滅した後、西軍に加わっていた島津軍は、徳川本陣を敵中突破し、九死に一生を得て薩摩に生還した。希望の党に加わった民進党前議員には、逆境を乗り越えるため、安倍政権打倒のための決死の行動が必要だった。

それとは対照的に、立憲民主党が純粋に政治信条と理念を守り抜く姿勢は、多くの国民の共感を得た。1年前にNHKの大河ドラマ「真田丸」が大人気だったのと同様に、日本人は、「逆境にあっても信念を貫き、戦い抜く姿勢」に好感を持つのである。

このような平成「緑のタヌキの変」で恩恵を受けたのは、自民党・安倍首相のように思える。しかし、果たしてそうであろうか。今回の選挙での共同通信の出口調査では、比例代表投票先を回答した人に安倍晋三首相を信頼しているかどうかを尋ねたところ「信頼していない」が51・0%で「信頼している」の44・1%を上回ったとのことだ。それなのに、自公で3分の2を超える圧勝だ。

森友・加計疑惑で窮地に追い込まれた末に、事実上首相に与えられている解散権を悪用して、政権維持のための「最低・最悪の解散」に打って出たことには、自民党内からも多くの批判があった。本来であれば、選挙で国民の厳しい批判を受けて当然だったのに、「緑のタヌキ」の「化かし」によって、結果的に救われただけだ。さすがに安倍首相自身も、そのことは認識しているのだろう。選挙での圧勝にもかかわらず、笑顔はなかった。

そして、何と言っても、この「変」の最大の被害者は、国民だ。安倍政権に対する民意と選挙結果が余りに大きくかい離してしまったことは、日本の社会にとっても不幸なことだ。しかも、今回の解散総選挙を通して国民の多くが安倍首相に抱いた不信は、ほとんど不可逆的なものと言える。そのような状況で「国難」に対処することこそが「国難」と言うべきだろう。

今後、安倍政権に対する対立軸として純化された立憲民主党を中心とする野党勢力が、森友・加計問題への対応への批判を強めていけば、選挙結果への反動もあって、内閣支持率は低下していくだろう。そのような状況でも、自民党は結束して安倍政権を支え続けるのだろうか。来年の総裁選を控え、自民党内でどのような動きが出てくるのであろうか。

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本当に、「こんな首相」を信任して良いのか

「緑のたぬき」の“化けの皮”が剥がれ、安倍自民圧勝の情勢

衆議院選挙の投票日まであと3日、各紙の情勢予測では、「自民300議席に迫る勢い」と、安倍首相率いる自民党の圧勝が予想されている。しかし、世論調査で「安倍首相に首相を続けてほしくない」との回答が50%近くに上っており、また、内閣支持率は30%台に低下し、不支持率を下回っている。「自民圧勝」の情勢は、決して安倍首相が支持されているからではない。

最大の原因は、衆議院解散直前に「希望の党」を設立し、自ら代表に就任した小池百合子東京都知事の“化けの皮”が剥がれたことにある。都議選圧勝で最高潮に達した小池氏の人気は、民進党リベラル派議員を「排除」するという小池氏自身の言葉や、音喜多都議と上田都議が「都民ファースト」から離脱し、閉鎖的で不透明な党の実態を暴露したことなどによって大きく低下した。さらに、「政権交代」をめざして国政政党を立ち上げたのに、代表の小池氏が衆院選に出馬せず、「希望の党」は首班指名候補すら示せないまま衆院選に突入したことで、小池氏への期待は失望に変わった。

私は、昨年11月以降、ブログ等で、小池都政を徹底批判してきた。都議選の直後には、【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」】と小池氏を批判した。そういう意味では、「小池劇場」を舞台に、都民、国民に異常な人気を博してきた小池氏の実像が正しく認識されること自体は、歓迎すべきことである。そして、小池氏に化かされ、「緑」に染まってしまった民進党系の前議員の多くが「希望の党」もろとも惨敗するのは自業自得だ。しかし、問題は、それが「自民党の圧勝」という選挙結果をもたらしてしまうことだ。

“憲政史上最低・最悪の解散”を行おうとする「愚」】でも述べたように、今回の衆議院解散は、現時点で国民の審判を仰ぐ理由も「大義」もないのに、国会での森友・加計学園疑惑追及を回避するための党利党略で行われたものであり、憲法が内閣に認めている解散権を大きく逸脱した「最低・最悪の解散」だ。

疑惑隠しのため解散を強行した安倍首相への批判から、自民党が大きく議席を減らすことが予想されていたが、「希望の党」の結成、民進党の事実上の解党によって、野党は壊滅、その「希望の党」も化けの皮が剥がれて惨敗必至の状況となり、結局、「最低・最悪の解散」を行った安倍首相が、選挙で圧勝して国民から「信任」を受けることになりかねない状況になっている。

しかし、本当に、それで良いのであろうか。

10月11日のテレビ朝日「報道ステーション」の党首討論での安倍首相の発言に関しては、【「籠池氏は詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」は、“首相失格の暴言”】で、一国の首相として、いかにあり得ない暴言であるかを批判した。それに対しては、大きな反響があり、朝日、毎日、共同通信、週刊朝日等でも取り上げられたが、安倍首相の正確な発言内容が把握できたので、籠池氏の事件や解散に至る経緯も踏まえて安倍首相の発言内容を整理してみたところ、その発言の“恐るべき意図”が明らかになった。

安倍首相発言の“恐るべき意図”

安倍首相の発言は、後藤キャスターの

総理にお伺いしたいんですが、この森友・加計学園というのは、最高責任者としての結果責任が問われている。

森友問題については、交渉経過を総理の指示によって検証する、そういうお考えはないのでしょうか。

との質問に対して行われた。(番号、下線は筆者)。

まず森友学園の問題なんですが、私が一回も、お目にかかっていないということは、これは、はっきりしています。私が一切指示していないということも明らかになっています。うちの妻が直接頼んでいないということも、これも明らかになっていると思います。

