「環境変化への不適応」としての識名トンネル補助金不正請求事件

沖縄では、昨年11月、識名トンネルというトンネル工事をめぐる補助金の不正請求の問題が表面化し、国からの5億8000万円の補助金返還をめぐって、県執行部と議会とが対立、補助金返還の補正予算を議会が承認せず、今月に入って、国の出先機関の沖縄総合事務局が、沖縄県側を補助金適正化法違反、虚偽公文書作成で「被疑者不詳」のまま告発するという、前代未聞の事態に発展している。
この問題の本質は、「談合システム」の解消に伴う公共工事発注をめぐる環境の激変に、沖縄県の行政システムが適応できなかったことにあり、また、中央から巨額の予算が投じられているにもかかわらず、沖縄における補助金等の予算執行の適正さを確保するための体制が極めて脆弱であることも背景になっているように思える。
沖縄県が設置した弁護士等による第三者委員会報告書(2012年2月)に基づき、この問題を、公共調達をめぐるコンプライアンスの観点から分析し、今後の沖縄県の対応について考えてみることとしたい。

事実経過と現状
2006年、沖縄県は、識名トンネル新設工事の一般競争入札を行い、大手ゼネコンと地元建設業者のJVが約23億円で落札した。その工事の施工中に、発注当初予定していなかった地盤沈下対策等の工事が必要となった。県側は、最終的に契約変更によって対応するとの前提で追加工事を行うよう指示し、追加工事を含む工事が続行され、工事は2008年10月に概ね完了したが、工事費の増額分は10億円余りに上った。
2009年1月に、その分増加した工事費用の支払のために、既に完了している工事から、別件工事として切り離しが可能な工事を抽出し、JVに対して、随意契約の手続きで2年度にまたがり合計10億円の工事を発注することにし、工期を偽って、既に工事は終了している工事についての約5億円の工事請負契約が締結された。
この工事は、国からの補助金で工事費の95%が賄われる補助事業であった。沖縄県は、随意契約で発注した追加工事分についても補助金を請求し、国から交付を受けたが、2011年に行われた会計検査院の検査で、虚偽の契約による不正請求が発覚、沖縄県は、国の出先機関の沖縄総合事務局から、金利分も含めて5億8000万円の返還命令を受けた。
沖縄県は弁護士等による第三者委員会を設置し、その調査結果や原因、再発防止策等を取りまとめた報告書が2012年2月に県に提出された。
そして、県当局は、国への補助金の返還金を含む補正予算を県議会に提出したが、議会は、返還金を削除した修正案を2回にわたって可決。県当局は「拒否権」を発動して返還金全額を国に支払った上、返還金命令の一部について国に不服を申し立てたが、同年5月 に申し立ては棄却された。
さらに、6月4日には、沖縄総合事務局は、補助金適正化法違反及び虚偽公文書作成の罪で「被疑者不詳」のまま、沖縄県警に告発を行った。この告発について、沖縄総合事務局は、「今回の告発を契機として、不適正な手段により補助金の交付を受けた同事案の経緯や責任の所在がより明らかになり、違反行為の是正に資することを期待しております。」とコメントしている。
5億8000万円の補助金返還について、県議会の承認も得られず、支出の根拠が得られないまま、沖縄県民の負担となる一般会計に巨額の損失が生じるという重大な結果が生じている。外形上犯罪の成立は明白であり、国の機関の告発である以上、警察としても、相当重く受け止めざるを得ず、虚偽の契約書を締結したり、補助金の不正請求をしたりした当事者や、それを了承した上司を特定した上、相応の処罰が行われることになるはずだ。
しかも、組織的な犯行の可能性が高いので、捜査状況如何では、県庁への捜索や被疑者の逮捕という事態も考えられないわけではない。
それに加え、週刊文春6月21日号の記事では、この問題を仲井真知事の個人的スキャンダルととらえ、知事が、自らの個人的な関係に基づき、工事を受注・施工したゼネコンに有利な取り計らいを指示した疑いを指摘している。
まさに、沖縄県の行政の信頼を根底から損ないかねない深刻な事態と言うべきであろう。

問題発生の原因
では、このような問題が発生し、ここまで深刻な事態に至った原因をどのようにとらえるべきであろうか。
識名トンネルの工事発注をめぐる問題のそもそもの発端は、06年の当初の本体工事の発注の際、47%という極端な低価格で落札されたことにある。
地中を掘削するトンネル工事の場合、施工の段階で新たな条件が判明し、工事内容を追加・変更する必要が生じる場合が多い。しかも、周辺地域の安全上の問題もあり、一度掘削を開始すれば、途中でやめるわけにはいかない。トンネル工事等のように自然条件に左右される土木工事では施工段階での工事の追加・変更は必然的とも言える。
識名トンネルの工事では、契約を後回しにして、現場指示で追加工事を施工させた後に、沖縄県と受注業者側で協議が行われたが、47%の低落札率が追加工事の代金にまで適用されることで工事代金が著しく低いものとなるため、業者側が納得しない。そこで、結局、業者側の要求どおりに追加工事代金を支払うために、実際には終了している工事を新たに発注したような虚偽の契約書を締結し、それによって補助金交付申請を行った。
追加で行った地盤強化工事自体は、行わなければ危険が生じる恐れがあり、工事施工上必要であった。しかも、当初工事の落札率が47%と極端に低かったために、追加工事を随意契約で発注しても総工事費は十分に当初の予算の範囲内に収まる。ということであれば、トンネルの新設という補助金事業の目的に沿うもので、実質的な問題は大きくないと沖縄 県側は考えたのであろう。

しかし、法令で定められた補助金申請・交付の手続のルール上は、そのようなやり方は許されない。国が交付する補助金については、補助事業の計画を作成して、その費用の見積りをして補助金申請を行い、補助金交付決定が出た後に補助事業を執行するというプロセスを踏まなければならない。補助事業者の方で既に事業が完了している工事の費用を補助金の方に「つけ回し」することはできない。
沖縄県側が、法令にしたがった対応を行うとすれば、当初の発注の段階で予定していなかった地盤強化工事を施工させる必要が生じた段階で協議を行い、その契約内容や工事代金について明確に取り決めておくことが必要であった。しかし、実際には、47%の落札率を工事価格に反映させるということになると、受注業者側の要求額との隔たりは大きく、協議が整う見込みはなかった。そうなると、建設工事紛争審査会のあっせん又は調停により解決を図るというのが正規の方法であった。
しかし、このような手続を行おうとすれば、そのために膨大な時間がかかり、その間、地盤改良工事を行わず、工事がストップすると、施工現場の近隣に危険を生じさせることにもなりかねない。既存の法令のルールの範囲内では解決が困難な問題であり、まさに「法令遵守」の限界を示す事例とも言えよう。
「談合システム」解消による急激な環境変化
このような困難な事態が発生したことの背景に、かつて日本の公共工事の世界に蔓延していた「談合システム」が、大手ゼネコン間の「過去からのしきたりとの訣別宣言」に伴って解消されたことによる公共工事発注をめぐる環境変化があると考えられる。
本来、工事の発注というのは、契約の段階で目的物が存在しておらず、契約後に工事施工という役務の提供が行われるという点で、同じ公共調達であっても物の売買とは大きな違いがある。工事の品質の確保という観点が不可欠であり、そのためには、契約の段階で施工業者の技術力、信頼性について評価する必要があるのに加えて、工事施工の段階でも、適切な工事施工が行われるよう発注者の側で継続的な管理を行うことも必要となる。
ところが、日本では、公共工事の発注についても、明治時代に制定された会計法により、「予定価格」を定めて入札を行い、予定価格以下で最も低い価格で入札した者と契約するという「最低価格自動落札方式」、つまり、業者の技術力や信頼性など価格以外の要素が基本的に考慮されない入札契約制度によって発注が行われてきた。
そのような法令上の制度の欠陥を補充する機能を果たしてきたのが「談合システム」であった。業者間で話合いによって受注予定者を決め、入札参加業者間でその業者が落札するよう協力するという談合が恒常化し、公共調達全体に蔓延していた。そして、それを発注官庁側も暗黙のうちに容認していた。
談合は違法な行為ではあったが、技術力や信用等の面から業者を業者間の話合いによっ て受注予定者に選定することは、公共工事の実態に適合できない入札契約制度の欠陥を補充する一つの「非公式システム」として、広く、公共工事の発注の世界に定着していた。
このような「談合システム」によって、受注業者間では「工事をめぐる長期的な貸し借り」が成立し、また、その中で安定的に利益を得ていくためには、業界内の秩序に従うことが求められた。発注官庁側の意向は、業者間の話合いによる受注者予定決定にも有形無形の影響を及ぼすことが多く、受注業者側が工事の施工に関して発注官庁側とトラブルを起こすことは、業界の秩序を乱す行為として、「談合システム」の下での不利益な取り扱いを受けることにつながりかねない。それが、発注官庁との関係で、受注業者の立場を相対的に弱いものにしていた。しかし、そういう立場に甘んじて発注者の意向に反しないように工事を受注し施工していくことは、業者に長期的には利益をもたらすものであった。
このような「談合システム」の下では、入札は形骸化していたので、その段階で工事の内容を厳密に確定しなくても、施工の段階で業者側の実情に応じて適宜変更していくことも可能だった。
それは、工事施工後に、新たに自然条件が判明し、工事の内容や工法を変更する必要が生じることが珍しくない土木工事に関しては、発注官庁側にとって多大なメリットがあった。地中のことは掘削してみないと正確にはわからないトンネル工事などはその典型であった。
「談合システム」が続いていれば、識名トンネルの工事について、そもそも落札率47%という低落札率での受注はあり得ず、工事施工後に判明した状況に応じて工事の追加・変更を行うことも容易だったはずだ。
しかし、2006年初めに、大手ゼネコン間で、「過去からのしきたり」との決別と称して談合排除の宣言が出されたことで、ゼネコン間の談合システムは一気に解消に向かった。それに伴って、公共工事の入札での価格競争が激化し、ダム、トンネル等の大型工事では、予定価格の50%以下の低価格受注も相次ぎ、ダンピング受注が建設業界の深刻な問題となった。
識名トンネルの工事での当初の工事発注は、「談合システム」が解消されたことによる混乱の最中で行われたものだった。公共工事の発注をめぐる環境は激変し、業者間はそれまでの協調関係から厳しい競争関係に、発注者と受注業者との間、相互信頼に基づく依存関係から、独立した契約当事者としての利害相反関係に、それぞれ大きく変化した。
当初の本体工事は、落札率47%という極端な低価格で落札・受注され、施工後の追加工事にもその落札率が適用されるということになると、受注業者側の損失は一層拡大することになる。そして、重要なことは、そこでの損失の見返りを「長期的な貸し借り」で解消しようにも、それを可能にする業者間の「談合システム」が存在しないし、発注官庁側との関係も、独立した契約当事者の関係で、将来的に、その損失を埋め合わせてもらうこと は全く期待できない。こういう状況において、沖縄県側と受注業者側との協議が難航するのは当然であろう。

環境の激変に適応できなかった沖縄県
今回の問題の最大の原因は、沖縄県の公共工事の発注のシステム、組織体制が公共調達をめぐる急激な環境変化に適応できなかったところにあったと考えられる。
当初の本来工事の入札の段階で、その後の、追加工事の発注方法、価格等についてルールが明確化されないまま、トンネル工事施工に必要な追加工事が、現場指示によって行われたために、工事が完了した後に、支払額や支払い方法をどうするかという深刻な問題に直面し、その際、受注業者側の要求どおりに工事代金を支払うために使われたのが、既に完了している工事についての請負契約書を作成して補助金を請求するという方法だった。
「談合システム」の下では、発注官庁と受注業者との間に継続的互恵関係があり、個々の工事の採算や利益へのこだわりも少なかった。しかし、それが解消され、競争と契約中心に世界になれば、追加・変更工事をめぐっても、契約当事者間の利害が衝突する。受注業者にとって、本来、契約外の工事をする義務はないのであるから、追加工事はやらないと言われればおしまいだ。しかし、それでは、安全に工事を完了することができない。このような状況になっても、迅速に適正に追加・変更工事の発注をするためのシステムと、それを運営するルールを構築する必要があった。
日本の公共調達に長年定着していた「談合システム」は、違法なものではあったが、それなりの経済的・社会的機能を果たすものでもあった。価格競争が制限されることで受注価格が高値に維持されること、発注官庁側と受注官庁側の癒着・腐敗を招くことなどの弊害をもたらす一方で、業者の技術力や信頼性の評価が可能であること、発注官庁側と受注者との信頼関係に基づく連携・協力が可能になることなどのメリットもあった。特に、工事施工後に新たな施工条件が判明することが多い土木工事については、その後の状況に応じて契約内容の追加・変更に柔軟に行う上でメリットがあったとみることができる。
このように、違法ではあるが社会的・経済的に一定の機能を果たしてきたシステムを解消して、競争と契約を中心とする新たなシステムに転換するのであれば、従来のシステムが果たしてきた機能を代替するシステムが必要となる。違法なシステムであっても「談合は違法だからやめれば良い。法令遵守を徹底すれば良い」という単純な発想では、問題は解決しないのである。
公共工事の入札における「総合評価方式」の導入は、「談合システム」が果たしていた業者の技術力や信頼性の評価を公式の制度として取り入れたものだったと言える。談合システム」が果たしていたもう一つの重要な機能が、発注官庁側と受注業者側の「契約外の協力関係」の維持だった。特に、工事発注後、施工段階で、自然条件の関係で工事の追加・変更の必要が生じることは避けられない土木工事などにおいては、工事を円滑に行う上で 多大のメリットをもたらすものであった。
「談合システム」の解消に伴い、独立した契約当事者としての発注官庁と受注業者との間で、土木工事の特性に応じて迅速かつ適正に追加・変更工事の契約を行い、それを適正に執行するシステムとそれを支える人的体制の整備が必要であった。それが整わないままで、トンネル工事が施工され、業者とのトラブルを処理しようとしたことが、補助金をめぐる重大な不正につながったのである。
なお、そのトラブル処理について「県知事が個人的なつながりによって受注業者の利益を図った疑い」を指摘したのが前出の週刊文春の記事であるが、疑いの根拠は示されていない。地盤強化工事等の追加工事を行わせ業者側に多大な負担をかける現場指示を行ったことに責任を感じた担当部局の現場レベルの判断で、業者側への支払いを行おうとしたとみる余地も十分にあるように思われる。