あと、問題は、松井さんが言われたように、①籠池さん自体が詐欺で逮捕され起訴されました。これは、まさにこれから司法の場に移っていくんだろうと思います。

値段が適正だったかどうかも、財務省が、これは民間の方々から訴えられているわけでありますから、捜査当局が明らかにしていくんだろうなと思います。

②こういう詐欺を働く人物の作った学校で、妻が名誉校長を引き受けたことは、これはやっぱり問題があったと。③やはり、こういう人だから騙されてしまったんだろうと…

この発言の第1の問題は、行政府の長であり、検察に対しても法務大臣を通して指揮監督を行い得る立場にある首相が、検察が逮捕・起訴した事件に言及した上で(下線①)、「『こういう詐欺』を働く人物」と決めつける発言をした(下線②)ことだ。籠池氏は、検察に逮捕され、身柄拘束中だが、取調べに対して完全黙秘しており、公判で弁解・主張を行って公正な審理を受けようとしている。このような被告人の起訴事実について、一国の総理大臣が、「詐欺を働く人物」と決めつけることは、「推定無罪の原則」を首相自らが破るものであり、絶対に許されない。

第2に、安倍首相は、森友・加計学園問題について「丁寧な説明」をすると繰り返し述べながら、野党に国会召集を要求されても応じず、臨時国会の冒頭解散によって国会での説明の場を自ら失わせた。そして、国会に代わって、森友・加計問題についての「説明の場」となったテレビの党首討論の場で、安倍首相が行った「説明」が、「籠池氏は詐欺を働く人物であり(下線②)、そういう人物だから妻の昭恵氏が騙されて(名誉校長になった)(下線③)」というものだった。

そして、安倍首相が、森友学園問題について、上記の「説明」を行うことが可能になったのは、まさに、検察が籠池氏を詐欺罪で逮捕・起訴したからだ。

検察の逮捕・起訴に関しては、籠池氏自身が逮捕前から「国策捜査」だと批判し、マスコミ等からも、そのような指摘が相次いだ。その逮捕事実が、告発事実の補助金適正化法違反ではなく詐欺であったことは従来の検察実務の常識に反する(【検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか】【検察は、籠池氏を詐欺で起訴してはならない】。また、大阪府からの補助金の不正受給も、通常は「行政指導」の対象であり、刑事事件で取り上げるような問題ではない。

検察が、「常識的な判断」を行っていれば、安倍首相が、上記のような「森友学園問題についての説明」を行うことはできなかった。籠池氏に対する検察の逮捕・起訴は、法務大臣を通じて検察を指揮し得る(或いは「検察から忖度される」)立場にある安倍首相自身を利するものだった。安倍首相の発言は、そのことを自ら認めるものなのである。

一国の首相が推定無罪の原則を無視する発言を行ったことだけでも、「首相失格」であることは明らかだが、それ以上に問題なのは、その「籠池氏が詐欺を働くような人物だから妻が騙された」という、森友学園問題に対する「説明」は、検察の籠池氏逮捕・起訴によって初めて可能になったということだ。安倍首相の発言は、検察の国策捜査を自ら認めたに等しいのである。

刑事司法が政治権力のための道具として悪用される恐れ

安倍首相と籠池氏は、もともと敵対関係にあったわけではない。少なくとも、森友学園問題が国会で追及されるまでは、安倍首相の妻昭恵氏は籠池夫妻と親密な関係にあり、安倍首相自身も、国会答弁で「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と述べていた(2月17日衆院予算委員会)。

ところが、籠池氏が、森友学園の小学校設置認可申請を取り下げた後、3月16日に、「安倍首相から100万円の寄付を受けていた」との発言を行った時点以降、自民党は「安倍首相を侮辱した」として籠池氏を証人喚問、3月29日には、大阪地検が籠池氏に対する補助金適正化法違反の告発を受理したと大々的に報じられ、7月28日、国会が閉会し安倍首相の記者会見が終了した直後に強制捜査着手、そして、7月31日に、籠池氏夫妻が逮捕され、さらに大阪府等からの補助金不正受給について再逮捕。籠池氏は、詐欺の犯罪者として処罰される方向で事態が進行していった。

そして、今回の安倍首相の発言があり、行政府の長である首相が、籠池氏が逮捕・起訴された事実に関して、「詐欺を働く人物」と明言したことで、少なくとも、検察は、今後、籠池氏側・弁護人側からいかなる主張がなされようと、首相の意向に反して、「籠池氏の詐欺」を否定する対応をとることは困難になる。そして、有罪率99.9%と、検察の判断がほぼそのまま司法判断となる日本の刑事司法においては、結局のところ「籠池氏の詐欺」が否定される余地は事実上なくなるのだ。

今回の安倍首相発言が容認されれば、今後の日本では、首相に敵対する側に回った人間を、籠池氏と同様に、刑事事件で逮捕・起訴することで、「犯罪者」として「口封じ」をすることが可能となる。まさに、刑事司法が権力の道具になってしまいかねない。

このような発言を、公共の電波による党首討論で堂々と行った首相が、選挙で国民の信任を受けるなどということは、絶対にあってはならない。 

「こんな首相」を信任して良いのか

今年7月都議選での街頭演説で安倍首相は、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と叫び、国民からの強い反発を受けた。今回の選挙に関しては、本記事で述べた、党首討論での安倍首相発言がいかなる意図によるもので、いかなる意味を持つものかを、改めて認識した上で、「こんな首相」を本当に信任しても良いのかということを、真剣に考えて頂きたい。

 

 

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