問題表面化後の沖縄県の対応に関する問題
このように、今回の問題の本質を、公共工事の発注のシステム、組織体制が公共調達をめぐる急激な環境変化への不適応ととらえた場合、沖縄県が、今回の問題で組織としての信頼を失墜することになった最大の原因は、補助金不正という問題そのものより、むしろ、問題表面化後の対応にあったとみることができる。
経済社会の環境変化は更に激しくなる中、組織がその変化に適応することは一層困難になっている。環境変化への不適応のために社会の要請に反し、社会からの批判・非難を受けることは、ある程度は避けられないものといえる。問題は、そのような事態に直面した場合、組織としてどう対応するかである。
環境変化に不適応に関しては組織の側に必ず何らかの問題がある。多くの場合、それは組織の構造に関わる問題である。そういう組織が不祥事を起こした際、構造的な問題を抱えた組織内の論理に凝り固まってしまったのでは適切な対応は期待できない。
そこで重要なのが、情報開示、説明責任である。今回の不祥事に関して適切に情報を開示し、説明責任を果たしていくことで、組織外からの適切な問題の指摘が行われ、それらを真摯に受け止め、組織の構造を改めることも可能となる。それが、組織が環境に適応し、信頼を回復していくことにつながるのである。
しかし、沖縄県が、今回の問題表面化後、そのような情報開示、説明責任を十分に行ってきたとは到底言えない。典型的に表れているのが、第三者委員会の報告書の取り扱いだ。せっかく委員会を設置し、報告書の提出を受けているのに、それをマスコミに配布しただけで、ホームページへの掲載や一般への配布を行っていない。第三者委員会は、ステークホルダーへの説明責任を果たすことを重要な目的としているものなのに、調査・検討の成果としての報告書に一般人がアクセスできないのでは意味はない。
このようなことを繰り返しているために、今回の問題に関する事実関係、原因、問題の 本質などが県民には全く理解されないまま、会計検査院の指摘、県議会での追及、沖縄総合事務局による告発等の事象が次々と報道されることによって沖縄県の組織に対する信頼が一層失墜していく、という最悪の展開になっているのである。
沖縄総合事務局による告発も、週刊文春の知事スキャンダルとしての報道も、まさに、そのような沖縄県当局の対応の拙劣さのために生じた副産物と言うべきであろう。
今からでも遅くない。第三者委員会報告書等に基づき、この問題の本質と真の原因をしっかり説明し、公共工事の発注をめぐる環境の変化に適応できる沖縄県としてのシステムとルールの構築を行っていく方針を明確化することが、信頼回復にとって不可欠と言うべきであろう。

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「取調べ可視化」の問題は、陸山会事件をめぐる検察不祥事の本質ではない

「陸山会事件の虚偽捜査報告書作成問題を受け、最高検は23日までに、再発防止策として、検察審査会の起訴相当議決を受けた再捜査の取り調べを、録音・録画(可視化)することを決めた」(時事通信)。
この記事を見て、私は唖然とした。あくまで新聞記事であり、検察が、本気で、この「起訴相当議決後の再捜査での取調べ可視化」を、今回の陸山会事件をめぐる検察不祥事の再発防止策と考えているのかどうかはわからない。しかし、もし、そうであるとすれば、問題は深刻だ。要するに、検察は、この問題の本質を全く理解していないということだ。
取調べの可視化は、特捜検察にとっても重要な問題だ。過去に「特捜検察の暴走」を招いた不当な取調べを防止するために、取調べの可視化は有力な手段だ。しかし、そのことと、今回の事件を、田代検事の取調べの不当性の問題として捉えるべきだということとは全く異なる。
改めて認識すべきは、陸山会事件捜査をめぐるの問題は、3年前の検察審査会法の改正で導入された「検察審査会の起訴議決による起訴」という制度の一般的な問題ではないということだ。

西松建設事件での小沢氏秘書の逮捕まで行った強制捜査が惨憺たる結果に終わり、政権与党の幹事長とうい立場に立った小沢氏に対して、まさに「遺恨試合」のような形で捜査を継続した当時の東京地検特捜部の「暴走」が、陸山会の土地取得をめぐる政治資金規正法違反事件だった。常識的には殆ど破綻したに等しい無理筋の事件で小沢氏の起訴をめざすとういう殆ど妄想に近い捜査が、結局、明らかな失敗に終わり、検察の組織としての決定は、小沢氏不起訴だった。
それで決着したはずの陸山会事件を、検察審査会という検察組織の外部の組織まで活用して、検察組織としての決定を覆そうとした、まさに組織に対する「反逆行為」の目論見が明らかになり、その過程での虚偽公文書作成等の多数の検察官の職務上の犯罪が問題になったのが今回の検察不祥事なのである。

このような事件の「再発防止策」は、一般的な検察審査会の議決を受けての捜査の在り方とは全く異なる。まずは、今回の事件の「組織の決定に対する反逆行為」としての本質を明らかにし、その背景と構造を解明した上で、特捜部による「組織に対する反逆行為」の再発を防止しなければならない。

「検察審査会の起訴相当議決を受けた再捜査」の一般的な問題として再発防止策を検討し、再捜査での「取調べの可視化」を打ち出すというのは、一般の事件における検察審査会の起訴相当議決を受けた検察の対応と同レベルの問題として、今回の問題を考えているということであり、問題のすり替えに過ぎない。
もし、検察幹部が、本気で、このような措置を本件の再発防止策として考えているとすれば、それは、今回の問題の本質が全く理解できていないということである。
他紙の報道からも、虚偽報告書作成問題に関する検察の処分は、来週中に公表される見通しのようだ。それが、消費税増税法案採決の方にマスコミや世の中の関心が向かっている間に、陸山会事件不祥事についての全面不起訴という社会に説明不能な処分を、できるだけ目立たない形で行い、この問題に対する説明責任から免れようとする意図によるものだとすれば、もはや検察の再生は絶望的だと言わざるを得ない。

我々は、この事件の本質を改めて認識した上で、今、検察の長い歴史に歴史上の汚点を残そうとしている検察の行動をしっかり見極める必要がある。最悪の場合は、東京地検特捜部の幹部等が悪用した検察審査会の議決に、検察の誤った判断の是正の最後の望みを託すことになるかも知れない。それは、長い検察の歴史の中で決してあってはならない「検察組織の崩壊」の事象である。そのような事態には決してなってほしくない。

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沖縄への一括交付金で予算執行の適正は確保できるのか

沖縄では、昨年11月、識名トンネルというトンネル工事をめぐる補助金の不正請求の問題が表面化。国から5億8000万円の補助金返還をめぐって、県執行部と議会とが対立し、補助金返還の予算を議会が不承認、今月に入って、国の出先機関の沖縄総合事務局が、沖縄県側を補助金適正化法違反、虚偽公文書作成で「被疑者不詳」のまま告発するという、前代未聞の事態に発展している。
講演のために那覇市を訪れ、この問題を知った私は、6月15日の朝、ツイッターで、「沖縄では、予算の執行をめぐって、大変なことが起きている。こういう状況を放置したまま、沖縄に巨額の一括交付金を投入したことには重大な問題がある。消費増税の前にやるべきことがあると、改めて痛感する。詳細を把握した上でブログに書くこととしたい。」と予告した。
その時は知らなかったが、この問題については、6月14日発売の週刊文春で「仲井真知事のカネと女」というタイトルで、沖縄県の仲井真知事をめぐるスキャンダルとして報じられていた。
週刊文春の記事では、この工事に関して、仲井真知事が、個人的に親密な関係の女性を通して、大手ゼネコンに有利な取り計らいをした疑いを指摘し、「知事スキャンダル」としてとらえている。
同記事が指摘している知事関与の疑いは、今後、刑事事件の捜査によって明らかにされることになるであろう。私の方では、それとは別個に、この問題を、沖縄県という自治体組織のコンプライアンスという観点から分析・検討しようと考えているが、週刊文春の記事でも引用されている県の第三者委員会の報告書が入手できていないので(通常、この種の報告書は、ホームページへの掲載という形で一般公開されるが、沖縄県のホームページには、第三者委員会の報告書は見当たらない。そこにも、沖縄県のこの問題に対する対応の問題が表れている)、早急に入手した上、分析・検討の結果を、このブログ等で明らかにしようと思う。

しかし、いずれにしても、知事スキャンダル問題は別として、中央から巨額の予算が投じられている沖縄の自治体において、補助金等の予算執行の適正さを確保するための体制が極めて脆弱であり、それが今回の問題の原因となっていることは否定できない。
本年度から、使途を限定しない一括交付金が、沖縄県に300億円、県内の市町村に303億円交付されたが、現地で聞いた話では、この一括交付金は、使途は限定されていないが、従来の補助金事業は対象外であり、沖縄振興のための新たな事業の企画立案が必要だが、実際には、交付金の対象事業の目途は殆ど立っていないようだ。
使途の自由度が高いだけに、予算執行を適正さが、一般の補助金以上に強く求められることになるが、識名トンネル工事の問題をめぐる対応の混乱を見る限り、沖縄県の現状で予算執行の適切さが確保できるのか甚だ不安である。
来年3月までに、交付金を使い切らなければならないという焦りが生じると、不適正な予算執行の問題が生じる危険性は一層高まる。
私が総務省顧問・コンプライアンス室長として調査・検討に取り組んだICT関連の補助金の予算執行の不適切事案も、平成21年度の二次補正予算で年度末近くになって認められた「ICTふるさと元気事業」をめぐって起きた問題であり、審査期間が短かったことが、補助金の予算執行の適正さに関して重大な問題を生じさせたものだった。現状からすると、来年度末までに新たな事業を企画立案して300億円の一括交付金予算を使い切るのは至難の業だと言わざるを得ない。

そもそも、沖縄県に対して、今年度、多額の一括交付金を交付することが果たして妥当だったのか極めて疑問である。
普天間基地の辺野古への移転などの政治課題の解決のために沖縄を優遇しようとする意図によるものであろうが、適切な予算執行を行う体制が整備されていることを確認することもなく、場当たり的に予算のバラマキを行っても、本当の意味の沖縄振興にはつながらない。
沖縄問題一つとってみても、このような愚策を繰り返す政府に、消費増税によって一層大きな予算執行の権限を与えるべきだとは到底思えない。その前に、やらなければならないことがあるはずだ。

識名トンネルをめぐる問題も、そのような政府の政策の欠陥の産物としての沖縄の予算執行問題全体に関連づけて理解すべきであろう。

          

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虚偽報告書作成問題、日経記事から窺われる検察の危機的状況

6月8日の日経朝刊の『「元特捜部長」供述維持を』と題する記事の中で、田代検事作成の虚偽捜査報告書問題に関する検察の調査結果について述べている。その中で注目すべきは、これまで、新聞各紙が田代検事の「嫌疑不十分」による不起訴の見通しを報じる記事の中で理由としていた「記憶の混同」という言葉が全く出てこないことだ。

昨年12月の小沢公判で田代検事の証人尋問の際に問題にされたのは、「『ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ。』と言われたことで、堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたって話した」との記載が、石川議員が隠し撮りした録音記録には全くないことであった。田代検事は、その点の報告書の記載が客観的に虚偽であることを認め、石川氏の勾留中の取調べでのやり取りと「記憶が混同した」と弁解した。当初は、この「記憶の混同」の弁解が信用できるかどうかが問題とされたが、2月の小沢公判での検察官調査の証拠請求却下決定で、裁判所は「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べて、田代検事の弁解を一蹴した。

しかし、その後、この事件について、市民団体の告発を受けて行われていた虚偽公文書作成罪等による捜査と最高検による調査では、田代検事は「記憶の混同」の弁解を維持し、その弁解が崩せないので、虚偽文書作成の「犯意」が立証できないので「嫌疑不十分」で不起訴にせざるを得ないと、新聞各紙は報道してきた。

ところが、その後、田代検事作成の報告書と取調べの録音記録の現物がネットで公開されたことで、それまで問題にされていたような「局所的な問題」ではなく、報告書の内容全体が、実際の取調べ状況とは全く異なっており、凡そ「記憶の混同」などという弁解が通る余地はないことが明らかになった。 そのことは、私も、様々な場で指摘してきたが、先日、小川前法相の退任会見での「指揮権発言」の中でも、『報告書全体が虚偽であり「記憶の混同」の弁解は到底通らない』との指摘を行っている。

こうした状況の中で、検察当局も、さすがに「記憶の混同」の弁解を崩せないことを理由とする不起訴は無理だと判断し、理由を変更しようとしてることが、今回の日経記事につながったのかもしれない。

日経の記事に書かれているのは、『主任検事が、田代検事に、石川議員とのやり取りを「分かりやすく作成するように」と指示し、田代検事は質問と回答が交互に並ぶ形式で報告書を作成した』『田代検事には報告書が検察審に提出されるとの認識がなかった』ということであり、それらを理由に田代検事の不起訴という結論を導こうとしているように思える」(記事に書かれているのは、最高検の調査結果であるが、告発されている刑事事件の不起訴理由も、その調査結果と同様の事実関係を前提にするものと思われる)。

そこから推測できる不起訴理由は、①田代報告書の記載内容が「一問一答形式」になっているのは主任検事に指示された「書き方」の問題であり、それは実際の取調べのやり取りと同じではないが、書こうとしている趣旨は、実際の取調べと同様の趣旨、②田代検事には、その報告書は部内で使われるだけで、検察審査会に提出されるとの認識がなかったので、虚偽文書の「行使の目的」がない、というところであろう。

しかし、このような理由で犯罪の成立を否定することは困難であろう。

①は、確かに、報告書と実際のやり取りが一字一句同じでなければならないというわけではないという説明にはなっても、報告書の内容と実際の取調べの状況の違いの説明には到底なり得ない。報告書では、「取調べの冒頭」で、田代検事が、被告人の立場にあるので取調べに応じる義務がないことを説明したことになっているが、録音記録によれば、取調べの冒頭は、録音機を持っていないかどうかの確認をしつこく行ない、取調べが拒否できることなど全く告げていない。また、報告書では、田代検事が、「これまで供述してて調書にしたことは間違いないか」と確認したところ、石川氏の方が、従来の供述内容には間違いないが、「小沢先生が私から説明を受けたことを否定しているのに、自分がそれを認める供述をすると小沢先生の説明を否定することになる。」と言って逡巡している様子が記載されているが、実際には、田代検事の側が、「従前の供述を維持していれば、検察審査会の審査員は、小沢氏が絶対権力者だということに疑問を持つので、起訴議決は出ない。」というようなことを言って、供述を維持するよう、石川氏にしつこく働きかけている。

まさに捜査報告書に記載されている取調べの状況そのものが実際の取り調べ状況とは全く違うのであり、①の不起訴理由は到底成り立ちえない。

②についても、検察官名義の捜査報告書の形式からして、田代検事が、報告書は検察部内用のもので裁判の証拠として使われたり、検察審査会に提出されるものではないと認識していたとは考えにくいが(部内だけで使うものであれば、検察官の署名・押印は不要、報告資料としてのペーパーで十分なはず)、仮に、そのような認識であったとしても、そのような形式の文書を作成して上司に提出する行為は「虚偽文書を真実の文書として他人に認識させ,または認識させうる状態におく」という(虚偽公文書の)「行使」に当たることを否定する余地はない。部内にとどまると認識していたとしても、犯罪の成否の問題ではなく、情状の問題に過ぎない。

結局のところ、①、②ののような理由は、犯罪の成立が立証できないという「嫌疑不十分」の理由にはなり得ない。せいぜい、犯罪は認められるが情状面を評価して起訴は不要だとする「起訴猶予」の理由に無理無理持っていく余地があるかも知れないという程度であろう(その場合も、「起訴猶予」に対して、世の中の納得が得られるとは到底思えない。検察審査会で検察の不起訴処分が覆されるのは確実であろう)。

そして、ここへ来て、検察にとっては一層重大な問題となっていると思 われるのは、田代検事の偽証の問題である。

東京地裁の証拠請求却下決定で、「田代検事が公判で供述する説明内容にも、深刻な疑いを生じさせるものと言わざるえ終えない」と述べて、偽証の疑いを強く示唆している。検察当局が田代検事の「記憶の混同」の弁解を維持することにこだわるのは、ここに最大の原因があるように思える。「記憶の混同」の弁解が崩れると、小沢公判での証人尋問で、報告書が虚偽であることを認めた上で「記憶の混同」と説明した田代検事の証言について偽証罪が成立することが否定できなくなってしまう。それは、田代検事の罪状として虚偽公文書作成に偽証が加わることにとどまらない。小沢公判で田代検事がどのように証言するのかについて、検察の組織内で、証人尋問前に検討が行われ、少なくとも、特捜部や東京地検幹部の了承の下に法廷で「記憶の混同」と説明することが了承されたはずだ。それが偽証ということになると、広範囲の検察幹部が偽証について責任を問われることになる。これは、現在の検察組織にとって致命的な事態だ。

日経新聞の記事から窺われるのは、陸山会事件での虚偽報告書作成問題で検察が重大な危機にさらされている現状である。

笠間総長は、この事態をどう打開しようとしているのであろうか。滝実新法務大臣は、この事態にどう対処しようとしているのであろうか。

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小川前法相の指揮権発言について考える

小川敏夫前法務大臣が、6月4日の退任会見で、虚偽報告書作成問題に関して、「指揮権の発動を決意したが、野田佳彦首相の了承を得られなかった」ことを明らかにした(朝日)。
多くの記事では「指揮権発動相談」と表現しているが、小川氏は「相談」などという言葉は使っていないし、検事総長に対する指揮権は法相の固有の権限であり、権限行使に関して総理大臣に「相談」すべきことではない。「了承」が得られなかったという朝日新聞の表現が正しい。
とは言え、小川氏が指揮権の「発動」という言葉を使い、それについて野田総理に「了承」を求めたことは事実である。虚偽報告書作成問題について検察の判断だけに委ねておいて良いのか、という問題提起としては評価できるが、この「発動」と「了承」に関しては、法相指揮権の本来の在り方にも関連する大きな問題がある。

検察庁法14条は「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と規定している。
同条本文は、検察官も、4条、6条で定められた検察官の事務、すなわち、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定していることから、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができる。
この但し書は「検察組織としての独立性」と、内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う法務大臣の権限とを調整する規定である。
刑事事件の捜査・処分については、基本的には、「検察の独立性」を尊重し、検察の判断に委ね法務大臣は介入しない、しかし、例外的に、「検察の独立性」の枠組みに委ねておくことが適切ではない事件については、法務大臣が検事総長に対する指揮を行うべきというのがこの規定の趣旨であるが、問題は、その例外をどのように考えるかである。
造船疑獄における犬養法務大臣の「指揮権発動」が、検察の捜査・処分に対して政治的介入を行ったとして厳しい社会的批判を受けたこともあって、それ以降、政治家である法務大臣による指揮権は事実上「封印」されてきた。
しかし、その原因となった造船疑獄事件をめぐる「指揮権発動」についても重大な誤解があり、 行き詰った捜査から「名誉ある撤退」をするために、当時の検察幹部の策略によって、指揮権発動が行われた可能性が強いことが、最近になって、当時の関係者の証言等から明らかになっている(詳しくは、3年前の日経ビジネスオンライン拙稿『「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を』http://bit.ly/a1tzQ9

もっとも、この造船疑獄事件における「指揮権発動」の問題はともかく、政治家に対する捜査に、政治家たる法務大臣による政治的意図に基づく介入については、微妙な問題があることは否定できない。

しかし、今回の事件はそれとは性格が異なる。検察組織に関わる検察官の職務上の犯罪の問題である。 検察官の職務に関して犯罪が行われた場合、他の検察官、上司が共犯者となることもあり、また、背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような事件を「検察の組織としての独立性」の枠組みで適切に処理することは、もともと困難である。そのような問題が発生した場合に、組織上の問題を明らかにし、再発防止を図ることについての行政上の責任を負うのは、検察を含む行政組織のトップの法務大臣であり、法務大臣が積極的に関与し、法務大臣として指揮権の行使を検討するのは当然である。

問題は、その場合、法務大臣が具体的事件についてどのような「指揮」を行うのかである。 検察が立件し、処分前の事件について、その起訴・不起訴等の処分の内容を、具体的に指示するのであれば、刑事事件の処分の判断なのであるから、事実と証拠に基づいて行われなければならないのは当然であり、法務大臣として、まず、検察当局から報告を受ける必要がある。
小川前法相は、「指揮権発動を決意した」と言いながら、その具体的内容は明らかにしていないが、「発動」という大仰な言葉を使っていることから、処分内容を明示して「指揮」することを考えたようにも思える。証拠や事実関係の報告書を受ける前に、特定の被疑者の起訴を具体的に指示しようとしたのであれば、適切ではないと言わざるを得ない。
しかし、ここでいう「具体的事件について指揮」に当たっては、必ずしも、処分内容を明示する必要はない。 捜査・処分における厳正な対応という方向性を示す抽象的な指示を行うことも可能であり、それでも法務大臣の「指揮」であれば検察としても重く受けざるを得ない。
特に、東京地検特捜部の捜査の過程における重大な不祥事である今回の虚偽捜査報告書作成問題に対して、世の中の見方は極めて厳しいのであるから、そのような世間の常識を背景に、「『記憶の混同』などという弁解は世の中に通用しない。厳正な対処を」というだけで、検察は、報道されているような不起訴処分を行うことは困難になるであろう。

もう一つの問題は、小川前法相は、指揮権の問題について、なぜ野田総理大臣の了承を求めたのかである。
造船疑獄における「指揮権発動」のような政治的意図に基づく捜査・処分に対する介入であれば、その責任は内閣が負うことになるので、内閣の長の判断を仰ぐ必要があるが、今回の問題のように検察組織に関わる問題であるが故に、「検察の独立」に委ねることが適切ではない、というのであれば、検察を含む法務省という行政組織のトップである法務大臣の固有の権限行使の問題でありあるから、総理大臣の了承を得る必要はなかったはずだ。

了承を得ておく理由としては、この事件について「記憶の混同」の弁解を排斥して田代検事を起訴した場合、12月の小沢公判での田代証言が偽証ということになり、そのような証言をすることについて東京地検や上級庁の幹部が関わっていた可能性があるので、田代検事の起訴は、検察の幹部人事にも影響があると判断して、総理大臣の意向を確認しようとしたということも考えられなくもない。

いずれにしても、小川前法相の指揮権に関する発言は、今回の検察不祥事に対して積極的に指揮権を行使しようとしたとすれば、それは当然であり、評価できるが、その経過や内容に不明な点が多い。今後の虚偽報告書作成事件の処分のみならず、法務大臣と検察との関係にも影響を与え得る問題であるだけに、決意した指揮権行使の具体的内容、その理由、野田総理の対応などについて、十分な説明を行う必要があるのではなかろうか。

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「虚偽捜査報告書作成・隠避」の「自白」に等しい検察幹部発言

陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書作成問題について、虚偽公文書作成罪で告発されている田代検事について、不起訴の見通しを報じる新聞報道が相次いでいる。その中でも特に注目されるのが、5月27日付朝日朝刊の「強制起訴への影響配慮」と題する記事だ。
不起訴の環境l作りを目論む検察幹部の発言をそのまま垂れ流した記事のように思えるが、逆に、その意図に反して、この事件の重大性、明白性を自ら認めたに等しい内容だといえる。
問題は、この記事で、昨年1月上旬に東京地検がこの問題を把握した際の対応についての当時の検察幹部の「指定弁護士の職務に影響を及ぼすため公表しなかった。隠したわけではない。」とのの発言だ。この「指定弁護士の職務」への影響というのはどういう意味なのであろうか。
記事に書かれているように、その時点での聴取に対して田代検事が「逮捕中の取り調べであったやり取りと記憶が混同した」と答えたことから「故意の虚偽記載はない」と判断したのであれば、単なる過失で虚偽文書を作成してしまい、それがたまたま検察審査会に送付されたというだけだ。少なくとも、検察審査会の議決を誘導しようとする意図はなかったことになる。そうであれば、「指定弁護士の職務への影響」はなかったはずだ。
影響があると判断したのは、田代検事の弁解は到底信用できないもので、公表した場合には、この虚捜査報告書の作成が、検審議決誘導のための重大な犯罪行為であることが否定できなくなり、小沢氏への起訴議決は無効ではないかとの主張が出てくるからであろう。そのような「指定弁護士の職務への影響」を懸念して公表しなかったということだと思われる。つまり、この朝日の記事での「指定弁護士の職務への影響」というのは、検察幹部が、田代検事の弁解が到底信用できないこと、検審議決誘導の事実が否定できないことを、事実上自白しているに等しい。そうなると、大坪・佐賀氏への一審での検察論告と判決と同じ論理を適用すれば、この時の検察幹部については、犯人隠避が成立するということにならざるを得ない。
こういう重大な内容の記事を、『田代検事は「嫌疑不十分」、当時の特捜幹部は「嫌疑なし」で不起訴』という見通しで締めくくる記者の神経が私には理解不能だ。

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ブログ始めました。

これまで、メルマガやtwitter.longerで行ってきた私の意見・解説を、ブログ形式での発信に改めることにしました。過去に書いたものもご覧になれるよう、できるだけ当ブログ内に格納しようと思います。

西松事件での小沢氏秘書逮捕以来、3年以上にわたって、検察の捜査・処分や検察審査会の審査・議決に関する様々な問題について、その時々に意見・解説を行ってきました。

検察審査会の起訴議決に基づく小沢氏の公判で一審無罪判決が出る一方、検察は、陸山会事件をめぐる検審議決誘導問題、虚偽捜査報告書作成問題等で窮地に追い込まれるなど、一連の問題は最終局面に近づいています。これまでの経過を、歪んだマスコミ報道によるのではなく、客観的に振り返ってみる必要があると思います。

そういう面からも、このブログを是非活用してもらえればと思います。

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バス事故に関する国交省の監督行政の問題

昨日の記者レクでも、バス事故に関する国交省の監督行政の問題を取り上げました。「安全と競争の関係」という極めて重要な問題が背景にあると思います。

私も総務省顧問としてこの問題に関する行政評価に関わっただけに、今回の事故は本当に残念です。どう考えても控訴審で覆るとは思えない小沢無罪判決のことで、いつまでもグダグダ言っているより、貸切バスの問題等「安全と競争」に関する行政の問題を考える方が重要だと思います。

2010年2月に総務省で開催された行政評価機能強化検討会の議事録中の「安全確保のための行政」の問題に関する私の発言部分を抜粋してアップしました。


平成22年2月17日開催、第1回行政評価機能評価検討会議事録から抜粋]

【郷原顧問】 行政評価の機能を抜本的に強化するということであれば、聖域を設けないことが絶対に重要だと思うんです。今まで聖域と考えられていたような業務、先ほど防衛省の作戦業務は作戦の当否を評価することはできないという話がありましたけれども、それはもちろんそうなんですが、例えば検察庁の業務で言えば、事件処理の当否は評価の対象にはならないと思いますが、どういうリソースをどういう業務に振り向けるかというのは、検察庁も行政ですから当然、行政評価の対象になるはずです。
そういう面で考えますと、資料4の4ページの「貸切バスの安全確保」という件について相談を受けたんですが、貸切バスについて重大な事故が発生して、違法行為が後を絶たない状況にあって、行政処分も行われているけれども、なかなか危険な状態が解消できない。そういう場合に、刑事告発を行って罰則適用をする必要があるのではないかということが検討されています。
しかし、今までの行政と検察との関係から言いますと、罰則適用というのは行政からの告発ではほとんど行われていません。結局、事案の重大性、悪質性に応じて行政処分のレベル、最終的には罰則適用というものがシステムとして整っていないと、効果的、実効的な行政はできないはずなんですが、罰則適用の部分は刑事司法の問題だということで、最初から聖域化してしまっているために、行政としての効率性・有効性という発想がないんです。
改めて、検察もそういう部分においては行政なわけです。個別の事件の処理は検察固有の業務ですけれども、どういう法分野に対してどういう体制で臨んでいるのか、実際にどういう実績を-19-上げているのか、そこできちんと行政庁との擦り合わせができているのかという観点から、行政としての評価をしていくことによって、かえって行政のリソースの効率化にもつながると思いますし、エンフォースメントの強化も図れるんじゃないか。そういったところにも、従来聖域と考えていた領域にやるべきことが含まれているんじゃないかと思います。
【郷原顧問】エレベーターの安全の問題をお話ししたいと思うのですが、2006年に港区でエレベーター事故が起きて、非常に悲惨な犠牲者が出た。あの事故に関しては、警察による事故原因の究明がなかなか行われないで、そのためにずっと行政の対応が遅れてしまって、エレベーターの安全対策が遅れたということが既に問題になっているんですが、より根本的な問題として、そもそもエレベーターというのは、建築基準法の枠組みの中で、国交省の住宅局建築指導課などという部署で所管することに適しているのかという問題があると思います。
建築基準法は、階段とかドアという構造物をいかに安全に造るかということには向いていますけれども、エレベーターのような高度なメカトロニクス機器をどうやって安全に設置して、どうやって維持管理していくのかということには全く向いていません。しかも、そういったことに関する専門知識を持った要員は、ほとんど国交省の住宅局にはいない。2年ぐらいでどんどん入れかわってしまう。結局、そういったことが国際的な安全基準を実現する上でもマイナスになり、事故原因の調査に関しても当事者意識を欠いてしまうことにつながる。
こういう問題を根本的に解決しようと思えば、建築基準法という枠組みの中にエレベーターの問題が入っていること自体を見直さないといけない。そういうことはどこも言い出さないんです。むしろ、人を運搬する機器という面では国交省の乗り物を所管する部門の問題かもしれませんし、メカトロニクス機器という面では経産省の所管のほうが適当なのかもしれない。エレベーターの安全を実現するためにどこの省庁が担当するべきなのか、改めて根本的に見直さないといけないという問題が、まずエレベーターの問題だと思います。

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小沢氏無罪判決をどう受け止めるべきか

4月26日、東京地方裁判所において、陸山会をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察審査会の起訴議決に基づいて起訴された小沢一郎氏に対する判決が言い渡された。

主文は無罪。しかし、判決理由は、検審の議決や検察官役の指定弁護士の主張の多くを認めながら、最終的には、政治資金収支報告書への虚偽記入についての小沢氏の故意を否定して無罪の結論を導いていることから、判決の受け止め方が大きく分かれ、様々な議論を呼んでいる。

この判決をどう読むべきか、私の見解を示すとともに、この判決で一応の決着を見ることになると思われる陸山会事件を、組織のコンプライアンスという観点から考えることとしたい。

<「当然の無罪」を判決はどう理由づけたか>

政治資金収支報告書への真実記載義務を会計責任者・職務補佐者に課す一方、代表者には会計責任者の選任・監督両方に過失がある場合の罰金刑のみ定めている現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないというのが刑事司法関係者の常識である。本件では陸山会の代表者の小沢氏の刑事責任追及は困難だとして、検察が二度にわたって不起訴としたのも当然の判断であった。

今回の判決は、そういう「当然の判断」を、法解釈論で一刀両断的に行うのではなく、虚偽記入の犯意を根拠づける具体的事実の認識が立証されていないという点から丁寧に行っている。

判決では、石川氏らについての収支報告書の虚偽記入に関する事実関係や故意について詳細に認定し、小沢氏との共謀が認められるとする検察審査会の議決や指定弁護士の主張に対しても、「相応の根拠があると考えられなくはない」と述べた上で、4億円の借入金の記載の必要性と、本件土地取得を平成17年ではなく16年の収支報告書に記載する必要性についての小沢氏の認識を否定し、無罪の結論を導いている。

まず、4億円の借入金の記載の必要性の認識であるが、平成16年の陸山会の収支報告書の収入の欄に小沢氏からの「借入金4億円」が記載されているが、判決は、小沢氏名義の銀行からの借入金を陸山会に転貸したという「借入金4億円」のほかに、小沢氏から現金で提供された4億円についても「借入金4億円」と収支報告書に記載しなければならなかったとして、それを除外して収入総額を記載したことが虚偽記入にあたると認めている。

この点に関しては、小沢氏の弁護人は、現金で提供された4億円は、小沢氏からの「預り金」であり、陸山会名義の定期預金とされ銀行からの借入金の担保とされていても、実質的には小沢氏の所有なので、4億円を、陸山会の資産として収支報告書に記載することも、借入金として記載することも不要だったと主張していた。

判決ではその弁護人の主張は認めなかったが、その根拠とされたのは、「小沢氏から提供された4億円が陸山会の一般財産に混入しており、その相当部分が本件土地の取得費用に費消された」という事実であった。そうだとすれば、その事実を小沢氏が認識した上で、それを除外した収取報告書を作成・提出することを了承したのでない限り、小沢氏に虚偽記入の刑事責任は問えない。ところが、その点について石川氏が小沢氏に報告した証拠はない。したがって、小沢氏に虚偽記入の犯意があったと立証されておらず犯罪は成立しない、というのが無罪の理由である。

また、本件土地の取得の収支報告書への記載の時期の問題については、石川氏が、不動産業者との間で、本件土地取得公表の先送りを意図して、売買契約の決裁を17年に先送りしようとしたが拒否され、所有権移転登記手続きのみ先送りする旨の合意を取り付けて合意書を作成したもので、所有権の移転時期の変更は合意されていないことは認識していたとして、石川氏が平成16年の収支報告書に土地取得及び取得費の支出を計上すべきであることを認識しながら、計上しない収支報告書を作成、提出したことを認めている。

一方、小沢氏に関しては、このように土地取得時期の先送りができなかった具体的事情を石川氏から報告されたことが立証されていないことを理由に、小沢氏は平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性を認識していなかった可能性があるとしての虚偽記入の犯罪の成立を否定している。

要するに、小沢氏は、収支報告書の記載内容について報告・了承していたとしても、記載すべき事項が記載されていないことの認識、つまり虚偽の収支報告書を作成・提出することの故意が認められないから、犯罪は成立しない、という理由で、無罪の結論が導かれているのである。

このような判決内容からすると、無罪の結論は裁判所にとって当然の判断であり、有罪とは相当な距離があると見るべきであろう。

<検察審査会起訴議決・指定弁護士の主張に対する「配慮」>

私は、判決が言渡しの直後、判決要旨をざっと読んだだけの段階では、無罪という「当然の結論」を出す一方で、検察審査会という市民の議決に基づいて行われたものであることや、小沢氏に対する批判的世論にも配慮しているようにも感じた。しかし、判決要旨を精読してみると、判決の内容は、指定弁護士、弁護側の主張双方について、必要に応じて必要な範囲で事実を認定し、法律を適用したもので、「検察審査会の議決や世論に配慮した」という面はそれ程重要な要素ではないように思える。

石川氏ら秘書の行為を、概ね指定弁護士の主張に沿って認定し、詳細に判示しているが、それは、虚偽記入の実行行為の存在が小沢氏の共謀に関する認定の前提事実であるからであると同時に、小沢氏の犯意の認定に関する事実でもあるからである。
実際に、小沢氏から提供された4億円の取扱いや不動産の所有権取得、不動産登記等に関する事実関係は、最終的には、小沢氏の犯意を否定する根拠ともなっている。また、石川氏らの行為についての今回の判決の認定は、決して指定弁護士側の主張を全面的に認めたものではない。

特に重要なのは、指定弁護士は、「石川は本件預金担保貸付の当初からこのような処理を予定しており、これによって資金の動きを複雑にして、第三者の目からわかりにくくし、また、本件土地の購入原資とした借入金も2年間で返済済みであるように見せかけることを意図して行った巧妙な隠ぺい、偽装工作である」旨主張しているが、判決は、「本件預金担保貸付について短期間で巨額の返済をすればかえってその異例さが浮き彫りになるおそれもあり、隠ぺい、偽装工作として積極的な意味があるかには疑問がある」「『金額が大きいので、被告人を借入名義人とした方が借りやすいと考えた』旨の石川供述を否定することはできない」として、むしろ、「その場しのぎの処理として行われたとみるのが相当である」「指定弁護士の主張は採用することができない」と判示しているのである。

また、マスコミでしきりに「説明責任を果たしていない」として批判される4億円の原資についての小沢氏の法廷供述についても、判決は、「大筋においては、その供述の信用性を否定するに足りる証拠はない」としている。

石川氏ら秘書の行為についても、結論として虚偽記入であることは認めているが、「隠ぺい・偽装工作」であることは否定し、むしろ、政治資金収支報告書上、小沢氏の多額の現金保有の事実の表面化を避け、不動産取得時期の先送りをする上で「事務処理手続きを誤り、虚偽の認識を持って報告書に記入した事案」との認定に近い。「元代表の共謀共同正犯の成立を疑うことは相応の根拠がある」と述べてはいるが、そもそも、その「共謀共同正犯」の成立が問題にされている犯罪の実体である虚偽記入自体が、形式的、手続き的なもので極めて軽微なものに過ぎないのである。

マスコミは、今回の判決について、指定弁護士の主張や、従来からの小沢氏の「政治と金」に関するマスコミの批判をそのまま認めながら、結論だけ「無罪」としたかのように扱い、「黒に近いグレー」「実質的には有罪判決に近い」などと報じているが、判決の趣旨・内容を十分に理解しているものとは思えない。

<判決における検察捜査への厳しい批判>

今回の判決の中で最も重要な判示は、検察による虚偽の捜査報告書の作成及び検察審査会への送付を厳しく批判している点である。

判決は、虚偽の捜査報告書作成等の問題に関する弁護人の公訴棄却の申立てに対する判断の中で、事実に反する捜査報告書によって検察審査会が判断を誤って起訴議決を行ったとしても、「検察審査会における起訴議決が無効であるとするのは、法的根拠に欠ける」と述べて、公訴棄却の申立てを退けているが、それに関連して、弁護人の主張を「違法捜査抑止の見地をも考慮すべきとの主張」と敢えて忖度した上で、事実に反する捜査報告書の作成や検察審査会への送付によって検察審査会の判断を誤らせることは「決して許されない」と厳しく断罪した上、「事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分調査等の上で、対応されることが相当」と述べている。

つまり、法的な根拠がないので公訴棄却をすることはできないが、検察官による虚偽の報告書による検察審査会の判断を誤らせる行為は、決して許されない行為であり、そのような違法捜査抑止の見地から、「検察庁等」における徹底した調査や捜査による真相解明が不可欠であり、それが行われなければ、検察審査会による起訴議決という制度自体にも重大な支障が生じかねないという見方を示しているのである。

この判示は、検察にとって極めて重いものである。田代検事の虚偽公文書作成に関連して、当時の東京地検幹部等多数が市民団体によって告発されており、その事件の捜査や、事件の検証のための調査を徹底的に行い、真相を解明しなければ、今回の判決を踏まえた対応とは言えないであろう。その調査の在り方については、先般、検察の在り方検討会議の元委員が中心になって法務大臣と検事総長に提出した「要請書」でも述べているように、第三者も含めた事実調査を行うことで客観性を担保する必要がある。本件判決で、調査の主体を「検察庁等」と言っているのは、その趣旨も含むものと言うべきであろう。

<検察組織のコンプライアンス問題>

小沢氏に対する不起訴処分は、検察としては当然の判断であり、今回の無罪判決も当然と受け止めているであろう。しかし、刑事司法の健全な常識からすると当然であるこの無罪判決に至るまでには多くの紆余曲折があり、それによって、検察の組織は致命的なダメージを受けることになった。

そもそもの発端は、3年余り前、小沢氏の秘書を比較的少額の政治資金規正法違反で突然逮捕したところにあった。政権交代が現実化する中、総選挙を控えた時期に野党第1党党首であった小沢氏に対して行われた捜査は、迷走を続けた末、検察にとって不本意な結果に終わった。その後、政権交代で与党幹事長の地位に就いた小沢氏に対して、遺恨試合のような形で特捜部が着手したのが陸山会事件であった。

当初、小沢氏から提供された不動産購入代金4億円の原資がゼネコンからの裏金であるとの想定で石川氏と秘書3人を逮捕したが、裏金捜査は不発に終わり、4億円虚偽記入等の形式犯だけの立件となった。

検察としては、小沢氏不起訴は当然の判断だったが、それに納得できない特捜検事らは、検審の議決によって不起訴決定を覆すことを画策した。虚偽記入についての小沢氏への報告・了承を認める石川氏の取り調べ状況に関して、供述調書が信用できるように思わせる虚偽の報告書を作成して検審に送付、素人の検察審査員は小沢氏の共謀を認定し、起訴すべきとの議決を出した。

検察が2度にわたって不起訴としているだけにより強く働くべき「推定無罪の原則」は殆ど無視され、指定弁護士の起訴によって被告人の立場に立たされた小沢氏は、あたかも犯罪者であるかのように扱われ、党員資格停止など重大な政治的ダメージを受け、また、それは、政権交代後の日本の政治の混乱にも大きな影響を及ぼした。

検察の組織としての不起訴処分を、一部の検察官が検察審査会まで利用して覆そうとした「反逆行為」は、組織としての統制機能、一体性という、検察の核心部分にも疑念を生じさせることになった。まさに検察という組織の重大なコンプライアンス問題というのが、今回の事件の重要な核心の一面である。

<指定弁護士による控訴の可能性>

この事件に関する社会の当面の関心事は、今回の判決に対して、指定弁護士が控訴をするのか否か、控訴を断念して刑事事件が決着するか否かである。

今回の判決は、全体として、証拠の評価、事実認定、法律判断ともに極めて適切であり、控訴理由とされる点はほとんど見当たらない。唯一、問題にされる余地があるとすれば、無罪の理由とされた、4億円の借入金の記載の必要性、平成16年の収支報告書に土地取得を記載する必要性についての小沢氏の認識の問題が、公判の中で争点とされていなかったことであろう。公判前整理手続で整理された争点とは異なる点を、判決で突然無罪の理由とするのは、訴訟手続上問題があるとの理由で「訴訟手続の法令違反」を控訴理由とすることが考えられる。

しかし、判決の無罪理由としているのは、政治資金収支報告書への虚偽記入の犯罪を認めることについて、当該報告書が虚偽であるとの認識を欠くから犯意がないというものである。故意犯である以上、故意は犯罪成立の不可欠の要件であり、それは、検察官が当然に立証責任を負うものである。その点が、公判前整理手続で争点にされていなかったからと言って、検察官として立証不十分であったことの弁解にはならないのであり、それは「検察官役」の指定弁護士であっても同様である。

実質的に考えても、冒頭でも述べたように、現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、代表者自身の積極的な関与がある場合に限られ、報告書の内容について報告・了承したという程度では共謀は認められないという刑事司法関係者の常識が、今回の判決の無罪の判断の背景にあり、判決では、それを具体的な事実認定を通して、丁寧にその理由が示されているに過ぎない。控訴しても控訴審で、その判断が覆る可能性は殆どないのであり、今回の事件による政治の混乱をさらに長引かせることになる控訴をすべきではないことは明らかである。

そもそも、指定弁護士の職務とされている検察審査会の起訴議決に基づく「公訴の維持」が、控訴にまで及ぶのかも疑問である上に、指定弁護士の実務上の判断としても、控訴の判断が行われる可能性は極めて低いと考えられる。

<もう一つのコンプライアンス問題>

5月10日の控訴期限の経過によって、政権交代後の日本の政治に重大な影響を与えるとともに、検察に対する国民の信頼を失墜させる結果を招いた陸山会事件は、石川知裕氏ら秘書の控訴審を除いて、一応の決着を見ることになるであろう。

しかし、小沢氏にとっては、自らに対する刑事事件が確定した段階で、行うべき重要な事柄が残されていることを見過ごしてはならない。それは、陸山会という政治団体の組織の代表者として、政治資金処理に関する組織のコンプライアンス問題について総括し、反省すべき点を反省することである。

今回の判決の認定事実によると、小沢氏の資金管理団体である陸山会の会計処理は、会計に関して殆ど素人に近い秘書の石川氏や池田氏に委ねられ、余りに杜撰なものであり、何億にも上る高額の不動産を取得したり、その資金に関して関する銀行からの融資を受けるなどの多額の資金移動が行われたりするのに相応しいものとは到底言えないものであった。
それが、前記のように、虚偽の認識を否定できない「事務処理上の問題」につながったものである。小沢氏の政治資金に関して、実際にどのような問題があるかはわからない。しかし、少なくとも、今回の刑事事件で明らかになった事実から判断する限り、本件の本質は、政治資金の会計処理の体制があまりに貧弱であったために起きた陸山会の土地取得をめぐる会計処理の混乱によって生じた政治資金処理上の問題である。それが、「歪んだ正義」を振りかざす特捜検察と、それと一体となったマスコミによって、巨額の政治資金をめぐる「政治家の犯罪」のように扱われ、「政治と金スキャンダル」に発展してしまったというのが実態である。

そのスキャンダル自体は、今回の判決が確定すれば一応の決着がつくことになるであろう。しかし、小沢氏にとっては、その段階において、絶対に避けては通れない問題がある。それは、そもそもの原因となった陸山会という政治団体組織の政治資金の会計処理をめぐるコンプライアンス問題について、その組織のトップとして、きちんとした総括・反省を行うことである。何もしないで良いということには決してならない。

とりわけ、小沢氏は、日本の政治において今後も重要な地位を占め、大きな影響力を持つことを目指して活動していくのであれば、政治資金の会計処理という面に関して、これまでのように「すべて適法に処理している」というだけではなく、「適法で適切な政治資金会計処理が行える体制整備を行う」ことが不可欠であろう。

小沢氏にとって、今回の問題がこれまで「政治と金スキャンダル」として刑事事件に関連づけられていたために、政治資金会計処理の問題に言及できなかった面もあると思われるが、今回、その刑事事件が一応の決着を見る段階に至ったのであるから、もはや、その問題から目を背けることは許されない。

小沢氏自らが、判決で指摘された点を中心に、政治資金の会計処理に関する事実関係を整理し、このようなコンプライアンス問題を発生させた原因について総括・反省する必要がある。それによって、本当の意味で、陸山会をめぐる問題について、小沢氏としてケジメをつけることできるのである。

(初出:メルマガ http://www.gohara-compliance.com/uploadPDF/ozawa.pdf

 

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陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書

今日、法務大臣宛と検事総長宛に提出した陸山会事件捜査等をめぐる検察の問題に関する要請書をアップしました。

江川紹子氏、後藤昭一橋大教授と私の在り方元委員を含む19人の各分野の有識者による要請書。しっかり受け止めて実行してもらいたい。

法務大臣要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/MOJ/

検事総長要請書
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/PPG/

賛同者一覧
http://www.gohara-compliance.com/information/2012.4.23/menber/

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